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◆◆◆ -- 2006年4月のお話 -- ◆◆◆

 

-- 060430--                    

 

         

                                ■■占いがアルコト■■

     
 
 
 
 
 なぜ占って欲しいと思うのか。
 単純に誰かとの相性や悩みの解決策やこれからの行く末についてなどを知りたいと思うがゆえに、
 占って欲しいと思う。
 では、なぜそういったものを知りたいとか得たいと思うのだろうか。
 これも単純に言って、自分で考えてもわからなかったからだろう。
 どう考えても悩んでも、どうしても答えが出なくて苦しんで、その末に助けを求める形で占い師にすがりつく
 。
 そうで無い場合は、自らがうっすらと見出した答えらしきものを補強、もしくは共感して貰うために占って
 貰う。
 その場合、大概はどんな占いの結果であろうともその自らの導いた解答を元にそれを解釈しようとするの
 で、占いが外れるということは有り得ない。
 自分以外の誰かにそれらしいことを言って貰えればそれでよい、ただそれだけ。
 けれども、全く自分でその答えを見つけることのできなかったものにとっては、その「それらしい」答えという
 ものはまるでその意味を持たない。
 それをどう解釈しようとも、基本になる解答を自分の中に持ち得ていないために、それは決して形を以て
 自分に返ってくることは無いからだ。
 その者にとって必要なのは、明確なる答えだけ。
 茫洋とした不確かな答えを解釈して自らのものと為したところで、それが気休めにしかならないのだから。
 
 『気の持ちようでアヤカシを見ないで済むのなら、とっくにそうなってるでしょう?』
 
 
 ◆
 
 大元になるなにかが無いんです。
 ええ、どんなに占って貰ってそれらしい答えを示されたって、そんなのただ笑うしかないんです。
 気の持ちようだとかだからもう少し頑張ってみてとか、そんなこと言われたって意味無いんです。
 どうにもならないことがあって、でもそれでも頑張らなきゃどうしようも無いんだからなんとしても頑張らなく
 ちゃと思って、そうしてひたすら前向きに考えて必死に努力し続けて、でもそうまでしても全然状況は好転
 しなくて、それどころか段々と気力自体も萎えてきてしまって、ほうとうにどうしようも無くなって。
 そうした切羽詰まった状態で占い師に助けを求めて、その結果気の持ちようだとかもっと頑張れだなんて
 言われてしまったら、それだけで力尽きてしまいそうになるのです。
 まるで、最後の頼みの綱がぷっつりと切れとしまったかのような感じ・・・
 前向きに考えろとか気の持ちようとか、そんなのは言われなくてもずっとやってる訳だし、そしてたぶん私は
 これからもずっとそうしていくことを続けていくことしかできはしないのです。
 そして、その状態から絶対に抜け出せはしないんだという絶望感だけがずっと続いて。
 だから占い師に助けを求めたんです。
 このままじゃいけないって、これじゃ駄目だって、そう思ったから。
 でも占い師は、それでいい、そのままでいいって、言うんです。
 なんの根拠も無く。
 それは、なんの根拠もなくただ自分のできることをがむしゃらにやり続けているだけの私となにも変わらな
 い。
 私は占い師から私の言葉を聞きたかった訳じゃないんです。
 私は占い師の言葉で救って欲しかっただけなのです。
 ええ、勿論わかってますよ。
 結局のところ、すべては自分次第なのだとね。
 占い師が救ってくれなかったから占い師が悪いって怨むのは筋違いだし、そもそも占い師はなにも間違っ
 たことは言っていないのですから。
 でもね。
 私は別に占い師になにが正しいのかを教えて貰いたかった訳じゃないのです。
 私は占い師に、ただただ救って欲しかっただけなのです。
 たぶん、私はなにが正しいのかを知っています。
 自分がなにをすべきなのか、そういったものをすべて自分の了解の元にしっかりと導き出すことはできてい
 るんです。
 そしてその導きのままに自分を動かさねばならないということも。
 それは身を切られるよりも激しい痛みを以て、私に刻み込まれている自覚であるのです。
 私は、答えを知っている。
 けれど。
 けれど、私は、その正しい答えを実践する術を全く持ち得ていなかったのです。
 どんなに努力しても、どんなに足掻いても、全然、全然、その答えには辿り着けなかったのです。
 駄目なものは徹底的に駄目で、どうしようも無いことはただどうしようも無く在り続けていて。
 だから私は、なんとかしたかったのです。
 このなにもできない私が、どうやったらその答えを全うできる人間になれるのかを知りたかったのです。
 いいえ。
 たぶん私はそれを知ったところで、同じようにそれを実践することはできないのかもしれないのでしょう。
 だから私は、私の実践できる、身の丈に合った方法を伝授して欲しかったのです。
 一体どうすれば、私は幸せになれるのでしょうか?
 一体どういったことが、私を幸せにしてくれるのでしょうか?
 浅ましい要求ではあるのかもしれませんが、しかしそれができない限り、私はずっと苦悶の中でのたうち
 回り続けるだけなのです。
 それはきっと、どんなにのたうち回り続けたところで解決できることでは無い。
 散々のたうち回り続けてきたからこそ、それがどれほど無意味なことであるのかがわかるのです。
 もしそれを肯定するのなら、私にできるのはふたつ。
 ひとつは、のたうち回るという行為自体に快感を見出すことです。
 どんなに足掻いても手に入れられない目的があって、でもそうして足掻き続ける事自体を目的として生き
 続けること。
 もうひとつは、生きることを諦めることです。
 私は、どちらも嫌だった。至極当然なことですけれども。
 だから私は、占い師に助けを求めたのです。
 選択肢なんて、はじめっから無いのです。
 
 次に出会った占い師は、私が求めているものを与えてくれました。
 いえ。
 たぶんそれは、正確にいうと、占って貰う以前に求めていたものでは無かったのです。
 私は、救われました。
 でもそれは、私の求めていた形の救いではありませんでした。
 私は当初、如何ともしがたい現実をどうにかして欲しい、もしくはどうにかする方法を私に植え付けて欲
 しいと、そう願っていたのです。
 けれどその占い師は、そのようなことは一切私にはしてくれませんでした。
 たぶん他の人が聞いたならば、その占い師はその前の占い師の言ったのと大して変わらないようなことだ
 けしか言ってなかったとしか思わないと思います。
 大したことはなにも言っていない。
 けれど。
 それはなによりも私には響く言葉だったのです。
 私のために創られた、私にだけ合う言葉を、その占い師は与えてくれたのです。
 必要なことはすべて取り揃えられて、私はただもう涙ながらにその言葉に救われていたのです。
 私の対峙する現実は、全く変わってはいません。
 そして私自身もおそらくなにも変わってはいません。
 けれど。
 私には、その言葉が与えられたのです。
 それがあるのと無いのとでは、大違い。
 いいえ。
 それはこういうことになったのかもしれません。
 私は、その言葉になったのだと。
 私の中の言葉を以て、目の前の現実に対峙することができるようになったのだと。
 占い師のくれた言葉を大元に据え、拠り所とし、そしてその言葉を基本にしてすべてを解釈していける
 のだと。
 
 私に無かったもの。
 それはきっと、私なのです。
 私は、最初に会った占い師の言葉を、今初めて有り難いものとして受け入れることができました。
 それは、次に会った占い師の言葉が私の中に根付いたからなのだと思います。
 そして、その最初に会った占い師の言葉が照らす、私の中にある言葉が輝いているのが見えました。
 確かに、最初の占い師は占い師としては失格だったのかもしれません。
 客の求めるものを与えずに、ただありきたりな学問としての占いを展開しただけだったのですから、本当に
 追い詰められている人にとっては、それはなにも意味を為さないものだったのでしょう。
 瀕死の重病人に風邪薬を与えたところで、なにも意味が無いし、下手をすれば重病人はもう自分には
 こんな気休め程度の薬しか与えられないかと言って絶望してしまうかもしれないのです。
 でも。
 それは、やはり、私の中に私が居なかったから、そういうことにしかなれなかったものなのでしょう。
 確かに私はふたりめの占い師に救われました。
 けれど、だからといって私はひとりめの占い師の存在を否定したりはしません。
 重病人にとって風邪薬は無駄なものであっても、風邪をひいているものにはそれは有効なものなのです
 から。
 そして。
 私が重病人になってしまったのは、それは風邪薬を風邪薬として利用することができなかったからなので
 す。
 私は風邪薬に風邪薬以外の意味を見込んで、ただ勝手にそれに絶望していただけなのです。
 風邪薬は風邪薬。学問としての占いはあくまで学問としての占いなのです。
 私がどうしようも無い現実の前に立ち尽くしていたとき、私の目にはその現実と、そしてそれに大して絶対
 的に無力な自分の姿だけが映っていました。
 その目は、私の目です。
 その目にそういったものしか映さなかったのは、私です。
 それは果たして、本当にそうとしかできなかったことなのでしょうか。
 私は、ふたりめの占い師に出会った後、それはそうでは無かったと強く思ったのです。
 実は、私もまた、ふたりめの占い師になれたのではないか、と。
 自分では無い、他人から占いの言葉を聞くことができたというのは確かに大きいです。
 でも、それはそうと認識できた以上、もはや自分でもできることなのではないかと思ったのです。
 私はもはや、ひとりめの占い師の言葉でさえも、自分の救いへと繋げられるのじゃないかと。
 占い師には占い師の在り方がありますでしょう。
 自らの発する言葉が他人の人生を左右する重さを充分以上に噛みしめた上で、それを生き筋と為す
 べきであるというのは、当然のことでしょう。
 でも。
 そうであるのならばそうであるほどに。
 占い師の言葉を求める私達もまた、それと同等の覚悟が必要ではないのかと思ったのです。
 占い師の言葉に良くも悪くも左右される、彼らの言葉に希望と絶望を抱く、そうであるのなら、なおの事
 そうした事を占い師に求めた自らの自覚を以て占って貰うのが正しいのです。
 占って貰った以上、それをどう受け取り、またどう自分が変えられてしまおうとも、それは自分の責任なの
 です。
 勿論占い師を怨むことはできますでしょう。
 けれど怨むということで発生するあらゆることがすべて自分には返ってくるのです。
 それをすべて引き受けることで怨む者としての自覚を得ることは可能であり、そしてまたそれを受け入れ
 ない拒否者としての自覚を得ることも可能です。
 いずれにせよそれらはすべて「占い」という事を基点にして広がっていく出来事の連鎖になるのです。
 そこに占い師が居たから、そしてそこに占いが在ったから。
 私は私になることができたのかもしれませんし、また私が現実に翻弄されながらも此処に居たからこそそれ
 らは其処に在ったのかもしれません。
 その縁だけが、はっきりと私の中の言葉と繋がっているのが見えました。
 
 
 ◆◆
 
 XXXHOLiC第四話。
 なにをどう書けばいいのかわかんなかったんですけど、最終的にこういう形になりました。
 まー占いっていうものがどうこうよりも、それがそこにあるってことがどういうことなのかってことが言いたかった
 んですね。
 侑子がはじめの占い師を否定することでふたりめの占い師の姿がはっきりとするのだけれど、逆にその
 ふたりの占い師の姿そのものが、その「占い師」という存在自体をよく浮かび上がらせていたと思うし、
 またその浮上がさらにそれらの占いを受ける私達自身の姿を続けて顕してくれたと思うんです。
 どんなに頑張ったってどうにもならないことはいくらでもあるし、でも当然それに対峙しなくちゃいけない自分
 の存在はどう足掻こうと無くすことはできない訳で、だからそれでもどうにもならない事に対峙し続ける
 訳だけど、けれど対峙すること自体はなんらそのどうしようもない事を変えていく事に寄与しなくて、
 その意識を消すこともできなく、だからどうしようも無くなって誰かに助けを求めてしまう。
 助けを求めるって事自体がいいとか悪いとかでは無く、重要なのはその助けを求めるという行為を自分が
 どう捉えるのかってことなんですよね。
 今回のお話は四月一日が占い師に自分のアヤカシが見えるという体質についての悩みを気の持ちようと
 言われたことでショックを受け、侑子が違う「本物」の占い師によって四月一日に救いを与えるという
 ものでした。 
 はじめの占い師は「答え」を四月一日に与えただけで、四月一日は悲しむんです。
 その悲嘆の中で侑子のその占い師批判に縋り付いてしまうんですね。
 そしてふたりめの占い師によって救われることで、四月一日は自分に帰ってくるのです。
 四月一日にとっては別にひとりめの占い師がどうこうというのはどうでもいいことなんです。
 四月一日はただ救われればそれでいい。
 そして。
 その四月一日の姿を観て私達はふと考え至るのです。
 ああ、そっか、私達はこの四月一日の姿を観てるんだ、と。
 侑子の言葉には甘えてはいられない自分の実感を得るのです。
 救ってくれる者の存在の全肯定。
 そう侑子が言ってくれるだけで充分なのです。
 だから、私達は救ってくれる者だけをただ求めることをしなくても済む。
 四月一日が私と同じだと思えば思うほど、私は毅然として侑子の言葉に感謝します。
 そう言ってくれて嬉しいです。ありがとう。
 でも、それだけで充分です。
 救ってくれるのは占い師。
 そして。
 救われるのは私。
 その私を頑張って作っていかなくてはならないのです。
 「救ってくれない占い師」を、私が作らないように。
 
 
 
 やば・・なんか侑子さんにめっちゃ占って欲しくなってきた。
 そして立ち直れなさそうな凶悪な結果とか出して欲しい。 (←色々占いのせいにする気)
 
 
 
                             ◆ 『』内文章、アニメ「XXXHOLiC」より引用 ◆
 
 

 

-- 060426--                    

 

         

                         ■■紅いのの優雅なはずの檜舞台■■

     
 
 
 
 
 感想を書くっていうのは。
 それはただたんに観たもの読んだものがこうこうこういったものだったのだよと述べることでは無く、
 またそこから受け取ったものを礎にして目の前にそれを再構成した物語を築くことでも無くて。
 私が今考えていることや感じていること、それをどういうものとして具現化させればいいのかを考えている
 ときに、ふと目にしたものの中にそれを芽生えさせる作業、それが私にとっての感想を書くってことなのです
 。
 私の感じていることや想っていることがどういうものであるのかは、それはただそれだけでは形を持ち得ない
 ただ漠然としたものであり、それをアニメやらなにやらを観ながら少しずつ肉付けしたり加工したり、そして
 そのアニメやらなにやら自身から莫大な影響を受けて変化させて、そのうちに書き綴り表わしていくことで
 私の感想というものが見えてくるのです。
 だから、感想というものは自分でもまるでわからないことを書くということに等しく、それは或いは挑戦と
 いうことでもあります。、
 感想を書くことで、どんどんと自分の感じていること考えていることが形を持って顕れて来、そうすることに
 よっては私は少しずつ色々なことをわかっていく。
 今まで沢山の感想を書いてきましたけれど、それは私の中にあるものをぽんと提示しただけでは無く、
 私の中にあるものに形を与え、また形を与えるという行為そのものがぐんぐんと私の中にあるものを変化
 させていき、そうなってくるともう私が「今感じて考えている」ものなどという確信は程良く薄れてしまい、
 最終的にそれはすべて「感想」というひとつの停止した文章として形成されたものに収まってしまうのです。
 なによりも遅れていて、そしてなによりも新しいもので、けれど書き留めた段階でそれはフルスピードで次
 の段階へ自動的に歩を進めている。
 なにかこういうものを書きたいという願望にも似た意志によって書き進められていく感想は、その姿を顕す
 たびに確実にその私の意志を越えたものをそこに示し、私はそれを見て改めて感心しさらなる強い意志
 を以て感想に追いつこうとするのだけれども、それは絶対に追いつけない競争にしか成り得ず、いつも
 必ず感想を書き終えたあとには敗北感を禁じ得ることができないのです。
 それは、私が書きたいのはこんなことなんかじゃない、どうしてちゃんと思ったことが書けないんだ、という
 感覚では無く(勿論それもありますけれど)、ただ自分の書き表わした「まるで見知らぬ」自分の中のもの
 を見つめて、あーこれってこういうことだったんだぁという溜息混じりな感覚なのです。
 そしてその溜息をぐっと吸い込んで、そのまるで見知らぬ自分と対話しながら学ばせてもらいながら感想
 を綴り、その作業工程がすべて私自身の「今感じて考えている」ものであることを感じながらも、書き終え
 たものを読んでいることにうちに発生するのはすべてその次の「今感じて考えている」ものになっていく。
 書く前の私の中のものと、書いているときの私の中のものと、そして書き終えたときの私の中のものはもう
 吐き気がするくらいに全然違うのです。
 
 今、ホリックの感想を書き始めたのですけれども。
 現時点で私なりに開発した「ホリックの受け取り方」というのはあります。
 けれど、それを記述するだけでは感想には成り得ません。
 そのホリックの受け取り方によって読み解いたホリックという作品が垣間見せるなにか、それを受け取った
 私の中のものが変化することによって出てきた感情や思考、それを綴ることによって初めて私の感想は
 成立するのです。
 私は今、こういうものを書きたいというのがありません。
 かなり漠然としていて、かといって漠然ながらもなにかあるのかというとなにも無くて、だからこそこのホリック
 という作品が持つ力によって私を感化することで、なにかを考え出したいと思っているのです。
 無論ホリックの感想を書くからといってホリックという作品そのものに囚われる気はありませんので、その他
 の作品そしてそれらのみならずすべての私の現在の体験を通して導き出される感想にこそ意味があると
 思っています。
 今はじゅくじゅくと音を立てて熟成しているかのように、私は世界と自分を体験中。
 そしてその体験のうちに、ホリックの感想執筆という体験も含まれている。
 書くことによって変わるものを書き、またさらにそれにより変わるものを書いていく。
 
 ホリックの感想を書くということは。
 それはひとつの希望みたいなものでもあって。
 なにか知らないものを書くことが出来てしまうという歓び。
 しかもそれは実は元々私の中にあるものだったという驚きが、例えようもなく私を奮い立たせてくれます。
 書けば書くほどわからなくなり、けれどわからないからこそわかるために書いていく。
 そしてさらにわからなくなり、けれどだからさらにわかりたいと思える感覚は続いていく。
 自分の中にあるものを理解するだけで無く、それを理解した自分がどういう姿をしてどういう感じ方をして
 どういう風に考えるのか、そしてどういうことを書くのかを見たいがために感想を書き続けていく。
 だからホリックという作品と、そしてその感想を書くという行為が、私には楽しみで堪りません。
 
 
 よし、気合いは入れたゾ。
 あとは、私がどう出るかが問題です。 (大事な問題です)
 
 
 ◆
 
 感想っていうのもアレなんで、視聴報告っていうかむしろメモみたいな感じで。
 なんていうか、書かなきゃ書かないでなんか落ち着かない。 (損な性分)
 
 ひぐらしはあれだけイジめれば誰だって金属バット常備で疑心暗鬼に陥るよねというかむしろイジメっぷり
 がなんか非常にわかりやすくて逆に笑えたっていうかむしろやっぱり主人公の動揺ぶりに笑えたっていうか
 他人事だからね(弱虫)。西魔女は録画するのを忘れたのを機に切りますもういいや。スクランはなんだ
 か一学期の方がテンポが良かった気がするしさらになら二学期はしっかり組上げてるのかといえば全然バ
 ラバラで落ち着きが無いだけみたいな感じで面白さ半減中。Fateはなぜ今私はこれを見ているのかを全
 力で思考中という有様。アリア第二期は涙でお池が出来ちゃうくらい泣きながら観ていたといういわくつ
 きの出来でまったくもう最高です生まれてきて良かったーっ。ハルヒはお話の内容的にしっかり1話分飛ば
 すという離れ業でほんともう見知らぬ部員が普通にいるわみくるちゃんはナース服がデフォルトだしていうか
 長門宇宙人説(本人自白なので説以上)はなにも無い状態ってどういうことやねんと速攻でツッコミを入
 れた途端にでもなにもかも取り敢えずそれらを受け入れたところからはじめれば有り得ないくらいに爆笑な
 訳で事情はこれっぱかしもわからないけれど普通に進行していく阿呆っぷりが面白くて面白くてていうか
 これってハルヒそのものじゃんみたいなああもうどうでもいいや面白かったですまた今度飛ばして欲しいです
 。ブララグは黙って観てろ語るな感じろそれですべて完璧さでもそのあとに適当な事考えて風穴空けと
 きゃクールだぜ。
 
 
 書いたら書いたでなんか落ち着かない。 (どうしようも無い性分)
 
 

 

-- 060423--                    

 

         

                                 ■■ 天使とアクマ ■■

     
 
 
 
 
 
 
 
 〜 XXXHOLiC第三話感想 〜
 
 
 
 
 
 
 
 なにかが居る。
 その意識を肌で感じるときにその存在自体を錯覚する。
 居ると思えば居るし、ただなにかを感じただけと言えば感じただけ。
 けれどだから、そこにはなにかを感じさせるなにかが居る。
 真実居ようと居まいと、それは私には預かり知らないところであって、それゆえにどうでもよい事である。
 どんなに力を込めてそこに居るなにものかの存在を決めつけようとしても、ただそれはその決めつけである
 という意識から逃れることはできない。
 なにか嬉しいことがあった。天使が居たからだ。
 なにか辛いことがあった。悪魔が居たからだ。
 私が感じる嬉しさや辛さという外来の出来事はすべてあまりに神秘過ぎて、そのままだったならばどうやっ
 ても受け入れることに耐えられるはずの無いものばかり。
 ただただその不可思議な脅威に晒されて悶え苦しむだけ。
 なぜ私の外から何かがやってくるのだろうか。
 考えても考えてもわかるはずの無いその原因の在処の中を巡るうちに、そうしてやがて目の前に天使と
 悪魔が舞い降りてくる。
 その降臨は必然にして、切実。切実なるゆえに必然を呼び込む。
 そこに真実天使と悪魔がいるかどうかはなんの関係も無く、そこに天使と悪魔の存在を必要としているか
 居ないかによって、その両者の存在は決定される。
 
 なにも無い。
 平穏で平和で何事も無く。
 ただそれだけで在ることの侘びしさ。
 その途切れない永遠が私の中にアクマの姿を芽生えさせる。
 なにかよくないものが見える。
 なにかよくないものが見えなければいけない。
 何事も無い平穏無事な時間の中でそう思ってしまうアクマが此処に居る。
 私が悪魔。
 辛い苦しい悲しい虚しい、その羅列によってその平穏の空隙を埋めていこうとして、その場に悪魔となり
 し私の体を召還する。
 ほら、見えた。アクマの住まいしジゴクの世界が。
 無い、無い、そんなものは、欠片も無い。
 ただただなにも無い時間の中で、ヘラヘラと嘆きながらその時間を潰していく。
 恐ろしい。
 なんで悪魔なんて、居るの。
 
 すべてが端然として在る空間と時間。
 なにも無いことなど感じられるはずも無い。
 なにかの存在を感じることなど、始めから誰にも出来はしない。
 私には、なにかが無いのも在るのも感じることはできない。
 ただなにかが無いか在るかと思い込むことしかできない。
 けれどその思い込みに奔っているときの私の外には、確かになにも無くてすべてが在る世界が広がって
 いる。
 思い込んだが最後、それを思い込みだなどという言葉はまるで力を失う。
 思い込みなど、無い。
 すべてはただ在るようにして在り、無いようにして無い。
 それは私もまた然り。
 すべてが在るか無いのかの真実を知る術を持ち得ない。
 その術を持ち得ないゆえに思い込みに奔るしか無いという意識を持つことも有り得ない。
 ただただ、すべては在るようにして在り、無いようにして無い。
 その在る様と無い様を知る術は無くとも、その存在から受ける自意識は限りなく続いていく。
 天使と悪魔は、ずっと、此処に居る私の目に映っていく。
 
 
 ◆◆
 
 四月一日はアヤカシが見え、そして百目鬼は見えないがアヤカシを祓う力がある。
 百目鬼には四月一日の見えているものが見えないが、四月一日が見えているというのならそれらは見え
 るものなんだろうという。
 それが実際そこに存在しているかはどうかはともかく、百目鬼は四月一日がそれを見ているという事実に
 沿って行動していく。
 自らの目に映るもの意識の内にあるものだけで認識できる世界の存在だけを在らせるのでは無い。
 百目鬼は確かにそれ以外の存在の可能性を肯定するとも否定するともなくただただ淡々と、それを受け
 とるべきものとして対処していく。
 四月一日が見ているのならそれはそれでいい、重要なのはその四月一日がなにかを見ているという事実
 が重要なのだという意識を以て百目鬼は此処に在り続けている。
 四月一日が百目鬼を恋敵と目して色々と百目鬼にアクションを起こしても、百目鬼は四月一日の行動
 のそのうちにあるものがどうかはともかく、ただ淡々とその示されたアクションに対してのみリアクションを取る
 。
 なんだか知らんが、怒るのが趣味なのかお前。
 四月一日がひとり憤慨して喚き散らそうとも、百目鬼はただ淡々と自らの在るがままに生きている。
 ひまわりもまた、常識では有り得ないモコナの存在を否定も肯定もせずに、ただ目に映るその可愛らしさ
 とだけ付き合っていき、また四月一日にとっては不快な百目鬼とのやりとり(百目鬼にとってはどうということ
 は無い自分以外の不思議な存在との触れあい)を見てふたりって仲がいいんだね、とただただ自分の感
 じた通りの言動を示す。
 無論、真実ふたりの仲が良いのか悪いのかは関係無く。 
 そして、誰にも真実がどうであるのかを知る術は無く、またそれは全く必要とはされていない。
 仮にそれを必要としたとしても、切実なものとして求めようとしても、それは決して得られることは無く、
 ただただそこに真実の名を借りたテンシとアクマが顕れるだけなのだ。
 それは自分の外側のように降り立つようにして見える姿であり、そしてそのふたつの姿が見えるという事
 自体それは紛れも無く自分の内側の世界での出来事なのである。
 
 エンゼルという遊び。
 参加者がふたりで一本の鉛筆を持ち、その状態でエンゼルさんをふたりに降ろし憑依させ、紙に記した
 文字の上に鉛筆を移動させ質問に答えさせる遊び。
 他愛無く、そして恐ろしいアソビ。
 真実エンゼルさんが存在するかどうかはともかく、紙の上を奔る鉛筆からメッセージを受け取ることは可能
 であることに変わりは無い。
 それがたとえふたり自身の無意識の為せる業であろうとも、ふたりの意志とは関係無く綴られる言葉には
 、とてつもなく恐ろしい外的な力を感じ取ることがふたりにはできてしまう。
 良い言葉ならなによりも嬉しく、悪い言葉ならなによりも恐ろしい。
 自分以外からの言祝ぎほど嬉しいものは無く、自分以外からの呪詛ほど恐ろしいものは無い。
 それら良いこと悪いこと含めてすべてがふたりの見えざる願望であろうとも、それを実際の文字の羅列と
 して顕現させることは、非常に脅威的なこと。
 それに振り回されることの可笑しさを笑う前に、はっきりとその言葉の魔力に囚われる。
 逆に言えば、囚われることによって初めてそこにエンゼルさんは顕れるのである。
 エンゼル自身は存在しない。けれどエンゼルの存在を感得するものが居れば、そこに顕現する。
 そして一度顕現したものはすべて、その存在を認められる。
 エンゼルさんてね、ほんとうに居るんだよ。
 
 嫌なこと、恐ろしいことばかりを言うエンゼルさん。
 それはふたりが嫌なこと恐ろしいことばかりを考えているがゆえに、そう紙の上の鉛筆は文字の上を動い
 ていく。
 だったら、ふたりが手を離せばそれでいいじゃないか。
 だが、ふたりが手を離すとエンゼルさんは帰ってくれなくなるという。
 それは、エンゼルさんがそのふたりになってしまうということだ。
 ふたり手を握って書いたものならば、それは確実に自分では無いほうのひとりとしてのエンゼルさんのせい
 にできる。
 それを離してしまえば、後に残るのはくっきりと記された不吉な紙切れのみ。
 自分がそれを書いたという意識があっという間に自分を染め、そしてそれは自らの体をエンゼルとしてそこ
 に顕わすことになってしまうのだ。
 手を離したら、エンゼルさんが存在しちゃうよ。
 
 顕れた悪魔。
 それを存在させたアクマは私。
 けれど私をアクマにしたのは誰なのかしら。
 それはきっとエンゼルさんの仕業。
 私がエンゼルさんを呼び出したからエンゼルさんが居るのじゃない。
 エンゼルさんが初めから居たから、私はエンゼルさんを呼び出せたんだ。
 その言葉の並びを変えることはできない。
 しぬまでかえらない、と記された文字の上に顕れたエンジェルさんは、その文字を綴った私の中に最初か
 らずっと居た。
 ダレカガシヌマデ、ヨビダシテヤル。
 その言葉が私の中に在り続けていた。
 その言葉が初めから存在していたエンゼルさんの姿を其処に顕わした。
 その言葉は私の中に在った。
 でもその言葉を紙の上に綴ったのは、私。
 でもその言葉が私の中に在ったことを、私は知らない。
 
 
 ◆◆◆
 
 『善意なんて、人が決めるものでしょう? 人でないものにそんなことは関係ないの。』
 
 四月一日と百目鬼を襲ったエンゼルさんを呼び出すのに使った紙の残りカスを喰った大物のアヤカシ。
 そのアヤカシが居たのなら、自分らは行かなくても良かったのじゃないかと四月一日は侑子に言うので
 すが、しかしあの大物のアヤカシは四月一日を狙って顕れた小物のアヤカシを食べるために顕れた、
 つまりは四月一日が学校に行ったことによって大物のアヤカシが小物のアヤカシを食べたのだと言います。
 また小物アヤカシの充満している学校内を四月一日が歩けたのは、それらを祓う百目鬼が一緒にいた
 お陰であったのだと侑子はいうのです。
 百目鬼は自分にそんな力があることはわかっていない。
 けれどその力は確実に周囲に影響を与え、そしてそれは連鎖し圧倒的に物事を動かしていく。
 それはまた四月一日も同様であり、四月一日の存在自体が大いに事態を進行させ、そしてそれは
 百目鬼の動かしたものとも繋がるものなのだと侑子は言います。
 すべては確実に繋がっている、それは自分の意志とは関係無く、無論意志がその関わりに一枚噛むこと
 はあるけれども、その存在自体がそれぞれ繋がっているのです。
 その連鎖によって生じる様々な事象をどう解釈していくのか、その中に天使や悪魔が顕れるのであり、
 そしてそれらの出現自体がまた、事態を動かしていく一因ともなっていく。
 解釈は解釈としての力と共に、既にその存在としての影響力を以て顕れているのです。
 四月一日達がどんなに諸相に意味付けをしようとも、決して「その通り」に事は運ばなくとも、確実に
 着実にそれらはなんらかの形を以て動きだしているのです。
 そして動き出すのは自分もまた同じ。
 自らの思い込みによって自分もまた人知れず変わり着実に動いていく。
 
 『アヤカシに好かれる四月一日に、それを寄せ付けない百目鬼くん。
  これから楽しくなりそうね。』
 
 
 全く以て、その通りですね。ほんともう、その通りです。 (異議無し)
 
 
 
                             ◆ 『』内文章、アニメ「XXXHOLiC」より引用 ◆
 

 

-- 060418--                    

 

         

                                ■■選択と共に読書中■■

     
 
 
 
 
 あーなんか日記に書く事無いかな。
 いや、それよりもあんまり日記書いてる時間が無いです。
 いや、書きたい事があったらそれに時間を充てる事はできるんですけど、それが無いし。
 今、本読んでるんですよね、日記更新する時間帯にさ。
 チャットに適した時間とかも黙々と読んでるんですよね。
 あー普通に楽しい。あー普通に読んでる。
 だからホリック更新することはできるんですけど、それ以外だと更新してる余裕なくて。
 他のアニメのプチ感想、今期はちょこちょこ書いてる訳だけど。
 ぶっちゃけ書いてても面白くない。
 いやそれぶっちゃけ過ぎだろ、とか丁寧にツッコミ入れてくださる方、ありがとうありがとう。
 ていうかね、面白くないというか、一度こういうのは書いてみたいなぁと前から思ってて、でそれは一応
 きっと書き始めたらきっと面白くないだろうなぁというのはわかっていたことで、でも面白い面白くないとは
 関係なしにそれは書いてみたいなぁという動機によって続けていくべき作業だと思っているんですよね。
 要するに、チャレンジしてみたいということです。挑戦です。
 でもね、面白くなかった。
 想像を絶するほどに面白くなかった。
 はい、そこで選択です。
 その面白味の無さに負けて感想書きを断念するか、それともそれでも書き続けることに意味があるの
 精神で書き続けるか。
 はい、決めました。
 今、本読んでるんで、感想はまぁそのうちに。 (第三の選択肢)
 
 うん、ごめん、先生ほんとはこうして書いてるうちにもウズウズしてるんだ。
 先生もう本が読みたくて読みたくてたまらないんだ。
 こういうときが何ヶ月に一回はあるのが紅い瞳って奴なんだ。なんかクスリ切れたみたいでヤだね。
 なんかもうほんと読まないと落ち着かないというか、読める時間はこの時間帯しか無いから余計にアホな
 文章書いてるのがたまらなくってね、むしろイライラしちゃってね、駄目なの。全然駄目。たまんない。
 ああ、うん、チャットは巻き添えって奴。
 チャットは好きだけど一度読み出しちゃうとチャットルームに入る気が萎えちゃうっていうかさ、ほら、
 私は一応管理人だしさ、本読みながら会話するのも失礼かなって、まぁそれはただの名分だけどね、
 いつも普通にゲームしながらチャットしてたりするもんね、ほんともう、こいつ駄目だよね。うん。
 ちゃうねん。
 私は管理人だけど会話してるときは管理人の意識なんか持って無いねん。
 お話中は私もただの人です。普通の人で居たいんです。人間になりたいんです。
 ええと。
 なんのお話でしたか。
 そうそうなんで私がホリックを選んだかって話ですよね。
 それはあなた、侑子さんがいいからですよ。それ以上でもそれ以下でも無く。
 それ以外の理由としては紅い瞳の本能がビンビンこいつはすげぇと叫んでいるからです。
 もうなにがなんだかさっぱりわかりません。本能です。
 
 お知らせ:
 紅い瞳はしばらくチャットをお休みします。まぁたぶん週末には甦るケド。
 
 お知らせ2:
 ホリック以外の日記更新をしばらくお休み致します。再開は気が向くか読書に飽きた頃ということで。
 そして今ちょろっと気が向いたのでここに書く。気まぐれ万歳。
 NANAはなんかいきなり過去話になっちゃってどうしようかという態度保留状態というか特に感想無し。
 プリプリは学校全体というより男子校内に存在するひとりひとりの人間それぞれが全力の欲望を素で姫
 (同性)にぶつけてくる素朴な恐さにくらっときたっていうか2話にしてツッコミが消えるなんて凄いと思った。
 ひぐらしはあのベタベタな日常とサスペンスがくっついてる自体がホラーでいいかんじで結構ドッキドキ。
 先生はこういうの好きだな。西の善き魔女はこれでもかというほどハズしてくるんだけどそれでもフィリエル
 になんかぐぐーっとくる魅力があって強引に捕まっちゃってる状態でなかなか逃げ出せないっていうか逃げる
 事ばっかし観てるとき考えてるアニメって不思議だなって他人ごとのようにいう先生はもう駄目なのかなみ
 んな。獣王星は物語としては少しだけ面白いかなという程度なので望み薄。アリア第二期は藍華が少
 し可愛いところを魅せなんてことを私が書くと思ったかわはは・・うん・・藍華可愛いかったよね・・(正直)
 ハルヒは普通に犯罪(比喩じゃなくて)だったりしてその超監督ぶりの徹底さの底の知れ無さに憧れを抱
 いてしまえるような笑えるような素で困るようなほんともう尊敬を通り越して馬鹿ですこいつはいい馬鹿だ。
 
 
 あー私もただの萌えに興味無くして、宇宙や未来や超能力を求めてみようかな。
 特に未来を。
 あるのかほんとに。
 
 

 

-- 060414--                    

 

         

                             ■■嘘がセカイになるために■■

     
 
 
 
 
 嘘をひとつ。
 その嘘を吐かなければならなかった理由はわからないし、また嘘を吐いた時点でそれはいくらでも言い
 換える事のできるものになっている。
 動機なんて、どうでもいい。
 ただ其処には嘘を吐き続けている自分だけが居る。
 そして、その吐いた嘘に晒された世界が渾然とそこに顕れていく。
 
 XXXHOLiC第二話、見ました。
 映像的な創造性は今回は無く、ただ淡々とまるで生気を抜いたような古びたキャラの動きだけが連ね
 られて、純粋にそこに語られる言葉のみに集中することができるものでした。
 今回は、知らず知らずのうちに嘘を吐き続けている女性が侑子の元に来るというお話でした。
 彼女は嘘を吐いているという自覚をまるで持たず、ただあるがままに些細な嘘を吐き続けている。
 自らの経歴、恋人のこと、仕事のこと、そういったものを問われたときに、その場限りの答えだけをそこに
 残し彼女はただ生き延びている。
 出会う人ごとに答えを変え、そしてその人のみと共有する自分の世界を創っている。
 そうして無限に増え続けていく自らの創り続けた世界を掻き分け、そして知らず知らずのうちにその吐いた
 世界の重みによって身動きが取れなくなっているのです。
 小指から立ち上るどす黒い煙がその世界の重み自身であり、そして彼女はそうやって自縄自縛になって
 いて、そして彼女は決してそのことに気付かないのです。
 彼女にとって、それは嘘では無くただの言葉にしか過ぎず、彼女が事実と目するものに反する事を述べて
 いるという事を嘘とは認識せずに、それが当たり前のこととして彼女の前には広がっているのです。
 嘘を吐くのがいいのか悪いのか、では無く、そもそもそれは彼女にとって嘘では無いのです。
 だって、世界は自分で創っていくものなんでしょ?
 
 世界というのは、広いようでいて案外狭いものだと侑子は言います。
 自分がこうだと思って描いた世界の中にしか人は生きられないのだと言います。
 そう、その通り。
 そして、それはどういうことなのか、というのが今回のお話の中心にあるものなのです。
 世界はその人が思い描いたもののうちにあるのだけれど、しかしそうして描かれた世界と出会い変動して
 いくその外側の世界が在る、というのが侑子の言ったことの先にあるものなのです。
 そうして変動した世界とさらに出会うことで、その自らの思い描く内側の世界もまた変わっていく。
 『あなたが急に帰ってくるから、こっちも気が変わったのよ。』
 運命というものは、既にそこに在るものの有り様を読んで知るものだけれども、しかしそれは「今そこに在
 るもの」がそのまま時を重ねた末に見えてくるものにしか過ぎず、ゆえにその「今そこに在るもの」がなにか
 と出会い変わっていくことにでもなれば、その運命は如何様にも変わっていくことができてしまうのです。
 だからその「今そこに在るもの」になにかを出会わせようと思えば運命は変えられるし、逆にその出会いを
 自らの内側にある世界の論理で読み解くことで、それを無効化することができてもしまうのです。
 侑子さんは僕の未来がわかっているんですかという君尋の問いに、侑子は『あなたがそう思うのならそう
 なのかもしれない』と言います。
 君尋が運命は存在するという自らの世界の論理をそれに適用すれば「そう」なり、適用せずに刻々と
 その変化のままにあろうとすれば「そう」ならないのです。
 それゆえに、世界というのはそれとして在るか無いかという問いには、世界というのは自らの創り出すもの
 だという意識の元に創り出された世界の存在を受けてそこに既に在るものとして顕れる、という答えが導
 きだされるかと思います。
 そして人にとって、その既に在るものとして顕れた世界というものは、ただ自分の感覚で知覚したものとし
 てしか捉えることはできずに、それは自らの創り上げた内側の世界となんら変わるところは無い。
 嘘を吐き続けた末にその自らの重く囚われた体に業を煮やし、そしてなんの考えも無くそれを拭き取ろう
 として、彼女はその重くとも外の世界との接点として創り上げた世界を失ってしまい、完全に身動き
 できなくなってしまう。
 彼女が停止したのは嘘を吐き続けていたからでは無く、その吐いた嘘を無かったことにしたから。
 けれどもそれは嘘を吐き続ければいずれは行うであろう必然的行為でもあったのでした。
 それがいくら自分で創り上げたものであれ、重いものは重い。
 だから彼女がすべきだったのは、嘘を吐くのをやめるのでは無く、自らの体を重くしないで済むような上手
 な嘘を吐けば良かったのです。
 だからそこで初めて嘘をそれでも吐くべきなのか吐くべきでは無いのかという問いが、彼女の中に
 自発的に芽生えてくるのです。
 自らの体を重くしないで済むような上手な嘘を吐ける自信が無い、だから自分には本当のことを言うし
 かないと、そうした切実した自意識が彼女をその外に広がる世界との出会いへと向かわせていくのです。
 勿論、それでもなんとか努力して上手な嘘を吐けるようになりたいと思い懸けることを選ぶことも彼女に
 はできるのです。
 路上で停止し車にはねられ、運ばれた先の病院で目覚めたときに聞いた、彼女を運んでくれた青年の
 話を聞いて目を閉じた彼女。
 あのときの彼女が、その話に聞いた「年下の彼氏」を彼女の内側の世界に実在させるのか、それとも
 自分を運んでくれた素敵な青年と出会いに外側の世界に向かって行くのか、それはきっと同じ事なの
 でしょう。
 なぜならば、人は自分の思い描く世界に囚われる事もできるのだから。
 
 自分の外側の世界と出会うことで、運命は変わる。
 その出会いを自らの内側の世界の論理で幸福なモノとして捉えようと不幸なモノとして捉えようとも、それ
 らの選択をするのはあくまで自分であり、そしてその選択をもたらす外側の世界は厳然と存在する。
 選択したものによってその外側の世界を知覚し受け取っていく事の中でしか人は生きることはできなく
 とも、その出会いの連続自体は決してその支配下に収まることは無いのです。
 人にはその出会いを解釈しその解釈した「嘘」の世界の中にしか生きられないけれども、その解釈対象
 としての世界は常に無限に在り続けているのです。
 そして人はその世界に晒され続けている中で、それの解釈から成り立つ世界、つまり如何ともしがたい
 現実の脅威に震える自分の体とそれに対処するべく吐き続ける様々な「嘘」によって創り上げられていく
 世界と共に生きているのです。
 世界の中で世界と共に在る。
 世界は有限でありそして無限である。
 嘘を吐いて創る世界にはその代償がいる。
 嘘を吐いたなら、それは全うしなければならない。
 嘘で創り上げた世界ならば、その中に出来上がる論理は守らなければいけない。
 守らねばその世界は破綻していくだけである。
 けれどそれはその破綻を許容することができるという論理を組み込めば防げる破綻でもある。
 そしていずれにせよ、一度吐いた嘘がそこに存在しているという現実からは決して逃れられない。
 そして嘘で自分を守ってもその外にある世界の実在を無視することはできない。
 けれどそれはその外側の世界の実在を許容することができるという意志を組み込めば維持できる嘘で
 もある。
 
 その嘘を守り続けるという「約束」さえ守れるのならば。
 その約束が破られない限りその嘘は有効で在り続け、そしてその約束そのものをしなければ決してその
 嘘は有効なものとして存在はせずに、ただただ重く体を捉えるだけのものになっていく。
 
 
 
 『四月一日君尋・・
 
  これからゆっくり時間をかけて創っていきなさい。
 
  ・・自分自身の世界を。』
 
 
 
 そして世界を創るという事をやめることを、人は決してできないのです。
 人が生きている限り。
 それは生存という名の中毒。
 生きることが、やめられないの。
 
 だから・・・私は・・・嘘なんて吐いてないわ
 
 
 
 
                             ◆ 『』内文章、アニメ「XXXHOLiC」より引用 ◆
 
 

 

-- 060412--                    

 

         

                                 ■■誤算でハッピー■■

     
 
 
 
 
 そういえば花粉ってどうなったん? (挨拶)
 
 はいごきげんよう紅い瞳です。
 前回の更新をご覧の通り、これより毎週XXXHOLiCの感想を書くことに決定致しました。
 決定した理由は追々わかる仕組みになっております。たぶん。
 で、侑子さんの声についてなんですけど。(唐突)
 あの仕草っていうか風情っていうか、そういうのからするともっとこう艶っぽいっていうかぶっちゃけ淫らな感
 じの声が合ってるかなとか思ったんですけどね、あの大原さやかの声はそういう感じじゃーないし、確かに
 いわゆる大人な女性な色気みたいなものはあるにはあるけれど、それはどっちかっていうとキラっと綺麗め
 な声がかっててなんか違うよねー、ってね、うん。
 しかも一部(お酒の話題全般)ではもろすごらじノリ(地声)の声だったし、まぁそれはそれで笑えたから
 良かったのだけれども。
 でもね、よーく聴いて見てみてたらあーでもかえってこの方が面白いって事に気付いてね。
 如何にもドロドロ系淫靡なおねいさんだとさ、それってそのままって訳だし、そうすると今度はその姿と声の
 一致が発生してしまって、逆にあのホリックの内と外の不思議な乖離感が無くなってしまうんじゃないかっ
 て思えてね、だからあれくらいヘンに落ち着いた透明感があることで、その内側から微動だにせずにこちら
 を見つめてくる侑子さんの視線があるんじゃないかっていうかさ、そういうこと。どういうこと?
 ・・・・。
 あれぇ? 書き出す前はもうちょっとなんか他のこと考えてたような気がするんだけどなぁ。
 まぁ、いいか。
 
 ◆
 
 はい。
 今期のアニメは既に私の想像を遙かに上回る豊作ぶりを示し始めていて、ほんと空恐ろしい状態。
 正直事前のチェックではそれほど見込んだ作品は無かったはずなのですけれど、これは一体どういうこ
 とかーってことでもうなんだかわからないけれどお祭りです。歌え、踊れ!
 まぁたんに作品数が多いだけ、という身も蓋もない豊作の理由を挙げることもできますけれど、どうせな
 ら今年の春は豊作気分じゃと浮かれたい気分ですので、それは却下ということでお願い致します。
 さて、ちゃっちゃと今日も感想を書きます。
 
 ■XXXHOLiC  ・・・・・・評価 / 壱原侑子と愉快な下僕達
 :見る前にこう感じた。これは超面白いか超面白くないのかのどちらかだと。そして見た後にこう感じた。
 これが超面白くなるか超面白くなくなるのかは私次第だと。極めて不安定で不定形で、安定しているこ
 と形あることそれ自体が無限大にその不安定と不定形を呼び込み続けている作品。素っ気なく哲学的
 箴言を上に放り投げてみせて、観衆がそれを目で追っている間にその死角に在るものを必然へと換えて
 いく、悪巫山戯のままに致命傷を狙ってくる超野心作でもある。言葉を示しその言葉の中身に囚われて
 いる間になにかを顕わす。この中で語られる言葉そのものに意味があるかどうかを問うよりも、常にその
 言葉を発する者そのものの存在が凝視されねばならない状況を創り出し、またそうして凝視したその発
 言者の姿に囚われているうちに、その発言者は言葉の中身をその姿に囚われている者にめり込ませる。
 見れば見るほどに聞けば聞くほどにわからなくなっていく、けれどそのわからないという事に囚われている
 暇はまるで無く、ただただ其処にはそのわからないものにこちらから肉付けしていく作業をしている自分の
 姿がだけが広がっていく。うん、そう、もはや感想書くことしか私の頭の中にはありません。ぜってー書いて
 やる。(そして囚われる)
 
 ■ブラックラグーン  ・・・・・・評価 / キレない方法
 :キレ無いにはどうしたらいいかだって?そんなのは簡単さ。最初からキレてりゃいい。あんたがこの世に生
 まれて来たっていうクレイジーな事さえ飲み込めちまえば、いちいちキレてる暇なんか無くなんぞ。クソみた
 いな現実を見下げてる暇あんだったら、そんなかで楽しんでりゃいいんだ。嘆くだけ損だぜ。罪の意識?
 そいつと一緒に心中すると天国にでも行けんのか?わざわざそんな事しなくても充分天国には行けるぜ。
 此処だよ。このアホみたいに腐ってる地獄が天国さ。なに言ってんだお前、死んだら其処が地獄なんだ
 ぜ。たとえ其処が天国でもな。ま、お前らに天国見してやんのも悪かないか。じゃあな。サヨナラだ。
 たぶんきっとこの中では(主人公以外)誰も巫山戯た現実を否定してまとまな理想に至ろうなんて思
 いはしないし、きっと(主人公以外)誰も辛い現実を受け入れなくちゃいけないだなんても思っていない。
 レヴィが銃を撃つときに魅せた笑顔は、ロックにとっては現実離れした悪魔の表情なのかもしれないが、
 しかしロックのかます理想論もまた、レヴィにとっては寝言にしか聞えない。どっちもたぶん正常で、
 そしてどっちもたぶん最初からキレている。レヴィは最初からこの現実の中に生きているのだから、わざわざ
 それを受け入れなくちゃいけないなどと思う必要はだから無いのだ。
 なーんて当たり前な事はどうでも良いのだよワトソン君、というかつまりそこらへんの事をイチイチ意識しな
 くてもそれはガンガン頭の中に入ってくる訳なのだから、そこから如何に新たな考えを導き出すのかがそれ
 を見る者には求められているのだろうなと思うのだよね。あのレヴィのくそったれな現実への豪快な溶け込
 みっぷりを見てると、なんだかとても色々な意味でワクワクさせられました。
 黙れ。そして歩け。(はい)
 あと聖様はもうお嫁にいけないと思う。
 
 ■西の善き魔女  ・・・・・・評価 / 灰かぶり
 :かなり期待してたんです。そしてその分だけがっくりと来てしまいました。なんだこれ。おそらくもの凄く素質
 はあるのだけれど、それを全部上辺を下手に着飾ってしまって台無しにしてしまっているようなそんな感じ。
 語る以前の問題で、演出に大いに問題があると素直に思ってしまったよ。これは勿体無い。それを越えて
 いくつかキラリと光る箇所を見つけることはできたけれども、けれどそれを他の光と結びつけるにしてもその
 光同士の距離があり過ぎてできずに、なんだかとても見ていて疲れる作品でした。むぅ。あくまで物語性
 を表に出してそれでぐいぐいと引っ張っていくだけなのなら、たぶん私が見る意味は無いかもしれない。
 とかなんとか言って、だからこそそこに意味を創り出すのが私なのだよふふんとか言い出しそうで素で嫌だ
 こんな自分。ていうか自分が好きとか嫌いとか関係無く、アニメが楽しめればそれでいいんで。はい。
 ということでこの作品はじっくりまったり次話を期待するということで。いいのかそれで。いいんだよ。
 
 これ以外にはひぐらしのなく頃にを見ましたけど、これはほんともうただホラーサスペンスとして楽しむことし
 か頭に無いというかスプラッタなのは結構好きよ自分のことじゃなきゃ。(最低)
 それとRAYは見た事は見たけどそれだけでしたご縁がありませんでしたというところで、ガラスの艦隊は早
 送りで見た上に途中でビデオの電源を切りました。見なかったことにします。
 ということで、はい。
 今期は結局かなり見る作品が残ってしまうことになりました。しかも結構レベル高い。
 一応リストアップしておきましょうか。
 
 ・アリア第二期
 ・ブラックラグーン
 ・涼宮ハルヒの憂鬱
 ・XXXHOLiC
 ・NANA
 ・西の善き魔女
 ・スクールランブル二学期
 ・ひぐらしのなく頃に
 ・プリンセス・プリンセス
 
 順番は私が重要視している順というアバウトな感じです一応。あと太字は別格扱い。主力。
 ホリックの順位が中途半端な気もしますがまぁ気のせいです。そのうちなんとかなります。
 あと最後のやつは気にしないでください。錯覚です。
 
 ちなみに今期のコンセプトは「癒し・暴力・笑い」です。上三つがキモですキモ。キモいじゃなくて。
 で、それを使って不思議な四つ目を読み解くというか、うわぁなんか絶対そんな事出来る訳無い気がして
 きたー! (不安)
 
 ◆
 
 ■いつまで続けられるかわからないけれど取り敢えずやってやれないことは無いやらずに出来たら超ラッ
  キーの精神で書いてみる感想
 
 ・アリア第二期/第2話:
 様々なことそれぞれにはその道を究めようとする人が居て、その人達はそれをなによりも
 楽しもうとする努力に満ち満ちていて、そしてそうした人達が作り上げていった様々なものを楽しむことに
 力を尽くせるのが幸せの達人っていう奴なんだよね。それって結構難しい事でもあるんだよね。色々しが
 らみとかどうしたって発生しちゃう訳だし、勿論それを意識しないで済む天然幸せの達人さんはそれでい
 いのだけれど、だからそうでは無い幸せになりたい人はそれでもそのしがらみとかをなんとか越えようとして、
 そしてきっとそのしがらみ自身をも楽しめるようになっていくのかもしれないなぁなんて夢想。
 実際はそこまでいけることなんて滅多に無い訳で、でもそうなると今度は逆に『私は楽しいんです。だから
 いいんです』というしがらみに対する前向きな開き直りができるようになるのじゃないかな。たぶんそのしが
 らみ自体は消えないし楽しむことはできないのだろうけれど、その代わりにそうして消えないしがらみと共に
 歩いている自分を楽しむことはできるんだよね、きっと。
 最後にこのひと言を贈ります。
 ぷぷぷいぷいぷぷいぷいにゅう。 (最も印象に残りました)
 
 ・涼宮ハルヒの憂鬱/第二話:
 ハルヒが化けの皮を自らしっかり脱いでいく過程の一端のお話。というかこうして段
 々とハルヒの超絶馬鹿っぷりが広がっていくのが楽しくて楽しくてもう大変。だってこの人本当に真性の
 アホなんだもの。なんて言ったらいいのか皆目わからないのが困り所なのですが、なんだかもうそれすらも
 どうでもいいくらいにただ唖然としております。なんだこいつ、凄すぎるよ。ごめん多分私にはハルヒは語れ
 無いっす。もう駄目っす。ていうか今気付いたけど、化けの皮っていうのは別にハルヒが自ら被っていたと
 いう意味じゃなくて、周りの人達が勝手にかぶせてたという意味で、ハルヒ自身はただ最初から面白いも
 の探してただけって、ああもう、説明するのメンドイよ。
 超監督万歳。
 
 
 
 
 ごめん、疲れた。寝ます。寝てやる。
 
 
 

 

-- 060409--                    

 

         

                                ■■願いのハッセイゲン■■

     
 
 
 
 
 さて、ひとつ始めさせて頂きましょう。
 
 さらさらと、そう、決してゆらゆらとでは無く流れるように逆巻く煙。
 その中でまるで立ち止まるかのようにして、その場で飛翔し続ける一匹の黒い蝶。
 その向うから聞えてくる、というよりまさにそれが其処に在るようにして響く言葉。
 それらは人が聴いてこそ初めて在る言葉であり、そして初めて意味を為す言葉になる。
 諸々の根源を人にありとしていながら、その人を越えたところから顕れてくるものの姿が見えてくる。
 すべては人が居なければただ流れて往くだけのものでありながら、しかし人が居ればそれはその人と共に
 歩みを止めてふと立ち止まり顕れてくる。
 
 そこから生え出す鼓動のようにさらなる言葉が綴り出でる。
 鬱屈していながら、その第一声から既にかすれるほどに全霊を込めた溜息。
 その溜息に浸した指が描く刹那と永遠で出来ていく人の内側に在るものを滾々と散りばめていく。
 顕れた人の外側の形が不思議で彩られていく、その空虚な美の連続が淡々と淡々と絞り出されていく。
 
 どうして、それでもあなた達は私を見ているの?
 
 
 ◆
 
 XXXHOLiC、観ました。
 オープニングで流れていたモノに、まず真っ先に心を奪われました。
 かなり短い間でしたけれど、その間にぱっと散らばるようにして逃げていくモノを必死に掻き集めたくなるよ
 うな、そんなどうしようもなく必死な感情を、それは強く伝えてくるものでした。
 決してうっとりできるような美しさでなく、まるで御伽噺のような幻想的距離感を感じていながらも激
 しく感じる切実感、いいえむしろわがことのように捉えてしまう断片的な躍動感が其処には落ちていまし
 た。
 驚いて開いた口を必死に閉じようとしている瞬間の感覚、そうこれは他人事では無く自分の事なのだと
 意識したときのあぶなさ。
 音楽と映像という分け隔てるものでは無く、それはまるきりなにか事が起こる前触れのようにして、ただ
 ただ私の瞳に捕えられたのでした。
 
 本編の全体の感覚もまた不思議な動きの中に、それでもひっそりと潜む自分の感覚があるのを次に
 感じました。
 道行く人々が顔の無い灰色の背景として映し出され、その中をよくわからない造形の青年がひとり歩く。
 真面目で落ち着きがあり神経質そうでありながら、髪型は一部に寝癖のようなハネがあり、言動も軽挙
 妄動、しかしそれでもその瞳にはなにも映っていなく、そしてその外見はあくまでも涼やか。
 全身で空虚な美しさを象っていながら、その美しさが示す行動は決して美しいとは言えず、かと言って
 ならばそれが肉感的情動的人間臭さを露呈しているかというとそうでも無く、それはあくまで人間臭い
 表情をする人形の域を出ることは無いのです。
 だからたんに美しいとか綺麗とか見惚れるにしても、それは内面の伴わない美しさであって、けれどそれは
 決して「内面が無い」ということでは無く、その内面的人間臭さは確かにあるのです。
 けれど、それと同じく、その人間臭さは決してその外面と一致しないがゆえに、まるで存在感を得ず、
 そこにはひどく不思議な世界が在るのでした。
 そしてそれでもその世界はゆっくりとそして着実に流れ、そのおかしな主人公四月一日君尋(わたぬき
 きみひろ)は、とある一軒の屋敷に至るのです。
 その屋敷の主壱原侑子は、彼が此処を訪ねる事になったのは必然だと言います。
 彼は屋敷の前で体が急に動かなくなり、そして勝手に足が動いて彼女の前に居るというのに、それでも
 彼女はそう言うのです。
 その言葉の意味がわからぬ事を自分が此処にこうして立っている事の言い訳として伝えようとする彼を
 無視して、彼女侑子は端然と彼の前で座っているのです。
 色鮮やかな紅を塗り込めた着物を着崩して、長椅子に寝そべって煙管をくわえている侑子の姿が、
 それが紛れも無く其処に在る感覚が、彼女の一挙手一投足そのものの意味を無意味へと変えている。
 彼女はどうあろうとも彼女として其処に座し、彼女の姿がどんなに崩れても、その声の調子がどんなに
 変わっても、そこに厳然として在る彼女の内側が、それら諸々の様態を無効化しているのです。
 だらしなくしどけなく動き回る彼女の姿に、そして彼もまたまるで振り回されること無く、その彼女の内側
 だけに振り回されていく。
 侑子の姿形やしぐさにはまるで無反応の能面を晒していながら、それでいて彼女の内側から示される
 その言葉そのものには翻弄されている。
 その人形のような青年な人間の形が軽快に動き回るのを道化の悪巫山戯としてしか見れなくても、
 それが逆に今度はその今まで在るようでいて見えなかった彼の内面が其処に漂っているのを示し始めて
 いくのでした。
 侑子もまたカラクリ人形のように素っ気なく艶かしさを演じていても、それが示さんとする諸々の意味を
 踏み潰して示すそれらを踏み潰している意志としての足を示しているのでした。
 彼らふたりの間を飛び回る、モロとマル(フルネームはモロダシとマルダシというすごいもの)の仕草が、それ
 自体が決してモロとマルふたりの存在の意味を示さないかのようにあまりに焦点が当てられていない事
 からもわかります。
 
 そして、侑子の示す意志というのは明白。
 君尋に願いを叶えさせ、その代価を頂く、というもの。
 彼女が彼を前にして語るすべての言葉は、まるでその目的を達成するためだけに組まれたものであるよう
 に見えながらも、けれどその言葉ひとつひとつで成り立つ命をもまたそこに込められている。
 宗教の勧誘のようでありながら、宗教者の言葉そのものでもあり、巫山戯ているようでいて、君尋にとっ
 て身を切られるよりも切実なモノを示しもする。
 君尋の情報を暴くという奇蹟を魅せているシーン。
 侑子の黒髪がぼうっと浮き上がり、ひどく神秘的な印象を与えながら、しかし次の瞬間それを側面から
 捉えることでただ髪がうにょうにょとみっとも無く縮れ上がっているだけのようにも魅せていました。
 おそらく侑子の語る言葉は君尋以外の者が聞けばなんてことは無い、ただ戯言にしか過ぎないのであろ
 うし、また君尋の聞きようによってもそれはやはり中身の無いお巫山戯にしか感じられないものなので
 しょう。
 けれども君尋はその言葉を真に受けてしまうのです。
 他の人間ならそうはしなく、また彼自身もそう受け取らないことも選べたはずなのに。
 侑子は、すっと、君尋の前に彼の願いを示します。
 アヤカシという霊のようなものが見えて、それがたぶん自分でも思っている以上に自分にとって切実な事
 であることを侑子に暴かれてしまうのです。
 いいえ、それは暴かれたのでは無く、切実なものであると受け取るように仕向けられたのです。
 在るのは必然だけ、と侑子は言います。
 逃れることのできないものとして、君尋の中にあった願いは再構成されてしまいます。
 実に巧妙であり、またその詐術としての言動を示す侑子の有様そのものが、その「必然」というものの在
 り方を強めているのです。
 侑子が在るから、侑子が君尋を惑わし導くから、それは必然へとなる。
 
 『あなたの願い、叶えましょう。』
 
 そして君尋はあくまで無表情。
 けれどもはやその内側は細切れにされて、それをひとつひとつ丹念に縫い直されていくのを感じている。
 軽快に軽薄に動かすその言動のすべての意味が失われていくのを彼は感じていくのです。
 願い、願い、願い。
 街で霊に憑かれたと言って嘆く女性を見つけた君尋。
 彼の目には彼女にはアヤカシが憑いているようには見えません。
 けれど彼女は霊が取憑いていて今も苦しくて堪らないと言います。
 君尋は彼女に、君にはなにも憑いて無いから大丈夫だから、と言います。
 だって、なにも憑いていないのだから。
 けれど女性は激昂して反論します。
 あなたになにがわかるんですかこの苦しみが。
 でもあなたにはなにも憑いてないですよ。
 『幸せですね。見えない人は。』
 そう君尋には彼女が見ているモノは見えていません。
 彼女には君尋が見ているアヤカシが見えないのと同じように。
 彼女にはなにも憑いていないしけれど苦しんでいる、そして彼女はその苦しさの説明として霊の存在を
 利用しているだけ。
 だから彼女自身自分にはなにも見えていないことはわかっているのですが、けれど今こうして「なにか」に
 苦しんでいるのは確実なのです。
 そう、彼女にとってはこの今感じている苦しみがすべてなのであって、それは君尋の見ているアヤカシの存
 在とは全く関係が無いのです。
 けれども、彼女が今苦しんでいるという状態、それがこそアヤカシを彼女に「憑かせる」のです。
 彼女の目にはアヤカシは見えていなくとも、確かにアヤカシを「視て」いたのです。
 彼女が彼女の苦しみに霊を「視た」とき、其処にアヤカシが「顕れる」のです。
 ただ流れて目に止まらないはずのモノが、それを視、「望む」ことによって立ち止まらせ目に映るようにする。
 『ただあれを望む者が居て、望まれる者が居て。それだけの話よ。』
 侑子は言います、ただすべては在るようにして在りながら、在って欲しいと願われるゆえに顕れる、と。
 形としては君尋に憑いていたアヤカシが街で出会った女性に乗り移った事になるのだけれど、
 『あのアヤカシはあなたのものでは無い』と侑子が言うように、ただ在るようにして在るだけ。
 願った者が居るゆえに、アヤカシはそちらに移っただけであって、君尋が押し付けた訳では無い。
 人はなんだって願うことができ、そしてそれは誰にも邪魔されない自由であると侑子は言います。
 人はなにかを願う自由意志の元に顕わしたモノ、それに囚われて生きていく。
 そしておそらく、なぜそれを願ったのかは、それが既に其処に在ったからという事に尽きてしまうのです。
 最後に侑子はこう言います。
 
 
 『覚えておいて。あなたと私の縁を。
 
  既に関わりが生まれている。あなたと私には。
  
  どんな小さな出会いでも出来事でも、影響は必ず及ぶもの。
 
  どれほど短い時間でも、結ばれた縁は消えない。
 
  人生の中で起こる全ての出来事には意味があるって事。
 
  あなたと私が会ったことにも意味があるの。
 
  だから、覚えておいて。』
 
 
 
 私とXXXHOLiCとの縁は、既に其処に私とXXXHOLiCが在った時点で始まっているのです。
 両者が存在することが必然であるか偶然であるのか、それを決めるのは私自身。
 無論出会ったのが必然であるのか偶然であるのかも。
 私達はそれに意味付けしないでいる事はできない。
 けれど、意味それ自体は最初から其処にある訳では無く、それは私達が付けたゆえに顕れたモノ。
 そして。
 私達が既に其処に存在してしまっている事を、その顕れたモノの中にはっきりと感じてしまうのです。
 
 
 
 
 XXXHOLiC、これからも宜しくお願い致します。 (三つ指をついて)
 
 
 
                             ◆ 『』内文章、アニメ「XXXHOLiC」より引用 ◆
 
 

 

-- 060407--                    

 

         

                                 ■■やばもう四月?■■

     
 
 
 
 
 あれもこれもえーと、いいや。 (投げるな&挨拶)
 
 改めまして、魔術師の工房の管理人であるはずの紅い瞳です、こんばんは。
 いやいやいや、もう4月ですよ。
 どういうことですかこの時間の経つ速さというのは。
 私は1年の始まりってやつを4月に感じる人間なので、1月などまだまだあと3ヶ月は前年気分でへっちゃら
 だぜ、みたいなまさにモラトリアム真っ盛りな自制心のかけらもあられも無い状態なんです。
 ところが、ほら、3ヶ月なんてあっという間で超速で4月な訳ですよ。桜も散り始めてる訳ですよ。
 やべーやべー超やべー。
 という感じで慌てに慌てて気が動転して、困りに困り果てて最後ににこっとかすれた笑顔を魅せる、
 そんな駄目人間のトップ集団に位置するようなノリじゃないですか。
 ああもう既になにいってんのかわかんないですよ、ていうか最近自分がハイなのかローなのかもよくわかん
 ない有様でもーもーもー!なわけですよ、ほんともういい加減落ち着き給え。
 はい。
 ということで、って何がということでなのかわかりませんけど、この際其の辺りのことは綺麗にさっぱり忘れ
 て、きっちり新スタートをきりましょう、という心意気は如何でしょうか。
 あああ、ほんとなに書いてんだ私は、まぁいいや、いいのか、で、はい。
 ま、今年も改めまして宜しくお願い致しますです、というご挨拶の代わりにこんな妙にこじれたテンション
 を晒しているのですね。
 その辺りから紅い瞳が4月からはガンガン攻めていきますぜい、というアグレッシブな態度をおみせしたい
 のだというのを察して頂ければ、是幸いであります。
 だってー、最近なんか盛り上がりに欠けてましたもんね。
 いっちょう、頑張りまス。
 
 
 ◆
 
 さて、まずは地獄少女の後始末をば。
 地獄少女の感想を書くということは、私にとってはとても複雑怪奇な出来事でした。
 私が綴る言葉の主軸にあるものと反するもの、例えば怨みとか怒りとかそういうものを肯定するしない
 以前にその中にのめり込みその感情に囚われた人間を描いてきたのが、この地獄少女の一連の感想
 執筆でした。
 基本的に怨みや怒りというものを如何に克服するのか、というスタンスの元に、ではその怨みや怒りという
 ものはどういうものであるのかを考えてみたくて、そしてそうするうちにいつのまにか作品内の人物達の
 心情とシンクロしていたのですね。
 だから自分でも本当のところ自分がなにを書いているのかわからないまま書いていたりするときもあって、
 けれどそれはそうだからこそ、それはまるで私が書いたものでは無いもののように見えながら、それでも
 それを私の読み方を以て読み直すことで、改めてそれが自分が綴ったものであるという認識に至れる
 事にもなったのです。
 そうか、私の感じていたのはこういう事だったのか、と私はただ淡々と自分の綴っていったものを考えていく
 という連続の中に、とても奇妙なその作品との一体感を感じることができたのです。
 怨みというものがなんであるのか、それを描く前にまずはなにかを怨んでみて、そしてその怨みのままに
 綴った言葉を読み解いて、そしてそこに描かれていた怨みというものがなんであるのかという問いに答え
 られるようになったのです。
 怨みとは、決してそれだけでは完結しえない。
 それが私が導き出した答えのようなものです。
 誰かを怨んでいる自分、そしてその自分を見つめている自分、その怨みを語る自分、そういった様々な
 ものが織り混ざって顕れてくる怨みというものの姿を捉えて、それが一体自分にとってどういうものである
 のかを、その状態に陥ったものは考え続けています。
 そしてそれはそれを全うし続けた先にあるものがなんであるのかをも常に考え、そして最終的に怨みという
 ものを自分から引き剥がそうとするのです。
 剥がして、そして改めてもう一度着こなす。
 ただ怨みのままに行動している、その自分が求めているのは一体なんなのか、それをその怨みに満ち溢
 れる自らの姿を感じる事によって導き出していく、そのために改めてその怨みに身を委ねようとする。
 閻魔あいが最後に魅せたあの流れるようにして零れ落ちた涙。
 あの涙が、その怨みそのものと対峙している自分自身の姿を、深く重く表わしていました。
 
 地獄少女という作品は私にとって、本当にその最後の涙がすべてであったと思います。
 あの涙は、私達ひとりひとりの流す涙でもある。
 そして、その涙を流す瞬間の連続を私達は今生きているのです。
 地獄少女、終わります。
 
 P.S: でも地獄少女は続編があるみたいです。公式サイトに載ってたよ。すごいな。
 
 
 ◆
 
 あーなんか上手く書けなかったけど、まぁ地獄少女はほんと私の中ではすごく勉強になったしそれでいい
 かみたいなね、ごめんね、最近あんま他人様に理解して貰おうって文章書いてないよね、ほんとごめん、
 なんか自分的にすごくすっきりしてるんだけど、だからごめんね。
 ええと、もう少し文章勉強せなあかんなこれは。
 
 さて、次です。ジャンジャン次行きましょう次。行くったら行くの! 行け。
 4月から始まったアニメももう既にいくつか見ましたゼ。
 感触としては、思っていたよりずっと良い感じでしたね。
 んー私の感度が上がってるのかそれともたんにいい加減なのかわかりませんけど、とにもかくにも魅力的
 な作品が出揃ってきましたので、少しばかり感想を書いておきたいと思います。
 んじゃ、書くよ。
 
 ■アリア第二期  ・・・・・・評価 / それはわんだふるでいず
 :ゼロから作り始めた新しい星の中で築いていく生活の数々、それが外に向けて広がる事によって他の
 者のそれと邂逅することによってそこに新しい社会を現出させる。それらを手作りできるぞくぞくした高揚感
 がその社会に活性を与えていながら、しかしそこには緊張した競争は見られない。それは新しいものと
 いうものがそれが必ず古いものを下地や土台としてできているという共通の認識が、そこには漠然としか
 し確かに広がっているからだった。ネオヴェネチアという街は全く新しく創り出したものであるが、しかしその
 素材としてあるものは古きヴェネチアから引き継がれたものであり、そういったものが新鮮な風の下で優し
 くそよいでいる事によって、それはとてつもなく安定した社会をそこに現している。自らの手で作り上げる
 愉しみがそれが誰かと共有できるという歓びに裏打ちされているという安心感。カサノバを追う灯里とアイ
 の冒険がそのふたりの独自の夢見る感覚を愉しみたいというところから発したものであると同時に、それは
 カサノバを巡る史的な感覚を共に呼吸することで体験することができたものでもある。冒険の中でカサノ
 バと出会いそして共に踊りながら旅をする、あーなんて楽しいんだろとゆっくりしっかりと楽しむ事ができる、
 それがとてもとてもすごい事なのだ思うし、そしてそれができるからこそ新しい事を始められるんだと思った
 なぁ。ある意味でこれって今の日本社会の単純な競争原理に対するものでもあるんじゃないかな。
 その社会に身を置くからこそわかる、その中から始めなければならない新しい社会構築の意識、みたい
 なさ。なんつーか、私も新しい星に行ったらあんな風にしたいと思うもんね。自分が自分がの競争では
 無く、みんなで一緒によーいどん、みたいな。うわぁ訳わかんなくなったー。
 最後にセリフ引用。『アクアには本当に色々な出会いがある。ときにはちょっとだけ勇気が必要かもしれ
 ないけれど、思い切って両手を広げたらきっと思いがけないところに素敵な出会いが待っている。
 だって出会いを求めているのは、人間だけじゃないんだから。』
 人間だけじゃなく、動物だけじゃなく、あらゆる事象も歴史も文化も感情も思想も、ほんとうに沢山ね。
 
 ■涼宮ハルヒの憂鬱  ・・・・・・評価 / 超監督
 :つまらない。そう、つまらない。激しくつまらない。つまらなくてつまらなくていたたまれなくなって、何度も
 テレビのスイッチを切りたくなる。つまらない。なんてこったいこんなにつまらないだなんて。次元が違う。
 いやそれよりもこれはつまらなさ過ぎる。困るほどにつまらなくて、過ぎ足るは及ばざるが如しというのが本
 当ということがわかる。そう、つまらなさ過ぎて、つまらないという次元を飛び越えちゃってるのだ。あまりの
 つまらなさと見てるこっちが恥ずかしい感に責め苛まれて、そしてそれでも最後まで見届けなくてなくては
 いけない(決して最後まで見たい訳じゃない絶対ほんとダヨ!)気がして堪らなくて、もうなにがなんだか
 要するに全部見終わったあとに思いっきり全否定してやらなきゃ気が済まなくなってくるというか、でもその
 うちそのつまらない映像に付き合ってる自分がなんか可笑しくなってきて、その辺りでもうなんかヘンな
 感情が芽生えてきて、たぶん殺意なんだけど、で、あらかたツッコミしようとしてる自分がなんか儚くなって
 きて、そうしてほんと息も絶え絶えになった辺りでようやくスタッフロールが。そして立ち上がるひとつの影。
 『できたわっ!すぅごい出来じゃない!』by自主制作した超つまらない映像を見ての涼宮ハルヒ(超監督)
 私の感想は以下のセリフと同じ。
 『 こ れ を 衆 目 に 晒 す と い う の か 。』byナレーション兼アシの部員(通称キョン)
 超監督の感覚に乾杯。もう駄目。乾杯しただけで酔いが回ってきた。最高。最高の馬鹿。天才。
 
 ■NANA  ・・・・・・評価 / とろけるように甘くほっとするほどに刺激的
 :正直ビビった。「表現」のウマさっていう奴をここまで思い知らされたのは初めて。そしてそれを越えて伝
 わってくる、全力でいながら妙に非現実的な現実、それがこそ私達の居る現実なんだという感触が
 恐ろしいほどに伝わってくる。現実なんて騙ってなんぼだろうし、それは騙る人の数だけほんとそれはいわ
 ゆるリアリティという奴を失っていくのだろうし、現実なんてそれぞれの人の思い込んだ感覚世界にしか過
 ぎ無いという言葉に頷くことしかできないのに、それなのに確かに向う側からなにかがビシビシと伝わって
 くることは否めない。ふたりのNANAの見てる現実はまるっきり違くて、そのずれっぷりがもの凄い現実感(
 つまりもの凄い非現実感)を与えてくる。ふたりがふたりともはったりかまして言葉で築き上げた些末な現
 実のイメージって奴をいっしょくたにして飲み込んだ、その途方もないリアリティがあの映像の中にはあった
 ね。肉感的で、それでいて信じられないくらいにさらっとしてて、でもそれが、その嘘っぽさが現実なんだ、
 そしてそのまっしろけっけな現実の中で訳もわからず蠢いている裸のNANAが居る。やられたって思ったよ。
 そして自立というものの考えについての感覚がそのあとに連なり描かれていて、ひとりはただ愛する人と共
 に居ることが幸福、そして一方はひとりで立って歩く、けれどもお互いが既にそれだけではやっていけない
 現実に直面してて、それぞれがその自分の幸福の実現のためにその障害となるものと上手く戦い(戦い
 というのは広い意味で)ながら、そういった現実を下地とした上でさらに自らの騙る現実を上塗りしていく
 という感じは、それはひどく深い安心を与えてくれた。それは切実で切迫した状況の中に芽生える、そうし
 て騙る事で向き合うことのできる現実を元手にしてやっていけるという安心感。でもそれはその安心感を
 求めるのが目的では無いからあくまで刺激的で、それなのにその刺激に溺れていった底に見つけたぬく
 もりがどうしたってその安心感を与えてくれもする。ふたりのNANAが握手したとき泣くかと思ったよ私。
 人の数だけバラバラになっていく世界の底で繋がる裸のふたり。うーん、いい。そしてそこからなにを始め
 るのかなにを騙り語るのか楽しみだー。
 
 ■プリンセス・プリンセス  ・・・・・・評価 / 禁呪
 :危険。あぶないあぶないあぶ。そっちは崖っていうかもう既に指一本でぶら下がってる状態。
 滅茶苦茶飛ばしてくる。しっかり掴まって無いと振り落とされる。たぶん落ちたら二度と帰って来れない。
 落ちなかったら落ちなかったでたぶん終わる。全方位隙間無く完璧に堕としにかかってくるのできっと
 見た段階でもう終わり。ご愁傷様。私は先生の『常識で考えちゃいけない。こ こ は 男 子 校 な
 ん だ 。 』で諦めました。逃がす気無いのね。観念。もういい好きにしてどうにでもして。
 ということで警告します。覚悟の無い者は決して手を出すな。なんの覚悟かはご想像のままに。
 言ったからな! 私はちゃんっと警告したからなっ! ・・死ぬよマジで。 (笑い疲れた表情で)
 
 
 あとスクラン見ましたけど、これはまぁ普通に楽しいと言うしか無いしね。
 高野さんはほんとなんでも知ってるなー、くらいかな。合格。なにを偉そうに。
 で、一応4月アニメの前半戦は終了。まだまだあるんだよねー新番組。
 今日書いた作品の中では連続して感想を書こうと思えるタイプのものは無かったけれど、この気運なら
 ひとつは絶対見つかりそうだねぇ。
 ということで、明後日辺りにXXXHOLiC観て、良ければそれで連続感想書きまス。
 連続感想の素材として良くなくても、たぶん明後日か明々後日くらいにそれまでに見た今日以降の
 アニメと一緒に、また今日みたく感想書く予定ではいますけれども。
 そういえば土曜日って結構数あるんだよなーアニメ。
 まだ時間確認してないけど、下手したら時間重なっちゃう作品とか・・・・・・うーん。
 ま、なるようになれですよね。(いつものことです)
 
 って、ほんと私の気分次第って感じになってきたなぁ。
 それはそれで、最初からそうだったような気もするけれど。 (あれ?)
 
 

 

-- 060405--                    

 

         

                            ■■地獄の中の楽園と■■

     
 
 
 
 
 『俺・・・・・・受け止めきれなくて・・・・・・』
 
                             〜地獄少女・最終話・柴田はじめの言葉より〜
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 連綿と続く地獄。
 穏やかに波飛沫を湛える川面に映える淡く紅い闇が伸びていく。
 ゆらゆらと落ち行く悲しみの果てに辿り着く地獄の中の楽園が見えてくる。
 咲いている・・・
 辺りを包む驟雨に濡れる彼岸花の群が生きている。
 途切れ途切れに続いていく霧の隙間から覗く紅い瞳。
 彼岸の花を咲かすはなんのためか。
 嗚呼・・・・・悲しい・・・・・怨めしい・・・・・
 自らの生き血を吸い上げて燃え上がる濃紅の花の生ける楽園。
 この瑞々しい生命の在処がこの体のうちに無い事を感じていく。
 紅い紅い禍々しく咲き乱れる生命の花の群が闇に溶けていく。
 駄目・・・・・
 狂おしいほどに身悶えしながら群生する楽園の末裔達の中に飛び込んでしまう。
 これが・・・・
 これが私の・・・・運命・・・・・・
 
 
 
 ++ 私を、助けて
 
 『俺の・・・・・・せいじゃない・・・・』
 
 轟音と共に静まっていく怨み。
 噎せ返るようにして閉じていく怒り。
 襤褸のように枯れていく私の体を縫い上げて、仮初めの姿のままに浮遊する。
 怨みと怒りが此処にあるのでは無い。
 怨みと怒りを抱いた私の体が此処にある。
 なにも見つめていなかったのだと思う。
 なにも感じていなかったのだと思う。
 すべてが奪われたあとに残るものがなにも無いということを知らしめるために縫い止めたこの存在。
 ただただ怨みを晴らすために、動いていた。
 ただただ怒りのままに、流れていた。
 
 嘘。
 そう、嘘なんて其処には本当は無い。
 ただ常に複数の流れが其処にあるだけ。
 あの男は言った。
 自分のせいでは無いと。
 自分が責めた事によって相手は平常心を無くし死んだ、それは自分のせいでは無いと。
 悪いのは、責められるようなことをした相手なのだ、と。
 恐らく、それは嘘なのね。
 自分が悪くないというのが先にあって、それがどうしてそう言えるのかというのは、それは後から付けられた
 だけのただの嘘。
 本当は、相手が悪いなんて思っていない。
 なによりも、本当は自分が悪いと思っているから、死ななければならないと思っているのは自分の方だと
 思っているから、だからこそ自分は悪くないと必死に言うしか無かったのよ。
 だって、あの男は誰も死なせたくはなかったのだから。
 ただ幸せのうちにふたりで笑い合いたいだけだったのだから。
 だから、誰も悪くない、ただそれだけがあの男の目の前には流れていたのよ。
 そして。
 つぐみ。
 だからきっと、あなたのお母さんもそれと全く同じ理由で、あなたのお父さんを怨んでいるのよ。
 あなたのお母さんは、ただ幸せにふたりで笑い合いたかっただけなのに、それなのに死んでしまうなんて。
 あの男は言ったわ。
 こんなに辛いならいっそあいつが死ねばいいと。
 幸せになりたいだけなのに、それができないもどかしさに負けて、つい相手を呪ってしまったと。
 まさか本当に死んでしまうなんて、と。
 そう、あなたのお母さんは死んでしまったのよ。
 取り返しのつかない過ちを、あの男は犯したのよ。
 
 『後悔なんて意味無いわ。失ったものはもう戻らない。』
 
 
 ◆◆
 
 誰かを殺してまで生きたいなんて思わない。
 それなのに、いつのまにか誰かを殺して今生きている自分を感じてしまう。
 たとえようも無く愚かでいて、なによりもそれでも感じる自分の体が愛おしい。
 自らの罪深さを感じれば感じるほどに、決してその罪に押し潰されてはならないと感じている。
 それは、ほんの僅かな差で、その罪を償うために自らを罰し亡き者にするという意識に勝っている。
 だから人は、それでも生きている。
 生きているから、人は常にその生への執着を守り続けている。
 あの男が妻を死なせた理由なんて、どうでもいい。
 それよりも、あの男が妻が死んだことに対してどう向き合っているのかという事が重要だった。
 あの男は、まず最初に妻が死んだのは俺のせいじゃないと言った。
 自らの罪の意識に苛まれることで、それを凌駕する生への執着のために自らが死ななくても良い言葉を
 あの男は選んだの。
 きっとあのときあの男の目の前には、自分こそが死ななければいけなかったんだ、という言葉しか無かった
 のだろうから。
 生への執着が強いという事は、それだけ罪の意識が鮮明だったということなのよね。
 あの男は初めからずっと自分を責め抜いていた。
 責めて責めて責めて、そしてその成れの果てに自らの死が横たわっているのをはっきりと見つめていたの。
 恐ろしかったのだと思うわ。
 悔しかったのだと思うわ。
 そしてなによりも、生きたかったのだと思うわ。
 汚辱にまみれながらも、自らの内に於いて凄惨な責め苦を広げ続けながらも、決してそれに屈すること
 無く笑顔で生きたいと思わなければならないと思わなくてはいけないと。
 そしてそうする事こそが、なによりも罪の意識を増大させていっていることも、あの男は否めなかったのよ。
 自分だけがのこのこと生き延びて、こんなに幸せに生きていて良いはずが無い、愛した女を死に追いやっ
 ておきながらのうのうと生きているなんて許せない。
 あの男の意識の底にはずっとそれが流れ続けていたの。
 自分のせいでは無い、と言ったあの男のその言葉が、そのすべてを如実にあの男の背に刻み顕わして
 いた。
 
 
 
 
 
 
 仙太郎・・・・・
 
 
 
 
 
 ◆◆◆
 
 私は仙太郎を愛していた。
 そしてきっと、仙太郎もまた私を愛していた。
 私のために尽してくれ、私のために危険な目に合い、それでも私を助けてくれた。
 でも。
 最後の最後で、一番肝心なところで、仙太郎は私を見捨てた。
 そして私は、死んだ。
 私は仙太郎を怨んだ。
 ええ・・・・
 仙太郎が私を見捨てた理由・・・それは・・・・わかっているの・・・・・
 ああしなければ、仙太郎自身が大変なことになるのだし、そして逃げ出したあとに仙太郎の心がどんな
 状態になったであろうことも、全部私にはわかっていたの。
 仕方がない・・・・そう・・・・・ほんとうに仕方が無いことだったのよ・・・・
 でもね・・・
 私は、仕方が無いからこそ、どうしようも無いからこそ、だからこそそれに身を任せてただ諦めのうちに自分
 を納得させるための言葉で以て、自分を葬ることだけはしてはいけないと思ったのよ。
 仙太郎の気持ちがわかるから、仙太郎の苦しみがわかるから、だからこそ、本当にそれに私が負けては
 いけないのだと、強く強く思ったから。
 私は仙太郎を激しく怨んだの。
 私の生が奪われるということ、それがどうしようも無いということへの怒り、そんなことを絶対許してはいけな
 いという反抗、そしてそれをただただ肯定することでしたか生きられなかった仙太郎への怨み、それらは
 いくらでも否定することはできるだろうし、現に私は最後にみた仙太郎の顔を思い出すたびに、何度も
 何度もそんなことをしてはいけないと思ったわ。
 仙太郎を怨んだりしてはいけない、彼は私をこんなにも愛してくれたのだから、それだけで充分なのよと。
 だから、こそ。
 私は、激しく、激しく、本当に仙太郎を怨まなければならなかったのよ。
 仙太郎が自らの生に執着するのなら、それを私が認めてあげた以上、私もまたそれ以上に必死になって
 私の生命にしがみつかなくてはならなかったし、それができないような状態を怨まなければいけなかったの
 よ。
 怨んで怨んで怨み抜いて、決して許してはならないと、そう思い続けてきた。
 私は死んでしまったのだから、もう本当に怨むことしかできなかった。
 でも、そうすることが私に生への執着を植え込み続けてもいたわ。
 生きたい・・・・生きていたい・・・・そして生きてはいけない理由のすべてを許しはしない・・・・と
 
 
 仙太郎・・・・・
 ごめんね・・・・・・・
 
 
 
 ++ 私を、殺したのね
 
 うらぶれた怨念が頭を擡げる。
 掌を差し上げぽろぽろと落す干涸らびた涙の喪失が生暖かい血を垂れ流す。
 凝固した血の残滓を剥いて晒す生肌に趨る亀裂が失われた生命の断末魔を視界に這わせていく。
 許さない許さない・・
 私は死んでしまったの・・・・
 それがどういう事か、あなたはわかるわよね・・・
 そう・・・あなたが最も怖れていたことよ・・・・・
 なにもなくなってしまうのよ・・・・もう生きることができないのよ・・・・
 あんなに必死に守ってきたのに・・・あんなに激しく求め続けてきたのに・・・・・
 馬鹿じゃないの・・・あんたがいくら後悔したって・・・なにも元には戻らないのよ・・・・
 怨んでやる・・・・・・生きたい・・・・・・生きたい・・・・・・
 甦って・・・・お前を・・・・・お前達を・・・・・・地獄に送ってやる・・・・
 嗚呼・・・・・・
 雨が・・・・・・雨が・・・・・・・・雨が・・・・・・・・
 
 
 
 
 
 
 

私・・・・・・・此処に・・・・・居るのね・・・・まだ・・・・

 
 
 
 
 
 
 ◆◆◆◆
 
 つぐみが父親の頬を張った。
 罪の意識にまみれて死への道に至ろうとする父親を抱きとめた。
 嗚呼・・・・・・・
 
 
 もう・・・・・・わかって・・・・・・・
 
 
 
 『ああ・・・・楽しかった・・・お前と居るだけで・・・俺は・・・幸せな気持ちに・・・・なれた・・・』
 
 
 
 嗚呼・・・・・・・嗚呼・・・・・・・・・・ああ・・・・・・・
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 『あいは、あいだろ。』
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 怨念の、その命と成り果てた醜い闇の中に指を差し入れ、力一杯引き剥がした。
 砕け散る怨みの肉塊が薄紅に染まり、深々と散りさざめく桜の雨を流し始めた。
 緩やかに宙を漂う桜花達の漏らす涙はやがて、そこに静まり往く地獄の中の楽園を開いていった。
 闇の中に灯る一片の光。
 すべてを失った物共の中に芽生える真の極楽。
 
 『好きだったんでしょ? 仙太郎さんのこと。』
 
 散る。
 散る。
 私の生命が散っていく。
 舞い散る桜がやがて渦を巻く桜吹雪となって私に降り落ちてきた。
 ・・・・芳しくて・・・・・・・・刹那で・・・・・・・・そして・・・・・・・・あたたかい・・・・・
 無上の悲しみの中から滾々と涌き出でる歓びが桜達の生命を葬っていく。
 慎ましやかに、穏やかに、なによりも、愛を込めて。
 怨めしい、ああ、怨めしい。
 愛しているがゆえに、怨めしいの。
 なんで私を救ってくれなかったの。
 なんで私と未来永劫愛し合ってはくれなかったの。
 どうして愛するあなたの手で埋められなければならなかったの。
 許さない、許せないのよ。
 あなたを愛すれば愛するほどに、あなたを怨んで・・・・・・怨んで・・・・・・・・・そして・・・・・・
 
 
 
 
 桜の木の下で両手を広げ、私は泣いていた。
 
 
 
 
 私は・・・・この地獄の中の楽園に生きていた・・・
 私の今は此処・・
 今感じることのできるこの無限の歓び・・・・・これが私の・・求めるべき・・もの・・・
 仙太郎・・・・・仙太郎・・・・
 ありがとう・・・・・今まで一緒に居てくれて・・・・ほんとうに・・・ありがとう・・・
 私もう・・悲しいけれど悔しいけれど・・・死んでしまったから・・・・
 だから・・・仙太郎・・・・あなたがくれたものの暖かさと愛しさを・・・感じることが・・・出来たわ・・・
 私は生きたくて生きたくてただ堪らなかった。
 そしてそれが許されない世界を許せなかった。
 でもね、私が求めていたのは、私が生きているということでも、それが許される世界でも無かった。
 仙太郎・・・・
 私が・・・・・・今・・・・此処に居て・・・・そして感じている・・そのすべてをこそ・・・・私は求めたのよ・・
 いいえ、違うわ。
 私はきっとそれは求めていたのじゃない。
 それがなんなのかわかっていなかったのだから。
 でも、今こうして桜の木の下で仙太郎への愛で一杯になっている私が居る。
 重要なのはでも、それだけなのね。
 私は、その今でもあなたを怨んでいる。
 でも。
 私は。
 今の私は。
 その今でもあなたを怨んでいる私を愛してはいない。
 今は、この桜吹雪と共に散りゆく私の生命の中で、愛する仙太郎をずっと見つめ続けているのよ。
 
 私は、あなたを怨みたかったのじゃない。
 私は、あなたを怨む私を怨みたかったのじゃない。
 私は、ただずっと、それでもずっとあなたを愛し続けていたいだけなの。
 だから。
 本当は、それなのにあなたを愛せない状況に私を落したあなたを怨まなければあなたを愛せない、
 というのは四百年つき続けた私の大いなる嘘だったのよ。
 あなたを愛せない理由をあなたが私を殺した事に無理矢理押し付けていただけ。
 私は死してなお仙太郎愛し続ける、それが本当の私のしたいことだったの。
 そう、私は生きたいのに死んでしまったのだから仙太郎を愛することはできないと、そう思っていたから、
 だから仙太郎を怨むことでそれに抗議することしかできなかった。
 私は一杯生きていたいと思い続けていたのに、それが断たれたことが許せなくて、それを許す者を許せ
 無いと言い続け、四百年の長きに渡って他人の怨みを代行し続けていた。
 
 
 目の前を真紅の光が横切っていった。
 
 
 紅く逞しい彼岸の花。
 地獄にも、楽園はあったのだわ。
 死者としての生が、其処には確かに在った。
 今というこの瞬間、実感は紛れも無く途絶える事無く脈々と私の中を這いずり回っていた。
 やっと・・・・・
 やっと、此処に辿り着いた・・・・・
 怨まなくとも、許さずにいなくとも、安住することのできるこの地に・・・・・
 怨むことでしか得られない愛など、許さずにいることでしか勝ち取れない存在など、いらない。
 濛々と立ち込める往生の兆しが荘厳なる最後の試練を投げて寄越す。
 それでも私は、まだ生きたいと思っている。
 それでも私は、まだ仙太郎を怨んでいる。
 どうすれば、いいの。
 
 
 
 なにひとつ躊躇うことなく、私は仙太郎の罪の意識に火を放った。
 
 
 
 燃えなさい。
 そしてただその焼け跡のみを晒しなさい。
 罪の意識そのものに意味など決して無いわ。
 ただそれを感じている人間が今此処に居るだけよ。
 仙太郎の罪の意識でできた寺。
 それを未来永劫崇めることでそこに逃げ込むことはもうさせない。
 あなたは、自由よ、仙太郎。
 あなたは私を愛してくれた。
 そしてあなたはその私を殺してくれた。
 愛しているわ、仙太郎。
 そして怨んでいるわ、仙太郎。
 私はそうしている今の私を地獄の中の楽園の中に未来永劫生きさせるわ。
 だから仙太郎。
 
 私の怨みで、その罪、焼き尽くしてあげるわ。
 
 あなたの罪の意識なんて、私はいらない。
 あなたがいくら悔いたところで、私はもう死んでしまったのだから。
 私の怨みは決して消えないし、また消そうとも思わない。
 だから私は、その怨んでも怨みきれないあなたの建てた寺など消してやる。
 そんなもので、私への愛を誤魔化さないで。
 あなたが悪い。
 私はそうは思わないゆえにそれでもあなたを怨む。
 でも。
 だからこそ、あなたもまた決して自分は悪くないという言葉を懸命に綴っていって頂戴。
 本当は誰も、悪くはないわ。
 ただ悪いと思わずにはいられないあなたや私が居るだけ。
 そして。
 あなたも私も、今を、生きている。
 
 
 
 
 仙太郎・・・・・・・・
 
 ありがとう・・・・・・・・・・
 
 永遠に・・・永遠に・・・子の孫のそのまた孫のその先ずっとずっと永遠に・・・あなた達は・・・・生きて
 
 
 私もずっと・・・・此処に居るわ
 
 
 
 
 
 
 焼け落ちた罪と怨みの情熱を背に、その少女は溢れるばかりの涙を残していった。
 
 
 
 
 みんな、みんな、幸せに
 
 
 
 
 
 〜 地獄少女  了 〜
 
 
 
 
                               ◆ 『』内文章、アニメ「地獄少女」より引用 ◆
 
 

 

-- 060402--                    

 

         

                               ■■桜の森の満開の酒■■

     
 
 
 
 
 の、飲んでなんかいないにょ? (嘘)
 
 はいごきげんよう紅い瞳ですがっちり飲んでましたーっごめんなさい。
 御陰様を持ちましてすっかりエイプリルフールという美味しいネタを忘れておりました。
 何もこういうときにボケなくても良いようなものですけれど、お酒は美味しいので良いのです。(支離滅裂)
 今夜もほんとは夜桜見ながら(夜桜大好き過ぎっす!)一杯と洒落込もうという、もうそんなイキオイで
 御座いましたけれども、幸か不幸か、きっと次の日の事を考えれば幸せなことなのでしょう、雨が降って
 たのでやめにしたくらいなのです。
 まーその代わり家で飲んでましたけどねーあははは。
 
 うん、次いこうね、次。
 
 
 ◆
 
 ちょっと此処何日か忙しかったので(お酒飲んでただけじゃ無いですほんとだよ!)、今日一気にアニメの
 最終回なんかをいくつかまとめてみました。
 あーあ、すごいな、こりゃ。
 ということで、まぁ色々アレでしたが、いやいや酔ってへんよ? 大丈夫、大丈夫だかりゃ。
 あ、その前にこんなニュースが。ちょっと遅いけど。
 
 >「蟲師 」東京国際アニメフェア2006 東京アニメアワードノミネート作品 テレビ部門
 >優秀作品賞受賞。
 
 ま、当然だよね。
 評価されて当然だから嬉しいとかそういう感じはしないし、まこんなもんかってところでね、
 あれ?なんか私今嫌な奴っぽくなかった?なんか高飛車?不遜?偉そうって感じ?調子乗ってる?
 だよね、なんか蟲師 が関わると妙に熱いよね私うんちょっとどうかしてた少し落ち着いてみるようん。
 ・・・・・・・まぁ蟲師 は最高なわけですが。(開き直り)
 
 じゃ、感想。というか書くことあんまりないけど。
 舞乙ね。
 うん、トモエさんの暴れっぷりが素晴らしくてなんかもうそれが凄くてよくわかんなくなった。 (しっかりしろ)
 幼児プレイはよしとしてほんと彼女は悪役の兼ね備える笑える部分全部持ってて最高に笑えました。
 やべーおかげで他の記憶がない。
 あれ?なんか気づいたら戦い終わってる・・・・・・・・ ど  ん  ま  い 。
 はい、次。
 かしまし
 ありゃーやす菜とくっついたかー私はとまりとくっつくかと思ってたけど。
 なんていうか女ふたりの我侭とはずむの我侭の対決って感じだったよねぇ。
 まー確かにはずむがどっちかを選ばないから女の子ふたりが辛い思いするってーのはそうだけど、
 でもそれは女の子ふたりが無理やり自分達の恋愛観ではずむのおおらかで純粋な心を小さく縛り付け
 てるだけってー話でもあるわけで、結局女の子ふたりはそのことに最後に気づいてそれじゃ自分達の我侭
 だって思ってお互い身の引き合い合戦を繰り返すって感じになってたね、結局。
 で最終的にはとまりが身を引くという形になるわけだけど、でもとまりったら未練たらたらもいいとこで、
 要するに子供のときにはずむとお嫁さんお婿さんの関係になるという約束がずっととまりの中では生き
 続けていて、諦めるっていっときながらはずむの子孫末代にまでお前のばーちゃん(じーちゃん?)は私の
 ことが好きだったんぜと語りつづけてやるって、まぁ聞き方次第で凄いこと言ってた訳で、私としてはだから
 絶対とまりとくっつくと思ってたんだけどなー。
 それにやす菜って大勢の中のひとりというのを認識できないがゆえに人の顔がわからなくなって、だからそ
 大勢の中のひとりとしてはずむを認識できたって事自体がやす菜には重要なことであって、だからはずむが
 またやす菜のところに戻ってきたことで顔の見分けができるようになったのなら、もう「恋人」としてのはずむ
 はやす菜にとっては必要無いんじゃないかって思ったし。
 「友達」としてのはずむでだってもういいような気もするしねぇ。大勢の中のひとりであればいいんだし。
 それなのにあそこで終わるっていうのは、ちょっと意外だったかなぁ。
 でもあの最後のやす菜がなにを言おうとしてたのか、あれはちょっと不思議。
 もしかしてあれって、やす菜、はずむをふるんじゃないかなって思ったね。
 とまりさんのところに行ってあげて、みたいな。
 改めて私ははずむくんのことが好きって言うのが普通っぽいけどさ、なんかそれだと座りが悪いよ。
 とまりにとってはあのはずむとの約束は絶対忘れられないことなんだろうし、意味的にはまぁそっちのほうが
 しっくりくるなぁと思うわけ。どうでもいいか。どうでもよくないよね。
 恋を馬鹿にするものは恋に泣く。(縁起でもない)
 って、書くことないとか言って結構書いてるし。書くような内容が無いのはほんとだけど。
 で、ソルティレイ
 夜中色々やっててふとテレビつけたら最終回を含む三連話展開してた。三話連続て。
 初めて見たアニメなんだけどすっかり感極まってもう(涙腺が)もちませんっ艦長!でした。
 夜中になにやってんだこいつというツッコミはお控えください、ええまず真っ先に本人が致しましたので。
 つか私も宇宙行くね。もう一生懸命散ってくるね。笑顔で笑ってスマイルに死ぬるね。
 あんなに皆に大事にされて惜しまれて泣かれて信じられて、これほど死に甲斐のあるチャンス無いよ。
 あそこまでやられちゃおしまいですよ。涙涙でみんなのために死ねますよ。万歳ですよ。
 ・・・・・・・。
 結構、疲れてたんだな、私。
 
 
 ◆
 
 えーと、あとなんだっけ。
 まー面倒なんで黙ってアニメの事だけ書いてりゃいいか。
 いやだって、お酒美味しいですし。
 
 はい。
 早くも4月になってしまって大変なこと極まりないのですが、だからといって今更慌てふためいたところで
 どうにかなる訳でもなく、ええともういいですか。
 そうですね、新しいアニメがもう始まってしまう訳で御座いましたね。
 私としましては取り敢えず見てみたろとか思って気楽に構えているのはよかったのですけれど、よく考えた
 ら私はもうちょっとアニメ気合い入れてみなくちゃいけないんだよってことに思い至ってね。
 ほら、アニメは楽しく面白く見てこそなんぼでしょう?
 ゆえに私にはアニメを楽しく面白く見ることを追求する責務がある訳です。今思いついたんですが。
 ということでお気楽極楽も大概にせいよというニュアンスでいっちょう気合いを入れてみやがることにしたの
 でござんすよ、旦那。
 旦那って誰よって話なわけですが、それはまた別の機会にということで。
 で、ほらウチはアニメに感想とか書いてるじゃないですか。
 だのにここ半年は新しい作品に手をつけてないのですよ。
 だからね、ここは一踏ん張りして感想を書くアニメを選ばなくちゃいけないのですよ。
 面白いと思うアニメが無ければそれまでよ、では今回は通用しない。今決めたんですが。
 ということで、今回は視聴すると決めたアニメからひとつだけ絶対に選んで感想を書くという方向でいき
 たいと思っています。どうだ! (どうだて)
 はい、どうせ紅い瞳のやることなんで、大したことじゃないんですけど。
 それでもまぁ、やるだけはやってみないとね、うん、やりますよ、やってみせますよ。
 ・・・・・。
 あれ・・?冷蔵庫にもう一本お酒無かったっけ?
 
 ということでね、今のところ感想を書けそうなという意味で期待しているアニメの筆頭は「XXXHOLiC」。
 紅い瞳の積み重ねてきた面白そうなアニメを嗅ぎ分ける感覚を元に選び出したのがコレなんです。
 でも、非常にうまく満足いきそうな方向に進む可能性と同じくらいに残念な方向に進む可能性も感じ
 られてしまうのが玉に瑕。大体私が事前に目を付けた作品って極端な方向にいくんだよねぇ。(ため息)
 で、なんか既にため息とかそういう駄目な方向に行きかけている紅い瞳の心をぐぐーっと盛り上げてくれ
 そうなのが、「西の善き魔女」。コレはイイかも。
 公式サイトもしっかりしてきて摂取できる情報も増えて、なんとまぁという感じに。何言ってんだ。
 うん、これもまた感覚としか言えないというかそうとしか言う気が無いというか、なんだ、いいじゃんこれ。
 えー、はい、次。
 「獣王星」。
 期待してます。てか面白くなかったら怨みます。あんたに最後の望み託してんだからなぁーっ!・・・・・。
 
 
 なぜかアニメの話をすると最近必死になるのはなんかヤバイと思う。
 
 あとお酒は美味しいと思う。
 
 

 

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