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◆◆◆ -- 2006年2月のお話 -- ◆◆◆

 

-- 060227--                    

 

         

                                 ■■ ふたりのひとつ ■■

     
 
 
 
 
 ◆ ◆
 
 ■「蟲師」 第十七話 :虚繭取り
 
 ・真っ暗な洞の中をさまよい続ける視点、それと共に流れるナレーションによる物語の始まり。
 ・カタカタと音がして、背負っていた箱の中の引き出しを開けると中にはころころと動く繭があり、その中には
  文が届いている、という蟲師の連絡手段の取り方が面白い。
 ・陽に透かして繭を見上げる女性の眼差し。繭の中の空洞の光がその顔を照らしている。
 ・天井からぶら下がる繭の群。その光景の不思議さ。
 ・その中の女性・綺とごく自然に会話が成り立つギンコ。蟲師の世界が広がっている。
 ・居なくなった双子の姉・緒を未だ探している綺をもう諦めろと諭すギンコ。だが綺はそれを諦めること
  は無い。なぜなら緒は死んだのでは無くまだどこかで生きているのだから。生きていればたとえ
  また会える可能性が限りなく低くともそれを探し続けることはできる。死んだ爺様のために残さ
  れた自分がしっかり生きるよりも、まだどこかで生きている緒のためにしっかり彼女を捜さなくち
  ゃいけないと綺は思う。
 ・それがもはや「探す」という事そのものが目的になっているのだとしても、それに逃げ込んで緒の不在を
  認めようとしていないだけなのだろうとしても、さらにそれを越えて
綺は緒を探さねばならないと思って
  いる。
 ・なぜならばふたりはずっと一緒で一緒に居るのが当たり前の双子だったのだから。緒が居るから綺があり
  、綺があるから緒がある。だから緒が居ないのに存在している今の自分の存在などどうでもい
  いと、そうして自らの不在だけを実感して綾は緒を探し続けている。運に任せるだなんてできな
  いよ・・・それまで私に私で居るなっていうの?
 ・双子共に繭から取った糸を紡ぎながら淡々と時が過ぎていく中を生きてきた。それが幸せかどうかを考え
  る前にそれが当たり前でそれ以外はなかった。虚繭取りの後継者としてどちらかひとりが連れていかれよ
  うとしたとき、ふたりはその当然が壊れていく情景に晒されていた。ふたりともただ怯え、自分が呼ばれた
  くないとずっと思い念じ続けていた。それはもう一人の方が連れて行かれればいいという事では無く、自
  分達ふたりともが呼ばれたくないという意味だった。
 ・初めに綺が呼ばれたとき綺は恐れおののく。自分が選ばれてしまったという恐ろしい状況の中
  には緒の存在は無い。そしてそのひとりで戦く綺の元に緒が戻ってくる。私が行くと言う緒。
  綺はほっとする事などかけらも無く緒と同じく綺はひとりで行こうとする緒の元に戻っていく。
 ・「いやだ。緒ちゃんが行くなら私も行く!」
 ・その言葉を緒は否定せずにしっかりと頷く。ふたりの願いはどちらかひとりが選ばれひとりが残るのでは無
  く、ふたりが一緒に在り続けることだった。ふたりで残れないのなら、ふたりで行く!
 ・ふたり連れ立ち手を握りあい、そうして爺様の後についていくふたり。未知なる領域への不安、置いてき
  た今までの世界への哀愁、そのすべてがふたり共に在るという事の中に従属していく。怖いけれど哀し
  いけれど、この握った手が温かいのがなによりも嬉しかった。
 ・そしてそのふたりの辿り着いた先でまた新しくも当然なふたりの世界が始まっていく。ふたりで新しい事を
  知り、ふたりで古いことを忘れていく日常の連続。それらをどうやって受け止めていこうかと、お互い顔を
  見合わせて、そして安堵する。ふたりで相談してやっていけばなんだってできるよ。
 ・爺様の持つ虚さんの利用方法を学ぶふたりの光景。楽しいふたりだけの社会見学の様相を呈する微
  笑ましさがゆっくりと二人を包んでいる。虚さんを軽く見てはいけないと言って虚さんの怖ろしさを語る爺
  様の話さえ、ふたりはそれを恐がりながら聞き学び取っていく愉しみを覚えていく。
 ・「閉じてはならん。開けてはならん。」
 ・密室を創ってはならない。だが創ってしまった以上それは決して開けてはならない。
 ・密室はほんの些細な瞬間に訪れ、そしてそれはごく自然のなりゆきのままに開かれてしまう。
 ・消えた緒。密室を開き緒を消してしまった綺。ひとり密室の外に弾かれてしまった綺。少しづつひと
  りずつに分かたれていく双子、それはふたつの密室を創っていたようなもの。だから出来てしま
  ったその密室を開けてまたふたりが同じひとつの密室に還ろうとするのならば、一方は消え、そ
  して一方は取り残されてしまう。
 ・ほんとうにどうしようもないと頭を抱え込む爺様。お前のせいじゃないと綺に語りかけることしかできな
  い爺様。爺様には綺を止めることはできなかった。止めることができないゆえに、綺は自分がし
  っかりと緒を連れ戻さなくてはいけないと思う。
 ・「ずっと一緒だったの。緒ちゃんが側から居なくなるなんて考えたことも無かった。」
 ・ならば虚穴に一緒に入ってやろうかと提案するギンコ。自分の求めているものがどれだけ手に入れがた
  いものかを確認してみろ。だが
綺にとってはそれは緒を探し出すチャンスにしかなり得なかった。
  手に入れがたさを確認すればするほどに、私は緒ちゃんを見つけなくてはいけないんだから。
 ・誰かに諦めろと言われれば自分だけは諦めるなと言わなくてはならないし、誰もなにも言ってくれなけれ
  ば自分だけはなにかを言い続けなくてはいけない。
 ・だからどれだけ緒を探すのかを困難なのかを知るのも自分しかない。虚穴を歩く綺の表情には、ただ
  ただこの中から緒を連れ出すことの困難さだけを感じている色しか浮かんではいかない。
  この中にもしかしたら緒ちゃんが居るかもしれない・・・・。そう思うだけで足が止まり眼が離せな
  くなる。けれどそうすればするほどにこの中に緒を見つけることのできる可能性の低さだけを
  感じていく。ほんとうに・・・運だけなんだね・・・。この中に居るのは確かなのに、こんなに緒ちゃ
  んを身近に感じられるのに、それなのに私達が出会うことは限りなく無い事なんだね・・・・・
 ・あたかも二つの密室が隣合い壁の向うのお互いのぬくもりを求め合うように。緒を覆っていたのは本当に
  薄い布一枚だったのに、それを開けてしまえばもう其処には緒は居ない。開けないからこそそれh其処に
  存在していられる。開ければ消える。だから永遠にその内と外の者は出会えない。
 ・今までふたりでひとつの密室の中でぬくもりを抱きしめあっていた綺と緒。その慎ましやかな巨大な
  密室を開け放たない事がすべてであったがゆえに、その内に出来はじめていたお互いを分かつ
  新たなふたつの密室の存在に気付くことができなかった。そしてそれを密室として認識すること
  ができずに、当然のようにそれを開けはなってしまったがゆえに緒は消えた。ひとり巨大な
  ひとつの密室に取り残された綾は、今一度その中に緒を連れ帰るべく自らのその巨大な密室を
  閉じていく。このふたりの密室を開けてはならぬ。それを開けてしまえば綺すらも消える。
 ・だから綺は緒を求め続ける。巨大な二人用の密室を維持したまま緒を探し続けている。
 ・虚穴の中で泣き崩れた綺はその自分の姿を見つけていく。そうだね・・・私は結局この密室の中
  で待ち続けるしかないんだね・・・・・。草むらの蠢動を見て緒ちゃん?と声をかけるもその正体が
  ただのキツネであったのを見つめて嗤う綺。私はこれだけ可能性が低くてもまだ緒ちゃんの事
  考えてる・・・いい加減運に任せなくちゃいけないのに・・・・でも・・・・・だからこそ私は緒ちゃんを
  ・・・・・。
 ・「閉じてはならん。開けてはならん。」
 ・真っ暗闇の虚の密室の中を這い回り、そして漏れ入る光をただ求めて。そして密室の中のその者は
  やがてその密室を開ける事無くその中から這い出してくる。
 ・数年の後繭の中から出てきた緒。言葉も、記憶も失って。
 ・だが懐にした密室と密室を繋ぐ抜け道を通って得た文を手にし、そして緒は再び綺との密室へと向か
  って歩いていく。
 ・だが既にその綺の密室は緒を失った時点で綺のみを包む密室になっており、それが緒を迎え入
  れる事は無いだろう。
 ・なぜならば、出来た密室は決して開けてはいけないのだから。
 ・そして、ひとつひとつのそれぞれの密室に囲まれたまま向き合うふたり、そのそれぞれの密室のさらに外側
  に、新たな巨大なひとつの密室を築いていこうとふたりはするのだろう。
 ・なぜならば、緒が居るから綺があり綺が居るから緒があるのだから。そして、ふたりの目の前に
  触れ合える生きたふたりが存在しているのだから。
 
 
 ふたり一緒で初めて生きられる、といっても自分はひとりなのは確実。
 だからその確実な自分というひとりをしっかり生きさせなくちゃいけないと、そう思ってそのふたりで一緒の
 生を為すことを運に委ねれば、それはそのふたりで一緒の生を捨てたに等しい。
 だからそのふたりで一緒の生を真に維持し求め続けることができるのは、他ならぬその自分という確実な
 ひとりであったりする。
 綺はずっと緒の事を探し続け文を出し続けていたからこそ緒と再会できたのであり、また綺はそう
 して緒を失ってからずっと「ひとり」で緒を探し続け文を出し続けていたゆえに、かつての緒との関係を築く
 ことは不可能になっていた。
 けれどそうして「ひとり」ででも探し続け文を出し続けたからこそ、かつてと同じ関係を築くことはできなくと
 も、また再び緒とまみえ、そして改めて新しい「ふたり」の関係を築いていくことが可能になったんですね。
 あの虚穴の中での綺の、この穴の中で緒と出会える確率は絶望的に低いけれど、でもこの穴の中
 にそれでも緒が確かに生きて居るんだという実感を得るシーン、あれはひどくいいシーンでした。
 勿論だから当然出会えない確率の高さが辛く辛く迫ってくるわけだけれども。
 これから綺は記憶を失いそして消えた当時のままの緒と向き合ってかなくちゃいけないんですから
 ね。
 でも。
 今、の目の前に緒が居るということ、それはすごいことなんです。
 
 では、おあとがよろしいようで。
 
 
 
 注:「おあとがよろしいようで」というのは本来落語家が次の落語家の準備が整ったという意味なので、
 自分的によくまとまったという意味で使うのは誤用です。だからなんだ。これでいいんだよ黙r(以下削除)
 
 
 
 

 

-- 060224--                    

 

         

                              ■■終章制作ノート(仮)■■

     
 
 
 
 
 なんか金メダル大きくない?(挨拶)
 
 はい紅い瞳ですこんばんわです。もうなんか駄目ですまた2回シャンプーしちゃった。
 で、ええ、暖かくなったり寒くなったり訳のわからない天候が延々と続いていますが、皆様如何お過ごし
 でしょうか。
 紅い瞳は特に何事も無く平穏無事な日々を過ごしております。終わり。
 
 全然サイト更新に対する熱意が醸成されてこないので、なんだかほんと寝転びながら落書きしていくよう
 な、そんないい加減とか言うのですら勿体無いような感じですので、ほんと申し訳ない。
 でもこんな感じでだらだら続いていくことにこそ意味があるっていうか、参加することに意味があるっていうか
 、そういえば今回の五輪ではこのセリフはまだ聞いてないなぁ、というかそれ以前に五輪ほとんど観てない
 し、あ、フィギュアの金はおめでとうですけどね、荒川選手はやればできる子だと私は思っていましたよ、
 一番好きだし、好きになったのは今日ですけどね、勝てば官軍、4回転?、知らないなぁ。 
 
 前に言ってた(既に過去形)トロイメントのエピローグを書くとかなんとか、そのへんの話を覚えている人の
 記憶が消えてなくならないかなぁという他力本願真っ盛りなところ申し訳ないですが、なんだか一応考えて
 はいるんやでというアピールくらいはせなあかんなぁという思いに(お風呂で頭洗ってるときに)駆られました
 ので思いついたままになにか書いてみようと思います。
 制作ノートっつーか、落書きっつーか、まぁ無かったことになる可能性とかこやしになるとかその辺りで。
 ・・・・。
 あーもー、サイトやめようかなぁ・・(重症)
 
 
 ◆ ◆
 
 始めに蒼星石と翠星石がやっぱりある訳です。
 誰かのためになりたいって考えることっていうのは、ひどく見映えと手応えがあって、それに殉じる姿はとても
 美しくまた重みがあって、それに必死にしがみついている醜い自分というものを背負っていることを意識す
 ればするほどに、その美しい「誰かのためになりたい」という目的を放棄することは、逆にその背負っている
 醜い自分に負けていると考えてしまい、結局その目的に終始してしまったりする。
 ただ一方ではそういうものに終始してしまっている自分の姿というのもまた鮮烈に見えている訳で、そうする
 と今度は逆にそうして目的に終始してしまう事自体が、それに囚われることによってそれの本来の価値を
 損ねてしまっているのでは無いか、という疑問に辿り着く訳です。
 背負っている醜い自分というのは、それは実は背負ってると同時に背負われている自分でもあるという意
 識がどうしても出てくるんです。
 ほんとは自分もまたなにかによって(自分によっても)背負われている者であり、その背負われている者と
 しての自覚を意識した上で生きていけというのが翠星石的思考の形態で、その翠星石の眼差しに照らし
 出されることで蒼星石的な「他人を思い遣る気持ち」というのに主体を映す思考形態は、その惰弱性を
 露呈してしまうんです。
 他の誰かの事じゃなくまず自分の事を考えろ、って言われたときに、それって自分勝手なんじゃないの、
 ってまず始めに考えること、そこで意志的に停止している状態、その意志がなににより発生してくるのかを
 考えた途端、その自分の思惑は崩れる訳です。
 誰かのためになにかをしたいのは自分じゃないか、と。
 結局は自分の事を考えている訳で、それでいながらその「自分の事を考えている」という自分勝手さから
 逃げたいあまりに他の人のためになりたいという考えに実感を付与していくのは、非常に当の本人にとって
 はその自身の考えの正体というのは意識しにくいものなのですね。
 しにくい、っていうか観たくないっていうか、わかってるよでもしょうがないだろうという感じしか言えないの。
 それは最終的にはその悲観していく自分と改めて向き合うことになり、そしてその悲しんでいる自分を満足
 させるためにも誰かのためになろうとしていく、その考えの淫らさと醜さに蝕まれて壊れてしまう。
 
 そうやって色々と人との関係の中から見つけ出す自分の在り方という、そういうものを意識している段階
 に於いて、その蒼星石・翠星石的思考は言語化されそして意識として顕現していくんですけど、では今
 度はそういった段階の存在自体を意識している状態というのがある訳です。
 雛苺的な思考はまさにそれな訳です。
 蒼星石的思考というのが諦めというものを拠り所にし、翠星石的思考がそれに反発する主体としての自
 分の意識というものそのものを拠り所にしているとした場合、雛苺的思考というのは、そういった拠り所と
 すべきものを持たずに、ただ始めに此処に立っている自分、という意識が始まっているのです。
 自分というものを対象物として言語化させずに、ただただひたすら主体たる自身に終始しているんです
 ね。
 誰かのためになりたいと考えている自分と誰かにあなたのためになりたいと思われている自分と、その両方
 に向き合い戦っている自分、その自分そのものだけを敢て抽出して純粋にそれを生きる。
 なにか楽しいことがあったとき、それを誰かのためになりたいと考えている自分とそれに反発する形としての
 自分を表わした言葉の中に組み込んでしまう、そういうことを一切せずにそのまま楽しむ自分を楽しんで
 いく。
 言葉というものが先行してあるのでは無く、その言葉を創る者があってそれは初めて存在しているのであ
 り、ゆえに言葉を創設してその中に生きることを選ばない者にとって、言葉はただただ結果として残される
 ものでしかなく、またなぜそうするのかを問うたときに、必然的にそれは自分が生きているから、という
 答えに辿りつく訳です。
 言葉を紡ぐことに生きているのでは無く、生きているからこそ言葉を紡ぐ。
 主体としての自身の存在をくっきりと自覚した上でなされるその言葉の不採用、それは実は蒼星石・翠
 星石的な言葉を紡ぐ者の中にも意識されていることであり、逆をいえばそのなぜか圧倒的な勢いで
 迫ってくる「自分」というものへの対処法として、無意識的に言葉の世界を構築することを始めたという
 事でもある。
 誰かのためになりたい、というのはそう考えている自分というものとの複合体として捉えるのでは無く、ただ
 誰かのためになりたいという「気持ち」として捉え、ゆえにそこに存在するのは、ただ「誰かのためになりたい
 という気持ち」を持った自分だけが居るんですね。
 だからその気持ちはあくまでその気持ちだけであって、決してそれに囚われることも否定することも無い訳
 で、そうすると軽やかに誰かのためになりたいと素直に考えられる自分とだけ出会えるようになるんです。
 その自分の姿が一体どういうものであるか、という問いは、その姿を言語化した対象物として捉えない雛
 苺的思考に於いては発生しえなく、だからそこには非常に豊かな内なる落ち着きが発生する訳です。
 またそれを一歩進めれば金糸雀的思考に辿り着くのですが、しかし金糸雀的思考は逆に初歩的な
 蒼星石的思考という形に「退化」してしまいます。
 誰かのためになりたいという気持ちに豊かに頷いて、そしてその嬉しさを噛みしめるうちに出てきた言葉、
 それを今度はもっと綺麗にしよう、それが金糸雀的思考な訳です。
 もっと綺麗にしよう、ということでそこに意志的な自己の言語化が行われ、そしてやがて目の前に対象物
 としての自分の姿を得てしまうんですね。
 雛苺的思考に於いては、その金糸雀的思考的進化、という「退化」は決して許されず、ただそれはひと
 つの対象物として捉えられもします。
 つまり、誰かのためになりたいと考えている自分の姿を見つめている「誰か」の姿を見ている自分が居る。
 よーするに金糸雀や蒼星石達が四苦八苦しているのを見ている雛苺がいるっていうか。
 だからそうして見ている対象としてその言語化した自分と向き合う自分は存在している訳で、その自分は
 ゆえにその対象物の方の自分からガンガン影響も受けている。
 けれど影響を受けようとも、その主体たる自分の存在をゆるがせにはしないという意志を確かに持ってい
 るんですね。
 今自分の置かれている状況、それが幸せで楽しいから、だからそれで充分。
 そういった自身への帰結が終わりとして雛苺的思考には表われてくるんです。
 
 ということは、逆に其処に到達した場合に新たに見えてくるものがある。
 自分の辿り着いた場所が地獄だったとしたら。
 究極的な楽観主義的意志の元に生きようと永遠に足掻いても尚、そのあがきの足場たる地面が泥沼
 だったとしたら。
 そのときはその地獄の中に楽園を探すことはできずに、ただただ地獄そのものを楽園と思うしかない。
 つまり水銀燈的思考です。
 ただ此処に在る者としての意識、それは絶え間ない圧倒的な幸せな足場を拠り所として発生するゆえに
 、それが無い場合はその足場を求め創り上げる追求者及び創造者としての自我意識が発生する。
 目の前にある黒ずんだ自分の姿、それは鏡に映った自分の姿の如くに冷たく此処に不在する自分の
 姿が在ることを示すのです。
 そこに空っぽの自分が在る、それしか無い、という絶望。
 自分、という言葉をその空っぽを彩る輪郭に当てはめてよいのかすらもわからずに、ただただ自分が無い
 ということを嘆き続けている。
 当然その「嘆き続けている自分」というものは雛苺的思考と同様に存在しない。
 目の前に見えているのは、存在はしないけれどもし存在していればこんなにも醜い自分、というものだけ。
 けれどその想像上の醜い自分を見つめることしかできないのが堪らなく辛い。
 だからそれを「自分」として、それを見ている自分を影とした。
 今目の前に居る想像上の自分、それは自らが想像しているものゆえに絶対的に自身の中身を投影し
 ているものであるんです。
 要するに自分が考えていること思っていること、そのすべてが凝縮されたものが目の前にある訳です。
 それは言語化されて対象物として意識されているものに限らない、本当の意味での「すべて」であり、
 そうであるからこそ水銀燈思考はその目の前にある「絶対の自分の存在」というものに行き着くんです。
 主体であるべき自分が「此処」にでは無く「其処」にある状態。
 けれど無論その状態そのものを認識している主体は間違い無く「此処」にある訳で、それからは絶対的
 に逃れられない訳です。
 無いはずのものが確かに在り、在るはずのものが全く無い。
 そこで嗤う訳です。自分を嗤う。どの自分を差して嗤うのかまたどの自分が嗤っているのかわからずに。
 それって、自由自在って事じゃないの?
 そう、どうあっても地獄にしか過ぎなく、どうしても自分が存在しないのならば、それは本当にどうにでも
 していい訳です。
 というよりどうしようとどうにかなるだけなんですね。
 ここが地獄であることは変わらなくても、ならばその地獄を楽園だと思えばいい。
 それでもそれは地獄なのだから本来的にやせ我慢にしかならない、そう考えている自分は不在なのだか
 ら。
 そして、その自分は不在なのだと考えている自分を、ようやく見つけるに至るのです。
 だから、嗤う。本当に馬鹿だなと嘲笑うんです。
 そしてその「嘲笑する自分」というのは決して「自嘲する自分」というものにはならないんです。
 だって既に地獄なのだから。
 その地獄を馬鹿にしきって、その地獄に飲み込まれる自分を嘲笑って、そうして死んでいく自分を憐れむ
 自分を軽蔑する。
 その嘲笑う「すべてとしての自分」を目の前に明確に存在させる事に水銀燈的思考は帰着する。
 それは敢て名前を付けるとしたら、悲哀主義的楽観というか。
 自分を憐れんで憐れんで悲しみ切って、そしてそれを踏まえた上で、というか足蹴にしてだからどうしたって
 いうの馬鹿じゃないの、と言ってその醜い悲哀に染まった自分を叱咤しながら生きていく。
 どうにもならないからどうにかなる。どうでもいいからこうしたい。
 
 その地獄の中で自らが選び取ったものを抱きしめて生きていく、ただそれだけの言葉をそのままにしてそれ
 もまた抱きしめて生きていくのが薔薇水晶的思考。
 それから始まりそれで終わるという強靱な状態、ただそれだけがすべてを内包している、ある意味で完全
 な自分の状態、それはまたある意味でプログラムされた思考体のようでもあり、それを自分と言って良い
 のかすらもわからない。
 仮にそれは果たして自分と言えるのだろうかという問いを投げかけた場合、それは間違いなく100%そんな
 問いは必要ないという返答を得るだけにしか過ぎない。
 その返答をする側もされる側も確かにひとつの自分なのだが、その齟齬に対する違和感をその自身の
 足場となる地獄の中に現出させてしまっているので、全く動じることが無い。
 そうして自問自答して煩悶する自分の姿、というものを冷静に観察することができるのは、それは自分が
 選び出したそのなにか大切なものへの想い、それがそれらを圧倒するほどに強いと、ただそれだけでしか
 無い。
 それは雛苺的思考に類するものではあるかもしれない。
 ひたすら自身の中に発生する気持ちを楽しんで。
 でも薔薇水晶的思考の場合、その気持ちを求めて自己陶酔するのが目的では無く、その自己陶酔を
 発生させるものそのものの発生及び維持を求めている。
 自己陶酔そのものを求めている訳では無いから、主体性を自分の側に有しているという意識は微塵も
 無く、ただただ純粋にその大切ななにかを見つめている。
 だからその大切ななにかを求めているという自分を意識することは無い。
 ただただ誰かのために、という自らの発した言葉をただ剥き出しのまま使い回し使いこなし、ただただ
 誰かのためになろうとしていく。
 それは蒼星石的思考が辿り着くことのできなかった境地であり、また蒼星石的思考が絶対に選ばなかっ
 た道でもあるんですね。
 その足場が楽園であるか地獄であるかの違い。
 それはただ単純な言葉の比較では無く、それが実感として与える影響は大きく違い、またそれゆえに
 導き出される思考形態も大きく違う。
 薔薇水晶的思考は蒼星石・翠星石・雛苺・金糸雀的思考とは根本的に立場を異にし、また水銀燈
 的思考とは立場を同じくしながらその中で選び出したものが全く違う。
 正確にいえば水銀燈的思考は蒼星石・(以下略)的思考と薔薇水晶的思考の中間、やや薔薇水晶
 よりにあるんですけどね。
 水銀燈はなによりも真紅達他の姉妹達の「楽園」を見続けていた、これが薔薇水晶とは決定的に違う
 ところです。
 
 
 真紅的思考。
 それは上記に書いてきたものの統合、そこにそれの本質があるんじゃないかなぁ。
 誰かのためになにかをしたいと考えている自分が居て、それを放っておくことができないからなんとかしようと
 言葉を紡ぐもすればするほどに醜く崩れ、それは元からあったその誰かのためになりたいという気持ち、ひ
 いてはその気持ちに囚われている自分自身をも貶めてしまう、それがひどく悲しいがゆえになおの事どうに
 かならないかと思って言葉を寄り合わせていく。
 けれどその言葉の中身がその誰かのためになりたいという主語しか持ち得ないなら、それは結局構造的
 に間違っている言葉の羅列であって、だからまずはそれを見直すことで一旦全部消去してからやり直せと
 いう思いがあり、そうするとまた新たな記述を続けていくことができていくようになる。
 それはやがてその自分の気持ちを記述している自分という存在の獲得を導き出し、そうする事によって
 その自分というものの内にある気持ちというものがそれだけでは無いことに思い至る。
 そしてその様々な気持ちを記述していく、ということそのもの自体に対する楽しさが芽生え、そしてその楽し
 さに没頭していることができる自分を、その記述している自分の姿を目の前に置いたまま感じることができ
 るようになっていく。
 それはまたその目の前の記述者としての自分への移入を発生させ得る状態ではあるだろうし、そうなると
 また記述する言葉の中に逆戻りすることもあるけれど、逆にその可能性を踏まえた上でなおその記述者
 としての自分を目の前に留めておくことが強くできる。
 だがその強靱な楽しみを享受するものとしての自分の姿は恒常的に在らせようとして在らせることはでき
 ず、目の前にあるものが反面教師的籠絡可能なもので無い、つまり圧倒的な否定力を以てそこに
 存在している場合、それは恐ろしい勢いで反転してしまう。
 そこに楽しいものがあるから素直にそれを楽しみたいと思うことはできても、そこに楽しいものが無いのに
 それを楽しみたいと思って楽しむことはできず、ゆえに自分を見失い、また失う。
 そしてそれは誰かのためになりたいと考えている自分の決定的喪失でもあり、またそれはその喪失の力を
 使って新たな自分の姿をその闇の中から創り上げていく。
 誰かのためになりたいけれどなれない自分、それでもそうなりたい自分、その存在を見つけるたびに、
 そう考えるたびに、それらを嗤い馬鹿にし、その絶望をそのまま嗤い飛ばす楽園へと変換していく。
 その顕われた楽園の中にしか存在し得ない悲哀は存在せず、其処にはただその楽園の中を高笑いしな
 がら飛翔し続ける眩しいその誰かのためになれる自分、それを見上げているだけの者が居て、そしてその
 者はその自身の醜い姿を嘲笑い、そしてその醜い姿を受け入れようとするものを罵倒し、そして徹底して
 その夜空の中の美しい自分を求め続けていく。
 けれどそれとはほぼ同時にして冷静にその夜空の中の美しい自分への道筋を刻んでもいる。
 嘲笑しながらにしてそれを愛せずには居られない。
 そしてその愛を具現化すること自体を求めることもやめられない。
 決して追いつけぬとわかっている美しい自分の姿、それを本当に手に入れることだけを考え、そしてそれが
 どうしても手に入れられないということを認識するたびに心底激烈な憎悪を沸き上がらせている。
 それは手に入れられないという事をわかった上でそれを目指しているのに、どうしてもそれが手に入れられ
 ないということに全力に反応してしまう。
 そしてその力が圧倒的に自分を支配し、その力が自分自身となって、そしてその手に入れられない状態
 というものそのものを憎悪によって破壊していこうとする。
 その破壊そのものがその求めたものへ道筋をも壊し、またその求めたもの自体をも崩れさせていってしまう
 、そのことをそれをわかっていても、それでもその破壊をやめられない。
 なぜならばその「破壊」は、それがもたらす崩壊、それをも破壊したいという想いによって発生したもので
 あるのだから。
 そして。
 そこで、すべてを見渡す訳です。
 そういった、すべての自分の姿を、思考を。
 そしてそこに真紅的思考が登場するわけです。
 すべてを統べる、そしてすべてに支配されたひとつの澄んだ存在が。
 
 
 
 
 
 いやもう、なにがなんだか。途中で脳が力尽きた。ていうかなに書いてんの。
 
 いなばうあー。 (特に意味はありません)
 

 

-- 060222--                    

 

         

                                   ■■ 地獄休み ■■

     
 
 
 
 
 この辺りで一休み。
 
 地獄少女第二十話「地獄少女vs地獄少年」を見ました。
 この話自体に関する感想は特には無いというのが正直なところですので、これまでのお話についての話
 を通して地獄少女について語らせて頂きます。
 
 これまでのお話の中でメインにあるのは、怨みを晴らしたいと願い、そして地獄少女を呼び出す者の心理
 だったと思います。
 私は特にその怨みを抱くという状態に置かれた人間について、色々な事を書いてきたつもりです。
 怨みとはなにかという問いの形として書いたものも、またその怨みの中身を言葉に換えて綴ったものもあり
 ます。
 そしてそれらはすべてそれぞれの登場人物、特にメインとなる怨みを抱いている者の状態を使用して創っ
 った事柄であり、それゆえに個別の「怨み」というものを描いてきたことになります。
 それぞれのお話毎に描かれていた怨みのお話。
 「地獄少女」という作品は、その各個バラバラなお話をまとめて提出したものであると同時に、それはまた
 しかし閻魔あいという存在を経由してひとつに統一されたモノとして描かれようともしています。
 それぞれの怨みのお話に偏在しているなにか共通のモノを取りだして示してみせる、というよりは、地獄少
 女たる閻魔あいの存在そのものが、そのすべての怨みを体現していく気配を有しているのです。
 閻魔あいについての特別なエピソードは今のところまだありませんが、怨みを晴らす代行者としての彼女
 の示す所作や言動、及びその姿自体が大きな「怨み」の象徴となっているかのようにして。
 それは別に「怨み」が人格を持っている、という意味では無いのでしょう。
 少なくとも今のところ、閻魔あいの内面的心理を言語化して提出する気配は無く、またその必要性も
 感じられません。
 閻魔あいが語る言葉は、ただその「なにかを語っている閻魔あい」という情景そのものに意味が込められ
 る場合に於いてのみ有効に働き、また閻魔あいが魅せる所作は、ただその「なにかをしている閻魔あい」
 という情景そのものに意味が込められる場合に於いてのみこれも初めて有効に働くのです。
 
 或いはこうも言えるでしょう。
 「地獄少女」という作品は、「閻魔あい」というひとつの大きな怨みのお話であると。
 あの世界の中で描かれていく小さなお話を内包しているのが閻魔あいそのものであると。
 逆にいえば、「地獄少女」という作品内世界が紡ぎ出す物語そのものが、閻魔あいの内面世界そのもの
 であると。
 それを言葉で綴っていこうとすればそれが閻魔あいの発した意味のある言葉となる。
 私はこの一連の「地獄少女」の感想は次第にそういう形として書き進めていくようにしていくようになりまし
 た。
 また時折差し挟む閻魔あいそのものに類する描写にて、そういった閻魔あいとしての「地獄少女」の在り
 方を描いてきました。
 閻魔あいとはなにか、という根本的なにかを描くために、一個一個の怨みの物語を描いていく、それが
 「地獄少女」というアニメ作品が選んだ手法でしょうし、また偶然にも私もまたその手法を以て「地獄少
 女」の中に在るなにかを描いています。
 作品もいよいよ終盤ですけれど、ますます個別の怨みに満ちた物語が深まっていくことを願いつつ、
 私もまたその中に身を委ねてそれを描いていこうと思っています。
 
 それでは、今宵はこの辺りにて。
 
 
 

 

-- 060220--                    

 

         

                                 ■■よくわからない ■■

     
 
 
 
 
 これまた少し間が空いてしまった更新になります。
 なんだか全然金曜日更新しないよね、こいつ。
 更新してもしなくてもいいだなんて自分で言ってたら、そりゃー更新しないのを選ぶの、わかるよ。
 ・・・・・自制心、頑張れ。応援してるぞ☆ (どうでもいいです)
 
 さて、ほんと指先だけで文字を打ってる状態でアレなので、それらしく箇条書きで。
 
 ・舞乙見た。巻き巻きはすごい。 猥褻物陳列罪は次点。
 ・怪見た。すごい。
 ・男子フィギュアは好き。キャンデロロとかヤグディンとか。・・・・。男子フィギュアは好きだった(過去形)
 ・かしまし見た。えーと、あれだ、頑張れ。
 ・恋愛と大恋愛の違いを知りたい。
 ・すごらじのおふたりには、ただただ圧倒されるばかりです。
 ・2点目の小笠原のあれはマグレだとなぜ誰も言わないのかを考えた。
 ・ブリーチを第19巻まで読んだ。感想は特にありません。
 ・Fate見た。だんだんと桜が怖くなってきた。
 ・遅刻と大遅刻の違いはわかった。身を以て。
 
 ・ごめんなさい、やる気なくて。
 
 
 P.S:
 お詫びがてらに今週の土曜日(2/25)の23時30分から恒例のチャット会をやりたいと思います。
 まぁそのなんだ、暇な人は寄ってってくだされ。
 
 
 
 ◆ ◆
 
 前置きは、たぶん、もう。
 
 ■「蟲師」 第十六話 :暁の蛇
 
 ・穏やかな空の下に舞う桜吹雪が垂れ込めていく中に忍びよる影、それを静かな旋律の果てにそれを
  断絶する音で良く表わしている。
 ・家の戸を開けるとそこには箒を抱えて樽で縮こまっている母親の姿を見たときの息子の顔。うわまたかよ
  というその顔がしかし母親のヘンな生き物がいるという言葉によって一瞬緩むも、それが陸に上がって
  来たカニであることを見て再びがっくりとくる。いつもこんなんだよ。
 ・ギンコにカジの母のサヨですと自己紹介するとき、サヨですという前に一拍置いているのが良くサヨの状態
  を表わしている。ちゃんと覚えているものでも一度確かめてからでないと断言出来ない状態。けれど
  サヨにはあまり悲壮感は感じられない。
 ・カジが語るサヨの忘れてきたもの達を描く情景の中でのサヨも、忘れているという事に対する悲しみは
  決して現出することは無く、初めて目にしたものへの驚き、そして忘れてしまっていることで今現在生じて
  いる問題に右往左往するだけである。元々おっとりしている性格だという供述をそのまま裏付ける描写
  になっている。
 ・むしろ悲壮感を漂わせているのはカジの方。カジの目の前にある問題、それは母の異様な不調であり、
  それを不在の父の分も自分が背負っている感覚がカジには有り続けている。だがそれを自分にできる
  事に限界があることはわかっており、そしてどうにもできない分をすべて父の不在のせいとして怒りを溜め
  ていく。カジが父の不在を詰るのは父を求めているからでは無く、母の不調が治らないからである。
  そして母の不調を母のせいにすることはできなく、ゆえにカジは不在の父を思い遣る母に対して怒りをぶ
  つけてしまう。あいつが居ないから母さんはおかしいままなんだろ!母さんがあいつを求めなくってどうする
  んだよ!!
 ・そして、自らの不調を最も憂いているのはサヨだった。ギンコと向き合うときのサヨの表情にみるみる力強
  い影が灯っていく。ギンコに助けを求めるサヨ。「あの子のためにも、勿論私からもどうかお願いします。」
 ・自らがどのような状態にあるのかを良く知るゆえに、それが自らをどのような状況に置くかを知らずには
  いられない。「このままではいつか、夫やあの子のことまで忘れてしまう。」
 ・「そして、忘れたことすら忘れてしまう。・・・それがなにより恐ろしいのです。」
 ・自分の世界に入り込んで、考え得る状況の想定を進めていくうちに、サヨはこの言葉に辿り着く。
  自分の回りを白く彩り無意識に指先を口先に持って下げ降ろしていくサヨの姿。それが自分の中に綴ら
  れていくその言葉をなぞっているという情景を顕わしていく。
 ・忘れたことを忘れてしまうのなら、それは元々無かったということになるのだから恐ろしいということは有り得
  ない。だからサヨの言っていることは本来なら有り得ない。だがサヨは今を感じている。忘れたことすら忘
  れてしまうというのが有り得るかもしれないと考えている今現在の自分を。だからサヨはそうして予想でき
  る未来そのものを恐れているのでは無く、そういう未来を予想できてしまう今の自身に怯えている。
 ・そしてサヨはその未来そのものも実際恐れている。サヨはたとえなにかを忘れてしまっていたとしても、なに
  かはわからないけれどなにか大切なものがあったのだろうという意識さえあればそれでもいいと、そう思っ
  てもいるのだから。忘れてしまったことすら忘れてしまえば、そこには常になにも無いゼロからのスタートし
  か無いのだから。忘れてしまったということだけは忘れたくないと、そうサヨはギンコに言うのだ。
 ・だからサヨは毎夜機を織りながら遠く離れた夫のことを想い続けている。たとえ顔が思い出せなくなったと
  してもそれを思い出そうとし続ける。たとえ夫のすべてを忘れてしまったとしても、なにか忘れてしまってい
  るものを思い出そうと頑張れる。
 ・事実サヨはもう長い間記憶の中の夫としか会っていない。繰り返し思い出すことで、夫の姿は其処にあ
  り続けている。
 ・しかしそのゆえにサヨは夜寝ることができない。思い出し続けていなければ夫の姿は無くなってしまうのだ
  から。寝てしまえば一日は終わりまた新しい朝が来てしまう。その朝にその記憶の中の夫が待っていて
  くれる保証は無いのだから。
 ・「せめて眠れたら・・・待ってるのも少しは楽だろうにね・・・・」
 ・眠ることのできないサヨが創る夜の中の紫色の灯明が美しい。
 ・「こんな宵は常ならば、深い深い眠りの淵に落ちるためにあるのだろう。」
 ・そして明け方に僅かに眠るサヨ。そしてすぐに目覚めて立ち上がったサヨの背後の影だけが眠った形の
  まま壁に張り付いている。サヨの影だけは夜を越えることはできずに、そうしてひとつサヨからひとつ記憶を
  持ち去り消えていく。
 ・ギンコに蟲に憑かれそれを取り除くのは不可能だと告げられたときのサヨ親子の反応。
 ・根本治療はできないが対症療法はできるというギンコの話に聴き入るふたり。毎日新しい記憶を取り
  入れろとギンコは言う。それをせねばすべてを忘れてしまうと。たとえ毎日思い返そうともその思い返すこ
  とさえも忘れてしまうのだと。
 ・ギンコの話を聞いて突拍子も無くじゃあお父さん探しにいこうかというサヨの言葉に驚くカジが面白い。
 ・待っているだけでは無く探しにいこう。ではなぜ今まで待っているだけだったのかを考えてみる。
 ・夫が他の町で新しい家族を持っているのを見てしまうサヨ。その瞬間からサヨは思い返すべき夫の記憶
  とそれを思い返すという行為の意義を失った。そしてサヨは昏々と眠った。夫を思い返す必要が無くな
  ればそこに残るのは疲れ切って睡眠を求める体だけ。その体の中から無用となった夫の記憶を
  今現在の夫という「新しい記憶」という黒い蛇が持ち去っていってしまった。新しい記憶を重ねることで
  今までの他の記憶を守るために思い返していた記憶を消してしまった。
 ・目覚めたサヨに残っていた記憶は家と飯の炊き方とカジの事だけ。夫の事もなにをしにここまで来たのか
  も忘れてしまっていた。どんどんと薄れていく夫の記憶を守るために重ねた家族を捨てた夫の記憶を得
  てしまった途端、その夫のに関するすべての記憶とそしてそれを思い返すことも忘れてしまう。忘れてしま
  ったということすら忘れてしまったサヨ。カジは涙ながらにそのサヨの状態を肯定していく。もういいんだ母
  さん・・・・
 ・毎日毎日記憶を取り入れてはそれと同じだけ忘れていく日々がサヨに訪れる。
 ・もはや其処には忘れたことさえ忘れてしまう事の恐怖捕らわれる「今現在」のサヨは存在せず、毎日楽
  しそうにしているサヨだけが居た。
 ・だがそれでも今までと同じく眠ることはほとんどできずに機を織る夜を過ごしているサヨ。相変わらずだよと
  カジは言う。
 ・そして、またこの家の食卓の膳はひとつ多い。なんのためにそうしているのかもうわからなくなっているのに
  、そうしているのがひどく楽しいと言うサヨが居る。別に思い出せなくてもいいわ・・・だって・・
 ・「こうすると安心するのよね・・・どうしてかしら・・・・・・なんでだったかしら・・・・・」
 ・そうして、ゆっくりとなにかを思い出そうとしている穏やかな夜が、ただ満ちていた。
 ・だが、いつも、決して思い出すことの無いままに朝を迎えていく。
 
 
 駄目だー、なんか全然書けないー。(スランプ)
 
 
 
 

 

-- 060215--                    

 

         

                                ■■死を着る地獄 ■■

     
 
 
 
 
 『いいえ、まだです。まだ瞳が死んでない。これじゃあ死した人形とは言えない。
  死装束が似合うはずもない。』
 
                             〜地獄少女・第十九話・御義母様の言葉より〜
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 鈴を転がしたような静謐の雫で濡れた寂光が在った。
 その中に佇んでいるものの全てに影が芽生えるようにしてその白無垢の内側に私が在った。
 その白に映える幾千もの色彩の命が私の中で蠢いている。
 厳かに力を握り締めて充満していく希望のこの場所がこれからの行く末を受け入れる喜びに震えていた。
 虹の七色にも極彩色にも染まり往く白い希望を胸に抱いて。
 けれど。
 それを見つめているふたつの瞳は、ただその白さのみを見つめていた。
 白く白く、真っ白に染まってしまえ。
 その光に照らし出されたのは、真っ白な花嫁人形だった。
 
 
 
 ◆
 
 薄暗くも暖かい施設の中での生活は嫌になるくらいに私を惹きつけていた。
 そのあまりの居心地の良さという呪縛に耐えられなくなって、私は外の世界に憧れを抱いていた。
 ぼんやりと空を眺めながら仲間達と戯れながら、いつかきっと此処から抜け出さなくてはいけないと思って
 いた。
 此処はこんなにも優しい場所だからどうしても此処に居続けたいと思ってしまう。
 だから私はそう思ってしまう自分に捕まったままじゃ駄目だと思っていた。
 あなたはいい子ね、と褒められるたびに、私はより一生懸命にいい子になろうとした。
 わざわざいい子になろうと思わなくても自然にいい子でいられるような、そういう心懸けをしていた。
 褒められるからいい子になるんじゃなくて、私がみんなに褒められるような素晴らしい人間になりたいと、
 ただずっとそう思っていて、だから褒められるのは嬉しかったけれど、それに浮かれているうちはまだまだだと
 思っていた。
 だから、私は施設から出たかった。
 どうしても褒められて浮かれているだけで満足してしまう自分しか居なかったから。
 私はもっとちゃんとしたかった。
 褒められること自体はいいの。
 そして褒められている自分という者も受け入れていくことも大事だとは思うの。
 でもそういう境地に辿り着くまでには、それこそもっと修行しなくてはいけないのだと思っていたのよ。
 今の私ではただ本当に褒められていい気になってそこに安住しきってしまうことしかできなかったのだから。
 私はだから外の世界に出て、もっと色んなことをしてみたいと、そう思ってきた。
 この施設が、鏡月院が嫌いって訳では無いの。
 むしろ此処の優しい人達に報いるためにも、もっともっと私は素晴らしい人間になりたかったの。
 色んなことをして、見て、聞いて、食べて、そして学びたいし遊びもしたいし恋もしてみたい。
 様々な可能性が私の未来を彩っていくためにも、なおのことは私は外の世界に憧れたの。
 
 
 
 
 『嫌な風。生暖かくて冷たくて。こういう夜に人は泣く。』
 
 
 
 

 
 
 
 夜に囲まれた闇が薄白い肌を纏い、か細く差す月光を背負ってゆっくりとその全貌を顕わしていく。
 水気を含んだ夜気を棚引かせる黒髪の先端にまで薄い肌が広がっているのを感じていく。
 漆黒に乱れたまま静まっていく私の心がどんどんと体の奥底へと沈んでいくのに気付いていた。
 重ねる分厚い肌の枚数を数えるうちに、それがすべて純白であることがただ恐ろしかった。
 この白は私の心を映し出して色鮮やかに輝く事も無く、それはただその私の心を白く塗り潰すために満ち
 ていく空白だった。
 ささやかながら抱いていた憧れが現実によって摩滅し、しっとりと色合いを加味していく苦味に慣れていく
 ことは、辛いながらも嬉しかった。
 そうやって染められていく私の白い肌が豊かに火照っていくのを感じるたびに変わっていく、その美しい私
 の姿は私の求めていたものだったのだから。
 沢山の色で染め上げるために用意した下地としての白い肌は、その幸せな変色を重ねていくたびにその
 美しさを増していく。
 だから御義母様になにか求められる色があれば、私はその苦しさに耐えながらも、私の中の漆黒からその
 色を混ぜ合わせて取り出し、そして私の肌に塗り込めていくこともできた。
 ええ、御義母様がお望みとあらば、私はどのような人間にもなってみせましょう。
 御義母様に素晴らしいと思われるような人間になってみせましょう。
 
 
 そして御義母様は、私に人形になれと仰った。
 
 
 私の肌から白をすべて抜き取って、その抽出したどす黒い純白で私の内も外もすべて塗り込めろ、と。
 ただただ白ければいい。
 ただただ真っ白でなにも無い、いかなる彩りも灯さない瞳をこの肌の先に掲げてみせろ、と。
 御義母様はそれからずっと私の体で人形を作り始めた。
 毎日真日私を白く塗りたくり、少しの濁りも逃さずに無を刻み込んでいった。
 私はどんどんと綺麗に美しくなっていくのに・・・・・
 それなのに・・・ただ恐ろしくて・・・・・
 あのとき着た白無垢は、希望の光で彩るための白ではなかった。
 あれは最初からずっとそのまま白く居ろというものだったの。
 変わるための可能性としての白では無く、変わってはいけないという禁止としての白。
 日に日に私の中の無限の漆黒は白く濁らされ、そしてそれは次々と真っ白に均されていった。
 まるで生きたまま魂だけを殺されていくような感触。
 いいえ・・・・違うわ・・・・・
 
 
 死んだ人形を、御義母様はお作りになられているのだわ。
 
 
 
 『美しく、たおやかに、お人形のようにね。』
 
 
 
 
 
 
 ◆◆
 
 『私が欲しいのは、悲哀と絶望に満ちた人形なんです。』
 
 
 ずるずると引き剥がされていく肌を再び貼り付けられる。
 その貼り付けられた肌の内側にあるのは、きっともう私の知らない白い闇。
 人間で居たいと泣き叫ぶ私の涙が激しく私の瞳の中にめり込んでくる。
 涙で出来た恐ろしい瞳が出来上がるまでの間、私は刻々と殺されていく。
 生きたまま死を塗り込められ、その死が中身となって私を生かしていくのよ。
 それは本当に、御義母様のお望みになられた通り、悲哀と絶望に満ちた人形なの。
 私は生きたまま殺されて、そして死んだ私が人形になるのよ。
 死んで居ながらにしてその中に悲哀と絶望という私が渦巻いている恐ろしい人形に。
 御義母様はただの無機質な人形をお作りになりたい訳じゃない。
 死んだ人形、という言葉の意味が最初はわからなかった。
 人形はもともと生きてないのだから、死ぬもなにも無いと思っていたから。
 でもね、それはそういう意味じゃなかった。
 人形が死ぬのじゃない。
 死んだ「なにか」が人形になるって事なのよ。
 戦慄した。
 震えがあっという間に静まってしまうほどに、それは衝撃だったの。
 あの御義母様様の瞳・・・・私は始めからあの人に・・・・・
 あの瞳の中で私は長い時間をかけて殺され続けていたのよ。
 心を白く塗り潰して、生きる屍の如くになった私、それがまだ確かに生きているということを御義母様は
 絶対にご存じなのだわ。
 心を無にしろ、と仰った御義母様。
 そうして戦慄した私の心が悲哀と絶望という純白に塗り込められていくのを、確かにご存じなのよ!
 心は決して無くなったりはしない。
 でもなにかに塗り込められて真っ白になってしまうことはあるのだわ!
 怖い・・・・・・怖い・・・・・・・・・・っっ
 
 
 『怖いんですっ。怖くて堪らないんです! 御義母様のあの目がっ!!』
 
 
 
 ◆◆◆
 
 暖かく包んでくれたあの呪縛に帰りたい。
 白無垢を着ることのできないあの場所へ。
 死に装束を着せられるくらいなら、私はあそこに帰りたい!
 罪深い事だということはわかっていた。
 御義母様を呪うことも、鏡月院に帰りたいと思うことも、全部逃避にしか過ぎないということを。
 でもこのままじゃ私、御義母様の人形になってしまう!
 御義母様のためになりたいのは私。
 御義母様のためならどんな私にだってなる覚悟は今でもあるわ。
 でも。
 でも!
 人形になれだなんてあんまりだわ!
 
 『私は人形じゃない・・・・・・人間でいたい!』
 
 人間であるから私はどんな私にだってなれるのに。
 誰かに求められているから私はその求めに応じられるのに。
 それなのに、人形になってしまったら、それは誰かにその私を渡してしまうことになるの。
 私は私よ、誰かのためになりたいと思っているのは私なのよ。
 その私を渡す訳にはいかない。
 私は私を誰かに捧げるために生きてるのじゃない。
 私は誰かになにかをしてあげるために生きてるのよ!
 
 だからこそ、私は鏡月院に帰る訳にはいかないのよ!
 
 『此処の人は本当にみんな優しくて、私を大事にしてくれる。』
 そうだからこそ私は此処から飛び出してきたのよ。
 その優しさに真に甘えられる自分を得るために出てきたのよ。
 それは今だって変わりはない。
 ここで鏡月院に戻ってしまったら、私はもう本当にあの人達への甘えから抜け出せなくなってしまう。
 そんなの、私がみんなの優しさを壊してしまうのと同じなの。
 だから・・・・・
 
 
 『非常口って、非常のときは誰が使ってもいいのよね。私にとって非常口の代わりが地獄少女なの!』
 
 
 御義母様さえ居なくなれば、私は鏡月院に帰らなくても済む。
 でも勿論私にはそんなことはできなかった。
 御義母様から逃げ出す訳にはいかなかったのよ。
 私は私、だから人形にならなくてもできる、私としてできるなにかを御義母様に・・・・
 でも・・・・駄目だったわ・・・・
 どくどくと燃え上がる私の中の漆黒の群が、御義母様の重ねた純白の肌の下から漏れだしてくるの。
 嗚呼・・・・私はこの子達を見捨てることなんてできないわ・・・
 私が私でありたいと思えば思うほど、私の白い姿がはっきりと見えてくる。
 これが・・・・死んだ人形の姿・・・・
 こんなの・・・・・こんなの・・・・・・・・・許せないよ・・・
 『ごめんなさい・・・許してねシスター。私もう祈れないよ。懺悔もできない・・・・』
 
 
 
 
 
 
 
 そして。
 目の前に、紅い瞳が顕われた。
 
 
 
 
 
 
 
 『あの人が悪いのよ。人を人とも思わず人形みたいに。私だって痛みもあれば怒りも覚える。
  あの人のお人形にはなれないっっ!』
 溢れ出す色彩に見合う言葉を添えて乱れるままに黒い髪を振り回す。
 残酷に散りばめられていく怒りがずっしりと覆い被さる純白の肌の恐怖を呼び起こす。
 私に・・そんなものを着せないで!
 千々に乱れる心の隙間を埋める空白に掴みかかり悲鳴を上げながらそれを引き剥がした。
 嫌・・・・嫌・・嫌!!!
 露わになった漆黒の群のざわめきを収めようと懸命に手を伸ばした。
 そして、その先に、夫の声が、在った。
 ああ・・・・・この人と生きていけるんだ・・・・・
 幸雄さん・・・・・・
 私はこの人のために・・・・・・・生きて・・・・・・・
 見つけた・・・・・遂に・・・・・・素晴らしい・・「私を」
 
 
 
 
 
 
 『怨みます、あの人を。
 
  私は幸雄さんと生きていきます。』
 
 
 
 
 
 
 くるくると叫び廻るたびに、その声が辿り着いた先から此方に向けて紅い糸が伸びているのが、見えた。
 
 
 
 
 
 ◆◆◆◆
 
 幸雄さんの胸の中から御義母様の高笑いが聞こえてきた。
 醜い操り人形にしかなれなかった私を嘲笑う御義母様。
 死に装束を纏うことすら許されない、ただの木偶の坊だと。
 私は、本当に、なにをしてきたというのだろう。
 私の中の漆黒が、純白の肌を押し潰して私に真っ黒な喪服をお仕着せていっただけ。
 私が生きた心に殺されていく葬列にただ参加することしかできなかったのに。
 地獄少女が私をみてる。
 暖かく包んでくれる呪縛に操られ叫んでいる私を見ているだけだった。
 
 
 私は私だ、と叫ぶことしかできない私を見ていることしかできなかった。
 
 
 
 『人形に比べれば人間など浅はかで醜い外道に過ぎないわっ!』
 
 『君はただじっと僕のことをみていてくれればそれでいいんだ。お人形のように。』
 
 
 
 
 私の求めた私は御義母様の人形にすら、勝てなかった。
 
 
 
 
 
                           ◆ 『』内文章、アニメ「地獄少女」より引用 ◆
 
 

 

-- 060213--                    

 

         

                                  ■■ 雪月花、他 ■■

     
 
 
 
 
 優柔不断。(挨拶)
 
 ちょいと箇条書きで。
 
 ・舞乙を久しぶりにみた。なんかすごい展開になってた。でもそんなことよりシズルさんを出せ。
 ・びんちょうタンは、無い。
 ・RECは、(以下略)
 ・かしましをまだ見続けている自分が居た。
 ・トロイメント感想のエピローグのタイトルは「人形師の空」に決まり。だが後が続かない。
 ・蟲師の原作をチラ読みしたところ、なんだかひどく安心した。
 ・降水確率10%で雨が降った。
 ・なんたら武龍というのをみた。笑った。
 ・サッカー日米戦を最初から最後まで見たのに、得点シーンのみすべて見逃すという離れ業を達成。
 ・ローゼンの再放送を見てやっぱり翠星石はスゴイと思った。乳酸菌が見事に死滅したですぅ。
 ・ARIAのラジオはこのままの感じで言ったらある意味で神だと思った。ある意味での神。
 ・次にトリノオリンピックに気付くのは閉会式のときだと思う。
 ・「日蝕」を読み始めてからその間に既に他の本を3冊読み終わってしまった。先は長い。
 ・最近自分のBGMがアヴェマリアだというのはさすがにどうかと思った。
 ・Fateって登場人物総入れ替えになったんですね。(録画する局を素で間違えた)
 
 以上。
 
 P.S: トロイメントのエピローグは中身を思いつき次第更新と。
 エピローグとは言えない代物になるかもだけど。あはは。
 
 
 ◆ ◆
 
 前置きは無しで。
 
 ■「蟲師」 第十五話 :春と嘯く
 
 ・雪の中に芽吹く花、そして舞う蝶を追っていくとそこにはあるはずの無い春がある。ぽっかりと切り取った
  ようにしてあるその冬の中の春には、不気味さよりも強く安堵を感じてしまう。
 ・雪の夜道の向うに見える家灯りの温かみがその冒頭の冬の中の春の映像と相まって迫ってくる。おー
  もう少しもうすぐだ、というギンコの焦りにも似た渇望をその温かみが潤していく。
 ・一晩の宿を求めてその家の戸を叩くギンコ。不審げに戸を開けた家の女性はごく自然にギンコを家の
  中へと誘っていく。不用心といえば不用心なイメージを見るモノに与えるが、しかしその当然さが心地
  良くもある。まるで自分もまたギンコと同じくありがたい気持ちとなるかのように。
 ・次の日の朝、その女性が目を覚ましたときに、ギンコはもう家を出ていた。淡々と宿の貸し借りだけが
  こなされていく感覚が清々しい。不審だけれども泊めるのは当然で、ありがたいけれども泊められるの
  は当然で。だからギンコも特に挨拶も無く家を出ていった。
 ・しかしギンコはその女性の同居人である弟をその道すがら見つけてしまう。蟲に手を伸ばそうとしていた
  のを止めるギンコ。そしてそこにその姉弟との繋がりがあらたに生まれていく。
 ・日頃姉弟ふたりだけの生活で一杯で旅人など珍しい。そして姉すずにとって蟲が見えたり、そして冬に
  なるとふっと姿を消し戻ってきたかと思うと春まで眠っているという弟との暮らしはかなり疲弊したものだった
  。その冬の夜に現われた一人の旅人としてのギンコの存在は、すずにとってはひどく大きなものだった。
  泊めるのは不安だけれど泊めない訳にもいかず、そしてそれは不安と共に期待もある。久しぶりに誰か
  他の人との交流ができる、という淡い期待を胸に朝起きてみればギンコは既にいなかった。僅かな落胆
  と共に弟ミハルを探しに出た先でそのギンコに出会う。そしてそのギンコにはなんと蟲が見えるという。
  すずの口は堰を切ったようにして次々と物語を始めていった。
 ・冬山で行方不明になって一度は諦めた弟が帰ってきて、でもそれは以前とは少し変わった弟で。見えな
  いはずのものが見えるというミハル、勿論すずにはどんなに背伸びしてもそれは見えずに居た。けれどだ
  からといって姉弟の中が壊れるということは無く、姉はなんだか知らないけど見えるんなら見えるんでしょ
  、でも危ないものかもしれないから触っちゃ駄目、といってそれでも触ろうとする弟の頭をぽかりと殴る。
  すずとミハルとの間には確かに「蟲」という存在自体は認知され共有されていたのだ。
 ・だがミハルはそれからというもの毎年冬になるとふらっと姿を消して、そして戻ってきても春までずっと眠って
  いるという奇行を繰り返す。ミハルはそのときに必ず冬にあるはずの無い山菜を握りしめて帰ってくる。
  だからすずとしては家計のことを考えて、ミハルなりに頑張って探してきてくれたのだろうと思うのだが、しか
  しそれを越えるほどにミハルのそれは奇行であって、そして奇行ゆえに謎なゆえにすずは心配してしまう。
  それはさらに蟲がみえるという不思議な事自体へもやがて広がっていく心配であり、すずの心配は際限
  無く広がり始めていた。あの子は変わっているってことはわかってるけど・・それでもやっぱり心配なの・・・
 ・すずの不安がゆっくりと冬になると辺りを白く埋め尽くしていく。
 ・そしてギンコはその不安というものに「正体」を与える。それは春紛いって奴だ。
 ・「春・・・・紛い?」。紛い、というところに反応するすず。紛いってそれってなにかおかしいってこと?
 ・蟲とはなんなのか、というところにまですずの興味は突き詰められていく。私にもわかることができれば、
  少しはなんとかなるのかもしれない・・・。だがすずに出来るのはギンコの言ったように恐れるものばかりで
  は無く手を出さなければそう困ることも無いということを知ることだけで、肝心のどれが害があるのか無い
  のかを知ることはできない。なぜならば、すずには蟲が見えないから。すずの不安だけが堆積していく。
 ・だがギンコはなんとミハルにそれを教えてやると言ってくれた。えっ、と驚きの顔をみせるすず。希望の光
  が強く輝いていた。
 ・自分の体験不可能なことが可能な弟の存在自体を認めることはできても、けれど自分が弟の体験を
  理解することができないのならば、そもそもその弟の存在を認めるが意味が無いように思えてしまう。
  弟のことを管理できない不安がやがて弟から自由を奪ってしまうことになるという恐ろしい不安が芽生え
  てこようとするのを、ギリギリの線で押し留めていたすず。そしてその疲弊仕切ったすずをギンコは救って
  くれたのだ。
 ・が、ミハルはなかなか年季の入ったやんちゃ坊主だった。なかなかギンコの思うようには動かないその様
  が微笑ましい。くそっ安請け合いし過ぎたかというギンコがひたすら楽しい。
 ・面倒になったギンコは切り札を出す。お前さ姉ちゃんに心配かけてんのわかってんだろ?
 ・ミハルがそれに素早く反応する。というよりギンコへのささやかな反抗そのものが既にそのすずへの想いを
  如実に表わしていた。姉ちゃんが心配してるのはわかってるよ。でも俺だって姉ちゃんの力になりたいんだ
  よ! たとえそれが奇行の類だとしてもミハルにはそれでしかすずを助けてあげることはできなかったのだ
  から。だから邪魔すんなよ、俺は俺なりに頑張ってんだから。
 ・ギンコは丁寧にそしてさりげなく諭す。「場所ぐらい教えてやれよ。役に立ちたいってのもわかるが、姉さん
  の気持ち無視してたら、それは我が儘にしかすぎんだろ。お前には戻るべきところがあるんだ。あんまり
  向うに踏み込みすぎるなよ」
 ・お前の力でできるのは確かにそれくらいしかないだろうから、それ自体は否定はしねぇよ。でもな、だった
  らそれをすることによって発生する事態の収拾を少しはしなきゃいけねぇだろう。少なくとも姉さんは心配
  してんだ、だからそれを全部とは言わねぇができる限りは解消できる程度の奇行にしとけよ。自分にでき
  ることはこれしか無いんだって事にこだわり過ぎてそれに逃げ込んじゃ駄目だ。お前の住むところはその
  奇行の中にはねぇんだ。お前は姉ちゃんと一緒に住むとこにちゃんと一度は帰んな。姉ちゃんだってお前
  のしてることの「おかしさを否定すること」に逃げ込みそうになるのを必死に耐えてるんだからな。
 ・ギンコに諭されてそれでいてあくまで自分なりに蟲についての知識を学んでいくミハル。それが嬉しくて堪
  らないすずは、ギンコの存在の必要性を強く感じていく。よってギンコに滞在を延ばしてくれるように頼む
  すず。ギンコは土地に由るという。すずはそれに興味を抱く。ギンコは蟲を寄せる体質ゆえに蟲的に豊か
  な土地だとすぐに蟲が溢れてしまうから、此処は貧しいのでたぶん大丈夫という。蟲が見えなくても理解
  することのできるこのギンコの言葉が、また少しすずとミハルを繋ぎ止める力を強めていった。
 ・再び長い眠りについたミハルを囲むギンコとすずの姿。ギンコと共にあるすずの動揺が最小限に抑えられ
  ている光景が暖かく美しい。すずにとってこれほど暖かい冬は初めてだっただろう。目の前に横たわる絶
  望が在りながらその枕元に希望があるという暖かさ。ギンコは春になったらまた来るという。その暖かさを
  胸にしたすずは、ギンコを送り出すことができたのだ。私が、頑張らなくちゃ。
 ・だが、ミハルは春になっても起きなかった。次の冬と共にギンコがやってきても、ずっと。
  ギンコを迎えてすずの中からどうすることもできなかった自責の念が溢れ出す。
 ・「一体何がいけなかったのか、わからなくて・・・・・」
 ・私達姉弟、ギンコに色々教えて貰って、それでだから頑張らなくちゃって思って、そしてミハルが眠って、
  だから残った私が頑張らなくちゃって思って、なのに・・・なのに私じゃ全然・・・・・・・
 ・ただただギンコを待ち侘びながらもギンコを拒絶する自分と向き合いながら戦ってきた一年の重みが、
  すずの涙の中にぎっしりと詰まっていた。
 ・再び絶望の枕元に座った希望を見上げながら、それでも自分でやり続けるすず。ギンコが来てほっ
  として、でもだからこそ私が頑張らなくちゃ・・・・・・・でも・・・・・やっぱりギンコじゃなきゃ・・・・
 ・その想いがすずに決心させる。私達にはギンコが必要なの。ミハルが登った山に赴こうとするギンコをきっ
  と見据えてそれでいながらその腕にすがりつくすずのその決心が雪の中で屹立していた。
 ・山の中に咲く春。幻想的という形容を通り越した淡い現実感だけが押し寄せてくる。冬の中にある春の
  中に入れば、そこにあるのはただ春の中の春だけ。だからその中に入ったものはその紛い物の春をすっか
  り本物の春として認識しその虜となってしまう。その中に入った時点でもう騙されているのだ。厳しい冬の
  中に春のぬくもりを見つけた時点で、その者はただそのぬくもりを目指すことに入り込んでしまうのだ。
 ・その中で春紛いの正体を見破るギンコ。春を創り出すのは蝶の形をした蟲。そしてその蟲が花開くこと
  でそこに春を創り出す。蝶の姿をして獲物にそれを追わせ、そして辿り着いた先で自ら花開きその匂い
  で獲物の生気を奪ってしまう。だからギンコはその蝶を見つけた時点で既に春に堕ちていたのだ。
 ・家に運び込んだ眠ったままのギンコを呪うすず。
 ・「馬鹿。ギンコの馬鹿! ・・・・・私・・・・どうしたらいい? どうしたら起きるの?」
 ・すずの置かれた状況の怖ろしさが響いてくる。やっと頼るべき人を得ることができたのに、なのにその人ま
  で眠っちゃうなんて。ギンコにできなかった事が私にできる訳ないじゃないか! 見えていた希望が絶望
  へと変貌していくのをただじっと座って見ていなければならない苦痛が広がっていく。
 ・そしてギンコの持ち帰った竹筒を開けるすず。なかには蝶の形をした蟲が入っていた。すずには蟲は見え
  ない。けれど・・・「なにか・・・出たような気がしたけれど・・・・」
  希望・・・・・私は希望自身にはなれなくても・・・・希望の灯を消さないようにすることはしなくちゃ・・
 ・春が来て目覚めるギンコ。それを見てミハルを抱き起こすすず。すずが抱きついたのはギンコでは無くミ
  ハルだった。希望に抱きつくのでは無く、希望に照らされた絶望に抱きついたのだ。ギンコもミハルも居な
  いたったひとりの冬を乗り切ったすずの中には確かに希望の光が芽吹いていた。
 ・目覚めたミハルはギンコにすべてを語った。あの蝶が冬の中の春に連れて行ってくれることを、その代わり
  に生気を奪っていくこと、けれど春になるとそれが起こしてくれることを。ミハルが起きれなかったのは、
  ギンコがミハルの持ち帰った蝶を逃がしてしまったからだった。
 ・ミハルにとってこの蟲達は有益なものだったが、しかし蟲達が必ずその益を保証してくれる訳では無い。
  付き合い方を間違えればそれはいとも簡単に悪影響を残して去っていく。こちらが自覚を持たずにただ
  頼り切るだけならばいつかはそれに囚われてしまう。
 ・「あいつらはそうやって餌を集めて生きている、だけなんだよな。」
 ・「奴らは決して友人じゃない。ただの奇妙な隣人だ。気を許すもんじゃない。」
 ・それは逆に言えば、付き合い方を間違えずにしっかりと目的を持ちそして限界を知って向かい合えば、
  それはある程度の益を確かに与えてはくれるのだ。蟲は蟲、人間は人間。蟲がただ在るがままにあるの
  ならば、人間もまたただ在るがままでは無くてはならない。人間が人間としての本分をしっかりと弁えて
  きっちりと利益を分配し合う共生相手としての認識を蟲に持っていれば、そんなに恐れることは無いのだ
  。
 ・でも、だからといってそれは蟲に対して無感動に冷静に接しろって意味じゃあない。
 ・「けど、好きでいるのは自由だけどな。」
 ・たんによくわからないからと言って忌避するのは駄目だし、逆にただ面白いからと言ってそれにのめり込ん
  でしまうだけなのも駄目だ。そしてそういうの全部わかって冷静に分析対象としてそれに向かっていったっ
  ってそんなのは息が詰まるだけだ。駄目なことしちゃいけないこと全部わかってだからただ利用し合うだけ
  の仲だってこともわかって、だからこそそれでも好きでいたいって思うんなら、それはいいことなのか
  もしれないな。
 ・ギンコがまた旅に出る。ミハルは姉ちゃんが寂しがると言い、すずもまた弟が寂しがると言った。
  それぞれがそれぞれの心配の種のためを想いつつ、それでも自分のためにそっとそのお互いの存在を利
  用し合う姉弟の姿が、冬の次に現われた春の日差しで涼やかに照らし出されていった。
  あーほんと冬は寒いから暖かいようなもんだぜ、まったく。
  ま、好きだけどな。
 ・「凍て山に芽吹く幻の春。雪路に灯る家の明かり。それらは逃れがたく長居を誘う。
   獣も蟲も、人も同様。」
 
 
 なんていうか・・・・・すっげー・・すっげー綺麗でした!
 
 
 
 

 

-- 060209--                    

 

         

                                  ■■ 地獄の卵 ■■

     
 
 
 
 
 『私は閻魔あい。受け取りなさい。あなたが本当に怨みを晴らしたいと思うなら、この紅い糸を解いて・・』
 

                         〜地獄少女・第十八話・閻魔あいの言葉より〜

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ユッキーとピンキーをただ守りたくて。
 だからあの人がこの子達を殺さないように言うことを聞いていた。
 ずっとずっと、殺意を、抱きながら。
 
 
 ◆◆
 
 あの子達があの人に捕まってもう結構経つ。
 人を噛んだ犬は処分されるっていうのを聞かされたとき、私はどうしたらいいのかわからなかった。
 でもそのときその噛まれた本人であるあの人が無かったことにしてくれると言ってくれた。
 勿論あの人のために毎日食事を作りにくるという条件つきだったけれど、それであの子達が助かるんなら
 私は頑張れるって思ったの。
 だからずっとあの人の意地の悪い注文にも耐えてこれたの。
 あの子達が死なずに済むのなら、これくらい・・なんとも・・・・
 でもそれはいつの頃からか、あの人があの子達の命を握っているということになってしまったの。
 私があの人の命令を拒もうものなら、あの子達を殺すと言って脅されたの。
 保健所かどっかに送ってやるって意味じゃなくて、あの人が自分でいつでも殺せるって。
 本来なら保健所で処分されてるはずの犬2匹の命をどうするのか決めることができるって、あの人は言った
 わ。
 いつからか、あの子達はあの人のものになっていたの。
 生かすも殺すもあの人次第。
 だから私は、あの人に捕まってしまったの。
 誰かに相談したら、即あの子達を殺すって言われて。
 私はもうどうしようもなかった。
 でも、どうしたらいいのかわからないということは無かった。
 だって。
 あの人の言うことを聞けば、あの子達は生きていられるのだもの。
 
 私はなにもしてないのに、学校の先生があの人のところにきたとかいって、それが理由でユッキーは殺され
 た。
 私は誰にもなにも言ってないのに。私はずっとあの人の言うことを聞いていたのに。
 ユッキーの冷たくなった体を目の前に転がされて、初めて私は自分の居る場所に気付いた。
 昼間、近所のスーパーであの人のための買い物をしているときに感じたあの感じ。
 ごく普通の中学生の私が、なんでこんなことしてるんだろ・・・・
 あの人の言うことを聞いていれば全部良いと、その目の前の答えとだけ向き合っている異様な自分の姿
 に耐えられなくなって、そしてそのままの気持ちであの人の家に行ったらユッキーが・・・・
 そういう・・ことなのよね・・・・・
 あの人はあの子達の命なんてなんとも思ってない。
 私のこともなんとも思ってない。
 そしてきっと、この時間はずっとは続かないの。 
 あの人はたぶん、近いうちにピンキーも殺す。
 たとえ私が言うことを聞き続けていたとしても、あの人の都合や気分でピンキーを殺しちゃう。
 私のやってたことは全然あの子達を守れてなんていなかった。
 私があの人の言うことを聞いていればあの子達は殺されずに済むなんてこと、無かった。
 あの人は私に色々やらせるためにあの子達を今まで生かしていたんじゃない。
 あの人は私を苦しめるためにあの子達を殺す順番を後回しにしていただけなのよ。
 散々私を苦しめて、そして頃合いを見計らってユッキーを殺して、そしてトドメにピンキーを殺す。
 それでもう私は用無し。
 そういう・・・・ことよね・・・・
 
 私は、その終わりが来ないことを、それまでの時間だけがずっと続くことだけを、ただ願っていたのよ・・・・
 
 
 ◆◆◆
 
 ユッキーが殺されたとき、なにかが芽吹いていくのを感じた。
 それが初めて怨みだというのがわかったのは、あの子を埋めてその手があの人の食事を作って家に帰る
 途中の道の上でだった。
 ユッキーのお墓を作っているときは、ただただ悲しかった。
 ユッキーが死んじゃった、ただそのことがとんでも無い嘆きを私に示してくれた。
 でもそれと同時にどうしてユッキーは死んじゃったの、殺されちゃったのという問いが有り続けていて、そうし
 たらいてもたってもいれないほど怖くなっちゃった。
 あの人が呼んでる・・・・はやくしないと次はピンキーが!
 私はそれが怖くて怖くて堪らなくて、ユッキーにちゃんとしたお墓をつくってあげることも、真実ユッキーの死
 を悼んでいる余裕も無かったの。
 こんな状況間違ってると思っている間にもピンキーには危険が迫っていて、だから私はなにかを考えること
 もできずに、ただ一心不乱にあの人の命令に従っていたの。
 あの人が最終的にピンキーだって殺しちゃうってわかっていても、それでも今目の前でピンキーの命が危な
 いのならば、それを守ることをしなくちゃいけなかった。
 『いつでも殺せるって言っておいたわよね!』
 あの人の言葉がどんどんとピンキーに迫っているんだから。
 私はそれに追い立てられて、ただもう必死に・・・・・
 家に帰る時間になって、ふと見るとピンキーが私に助けを求めるようにして前足を伸ばしていた。
 ピンキー・・・・・・
 私には・・・あなたを少しだけ守ってあげることはできても・・・そこから助け出してあげることはできないの。
 
 なんてことを考えているのだろうと、私はだから、そのとき初めて思ったの。
 
 『ユッキー・・・・仇は取ってあげるから・・・・っ』
 ピンキーを助けてあげられるのは私だけ。
 そしてピンキーを助けなくちゃいけないのは私なの。
 ユッキーを死なせてしまったということが、なによりもその私の想いを強めていった。
 だから。
 
 『あいつを・・・・地獄に・・・・っっ』
 
 
 
 
 それからは、その想いで頭が一杯だった。
 そして。
 それはただ私の頭の中を満たして駈け回るだけだった。
 憎くて怨めしくて、殺してやりたくて。
 何度頭の中であいつを殺す場面を思い描いたかわからない。
 ずっとずっと怨み続けて、目が眩むほどに呪い続けて。
 地獄少女に貰った藁人形をみるたびに、私はその私の姿を強く維持し続けていた。
 あいつの顔をみるたびに、そしてあいつがいつでもピンキーを殺せるんだというたびに、私は懸命に自分の
 中で私だってもういつだってお前を殺せるんだと叫び続けていた。
 
 だから、ちっとも、殺せやしなかった。
 
 叫んで叫んで叫び続けて、そしてその時間だけがぐるぐると廻り続けていて。
 毎日藁人形に語りかけて、そして私は今日も唯々諾々とあいつの命令に従っていた。
 こっちだってもうお前の命を握ってるんだという優越感だけで、私は満ち足りようとしていた。
 もしピンキーを殺すなら、私だってお前を殺してやる!
 それで、充分だった。
 悲しいほどに、落ち着いてしまった。
 心はざわざわと怨みに満ちていくけれども、その満ちていく怨みが全部支配していくだけだった。
 うん・・・そう・・・・
 怨んだから殺せるって訳じゃないのよ。
 私がどんなに怨んでいようとも、それであいつを殺す一歩を私に刻ませる訳では無いのよ。
 私があいつの命を握ってるなんてことあいつは知らないんだから、そもそもこの藁人形はピンキーを助けて
 なんてくれないのよ。
 この藁人形に巻き付いている紅い糸、それを解く一瞬を私が創り出さなくちゃ決してあいつは死なないし
 、ピンキーも助け出せないんだよ。
 ピンキーがいつのまにか子供を産んでて、そしたらすごく私は嬉しくて、だからこの怨みで満ち足りた時間だ
 けが続いていけばいいと、そう思っていたの。
 すごく幸せだったから、だから糸を解いちゃいけないってなによりも思っていたのよ。
 ピンキーも頑張ってるんだ、だから私も頑張らないと。
 
 
 
 
 そして、ピンキーは死んじゃった。
 
 
 
 でもまだ、生まれた子犬達が生きている。
 
 
 ◆◆◆◆
 
 私がもっと早く糸を解いていれば、ピンキーは死ぬことは無かった。
 そして。
 まったく同じことをまた繰り返して、ユッキーとピンキーの子供達も全部死んじゃった。
 私があいつを殺さなかったから・・・・・・
 
 私は殺しちゃ駄目だって思ってた。
 それだけはしちゃいけないって、問答無用に思ってた。
 あいつがどんなにひどい奴だからって、ユッキー達を守るためだからっていって殺しちゃったらあいつと同じだ
 って。
 ううん、そんなんじゃない。
 私はそういうのどうでもいいくらいに、ただ殺せなかった。
 殺したいって思ったことはいくらでもある。
 そう思ってるときは、全然殺しちゃいけないってことは頭の中には無かった。
 ほんとうに死んじゃえって思ってて。
 だから人を殺しちゃいけないっていうのは、人を殺したいと思うまでの時間しか生きられなかったの。
 それでも私があいつを殺さなかったのは、それでもただただ体が動かなかったからなの。
 理屈とかそんなの全然関係なくて、ただもう体が強張ってただ必死に藁人形を抱きしめるだけだったの。
 それがあったから、たぶん私は・・・・・・
 ううん・・・・それが無くなったから私は地獄に堕ちるのよ・・・
 
 いつだって、私を動かすものは私の外からやってくるの。
 
 私がどんなにあいつを怨んだってそれは実際にあいつを殺すために私を動かしたりはしない。
 結局私をそう動かしたのは、殺せないという絶対の呪縛が効かなくなったからなのよ。
 あいつは逮捕されていずれ罰せられる。
 だからこれでピンキーの子達は助かると思ってほっとしていたら、あの子達が浴槽に浮かんでいて。
 あいつを怨み続けた時間がふっと終わり、そして次の瞬間にあいつを殺す私が其処に顕われた。
 あの子達が最後だったの。
 あの子達が居なくなればこの時間は終わるということだったの。
 ただただ怨み続けて、それだけで満足できていた時間が終わってしまったのよ。
 私は誰も守れなかったとか、それなのにまだあいつは生きてるのが許せないとか、そんなのは関係ない。
 ぷつんと、ほんとうにあっさりと、藁人形の紅い糸は解かれてしまったのよ。
 もっと早くにこの紅い糸を解いていたら、確かにあの子達は死ななくても済んだのかも知れない。
 でも私にはあの子達が死ぬ前に糸を解くことは、決してできなかったはずよ。
 私はあの子達の最後の一匹が死んだからこそ、初めて糸を解くことができたのよ。
 だから。
 悲しい。
 もう。
 悲しくて、ただ、悲しくて。
 私は・・・・
 
 
 
 『いつでも・・・いつでも・・・・・・・できたのに・・・・・・っ』
 
 
 
 私には、そう思うことしか、できなかったのよ・・・・
 
 ユッキー・・・・ピンキー・・・・・・・・・・ごめんなさい・・・・・
 
 あなた達の子供達すら・・・・助けてあげることはできなかったわ・・・・・・
 
 あなた達の死を・・・・・全部・・・・・・無駄にしちゃった・・・・・
 
 
 
 
 でも。
 
 
 そういえば。
 
 
 
 
 
 
 私はいつ、地獄通信なんて知ったんだっけ?
 
 
 
 
 
                             ◆ 『』内文章、アニメ「地獄少女」より引用 ◆
 

 

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                                 ■■自分という言葉■■

     
 
 
 
 
 今日は全国的に寒かったそうですが、どうもそれほど私は寒さを感じなかったです。
 昼間はもうちょっと暖かくなるかなぁという感じで少々薄着で出てたのでその分の寒さはありましたが。
 雪もなんか脈絡無くいきなり降り出してきたけど、そんな騒ぐほど寒いかなぁ?ってとこなんですけど、
 ええとそんなに寒かったですか? 
 最近自分の感覚に自信の無い紅い瞳です。
 昨晩はシャンプーしたの忘れて二度頭を洗ったりしました。
 そろそろ末期。
 
 さてはい。
 トロイメントも終わったことですし、すっかり谷間な世代、じゃなくて新しいアニメにときめきを感じない時代
 を現在生きてるだけじゃつまらないので、そろそろボチボチなにか始めようとか。
 ああなんか最近どうでもいい日記を書くモチベーションが著しく低下中なのとか、どうにかしたい。
 んー、まぁ、いいか、それは。なるようになれ。
 はい。仕切直し。
 でね、今は日記的には蟲師の感想と地獄少女の感想で充分足りてるので、そんなに慌てることは無い
 ような、そういう余裕しゃくしゃくでしたー、というところなのでね、まぁ、うん。
 ごめん、なんか今適当にキーボード打ってます。なんかもう文章っていうか文字打ってます。やる気無。
 取り敢えずつらつらと脈絡無く書き散らしますか。書くよ。
 んー、日記の更新予定とかは、まぁこれからは週2回でいいかな。
 水曜日あたりに地獄少女の感想、日曜日辺りに蟲師の感想って感じで。
 あーでも、大体この蟲師の感想のときに書いてるそれ以外のどうでもいい文章、そう今書いてるコレだね
 、これってぶっちゃけ蟲師の感想の日の前日に書いてて、それをあとでくっつけてUpしてるんでね、大体
 文中で今日って言ってるのは昨日のことで、だから雪降ったのも昨日のことになるんだよね、と今書いてる
 訳ですよ。今っていうのは昨日ね。ややこしいな。ややこしくないか。うん全然。(実は既に一昨日。)
 でそれを金曜日あたりに別口でUpしようかなってね。 
 つまり日曜日のは蟲師単独の日記ってことで。
 で金曜日あたりにどうでもいいことを書き散らしたりとかで、まぁそれは気が向いたときに更新って感じで、
 実質的には週2回更新だけど気まぐれで1回プラスみたいなそういうサービス的なあたりで手を打とう。
 あーでもそうすると蟲師の感想のときに毎回きちんとしたタイトル考えないとなぁ、今まではこのいい加減な
 文章みたく適当なタイトルつけて誤魔化してたけど・・・・・・まぁいいや見なかったことに。
 
 なんか見づらくなったので一行空け。
 でね、うん、まぁ、アニメの感想以外でも書きたいことはあったりもするんだけど、そういうのって書きたいって
 思ったときじゃないと全然駄目なんで、結局押入にしまったまま未開封って感じでてんで駄目なんで、
 だからその書きたいって気持ちとやる気が合致したプチ奇跡が起きたときに備えて金曜日を空けとく、
 というか週1回くらいそういう余裕を持てたらいいね、みたいななんだかなぁな感慨もひとしおなところだけど
 、まぁそんな感じです。
 でもやっぱそうなってくるとやる気が起きやすい確率としては、断然アニメについてのコトが高いわけで、
 結局なんか金曜日もアニメについてのことを書きそうな気もします。
 あーほら、マリみてとか? 最近随分とご無沙汰じゃあないですか。
 それに輪をかけるほどにお久しぶりな灰羽とかもあるじゃないですか。
 こういった勢力はなかなか侮れない訳で、だからもうほら、なんだ、えっと。
 マリみてについてはまた是非書きたい。特に旧白白。聖様志摩子さん飛んでけー!
 灰羽を書くにも充分な時間が経って色々経験もしてきたし言葉も増えたし、これで書いたレキさんやらラ
 ッカさんがどんな姿になるのかとかもう鼻血モノなのだーっ!
 はい、紅い瞳はこうやって少しずつテンションを高めていく生命体だったりします。
 なんかもうクドいくらいに同じことを言ってそれでもそれに飽きなかったときに初めてそれを書き始めることに
 繋がっていくという、もう手頃な崖があったらそこから突き落としてやりたいほどのスロースターターなので、
 なんかもうほんと駄目な奴です。駄目人間だもの。
 まぁ駄目なら駄目なり色々頑張ってるわけなので、それはいいんだけどね、地道に過去の自分の文章読
 んだりしてナルシーな井の中の蛙と踊り明かしたりして、まぁ肯定やら否定やら賛美やら罵倒やら陶酔やら
 嫌悪やら、そういうなにやら訳わかんないものをぐんぐん振り回して、まぁそういうのを発生させるにはほんと
 自分の書いた文章を読むというのは最適なので、ほんとすり切れるくらいに自分のアニメ感想は読んでる
 んですよね。
 でそうやって頭悪く同じところを駈け回って、嫌になるくらいに目が回った頃に、というか併走して他の人の
 書いた文章を読むと、ほんと爽快なほどにコロっといっちゃうんですよ。
 なんていうか、憎いくらいに素直になれるんですよね。
 そういうときはほっっっんとに読書欲が凄まじくて、否、それは欲っていうレベルじゃないですね、で、ほんと
 じっくりがっちり本を読んでるんですよ。
 そういうときの吸収力と想像力と理解力は伊達じゃないほどにアレです。
 いまさ「日蝕」っていうの読んでるんだけど、これなんかもう結構前から読んでるけど、全然読み終わらな
 いんだよね。
 なんていうかひとつひとつの単語が気になって気になってしょうがなくて、ほんとじっくりとひと言ずつ読んでたり
 するんですよね。
 だからもの凄いスローなんだけど、かといって飽きるわけでも無くもういいやーっていって枕にしたりとかも無く
 てさ、普通に読んでるの。なんだこいつ、可愛げがないぞってセリフツッコミいれたりしてね、もうね。
 
 ええと、なんの話をしているんでしょうかね私は。
 
 なんか今日はもういいんで、シメます。
 ええとトロイメントのエピローグを書くかもしれないとか巫山戯たことをぬかした先日の紅い瞳の処分ですが
 、取り敢えず来週一杯までは判断保留にしようと思います。
 来週の今日までに書く気が起きなかったらナシということで。だから書くとしたら再来週ということで。
 
 
 ◆◆
 
 はい、蟲師の感想を始めます。
 今回のお話は紅い瞳が蟲師の中で屈指の感動を受けた話となりました。
 これだから蟲師はやめられません。もうぞっこんです。
 それでは、早速本題に。
 
 ■「蟲師」 第十四話 :籠のなか
 
 ・薄緑色に透けた竹林の向うに見える空の痛々しさがその繊細な物語の冒頭を飾っている美。
  爽やかでいながら静寂で清涼でありながら闇深くて。広いけれども決して脱出不可能では無い広さで
  ありながらどうしても脱出出来ない絶対の不自由。竹の間から差し込む薄明かりの向うにはただ闇が
  あった。
 ・竹林で休むギンコに手ぶらで話しかけてくる男。竹林の中で道に迷いながら旅装してる訳でも無くただ
  の手ぶらでしかも3年も迷っているという男。けれどそれを淡々と当たり前の如くに受け止めていくギンコ
  の姿がそこに異様さを露呈させずにさらりとした淡いものだけを魅せていく。
 ・しかし男と共に歩けども歩けども竹林を抜けられない怪異と遭遇してしまうギンコ。その場に異様さを現
  出させないことに成功しても当のギンコ自身がその異様に囚われてしまう。同じところをグルグルと回り、
  時間だけが経ち薄明かりは段々と暗くなり、けれど竹の群とその男の姿は途切れない。まるで竹の中
  がその男キスケを中心にして廻っているかのような感覚。
 ・しっくりと囚われの身となっていくギンコの姿が程良く示されていった後、それはごく簡単な幕引きを行なう
  。竹林の中から出てきたキスケの妻セツとその娘。キスケはこの竹林の住人に過ぎなく、この怪異もまた
  ごくごく自然な日常にしか過ぎなかった。その竹林の日常を通過してギンコはようやく自分の日常に帰っ
  ていく。
 ・キスケは自らの日常から抜け出そうとして手ぶらの旅装に身を包んでギンコと行動を共にしたが、結局の
  ところキスケは竹林の日常から離れることはできなく、ただギンコにその異様な日常を体験させることしか
  できなかった。だが竹林の中にセツと娘と共に帰っていくキスケの背中には幸福が灯っていた。
 ・脱出を試みてそれが出来ないことを確認するたびに、この竹林の中の幸せが強固になっていくのを確信
  していく。逃げることができなければそれだけ安心して此処に居られる。キスケの笑顔がその複雑さな思
  いを塗り込めていく。
 ・ギンコに「元気でな。」というキスケの言葉が痛々しい。あんたはこの竹林から抜け出せる。あんたはあん
  たの日常に帰れるよ。俺はもうこの竹林の日常にしか帰れないが。
 ・里に出、そしてまた竹林に戻ってきたギンコ。ギンコの日常は旅の中に。旅の中の日常の中には竹林の
  中の日常すら入ることが可能。だから、聞かせてくれ。「この竹林で起こったことのすべてをな。」
 ・セツの両親の話を御伽噺仕立てで話すキスケの臨場感。妻の親という身近なはずの存在がその話を
  通して遠大な距離を保有した存在として露呈させていく不可思議さ。昔の話では無いのにそれは昔話
  であり、事実なのにそれは噂話であり、だからこそそのうっすらと隠された臨場感がもたらす薄明かりは
  なによりも鮮烈にこの竹林の中で起きたことを照らし出していく。
 ・竹の子を身籠もったセツの母。そしてセツは竹と人との混ざりもの、そのセツとの出会いとこれまでの時
  間がすべて地続きで現在に繋がっている。御伽噺の舞台と歴史と登場人物のすべてが詰まって在る
  この竹林の中で物語る男キスケが此処に居る。
 ・やがてその話の中に語り手たるキスケ自身が入り込んでくる。両親を早くに亡くし妹とふたりで里の者み
  んなに育てられたという美しくも暖かいキスケの日常が切々と語られる。竹林の日常の中で里の中の日
  常を語るという竹林の中の日常。セツに寂しい?と尋ねられ、いや、と答えたキスケ。竹林の中の幸せ
  に守られてキスケは優しく微笑んでいた。そしてセツもまたそれがなによりも嬉しかったのだ。
 ・だがそれは竹林の中への里からの訪問者が減ったゆえの幸せでは無かったのか。里の中の日常を甘受
  することが無くなったゆえに、今ここにある竹林の日常に身を委ねただけでは無いのか。それならばもし
  自分が里に帰ることができてしまったとしたらこの幸せは一体・・・・
 ・だがそれでもキスケの里への憧憬は決して禁忌となることは無かった。セツの産んだ子が竹の子に包ま
  れて生まれた異常を見て産婆は里に逃げ帰り里の者は一切来なくなったことでセツの素性を思い知っ
  た後でも、それでもキスケは里への想いを決して捨てはしなかった。里の日常を二度と感じることができ
  なくなったのなら改めて竹林の幸せを甘受できる、でもそうしてしまったらその竹林の幸せはそのときに里
  の日常が無くなったゆえに成り立つものとしての来歴を得てしまうのだ。だからこそキスケは決して里への
  想いを途切らせることをしなかったのだ。里への想いがあるにも関わらずそれでも存在することのできる
  竹林の中の幸せを創るために。だからキスケは幸せだった。
 ・だがそれは今度は逆にキスケの里への憧憬が在ってこその竹林の中の幸せというものを創り上げてしま
  った。
 ・セツの片親である竹林の中にある白い竹、それは竹林に寄生する蟲間借り竹だとギンコはいう。御伽
  噺のような日常がただあるがままな無惨な現実として提示されていく中で、それでもキスケはじっくりとそ
  のギンコの話を受け入れていった。娘が竹の子に包まれて産まれてきたときのあの生々しい体験が
  いつしか御伽噺の範疇の中からしっかりとキスケを支え始めていた。大丈夫、俺はこの現実も受け止め
  られる。御伽噺のような浮遊した世界を見ながらもしっかりと根を生やした先の大地の確かさをすら同
  時に受け止められる。なぜならその御伽噺は実話が元にあるのだから。俺はあの物語を語りながら俺
  自身をしっかりと語っていたのだ。
 ・『親がなんでも・・・・セツはセツだ。』
 ・どんな形としてそのお話が受け取られようともそれを受け取っているキスケが存在している確かさは否め
  ない。そして竹林の中の幸せが里への憧憬の有無によってでしか有り得ないとしても、それを甘受して
  いるのは俺自身なんだ。キスケは自身の語る論理の限界を悟りただ自らの微笑みの中へと還っていく。
  里の中へであろうとも、竹林の中へであろうとも、ただ幸せの中へ。そしてその幸せの中にセツが居る。
 ・自らが何に囲まれていようともそれに囲まれている自分は存在している。キスケは自らが一番望むことを
  叶えるために竹林に囲まれそして里を目指す。セツと娘と共に暖かい里の中で暮らせるように。
  だからキスケは里を目指すのだと改めて里への憧憬を定義し直す。セツと娘から逃げるために竹林は存
  在するのでは無くセツと娘と共に里に帰るために竹林は存在するのだと。
 ・だがキスケはひとつだけ隠してしまう。キスケ自身が抱くあの暖かい日常としての里の中の幸せを。
  それは里の者に化物扱いされているセツ親子を伴っていては決して得られない幸せであることを、キス
  ケはただあっけらかんと漠然と秘匿してしまう。
 ・そしてセツはそれを遥か昔からずっと知っている。
 ・竹の白い光に映えるセツの薄白い横顔の古びた痛ましさそのものが瑞々しさを保っている異様。
  艶然と笑うことなど有り得ない透き通った肌がその内外の嘘を拒絶する。白い竹を傷つけて貰う水を汲
  むセツそしてその水だけしか喉を通さないセツ。異様異形異常。その姿を自然に保つことができるのは
  ただこの竹林の中でだけ。その外の世界ではただただそれは白い化物にしかなり得ない。
 ・「そうね。でも私はキスケと娘が居ればいい。キスケは出られなくて可哀想だけど。
  私は・・・それが嬉しい。」
 ・白い竹のような蟲間借り竹の水を持っているとそのものは竹林から出られない。それを一度飲んだキス
  ケは出られない。そしてキスケにその水を与えたのはセツ自身。セツは自分のせいでキスケが出られなく
  なったことは知らない。だがセツは自分がキスケが出られなくて可哀想だけど此処に居て欲しいと願い、
  そして自分を愛しているからキスケは出ていかないのだと思っている。それが嬉しいと、そう言ったときの
  セツの万感の想いが伝わってくる。キスケが出ていけないのは私が此処に居て、そしてキスケを求めて
  いるからよ。私はそれが堪らなく辛いことだと想っていながら、それでもキスケを求めずには居られない私
  の幸せを捨てることだけはしてはいけないと、ずっとずっと思っているわ・・・・捨てちゃだめ・・・捨てたら・・・
 ・竹の葉が落ちる中を駈け回るキスケ達の娘。それを肩に担いで里への想いを語り聞かせるキスケ。
  ただただ陶然としてなに憚ることも無く堂々と静かに嬉しげに当たり前のようにして、キスケは娘に幸せを
  語る。
  其処には娘とセツの姿は無かった。
 ・そのキスケの姿を見ていたたまれなくなったセツは白い竹に縋り付く。キスケの語る里の日常が照らす竹
  林の幸せの存在を強固にするためにただそれに魅入ることの中にしか生きられないキスケをみて、セツは
  自分がそのキスケの視界から外れていくのを感じてしまう。キスケは私じゃなくて・・・ただ幸せだけを見て
  いるの・・・・キスケが幸せに辿り着いたとき・・・・・もう私はその幸せの中には居られなくなっちゃうのに・・
 ・笑顔のまま泣き崩れるセツ。
 ・「大丈夫よね・・・・・・キスケは・・・・きっと・・大丈夫・・・」
 ・キスケに竹林の中に居て欲しいという願いがキスケを竹林に閉じ込めてしまう。けれどキスケはやがてそ
  の竹林の中のセツ達を里に連れ出してくれる。そのときセツ達はついていくことはできないけれど、キスケ
  だけはちゃんと里に帰ることができるはず。私達だけ竹林の中に居続ければいい・・・
  そしてセツはキスケが絶対にそんなコトを選ばないということを確かに知っている。だがセツはそれを知って
  いるという自分の姿を、知らない。
 ・ギンコがキスケが間借り竹の水をセツに飲まされたゆえに竹林から出られないと話すのを聞いてしまう
  セツ。その衝撃は計り知れない。自分があの日水をあげた意味を、そして竹林の中に居る自分の姿を
  。なんて・・恐ろしいことを・・・私は・・・今まで・・・なにを・・・・
  キスケがなにを選ぼうとも、選ばせているのはセツなのだということをセツはどうしようも無く思い知ってしま
  う。竹林から脱出する方法があるにはあるがどうなるかわからんというギンコの言葉に、そうかそれならよ

  うやく諦められると答えるキスケの背中を見つめながら。
 ・「あなたが・・・キスケを捕えてくれてたのね・・・・ありがとう・・・・・・・・・・・・・・・・・ごめんなさい」
 ・白い竹を切り倒そうとするセツの動作が狂おしいまでに静寂を誘う。なによりも静かだ。自らがキスケを
  求めることで幸せを得ることが出来た幸福を自らのその「当たり前」な願いを抱くことのできた自分に感
  謝する。そしてその有り難い自分の幸福のせいでキスケがキスケ自身の幸せを求めるのを諦めようと
  しているのが悲しくて堪らない。なんで・・・私は・・・・こんなことしかできないの・・・・
  ただただありのままの幸せを生きていただけなのに・・・
  だからセツの刃はその自分の悲しみを両断できずにただ空を切るのみ。
  その竹はあんたと同じものなんだ。あんたはあんたの願いには逆らえんのだ。
  あんたがあんたであるというなにものにも代え難い事実がある限り。
 ・「キスケは・・・私のせいで・・・キスケは・・こんな素性の私を幸せにしてくれた・・・なのに私はキスケから
   里を奪った。キスケは言ってくれたのに。親がなんでも私は私だって!」
 ・次の瞬間静謐なる一閃が白い竹を切り倒した。私は私。だから私に負ける訳にはいかないの・・・っっ
  ギンコは「キスケは不幸だった訳じゃない」というが真実完全な幸せを得ていた訳でも無く、そしてその
  キスケの幸せに傷をつけていたのは紛れもなくセツ自身だったのだ。与えられた自らの幸せがその与えて
  くれた者自身の幸せを犠牲にして成り立っていると感じる悲しみが、その幸せしか得ることのできなかった
  悲しみとひとつになってその幸せを切り倒したのだ。こんな・・こんな幸せ・・・・いらないわ・・・っっっっっ
 ・親がなんでも私は私。だから私は親を切り倒す。自らの来歴と歩んできた幸せをすべて切り倒して
  キスケの幸せへの道を切り拓くのよ。私を幸せにしてくれたキスケを今度は私が幸せにしてみせる!
  親がそれを邪魔するというのなら私の幸せごと切り倒すわ!
 ・足を生やしナナフシのように這って竹林の闇の中へと消えていった間借り竹。無惨でありながらあくまで
  静寂を保ったその消失。しずしずと艶やかにしてなによりも穏やかな退場。竹の子であるセツの心の中
  の静謐と繋がりあって竹林の中はなによりも静かだった。希望に満ち満ちた絶望がやがてセツを竹の中

  の日常へとひっそりと誘っていった。
 ・竹林を抜け里にたどり着いたキスケ。妹の家の戸を叩いてそして拒絶されるキスケ。背中に負った化物
  を連れてはこの里は決して憧れの日常の幸せをキスケに与えてはくれなかった。
  「私にも子供が居るの。・・・・子供にまで肩身の狭い想いをさせないで。」
  キスケはそして憧れの日常のみならず、かつて過ごした懐かしの日常をすら失ってしまったのだ。
  子供に「まで」って・・・お前・・・・・ごめん・・・・・・・ごめんな・・・・・
 ・選ぶべきものをすべて失ったキスケはただ竹林へと帰っていった。セツと娘を里の日常に連れ出すことは
  できなかった・・・・。キスケの幸せはただひとつ竹林の中の幸せだけとなった。その最後に残った幸せの
  中に親と自らを呪い続けていたセツは居た。願うことを呪い幸せになることを怨みながら。そしてその決し
  て消すことのできない願いはやがてセツの元に帰ってきてしまった。戻ってきたキスケと娘の姿をみたセツ
  の流した涙の怖ろしさが竹林の中に届いていた。絶対に手にしてはいけないものを手にした最も儚い
  幸せを最後にセツは手に入れたのだ。うん・・うん・・・・もういいのよ・・・帰ってきてくれて・・・それだけ
  で・・・・ほんとうに・・・ほんとうに・・・・もう・・・・・私は・・・・・・
 ・半年の後、その竹の子らは死に絶えた。苦しんで苦しんで墓に埋めるころには枯れ木みたいにもろくなっ
  て。自らの願いを切り倒して得たその幸せはあまりにももろかった。その幸せを得なくとも自らの願いを切
  り倒した段階でセツの死は決まっていたのだ。その最後の幸せを求めるために死を選んだのでは無いと
  、セツにはもうそう言うことしかできなかった。セツが幸せになれなかったのはキスケが里への想いを捨て
  られなかったからでは無く、セツがキスケの幸せ無しで成り立つ自分の幸せを受け入れることができなか
  ったからだ。白い竹という異形な親に与えられた異常な始まりを以て築くことができたキスケの幸せを犠
  牲にした幸せを真に感謝してそれと共に生きることができなかったゆえに。「あいつらは、あの水あっての
  ものだった。」
 ・キスケもまたそうだった。自らの里への憧憬の有無によりかかった竹の中の幸せというものそのものしか受
  け取ることができなかったゆえに、竹の中のセツと共に歩む幸せを築けなかったのだ。キスケが里への憧
  憬を抱こうともそれを飲み込んだ大きな幸せをキスケは模索するべきだったのだ。
 ・竹林の中にキスケを閉じ込めてしまうのはセツのせい。だがキスケを閉じ込めることのできるセツは確かに
  存在していた。そしてキスケを閉じ込める閉じ込めないに関わらずそのセツもまたキスケと同じくただ自然
  な「日常の中の幸せ」をありのままに求めているだけ。幸せを追うふたりの存在が竹林の中で共存し得
  ないとセツは思ったのだが、しかしその共存は可能だった。竹を切って自らの幸せをキスケの幸せに捧げ
  ることしかできない道を選んだのはセツ自身。キスケの幸せを傷つけ自分の幸せを傷つけられて、そして
  キスケの幸せを抱きしめて自分の幸せを抱きしめられて。竹の子として生きてきたすべて自らの生を肯
  定した先にそれはきっと待っていた共存、否、それは既にセツとキスケが共に存在していたときからあった
  ものだったのだ。
 ・そしてキスケはふたりの消えた竹林の中で生き残る。里へ帰るともなくただ竹林の中で。キスケは自らの
  幸せがそれだけで立てるということを求めていながら、それでいてやがてしっくりとその独り立ちした幸せ
  が竹林の中で立っているを見つけていく。セツと娘の居なくなった場所に新たな幸せが芽吹いていた。
 ・竹林の中の幸せは煌々と繋がって生き続けていた。
 ・「ああ、もう今年もそんな時期か。」
 
 
 幸せを共有したくば、まずは悲しみを共にしなければならない。
 そしてその機会は訪れ続けている。
 あなたとあなたの世界が在る限り。
 っていうことを紅い瞳は言いたかったんだと思います。
 たぶん。
 あああ。
 こんだけ書いてもまだ全然思ってることが書き表わせないよ。
 
 

 

-- 060202--                    

 

         

                                 ■■ 霧の中の地獄 ■■

     
 
 
 
 
 『霧は嫌い・・・道の先になにがあるのか不安になる。
  先が見えれば、嫌なことが待っていても頑張れるのに。』
 

                         〜地獄少女・第十七話・つぐみの言葉より〜

 
 
 
 
 
 
 
 
 荒れ果てた窓枠から覗く外の世界が遠い。
 白く立ち込める霧が目の前を覆い木立と窓の間の距離を広げていく。
 霧の向うにあるものだけが見えてそのさらに向う側にあるものをみることができない。
 段々と段々と濃くなっていく霧の中に取り残されていく。
 
 『・・助けて・・』
 
 その叫びが窓の外の風景を砕いていった。
 
 
 ◆ ◆
 
 喉が枯れるまで押し殺した叫びが無機質なものへと変わっていくのに、それほど時間はかからなかった。
 助けを必死に求めても虚しくその声が霧の向うで殺されていくのを見つめているうちに、ただもうこの口から
 発する音は「たすけて」という4つの音を刻むものでしかなくなっていた。
 それがかつて滑らかな曲調を保っていることができていたなんて、もう信じられない。
 ほんとうに、もう、その「助けて」という言葉は最初からなんの命も通っていない音の羅列でしかなかったの
 かもしれない。
 それほど、深い霧が此処には立ちこめていた。
 過去も未来も見えない、見えた幻影すらも強大な音を立てて砕けていくばかり。
 どんな希望だってこの霧の中では散ってしまうの。
 
 来る日も来る日も待ちぼうけ、なんてことは決してなかった。
 一番最初にお父さんが来なくなった日を今でも覚えているわ。
 その前に来た日のことはその代わりに覚えていないの。
 お父さんがそのときなにかを言っていたのかも知れないし、なにも言わずにその次からもう来なくなったの
 かもしれない。
 どっちにしろ、あの日お父さんは来なかった。
 そのとき、ああ、これはずっと続くんだって確かに思った。
 なんでだろうね、普通なら次こそはきっと来てくれるはずだって思えるはずなのにね。
 でもあのときは本当に全然そんな希望は無かったのよ。
 けれど。
 そうだからこそなのだと思うけれど、その後は毎日泣き通しだった。
 待っていたら泣くことなんて無いはず。
 待っていることができるなら、頑張って泣くのを我慢できるはず。
 待っていなかったから、もうお父さんは来ないってわかっていたから、涙しかもう流れなかったの。
 泣いて泣いて、決して泣きやむことなんてなかったの。
 泣くって不思議よね。
 泣いてるときっと誰かが助けてくれるような気がするときもあって、そういうときはとても周りの目を気にして泣
 いていたりするの。
 涙で一杯の目はそのとききっとその助けてくれるかもしれない誰かを見ているのよ。
 でもね、そういう涙ってそんなに長くは続かないの。
 すぐに、そうほとんど自分がそういう風にして泣いているという気がした瞬間から、もうどうにもならないくらい
 に涙が止まらなくなったりするの。
 そういう風にして泣いているときは、その目は誰も見ていない。
 たぶんきっと目に映っているのは、涙でふやけた虚ろな霧の中の世界だけ。
 ただ、ただ、泣いている。
 泣くことしかできない、というより泣くということが此処に立っている、という感じなのよね。
 涙で出来た体があって涙でできた心があって。
 そしてその目の前にあるのはその涙が少しずつ蒸発して創り上げた朧な霧の群れだけ。
 そうなったとき、涙っていうのは絶対枯れたりはしないの。
 涙はただ蒸発して霧になってそして霧を吸い込んで涙はずっと溢れ続けて。
 そうするとね、今度は体も涙に溶けてきて、それで涙そのものになっちゃような感じになるの。
 泣いて泣いて泣いたあと、気付いたら涙が「出る」ことは無くなったの。
 もう目から涙がこぼれることが無いくらい、この瞳が涙で埋まっちゃったのよ。
 真っ青な透き通るように濃い蒼い瞳。
 さらさらな金色の髪が風に揺られるたびに霧の中に溶け込みそうになるまで細くなったりするんだ。
 
 
 ◆ ◆ ◆
 
 『でも・・いいや。今のニナには・・・・・・』 
 
 ニナのお父さんはね、ニナを置いてどっかに行っちゃったの。
 病気で入院してそれでしばらくしたらもうお見舞いに来なくなって、ニナは独りぼっちになっちゃった。
 だからお父さんなんて死んじゃえばいいと思ったの。
 うん、それだけよ。 え? なにかおかしい?
 ニナを独りぼっちにするお父さんなんて大嫌い。
 うん、だから地獄通信にアクセスしたよ。
 うん、そう、お父さんの名前を書いたよ。
 だってお父さんニナをひとりにしてどっかいっちゃったんだもん。
 でもお父さんが死んじゃったらニナはずっとひとりぼっちのままじゃないかって?
 なに、言ってるの?
 
 ニナはもう、ずっとひとりぼっちだよ?
 
 ヘンな事を言うつぐみちゃん。
 おっかしいの。
 どんなに待っても来ないってもうあのときからわかってたんだもん、同じことでしょう?
 だからお父さんを怨んだの。
 『ひとりぼっちにされて寂しくて、お父さんが悪いんだってずっと怨んでた。』
 あ、そうか。
 怨んでたんだ、お父さんのこと。
 泣くことしかできないことが怨めしかったんじゃないと思う。
 怨めしいから泣いてたんだよね。
 お父さんなんて死んじゃえ。
 お父さんなんかもう欲しくない。
 お父さんなんて壊れちゃえ。
 自分でお父さんを壊したことにしたかったなんて、そんなこと思わないよ。
 だってもう、お父さんは居ないんだもん。
 つまんない言い訳したってしょうがないじゃない。
 お父さんがニナを置いていっちゃったのはほんとなんだもん。
 ニナが自分からそんなことできる訳無いでしょ?
 それをしたのは、全部お父さん。
 病気の私をひとりぼっちにしたのはお父さん。
 ニナにはどうしようも無いことがわかるのは、それはお父さんがニナを置いていってしまったからなのよ。
 ニナはなにもできなかった。できるはずも無いのよ。
 ずっとベッドで寝て治らない病気と懸命に闘って、そうしてる間にお父さんは出ていってしまって。
 そんな、お父さんを追いかけることなんて全然できなかった。
 ニナの体は・・・もう・・・・
 お父さん・・・・・・お父さん・・・・・・
 
 
 
 
 『・・・助けて・・・』
 
 
 
 
 ◆ ◆ ◆ ◆
 
 涙が、降ってきた。
 見上げると霧の向うに見える陽の光が霧の中に幻を映し出していた。
 
 助けてくれないなら、死んじゃえ。
 ひとりぼっちにするなら、怨んでやる。
 でもそんな想いなんて、目の前に誰かの光が見える前では霞んでしまう。
 
 溶けて、溶けて、溶けて、問えて、溶けて、溶けて、溶けて。
 
 お父さんは私を置いてどこかに行ってしまった。
 それがあまりに悲しくて、どうすることもできなくて、だから泣くことしかできなくて。
 待っていてもこの病気が治らない限り、この体が在る限り、お父さんは決して帰ってきてくれはしない事を
 知っていた。
 お父さんは勝手に出ていったんじゃない。
 ニナが嫌で、こんな治らない病気になってしまったニナが嫌いになったから、お父さんは居なくなっちゃった
 の。
 だから、本当に悪いのは、ニナなんだ。
 だってしょうがないじゃないニナだって好きでこんな病気になったんじゃないもん、と叫ぶたびに、虚しく砕か
 れて還ってくるその叫びがそのニナを映し出してくるんだよ。
 ニナが病気になったのはニナのせいじゃないよ。
 でも、ニナが病気になったから、お父さんは出ていっちゃったんだ。
 ニナが悪くなくても、お父さんが悪くても、誰も悪くなくても、ニナはひとりぼっちになるしか無かったんだ。
 お父さんが全部悪いって叫んだって、それは同じことしか私にはして返してはくれないんだもん。
 お父さんを怨んだって、お父さんなんか死んじゃえって叫んだって、なんにもかわらない。
 懸命に呪って、懸命に怨んで、懸命に怒って、懸命に悲しんで、もうなにがなんだか分からなくなるまで
 お父さんのことを必死に想って、想い続けて、それでもお父さんは絶対に帰ってくることは無いんだ。
 だから・・・・だから・・・・・・・・・・
 
 
 
 ニナなんて、死んじゃえ!
 
 
 
 こんな体があるから。
 泣いても泣いてもいつかは蒸発して体に還ってくる前に渇いてしまう涙しか無いから。
 私は、ニナに、成った。
 ニナの悲しみをすべて顕わすために、ニナはニナに成ったの。
 決して渇くことの無い涙でできた完璧な蒼い瞳と風に溶け込む完全な金色の髪。
 そのすべてがただただ願うことに溶け往くままに。
 
 
 
 
 
 
 『私は此処よ!待っているから!いい子にして待っているから!
 
  だから迎えにきて! お父さんっ!!
 
  ・・・ひとりはいや・・・・寂しいよぉ・・・・・・
 
  ・・・・助けて』
 
 
 
 
 
 
 大粒の願いを満たした想いはやがて何処にも溶け出ること無く、霧の中に消えていった。
 
 
 
 
 
 ・・・・・・◆ 『あなたはニナじゃない。』
 
 
 
                             ◆ 『』内文章、アニメ「地獄少女」より引用 ◆
 
 

 

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