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◆◆◆ -- 2007年7月のお話 -- ◆◆◆

 

-- 070729--                    

 

         

                           ■■姫の与えた忠誠に叫ぶ熱■■

     
 
 
 
 
 『ロボの仇を討て・・・・・私の分まで・・・・・・・お前は・・もっと、もっと強くなれる・・・・』
 

                            ~怪物王女 ・第十六話・アロンの言葉より~

 
 
 
 
 
 
 
 
 

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『焦る必要など無いのだがな。

 私の側に居る限り、いずれ巡り会うことができる。

リザの仇は必ず私を狙ってくる。

爪を研いで、来るべきその日を待っていれば良いのだ。』

 
 



 
 
 
 
 
 
 
 
 
 黒い夜の高みから遙かな無を目指して飛び降りるような瞬間。
 骨が軋り握る指先が弾け飛ぶ寸前のその闇との鍔迫り合いの連続。
 噛み絞める牙がすれ違い様に互いを支える歯茎を切り裂いていく。
 勢い良く流れ出る血流が唇を紅く濡らしたとき、ようやくその不甲斐無いぬめりに気が付いた。
 無謀にも無意味にも似ていないその拳の突き上げが闇を切り裂くたびに、その手応えのあまりの確かさ
 にたとえようも無く嫉妬する。
 なぜだ、なぜこれほどまでに力が漲るんだ。
 どうしてこの闇は、これほどの無を誇りつつ、私に永劫殴られ続ける事ができるんだ。
 歯応えがあり過ぎる。
 お前ほど魅力的な戦いの相手はいないぞ。
 決して空振る事の無いこの拳を振り回し続け、どれほど疲労し倒れ伏しても、またすぐにぶっ倒してや
 ろうという想いを沸き起こらせ、ほとんど永久的に私の戦闘意欲を掻き立てる。
 倒せども倒せどもキリは無く、そしていつのまにかお前は私を独りにする。
 私は一体誰と、なにと戦ってるっていうんだ。
 途切れる事の無い闇との戦いが、無限に戦いそのものへの欲求しか私に与え無いことを知覚していく。
 決してくたばる事の無い敵、そして決して私が倒す事の出来ない敵。
 振り抜いた拳の先から、一滴の汗も飛び散っていかないのを見つめていた。
 
 - ぬらり
 
 怖気を感じるよりも早くに、そして寒気よりも遙かに遅れて、その吐き気はやってくる。
 どろどろに蒸発した熱量が、すべて体の内壁をなぞりながら、ぐるぐるとすべてを破滅させる勢いで循環
 を繰り返しているのを感じた。
 もはやそのあられもない熱気は、私そのものを内から溶かし出しているゆえに、その悪寒に満ちたぬめり
 を魅せて、どろどろと残酷に蠢いているのだろうか。
 汗ばむ体内で感じる鼓動の気まずさが、どこまでも私をずるずると引きずっていく。
 なにを、やっている。
 なにを、
 
   な に を、
 
        な  に  を !

 
 炎よりも熱く私を炙り、太陽よりも凄まじく私を焦がす濡れた闇に拳を差し入れ、その指先に込められ
 た力をゆっくりと解き放つ、その一瞬一瞬がなによりも私を怒りで震えさせていく。
 しかしその愚かな振動がまた、絶え間無い私の戦いを促進させ、その無意味で淫らな戦闘の歓喜は
 絶えることが無いんだ。
 殴っても、殴っても、届かない。
 闇に距離は無く、既に私そのものが闇の欲望に囚われているんだ。
 何者も生存しない饒舌な闇夜に右ストレートを這わせ、返す拳で裏拳を叩っ込む。
 果てしなく空を切るその音が、姿の見えない敵の絶叫となり、その拳は確かに無色の血を纏っていく。
 なんだそりゃ。
 おい!
 誰か。
 
 闇より歯応えのある奴は居ないかっ!
 
 
 
 
 ◆
 
 来る日も来る日も鍛錬ばかり。
 トレーニングは嫌いじゃないし好きではあるけど、だからってトレーニングのためのトレーニングをしてる訳
 じゃ無い。
 別に誰にそうせよと言われている訳でも無いし、だから自分で決めてやってる事だから文句も何も無いが
 、だけどこのままでいいとも思えない。
 そして、そうやって私らしくも無くうだうだと考えているときに限って敵が襲ってきて、半歩出遅れ歯ぎしりを
 ひとつふたつかまして駆けつければ、なんの事は無い、すぐに逃げ出すような弱い敵ばかり。
 私がなんも考えずにしっかり鍛錬やってりゃ、ちゃんと私が求めてる王族関連の奴が来るかと言えば、
 そんな事はやっぱり無く、かといって気を抜けばこうして久しぶりの戦いに出遅れ嫌なおもいをし、そして
 その苦虫を噛み潰して憂さ晴らししようとふと見てみれば、さっさと逃げ出す雑魚敵ばかり。
 私はどうすりゃいーんだよ。
 兄貴の仇を討つ事もできなけりゃ、憂さ晴らしをする事もできない。
 こうして無為にひとり牙を研いでいて、なんになる。
 いや、なんにもならないからこそ、それが魅力になってしまっているじゃないか!
 牙を研いで磨いて、それで自分の唇を噛み切り血の味を愉しんでいるだけだ。
 相手だ。
 私には、戦う相手が必要だ。
 ひとりでサンドバックを殴りつけていても、ひとりで峠を征服し尽くしていても、ひとりジェットスキーで風を
 感じていても、私がぶつけるべきエネルギーはすべて結局私のうちに戻ってくるだけだ。
 私にゃ、そういう趣味は無い。
 満ちる力に感動するのは、それをぶつける相手が居るとわかるからだ。
 ふつふつと滾る、この身を焦がさんばかりの熱気を、早く受け止めてくれ。
 誰か、私にその絶大な力を沸き起こらせてくれ。
 目の前の強大な敵の存在こそが、私の体を真に熱く、至高なる戦いへと導いてくれる。
 誰か。
 誰か居ないか!
 
 
 それなら、なんだ。
 誰も目の前に居ないのに、今確かに私の内で激烈を極めているこの血液の逆巻は。
 
 
 
 
 暗闇に打ち込む拳は止まらない。
 違う、そうじゃない。
 私のこの行動は、至高の戦いなんかじゃ無いんだ。
 この熱い感情は、ただただ強い敵を求めてのもの、ただそれだけのもので、その敵が目の前に存在した
 ときに感じるものとは、全然違うものなんだ。
 私は・・・ただ・・・闇に踊らされているだけ・・・・
 いや・・・・それなら・・・・強敵を前にしたときの熱情だって・・・その敵に踊らされた結果じゃないか・・・
 同じ・・・・・なんだな・・
 相手との戦いにうち興じようと、ひとりで闇に拳を突き上げるのを愉しもうと、同じじゃないか。
 違う・・・違う・・・・・考えるな・・・・・
 じゃあ・・・・・どうしたら・・・いいんだ・・
 
 
 『あぁもう! やってられるかぁ!』
 
 
 
 負け犬の雄叫びを嗅ぎ付け、やがてゆっくりと強敵が現れた。
 そして。
 闇の向こうで、その敵はファイティングポーズも取らずに、ただ静かに語り始めていった。
 
 
 
 
 -- 汝の敵は、敵なり
 
 
 
 
 
 ◆◆
 
 私は、兄貴の仇を討ちたかった。
 そして、姫と一緒に居れば、いつか必ずその仇と会うことができると思っていた。
 事実はきっとそうなんだろうし、私が無闇に探し回るより、そうして待っている方が確実なんだ。
 でも、それでは・・
 そうして待っている間、私はなにをすればいいんだ。なにが重要なんだ。
 仇と出会ったときにそいつをぶっ倒せることの出来る力を得るために、厳しい修行をすることか。
 だが、その修行をずっと続けても、それがその仇と出会えることと直接繋がる訳じゃ無い。
 そうなんだ、だからな、私が悩んでいるのは、本当は仇に会うまでなにをしていれば良いのか、では無く、
 そうして待っている間にすることがどうやったらその仇との出会いに繋がる事になるのか、ということにあった
 んだ。
 とにかく強くて怪しい奴が現れて、そいつをなかなか倒せなくて、そしてそいつを倒すために修行して、
 ようやくそいつを倒したらそいつは私の仇の王族に関係のある奴で、そこから糸を手繰って次々と戦って
 いくことができたりとか、そういうのが一番わかりやすくて良かったんだ。
 私の努力が、結果に直結するような、そういう手応えが欲しかったんだ。
 
 だげど、わかってたんだ、私は。
 それが、そうしてわかりやすい「結果」を得ることが、目的な訳があるもんか、と。
 
 私は戦士だ。
 ただ戦っていられりゃ、それだけで愉しい。
 でも、愉しいからこそ、よりそれを愉しむためにはどうしたらいいのかと純粋に考え、そしてその欲望のま
 まに色々とお膳立てをしたり、理屈を付けたりするんだ。
 私は、兄貴の仇を討ちたい。
 だから、ただ戦ってるだけじゃ断然物足りないし、それどころか、それだけじゃ駄目だ、なんにもならねぇ、
 とただ切実な焦りが日々の鍛錬の愉しみの価値をさえ薄めてしまっている。
 だから、私は気付いたんだ、姫と出会って。
 私は戦士ではあるが、また同時に、私は戦士の愉しみを知っているひとりの半人狼だ。
 戦士の愉しみを知るからこそ、それが、それだけが私のすべてでは無いことを知っている。
 そして、そうだからこそ、愉しみのうちのひとつとして、最も私が愉悦を感じることのできるものとして、
 その戦士としての愉悦を改めて愉しんでいくことにしたんだ。
 別に、姫の奴はどうだっていいが、姫の屋敷に来てから、色々と楽しいことが多くなってきた。
 ヒロ達と一緒に過ごして、色々と愉しめた。
 そう。
 だから、そんな私の姿を見て、叫ぶ私が居た。
 兄貴の仇討ちはどうしたんだ、と。
 愉しく戦士として戦っていればいるほどに、その後ろめたさと焦りは増幅されていき、しかし、しかしな。
 やっぱりどこかそれは空虚でどこかぽかんと底が抜けていてな、あんまり現実感の無い焦りだったんだ。
 というより、私はその自分の叫びの意味を知っていたんだ。
 それは、決して本質では無いんだと、戦士としての純粋な愉しみに勤しむ事自体は、決して否定される
 べきものなんかじゃ無いのだと、だからその後ろめたい罪悪感はきっと、私のその戦士としての生を怠け
 る、ただの卑怯者の言葉にしかならないんだと、私はしっかりわかっていた。
 兄貴の仇は討つ、だが、そのために日々を愉しく生きないでいるのは怠慢だ、と。
 
 私は兄貴の仇を討つことに励んでいるという実感、それを保証してくれるささやかな証を欲しがった。
 強い敵と戦い、王族に連なる者達と対峙し、兄貴の名を叫びながらそいつらとの死闘の中に確かに
 飛び込んでいっているという、その証明としての「結果」が欲しかったんだ。
 な、おかしいだろ。
 私はそんなものを得たいがために、兄貴の仇を討つのか。
 そんなことのために、毎日トレーニングをしているのか。
 まるで私の見栄のために、「兄の仇を懸命に討とうとしている健気な妹」という姿を守るために、私は
 これからずっと生きていこうとしているかのようだな。
 けっ、笑わせんな。
 私は・・・
 そうだ・・私は・・・・・・
 
 
 兄貴のように強く誇り高い戦士になりたいんだ!
 
 
 アロン、あんたの言葉に救われたおもいだ。
 あんたが兄貴の話を聞かせてくれ、私が思っていた私に対する兄貴の想いが、寸分違わぬ事実だった
 ということをこそ証してくれた。
 私の知っていた通りの兄貴が、目の前に顕れた。
 兄貴・・・
 喧嘩ばかりしていたが、でも私は兄貴の芯にあるその強さと誇り高さを、なによりも尊敬していた。
 そしていつも必ず私の事をしっかりと考え想っていてくれる事がわかってしまう、そういうのが嫌で、
 だからつい突っ掛かっていってしまったことさえある。
 そして最期も、私のために・・・
 
 
 『戦士にとって、主君は絶対の存在。 あいつは、真の戦士だった。』
 
 ああ、アロン・・・私も今はわかるよ・・・
 兄貴、ロボ・ワイルドマンは、本当にそういう奴だった。
 だから・・・
 
 
 自分と、ずっと戦っていた。
 戦って、戦って、その苦しさとどうしようも無さ、それにいつしか囚われていた。
 どうすればいいのか、心底わからなくなったんだ、わかってしまうことがありすぎて。
 私はそんなことには惑わされないと心掛けながら、結局はどうしようも無く惑わされていた。
 最終的には、自分がなにに惑わされているのかさえわからなくなってしまった。
 あんなに、なにもかもわかり切っていたのに、そのわかり切ったまま、なにもわからなくなってしまった。
 拳を振るい、肌の内側を伝う汗が恐ろしく、誰にも届かないままに、それでも必ず心地良い手応えを
 感じてしまうこの拳の中に満ちる力が、ただただおぞましかった。
 私には、敵が必要だった。
 私にとって、敵は私自身だ。
 私の前に現れて来てくれる敵たちは、だから私にとって大切な「他者」だった。
 私はその他者達と戦うことで、その快楽をもとにして、その私自身と戦っていくことができるし、そして
 私自身と戦うということは、すなわち、自分との戦いに囚われる愚かさから抜け出すという事でもあった
 んだ。
 
 湖面を這う風が背筋を舐めあげ、剥き出しの足首でなぞる全身の重みが堪らない。
 赤々と炎に照らし出された白い肌が、ふつふつと音を立てて滑らかに上気していくのを見つめていた。
 兄貴・・・兄貴・・・・・
 私は・・・・兄貴の妹で良かった・・・
 アロンの話を聞いて、涙が出てしまうのを止める事なんでできなかったよ。
 アロンは言ったよ。
 私も、兄貴みたいな戦士になれるって。
 嬉しかったよ、本当のほんとうに、狂うくらいに嬉しかったよ。
 兄貴・・・私は・・・・兄貴みたいに・・・私を大事にしてくれた・・・兄貴みたいな戦士に・・・なりたい!
 私はだから・・・・・兄貴を目指して、戦って、トレーニングを積んでいくことができるよ。
 そういった戦士としての生活が、等しくひとりの半人狼の女としての生活の中に溶け込んでいく気が
 するよ。
 私の敵は、私。
 だから、敵はいない。
 いや、そうじゃない。
 敵がいないからこそ、敵を求めて、日々愉しく生きることができるのじゃないか。
 兄貴みたいになるために、兄貴を越える戦士になるために、私は強い敵を求めていくんだ!
 
 『会えて良かった。』
 アロン。
 『また会えるかな。』
 
 あんたを越えるためにも、また会いたい。
 
 
 
 
 
 
 
 --
    それは、違うな、リザ。
 
 
 
   『必ず会える。』
 
 
 
 
 おまえとわたしがいるかぎり
 
 
 
 
 
 
 
 ◆◆◆
 
 ・・・・・・
 
 私は王族の親衛隊員だ。
 王族の或る御方に絶対の忠誠を誓う者だ。
 私はおまえと共にいる姫様を殺せと命じられ、私は私の名にかけて、その命を全うする。
 それは絶対だ。
 親衛隊としての誇り、それがあるゆえにだ。
 私は戦士だ。
 自らの戦う理由のために、すべてを注ぎ込む存在だ。
 戦いに愉悦を得、それを倍加するために戦う理由を語り、そしてそれで得たものを自分が目指す存在
 へと至る階段を昇るための糧として捉えゆき、そしてまたそれが戦う理由となり、その戦いの快楽は深み
 を増していく。
 だが、それは嘘だ。偽物だ。
 言っただろう? 戦士にとって主は絶対だと。
 リザ。
 おまえの主とは誰だ? 何だ?
 
 
 『おまえは、なんのために戦っているのだ。』
 
 
 戦いの悦楽を求めるのが戦いの理由ならば、それを深めるための「戦う理由」は、絶対的になって
 いかなければ、それは須く嘘だ。
 そうだろう?
 おまえは、自分が強くなりたい、兄のようになりたいという理由が、その最も深いところにある動機では
 無いことを、既に論理的にわかっているじゃないか。
 今一度、問う。
 リザ、おまえは、なんのために戦っているのだ。
 なんのために強くなりたいと、兄のようになりたいと思ったのだ?
 わからぬというのなら、教えてやろう。
 
 
 『主君の命令は絶対だ。 戦わないのなら、私はリザを倒す。 姫様を倒す。』
 
 
 汝の敵は、敵なり。
 
 おまえのその体だけは、その言葉をいつも誰よりも愛している。
 その深い罪を、知りながら。
 
 
 
 
 
 
 
 ----
 
 『私が・・・戦う理由は・・』
 
 『私が戦う理由・・それは・・・・・』
 
 
 
 『兄貴の仇を取るためだっ!!』
 
 
 
 
 
 
 
 ◆◆◆◆
 
 ・・・・・・
 
 夜陰に紛れていた月が、恐怖に歪み戯けたその顔を魅せていく。
 海よりも深い静寂に堕ちた森林の中の蒼いざわめきが、私の胸をゆっくりと上下させていく。
 怨みが無いと言ったら、嘘になる。
 そして。
 その嘘を吐くこともできないくせに、その怨みから離れていこうとするのは欺瞞なんだ。
 兄貴を追い詰めた奴らを、私は死んでも許さない。
 私は・・・
 その怨みのままに戦い殺し続けていく事を、不毛だと思ったことは無い。
 その怨みを晴らせば、きっと兄貴の無念を晴らすことができると信じていたのだから。
 そのときの私の胸の中には、激しい息遣いを撒き散らしながら、確かに兄貴の魂があったんだ。
 兄貴を奪われ、そのための復讐に燃えることで、私は確かに兄貴を求めることができていた。
 
 だけど・・・・私は・・・・
 アロンと会うまで、兄貴のことを・・・いや・・・「もう死んでしまった兄貴」の事を知らなかったんだ・・・
 兄貴との思い出の世界に立ち返り、そしてもはや思い出の中でしか会えなくなってしまった事に怒り狂
 い、そしてその悲しみと絶望と、そしてなによりも深い悔しさが、私の瞳の中に雲を呼んでいたんだ。
 私は、その私の感情しか、見ていなかった。
 そしてその事を姫と出会って初めて知ったんだ。
 だから、私は初めて、「もう死んだ兄貴とは会えない妹」の事を知り、そしてようやくそのときその「妹」に
 私はなることが出来、戦士としての純粋な愉しみを得ながら生きていくことが出来たんだ。
 姫には・・・・感謝してる
 だけど。
 それで良い訳では、いや、それだけで良い訳など無かったんだ。
 私はそれを、ずっとずっとわかっていたんだろう。
 どうしようも無いほどに、体の奥底に閉じこめられ凍り付かされた、その大事ななにかが、その微かな
 重量自体を以て私にそれがあることを魅せ続けていたんだ。
 
 兄貴は、死んだんだ、本当に。
 
 私の怨みなど、関係無い。
 兄貴は、もういない。
 そして私は、兄を失った妹である私の実感を、どうしようもなく果てしなく感じているんだ。
 私は、戦士、なんだよな。
 戦士が、なぜ戦うのかと問われたら、なんと答えるのか。
 ・・・・。
 そんな事もすぐに答えられないほどに、私は未熟だったということか。
 戦士が戦う理由を問われて、戦うのが愉しいから、などと答えるもんか。
 私は戦士である前にひとりの半人狼だ、それは間違いない。
 だから戦士としての私は、そのひとりの半人狼としての私の一部でしか無く、だから戦士としての愉しみ
 もまた、私の人生のうちの愉しみのうちのひとつにしかすぎない。
 けれどその愉しみこそが、最も熱い快楽を私に与えてくれるからこそ、私はそれに夢中になれるだけ、
 だからそれは裏を返せば、それがすべてでは無いし、まただからそれに拘る事も無いと。
 だが、それは違ったんだ。
 その考え自身もまた、それに拘っているものであり、そしてそれも拘るべき事では無かったんだ。
 戦うのが愉しいから戦う?
 そう思いながら戦って、なにが愉しい?
 私は確かに戦いの中に愉しみを見出しているが、だけどそのために戦っている訳じゃ無い。
 逆にそうして戦ってしまえば、それに見合う程度の愉しみしか結局手に入れる事はできないんだ。
 
 だから、絶対なんだ。
 拘りあるものに対して、絶対的忠誠を誓うことで得られる、その絶頂は。
 
 私はもう怨みの感情のままに、それを理由にして戦うことはしない。
 だから愉しみを求めて、しっかりひとりの半人狼の戦士として生きていくと決めた。
 そして。
 その愉しみを求めるからこそ、愉しみを得ることを戦いの理由には据えないんだ。
 より深い愉悦を得るために、愉悦を捨てる。
 愉悦を捨て、禁欲的に盲目的に、そして絶対的に「戦う理由」に忠誠を誓い、その一心不乱の戦い
 の結果として、無上の愉しみが顕れてくるだけなんだ。
 自分と戦うために、敵と戦う。
 自分が愉しみを得るために、誰かの、なにかのために、それだけのために、戦う。
 だから、戦士の真の愉しみを知っている者は、愉しむために戦ったりなどしないんだ。
 そして・・・そいつはきっと・・・・
 そうして絶対的忠誠を捧げ、盲目的に戦っていくことの悲劇を、罪を、誰よりも何よりも知っているんだ。
 
 
 アロン・・・・兄貴・・・・・
 
 私の敵は、やっぱり敵だったんだな。
 
 
 私の外に敵を作ることで、私はひとり落ち着きを得る。
 その事の愚かさに目を背ける前に、それで出来る事を考えることを私はしなかった。
 それがすべてでは無い、だがそれがすべてである事も理解しなければ、わからないことできないことも
 あったんだ。
 私が私のことを考えないために、敵を倒す事に集中する?
 それ以前に、その私に考えられる私ってな、いったいなんだ?
 私には、そんな私なんぞはじめから必要じゃ無い。
 私なんて、はじめっからいらないのさ。
 だって私は私なんだから。
 私は名乗るまでも無く、リザだ。リザ・ワイルドマン。
 
 兄貴・・わかったような気がするよ・・
 私が兄貴を目指して生きていくのは、たぶん間違った事じゃ無い。
 でもきっと、その私が目指しているのは、「兄貴」であって兄貴じゃ無いんだ。
 兄貴の強さと誇りだけを見つめていれば、それがどこから来ているのかなどわかりはしない。
 兄貴のあの強さと誇りは、兄貴の悲しみと苦しみとその罪と切っても切れない関係にあったんだ。
 私が兄貴を目指せば、それは・・・・
 きっとそれは・・・・
 
 私が、兄貴のために兄貴の復讐を果たすことになっていくんだ。
 
 私が戦う、その絶対の理由はそれなんだ。
 私が兄貴を目指すということは、やがて兄貴と同じような苦しみや悲しみ、そして罪を背負っていく事に
 なる。
 兄貴のあの強さと誇り高さは、私をそのとてつもない瞳の熱度で見つめているからこそあり得たんだ。
 そしてそれはたとえようも無いほどに苦しく悲しく、そして最も激しい罪を纏っているものなんだ。
 そんな、兄貴のために。
 私は戦う。
 そして、だから初めてこう言える。
 そんな、兄貴のように私はなりたい、と。
 たぶんそれで、私の中のすべては、ひとつに解決する。
 
 アロン・・・アロン・・・・!!
 私は・・・・あんたの苦しみと・・悲しみも・・・・罪も・・・・・知った・・・・
 だから私は・・・あんたのためにも・・・・・
 
 
 私の名は、リザ・ワイルドマン。 偉大なる戦士ロボ・ワイルドマンの妹!
 そう、なんだ。
 私は兄貴の仇を討つ。
 私にとっては、それの不毛さと罪深さを論じる前に、その尊敬する兄貴に死なれた妹として、絶対に絶
 対にやるべきことがあったんだ。
 兄貴の仇を討つために戦い、鍛錬を積み。
 しかしそれがすべてである愉悦が私の身を捉えても、その苦しみと悲しみが私を包んでも、決してそれ
 で私が消えて無くなる訳じゃ無い。
 私は、兄貴の仇を討つために戦ったり、鍛錬を積んだりしない。
 私は日々の愉しみとして、戦ったり鍛錬を積んだりする。
 だからもう、焦ったりしないし、悩みもしない。
 そして。
 私はもう、知っている。
 私の胸の中には、確かに復讐に燃える魂があることを。
 鍛錬に励み、戦いに臨むたびに、その神聖な熱度が鎌首を擡げることを。
 私は、復讐のために戦ったりはしない。
 私は、復讐のために生きていく。
 そして、生きているからこそ、復讐者の自覚が決して消えないからこそ、それを大切にし、そして、それ
 以外のことにもしっかり生きていこうと思う。
 それだけが、きっと。
 私の、私自身に対する罪を償うことになっていくと思うんだ。
 
 
 
 そう私は、兄貴の墓の前で死んだアランに、誓った。
 
 
 
 
 
 『王座を巡る戦いなんて・・・糞食らえだぁーーっっ!!』
 
 
 
 
 
 
 
 私はまだ、生きている。
 
 
 
 
 
 
 
 
 ◆ ◆ ◆ ◆
 
 感情的なヒトほど、言葉を大事にする。
 論理的なヒトほど、感情的なことに憧れる。
 自分の中にある感情は決して消えることなど無いけれど、そう思えることはあるし、またそうでは無くても
 ぐちゃぐちゃにこんがらがって、訳がわからなくなってしまうことはある。
 感情を大事にしているヒトは、きっとそもそも「感情」なんて言葉でそういったものを括ったりはしなく、
 既にそれはいろいろと語ったり説明したりすることで、ちゃんと形を顕してくるなにか、として捉えられてい
 るだけなんだと思う。
 
 私はさ、リザは好きさ。
 姫の次に好き。
 たぶん姫とは、「私」ってものの捉え方が根本的に違うのだろうし、ぞくっとくるくらいに本質に近づいちゃう
 ところとかすごいと思うし、本編でリザがごちゃごちゃと思考する部分は描かれないけれど(姫もよく考えた
 らそうだけど)、きっとリザはものすごく沢山の言葉を頭の中に犇めかせているのだろうなって思う。
 なぜかって?
 それは、リザが自分の中にあるもの、人はそれを指して感情というもの、それがよくわからなくなってきた
 ときに、一心不乱にその代わりに言葉を使って問題に立ち向かっていこうとするから。
 リザはさ、自分の感情を言葉として「説明」しようとはしないんだよ。
 というか、感情ってやつ自体が、リザにとっては説明の対象では無く主体な訳で、だから感情をそのまま
 言葉に換えることで、それは立派な説明の道具になってるんだよね。
 で、その道具としての感情がうまく機能しないときに、苦手な言葉の方を使って色々説明していこうと
 する。
 だからたぶん、リザなんかは苦しければ苦しいほどに考えてるのだろうし、そしてね。
 
 そうすることで、すっくと胸の中にあるなにかが、その言葉の向こう側に顕れてくるんだよ。
 
 私さ、「感情」とか「論理」とか、そう言った二項対立的な捉え方は好きじゃ無いのね。
 リザなんかさ、感情と言葉と、そのどっちもがあるひとつのものを指し示しているよね。
 それは真実とか真理とかそういうものなのかもしれないし、そうじゃないかもしれないけれど、たぶんそうい
 うものだと確信できちゃうようなもの。
 言葉自身は真実にはなり得ないし、また感情だってそれだけじゃなんにもなりはしない。
 でもね、それらをしっかり使って、その統合したものの「場」としての「私」というものを自覚した瞬間に、
 その言葉と感情は、きっと真実を指し示すと思う。
 
 
 ってまぁ、語り方を変えると途端に自分がなにを言えばいいのかわからなくなる有様で恐縮です。
 本文の方だけ読んで頂ければよろしいかと存じますです、はいはい。
 こうして後書きは失敗をしたり失敗してるのを気づいてるのに押し通るを繰り返して、ヒトは成長して
 いくものなのですよ、きっと、そうあってほしい。お願い。
 で、ええ、今回はリザが主役のお話なので、ほかに姫の無言の怒りっぷりとか見所はありましたけれど、
 基本的にはリザ姐さんでお願いします、な感じでした。傑作でした。
 リザさんは私も好きですから、ここぞとばかりにたっぷり書いてやれいひひ、という意気込みでしたらあら不
 思議、分量だけで中身さっぱりという空洞ぶりを披露してしまいました反省はしています。
 論理的に筋道を立てるのでも無く、体感的なことを並べ立てどろどろにむしろ艶っぽく描いていくでも
 無く、それじゃ打つ手無しじゃんかよ、とひとりクレームとその応対に明け暮れているうちに時間だけが
 ぐずぐずとすぎてしまい、結果的に私の書きたかった、言葉を必死に綴っていくうちに出口(もしくは入り口
 )に辿り着いていくリザの感じを、つまり論理的でも感情的でも無いただの中途半端、という消去法的
 な形で表した(表せてません)事になってしまいました。 ちょっと自分が悲しくなりました。
 
 ということで、今回は私の力及ばず残念な限りでしたけれど、この傷は本編の視聴で癒したいと思いま
 す。
 かーっ、やっぱりリザ姐さんカッコいー!
 それでは、すっかりノリが訳のわからない方向にいってしまいながら、また来週お会い致しましょう。
 来週もリザ話だったらいいな♪ (←次回予告見てなかった人)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
                                ◆ 『』内文章、アニメ「怪物王女」より引用 ◆
 
 
 
 

 

-- 070725--                    

 

         

                               ■■ 時をかけたい瞳 ■■

     
 
 
 
 
 ごきげんよう。
 
 
 前略。
 
 奥様、お聞きになりまして?
 あのマリみてアニメの第4期の制作が決定して、おまけにそれはOVAでは無くTVAの可能性もある
 らしくてよ?
 ・・・・。
 マ  ジ  で  ?
 あら、取り乱してしまいまして、ごめんなさい。
 でも、本当にほんとうなのですか? あの夢にまで見たマリみてアニメの続編がテレビでまたやるというの
 ですか?
 もし本当ならば私は・・・・・・死んでもいいです
 
 でもお待ちになって。
 他の方々はいざ知らず、私はOVAとして既に出ている第3期を観た事がありませんのよ?
 おまけに私は原作小説の水に合わず、媒体如何に関わらず、第2期と第4期の間に当たるお話を
 全く存じませんの。
 ということは、第4期を観てもお話がわからないという事態が起きてしまうのです。
 これは、どうしましょう、いえ、どうしたことなのでしょう。
 もし本当にTVAでやるとしたら、こういった私のような立場の方、つまりマリみてはアニメのみで、かつ
 OVAには手をお出しにならない方々というのは結構いらっしゃると思うのですけれど、その辺りはどう考慮
 されているのでしょうか。
 まさか全くの無視、ということは無いでしょうから、私としては、合理的に考えた場合に、やはりTVAとして
 では無く、OVAとして第4期はやるのではないか、とそう思わずにはいられません。
 なんだか、悲しい気分になってしまいました。
 マリみてなんて、OVAで勝手に盛り上がっていればいいのよ!
 取り乱してしまいまして、誠に申し訳ありません。
 
 ・・・・。
 あ、そか、ケーブルとかで第4期開始記念とかで、第1~3期一挙放送とかやってくれればまだ・・・。
 や、でもマリみてって全然放送される気配無いし、ましてや第3期は出たばっかりだから厳しいかな・・・。
 
 ま、まだ諦めへんっ! (涙をこらえながら)
 
 なにがしたいのか、自分でもよくわかりません。
 
 
 
 ◆
 
 今週のガラテア様。
 ということで、クレイモア話。
 って、ガラテア様弱っ。ていうかダフ強っ。
 前回あれだけカッコ良く妖力解放して、全クレイモア中最高の解放力があるというその意気込みで、
 今週初めて現したそのお姿はボッコボコ。杭ーっ。ダフの吐いた杭がお腹にーっ!
 ダフって結局超強くて、ガラテア様はただトリッキーなだけで、地力ではダフに負けてたってこと?
 リフルは全然手出ししてなかったみたいですし、だから純粋な一騎打ちでこれだけ差が出てるという事
 は、思ったんですけど、ナンバー3でこのザマということは、一体どれだけクレイモア側は覚醒者側に対し
 て劣勢なのかって事です。
 という感じで、ガラテア様のあまりの不甲斐なさに百年の恋も醒め果て、早くも情勢を鑑みて寝返りの
 機を窺いたくなる心持ちになりましたけれど、まぁ待ち給え。
 ガラテア様は確かにダフに負けました。しかしガラテア様はそれだけの御方ではありますまい。
 「節度有る、見事な妖力解放だったわよ」byリフル
 ダフにやられたお腹の傷が、それを回復するシーンを見せる事無く回復していたり(笑)、その後の頭脳
 プレイなど、むしろ負けてもそれで諦める事無く、敗者にはまだ生き延びるための戦いがあるみたいな、
 その見事な百戦錬磨ぶりが、こう、カッコ良く、しかも決して泥臭く無いところとか、あ、贔屓してるだけか。
 でもリフルに言わしめたように、凄く見応えがあるというか、仲間って大事よね、っていうか、なんかそういう
 感傷というか、あと最後のお約束のように組織に連れ帰るべきクレアを陳腐な理屈を付けて見逃して
 あげたりとか、ガラテア様やっぱりついていきます、みたいな、もういいですか。
 
 で。
 ダフ&リフル。
 ぎゃー、リフル怖っ。夢に見そう。
 正体を現すとは思ってたけど、まさかあんな海坊主みたいな、目だけ紅くらんらんとしてるって、怖っ。
 んでも、ダフ危機一髪のときにしっかり出てきて、一応私の男なのよ、ってリフル素敵過ぎ。
 正直、あーこの感じだとダフやられちゃうなー思ってて、だからいよいよのときにもクレア達よりもダフを応援
 してて、むしろリフルが助けてくれないシーンが怖くて見てられないから、ダフ頑張れっていう、なんか色々
 本末転倒してたりして、でも結局リフルが助けてくれて、なんだかもう心の底からほっとしてる私がいます。
 どなたか私の心理分析とかやってくださいませ。
 それとリフルが色々(仲間とか友情がどうとか)愉しんでいたようなので、なによりです。
 笑顔が時々怖かったけれど、そんなリフルが好きです。
 とまぁそんな感じで、ダフ&リフル萌えな紅い瞳で御座います。
 これからも幸せに覚醒者づくりを通して仲良くしていってくださいね。 (ぉぃ)
 
 あと、クレアがジーンに言った、「戻れ! おまえならやれる!」「限界を超えても戻ってこれる確率は
 ゼロじゃ無いんだ!」って辺りのセリフにはジーンときました。 (駄洒落禁止)
 
 
 
 ◆
 
 ダーカーザンがいい。黒の契約者。
 OPとEDが変わってしまったのは残念でならないけれど、って、変わったあとにOPのボーカルの人が西川
 貴教だったって事を知ってちょっとびっくりしてたりとか、あ、また別の角度であのOPが愉しめるなぁって、
 OP変わりましたから! 気づくの遅いですから! ってな感じ。
 で、OPもすごく絵と合ってて如何にもダーカーザンって感じで良かったんだけど、やっぱり私的にはED。
 前にも言ったけれど本編を見終わったあとに、あのなんかだーっと広がっていく星空に吸い込まれてく
 ような感じで思わず口ずさめちゃう、そんなあのEDが大好きだったので、変わってしまうとがくっとね。
 でも新しいOPとEDは、だから最初聴いて観たときには良く無いなぁなんか違うなぁ思ったけど、2回目
 からはなんとなく、ま、これはこれで観て聴いていってみようみたいな、EDはまだ無理だけど、OPはなんか
 結構耳に残るフレーズだよねダーカーザンと合うかどうかはともかく、みたいな感じで外堀からゆっくりと埋
 めていっているところで御座います頑張ってます。
 
 で、本編のお話。
 んー、アンバーの能力って、予知の方はわからないけれど、もうひとつのは時間を止めその中で自分と
 デコピンした相手だけは動けるって奴なのかな?
 それで対価は、幼くなるってこと??
 回想シーンと現在とでは、背丈が違うし声もやや現在が高くなってるし、また払える対価に限りがある
 というセリフからも、たぶんそういう事なんだと窺える。
 で、アンバーは色々と銀と黒へ引っかき回してくれるものだと期待していたのだけれど、思ったほどでは
 無く、まぁアンバーはこれくらいかな取り敢えずミステリアス分は補給出来たかな、とか自分でも訳のわか
 らなないまとめかたをして終了。いや別に不思議でもなんでも無いんですけど。
 
 今回のお話のミソはアンバーというよりは、マキですね。
 あの少年の必死さというか、そういうのがなんかふらっときて、それで彼のアンバーに対する慕情の切実
 さが彼にあるがゆえに、ぽっと一歩飛び退いて、まず自分を見つめ、そして愕然とする自分を見つける。
 マキは自分の中にある感情と呼ばれるものが、そのアンバーに対する慕情しか無く、だから彼はそれだ
 けでは決してアンバーにより近づくことは出来なく、もっともっと自分の気持ちというのを「作りたい」と、
 だからまずは言葉という「形」から入ろうと、言葉なんてただの羅列としか思えない彼だからこそ、現在
 少なくとも自分の中に必要な感情を産み出すためにも、その言葉を重ねて言い、如何にそこから感情
 を作り出すことができるかを重ねていく。
 その方法自体もアンバーに勧められたものであるゆえにマキには価値があり、でもだからこそ、そのやり方
 を忠実にこなしマスターしたとしても、そのアンバーの掌の上から逃れる事はできず、結果それは、「アン
 バーに与えられたアンバーに対する慕情」しか得られないと、たぶんどこかで確信している。
 でもアンバーの言いつけだから。アンバーに言われた事ならなんでもする。しなくちゃいけないんだ。
 これがマキのジレンマ。
 そしてさらに、そうやってアンバーのいいなりになって居ても、実際アンバーの掌の上とは関係の無い、自
 分なりの感情を手に入れることが出来ているように感じてもいる。
 言葉を重ねるほど、喋れば喋るほどに、その言霊そのものが、マキの中に感情を産み出していく。
 「アンバーに相応しい契約者は僕なんだ・・・・・なのに」
 マキは、自分の言葉が「作った」ものを証明しようとし、そして死んだ。
 言葉は真実たり得ず、ただ真実を無言で指し示す。
 マキの中にはきっと、そうやって自分の感情を語り続けること自体しか残らなかったのかもしれない。
 最初からあるべきはずの感情が無かったマキは、その感情を言い表す事を愉しむことは不可能だった。
 なにも無いものを、誰かが作ったその感情を言い表した結果としての無味な言葉を示すことで作り出そ
 うとすることしか、マキにはできなかった。
 
 でも・・
 「そう焦るな。満ちるな、まだ。満ちるは、これから。」 byほしみ様
 アンバーの黒に対する感情も、この言葉の下で、対極にあるマキの想いと連なるのじゃないかな。
 言葉にする事のできない感情と、言葉でしか無い感情と。
 それを変えようとするのが、ある点で無理があったとしても、それ自体が終わりを引き込む訳じゃ無い。
 ていうかもう、私はね、マキはその言葉が言えるだけで、もう感情があったと思う。
 アンバーは黒と向き合うことができるだけで、もう色々なことを黒に伝える術を手に入れていると思う。
 だから彼らにとって最も重要なことは、そのみっともない手にしたものを、どれだけそれでも高めていくこと
 ができるか、ということなんだよね。
 たとえ、もう、終わりが目前に迫っているのだとしても、ね。
 マキの最期のときに、さよならと言わなくちゃいけないと言ったとき、確かにマキの中にはもう、その最期に
 臨んだお約束としての言葉「さよなら」では無く、アンバーに対するたとえようも無い感情の発露として、
 どうしようも無いくらいに自分の中から出てくる感情としての言葉「さよなら」だけがあり、そして。
 マキはきっと、その言葉が示した感情と、その感情が魅せた言葉に、ただただ身を委ねていったとのだと
 思いました、まる。
 
 
 
 ◆
 
 土曜プレミアムで放送した、劇場用アニメ「時をかける少女」を、ようやっと見た。
 
 
 まず最初に先入観、てか偏見。
 一番簡単なのは、どうせ世間(と言っても一部)でもてはやされて、賞なんかも取っちゃってるけど、そう
 いうのもなんかそっち方面のガチガチの価値観で固めて観られた上での評価なんじゃないの?
 わたしゃそんなもんには騙されんよ、というひがみ根性をあんまり隠す気が無い感じで入りました。
 というか、みんながあんまり良い良い言うものだから、とにかく笑顔で「そうですか、それは楽しみですね」
 とばかりに人の良さそうな感じで受け入れて、そこから如何に滅茶苦茶言ってやろうか、という悪意以外
 のなにものも無い状態で、もしこのとき私に良心が少しでもあるとしたら、でもあんまり露骨にやっちゃうと
 あとあと人間関係困るかなぁ、なんていう、ひがみ自体は否定しない、もうアレな感じで。
 ええ、半分くらいは冗談ですので、気にしないでください。
 でも、いつも私はアニメ観るときは大体そう。
 良い意味であれ、悪い意味であれ、まずは先入観を持って、そしてそれを切り口にしつつ、実際目の当
 たりにした画面の中から向かってくるものとそれを比較し、そして如何にその先入観の方を否定していき、
 そうして受け止めた画面の中のものを、今度はどうやったらそういった先入観との比較とは関係無しに、
 つまりそういったものを飛び越えた感じ方をして観ていけるか、という過程をいつもすらすらとやっています。
 
 そして、アニメを見始めてものの数分で、そういった過程がもの凄い勢いで展開されてしまい、あっという
 間に準備が出来てしまったんです。
 たぶん、この作品の中に引き込まれたとか、あるいはこの作品の凄さに圧倒されたとかでは無い。
 ただもう、ひと目見たときからもう、これは最初から全力でかかっていかないと負ける、素通りしていい加
 減な感想を漏らしてそれにため息をもらす事くらいしか出来なくなるという、その直感でもうその勢いで
 全力になってしまったのです。
 
 そこに、世界の中に、生きて動いている人間が居る。
 
 私は、主人公の紺野真琴がとても好きです。
 どれくらい好きかというと、自分で呆れてしまうくらいに好きです。
 SF的なことはよくわからないし、たとえばあの叔母さんとの会話で出てくる話の解釈、つまりこのお話自
 体をあのタイムリープという道具を使って、なにかしらの隠喩として捉えていく事はできるし、むしろ私に
 とってそれは得意な範疇なのだけれど、なにか違う。
 SF的な事も隠喩的なことも、それを使って色々と解釈し、その解釈し得たものからなんらかの感慨を
 受け取っていく事の中に、勿論この作品を感じていくことはできますし、またそれは絶対に必要な事だ
 と思います。
 例えば私は、あの叔母さんが修復(?)に関わったという見ているだけで不思議な気持ちになるという絵
 がありましたけれど、あれは長い戦争の中にありながらも、それに身を置きつつ、けれどそれとは確実に
 一線を画した場所で、ただ純粋に穏やかな気持ちになれる、という事を表し、それはつまり、あのもやも
 やとした苦しみのような外周の中に、それでもぽつぽつと優しい笑顔が真ん中に描かれており、それは
 そのもやもやがあるからこそその真ん中の笑顔が引き立ち、しかしだからこそそのもやもやが必要という
 捉え方では無く、ただそれを観て、それを描いた人は、なによりもその真ん中の純粋な笑顔を求めて
 いたのだということだと読み解きました。
 タイムリープを能力を得た真琴が、どれだけその能力を受動的に能動的に使おうとも、そうすればそうし
 て行くだけ、そのタイムリープの良いところも悪いところも身を以て知ることが出来、だからこそその中から
 本当に自分が大切なものを感じて求めていく事ができると言い、そしてそれはまた、ではそうであるのな
 らば、尚更、今この瞬間にその能力を持ってそれと生きている真琴、そしてその経験の中でなにか得て
 いこうとしている真琴にとって、一番大切なことはなにか、とあの叔母さんはあの絵を通して語りかけて
 もいました。
 つまり、今、真琴はここに生きてるでしょ。
 だったら答えはいつも簡単よ。
 タイムリープの能力も、それを活用して得た経験的知識感触も大切だけれど、それを得てもう既に
 変わった「今」のあなたにとっては、そんなものは大切でもなんでも無い。
 あなたが今一番求めてやまないもの、それに向かって脇目も降らずに走り続ける事でしょ?
 あの絵や叔母さんとの会話からは、そういったことが求められ、それがつまり、あの瞬間瞬間的に懸命
 に生きていく真琴の姿に繋がっていくのです。
 
 でも、そういう事を感じ理解した時点で、やはり「今」の私にとって、それらは重要なことでは無く、また
 それは私が真琴の事を呆れるくらいに好きな理由とは、たぶんなんの関係も無いことなのです。
 真琴って、バカでしょ? ほんともう、呆れるくらいに。
 タイムリープの能力を自分が持ってるとわかった瞬間に、まっさきにやったこと一生懸命にやったことは、
 妹に食べられてしまったプリンの確保でしたし、問題が発生するたびにその前に戻り、そのたびに色々と
 同じ結果にならないように努力するのだけれど、あんまり賢くない選択を重ねて結果何度も過去に戻り
 やり直すを繰り返したり、最後だって、もう自分がそういう能力とかとは関係無しにまっすぐ行くだけという、
 一種清々しい状態になり過去に戻りやり直すも、確かに今までよりは多少賢く振る舞えたけれど、やっ
 ぱりまだどこかバカっぽかったりして。
 決して考えていないことは無く、むしろ考えまくっているのだけれど、どうしても頭が足りていないし、自分
 で掴み取った分の経験からそれ以上を学ぼうとする姿勢は皆無だし、でもね。
 私はあの子のひたむきさとかまっすぐさとか、そういうのが好きと言う訳じゃ無い。
 何度間違えても、その間違えた事に捕らわれる事も、またがむしゃらに焦って成功を追い求めていく事
 も無く、ただ間違えたら、その間違えた結果生じた現実にしっかり向き合い、というよりそれと向き合うこと
 しか知らなく、その現実そのものを生きるためになんとかしていこうとしている、その点が、どうしようも無く
 私の心を共にひたむきにまっすぐにしていってくれるのです。
 
 私はてっきり、この作品では、タイムリープの能力を否定的に、つまりそういった能力を最終的に捨てる
 ことで地に足をつけて生きていこうという、そういう教訓的な事が描かれるのだと思っていました。
 でも、叔母さんとの掛け合いからして、どうもそうでは無く、良いも悪いもその能力を使ってみない事に
 はなにも始まらないし、逆にそうなればそれを使いこなしていくことはできるし、またそれは逆に、能力に
 頼り拘るということを否定するというのなら、能力を捨てることに頼り拘ることもまた否定すべきでは無い
 か、大事なことはそんな事達の中には無いんだよ、ということであったように思いました。
 真琴は最初、千秋に告白されたりして、速攻その過去に戻ることを選び、何度も告白されないような
 シチュエーションにしようとするも力及ばず、というより頭及ばずに結局はそれを防げず、結果真琴は
 過去に戻り頑強に千秋との接触を避けようとします。
 ですからこういったものがあるゆえ、真琴のまぁ当たり前程度な頑迷さですけれど、とにかく状況から逃げ
 回るということは、あれだけの前向きまっすぐGoな子にも有る訳であり、でもそうであるからこそそれ自体
 を肯定することはまた重要なことでは無く、自分がなにから逃げていて、そして本当にそれは逃げるべき
 ものなのかを、「どうしても逃げてしまう頑迷な自分」を肯定するとか否定するとか以前に、ひとりの今
 ここに生きている人間として考え感じ、そして純粋に行動していくことが重要なのだと、あの作品は最終
 的に描いているのだと思いました。
 そう、あの真琴の生き生きとした姿、それ自体を以てね。
 
 私自身は、特殊な能力と付き合いそれを使いこなし強く生きていく、というのは非常に人間らしい逞し
 姿であると思っていますけれど、またそれと同時に、初めから能力を絶対拒否することもまたひとつの
 在り方だとも思っています。
 すべての苦しみを引き受け自分の足で切り開きすべて背負っていく、しかしそれで失ってしまうものや、
 またそれでは守りきれないものがあり、たとえすべての苦しみを引き受けずに自分の足で切り開くことも
 すべて背負っていくことも選ばなくてでも、そういった喪失から守りたいものを守る、というのもまた、人間
 的な知性ある生き方だとは思っています。
 自分ひとりではできないものなど、いくらでもあるし、それを諦めるのはまた非人間的な気もしますし。
 そして、それでも私は紺野真琴を肯定しますし、また紺野真琴を好きと私は言えます。
 なぜならば・・・・・
 そう、なぜなんでしょうね。 (笑)
 たぶん、どちらの生き方も知ってる私が居て、そしてたぶん、真琴もまたどちらの生き方もよく知ってると
 思ったからなのかもしれませんね。
 だから私は、真琴自身が意識している自分の生き方自体が、勿論それとは反対の生き方自体がどう
 こうよりも、そういう事を論じている暇も無いほどに、一生懸命に生きている真琴に、やっぱりひどく共感
 しているのでしょう。
 
 
 という感じです。
 上に書いたようなことを私は考えて観たのですけれど、勿論それは私が真琴の姿を見て考えたことであり
 、感じたことではありません。
 そして、感じたことを言葉にする術を私は持ち得ません残念ながら。
 
 それぞれのキャラの表情などは、それぞれの感情なり思考なり、あるいは前後の文脈などと総合して
 ある、ある意味隠喩的な表情(蟲師や最近では黒の契約者)では無く、宮崎アニメのようなリアルとい
 うよりはオーバーな表現で顔を組み立てる感じのものであり、それゆえ表情だけを観ていても、繊細な
 感情や、またその瞬間になにを考えそしてそれが前後の文脈の中でどういったものになっているのか、
 というのは全然わかり得ないのだけれど、それがどうした、となぜかぽつんと呟く私が居ます。 (笑)
 むしろ逆に、そういった前後の文脈とか隠喩とか意味とか、そういうものとは関係無しに、笑ったり泣いた
 りするという、その純粋な感情のストレートな表現として、この作品にはばっちり合っているし、それがある
 からこそ、こういう風な楽しみ方が出来たのだと思います。(全体的にカメラの位置が遠いというのもある)
 
 それとあとは、背景とかオブジェとか凄く細かく作ってあっておーって感じだったり、音楽も非常にさりげない
 ところでぽろんと良く鳴っていたりして、やっぱりそれと、声が面白いなって思って。
 いわゆる声優声優した声じゃなく(みんな本職の声優さんじゃないのかな)、それが声をひとつの「意味」
 として魅せずに、そのまま生の声として連なり出てきている様子がグッドでした。
 声優声優した声はそれはそれで好きだし価値あるものだけれど、それで出来ないものが、やっぱりこの
 「時かけ」のような作品の声をやることだと思いました。
 「悲しく聞こえる声」や「喜んでいるように良く聞こえる声」としての上質さでは無く、悲しみ喜んで「居る」
 ひとりの人間のそのままの声こそが、この作品には相応しい。
 だから全然悲しみなんて喜びなんて伝わってこなくもいいし、むしろ逆にそれが一番普通っぽいしね。
 もっとも、それはこの作品に合うかどうか、の話ですので、あしからず。
 
 最後に、作品の評価ですけれど、個人的なことでいえば、そうですね、五指に入れるのはもったいない
 (いろんな意味で)ですけれど、十指くらいには数えたいところです。
 あ・・10で足りるかな・・・(ぉぃ)
 
 
 
 
 ◆
 
 エル・カザド:
 第17話。
 『ナディ、ちゃんと考えてる。』
 相変わらずお金が無くてどうしようという話になり頭を抱え込むナディさんを見かねて、だって賞金稼ぎ
 なんでしょと小悪魔なことをさらっと言って、ナディさんをまた危険な稼業に追いやろうとする優しいエリス
 さんが、ナディさんの苦労とその遭っている危険な目を目の当たりにして改心するお話。
 その話が基本にあり、その基本で終わった感じ。めでたしめでたし。
 変態少年もエリスに怒られて喜んでた程度でしたし(充分)、ダグことローゼンバーグ氏の余裕ある負け
 惜しみぶりもひとつツッコミ入れて終わりだし、でもまぁ、リリオの拍手ぶりやナディのズッコケぶりが良かった
 ので、良しとしますか。 あ、あとリカルドも最後カッコ良かったです。
 
 これはいい感想ですね。 (だってほんとにこんな感じだったんだもん!)
 
 
 
 
 

 

-- 070722--                    

 

         

                         ■■姫が選ぶ意地悪な澄まし顔■■

     
 
 
 
 
 『ヒロ。 友人は選べ。』
 

                            ~怪物王女 ・第十五話・姫の言葉より~

 
 
 
 
 
 
 ご・・・ごほん。 (咳払い)
 
 今回のお話は、前回の次回予告を見てコメディタッチのものになると想像できていましたけれど、これ
 はコメディはコメディですけれど、むしろお遊びが過ぎて観てるこっちが反応に困ってしまうようなものでし
 た。
 お話の筋は、単純です。
 ヒロの通う学校の生徒(おそらくクラスメイト)が、ヒロを取り囲む美女集団に目を付け、そしてそれぞれ
 のお気に入りの美女を求めて、姫の出した家来採用試験を受けて滅茶苦茶をやる、というもの。
 その不埒な、というよりは無謀な三人組、小淵沢、村山、吉田、が青い欲望(笑)と想像を逞しくして、
 姫の屋敷に潜入して、まぁ結果的にはボロボロにされて丸めてポイされる訳ですけれど(笑)、そのボロボ
 ロにされても結果的にそれが彼ら的には良かったり(小淵沢はプルプルメイドに介抱され、村山は筋肉
 少女の肉球の匂いを嗅いだ上でぶっ飛ばされて、吉田は姫にがっちり踏まれて 笑)して、なんだかもう
 やれやれという苦笑よりも、あらあらうふふと笑いながら遠ざかっていきたいものがありました。
 というか、小淵沢はまだともかく、村山と特に吉田はハードル高くてさすがに困りました。
 踏みとどまる勇気はやっぱり必要だと思いました、特に吉田君の正直さを観て。(笑)
 
 と、いう感じで、今回のお話の見所は、彼ら三人の正直過ぎる妄想と、それを迷うこと無く実現しよう
 と漢(と書いておとこと読む 笑)らしく奮闘する姿と、それらをきっちりと返り討ちする姫達の無下な態度
 がやっぱり清々しいところでしょう。
 一応、就職希望という形で、真っ向勝負してきた三人を観て、それを門前払いしなかったのはちょっと
 意外でしたけれど、でもそのあとの試験内容を観れば、たんに姫が自分が屋敷に配置したトラップを
 試したかっただけ感しか無く、ある意味残酷というかそれ以外の何者でも無く、三人の扱いに困っている
 ようで、その実きっちり遊んでいましたしね、姫は。
 
 また、そうやってああいった一般人達と、ごく普通に姫達が接することができる、あるいはそういうシーンを
 当たり前なこととして物語に盛り込む事が出来るのも面白い。
 以前、パンダが町中をしかも二本足で闊歩しているのに無反応だった町の人達のシュールさというのが
 あると言いましたけれど、今回もふがしか言わないメイドや人狼化したリザを観ても全く動じないどころ
 か、それが当たり前であるというそぶりすらもみせないほどに普通に話を進めていくあの一般人の三人
 の姿があることで、これもまたひとつのシュールな感じを受けました。
 そして勿論、普段殺伐とした刺客との戦いの場になる屋敷の中、ごく普通の一般人が走り回っている
 こと自体が奇異な感じを受けます。
 そして、それはまたしっかりとその三人がそれぞれの妄想に基づいて、あの屋敷の住人を見ていくことを
 していったがゆえの平然でもあり、逆にいうと、そういったことがあるゆえに、前回もお話したような、それ
 ぞれのキャラとしての魅力が、また別の方向性(この場合男子中学生の欲望の対象 笑)から偶像化
 され、それ自体が形を以てリザとして姫として表れてきているのが見えました。
 
 『軟弱者は去れ。俺は、行く!』
 『吉田・・・おまえ・・・どうして、どうしてそこまでして・・』
 『俺には、見えるのさ。俺を待つ、お姫さんの麗しき姿が。』  by吉田&村山
 
 これです。
 笑ってしまうくらいに、今回のお話のコンセプトはこれなのです。
 『ああ! 男の胸には誰だって、自分だけのお姫様が居る!』って、あなた、お腹痛い。(笑)
 そして村山君はリザちゃんの肉球に顔を埋めて目一杯頬ずりして、吉田君はお姫さんに気持ちよく踏ま
 れるのですよね、もうね、君たちの正直さに乾杯ですよ。
 そして、勿論味噌なのは、そういったサカりのついた(笑)彼らを思いっきりぶっ飛ばしてある、姫やリザの
 姿であり、これも先ほど書いたように、それがあるからこそまた、そういった村山や吉田らの描いたリザ像
 や姫像もそれはそれとして確かに在っても良いものだと思いますし、それはつまり、そういった偶像的な
 見方をも含む多面的な見方をしていくことができる、ということを今回のお話はこの形式を通して表して
 いてもいたのだと思います。
 またそれは、そういった事が可能故に、この作品が日常的な事と非日常的な事が鉢合わせすることで
 生じる違和感を、しっかり押さえ込んだままその出会いを当然な事のうちに納めきってしまえるシュールさ
 を生かす事が出来てもいるのだと思いました。
 つまり、キャラに対する様々な見方を許容できるゆえに、その他の不自然とも言えるものを同時に許容
 していくこともできるのですね。
 
 
 
 という感じでした。
 三人のそれぞれの妄想、特に吉田くんのそれには吹きましたけれど(笑)、なかなか面白い試みだった
 と思います。
 まさかあんなストレートかつマニアックな欲望を描く(特 に 吉 田 く ん 笑)とは思ってもみませんでした
 から、最初は普段感想で似たようなボケをかましている分、おもいっきり引いてしまいましたけれど(笑)、
 でも今回のような捉え方をしてみると、それはそれでなかなかそれ以外の価値もあるように思えましたし。
 勿論、そういう妄想面とそれの派生物と切り離してある、姫やリザのそれぞれの仕草などもいつも通り
 きっちりとメリハリの効いた魅せ方になっていて、これもまた素晴らしかったです。
 たぶんこの演出面でのピンポイント(笑)な面白さのレベルは、最後まで下がらないように思えます。
 冒頭にて、ばっちり監視カメラに映ってる三人の姿を見て困った表情をする姫とか、ね。
 という辺りで、今回は幕と致しましょう。 
 
 
 それと、吉田くんの、
 『あの金髪のお姫さんの、あの目、あの唇、あの足で・・・
  俺は睨まれたい~、罵られたい~、踏まれた~い~!』
 というセリフが、良く作者による自作の理解度の高さを示しているなと思いました。
 やはり、そうなりますよね。(微笑)   (自主規制中につき取消線入り)
 
 
 
 それではまた、来週踏まれ、じゃなくてお会い致しましょう。 (いい加減にしなさい)
 
 
 
 
 
 
 
 
                                ◆ 『』内文章、アニメ「怪物王女」より引用 ◆
 
 
 
 
 

 

-- 070720--                    

 

         

                           ■■アニメばかりで恐縮です■■

     
 
 
 
 
 ガラテア様がみてる。(挨拶)
 
 
 改めまして、ごきげんよう、紅い瞳です。
 やー、またすっかりじめっとしてきました。
 ここしばらく湿気を感じさせない涼しい日々が続いておりましたのに、一気にこう夏が近づいてきた
 感じです。
 
 さて、現在更新ペースを取り戻す努力強化週間(語呂悪)中につき、無駄なことはすべて省いてさっさ
 と書いていきますよ、と都合の良い理屈を付けていい加減にやっていく気満々ですので、今日も今日と
 てさくっといい加減にいかせて貰います。
 それで、理想の更新ペースの形態ですけれど、今のところは、今日のような雑日記を火曜日、
 そして怪物王女の感想を金曜日に出来ると良いなと思っています。
 が、最近はどうも執筆スピードが遅いので、1日で書き上がるものを2、3日かけてしまうことがあり、
 そうなると実質的にはそれぞれ水曜日と、土曜日に完成してUpする、という形になりそうです。
 ちなみに現在のペースだと、雑日記が金曜、怪物王女が日曜のペースなので、まだ少し追いつくには
 時間がかかりそうです。
 さすがに毎日書く暇は無いですしねー。
 
 
 と、どうでも良いお話は終わり。
 さて、今日は、というか今日もアニメのお話。
 まずはクレイモア、今週のクレイモアのお話。
 やー、ガラテア様がカッコ良すぎ。
 高見の見物派なのに、やっぱり戦ってもクール、しかも嫌味たっぷりな笑顔でもう最高。
 やれやれ感丸出しで戦い始めても、ていうか普通に戦う気満々だし、うわこの人敵舐め切ってるよ、
 余裕あり過ぎだよ、ていうかあの馬鹿にし切った笑顔が素敵、しかもそれが相手に対する嫌悪とか
 そういうんじゃなくて、なんかもう自分に自信あり過ぎなだけみたいなところが、もうカッコいい。
 それでいて冷静、そうこの人冷めまくってるニヒリストで、『泣くなよみっともない、醜い顔に拍車がかかる
 ぞ』とか、あー罵倒とはちょっと違うただからかってるだけというか、それが楽しい訳でも無く、かつ天然でそ
 う言ってる訳じゃ無くやっぱり作為的で嫌味ありまくりの皮肉で、でも皮肉というよりはちょっとユーモア寄
 りで、『新陳代謝が活発な脳で羨ましいよ。』とか、なんかぐぅの音も出ないナイス嫌味で、ああもう。
 セリフ回しのいちいちが私の琴線に触れて、ああいえばこういう、こういえばああいう、そしてああもこうも
 言わなくても普通にああともこうとも言う、黙ってれば黙ってるでいつのまにか言いくるめられちゃうような
 、そして慌ててなにか言えばあっさり揚げ足取られて転ばされてしまう、うーん、ガラテア様素敵過ぎ。
 
 そしてそのガラテア様にいいように遊ばれてしまったダフや良し。
 ていうかまぁ、ダフはガラテア様の獲物というよりは、リフルの恋人兼家来兼下僕兼ペット(どんどん悪く)
 として一生懸命なのが可愛すぎ。まずい、こういうバカな子(?)大好き。
 や、まずはリフルなのかな。
 リフルってすんごく賢くて狡くて、もうびっくりしちゃうほど頭の回転も速く策の実行力もあって、やっぱり
 とっても狡賢くって、でも一番すごいのは、そういうのが当たり前な彼女のスペックとして発揮されてる
 だけっていう、その淡々さなんだよね。
 なんかもうクレアなんか完全おもちゃ扱いでしたっしょ?
 で、勿論ダフもそういう風に扱われちゃってるんだけど、でもリフルはダフを馬鹿にしたり文句言ったり虐め
 たり、そしてそういうのがリフルの策略を実行する上で効果的であるがゆえにそういうのをしていて、
 でも、リフルはたぶんダフの事を軽蔑はしてないし、そうやって簡単に操れちゃう愚かなダフ、でもそれでも
 一生懸命に頑張ってるダフを可愛いとも思ってるし(どういうニュアンスでかはわからないけど 笑)、だから
 リフルはダフを利用しているけれど、利用するために一緒に居る訳じゃ無いって感じで。
 だってダフって面白いじゃない。馬鹿だけど、可愛いし。
 だからあんなに馬鹿馬鹿言ったって、ちゃんとそのダフの馬鹿さを利用してダフ自身のためにもなるように
 してあげたし(ダフは別れるって言われて気が気じゃなかったけど)、そしてリフルにとっては、ダフの底なし
 のバカさもまた楽しくて、いったいこの子はどこまでバカなのかしら興味あるわ、みたいな、あ、でも
 リフルは一応ダフを彼氏扱いしたいらしいから、このバカな子を自分に相応しい男に育てていくのは、
 なかなかハードで面白そうよね、みたいな感じでもあるんだよねきっと。
 
 で、ダフはダフでバカだけど強くて、強いけどバカで、いろんな意味でタフで、ていうかあんなにガラテア様
 にビシバシ斬られてるのにまだ全然稼働してるのって相当すごい気がするんだけど、そういう面ではリフル
 もダフを信用してるらしく、てんで手出ししない辺り、なんかいい関係だなって思って、でたぶんそういうの
 はきっとリフルにとっては戦略的利益や、またダフ育成計画(笑)の愉しみを度外視した、既にそこに
 居るひとりの覚醒者としてのダフを認めてるってことなのかなって。リフルはダフを仲間と認めてるよね。
 というか、リフルは既に自分ひとりでなんでも出来るほど強く賢いから、だからそれでも敢えてダフに色々
 やらせたりすることが出来るのかもね。
 んーリフル楽しそう。
 そしてそのリフルの楽しさがわかる気がするから、ダフがやっぱり可愛く見えるよ。
 いえむしろ私もダフと一緒にペットにしてください。
 あ、その前に私はガラテア様に忠誠を誓ったんだった。
 
 今のところ、テレサは別格として、このガラテア様とダフ&リフルが一番好きだなぁ。
 どうか3人とも、死亡フラグには気を付けて。 特にガラテア様はもう立ってる気が。
 でもこの作品はフラグが立つ前に死んじゃう事があるので要注意。
 主に首筋の防御は厚めにしておきましょう。 (しみじみと)
 
 
 
 ◆
 
 なんか、ゾンビローンがいい感じ。アルファベットはめんどいので、カナで。
 思ったら、これローゼンと同じ作者なんだよね。
 見たら、そんないわゆるな感じが通底してあったし、ある意味ローゼン的だなって。
 ま、勿論中身もやり方も全然ローゼンとは違うけど、温度というか踏み込むレベルとかが、って抽象的。
 今週は繋ぎの話でしたけど、先週なんかはこう、きらっとくるような、そういうなんか、おっていうか、
 ぴーんとくるっていうか、擬音ばっかりだな、うん、てかまぁそうやって私の魂にダイレクトにくるような、つまり
 それに無理矢理私の中から言葉が引きずり出されそうな、そういうなにかがありました。
 でも感想は書きません。書かない方向で。
 だって、めんどい。 (あー)
 
 
 
 ◆
 
 はい、今日の本番。変な日本語だけど、つまり、本番。
 モノノ怪
 きました。
 第2話、やってくれました。
 いいですか、まずは前置きを。
 この作品は、元々以前同じノイタミナ枠で放送されていた、「怪」という作品の中の「化猫編」の続編
 に当たるものです。
 そして化猫編のコンセプトは、ずばり「妖怪」というものを使いなにかを描き出す、というもの。
 「真」と「理」という風に現象や出来事を分類整理し、そしてそれぞれ別のものとしてその場に分解して
 提出し、そうすることで顕れてきた「妖怪」というものを見て、いったいなにを感じなにを考えていくのか、
 というものなのです。京極夏彦などが使っている手法ですね。(規模が違いますけれど)
 ですから、今回もそれを踏襲し、複雑だったものを分解再構成し、それと改めて向き合っていくという、
 そういった「わかりやすい」形を極めてくれるのだと思っていました。
 
 が、やってくれました。
 なんですか、あの抽象ぶりは。なんですか、あの徹底した隠喩ぶりは。
 話の「筋」自体は単純なものでしたけれど、そのひとつひとつを構成する単位のものを、ひとつひとつ、
 いちいち隠喩化することによって、膨大な印象を与えてくれたのです。
 ひとつひとつの隠喩の解釈はもとより、それらすべてを複合して受ける、その総合的複雑な印象を以て、
 話としては単純なそのストーリー自体が言った事、主に志乃とあの子供達との会話に接していくと、
 なにかこう、どうしようもないくらいにあの画面の中に同調できてしまうのです。
 確かに「真」と「理」という分類整理は為されていましたけれど、その構図から、外側から事態を「妖怪」
 として捉えていく事は無く、あくまでその「妖怪」自身である当事者として、おそらく観ている私達もその
 一員として、あの画面の中で一緒に感じていくことができたのです。
 
 そして。
 そうして妖怪と一体化し、「人間」の側からその内側にすとんと堕ち込んでしまった志乃(と視聴者)
 だからこそ、その妖怪である自分と子供を愛することが出来、そしてだからこそ、その一体化こそが、
 「妖怪・座敷童子」として顕れてくるのです。
 自分が妖怪になっていること、妖怪を産み出そうとしている事に気づいていない、いや、気づいているか
 らこそ、その自分を守り、そしてその堕ろされるしか無かった赤子達を生んでやれるのは自分しか居ない
 と、そうしてきっぱりと人間を否定する覚悟が出来たゆえに、喜んでその妖怪化を受け入れた。
 そして。
 だから、それは決してそれが本質では無いことを、自分が妖怪になることでも、殺されてしまった赤子の
 怨念とそれへの愛のままにその子達を産んでやること自体もが、志乃が最もしたかったことでは無いと、
 その子達への愛があったからこそ、その子達とひとつになった志乃だからこそ、わかったのです。
 私は、あの子達の怨みを晴らしたいんじゃ無い。
 私は、私の子を産みたいの。
 志乃はその言葉に到達する前に、怨みの顕現である妖怪座敷童子を産んでしまったがゆえに、
 自分の腹の中の子を殺してしまいます。
 『私は、私のやや子を産む。』
 志乃にとって、座敷童子も自分の子も、怨みも愛も、同じく自分の腹に宿った子。
 だからそれはすべて志乃の子であり、志乃が産むからこそ、それは志乃の子になる。
 それはある意味では間違いでは無い。
 けれど、志乃は結果、どす黒く腐った紅い骸を腹から堕としただけ。
 腹に宿しても、決して産んではならないものがあった。
 怨みを、座敷童子を愛しても、産めばそれは、怨みのなれの果て、そして「妖怪」を産み出すのみ。
 志乃が産むべきはただ、「人間」の子だけだったのです。
 座敷童子を愛し、そして座敷童子が自分を選んだ事に感謝できたがゆえに、志乃は妖怪とひとつには
 なってはいけない「人間」である自分を自覚し、そしてだから、妖怪座敷童子を裁ち切り、人間の子を
 産まねばいけなかったと悟るのです。
 そこに、初めて、斬るべき対象としての「妖怪」が顕れ、その「真」と「理」の真なる姿が現れ、それゆえ
 にその「妖怪・座敷童子」は初めて消滅することができたのです。
 ただ打ち祓うだけでは成仏させ得ず、志乃の愛があったからこそ、座敷童子は消えることができた。
 なぜなら、子供達は、愛されたかっただけなのですから。
 そして。
 その子供達が、自分達を殺すことなど無いのです。
 怨みはすべて、愛を求めるがゆえのものゆえに。
 最後の志乃の、あの「人間」の母としての自覚が、なによりも眩しかったです。
 
 
 これは私の解釈したものであり、たぶん他にもいくらでも解釈のしようがあると思います。
 それだけ、今回は素晴らしかったということです。
 この作品、やっぱりお勧めです。
 
 
 
 という辺りで、エル・カザドの感想に繋げて終わりと致しましょう。
 
 
 
 
 
 ◆
 
 エル・カザド:
 第16話。
 『よくいえば教育、悪く言えば、復讐。』
 ちゃんとわかっているブルーアイズさんに、乾杯。
 大人げない大人げない。
 
 ということで、今回は基本的にツッコミOKな作りで、色々助かりました。
 ブルーアイズさんと断交して、すっぱり資金凍結されてしまって食事にも事欠くナディさんを見かねて、
 私が頑張らなくちゃと賞金首リストを見つめるエリスさん。お、やる気ですか。
 と思ったら、第1話でナディをぐったりさせた手品(愛想無し表情無し)で稼ごうとするエリスさん。・・・。
 ナディさんも開き直る姿を見せずに(というかやけっぱち)観客の前でサクラを演じますが、
 ナディさんの思った通りに稼ぎはゼロ。フォローも無し。
 
 とまぁこういった感じで、ふたりは職探し。
 早速エリスの天然技が偶然にも職を射止め、アミーゴタコスでアルバイト開始。
 エリスさんは相変わらず加減を知らない天然ぶりで、ナディさんは再びあのカッコで町中をタコスの歌い
 ながら練り歩いたりと、まぁそんな感じ。
 そして今回のお話の主人公(そう言っていいでしょう)、LAこと変態少年登場。
 『僕が食べたいのは・・・・・君だよ。』
 も  は  や  笑  え  な  い 。  きみ、変態とセクハラは違うよ。
 エリスの腕をストローでつつっとなぞったりとか、なんだか神経を逆撫でするのが目的みたいな嫌らしさで
 、エリスさん早くも声が震えてます。まずい。これは相当なことです。(LAの嫌度が)
 そして、お客が全員帰ったあとに、がっちりひとり残ったLAはエリスさんを追いつめます。
 変態というより、普通に犯罪者になってますけれど、いいんでしょうか。
 LA的には全く問題が無いので仕方無いこと甚だしいですけれど、しかしこれは彼のあらたなる飛躍
 (嫌な方向に)として捉えることにします。
 でまぁ、色々と犯罪的なことをしたり言ったりと、自由自在、仏の顔も2度目くらいで歪み出しそうな嫌
 らしさで、ネチネチと、それでいて大胆にエリスを追いつめます。ものすっごい嫌な光景です。
 まぁ、きっと、この瞬間に全国2千万のエリスファン(穏健派も含む)をも敵に回したことでしょうね。
 そしてついに、エリス切れる。 あ。
 凶器(ポット)で一発、平手で一発、最後に回し蹴りまで決めちゃいます。これはストローの分!
 拍手。
 これにはたぶん、全国二百の変態ファンも頷くことでしょう。あれはしょうがない。
 ん? むしろもっとこてんぱんにやって欲しかったと思う人も居たのかしら?
 居ますね、ここに一人。(挙手)
 まぁ私の場合、変態がむかつくというより、変態がこてんぱんにされるというカタルシス自体が面白いから
 、というまぁ立派に私も変態だなという感じで、一発私にもお願いします、と今にも言わんばかりの思い
 で御座います。 (落ち着け)
 そして、そんな私の期待通りに、それでも全然懲りて無い変態少年に乾杯。
 むしろ「愛とは・・素晴らしい!」とか余計あぶない方に走っちゃってる変態師匠に乾杯。
 ついてけないついてけない。 (笑い転げながら)
 
 
 なんか、エル・カザドが変態少年の成長物語になってきた気がします。
 無論、「成長」は「少年」の方にかかっているのではありません。
 奴は、成長してる。 (変態的に)
 
 
 
 
 
 

 

-- 070718--                    

 

         

                           ■■姫と愉快犯と哀れな下僕■■

     
 
 
 
 
 『 お茶会よりも、もっと愉しい事がございましてよ?』
 『ほぅ、それは興味深いな。』
 

                            ~怪物王女 ・第十四話・令裡と姫の言葉より~

 
 
 
 
 
 
 
 
 本当に交互に来ますね、良い話とそうでない話が。(笑)
 
 もっとも今回の場合のその良い話かどうかの基準は、私が感想を書くに適するかそうでないか、という
 ところにあるのですけれどね。
 ひとつの作品としては、感想は書きづらいけれども、それなりに面白く良いお話だと思います。
 また、その感想の書きやすさ書きづらさというのは、得てして情感的理屈的に複層的でありまたそう解
 釈して観ていくことの出来る余地があるか、あるいはもっと言えば文学的哲学的であるか、さらに言えば
 「深み」があるかどうか、という作品側の作りの形に依拠して、そう言っています。
 ですからそれらの分類から外れているものを、「現在」、感想の書きづらいものとして捉えていて、
 それはつまり今後そういった物もしっかりと感想を書ける対象として捉えていこうとすることもやぶさかでは
 無い、いえむしろそうやって「書けないもの」を「書けるもの」にしていくのは重要な事だと思っています。
 
 現在感想の書きやすいものばかりをその観点から書き続けていても、きっとその場所の延長線上の発
 展しか無い。
 あるいはもっと、こういうアニメこそ素晴らしい価値あるものだという風にして受け入れた作品のみについて
 書いているだけでは、必然的にそれだけでしか無いものしか書くことができない。
 つまり、いろんなアニメを観て、敢えて評価し、敢えて感想を書けるように努め、そうすることで、それらの
 経験を重ねることで感想の書き手である私自身が成長し、そうなれば今度は逆に、元々自分が素晴ら
 しいと最初から思え、また感想を書きやすいアニメに対して、もっともっとしっかりと沢山のことを書き込ん
 でいくことができるのだということです。
 
 当たり前といえば当たり前ですけれど、この初心を忘れずにいることはなかなか難しいものです。
 元々私は、自分の文章力に全く満足していませんし、今まで何度も素晴らしい作品と出会いながら、
 私の筆の拙さを呪うばかりで、満足のいくものが書けない上に、自分が語りたかったことを言葉にする
 技術さえ足りない有様でした。
 この悔しさが、感想書きとしての私の大元にあるもののひとつなのです。
 だから私にとっていつも重要だったのは、必ずどうやったら自分のこの胸に兆した想いを言葉にし、そして
 どういった表現ならそれを正確に表す事ができるのか、ということでした。
 だから、そういった意味で、今までの自分の流儀を通してそれを重ねているだけでは追いつけない、
 そして足りないと自覚していたがゆえに、たとえば私の場合、今までは見向きもしなかったギャグアニメや
 、それこそ萌えアニメですらも観るように努め、そしてそれらを自分の流儀で捉え貶め感想を書くので
 は無く、どうやったらその作品をその作品として受け取り、そしてそれをどうやって「愉しむ」ことが出来、
 それを言葉にして表すことができるか、ということを意識しながら感想執筆に取り組んできたのです。
 
 
 
 前置きが長くなりました。
 この前置きを踏まえて、お話をさせて頂きましょう。
 さて、今回のお話は、そういった感じでなかなか難しい(笑)お話でしたけれど、でもだからといってこれが
 アニメとして価値が無いだとか、これをこう作り直してやればもっと良くなるのに、といった冒涜的行為
 (時々私もやりますけれど 笑)をするつもりはありません。
 むしろ逆に、こういったお話を愉しむことができるにはどうした良いか、ひいてはこういったアニメにどうやって
 意義ある価値付けをしていくかということを考えています。
 もっとも、感想を書くときに作品の価値など考えていませんけれどね。 (笑)
 
 今回のお話の見所、というより一番魅力あるところは、たぶん姫・リザ・令裡とヒロの位置関係、
 もっとくだけていえば、ヒロが怖いお姉様達に翻弄されまくるところです。あれはひどい。 (笑)
 リザは自分の最速伝説を完成させるために、姫はあからさまにどうでも良い感じのままに、
 そして令裡はいつも通り姫様と遊ぶために、ヒロを言いように振り回します。
 元々、この「怪物王女」という作品は、ヒロ受難の物語ですけれど(笑)、今回はもうぱっと見でそれと
 わかる部分もそうで無い部分も含めて、全方位的にヒロは翻弄されまくりでした。
 
 リザの我が儘に無理矢理付き合わされ、夜の峠道で呪いの兜を探させられ、その途中で救急車に
 はねられ(この時点で笑いが止まらなく 笑)、おまけにその救急車の乗員は例のツェペリの下僕であり、
 目が覚めた途端に鳩尾に遠慮会釈無しに一発入れられて気絶し、そしてツェペリと会ったら会ったで、
 呪いの兜をかぶせられ正気を失い、掌をチョップ型(?)にして全力で疾走する姿も痛々しく(色々な
 意味で 笑)、そしてその走りのまま森の奥から「体くれー」と叫びながらリザに飛びかかる変態ぶりを
 無理矢理披露させられ(可哀想過ぎ 笑)、そして挙げ句の果てにはその兜の持ち主である峠の騎士
 に取り込まれてしまい、そしてある意味颯爽と馬を飛ばし峠をひた走るも、野球に興味を示しホームラン
 狙いで待ち構えていた姫に見事カキーンと打たれ、そしてヒロをはき出し正気に戻った騎士とリザの勝
 負(これが話の本筋 笑)の影に、無惨にもボロボロになって放り出されてしまったヒロ。
 そしてトドメに姫のこの一言、『世話を焼かせおって』。ヒロにはツッコミをする体力ももうありません。 (笑)
 ちなみにこの一件を仕組んだのはツェペリだけれど、それを知り傍観したり姫と遊んでただけの人が、
 令裡です。ヒロは全く無視ですかそうですか。 (笑)
 
 という感じで、コメディというほど形があるものではありませんでしたし、ギャグというものでも無い感じな
 のだけれど、うっすらと笑えるような、そしてその少し楽しい気分のままに観ていくことのできる、そういった
 全体的な落ち着き感が、今回は特に良かったのではないかと思いました。
 それとあとはリザですよね。
 あの考える前に行動だ、というか、逆に行動した結果を足掛かりとして瞬間瞬間に考えていくというか、
 そういったリザの即応性が非常に魅力的な感じで出てましたし、それは逞しさであると同時に、色っぽさ
 でもあり、深夜のお茶会と洒落込む姫と令裡をよそに、ひとり汗をかきかき走り回るそのリザの姿は、
 その姫達の立ち止まっている姿と相まって、それぞれの在り方と場所でその美しさを魅せている、という
 感じもしました。
 そういう意味では、その三者三様の姿があり、そしてそれに振り回されるヒロがあることで、よりその三人
 の姿が魅力を持って見えてきているのだとも言えます。
 三人が三人とも、しっかりと独立してあり、その間でうろうろと翻弄されるヒロが、その三人それぞれの
 在り方のままのやり方で、やっぱりいいように翻弄されていくことで、その翻弄されっぷりの「個性」が、
 その三人の姿を保証してもいる。
 言ってみれば、三人によるそれぞれの「ヒロの遊び方」を描くことで、その側面から三人の姿を描き出し
 ていたということにもなります。
 
 今回のお話の描き方は個人的に好きですし、またそれぞれ描かれていた三人もひどく良い感じで、
 別にゾクゾクきたりはしないけれど、ただなんとなくなにかがリセットされたような、新鮮とは違う、なにか
 こう違う一面を観た訳では無いのだけれど、いつもと同じものを観ているのだけれど、だいぶ受ける印象
 が違う、ということにそっくり気づいていくという感じでした。
 リザは好き勝手やってるけどどこかしっかりしてるし、でもやっぱり自分の欲望に忠実で、姫はなにげに
 野球なんかに興味持って、そしてやっぱり容赦無くヒロを豪快にスタンドに運ぶし、令裡はいつも通りの
 ツェペリの悪趣味な悪戯に便乗しての愉しみを毟り取ろうとして、今回は特に姫とのひとときがぐっとクロ
 ーズアップされて、ある意味で令裡視点な描かれ方をしていて。
 こういう、キャラの「描き方」というものを色々と形を変えてやってくれると、観る方としてもそのキャラを多
 角的に、そして単なるひとつの人物としてだけでは無く、概念的キャラクター、あるいはもっともっと言えば、
 視聴者の好みをもろに投影することの可能な萌えキャラとしての見方を含め観ていくことが出来るの
 で、非常に歓迎したいことです。
 
 そういった意味で、この怪物王女という作品は、実に色々な下地を持っていると思います。
 ちゃんとシリアス的に思索できる重厚さ中心のときもあれば、良くある寓話的に綺麗な「お話」として
 まとめるときもあるかと思えば、どこのお子様向けアニメですかと言わんばかりの成り行き任せなときも
 あり、そして今回のようにキャラの魅力をさらっと描いてみたり、また本当にキャラ萌え中心なときもあった
 りと、実に豊かです。まぁ、いい加減とも言いますけれど。 (笑)
 この全体のあまりの統一の無さが、当初私を困惑させたものですし、しかしそれは一個の統一した感想
 を書きたいという自分の思いに照らしたからそうであるだけで、そんなものをさっさと放棄してしまえば、
 こうして色々とそれなりに感想を書いていくことはできます。
 今回のお話は、そういったことを私に再確認させてくれました。
 
 
 
 ということで、非常にまとまりと一貫性を書いた文章でしたけれど、今日はここまで。
 来週はコメディタッチのようですので、またそれはそれとして楽しみにして待っていましょう。
 それでは、また。
 
 
 
 
 
                                ◆ 『』内文章、アニメ「怪物王女」より引用 ◆
 
 
 

 

-- 070715--                    

 

         

                           ■■使えない台風はほっといて■■

     
 
 
 
 
 使えない管理人はほっといて。(挨拶)
 
 
 ごきげんよう、紅い瞳です。
 色々と書きたいことがあるのですけれど、いつまで経っても元に戻らない更新ペースをなんとかするべ
 く、一層の奮起を心掛けているところですので、簡略にお話を先に進めさせて頂きます。
 だって、本来なら今日のこの文章も先週の火曜日には書く予定だったんですよ?
 怪物王女の感想なんて既に1週遅れになろうとしているこの状態、なんとかしなければならないでしょう。
 ならないんです。そう決めました。
 
 ということで、早速始めます。
 アニメです。
 現在今期から始まったアニメの視聴に追われ、他のアニメの感想をロクに書いていませんけれど、
 ちゃんと面白いと思って見ているのでご安心ください。(ん?)
 ダーカーザンもやっと先週のお話を見て、そしたらなんですかあれ、あの銀のお話最高じゃないですか、
 泣けて泣けて、あーすごいとか、これはもう感想書かなあかん思ったりして色々考えたりしてたけど、
 時間無いというか、残念時間ですというか、エマの最終回もな面白かったやん? でも時間です。
 もっともエマの方は感想をと言われても、ナイスハッピーエンドと言う以上のことはなにも無いですけれど。
 ま、まぁ怪物王女の感想とか、そういうものに活かしていきたいです、っていうか銀の話は影響既に
 受けまくり。やるな私。
 
 今期始まったアニメも大体2巡してきて、そうですね、やはり今のところ絶望先生が一番面白い。
 それとゾンビローンがかなりやりたいことがはっきり見えてきて、これってなにげに色々考えて見ることができ
 ていくんじゃないかなと思えました、けど時間が。(結局言い訳)
 
 で、まだ見ていなかった今期開始のアニメの感想を、と。
 
 
 モノノ怪:
 展開が早過ぎ、語られるべきものを用意する前にクライマックスに突入する勢いで、ちょっとびっくり。
 無論第1話ということで、この作品の「構図」の単純明快さをまず端的に示して見せ、そこから始めて
 いくという意図は感じられたけれど、第一印象としてはこの先もこのペースだったら怖いな、というもの
 でした。まぁたぶん大丈夫なのでしょうけれどね。
 そして、演出美術、間の取り方、その他諸々すべて、これらに関してはもう言うこと無し。
 語られる言葉が少なくとも、既に完成してある映像の中の世界がばっちりとしているので、むしろその
 あたりの不足感をそこから補うことも可能かもしれません。
 評価としては上々、そしてなによりも次回が楽しみです。
 
 ひぐらしのなく頃に 解:
 OPが痺れました。(1ポイント先取)
 第1期の内容を思い出しながら見ようにも、覚えているのは惨劇ばかりなので手に付かず。(笑)
 特に面白いところは無かったけれど、これから謎解きをしていきますよ、という雰囲気がしっかりと感じら
 れてきて、第1期のお話の謎っぷりが深まりそれが解かれていくのは非常に楽しみなので、その点かなり
 期待できそうな第1話でした。
 ホラー的にこの作品は結構好きなので、ガンガンお願いします。 (なにをとは訊かない尋ねない)
 
 
 
 という辺りで、終わり。
 いい加減ですけれど、今日は疲れたのでこれにて。
 あとはエル・カザドの感想(これは前日までに書いて置いた)を、どうぞ。
 
 
 
 
 ◆
 
 
 エル・カザド:
 第15話。
 なんだか原初の気持ちに帰った想い。
 ナディってどうしてエリスと旅をすることにしたんだっけ?
 ナディは自分の暗い過去に囚われていても、その事実に拘りその境地から生きていくことを鼻歌ひとつ
 で乗り切り、そして人はみんな辛いことはあるけれど、辛いからこそ楽しく生きていこうと、そういう感じで
 その自分の辛い過去を踏み台にしていくこともまた笑って歌い過ごし、そんな事とは一切関係無く、
 こうして生きてるんだから楽しく生きてこうよ♪と、本当にその愉快な鼻歌のリズムと一致して生きている。
 そうだよね、楽しく生きていくためには辛い下地が無ければいけないなんていうのは、実際その辛い下地
 を持って踏ん張って生きている人にとっては、その閉塞を支えることにしかなれない言葉だもんね。
 そうやって今の自分に踏ん張って生きる事のために、そうやって自分の辛い過去を踏み台として意識し
 て生きている限り、それは力強い安寧さは得られるかもしれないけれど、そこから本当の愉快で楽しい
 場所にたどり着くことはできないんだよね。
 辛いからこそ、それを踏ん張って我慢できるからこそ、敢えてそれに拘ることもすっぱり捨てて、
 決してやせ我慢では無い心からの笑顔を見せる境地に至ろうとする、それがナディが選んでいる道。
 人生は辛いからこそ楽しい訳じゃ無いよ。
 辛いからこそその辛さに起因しない、純粋な楽しみを、本当の楽しみを求めていくからこそ楽しいの。
 だって本当は、人は傷ついても汚れてしまってもいないのだから。
 というより、傷ついてしまったり汚れてしまったりしたという「言い訳」をして、自分が本当に傷一つ無い
 綺麗で楽しい人生を生きる事をサボってしまっているだけなのだから。
 
 だから、ナディは辛ければ辛いほど頑張るけれど、すぐにアホらしくなってやる気を無くしたりして、
 あーはいはいと生返事で違う形でそれを楽しくしようとするんですね。
 辛いことが本質では無く、頑張ることが目的では無いとすぐに気づくゆえにいい感じに気が抜けて、
 勿論辛いことを忌避する訳でも無いし頑張る事は滅茶苦茶するけれど、ナディは必ずそう気づく。
 今回のお話を見てて、あ、ナディさん頑張ってるな、考えてるな悩んでるなって思えて、でもなんていう
 のかな、やるべきことは根本的なところでわかっているような感じで、エリスを守っていくと決めたときも、
 そんじゃあいっちょやりますか、みたいな、その決意の顔が険しければ険しいほどに、ほどよくナディさんの
 気が抜けてるのがわかるんですよね。
 
 その辺り、後述しますけれど、ブルーアイズのヘタレな毅然さ(笑)と正面から斬り合っているようで、
 深刻さはあれどその深刻さなどどうでも良い感じにして、すっと軽い感触できっぱりとエリスを守ることを
 ナディは伝えます。
 ブルーアイズと断交する事の重大さよりも、それをきっちり形にして交渉の場に臨むことよりも、勿論
 それらにまつわる「覚悟」の厳しさよりも、ナディはただ、自分の中の当たり前な気持ちである、その
 エリスを守っていくということの中に在っただけなのですよね。
 その辺りがブルーアイズのあの自らの態度自体に拘っている姿と対象的で、構図としては子供なナディ
 を諭し嘲笑うブルーアイズが仕切り、その通りにその構図に嵌っているナディの姿があるゆえにそれは
 綺麗なまとまりを見せていて、そしてだからこそそのよく磨かれている滑稽さとしてのカッコ良さがありまし
 た。
 あのナディの姿勢こそが、このエル・カザドという作品に於ける、ナディというキャラを通して描いている、
 その前述したような辛さや苦しみに囚われた後ろ向きな姿勢はもとより、それに基づく前向きな姿勢を
 も越えていこうとする事の象徴でした。
 現実?  ん な 事 ど う で も い い わ よ 。
 辛いとか辛くないとか、そんなこと楽しく生きていくこととなにか関係あるの?
 さぁエリス、いきましょう。
 「いきましょう」の漢字は、行きましょうでも生きましょうでも可。(逝きましょうもある意味可 笑)
 
 それはつまり、ナディがそれだけ「生きること」「幸せになること」に真摯だからなのだと思います。
 どう生きたいのか、そしてどの幸せが一番幸せと言えるのか、それをゆっくりと徹底していこうとしている。
 重要なのは、私がどうしたいか。
 現実の中でできることできないことを知ってる私が、それを踏みしめ、そしてそこから飛び立つにはどうし
 たらいいのか。
 そして、だから、エリス。
 私にはあなたがそのために必要だし、だからね。
 だから、そんな事とはやっぱり関係無いほどに、私はあんたを守ってあげたいのよ。
 目の前のあんたをね。
 そうすることで、結果的にナディは自分の辛い過去を乗り越えることができたりするのだろうけれど、
 これもやっぱりただの結果であって、「今」のナディが目指す目的じゃ無い。
 目的のためにでは無く禁欲的にエリスを求めることで幸せになることができても、その幸せを求めている
 ゆえにエリスを守るのだと言った時点でそれはすべて嘘になる。
 だって、当たり前じゃないですか。
 ナディは、自分のリハビリのためにエリスを守るんですか?
 ナディは、過去に負った傷を癒すために人生を生きるのですか?
 ナディの前には既に、広大で豊かな世界が広がっています。
 エル・カザドはそういう作品だと思っています。
 最後温泉の中で、泣く寸前の顔でそのまま笑顔に変わっていったナディ。
 『そんな切ないこと、言わないで。』
 カッコ良すぎ。
 色気なんて無くてもよし。 (マテ)
 
 
 さて、今回の笑いどころをチェック。
 まずはローゼンバーグ。
 連んでた大物政治家逮捕のニュースを見てのシーン。
 眼鏡、白く曇り、口、半開き。 
 失礼ですけれど、笑いが止まりませんでした。素、晒し過ぎ。
 そして早速上司に呼び出されトカゲの尻尾切りを宣言され、彼は眼鏡を曇らせたまま『私ひとりをワル
 モノにして、組織を守るつもりですか。』て。
 ど ん だ け 動 揺 し て ん の 。
 「ワルモノ」ってあなた。そんな子供じみた表現て。
 既に思考が現実に追いついて無いじゃないですか、アドリブ弱すぎじゃないですか。
 こういったキャラの隙だらけな魅力の魅せ方がうまいですよね、この作品は。
 
 そして、隙だらけというより、隙が二本足で歩いているような人、ブルーアイズさん。
  ナディとの会見の席での彼女が可笑しくて可笑しくて。
 彼女自身は仕事のデキる、大人で冷静かつ知的な女をやりたかったんでしょうけれど、実際形として
 はそうなっていましたけれど、ナディさんと比較すればするほど、それがただの付け焼き刃でしか無いこと
 が丸見えで。
 眼鏡時代のお間抜けな光景を思い浮かべるまでも無く、カッコつけてそれなりにカッコはついてるんだけ
 ど、服の襟に値札が付いたままだったみたいな、そういうどこか一本確実に抜けてる。
 『私はビジネスの話をしているのよ。』と、勝ち誇ったような顔をして言ってる時点で、もの凄い野暮ったく
 て、でも見た目キリっとしてるからカッコだけはついてるんだけど、ふつうにナディには逃げられるし、ていうか
 その「大人の話」もまるっきり無視されてるし、ブルーアイズさん的には、せっかく頑張ってカッコつけたのに
 散々よ、みたいな哀愁が漂ってくるんだけど、最後まで見栄を張ってふんぞりかえってて、それがもう
 おかしいやらなにやらで。
 これを指して私はヘタレな毅然さと呼ばせて頂きました。
 そして最後に本場日本流で真っ裸で温泉に入る粋っぷりを見せるも、確かにカッコイイはいいんだけど、
 普通に部下にはドン引きされて、なんだかもう、この人大好きです。 
 
 ちなみに、変態少年がそろそろ変態の域を飛び出そうで心配です。
 隊長! 弾(ツッコミ)が足りません! もはや守り切れません!
 楽しくなってまいりました。
 
 
 
 

 

-- 070713--                    

 

         

                          ■■生贄姫の蝕む月の水面は■■

     
 
 
 
 
 『赤錆村の皆さん。
    只今より、ダムの放水が開始されます。
      計画を止められなかったのは、甚だ残念であります。
        この村には私たちの父がおりました。祖父も祖母もみんなこの村で育ちました。
          ですから私たちも、この村と運命を共にしようではありませんか。』
 

                            ~怪物王女 ・第十三話・ある男の言葉より~

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 水よりも枯れた靄が落ちている。
 月の欠けた空を見上げるには幾許かの距離が足りない。
 山は海より深い山中を囲う水底の遙か空に近い水面に映えている。
 一歩を刻むたびにまとわりつく湿気が夥しい空との隔絶を生んでいく。
 これは前進では無い。破壊だ。
 四方全てを取り囲むその靄をひとつひとつ侵略していくその足先の感触が逞しくまた心許無い。
 肌にも髪にも区別無しに際限無く吸い付いてくる膨大な水滴をなぜこの破壊にしか感じないのか。
 空はこの山に在り。
 否。
 この靄が既に自身に蝕まれた月の 胎内を満たす血涙なのであろう。
 流れ出でることも出来ずにしかし確かにこの場にて滞るその息吹を渦巻かせているのだ。
 月を覆う紅い影。
 それを見つめる私を囲う紅い瞳の群がやがて山中の空を為していくのを感じていく。
 そして我が瞳に映るその血に濡れた山肌が鮮やかな一本道をこの足に拓かせていくのだ。
 終わり無き水底への旅路。
 辿り着くことが出来ぬその袋小路への道筋を刻みながら私はただ歩いている。
 
 
 
 憂いを残したまま、ただ挫いた足への舌打ちを一息で堪え、それでいて辺りを眺め回している。
 どれほど情景が変わろうとも、どれだけの距離を重ねようとも、
 このまとわりつく紅い感触が途切れる事は無い。
 ならば、初めから答えは出ているのだ。
 歩き、前に進むことに、意味など無いと。
 だがしかし、止まっていても歩いていても、それは同じであると。
 ならばどうするのかと思考した段階で、やはり答えだけは明白なのだ。
 歩けば、前に進めば、少なくとも辺りの情景と、そして歩いた距離の長さは変わるのだ。
 その変化した情景と距離を得て、如何にして私が変わり往くことができるのか。
 これは、私自身が私に歩まれるべき旅路になっているのだ。
 答えは私の外には無く、答えを得た私が変わる情景と距離を得ていくのだ。
 
 無音の汽笛が鼻を突く。
 
 ひとつ機能を失った足を携えて、そして背負われ歩くことのうちに、その負ぶわれ、
 ただ淡々と、自らの速力とは関係無しに流れていく情景とその距離の堆積が、
 自分で道を踏み締めたときの足先の感触とひとつになっていることに気付く。
 自らの足で為した破壊無しに世界は壊れ、私に征服されていく。
 愚かなることに感じた、山中での孤独なる破壊の驕りを笑うでも無く、
 私を背負う者に全てを託すでも無く、ただその受け入れた体感をものにしていった。
 
 冷たい灯火が耳を塞ぐ。
 
 切り離されていく行為と感触。
 しかしそれで確かに構成されていく現実感。
 やはり憂いを含んだまま、それに頷いていく。
 ならば、そう生きよう。
 その首肯に価値があるのでは無く、その頷いた首筋に込めた力がどう作用していくのかと思案する事、
 それのみに価値とそして意味がある。
 ならば、そう生きよう。
 辺りを見渡せば見渡すほどにずれていく。
 歩けば歩くほどに深みに嵌る。
 そして。
 やるべき事のみが刻々と絞り込まれていく中で、敢えてそれに乗ってやろうとする野望が芽生えていく。
 それがなにをもたらすのかを考える前に、
 それがやがて閉塞していく自分に囚われることに繋がる事を案ずる前に、
 この変化していく情景と距離の堆積を感じてみる必要があると判断する。
 もはや我が足で切り取ることの出来る感触は無い。
 だが、目の前の者の背の上から得られる、果てしなくずれていく感触だけは確かに得ることができる。
 ならば、それでいくとしよう。
 その我が手に余り我が手の内に無い感触しか無くとも、それを手に入れそれを使いこなしていくことは、
 やはりどうしてもできるのだ。
 使い慣れているが壊れている武器と、目の前に落ちている得体の知れない武器のどちらを使うのか。
 問うまでもないことだな。
 
 泥沼よりも静かなその中で、支度を整える。
 足の手当をし、足が動かずろくに戦うことも叶わぬ自分の今を知る。
 すらすらと解くようにして降り進んできたこの水底で、この状況は絶望的と言えばそうであろう。
 退路などとうに見失い、進むべき水面ももはや遙か闇の向こうだ。
 鼻を突く汽笛に震え、冷たい灯火に眉を顰めながら、轟々と押し流されるようにして、
 一本道の先に待つであろう、決して行き止まることの無い袋小路だけが、
 ただ漫然とどこまでも広がっているのを知る。
 絶望的だな。
 だが、私は此処に居る。
 
 
 
 ◆
 
 変わり果てた体感と、定まることの無い世界。
 たとえ法則を捉えたとて、それをどうすることも出来ない時間の流れ。
 今此処に居るこのときこの場所が、限りの無い幻の瞬間であり、
 私はそれに囚われているだけなのだとしても、私が今此処に居る以上、それを無視する事は叶わない。 
 我が胸に宿いし想いに於いて、これほど屈辱的絶望的状況は他に無い。
 歩けば即ちその他の道を踏み潰し、前進こそが閉塞を築いていくこの状況下に於いて、
 唯一感じた憂鬱の手ほどきを受けるまでも無く、このおぞましさは明らかだ。
 闇に埋もれ泥を踏み分け水底で足掻き続けることでしか、なにかを得た気になれぬようにした、
 その自らの浅はかさを責めることでしか、その憂鬱を治める術は無い。
 このまま一本道を掻き分けて歩み、その道を築き続けることへの無念と、そうした己への憎悪。
 迷い込んだ山中にて出会った、この立ち込める紅い靄との格闘が、
 既に私をその一本しか無い迷い道へと導く入り口そのものだったのだろうか。
 わからぬ。
 見上げた空には、闇しか無い。いや、闇すら無い。
 ならば見つめるは、この山中に立ち込めし、月の臓腑のみなのか。
 ぬらぬらと鮮明な音を立ててまとわりつく、その舞い降りた空への紅い入り口だけが、
 やはり真なる存在感を以て、私が在るべき場所としての息吹を晒すのであろうか。
 
 風が、一陣も顕れてこないことに、気付いた。
 
 遠い山に囲まれ、漆黒の闇に塞がれ、そして充溢する紅い靄に囚われている。
 既に我が立ち位置こそが、監獄の内部それ以外では無くなっていたということか。
 だが。
 
 
 閉塞感は、未だ無い。
 
 
 往く果てに見えるべき水底すら見えなくとも、此処が既に水に沈んだ場所ということを感じている。
 此処には此処の法則があり、此処には此処の活路がある。
 なぜならば、既にあらゆる法則で成り立ち、命あるものとして存在している私が此処に居るのだからな。
 面白い。
 往くぞ。
 
 
 
 ++ 
 
 狂おしいほどの静寂と溶けていくほどの喧噪。
 走馬燈よりも不確かな時間の流れが飛び石の上を滑るように跳ねていく。
 誰も居ない家。
 しかしそれは家であるゆえに、誰かが居ることを前提として存在している。
 時間の法則が曖昧な此処では、
 現在人が居るかどうかでは無く、人が居ることができるかどうかによって、
 その家に人が居るか居ないかが決まる。
 居ると定められた家は、どんな目と耳と感触を以て挑まれようとも、その住人を奪われることは無い。
 その家に人が住んでいたという経歴があり、人が住める場所としての歴史を重ねてきた上に、
 今こうしてゆらゆらと漂う人影は、その存在を否定されてもあっさりとその姿を留めている。
  家の記憶が人を成し、村の記憶がその中の家々を成していく。
 
 ++
 
 
 
 陽炎のように立ち歩く村の住民達の存在に沿って、私は今この姿の見えない水底を歩いている。
 水底を歩く者に水底を見ることは出来ず、水底はまたその上に架かる白銀の月を知らぬ。
 だが、出口の無い一本道を彷徨う者には、それが一本道であるということを認識する事から、
 その他の道というのがその外にはあるという事を思い描くことが出来、
 自らの重みで浮上することの出来ない思念は、その自らが囚われているその状態を認識する事から、
 それ以上の広がりを持った思念が存在する事を確信することが出来る。
 それを無視する安寧がこそ、胸の内に鬱蒼と広がる憂鬱の目を覚まし、
 そしてそれは莫大な衝撃を以て、空に在る白銀の月へと至る道を頭上へと繋げていく。
 全身を搾り取られるようにして、周囲に広がる紅い靄を迸る血に見立てるほどに、
 ひたすらずれていた体感が、今この場に最も相応しいものであるという実感を受けていくのだ。
 息を切らして疾走する者の背の上で、その者の鼓動と繋がりながらも、
 冷静に流れる情景と時間を捉えている。
 目眩く違和感の連鎖のうちに、それでも打開点を見付けていくことは、ただそれ自体に集中し、
 それに囚われているという意識を自らに与え、そしてそれゆえに、
 その現在打ち込んでいる側面以外の方向からも、一心不乱に打撃を加えていくことが出来ると、
 そういったひっそりと当たり前のように広がっていく多角的在り方ができるのだ。
 囚われれば囚われるほどに、その虜囚である自らの姿を捉える事が出来、そしてその観点を以て、
 それでもその虜囚の位置から生きていくことが出来るのだ。
 よかろう。
 ならばこの村を突破するとしよう。
 ひとりの村人となることも出来ぬ、村の外の者ともなることが出来ぬ、
 それでも此処に存在している者として、我がすべてを背負って確かにこの村から生きて出るとしよう。
 
 
 
 『今から言うことを、良く聞け。 
  お前はこの空間で、たったひとり私を守る戦士なのだ。
  今後、私の側を離れることは決して許さん。  良いな。』
  
 
 
 
 
 ・
 ・
 ・
 
 
 
 ◆◆
 
 許せぬ。
 それが、あの男が発し続けた言葉なのであろう。
 勝手に流れていく時の流れが、私に村の記憶を見せる中で、その男の存在もまた記録されていた。
 すべての成り行きを見納めるためでは無く、それを追体験していくことの中に私はいた。
 その村の中に居ながら、その村の記憶だけを見つめていく。
 これは、すべてが終わった記憶の姿だ。
 臨場感など必要無く、またすべてを理解するべき対象でも無いのだ。
 なぜならば、この村の記憶の映像は、なにものかの視点に於いての物語にしか過ぎないのだからな。
 私はまるで用意されたアトラクションを、道順通りに体験していくだけに過ぎないのだ。
 どれほど歩を進めようと、どれほど村の中の家々を巡ろうとも、
 すべて描かれるべきその筋書きは変わらない。
 そして足掻くことの無為を悟るまでも無く、進むべき道を指すようにその揺らめきを示す村人の影が、
 私をその山頂へと再び誘っていく。
 歩きながら、走りながら見つめた、その影共の戯言と見紛うばかりの真情。
 それはどれほど愚かなものであろうと、この村の記憶の理から見渡せば、ひとつの真理であった。
 煌々と燃え上がる、水より乾いた紅い靄が照らす山頂への道筋は、すべてこの真理で作られていた。
 ひとり村と共に生き、村と共に死ぬことを選ぶ男を認める場所は、どこにも無かった。
 あの男にとって、村が奪われることは、自らが奪われることに等しいことだったというのにだ。
 作られた沿道の中の誰もが、その男の真情と真理を顧みることは無かった。
 
 そして無情にも続くその紅い道筋の果てにあったのは、行き止まりとしての死であった。
 
 男に殺される前に男を殺そうとした村人は、すべてその道の終わりに屍を晒した。
 ふふん。
 死が行き止まりであるのなら、死を知覚できない我らには、やはり行き止まりなど無いのだな。
 この村の住人はこうして、月蝕のたびに村の跡地に入り込んだ者に、
 永遠に終わることの無い死までの道程を繰り返し見せるのであろう。
 それは、欠けた分の月が山に溶け降り見せた罪の意識の姿だったのだろうか。
 だが、それは一体、誰の月だったというのか。
 
 例に漏れず、道順を正確に辿った私の前に現れたのは、死を背負う死を与えし者の姿だった。
 あの道を来た者が辿り着く、終わり無き終わりの場所。
 男の無念が見える。
 そして、同時に。
 この最後のステージで無念にもゲームオーバーになった村人達の姿が見える。
 私が村人の仇を討つ義理など欠片も無いが、しかしむざむざと男に討たれる筋合いも無い。
 戦えば戦う。死ぬなら死ぬだ。
 そして、同時に。
 私の中の憂鬱が胸を引き裂く叫びを上げ、道を駆け下りていった。
 
 戦うには、力が足りない。
 だが、生きてこの村を出るには戦わねばならない。
 だが。
 そのことと、あの男の理としての姿を否定することは同じでは無い。
 『気にするな。過ぎた時間に我々は手が出せん。』
 村人の理にも、男の理にも、そしていかなる情景にも時間にも囚われる必要は無い。
 私が向かうはただ、私にまとわりつく紅い靄を掻き分けて進む山道のみ。
 そしてその先に照らし出される、空にあるべき月の罪を贖っていかねばならない。
 山中に満ちる月は、他ならぬ私のものだ。
 ならば、往くぞ。
 終わり無き終わりの頂へ。
 あの男の姿を倒すことに意味など無い。
 あの男の屍の先にある、ただただこの山を映す水面に浮かぶことだけにそれはあるだけだ。
 これは、私の戦いなのだ。
 だから。
 決して戦いが目標になることは無い。
 
 『奴は殺人鬼だ。間違い無く、自分の手で殺しに来る。』
 
 私はこの村の者では無く、また現在村の外に居る者でも無い。
 ただただ、この殺人鬼の徘徊する村に閉じ込められた、脱出を志向する者だ。
 わざわざ私が倒しに行かなくても、あの男はやってくる。
 ならばもはや、あの山頂へと至る道など無くともよい。
 この村こそが、既にあの山の頂点そのものなのだ。
 終わりの無い水底に沈む、この穏やかで同じ変化を続ける村の中に私は居る。
 この私こそが、終わりを見出す場なのだ。
 ならば話は簡単だ。
 戦いに有利な場所に移動し、勝つための方策を考えればよい。
 
 
 気付けばその必然に導かれ、紅く燃え尽きた山頂に至っていた。
 これは果たして村人達の辿った末路を踏んでいるのかどうか、それはわかるはずも無い。
 だが、戦いにその答えは必要無い。
 そして。
 戦いを目的としない私にとっては、その答えが必要であるかどうかの答えすら、必要が無い。
 目的などいらぬ。
 村の外へ出ることを志向する必要ももう無い。
 ただただ、この瞬間に。
 いざ、戦いの時間へ。
 
 
 
 
 
 
 +  そして 月が舞い降りた ++
 
 
 
 
 
 
 ◆◆◆
 
 我が背に負われし私よ。
 我を背負いし私よ。
 我らがふたつに分かたれている事に意味はあれど、なんらそれに拘る事は無いのだな。
 物音しかせぬ無機質なぬくもりの中で、ただ木霊する互いの鼓動がすれ違うのを聞き分けていく。
 微動だにせぬ純粋なる憂鬱と背を合わせ、しかしそれ自体が私を導くことは無いのだと知る。
 見つめればそこに、狼狽える私が居る。
 目を閉じれば、確信に囚われた私が居る。
 靄が無限に押し寄せる。
 目を凝らせば凝らすほどに、その重量は増していく。
 空など見えぬ。
 夜なと感じぬ。
 月など、知らぬ。
 だが。
 
 我が足下には、そのすべてと繋がり、そしてそのすべてである膨大な山が聳えている。
 
 山頂に湛えられた、その小さな水面より浮上した私にはなにも無い。
 あの山道の頂点から飛び降りたときに、水面に到達できるはずは無いと思っていた。
 あの山の中に居る限り、それは永遠に終わることの無い水底を逍遙し、
 すべてはその水面に映る夢幻に終わっていくのだと思っていた。
 そう、あの村の住人のように。
 
 今、あの男を倒し、そして水面に浮かびながら私を見失ったとき。
 その目の前には、そう、真正面には、その真円を描く望月が横たわっていた。
 空がこれほど近いところにあるとはな。
 手を伸ばすところに空はあり、そして我が短き腕に纏わる紅い靄が、
 そのあまりに近い場所に浮かぶ月に連なり、そしてそれを満たしていくのを、
 ただただこの体に流れる血のぬくもりのままに感じていた。
 白銀をその見窄らしい紅で汚し切ったのち、
 その満月はやがてそれをぬぐい去り、真なる血潮を孕んだ満月へとその姿を変えていった。
 月の高きを、なんら感じぬ。
 空の広大さを、なんら想わぬ。
 かえすがえすも、戦士の素質が無いな。
 だが、これでよい。
 水面に浮かび浮かぶ水面と溶け合うばかりの瞳が、煌々とその同じ高さにある月を紅く満たしている。
 このままでも、よい。
 
 
 ふふん。
 
 
 変わると、信じてみたいからな。
 
 
 
 
 
 
 
 
 『僕たち、元の世界に帰れるのかな?』
 
 
 『さぁな。』
 
 
 
 
 
 そんなことは、この月夜に訊くがよい。
 
 
 
 我らは月への生贄では無いのだからな。
 
 
 
 
 だが。
 
 
 
 
 
 
 『ああ、よくやった。』
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ◆ ◆ ◆ ◆
 
 ヒロにとって、あの一夜の出来事はなんだったのかと考えると、途端にわからなくなる私が居ます。
 ヒロと姫の意識は隔たりがあるっていうか、それ以前に次元が違い過ぎるので、そもそもヒロ視点で捉え
 ると、ほんとヒロにとってのボーイミーツガール的成長物語で終わってしまう気がするんです。
 でも、あの男との決戦の前で姫と見つめ合った、あのときのヒロを、たったそれだけの言葉で語ってしまう
 のはなにかが違う、いやなにかが決定的に足りないと、そう思えて仕方がありません。
 たぶん、あのシーンの直前まで、ヒロは良い気分で心地良い感じだったと思うんです。
 姫の守護者の意識を強く持つことが出来て、そしてそのまま動くことができる自分に心無しか酔い痴れ
 ても居たと思うのです。
 そうやって、もじもじしながらも、ちょっぴり大胆になって、それで少しばかり偉そうに男ぶった気持ちが
 誇らしくなって、いやいや、でもやっぱり姫にそんなにやけた顔見せられないよへへ、って感じでよくある
 このヒロのひとり照れ笑いが炸裂せんばかりだったと思うのですよ。言い過ぎですかそうですか。
 
 でもね。
 たぶん、あの姫と見つめ合ったときに、なんか、あっ、って、どうしようも無くわかっちゃった事があると、
 そう思うんだよね。
 姫のあの瞳。
 まず、ヒロの妄想の中の姫じゃなくて、実際の血肉を持った姫に見つめられたって事の威力の虜になっち
 ゃって、それでもうそれまでとは比較にならないほどの現実感、つまり極度の緊張と責任感と、そして
 それを超える活力が体中に染み渡って。
 そして。
 それを超えて、すっと、全部消えたと思う。
 もし、ヒロがその姫万歳MAX状態(笑)になっただけと、あのシーンをそう受け取れば、たぶんこの怪物
 王女という作品をそれ以上に広げて見ていく事はできないと思うのです。
 私は、ヒロはあのとき姫の紅い瞳を見て、すっと、自分が見えたのだと思う。
 それは、姫の守護者として未熟な自分、という意味では無く、そうやってひとり姫の守り手としてその意
 識に舞い上がって没頭してしまっている自分が、ヒロにはすーっと音も無く見えたのじゃないかなって。
 うん。
 ヒロは、自分が姫の期待を受けて姫を守る戦士であることで、なにか重大なことを見落としている事に
 気付くのです。
 ヒロは、姫のことをなにも知らない、と。
 ヒロは、姫が姫として向き合っているものを、なにも見ていなかった、ということを。
 
 たぶんそれは一瞬のこと。
 でもたぶん、ヒロはその意識を胸の奥に植え付けたはずだし、そうでなくては、ただヒロは独りよがり的な
 妄想少年で終わってしまうでしょうし。
 少なくとも現状に於いて、ヒロは姫と視線で頷き合う事が出来た。
 でもそれは、最初から姫はヒロをひとつの道具として使っている、良く言ってもひとりの家来としての
 役割について、お互いが云々しているだけにしか過ぎ無いのです。
 つまり、姫はヒロに家来としての仕事しか期待しておらず、それ以外の事についてヒロと向き合っていく
 事はしない、ということなのです。
 これは、果たしてヒロにとって意味があることなのか。
 この先どんなに姫と阿吽の呼吸で、お互いが分かり合っているということを、ヒロが意識することが出来て
 も、結局それ以上にはなれないし、またヒロからして、そもそも姫を守る戦士としての欲望を満たす事
 をしたかった訳じゃ無いんですよね。
 単純に、姫を守る戦士を自分が生きるために必要な「仕事」と割り切ってこなしていく、ということはでき
 ますし、それを完遂するために自分の仕事に誇りを付与していく事もまた出来ます。
 ましてや目の前には、自分しか守る者の居ない姫が居るのですから、それはヒロにとってもっとも安楽な
 道だと思います。
 
 でも、その道を選んだ時点で、このお話は終わりなのです。
 26話もいらない。3、4話で足りるのじゃないかな?
 そう。
 ヒロにとって、「本当に守りたいもの」はなにか、それがたぶん、ヒロ視点で見た場合の主題なのだと、
 そう私は思っています。
 ヒロがただ姫の戦士としての職責を全うするだけなら、おそらくヒロは姫と同じ場所で戦うことはできない
 でしょう。
 まだお話には出てきていませんけれど、姫が戦っている、その最も強大なものはなにか、と考えたら、
 それはたぶん襲い来る自分の命を奪う者との戦いそのものでは決して無い、とすぐに思い至ります。
 もっともっと根元的で広大な、少なくとも王族間の勢力争いそのものもそうですし、他にもまだまだ
 色々な形を以て姫に向かってきている問題はあるのです。
 ヒロが姫の戦士として充足すれば、それらの問題には触れることすら叶わない。
 ヒロが少なくとも姫と同じ位置に立とうとしなければ、それらの問題から姫を守ることは出来ないのです。
 
 無論、姫様はそんなヒロの接近を傲然と足蹴にする事でしょうけれど(笑)、しかし姫もまた、本当に自
 分がしたいことはなんなのかを、ヒロをしっかりと通して考えていかねばならない気がします。
 自分ひとりですべてを解決することそれ自体が姫の目的なのか、それとも・・・・
 なにものにも拘らず、なにものにも拘らないことにも拘らない、という姫の解釈のための言葉を使う私から
 すれば、もう既にふたりがこれからどこへ向かうのかはわかりきったことなのです。
 ヒロは変に毒されていませんから、きっと彼の真の目的は、そうして姫の自立性に踏み込んでまでも、
 姫のことを守ってあげたいと、それでも少しは感じるその抵抗感を乗り越えることで、姫を守ってみせる
 ことにあると、自ずと、そして純粋に思い至るのじゃないかなとも思っています。
 まー、どっちかっていうと、守るというより、一緒に戦う、という方がよりふたりのために良いと思いますけど、
 それはまぁふたりの器用度にかかってくるのかもしれませんね。
 
 
 
 ということで、ここまで読んで頂ければ、なぜ本文が姫ひとりのお話になっているかがおわかりになるかも
 しれません、とちょっぴり卑怯なことを。(笑)
 そして、はい、いやまぁ、傑作でしたね、今回のこの「生贄王女」は。
 ていうか、ヒロ視点に於ける姫が魅力的過ぎます。
 たぶん視聴者の何割かは殉教者になる覚悟を固めたのじゃないですか? (笑)
 と、冗談はさておき、映像的にたぶん今回は今までで一番完成されていましたね。
 村の中に灯る電灯のぬるさや、それが創り出すその外側の闇の深さとか、月の描写も透き通るような
 白銀と、血色に溶けるようにして欠けていく月蝕の色合いなど、もう好き放題に解釈してくださいと
 言わんばかりの描きっぷりで、おまけにアクションの方も非常に静と動の共存が素晴らしく、ああもう、
 なんか上手くいえないほどに絶妙でした。
 なんだか雰囲気造りだけなら、怪物王女ってそれこそここ最近で一番上手いのじゃないの?
 
 ストーリーの方は、たぶん私が知らないだけできっとまた焼き直しなのだと思うけれど、でもやはり元ネタ
 やその類型を知っているか知らないかに関わらず、受ける印象としてはそのありきたりな物語の形式で
 は無く、その内実がどうなっているか、つまりどうやって怪物王女としてその物語を描いているか、という
 問いがまずあり、そしてその問いに対して見事に「グッジョブ!」と親指を立てながら答えることができる
 ものになっていました。
 実に、素晴らしい。
 うーん、貶すのも下手だけど、やっぱり誉めるのも下手だなぁ・・
 なんというか、久しぶりに「時間の流れ」みたいなものを映像の中に感じることができたのが、まぁひとこと
 で今回の作品の良さを表すとしたらそういうことになるかな。
 姫はともかく、ヒロの心情の変化はわかりやすいほどに良く表れて、そして姫は心情というよりは、そうして
 変化してるヒロを目の当たりしてどうしていくかという、その行動の変更の移り変わりがよく描かれていま
 したしね、そういうのがひとつの流れに静かにまとまっていたのです。
 ま、その流れの中で溺れた人多数でしょうしねぇ。 (姫の私の側を離れる事は許さん発言辺りで 笑)
 
 
 さて、まだまだお話したいことはありますけれど、時間です。
 それでは、この素晴らしき余韻のうちにお別れを、そして来週までの良い時間を。
 
 
 
 
 
 
 
                                ◆ 『』内文章、アニメ「怪物王女」より引用 ◆
 
 
 
 

 

-- 070710--                    

 

         

                              ■■梅雨下がりと題して■■

     
 
 
 
 
 ごきげんよう、こんばんわ。
 
 はい、すみません、間が空いてしまいましたね。
 チャットの方も放置気味ですみません。
 ちょっと立て込んでいたり、またパソの調子が久しぶりに悪くなったりとで、ついついパソ関連のものが
 後回しになってしまったせいです。
 心配してくださった方々、ありがとう御座いました、もしいらっしゃったらのお話ですけれども。(笑)
 
 さて、現在いろいろとパソの設定が変わってしまったために、不便な思いをしながら更新しています。
 やはり辞書類の中身が元に戻ってしまっている状態は非常に使いづらいですね。
 今まであまりそのあたりのところが変わったことが無かったので、キーボードで打ったものが即思った通り
 のものに変換されなかったり、また漢字が登録されておらずにわざわざ再登録しなければならなかったり
 と、そのいちいちの引っかかりや寄り道が非常に気になり、というよりそこまできたらその漢字を使うのを諦
 めたりしたりだとかして、おかげでまさにリズム感自体で文章を書いているような私にとっては、思い切り文
 章の内容にまで影響が出て、なんだかへなちょこな言葉の繋がりになっていくのを見るたびに、やる気が
 無くなってしまいます。
 しばらく更新休んでいても、言い訳の仕方だけは変わらないようで、なによりです。 (微笑)
 
 
 今日は更新をサボっていた分だけ書くことがありますので、さっさと片付けていきます。
 まずは、本のお話。
 段々読書ペースも落ちてきて平年並みになりつつあるも、それでもまだ風前の灯火のようにして読んで
 います。
 私としては、これくらいの落ち着いたペースで恒常的に読んでいきたいのですけれど、私の性質的には
 どうもムラがある方が落ち着くようで、結局のところ特に志向しない限りは、また一気に沢山読むかと
 思えば、ぱたっと一冊も読まなくなる期間が訪れての繰り返し、になりそうです。
 特にそれを改める気は無いというより、めんどい。大丈夫。
 
 先週借りてきた本:
 ■ 小林泰三「肉食屋敷」
 ■ 貴志祐介「天使の囀り」
 ■ 獄本野ばら「シシリエンヌ」
 ■ 咲村観「上杉謙信 天の巻」
 
 先週、今週とかけてシシリエンヌ以外は読みました。
 
 肉食屋敷はタイトルに惹かれて(いい感じにグロテスクでホラーな響きが良いセンス)、内容にもそれと
 同じくらいのほどを見込んでいたのですけれど、この本はこの表題作を含む短編集であり、おまけに
 表題作も含み全編ともにひとつふたつのアイディアに尾鰭を付けた程度の出来で、かなりがくっときてし
 まいました。
 なにかこう、滅茶苦茶に痺れるくらいのホラーが読みたい。
 
 天使の囀りはホラーとしては70点くらいの出来。
 この人の作品はほかに2作読んでいるのですけれど、基本的にどの作品においても主人公とそれに連
 なる人物の考え方が好ましく無く(というより作者のものの考え方や価値観)、そういう面では主人公
 達が遭遇する恐ろしい事態やその主因の人物達よりも、それらに対する主人公達の捉え方の方がそ
 れらを超えるレベルで不快であり、ホラーとしての恐怖がそれに喰われてしまうことが多いです。
 サイコパスなどの単語やいわゆる「心理学的」説明で対象を切って捨ててしまうので、それが対象に対す
 る嫌悪であれ同情であれ、相手をひとりの人間として認め、そこからどうにかしていこうという知見を一
 切欠いた差別で始まり差別で終わっているので、結局のところ物事の本質的恐怖を味わう前に、その
 主人公達の短絡的(ある意味で人間らしいけれど)行為を見せ付けられて終わりになっています。
 今作はその辺りがある程度うまく秘匿され、表面的には主人公達の行為を現実的観点から見据え易
 く、容易に彼らの行為に「仕方が無い」という言葉を以て頷くことができる仕組みになっていますけれど、
 それは前述の短絡的行為がより洗練されて受け入れ易くなっているだけ、というものでした。
 
 上杉謙信は、お話になりません。
 歴史の結果から遡って、なんでもかでも主人公の思惑通りに進んでいるという形で、すべてを語ってしま
 おうという、一番やっつけなものでしたので。
 
 今のところ、次に図書館に行く予定が無いので、もしかしたらこれが最後の読書感想になるかもしれま
 せん。
 もっとも、どうせまた何ヶ月かしたら読み始め書き始めるのでしょうけれども。
 
 
 
 
 ◆
 
 閑話休題。 (それはさておき、とお読みください)
 アニメ。
 
 今は結構忙しいので、新しく始まったアニメを見るだけで手一杯で、それまでのアニメの視聴が遅れたり
 してしまっているのだけど、でもまぁ、普通にアニメは好きなんで、みんな今まで通りよろしく♪
 自分でもどういうノリなのかわかんないけど、そこんとこよろしく。よろしくされたいんです! (本音)
 
 んでまぁ、この間はひとしきりエマとかロミジュリとかの青春青春で騒いだ気がするけれど、気のせいでは
 無い証拠にホラ、私のパソの壁紙はロミジュリの壁紙ですよ。
 うん、お花畑の中で微笑みながらふたりで向かい合ってるあの構図ですよ。OPのラストの。
 ねー、周りが白く縁取られて、中央に向かうにつれて段々と花が咲き乱れ始め、その中ではロミオとジュ
 リエットがほんとに無邪気に幸せそうに笑って、あー癒されるーみたいな、だってなんだか毎日パソ立ち上
 げる目的の4割くらいがこの絵を見るためだったりするほどのどうしようも無さで、ときどき自分を疑い始め
 たりするけれど、私は元気です、みたいな、って、違う違うそういうお話じゃなくて、うんうん、この優しくて
 嬉しくなる壁紙は大好き☆ってお話がしたかっただけなのです。他意は無い(はず)です。
 生活に疲れた人も元気一杯の人にも、勿論現実逃避したい人にもお勧めです。 (目を逸らしながら)
 あ、この壁紙はロミオ×ジュリエットの公式サイトで無料で配ってますので、欲しい人はぜひ。
 
 
 そんな感じであれなのですけれど、先日夜遅く、というより朝に近い時間まで色々とやっているとき、
 ふとテレビに映っていたアニメがふたつあって、あーとか、なんかえもいわれぬ感動を受けたりしてきました。
 なんか最近深夜過ぎると、ほんとこう、別の世界に行ってきた気ばっかりがします。 (睡魔絶好調)
 ひとつは、なのは。最新作のね。
 この時間帯のアニメをリアルタイムで見るなんてかなり久しぶり。
 で、この作品たら、第1話を観たときに結構バトルが面白くって、飽きなかったら最後まで見るとか言って
 おきながら、早速第2話で飽きて次から見捨てられたという可哀想な作品で(お前が言うな)、そしたら
 さ、この間見たらさ、なんか小さい女の子が居て、ママが居なくて、そしたらなのはが私がママでいいよと
 か、そしたらその子ママーとか言って泣いて抱きついて、あー、って、感動。
 これだけ書くとなにがなにやらわからないかもだけど(特に私の頭の中)、その前のなのはとフェイトと一緒
 に寝てて、なのはが早く起きてベッドから降りたんだけど、それでその子をフェイトの横に移動させてあげて
 にっこり微笑むシーンがあって、それでやっぱり、あーって、感動、うん、わかんないか。
 でも私は、某お人が擬似親子に萌える理由が、なんとなくわかった気がしたよ! (私信)
 
 
 そして、ふたつめが肝心。
 以前、ノイタミナ枠で「怪」というアニメがやっていて、その中の「化猫編」が再放送されていたのを見た
 のです。
 ・・・・。
 これ、当時も見て絶賛したけれど、改めて時間を置いて見たら、なんかもう、たまんない。
 演出とかそういう辺りの斬新さ積極的冒険心実験心の素晴らしさはもとより、けれど今回のお話はその
 3話構成の最後のお話における、全体の肝の部分にどどんと目が奪われちゃいました。
 「ねこ・・ねこ・・・」
 嫁入り道中の途上で攫われて閉じ込められてあらゆる虐待を受け地獄を見せられ続けて、なのに猫の
 鳴き声がしてはっとして、檻から手を伸ばしてそちらに手を伸ばしたら、ちろっと指先を舐められて、そのと
 きのそのたまきの顔がもう。あれでまず、じわっときた。
 たまきはそれから、閉じ込められた自身の絶望からの逃避として、ただ切々とその子猫を愛し続けるの
 だけれども、あの初めて子猫と出会ったときの表情が、ただただそれでも無垢なたまきの中の喜びをしっ
 かりと描いてて、あぁっていう、あのどうしようも無い笑顔がさ、やっぱりその、絶望から逃れるための、そう
 、たまきはまさに猫っ可愛がりして、すべてその子猫を愛することに没頭しちゃって、その姿はあまりに悲愴
 で無惨で、自分の食べ物だって子猫に全部あげちゃって、自分はガリガリで、だからたまきは生きること
 はもう諦めちゃってて、だからお前、ねこねこ・・お前だけは・・外へ・・・って、もう、バカ、たまきのバカ。
 そのたまきの姿は美しいよりも残酷で、残酷であるゆえに愚かで、そしてそれは結局は絶対に外に出る
 ことはできないという現実を、ただただ受け入れていくだけの逃避的愚行でしか無く、そう、わかる、わか
 っちゃうんだよ、その魅力がさ、そうしたいってことがさ、辛ければ辛いほどね、うん。
 
 でも。
 たまきはさ、あの子猫に初めて指先を舐められてその子と出会ったときのあのたまきのさ、なんていうの、
 ほんともうそんな絶望的な現実と全然関係の無いあの当たり前過ぎる笑顔を持ってる。
 自分が諦めて死ぬことも、子猫にすべてを仮託するだけのことも、それがたまきの想いの本質である訳
 じゃ無い。
 ラストで、主人公の薬売りが幻視した、あの屋敷から子猫と連れ立って出ていったたまきの姿。
 この屋敷からは誰も出ることは無いという形を、その幻視と共にその薬売りは捻じ伏せ描いてみせた。
 たまきは、最後まで子猫を「ねこ、ねこ」と呼んで、名前を付けなかった。
 子猫に名前を付けるということは、その子猫を自分の一部として捉えることにも繋がり、そしてだからその
 子猫の姿をした自分だけでも外に出したいという願いを醸成させる。
 でももし、名前を付けなければ、子猫は子猫として、ただの自分の外側に居る「他者」としての存在と
 して捉えるのならば、それはきっとたまきが自分は自分であるという最後のプライドを保持させ、そして
 あくまで自分とはひとつにはならない、その愛しい「他者」たる「ねこ、ねこ」と、そのしっかりと独立した
 者同士として並んでこの家から出ていきたいという、そういうたまきの本質的な願いがあることを示し
 続けるのじゃないかなって、思いました。
 それが、あの、ラストの薬売りが幻視した、子猫とたまきの姿なんだなぁってね。
 そして、子猫と初めて出会ったときのあのたまきの笑顔が、その「他者」たる「ねこ、ねこ」との出会いに
 よる心からの喜びなんだって、あー、ほんと、感動しました。泣いたよ泣いた、泣きました!
 そしてだから、そういうこともまた超えて、その自立した自分の位置から、その子猫を愛して守ってもあげる
 ことがたまきは出来たんですね。
 今、目の前の、子猫を守るために。
 
 ・・・・。
 子猫、飼いたくなっちゃった。
 ロシアンブルーとか、よくない? (ブランド嗜好)
 ・・・・。
 ・・・・・・・・・・・。 (早速調べたペットショップの価格表を見つめながら)
 
 
 
 * ちなみにこの化猫編の続編が、「モノノ怪」と題して新しく7月12日(だったかな?)から始まりますの
  で、興味のある方は、是非。
 
 
 
 
 ◆
 
 猫に話題と気力を割きすぎてはやくも疲労が見えてきたので、さっさと次に移行します。
 でーはい、新アニメですね、7月から始まったアニメですね、もう7月かよって話ですね。
 ということで、はやくも視聴したアニメの感想を書いたりしないといけません。いけないの。
 では、早速。ちゃちゃっと。
 
 
 スクールデイズ:
 ベタベタ。反応に困った。ある意味阿鼻叫喚。どうしたら。男の子が居て、好きな女の子が居て、そした
 ら間を取り持ってくれる女の子が居て、普通に恋が成就して、そしたら間を取り持ってくれる女の子が
 男の子にキスして終わり。・・・・・・。 す れ ば ? (酷)
 とこういった作品と視聴者(ていうか私)との間の距離が軽くエベレストより高くマリアナ海溝よりも深くあ
 るような感じですので(お前も大概な)、速攻視聴打ち切りなところなのですけれど、しかし後になかな
 か面白い展開(主に惨劇的)になるそうなので、その点で踏みとどまっている現状です。ごめんなさい。
 
 ゾンビローン:
 人物造形というか描写というか、その辺りが滅茶苦茶いびつなので、それが面白いといえば面白い。
 感情移入とかそういう観点で無く、ただ彼らが言っていることをどう考えるかと捉え直していくということが、
 だから出来ますし、そういう意味では、あのもう死んでるのになぜ生きようとするの、私だったらそうなったら
 もう生きたいなんて思えないっていう台詞に対して、クズとか死ねとかそういう罵倒で答えるのは、たぶん
 言い過ぎというか独り善がりなものに感じるかもしれないけれど、でも単純にその罵倒する立場でものを
 考えていけばイロイロとわかるものがあるような気がします。
 そういう意味でなら、あの罵倒された女の子の立場に立っても、まず始めになんでそこまで言われなくち
 ゃいけないのよ、というある意味ストイックな自己愛から始まり、その愛の大切さを考えていくことが出来、
 しかしその反面そうして自分を罵倒する、全く未知なるミステリアス(?)で「カッコイイ」少年に胸をときめ
 かせることから始め、そしてその罵倒の内実について考えていくことも可能なのだと思いました。
 
 ムシウタ:
 途中から観たので、話の筋とか全然わからなかったのだけれど、全編に渡るなにかしらやってやんぜ、み
 たいな雰囲気と、それを支える現時点での深みのある(意味があるかとはまた別)演出がなかなかに
 きらきらと綺麗だったので、取りあえず次回も見てみたい、と思うことはできました。
 それ以外は知らん。 (いいかげん)
 
 絶望先生:
 今のとこ、今期最高作品。
 あの無意味でむしろ気持ち悪いサービスシーンが無ければ、一個の作品の完成度としてまずは100点
 をあげてもいいかなってところ。
 「今朝も中央線が止まりましたね」なんてさらっと言う先生とそれを描いて平気な作品の中で、あのポジ
 ティブ過ぎる女の子がやりたい放題やってるのが面白すぎ。あの天然ぶりは唖然を通り越して拍手。
 桃色ガブリエルは普通即興で出てこないぞ、たぶん。そしてなにげに桃色係長は辛辣。桜に負けてる。
 そしてどんなにさらっと絶望的なことを言っても、あっさりとその女の子に掻き回されて、にも関わらず懲り
 るとか懲りないとかそういうレベルを超えてやっぱり普通にさらっと絶望的なことを言う(あの保健の先生に
 嫌がらせ?をするところとか)、なんていうか、あの作品の中の空間の雰囲気がストライク。
 ツッコミもいいですしね。というか絶望先生のツッコミはそれ自体が絶望的なのがさらに○。
 そのまんまなお色気方面はともかく(というかいらない)、演出関連が実に巧みで、ただの漫画的アニメ
 アニメした感じにしないで、どことなくリアルな情緒(大正浪漫プラス怪奇趣味)があって、基調にある
 ギャグのリズムにそれがしっかりと馴染んでいて、なんというのかな、お洒落というかちょっと贅沢な感じが
 します。
 つまり、極めて挑戦的なことをやっているのだけれど、それを一切感じさせないほどにきっちりと洗練され
 ているということです。実に素晴らしいですね。うん。
 非常にひとつひとつの演出が効果的で、それ自体がもうちゃんと作品の流れを作っていますしね。
 たとえば、すべるようなギャグがあっても、それを覆い隠して演出で強引に乗り切ってしまおうとするのでは
 無く、単純に言葉としてのギャグとしてはすべっても、それをすべらない笑えるような形にするための背景
 作りをその演出が担っている、ということです。
 ということで、今、次回が最も楽しみな作品になっています。お勧めです。
 
 ぽてまよ:
 ぽてまよは可愛いとは思えないのだけれど、あの鎌を持ってる方の生物はちょっと可愛いって思った。
 まだ、いけます。 (ぉ)
 
 
 と、観たのはこんなところです。
 んー、手放しでOKなのは絶望先生ですね。
 感想は書きたいと思うものは無かったですし、たぶん今期はこのペースならば感想は無しになるかも。
 ちなみに、今期はあと、ひぐらし2期、モノノ怪、撲殺天使ドクロちゃん2の視聴を予定しています。
 勿論、それ以外のものも観るかもしれませんし、そのときはまた報告します。
 
 では、エル・カザドの感想をどうぞ。
 
 
 
 
 ◆
 
 エル・カザド:
 第14話。
 エリスと博士の過去話。
 たぶん多くの人が、エリス萌えが可愛かったで済ましたことでしょうけれど、私もそうします。(えー)
 というのは3分の1くらい冗談で、ええまぁ、なかなか面白かったですよ、良いお話として。
 ただ、特になにかを考えるようなことは作品自体には無く、せいぜいあのいくつかあった格言名言につい
 てちろっと考えたりする程度で終わりました。
 
 ・「人間の運命は人間の手中にある」 byサルトル
 というより、人間の運命は、それが人間の手中にあると考えている、その人間が此処に存在していること
 自体にある、というのが正しい気がする。
 つまり存在すること自体が運命によって出来ていて、自分で意志決定したものでは無いのだけれども、
 しかし人は既にそうして存在してしまっている以上、ただただその存在の中で懸命に意志決定していく
 のであり、結果そうして生きたことが周りに影響を与えることで、その周囲との関係性の中にある自分の
 人生も変わっていく、という意味で、人間の運命は人間の手中にあると言えると思う。
 
 ・「時間は存在しない。存在するのは瞬間だけである。」 byトルストイ
 時間も瞬間も、それが存在しているのか存在していないのか、そもそも人間は知覚できないと思う。
 第一、瞬間があるとしても、それを知覚するということ自体が、既にそれを過去、つまり時間として堆積
 していくものとして便宜的に説明できるものへと変えてしまうのだから。
 だから逆に、瞬間があるというのなら、その積み重ねである過去の歴史の時間というのもある。
 だけど、人は「瞬間」という概念を想像し、そしてそこに無限のリアリティを注ぎ込むこともできる。
 そしてただすべてはこの瞬間だけであると、そうして過去の時間の存在を敢えて「概念化」しそのリアリティ
 を奪ってしまえば、相対的に瞬間のリアリティが残り、より刹那的な感触の中に生きることができる。
 でもそれは同時に、瞬間も時間も、同じくそうした概念に肉付けをしているという点に於いて、全く
 同じものであるということを証していて、それゆえ、瞬間にリアリティを感じることができれば、同時に過去
 の時間の堆積としてのその時間の流れをも感じることができる。
 前述の運命の話における意志決定を行うに際して、今この瞬間に立ち返り、それを最重要視してそこ
 に突っ込んでいくのは確かに実践的に見て有効ではあるけれど、しかしそれもまたやりようで、過去の時
 間の堆積を歴史として実感し、そしてその最先端にある自分を意識していけば、そもそも今この瞬間
 だけに拘る必要が必然的になくなるのだと思う。
 
 ・「人は、障害に向き合った時、自らを発見する。」 byサン・テグジュベリ
 それは違うと思う。それは障害に向き合っている自分を発見したことに気付いたに過ぎない。
 というより、人は常にそうして自分を発見しているという意識を感じることで、自分を発見するに過ぎない。
 つまり、勿論障害に向き合ったときにも自らを発見するのだろうけれど、別にそれは特別なことじゃなく、
 自分で自分を今見つめているという意識を持てば、どんなときだってそれは自分を発見していることに
 なるし、そもそもそういう意味でなら、私としては「発見」だなんて大げさな言葉を使う必要が無いくらいに
 、それは当たり前なことだと思う。だって私は、私を見つめるという私なんだから。
 もっとも、そうやって「発見」という言葉で小さな驚きを以てことにあたるのはとても大切で、そしてなにより
 も素晴らしいことだと思うし、そうした喜びの積み重ねとしてあるその「発見」の日々なら歓迎できること
 なのだけれども。
 でも、だから重要なのは、それは決して障害に向き合った時だけでは無いということであり、だからもっと
 言いたいことは、障害に向き合ったときに感じる、自分の卑小さどうしようも無さが、それがそれだけが
 自分の本質では決して無いということ。その境地から物を語ればきっと凄惨なことになるのだから。
  
 ・「愛情にはひとつの法則しかない。 それは愛する人を幸福にすることだ。」 byスタンダール
 言い得て妙。
 愛すれば、ときに愛する人を傷つけてしまうこともある。
 そのとき考えるのはいつも、このまま愛せば、愛する人を傷つけ、そして不幸にしてしまうと思い、そして
 そっと身を退くこと。
 しかし、それは既に愛情では無い。
 愛するがゆえに傷つけてしまい、だからそれを恐れ、しかし、愛するがゆえにさらに愛し、だから、だから、
 それでも相手に幸せになって欲しいがゆえに、滾々とどうしたら傷つけながらも幸せにすることができるか
 を考えていく。
 それは紛れも無く愛情であるし、そしてそれはその法則に則ったがゆえだ。
 愛する人を幸福にすること。
 不幸にすることを恐れ愛することをやめれば、それはその法則を満たせない。
 愛することを捨てないが故にそれにしがみつきただ不幸にしていくだけなら、それもその法則を満たせない。
 だから、愛して、そして幸福にする。
 なぜその自分の愛がその人を傷つけてしまうのかを精査し、そしてどうやったらそうせずに済み、また或い
 はたとえ傷つけてしまっても、それを超える幸せを与えることはできないのかと、そう模索することを愛の名
 に於いて追求し続ける、その営み自体が織りなす法則のみが、おそらくその愛する人と自分を真に幸福
 にしてくれるのだと思う。
 
 ・「人生は複雑ではない。私達の方が複雑だ。
  人生は単純で、単純であることが正しいことなのだ。」 byオスカー・ワイルド
 私達にあるのは、私達という「主体」があるだけで、人生とはその軌跡にしか過ぎない。
 そしてその軌跡がたとえ複雑な曲線を描いていたとしても、それをそうとして語ることに意味は無い。
 なぜなら、自らが歩んできたもの、それ自体がその主体たる私達のこれからの行き先を左右することは
 無く、それを左右するのはただ、主体たる私達が、これからどういった軌跡を描いていきたいと考える事
 そのものだけにある。
 複雑な人生を生きたいと思って生きる人など居ない。
 たとえ、複雑な人生を歩んできたとしても、今の私達は常に、単純な人生をこれから歩んでいきたい
 と考え、そしてそう志向していくことだけが、その歩んできた複雑な運命に抗する手段として「正しい」のだ
 と思う。
 正しい、という言葉はとてもとても力強いのだから。
 それが正しいと言い切ったのが、他ならぬ自分自身なのだから。
 
 
 うわ、エル・カザドかんけーないじゃん。
 
 
 だがそれで良し。 (根拠無しやる気も無し)
 
 
 
 
 

 

-- 070704--                    

 

         

                           ■■ 姫と家来の変わらないもの ■■

     
 
 
 
 
 
 『姫・・・・・・僕はただ姫を守ろうとして必死だった。
  でも嬉しかった・・・・・初めて、姫の役に立てたような気がして。』
 
 

                            ~怪物王女 ・第十二話・ヒロの言葉より~

 
 
 
 
 
 
 
 今回のお話の着眼点は、ヒロが姫を守る決意を固めたところでしょうか。
 とはいえ、要は戦闘中に薬の副作用で眠りについてしまった姫を守ることができるのが、自分しか居ない
 という極限状態に於いて、他の選択肢が無い上でのそのヒロの決意表明であった訳で、確かにヒロの
 男ぶりは上がったけれども、逆に言えばそれがなんだと言う辺りで綺麗に収まってしまってもいます。
  
 つまり、今回は書くことが本当に無い。先週の予想が当たってしまいました。(笑)
 その上に挙げたヒロの話も、たぶん根本的にこれからのヒロの行動動機になるというよりは、姫のために
 尽くして戦うことが出来た、その一夜の自信を得た、という程度に収まるものでしょうし。
 ですから、ヒロは姫を守ったという自信と、その守った対象である姫の眼差しに晒されたという自覚(今ま
 ではほんと道具扱いされていましたし 笑)はあれど、それでヒロと姫の関係に進展があることは無いで
 しょうし、また次回からはその自信と自覚を思い出し気合いを入れて頑張るぞ、とそう励むヒロの横で
 冷然とふふんと鼻を鳴らす姫がやっぱり居るだけ、という変わらぬ展開が待っていることでしょう。
 基本的にこの作品は、姫とヒロの関係性の変化はほとんど無く、ヒロの一方通行的な姫への見方が変
 わっていくだけ、という構造を持っているのですね。
 
 そしてそれは、逆に言えば、姫視点でこの作品を捉えていくとすると、姫は常にヒロを含む他のことすべて
 を捉える、つまりヒロは眼中に無い状態で捉えていく、ということになります。
 姫の一人称で感想を書くとしたならば、おそらく一番書き得ないものは、ヒロに対する姫の想いの発露
 であると思います。
 姫にとってのヒロの存在というものを、ひとつの小さな駒として捉え、そしてそれらいくつかの駒を使って姫
 が面している世界をどう読み解いていくのかという作業の工程を、私は姫と共に行っていくことができる
 のじゃないかなと思ってもいるのです。
 それがどういった境地に至ることへと繋がるのかはわかりません。
 もしかしたら、そうして純戦略的に物事を冷徹冷静に考えていく姫が、その無造作の論理で動かしてい
 る自分を通して、なにかもっと必死に拘るようなもの(例えばヒロへの愛など)が現れてくるかもしれませ
 んし、そのままであるのかもしれません。
 
 たぶん、作品の方向性としては、そのままヒロと姫の関係性も、姫の内面の在り方も変わらずに、しかし
 それまでの作品的時間の経過の堆積を感じて、ヒロも姫も、そして私達視聴者もどこかでそっと微笑む
 ことができるような、そういった「なにかが変わった」という妄想の共有化ができるものになると思っていま
 す。
 そして、その境地に至った姫がなにを考えるのか、ということには凄く興味があります。
 やはりヒロ自身の思考は稚拙なものになるのでしょうから、ヒロの一人称で感想を綴ることに意味は無い
 と思います。
 けれど、その色々と当たり前なことを考えて「変わっていく」ように見えるヒロを見て、一体姫はなにを想い
 、そしてどのように変わった自分を「幻視」するのかという、その疑問に応えるためには、やはりヒロのわか
 りやすい変化があるのは重要なことではあるのです。
 つまり、今回のようなあまりにありきたりなヒロの「成長」物語の一幕も、それをヒロ視点で捉えるのでは
 無く、いずれ姫視点で捉えていく事が可能になるもののひとつとして捉えれば、それなりに価値のある
 お話だったということです。
 そしてそれを価値あるものにするのは、ひとえにこれからの私の、そのひとつひとつのお話に見出していく
 価値の堆積の生産力とその収容力にあると言えるのです。
 わかりやすく言えば、これからどれだけつまらない話を我慢して見続けていけるかということです。(おい)
 
 
 そして今回のお話を別視点で捉えると、ひとつのお話の形式として良いものがあることに気付きます。
 展開そのものという事に関してならば、ひねりも何もないありきたりなお話なのですけれど、そのお話の
 原型をきっちり整形しているという、その輪郭を縁取る筋金の確かさを感じることが出来、また決して
 盛り上げることなどの抑揚の付け方は無いのですけれど、しかし節目節目のシーンをきっちりと装飾し、
 しかもそれが周りから飛び抜けてしまっている異質な飾り方では無く、ごくごく当たり前のようにさらりと飾っ
 ているので、とても穏やかで上品な感じを受けました。
 特に、姫がヒロに勲章を手渡したシーンなど、朝霧の中でしっとりと為されるその二人の滑らかな儀礼が
 、決してそこで派手派手しく飾り立てて「主人」と「家来」という関係を演出すること無しに、、守った者と
 守られた者が、その姫と家来という上下関係をその勲章の提示の範囲内だけに留め、ただただその関
 係を超えるお互いの守り守られたという実感だけを授受していく光景というものそのものになっていたとこ
 ろなど、実に素晴らしかったのです。
 
 造りは非常にオーソドックスでありながら、示すべき所とその示し方をしっかりと弁えている、そういった心
 地良い感触がありましたし、そしてそれがあるからこそ、この作品は常に人知れず着眼点を示し続けて
 いるのですね。
 姫とヒロにとって重要なのは、主人と家来という関係では無く、その関係を含みそしてその外枠にある、
 姫とヒロという存在同士の関係なのです。
 そして面白いことに、この怪物王女という作品に於いては、決してその関係自体が両者に共有される
 事は無く、それぞれが勝手に両者に於ける関係を踏まえてそれ以上の事を考え感じていくだけなので
 す。
 つまり、姫とヒロはお互いが築いてきたその関係を意識していながらも、決してお互いがそれを意識してい
 るということを共有している、ということをお互いに伝え合うことはしない、ということです。
 ふたりがどんなに過ごした時間を共有してきても、ヒロは勝手にああだこうだと妄想し、そして姫はふふんと
 鼻で笑い続けるのです。
 それは、私が観るに、その無言の関係の共有状態そのものがゴールなのでは無く、むしろそれは罠で
 あり、本質としてはその共有している関係は妄想にしか過ぎないと意識し、だからこそそこからさらに色々
 と「妄想」を重ねその精度を上げていくという、その永続的な前進があるのだと思います。
 あの姫の傲岸な「ふふん。」という嘲笑が、ヒロを常にせわしなく動かしていくのですから。
 姫が笑えば、お話がひとつまた始まる。
 
 今夜は、そういったことを考えさせて頂きました。
 
 
 それではまた、来週お会い致しましょう。
 
 
 
 
 
 
 
                                ◆ 『』内文章、アニメ「怪物王女」より引用 ◆
 
 
 
 
 

 

-- 070701--                    

 

         

                             ■■松田が撃ちすぎたので■■

     
 
 
 
 
 松田が撃ちすぎたので。 (挨拶)
 
 
 ということで前置きもそこそこに、まずはデスノートについて語らせて頂きます。
 そしてその後も間を置かずに、今期アニメをひとつひとつ語っていこうと思います。
 たぶん文章量は今度こそ多くなると思いますので、トイレなどは先に済ませておいた方が良いでしょう。
 では、早速始めさせて頂きましょう。
 
 
 
 デスノート:
 犯罪者いわゆる悪人を殺して正しい人達を守るという単純発想を元手にして、一体どうやってお話を
 まとめるのかと思っていたら、ああいった終わり方である意味納得した。
 あの終わり方は、主人公月がそうして自分なりの正義心に純粋である行動の結果、悪人達を粛正し
 ていったことを、ただの殺人行為と断定し、そして月のやったことをその断定したことの範囲内に押し留め、
 結果形としては犯罪者を裁いてきた月自身が因果応報として、まさに犯罪者としてのその末路が描か
 れていた。
 でも私には、かえってあのニアのあなたはただの人殺しです、と月を冷酷に突き放した言葉自体が、既に
 そのニアを含む月を否定する側全体自体が月化しているように感じた。
 なんだ、君達、月を犯罪者として片づけて、それでお終いか? って。
 結局それは月が悪人やら犯罪者やらのことを殺してしまうというたったひとつの行為で片づけてしまったの
 と同じことで、なんら問題の根本的解決にはなってないし、またしようともしていないんだよね。
 
 ニアはただ月とのゲームに勝っただけの存在で別になにも偉く無いし、またあのラストはああして淡々と月
 の最後を描いていくことで、その無論月も含むニア達すべての人間達が自分達でしっかりちゃんと考えて
 変えていこうという意志がどこにも無いことを、見事に表していたという感じでもある。
 月が扮するキラは間違いなく大量殺人者だけれど、ではなぜキラは現れたのか。
 それは、月の父親である夜神次長のような、正直な人達がバカを見る世界を正す必要性があったから。
 キラのとった方法は勿論最悪だったし、根本的に色々間違っているけれど、でも、だからといってそのキラ
 たる月を否定してそれでお終いにすること、それ自体がゴールである訳でもまた、無いのだと思う。
 だから、月を否定することは、同時にニアをも否定してこそ、初めて意味がある気がした。
 月を否定したことでなにを得ることが出来たのか、その中身こそが最も重要なことだと、そう私は思いまし
 た。 //
 
 
 
 エル・カザド:
 いまいち要領を得ない。
 けれん味のある演出やコメディを滑らかに織り込んでいるのはとても上質なのだけれど、肝心のなにをし
 て魅せたいのか、というあたりになにかこう、一本筋の通ったものが感じられないというか。
 無論そんなものなど無くとも充分観る側の姿勢次第で楽しむことは可能だし、現に私も今まで感想を
 書いてこれたのだから、あまりそのことに拘るつもりは無い。
 けれど、だからこそ、ここでももうひとつ欲張りな自分を肯定したくなる気分も出てきて、もうちょっとこう、
 ぐぐっと全体で引っ張ってくれるような、そういう揺さぶり感が得られるほどの重心の深さが欲しいなと思う。
 このままだと、たぶん全部見終わったときに、鮮烈な印象をのちのちまで残すことができないかもしれない
 し、そういう意味でだったら、たぶん現時点に於いて、この作品はこの監督の前々作のノワールよりも
 劣るかもしれない。
 部品部品は非常に素晴らしく、また奥深い片鱗を魅せてくれてはいるのだけれど、でもそういったものを
 ひとつの「物語」として高次元で融合して昇華或いは隠喩化して結晶化するということが、まだまだ出来
 ていない気がする。
 無論、逆にいうとそれがこの作品の魅力ではあるのだけれど、ただ、それもまた試行段階である、そうい
 った暗中模索的な不確かさを感じるレベルに留まっていると思う。 //
 
 
 
 らき☆すた:
 絶妙の感触マイナス1みたいな、そんなちょっとがっかりくるくらいが丁度良いのよ的な、そういうなんとも
 いえないギリギリ感が堪らない。
 決してお腹一杯にはならないのだけれど、だからといってもうちょっと食べたいかと思うとそうでは無く、つま
 りまだ食べれるかなと思っておかわりの茶碗を手に持った瞬間、あ、やっぱいいや、と綺麗に茶碗を下げ
 てしまえる、そういう感覚。うっわ、わかんね。
 
 ギャグは非常に小粒で、精一杯奉仕精神に浸れば笑えるかな程度のもので、たぶんそこらへんの小学
 生でももっと面白いボケとかツッコミ出来るんじゃないのと言えるようなレベルなのに、さっきの例えの如く、
 決して笑えない訳では無くかといって爆笑しようと思っても、あ、やっぱいいやこれくらいの笑いで、と素直
 に思えちゃう、なんていうのかなぁ、安堵感? 或いはアットホームな? なんていうかね、きっちりと腰を
 据えて構えを取ってお笑いに向き合うみたいなそういう戦闘精神じゃなくって、お昼休みにする友達との
 他愛無い世間話的社交辞令的むしろどうでもいい的なくだらない話に、それでもそっと笑えてしまうとい
 うか、つまりな、楽しいんだよ、その笑いの内容自体がじゃなくて、そうやって友達とくだらない話でちょっぴ
 り盛り上がれるってことがね、だから笑うのはツールだよね、それを共有しているっていう意志表情の証
 みたいな? だから別にギャグは面白く無くていいんだよ、肝心なのはそれを誰が言ってて誰が聞いてる
 かってことで、そう、楽しんだら勝ちよ、そういうこと、だからくすっと笑える一秒前。なにそれ。
 あ、勝ち組だから勝ち誇れって意味じゃないよ当たり前だけど。
 うん、でもなんからきすたってみんなと共有してる楽しみってのは大きいだろうし、だからたぶんこの作品が
 人気出てるのは、あるいはそういう観点からもその人気のあること自体が楽しめるようになるその素地が
 あるかもってことなのかもね。
 ちなみに私はこなちゃんがやっぱり一番面白い。
 んー、他のキャラもそれぞれみんな面白いんだけどねー、でも一番選べって言われたらやっぱりね。
 あ、聞いてないですか。 //
 
 
 
 CLAYMORE:
 名付けて、切断アニメ。斬りすぎ斬られすぎ斬り飛ばされすぎ
 もはやスプラッタ趣味を通り越して、なんだかこっちの体までリアルに痛くなってくるような、なんかもう
 感情的理屈的に盛り上がる一番のところでズバっと斬られたりして、もうなんかこっちもこっちですっかり
 お話の中に入っちゃってる状態だから、どうしても避けきれずに、うっ、ってなっちゃう。
 ていうかこのお話、盛り上げ方とかすごく上手いんだもんねー、しかもお約束な展開になる道筋をしっか
 り作っておいて、しっかりその裏を突く展開にしてきたりとかして、実際そう予想しててもいざ実際にそれを
 やられるとぐってきちゃうくらいに迫力がある、そう、作品と視聴者の距離を限り無くゼロに近づけてしまう
 そういった吸着力がある作品なんだよね。
 
 お話の中身的には特に考えてみたいことも感じてみたいことも無いし、もちろん感想も書きたいと思える
 作品では無いし、完全に正統的なバトルモノに対する見方で終わることの出来る作品なのだけれど、
 でもその見方における作品に対する依存度が半端では無く、なんだかもう30分間ジェットコースターに
 乗りっぱなしのような、そういう全然余裕の持てない時間を過ごさせてくれる。むしろ息切れする勢い。
 そうした揺さぶられ感は、たぶん今期のうちでダントツだし、それを楽しむことができれば、この作品と出会
 えたことを神様に感謝しても良いくらいな気持ちになれる、っていうかなった私は。
 今後も切った張ったの切断劇に期待しております。 //
 
 
 
 OverDrive:
 失速・・・してるのかどうか判断に迷っている。
 というか、そんなことで迷ってる暇が無いくらいに、どう向き合えば良いのかがわからない。
 ていうかさ、ユキちゃんがさぁー・・・なんか普通にミコトに恋する乙女の目になっちゃってるじゃん?
 恋自体は別にいいんだけどさ、あのきらんとくるくらいの批判精神みたいなさ、つまりミコトへの想いを
 意識した瞬間にカチンときて反対方向にダッシュするみたいなさ、いやツンデレとはちょっと違うっていうか、
 あの人はなにかこう、結局自分を軸にして動き出す、みたいな感じで、ミコトが好き(うわぁユキ的にあり
 得ない言葉)ならその分だけ、んなこと言ってらんない私も頑張らなくっちゃ、とか言ってる側から、ダサ、
 とかひとり呟きつつひとり確かに熱くなってる自分を感じるみたいなさ、そういうのが無、ってあらら、なに自
 分の趣味語ってるんですかこの人は。
 
 ・・ええと、つまり私的にはレースが始まる前のあの熱いやら醒めてるやらな展開が好きだったし、あれが
 この作品の原動力なのだと思っていたから、それが抜きにされたレースみてると、なんだか浮ついている
 というか、なにかが足りないみたいな感じがして、ていうか、ユキが傍観者的お客さんになっちゃってるのが
 なんか違うなって気がしてて、だから単純なレース展開をこうもあっさりとやられてしまうと気抜けしちゃう。
 んー、時折差し挟む登場人物の過去話を挿入してその辺りの補填を図るっていうのはわかるけど、
 んー、なんかもそれもちょっと違うんじゃない? 全然リアルな感じじゃないよねそれ、みたいな感じで、
 んー、まぁなにがこれからあるのかを色々想像しながら待つしかありませんねー。
 といっても、レースもレースでちゃんと面白いんですけどね。 //
 
 
 
 ひとひら:
 単刀直入に言おう、つまらない。
 最初は期待したけれど、結果的にそれ以外の言葉を与える気にはなれない。
 作品の造作自体は良い出来だけれど、それをなぜ作っているのかという、その肝心の魂の部分が薄す
 ぎて、なんだか絶望的な気分にさせられちゃう。
 私はその作品の外殻というか、そういった作り的な部分に心血を注いでいく、つまり器とか形とかそういっ
 たものにしっかり魂を込めて作る、という事自体を否定する訳でも無いし、またそうして鬼気迫る勢いを
 その作品の造形から感じ取ることも少なくは無い。
 でもそれは、ただ一生懸命にやったって、がむしゃらにやったって駄目な訳で、やっぱりそういった鬼気迫る
 ような、器や形から魂が滲み出てくるようになるには、それなりの力とやり方があるのだと思う。
 なんていうかな、形を整えることやそれを意識してそれを目的にして作っているうちは、きっとそんな魂は
 見えてこないのじゃないかと思うし、それでもし見えてくるものがあるとしたら、それはただの制作者側の、
 「思惑」としてのその制作の苦労だけなのだと思う。 
 だからそういった意味で、ひとひらは造形的に「よくできている」けれど、決してその形から魂を読みとれる
 ようなそういった鬼気迫るものは無かった。
 制作者の努力は見えるしその結果も見えるけれど、それ以上のものはなにも伝わってこないというか。
 お話の内容自体も、なんとなくただの辻褄合わせの複合のようにしか思えず、主題であるはずの問題を
 解決していっている、という生身の人間の姿を通して、こちら側も一緒に考えたり感じたりしていくことが
 できないものだった。
 とまぁ、詳しいことは以前の最終回感想で書いてしまったので、この辺りで。 //
 
 
 
 怪物王女:
 作品の作りとしては、大目に見て貰っても、百歩くらい譲って貰っても、たぶん今期私が観ているものの
 中で一番レベルは低い。
 でも、たぶん一番面白い。
 うん、これはね、種類が違う面白さなんだよね。
 なんていうかな、考えたい、そう、見ているとこう、なんとしてもこの作品を見てなにかを感じてなにかを考え
 て、そしてなにかを書きたいと、そう思ってしまって仕方が無くなるの。
 放っておけないって言うか、母性本能全開っていうか、あそれは違うか、つまりそう、考えたい。
 作りとか作品の評価とかなんか全然どうでも良くって、ただあの中に広がる色んなことを通して、そう、
 自分自身が色んなことを考えていきたいって思わせるなにかがあるんだよね。
 以前はローゼンメイデンのときがそんな感じだったかな、あれも私から見ると作品としてのレベルは低い
 方だったけれど、んー、それでもローゼンとはひとつ違うところがあって、それはなにかというと、やっぱりあの
 妙な、というかちょっぴり奇天烈でなんかズレてる怖さというか、んー、怪奇趣味、というにはどこか抜けて
 てるし、んー、なんて言えばいいんだろ、とにかくあの独特の雰囲気がね、こう、私を落ち着かなくさせて
 いる一因を確かに担っているんだよね。
 だからこの作品を誰かにお勧めしろとか言われると、かえってこっちが困ってしまうような案配なのだけれど
 、ただやっぱり、もしかしたらそのお勧めする相手が私と同じような感覚を持っている人だったら嬉しいな、
 とすこーしばかり正直に思えてしまう、そんなおどけた魔力を持った作品でもありますね。 //
 
 
 
 Daker than BLACK:
 今期最高の作品。迷わずにそう言うよ。君がベストだ。
 なにがどうこうというより、わかりません? あれを見てて。私なんかもうあらゆる角度から揺さぶられまくり
 のそれでいて大船に乗った心地ですよ? もうね、満足、余は満足じゃ近うよれ、褒美を取らす状態。
 未知・・そう、未体験ですね。
 私がまだ手にしたことの無い感覚感性知性思想エトセトラエトセトラ、をこれでもかって豊かにぶつけて
 きてくれるんですもの、これはもう堪らないじゃないですか、アニメファン冥利に尽きますですよ、ああもう、
 こういうアニメと出会うためにアニメファンやっているようなもので、そしてこういうアニメがあると思えるから、
 アニメを好きでいられるんですよー。
 私より、ずっとずっと高いところに居るアニメ。それとの出会い、最高ですよ。
 この感覚はそうですね、蟲師やブララグの双子編以来でしょうか。
 これはね、上記の怪物王女的面白さとある意味で正反対なのですよね、そしてさらに上記したひとひら
 とこで語った、その「鬼気迫る造形」というのを確かに持った上で、さらにそこから凄い勢いで魂のままに
 語り出す、そういうもの凄い感覚に豊かに楽しまされていくという、そう、怪物王女的な楽しみが能動的
 というのなら、これは受動的な楽しみになりますね。
 一見つまらないと思える作品をどうやったら楽しむことができるか、という挑戦的な試みとしての楽しみ、
 それはとても大切なことなのだけれど、でもそれだけだと長くは続かない、そういったとき、もう一見するも
 なにもどうすることもできないほどに面白い作品に滅茶苦茶にされる楽しみ(ぉぃw)、というのは、やっぱ
 りその人が持っている元々の価値観の上限を上げるという意味で必要なことなのだと思う。
 あ、怪物王女的能動的な楽しみは、価値観の種類を増やすって感じだよね。
 
 って内容の事について全然話してませんでしたよね。
 とはいえ、なんていうか、私もまだあまり計りかねているというか、わかるんだけどうまく言葉にできない状
 態、なんだよね。
 というよりむしろ、今はそうやって明文化出来る、そういった統一したなにかを得られるかどうかわからない
 、という気分かな。
 お話も2話で1エピソードを構成する作り、つまり1エピソード完結型に近いお話だし、でも、難しいのは、
 それでいてエピソードごとに読み解いていけばいいかというと、それにはなにか決定的な鍵が無いような
 気がする。
 つまりね、なんか全体を貫くような主題的な、そういったエピソードが展開されそうな雰囲気がしてるから、
 それを待つ必要がある気がしてるし、その境地から見渡すと、きっちりその主題的なエピソードの分だけ
 それまでのエピソードからなにかが抜けている気もしているってこと。
 契約者の存在ってどういう意味なんだろ?っていう一番基礎的な疑問が、あまり自分の中で解決され
 ていかないっていうのがなによりの証拠。
 でも、勿論観るときにあたってはそれは証拠不十分という意識で以て、ちゃんとそれぞれのエピソードを
 感じて考えていこうとは思っていますけれどね。
 別に、全編統一した感覚で観る必要も無いくらいに、既に素晴らしすぎる作品ですので。 //
 
 
 
 ロミオ×ジュリエット:
 とある人と、こういう話をした。
 たとえば、この作品を見てる人の中にはこういうことを言う人が居るかもしれない。
 こんな青臭い恋やら理想論なんて危なっかしくて落ち着いて観てられないし、もう自分はそういうのを
 熱い気持ちで観ることができるほど子供でも無いしね、と。
 でもそういう感覚って、もの凄く損をしているような気がする。
 いやむしろ、そうやって若気の至りとしてそういった青臭いものを片づけて、そうして今いるそうでは無い
 自分の姿に安堵することが目的になってしまっているのじゃないか。
 それは悲しいことだね、という話をした。
 熱い気持ちで見れなくなっているほど年を取ってしまったことが、などでは勿論無い。
 熱い気持ちで見れなくなっているほど年を取った自分に囚われて、その自分を背負ってそこからしっかり
 とその先に踏み出すことが出来なくなってしまっているのが悲しいね、と言った。
 若者で無い者にとって、若者より大事なものは無いと思う。
 若者を、ただ未熟(青臭い)といって見下し、そうして一段上にある若くは無いという誇り高い今の自分
 の状態に満足してしまうなんて、そんなのは勿体無さ過ぎる。
 むしろそれは、その今の自分に囚われることで、今の自分を見失っているということなのじゃないか。
 今の自分の現実に目を向ければ、若者の純粋な勢いや力ほど魅力的なものは無く、だからこそ、そう、
 そうであるからこそ、その魅力を見ないで今の自分に我慢して生きていくなんてことはしている暇は無く、
 ただただその魅力を見つめ、その魅力をどうやったら今の若くは無い自分に取り入れ活かしていくことが
 できるかと考えるのではないか。
 そういう境地にある者にとっては、若者の青臭さや理想主義は、かけがえの無い宝だ。
 
 ロミオやジュリエットの真っ直ぐな恋を見て、自分がそれと同じことができるかなんてことは、たぶんあまり
 関係が無く、たぶん、彼らと同じような恋をしたいと、ただそういうことを、今の自分に「相応」なやり方で
 考えて実践していくことにだけ意味があるのじゃないかな?
 理想論的な、ただただ純粋で真っ直ぐな、そういうものをもう若くは無い、経験をじっくりと積んできた人
 が、そのまま実行すれば、それは凄惨なことになる。
 でも、だからといってその純粋で真っ直ぐな理想論的な、そういう在り方それ自体から学ぶことはいくらで
 も出来るはずだし、そしてまた、もう若くは無い人達にとって、そういうものを学べる対象はまさに若い人
 達だけにしか無いのだ。
 若さを羨み嫉妬することも、若さを諦め嗤うことも根は同じ。全くの後ろ向き。
 今此処にある自分を見据え、そしてその自分が「恋」を「理想」を謳う。
 そうすればきっと、年を取るということが、また違った意味で楽しくなると思う。
 それは、すごくすごく、大切なことだと思うな。 //
 
 
 
 英國戀物語エマ第二幕:
 ウィリアムはエマが好きで、エマはウィリアムが好き。両想い。
 でも身分違いの恋なので、そのことにより引き起こされるお互いの苦痛を思い遣り、それゆえに二人は
 一度別れを共にした。
 エレノアはウィリアムが好きで、ウィリアムがエマのことを好きでもそれは変わらない。
 ウィリアムはエマへの想いを捨てられない事を告げ、それでもエレノアはそれを承知でウィリアムに想いを
 伝えた。
 ウィリアムはエレノアを受け入れ、そしてふたりは婚約した。
 エマとウィリアムの再会。
 ウィリアムはエマと結婚することを決意する。
 ウィリアムはエレノアに婚約を破棄を伝えた。
 エレノアはウィリアムがエマのことを想っていても、ウィリアムがまたエマと会って心が揺れたのを知っていて
 も、それでもいつか自分がウィリアムを自分に振り向かせることが出来ることを信じているゆえに、ウィリア
 ムを責めない。
 だがウィリアムは、それをも承知の上で、エレノアに婚約破棄を取りやめる気は無いと告げる。
 慟哭するエレノア。
 エマへの想いを捨てていなかったウィリアムを受け入れ、その上でそれでも婚約した自分を愛して貰える
 よう必死の努力をする容易さえエレノアにはあった。
 だがウィリアムは、それを理解した上で、なお、エレノアとの婚約を解消した。
 やがてエレノアは、それを受け入れていった。
 
 ウィリアムは悪いことをしたと思う。ていうか最低。
 でもね、ウィリアムのエマへの愛は本物だと思うし、だから逆にもし自分がエレノアの立場だったとしたらね、
 そのエマの愛を持っているウィリアムをそれでも受け入れて自分を愛させてみせるっていうのはね、なんか
 それだけでいびつというか、むしろはっきりいうと、愛としては偽物としかいえない気がする。
 気持ちとしては、確かにウィリアムがどうであろうと、とにかく結婚してふたり一緒になればきっとなにか変わ
 るんじゃないか、っていうそういう希望を含めてウィリアムを引き留めることはできるけれど、でもそれって、
 今此処でエマの愛を真摯に見つめているウィリアムを見てたら、あ、なんか違うなって思うよ。
 エマへの愛という、既に婚約を結んでいるエレノアに対してのウィリアムの負い目を盾にして、自分への愛
 を求めてるだけなんだもん。
 で、ウィリアムからしたら、たぶんそういうエレノアの考えも全部わかってて、そしてだからこそここでひとつで
 も妥協したら、どの愛も嘘になってしまうと思ったんだろうね。
 ていうか、愛に忠実にあろうとするのなら、エマへの愛が一番確かなのは明白なのだし。
 そしてエレノアもウィリアムがわかってることわかったのだと思うし。
 だからウィリアムのやったことは凄く悪いことだったと思うけど、正しいことだったとは思う。
 エレノアに対しては謝っても済むことでは無いほどに謝らなければいけないけれど、でもその償いとして
 エレノアと復縁することは、全く別のことだということ。
 ウィリアムはエレノアに八つ裂きにされてもおかしくない罪を犯したし、本人もその自覚はあるのだけれど、
 でもウィリアムはエレノアに殺される訳にはいかない。
 ウィリアムは、エマを愛しているのだから。
 
 そしてウィリアムは一度別れたその原因を探り、そして覚悟する。
 自分だけが我慢しても、その我慢した自分を顔を見てエマが苦しむことを止めることは出来ない。
 つまり、自分だけが我慢するのでは無く、敢えてエマにも我慢して貰おうことで、そのお互いがイーブンな
 感覚とそしてそれらの苦痛を共有している感覚を以て、ふたりが共になることで発生する苦痛に立ち向
 かっていこうと、そういうプロポーズの言葉をエマに伝える。
 ・・・・・よく言った・・・・・あんた・・・・やるじゃん・・
 そしてウィリアムは、エマとの結婚に反対する家族に同じように伝える。
 エマとの結婚を諦めないし、また家を捨てることもしない、と。
 エレノアを捨てエマを取ることは、社交界に於いて多大なる損失を被る恐れがある。
 家族はそれを恐れるがゆえに、ウィリアムにエマを捨てるかそれとも家を捨てるかをウィリアムに迫った。
 
 よく、考えてみよう。
 ウィリアムは偉大な選択をしたと思う。
 ここでエマを取り家を捨てることは、果たして自分達家族にとって意味があるといえるのか?
 エマと駆け落ちし、そして残された弟妹達に兄の喪失を味合わせるというのか?
 ウィリアムは、弟妹達に、それでもいい仕方が無い、という言葉を言わせるのが、なにより悔しかったので
 しょう。
 そしてだからこそ、エマか家かという二者択一であることが憎かったのでしょう。
 ウィリアムが戦うべき相手は、家では無いのです。
 ウィリアムが戦うべき相手は、そのエマか家かの二者択一を迫る社会そのものなのです。
 それが無謀な戦いであるかどうかは関係無いし、また無謀だからと言って諦めるのならば、それはエマか
 家のどちらかを捨てることになるだけ。
 ならば、そうして諦めて社会に屈する意味がそもそも無い。
 ウィリアムにとっては、二兎を得なければ意味が無いのです。
 やれるところまで、やるしか無い、ただそれだけ。
 いえ、むしろエマと家を守りたいと思い続けている限り、それは止まることは無いのです。
 そして家族もまた、ウィリアムだけを追い出しても意味が無い、ウィリアムを追い出して守る家ってなん
 だ、みんなが誰ひとり欠けること無く揃っていて、初めてその守るべき「家」があるのじゃないかと、そう
 思うようになっていく。
 あー・・なんかウィリアムかっこいいなー。
 そして次回、最終話。
 さて、鬼がでるか蛇がでるか、血をみるか。 (待て) //
 
 
 
 ハヤテのごとく:
 んー、ときどき可愛いって思うことはあっても・・・・概ね飽きた。
 でも取り敢えずはまだ見てる、というか、切りどきがわからないというか。
 そういう感じで今困っているかそうでないかの瀬戸際に居ます。
 あ、評価としては、そうですね、可もなく不可もなく、というところでしょうか。
 ボケもいまひとつなのですけれど、それ以上にツッコミがもっとしっかりしていれば、もっと面白くはなって
 いるのかもしれないなぁ、とは思いましたけれど。 //
 
 
 
 瀬戸の花嫁:
 ボケ良しツッコミ良しのギャグ的には文句無しの上出来作品。
 リズム感も申し分無く、どこで笑いがくるかわからない不測感もばっちりで、毎回ハラハラしながら楽しみ
 にしています。
 そういう意味で、らき☆すたと違って、手加減無しで本気で全力で笑えてしまうので、それこそ私の笑い
 の精神を全部どっしりと預けちゃってもまだ向こうには余裕がありそうな、そういったどろどろなリッチな気分
 を味わわせて頂いております。
 ただ、時々もうちょっとこのネタは引っ張っても良いのじゃ無いかな、と思えるようなものを、あっさりと贅沢
 にも捨てすぎちゃってるところがありますね。
 それはどんどんと新しいネタを投入できるエネルギッシュさがあるがゆえなのですけれど、もったいない精
 神というか、逆にこれだけ物量あるんだから、質にも拘ってひとつひとつ拘って磨いていったらもっと凄い事
 になるんじゃないのって思わずにはいられないんですよねー。
 そういうところが気になるといえば気になるのですけれど、ま、現状普通に爆笑してるので、ま、高望み
 するまえにまず存分笑わせて頂きますか、さぁこい、あははは、と、まぁ、このような次第でぇ御座いやす。
 って、この作品って全26話なん? まだあるのかな。 //
 
 
 
 
 と、いう感じで、お疲れ様でした、皆様(と私)。
 今夜はさすがにもうこれ以上なにかを書く気力も無いので、書きためておいた今週分のエル・カザドの
 感想をポチっとコピして、お休みなさいさせて頂きます。
 うぇー、指痛い。
 
 
 
 
 
 
 ◆
 
 
 エル・カザド:
 第13話。
 普通にアクションしてる。
 普通に撃って、戦って、まぁそんな感じ。
 それとさも意味ありげな伏線をまき散らしたりしてて、あー、なんだこれって。
 別にいつもそんな感じだけど、なんだか妙に物語を進めますよ、みんな付いてきてネ、と優しく引率され
 るみたいな感じで、くすぐったいやらうざったいやらみたいでした。お前の文章がうざったい。
 エリスはまた意味も無く能力使いだしたり、変態少年がまた変態っぽく真似して悦に入ってたり、ナディに
 これでもかってくらい戦闘意欲が無かったり(無理に突っ込んでいかなかったり、死んだフリするかとか、ど
 んなガンアクションの主役ですか)、リリオが可愛い間抜け面でプップーとか、色々。
 むぅ、なにを書いていいのかよくわからないうちに、ずらずらと余計なことばかり書いてしまいました。
 
 あ、そういえば、ナディさんてノワールのふたりMADLAXのマドラックスさんに比べると、強いは強いけど、
 超人的な強さは無くて、普通に無理無理とかいって逃げ回れる人なんでしたね。
 やっぱり、タイトルと名前が一致してないからなのかな?
 ほら、ノワはあのふたりのコンビ名だし、マドはマドですし。
 うん、どうでもいいんだけどね。
 そんなことより、エリスvsLA(変態)が最高に面白かったよね。
 あんなに君のこと見てるよずっと見てるよって言い続ければ、さすがの鷹揚なエリスさんだって嫌悪丸出し
 にしますよ、LAさん。
 ていうか、LAさんの変態度が、エリスさんの天然度を超えて、エリスさんを素に戻しちゃってるよ。
 エリス本気で嫌ってる嫌ってるw
 けれど嫌いとか意味わかんないとか率直なエリスさんのご感想を頂いても、LAも怯まない怯まないw
 てっきり逆上して暴れるかと思ったら、割かし冷静にちょっと急ぎすぎたかなとか納得しちゃって、
 なんかほんとこの人ストーカー以外の何者でも無いし、何者である必要も無いなと心底思いました。
 ここまで来たら、LAさんのストーカーの才能がどこまで華ひらくのか見物です、うん。
 
 と、なんか今日は全然書く意欲が無くて駄目駄目ですごめんなさい。
 今回は今までの中でもかなりの良作でしたけれど、残念かな、私のやる気が追いつきませんでした。
 ナディさんのエリスへの想いとか、ちょっと語ってみたかったのですけれど、残念です。
 あと、あの焚き火を囲んでたときのBGMが、たぶん一番あの作品の中で好きな曲かも。アモーレ!
 それと、最後に。
 ブルーアイズことヘイワードさんのあの真面目なナレーションを聞く度に、あの天井からお尻だけ映って
 ぶら下がってる間抜けな光景と、それが映ってる写真を見て微笑んでるローゼンバーグ氏の顔が浮かん
 で、ちょっと楽しくなってまいりました。
 
 
 
 
 
 
 

 

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