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◆◆◆ -- 2005年12月のお話 -- ◆◆◆

 

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                                 ■■ 年末と共に 飾 ■■

     
 
 
 
 
 ごきげんよう、紅い瞳です。
 此処最近は少し寒さも抜けてきて、ようやくこの時期らしさを取り戻した適度な寒さを謳歌しております。
 年始もこれくらいの寒さならば過ごしやすくて嬉しいのですが。
 さて、本日は今年最後の日記を書こうと思います。
 色々と書きたいことは山積みですけれど、しかしその中で一番書きたいことというのは、やはり日記で書い
 てきたことそのものについてのことでしょう。
 昨夜も書きましたけれど、この日記ではいつのまにやらアニメ感想が主軸ということになってまして、
 ゆえにそれを一年間やってきた上でのひとつの大きな感想というものを書いてみたいのです。
 今年一年私が考えてきたこと、という枠組みを敢て設けてなにかを書くというのは大変こそばゆい行為で
 はあるのですけれど、いっちょうやってみたいと思います。
 そういう作業もわりと楽しいものなのですヨ。たぶん。
 
 ではまず頭の中をまっさらにして考えてみましょう。なにを書こうかそれだけを考えて。
 はい。
 そうですね、今年書いてきたアニメの感想というのを結果論的にひと言で言ってみると、それは結局
 「生きている」ということを根底におきかつそのことを綴ってきたように思われます。
 それはコゼットの肖像をみたときに感じた「痛み」という言葉から始まりました。
 痛みとはなにかというと、それはそれにより自分自身の存在を感じ、また誰かにそれを感じさせるもの、
 というものです。
 痛みを受けるからそれを感じている自分とその痛みを与えてくれる他者が存在し、また逆にこちらが痛み
 を与えることができる存在を他者として感じることができ、その感触自体が誰かを傷つけている「痛み」と
 してさらに体感できる。
 そしてその誰かに痛みを与えている痛みというものが自分にはあるんだよと、そう言葉でお互い示しあって
 いくことで、そのお互いが原初に感じた痛みそのものを共有できる、という感覚を特にLOVELESS感想
 では描き、またその感覚から読み解けていけるものを模索して肉付けしていきました。
 痛み、というものそのものは実際知覚したものとして自身に認識される訳ですが、その自身の認識を通し
 てそれはそう認識している者自体をも認識でき、また無論痛みを受けている者としての自覚をも得られ
 る。
 単純な話、自分で自分の腕をつねったりしたとき、そこにはつねった自分とつねられた自分の存在を感じ
 ることができるのです。
 そうすることによって行為者としての自分と被行為者としての自分を感じ、そしてそれがふたつでひとつであ
 る主体の獲得の気づきへと繋がっていくのです。
 その気付くフィールドとしての自分の体があり、またそれが「自分」という枠組みが与えられる段階で、
 その枠組み外から与えられるどうしようも無い「痛み」をも感じることができるという感触をも掴ませ、
 その掴んだものを元手にして、その「痛み」の出所である他者の存在をも感じていく。
 そしてそれにより行為者としての他者と被行為者としての自分の関係というものを感得し、それと同時に
 痛みを誰かに与えているというその他者自身の痛みと、その痛みを発生させているその他者により痛みを
 受けている自分の存在にも気付いていくことができるのです。
 その関係性で彩る世界を創り出すものは、その痛みの表明をすることのうちにあります。
 それはつまり言葉の発露であり、そうして出てきた言葉が自分と他者を繋ぎ、またその関係性を言葉で
 肉付けすることによってそれはひどく実感的な結びつきを両者と世界にもたらし、その両者と世界との結び
 つきそのものが、その自分と他者にとっての世界、として顕れてくるのです。
 
 そうしてくると、前述したように「体」というものが重要なものになってくる訳です。
 カレイドスターにみるその身体性の躍動は、その「動いている自分」とそしてそれを動かしているなにかが
 その動いている自分の中にある、ということを如実に感じてなされるものとして描かれていました。
 そして実はその自分の中にある自らの行動の動機としての自分というのは、限りなく自分の外に広がる
 他者からの痛みによって「出来ている」と感じているのです。
 自分が動けば動くほどに強くその動いている自分と、そして「動かされている」自分を感じてしまう。
 自分を動かしているのは、自分の中にある自分、でもその自分は痛みを感じたゆえに動いている、
 そう感じることでその痛みを求めるためにその痛みを与えてくれるものに働きかけていく。
 無論実際の感覚としては、痛みそのものを求めて行動などしないのですが、しかしそれは結果論的に
 いえば痛みを求めていると言い表せることでもあり、逆にそうして言葉で以てそれを「言い表わす」ことに
 よって、その他者に痛みを「求めている」という結びつきを発露させることができるのです。
 痛みを感じても、それを黙っている限りにおいては、ただそこに冷たく横たわる体の中を駆けめぐる血潮の
 流れをただ傍観することしかできない。
 しかしその「血」を言葉によって外に示すことによってそれは初めて顕現し、また他者と共有している実感を
 得ることが可能である。
 体というものは、その実感の受皿であると同時にその作り手でもあり、そしてさらにはその実感を受けて躍
 動する主体そのものでもあるのです。
 
 既になにを言ってるのかわからなくなってきましたけど、まぁいいじゃないですか。
 取り敢えず訳わかんないけど言葉にしてみてる努力だけでも買ってやってくださいな。
 ・・・・・。
 いいの、そういうことで。書けばいいんじゃ書けば! (まぁ落ち着け)
 
 で。
 いわば肉感としての実感というものが痛みを象っているという言い方もできます。
 そして主体はその肉感の受け皿である体にあると言えますし、さらにそうして痛みを受けている体をみつめ
 ている「視線」としての主体があるとも言えます。
 体が感じた痛みを言葉にしろ知覚にしろ、それを受けている自分の体を強く実感している主体が、
 体の内部、もしくは体や精神を合わせたトータルな輪郭にも存在しているのではないか。
 前述の表現を使えば、行為者としての自分と被行為者としての自分の、その両者がそれぞれ共に痛み
 を感じている、ということそのものを感じている自分がいる、ということになりますでしょうか。
 
 そして重要なのは、そういった一連の事柄をすべて言葉にして表わすことにより、それはひとつの方便として
 成立するものになるということです。
 成文化ならぬ成言語化されたこの事柄は、須くとある目的を達成するために創り上げられた「論理」に
 しか過ぎないのです。
 この場合における論理は、ですから方便であり、でもだからといってこの論理なくしてはそもそもその目的
 として得られるものを得るためのとばくちに辿り着くことはできないもの。
 そして、その論理を経て得られるその目的とするものは、ずばり「生きている」という実感そのもの。
 今年一年かけて散々書いてきた感想、その中身は理屈(こじつけ)あり感情(幻覚)ありの盛り沢山の
 全開で、そうして為してきたものを改めてトータルにして眺め渡すと、ふとそのことに気づけるのです。
 ああ・・・私は今確かに生きてるんだなぁ・・・・と。
 別にその感覚を得るために感想を書き続けていた、というのは明らかに嘘なのですけれど、何度もいう
 ように結果的に目的として私がそれを意識する以前からそれは其処にあったのだなぁという実感、
 それを私は得ることができたのです。
 論理としての感想を総合したものは、それは要するにすべて主体が其処に生きて存在しているという実感
 を得ているということを指し示しており、またそれを見つめまたそれを書き綴ってきた私そのものもまた、
 その実感を得ることができるという、なにかつんと突き抜けた感触があるのです。
 たぶん。
 
 
 ええい、めんどくさい。
 違った言い方をしよう!
 てかさ、要するにさ、なんてーか私ら生きてるって感じちゃうときってあるわけで、それって結構簡単なこと
 でもあるんだけど、実際はそれは当たり前なことだから、ということで軽視されることによって逆に難しい
 ことになっちゃってもいる。
 私は私、なんてことをいくら言葉で言ったって、それを実感するっていうのはとてつもなく難しいことだっていう
 訳で、でもそれなのになんだか適当に私は私、という簡単な言葉「だけ」で片づけちゃったりもする。
 昨年は確か優しさについて書いて、一昨日は確か他者とか孤独とか、なんかそんなことについて書いてい
 たような気もするけれど、それは確かにそれについての論理みたいなものを展開させてはいたけれど、
 結局のところそれはただそれだけで終わっていたような気もするし、逆にだからその論理の後ろに放置され
 て言語化されることの無かった実感的なことはずっと有り続けていたと思う。
 まーまだ自分でもよくわかってないんだけどさ、私が私っていうことを説明する言葉は、その言葉を存在
 させるためだけに紡いでいては、一向にその主体性を獲得することはできないんだろうなって思うのよ。
 なにか論理めいたことを書いて、で、其処にその論理を展開している者の姿をその論理自身にめり込ま
 せないと、それはただ論理っていう文字の羅列にしかならないんだよね。
 なんつーの、書き手がその書いているものに与えている影響とか、逆に与えられてる影響とか、そういうの
 全部言葉に還元して描いてかないと駄目なんじゃないかなーって、まぁそれは随分前から思ってたのだけ
 どね。実際それをそうしようと思って書き出すまでに結構時間かかった訳で。
 とかなんとかいって、実際はそう思ってるだけってことはほんとうは無い訳で、ある意味私はそう思ってるだけ
 なんだ、という私の苦悩はバッチリ入り込んでた訳で、まぁそれはたぶんに主観的な物言いだとは思う
 けれど、私の文章はそうやって少しずつ成長していってるんだと思う。
 実際にそれが成長ということになっているのかどうかはあまり関係なく、重要なのはそこで「成長」という
 言葉を提示でき、なおかつその言葉の重みと深さとそして切実極まる愛しさを実感できるかどうか、
 ということにあるのだと思う。
 だから超前進主義っていうか、カレイドスターみたいなひたすら前進するために体と世界を躍動させていく
 のって、とても素敵なことだと思うし、またそのフィールド上において「夢」というのは限りなくその実体を得て
 目の前に迫ってくるんだと思うなぁ。
 
 ま、要するになんだかんだ言ったり考えたりして、それが実にくだらないことだとわかっても、でもだからこそ
 それを楽しもうとして動き出す体を感じ、またその体に染み込むようにして流れていく血潮に自分を委ね
 て一体化していけば、実際的に色々なことが面白くなっていくヨ、ということが言いたい訳。
 だからなんでもかでも前向きに考えていこう!というそういう思考自体が、既に自らの存在を前に向かせて
 歩き出させているのじゃないかなって。
 そうして踏み出した私の一歩が刻むその「世界の痛み」そのものが世界を変え、そして世界に痛みを
 与えているという事を感じて私もまた変わっていくんですよね。
 たぶん。
 
 
 
 はい。
 こんな感じになりました。
 まったく年のドン詰まりに一体なにを書いているのやらという感じではありますけれど、年末ですし。
 とまぁそういうことで、色々書きましたが、というか同じことしか書いてないような気もしますが、とにもかくに
 も今年もまた紅い瞳的にはとても面白い一年でした。
 なにが一番面白かったかといえば、そうですね、敢ていえば旧白白の感想と羊のうたの感想が、でしょうか
 。
 旧白白、つまりマリア様がみてるの聖様と志摩子さんについてのそれぞれの文章(8月の「海の底に降る
 雨」と10月に書いた「雲の上の白い空」)を書いた訳ですけれど、それをあのような形として書けたのは正
 直嬉しかったのです。
 ドロドロ、というか世界が今にも自分目がけて押し被さってくるかのような、そういった眩暈がするような感
 蝕を以て書き連ねていくことができ、また今度はあのふたりをひとつところに同時に顕現させること、
 つまりあのふたりの世界そのものを描けたらもっと楽しいだろうな、という期待を得ることができたのが、
 それがなによりも嬉しく、そして楽しかったのです。
 羊のうたの「ひとり」という文章も同じような感じです。ただあれはもうちょっと千砂の体感的描写の魂を
 深めていきたいなぁという欲求のほうが強いのですけれど。
 
 はい。はい。
 ということで、2005年もお終いで御座います。
 一年間当工房を見守ってくださった方々に深く感謝致します。
 来年も是非、よろしくお願い致します。
 来年は、既に色々とやりたいことがあったりして、割と個人的にもう楽しんでいたりします。
 すごらじはまったくもって面白いですし、おかげでうっかりレイラ・ハミルトン物語にも手を出してしまいそうで
 すし、蟲師やトロイメントの続きは待ち遠しいですし、また近いうちにマリみて関連の感想は書きたいです
 し、それと久しぶりにまた灰羽連盟に立ち寄りたい気分も開発したいですし、あずまんが大王やらよつば
 と!やらはきっと新年早々また読んで初笑いのお付き合いをして貰うでしょうし、そしてまだ見ぬ面白いあ
 ことに色々期待しすぎて浮かれてしまったりとか、あとね、あとね。
 来年もまた感想を書けるこの魔術師の工房という場があるのが、嬉しくて堪らないです。
 だってここがあるかぎり、またみなさんと繋がっていけるのだもの。
 
 
 
 恥ずかしいセリフ、禁止。(お疲れ様でした)
 
 
 
 

 

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                                 ■■ 年末と共に 表 ■■

     
 
 
 
 
 さて、さて、さて。
 魔術師の工房管理人・紅い瞳で御座います、皆様ごきげんよう。
 今夜は毎年恒例の、っていってもそんな数を重ねてきた訳ではありませんけれども、恒例です。
 はい、年末ということですので、今年一年を振り返ってみましょうということです。
 このサイトは一応日記サイトということですので、その名の通りに適当なことを色々書いてきた訳ですが、
 まぁ今更言うまでも無いことですがアニメの感想というのがひとつ大きなものを占めていたりして、
 ですので代表してこの一年を通して触れてきたアニメについてさらっとお話したいと、こういう事です。
 なんだかたかが前置きのくせに随分字数をかけた上に遠回しなこと甚だしい限りですが、
 その、こういう事です。
 なんだか綺麗に同じ締め方が続いてるなぁ最近。>こういう事です
 
 それで、その前にですが、というかカレイドバカ万歳! ということなんですけどね。
 カレイドスターのアイコンなどというものをまたまた眠りの園様からお借りしてきて、まったくもう有頂天極まり
 無いほどの年末を謳歌している紅い瞳ですどうもすみませんバカなんですほんと。
 すごらじとかもほんと聞いててこれだけ嬉しい話もないくらいみたいな感じで、まったくもう、今年は一年
 丸々一杯カレイドスターにはお世話になっているようです。くはー幸せ。
 そんな訳でぇ、早速今夜もお話を始めてみましょう、しょう! しょう!!
 
 
 (しばらくお待ちください)
 
 
 はい、モードを切り替えまして。
 ええそうですね、振り返るとそれは今年の1月、ということになる訳ですけれど、そういえば今年は冒頭から
 面白いアニメがやってなかったんですよね。
 本当に絶望的にやってなくて、完全に出鼻を挫かれてしまって、なんもかんも駄目駄目だぁとか、
 新年早々サジを投げてしまおうかとかもうそんなていたらくで、あまりの先の思い遣られぶりに落胆したり
 して、結局1月は前年書いていたローゼンの感想のエピローグをひとつ更新しただけで終わってしまった
 のです。あまりにひどい。
 でも年初は色々あったりして、あまりアニメの感想を書いていないということに切実感を感じているいとまも
 無くて、だから割とのんきにマズイマズイ言いながらも適当に過ごしてたりしてました。
 それで2月に入るとカレイドスターだった訳です。
 正確に言うと前年から引き続きフルバと共に見ていた訳ですけれど、とにかく自分の根底になにかこう
 ぐっと上向いていくというか、擡げていくなにかとてつもなくねばり強い力のようなものを感じていたりして、
 現実で色々苦しいことがあればあるだけ、なんだかその力に透明性がでてきたりして、ふと気付くとすっかり
 その力で体が満たされていて、それでスルっとカレイドやフルバの感想を書いたりしたのです。
 あれはまさに衝動的な感想執筆でした。(懐古調)
 そしてその自分の中にぽつんとある体に充満しているその力が、色々私の中の頭近辺を刺激して、
 そしてごく自然に「紅い瞳」の原点を染み出させてきたんです。
 そう、灰羽。灰羽への熱くて堪らないその想いの再燃。
 で、あっという間に同じようなレベルと感覚であっさりと灰羽感想を書いて、それで完全にエンジンがかかっ
 たんです。たぶん。ていうか、随分贅沢な始動だなぁと思いましたていうか現実逃避一歩手前。
 それで3月ですか。
 3月もやっぱりなにも無くて、仕方が無いので厳窟王の感想とかをちょろっと書いてみたりしていたのです。
 あれはなんというか、まさに練習というしか無いような、別にウォーミングアップという感じでは無くて、
 ああそうか、そうなるとどっちかというと実験に近い練習だったのかな。
 厳窟王の感想というのは、端的にいうととあるエネルギーの描写なんです。
 復讐、という舞台の上に漂う主体の情感を言葉でそこに繋ぎ止めていく作業というか、
 取り敢えず目の前にあったものを鷲掴みにして、それを言葉で表わしたのです。全然駄目だったけど。
 『黒い心』という感想で一応まとめのような感じでひとつ文を書いたのですけれど、結局厳窟王の感想
 というのは私にとっては、それとしての意味は無く、ただそれ以降の感想の下ごしらえの一環として制作
 されたものみたいでした。
 まぁだからといってそれを目的として書いた訳じゃあないんですけどね、結果的にそういう風になったと言え
 るだけですけれど。
 後述する神無月の巫女の感想なんかも、やっぱりそれ以降の感想の下地の一環を成す事になりますが
 、別にそれもまたそのために書いた訳じゃーない。
 
 で、いよいよ4月な訳です。
 コゼットの肖像
 これを以て今現在の紅い瞳が制作する感想の嚆矢と為す、というかなんというか、要するに私の今年の
 アニメ感想はすべて此処から始まったと言えるでしょう。ていうか、言う。
 たぶん私が接したアニメのなかで最も難解にして、そして最も紅い瞳がそれでも感想を書けるアニメだ、
 と思った作品でした。
 ゆえにおそらく今年書いた一連のアニメの感想は、ある意味でこの作品についての感想でもあると思え
 たりします。
 どこまでも広がっていける奥深さ、しかしそれでいてしっかりと「此処」に戻って、そして最初から「此処」から
 すべてを始めていたと思える感触。
 ギリギリのラインで理解できたことをなんとか書き付けたもの、それはなんだか自分の血を吐き付けるまま
 に描いた壁画を見ているような、其処に確かに吐血している人間が描かれている確かさが、その感想執
 筆のうちに感じることができました。
 このときの感想はコゼットの視点で書いた感想で、だからいずれ永莉視点の感想でも書きたいと思って
 居たのですが時既に遅し、もう年末です。残念。
 
 そして、LOVELESS
 おそらくこれは昨年のすてプリ感想に比肩するほどに、私に多くのものを学ばせてくれた感想体験になった
 と思います。
 正直、私は当初このLOVELESSという作品のことは絶対理解できないとさえ思っていました。
 単純に情熱的に官能を見出し感じて、それですっかり溜息をついて終わってしまうかもとさえも。
 でも、なんとかかじりついて感想を書き進めて、わかったことを礎にしてわからないことを理解しようとして、
 そしてそれでもわからなかったものから大いに目を背けて、そしてひとつづつ感想を書き重ねるうちに、
 次第にその私の背後で放置されていた難解なものは氷解し、そして気付けば淡々とそれを理解し感得
 している自分が書き進める感想の世界の中に身を委ねていたのです。
 感想が私を動かし、そして私が感想を動かすたびに、その感想に動かされている私を感じてしまう。
 LOVELESSはそういう体験を私にさせてくれました。
 あと、この感想のときにたぶん初めて執筆後記みたいなのを連続して書いたりもしました。
 内容と関係の無い制作秘話的後書きみたいな。・・・・・結構恥ずかしいです。(現在進行形)
 というか、未だにLOVELESSは語り切れてない、いやむしろまだ語り足りないという気満々ですので、
 そのうちまた適当にぽつんと書いてしまったりもするかもしれません。
 倭×江夜は勿論、基本の立夏×草灯、さらには勝子・東雲両先生がたも煎じ詰めればとても美味しい
 ものがありますゆえ、ほんとうにまた、書いてみたいものです。
 
 そして6月でしたか、神無月の巫女と出会ったのは。
 これもまた正直、わかる気がしなかったという記憶があります。
 ただLOVELESSと違って、この作品はあまりに論理中心なので、しっくりと存在する情感を理解しないと
 なにも理解できないといういわばLOVELESS的難解さでは無い。
 けれどでは逆にその積み上げられていく簡易な論理だけを理解すれば事足りるのか、そう問うた時点で
 俄然困ってしまった訳なのです。
 神無月の巫女は、明らかに論理を読み解いただけではなにも見えない、それこそLOVELESS的難解さ
 を中心に据えているのが、実はどうしようも無くわかってしまうのですが、けれどどうしてもその論理に肉付
 けすべき情動を感じることができなく、ひたすら空回りしてしまったのです。
 LOVELESSは逃げ場が無くなるほどにその難解な情欲をこちらに示してくるのですが、神無月はそうであ
 るのだろうなということはわかっているのに、なぜかその想いが全然こちらに向かってこない。
 ある意味、この作品はLOVELESSとセットで感想を書き綴っていったようなものでした。
 LOVELESSで理解できないものがあると、ふと神無月を見上げてその簡単な言葉を拾い上げて、
 それを使ってLOVELESSを読み解き、そしてそのときに目一杯吸い込んだLOVELESSの息吹を
 神無月の巫女に吹き込ませて、そうして相互補完、いえこれはむしろ切磋琢磨なのでしょう、
 そうしながら感想を制作していったのです。
 そして、そういう「練習」を繰り返すうちに、それぞれの作品のうちに、はっきりとそれでは創れないものを創
 っていくことができたと思っています。
 神無月は「愛」というとても簡単で、そしてなによりも難しいその「言葉」を、
 私に見事突き付けてくれました。
 
 7月になるとまた少しカレイドスターで仕切直しをして、そして苺ましまろを迎えたのです。
 これは本当にどうしようもなくって。笑いすぎて感想どころではありませんでした。(笑)
 このときほど感想を書くということの奥深さと難しさと面倒臭さともうどうでもいいや感を味わったことは
 ありません。あーもう、笑いの感想って結局笑うしか無いじゃんかー!
 という感じですっかり笑い転げてひとりで愉しみに勤しんでおりましたので、感想もなにもありゃしない、
 ただ紅い瞳がどれだけ笑ったかが伝わればいいやふふん、とか、もうね、そんな感じでした。あーあ。
 しかし今年はこの作品は元より、ぱにぽに、ぺとぺとさん、極上、あずまんが大王、よつばと!と、笑って楽
 しんで暖かくなって幸せ〜な感じを沢山掴める機会を与えてくれた作品が多くて、なんだかもの凄く不思
 議な感じがしました。
 どうしても言葉を綴るという作業対象の方に盲目に突っ走ってしまうことが多い私にとって、いやでもそれを
 綴ろうとしている自分自身を感じるように仕向けられる作品をこうも立て続けに与えられるなんて、
 これはなにかの天啓だろうかとか心にも無いことを適当に言って暇潰しをしたりとか、
 ええとなに言ってんだか、うん、そうつまり、自分を感じるってこと自体が逆にその自分が綴ろうとしている
 言葉自体にも影響を与えてくれるんだなぁと、考えてみれば当たり前なことをよくよく教えてくれたこの
 不思議体験(?)に感謝、とそういうことが言いたかったわけです。そうなの。 そ  う  な  の 。
 ほんとぐだぐだだよね、この人。
 ていうか、またあずまんが大王にハマりました。(何回目なのかもう数えてません)
 
 8月には久しぶりにマリみての聖様についての文章「海の底に降る雨」を書き、これがまた新たな感触を
 書き手の私に与えてくれました。
 後に志摩子さんで書いた「雲の上の白い空」とセットにして、私的には「感想」の表し方が
 これでひとつ増えたと思っています。
 そして同じ時期に書いた羊のうたの千砂で綴った「ひとり」をも合わせて、その感想技法を高めていく
 方法をも学べたのです。
 その技法を継承することになるのが、私としては意外なことに地獄少女
 最初は怪しい語り口調でいやらしい評論風にしようと思っていたのですが、見事に方向転回。
 一人称を基本軸にしてそれをそのままひとつの物語として描いてみました。
 語るのでは無く、語りそのものを描くというか、まぁその辺りはどうでもいいや、感じとしてはSSに近い感じに
 はなったかとは思います。でもSSじゃないんだよ、あれは。うん。
 今のところ地獄少女は一体どこまで私が描き続けられるか、という勝負事になっているような気もします。
 違う言い方をすれば、どれだけ書く回ごとの登場人物の心情を取り込み、そしてその世界を描いていけ
 るか、という試行の中に自然に私自身の視線が移入されているものを描けるかということでもあります。
 描けば描くほどに、私のその視線自体がその描いた世界に感化され変わっていけるように、
 たぶん頑張ってます。たぶん。
 そして、待ちに待ったローゼンメイデン・トロイメント
 水銀燈復活のゴタゴタ(?)を乗り越えて、かなり良い具合に感想執筆が進んでいます。
 というよりむしろ水銀燈の復活というものそのもの自体が、なにか良好なものを私が元々描こうと思って
 いたものに付加してくれていて、まさに瓢箪から駒という感じでした。燃えてもみるものですね水銀燈。
 ただ、自分の描きたいものを自分の中で完全に形にするのに少々手間取っていて、それでいざ言葉に
 してみるとちぐはぐな感じがしてなんか違うなぁと思うことしきりで、今のところほぼ完全に自分の意図して
 いたものが描けたものはありません。
 が、逆に水銀燈を描いた「薔薇生夢」「薔薇生夢2」については、自分が思っていた以上のものが書けて
 、少々うしろめたい感じもしています。いや、なんか私らしくないし。(臆病者)
 トロイメント感想は最後でどうまとめるか、という全体解釈そのものに意味が見出されるような、
 そのようなものになりそうですので、今からちょっぴり自分を楽しみにしています。
 蟲師は初の箇条書き風感想になりまして、おまけにとある人に蟲師を使ってアニメの楽しみ方をレクチャ
 ー(そんな大袈裟なものじゃないけど)するという、まったく人を(紅い瞳が)なんだと思っているんだ!
 といった無謀ぶりを伴う執筆体験になりまして、まるで冷や汗の止まることの無い連続でしたが、
 幸か不幸か先方となかなか都合が付かなくて、途中から感想を書くだけという体裁になりました。
 ふぅ。
 箇条書き、というスタイルそのものは書き易い上にさらにそれ以外の効果も与えてくれて新鮮でしたが、
 やはり少しだけ物足りなさを覚えてしまうときもあります。
 どうしても綺麗に一本の感想として固めたいとだから思うのですが、しかしだからといってそれができるかと
 いえばできないゆえに箇条書きにしてるのだし、ということで必然的に断念。
 一本で固めてしまうと、あのなんともいえない余韻を表わすことができなく、だから逆に箇条書き風に 
 した方がそれが伝わる部分もあります。
 そういう意味で、蟲師は箇条書きというスタイルそのものの勉強体験を与えてくれるものでもあると、
 そうも捉えることができそうです。
 感想の内容そのものは、おそらく今までの私の総合力が試された結果が反映される代物かと思います。
 
 
 
 
 うん、疲れた。疲れましたよ。なにこれこの長さ。
 誰だこんなの書くっていったバカはお前かそうか私か私です私がやりましたごめんなさいぐぅ。
 でもまぁ、取り敢えず滅茶苦茶でもいい加減でも今年の経過を表わしたことにはなるのでいいかなぁって、
 そうやって平々凡々と素直に納得できる精神は素晴らしい!とかもうね、駄目だこいつ。
 でも、そうやって今までやってきた訳ですし、それでもいいですよね。
 そういうことで、お願いします。ていうか、そうします。
 だって紅い瞳だもの。
 
 ・・・・。
 勿論、明日も書きます、日記。
 今日よりひとまわりつまらないと思います。
 年末万歳。
 ということで、バイバイ!
 
 
 

 

-- 051228--                    

 

         

                                  ■■地獄の入り口■■

     
 
 
 
 
 『それは私ではなく、彼女の意志だったのかもしれん。』
 

                         〜地獄少女・第十三話・福元の言葉より〜

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 在るようで無く。
 無いようで、在る。
 その不在する姿が流れていく陽炎の中に映し出されている。
 それは陽炎と共にあり、陽炎と共に消えていく。
 その論理の頂きの最後にその姿の不在を確認するために向けた瞳は、ただ驚愕する。
 在る。
 居ないはずのものが、其処に。
 慌てて今まで築いた論理を解いて、改めて其処に瞳を向けたとき、
 既に其処には陽炎の残り香があるだけだった。
 刻々と移りゆく時の狭間にみたその白昼夢。
 眠ってなどいない。ちゃんと起きて瞳を開いていた。
 なのにそれを、確かに夢を、その姿と共にみていた。
 起きているがゆえにみたその夢の中の姿。
 それは、決して眠ってしまっては得ることのできない出会い。
 
 だからただずっと、起きて、また出会える日を待っていた。
 
 
 
 ◆ ◆
 
 ずっと、生きてきた。
 死んで後地獄へ堕ちるということをこの上も無く実感しながら、生きてきた。
 長い、長い人生だった。
 そしてただの一度たりともその事を忘れることはできなかった。
 忘れることができないゆえに、それを一から分解し再構築し、そしてそれを礎にして幸せな人生を切り
 開いていこうともした。
 だが、駄目だった。
 どんなに知恵と力を振り絞って、そして有り余る時間を注いでも、それはどれほど姿を変えても、不思議と
 私の目の前に圧倒的に顕れてきた。
 死んだら、地獄行き。
 その意味を変えることはできても、その事自体を変えることは、できなかったのだ。
 地獄は、地獄。
 そのとき思い描いていた地獄というものを、それを受け入れることができたとしても、きっとその時点で
 それはその自ら形を変え受け入れがたいものへと変貌してしまうと確信していた。
 地獄は、ゆえに地獄。
 その確信を疑うことはできたさ。
 だが、できるのは疑いそして別の可能性の絵図面を手に入れることだけだった。
 その絵図面が天国への道筋を示していようと、それは私以外の者が辿る道筋にしか過ぎなかった。
 この刻印が胸にある限り、私が地獄に堕ちることは変わらない。
 だから・・・・
 
 
 ・・・・・・◆ さらさらと流れる髪が風に逆らいながらもそのまま風に身を委ねている
 ・・・・・・◆ くるくるとまわる空が大地とこの姿を軸に廻りだす
 
 
 
 彼女の姿は・・・そうだな・・・美しかった、としか言いようがない。
 でもそれは本当に彼女の姿そのものが美しかったのかどうかは、定かでは無い。
 彼女の周りを囲むものすべてが、その彼女の彩りの因を担っていたのかもしれない。
 そして私自身もまた、彼女のその美しさの一因となっていたのかもしれない。
 不思議な話だ、美しいと感じている私そのものが美しいだなどと。
 その私の美しさを感じているのは一体誰だったのかというと、それはさらに不思議なことなのだが、それは
 紛れもなく彼女であったと、そう断じることになんのてらいも恥じらいも無い。
 私はな。
 あの少女と出会って以来、彼女の姿を描き続けてきた。
 長い、長い、絵だったのだ。
 端的に言おう。
 彼女は、私自身だったのだよ。
 いや、違うか。
 私は彼女の一部であったのだよ。
 私のこの長い苦しみの人生を過ごしてきた私を見ていたのは、この私の瞳だ。
 だがその私の瞳を見ていたのは彼女の瞳であり、そしてそうやって自分の人生を見つめている私をみつめ
 ていた私を、その彼女の瞳の中にみつけたのだ。
 私は私をみている私をみつけた。
 だから彼女の瞳と私の瞳は同じものだったのだよ。
 そしてな。
 
 私の瞳は、その私をみている彼女の姿を確かに捉えたのだ。
 
 
 私の辛い人生が幕を降ろさんとしたときに、私の描いたあなたの絵の瞳は涙を流していた。
 それは私の辛い人生を見下ろした私自身の涙と同じものだ。
 だが、それでも、あなたは私のために泣いてくれた。
 私はね。
 本当は自分が死ぬときに嗤いたかったのだよ。
 妻の死の原因を作ったあの男、大河内を地獄に送るためにあなたの姿を見つけ、そしてそのせいで自分
 も地獄に堕ちることになったくせに、それを覚悟することもできずただただ苦しみ続けた我が人生を。
 自分で願った人生でありながらのこの無様な不幸振りを、散々嗤いたかった。
 そして、それ以上に、それでも人生を幸せにできると考え最後までそれにすがりついたまま地獄に堕ちる
 この死んでも死にきれない愚か者を、何度でも生き返って嘲笑してやりたかった。
 そうなのだ。そうだったんだよ、まったく。
 私は結局のところ、原初に怨みありきで始まった己の大間違いな人生の非を認めること無く、ただただ
 幸せになろうとしていたのだよ。
 なんなんだろうな、何度でも生き返って嘲笑してやりたいだなんて。
 嘲笑してでも、されてでも、私は生きていたかったのだろうか。
 愚かだ。なによりも、愚かだ。
 そして。
 
 
 私は、泣いた。
 
 
 目の前のあなたが私のために泣いてくれたことが、こんなに嬉しいだなどとは思わなかった。
 私はあなたに嗤って貰うために、その美しい笑顔に見守って貰いたくて、そして地獄に逃げ込むつもりだった
 のに。
 あなたは、泣いた。泣いてくれた。
 とてもとても悲しく、与えてやれる言葉はもうなにひとつ無いのだと、本当にすべてがその流れる涙のままに
 終わっていくほどの、ぞっとするほど気高い涙をみせてくれたのだ。
 
 
 ・・・・・・◆ 止まらない黄昏の足下を濡らす大河の畔に佇む涙
 ・・・・・・◆ 閉じた部屋を彩る静寂なる凝眸の先にとまる姿が独り舞う
 ・・・・・・◆ その姿を見つめる眸が紅く溶けその舞に一輪を添える
 ・・・・・・◆ 咲き乱れる涙の元に幾千幾万にしてただひとりの少女が顕れる
 
 
 
 
 『ようやく会えた。あなたは変わらないな。相変わらず、美しい。』
 
 
 
 
 
 
 ・・・・・・◆◆◆・・・・・・
 
 
 
 
 責めて責めて責め抜いてそれを徹することなどできないことに気付いて。
 その気づきの先に死を見据える愚を知るゆえに生を重ねて責め抜けぬ己を嗤う。
 その嘲笑で彩るものが自らの生だけで無くその始まりをもさえ含んでしまうことがただただ悲しい。
 
 ・・・・・・涙は、流れてしまうものよ
 
 止めようとしても、止めようとする何者かと出会うだけ。
 その出会いを得るために生き延びたことを証すその瞳はただおのが内に。
 
 ・・・・・・いいわ。私は此処に居てあげる
 
 自らの中にある外なるものの視線のおぞましさを感じて尚それを求めるのなら。
 
 ・・・・・・私はあなたの外に居てあげるわ
 
 責めてくれる者と見守ってくれる者を自らの瞳の中にしか得られなかった苦しみ。
 そしてそれを外に求めるしかなかったその苦しみよりも、責め見守ることしかできない自らの人生に涙する
 。
 
 ・・・・・・もう、なにも言えることは無いわ
 
 
 
 ◆◆◆◆
 
 藻掻き続けた地獄の先に辿り着いた地獄。
 生もまた、死という名の地獄の入り口にしか過ぎなかった。
 私の生は、夢か、現か。
 煉獄の中で垣間見た彼女の姿が、私とその背景に広がる世界を仰望しているのがわかった。
 いいや、本当はな、違ったんだよ、柴田さん。
 煉獄少女は、地獄少女は、ほんとうはそんなものは見つめてはいなかったのだよ。
 彼女はなにか在るものをみていたのでは無い。
 無いものを、ただただ見つめていたのだよ。
 彼女は、私なんか見てやしなかった。私の居る世界を見てやしなかった。
 彼女はただ、私だった。
 だから強いていえば、彼女は私がみていた彼女の姿を見ていたのだよ。
 でもだからといって、彼女はその彼女の姿をみつめていた訳でも無い。
 なぜなら、私は彼女であっても、彼女は私ではなかったのだから。
 彼女は彼女という存在しないものをみていた。
 私は、存在するものだ。私として、ね。
 でも彼女は存在しない。
 彼女は、私にとっての外在する他者そのものなのだ。
 他者という概念は概念として存在するが、実体としては存在しない。
 だから彼女という概念は彼女自身を見つめることはできない。
 これが、私が組上げた論理だ。
 そして。
 
 だからこそ彼女は確かに存在し、また彼女もはっきりと私の姿を凝視していたのだよ。
 
 わかりづらいだろうか。そうだろうな。
 だが、私にはそうとしか言えないのだ。
 それでも、私が今語ったことは嘘では無いのだ。
 私が語る内容そのものがどういうことであるかは関係無い。
 私が語った、そのこと自体が重要なのだ。
 私がみたものが夢か現であるのかも、私の存在が嘘であれ本当であれ、この涙を流してあの少女の
 姿を垣間見、そしてその姿の美しさの一因にならんとしている私が在ることがすべてなのだ。
 それすらも疑うことはできた。
 だが、私にはそれは疑うことしかできないのだ。
 私が死後地獄に堕ちるということを疑うことしかできずに、ただずっとその恐怖に怯え続けたように。
 疑えど疑えど、それは確かに、在る。
 否。
 疑えば疑うほどに、否、疑うということ自体がそれを確かに在らしめていたのだ。
 
 
 だから、疑え。大いにすべてを。
 さすれば地獄少女は、顕れる。
 どうしようもなく残酷なほどに気高い存在として。
 だから。
 
 『とにかく、誰かに伝えなければならなかったのだ。』
 
 
 『そうだ、君にだ。』
 
 
 柴田君。
 君が私の最後に出会った他人だったのだから。
 
 
 
 
 
 
 ・・・・・・◆◆ 押し流される一陣の風が立てる波に運ばれる涙の亡骸
 ・・・・・・◆◆ 遺す言葉を思案する力を遺すために断末魔の魂を捧げる
 ・・・・・・◆◆ すべてに生える命の盤石を言祝ぎ天地へとそれを繋ぎ止めるために
 ・・・・・・◆◆ 消えていく紅い憧憬を今一度見たいと叫ぶ呪言が万象から消滅を奪い去る
 ・・・・・・◆◆ 『一遍、死んでみる・・・?』
 
 
 
 
 なにもいえることはない。
 さいしょからどうすることもできない。
 かたくなにひろがっていくせかいをこうせいするこのからだが啼いている
 ただ啼くために、ただ啼くために。
 
 
 『あとは、あなたが決めることよ。』
 
 
 
 
 
 
 
 
 『地獄で、大河内に会えるかな・・・』
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 『地獄は、結構広いから・・・』
 
 
 
 
 
                             ◆ 『』内文章、アニメ「地獄少女」より引用 ◆
 

 

-- 051225--                    

 

         

                                  ■■白くて重いもの■■

     
 
 
 
 
 第三期とかOVAとかいう単語が出てきたら泣いてしまいそうなので、まだマリみてラジオ聴いてません。
 ハッピークリスマス! (やけっぱち)
 
 
 そういうことで、改めましてごきげんよう、紅い瞳です。
 マリみてがあまりにもあんまりなので、OVA発売に合わせていっそ第一期を一から見直して感想も心機一
 転新しいの書いてしまおうかとか、なんだかもう醜いです。
 とはいえ来期のアニメは新年早々またもや面白そうなのが無いので、それが現実になってしまわないかと
 今からハラハラしています。やめりゃーいーじゃん。
 でも久しぶりに以前のマリみて感想を読み返してみて、ムラムラムラときてしまったりして、まったくもう節操
 もなにもありゃしないという荒れっぷりな勢いのまま、実は24日に旧白白でなにか書いてしまおうとか、
 そんなことを考えていたら普通に予定が入ってしまいましたとさ。(無論全然楽しくない予定。雪も降らな
 いしなんだようもうみんなしてそんなに私が憎いかぁーっ)
 
 いや、もう、いいです。もういくつ寝るとお正月ですし。
 その前に年末ですし、年末といえばまたぞろ今年一年のまとめ、みたいなこともしなくちゃならないですし。
 一昨年からやってたんでしたっけ? サイトで書いてきたことのまとめみたいな、まぁ適当9割嘘1割みたい
 なはったりが足を生やして一人歩きしてるみたいな、そういう暇なこともしなくちゃですしね。
 てかあれは結構好きなのですけれどね。自分で書いた文章を強引にこじつけ、もとい文章に整合性を
 与えてひとつの文章として提出する作業というのは、まぁ言ってみれば大掃除みたいなサッパリ感があって
 大変よろしい。さーて、今年はどれだけゴミが出たかな、みたいな。(捨てるんかい)
 ま、そうやってカッコつけてみることの中になにかを見つけることもまた出来るものですので、今年もまた
 懲りずにそういうことをやってみようとは思っています。
 30日と31日の連日更新とかできればしたいと思っています。だって暇だし。(でも次の日から修羅場。)
 
 で、なにか書くことがあったような、無かったような。
 あ、アニメのお話とか、軽くつ繋げて行ってみましょうか。
 まずブリーチ。なんだあの終わり方は。とって返して戦え愛染っ!
 とはいえ愛染が限りなくカッコ良かったのは認めない訳にはいかないのですが。
 くそぅ、久しぶりに悪役そのものに惚れた〜。
 で、肝心の我らが剣ちゃんはあの場に飛んできてなかったような気がしますが、やっぱりまた道に迷ってる
 んですよね。あはは、ほんと駄目な人ですネ。だがそれがいい。
 次回は1時間のスペシャルということだから、きっと事後処理のドタバタになるんでしょうね。
 ぶっちゃけ、あんだけ隊長間の関係が滅茶苦茶になって、これから一体どうなるのか疑問。
 一護達がヒーロー扱いされるなら、正直山じぃは引退モノな訳だし(あまりに無能なじぃさまでした)、
 仮に引退しなければ、京楽隊長や浮竹隊長、無論剣ちゃん隊長は重罪扱いになるはずで、
 どっちに転んでもきっと楽しい修羅場が待っていることを期待してやまない紅い瞳です。
 あと砕蜂と夜一さんの痴情のもつれが再発するとかもあり。
 トロイメントはお休み。
 地獄少女は次回ついに閻魔あいに照準が向きそうな感じに、ということでいよいよ面白いことに。
 ARIAはなんだかもういつ終わってくださっても構いません。
 まさに毎回最終回の如し、癒しの大盤振る舞い真っ盛り。なんだこの作品、癒しすぎ。
 ということでARIAにはもはや最終回は無いようなものなので、ある意味で永遠です。
 ていうかまぁ、色々お世話になりました。
 
 久々に読書報告。・・・なんかヘンな言葉。
 十二国記シリーズ(プラス魔性の子)をまた再読し終えたので、今度は京極夏彦の京極堂シリーズ
 を再読中。
 順番滅茶苦茶だけど、今は塗り仏を読み中ー。うあー蘊蓄がー。
 それと今更だけど平野啓一郎「日蝕」を読み始め。
 まだほんの始めだけれど、ひどく綺麗な感触がしたっていうか、なにこれ気持ちいい。
 ということです。以上。
 ハッピークリスマス! (もういいから)
 
 
 ◆ ◆
 
 蟲師の感想のお時間です。
 蟲師も今週は放送がお休みでしたので、これでようやく感想が放送に追いつく形となります。
 ということで、特に前置きに割く時間も御座いませんので、お話を始めさせて頂きます。
 
 ■「蟲師」 第九話 :重い実
 
 ・OPの前の少しばかりの映像。夫と食事中に口の中に異物感を覚え、そして鏡をみると、新しい歯が
  生えていた。これがすべての端緒であるということの意味。
 ・人の主食たる米の生る稲穂。それが重く重く、その深い漆黒の年月を背負って垂れ落ちていく。
  それを食してある命のありがたみと恐怖。父と母の命を吸って重く実る命を食べるおぞましさと荘厳さ。
 ・豊作という吉事に漂う死別という凶事。誰かひとりの命と引き替えに顕れたその豊饒な稲の群れに、
  その禍々しさと悲しさと罪悪感と、そしてどうしようもなく食欲をそそられる村。仲間を食べて生き延びる
  快感を貪るその光景を、ただその村以外の村の人たちは苦々しくみている。
 ・貧しい土地、そしてそこで生き延びるには誰かひとりを犠牲にしなくてはならない。嫌なら村をでていけば
  いいという言葉は、その暗黙のうちにタブーとなり、そしてその村はそのタブーを共有する共同体としての
  機能を糧に、この貧しい土地にしがみついている。
 ・先祖が眠るゆえにこの土地を捨てられないのでは無く、先祖が眠る故にこの土地に居ても良いのだ。
 ・だがそれは、真の豊饒を知らない故に抱ける儚い欲望であるのだと、祭主は言う。この土地から逃げ出
  すというタブーを解放してしまえば、ゆえに村人はその糧を失い、そして消えてしまう。他の土地に移住し
  そして村としての意味を持ったこの「土地」もまた消滅してしまう。
 ・祭主はそれを最も恐れている。村人の命を救うためでは無く、村人という概念そのものを護り、そして
  この「土地」を「村」として存在させ続けていくことのために、その試行錯誤を続けていた。
 ・ギンコは問う。人の命とこの村の存続と、どっちが大切なのか、と。
 ・だがこの村の存続を否定する事をタブーとして共有しそれを前提としている村人には、そのギンコの
  問いは形を変えて届いていく。ひとりの命と残りの村人すべての命と、どっちが大切なのか、と。
  村人を代表する祭主は怒気もあらわにして、そう変換した問いをギンコに投げ返す。
 ・ギンコは淡々とその変換された問いを再変換していく。
 ・ひとつの命で多くの命を守れる実が目の前にあるのならば、それを使わないで出す多くの犠牲を見過ご
  す訳にはいかず、それを見過ごす罪悪感に比べれば、ひとつの命を奪う罪など大したことは無く、逆に
  その罪を負うことで多くの命を救うことができるのならば、その実を使うことに躊躇いは無い、と祭主は
  言う。
 ・問題は罪でも罪悪感でも無い。問題なのは、誰かが誰かを殺す、そして誰かが間違いなく死ぬという
  ことそのもの。先祖の土地を護るためにその土地に異形の実を埋めることはそれを汚すことになる、と
  ギンコは言う。
 ・凶作になってもその土地を捨てれば全員死ななくても済む。だが村を存続させるためにその実を埋め
  れば間違いなく誰かひとりが死ぬ。村は死ぬが人は死なないことを選ぶべきではないか。
 ・村人にその選択をさせるべきではないかとギンコは言うが、祭主は拒否する。村は死なせん。
  そして、もう、誰も、死なせん。あとは俺ひとりが死ねばそれで終わりだ。
 ・祭主は既に覚悟していた。村人を信じる覚悟を。村人はこの実の存在を知らない。だから今年の豊作
  の際に誰も死ななければ、この豊作は自分達の今までの努力の成果であるという自信を得られるだろ
  う。そうすれば、もし次の凶作のときにも諦めずになんとかこの今まで育て上げた土地を自ら護って生き
  ていこうとしてくれるだろう。もはそこに実は無くとも、村人は諦めずに生き延びていこうとするだろう。  
 ・つまり祭主は村を手放す決心をした。そしてきっと村人は必ずそれを取り戻してくれると、強く強く信じて
  、そしてこの種を消滅させることにしていたのだ。ギンコの問いは最初からこの男の中にあったのだ。
 ・なぜならば、この実を初めて使ったときの犠牲者は、この男の妻だったのだから。今まで死んできた者に
  も妻や夫や子供や親があるという当たり前の実感の重みが、その村の重みを軽く越えていたのを、祭
  主はずっとずっと知っていたのだ。誰かの命を食うことの重さ。
  誰にも、誰かを殺して生き延びる権利などありはせん。俺はもう絶対誰も殺したりはせんのだ。
 ・ゆえに祭主の死はただの病死ということにしなければならない。豊作が原因としてある死は、その死ぬ者
  に「見ず歯」が生えることでそれと証されるゆえに、祭主は自らのその歯を抜き隠すのだ。
  このまま見ず歯を生やして死ぬものが顕れぬまま収穫を終えれば・・・・・
 ・そして祭主は自らが見ず歯を生やす者に選ばれるたびに、毒を飲み続けていた。ひとり選ばれて死ぬも
  のは弱っているものから選ばれるのだから。
 ・だが、祭主は自分の死後の村を見届けたかった。それをギンコに指摘されると、しかしこの村は俺がいな
  くともしっかり存続していくだろうと答える。だがギンコは提案する。
 ・その実を食せば蘇生する。ただし、蟲として。不死の運命を受け入れれば、その願いは叶うのだとギンコ
  は言う。そして言う。しっかり考えろ、と。
 ・「考えたところで、答えなど、決まっている。」
 ・妻の居ない「村」に意味など無い。誰かひとりの居ない「村」に意味など無い。
  そして、自分の居ないその「村」に意味など無い。誰かの瞳を信じれば信じるほど、自分のこの瞳で
  見続けたいと思うのだ。誰かが死んで在るものの存続など、俺は信じてなどいられないんだ。
 ・そして、俺がしてきたことが正しかったのかどうかを確かめるために。
  祭主は、男は、永遠の時間の中に、その「自分の存在」という正しさをみつけていく。
  誰ひとり、ほんとうに誰ひとりとて、死んではいけなかったんだな。
 ・「長く続いた別れ作の途絶えたその年、出来た米は死んだ男を甦らせた。」
 ・「その男は不老不死となり諸国を歩き、時折戻ってはその地を潤す新たな農法を伝えていくのだという」
 
 
 改めて、蟲師という作品に感銘を受けました。
 
 
 

 

-- 051222--                    

 

         

                                    ■■極楽地獄■■

     
 
 
 
 
 『これで・・・いいの?・・・・・・地獄が、極楽で。』
 

                         〜地獄少女・第十二話・つぐみの言葉より〜

 
 
 
 
 
 
 
 
 落ちてくる紅い空を避けるために踏み込んだ黄昏。
 荒涼として燃える草いきれの残り香が逃げ場を失い次々と死んでいく。
 僅かに残された日陰の奥を凝視し、そして断末魔の無言を瞳に込めて息絶える夕陽の中の人形。
 最後の生存者の命が尽きたとき、それと入れ替わるようにしてこの廃墟に足を踏み入れた。
 次は、私の番。
 此処はもう、崩れ壊れていくためにすべてが流れていくところ。
 そして。
 此処に私を連れてきたものは、その崩壊からの逃避そのものだったはずなのに。
 嗚呼・・・・・綺麗な紅・・・・
 
 
 ◆ ◆
 
 次々と時間が過ぎていくように感じられて、それを全て感じきったと思った瞬間に、もう既にそこにはなにも
 動いてはいかない永遠に等しい時間だけが、ただ横たわっていた。
 さらさらと綺麗に流れていたはずのそれは、始まりと終わりが繋がってひとつの輪になり、そしてそのまま
 目の前に降って落ちてきた。
 どろりとした引きずり込まれるような重力感に抵抗しようとする血の流れに逆行して、私の体そのものは
 従順にその重力に引きずられて頑としてそこに居座ることに力を込めていった。
 その無言の抵抗をなにに対して続けていたのかを忘れる頃になって、ふと熱く流れていた血潮が
 一瞬にして冷め凍り付き、ほんとうになにもかもわからなくなって、どっと疲れて泣き伏してしまう。
 なんで泣いているのかなんて、全然もうわからなかった。
 かろうじて小さく吸った息を深く長く吐き出して、そのまま吐血でもしてしまえたらいいのにと、うっすらと
 涙に濡れた瞳の向こうにその想いを映し出し、ただそれを眺めていた。
 ドンドンドン。ドンドンドン。
 どこからともなく音が降ってくる。
 嫌な嫌な、大嫌いな音だけがただ降ってくる。
 その音が鳴っているとき、私はどうしようもなくなってしまっている。
 その音が私のすべてを包み、私の意識はすべてその音に向けられ、私の体はその音に支配される。
 だから、その音がなんの前触れも無く途絶えたとき、私はごく自然にするりとベッドから抜け出してPCの
 画面に見入っていた。
 ベッドと画面との往復。
 その小さな距離を刻む私の歩幅はそれに見合った長さに矯正され、そのミニチュアのような道のりがとても
 晴れがましく、そしてなによりもそれが疎ましかった。
 こんな距離、無くなってしまえばいい。
 以来、私は。
 あの音の支配の中で、PCの画面と向き合っていた。
 ふぅ、と堪らないほど重い溜息ひとつで、それはごくごく簡単にできたショートカットだった。
 私はあの音に支配なんかされてないじゃない。
 あの音がどんなに嫌でも、それが原因で私が泣いて動けなくなってたわけじゃないじゃない。
 あの音は、私を登校させるためにきた先生が部屋のドアを叩く音。
 正体なんてとっくの昔に割れてる訳だし、と、なにを今更という風に馬鹿なことを考えてみる。
 ほんとうに、馬鹿ね。
 正体なんて関係ないのよ。私はあの音が駄目なの。ただ、それだけ。
 だから私はあの音が鳴り響くこの部屋の中で、自由自在に動き回ることができる。
 当たり前なことほど馬鹿なことは無い。
 もう、なにも考えることなんて無いわ。
 
 
 部屋のドアを響かせるその誰かの拳よりも力強く、私は部屋の中の扉を蹴破って画面の中に入っていっ
 た。
 単純な文字の羅列が生み出す素敵なその情景。
 画面の中に広がってくるcheppoの言葉の姿が、その情景へと私を誘ってくれる。
 そして私はcheppoの言葉が差し伸べる手に画面に広がっていく自分の言葉を託して、連れて行かれる。
 その画面の中に連れ込まれた私の姿が綴られていく過程を凝視し、それがふとアネモネという名前を
 持っていることを思い出して、それが私であって私では無い孤独感を感じてしまう。
 なのに、この言葉を綴っているのは私でありつづけている。
 私はこの画面の中には居ないけれど、でもこの画面の手前で言葉を作り出している私は居ることだけを
 感じて、それだけで安堵している歯がゆさとそれでいての気恥ずかしさと共にあるこの安穏を、ただのいっと
 きのものであると思うことができなかった。
 PCを点ければ、必ずいつもその時間は訪れるのだから。
 そして。
 今日も、先生がドアを叩きにやってくる。
 
 
 
 気持ち悪い。
 その言葉を綴ったときに感じる違和感を無視して、私はアネモネを描いていった。
 先生のことを気持ち悪いと思ったことは当然ある。
 でもあの音を先生への感慨の言葉で肉付けすることは、明らかに違うと思った。
 先生なんてどうでもいい。あの音だけが私には問題。
 なのにそれでも先生への気持ちを綴ってしまうのは、その方がアネモネを描きやすかったからだ。
 私にとってはアネモネすらもどうでもいいもので、そんなものただ形さえ保っていればよい代物で、一番
 重要なのは常にアネモネを綴っている私そのもの。
 だからあの音に関して語る言葉を持ち得ない故に、敢てあっさりと簡単な言葉で描いてやり過ごす、
 それが私が今していることだった。
 どんなにアネモネを動かそうともアネモネはあの音を聞くことはできずに、ただそれは私にだけ向かってくる
 音で、そして家の中からその音によって居場所を奪われているのも、やはりアネモネだけでしかなかった。
 可哀想なアネモネ。悪い悪いあの音によって居場所を奪われているアネモネ。其れくらい適当でいいわ。
 私はただずっとあの音に晒されているだけ。ただ、それだけ。
 そしてその重みと深さとありとあらゆる感覚を含まない、ただ説明としての言葉で着飾るアネモネだけが、
 同じく言葉で軽やかに築かれたcheppoによって示された、その廃墟へ行ってみたいと思っていた。
 私? PCの前の私はどう思っていたかって?
 私はその廃墟の写真をみて、ただ、不思議、と思っただけ。
 私は居場所を奪われてなんかいない。
 私には最初から居場所なんてない。
 画面の中に見えたその廃墟の姿が、ひどく美しくみえてきた。
 
 
 
 
 『地獄通信って知ってますか。』
 常識的に当たり前に考えて、こんなことを考えているなんて・・・・・・いえ、もういいわそんなこと。
 すっと流れ着いた次のステージに立って、ふと今来た道を見上げると、そこにはなにもなかったの。
 ほんとうに次のステージに来たのかすらわからない、圧倒的なこの循環の予感。
 もしかしてまた始めに戻っただけでは無いだろうかという焦燥を、ただぼーっと天井を見上げながら思ってい
 た。
 先生の名前を書き込んでみたらどうだろう、というのは一体なんのためを思ってのことなのだろう。
 その思い付きをしたのはアネモネだけれど、それをアネモネにさせたのは他ならぬ私。
 私にとってあの音と先生との因果関係なんてどうでも良かったはずなのに、いつのまにかその因果関係を
 前提にして、先生を消そうとしている私が居る。
 そんなにあの音が嫌だったの? と画面の中で小首をかしげるアネモネの姿を描いて、私はそこでふっと笑
 い、そのアネモネの言葉をUpするのをやめた。
 あの音が嫌なんじゃない。あの廃墟に行きたいんだ、私も。
 あの音が消えたって、くだらない嫌なものがひとつ消えるだけで、それでなにかを得る訳でも無いし、
 私が此処に居るということを無くすこともできやしない。
 私にはそもそもあの音によって奪われるようなものはなにもないのだから。
 でも、もし、私があの廃墟へ行くことを望むのなら。
 そのために、先生を地獄へ送るのなら。
 私には、なにもわからなかった。
 だから、ただcheppoとアネモネが先生についてつまらない談義を重ねるに任せて、そして地獄通信にアク
 セスし先生の名前を書き込んだ。
 理由は不要。それはcheppoとアネモネが適当に作ってるのだし。私にはどうでもいい。
 それなのにアネモネを通して訪れるこの震えがあることを不思議に思いながらも、私はそのスリルに怯え、
 そして怯えれば怯えるほどその恐怖心は容易に薄らぎ、そして流れ消えていった。
 ふぅ、という溜息ひとつが代償ということで終わった。
 そして。
 
 
 
 
 
 『人を呪わば、穴ふたつ。』
 別に、どうってことは無かった。
 今更失うものはなにも無いのだし、ただゾクゾクと震える体だけを押さえつけていれば、あとは時間が解決
 してくれる。
 だって私、誰も怨んじゃいないもの。
 ただ私が死んだあとに地獄に堕ちるだけなら、別に大したことじゃないと思う。
 cheppoとアネモネはしきりに罪悪感がどうとか言うけれど、それって自分が誰かを怨んで、それを晴らす
 ために殺すっていうからあるものなのだから、私には不要なものね。
 私はただあの廃墟に行くためになんとも思っていない先生を地獄に送るのだから、別になんとも。
 そうやって馬鹿な思案を続けて時間をやり過ごしたと思って部屋のドアを開けたら、先生が居た。
 この卑怯者。なんで先生が此処に居るのよ。
 ノックをしたのは母。母がノックをしたときだけ私はドアを開ける。
 母だけはまだ信じていられたのに。
 それなのに・・・そうか・・・・アネモネだけじゃなく私にも奪われるものがまだ・・・・
 誰がそれを奪ったのか、それがわからないまま、私は目の前の先生と対面した。
 通り一辺倒のつまらない空論をたらたらと語られて、私は適当にそれらしく本音を示してみた。
 先生には私の気持ちなんかわからないと思う、と白々しく言ってみた。
 説明してないんだからわからないのは当然なのに。
 先生がここにくるのはそうしないと先生が困るからじゃないですか、、と当たり前な事を言ってみた。
 先生の都合なんて本当にどうでも良いことなのに。
 先生は、徹頭徹尾普通に白々しいほどに本音の言葉を綴っていた。
 そしてありきたりなどこにでも居るような言葉を演じて、そして綺麗に帰っていった。
 不思議ね。
 なんでこんなに、先生の姿がその言葉の向うから激しく迫ってくるのかしら。
 また来るから、と大きなお世話な言葉を残してみせたその先生の後ろ姿が、
 息の詰まるほどに美しかった。
 嗚呼・・・・・・・此処にも廃墟があったんだ・・・・・
 下手な飾り付けで綴った言葉が描き出すその先生の無様な有り様に、なにかが確かに終わっていながら
 またそれが始まりへと繋がっているうらぶれた崩壊の循環を見た。
 ふふふ・・・・・そんなのって・・・・・ほんとうのほんとうに馬鹿みたい・・・
 『私、どうしたらいいのかわからなくなりました。
  自分が悪いのか、それとも周りが悪いのかわからなくなりました。』
 そのアネモネを必死に演じる私が描いた言葉に対して、cheppoは嫌で嫌で堪らない音を奏でていった。
 『偶然ですね。僕も同じようなことを考えていました。
  どうしたらいいのかわからないのです。
  いっそもう、本当に学校行くの、やめようかな。』
 良いも悪いも無い。
 私は、明日、学校に行きます。
 
 
 
 
 
 
 『今、私が何処に居ると思いますか? 学校です! 自分でも信じられません。』
 学校でもアネモネを演じ続ける本音を描くことができる愉しみに心躍らせて。
 空虚な先生の正直な気持ちとやらと手を取り合って、そうして嘘みたいな劇の舞台に立てる歓び。
 その虚しさに駆られるたびに、私ははっきりと今自分が学校に来ていることを実感できる。
 そして。
 実はcheppoが先生その人だったというオチが見事について、綺麗にその劇は幕を下ろしていった。
 私は、ほっとした。
 この愉しい劇を終わらせた先生に腹が立つその中で、その虚しい劇に早々に幕を引いて美しく飾ってくれ
 たcheppoに感謝していた。
 私の居場所は、確かに次のステージへ進むことができたわ。
 無いに等しいこの虚しい私の居場所は今や学校に移っていた。
 ほら、校内の至る所で魅せるその先生の横顔と、言葉を描き合うことができるのだもの。
 cheppoはもう画面の中から出て先生のその横顔に宿り、そして私の視線の中のアネモネと語り合う。
 その永遠に続く時間の果てに、私達は遂にあの廃墟に辿り着いた。
 ふふ、なにが永遠よ、ちゃんと時間は過ぎていたじゃない。
 そしてcheppoは先生のまま、自らの死を望んだ。
 私に、地獄送りにしてくれと、頼んだ。
 どう考えればいいのかわからない、ということは有り得ない。
 あの、部屋の中に居たときに散々聞いた嫌らしい音を、こんなにも今たくさん聞いているのだから。
 学校というステージが鳴り響かせるそのレクイエムが私を簡単に突き動かしていく。
 『あとは、あなたが決める事よ。』
 私が決められることなんて、なにひとつないわ。
 私はただ、あの音が、嫌で嫌で堪らなかっただけ。
 先生を殺したってその音が嫌なことは変わらない。
 その音を消したって、また次の音がやってくる。
 どうだっていいのよ、でも、それなのに、あれは・・・・・・
 
 
 
 
 
 
 
 ◆ ◆ ◆ 
 
 私はね、先生。
 先生のために自分も地獄に堕ちることができる幸せの幻影を捕まえたの。
 残念ながら、この廃墟にはどうやらそれくらいしか残っていなかったみたいで、でもそれだって私にとっては
 とても大事なものだったのだから、最後に捕まえることができて幸せだったと思う。
 先生と一緒に死ねる、という訳ではないけれども、でも先生のために私が死ねる、というのはまた別な感
 慨を与えてくれて、それは断末魔の抱く幻影としては上出来なのだと思う。
 先生なんて、どうだっていいの。
 でも私自身もやっぱりどうでもよくって、そしてアネモネもcheppoもさらにどうでもいいのよ。
 あの音が・・・・そう・・・私はあの紅く降り注いでくる阿鼻叫喚の音の滴を避け続けているだけなの。
 もし私に決められることがあるとしたら、それはどういう風にして私を終わらせるかということだけ。
 やっと・・・終わる・・・・
 私の死出の旅路の道連れとしてのその幻影は、十二分に美しいものだった。
 
 でも・・・・・
 
 
 私はまだ、生きている。
 
 
 
 
 
 
 
 
 紅く紅く光り輝く夕陽が零す空が燦々と響き渡る。
 血潮を吸い上げられた枯れ草達の毒々しさが賑わいを増してその吐息を高々と挙げる。
 満ち渡る昏黒の影の姿はもはや無く、転がる人形の瞳には静寂の鼓動だけが灯っていた。
 かつて芽吹いた一番始めの誕生者の幸せの幻影が、その廃墟の住人を心安らかに迎え入れていく。
 ほら、先生とcheppoの残骸があんなに美しく・・・・・
 
 『不思議ですね。
  こんな場所なのに心が安らぐなんて。』
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 『でも・・・・・・』
 
 
 私はまだ、此処に居る。
 
 
 
                                ◆ 『』内文章、アニメ「地獄少女」より引用 ◆
 

 

-- 051219--                    

 

         

                               ■■今、何処で誰と何を■■

     
 
 
 
 
 でっかい、寒いです。(挨拶)
 
 改めまして、寒いですけれど、ごきげんよう。
 寒いとはいえ、まだこちらは雪とか全然で御座いますので、本当のところ騒ぎ立てるほどの寒さでは
 御座いませんけれども、寒い寒いと言えるうちが冬の華で御座いますので、せめてそれくらいはつまらな
 く騒がせて頂ければと思っています。
 ていうか、こんなに寒いのに雪降らないなんて不公平だーっ!(いざ雪降ると文句しか言わないのに)
 
 さて、さて、さて。
 おそらくこの日記の更新中に記録することになるやもしれない数字がひとつ。
 30000。
 はい、当工房もいよいよ30000ヒットで御座います。
 わー、30000ですか。30000ですよ。30000かよ。
 そろそろゼロの数を間違えて打ちかねないほどの桁数で御座いますよ。
 というのは本当は10000のときに言うべきことなのでしたけれども、すっかり忘れていたので今言わせて
 頂きました。
 ということで、30000ヒットで御座います。
 大体1年で10000のペースでじっくりことことと進んでいるこのペースったらあら可愛い、みたいな感触で
 御座いますので、これからもこの調子で特になにもしないままにのんびりと時を重ねさせて頂きます。
 そして皆様、ありがとう御座います。これからも是非是非宜しくお願い致します。
 さーて、次行きますよー次ー。
 
 はい、それでは今日は久しぶりにARIAのお話をさせて頂きましょう。
 あ、その前に。
 次回のトロイメントがいきなりとんで1月までお休みのようです。
 よってトロイメント感想の方もしばらくお休みの方向にダッシュするという感じになります。
 その間になにか書くかそれともひたすら日記サボるかは未定で御座います。
 ということで、再びARIAへ。
 はー、まったく今週のARIAはやってくれました。
 なんといえばいいかなんて考える必要ないですよね、もう。
 ああいう言葉をぽつぽつと表に出すことのできる幸せというのが、私達にはちゃんとあるのだなぁと、
 ただただその暖かい歓びが灯っていくのを感じて、ぬくぬくとくつろげる時間というのは是、幸せです。
 あの頃は楽しかった、じゃなくて、あの頃も楽しかった。
 今日が一番楽しいのは楽しくて堪らない過去と楽しみで堪らない未来があるからなんです。
 逆にいうと、私達が簡単に美化できてしまう過去や未来というものがあるだけで、それは只今現在の
 今日を美しくすることもできるという訳なんですね。
 そしてそうやって創り上げたようにしてみえてきた今日の美しさというのは、それこそもう身震いするほどに
 切実で、そして目の前に迫ってきたかと思うと、もうそれは信じられないくらいに自分に一体化していて。
 ラストで感極まって(というか我慢できなくなって)、思わず藍華達を追いかける一歩を刻んでしま
 い、そして自らを押し留める恥ずかしさをさえ振り切って、思いっきり叫んでしまう灯里。
 昨日が楽しければ楽しいほど、明日が楽しみであればあるほど、今日の楽しさは世界を越える重さに
 なって顕れそしてそれが終わろうとしている寂しさは耐え難いもので、だからつい叫んでしまう。
 今日という日は、もう二度と来ない。だから。
 また明日ね。
 その明日への希望にすべてを託して、今日にお別れのありがとうを云う。
 そうやって幾千幾万と繰り返してきた現在という名の過去との別れの結実として、明日がある。
 だから明日はなによりも楽しくて、そしてゆえになによりも明日を思う今日の終わりは重くなってくる。
 ほんとうに、今日は楽しかった。
 だから、未来も、過去も、楽しみで、楽しかったのですネ。
 時間は毎日過ぎて変わっていく。でもそれを過ごす楽しさは変わらず在り続ける。
 毎日やってくる今日は昨日とは違う今日。でも昨日も明日も綺麗な今日。
 いいですよぇ、ほんとうに。
 過去や未来の美しさというのはとてもあやふやなものゆえに、いくらでも自由に扱えてしまい、
 その自由さに不純さを覚え却ってそれらの美しさを卑下してしまうこともあります。
 簡単に美化できてしまうのだから、全然信用ならないって思ってしまうときもあって、だから尚更今日だけを
 しっかり見つめていきていこうと考えてしまうこともあります。
 でも、そうじゃない。
 今日は楽しかった、じゃなくて、今日も楽しかった、のです。
 過去も未来も美しいゆえに、それらの収束としてある今日が、だからこそ暖かく光り輝くのです。
 だから過去や未来の美しさに囚われてしまうのを恐れるよりは、過去や未来が美しいということを知るゆえ
 に、だからこそ今日がなによりも美しいということを知り感じることができる、という変わることの無い豊かな
 幸せを感じることができることを楽しめばよいということなのです。
 そしてだから、いつだって今日が一番楽しいんですね。
 それを感じている今この瞬間が、なによりも一番楽しいのです。
 そういうことで。
 
 恥ずかしいセリフ、禁止。(お粗末様でした。)
 
 
 ◆ ◆
 
 はい、ここからは蟲師のお話です。
 既にあちらさんとの都合が全然付かなくなっていますので、これからはすらすらとひとり感想を書いて
 いこうと思っています。
 勿論これからも都合さえつけばお話させて頂いて、そしてその後に感想を書く体裁を整えようとは思って
 いるのですけれどもね。
 それでは、本日は第8話についてお話させて頂きたく存じます。
 
 ■「蟲師」 第八話 :海境より
 
 ・海境より、というタイトルが目をひく。なにも無い境の中でただ海から与えられるものを待っているだけの
  存在を喚起させてくる。待つ存在という主体がありながら、なぜだか其処には海が強く深く圧倒的に居
  、その儚い主体はその縁にしがみついているだけかのよう。
 ・浜辺から僅かの距離にて一気に深海の淵へ至るかのような海の存在感のその強さが、それに見合う強
  力な浜風を吹き荒ばす事をしない不気味さ。穏やかにしてその海は、既にその覇権を確立しているか
  のような、その厳かな静けさがある。
 ・僅かな浜辺の上にて、ギンコに語るその男の話は始まる。
 ・魚臭い漁師村の中に屹立する紅い着物の女の背。その背が向かうは海であり、その目はあくまでぐる
  りとその小さい村を見渡していた。あんたの生まれがここまで田舎だとは思わなかった。
 ・独り立つその女の足下がきっかりとその浜辺に根差していく様子。くるくるとその足を軸として、この村を
  悪く言う街育ちの娘を演じるその男の妻の心情が、爽やかに染まっていくのを感じる。
  街にはもう戻れないことを感じるたびにこの村の魚臭さは強く臭い、そして鼻を摘みながらもうきうきと上
  気していく心を抑えるのが楽しくて堪らない、そんな不安定な幸せがその女みちひにみえてくる。
 ・潮風を感じて渇いていく肌、陽を受けて赤茶けていく髪、その変化を愉しむ以上に、みちひはこの変化
  を与えてくれるこの空間を気に入っていった。
 ・しかしこの空間から逃げられないという幸福を確認しその幸せを安定させていくためのみちひの言葉は、
  悉く男しろうに壊されていく。正直こんなところまで付いてくるとは思わなかったお前に合う土地じゃあない
  元々打算だったんだろう。みちひの時間と空間が、閉じていく。
 ・生家を捨てついてきたしろうに見放され、そのしろうと共にある幸せのうちにどんな環境さえも
  幸せな空間にできると信じ切っていたみちひは、この漁師村の姿を目に焼き付け、そして。
 ・海にその瞳を転じる。深く遠い、海の彼方へ。
 ・男は陸に帰り、女は海に還った。そして男は海境にて女を待つ。
 ・あのときなぜ自分も海に飛び込んでみちひの舟に泳ぎ着かなかったのか、どうしてあんな酷いことをみち
  ひに言ってしまったのか。そしてなによりも、どうしてみちひと共に還らなかったのかとしろうは想う。
 ・陸へ帰りたいと想うものは陸が見え、そうでないものには陸は見えない。みちひは陸に帰りたくなかった、
  否、帰れなくしてしまった馬鹿が此処に居るからだと、しろうは2年半思い続ける。
 ・そしてギンコはそれについて、ごく当たり前な口出しをする。お前もお前を生きなきゃならんだろ。
 ・ひょんなことから漁師村の中に居場所を得てしまうしろう。しかしその居場所を放棄しないしろう。
  本当はわかってるさ、ちゃんと生きなきゃならんことくらい。だから、こうして・・・
 ・みちひが死んでいようとどこかで生きていようと、時間は絶え間なく流れている。だからしろうもまた、
  動き出す。そのタイミングを窺うために俺は海境でそれを待っていたのだ、と今のしろうは想う。
 ・ギンコ再び。この浜で嫁さんをずーっと待ってた人はおらんのかね、としろうを探す。
  その妻を待ち続けている男は漁師村にて生きている。
 ・しろうはどこにもいけない。なぜなら、海境にて妻を待つために漁師村で生きているから。
  死ぬために、死ぬ理由を見つけるために、今、生きている。
 ・そして遂に海が動く。それに連動してしろうも漁師村から動き出す。沖にでても陸を見つける自信はあ
  る。それだけの時間を陸で過ごしたのだから。ゆえにしろうは海を見つめ続ける。この海に漕ぎ出すため
  に、この海の中にみちひを見つけるために、みちひの残骸を抱いて共に海に還るために。それだけの
  時間を陸で待っていたのだから。
 ・しろうは知っている。沖に出て陸へ戻りたいと想うことすらできなかったゆえにみちひは海に還ったことを。
 ・しろうには陸が見えている。みちひが戻りたくてそして戻れなかった陸地が。
  だが今はもうみちひは居ない。だからしろうは、みちひを探すために、海をみつめている。
 ・沖でみつけたみちひは生きていた。3年の月日を3日として経験し生きていたみちひがそこに。
  自分の言葉の罪を悔い、そしてみちひを連れ出すしろう。向うの、深く遠い遥かな水平線の底に。
 ・海境にて妻を待ち続けていた男。妻から帰るべき陸地を奪い、そして独り海の底に還してしまったその
  罪と向き会い続けた3年。それは別れてからみちひが死ぬまでの3日間の連続としてしろうの中に在り
  続け、そしてしろうは海境を越えみちひを迎えに海の向うへと向かっていた。
  待つという死を、迎えるという生へと転じ、しろうは海へと還っていこうとしていた。
 ・だがしろうはみちひと共にはいけなかった。みちひと共に海の向うへいきたかった、けれどしろうには奪われ
  た陸地は存在せず、ただただ海境の向う側で待っていてくれる陸地が在るだけだったゆえに。
 ・しろうは陸地へと還ってきた。死という名の紛れもない生を拾い上げて。
  ほんの2・3時間沖に出ていたつもりが、陸ではひと月あまりが経っていた。
 ・「せめてもの救いだな。彼女は、3日寂しい思いをしただけで済んだ。」
 ・沖に流れ着いたみちひの荷物とその紅く綺麗な着物。もはやそれを着るに値する者はいない。
  しろうが与えてやれた、そして奪った陸地の持ち主はもう居ない。みちひの不在を感じるたびにより強く
  みちひが思い出され、それと共に沸き起こる死への願望を否定しきるためにできることは、もはやなにも
  ない。ただただしろうは持ち主の居なくなった紅い着物から目を逸らし続けるしか無い。
  そしてその逸らした視線の先にはみちひが居続け、そして。
  そのみちひのくっきりと目に焼き付けた、その幸せな漁師村を、みちひと共にしろうははっきりと見つめてい
  る。
  今、俺は、確かに此処に、居る。
  妻の死に照らされたその海境より、その男はひしひしと生き始めていく。
 ・「ああ。・・・綺麗だな。」
 
 
 渋く惨めに、そして強く震えました。
 
 
 

 

-- 051216--                    

 

         

                                    ■■薔薇護涙■■

     
 
 
 
 
 『 蒼星石があなたにとって大切な人のように、みんなにとってあなたは・・・・・』
 

                       〜ローゼンメイデントロイメント・第9話・真紅の言葉より〜

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 静かに、静かに、広がっていく、波紋。
 落ちていく、涙、涙、涙。
 滴る静寂の織りなす旋律が空の温もりを抜き取っていく。
 穏やかに、滑らかに、しっとりと渇いて。
 最後の一滴が流れ落ちるそのときを、ただずっとその空の下で独り見守っている。
 
 
 ++黄昏が空の支配を深めていく
 
 
 ◆ ◆
 
 虚ろな顔をしている。
 その中にかつてあったものを思い起こし愛で直し、その儀式が一通り終わるとそこにはまた静寂が。
 静寂が生み出す虚しさの中を独り歩いていると、堪らなく体が渇いていく。
 涙が止まらなくなって、それが体を伝っていくたびにその潤いがもたらす寒気を感じていながら、
 いつのまにかその奪われていくぬくもりと共に、その涙が体から離れどこかへ流れていってしまうのを感じて
 いた。
 泣いて、泣いて、泣き伏して、そしてうっすらと顔をあげたとき、その涙はすべて姿を消していて。
 一体あれほど流した涙はどこに行ってしまったのかを気遣う前に、たとえようも無いその喪失を、
 この涸れきった体の冷たさを感じ、ただ呆然としてしまう。
 虚ろで、虚しくて、そして泣くことすら、できなくて。
 
 おじじの様子を見に行ったら、しっかりと蒼星石の不在を思い知らされてしまったです。
 おじじの笑顔の根元にあるものが、私の与り知らぬ所で私に置き換えられていて、
 ほんとうにもう蒼星石の存在は其処には無くなってしまっていたのです。
 なんで私が、蒼星石の代りにおじじの機嫌をとらなくちゃならないですか。
 それは蒼星石の大切な仕事じゃないのですか。
 私になどに簡単に任せて消えることができるほど、それはどうでもよい仕事だったのですか。
 あんなにマスターマスターとほざいていた癖に、それをこんなにあっさり。
 おじじのこの今の笑顔など、私には荷が重すぎるです。
 蒼星石があれほど、あれほどそれこそ命懸けで獲得したこのおじじの笑顔の重さを、
 私に押し付けるなです。
 このおじじの笑顔は蒼星石のものです。
 おじじはあなたのマスター、そしてそのマスターの笑顔に重みを与えられるのは、蒼星石だけです。
 それを・・・・蒼星石は・・・・・
 
 『蒼星石はズルイのです・・・勝手におじじと約束して、勝手に独りで居なくなって。』
 
 守れない約束をするなです。
 そして、約束ひとつもロクに守れないようなことをするなです。
 一体、蒼星石が二度と帰ってこないかもしれないということを知ったら、おじじがどんな顔をするのか、
 蒼星石は想像したことがあるですか?
 わかってるです、翠星石は。蒼星石はきっとそれをわかってそれでも敢て出ていったです。
 私は、私はだからこそそんな蒼星石を許せないです。
 わかってさえいれば、おじじにどのような顔をさせてもいいのですか。
 自分だけ我慢すれば、他のものがそれをどう想おうといいですか。
 確かに、お父様を悲しませているのは辛いです。
 でもだからと言って、そのためにおじじの笑顔を悲しみで歪ませてしまってもいいのですか。
 私達は、既にこのおじじの笑顔を知ってるし、また持っているです。
 それをぶち壊してでも得るそのお父様の願いに、一体どれほどの価値があるというですか。
 私は・・・・
 
 
 『翠星石は、いつも蒼星石と一緒に居たいと想ってたです・・・・蒼星石は同じ気持ちじゃなかったです?』
 
 
 今の翠星石と蒼星石は、おじじと、そしてジュンや真紅達との繋がりを通して繋がってると思ってたです。
 それは翠星石と蒼星石だけの繋がりよりも、遥かに強烈な結びつきだと思ってたです。
 あの人たちの笑顔をみていたい、あの人達と一緒に笑い合いたい、
 その気持ちを翠星石と蒼星石は共有していたと、ずっと思ってたです。
 そしてだから、その共有したものを媒介にして、なによりも強く蒼星石とは繋がっていたと思ってたです。
 翠星石と蒼星石、それぞれの考えや使う言葉は違うです。
 だからそれをぶつけ合わせているだけでは得られないものを、共通のものを通して、
 そしてお互いが理解し合えるものだとずっとずっと思ってたです。
 それなのに、蒼星石は・・・・・
 
 
 ・・・・・・
 
 見下げた空の下の明るい光景がどんよりと曇る。
 目を見開いて良く見ようとすればするほど、その光景を覆う曇りに目を奪われていく。
 こんなに目を細めている自分の姿を、このときほど恐ろしいと感じたことは無かった。
 
 全部、わかってる。
 翠星石がボクに募らせている怒りと悲しみを、ボクはたぶん正確に知っている。
 なぜならボクが捨てたものは、かつて翠星石と共有したものだったのだから。
 それの重みに対する見解をすら、翠星石とは共にしていたことを、ボクはしっかりと知っている。
 だからたぶんボクが今までの平和な生活を捨てずに、
 逆に翠星石がそれを捨て去っていってしまった場合にも、恐らくボクは翠星石と同じ反応を示しただろう。
 でもね、翠星石。
 結果的にもう、今ここにはそれを捨てた者と捨てなかった者が居るんだ。
 だからもう、捨てなかった者は捨てた者を非難し、そして捨てた者はそれに必死に耐えて、
 そして一刻も早くそれを捨ててでも欲しかったものを手に入れなければならないんだ。
 道はもう、分かたれたんだ。
 そして分かたれた時点で、翠星石と蒼星石はひとつのものを共有しない、お互いが固有のものをぶつけ
 合って戦っていく者同士でしか無いんだ。
 ボクは別に、自己満足してる訳でも、逃避してる訳でも無い。
 ただ、求めるものが変わっただけなんだ。
 翠星石と共有することの無い、できれば共有したい、そのお父様の願いを叶えるという願いを叶えるため
 ボクは真摯に戦っていくだけなんだ。
 確かに、おじいさんの、マスターを悲しませることは辛いし、その辛さに耐えさえすれば悲しませてもいい、
 とそう言われてしまえば確かにそうなのかもしれない。
 まだ見ぬお父様の笑顔を得るために、既に良く知っている、そしてボクに任されているマスターの笑顔を
 悲しみで破壊するのはおかしいかもしれない。
 でも、それでも、ボクは。
 ボクはもう、お父様を悲しませたままではいたくないんだ。
 ボクにはもう、マスターに合わせる顔は無いし、とんでもない事をしてしまったとも思う。
 ボクが最初からアリスゲームに真剣に取り組み、マスターにあの笑顔を与えなければ、
 それをマスターから奪ってしまうことも無かったはずなんだ。
 自分で与えておいて、そして自分の都合でそれを破壊するなんて、本当に酷い話だよね。
 だからもう、ボクはマスターに謝る顔すら見せられない、謝っても済む問題では無いことをしようとしている。
 でもね、翠星石。
 だからもうボクは今までの平和の世界には戻れない、だからアリスゲームを戦う、のでは無いんだ。
 逆だよ。
 ボクはアリスゲームを戦いたいがゆえに、もう今までの平和の世界には戻れないんだよ。
 言っただろう、ボクはお父様の願いのために、それだけのためにアリスを目指したいと。
 そして。
 
 『これはボクの戦いだ。邪魔をしないで欲しい。』
 
 
 
 ◆ ・・・ ◆ ・・・ ◆
 
 『私は戦わない。あなたの考えを咎めるつもりは無いわ。
  でも、私も考えを変えるつもりは無い。』
 
 ◆ ・・・ ◆ ・・・ ◆
 
 
 
 
 
 
 『嫌です・・・・・・・・・・・嫌ですぅ・・・・!!
  翠星石は、蒼星石と一緒に居られたらそれでいいのですぅ。
  アリスになれなくたって構わないぃ。
  そりゃあ、お父様は大好きですけど・・・・・
 
  でも、蒼石を失うくらいならっっ!!』
 
 
 
 
 私の渾身の思いです。
 絶対絶対譲れない、永遠に変わることも無い変えてもいけない私の想いです。
 そして。
 この言葉は、前にも言ったような気がします。
 でもそのときは蒼星石に、この言葉は軽く受け止められたです。
 よく聞くです。耳の穴かっぽじって、よ〜く聞きやがれです!
 
 翠星石は、蒼星石のために言ってるです!!
 
 蒼星石は、自分の求めるものを見つめることに頭が一杯で、
 その見つめている自身の姿を放り出しすぎです。
 だからその放り出したものを感じるたびに怖くなって、より一層自分の求めるものにすがりついてしまうです。
 蒼星石!
 あなた自身が笑顔になれなくて、どうするです!
 あなたの笑顔が見れなくて、どれだけ悲しんできたものが居ると思ってるですか!
 蒼星石のその優しい心が、綺麗に穏やかに温まっていくのを感じられなくて、
 どれだけ周りの人間が寂しく思っているのかを知ってるですか!!
 お父様だって、きっとそうです。
 いえ、お父様もそう思わなくてはいけないです!!
 笑顔になることが許されないアリスなんて、お父様はお求めになってはいけないのです!
 戦って戦って、そうして最後の勝者にのみ許されるその笑顔の冷たさと悲しさを、
 あなたはわかってるですか!
 蒼星石!!!
 
 
 ほら・・・・・こんなに・・・・・・・あなたの涙が・・・・・・・・逃げて・・・・・・
 
 
 笑うことができないのならば。
 絶対絶対泣かなくちゃいけないです。
 泣いて、泣いて、笑えないことに反抗するです。
 もしそれをせずにいれば、その涙は逃げ出してしまい、決してその体を温めに戻ってきてはくれないです。
 自分が誰よりもあたたかく笑うことのために、しっかりとその涙を護るです。
 私は・・・だから・・・・一生懸命泣くです。
 蒼星石が独りで突っ走っていってしまうたびに、絶対絶対涙を流しまくるです!
 だから!!!!
 
 
 『蒼星石は、とんだ姉不孝者ですぅ!
  お父様が悲しむのはほっとけなくて、姉を泣かせるのは平気だって言うんですぅっっ?』
 
 
 姉の涙を逃がすんじゃないです、蒼星石。
 私の涙をしっかり護るです、蒼星石!
 私は、あなたの笑うことのできない悲しい現実のために散々泣いてやるですっ!
 泣いて、泣いて、泣きまくってやるですぅ!
 私は・・・・知ってるです。
 蒼星石が、翠星石の涙をほっておけることなんてできないことを。
 翠星石がもうちゃんと独りで歩けることも知ってて、
 だからこそ一緒に歩いて欲しいと願われる事こそが、蒼星石のなによりも嬉しいことだということも。
 お互いが別の道を独り歩いていながらも、それでも同じものを見ていることを感じられる、
 そういうたった独りの自分の中に暖かい涙に彩られたその笑顔があることを、
 蒼星石はちゃんとちゃんと知ってるです。
 だから、一緒に帰るです、蒼星石!
 
 
 姉妹が仲良く暮らせる平和な現実に。
 そして。
 その平和のうちにお父様の笑顔を探す穏やかな旅路に。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 だから・・・お願い・・です・・・
 
 もう一度・・・・・目を・・・・・開けるです・・・・・・・
 
 
 
 
 
 
 
                    ◆ 『』内文章、アニメ「ローゼンメイデントロイメント」より引用 ◆
 
 

 

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                                    ■■復讐地獄■■

     
 
 
 
 
 『この怨み、地獄へ流します。』
 

                         〜地獄少女・第十一話・閻魔あいの言葉より〜

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 溶けていく空の下が更に溶けていく。
 どこまで降りても、そこに立つことができない。
 なぜそれでも落ちなければならないのか。
 ただ流れていくだけのものでしか、もはやないのに。
 それなのに、決めろというのか。
 降りるのか、降りぬのか。
 
 
 『あとは、あなたが決めることよ。』
 
 
 
 ◆ ◆
 
 死ぬのが怖い訳じゃない。
 地獄に堕ちるのが恐ろしい訳じゃない。
 どうしてと訊かれたら、それは死や地獄を知らないから、としか答えようが無い。
 知っているのはただ、得も言われぬこの恐怖だけだった。
 なにが怖くてなにが恐ろしいのかと、そんな事を考えているうちに、もう既に恐怖しているのだ。
 怖くて恐ろしくて堪らない。
 だからもし今その恐怖が生と天国によってもたらされていると聞いても、なにも疑問には思わないだろう。
 いや、疑問を感じたとしても、おそらくどうしようもなくただただ納得してしまうだろう。
 怖くて恐ろしいのは確かなのだから、それがなにに由来していようが、関係無い。
 死と地獄というものがその原因だとしても、それが存在する限り、その恐怖は確として在り続ける。
 存在する限り、といっても存在しないことは有り得ないのだが。
 原因よりその恐怖が先行して既にあるのだから、いっそのこと絶対に消えないものをその由来としておけば
 なんだって融通はきくのだろう。
 要するに、俺は、この恐怖の由来を、知らない。
 
 
 『お前になにがわかる!』
 
 確かに親父は罰に値することをしたのだろう。
 それはあの男に暴かれなくてもいずれ明らかになった罪であろうし、また暴かれ罰せられた事自体は仕方
 の無いことだとは思っている。
 だが、なにもしていない息子の俺の罪を最初にでっちあげ、その線から親父の罪に辿り着いたあの男
 のやりくちを許すことなどできない。
 俺達一家が離散したのは、確かに親父の罪が原因な訳で、だからそれを暴いたあの男に対する感情的
 にぬぐえない黒いものはあるが、だがそれは我慢しまず第一に親父を責めなければならない、というのを
 俺だってちゃんとわかっている。
 しかし、なぜそこに俺が出てくるのか。
 なぜしてもいないドラッグの使用などとでっちあげられなければならないのか。
 俺個人の名誉が傷つけられたのは無論、そしてそれ以上にその俺の偽りの姿を起点にしてこの一連の
 事件の全景を展開してみせたのは、許し難いことだ。
 まるで、すべての元凶が俺のその偽りの素行にあるように見えるではないか。
 まるで、俺こそが俺の一家を狂わせた張本人のように思えるではないか。
 世間の人々は、きっとそう思ったに違いない。
 それは、親父はともかく、俺を含む残された家族にとっては耐え難い屈辱にして苦しみだった。
 俺達は、犯罪者の親父を背負う苦しみならば、たとえそれが耐え難きものでも耐えてみせる。
 けれど、犯罪者としての押し付けられた自分を背負う苦しみには、耐えるどころか許すことすらできない。
 いや、許すべきでは無いのだ。
 この俺達の苦しみを、思い知れ、稲垣!
 
 
 そう、俺は稲垣に思い知らせたかったんだ、この苦しみを。
 
 あいつを謝らせたところで、なにも返ってきはしない。
 あいつが自らの非を詫び土下座する姿など、唾を吐きかけてやるだけの価値すらも無い。
 仮に稲垣の悪行が世間に暴露され、そして俺や家族の名誉が回復される動きがでようとも、
 このボロボロに傷ついた名誉と心が真に以前の姿を取り戻す事は無いのだ。
 そして俺達がこの深い苦しみと悲しみと怒りを経験したことは、決して無かったことにはならないのだ。
 あいつに、復讐する。絶対に、許さない。赦さない。
 そして、俺はようやく気付いた。
 あいつを地獄送りにすることにはなんの抵抗も無い。
 だが、その代わりに俺が地獄に堕ちるとなると、それはとても恐ろしく嫌なことのように感じたのだ。
 なぜ俺が、あんなゴミのために地獄に堕ちなければならんのだ。
 俺がこれ以上あいつのために苦しむ必要なんて無いはずだろう。
 
 『そんなことをしても、お前が馬鹿をみるだけだぞ。』
 俺は、自分の間違いに気付いた。
 
 
 
 ◆◆◆
 
 『お前の気持ちはわかるが、そのエネルギーは自分に使え。
  怒りってのは生きていくのに結構役に立つもんだ。思い直せ。』
 
 勘違いをしていた。
 俺はもっと俺や家族のことを考えなければいけなかったんだ。
 俺達のこれからの生活と、そして幸せを。
 そうだな、まったくどうかしてたよ。
 
 それを見ないでいる復讐など、ただの子供の喧嘩にしか過ぎない。
 
 するのならば、俺は俺のすべてをかけて復讐しなければならない。
 俺が今まで失ったもの、これから失っていくもの、そしてこれから俺が得ることができるもの、
 それらをすべて理解し実感し、そしてその重みを以て復讐せねばならんのだ。
 俺達の恨みを、思い知れ、板垣!
 そう、俺の心得違いだったんだ。
 この復讐はあのゴミのためにしてる訳じゃない。
 これは俺自身の問題なんだ。
 だから俺は俺の背負うものの重みと深さとそしてそれらの計り知れなさと対峙して、
 そして圧倒的な憎しみを以て奴を地獄に送るのだ。
 その結実として俺の地獄行きが決するのなら、それは逆にいっそ華々しくていいくらいだ。
 腹の底まで真っ黒な怨念に染めた凶悪な復讐者として認められれば、それで結構だ。
 なにを恐れることがあるか。
 こんなに目の前にはっきりと恐怖があるじゃないか。
 たとえその由来がどんなものであろうと、それが確として目の前にあるのだから、それに打ち勝つことは
 可能なのだ。
 それを見ないで幸せに逃げ込んでいては、その恐怖はいつまでも克服できない手つかずのまま。
 巫山戯るな! 誰がそれをゆるしたままにしておくか!!
 復讐はなにも生まない?
 ああそうだ、そんなことは当たり前だ。
 
 で、だから?
 
 復讐なんてやめて、奴に謝罪させて名誉を回復してこれからの人生に幸せを生み出していけと?
 ああそうだな、俺にはそういう人生が有り得るんだもんな。
 
 で、だから?
 
 その人生の重みと大切さを噛みしめれば噛みしめるほど、俺は復讐に対する自信を失い、
 そして。
 その失い始めた自信がさらに失っていくものがあるのを、俺はもう決して許さない。
 復讐をしても得るものは何も無い。
 だが復讐を諦めて幸せを求めても、決して失ったものは戻ってこない。
 もう、それは、どんなことをしてもしなくても、戻ってはこないのだ。
 
 『あんたにだって家族はあるだろう? わかるはずだ。』
 
 くたばれ、稲垣。
 
 
 
 
 俺達の苦しみと悲しみを思い知り、そしてそれを抱いて目前の恐怖を怨みながら地獄へ堕ちろ。
 
 
 
                                ◆ 『』内文章、アニメ「地獄少女」より引用 ◆
 
 

 

-- 051212--                    

 

         

                                 ■■愛と自由のお話 ■■

     
 
 
 
 
 最近、愛が無いとは思いませんか?
 
 なにを今更というようなことを仰ってはいけません。
 嘘でも真でも話半分でも涙涙で切々と語ったことなど、それこそ思い出すだに恥ずかしいほどに、
 その覚えがいくらでも御座います。
 本当に涙の海で溺れたいというのがまさに言葉通りである通り、溺死したいほどで御座います。
 既に読み手も書き手も話しが見えてこないという感慨を抱いていることだとは思われますが、
 つまりこの頃の紅い瞳のアニメの感想の書きようと言ったら、
 冷たい、のひと言に尽きるとは思われませんでしょうか?
 少なくとも私は思いました。大いに思いました。冷たい。
 なんというのでしょう、ただ書いているだけ、考えているだけなので御座います。
 全然まったく感極まった言葉が見あたらないので御座います。
 そしてその言葉の不在が紅い瞳が今涙を流してアニメを見てはいないことをなによりも証しているのです。
 ええ、そうなので御座います。最近アニメ見て泣いていません。全然。枯れてます。
 もっとこう情に訴えるような言葉がどどーんと出てこないと、それはもう読み返して涙するなど無理な話。
 いえいえ、言葉が出る出ない云々以前に、なぜ紅い瞳は涙していないのでしょう。
 答えは簡単です。
 別に泣きたい気分じゃないし。
 ていうか、別に泣き上戸でも泣きたがり屋さんでも無いんで、わざわざ泣く必要ないし。
 ・・・・・。
 えっと、ちょっとお待ちください。方針変更してきます。
 
 (間)
 
 ええと、そうですね、なにから語ればいいのでしょうかね。
 なんだかPC立ち上げる前は色々書こうと盛り上がっていたのですけれど、なぜかこういざ書き出すと
 へなへなへなと頭の中が萎れていってしまって、えっと、どうしましょう。
 えっと、その、はい、決めました。こう言いましょう。
 最近感想を書いているアニメを紅い瞳はどう感じているのか。
 そうで御座いますね、私はまず非常に面白く感じていますね。
 それはどっちかと言うと、わーっと感情的にのめり込んで、そして自分の期待していた言葉、
 或いはその系譜をなぞりながらもそれを一歩飛び越えたものを提示されて驚き泣き出してしまう、という
 ちょっとアレな状態では無いです。アレとはアレです。アレでナンでして。
 例えばそういう感じの作品は、カレイドスターやフルバ、すてプリなどで御座いましょうか。
 一生懸命考えて、そしてその考え出したものと見つめているものを照らし合わせて、
 その結果さらに導き出される考えの彩りには既に潤いがあって、
 そしてその潤いを純粋に言葉に換えて書いてしまうんですよね。
 ですから得てしてその類のものを書くときは言葉は平易な場合が多く、
 かつあとから読み返した場合に、綺麗にその潤いが浸みだしてくるものでもあるのです。
 泣ける、というのは私の場合別に話に感動したとか、そういうのは全然無くて、
 ただ自分がひねり出したその潤いに満ちた言葉が在る、というその状態そのものなので御座います。
 幾重にも広がる言葉の可能性の深さに、それにずっしりと響き覆い被さってくる湿った重さが備わったとき、
 私は綺麗に(傍目には醜く 笑)涙することができるのです。
 平たく言えば、涙は目的では無く、ただなるべくしてなった結果なのです。(平たくなるというか違うと思う)
 まぁ、いいです、そっちのお話は。次。
 それで、今みているトロイメントだとか地獄少女だとか蟲師はと言いますと、そうでは無くて。
 純粋に、と言っては語弊があるかもしれませんけれども、純粋に知的好奇心を以てそれらの作品とは
 お付き合いさせて頂いているので御座います。
 無論涙することはありますけれども、それを上回る勢いで、これは一体どういうことなのだろうかと考え、
 そしてその末に見えてきた答えらしきものの輪郭を見つけると、そのまますごいなぁと感心してしまうのです。
 感心、では涙は流れないので御座います。
 感動、して涙は流れるので御座います。
 ではなぜ感心と感動というふたつに分かれてしまうのかと言いますと、話は簡単で御座いますけれど、
 というか簡単すぎて却って嘘っぽいですけれど、というか嘘ですけれど(落ち着け)、
 要するに大元にあるのは実は両方とも知的好奇心ではあるのですけれど、
 それは感動の場合には既にその好奇心になにか渇望めいたものが混ざっている、
 そのような不純(?)なものなのです。
 つまりそのお話に知的(というのもヘンですが)なもの以外のなにかを強く同時に求めているのです。
 そしてそれが満たされていくことで感動するのです。ですよね、たぶん。違うかな。違うね。(ぉぃ)
 感心の場合は逆に純粋(?)に好奇心を以てお話を知的(なんか私が言うとほんと嘘臭い)に理解し、
 そしてただおおーと感心するのですね。ですよね。たぶ(以下略)
 
 そういうことになる訳で御座いますから、トロイメントや地獄少女や蟲師は、私がどれだけをそれを理解し
 さらにそれを発展変化させていくことができるか、というように私に見られているので御座います。
 正直、この3作はそれぞれ全く違う形でその私の知的(面倒なのでツッコミ無し)好奇心を満たし、
 そしてさらなる奥深さをその中に感じさせてくれるものであるように見受けられ、
 今、大変楽しい時間を過ごさせて貰っているので御座います。
 地獄少女は寓話としての体裁をその中に走る亀裂から生じる禍々しさを以て綺麗に整え、
 さらにそれをすら七変万化させることで徐々にすべてを同一の元に帰す離れ業を示し始めており、
 これからの「お話」の進みようとその変化の度合いと有様に期待するところ大であるので御座います。
 トロイメントはなかなかどうしてキャラクターの魅力そのものの力が強く、その深みに嵌りつつも
 それを包んで有り余るなにかきょだいなものをしっかりと横目で正視することを可能にできるかどうかを、
 きっちりと視聴者(と感想の書き手)に試しており、そしてその試練を乗り越えようとするその途上に
 無造作に既にそのすべてを使ってなにかを象徴しようというエネルギーを横たわらせていて、
 結局のところ私達はそのキャラクターの魅力ですらその象徴の中に填め込むことをしないではいられない、
 そういった切実極まる、ある意味で残酷な脅迫を与えてくれる作品で御座いますゆえ、
 その脅迫を如何に挑戦という形で捉えそれにどう応え、そしてその私の示したものに一体どんな返礼を
 してくれるのか楽しみで楽しみで、そして既に楽しくて堪らない作品なので御座います。
 蟲師 はもはや、凄い、という言葉を第一に持ってこなくてはならない作品です。
 そしてその凄いという言葉に余計な言葉を飾り付けて説明していくより他は御座いません。
 私の知っている言葉を使って、私の知らない事を説明する。
 私の知らない感情を、私の知っている感情を使って肉付けしていく。
 その齟齬の生み出す無限の可能性としての余地が、圧倒的な勢いを以て眼前に迫ってきたとき、
 あなたはどうなさいますか?
 自分にはこれだけしか理解できない、自分ではこういう風な理解の仕方しかできないと、
 そういう事自体が既に例えようも無いほどの言い訳としての自我を獲得してしまい、
 もはや逃げることに逃げ込むことすら恥ずかしいやら情けないやら腹立たしいやらでできず、
 ただ無力な自分のままきっとその圧倒的なものを見据える、一段抜けたその恐怖。
 でも、その恐怖が尋常でないほどの快感を与えてくれるのを、その圧倒的な勢いの中に感じてしまう。
 おそらく蟲師 に向き合っているときの私の感情は、そういうものであると思うので御座います。
 
 はぁ、疲れました。何時ですか今。
 いやいや、時計はみないことにしましょう、見てがっかりするだけ損です。
 実は下記の蟲師 の感想を先に書いていたので、実質ここを書いている今がリアルです。(日本語ヘン)
 ということで、もういいです。疲れた、眠い、お休みなさい。
 
 えっと、ごめんなさい。 (←良心的になにか咎めるものがあったらしい 例えばタイトルとか
 
 
 ◆ ◆
 
 ■「蟲師」 第七話 :雨がくる虹がたつ
 
 ・降りしきる雨の音が耳に心地良いという改めてな感覚。しとしと、という擬音がよく合っている。
 ・広い野原の中で雨宿りする三人の人間。その広大さと奥深さと突き抜けていく静けさ。
  ただそこに三人の会話だけが雨に彩られてあることのささやかなその静寂。
 ・虹を追う男の話が、その中から始まる。
 ・味噌汁の椀が手から転げ落ちて散らかっていく音が生々しい。雨の訪れにみるみるうちに反応を示し始
  める父親のその始動の日常感。
 ・橋大工としての地位を村の中に得ていながらのその奇行が、その一家をしっかりと揺るがせにしていなが
  ら、しかし当の父親と次男であるその男だけはただ在るがままのように、当たり前のようなあっけらからん
  とした申し訳無さと共にそれを愉しんでいる愛嬌の良さがある。残された家族の地獄とその親子の天国
  と。
 ・虹が立っている、という当たり前な不思議さ。触りたい。見てみたい。もう一度。また一度。
 ・その父親の想いを具現化するようにして、虹はそれからも父親にだけその姿を愉しませた。
  しかしその虹が尽きたときの苦しみなど想像だにしない刹那の愉しみ。
 ・そしてひっそりと当然のように訪れたその虹との別れ。恋しくて、恋しくて、あの愉しみを思い出に留めよう
  とするたびにその恋慕は深まっていく。忘れるしか無いと思うにはそれはあまりに美しすぎた。
 ・橋を架けるという目的を得、それに充足している自分を強く感じていながら、その裏で架けても架けても
  流される終わることの無いその目的の繰り返しにひっそりと飽いていた。そしてその飽きはやがて畏れへと
  転変し、それからの逃避を綺麗に押し隠してのその虹への恋を募らせていった。逃げるために恋する前
  に恋することで逃げているものと逃げている自分の姿を見ずに済んでいた。恋は盲目、目の前の恋しい
  虹しか目に入らない。
 ・虹を追う男の話が終わり、そしてまた、始まる。
 ・ギンコが淡々とその虹は実在する事を説明していく。どんどんと形而下のものとして収まっていくその虹の
  感触に手応えを感じながら、そして少しずつ体の中に穴があいていくの感じる男。なんだ、虹は居るん
  だ。
 ・しかしそれとはなんの関係も無く、男は虹を追う。男は未だ、その虹の美しさを知らないゆえに。
  百聞は一見に如かず、見るまでそれは実在しない。まだ、いける。そして、まだ終わらないのか。
 ・男の名は、虹郎。虹を探しては徘徊する父親を常に背負う名前。
 ・男の話の中の話が始まる。男は村の中に父親の側以外に居場所が無くなったゆえに村を出てきたと。
  父親の話を証明するための虹を見つけるために。
 ・だが語り手の男はその登場人物に負け犬という属性を付加する。それで話の中の話は完成。
 ・ギンコはそれを暴く。その男が虹を追わねばならなかった理由を、貶す。虹があることが男に虹を追わせ
  たのでは無いと。男が追うから虹はそこに在り続けるのだと。虹を追わねばならなかった理由は、男が負
  け犬であったからにあるのでは無い。男が自分を負け犬という言葉で語り済まそうとしている事にある
  と。
 ・村から逃げ出したあとは、自分で生きる目的を見つけなくてはならず、それが虹を追うことだったと男は
  いう。それをギンコは鼻で笑う。生きるのが目的で生きることを見ずに、ただ目的目指して逃げ回るのは
  不毛だと嗤う。きっとその目的に辿り着いたときお前はそれにすぐに飽き、そしてまた目的を探してそこ
  から逃げだし、そしてまた新たな目的に逃げ込むのだろう、と嘲笑う。
 ・目的など余暇にしか過ぎない。それは目的の中に生きている者にとっても同じはず。ただ目的を目指す
  者にとっては違うことであるが。生きるために余暇は切実に必要なものであり、それと同じ階層において
  目的もまた初めて必要なものとなる。生きている、という事から目を逸らし目の前の目的に目を囚われ
  れば、その目は盲いていく。生に根をおろし、そして旅を生きているギンコ。旅こそ目的という生。
 ・心構えの問題だ、という男の言葉に、なんだそりゃと返すギンコ。
 ・虹を追うことで、自分がなにも「目的」を見つけることができないでいる劣等感と罪悪感と後ろめたさを
  紛らわすために自虐を続けている男。その目的を見つけなければならないものとして捉えている限り、
  男はずっと不毛で醜いその自虐を続ける愉しみの中にしか生きられない。
 ・わかっている、というその男の苛立ちが、それでも虹を見つける目的だけは済ませておきたいという切実
  感を生み出す。
 ・そしてその男が語った話が上書きした偽物の切実感の下から、本物の切実に満ち満ちた渇望が湧き
  出してくる。
 ・「雨がくる・・・・・雨がくる雨がくる・・・・・・・・・・・・・・・虹がたつ」
 ・虹を追う父親の話を自分の名に染み込ませ、大事に生きてきた。そして虹を追ううちにいつしかその名
  は男の本質となっていた。虹を追う父に虹郎と名付けられた子から、虹を追う男、虹郎へ。
 ・おかしな名前を付けられ、村の他の子供に馬鹿にされ、それを感じた父に新しい名を勧められる。
  自分の名前が真におかしいものであると父に肉付けをされてしまった悲しみ。父から貰った美しい名前
  を父だけはおかしいと思ってはいけないのに。ただただ悲しくて、悔しかった。
  親父・・・俺は・・・この名前好きなんだよ・・・
  そして、その悲しみと悔しさを隠れ蓑にして、立派な橋大工になることと虹という二重の目的を探す逃
  避行の正当性を自らに付加する。不毛だな、というギンコの言葉が心に刺さる。
 ・その自分の心に刺さった言葉を使用して、男は「虹を追う男」としての実感に生き始める。
  お話はもう沢山だ、俺はただ虹を追うだけなんだ。激しく強くなによりも愛しい想いで。
 ・虹を目の前にした男の驚きとその激走に命の輝きを感じてみる。
 ・その圧倒的な美しさだけに生きる男。親父が言っていたことは本当だった・・
 ・ばかやろうが、と今にもその生に入ろうとした男をギンコは引きずりだす。
 ・お前、余暇も生きるために切実に必要なもんだと言ったろうがっ!
 ・目的の中に生きていても、その中だけに入り込む生はそれ以外のものをすべて失わせてしまう。
  もしそれ以外のものは本当にどうでも良いと思うのならよし、思わぬなら入り込まぬことだ。
  そして入り込んだとしても、結局はその美しさから汚物として消去されてしまうのがオチ。
  人間は美しさの中だけで生きられるほど美しくは無いのだから。美しさを含む巨大な醜い生が、人間の
  足下にはずっと広がっている。
 ・その触ることのできる決して触れてはならぬ虹、虹蛇は生きている。生きていながら、ただそこに在るだけ
  の現象そのものでもある。ただの自然現象であるゆえに触れぬはずのものが、それは生きているゆえに
  触ることができ、そして触れれば取憑かれ、そして取り殺されてしまう。
 ・「発生する理由はあれど目的は無い。ただ流れるためだけに生じ、なにからも干渉を受けず、影響だけ
   を及ぼし、去っていく。そういう蟲は触れれば取憑く。」
 ・ただそこに在る目的を見つめ続け、それを欲しいと願い、それを手に入れようとすればそれは取憑いて
  欲しかったものを決して与えること無く自滅だけを与えて去っていく。
  それは欲して得られるものでなく、ただその中で生きるべきもの。
  自然現象を手に入れようとしてもそれは手に入れることはできない。
  できるのはただ、その現象の中で生きていくことだけ。
  そしてその生の中に目的という余暇をみつけ、生きていく。
 ・虹に取憑かれた父親の話に取憑かれた男の話が、ようやく終わった。
 ・長い長いお話が命を持って目の前に現われたのを見て、なにをかいわんかや。
  そりゃお前、コレはコレを既に生きてるんだから、俺の自由にはならんだろ。
 ・そして虹の話の呪縛が凛と空に向かって立ち上っていくのを眺めながら、それで得た自らの自由な生の
  流れるままに、男は村に還りそしてただ流れる生きた橋を架けた。
 ・流れ橋という名の橋を架けたひとりの男の美しい話が、終わった。
 
 
 
 すごく、すごく、綺麗でした。
 
 
 

 

-- 051210--                    

 

         

                                  ■■薔薇双愛 2 ■■

     
 
 
 
 
 『お父様について覚えていることは、ほとんど無いの。
  ただ、私を包み込んでくれる優しさ、暖かさ、すべてのものから護ってくれるベール、
  肌を通して伝わってくる想い、温もり、安らぎの視線。
  なにもなくても、すべてはそこにある。』
 

                       〜ローゼンメイデントロイメント・第8話・真紅の言葉より〜

 
 
 
 
 
 
 
 遥か彼方より生き永らえるその真紅の蔦の指先が輝かしく咲き誇る。
 緩やかに拍動を続け落ち往く花弁が積もるその頂きの上に芽吹く紅い薔薇。
 黒く霞む空の気配に照らされ吐息の一欠片すら洩れ出す事の無き密室を築く蒼い檻。
 純潔を保つ心懸けに祈りを吸い込み瞬き続ける星空を見上げ踊り安んじる緑の寝台。
 凄艶な静寂を拾い集め固めた朝日の手前で枯れ尽きた瓦礫をかざす雅な苺の生る闇。
 
 
 暖かく濡れた月光が差すこの場所で立ち止まりながら汗ばむ掌を開放する時間の連続。
 その連続が途切れる事の無い平安に心ときめかす事の内に、涙が無いことを確認する。
 それは果たして涙が枯れているのか、それとも涙を流すに値する心が無いのか、それがわからないことに
 思い詰めているだけでは、決して涙を見つけることはできなかった。
 涙を見つける事に意味がある訳では無いと考えたのは、どうしてなのだろう。
 なぜ、涙というものそのものを見つめ考えることをしなかったのだろう。
 涙の意味をその乾いた顔の中に見つけようとしても、それはまるでただの時間稼ぎ。
 涙を流して、涙に溺れて、泣いて、泣いて、それで初めてそれがどういう事なのかを知る。
 涙を流す者と、涙を流さない者の涙の意味は、もはや同じものをまるで含まない異物。
 それは、かつて涙を流したことのある者の涙と、今涙している者の涙との間に介在する違和と同じ。
 この空に立ち込めているものを見上げている。
 この黄金のぬくもりを、今この場で感じているのは、誰?
 
 その誰かの話を、しなくてはならない。
 
 
 

◆ ◆

 



 
 『しかし、想いは同じ。すべては等しい。
 
  人形に籠もる想いは等しく同じ。
 
  愛情を注ぐ限り生き続ける。
 
  愛情が無くなってしまったら、居なくなってしまう。
 
  迷子になってしまう。どの子も・・・』
 



 

◆ ◆

 
 
 ◆ ◆ ◆ ◆
 
 冷たい肌を伝う暖かい光が、体の冷たさと、その冷たさを感じることで得るその光の暖かさとを確信させ、
 そしてその確信に揺られ続け震え続けることで、しんしんとぬくもりでこの体を満たしていく。
 空を覆う無限のその黄金の光が、猛然と吹雪いていく中で、ただずっと立ち止まっていた。
 悠然と、呆然と、空を見上げる首筋に籠もる力だけに集中して、そして絶え間なく光を見つめていた。
 ひどく、恐ろしいのよ、こういうのは。
 あまりにも真っ直ぐに私の耳元で囁いていくその光達の言葉の意味を、真に理解してそのまま綺麗に
 受け取ることでこの冷たい体を満たすことができているのは、私だけなのじゃないか、と。
 
 私はね。
 とてもとても、柔らかく穏やかなままに広がっている自分の笑顔に逞しさを強く覚え、そしてその強い確信
 を体の隅々までに行き渡らせることで、今までに倍する深さと広さを以て、その黄金を感じていくことが
 できるようになっていったの。
 私の努力というのは、たぶんあまりなかった事だと思うの。
 姉妹達がこうして争うことも無く平和に静かに楽しく暮らしていく事ができるということのなかに、一体どれ
 だけ私の力が作用していたかなんて、それこそ本当にわからないことだし、そしてそこに私の力があったとし
 て得られる達成感という名の充実を得る気がまるで無かったゆえに、それは無かったに等しいことではあ
 ったと思うのよ。
 この今の優しい状況を私が創り出したかどうかなんて本当にどうでも良く、ただそれを私や他の子達が
 受け取ることができたことそれ自体が、それはもうどうしようもないくらいに大切なことだったの。
 ほら、みて。
 このあまりにも暖かい黄金の空を。
 こうして笑い合いながら幸せに居られることの喜びをこの空に感謝して、そして私達の笑顔を以て報いた
 い、だなんて言ったらそれは筋違いかもしれないけれど、でも私達はそう心懸けることで、この空のぬくもり
 に照らされて幸せに満たされていく自分達を肯定していける。
 その肯定こそが、私達が最も重要視して、そしてなによりもそれに励むべき事なのだと思うわ。 
 その空で輝く光によって満たされていくことを肯定する事がどういうことか、その空で輝く光によって私達が
 満たされていくことがどういうことか、そしてその空で輝く光が在ることがどういうことであるのか、それをすべ
 て心往くまで考え、そしてその思考がもたらした答えを抱きしめて感じて、そこまではしっかりとやってこそ、
 その最後の、そしてすべての肯定の重みは千金に値するようになる。
 いいえ、違うわね。
 私達はもう、そんなことをいちいち考えるまでも無く、既にそれは達成しているのよ。
 雛苺をご覧なさい。
 あの子、お父様の事やアリスゲームの事なんてほとんど忘れて、難しいことも全然考えず、ただもう目一
 杯の笑顔で毎日を楽しんでいるだけよ。
 まったく時々本当にしようの無い子ねと思うことがあるけれど、でもあの子の笑顔をみていると、ふと私達
 はもう充分これで良いのではないかしらと、図らずも想えてしまうのよ。
 想う、というよりどうしようも無く感じてしまうという方が正しいかもしれないわね。
 雛苺のあの笑顔をもし否定する言葉があったとして、私は果たしてその言葉に頷けるかどうかもはや疑問
 だわ。
 あの雛苺の笑顔を消すに値する言葉があるなんて、私には到底考えられないし、またたとえその言葉が
 あったとしても、私は絶対にそれを抱きしめることなんてできないと思うのよ。
 なぜって。
 だって、私もまた、雛苺と同じく、お父様のことをほとんど覚えていないのだもの。
 
 
 『大切なのは姿ではなく、存在そのもの。』
 
 あの眩しいほどに遠い空から落ちてきたこの体。
 絶えずその生まれた高みを見上げて、そして与えられるその暖かい光を受け取り生きている。
 私にとって、お父様はその空で輝く光そのもの。
 お父様という存在そのものが、私達には多くのものを与えてくれる。
 それは嬉しいものだけじゃなく、辛いものも、たくさんよ。
 でも私にとっては、それは皆等しくお父様がお与えくださったものとして受け取れるものなの。
 辛く苦しいものでも、そのどれもが私には有り難くこの上無く大事なもの。
 いいこと?
 私達には、お父様という存在そのものすら与えられているのだわ。
 お父様の苦しみ、悲しみ、そしてその笑顔すらも私達に与えられている。
 それゆえにそれらをどう受け取ろうと、それは私達の勝手でもあるし、そして受け取った以上、それは
 自らの責任を持って受け取っていかなくてはいけないものなの。
 私達にはもうお父様の存在というのが絶対として目の前にあるのだから、それからたとえ逃げようとしたって
 それから逃げている自分という意識を負う事からは逃れられないの。
 だからお父様の存在から逃げずに向き合うも、それから逃げようとして逃避者としての自意識を抱きしめ
 るも、それは私達の自由なの。
 そのいずれにも、等しくお父様は降り注いでくださる。
 ただただ無慈悲で愛に満ちた、たったひとつの変わらぬ光として。
 私達は、その変わらず舞い降りてくる光達をどう抱きしめていくのかという戦いの中を生きていく。
 そしてその光さざめく戦禍の中で生死を共にするに足る新しい光をこの体の中に生み出していく。
 父なる光を受けて生まれる子なる光を私に満たしながら。
 
 私がどんなに私を責め苛もうとも、私がローゼンメイデンであることは変わらない。
 私がどんなに嘆き悲しもうと、私がアリスになれないでいることでお父様を悲しませることも変わらない。
 その責難と悲嘆を生み出し感じているのが、それが紛れも無く私であるということに、長い間私は気付か
 なかった。
 そして気付かなかった故に、それを解消するために、アリスになろうとしていた。
 お父様を悲しませたくないゆえに、お父様の笑顔をみたいがゆえに。
 そこに、お父様に愛された私は居なかったわ。
 そこには、私の愛するお父様しか居なかったわ。
 ひとつ、ひとつ、バラバラにして交差することも共に在ることも有り得なかった、その孤独なふたつの愛。
 お父様のお姿を、みることはできないもの。
 だから私達は常にこのお父様に愛された私達を自分達で創っていかなくてはいけないのよ。
 私達がお父様に愛を注ぎ込む限り、お父様の存在は永遠に在り続ける。
 それは、お父様が私達に光に満ちた愛を注ぎ続けてくださっているゆえに私達が在るということと繋がって
 いるの。
 双つに繋がる愛の存在。
 私はそれを感じるたびに、お父様のお姿をますます見失い、そしてなによりも強くお父様の存在を感じる
 ことができるわ。
 それは限りなく私達に愛を注いでくださるお父様の存在、いいえ、もはやそれはお父様の愛を抱きしめて
 輝く私達の笑顔そのものであると言えるわね。
 そしてその私達の笑顔を消し去ろうとするとき、きっとお父様のお姿が強くはっきりと見えてしまうのよ。
 ええ、そうね。
 私達はそのとき、そのお父様の恐ろしい幻影と向き合わなくてはならないわ。
 みようとするより、みないでいるほうが難しい。
 でも。
 そのみようとすることの簡易さと、みないでいることの艱難さを越えてその幻をもまた抱きしめ、そしてこの
 冷たい体でそれを暖めてあげることが、それが私達にとって換わり得ない唯一にして至高の使命なの。
 そして。
 そのお父様の幻を暖めて差し上げるには、そのためには。
 
 
 なによりも私達が暖かく笑うことができなくてはならない。
 
 
 その笑顔が空の上の暖かい光を作るのか、それともその光がこの空の下の暖かい笑顔を作るのか、
 それは私にはわからないわ。
 でも、少なくとも私達が幸せのうちにその笑顔を広げることができなければ、そのなにものにも代え難い光
 はどこにも存在していることは無いということは、逃れがたいほどに、絶対的に、わかっているわ。
 そして、その圧倒的な確信が、さらにひとつのことを私に教えてくれた。
 私達は、その笑顔を自分で作ることができる、と。
 お父様を、そしてその光の力をどうやって受け取っていくのかの試行すら、私達には可能なの。
 こんなに、嬉しいことは、ないわ。
 だって。
 だから、だからより強く、お父様を愛することができるのだもの。
 お父様を愛しお父様に愛されて、その確信のうちにお父様の存在と、そして。
 そして私の存在を強く、強く、感じるわ。
 この双つの愛が、私とお父様を護り、そしてやがて幸福への道筋へと至っていく。
 
 
 
 
 
 
 いいこと? 蒼星石。
 お父様は既に、遥か昔からずっとずっと私達に愛を注ぎ込み続けてくださっているわ。
 あなたは、それで、どうするの?
 
 
 『嫌です! 蒼星石がどう思おうが、真紅がなにを言おうが、知ったこっちゃないですぅ!
  双子の姉としての命令です! 私と離れることは、絶対許さないですぅ!!』
 
 
 そうね、翠星石。すまなかったわ。
 私達はもう、充分幸せを知っているのだったわね。
 それを無視した上で組上げられるあらゆる言葉、感情、想いを力強く否定しなくては、私達はその幸せ
 を見失ってしまうのよね。
 その幸せを否定することに逃げては駄目。
 その幸せを負って生きていかなくては、私達はすべてを否定することになってしまうわ。
 そして、だから。
 
 
 
 
 
 お父様が今感じていらっしゃる幸せを、私達が無視することはもうできないわ。
 
 
 
 
                       ◆ 『』内文章、アニメ「ローゼンメイデントロイメント」より引用 ◆
 

 

-- 051209--                    

 

         

                                    ■■薔薇双愛■■

     
 
 
 
 
 『ボク達は、完璧を求められたドール。アリスを目指して届かなかった、ローゼンメイデン。
  ボクはドールとして、お父様の願いを叶えたい。』
 

                       〜ローゼンメイデントロイメント・第8話・蒼星石の言葉より〜

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 泣き濡れた夜が止まっている。
 呆然と前を見上げて沈思するままに、瞑目する。
 待つことができない不思議。
 ただ止まっているだけで、其れは目の前を通り過ぎて悲しい笑顔を残し消えていく。
 手を、伸ばした。
 あてどなく、ただ夜空に向かって、手を。
 その手と其れとの儚い距離に、ようやく涙して。
 何処に、居るの?
 
 
 
 
 背の向うから差す月光が創る黒い影を見ていた。
 その無形の影をどうしたら形あるものにできるのか模索して。
 そのための標になるものはないかと、目の前を通り過ぎていこうとする者の影さえ見つめていた。
 その凝視の中に、遂にその完璧な影の造形を見つけることはできなかった。
 影は、どこまでいっても、影。
 黒く、黒く、爛れていくだけの、体。
 
 項垂れて、ただその姿勢の維持に努める先にあるもの。
 悪いのは誰か。
 それは自分だと思うことの苦衷と安楽がよぎっていくのを、ただみていた。
 それを恨めしいと瞳に力を込めて訴える自身の仕草そのものが、どうしても本気にしかみえない。
 笑いたくなるほど道化じみたその仕草が、その重みにしっかりと捕まっているこの体を映し出している。
 なにをすればいいのかあまりにも明白で、そしていつもそれに狼狽えるだけ。
 きっちりとその白日の下に晒されている滑稽な自分の姿を遂行すれば、それでいいのか。
 その疑問を延々と繋いで、ただずっと項垂れている。
 ほんとうに、自嘲すらできない憎しみというものがあると、ようやく知った。
 
 
 
 ◆
 
 死にかけの人間が目の前にいる。
 それをみてなにかを感じている私が憎くて憎くて殺してやりたくなるわ。
 なんでこんな人間を私になぞらえて、そんなに素直にみているのよ。
 この勝手に動いていく感情をどうにかなさいよ。
 窓辺に立って見下ろしたその人間の死が、どうしようも無いくらいに迫ってくる。
 私のせいじゃない。それは私じゃない。私はジャンクなんかじゃない!
 その私の言葉を遥かに凌駕する震動の掻き鳴らす鼓動が絶叫する。
 死にたくない。私は私。私はジャンクでも生きていたい!!
 そして。
 とても恐ろしいことを思いついた。さも当然のように。
 
 この私に等しい人間を完璧にして、私は私のために完璧になりたい、と。
 
 私の背の向うでは、お父様のお姿が、夜のすべてと等しく輝いていた。
 
 
 
 

×

 
 
 
 
 ◆・・・・・・◆
 
 するするとね、それは消えていったんだ。
 今まであんなにはっきりと目に見えていたものが、あと僅かの粒子を残して消えていくんだ。
 なんのために生まれてきたのか、なんてことはわからない。
 でも、なんのために生きるのか、わかっている。
 ボクを生み出してくれたことに対する感謝のため?
 それはちょっと違う。
 ボクは、ボクだ。
 だからそれを作ってくれたことには感謝しているけど、そのために生きるなんてことはしないし、
 またそんな事のために生きられたのじゃ、ボクを作ってくださったお父様にも失礼なんだ。
 ボクは、お父様の願いを叶えて差し上げたい、ただそれだけなんだ。
 そのために生きたいと、ただ勝手に思っている訳だし、それがボクにとって一番嬉しいことだったから。
 ボク達がアリスになれれば、アリスを作りたかったお父様の願いを叶えて差し上げられる。
 そして逆に、ボク達がアリスになれなければ、お父様は悲しむ。
 
 それを無視してある今の平和を、ボクは許さない。
 
 どうしてみんな、平気でいられるんだ。
 ボク達が安穏としていられるうちに、お父様は悲しみ苦しみ嘆いていらっしゃるんだ。
 ボク達は人形だ。
 人形とは、誰かの願いを受け入れて、そのぬくもりを糧にして生きていける存在なんだ。
 そしてその生きる存在としての人形のボクを越えて、
 ボクはそれを口実にしてお父様の願いを叶えて差し上げるボクになったんだ。
 お父様を喜ばせたい。お父様を悲しませたくない。
 ただそのとてつもなく暖かい感情を胸に、生きていくんだ。
 ボク達はお父様に愛されてる。
 ボク達はそれを感じる事ができ、そしてそれを糧にして生きていくことができるんだ。
 だから・・・・ボクもまた・・・お父様を愛したい・・・・
 それなのにボク達は、お父様を悲しませ苦しませることに荷担してる。
 いや、違う。
 ほんとうは、お父様の苦しみはすべてボク達がアリスにならない事で生まれているんだ。
 ボク達のこの体は、ボク達だけのものじゃない。
 アリスでないボクが居ること、それ自体がお父様の苦しみになっているんだ。
 ボク達はだから、お父様の愛と、そしてその苦しみの上に生きている。
 ローゼンメイデン。
 それはお父様、つまりローゼンがすべてを賭けて創り上げてきた人形。
 最高のアリスを目指して命を削り魂を溶かし愛を注ぎ尽してきたその長い創作と苦悩の年月。
 ボク達は、それをずっと、見てきた。
 まだ命を吹き込まれていない、蒼星石の名すらない部品の集合体でしかなかった頃から、ボクは。
 
 ボクは、お父様のその姿を見つめ続けてきた。
 
 苦しかった。悲しかった。辛かった。
 そして、どうしても、お父様にアリスになったローゼンメイデンを魅せて差し上げたかった。
 幸か不幸か、ボク達はその当のローゼンメイデンだった。
 だから、ボク達次第で、そのボクの願いは叶えられるんだよ。
 ボク達がアリスゲームを勝ち抜き、ローザミスティカをすべて集めれば、それでお父様にアリスと、笑顔を。
 でも。
 ボク達がローゼンメイデンである以上、そのお父様の笑顔はボク達にしか創れないものでもある。
 ボク達が戦いアリスを選び出さなければ、お父様はだからずっと続く苦しみの中。
 ボクは、知っている。
 それはこういうことだと。
 
 ボク達が、お父様がご自身でアリスを作り出せるただひとつの絶好の機会を奪っている、と。
 
 アリスドールというボク達の存在自体が、お父様を傍観者としての存在に閉じ込めてしまった。
 お父様はただ、必死な想いでボク達アリスドールをみている。
 アリスをこの世に生み出す資格を持っている、その唯一の存在であるアリスドールに、
 自分が持っていたはずのその資格を奪われていながら、それを決して憎む事なく見つめているお父様。
 ああ・・・・真紅・・・・お父様が祈っていらっしゃる・・・・・
 お父様の願いを叶えて差し上げられるのは、もう本当にボク達だけなんだよ。
 きっともう、お父様にもそれはできないことなんだよ・・・・
 本当のほんとうにどうしようも無くなって、
 そして最後の希望をローゼンメイデンに託してボク達を生み出したんだよ。
 それは言葉では言い表せないくらいに不安で、そして恨めしいことだったと思う。
 自分ではどうしても創れなかったアリス。でもどうしても創りたかったアリス。
 ううん、そんなものじゃない。
 お父様にとっては、アリスとはお父様のすべてで、アリスを創ることを目指す事そのものが生で、
 そしてアリスの完成そのものがお父様の死なんだよ。
 これが・・・・どんなに・・・・どんなに・・・・・・
 
 
 嗚呼・・・・・・もう・・・・・お父様の・・・・・愛が・・・・・・
 
 
 ボク達がお父様に託されたものの重みと。
 そして。
 それを託してくださった、いや、託さなければならなかったお父様の苦しみと悲しみと憎しみと。
 そのお父様のどうしようも無く愛しい姿が、そこに。
 
 ボク達は、ただの人形だった。
 でもお父様の願いを叶えて差し上げるために命を求め、アリスドールになった。
 すべては、お父様の、ために。
 
 
 
 
 『ボクは、アリスを目指す。』
 
 
 
 
 『お父様の・・・・お父様の姿をみた。
 
  お父様は悲しんでいる。
 
  アリスが見つからず嘆いている。
 
  ボク達はお父様の理想から遠のいた行動をしてるんだ。
 
  お父様を悲しみから救うには誰かがアリスになるしかないんだ。』
 
 
 
 
 
 
 これが、ボクの答えなんだよ。
 真紅・・・雛苺・・・・・・・翠星石・・
 
 ・・・ごめん
 
 
 
 

                              ・・・以下、第二部に続く

 
 
                       ◆ 『』内文章、アニメ「ローゼンメイデントロイメント」より引用 ◆
 
 
 

 

-- 051207--                    

 

         

                                    ■■友情地獄■■

     
 
 
 
 
 『あっちでも友達で居てね・・・・・・詩織・・・・』
 

                         〜地獄少女・第十話・みなみの言葉より〜

 
 
 
 
 
 
 
 薄く捲れ上がる帳の向うで瞬く闇が輝いているのをふと覗き視る。
 そのまま幕が開け切ることを安穏と信じている内にその幕は閉じ堕ちていった。
 目の前にあるのは闇でも光でも無いただの夜の帳。
 それが再び上がるのを待ち侘びて諦めて寝ることもできずに瞳を開け放す。
 じわりと力が欠けていく視線が狭まる恐怖だけがやがてその瞳を支配する。
 やめて。
 まだ、やめないで。
 その叫びを飲み込むことはどうしてもできなかった。
 
 
 悲しかった訳でも無く、悔しかった訳でも無く、怖かった訳でも無く、恨めしかった訳でも無い。
 ただどうしても、見つめずにはいられなかった。
 その詩織の背中を凝視している私の内面を指して、悲しんでいるとか悔しがっているとか恨んでいるとか、
 そういうことを誰に言われても、全然ぴんとこなかったし、それ以前にどうでもよかった。
 ただあの背中をじっと見ていて得られるものがあるとは思わなかったし、だったらなぜ見つめているんだ、
 という疑問が涌いてもおかしくは無いのに、それもまたどうでもよかった。
 見る。視る。観る。私は詩織の背をみる。
 そこにはなんの感情も願望も使命感も無く、ただ詩織の背をみているこの瞳の感覚しかなかった。
 できることは、それしかなかった。
 その言葉を綴った瞬間に、私の瞳の魂はふわりと離脱し、その言葉を示した私を見つめた。
 あんた、助けてほしいんだ。
 ただもう詩織の背中しか見つめることができなくなった私を見せつけて、そして助けて欲しかったんだ。
 たぶんそうなんじゃないかなと、冷静に頷いて悦に入っている私を蹴飛ばして、
 私はやはりなにも変わらずに詩織の背を見つめ続けていた。
 私はただ、みるだけ。
 
 私が詩織を見つめていることが、それが一体どのような影響を彼女に与えてるのかはわからなかった。
 私がこうしてずっとみていることを知らないはずは無い。
 でも詩織は完全に私を無視している。
 私の視線を気にしている素振りさえみせない。
 だから逆に私はその不自然な詩織の様子を見ているだけで、なにか満たされていた。
 ああ、ちゃんと私の視線を感じて、そしてちゃんと無視してくれてるんだ。
 この繰り返しだけが延々と続いていくかの如くに、それは感じられた。
 ひどく落ち着いたこの無視の連続が途切れないことを、それを信じて見つめ続けていた。
 だって、私はただみるだけだもの。
 
 
 その言葉に怒りを覚え始めたのは、一体いつからだったろうか。
 
 
 とにもかくにも、一度感じたその怒りは、その向かう先を全く選ぶことも無く、
 真っ直ぐに詩織の背へと向かっていった。
 なぜ怒らなければならないのかそんなことはどうでもよかった、というかそんな疑問は湧いても来なかった。
 みることしかできないという事の辛さと、それを喜んで受け入れている馬鹿馬鹿しさに猛烈に腹が立ち、
 そしてそのまま頭の中が真っ白になって、そして何時の間にか私は教室の隅の自分の席に座っていた。
 じっと、詩織の背を切り刻む視線。
 あれから何度、詩織の背中がバラバラに引き裂かれていく幻をみただろうか。
 私はもはや、詩織の背をみてはいなかった。
 詩織の無惨な後ろ姿を描くことの虜になっていた。
 誰か、助けて。手を貸して。
 詩織の背を砕くのよ、もっと、もっと、もっと激しく。
 
 『これ以上、私を苦しめないで。』
 
 この詩織の言葉に怒っていた。
 私はただ、あなたと友達で居たかっただけ。
 それなのに、あなたは私の背を向け、そしてその背中さえどんどんと私から遠ざけていこうとした。
 私は、なにも悪いことはしてなかったのに。
 あなたに嫌われるようなこともしなかったし、喧嘩だってしなかったじゃない。
 あんなに楽しく一緒に遊んだのに。
 ううん、もし私に悪いところがあるんだったら言ってよ、直すよう努力するから。
 そして詩織は、その私の想いをすべて無視して、私から離れていった。
 ひどい、とは思わなかった。
 ただ、信じられなかった。どうしてそうなるのか、なんで自分がこんな目に遭うのか。
 そして。
 それを信じられるようになる前に、それを信じなければならない自分にキレていた。
 詩織の背を見つめるだけしか許さないなんて、絶対許さない。
 私にそれしか許さない詩織を許さない。
 
 
 『ばっかじゃないの。』
 
 
 
 ◆◆◆
 
 駆け抜けていく一条の闇が視える。
 その闇の疾走がその終着を描き出す。
 
 見つめることができなくなった。
 それがなぜかは知らないはずなのに、それは神からのお告げだと解釈したかった。
 最初から私はなにが正しいのかを知っていた訳だし、
 だから都合良く神様を持ち出してくるのに違和感はわかっていた。
 私は詩織を殺したかったのじゃなく、私は詩織と友達で居たかっただけ。
 詩織と友達で居られないなら、詩織を殺す、なんて、そんなこと、どうでもいいことだったし、
 ただそれしかできなかったから、私はそうするしかなかっただけ。
 私はただそれしかできなっただけなのよ。そうなのよ。うん。
 詩織を殺したかったんじゃない、詩織を殺すしかなかっただけなのよ。
 それが、悔しかった。
 そういう風にした詩織が憎かった。
 そうにしかならなかった自分が悲しかった。
 どんどんと加速度的に燃え上がっていく怒りが私を追い立て、私はそれから逃げることはできなかった。
 誰か、助けて。
 私を、止めて。
 そのときに都合良く舞い降りてきた神様はだから、私にとっての救世主だったの。
 詩織の背に私の視線を到達させることができなくなった今、その救いの言葉は私を綺麗に鎮火した。
 『これまでの事、本当にごめん。だからまた友達になって。』
 これを悪魔の囁きだと受け取らないだけの理性はまだあった、と懸命に思い込んで、私は奔った。
 詩織の言葉がどういう理由で綴られたのかだなんて、どうでもいい。
 今まで私がしてきたことが私にとってどうだったかなんて、どうでもいい。
 私は詩織の元に、奔る。
 
 詩織は言った。
 自分はみんなに騙されていたと。だから本当の友達は私だけだと。
 そして、また友達になって、と。
 
 『いいよ。』
 
 その言葉以外に私の口から出ていく言葉の生存は許さない。
 あまりに多くの言葉達を私の中で抹殺して、そして生き残ったその言葉を詩織に示した。
 そこに殺戮者としての強い私を感じた。 
 いける。このままいける。頑張らなきゃ。
 詩織が私のことを呪っていたとしても、私のことを嫌っていたとしても、私を利用しているだけだとしても、
 そんなことは関係ない、私はただ自分の信じる言葉を言うだけ。
 詩織のせいなんかにしない、もう逃げない、詩織を責めることに逃げない。
 だから詩織は、私の友達。
 だから私を、詩織の友達にして。
 
 ほんとうの友達に、して。
 
 そのためになら、私が地獄に堕ちてもいいのかもしれない。
 詩織が私の命を愛してくれて、それでもそれをのぞむのなら、私はそうする。
 詩織のために誰かを地獄送りにして、そして私も地獄に堕ちる。
 そして詩織は私を詩織の本当の友達にしてくれる。
 でも・・・
 それなら、詩織を私の本当の友達にするにはどうしたら・・・・・
 詩織はどうしたら・・・私の・・・・・
 
 
 『ねぇ、詩織。私達、本当に友達なの?』
 
 
 ◆◆◆◆
 
 舞い落ちた闇が光に溶けて消えていく。
 すべてが始まりに戻り、そしてまた、終わる。
 
 『これがあなたの望んだ、憎しみの世界。』
 
 詩織のために私が地獄送りになることで、詩織は地獄に堕ちていった。
 私の目の前に、再び詩織の背中が現われる。
 その背中をみたくなくて、必死に瞳を閉ざそうとして、そしてその分だけ瞳は見開かれていった。
 最初から、それを私は知っていたのね。
 私が見つめるから、詩織の背はそこに在り続けた。
 詩織に振り向かれたくなったから、私は詩織の不実な背を切り刻み続けていた。
 もっともっと不実に淫らに浅はかに、そして憎悪がみえるまでその皮を剥いでやるわ。
 詩織が自分勝手なのは知っていた。
 だからこそ、私は詩織を友達に選んだ。
 自分勝手な詩織になら、自分勝手な友情を描き込める。
 そしてそれはいずれ本当の友情と呼べるものになる。
 自分勝手だろうとなんだろうと、お互いがそれを求め合っているのだから。
 詩織の不実を詰ればなじるほど、私の不実は清められ友情を求める誠実へとなっていく。
 憎んで、憎まれて、その憎しみの頂点で私達は背を向け合っていた。
 堪らなく美しい均衡を保ったまま、その状態こそ本当の友情が在るということになった。
 自分の寂しさを紛らわすための、自分の恨みを晴らすための道具としての友情を私に感じる詩織。
 そして。
 そのようにして私を利用してくれる詩織を利用して本当の友情を掠め取った私。
 
 詩織が欲しかったのは、私じゃない。
 私が欲しかったのは、詩織じゃない。
 詩織も私も、そこにある友達の背と、そこに描き込む友情が欲しかったのよ。
 
 
 
 なんだか、ひどく爽快よね、詩織。
 
 
 
 
                            ◆ 『』内文章、アニメ「地獄少女」より引用 ◆
 

 

-- 051205--                    

 

         

                               ■■怖い冷気の向うに■■

     
 
 
 
 
 ごきげんよう、紅い瞳です。
 いやーもう寒いですね。ほんと寒いですね。
 昼夜問わずブルブル震えてなんとか体温を一定に保とうと頑張っていますが、
 でもどうしても足先指先はガチガチに冷たくなっていってどうしようも無くて、ほんとたいへん。
 朝なんか財布の小銭入れのジッパーを開けることもできなくて、
 夜は夜でキーボを打つスピードが情けないほどに低下というていたらく。
 あはは、なんだこれ、冷たい棒が掌に五本ついてるよ、あはは。
 屋内で手袋はどうも、ね。
 もうすこし、頑張ります。
 
 さて、次。
 Web拍手が新バージョンになったとかで、早速、というかまぁ結構経ってしまいましたけど、
 その、移行作業を行いました。
 一応少し設定項目が増えて、あと拍手のお礼ページに登録できるメッセージの種類が増えてたりとか、
 まぁ無料版にも関わらずなかなかのパワーアップでしたので、結構満足モノで御座います。
 それで、まぁ、この機にお礼のメッセージを増やそうかと思いまして。はい。
 10通り登録できるので、いっちょ頑張ってあと9個作りますかと息巻いたのも束の間、1個で力尽きて。
 案の定、というよりは予想以上のヘタレぶりを発揮してしまいまして、そのごめん、9個も無理、
 っていうか意気込みの割には1つしか思い付かなくて、ほんとごめん。むしろ、ごめんなさい。
 ということで、今までの聖様・志摩子さんコンビのメッセージに、新たに千砂・一砂コンビのメッセージを
 加えました。取り敢えず今はこれで勘弁。
 そのうち忘れていなければ新しく追加します。ていうか忘れろ私。
 
 次、アニメ。
 そういえば、ぱにぽにの話ってしたことなかったですよね。
 全然言及しませんでしたけど、このアニメは面白くて楽しくて死にそうなくらい落ち着けるので、
 なにげに今まで重宝していたのですけれど、あと3回で放映終了。
 きた・・・・・・苺ましまろ以来のこの喪失感・・・・・。
 や、まだあと3回あるって段階で平気なはずなんだけど、逆にあと3回もあるのに早くも終わりを意識させ
 られて、その分なんだか得したような損したような、ていうか終わらないで、ぱにぽに。(懇願)
 なんていうか、あれだけ一生懸命にやりたい放題をやられてしまうと、すっかりそれが当たり前になってしま
 って、や、あれくらい普通だろうという感じですっかりぱにぽに的感覚がスタンダードになっちゃってて、
 ああもう悔やんでも悔やみ切れませんコンチクショウとなぜか晴れやかな笑顔のまま叫べそうで、ええと。
 要するに、なんかスカっとするアニメなんです、ぱにぽにて。
 アニメとか漫画とか、そういうものが今まで展開してきたものを自由自在に玩具にして出しちゃうっていうか
 、まぁいわゆるお約束というものをそのまま出すというよりは、そういうお約束もあるよね、とか、
 冷静にでんと陳列されてるそれを見てふむふむと笑っているアニメ、っていうの?
 確信犯、っていうのとはちょっと違うよね。別に狙ってないというか、そもそも狙うものが必要ないというか、
 逆になにかを狙っている誰かをみて笑っている、っていう感じ。
 視点がつまり私らと同じって言う感じで共犯者みたいな?
 といいつつも姫子とかまほまほ言ってるし、一条さんは計れないし、まったくもう、ぱにぽには。
 こういうアニメがあると、ほんとゆっくりできるよね。
 あー私が見てるアニメというのは、こういうものも培ってきてたんだねぇ、という妙な感心というか。
 ま、また同じようなアニメは作れるだろうから、その辺りお願いします。(誰に)
 
 で、次はどうしましょうか。ARIAと地獄少女は特に無いので、やはりトロイメントかな。
 トロイメントは、どうやらお話に動きがありそうになってきましたので、ちょっとそのへんを。
 おそらくこの展開だと、お父様のために蒼星石がアリスゲームの名の下に真紅達に戦いを挑むか、
 或いは薔薇水晶と戦うか、という方向に行きそうですね。
 ローゼンや白崎達の思惑がいまいち見えないですけれど、薔薇水晶の行動から察するに、
 アリスゲームを正当なルール、つまりちゃんと戦いを始めさせようとしているとは思われますね。
 水銀燈を復活させたのも、やはり真紅への挑発のためと考えられますし。
 そして構図としては、このローゼンサイドの思惑と、真紅の不戦の思いとの対決、ということになるので
 しょうね。
 つまり、アリスゲームを戦おうとするものと、戦わずにいようとするものとの対決。
 今のところ、真紅サイドは雛苺が不可抗力的につくことくらいしか確としていません。
 翠星石は蒼星石とだけは戦いを避けようとするでしょうが、逆に蒼星石を戦わせようとしている者とは
 戦おうとする可能性があるので、単純に真紅サイドとは言えないかもしれません。
 金糸雀は・・・・・どっちでもいいたぶん戦うサイドになるでしょうね。
 そういう意味で、おそらく水銀燈もたとえ真紅との対決を避けることになったとしても、純粋なアリスゲーム
 の競技者として、少なくとも薔薇水晶とは戦おうとするでしょう。
 そしてきっと既に視聴者の大半にはどうでもよくなってることとは思いますが(笑)、
 これにジュンがどう関わっていくのかを、私は注目しています。
 あと、みっちゃんとのりのどっちが雛を獲得するのかも見物です。えー違う?
 
 
 ◆ ◆
 
 はい、ここからは蟲師の感想をお送り致します。
 今回は第六話についてお話させて頂きます。
 それにしても蟲師、もの凄い作品としていよいよその足場を固めてきました。
 正直、これほどのアニメとは未だ会ったことがありません。
 純粋に、このアニメを見ることができる時代に生まれたことにすっかり感謝してしまっているほどです。
 蟲師万歳? いいえ、そんなことをわざわざ言う必要は御座いません。
 すでに蟲師は歴史に残る作品として永劫鑑賞されていくことでしょう。
 それでは、始めます。
 
 ■「蟲師」 第六話 :露を吸う群
 
 ・朝顔は毎朝花を咲かせる。けれどそれは昨日とは違う別の花。この言葉を、まずは忘れてみる。
 ・ナギが水平線の向うを見つめ、そしてそのナギの背とその向うの水平線を見つめるあこやの構図。
  左手にナギ、右手にあこや。ナギは自らの立ち位置と同じ左を見るが、しかしあこやは自らの立ち位置
  と同じ方向では無い、反対のナギと同じ左を見つめている。このふたりの差、そしてあこやの不利。
 ・あこやは自分が向くべき方を向かず、その分の抵抗力を受けてナギと同じ方を向こうとする。
  その苦しさを乗り越えて、あこやはナギの誘いに笑顔で応える。
 ・そうそう、と言うナギの力強さと逞しさと若々しさ。
 ・すべてが島の内側に向かっていくような、悶々とした岩場の羅列の息苦しさ。
 ・その中央部にすとんと堕ちていく人々の群れ。その先に呆けた表情で握り飯を喰らうあこやの図の流
  れ。その流れの収束の中に、生きている神が、居る。
 ・その厳粛な人々の流れの先にある、それとはあまりに脈絡の無いあこやの食事の様。そのしっかりとズレ
  ている空気が染み込んだかのように、あこやはふと、老化する。
 ・衆人環視の中で為される奇跡の衰弱死。その様は、とても淫ら。
 ・はー、マッズイとこ来ちまったなぁ、というギンコの言葉にくすりとくる。
 ・なにもわからなくなると、それはすべての苦しみから解放された、としてなされる祝福という名の解釈。
  それを突破する言葉を、この島は持たない。
 ・すべてがわかりはじめると、すべての苦しみに直面する。
 ・生き神だったころの自分の様子を聞いているときのあこやの横顔。あこやは生き神であるときの自分の
  意識は知っている。だが、それ以外のことを知らないということが、その横顔に陰を添える。
 ・あこやは、ナギの島を出ようという誘いを断る。自分はこの島が好きだから、このような事をしたお父様だ
  って謝ってくれる。それに自分が逃げれば他の人が生き神になるだけ。すらすらと流れていく言い訳。
 ・生き神になった日に嗅いだ昼顔に似た花を思い出すあこやは、その記憶をこのときどう見ていたのか。
 ・綺麗で、いい匂いの、花。
 ・着々と進んでいく脱出計画の話。それを聞くあこやの顔が困惑に歪んでいく。
  お父様を騙すこと、そして・・・・
 ・「今は恐ろしいの。目が覚めても、ただ昨日までの現実の続きが待っている。目の前に広がるあてど無
  い膨大な時間に、足がすくむ。」
 ・生き神のときはだから、心からの平安を得られていた。
 ・このシーンでのあこやの台詞は一言一句すべてが重要。このお話のキーポイントのひとつ。
 ・あこやは生きることが怖い。目の前に現実が怖い。その現実が自分に完全に到達したとき、あこやは
  自分の気が狂ってしまうのを感じる恐怖に震えている。怖くて、怖くて、ただ怖くて。それでも現実は終わ
  らずに、日が経つごとにそれは積み上がり膨大になり、そしてその実績がさらに未来に控えているそれを
  すら上回る圧倒的な現実をあこやの前に連れてきてしまう。足が、すくむ。此処に居るので精一杯。
  それすらもいよいよ、危うい。
 ・一日がもの凄い勢いで過ぎていけば、決してその現実はあこやに追いつけない。そして一日が終われば
  一切その一日に積み上がったものを残さずに、また新しい現実が一から始まる。だから全然あこやはそ
  れに追いかけられる不安に駆られることは無かった。毎日生きて、毎日死んで。何百回もの生と死を
  繰り返しても、それでもあこやは此処にちゃんと居られるのだ。果たして、生きて死んでいたのは誰だった
  のか。
 ・自分がどちらに向かうべきなのかを、あこやはずっと昔から知っていた。あこやはずっとずっと、此処に居な
  がら現実を見据えていた。
 ・ナギのみつめるものを見つめ続けようとしたせいで、お父様は死んだ。
  しなければならない事をして、そしてそのせいでお父様を殺してしまった。
  私は、お父様を殺さなければいけなかったの? そんなの・・・・・
 ・お父様とナギの笑顔。あこやはどちらの笑顔が正しいものであるかを知っていながら、どちらも捨てては
  いけないことをもまた知っていた。だから私はこの島が、お父様が・・好きで・・だから・・生きていられ・・・
 ・走って、走って、懸命に水平線の向うに走って、その辿り着いた先に、お父様の骸が。
 ・「私が・・・・・・殺したんだ・・・・・」
 ・最後にお父様のくれた花の愛しさをなによりも優しく抱きしめて、あこやは再び生き神に。
 ・あのあこやの涙を感じる。あこやが失ったものを涙に換えて。
 ・それでもあこやの中にはあてどない膨大な水平線までの距離と、そしてナギの笑顔があった。
  「ごめん・・ね・・・ナギ。向うなら・・生きて・・いけるの・・・」
 ・ナギと一緒に走りたくて、走りたくて、死ぬまで走りたくて、そして死にたくなくて。ただ怖くて。
 ・もういいんだ、というナギの言葉は、あこやには決して届かない。その言葉はあこやの中に一日の間だけ
  積み重なり、そして夜が明け朝がくれば儚く散ってしまう。でも、それでいいんだ。あこやがそれで安息を
  得られるのなら。もう、いいんだ。もう、いいんだ。もう、いいんだよ、あこや。
 ・お父様が居なくなった今、生き神になることの意義は、真にあこやの中にしかない。
  そして生き神になった今、この島の向うに広がる水平線はナギだけのものになった。
  ごめんね、ナギ、もう、行っていいよ。私は此処に居るから。
 ・ナギは行く。島から、ナギの此処から、水平線に向かって。そのために当たり前のことを、ナギが生きると
  いうことの中で当然のことをし続けながら。その積み重ねができるだけの、果てしない膨大な時間が
  ナギの前には晴れやかに広がっている。
 ・そして生き神を失ったこの島もまた、動き出す。静かにゆっくりとなによりしっかりと笑顔で。
 ・あこやが水平線の向うを見つめ、そしてそのあこやの背とその向うの水平線を見つめるナギの構図。
  左手にあこや、右手にナギ。この構図の幸福を感じる。
 ・「辺り一面花が咲く。けれど昨日とは別の花。されど今日も綺麗な花。」
 ・あこやのその背中がある限り、ナギは決して自分を見失わない。
 ・そして自分の背の向う側にも、あこやの瞳があることを、ナギはずっと感じ続けていく。
  あてどなく果てしない膨大な時間と現実を、ふたりがそれぞれ幸福のうちに受け取るために。
 ・ふたりがみつめる世界はどんどんと変わっていく。けれどふたりが此処にいることは変わらない。
 ・冷たい海の手前で咲く花を照らす太陽は、いつだって、美しい。
 
 
 
 あとは読者の想像のままに。最高。
 
 
 

 

-- 051203--                    

 

         

                                    ■■薔薇自然■■

     
 
 
 
 
 『そうね。変わったのではなく、気付いた、というのが正解かしら。
  私がなにをすべきで、なにをしたいのか。』
 
                         〜ローゼンメイデントロイメント・第7話・真紅の言葉より〜
 
 
 
 
 
 
 
 
 心が、綺麗に遡っていく。
 
 
 
 
 
 
 
 ◆ ◆
 
 怪しく沸き起こる旋風の息吹が絶え間なくすぐ側を流れていく。
 次々と流れ往くその溜息達の饗応に花をかざして立ち向かい、真摯に付き合っていた。
 鮮やかな襤褸を纏う優美さに支配され、誠心誠意胸をときめかせていた。
 馬鹿ね。
 白馬の王子様をいつまで待っているつもり?
 抱きしめたすべての光を吸い込んで、いざ出発よ。
 
 
 もはや語る言葉は無いわ。
 あとはどれだけ話を通じ合わせることができるかどうか、なのよ。
 私は、戦わない。
 なにがどうあろうとも、私はそうしていくつもり。
 私が過ごしてきた膨大な時間を完全に遡った先で、見つけたその答え。
 私の始まりの始まりにそれがあったことに、私は素直に気付いたわ。
 その答えの上に今までの時間を使って積み上げてきた愚かな言葉達の無力さと罪を想う。
 確かに、原初にあった私の想いを綴る言葉は、そのときにはなかったのかもしれない。
 だから、私はそのたびに私が語ることのできる言葉を組上げ、そしてそれに従って戦ってきた。
 きっと、私にできるのは戦うことだけ、だったのかもしれない。
 戦うことで生きることを実感できるということを最初に知り、それを深めていくことばかり考えていたのよ。
 戦うことで得られるものを夢想し、どう戦えば勝てるのか、そしてどういう動機で戦えば良いのかを、
 そればかりを考えていたわ。
 戦いを極め果てた先で待っていてくれるものが、輝かしい栄光であると信じて。
 馬鹿ね。
 そんなものが待っていてくれる訳がないのを、戦えば戦うほど知っていくだけだったのに。
 それでも戦うしかない哀れな自分の姿からは、決して飛び出そうとはしなかったのよね。
 少々、愚かに過ぎたわ。
 
 
 ・・・・
 
 最初から、言葉なんていらなかったのかもしれない。
 護りたいものを護るために戦い、お父様にお会いするためにアリスゲームを戦う。
 真に大事なものを見続けていけば、それからは決して飛び出したりなんかできないということを、
 ボクは戦えば戦うほど知っていった。
 戦って、戦って、そうしてボク達は自分達の生きる世界を駆け抜けていくだけ。
 元からその先になにかが待っていてくれるだなんてことは、無かったんだと思う。
 ボクは、戦う。
 どうあっても、それが避けられないものならば、ボクはそこからは逃げない。
 ボクは戦いを重ね続けて、段々とその覚悟のようなものを固めていった。
 ボクはその目の前に積み上がっていく覚悟に見合うボクでいようと、いつも心懸けていた。
 その心懸けが崩れていく原因を作っているのが、他ならぬこの平和だということを思わずにはいられない。
 ボクがこの平和を愛しているということを、ボクも含め他の誰もが知っていることだとは思う。
 だからボクは、勿論その通りだという風に頷く事自体に異論は無かったし、実際平和を甘受していた。
 だってボクはこの平和が好きで好きで溜まらなかったのだから。
 この平和を否定することは一切頭の中に無くて、ただただその中に没頭していられるボクが好きだった。
 好きで、好きで、好きで、ほんとうにもうそれ以上の言葉でこのボクの気持ちを説明できないくらいに、
 そればかりを想っていたんだよ。
 ただただ、それだけを喜びのうちに受け止めていれば、それを護れるだなんて。
 馬鹿だな、ほんと。
 それこそがボクが求めていたことであるということを、戦えば戦うほどわからなくなっていくだけだったのに。
 それでもボクは、そのわからなくなっていく事に溜息をついて、それにとある重大な事実を隠していった。
 ボクは・・・・
 
 『お父様・・・・・・・・・・っっ!』
 
 
 
 ◆・・・・・・◆
 
 粘り濃く溶ける血の重みが駆け抜ける体。
 吹き付ける体温が空へ空へと手を伸ばす危機。
 緩めた力が意図せぬ傷を創設し、新たにその傷に向かって駆け出す散血達。
 必死に手を伸ばして流血に縋るも、血煙の木霊する惨状が視界を覆っていた。
 消えた。なにも、居ない。
 そして、居る。
 絶え間なく、その無を創り出すものが。
 
 
 
 私には、蒼星石が想っていることがわかるわ。
 運命を、それをただの言葉として受け取っている訳じゃないのよ、あの子は。
 蒼星石にとって運命とは、ひどく実感的なもので、そして例えようも無く究極的で現実のものなのよ。
 自分がアリスになるため、というよりはお父様のために、という意味で蒼星石はアリスゲームを真摯に
 戦い抜こうとしている。
 自分を作ってくれたという事に対する喜びは、既にそれを与えてくれたものに返さなくてはならないという恩
 になっているのよ。
 だから蒼星石は、なによりもまずアリスゲームを全うしてからでないと、なにも始められない、いいえ、始め
 てはいけないと思っているのよ。
 でも実際はこうして、蒼星石は敵である私達と戦いもせず、さらには双子の姉妹である翠星石とは切って
 も切れない深い愛情を結び合ってしまっている。
 このことが蒼星石を苦しめないといったら、それはあまりにも華々しい嘘になるわ。
 あの子にとっては今の平和が続けば続くほど、それはなによりもお父様を裏切っていることになってしまう。
 しかもその裏切り者とのしての自覚さえ、どんどんと薄まっていってしまっているのを感じてしまう。
 わかるわ・・・・蒼星石・・・・・ほんとうよね。
 私達は今、もの凄くアリスゲームを侮辱しているわ。
 そしてなによりもお父様を無視するという最低のことをしているわ。
 私達には、この自分の卑しさを意識する運命からは決して逃れられない。
 それほどに、私達のお父様への愛は強く深く、そしてゆえに大事なもの。
 
 でもね、蒼星石。
 それでも今の私とあなたは、確かに違う。
 同じものに囚われ、同じものを夢見、そして同じものを愛しているのに・・・。
 私はね、蒼星石。
 私もきっと、これでもあなたと同じくらいに今でもお父様を愛しているわ。
 そして勿論、アリスゲームを侮辱する気も無く、ちゃんとそれに参加しようと思っているわ。
 あなたと同じく、お父様への愛がどういうもので、アリスゲームの正統なルールも知ってるわ。
 
 そうね。
 で、それで?
 
 もし、私に今も語る言葉があるとしたら、たぶんこれだけね。
 私はもう、なにも迷っていないわ。
 私はね、蒼星石。
 別にお父様を捨て、アリスゲームを放棄する気なんて無いわ。
 ただね、私はお父様を愛するゆえに、アリスゲームにアリスゲームを終わらせるものとして参加するの。
 だから金糸雀だろうと薔薇水晶であろうと、私は戦わないわ。
 でもこちらが戦わなくても相手がそうだとは限らない、とあなたなら言うわよね?
 ええ、勿論そうでしょうね。
 で、だから?
 私はたとえ一切話し合いが通じなくて、相手が戦いを仕掛けてきたとしても、相手とどうすれば戦わない
 で済むかを考え、そしてそれに力を注ぎ続けるわ。
 ええ、そうね、それでも私のその力の及ばない圧倒的な相手と対峙したらどうするのか、という疑問がある
 わよね。
 そのときは、仕方ない、死ぬだけよ。
 こちらの力が至らなければ負ける、それは戦おうと戦うまいと同じことでしょ?
 どんなに戦ったって、勝てない相手には勝てない、それと同じ。
 でもだからといって、それは戦わざるを得ない、という状況を生み出すことにはならないの。
 だって私の力はもう、戦うために使うものでは無くなってしまったもの。
 私の力はただ、相手と戦わないでいることにだけ使える代物。
 だから、戦わざるを得なくなったら、私の負け。
 
 ひどく、簡単なことだとは思わない?
 
 私は、長くその覚悟ができなかっただけだったの。
 そして、私はその覚悟をこそ決めなければいけないものだったのだと、ようやく気付いた。
 私がしたいのは姉妹達と戦わないでいること、そしてしなければいけないのは、力及ばずにそのしたいこと
 ができそうになくなれば、死ぬということ。
 逆にいえば、私の命運はもはやこの私がしたいことをどれだけし続けられるか、ということにかかっている。
 私にとって、これこそがアリスゲームなのよ、蒼星石。
 私は自分の力のすべてを使って、このアリスゲームを生き抜く。
 それが本来のアリスゲームのルールを侮辱しているということを知った上で、私はしっかりとアリスゲームその
 ものを受け取っていくの。
 私のお父様への愛も、これと同じこと。
 今の私は確かにお父様のお求めになられているものを、差し上げることはできないかもしれない。
 でも、私はそれを知った上で、それでも尚お父様を愛し続けていくわ。
 
 蒼星石。はっきりと、言うわ。
 あなたは、敵を作ろうとしている。
 あなたは、敵と戦いアリスゲームをそのルールに従って戦い抜くことでお父様の願いに答えようとしている。
 そして今の平和な自分ではとてもそうできそうにはないゆえに、敵を求めている。
 金糸雀がアリスゲームの勝負を挑んできたとき、蒼星石はまともに戦おうとした。
 これでやっと、お父様の願いを少しだけ叶えられる。
 これでやっと、お父様の願いを無視しないで済む。
 蒼星石。
 それは、逃げ、よ。
 もし本当に蒼星石が戦いという方法を求めているのなら、自分から挑むべきだわ。
 今の蒼星石は、逃げて、逃げて、逃げ切れなくて、そうして最後にどうしようも無くなって反撃する、
 そのように私には見えてしまうのよ。
 そして、もし私がそうあなたに言ったら、どうするのかしら?
 きっとあなたなら、その通りだと頷いて、自ら薔薇水晶辺りに戦いを挑みに行きそうよね。
 
 翠星石の苦労が、わかるわ。
 
 ほんとうに、それでいいの? 蒼星石。
 あなたはきっと何度も自分に問うて、そしてきっと何度もそれでいいと答えを出したことでしょうね。
 何度も何度もまったく同じ問い方をして、その問い方自体に疑問を抱くことは絶対にせずに。
 もはやそれは、ただ確認にしか過ぎなくなっていた問いなのよ。
 あなたは、相手が真摯にアリスゲームを仕掛けてくれば、それに堂々と応じることで相手のプライドを尊重
 し、そしてそう応対することでそれをお父様に認めて頂けること、それを今求めようとしている。
 でも、私は、そしておそらく翠星石も、そんなものが蒼星石が真に求めているものでは無いと思っている。
 もっと言えば、それはあなたがしたいことでも、またそれ以上にするべきことでは無いと思うの。
 蒼星石のアリスゲーム、とはなに?
 ほんとうはそれは、蒼星石のアリスゲームでは無くて、お父様のアリスゲームなのでは無いの?
 お父様が御用意くださったルールを、しっかりと自分のものにしているとは、到底思えない。
 だって、自分のものにしていると言うのなら、なぜあなたは今すぐに翠星石に戦いを挑まないの?
 いいえ、本当なら、もっともっともっと昔にアリスゲームなんて決着がついているはずなのよ。
 でも、蒼星石は、あなたは、ずっと敵を作れなかった。作ることができなかった。
 それが誰も敵としたくないという、あなたの真の願いによるものであるということに、どうして気付かないの?
 
 
 私達は、誰よりもお父様を愛しているゆえに、お父様の言いなりにだけはなってはいけないわ。
 
 
 私たちは私たち。
 お父様に頂いたこの「私」というものを、もっと大事にしないといけないのだわ。
 だから、蒼星石。
 あなたが本当に戦うことであなたの望みを叶えられるのならば、そうすればいいわ。
 でも。
 お願い。
 
 
 二度と私の前で、仕方が無い、なんて言わないで頂戴。
 
 
 たとえそれが運命なのだとしても、それに盲目的に従順であればいいだなんて言葉、聞きたくない。
 私は、運命を否定しない。
 私は運命を変えたりもしない。
 ただ、ただ。
 私は私という自然に気付いていくだけよ。
 
 なんの違和感も疑問も悲しみも苦しみも無い、あまりにも自然な幸福に彩られた願いだけを胸に。
 私は生きていく。
 
 
 
 
 
 
 ・・・・・・
 
 わかってる・・・わかってるよ・・・真紅・・。
 でも、ボクは。
 
 
 
 
 
                      ◆ 『』内文章、アニメ「ローゼンメイデントロイメント」より引用 ◆
 

 

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