+
+
+
+
+

◆◆◆ -- 2006年8月のお話 -- ◆◆◆

 

-- 060827--                    

 

         

                                     ■■ 記念日 ■■

     
 
 
 
 
 ごきげんよう、紅い瞳です。
 ご挨拶が大変遅くなってしまいましたけれど、8月24日をもちまして当魔術師の工房が四周年を迎え
 ましたこと、ここにご報告申し上げます。
 これもひとえにいつも来てくださる方々のお陰様で御座います。
 これからも、精進して参ります。
 
 四年という月日の長さそのものを実感することはありませんけれども、しかし今この瞬間の連続がその
 記念すべき年月を迎えているという実感は御座います。
 日々日記を書き続けていますと、それは多くの場合連続性を感じずに、ただその回限りの更新として
 しか認知されないものです。
 しかしこうして何周年記念ということを意識しますと、当たり前ですけれどそういったものが決して途切れ
 ずに延々と重なり繋がっているのだということを、認識せずにはいられません。
 なにがあろうとなかろうと、なにを書こうと書くまいと、それが積み上げてできた今この四周年の瞬間。
 あるものはただそれだけですけれど、しかしその重みだけは、必ず新しく私とひとつになっていくのでした。
 常に過去の集大成として在る今の自分の側面の意識が、なによりも自由にしてこの日記と向き合ってい
 ける幸せがあることを、ここに感謝致します。
 改めまして、日記を読んでくださっている方々、チャットにて紅い瞳に付き合ってくださっている方々に、
 厚く御礼申し上げます。
 そして、これからもよろしくお願い致します。
 
 ◆
 
 ここ最近はがくんと更新意欲が低下していまして、なにか書こうというおぼろな意識はあれども、それが
 実際に執筆にたどり着くことはまず無いという、あらあらうふふな状態が続いています。
 でっかいやる気無しです。
 先日の水銀燈関連の文章で燃え尽きた、もしくはあれでやることはやったという勝手な自己完結など
 がその主たる原因にはあるという推測を交えて、全くそれ以上進まない状態に充足しています。
 そのようなていたらくですから、水銀燈についてまた書きたいだとか、マリみての志摩子さんについて書き
 たいだとか、栞さんと会う直前までのやる気無しな聖様を書きたいだとか、やる気無いだとか、そういう
 ことをいくら言ってもそれはやはりうわのそらな戯言にしかなれないのは周知のことと存じます。
 多くの場合、紅い瞳が景気の良いことを言うときはやる気が無いのです。
 それでも、その景気抜群な法螺を吹かなければなにも始まらないことは、残念ながら事実なので、
 やはりなんとしてでも色々と大きなことを言わなければならないのです。
 その中で、今現在最も実現性が高くかつ現実的な捕らぬ狸の皮算用的目論見は、今私が観ている
 アニメの感想を書くことです。
 ホリックを含むアニメの感想を、ひとつの文章にして繋げて書いてみる。
 それぞれのアニメから選り抜いた事柄を使ってひとつの文章を書いてみる。
 そういったことを、ここ数日ずっと妄想していたのですけれど、なんのかんのと日が経ってしまい、今日に
 至るということなのです。
 どのあたりが実現性が高くて現実的なのか、わかりません。
 むしろ全然駄目な気がして参りました。
 もう駄目でしょう。
 しばらく、日記は書けませんね。
 よし。
 
 ◆
 
 けれど、この間チェックしてみたら、なんと今年に入ってまるまる一本ちゃんと感想を書いているアニメは
 ホリックしかないという、衝撃の事実が御座いました。
 今年前半に書いた、前年の残りである地獄少女と蟲師とトロイメントの感想を足しても、僅かに4つ。
 これはかなり少ないという実感が致します。
 というより、やはり今年オリジナルがホリックだけというのが痛いです。痛くて泣きそうです。
 感想制作がげっそり減少したと嘆いていた昨年でさえ、コゼットの肖像、LOVELESS、神無月の巫女、
 苺ましまろの4つを完結させているのです。
 まずいです。でっかいまずいです。でっかいです。
 今はもう8月も末で御座います。
 次に新しいアニメが始まるのは、あと10月のみ。
 1回こっきりのチャンスで御座います。
 今のところ、地獄少女第二期を確保してはいるのですけれど、如何せん前作の感想を書いています
 ので、初めて書くものとして数えるには座りがよろしく御座いません。
 ピンチです。
 しかしピンチもなにも、そもそも普段へらへらとして適当に目に止まったホリックだけを書いていた私が、
 今更足掻いたところで笑われるだけです。勿論私も笑ってます。はっはっはっは。
 毎シーズンそれぞれに良いのが無ければ、そのシーズンは書かなくて良いとなれば、自然一年に4回し
 か無いチャンスが全部潰れることがあるのもまた必然。
 1年を通して見る大局的な在り方をしなかった、これは当然の罰といえましょう。
 しかし罰といえども、ただたんに年にひとつしか感想書かなかったという事実が突きつけられるだけで、
 それはこちらの受け方次第でどうとでもなるもので御座います。
 そもそも一年かけて、ひとつの感想にすべてを賭けたというニュアンスを響かせることができるのならば、
 逆に望むところなのです。それでいいじゃないか。
 
 駄目駄目。
 わかってない。全然わかってない。
 違うんだよ。
 違うのですよ。
 違うので御座いますよ。
 だから違うんだってば。
 そのようなありきたりな誤魔化しと自己正当化で満足できるほど、私は謙虚では御座いません。
 やはりここは真っ正直にあからさまに本音っぽく、それじゃ駄目だと言うべきなので御座います。
 一年でひとつの感想だけで良い訳が無い。
 もっと感想を。もっと感想を書きたい。
 ていうか書け。
 理屈ではありません。
 魂です。
 感想の数は多ければ多いほど良い。
 数が少なかったときは反省し、数が多かったときは余裕しゃくしゃくで有頂天になる。
 私の目的は、充分おわかり頂けたかと思います。
 
 ◆
 
 そんな余裕しゃくしゃくで有頂天になりたいお子様真っ盛りな私に朗報。
 RED GARDEN
 これなど如何で御座いましょうか。
 イントロダクションを読む限り、これは演出と人物の造形次第でなかなか深いモノになりそうです。
 キャラクタのデザインに少々難が見受けられましたけれども、そのあたりはそのキャラを彩る世界の色調
 で動かせていければ行けそうですね。
 色的に、サイトデザインなどは私の趣味にぴったり寄り添っておりますれば、多少の期待を持っても罰は
 当たらないかもしれません。
 期待も当たらないかもしれませんけれど。
 反省室を今から掃除しておきますね。
 
 
 
 

 

-- 060822--                    

 

         

                               ■■まずは残暑で一献■■

     
 
 
 
 
 残暑お見舞い申し上げます。(挨拶)
 
 では今日もさっそく始めさせて頂きましょう。
 はい、まずは先日のローゼンメイデンの水銀燈で書いた文章「壊れもののうた」について色々と。
 水銀燈は私にとっては一番使い易い素材ですので、結構想像力を羽ばたかせて色々と書いてしまお
 うと思っていたのですけれど、思ったよりは飛距離が無く小さくまとまった仕上がりになったかと思います。
 自分の中で書きたかったものはなにか、という追求自体が文章を書き進めていた感じで、ゆえになにか
 明確なテーマだとか問いだとかがあるわけでも無く、またなにがしかの答えなどが導けたりした訳でも
 無いはずです。
 ただそこに水銀燈が居て、メグが居て、それらが綴られた言葉を読んで想起できたならばそれで良し、
 という辺りが正直な私の執筆中、また執筆後の態度でもあります。
 そうして顕れてきた水銀燈とメグと、一体どうやって私は向き合うのか。
 むしろ今思うのは、「壊れもののうた」という文章はその新たな始まりを書き手として、また読み手としての
 私に与えてくれたのではないかということです。
 逆にいえば、今までの水銀燈を重ねて新しく編み出したものは書けなかったということにもなります。
 今回の文章は、今まで積み上げてきた水銀燈的なものを、別の角度から見て書いたようなものですか
 ら。
 けれどそれは紛れも無く私の中では新しいスタートがある証にもなっています。
 アニメの本放送時は、水銀燈がメグに語りかける方向を向いて終了しました。
 そしてこの「壊れもののうた」では、その水銀燈とメグが語り合うことの意味と、その意味に支配される
 ふたりの姿を描いたことにもなります。
 どうせなら、水銀燈とメグをそれぞれ個別に描き、またそれぞれが自らを積み重ね、そしてそのふたりが
 出会うことで始まるものを描ければベストだったのですけれど、今回はそこまでやる気力がありませんで
 したので、自然俯瞰的な形となりました。
 ただ、読み方次第では、ちゃんとその辺りをも感じられるように書いたつもりですけれど、はてさて一体
 どうなることやら。
 勿論、私もこれからじっくり読み込んでみるつもりです。
 
 水銀燈については、これからは常にメグを意識して書いていこうと思っています。
 両者の存在をそれぞれ抽象化して、それぞれの主体に組み込ませていければ面白いかなと。
 水銀燈的なモノはまだまだ使えると思っていますので、というよりまだうまく水銀燈としての主体性を獲得
 するには至っておりませんので、その辺り楽しみにしています。
 水銀燈の生きている場所、それに対する水銀燈の在り方って、実は私にとっては非常に近しいようで
 ありながらどこか圧倒的に遠いものがあるのですよね。
 あの憎悪の力強さが求めるものの重さを、私はまだまだわかっていない。
 もっともっと勉強が必要だなぁと、今回の執筆体験でよくよく思い知りました。
 まだまだ、これからですよ。
 まだまだまだ。
 
 
 ◆
 
 とかなんとか言っていたら、こんな情報がひょっこり入ってきたわけです。
 
 :ローゼンメイデン特別編サブタイトル決定
 
 サブタイトルは、「オーベルテューレ」。
 ドイツ語でおそらく「序曲」という意味。
 おー。
 なんて偶然。
 この発表に気付く直前に、私は水銀燈についての文章を書き終えていたのです。
 これを知ってから書いていたのとでは、きっとニュアンスも変わっていたでしょうから、変わる前の最後の
 一作を残せて良かった良かった。
 しかもなんだか水銀燈がメインビジュアルですよ。
 こういうのは真紅辺りがなるかと思っていたのですけれど、こんなの見せつけられちゃ、ますます水銀燈熱
 が高まっちゃうじゃないですか。
 私的には水銀燈と真紅を使って書く文章が一番ローゼンの中では好きですので、こんなことになれば
 いやがおうにも水銀燈モードですよ。
 でも雛が一番だけどね。
 ひとつだけ人形くれるって言ったら、間違いなく雛を選ぶけどね。
 いやだって、雛だから。
 まー雛は置いといて、でもメインビジュアルを飾るのは普通主人公とかなはずだから、それで水銀燈が
 なるっていうのは銀様ファンにはそれだけでもうなにもいらない事態でしょうね。
 もう、夢は見させて貰ったというか、私的にもあの絵だけで水銀燈分は満杯ですよ。
 あーもー、やばい、水銀燈真っ盛り。
 
 
 
 正式タイトルは『Rozen Maiden oubertürt』(ローゼンメイデン オーベルテューレ)。
  人気キャラクター水銀燈を中心に、19世紀に目覚めたローゼンメイデンたちの活躍を描く。
 
 
 
 
 人気キャラクター水銀燈を中心に、19世紀に目覚めたローゼンメイデンたちの活躍を描く。
 
 水銀燈、主役?
 
 
 
 
 
 
 奇跡体験。
 
 
 
 いやもう、乾杯です。
 この決定下した人は神です。
 たぶん既に何人かの殉教者が出てるよ。(縁起でもない)
 あはは。あはは。あはは・・・
 
 色々大変なことになりました。
 
 
 
 ◆
 
 ま、あれです、ここは冷静になってみましょう。
 落ち着け、まだ番組は始まっちゃいないんだ。
 予定では今冬開始だそうですから、もう少し先です。
 慌てちゃ駄目だ、よく敵を観察しなきゃ駄目だ。
 という感じで、まぁ舞台が19世紀ってことは当然ジュン達と出会う前のことでしょうから、色々と新しい
 発見があるはず。
 単に本編以前の話であることから、本編で感じたことを差し引いて観てみたりしてもその分だけ損する
 だけですので、如何に今までローゼンやその他のことで培ってきたものをそれにぶつけられるかが要。
 ていうか水銀燈が主役って。
 ・・・・・・・ごめん、今、めっちゃ叫びだしたいの我慢してる・・・
 む・・無理や・・・・・敵役のときでもまだちゃんと書けへんのに・・主役だなんて・・・・あんまりや・・・・
 という辺りで、覚悟決めときます。 (悲壮な表情で)
 
 さて、まだお話はありますのですよ。
 続編(特別編は続編じゃないけど)があるのはローゼンだけじゃない!
 あのブラックラグーンがさらに強力になって帰ってくる!
 タイトルは「BLACK LAGOON The Second Barrage」! 
 まぁその、ええと、彼らはまた頑張ってくれるんじゃないかな。
 先生、期待してるよ。彼らはやれば出来る子だってね。
 うん、だからその、もう特に言うことは無いよ。
 時至ればそのときがベスト。
 楽しみに、そして虚心坦懐、さらには明鏡止水の境地にて待っています。
 嵐の前は静かにしておくのが嗜みで御座います。
 
 さらにもうひとつ。
 あの地獄少女もやっぱり予告通り第二期を出してきた。
 タイトルは「地獄少女 二籠」。
 二籠(ふたこもり)?
 意味がわからないんですけど。誰かマジで教えてください。
 まぁタイトルはともかく、正直地獄少女は第一期だけで充分だったので、ちょっとひるんでいます。
 私としては第二期がやる以上、また感想は書くつもりでいるのですけれど、おそらく第一期とは違う
 キャラクターを登場させるだけの換骨奪胎モノになるでしょうから、書くのは至難と想定済み。
 ですから、今のところひたすら良い意味で期待を裏切ってくれることを祈っています。
 閻魔あいが引き続き主役張ってくれると、新しいことが書ける気もするのですけれど。
 
 
 今日はこんな感じでした。
 では、また。
 
 
 
 P,S: 
 トップページ(このページ)でもBBSででも告知しましたけど、チャット会を行います。
 日時は8月26日土曜日午後11時30分から。
 詳しいことは、面倒なのでトップページのお知らせかBBSを読んでください。
 読むほどのことは書いてないですけれど。
 皆様のご来訪をお待ちしております。
 
 

 

-- 060819--                    

 

         

                                 ■■ 壊れもののうた ■■

     
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 膨張を遂げた闇空がその喧噪の終演と共にその終わりを失い永遠となりつつあった。
 途切れた夜光の援軍を得るまもなく、滑らかなる消失に溶けていく地上の光は壊滅した。
 絶滅の余韻を残していながら、その残骸たる僅かな希望の群れ達は時を置かずして絶望へと変わる。
 白きぬくもりを纏いながらも、安らかに地に舞う浅ましき絶望達の狂宴が耳朶に響く。
 聞こえている。
 聞こえているわ。
 その醜い生への断末魔のはずの叫びが、なによりもお前達が求めていた絶望への供物となっていくの
 が。
 苦痛の雄叫びがやがて快楽を自らに呼び覚ましていくのを感じていく者どもの真の嬌声が。
 息苦しい。
 怒りとも虚しさとも違う、儚い感情が今にも口元から溢れ出しそうになる。
 それを吐露することはしかし、未来永劫無いだろう。
 この明け果てぬ闇空の終わりが無い限り。
 沈黙を以て、ただずっと、此処に、居る。
 
 
 
 
 
 
 
 
 -- ソノソンザイノハカイヲモッテ --
 
 
 
 
 
 
 
 突如鳴り落ちた轟雷と共に驟雨が降り立った。
 手の届かぬほどに高い闇を誇る夜空には、ただ流れる血潮の如くに雷が奔っていた。
 黒い空を激痛を持って走り回るその一抹の閃光を、堆く聳える瓦礫の山の陰から見上げていた。
 無明の夜の静寂の中では、その雨を庇の下で感じることはできずに、ただその滴り落ちる雨音を以て
 のみその流れを知ることができた。
 けれど、雷は違った。
 地に落ちるまでは得ることのできないその存在を有する雨をもたらす漆黒の夜を引き裂く白光が、紛れ
 も無く瞳に吸い込まれ知覚されていく。
 この体が雷と出会ったことを告げるために、大人しく雷鳴が地に到達する。
 雨音も、雷鳴も、それらはすべてこの夜にこの体があることを証明してくれるだけのものでしかない。
 ただただ、黒い空に瞬く白い光のみが、この体と出会ってくれる。
 うっすらと擡げた手が闇を貫いた。
 しととに濡れる黒い風がそのなにも無い夜の下の空間を護っているのを感じる。
 冷たい感触が肌を伝うことを腕を覆う暖かい布地が防いでいる。
 雨空の下に手を翳しても濡れない不思議。
 やがて感じる冷たさは雨では無く布に染みたただの水の叫びにしかなりはしない。
 雨は依然としてその激しさを緩めること無く、永劫に降り続いている。
 布越しに雨を感じるという虚言を弄するまでも無く、腕はその力を失いまた地へと伏してしまった。
 淫らに崩れ落ちた地に感じる絶対の冷たさ。
 その冷質にすがり往くままに、くるくると座り込む。
 手で、足で、体で、頬で、その冷酷を感じたい。
 その味気ない願いのままに、私は夜の闇に屈した。
 
 
 
 数えることしかできない無限の時間の堆積が私を犯していく。
 目紛るしいほどに遍歴を重ねているこの体の実感だけがこの私と向き合っていく。
 肝心の私そのものは、それらどうしようも無く無力に変わっていくものたちに塗れている。
 圧倒的な愚かさと醜さで築き上げた汚物から成る場所で、ただ呆然と立っている私を、そうしてこの
 体は冷酷に見つめている。
 狂おしさが芽生える直前で摘み取った冷静でなによりも強い理なるものが、絶えず私の背後に聳えて
 いる。
 それは、逃げることも戦うこともできないもの。
 いつの間にか私はそれに支配されているときもあれば、逆に私がそれを支配しているときもあった。
 けれどそれはいつも、必ず私には選べない関係の交代だった。
 支配されたいわけでも、支配したいわけでも無く、ただ支配され支配していただけ。
 そのことを望んでなどいないのに、それは常に突きつけられる選択の結果だった。
 この私にこの体があることも、この体にこの私があることも、それは全部当然以上のなにものでも無かっ
 た。
 
 
 
 ◆
 
 自らの不完全を呪う。
 呪って呪って、その果てになにがあるのかなんてことよりも、呪わずにはいられないほどの激しい衝動だけ
 がいつも此処にある。
 呪い、そして決して許さぬ決意だけが、さらなる呪いで以てこの体を清めてくれるのを知らしめてくれる。
 原初から共にある私とこの体。
 そして、この体が不完全であるという意識もまた、その原初に於いて共に在った。
 この淫らで汚らわしい体を認める訳にはいかないのだと、それは縷々と私に語り続けていた。
 お陰で、この体の淫らさと汚らわしさを私以上に知るものは無くなった。
 この体では、この体のままでは、駄目。
 だからこの体を清めるためになにかせずにはいられなかったし、またその清めこそが私の生き甲斐だった。
 その果てに死が待っていようとも、その死の手前にある美しい生だけがいつも此処にある。
 その生が見果てぬ夢であろうとも、その美しさの価値が下がる訳では無いということを、私はいつも必ず
 強く意識し、そしてそのたびにすべてをかけ命をもかけてその美しさを求めていた。
 
 嗚呼・・・・・月が眩しいわ・・・
 
 
 褐色に溶けた廃墟の堆積が成す石塊の世界。
 嫋々たる月光が冷たい石肌に映えるままに消えていく。
 細やかな暖光の幻が無情に打ち捨てられた石畳の上を歩いている。
 陶然とその影を追いながら悲しみに沈む体に力を感じていく。
 歩けども歩けども、この体は一向にこの石畳に溶けてはいかないのね。
 無惨に掻き毟られていく命の叫びだけが木霊する。
 無様な姿を嘲笑する者に賛同しながらも、それでも深くそれを憎んでいる。
 なにが、『ジャンクだなんて言って悪かったわね。』よ。
 巫山戯んじゃないわよ。
 誰がどうみたってジャンクじゃないの。
 私が壊れてないというのなら、誰が壊れているというのよ。
 馬鹿じゃないの。
 でも。
 それなのに。
 この体は。
 まだ。
 歩いて。
 
 
 
 ◆◆
 
 百雷尽きぬ饒黒のうちに飛び出し、ずぶ濡れになった服を引きずりただその内で泣いていた。
 雨とひとつとなって頬を伝う涙の感触を感じ取ることができないままに、それでも雨との接触をひたすら
 求めて走り出していた。
 一歩を踏みしめる感触はそれでも無く、まるで空を飛ぶようにして無感覚のままに過ぎてゆく景色を
 横に見ながら、ただ走っていた。
 どこまでも続く雨空を見上げながら、突き上げてくる苦痛に喘ぐこの体の肌触りに追い立てられていく。
 体の中で激しく燃えているのは、一体なんなのよ。
 この息もつけないほどにこみ上げてくるのは、なんなのよ。
 いつの間にか停止していた夜空を見上げて、ただただこの雨が降り止むことを願う。
 嗚呼・・・・・・涙を・・・・・・涙だけを・・・・・感じたい・・・・・・
 私・・・・・・・・・・・・・・・・・・・泣きたい・・・・のね・・・・・・・
 果てしなく続く漆黒の夜の下で、私はそれでも限り無く雨に濡れていった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 + + + +
 
 ジャンク。
 嫌な言葉ね。
 私の体が壊れていることを誰よりも知っているのはこの私。
 そして誰よりもこの体を美しくしたいと思っているのはこの私。
 でも、それでもジャンクだなんて言われれば、それはどうしようも無い怒りを呼び覚ます。
 私はジャンクなんかじゃない!
 その叫びは、私のこの不完全な体によるものなのか、それともそれでもこの体を愛している私による叫び
 なのかはわからない。
 わかっているのは、その叫びが私の体を美しくすることを大きく阻害しているということだけ。
 私がジャンクでないというのならば、その現実を認めないのならば、それを訂正してある美しい私など
 存在する訳が無いのだから。
 それゆえに、私はジャンクと呼ばれることを享受しなければならないという事実にいつも突き当たる。
 なにを正し、なにを美しくするのか、それがわからないことなど私にはあり得ない。
 私の最も激しい怒りは、常にその意識を妨げようとする私自身のその自己肯定に向けられているの。
 誰がこんなみっとも無い体と心中してやるものか!
 だから私はジャンク。私の体は見事なまでに壊れてる。
 だから私はそれを決して許さずに、なんとしてでもそれを美しく直そうとする。
 それができないのなら、いっそ死んでしまった方がまし。
 いつも、そう思っているわ。
 
 でもね。
 それでもこの真っ黒な体は私に囁いている。
 それでも、生きたいと。
 すべてを凌駕する激烈な私の怒りの中でも、その囁きは絶対に聞こえてくる。
 それでも、私は生きているのだと。
 ジャンクなどとは言われない、この体がごく当たり前なものとして認められることを願っているのよ。
 誰が美しさなんて決めたのよ、今目の前にあるこの体を醜いと思うのは、それを醜いという価値観に身を
 委ねているからでしょ、そんな価値観最初からどうでもいいってわかっているくせに、と。
 そうね・・・私は・・・・そう・・・・・思っているわ・・・・
 私は・・・初めから・・・・・・・愛し方など知る必要が無いくらいにこの体を愛していたわ・・・・・・・・
 
 
 
 
 ◆◆◆
 
 見上げた月に照らされる深蒼の窓辺に身を任せ、響く歌声に魂を委ねて。
 遙か遠くに茫洋と広がる夜空に想いを馳せ、その下に佇む影に見惚れて。
 滾々と軋んで往く体を感じながら震える夜風に耳を澄ます。
 壊れもののうた。
 それは悲鳴かそれとも希望の叫びか。
 
 
 ・・・・・・
 
 薄暗い病室の中から見上げる夜空は、いつも私の意識を朧げにさせた。
 鮮明な輪郭を輝かせる月の艶やかさは、ただ私の目を眩ませるだけだった。
 ただぼうとしてなにも考えずにその月の姿を眺めているうちに、この動かぬ夜空と自分の体がひとつに
 なる感覚を覚えていく。
 軟らかく肌に触れる夜の息吹に手を引かれ、私はベッドの中の体を失い、ただ浮かぶ魂のようにその夜
 の中に在るのを感じている。
 そしていつしか私は歌い出していた。
 息を潜めてその肌触りをまるで感じないはずの血潮が皮膚から染み出す寸前まで流麗に音を奏でてい
 く。
 ひゅうひゅうと私の体から抜け出していく魂の断末魔の叫びが夜に染み渡る。
 私はその深く甘い歌声をこの体に流れる冷たい血の流れと同じく感じいく。
 この夜に巡る歌こそこの夜空の命。
 僅かな声量に支えられたか細いこの歌声は、今まさに途絶えようとする私の血の流れと繋がっている。
 この夜は私。
 だからこの夜の中に、私は居ない。
 ただただ、消え入るばかりの歌だけが響いている。
 その歌は流れる血も私自身であるのと同じく私そのもの。
 でも。
 でも。
 この歌を聴いている、この夜に居るこの黒い影は、誰?
 いつしか私は、その影のためにこの紅い歌を歌っていた。
 
 
 ・・・・・・
 
 光耀たる月光を黒き翼で喰い荒らし、その貪欲に壊れた視線の落とし先に見つけた窓辺に縋りつく。
 空から舞い落ちることにすべての力を使い果たし、それでも喰い尽くすことの出来なかった月明かりの
 残滓がこびりつく蒼い窓辺に埋もれていく。
 刹那振り返ると、そこにはどうしようも無いほどに穏やかに輝く月があった。
 どんなに強く羽ばたいても、あの月を消すことはできなかったということを、その月の存在すべてに喰いつか
 れて感じていく。
 このまま月光に纏わるすべてのものに喰い殺されるのなら、それでもいいのかもしれない。
 夜空に瞬く絶対の月を消し、真に永劫なる夜を勝ち取りその中で生き延びようと思った私の末路として
 は上々なのかもしれない。
 この体を縁取る輪郭が脆くも月明かりの中に溶け崩れていくのをただ感じていた。
 このまま、月に喰われてしまいたい。
 その願いが体を貫いた瞬間、それは私の体の中央に空いた穴をしっとりと埋めてしまった。
 ジャンクと呼ぶに相応しいこの体を、お前は支配しようとでもいうの?
 ならばそうするがいい、私はこの夜空に空く燦然たる空洞にこの身の内から喰われよう。
 取り澄ました覚悟はしかしやがてゆっくりと消えていく。
 私を喰うものなどいやしない。
 私はただずっと置き去りにされていくだけ。
 私は再びしっくりと体に力を込め、ひっそりと闇に溶けていった。
 そのとき、歌がきこえた。
 まるで私が闇にじゅくじゅくと溶けていく音色のような浅ましい歌が。
 けれどそう聞き分けた瞬間、私は闇から放り出され、また月明かりに支配された窓辺に座らされていた。
 さらに、歌がきこえた。
 違う。これは今の歌とは全然違う。
 闇から引き剥がされる嫌な音でも無い。
 ただこの歌は、静かに、まっすぐに、夜の中で生きていた。
 私はその歌の中に、紛れも無く、居た。
 
 
 
 
 
 
 ---- 月の下で夜を歌う命の輝きが月光の中に生まれ出でる
 
 
 
 
 
 
 ◆◆◆◆
 
 「月・・・・・・・綺麗よね。」
 「別に・・あんなものどうでもいいわ。」
 「それはあなたみたいな完璧な天使からすれば、確かにそうかもしれないけど。」
 「当たり前よ。私が綺麗と思い求めるのは、ただアリスだけ。」
 「そうよね。でも私は完全じゃないし、アリスっていうのがどういうのかも知らないから、やっぱりあの月は
  綺麗だなって思うわ。」
 「私には関係無い。それがなんだっていうの。」
 「別にどうってことは無いわ。ただこうしてあなたと一緒にああいうものを見上げることができるのが、ちょっと
  嬉しいかなって思って。」
 「さっさと死にたいんじゃなかったの? 死ぬのを望む人間がそんなことを喜ぶなんて馬鹿じゃないの。」
 「ええ、そうね。その通りよ。でも、不思議だけどほんとに嬉しいのよ。私はあんまりそれを否定したいとも
  思わないし。おかしいわよね、やっぱり。」
 「自分でそう思ってるのならそれ以上なにも無いわ。」
 「それもそうね。ごめんなさい、馬鹿なこと言って。」
 「でも・・・・それでいいと思うのならそれでいいじゃない。謝る必要なんて無い。」
 「・・・・・・。」
 「死にたいんならさっさと死ねばいい。なにも死ぬのを待っていることは無い。生きたいと思うんならなにも
  自分を卑下することは無いわ。」
 「私は・・・・・・」
 「私はアリスに最も相応しいアリスドール。私はそれだけで充分生きていけるし、また生きなければなら
  ない。死ぬなんて言葉、死んでも言わないわ。」
 「私は、この体が壊れているのを知ってるの。そしてそれを治すことができないことも。それなら生きてたっ
  て仕方が無いじゃない。どんなに生きたいって思ったってそれができないのが私なの。だったら私は、その
  私ができることで最高のことをしたいって思うわけ。美しい死を迎えたいって、だから思うの。」
 「ふん、最高の馬鹿ね。」
 「そうかもね・・・・・」
 「だからさっきから言ってるじゃない。死にたいんならさっさと死ねば? 月が綺麗とか私と一緒に見れて
  嬉しいだとか言ってる暇は無いでしょ。」
 「ええ・・・そうね・・・・・・そうよね・・・・・・だから天使さん、私を連れて行って頂戴よ。この綺麗な夜に
  死ねるなら最高よね。」
 「私は天使なんかじゃないって何度言えばわかるのよ。死にたいんなら勝手に死になさい。」
 「でも私は、あなたに連れて行って欲しいのよ。だって・・こんなに嬉しいことがあったのは、生まれて初め
  てなんだもの・・・・・」
 「あなた・・・・・・・・なに言ってるのよ。」
 「え・・・なにって?」
 「嬉しいことがあったのに、なんで死ななくちゃならないのよ」
 「・・・・・・・。」
 「本当に馬鹿ね。あなた、死ぬために生きてるつもりだったの? 美しい死の果実を食べるために嬉しい
  ことや楽しいことを重ねるつもりだったの? ・・・・なにそれ、笑わせるわ。」
 「そうじゃないわ。別にそういうことを常に意識しているわけじゃないの。ただそういうことがあったとき、そのと
  きこそが美しい死にどきだってことはわかっていたわ。」
 「同じことじゃない。結局あなたの生を死のために使っていることには変わりが無いじゃない。それをやって
  るのはあなた自身でしょ。」
 
 「そのうたを歌ってるのは、間違いなく、あなたでしょ。」
 
 
 壊れた体だけど私はこの体を愛してるわ。
 ふん、愛するまでも無くこの体を愛せるのは私だけよ。
 だから私が愛さなくちゃいけないのよね。
 そうよ。私以外に誰がこの体を愛するっていうのよ。
 でも、この体は私だから。
 そう、このジャンクな体は私だから。
 絶対にそのままでいいだなんて言えないのよ。
 当たり前でしょ。壊れてる体がいいなんて言う奴が居るわけ無いでしょ。
 そう、壊れててもいいっていうのは、それがどうしようも無いから諦めるしか無い、という意識から始まる
 スタートであることからは決して逃げられないのよね。
 だって、どんなに憎くても変えたくても、それは紛れも無く自分の体なのだから。
 でも自分の体であると同時に、それは常に自分自身でもある。
 そう、私は必ず自分の体を背負う者であり、また自分という輪郭を持つ体そのもの。
 だから私達は、いつもよりよいもの美しいものを目指す。
 私達はただあるだけであることがそのもうひとりの自分を冒涜することだと知っているから。
 私が諦めちゃったら、私の体はそのままズルズルと汚く生き延びるだけだもの。
 私がこのままでいいと言ってしまったら、私はもう決してアリスにはなれない。
 だから、早く美しいままに、死にたい。
 だから、アリスになりたい。
 
 でも。
 でも。
 
 
 そう思っている私こそが、今、此処に在るということは、圧倒的だった。
 
 
 
 私は、あなたと一緒に居る私をもっと美しく生きたいって願っているのよ、水銀燈。
 
 私は、この夜の中でそれでも輝く月になるためにあなたの歌をもっと聴きたいわ・・・・メグ。
 
 
 
 
 
 ふたりの私が、そのうたの中で美しく生きていた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ◆ ◆ ◆ ◆
 
 少々長い文章となりました。
 ここまで読んでくださった方々にお礼申し上げます。
 この文章は、アニメ「ローゼンメイデントロイメント」の水銀燈とメグを使用して綴ったものです。
 何日か前の日記で、水銀燈についてなにか書きたいといった意識を珍しく維持しての結果がこれとなりま
 した。
 当初は日記に書いたとおりに、体感的肉感的描写で抽象的に水銀燈という存在を創り出していこうと
 思っていたのですけれど、いざ書き出したらば先に私が言葉で示したかったものが中心に居座ってしまい
 、このような体裁となりました。
 形としては前半が水銀燈とメグがふたつに溶け合っている状態で、後半が会話文を主としたふたりの
 言葉の羅列ということになりました。
 今まで使ったことの無い形でしたので、かなり制作に時間を要しました。
 水銀燈とメグというふたつの存在を使って描き出すひとつの「私」というものが顕れてきていれば良いです。
 もし次回また書く機会があれば、今度はふたり別々の文章で、ひとりずつの体感的肉感的描写を通し
 てなにかを描けたならばと思っています。
 
 
 
 
 
 

 

-- 060814--                    

 

         

                                   ■■ カンワ休題 ■■

     
 
 
 
 
 XXXHOLiC第19話「リフジン」についての感想は特に書かないことにします。
 いやだって、ただ雪合戦してただけのお話でしたし。書けって言う方が無理。
 
 ということで、その代わりとしてホリック感想についてのお話をさせて頂きましょう。
 前回もそれについて書きましたので、できればその続きとなれれば良きかと存じます。
 まー絶対適当で終わると思うケド。
 
 さて。
 ホリック。
 そうですね、なんて言えばいいのかな、よくわからないんですけどね、なにかこう自分の外にある絶対的
 ななにかの存在っていうのをどう認識していくのか、というその過程そのものというのがまずあって。
 普通、というか大概の場合はなにかどうしようも無いこととかに直面したりすると、自分の中のものを前向
 きにしてみたりして、そうして変わっていく自身の状態の反映としてその自分の直面しているものを捉えて
 いこうとするわけだけれど、それでもどうにもならないときというのはやっぱりある。
 自分自身がどんなに変わったとしたって、それで世界が本当に変わる訳では無いのは、それは本当の
 ところその自分自身だってわかっている。
 だからそうしたときに、それでも自分が変わって何事も前向きに受け止めていこう、と考えたとき、
 それは必ず目の前のどうしようも無いものを変えていこうという意識を放棄していることになる。
 そしてその放棄したものから常になんらかの影響をそれでも受け続けている、本当にどうしようも無い存在
 である自分自身を感じずにはいられないのです。
 そのときに、確然として、そこに自分の存在があることを思い知らされ、まただから自分の外に確実に他
 の存在があることから逃げられないのを知ってしまう。
 どこまで行っても、そこには他者が在り、そして自分が在る。
 でも、そのことがわかっても、人は、なにもできないんです。
 
 自分が居て、他の人が居て、で、だから?
 別にそれだけを言葉で捉えても、なにも言うことは無いです。
 けれど、そのこと自体を実感している「私」にとっては、それはとてつもない事であるのです。
 ホリックの感想では、というか実はそれ以前から書いているアニメ感想でもそうなのですけれど、私は
 いつもそのことをものすごく感じながら感想を書いています。
 ぶっちゃけた話、私が感想の中の主体としての存在にどれだけなりうるか、それで感想の善し悪しを
 自分の中で下しています。
 それは感情移入という意味では無く、まさに自身がその今書いている文章の中に入る、つまり自分こそ
 が書かれている対象になるということです。
 意味わかりませんね、なにこの日本語。
 ええとね、なんて言ったらいいのかな、んー、めっちゃ主観的になれって言う意味になるのかなたぶん、
 でね、言葉として客観的に捉えられる出来事を、それを受け止める主体としての存在になるってことが、
 それがつまり主観的になるってことで、つまりええと、如何に客観を主観にもってこれるかって話。
 余計、わからなくなったっぽい。 (マル&モロ風に)
 例えばさ、感想でも書いたような気がするけどさ、「正しい」ってものはある論理構造を前提として成り立
 つ概念であって、その論理を共有していないもの同士では当然正しさの概念というのは違ってくる。
 だから人によって正しさの形というのはまちまちだし、だからこれが絶対正しいというものは無い、という
 言説に身を任せることはできたりする。
 けど、実際私達がその「正しい」というものと向き合うと、それはただその正しさを全うすることがすべてで
 あるということになるんです。
 だってそれは「正しい」んですから。
 それが私にとってだけの正しさであろうとも、その正しさを以て生きてるのは他ならぬ「私」なんですから。
 どれだけ世界の中に沢山の正しさがあろうとも、その目の前にある正しさを持っているのは自分であり、
 またそれが正しいものにしているのは紛れも無く自分自身なんですから。
 他の人の正義の存在をどんなに認めようとも、それで私の正しいものが無くなる訳じゃないし、また否定
 されるものでも無いんです。
 歴然として、目の前に自分の正義は存在するっていうか。
 一応例として正しさについて挙げましたけれど、それは他のことすべてについて言えることであって、
 だからつまり、それが主観ってことなんです。
 いや、なんか全然わかりやすくなってないし。
 結論は単純だけど意味わかんないし。
 うん、言葉を間違えたかも。
 
 でね。
 まぁ、「私」というのはいろいろなものに晒されて生きてるわけです。
 そして実はきっと、「私」というものさえ、その「私」に迫ってくる他者だったりするのかもしれないのです。
 ていうか、そうだね。
 いろんなことを、人は考えるわけです。
 それは理屈に則ったことだったり、感情を言葉に換えたものだったり、まぁいろいろと。
 でもそういったものは、一体「誰」なんでしょう。
 や、別に言葉の使い方変じゃないですよ。これでいいんです。
 つまりですね、理屈をこねたり、感情をぶちまけたりしてるのは誰か、っていうより、その理屈や感情自体
 、それが誰かって言っているのです。
 理屈や感情に人格を与えるっていうか、たぶんそれは須く「私」なんだ、って答えが出てるんですけどね。
 「理屈」も「感情」も「私」。
 ただし、それはそれぞれ別々のふたつの「私」。
 ホリックって、アヤカシって出てくるじゃないですか。
 まーアレをどう説明するのかとかうまくいえないですけど、まぁ例えば人の中にある悪意とかいう訳ですよ。
 でもこれは実は、「人に宿る悪意」、つまり宿主としての人とそこに宿を借りる者としての悪意のふたつの
 ものが別個に存在してるっていうことなんですよ。
 アヤカシっていうのは元々ただフワフワと外に浮かんでるだけの存在なので、人とは分かれている存在
 ですけれど、それは限りなく人間と接している存在でもあります。
 でも人と分かれている時点でそれはその人では無く、またそれが「私」から離れている存在ならば、
 それはやはり「私」では無い。
 だから第一話で侑子さんが言ってましたけど、アヤカシは誰のものでも無くただ其処に居るモノ、というの
 はつまりアヤカシはアヤカシという主体的な別個の「私」としてそこに存在しているってことなんです。
 目の前に、悪意が漂っている。
 そして。
 アヤカシは、人に憑くのですよ。
 アヤカシに取り憑かれた人は、そのアヤカシという「私」と同一化してひとつの「私」になってしまうのです。
 つまり、論理とか感情とか、そういうのがアヤカシっていうことで。
 いつの間にかその論理を展開している「私」が居て、いつの間にかその感情を爆発させてる「私」が居て。
 そして、それらの「私」によって隠されてしまった他の「私」もまた、実はひとつのアヤカシだったりする。
 本当は、その隠された「私」を隠したのは、その隠された「私」自身なのかもしれないのです。
 アヤカシを呼び寄せ、それに取り憑かれるようにしたのは自分自身。
 でも。
 そうするようにしたのは、なぜ?
 其処に、最強のアヤカシが顕れるのです。
 「私」という「存在」そのものが。
 
 
 
 
 なんか書こうと思っていたものと全然違うものを書いてしまいました。
 ええと、なにやってるんだろ。
 ううーん、ほんと、ホリックって言葉にするのが難しいですね。
 というか、そもそも言葉にするということが目的では無いんだよね、ホリックの感想って。
 むしろ、こんなこと書く必要無いんじゃないかと、ごく当たり前のことに気付きました。
 まーあれです。
 存在とか必然とか縁とか、そのへんのことですよ。
 それと直面してる「私」が在るってことですよ。
 なんていうかさ、この間すてプリとかマリみての感想を読み返してみたけどさ、やっぱり明らかに種類が
 違うものね。
 すてプリとかマリみてとかは、やっぱり語らなければ始まらないというか、語ることで見えてくるものがある
 というかで、如何になにかに直面している自分を前向きにするか、如何にしっかりと生きることができるか
 という、なんていうかな、自分中心としてのことを描いてきたんです。
 今、この瞬間自分がどうするか、そういうことを力強く書いたんです。
 あー、理想論とかそういう意味じゃなくて、現実的に辛い状況に立たされたとき、どうやったら自分のした
 いこと、つまり理想を実現できるか、或いは実践できるかということを書いたんですよ。
 で、勿論その理想を作り上げる過程があってこそな訳で、そういう意味では理想「論」も使ったけどね。
 その論としての理想を使って、自分の中にあるなにかウゴウゴした形の無いものに形を与え、そしてそれを
 自分の血肉として、主体的に生きていくことそのもの、それがすてプリとかマリみてとかの感想の、
 まぁ大まかなスタイルなのです。
 けどね。
 ホリックはある意味全く逆なのよ。
 ホリックには、まず厳然とした「ウゴウゴ」した「私」があるんですよ。
 それは気持ちとか想いとか理想とかじゃなくて、「私」そのものなんですよ。
 だからね、それを言葉にして語ろうとしたら、それはただの自己紹介になっちゃうわけ。
 ホリックに出てくる人たちは、自分のなかのウゴウゴしたなにかを形にしてそれを自分に一致させようと
 かする以前に、もう自分たち自身が既にそのウゴウゴしたなにか得体の知れないものっていうかさ。
 だからそれを語ってもしょうがないんですよね。
 それは彼らにとっては語るものじゃなくて、向き合っていくものなんですよ。
 向き合って、殺し合って、憎み合って、愛し合って。
 だから書くのは、ただその七転八倒している苦しみの様だけ。
 そしてそれを描くことで、その苦しみがなにによりもたらされているのか、その犯人の姿が必然的に顕れて
 くる。
 だから、私はその犯人の姿を書くことはできないんです。
 それは勝手に顕れるものですから。
 ホリックの感想は、読んでその姿が顕れているのを感じれば上出来、出来なければ不出来って感じ。 
 勿論、そうやって顕れてきたものに対峙する「私」がどうしていくか、というのを語ることができますし、
 また既に語っていますけれど、しかし当然それは対峙すべき犯人が居なければ出来ない芸当でも
 あります。
 だから、難しいんです、ホリックの感想は。
 如何にアヤカシを呼び寄せることが出来、そしてそれに取り憑かれることができるか。
 つまりはそういうことなんだと、思います。
 
 
 なんかよくわかりませんけど、今日はこのへんで。
 あ、あと。
 ホリックは次回第20話の放送が8月31日ということでだいぶ空いてしまうそうです。
 ということで、それに伴いホリック感想もしばらくお休みさせて頂きます。
 それでは、では。
 
 
 
 
 

 

-- 060810--                    

 

         

                                       ■■ 癖 ■■

     
 
 
 
 
 はい、ごきげんよう。
 今日はちょっとホリックについてのお話を始めにしましょう。
 もう書き始めてから結構経っているのに、書いてる感想にまともに言及してなかったような気がしますので。
 まぁ、自分の書いたものに対してあとからとやかく書くというのは、私としてはそれぞれ別なことだと
 思っていますから、あまり感想の足しにはならないとは思いますけどね。
 所詮は後付です、後付。
 でも後付だからこそできるものもまたある訳ですので、今日はそういった感じでしっかり書いていこうと
 思っております。
 無論、しっかりなのは気持ちだけです。気持ちだけ。
 
 さて、ホリック。
 今のところ感想を書いているアニメはこれについてだけなのです。
 別にこれで満足してるからとか、そうい理由から他のアニメの感想を書いていないという訳では勿論あり
 ません。
 私が書く感想というのは、そのアニメの評論とか分析とか、そういうのは部分的道具的に使っているだけ 
 で、それが主軸であることはあまりありません。
 多くの場合、今私が考えて思っていること、それを使ってアニメを読み解き、またアニメの方からその今の
 私の考えや思っていることに対して得るものは無いかという探求を中心にして私の感想は成り立っていま
 す。
 ですから通常であれば、ホリックの感想だけしか書いていないというのは、それはつまりホリックだけで
 自分の考えや思いを収容でき、またホリックだけでお腹いっぱいになるほど、感想的栄養分に満ち足り
 ていると言えるはず。
 けれど、実際は私はほとんど欲求不満状態であり、むしろホリックはその私の欲望の視線の先に、その
 姿を置いてはいないのです。
 つまり、極論すれば、ホリック感想は通常の感想とは毛色が異なり、またそれゆえに現在の私は感想を
 書いていないに等しい状態でありながら、それでいて確かな欲望を持ちなにかを実際に綴っているという
 ことになるのです。
 しかもその欲望を達成する手段として、それを綴っている訳でも無いのです。
 わけがわかりません、言葉にしてしまうと。
 
 大体、いつもアニメの感想を書くときに当たっては、アニメを観ている段階で既に自分の思考とアニメの
 中の成分が融解し、程良く言葉となってなにがしかのテーマのようなものが紡ぎ上げられてくるのですが、
 このホリックの感想に於いては、その点について非常に微弱なものしか現れてきていないのです。
 一応ホリックに於いて主たるテーマとしては、「必然」という言葉を私はどう捉えていくのか、
 というのが既に生まれてきてはいるのですけれど、いざ書き出してみると、その言葉ほど言葉にして表す
 のが無価値なものは無いということがわかってしまうだけだったのです。
 「必然」とはなにか、という問いの形として文を書いていくと、ただの哲学問答にしかなり得ず、ゆえに
 その問答自体と接する私自身の姿を描かなければならないのですが、しかしそれも書いてみると、
 それは結局「必然」という言葉の字面とだけ対面している自分だけしか描くことはできないことに気付く
 だけでした。
 「必然」というのは、言葉では無く、ひとつの存在。
 これが、この気付きが、実はホリック感想を書き続けている動機。
 他者として厳然として存在している、すべてのもの。
 言語的解釈として、或いは自家薬籠的に言葉で自己完結する哲学としてでは無い、自分の外に広が
 るすべての他存在、それと実際に接している自分を描くべきなんだと、私はようやく思いついたのです。
 ええ、勿論、実はそれは最初から違和感としてわかっていたことだったんでしょうね。
 自分がなにかをしたいと望むのはなぜだろう。
 それは自分が此処に居るから。
 ではなぜ自分は此処に居るの?
 それは必然だから。
 この問答自体には意味はありません。
 私の感想にとって重要なのは、この問答を受けた私自身がどうなっていくのか、それだけなのです。
 ですから、ホリックの感想というのは、それこそ書き上げるまで自分でもどこに行き着くのかまるでわかり
 ません。
 ホリックの各回のお話を観て、それでなにか感じた私がどうなっていくのか、それがわからないからです。
 ホリックでは、毎回自分の外に広がる圧倒的ななにかの存在に影響を受けて、なにかしら変わっていく
 「私」の姿が描かれています。
 そしてそれと同時に、「自分」という存在もまた、そのどうにもならない圧倒的な存在として描き出されて
 も居る。
 登場人物達は、様々な言動や反応を以てその「必然」やら「運命」やらの姿を自力で描き出し、
 またそれと同時に「自分」という不可解なものに翻弄されている自身に気付いたり、或いはその存在を
 描き出しながらもそれに気付くことなく飲み込まれていく。
 彼らが口にする「必然」やら「運命」やらいう言葉自体にはそれほど意味は無く、その言葉が示したもの
 、そしてそれにより動かされている人達の存在そのものに大きな意味が出てくるのです。
 必然や、運命は、存在する。
 或いは、それらが存在すると考えている自分は存在している。
 そして。
 その自分という存在を作り出したのは、必ず自分以外のなにか。
 曰く、必然、曰く、運命。
 そういった無数の存在達が、既にそこに存在しているということ自体が、またさらに大きな必然があること
 を示すのです。
 曰く、縁。
 そして。
 私が感想として今必死に綴り続けているのは、このホリックという作品と出会ってしまった、いいえ、それ
 以前にホリックと私というふたつの存在が存在しているという縁に突き動かされているからなのです。
 そして。
 私は、そうして縁に突き動かされてただ感想を書いているだけなんだと叫んでいる、そういう「私」をこそ
 、ずっと書いているのです。
 
 
 
 なんか勝手に文章がまとめに走ってしまったので、尻馬に乗ってこれで終了。
 これもまた必然ということなのさ。
 運命万歳。
 ごめん誰かツッコミ入れて。
 
 
 
 ◆
 
 久しぶりにホリック以外の今観てるアニメの感想を書こうと思ったけれど、時間が無いのでやめにして、
 いわゆるサッカー話題に変更します。
 オシムが勝った!
 ということで、オシムジャパン初試合初勝利!
 まぁチームが合流して練習して数日で試合っていう段階で、既に勝敗なんぞどうでも良いのは当たり前
 でしたけれども、やはり勝てば勝ったで嬉しいものですね。
 で、どうでも良くは無い肝心の試合内容ですけれど。
 んー、いいかわるいかで言えば、いいんじゃないでしょうか? いくつかの意味で。
 まず、オシムの魅せたいサッカーの片鱗を早くも魅せることができた、という点と、それとでもどう見たって
 現時点ではオシムの理想の完全体からはほど遠いというのが確認できた、という点で。
 早いパスワークを主体にして、さらに選手がパスコースに走り込み動き回ることで、流動的なサッカーで、
 これは想像以上なスタイルになってました。
 ジーコ時代には考えられないほどの緻密さと戦略性で、イタリアまでとは言わないけれど、そのパスに関
 する限りに於いては、あれだけでもう世界の十指には入っていたでしょう。
 無論相手のトリニダードトバコがまるっきりやる気無かった点は差し引かなくてはいけませんから、厳密に
 言えばあれはプレスのかからない自由な状態でのパスサッカーとしての評価になりますけれど。
 FWからDFまで統一されたパスを繋げていこう、そしてそれからゴールを狙っていこうという想いとその具体
 化に於いては、でももうこれは完全にジーコ時代を超えていました。
 ただ。
 後半になって明らかに運動量が落ちてきて、その追いつめられた状態になると途端に受け身に回って
 しまうのは、これはオシムとしては痛い光景だったでしょう。
 そして無論運動量の落ちの激しさが予想以上にひどかったのも痛かったでしょうし。
 運動量が落ちてからどう出るか、以前にオシムはまず運動量が落ちないという前提で選手を選んだの
 ですから、これはかなりの痛恨だったでしょう。
 私もちょっと意外だったかな、あそこまで前後半で差が出るとはね。
 それとは関係なく、ディフェンス面についても課題はありました。
 攻めているときはいいけれど、攻められているときは悪い、というDFとしてはどうなんだろという感じで、
 これはまぁオシムが攻撃は最大の防御思想なのだから、仕方無いということにはなるのでしょうけれど、
 しかしあの落ち着きの無さでは、それこそ格上とやったときには手も足も出ないと思ってしまいます。
 初戦であるのですから当然なのですけれど、この辺りの守備からの安定性の欠如が、どうしてもジーコ
 時代より見劣りしてしまいます。
 ジーコジャパンは個の自由に任せていたお陰で、それぞれが責任を以てことに当たっていたので、
 時折チームとしての閉塞感を感じることはあれども、各所における芯が一本ずつ通っていましたから。
 オシムジャパンは、それこそ一カ所が崩れると他もそれに引きずられて崩れてしまうような、そういう危うさ
 があります。
 ま、でも、逆にいえば、オシムは初戦というこの最も早い段階でこの有様を目の当たりにしたのですから、
 非常にラッキーだったとも言えます。
 私的には、次のイエメン戦にはきっと大幅な修正を施してくると思います。
 ジーコだったらきっと、まだ初戦なのだからわからないちょっとは選手のことを考えろ、とか言ってずるずる
 と同じこと続けるような気がしますねw
 そういうジーコのところは良くないと思ってましたから、オシムにはその同じ轍を踏んでは欲しくない、
 っていうか絶対踏みそうもないよなぁあのジイサマはw
 ってな感じで、オシムおじいさんには頑張って頂きたいものです。
 紅い瞳はオシムジャパンを割と素直に応援しています。
 
 この感想の中で、ひとりも選手の名前が挙がっていないのは私とあなただけの秘密です。
 まずは顔と名前を一致させることから始めよう!
 
 
 
 
 じゃ、今日はこのへんで。
 ごきげんよう。
 
 
 
 

 

-- 060807--                    

 

         

                              ■■ 行列の中のキボウ ■■

     
 
 
 
 
 + +
 
 
 
 
 『今まで辛いこともあったでしょう。
  けれど、変わってきているわ。少しずつだけど。
  その変化を大切にしなさい。
  特に、誰かと出会ったことによって変わるものたち。』
 
 
 
 
 
 XXXHOLiC第18話。
 
 
 
 
 
 人と妖怪。
 百集まりて行を成すうちにおいて、両者は同じ。
 百鬼夜行の道行きを共にする仲間として、その存在がある。
 明かりの灯された酸漿を持つものだけが、この行列が見えそれに参加することができる。
 百鬼夜行が見えそれに参加しているものは、すべて仲間。
 けれど、人はそのうちに於いても自らと他の差異を感じずにはいられない。
 自らが人であり妖怪では無いことを知るゆえに。
 人にとって酸漿の有無は関係が無い。
 たとえ酸漿を持ち百鬼夜行が見えそれに参加することができようとも、人は人でしか無いと言う。
 だが、道を共にする妖怪達には酸漿の有無がすべてでしかない。
 目の前の者の姿が紛れも無い人のものであったとしても、それは人の形をした妖怪にしか過ぎない。
 妖怪には妖怪という種は存在しない。
 人もまた妖怪のうちのひとつとしてしか扱われない。
 
 しかし、人が酸漿を放した瞬間。
 人は人でしかならなくなる。
 人は人でしか無いと言うだけでは無く、まさに人は他と隔絶した人という単独の存在に変貌する。
 人と、人以外の存在としての妖怪の現出。
 もはや人はどう思おうと、自ら人だと主張しなくとも、人でしかあり得なくなる。
 人はそれに安堵と、そして恐怖を覚え、そしてそこから逃げ出してしまう。
 このままでは妖怪に喰われてしまうから。
 自らとは違う、絶対的に隔絶した存在に喰われてしまうから。
 
 
 人は居ながらにしてすべてを理解している。
 なにが正しくてなにが悪いのか。
 それはその人がここに在るゆえにわかること。
 ここから無くなってしまえばわからぬこと。
 ゆえに人にはいつもわかっている。
 目にしたものすべての本質を常に確かに見抜いている。
 そうでは無いという言葉を人はしかし有している。
 それゆえに見えなくなることは多くある。
 しかしそれでも、それが言葉であることを、人は必ず心の何処かで自覚している。
 善いものを悪いと言い、悪いものを善いと言うことのうちに、人はその違和を感じている。
 正しきことは常に当たり前の感覚を以て自らに受け入れられる。
 捉えた違和を解消するために、人は悪を善へと塗り替えていく。
 妖怪に正邪は無い。
 けれど目の前の異形の者には正邪の別は確かに存在する。
 そしてその判別をするのは、いつも必ずそれと直面している人自身。
 正邪は、此処に、人が存在するゆえに存在する。
 目の前の風景を織りなす異形の行列を見据え、それと共に歩むことができるのなら、その道行きを
 共にするもの達はすべて善なるもの。
 共に歩くために必要な酸漿を、決して放さない意志こそが、自らにその善を在処を指し示す。
 人にとって善とはなにか。
 それはいつも人にとってはあまりに明白。
 それと共に歩きたいと思ったものすべてが善。
 ほんとうに、ほんとうにそう願えたものは、須く善。
 僅かでもそう思えないところがあるのなら、それはたちまち悪となりて人に襲いかかってくる。
 だから決して酸漿を放してはいけない。
 絶対に放さないという意志、決してこの道中を乱したくないという決意、それのみが人と妖怪が共に歩め
 る、善と悪無き百鬼夜行の道。
 
 
 
 人はそれと同じほどに、酸漿を放す蛮勇をも有している。
 人と妖怪の差異に耐えられずに、ついつい手放してしまう。
 瞬間、人は悪なる妖怪に囲まれる。
 自分だけが正しい悪なる世界へ。
 すべては反転し、人は夜の闇に喰われる存在へと堕ちていく。
 酸漿を持たぬ弱き人。
 辺りは漆黒に覆われ、自らが何者に蝕まれているのかもわからない闇の中へと閉塞していく。
 けれど。
 それでも、人がその閉じ込められた闇の中に存在してることだけは変わらない。
 妖怪達が自らの中に生じた異物としての食物を見つけた視線の先に、その存在は確かに在る。
 そしてその人が今まで人として為してきたこともまた、無くなりはしない。
 闇の中で、その人の存在がその居場所を広げていく。
 その人が為してきたことの重みの分だけ、その居場所は広がりを見せていく。
 
 他者との出会い。
 その縁は人の存在の底辺と繋がっている。
 どんなに自らが他とは隔絶した存在だと思ったとしても、その思いのままに悪と化してその人に襲いかかる
 他者と同じほどに、その人を助けるために近付いてきてくれる他者が在る。
 それは、自らが近づけても構わないという言葉で捉えた他者であろうとなかろうと、断ち切れぬほどに
 強い力で勝手に近付いてくる。
 はね除けようとも、それを悪とさえ見なして排除しようとも、それを越える力を以てそれは善として近寄っ
 てくる。
 それを善なるものとして、人は受け入れなければならない。
 そうしなければならないという正義の念が、その人の中にあるのだから。
 目の前で、酸漿がただ微笑んでいた。
 
 
 
 
 再び酸漿を手にしていた。
 一度手放したことで失われたものはある。
 けれど今一度手にしたことで得られるものもある。
 再びこの列に戻ることはできなくとも、いつの日にかきっと他の百鬼夜行に参加することは
 できるかもしれない。
 今日の百鬼夜行と一年後の百鬼夜行は別のもの。
 けれど、それが百鬼夜行であることには違いない。
 改めて、妖怪のうちの人として歩みたい。
 妖怪達の消えた道行きの果てに聳える荘厳な樹。
 すべての重みがその荘厳さを肌で感じさせてくれる。
 失い得られたものが、その樹へと導いてくれた。
 その樹は、酸漿の中に甘露を注いでくれた。
 この世で一番美味しいもの。
 これを飲めたのは、なんのおかげか。
 それを知らない人は、居ない。
 
 
 
 
 
 それを知る必要の無い者も居る。
 もはや既に我が身と為すほどにそれを知るゆえに不必要。
 言葉にせずとも、すべてわかり、またわかるわからないの次元を越えて身に付いている。
 でも。
 それが身に付いていることに意味があるのは、それが身に付いて居ない者と出会ったときのみ。
 というよりそれは、その出会いがあるがゆえに、身に付いていると知れるものなのかもしれない。
 そしてだから、そこで初めて言葉が意味を為す。
 その出会いを綴る、言葉が。
 その出会いに意味を。
 その出会いに価値を。
 ひたすら書き綴っていく言葉が、やがて自らの身に付いているものの姿を自身に改めて良く見せてくれる。
 それはまるで鏡のように、自分では自身を見ることのできない人にその姿を写して見せてくれる。
 
 
 
 
 ◆ ◆
 
 ええ、まぁ、楽しかったですよ、たぶん。
 そりゃ、怖かったですけどね。
 でもそれ以上に楽しかったっていうか、あ、それはやせ我慢とかあと無理矢理楽しもうとしてみんな受け
 入れたみたいな諦観とか、そんなんじゃないですよ。
 怖かったけど、楽しかった、ただそれだけでしたね。
 妖怪達に喰われそうになったときはほんとに怖くて堪らなかったけど、でもカラス天狗とか座敷童とか、
 それとあの不思議なおでん屋の子狐とかが助けに来てくれて、なんていうのかな、ほっとしたっていうか、
 なんだかちょっと感動したっていうか。
 そういう今まで出会った人たちとの繋がりというのが、過去だけで無く今この瞬間にも確かに繋がり続け
 てるんだなぁって感じがすごくして、それで感動したっていうか。
 あの侑子さんが入れといてくれた手紙とかも、まぁよくもまぁあれだけ失礼なこと書いてくれるもんだって
 思いましたけどね、でもそうやってなんか俺のことアホとか言ったりしても俺のためにこうして書いてくれて
 るんだって思いましてね、あ、あのモロとマルの描いた絵も良かったですよねぇ、あのふたりって確か字とか
 書けなかったはずなのに、その代わりに絵なんか描いて付け足してくれちゃったりしてさ、うん、嬉しかった
 ですね。
 というかですね、そうやって俺に対してなにかしてくれるということも勿論嬉しかったんですけど、それよりも
 実はああして侑子さん達がなにかしてるのを俺が見ることができるっていうのが、なんだかとても不思議で、
 そして本当は凄いことなんだなぁって思ってるんですよ。
 や、別に侑子さんみたいな奇人やモロやマルみたいな謎めいた子や、モコナみたいな非常識な生物とか
 、そういう特別な不思議さが凄いって言ってるんじゃなくて。
 あ、まぁそれも充分凄いんですけどね。それにいつのまにか順応してる俺も凄いんですけど。
 そういうことじゃなくて、俺っていう存在が、こうして他の存在と共にあるっていう、そういう根本的本質的
 なところになんか凄さを感じる一瞬があったんです。
 俺との差異とか、そういうの全部ひっくるめて、それでも俺たちが此処に居て、そして確かに共に居るって
 いうが、もうほんとぞくっとするくらい激しく心と体に響いてきたんですよ。
 だから、そう思ったから、だからもういちいち他人の存在を有り難がってる暇は無いんだぁって思って、
 その当たり前の共存からそこから始めるなにかが大事なんだよなぁって考えたんです。
 でもですね。
 でもやっぱりそれだけじゃ駄目なんですよね。
 今自分が居るこの場所を、それと同時に愛していかなくちゃいけないと思うんです。
 結果が大事、そこから始めることがすべて、それだけだとたぶん自分を見失っちゃうと思うんですよね。
 当たり前な状況としてみんなと一緒に居ることからなにか始めることが大事であると思うのと同じくらいに、
 やっぱり改めてその当たり前と思えるようになった他の人との共存に魅力を感じたいんですよ、俺はね。
 だから、みんなと居るのが当たり前、だからそれについていちいちなにも思わない、なにも言わない、
 わかってるんだからやることやればいいだろって、それはやっぱり違うと思うんです。
 だからこそ、言葉が大事なんです。
 自分が今居るこの場所を語る言葉が、その場所っていうのがどんなに不思議ですごいところで、そして
 自分がそこに居ることの喜びを言葉にして周りにも自分にも知らしめていくのが大事なんです。
 ええ、ほんと、そう思いますよ。
 たぶん、俺はそのことを最初からちゃんとわかってたと思ってますし。
 そしてだから、俺はわかってるからこそ、わかっているとちゃんと言わなくちゃいけないんだって思うんです。
 たぶんそうしないと、ほんとはそこから始まることなんてできないんじゃないかって。
 あはは、なんか語っちゃいましたね、すみません、偉そうに。
 でも、それが俺の本音です。
 だから、これからも、よろしくお願いしますね。
 え?
 まぁ、たまには素直になってみようかな・・・・・・って
 人の話聞いてないし!
 ていうか、侑子さんこそ俺の甘露飲まないでくださいよ!
 
 
 
 
 
 
 
                             ◆ 『』内文章、アニメ「XXXHOLiC」より引用 ◆
 
 

 

-- 060805-                    

 

         

                                   ■■ アツダレ ■■

     
 
 
 
 
 て、てきか!? (挨拶)
 
 はい、紅い瞳です。
 最近ちょっと忙しかったり疲れてたりして、パソつけないでそのまま寝ちゃったりつけただけでなにもしなかった
 りで、更新やチャット参加が疎かになっておりました。
 やー、それに暑いしねぇ、あんまり寝る前にパソとか長時間つけときたくない訳ですよ。
 あんな発熱するものを・・・・・ああ・・このひと文字ひと文字がやがて熱になって・・・・・・・・うああ
 そういう感じで頭の中では都合良く更新やチャット参加を蔑ろにする大義名分が成り立ってしまっており
 ます。
 はい、ごめんなさい。
 でもま、特に書きたいことも無い状態が続いているので、更新したにせよだらだらと意味の無いことを
 書き連ねるだけでしょうから、それならいっそなにもしない方が潔くて良くない?とかなんとか言って、
 ああ、もう、これでもまだ夏バテしてはいないことを褒めてください。
 ・・・・。
 でも確か7月頃に既に夏バテしたとか言ってたような気が。どんまい。
 
 さて今日は花火行って来ました花火。どーんっていうやつ。
 で、当然のように人人人の群で御座いましたけど、でもそんなおしくら饅頭というようなほどでも無く、
 あーなんか人いっぱいいるねぇと余裕を口にできる感じでした。
 けれどその代わり本日はこの夏最大の蒸し暑さで、もう一歩歩くたびに汗がぶわっと出てくる感じで、
 それはもう大変ではありました。
 ていうかよく私も行ったよなぁこんな日に。
 根性があるんだかなにも考えていないだけなのかわかりませんけれど、まぁ気が遠くなるほど汗まみれに
 なってしまいなんかもうどうでもいいやみたいな状態になってたことは否めませんね。
 あとお酒も入れたしさ。なんかあっという間に酔いが回ったよ。
 で、肝心の花火は、やっぱりどーんって感じでした、どーんって。
 音が体に当たってくるね!
 昔はしょっちゅう見に来てたけど、最近はあまり間近で見てなかったので、おおーっと素直に感心でした。
 や、なんかでも見せ物的にはなんかイマイチだったですけどね。
 なんていうの? こういうのは雰囲気とかそういうのが無いとね。
 うん。
 そう。
 途中で連れとはぐれて結局ひとりで見てました。
 連れは携帯忘れて来てて繋がらないし。
 あー、ひとりで見る花火って、なんか、新鮮。
 とんだ! さいた!
 
 泣いてません。
 
 
 ◆
 
 次はサッカー話。
 オシムさんが代表メンバーを発表しました。
 メンバーは以下の通り。(今日発表の追加メンバー含む)
 
 GK:川口能活・山岸範宏
 DF:三都主アレサンドロ・坪井慶介・田中マルクス闘莉王・駒野友一・栗原勇蔵
 MF:中村直志・鈴木啓太・山瀬功治・田中隼磨・今野泰幸・小林大悟・長谷部誠
 FW:我那覇和樹・佐藤寿人・田中達也・坂田大輔            以上18名
 
 初期発表時には全部合わせてなんと13名だったのにはびっくり。
 そんな、そこらへんの弱小中学の部活だってもっと人数居るでしょみたいなね。
 でもさすがに追加されたみたいで、なんだか変にほっとしてしまいました。なにこの揺さぶり。
 とはいえ、それ以上に私を驚かせたのは人選。
 ていうかね。
 1 8 名 中 1 0 名 が 初 め て 見 る 名 前 な ん で す け ど 。
 オシムになって顔ぶれはある程度は変わるとは思っていたけど、ここまでとは。
 や、名前知らないのは私が普段Jリーグ見ないからなだけですけど。
 ただ逆に言うと、私ですら知ってる知名度ある選手がほとんど外されたということには間違い無いです。
 海外組はまだ調整等があるからわかるとして、例えば小野とか入ってませんしね。
 私みたいな人たちからすれば、なんとも夢の無い人選ですけど、普段Jリーグ見ててそこで活躍した
 選手達が選ばれてこなかった今までの歴史に打ちのめされてきた人たちにとっては、逆に希望に満ちた
 人選にはなったでしょう。
 とにもかくにも、オシムがこのメンバーでどんなサッカーをやってくれるのかが楽しみであるのが、
 まず第一ですよね。
 でもなんかあのオシムの会見の話は違和感あるんだよなぁ。
 どこらへんが深みがあるんやろ? たんに尻尾を掴ませなかったって感じではぐらかしがうまかっただけな
 気が。
 ま、話なんてどうでもいいですけどね、わたしゃ。
 
 
 
 ということで、今日はこの辺りで。
 
 うわ、ほんとしょーもないことばっかり書いてるなぁ。
 
 

 

-- 060801-                    

 

         

                                ■■ 自傷するジユウ ■■

     
 
 
 
 
 『やれるものなら、やってご覧なさい。』
 
                            〜XXXHOLiC・ 第十七話・侑子の言葉より〜
 
 
 
 
 
 
 責任、って言葉、昔から嫌いだったの。
 自由には責任が付き物だとか、なに言ってんのって思う。
 自由っていうのはほんとに好き勝手やっていいって意味だし。
 でも、そうやって責任だなんだって言う人達のこともわかる。
 というか、それはもう自由とか責任だとかいう言葉がぶつかり合うこと、そういった事態を避け得ぬこと、
 それ自体が既に責任ということなんだと思う。
 だから私は、ずっと責任というのは負わされるものだと思っていた。
 好き勝手するのはいいけど、その結果生じるすべての出来事がその行為に覆い被さってくるのよ。
 その中のひとつに自由には責任が付き物だという人の言動も含まれるのだし、だから当然そんな言葉
 知ったことじゃないといってそのままやりたい放題することもまた、責任の内に含まれるのだと思う。
 責任は取るんじゃなくて、取らされる。
 それは特定の誰かにというより、その誰かを含むすべての状況によって取らされるもの。
 そして。
 その状況を産み出すのは、必ず自分自身。
 自由でないことなど無く、それゆえに自由など無い。
 逃げ場なんて、初めから、無いのね。
 
 
 努力、って言葉、昔から好きだったの。
 努力というのは須く自分の思い込みだと今では思う。
 自分で努力したと思った瞬間、それは努力したことになると思う。
 だからそれは絶対的に嘘が排除されねばならない項目であったりする。
 だってそれを努力と認定するのは他ならぬ私自身なのだから、私がなにもかも努力したと言ってしまえば
 、すべての努力の価値が下がりまた同時に努力というものが無くなってしまうのだから。
 でもね、長ずるにつれてそんなことしなくても、努力というものが私の中から消えることは絶対にあり得な
 いということに気づいたの。
 自分だけはね、必ず正確になにが努力したものであるのかを知っている。
 理屈ではいくらでも誤魔化せるし、それこそ論理の展開の仕方では嘘をつくこともできる。
 だからすべては努力しているとも言えるし努力というものはだから存在しないとも、言うことはできてしまう。
 けれど、実際はそうはならなかった。
 そう言った言葉を自分の中で綴れば綴るほど、それは鮮やかにその無意味さを晒していったの。
 言葉や理屈なんかで、誤魔化せやしないわ。
 最初から怠慢を許すことなど無い冷徹な自制心。
 より確かな努力をするために、より深い自覚を得るために、そしてどうしようも無いほどの責任を負わされ
 るために。
 でも。
 きっと。
 その冷徹な自制心こそが。
 
 
 物事には必ずそれに見合った対価がある。
 なにかして貰ったらそれに見合う対価を支払うべきだし、なにかしたのならその分の対価を支払って貰う
 べきなんだと思う。
 それは物事を評価する、つまり自分達がしたことやされたことに対する正当な位置づけなの。
 落とし物を拾って貰って、ありがとうと一言いえば、それはその一言の分だけ価値が発生する。
 そしてその価値だけが、自分にとって意味があるものになる。
 もし自分が懸命に努力して、にも関わらずそれに見合ったものが与えられなかったとしたら。
 きっとそのときは正当な対価を要求するか、もしくは与えられないことに対して怒りを抱くか、なのでしょう
 ね。
 そして、絶対にしてはいけないのは、そこで泣き寝入りしたり、またそういうものだといって受け入れてしま
 うこと。
 それは自らその対価のやりとりを放棄したことになってしまうのだから。
 私たちは、ただそれだけで在ったら対価の交換というのは行わない。
 だから必然的に見合った対価が与えられなかったりすることも起きるのね。
 けれど、おそらくそこで自由が発生するんだと思う。
 対価を支払い支払わぬ、そしてそれを受け取り受け取らぬ自由が。
 すべてはその中のどれを選ぶのかを委ねられている自分に収束していくのよ。
 正当な評価をすればしただけの、しなければしなかっただけの責任を負わされるだけ。
 ちゃんとした対価を貰えなくて、でもそれに対してなにか考えて苦しむよりも、まぁいいやといってただ受け
 入れていくだけなのならば、その人はずっとそうすることしかできなくなるだけ。
 そして。
 同じく正当な対価を貰えなくて、でもそれは自分の努力が至らなかったから、だからもっと努力して
 今度こそ対価を支払って貰おう、そう思うこともまたできてしまう。
 だから、言ったでしょう?
 努力とは、必ず自分の思い込みだって。
 努力の価値を自分でつけることが可能なゆえに。
 逃げ場は際限無く、広がっていく。
 死んで、しまえ。
 
 
 
 ◆
 
 してはいけないことをしてしまう。
 やってはいけないとわかっているのに、気づいたらしていたりする。
 ずっと、ずっと、そういうことをやめられずにいた。
 してはならないことをしてしまったことで負う責任に酔っていた訳でも、死んでしまいたい訳でも無い。
 しなければいけなかったことを敢えてしなかったことで負う責任を愛していた訳でも勿論無い。
 してはいけないこと。
 しなければならないこと。
 それが、きっと私の枷。
 
 もし此処でちゃんと努力を全うすれば、それに見合う対価を得られる。
 今までしてきた膨大な努力の重さを知るがゆえに、それと等しい重量をもつ対価が恐ろしかった。
 そして、なによりも恐ろしかったのは。
 その重い重い対価を受け取ることで、知っていたはずのそれに見合う自分の為してきた重すぎる努力が
 絶望に近い恐怖で私に迫ってくることだったわ。
 自分の努力に見合うものを手に入れることが怖かった。
 そしてそれ以上に自分が努力していることが恐ろしかった。
 だから私はいつも、最後の最後で積み上げた努力の頂点を蹴り飛ばして、そうして無様に欠けた残り
 カスのような努力に見合う対価だけを受け取ったのよ。
 ええ、私は第一志望が叶ったことは一度も無く、必ず第二志望以下のことばかり叶っていたわ。
 いいえ、違うわね。
 叶った、のじゃなく、叶えたのね、きっと。
 責任を負わされること自体が嫌だった訳じゃないのよ、だから。
 だって第一志望だろうが第二志望だろうが、結果に向き合うことには変わりないのだから。
 でも。
 全力を尽くして努力極めて得ようとしたそれに見合う対価は、その「努力」自身が作り出したものだから。
 私は、努力できる私が恐ろしい。
 努力してしまう自分が怖すぎる。
 その「努力」は私が選んだわけじゃない。
 私は・・・・
 私は・・・対価が欲しくて努力してる訳じゃない・・・・
 したいことを懸命にしてただけなのに・・・・・・
 ・・・・・・・
 なんで努力しなくちゃいけないのよ・・・・・・
 なんで・・・こんな・・・・・・・・
 
 
 気づけば、真っ黒になって努力している。
 努力と名を付けるに相応しいことばかりしている。
 どんなにそれは努力なんかじゃないと言ってみても、絶対にそれが努力であるということからは逃げられ
 ない。
 だから、ぶち壊す。
 全部最後で投げ出して、無かったことにしたい。
 でも。
 それでも、私は次に進む。
 必ずその壊したものから負わされる結果がある。
 私はそれが嬉しいのかな。
 どんなことをしても、必ずこの背に取り憑いてくれるものがあるから、それが嬉しいのかな。
 今までの努力を投げ出して必死に逃げだしても、それでも私は生きている。
 なんて・・・・恐ろしいの・・・・
 ・・・・・・・・今度は・・・ほんとにトラックの前に飛び出しちゃおうかしら・・・・・・
 
 あなたは幸せを受け入れられない人だって言われたわ。
 嬉しいこと、言ってくれるわよね。
 悲しいこと、言ってくれるわよね。
 なにが幸せであるのかを、私は知らないではいられない。
 言葉で幸せというものを定義するを試みて、その結果幸せなんて定義できないという理屈を並べること
 はできても、その隣で私は真っ青になって幸せそのものに責められている。
 幸せって、一体なにかしらね。
 それも、死にたくなるほどわかっているわ。
 幸せとは、私を責めるもの。
 幸せでない私を切り刻み、幸せへと追い立てる悪魔のような存在。
 そして、その幸せがあることが、それが私の幸せ。
 私を責め立てるものが無くなってしまえば、私はなんにもできなくなってしまう。
 きっとなにも努力できなくなる。
 怖い。怖い。なによりも怖い。
 
 
 もう、こんなことはやめたいって思う。
 肝心なところで全部壊してしまうことは、もう終わりにしたい。
 私は自分の努力に見合う幸せを手に入れたいと思う。
 それが普通なんだろうし、ほんとうは幸せってそういうものだと思うし、それにみんなに迷惑もかけちゃうし。
 でも。
 
 『そのみんなの中に、いったいぜんたいどれくらいの割合で、あなたは含まれているのかしらね?』
 
 そうね・・・
 世の中には人の数だけ正義や幸福がある。
 だから人の正義や幸福は本当のところ私にはわからない。
 でもそれは逆をいえば、私だけは私の正義や幸福がなんであるかははっきりとわかっているし、
 そしてだからこの世界の中に紛れも無く私の正義や幸福は存在しているということになるのよね。
 私は、私の幸せを知らないことはあり得ない。
 私が今までの努力をふいにしてそれに相応しい対価を受け取らずに壊すのは、その対価が私にとっ
 て紛れも無い幸せだとわかっているからこそできる芸当。
 私は、幸せから逃げている。
 幸せから逃げる幸せに浸っている。
 
 
 
 
 
 
 死んでやるわ。
 
 
 
 
 ◆◆
 
 愚かしいことに、浅ましいことに、私は今まで死のうとしたことが一度も無い。
 死のうと思ったことは、数限り無いほどあるけれど。
 だから、さらに馬鹿げたことに、ずっとずっと私は死ななければいけないと思っていた。
 死ぬために努力し、死のうと思うだけで一向に死のうとしない自分を責め続けていたわ。
 それでも、私の腕には血管に至る傷ひとつ無いのよね。
 可笑しいったらありゃしない。
 私ができるのは、どんなに努力したところでせいぜい自殺未遂どまり。
 どんなに責め苛んでも、それは生きるための死の遊戯にしか過ぎないのよ。
 さらに哀れなことに、そのことに気付いた途端に激しい憎悪と嫌悪と羞恥が爆発し、その殺意の勢いの
 ままに自分の首筋に刃を当てても、1ミリたりともそれを横には引けないのよ。
 馬鹿らしい。
 馬鹿すぎて、笑えもしない。
 だって、私、誰かに止めて貰うことしか、頭に無いんだもの。
 首筋に当てた刃は、誰かに取り上げられるためだけにしか存在理由は無い。
 そして私は必ず誰かに目撃される場所でしか、死に臨まない。
 全部、計算してるわ。
 
 努力して、それに見合う対価が貰えないと、頭に来る。
 だから恨み怒り、そしてそれを相手に向ける。
 その対価を求める行為だけに意味がある。
 死ねないから、死のうと思う。
 誰かの見ている前で、死ななければならない理由を叫び、それを是正するように求める。
 死にたいから死ぬんじゃない。
 生きたいから死ぬのよ。
 私がもし死んだとしたら、それはすべて自殺未遂の失敗。
 私を幸せへと駆り立てる幸せに押し潰されて死ぬなんてあり得ない。
 私は絶対にそれでも生きている。
 私は・・・
 私は・・・・・・・・
 
 
 
 『彼女は、絶対に押してはいけないボタンがあれば、なにがあっても絶対に押さない人よ。』
 
 
 
 ええ、そうね。
 まったく、ほんとうに、そうね。
 
 
 
 ◆◆◆
 
 私は幸せになりたい。
 自由で居たい。
 でも幸せになりたいと思ったら、自由では居られない。
 必ず幸せになるための努力をしなければいけない。
 その努力の中身はともかく、その努力しなければならないという枷から自由で居ることは決してできない。
 そして私自身、そうでなければいけないと思っている。
 そう思うからこそ、たとえ不自由であろうとも努力することができる。
 それでも幸せになりたいと思っているから。
 そして。
 そう思うからこそ、なによりもそれを恐れている。
 なぜ、どうして、幸せになりたいと思ってしまうの。
 どうして幸せになるために努力しなくちゃいけないの。
 なんで、私は此処に居るの。
 続々と私の内側から湧いてくる自分を縛る自制心。
 その自制心の中身そのものは愛しているけれど、でもその自制心の誕生を呪っている。
 なんでこんなに囚われなくちゃいけないの。
 自らに課した努力が果たされた結果、それに見合う対価が支払われる。
 けれど、その努力がその対価に見合う努力であるかを認定するのは私自身。
 だから。
 私は、決してその努力に対価を与えない。
 おまえはまだそれに見合うだけの努力では無いと永遠にケチを付け続けて。
 『幸せっていうのは、自分自身との取引でもあるの。
 自分との約束、つまり努力は報われなければならないということよ。
 苦労に苦労を重ね、艱難辛苦を乗り越えながら、それでも自分になにも与えないというのは、
 自分に対する契約違反。』
 私から幸せを取り上げてやるのよ。
 それが、私の幸せ。
 私は生きているうちに、それを学んだ。
 私は私と戦いながら、幸せを奪い合いながら生きている。
 ゆえに私の存在自体が、大いなる不自由。
 自由で無いことなど無いゆえに、なにもかも自由にしかなり得ない。
 なにをやっても、なにをしても、すべてが必然でしかない。
 
 でも、それでも。
 
 
 私は、私でしか、無かったのよ。
 有り難いほどに。
 
 
 
 ◆◆◆◆
 
 『特別な眼鏡なの。
  普段からこれをかけていれば、あなたを正しい道に導いてくれるわ。
  間違った選択肢を封じてくれる。』
 
 『それをどうするかはあなたの自由。使おうが捨てようが、あなた自身が決めればいいわ。』
 
 
 ・・・・・・
 
 おかしな眼鏡を貰った。
 明らかに紛い物だと言える代物で、さっさと捨てようと思った。
 でも、捨てられなかった。
 なぜって。
 そんなの、決まっているわ。
 それを捨てるか捨てないかを決めるのは、私自身なのだから。
 
 
 私は幸せになりたいと思っている。
 でもその幸せになるための過程があまりにも不自由であり、また幸せになりたいということをどんなに念じ
 ても諦めることができない恐怖から逃げ出してしまう。
 ただ淡々と努力するだけして、その努力と不釣り合いな対価を貰ってその努力の存在価値を消すことに
 しか安堵を得られない。
 それでも生きていることの醜さに絶望的な殺意を抱いても、決して自分を殺すことができない。
 それなのに、
 それなのに、
 
 
 
 もう、わかっているわ、私。
 
 
 
 幸せになりたい。
 幸せになるためにはどんな努力も惜しまない。
 その努力ができることこそ幸せだということを知っている。
 そしてその幸せこそがその努力を殺していることもまた知っている。
 努力のための努力にはその存在価値は無い。
 すべての努力はその支払われる対価によってのみ意味がある。
 そのことを、
 そのことを、
 
 
 
 私は、激しく、愛している。
 
 
 
 その愛以上に切実で、それでいて私から離れているものは無い。
 だから。
 私はそれを抱きしめる。
 私の大切なその愛をなによりも強い力で抱きしめる。
 そう。
 わかっているわ、私。
 本当は、ずっとずっと、初めから。
 そうしなければいけなかったということを。
 
 その愛を愛するか殺すのか、それを決めるのは私自身ということも、ずっとわかっていたわ。
 
 そして、その答えも、ずっと。
 
 
 
 
 その答えもすら、また必然であるという枷に囚われながら。
 それを背負って進む、愛しい幸せの道が此処には広がっていた。
 自らを制するこの内なる力への愛に直面しているのはこの私。
 たとえその力がこの体を滅ぼすとも、その愛を愛する私だけは死なないと感じている。
 正しく、美しく、公正に、生きたい。
 どんな嘘を弄そうとも、如何なる淫らな想いに駆られ、またそれに支配されようとも。
 それを是正しそれに反発し、なんとしても這い上がる気持ちだけは放さない。
 そして。
 それでもこの道こそが逃げ道であるということは変わらなくとも。
 この逃げ道からは決して逃げることができないということが、私にはしっかりと与えられていた。
 だからもう、逃げられない。
 なにをしても、もう逃げにはならないのだから。
 
 私は、その愛がやがて私自身になることを確信しながら、この道を歩いて、居る。
 
 
 この道からは、逃げようと思えば思うほど逃げられないってこと、良くわかったわ。
 
 
 
 
 
                             ◆ 『』内文章、アニメ「XXXHOLiC」より引用 ◆
 
 

 

Back