〜2003年2月の過去ログ〜

 

 

 

 2月28日    恋愛小道具魔法編
 
 
 
 
 
 
 うへぇあ
 
 
 
 いえ、正直なトコこんな感じ。
 いやもう参った参った。
 魔法遣いに大切なこと観たからなのだけど、
 しかしこれはまた、感想の書きようのないお話でした。
 昨夜某所で、
 「魔法遣いたら、そりゃ〜ほんわかってかノリだっぺ。」
 「んだんだ〜。」
 という感じのトークをしてきたばかりのところ、いきなりこのザマです。
 ほんわか、というかもうほんわかとしか言いようがない。
 とにかく恋愛ものでした。ひたすら、徹頭徹尾恋愛モノでした。
 恋する魔法遣いアンジェラ=ブルックスのちょっぴりセンチで暴走気味の恋物語、
 とでも言えますでしょうか。
 
 というか、私がこのあたりのことで申すことはなにもないです。
 ほんとに。
 せいぜい、次回予告の中のミリンダたんの「むきぃ〜!」が、
 完全にあずまんが大王のゆかり先生だったネ☆、と言える程度のものです。
 
 ・・・・・・・
 
 というわけで、たぶん今回のお話を書くには、紅い瞳はひとつの覚悟を決めなければならない、
 そう思うわけです。
 つまりなんですな、
 萌えるしかないですか?
 萌えってなによ? とか言ってる場合じゃないですよ、そこの奥さん。
 とにかく、それが最も適切な行為じゃないのかと、一晩と50分余り(適当)考えた上で、
 漸う結論が出たのです。
 というか、井上さん萌えですが。
 萌えの定義は、この際遠くに投げ捨ててください。
 とにかく、たぶん萌えです。
 なんつーか、ああいう「優しいだけが取り柄」の人って、なんかカッチョエエです。
 あーいいんですいいんです。私はそうなんだから。そういうのがいいと思うんですから。
 私のことはほっといてください。
 

 あ。

 さりげなくおいしいところ持ってく局長に萌え。
 うわーなんだよ〜一週間かけてアンジェラに拷問かます気かヨ〜(違)。
 

 って、あ。

 滅茶苦茶に曲がったままの東京タワーに萌え。
 いいですねぇ、なんかこう・・こきゃっとひねられた感じが・・・こう・・ね・・・・ふふふ・・・
 
 
 
 
 
 
 
 わー、紅い瞳が壊れた〜。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 

 

 2月27日    春が来たりて
 
 
 
 
 
 
 暇だったので、なにか書きたいなと思い、実際手軽になにかが書ける環境があるっていうのは、
 結構ささやかな幸せなのだな、と思う今日この頃。
 サイト万歳。
 
 サイト万歳も良いですが、
 問答無用で、花粉症発症です。
 そろそろ来るだろうな、という予測にまったく相違することなく、
 ピンポイントで症状が出てくる自分の体のリズムの正確さに、少々呆れてしまったり。
 もうね、無理。
 話してる時間より、くしゃみしてる時間の方が長くて、
 酸素が切れるより、ポケットティッシュが切れる方が緊急事態っていうこの感覚。
 こんなの耐えられません。
 といいつつ、毎年前年の苦しみをすっかり忘れて平穏に暮らしてるんですけどね。
 春までは。
 
 ・・・・・・・春だなぁ・・・(涙)
 
 
 返事するのマジ辛いので、リアルではあんまり話しかけないように >ダメ私信
 
 
 
 
 
 
 

 

 

 2月25日    雨の降る街
 
 
 
 
 
 
 なんでだろう。いつのまにか走り出していた訳じゃないのに、
 どうしても、なぜ自分が走っているのかわからなくなるときがある。
 あそこにはもう何も無くて、何かを求めることすら忘れさせてしまう、
 そんな消滅への慟哭がこだまする、凄まじく黄昏れた場所だったから、
 だ から、楽園を求めて走り出したのに。
 それなのにどうだ。
 いつのまにか、ここでも雨は降っているじゃないか。
 なにもかもを萎れ枯れさせていく水滴の奏でるメロディが、もう既にあたりに充満しているではないか。
 逃げ出した先にあったものは、やはりどうすることも出来ない滅びの世界だったのだ。
 なにかを求めるモノ。求めて得たものを懸命に探し守ろうとするモノ。
 いずれ終わる世界ならば、英雄になろうと奴隷になろうと、
 それぞれが必死に紡ぎ出すその生きる証に、重さなどもはやない。
 英雄には英雄の、奴隷には奴隷の讃歌がある。
 生き甲斐がある。ちょっとした楽しみがある。そして、儚い夢がある。
 
 だから、だから狼たちは、絶滅することなしに、生き続けているんだろうねぇ。
 狼として、或いは人として、或いはイヌとして。
 けれど、狼はやはり狼なんだろうねぇ。
 
 それでも、楽園を求める意味なんて、わかるなんて言えるのかい?
 
 ・・・・・・・・・
 
 昨夜見ました「WOLF'S RAIN」第6話。
 なぜかビデオ録画して無くて、そしてなぜかリアルで目に穴が空くほど凝視しちゃいながら、
 ぼーっとしたイメージのようなものがテキパキと構築されてしまったので、こんなコト書いてみました。
 たぶん、この作品の良さをこの時点でようやくわかったような気がします。
 もの凄くわかりやすい構図であることに気づけば、わからない作品ではないということに気づいたというか。
 もちろん、上記の駄文をご覧の通り、少々偏った見方をしてしまいましたが、
 しかしまぁ、そういう見方も出来ると言うことで一つ。
 来週からは、ちゃんと録画してきます(笑)。
 
 
 
 
 
 

 

 

 2月23日    わからないの増殖
 
 
 
 
 
 
 わからない、という言葉を言ってしまう。
 気づいたときには、自分がなにを見ているのかすらわからなくなってしまう。
 ほんとうは、わからないということがどういうことであるのかも、わからないのに。
 とりあえずの時間稼ぎとして、わからないと言う。
 わからないことなど、実はないのだという気持ちになるときがあるが、
 しかしそれが到達すべき事柄であるとは、到底思えない。
 わからないことがわかる、というのもひとつの分岐点になりはしても、
 それですべてが解決されるわけではない。
 分岐点は、やはり分岐点という名の始まりでしかないのだから。
 
 なにがわかっていないのか。
 そんなことは、知らなくてもいい。
 なにをわかっていないのかわかっていなくても、人は自動的に事態に反応し行動できる。
 すべてが、言語によって説明できるとは思えない。
 説明できないからといって、それが間違いであるわけでもない。
 体系化された思考というのが、あなたの頭の中にあるわけではなく、
 無定型で非固体でそしてあるかなしかもわからない、
 そういうものが貴方の中にあるように思われているだけ。
 人はそれを、「想い」と呼ぶ。
 
 想いを言葉という形式に代えるのは、他者に想いを伝えるのが、その唯一の目的なのだ。
 だから、すべてがまったく自己完結で終わったとしても、
 それはそれで良いのかもしれない。
 ただ、相手に自分の想いを伝えたい、という欲望が満たされることはないけれども。
 それは結構もどかしくてせつなくて、そしてため息混じりなことだけれども。
 
 
 あー、だから私はサイト更新してんですよね〜(ため息)
 
 
 
 
 

 

 

 2月22日    職業と魔法
 
 
 
 
 
 
 どうも。
 すっかりまったり更新ペースが身に付いてきた、紅い瞳で御座います。
 完全に週記と成り果ててしまっている現状を危惧してかそうでなしかはわかりませんが、
 少しこれからはマメに更新しようかと思っております。
 少な目の文章で更新回数を多めに。そういう風にしてみたいなって思います。
 さくっと簡単に書きたい気分なんですよ。そういうときもあります。
 
 さて、魔法遣いに大切なこと観ました。
 しかしどうにも今ひとつ私にはわかりませんでした。
 魔法遣いになれなかったら、という主人公の一人称的思考によって物語が綴られていったような感じ
 だったと思うのですが、結局主人公ユメはなにを思ったのか、と言うことが最終的に描かれていなかった
 ようでした。もうちょっと今回みたいなタイプのストーリーなのならば、作者の意志というか問題に対する
 感想というか、そういうのが欲しいな、なんて思いました。
 ただ、問題提起の仕方は良かったと思います。
 問題、というには鮮明さに欠ける、ちょっとした不安の露呈というか、そういった主人公の微妙な心の揺れ
 具合、それを「魔法研修」という進路選択に伴う際の不安として上手く描かれていたのは秀逸。
 単純に魔法を遣えるから魔法遣いになる、というレール人生の脇道を歩む人々との交流を通して、
 ユメはその不安を改めて認識する・・・。こういう持って行き方もなかなかでした。
 ただやっぱり、だけど最終的にユメはどう思ったのか、という点の説明が弱かったような気がしますね。
 研修に来るまで魔法を遣えなかったダメ研修生を前にして、いったいユメはなにを思ったのか。
 たんに、彼を反面教師としたワケではないだろうし・・・。やっぱりよくわかりませんでした。
 アンジェラもアンジェラでよくわからないし・・・(汗)。
 
 
 
 
 
 
 ・・・・・・・
 
 
 
 全然まとまりませんね(滝汗)
 
 
 すみません、今回は文章にするのは気分的に無理でした。
 詳しくはチャット等で質問責めにしてやってくださいまし(ぇ)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 

 2月15日    魔法遣いになりたい理由
 
 
 
 
 
 
 わー。
 今日何日よ?
 最後に更新してから、いったい幾日経つよ?
 一週間ですよ。更新サボり記録更新ですよ。この際だから、更新万歳ですよ。万歳。
 なんだか最近やたら万歳言いよる気がしますが、それはきっとこの陽気のせい。
 なんですか。なんだかあったかいですよ。寒い冬はどこいったんですか? って感じですよ。
 気分的に、冬眠から中途半端に目覚めちゃった感じですよ。
 もうね、寝惚け中心主義。
 
 はい。
 感想にいきましょう「魔法遣いに大切なこと」の。
 そうですねー。あーいかわらず軽いノリですねー。
 軽い、っていうと語弊があるかもしれなく、悪い意味に取っちゃうってこともあるかもしれませぬが、
 しかし別に他意はなくて実際軽いんです重量的に。ふわふわっと。
 それで結構お話がバラバラなの。これも悪い意味じゃなくてですね。
 なんていうか、カットが連続して飛び込んでこない、っていうか。
 全体的に話を一つのモノとしてみてみると、結構面白くない。
 だから、ひとつひとつの場面だけを、連続した映像としてみるんじゃなくて、
 区切られてバラバラになった写真のようにしか受け取れない。
 でも逆にこれがなんというか、このアニメの楽しみ方じゃないかなぁって思いました。今思いました。
 ということは、つまりワンシーンワンシーンごとには、逆にすごく重みがあるんじゃないかな? って事で。
 ひとつひとつのシーンが重いあまりに、連続した話として観ると、逆にぎくしゃくしてしまう違和感があったり
 するのかもしれない。
 あ。そうだ。違和感ですよ。違和感。
 ほんとに、辛口トークは好きじゃないけど良くしてしまう私が、
 自制の意味を込めて敢えて言いますと(言うんかい)、このアニメは何度観ても違和感がぬぐえません。
 私的に。あくまで私的に。あくまで私的価値観に基づいて下されるアニメ趣味の範囲に於いて。
 なんというかね。サワヤカなのはいいんです。
 でもね、もっとこう濃く攻めてみませんか? ってつい誘いたくなるほど、味が薄いんですよ。
 そこで胡椒を加えんかーい! って感じです。
 もっともっと、アニメならではのお話をって感じです。あれなら、なにもアニメでやらなくても良いような気も
 しますよ。ドラマで充分なんですよ。
 
 でも。
 それってヘンだよね? と思うわけで。
 それって、結局私がなんにも考えてないで、そのまま内容を鵜呑みにしてるだけのことで。
 別になにも、ストレートにドラマ仕立てで受け取る必要なんかないんじゃないかと思うわけで。
 うん。だからね。バラバラにみるの。バラバラに。バラバラに。バ(以下略)。
 一回一回の場面で観てみる。
 ケラが、小山田の旦那が、ミリンダが、ユメが、それぞれ面白いコトを言ってる。
 それで充分なのです。
 そしてケラが笑い、旦那が苦しみ、姐さんがぶっ飛び、ユメが脇役ぶる。
 ほら、みどころ充分じゃないですか(そうか?)。
 実際、色々といいなぁって思える場面は多々ありなわけで。
 ケラって、正直好きです。
 正確に言うと、瑠奈と遊んでいるときのケラが好きです。
 瑠奈がモップに乗ってきゃっきゃいいながら喜んでるのを、ほんとに楽しく付き合ってるケラが好きです。
 絵的に小山田の旦那の悩みっぷりとその周囲の空気も好きです。
 今回のお話なんかでは、寂しげに病院の廊下を去っていく旦那のあとに、
 ミリンダさんがひょっこりついていく、あのシーンなんかも結構好きです。
 ミリンダってのも結構好き。今のところ、かなり定型にハマってないキャラなだけに、
 一挙手一投足が気になります(ストーカーとか言うな)。
 魔法遣いになりたい、と思ったケラの動機が好き。
 親という世界を持たない子供は、世界を自分で作らなきゃいけない。だから魔法を遣いたい。
 ケラの魔法の動機はそんなコトなのかなって、勝手に解釈問答無用。
 そうだよなー。親がいないってことは、自分が最初にいるべき世界がないってことですもんね(諸説アリ)。
 それでケラくんは魔法遣いたいなぁ、なんて思うんですよね。
 てか、そういう願望が願望で終わるに終われない世界観が好き。
 だって、自分と同じような人間が魔法遣いとして身近にいる世界なんですよ?
 そりゃ誰だって私だって魔法を、とか思うわけですよね。思わんか。
 それでもしかして私ってば魔法遣い☆?(輝く瞳)とかいう、ステキな思い込みを続けたいあまりに、
 オーナー(旦那)との間の微妙極まる関係を続けてきたケラくんが好き。というかカッコイイ。
 でもケラは魔法遣いだったってことが判明しちゃったあたりはちょいとシラケ。というか、もったいない。
 魔法は、使えそうで使えないのが良いのだよ!(力説)
 
 あとはなんかありましたかな。
 あ。
 とにかく、うちのビデオはどこから来た映像録画してるのかー! ってくらいに画像が汚いデス。
 あああ、標準録画してる意味が無かとよ〜(涙)。
 
 来週から、リアル試聴決定。
 
 
 そんな私が大好きです(大嘘)。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 いつになく強引だな(汗)
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 

 2月8日    魔法と関係のないお話
 
 
 
 
 
 
 夜空の星々がすっかり綺麗になった今日この頃。
 みなさま如何お過ごしで御座いましょうか。
 星なんか眺めてたら、ダメっすよ。
 ええ、ほんとに。
 
 (微妙な間)
 
 さーて、今日も気楽にアニメの感想と洒落込みましょう。
 もちろん「魔法遣いに大切なこと」 じ あにめーしょん。
 もはやすっかりアニメ観た人にしか理解出来ない感想のノリとなりつつありますが、
 あせらずたゆまずそのままの調子で行こうと思います。
 付き合える方だけ、付き合っていただきたい。 ←最近限定モード
 
 で、肝心要の感想と言うわけでして。
 てか、この江戸っ子の小学生はいいですね。
 おとっつぁんだのおっかさんだの小山田の旦那だの岡惚れだの。
 しまいにゃ、家出するときの書き置きが、「奉公に出ます」と来たとくらぁ!
 そんなことばっか言ってると、私も一席ぶちますよ?
 そんな感じです。どんどん違う方向にズれていっています。
 ちなみにウチも父が落語好きなんですよー。
 でも、私はさっぱり。ごめんなさい。とにかくごめんなさい。
 あああやっぱり関係ないや(汗)。
 
 で(←便利な接続語)、話を戻すわけですが。
 ここまでこのアニメを観てきて思ったことが、また一つ。
 このアニメって、キャラが薄い。
 それはもう、薄いのなんのって。
 ずっと観てて(といっても大して話進んでない)、一向にキャラの個性が見えてこないし、
 感情移入だってたぶん出来ない。がんばればできるだろうけれど、でも、たぶんそれはある程度
 自分で各キャラの個性を造り出して、勝手にイメージして思い込むしかない。
 主人公菊池ユメにしろ、今回なんてほんとなに考えているかわからない。
 小山田の旦那にしろ瑠奈(江戸弁の子)にしろ、彼らの話から彼らの心のうちがハッキリと示されている、
 なんてことは無かったと思います。
 そう言う意味で、この作品にはドラマ性(人間ドラマ)が皆無、と言っていいかも知れない、
 とか思ったり。
 じゃ、この作品っていったいなにをやりたいんだろう、ってしばし考えるワケで。
 ふむ。なんでしょ。
 まさか方言講座やりたいワケじゃなかろうし(ある意味ありえそうだが)。
 
 と、なんていうのか、ひとつ思いついたのは、えーと、教訓モノ? ←疑問形
 そ。なんとなくなんか毎回ひとつのテーマがあって、それに沿ってなんやかやとキャラが絡んで物語が
 構成されていく、って感じですよね。教育テレビ的な(そうなん?)。
 だから、ぶっちゃけ各キャラの個性とかいらないわけですよね。
 せいぜい各キャラが持っている自分の「立場」から、物語の本筋に干渉していくって感じです。
 今回のお話の場合は、言うことを聞かない子供とそれをなんとかしようとする母親の葛藤、ってのが
 メインにありまして。
 で、他のキャラ(主人公ユメ含む)は適当にくっついていっただけ。
 そんな感じです。
 
 
 さて。
 いい感じに意味がわからなくなってきたところで、方向転換。
 今回のお話のテーマについて。
 親と子のお話。はい、コレ。
 江戸っ子ぶりがすっかり板についてしまってる女の子瑠奈、とそれを不自然だと感じてなんとか直そうと
 奮闘する母親、そして娘は遂に家出をする。母は娘を探して回る。
 すっごいわかりやすいです。観ていて、なんにも意外性も難解さもなく、ドラマ見慣れている人には
 まったく物足りない物語でした。
 反面、そのあまりに単純というか純朴というか、その基本に忠実な作り加減は逆に素直な感じを受けて、
 爽やかな気分になれること請け合い。大人でこってり味のドラマに飽きた人にはオススメ!
 とか、宣伝文がつけられちゃうようなお話でした。
 
 と、これは一般的な評価。
 そう言う風に観る人多いかな、って感じのノリってことで。
 肝心のわたくしめは如何致したかと、そう言うわけでして。
 うん。実は、結構今回のお話は良かったんじゃないかな、って思ってます。
 はい、ほんとに。
 なんつーか、親としての視点、というか親の在り方というか、なんだかそういうものにぴちっとした示唆が
 されていたのが良いかな、ってかんじです。
 どういうことか? ってことですが、はい。
 子供。はい、かわいいです。そしてやんちゃで次第に親の言うこと聞かなくなってきます。
 はい、そこでストップ。
 お話はここから。そうやって、親である自分の言うことを聞かなくなった自分の子供が目の前にいる、
 そういうところから、この物語は始まります(注:紅い瞳ビジョン)。
 落語が大好きで、江戸弁をいつの頃からか使い出してしまう、なんとも風変わりな女の子瑠奈。
 親としては、たしかに気になりますよ。まわりの子とつい比べてみちゃいますよ。
 その比べるって事自体がいいか悪いかは別問題として、それはごく自然ですよね。
 どうしたって、自分の事をおっかさんだなんて呼ばせたくない! ママとお呼び! ←本音
 そして、当然子供からすれば自分が大切な物としている事を認めてくれない母親に対しては不満を抱く。
 ましてや、瑠奈ちゃんの場合はお父さんは落語大好き人間で、娘が落語好きなのに大賛成している
 (しかも瑠奈は落語の事で父に褒められる事で自己確立してきたらしい)ような環境においては、
 その葛藤がもたらす影響もあって、その不満は割とネガティブなものに育っていってしまう。
 で、結局それが爆発して家出しちゃうわけですが。
  母親としては、辛いところでしょう。
 それで、話は結局これ以上わかりやすいものはないと言うほどわかりやすくまとまって終わり。
 母は娘の振る舞いを許容し、娘は自分の自己主張の形態に柔軟性を持たせてめでたしめでたし。
 
 で。
 これだけだったら、私は別になんとも思わない。
 はぁ、そうですね、ってかんじでした。
 この後ですね。問題は。
 一連のお話が終わって、物語も終わりって感じのノリになって、そこで舞台に上がってきたのが、
 瑠奈母とミリンダ。
 サルサバーのDJをやってるミリンダが、昼間はスーパーの店員をやっている情景。
 恥ずかし気もなくそのギャップを楽しむかのように「働く」ミリンダ。
 そして、スーパーに買い物に来た瑠奈の母親に声をかけ、
 店員そのままのエプロン姿でシャンパンをあけ、瑠奈母と乾杯。
 なにに乾杯?
 それは、女としての自分への乾杯。
 働く女、子を育てる女。社会的家庭的に働き、大人としての節義を全うする二人の女。
 悩み苦しみ、楽しく愉快に、日々をなにかに尽くして生きていく。
 でも、それが当り前の事だなんて思われたくない。
  母親だから、子供の事で悩んだり苦しんだりするのが当然だなんて、そんな言葉じゃ人は語れない。 
 母親として大人としての自分と、一人の女としての自分は違う。
 だから、自分がひとりのちっぽけな女である事を改めて自覚しながら、そんな自分にご褒美をあげる。
 そんな自分が、子供との葛藤を解決した、という類い希なる偉業を成したことを賞賛してあげる。
 
 なんか、そんな感じっていいなぁって思うんです。
 これって、ひとつの母親像としてありだよなぁ、なんて。
 当り前かも知れないけれど、でも結構こういうのって最近あんまり意識されてない事って多いし。
 今回の話のタイトルは「エプロンとシャンパン」。
 勿論、作中で出てきたミリンダのしてたエプロンと、持ってきたシャンパンの事だと思うんですけど、
 この二つが表しているのは、やっぱり今言ったようなことなんじゃないかな、と。
 つまり、責任ある立場(社会的家庭的に)、或いは仕事を持っている大人の女がエプロン、
 そしてそういう面の裏側にある、一人の女としての自分がシャンパン、って感じ。
 うん、強引にこじつければそんな感じ。
 で。
 まぁ、なんというかな。ミリンダの存在って言うのは、なんとなく瑠奈母へのお導きみたいな感じで、
 ラスト登場してくるんですよ。
 この「エプロン」と「シャンパン」をうまく使いこなせている、象徴としてのキャラ、というか。
 ミリンダは、なんだか全然イメージにそぐわなさそうな仕事(スーパーのバイト)を、全然苦しむことなく
 前向きにこなして、そして夜はバッチリキマったDJやって思いっきり楽しんでいる。
 これ、つまり瑠奈母にもそうしなよ、って言っているようなもんで。
 どんなに自分が自分に抱いている、或いは他人に抱いているイメージが気に入らなかろうと、
 でも、それを楽しくこなしていくのとは、別の話でしょ? そう言うことを言ってるんだと思います。
 瑠奈が母親のイメージにそぐわない江戸弁使い(?)になって、それを嫌がったり、
 あるいは、そういうことで娘と確執してしまったりしてそれが苦痛になってしまったりしている母親。
 ミリンダは、そういう彼女の在り方に対する救い主的存在として現れたのだ、とも見えるって事で。
 
 まとめると、
 シャンパン(女としての自分)は、エプロン(母・働いてる自分)してても楽しめる。
 こんな感じになるんじゃないですかね。
 うーん、最後だけは綺麗にまとまった(笑)。
 
 
 
 と、いうかんじでなんだか完全口語調の意味不明なノリでお送り致しましたが、
 今回はこれにて閉幕、ということで。
 まぁ、なんとなくでもわかってくれることを期待しつつ。
 
 では、ご機嫌よう。
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 

 2月4日    なんというか、あれ、受験
 
 
 
 
 
 
 なんだか受験ですねぇ。
 世間には受験生の生態が知れ渡り響き渡り、誰々がどこ受けるだの受かっただの、
 或いはインフルエンザでどうしようもなくなっちゃった☆とか、ほんとうにもう。
 
 ほんとうにもう、がんばって頂きたい。
 
 さて。
 私にも受験は大きく関係ありまして、あ、私自身が受験生(色々な意味で)であるかどうかは謎ですが、
 私のイトコが受験しまして。
 ええ、これがまたレベルの高いトコ受けたらしく。やってしまったらしく。
 先生には、「今の調子で勉強し続けてれば大丈夫だ」と言われてたらしいのですが、
 本人曰く「今まで勉強してないのに、それ続けて受かるってどういう事?」とか、本気で悩んでました。
 悩むところが違うような。
 
 私は、このイトコと仲がいいので、実はとっても心配してました。
 三食のうち一回抜かせるぐらい。
 いや、二日に一食は抜かせるぐらい。
 気づけば1キロ減ってたりしまうほどに。大して減ってねぇ。
 で。
 私は心配しつつ初詣行ってお守りセット買ってプレゼントしたり、
 愚にもつかないアドバイス(勉強のサボりかた等)して差し上げたり、と後方支援をバリバリと。
 果たしてその支援の効果はあったのかどうかは定かではありません。
 でも、本人お正月以降は結構勉強したようで。
 
 で。
 今日ですか。
 なんか電話がありまして。私に。
 合格しちゃいました☆ とか言ってました。
 
 
 合格。
 
 
 
 バンザーイ
 
 
 
 
 おめでとうです。
 というか、正直泣けました。
 ええ、ボケなしで。
 電話口で泣きそうになりましたよ。
 向こうはなんか淡々と事実を告げてるだけのような、クールな口調でしたが、
 私はもう全然クールじゃない。
 はじめ合格したって聞いたとき、めっちゃびっくりしてヤバイ事いっちゃいそうだったですよ。
 「嘘!?」とか。
 あやうく私とイトコの信頼関係が崩壊しかねない事になりかけましたが、何とか堪えて、
 「合格!? よっしゃー!」とか、無難な驚き方をアピール。
 その後豪快に祝福の言葉を浴びせまくって(なにを言ったのかほぼ覚えていません)、
 そして感情が高ぶりすぎて泣く気満々になりかけたので、話の方向(というか私のノリ)を変えようと、
 「これで受験終わりだから、ゆっくり遊べるんじゃん。」とか言ってみると、
 「いえ、勉強はまだする。新学期に備えて」とか、神速のかうんたーぱんちが。
 
 え。今なんと?
 私、パンチ貰ったことすら気づきませんでしたよ?
 今、私の中には有り得ない言語が、やっと耳に届きましたよ。
 
 新学期に備えて勉強?
 あ、あんた、あんたええ子やぁ・・・・・(ボロボロ)
 これが私と同じ血をひく人間かと思うほどのマジメっぷり。
 こういう人間が側にいるから、私はかろうじて生きてられるんだろうなぁ・・・・(ぇ)
 あずまんが大王のゆかり先生は「ひとりでも、結構生きていけるものよ?」とか仰ってましたが、
 もしかしたらもう・・・・うなずけないかも・・・しれません・・・・(果てしなく遠い目)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 というか、
 あんたも、暇だーとかほざいてふて寝するとかじゃなくて!! >黒沢先生
 
 
 暇だなぁ(壊)
 
 
 
 
 
 
 

 

 

 2月2日    対セールス戦線
 
 
 
 
 
 
 最近、我が家の電話にやたらと電話がかかってきます。
 もちろん、知人からのものもあるのですが、それの数倍はかかってくるのが、
 いわゆるセールス関係の電話です。定番ですけど。
 宝石やら英会話やらマンションやら、果ては墓地のセールスまで来てます。
 そして、これらの電話の多いこと多いこと。
 一日10本以上は平気でかかってきます。
 しかも、近年はかなり見境がないらしく、早朝とか夜にまでかかってくる始末。
 はっきりいって、紅い瞳は宣伝の電話とか、そういうの大嫌いです。
 というか、なんであんたらウチの電話知ってるのですか? ともう小一時間ほど問いつめてやりたいですよ。
 まぁ、そういう個人の電話番号とか出回ってるらしいから、そういうのを手に入れてかけてくるんでしょうが、
 滅茶苦茶不快です。不快。
 
 ですから、
 当然、応対する私の心持ちも、それ相応のものになっておりまして。
 
 
 ・・・・・
 ええ、もう、実はめっちゃ冷酷な対応してたりします。
 しかも、最近、それが、楽しく、なって、きたりして。
 ぐふふ(ぇ)。
 
 
 
 セールス(以下:せ) 「もしもし、斎藤(仮名)ですけど、紅い瞳さんいますかぁ?」
 
 これですよ。だいたいね、最近のセールスの方々は会社名を名乗らないんですよ。
 いきなり斎藤(仮名)とか個人名で言ってくるわけですよ。
 そうすると、あれですよ。私としては、あれ、斎藤って誰だっけ? もしかしてあの斎藤さん?
 いや、あの斎藤さんかも。いやいや、あの夜を過ごした斎藤さんかも
 とか、もう軽い記憶の混乱を引き起こすんですよね。
 普通はなんねぇって ←ツッコミ
 で、とりあえずはああ、あの斎藤さんかと適当に見当をつけて応対に望むんですよ。
 
 紅い瞳(以下:紅) 「紅い瞳は私ですが。あ、斎藤さんでしたかお久しぶり(取り敢ず言ってみる)」
 せ 「もしもしこちら英会話の教材を扱っております○○という会社なのですけれどお時間宜しいですか
    ただいま当社では無料キャンペーンをやっておりまして(以下略)」
 
 私が会心のボケを振ったというのに、ツッコミすらなく即宣伝ですよ。
 これだけでカチンと来るのは当然(違)で、この時点で電話を無言のまま切断するパターンが、
 全体の2割。
 ま、それほど多くはないですね切っちゃうのは。
 だって、セールス撃退の方法としては上策じゃないし。
 大概ですね、最近のセールスの人は根性がありまして、もう一度速攻でかけてくる人いるんですよ。
 だからね、二度とこの家にはかけたくない、と思わせるのが、まぁ上策と言えるでしょうね。
 例えば、
 
 せ 「もしもしこちらは○○という(以下略)」
 紅 「・・・・・・・・・・・・・・・(受話器放置)」
 
 と、いわゆる放置プレイとかですね。
 頃合いを見計らって受話器を耳にあてがってみると、大抵切れてますし、
 こういう場合もう一度かけてくる人は少ないですよ。
 でも、たまに15分くらい放置してたのに、まだ喋ってた強者がいたことがありますが
 それは例外としておきましょう。
 
 せ 「もしもし田中(仮名)ですが、紅い瞳さんはいますか?」
 紅 「いえ、今おりませんが。
 
 そもそも、私の知らない名前を名乗る人からかかってきた場合、10割方は居留守です。
 田中って誰よ? って感じですよ。まず所属を名乗ってから宣伝しなさいよって感じですよ。
 ただこれで問題なのが、単に相手の名前を忘れていたときですね。
 過去何度かこれで居留守使ってヤバイことになった経験アリ(汗)
 使うときに注意。
 
 で。
 最近私がハマっていてかつ、最も楽しく使わせて頂いておりますのがこれ。
 とりあえず、話を聞く。
 というか、あきらかなカモを装う
 例を出すと長くなりますのでやめときますが、なんとなくわかるでしょう?(微笑)
 とにかく、相手の話すにまかせるんですよ。
 ええもちろん相づちとかもちゃんと入れましょうね。
 そうしないと、こちらの魂胆が見抜かれますから。いひひ(邪笑)
 で、ひたすら興味ありげに相手と話しつつかつ話を長引かせる。
 普通、セールスの方々は、本題を切り出す前に長々と自分の話を聞かせたがるんですよね。
 いきなり何々買いませんか? って言ったら速攻で話し終わっちゃいますからね。
 向こうとしては出来るだけ話を長引かせて、相手がこちらに興味を惹いてくれるチャンスを待ってるんです。
 それを逆手にとるわけです。
 そして、相手がこんなのありますがどうですか? と言ってきたらその商品についてとにかく質問しまくる。
 相手が返答につまる程のマニアックな質問なら、なお良し。
 ここでも加減は必要です。あんまり無意味な質問してますと、
 本当にこの客は買う気あるのだろうか? って気に相手をさせてしまいますので、そうすると意味がない。
 ここまで話を引っ張ってきた意味がない。相手の時間を浪費させた意味がない
 そう。
 如何に相手が自分のしたことが大いなる無駄であったかと言うことを、
 思い知らせて差し上げなければならないのです。
 散々話を聞いて、散々買う気を見せて、散々これはいけるゾと思わせておいて、そして、
 「そうですか。良く考えてみたら必要ないみたいです。じゃね☆」と朗らかに断ってみせる。
 断り方にも色々とコツがあります。
 上の例はあくまで一例です。
 要は、如何に相手が自分のしたことが(以下略)。
 色々とそうやって冷酷な事を考えながらの応答というのも、良いものです。
 こうなってくると、逆にセールスの応対が楽しくなってくるんですよ。
 
 ええもう、冷酷さを楽しむんですよーあははー(壊)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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 結局、暇なんだな、わたし・・・・・・(涙)
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

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