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◆◆◆ -- 2007年8月のお話 -- ◆◆◆

 

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                         ■■鍵無き夜の姫は笑わない 2 ■■

     
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ◆・・・・・・
 
 
 ふふん。
 
 『いちいち奴らの会話を解説しなくていいぞ、フランドル。』
 
 
 なぜ戦うのか。
 その問いかけ自体が、そもそも私には意味の無いものだったと、そうは思わんか? フランドル。
 敵が襲ってくるから戦う、死ぬ訳にはいかぬから戦う、それらの言葉を吐くことに価値は無い。
 なぜなら、私は戦うことそのものには、なんの価値も感じてはおらぬし、それを私の目的としてもおらぬ
 からだ。
 戦うのに理由は必要では無く、戦いとはただの必然の結果にしが過ぎぬ。
 理由など無くとも戦いに巻き込まれるのであるし、主体的に戦うにしても理由が無ければ戦えないという
 こともまた無い。
 当たり前のように、それでいて突然に訪れる戦いの瞬間に備えての日々を送る必要もまた、無い。
 私は、ただ考えているのだ、フランドルよ。
 ふふん。
 無論、戦う理由でも、戦略論でも無いぞ。
 私の頭の中にあるのは、そう、今私が考えていることは、兄上達の事だ。
 エミールお兄様がこの王族間の争いについてどのように考えておられるのか、それはわからぬが、しかし
 ある程度の予測は立つ。
 だが私が考えているのは、お兄様がなにを考えているのかでは無く、お兄様達に対して、或いはその
 お兄様達の在り方を含むこの王族間の大問題を、どう捉えていくべきか、という事だ。
 そういう意味では、兄上達がなにを考えているのかを探るのは目的では無いが、しかし私が今考えてい
 る事には必要な情報ではあるだろう。
 そしておそらくその立場から入って、最終的にはお兄様達の思惑を、私自ら体感せねばならなくなって
 くるだろう。
 ん? そうではない、フランドルよ。
 お兄様達を出し抜くための、戦略的見地で物を言っているのでは無い。
 よいか、フランドル。
 お兄様方は、私の敵だ。紛れも無くな。
 だが、それにどう対峙していくのかは、それは決してひとつだけの在り方では無いのだ。
 そしてそれと同じく、敵とは打ち倒すべきものであるだけでは、絶対に終わり得ないのだ。
 ふっ。
 げんに、シャーウッドと私は既に同盟を結ぶ間柄ではないか。
 私は王座を望まぬ。
 そして同時に。
 王など決めぬでも良い、いや、王無き世界を成り立たせるにはどうしたらよいか、それを考えているのだ。
 だから、こういった私の思想とそれに基づく行動が露見したとき、一体お兄様達がどのように思い、
 そしてどのように行動するのかを把握するために、私自身が兄上達の位置から私の思想と行動を体感
 していかねばならぬのだ。
 そしてそこから、私がどうしていくのかを再考していくことになるのだ、フランドルよ。
 もしかしたら私は、この方こそ王に相応しいと思う王族の誰かを支援することになるやもしれぬな。
 言っただろう? 戦うことは目的では無いと。
 そして以前にも言っただろう? 戦わないこと自体もまた目的では無いのだと。
 
 そうだ、フランドル。
 私が王座を望まぬこともまた、同じくそれ自体が私の目的でも無いのだ。
 
 必要とあらば、戦略、戦術についても熟考しよう。
 戦いに臨めば、剣と一体化もするだろう。
 無論、敵を殺さずに逃すことも、また殺すこともあるだろう。
 私はその、いずれをも基本方針の座に据えはせん。
 そうだな・・・・リザの言い方を借りるとすれば・・・・
 瞬間瞬間、そのときの感情と、そして判断で決めるものなのだ、それらはな。
 私が王座を望まぬのは、今現在それを望む心が私のうちに無く、また今現在それをこれからも「取り敢
 えず」は続けていこうと思うことがあるゆえであるだけなのだ。
 ふふん。
 形式など、どうでもよい。
 だが、お兄様がたのうち、それに拘る方がいらっしゃるのなら、それは考慮する対象に含めてもよい。
 その判断をする場が、常に今この瞬間にあるのだ。
 いついかなるときも、大昔に定めたひとつの形式を堅持する事で目を瞑る愚を為すつもりは、全く無い。
 ふふん。
 言うなれば、それのみは、私がずっとこれからも堅持していくものであるのではあろうがな。
 だが、そう思っているのは、「今」の私だけなのだ、フランドルよ。
 わかるな?
 
 
 
 +
 
 『さぁフランドル。我らも出発するぞ。
  なにしろ、敵の懐に飛び込もうというのだからな。
  相応の準備が必要だ。
 
  ・・そうだろう?』
 
 
 ああ、そうだ。
 私がやろうとしているのは、既に一個の王族の範疇を越えている。
 いや、ある意味では、ひとりの王族としての責務を全うしていないとも言えるな。
 それなりの覚悟と実力を必要とするだろう。
 下手をすれば、私はお兄様達の集中砲火を喰らうことになるかもしれん。
 だからなのだ、フランドル。
 如何にして私がやろうとしていることを、お兄様達の私に対する攻撃の口実にさせないようにするか、
 そのための思考と、そして覚悟と実力を育てる必要があるのだ。
 私はこれよりひとつ、賭けをする。
 『軍を動かすべからず。
   果たして私はそれを破ろうとしているのか? それとも・・』
 王族間の争いに於けるこの掟。
 私はこの度、ヒロ奪還のために軍を動かすことに決めた。
 だが、それをそのまま軍を動かしたということにして、兄上達に戦いの口実を与えるのが目的なのか?
 違うのだな、フランドル。
 あくまで目的は、ヒロ救出。
 それにより軍を動かしただけであり、掟を破るのが目的では無い。
 ならば、今私が最優先で考えるべきは、この軍事行動をどうやったら軍事行動では無いものにするか、
 なのだ。
 なに? そんなことができるのか、だと?
 ふふ、そんなことは簡単だぞ、フランドルよ。
 ヒロを攫った当人、ドラクルは表立っては王族との繋がりを示していない。
 ならば、このドラクルの居城に向け軍を発するのは、王族たる私の家来を拉致した賊を討伐するため
 のものだと言えるのだ。
 だが、これは賭けだ。
 ドラクルと繋がる王族の誰かが、その存在を隠したままで居るかどうかは正直わからないからだ。
 すべての危険因子を抑えて、無理にでも表に出てくれば、その時点で私は掟破りをしたことになってし
 まう。
 ふふん。
 残念だが、今回はそれに対する策を一切講じてはいないのだ。
 おまけに、この賭けそのものも勝機があると踏んだ上でのものでは無く、初めからどちらに賭けるかは
 決めていたものなのだ。
 ああ、お兄様がたのうちのどなたかは眉を顰め、そしておそらくどなたかはお喜びになられた事であろう。
 ドラクルの背後に居る王族の者は結果的には姿を現さなかったが、しかしこれで、私が軽率な振る舞い
 に及んだことにより、私の器は随分と低く見積もられ、そして嘗められてしまったであろうな。
 ふん。
 令理の想定していた不利な条件が可愛く見えるほどに、圧倒的不利な状況だ、これは。
 
 それほどまでにヒロを救出したかったのか、だと?
 ふふん。
 
 
 闇は果てしなく高く、空は果てしなく近い。
 おぼろげながらも、平和とはなにかと嘯かずに済んでいる。
 良い夜だ。
 なによりも、なによりも良い夜だ。
 そうは思わんか? フランドル。
 
 ふふん。
 リザも、令理も良くわかっている。
 既に私達がこの夜に在るということが、私が此処に居ることを深く支えているのだとな。
 それは、切り離そうとしても切り離せるものでは無い。
 私達が生きている限り、この夜は終わりはしない。
 ふん、令理よ。
 どうやら、お前とティータイムを愉しむ余裕は無いようだぞ。
 お前の、腕の見せ所のようだな。
 よし、リザよ。
 犬の感性とやらを発揮するに、最大の見せ場が訪れたようだぞ。
 ふふん。
 今宵は、実に愉しい。
 当たり前なこの夜が続いているのは、それはただ当たり前なものだと理解している私達が居るからなのだ。
 この夜に閉じ込められ繋ぎ止められた私達の存在は絶対だ。
 そして。
 この夜を開く、鍵は存在しない。
 
 もはや、笑う必要など、無いな。
 
 
 見上げた蒼い月の影に潜む絶望が、うっすらと舞い降りてきているのを感じながら、それでも私は
 それとの戦いにだけは決して負ける気がしないのだ。
 
 『いいだろう、相手をしてやる。』
 
 『ただし、総力戦でな。』
 
 
 よいか、フランドルよ。
 これからが、本番だ。
 そして。
 これからも、この夜は平和なのだ。
 この愉しき夜の住人たる我らが、それを忘れたとき、それを切り刻む鍵は現れ、そして。
 我らはただ、笑うしか無くなってしまうのだ。
 
 
 
 帰るぞ、ヒロ。
 なにを呆けた顔をしている。
 
 
 
 
 
 
 ◆ ◆ ◆ ◆
 
 たぶん、ヒロ視点から見ていくのが大正解だったのかもしれない。
 ヒロがボロボロになりながらも、それでも色々と妄想したり、それが余裕を失って信仰になったりと、そうい
 ったヒロの内面から綴り出す、その姫とリザと令理の行動を描くべきだったのかもしれない。
 そうすればたぶん、とても気持ちよかったはずだし、おそらくとてもすっきりしたはずだ。
 でも。
 それは根本的なところで、「私が書きたいもの」を書くことは出来ない気がどうしてもして、ただそうして
 ヒロの描く姫とリザと令理の戦いの物語、にする事はできなかったんです。
 なにを置いてもヒロのため、ヒロを助けるために、ヒロ、ヒロ、ヒロ。
 どのようなレベルでであれ、そういった目的意識でヒロを巡る三人が一致していく様子を、あの鍵の辺り
 の隠喩を使って繋いで示していけば、それはそれですっきりする。
 けれど、それでは肝心要の、姫と、リザと、令理の、それぞれの最も欲している総合的なものそのものを
 描いていくことは出来ないんじゃないかなぁって思っちゃって。
 だってさ、あの三人にとって、ヒロってそこまで大きな割合占めてると思う?
 重要な存在ではあるけれど、むしろヒロという鍵を使ってなにかを開き広げていく事自体が、あの三人が
 一番求めていて、かつ一番ホットなことなんじゃないだろーかって思ったんよ、私は。
 だから主人公はヒロじゃなくって、この三人なんだよね。
 うん、私もあの三人と同じく、「ヒロ」っていうものを使って、新しい境地を伐り拓いていきたいって思うし。
 
 そういう意味でね、うん、今回は難しかった。ほんとに。
 姫と、リザと、令理を、ただバラバラに書いていくことは出来るけれど、そうでは無く、その三人を使って、
 またひとつの新しいものを創るにはどうしたらいいかって、ほんともう四苦八苦したもの。
 それでまぁ・・・・こんなものが出来ちゃった訳で・・・・・・・ごめんなさい・・・
 結局ひとつにまとめるどころか、三人とも各個消化不良状態で、ぼろっと書き殴ったみたいになってしまっ
 て、もはや反省の言葉も浮かびません。
 が、言いたいことの中枢だけは無理矢理ねじ込んであるので(だから駄目なんですけど)、
 文章の質としては最悪ですけれど、取り敢えずの取り敢えずくらいは達成感を確保できたのが救いでは
 あります。
 ほとんどと疲れ果て状態ですので、もう自分が書いたものの説明なんぞしたくも見たくもありませんけれど
 ね、あーもー疲れた!
 
 それと言うまでも無いことですけれど、今回は一個のお話として、またひとつの演出の集合体として、
 かなりのレベルがあったと思います。
 特に、というかもう私なんかが語るより他の人達の文章の方が熱も質もあって良いのでしょうけど、
 ええと、リザと令理のやりとりとその描き方は、怪物王女的に五指に入るシーンでした。
 今回のラストで令理が吸血鬼社会から追放処分を受け、次回は令理受難のお話になりそうですの
 で、今回のお話とセットで見つめていくと、今回の私の感想の意味が少しだけわかるかもしれません。
 私もよくわかんなかったし。(ぉぃ)
 
 
 それでは、作品に拍手、感想に唾を吐きつつ(はしたないの禁止)、今宵は此処でお別れを。
 来週が、愉しみで御座います。 (既に放送は今日ですが気にしない)
 
 
 
 
 
 
 
                                ◆ 『』内文章、アニメ「怪物王女」より引用 ◆
 
 
 
 
 

 

-- 070829--                    

 

         

                           ■■鍵無き夜の姫は笑わない■■

     
 
 
 
 
 『案内するから、この巫山戯た手錠を外してくださる?』
 『無理だ。』
 『あら、逃げたりしませんわよ? 信用してくださらない?』 
 『なんと言われても無理だ。』
 『どうして?』
 
 『だって、鍵ねぇもん。』
 

                            〜怪物王女 ・第二十話・令裡とリザの言葉より〜

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ◆
 
 爽快な、夜。
 蒼黒い風さえ感じられる。
 
 久しぶりに道の上を走るという事を実感しながらバイクに跨っていた。
 この道をこのままいけば、姫の屋敷へと至る事を認識しながらも、ただその途上にある道行きそのもの
 を感じていた。
 やけに気分がいいぜ。
 鼻歌を歌いつつも、その音色が耳に入るよりも強く、またバイクの排気音よりも高く、煌々と照る月明か
 りと虫の音が頭の中で響き合い、今自分がこの道の上を走っているのだという事を実感させてくれる。
 スピードなんか出さなくても、なかなか気持ち良いな、当たり前だけど。
 リザはうんうんと頷きながら、そうしてゆっくりと姫の屋敷を目指すバイクの背に揺られている。
 そして目の前には、見慣れたヘタレな背中があった。
 『よう。』
 相変わらず頼りなさげで、背中見ただけで夜道にびびってるのが見て取れるほど、情けない奴だけど、
 でもまぁ、んなことはどーでもいい、ヒロはヒロだしな、別に嫌いじゃねーさ。
 『屋敷に帰るんだろ? 乗せてってやるよ。』
 ヒロがどれほど軟弱であろうと脆弱であろうと、リザがそのような男を好まないという趣味があろうと、
 それと目の前に居るヒロは関係が無い。
 むしろその自らの趣味に合わぬヒロが目の前に居るほど、それがひとりの男として実在しているのを感じ
 ていくリザ。
 ヒロに声をかけたリザの顔に嫌悪の情は無い。
 目の前のヒロには、そのリザの趣味に合うか合わないかというもので接する事は無く、ただただ既にある
 ヒロと改めて付き合っていく、まっさらなリザが在るだけだった。
 リザが感じることが出来るのは、ただ目の前に居るまっさらなヒロだけ。
 リザはいつも、明快に単純に、その答えに辿り着き、いつも必ずのその中の道をひた走って行く。
 
 吸血鬼・ドラクルの襲撃。
 一転、嫌悪と闘志の情を漲らせるリザ。
 吸血鬼に対する嫌悪と、それに基づく闘志。
 それはやがて、ドラクルの目的がヒロの拉致にあることを知るに至ることで、怯えるヒロを背にする熱情と、
 そのヒロの前で熱く啖呵を切る事の出来る戦士としての爽快さを加え、リザの戦闘へのエネルギーを
 満タンにしていく。
 だが、ドラクルの小細工により足止めを食らわされ、みすみすヒロを拉致されてしまう。
 これだけ戦いの舞台が整えられ、それに伴い準備の充実したリザは、それらを存分に生きる瞬間を
 奪われ、最高の屈辱と、そして喪失感を、その連れ去られたヒロの存在に感じていく。
 なんてことだ・・・・
 自分が居ながらヒロを連れ去られてしまったという情けなさ、そしてヒロとその主人である姫に対する罪悪
 感が時を経るごとにリザを浸食し、そしてそれらを晴らすための絶対的動機としてのエネルギーを、
 その情けなさと罪悪感に対する焦りや恐怖からでは無く、自らが戦いの場を奪われて喪失感を味わっ
 た、ごくごく私的で、それゆえに発散させにくいその鬱屈から得ていく。
 あの野郎、ぜってぇ許さねぇ!!
 ドラクルに対する怒りに染まっても、それは必ず「ヒロを助ける」という公的かつ実感ある名分を滲ませて
 あるゆえに、リザはまっすぐに姫の屋敷へとひた走る事ができた。
 
 『案内しろ! その糞吸血鬼のところに! 今すぐ私を案内しろ!!』
 
 令裡と姫の会話に耐えていたリザ。
 罠に決まってるからヒロを見捨てろだと、ふざけんな!
 そりゃ令裡、お前には関係無いのかもしれないけどな、ああ、あれは私の不手際だからな。
 だがお前だってヒロにはその、色々あるんじゃねぇのか!
 誰のせいとかそんなこっちゃ関係ない、それよりもなによりも、ヒロを助けなくちゃなんねぇんだろ!
 私ひとりで全部出来るんなら、命賭けてやってやる! だけど私はあの野郎の居場所を知らねぇんだ!
 リザにとっては、自分のためと、ヒロのためは同じこと。
 自分の誇りのために、ヒロを助けるという口実を利用し、ヒロを助けるために、自分の命を賭けてでも、
 という口実を利用する。
 理屈ばっかこねてんじゃねぇぞ、この吸血鬼!
 罠だからなんだってんだ、罠ならぶち破ればいいだけの話、理屈こねるんならその罠の崩し方でも考え
 やがれ!
 やることは最初から決まってる、ヒロを救う、それだけだろうが!!
 なんで、だと?
 そ れ は て め ぇ が 、 一 番 わ か っ て る だ ろ う が ぁ っ ! ! ! 
 
 目的か、自尊心か。
 へん、その二択しか無いっていうのがまずおかしいだろ。
 そんなもん、選べるか。
 ずるずると、ずるずると引き込まれる感覚。
 まるで蟻地獄のように、令裡の理屈がリザをどこかへ連れて行く。
 ドラクルの城に潜入するには、令裡に血を吸われて吸血鬼化するしか無い。
 その事実があるだけだろ。目的とかプライドとか、関係無ぇ!
 『吸血鬼に噛まれるくらいなら、この場で死んだ方がマシだ!!』
 ああ、そうだ、その通りだ、文句あるか?
 だが、それとこれとは話が別だ。
 『がっつりいってくれ。』
 
 わかってる、わかってるって、そんな事は。
 なんも私の中じゃ区別なんかついちゃ無いさ。
 令裡の言う通り自尊心を捨てる事ができないだけだ。
 だがリザはそうとわかっているからこそ、目的と自尊心は別の事で、共存可能なものであるとする。
 自尊心に拘るあまりに目的を忘れる訳にはいかなく、そしてそれは同時に目的のために自尊心を捨てる
 事もしない。
 自尊心を捨てないためには、どうすれば良いのか。
 「自尊心」、などという言葉を使わなければいい。
 その「自尊心」という言葉は、令裡の括り方だ。
 そしてその令裡の発した「自尊心」という言葉が区切ったものだけが、リザが拘るべき「なにか」では無い。
 そういう、ことか。
 ヒロを助けるために、卑屈になって人狼族としての誇りを捨てて、令裡に血を吸われる?
 違うね。
 ヒロを助けるために、私がドラクルをぶっ倒したいために、ただそのために必要な手段として吸血鬼化す
 るだけだ。
 リザには、吸血鬼化する事自体が絶対忌避すべき第一目的では無いのは明白で、それを上回る
 目的が出来たときには、必ずそれは第二目的以下に下がり、第一目的達成のために我慢すべき
 対象になるだけという事がわかっている。
 それは恥でもなんでも無く、それゆえに恥を忍んででもヒロを助けに行くという、そういった悲壮感こそが、
 取り返しのつかない恥辱を自身に与えるということを自覚していく。
 そのリザの中の「なにか」は、それが大事なものであるからこそ、それに拘ることによってかえってその価値
 を貶め、そして逆にそれの位置に拘らずに自在に目的順位を変えていけば、それ自体の価値は決して
 下がりはしない上に、さらにそれの利用価値が増していく事になる。
 それは、令裡の指す「安い自尊心」という枠組みに収まるものでは、もはや無い。
 
 『! 勝負しなけりゃいいんだ!』
 
 馬鹿みたいに、綺麗に目的だけにしちまって。
 それでなんにも考えずにやれば、案外上手くいく。
 『単純だから、上手くいくんだ!』
 それで得られた結果は、複雑な理屈を混ぜ合わせて描いた目的の姿とは違うのかもしれない。
 しかしリザは逆に、まずそうして単純に手に入れた簡単な結果を得て、それをどういうものにしていくか
 を感じて考えていこうとする。
 単純に門番を倒すことだけを考えて倒せば、やはり戦いの愉悦は得られない。
 しかし倒したあとに、その単純明快な方法で「倒した」という結果自体が、なんとなく爽快だったりするな。
 その爽快さは、私が求めていたものとは違う。全然違う。
 でも今は、確かに爽快で、気分が良いんだ。
 いくらでも理屈を付けて、私らしくない戦い方を詰り価値を貶める事はできる。
 けれど、それをする事よりは、この新しい爽快という「愉しみ」を得た事をリザは喜んでいる。
 リザは、ヒロを助ける事だけに専念したが、それはすべてを捨ててきたというものでは無い。
 リザは、ヒロを助けた事で、そこからしっかりと自分の新しい愉しみを得ていったのだから。
 無論それは、リザの古い愉しみ方と矛盾はするが、しかしそれは、「古い愉しみ方」の実行を目的とする
 やり方、そして「古い愉しみ方」の実行を目的としないやり方という、その方法論自体が常にそれらを
 選べる事がリザに出来る限り共存可能なものであるゆえに、その意味ではその古い愉しみ方と新しい
 愉しみ方もまた共存可能なものになる。
 臨機応変、そして自由自在に、その愉しみ方を切り替え、そうしていくうちにまたさらなる新しい愉しみ方
 が増えていくのであるし、またそれは必ず既存の愉しみ方との融合を少なからず行って出来ているもの
 である。
 
 『面白い、やってみな!』
 
 途中で全部放り出して、元のやり方に戻るも良し。
 それでもなにかを得られるのなら、それで良し。
 答えはいつも、この拳が知っている。
 来るなら来い! 相手してやる!
 
 
 
 
 
 
 
 ◆・・・・・・
 
 『なに考えているの、ここは逃げるのが第一でしょ。』
 
 
 まったく、これだから野蛮な犬は嫌ですわ。
 なにかを考えているというよりは、なにも考えずに済むにはどうしたらいいのかと考えているし。
 別に愉しみをそれで得られる事自体は良いのかもしれませんけれど、それは下品と言うしか無いわ。
 その程度の愉しみで満足出来るという事自体、己の品性の低さを良く表していてよ。
 敢えて難しく考えるのは愚かですけれど、最低限の事しか、いえ、最低限の事すら考えないだなんて、
 それこそ獣に相応しき所業ですわね、あーやだやだ。
 それでいて、ぶつぶつとあれは嫌だこれは駄目だと文句ばかり。
 『こうるさい雌犬ですこと。』
 物事には順序というものがあり、それを広げて成り立つ理屈というものがあり、そしてそういうものを使っ
 ていく者達がいる。
 それらが実際力を持って存在して、そしてそれを利用して姑息に力強く生きている輩が居るという事を
 踏まえずに、ただ猪突するだけなのならば、きっとその突進の中での愉しみしか得られませんわ。
 もっとも、その物事の順序なり理屈なりに拘る事自体に意味は無いですし、逆にそれらの支配する
 世界しか感じられないのならば、その中での愉しみしか得られないのですけれどもね。
 それらの持つ力に頼り支配されるだけというのは、それこそ野暮というもの。
 それもまた下品であり、またそれは小さな小さな愉しみしか産み出さないものですわ。
 物事の順序を知りつつ弁えても居て、なおかつそれに従順に支配されながらにしてそれを逆利用する
 、そういった面白さがこの世界にはありますの。
 まぁ、この獣は、それ以前のところに居るので、言っても詮無い事でしたわね。
 
 
 姫様。
 私は、貴方と過ごすひとときが、一番愉しく感じます。
 姫様は賢い御方、私がどれほど小賢しく目の前の言葉の中に色々なものを仕込んでも、、
 余裕たっぷりに見抜いてくださっていて、これこそ知的で残酷な会話の妙と申せましょう。
 端から見れば不毛かもしれない、会話そのものにしか価値の無いこの会話は、私にとっては現在
 最も大切なものなのですわ。
 貴方にならば、どんな事でもお話出来ますわ。
 勿論、色々と罠を仕込んだ上で、ですが。
 ええ、つまりそうですわ、会話の題材そのものはどうでも良いのですわ。
 貴方が私のいたずらを見抜いてくださり、そしてさらに私は巧妙に鎌をかけて、それをさらに姫様はあっさ
 りとかわしてくれる・・・
 そうですわ、そうなると題材が重大なものであるほど、つまり知的なお巫山戯を盛り込む余裕も無い
 ほどのものであるほど、それは峻厳なる私と姫様の戦場になりうるのですわね。
 追い詰められた状況になればなるほど、私の知性の見せ所、どれだけ緊迫した状況であろうとも、
 必ずその状況に支配されていると見せかけて、相手の隙を狙う・・・・
 姫様がシリアスな状況に陥れば陥るほど、話が事実を反映しただけの真剣一辺倒になる可能性は
 高まり、それゆえ私の狡猾な話術に嵌る確率は上がる。
 そして私が同じく厳しい状況になればなるほど、同じく真剣一辺倒の話しか出来なくなる、とそう姫様に
 思わせる事が可能になるゆえに、私がその裏を突くことが出来る確率が上がるのですわ。
 
 うふふ・・姫様は限りなく手強い御方。
 当然、そんな事は見抜いて居られるに違いありませんわ。
 
 だからこそ、私にとって姫様とのひとときはなによりも愉しく、また大切なものなのですわ。
 別に、いわゆる苦しいことや辛いことを巫山戯る事で笑い流すなんて事、興味無いですわ。
 辛苦に満ちた自らの運命なり人生なり、そんなものをこの月下の宴の席に持ち込むのは、全くの野暮。
 辛さは辛さ、苦しさは苦しさ、そして同じく愉しみは愉しみ、なのですわ。
 そしてそうであるからこそ、ふふ、私はその「辛さ」や「苦しみ」を姫様との会話の題材にすることもまた、
 出来てしまうのですわ。
 勿論、姫様との会話で私の辛さや苦しみを笑い流すという意味ではありませんのよ。
 それは、理屈を付けたり罠を張ったり修辞を被せたりやっぱり罠だったりして、そうすることでその辛さや
 苦しみの価値を開く、つまりあらゆる角度から見ることを同時多発的に行うように出来るようにする、
 という事なのですわ。
 ふふ・・・姫様・・・・わかっておいででしょうけれど・・
 私のこの説明が、私の隠れた悲哀を示している、なんてことはありませんし、そんな野暮なことは致しま
 せんわ。
 この説明の通りなら確かに私は、そうやって自らの辛苦に立ち向かうために、必死に微笑みながら姫様
 の前に立っている健気な女、に見えなくも無いですし、また実際私自身辛苦というものはありますから
 、それを完全否定するつもりは御座いませんわ。
 でも私は・・・・ふふふ・・・・・・いいですわ・・・・もう会話は始まってますものね・・・
 この事もまた、罠のひとつとさせて頂きますわ、姫様♪
 
 それにしても・・・
 あの雌犬は、ほんとうにどうにかならないものかしら。
 ヒロがドラクル公に捕まったということは、必然的に主人である姫様を誘い出すための罠があるという事。
 しかも、ドラクル公自らがわざわざ出向いてヒロを拉致したということは、姫様が家来を救うために必ず
 出向いてくるという事に、自信を持っているということ。
 すなわち、それだけの情報を得ている、つまり、王族の誰かが裏でドラクル公と繋がっているという事。
 まったく、その理屈を解かずに、ただまっすぐに突撃して、なにが面白いのかしら。
 私がヒロを救うとしたら、それはヒロを救い出すことが面白いと感じられると思えたときだけよ。
 そしてちょっと意外なことに、姫様は私に、ヒロを救うことの援助を求めてきた。
 ということは・・・
 そうですわね・・・
 ちょっと・・・不快ですわね・・・・ヒロ救出を巡る困難さとその不合理さを題材に、会話を愉しみたかった
 ですのに、それをあっさり無視されてしまったのですもの・・・
 でも、すぐに閃きましたわ、当然姫様は、私の不快感も理解していて、その上で、いえ、それ込みで
 なにかを計画なさっているのだと。
 つまり、姫様のこの一見理不尽かと思われる決断は、きっと私の想像もつかない愉しみを得られると
 想定された上でのものなのですわ。
 姫様は姫様なりに、ヒロ救出に多くの意義を見出されたのでしょうし、単純に私が説いたような不利な
 状況にただ覚悟を決めて猪突するという意味でのその決断では、きっと無いのでしょう。
 私はその姫様がご自分の中で思い描かれているものを見極めたいと思いましたし、すなわちそれは
 私が愉しむ余地があるということを必然的に示しているのですわ。
 『姫様に頼まれては、嫌とは言えないですわね。』
 私はそういう意味で、姫様のことは信頼していますの。
 きっと姫様の頼みをきけば、愉しいことが待っているに違いないのですわ。
 それがどんな形のものになるかはわからなく、想像を絶するものだったりするのかもしれないし、そして・・・
 『姫様、ひとつ貸しですわよ。』
 たとえ、本当にあの雌犬の主張通り、猪突するのを援助しなければならないだけになったとしても、
 この借りを姫様がどうやって返してくださるのか、もの凄く楽しみですしね。
 それならば、たとえ単純作業になろうとも、やってやれないことは無いですわ。
 それじゃ、ちょっと行ってきますわ、姫様。
 
 
 『犬の血を吸うなんて、最低。』
 
 姫様からのお返し、姫様からのお返し〜♪
 ・・・・。
 それで、ここまでしなきゃならないなんて、ちょっと釣り合い取れませんわ。
 なんで私が、この馬鹿犬を説得して、おまけにわざわざ血まで吸ってやらなくちゃいけないのかしら。
 ・・・・・・・・・。
 な  ー  ん  て  ね 。
 この辺りでいいかしら、演技するのは。
 私のヒロ救出不利論から始まって、その理屈を踏まえた上でなお覚悟して救出する論を姫様が上乗
 せして、そして私は姫様の頼みをその姫様からのお礼のために受諾する、という論理という名の劇。
 それを演じ切ることで、私はここまでやってきた。
 うふふ、勿論姫様のお返しには期待しているけれど、その期待を言葉にした分だけで私がここまで
 やっている訳があるはず無いじゃないの。
 私は既に、愉しくなってきているのよ、この今の状況の中に居て。
 相変わらずこのケダモノは愚かで、でもからかい易くて、疲れるけれど、でもイジり易くて、そしておまけに
 、この犬の展開するちっぽけな理屈を使って遊んで差し上げることも出来て、危機的状況で一生懸命
 に駆けずり回っているコレは、もう本当に魂の底まで操ってやることが出来て。
 あら・・・そこまでだったら、悪趣味と言われてもいいですわ。
 でも・・・ふふ・・・
 そうやって弄んで、そしてギリギリの精神状態まで追い込んで壊して差し上げることも出来て、最後に
 天敵たる吸血鬼の群の中に放り込んでやる事も出来ましてよ?
 でも・・・ふふふ・・・・
 私はだから、この愚かな子犬を守ってやることが出来るのですわ。
 これなら、悪趣味とは言えないのではなくて? うふふ。
 ほんとはこの犬を壊したりしたら、私がどんなに取り繕っても、きっと姫様は見抜いてしまいますし、そう
 なっては困るがゆえに、私はこの可愛らしい子犬を保護してあげるのですわ。
 この犬が生き残れるかどうかは、私次第。
 でもそのことで上位に立った悦楽に染まるのなら、わたくしもまだまだですわ。
 この雌犬の命を握ることもしませんし、上位に立って偉ぶることもしませんし、勿論そういう事を表に出さ
 ずに裏でひっそりいやらしく愉しむこともしませんわ。
 ええ、しませんとも、姫様が見てますもの・・・・ふふ・・・・・
 私の目的は、最初から最後まで、姫様ですのよ。
 『さてと、お座り♪』
 さぁ、行きますわよ、姫様の飼い犬さん。
 『あとで、姫様に元に戻して貰いなさい。』
 そうじゃなくちゃ、意味がありませんもの♪
 
 『あぁら、ヒロ。』
 今助けてあげますわ。
 あなたを助けて連れて帰れば、これでまた私の印象がアップ間違い無し♪
 なーんて冗談は置いといて、ヒロ、少し待っていなさい。
 『やれやれ、犬の言うこともたまには役に立つものですわね。』
 門番を犬の単純なアイディアで倒して、はい、待たせましたわね、ヒロ。
 『あらあら、可哀想に。』
 
 とかなんとか言っているうちに、あらあら、ドラクル公に目を付けられてしまいましたわ。
 吸血鬼の世界から追放・・・まぁいいですわ、別に。
 そんなことよりも、早く戻って姫様にヒロをお渡ししなくては、ですわ。
 ほら、犬、さっさと支度なさい。
 ぐずぐずしていると、吸血鬼の世界に置いていきますわよ。
 
 
 『なぁ・・・・・令裡・・・・』
 
 『な・・なにかしら・・・ リザ 』
 
 
 
 !?
 
 って、私が役立たずってどういう事!?
 『まぁっ、どこまで厚かましい雌犬なのかしら!!』
 わ、私が面倒なのを我慢して、ここまでやってきた事をっ
 これだから単純馬鹿のケダモノは嫌なのですわ。
 大体、あなたひとりだったら此処には来れなかったですのよ?
 そもそも、来れたとしたって私が血を吸わなければ城には入れなかったですのよ?
 それをよくもまぁ、いえ、いいですわ、それが犬の精一杯の見栄張りなのですわね。
 いいですわよ、それくらい認めて差し上げても。
 おほほほ、あなたのような愚かで非力な負け犬に、遠吠えを禁じるのは酷ですものね。
 あーら、まだなにか言うのかしら?
 『犬に犬と言ってなにが悪いのかしらっ?』
 あなたなんて(以下略)
 
 
 
 
 ひ、姫様
 
 これは・・・ええと・・・・その・・・・・なんでも無いですわっ
 
 
 
 
 
 
 
                                     ・・・以下、第二部に続く
 
 
 
 
 
                                ◆ 『』内文章、アニメ「怪物王女」より引用 ◆
 
 
 
 

 

-- 070826--                    

 

         

                                    ■■ 五周年 ■■

     
 
 
 
 
 ごきげんよう、皆様。
 
 紅い瞳の運営しております、魔術師の工房が、
 先日、2007年8月24日にて、五周年を迎えました。
 ・・・。
 ・・・・・・嘘だぁ・・
 
 (しばらくお待ちください)
 
 1年、2年ならまだわかります。
 もしかしたら3年だってありだって、言えなくもありません。
 3度目の正直とも言いますしね。意味がわかりませんが。
 基本的に、この辺りまでなら、まぐれ当たりと惰性の組み合わせが微妙に作用していたと思います。
 でもね、4周年を迎えた辺りで、そろそろ満足じゃ、いい加減良い思いをさせて貰ったし、みなさんには
 感謝しきりで御座います、これでもう思い残す事も無く逝k(中略)、なーんて感じになっていて、
 5周年なんてもう無いものなのだと思っておりました。
 もうこれで充分、充分なんや・・・
 3割くらいは本気でそう思っておりました。残りの7割は自動的に私が飽きて終わるだろうと。・・・ごめん。
 それが、昨日までの気持ちでした、本当のところの。
 現実感が無いどころのお話じゃありません、普通にそう思ってましたもんね。
 それが、一夜明けてみて、カレンダーの数字がひとつ変わった途端・・・・・
 
 五周年・・・・・・きたよ・・・・・・・・ (←ぞくぞくきてます)
 
 わかっています。
 なにもしていなくたって、時間は経つし、閉鎖さえしなければ、いつかはこの日を迎えるなんてことは。
 そして、実際大した事をやってきてない、まったりな五年間の内実を誰よりもよく知っているのは私で、
 だからなによりもこの「五周年」というものが、それに沿ってまったりとした虚ろなものになるのだということも。
 でも、そうはなりませんでした。
 その理屈は、昨日までの私には当てはまったのかもしれません。
 いえむしろ、昨日までの私はその理屈にすべて任せてしまえるほどに、「五周年」というものに価値を感じ
 る事が出来なかったのかもしれません。
 五周年なんてただの数字さ、なにもしてなくたって数字なんだから増えていくさ、というその言葉は、
 きっと、だからそんな事を気にしないでまったりやればいいさ、という言葉を導き出してもいたと思います。
 そして、その言葉は、少なくとも私にとっては、甘えでした。
 私は、自分なりにこの工房に於ける一年間の私のスケジュールを思い描いていましたし、それがたとえ
 捕らぬ狸の皮算用のような、都合の良いほら吹きな戯言だったのだとしても、少なくともその計画を立て
 ているときの私と、そして一年経ち、それでも懲りずにまた一年を計画する私には、それは戯言でありな
 がら、そうと理解しつつ、だからこそそれを決して無駄にせずに実現していく対象にしようと、確かにそう実
 行しようとする心があったのです。
 私には、いえ、この魔術師の工房にはいつも、いい加減ながらも、虚ろながらも、目標があった。
 五年、という単位での計画を立てたことはありません。
 でも、一年という単位での計画を、五回立ててきたのは、やっぱり確かなのです。
 それもまた、ただの数字の上の、言葉だけのことであり、もしかしたら言葉遊びの類なのかもしれません。
 先ほども言いましたけれど、そんなものはどうとでも思える、要は言いよう、だからそんな事に拘ってる
 事自体虚しいしナンセンス、なんてことも言えるのかもしれません。
 実際、そう考えることは私にも可能なことですし、事実そう考えることもしょっちゅうです。
 
 でも、ほんとにそれでいいのかな? ほんとにほんとに、それで。
 
 毎年、この工房の開設日に思うことは、ログを見直してみると同じようなことになっているのがわかります。
 同じことを言っているという意識がある訳でも無く、むしろ去年のことなんてすっかり忘れていて、だから
 これは、毎回本当に、純粋にこの日に考えることは同じになっているのだと思います。
 初心への還り方が同じ、或いは、私が目指す在り方はずっとずっと変わらないということなのです。
 特にそう意識して持続させている訳ではありません、けれど、結果的に気づくといつもそうなっている。
 
 私は・・・
 「哲学」、というものが好きです。
 哲学というと、結構人によって抱いているイメージは様々であったり、偏見があったり、また偏見を以て
 見られている事に憤慨して、哲学っていうのはほんとはこういうものなんだ! とかえってアンチ的に拘って
 哲学というものの範囲を狭めてしまったりと、色々と幅のあるものだと捉えています。
 そして、私にとっては、そのようないわゆる哲学というものの存在を捉えつつ、
 その中で、「根元的に問う」、そして「根元的に問うための問いとはなにか」ということを考え、
 またはその答えと、その答えから問いを創り続けていく営みをこそ「哲学」と名付け意識しています。
 私は、哲学のための哲学、論理のための論理、というのは「哲学」としては未熟というか途上にあるも
 のだと思っていますし、ですからそれらを否定する事はありませんけれど、それらが「哲学」の目的なので
 は決して無いと考えているのです。
 ですから、純粋理論として成立する哲学自体が目的なのでは無く、その純粋理論として成立する哲学
 を使って「なにをするのか」というのが重要であり、またそのためにその「なにかをする」主体である「私」
 というものがどういうものであるかを深く認識するために、それこそ感情なりなんなり、そう言った「非論理」
 的なものも含めて考えて、そしてそういった道具としての哲学と、主体としての「私」を使ってなにを
 どうすれば良いのかと問う、そして具体的に「どう」問うていけば、それら道具と主体を使用しての
 総体的な「哲学」或いは「論理」を深めていくことが出来るのかと、そう問うことこそが、私の中のいつも
 初めにあるところのものなのです。
 
 論理的であろうと、非論理的であろうと、感情的であろうと、非感情的であろうと、それ自体であること
 が良い悪いでも無くまた目的でも無いし、だから例えば感情的過ぎてまともに議論出来ない人がいて
 も、その事を非難し批判し、そうでは無い在り方を追求していくという強靱な哲学は、一方でその自ら
 のみで考えられるその目指す在り方の範囲から外に出ることはできず、かえってその「哲学」としての領
 域的に浅い、すなわちどこまで根元的に問うているのかと考えた場合に浅い、ということになってしまい
 ます。
 感情的過ぎて議論出来ない人の、その「感情」の内実に寄り添い、また自らの内の感情もそれに触発
 されることによって、よりその感情的過ぎる見地からその議論を見つめていけば、どれほどその人にとって
 その議論の敷居が高く、またそれは議論以前の話を解決してこそ、初めて成り立ち得る議論なんだ、
 つまり根元的に考えるという事はそこまで考えるという事なのだというのがわかるのです。
 
 非難するのは簡単、しかしそれは根元的本質的な事では無い。
 そして、非難対象を反面教師にして、ただ自分がそうはならないようにしていくだけなのならば、それこそ
 その人が唱える議論は、その人の議論のための議論、その人の哲学のための哲学にしかなり得ない。
 その非難対象であるものを、どうしたら自分と同じ議論の場に連れてくる事ができるのか、どうすれば
 話が通じるようになるのか、いえそれだけで無く、今まで自分が望んでいた形以外の議論を作り、
 そこにその人を迎える、或いはその人を迎え入れる事から始めて創っていく議論の形は創れないものか
 と考え、そしてなによりも、その人とどうすれば上手くやっていくことが出来、そしてその事から自分が
 どうやったら今の自分だけでは得られないようなものを得ていけるのか、それを考えることこそが、
 「哲学」の目的なのだと思います。
 それは、自分が現在持ち得ている哲学なり思想なり主義なり価値観なりの、それ自体からの成長と
 変化を得るために、最も有効な方法なのだと私は考えているのです。
 今の自分が否定するもの、いいえ、否定することしかできないもの、それをどうやったら今の自分に受け
 入れる事ができるのか、つまりそれを受け入れて矛盾することの無い、新しい「論理」を模索し創造して
 いく。
 それが、私がこの魔術師の工房でやってきたことの根元にあること、そしてそれを続けていく事自体が、
 もっともっと深く根元的な問いを私に与えてくれるのだと、そう思っています。
 
 そういう意味では、私はまだまだ甘く未熟で、とてもとてもその目的区域に到達することなど叶わなく、
 まだまだずっとひとりで足掻いていたりします。
 大体、上に挙げたような話でも、そうやって非難対象を論破する事自体が哲学の目的になっている人
 に対する、私自身の受容が出来ていなく、結局その人と同じように、私もまたその人を非難対象にして
 片づけてしまっているような、そういったレベルなのですから。
 大元のレベルですらまだそんな状態ですし、またちょっとでも気を抜けば普通に論理のための論理を綴
 っていたり、ただ言葉を並べ立てているだけだったり、逆に感情に取り込まれすぎて論理のろの字も出な
 くなってしまったりと、よく考えたらこの五年間、そういう失敗というよりは壮絶で滅茶苦茶な暗中模索
 の繰り返しだったような気がします。
 でも。
 だからたぶん、その五年間に価値を感じることができるのだと、私は思っています。
 虚しくもナンセンスでも無いようにこの五周年を祝うということは、すなわちこの暗中模索の連続が
 私に与えてきたものの実感の発露、或いはその感謝の表明をするということなのです。
 正直、私は今、紅い瞳としてスランプかもしれません。
 思うように文章が書けず、それ以前に頭の中に既になにかうごうごしたようなあるべきものが無いのです。
 ただものを書くことが目的になっているだけ。
 私自身はそれでなにも感じない、というある意味末期的症状。
 でも。
 私は、今日この場でお話してきたような事を、すっと、時々、当たり前のようにして思い出す事が出来て
 しまうのです。
 純粋理論的に考えて完璧に行き詰まっているとき、真摯に感情的になる事に身を委ねその境地から
 もう無理だと叫んだとき、本当にもう駄目だと思ったとき。
 それらが、「それらだけでしかないもの」、であるということが、たぶんそれらの力が強ければ強いほどに、
 どうしてもわかってしまうのです。
 論理的に行き詰まっているのなら、きっとその論理の構造自体を変えれば、なんとかなる。
 感情的にもう無理なのならば、きっと今度は非人間的なほどに純粋理論で考えれば、なんとかなる。
 もう全部駄目なのならば、それでもこうしてまだ自分が生きている事に気づけば、なんとかなる。
 なんとかなる、という言葉はきっと、なにものにも囚われない、自由な言葉なのだと思います。
 そして、たぶん私たちに出来ることがあるとすれば、そうして自分から離れてあるその言葉を、どうやって
 利用していくことが出来るかを、或いは、それをすら利用できないという絶望的状況に陥ったとき、それ
 でもそれを利用しようという境地になるにはどうすれば良いのか、それを最後に、一心不乱に考え、
 そしてその一心不乱さを深めることに最適なものは、なによりも深く根元的に考えていく行為「哲学」
 であるのだと、私はずっと信じていて、そして。
 それを信じていたことすら忘れてしまった今、それでもこうして「五周年」という言葉を口にした途端、
 はっと、それは私の中に、その足掻きまくった五年間の私の時間と共に、それが再び私の胸に火を灯し
 ていくのです。
 これが私にとっての時間を感じるということ、そして、魔術師の工房五周年の価値なのです。
 
 
 ということで、すっかり語ってしまいましたけれど、まぁうん、そういう感じですよ。
 まぁなにはともあれ、五年間続けてきたって事のちんけな自信よりも、まったりだろうと怠惰だろうと、
 それでも色々ありながらもこうして今ここに居る私を、それでも感じられるのなら、その魔法の言葉として
 、そしてなによりもその魔法を唱えることが私に出来たという、その「自信」を飾るものとして、この五周年
 を祝い、そしてなによりもそうした私のアホな五年間をそれでも見守り続けてくださった皆々様に、
 改めて、御礼申し上げます。
 ネットでこうして日記を書き続けているのは、他の人にも見ていて欲しいから、なのですから。
 五年間、ありがとう御座いました。
 そして。
 またあと五年間、宜しくお願いします、十周年までひた走れ!
 ・・・?
 いけるところまでいくっつーか、たぶん止まれませんよ、こいつはもう。 (笑)
 
 
 頑張ります。 ←久しぶりに言った気がします。
 
 
 
 
 ◆
 
 せっかくなので、今夜は怪物王女を語っちゃう。
 怪物王女ってどういうことかーって言われたら、やっぱりまずはわかんないってとこから始める。
 というか、真っ白のさらさらです。さらさら。
 なにを言っているのかはわからないかもしれないが、私には少しわかっているので大丈夫だ。
 その。
 まず、自分がなにをしたいか、っていう事なんだと思う。
 怪物王女という作品がなにをしたいか、っていうのを考えたり感じたりするよりは、たぶんそうしたことの
 方が私にとっては意味があることのように思えるからね。
 で、そうなってくると、やっぱり私は怪物王女を使っていろんなことを考えて、そしていろんなものを見つけ
 て創っていきたいと思っているの。
 たとえば、感想でも少しずつやってるけど、「自由」ってなんだろ? っていう問いがあるのね。
 なんていうかさ、どうやったら、ほんとに自分が求めているものを、言葉にして自覚することができるのかな
 、どうすればそれが自分が求めているものを本質にあることなのかわかるのかな、っていうかさ、
 そういう風な問いをぶつけていくとね、結構この怪物王女っていうのは、返ってくるものがあるんよ。
 ほんとに今、私がやったり考えているものは、その私が求めているものを得ていくことに繋がっているのか、
 本当はそれはそのやったり考えたりしている事がいつのまにか目的にすり替わってしまってはいないか、
 というある意味で自省的観点から、問いを重ねていく事ができる。
 そしてそれは、その問いを重ねる事自体もまた、本来の目的とすり替わってしまってはいないか、という
 問いの対象にもする事ができる。
 そしてさらに、その「本来の目的」というのは、果たして本当に今、私が求めているもの、いいえ、
 「求めるべきもの」なのか、とさらに問うていくこともできちゃう。
 そうするとこう、私、或いは私らは色んなものに囚われていることがわかってくる。
 そしてなによりもね、その事に気づいたという事自体が、一体今この瞬間の私になにをもたらしているの
 か、ということがまた見えてくるんだよね。
 うん。
 私はさ、感情っていうのは非常に素晴らしいものだと思うのね。
 ていうかさ、感情にばっちり囚われてるときって、きっとその時点でもうその人は真理に至ってると思うの。
 なにを言っているのかはわからないかもしれないが、私には少しわかっているので大丈夫だ。
 いやだってさ、その瞬間の自分にとって、その感情に左右される、その激動の自分の中の世界に生きて
 、そしてそれを生きる覚悟のうちの快楽を、確かに愉しむ事が出来てるのだろうから。
 だからその境地に至るためには、感情的なものは否定するものであるどころか、なによりも必須のもの
 なのだと思うのよ。
 っていうか、感情っていう自分の肉体、っていうか主体があるからこそ、初めて色々なことを論理的に
 考えていくことをその主体を以て利用していく事が出来るのだと思うから。
 でも、確かにそれだけで刹那の瞬間の連続としての永遠を感じて、その中でなによりも逞しく翻弄されて
 生きていく事は出来ても、それだけでは足りないものがあるというのを、必ず感じる瞬間はあると思う。
 簡単な話、じゃあ、もしその感情が無くなったらどうするの? 鬱とかになっちゃったらどうなんの?
 その簡単な問いを与えただけで、ひとつ簡単な答えが導かれてくるはず。
 感情は主体だけど、目的では無い。
 そして感情は主体だけれど、それが無くなっても主体たる私は確かにまだ在るのだと。
 怪物王女的凄まじい世界、いやもっと凄惨で過酷な世界を生きる者が、その中で感情や幸せや、
 或いはあらゆる信条なり主義なり希望なりを失ったとしたら・・・・そのとき・・どうする・・・
 っていっても、それは別にその危機的状況のケースにおける限定的な対処法を考えるっていう訳では
 無く、そのことから、むしろその感情や幸福や主義や希望の存在意義そのものを、改めて問い直して
 いこうという事なのよ。
 ただ昔から生まれながらのものを育み愛でながら生きてきて、それを全部奪われたとき、じゃあその天与
 のものとそれを与えてくれた者と、そしてそれを甘受して幸せに生きてきた自分を否定するための道具と
 して、それらのものの意義を再構築していくのか。
 それともそうでは無く、その過去の記憶にそれでも感謝し、しかしもはやそれに対するあらゆる拘り(ネガ
 ティブなものもポジティブなものも)に囚われる事自体が、それでもまだ存在している自分が得るべき、
 新しいそれらに比するものの成育を阻害していく事になると認識していくのか。
 貴方の目的は、なんですか?
 その単純で究極的な問いが、たぶん怪物王女を観て考えていく事の中心にはある。
 そしてきっと、その目的自体もまた、常にその今自分が求めていることに至るための、その私自身の成
 育を阻害するものになっている可能性がある、という事に気づけたりする。
 だから、「自由」っていう言葉が、問いの中心にくる。
 「自由」って、なに? ていうか、どうしたら、私は私を本当に幸せにできるの?
 本当の幸せ、だって。わー嘘くさーい。
 でもさ、本当とか、それ以前に幸せなんて言葉は曖昧で漠然としてて、だからこそ意味あるんじゃん?
 そもそもそれらの言葉は、自動的に「本当ってなに?」「幸せってなに?」っていう問いをくっつけて持って
 るんじゃないのかな?
 だから逆に、その本当の幸せっていう言葉を紡ぎ続ける事自体がもう、なによりもその内実を問い続け
 ていうものになっていると思うんだ。
 いつだってどこまでだって、その「本当」と「幸せ」の中身は変わるし、そしてだから、変わってもそれは、
 その言葉の中身に置くものは、いつだってどこまでだって、「本当」で「幸せ」という言葉に相応しいもの
 であると、その言葉を紡ぎ問い続けた自分だけにはわかっているんだよね。
 
 怪物王女っていうのはたぶん、そのわからなさがあることが、そのわかっている事で裏付けられてるんだ。
 
 怪物王女わっかんね、あーわっかんね、とぶつぶつ言いながら、平気でずらずらと文章書いてる私。
 わかんないのになに書いてんの、まさかわかんないわかんないとか羅列してんじゃないの?
 ううん、違うよ。
 勿論「わかんない」って単語をぎっしり敷き詰めたりもしてないし、わからないという結論を導き出すため
 の理屈を書き殴ったりもしてないんだ。
 わからないって指し示してるものそれは、たぶん初めからわかってるんだよ。
 わかってるからわからないっていう事じゃ無い。
 わかってて、わかってない、わかってなくて、わかってる。
 わかってることとわかってないこと、それはたぶん、ただの色違い。
 同じ色に染めてしまえば、そのふたつの脈絡は、なんの矛盾も無く繋がっちゃう。
 そしてきっと、それを色違いにして塗ったのは、わかるわからないと言った、当の自分自身。
 その目の前にある、わかるわからないと指し示したものは、同じひとつのもの。
 怪物王女を語るっていうのは、抽象的だけど、まさにこの色をひとつに戻すってことなんだ。
 私という、キャンバスの上で。
 
 ベタ過ぎて、泣けますね。
 ていうか、泣いて。
 
 
 怪物王女論は、またいずれ。
 
 
 
 
 ◆
 
 最近、ひぐらしアニメの面白さがわかってきました、と明記。
 詳しくは、ひぐらしのなく頃に。 (手遅れ)
 
 
 
 
 ◆
 
 エル・カザド:
 第21話。
 自由ってなんすか。
 なんなんすか。
 そんな感じ。
 最近エル・カザドは100回くらい面白く無いとぶつぶつ言いながらなんとか楽しもうとしつつ、それでいて
 なんか普通に、お、これ面白くね? みたいなそういう感じに。
 まぁそれは置いといて、結論。 (早っ)
 自由とは、空を飛ぶことである。 (頭悪っ)
 ちゃうねん。
 いいじゃん、それで。
 きっと、空飛べばわかるよ。
 とかいって、スカイダイビングとかほんとにやってきて、どうだ!って言われても知りません。聞こえません。
 まぁうん、あれだ、色んなしがらみとか囚われてるものとかあって、それらをうがーってやって取っ払っちゃう
 事、それ自体にはきっと自由なんて無くて、それはただ逆にそういうのが嫌だーっていう自分の感覚に
 囚われてる籠の中の鳥な訳で、だからその籠の中に住んで結構それが快適で、それを愛してて、でも
 それじゃなんか足りないなーや足りてんだけど、でも足りてるからこそさ、もっとこうそれに足してみたいと
 かさ、もう限界一杯一杯だけど、だからほんとに限界なんてあるのか知りたいからちょっと無理してくる、
 みたいなそういう気安いような当たり前のような、そういう貪欲というよりはチャレンジャーな気持ちが、
 やっぱり自由の羽を広げてくれるのだと思うなー、クサいけど。
 なんつーか、今回はその辺りの事を、もっともっともっと違う言葉で、ナディとかエリスとかブルーアイズが
 教えてくれたよーな気がする。
 ブルーアイズが最後、ナディ達の方を観もせずに、青い空に浮かぶコンドルを見上げてたシーンが、
 その自由の概念を象徴的に表してた。
 きっと、籠の中の愉しみよりも、それよりももっともっと昔の、当たり前のようにして持っていた愉しみが、
 私らにはずっとずっと在り続けてるんだよね。
 
 『籠の中の鳥は所詮、籠の中でしか生きられない。』
 
 
 籠の中に、居れば、ね。
 
 
 
 フリーダム! (特に意味はありません)
 
 

 

-- 070822--                    

 

         

                             ■■姫の要らない鎮魂歌■■

     
 
 
 
 
 『 人魚伝説では、想い人と結ばれるために人魚は人間の姿になる取引をしたと聞く。
  もしかしたらお前は、あの笛の音で想い人の魂を慰めていたのかもしれぬな。』
 

                            〜怪物王女 ・第十九話・姫の言葉より〜

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ほろん     ほろん           
                                  ほろん
 
 
 
 
 
 
 
 音が膜を破るのに、時間がかかる。
 
 何度も、何度も、もうおしまい、もうだめと思ったのに、それでもまだ、私の中の空気は膨らんでくれる。
 一生懸命に、息を吸う。
 いつ、その埃の臭いで一杯の空気が途切れるのかわからない。
 それでも私は、笛を吹く。
 息を吸い、私の胸の中が埃まみれになって、本当はもう、それで喉が詰まって、口元までその必死で吹
 き上がろうとする息が、行き場を失って喉を突き破ってしまうかもしれない。
 でも、でも、私は、笛を吹く。
 もう、なんの曲を吹いているのかもわからない。
 いつからこうして、息を吹き付けているのかわからない。
 指の感覚、もう無いよ。
 自分で出しているはずのその音が、もう聴こえないよ。
 聞こえるのはただ、遠く、遠く、ずっと遠い、誰も知らない潮騒の音だけ。
 ごう、ごう。
 その音は、聞こえるの。
 耳の中に響き渡るその音が、私の前にずっと、ずっと居るの。
 真っ暗な、真っ黒なその深い膜が、私から私を隠してく。
 
 だって、私、ただ息を一生懸命吸って、吐いて、それだけなのよ。
 そして指を、ただ、動かして。
 それなのに、なんで・・なんで・・・
 私には、その怖い膜が見える。
 その分厚い潮騒の音色が耳に届くより深く、私はその膜を耳の奥底で視ているの。
 私はこの膜を、破りたい。
 届け、届け、私の笛の音。
 私の耳に、届いてよ!
 
 もうやだ・・・もうやだよ・・・
 だって・・・音が聴こえないのに・・・私には・・・私がそれでもちゃんと曲を吹けてるのがわかってしまうの・・
 私の指使い・・・・・合ってるの・・・合ってるのよ・・・・・・どうしても・・・・私はそれを・・・知っちゃうの!
 ただ夢中に息を吸って吐いてるだけなのに、それは絶対に、綺麗な笛の音に変わってしまってるの。
 私は・・・曲なんて演奏してないのに・・・
 私はただ・・・・頑張って・・・必死に・・・・・・もうだめって・・・もう無理って・・・ただ・・・そう・・・・
 
 
 
 
 
 助 け て
 
 
 
 
 
 真っ黒な膜を、真っ白に突き破って、その音は、必ず、どんなにかかっても私の元に還ってくるの。
 
 
 
 
 
 ◆
 
 私は笛が大好き。
 ゆっくりと息を吸って、あったかくなって胸一杯膨らませて、それでゆっくりとゆっくりと息を吹き込むの。
 私の気持ちもなにもかも、ゆっくりゆっくりあたためて、ゆっくりゆっくり笛に大好きって言い続けていれば、
 笛はそっくり私の中に入ってきて、綺麗に私の全部を持って外に飛び出してくれるの。
 海の岩場の上で、静かな波音に包まれて、私はそうして毎日毎日、ゆっくりと過ごしていたの。
 堪らなく嬉しかったけど、でもそれよりも、それがあんまりにも当たり前だから、つい、誰にもありがとうって
 いうことを言うのを忘れるくらいに、あたりまえのその幸せの中に生きていたの。
 好き。
 大好き。
 だから私は、笛を吹く。
 ううん、好きっていう言葉を笛を吹くことで表したつもりは無いの。
 ただ私は、好きだったから、ただ笛を吹いていたの。
 ずっと一緒に居たかったの。
 ずっとずっと、笛を吹いていたかったの。
 
 ごめんなさい ごめんなさい ごめんなさい
 
 閉じ込められた部屋の中で、私は泣きながら笛を吹き続けたの。
 一生懸命に、ごめんなさい、と息を吐きながら。
 声にならない笛の音だけが、海の岩場の上での幸せの旋律と同じように響いていったの。
 私には、聴き分けられなかった。
 言ったことの無いありがとうと、言葉にならないごめんなさいの音色の違いを。
 いつの間にか、音が消えていたの。
 私にはもう、真っ黒な潮騒だけが私を包んでいるのがわかるだけだったの。
 自分の言葉が、聞こえない。
 私にはもう、笛しかないの。
 私には・・・・・・わたしには・・・・
 
 みんな・・・来て・・・・誰か・・・・助けにきて・・・・
 笛は際限無く、私の中のものを持ち出していった。
 どんどん、どんどん、私の中のものが消えていく。
 なんにも、みえないよ。 なんにも、きこえないよ。
 それなのに、真っ暗な部屋の中の時間が過ぎているのを、私はわかっちゃうの。
 また一段と、黴臭くなってきた。
 なんだかまた、膜が黒くなってきたの。
 涙が、出なくなったの。
 随分、その事に気づくまでに時間がかかっていたの。
 気づいたら、涙、乾いてたのよ。
 なんでだろ、なんでだろ。
 
 私の吹く笛の音が、黒い膜の外に本当に届いているのか、全然わからなかった。
 だから、吹いて吹いて、吹いて、自分が曲を演奏していること、笛を吹いていることもわからなくなったの。
 私はふーふーと、いつ途切れてもおかしくない息を、信じられないくらい長い間、吐き続けていただけ。
 それしか私にはできなかった。
 ううん、違うの。
 絶対に破れないと思った、この目の前の膜を、もし、もしも破ることができるものがあるとしたら、
 これしか無いと思ったからなの。
 だって、だって、私が訳がわからなくなるくらいに一生懸命になれるものは、それしか無かったんだから。
 私の全部の力を、私のすべてをぶつける事ができるものはなにかと、必死に必死に探したら、見つかった
 のはこんな滅茶苦茶なことだけだったの。
 それしか・・・私にはできないの・・・?
 あんなに・・・あんなに・・・・幸せな日々を送ってきたのに・・・
 私にはただ、私の命をまっすぐに燃やして、なにも考えずに呼吸をすることだけだったの。
 ごめんなさい
 もう、なんにもみえないの
 もう、なんにもきこえないの
 でも・・・
 でも・・・・・・・
 それでも、私はこの膜を破りたかったの。
 絶対に絶対に、破りたかったの。
 自分の声が聴こえなくても、自分の声が誰にも届かなくても。
 私は、私の声を聴きたくて、私の声を誰かに聴いて貰いたかったの!
 私のすべてを、
 
 笛の音色に、込めて。
 
 
 届いて!
 
 
 私の大好きな・・・・・あったかい・・・・・・・・涙
 
 
 
 
 
 ◆
 
 ひゅー  ひゅー
 
 喉から漏れていく冷たい息の音がきこえる。
 
 ひゅーひゅー ひゅー
 
 言葉が、出ないよ。
 私の声を聴きたかっただけなのに。私の声を聴いて欲しかっただけなのに。
 いつの間にか、なにも言うことが出来なくなっていたの。
 もう、黒い膜も見えない。
 私の指に張り付いた笛が、私をどこまでも引きずってく。
 笛が居て、私が置いてある部屋。
 わからなくなっちゃった。
 わからないってことも、私が今なにをしているのかも。
 どうでも良くなったんじゃないの、どうにもならなくなったの。
 私は笛の音を聞いてる。
 ずっと、ずっと、そのまま。
 私の体は、笛に吸い出される息を作るために、ずっと静かに動いてる。
 どこまでも、どこまでも、静止して。
 
 
 誰かが、部屋のドアを開けて入ってきた。
 
 
 笛が私の指を突然放して、解け合ってひとつになっていた唇がいつのまにかぱくぱくと動いていた。
 走った。
 ころ、ころ
 抱きついた。
 抱きついたの。
 
 目の前の人の形がぼやけたのを見て、初めて涙が止まらなくなってるのを知ったの。
 
 見えない、見えないの。
 お姉ちゃんのあったかい胸しか見えないの。
 頭を撫でてくれた。
 そのお姉ちゃんの手と私の頭が溶けてくっつかないでと、私は一生懸命祈ったの。
 どんどん、どんどん、音が消えてく。
 絶対、絶対、喋っちゃいけないの。
 私がなにか言ったら、私の言葉だけになっちゃうの。
 お姉ちゃんも、お兄ちゃんも、お姉ちゃんも、お兄ちゃんも、みんな私のお話の中の人になっちゃうの。
 ううん、もう、私、お話の中に居るから。
 だからもう、言葉なんか要らないし、要らないからきっと、私はもう喋れない。
 ごめんなさい ごめんなさい お姉ちゃん
 なんにも思っていないのに、なんにも感じていないのに、抱きしめて貰って。
 わかんないよ、わかんないよ、なんにも悪いって思わないのに、なんにも怖いって感じないのに。
 それなのに、お姉ちゃんに、抱き付いた。
 なんで・・
 でもその疑問の言葉は、全部私の目から零れて涙になっちゃった。
 私にはもう、助けて貰うってことが、どういうことなのかもわからなくなってるはずなのに・・・・
 
 私は、走って、抱き付いて、そしてまたお姉ちゃんに抱き付いたの。
 
 どんどん、どんどん、音が聴こえてきた。
 私が吹いていたはずの笛の音だって、今はもう聴こえるの。
 ぽろぽろと流れ続ける涙が、全部私の頭の中に音符を埋め込んでいってくれるの。
 私、知ってる・・この曲・・・・
 楽譜を見ながら吹いたことなんて一度も無いけど、でも、読み方は知ってるわ。
 私の頭の中に、私が黒い部屋の中で吹き続けた曲が広がり、そしてそれは、私が幸せな海の岩場の
 上で吹いていた曲の音符を、綺麗になぞりながら、私に優しく語りかけてきたの。
 助かったんだって、私はお姉ちゃん達に助けられたんだって。
 その囁きは、その曲がお姉ちゃん達に届いたのかどうかは、教えてくれなかった。
 お姉ちゃん達を連れてきてくれたのは、あなたじゃ無いの?
 
 助けられたのは、誰?
 
 お姉ちゃんの言葉は、ううん、お姉ちゃんは、こう言った。
 私の笛の音が人を引き寄せ、海難事故を引き起こしているって。
 ああ、やっぱり私の叫びは聴こえてたんだ・・・
 お姉ちゃんは、こう言った。
 だから、それで失われた魂を鎮めるって。
 そっか・・・
 よくわからないはずなのに、よくわかるの。
 だから早くこの部屋から連れ出して欲しいとか、どこまでも遠くに逃げたいとか、そんな事は思わなかった。
 そのお姉ちゃんの言葉を聴いて私にわかったのは、たったひとつ。
 やっぱり私、助かったんだって。
 だから、もう笛は吹かないの。
 吹かなくてもいいし、吹いてはいけないの。
 もうひとりのお姉ちゃんに抱っこされて、私は必死にしがみついた。
 放さない、絶対放さない。
 私の手とお姉ちゃんの服がくっついてひとつになっちゃっても、私はお姉ちゃんから離れない。
 懸命に、懸命にしがみついたの。
 お姉ちゃんが、私を助けてくれるって、私を連れて行ってくれるって、信じてるから。
 絶対にもう、私はなにも言わない。
 絶対にあの部屋から抜け出して、絶対に逃げ切ってみせるんだから!
 お姉ちゃん、お兄ちゃん、お兄ちゃん、お姉ちゃん
 目をつむる。
 耳をふさぐ。
 それでも見える怖いお化けとその叫び声が、また私を追ってくる。
 やだ、やだ、もういや、やだ・・・・っ
 閉じこめないで! もう私の声が誰にも届かないのはいやっ!
 私は口をまっすぐに結んで、絶対に絶対に叫ぶもんかと誓った。
 いつのまにか、私を抱きしめてたお姉ちゃんが居なくなっちゃったとしても、私はもう絶対嫌っ!
 私はひとりでももう、絶対に絶対に助かりたいの!
 お姉ちゃんの服を握り締める私の指に、一層力が籠もる。
 放さない、放さない、絶対絶対放さない!
 
 私を捕まえにお化けがやってくる。
 私を閉じ込めた怖い怖いお化けが追ってくるの。
 私の笛の音が引き寄せた人たちが死んで、その魂を食べてお化けはどんどん大きくなる。
 私が笛に息を吹き込めば吹き込むほど、お化けは強くなって、そしてみんなが死んでっちゃう。
 お化けが真っ赤な口を広げて、私を追いかけてくる。
 私が笛を吹かなきゃ、このお化けはこんなに大きくならなかった。
 私が息をしなきゃ、みんなは死ななくても済んだ。
 私が殺した人達が、私を捕まえにやってくる。
 お化け、お化け、お化けが来るの。
 怖い。
 だから、逃げるの。
 怖いから。
 またずっとひとりで、真っ黒な部屋で、笛を吹き続けたく無いから。
 私の・・・・幸せな音色を・・・・また・・・・みんなに聴いて欲しかったから・・・・
 私は笛を吹いた。
 吹いて、吹いて、沢山の人の命を奪って、それでも吹いて、吹いて、吹いて。
 私の息の続く限り、吹いて。
 生きているから。
 私はずっと、生きていたから、息が続いていたから。
 幸せに、なりたかったから。
 
 だからもう、笛を吹いている暇は無いの。
 私は、あの幸せな海の上の岩場まで、逃げ続けなくちゃいけないんだから。
 
 たとえもう、その岩場が無くなっていたとしても、私は。
 
 
 あの部屋から、出れたんだから。
 
 
 
 
 お姉ちゃん・・・・
 
 私を・・・放さないで・・
 
 
 服を掴む私の必死な指の力が、どうかその事をお姉ちゃんに伝えてくれますように。
 
 
 
 
 
 ◆
 
 お姉ちゃん達が、お化けをやっつけてくれた。
 そして、お化けに食べられた死んだ人達の魂が、私の目の前を泳いでいった。
 お姉ちゃん・・・
 握っていたお姉ちゃんの手を放し、私はゆっくりとその青い流れを見ていたの。
 冷たい・・・
 私のほっぺたを、青い雫が濡らしてくの。
 私には見えないはずなのに、この人達にも私の叫びは聴こえないはずなのに、それなのに・・・
 私と・・一緒・・・
 お化けに捕まった私、私に捕まった沢山の人達・・
 
 ごめんなさい、って言葉が、私の頭の中に音符を刻んでいくのが、なぜだかとっても落ち着いたの。
 私がこの人達を殺しちゃったんだって。
 私は、この人達の魂を使って、お姉ちゃん達を呼んだんだって。
 私が、全部やったの。
 全部、全部。
 私のせい。
 だから。
 それが、ちょっぴり嬉しかったの。
 私が一生懸命吐き続けた息は、ちゃんと、ちゃんと、私を助けたんだって。
 お姉ちゃん達が、私を助けてくれたの。
 それは・・・ね・・・
 
 
 私が、お姉ちゃん達を殺したのと、きっと、きっと、同じことなの。
 
 
 助けて、という言葉を言わないで、助けて貰うことができた。
 どんな事になっても、助けて欲しかったから、私は言葉を失うまで笛を吹き続けた。
 どんどんなにも聴こえなくなって、どんどんとそれでもちゃんと曲を演奏していることがわかっちゃって、
 ただもうなんにも考えられずに、ただその曲を演奏するためだけに、自動的に私の体は動いていたの。
 助けて、という想いをすべてそれに託して。
 そして、その私の声にならない叫びが、みんなを殺しちゃった。
 ちゃんと言葉で、説明しなかったから?
 もし私が言葉を使ったら、きっと私は助けなんて呼べなくなっちゃうの。
 だって、私、私を助けに来たらみんな死んじゃうよって言っちゃうもん。
 
 だから、私は、助かりたかったの。
 助かりたかったから、言葉を言えなくなるまで笛を吹いて、そして笛の音色で私の想いを伝えたの。
 
 
 
 そして、私は助かった。
 そして。
 
 喋った。
 
 『あぶない!!』
 
 柱の下敷きになりそうだったお兄ちゃんのためにでも無く、私のためにでも無く、誰のためにでも無く。
 ただ、どうしても言いたいことを、言ったの。
 言葉に、したの。
 私の命と引き替えにしたつもりなんか、無いの。
 ただ、どうしても、言わずにはいられなかっただけなの。
 どうしても、どうしても。
 
 そして、やっと。
 
 やっと、私にも、私の声を聴くことが出来たの。
 
 
 どうか・・・
 どうか・・・・
 私の言葉だけが、お兄ちゃんを助けたという事にならないで・・・
 
 でも、良かった。
 
 最後に、聴けて。
 
 
 
 
 
 
 ◆◆・・・・・・
 
 それでも、生きたかった。
 私の助けを呼ぶ歌声が、私を助けようとするすべての者を殺そうとも。
 怖かった、生きられないのが。
 死ぬということが、わからなかった。
 私は助けを求める者。
 そう自らを名付け、その名を背負いその生にすべてを賭けるつもりなど、さらさら無い。
 けれど、それと同時に、死ぬ訳にも、そして生きないでいる訳にもいかなかった。
 どれほど私の存在自体が非道であろうとも、その存在と心中するつもりは無かった。
 私はその存在の中で生きる者。
 私にとって私の存在とは私にとっての世界にしか過ぎず、その中でどう生きるかを決めるのは私だった。
 その点に於いて、私は私の存在自体が負っている、他の者達と共にある世界に対する責を放棄する。
 たとえ私の存在が世界を滅ぼそうとも、私は生きる。
 それがどれだけ凄まじい苦痛であろうとも、この身に既に焼き付いている強烈な心情が、それで冷酷に
 私の身を引き裂こうとも、私は絶対に生きることを諦めない。
 どれほど自分が信じ正しいとさえ見定めた在り方を裏切ることになろうとも、どれほど懸命に綴ってきた
 私の中の愛を踏み潰す事になろうとも、私は絶対に生きることを選び続ける。
  自らの罪の意識に最も忠誠を尽くすが故に、その忠誠の限界を知ることになるのだ。
 私は死なぬ。
 私の正義と意志が確かである限り。
 
 『エミールお兄様、ひとつ申し上げておきます。
  私は王座などに興味はありません。
 
  ですが、死ぬつもりもありません。
  生きるために、いずれあなたに刃を向けるかもしれません。』
 
 
 そして、私にははっきりと見えた。
 
 
 あの小さな人魚の吹く笛の音が、生き残った私に必要なものを示しているのが。
 
 
 
 ふふん。
 
 
 
 生き返らせてくれたお兄様の元で、過酷に生き抜けよ。
 私が助けた、小さな小さな愛よ。
 お前に呼び寄せられて、お前と会えて、少し、痛快だったぞ。
 
 
 
 『のんびりしてる場合じゃ無い! この船はもう沈みますぜ!』
 『問題無い。』
 『しかし、我々は海の真ん中に取り残されてしまいますが・・』
 
 『構わぬ。
        船が沈んでも、この人魚が呼び寄せた助けが来る。』
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ◆ ◆ ◆
 
 なんで生きてるのか、ていうかなんのために生きてるのかとか訊かれてもちょっと困る。
 いや、困るというよりは、なんでそんな質問する必要があるんだろうかって思うばかり。
 なんでってあなた、そんな質問する前にあんたもう生きてるでしょ、ていうかなんのために生きてるかってあ
 なた、そんなのあなたが一番わかってるでしょーに、わかんなきゃ、じゃーそういうの無いってことなんじゃ
 ないの? っていう、そういう感じ。
 別に無くたっていーじゃん? 私だってそんな生きる目的なんてあったりなかったりするよ?
 だからさ、そういうの理由とか目的とか、そういうのが欲しいって考えてる自分が居るって事が、それが確か
 過ぎるってことが、その質問してる時点でわかるだろうし、だから逆に、そうなれば純粋に自分でそういう
 の作って、場合によっては人に教えて貰ったりしてみてもいいんじゃない?
 だって、そういうもんが初めっからある訳じゃ無し、仮にあるのだとしても、だったらそれ探せばいーじゃん、
 で、見つからなくっても、その間にあなたはそれでも確かに生きてるんだから、なんで生きてるのかもなに
 も無いし、なんのために生きてるのかって訊かれりゃ、そりゃあんた、少なくとも今はその答えを得るために
 生きてるんでしょ、っていう話になる。
 私は真実とか真理とか、別にあったっていいと思うし、むしろそういうのがあると信じて、一生懸命に頑張
 って考えたり作ったりとなにかをしていくことは、すっごく大切な事だと思う。
 それこそ、この世に真実なんか無いんだって嘯いて、それはわかったけど、だからなに?って感じで、
 そう嘯くことでなにかを得ることの方が目的であって、ただ論理的にだか哲学的にだか真理なんか無い、
 なーんって言ったって、それだけじゃなんにもならないし、それはただの論理のための論理、哲学のための
 哲学にしかならない。
 そうやってニヒルに構えることで、それで気持ちが安らぐとか、肩肘張らずに自由に生きられるとか、そうい
 う風にできるようになるために、そういう論理とか哲学とか利用して、初めてそういう事は価値が出てくる
 んじゃないかな。
 だから、真実とか真理があるって信じて一生懸命にそれを求めることは、それ自体が意味あるし、そう
 やって少しずつ自分が真実とかに近づいているという自覚や自信(錯覚であろうと無論良し)が得られる
 のなら、たとえその「真実がある」ということが「真実」では無いのだとしても、そんな事は全く関係無い
 んだよね。
 や、でもその場合は、「真実というものは無い、という真実」に近づいたのだから、それはそれでも全然
 OKなのだね。
 
 それを踏まえて。
 
 なんで生きてるの?
 既に生きてるから。 死ぬってことがどういう事かわからないから。
 死ぬ事に意味を付ける事は無限に出来て、死ぬ事で自分の生に価値付けをする事も出来る。
 自分の罪深さに気づいて、それを罰するために死を選び、それ自体が快感だという事もある。
 でも、関係無い、既に生きてることと、そんな事は。
 なんのために生きてるの?
 敢えて言うならば、なんでか知らないけれど既に生きちゃってる自分の生を、自分で生きるために。
 だから、自らの罪深さに死を与える事で自分で自分の人生を仕切る、って事は出来るし、それを私は
 全然全く否定しない。そうしたいなら、そうすればいいと思う。
 でも。
 そういうのを決めるのは、必ず自分だから。
 自分で自分を裁くことの心地良さは、たぶん凄まじいものがあるとは思う。
 自分で自分に死を与えるなんて、その決定を下した自分にもの凄い価値が付くと思う。
 でも、その価値を自分が本当に求めているのかを問うのも、自分の仕事。
 なんかね。
 ここではほんとはね、人魚はどういう存在だったのかってことを説明しようと思ってたんだけど、馬鹿馬鹿し
 くなってきたんで、やーめた。
 だってさ、あの子、自由じゃん。
 いろんなものに縛られて、閉じ込められて、それなのに、それとは全然関係無いところで、自分がなにを
 したいのかを完全に知っててさ。
 でもそれと同時に、そういう縛られ閉じ込められているからこそ、それと大いに関係があるところで、それ
 でも自分がなにかをしたいのか真摯に考えていくことが出来るんだよね。
 自分の罪深さを知りつつも、それによって自分の中の素直な気持ちが消えることも無いし、またその罪深
 さのせいにして自分の素直な気持ちを無視する安楽さを感じながらも、それよりも深く高く、それでも
 自分が「しなければならないこと」として、自分がしたいことを素直に考えていくんだよね。
 なんていうか、もう、瞬間瞬間を必死に生きてる。
 主義とか信条とか、そういう一貫したなにかに頼り切ったりそのせいにしたりして、そういうものを持って生き
 ている自分が、本当にそれだけで満足できるのかをしっかり毎回毎回、瞬間ごとに考えてる。
 縛られてる自分、囚われてる自分、それを見つめてる自分。
 そして勿論、すべては自分で決められないという事を、自覚している自分。
 あの子が選んだ決定だって、それ自体があの小さな世界という絶対的な区切りの中で、強制的に
 行わされたものにしか過ぎない(そうでない人などこの世に存在しない、っていうか存在してるって事自体
 が既に無限に不自由だしそれを決めたのは絶対自分じゃ無いじゃん)。
 でも、あの子は、その事自体に囚われる事は無かった。
 だって、なんにも嘆いて無いじゃん? ずっとずっと、助けて貰いたいって思い続けて、そのためにずっと
 笛を吹き続けてたじゃん?
 それが他の人を殺すということになるを構わない、ということを選んだ事になるとか、そんなんよく考えたら、
 それこそ屁理屈みたいなもん。
 だから、なに?
 その理屈は大事だし、勿論間違ってもいない。
 でも、それで、自分が生きるか死ぬかを決めるのは、もう全然間違ってるし、その選択肢に囚われまく
 ってる。
 みんなを殺してでも生きる?
 違うよ、それよりも先に、そんな事とはなんにも関係無く、ただ私は生きたいから生きるんだ! っていう
 のがあるんじゃないの?
 そうして生きた結果、みんなを殺した上で成り立っている、その自分の存在と向き合う事ができるんじゃ
 ないの?
 初めから、その選択肢としての存在とひとつになってなにかを決めるなら、それこそ自分の存在の奴隷に
 なってるのと同じ事。
 
 そしてきっと、その奴隷の立場からは、その選んだ選択肢自体を生きることしかできない。
 
 あの人魚の子を見つめる姫の紅い瞳は、きっとその事を映していたと思う。
 生きる事自体が目的な訳じゃ無い。
 生きるっていう選択肢に拘って不自由になるだけなんだから。
 だから、いつでも死ぬのを選んだっていい。
 でも、その死ぬのを選ぶということは、生きるという選択肢を消したことにはならないんだよ。
 だって、死ぬ事自体が目的な訳でもまた、無いんだから。
 私達は既に存在している、だから生きることを選んだり死ぬことを選んだりすることが無条件で出来る。
 そして、私達と、私達の存在は、別のもの。
 だから、私達の存在の中にある、それぞれの選択肢と私達もまた別のもの。
 だからいつでも、選択肢を変える事は出来るのだと思う。
 
 
 出来ると思うからこそ、あの人魚の子は、笛をまた、最後に吹き始めたんだって、私は思ったよ。
 
 
 や、むしろあれはもう、選択肢という概念を超越したところにあったと思う。
 自由自在、なんの責任とやらに囚われる事も無いゆえに、いつだって、いつまでだって、自分が選んだ
 と思われてる道が、それとは違う道を歩むことでしか得られないはずの結果をも、自分にもたらしてくれ
 ると信じてるんだよね。
 あの子は、信じて諦めなかったんです。
 笛の音の可能性を。
 それが人を殺すことはあっても、「人殺しの道具」では無いことを。
 そしてその可能性とはなんら関係なく。
 自分の素直な気持ちとして、ただ純粋な人を想う心がその笛の音の魂であることを、あの子は最後
 まで、そして最後ののちにも受け止めていたんだよね。
 はい。
 もう充分です。
 言いたいことは言いました。
 あ、でも、最後に。
 姫達が部屋のドアを開けて入ってきて、あの人魚の子が駆け寄ってきたシーン。
 泣いた。
 だめ、もうこういうの弱い、ていうか凄すぎ、幸あれ、もうなんか幸せになれ! (命令)
 
 それでは、今回の素晴らしきお話の余韻に浸りつつ、来週またお会い致しましょう。
 
 
 P.S:
 エミールお兄様が連れて(乗って?)きた巨大ロボット・フランダース。
 発した一言は、フランドル達と同じく、「ふが。」
 『ふがって・・・』 byヒロ
 わかる、わかるよヒロ。 (笑い転げながら)
 
 
 
 
 
 
 
                                ◆ 『』内文章、アニメ「怪物王女」より引用 ◆
 
 
 

 

-- 070819--                    

 

         

                             ■■持ってけ、正気の沙汰■■

     
 
 
 
 
 夏、開放区。 (挨拶)
 
 改めまして、主に脳みそ近辺が開放気味な紅い瞳です、ごきげんよう。
 やー、暑いですね、なにかもう、暑いのが当たり前過ぎて暑いっていうのがどういう事なのかわからなく
 なってきてますよ、全開ですよもう、むしろ元気一杯なので、いつ倒れるか心配です。(縁起でも無い)
 
 とか言いつつ、先日まですっかり風邪をひいておりました。既に倒れておりました。
 39度とかもう、何年振りですかって勢いの高熱を出してしまいまして、しばらく療養してました。
 でもさ、最初37度くらいのときの方が苦しくて、なのにもう39度くらいになってくると、かえって色々麻痺
 してくるというか、むしろ麻痺してるのすらわからない勢いで、普通に元気に振る舞っていられて気分良い
 みたいな感じだったです。
 あれ? こんなもんだったっけ? 39度って。全然やじゃないよ、むしろ楽しかったよ!
 そして、段々熱が下がってくるにつれ、また苦しいだるいとかぶつぶつと言い出して、そして平熱に戻った
 ら今度は暑いーやる気無ーていうか眠ーとか、おまえ高熱出してた方がまともな人間になれるんじゃん?
 みたいな感じになっていまして、やっぱり楽しかったです。
 お陰様で、頭のネジが一本、青空に向けて飛ん でいったようです。
 よし、いける。 (どこへ)
 
 
 
 ◆
 
 さて、さて、さて。
 馬鹿は風邪をひかないという言葉の根拠の無さを証明しつつ、お話を進めて参りましょう。
 
 xxxHOLiC』新シリーズ制作決定!
 
 いつか来るとは思っていましたけれど、もう来るとは・・・
 第1期のときは大変お世話になり、感想をがっつり書かせて貰ったりと、良い思い出というには重みが
 ありすぎて、美しい思い出というには生々し過ぎる、そんなこの作品との熱い過去がありました。
 正直に言えば、がつんときた。
 嬉しいとかそういうんじゃなくて、まずがつんと。
 んー、あの体験を再び味わうことをわっと全身で感じちゃったね。
 だから感情がどうこうより、既にこの作品と向き合う事になるであろう自分を自覚しちゃったのですね。
 作品側に期待する事はですから、あんまりありません。
 第一期と同じように、私の外側から絶対的にがつんと存在感を示してくれるのを、ほぼ確信してますし。
 ま、原作がどうなってるのか知らないけれど、登場人物達自身についての、設定的な部分の謎解きみ
 たいなもの(マル・モロの正体とか)もこの際あっても面白いかも。
 本質的には、その謎解き自身には興味は無いけれど、そういった題材を使ってまた、他の話と同様に
 なにか訳のわからない凄まじいものを見せ付けてくれたならば、と思いますしね。
 期待しています。
 そして、期待してません。
 先入観はたぶん、必要無いし、無力だし。
 
 あ、あとお勧めかと言われると、うーん、どうでしょ。
 一番簡単なのは、色々考えて観てみたい人にはお勧めかな、っていう勧め方。
 お話の中に出てくる箴言的な言葉について考えるだけでも、面白いかも。
 それで、それが出来たら今度はその「言葉」が提出された「場」としての映像世界の中に、一体なにが
 顕れて、そして一体自分はその中の何処に、そしてどういう風にして在るのかを感じたり考えていけたり
 したら、かなり面白いと思います。
 
 
 さて、次のお話。
 
 『狼と香辛料』
 
 と、いう小説のアニメ化が決定して、その公式サイトが出来ましたとのこと。
 で、なぜ私がそれをここで書くのかというと、つまりは気に入ったからというそれだけのお話。
 うん、原作小説とかお話の内容とか、なーんも知らなくて、まずね、ただこの「狼と香辛料」というタイトル
 が気に入ったんよ。 や、実は前からコレはタイトルだけは知ってて気になってはいたんよ。
 これ、いいセンスだわ。
 ネーミングの形式としてはお話の中身を表しているはずのものだけど、狼と香辛料という組み合わせから
 はなにも中身を想像できず、というかむしろ奇異な組み合わせというかそれ組合わさって無くね? という
 、なんというかね、透明感のあるアンバランスさみたいなね、つまり中身は透けて見えるんだけど、その
 見えてきたものはあまりにも形を掴みにくいものみたいなね、いいさ、わかる人だけわかってくれれば。
 とまぁ印象的なことはこれくらいにしておいて、で、そうやってタイトルが気に入って、そのご縁と言っては
 なんですが、それがアニメ化されるというのですから、是非そのお話の中身を観させて頂きましょう、という
 具合になりまして、その、色々とあらすじなどを読んでいましたらね、ええ、すっかりやられました。
 「中世ヨーロッパの商人の生活をリアルに描き出し、(主人公の)二人が行商の途中で巻き込まれる金
 銭絡みの事件がスリリングに描かれます。」 ですって?
 
 ス ト ラ イ ク 、 入 り ま し た 。
 
 剣と魔法の無いファンタジーがどうとかより、その商売とか経済とかそういうのを生活を通して描き出して
 いこうっていう、そういうありそうで無い上に、私が一度は味わってみたかったものをアニメにしてくれるなん
 て、なんかこう、天啓? 運命? そんな感じがしてきましたよ。半分くらいは本気です。
 いや、これはほんと面白そうです、興味あります。
 口八丁手八丁の舌先三寸合戦で商売の駆け引きを描くのも良いけれど、そういう物の動きとか流れ
 とか、ものに値段がつくとはどういうことかとか、そういうもっと大きなスケールを背景で語ってくれたりして
 くれて、その中でひとつひとつのキャラが、決してそれらの世界観を具現化したものとしてでない、そういっ
 た世界の中に居るひとりの存在としてなにを観てなにを語っていくのかとか、ああもう、期待すればする
 ほど期待は尽きないですよ、あーもう、いー加減にせい。
 うん、ほんとそんなんだったらいいなーと想像してるだけでご飯三杯いけますぜ。
 いつから放送開始なのかは存じませんけれども、とてもとても楽しみにしております。
 それに。
 『わっちは賢狼ホロ。 アニメのわっちを見てくりゃれ?』
 ・・・・。
 
 デ ッ ド ボ ー ル 、 入 り ま し た 。 (鳩尾辺りに)
 
 自分を賢いなんて言っちゃって!
 「わっち」とか「くりゃれ」って、方言だか郭言葉だかわかんない言葉使っちゃって!
 よし、君でいこう。
 私は君に、賭けたよ。 (なにを)
 
 
 さてさて、次の次のお話。
 
 見える姉と憑かれやすい妹。『もっけ』この秋、放映開始!:
 
 一日千秋。
 待ったね、待ちました、なにを待っているのか忘れてしまうくらい待ちました。
 10月開始アニメの中ではぶっちぎりの期待作にして、絶対(私が喰らいつく)作!
 もう言葉はいらない、ただこの上のリンク先の作品説明を読めばそれでいい。
 ちょっとクサいしP○A的丸め方になっているけれど、そういう風に言うことも出来るという意味で、全くその
 説明通り。私がここでうだうだと説明する必要は無い。
 ・・・。
 姉の方の声優が、川澄綾子?
 声優音痴の私ですら知ってる人ですね、っていうか怪物王女の「姫」とか神無月の「千歌音」の人
 ですよね。お姫様声な。(?)
 でもあの人は確か、もっと素朴でか細いような声もやってた気がしたけど、役名を思い出せないな、
 うーん、でも、姉の方の声にはそれがぴったり合うような気がします、あーこの声だよこの声、みたいな。
 待ってます。 (大人しく)
 
 
 
 ◆
 
 なにかまだお話すべきことがあったような気がするのですけれど、暑くてよくわかんないので、いいや。
 あ、でもひとつ思い出した。
 人生初サングラス買い。
 ん、そね、今までサングラスなんて買ったこと無かったし必要無かったんだけど(海近いくせに)、なんだか
 今年は妙に欲しくなって、つい買ってしまいました。
 むー、顔の前になにかあるのは凄く嫌いだったはずなのに(眼鏡は家に居るときのしかもお風呂上がり後
 のみ)、なんかほんと暑くておかしくなっちゃったのかなー、って、まぁいいや嗜好は年と共に変わりますよ、
 誰でも。(一般論で誤魔化し)
 でね、お店行って見て、まーデザインくらいしかこだわり無いからそれで選んでみて、二択まで絞って、
 うん、5000円のと1500円のでね、で、結局デザイン的に1500円のが良いと思って良しと買う意志を
 固めたあとにね、なにかこう、ちょっとすーっとする敗北感がね、うん、ちょっとね。
 違う! 絶対安いから選んだんじゃない! あくまで純粋に、そうデザインが、デザイン性の違いが!
 フレームは紅に黒が染みこんでいるような色合いの、シンプルなもので、大・変・満足しています!
 いいかいものしたな!! (値札を裏返しながら)
 
 あれ? こんなことが言いたかったんだっけ? まぁいいかぁ。
 
 
 P.S
 ちょこっとアニメ感想大会〜。
 ・最近のスクイズ
  なんかもうみなさんやりたい放題でいい感じに地獄展開に進んでいて、なによりです。
  あー見える見えるよ、惨劇が。
  誠様のご無体さはむしろ神がかっているので置いておくとして、「世界」の態度が一番罪作りな気が。
  「言葉」を裏切って「世界」と付き合う事にしたことを「言葉」に黙ってる事が後ろめたいんなら、さっさと
  「言葉」に言うべきなのに(それで思いっきり殴られてきなさい)、それがなかなか出来ないのは仕方
  無いとしても、それを共犯者の誠のせいにしてるのはどうかと。結局は誠が言わないのに業を煮やして
  我慢できなくなって「言葉」に突進するみたいな形で、それって卑怯じゃんっていうか、誠には誠の、
  「世界」には「世界」の言わなくちゃならないことあるのに、それを全部誠ひとりに押し付けて。
  ていうか、誠様をぶん殴ってでも言わせるか、それとも誠を無視して自分の分だけでもはっきり言うのが
  筋っていうか、なんかもう、ね。
  で、かたやの「言葉」だけど、あの子もねぇ・・・なんていうか見えてる世界が狭すぎるというか、悪意は
  無いけど自分中心というか、だからあのクラスの子達がキツイ態度で来るのもやりすぎだけど気持ちだ
  けはわかるし、まるで自分だけはなにも知らない悪くないいたいけな子なんですみたいな、それ自体が
  充分色々迷惑かけてることも知らないのは良くないし、で、あの正義感で一杯のチビっ子とデカい子
  (?)は、これもある意味で「言葉」と一緒で周りが見えていない、というか見る必要なんか全然考慮
  しないっていうか、そういう罪なとこがあるから、むしろ自分の嫉妬を正当化するための口実として「言
  葉」と誠のうやむやな関係に対する怒りを発揮してる「言葉」のクラスの子の方が、チビっ子達より自覚
  的ゆえにマシな気がするし、まぁだからその口実化してる事自体は充分責められるべき事なんだけど
  さ、とまぁそんな感じで、色々と私の中にあぶない目の琴線にちょっかいを出してきてくれているので、
  逆にあーこれだけ間違い(?)まくりなことを重ねるからこそ、それがはじけたときの惨劇力はすごいこと
  になるのかー、と既にじわじわと来てる惨劇の予兆(特に「言葉」があぶない)を噛みしめてます。
  相変わらず、いい悪趣味だこと。
 
 ・前回の絶望先生
  『絶倫先生!』
  『・・・・・・刀を持てぃ!』
  『殿中でございます。』
  『構いません。斬ります。』
  で、笑った、死ぬほど。
 
 
 
 
 ◆
 
 エル・カザド:
 第20話。
 今回は機を逸しました。 by人間らしいブルーアイズさん
 さて。
 
 『任せなきゃ良かった、お前に。(以下略)』
 『でも一度は任せた、弱い生き物に。』
 『違うね。面白いと思ったからそうしただけさ。』
 『どうかな? ほんとは怖かったんじゃないの?
  余計な事してエリスに嫌われたくなかった。そうでしょL.A。』
 『ふん。』
 『人間らしいじゃない。』
 
 これに尽きます。
 「面白いと思う」、すなわち「愉しい」って思うことは、それ自体がひとつの方便になってもいる。
 他のなにかを隠すために、というよりは、その事と上手く付き合っていくために、敢えてそれを愉しんでや
 るという、「異常な」余裕ぶりを示すことで必死に自分を前に向かわせていくことなのですね、それは。
 だから、L.Aがあんなに変態なのは(ぉぃ)、それだけ彼にとって現実が過酷で、そしてなによりも誰よりも
 それでもその中で生きたいという意志があることの表れでなのだと思います。
 辛いから笑う、というパターンの、あのL.Aの笑顔がある。
 でも、結局どれだけL.Aが変態ちっくに愉しそうに笑おうとも、エリスは彼から離れていくし、それだけじゃ
 彼の直面する世界側は変わらない。
 彼のその笑顔が彼にもたらすものはただ、エリスから遠ざかっていく事を許容する術と、そして変わり得な
 い世界の中でそれに耐えて生きる術だけ。
 だから、ナディがL.Aに言った事が、本質を突いている。
 人間らしいじゃない、そうやって、その笑顔の苦しさを知ってるってことは。
 そうして笑ってるだけじゃ、笑うことが本質になっている事の絶望、それに耐えられない、本当の本当の
 自分の気持ちをあんたはちゃんと持ってるじゃない。
 L.Aが真に求めているのは、エリスのいう「こんなこと」を続けて、エリスとの埋められぬ距離のうちに遊ぶ
 事では無く、純粋に、なによりも純粋にエリスを愛し、そして、愛されること。
 ただ笑うことしかできない道化の悲しみを知るがゆえに、そういう意味では、L.Aは変態では無いのかも
 しれませんね。
 だって変態とは、そういう悲しみから飛び抜け、心の底から「愉しみ」を愉しむ事のうちに生きることを
 指すのですから。(笑)
 逆にいえば、そういう部分を指して変態と呼ぶのでしょうね。
 やっぱりこう、変態はどこか突き抜けてなくちゃですし。
 むしろL.Aより、ローゼンバーグの方が変態に近い気も。
 うーん、この辺り議論を尽くす余地がありますよね。
 
 
 ・・・・・なんの話をしていますか、私は。
 
 
 
 
 
 

 

-- 070816--                    

 

         

                            ■■正直者が姫といる時代■■

     
 
 
 
 
 『 妻よ子よ! 父さんはやったー! 遂にやったぁーっ! これで賞金が出るぅ!!
  ・・・吸血鬼のお嬢さんありがとう、ほんっとにありがとう!
  (令裡の計略に乗って卑怯にも倒したツェペリに向かって)すいません、ごめんなさい、いや申し訳無い
  化けて出ないでください、安らかに眠ってください、盆暮れ正月にはお供え物をしますから。
  ・・妻よ子よ! 父さんはすぐに帰るぞっ。 それじゃ!』
 

                            〜怪物王女 ・第十八話・シガラの言葉より〜

 
 
 
 
 
 
 
 
 令裡とツェペリは、なぜシガラを許したのだろうか。
 
 煌々と照る白い月。
 感じるともなく感じることができるほどの、優しく冷たい夜風。
 透き通るような静寂が、それ自体穏やかな音色を奏でているかのような夜。
 敢えて演じる必要の無いほどにその舞台装置は整えられ、その上で踊ることの出来る台本すら、
 すべて自然にその身に染み込んでいる。
 良い、夜。
 殺伐でも無く平和でも無く、すべてから切り取られていながら切り離されてはいず、蒼味を帯び始めた
 その月の息吹に照らし出されていくその夜の一幕は、当たり前過ぎるほどに荘厳で、そしてなによりも
 穏やかだった。
 それは、戦いの果てに勝ち得たものでも、戦いを忌避し続けたゆえに訪れてきたものでも無い。
 ただただ、得るべきもの、訪れてくるべきものという、その誰もが必然的に備えている、その穏やかさを
 甘受できる才能そのものが、暗黒の空に浮かぶ白い月を描き出したゆえの時間だった。
 
 これを邪魔できる者など、本来的に、居ない。
 
 ここに、ひとりの野暮な男が居た。
 名を、シガラという。 狸族に属する男。
 魔界にてリストラの憂き目に遭い食いっぱぐれ、妻子を背負い路頭に迷った挙げ句、慣れない荒事、
 つまりは吸血鬼ハントに手を染め、妻子を食わせていくために、それを生業としていった。
 そして吸血鬼ハンターとしては完全なる半人前であるにも関わらず、無謀にも吸血鬼狩りをするべく
 現世に乗り込み、そして相手が吸血鬼かどうかもわからない技量の無さにも関わらず、このシガラという
 男は、穏やかな月の下の姫に無粋にも襲いかかったのだ。
 間抜けな登場の仕方、そしてあまりの殺気の足り無さを最初から感じていた姫は、始めからシガラを雑
 魚扱い、それこそ目の前を飛び回る蠅に対するが如くに叩き落とす。
 なんだこいつは。
 刺客として、ただ純粋に、そしてすべての力を傾け、忠実に私を狙ってきた者にならば、この夜の美しき
 平穏を乱した事を理由に斬り捨てても良いが、お前のような軽薄な者にはそれすら値しない。
 そしてあっさりと倒されたシガラは、まるで敗北の理由を語るかの如くに、切々と妻子ある者としての自覚
 と窮乏に対する自らの情を語り出す。
 聞くだに、煩わしい。
 『無断で我が屋敷に侵入した挙げ句、私を吸血鬼と間違えるとは。』
 『覚悟は、出来ておろうな。』
 身勝手な自らの想いを垂れ流し、情けなくも襲い掛かった相手の情に訴えなにかを得ようなどと、お前
 が私に斬りかかってきた覚悟とやらは、その程度のものか、見苦しい。
 貴様の事情など、知ったことでは無いわ。
 「そんなもの」のために、王族に斬りかかるとは片腹痛い。
 自らが戦う理由を、妻子のせいになどしおって、見苦しい。
 ふん、まぁよい。
 貴様如き小者になら、ただの人違いゆえの過ちだったと、この件は納めてやってもよい。
 殺すまでも無い。
 『消えろ。』
 そしてどたばたと必死な背中をみせて遁走したシガラを、『なんだか可哀想。』と言うヒロに対しては、
 まるでお門違いだと言わんばかりにふふんと鼻を鳴らす姫が居る。
 哀れではあるかもしれぬが、それがどうした。
 アレが哀れである事と、アレがするべき事は全く別の事だ。
 為すべき事をして魅せて、それでならその背景にあるものに多少の恩情を与えてやってもよいぞ。
 
 シガラは、善い男だ。
 助けを求めている者あらば、今自分がやっていることを放り出してまでもすぐにこれを助ける。
 かといって、それで自分が困る事になってもそれは覚悟の上だ、と気持ち良く啖呵を切る訳でも無く、
 むしろどうしようどうしようと平気で人前でも慌て愚痴を垂れるような男だ。
 憎めない、が、決して気持ちが良い男とは言えない。
 無論、そうであるからこそその不甲斐なさに親近感を覚える事も出来、同情を禁じ得ないこともあるの
 であるし、むしろ気持ち良く啖呵を切ってひとりだけ抱え込んでいるのを見せつけるという、ある意味身
 勝手なことを選ばないという事に於いては肯定できるし、そしてさらに、シガラ自身も自らの戯けた在り
 方が道化じみているのを理解しているのがわかるが故に、その意味ではひとつの賞賛を贈ることも可
 能だ。
 あれはあれ自体で、ひとつの魅力、そして面白さがある。
 
 だがそれは、当たり前の月の美しさの中に居る者達にとっては、不快なだけだ。
 そして・・・
 
 
 ◆
 
  令裡とツェペリは、なぜシガラを許したのだろうか。
 
 念願の吸血鬼ツェペリと出会ったシガラは、きっちりと仁義を切った。
 丁寧な挨拶に拍手を贈りながら、僅かに芽生えたシガラへの興味を手綱に自らの姿を晒すツェペリ。
 蒼白い月を見上げ、このような夜には姫様と踊るのも良い、と思いつつ、その月光の下に無粋にも
 押し入ってきたシガラをもまた、その月下の愉しみのうちに納めようとする。
 これは、良い余興だ。
 なにが出来るのか知らないが、やってみるといい。
 月夜を背に余裕で笑うツェペリは、「愉しみ」の幅が広く、また強靱だ。
 そしてどんなものを魅せてくれるのかと、ワイングラス片手に、そしてきっちりシガラと対峙してみるも、
 吸血鬼ハンターとしてあまりに未熟なシガラの実力を無様にみせられ、おまけに戦いに粘りも無いその
 シガラのつまらない姿を見て、あっさりとその月下の余興に幕を下ろす。
 つまらんな。
 シガラはツェペリに妻子のために戦う悲愴な自らの想いを語らなかったが、仮に語ったとして、それがもし
 ツェペリにとって「面白い」話だったのならば、ツェペリはやはり拍手を贈っただろう。
 同情などは絶対にしない。
 だがそのシガラの人情話が「話」として面白ければ、それなりの礼をする。
 場合によっては、拍手と共に自らのマントを贈ることもあったかもしれない。
 或いは、シガラがその話の中身に心中する覚悟で最後まで戦い抜こうとするのならば、同じくそれに
 拍手を贈りつつ、「楽しかったよ、吸血鬼ハンターさん。」と言ってバッサリと止めを刺したのかもしれない。
 そして、ツェペリは殺すまでも無いと言って、シガラを見逃した。
 つまらなかったから、というただそれだけの理由で、ツェペリは自らの命を狙ってきた者を見逃したのだ。
 いや、ツェペリの行動原理はすべて面白いか面白くないかであり、それに対する評価としての褒美と罰
 があるだけなのだ。
 面白ければ、それに敬意を表し殺し、面白くなければさっさと目を逸らす。
 それらは決して、相手に対する想いとは関係無く、またそれらは相手に対する評価付けでは無く、
 ただ相手が為した事それ自体に対する評価付けだけなのだ。
 くだらない事しかしなかった者をいちいち罰する事などしない(しても配下に任せる)、勿論、楽しい事を
 魅せてくれたその者自身を賞賛することもまた、無い。
 
 そして、一度見逃した、というより無視したシガラが自分の愉しみを邪魔したゆえに、一度は殺そうと
 するも、しかし同じく姫様の血を吸うという最も愉しい目的を共有し、それゆえ最大のライバルとも言える
 令裡の邪魔をするために、ツェペリはシガラをけしかけようとする。
 鬱陶しい奴だ。
 だがそれは、私と同じ吸血鬼の令裡君にとっても鬱陶しい存在になり得るという事ではないかね?
 『令裡君も日常に退屈してるかと思ってね。少しは退屈しのぎになるだろう。ふふ。』
 ツェペリに踏みつけられたシガラは、このときツェペリに自分が妻子ある身なのだ見逃してくれと命乞いを
 していて、そしてそれこそを鬱陶しいとツェペリに言われている。
 このツェペリの反応は、冒頭のシガラに対する姫の態度と同じものだ。
 一度つまらない奴と見切った相手が、その後なにをしてもそれは鬱陶しいだけで、ツェペリの食指を動か
 すに至らないどころか、それ以外の愉しみを邪魔する事にしかなり得ない。
 まだなにが出来るかわからない未知数なところがあったがゆえ、その不確定要素を見込まれて、そのツェ
 ペリの月下の愉しみへの闖入を許されたのであって、シガラの存在そのものが認められた訳では決して
 無いのだ。
 
 そして、今度は令裡を襲うシガラ。
 面倒を嫌う令裡は最初からヒロになんとかさせようとするも、ツェペリの差し金によりねぐらである教会に
 まで追ってこられるに至る。
 あっさりとシガラをうち倒す令裡だが、しかしそれは最低限の礼儀を守らなかった(女性の寝顔を覗くな
 ど)がゆえであり、あまりに寝顔が美しかったのでつい、という口先三寸の本音を示したシガラの言葉に
 笑う余裕をさえ令裡はみせた。
 そしてシガラを問い詰めツェペリとの関係を洗い出した令裡は、今度はシガラを逆利用する事に決定す
 る。
 令裡には、始めからシガラを殺すつもりも無く、そしてまたシガラを使って愉しむ事を考えてもいない。
 令裡にとって、シガラは始めからただの邪魔者であり、しかしそれを自分の手で除くのは面倒であり、
 それゆえ邪魔をされた事の不快よりもその面倒さが上であり、それがつまりこの令裡の決定を導き出し
 ている。
 この狸をどうやったらラクに視界の外に追いやれるかしら?
 そして、一番簡単な方法を思いつく。
 この狸の求めるものをさっさと与えて魔界に帰してやれば良い、と。
 首をくれてやる訳にはいかないが、胸のスカーフなどなら与えてやることは出来る。
 
 でも、それじゃ私の気が済みませんわ。
 そしてきっと、あの狸もそれじゃ駄目なのじゃないかしら?
 
 このような野暮で無粋な狸をけしかけて、あまつさえ女性の部屋に無断で踏み込ませるなど、それだ
 けで言語道断。
 令裡のプライドは無視された事になり、それを許す訳にはいかない。
 その分の罰はツェペリにしっかりと受けて頂きますわ。
 つまりそこにシガラを逆利用出来る余地ができるという事。
 この者を送り込んで私を不快にさせたのなら、この者を使って痛い目に遭わせて差し上げますわ。
 そしてまた、シガラはきっと様々な卑屈な事をしてきた自分の姿を知っており、それゆえどんな卑怯な手
 を使ってでも「妻子のため」と唱えながら遂行することは出来る。
 しかし、それは最後の一線、つまり吸血鬼ハンターとして「吸血鬼を倒し賞金を得る」という事を自ら
 の手で行うという事だけは譲らない、いやそれだけは譲れないのではないかと、令裡は考えたのでは
 ないだろうか。
 令裡にとっては、さっさとシガラには魔界に帰って貰うのが目的であり、変にその最後のプライドを刺激
 して、倒しても居ないのにスカーフを渡してこれを賞金に換えなさいなどと言えば、かえって意固地になる
 のではという予測が成り立ったのだろう。
 それでは、意味がありませんわ。
 この無礼な狸には確実に魔界に帰って貰う、そしてなおかつツェペリに的確な復讐を行うには・・・
 
 私が怒りのあまりにツェペリに向かっていけば、ツェペリもその気になって戦うはず。
 私の怒りを見れば、ツェペリは自分がやったことがどれだけ成功したかを理解し、そしてそれを見て私は
 ツェペリが自分の罪状を認めたことになるのを知る事になるんだわ。
  そして、ツェペリとしてはここまで私が怒るのは予想外だったでしょうけれど、彼の性格上、それならそれ
 で愉しみ甲斐があるというもの、きたまえ令裡君などと言って構えるのでしょう。
 そうして私との戦いの愉悦に染まろうとする瞬間、後ろからぶすり、と。
 振り向けばそこには自分がけしかけた吸血鬼ハンターの顔が。
 あら、ツェペリに劣らぬ悪趣味でしたわね。
 そして倒れ伏すツェペリからマントをはぎ取らせれば、この狸も大喜びで魔界に帰り、一石二鳥。
 これが、令裡の計画であり、そしてそれが令裡の愉しみに結果としてはなった。
 また、ラストでの病室で笑い合うツェペリと令裡の様子だけを見ると、ふたりが邪魔なシガラを追い返す
 ために通謀していたように感じるが、そんな事は決して無い。
 そのときの令裡のツェペリに対する『自業自得ですわ。』という言葉もそうだが、なにより令裡はツェペリ
 を殺す事を復讐の目的としてはいなかったかもしれないが、しかし同時に殺さないように努力した形跡
 もまた見受けられないからだ。
 むしろシガラに、吸血鬼に対する絶対的凶器ホワイトアッシュの杭を使わせた点から見るに、非積極的
 な殺意をしっかりと滲ませている。
 当然ツェペリはそれを理解しているがゆえに、『女は怖いねぇ。』と言った訳である。
 通謀をあらかじめしていたはずは無く、ただ単に結果的にはシガラが魔界に帰ったということの利益をお
 互いが得ただけ。
 ツェペリは怪我をした分だけ損をした事になるであろうし、その怪我はまた当然ツェペリの計算外でも
 あったろう。
 だが、刺された杭が急所を外れていたから良し、このまま死んだ振りをしていれば、シガラは大人しく
 マントを獲物にして魔界に帰るだろうと計算し、その意味で初めてツェペリはこの事態を利用し鬱陶しい
 吸血鬼ハンターを追い返す計画を思いついたのだろう。
 無論、このとき令裡にすれば別にツェペリは死んでも死んでいなくても同じ事であり、またツェペリとして
 はどれくらい令裡に殺意があるのかを現状に於いては量る事が出来ないゆえに、杭が急所を貫かなか
 ったのが令裡の意志なのかどうかを量りかねてもいただろう。
 
 『女は怖いねぇ。』
 『自業自得ですわ。』
 
 ツェペリには、女性の部屋に不埒者を無断で踏み込ませた罪がどれほどのものか実感が出来ないゆえ
 に、令裡のその「怒る姿」の大きさそのもののわからなさが怖いと感じられたのだ。
 そしてそれは、病室でふたり笑いながら居ても同じくわからないこと。
 令裡にとっては、現在ツェペリに対する殺意があろうとなかろうと、それがわからなくて鎌をかけてくる
 ツェペリの僅かな狼狽ぶりが、なかなかに愉しい事でもあるゆえに、さらにその自らの「怒りの姿」の輪郭
 を暈かしていくのだった。
 そして、ツェペリもまた、この厳かな恐怖をゆっくりと愉しんでいくのであった。
 
 
 ◆
 
 令裡とツェペリは、なぜシガラを許したのだろうか。
 
 シガラは、善い男である。
 弱者に親切で、実行力もあり、また気さくだ。
 敵対者にも仁義を切る。
 だが、それらはすべて形式である。
 目の前を坂道に難儀しているおばあちゃんが歩いていれば、これを負ぶい歩くもの。
 迷子が居れば、それは必ず親を捜して見つけてやらなければならないもの。
 敵を目の前にしたときには、必ず名乗る。
 すべてはシガラの信奉する取り決めにただ従っただけであり、それらの慈善活動中シガラはなにも考えて
 おらずただ淡々と作業をこなし、そして終わるや否や、自分が仕事中だったのを思い出したり、同じ年頃
 の自分の息子の事を思い浮かべたりする。
 そう、その慈善自体にシガラはなんの感慨も抱かず、またその相手と向き合い考え感じたりするという
 事はしないのだ。
 ただのお約束を果たしただけであり、それが決まりだからという言葉通りの事にしか過ぎない。
 姫は、令裡は、ツェペリは、それを敏感に感じ取っていた。
 仁義を切った相手に対して、いけしゃあしゃあと妻子ある我が身の哀れを語るなど、その者の性根が
 見えようというもの。
 本当にその自らの名乗りの意味を理解し、そしてそれがどういった効力を持ちそれを行う自分がどういう
 立場にあるかを理解していれば、少なくともそんなことは語れるはずが無い。
 上辺だけの知識を身の丈に合うだけ手掴みでただ体に貼り付け、それをその場その場に応じて読み上
 げているようなだけのシガラ。
 それほど妻子が大事なら、そのために生きる気があるのなら、吸血鬼ハンターなどやるべきでは無い。
 親切にしてあげた相手の顔もロクに見ずにそれを続けるのなら、いつかきっと恨まれる事になる。
 押し付けの親切など、エゴに等しい。
 月下の宴に指を浸す者達にとっては、シガラなどただの独善者にしか過ぎ無いのだ。
 自らの勉強不足を省みず、自らの覚悟不足を認識せず、それでいて当然のように愚痴をこぼすなど
 言語道断。
 
 だが、それでも、そうであるにも関わらず、令裡とツェペリはシガラを許したのだ。
 
 なぜなら。
 そう、なぜなら。
 それでも、愉しめるからだ。
 そのシガラの姿を責め貶せる事と、それでもそのシガラを愉しむ事は別のこと。
 シガラを責め貶す事で愉しめるのならそれもまた良いだろう。
 だがあいにくと、私はそういう趣味を持っていなくてね。
 あら、珍しく趣味が合いましたわね、ツェペリ。
 シガラのその独善と言える姿を責めることは、ある意味でそれに依存している事でもある。
 あの狸がどんな者であろうと、そんな事は私には関係ありませんもの。
 愉しめるか愉しめないか、それが問題なのですわ。
 それと、面倒ごとは御免、だろう? 令裡君。
 ふふ、死んだ振りまでした方が言う台詞では無いのではなくって?
 愉しめるか愉しめないか、それは決定するのは自分自身。
 それが出来ないときはきっと、目の前の対象に依存している。
 だがこれは同時にこういう事でもある。
 シガラの姿を責め貶せる事と、それでもそのシガラを愉しむ事は別のことと言うのならば、それはつまり、
 シガラの姿を責め貶せる事自体は否定する事では無く、それもまた同じくしっかりとするべきことなの
 では無いか、と。
 それは全くその通り。
 だが。
 
 
 それでも、シガラに助けられて居る者が居るというのなら、それはそれで良いのだ。
 
 
 批判は可能。
 だが同時に、その批判出来る事柄それ自体が、実は同時に肯定出来る事でもあるのだ。
 シガラの行為が10人中8人を傷つけて、その8人のために批判を加えることは可能だが、しかし残り2人
 が救われているというのなら、その2人を救った事は評価し、またそれは同時にその2人を救い8人を傷
 付けるというシガラの形式そのものを保存するべきでもある。
 単純に8人のために2人が救われる形式を無視していくのならば、その2人は決して救われない。
 つまり。
 認めるべき独善、或いは、認めるべき悪というのはあるという事だ。
 いや、認められない悪というのは、おそらく、無い。
 なぜならば、必ずその悪がもたらすもの(それで救われるものやそれを愉しめるもの)は在るからだ。
 それはそれで、認めるべきなのだ。
 8人を救うのと、2人を救うのは別のこと。
 2人を救ってのち、それを否定すること無く、8人を救う手だてを考えれば良い。
 シガラに救われる者が居る限り、シガラで愉しむ事が出来る者が居る限り、シガラが否定される事はあ
 ってはならない事。
 いや。
 そうするだけ、自らの弱さと対象への依存度の高さを晒すことになるだけなのだな。
 
 
 ふふん。
 
 ではなぜ、私はアレを追い払ったのだ?
 
 簡単だ。
 私は、私だからだ。
 私もまた私の姿を愉しむ事が出来、そしてそれに救われる事があるからだ。
 
 ならば、そう、ならばだ。
 
 
 『いや、何も無い。』
 
 『静かな夜だ。』
 
 
 この月夜の愉しみを邪魔できる者など、本来的におらぬ。
 なぜならば。
 そう。
 
 邪魔をする者の存在を愉しもうと、許そうと、それでも思えるのだからな。
 それ自身がその邪魔者の側に寄り添わぬ独善であろうとも、それとこれとはやはり、別のことなのだ。
 
 
 この月が翳ることは、無いのだ、本当は。
 
 
 
 ふむ。
 
 そう考えると、あのシガラとやらの正直な優しさは、なかなか貴重でもあるのだな。
 
 
 
 
 
 
 そして私は、その満天の蒼い月があるからこそ、その邪魔者の側にも降り立つ事ができるのだと、
 最後の姫の微笑を見て、すっと胸に染みるようにして、この月の下で、想いました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
                                ◆ 『』内文章、アニメ「怪物王女」より引用 ◆
 
 
 

 

-- 070809--                    

 

         

                               ■■ 工房までの距離 ■■

     
 
 
 
 
 日焼けまじかる。(挨拶)
 
 ん、ごきげんよう、紅い瞳ですよ。
 先日かなり久しぶりに海に泳ぎに行って来たよ。
 近いからいつでも行けると思いながら、最後に泳いだのがいつだったのかも覚えていないくらいの月日が
 経っていたよ。 (ほんとはそれほど大昔じゃないから、たんに記憶力がアレなだけの問題)
 近くて遠い海、これ最高。うん、特に意味は無いから気にしないで。
 そしてね、泳いだのはいいけれど、日焼け止めの塗りの厚さが体の部位によってすごーく差があったせい
 で、なんか肌に模様がついたよ。
 ・・・・なんだこれ。
 おまえ、日焼け下手だな。 (某とーちゃん風に)
 割と、がっかりした。 (自分に)
 
 
 
 うん、そんなことはどうでもええねん。
 今日はもう話す。ざっくばらんに色々話す。
 なにをってあなた、サイトですよサイト、どこのかっていえば、ここのお話。
 やーもー、なんからほら、最近、私変わった。
 変わったいっても、実感ある訳じゃ無いんだけど、なんか紅い瞳としてちょっと変わった。
 んー、少なくとも今の紅い瞳の場合、この魔術師の工房ってサイトありきの存在になってるはずだから、
 自然ここのサイトの中から私ってのは顕れてくるのだけれど、なんかそういうの見えて来ないですよね、
 特に最近。
 だって自分で見ててもわかるんですからね、他の人は尚更そう思、え?思わない? まぁそう思いねぇ。
 つーかね、これは前からだけどね、なんていうか、私の中におけるサイトの割合がね、結構縮小されて
 ると思うんだわ、実際。
 最初はこー、なんかうまく乗り切れないなーみたいな、それでも少しは試行錯誤的な接近はあった気が
 するのだけれど、このところはなんか、最悪ルーチンワークみたいな、取り敢えずサイト閉鎖しないなら
 ちゃんとその分は更新しとかなくちゃ、取り敢えず一回分書いとけばいいやみたいな、たぶんサイト開設
 当時の私が見たら鼻から血が吹き出るみたいな、ってそれどういうアレよ、まぁそれはいい、たぶんそれ
 くらいその頃の私からすればあり得ないくらいのローな感じなんです。
 んで、しょーじき、あんまりそれを反省する自分の言葉に実感が持てないってのが、基本にある。
 あんまり、どーしよーとか、どうにかしなきゃ、とか、そういうのが無い。
 つまり、サイトとちょっと、距離が出来てる。
 
 よくわからないんだけどさ、しょーじき。
 色々やってみたいことはあるんだけど、妙に実行力が無くてさ、以前は10ぐらいやってやるっていうのが
 あって、で当然そんなに出来るわけ無いのだけど、なんだかんだいいつつそのうち3か4くらいは出来て
 たりして、そうやってオーバーに高めな目標設定して、それで実際手に入れたちょっとの足場を利用して、
 色々やってこれたと思うのだけれど、この頃はなんか、ほぼ0、よくて1。これは、無理。
 なんだろうねぇ、なんでだろうねぇ、それでもあんまり焦りが無いの。
 ていうか、やばいとか、あと悲しいとか、そういう風にもあんまり思わない。
 もしかして、飽きた?
 むしろ、サイト卒業?
 うん。
 そういうとね、でも私の中のどこかから、そんな訳あるかい嘗めるなフ○虫、とか瀬戸内ヤ○ザ並の暴言
 が降ってきて、うーんてなる。
 たぶんね、飽きてもいないし卒業もしてなく、ただこうしてルーチンワーク的な感じが、今一番私に合って
 て私が求めてるものなんじゃい、みたいな感じなのかもしれない。
 疲れてるんかな、私。
 リアルの方は、別に忙しいってほどじゃないけど、一定のリズムを保持する必要があって、それが一向に
 慣れなかったりしてるし。
 むー、そういう意味では、その生活のリズムに合わせるためのうちのひとつに、ただサイトをやってるのかな
 ぁ。
 生活のためのサイトづくり? 
 なにそれ。
 
 実は私、つい先日、唐突にサイト閉鎖しちゃおーかって思ってた。
 これは冗談では無い、繰り返す、これは冗談では無い。
 なんていうか、そういうあり得ない感じのままサイトやってるのがなんか許せなくて、衝動的にうがーって
 感じにちゃぶ台返しみたいな勢い発揮しそうになって。
 で、結局それを思いとどまったのは(比較的早かった)、サイトやめちゃうとそれ自体がひとつリズムを崩す
 ことになっちゃうからまずい、みたいなそういう言い訳的な、でも実際リズム崩せないからその言葉に従う
 しか無い感じで、ああもう。
 
 ふぅ。
 
 
 なんだね、紅い瞳も堕ちたもんさね。
 
 
 きっとね、サイトとの距離が出来てるってことは、私とリアルの距離が近づきすぎてるってコト。
 私はさ、この魔術師の工房ってサイト、かなり好き。まぁ、好きだから作って運営してるんだけどさ。
 そして勿論、「紅い瞳」もとても気に入ってる。
 リアルの生活の中に在る私が、それでもそれから一歩踏み越えた「魔術師の工房」を生きて、そして
 そこで色々なことをやってみる主体として、「紅い瞳」は居る。
 だから、その工房と紅い瞳の距離が離れてるってことは、それ自体なんだか既に可笑しいコト。
 なんのために、作って運営してるんだよ、まったく。
 まぁ紅い瞳に言わせれば、そんな事知りませんよあはは、と頭悪く軽快に答えることになるのだけれど、
 でもそうやって一応色々と理解している「私」が在るからこそ、それを土台、というか踏み台にしてジャン
 プする「紅い瞳」が居ると思うんだよね。
 てかサイトとの距離が近すぎれば、それは昼間っから全力で夢見ちゃってる人になるだけの事だけだし、
 ていうかむしろ、私にとってはリアルが確か過ぎるからこそ、そこからの逸脱というよりは、それを踏まえた
 上で、それに囚われないようにその外枠からものを眺めるためにジャンプしたい、ジャンプする場所が
 必要だと考えたんだよね、たぶんそんな感じだと思う。 (後付)
 つまり、ええと、私にとってサイトっていうのは、リアルと私の距離が近づけば近づくほどにむしろ必要に
 なってくるものであって、そういう意味において、この魔術師の工房という場所は私にとってのリアルなん
 だと思う。
 ていうか、リアルとかそういう言葉あんまり適切じゃ無いかもしれないけれど。
 
 ってまぁ、ごちゃごちゃと言いましたけれど、それでなにが変わる訳でも無く、でもたぶん人知れず変わっ
 たりするんだろうなぁ、とぼけっと考えたりしている私が居るだけで、やっぱりそれは今もも昔も変わらない
 のかもしれませんね。
 やー、すっかり最近はアニメの感想ばっかりで、いっそアニメ感想サイトと名乗っちゃおうか、とかなにか
 微妙に投げやりな響きを含んで叫んだりしていて、あーでもやっぱいいや、みたいな感じであっさりと
 要はめんどいんだろという感じで、ええと、今まで通りここはただの日記サイトです、これからも。
 怪物王女の感想も、なんかいつまで経ってもまともな形が見えてきませんけれど、えーいめんどい、 
 そういうのは怪物王女という作品側がそういう構成なんだから仕方無いじゃん、私は悪くないよ、と
 正々堂々と開き直ってみたりとか、なぜか今は清々しい気持ちでそういう事が出来そうです。
 だってなんか反省する気全然起きないんだもん、私らしくないけど、私らしく無いからこそ、なんか腹立っ
 てきて、だからこうなったら思いっきり恥ずかしくなるまで滅茶苦茶やってまえ、みたいな被虐趣味を通り
 越して自分に対する加虐趣味全開状態で、いや、待てよ?
 それってつまり、その加虐的な自分に虐げられる自分が居るってことを意識してるんじゃない?
 つまりそれって、要は被虐な訳? ていうかM?
 いや、ていうかSとかMとかやめとけ。そっちは崖です。
 エル・カザドの感想の方は、手を尽くしましたがもう、みたいな末期症状の終わりが見えてきているので
 どうにもなりませんけれど、それでもなんとかするのが紅い瞳でしょ! という内なる天使だか悪魔だか
 知れない奴らの囁きを耳栓であっさり無視して、ゆったりと構えていられそうですので、大丈夫。
 
 ・・・。
 途中から、今回の文章をまとめることばっかり考えて、どうオチつけようかと頭ひねっていたら、かえって
 訳がわからなくなってきました。
 誰か止めて。
 ちなみに、魔術師の工房は、24日でなんと5周年を迎えます。
 しっかりせねば。 (ぉ)
 
 
 
 ◆
 
 
 お酒の話をする。ていうか、します。
 未成年の人は読まないか、読んでも飲んではいけません。
 それと飲んだら乗ってもいけません。記者会見開いて泣くことになります。
 
 さて、ということでなんだかお酒のお話をしたくなりました、という成り行き。
 で、まぁうん、お酒ならいつ飲んでも美味しいし、特にどの季節がお酒の季節とは言わないし、むしろ
 四季折々の中で息づくお酒の愉しみ方というのは充分ありますので、お酒はいつ飲んでも良し。(結論)
 とはいえ、ビールなんかはやっぱり夏が本番な訳で、がっつり汗かいたあとの一杯はもうそれはお酒という
 かビール、そうそれはビールなんです他とは違うのだよ他とはみたいな、そういう感じですので一概には
 言えないと思います。
 が、私はビール党では無く、ほぼ完全な日本酒党(というか日本酒以外美味しいとはあまり)ですので、
 あまり関係無く一年中美味しく飲んでハッピーみたいな、そういう心意気上等なので御座います。
 あ、でもビールは黒は好きなんだけどねエビスのとか、ワインも少々高い物であれば美味しく感じるという
 生意気過ぎて笑えない舌をお持ちな紅い瞳さんなので、まぁ、うん、いいや、色々あって。
 
 うん、ここんとこお酒が美味しくてね、つい。
 私は今のところ低価格帯のものから始めて、どんどん価格帯を上げていこうかと思う前に、うん、この
 くらいの値段で充分美味しいなら、まだまだこれで良くね? ていうかコスト的にOKじゃん? みたいな
 ことをいって相変わらず安めのものが並ぶ陳列棚の前が生息域ですので、まぁ、うん、そのうちにな。
 
 つい最近飲んだ、長者盛の純米吟醸「あまくち」が値段の割にはすごく美味しくて、こう、基本甘口で
 味もしっかり濃くて、その上喉を通るときにはきっかり辛みもあり、そしてさらには落ち着いた酸味が渋く
 舌先に馴染んで、なんていうか、ほぅ、とため息を吐きたくなるような美味しいお酒でした。
 ん、美味しいは美味しいけど、それも含めて「愉しい」お酒かな、やっぱり。
 なんていうか色々複雑に味が含まれてて深みがあり、だからそのいちいちの味を探したり見つけたり、そう
 いうお酒を楽しむという愉しみがありますね、これ。
 お猪口でちょいちょいと口に含んで、よーく口壁やら舌先やら勿論喉でも胃袋でもその味を感じ取る
 ことができて、なんか愉しくて、珍しくもう一度飲んでみたいなって思いました。
 今度友達ん家に無理矢理持っていって、宴会やろう。(押しつけはやめましょう)
 それと同じ蔵元製造の越後の長者山廃純米酒「昔づくり」が、どっしりとした辛みが深く、またその辛み
 に頼らない重厚な酸味が、あーお酒飲んだなぁって気分にさせてくれる良いお酒でした。
 山廃仕込みって初めて飲んだけど、随分他のとは雰囲気が違うんだなぁ、とそういうくらいになにかこう、
 存在感のあるお酒でした。
 
 うん、そうね、私はどっちかっていうと甘口が好みかな。
 製造方法の分類上の種類では、経験的に吟醸で純米のものが好みに合う場合が多くて(逆に本醸
 造は合わない場合が多い)、あとは原酒などは濃いので味さえ合えば基本的に複雑で深く濃いものを
 愉しみたい私には合います。
 あと、この間にごり酒というのを初体験したけど、これはかなり普通のとは違う感じで面食らったけど、
 そんなに沢山で無ければ結構いけるかもって感じでした。
 といっても、実際は種類は関係無く、個別だよね、美味しいか美味しくないかは、やっぱり。
 ちなみに、夏でも冬でも、冷や万歳。熱燗ぬる燗は、いまだ慣れず。くぅ、季節感がぁっ。
 で、甘口辛口の話。
 ん、勿論辛口も好きだし、そもそも甘いのに辛いのとか、他の酸味やらとがごたまぜになってる、大変
 素晴らしいお酒もあるのだから、甘口辛口言うのはナンセンスだけれど、でもあなたは甘口辛口どっち
 かひとつ選べ言われたらどうする、と言われたら甘口を選びます。
 どっちかというと、辛みが主体というか、その口に含んだときに最も愉しめそうな味(?)が辛みの場合は、
 料理と一緒に飲むとその料理の味と良い意味で混ざって、その変化自体が面白いし、また逆に甘みが
 主体で口に含んだ(以下中略)が甘みの場合は、料理の味と混ざるというよりはうち消されてしまうので
 、どっちかいうとお酒単体+おつまみ程度だと、しっかりそのお酒を愉しめる感じですね。
 だから使い分けですよね、そういうのは。
 で、甘みが主体なお酒で最近飲んで美味しかったのは、酔心の純米吟醸酒「六根清浄」。
 薄く全体を支配するさりげない甘さが特徴で、割とすんなり飲めつつも、ちゃんと口の中に柔らかい甘み
 が残って、なんだかいつまでも愉しめるお酒。
 複雑さには欠ける点が惜しいけれど、味としてはかなり好きな方。
 また、同じく酔心の本生吟醸生地酒(なにこれ)「ブナのしずく」は、辛口でありながら甘露、という売り
 文句に違わず、少し咳き込むくらいのきりっとした辛みがありながら、なぜかそれがいつのまにか甘みへと
 変わっていく不思議なお酒でした。
 全体的に青臭いような透明感があって、その辛みから甘みへの変化がすり抜けて味覚されてくるような
 感じで、独特な爽快感があり結構冒険的愉しみがある面白いお酒でもありました。
 うん、この酔心ってのは結構いけるかも。
 
 他に最近飲んだ中では、永井酒造の純米大吟醸「水伝」がバランスが取れていてかつ飲みやすく、
 それでいて飲み応えもある素晴らしいお酒で、日本盛の純米吟醸酒「惣花」がとても上品で洗練され
 ている甘みの中に他の様々な味が凝縮されている凄いお酒で、このふたつはいずれ近いうちにまた
 買って飲みたい(というかこのふたつはあまり売ってないので、まとめ買い?)と、こうしてお酒の話ばっかり
 しているうちにむくむくと思い始めてきました。
 むー、次は長者盛の「あまくち」を買うと決めてたのにー。
 
 とまぁ、こんな話なのですよ。
 美味しく愉しめるお酒って、やっぱり贅沢品ですね。
 あと高いものは、ほんと高いし。 (出来るだけそちらの棚を見ないようにしながら ←小者)
 
 
 
 
 ◆
 
 エル・カザド:
 第19話。
 冒頭、ブルーアイズさんが逆さづりの刑に。もの凄く笑ってしまったのは彼女に悪かったでしょうか。
 前回で、エリス達がウニャイマルカに行くのを見逃す形になった責を問われてのこの処分なのでしょう
 けれど、それにしても変態ちっく過ぎて笑えない覆面集団に囲まれてのあの姿は、完全になにかが間違
 っている気がしてなりませんでした。たぶん、なにが間違ってるのか私は気づかずに一生を終えます。
 で、話の本筋はエリスがナディとリカルドの距離の近さに嫉妬するみたいな感じで、それ以上でもそれ
 以下でも無いお話。
 うーん、今回こそなにも言えませんねぇ。
 むしろエリスよりも、ナディさんの漢っぷりがあがっただけのような、あ、うん、一応今回は修理屋の親父
 にリカルドとの夫婦に間違われてお冠になって、割と女の子ちっくをびしびし魅せてくれたけど、最終的に
 ななぜかどうしてもそのエリスに対する漢っぷりが支配的で、ちょっとこう、うん、良いよナディさん。
 というか、リカルドとナディが男と女として並ぶ図は、それはそれで結構面白いかもしれないけれど、
 このエリスに対するナディの漢っぷりがあって、結局はそれに収容されてリカルドと並ぶ女にはなれない、
 というよりは自主的に女を選ばないという感じが、ぐっど。
 リカルドの視線の先には常にリリオが在り、ナディの瞳の中には必ずエリスが居る。
 だからリカルドとナディの視線は決して交差することは無いし、まただからこそその二人が向かい合って
 座っている姿に、それぞれのリリオとエリスとの関係自体が向き合っているという事だけで無く、そういった
 愛し守るべき者が居る者同士が、ちゃんとそれらを捨てずに、それでいてちゃんとそのふたりとして向き合
 っているということがある、ということになっているのかな。
 ふたりが向かい合って座っているときに、リカルドが背負っているのは「男」では無いし、ナディもまた「女」
 では無いんですね。
 というか、ただ男であり女である、当たり前のリカルドとナディというふたりの人間が居るだけ。
 
 ということで、結局エリスとナディをほったらかしにして、リカルドとナディを見てました。
 ブルーアイズ?
 え? まだ吊られたまんまじゃないの? (ひど)
 
 
 では、またねー。
 
 
 
 
 
 

 

-- 070805--                    

 

         

                          ■■悟り姫の憂鬱が晴れる前に■■

     
 
 
 
 
 『ふが。』
 『あらフランちゃん。お化粧に興味があるの?』
 『ふが。』
 『お前には必要無いだろう、フランドル。』
 『 あらお嬢様。女の子はいつだって、もっと綺麗になりたいものですわ。』
 『そういうものか?』
 
 

                      〜怪物王女 ・第十七話・フランドルと紗和々と姫の言葉より〜

 
 
 
 
 
 
 
 また変なのが出てきました。(笑)
 
 顔の小皺が一本増えたことに激怒(?)した魔界に住まう魔女が、姫の精気を吸って若さを手に入れ
 ようとはっちゃけるお話。
 小皺一本の増加が王族に喧嘩ふっかけたくなるほどのものだとしても、実際それで姫の屋敷に討ち入
 って姫の精気を手に入れ、それで肌の美しさを取り戻すかと言われて、頷けるか頷けないかは人それ
 ぞれでしょうけれど(笑)、たぶんそこが今回の面白いところ。
 令裡も当初姫の血を狙っていましたけれど、こちらは興味本位程度の事であり、今回の魔女は実際
 に顔に奔った皺の衝撃に突き動かされ、そしてそれをなんとかするためという明確な目的のために姫に
 戦いを仕掛けてのもの。
 それでいて真剣味というか、王族の姫君に手を出すということに対する覚悟といった、そういった現実認
 識をかなり欠いていて、見た目上は興味本位のお遊びでやってきた令裡と大した差がありませんでし
 た。
 にも関わらず、今度は令裡とはまた違い、それでもしっかり顔の小皺のためという目的意識を放棄せ
 ず、しつこいばかりに食い下がり、そしてとても真剣には見えないけれど、結果的に彼女自身の時間と
 能力のほとんどをその姫或いは同じく王族のシャーウッドの精気を獲得する事に費やして、そしてそれ
 だけの代償を賭けそれに負けた結果としての敗北の作法に、しっかりと捕らわれるのです。
 負けて、姫の裁定におとなしくひれ伏し、なんだか普通に人情話になっちゃって。
 『色々と、ご面倒をおかけしました』ってあなた、面倒かけただけって自覚あったんだ。(笑)だ
 
 
 この魔女の在り方が今回のお話の見所であり、またその面白さを主に添えながら、シャーウッドによる
 女としての美の意識を脇に据える、そういった配置自体もまた面白い話でした。
 ひとりの女として当然の、その美しくありたいという思いを大切にし、そしてそれを主として行動してみせた
 シャーウッド。
 肌の手入れを入念にし、愛しのヒロにそれを見せびらかすもまるで気づかれず、無論姫にも誰にも
 相手にされず、そして頭に来たシャーウッドは紗和々に指南を乞い、紗和々と同じ化粧水を求めて
 街のドラッグストアーを探し回ります。
 そのシャーウッドの姿を通して、その美への真っ当なアプローチの仕方を示し、その姿をその正統的な
 美を求める者のモデルとして示していました。
 これは、お話の主軸が魔女の筋にありながら、このシャーウッドの姿がまた主軸としての存在感を、
 魔女の外道な(笑)美へのアプローチの姿を弾劾することで示すことにもなっていました。
 脇の話であるにも関わらず、主の話でもあり、また主の話である魔女の話が脇にもなる。
 最終的には、魔女は姫達に「懲らしめ」られ、平伏して自分の罪を悔い改め、そうすることで、まさに
 「正しく」姫達から美を得る資格を与えられます。
 
 しかし、それはただの勧善懲悪の物語、そして懲らしめられた悪が改心して善なるものになる、という
 お話として読み解くことはそれとして、私はもうひとつ別の捉え方をしました。
 『ふっ。女なら誰でも、永久に美しくありたいと願うものだ。お前の気持ち、わからぬでも無いぞ。』
 このシャーウッドの言葉に注目しました。
 私としては、前述したように、魔女とシャーウッドのそれぞれの話は、それぞれ主役と脇役の位置を入れ
 替え可能なものだと思いましたし、ということはその入れ替え可能な状態そのままの状態そのものを捉え
 、それはつまり、どちらもが主役であり脇役であり、それゆえ同等の存在なのだと言えるということなの
 だと思いました。
 つまり、初めから、女として美しさを求める者として、シャーウッドと魔女は全く対等なのだということです。
 本質にあるのはアプローチの仕方では無く、その者がなにを求めているのか、ということ。
 これは実は、真剣味の欠ける戦いっぷりと、それでいて切実な(小皺をなんとかするという)目的意識
 が共存して魔女の中にあったことに繋がってもいるのだと思います。
 魔女は、アプローチの仕方に拘ってはいない。
 ただああして居丈高に、高笑いを響かせながら、非効率的なやり方でやることしか知らなかっただけ。
 魔女にとっては、それが善いとか悪いとかは端から問題では無く、それしか知らなく、またアプローチの
 仕方に対するいかなる拘り(他人に迷惑をかけないとかそういうのも)も無いゆえに、敢えてそのやり方
 を変える必要は無かったのです。
 そしてそれは、姫たちに負けたがゆえに、その変更を必要とすることになった。
 そうであるがゆえに、魔女はあっさりと土下座して敗者の身分を自ら押し戴き、その道化じみた(傍目
 には本気に見える)その降伏ぶりが浅ましいがゆえに、なおそれが潔く清々しくも見えたのです。
 魔女は、別に姫達に迷惑をかけたことを悔やんだ訳でも無いのですし、それはもし魔女が勝っていれば
 必ず高笑いしながら同じような事を繰り返すと思えるがゆえに、きっとそうなのでしょう。
 魔女は姫に負けたからこそ、あくまで利己的な立場から、潔く降伏した自らの保身を認めて貰おうとし
 たに過ぎない。
 その保身とは、「美」という目的を得るために自らのすべてを賭け、そしてその勝負事としての目的追求
 行為が失敗、つまりその賭けに負けたことで、潔くその自分のすべてを投げ捨てる、という潔い、なに
 よりもとことん投げやりな感覚の維持も含んでいます。
 
 『さて、仮にも王族たるものに、ここまでの狼藉を働いたのだ。無事で済むとは、まさか思っていまいな?』
 
 このときの歪んだ姫の口元を見て、魔女はその怯えとともにひとつの快感もあったのではないでしょうか。
 別に魔女が死にたがりだとは思いませんけれど、「生きていること」を目的にしているようにも見えなく、
 すべてが遊びで賭け事であり、その賭け事は負けを含むその結果の享受こそが愉しく面白い、という
 立場を無意識に行っているように見えるのです。
 無論それは刹那的とか、人生を悲観しているがゆえにそうである訳でも無く、むしろ人生とはそういう
 愉しい遊びや賭け事が一杯ある素晴らしいもの、と捉えているのです。
 それはある意味で、非常に他力本願的であり、また他者との折衝の「結果」に依存しているとも言え
 ますし、勿論そんなことを意識していないしまた意識する必要も無い、非常に安定した幸福感が魔女
 にはあるのだと言えることになるでしょう。
 そして。
 姫は、それを綺麗に無視します。
 私には、姫は最初から魔女を倒すつもりが無かったように見えました。
 そもそも魔女の能力というのは実効性にかけるものばかりで、特別強くも無い上に魔女の命令を聞か
 ない使い魔と、それと対象の前に立って長々と呪文を唱えない限り、対象共々精気を吸い込むことの
 出来ないロースペックな魔法の鏡と、精気を吸う対象と相対しなければならないのに、対象を吹き飛ば
 す風を操る無意味に強力な能力など、いくらでも崩すことが出来てしまいます。
 だって、使い魔はともかく、鏡をかざした時点でまず風の能力は使えなく(というか使ったら逆効果)、
 そして当の鏡をかざされたら、その長々と呪文を唱えている魔女をぶっ飛ばせば済む話なのですから。
 けれど姫はそれをせずに、魔女の嫌う匂いを発する餃子を口に入れることで、魔女の接近自体を
 許さないことを選んだのです。
 魔女と戦うことの馬鹿らしさを、姫はわかっていたのです。
 そして、結果的には餃子を食べ損ねたシャーウッドと、それを助けようとしたヒロ達が鏡に吸い込まれ、
 収容能力の限界をあっさり超えた鏡が割れて(どんだけロースペックなのw)、そして結局なにもしないま
 ま勝者となった姫が例の如く『ふふん。』と傲岸に嗤い、あっさりと降伏した魔女に裁定を下す。
 
 『私も愛用しているものだ。』
 
 ここで、話が繋がる、というか元に戻る、というか、私がさっさと言いたかったことに。(笑)
 つまり、アプローチが本質では無い、と姫は言ったのです。
 姫は紗和々が福引きで当てた化粧品セットを魔女に与えるのです。
 それは無論、大人しく降伏を申し出た敗者へ贈る憐れみの品では無く、そもそもいかなる勝負事など
 存在せず、ただ初めから美を求める者に相応しき美に至るための道具を与えた物。
 お前の小皺をなんとかする事に協力してやる義理など無いが、シャーウッドがお前の気持ちに共感
 したのだ、ありがたく受け取っておくがよい。
 おそらく、この品を魔女が受け取ったのは、姫達がそれでも戦いに付き合ってくれ、その自らの愉しみの
 作法の結末としてその戦いの「結果」を享受できたからなのでしょう。。
 だから、ある意味で、姫が自分の立場と魔女に対する他者性を伝えるために、敢えて戦いに付き合った
 (付き合っただけで戦った訳では無い)というのは真ではあるのだけれど、しかし。
 これもまた、本質では無いのです。
 こうして戦ったからこそ、事件は解決した、それはそうではあるけれど、本当はもう、そもそも解決すべき
 事件など始めから無かったのです。
 姫はたぶんそれを良く理解しており、つまり今回の魔女との交流(?)は姫の愉しみのひとつではなかった
 のかと、私は思いました。
 姫は、化粧品を魔女に与える際に、『私も愛用しているものだ。』と大嘘(である保証は実は無いけど)
 を吐き、その姫の添えた言葉により、魔女は謹んでその美のための道具を拝領する事ができたのです。
 姫がそうしたのはなぜか。
 
 『私は慈悲深いからな。』
 
 魔女は、なにしに来たのでしたっけ?
 姫のように美しくなるには、姫の精気を吸わなくても、姫も愛用のこの品を使えばきっと・・この小皺も!
 姫だけは、最初からわかっていたのですね。
 
 
 
 
 と、いう感じでした。
 最初見たときは、魔女のアレっぷりに一体どうしたものかと思ったのですけれど、なんとか軟着陸に
 成功したようです。(笑)
 こうして見ると結構面白かった話のように思えてくるのですけれど、やっぱりそれは後付的なことであって、
 実際はこうした屁理屈によって面白く感じたのでは無く、まず先になにかコレ面白く無い? っていう
 些細な着眼点を見つけたから、なのだと思います。
 そしてそれを屁理屈的に形にしてみせた、だからその屁理屈が無ければその私の感じた面白さは日の
 目を見ることは無かったのかもしれませんけれど、その屁理屈を綴った当人にとって、最も重要なのは
 、やはり絶対にその言葉になる前の着眼点なんだと思いました。
 だって、その着眼点さえあれば、屁理屈はどんな形でもくっつけることができるのですから。
 私は私が選んだ屁理屈に拘りはありませんし、だからこそ私が書く感想は、あくまで私が「感じた」もの
 のうちのひとつにしか過ぎない、ということになるのですよね。
 と、いう感じに屁理屈が繋がりました。(笑)
 
 
 それでは、来週も屁理屈が通じることを祈りつつ、今宵はこの辺りでおやすみなさい。
 
 
 
 
 
 
 
                                ◆ 『』内文章、アニメ「怪物王女」より引用 ◆
 
 
 
 
 

 

-- 070801--                    

 

         

                               ■■夏は燃えているか■■

     
 
 
 
 
 日差し強く風ぬるく、立っているだけで汗ばむ今日この頃、皆様如何お過ごしでしょうか。
 私は半分くらいやる気が無くなりました。
 
 さて、そんなこんなではや8月です。夏です。はやっ、この展開はやっ。
 ついこの間新年を迎えたばかりと思っていたのに、もう汗なんか普通に流しちゃう夏本番だなんて、
 私もタイムリープの能力があったらまた新年に戻りたい、こんな暑いのはやだ、夏やめて、といった感じで
 既に脳みそが沸いている状態ですので、なに言ってももう駄目な気がしています。
 夏に、降伏。
 
 という感じで訳のわからないことから平気で始めたりしましたけれど、大丈夫、まだ熱中症とかそういう
 具体的にヤバイ感じにはなっていませんので、ええと、大丈夫。
 ただ脳みその方の回転数とか回転方向とか、そういうのがちょっと調子悪いくらいですので、大丈夫。
 暑。 (汗を拭きながら)
 まーでもこういうときはかえってスポーティーな事とかしてる方がいいっていうか、気持ちいい汗がかける
 っていうか、その後シャワーを浴びられなかったら地獄ですけど、うん、じゃちょっとなんかやろうかな。
 海とか近いから久しぶりに泳ぎ行くのもいいし、自転車も新しくなってからあまりサイクリングしてないし、
 そういうようなことをぼちぼちとしてきたいと思います。
 某自転車アニメ観てその気になってるからじゃありません。違うんだ、私は純粋に。
 
 さてそんな前置きにも愚にも付かないようなことは置いといて、今日もさくっといかせて頂きます。
 はい。
 ひとつ書くのを忘れていたことがあるのですけれど、ええとね、アニメ、7月から始まったアニメのどれを
 観ることに決めたのかとか、その辺りをご報告申し上げるのをすっかりてんと忘れていましたのですよ。
 うん、すっかり忘れてた、たぶん暑さ関係無い。平熱でこれですこの有様です。(熱は関係無い)
 ということで、遅くなりましたけれど、一覧表にしてみました。
 
 
 月曜: (エル・カザド) ・(らき☆すた)
 火曜: School Days ZONBIE-LOAN ・ (CLAYMORE) ・ (OverDrive)
 水曜: 無し
 木曜: モノノ怪 ・ (怪物王女)
 金曜: (Daker than BLACK) ・ (ロミオ×ジュリエット)
 土曜: ひぐらしのなく頃に解 さよなら絶望先生 ぽてまよ
 日曜: (瀬戸の花嫁)
                                 新規全6作品 *()付きは前期継続作品
 
 
 このようになりました。
 今期はそうですね、あまりに目立ってコレだというのはありませんし、安定して楽しめているようなものも
 ありませんから、一般的には不作に位置づけられます。
 ただ、モノノ怪に関しては、ほとんど私の想像を絶するものを見せ続けてくれていますので、もし今後も
 このままのペースを維持する、という意味では無く、このままの加速度でどんどんと私の想像との距離を
 開けてくれるような展開になりますと、今期唯一の合格点を差し上げられるかもしれません。偉そうに。
 それと、当初さよなら絶望先生についてはかなり期待していたのですけれど、回を追うごとに程度が低く
 なってきていて、下手したら視聴をうち切るレベルにまでいってしまうかもしれない、という曲線の急降下
 が私の中で描かれ始めています。無駄なお色気多すぎとギャグを単発にさせすぎ。
 他の作品についても、少し触れておきましょう。
 
 School Days
 主人公の身勝手さもそうだけど、他のふたり女の子もなんかこう・・気持ち悪い。ひとりはまぁわからない
 ほどでは無いけど進むべきところで逃げて、慎重に行くべきところで妙になんにも考えずに突っ込んじゃっ
 てて、結局印象としてはこの子と主人公の間には恋愛とかそういう以前にまともな人間関係が生じてい
 ないように感じるし、もうひとりの子はこれもまぁわからないでは無いけど、卑怯ってわかってるのにそれを
 さらっと決行しちゃっててんとしてて、なんていうかもっとこう考えること無いの?って思えちゃうような感じで
 、観ててなにかこう、がくっと疲れる。でもこの既に滅茶苦茶な感じが、さらに別方向に壊れていくらしい
 ので、それを愉しみにしています。 (悪趣味)
 
 ZONBIE-LOAN
 一個の作品としてはちょっと構成力というのに欠けているから、そこで不満足な想いをする人が居るのは
 わかるけれど、むしろ見所はそういうところには無くて、登場人物達がなにを言い、そしてそれを観ている
 私達がどう考えていくか、つまりそれらの台詞を登場人物達のものとして捉えて評価するので無く、それ
 らを私達のものとして、その台詞でなにをどう考えていくのか、という楽しみ方があるのじゃないかな。
 そういった意味では、この作品はなかなかの素材を用意してくれていると思います。
 
 ひぐらしのなく頃に解 :
 惨 劇 待 機 中 。映画の本編始まる前のCM観ているようなもの、まだ。これからこれから。
 OPの音楽と映像のマッチ具合とその効果が抜群で、私の趣味まっすぐストレートなので、たぶん今一番
 テレビの画面に映したい映像ナンバー1(←変な人)。EDも好きだし、歌だけならむしろEDの方が好き
 なのですけれど、映像とそれとの組み合わせがあまり良いとは思えないので、OP軍配。 
 
 ぽてまよ :
 ぐちゅ子がいい。京がいい。ぐちゅ子と京がいい。言いたいことはそれだけだ。(ぉ)
 
 
 と、いう感じです。
 今期分の作品数は多くないですけど、前期から引き続いて見ている分を合わせるとかなり多いので、
 現在かなり視聴ペースが遅れていたりします。
 まぁ暑いし。 (毎年言ってる気がします)
 
 
 
 
 ◆
 
 話題になっていると思われる、コードギアス第24・25話を見ました。
 うーん、面白いとか楽しいとか、そういう意味では確かにそこそこ楽しかったんだけど、なんだか大忙しと
 いうか、色々張っていた伏線をきっちり活かして、そういった意味でぎっちり面白可笑しくなっていたかと
 いうと、そうでも無い。
 ぞくぞくと展開していくお話のスピード感はなかなかあって、だからそういう面に於いては充分楽しめたのだ
 けれど、そういった素材を充分活かしきれない、というよりは活かす力はあったのに時間とか話数が足り
 なかったという感じになってしまっていて、そういった娯楽的側面から見ると、せっかく楽しみにして数時間
 も並んで待ってたアトラクションに乗るも、あとがつかえておりますのでお早くお進みください、みたいな
 感じで、消化不良というよりは、え、これだけ?っていう不足感がしてしまいました。
 でも、勿論お話の形としてはちゃんと整ってましたし、ひとつの作品としての体裁もしっかりしていたと思い
 ましたから、それなりに見た価値はありましたし、また楽しくはありました。
 ただ上記したように、緊迫感のある速い展開は良いけれどそれだけだったりしていて、そういう意味では、
 あのオレンジ閣下の辺りのけれん味というかいたずらというか、そういうのをあの速度に見事合わせて
 ぶち込んできたところが一番凄いところだったと思います。
 あとは、まぁ、なんか、ドミノ倒しというか、一気に積み上げたものを崩しただけというか、つまり、第24話
 と25話自身から始まった楽しさ面白さ、そういうのがあのお話の終局に向かうスピード感の中から見出さ
 れてこなかったのが惜しいところです。
 
 コードギアス、という作品は非常に「上手い」作品だと思っています。 
 でも、その上手く作り出したもの自体を使ってもっと面白くしていこうというよりは、如何に上手いものを
 上手く作り出していくか、というところに力点が偏っている気がします。
 確かに面白いし、私もこういうのは好きなのですけれど、そうだからこそ、もっと掘り下げて、もっとうまく
 キャラを立てたり動かしたり、勿論重要なイベントシーンなんかもしっかり準備してと、そういう風に思って
 しまいます。
 キャラの正体がバレるシーンなども、せっかく今まで引っ張っておいてあっさりしたものですし(その際に起
 き得るカタルシス的な愉しみはあったでしょうに)、色々と勿体無い。
 
 ですが。
 そういう娯楽的アトラクション的楽しみは、ある程度のもので止まってしまっていましたけれど、その他の
 面に於いては、むしろ最後の最後で、あっと言わせてくれるものを与えてくれました。
 主人公ルルーシュがやってきた事が一体どういう事だったのか、それを最後のC.C.の語りを通して鮮明
 に見せてくれました。
 それまではただのアトラクションのための能書きのような程度のお話で、てんでルルーシュの思想にも、
 感受性にも思うところも感じるところのものも無かったのですけれど、そうやって上辺だけの言葉だった
 お飾りのものが、逆に作品の支配権を持ち、そして逆に今までのアトラクション的な激しいお話自体を
 、そのルルーシュの捉えた世界観を描き出すもののひとつとして、見事持ち変えることが出来ていました。
 ものすごい、反転。というより、全転。
 人ひとりひとりそれぞれが、些細な幸せを志向し、それを否定することはなんぴとにも出来ないという立
 場から、人ひとりひとりがそれぞれの場所でその守るべき築くべき幸せのために戦っていく。
 今までただ無軌道に描かれていた作品の中の時間。
 ルルーシュはただその中で、そういった思想を持ちながら戦っている「ひとり」でしか無かった。
 しかし、最後まで見て、あのC.C.の語り自体は陳腐なものであるけれど、しかし改めてそのルルーシュの
 思想を一元化したようなC.C.の言葉を通して、その凄まじいスピード感で戦いと死と幸福の破滅が
 見えて来て、それゆえそのC.C.の、ルルーシュの思いや想いの実体化したものとして、その世界の姿
 が顕れ、そしてそれを背景とする中で、そのルルーシュとC.C.の言葉が血肉を得て、私達の目の前に
 飛び込んでくるのです。
 凄惨な、凄惨な、誰も悪くないはずなのに、誰も間違っていないはずなのに、戦い殺し合う、世界。
 
 
 『それでも、今は感謝すべきであろう。そう、少なくとも人が幸せを求める存在であることに。
  一縷の望みは、ほのかなる願いは、絶望からこそ生まれいずる。』     by C.C.
 
 
 なによりも深い絶望があるからこそ、なによりも高い希望が見えてくる。
 そして。
 その希望が見えるからこそ、絶望に囚われることで、誰もが生まれながらにして幸せを求めることの出来
 る、希望に充ち満ちた祝福された存在である事を、忘れてしまっていることに気づくことができる。
 そして。
 その境地から、再び現実に舞い戻る。
 なんのために戦うのか。
 幸せのためにか、それとも・・・
 第二期は、C.C.とルルーシュの描き作り出した世界を、どうやって描き直していくのか、期待しています。
 
 
 
 
 
 ◆
 
 エル・カザド:
 第18話。
 エリスとナディの初喧嘩。
 ふたりが泊まった宿屋のじぃちゃんがいい味出していて、なんかそのじぃちゃんの包み込まれそうな笑顔
 にやられたブルーアイズの手下とか(違)、遂にじぃちゃん萌えがきましたとか、そういう話。いや違うけど。
 ふたりの喧嘩に関しては、最後のエリスの私は楽しい思い出が無いから、それはすごくすごく大切なのと
 いう台詞に集約されて、そっかそうだねぇと、なんだか妙にしんみりしてしまいました。
 喧嘩の発端は、エリスが大事にしてたアクセをナディが事故的に壊してしまうことで、そのあとナディが
 エリスの吹く笛をへたっぴと言ったことにエリスがむくれてファイト、みたいな感じでした。
 よく考えたら、通常エリスならナディにおちょくられようと、「え?なにが?」みたいな天然返し炸裂なので
 すよね、でも、大切なものを壊されて、それで悲しくなってその観点からそのナディのおちょくりを聞いた
 がゆえにそれはその言葉通りの意味として受け取ってしまったのですね。
 でもエリスにとって、確かにそれは大切なものだけれど、「今」現在大切な存在であるナディに代わるも
 のでは無いし、そのことがわかっているからこそ、エリスの怒りは溶ける前に、その鏡に映る嫌な顔した
 自分に気づくことが出来、でも逆に、だからこそその大切なアクセは、ナディと同じように代えが効かない
 ものだったということをナディに知って欲しいとそういうことでもありました。
 ただ無条件に、お互い笑い合って干渉無しで適度な距離を置いて、無関心を貫き合うのでは無く、
 勿論一方的な従属関係でも無く、エリスはナディと対等ゆえに、友達ゆえに、そうして自分の事をちゃん
 と理解した上で色々と付き合っていきたいと思うのですね。
 それは、自分のために色々と捨ててきて、これからも大変なおもいをするであろうナディへの感謝のため
 に、なにもかもナディに任せてナディのいいなりになるということを、エリスは選ばなかったという事でもある。
 
 ウニャイマルカ、約束の地になにがあるかわからなく、またナディにとってエリスをそこに連れて行くことが
 本当に良いことなのかと、根本的な問題に晒される中、それでもナディはそのエリスの「当たり前」な
 ふたりの人間同士の付き合いを続けていこうとするのです。
 それはそれ、これはこれ。
 ナディが今回抱え込んだ目的地に関する悩みごとは、エリスが今回抱え込んだ憤りと全く同じで、
 それぞれ別のものとして承認し、互いに代えが効かないことを認識し、そしてだから両方ともそれぞれに
 考え処理していこうとするのです。
 ナディは目的地に関する悩み事とそれとは関係ないエリスとの当たり前な付き合いを。
 エリスは楽しい思い出の無い自分の弱さとそれとは関係ないナディとの当たり前な付き合いを。
 きっとそれぞれ、考えたんだろうなぁ、って思いました。
 なんだか、久しぶりにすっきり一本の筋が通ったお話でした。
 
 
 ではまた、ごきげんよう。
 
 
 
 
 

 

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