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◆◆◆ -- 2007年2月のお話 -- ◆◆◆

 

-- 070227--                    

 

         

                                  ■■瞬間の永遠■■

     
 
 
 
 
 ツっコんでいいのかしら。(挨拶)
 
 
 はいごきげんよう、紅い瞳です。
 春にも似た暖かさの漂いを感じていながら、しかし同時に本物の春はまだ遠いところにあることをも感じて
 いる、そんな今日この頃です。なんの話ですか。
 さて、まぁ最近はなんかこう気分が上向きというか、上擦っているというか、仰向けというか、そろそろひっく
 り返るのじゃないかという心配すら出来てしまうほどに、いい感じです。
 文章書いてても、なにかこう春めいているような、ってどんな例えだよ、ってそんな感じでして、色々とこう
 ええと、なんて言えばいいのかな、前向き? そう、そんな感じで結構前向きに頑張っています。
 たぶんそのまま倒れてもあんまし痛くないかもしれません。あははって笑ったりする。
 
 さて、そんな感じですので、ここのところ日記の執筆、特にアニメ感想をノリノリで書いていたりします。
 なにかこう地に足が着いていないような、そういう上滑りな感触の心許なさで、なにかこう手応えを感じ
 られない書き応えではあるのですけれど、しかしそれと同時になにも掴むことの出来ないこの手探り感こ
 そが、まさに嵐の前の静けさの如くに私には感じられています。なんかそろそろ来るよ。
 とにもかくにも思い付いた端から書いて書いて書き続けて、そうしてくうちに、なにかそうして作業し続けて
 る自分の存在そのものの実感が、新しいなにかを芽生えさせてくれる気がしているんです。
 やっぱりね、私もある意味ノンストップっ子っていうか、走ってないと頭まわんないんです、そういう体質な
 んです、んなアホな、みたいなとこあるんですねー。しらなかった!!
 書いてりゃそのうちなにか面白いもの書けるようになるさっていうか、書いてるうちになんかそれっぽくなって
 いくよみたいな、そういう気軽でアバウトな感覚に真摯に浸れて、だからそこから気安く挑戦することを
 始められるような気がしているんです。
 
 やっぱりそういうときにネットってなんか良いなぁって思っちゃうんですよねぇ、たぶんこれが非公開の日記
 とかだったら、絶対こんなに気安く書けないもんね、私。
 ふつー逆じゃね? って思うかもしれませんけれど、でも誰かに見られてる、誰かが見ていてくれてるかも
 しんないっていう意識って、足枷であると同時に後押しにもなるものだって私は感じてるし。
 下手くそでいい加減な文章ってやっぱり見られるの恥ずかしいけどさ、でもそういう自分の正直なところを
 ひょいっと見せる事ができる場所があるってだけで、やっぱりなんかそこでもっと楽しむためにも、その自分
 の下手でいい加減な文章を重ねて見せていきたいな、とも思うんだよ。
 だから、こういう文章は、「見せる」ことよりも「見られてる」意識の方が重要なんだよね。
 別に羞恥プレイwってことでも無いし、ましてや自己意識の強化とか、感じた恥を元にして二度とそうなら
 ないために次から頑張るとかいう試練ってことでもなく、ただ自分をのびのびとどんな形でも顕せる場所と
 して、このネット上の日記をその繰り返しでそういうものとして地固めしたいなってこと。
 ぶっちゃけ即物的な言い方すると、ネット上における日記の中でごちゃごちゃ色々やって、そこで出来て
 まとまってきたことの発現としての場所はリアルにあるというか、そういう感じなのかもしれないね。
 或いはリアルの癒しの場所みたいな? やな癒し方だな。
 まーそんなところです。なんだかよくわかんないけど。あっれー? なんでこんな話の流れに?
 まーいいや。
 
 とまぁそんな感じで、結構頑張ってるようでなにげに適当にアニメの感想をちょちょいっと続けています。
 まなストと京四郎とひだまりについてのラフな感想がここまで続くとは、正直当の私も全く全然これっぱか
 しも思っていなかったので、まさに青天の霹靂も真っ青になっておへそを隠すが如くに、なんだかもう、
 ひとりで笑ってしまっています。あはは、なんだこれ。
 大丈夫、まだ大丈夫です。続けます。
 で、私としても瓢箪から駒なのですけれど、当然のように既にそれを普通に楽しんでしまっているので、
 もう毎週毎週楽しみになってきて、結構入れ込んでいい加減に書いてます。なんか矛盾してるけどよし。
 しっかしほんと、いい加減と覚悟すればしたでほんともうメモ書きみたいな感触で、ほんともう書きたいこと
 並べ立てるだけ並べて共倒れみたいな、なんかもう豪快に楽しく笑っちゃうみたいな、ほんと大の字で
 寝っ転がって爽快に笑えるっていうか、そういう感じですよ、今。
 読む方にして見ればたまったもんじゃなく、自分の書いたものを再読してる未来の私をも含め文句たら
 たら言うのも面倒になってくるほどのていたらくで、ほんと駄目ですけれど、でもああして色々掻き回して
 ぐるぐる捻って考えて作って練って叩いてすりつぶして、そうしてることの中にも、きっと後で読んで発見
 することもあるんだろーなーって、日記読みとしては思います。
 そしてそれよりも確実に、そうして色々やってる日記書きとして、その作業からどんどんと自分の中に得ら
 れていくものが確かにあることを感じてます。
 なんていうか、ひたすら練習してるって感じ、ゾクゾクしてるもん。無論、練習中にもスーパープレイはあった
 りするからこそ、未来に読んで発見できることがあるんだけど。
 でもこれ結構疲れるんだよねー、ていうかそろそろ二回くらいの更新に分けないと時間足りないかも
 しんないよ。
 ま、その辺りは内々に解決しておきますです。
 
 では、なんか既に書くの疲れてきたので、アニメ感想に移ります。
 
 
 
 ◆
 
 ひだまりスケッチ:
 第7話。
 ・・・・なんかどんどんつまんなくなってきてる・・(汗)
 あれ? あれ?     あ     れ   ?
 なんでだろうなんでだろうと考えているうちに普通に終わってしまいました。どうしよどうしよう。
 んー、ドームの話とか小ネタが中心になってきて、全体の演出としてのまとまりで魅せてこなくなったからと
 か、そんなことを考えてみましたけれど。あと新キャラ登場と騒ぐほどの事はなにも無かったです。普通。
 小ネタ的にはみやちゃんの「スポーツマンシップを乗っ取り」が面白かった程度でしたし、またそれに対する
 リアクションとしての演出も、なんだかそのまんまで全体への広がりを感じないものだったり、なんというか
 諸々の場面が分断されているような、そんな印象でした。
 ある意味で無理矢理四コマ的にしてるというか。原作読んでれば面白く感じたかもね。
 あずまんが大王のアニメのときは原作読んでたから、まんま分断的なアニメの造りにも違和を感じなかった
 しねぇ。
 あ、あと個別の演出についても、実験的な風采が下がって、割と単純ストレートなカットが挿入されて、
 わかりやすさは上がったけど、逆にそれがその演出がある意味を失わせてて、意味ないじゃんそれ、みた
 いなのが増えてて割と寂しい気もしてるね。
 んー、どうしよ。どうやったら、面白く感じられるかな。
 原作読め、以外の答えを希望。(あくまで)
 
 
 京四郎と永遠の空:
 んー、どうしようか。
 まずはせつなに着目したんですよね。ていうか今日はてんでんばらばらに見たっていうか、せつなと京四郎
 と空のそれぞれに書きたいことがあるけれど、それらをひとつにして書きたいことがなんなのかよくわからな
 くて、というより自分の中で瞬時に整理が為されなかったので、私の中でぐちゃぐちゃというかうまくまとま
 らなくて。ということで、今日は(も)ひたすら垂れ流し状態で。
 ではまずせつなからということで、せつなは京四郎のためにと思ってそれにすべてを賭けていたけれど、本質
 的なところでそうした自分の立場を脅かす事柄に対しては、京四郎の意志に沿うことができない事を知っ
 ていて、それはただ京四郎がそうしたいなら、という言葉にすべて忠実に従うこと自体が既にそうした要素
 を持っていることも知っている。
 つまり、京四郎が言ったこと「だけ」に従うことで、京四郎が言わなかった事に関してはせつなの自由裁量
 によって切り盛りしていて、だから空が京四郎に無断で飛び出したのを放っておいたのも、それが京四郎
 のために良く無いことでありながらも、自分にとっては都合の良いことであり、ゆえに京四郎の空に対
 する「出ていけ」と言葉を利用し京四郎の本意を無視し空を放置した。
 せつなにとって今自身の目の前にあるのは、京四郎の本意では無く京四郎の言葉。
 すべて京四郎の言葉の有無にせいにできるがゆえに、その調整を以てせつなは自分を律することができ
 た。
 そして、せつなはそれ自体がいつか京四郎との破局をもたらすことを、その京四郎に対する冒涜を以て
 ひしひしと感じていたんじゃないかな。
 だから京四郎のせつなに対する複雑な想いに向き合う事から逃げて、ただひたすら京四郎に献身的に
 尽くすことで、その京四郎の複雑な想いの対象である絶対天使たるせつなを破壊しなければならない
 ということと直接向き合い、そして意識的な盲目さを以てそれに隷属する怠惰に耽る事ができていたん
 じゃないかな。
 だって、しょうがないじゃない、私は絶対天使で、京四郎は絶対天使を絶対に破壊するって思ってるん
 だから、京四郎がそう言ってるんだから、京四郎がそうしたいなら、私は。
 せつなは京四郎が抱えるせつなに対する悩みを共有しようとはせず、ただ自分だけが「楽に」なりたくて
 ただひたすら京四郎に殺される未来だけに引き籠もってしまっていた。
 せつなの献身が美しければ美しいほどに京四郎は自らの罪深さを思い知らされるだけで、そしてそれが
 決定的にせつなとの距離を広げていることを、しかしせつなはわかってたんでしょうね。
 でもどうすることもできなかった、というより、どうしたら良いのかがわからなかったんでしょうね。
 京四郎がなにも言わないから、京四郎がなにも話してはくれないから、だから私が言えることはなにも
 無くて、だから私はただずっと・・・・・
 おそらく、せつなは自分から京四郎に語りかける事を、最初から放棄していたのかもしれない。
 だから、なにもできないままに、ただその無言の意地の張り合いを、その自らの生死をかけて、せつなは
 自分自身と行っていたのかもしれない。
 京四郎と空の飛躍的な関係の発展の姿が、その停止しているせつなと京四郎の関係をまざまざとみせ
 つけてくれる。
 そしてせつなの京四郎に対する「独りよがりな献身」を、ただせつなに対する罪滅ぼしに近い形で
 受けていた京四郎がその自らの欺瞞に堪えきれなくなる事でそれを拒否し、そしてさらにせつなは
 京四郎が完全に自分から離れ空の元に行ってしまった事に対して、その自らの京四郎に対する侮辱的
 な献身をそれでも盾にして、その別離に対して否と強靱に叫ぶことができてしまう。
 どんな形でもいい、それでも京四郎と一緒に居たいのっ!
 戦ってでも、私が死んででも、たとえ京四郎に殺されても、たとえ、京四郎を苦しませても、そして、
 私が苦しみ続けるだけだとしても。
 私は京四郎と一緒に居たい。
 それ自体が、既に京四郎との接触を拒絶していることを自覚しながらも、せつなはそれでも京四郎に
 尽くそうとする。
 京四郎を、果てしなく、無視して。
 
 そして、京四郎は、「なんでもしろなんて言ってない! そんな事をして欲しい訳じゃないんだ!」と。
 第二のせつなになろうとした、空に対して言ったのです。
 
 せつなが京四郎を無視していたのと同じく、京四郎もまたせつなを無視し、そしてただせつなからの語り
 かけを待っていただけ。
 けれど京四郎はせつなが絶対に自分から語りかけてくることが無いことを、自分の絶対天使を破壊する
 ということに対する思い入れの深さ、そしてそれを散々せつなに示したことの重大さによって、深く自覚し
 ていた。だから、京四郎はせつなの献身を決して拒絶できなかった。それ自体が悪いとわかっていながら。
 そして。
 京四郎の前には、空が現れた。
 
 目の前に、目標がある。
 ほんの一歩の距離に、それがある。
 自分の目標で目的で理想で正しいことで、そしてなによりも求めるものがすぐそこにある。
 努力して、努力して、それを意識しないくらいに努力して、そしてそこに辿り着いている自分を感じる
 現在の感触、そしてその瞬間はまさに永遠。幸せ絶頂。
 そしてその絶頂の最中にあるときは、決してその目の前にはそれを越える目標なり目的なり、求めるなり
 するものは存在しない。
 なぜならこの瞬間を永遠たらしめている、今現在の絶対の実感があるから。
 愛しい人とひとつになれた瞬間の絶頂は、その先をいくら言葉にしてその終末をさえ思い描く事ができた
 としても、そのときに紛れも無く感じている自身の存在の実感によって、決して消え去ることは無い。
 永遠の愛を誓う、という空恐ろしい虚言ですらも、紛れも無い真実であることを、その永遠の瞬間の
 中にある自分だけは、はっきりとわかってしまっている。
 京四郎は空に好きだと告げた。
 そして、その理由とさえ言える陳腐な言葉付けまで行った。
 空を好きなった過程をしっかりと語り、そしてその境地から。
 そう、京四郎は、確かにその先にある目標で目的で正しいことで、そしてなによりも求めるものを見つけた
 のです。
 空を、愛している。
 その事からならば、空にまつわるすべての事に対して、すべて真摯に向き合っていける。
 京四郎は言った、絶対天使を破壊するという兄の遺志を正しいと思いながらも、それを絶対天使に
 世界を破壊させないという言葉に換え、そして空を誰にも壊させないと誓う。
 なぜなら、空を愛しているから。空が絶対天使? 「それがなんだというんだ!」
 
 「絶対守る。世界も、君も、兄さんの遺志も、犠牲にしない。」
 「だから言うよ。」
 「好きだよ、白鳥空。好きだ。君が好きだ。」
 
 うーん、かっこいい。
 京四郎かっこいい。いい男。
 ごちゃごちゃ絶対天使がどうとか正義がどうとか現実がどうとか、そんな事にこだわってることより大切な
 ものがあるってね。空が好き、それで、充分。そしてそのために、すべてがある。
 一歩先の理想、或いは夢。
 それが一歩先にあるということは、今此処に立っている自分は確かにその理想に達していない現実の
 中に居る。
 でも、人には前に進める足があり、そしてその足は必ず今此処の現実を足場にしている。
 そして、その足場にした現実から足を一歩分伸ばしたそこにあるものは、その現実のただの延長線であり
 ながら、しかし紛れも無く今とは違う理想の世界でもある。
 今この現実の中から見ればそれは夢物語の理想論な世界に見えなくても、その場所に到達した瞬間に
 、それは紛れも無くその瞬間の中に居る実感としての「今」を感じる「現実」になっている。
 今確かに、京四郎の前でうっとりと夜空に照らされている幸せ絶頂の空が此処に居る。
 それはその一歩手前の場所とは確実に違うけれど、しかしその一歩の距離を縮めることができたそのと
 きの自分は確かに居た。
 そして、京四郎の笑顔に抱かれたこの今の絶対的幸福の中に居る空は、それゆえに永遠であり、そして
 だからこそその中でそれを越える理想と夢を目標と目的を得ることは無い、今のこの「現実」に居る。
 けれど。
 それは、その境地に至る、その一歩手前の「現実」のときも同じであったことを、その永遠の中に居る空
 は、そして京四郎もまた、確かに絶対に、知っている。
 だから、明日はあるって、言えるんだ。
 
 そんな感じでした。
 あとはまー、やっぱりせつなですね。
 せつなの「京四郎は白鳥空が好きなの? 絶対天使の空を選ぶの? もう私は居ない方がいいの?
 京四郎はその方がいいの?」ってセリフがめっちゃ気になります。あれ?なんかへん・・・
 京四郎が絶対天使、つまり「京四郎に殺されるがゆえにそのそばに居続けられる権利」を持つ存在と
 して空と自分を入れ替えた、ということをせつなは言った訳ですけど、それってせつな的にですら明らかに
 嘘ってわかってるのにそう言ってるよね? 京四郎はほんとに空を愛してるって、せつなわかってるし。
 あー、そっか、だからなのか。それが一番怖い事だから、それを隠すために、自分が今まで培ってきた
 偽りで独りよがりとわかりきってる献身的立場を失うこと「だけ」の恐怖に染まったのか。
 京四郎のそばに絶対天使として居ることができなくなる事は、絶対天使としてしか在ることのできなかった
 せつなにとってもの凄い恐怖と絶望を与えるけど、それ以上にその絶対天使としての現実に従属するしか
 なかったせつな自身がそれでも抱いていた、京四郎にただ純粋に愛されまた愛することを空によって奪わ
 れる事は恐ろしく、そしてまさに希望の喪失そのものになるんだよね。これはもう空憎いね。空殺。(ぉぃ)
 せつなはほんとは、というか最初っから、京四郎と一緒に居たいんじゃなくて、京四郎を愛してる。
 あと、カズヤ兄さんはもう。
 笑いすぎて泣けた。
 もう駄目。やめて。死ぬ。
 
 
 まなびストレート!:
 うわー面白い。っていうかなにこの面白さ。もうほんとまなスト乾杯。なんでこんなに面白いのか誰か私に
 教えてください。てな感じで面白いです面白すぎるのですどうしましょう。
 まずはまなびの大真面目なアホ演説とそれで盛り上がるみかん・むっちぃコンビでノリノリでそのまま行き
 そうになって芽生のハリセンツッコミでスパーンとまなび半回転。勢いいいな。
 そして愛洸の理事長がまなび兄の彼女さんで女狐でまなび激怒で理事長ノリノリで挑発でまなび激
 怒でもう駄目。これじゃなんもわかんない。お笑い方面はまたの機会に。
 で、本題。その前に前回の感想で多佳ちゃんを貴ちゃんと普通に誤記してました以後改めます。
 あーでも今またまなび演説見てるけど面白いね。この子絶対アドリブだよね。すっごい思い付きの連続
 っぽいよね、語彙結構あるよね、そしてそれをこじつけるの上手いよねっていうかノリノリだよね、っていうか
 すごいね、あと一揆とか打ち壊しとか一気飲みとかああそこでハリセンがーって、終了。キリ無い。
 今度こそ、本題。
 まずわかりやすく説明から。
 愛洸学園が聖桜を合併吸収して、理事長的に気に入らない文化祭は無しの方向になり、それを急に
 知らされたまなび達生徒会の面々は激怒し、戦うために署名運動を開始するも一向に学園内のその
 気運は高まらず、それでも張り切るまなびが家に帰るとそこにはお兄ちゃんの彼女という愛洸学園の理事
 長さんが居て、怒り心頭に発したまなびさんは翌日愛洸学園にて理事長と対決、見事推定無罪(ビラ
 を掲げた瞬間に芽生にハリセンツッコミ喰らう)、もとい全生徒の70%が学園祭を望んでいることを証明
 すれば文化祭を開催できる権利を獲得、次回に続く。以上あらすじ終わり。はい。
 私的にはかなーり面白い展開になりましたね、主に女狐ぶり全開での理事長の挑発にばっちり乗っちゃう
 まなびとか、いやまぁそれはそれとして、命題的に面白いよね。
 
 まなびの主張:
 せっかくすごい文化祭になるはずだったのに、それを一方的に中止するなんて許せない、
 だから文化祭を予定通り実行せよ。ていうか楽しいことをなんでやめるのよ!横暴反対!学生の本分
 なんて言葉を無批判に引っ張ってくる事自体間違ってる! ていうかお兄ちゃんに近づくな!
 理事長の主張:
 学生の本分云々がどうあれ、実際的に文化祭を楽しもうとしているのは生徒会だけではないのか。
 そもそもそちらの主張自体が一部の生徒による学園祭の私物化を示しているのではないのか。
 他の生徒達から文化祭を中止しないでという声が聞こえてこないのがその証拠。
 どうしてもやりたいやる必要があると言うのならば、最低でもその声を集めてからきなさい。
 あとお兄さんは既に私にメロメロです。以上。
 
 んー。難しいね。
 実際問題まなび達が主導してわーわー騒いで、そして自分達が楽しんでることを以て、みんなにも楽しく
 なって欲しいしまた楽しみたいって思えるようになって欲しいという立場からすれば、この理事長の形成
 した命題は厳しいものがあるよね。
 大体、スタート地点からして、今の生徒達は学園で楽しむということを、それ以外の場所での楽しみを
 抑えてまで優先しようとは思っていないのだから、既に中止と言われた文化祭をわざわざ署名して復活
 させるなんてめんどい、ていうかちょうど駅前でダンスパーティもあるしねぇ、別に文化祭にこだわる必要
 無い訳なのよ、中止って言われたし、だからさ悪いけどさそういうめんどうなのは、いいよ、みたいな。
 当然理事長はその辺りの状況把握してるのだろうから、こういう命題の設定すれば圧倒的に有利だって
 ことわかってるんですよね。
 まなび達は、その学園で楽しむこと自体から離れていこうとしているのを必死に止めようとしている訳で、
 だから現状の生徒の動向だけを捉えて結論するというのは、そもそもそのまなび達がやろうとしていること
 を根本から無視している。
 理事長的にはだからそうして生徒達は学園で楽しむことを求めてはいない訳であり、そしてそれでも学園
 から社会に出ることをせずに学園に所属しているのは、ゆえにオールドスタイル的な学業に打ち込む学
 生の本分に忠実な文化祭のある学園を求めているからなのだ、とそう持って行きたいんですよね。
 まー詭弁ですね、おもいっきり。
 学園で楽しむことを求めていないのでは無く、ただ学園で楽しむことのハードルが相対的に高いがゆえに
 それを求める事を控えているだけで、だからもっと簡単にそれが出来、かつ学園の外で得られる楽しみよ
 りも学園の中で得られるものの方が面白いとなれば、俄然生徒内の志望の勢力図は姿を変えるので
 すから。
 理事長は最初からそういった形で学園を本当の意味での「生徒主体」なものとしてはいないのですし
 、だからその当人が生徒の動向を云々する事自体おかしい。
 ていうかまぁ、とどのつまり、まなびと理事長が対立してるのは、今の生徒達がなにを求めているか、
 という項目ででは無く、本質的に生徒が求めていることを主体にするかしないか、ってことにあるのであ
 って、それを誤魔化して単に現行の生徒がなにを一番てっとりばやく求めているか、ということに焦点を
 持ってきた理事長は反則。そしてまなび達はうまく乗せられてます。
 例えば本当は不当な命令には従いたくないのに、それでも貧乏ゆえにお金欲しさにその命令に従わざる
 を得ないのを捉えて、あなたは進んでこの命令に従っているのです、と言われそれに頷くしか無い人の
 数を数えているのと同じこと。その人の貧乏の原因を作っているのは、その不当な命令を下した人達に
 あるというのに。
 大体全生徒の70%が文化祭やりたいって言ったら中止は撤回だなんて、無体過ぎというか、少しは
 おかしいって思いなさいよって話なんですけれどね。そんな割合、ほとんどまなび達が目指してる学園の
 姿の完成形みたいな数字ですじゃん。
 
 いっちばん根本にあるのはだからたぶん、学園で楽しむ事の必然性をどう構築するかって事でしょうね。
 なんで学園で楽しくやらなくちゃいけないのか、なぜ学園に通わなくてはいけないのか、なぜ学園がある
 のか。
 その辺りのことが一番問われていることなんですよね。
 確かに学園の外にも楽しいものがあってそれを望んでいるのなら、なにもそもそも学園は楽しくしなければ
 ならないものでは無く、逆にそうでなければいけないという縛りがあるからこそ、前述の例えが言えるので
 あって、だからその根本にある問いは、「学園はなぜ必要なのか」というものなんだよね。
 単に情報としての学問を身につけるだけの機関として以外の意味を学園に備える意味はなにか。
 ほんとうにそんなものが必要なのか。
 そういう意味では、学園が存在しなければならないという必然性は無いといえる。
 けれど。
 学園で、なんかだるいけど、まー楽しいことあるっていうならやってもいいけど、みたいな、現状に於いては
 特になにも求めてないけど、それに先行してばばんとなにか求めてもいいものが示されれば、それにふら
 っとついていける、そういうお手軽でそして優しいなにかを「楽しむこと」ができるようになるんです。
 世の中のみんながみんな、明確な目標を持って、そしてそれに対して真っ直ぐに力強い欲望を抱いて
 進んでいける訳じゃない。
 そういう明確な強さだけを持った人だけが楽しく生きることが許され、それが出来ない人はただ楽しめない
 ままに人生を終える、それを否定するために、そうしないために学園っていうのはあるんじゃないかな。
 前にも言ったけど、学園は学生が主体なものだけど、楽しむ対象それ自体の出所が学生主体のもので
 無ければいけない訳じゃない。
 ただただ「楽しむ」という主体が学生であるだけ。
 だから別にこれを楽しんでみなさいって学園側が提示したものでも、それはそれで構わないんじゃないか
 と思うし、またそうして簡単に楽しめる対象物或いは目標目的を与えてくれる場所として、そしてそれらを
 自分達が主体となって楽しめる場所として学園があるのなら、それはもうなんか素晴らしいよね。
 そうして学園側から与えられたつまらないものをさえ、それを楽しもうとしている主体たる自分さえいれば、
 それを楽しいものそしてさらにより楽しいものに工夫して楽しんでいくこともできたりするんだよね。
 大体「文化祭」って枠組み自体学園側に与えられたものだし、そしてまた。
 「学園」という枠組み、そして「みんなで集まって楽しくやる」という発想もまた外的なものに与えられたもの
 であって、でも必ずそれを楽しむ主体は自分なのですよね。
 私的にはだから、問答無用で学園はあった方が良いと思いますし、そしてだからこそ、というか論理的に
 いえばもっともっと否定できるんですけど、それでも理事長の出した難題に乗ってまっすぐGo!な気概
 MAXなまなびを全力で支持したいと思います。
 あーもうなんか滅茶苦茶だし理不尽だけど、やったろーじゃないの。
 芽生とか色々わかってそうだけどでもそれでもまなびについてなんかやってみたいって、そういう感情だね。
 この理事長側に対する闘争そのものが、充分楽しく、それゆえにその楽しさなんか見つめてる暇も無い
 ほどに一生懸命に他の生徒達の気持ちを得ることに力を尽くしていく。
 あー、まなびちょーおもしろい。
 
 「でも可能性はゼロじゃない。
  仲間みんなで作る学園祭、絶対楽しいってみんなにもわかって貰えるはず。」 by天宮学美生徒会長
 
 会長に、拍手。ありがとう。応援してる。
 そして、頑張る。私も。
 まっすぐGo! (お足元には充分にご注意ください)
 
 
 
 
 

 

-- 070225--                    

 

         

                           ■■湯けむり地獄、簡略につき■■

     
 
 
 
 
 地獄少女二籠第19話「湯けむり地獄、旅の宿」についての感想は、特にありません。
 お話そのものが食指を動かす形態のものでは無かったので。
 この第19話は閻魔あいと輪入道の出会いの話で、そしてそのふたりが入った湯宿の最初の客であり
 また数百年の後に存続していたその湯宿の最期の客としてまた入る構造を以て、その湯宿の初めと終
 わりにあった怨みの連鎖を描いた物語でした。
 ひとりの人間の怨みの物語としては、これは完全に成り立っていないものでしたので、今回は特に感想
 を記すことはありません。
 ただ、お話としては面白かったです。
 湯宿初代における怨みの依頼者の子孫とそのターゲットの子孫が、その依頼者とターゲットの立場を
 変えて再びその連鎖のひとつとなる形式を使って、それで輪入道という個を通して描く怨みというものを
 位置づけていく感じなど、なかなか見るべきものがありました。
 またその輪入道の存在を通して、さらに永劫人間を地獄に送り続ける閻魔あいの姿も描かれ、第一期
 における個としての閻魔あいでは無く、関係の連続の中にある地獄少女としての彼女の姿が良く見えて
 きましたし。
 怨みという個の感情を、俯瞰的に見つめ、それを人間の愚かさだと述べることは、その個の視点からの
 感受性と思考性を欠いた浅はかなものではあるかもしれないけれど、しかしだからこそその個の存在から
 離れたところに立脚する視点を、その個自身が持つことも或いはできるのではないか、という事の提示で
 もありました。
 
 『人の業は果てが無いから。』
 『人の怨みは尽きない。』
 この地獄少女の言葉は冷たくそして俯瞰的なもの。
 けれどそれは数々の怨みの歴史を見てきた客観的立場に立脚する地獄少女の視点であり、かつ
 だからこそ個々のケースの中に埋没しているそのひとつひとつの怨みの当事者達にとっては無味乾燥な
 言葉でありながら。
 
 『あなたがあの峠で走り続けていたように、すべてが地獄で朽ちるまで。』
 輪入道に投げかけたこの地獄少女としての閻魔あいの言葉が、無味乾燥な言葉にぬくもりを通す。
 その業の中に在るあなたは、なにを真に望んでいるの?
 語られる「人」の中のひとつがあなたであること、その「あなた」の集合体が「人」であること、そして、
 延々と人の歴史として続いてきたその業もまた、その「あなた」達が延々とひとりずつ確かにその手で
 繰り返してきたこと。
 人の業には果てが無く、あなたの怨みにも果ては無い。
 だからわかるでしょう?
 こうして今、あの峠を越えて歩き出したあなたが居ることで。
 あなたの怨みが晴れたのは、人の業が果てなくあなたの怨みへと繋がっていたから。
 晴らす対象としての怨みが、連綿と人の中に続いていたから。
 それが、業。
 人の怨みは尽きない。
 なぜなら。
 怨みを晴らすことができるあなた達が存在する業もまた、決して無くならないがゆえに。
 あなたが怨みを晴らすことができるのは。
 あなたの次にも、怨みを抱ける人が続いているから。
 そして。
 その怨みの晴らし方は。
 人、それぞれ。
 
 
 『一緒にきなさい。』
 
 『お供ってのは、性に合わねぇな。』
 
 『ならば、足になりなさい。』
 
 『・・・わかったよ・・お嬢。』
 
 
 
 『あなたの怨み、晴らします。』
 
 
 
 
 
 
                                ◆ 『』内文章、アニメ「地獄少女」より引用 ◆
 
 
 

 

-- 070220--                    

 

         

                                ■■わーっと、がーっと■■

     
 
 
 
 
 はい。すみません。 (挨拶)
 
 ごきげんよう、紅い瞳です。
 実は今日はいつもやってるアニメ感想から先に手を付けてしまい、今現在既にへとへとのへろへろのうわ
 なんでこんな根性無いんだ私はみたいな、そんなね、壊れました。(情けない)
 まー今日は比較的時間あったからそういう意味では余裕でしたけど、逆に時間あると思うともうなんか
 書くぞさぁ書くぞみたいな感じに自動的にもくもくと書きたいこと沸いて来ちゃっておまけにそれ整理する
 気無いもんだからそのままわーって書いちゃってもうええと、疲れました。書きすぎです。ていうか落ち着け。
 文章の整理とか推敲とか別に嫌いって訳じゃなくて、ただそれやると無限に時間かかっちゃうっていうか
 むしろ凝りまくっちゃうというかほんと止まらないんで、ただもう野放しみたいな感じで思い付いた端から
 ガンガン書いてそれでエネルギー消費さす、みたいなそういうイメージでよろしくです。とばしてます。
 でもなんかそうするとほんとほとんど書きっぱなしの連続ていうか、ずっと書いてるっていうか、逆に体力的
 にはこっちの方が疲れるのは確かで、まぁちょっと考え物だよなとか言ってるそばからもうこんなに書いてる
 よ、うわー止まらないっていうか、止まれ。はい。
 
 ええと、まぁ、うん、なんか書きましょう、せっかくなんで。
 まぁこの頃はあれだな、うん、アニメな。アニメ。
 アニメファンになってからもう結構経ってきたけど、なんていうか、全然色褪せませんね、マジで。
 もうなんかこれからもどんどんいけちゃうっていうか、無尽蔵っていうか、むしろこれからですみたいな、
 そういう勢いみたいな事を感じられて、なんか嬉しい今日この頃。自分も捨てたものでは無いな。うむ。
 ていうか私がこうして生きてものを考えて感じたりしてる限り、アニメもその中に入り続けてくんだろーなー
 って思うし、私が生を重ねれば重ねるだけアニメの方もそれに応じて豊かになってくんだろーなーって
 思うし、だからアニメの感想書くのも止まんないなーみたいにさ、思うよ、うん。
 紅い瞳が此処に居る限り、そしてアニメがある限り、たぶんこの関係は終わらないよね。
 きっと。
 
 でーあとはなにかあったっけ?
 あー、本な、本借りてきた。
 岩井志麻子の「邪悪な花鳥風月」っていう、読まずに返したのが4回くらいある本と、
 童門冬二の「戦国一孤独な男 山本勘助」っていう本を。
 ていうかやっと「邪悪な花鳥風月」読み始めた。なんかほっとしてる。
 別に中身が好きくないから読まずに返してた訳じゃなく、ただの偶然の繰り返しだっただけなので、ほんと。
 まーそんな感じ。
 「戦国一孤独な男 山本勘助」は読み終わったけど感想はまぁ、自己陶酔本みたいな?
 まぁ、面白いとこもあったけど、基本そんだけ。
 
 あ山本勘助で思い出した。
 大河の「風林火山」おもしろーい。
 氏康とか晴信信虎親子とか真田とかもう、あれな、面白い。
 ものの見方、の見方みたいな? そういうのガシガシ考えながら感じながら毎週観てます。
 氏康の考え方って広い意味での他者の存在を無条件に受け入れてて気持ちいいけどでも逆にそれに
 囚われている自分の人生があることに気づけっていうか戦国のために生きてるよねそれみたいな感じで、
 晴信は結局最初から頭いいくせして疑う事から始めてるから結局信虎の真意が三条夫人に言った通り
 の事であることが見抜けず信虎が試練的条件付きでその真意を見せたのにその試練的条件にだけ
 反応して本質を見誤ってなんかアホな理屈立てて自己正当化して逃げたみたいな感じで、真田の怨み
 は戦場で人を強くするっていうのは晴信の怨みで武田は倒せんぞという言葉と実は同じで怨み「だけ」で
 はなにもできないだから大望を抱きそれを実現する冷静さを培いそしてその中心に怨みを据えろ怨みが
 中心にあれば大望を抱き続け冷静になり続けることもできるという感じで、まぁ、面白かったね。
 うん、読みにくいな。な。
 
 さて、最後にお知らせを記して、素直にアニメ感想に繋げましょうか。
 ええと、お知らせです。
 きたる2月24日土曜日午後11時30分より、星降ル海之宴にて毎月恒例のチャット会を行います。
 名付けて、暖冬会。
 紅い瞳のネーミングセンスを疑ってください。
 だって暖冬だったじゃん! 仕方ないじゃん!! ←?
 ということで、皆様お越しやす。
 
 
 
 ◆
 
 
 ひだまりスケッチ:
 第6話でいいんですよね?
 あれ? つまんない?
 いやつまんなくはないんだけど、つまらないかもしれない。おい。
 いやというか、私がこれまでのお話で掴んだひだまりのリズム(ていうかこの言葉色々端折ってるよなぁw)
 と雰囲気が違ったのでうまくいかなかった、みたいな感じ?
 あー・・でも別に「差異」そのものがあるからつまんないって言ったら嘘だし、だから差異があって、その今
 までのひだまりと違う部分が単純に私のそれまでのひだまりで掴んだ愉しみに照らすと愉しくなかった、
 っていう感じ?
 正直にいいます、つまんなかった。負けました。
 生理的に合わなかった、という便利な言葉で恥ずかしいのでそのまま締めちゃいたい気分なんですけど
 も、そーはいかない。いかせない。逃がさぬよ。
 んー・・・つまんないとか嫌いとか・・・そういう積極的なアレとは違くて・・・・ていうかなんか愉しいってこと
 の定義を改めて考えてみたいなぁひだまりは。
 ていうか純粋に快不快の感覚でそのまままるっと臨めば、今回のお話は不快っぽい方向性で、でもじゃ
 あ不快で愉しめなかったのはわかったから、じゃーそれを愉しめるにはどうしたらいいっていうか、そういう
 感じっていうか、私の場合そういう感じ。ていうかそうやって面白いアニメ増やしてきた訳で。
 そしたらさ、なんていうかもう愚問ていうかさ、そんな事ちょこちょこと考えてるうちに、既にもう目の前の
 ひだまりにも愉しいとこあるのに気付いてさ、なんだ、この照れ屋さん、みたいな。全然違う。
 いやね、今回は演出的に微妙っていうか無駄な演出っていうかわざとらしいのがそのまま無意味にぽー
 んと飛び出しちゃってる部分が多くてさ、それが鼻についてさ、でもだからなんだって話であることをわかって
 てさ、んでも愉しいとこ普通にあるじゃんみたいな、ていうかみやちゃんてほんとおもしろーい人だなみたい
 な、あと吉野家先生ももうちょっとうまく掘り下げればもっともっと面白くなるのになーみたいな、
 ていうか今思ったのは、つまらないってのは今回のお話を評価した場合の言葉なんだなーっていうか、
 無駄な演出多いとかあとそういう演出で無駄に時間使っちゃってて綺麗じゃ無いみたいな、あー、それだ
 、妙にそれにこだわっちゃったんだね私、ならOK、そこは理屈で処理するべきだね、それはそれ、これは
 これと、愉しいことを愉しめるのは当たり前、なら評価としてのつまんないという言葉に貶めたその「愉しく
 ない」を愉しむことをできるようにしてみよーていうか既に愉しくなってきたーあーいつまでそんな事言って
 んだはやくはやくこっちきてひだまりがっつり愉しもーよー!
 てな感じ。
 具体的な話全く無しで済ましました。 ノコギリ、ノコギリ。
 
 
 京四郎と永遠の空:
 あなたはなにを求めていますか?
 「正しいこと」を? それとも愛する人のために死ぬことを?
 それとも、失いたくないものを失わないために戦うことを?
 それとも、そうしたものを求められる自分を生きることを?
 それとも・・・
 京四郎は兄に視たものを正しいことと確信しそれを実行し続ける事が正解であると、なによりも深く自覚
 しそしてそれを何度問い直してもそれが正しいことであると答えを出すことができる。
 けれど、それと同時に京四郎はそれがその正しいことを今こうして生きている自分が「求めている」もので
 あるのかどうかに、静かで激しい疑問を感じ始めている。
 何度問うても信奉しているそれは正しくて、けれど同時にその正しさを無条件に受け入れている自分を
 感じ、そしてその裏で自分がなにかを求めていることを強く感じている。
 空は夢の中への王子様に対してなら、どんな綺麗な言葉も文字も書き込めて、その言葉の飾り付けを
 純粋に楽しむことが出来ている事を感じると同時に、今目の前に実際に存在している京四郎に対して
 綴る手紙の中に、一体なにを自分が書き込めば良いのかがわからなく、またなにも書けない自分が居る
 事に呆然としている。
 私は綺麗な言葉を書くことに満足していながら、それだけじゃなにも相手に伝わらない・・・ううん、そもそ
 も私が伝えたい本当のことのなにもかもを書くこともできないって、わかってるんだ・・・
 絶対天使であるという自分の存在、そして白鳥空という存在の中から出すべき言葉を、今まで空は一
 度も書いたことも無く、またそれを書くことを望まないことで、それをこそ真に求めていた自分から逃げて
 いたのだ。
 王子様への言葉をスラスラと書き連ねることができればできるほどに、空の心はさらにその空白を晒して
 いってしまう。
 大事なのは気持ち絶対に伝えたいって強い気持ち、それがあればOKと空は言うそばから、もはやそうと
 言うことしかできない自分の姿を強く強く感じている。
 「正しいこと」に対する想いしかなく、その「正しいこと」を実践し続けている自分のその姿を感じられない
 事を強く感じている京四郎と、同じようにして。
 京四郎のために戦い、京四郎のために京四郎に殺される、そのために必要なことならば、京四郎がそう
 したいと言うのならば、それを忠実に実行するだけの自らが感じているあらゆるものを、鈴一振りの音に
 よってその「京四郎のため」という事に従属変換させていくせつながそして居る。
 空の京四郎への想いに嫉妬することを停止するのもすべては京四郎のため、絶対天使への絶対の落下
 に囚われる白鳥空の存在をただ無造作に許容するだけのすべても京四郎のため。
 せつなはそうして自らを相対化することを鈴の音によって消し去り、自らを相対化するという事行為そのも
 のをすべて京四郎のためにだけ生きる自分の絶対化へと変換していくのだ。
 
 そして空は想う。
 京四郎を失いたくないと。
 そして絶対天使として既にその存在への落下を経験しその存在を有する、今現在の空の意識が、
 その動機を元にして剣を引き抜こうとする。
 私はどんなに悲しくても、今はもう絶対天使。その運命を受け入れることをできる主体的な私。
 戦って、そしてそれで京四郎を失わなくて済むのなら、戦うことそのものが今この瞬間に存在している空
 にとってそれがなによりも必要なことであるという覚悟が生じる。
 京四郎のために、京四郎を奪われないために、京四郎を勝ち取るために、戦う。
 それが主体的に絶対的に生きる空の強さになり、そしてそれこそが絶対天使として今此処に在る空の
 類い希なる自意識。
 だから、空は剣を力強く抜い・・・・・・・
 〜 『好き! 好き! 好き! 好き!』 〜
 私が今まで観てきたこれまでのアニメだったら、たぶんそうして空は今の自分に根ざした最強の剣を引き抜
 き、そして絶望の中にそれでも今生きている自分としての希望の体現としての自らの存在を以て、その
 生存闘争を開始できたのかもしれない。
 でもさ、すごいよやっぱり、このアニメ。
 それでもさ、空は剣を「抜けなかった」んだよね。
 あんだけブンブンと透明な剣を振り回して、決してそれがなにも斬ることができないことを、心の底からしっ
 かりとわかっているんだよね。
 空はなにを求めているの?
 空はさ、京四郎を失いたくないと想ってはいるけど、でも京四郎を失わないこと、それが空が最も求めて
 居ることじゃないんだよね。
 戦わなくちゃ失っちゃうのはそうだけど・・・それでも・・・・なんで私・・・戦わなくちゃいけないのっっ!!
 なんで、戦わないと、涙を流しながら戦わなくちゃいけないの?
 空が真に求めているのは、京四郎を「失わないこと」では無く、京四郎をただ「愛し続ける」ことだけ。
 ただ京四郎と一緒に居て、ただ一緒に行こうと言ってくれた京四郎が大好きなだけ。
 それなのに、なんでこんな・・・こんな・・・
 それでも戦わなければ京四郎を失ってしまうからという「現実論」を、空は自分が求めている訳では無い
 ことを強く強く自覚してしまうんですね。
 こんなの違う・・・こんなの違う・・・こんなの違う・・・・・っっっ!
 要にあるのはいつも必ずその想いで、そしてそれはどんな現実に翻弄されようと、激しく空の中に堆積して
 あるものなんですよね。
 私は一体なにを求めているの?
 あらゆる実感と感情を失い、もはやその叫びにすら熱情を感じられなくなっても、その言葉が必ず要に
 あることを知っているがゆえに、空は、そして京四郎はいつでも自分として今此処にある
 自らの存在の重みを踏まえ、そしてその観点から自らを相対化しそれでも世界の中に存在している、
 その他の存在との繋がりの中にある自分の姿を客観視し、そしてどこまでも冷静に自分が真に求める
 ことに対して真摯にその追求の成果を重ねていくことができるのです。
 なにが現実だ馬鹿、その現実の中に生きている自分がそれでも理想を抱いているのは確かじゃないか!
 現実として生きている今の自分が、その自分だけがその理想を真に叶えることができるのです。
 
 そして空はなにもかもわからなくなり京四郎に体を委ねようとする。
 京四郎との明確な繋がりだけを求めて、ただそれだけしかないと、まるでせつなと同じようにその手段に
 盲目的に従おうとして。
 それで京四郎に抱かれたとして、空が得られるのはただせつなと同じ京四郎のために死ぬことのために
 生きることだけ。第二のせつなを産み出すだけだ。
 けれどもしここで京四郎に拒否されてしまえば、ただ必死に掴んだ京四郎との繋がりさえ自分には与え
 られないのだという絶望を得てしまう。私には抱かれる資格すらもないんだ・・、と。
 目の前には、「空の」京四郎が居る。
 ただ目の前には、空のその選択に対して都合の良い選択肢と悲しい答えのどちらかを無造作に与えて
 くれる京四郎、いや夢の中の王子様しかいない。
 そこに、京四郎自身がどう想っているのか、という思考は無い。
 京四郎は、馬鹿野郎、と言った。
 空はただそれを、自分は京四郎に抱かれる事すら無い絶望の言葉として、ただその言葉の輪郭としての
 意味をだけ捉えている。
 では、京四郎は、どう想いそう答えたのか。
 「正しいこと」は正しいだけで、その正しさを求めている訳では無いと感じている京四郎の視線の先に、
 空の泣き顔があった意味。
 俺は・・・白鳥空を求めているのか・・・? 俺は・・・・
 その迷いの中で、ただ無造作に白鳥空の体だけが与えられたとしたら・・・・
 巫山戯るなっ!! 俺は・・・そんなものが欲しい訳じゃない・・・! 馬鹿野郎っっっ!!
 そしてその拒否は同時に、絶対天使としての空の存在自体を、京四郎が求めているという事に対する、
 京四郎自身の違和感にリンクするもの。
 もしここで空を抱けば、京四郎は絶対天使をひたすら求め破壊し続ける「正しいこと」を求めることに
 なるだけ。
 それを強靱にはね除けることができる前に、京四郎はそうして現実的に目の前に提出されてしまった
 空の体が在ることの「現実」に震え、そしてそれとリンクしている絶対天使をただ求め破壊する「正しいこと
 」をそれに従い導き出される「現実」として受け入れてしまうかもしれない。
 けれど。
 京四郎は、確かに馬鹿野郎といった。
 それは一体、何に対して言ったのでしょうか。
 空の目の前には、その言葉を示した、「今此処に居る京四郎」に囚われている京四郎が居て。
 そして、京四郎の目の前には、その京四郎の言葉をただ絶望的に聞こうとしている空が居る。
 馬鹿野郎!
 そのセリフの後に聞こえた、パサっという音が、空に自らの上着を羽織らせた音に、私は聞こえました。
 とかいって、まさか押し倒した音じゃあるまいね?w
 
 
 まなびストレート!:
 なんか・・不思議な感じ。
 いつもとちょっと感じ違うっていうか・・・・ぱっと見あれなんか違う→もしかしてつまらない?→あれ?、
 みたいな流れで、ちょこっと首を傾げる直前の力加減でギギギと音を立てて停止するみたいな。
 しょっぱなから抽象でとばします。すみません。
 が。
 見てるうちにあーってなってきて、おーってなってきて、最後にあ!って感じで万々歳。
 これはもう、たぶんすっごいんじゃないかなっ、て閃ききたきた。とんでけー。
 ごめんなさい、今、頭の中整理します。ちょっと壊れ気味。
 や、やっぱやめた。まっすぐゴー!
 なんかね、どばっときたんですよ。
 いつもとなんかリズム違くてちょっと驚いちゃったけど、落ち着いて見たら、ていうか見てたら普通に落ちつい
 てきちゃいました。考えるより感じてしまいました。すっごいきちゃいました。わー。
 なんかね、すごい。深い。広い。すごい。結局すごい。
 ギャグの入り方とかも主に桃華スルーネタを軽めに差し込んで、訳わかんないソフト部の描写とか、そう
 いうのをぽいぽいっと見せて、それってなんか意味あるんだろとか頭ひねくり回して考えても答えが出なくて
 、でも貴ちゃん(愛洸生徒会長)にまなびがなにか見えるって言ったシーンで、ががーんってやられて。
 あー・・・・・そういうことか・・・・・・・っていうか・・・・すご・・・・・
 たぶん作りとしての脈絡付けとかそういうんじゃないと思うし、場面の存在意義の説得力材料としてあの
 シーンがあった訳じゃなくて、逆にもうただなんかわかっちゃうだけっていうか、今その瞬間があるだけって
 いうかー、あれな、私な、語彙無いな。無いね。ていうか既に論理的に語るの放棄してるな。な。
 まなびが誰がどこでなにをやるのかと全部覚えてて、それにびっくり仰天する直前で、ただもうそれを知識
 として覚えているのじゃなく、ただもう普通にそれらが見えてくるものとしてまなび全体から吹き出てきてる
 のを、貴ちゃんは感じるんです。中身は残念ながら貴ちゃんには見えなかったけど。
 もうなんか、まなびがそこに居て、まなびがどういう人かっていう情報としての知識の堆積物が吹き出す、
 その息吹そのものっていうか、もうわーっていうかがーっていうか、もうほんと学校の隅々までに広がっている
 その「楽しい」って感覚を有してる存在達の息吹をどかーんっと感じるっていうか。
 だからあの間の映像表現のその個々に意味があるとかそういうことはどうでもよくて、ただそれを越えて在
 るなんかもうどうしようも無いくらいに息づいてる答えそのものだけがばばーんと広がってるいうか。
 今回のお話は全編そういうことっていうか、まなストいう作品そのものが、その個々の設定とか描写とかの
 意味を越えてそこに在り息づいてる事そのものをばばーんと広げてるんだよね。
 だからあのシーンは最高だけど、でもあのシーンはだから逆に無くってもいいみたいな。
 ていうか今回のお話はどうこう語る必要も無く、まるっと私の中にそのまますっぽり置いてみたい、って感じ
 で、で、まなストって作品自体が既になーんにも論じる必要の無い魂そのものみたいなものなんだ、って
 いう前提を持ってることを今回のお話は特別に示してくれたっていうか。
 まなびの、「楽しくて」、「嬉しいから」って言葉がもう、それで全部OKみたいな。
 
 で、無論それは前提ってことで、だからそれを踏まえてガンガン楽しく語ってこうよ! まっすぐGo!みた
 いな感じで行くわけですよ。ほんともう、好きな、この言葉。>まっすぐGo!
 でまーなにを語るかというと、あれな、どれにしよ。
 ていうか、ひとつにまとめてみせようほととぎす。
 とばしますので、振り落とされないように。落ちても私もどうせ最初から落ちてるようなものだから平気!
 えー・・・(深呼吸)
 愛洸の理事長が、子供達が楽しいことを求めて学校から離れていく中で、楽しむことを刹那的に無意味
 に文化祭にて行うことの価値が、敢えて学校に残っている今の生徒達にはあるのか、って感じの言葉。
 あるよ。ていうかあるとか言う必要無いくらいにあります。普通に。
 みかんが夢で見た、自分だけ取り残されてしまう怖い感じ、それを思い出してみんなが夜のプールに
 飛び込んで、自分も誘われたけどそんな事出来なくて、でもやらなきゃ置いてかれちゃうって思うシーン。
 怖いね。確かに怖い。せっかくみんなで楽しくなれたのに、それなのに自分だけ置いてかれちゃやだもん
 ね。
 でもみかんはさ、そこで、どーんって、花火打ち上げたんだよね。あれな、すごいな。
 置いてかれるのが怖くてそれでやりたくないことやるのってなんか違うし、だからってぶーたれてひとり置いて
 かれるのを享受するのもアレだし、そこでぱっと閃いたみかんは花火打ち上げるんです。どーんて。
 やり方違うけど、私も楽しむからねーって。花火打ち上げて盛り上げちゃうよーって。
 別にプールに飛び込まなくたって、みんなと同じことしなくたって、楽しむことはできるんだもんて。
 愛洸の理事長の言葉にただ頷くのって、それってただのアンチテーゼに染まるみたいなもんじゃん?
 現実的に多くの若者がどういう道をとろうと、それとの比較で自分の在り方を決めるなんてさ、おかしい
 じゃん?
 そりゃ確かに理屈から言ったら、学園に残ってる学生達は、「楽しいこと」を求めて学園から離れていった
 若者子供達「では無い」という存在になるわけで、だからその定義からしたら楽しいだけの文化祭をやる
 事はその学生の存在意義を否定することになるんだよね。
 楽しいことを求めているのなら、学校から出て行きなさい、楽しいだけの漫然とした文化祭ならやる意味
 はありません、と。
 それに反論できて?
 いいえ、できません。
 ていうか。
 
 反論する必要無いでしょ、普通に。
 
 学園がどういうものかとかそんな定義どーでもいい。
 ていうかそもそもその定義に基づいてただ言語ゲームしてること自体が意味が無い。
 その定義上の学園の上で遊んでる限り、それはそれに反対しようとしたって結局ただのアンチテーゼにし
 かならない。だって賛成しようと反対しようと同じ定義を共有してるんだから。
 貴ちゃんは言う。私には見えなかった。まなびちゃんの楽しんでいるものが。
 そして、あの場所でしか、私達学生にしかわからないなにかが、その答えをまなびは知ってると。
 そう、答えは既に学園に存在している学生自身が肌で感じているんです。
 学園の内にいようが外にいようが、楽しくやりたいって思うのはみんな同じの、あったりまえの事じゃない。
 学園から離れて社会人として生きてく若者を瞼の裏に映して、そして苦しい顔して勉強にただ打ち込んで
 、ただ「意味のある」文化祭をやって、そうして学生としての「意味」をわざわざ作ることに腐心して、そうし
 てやっと卒業する頃に、ああ、「学園から離れて社会人にならなくてよかった」と虚しくいえるようになる、
 そんなことの一体なにが楽しくて、そして意味のあることなんだろーね。
 全然主体的じゃないし。ていうか、つまんないでしょ、それ。激しく。
 ていうか、絶対「楽しかった」なんていえないだろーねー。ていうか学園万歳とか言えないっしょ。
 だから、楽しくやろう。楽しいこと、みんなでしましょう、この学園で。まっすぐGo!
 それが、学園にそれでも在籍している理由。
 や、違うね、「それでも」って何よ、違うっしょ。そうじゃなくて、ただただそれが学園に行く理由。それだけ。
 ただ選んだ場所が学園なだけで、楽しくやろうっと気持ちはどこに行っても変わらないし、そしてそれは、
 学園の内と外の差別化によってのみそれぞれの意味と価値を得られることをあっさりと蹴散らして、
 どどーんとまっすぐに吹き荒れる!
 学園に通う学生のみんなも、学園から離れて働くみんなも、一緒にこの街で楽しく生きようよ!
 そういうこと、でしょ?
 まなびの目指す学園祭が、地域にも開かれてたりしたら最高だよね。
 だから、学園を選んだ理由なんてほんとは無いんだよね。
 楽しくやりたいって思って、ただそのとき楽しいことがありそうな場所が、学園だったというだけ。
 今を生きる、って言葉、たぶん色々誤解されて汚されてうやむやになっちゃってる言葉のひとつだと思う
 けど、でもみかんの「これは夢じゃなくて、ずっと続くんだって、そう思うと、なんだか嬉しくて嬉しくて、堪り
 ません!」って言葉聞いた瞬間に、なんかもう全部さらーっと流してすんなり理解できちゃう。
 あー・・・いいなぁ・・・・・
 今此処に居るって、そういうことだよね。
 
 
 
 おしまい。 (ばいばい)
 
 
 
 
 
 
 

 

-- 070218--                    

 

         

                               ■■地獄を記録する人■■

     
 
 
 
 
 『子供が出来れば、いやでも大人になれるわよ。』
 

                         〜地獄少女 二籠 ・第十八話・里奈の言葉より〜

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 触る事など無いはずの、その病室の天井がなぜかとても冷たかった。
 真っ白に塗られた壁一面のところどころに、それでも僅かに付着している汚れの数をひたすら数えていた。
 その汚れの醜さと罪悪を想い、そして下げた視線の先に広がる透明な光の奥をただ見つめていた。
 
 
 ◆
 
 子供が出来ない体なのだそうだ、私は。
 見つめた細い体のどこに、そんな恐ろしい言葉が潜んでいるのかわからないままに、ただ私は呆然として
 いた。
 子供が出来ないなんて。
 夫との間に子供をもうけることに、特に固執していたわけではなかった。
 子供など関係ない、ただふたりの夫婦としての愛があれば、いつまでだって幸せに生きていけると。
 周囲の哀れみとも蔑みとも知れぬ虚しい視線を毅然とはねつけ、そしてその漲る力のままに強く生きる
 事ができるのだと、それこそ不幸を幸福の糧として生きようと、私はそのとき確かに想っていた。
 
 ええ、そうよ、私はできるならば子供は欲しかったわよ。
 別に子供の誕生こそが夫婦の絆を高める礎になるとか、或いは馬鹿げた言説だと思う、子供ができて
 初めて一人前という言葉を、受け入れようとしていた訳じゃない。
 子供は、そんな自己実現や自己保障の道具なんかじゃない、ただ純粋に欲しいって思うことだけで
 充分だし、思わないならそれまでというだけだと思う。
 そう、それを踏まえて、私は子供を欲しいと思っていたのよ。
 そしてその境地からならば、どんな周囲の浅はかな祝福だろうと、笑顔で背負ってあげられる気がしてい
 たし、またそうしたいと思っていたわ。
 私は私と夫以外の誰のためにも子供を産むつもりはなかったけど、それでも喜んでくれるのなら、それは
 それとしてしっかりと受け入れてあげるわと、私は思っていたのよ。
 それが・・
 私、子供・・・・産めないんだって・・・・・
 ・・・ねぇ・・・あなた・・・・・私・・・・・
 私はそのとき、確かに不幸を感じていた。
 悲しくて悲しくて、堪らなかったわ。
 私はなんだかんだいって、そうやって周囲の対する「子供を産んでやれる」という特権を有している、その
 優越感から自身のひとりの人間としての自覚を得ようとしていたのだと思う。
 ひとりの人間として認めてくれるのなら、私は子供を産んであげてもいいわよ、というふうに。
 無論、意識的にそう考えていた訳では無いけれど、でも子供を産めぬとわかったときに感じたこの喪失感
 は、確かにその重みによってそれを示していたのよ。
 そしてその愚かで些細で罪な企みの分だけ、私はその喪失によって重い悲しみを味あわされた。
 そしてその悲しみに惑わされることで、もっと本質的な悲しみを紛らわせることができたのよ。
 私にとって、真に恐るべき悲しみは、私が子供を産めないという事そのものにでは無く、ただもう私の子と
 出会うことは永遠に無いという事にあったの。
 ああ・・私・・・・子供産めないんだ・・・・
 どんなに言葉を綴ろうと、どんなに理屈を並べようと、そのとてつもない悲しみは、どんどんと見えないところ
 で私を憔悴させていった。
 そして私はひたすら、周囲から引き受けようと思っていた出産にまつわる様々な事に対する悲しみだけを
 選択的に身につけ、そしてそれゆえにそれをはね除け強く生きなくてはいけないと思い続ける事ができた。
 そして強気な笑顔のままに、どんどんと弱っていく私を感じて、そしてまるで競争のようにして、私は必死
 に弱って消える前になんとか再びしっかりと生きられる状態に戻れるよう懸命になっていたわ。
 周囲の心ない囁きを耳にして、それに憤慨する裏で甚大なダメージを受ける自分を必死に宥め、そして
 衰えていく自分を隠すようにして必死に私は、そういった周囲の無理解に反撃を重ねていった。
 孤独だったわ。
 
 ええ。
 夫はね、自分の事しか考えていなかったわ。
 そのくせ私の事を気遣っていると思っている人だった。
 なんにもわかっていなくて、またわかろうともしてなくて、ただ表面的な慰めの言葉をかけて、そしてただ
 無闇に周囲に噛みついて私を守ってるつもりになって、そして結局最後に辿り着くのは、自分の子供を
 抱き上げることが永遠に出来ないということの悲しみにひとり打ち沈むだけの人だったのよ。
 馬鹿すぎるわ。
 私が悲しみに沈んでいるのは確かだったし、何度もあなたにすがったのも確かよ。
 でもそれでも私は、なんとかその涙を振り払って、なんとかあなたとふたりで強く生き直したいって思って
 いて、そして懸命に悲しみと対峙しそれを振り払おうとしていたのに。
 それだけが、私を追い詰め続けている強大な悲しみを克服する術だったのに・・・ 
 
 私は・・・
 子供が居なければ、人として夫婦としての幸福を得られない、という言説のすべてを否定する。
 そして絶対にそれらの巫山戯た言葉を許すことは無い。
 でも。
 子供が欲しく無い人ならば、その通りで良かった。
 けれど、私は、子供が欲しかった。
 無論人として夫婦としての幸福を得る資格のためになどでは無いわ。
 そう、純粋に、と言っても過言ではないほどに、ただ私の子供が欲しかったの。
 そしてだから、それが望めない悲しみは甚大で、ゆえに私は心底その意味において不幸を味わった。
 悲しくて苦しくて悔しくて、どうしようもないほどに狂ってしまうほどに、絶叫し続けた。
 でもね・・・あなた・・・
 私はね・・・それでも生きていたのよ・・・・
 そのとき私は・・・・そのときの今の中に確かに生きていたわ・・・・
 たとえようも無い悲しみの中に不幸を感じて・・・でも・・・私は・・・・・
 それでも幸せに・・なりたいって・・・・・子供を産めぬ私としての・・・・・幸福を得たいと・・・・
 そう・・確かに思っていたのよ・・・・っっ!!
 
 夫は、限りなく愚かだった。
 子供を産めぬ体になってしまった私の事を、心底憐れんでいた。
 私はその夫の憐憫の情に値する振る舞い、というより醜態を示したのだから、その夫の反応は当然で
 はあったのかもしれない。
 けれど、その子供を産めぬ体になったのは当の私で、そして私はそれでも生きていかなくてはいけない
 のよ。
 そう、それでも幸せになりたいと思い続けながら。
 なのに夫は私をひたすら憐れみ続け、それはもはや私に対する侮蔑に等しい憐憫と化していたわ。
 なんでそんなに・・・・絶望的な顔をしているの・・・・私はまだここに居るじゃない・・・・
 夫の私を見る眼差しは、明らかに人としての幸福を得る資格を失った「子供の産めぬ女」として、私を
 その薄暗い不幸な色彩に貶めるものだったわ。
 巫山戯ないで。
 私は確かにとてつも無く悲しんだけれど、だからって幸福になれないなんておかしいじゃないの!
 夫が悲しそうな表情を見せるたびに、私は無上の怒りを覚えていた。
 勝手に私の人生を決めつけないで!
 私を侮辱するのはよしなさい!!
 
 そして私は夫に選択を迫った。
 
 
 
 夫に、別の女性との間に子をもうけてはどうかと、提案した。
 
 
 
 夫自身の子を、夫の目の前にちらつかせたの。
 そんなに私が哀れなら、そんなにあなたと同じ血の流れる子が欲しいなら、そうしたらいいじゃない。
  私はもう子供を産めないのだから、あなたに言わせればもう夫婦としての幸せは無くなってしまったのだか
 ら、そうしてせめてあなただけでも満足できるようにしたらいいじゃないの。
 私はあなたが幸せになってくれれば、それで満足よ!
 そう、厳しい態度を、示した。
 いいえ。
 示したつもり、だったのよ。
 夫はね。
 もう・・・・どうしようもない・・・・ほど・・・・・・・・
 
 
 
 
 夫は、本当に、本当に、別の女性に子供を産ませたのよ。
 
 
 
 
 幾千幾万の罵倒を一瞬で言い尽くし、その次の瞬間にはもう私の心は滅んでしまっていた事に、ただ気
 付くばかりだった。
 なんという・・・・・・・・ことを・・・・
 怒りも悲しみも、絶望すらも、無かった。
 ただただ、重大な時間が残酷に消えてしまったのを感じただけだった。
 今ここに私は居るという感触を、確かに失ってしまった。
 なんという・・・・・・・・ことを・・・・
 
 私は、養子をこそ、求めていた。
 夫が私の提案を私の頬ごと張り飛ばし、そして叱り飛ばして欲しかった。
 間違ってもそんな事は言うなと、たとえそれがたんなる夫の自尊心と私への一方的な思い遣りに基づく
 ものだったとしても、そう冷たく言い放って欲しかった。
 そうして夫に今の悲しみに震えている私を認めて貰えれば、私は養子を迎えるという案に身を委ねる
 ことができた・・・
 私は子供をもう産めないけれど、でもそれでも夫が私の目の前に居てくれる限り、子供を得ようと努力
 し続けることはできるわ。
 そしてそうすれば、私と夫の両方とも違う血が流れる全くフェアな存在としての養子を、私達夫婦の新た
 な幸せの標にすることもできたのよ・・・
 そしてそれができると夫が言ってくれたならば、私はもう子供を得たいと思うことを忘れ、そして夫とふたりの
 生活の中に「子を持たない」ひとりの人間としての幸福を得られると思っていたのよ・・・
 それを・・・・あの人は・・・・・・
 
 夫は苦しそうな顔をして、こう言った。
 すべてはお前のためだ、と。
 その顔にははっきりと、子供を産めなくなった悲しみに囚われているだろう私への憐憫に似た侮蔑が浮か
 んでいた。
 おまえも他の女に夫を取られて苦しいだろうが、俺だっておまえ以外の女との間に子を作らねばならなか
 った事に苦しんでいるんだ。
 わかってくれ、苦しいのはお前だけじゃない。
 そしてそれはみんな、お前のためなんだ。
 お前がそれでも喜んでくれると思えば、俺はなんだってやってやるさ。
 ・・・・・・・・・あなたって人は・・・・
 どうしようもない。
 ほんとうに、ほんとうに。
 
 
 急速に冷え固まってきたなにか。
 それはやがて輪郭を顕し内を固め、そしてその全貌を得ていった。
 冷静な心だけが、最初から無事だったように、私の中に残った。
 あの人は私のために、別の女に子を産ませ、そして私達夫婦の子とした。
 私がそれを了承する訳も無く、そしてそれを絶対に許す訳にもいかなかった。
 夫は優しい人間だったし、悪い人間でも無かった。
 けれど、どうしようも無く、愚かな人間だった。
 一体私を、女をなんだと思っているのよ、という金切り声を自分の中に閉じこめて、私はただひたすら
 夫を批判する言葉を並べていった。
 女には子供を宿す能力はあれど、その能力を活かさなければならない義務は無いし、またそんな義務の
 ために子供を宿し産みたいなどと思う女が居る訳が無い。
 夫婦のために子供を得たいと思っても、実際に子を孕み腹を痛めて子を産むのは女だけであって、その
 事で生じるあらゆる弊害なり苦痛なりがある限り、女は絶対的に男に対してのハンデを背負っている。
 なのにそれを考慮せずに、子を産むのは女の仕事だ役割だ義務だなどというのは、全く女の人権と人格
 を無視した不平等な言説であって、論ずるにも値しない。
 いいえ。
 それ以前に、女である私の苦しみを、全く見て無い証拠でしょ、そういうことを平気で言えるのは。
 どうして、他の女に産ませた子を私が喜んで受け入れると思えるの?
 ええ。
 私だって、しっかりと段取りを踏んで、ひとりの女としての私を認めてくれて、それで子を得られない苦しみ
 を共有していることを実感できる境地からなら、涙を飲んでそれを「許す」ことはできるわ。
 私が、子を産めない体になった私こそが、夫のために涙を飲んでそれを「受け入れてあげる」のよ。
 主導権は、だから絶対的に私にある。
 夫が妻に対して、妻とはそうであらなければならないと命じることでそうなるのでは、断じてない。
 妻が、妻自身の命ずるままにそう決断したがゆえに、そういう特殊なことも起きえるというだけなのよ。
 間違っても、夫に与えられた「お情け」としての他の女との間に出来た子の享受であってはいけないのよ。
 だから、許せない。
 絶対に、絶対に、許せない。
 私には・・・
 私には・・・・・・
 
 あの子を・・・・・・・
 
 
 あの子を・・・それでも私の子として受け入れるよう努力することさえできたのに・・・・
 
 
 その機会をすら、夫は奪ったのよ。
 
 無造作に、無神経に、私にあの子を投げて寄越したゆえに。
 
 
 
 
 ◆
 
 夫は、私の顔を見ながら私を無視し続けていた。
 そして勝手な優しさや気遣いを押しつけて、ただ天真爛漫に苦しそうな笑顔を見せつけてくれた。
 私はもう、ただただ凛と背筋を伸ばして、その夫の無礼に対するしかなかった。
 うららかな午後の縁側で、あの子がころころと無造作に遊んでいる。
 私にとって、あの子はその辺の犬や猫よりも無機的な存在だった。
 その前に能面を晒す母親として座した私は、あの子にただのひとつの笑顔を見せたことはなかった。
 目の前に、呪詛を込めねばならない、すべてのものが居た。
 私は、あの子に、すべての怨みを込めねばならなかった。
 目の前に既に存在してしまった、その「私達夫婦の子」という絶望が、私の前に立ちはだかっていたのだ
 から。
 私の子は、夫によって奪われた。
 目の前の子の姿が、そのすべてだった。
 これは私の子じゃない。私が認めた子でも無い。
 なのにその子は、私の目の前に居る。
 その「私の子」の目の前に、「その子の母」たる私が居る。
 絶望だった。
 生涯私は、この無機的な存在を目の前におかねばいけないだなんて。
 そして夫は、その悪魔よりも冒涜的な存在を心底幸福そうにして抱き上げ、そして笑顔を晒している。
 その笑顔は、私に、そして私との「子」に向けられるべき笑顔だったのに・・・
 目の前の子は、私と夫の子でも無く、そして私と夫の両方に認められた子でも無い。
 夫は、ただただひたすら、そうして既に存在している「我が子」を愛してやまないのだ。
 そして。
 最も絶望的なことだったのは。
 
 
 夫にとって、その子の存在が既に在ることが、すべての自己正当化に繋がるものでしか無かったこと。
 
 
 どんな経緯で産まれてこようと、子供には罪は無く、ゆえに妻の態度は母親として失格であり、だから
 自分にはそれを責める義務がある。
 そして。
 自分には、その子を守る絶対的な責務がある。
 夫はその言葉に全力を傾けて全権を委譲し、そしてすべてそこから始まることに完全に逃げ込んでしまっ
 たのよ。
 妻がいつまでもああいった態度をとり続けるのは、子供を産めない体になってしまった事の悲しみが消えず
 にいるゆえであり、そして「了承した」とはいえ他の女性との間に出来た子を自分の子として認めること
 が「感情的に」出来ないでいるからであって、確かにそれらの責はすべて夫である自分にあり、それゆ
 えに妻には謝り続けなくてはいけないし、そしてまた多少のことは赦してやろう、と。
 そうして夫は、根本的な問題から見事に目を逸らす事に成功し、そして改めて私を侮辱し、さらには
 私のこれからのすべてを奪っていく。
 夫が自身を責めることになんて、意味は無い。
 そしてどんなに謝ってくれたって、過去は変わらない。
 怨みは、残る。
 けれど。
 本質的なことは、そこではない。
 その消えない怨みが私にあることを認識し、そしてそれでもその怨みの因を見極め、そしてゆえに私が、
 その怨みを抱いた「今」の私が、決してその怨みを晴らすことにでは無く、それでも夫と一からやり直し、
 そして共通の認識の元に、一刻も早くあの子を大事な「私達の子」にしなくてはいけないと考えている
 事に気付くことこそが、最も根本にあることなのよ。
 夫婦の想いがバラバラのままに、ただ子供を愛せといったところで、そんなことができる訳も無い。
 そしてバラバラになった事の原因を見極めそして自覚しない限り、それは永劫ひとつにまとまる事は無い。
 夫は自分が全部悪いと言っているけれど、それは悪いと言う事にしか意味を持たせていない代物。
 悪いという事に意味はなく、ただただその悪いとされたことの修正を以てのみ、その謝罪に価値が付く。
 夫は根本的に、今の状態をそのままより良い状況にしようとしているし、それが正しいと思い込んでいる。
 そう、私をすっかりと無視して。
 私にとって、夫とあの子との生活はただ地獄でしか無く、それを深め高めることはただその地獄を深め
 高めるだけでしか無いということを、夫は無視しているわ。
 自分の満足をさらに深めるだけの正当性を目の前のあの子の存在により獲得し、そして自身の満足を
 邪魔するだけの存在の妻を「責めないであげる」権利を、私の「哀れさ」により獲得している夫。
 言語道断よね。
 蔑視も甚だしいわ。
 
 そして緊張だけが深まっていく毎日を重ねていった。
 そして。
 私は。
 それでも、諦めなかった。
 夫への静かなる反抗と。
 そして。
 あの子を受け入れる努力を。
 私は、あの子が私にくれると言ったおはじきを、それを差し出したあの子を無視して見つめていた。
 そして私は、あの子が悲しそうに縁側から出ていった後に、ひっそりとそのおはじきを掌に収めた。
 私は・・・
 あの子のことを、認める訳にはいかなかった。
 夫が私を認めるまで、私と共にあの子を「私達の子」にするまでは・・・
 だから私は私で、そのための準備をしようと、無機的にあの子のおはじきを通してあの子の存在を受け
 いれようとした。
 そう、本当に、ただただあの子を「私達の子」にすることを私だけは諦めないと、そう願い掛けること自体
 の象徴として、私は無機的にそのおはじきを勝手に拾ったの。
 おかしな話よね・・・あの子との意志疎通のためにあの子の顔を見て笑いながら受け取らなくちゃ、その
 意味は無いのにね。
 でもね・・・・
 
 
 私は、それでも、その手にしたおはじきを、手放すことは、絶対無かった。
 あの子の顔が・・・・・おはじきを通して、確かに見え続けているのだから。
 
 
 夫が私を認めようとしない限り、私のこの小さな努力が実を結ぶことは無い。
 どんなに私があの子を受け入れようとし続ける努力を、血が滲み骨が軋むほどまで続けても、それは
 結局のところ自己満足にすらなれないほどの儚いもので終わるでしょう。
 夫は、あの人は、ただただあの子を認めて欲しいと、自分を許して欲しいと言うだけなのだから。
 あの人は、本気でそういう事を言う人なのだから。
 でもね。
 だから、なのかもしれないわね。
 あの子を、本当に認め受け入れることができるのは、私しかいないって事を、肌で感じるのよ。
 夫にどう言われようが、周囲がどう見ようがに関係無く、私の目の前に居るあの子は、もう既に夫が
 感じているその自身の子という意識よりも深く、私にとってかけがえの無い存在になっていたのよ。
 私は、夫の愚かで不誠実でアンフェアな言葉を全霊を尽くして否定することで、確かにその目の前の
 あの子への愛を感じていたわ。
 夫によって、その存在を踏みにじられた、ふたつの存在としての共感。
 そしてそれがただ私の一方的な感覚でしか無いことを感じることで、それを越えて私はあの子を確かに
 捉えていた。
 
 そう。
 「私達の子」では無く。
 
 「私の子」、として。
 
 
 
 
 
 
 
 ++ 地獄の記録が途絶えるとき
 
 
 
 
 
 
 ◆
 
 あの子への深い愛を感じて、私は家を飛び出した。
 女の理屈として、プライドが許せないとかそういう事柄を真面目に反芻して、そうでは無くただあの子が
 愛しいこそゆえに、私はひとりで生きられると想っただけ。
 あの子の事を私の子として受け入れることが出来たゆえに、私はあの子を不要とする私自身を生きる
 決心がついた。
 無論、嘘よ。
 そのときの私はただただ、あの子を慈しみながら生きる幻想を抱きながら、ただもう理屈をこねることすら
 できないほどの憎悪に駆られて家を飛び出していただけ。
 愛したがゆえに一緒に居られない、それは憎いがゆえに一緒には居られないということ。
 私は、まだ、夫のことを諦める訳にはいかないのだから。
 あの子をただ私だけの子として、夫と別れて生きるつもりは無かったのだから。
 私は夫とあの子との生活を真に目指しているがゆえに、家を出た。
 夫を愛しているがゆえに、夫を憎まないわけにはいかなかったのよ。
 夫と夫婦で居たかったから、あの子と共に幸せな家庭を築きたかったから、だからそのために必要な認識
 を夫婦間で培わなくてはいけないのよ。
 だから、諦める訳にはいかなかった。
 絶対に、夫を許す訳にはいかなかった。
 
 それでも一度、私は諦めかけた。
 ひとりで暮らすことの辛さが、自らのやっていることに疑問を抱かせ、そして不安にさせた。
 こうしてただ夫を待っているだけで、本当に良いのかしら。
 絶対に信じられない夫を、それでも信じ続けていることを、本当に続けていて良いのだろうか。
 わからなかった。
 堪らなかった。
 あの子には内緒でときおりこっそりと私の元に訪れてくる夫に、最初はそれでも少しの期待を抱けてはい
 たけれど、その回が重なるにつれ、やはりどうしようも無く夫の眼差しの意味を感じずにはいられなくなっ
 てしまった。
 やっぱり・・・この人はまだ・・・・・幸福な家庭を築く気は無いのね・・・・
 夫のその目は、紛れも無く、ただヒステリックに飛び出した妻をやれやれといって迎えに来た愚か者の目
 そのものだった。
 なにも、わかってはいなかった。
 そして私は、その当たり前な事実に、ただただ再度向き合わされただけだった。
 結局私のこの独り暮らしの生活は、その夫の愚かさという事実からの逃避でしか無かったの・・・?
 そしてただなにも知らないお姫様の如く、ただただ優しい夫の迎えがくるのを待っていただけだったの・・・?
 その夫は、優しいだけの男から全く進化していないとわかっていながら・・・・
 
 煮えた。
 
 
 そして、トラックの前に身を投げ出した。
 
 
 
 なにもかも嫌になった、という言葉が不覚にも最も適切な表現だった。
 それ以上は、言いたくても言えない。言葉が無い。
 そして。
 残酷にそして当たり前の事として、それでも死ななかった私にはそのツケがまわってきた。
 介護無しでは生きられない体と、そして、夫の魔の手が。
 
 
 あの家を出て何十年経ったのか。
 身動きの出来ない私をすっかりその苦渋に満ちた笑顔で陵辱し、そしてその優しい声色を以て私を
 夫はこの家に幽閉した。
 最悪。
 この家の中で夫の自己満足の介護を受け、そして介護される弱者として夫に従えというの?
 最悪だわ。ほんとうのほんとうに、最低だわ。
 絶対に許されないことだった。
 夫はきっと、この介護の苦しさですべてを丸め込み、そして完全な充足を得る気なのよ。
 私は何も出来ない体になって、世話されなければ生きられない体になって、だからどんなことだろうと
 夫に文句をいうのは筋違いで恩知らずで悪だ、と見なされそれで完全に納得されてしまうのだ。
 夫にとって絶好のチャンスにして、私にとって絶対のピンチ。
 こんな屈辱を受け、そして私が今まで培ってきたフェアで幸福な家庭の夢をすっかり壊されてしまうくらい
 なら、いっそ死んだ方がましだわ。
 けれどその想いは一瞬で消える。
 諦める訳には、いかないから。今ここで死ねば、それで夫に完全に服したことになるのだから。
 そして。
 
 
 あの子が、見ているのだから。
 
 
 
 ◆
 
 成長したあの子にとって。
 いいえ、産まれた瞬間からのあの子にとって。
 私のこの姿は最も醜く、そして罪悪にまみれたものに映ったことでしょう。
 私の理屈はあの子にはなんの関係も無いことであるのを、私はしっかりと自覚し、ゆえにだからこそその
 娘の視線にさえも負ける訳にはいかなかった。
 もう誰の視線にも、負けることはできないのだから。
 なぜなら。
 
 私は、子供を産めない体の上に、身動き一つできない体になってしまったのだから。
 
 私にはもう、周囲の無理難題を、それでも「叶えてあげる」ことすらできないのだから。
 私にはもう、自らの主導権を活かすことができなかった。
 だからもう、あとはただただひたすらに今の自分の正義を貫くことしかできなかった。
 この身を以て、ただただ周囲の悪に抗するしか、なかった。
 そしてその私の姿に、ただただその意を汲み取る事無く、その嫌悪だけを感じられてしまうだけでも、
 私はただそうして全力で反抗するしかなかった。
 あの子に対しても、もう、そうするしか・・・・・
 でも・・・夫に対するそれとは・・・・少し・・・違っていた・・・・
 夫に対するそれは、ただの我が儘でヒステリーな反抗では無く、厳格な抗議としての我が儘でありヒステ
 リーであり、ゆえにそれは絶対的に夫に対する非難であり、また夫に更正を求める叫びでもあった。
 けれど。
 娘に対してのそれは・・・・・・・
 たぶん・・・・我が儘でありヒステリーである・・・・・・・
 
 私を殺してくれという、挑発だったのよ・・・・・
 
 
 私は、娘に対して非難することも更正を求めることの、それら一切が無かった。
 私はただ、自分の醜さを、ただただ怨むほどに見て欲しかった・・・
 これが・・・私の・・・・・あなたの・・・・母親になるべき人間の・・・・・罪にまみれた姿なの・・・・・
 だから・・・あなたには・・・・私を怨む権利があるの・・・
 私はあなたに・・・・・・なにも・・与えてやれないどころか、寂しさや苦しさだけしか与えなかったもの・・・
 ごめんなさい・・・・
 あなたのおはじき・・・・・勝手に貰っちゃって・・・・
 私は、掌の中のおはじきを握りしめて、これが地獄への切符となれると確信していたわ。
 私はもう・・・・
 どんなにあの子のために生きようとしても・・・・
 こんな体になってしまったんだもの・・・・・
 居るだけで、存在するだけでもう・・・・あなたに甚大な迷惑をかけるだけになってしまったのだもの・・
 
 
 だから私を、あなたが、殺して。
 
 あの偽善者が、あなたのために私を殺す前に。
 
 
 
 
 
 
 --
 
 夫の声が聞こえるわ。
 妻をあんな姿にしてしまったのは自分のせいだと。
 もはや笑えもしないわ。
 あなたにそんな事を言う資格はありません。
 この私の浅ましい姿を見てよいのはあの子だけです。
 この私の醜い姿を詰ってよいのはあの子だけです。
 私はこの姿を、あなたに憐れんで頂いたり怨まれたりするために見せているのではありません。
 それなのに・・・・結局・・・
 あの子のためにと、無駄な最後通告を私に示しながら、その勢いのままに私を地獄に流してしまったの
 ですね・・・・
 覚悟は・・・出来ていたわ・・・
 私はいずれ、あなたのその愚かな怨みによって殺されると・・・・
 出来うるならば私は・・・・あの子に殺されたかった・・・・
 まともな母親として生きることを、その絶対根本のところで認めてくれる私の子に・・・
 まともな母親として生きることを、ただ強制し命じることしかしない夫に殺されるよりはずっと・・ずっと・・・・
 だから・・・あなた・・・・・
 私から申し上げることは、もうなにもありません。
 もう何十年も続いたこの地獄を、それでも手放すわけにはいきません。
 
 『あなたを許すなんて、あの子を認めるなんて、私にはできません。』
 
 この私の最後の言葉が、あなたの行動を正当化することにしかなれないことを深く自覚して。
 先に、逝かせて頂きます。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

+

 
なんて・・・呼べばいいのかしらね・・
あなたとは、私がこの家に戻ってきてからは、ろくにお話してなかったものね。
そうね・・・・・里奈さん・・・と呼ばせて頂くわ。
あなたには、嫌な思いばかりさせてしまったわね。
 でももう・・・私はいくから、心配しないでくださいね。
あなたとは、もっとちゃんと、いいえ、そう・・・何度もお話したいなって思っていました。
あなたは、私という不出来な母親役の人間のせいで、多くのものを失ってしまいました。
あなたの母親の役に私さえ就いていなければ、こんな事にはならなかったと思うと同時に、
ただそれは私がまともな母親になれなかった事の責任の放棄にもなると考え、
やはり私はその最低な母親役としての責任を負いたいと思います。
もっとも、そんな程度の言葉で、あなたの受けた苦しみを語り終えてしまえるとは思えません。
ただ、私に言えるのは、言葉にして表せるのはそれだけ、ということなのです。
すみませんでした。
私の死があなたに与える影響がどんなものであるのか、私はわかりません。
少なくとも私の存在によって引き起こされていた、様々な不快な思いは無くなるのは確かでしょう。
そしておそらく、私の真意をあなたは綺麗に受け取ってくれたのもまた、確かでしょう。
 
私は、最低最悪な母親でした。
そしてあなたは、そんな私を憎み怨み、殺そうとしてくれた。
 
あなたは、私をそういう形で認めてくれました。
私はあなたの父親に、これとは違う認め方を求めていました。
ただ私とふたりで、夫婦として対等に、子供を得て育てることを、ただそれだけ。
そして私は、あなたには、それを夫に求め続けることで、肝心の目の前のあなたを放り出してきた、
その不実な母親としての私を責め、そして決して許さないと言って欲しかったのです。
 
私はただ、女として妻として、そしてただただ母親として幸せになりたかった。
 
それが今の、そう、今の私の真摯な気持ちです。
そしてすべてが終わったのちに。
ようやく、あなたのお父さんのことがわかりました。
正確にいえば、あなたのお父さんに対して私がどうするべきだったのか、です。
私は、夫の愚かさをただただ認めることができず、また信じることができないがゆえに、
ただただ夫を信じて待っていました。
それはつまり、夫の愚かさを夫の責任として夫だけに押しつけ、その夫の更正を妻である私が
率先して行うことを一切放棄した、ということでもあるのです。
私は夫をただ非難して、ただそれだけだったのです。
無論、それだけしか私にはできなかったのだ、と地獄に堕ちた今は思います。
でもね。
里奈さん。
私が夫の前に居るとき、夫の愚かさを前にしたとき、その同じ言葉を自分の頭の中に真っ直ぐに
思い浮かべることができていたのなら・・・
たぶん私は、どうしようも無く、それだけしか私にはできなかったのだ、という言葉を否定して止まない
ことだったでしょう。
なぜなら。
そう。
なぜなら。
 
 
里奈さんが、私の目の前に、居たから。
 
 
私にとってあなたは・・・・
私の腹を痛めずに産まれてきた、他人の子であり・・・
そして・・
私の子という存在を以て、私にそれでも母親の自覚を与えてくれる人でした。
 
だから。
 
ごめんなさい。
 
 
 
 
あなたに、最後まで私の子としての自覚を与えることができなくて。
 
 
 
 
 
 
 おはじきを通じてでは無いあの子の手のぬくもりが、ようやく浮かび上がってくるのを感じている。
 
記録をつける者の、消えていた記憶として。
 
 
 
 
 
                                ◆ 『』内文章、アニメ「地獄少女」より引用 ◆
 
 

 

-- 070216--                    

 

         

                                 ■■ エガオの理由 ■■

     
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 

--  『この素晴らしい絵に、乾杯。』  --

 
 

××× xxxHOLiC 真夏ノ夜ノ夢・壱原侑子の言葉より ×××

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 まるで宇宙が透けて見えているような不自然な蒼。
 宇宙は光無き漆黒の世界であるはずなのに、此処から見上げた空は果てしなく深い蒼だった。
 その蒼い空の向こうに漆黒の闇があるのか、それともその蒼い空こそが真なる宇宙の姿なのか。
 その問いの答えを胸の内で反芻する途中で、いつも必ずそれと共に吸い込んだ風が蒼みを帯びている
 のが見えてしまう。
 視線の先を彩る世界は、血よりも黒い闇を孕んだ、その澄んだ蒼い裸身を晒していた。
 どんなに黒くても、どれ程汚く醜い生命のおぞましさを横たえていても、そこに広がっている絶対の蒼
 を前にしては、そのすべての真実の色合いすら、ただひたすらあるがままにその憂鬱の毒気を失って
 しまう。
 そしてその青空に隷属した陰鬱な闇は、その蒼い世界の裏側に張り付き決して絶えること無くその魂を
 存続させていく。
 
 禍々しく蒼い空。
 
 けれど。
 それは確かに、清々しくも、深い愛を湛えた蒼穹だった。
 
 その蒼を受け取れる瞳が、たとえどんな色であろうとも、その絶対の愛はまた、その悲しみと苦しみと
 同じほどに、その存続を残していく。
 視れば其処に、すべては顕れる。
 そして視る者が此処に在る限り、それが絶えることは決して無い。
 
 
 ◆
 
 細かに色塗られた、その深い色合いの広がりが、決してそれ単体としての威力を全面に押し出すことは
 無く、けれど必ずその存在無しではあり得ないような映像世界を提出している。
 人物が深く青い空の下を歩いていれば、視点はその人物に移れども、しかしその視界の外にその青い
 空が無限に存続してあることを必ず感じずにはいられない。
 建築物やその内装のひとつひとつに至るまで、その繊細でありながら大胆な色遣いを以て、それら自身
 の存在にそのようにして静かに気付かれるのを前提とした誇示をなさしめ、無造作に床に転がる酒瓶で
 すら、それが物として唯在ることを顕示していることから目を逸らすことができない。
 人物達が動き、そして意味を隠した言葉を示すことに引き込まれた瞬間に、それと同時にしてその人物
 が居る場としての世界が、そのままの活力を以て激しく息づいているのを感じてやまない。
 衣擦れの音がしゃなりと響いたその落ち着いた部屋のたたずまいそのものが、その音とその衣を引きずる
 人物と、そしてその部屋そのものとその内にあるものすべてのひとつひとつの命を丹念に描き出している。
 しかしそれと共に、それら別個として自らの存在を主張しているあらゆる物質達は、決してただその他の
 存在達から浮いた孤立した存在の連鎖として、その姿を晒しているのでも無い。
 人物が一歩動けば、必ずそれに響き合うようにしてその場に居合わせた物はすべて反応し、そして視点
 の移動と共にその余韻を預かり視界の外に消えていく。
 その消滅ですら、もはや存在感を得てしまう。
 まるでめくったページの分だけ、ページの山が歴史として残るように。
 映像が進むにつれ、それが重ねた時間の分だけどんどんと色々なものが堆積していく。
 そしてその色彩豊かでありながら、それらの混交によってただ深みだけが強調されていく、その堆積として
 の退路の閉鎖が、無限に足場には広がっている。
 
 あの映像の中で、あの時間の中で、ワタヌキや侑子達は、決して先に進む事を止めていない。
 煌びやかでありながらも埃に埋もれているような、無垢で透明でありながらも生臭い鼓動を感じさせる、
 そんなひたすら内側に向けて広がっていく閉じた館の中で、彼らはその館が織りなす存在の重みの中へ
 どっぷりと沈むようにして進んでいく。
 幻想的でなのにどこかリアルなスタイリッシュさを感じさせ、ただ空虚なデザインとしての諸々の館内の描
 写が、その「描写」というものから飛び越え既に端然とそこに存在している物として描かれ、ワタヌキがそ
 の中でどんなにコミカルに動こうと、決してその動作を浮いたものにせず、必ず捕らえている。
 絵画で埋め尽くされた世界を歩いているのでは無く、まるでその絵画の中の世界を歩いているような感
 覚。
 なのに、間違い無く、それが幻想的な世界であり、それを見ているワタヌキという存在と距離を置いて
 居るのを感じてもしまう。
 ワタヌキは夢の世界の中を歩いているように見えながらも、それでもワタヌキが夢を見ながらただ歩いてい
 る姿がどうしても見えてきてしまう。
 人物の線が漫画チックであればあるほど、其処に誰かが居るという事の象徴としての姿を、堪らなく感じ
 てしまう。
 其処に、ワタヌキという存在がある。
 
 視点の移動と共に、その移動の中心にあるのが人物だという事がわかり、そして過ぎていく風景としての
 館の内部のものがすべてそれを越えて在るのを感じ、けれどそれら蠢く存在達の重みを感じていながら
 も、確かに視点がワタヌキ達に在るのがわかる。
 ワタヌキ達が其処に居るのを、それをただの孤立した存在として捕らえることが無くて済んでも、けれど
 そうであるからと言って、ワタヌキの存在無しではこの世界は動かないということを、ただ特別に感じても
 いる。
 そして実際はそのような認識では無く、ただもうひたすらワタヌキ達と共に前に底に向けて進んでいるのを
 感じているだけでもある。
 館の中をトコトコと歩き進み、様々な異質で不思議な光景を目にして、けれど必ずその光景達の中に
 溶け込むことなく、ただ前に進むという歩行自体が導く道にのみその存在を続かせている。
 自分以外の存在は確かに存在し、ゆえにそれらの存在と自らが一緒になることは決して無く、またその自
 らの存在そのものが、既に他と決定的に隔絶していることを明確に伝えてくれる。
 ワタヌキが前に進み、過ぎていく風景として豊かで奥深い世界を捉え、そしてそれでも確かに自らのこの
 歩行そのものがそれらに影響を与え、また自らもこの館の中を進むことでその影響を受けていることを感
 じてもいる。。
 
 ++
 ワタヌキと百目鬼が侑子を捜して館内を歩き回っていたシーンを、最初私はそれ以前のシーンを鑑みて
 なんらかの意味付けをすることに腐心していました。
 なにかをコレクションするという事の行為の象徴、或いはその成れの果てとしてただその物質の堆積を示
 しているのか、などと。
 それだけでは無いですけれど、確かにそうした意味付けを元にしてこれらのシーンを見ていくのは有意義
 ではありますけれど、しかしアニメという媒体が持つ、その映像として絵画としての素晴らしさを、その表現
 されたもの自体から素直にしっくりと受け取る、つまりアートを観ての感動というその体感的な揺らぎがあ
 ってこそ、この作品はその奥深さを真に華開かせるのだと思いました。
 あのシーンは、紛れも無く、美しかった。奇妙で胸にぐさりと刺さるような、この感触としての畏怖。
 そしてその芸術としての畏怖を越えて、確かにそれがひとつの物語に統べられたものとして、改めてその
 関係性の中に埋没して在ることを感じるのです。
 ゆえに、深くて、重い。どんな軽薄も、虚飾をすらも越えて。
 ++
 
 そして、重ねた物語の時間の果てに、その物語の中の存在のすべての重みがのしかかる。
 館の内より、その館の存在のすべてを象る、その「人物」として他と隔絶した存在が顕れる。
 館の精。
 それがどんなものであるかという説明の一切を不要として、もはやその名をすら不要とするその存在その
 ものとして立ち現れた人物。
 ただ淡々と物語を進めそして、それを終わらせることなど無く、ただの存在の経過と共に閉じていく。
 館内のすべての存在がその個としての魂を表出させ、侑子達に襲いかかる。
 あのシーンは、実に秀逸だった。
 出てくる器物の妖怪のようなキャラ達が、実は妖怪のような象徴されたけばけばしさを持たずに、ただその
 器物としての存在そのままに、その一切の「人格」を示すこと無く無機的に人間の動きを真似て襲いかか
 ってくる。
 ワタヌキと百目鬼はそれとがっぷりと組み合って格闘し、そして侑子はそれらに一切怯むこと無く、ただま
 っすぐにそれらを操る館の精の元へと進んでいく。
 決してそれらの攻撃の影響を受けない訳では無く、よろめいたり倒れかけたりもしながら。
 しかし、必ず前を見据え翻弄される自らの体を自覚しそれを前に進ませるために平然と律し、そしてただ
 真っ直ぐに館の精の元に進んだのだ。
 絶え間なくひたむきに、ただ自らの全存在のままに、真っ直ぐと。
 他の存在に囚われながら、決して囚われる事の無い自存在を信じて。
 そしてその前進が重ねられるたびに、館の精は侑子が実は絶対に自分は負けないことを知っているとい
 うことに気付き、恐怖し始める。
 運命として必然として侑子は自らが少なくともこの場にて敗北することは無いことを知識として知っており、
 けれどその知識を越えてただ自らの信じるままにその運命と必然を具現化する自信に、ただただ侑子は
 満ち満ちているのだ。
 未来が見えるから強いのでは無く、未来を視ているがゆえに強いのだ。
 負けない未来を見続けている今の自分にひたすら打ち込めるゆえのその強靱さが、館の精の企みを
 すべてうち破り、そして侑子は最初から「知っている」問いを館の精に投げかける。
 あなたが、本当に欲しいものはなに?
 
 
 --
 なにかを求め続けることは、それは何のためにしているのかしら?
 コレクションするのは、それは一体なんのため?
 なにかを集めるという行為そのものが目的なのかしら?
 それともそのなにかそのものを得ることが目的なのかしら?
 なんのために、あなたは生きているの?
 その問いに答える必要が無いほどに、あなたは既に激しく生きているのかしら?
 その問いを必要とするのは、なぜ?
 そして、いつだって、その問いに対する答えを知っているあなたが居るのは、なぜなのかしら。
 --
 
 
 様々な人が居て、それに囲まれている者が居て。
 あらゆる存在の中に在る自らを感じて。
 ただすべてがあるがままにある、ということ自体が既にその「あるがまま」という言葉の価値を無効にしてい
 る。
 周りの存在達と響き合い、変わり続けていくことが、既に「あるがまま」という事の外殻を綺麗に取り巻い
 ているのだ。
 なるようにしかならない、すべては必然で運命のままに。
 それはすべて、その言葉の価値自体に見出すべきものを含まない代物。
 運命と必然、その言葉を示した先に見えてくる、その言葉を聞いたあなたと。
 そしてその言葉を発した私が、紛れも無くただあるがままに変化し続けて存在している。
 運命や必然を信じることに意味など無く、ただその言葉を実現させるために今を生きている事だけに
 意味とその真の価値がある。
 だから、運命や必然はあるといえる。
 だから、運命や必然があると、ただ不敵に言い放つことができる。
 
 館の崩壊と共に、その館という名で括られたひとつの世界の意味は消滅した。
 けれど、その解き放たれた館の中の存在のすべては、この蒼く果てしない宇宙の下に広がっていった。
 終わることの無い、存在の存続。
 すべての関係性は解かれ、しかしその関係の歴史は消えること無くひっそりと堆積し、そしてまたその堆
 積を足場にして新たな関係性を、その今現在存在し直面している世界の中に瞬時に築いていく。
 館を失った館の精も、そして幼き幻影を背負う少女は年老いても、自身が直面する他の存在達の感触
 を失うことは絶対に無いままに、その出会いの遍歴を重ねていく。
 それが縁。
 運命でもあり、必然でもある。
 たとえ自らの求めたものがすべて失われたとしても、求める事自体を欲するHOLiCに囚われても、
 そしてたとえ自らのすべての想いと感情が消え果てたとしても。
 その自らの存在に広がる、そのあまりにも奥深く広がる他者達の存在と、そしてそれらとの絶対的な繋が
 りは、決してこの世から消えて無くなることはない。
 その歓びが、その愛が、すべての苦しみと悲しみを内に含み、燦然と深く蒼く、この空には広がっていた。
 
 ++
 館の精がかつての館の主人だった少女と、長い時を経て再び出会った瞬間のその表情は、この作品で
 最も深く重い表情でした。
 少女との別れの際に約束した、少女のために誰も集めないようなものを集めること、その連続の中で
 その少女を待ち続けていた館の精。
 いつしか少女を待つことを忘れ、コレクションのために少女の帰還をさえ拒否し、もはやコレクションし続け
 る事に愛を感じていたひとつの存在。
 そしてその蒐集の堆積としての館の存在が内から自らを形作っていた。
 けれど、少女の絵を見た途端。
 自分の中に、本当の答えが最初からあったことに気付いて、その築いた館の存在はあっさりと崩壊を
 遂げる。
 今までの自らの時間の経過の重みをその館の喪失と共に深くどこまでも感じ、すべてを失った悲しみすら
 も感じ得ないほどにただただ消えゆくだけのその存在が、その目の前に現れた少女と出会う。
 少女が持っていた館の鍵は、いつのまにかその館には合わないものになっていた。
 それだけの時が過ぎて、そしてそれだけ存在が変わってしまったのだから。
 館は狂気に奔り、そして少女は年老いた。
 でも。
 なによりも高く深い蒼空から燦々と降り注ぐ豊かな陽光が、その光の元に無限の生命の微笑を響かせ
 ていく穏やかな茂みが、そしてふたりが出会ったこの懐かしくも激しいリアルに愛しいままに叫ぶ事のできる
 この館が、此処にまだ、ある。まだまだまだ、在って、在り続けてくれた。
 その館が在る限り、その館の精と少女は、永遠に出会う資格を有し続け、そしてその資格に見合う働き
 と感情を、その世界の中で受け取ることができるのです。
 目の前の年老いた存在に、あの日の少女を瞬時に見つけた館の精。
 でも。
 それは過去の記憶としての少女の幻影では無く。
 今、確かに目の前に居る、その過去の少女の姿が連綿と重ねてきた存在であると、確かに実感を以て
 対面できるその姿だったのです。
 少女は変わったけれど、なにも変わっては居ない。
 今、目の前に、その存在を確かに接し合わせることのできる存在として。
 今、目の前に、老いた少女が居る。
 あの日となにも変わらず、ただ当たり前のように笑い合える、あの人が、居る。
 目の前の少女の顔の皺の数だけ、館の精は罪を重ねてきた。
 でも。
 それでも、館の精は、その少女と出会えることができるのです。
 まるで何事も無かったかのように、すべての出来事を確かに胸の中で感じながら、笑って。
 だってあの日からと、なにも変わっていないと、それでも館の精は言えたのですから。
 ただただ少女に会いたかったという本当の目的に、すべてを越えて埋没する事ができたのですから。
 館の精が見上げた宇宙は、その深すぎる闇を秘めた、その絶対の愛しき蒼を誇っていたのです。
 その蒼い空を描き出したのは、その館の精の笑顔なのです。
 
 - それでも笑えたのなら、それですべては必然の内に収まるのよ。
 
 
 
 堪えられないほどに美しい青空と、その下で他の人達と生きられる幸せ。
 それが描かれた絵が目の前にあるのか。
 それとももう、その絵の中に生きているのか。
 どちらにしても。
 その絵と。
 それを見て生きている私は。
 
 笑っている。
 
 
 
 
 
 
 ◆ ◆
 
 はい、そんな感じで先日キッズステーションで放映された「HOLiC 真夏ノ夜ノ夢」の感想を書いてみまし
 た。
 やー、思っていた以上に面白かったっていうか凄かったですよほんとに。
 基本的な造作は非常にシンプルで、見方によっては面白くは無かったとは思ったけれど、でもその見方に
 囚われず色々な見方をしたら、結構普通にすごかったんですよ。
 なんていうか、久しぶりに「アニメ」ってものを真剣に全力で楽しもう、そして楽しむにはどうしたらいいんだ
 ろうってことを考えて、そしてそんな頭でっかちな感覚をあっさり越えて、普通に凄みと出会えたって感じ。
 やっぱアニメでの「絵」っていう感覚は重要だよねぇ、あ、作画レベルとかそういうんじゃなくてね。
 あの映像の中に描き出されているものすべてが、創られてそこにあること自体の意味と重み(作り手が
 込めた意味や重みでは無い)としっかり対峙して、それを肌でぞくっとするほどに感じられるっていうのは
 やっぱすごいなーって。あ、スガシカオのEDもなんかいー感じなゾクゾク感があってよかったしねー。
 で、感想もなんとかしてそういう総合的包括的な感覚の中に書き出したいと思って、色々と情景に関す
 る事から書き出して、その一環として人物が示したことを織り込んでいけたらなぁ、という大綱的な感覚
 をまず最初にでんと置いて書いてみました。あんまうまくいかなかったけど。最後の方は力尽きたし。
 理想としては情景についての言及的描写のみですべてを語れるようなものが書きたかったんですけどね
 ぇ、まぁ途中まではそこそこうまくいっ・・・・・や、内輪の話はいいですかいいですね。
 つまりまぁ、良い体験ができました、というお話。
 そして、なかなか結構興味深い作品でした。
 全体的な絵の美しさ綺麗さと、それを背景に置いてしっかり物語が進んでいくその奥ゆかしい心地よさを
 基点にして楽しめる方なら、まず問題無く楽しめるんじゃないかな。
 ただ、ひとつのお話として楽しめるかと言ったら、たぶんほとんどひねりは無いので、その観点からは楽しめ
 ないかもしれません。
 そして。
 それすらも考慮と感慨の内に含めて、それでもその端正なストーリーラインそのものがあの映像の中にし
 っかりと組み込まれて存在していることの面白さ、そしてその中で示されるこの作品のテーマそのものを、
 そういったものすべてと照らし合わせて考えて感じていければ、最高かと思います。
 抽象的な説明ですけど、正確に言えばそう言うしかありませんので。
 
 ちなみにテレビ版ホリックをご存じの方にとっては、おそらくその絵の美しさにまず心奪われると思います。
 だってテレビ版の絵って汚くはないけど綺麗でも無い、程度だったですもんね。
 あとこの劇場版は基本的にキャラ以外の絵があんまりアニメアニメしてませんし、キャラもまたどことなく
 それに見合うような縁取りがされてますので、そんな感覚で楽しめるかもしれません。
 それと、最終的にテーマみたいなものの形自体が単純で、テレビ版のようないくつかのひねりがあるよう
 な形では提出されないので、印象としてただキャラが動いて絵が綺麗でで終わってしまう危険もあります
 けど、そこで改めて示されたテーマを考えてみてください。
 言葉として、だけじゃなく、その言葉を示された場とその言葉を示したキャラを含めたものとして。
 まぁテレビのときも私はずっとそうして観てましたけど。
 ひとつの楽しみ方として、ここに書いて残しておきましょう。
 
 
 では、本日はこの辺りで。
 ごちそうさまでした。 (笑)
 
 
 
 
 
 

 

-- 070213--                    

 

         

                              ■■流星の行き先(仮)■■

     
 
 
 
 
 一夜漬けぇ、ファイトー!(挨拶)
 
 
 
 
 はい、ごきげんよう。
 やーすっかり春な陽気を醸し出してきて、夜なんか暑くて寝てるうちに布団蹴飛ばしちゃってて、むしろ
 起きたときに鼻ズルズルとか、せめて本格的な花粉の到来もこれで通したい今日この頃、
 皆様如何お過ごしですか?
 私はちょっと花粉の気配を感じ始めてきて戦々恐々の毎日です。はやく夏来い。
 
 さて、そんな感じで春うららな様相を呈し、ていうか春うららって言葉は知ってるけどそういえば肝心の意
 味を知らずに平気で使っていたりしますけれど、調べない。面倒だから。困るまでこのままで。頑張る。
 そういったこまめなところで努力の無駄遣いに勤しむ辺り、完全に間違っている気がしてなりませんけれど
 も、その、まぁ、なんだ、まっすぐGOー!
 気合いです。そういうときこそ気合いです。
 前向きなまま後ろに後ずさるみたいな感じで。
 ゴー!
 
 ニュアンスとしては今の感覚はそんなところでしょうか。
 まったく、この三連休だって行ったのはここくらいで、もうなんか一杯一杯です。
 かえって家でまったり何事も無かったかのようにだらだらしてた方が充実してたくらいです。
 なんか行く場所に困るとお寺とか図書館とかそういうところにすぐに駆け込んでしまうのも、失礼ですけれ
 どなんか負けてる感じで、こう、な、純粋に楽しんでる感じがしなくてちょっとやらしいっていうか、
 あーなにいってんだ、あ、とにかく竹林が綺麗でした、今回言ったところは。
 心が洗われるとかそーいうんじゃなくて、なんか綺麗っていうか、さぁーって風と光が淡くてぽわーっとして、
 こうぐわーんと足が大地を感じて、こうぽわーんとさらっとっていうか、長嶋さんの事とかを少し思ってしま
 いました。擬音大王。
 話が逸れました。
 でね、竹林が綺麗(の一言で面倒なので済まします)でね、あれです、まぁ、某蟲師の「籠のなか」に
 出てくる竹林みたいなね、竹林って普通の森とかに比べて非常に浅さを感じる空間でさ、外の光とか音
 とかすっごい入ってくるんだけど、でもその竹林の中から見つめたその光と、実際にある外の光は全然違う
 もので、なんていうか、浅いけど深い、みたいなね、いや浅いとか深いとかは結果であって、別に浅いから
 深いから良いという訳じゃなくて、なんかこう、わっかんない。
 頭ん中でぐわーっと色々抽象的な事を考えまくっても、それでもその反映を越えてやってくる、その竹林の
 静寂があまりに綺麗でさ、こう、小一時間くらいその中でぼーっとしてました。
 三連休の初日のくせに他に誰も居なかったし、まぁぼーっと。
 べつに癒されちゃいませんけど、でも竹林から出てきたあとに、綺麗なものを見られた自分を感じて、
 なんかこう、あーいいなー、みたいな感じになりました。
 いや、そんだけです。
 ちょっと、言ってみたかったんです。
 オチなんてありません。
 
 
 
 ◆
 
 はい。
 久しぶりにマリみて熱が、マリみてについてなにか書いてみようという想いを実際の行動に結びつける事に
 まで至ってしまいましたので、なんかちょろっと書いたり言ったり泣いたりしてみます。
 最近はアニメがOVAの方向に行ってしまい、テレビでの続編を期待しまくってすっかり信じ切っていたのが
 全部フイになるという、客観的に見ても主観的に見ても残念な自分の状態だったりして、意識的にも
 無意識的にもマリみてについての言及から遠ざかっていました。
 でもいい加減その状態にも慣れてきたっていうか、もう気になるとか気にならないとかを越えてなにも見え
 なくなってきたような感じになってきて、割と素直にマリみてに向き合えるようになってきたという、かえって
 心配な感覚を有するに至りました。
 とはいえ、そんな事よりも語りたいことを好きに語ればいいじゃない、とこれまた素直に思うのもまた事実で
 、ゆえに特に障害も無く平然と語ってしまおうと、まぁこういう訳なのです。心配です。
 
 で。(色々なものを省略して)
 前にも言いましたけど、一番書きたいなぁ思っているのは聖様・志摩子さんの旧白白コンビでして、
 このふたりを同時に描きたいと思っていて、でもなかなかうまくいきそうも無く、それゆえに聖様か志摩子さ
 んのどちらから一方をまず書いて地ならししてみようとか、そういうことを考え始めると今度はそのどちらを
 選ぶかで大いに悩み、結局共倒れになるという、なにかしら悪意をすら感じる案配となっております。
 要するに、面倒なので書けなければそれでいいじゃん、みたいな匂いがぷんぷんします。確信犯。
 でもね、さっきぴきーんときてね。
 誰で書くとかそういうんじゃなくて、まず脈絡なく最初に書く一行が浮かんできて。
 「え? 私は志摩子を愛してるのかだって?」
 ・・・。
 なんて唐突。ていうか、なぜこの一行が頭に浮かんできたのか、その過程がまるでわかりません。
 でもとにかくなんかその言葉がぱっと出てきて、それでその瞬間からこうばばーっと遡行するみたいに、
 その言葉が出てくる大元の動機とかテーマとか全部沸いて来ちゃって、そしてそこからこのセリフを言った
 のは誰かとか、言われた(つまりこのセリフを引き出した)のは誰かとか、そういうのをがーっとかんがえちゃっ
 て。
 あ、見にくいんで一行あけます。
 
 でですね。
 言ったのは聖様で99%決まりなのですけれど、言われたのが誰かっていうのが、これがなにげに難問で
 してね。
 まず最初に一番賭けっぽい志摩子さんという説ですけれど、これはかなり危険。
 しょっぱなから血湧き肉躍り骨肉が相争う血みどろの愛憎劇が開幕してしまいそうですので、そんなも
 のを私が収拾できるわけも無く、そのままぐったりとやつれるように書いたものに魂を吸われて終わり、み
 たいなそんな抽象的に無理の一言を語れてしまうくらいの危険っぷり。
 志摩子さんを書くんじゃなくて、志摩子さんを描き出すことの方がいいかもしれないとかそんな結論。
 
 第二案。
 蓉子様。
 んー・・なんか・・違うんだよねぇ・・・
 聖様はたぶん真摯に情熱的に質問されたら答えるんだろうけど・・・蓉子様がそういう形で質問するか
 となると・・・それは違う気も・・・
 むしろ聖様の方からそういう愛とか欲とかいう言葉を含めた自己表現をするよねぇ、蓉子様に対しては。
 それと蓉子様が聖様に質問するって事は、それで得られた答えを元にして蓉子様が聖様を育てるってい
 うか変えるためっていうか、そういう聖様の存在を目的に置いた事だろうし、逆にそれはその質問自身が
 今の聖様が自身を語る言葉でよって自身を語り変えるって気がしないし・・・
 なんていうか誘導尋問っていうか、蓉子様によって変えられていく無自覚な聖様っていうか・・・
 それを書きたいか、と言われたらあんまり書きたくない・・・・・・・・・・・・・・・却下。
 
 第三案。
 江利子様。
 江利子様ならこの質問はしてきそうだし、聖様もよりフランクに客観的にしっかり答えてくれそうな気はする
 。
 でも逆にそれはフランクで客観的ゆえに、出てきた答えそのものが聖様を変えることは少ない気もする。
 言葉としての答えというか、勿論その提出した自分の言葉を客観的に分析して、その境地から意識的に
 自分を変えていこうとはするかもしれないけど。
 たとえば江利子様なら面白半分に質問するだろうし、聖様もそれに応じて巫山戯て答えたりするだろうけ
 ど、その出した答えそのものを外から見つめ直して、ふっと溜息ついたりとか、聖様ならしそうだしさ。
 でもそれもまた違うんだよねぇ・・・・溜息じゃ駄目なんだよ溜息じゃ・・
 それと自分を変えていこう、なんていう自意識ありまくりな変化もなんか違うし、変えるとか変えないとか
 言う言葉を言う以前に既にもう変わっている自分を感じるみたいな・・・
 でもそれは誘導じゃなくて自分でやったことであると驚きを以て気づけるような・・・そういうのがいい。
 
 第四案。
 祐巳さん。
 王道過ぎて却下の一言をまずは宥めてから。
 ていうかそれはあんまり過ぎるから。もうちょい考えてみよう。
 確かに聖様が主体的に無自覚のうちに変わっていくために、その目の前に置いておくに最適な人は祐巳
 さんを置いて他には無い気もしますけれど、ただ・・・・んー・・・・なんかこの質問にそぐわないっていうか
 愛とか、なんかそういうことを祐巳さんが聞くとは思われないし、そもそも聖様がその質問を考える過程を
 祐巳さんに見せるとは思えないし・・
 聖様は祐巳さんに対しては、祐巳さんから得た自分の変化の結果をたださらりと見せて感謝する、みた
 いな感じがします。
 正直、聖様と祐巳さんだと当たり前過ぎる、という説明が一番適切という、なんか敗北感を得ますけど。
 だってなんか物足りないじゃん。
 
 第五案。
 祥子様or由乃さん。
 祥子様がこんな質問をするのはきっと彼女がヒステリーになって自分のために聞いてるだけだろうし、結局
 聖様の対面者としての意義を見い出せはしないだろうし、由乃んの場合はきっと聖様が色んな意味で
 真面目に答えないと思う。
 や、なんか私的に聖様と由乃んって悪い意味で一番疎遠って思うし。
 聖様的に完全お子ちゃま扱いのみそっかす扱いって感じだし、ほんのちょっぴりだけど由乃んみたいな
 まっすぐGoな子を冷淡に敬遠してる感じもするから、そもそも由乃んにこの質問をされた事自体の意味
 が如何なる形でも聖様には残らないような気もするし、また私も書けないし。
 聖様が由乃んの前で笑えば笑うほど、なんかどんどん離れてくって感じ。
 祥子様とは、きっと「愛」という言葉自体の定義とか、そういう話を道具にして通じ合える気もするし、
 またそうして言葉としての枠組みを設けた「愛」を使って、聖様が自身を見つめ直し、その無意味さから
 感じる違和感を以て、変わり往く自らの存在を感じていく、っていうのは面白いかもしれないね。
 ということで、祥子様は微妙に保留。
 
 第六案。
 令様。
 由乃んの愛の対象者として聖様はまず見て、そしてそこから元々の令様との関係の薄さの実感が湧いて
 来て、でもどことなく令様と由乃んの関係と聖様と志摩子さんの関係に通底するものが感じられて、でも
 全然違うじゃん私達とはと否定する語を静かに重ねていく中で、ひっそりと目の前に志摩子さんが現れ
 てくる構図。
 いいかも。
 聖様と令様ってほとんど絡み無かったし、実際ほとんどお互いを意識することの無い間柄だったけど、
 でも色々な意味でふたりは同じ場所を共有している仲間であり、つまりなんていうかな、近いはずなのに
 遠く、遠いはずなのにそれでも近い、みたいな。
 令とはほとんど話した事も無いし、お互いのことを見つめ合ったことも無いけれど、よく考えたら山百合会
 で当たり前のように顔を合わせてるのよね。
 そのごくごく簡単で当たり前な接点を基底にして、そこからどんどんと共通点を綴りだし、そしてそれらの
 実感無き言葉にぬくもりを通していくという演技の中で、やがて聖様の前に良い意味での疎遠な令様の
 姿が出てきそうな気がします。
 気兼ねすること無い赤の他人の令様の前でただ独り言のように自分を語るので無く、目の前にはっきり
 と存在する純粋な他者として、その者との対話の中で変わっていく自分を感じるみたいな。
 令様が由乃んへの対応のために聞くのでは無く、ただ純粋に由乃んとの関係を含めた、誰かとの愛につ
 いての愛を、聖様と共に語りそして新しく模索して行ったら・・・・
 いいじゃん。
 
 ということで、令様で決まりみたいな、そんな事を正々堂々と言い放ってる時点で、この設定がひとつの
 文章として日の目を見る確率は限りなく低いと思われます。
 設定づくりに勤しんでる時点で、それが目的なのは明白みたいなー。
 ご め ん な さ い 。
 だって書くときはほんと一瞬なんだもの。設定を具現化するなんて気持ち悪いことできるかーっ!
 あ、でも聖×由はむしろアリとか思った。
 昔書いたマリみてアニメの感想でも、聖様・由乃んの対比みたいにしてふたつ書いたことあるもんね。
 聖様が由乃んを否定しながらもその由乃んらしさの本質を獲得して変われたら、そりゃー面白いもんね。
 まぁ、そのうち。
 冗談です。
 頑張ります。
 
 
 
 ◆
 
 調子に乗って書いていたら残り時間が大変な事になってきたので、これから書く文章の量を鑑みた上で
 げんなりどっきりまったりな感じでむしろ清々しいですけれど、その、いきます。
 
 
 ひだまりスケッチ:
 きっと第5話。
 そろそろひだまりについての感想を止しときたいと思っているけど、別にそれは面白く無いからという訳じゃ
 無いので、逆に書かないとそれと関わらずに、あ、ひだまり面白くなくなってきたんだなこの人、みたいな
 先入観を後の私も含めた人たちに与えること必定と存ずるゆえに、なんとか書く。書く書く書く。
 やー、でも重ね重ねひだまりみたいなアニメの感想を書くのはむずかしいよー。
 苺ましまろのときもそうでしたけど、だって面白いって言うしかないんだもの。
 苺のときはそれでもあらすじ的にツッコミとか入れたつくりの文章でなんとか行を埋められたけど、ひだまり
 は基本ギャグって訳じゃないので、ただのほほーんとお間抜けな顔してたのしーって言ってる私しかいなく
 てほんと困りまくり。比喩に比喩を重ねる手法じゃ限界あるしねー。特に私が頭痛くなってくるしw
 やっぱあれですね、ここで大事なのはそれでぽーんと放棄しちゃうんじゃなくて、この面白さを表現できな
 い私自身の未熟さを反省し、だからなんとか頑張っていずれは書けるようになりたいという、そういう前向き
 な態度でいるほうが生産的じゃないのかね、ちょこやまくん。
 つまり、今は書けないって点で、結局放棄するってことに変わりは無いんですけどねあははは。
 ・・・。
 いや、来週こそは! ←説得力に欠ける言葉
 と、とにかく、ひだまり万歳ですっ!
 
 
 京四郎と永遠の空:
 普通、ってなんだろ。
 国や地域、文化や人種、そして個人個人でそれは違うものなのだろうし、だからこれが普通だ、なんて
 言われても、はたと困ってしまう。
 でも、だからその個人個人に、文化や人種ごとに、そして国や地域ごとに「普通」というものはあるのは
 確かなのだと思う。
 それらの内で「普通」だと言われているもの、それが普通であり、よってそれぞれの集団、そしてその集団
 内の個人ごとによってそれらの「普通」は大いに事なる。
 でも、だからこそ、「普通」は確かにあるのだと言うことができる。
 あなたの「普通」はなんですか?
 そう問われたときに、普通など無いと答えることで得られるものを越える、あなたにとって切実ななにかは
 ありますか?
 改めて、問い。
 「普通」とは、なんですか。
 その問いに対して、真っ直ぐに真摯に饒舌に語り答える私だけが此処に居る。
 なにかを目指しそうなりたいと願い、またそうであり続けたいと思い、また自身が既に幸せに包まれた「普
 通」の体現者であることを自覚し、またそれを越えるなにかを求め続けられる、その絶対の「普通」の
 中に居てそしてそれ自体が自分であることを実感する。
 「普通」の実感。
 そして、その実感が消えたとしたら。自分が「普通」では無くなってしまったとしたら。
 自らの不在を感じる。此処に居て此処に居ないような感触を得ている自分すら、居ない。
 そして、自らの存在を「普通」から零れ落ちたという情報の享受のうちにやがて感じていく。
 もう私は普通じゃない普通じゃない変わってしまったもうあそこには戻れないああああ嗚呼・・・・
 そして・・どうしようも無く「普通では無い」自分を感じていく。
 そしてその果てに、「普通では無い」今の自分を「普通」であるという意識が押し寄せ、そして、必ずその
 意識に延々と逆らい続けていく強靱な自身を感じていく。
 それは、奪われた「普通」の実感を失い、もはやその情報としての知識しか持たぬ自分が、それでもその
 知識を確かに持っているのを知っているがゆえの、至高の反乱。
 空の普通からの墜落を優しく見守るせつな。
 普通では無い、人間から絶対天使への落下を散々呪う空の苦しみは、せつなにとっては理屈上侮辱に
 等しいかもしれない。
 けれど、せつなはその空の落下自身を経験していないからこそ、空の苦しみが全くの正当であり、また
 その膨大な苦しみを受ける場が自分と同じ絶対天使にあるという、その悲しみの共有をこそただその
 一点で成そうとしている。
 可哀想に・・・あなたには人間の苦しみが・・・私には絶対天使の苦しみだけがあったのにね・・・
 せつなはゆえに空を想う、人間の苦しみと絶対天使の苦しみと、そして人間から絶対天使に堕ちた苦し
 みに苛まれる空の絶望を。
 その空への想いが裏返って空への自身の新たなる優越になることも自覚しながら、せつなは自らの絶対
 天使としての苦しみ、そして「普通」と向き合っていく。
 その絶対天使のせつなと空の「普通」は、決して同じでは無い。
 そして無論、「私はムラクモ。私はムラクモ。」と唱え続ける絶対天使かおんの「普通」もまた違う。
 私達は・・・一体なにを求めているんだろう・・・
 空もせつなもかおんも、それぞれがそれぞれの持つ「普通」の感覚に向け、ただひたすら生きていくのだ。
 空が絶対天使としての普通に目覚めるとはどういうことか。
 それはいわゆる絶対天使という存在の概念から導き出された「普通」では無い。
 その「普通」を見上げそしてそれに虚しく手を伸ばしていく、その自身を見つめ続けている空の姿こそが、
 なによりも絶対天使を今生きている空の「普通」を見せて、そして創り出していく。
 人間であろうと絶対天使であろうと、空は空。人間の空と絶対天使の空が、ただ此処に居る。
 その今現在の主体的感覚は、必ず「普通」を見上げている。
 どんなに辛いことがあろうと怖いことが続こうと、そして・・・どんなに自分が空っぽであろうとも。
 『人間じゃなかった・・・・・人間じゃなかった・・っっっ』
 この悲しみは果てしなく、この苦しみはすべてを凌駕して心と体を奪っていく。
 そして・・・・・
 あなたは、私は、夢を見続けることを、絶対に、止めない。
 夢を見ている、あなたが、私が、其処に、此処に、必ず居る限り。
 この歓びが、幸せが、そして悲しみが、尽きぬ限り。
 
 『知ってます?
  おかしいんですよ。私、絶対天使なのに、人間じゃないのに。涙が出るんですよ。
  おかしいですよ・・・ね・・?』
 
 号泣。
 なんかこんな事書いてるのが馬鹿らしいほどに、感動しました。
 
 
 まなびストレート:
 あーなんか昔を思い出すーっつーか。
 そういえば私ってどうやって友達つくったんだっけとか色々思い出しちゃいました。
 私の場合大体初めての場所に行ったときは、その日以前から友達百人つくるゾみたいに相当息巻いて
 て、そんで前日辺りで緊張でガタガタ震え始めて眠れなくて、当日最悪な顔して行って、でも初日という
 ことでびっとキメなきゃいかんと思いつつも、気合い入れすぎると周り見えなくなって逆に引かれても問題
 だしみたいに妙に冷静にっていうかようやくそれで目が覚めるっつーか、そんで大体前とか横とかに座った
 人か、或いはそれが駄目ならなんか話かけやすそうな人、あ、でもあんまり真面目っていうか無口そうな
 人は厳しいからある程度フランクさも併せ持ってそうな気持ち堅めな人で、できれば既に友達とか出来て
 そうな人をターゲットにロックオン。その人と仲良くなれば自然とその友達との繋がりもできて話かけやすい
 し、そうやって芋蔓式wにどんどん友達って増やせるんだよねぇ。
 話がそれまして。で、なにかの切っ掛けを捉えて、とにかくどうでも良い用件とかでいいから
 ひたすら自分の姿を見せて、それでさらっと私的な会話ていうか挨拶レベルな話で、それをひたすら繰り
 返せればやがてそれじゃお互い物足りなくなってきて本格的に話が盛り上がってまっすぐGO!、みたいな。
 よく考えたら、共通の話題とかで持ってったこと無いもんなぁ、私も。
 ていうかそういうのはむしろ脇役っていうか、なにもすることが無くなったときにぽいっとネタ的に投下みたいな
 感じで、中心にあるのはいつもお互いが見てるお互いの言動とか表情とかそういうもんだったんだよねぇ。
 今思えばっていうか今もそうだけど、ほんと友達になればなるほど会話の中身が薄くなっていく気がする
 もんねぇ。
 で、そういう風にうまく行かないときは、私もみかん(美香)みたくただもそもそと物欲しそうに無表情で
 いるしか無かったけど、あーそういえば一回だけそういうときあったもんねぇ、入ってから1ヶ月くらい友達
 できなかったときあったあった。あのときはほんとどうしようとかもう、ああ、よく生きてたなぁ私w
 でも良く考えたら、あのときってなかなか友達できなくて、それで苦しくてもう友達無しでもいいやって覚悟
 決めようとすらも思いながらも、でも絶対に心の底では諦めて無くて、そんで気付いたらいつも通りのやり
 方でちゃんと友達出来たんだもんねぇ。
 もしかしたら諦めてなにもしなくてもできたのかもしれないけど、でもやっぱり私はそうして諦めなかったから
 こそ友達できたって思いたいよー。人事を尽くして天命を待つってやつっすねーまさに。
 でそうやって友達ができて、そんでただ一緒に居るだけでなんか楽しくて友達で、そんでそれでも色んな
 問題が起きて、でもそれでも一緒に居て、そうやって濃いんだか薄いんだか逆にわかってくるような友達
 が居て、そんでそうやって出来た友達の、そのまた隣に別の友達同士がやってきて。
 そんでいつのまにか大所帯の仲間になってて、よく考えたら元々はあの人だけと友達だったのに、今は
 なんか普通に他の人とも最初から友達だったみたいな感じになってて。
 でもそうすると今度はすっと、その最初に友達になった人の顔が鮮明に見えてきて。
 あー私ここから始まったんだよなぁ、という思い出として実感しか無いことを悔やみながらも、それでも
 なんとかその友達の元に寄っていこうとする今現在大勢の仲間のうちのひとりとしての自分を感じて、
 そしてその仲間としての「友達」に会いに行く。
 時間は戻らないから昔と同じじゃないけれど、でもみかんとむっちぃは今も仲間である友達であることは
 確かなんだよね。むっちぃだけが特別な訳じゃないけれど、むっちぃが最初の友達なのは変わらないもん。
 だからみかんとむっちぃは、仲間の中で、さらにふたりだけの笑顔を共有することもできるんだよね。
 そして勿論。
 みかんはまなびのふたりだけと、そして芽生のふたりだけとの笑顔を持つこともできるんですよねぇ。
 そしてそして。
 その「ふたりだけの笑顔」を、彼女達仲間のみんなが、その仲間として優しく見つめることができるんです。
 みかんとむっちぃの関係は特別だけど、特別じゃない。
 だってみかんとむっちぃの笑顔は、私たちに向けられてるんだもん。
 その「ふたり」が楽しくやってける場所として、「仲間」ってのはあるし、またそれを構成する自分達ひとり
 ひとりもまた、その「ふたり」のひとりとして、そしてまた「ひとり」としてその仲間という場のひとつを形成して
 いるっていうのがわかるんだよ。
 つまり、その楽しくやれる「ふたり」や「ひとり」が存在するからこそ、そこに初めて「仲間」という場が発生
 するんだと思う。
 ひとつひとつバラバラの「ふたり」や「ひとり」だったら、きっとそれはできないんだと思う。
 仲間のために、って思って仲間ができるわけじゃない。ただ他の「ふたり」や「ひとり」と一緒に居たいと
 思えるからこそ、仲間ができるしそれは維持されるんだと思う。
 一緒に居たいと思うからこそ、他の「ふたり」や「ひとり」のことを想うこともあるわけで、また逆にそう想わな
 くても一緒に居たいと思うこともあると思うし、だから要にあるのはその一緒に居たいと思えるかどうかって
 事だけなんじゃないかな。
 どんなひどい奴だって、そいつと一緒に居たいって思ったら、そいつの事友達って思える自分は居るでしょ。
 逆に言えば、一緒に居ろ、だなんて相手はそう思ってないのに命令的に言った時点で、それは既に友
 達じゃ無いよね。
 居たいから一緒に居る。だから友達。
 だから友達なんて奇跡みたいな存在だって、私思うんだ。
 一緒に居たい居なければいけないと思い懸ける必要が無いほどに普通に一緒に居るからこその、友達。
 いいよね、友達って。
 なんかほんと、いいよね。
 そして。
 その友達同士が集まれる場所って。
 いいよね。
 
 
 
 ◆
 
 ごめん。滅茶苦茶長い上にまだ終わらなくて。
 ていうか、今日も書き始めるの日付変わる頃になっちゃってさ、そんでもう今が何時なのかあんまり誰に
 も言いたくないくらいにアレな長さになっちゃって、逆に、開き直ってきた。
 取り敢えず、書けるとこまで、書いちゃうよ。
 ええとまぁ、最近更新リズムがまた乱れ始めてます。
 色々リアルの方の都合と付かなくて、まとまった時間が取りにくい状況なので、しばらくこんな感じになる
 と思いますけれど、気付いたら普通にいつものペースになっていたりしますので、あんまり気にしないで
 ください、と都合の良いお願いをひとつ。
 そして、今週は、というか次回更新時にはたぶんHoLic劇場版の感想を書くと思います。
 というか書くかもしれません。たぶん。きっと。それ以上は言いません。
 まだ録画しただけで見ていないので、書けそうもなければ普通に無かったことにしますので、次回の更新
 を以て、その答えが出ます。書く気があればHoLicを、無ければ地獄少女2の今週分の感想をUp。
 ちなみに次回更新は今週の木or金曜を予定しています。
 私としましては、是非HoLicの感想は書けたらいいな、って思ってますけど。
 やっぱり出会いは積極的に、ですもんね。
 ・・・。
 頑張ります。 (なにを)
 
 
 では、そういうことで。
 ばいばい。
 
 
 
 
 

 

-- 070211--                    

 

         

                               ■■存在と地獄と時間■■

     
 
 
 
 
 『でないと母さん・・・・・・・・悲しい・・』
 

                         〜地獄少女 二籠 ・第十七話・穂波の言葉より〜

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 言葉にならない歌が、聞こえる。
 
 
 
 
 +++
 
 あの日の事を、あのときのことを覚えている。
 けれど、その記憶としての出来事や時間に意味があるのでは無い。
 ただ垂れ込める雲の中から差し込んでくる、その淡く暖かい光の体感にだけこの体が包まれている記憶
 の連続としての、今この瞬間があることのみが、それらの記憶を記憶としての言葉として優しく撫で、
 そして愛することのできる意味を与えてくれる。
 
 寧々が産まれた日のことを、私は今もずっと覚え続けている。
 
 この体の中に、私以外のものがいると知らされたとき、その言葉のみだったらきっとそれは恐怖を得るだけ
 のものだったのかもしれない。
 見合い結婚をして、夫のことを、愛する以前にただこれからの生活をどうしていこうかという事を考え合う
 パートナーとしての対象とばかり思っていて、その最も中心に位置する子供の誕生を、ただそれらのスケジ
 ュールの中に書き込む文字としての情報の享受、及びその解析として能動的に受け止めるばかりだった
 。
 にも関わらず、私の体の中に感じる異物の芽生えの兆しを感じるたびに、そのカレンダーに書き込まれた
 出産予定日まで付け続ける×印が、私の従う論理のままに体にめり込んでいく悪寒が、激しく私を戦
 かせていた。
 真っ黒に染まっていく、その私の栄光の未来までの道筋が、それそのものが甚大な恐怖を以て、私に
 襲いかかってきた。
 なぜ出産を、子供を産むということを、語らねばならないのだろう。
 子供を中心にしてまわす、これからの未来の設計図を抱き締めることの愚劣さに嫌悪をもよおすほど、
 私は若くも賢くも無いはずなのに。
 ただ在るがままに、風が流れるが如くに、ただその能動のままに流されていけば良いだけのに。
 日々増幅していく私の中の新しいその命は、私のすべてによって創り上げられた、なによりも恐ろしい悪
 魔でありながら、その冒涜的な言葉で綴るその私の薄い苦しみの肌触りは、なによりも軽く私の肌の上
 を滑り消えていくだけだった。
 語りて尚、それはそのすべてを把握し切れない、未曾有の体験だった。
 私が感じているこの恐怖が一体何に根ざしているのか、それを本当のところまるでわかっていないがゆえ
 に、私はがむしゃらに言葉を綴り、出産を語り、私の中のものを物質的、或いは精神的な存在へと
 貶めようとしただけだった。
 私に恐怖をもたらしているのは、間違い無く、この体の中のもの。
 けれど、そのものに対してどのような恐怖を抱いているのか、それを言葉で綴れば綴るほど、それは限り
 無くその正体を隠していくことがわかるだけだった。
 そのものは、お腹の中の私の子供なのか、それとも語られた悪魔なのか、それともこれらにまつわるすべて
 の状況そのものの権化なのか・・・・・
 わからなかった。
 そして、それでも、この恐怖は全くその当初からの姿を変えること無く、私を着々と変えていった。
 
 寧々が、そして産まれた。
 産まれるその瞬間まで、私は心底なにが出てくるのかわからなかった。
 最後の最後まで、私の中に芽生えたものの正体を、私は掴むことが出来なかった。
 その日はどんよりと薄曇り、やたらと室内の明かりに包まれている感触ばかりが目立つ日だった。
 外の暗さよりも、内の明るさばかりが気になった。
 その特異な光に照らされた私の体が産み出した、薄明るいその影の中に、寧々は落ちていた。
 瞬間。
 私は。
 消えた。
 私の目の前の影も、室内の明るすぎる光も、外の苦痛に満ちた暗闇も、全部。
 そして。
 居た。
 寧々が。
 私の、子が。
 その子を産んだ私も、その子を見つめる私も、そこにもここにも、どこに居なかった。
 茫洋として不確かな輪郭を漂わせる、その匂い立つ淡光が、すべての言葉を放つ私にまつわるものを、
 完全にその存在を以て押し潰し、そしてそこに燦然と輝いて、ただ在った。
 いや。
 居た。
 そこに、寧々というものが居た。
 私の子であり、私に異物としての悪魔と語られるものであり、その他のすべての言葉で象られることの
 できるその輪郭を背負い、そうしていながらも、ただ真っ直ぐに私の目の前に、それは居た。
 どくん。
 どくん。
 
 どくん。
 
 私の背後から伸び上がる、ひとつの言葉が、やがて私を飛び越え、寧々に被さっていく。
 それは、私の子。
 気付けば、私はその言葉に優しく手を引かれ、そして、遂に寧々という名の、私の子を抱き締めた。
 可笑しかった。
 まるでこれじゃ、父親みたいじゃないの。
 ただ妻があなたの子よと主張するその言葉によってでしか、その目の前の存在を我が子と見ることしか
 できない哀れな男のように。
 私の体の中に確かに存在して居ながら、ずっとずっと私そのものでしかなかった寧々。
 にも関わらず私は延々と異物として他者として認知しなければならないという言葉を諳んじ、そしてその
 言葉のままに、私がそれを産んだという自覚がどうしてなされるのかを知ること無く、あの子を産んでしま
 った。
 この子は私の子。
 その言葉を吐くことでしか、この子を私の子と思えない。
 そして。
 あの子を産む直前まで、ずっとずっとずっとその言葉を呪文のように唱え、そしてそれを頼りとしてカレンダ
 ーに色々なものを書き込んできた。
 そして。
 あの子の姿を、この目で見たとき。
 あの子は、どうすることもできないほどに、私の子になった。
 すべての言葉を越えて、すべての無自覚を越えて、私はその自覚に圧倒的に支配された。
 今ままで封じ込めてきた、無限の体感が、どっと堰を切ったように溢れてきた。
 さながらそれは、垂れ込む分厚い雲を、すべて蹴散らして差し込んでくる凄まじい光のようだった。
 
 私は、自分の中に芽生えた、その「私の子」という自覚そのものに怯えていたのよ。
 
 怯え、ゆえにそれが確かに私の子であるということを、私の子というものを語るすべての言葉を越えて、
 ただただ無自覚に自覚し続けていた。
 もの凄まじい体感と感情、生きていることすらままならなくなるほどの衝撃。
 その膨大な存在の重み、それについての解釈を延々と重ね続けることに逃げ続けた。
 そして。
 その逃避行の先に、必ずカレンダーに×印を付ける事ができない最後の日があることを知り、そしてその
 薄い苦しみに囚われることで、その最後の日の知識を遙かに越える、その最後の日に自らが存在する、
 その瞬間の体感によるショックへ備えていたのだった。
 そう、無意識に。
 そう、無意識に、私は最初から、私の寧々と向き合っていた。
 どんなに言葉を操り、どんなに寧々を語ろうとも、私の目の前に寧々が居て、そして寧々の前に私が
 居ることを認識している寧々が私の目の前に居るのは、確か過ぎる事だった。
 震えた。
 そしてその震えが既に、最初から寧々の存在に触れた歓びにあることを、私は知ってしまっていた。
 
 嬉しい・・・・
 
 すべての体感がその一点に収束し、そしてなによりもその一点に起因していることを凄まじいほどに感じ
 て、私は全身全霊のままに、ただただ震えていた。
 もはや、妊娠中の薄い恐怖の苦痛さえ、この歓びのためにあったとさえ語ることができてしまうほどだった。
 なにもかも、寧々の存在を前にしては、それら自身の放つ輝きさえさらに際立ってしまうのだった。
 決してすべてが寧々の存在にひれ伏す事も無く、ただ闇は闇として影は影として、そして恐怖と苦痛もそ
 れとして確かに外的な存在の圧力を以て私にのしかかって来ている。
 けれど。
 そうして私の背後から私を飛び越えて寧々に飛びかかっていくそれらすべてに、私は優しく、そしてなによ
 りも愛しく手を引かれることができてしまう。
 寧々を目の前に存在させている私が、すべての他の存在に晒され存在しているのを、そしてその私の
 存在が紛れも無く寧々を目の前にしていることの、その絶対的な歓びが私を支配してくれるのだった。
 寧々のためを想えば、なんだって我慢できる、のでは無い。
 どんな苦しみに苛まれようと、その中から必ず寧々を見上げることが出来る歓びがあるだけ。
 苦しみは苦しみとしてこれからも存続し続け、そしてそれに翻弄され、それにいやらしく立ち向かう私も
 居続ける。
 でも。
 
 私には、寧々が居る。
 
 寧々だけが居るのでは無い。
 他のすべてのものが存在し、その中に、確かに寧々が居るのだ。
 だから、嬉しかった。
 まるで、私こそが生まれ変わったようだった。
 私は、寧々と一緒に死ぬことなんてしない。
 絶対に、しない。 
 私は。
 
 寧々と、この世界の中で、生きたい。
 
 
 私が初めて愛した、愛しい愛しい、私の寧々へ。
 愛しているわ。
 誰よりも、なによりも、あなたを。
 
 
 その言葉を不要としている、ただただ寧々への愛に染まる私が、その言葉を愛しく唱えて、此処に居た。
 
 
 
 
 --- 生きるために生きるよりも、死にたくないと思えるがゆえに生きたいとおもう
 --- 死ぬために死ぬよりも、生きたくないと思えるがゆえに死にたいとおもう
 --- 死にたくないのは生きたいとおもえるのが嬉しいから
 --- 生きたくないのは死にたいとおもえるのが悲しいから
 
 + + ゆえに言葉は不要。不要がゆえに、人間は言葉を遣う。  
 
 

生きて、死ぬゆえに

 
 
 
 
 
 ◆
 
 寧々のために夫を殺した、という言葉で以て、私は私の業を語っている。
 私と寧々への暴力が加速し、このままいけば寧々の今と将来は大変なことであると冷静に計算し、
 そして計画的な殺意の感情に身を委ね、すべては寧々のためにという言葉で締めた。
 夫への愛云々以前に、私は娘である寧々を中心として生活の設計図を達成することにすべてを賭けて
 いたゆえに、それは堪らなく計画性を帯びた殺人だった。
 殺しの代行を、私は地獄少女に頼んだ。
 夫への怨みで以て、地獄少女を殺した。
 私は何度も地獄少女への接触を試み、そのたびにそれに失敗し、そしてどうして地獄少女は私の怨みを
 聞き届けてくれないの、という怨みによって、ようやく地獄少女にその依頼を聞き届けて貰うことができた。
 当の夫への怨みなど、最初から無かった。
 なぜなら、私は夫への愛を語る以前に、ただ寧々との生活を語り愛することしかしなかったのだから。
 どんな怨みの言葉を綴ろうと、そんな愛に裏打ちされない理屈など地獄少女に届くはずも無いのだから。
 寧々との生活そのものが奪われようとしていることへの怨み、も無かった。
 私は、ただ冷徹に、夫を殺した、いや、削除しただけだった。
 寧々との生活が奪われようとしていたから、それを先手を打って相手を殺しただけ。
 私は苦痛の涙を流す中で、確かに絶望をひとかけらも感じられない、その圧倒的な希望に照らされて
 たゆえに、夫を絶望のうちに怨む必要すらなかったのだ。
 どんなに苦しもうと恐怖に震えようと、寧々をその中から見上げることができる限り、私はその歓びに冷静
 に染まることができるのだから。
 だから夫を殺したこと自体には、なにも感じていないという言葉を、私はすんなりとこの身に付けることが
 できる。
 勿論、その言葉で着飾ったところで、私の外に広がる「夫を殺した」という膨大な他者がもたらす致命的
 な痛みが無くなる訳ではない。
 だが、その痛みを、寧々を守ることができるという歓びを基点にして再解釈的に私に受け入れさせる事は
 、実際問題的に可能なことだったのだ。
 
 『寧々のためにも・・・・・・っ!』
 
 その一言ですべてにけりが付くと考えられるほど、私は若くも賢くも無かった。
 けれど、寧々が目の前に居るのを感じた瞬間に、それはその一言で絶対的にけりが付いてしまうのだ。
 それをどんなに非難批判しようと、否定しようと、それらの言葉はすべて無意味と化すだけ。
 それで本当にけりが付いてしまう事実を前にして、それを語るすべての言葉に意味はなかった。
 すべては寧々のために。
 それが嘘であろうと悪いことであろうと、その一言ですべてを完璧に充足させることができる私が居る。
 ゆえに、私にはどんな言葉を語ることもできる。
 寧々への愛が、その絶対の想いがある限り、私はいくらでもその寧々への想いを否定することができる
 のだ。
 寧々への愛だけに収束し閉じて、その果てに夫を殺してしまったことを、散々自身で責めていながら、
 それを遙かに越えてある寧々への愛が、もはやその自身を責める言葉に籠もる力を、限りなく愛しい
 ものへと変えていってしまうのだ。
 その事に、戦慄する。
 そして。
 その戦慄に、歓びを感じている。
 それでも、寧々への愛が尽き果てぬゆえに。
 これ以上の幸福を、私は、知らない。
 
 
 
 
 
 
 

 〜 そして、地獄へ 〜

 
 
 
 
 
 
 
 ◆
 
 娘が私に冷淡になったのは、いつの頃からだったか。
 いやそれ以前に、私が寧々を語る際に、「娘」と呼称するようになったのはいつの頃からだったか。
 私の娘を語る言葉は加速し、それは私に寧々への愛の深まりを感じさせた。
 娘を冷静に言葉で語れば語るほど、私はそれが隠そうとしているものの重みの虜となった。
 娘の居ないところで延々と娘を語り、そして娘の前で沈黙を続ければ続けるほどに、私はただ恐ろしい
 ほどに寧々への愛に純粋に溶けているのを感じていた。
 娘が私に冷淡になったのは、その頃からだったのだろうか。
 私自身も経験してきたくせに、まるで年頃の女の子の考えることがわからず、いや、違うのか、私も経験 
 しているがゆえにわかってはいるが、そのわかったものは、その年頃の女の子の考えていることであって、
 それへの対応の仕方では無いということなのだろう。
 つまり、私は年頃の娘を持つ母親の体験はこれが初めて、ということなのだ。
 すべては必ず初体験。
 なぜならば、体験する主体たる私自身が、刻々と変化しているのだから。
 
 私の目の前に寧々が居て、そして、寧々の前には確かに私が居る。
 
 一般的な、或いは私自身の体験に則したいわゆる「年頃な女の子」の考えてることに基づいて、
 言葉を重ね論を練りそれを結び対応策を考え、それで目の前の女の子に接したとしても、それで得ら
 れることと言ったら、そういう事をしている私の姿を、ただ娘がじっと見つめているということを知る事のみ
 だった。
 だから私は、寧々の前では沈黙するしかなかった。
 そして寧々の居ないところで、延々と寧々の前で言わなかった言葉を延々と綴り続けていた。
 寧々はそして、そんな私の姿をも、ただ黙々と見つめていた。
 私がただ諾々と、娘の示す無理難題に応えることのみに逃げ込んでいるその姿を、ただひたすらに、寧々
 は冷酷に見つめていた。
 わかってる。わかっているわ・・・・
 私も・・・・そうだったもの・・・・・・あのときほど・・・親のことを馬鹿だと思ったことは無いもの・・・・・
 でも、それに対して私ができるのは、ただその親への思いを克服した、大人になった今の私の言葉をただ
 のっぺりとそのまま寧々に被せる事だけだった。
 ほら・・・やっぱり・・・・・・寧々はその私の愚かしい言葉を力一杯はね除けたわ・・・・・
 寧々はまだ子供なのにね・・・・・まだ親のことを真摯に馬鹿だと思っている、年頃の女の子なのにね・・・
 私のその愚かしい言葉は、今の私にしか通じないとわかっているくせに、それを示すことしか私はしなかっ
 た。
 
 ええ、わかっていたわ。
 私も、「年頃な娘を持った母親」として、成長しなければいけないという事が。
 
 今の寧々をこそ見つめ、そしてその寧々に翻弄されているだけの今の私をしっかりと見つめ、そしてその
 境地から寧々と共に生きられるような、そういった生活をこそ、私のスケジュールに書き込まなくてはいけ
 なかったということを、私は骨の髄まで知っていた。
 だから、なりふりなんて構ってはいられなかった。
 なりふり構わず一生懸命な自分の姿を娘に見せる事の無意味さを自覚して、ただそっくりそのまま目の
 前の寧々を見つめ、そしてその寧々と共に生きることができるような努力をし、そのための失敗を重ね
 続けていた。
 頑張らなくちゃ・・・・・・寧々のために・・・・・・・私の寧々ちゃんのために・・・・・・・・・・っっ!
 寧々の冷たい視線を感じながら、それでもその視線そのものが私の失敗の積み重ねであることを強く
 強く自覚するために自省を重ね、そして・・・・・・・・・・・・・・
 
 
 
 
 それでも、それらの私の行動そのものすべてに、歓びを感じてしまう地獄が、私を確実に蝕んでいた。
 
 
 
 愛が目を曇らせるって・・・・・こういうこと・・・・・・なのね・・・・・・・
 
 
 
 
 
 ◆
 
 娘への愛に狂う私が居る。
 娘を想うことでほくそ笑む私が居る。
 その私の姿が、娘の瞳に映っているのを見て、初めて知った。
 寧々がそんな私への嫌悪を越えて、ただその殺意に身を委ね始めている。
 嗚呼・・・・・・やっぱり寧々は私の子ね・・・・・・・私と同じ事してるわ・・・・・
 感情を浮かべない、けれどはっきりと私を拒絶しているその顔の中の口が、薄くその殺意の言葉を紡ぎ
 続けているのを、私はどうしようも無く見つめていた。
 私は、夫を殺した。
 いいえ。
 寧々の父親を殺したの。
 その事を寧々は知らない。
 でも。
 寧々は父親の居ない生活を、ずっと続けてきていた。
 寧々が父親の仇を討つという。
 父の居ない生活を自分に与えた母親を怨むために。
 不在する父親のために、寧々は生きようとしていたのよ。
 そして生前の夫と同じくらい人でなしなその母親、つまり寧々の祖母にあたるあの人に、寧々はとても
 良く懐いている。
 なぜか。
 おばあちゃんはちゃんとそこに居てくれるし、そして誰の存在も奪わなかったから。
 ただそれだけの理由で、独り暮らしの寂しさだけから孫を可愛がるあの最低な人間に、寧々はただひたす
 らに近付いたわ。
 ええ・・・・・・そうよ・・・・・・
 あんな奴しか・・・・頼れないようにしたのは・・・・娘をそこまで追いやったのは・・・・・・私・・・・・
 私が・・・夫から・・・・そしてその母親の魔の手から・・あの子を守ったのに・・・・・・
 あの子は・・・・・・今度はその夫とその母親のために・・・・・私を殺そうと・・・・・
 因果応報。
 この言葉を、これほど嫌だと思ったことは無い。
 すべてを越えて、ただただ「殺し」という事実だけが継承されるだなんてね・・・・
 私がどんなに頑張っても・・・・どんなに寧々のためを想っても・・・・・
 
 そして、だからこそ、その因果応報という言葉を唱えるのだと思った。
 
 理不尽過ぎて、遣りきれなくて、どうしようも無くて。
 けれどその言葉よりも相応しい言葉は存在せず、そしてその言葉をどんなに非難しようと批判しようと、
 その言葉が示すこと以外のものに、私が支配されることはまるで無かった。
 そして。
 その支配の中から、私は果てしなく寧々を見上げ続けていた。
 寧々・・・寧々ちゃん・・・・・・・・
 
 
 
 ◆
 
 ゆっくりと崩れていく命。
 固く伸びた髪に指を通して、細く爛れていく夜を想う。
 当たり障りの無い会話と、明らかに様子を窺うような、阿るような言動。
 私が寧々のことを気遣えば気遣うほど、その私の態度は不自然になり、それ自体が無限大に寧々の
 不快感を高めているのを、知らずにはいられなかった。
 寧々が祖母の家で暮らすと言ったとき、私は本能的にそれを止めてはいけないと思っていた。
 娘の中に見えるその明確な私への殺意が、ただただ恐ろしくて、私は娘を止めることのできな自分に
 なるまえに、娘を止めない自分を演じることしかできなかった。
 『反対しても、出ていくんでしょ?』
 そのときの寧々の悲しそうな表情を、私は完全に見逃していた。
 私がそう言わなくてはならない悲しみに囚われていたゆえに。
 私がそう言うことしか現時点では出来ない悔しさに囚われていたゆえに。
 
 『お母さんと、居たくないの。』
 
 悲しいとか悔しいとか、そういう感情を言葉で綴ることのうちに、その悲しみと悔しさそのものを必死に
 堪えていた。
 そして必死に寧々が家を出ていくことを受け入れ、そしてなんとか円満のうちに寧々との別れを受け入れ
 られるように努めていた。
 今は、こうするしか無いから・・・
 今は・・・下手に刺激しないほうがいいから・・・・・・
 そんな事は、すべて嘘に決まっていると、私は限り無く寧々の瞳に映る自分の姿を見つめながら理解
 していた。
 それは全部、私の都合。
 寧々は、そういった態度しか取らない私をこそ、心底怨んでいるのに・・・・
 娘に対してどうすることもできない、ううん・・・どうしようともしないでただ娘への愛に自己満足的に浸る
 事しかしない愚かな女しか、目の前に居ないなんてね・・・・
 私は、父親に続いて、母親をもあの子から奪っていたのね・・・・・
 
 『あんな男でも、寧々にとっては父親ですから。』
 
 どんな理由があろうとも。
 どんな事があろうとも。
 その父親をあの子から奪ったのは、私。
 私がいくらその理由を述べたところで、そしてその理由の正しさを証明したところで、寧々から父親を奪い
 、そして父親の居ない生活しか寧々に与えなかったのが私である事に変わりは無い。
 どんな事をしようと、どんなに償おうと、どんなに謝ろうと、どんなに愛そうとも、それは絶対に・・・・・・
 そうである事は、寧々のせいじゃない。
 たとえ寧々がすべて赦してくれたとしたって、その事実は決して変わらないのだから。
 悪いのは、私。
 そして、悪いという言葉を不要とする、悪い私が此処に居る。
 間違っていたとは思わない。
 あのときは、確かにああするしか無かった。
 でも。
 だからその後に続くすべての出来事が、それを理由にしてその正当性を獲得できるとは思わない。
 私は、娘の父親を殺しました。
 あの子から、父親を奪いました。
 その悲しみに沈む事の無意味さと罪を強く激しく感じて、だから私はその罪を背負って、なんとかそれでも
 寧々を幸せにしようとした。
 自分の罪を裁くことで、それに逃げている事などできはしなかったから。
 だって私には、寧々がいるのだもの。
 すべては寧々のために。寧々と一緒に生きるために。生き続けるために。
 死ねなかった。死にたくなかった。
 母親失格の私を罰することで、その駄目な母親をすらあの子から奪うことは絶対にできなかったから。
 卑怯かもしれない。
 実際寧々はその辺りを敏感に察して、私を汚い女だと思っていたのかもしれない。
 私が寧々のためを本当に思っているのなら、死んで詫びろと冷酷に言ってくれたかもしれない。
 でも・・・
 それでも・・・・・・
 私は、死んではいけなかった。
 私は、生きなければいけなかった。
 寧々のために。
 寧々を守れるのは、母親たる私しか、居ない。
 すべてを越えて、それが圧倒的な実感と自覚を、私に与えていた。
 寧々のためなら、どんな事だってしてみせるわ。
 どんな事でもするためには、死ぬ訳にはいかないわ。
 寧々に嫌われても、寧々に怨まれても・・・・そして・・・・・
 寧々に殺されても。
 私は、生きる。
 寧々・・・
 私は・・・・あなたの前に・・・・・居るわ・・・・・・・
 寧々・・・・・・
 
 
 
 
 
 『寧々・・・待って・・・・・待って・・・お願い・・・・・っっ!!!!』
 
 
 
 
 
 私から逃げてもいいから!
 私を疑ってもいいから!
 私を怨んでもいいから!
 違うの!
 ほんとうにそうしてくれていいの!
 だから。
 だから!
 
 
 お願いだから、幸せになろうとするのを、諦めないでっっっ!!!
 
 
 あなたが幸せになれるのなら。
 あなたが幸せになろうとし続けられるのなら。
 私はね・・・お母さんはね・・・・・・地獄に堕ちてもいいの・・・・・
 あなたが私を殺すというのなら、本当にそれであなたが幸せになれるというのなら・・・私は・・・
 信じるわ・・・・あなたがお母さんを怨んでいることを・・・・心底殺そうとしていることを・・・・
 それだけの事を・・・・・私は・・・お母さんはしてきたんだもの・・・・・
 そして・・・・あなたが本当に・・・・怨みで震えていることを・・・・・・信じる必要も無いほどに・・感じるわ
 
 
 ごめんね、寧々ちゃん。
 それでも私ね、あなたを愛する事をやめられないの。
 
 
 だから限りなく、私は冷静になれる。
 寧々が私を殺しても、私を地獄に落としても、絶対に幸せになれないという事がわかる。
 私の中の愛が肌を喰い破って漏れ出しそうになればなるほど、それを覆おうとする私の言葉は冴えてい
 く。
 だから私は、死んではいけない。
 絶対に、死ねない。
 そして。
 その言葉が。
 私に今。
 そう、今の私に。
 今の私に最も必要で、そして最も今の私が求めているものを教えてくれた。
 
 
 
 
 『私だけでいいっ!!』
 
 
 寧々ちゃん。
 あなたまで、人殺しの業を背負う事は無いの。
 因果応報の継承は、私で終わりよ。
 あなたには、あなただけには、絶対に殺させない。
 
 
 
 ええ。
 わかっているわ。
 寧々ちゃん。
 私の目の前に、私の愛しい娘が居たように。
 
 
 あなたの目の前にも、その愛しい母親としての私の存在が、紛れも無く在ったことを。
 
 
 
 
 ありがとう、寧々。
 愛しているわ。
 
 
 
 そして。
 
 
 ごめんなさい、寧々。
 
 愛しているわ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 絶対に途切れる事の無い暗黒の雲の下に広がる地獄に自ら堕ちて。
 
 私はようやく、大粒の涙を流すことができた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 『幸せになってね・・・・・・・・・・・・』
 
 
 
 
 
 
 この言葉を遺した私が、あの子の目の前にもう居ないことを、ただただ、謝りながら。
 
 
 
 
 
 寧々・・・
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 もう・・・・・その名を呼べる瞬間すらも・・・・・・・ないのね・・・・・・
 
 
 
 
 
 
                                ◆ 『』内文章、アニメ「地獄少女」より引用 ◆
 
 

 

-- 070206--                    

 

         

                               ■■友達から仲間へ■■

     
 
 
 
 
 理事長。 (挨拶)
 
 
 はい、ごきげんよう、紅い瞳です。
 あ、上の挨拶はわかる人にはわかったり、わかるはずの人にもわからなかったりする、えと、気にしないで。
 はい、そんな感じで今日もノってるようでノって無いまったり全開で参りましょう。
 やー、すっかり忘れてたことがひとつあるのですけれども。
 ていうか、花粉。
 毎年恒例の花粉の襲来にあたふたすることを思い出さなければきっとそれまでだった、みたいなほどに、
 花粉のかの字もありませんよ。
 確か今年はかなり少ないという情報をチラっと見た気がしますけど、あれ以来まだ一度も花粉関連の
 ニュースと出会わないということは、なんだか逆に怖い気もするようなそうでもないような、そうだね。
 しかし毎年気になってるんですけれど、私の症状は年を追うごとに出始めが遅くなってきてるんですよ。
 昔はもう1月の半ばくらいからくしゅんくしゅんいってた気がするんですよねぇ、なんか私の体の内部でとて
 つもなく恐ろしい変化が起こり始めてるんじゃないかと思ったり思わなかったり、思わないですね。
 
 はい。
 花粉の話などどうでも良いです。
 特に前書きが思い付かなかったから、並べてみただけです。ほんのご挨拶です。
 さて。
 本文の方も特に思い付かないすっかりアレな今日この頃ですけれど、皆様如何お過ごしでしょうか。
 私的には、完全スランプ状態と捉え、割と気長に気楽に構え、ていうか構えすら取ってないなんかもう
 心の底からなるようになれーみたいな、そういう、なんていうの、なんでもいいや。
 そんな感じです。
 まーね、日記なんてそんなものだと正直思います。正直じゃなくてもそう思います。
 書きたいときに書いて、どーでもいいときはどーでもいいこと書いて、書きたくないときは無理して書いて。
 要するにどんなときでも取り敢えず書く、みたいなスタンスというのさえ憚られるような態度ですので、
 もうほんと文章の質の安定なんてあったものじゃないのですけれど、ただその書き続けるということそれ自
 体に特にこだわることも無く普通に書き続けているる自由でフリーな感じは割と気に入っていますので、
 もうなに言っても通じないぞーもうこいつ駄目だぞーはいはい手遅れ手遅れ、はい撤収、みたいな。
 そんな感じです。
 ほっといてやってください。
 でも見捨てないでください。
 わがまま。
 わがままな人です、この人は、ほんと。
 
 やー、前回の地獄少女の文章もひっどかったもんねぇ。
 内容云々以前に、日本語としてのリズムが滅茶苦茶だったものね。
 音読したら何回舌噛むかわかんないよ、ってーくらいにもう、バラバラだったものね。
 うん、内容はいいの。むしろ意識的に目を背けてください。私はそうしました。
 別に綺麗で正しい日本語にこだわるつもりも無いし、そもそも推敲しないことにしてるから、下手くそで
 汚くて間違いだらけでも、それはそれで別に結構なんです。望むところなのです。
 そのときの素の感覚というか、もうがーっと自分の中にあるものを一気に吐き出したものを、そのまま書き
 付けることを日記にして残してるつもりだから、そういう類のアレな加減は逆に生な感じがして別に良いん
 です。
 問題なのは、リズム。
 あれは、駄目です。なってない。全然素直に言葉と気持ちがコラボってない。バラバラ。痛すぎ。
 ていうか、今っぽくない。なんかあらぬ方を向きながら適当な事書いてるみたいな感じがしちゃう。
 全然書く気無くて、だから実際は悪戦苦闘しながら無理して書いてたのですけれど、できあがったものを
 読めば、その悪戦苦闘ぶりそのものが、本質的なものからズレてるような感じがしてしまいます。
 あー、なんか言ってるうちに話がヘンな方向に逸れ続けそうになってくるので、これ以上は言いませんけれ
 ど。ていうか、あれな、うん、めんどい。
 
 まぁつまりなにが言いたいかといいますと。
 やる気無。
 結論なんて、いつもそんな程度のものなので御座います。
 だからこそ、そこに行き着くまでの過程が大事な訳でありまして、ええと、ごめん、やる気無。
 
 
 ◆
 
 あれ?
 なんか文章が続いて出てきませんでした。
 やっぱりやる気の無さの内実というか理由というか、そういうものをごろごろと転がして書いてみるのも、
 立派な日記になりますよね。なるはずです。
 それすらもやる気が無いというのは、これはやはり深刻なスランプなのではないでしょうか、と勘ぐりを逞しく
 繰り返してみるも、それがどうしたという言葉が虚しく返ってくるだけですので、ええと、それまでです。
 
 はい、はい、はい!
 仕切直し。
 やりたいことをやりましょう。書きたいことをどんと書きましょう。
 それだけを書きましょう。世界はすべてそれでできてます。それしかもう見えない。落ち着け。
 さてと。
 当日記に於いては、困ったときは本についての感想をそれっぽく書いておけばいい、という暗黙の了解
 が御座いますので、それとなく頭の中をひっくり返して読んだ本についての感想を探していたのですけれ
 ど、残念なことに今年に入ってからまだほとんど本を読んでいないことにはたと気付いてしまったのです。
 あれ? 本は?
 まーじっくり本を読んでる余裕がなかったというのもあるのですけれど、正直本という存在そのものをかな
 りすっかりと忘れていたというのがその大きな原因かと思われます。
 あ、意識的に忘れてたというよりは、うっかり系な忘れ方です。存在自体をうっかり忘れるのは危険。
 そんな感じで思い出してしまったからには、借りてこなくてはいけないという設定が脳内に発生致しました
 ので、近いうちに適当に借りてこようと思っています。
 本当に、今日は(も)どうでもいいことばかりで字数を稼がせて頂いております。
 
 
 ◆
 
 さて、さすがにこんな文章を読む人の気持ちを考えてうんざりし始めてきた頃ですので、そろそろちゃんと
 書きましょう。
 とにもかくにも、困ったときはアニメのお話をしておきます。
 この頃はちょっと時間無くて、アニメの視聴がおくれていたり、なにかしながら見ていたりとかで、なにげに
 アニメとの距離が開きつつあるのを感じています。
 けれど、逆にこう、離れて分かる愛の重み、みたいなそんなゆるい展開になっているらしく、どうにも、こう
 アニメについてお話したくて大変みたいな様子です。 (私が)
 ということで、まぁ、のらくらといかせて頂きます。
 
 えっと、気が早いのですけれど、4月の新番に興味津々です。
 ぶっちゃけ1月の新番が始まる頃から好きでした。付き合ってください。
 だって今期は、それこそまなストとかひだまりとかにぎゅーって感じ(?)にならなかったら、ほんと来期への
 妄想を逞しくするだけで終わってしまうところだったのですからね。
 まぁそんなとこです。どんなところなのでしょうね。興味は尽きません。尽きてしまえ。
 で。
 取り敢えずばばっと列記しちゃいますね。ていうかさせてください。
 一応、現時点でかなり期待してるものにしぼってみました。
 
 ・怪物王女
 かなりきた。第一印象ばっちり。一目惚れ寸前。放送局にいつのまにかTBSが追加されてたところ
 といい、ローゼンのときと私的に同じ感触。これは期待自体が気持ちいいっていうか深みにハマるって
 ていうか面白く無かったらあなたを殺して私も死ぬ、みたいなまぁ落ち着けよ。今期のVVVみたいなアニ
 メアニメした感じにさえならなければ、たぶんかなり上等な感じになれるかも。むしろ実験上等。どんどん
 やって欲しい。ただボーイミーツガールとか、そんな一言でほんと終わるような感じだと厳しいけど。その
 一言もある、ならいいんだけど。ていうか感想書けたらいいな。(他力本願的願望)
 
 ・ひとひら
 たぶん感想は書けない類だと思うけど、でもたぶんボロボロ泣きながら観ちゃいそうな気が絶対する。
 多くは事前には語れないし、事後は涙で一杯で語れなくて、最終的に語ることの無意味さを悟るって
 いうか、たぶん泣けばいいと思う。泣け。
 
 ・神曲奏界ポリフォニカ
 無い。いやたぶんこれは私的には無いとは思うのだけれど、でも原作者があのすてプリの人ってところに
 思いっきりひっかかっちゃってさぁ大変。だってこれで面白かったら泣くに泣けないもんね。観ずにはいられな
 いっていうか、むしろ観ないでいる勇気が無いっていうか、どんだけ情けないんだよ私。
 
 ・エル・カザド
 最近ノワールファンがマドラックスにNG出す理由がわかってきたから。なんか方向性が違うんだよねあの
 ふたつ。ノワファンからしたマドはなんか違うって感じだし、マドファンからしたらノワは物足りないっていうか。
 でこの新作はどっち側なのかな、という興味はここまで言っといて無いんだけど(ぉぃ)、単純にノワとマドの
 それぞれの感覚をそれぞれのものとして受け取った私として、この新作にも新しいものをみつけて行きたい
 なぁって、そんな真面目なことをね、思うとでも思ったか、馬鹿め。はい、思いました。頑張ります。
 
 こんな感じです。
 私的には怪物王女に蝶、もとい超期待してるのですけれども、むしろ超期待したいという切実めいた
 なんか感想書きとして必死な感じがひしひしとして、なんだか妙に冷たい視線で自分を見てしまいます。
 冷静に考えるとなんか月詠みたいな感じもするし、結局それだけで終わっちゃいそうな気もするし、ほんと
 なんというか、必死だな。
 でもこうやって作品に入れ込んだ方が、楽しく感想書けるし、もしほんとに面白い作品になったら、こうや
 って事前に妄想を膨らませて楽しんだ分、すっごい分厚い体験になると思いますし、それでも良いです。
 あ〜でもやっぱ落ち着いて考えれば考えるほどヘタレな匂いもするんですよね〜くぁーっ。
 恋は盲目。 ←心に念じて
 
 さて、次は毎週恒例の現在視聴中のアニメの感想を。
 基本的にはひだまり・京四郎と永遠の空・まなびストレート!の感想を書きます。
 他のはカット。
 ていうかカレイドは本放送時のときに面白いけど感想書けなくてヘコんで、それを今回もまた華麗に繰り
 返すという無能っぷりを云々な状態ですし、のだめははやくも飽きたし(ぉぃ)、あとはええと、なんかあった
 け? という始末。
 そういうていたらくですので、感想はこの3作品に絞らせて頂きます。
 そしてこの3作品すらいつまで感想続くのか・・・・・・私にはまるでわかりません。
 
 はい。
 
 
 
 ひだまりスケッチ:
 たぶん第4話。
 うーん、なんか早くもひだまり無しでは考えられない生活リズムになってきました。
 私のバイオリズムが求めてる、みたいな。なんか違うか。
 すっかり楽しみ方を覚えたというか、その覚えたものに夢中になって、そんでもうずっとそこにかかり切りで、
 それでもう30分が終わるとよし頑張ろう、みたいにはいはいと頷きながら次に行けるような、そういった気
 持ち良さがあるっていうか、相変わらず、抽象的でごめんなさい。
 制作者サイドの視点でその造作に感心するより、提供された娯楽としての細かさに感心して楽しんでる
 というか、つまり評論する気にはなれないけどどんだけ楽しいかは喋りまくりたい気分というか、とにもかく
 にも観てるだけで楽しいというか、まるでどっさり詰まったおもちゃ箱みたいな感じで楽しくて仕方ない。
 その箱の中のおもちゃのひとつにお気に入りを見つけてそれをずっと楽しむことも勿論できるけど、そうして
 る横でもう他のおもちゃにも目移りしてて、さらに他にも目移りして、そうやってまだまだ楽しい要素は盛り
 沢山の底知れずで・・・・たぶんそういう総合的な感じで面白いんだよ。今、なんか端折ったな自分。
 主要のキャラ4人それぞれがそれぞれに面白いんだけど、やっぱりそれが一緒に盛られてるからこそ、その
 贅沢な感じがしてより美味しく感じちゃうってとこ、あると思うし、やっぱりその相乗効果の分だけ、この
 ひだまりってアニメはオリジナルな楽しみがあると思うなー。
 やっぱりこれ、四コマで観ると随分印象違うんだろーなー。
 ゆのっちひとりだけのシーンでも、それはそれとしての面白さがあると同時に、その背景に繋がっている他
 の3人との生活がざざーっと広がってる安心感みたいな面白さみたいなのもあるよね、ひだまりって。
 
 
 京四郎と永遠の空:
 せつながじりじりと動き始めましたね。
 せつなはほんとこれからどうする気なんでしょ。
 京四郎への想いが自分の中にあるのをちゃんと知っていながら、それは否定することでしかその存在を自
 分の中に許すことができなくて、だから寂しそうに笑いながらも限りなくその暗い快感を味わってもいて、
 否定するがゆえに確かに在っても良い京四郎へのその愛と心中する事にうっすらと幸福を見出していた
 せつなは、しかしなんのてらいも無く京四郎への想いのままに行動する空を見て、いったいなにを思った
 のか。
 自分が絶対天使だってことをわかっているからこそ受け入れた、その冷たい幸せの価値が決して自分と
 はひとつにはならないことをせつなは空を見て、結局より強く感じてしまったんですね。
 絶対天使は必ず京四郎によって破壊される存在でしか無いのに、それなのにそれを受け入れた愛を越
 える想いが、せつなを段々と動かしていく。
 案の定、せつなを絶対天使絶対天使とこれまた慇懃無礼に呼ばわっていた空もまた絶対天使だった、
 という展開になり、その設定を踏まえて読み返せばまたこれまでのせつなの様態を語る言葉も変わって
 きはしますけれど、そのせつなに対するせつな自身の想いは変われることは無いんだよね。
 あの子がどんなに無邪気に京四郎への想いを口にしたって、それは自分が絶対天使であるということを
 知らないから言えるだけのことで、だから私は私のするべきことをすればいいだけなの。
 そうせつなは自分にひたすら言い聞かせて、だからせつなは空が自身のことを知るまでの時間を、ほくそ
 笑みながら過ごしてもいた。
 でも。
 それでもせつなは、その時間の中で、確かに空への嫉妬をも感じていたのです。
 私は絶対天使、だから京四郎のために死ねばいいの。それだけでいいの。だからあの子のことを羨む事
 をしなくてもいいし、あの子のようにしなくてもいいの。してはいけないの。だから・・だから・・・・・
 そうやってせつなは、自身の正体に苦しんでいく空の姿を嗤いながら見ていることで、自らの絶対天使と
 いう存在に逃げ込んでいる自分の姿を、はっきりと見つけてしまうのです。
 
 
 まなびストレート!:
 あなたは、どうやって友達を作りましたか?
 普段話したことも無くて、共通の話題も無くて、でもその人のこと嫌いな訳じゃなくて、ただちょっと近づき
 がたいっていうかただそれだけで、むしろ友達になりたくて、もっとその人の事知りたくて、それで充分。
 なのに、どうしてもうまくいかない。
 だって話ふっても噛み合わないし、あんまりその人愛想も良くないし、ぶっちゃけ私の事どう思ってるかも
 わかんないし、もしかしたら私なんかと仲良くしたくないのかもしれないし、でも一緒に仕事するんだし、
 だから仲良くはしなくちゃいけな・・・ってなに言ってんの私は、そんな義務みたいな感じじゃなくて、私は
 純粋に友達になりたいのに、だから私がしっかりしなくちゃいけないのはわかってるんだけど、でも・・・
 でもうまくいかないんだもん。
 そうやって、少しずつ相手を責める言葉にすらも手を伸ばしたくなってきたりして、結局自分可愛さという
 か、そういうのをうまく仲良くできない自分の力不足を正当化するために利用しちゃって、でもね。
 他の人にあの人の悪口を聞かされたとき、どきっとして。
 わたしが、仲良くなりたいんじゃん! あの人はなんにもわるくないじゃん!
 だから頑張らなくちゃいけないってまた思い返して、それでも手詰まりなのは変わらないけど、でも手詰まり
 だからそれがあの人と仲良くならないでいい理由になるなんてこと、絶対あり得ない!
 頑張る頑張る言ってるうちは、きっとなんにもできないんだよ。
 それはただ頑張るって言葉を言い続けてることにしかなれないんだから。
 だから、やるしかない。やるしかない、って言葉を飲み込みながら。
 そして思い付いた作戦は、なんだか全然うまくいかなったし、そのことでほんともう力尽きちゃった感じもし
 て、ほんともう駄目だって思ったりもしちゃったんだけど。
 でも。
 あの人が。
 私のこと、見てるって。
 わかったの。
 私と同じような事、考えてくれてたって、知っちゃったの。
 かーってなった。頭の中がどかーっんってなって、それでね、それでね!
 あの人のとこに飛んでったの。
 私がひとりで下向いてずっと頑張ってたって、それだけじゃきっと届かなかった。
 でも、あの人が、あの人もこっちを観てるってわかったから、だから届くことができたんだよ。
 なんのために私が頑張ったのか、そして頑張れたのか。
 それは、あなたが、そこに居たから。
 
 居るだけで、お互いがさらに一緒に居るために頑張れる。
 でもその最も大事な感覚を踏まえた上から、さらに進む。
 一緒に居るから、一緒に居たいから、一緒に頑張ろうね!
 このふたりの共有感覚こそがスタートにある。
 わくわくきらきら、っていういっちばん根本にある、なんもかんも楽しくしようってスタンスを、それを実行する
 ためには、さらにどんな言葉が必要なのかなぁ。
 なんにも言わなくても楽しむことはたぶんできるんだけど、そのふたりがそれぞれちゃんと楽しんでる、そして
 一緒に楽しみたいってことを知り合うためには、やっぱりそのための言葉を作ってみたい。
 言葉はふたりを繋ぐ重要な命。
 自分ひとりでもしっかり楽しむことができたのなら、今度はその「楽しんでる」という感覚を、みんなと一緒に
 共有しようよ。
 勿論楽しみの中身自体はそれぞれ違うけど、でも楽しいーってみんなで一緒に叫ぶことはできるんだよ。
 そうすることができるような、そういう言葉を考えたい。
 ううん、その言葉自体が私たちを支配するとは思わないよ。
 でもね、その言葉を一緒に作り、そしてその言葉を一緒に唱えることができる私達がいるからこそ、その
 言葉自体の重みもぐんと増すんだよ。
 どんな言葉だっていい、でもだからそこから始めてもっと良い言葉を考えようよ!
 私たちが、胸を張って最高って言える言葉を!!
 だから一緒に考えようよ、一緒に作ろうよ。
 ふたりが、そしてみんなが、心から楽しいって言えるようなことを、しようよ!
 まずは友達になって、一緒に居ることから始めようよ。
 そしたらね。
 今度はそこから一緒に楽しめる仲間になろうよ!
 楽しい事の中身はみんなで違うから、無理に同じ事を同じように楽しもうだなんて事は言わないし、そう
 あるべきだって言葉をばんと示してそこから始めるような事はしないよ。
 そうじゃなくて、中身は違っても、それでもそれぞれがそれぞれの楽しみを楽しいって心の底から言える
 ような場所を作ろうよ。
 
 それが学校、って事なんじゃないかな、このまなストにおいては。
 各自それぞれが楽しい事を見つけてそれぞれバラバラに自分の道だけを行くのでも無く、勿論ひとつの
 価値観ですべてを同じように楽しめるようひとつの場所に閉じこめるのでも無く、ただそれぞれがそれぞれ
 の立場からそれを楽しんでいることを表明しあう場所としての学校、というか。
 楽しむことと、みんなで集まること。
 そのふたつが重要なことで、そのふたつだけを純粋に合わせて作り上げた学校っていうのが、理想像として
 挙がってるんだよね。
 面白い。面白過ぎるよ、その言葉は。
 最高。
 学校って楽しいーっ、って言えたら、それでもう最高でしょ。
 
 
 んー。
 このサイトも楽しくしなくちゃね。
 とか言ってみる。
 
 
 
 

 

-- 070204--                    

 

         

                               ■■悪に届かない地獄■■

     
 
 
 
 
 『鬼のあんたにゃ、お似合いだぁ〜・・・・・・・・・・・・・・・・お似合いだ』
 

                         〜地獄少女 二籠 ・第十六話・骨女の言葉より〜

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 目の前をよぎった光景のすべてが、消えていくまで残っている。
 終わることがもう決まっていて、ただそれを待っているだけなのに、それまでの時間をもてあますことなく、
 それ自体を一生懸命に生きている。
 けれどもどうしても、それに触ることはできない。
 手を伸ばして、私もその仲間に入れてよと、恥ずかしがりながら顔を上げても、もうそのときにはそれら
 目の前のすべては終わっていた。
 重い鐘の音が、無情すらも感じさせないほどに、ただ無機質に鳴り響いた。
 胸の中で、待ってまだいかないで終わらないでと叫ぶ言葉を書き連ねても、それを口の中で練っている
 うちに、すべては夜の街の露の中に消えていった。
 残された私の体には、ただゆっくりと、雨が滴り落ちてきている。
 見上げた雨空に続く水滴が、すべての終わりと共に、私に向かって降りてくる。
 
 ぼう
 
 その雨の群の中に咲く一輪の灯火。
 そわそわと無意味に毛羽立つ肌の動きを制することもできず、またそれを考えることもできずに、ただ目の
 前のものが終わっていく事への悲しみに囚われていく。
 ううん、それは悲しみなんて、自覚的な事じゃなかったのかもしれない。
 それはただ、虚しいってだけのことなのかもしれない。
 私は最初から、なるようになっただけなのだから。
 最初から、こうなるだけとわかっていて、それでもなにもできずになにもせずに、ただそのままの終わりを与
 えられただけなのだから。
 真実悲しみを感じていたかと言われたら、たぶん感じてないとしか言えない。
 というより、悲しみというのがどういうものかすら、私にはわかることなんて無いのかもしれない。
 降り落ちる雨に打たれるたびに、ゆらゆらとその輪郭を不確かにさせながらも、それでもただ無為に燃え
 続け、そしてやがて尽きていく幻すらも灯しながら、ただその薄暗い灯火の一筋に在った。
 その事自体を悲しいと思った事なら、もしかしたらあったのかもしれない。
 けれどその悲しみは、決してこの薄い炎に自覚を与えるものとはなりはしない。
 ぽつぽつと浮き上がるうたかたのように、それは紛れも無くただそれを見つめる者の悲しみでしか無い。
 私を見てる、私の悲しみでしかない。
 すべての終わりに囚われている私を見てる私の悲しみでしかない。
 私に見られてる私の悲しみは、何処に。
 仕事で失敗して、男にもフられて、裏切られて、人に迷惑かけることになってしまった事、それらに対して
 どうすることもできない事自体に対する悲しみだけが、目の前で終わっていくすべてのものに贈る私の感
 情だったのよ。
 失敗したり裏切られたり迷惑かけてしまった事に対する、私自身の悲しみは、この冷たさすらも無い雨空
 の下には、無かったのよ。
 
 私・・・・逃げてるだけなのかしらね・・・・
 
 自分でも何やってるのか、正直わからないのよ。
 手嶋さんを愛して、あの人のために会社の極秘情報を流して、そのせいで社長さんが一家離散して、
 それなのに手嶋さんはお金が手に入った途端私を捨てて。
 私、それでなにもかもがわからなくなった訳じゃないわ。
 手嶋さんを私がほんとに愛してたかどうか、もうその時点でわかってなかったんだから。
 私はただ手嶋さんに言われた通りにして、そうすれば喜んでくれるのがわかったけど、でも私は手嶋さんに
 喜ばれたかったから愛されたかったから、犯罪に手を染めた訳じゃ無い。
 手嶋さんに、愛してるなんて嘘だと言われてすべてが終わったとき、私はただ当たり前だと無感動で居て、
 そしてそれなのになにか言わなくちゃと、ただそう思っただけ。
 私が鈍くさいのはほんとだし、それが理由で私が愛されないただ騙されるだけの女として、当然の仕打ち
 を受けただけ、という言葉はまさにその場に出すに相応しい言葉だった。
 勿論、あてつけでも皮肉でも無い、文字通りの意味の言葉よ、それは。
 私は本当に、そう思っていた。
 私は別に悔しいとも悲しいとも思わず、ただ私がフられ裏切られた理由を言葉にして場に示すことだけを
 考えていたの。
 無論それも、そうせずにはいられないほど、心の底から悔しくて悲しんでいたという訳でも無い。
 そして、もうどうでもいい、という投げやりな感覚でも無かった。
 なにか、言わなくちゃ。
 
 
 この場を、まとめなきゃ。
 
 
 手嶋さん、呆れ返ってたでしょうね、きっと。
 だって私、言うに事欠いて、社長さんを助けてくださいって、借金の肩代わりくらいしてあげてください、
 なんて、その社長さんを陥れた張本人のひとりの手嶋さんに面と向かって言ったのだから。
 明らかに場違いな発言であることは、間違い無かった。
 鈍くさいどころか、狂っていると言われてもおかしくは無い。
 でも。
 それで場は、まとまった。
 手嶋さんは馬鹿な女と私を蔑んで。
 そして私は。
 いつか社長さんにお金は返します、とひとり呟いて。
 そして。
 手嶋さんを地獄送りにしようと思える正当性を得た私の中に、居場所を得た。
 私も片棒を担いだのだから、地獄に行きます。
 
 
 簡単ね、という溜息は私の体の中から漏れることは、どうしても、無かった。
 
 
 
 
 ◆
 
 
 ++
 
 お人形さん。
 お人形さんは、わかってないよ。
 私ね、単純なのよ。
 それはあなたの見立て通り。
 でもね。
 単純に怨みに染まって、しっかりその感情のままに生きられるような、そういった意味での単純じゃ無いの。
 だからどんなにあなたが同情してくれたって、それはあなたの思い込みにしか過ぎないのよ。
 うん、私は確かに鈍くさいし、頭も良くないから、難しい言葉や理屈は使えないし、だからどうしても言う
 ことが感情的に聞こえるのかもしれない。
 でも、それはただ単純な言葉しか使えないだけで、私自身は非常に論理的な人間なの。
 んー、論理的っていうより、ただ非感情的っていうだけなのかもしれないけどね。
 感情に囚われない、というより、感情に染まれないってだけ。
 私はただ怨みという理屈を唱えて、虚しくそれを具体化しようとしていっただけ。
 私自身はだから、なんにも怨んじゃいないのよ。
 私はただ。
 
 悪いことは、しちゃいけないって、思っただけなの。
 
 それは悪いことだから怨まなくてはいけない。それは正しいことなのだから怨まなくて良い。
 手嶋さんが私を捨てたのは私が鈍くさいのが悪いのだから、私が怨む筋合いは無いし、社長さんへの
 罪滅ぼしをしない手嶋さんは悪いのだから、むしろ怨まなくてはいけない。
 ううん、冗談じゃないわ。
 私を捨てたことを怨めない代わりを、罪滅ぼしをしない手嶋さんへの怨みに込めたりなんかしないわよ。
 お人形さん、わかってない、ほんとうに。
 私はね、怨みたくなんてないの。
 私のこれまでの言い方でわからなかったかしら。
 私は本質的に、怨みなんていう濃い感情に染まることができない、薄情な女なのだから。
 だからそれこそ感情のままに行動すれば、私は徹底した事なかれ主義に奔るの。
 うん、もうわかったわよね。
 だから。
 だから私は、怨まなくちゃいけないって、思うのよ。
 怨んでるんじゃなくて、怨みたい、怨まなくちゃいけないって、思うのよ。
 怨みという感情に意味があるんじゃなくて、怨むということで成す行為の結果だけに意味がある。
 なにも無い野放しのままの自分が嫌で、事なかれで終わってしまうのが嫌で、だから私はひたすら怨ま
 なくてはいけないという理屈を唱え、そしてその怨みを成就させることに終始する。
 でもね・・
 私はたぶん、そういう事に終始することを目的にしてる訳でも無いのよ・・・
 そういう事に終始する理由が無いもの。
 なにかから逃げてるから、そういう事に終始する事へ逃げてるのかと、思ったことはある。
 でも、逃げてるとは思えなかった。
 逃げることで得られるものも、また逃げ出したいほどに怖いことも無かったのだから。
 だからね、今は私は、そうやって自分が正しいって考えたことを、ただ素直に実行すること、それが好き
 なんじゃないかなって思ってる。
 でもたぶんその「好き」は、世間一般で言われてることの好きとは違うのかもしれない。
 だって、私のその「好き」は、全然実感が無いんだもん。
 気付いたら、そうしなくちゃいけないって、ただそう思っているだけなんだから。
 
 
 生きてるってことのうちに、もしかしたら既に含まれてる事なのかもしれないわ。
 
 
 ふふ。
 鈍くさくて、馬鹿だから、私はそれをすることでもう一杯一杯って事なのかもね。
 逆に言えば、正しいことをすることだけしかできないって話なのかも。
 融通が利かないというより、無能なだけ。
 一応、無欲でもあるのかしらね。
 でも私がなにも欲しがらないのは、単に私が物を、世界を知らなさ過ぎるからだけ。
 そしてたとえ欲しいものを手に入れたいと思える自分を見つけても、その自分を世界の中に生きさせる
 術を知らないだけ。
 だから私の欲望は、すべてうたかたの夢のようなもの。
 消えるために終わるために浮かび上がる、その浮上までの時間がすべての存在。
 そんな感じ、なのよ。
 
 
 
 仇討ちしようって、見も知らない女性に持ちかけられた。
 私はほんとにほいほいとついていって、そして素直に話を聞いていた。
 仇討ちするのが正しい、という私自身の言葉に従ったまで。
 ただ私は経験上、絶えずしっかり自分のしなければならないこと、これからしようとしていることを確認して
 おかないと失敗するということを知っていた。
 だから私はこのマツって人に会ってからずっと、一生懸命に考え続けていた。
 お話に頷きながらも、ずっとずっと考えていた。
 私はなにをしたいんだろう私はなにをしたいんだろう私はなにをしたいんだろう。
 変だった。
 どうしてか、私はなにをしなければならないんだろう、とは考えていなかったのよ。
 ううん、言葉を変えれば、私は自分がなにをしたいと思っているのかを考えなければならない、という事
 なだけなのかもしれないわ。
 私は手嶋さんを怨んで社長さんへお金を返させるような復讐をしなくちゃいけない。
 そのためには色仕掛けが一番とか言って、マツさんは私にお化粧して綺麗な服を着せてくれた。
 鏡の中に映る私の姿に、私は真っ直ぐに頷いた。
 うん、綺麗。信じられないくらい、綺麗。
 見たことも無い、そして見る事なんて絶対無いはずのその姿に心底うっとりして、その頷きをそっくり私は
 飲み込んだ。
 目の前の綺麗な姿を被って、私はうっすら微笑んだ。
 この姿なら、私は怨むことができるかもしれない・・・・・
 
 
 『もしかしたら私、生まれ変われるかもしれない。強く、逞しい女に。』
 
 
 怨みの感情に染まることはできなくても、怨みに満ちた自分で着飾ることはできるかもしれない。
 そして、目の前にあるその姿は、紛れも無く私自身の姿であるゆえに、もしかしたらその着飾ることを越え
 て、そのもの自身に私がなることができるかもしれない。
 うん、そうよ、お人形さん。
 その期待めいた欲望は、形だけの大嘘よ。
 実際そうなれるかどうかがでは無く、私がその欲望に実感を感じているかそうでないか、それはあまりにも
 明白だった。
 そんな欲望に、実感を得られる訳ないじゃ無い。
 でも確かに私は、その実感のある無しを越えて、その綺麗な私になれるかもしれないと思っていたのよ。
 綺麗な私になりたい、のでは無く、なれるかもしれない、と。
 なりたいという欲望の無い、ただなれるかもしれない可能性としての私の姿がそこには映っていた。
 ああ・・
 これは・・・・・ありえたかもしれない・・・・もうひとりの・・・私なんだ・・・・・
 
 
 正しいことに囚われていない、ただただ感情のままに悪に染まれる私の姿なんだ・・・・・
 
 
 だから私はその姿には、その私には絶対になれない。
 それはありえたかもしれないという「可能性」としての存在。
 私はだから、その可能性を演じるの。
 悪くて美しい、強く逞しい私を、ね。
 私はその私の姿に憧れてもいないし、そうでない私を憎んでもいない。
 私は、今、ただただその鏡の中に映る私を綺麗に演じることに真っ直ぐになっているだけよ。
 ねぇお人形さん。
 みんな私を見てるわ。
 綺麗でカッコいい私の事を見てるわ。
 みんなは私の演じたその私を、綺麗って褒めてくれるわ。
 ほんとの私を褒めてくれてる訳では、だから無いのよね。
 でもね。
 それってつまり、みんなは私のその演技を、上手いって綺麗って褒めてるって事でもあるのよね。
 私、上手にできてるかしら。
 私、ちゃんとできるかしら。
 私はみんなが褒めてくれれば、それだけ自信がついて、その演技を続けることができるし、さらに上手く
 なるように必死に頑張ることだってできるの。
 そうやって私は、立派な役者になれるって。
 そう、思ったの。
 マツさんに言われた通り、私はその役を続けられるって思ったの。
 一生懸命に、私の全部を賭けて。
 
 『お人形さん、応援して。』
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

--- ほんと、あなた、ケバいですわ ---

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ◆
 
 ほんと、つまらない欺瞞よね。
 あんな男のためにこんなことまでして。
 私は別に、ほんとに鏡の中の綺麗な自分になりたかったという訳じゃ無い。
 勿論綺麗な私を演じる役者に満足することで、その綺麗な私自身になれない自分への憎悪を抑えて
 いた訳でも無い。
 
 『あんな男のために、なにを思い詰めていたのかしら。』
 
 それが滑稽で、溜息が出たわ。
 なにをひとりで舞い上がっているんだろって。
 綺麗な私だろうと、それを演じる役者だろうと、そんなの私に関係無い。
 私の目的は、ただあの男に復讐して、社長さんへの罪滅ぼしをさせたいだけ。
 私の事なんて、どうでも良いのに。
 あの男から奪った予想以上の大金を、マチさんと山分けという約束を反故にして、私は社長さんへの
 分だけを貰おうとした。
 なのに、マツさんはそれを頑として断り、きっちり半分半分にした。
 貰ったって困る。こんなに。
 私が自分で使い道考えなくちゃいけない大金なんて。
 ということで、私はそのまま全額寄付することにしたのよ、お人形さん。
 お金なんていらないわ。
 私は・・・ただ・・・
 
 
 
 怨みたかっただけ・・・・・・・・・
 
 
 
 ◆
 
 沢山貰ったお金の使い道を無限に想像して、そしてそれを尽くした後それをすべて潰していた。
 それは、寄付するという善い行いをするためにだったのか、それとも潰した後にいつも必ず残る今の私の
 姿しか私には無かったからなのか。
 私には、自主的に主体的になれる「私」という役を演じられる私と、自主的主体的にやっているとも言え
 るだけの私が残った。
 私は結局、復讐者がやるべきことを字面通りなぞって完遂することができただけ。
 でもね、お人形さん。
 私は復讐者という役を、一生懸命演じることができる役者になることもできたのよ。
 私はその分だけ、やっぱりだから変われたと思うのよ。
 だから、ありがと。
 
 
 そして・・・・
 
 
 
 
 
 
 ---
 
 わからない。
 わからないわ。
 私はなんにも怨んでなんかいなかったのに。
 私はただ怨みたかっただけなのに。
 なんで私の手にはお金だけが残ったの?
 こんなの、いらない。
 怨みを、頂戴。怨みの感情を、頂戴。
 なのになんであの男は、お金なんかのせいで死んじゃったの?
 たかがお金のせいで・・・お金なんて・・・・・
 わからない。
 わからないわ。
 あの男にとってのお金の価値が。
 私はお金を奪っただけ。
 私は、お金を奪うことしかできなかったのに。
 なのに、なんであの男は自殺しちゃったのよ。
 待ちなさいよ。勝手に死なないでよ。
 私が殺したのじゃ無い。
 私は、殺せなかったのだから。
 私の目的は、復讐。
 あの男からお金を奪って社長さんに返す?
 違う。
 その言葉は。
 既にあの男に、手嶋さんに否定されたじゃない。
 手嶋さんが、否定してくれたじゃない。
 だから。
 私は、お人形さんの紅い糸に手をかけられたのよ。
 怨みで、手嶋さんを地獄に送る事ができるようになったんでしょ。
 忘れてる。
 忘れてるわ。
 馬鹿みたい。
 私の目的は、社長さんへの罪滅ぼしじゃ無い。
 私の目的は、手嶋さんを地獄に送ること。
 正確に言えば、手嶋さんを怨めるようになること。
 なのに・・・・今・・・・・
 
 
 『お金なんてどうでも良かったのに。私が望んだのはそんな事じゃ無かった。
  私が望んだのは、手嶋さんを地獄に流すこと。
 
  もしかして、その望みが叶ったから、お人形さん消えてしまった・・・・?
  だとしたら、手嶋さんは私が・・・・』
 
 
 
 嘘ばっかり。
 でも私は絶対にその嘘に気付くことは無い。
 自分の張り巡らしていく嘘の言葉に綺麗に囚われて、そのまま流れて終わってしまうだけ。
 私は手嶋さんを地獄に送ってなどいない。
 そんな訳が無いのだから。
 だって。
 私は、手嶋さんを怨むことができなかった事に、打ちのめされていたのだから。
 浅ましすぎるわ。
 なにを私の手柄のように、ひとりで戦いているのよ。
 私は手嶋さんを怨めなくて、その代わりにお金を奪ってそれで終わりにする事しかできなかった無能な女。
 だけど。
 手嶋さんは死んだ。
 私達にお金を奪われて。
 たかがお金のことで死ぬなんて、思ってなかった。
 でも。
 お金は、お金。
 私がお金を奪って、それで手嶋さんは死んだ。
 手嶋さんは、私が殺した。
 わからない。
 わからないわ。
 
 それなのに私、延々と私が手嶋さんを殺したことを受け入れているなんて。
 
 マツさんに利用されてたとか、自首しようとか、そんなことをひたすらに唱えて。
 それはすべて、私こそが手嶋さんを地獄送りにしたということを声高に主張してるのと同じこと。
 私は、あの男を殺してないのに。
 殺せなかったのに。
 怨みに染まれなかったのに。
 私は。
 あの男を、手嶋さんを殺した者という役をすら越えて、ただ真っ直ぐに殺人者としての自覚に執着してた。
 殺したのは私、地獄に送ったのは私、怨んだのは私! 私があの男を怨んだの!!
 ねぇ・・怨ませて・・・・
 怨ませてよ・・・・・ねぇ・・・・・・・・ねぇっっ・・・
 
 
 そしてマツさんが、短刀を抜いて、私に突きつけてきた。
 
 
 
 
 
 
 ◆
 
 あなたに全部罪を独り占めなんてさせないわ、という叫びが胸の中で殺されていく。
 私とマツさんは罪を半分半分で背負った共犯者。
 そして私は抜け駆けの自首をして、その罪を独り占めにしようとした。
 馬鹿よね。
 私に認めて貰える罪は、手嶋さんの資産を横領したってことだけなのにね。
 その罪は、私に怨みがあることを証してはくれないのにね。
 ほんとに、鈍くさいわ、私。
 そうしたらマツさん、すっかりキレちゃって、私の事、刺したのよ。
 ごめんなさい、あなたの言う通りにできなくて。
 私・・・
 もう・・・なんにもわかんなくなっちゃって・・・・・
 悪いことなんて・・・したくなかったのに・・・・・・・
 
 
 私は、あの男を怨みたいの? 怨みたくないの?
 教えてよ、お人形さん。
 
 
 
 
 
 
 
 

 +-- 目の前で終わっていくすべての中に居ることを --+

 
 
 
 
 
 + 『私、利用されてた・・・』
  -- 私に、ね
  -- 利用されてる事を、すっかり忘れて、ね
 
                         + 『どうして人は人を騙そうとするのかな。』
                          -- それしか知らなかったから
                          -- 自分を騙すことで他人に対して正直で居られるから
 
 + 『鬼・・・・・鬼だったら・・・地獄に還さないと・・』
  -- 目の前の終わりに届くまで
  -- 必ず一番悪い私を地獄に堕とし続けたい
 
                          + 『仕方無い。それも自業自得。』
                           -- そう
                           -- 正しいことをしたいのだから
 
 + 『それよりも、あの人がなんの罪も無い人を。』
  -- そう
  -- 悪いことをしたら地獄に堕ちるのだから
 
 
 
 
 



 
 

私は、なにを怨んでいたの?

 
 
 
 
 
 
 

 紅い画面の中に醜い悪女の名前を書き込んだ女の姿。

 
 

 『お人形さん・・・・・』

 

『やっぱり・・・あなたにお願いするしかないみたい。』

 
 

『・・お願い・・・・・』

 
 
 
私を・・・・
 
殺して
 
 
 
 
 
 

 ◆

 
 『他人の意見に流されてばっかりのあの子が、なんであそこだけ意地になるのか。』
 
 
 それはね、マツさん。
 
 
 
 
 私が、生きていたからよ。
 
 
 
 
 
 
 
 お人形さん・・・・・・・・
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ごめんね
 
 
 
 
 
                                ◆ 『』内文章、アニメ「地獄少女」より引用 ◆
 
 
 

 

-- 070201--                    

 

         

                                 ■■無言の楽校心■■

     
 
 
 
 
 4D? (挨拶)
 
 
 えっと。
 アニメの感想だけ、さらっと。
 いや、ちょっと今時間なかったり、調子悪かったりしてるので。
 ほんとうに、さらっと。
 
 
 ひだまりスケッチ:
 第3話?
 すっかりこのアニメにも馴染んできていい感じ。
 というよりむしろ今まで触れたことの無い感覚を開拓してく楽しみってのがあって面白い。
 あーこれってこういう風にも楽しめるなぁ、あ、これって意外と面白くね?、みたいな感じで、ぽこぽこと
 楽しいひだまりライフを絶賛展開中なのです。
 これはこれは、いいアニメですね。
 やー、1話を観たときはどーなるかと思いましたけど、かえって初心に帰れたというか、そういう探求心だか
 冒険心だか、そういうのに真摯になれる対象としてはなかなかなのです。
 既存の自分の感覚に頼り切ってたら、すっかり見逃すところでしたわ。
 で、第3話そのものは吉野屋先生の怪しい踊りでびくっときたけどw、その前の内容と無関係なホラーチ
 ックな演出とか、色々やってて面白かったです。あとたりらりらんは無いと思う。
 あとターゲットロックオンとか強襲用とか、なかなか見上げた小技もいい感じで仕込まれてて、ええと、
 なんかひだまりって感想書くの難しいね。(いきなり手詰まり)
 つまり、面白かったってことです。そんだけです。そんだけなの!
 
 
 カレイドスター スペシャルセレクション:
 もう原作の何話が抜けてるのか調べるのどうでもよくなってきた、というどの話をセレクションしてくるのか
 に興味があるというスタンスが本末転倒な感じになりました。でもそれでいい。(面倒だから)
 で、ロゼッタ登場のお話。
 あーやっぱいいなぁこの話も。
 でも正直うまく言葉にして表せないなぁ。
 ということで、カレイドの感想はまた書けません。
 というか今日は時間無いし。言い訳です。
 
 
 京四郎と永遠の空:
 あー、なんて言ったらいいのかよくわかんないだけど、ソウジロウ登場によって京四郎のお子ちゃまな魅力
 の側面がどばーっと広がってきたね。
 絶対天使の存在を許さないゆえに絶対天使を使って絶対天使を消す、つまり京四郎はせつなを使って
 他の天使と最終的にはせつなも消すつもりで、それをソウジロウに指摘されてカーっとなっちゃってまぁ。
 でもそこでカーっとなるってとこが京四郎の魅力っていうか、言葉だけ理論だけじゃ収まりきらない人なんだ
 なぁっていうか、だからせつなも可哀想っちゃ可哀想だけどそれは自滅的自虐的な可哀想さで、なんてい
 うかせつなには京四郎の事は救えないっていうか、せつなは京四郎のために死ぬことしかできないんだな、
 っていうか。
 せつながその京四郎のカーっとなれるところをちゃんと見つめて、それをしっかり愛することが最重要って
 気が付ければ、きっと京四郎もそのせつなへの感情を肯定することができるようになるっていうか。
 あー、ほんと要領得ませんね、こりゃ。
 で、逆にソウジロウなんかはとにかく絶対天使は存在しちまってるんだから、彼女達の人格を最優先
 するべきだろうって感じで、だから無条件に彼女らを受け入れる大きさがあるけども、でもそれはまた絶対
 天使が人間とは別の存在であるということが含まれていない許容であって、だからソウジロウがそこから
 一歩も進まないでそれで完結してしまっている限り、たるろってはソウジロウの元には来ないんじゃないか
 なーとか、あー、ほんと要領得ませんね、私の説明。
 
 
 まなびストレート!:
 あー・・・・
 なんか、泣けた。ひたすら泣けた。
 あと時々笑った。4Dはさすがに笑った。ギャグもなにげにうまい。
 んー、やっぱり、楽しいって事は素晴らしいなぁってね。
 走ってないと頭まわんないんです。そういう体質なんです。んなアホな。
 まっすぐGo!
 自分が思い付いたものを現実にしてくって、めっちゃくちゃ楽しいよねー。
 誰かのためを思ったり、誰かのためになりたかったり、そういうことをするためにはどうしたらいいのかー、
 ってうんうん頭捻って考えて悩んで、それで訳わかんないままに躓いて挫折とかもして愛しさ余って憎さ
 百倍みたいな感じになっても、最後の最後に残った一線すらぼわんと消えちゃったとしても、それでもその
 まっさらにどうでもよくなっちゃった境地から、それでもなにかしたい、って思えるのはどうしたことか。
 いっくらだって自分にとっての壁とかタブーとか思考停止ワードとかあったりするし、それに思う様に引きずら
 れて、ほんとどうにもなんないくらいに全部わかんなくなっちゃうこともあるけど、ほんと気持ちそのものが
 すっかり萎えて、今まで自分がやってきたことにすら価値を感じられなくなったりすることもあるけど、でも、
 ほんとうに感情的に駄目になって自分の中のなにかがぽっきり折れちゃったりしたとしても、それでも、
 そう、それでも、なぜか自分が今ままでやってきたことを知っている自分が居ることを、必ずわかってしま
 う。
 そして、たとえ身動きひとつできなくても、それでも動こう、いや動かなくちゃいけないということを、必ず知
 ってる自分がいる。
 そういう、情報としての言葉、それは無味乾燥な文字の羅列の残骸にしか過ぎないものかもしれないけ
 ど、それは紛れも無く、自分を象ったものだってことをわからないことはなかったりする。
 楽しくならなくちゃ、いけないんだ。
 なぜなら。
 今、確かに楽しくない自分が、ここにいるから。
 楽しくて楽しくて堪らないからこそ、どんな事があってもこれからもずっと楽しんでいけるというのなら、
 その楽しさそのものが消えちゃったら、それこそどんな事があったって楽しくなんてなれる訳ないじゃ無い。
 そして、だから。
 そこに、楽しくなりたい自分が居ることに、どうしようも無く、気付く。
 楽しくなりたい、幸せになりたい。
 その欲望そのものに対する実感と切実さを失ったとしても。
 たとえ、「楽しくなりたい」と思っていた過去の自分の記憶しか残ってはいないとしても。
 それでも目の前に、必ず誰かが居る。
 芽生の目の前には、友達になりたい、一緒に楽しくやりたいと言ってくれた、まなびが居た。
 そりゃ、泣くでしょ。そりゃ泣くよ、全開で。
 わたしも一緒にやりたいって、空だって飛んじゃうさ。
 それが、今の芽生。
 居るじゃん、あんたはそこに、此処にさ。
 誰かがいる。
 行けば、そこに誰かが居る。
 誰かが、一緒に楽しくなれるみんなが、居る。
 それが、学校。
 楽しい、学校。
 作るのは、自分自身。
 小人さんじゃありません。
 
 
 
 えーと、あと最近、銀魂とかナルトとかその辺のも観るようになりました。
 銀魂は下ネタオンリーかと思って敬遠してた私が可哀想になりました。
 ナルトはサスケとイタチの話がなかなか新鮮で面白いなぁというところでした。(ケーブルで見てるので)
 あとコードギアスも相変わらず楽しく観ています。
 どこかで、2006年の前半はハルヒで、後半はギアスだったねという文章を読んで、ある意味頷きました。
 ちなみにギアスもケーブルで話を追っているので、微妙にお話にはついていけないかもしれません。
 残念です。
 でも2・3話くらいしか遅れていないはずなので、たいして変わらないなぁと、今、思い直しました。
 あとなにげに大河ドラマの風林火山が面白かったです。
 なにかこう、男臭いっていうか、戦略的っていうか。
 中途半端なドラマならいらんのです、みたいな声に思い切り良く応えた感じでした。
 少し心配です。 (視聴率とか)
 
 
 メモ:
 今期は、まなスト・ひだまり・京四郎と永遠の空の3つで決まりです。
 
 質問:
 どなたか「京四郎と永遠の空」の良い略し方を知ってませんか?
 
 
 
 
 

 

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