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◆◆◆ -- 2006年9月のお話 -- ◆◆◆

 

-- 060928--                    

 

         

                             ■■そのなにげない一日が■■

     
 
 
 
 
 やっちゃったぜ。 (挨拶)
 
 
 
 
 あー・・・。
 あ、こんばんわ紅い瞳です。
 あー、うん、なんですか、なにか御用ですか。
 いやなに言ってんでしょか。
 しっかりしなさい。
 ええとね、今日ね、朝ね、朝刊のテレビ欄みたらさ、ホリックの横に(終)って書いてあったの。
 
 ほへー
 
 うん、抜けた。魂抜けた。
 朝一番から死にました。
 うああ。
 
 前回確かに最終回っぽい終わり方で、次回が外伝とか言ってたからもしやとは思っていたけれどほんとに
 終わっちゃうなんて。嘘だ嘘だ嘘だ!
 ごく普通に全26話だと思ってた私に死ねと言うのですか。ていうか言います自分で。○ね!
 うん、まずいとかやばいとか超越してやっちゃいましたね、どうしよ感想。
 完全に全26話前提で感想書いてたから、中途半端も甚だしい終わりになっちゃったよ。
 いや確かに一話一話それぞれに込めたモノはあるから、それはそれでいいのだけれど、それと同時に
 全体を通して語りたかったこともあったので、それの完成としての最終回というのはなにげに重要だったの
 に、それがぷっつりと終わってしまうとはああああ。
 久しぶりに誤算体験中。痛、いたたたた。
 むぅ、これはそれこそ今夜放送の外伝にすべてを賭けるしか無いのかのぅ。
 ホリックはほぼ完全に一話完結のスタイルなので、今わたしが言ったようなことには違和感を得るかも
 しれませんけれど、少なくとも私の感想には重大問題なのです。
 感想的にも一話一話単独で成り立たせていますけど、それは単にストーリー的(感想にストーリーもな
 にもないけど)に続いていないというだけで、感想としてはそのひとつひとつを含むひとつの大きな感想と
 しても成り立っているので。
 って、同じこと言ってるやん。あーもう、頭が回りません死にたいです。(重症)
 
 ま、とかなんとか言っても、実はそれほど焦ってないんですけど。
 一個一個の感想は、私というひとつの元に結実してちゃんとありますから。
 常在感想というかなんというか、とにもかくにも、ひとつの感想でホリックのすべてを顕すことができたなら
 ば良いなと思っています。
 表す、じゃなくて顕す、ね。
 いやー、なんかほんとなに言ってるか自分でも全然わかんないぞ、うん。
 ていうか、それ以前になにがしたかったんだろう、この人は。
 
 追記:
 でも割と前回前々回の感想はよく書けてると我(のみ)ながら思ってるんだけれども。
 色々々と、(暇で暇で死にそうな方は)読み解いてやってくださいまし。
 
 
 ◆
 
 いわゆるホリックショック(局地的)によってすっかり紅い瞳はアレですので、なんかもうアレです。
 ということで、そういうとき恒例の徒然なるままに野放しな書きっぷりでいきます。
 本とかー。
 すっごい読書スピードが遅いんですけどー、かつては速読家もかくやと言わんばかりの早さを誇って驕れる
 ものも久しからずな駄目な感じだったのが違う方に駄目になったような、でもじっくり読んでるからそれは
 それでいいのだ大事なのはスピードでは無いパワーだ!とかなんとかもう。
 夢枕獏「陰陽師 太極ノ巻」と南原幹雄「名将 佐竹義宣」は割と早かったんだけど、そのあと
 三島由紀夫「反貞女大学」と中村隆資「出雲願開舟縁起」と坂口安吾「日本論」と嶽本野ばら「そ
 れいぬ」を同時並行で読み始めたらあら不思議全然読み終わりません。(当たり前)
 ていうか、「それいぬ」面白いねー。なんか久しぶりにスカっとしたなー。
 こうなんていうの? なにかにストイックになるという「行為」と、なにかにストイックになりたいと考えている
 自分自身という「存在」の、一体どちらが「自分」なんだろう、みたいな?
 或いは、自分というのは在ると感じることで在るのか、無いと言うことで在るのか、とか。
 やー、私は自分自分ってよく書くし、感想なんかでたぶん一番使ってる単語って「私」だったりするし、
 だからそれだけ見ると私は後者の「存在」そのものというのにこだわってるような気がするけど、でもそういう
 ことを書くという「行為」自体にも非常にこだわってて、無論そういうときは私なんてものは無い、というか
 どうでもいいって感じでストイックなんだ。
 で、これも無論書いてる中身そのものは「私」というものは在り、その「私」を語ることが重要ってことでも
 あるんだけど。
 坂口安吾もそんな感じの人だよね、本を読む限り。
 自分とか本当の自分とか自分探しとか、そういうのを否定というかどうでもいいそれよりも目の前に広がる
 美しくて素晴らしいものに打ち込むストイックさこそが最重要なことだ、と「言うこと」自体が、実はそうして
 否定したものにストイックになっている人達の存在を認めていることにもなるんだね。
 んー、認めてるっていうか・・・・殴り合ってお互いの存在を確信せざるを得ないというか・・無いものは殴れ
 ないしね。
 ま、つまり認め合うというかむしろお互い矛盾しまくりで対立項でもあるんだけどね。
 大体今私が言ったことの後半部分は詭弁だしw
 両者は決定的に対立するものだし、そして、対立してこそのものだと思う。
 そして、その対立を含む大きなひとつのものが、たぶんただ在るだけなんでしょうね。
 それが、「私」。
 いや私とか無いっていや在るさいや無いって言ってんだろだから在るってのがわからないのか(以下略)
 つまりま、なるようになりますよ。 (微笑)
 もうちょい感想的にわかりやすくいえば、「私」というものを文中の登場人物に「私はなになにで」と語らせ
 て描くか、それともその一切を書かずに、ただ淡々と広がる文字の羅列から読む側にそれを読みとらせる
 のか、ということ。
 そして、実は前者のこともまた、作中の人物が「私」を語るという行為の「存在」そのものを以て、その
 向こう側に広がるものを読みとって貰う、ということのうちに収束することなんです。
 ほんとうに、なにを言ってるのかわかりません。
 誰か翻訳して差し上げて。
 
 
 ◆
 
 アニメー。
 ごめん、ギャグマンガ日和2が面白過ぎてまた死にそうです。本日二回目の臨死体験です。
 先生こういうの大好きです。
 1も面白かったけど2も過激に面白くて笑えて笑えてもう誰か止めてくださいいっそ息の根を。
 なんかもうこれ以上観てたらほんとに死んでしまう気がしてきました。
 でも最近は死因が「笑い過ぎ」っていうのもなんかいいかなって思えるようになってきました。
 大丈夫、まだまだいけます。
 さて、次。
 アリア。最終回ー。
 うっわ、普通に終わったよ、ていうか、終わったというか普通だよ。
 淡々とごくいつものお話のように、きっと明日になったらまたおはようと言ってくれそうな、そんな感じです。
 ・・・・もうさ、これゴールデン枠で20年くらい延々と放送しようよ。
 目指せドラ越え、みたいなさ、そしていずれキャストの世代交代劇とかあって悲喜こもごもな・・・・・・
 妄想が過ぎました。なんか違う方向にいってしまいました。
 うん、だからね、最終回にあたってわざわざ言うことは無いですよ。
 アリアは常にアリアであって常にあるからこそアリアでだからアリアなんです。 (強引)
 とはいえ、まぁ、うん、アリア万歳。
 
 で、他になにかアニメのことってあったかな。
 あー、NANAと僕等がいたがかなりすごいね、な感じ。
 今期のアニメではこのふたつが群を抜いてるかな。 (アリアは無論別腹にして別次元)
 あと貧乏姉妹物語は全26話くらいにして、がっぷりしっかりあのふたりを描いていけばもっと良かったかも
 しれないなぁとか。
 それくらいかな、もうちょい総論みたく書いた方がいいのかな。
 っても書くことあんましないけど。
 どっちかっていうと今期より前期の方が(NANAとかは前期からだけど)語り草になったけど、あいにく私は
 語るのを思いっきりサボっちゃったからねぇ、ハルヒとかブララグとか。
 ていうか、ホリックの評価が一番難しいんだよねー。
 かなり凄いんだけど、その凄さを固定できる自意識が作品側に無いんだもの。
 なんていうか変な表現だけど、ただ息を吸って吐いて、と当たり前なことのようにして映像を提出してる
 というか。
 だからあれ以上良くできるのか悪くできるのかとか、皆目わかんないし、だからこそあれってものっそい
 独自な価値体系ではかるのがベストな気がするんだけど、その価値体系を作り切れないというか。
 まーぶっちゃけ、あれを評価するという行為自体がものっそい虚しいことのように感じるんですよ。
 だってあれ、普通に呼吸してるだけじゃん。
 だから、重要なのはその価値では無くその存在自体なんじゃないのかなぁ、とかこじつけてみたり。
 うわーいい加減ー。
 とりあえず、ホリックと出会ったのと出会わなかったのとでは全然違う、とは言っておきましょう。
 勿論そうなるのは、すべてあの映像の受け取り方次第ですけれども。
 あれを散々批判したり褒めちぎったりして思う様にやりまくったあとに、虚しさを感じられれば、そのとき
 あなたはこちら側の人になるで御座いましょう。
 ふふふ。 (邪な笑顔)
 
 
 
 おわり。 (色々と)
 
 
 
 
 P・S:
 BBSとこのページでも告知しましたけれど、来る9月30日土曜日23時30分より、恒例のチャット会を
 行います。詳しいことはそれぞれの告知文にて。
 って、ここに書くの意味無いですね、しかも遅いし、明後日じゃん、ほんと、意味無い。 (色々と)
 皆様のご来訪を割と必死にお待ちしております。
 
 
 
 

 

-- 060925--                    

 

         

                               ■■憎くて愛しいジカン■■

     
 
 
 
 
 
 
 
 『誘い、微笑み、約束、その場所に、その時に、その人に、繋ぎ止める。
 
  秘密、思い出、告白、さらに強く、優しく、結びつける。
 
  絆、触れ合い、共鳴、繋ぎ止め、結びつけ、誘う。』
 
 
〜XXXHOLiC・ 第二十三話・侑子の言葉より〜
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ざあ、ざあ
 
 
 
 
 
 
 
 
 誰も居ない場所の向こうに見えるものがなにかあるのか。
 その問いに込めたはずの力はいつしか俺の脳髄から漏れ消えている。
 
 
 
 
 
 ごう、ごう
 
 
 
 
 
 なぜ、考えてしまうのか。
 なぜ、考えなくてはいけないと思ってしまうのか。
 それほどまでに、懸命になって意味ある言葉を探し作り上げることになんの意味があるというのか。
 吐いた言葉の向こうに聳えるものをこそ白日の下に晒すことにしか、なぜ価値を感じられないのか。
 嘘だ嘘だ嘘だ。
 感じられないのじゃない、感じられないと思わなければいけないだけだ。
 もっと、もっと、最高のものを。
 突き抜けていくなにか凄いものが、体が此処にあることを謝りながら教えてくれる。
 それを観ている。
 その言葉を、素晴らしくも崇高なほどに恐ろしいその言葉を、求めている。
 その言葉が、その言葉の向こうに在るものを魅せてくれるはずだから。
 それが嘘か真かを問うているものを置き捨てにして、そのまま一心不乱に遙か彼方を見つめている。
 求め、流離い、迷い、浮かぶ。
 言葉なぞ知ったことか。
 けれど、言葉しか、知らない。
 究極の言葉を編み出すことに終始することしか、できない。
 いや、違う。
 
 
 そして穏やかに、世界がまた、始まった。
 
 
 
 
 
 +++ 必然に誘われた先にて、運命に惑わされることを知りながらあるがままにて
 
 
 
 
 
 ◆
 
 影のなかを歩いていたような気がふとしたら、足の力だけが抜けていくのを感じた。
 ぎゅうと持ち上げられ支えられている両腕の皮膚だけが、己が自らの力で動いていないのを知っている。
 「皮膚」という文字が木漏れ陽のように頭の中に広がっていくと考えた瞬間、体は宙に浮き、そのまま
 重力を肉体すべてで感じ、そして、今度はなにも知らないままに、ただ浮いていた。
 どうやら襟のみを捕まれて、今にも倒れる格好で浮いているらしい。
 そしてそのとき初めて、脇の下と喉仏の辺りに圧迫感がした。
 ああ・・・・百目鬼か・・・・・なんでおまえ・・・・襟首掴んで・・・・・・・
 
 
 
 此処に、居る気がしない。
 いや、というより、此処ってどこだ?
 ただだらだらと口から漏れていく言葉の中に、俺の姿が見えた。
 百目鬼と話し、ひまわりちゃんと話して、そうしているはずの俺の姿はどこにも感じられなかった。
 いや、というより、俺ってなんだ?
 ただ淡々と脳内を巡る言葉の肌触りに、俺が居たという記憶を感じている。
 なんだろう・・・・・なにか・・・してるよね・・・・
 でもたぶん・・・明日になったら・・今日なにしたのか覚えてないんだろうな・・・
 そして明後日になったら・・・明日と今日の記憶の区別は付かなくなってるのかな・・・・・
 それ以前に・・・・・もう・・・・過去のことはすべて失ってしまうのかな・・・・・
 ただ・・・・・もう・・・記憶の形が見えるだけで・・・・・・・それがどういうものなのかがわからない・・・
 昨日ってなんだ・・・?・・明日ってなんなんだ・・・・?
 意識ははっきりとしている、と言える。
 けれど、意識がはっきりとしている俺というものがどこに居るのか、わからない。
 今こうしてものを考え、言葉にし、無闇に動いているのは一体なんなんだ・・・・・
 勝手に記憶の蔵の中身が整列し、そして自由気ままに俺となってなにかをしているような・・・・
 なにを喋ってるのかはわかる・・・・でも・・・・なぜそれを喋っているのかがわからない・・・・・
 いや・・・・たぶん必要だから話してるんだろう・・・ひまわりちゃんにバレンタインのお返しをするために、
 わざわざプレゼントを買って、そのことで色々と彼女と話してるんだよな・・・今は・・・
 え・・・百目鬼の試合の応援に行くかって・・・・・?
 『たぶん・・行けないと思う・・・・・』
 
 え・・・・・・・・・・なに言ってんの・・・・・・・・・
 
 わからない。
 わからないんだよ。
 なんで今日弁当作って来なかったんだ?
 ていうか、なんでひまわりちゃんへのプレゼントを自分で作らなかったんだ?
 あり得ないはずじゃないか、なにがほんとは自分で作りたかったんだけどね、だよ!
 その言い訳を聞かせるのは俺というものに対してだけのはずじゃないか!
 ひまわりちゃんへの想いに応えるこの一番大切なときに、なんでこんな・・・・・
 作れない理由があればあるほどに、それが作る理由を強く育ててくれているはずなのに。
 なんで・・・・・・こんなことしてんの・・・・
 どうして・・・・・こんな・・・・平気で・・・・・・・
 
 その感情に名前を付けようとしていた。
 悲しい? 悔しい? なんだろう。
 今は、悲しくも悔しくも無いのに・・・・・
 そもそも、なにも感じてはいないのに・・・・・・
 ひまわりちゃんの一挙手一投足が、どんどんとバラバラになっていく。
 ひまわりちゃんの言葉が、ぼろぼろと耳に届く前に地面に落ちていく。
 それでもひまわりちゃんは、いつもと変わらずにいたわりの言葉を口にしてくれた。
 彼女は、ほんとうにいつもと変わらないし、そして世界もなにひとつ変わってはいない。
 そして、ひまわりちゃんの優しい言葉は、俺の目の前で地に溶けた。
 ゆっくりと、微笑みが顔を撫でていく。
 そうか。
 ようやく。
 ようやく・・わかった。
 
 
 俺だけが、変わってしまったんだ。
 どうすることもできない程に、呆然とするほどに。
 肌という肌が絶叫し、その圧倒的な震えを感じるまえに、気を失った。
 
 
 
 
 〜 never give up
 
    and 〜
 
 
 
 
 
 ◆◆
 
 ゆっくりと、しなうように歩いていた。
 体中に張り詰める力を押し込める力があることに不思議を感じながら、ただ黙々と歩いていた。
 匂い立つ霞が巡る林道の果てに、あの人が居ることを感じながら。
 とく、とく、とく。
 歩きながらに鼓動を感じたのは、生まれて初めてのことだ。
 こつ、こつ、こつ。
 響くはずの無い靴音を高鳴らせて、視線は既にあの人の背を捉えていた。
 凛然と佇む一刻の時のなかに在ったのが無であるのを知ったのは、その鼓動と靴音が消えたときだった。
 誰も居なかった。
 なんで・・・さっきまで・・・・・・え・・・・・
 疑問を口にしながらゆっくりと不在を感じていく。
 誰も居ないということが、あの人が居ないという事とは決して同じでは無いということを知ったとき、
 あの人は確然とその姿を顕した。
 る、る、る。
 地を這う生命のせせらぎが、心地良く這い上がってくる。
 よかった・・・・・・・
 あなたがここで待っていてくれない理由を山ほど思い描きながらその無を獲得したから、あなたはここに
 来てくれたのですね・・・・・
 あなたは・・・・俺が求めれば求めるほどに居なくなり・・・その不在を感じれば感じるほどに顕れてくれる
 のですね・・・・・
 ならば俺は、あなたを求め求め続け、そのゆえにあなたを失い、その喪失の絶望の先に顕れたあなたの
 元に駆け寄ります。
 もの狂うほどにざわめく木々達の影に彩られた一筋の光の降り立つこの場所で、あなたが待っていてくれ
 ていることを、俺だけは確かに知っています。
 
 『よかった・・・・・今日はもう会えないんじゃないかと・・』
 
 
 そして・・・・・・・
 
 
 
 そして・・・・・・
 
 
 
 
 俺も・・・・そこであなたを・・・・・・あなたのことを・・・・・・・待って・・・・・いたいです・・・・
 
 
 
 
 
 
 ×××  『もう、逢うのはやめましょう。』
 
 
 
 
 
 どくどくと、ただ血が流れる音だけが、聞こえた。
 
 
 
 
 
 ・・・・・・
 
 『もう、いくわ。』
 
 白く熟れた光のささめきに濡れた首筋に痛みが灯る。
 うなだれていく憂いと燃え始める悦びの擦り合う音が体を整えていく。
 微動だに出来ぬままに響く言の葉に実らせた涙だけがその音から真に自由だった。
 その涙もまた自らの重みに耐えられることも無いままにしっとりと地に吸われていった。
 
 『いつまでも寂しいって、そう言ったじゃないですか!』
 
 それが、私の答えよ、ワタヌキくん。
 ごめんなさい・・・ありがとう・・・・
 
 
 
 
 ◆◆◆・・・・・・
 
 目の前の世界が消えた。
 僅かひとつの咳をした後に、その世界は消滅した。
 俺の居ない世界。
 そして顕れたのは、吹き荒ぶ木枯らしの中で、ただ独り、たったひとりで座り続けているあの人だけの世界
 だった。
 あの人は・・・・・あの人は・・・・・・
 
 
 『あの人・・・・泣いてた・・』
 
 
 あの人の漏らした孤独の溜息は、俺の頬を熱く濡らしていた。
 地に額ずくたったひとつの涙を抱き締めて、俺とあの人はあの世界に在った。
 あの人の溜息が俺の涙になろうとも、俺の涙があの人の溜息になろうとも、俺の涙とあの人の溜息は
 紛れも無く俺たちふたりのものなんだ。
 溶け合うふたりの命がふたりを分かとうとも、俺はそれでもいいんです。
 俺にはあなたが、あなたには俺が必要なんです。
 だから俺が・・・
 『駄目だ・・・寂しい想いさせちゃ駄目だ・・』
 
 『行かなきゃ。』
 
 
 あなたのその溜息は一体なんなんです?
 あなたは俺を待っていてくれるのと同時に、俺を待っているんですよね?
 ええ、俺も確かに、あなたの元に行ってあげたいと思うのと同時に、あなたの元に行きたいのです。
 あなたに求められたくて、あなたを求めたくて。
 いえ、違いますね。
 俺はあなたに求められ、そしてあなたを求めている。
 『あなたが寂しいと・・俺も寂しくて。』
 
 ほら、また。
 
 なぜあなたはその驚きに包まれた悦びの息吹を捨ててしまうのですか?
 あなたが人では無いからですか?
 あなたの存在が牡丹灯籠よろしく俺の命を削ってしまうからですか?
 
 それを、俺だけは知らないと思っているからですか?
 
 不愉快です。
 あなたのその苦しみをあなただけのものにしないでください。
 あなたがあなたの悦びを殺そうとするのは、あなたがあなたひとりだと思っているからじゃないんですか。
 俺は・・・・俺は・・・・・・
 そうやって・・自分だけが世界に殺されていくのを、それを良しとする残酷な憂いを絶対に許しません。
 わかってますよ俺はもう・・・あなたと逢うたびに体が蝕まれていくのを・・・・
 このままでは消えて無くなってしまうと、人に言われたんです。
 だから、そんな顔しないでください。
 俺が激しく咳き込む横で、すっかり諦めきったように平然とした顔を晒さないでください。
 そんな顔されるくらいなら、心配顔で覗き込まれた方がましです。
 いいんです・・・無責任に・・・あなたの存在が俺を殺すとしても・・・俺のことまた気遣ってください・・・
 また・・・・今までのように・・・・・お互い「子」と「親」を魅せ合いましょうよ!!
 あなたは悪くありません。
 でも、あなたの存在は確かに俺の命を奪っていくのだから、本当は悪くて悪くて仕方無いほどのことなの
 でしょう。
 あなたの中のその狂おしいほどの罪悪感をこそ殺せだなんて俺はいいません。
 というより、俺だって・・・俺だって・・・・・・もう沢山沢山・・・・・あなたには辛い想いを・・・・・・・・・
 でも・・・・・
 でも・・・・・・・・だからじゃないですか!
 俺達はそのとてつも無い想いがあるからこそ、それを乗り越えていかなくちゃいけないんじゃないですか!
 
 薄巻く白光が黄昏に抱かれるままに身を隠す。
 隠忍を獰猛に重ねて空は色を塗り重ねていく。
 なにも無い場所に、沢山のものたちを放り込んで。
 誰も居ない時間に、無限の言葉を書き込んで。
 無に有を重ねていく。
 だから俺達はいつもその無の存在に恐怖する。
 既に見えなくなるほどに塗り重ねられたその無に怯え、さらにそれを隠そうと言葉を重ねていく。
 もはやそれは、俺という無自体が自らの上に有を重ねているような感じだった。
 俺という輪郭に様々なものを詰め込んで、けれどその詰め込んだそのもの自体を俺と感じることは決して
 無いんだ。
 でも・・・・・でも・・・・・・ほんとはそうじゃない・・・・・そうじゃないことを・・・知らずにはいられないんだ・・・・
 そう・・・・
 この体の、俺のすべてに満ちる幾億もの命のひとつひとつが俺なんだって・・・・・・
 俺は・・・・・ほんとうは・・・・・・・・俺以外であることなんて・・・・・無い・・・・・
 凄まじい咆吼が血の流れに染まっていく。
 びり、びり、びり。
 全身を伝う悪寒が、今にもこの体を霧散させて白い光とひとつにしてしまいそう。
 
 
 あなたは、誰なんです?
 
 
 
 
 ・・・・・・
 
 私の全霊が発するささめきの一滴一滴が、もはやワタヌキくんの血の流れの一筋になっていた。
 『こうなるってわかっていたのに。』
 ワタヌキくんを苦しめるってわかっていたのに。
 それなのにワタヌキくんを待たずには居られないとわかっていたのに。
 ・・・・・。
 すべてわかった上で、今私は此処にこうしている。
 すべてを覚悟した上で、最初からこうなることを望んでいた。
 私がどう取り繕うと、それが事実。
 私は、束の間の快楽を求めていた。
 消滅の、ただただ消えゆくための刹那の愉しみを。
 あの子に逢いたくて・・・・ワタヌキくんに逢いたくて・・・・・
 その想いが・・・・その想い満ちる先に・・・・・・それが果てた世界が在ることをなによりも求めて・・・・・
 そして・・・・それを求めた先に・・・・・・・私が・・・・・・・・今の私が在ることを・・・・・・・
 
 
 
 私は、私はもう消えているということを、確かめたかったのよ、ワタヌキくん。
 
 
 
 もう・・居ないのよ・・・・・
 私の内のすべてを込めて産み出したあの子を失ったときから、私は、もう・・・・・・・
 私はただ虚ろな私という輪郭のままに在っただけ・・・・・
 それは・・・・もう・・・・・・・無・・・・そのもの・・・・・・
 私の抱く想いや感情は・・・・・ただもう・・・・・・ただもう・・・・・・・・・・・・・
 
 
 目の前のあなたに、すべて、捧げられていました。
 
 
 
 
 嗚呼・・・・
 ああ・・・・・・・・
 咳き込み背を丸めたワタヌキくんが・・・・・・
 私を・・・・・・・・・・満たして・・・・・・・・・・私の無を・・・・・・・隠してくれる・・・・・・・・
 抱き締めぬままに、ワタヌキくんをこの体の中に感じるわ。
 あなたを・・・・・・あなたを・・・・私は・・・・・・
 もう一度・・・・・・・・もう一度だけ・・・・・・・・・それでも私では無いと言えるその命を・・・・・・・・・
 
 
 
 果てしなく遠く空を満たす産声が、やがて人の言葉に換えられんことを。
 
 
 
 愛して、いるわ。
 この世界の、すべてを。
 
 私が愛したこの場所に、私はずっと・・・・・
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

--- この世のすべてに等しきことを、今一度問う ---

 
 
 
 
 
+
+
+
+
 
 
 
 
 

あなたは、誰?

 
 
 
 
 
 
 
 
 ◆◆◆◆
 
 
 
 百目鬼の放った鳴弦の矢があの人を貫いた。
 あの人の中の無が無限大に広がり、そしてあの人は俺の目にも映らなくなった。
 俺の目の前に在ったのは、弾け飛んだ見えない血の上げた白煙だけだった。
 ただただ、世界が在るだけだったんです、侑子さん。
 
 
 
 〜 あの、侑子さん。俺の話、聞いてくれますか? 〜
 
 
 
 俺、あの人のこと、好きでした。
 ええ、ほんと、そうです。
 なんていうか、すごく広い意味で。それで、すごくすごく、重い意味で。
 俺、あの人のためになれたんでしょうか。
 結局俺がなにをしたかっていうと、あの人を苦しませた上に百目鬼に消させてしまったということだけだった
 んです。
 あの人が人間であろうとそうじゃなかろうと、あの人が消えねばならない理由なんて無いんです。
 あるというのなら、それはすべてそれを乗り越えて在るあの人の存在理由を得るためのみにあるだけの
 ものだったんです。
 俺は・・・・・・・俺は・・・たとえ俺が消えても・・・・・あの人のためになりたかった・・・・・
 ええ・・・・もし俺が消えてしまえば・・・・・本当はあの人は至上の苦しみを味わうってことはわかってまし
 た・・・・・・
 でも・・それって・・なんか卑怯じゃないですか・・・・
 いえ、卑怯とかそういうことじゃないですね・・・・
 俺はただ・・・・ほんとうは・・・ただただあの人に逢いたかっただけなんです・・・・
 あの人がそれでどんなに困ろうと苦しもうと、それでも俺はあの人に逢いたかったんです。
 そう考えれば、俺はとてもおかしいことを望んでいたんですよね。
 だって俺はあの人のためになりたいと思っていたのに、全然逆のことをして、しかもそうであることをわかって
 いてなおそれでもそれでいい、いやそれがすべてだって思ってたんです。
 でも・・・・やっぱり・・・・不思議ですけど・・・・・言葉にしてしまうと・・・変ですけど・・・・
 やっぱり俺、今でもあの人に逢いたいって思ってます。
 それで、俺はあの人にも俺と同じように、たとえ俺を苦しめようと俺を殺すことになろうとも、俺に逢いたい
 と思っていて欲しいと思っているんです。
 あ・・・・
 なんか・・・・・・そう思ったら・・・・・別に言葉にしてもおかしくないですね・・・・・
 俺の中では、なんかしっくりきてますよ。
 
 俺はね、侑子さん、あの人に戻ってきて欲しいです。
 
 あの人が消えるとき、ぱっと辺りが白くなって。
 あの人のなかの無数の命達が、散っていくのが見えたんです。
 俺、確かにみたんです、あの人の、あの人のすべてを。
 この世界の中のあの人の分の命の白い光達が、まるで空に額ずく星達のように夜空に落ちていくのを
 、俺はどうしようも無いくらいに感じたんです。
 それで・・・それであの人・・・・・俺に逢えて・・・・それだけで・・・・もう寂しくないから・・・って・・・・
 そんなの・・・・・・・
 そんなのって・・・・・・・・・ないじゃないかっっっ・・・・・・
 俺たちは・・・・たった・・・・たった・・・あれだけの間しか・・・・・俺たちで居られないんですかっっっっ!!
 俺たちの涙は、なんでたったあれだけしか無いんですか!!
 世界中に溢れる膨大な海が、なんで俺たちでは無いんですか!!!
 俺は・・・・・・なんで・・・・・・・なんで・・・・・・・・・・・・・・・俺なんですか
 それなのに、俺の流した涙は、ただ無意味に世界に吸い込まれていって・・・・
 この世界にあるすべてに宿る命が俺たちのそれと同じものであって、かつて俺であったものに宿っていた
 無数の命たちのいくらかは、他の誰かの中に宿っているということがわかってしまっても、それでも、
 それでも俺は俺でしか無いんです!
 なのにあの人は・・・・・・この世界に・・・・・還ってしまった・・・・・・
 侑子さん・・・・・・・
 俺・・・・・・あの人に置いていかれちゃったんですかね・・・・
 いえ・・・・俺は・・・・全然そんなこと思ってませんけど・・
 あの人が、ほんとに消えることを望んでいた訳無いじゃないですか。
 あの人は、ただただ俺と逢うことが幸せだっただけなんです。
 あの人は・・・・最後にすべてをかけて・・・俺に微笑んでくれて・・・・・・・
 俺は・・・・・・・俺は・・・・・・・・・・・・
 その笑顔に・・・・・・応えることなんて・・・・・・・・・・・できないんですっっっ
 俺は・・・・・・その笑顔だけは・・・・・・絶対に・・・絶対に許せないから・・・
 俺と逢うことを諦めて・・・・・・そしてただただ俺のことを思って消えるだけなんて・・・・・・・
 その精一杯の笑顔が破けて、その中から飛び出した白い煙達を、俺は抱き締めてあげることしか・・・・
 なんで・・・・・なんであなたが消えなくちゃ・・・・いけないんですか・・・・・・・
 百目鬼が・・・・・あいつがあの人を射さえしなければ・・・・・・・・・あの人は・・・・俺を・・・・・・
 あの人は・・・・・・その最期のひとつ手前で、敢然と俺に手を伸ばそうとしていたんです。
 俺を求めて・・・・・・・・・俺に・・・・・・・救いを・・・・・
 
 
 
 
 
 - そして、あなたの瞳の中に
 
 
 
 
 
 『きっとあなたも・・・・・あなたのことを必要としている人がいるから・・・
  あなたを失いたくない人がいてくれるから。』
 
 
 
 
 
 
 俺は、消えかけていた。
 自分でもそれがどういうことか、わかっていなかった。
 いや、違うな。
 わかってはいたけど、それでもいいと思っていた。
 と言っても、それは今もそうなのだけれど。
 あのとき俺は、あの人に逢うためなら死んでもいいと思っていたし、その選択に後悔は今もしてないし、
 俺にとってはそれがすべてであった瞬間の連続だった。
 俺は、別に消えようがどうだろうが、それは別に構わなかった。
 だから俺は、消えずに済んだことを、それこそ死んでも感謝なんかしたりしない。
 俺は自らの生存と引き替えに、それを越えた最も大事なものを失ったのだから。
 俺の選択は間違って無かったと思う。
 間違いであるものか。
 あの人とひとつになって、この世界に溶けることができるのなら、それ以上のことは無かった。
 俺の願いは、ただただ、それだけだった。
 たとえそれが、不幸に見える願いだとしても。
 俺はようやく、あの人の笑顔のほんとうのぬくもりを感じ取ることができた。
 
 
 〜
 〜
 
 
 そして、再び目が覚めた。
 見つめた天井は、俺の良く知っているものだった。
 俺は、もうどこかに行ってしまっていた。
 誰も居ない静かな部屋が、昏々と寝息を立てて眠っていた。
 侑子さんが、枕元で問いかけてきた。
 「今の気分はどう?」
 悪くない。
 悪くないです。
 まっさらに打ちのめされて、すべてが無くなってしまったような感じがして。
 なんにも、無いです。
 あの人のことさえも、ただの過ぎてしまった記憶のように・・・・
 
 
 そして今、此処に居ます。
 
 
 大粒の涙が先を競って溢れ出す。
 ああもう・・・・俺・・・・・・・生きてんじゃん・・・・・・
 あの人のことを想っている俺が・・・・・・・
 今のこの瞬間が・・・・・一刻の時が・・・・世界から切り離されて・・・・・
 そうか・・・・そうだったんだ・・・・・・
 俺に・・・・・・・世界は俺に・・・・・・繋ぎ止められていたんだ・・・・
 俺が愛したあの時間だけが・・・・・俺に世界を・・・・魅せて・・・・・
 あの人との約束が・・・・・世界に俺を・・・・与えてくれたんだ・・・・・
 言葉が・・・・願いが・・・・・・あの人に触れて・・・・あの人と笑いあって・・・・それが・・・・・・
 俺は・・・・俺は・・・・・・
 生きて・・・・るんだ・・・・・・・・・
 
 百目鬼・・・・・ありがとう・・とは言わないからな・・・・・・
 俺は・・・・自分が消えてでも・・・あの人を護りたかったのだから・・・・・・
 俺・・・・・・・・・・あの人の・・・・・・・・名前すら・・・・知らなかったんだから・・・・・・・・
 ・・・・・・・。
 でも・・・・
 
 でもね・・・・・・・侑子さん・・
 
 
 
 
 俺・・・・・・・・・
 
 
 
 
 この世界に生まれてきて・・・・・・良かった・・・・・・・・・・本当に・・・・・・・・・良かった・・・・・・・・・・
 
 
 
 
 
 滾々とささめきながら頬を伝うせせらぎが、初めて、見えた気がした。
 
 
 
 
 
 
 『それってまた、バイトに上乗せですか?』
 『当然でしょ♪』
 
 
 
 
 +
 
 
 今日も、俺、また侑子さんのミセでバイトしてます。
 働いて、そうしているうちに、なにかが見えてくる気がして。
 そうすれば、今まで見ていたものにそれが降り積もってくれるのかなって。
 その堆積していく時間に埋もれて見えなくなってしまう多くのもの達に、では無く、そうして見えなくなって
 しまうということ自体を愛しながら。
 ただ淡々と、脈々と、息づいていく時間が俺のすべてだったんです。
 この時間の流れの中に、世界を感じて、そしてこの時間の中の俺の前にしか、世界は存在しないのだ
 ということを知りました。
 俺があるから、この世界はあるんです。
 この世界が生きてるから、必然的に俺が生きていることがわかるんです。
 俺の想いが、言葉が、願いが、選択が、この世界を俺に繋ぎ止めているんです。
 人と交わす約束が、人との触れ合いが、そして人への愛憎が、俺を世界に誘ってくれる。
 いいえ、そうではないんですね。
 その約束や触れ合いや愛憎は、全部俺が求めたことなのです。
 だから・・・・俺をこの世界に誘ったのは・・・・・それは・・・・・
 そして・・・
 俺がそれらを求めたのは・・・・・・・
 
 俺の目の前に、世界が確かに在ったからなのです。
 
 
 
 ++
 
 

 『主様にお客様〜。』

 
 
 『願いが叶うの。
  主様にできることなら、なんでも叶うの。』
 
 だから、叶わないことなどなにもないんです。
 
 
 だって。
 
 
 『この世に偶然なんて無いから。』
 
 『この世にあるのは必然だけ。
  あなたとわたしが出会ったことには意味があるのよ。』
 
 
 
 『あなたの願い、叶えましょう。』
 
 
 
 
 
 
                             ◆ 『』内文章、アニメ「XXXHOLiC」より引用 ◆
 
 
 
 
 
 

 

-- 060921--                    

 

         

                              ■■ 言葉のための無言 ■■

     
 
 
 
 
 はい、紅い瞳です。
 あー、なんか普通に書き出しちゃったよ、どうしよ、いや今日は全然書くつもり無かったのに、気付いたら
 書き始めてるよ、どうしよ、いやそんな私をどうしよ。
 すっごい当たり前なようにして書き始めちゃったりして、これこそ日頃の日記書きを長年積み重ねてきた
 修行の成果なのか? みたいな感じで、はい、どうでもいいですね、はい、どうでもいいです。
 
 さて。
 せっかく書き始めてしまったのですから、なにか書かなければ損に値します。
 んー、なに書こうか、あ、前回のホリックは本編がなんや続きモノみたいなんで、ああいう中途半端っぽい
 感じで終わらせましたけど、あれもあの感想の一個のまとめとしての文章にすることもできなくはなかった
 ような気が、なぜか今頃してきて割と困っています。やっべ、なんか書き直したくなってきた。
 まー、せっかく続いてくれているんですから、この際便乗させて貰って次の話でまとめることにするのが
 私的には一番ラクかもしれないなと思い返したりしているうちに落ち着いてきましたんで、そこのところ
 よろしくで御座います。なんかもう日本語めちゃくちゃですね。
 あ、そういえば、滅茶苦茶と無茶苦茶って違うんですか、っていうか無茶苦茶って漢字で書くと違和感
 あるなぁ、でも口にだして言うときは「めちゃくちゃ」よりも「むちゃくちゃ」の方が自然な感じがするなぁ。
 そうそう、最近の私の愛読書は広辞苑だったりするんですよぉ、いや辞書類が愛読書だなんて言ったら
 素で笑われるかあっそうって流されるのがオチかもですけど、ほんとなんです、信じて! ビリーブ!
 いやちゃうねん、前から辞書とかは好きやってん、ただ最近は特に文章書くときとかはかなり頻繁にわざわ
 ざ性懲りもなくまめに楽しげにひいてるんですよ。あ、今はひいてませんけど。邪魔だし。
 やー、結構意味つかんでないで使ってる言葉とかあるんですよねー、で、そういうのを一からちゃんと全部
 調べてるんですよ、で、類語とかもあるからそんなかで一番適切な語を選んだりとかして見たりとかね、
 そういうね、公共性のある語の選択っていうのもそれなりに面白いんですよねー。
 自分の中にある自分辞書に出てくる言葉ってのはオリジナリティがあって、そのチョイスの仕方に面白さと
 ぬくもりがあっていいですけど、人様或いは広い(正しいとも言うね)意味で認識されている語の意味って
 いうのを、自分でよーく噛み締めて、それを自分辞書に登録してそこから引用すると、なんか自分の世
 界の色彩がその分だけ増えた気がして面白いんですよね。
 言葉は使い方次第、そして使う人次第でもの凄く魅せてくれるものが違うんで、面白いですよ。
 言葉ってのは、それ単体で存在していると捉えるときと、それを含むあらゆる関係性の中にそれを捉える
 のとでもまた意味が違ってきますしね。
 たんにガチガチの正しい言葉遣いやらいうものを信奉して書いても、それはそれだけのものにしかなれない
 から、いや待てよ、それはそれで面白いかもね、そうすること自体が、そのガチガチと固めるという行為
 自体を含んだ関係性の中にそれを捉えれば・・・・・・・・・
 なに言ってんでしょうね。わかりません。
 
 あとね、最近よそ様のサイト巡りをまた始めましてね。
 やー、ここ1・2年は自分のサイトばっかりだったんで、新鮮ですね。
 やっぱり色んなサイトさんを見ると刺激になりますよね。
 なんていうのかな、うわこんなん絶対マネできないよとか、あんたなに言ってんそれはそうじゃないだろこうで
 しょがとか、それはわかるけどそれはさらにもう一段階上にいけるんじゃないのとか、萌えとか、そういう
 こうぐしゃぐしゃっとなんだか一杯口に頬張ってみた感じですよ。どんな感じだよ。
 ネットってほんと色んな人が色んなスタイルでほんとに色々なことを書いているから、そういうのをひとつひと
 つ理解しながらそっちの世界に入りながら、その境地からそれに頷いたり批判したり萌えたり泣いたり
 できるから、そういう自分の揺れ幅というか、その動いた分だけどんどん自分の面積が増えてくような
 気がするんですよね。
 まーよく言われることですけど、ネットっていうのは、確として自分がまずあって、それに沿ってその位置から
 見て頷いたり批判したり萌えたり、或いはそれらができなかったことに対してなにか感慨を得るというのは、
 あんまり意味があることでは無いんです。
 ていうかまぁ、そういう無意味なこともできてしまう自分という境地も、自分が揺れ動いて移動できてる
 範囲のうちに収められると、それは逆にすっごい有意義なことだと思うっていうのが、そのネットというも
 のに対してよく言われてることに対して一番言って意味があることなんじゃないかなーって思う。
 ていうか意味があるとか有意義とか嘘くせー。
 そういうことじゃないんだよなー、こうなんていうのかなぁ、異文化理解っていうか、他者理解っていうか、
 そういう理解する当の主体ってのは紛れも無く私なんだから、あんまそれに沿ってでしかものをみない、
 ということを否定してしまうだけってのも、逆にその主体としての自分という異文化或いは他者を理解し
 ないってことに繋がっちゃうと思うんだよね。
 ぶっちゃけ言っちゃうけど、ここ何週間かでちらちらと読んでたサイト様では、そういう風になんかきっかり
 狭いものや小さいものや頑ななものを否定してる文章が目立ってて気になったんですよねー。
 んー、そういうものも含めて理解してくのがいいんじゃないのって思いながら見てたんですけどね。
 自分の悪い部分とかあって、それを更正するのはいいんだけど、ただ否定するだけってのはねぇ、それが
 できてる自分は偉いとかそうしようとしてる自分は偉くて、またそういうことをしてない人は偉くないとか嫌い
 とか、そういう見方に繋がっちゃうと思うし。
 で、そういうことをぜーんぶ丸かじりして、それでいや私はそれはもっとこう考えていけるんじゃない?って
 改めて自分基準に沿うことしかしないことに対して別な道筋を付けてくと、結構面白いことになれるん
 じゃないかなって思うんだ。
 そうすれば、たぶんなにも否定しないと思うし、別に否定するのが悪いって訳じゃなくて、否定することを
 含んだ肯定って面白いっていう宣伝っていうか、まぁそういうこと。
 で、そう言った私の宣伝的思惑をがいんと跳ね返してくれる強靱なことを書いてくれてる文章がネット
 には沢山あって、だから面白いんだなー、そういうまるでわたしとは違う人たちの言葉と接することができる
 から。
 あー暇だなー私。
 
 あー、あとなんでしたっけ?
 本読んでますね。読書の秋だから。すごいなその動機。
 岩井志麻子『死後結婚』、坂口安吾『日本論』、嶽本野ばら『それいぬ』、
 夢枕獏『陰陽師 太極ノ巻』、南原幹雄『名将 佐竹義宣』、中村隆資『出雲願開舟縁起』、
 羽太雄平『二河白道』、三島由紀夫『反貞女大学』ってとこ。
 あと、ようやっと京極夏彦の『姑獲鳥の夏』借りて読んだ。これで京極作品再読計画完了。
 でも愛蔵版だったんだよねぇ、ほんとは講談社ノベルス版(というかこれが本家)で読みたかったのだけ
 れど。
 あの文庫サイズのくせに(実はこの作品別に文庫版も出てるんだけど、このノベルス版よりページ数が
 なぜか多いw)滅茶苦茶分厚くて、開けば一ページ二段重ねの行展開で、もうギュウギュウ詰めも
 ここまで来ればなにかこう生命感がするみたいな、そういう感触が読書体験にいい影響を与えてくれる
 のが好きだったんだけど。
 愛蔵版はでも、ページ数も多いからかなり読みやすくなってて、これまた違った感覚が得られました。
 なんていうかこっちの方がじっくりしっかり一行ずつ読み込んでいくにはいい感じでしたね。
 割とすっと全体の像が頭の中に結ばれてきて、まさに憑き物落としの如く読み終わったあとにすっきり
 晴れ渡ってく感じがしたね。
 ノベルス版は、もっとこう読後までもぐちゃぐちゃとした不気味な残存感がして、これもいいんだけどw
 こういった本の視覚的、或いは触覚的な方面からの影響も含めて文章を読めるっていうのは、ひとつ
 大事なことを私たちに示唆してくれると思ったりとかも、した。
 あー、私、本は本としてこれからもずっとあるべきだと思う派ね。
 文字が読めればネットでもいい、って訳にはいかないよ、情報は文字だけじゃないんだから。
 ていうか、情報ってなんかヤな表現だよね。
 なんか、狭い。
 
 
 さーて、書きたい放題いい加減放題な呆れるにも疲れてしまう、っていうか既にここまで読んでくれてる
 人は居ないと思われるという前提で、その、ごめんなさい、まだ書きます。
 この頃書き出しに手こずるのに(今日は例外)、いざ書き始めると割とノリ出してきて、しまいには訳がわ
 かんなくなるまで書かないと気が済まないという間違った方向にスロースターターぶりを発揮しております。
 さて、ええと。
 アニメね、アニメのお話ね。
 そう、だってもうそろそろ10月の新番組を考慮しとかないといけないじゃないですか。
 いやごたくはいい。はやく書け。<はい
 
 とりあえず、今現在注目してる作品を挙げてみます。
 
 
 BLACK LAGOON  The Second Barrage
 ・言わずと知れたブララグ2。期待度という意味では今のところ、なんて限定つけなくてもぶっちぎりダントツ
  で今後もれなく1位の超々期待作。そしてたぶんその期待を遙か越えたところから馬鹿にしてくれそうな
  くらいに、なんかもう四の五の言わずに大人しく待ってろ、はいそうします。
 
 DEATH NOTE:
 ・まぁ後学のために、とかすかしてみる。んー、原作はとびとびで読んだけど、まーアニメで見る必要は
 ほとんどなさそうな気がするんだけど、まぁなにがあるかわからないので見てみることに。ていうかそれ以前
 にデスノ自体にそんなに興味は感じられないから(反面教師と喧嘩して理解しあう程度?)、やっぱり後
 学のために。押忍。
 
 ゴーストハント
 ・どこかで原作が「十二国記」の小野不由美だという話を聞いて、そのことだけに賭けてみようかと思って
  いるのです頑張ります。でもどうなんだろうねこれ、どこまでやってくれるのか期待はしてますけど。
 
 少年陰陽師:
 面白かったらいいなぁ〜、とそういう感じ。たまにあるんですよね、面白くなってくれたら嬉しいって思えるよ
 うな作品が。どういう感情なんだろこれ。
 
 RED GARDEN
 現時点という限定付きで感想対象の最有力候補。それはこれ以上の作品が現れるかもしれないから、
 という訳じゃなくて、少しずつ公開されてくこの作品の情報にどこまで私がついていけるかという理由から。
 なんかもう情報出るたびに心証が二転三転しちゃうんですけど。面白いのか面白くないのかはっきりせ
 い!>マイマインド

 
 武装錬金:
 話に依ると、すっごい変態面白いキャラがいるって話じゃないですか。結構ネットとかでもネタ話題になって
 ましたし、まぁそれをあてにする訳じゃないけど気になるじゃないですかやっぱ。

 だって変態は面白いよ?(ぁ)
 
 地獄少女 二籠
 どうやら前作の主人公閻魔あいも引き続き出演するみたいですし、なんとなく安全な方向に向かいそう
 な気がするので、今のうちにしっかり油断して感想に備えます。そして放送開始と同時に慌てふためいて
 一生懸命感想を書くハメになることをここに誓います。ていうかそうなるでしょきっと。
 
 働きマン
 とりあえず画面の中に提供されたアニメに全部お任せして、とっぷりとそちらの感覚に浸ることを最初に目
 指して見るといけそうな気がする。とっかかりでつまずくとたぶん見る気無くなりそうだから。でもきっとハマる
 事ができたらまた新しい世界にいけそうな気がするとか言ってる時点でなんか目が怖いんですけど自分。
 
 
 
 って、多いなぁこれは、ちょっと多いよこれどうすんの。
 自分的には結構厳選できたつもりで、いい仕事したなぁって感慨に耽ってたのに何事ですかこの有様は。
 とか言って、結局全部見続けてたりするかもしれないから嫌なのですこんな私。少しは落ち着きなさい。
 これにあとローゼンの特別編もあるんですよね。
 でもあれ、放送開始が今冬ってなってるのが気になるんですよねぇ。
 年明けってのが順当なんでしょうけれど、或いは12月頃にOVAでなんて・・・・惨事に・・・・・・うわあああ
 さっさとお正月がくればいいと思う。 (極論)
 
 
 
 
 P.S:
 というか書くの忘れてましたすっかりです。
 エヴァがなんか続編やるだとかやるだとかあとやるだとか。
 青天の霹靂とはまさにこのことです。夢かなにかですか?
 いやまぁやるのはいいんですけどね、なんで今頃って話なのです。遅すぎ。時間経ち過ぎ。
 内容は今までのエヴァを新しく作り直した新作、という感じで、それ自体はなかなか面白いことしてくれ
 ますね、というところなのですけれどねぇ。
 エヴァはあのテレビ版と劇場版のラストでもの凄い終わりを魅せてくれたので、別に新しい終結をわざわざ
 私は求めていませんけれど、さらにあのラストに固執するつもりも全然ありませんので、庵野監督による
 エヴァの読み込みによって再構成された新しいエヴァというのも観て、さらなるエヴァを私の中に作ってみ
 たいは気は山ほどあります。
 ただまぁ、今それをやる気を実行に移せるかというと、大変微妙なところで御座いまして。
 それとあと、純粋に「エヴァ」はあれでもういいんじゃないか、とも思うんですよね。
 あれはなんていうのかなぁ、それこそファーストインパクトというかなんというか、アニメ観てる人の出発点に
 なるほどの爆発的エネルギーというか誕生性を持ってる作品でね、私的には絶対一度は観て欲しい
 作品のひとつなんですよ。
 あれは始まりに成りうる作品ですし、また逆に「始まり」以外のなにものでも無いと思うんですよ。
 あ、ちなみにあと私的には蟲師というアニメも一度は観て欲しいとお勧め致します。
 エヴァが始まりに成りうるならば、蟲師はある種の「終わり」に成りうる作品なので。
 アニメという存在の極致というか最高傑作というか、もうなんか凄いです凄い凄い凄い!
 ただあれは、ほんと凄いんで、言うなれば滅茶苦茶美味しいお酒を味わってしまった後では、もうそれ
 以下のお酒が不味くて飲めなくなってしまう、というようなところがあるので、その辺りはお気を付けて。
 ああ、お話が大いに逸れました、逸らしました意図的に、さて、エヴァのお話。
 つまりですね、その始まりを今一度作り直すということに意味があるのでしょうかということなんですよ。
 勿論純粋に観てみたいという好奇心はありますけど、ただおそらく庵野監督ができるのは新しい「始まり」
 の創造では無く、「始まり」の説明だけなのじゃないかと。
 漫画版のエヴァのような、作り手の解釈を展開するという、そういうつまらないものになるのじゃないかなと。
 あ、漫画版のエヴァも物語としてはそこそこおもしろかったですけどね、でもその「始まり」として観るには、
 もう完全に力量不足なものに成り下がってました。
 あれはただのアニメ版エヴァの感想文みたいなものでしたし。 (私がいつもやってることw)
 だから今度の新しいエヴァもその辺りをどう意識しているのか、或いは意識していないのか、気になります。
 なにはともあれ、観てみなくてはわかりませんけれどもね。
 とはいえ、私はあんまし観る気無いけど。
 以上のような理由で。
 その理由が具現化されてるかどうかは、実際出来たものを観てみなくてはわかりませんけれども、
 しかし観るか観ないかを決めること、そして内容如何に関わらず、「私とエヴァ」という関係の存在自体は
 既に始まっているのですから、観てみなくともわかることは沢山あるのです。
 だから始まる前から、エヴァの新作制作反対運動とかあっても、別にそれはそれでエネルギッシュでいい
 感じだよね。
 そういうなんだか色んな方向に飛び散っていく盛り上がりの中に居ること、その事には興味があるし、
 またそういった中からゆっくりとその新たなるエヴァへの興味が湧いてくれば面白いんじゃないの?
 「エヴァ」を語るっていうのは、そういうことも含んだとてつもなく大きなことだと思っています。
 ま、それはエヴァに限らないことなのだけれども。
 
 おしまい。
 
 
 
 

 

-- 060918--                    

 

         

                              ■■愛しくて憎いソンザイ■■

     
 
 
 
 
 XXXHOLiC、第二十二話
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 たおやかに動きを止めた風が送る視線の先に渦巻く一抹の光。
 穏やかに降り積もる光の海が広がり往く時間の彼方まで風を誘っていく。
 手を伝う速度がときめきも新たに芽吹き猛々しい春の訪れを奏でていく。
 空より落ちてきた鳥達の囀りが穏やかな風に抱かれたままに大地に溶けている。
 木々を巡る目覚めの溜息がひっそりと辺りを暖めている。
 まるで切り取られたかの如き一握の時間を指先でなぞり縁取っていく愉しみが浸み渡る。
 --- ---
 冷た過ぎる風が、貪婪と激しく垂れ込める。
 --- ---
 すべてが白亜なる霞に溶けゆく感触が視界を奪っていく。
 この瞳が世界に溶けていくのか、それとも世界がこの瞳に溶け込んできているのか。
 ざあざあと激しく喚く春がその正体を晒してゆく。
 軽やかに滲んだ涙の向こうに浮かぶ千々に乱れた風が泣いている。
 夢・・・・夢をみている・・・・・・
 起きているのを・・・・なぜか知っている・・・・・夢を・・・・・・
 霧雨吹き荒ぶ穏やかな時間の中に手探りで求めた何者かがその手を握り返してきた。
 秉燭に浮かぶその素顔は儚いほどに恐ろしい悦びに満ちていた。
 危ういほどに逞しく確かなほどに朧に消えていく。
 その向こうにあるものは、ただ果てしなく明るい春の日差しだけだった。
 
 
 ◆
 
 微少な魔物の群が通り過ぎた地獄のように、その道は大人しく寝静まっていた。
 夢に喰われた哀れな犠牲者達の寝息が皎々と悩ましげに立ち上っていく。
 
 --- 白昼夢 ---
 
 薄暗くその白い肉体を風化させていく時間が確然と顕れる。
 けれどその時間の顕現を知覚するものは無く、ただその白墨に濡れる者だけが此処に在った。
 強かに濡れた掌で包んだものはただただ無限に流れる風だけだった。
 すべてから隔絶されているのか、それともそのすべてに飲み込まれているのか。
 辺りを包むこの白い風の正体を、どうしても知ることができないままに、時間は蕩々と流れていった。
 
 
 ---いつのまにか、此処に来ていた---
 
 
 その背を見つめていたのか、その背で見つめられていたのか。
 舐め合うように噛み合うように、背中越しに魅入り合う互いの魂の息吹が髪を掻き分けて流れていく。
 びゅうと逆巻く風の流れのままに真っ直ぐと地に平行に棚引く細い髪が、ひとつひとつの命の悦びに奮え
 ながら貴方に囁きかけていく。
 また、逢いたい?
 その問いに答える声が此方と彼方から共に聞こえてくるたびに、その音色は互いの体をゆっくりと透明に
 染め上げていく。
 目の前の体と、それに見つめられるこの体がその輪郭をそれぞれ失うほどに互いに交わす視線に溶け
 込むばかりになるまで、熱く熱く、囁き合う。
 凍えるほどに、燃え盛るほどに、消え往くほどに、陶然としたままに強欲に。
 すべてを抱きしめて、すべてを突き放して、ただあるがままにすべてであらんとして。
 体の隅々で静かな歓声をあげる無数の命達が、この風に誘われてすべてとひとつであることを感じられる
 ままに。
 その感触の拠り所が此処に在ることの歓喜だけが、確かにこの出逢いを滅ぼしすべてに還してくれるのを
 理解していた。
 この瞬間と、ひとつになりたい。
 そう思う瞬間の連続が、すべてをひとつに、そしてひとつをすべてにしてくれた。
 そのまやかしに自我が芽生えつつあるのを、なによりも熱く見つめていた。
 
 
 
 
 
 +++ それはひとつの小さな世界の始まりであることを
 
 
 
 
 ◆◆
 
 ゆっくりと、その瞳の向こうを眺めていた。
 目の前のひとりの男の子の姿を捉えることよりも、その子のすべてでありたいと思うがゆえに、狂信的に
 向こう側に広がる蒼褪めた空を見つめていた。
 ささやかに舞い落ちる花吹雪のひとりひとりと丹念に挨拶を交わし、私の存在を謝るようにしてその散り様
 を見守っていく。
 私は花達の沢山の死によってできた、この緩やかな時間に佇んでいる。
 視界の端に切れ切れに映り込むワタヌキくんの黒く短い髪の毛が、その散っていった命達の想いを吸って
 逞しくその存在を響かせている。
 さわさわさわ。
 なにも無い空間に居座るささめきが、この暖かい大地から生え出づるこの体を一枚一枚優しく包んで
 くれていく。
 そうね・・・・・・こんな時間がいつか訪れることを・・・私は知っていたわ・・・・
 くるくると私の瞳の手前で駆けめぐるワタヌキくんの命が、無情にも其処に屹立しているのを感じている。
 私とこの時空とワタヌキくんが、たったひとつのものであることを、私だけは知らないのだわ・・・・
 ワタヌキくんに到達した私の言葉が、ひりひりとワタヌキくんの姿に蝕まれていくのを感じてしまう・・・・
 嗚呼・・・・・・わたしの・・・・子供がまだ生きていれば・・・・・これくらいの年なんだ・・・・・
 目の前に成長した我が子を置いて、それでもワタヌキくんと存在を接するこの体は、失われた我が子の
 無数の命を目の前の男の子に感じていた。
 強く・・強く・・・・・おぼろげに消え入りそうなほどに・・・・・・強く・・・・・・・強く・・・・・感じているわ・・・・
 ワタヌキくんの存在が、明確に我が子の復活を阻んでくれればくれるほどに、我が子の命はワタヌキくん
 の姿に喰われ、そしてひとつになっていくのを感じている。
 そう・・・・この子は私の子じゃないわ・・・・・
 この子もまた・・・・ご両親を失った人・・・・・・・・
 私と同じ・・・・・・喪失を背負ったひとりの人・・・・・
 ゆらゆらと捲れ上がる情熱の炎が、地の底より吹き出してくる。
 その蒼い光が、私を包み、そしてワタヌキくんを包む。
 決してそれは、私とワタヌキくんを同じひとつの炎の中に抱き留めてはくれない。
 けれど・・・・・・
 その蒼く冷たい炎は、私とワタヌキくんのそれぞれを確かに包んでいた。
 その圧倒的に厳粛に張り詰めた光は、私とワタヌキくんを分かちながら、それぞれを世界から切り取り、
 それぞれが世界から隔絶していることをなによりも強く強く私に伝えてくれた。
 私の炎とワタヌキくんの炎は決してひとつにはならない・・・・・・
 けれど・・・・・・・その炎は・・・・・・・私たちに・・・同じものを魅せてくれるわ・・・・・
 
 
 『どんなに前でも、大切な人を失ったことはいつまでも忘れられないし、いつまでも寂しいものよ。』
 
 
 ワタヌキくんの笑顔がゆっくりと沈んでいくのを、ただただ私は泣きながら見つめていた。
 
 
 
 
 ・・・・・・
 
 切々と降り積もる雪達が謳っている。
 朗々と響く靴音があの人に伝わっているのを感じながら歩いていた。
 『すいません、待ちましたか?』
 あの人が喜んでくれるのが嬉しいのか、それはわからない。
 目的を持って、あの人に逢いにきてる訳じゃない。
 けど、逢えばやっぱり、どうしようも無く、この人のためになりたいと思う。
 無理なんか無いし、必死な感じでも無く、ただ想うままに為したことがあの人の笑顔になってくれるのを
 信じて、ただ俺は一心不乱に無心になっていた。
 たぶんあの人もそうなのだろうけれど、俺はあの人のことを母と思って慕ってるわけじゃないし、勿論ひとり
 の女性として恋してるわけでもない。
 ただ俺は・・・・なんていうか・・・・・そうだな・・・・・こうするのがすごく自然な感じがするんだ・・・・
 自然で、当たり前で、というよりもっとそうだな・・・・・俺の在るべき姿を思う存分生きることができている
 みたいな感じがするんだよ・・。
 やっぱりそれはあの人も同じに感じてることだと思う・・・・・・いやそう感じていて欲しい・・・。
 あの人も俺のこと色々気遣ってくれたし、それ自体が嬉しいみたいだし、そして俺も嬉しいと思ってくれる
 ことが嬉しくて、そしてあの人も俺が嬉しいとさらに嬉しいんだなって思う。
 お互いの優しくも激しい想いが、すっと完全にそして素直に全部伝わっている状態なんだと思う。
 たぶん、俺たちは、それぞれが「母」と「子」といううっすらとした役を被って、本来なら成り得ない、真に
 対等な関係になれているんだ。
 俺は「子」という役を被っているし、あの人は「母」という役を被っているけれど、俺はあの人のことを「母」
 とは見てないし、またあの人も俺のことを「子」としては見ていない。
 それぞれが、自分の力で「母」と「子」になり、そして自分の中でだけそれぞれ「母」と「子」になれている
 ってことなのかもしれないな。
 俺たちはだから、お互いになにも求めていない。
 ただただ、自分がしたいと思うことを相手にして与えているだけ。
 そして、与えてくれたものの有り難さを、その重すぎて堪らないものを、ぎゅっと抱きしめる。
 その与えられ、そして受け取れたものだけが、俺とあの人がそれぞれ失った人から与えられたもの。
 俺は「子」では無く、あの人も「母」では無い。
 「子」でも「母」でも無くなってしまったんだ。
 けど、俺達が今感じているものは、紛れも無く、俺達が失ってしまったものと同じものなんだ。
 
 ああ・・・・・楽しさも嬉しさもわからなくなるほどに・・・・・世界がただただ・・・・・愛しいよ・・・・・
 
 俺は・・・・・・・あなたが心配してくれるだけで・・・・・・・もう・・・・・
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
×
×
×
×
 

++ 蒼い生命を纏いて地より生まれしものは、やがて白き魔物に魅入られ地に伏していく --

 
 
 
 
 
 
 
 ◆◆◆
 
 ふらふらとして、今にも倒れ込みそうなワタヌキくんが見えた。
 私はなにも考えずに立ち上がり、『どうしたの大丈夫?』と言って当たり前のように彼を抱き留め、
 思うままにベンチに座らせた。
 そしてなんの躊躇も無く彼の額に手を当て熱を測ってしまった。
 自分が驚いているのに気が付くのに、一瞬以上の時を要してしまったわ。
 ついやってしまった、というより、私の体が当たり前のように当然のようにそうしてしまったことが恥ずかしくて
 堪らなかった。
 私の体はもう・・・・・この子を・・・・新しい私の子にし始めている・・・・・
 けれど・・・
 
 『思い出しちゃっただけです。昔、熱出したときに、母さんと父さんがこうやって熱測ってくれたねって。』
 
 どす黒い炎が、体の中を駆け巡った。
 体が、どんよりと、底なしに沈んでいくのがわかった。
 私はまっさらにワタヌキくんから引き剥がされ、それと共にその新しい我が子の姿は無惨に掻き消えた。
 そしてその跡地に無数に立ち上る失われた私の愛しいあの子の命が、私を支配していった。
 それは本当は瞬時のできごとだったはずなのに、私にはあまりにも無情なほどに長い瞬間だった。
 私が失ってしまったものが、私が新たに得始めたものを奪っていくことへの感情が、それがなによりも愛しい
 ものだったなんて・・・・・
 愛しい・・・・・違うわね・・・・・・・これは・・・・・・狂おしいほどの・・・・・・・・・・・哀しみ・・・・・・・
 失われた母を慕う想いに照らし出されたワタヌキくんが、その哀しみの視線で私の身も心も焼き尽くして
 くれるの。
 嗚呼・・・・・・・・・・・どうしようもないのね・・・・・・・・
 それなのに・・・・・・・・・・・我慢できない・・・のね・・・・・・・・・
 
 『まえ、缶コーヒー飲むのが夢だって言ってたじゃないですか。』
 
 あなたは・・・・・・・あなたって子は・・・・・・・・・
 
 
 『俺も、俺もこうされてすごく嬉しかったっていうか、あ、でも今は体温計もあるし、自分で測れるから、
  ただ、俺数字とか見ると余計病気なんだもう駄目だって気になるから、あんまり測んない質なんですよ』
 
 どうして・・・そんなに・・・・・・・・
 
 
 
 嗚呼。
 
 
 
 
 
 
 『いい子・・・・・・・。本当にいい子ね。』
 
 
 
 
 
 
 優しくて、残酷で、あなたの存在は・・・・・・・・
 
 
 
 
 
 
 
 ◆◆・・・・・・◆◆
 
 え?
 ああ、そうですね、まぁなんていうか不思議な気持ちでした。
 なんでだろう、あの人に抱き締められて、どうして恥ずかしいとか離れなきゃとか思わなかったんだろうって。
 まるでそれが当たり前みたいな、いやいやそこまで俺は厚かましく無いですよ、あの人に俺の母親になっ
 て欲しいとか、それ以前にあの人のことを母とは絶対に思いませんし、思っちゃいけないんですから。
 でも、俺の言葉があの人にはなんだかおかしな影響を与えてしまったみたいで・・・・
 あのときあの人は・・・すごく不思議な気分だったんだと思います・・・・
 もしかしたら・・・半分くらいは俺のこと自分の子供だと思って抱き締めてくれたのかもしれなかったんです。
 俺はそこらへんのことを淡々とわかっていたのに、それなのにごく普通に抱き締められちゃったんです。
 なんていうか、俺の体が勝手に素直になっちゃって・・・・
 俺はその体の言うとおりにされるがままだったんだけど、そのときの気持ちは、このときだけはあの人に俺は
 あの人の「子」だって魅せてあげよう、って感じだったんです。
 でも、俺の体の方は・・・・・たぶん間違いなく・・・・・完全に・・・・・あの人の「子」になってたんです・・・
 俺は・・・・・あの人の・・・・・・・・・母さんのぬくもりを感じていたんです・・・・・・
 
 
 
 ごめんなさい・・・・
 俺はなぜか謝りながら抱かれていた。
 その謝罪の言葉がなにに対して発せられたものなのかもはやわからなくなっていたが、その言葉の音色
 に俺は健やかな快楽を感じていた。
 その後あの人はまるで我が子を諭すようにして、俺に家に帰って休めと言った。
 俺・・・・・・わかんなくなった・・・・・
 あの人は・・・あの人の瞳は・・・・・俺のことも・・・・あの人の子のことも・・・映してはいなかったのだから。
 真っ白に閉ざされたその慈愛に満ちた瞳に映っていたのは、確かに蒼く寂びた空だったんだ。
 それなのに、なぜ・・・・なぜあの人のその手は・・・・・なぜ・・俺のこの頬は・・・・こんなに熱く・・・・・・
 
 
 いつしか粲々と燃え散る白い花の群が肌に取り憑き、その勢いのままに俺に浸み込み始めていることを、
 流れ出た紅い命のぬくもりに、ふと感じていた。
 
 
 
 
 
 え?
 
 
 なんで?
 
 
 
 なんで、俺、こんな
 
 
 
 
 
 
                             ◆ 『』内文章、アニメ「XXXHOLiC」より引用 ◆
 

 

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                               ■■ 悪あがきと長い夜 ■■

     
 
 
 
 
 ごきげんよう、時候の挨拶を考えるのも面倒で一杯一杯な紅い瞳です。
 
 えー、はい、ええと、なんでしたっけ。
 んー、なんか前回書いたホリックの感想についてなにか書こうとか思ってたんだよね。
 ていうか、なに書けばいい?みたいな、そんなもう、あれです、よくわかりません。
 いや、なんか、ほら、自分の書いたものに対して、素直に書きたいこと書いていいのかな、みたいな。
 日記なんだから好きに書けばいいじゃない、というのはそうなんですけど、まぁそれは置いといてさ、
 やっぱりその、どうすればいいかな、みたいなね、ええと、なに言ってんでしょうね。
 
 (考え中)
 
 ええと、まぁ、いいや。
 読んでくれた人の解釈の中にだけ、それがあればいいや。
 私がいちいち解説してもしょうがないかな。
 書き手としての意見として、あくまでひとつの見方としてのことなら書いてもいいけど、なんていうか考えて
 みたら、そんなことしたらわざわざああいう形で書いた意味が無いんじゃね? みたいなね。
 ていうか、そんな面倒なこと書いたつもりは無いし、尚更だよね、ってそれは関係ないか。
 ま、でも、いつもはそんなことまるでへっちゃらでガシガシ後書きしてるんだけどさ、そこんところどうなのよ
 とか思ったりもするけれど、今日はそんなのどうでもいいみたいな感じで落ち着いてます。
 どーでもええ。
 あ、でもこれだけは言わして。
 侑子さんがワタヌキ(四月一日って書くとわかりにくいんでこう表記した)の頭に手を乗せたシーン、あれ、
 ホリック的に一番大きなシーンだよね。
 侑子さんとワタヌキのふたりを取り出して見てみても、或いはそのふたりが在る世界を丸ごと見てみても、
 どっちにしてもあのシーンはがっちりくるよ。
 そのあたりのがっちりさというのがどういうものであるのか、そういうのをあれを見た人と、前回の感想読んで
 くれた人には是非考えて貰いたいんだよね。
 そういう感じだったんで、後書きは無しということで。
 えーと、じゃあ今日のこれはなんなの。
 
 
 ◆
 
 はーい、9月もはやくも半ば過ぎようという今日この頃、皆様如何お過ごしでしょうか。
 なんか8月は短い短い言いながらも、実は割とながーく感じてたんですけど、だからそれがようやっと終わ
 ったって感覚がどんよりときてて、すっかり9月が飲み込まれちゃった感じです。
 ていうか9月あと2週間しか無いじゃん。
 はやいよはやいよ、2006年の9月は一生に一度しか体験できないのにぃ!
 ・・・・そんな実感あるといえばあるけれど、無いといえば平然とあくびが出るくらいに無いので、まぁその、
 9月もまったりよろしくお願いします。
 10月もたぶんそんな感じになると思います。
 時間よ、止まれ。
 
 さて、今日こそは今見てるホリック以外のアニメの感想をどっちゃり書くぞ、という意気込みで望んだ、
 のですけれど案の定パソを起動している間にいい感じにやる気が抜けてきました。
 けどさすがにそろそろ最終回に達するものも出始めるこの時期になってまで、そのスタイルを貫くほどの
 こだわりは無いという割と健気にどうしようも無さを受け入れている今日この頃、ようやくちょこっとは書いて
 みようかいの、という状態に達したのです。
 まぁ、褒めてやっても罰は当たりません。
 でもほんとにこんなことで褒められると逆に死にたくなるので、褒めなくていいです。ていうか笑って。
 でね、私的にはアニメの感想で好きなタイプっていうのが実はあってね、3月に書いた蟲師についての
 「蟲の宴 〜生&笑」っていう文章や、6月について書いたすごらじについての「すごらじ万歳。万々歳」み
 たいなね、自分の心を素直にそのまま表現した感想って、すっごい好きなんですよ、自分的に。
 だからね、今気分的にはそういうのを書きたいんですよね、そのアニメが私になにを与えてくれたか、じゃな
 くて、そのアニメを見た私の「気持ち」がどうなったか、みたいな。
 と言っても、見てるアニメなにげに結構あるんで、あんながっちりとは書けないけど、まぁ気持ちだけ通じて
 くれればいいかな程度には書いてみようと思っていますていうか既に頭の中でアニメの映像が浮かんで
 来てて今自分がなに書いてるのかわかりませんええいはやく書け。
 
 
 ・NANA
 見始めた当初からそれは感動とか思考とか哲学とか、そういうの全部蚊帳の外って感じで、ただ自分の
 中を伝うどくどくした血の流れだけを感じていたよ。なんでこれ見ててこんなにこれを見てる自分しか感じ
 られなくなるんだろ、とかでも全然思わなくて、気付いたらほんとは私はこれに魅入ってるだけなんだって、
 そういう孤独感がすごくあって。でもその孤独に還った自分ていうのが、実はすごくこの映像の中に出てくる
 人達のそれとは離れているっていうのを強く感じることこそが、このアニメと私の融合を圧倒的に阻んでく
 れているのを感じていたんだ。あー、このアニメは、ただただ、私にその姿を見せたがってるんだって。
 そしたらね、なんか、ふたりのNANAの気持ちっていうか実感ていうのが、モロわかっちゃってね。
 なんていうか、誰も居ない映画館で、スクリーンの中で独り泣いているヒトの姿を延々と見つめ続けて
 いるような。
 舞台の上で輝いているあの人達を見つめている自分は、一体今何処に居るんだろうって。
 その強い感覚は、ふたりのNANAがあの映像という巨大な舞台の上に実は自分達も立っているということ
 を、なによりも無意識のうちでも知らずには居られないって感覚なんだと思う。
 舞台を見つめている自分が立つステージを、それを誰かが見つめてくれることで初めて実感できるので
 は無く、それは自分が今こうして誰かの舞台を見つめていることそれ自体に感じてしまうものなんだ。
 音楽に燃えるナナやレイラはとても鮮やかにそのカッコ良さを私に魅せてくれるけれど、それ以上にその
 カッコ良さを意識することなど全く無いであろうそのナナやレイラの熱い魂そのものが、しっかりと私を捉えて
 放さない。
 そして奈々だけが、その魂が纏うカッコ良さを知っていて、それゆえに私と同じ方向を向くことができる。
 けれどそれ意識した瞬間に、今度はナナがその奈々の「カッコ良い」姿に魅入っていることに、私は気付い
 てしまうんです。
 あー、奈々って、すごいなー、って。
 いや、NANAって、すごいなー。
 
 ・ハチミツとクローバー2
 1と同じスタッフでありながらなんでこんな出来が悪くなるんだろって感じで、もうほんと上辺だけ派手派手
 にして勢いで乗り切っちゃえみたいな感じで正直げんなり来て、ていうか野宮×山田がアホらし過ぎて、
 なにあれ理屈だけそのまま字面のみで並べたって出るのはせいぜい雰囲気くらいなものじゃないそもそも
 1よりも無駄に挿入する音楽で雰囲気なんて破壊してるんだから梨の礫だろうにていうかそれ以前に
 雰囲気盛り上げるだけて一体どういうことだよいやむしろそれゆえに雰囲気が台無しになってるじゃん、
 みたいな感じでもうやる気無くなってきてほんともうどうしようってとこで見るのやめる寸前でした。
 でも、あれ、森田兄弟の父親とその親友の話あたりでうわーって、きて、復活。
 これだよこれ、ハチクロの一番いいところはコレだよコレ、この豊かなエネルギーだよ。
 なにかこう、体の奥底でメラメラと燃え出す熱いものを感じたよ。
 自分が此処に居て、そしてそれを感じるということがあり得ないくらいに、圧倒的に直面している世界に
 飛びかかって死闘を演じているみたいな、そういう凄まじい力がね、あったよ。
 それまでの野宮の、今まで自分が通ってきたせっまい社会の常識やらなにやらを、それを自分と一致させ
 ることができないくせに無理矢理一致させようとして、そして結局耐えきれなくなって吐きだしたそれを
 画面一杯に冷静にぶちまけて悦に入ろうとして、それもまた出来ずになんだか蒼冷めた顔して退場して
 く、それはまぁ滑稽ではあったけど面白くもなんとも無かった。
 でも、そのあとのあの森田兄弟の父と親友の話は、もうね、たまんない。
 ていうか、そこからようやくスタッフも我に返ったのかってくらいに、すっごい地に足がついてた感じがした。
 あー・・・なんでこの世界には、自分以外の誰かが居るんだろ・・・・
 それは愛しさと同時に無限の恐怖でもあって、そのどちらに支配されようとも、その感触からは決して逃れ
 られないし、またその感触のみが、私達と世界を繋いでくれる。
 でもほんとに重要なのは、その世界と繋がっていることでは無く、その世界と繋がっていることを実感して
 いる自分の存在そのものを感じるかどうか。
 でもその存在があるからこそ、私達は世界と繋がっていきたいと、無心になって考えていくことができる。
 それは矛盾はしてないんですよ。
 はぐが怪我してからラストまでの話で、はぐは絵を描くことができなくなったら私はこの命を神様にお返し
 します、とか言って、森田さん、は絵を描けなくなってもおまえはおまえだだから生きろって言う。
 でも、はぐは自分が自分として生きているという事を感じているがゆえに、その感じた正直な自分がなにを
 したいのか、それが一番大切なことだと思うんです。
 私は私だから生きてる、でも生きてるから私は絵を描きたいって、描けなければ死にたいって思うんだよ。
 けどね、それと同時に私はこう思った。
 そうだからこそ、はぐはそれでも生きたいって思わなくちゃいけないんじゃない、って。
 死にたいと思うからそれで否定した生を、それを守れるのははぐだけなのじゃない?
 絵を描くことにすべてを捧げるという、圧倒的主体として在るはぐが生きているということは、それはとても
 素晴らしいことだと思うし、またそれは森田さんの言ったことを内包した上でのはぐの決意だと思うんです
 よね。
 はぐは決して森田さんの生きろという言葉を否定しての死を選ぶ訳じゃなく、その言葉を基本にした死を
 選んだんです。
 けどね、それはね、それでもね、死、なんだよね、どんな形であれ選んだそれは。
 たとえ生きたいがゆえに死を選んだこととはいえ、それは死ぬという結果を取れば、生きたくないがゆえに
 死を選んだのと同じことなんです。
 どんな経路、或いは言葉を選ぼうとも、それが同じ結果に至るなら、それは同じ事。
 その道と言葉を越えて、その結果と向き合えるのは、その道を歩きその言葉を綴ろうとしている当人の
 み。
 だから、はぐには、絵を描けなければ死にたいという主体と、それでも生きていたいという主体の両方を
 備えた生を生きる意志こそが大切なことなんだと思う。
 或いは、こう言えるよね、生きていれば絵を描けないということは本当はあり得ない、と。
 右手が駄目なら左手で、それが駄目なら足で口で、体のすべてが動かなければ心の中で。
 そしてはぐは、一生をかけても傷を治すという道を選択した。
 それは、ある意味で利き腕以外で描く自分の絵を認めない、というはぐの強靱な意志の表れであり
 かつ自らの余生の否定でもある。
 けれど。
 それはつまりどんな理由であれ、はぐは生きる、という結果を選択したことになるんですね。
 ほんとは絵が描けなくなった時点で死ななければいけないのだけれど、でも残りの生のすべてをかけて
 また絵を描くための治療に励みたいというふうにはぐは言う。
 残りの生をすべてかけるってことはつまり、はぐは生きるってこと。
 絵なんか描けなくてもはぐははぐ、でもそのまっさらなはぐは絵を描く、その絵を描くはぐが「生きる」ことのみ
 にこそ、はぐにとっての意味があるんです。
 はぐにとっては、絵を描かないでそれでも生きていることと、そして、絵を描けないから「死ぬこと」に、
 ほんとうは価値は無いのです。
 まー、要するに、どれだけ自分がそれでも生きていることを正当化できるかってことだと思うよ。
 どの経路を選び、どの理屈や言葉を選ぶか、その選択をすることができること自体が、一番愛しいこと
 だと思う。
 選択肢が重要なのか、それともその選択の結果が大事なのか、それをわからない人は、ハチクロの世界
 の中には、ひとりも居ないんだよね。
 なんていうか、そのことにあっけに取られてるうちに終わっちゃった感じで、なんていうか凄いモノクロームな
 感じがしてます。なんだそれ。
 
 ・貧乏姉妹物語
 なんで、恥ずかしいって思うんだろね、こういう優しさを見てると。
 ほんとはそう思う事自体が恥ずかしいことなのに、ってまず思う。
 でも、そのことに囚われていると、その優しさを見失ってしまう。
 どうでもいいじゃない、他の人がどう見ようと、あんたが感じたように見ればいいじゃない。
 ぶっちゃけ、あの姉妹のラブラブっぷりにはこっちが恥ずかしくなるほどだったけど、でもその感じた恥ずかしさ
 に囚われているよりは、その目の前に広がる優しさを感じている自分の肌をもっともっと感じたいと、実は
 もう一見したときから私はわかっていたんだと思う。
 なんていうかな、心の底から貪欲になれるっていうかね、でもそれはほんとはもっと感じたいとかもっと知り
 たいというか、そういう渇望じゃなくてね、実は既にもう満たされている状態にガツガツと溺れていることに
 真摯な貪欲さなんです。
 感じ「たい」とか知り「たい」とか言う前に、私はもうこのアニメに広がる圧倒的な優しさを骨の髄まで感じ
 てるし知ってしまっていて、それはこちら望むと望まざるとに関わらず、無限に広がっていく状態の連続。
 それはあの姉妹と全く同じことで、あのふたりはただただお互いへの愛情の中で目一杯いつまでも深呼吸
 し続けているっていう感じなの。
 だって、互いの目の前に、あすが、お姉ちゃんが居るんですから。
 そして私の目の前に、ふたりが居るんですから。
 なんでこんなに優しい気持ちになれるんだろう、なんて疑問が湧くはずのない、圧倒的なその優しい気持
 ちに支配されることの、なんて素晴らしいことでしょうか。
 私は、その優しさをどうしようも無く知っているという巨大な安堵と、そしてその知っている優しさを実行でき
 る自分が在るということの絶対の自信、それがこのふたりを見ているうちにどうしようも無く胸の中に広がっ
 ていくんですよ、これ以上すごいことなんて無いですよ。
 なにが一番大切なことなのか、なんてことをほんとはいちいち考えなくても、私たちはちゃんとわかってるし、
 そしてその一番大切なことと私達は既にひとつの存在であるのです。
 だから、私は、なんか結局これ見てて、ただただ泣いてただけでした。
 ごめん、ほんと大好き。
 
 ・ウィッチブレイド
 途中から見始めた。梨穂子のほんとうの母親が現れて雅音が身を退くあたりから。
 まー、梨穂子萌え雅音萌えっていうかこの親子萌えって言ったらそれで済んでしまうことなんだけれども、
 これも貧乏姉妹物語みたく、萌えとか言ってる場合じゃなく、それ以前にこの親子のよそよそしさはどうよ
 ってことが最重要なんだ。
 ふたりとも懸命にお互いを思いやってるんだけど、それを素直に受け入れるか受け入れないか以前に、
 お互いが完全にお互いのことを知らなくて、だからもうどうしようも無いすれ違いっていうか距離があってさ、
 ふたりは一生懸命に抱きしめ合おうとするんだけれど、全然届かなくて。
 だからいつも見てて、梨穂子が雅音に抱きつくシーンを見ると、奇跡を見る想いがしたよ。
 あー・・・・・・(涙)
 こんな感じで、もう結局私は涙を流しちゃう。
 なんであれだけ触れ合うのが不可能な距離があるのに、あのふたりはいつも必ず抱きしめ合うことができ
 てるんだろうって、思う。
 出来るはずは無いのに出来てる、というかその「不可能率100%」という文字の下で確かに抱きしめ合う
 ふたりが居るのをいつも見てしまう。
 どんなに絶望したってもう生きられないと思っても人はそれでも生きている、というのと同じようにして、あの
 親子は恐ろしい朝を前にして、ぐっすりと眠るように抱きしめ合うことが出来てるんです、当たり前のように。
 人は言葉が通じなくても想いが通じなくても、抱きしめ合うことができる。
 というより、その抱きしめ合うということが本質なんだよね。
 言葉や想いが通じてなければ抱きしめ合ってはいけない、なんてことは絶対無いんです。
 「ママーっ」と叫んで一生懸命に雅音の元へ走り寄る梨穂子を見ると、私はもう駄目です、ああもう、
 こんちくしょう、がんばんなきゃな私もって、もうほんと、頑張れよ、私。
 
 ・僕等がいた
 今更だけど、これの連続感想を書いとけば良かったなぁと後悔中、なアニメになりました。
 ぶっちゃけ私の想像していたことの斜め5歩上くらいのことをしてくれやがりまして、まったくカンカンです。
 あーもう、なんでこんな面白いものになっちゃってるんだよ、くそ、みたいな。
 ていうか恋愛モノは絶対深みにハマるから手出しは控えようとしたこれが始まる前の私をしばき倒したい。
 馬鹿、そういうくくりをするからなんにもわかんなくなるんじゃないか、と1週間ほど説教したい。
 という感じでひとりでトサカにきてる状態で見れば見るほどに、じわーっと広がっていくものがこのアニメには
 あって。
 たぶんね、私は全然感動してないし、泣いても居ないし、登場人物の誰にも共感を覚えたりはしてない。
 別にあのふたりがどうなっていくのかとか、あんま興味無い。
 けどね、逆にいうと、そういうのができることと、あのふたりの間に広がっているものを感じることができるか
 どうかというのは、全く別のことなんだと思う。
 自分の恋愛観と照らし合わせてどうだとか、それってほとんど感情移入できるかできないかってレベルの
 話だし。
 あのね、あんた、目の前に居るあのふたりがなにをやってなにをしてなにを言ってどんな顔してるのか、それ
 がすべてなんじゃないの?
 つーか、私はあのふたりの感覚そのものにはあんましついてけ無いけど、でもそれ以上にあのふたりの感覚
 がどういうことかってのは実感できる。
 あの状況あの環境あの瞬間で私があのふたりと同じことは絶対しないしするはずは無いと思うけど、だから
 と言ってそういう感覚がどういうことかがわからないって訳じゃないってこと。
 七美はさ別に矢野の魅力を克明に語ったりはしないし、また七美視点で矢野が魅力的に描かれる事
 も無いけど、でもそれは七美の中の矢野への感情とはなんも関係無い訳。当たり前だけど。
 誰がどう見ようが七美は矢野が好きな訳で、そしてその事実だけが野放図にあそこでは淡々と描かれる
 んだよね。
 だからある意味で見てる方は拍子抜けしちゃう場面もあるよね、だって全然誇張しないし耽美化もしな
 いものね。
 でもだから、そこにもう恋の炎に燃やされて世界一杯に広がってるふたりが居るってことが伝わってくる。
 しち面倒にこんがらがった恋愛模様が展開するわけでも無し、あってもそれはほんと等身大な単純(簡
 単では決して無い)な程度な障害であって、あの画面の中ではただそれらに直面するふたりの姿だけが
 在る。
 なんていうか、もう言葉は不要な世界っつーか、言葉を必要としているふたりが居るだけっつーか、
 ものすごーく潔い、って言ったらヘンだけど、そういうものが描かれてる。
 これがマリみてとかだと、意地でも言葉にして描き出さなくちゃいけないんだけどね。
 その辺りは男女という確実で不確かな「差異」が前提としてあるからかな。
 同性だとやっぱり性差というものに基点を置けないから、ダイレクトにそのふたりが別個の存在であるという
 ことそのものから逃げるために、必死に言葉を使用しなくちゃならなくなるのかもね。
 男女の差異というのはそれと比べたら、ほんと扱い易いし、だからそれ自体を使役して、別個の存在で
 あるという事を意識しないでいられるのかもね。
 ・・・・・でも、そこで止まっちゃったら、それは恋愛としてはオママゴトみたいなものだけど。
 ほんとうに存在の差異を感じられない恋なんて、ありはしないのだから。
 ていうか、それがあるから恋は発生するんだし。
 「男」と「女」という明確な「差異」が互いに他者の存在を知覚させても、その知覚した他者の存在その
 ものが、ほんとうに恋している相手の顔を浮かび上がらせる。
 七美は矢野の「男」を、矢野は七美の「女」を愛してる訳じゃなく、それぞれ「男である矢野」と「女であ
 る七美」そのものを愛してるんだから。
 って、なんか話が横道に逸れた気がする。ていうか逸らした気がした。
 なんか、語ると今まで語らなかったことにむかついてくるから。あーもうカンカンさ。
 
 ・ひぐらしのなく頃に
 んー、なんていうかね、やっぱりどうしても全体的にちゃちな感じは否めないので、正面切ってすっぱり語
 るってことはできそうに無い、っていうのは残念ながら見始めてから今までにおいて一貫してる感慨かな。
 どうしてもこっちがぐっと集中して入り込むと、すぐに向こう側に抜けちゃうっていうか底が抜けちゃうっていうか
 。
 でも、少なくともビジュアルとしてのスプラッタに関してはなかなかアニメではお目にかかれないものがあった
 りするし、また登場人物達のほとんど笑ってしまうくらいに軽薄な狂いの動機とその狂いへの移行そのもの
 が、逆に不可解にして不透明な他者の恐怖として私の目には映って、なかなか面白い怖さを味わう事
 ができたね。
 だって、あんな程度でいきなりキレられて無惨に殺されちゃうなんて、滅茶苦茶怖いでしょ。
 レナにしろ圭ちゃんにしろ詩音さんにしろ、ある程度耐えはしてるから、さてその忍耐をどういった言葉で
 綴って維持してくのかな、っと思って背を見せた瞬間にばっさり後ろからやられちゃうんだからたまんない。
 ちょ、なにそれ早すぎ、てか殺すなよ! って感じでもう、なんていうのかな、怖い。
 確かにそれぞれのキャラはハードな境遇に陥ってるし、殺意を抱くこと自体は当たり前だけど、でもその
 殺意を認識してそれに震えて他の手段に懸命にすがりつこうとすることがまるっきり無くて、あっという間に
 相手を殺害しちゃう。
 如何にも殺す以外に道は無かったんだ、みたいなことをキャラ達は言うけど、嘘つけ、他の道なんか最
 初っから探してなんかいなかったじゃない、ていうか君らそもそも他の道があるなんて考えたことも無いでし
 ょ。
 どうみたって、すべてが殺害以外の道を塞ぐこと、或いは殺害することの正当化に向かってるし、結局
 殺したあとにもそれは全く顧みられることは無いんだよね。
 あんな奴ら殺されて当然なんだから、どうでもいいよ、みたいな。
 そのすべてが終わったあとに魅せる彼らの笑顔と涙が、本当はなにによってできているのか、それを彼らは
 絶対に知り得ないし、そしてまた、知る必要も無くあの世界はそれとして存在しているんですね。
 だからね、これはもうホラーとしては無上に怖い部類に入るんだよねぇ、もういつもぞくぞくして見てますよ、
 特にブチ切れた詩音さんの表情と言ったらまぁ狂気の女王様で御座いますよ。惚れたね。
 この作品はゲーム共々人気作みたいだけど、これのどういったところに多くの人たちが魅力を感じている
 のか、それこそがもしかしたら最上のホラーかもしれないとか思って、その、毎週楽しみに見てます。
 こえー、ひぐらしめっちゃこえー。
 怖いと思える人、頑張らなくちゃ、駄目だよ。色々とね。
 
 ・ARIA 第二期
 もうね、一気に力が抜けるね、もうぬはーっとほへーっとふへーっとね。他のものも体から出てきそうだ。
 なにこのアニメ、こんなものが今のご時世に存在できるってこと自体がひとつの奇跡みたいな、或いは
 それは今のご時世に帰るためのただの癒しモノじゃなくて、これ自体がもうひとつの今の私たちが求めてい
 る本質そのものじゃないか、みたいなね、はい、既に興奮しすぎてなに言ってるかわかりません自分でも。
 ていうか、この感覚はすごいよね、もうなんかもうひとつの命が体の中に芽生えて余計なものを体から
 おっぽりだしたみたいな、もうほんとまっさらにいちからちゃんと考えなくちゃいけないな、なんて初心にかえる
 どころか初心誕生みたいなね、もうね、大興奮でね、もう、いい、アリアいい、アリア超いい。超だよ超!
 あ、はい、失礼しました取り乱しました、落ち着きます落ち着きました、はい、嘘ですけどね、落ち着く
 わけなんてないでしょ馬鹿、この興奮で一杯な私がいることこそなによりARIAの凄さを証してるんです!
 だってあなた、なんであんなゆっくりしてるのさ、なんであんなにそれでもしっかりしてるのさ、嘘でも架空で
 も夢でも無く、あそこにはしっかりと生きている人たちがいるのを私は感じずには居られないのです。
 あー・・なんか今此処に嘘みたいに夢みたいに架空っぽい、全然しっかりアリアのお話ができない私が
 いるよ。
 あーもう、なんかアリアのことはどう語ったらいいのかわからないよ、なんていうの、すべてのアニメの対極
 に位置するような作品なんだよね、これ、ていうかむしろ私たちが考えることの必ず対極に位置するとこ
 ろに顕れ続けるアニメっていうか、もうこれは絶対的な他者だな他者、ほんとなに言ってんのこいつ。
 うん、ひとつひとつのエピソードとか台詞とか、そういうのをみっちり見つめて、そしていつもびっくりするほど
 信じられないような領解を得られてさ、それはいつもごにょごにょとした言葉としてぼんやりと頭に収納され
 ていくものなのに、けどそれはすぐにすーっと消えてしまい、いつのまにかそれがどういうことなのかをまるまる
 体でわかっちゃってるんですよね。
 言葉の中身だけがすっと私とひとつになって、言葉そのものはもう全然いらなくて、だからあんまし各回の
 エピソードとか台詞とか次週には忘れてるんだけど、それで全然問題無いって感じなんだよ。
 たぶん言葉だけを抜き出して理解しようとしたら、アリアは大したものを私にはくれなかったと思う。
 だって灯里にしろアリシアさんにしろ、別に難しいことはなにひとつ言ってないもん。
 あの世界ぜーんぶ丸かじりして、お腹一杯になるまで空気を吸って、そしてふっとあの人たちの言葉が
 耳に入ってきたとき、すべてはわかる。
 あー・・これだ・・・・私が思ってたのはこういうことだったんだ・・・
 って、私はなぜかいろんなことをすんなりとわかっちゃってるんです、しかも自分が想像してたのとはまるで
 違った風に。
 でも不思議とそれを受け入れられる、っていうか受け入れるもなにも既に私とその答えはひとつになってる
 ですよねー不思議だー奇跡だー恥ずかしい台詞禁止ー。
 ていうか、ほんとなに書いてんだ私、全然わかんないよこれ、あーあーあー。
 なんか久しぶりに紅い瞳の特技、思い入れが深いとまともに感想書けなくなるスキル発動中。 
 まぁ、つまりあれです、毎週アリア見るときはがっちり正座して、全身全霊をかけて見てます。
 見て、そしてすっかり教化されてます。
 ていうか、見るたんびに改宗してる感じなんだけど、だって全然ちがうもの、一週間前の自分と今の自分
 は。
 あーもう、駄目です、無理です、アリアなんて語れるかボケー!
 ごめん、今度こそ語るから、いつの日にか。
 
 
 
 あとブリーチとかスクラン2学期とかサムライ7とか見てるけど、割と後ろ向きなことしか書けないので、
 これくらいで勘弁しておきます。勘弁してください。
 って、随分書いちゃいましたね、気付いたら体重3キロくらい減ってそうな勢いでなにかが体から抜けて
 きましたよ、あーあ、なにこれなにこの垂れ流し状態。
 もう少しマシな風に書けたらば良かったのですけれど、まぁ仕方ないですか、紅い瞳のやることですし。
 ていうか、なにこの後悔めいた脱力感は。
 てか、いつもこういうプチ感想書くと感じるよね、なんで?
 誰か教えてください。いややっぱいいです。
 
 疲れた。 (机に突っ伏して)
 
 
 
 

 

-- 060912--                    

 

         

                             ■■ メイシン主義者の憂鬱 ■■

     
 
 
 
 
 『この世に幾千あるか知れない迷信の報いを、ただの一つも受けずに生きていくことなどできはしない。
  けれど、だからと言って横紙破りに突き進んだら、命なんていくつあっても足りないわよ。』
 
                             〜XXXHOLiC・ 第二十一話・侑子の言葉より〜
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 迷信、ですか。
 
 そうですね、そりゃそういうのは科学的根拠が無いゆえに「迷信」というのであって、だから科学的根拠が
 あるものなら、それは迷信とは言わないんですよね。
 だから俺達はそういうのを一緒くたにして全部否定したり肯定するんじゃなく、ひとつずつ検証していくべ
 べきなんじゃないかって思いますよ。
 ええ、だってそういうのは言ってみれば情報なんですから、そういうものの取捨選択はしっかりしなければ
 それの価値は無くなってしまうんです。
 だから別にいわゆる迷信俗信言い伝えの類をすべて否定するつもりは無いんです。
 情報として確かに正しいと言えるものをしっかりと受け止めていければ、それはその言い伝えを残した
 人もまた受け取る後の世代の人にも有意義なものになるんじゃないかな。
 ああ、そういう意味でいわゆる迷信は信じてませんし、いわゆる迷信家でも無いですよ、俺は。
 それはちょっとそういうことが気になるときはありますよ、たとえば茶柱が立ってたりとか、目の前を黒猫が
 横切ったりとかしたときとかは、図らずも良い気分になったり悪い気分になったりはしますから。
 でもだからと言って、それらの出来事を行動指針にしたりはしませんね。
 気の迷い、と言ったらちょっと言い過ぎかもしれませんけれど、一応科学的根拠として茶柱が立ったから
 と言って良いことがあることは実証されてませんし、また黒猫が目の前を横切ったら悪いことが起きる
 確率が高いのも証明はされてないんだから、やっぱりそこは信じなければそれまでなんですよ。
 まー、ぶっちゃけそんなこといちいち構ってらんないっていうのがあるんでしょうけどね。
 茶柱が立とうが黒猫が横切ろうが、俺はしっかり生きてか無くちゃいけない訳で、だったらそんなもんに
 振り回されてる暇は無いっていうかね。
 要は俺がどう考えるかってことで、どう生きてくのかも俺次第っていうか。
 逆にいうとだから、俺はなにも恐れずに頑張って生きてけるんです。
 だから、『俺、あんまりそういうのって。』
 
 
 ええ、そうですよ。
 俺は両親居ませんし、アヤカシとか見ちゃう災難な体質だし、侑子さんは横暴だし、百目鬼はむかつく
 し、だからしっかり頑張りやってかないと駄目なんです。
 やー、そりゃいつも挫けそうにはなりますよ、なんで俺ばっかこんな目にってね。
 でもそんなこと思ってもほんとにどうにもならないってことは、誰よりもこれまでそれでも生きてきた俺が一番
 わかってることで。
 だからどんなに周りが辛い状況でも、俺は生きてるってことには変わりなく、そして生きている以上は
 なんとかその状況の中でもちゃんと生きられるように努力しなくちゃいけないって思うんですよ。
 そのためには、やっぱりいろいろときちんとしなくちゃいけないものは沢山あると思うんです。
 ちゃんと勉強して、体も鍛えて、ひとりの人間としてしっかり強く生きないと、とか。
 そういうのをしないのは良くないと思うし、またそういうことができない状況にはやっぱり立ち向かわないと
 いけないと思うんですよ。
 侑子さんの理不尽もいつか正さなくちゃいけないと思ってますし、百目鬼の奴にもきっちりと対峙しようと
 いつも心がけてますから。
 やっぱり、そうしなくちゃいけないってことをわかっている以上、そうするべきだと俺は考えてます。
 けじめを付けるっていうか、筋道を通すっていうか、まぁそんな感じかな。
 
 
 ああ、迷信ね。迷信。
 だからさっきも言った通り、俺は迷信なんて信じてませんし、信じる気もありませんよ。
 そんな理屈の通らないものなんか、まぁ信じてる人には悪いですけど、俺にはどうでもいいです。
 勿論これもさっき言いましたけど、理屈が通る迷信、っていうか理屈通ってたら迷信って言わないですけど
 、そういうものならひとつの情報として受け取りはしますけど、そういうただ頭から丸飲みにして、自分の
 行動を左右されるっていうのは、なんだか自分を捨ててるみたいな感じがして、だから或いはちょっと
 不愉快な感じもするかな。
 あ、他の人がそういうの信じてるのは別にいいんですけどね、人は人ですし。
 でも俺自身のこととしてだったら、やっぱり迷信なんて破ってこその人間だって思います。
 自分が今いる此処で、なにを思い、なにをするか。
 それが、すべてなんじゃないですか。
 その俺の周りに、世界は在るだけなんです。
 
 
 
 
 
 

 

 『根拠の無いでたらめが、なぜこんなにも長い間人の世で、語り継がれ受け継がれてきてると思う?』

 

 
 
 
 
 あら、随分と逞しいことを言うのね。
 でもそれは、間違い。
 あなたもわかっているはずよ。
 迷信がただのでたらめな訳が無い。
 字面通り見れば、確かに根拠の無いように見えるものであるのは否めない。
 けれどそれは、悪意を持った迷信の無効化。
 なんでわざわざ、字面通りでしか受け取ろうとしないのかしら。
 夜爪を切ると親の死に目に会えないという迷信があるけれど、なぜそれを親が自分より先に死んでしま
 うという前提で解釈するのかしらね。
 自分の方が先に死んでしまうから親の死に目には会えない、という意味なのかもしれないのに。
 言葉の受け取り方ひとつ取ってもそうなのよ。
 意味が無いのでは無く、意味を見ようとしていないあなたがそこに居るだけ。
 その迷信に晒されているあなた自身が在ることが既にその迷信を実在させているということを、意図的に
 隠蔽しているのね。
 科学的根拠が無い?
 それがどうしたの。
 それはごく一部の見方で物事を見て、それを判断した結果でしか無いということだけよね。
 迷信と言われるそれが意味していることを、ただ隠して見えなくすることにしか意味を為さないその科学
 的根拠とやらは、一体あなたになにを与えてくれるのかしら。
 安心? それとも、不安?
 あなたはその答えを、よく、知っているわよね。
 
 『こういうのって、昔から信じてなかったの?』
 
 
 
 
 ・・・・・・
 
 いいえ、俺は昔はもの凄く信じてました。
 それはもう、大げさなくらいに、でも真剣に。
 それが本当かどうかを疑う事なんてあり得なくて、ただただ頭から信じてました。
 でも、両親が居なくなって。
 たぶん、それから俺は信じなくなったと思います。
 なんでって、それはやっぱり一生懸命迷信を信じ、絶対にそれを犯さないようにしてきたのに、それなのに
 両親が居なくなっちゃったからなんじゃないですか。
 『両親は居なくなった・・・・・・・・・・居なくなったんだ・・・・・』
 あのとき俺はなにもかもわからなくなったんです。
 どうしたらいいのかさえも。
 でも、侑子さんに言われて、俺。
 そうじゃないんじゃないかって、思って。
 俺、もしかして・・・・・・それまで俺を守ってくれていた両親が居なくなって、それで世界と直接向き合わ
 なくちゃいけなくなったのが怖くて・・・だから迷信なんてそんな本当に恐ろしいものと向き合えなくなっちゃ
 ったんじゃ・・・・・・
 俺は・・・・きっと・・・・・・迷信が意味する世界そのものが、怖くて・・・・
 だから俺・・・・・・・俺は・・・・・・
 
 
 
 
 
 
 ・・・・・・◆
 
 『時折、人ならぬものに出会う人がいる。そしてその存在を、意志を、姿を、ときには怖さを人
  に伝えようとする人がいる。
  けれど、人では無いなにかを信じる者は少ないから、そっと、まるで暗号のようになにかに忍
  ばせるの。
  昔話だったり言い習わしだったりにね。』
 
 
 
 迷信や言い伝えはね、語り継ぐに足りる意味があるから、こうして長い間受け継がれているの。
 それを受け取らないということが、実は意識的にそれを受け取れないという自分の未熟さを露呈して
 しまっていることに、一体どれだけの人が気付いているのかしらね。
 自分が現在見ているものしか信じられないなんて、それこそ迷妄ね。
 自分で作り上げた自分でしか世界と向き合えないなんて、それこそ愚かね。
 自分以外の存在がこの世界には圧倒的に満ちていることを知らないで居られることなど無いのに、
 人はその弱さゆえに知らないこととして誤魔化そうとする。
 その誤魔化しがどれだけうまくできるかでしか人の価値を測れないのは、惨めな限り。
 そして、その誤魔化しを続けていく限り、その人は一生自分以外の存在と真に向き合うことはできない
 のよ。
 迷信や言い伝えをただ否定するのを続けるだけならば、それはやっぱりこの世界が自分の中にしか無い
 もので在り続けることを許してしまうことになるのよ。
 自らの内に閉じこもって、自分に理解可能なものしか映さない瞳で見た世界は、心ときめくほどに穏やか
 で、そしてそれでいて、目眩がするほどにぞっとするほどの恐怖を内包してもいる。
 ほんの薄布で覆われたその恐怖を布越しに感じている気分は如何かしら?
 
 迷信をそれが信じるに足るかどうかを判別してから受け取るか受け取らないかを決めるのならば、
 それは既にその迷信を見ていないに等しい。
 いいこと?
 迷信という存在そのものが、既に自分以外の何者かが存在していることをなによりも強く意味している
 のよ。
 だから、その迷信の存在を疑うということそのものが、必然的にその自分の外に広がるものたちの存在を
 否定しているということを導き出してしまう。
 逆にいえば、迷信に晒されて生きている限り、それもまた必然的に自分の外の世界と向き合い続けて
 いかざるを得ないということを自覚できる。
 それでも迷信を排除すると言うのならば、それは自分以外の圧倒的な存在を恐れ、すべてを自分の
 内に収めようとしているという、あなた自身の悪意を嫌でも見せてくれるわよね。
 そんなに、世界が怖いのかしら?
 ええ、怖いわね。
 とっても、とっても。
 でも、あなたは知っている。
 その怖いものを見ないでいることの方が、もっともっと怖いということを。
 自分の見ていないところでも、それはずっとずっと生き続けているのを知らずにはいられないのだから。
 
 
 どうにもならない事は、あるわ。
 でも、だから?
 そうであるから、無理矢理生きていくの?
 そうじゃない。
 どうにもならない事は、どうにもならない事として、しっかり受け止める。
 どうにもならない事など無いと言うことは、それから逃げていることに他ならない。
 どうにもならない事はどうにもならない。
 けど、人はそれでも生きている。
 生きている以上、死ぬことは無い。
 そして死んでしまえば、生きることは出来ない。
 生きていればね、ワタヌキ。
 良いことは、あるのよ。
 例えば、茶柱が立ったり、だとかね。
 それが、どうしようも無い迷信の意味するものよ。
 
 
 
 自分の外には圧倒的に異質で無限に恐ろしい世界が広がっている。
 ほんとうにどうにもならないことも沢山あるし、必然的運命的にそうならざるを得ないことも多くある。
 でも、それが当たり前なこと。
 私の目の前にあなたが居ることも、あなたの目の前に私が居ることも、すべて私たちが決めることの出来
 ない巨大な力によって定められたこと。
 人はそれを運命や縁などと呼ぶの。
 だから、運命や縁など存在しない、と言うことほどあからさまな嘘は無いわ。
 だって、現に私やあなたは此処にこうして既に存在しているのだから。
 運命や縁などが先に在るのでは無く、私達の存在が先にあるゆえに運命や縁は存在しているのね。
 でも、だからといってその運命や縁をただの後付の私たちの存在説明としてしか見れないのならば、
 それもまた迷信と同じくそれらを見ていないに等しきこと。
 運命や縁が私達の存在に先んじて存在していると、そう信じることができてこそ、その「運命」や「縁」と
 いう絶対的な「存在」が私たちの目の前に顕れてきてくれる。
 その圧倒的に異質で無限に恐ろしい存在に照らされて、私達は今此処に居る。
 ただただ、在るがまま。
 けれど、在るがままゆえに、人はそれでも多くのことを為していくことができる。
 生きているがゆえに、人はどうにもならない事と向き合い、それでもどうにかできないかと考えてやってい
 く事ができる。
 どうせ自分達は運命によってすべて決められているのだから、なにをやっても無駄?
 そんな馬鹿なことは言うものじゃないわ。
 運命に支配されているからこそ、その運命と向き合える自分を感じることができるのじゃないの。
 その感じた自分がなにが出来るのかを考えもせずに虚しさを感じていたければ、そうしていればいいわ。
 ただ運命を打ち倒して、なにもかも無くして自分だけになりたいのなら、そうすればいいわ。
 
 
 
 
 ・・・・・・
 
 俺は、自分でも結構前向きな奴だって思ってます。
 アヤカシなんて全然見たくないのに、それでも見ないでは居られないなんて不幸な運命背負ってます
 けどね、でも俺はだからこそ頑張らなくちゃって思える方なんですよ。
 あー、たんにやけっぱちなだけかもしんないですけどね、あはは。
 そう考えると、やっぱり色々辛いこと感じたりもしますし、ほんとどうしようも無いなぁって実感ありありなとき
 もありますよ。
 あーもう、なんて世界は残酷なんだ、とか妙に芝居がかったりしてね。
 でも俺、そこでいつも、笑っちゃうんです。
 なんていうのかな、苦しいことと、それでも頑張ろうとしてることの、両方が可笑しくて。
 で、その笑える自分の滑稽な姿を見て憂鬱になってる自分の姿が、一番可笑しくてね。
 俺、昔は迷信を目一杯信じてました。
 でも両親が居なくなったころから信じなくなりました。
 けど、信じる信じないに関係無く、俺の目の前にはこうして確かに迷信は存在してるんです。
 まー、ぶっちゃけ侑子さんがあんなわざとらしく話振ってこなきゃ、あそこまでまざまざと感じはしませんでした
 けどね、あれ侑子さん絶対俺のこと見抜いてやってるよ、まったく。
 その耐えられないほどに目一杯迫ってくる迷信の存在感に対して、俺はげっそりきました。
 きましたけど、でもなんか・・・・
 ・・・ちょっと・・嬉しかった・・・
 
 それはもの凄く重苦しい嬉しさであって、変な表現使えば、潰されそうなほどの宝の山を背負ってるみた
 いな感じで、その宝を最後まで運んで降ろさなければそれは得られないものなのに、それはどうしようも
 無いくらいに重くて一歩も進めないくらいで、せっかく宝を背負ってるのにこのままじゃ潰れちゃうって思っ
 てて、それなのにやっぱりどうしてもその宝を背負ってるって事自体が嬉しくてしょうがないんです、きっと。
 あはは、無茶苦茶ですけどね、でもなんかそんな感じしましたよ、実際。
 
 
 
 
 ・・・・・・◆◆
 
 
 あら、ちゃんとわかってるじゃないの。
 あなたがどう付き合うかで、それらはあなたに様々なものを与えそして奪っていく可能性を示してくれる。
 そのやりとりを恐れれば、そのやりとりは行えない。
 そのやりとりができないのならば、それは自分だけの世界に閉じこもってしまうのと同じ。
 見上げなさい、この無限に広がる星空を。
 あの星々は、それと同じだけ無限の可能性をあなたに魅せてくれるわ。
 あなたが手を伸ばせば、必ずあの幾千もの星々は応えてくれるわ。
 あなたが、しっかりとその星達を見つめれば、の話だけどね。
 どうやったらこの手はあの星達のもとに届くのか、どうしたら星達と話をすることができるのかと、人にはでき
 ること考えられることは沢山あるわ。
 迷信の、その意味するところをこちらから探らねば、決して迷信の存在はその姿をあなたに見せてはくれ
 ないでしょう。
 その迷信を残した人が見たものを真に見るために必要なことを、人はまだまだ学ばなければならない。
 そして人が生きていく上で、迷信は実に多くのことを私達に教えてくれるわ。
 そして、それ以上に。
 
 
 迷信は、それに惑わされてあたふたと懸命に生きている私達の存在の中に、私達を生きさせてくれるわ。
 
 
 
 
 大丈夫。
 
 あなたは、私達の目の前に、確かに居るわ。
 
 
 
 
 『迷信の報いを断つおまじない、しとく?』
 
 
 
 
 
 あなたが、それでも私達とともに生きるために。
 
 
 
 
 
 
 +
 +
 
 
 
 『ワタヌキ、そういうの信じる気になった?』
 
 
 
 『楽しい迷信なら、信じてもいいか。』
 
 
 
 俺の目の前に広がる世界の中に、どうしようも無く沢山の人たちが居るのを感じながら。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 『ワタヌキ、これも面白いぞ。』
 
 
 あーもう、はいはい、わかったよ、付き合えばいいんだろ付き合えば!
 
 
 
 
 
                             ◆ 『』内文章、アニメ「XXXHOLiC」より引用 ◆
 
 
 

 

-- 060907--                    

 

         

                          ■■ 夢 --主体的中心として ■■

     
 
 
 
 
 久しぶりの更新となってしまいました。
 三日ほど前から更新しようとパソを前にしてはいたのですけれど、なかなか機運に恵まれず、私として
 は珍しく真剣にサイト運営という行為そのものと向き合ってしまいました。
 それを三日間続けて、ようやく本日に至ります。
 サイトを始めてから、おそらく一番苦労した三日間になりました。
 色々と考えたりした訳でも無く、ただ自分を見つめているだけのことでしたけれど、その見つめている者と
 の対峙そのものが、やがて真に私に新しいものを見せつけてくれたゆえの苦労でした。
 私は、一体サイトでなにをやろうとして、またなにをやってきたのか。
 そして、なにをやってこなかったのか。
 とあるサイト様の文章を読んで、まざまざと、そして実感たっぷりにその問いと対峙することになりました。
 
 私は、長らくサイト上でアニメの感想を書いてきました。
 よく言われましたけれども、その感想は一見するとSS(ショートストーリー)に見えるものだそうです。
 けれど、そう言われるたびに私はこれらはSSでは無くて、あくまで感想なのだと言ってきました。
 別に名称にこだわりがあるということでは無く、明らかに私の中ではSSと感想は区別が付けられている
 ものだからです。
 私の文章は、私がアニメを見て考えたこと思ったことを、如何に「正確」に表現するかということを根底に
 置いて書かれています。
 ですから、それが私の考えたこと思ったことを表すに最適な手段であると判断すれば、評論形式で書く
 こともありますし、勿論物語形式で書く場合もあります。
 私の書くものはすべて私の見たこと考えたことを表現することを目的としたものであり、物語自体を構成
 することを目的としたSSでは無いのです。
 私の書いている物語形式の文章は、ひとつひとつの文を連ねて1個の小説として成すことを全く無視し
 ています。
 一行一行の文が、それぞれ私が見た「アニメの感想」の「説明」になっていて、それらがただまとめて積
 み上げられているだけなのです。
 ですから、SSとしての整合性も、また瞬間瞬間のはっとするようなぬくもりもありませんから、いわゆる名
 文を目指したものにも成り得ませんし、また無論二次SSに於いて重要な「萌え」などもありません。
 書き手としての私は、その感想の中での登場人物の在り方について云々されるよりも(勿論それはそれ
 で気恥ずかしいながらもなんとなく嬉しいのですけれど)、その登場人物の在り方で示したかった私の考
 えや思いについて云々される方が本望なのです。
 もし私がそういったキャラクタの造形や文章の(萌えも含む)美しさにこだわり、またそれを評価して貰い
 たいと思いそのゆえに文章を書いたのであるのならば、私はそれをSSとして捉えるのです。
 誤解の無いように言っておきますけれど、別にSSがそういったキャラや萌えを根底にしただけのものと
 言っている訳でもありませんし、またSS或いは小説が自らの考えや思いを表現するためのものでは無い
 とは間違っても言いません。
 私の書いているものの多くは、限りなくSSに近いのです。
 けれど、やはり今私が書いているものはSSでは無いですし、またSSには成れない代物なのです。
 
 そして、その私のアニメの「感想」はなんのために書かれているのか、実のところ私の中で意識されたこと
 は、少なくとも言語レベルに於いてはありません。
 簡単な説明を付すことはこれまでもしたことはありますけれど、しっかりと私の本分として背に負うものに
 見合った説明はしてきませんでした。
 私は、一体なぜアニメの感想を書いているのか。
 以前に、私が見たアニメの見方を他の人にも知って貰いたい、或いはそのアニメの楽しみ方を増やして
 他の人にもそのアニメの幅を広げて貰いたいゆえに、その一種の啓蒙活動として書いていると言ったこと
 があります。
 アニメというととかく偏見を以て見られ、未だに子供や未成熟な大人が見るものとして軽く見られていて、
 またアニメを好んで見ている人達も、結局はその偏見の支配下からは逃れられない、悪くいえばその
 偏見の正当性を高めるに相応しい一元的な見方しかせずに、またその見方を共有できるかできないか
 の二元論でしかアニメを語らないことも多かったりします。
 アニメを愛していると言っても、実はその世間からの偏見に開き直る形でしかその想いを認めることがで
 きないという、いわゆるオタクの専有物としてアニメは多く捉えられています。
 どうしてもアニメというものの固有性を認められず、アニメそのものを愛することを認められないという文脈
 が支配的であることからの脱却を、ゆえにおそらく私は求めていたのです。
 どうしてアニメに純粋な可能性を見い出さないのか、そしてなぜアニメの存在を素直に認められないの
 か。
 私はアニメに偏見を以て当たるいわゆる世間一般に対してよりも、その世間一般の圧力に晒されている
 自身の存在を以てしか実存できないオタクに対して、その問いを投げかけていたつもりでした。
 世間の中にある一個人として在る前に、一個人の集積として世間が在るということを知って貰いたい。
 アニメの価値が世間的に低いのは、アニメを評価している者達がその評価を受け入れている部分があ
 り、またその受け入れたものを出発点としているからこそ、いつまでもそれらを受け入れなければいけない
 と思ってしまうからなのです。
 
 私が今まで書いてきた感想の中のほとんどに於いて、自己と対峙するなにかを描いてきました。
 自分の目の前にある世界でも他人でも、それをどう受け入れていき、またその受け入れたものと如何に
 して生きていくのかというのを、切々と積み上げて書いてきました。
 自分の周りには他に人が居るのだから、その人たちを見ずには生きられない、だからその人達としっかりと
 繋がるために生きていきたい、そうして生きていく自分がなによりも愛しいから、と。
 その主体的生の創造と自覚の発現を目指して、私はアニメを使用して文章を書いてきたのです。
 しかしそれは、裏返せばそうして愛した自分しかこの世界には存在することができないということにもなる
 のです。
 世界を愛せず世間に愛されず、他人と繋がることが出来無いのなら、生きてはいけない。
 冬目景の「羊のうた」を読んで以来、私はその強烈な自己批判に突き動かされ、その圧倒的な倫理観
 に支配されてこれまでの感想の根幹に在るものを練り続けてきたのです。
 自分は羊の群に潜む狼では無く牙を持って生まれた羊なのだと言うことを本質として、或いはそう言い
 続ける主体によって実存するものであるとしていたのです。
 その鮮烈な存在と主体の一致はあまりにも見事で美しく、また美しいだけで無くこの上も無く私が目
 指すべき理想のひとつとしてそれは私に捉えられていたのです。
 けれど、様々なアニメの感想を綴っていくうちに、その牙を生やした羊は、実は自分は牙を生やした羊
 なのだと言っている、羊の群に潜む狼であることからは決して逃れられないということを実感するに至った
 のです。
 そして、それは本当にその狼としての自らから逃げなければいけないことなのだろうかと、思うようになった
 のです。
 というよりもはや、「逃げ」なければならないという意識は、紛れも無く「羊」こそが正しく、「狼」こそが悪
 いという図式を前提としているということをはっきりと自覚させてくれたのです。
 その狼が自らを悪と見なし、そしてその悪と死ぬまで戦う自分をこそ愛するのは、本当に自分が決めた
 ことなのか。
 もし自分が決めたというのなら、それはその理由と根拠はなにか。
 その狼が羊になりたいのは、目の前の羊しか知らないからでは無いのか。
 狼という自分の体を知らない狼は、当然その「狼」を認めることはできずに、ただただ「羊」だけを認め、
 またそれだけを目指して生きることにしか実感を得られないのです。
 そして、その事を自覚したところで、狼は自らの狼の体と目の前の羊の美しい姿を並べて見ることができ
 るのです。
 
 昔、国語のテストの正答に不満があり自分の答えが正しいことを説明できれば点をくれた先生がいまし
 た。
 私は小さい頃から自分のレベルよりも上の文章を読むことに親しんでいましたので、読解力にはそれ
 相応の自信はありましたから、まともに解いてもそこそこの点数を取ることはできていました。
 けれど私は、間違えた問題はもとより、正解した問題の自分の答えにも自らケチをつけ、わざわざ先生
 のところに持っていき問答をし、点数を上げたり下げたりしていました。
 小さい頃からわからない文章に出会うのが普通で、そういう箇所はすべて前後の文脈なりを読み解いて
 総合的な想像力で補完するということには慣れていたので、いわゆる正答以外の答えを導き出すことは
 得意でしたし、またそうして新たな答えを当てはめて読んでいくことが、本を読むということの楽しさだと
 言うのをこのとき心の底に染み渡るほどに学んだのでした。
 そしていわゆる読解力というのが、たんに誰もが納得できるような単一の答えを導き出す力では無く、
 多くの答えを導きさらにそれを以て改めて読み解く力だということも学んだのでした。
 勿論、最初の頃はそんな面倒なことをしている人は周りにはあまり居ませんでしたけれども、先生は根気
 良く私に付き合ってくださり、今では良い思い出になっています。
 そうして自分にとっての読解力というものの重みが、確かに自分とひとつとなって、そして間違い無くそこ
 から私が始まっているのを感じています。
 あのとき先生が認めてくれたゆえにこの私の姿があり、またその私の姿を認めた私があるゆえにまたこの
 私の姿があります。
 そして、誰は居なくとも、私が認めさえすればこの私の姿はあるのだということを知りました。
 不思議なことに、文化によって違いはあれど、人間には「世間」という意識があります。
 そしてそれと自分自身を対比して、そして自らの存在に気付いていきます。
 しかし、その気付いた存在を肯定するも否定するも、実はその肯定され否定される存在自体が為す
 ことだということに気付くには、なかなか時間がかかります。
 自分が一体どこにあるのかという問いを発しているものそのものが自分である、と感じている主体そのも
 のが自分。
 人はときに自らを美しいか醜いかと問うたりするものですけれど、その問いやその答えに当てはまるものは
 決して自分では無く、その問いを発しその答えを聞いているものが自分なのです。
 
 私はオタク的な在り方を否定するつもりはありません。
 むしろそれは必要な在り方であると今では思っています。
 「世間」を認識し、それに受け入れられようとするも決してそのままでは受け入れられないという事自体
 を意識することに実存するということは、ある意味で非常に主体的な在り方であると思うからです。
 また別の意味でもオタクというものに意義を感じています。
 「萌え」というのは非常にアニメを見る者を主体的にさせ、またその想いのままに行動する固有性を獲得
 させる可能性を与えるからです。
 私は真に萌えを感じたアニメなりキャラなりに没頭する人を認めますし、またその境地から見たアニメと
 言うものの感想は是非聞きたいと思っています。
 それはおそらく、そのアニメなりキャラなりに対する切々とした愛に満ちた感想なのでしょうから。
 その愛を語る、或いは語ることのできる一個の人間の言葉として、私はその感想を聞きたいですし、
 私もまた感じた「萌え」を元にアニメと出会えることを楽しく思っていて、またその思いによって動かされた
 私が書いた文章こそ、やはり一番感想としては上等なものだと思っています。
 けれど、それと同時に私はそう言った意味でのオタクでは無いという自覚ある主体によって、それらは私
 に受け入れられていくものであって、決してそれら自身が私という主体にはならないということでもありま
 す。
 なぜなら私にとっての自身と対比させるべき「世間」がオタクなのですから、それはあくまで私とは離れて
 いるものなのです。
 私はアニメというものをもっともっと多元的重層的に見ていくうちのひとつの見方として、そのオタク的な見
 方や価値観を捉えていくのであって、そのオタク的なものひとつに留まることは無いのです。
 それと同時に、私が執る感想は常に主体として感じ得るものによって書かれたものただひとつであり、
 如何に多くの可能性を見たアニメに得たとしても、書かれる感想は必ずひとつ。
 選択肢を無限に増やすことは可能でも、選択できるのはいつもひとつだけ。
 私には私という実存の範囲内に於いてしか生きることはできず、また私が生きているということそれ自体が
 実存しているということなのです。
 
 私がアニメの感想を書いている理由と根拠は、ゆえにただひとつ。
 私が生きて此処に在るから。
 そのことを自身が認めるために書き続けていた訳でも、それを周囲に認めさせるために書いていた訳でも
 無いのです。
 それらはすべてその私の実存に従属するものでしか無いのです。
 そしてまた、私がこうして生きているからこそ、それに従属しているものを敢えて理由として掲げていくこと
 ができるのです。
 私は、皆さんにもっともっとアニメを面白く観て欲しいと思うがゆえにアニメの感想を書き続けることがで
 きる、という可能性を持って生きている存在。
 私はその可能性を夢見ながら、私という存在に絶対的に支配されている私を見つめている。
 その状態にある自分を見つめることで、私はようやく次のことを理解したのです。
 私はまだ、真に主体的に生きてはいない、と。
 自分がなにを真に望み、なにを拒んでいるのかをほとんど実感して生きていないのです。
 私は私が見ているものを描いてばかりで、そのなにかを見ている私を描くことはできていなかったのです。
 私が今までアニメの感想で書いてきたことは、それはやはり私が考えたこと思ったことという「私が見ている
 もの」でしか無く、絶対的に「私」という主人公が登場する文章には成り得なかったのです。
 そういった意味に於いては、SSを改めて書くという選択肢も充分に考えられる境地に今達しています。
 自らが世界の中に取り込まれたとき一体どうするのか。
 重要なのは、その世界の中にどれだけ「存在している自分」を感じられるか、ということだと思いました。
 
 
 
 
 結局言いたいことをそのまま並べたてただけの文章になってしまいました。
 今思えば、文章を推敲ししっかりとしたひとつの文章にまとめるということに、ちゃんと魅力を感じている
 自分にも正直になるべきなのでした。
 自分の感情に素直になるとか、本当の自分を探しにいくとか、普段軽く聞き流してしまうようなこれらの
 言葉も、私には深く重く響いてくるものになりました。
 自分の感情にどれだけ素直になりまたそれをどれだけ認めることをこの世界の中で出来ていけるのかは
 、とてもとても重要なことですし、本当の自分を探すということは実は常にしなければならない大切な事
 であるとも思います。
 本当の自分というのを既に知っているという事自体が、既に本当の自分が今の自分では無いことを知ら
 せてくれますし、また自分の感情に素直になることを許せない状況があること自体が、本当はなによりも
 許してはいけないものであるということを感じています。
 その意識の元に顧みれば、私はいつも必ず此処に在る私を知ることができます。
 私が私を本当に知ることは無く、私が私を本当に知らない事は無い。
 主体として在る私が見る世界が、無限に私を見せてくれる。
 それは私が見たいもので、私が見なければいけないもので、そしてずっと見ているもの。
 そして、その見ることのできる私を見ている私は、ただただその私を見ている私だけを感じて存在している。
 私は、これからも文章を書いていきます。
 それが私のしたいことであるのですから。
 今はそれで充分。
 そして。
 今のこの瞬間の連続が、永遠に続いていくことだけしか私にはわかりません。
 人って本当は、そうやって生きた方が幸せなのじゃないかと思いました。
 でも。
 それでも、人は、夢を見るんですよね。
 その夢は、幸せよりもずっとずっと・・・・・
 
 
 
 
 
 
 
 
 *今回のコレは、hk実験工房というサイト様を読んですっかり触発されたゆえの出来事みたいなもので。
 正直久しぶりにどかんと来たっていうかまぁ刺激受けまくりなんですよ、これがまた。あーこれだよこれ。
 まだごくごく一部しか読んで無いけど、ああもう私なにやってたんだよもうって感じでがっちりもっていかれた
 よ。「佐藤聖について、もしくは聖×志摩子復活への悲痛な叫び」っていう文章読んで、まさに目から
 鱗っていうか、なんかさっきから同じことばっかし言ってるよね私。要はびっくりしたって話。
 そだよねぇ、自分を知らないことなんてあり得ないし、自分がなにを望んでいるのかがわからない訳も
 無いんだから、絶対に自分がなにをしなければいけないかはいっつもわかりきったことなんだよねぇ。
 それでも目の前に立ち塞がるものをそうと認識せずにただ受け入れるだけのものとしか見れないのなら、
 それはやっぱりその立ち塞がってきたものを飼い殺ししてるみたいなものでもあるし、それをやってる自分は
 もっともっと悲惨なのかもねやっぱ。
 ぶっ倒すべきものへの愛があるんなら、そのぶっ倒すべきと思ったことへの愛の方が断然重いものだって
 こと、ほんとはわからないことなんて無いんだよね。
 あー、こりゃ私もウカウカしてられないなぁなんて思っちゃって、やっぱり聖様と志摩子さんでなにか書かなく
 てはいけますまいな、みたいな感じにできあがっちゃって、さぁ大変。
 やばい・・こりゃふたり同時に書かないと駄目っぽいぞ・・・って意識がガチガチでさ。
 聖様と志摩子さんのそれぞれの固有性をもっともっと掘り下げて、そしてそのふたりを出会わせて無茶苦
 茶やらないといけないよ。
 どうしてもふたり別々でそれぞれめいめいに好き勝手やらしてた文章しか書いてこなかったからねぇ、
 これは絶対ふたりがどうしようも無く出会っていくところのものを書かなくちゃ駄目でしょ。
 なんにせよ私的にはこのふたりで書くのはもはや必然だし。
 ああもう、うだうだ言うな。
 書けばいいんだよ書けば!
 ・・・・そんな勢いで書けるほど、私はノリ良く無いんだよ、うん。
 ということで、ゆっくりのんびりまったりと、その気になるのを待ちますです。
 ・・・・絶対それ以上に、ひとりで焦りまくってジリ貧になりそうだけど、それはそれで。
 
 
 
 
 今日はここまで読んでくれてありがとでした。
 ていうかもうほんとなに書いてんだか訳わかりませんよもう。
 なんなら今日のこれは無かったことにしてもいい。
 みんなー、忘れろー。 (大の字で寝っ転がりながら)
 
 
 

 

-- 060901--                    

 

         

                                   ■■ ツミと罰と生 ■■

     
 
 
 
 
 『言ったでしょう。人の命を奪った対価は重いわよ。
  潰れちゃうくらいにね。』
 
                             〜XXXHOLiC・ 第二十話・侑子の言葉より〜
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 ++ 『で、あなたは、どうしたいの?』 ++

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 透き通る手前で蒼く固まった空が填め込まれた崖の上。
 ソレはその空を見つめてただゆっくりとその背中を向けていた。
 前に踏み出す足の裏で感じる堅い岩場がすべてを拒み始めていた。
 止まれ、止まれ、やめろ、こんなことは、絶対に。
 ソレの背に近付けば近付くほどに、その拒絶は群を成していく。
 これ以上無いというほどに凍り付き始める足を溶かしてくれたのは、ソレが見上げる熱い空だった。
 ソレの背中が目に入れば入るほどに、その全景は薄れ、辺りはやがてすっかりと蒼くなっていた。
 蒼い空に向かって歩いている。
 その空への歩みを妨げる、なにか醜いモノがある。
 ソレが、振り返った。
 こっちを見て、手を振って、笑っている。
 笑みを返した。
 面白いから、ただ、笑った。
 ソレがみせた笑顔の重みを遙かに上回る笑顔の重量が、この手に力を与えてくれた。
 にやり。
 素晴らしい笑顔を貼り付けて、私はその人を崖下に突き落としていた。
 
 
 
 ◆
 
 ごくごく普通なことだと思っていた。
 ごく普通に自分のことを話し、あの人のことを好きだということまでも当たり前のようにして話した。
 その話が出来る間柄だと思っていたし、それは今でもそう思っている。
 話をすればちゃんと聞いてくれるし、興味も持ってくれるだろうし、ある程度は親身になってくれるだろう
 と思ったし、そしてやっぱりそのこと自体は今もそう思っている。
 けれど。
 あいつは、話を聞いて、興味も持ってくれ、親身にもなってくれ、そしてそのままあの人を私から奪って
 いった。
 ごくごく、それが普通なことのようにして。
 別に、私に対する悪意があったとは思わない。
 だってあいつは、あの人と一緒になってからでさえも、私に笑顔で接してきたのだから。
 何事も無かったように、では無くて、自分があの人と付き合っていることを、私もきっと祝福してくれる
 だろうと思いながら。
 狂っていると、思った。
 怒りよりも先に、正直呆れた。
 なんでそんなに平然としていられるの。
 それ以前に自分がなにしたか、本当にわかってないの。
 まるで、話を聞いて私があの人を想っていることを知っていることと、自分があの人と付き合うことは関係が
 無いというように、あいつは最後まで振る舞っていた。
 それが、あいつにとって普通なことだったのだろう、きっと。
 無論、私の常識からすれば絶対にあり得ないことだ。
 言っても仕方ないことだけれど、せめて罪悪感くらいは感じて当然だと思った。
 そうすれば、私はそれに対して全力で怒り、全霊で恨み、そしてそれは次第に消えていくことができた
 ものだろう。
 けれど。
 あいつはそんな罪悪感など毛ほども無く、ただただ当然なこととして笑顔で居た。
 もう一度言う。
 私は、怒ることも恨むこともできずに、ただただ呆れることしかできなかった。
 唖然としていた、と言ってもいい。
 言葉も無い。
 あいつには私から愛する人を奪ったという意識は無いのだろう。
 別にあの時点で私はあの人の恋人であった訳では無いのだから、奪ったという表現は妥当では無いとい
 う理屈もあるだろう。
 しかし、あいつはその理屈すら唱えなかったのだ。
 いや、唱える必要すら無かったのだ、だって当たり前のことなんだから。
 このときほど、どうしたらいいのかわからなくなったことは無かった。
 そして。
 自分に、どうしたらいいのかと敢えて尋ねなければならなくなったのも、これが初めてのことだった。
 
 
 
 
 -- そして物語が始まっていく
 
 
 
 
 あいつを殺す、という答えに至るまでにはかなり時間がかかった。
 というより、気付いたらその答えに辿り着くまでに随分な時間が経っていたと言うべきか。
 そう、私は気が付いたときにはもうあの崖の上に居た。
 殺す目的であの崖に辿り着いた訳じゃない。
 けれど、あの崖に着いて発作的に殺意が芽生えた訳でも無い。
 崖に至るまでの長い時間をかけて、そして導き出された答えが崖の上に置いてあっただけ。
 私はおそらく、凄まじいまでにあいつを怨んでいたのだと思う。
 想像を絶するほどに、自覚することすらもできないほどに、きっと私は普段となにも変わらぬ顔つきと心
 持ちのままに生き続け、そしてあいつとも接していたのだと思う。
 私の怨みは、きっとその生活それ自体から生まれてきたものなのだと、今では思う。
 普通で居るのが、憎かった。
 当然なことにしてるのに、絶望した。
 ふつうってなに。
 とうぜんってなに。
 わたしは、
 わたしはあいつに・・・・・
 
 
 そのままで居れば居るほど、怨みは深まっていく。
 笑顔になればなるほどに、その笑顔は凄惨になっていく。
 私は既に怒り狂っていた。
 あいつの普通がどうとか、そんなこと関係ない。
 あいつは別に悪いことしてるという意識が無いのだから、それを責めるにはまず自覚させなくちゃいけない
 、ということはそれをさせるまでは怨んじゃいけない、だってそれがあいつの普通だったのだから、と。
 良く、言ったものだ。
 私はあいつをそれでも認めなければいけないと、あのとき私はどうしたらいいのかと尋ねた私にそう答え
 たのだ。
 別におかしいことじゃない。
 私の常識に当てはめてあいつを裁き怨むことは可能だけれど、それができるのと同じくらいに、私には
 あいつを赦すこともできた。
 私とあいつは、普通を共有してないのだから、私はそれを認め改めてそこからふたりの共有する常識を
 築き上げていくために、あいつに罰を与えそれで赦すこともできたはずなんだ。
 あいつにあいつ自身の罪をわからせるために。
 私はその罪を怨むことだけするべきなのだと、あのとき私は自分に言い聞かせた。
 
 ほんとうに、良く、言う。
 
 それは実に都合の良い誤魔化し。
 それは結局はあいつを私の常識に染めようとしてるだけ。
 あいつは私の常識の範疇に無かったのだから、私の常識の範疇に収めてから恨め、だからそれまでは
 恨むべきではないし、そしてその恨みは赦しを前提にしたものであれと。
 つまり私は、全然あいつの固有の常識を認めてなどいないのだ。
 つまり。
 私はあいつを待った無しで怨む気満々だった訳だ。
 むしろ、殺害を前提とした怨みと言えるほどの壮絶なものだったのだ。
 殺す殺す殺してやる!
 縷々と私を諭す私の言葉は、見事なまでに私の殺意を隠匿してくれた。
 誰にも、私にも気付かせないで、それは完全に隠蔽され純粋に私の中で育まれていたのだ。
 だから、なんの躊躇いも無かった。
 私を引き留める言葉が量産されていけばいくほどに、それは実にほどよく私の殺意を育ててくれたのだ
 から。
 なにが普通かなんてことは問題外。
 そして、普通という概念があること自体もまた、果てしなくどうでもいい。
 私の常識に合うか合わないかなんて、関係無い。
 いいよ。
 どれが普通であるのかとか、また異なる普通同士を共存させていこうだとか、言うがいいさ。
 私も喜んでその話に参加させて貰おう。
 笑顔で、楽しく、殺意のみがあることだけを感じて。
 
 私はあいつを、殺した。
 その事実だけが残り、そして今度はそれが。
 
 
 
 
 
 
 ◆◆
 
 紐で厳重にぐるぐる巻きにした封筒の中に文字通り封印した。
 しかしそれがその中にあることが明白であるのは、その封印自体が教えてくれる。
 その封印を施した者自身が、なによりもその封印されているものの実在を感じている。
 恐れるがゆえに封印し、封印するがゆえに恐れずにはいられない。
 だから御祓いをして貰い、その人にすべて押しつけようとした。
 だが、無駄だった。
 封筒の中にある一枚の写真。
 そこには私の罪がすべて刻印されている。
 否。
 その写真は、私の罪を映し出す一枚の空白の紙切れにしか過ぎない。
 その紙切れの中には罪は無い。
 罪はすべて、私の中にある。
 私の中にあるものが、すべてその写真に写り込む。
 その写真にはなにも取り憑いていないのだから、祓って貰うだけ無駄だった。
 
 ならばなおさら、その写真のツミは祓って貰わなくては。
 
 仰々しく紐で縛り上げ、写真に対する恐怖を煽り立て、一心不乱に写真から逃れる自分に成り果て
 る。
 もっとその写真に罪よ籠もれ。
 写真がすべてであれ。
 さすれば、ただその写真を忌むのみで事は足りる。
 怖いのは写真。恐ろしいのは写真。
 それでいい。それが、いい。
 だからその写真さえ消えて無くなれば、それですべては消えて無くなる。
 私はその写真を消すことのみに尽くせばいい。
 すべてを賭けて、出来る限りをし尽くして。
 それで、終わる。
 終わりに、したい。
 私の願いは、ただそれだけです。
 
 
 
 
 
 + +
 
 わかってます。
 あの写真を燃やしても、なにも終わらないということを。
 でもそう思わなければ、やっていけないと思っていたのです。
 だから何度も燃やそうとしました。
 これで終わるんだ、と。
 けれど、どうしても燃やせなかった、いいえ、燃やせないことははじめからわかってましたから。
 もし燃えてもなにも終わらなかったら。
 私はそんな仮説を立てる必要が無いくらいに、燃やしてもなにも終わらないことがわかっていたんです。
 どうしようも無い。
 だから私は、その写真を生かしておいたのです。
 活かしていた、と言うべきかもしれませんね。
 その写真があることで、まだそれが燃えることですべてが終わる可能性を残すことができているのを、
 ただ感じ続けていくだけで精一杯だったんです。
 でも。
 どんどんとそれでも追い詰められていく自分だけが、此処に居るんです。
 写真は、すべてを写す。
 そう、あのミセの主人が言っていたように、私の如何なる言葉にも惑わされない、圧倒的な事実のみを
 写真というのは残すんです。
 写真があることは、同時に私に罪が在ることを絶対的に証してしまうのです。
 耐えられなかった。
 恐ろしくて仕方無かった。
 燃やすことも、燃やさないでいることも。
 嗚呼・・・・わたしは・・・殺して・・・・・・・
 違う・・・  
 『違う・・あれは事故で・・・・警察もあの子が崖から足を踏み外したんだって・・・・・・』
 私はやってない。
 私は殺してなんていない。
 
 ううん、私は悪くない。
 あの子が、あいつが、私の大事なモノを奪い取ったから・・・・
 悪いのはあの子なのよ・・・・だってそうでしょ・・・・あの人を奪っておいてそれでも笑っていられるなんて・・
 ・・私にも笑いかけて・・・・馬鹿にするんじゃないわよ・・・・巫山戯んじゃないわよ・・・・・・
 ・・・・・・・なにが悪いの・・・・・あいつは・・・・・あいつは・・殺されて当然よっっ・・・・・・・・
 
 
 
 
 
 
 
 『そう・・・・・だったら、どうしてあなたは泣いてるの?』
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ◆◆◆
 
 『消して・・・・・・・・・・・この世からっっ』
 
 
 燃やすんじゃない。
 消して。
 なにもかも無かったことにして。
 私の過去も罪もなにもかも。
 私は悪いなんて思ってない。
 泣いてなんていない。
 だから私に罪なんてない。
 あの子だって自分が悪いとは思って無かったんだから。
 私だって自分が悪いとは思わない。
 当然なことをしただけ。
 悪いと思わなければ、悪いものは無いし罪も無い。
 写真に写る私の邪悪な笑みが私のすべて。
 私は純粋で当たり前な殺意で、あいつを崖から突き落としただけ。
 世間的常識に照らせば、それは罪。
 でもそれは私の常識とは関係ない。
 私には私の常識がある。
 世間の罪悪感で私を縛ることなどできはしない。
 法で裁くなら裁くがいい。
 それでも私はなんら恥じることも罪悪感を感じることは無い。
 私が私の主観で生きられる限り、罪はすべて写真の中だけで収まってくれる。
 だから、写真を消して頂戴。
 そんな汚らわしい濡れ衣は、もう見たくないの。
 消して。
 はやく、はやく、はやく!
 
 
 
 『さぁ、写真は消えたわ。』
 
 
 
 ・
 ・
 ・
 ・
 
 
 
 明確な拠り所を失った私の罪はすべて私のうちに収束し、激しくそこからの逃亡を企てる。
 今後私が被写体となれば、それらは喜び勇んで外に飛び出しその実体を顕してしまう。
 私の罪が、無数に広がっていく。
 テレビカメラに、旅行者のカメラに、防犯カメラに、私の姿はすべて罪に変換して写し出されていく。
 あいつの背に視ていた罪は、すべて私に視ることになってしまう。
 
 嗚呼・・・・・
 全然駄目だわ・・・・・・
 私の主観が・・・・客観に晒されないなんてこと・・・無いわ・・・・・
 どんなに足掻いても・・・・私の罪悪感は変えられない・・・・・・・・・
 私の・・・・・流した涙は・・・・・・・・絶対に・・・止められないのよ・・・・・・・・・
 どんなに悪くないと思っても・・・・・悪くないと思おうとしたことは・・・・事実・・・・
 悪いとか・・・・悪くないとか・・・・それは全く関係ないのだから・・・・・・・・
 私は・・・・・・・・
 私は・・・・・・・・・・・・・・
 
 
 人を、殺した。
 
 
 顕現した罪は、その実体を以て万人に知られるところのものとなる。
 主観の入り込まない写真に写し出された私という罪は、あっという間に私の世界へと成り下がった。
 私の主観が逃げることのできない客観に捕らえられていく。
 私の視るものがすべて罪に変貌していく。
 罪、罪、罪。殺人罪。
 ようやく、私はどうしようも無い、ほんとうにどうしようも無い罪悪感を感じ始めていく。
 私の主観だけではどうにもならない、圧倒的な客観から責められ続けるこの業苦。
 私がわざわざ罪を自作しなくとも、世界の側から私に膨大な罪を押し被せてくれる。
 
 終わった。
 本当に、ちゃんと。
 
 罰は、下されない。
 しかし、ツミは確定している。
 そのツミから逃れるには、誰の目にも晒されない、そして誰も見ずに部屋に閉じ籠もっているしかない。
 あとは、死ぬしか無い。
 
 そして。
 
 私が涙ながらに求めていた本当のことを、ようやく今、理解した。
 
 
 私は、死にたくない。
 だから、生きる。
 そして、生きるなら、部屋に閉じこもってなど居たくない。
 だから。
 だから私は、街に出る。
 そしてカメラに捉えられ、世界中の人達に私の罪を知らしめて、そして警察に出頭しようと思う。
 私は人を殺しました。
 だから。
 だから、罰してください。
 この罪を、贖わせてください。
 たとえ死刑になろうとも。
 私は生きるために死の刑に服します。
 私は私の罪から逃げられないことを知りました。
 なぜ、逃げられないか。
 それは。
 私が、生きているから。
 生きているから罪を感じ、生きたいからその罪を贖いたいのです。
 私の罪を許してくれとは勿論言いません。
 けれど。
 赦して欲しい。
 私はこの世界の常識で計る罪悪感と同じものを持っています。
 そしてそれを償う覚悟も、その後の世界にそれでも受け入れられたいと思っています。
 あの人がもし甦って、私に復讐しようとするのなら、私は受け入れましょう。
 けれど私は生きている以上、簡単には殺されません。
 そして。
 出来うることならば。
 もう一度、あいつと、やり直したい。
 今の私なら、きっと、あのときのあいつを許せると思うから。
 
 
 
 
 
 
 
 ごめん・・・・・ごめん・・・・・・・・・・ごめん・・・・・・・・・
 ・・・謝って済むことじゃないのはわかってるけど・・・・・
 ・・・・・・ごめん・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
 私は・・・・・あなたを・・・・・・・・・・わたしは・・・・・・・この手で・・・・・・・・・
 
 ・・・・あ・・・・・・・・・・ぁ・・・・・・・・・・
 
 
 
 
 
 
 見上げた蒼い空と等しい重い重い涙が、果てしなく私を押し潰していった。
 
 
 
 
                             ◆ 『』内文章、アニメ「XXXHOLiC」より引用 ◆
 
 
 

 

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