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◆◆◆ -- 2007年6月のお話 -- ◆◆◆

 

-- 070627--                    

 

         

                             ■■ 姫のち晴れのテーゼ ■■

     
 
 
 
 
 『今日も良い日和だ。』

                            〜怪物王女 ・第十一話・姫の言葉より〜

 
 
 
 
 
 
 
 
 姫は、なぜヒロが拾ってきた猫族のヒロ子を倒そうとしたのだろうか?
 刺客だから、という理由が一体どれだけ姫がヒロ子と戦う理由になっているのか、わからなかった。
 あまりに非力ゆえに、姑息である前に稚拙な罠しか仕掛けることが出来ず、そもそもどんなに頑張った
 ところでヒロ子が姫を倒すことなどできようはずも無く、下手をすれば傷ひとつ付ける事さえも出来ない
 ほどの、その圧倒的な戦力差がある。
 そうであるのに、姫がなおヒロ子を倒す理由がどこにあったのであろうか。
 姫の命を狙うということがどういうことであるのかを、ヒロ子とそれ以外のすべての者に示し、またその行為
 を通して姫自身もその毅然とした態度を意識するために、であろうか。
 いまいち、わからない。
 現に令裡と戦ったときは、利用価値があるという建前で令裡に止めを刺さなかったし、それは「私は慈悲
 深いのだ」と言って、当初迷い猫としてヒロ子の屋敷への滞在を許したことをさらに延長させても良い、
 その良き前例になっていたものだと思う。
 令裡を許したのに、ヒロ子を許さぬ道理が無い。
 自らの慈悲深さをより顕示するためという建前で、刺客として向かってきたヒロ子を許すことは、今までの
 姫の論理から考えてごく当然なことのはずだ。
 
 と、ここまでなんだか興奮気味に平和主義博愛主義的に息巻いてみて、ひとつ気付いた。
 そうか、ヒロ子は裏切った、のか。
 大見栄切って、あそこまで堂々と自らの慈悲深さを示し、哀れなヒロ子の滞在を許してやったというの
 に、その恩を仇で返したヒロ子を許す訳にはいかなかったのか、と。
 だが、もしそうならば。
 
 それは、本質的に、姫が自分の恥を隠そうとしたということにしかならない。
 
 姫が真実言葉通り慈悲深いのかどうかなど、凡俗なる私にはわからないし、わかった瞬間に踏まれる
 おそれがあるので、私は知りたくも無い。本当です。
 それはともかく、姫は今回はいつもと違い、自らの行動の動機をその「慈悲深さ」にあるとはっきり明言
 し、そしてそれを保証しなければならない立場に身を置いた。
 つまり、普段の言動から姫はヒロ子を摘み出すと予想していたヒロを、私は慈悲深いのだと言って一蹴
 し、そしてその言葉で以てヒロ子の滞在を請け負ったのであるから、姫は真実その「慈悲深さ」を示し
 ながらヒロ子を受け入れていかねばならない、ということなのだ。
 よし、ならば私の慈悲深さを魅せてくれよう。
 姫は片頬をひくひくとさせながらも、無理矢理優しく笑おうとする。
 そして、ふぅとひとつため息をついて、姫はその本質にある慈悲深さをさらりと示した。
 ヒロ子が姫のために紅茶を入れ、そして自分でティーカップを下げると言い張った健気なその姿を見なが
 ら、姫はそっと優しく微笑んだ。
 このとき、姫のその建前の言葉である「私は慈悲深いのだ。」は魂を得て、姫の本質に花を添えた。
 そして。
 その姫の慈悲深き姿は、当のヒロ子によって裏切られた。
 まさか姫が、それで逆上して、その勢いでヒロ子を殺そうとしたとは思わない。
 だが、自分で言い出したその慈悲深さを動機にし、それに保証されてあったヒロ子の存在は、その慈悲
 深さを裏切ることによって消去し、それゆえ姫としてはその慈悲深さを全うするためにも、ヒロ子を倒そう
 とした。
 姫は慈悲深いゆえに、ヒロ子を倒さねばならなかったのだ。
 つまり、自分でかけた慈悲が裏切られた、その責任を取ろうと、姫はしたのだ。
 
 そしてそれは、刺客は倒す、という言葉で正当化される。
 裏切り者であり、刺客である、だから、倒す。
 おそらく姫の心情は関係が無いはずだ。
 なぜならこの構図は、第1話でワイルドマンを屠ったときのものと酷似しているからだ。
 そこまでくると、実に良くわかる。
 姫にとっては、慈悲の心が本質にあろうとも、だがそれに執着することは無いのだ。
 姫が令裡を許したのは、令裡と交渉の余地があると、和解の余地があると判断したがゆえだった。
 だがしかし、ワイルドマンとヒロ子の場合は、裏切りという、これ以上無い不退転の意志を以て向かって
 来ていたのだ。
 だが。
 
 それでも、疑問は残る。
 
 ヒロ子に刃を向け対峙したのは、だからわかる。
 けれど、ヒロが身を以て止めに入ったときの、あの姫の表情はなにか。
 あの顔は、心底ヒロ子を倒すことに執着しているように見えた。
 姫は、たとえ決死の覚悟で刺客が向かって来ようとも、それを打ち倒すこと自体に拘ったりはせず、
 刃を交え、その戦いの流れの中で常にその相手を倒すことを含む、その戦いの落としどころを探る者だ。
 姫に、それでもヒロ子を絶対に殲滅しなければならない理由など、どこにも無い。
 姫は、戦うことも、相手を滅ぼすことも、その目的とはしていないのだから。
 前後と周囲の状況、あらゆる文脈と可能性を読んで、そのすべてを纏って踊り戦う、その姫の姿にとって
 、ワイルドマンのときは倒すしか無いというものが答えで、そしてヒロ子に対しては、ヒロが止めに入った時
 点で、それは充分矛を収める余地があったはずだったのだ。
 それなのに、あの表情、あの目。
 わからない。
 裏切ったヒロ子に対する私怨が全く見えないがゆえに、全くわからない。
 そして、それを解く最大のヒントは、この言葉にあった。
 
 
 『戦いに勝つためには手段を選ばない。まったく嫌ですわねぇ。
  そこまでして手に入れたいほど、王の座なんて魅力的なものなのでしょうか。』
 
 
 このセリフは、ヒロ子が実は他の王族に操られていただけの哀れな孤児であるという、その王族のやり
 口を皮肉っての令裡の言葉だが、しかしその言葉は姫に対するこの時点での最高の皮肉にもなってい
 る。
 姫は、ヒロ子が操られているだけと知った時点で矛を収めたが、しかしならば、それを知らなかったのなら
 ば、真実ヒロ子が裏切っているとしたらどうだったのか。
 姫は、哀れな孤児たる猫族の子供を、無惨にも殺すつもりだったのだ。
 自分に刃向かってきたから、という理由のみで。
 姫にとって、裏切り者を倒し、刺客を打ち倒すことで得られるものは、そこまでして手に入れたいほど魅力
 的なものなのか。
 さらに私は問おう。
 もしその魅力的なものが姫にあるとしたのなら、それを検証しまた他の形に発展させる余地を、姫は果た
 して持っているのか、と。
 ヒロが止めてもなお振り翳した、あの偏狭でどこかなにかを見失っているその姫の紅い瞳が、私が今まで
 見てきた姫のその完璧な姿の中にある、その恐ろしいまでの欠点を表していたように思う。
 姫は、「今」に囚われている。
 ヒロ子が裏切り者で刺客で交渉の余地が無い、そう判断しだから打ち倒そうとし、けれどヒロ子が操ら
 れていたと知り交渉の余地があると踏んだゆえに、刃を引いた。
 ならば、ヒロ子が操られてはいなかったのなら、その交渉の余地は発生し得ないのか。
 姫は、潔く過ぎるのだ。
 そして諦めが早く、そのゆえに、必然的に戦い相手を打ち倒すことに傾いてしまう。
 令裡の言葉は、それを暴いてみせた。
 姫は、裏切り者を刺客を打ち倒す事に、そのことにだけ集中できることに、そこはかとない魅力を感じて
 いるのだと。
 それは、姫にとって、とてつも無く痛い言葉だったのだと思う。
 
 姫はなにものにも拘らない。
 そしてなにものにも拘らないことにも拘らない。
 その論理は完璧であるが、しかしそれを実践するとなると、実は色々と難しい。
 なぜならば、拘る拘らないという言葉を示した時点で、既にそれらの概念に拘っているからだ。
 姫は相手を打ち倒すことも戦うことも、勿論戦いを忌避し和平を望むことにも拘ってはいない。
 しかし、実際そうして生き続けているうちに、どちらが生きている上で「楽」であるのかが、どうしても現れ
 てきてしまう。
 姫は戦いを重ねる中で、なにも考えずに相手を滅ぼすことが一番楽であることを知ってしまっているし、
 それが今回のように建前の言葉を掲げていながら、その言葉を翳してそれですべて納めてしまおうという、 
 そのような本来ならばあり得ない、その自分に「拘らない」という意志を破った出来事が生じてしまう。
 姫はなににも拘らないが、しかしなにも意志しない訳では無く、ただ力を抜いて楽な方へ流されるまま
 行くという訳でも決して無いのだ。
 だから姫が姫の意志を実践するためには、その姫が自分の中に有しているその怠惰な気持ちを抑える
 ために、敢えて拘りをみせなければならないのだ。
 つまり、戦いを忌避し和平を望むことに、だ。
 無論、そのことに執着すればまた目の前の存在を見失うことにもなるのであるから、今度はそうした自分
 を捉え直し、必要と思われる戦いの意志を染み込ませていかなければならないのだろう。
 
 そしてそういった観点からいって、私には姫がヒロ子を打ち滅ぼす理由など微塵も残さず踏み潰すこと
 が、正しいことだったと思えてならなかったのだ。 
 そしてそれは、姫自身にわかったことだと思う。
 なにより姫は、「慈悲深い」自分の姿と、そうである意志を示した言葉を知っているのだから。
 裏切り者だろうと、刺客だろうと、今目の前に立っているのは非力な子供。
 殺す理由が、どこにある。
 まだ、そんな事すらも無意識のうちに瞬時に理解し感得して行動で示せなかった姫。
 私はこう思う。
 姫は、未熟なのだと。
 ヒロ子をかばってヒロは死んだ。
 『ふん、刺客を助けるとはお人好しめ。』
 姫は、刺客を助けることすら出来なかった。
 そして、姫の自己をフォローする言葉はそれで終わり、というよりその言葉が姫の姫自身の未熟な行動
 に対するけじめの付け方であり、そしてひとつの決別であったのだ。
 姫は、そのお人好しな死体に、再び命を授けたのだから。
 
 
 そして姫は、その未熟な自分、そう、まだ熟し切っていない、その無限の可能性を秘めた自身の中に
 屹立し、差し込む日の光とそよぐ風に心地良く身を委ねることができた。
 あの最後の姫の清々しい表情は、その境地に至ったがゆえと、私は理解することが出来た。
 私も、頑張ろう。
 差し込む日の光と、そよぐ風に、心地良く身を委ねながら。
 
 
 
 
 
 
 
 ◆ ◆ ◆ ◆
 
 ヒロ子萌えとは死んでも言わないから安心して。
 私は姫に一途ですから。でも普通にリザ姐さん最高とかシエル萌えとか言ってましたけれど。
 あと今更ですけれど、「さわわ」の漢字がわからない自分に絶望した。
 正解は、「紗和々」。どんだけだよ! (どんだけ紗和々を無視してきたんだよ!の略)
 いっつもお話に全然関係無い役回りっていうか、あんたケーキとかプリン食べてただけじゃん!みたいな
 感じだったので、っていうか今回も全くそうではあるのですけれど、今日はこの紗和々お姉さんに色々な
 意味で負けてしまいました。
 前日まではただの子猫だったのが一晩で人化したヒロ子を見てもなんの違和感も感じず、猫族のヒロ子
 の朝食に鰹節を出したついでに人間のヒロと人狼族のリザにまでなんの躊躇いも無く鰹節を出したり、
 いつ妹が出来てもいいようにとそれっぽい服を各種取り揃えていたり(両親ってもう亡くなってるって設定
 じゃなかった?)、何でも錆のせいにしたり、なんかもう、疲れました。この人には勝てません。
 それとあとあの街の人達ってどうなの?
 パンダが町中を、しかも二足歩行してて、なんの反応もしないのですよ?
 ここ突っ込んでいいところなのかそうでないのか、よくわからないくらいに笑ってしまいました。
 
 そんなところでしょうか。
 今回のお話はそういう感じでまず紗和々に笑わされまくったところから始まってみました。
 姫云々のお話は、まぁかろうじて広うことが出来たテーマなので、下手したら紗和々だけで終わる可能
 性もあってちょっと怖かったです。
 でもまぁ、お話自体も結構良かったですし、ありきたりなパターンといえばそうですけれど、でも姫やヒロ
 の存在が絡んでいて、そこから捉え直していくことができるので、パターンがどうとかは関係ありませんでし
 たね。
 前回のシエルの話もしんみりくる良い感じでしたし、なにげに怪物王女やるじゃん、って気持ちになって
 います、そして次回あたりでまたわーっと全部投げたくなるようなやる気の無い話が来そうですけど。
 まぁ、その辺りは余計な予断と思って無視することに致しますけれど。
 明日は明日の風が吹く、で御座います。
 
 というところで、なんだかあとがきとなると途端にいい加減になるのを改めたいと思いつつ、今日はこれ以
 上無駄ななことを重ねないうちに退散しようと思います。
 
 それでは、また来週。
 
 
 
 
 
 
 
                                ◆ 『』内文章、アニメ「怪物王女」より引用 ◆
 
 
 
 
 

 

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                               ■■ 解いて、決める ■■

     
 
 
 
 
 ごきげんよう、紅い瞳です。
 
 さて、怪物王女第10話の感想を、まさかの一週間使い切りで書いたりしてしまいました。
 一週間まるまる、サイト上では怪物王女についてしか書いていないという状態で、週2回更新という事
 の恐ろしさをひしひしと肌で感じています。 ん? 恐ろしいか?
 それはさておき。
 取り敢えず書いてみましたけど、どうでしょう?
 結構自分的には気合い入れて書いたつもりなのですけれどね、あー、ほんとはいつもなら感想の最後に
 後書きみたいなの書くはずだったんですけど、なんかいつものみたくアホなノリで書いちゃうとなんか違うな
 ぁとか思って、だからそれを今こうしてこの場を借りてだらだらとなんか書いている訳ですね、うん。
 やーだって、ほとんど書いてるっていうより推敲してるって感じで、正直書いた後の感触はすっきりしないの
 だけれど、でも、書くべきことは大体書いたような気がしてます。
 でも、なんていうのかな、情感的にぞくっと来るような、書いてても読んでても身震いきちゃうような、そう
 いうどろっとしたものが無くて、割と平坦というかごく普通に説明っぽいっていうか、ただ私の言いたいことを
 そのまま言葉で説明してみたよ、みたいな感じで、あーなんか全然足りないなぁ、と推敲してる最中ずっ
 と思ってて、で、自分の推敲ポイントがちゃんと読んで意味が通っているか、みたいなしょぼい観点でしか
 無いことに気付きまくってしょぼくれて、でもとにかく、気分的にもの凄く見た目を綺麗にしたかったので、
 結構厳密に直したりしてたんだけど、たぶん結局私の求めていた「綺麗さ」とは違ったものしかできなくて
 、それでしょんぼりきてたんだけれど、妙に達成感だけはあって、今なにげに微妙な気持ち。
 
 うーん、読み直してみたんだけれど、別に悪くは無いんよ。
 読み方次第で、ちゃんとがぁーって広がってくるものは一応あるし、それなりに読み甲斐もある(自分で言
 うし)んだけど・・・・んー・・・なんか・・・・・違う・・・・
 つまり、あれだけの労力を、こんな形でしか表せなかったのはおしいっていうか、勿体なさすぎ。
 もっとこう、なんていうか、せめて、せめてだよ、比喩表現を主体にして怒濤の勢いで全部を描き出すと
 かさ、だってあれじゃ説明文じゃん、私の根底にあったものはそういう言葉じゃ顕せないんだよ、っていうか
 、「言う」ことばっかりで「描く」ことが出来てないんだよねー、やっぱり駄目だよあんなんじゃ。
 シエルと姫の独白のしあいじゃ、結局のとこ、その独白の内容それ自体を現在進行形で経験している、
 その彼ら自体の姿や感触が全然見えてこないんだよね。
 どうしたって、いびつというか、推敲すればするほどそうなっちゃって、ああもう、って感じでさ。
 それこそ一行詩の連続みたいな方が、かえってしっくりしてるというか、文章のかたまりとしてはいびつかも
 しれないけれどそれでこそむしろいびつじゃ無い、って感じになったのかもしれない。
 ていうか、姫の方はすっかりお説教みたいな感じになっちゃって、あらあらうふふとか、自分で書いといて
 笑顔のまま殺意を抱くみたいな感じになっちゃって、ああもう、姫難しすぎ。
 でも、大体さ、姫がロマンチックで体感的なことを大真面目に語るはずは無いし、語らせてもなんかそれ
 は姫のキャラ違うとかいう以前にその存在自体を以てなにかを描きたかった私の趣旨からも外れるし、
 そもそも姫の方の感想の肝にあるのは、あのシエルの最後を丘の上から目を閉じて見つめた、あの姫の
 姿と、そしてなによりもその姫の内面から溢れ出る苦すぎる情感なのに、それが全然リアルタイムで滲み
 出てくるような文章にならなくて、なんだかとってつけたような前向きな文になっちゃって、ああもう。
 
 でも、うん、さっきも言ったけど。
 確かにそういった、情感を魂とした、その生々しい姫やシエルの姿を通して語っていくことは思いっきり失
 敗したけどさ、でも、ひとつの説明、或いはさ、理屈的に色々なにかを固めていこうっていう、そういう
 平然とした必死さみたいなのは見えたし、そしてそれが見えた時点で、あっ、って気付いた。
 あー、そっか、情感そのものは決して目的じゃ無かったよね、と。
 なんていうかな、こう考えるとわかりやすいけど、あの2つの文章はさ、私が色々考えている問題やらなに
 やらをさ、必死こいて考えている、その思考する人としての形を書いたことになってるというか。
 ま、厳密にいえばシエルと姫が抱えている問題を彼らが考えてる姿、ってことになるんだけど、つまりだから
 逆にその姿そのものの中身が重要であって、それらの姿から読み込み感得していくことが重要、という
 訳では無いっていうか。
 つまりあれはね、シエルが自分の考えている問題を、シエルがどう考えてどう解決していこうとしたか、とい
 う事以上のものである前に、まずそのシエルの彼がどう考えてどう解決していこうとしたかという事自体が
 重要なんだよね。
 つまり、説明文で、いいじゃない、という逆転ホームラン的なね、まぁ、そんな感じ。
 
 なんていうか、私はさ、怪物王女って作品に於いては、特に姫が論理的になにかを言い、その思考内
 容を使ってでもなにかをしていく、というそういうものをね、書きたいんだよね。
 情感がどうこう理屈がどうこうとかそういう二項対立は全然問題外で、んー、うまく言えないけど、姫の
 可能性を追求してみたいっていうか、姫ってロジカルだけど、全然それに囚われてないでしょ? うん、
 なんかああいう在り方って、いったいどういうことができるんだろうっていう、例えば今回の一連の感想なん
 かでは、シエルを使って書いた問題に対しては姫の在り方はどう有効なんだろうっていう、そういうなんて
 いうのかな、問題を解いていくっていう感じでも、実はあったの。
 端的にいえば、怪物王女の感想は、まず姫の在り方の研究と、そしてその成果を使っての問題の解決
 、というのをやろうっていう野望を持ってるのよ。なにげにね。今思い付いたんじゃ無いよ! たぶん。
 うん、これからも姫は色んな問題に面することになるだろうし、だから私はね、うん、姫のそういった問題と
 対峙するどろっとするほどの姿を描きたいと思うのと同時に、そういった問題解決の方法も考えてみてみ
 たいなって、そう思っているんです。
 「自分で決めろ」っていう姫の言葉が、たぶん今一番しっくり来ています。
 以上、紅い瞳の所信表明を終わります。 (今頃)
 
 
 P.S:
 とこんな感じで、自分の書いたものの説明とかは一切せずに済んだ辺り、なかなか私にも才能あるのか
 と思った。(ぉ)
 珍しく初っぱなから自己批判の大展開してみたけど、でも実は割と自分でも気に入ってたりするので、
 その、安心してお召し上がりくださいませ。
 それと、説明文とか言っても、かなーり決定的な言葉は抜けてたり意図して書いてなかったりするので、そ
 の辺りは皆様の読解力想像力にお任せしておりますし、誰も読んでいないという話は知りません。
 あと、私は推敲ってすごく好きなんだけど、あ、だってなんていうかああやって磨いたり整えたり、そうやって
 手を付けて色々選別するのって気持ちいいじゃん?、うん、でもその分ハマるといくら時間あっても足りな
 くなるし、ああうん、だからいつも推敲してないのだけれどもね、今回も読み直せば読み直すほどに直し
 たい部分が出てきて困ってるんだけれども、でもやっぱりどうしてもその、「誰かが読んで意味がわかるか」
 という観点で直したがる心が強くて、だからまぁ、今回はこれでいいかなって思ってます。
 うーん、あれ読んで、たとえば「蒼い海」っていうのがどういうことなのかって、わかってくれるのか凄く心配
 なんだけれど、でもそういう思考をしてる時点で、あ、って思う訳。
 蒼い海がどういうことなのかを、私は説明したい訳じゃないって、つまり蒼い海っていうのをどう受け取ろう
 としてくれるかは読んでくれる人次第だし、正直私的にはあれを読んでわかりません意味を教えてくださ
 いと言われても答える気が起きないし、またそれが正しい反応な気がするし。
 作者は作者読者は読者だし、作者もまたいち読者になっていくに過ぎないってこと。
 どういう意図で書いたかは、もう全然どうでも良く、実際私もこれから自分の書いたものを読み直して、
 何度でも新しい「海」というものを想像していきたいなって思うもんね。
 そして、だから書き手としての私が意図したものも、私自身しっかり深めていきたいなって思うのね。
 そんなところで、ひとつよろしくお願い致します。 誰かひとりでも読んでいてくれることを信じて。 (殊勝)
 
 
 
 ◆
 
 
 武市変態とまた子。
 というわけで、銀魂に魂を半分売り渡している私なのですこんちくしょう。
 ほんと武市先輩の変態ぶりには笑わせて頂きましたし、また子と神楽の仁義無き戦いに巻き込まれて
 大喜びしている変態にも笑わせて頂きましたし、変態にも笑わせて頂きました。この変態。 (誉め言葉)
 エリザベス先輩の絵に描いたような怪しい奴ぶりにも笑わせて頂きましたし、ヅラの恰好いい登場から
 の一転不幸な扱われ方にも笑わせて頂きましたし、なんかその、笑いました。
 なにげに銀魂が、ここ最近では一番笑える作品かもしれないなぁ。
 ていうか、武市変態って語感が楽しくて仕方がありません。
 あとまた子かわいいよまた子。
 なにこの文章。
 
 
 
 
 ◆
 
 
 ■本の選び方
 
 私は本というと、昔は買って家の本棚に並べていましたけれど、ここ数年は図書館で借りています。
 もっとも、図書館通いはもっとずっと以前からの事ですし、今でも特別気に入った本があれば、特別に
 購入をしてもいます。
 ということで、本を選ぶ場となると、現在は図書館になっています。
 私はとにかく一期一会というか、借りるものが決まっていて図書館に来ることはあまり無く、入館し、本棚
 の間を歩き回り、ゆっくりと並ぶ背表紙を眺め、そのときそのときに興味を惹かれたものを手に取ると、
 そういったやり方で本を選んでいます。
 ですから手に取る本の種類の傾向はあまり無く、せいぜいが小説類全般という程度の区切りしかありま
 せん。
 ちなみに小説を読むようになったのはここ5、6年のことで、それ以前は哲学・心理学・動物行動学など
 の入門書や新書類書を読んでいましたし、蔵書もこれらの本が多いです。
 
 と、小説類全般と言ってしまってから、ふとそれじゃあまりにも漠然としていると思い、もう少し細かく分類
 してみようかと思い直したところ、読むのはほぼ日本の小説で、外国のものは訳書も含め(というより原
 書はありえない 笑)ほぼ読まなくて、そして少なくとも歴史小説は読んでいる、というようなことが言える
 ということに至りました。
 他は本当にバラバラなので、言いようがありませんし、そしてジャンルとして意識して選んでいるのは歴史
 小説だけ、ということにもなりますでしょう。
 それと、私は基本的には作家の名前でも選びませんし、だからやはりそのときそのときの気分なり考え方
 なりに見合うものを選んでしまうのですけれど、ただいくつか例外はあります。
 例えば、以下に挙げるのは、これらの作家を意識して選んでいるものです。
 
 岩井志麻子>小野不由美>酒見賢一>京極夏彦>桜庭一樹>中村隆資>嶽本野ばら
 >童門冬二>坂口安吾>太宰治>上遠野浩平>夢枕獏
 
 前言を半ば訂正する形になりますけれど、図書館に入ってきてまずやるのは、これらの作家の棚に新し
 い本は入っていないか、ということです。
 上に挙げたものの順番は、その確認をする順です。
 なにげに歴史小説家は童門冬二のひとりしか入っていません。
 そして、これらの棚をさらっと確認したのちに、棚の海をたゆたうのです。(笑)
 ただ、これらの人選自体は、そうして目的無く棚の前を漂って見付けた本の一冊がたまたま面白く、
 そしてその面白さがまたこれと魂を同じくする作品を読んでみたい、という欲求を挟むものだったゆえの、
 その積み重ねから成り立っているのです。
 そういう意味でなら、この作家達の本を選ぶ傾向はあると言えるのですけれど、でもだからといってこの
 作家達の本を探しに来ていることが目的では無いので、やはり違うのでしょう。
 棚を確認する順番も変わっていきますし、人選自体も変わりますしね。
 こんな感じで、私はを本を選んでいます。
 結局はフィーリングで選んでいる、というしかないということになりますでしょうか。(笑)
 
 さて、先週は怪物王女の感想の更新などで遅れていましたけれど、先週もちゃんと本を借りて読んで
 いたので、ここでご紹介。
 
 ■ 嶽本野ばら「鱗姫」
 ■ 城山三郎「秀吉と武吉」
 ■ 倉本由布「蒼海の王炎の美姫」
 ■ 白洲正子・河合隼雄「縁は異なもの」
 
 野ばらの「鱗姫」は読了しました。たぶん今、読んで最も影響受けてる人かも。(笑)
 そういえば前回(だったかな?)借りてきた桜庭一樹の少女七竈もかなりキたけど、影響という意味では
 あまり無い、というより鱗姫の方が私に近いというただの距離感の違いがあるという意味で。
 七竈も読了しまして、感想はというと、溜息ひとつ、というところでしょうか。嗚呼、みたいな。(笑)
 「秀吉と武吉」は感想は特に無く、「蒼海の王炎の美姫」は歴史上の人物を人間的文学的に読み直
 すという、私としては興味がありすぎることを標榜しておりましたのに、いざ読んでみれば内容が全くそれに
 付いて来れていないいい加減なもので、ちょっと立腹。
 「縁は異なもの」は対談集プラスよくわからない小説のセットもので、小説の方はともかく、対談の方は
 かなり面白く、色々と喚起されたものが私の中に広がりました。ありがとう御座いました。
 
 というところです。
 読みにくいですね、内容無いですね。 (他人事のように)
 
 
 
 
 ◆
 
 
 エル・カザド:
 第12話。
 特に無し。
 というか、特に語ることも無いし、後が詰まっていますので、その、ごめんなさい。
 「言われなくても、逃げる。」
 ということで。 (逃)
 
 
 
 ひとひら:
 最終話。
 ついに、来たか。
 うーん・・と、唸るのもこれがいよいよ最後になります。
 そうだね、終わりなんだね。
 なんだかこのひとひらって作品とは、結局すごく仲悪い友達、みたいな感じで、徹頭徹尾非難して批判
 しておまけに悪罵まで浴びせて、てんで認めることなんて無くて、で、それでもどこか強敵と書いてともと
 呼ぶみたいなそういうぬるい感じもやっぱり全然無くて、たぶん最後の最後まで殴り合ってそのまま喧嘩
 別れ、みたいな感じ。
 だのに、友達。
 最後に罵り合って、お互いの卒業アルバムを投げ合って、そしてその最後のページに「じゃあな。」と寄せ
 書きし合って、それをまたあらん限りの力で投げつけ合って、親の仇を見るような目つきで睨み合って、
 そのままの勢いで険悪なまんまさよならする。どんだけだよ。
 うん、不思議なことに、あんまりこのひとひらっていう作品の視聴を打ち切ろうとは思わなかったんだよね。
 感想も何度か書くのやめようとか思ったけど、普通に書き続けてたし、やっぱりそれはどこか照れ隠し的に
 付き合ってるみたいな友情なんて欠片も無く、そういうのとは全然違うなにかで繋がっていたんだ。
 たぶん、この作品を批判する事自体に情熱を感じていたし、それはたぶんそうすることで自分の価値観
 を保っていたいやらしさもあってのことなんだけど、でもそれよりもなによりも、そういう風にしてしかこの作
 品としか向き合えていない自分を、どう変えていくか、どうやってこの作品を楽しんでいけるか、っていう
 意志があって、そしてこれまたやっぱり、それとは関係無くやっぱり私この作品大嫌いっと本気で叫んで
 掴みかかってたりして、矛盾してるんだけど、でもそれはきっちり私の中で空間的に両立してたんだよね。
 
 怪物王女の感想でそういった在り方を思いっきり書いたのだけれど、なんていうかな、自分の価値観に
 拘ることってやっぱり必要だと思うし、でも、そこでやっぱり必要だと大事だと思うからこそ、それを相対化
 して見ることにも、そっと全力を注いでみることも重要だし、また逆に相対化してあーこっちの価値観も
 あっちの価値観もいいなぁと思ってるときにも、そっと全力で自分の価値観を胸に灯しておく必要があると
 思うんだよね。
 たぶん直接的意識的な繋がりがその両者にあるかどうかより、その両立をやっている主体という場がある
 ことで、それは無意識的に既に繋がっているのだろうと思う。
 
 今回の最終回も、今までの見方で同じく批判することはやっぱり出来たし、この最終回を見て改めて
 あー私やっぱり駄目だわこの作品と思わせるに決定的な箇所を見付けたりもした。
 ひとひらって作品はさ、なんていうか、密度が低い。
 例えば、「好きです。」というひと言を言うために、ただそのひとつの言葉を言うために必要な、それこそ
 ただ手順的に必要なことを積み立てて、それが30分ぶん溜まったところで、そろそろいいか、「好きです。」
 と、ただそうおざなりに言葉を配置してるのね。
 その、なんていうか、考えてないというか、その「好きです。」という言葉を創り出していくことを全然して無
 くて、ただ舞台装置だけを整えるだけに30分を使っちゃってるのね。
 だから登場人物の苦悩とかそういうのに全然重みというか深みが無いし、一貫性はあるようでいて脈絡
 は究極的に無くて、ほんと自分で考えて悩んで創ってるって感じがしないの。
 結局私には、のの先輩も麦も意味不明なキャラにしか見えなかったし、そういう意味で一番簡単な事
 である感情移入すらも出来なかったんです。
 無論他のキャラ全部そうです、もうひとりも漏らさずに、ね。
 ちなみに生徒会長さんだけは、感情移入はできなかったけど、好きでした。
 なんていうか、同じ表現になっちゃうんだけど、時間が来たからこうしましょああしましょ、と慌ててあらかじ
 め作っておいた解答を空欄に埋め込んでいくみたいな、もう、甲斐くんなんか訳わかんないじゃん?
 私にはあのひとひらという空間の中の誰も、最終話までの時間を重ねて生きてきたとはとても思えない。
 
 そして最も目に付いたのは、というかこれは私だけじゃないと思うけれど、最終話での、その今までの
 お話でやってきたもののその結末としてのアレは、あまりにも杜撰というか貧相というか、決して的はずれ
 では無いことは確かなんだけれど、その的自体があまりにも情けないものであり、言い方変えれば志が
 低すぎてなにも見えないくらいという感じでした。
 あんなので、本当に良いの?
 表現とか演出とか、そういうレベルの話じゃないよ、別にあれは良いんだよ、むしろそれは良かったよ、
 そんなことより肝心のその結末の中身自体がもう・・・・・・・それ自体がなにも新しく創って無いじゃん!
 ある意味、今まで麦とのの先輩がやってきたことの、そのすべてに萌えただけじゃん!
 今までお世話になりました、だからありがとう御座いました?
 そのありがとう御座いました、が創ったものはなにも無い。
 ただ今までやってきたことを装飾して胸にそっと、そして勝手に抱き締めただけ。
 ていうか、ぶっちゃけあのシーンはどんなに演出を頑張ろうと、本質的に意味不明だと思う。
 もっともっと悪く、そして語弊を恐れずに言えば、麦がのの先輩の傷を舐めてあげただけのこと。
 それで癒されて、無論それが麦からのお礼だなんて事は言わなかったけれど、でも、結局はそれと同じ
 こと、麦はののに感謝して、ののは麦に感謝して、そんだけじゃん。
 そのお互いが感謝したものは、それはそもそも感謝して終わるようなものじゃないじゃん!
 うん、そろそろ一発分くらいは殴ったかな? ひとひら最終回を。
 
 そう、たった、たったアレだけのことを最後にやるためだけに、ひとひらという作品は出来ていた。
 今までの積み重ねの結果として、ただの安直な魂の無い言葉としての形をうち崩し、心の底からの魂の
 叫びとして、その言葉が出てきた、そういうのなら、万々歳。
 たとえばマリみてとかそういう感じだったしね。
 でも、ひとひらはそうじゃない。
 あの「ありがとうございました。」という、あったりまえな挨拶としての無味乾燥な言葉を言うためだけの、
 その舞台装置を作り、人間関係を繋げ、話を進め、麦とののを踊らせ、そして大概のことはやったかなぁ
 、それならそろそろしめますか、という感じでぽいっとその言葉を置いて終わりと。
 薄い。薄すぎるよひとひら。
 それだけのことを、たったそれだけのことを、12話分にも薄めて延々とやってきて、それをその通りと自分で
 最後に認めちゃってるようなあの「ありがとうございました。」を見て、あーこれは私とは絶対相容れないは
 ずだよ、こんなの認めたら私の中のなにかが死ぬよって、こう、すっと血の気が引くように感じたよ。
 うーん、なんか最近説明的なこと真面目に書いてなかったから、自分でも読んで「?」って感じだなぁ。
 つまり、うーん、どう言えばいいんだろ、全12話で為してきたことの積み重ねの結果としてありがとうという
 言葉が顕れたのでは無く、ありがとうという言葉を言うこと自体を12話分に薄めて広げただけみたいな、
 えっと、余計わからないんですけど。
 あ、今、ひとひらに向けて拳振り上げてる状態で、「?」ってなってます私。 どんな絵だよ。
 まぁ冗談は置いといて、そんな感じでちょっと疲れてきましたね、一時休戦。
 
 (休憩中)
 
 で、あのののが衣装着てくるくる踊るシーンも、まぁうん、わかるんだけど・・・・うーん、って感じで。
 夢を見つめ夢を掴んだ麦が、ののを最後にののの夢の中に突き飛ばして、それでののもまた新しい場
 所にすっと一歩を踏み出したいうのはわかるんだけど・・・・うーん・・
 なんでそんな大事なことを、あの「ありがとうございました。」という言葉に従属させちゃうわけ?
 まぁ、麦とののは表裏一体で、同時進行で同じ問題に取り組んでた訳だから、麦の「ありがとう御座い
 ました。」は、その麦の問題が完全に解決したのと同時に、それ自体がその麦の顔を見て安堵したまま
 消えていくのの先輩を全否定し、思いっきり麦と同じ問題に直面してたののの姿にののを引き戻して、
 そして戻ったこと自体がのの問題の解決を為し、そしてだからののも「ありがとう。」と言った。
 それはわかります。それをあの麦とのの先輩が一緒に踊るシーンで顕したのはさすがだとも思います。
 だけど、そもそもそののの先輩の姿を描いたあのシーン全体の登場があまりにも唐突で、というか、
 それ以前にののの事をあれだけで顕してしまったら、まるで問題の無い解答みたいな感じがしちゃって、
 なんだかもう滑り込みセーフみたいな感じで全部まとめすぎ片付けすぎとかいって、それで尺が短いのだ
 から仕方が無いなんてのは論外なのに、そう言うことくらいでしか納得出来ないアホらしさがしてね。
 なにが言いたいかというと、ののを今まで散々放置しておいたのに、あんな完全にきっちり解決させちゃう
 のはあんまりだって、ことなんです。
 
 うーん、まぁでも、これはそれでもギリギリ許容できる範囲のことではあるのですけれどねぇ。
 逆に、ある意味でひとひらの作品の中で、このシーンだけまともだったというか。
 だけどそれ以前との関連性、またそれらの積み重ねに座するに相応しいかというと、それじゃ全然足りな
 いほどにあのシーンは相対的に優秀過ぎて、まぁだからその優秀なあのシーンだけ取り出して満足すれ
 ばいいじゃない、という意味でギリギリ許容できると言ったのですけれどね。
 とにかく、歪なのですよ、ひとひらは。
 まとまりがあるからこそ、そのまとまりを整えることに囚われてるからこそ、歪になっちゃってる。
 んー、とにかくチームワークは良くて、作ったものもそれなりに調和してて、でもみんな、なんのためにそれ
 を作ってるのかわかってない、つまり目的意識を全然共有出来て無い状態で、ただみんながそれぞれの
 作業を邪魔しないようにすることだけを気を付けてただやってるだけ。
 とても綺麗なのだけれど、他を圧するほどに力強い生命に満ちた美しさが無い。
 そしてあのののシーンも結局そういった「綺麗さ」の理屈で、あの麦の「ありがとうございました。」っていう
 言葉の構造に収容されちゃってる。
 それがね、うん、無性に、嫌。
 
 はい、そろそろ疲れてきたよね、うん、私も。
 全然馴れ合う気持ちも無いし、勿論ごめんなんて言う気も無い。
 私はそれでも頭の半分で、それでもこの最終回を楽しむ見方を創造して、ちゃっかり楽しんでいるので
 もあるのだけれど、こうして疲労して痣だらけの体を撫でながらいると、なんだか涙が出てくる。
 あー、もう、なんだこれ、終わったよ、終わったねひとひら、お別れだな、って。
 うん。
 うん。
 わかったかな? わからなかったかな?
 うん。
 今のこの感じ、すごく、たぶん、ひとひらに似てる。
 ひとひらって作品に感じた憎悪(言い過ぎw)と、それでもその横で平然とそれを楽しんでみたそのひとひ
 らの姿に、今の私はとてもとても似ているの。
 時間が来たから、お別れのときがきたから、じゃあな、って。
 あー・・
 気の利いたことも、きっちりした論理的なことも、それこそ文学的なことを意識して行動してる人なんて
 そうそう居ない。
 下手な歴史小説なんかでは、歴史的に成功した主人公の視点で、結果から遡って数々の分岐点で
 のその人物の行動や思考を描いたりするけど、勿論そんな人間は絶対存在しない。
 むしろ当人達にとっては、分岐点なんて意識あったかどうかすらも怪しいし。
 信長が秀吉が家康が、さきのことを全部ちゃんと計画して、空からみたような合理的戦略的な観点か
 ら全部行動してる訳が無い。
 色々考えたりしても、やっぱり行き当たりばったりで、その当たった現在の直視してるものを、その思考や
 感情なんかを全部ぶつけて行動して、その結果、ある意味偶然(必然として書いてる歴史小説は下手
 だと思う)的に素晴らしい結果を手にしていくだけで、当人達はもう毎度毎度がくがく震えながらやってた
 だけに違いないと思う。
 昔の人は賢かった偉大だった、それに比べて現代の者は小者だなんだ、それこそ愚かな言説で、
 昔の人が偉大だったのはそれだけ時間が経って歴史的に整理が付いてるだけのこと、だからそういう意味
 では歴史上の人物なんて、まさに絵に描いたようなヒーローヒロインで当然、そしてだからそういうのが全
 部ただの面白い幻想なだけってことがわかるんだよね。
 
 ひとひらは、思いっきり、生身、ええいもうこの際等身大でもなんでもいいや。
 私もね、ひとひらが大っ嫌いな自分と、それでもひとひらを楽しもうとする自分が居て、そのふたつを両立
 することで、高次元の自分に至れるとか、んなことを思いながらそのふたりを両立させてる事なんて無い。
 ううん、むしろそういう生意気なことを平然と思いながらやっているのだとしても、それはたぶんそういう
 不純なことを思いながら居る自分がただ無我夢中で生きている、ってだけなんだよね。
 大体、高次元の自分ってなによ、それが得られているかどうかなんて絶対わかるわけないし、私にゃそれ
 得られてる得られてるよわーい、と無邪気に幻想しながら無我夢中で生きて、ほんとにそれが高次元
 の自分になってるかどうかなんて、それこそ相当時間経たなきゃわかんないのにね。
 つまり、そういうこと。
 私は、ただ全力でひとひらと喧嘩してるだけ。
 そしてその裏側で、ひとりいやらしく自分の価値観を相対化したりして、ひとひらを楽しもうとしてるだけ。
 そして、その結果、今の私が此処に居る。
 そっか、終わるんだ、ひとひら。
 
 ありがとね、そして。
 じゃあな。 (夕日に向かって歩き出しながら)
 
 
 
 
 

 

-- 070623--                    

 

         

                            ■■ 姫の歩く蒼海の愛 2 ■■

     
 
 
 
 
  『お前の性質は、悪くない。』
 

                            〜怪物王女 ・第十話・姫の言葉より〜

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 -- 透けた砂が目に眩しく、焼け付く素足が海に馴染む。
   薄く張り付いた蒼穹が眼下の海を囲い込んでいる。
   強烈に間延びした日差しが、この白い浜辺の刻を止めている。
   絵に描いたように遠く聳える水面は、ゆっくりとその世界の流れを押し留めている。
 
  - ふと気付くと
            - 風が、潮騒が -
                        果てしなくその彼方から訪れてきていた -
 
   黒いパラソルの下から出ようと思ったのはどうしてなのか。
   いつ重いブーツを脱ぎその浜辺に降り立ったのであろうか。
   どこまでも広がる空。
   見上げれば、そこには無限が在った。
   いつまでもたゆたう海。
   見つめれば、目の前には永遠が在った。
   硝子よりも透明でありながら、闇よりも確かな質量を以て、涼風が肌をなぞっていく。
   酷薄である前に、燦々と透き通るような音色を奏で、陽光が耳を包んでいく。
   とぼとぼと踏み締めた砂を砂浜に刻み込むようにして、歩いていた。
   指先をかすめる細波が、心地良い。
   両手を水平に掲げるまでも無く、その海と砂浜の境界線を辿るのは容易であった。
   そしてそれ以上に。
   この海の絵が、生きていることを感じていた。
   近付けば近付くほどに、それは書き割りの風景としての鼓動を響かせた。
   しかしそうでありながら、遠のいても遠のいても、それは遠見としての息遣いを魅せることは無かった。
   それは、ただただ、海だった。
   鮮やかに、熱く熱く、それを目の前にした静かな興奮が、どこまでも広がって在るだけだったのだ。
   彼我の境界が魂を失い、どこまでも溶け合っていく幻想だけが胸に落ち着いた。
   どんなに離れても、それはひとつの絵でありながら、確かに目の前で息づいていたのだ。
   海が、在る。
   それを私は、ただずっと鮮烈に感じている --
 
 
 
 『そうか・・・フランドル、いつか海へ連れていってやろう。』
 
 
 - - - -
 
 
 黒い血染めの服を纏い、闇よりも深い剣を振り翳す。
 紅く濡れた剣を拭う指先を水に浸し、溶けていく血の広がりを眺めている。
 滑らかに磨いた紅い宝石を撫でながら、そのおぞましさに戦慄する。
 そんな夢を幾度見たであろうか。
 綺麗に調律済みの体を整え、形を崩さない服を纏い、煌びやかな数々の装飾具の選別に指を付け、
 きっかりとティアラを重ねたその姿の至高に ひとつ安堵する。
 金に靡く髪を紅く垂れるカーテンに映し、上質な本体を晒す紅茶を飲みながら、
 緩やかに象られていくその生活の基盤は、果てしなく我が身を守ってくれる。
 自らの選んだ行動、それ自体に意味があり、それを感じている者には意味は無い。
 守られていようと守られていまいと、関係が無い。
 ただただ、恐ろしいほどに、自らが至高と思うべきことを残酷に為せば良い。
 贅沢という言葉を発する前に既に贅沢であり、美を想う前に既に美であれば良いのだ。
 
 よいか、フランドルよ。
 贅とは貧に対するものであり、悪とは同義では無い。
 美とは醜に対するものであり、これも悪とは同義では無い。
 ゆえに、貧と醜を恐れ憎み、そしてそれを忌みそこから抜け出ようとすることで得る贅と美は、
 それがその者の本質であると心底言えるのであるのならば、
 それでもうそれを求める事は純粋なる善行なのだ。
 いや、もはやその当人にとっては、それは善悪の問題では無いのだ。
 贅を味わいたいと思うのなら、美を求め続けたいと思うのなら、それで良いのだ。
 それを糊塗して、贅と美の追究を悪と見なしそこから脱しようとするのならば、
 それは愚かにも自らの本質を否定しているだけのことにしか過ぎぬ。
 貧を憐れみ醜を蔑む、それが悪であり得るのは、いったい誰に於いてなのだ?
 独り絶対的に他を圧するほどに、貪欲に暴戻に贅なり美なりを極めること、
 それを否定し、ただすべてを並べてそれで良しとすることになど、価値は無い。
 冷酷に差別し、残酷に取捨選択をすることの中に、
 その者が感じている、その最も本質的な欲望があるのだからな。
 醜いのなら醜いとそう言えば良いし、貧しいのであるのなら清貧などと嘯いている暇はあるまい。
 徹底的に自分のために生きるがよい。
 すべては、それからなのだ。
 
 
 『見れば見るほどに、愚鈍そうな犬どもだな。』
 
 
 
 
 ◆
 ◆
 
 求めるがゆえに、求めずにはいられない事に囚われる。
 求めずにはいられないがゆえに、求めたものを壊してしまう。
 ならば、求めなければよいと、そう思うか?
 
 ++ 『良い。楽にしろ。』
 
 
 ひとつひとつの感触を喜び、その感触の連続が此処にある不思議を幸せに思う、
 その心根があるゆえになにものをも愛していける。
 だがその愛のままに生きれば、やがてその在り方自体がひとつの形式、
 或いは他者との繋がりとしての契約が成立し、それを維持しまた他者と共有している感覚がこそ、
 その愛の魂であるという自覚へと至ることであろう。
 
 『名前はあるのか?』
 
 シエルよ。
 お前のいちいちの作法の滑らかさと、そして垣間見える真情の熱さ、それらを総合しての品の良さは、
 その充実と熟練ぶりに於いて、お前の精神をしっかりと示していたぞ。
 お前自身はどうであったかは知らぬが、お前の周りの者どもは、等しくお前の存在の格式の高さを認め、
 そして静かなる賞賛を送っていたのだ。
 なんら恥じることはない、それはすべてお前が為した業績なのだ。 
 だが、お前もわかっていたようだが、それはもはや愛であるとは言えぬ。
 それはすべて、思い描き幻視し、そして騙り上げたお前の愛の形であるだけだ。
 そしてお前は、その形自体にしか魂が見つからなかったことを嘆き悲しみ、
 形に拘っているだけの自身を恐れ、そして形が消えたゆえに、壊れてしまったのだ。
 そうだな、シエルよ、お前はあくまでその形を愛し、他の者達と描き合った愛の理想郷に生きることを、
 その根底にあるなにかによって否定したのだな。
 その愛の形が崩れ、契約が破られたとき、果たしてそこに残るのはなんであるのかと、考えずにはいられ
 なかったのであろう?
 
 お前はこう言った。
 愛のために生きることが愛の喪失を招いていると。
 愛を幻想し騙れば騙るほどに、其処にあるべき真実の愛の居場所が奪われていくことを、
 お前は感じていたのだな。
 だが愛は騙らなければならなかった、なぜならば、自らの純粋な、己が好むところの行動の動機に、
 愛を据えたかったのだからな。
 自分がやっていることはすべて、この絶え間無い幸福の甘受に対する愛より出でしものなのだと。
 
 戦うことに理由など要らぬ。
 だが、戦えば理由を考える余地は必ず残る。
 それを利用して理由を創造したからといって、真実その理由から戦いが始まった事には決してならぬ。
 戦いは戦い、理由は理由だ。
 そしてまた、だからこそ、その理由を纏い戦うことができるのだ。
 戦いも理由も、ゆえに否定する必要など無い。
 わかるか? シエルよ。
 お前の礼儀正しさと真摯な態度の由来がなんであるのかなど、どうでも良い。
 だが、だからといって愛をその由来に当て嵌める行為が間違っている訳でも無い。
 その境地からでなら、お前の行動にあるその愛を酷薄に貪婪に極めていくのは、
 ごくごく当たり前なことではないか。
 お前が他者を禁欲的に想い、その発露としての作法を綺麗に整えるを見るは、なかなかに心地良い。
 そして、シエルよ。
 力を込めながら力を抜く、力を抜きながら力を込める、ということを知っているか?
 礼の魂を知っているお前ならば、良くわかるはずだ。
 
 
 
 
 ◆
 ◆
 
 『人造人間が抱える問題など、たかが知れている。』
 
 所詮、騙った愛など人造のものに過ぎぬ。
 無論、騙り上げて象った自分の姿もまた同じだ。
 お前が其処に在るということ、我らが此処に在るということ、
 そして、お前の胸と我らの胸の水底にある深遠な愛に比べれば、そんなものは影より軽くまた薄い。
 自らが造った愛しき檻の中のぬくもりは、壮絶な悦楽をもたらすのであるのかもしれぬが、
 しかし、そのぬくもりだけがすべてでは無いことは、お前は知っているな? シエルよ。
 ストイックなほどに、厳密なるナルシスティックのままに、
 その愛を積み重ね築いてきたその檻の中のぬくもりが、お前に与えるものの限界は知れている。
 どんなに苦しもうと悔しがろうと、それはその檻の構築方法に頭を悩ませているだけに過ぎぬ。
 
 
 『私は自由な人造人間など一体も知らぬ。』
 
 
 シエルよ、お前のその慈愛に満ちた檻は見事なものだ。
 だがお前は、その檻の置かれている世界のことを、知らないと言い切ることなど出来なかったのだ。
 どれほど真摯に禁欲的に慈愛を以て暴虐にその愛の形を極めることが出来たとしても、
 それに囚われ執着するだけになればなるほどに、その既に形骸化している愛の魂だけで無く、
 その骸までも失ってしまうのだと気付かぬ訳にはいかなかったのだ。
 愛を考えれば考えるほどに、愛を求めれば求めるほどに、それを徹底すればするほどに、
 愛は考えるものでも求めるものでもあってはいけないと、そうお前は実感したのだ。
 良いか、シエル。
 他者との愛の契約そのものに愛があるのでは無い。
 他者とその愛の契約を結んででも愛したいと、そう渇望するお前が既に愛をその身に宿しているのだ。
 お前が感じた重責と自責の念は、確かにお前の愛の形が強固なるゆえにその重みが無限大にもなろう。
 だが、お前の本当に望むものは、その重責や自責の念の重みを増すことにあるのでは無いはずだった。
 愛は、決して目的にはならぬ。
 既に誰かを愛している自分が此処に居る、それだけなのだ。
 その事を一番わかっていたのが、他ならぬお前だったのだな。
 
 だからお前は自由を願ったのだ。
 真実愛するために、な。
 
 
 
 +
 
 愛する者を求め、その者への愛のための規律を作りそれを遵守し、
 そしてそれを徹底的に磨き上げることで、その盲目妄執的なほどの誠意が滲み出、
 それが自らのすべての行動の動機になることができると信じた。
 お前にとってのその求愛行動は、芸術的と言っても良いほどにお前の血肉に寄り添ったものであった。
 誰もが、シエルよ、お前を指して親切で優しい者だと言うことに躊躇いは無いであろう。
 お前にとっては謙遜を交えながらも、確かにそれは嬉しいことではあったのであろうが、
 しかし、それが愛そのものでは無いことをお前はずっと実感し続けていただろう。
 そしてお前はその自らの喜びの発露を続けることでしか、
 愛という言葉を成り立たせることが出来なくなってしまっている事に気付き、
 しかしもはやそれを繰り返していくことしか自分には出来ないことにも、同時に気付いていた。
 やがてお前は疲弊し、そしてその穏やかで残酷な関係を他の者との間に築くことが出来なくなり、
 よってシエルと自ら名付けたそのお前の姿は崩壊したのだ。
 
 お前が望んだのは、自由だった。
 暖かい愛で出来た檻の外の世界も、その全部すべてを含めて広大に深遠に愛して生きたかったのだな。
 目の前には、蒼に蒼を重ねるほどの、絶対的に蒼い海があった。
 愛すれば愛するほどにその形式に囚われ、その形式への愛に滅ぼされてしまう。
 ならば、愛を捨てるか?
 差別的に選別し磨いた至高の自分を描くことを放棄し、
 その自分の名を背負って愛しい茨の道を歩くのを止めるのか?
 自らの欲望を捨てるのか? 徹底的に自分のために生きるために、他人を愛するのを止めるのか?
 そのために絶対的に必要な、禁欲的なまでに誠実に純粋に極める礼の発露を消し去るのか?
 ならばその者に、自由など無い。
 自由とはなんだ。
 簡単なことだ。実に実に簡単なことだ。
 自由とは、ただ。
 不自由では無い、ということだ。
 不自由が無ければ、自由など無い。
 
 愛に囚われればよい。
 自らの感情と欲望のままに生きればよい。
 ストイックなほどに徹底的に愛に生きればよい。
 そうでなければ、愛などすべて嘘であり、真実ただの幻想にしか過ぎなくなる。
 描いた絵に魂を吹き込むか吹き込まぬか、それはすべてそれを描く者次第なのだ。
 そして。
 真実その描いた自分に、愛に、魂を得たいのならば。
 
 
 その纏いし絵を、脱ぐがよい。
 
 
 熱烈に極めた愛を着て、それを脱ぐがよい。
 必死に磨いた自分を着て、それを脱ぐがよい。
 愛に動機などいらぬし、愛を動機にする必要も無い。
 だが、誰かを愛すれば、必然的にその動機とまたその愛を動機とすることが出来る余地は残るのだ。
 その余地で育てたものは充分大切なものだ。
 全霊を込めて、それを纏うがよい。
 だが、それは本質では無い。
 本質は、ただただそれを纏っているお前自身であり、ゆえにそれを脱いでこそ、
 お前はその裸身と脱いで手にした愛をその魂の元に従えることができるようになるだろう。
 一度脱ぐことが出来たものはそして、再び纏うことも脱ぐことも可能になる。
 己が裸身を醜いと思えばいくらでも美しき服を纏えばよい。
 他者との繋がりを欲し、それとのぬくもりに身を浸したいのであれば、愛しい檻を建てればよい。
 お前の本質が、魂が見つめているのは、真実の愛だけ。
 それを得るために出来ることは無限にあり、そしてそれを得るのは至極簡単なことなのだ。
 愛の形こそがそれを纏う者の精神を、魂を、最も深く顕すことができるほどに、生きるがよい。
 
 
 蒼い海。
 それが遙か遠いところにはっきりと見えるがゆえに、お前は愛に囚われながらも、その外に広がる海との
 対面を含む広大で深遠な世界の中に自身があることを感じ取ろうとしたのだな。
 醜きものがあるのならそれを美しく磨き、貧しければ贅を求め働き、
 愛する者がいるのならその者との繋がりとしての関係を堅実に深めればよい。
 形骸だろうがなんだろうが、その騙り紡いだ愛そのものが、お前にとてつも無い変化を与えもするのだ。
 そしてお前は、その絶対の蒼海を前にして、そうした欲望を求め続けている自分を知ることが出来る。
 美と贅と愛を脱ぎ、その真っ新に海の光を浴びた素肌の感触の中に、
 初めて美と贅と愛の潔癖なる基準を相対化し、そして新たな美と贅と愛を求めたり、
 美と贅と愛に拘らぬ境地に至ることも出来るのだ。
 だが、それもまた本質では無い。
 自らが持っていた価値基準を相対化したり、それに拘らぬこと自体が目的なのでは無いのだからな。
 シエルよ。
 お前に相応しい言葉は、実にこのひとつしか無い。
 
 
 
 それでも、愛したい。
 
 
 
 海に臨み、その浜辺で愛を求めるお前がこそ、お前だと断言しよう。
 海の広さと深さを望む者は、必ず愛の奥深さと、その永遠なる無限さを知っているはずなのだから。
 シエル。
 お前はわかっていたのだろう?
 愛の形は、決してひとつでは無いということを。
 愛の形骸の虜となりそこから抜け出せない生身の自分を、なによりも嘆きながら、
 しかしお前は、最後まで海を見つめることを諦めはしなかったな。
 自由な境地から、真実愛に近付きたかったのだ。
 愛を、決して諦め得ぬ命こそが、愛しき海より滾々と沸き出ているのを、お前は確かに見たのだな。
 
 
 お前のその海の記憶は、確かに残っているぞ。
 
 お前の、愛の記録とともに、な。
 
 
 お前の外には、確かに蒼く輝く、絶対的な我らの世界が生きて其処に在ったのだ。
 シエルよ。
 忠実なる人造人間よ。
 蒼い蒼いお前の姿を見つめ、我らもまた此処に生きていよう。
 
 
 
 
 
 『フランドル! 直ちに来るがよい。』
 
 
 
 
 
 
 
 
 風を、潮騒を、確かに今、私は感じていた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
                                ◆ 『』内文章、アニメ「怪物王女」より引用 ◆
 
 
 
 
 

 

-- 070619--                    

 

         

                              ■■ 姫の歩く蒼海の愛 ■■

     
 
 
 
 
  『海を見たい・・・・・・誰かを・・・愛したい・・』
 

                            〜怪物王女 ・第十話・シエルの言葉より〜

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 - 風が、空の上を歩いているのが見えた。
  太陽の優しい笑い声が聞こえた。
  足を一歩踏み出すたびに砂粒達が笑いさざめき、
  息をひとつ吐くごとに、それはゆっくりと空に浮かぶ雲へと豊かに連なっていった。
  柔らかく繊細な服の袖口が腕に触れるたびに、
  その暖かいこそばゆさが僕の目をどこまでも細めさせてくれた。
  そわそわとこともなげに揺れる僕の心と響く合うようにして、浜辺に打ち寄せる波打ち際の潮騒は、
  その力強い生命力を眼前に広げていってくれた。
  蒼い海。
  見渡す限りに張り詰めた、蒼いままに薄くやまなりを描いたその稜線が、激しく重い音をたてながら、
  覚束無い此岸目がけて押し寄せてくる。
  けれど、その巨大なビィドロを押し潰したような海音は、
  僕の目の前に到達する手前で、さらさらと細く紡ぎ上げられた麻織物を広げ、
  その上で甘い寝息をたてる幼児のような仕草で僕を誘う、それは優しい歌へと変わっていく。
  やがてその蒼い海は月光に照らされ、
  その無限に黒い闇に抱かれたなによりも愛しい純白を、僕の元に運んできてくれるのだろう。
  嗚呼・・夜が待ち遠しい
  いつまでも続く穏やかな世界が、ただ僕の中にはあった -
 
 
 - - - -
 
 
 ボロボロになるまで生きて、そしてボロボロになったまま歩いていた。
 手を動かし足を動かし、それでも前に進むのを呆然と眺めていた。
 壊れているのがなんであるのかわからないままに、ただなにかが壊れていることを自覚していた。
 なぜ今此処に居るのかと安らかに問えば、必ずそれに対する答えはどこかからやってきて、そしてそのまま
 僕をその答えが象る世界へと導いてくれた。
 語る言葉が僕を誘い、誘われた僕はまた言葉を広げ往くべき道を伐り拓いていく。
 その道々に一体なにがあったのか、今はもうわからない。
 ただ僕にできるのは、今まで踏み締めてきた道に出来た拙い足跡を見つめて、それを数歩分逆様になぞ
 り、そしてそのままの勢いで、退がった分より少しだけ多めに前へとこの体を進ませることだけ。
 なんでだろう、どうして僕は、自分の足跡を踏み締めなくてはいけないのだろうか。
 今までやってきたことを参考に、ただそれを基準にしてこれからも生きていくことの中の、一体どこに僕を
 惹き付け前進へと誘い出すものがあるのだろうか。
 僕にはわからなかった。
 果たして本当に僕は、そのなにかに惹き付けられ、そして本当に前へと進んでいるのだろうか。
 僕にとっての前とは、なんなのだろう。
 
 自由が欲しかった訳じゃ無い。
 自由という言葉を知ってはいたけれど、それがどういうものであるのかを知っていたのでは無い。
 自由って、なんだ。
 僕はその問いを重ねることで、しばしその自由ということがどういうものであるのかを知ることを、忘れること
 が出来た。
 幸か不幸か、僕と一緒に居た者達は、誰もその僕の問いに答えてはくれなかった。
 だから僕は、あそこから逃げ出したのかもしれないね。
 独りで問えば問うほどに、その問いの果てにあるものから逃げることが出来なくなっていたのだから。
 もし僕が誰かと自由について語り合うことが出来ていたのなら、きっとその人との間に出来た言葉の世界
 に逃げ込むことが出来ていたのかもしれない。
 それは、切実な感情だった。
 ふと気付いたら、そうだったんだ。
 自由って、なんだ。
 その問いをただのひとつも発することが無くなった瞬間と、その果てのものを僕が得たのは同時だった。
 どこまでも晴れない薄雲のように満ちていた自由という言葉が途切れたとき、その雲間から差してきた
 深く蒼い光が僕に染み込み、そしてすべてがわかってしまったんだ。
 これが自由だ、と差し示せるものはなにも無かった。
 ただ僕は今、自由を無我夢中に感じていた。
 言葉は、無駄では無かったと思う。
 というより、無駄なものもそうでないものも初めから無かったのだという、いつまでも透き通っていく今この
 瞬間の感慨と共に、僕は此処に居たということ。
 
 
 『僕達は本当は、自由なんだ。』
 
 
 
 +
 
 丁寧に生きることを知っていた。
 優しさと礼を発露させる作法を学んできた。
 誰のためともなく、誰のためでも無いともなく、ひとつひとつ触れたものが有り難く、またすっきりと爽快に
 広がっていく胸の中の靄が暖かくて、ただそれに震えながら僕は動いてきた。
 ごく当然のように、それでいて、すべては一回ごとに新しく磨かれ直していく宝石のように、それはいつも
 洗練されていくという不可避で意志的な前進を備えた在り方だった。
 気持ち良く、本当に気持ち良くなるために、親切に穏やかに他の者達と接していくことを心掛けていた。
 学ばなければいけないものは沢山あるという強い意識は、それは確かに、学べるものはまだ沢山あると
 いう、そのとてつもなく深い喜びに裏打ちされているものだった。
 そしてその深い喜びを享受しようと思えたのは、ひとえに誰かに対する愛ゆえにだったんだ。
 いや・・違うな・・・
 僕は・・・
 僕は、誰かを愛するということを知らない。
 誰かに優しくすること、誰かに親切にすること、それらはきっとそうすることでなにかを得たりなにかから逃げ
 ることが出来たりするがゆえの行動の結果である、ということを必ず含んでいるものだし、でも僕は決して
 それだけでは無いことを証明したくて、またたとえそれだけであったとしても、そこにそれ以外のなにかをねじ
 込みたいと願い続けていた。
 だから・・・愛したかったんだ・・・・
 僕は誰かを愛し、そしてその溢れる想いがそのまま優しさとなって僕の中から飛び出していって欲しかった
 んだ。
 僕の目の前に広がるのは、細くて惨めな道。
 でもその道の先には、いつも必ず広大で深遠な海があったんだ。
 憧れるよりもただ愛しく、蔑むよりも怨めしいほどにただ穏やかな、その蒼い蒼い海があったんだ。
 
 僕の行動の動機は、すべて必ず愛であって欲しかったんだよ。
 
 
 気付かないうちに、それは大変な努力の堆積の果てに突如顕れた。
 体の中に蠢くすべての感触、肌に触れるあらゆるぬくもり、此処に居ることでわかるどこまでも続く実感。
 わからないものなどなにひとつ無く、すべての答えはただ此処に在った。
 目の前の者達と優しく繋がり往くことのできる、無限大な感受性としての礼の発露が、ただただ僕を狂お
 しいほどの世界の中に縛り付けていった。
 この上なく、嬉しかった、のだと思う。
 こんなにも優しい気持ちで、こんなにも穏やかに居ることができるなんて。
 それが必然的に動機となって、僕はただその気持ちの安らかなる奴隷になった。
 豊饒な夜の浜辺で踊る僕の姿を、初めて自分で目撃した気がしていたよ。
 
 ゆっくりと色付く景色に手を染め、しっとりと満たされていく心を奮わせて。
 僕はただその在り方を充実させ、そしてそれは必ず他の者達との繋がりの中にこそ、生み出していくこと
 ができるものだと理解していた。
 誰かの手に触れたときに感じるぬくもりが、僕の胸の高鳴りをさらに響かせ、そして誰かの声に晒された
 僕の体が、自分でも驚くほど優しく揺れているのを感じていた。
 この絶え間無い揺れ幅の淵から、どろりと溶けるようにして立ち上がる、なにかとてつもなく畏ろしいもの
 が、ただただ僕を感動的に動かしていった。
 僕にとって、他人は絶対的存在だった。
 その人が其処に居るのは、僕にはどうしようも無いことで、僕が僕の存在を理不尽にも感じているのと全
 く同じほどに、その目の前の人の存在を僕は絶対的に感じていたんだよ。
 僕は、その胸の内に沸き起こる厳かな畏敬の念の命ずるままに、目の前の人達との繋がりを為しそれを
 尊び、そしてそうすることができるゆえに、安心して真っ直ぐに生きることもまた出来ていた。
 誠意と真摯な行動の先に他の人達が確かに居てくれるからこそ、そう、そうして絶対的に其処に僕以外
 のなにかが存在しているからこそ、すべてが僕の中だけで起きていることとの格闘の中で生きることをしな
 いで済んでいたんだ。
 だから、嬉しかったんだ。
 みんなが、其処に居てくれたから。
 僕がどんなに考えても思い通りにいかなくても、その分だけなにがまずかったのかを考え、その修正を以て
 また再び考え動いていくことが出来る余地があるのだから。
 
 それは際限の無い泥沼の中で叫ぶようなことでありながら、確かにその分厚い泥の手応えそのものが、
 僕に他人の存在を教え続けてくれていた。
 他の人を前にしてのその無意識に震えてしまうほどの緊張感は、体を凍り付かせ泥沼の奥底に放り込
 んでしまうけれど、同時にその光ひとつ見えない泥の重圧をはね除けようとする、僕自身から沸き起こる
 力がなによりも僕を心地良くしてくれる。
 僕にとっては、その泥の重みこそが、青空から垂れ込める神々しい光のぬくもりそのものなんだ。
 
 その光に祈りたいと思った。
 
 そして、だから。
 
 なによりも、それを愛したかった。
 
 
 
 
 + +
 
 愛って、なんだろう。
 それは愛という言葉が、ただ在るだけなんだろうか。
 愛している現状態だけに、意味があることなのだろうか。
 僕は、誰かを愛したかった。
 もしかしたらそれは、僕の中にある他人への絶対的な畏敬の念を認めて欲しかったという、ただそれだけ
 を動機としたものなのかもしれなかった。
 礼儀正しくあくまで真摯に親切に、その優しい気持ちのままに誰かと向き合っていくことは、すべてその関
 係の構築と維持にのみ、その意味があっただけなのかもしれない。
 或いは、本当のほんとうは、僕はやっぱりただ僕の中にある優しい気持ちのままに抱いた幻影と戯れるこ
 とがしたかっただけなのかもしれないんだ。
 僕は、誰かを愛するということを知らない。
 だから僕が求めているその愛は、その大元からして愛とは呼べないものなのかもしれない。
 
 だからそれは、きっと違う。
 愛は、愛でしかないんだ。
 
 誰かを愛しているとき、それは一心不乱なんだ。
 愛のためにでも無く、愛する誰かのためにでも無く、自分のためにでも無い。
 誰かを一心不乱に愛している自分だけが此処に居て、ただそれこそがその自分にとっての絶対であり、
 だからたぶん、その時点でもうそのときその者は完全なんだよ。
 絶対的な、愛しているという現状態があるだけなんだ、きっと。
 だからもしその泥沼に落ちたら、もう泥も光もその重みもぬくもりもいらない、ただただその泥沼の中に居
 ることですべてが片づいてしまう。
 僕は、それを否定しない。
 それはもう、全く否定しない。
 ただ誰かとの関係を構築し維持していくために力を注いでいくことも、あるいはそれと同じようなことだと思
 う。
 そして・・・・・
 僕はずっと・・・そのことがわからなかったんだ・・・
 
 
 
 
 ・
 ・
 ・
 ・
 
 
 『僕は、償い切れない過ちを犯しました。
                         もう、どうなっても構いません。』
 
 
 ・
 ・
 ・
 
 
 僕はね・・・フランドル
 
 ひとつひとつを丹念に生きていきたかったんだ。
 だって、生きているってこんなにも嬉しいものなんだから。
 指一本動かすことも、足の裏で踏み締めた砂粒を感じることも、風にそよぐ髪を愛することも、それらは
 みんなみんな僕が知る前から僕の此処にあったことだったんだ。
 僕は、僕が此処に居て、君が其処に居ること以上の驚きを知らない。
 だから本当は、君達との関係に於ける繋がり方や、愛を動機とするかどうかなんてことは、それに比べたら
 小さなことのはずなんだ。
 フランドル、僕はそこまでは、言葉にすることが出来た。
 そして・・・
 
 僕はなぜ自分が優しい気持ちになり、真摯で礼に叶った親切といえる行動を取れるのかわからない。
 どうしてかわからないけれど、僕の中にはおぞましいほどのなにかが渦巻いていて、それが僕の外のものと
 感応して必然的にその謎な行動に至ってしまう。
 そして、その愛しき暗黒の渦巻はいつしか途切れてしまっていた。
 僕はボロボロになっていた。
 愛が、欲しい。
 愛したい。
 愛が、愛があるからこそ、頑張れるんだ。
 誰かを・・・愛したい・・・
 僕は、誰も愛してはいない。
 僕は、僕の胸に沸き起こる不可解な想いが、それがどんなにいかがわしい目的を持ったものであろうと
 も、その流れの一筋にどうしても愛を忍ばせたかったんだ。
 なぜなら、ただ不純な動機だけしか言葉にして説明できない、その僕の中の優しい気持ちと親切な行動
 のすべてが、あまりにも哀れで、そして僕自身がそれではなによりも悔しかったのだから。
 それはもう、死ぬほどの悔しさと、怨み。
 僕は・・・・ただ・・・
 だから僕は、言葉を綴った。
 僕の気持ちを説明するために、そうして思い切り騙っていくことの中になにかを見付けるためにね。
 そして、あらゆる想いと行動は、すべて愛があるゆえであると、僕は騙った。
 いや、そうじゃない。そうじゃないんだ、フランドル。
 僕は、誰かを愛したい。
 僕は・・・そうしてずっと・・僕の想いと行動の動機を探し求めていたんだよ・・
 その動機に愛こそがあって欲しいと強く強く求めながら。
 
 
 愛が無ければ、僕の言葉は成り立たないと、そう思ったんだ。
 
 
 愛なんて無くても言葉は紡げるけれど、しかしそれではそもそもなんのためにそれを紡ぐのかがわからな
 くなってしまうのだから。
 なによりも深い愛から生まれてくる言葉で、僕は君達と繋がりたかったんだ。
 ごめんよ、フランドル。
 実際僕は、その愛を手にした。
 そして生きていることを、初めて実感した。
 だけどね、僕はそこまでだったんだ。
 そこが、僕の限界で、そして、終わりだったんだ。
 偽造、とは言わないけれど、ただ説明の根拠として必死に作ってきて、そして気付いたら手にしていたそ
 の愛がね・・・・うん・・・・それが無いと・・・僕はもうなにも出来なくなってしまっていたんだよ
 僕は、その命を賭けて創り上げてきた愛のために生きてきたのだろうか。
 僕は・・・僕は、その愛に縛られていたのだろうか。
 その愛の呪縛の有効範囲で、ただ落ち着いて君達と共に生きることが出来ていただけなのだろうか。
 いや、そうして君達との関係の在り方を遵守していくことで、その誠実な自分の心の中の世界に囚われ
 ていただけなんだ。
 
 僕は僕を愛していた。
 一言一句考えながら、それが風を抱いて僕から羽ばたいていく姿を心地良く感じ、ただ穏やかで安らか
 なその気持ち良さがなによりも好きだった。
 そして、その愛がこそ、僕の存在理由だったんだ。
 此処に存在し、そうして君達を愛していける僕が居ることが嬉しくて、つい生き永らえてしまった。
 一歩一歩踏み締めてきた道の感触が、未だ愛しくて切ない。
 目の前にあるもの全ての、それらとのひとつひとつの出会いの中でこそ、僕の心は豊かに育っていった。
 僕は、精神論者でも無ければ、唯心論者でも無い。
 フランドル、僕は敬虔過ぎるほどの唯物論者であり、そしてなによりも物質至上主義者なんだ。
 一生懸命働いて、色んなものを手に入れて、そのひとつひとつが楽しくて嬉しくて、そしてそれが大切な事
 だったんだよ。
 全てのものが既にそこに存在しているその事実と、その事実を以て確かにそこに在るもの達と触れ合うこ
 とで、なによりも深く生きていることを実感できた。
 僕の心は、その出会いの堆積として、そう、記憶の連続として確かにこの世界そのものの中にあった。
  『記憶は私の心です。だから、私は旅を続けます。』
 
 
 そして、僕のその記憶は、僕の中にしか無いものだった。
 
 僕は此処に、居なかった。
 
 
 だから、ごめん、フランドル。
 本当に、すまなかった。
 
 
 
 僕は、どうしてもそうとしか想えない僕に、絶望した。
 
 
 
 
 
 +
 
 自由に・・・なりたかったんだ
 
 愛とその形に囚われているのが、悲しかった。
 愛のために生きることが愛の喪失を招き、そしてその愛を失った場所にはなにも残らないことを知るのが、
 たとえようもなく苦しかった。
 僕は・・・ただ僕のためだけに生きてきたのだろうか
 愛は大切なものだったけれど、それはきっとすべての結果として得られるものだったのかもしれない。
 心を込めて騙ったシエルという僕は、もしかしたら誰かに愛されていたかもしれないし、認められていたの
 かもしれない。
 そしてそれ以外の僕がどこにも居ないことを、その僕を騙り顕してきたこの僕が一番知っている。
 その世界の中に形成された僕だけしか求めなかったがゆえに、世界の中に居場所を失い、すべては僕の
 中に収束してしまっていたんだ。
 目の前のものを見続け、愛するほどに憎むほどに見つめ続け、その凝視に捧げることだけに愛を使い、
 それとの距離を決定的に失ってしまっていたんだ。
 そして・・・
 それでも・・
 その眼差しの向こうには、そのとてつもない距離を跨いで、深い蒼を湛えた海があったんだ。
 
 僕を騙った。
 歩き続け、歩き続け、ボロボロになるまで愛の奴隷として生きて。
 そして今はもう、その愛しき遍歴の実感は無く、ただそうであったという無味乾燥な知識だけでしかそれは
 無い。
 僕は逃げてきた。
 逃げた先でも、こうして未だ囚われ、全ての喪失の結果だけを受けている。
 そして・・・・
 それなのに・・・・
 
 
 
 『海を見たんだ。』
 
 
 
 
              『とても言葉には出来ないよ。
                                  あのときの気持ちは。』
 
 
 
 
 
 姫様。
 
 僕は幸せでした。
 愛した愛のために死ねるのなら、それもまた本望なのですから。
 ただただ僕は、自分の犯した罪を愛のために裁いていきます。
 僕は自分の記憶を頼りとする生から抜け出ることは出来ませんでしたが、その中で精一杯生きることが
 出来たと思っています。
 思い残すことは、なにもありません。
 
 だから・・・・・・・
 
 『僕のパーツを使って、フランドルを助けてあげてください。』
 
 それが愛の奴隷としての、僕の最後の務めです。
 
 
 フランドル。
 君に海を見せてあげたい。
 その愛の言葉に、僕はすべてを賭けて、やり残したことを最後に完遂させるよ。
 
 
 
 
 
 
 愛の責任を、取ります。
 
 
 
 
 怒りと、悲しみと、悔しさと、終わりを、信じて。
 
 
 
 
 
 ああ
 
 
 誰かを
 
 愛したい
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 海を・・
 
 見たい
 
 
 
 
 
 
 
 
 ありがとう、フランドル。
 
 君に出会えて、僕は幸せだった。
 
 
 そして僕は、その言葉が嘘では無いということを、証明することができなかった。
 
 
 
 
 
 
 
                                     ・・・以下、第二部に続く
 
 
 
 
                                ◆ 『』内文章、アニメ「怪物王女」より引用 ◆
 
 
 

 

-- 070615--                    

 

         

                                 ■■ 梅雨入り娘。 ■■

     
 
 
 
 
 おーはらっきー。(挨拶)
 
 
 改めまして、ごきげんよう、らき☆すた内のらっきーチャンネルのコーナーは正直いらないなと思っていた
 のに、最近面白く感じるようになってきた紅い瞳です。
 みんなアニメ見てますか? 見てませんね、はい。健康でよろしい。 (差別発言)
 
 さて、今日も今日とて久しぶりにブララグ2の双子編を観て、しみじみと涙を流していたりと、ただでさえ蒸し
 暑いところにさらに不快指数を上げるような光景を醸しだし、だから私は人前ではアニメ観たりしないのよ
 だって泣くから、とか既に鼻をちーんと噛むほどに泣きが入ってる状態で嘯いたりしております。
 はい。
 ということで、前回に於いてアニメ感想以外の文章は書いてしまいましたので、今日はさっさとアニメの
 感想を書いて寝てしまうことにしまいます。
 
 あ、そういえば今週のエル・カザド観てたら、なんからやっぱりこの作品の一番面白いところは、この妙に
 エンターテインメントなところ、というかけれん味があるところというか、結構ひとつの娯楽として愉しめる
 要素をしっかり織り込んでるところだなぁって思いました。
 だって、ほんとひとつひとつに手が込んでいるし、なんか感心しきりです。
 ま、だからかえってノワールなんかみたいな仏頂面(ぉぃw)の方が、ツッコミ入れやすいのでしょうけれど
 ね。(笑)
 無論、仏頂面のままもの凄いボケを平然とかましてくれたマドラックスが、私的には最高のツッコミ対象
 でした。(笑)
 
 ということで、いざ。
 
 
 
 
 
 ◆
 
 
 エル・カザド:
 第11話。
 インチキ魔女のお話。
 べっつにいいじゃない、イカサマだって。
 信じることができるなら、それでいいじゃない。
 嘘かほんとか、そんなことの中には幸せなんか無いって、私を信じたあなた達が一番わかってるのに。
 でもね、別にそういうつもりでやってきた訳じゃないのよ。
 私はただのペテン師。
 それを偽ることは、バレた以上しようとはしないし、きっちり認めるわ。
 私はペテン師以上の者じゃないし、そしてペテン師だからこそ、何者かに成り代わる。
 私はペテン師だから魔女にもなれるし、超能力者にもなれるし、インチキを本物らしく見せてお金を巻き
 あげることもできる。
 それが悪いことだって言われたら、仕方が無いわ。
 私はそうするしか無かったのだもの、私にとっては良いも悪いも無いし、騙された人が怒って追いかけてく
 れば、私はさっさと逃げるだけ。
 贅沢な暮らししたって、いいじゃない、それが私のペテン師としての技量の対価なのだから。
 ペテン師そのものを批判するなら、一向に構わないけれど。
 そしてその批判を、私はさらりと避けてみせるだけ。
 憎まれ口を叩くつもりは無いけれど、ただ私を追い詰めるのなら、私はそれと戦い逃げるだけよ。
 
 私はね、ほんとに超能力者なの。
 人の心が読めるのよ。
 でもね、私はそのことで虐められて、だから私は決してその能力を発揮して魔女になろうなんて思わなか
 った。
 私はそれとは全然違う能力を持つ超能力者として、一世を風靡した。
 勿論、そっちの超能力は嘘っぱちなのよ? でも笑えるくらいにみんなは引っかかった。
 人の心を読む本当の能力は蔑まれ虐められ、大嘘でイカサマなどうでも良い似非超能力はみんなの
 拍手によって迎えられた。
 それが嬉しかった?
 あなたは、そう思う?
 お望み通り、インチキで楽しい超能力を魅せてあげて、それがインチキだとバレたら石を投げられて、そ
 んなの、なにが嬉しいと思う?
 私が本物の魔女であることは誰も認めてくれないのにさ。
 どうしろっていうのよ。
 私は・・・
 
 だから私は意識した。
 自分の力で生きてやると。
 ひとりのペテン師として幸せに生きてやると。
 お父さんとお母さんも、なにもわからずに振り回される私を余所に、お金のコトばかり考えていた。
 私はそんな風にはなりたくない。
 私は愛する飼い猫のチャッピーと一緒に、ただ幸せに暮らせることを考えながら生きていこうと思った。
 幸せになるには、やりたいこと、したいこと、それを気の向くままに楽しく幸せにやっていくのが一番。
 私は世界中を渡り歩いたわ。
 そして世界中の人達を優しくペテンにかけて、そして美味しく頂いたお金でビバリーヒルズに豪邸なんか
 建てちゃって、それですごく楽しくて幸せで。
 チャッピーが贅沢の象徴糖尿病で死んで、だから私は、ペテンがバレるたびにより良い居場所を求めて
 彷徨ったわ。
 幸せで居たい、その子供の頃から変わらぬ当たり前な想いを胸に、ただそのまま生きていった。
 そしてこうして今、インチキ魔女として此処に居る。
 そして、今。
 目の前にこうして、私と同じ本物の魔女であるエリスを置いている。
 
 『信じてください。私は、本物の超能力者なんです。』
 
 何度も何度も、そう言った。
 そう、私が本物の魔女であることを誰よりも信じたくなかったのは私だったのに。
 だから言えなかったのに。
 だから、インチキをして隠したのに。
 今更、本当のことを言えだなんて。
 だから言ってるのに。私は本当に魔女なんだって。
 だから、そういうこと。
 本当の私は、決して誰にも認められることは無くなった。
 私が、私こそが、その本当の私を認めることができなかったから。
 どんなに嫌でも、どんなに悲しくても、私はどうしようも無く魔女で、だから絶対に、それは認めなければ
 いけないことなのに、それをすらわかっていて、だから、だから。
 だから、そういうこと。
 私は、ペテン師。
 エリス。
 ずっとそばに居て。
 こんどこそ、こんどこそ、私は・・・
 居てくれないなら、あなたで稼いじゃうわよ。
 ううん。
 もう。
 私はひとりで大丈夫。
 あなたと出会えたことで、もう充分幸せになれたから。
 そして、幸せになれそうだから。
 ありがとね、本当の魔女さん。稼がせて貰うわ♪
 
 『でもこれで、すべてが上手くいくわ。昔みたいにビバリーヒルズのお屋敷で暮らせるのね・・』
 
 『・・・・・昔みたいに・・』
 
 
 じゃ、その昔みたいなって、なにさ。
 ナスターシャにとっては、その「幸せな昔みたいな生活」そのものが、絶対的に幸せでは無いのに。
 もうチャッピーは、居ないのに。
 そして残ったのは、ペテン師の女が、本当のことが言えなかった嘘吐き少女の成れの果てがひとつだけ。
 ナスターシャは、だから知ってる。
 ナスターシャは騙り続けるしか無い。
 いくところまでいって、騙せるだけ騙して、稼いで稼いで、それでなにも残らないのを知っているから、
 そうしてなにも残らないものの上でひたすら上だけを見ながら生きていくしかないのだと。
 幸せの喪失。
 だから。
 ナスターシャはもう、幸せを求め続けるしかない。
 私が幸せかどうかとか、そんなことは関係無いのよ、ただ幸せになりたいって、そう願い続けて、そしてそれ
 を信じ続けて、そしてあらゆる悲しみと苦しみと悔しさと絶望に耐えて、それで、それで、生きていくだけよ。
 ナスターシャが泣こうが喚こうが、幸せは降ってこないし、どんなに嘆き悲しんでも、もうチャッピーは戻って
 はこない。
 そして、そのチャッピーの姿で隠した、それよりも「昔」の、まだ金の亡者になっていなかった頃の両親の笑
 顔も、また。
 だから、生きる、それでも。
 最後のホワイトハウスのお偉いさんと交渉し終わった後の、あのほっと胸を撫で下ろした、あの現実と直
 面する自分が感じているその緊張感だけが、その後にどっと訪れる虚無感に立ち向かえるものなのだと、
 なによりも強く感じられました。
 良作、これは良作ですよみなさん! (ぉ)
 あとあの謎の組織の駄目っぷりがなにげに尾を引いてて、ちょっとお腹が。
 『では今後しばらくは事態を静観し、ローゼンバーグの出方を待つことにします。異議はありませんね?』
 異議無し!ww
 
 
 
 ひとひら:
 第11話
 またひとつ気付いたことが。
 麦ってさ、最初、私的には才能無いって思ってた。
 なんていうか、ああ、この子本質的になんにもわかってないんだなぁ、ただ目の前の現実であたふたして、
 目先のコトばかりでそれに振り回されることを正当化することを、本気でやってしまえる子なのかなぁとか、
 そう思っていて。
 ところが、やっぱりそうじゃない。
 今回の話を見て、なんだちゃんと麦わかってるじゃん、ていうか当たり前かそんなの、ってね、気付いた。
 麦が、自分自身がなにをやるべきなのかなにをすべきなのか、わかってないはずないじゃん。
 ああいう子だからこそ、わかってないはずは無いのだし、おまけに佳代みたいな子がずっと目の前に居たの
 だから、それこそ自分を自覚しないことなんてあり得ないはずだったんだよねぇ、と自己完結。
 というか、そもそもそういう言葉で説明理解できたからこそ、その今私が見た麦の姿がある訳では無い、
 ということが、それでもまだ、私の中ではよくわかってなくてムズムズする。むしろ私の方が才能無い。
 なにを言っているのかわからないかもしれないけれど、私もわからないので大丈夫です。
 『佳代ちゃんの笑顔が、大好きだった。』 
 わかるんなら、このひと言を聴いた瞬間にびびっと来なくちゃ。うんうん。
 今目の前に居る麦を見て、それでわかったことだけが、真実今の私がわかっていることだと思うし。
 うん、うん。
 
 感情に揺さぶられて、ひどいこと考えて、悪く悪く、駄目で駄目で、でも、そうやって自分を決めつけた瞬
 間に、たぶんそれとは関係無くそれでも確かにあるそのひどくて悪くて駄目な自分を、それを変える主体
 としての自分を失い、ほんとにそのひどくて悪くて駄目な自分しか残らなくなってしまうのだと思う。
 ていうか、性善説。
 あー、なんか今日はいつにもまして脈絡無いですね、でもあるんです、私の中だけでは。(駄目だ)
 うん、説とかそういうんじゃなくて、むしろ性悪説を肯定したって、重要なのはそれを採用せずに、自分の
 中のそれでも悪い自分を変えていこうとする善なる意志或いは主体だと思うし、そういう意味では性悪
 説そのものがどうこうっていうより、性悪説を唱えてその通りに行動する人が悪であり、またそのときに
 於いて性悪説っていうのはただの怠け者の論理にしかならないんじゃないかなぁ、と言いたい放題。
 でね。
 そういう観点で、私はすっかり怠け者だったんですよ。
 麦チョコが、あんなに揺れ動きながらも、その一番底ではしっかりと上を見上げて必死に立ち上がろうと
 しているのを見逃して、あーだこーだと麦批判を小作りに行っていたのだものねぇ。
 『結局、役立たずだったなぁ、俺。』
 私もで御座います、ごめんなさい。
 うんうん、私もやっとわかった気がします、この「ひとひら」って作品のことが。
 あー、ほんと麦ちゃんよく頑張ったね。
 うーん、なんかあのなにかを確かに掴み取った、麦のぬくもり溢れる笑顔見てたら、なんか泣けてきちゃい
 ましたよ、どうしてくれるんですか。 (自己責任)
 や、自己責任とか冷たいこと言ってないで、ね?なにかあるでしょう? こう、さ、うん。
 えーと、無いけど、なんかある気がします、だから、そう、保留。そう、保留だ。
 たぶんきっと、次回の最終話ですべてがどかーんとなるはずだ、そうだ、そうに違いないのです。
 ええと、なにを言っているのかこの人は。
 この人も、結構揺れています。
 
 
 
 
 
 
 おしまい。
 
 
 
 
 

 

-- 070613--                    

 

         

                                ■■ アニメの特異日 ■■

     
 
 
 
 
 ラニーニャ現象って言葉が妙に気になるだけです。 (挨拶)
 
 
 改めまして、ごきげんよう、紅い人です。
 今年の夏は猛暑だそうで、その原因がラニーニャ現象とかいう初耳な現象のせいで、それってどういう
 現象なん? と気になるだけ気になって未だにどんな現象かわかっていず、ま、猛暑だし、ということで 
 すべて納得というか結局暑いならなにが原因でももう同じ、という思考停止も鮮やかな日々を送ってい
 ます。
 
 さて、先日は某本屋に入った折り、丁度それまで流れていたと思われるポップな曲(最近の曲は全然
 わかりません)が終わり、次の曲が流れ始まったかと思ったら、聞き覚えのある曲が、というか、おーい、
 これ、らき☆すた(アニメ)のOP「もってけ!セーラーふく」じゃん! ってもう、ね、うん。
 頭の中ぐわーってなって、色々ツッコミ入れたり焦ったり動揺したり「?」ってなったりで、ていうか私が入店
 した途端にそれってあんまりなとか、なんかもうアレで、そのまま回れ右しようとか、ふと真剣に思った瞬間
 に、でもなんだかここで不自然に反応するのもなんかヤだなとか、だって周りの人別になんにもしてない
 じゃん? 別にこれはただのBGMなわけで、アニソンとかそもそもそれかどうかもわからないって普通なら、
 そうだよねそうだよね、とひとり仏頂面で納得して入店していったら、丁度正面の棚のカップルさんがめっ
 ちゃ反応してまして、うん
 なんかやりきれなくなって、帰った。
 
 
 
 ◆
 
 はい、未だに人前でアニメやらアニソンやらに晒されると恥ずかしくなってしまう純情な私でした。
 まぁ、そんなことはどうでもいい。
 こんだけサイトでアニメアニメうわーいアニメ、とあられもなく暴れておいて純情もなにも無いので、そのあ
 たりは皆様適当に相槌がてら突っ込んでおいてくださいませ。要はむっつりってことで。 (あー)
 さて、さて、さて。
 そんなコトを言っている舌の根も乾かない内に、この人のアニメまみれな本性を証してしまおうという、
 ある意味で誠実で本音をしっかりと晒し私は本当のことしか言いませんようふふ、と怪しく笑える人に私
 はなりたいとか、その辺りのことを訳もわからず文字にして頭に思い浮かべただけなのに、気付いたらこうし
 て既に文章になっていてびっくりぎょうてんみたいな、あ、全然話進みませんね。
 はい。
 つーまーりー、今日はアニメのお話をします。訂正、今日も、です。はい本音。
 あ、そのまえに、今日の更新は分量が多くなる気が今からしていますので、その、いつもやっているエル・
 カザドとひとひらのプチ感想は、次回更新に回しますです、よろしく。
 とか言っといて分量少なかったら、まぁそれはご褒美ということで。 (?)
 
 で、うん、どういう風にお話するかというと、二本立て。
 ひとつは、今期アニメのこれまでの感想をもう何回目か知らないけどまたやって、もうひとつはすっかり忘れ
 てましたけれど、来期アニメの物色を少々ということで、ちょいとやってみますぜ、親分。
 
 
 はい、じゃまず今期アニメのお話から。ざっくばらんにいこうぜ!
 ざっくばらんていうか、適当に。
 適当ていうか、いい加減に。 (どんどん駄目に)
 んー、作品事に言及してもいいんだけど、そうなると無茶苦茶長くなるから、こう、だらだらと思い付いた
 端から全部まとめて語ってしまいましょうか、うん、それがいい。
 でね、うん、あー、なんかどうやって語り出したらいいのか、ちょ、あんまりじろじろ見ないでよ、緊張するで
 しょう、とか言ってるから一向に話が進まはいすみませんちゃんと話します。
 
 
 (間)
 
 
 今期はここまで見てきて、やはりダーカーザンが一番面白く、また評価も高いものを与えたい出来。
 またロミジュリも回を追うごとに情感を底辺にしっかりと据えた表現が素晴らしくなってき、このふたつの作
 品こそが、今更ですが私の感想対象として最も適していたのじゃないかと思います。
 現在感想を書いている怪物王女も悪くは無いのですけれどムラが多く、良いときは滅茶苦茶良いのだ
 けれど悪いときには言葉も無い、という感じで、なかなか難しい。
 そういう意味ではダーカーザンが最も安定してクオリティが高く、無論それは色々と考えることを以て見る
 対象としての奥深さも備えているという意味でのレベルの高さで、そろそろ本格的にストーリーが動く気
 配だけれども、おそらく最後までこれは変わることの無いような気がしています。
 ていうか李さん萌え。ダーカーザンは結局これが最強点。 (?)
 怪物王女が姫万歳で、ロミジュリがジュリエット頑張れ、ということで、まぁ、色々な方面から全力で愉し
 んでいます。
 むー、作品事に書けば良かったと今更後悔でも反省はしていない。
 
 また今期は、この上記3作品の他にも、ギャグ作品が充実。
 私は瀬戸の花嫁らき☆すたで毎週爆笑で転げ回って感謝させて頂いております。
 両方とも勢い全く衰えずのナイス作品で、それぞれそれぞれなりに愉しませて頂いております。
 なんだかまとめかたがさっきから同じ気がしますが気にしません、愉しめればOK。
 
 またその他にも変わらず好調なのはオーバードライブ
 むしろこれはこのまま行って頂きたい。
 クレイモアなんかは無駄なものをほとんど捨てて、なんだか純粋に見所を絞ってそれで突き抜けていく
 面白さがあって、一体どこまでいくのか愉しみです。
 
 が、他の作品は見始めの頃に比べると勢いが落ちてきたものが多い。
 まずは、ポリフォニカは視聴を打ち切ったので問題外。
 そして、ひとひらはプチ感想でも書いているけれど、小作り過ぎてかなり物足りないという感じで、エマ2
 はなんだかエマさんが厄介な患者にしか見えなくなってきてるのは気のせいかしら?という感じで、なんだ
 か違和感的にあれ?って感じで、ハヤテはハヤテでなんか、飽きた。 (酷)
 そしてここに来て、エル・カザドもようやく飽きてきて、確かに面白さは変わらないのだけれど、その面白さ
 だけで終わってしまうのはなんだか寂しい気がして、そろそろ物語も進むようなので、その辺りに期待した
 いです。
 
 
 
 
 ・・・。
 
 
 
 失敗。 (ぉぃ)
 
 
 
 
 ◆
 
 なんか全然集中できなかったので、次、次。今の無しね、無し。
 で、来期のアニメの物色を開始。
 そろそろやらないと色々と間に合わない気がしていて、慌ててやり始め。
 ついさっきまでなにがあるのかとか全然知らない、それこそ今期に一途な私でしたけれど、そうも言って
 いられないので、一生懸命探してきました。それはもう、全力で。
 で、その結果、現時点ではこんなところに星をつけてみました。
 
 ☆ ひぐらしのなく頃に 解
 ☆ さよなら絶望先生
 ☆ モノノ怪
 ☆ 撲殺天使ドクロちゃん2
 
 ・・・え・・こんだけ・・・?
 え・・・なにこれ・・・・・冗談?
 ふぅ。
 4つて。おいおい4つて。4・・つ・・・て
 おまけにうち3つは前作が面白かったから自動的に選んだ物で、新規開拓したのは1つだけ。
 ・・・・。
 
 雪が・・・降ってきたな・・・・(猛暑を控えた青空を見上げながら)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 おしまい。 (色々と)
 
 
 
 
 
 

 

-- 070611--                    

 

         

                             ■■ 姫の頬杖の下の純情 ■■

     
 
 
 
 
 『貴様らぁ! 犬の誇りはどこへやったぁっ!?』
 

                            〜怪物王女 ・第九話・リザの言葉より〜

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 散々悩んだ挙げ句。
 
 ただ楽しかった、のひと言だけしか、遺すべき言葉として思い浮かびませんでした。
 
 
 
 
 
 
 
 +++ ◆
 
 ということで、今回のお話については特に無し。
 ということで、怪物王女全体について、さっくばらんに。
 んー、この作品は一体どういうところに向かっていくのだろうか、とようやく疑問に思い始めた今日この頃。
 おそらく全26話編成と思われるゆえに、もしこのままの展開で全13話だったとしたら、ある意味で最高級
 に謎な作品にはなれるのだけれども、全26話だったら、一体この作品はなにをどこまで作っていくことが
 できるのだろうかと思う。
 今回も勿論そうだったけれど、諸々のシーンにおけるそのさりげなくわかりやすいカッコ良さを数珠繋ぎに
 して、お話そのものに意味を持たせるのを無視するというのも、それはそれで面白いし、感想の書き甲斐
 もあるのだけれど、それでもやはり少しはそういう歯ごたえのあるものも見せて欲しい。
 もっとも、その提示されたストーリーをどう解釈していくかは全く私次第なので、歯ごたえもなにも無いのだ
 けれども。
 
 で、話が逸れたけれど。
 一番大筋な話の流れとしては、今後他の王族も現れ、そして本格的にまたそれらとの戦いの中に姫の
 生き様が描き出され、そうするとこう、それが最も私によって感想を捻り出しやすい展開になるのだけれ
 ども、そこで或いはヒロがただの傍観者的味噌っかすでは無く、主体的に姫のその姿に介入していったり
 したら、これはこれで良い意味で厄介かもしれない。
 もしくは遅々としてその戦いの方には向かわず、ツェペリのような慮外者との関わりを通して、群像的に
 描いていく可能性もありますね。
 
 うーん、私的には、ただ姫のお姿をその神々しさのままに忠実に拝して、その境地から見ていくだけで充
 分なのですけれど(笑)、しかしリザや令裡の観点から見ていくこと、勿論わざわざリザ達を主役に据えた
 話など無くとも良く、それはそうしたことも含めた複層的立体的見方によって、結局はそれ自体が怪物
 王女という作品そのものを、それを主体的に見ている私に感想を書かせてくれることになりますしね。
 リザや令裡から見た姫、では無く、リザや令裡のものの見方感じ方を使って姫を読み解き、そしてその
 読み解いて出来た姫を使って、改めて目の前の本物の姫に立ち向かっていく。
 そして、こてんぱんにやられて、無慈悲に踏みつけられるのがベスト。
 目的は、如何に目前の姫に近付くことが出来るか。
 そしてそれと同時に、その姫の前でうろうろしている私が、どうやって姫が見ている世界の中で生きていく
 のか。
 結果的には私が書いたものだけが、私にとっての怪物王女になりますし、そしてだから、私は常に私ので
 は無い怪物王女に喰らいつき、そしてそれを貪欲に私のものにしていく。
 というか、そこまで言ったら、私とか私じゃないとか、そういうの関係無くなるのかもね。
 ただ見て、書く。
 
 とはいえ、現状カッコ良さにしびれて身動きできなくなって、それでもえへへと幸せに笑えてしまう、そういう
 袋小路にはまっているのですけれど、もう少しそうしていても良いような気がしていますが、それがマズイの
 かマズくないのかわからない、というのが本音だったりします。
 でも取り敢えず、そっちの方向にサイコロを投げたので、そこからハズレの無い道を築き上げていこうと思
 っています。
 まぁー、26話もあればそのうちなんとかなるって。 (本音)
 
 
 あーあと、今回は一応主眼を向ける対象として以下の言葉を選んでいたのだけれど。
 『王座を巡って争っているはずの妹を助ける姉、あの姉妹の血、ますます味わいたくなったからね。』
 私もそんな感じで今回のお話を読み解こうとしたのですけれど、残念ながらできませんでした。
 んー、なんていうか、シャーウッドもまさか同盟は組んだけど姫が援軍に来るとは思わなかったのだろうし、
 でも肝心の私はというと、不思議と姫が援軍に来たのを驚きはしなかったし、そしておまけに、もし姫が援
 軍にいかなくても、それはそれでなにひとつ不思議には思わなかったろうと思う。
 つまり、姫がどっちにしようと、なんか姫にとってはただどちらも当然過ぎることで、行くも行かないも全く同
 じだとしか思えなくて。
 姫が援軍に行かなかったとしても、それはきっとこの程度の敵を退けられないのなら、妹もそれまでという
 ことだ、という理屈の晒しで充分だったろうし、そして今回援軍に行ったのも、ただひと言、同盟を結んだの
 のだから当然であろう?、という言葉の提示で充分、というかそれ以上無いと感じたからね。
 たぶんどっちの理屈も言葉も姫的には全く等価値で、ただ現状を解析して援軍を出す必要があるかどう
 かという単純な戦略観以外のなにものも、そう、既に同盟を結んだということが無条件にシャーウッドを助
 けるということを強靱に含んでいるゆえに、そのことに対する葛藤(?)も無い。
 だから、今回私が見定めたお話の核は、既に以前のお話でカタが付いてしまっていたのですね。
 うん、ですからね、私も不覚にも、いやいや、それでも清々しく、うんうんと頷いてしまったのです。
 それで終わりで、なにか問題でもあるのか?
 いえ、ありません。
 そんな、感じでした。
 
 
 
 ということで、また、来週。
 
 
 
 
 
 
                                ◆ 『』内文章、アニメ「怪物王女」より引用 ◆
 
 
 
 
 
 

 

-- 070608--                    

 

         

                             ■■ 五月病懐古症候群 ■■

     
 
 
 
 
 ういっす。(挨拶)
 
 あー、なんか頭痛い。
 ような気がする。
 というかあんまり気乗りがしないというかやる気無いというか、なんだよもう、一週間に2回しか無い更新
 日なのにそれかよ、まだサボり足りないっていうのかよ、とか突っ込んでみて、あーはいはい、って感じで、
 ちょっと本気で駄目。体は正直ということです。無理無理。
 
 ということで、なんか、ホゲホゲである、いや、です。
 遅くても金曜日(今日)までにはUpしときたいから、それまでに書けばいいや=金曜日に書けばいいや、
 という図式でオールOKな気分で、そして来る今日この日ぐぅの音も出ない程にやる気が無くって、ほんと
 もう、後が無いなら無いなりに開き直ってやる気無くすというか、窮鼠猫を噛むとか夏休み最終日の小
 学生の底力という、そういうの見せようとかいう意地はどこに行ったのですか、いや知りません。
 そしてここぞとばかりに、あー本当だったら今日はこーんなことやあーんなことも書きたかったのになぁ、と
 言った案配で自分の欲望のたけをぶちまけてせいせいしてそれでお開きみたいな、いい根性してるな。
 
 んー、ていうかさ、そういう無意味なことしてるんなら、いっそのこと更新日増やして一回の内容減らせば
 いいんじゃないって思うけど、だってやる気無くても書けるような、そんなフランクなのだったらホイホイ書け
 のだし、むしろそういえばこの日記は書きたいときにさらっとなにか書く場所があると嬉しいなー、なんて
 いう軽すぎて宇宙まで飛んでけそうなスタンスであったはずだし、いや別にそのスタンスに固執するつもり
 は無いけどこの際利用させて貰ってね、うん、まぁつまりそういうことよ、だから更新回数増やせばって話。
 あーでもそれってつまり、更新のこと考えなくちゃいけない日が増えるってことで、逆に面倒じゃん?みた
 いな、うわじゃなんで日記なんてやってんの、っていうくらいにどっちが本末転倒だからわからない(あ、ほ
 んとにわかんなくなってきた)この状況ってどうなのよ? っていう風にマイク傾けてインタビュアー気取りに
 なった途端、いやマジでそこんところどうなの? ってちょっと真面目に考え込む。うむ。
 
 あー、あれですよやっぱり、なんていうかね、妙に拘っちゃってるというか、あー、それより変に依存してそこ
 から抜け出せなくなっちゃってるのかな。
 いやさ、つまり、この週2回の更新っていうスタイル自身にさ。
 週2回のうちもう一回の方は、怪物王女の感想で、そっちはまぁそれなりに無茶苦茶やってるからいいん
 だけど、問題はこっちの回のこの駄日記の方で、これはさ、つまり週1回しかこういうだらっとしたこと、あ、
 うん、そうじゃなくて、その怪物王女以外のことを全部この1回でしっかり一週間分書かなくちゃいけない、
 っていうそういう気負い? みたいなのがあるんだよねやっぱり。
 だからあれもこれもと考えているうちに重くなっちゃって、あーだるい書くのうざいー、とかアホなこと言って、
 結局ネタと共倒れしちゃって終了みたいな事態になってる。
 でも、そもそもその週2回というスタイルは、あーなんか更新回数多いとちょっと大変だなーもうちょっと減ら
 そうあー2回ならいけそうだね、っていう、そういう自分の体と相談を重ねていった果てに出てきた答えで、
 だからなんていうか、究極に矛盾してる。あーあーあー。
 
 
 とまぁ、そんなことをこの人は考えているのです。
 面白かったですか? 私は面白かったです。笑います。あはは。・・・。
 うん、まぁ、そんな感じ。やる気無い。
 ここぞとばかりに言うけれど、今日はほんとはそろそろ終盤になってきた今期アニメの感想をぽつぽつと
 作品ごとにやろーかなーとか、あとこの間も書いたけど、なんかマリみて熱きたきたーって叫ぼうとかね、
 そんなことを考えながら他のサイトを見に行ったり本読んだりテレビ見てたり電話してたり、そしたら日付
 変わっててね、あー失敗☆、とか、そのときの私の頭の中では、私に殴り飛ばされて壮絶にぶっ倒れてる
 私の背景にエンドロールが、こう、なんていうか粛々と流れていってね、終わった。
 ちょ、こいつ、最低、最悪、なにやってんの、と妙に静かに淡々としながら(頭の中では地獄展開)、こう
 して今寒々しく文字を打っているので御座います。
 少し、やる気が出て参りました。
 
 
 
 ◆
 
 京極夏彦の「邪魅の雫」、いっちょあがりー。
 読み終わるのに思いの外時間を喰ったのは、毎度おなじみの妖怪の蘊蓄が全然出てこず、このまま
 行ったらそれ無しで終わっちゃうんじゃないの? 嫌だよそんなの、っていう個人的駄々をこねて玩具屋さ
 んの前で転げ回っていたからです。簡単に言えば読み終えてしまうのが怖かったので遅くなりました。
 ということで、今回のお話は体裁としては番外編のような形で、かなり拍子抜けしてしまい、なんだか普
 通にミステリしてんじゃん、だってほとんど警察の調査とか推理とか、被害者が何時何分にどこにいただの
 という私的に読み飛ばす箇所の第一候補に挙げるものばっかりで、おまけに登場人物の心理描写も
 かなりおざなりで、まぁわかるけどなんか決定的に言葉が足りないみたいな感じで、そして恐れていたこと
 に、妖怪に関する膨大な蘊蓄展開もほとんど無く終わってしまって、おいおいセニョールこれじゃ妖怪小
 説とは言えないじゃないかHAHA!とか、まぁ、そんな感じで。ちょと残念。
 が、それは私の好みに関しての感想であって、普通に読んで、これはなかなか面白いとは思ったけどね。
 特に、世界と自分の在り方みたいな、その理屈的な部分が、まぁかなり当たり前なことなんだけど、でも
 それにこっちから色々と注釈をつけて考えていくことができる、という辺りがあって、なかなか面白い読書体
 験にはなりました。
 次の作品は、巻末の作品一覧によると「鵺の碑」というのが刊行予定らしいので、楽しみにしていましょ。
 
 んで、上の作品と一緒に借りてきた他の本は、まだ読んでなかったり読み途中のものだったりして、なの
 に早くも次を借りてきてしまいました。いぇーい。
 
 ■ 桜庭一樹 「少女七竈と七人の可愛そうな大人」
 ■ 西尾維新 「サイコロジカル 兎吊木垓輔の戯言殺し」
 ■ 西尾維新 「サイコロジカル 曳かれ者の小唄」
 ■ 南原幹夫 「謀将 真田昌幸 上」
 ■ 南原幹夫 「謀将 真田昌幸 下」
 ■ 童門冬二 「大改革 長州藩起つ」
 
 少女七竈は今半分くらい読んでハマって大変でもうもうもう!というところにいます。
 随分遠いところまできたものです。(遠い目)
 でもこういう感覚的にぽんぽんとしんみりとしてるコトが描かれてるのっていうのは、好きだし性にも合ってる
 し、また形とか濃度とか全然違うけど、岩井志麻子を読んだときの感覚と同じものがあるし、なんという
 のかな、ひとつひとつの表現というか言葉というか、そういうのを読んでくだけで色々わかっていくみたいな
 ね、これってただ理屈でだーっと描かれるよりも何層倍も深い理解を、いやいや理解とかそういうんじゃな
 くて、なんというかな、あーわかっちゃった、みたいなね、なんか全然別のことが自分の中でストンとわかった
 りとか、まぁそれだけじゃないけどなんだかそういう全体的包括的な感覚で、じわーっとくるの。
 この作者の「少女には向かない職業」という作品は肌に合わなかったし、だから単純に感覚表現されて
 る文章だから良い、という訳じゃなく、「この」感覚表現だからわかった、というだけの話みたいだね、やっぱ
 りどうも。
 
 サイコロジカルは・・というか、西尾維新という作家の話は色々聞いてて、まぁ色々先入観持っていたけ
 ど、まさかこんなに最初から頭小突かれるとは思ってませんでした。
 うっわ、読みにく。第一印象はコレ。
 まだ最初の十数ページしか読んでいないからそれで終わりはしないけれど、しっかしあれですね、上遠野
 浩平みたいな単語のチョイスとか表現とかを、ああも読みにくい形でやられるとは、なかなか感慨深い。
 や、つまり逆に上遠野浩平が使ってる言葉って、あんなに扱い難しいものなんだ、ていうか上遠野がそれ
 だけ上手いってことなのかなー、とか、まぁライトノベルは上遠野の作品と、ああいった、「簡単なことを小
 難しくでもカッコ良く語る」という技法と無縁なキノの旅くらいしか読んだことの無いだけで、慣れが足りな
 いってことなのかなあはは、と、なぜかちょっと敗北感を禁じ得なかったりして、でも普通にまぁいいや、とか
 まぁそういう辺りですね。
 
 南原幹夫のは読んだの何作目かで、相変わらず清々しいほどに馬鹿っぽくて笑えるけど、まぁちょうど
 風林火山と重なってるところもあるからちょっとお勉強という感じで。でも一応小説だからこれ。
 童門冬二もいくつか読んできたけど、こっちはそこそこ面白めな出だし。
 この人は色々とアンチ多い人みたいだけど、いや、この人の作風って、歴史上の人物を現代の人に置き
 換えて考える、つまり戦国時代とかの戦略とか治世を、現代の社会人の模範としてどう物理的に取り込
 むかっていう、早い話、歴史のマニュアル化みたいな感じで批判されるんだけど、私なんかは別にいいじ
 ゃんそれはそれこれはこれでしょ、っていうか歴史をどう見てどう考えどう楽しむかは人それぞれだし、それ
 で得られるものがあるならそれでいいっしょって感じ。
 もっとも、私はマニュアル本として読む気はさらさら無いですけど。
 ていうか、歴史とか除外すれば、この人別に変なこと書いてないし。
 むしろ、旧弊的封建的な考え方や価値観を、それを現代的理屈で捉え直して受け入れていく、ってい
 うのは、その現代にも残る旧弊的封建的考え方価値観の、その形骸化し腐敗した魂を新生に導くこと
 が出来てるしね。
 たとえば、歴史小説なんて、ほとんど男女差別的な観念で書かれ、大抵の作者の場合、その観念に
 頭から首突っ込んで平気でその作品の中で愉悦に浸ってるけど、でもこの人みたいにそれがおかしいって
 いう現代的観点もしっかり踏まえた上でそれを書いていった場合、勿論この人もかなりそういった部分甘
 いけど、でもその踏まえた分だけ、ただ声高に男女差別と非難するだけのことが見落としてきたもの、そ
 れが読む人の思考の中にうっすらと見えてくるときもあるんだよね。
 決して男尊女卑に溺れている訳じゃなく、悪いところは正し、でもそれでも良いところがあればそこを検証
 し思考して深めていく、というそういう作法は、まぁ別に好感を抱くほどじゃないけれど、悪いとは思わない
 な、私は。
 とかいって、こと男女差別の問題に関しては、やはり現代的観点そのものがまだ男女差別的だから、実
 際的にはこの人も甘いっていうかやっぱりまだまだ駄目なんだけど、ていうか他に例が思い浮かばなかった
 の! しょうがないでしょ! (なに逆切れしてんの)
 
 
 あ・・なんか普通に書いてるね、やる気無いとか言っといて。
 うん、じゃ、この辺りで大人しくいつものアニメ感想に移行ね。
 あとよろしく。
 
 
 
 
 ◆
 
 
 エル・カザド:
 第10話。
 前半しか録画されていなかったので、テレビ○京を呪って終了。
 はい終わり。
 せっかくエリスのボケが絶妙だったのに。
 残念。
 無念。
 怨念。
 はい。
 今週の私のやる気の無さの元凶は、これです。
 はい。
 
 
 ひとひら:
 第10話。
 変わってないって言うのは、それはもう変わってるからなんだと思う。
 変わってなかったらきっと、変わりたいって言うだけのはずだから。
 もう既に変わっていて、その変わった自分がスタンダードになっていて、もう既にその境地でがっちり生きて
 いて、だから変わったとか変わってないとかの、その比較対象にあるのがその境地の今であり、そうして
 変わった今の自分と、今こうありたいと思っている自分の姿を比べて、だから変わっていないと、そう言う。
 確かに、今の変わった自分と、それまでの過去の自分と同じところ、つまり変わっていないところはあるの
 かもしれないけれど、でもその他の部分が確かに変わっている以上、その変わった部分の影響をしっかり
 と受けている、その全体まるまるの自分は変わっているのじゃないかな、やっぱり。
 というか、だからこそ、そのしっかり変わってくれた全体的なものの中で、そうして改めてまだ変わっていない
 部分と向き合える、っていうことかな。
 変わったから、その変わった自分を使って変わってないところをさらに変えていく。
 人間なんて、ていうかあらゆる存在は変わらないことなんて無い。
 だからほんとは、いつだってそうやってなにかと直面できるチャンスというのはある。
 でもそれでも、その変わった部分の影響よりも、まだ変わっていない部分に惹き付けられてしまうことが
 あれば、そんな考え方はそれこそ綺麗事で終わってしまう。
 たとえ自分が確かに変わっているのがわかっていてさえ、それでも変わっていない部分が強烈な力を持って
 いるのは明白なのだから。
 
 でも、その「変わっていない部分」というのがあって、じゃあ、それはそれまでの自分と全く同じ意味とか位
 置を以て、自分に直面してるのかって。
 変わりたい変わりたいって必死に思ってるときは、逆に目の前のもの全部が全然変わらなかったものばか
 りで、だからほんとにもう、その「変わっていない部分」というのは、自分に直面している、本当に変えるべき
 対象、自分が主体的に解決していけると思える、そういう意味や自分の中での位置を持っている。
 だけど、変わっていない変わっていないと嘆いているときの、その「変わっていない部分」というのは、そう
 いう意味と位置ではやはり無い。
 その意味と位置自体がやはり変わっていて、それはいつのまにか、自分が変えるべきものとして自分に
 直面していなく、またそれを主体的に解決していけると思える対象の位置には無くなっているんだよね。
 つまり、自分が変わったことを実感しているからこそ、それでもまだ変わっていない部分が気になり、そして
 だからその今の自分が真に直面している、新しい「変えるべきなにか」を見つけることから離れてしまってい
 る、ということ。
 変わっていない、と思うのはなんのため?
 変えたいものを見つけるために、です。
 そして、変わるため、にです。
 
 今までずっとずっと嫌な自分で、ただそれが嫌で仕方が無くて、だからそれを変えたくて、そうして変えたい
 変わりたいと願い努力し続け、その果てにようやく少しずつでも変わっていく体感の中に自分を感じること
 ができるようになり、そうしてまるで分厚い雲が晴れていくような感触が嬉しくて堪らなくて、もうなにもかも
 が幸せで幸せでみんなの事が大好きで堪らなくて、この世界に無限の愛をと叫んで踊り回り、そして。
 その一度の変化が手にした、その安住の晴れ間そのものを愛してしまった途端、それは紛れも無く分厚
 い陽の光で、その空を覆い隠してしまったことになる。
 まだ、終わっていないのに。
 それなのに、閉じてしまって、本当に、いいの?
 今こうして陽光の中に居ても、それでもまだまだ雲は浮かんでいる。
 それを晴らさなくても、本当に良いの?
 今の麦には、その問いが無いゆえに、その雲ばかりが気になって、そしてその雲の大きさ巨大さばかりが
 気になって、それならこのままでも良いとして、その晴れの谷間に沈んでしまう。
 
 麦に問う。
 その雲の存在意義は、なんだった?
 のの先輩はそう言うんです。
 今のこの晴れ間はとてもとても尊いもの。
 それはなぜか。
 それは、麦が必死に変わろうとして勝ち得た大切なものだから。
 麦は、変われた。
 そうして生きるのが楽しいと、言えた。
 決して、変化そのものが大事だとは、私は思いません。
 変わらなくたっていい。
 本当に、そう思えるのなら。
 でも、それでも変わりたい、という心が僅かでも根強くあるのなら、その欲求を真摯に満たしていくことに
 於いてのみ、その変化すること自体は、その目的を達成する手段として最重要なものになってくる。
 麦は、変わりたくない、とは言わなかったのです。
 麦は、変わることができない、と言ったんです。
 麦は、変わりたいというその心を僅かながらにそのその身に根強く持っているのです。
 だから、今麦にとって最重要なことは、自分にとってなにが最重要なことであるのかを、真摯に考えること。
 カヨと別れたく無い、でもいつまでも佳代には頼っていられない、だからいつかは一人で歩かなくちゃと思
 う、だから今までありがとうと佳代に言うべきだと、そう思った瞬間に、今までの全然変わらなかった自分と
 それが少しずつ変わることが出来ていったその中にずっといた佳代の存在の重さが溢れてきて、ありがとう
 って言った瞬間に、もう全部こうして必死で手に入れた幸せまで失ってしまうのじゃないかと、そう麦は思
 う。
 その実感があることは確かなのだから、それはまさにその通り。
 でも、間違い。
 いいえ、間違いだ、という言葉にどれだけの想いと意志を込められるか、それが麦にとって最重要。
 変化すること、それを主体的に為してきたのは、間違い無く麦自身。 
 だからたとえ佳代が居なくたって、既に一度変わることができた麦ならきっとこれからも変わっていくことがで
 きるはず。
 でも出来ない、佳代ちゃんが居なくちゃ出来ないよ、そう麦が言った時点で、麦は今の自分を見誤ってい
 る。
 麦はもう、直面している。
 この今からも、そうまだ変わっていない部分を含む、この幸せな変化の帰結からも、変わりたいと思って
 いることに。
 佳代に守られてきた幸せよりも、いいえ、その幸せを愛しているからこそ、その愛しい境地から、それよりも
 素晴らしい幸せを求めていける。
 佳代が居てくれたから、佳代が居ない場所を求めることが出来る。
 その事を主体的に為すために、佳代を佳代の舞台へと送り出す、その意識に染まり、或いはその自覚を
 持つことで、自分もまた自分の舞台で踊りに迎える主体に近づいていくことができる。
 そしてその主体に辿り着いたとき、きっとまた麦は、その変われた自分を感じることになるはず。
 のの先輩は、非常に端的にそれを示してくれたのだと思いました。
 
 うん、なかなか久しぶりに面白かったですね、うん。
 
 
 
 
 
 
 えっと、ばいばい。
 
 
 
 
 
 

 

-- 070605--                    

 

         

                          ■■ 姫の隣で騒ぐのは、誰? ■■

     
 
 
 
 
 『 大きな蜘蛛・・・・もしかして・・・・怪物? ・・・大変だぁ!』


×
 

 『ただ待つのは性に合わないからな。その蜘蛛みたいな奴、確かめてやろうじゃねぇか。
  行くぞ。他の連中も叩き起こせ!』


×
 

                         『ふたりっきりになりましたわね。・・・・ドキドキしますわ。』
 
 

                           〜怪物王女 ・第八話・ヒロとリザと令裡の言葉より〜

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 私が人間どもを助けた、だと?
 
 
 
 
 
 
 
 
 ふふん。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 〜それはすべてひとつの雨から始まった〜
 
 
 
 
 
 ◆
 
 鬱々、などという表現で自分や周囲のものを言い表したことなど無く、またしようとも思わない。
 爽快な訳では無いが、だが明確に否定するものがある訳でも無く、しかしその不安定とも言える状態を
 指して、それに「不安定」という断定を与える気はさらさら無い。
 ましてや鬱々だなどと、そのような曖昧でありながらの密やかな悪意を込めた表現で以て、なにかを言い
 表した気になることなど、到底あり得無い。
 雨が、降っているな。
 それが、どうした。
 我が肌を伝う水滴を、無味乾燥に付着した水分として捉らえることになど意味は無いが、しかし意味を
 込めた感情を造り上げてそれを語ることで、その雨のひとときを描いてみることなどは決して無い。
 身に染みていく冷たさや奪われていくぬくもりに凍え、そして煙り立つ地表に満ちる涼やかな風を鑑賞し
 ても、それはそれ以上のものでは無いのだからな。
 勘違いするな。
 だからそれは、そういうものであることは、実際確かなことであるのだ。
 この体が感じている、この空を覆い地を埋め尽くしていく時間の中に私が居ることに、ゆえにそれ以上の
 感情や疑問や、ましてや憂鬱などを感じる必要がどこにあろうか。
 そして、それゆえ、今のこの気持ちも確かなのだ。
 『楽しいとは言えんな。』
 部屋から見つめた濡れそぼる窓の向こうばかりが気になって、仕方無く家を後にしたというのにな。
 あのまま窓辺で雨音に身を浸していれば、それはそれで時をこなすことは出来ていたのだろうが、しかし
 それでもあのとき確かに不快に感じた、その「鬱々」というどこからとも無く響いてきた言葉を標にし、こうし
 て窓の外に出てきたことに、特に不満がある訳では無い。
 楽しくはないが、まぁいいだろう。
 車の中で聞く雨の調べもまた一興、という言葉を添えるに値するものにそれはなるであろう。
 楽しくはないがな。
 だが最早そこには、あの「鬱々」などという無価値な言葉の影は無い。 
 その言葉を払拭するために雨の中のドライブを敢行したのでは無いが、その取るに足りない収穫を無下
 にすることも無い。
 ならばただ、その鬱々という言葉の去った時の中に生きれば良い。
 そもそも、なにも問題などは無い。
 ああ。
 そうだ。
 ヒロ。
 窓の内から雨空を眺める静謐に居続けることを、否定すべきものはなにも無いのだからな。
 だが今、私はこうして確かに窓の外の雨空の下に居る。
 だからこれは、それだけの話なのだ。
 
 
 
 ・・・・・・
 
 ちっ、あーうざってぇ。
 このじめじめした感じには、どうにも腹が立ってくる。
 憂鬱? あ? なに言ってんだお前。
 そうじゃねぇよ、むかつくんだよ、雨がだよ雨が。
 目の前に雨降らしてる奴が居たら、間違いなく殴ってるぜ私は。
 理不尽とか言ってんじゃねーよ、擬人化? なんのことだよ、知るかそんなこと。
 とにかく、雨は嫌いなんだ、無性にイライラするんだよ。
 ん? 違ぇーよ、両方だよ両方、雨が降ってること自体がまず絶対嫌いで、そしてこのクソむかつく雨降ら
 せてる奴をぶん殴れねぇからさらにイライラしてんだよ。
 わかってるって、ヒロ、そんなの当たり前だろ、それって理不尽というか、理不尽以前の話だろ?
 でも私がイライラしてるのは事実だし、そのイライラまでに文句付けられる筋合いは無いって話だ。
 いや、それも違うだろ、私は実際雨降らしてる奴が目の前に居たら、どんな事情があろうと速攻殴るぞ?
 少なくとも、私のイライラの分はな。
 ま、もっとも、その事情とやらを聞いて、私のイライラが消えればそこまでだがな。
 別に、今までのイライラの分の復讐をしよーなんざ思わないさ。
 わかればいいんだ、わかれば。
 ん? だからさっきからなにズレたことばっかり言ってんだ? ヒロ。
 私の言い分が誰かに理解される、って意味じゃねぇよ。
 私がなんでもいいから納得できればそれで終いって、そういうことだよ。
 で?
 さっきから、気に喰わねぇ臭いがするんだが。
 まさかあいつが近くに居るんじゃねぇだろうな。
 
 
 
 ・・・・・・
 
 あーら、獣臭いと思ったら、やっぱりあなたでしたの。
 全く、雨に降り込められて、風情もなにも無いと溜息を付きながら雨宿りしにきたと思ったら、まさかあな
 たの臭いを吸い込まなくてはいけないだなんて、ほんとうにこの雨を呪ってしまいそうですわ。
 わたくし、雨の夜というのは結構好きですのに、こうなってしまうともう、アンニュイな気分に浸ることも出来
 そうにありませんわね。
 まったく、黒く染まった雨滴を貪欲に肌で貪ってしまうのを絶望の眼差しで呪う老女を眺めて、それを我が
 末と思い憂いていながら、それでいてコロコロと優しく生き物のように自分の肌の上で遊ぶ雨滴と戯れる
 ことに頬を上気させている可愛い娘の首筋に、うっそりと闇のように欲情してしまう素晴らしい夜でしたら
 良かったですのにね。
 台風はさすがにちょっと雨風が強すぎてしまって風情も何も無いですわね、やっぱり。
 あら、なにをそんなにお怒りになっているのかしら、このお犬様は。
 姫様、こんな台風のときにまで飼い犬の散歩とは大変ですわね。
 しかもなにが気に入らないのか、キャンキャンキャンキャンと、少しは濡れてより臭うその獣臭をどうにかし
 て頂けなくって? こちらにお集まりの方々にも失礼というものでしょう?
 大丈夫よ、ヒロ。
 わたくしは公衆の面前でこんな狼娘と争うことなどなくってよ?
 もっとも、あちらがそうとは全く、そう全く限らないので、私も噛まれたくは無いのでそのときは躾ということに
 して、皆様の休息を少々乱してしまうことを許して頂きたいのだけれども。
 あら? でもそれでは姫様の飼い犬に勝手に躾をしてしまうことになりますわね。
 仕方が無いですわね、それならば無視するしか無いですわ。
 ・・・・・しっしっ、犬は飼い主の元にお帰りなさい。
 と。
 そんなことを言っているうちに。
 なにやら事件のようですわよ?
 姫様。
 
 
 
 
 ◆ ◆
 
 なにかが居る。
 ただそれだけのことに、なにを戦くことがある。
 精神の表層を撫でていく如何なる感覚も、その存在としての本質を前にしてはすっかり霞もうというもの。
 自らのうちに蠢くあらゆる感情というものを、それと捉えた瞬間に、それは例えようも無く私によって使役
 されるべき対象にしか過ぎなくなる。
 それはたとえ、我が身そのものである感情なり感慨であろうと、同じだ。
 どれほど吹き上がる想いに揺すられようと、どれほどそれを強靱な意志で打ち倒すことに染まろうとも、
 それら自体もまた、ひとつの私が治めるべき対象となるだけなのだ。
 無論容易なことでは無い。
 だが、容易なことであるかどうかに関わらず、ただ対処すべき純粋なる問題としてそれを抽出したとき、
 それはただどんなことであろうとも私に処理されるべきものでしか無くなるのだ。
 やるべきことは、いつだって決まっている。
 なによりこの体が、あらゆる問題を引き起こす内的要因を孕み、またあらゆる外的要因に対処する主
 体であるからだ。
 この体を失わない限り、この牢獄から抜け出さない限り、私はどれほど疲弊しようと迷おうと、そして健康
 であろうと潔癖であろうと、すべてはその一事に静かに収束していくだけなのだ。
 気負いは無い、だが不安でも無い。
 もし、私がすべての知覚を失い、完全に自身の自覚を失ったとしても、それらの喪失感を有している体
 と、それを舞台として生きる主体としての私は永遠に存在しているのだ。
 誰のためにも、自身のためにも、そしてなんのためにも生きてはいない。
 ただ、生きている。
 それゆえ、あらゆる喪失は、須くその我が生存の下に跪く。
 そしてだからこそ、喪失を恐れることなど無く、またゆえに新たなものを求めていくこともできるのだ。
 無論、その新たに求めたもののために生きていく訳では無いのだがな。
 そして今言ったように、新しいものを求めることを否定する訳でもまた、無いのだ。
 だから、堪らないほどの喪失に、耐えることができるのだ。
 
 敵が居る。
 そいつは未だ私の元には到達せず、周囲の者どもを襲っているだけに留まっている。
 無闇にその場に出ていかずにこの場に残っている方が、少なくとも今は安全であろう。
 私には周囲の者を守る義務も、またその趣味も無い。
 だが我が身を守ることに汲々としているつもりも無いぞ。
 わざわざこちらから討って出る必要性が無いほどに、敵の脅威を感じていないだけだ。
 言い換えれば、戦略的思考を為す必要も無いほどに、危険を感じていないということだ。
 来るならば来るがよい、というただそれだけで今のところは充分。
 そしてその私の言葉を聞き終える前に、ヒロは敵の元に飛び出していった。
 『む、そう来たか。』
 私の言動とそれに対するヒロの行動も織り込み済み、という訳か。
 そして私もいずれは家来のために出陣すると踏んだか。
 面白い。
 私にはこの家来の管理も既に選択肢の中に入っていた訳なのだな。
 ヒロの行動を未然に防ぐための言動のみを晒すか、それともヒロの行動をそのまま禁ずるか、或いはある
 がままなるがままに任せるか。
 当たり前のことではあるのだな、答えはもう既に出ている。
 面白い。
 その策に乗ってやろう。
 
 
 ではまず、ヒロだな。
 『それがどうかしたか?』
 人間が何人か死ぬと、なにか問題があるのか?
 と、素直にそのまま答えてやった。
 よいか、ヒロ。
 『怪物の中には人を捕食しないと生きられぬ者も居る。
  だがそれは必要な生命維持活動。子供でも知っている自然の掟だ。
  人間社会ではこの上無い悪かもしれぬが、それは私には関係の無い話だ。』
 お前は、怪物の王の娘たる私に同類の怪物を人間のために殺せというのか?
 ふふん。
 その言葉の半分は嘘であるのだが、ヒロは当然の如くひとりで怪物に立ち向かっていった。
 そしておそらく敵の思惑を理解している令裡に見事踊らされ、リザもまたヒロと共に部屋を出ていった。
 面白い。
 ヒロは私の述べた理屈を理解していながら、その理解ででは無くあくまでその理屈に従って動こうとしない
 私の姿に対する怒りで以て飛び出し、そしてリザもまた昼間からの鬱憤を晴らす口実を令裡の言動から
 得て戦いを求めて出ていった。
 そして令裡はその策がもたらした状況を貪欲にも利用し、私との二人きりの時間を愉しもうとしている。
 皆、なかなかに良い趣味をしているな。
 
 しばらく静観してみるとしよう。
 リザの言うように、確かに敵が来るとわかっていてそれまでの時間を落ち着き無く過ごすくらいならば、
 そのまま敵の元に討ち入れば良いとは思うが、しかし私は既に落ち着いている。
 より良い戦果を求めている訳でも無し、無用な戦禍を広げることを忌避してる訳でも無いゆえに、ただ
 こうして都合良く私の存在を小賢しく舐めて悦に入っている令裡とそれなりに過ごしていれば、おのずと敵
 の訪れまでの時間を緩やかに過ごすことが出来よう。
 だがリザのような者にとっては、やはりリザの取った行動は有意義なことであるのであろうし、またそれはヒロ
 や令裡などにとっても、同じくそれぞれの行動に意義があることではあるのだ。
 だから干渉はせん。
 そしてこちらに干渉しようとするのも止めはせん、が、無論はねつけるだけだがな。
 ヒロは一個の善良なる人間として、リザは感情に忠実な戦士として、令裡は欲望を達成することに悦楽
 を感じる策士として、当然のことをしている。
 ならば、私にとって当然なこととはなにか。
 ふふん。
 そんなことは、問うまでも無い。
 しばらく静観だ。
 ヒロ達がやりたいようにやり尽くした先に、動くべき機会が訪れよう。
 それまでしばし、思考を重ねるとしようか。
 令裡、しばらく付き合うがよい。
 
 
 お前はわかっていようが、これは何者かの遊びだ。
 おそらく、前回ヒロを使って私と遊ぼうとしたのと同じ者なのだろう。
 やることが直接的では無いのだからな、どうしてもそれは知れよう。
 そして私達はその中の駒として今、此処に放り込まれている。
 順当にヒロとリザはその駒としての役割のままに行動し、事態を着実に進めている。
 その進行に関与しているのが、お前だな、令裡。
 お前が今回の黒幕とどういう繋がりがあるのかは知らんが、まぁそれは私には関係の無いことだ。
 しばしこうしてチェスの相手として我が前に座している者である以上の価値は、お前には無いのだし、そし
 てまたお前にとっても黒幕の思惑などどうでもよく、ただこうして密やかなる私との時間を毟り取ったことに
 だけ価値があるのであろうな。
 この遊びを仕組んだ者を楽しませる義務も趣味も無いが、しかし現状私の周りを取り巻いている環境
 それ自体がその者に支配されている以上、選択肢は必然的に発生するであろう。
 その者の遊びに付き合うか、壊すか。
 そうだな、ならば私はその選択肢を被り、そして脱ぎ捨てようぞ。
 遊びに付き合うつもりも壊すつもりも無いが、結果的に私の存在が為す行動はその遊びに付き合ったこ
 とにも壊したことにもなるのであろうし、またこの不敵な遊びの仕掛け人は、おそらくどのような結果になろ
 うとそれなりに愉しめる快楽犯であろうし、ゆえに私が遊びに付き合おうが壊そうが結果的にそうなっただ
 けだろうと、その結果自体が既にその「遊び」の目的を達成したことになるのだろう。
 そうだ、令裡、つまりその事実は、むしろ私とお前のような者を満足させることに繋がるものでもあるのだ。
 遊ばれるのが良い訳では無いが、しかし遊ばれて失うものはなにも無く、そして今こうしてその遊びの舞
 台に立っているのを自覚した時点で、それはそれで別に構わないことであるのだな。
 ならばその「遊び」の中でしばし生きてみるのも悪くは無い。
 もっとも、私がこの遊びの仕掛け人たる黒幕の存在を感知した時点で、それ以外の選択肢は存在し
 ないのではあろうがな。
 たとえその黒幕を殺したとて、この「遊び」の時間が消える訳では無いのだからな。
 
 ん? 
 そうだな。
 私の収穫はやはり、ヒロだな。
 あやつは、実に心地良く私の理屈を無視してくれるな。
 理解はするが決して同意はせず、また目の前でその理屈によって動いている者を押しのけてちゃんと自
 分の存在の分の世界を確保しようとする。
 ある意味で想像通りの行動をヒロは示したのだが、実際は想像はしていれど、いざそうされるとなかなか
 感じるものがあるものなのだな、やはり。
 リザもまた、そのヒロに惹かれ、ヒロを戦いの動機に据えているようであるしな、それでもリザもまた己の理
 屈と立場を守りその境地からヒロに対峙してもいて、なかなかに面白いな。
 そうすることでリザは自分の理屈と立場を守れていると?
 ふ、随分と無粋なことを言うのだな、令裡よ。
 それはまた結果的にそういうことにもなっている、ということに留めておくべきことであろう。
 まぁ良い。
 そんなことよりも、お前は自分が弄した策で、ヒロとリザのその行動を引き出したこと、いやお前の場合は
 その策が成功したこと自体が楽しいのであろうしな。
 そしてそれは、私にとっても不快では無い事態を招いた。
 ふふん。
 『吸血鬼にしてはいい趣味をしている。』
 もっともお前の目には、主人の意向を無視して、勝手に部屋から出ていった家来達の行動に眉を顰めた
 私の顔が映っていたのではあろうがな。
 無論それは間違ってはいないが、しかしその眉を顰めることに終始する私では無いことくらいは、当然見
 通してはいるのであろうが。
 まぁ、それもまたお前にはどうでも良いことではあるのだろうな。
 
 と、これが私とお前の立場なのだ。
 だがこの立場を言葉にしてヒロとリザに示してみせても、それはなんの価値も得ないであろうことは明白だ。
 だからむしろ、この立場からなにかを論ずることは止めておくべきだ。
 この場に相応しいのは、やはりヒロの立場を念頭に置いた主体に於いて行動するべきことであろう。
 それが、私にとってのこの「遊び」の中で真摯に生きるということなのだからな。
 よし、ならば答えてやろう。
 よいか、ヒロ。
 私は怪物の姫であり、今この場を騒がせている敵たるアレは、曲がりなりにも我が同類である。
 自身の同類たる人間を守るお前と同じ場所に私が立つとしたならば、当然私が守るべきは同類たる
 アレであって人間では無い。
 だからそもそも私に自分と一緒に人間を守れと要請し、それが断られると人でなしを見るような目で見る
 のは明らかな間違いというべきものだ。
 当然であろう? 私は人外の者なのだからな。
 ああ、そういう意味ではそのお前の人でなしを見るその眼差しは間違いでは無いのか。
 そうだ、つまり元々、私たちは人間と怪物という敵対するもの同士なのだ、という事実とそれから派生する
 各々の行動があるだけなのだ。
 だからお前のその眼差しは、私がお前の頼みを断ったことにでは無く、私が人間の敵である怪物なので
 ある、ということ自体に注がれるべきものなのだ。
 
 ふふん。
 逸るな。
 誰がその立場に立つと言った。
 
 よいか、ヒロ。
 私が戦うのは、義務だからでも趣味だからでも無い。
 それらはすべて、我が意志によるものだ。
 そしてその意志が何に基づくかは、それこそ千差万別だ。
 私は嘘で固めた行動原理を示して、周囲に安易な理解と安心を与えるつもりは無い。
 私の行動がなにによって為されるのか、わからないのならわからないと言えば良いし、わかったのならそれ
 以上の理解を主体的に深めていけば良い。
 が、そのことに拘るつもりも毛頭無い。
 私の安易な言葉を求め、そしてそれで充足できるのを責めるつもりは無いし、またそれを基点にして私の
 言葉の内実に迫ろうというのならば、少しは手を貸してやってもよい。
 まぁ、私のことはよい。
 つまりな、ヒロよ。
 私はアレと同類である怪物ではあるが、その前に一個の私という存在であるということだ。
 アレは今、自分の狩り場で人間を貪っているだけなのだろう?
 だからそもそもそいつの食事の手伝いをするのはお節介なだけであるし、またもしアレが餌である人間の
 反撃を受け殺されそうになり助けを求めてきても、同じ仲間として手を貸してやっても良いが、それ以上
 では無いのだ。
 ん?
 そうだな。
 お前は、たとえ襲われている人間が助けを求めなくても助けにいくのであろうが、だがそれを指してそれが
 正しいというのはおかしいであろう。
 お前は逆に、怪物のアレが人間達の逆襲を受けて殺されそうになったら、アレを助けるのか?
 お前の中にあるのは、ただ「同類」である仲間を守るという意識があるだけであり、そもそもその「同類」
 の範囲というのは各々一様では無いということを失念している。
 同じ命を持つ生物として、アレだって立派なお前の同類であるのだぞ? ヒロよ。
 「人間」という括りがなぜかお前には絶対のようであるが、それならば私が自分の同類たる「怪物」の括り
 に拘ることを非難などできぬはずであるな?
 よいか、ヒロ。
 要にあるのは、自分が「同類」と見定めている者を守ろうとしている、ということをお前が知っているという
 ことなのだ。
 私にとっての同類とはな、ヒロ。
 「怪物」であり、或いは少し狭めて「王族」であり、そして今度は方向を変えて「お前やリザ達」であるの
 だ。
 ああ、無論「生物」という括りもあるし、「存在するものすべて」という括りもある。
 そして私は、そのどの括りにも拘らず、また拘らないことに拘ることも無いのだ。
 だからな、今回の件に於いては。
 私は、お前にもわかるような形で、そのひとつの拘る括りを魅せてやったのだ。
 それはなにか、だと?
 ふふん。
 
 
 
 
 
 
 ◆ ◆ ◆
 
 ふん、令裡よ、ナイフとフォークより重いものを持たせたのがそれほど不満か?
 だがお前もこの「遊び」に関与して愉しみを得ようと思うのなら、それくらいはして当然であろう。
 さて、これで全部片づいたようだな。
 結果的に、私はどうやらなかなか楽しめたようだ。
 私自身は襲われ無かったにも関わらず、最終的に出陣し、そして襲われているヒロ達の前でアレを倒して
 みせた。
 これだけが事実として残り、他はすべてあれを見た者達の中の言葉が飾っていく。
 ヒロめ、なかなか壮絶な誤解をしていそうだが、それで満足できているのならそれで良かろう。
 
 私は私でしか無い。
 私は「自分」という名の舞台の上で生きている。
 私と私以外が存在し、そしてつまり私にとっての「同類」というものはその事に於いては存在しない。
 私以外の者の価値は、等しく同じなのだ。
 だがな、令裡よ。
 私はそのような「自分」という世界を知っている。
 そしてその「自分」という世界自体は、私以外の者の数だけ存在しているのも知っている。
 無論、「私」という主体が踊ることのできる「自分」という名の世界は、ただひとつしか無いのではあるが、
 しかしその「私」を除けば、その「自分」という世界はいくらでもその他のものと置換可能なものでもある
 のだ。
 私の「自分」に、令裡よ、お前の「自分」を取り入れることも置き換えることもまた、可能なのだ。
 そしてお前の「自分」という舞台の上で、「私」が生きることが出来る。
 少し違うが、それはお前の立場になって私がものを考え行動していくことは、さして難しいことでは無いと
 いうことだ。
 まぁ、それはよい。
 それよりも、その置き換え可能な「自分」というものが、私の目の前には沢山在るということなのだ。
 そしてその中のひとつに、私が基本的に生きる舞台として選んでいる「自分」も在るのだ。
 つまり、私と私以外の価値もまた、この点に於いては等しいということだ。
 特別なのはただ、主体たる「私」だけであり、その「私」が生きる舞台である「自分」と私以外の者のそれ
 ぞれの「自分」とに価値の差は無い、ということでもあるな。
 
 そうなると、先ほどの同類の話も違ってくる。
 同類とは、なにか。
 まず初めに、私以外の者のすべては私の同類である。
 だが、「私」がそのとき生きる舞台として選んでいる「自分」という限定が生ずる限り、その瞬間にその「自
 分」に於ける観点から選び出された同類の範囲は、やはり自ずと限定されてくる。
 人間は殺生を厭いながらも、生きるためにならば普通に生物を殺すであろう?
 それは同類とわざわざ言っている人間に対しても、その時々の「自分」の在り方によって変わっていくことで
 あろう?
 自分の命に危険が迫れば、たとえ相手が人間であろうと殺すだろうし、またさらに狭い範囲の同類であ
 る家族や友人などを守るために、人間を殺すこともある。
 同類のために戦う、という前提からするのならば、それはなんらおかしいことでは無い。
 だがな、令裡よ。
 それでも人間は、やはり「人間」という括りを大事にする、という要素をどのような「自分」になっても持つ
 ものなのだ。
 人間にとって他の人間は、意志の疎通が可能であり、共存の可能性を最も持ち得ている存在であり、
 ゆえにどれだけ同類の範囲を狭めようと、その「人間」という範囲をその外枠に持つことは、ある意味で
 合理的なことでもあるのだろう。
 そして、もうわかってきてはいるであろうが、それは私も同じことなのだ。
 怪物である私の「自分」にとっては、そもそも「人間」がどうなろうと知ったことでは無い。
 そして「私」にとっては、私以外の者の価値は皆等しい。
 基本的に私以外の者がどうなろうと知ったことでは無いが、だがそれでも私は「私」だけで無く、確かに
 「自分」という他の世界と接続している舞台を有しているのだ。
 私にはあまり「怪物」という同類意識は無いが、だが確かに「王族」という同類意識は持っている。
 ふふん。
 だから私は王族間の争いに心を痛めているのだ。
 まぁそれはどうでもよい。
 
 そして、私は今回、ヒロの前で戦った。
 無論、ヒロのために戦ったのでは無いぞ。
 ましてや、他の人間達を守るために戦ったなど、有り得ぬこと。
 令裡よ、なぜ私はアレを倒したのだと思うか?
 簡単なことだ、お前とのチェスの勝負がついたからだ。
 わかっているはずだな?
 チェックメイトに早いも遅いもなかろう。
 ふふん。
 私は慈悲深いのだ。
 アレを倒した結果、ヒロを助けたことになろうと人間を守ったことになろうと、さらには同類である怪物を殺し
 たことになろうと、それは私には関係の無いこと。
 同類の怪物を殺そうが、異類の人間を守ろうが、そんなことは主体たる「私」を飾る言葉にはなり得な
 いのだからな。
 わかるな? ヒロよ。
 家来が壊れるのを放っておく主人など居ないのだ。
 お前は自分もアレの捕食対象だということを実感していない。
 そしてなによりも、お前は私の家来だということを完全に忘れている。
 別にお前が同類を守ろうとするのは構わないが、お前の命は私のものであるということを忘れられてしま
 っては少々困るな。
 『ヒロ、退っていろ。』
 前にも言ったが、自覚しろ。
 
 だが。
 
 
 それで良い。
 
 
 
 
 
 令裡よ。
 
 なかなか有意義なチェスの勝負であったぞ。
 
 
 
 
 
 『このたびの事を仕組んだ者によろしく伝えてくれ。』
 
 
 
 
 
 +
 
 そして、ヒロよ。
 私に捧げる感謝の言葉があるのなら。
 
 
 ふふん。
 
 アレの死を悼む気持ちを少しでも持ってやることだな。
 
 
 
 
 
 
 だが。
 
 
 それで、良い。
 
 
 
 
 
 
 
 この晴れやかな時間に、もはや雨は不要なのだからな。
 
 
 
 
 
 
 
 
 ◆ ◆ ◆ ◆
 
 誰にとってなのかはわからないけれど、人はみな等価値なのだと思う。
 というか、その誰の価値観なのかがわからないのに、なぜかその価値観を知っているっていうところが、な
 んだか凄いことなんだなぁって思う。
 完全に他人事のはずなのに、まぁだから本質的に責任なんか全然その価値観に感じたりはしないのだけ
 れども、それはいつも必ず「正しい」という言葉よりも、もっと確かでそしてなによりも現実的に必要なもの
 だったりする。
 大体、自分が生きて此処に居れば、それ自体が直面する自分の世界とそれと直面している自分自身、
 いや、その自分自身もその世界のうちのひとつだったり、或いはやっぱり世界もなにもかも全部自分の中
 のひとつのものにしか過ぎないものなのかもしれないけれど、でもそんなことはちゃんと考えて大真面目に
 うんうんとその理屈に頷かない限り、現実的なものにはなり得ない。
 そもそも、世界とか自分とかいう、どうしようも無く嘘臭い言葉なんか無くったって、それは全然平気なこ
 とであるのは、その言葉を諳んじている当人がたぶん一番わかっているのじゃないかな。
 でも、それは同時に、その言葉が存在し、そしてその言葉を現実的意識として使用するものとして捉え、
 そして実際その意識を深めそれで生きようとした段階で、やっぱりそれらの言葉はどうしようも無く現実的
 なものになるのだと思う。
 その言葉がどんなに理論的に正しくたって、ただそれが正しい正しいと連呼しているだけだったら、それは
 たぶんずっとただの理論のままで終わるし、絶対にそれは現実的なものとして自分にくっついてきたりはし
 ない。
 だからその宙ぶらりんな理論としての言葉はあくまで言葉だとして捉えて、そしてその言葉というもの自体、
 それが及ぼす影響とか与えてくれるものとか、そういうものを考えたり感じたりしていくと、それはいつのま
 にかその言葉を主体的に綴っている自分と出会っていくことになるのじゃないかなぁって思う。
 その理論が正しいとか正しくないとか、それ自体が大事な訳でも、無論その理論自体が重要な訳では
 無く、ただ重要なのは、というかただ在るのはその理論やその正しさに影響を受けたりそれを利用してい
 たりする自分が居るだけっていう、その事実だけなのかもしれない。
 だから、人はみな等価値とか平等とか、そういうことを言っている自分が居て、その理論を深めたり弄った
 り横にして回転させたり、そうしていることで、それなりに自分を上手く生きさせている、ということなだけで
 も、それはあるのだろうね。
 なんだか知らないけれど、とにかく人はみんな平等なの、だからそこから初めて全部辻褄合わせてみるの
 も面白いじゃない? というまるで逆転的な発想て、別に逆転じゃないか、で、平等ってなにが平等なの
 かっていうと、つまりそれはその人自体の価値というのが平等であって、じゃあそれなら誰にとっての価値な
 のかといわれて、私のだよ、と言った時点で、たぶんそれはなによりもただの理論的な価値、つまりその
 理論の正しさを証明していくだけのものにしかならなくなってしまうし、だからそこで答えるとしたら、やっぱり
 誰か知らない誰か、それこそ神様でもなんでもよいけど、そういうものにとっては皆その存在は平等なんだ
 といえば良い。
 そうすれば自ずと、自分もその平等な存在のうちのひとつにしか過ぎないと、そうして初めて純理論的な
 観点でものを考えつつ、しかし一方で確かに生身の存在たる自分がそうして考えながらなにかをごにょご
 にょとやっているのが、よーく見えてくるのじゃなかなぁって、私は思ったりしました。
 
 あー、今回はあれですね、姫のアレの踏みっぷりに尽きますね。
 ズバっと抜いて、だんっと踏みつけて睨め付ける。
 うあ、カッコいいやら怖いやら。ゾクゾクする。
 姫は理屈的なことは言ってるけど、それでなにかをしようって魂胆は全然無くて、ただもうそのまんま躍動
 してる姫の体に添えるBGMみたいな感じで、ただこう後付け的に理屈を積んでてさ。
 だから見た目的に姫はこうバシっと筋目を通してるけど、でもその通した筋目のために行動してる気配は
 毛ほどもなくって、なんかもう呆然と置いきぼりにされてしまったような、そういうダントツ感がすごい。
 姫は理屈を言うけど理屈で事を収めようとは全然思っていないし、むしろそれは戦いの合間合間の余
 興のような、むしろ姫が次のステップを刻むまでの時間稼ぎのような、ああして姫はぐるぐる色んなことを
 考えて、たぶんそうして自分の戦いの場自体を深めていって、そして姫自体は単身そのまんまでそこに
 乗り込んでいく。
 自分の戦いの意味を如何様にも取れるような形にしてしまって、でも姫はそんな事には頓着しなくて、
 解釈したければ勝手にするがいいという不貞不貞しさ、いいえ、茶目っ気のある真剣さで以て、やっぱり
 普通に自分で作った解釈の余地に見向きもせずに、ただ戦った自分の体自体を撫でていくんですよね。
 自分でその余地を作っておいて、意味とか解釈とかどうでもいい、なんてなんて不貞不貞しい、でも最
 初っから姫はそういう無駄、というかそうして脱ぎ捨てるために作った意味とか解釈の余地の上でただ生き
 る、つまりその意味とか解釈の中や内で生きるのでは無いのですね。
 
 あとはまぁ、リザも色っぽくてなかなか良かったし、あの人もしっかり理屈を利用できてるよねぇ、あ、あと
 今回令裡もなかなか良くってよ、って感じでインテリジェンスを感じさせる小粋さがあって、姫の理屈的な
 部分に添えるにはなかなかのアシストぶりでグッジョブでした。ちょっと見直した。
 というか本来令裡はああいう意味深な微笑を姫と一緒にさせていれば、それだけで化けの皮が厚くなれ
 るってことだったのかな。
 令裡と姫の微笑は次元が違うんだけど、でもそうしてふたりで笑いふたりの言葉が通じ合っている時点で
 、あのふたりの情景そのものが階層を持ったそこそこ深みのあるものとして映ってくるって感じで。
 
 うん、そんな感じでしょうか。
 今回のお話は前回と違ってレベルが高くて、割と興奮できて幸せで、そのお陰様を持ちまして感想執筆
 が長引くわその割には上手く書けなかったりするわなのに分量は多くなるわと、もう散々でした。
 だが、良し。
 情感的な表現無しで、「理屈的なことを言っている姫」を情感的に描きたかったのに見事に失敗したりし
 たけれど、へこたれません、書くまでは。
 あ、あとヒロです、ヒロ。
 なんだかぐんぐん成長してて怖いくらい、そろそろヒロで書けたりしちゃったら、なんか嬉しい。
 あー、でもその前にリザ視点でヒロを書いたりすることから始まるかな、やっぱり。
 ということで。
 
 また来週を、楽しみに待っていましょう。
 
 
 
 
 
 
 
 
                                ◆ 『』内文章、アニメ「怪物王女」より引用 ◆
 
 
 
 
 

 

-- 070601--                    

 

         

                                 ■■ ペットな軍師 ■■

     
 
 
 
 
 ごきげんよう、紅い瞳です。
 
 時間がまるでゴミのように過ぎていくなぁと高みの見物を決め込んでいるうちに、はや6月となり、人生の
 短さを理不尽にも感じている昨今、皆様如何お過ごしでしょうか。
 いい加減五月病は終わらせましょうね。 (特に私)
 
 さて、今日は特にべらべらと話すことも無いので、というか今ちょうど本読んでる途中なので、さっさと書く
 べきことを書いて終わらせたい勢いなので、その、適当で。
 あ、アニメの感想とかは実はもう既に昨日までに書いて置いてありましたので、くっつけるだけの簡単レシ
 ピ、とまぁこういう訳なので御座います。
 あー、なんか欲求不満。(唐突に)
 本を片手になんか足りないなんか足りないとブツブツ言ってるのは相当やばい姿なのですけれど、色々
 足りない。
 日記で色々書きたいことはあるのだけれど、そういうの全部アニメとか本とかの感想の元に勝手に集まっ
 ちゃって、なんかこう、軽い感じでちょっと考えたこと、みたいな風にちょこっと書いたりできないというか、
 ていうかあれですよね、マリみての文章とかまた書きたくなってきたのですけれどねって、結局アニメかよ、
 っていうあたりでもういいですかいいですよね。
 
 まぁ、そのうち。
 
 
 
 ◆
 
 先週の風林火山、観ました。いやこれまでのお話も全部観てますけれど。
 うーん、悠姫が面白い、面白すぎです。
 怨みっていうのはそれは感情だけど、でもそれ以前にもっと大きなレベルに於いて、それはたとえようも無く
 理屈なんだと思う。
 愛しているからこそ憎い、つまりその人を愛したいっていうのが主であって、それを続け至高のものとする
 ためにも、その障害たるものを除くために憎んだり怨んだりしなくちゃいけない。
 悠姫は実家の諏訪家を武田に滅ぼされて、それこそ鬼の如くに怒り猛ったのだけど、でもそれでも悠姫
 は自分が誇り高く生きたいがために晴信の側室となったのだし、そしてそれは決して滅ぼされた家の姫が
 辱めを受けるという意味での事では無いと、なによりも悠姫自身が思っているし、だから初めてそこで
 諏訪家を落ち着かせたい晴信との利害が一致し、悠姫も誇り高く生きて武田に入ることができる。
 それなのにその辺りのことを全く理解せずに、ただ「滅ぼされた家」の哀れな姫君として同情を示す三条
 夫人のそれは、悠姫に対する無礼以外のなにものでも無く、だからどんなに三条夫人がその立場から
 優しい言葉をかけたとて、それは悠姫の理屈としての怨みを強く残すことにしかなりえない。
 そんな事をするのなら、感情としての怨みに染まり晴信を討とうとする危険な女、として怨まれた方がまし
 なのですよね、悠姫にとっては。
 そして同じく晴信の母の大井夫人がただそれが定めじゃ受け入れるしか無いのじゃと、厚顔無恥にもほ
 どがある説諭をしてきたり、悠姫的にはこの女馬鹿じゃないのだろうかと思ったことだろうし、確かにその立
 場でしか悠姫を論じないのであれば、それはほんと馬鹿だと思うし、ってこの大井夫人て晴信vs信虎の
 ときもそんな態度だったし、私は好きくないなあの人。
 それで晴信も晴信で、公的な自分勝手というか、自分の範疇を甲斐一国に広げて、要するに甲斐と
 いう自分のためにうだうだ言わずに言うことを聞け、と一応今まで適度に理屈を与えていても結局はそれ
 で悠姫を支配しようとし、ああ駄目だこれはと、悠姫は観念せざるを得なくなった。
 悠姫は生きようとし、そして生きるためには武田家に入るしか無く、しかしだからといって自分だけが全部
 飲んで我慢するという理不尽は許せなく、でもそれでも妥協につぐ妥協をする準備を必死にしようとし、
 だからそれこそ武田家のために生きても良いと、そう思おうとしているのに、あくまで周りは姫を諏訪家から
 きた哀れな姫として、「武田家に隷属する武田家の姫」という気違いじみた受け入れしかせず、そう、三
 条夫人も大井夫人もその点は同じだし、晴信は理屈的に悠姫に近くはあるのだけど、重要なところで
 無視するし、そうしたら悠姫はもう武田家を怨む理屈をひたすら続けるしか無いんですよね、そういった
 武田側の不実な態度を詰る形でね。
 悠姫は武田家を死ぬほど怨んでいるけれど、死ぬよりも深く愛している。
 だって悠姫は生きたいのだから。生きるために武田家を愛したいのだから。
 その中心に晴信が居て、だから悠姫は晴信にすべてを注いで生きていこうとさえできて、その結実として
 子ができるなら、それは実家の仇の子というおぞましい存在でありながら、しかし今こうして此処に生きて
 いる姫自身にとっては、なによりも熱い希望と愛をもたらしていくれる存在でもある。
 なのに晴信は姫を諏訪へ帰そうとし、それは姫にとっては武田家で生きる希望を奪われるに等しく、そりゃ
 怨みの理屈の極限である愛する対象の殺害が頭をよぎっても当然。
 悠姫は晴信を討とうとするも、甲斐に引き返す旅の途中で動けなくなり、そこで勘助に発見される。
 勘助は、なんていうか、勿論悠姫の心なんか全然わかってないんだけど、でも明らかに悠姫の理屈自体
 は理解しかけているんですよね。
 それが悠姫的にはびしびしと感じてて、悠姫の言葉を聞いてくれる勘助に、助けを求めちゃう。
 私はどうしたら良いか、という意味で、私を殺してくれと、生きたいけれど生きられそうも無いから殺して、
 と、でもどうしてもどうしても生きたいからこそ、どうしたら良いのか教えておくれと。
 
 『泣くのはおよしなれ。そこまでの思いを話しておきながら、泣くのはおよしなされ。』
 
 こう、ぐっときたね。
 これ、悠姫的に一番嬉しい言葉じゃない?
 初めて、自分のために理屈で斬り合ってくれる人と話せたのだから。
 勘助はこのあと、ありきたりな策を献じます。
 晴信との間に子を成せ、そしてその子を諏訪だ武田だという理屈から自分を解き放つための道具として
 使い、そしてその子を天下人にすることで自身を天下人の母と成す自覚を求めなされ、と。
 これって淀君的狂気(ぉぃw)にはしれって言ってることでもあるのですけれど、でもこれは悠姫に主体的
 に生きろ、むしろ武田家も諏訪家も悠姫個人の意識で乗っ取れと言っているのでもある。
 つまり、悠姫が持っている怨みの理屈自体を、それよりも遙かに魅力的な理屈へとレベルアップさせれば
 良いと、大体で御座います、そもそも三条夫人と低レベルな争いをするほどの器ですか姫様は、そして
 姫様はすべてに鬱々と敗北し生きながら死に出家じみたことを勧める大井夫人のもとに侍るような御方
 でありましたか、いいえ違います、違いまするぞ! とこう勘助はあの隻眼髭面で迫ってくるんですよ、も
 う怖いやら嬉しいやら(笑)でしょうよ姫様は。
 姫は生きたい、なによりも生きたい、そして生きるために主体的に晴信を愛し、周囲の視線にも「適度」
 に応え、そしてしっかりと武田家に根を張り生きていく、その果てに求める子を天下人とするために、
 これもまた主体的に武田家に天下を取らせるにはどうしたら良いかを考えていく。
 悠姫こそが、武田家を支配する、その一連の行動がまた晴信の利害と一致することを勘助は知ってい
 るからこそ、そしてその勘助の行動原理を冷徹に見ることができるからこそ、姫は勘助を晴信と共有する
 ペットとしていけると思えるのでしょうね。美女と野獣ですから。(安直)
 
 風林火山はこれからも期待できるなー。
 あとガクトの謙信とか超見たい。
 はやくでろー。
 
 
 
 
 
 
 
 エル・カザド:
 第9話。
 誰かにやれと言われたからやる、というのはあまり動機の説明としては充分じゃ無い。
 正確に言えば、誰かにやれと指し示されたものを、ただそれだけを見つめていればそれで満足できる事を
 自分が知っているからそれをやるのだし、だからそれを誰かに言われたから、というのがその動機では無い
 訳。
 潰れた銀山であるかないかもわからない銀の十字架を探し続けろ、なんて馬鹿みたいなことをそれでも
 やるのは、それはイリスが「お父様に」言われたからでも、「お父様に言われた」からでも無く、ただ盲目的
 になにかを安心してし続ける事を求めているだけだったから。
 だから別にそれを命じたのがお父様で無くても良い訳だし、誰かに言われ無くてもたまたま自分で見つけ
 たことでも、それは良い訳なのでしょうね。
 ナディはやたらからっと軽く自分で決めたら人間なんだから、とか言う訳だけど、別にイリスにとっちゃ自分で
 決めようが誰が決めようがそんなことはそもそもどうでも良く、実際ラストでイリスは自分でなお銀山に残っ
 て十字架を掘り当てることを選ぶ訳だけども、それはまた単純にイリスの今目の前にあるのが、その銀山
 でしか無かったからな訳で、それは最初お父様の命令に頷いて十字架を探していたのとなにも変わらな
 い。
 そして改めて銀山を掘り進めようとして、その道具もなにも銀山に埋まってしまったことにはたと思い至り、
 イリスの世界は綺麗に終わってしまう。
 
 でも、そんな終結した世界はあくまでイリスが創り出し、イリスだけが縛られる世界であって、そうやって呆
 然となにもかも終わってしまった銀山を見つめながらも、そうして存在しているイリスの前には、やがて時間
 の流れと共に様々なものが、そのイリスの小さな世界の外側からやってくる。
 また再びナディのような不意の来訪者があれば、それに感応しそこからただひたすらに「やるべきこと」を
 感得する可能性もあるし、それすらなにもなくとも、そうしてただ存在している、その自分の存在そのもの
 という自分の頭が創り出した世界と絶対的に離れている、肉体を含むものがイリスに語りかけていくのだ
 から、そこからイリスはいくらだってその盲目的に従うなにかを得ていくことはできるのじゃないかな。
 ナディの自分で考えてやれ自分で決めろって言い草は、イリスを通して、その発言者たるナディ自身にし
 か有効では無いことを魅せてくれました。
 別に、この世の中で自分で決められるものなど無いとかあるとか、そういうお話はいいよっていうか、
 そんなことはそもそもそれを言っている人にしか有効では無く、またそれに頷いた時点でしか、それは共有
 できない世界の言葉なんだと思うし、だから私なんかは、イリスをナディの言葉的観点から批判するのは
 全くの的はずれっていうか、むしろ自分の「趣味」を人に押しつけているのと大差無い。
 イリスにとっては、無限に訪れてくる外の世界からの圧力に導かれ、それで延々とただ生きていくこと自体
 をこなしていても、それはそれで別にいいというか、それを批判する意味は、そのイリスのような人生が好
 きで無いという価値観を持っているその批判者にしか無いのだし。
 だからそういう意味での最大の批判というか、むしろ批判者の自己肯定の言葉として、あのナディの
 「ほんとうに自分が欲しいものだったらね。」というのはあるのですよね。
 イリスは銀の十字架を手にすることでは無く、それを盲目的に探すこと自体が目的な訳なので、だから
 銀の十字架を見つけてしまった時点で、それはその盲目的探索行為の終結を意味することになり、
 だからある意味でそれは見つけるのが困難なものであるほど良い。
 だからイリスは一度は見つけた銀の十字架を見つけたときにはなんの嬉しさも感じなかったし、でも逆に
 だからこそイリスは、その喜べない自分の姿を知ってもしまった。
 つまりイリスにとっては、探し続けるという日常にこそ喜びを見出していたのだから、逆に喜びを欲しようと
 するのならば、そうやって盲目的になれる事柄をひたすらに見つけていけば良いだけ。
 私なんかはやっぱりナディさんと同じで、「大喜び」したいから、確かに日々の喜びを噛み締めることもあれ
 ど、やっぱりなにかその目的そのものを真摯に求めたい気持ちはあるし、だからその真摯さを無上に補強
 していくために、それは自分が決めたとか意志とかなんとかそういうことを言ったりする。
 でも勿論だからといって、イリス的な在り方を批判する気はさらさら無いし、間違ってるとも思わないし、
 自分が正しいともてんで思わない。
 っていうかむしろ私的にその批判をした時点で自分のやってることの価値が下がるって思ったり、あ、でも
 そんなことで下がる訳は無いんですけど一応、だからむしろそうやって価値が下がると信じて私的に真面
 目にやることに「盲目」的になることで、自分のやってることを補強してるのかもね。
 
 でも、イリス的な人って、やっぱりどうしても自分のことを批判的に見ちゃうよね。
 ほんとはちゃんと充足してるんだけど、どこかそれじゃいけないんじゃないかなぁーって、まぁ気楽な人だった
 ら頭の天辺辺りでちょちょいっと考える程度で済ませていられるんだけれど、深く考えちゃってそもそもの
 既に充足してる自分の生き方をまるまる否定し出したりしちゃう人もいて、そうなってくるともう。
 いくしかないよね、別の世界に。
 イリスがどうかはともかく、やっぱり「大喜び」できる、という概念があると知ってしまった以上、それを手に入
 れてみたいと思うのだろうし、そうしていくとただあるがままに盲目的に目の前のことだけに没頭してるだけ
 じゃ、必然的にその事自体に感じる喜びしか受けられない、ならばどうしたら良いか、と考えたところで、
 やっぱりなんていうか、「自分」っていうのを感じ出すのじゃないかなぁ。
 それこそナディさんの言葉的に、全部自分で決めていくっていう意識を持って、そしてそれがほんとに自分
 で決めたことなんだと感じられる、その度合いが大きければ大きいほど、その達成感としての「大喜び」を
 得られるのじゃないかなぁ。
 ナディのいうそれが「ほんとうに自分が欲しいものだったらね。」という言葉は、別の解釈をすれば、どれだ
 け自分がやってることが自分が決めたものであると「言える」のか、という意味にもなる。
 つまり、イリスは銀山に改めて残ることを自分で決めたと言っているけれど、ナディさんのレベルからすれば
 、んなの目の前にあるのが銀山しか無かったからただそういってるだけじゃない、って感じで全然駄目出し
 だし、だからそれはもしナディさんの立場でだったらイリスの思うその「自分で決めた」というその「自分」の
 認識はまだまだ甘いけれど、しかし現在それをほぼ100%自分で決めたと「言えている」、もしくは「思い
 込む」ことが出来ているイリスさんの立場からすれば、そのイリスの銀山居残りを決めたのは間違い無く
 自分で決めたことなのですよね。
 要するに、ナディさんが自分で決めてるって言ってることだって、哲学的に見たらそうは言えないことだって
 あるのだし、ゆえにその立場に立てばナディさんだってイリスと同じだし、また逆にナディさんがそれでも自分
 で決めたと「言える」、思い込むことが出来ているのなら、それもまた同じくイリスと同じでちゃんと自分で
 決めていることになるのでしょうね。
 だから、そもそも「自分」なんてものは勝手に決めるものなんでしょうね。
 
 でも、イリスの世界の外にはナディさんが居て、そしてナディさんの世界の外にもやっぱり誰か居る。
 イリスが今まで自分の世界の中には無かった「大喜び」という外から来た概念を得て、そして変わってい
 こうとしたのはイリスだし、そしてナディもまた自分の外にある多くの概念や事柄、そして勿論「自分」の鑑
 定方法も新しく取り入れていく。
 「まぁいっか。」
 ナディは最後にこう言う。
 ナディはイリスの閉鎖性を嗤うことは、すなわちそのイリスを嗤う自身の価値観にイリスと同じく閉塞して
 いることだと肌で感じ、またそうしてみれば、初めから閉鎖的に見えたイリスこそが、常にそうして批判的な
 外の世界からの視線を受け入れて変わっていこうとしているのがわかってくるんですよね。
 本当に欲しいものっていうは、やっぱり全力を尽くして手に入れようとすることからは逃れられない。
 そして全力ってことは、そうやって既に充足出来ている自分の世界に安住することだけで無く、これまた既
 にそこから見えている、その外の世界できらきらと綺麗に光っている、その新しい可能性をも手に入れて
 いくってことからも、やっぱり逃れられないのだろうねぇ。
 だからね、たぶんあのイリスが改めて銀山に埋まった十字架を、それを本当に自分が欲しいものであるも
 のにするのは、イリス自身なんだよね。
 ラストで、道具や服なんか全部銀山に埋まっちゃってて、すべての手がかりを失って呆然とするイリスの
 姿は、これはある意味で罠であり、ここで安易にナディ側に安住してイリスのその姿を戒めとするのであれ
 ば、そこで初めてイリスは「大喜び」できる十字架の存在を失うのだろうね。
 イリスはただ、これから苦労するだけ。
 すべての手がかりを失って、でもそれでも十字架のことを忘れずに、ただひたすらそれから離れていくこと
 しかできない自分に耐え、そして無為に今までと同じく誰かに言いなりの通りに動く生活しか刻むことが
 出来なくてもそれでも十字架のことを忘れずに、年を重ね無限の世界に触れて歩き、そうしたらいつか
 その十字架に至る以外のすべての道が塞がれてしまうかもしれない。
 経験、っていうのは凄いものね。自分の良いところを極め、悪いところを直していってくれるもの。
 それがどんな微速だろうと、それでも十字架のことを忘れずにいれば、それはいつかきっと、現実的に手に
 届く「十字架」となって、イリスの前に再び現れるかもしれないのだから。
 逆に言えば、十字架のことを忘れなかったからこそ、そして忘れてはいけないと、いつかきっと辿り着けると
 と「自分」を信じていればこそ、なのかもしれないけれどね。
 そして、きっとその忘れなかった分だけ、信じ続けていた分だけ、その「十字架」に辿り着いたときの喜びは
 、その今までの人生を軽く超える巨大さを魅せてくれるのでしょう。
 十字架の隠された銀山は埋まってしまったことで、イリスにその外の世界への道を開き、そして外の世界
 との触れ合いを極めたとき、その銀山の扉は開く。
 これは、そういうお話だったのじゃないかなぁ、というかそれが一番気持ちいい。
 
 
 ひとひら:
 第9話。
 勘違いをしていた。
 これってつまり、そのままなんだ。
 そのままな高校生と、そのままな高校生活、ただそれだけがあって、等身大の、というとちょっと限定し過
 ぎだけど、まるで写真でさりげなく撮ったその些細で飾り気も無く、勿論抽象的な思考も無い現実的な
 そのままなものが描かれてるだけなんだ。
 あー・・勘違い、だったのだね、やっぱり。
 この作品に求めすぎていた、というのじゃなく、そもそも目の付け所が間違っていた。
 そこらへんの高校生が、手作りで即興でできる、というかその場その場で彼ら以上では無いその姿で、
 ただ延々とやってるだけ。
 彼らはだから、抽象的な小説の中の思想を体現したキャラでも無く、ただそのままというか、まぁわたしら
 だって実際ああいう場面にいたら、あたふたして気の利いたこともいえやしないだろうし、勿論気の利いた
 こと言ったつもりでもそれは「それなりに」なものであるのだろうし、あの最後のみんなが部室に集まって、
 反省的感慨に耽る会みたいなのをやっていたけれど、あれなんか描いてなんか意味あるの?って思って
 たけど、そうじゃない、それはつまり意味とかそういうことじゃなくて、たぶんあの作者さん及びそれと同じレベ
 ルにある人達(無論私も含む多くの現実的人間も)が、ああいうことはするだろうね、そう、これみよがしに
 わざとらしくやっちゃったりして、意味は無いんだけど、なんだか妙に演技がかってて、でも普段の生活って、
 そうやってなにげなく無理矢理意味をくっつけて無意味なことをやったりするじゃない?
 バッカみたいって思うことでも、結構実際やってるときはそんなこと思ってないし、やっぱり直面すればそれな
 りに実感籠もって大まじめになっちゃうんだよね。
 それが後から見て不自然だったり無意味なことだとしても、そんなことそのときに生きている彼らにとっては
 なんの関係も無いことで、だからそっくり熱の籠もった良い生きている感じがあるんだ。
 今此処に居る自分に出来る限界はきっちりあって、それを広げよう深めようと思ってはいても、常にその
 小さくて狭い自分が面する世界はあるのだし、だからいつだってそのままのフル回転で生きて、そのときは
 だからどんなに自分の小ささ狭さを知っていても、それを超える現実の中で激しく生きている自分の体感
 がもう、すごいんだよね、きっと。
 
 ひとひらって作品は、やっぱりだからどうしても、小さくて狭い作品だと思うし、一個の文学作品としてだった
 らてんで評価できない作品だけれども。
 でも・・
 京四郎と永遠の空の感想を書いていたときにも思ったけれど、その評価するって仕草をやめちゃえば、そ
 こにはどうしても、今目の前にあるひとひらって作品が見えてくることは、やっぱりどうしても否めない。
 ひとひらの造作とか、或いは作り手の意識とか、そういうのはどうでも良いし、技術的なことも、勿論それ
 は評価することのうちにしか過ぎない。
 私は作品を見るときは、それがどんなに稚拙なもので口触りが悪いものであろうと、それよりもすっと自分
 の中を透明にして、そして心底真摯になってその作品を感じていくことで見えてくるもの、それだけを重視
 する。
 なんていうかな、今此処に居る私にとって、今一番目の前に迫っているものがなんなのかっていう、そう
 いうのをがばっと手を伸ばして掴もうとするとね、いつも必ずその作品の魂みたいなものに手が届いてしま
 うっていうか。
 別の言い方をすると、その作品を全肯定するっていうか、なんていうかな、もう無茶苦茶感謝できる気
 持ちを発露するだけというかね、ああ楽しいなぁ面白いなぁ凄いなぁって、たぶんなによりも深く広く、大き
 く強く感じていくことの中にだけ、その作品と出会う価値がある。
 だからそこまで行って、初めて技巧的な部分とか作り手の意識とか、「そういう」余分だったはずのもので
 も楽しめるようになって、あ、だから萌えとかもそういう楽しみに加担しても良い要素だと思うしね、そうすれ
 ばもっともっと、そうした外形的なものを含めた深くて広い体感を得ていくことができると思うのよね。
 
 うん、だからね。
 正直、ひとひらについては、そうやって評価的なことが自分の中で先行しちゃってて、で、その評価の中で
 も作画の良さとかストーリーのまとまりの高さとか、それこそ外形のなかの外形的な評価は良くできたも
 のだから、かえってそこに噛みついてしまって、それで結局そこを批判点として済ませてしまっていたと思う。
 だから肝心の、こちらの今此処でそれと向き合って、真摯にその作品の魂と出会っていくという姿勢が、
 ちゃんととれなかったのでしょうね、恥ずかしながら。
 確かに私が求めていたものをひとひらは与えてはくれなかったし、それが残念であるのは今も変わらない。
 そして今の私はどうやら随分と心が曇っているようでして、それでもなかなか今目の前に居るひとひらの
 体感をあまりまっすぐと受け取ることができない、いいえ、まっすぐ受け取らなかったのならそこで変化球、
 受け取れるように言葉を尽くすのが私の本領でしょが、と粋がる気持ちがどうにも弱い。
 どうにも、ひとひらの魂に向き合うことが、できない。
 それはね、だからひとひらが悪いんじゃなく、私が悪い。
 少しずつ、ひとひらの魂の流れは見えてきているし、自分の勘違いも分かってきたし、たとえば今回のお
 話なんかで一番しっくりきたのはさ、実はあの会長さんだったりして、そう、麦にまで呆れられちゃうほどの
 ノリっぷりというかバカっぷりというか狂いっぷりというか、あれなんかもでもきっとほんとノリノリで、そしてなん
 かもう心底本気であの仕切をやりきってしまっているんだよね。
 なんか凄く情熱的というか、確かにバカっぽいというかバカなんだけど、それを完璧にやりきって完全にその
 中身とひとつになりその魂と出会っているからこそ、あの会長さんの姿は本物だって思ったもの。
 で、ああいう人はざらにいるっていうか、普通にその辺に居るのが分かるから、おっ、って思う。
 そしてだから、勿論麦やのの先輩達の、その普通っぽいわざとらしさが、その体感を以て少しずつ私に流
 れ込んできている。
 でも、それは同時にその「普通さ」、或いは「等身大さ」というひとつの言葉で区切り型取り、そして、だか
 ら面白い、としか思えないのなら、それはやっぱり外形的な萌えだけでしかないと思う。
 そうじゃない、その区切り象った言葉としてのその「普通さ」「等身大さ」では無く、肝心のその言葉の中
 身である、その麦やのの先輩自体に対する体感を、その彼らの中の魂に感じられてこそ、初めてその
 言葉だけの外形的萌えにその命が宿るのだと思うな。
 うん、つまりね、ああやってバカみたいに大げさにわざとらしく演技がかってて、どこかそれによる陶酔感で
 しっかりノリきってて、そう、麦にしろのの先輩にしろ、そうやって高校生活という特別な時間を懸命に生き
 ている、というその彼ら自身の体感をね、そうやってわざとらしく生きている自分を見つめている彼ら自身を
 ね、感じたい、感じたいなって、なんか初めて今回思ったのです。
 そうだね、そういう意味でまた評価的なことを言えば、この作品は決定的にそうした自意識が登場人物
 の誰にも無いのが、ちょっとマズいところだったのかなぁ、とも思いますし、だから逆にその辺りのことはすべ
 て視聴者側に任せられているという意味で難しいのかな、とも思いました。
 で、それはね、だからあの会長さんだけはその意味で一線を画している、とも思うし、あの人だけがたぶん
 心底道化をやっていたのだと思うから面白いなぁって。
 ま、ぶっちゃければ、麦やのの先輩なんかは、とても普通でどこにでも居そうな人間でありながら、絶対に
 あり得ないほどに既に抽象的な人間であった、と言えるのかもしれませんね。
 だって、あの子らの姿は、あの子らを経験した「今現在大人」の視点から描かれてるんですもん。
 あんな素直な「だけ」の子達は居ません。
 ま、だからそこが面白いところじゃないの、それが萌えでしょ、あんたハ○カチ王子知らないの? と言われ
 たら、それもそうだねうふふ、と怪しく笑って答える私ですので、その、最終話まではいけそうです!
 よし。
 
 
 
 
 
 

 

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