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◆◆◆ -- 2007年9月のお話 -- ◆◆◆

 

-- 070928--                    

 

         

                        ■■姫の刹那は永久より深く輝いて■■

     
 
 
 
 
 『 姫ぇーっ! 姫ーっ! 姫! 姫!  姫ぇぇーーっっ!! 』
 

                           〜怪物王女 ・最終話・姫の言葉より〜

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 


 



 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 ◆

 
 傲然と、沸き上がる怒りがあった。
 その怒りに身を委ねている間に得られる安穏が、果たして私のすべてを捕らえ切っているのかどうかが、
 いつも必ずわかることが無かったが故に、私はその怒りに対する戸惑いにこそ身を委ねていた。
 もし本当に私がすべてをその怒りに任せて居られ、そして完全に満足することができるのならば、
 私はその沸き上がり続ける怒りを肯定することが出来ただろう。
 この怒りですべてを決め、そして忠実なる怒りの下僕として在る自分をさえ、その怒りを絶対と崇めて
 居られる安堵が許してしまえただろう。
 だがそこに、私による、その怒りに対する検閲は、吟味は、働くことが無い。
 本当に、その怒りが私をすべて受容し、そして私を救ってくれるのかどうか、それを確かめることが可能
 な術を、私は持たなかったのだ。
 いや、それはむしろこういうことなのだ。
 果たして、私はその絶対的な怒りに、満足することができるのか、と。
 すべてがその主体たる私にあることはあまりに明確であり、しかしそれはあまりに不確定なことを含み
 過ぎている。
 私がそれに満足できるかどうかなど、それこそそのときになってみなければわからない。
 そしてその責は、すべて私が引き受け、またその結果を甘受するのもまた、私なのだ。
 だから私は、その責のみを、怒りという対象に任せた。
 私から離れてある怒りというものを吟味し、それがどういうものかを精査し、そうすることでならば、
 きっとそれがどういうことをもたらすかを予測できるであろうと、そう踏んだのだ。
 絶対的な「怒り」というものがありさえすれば、それが絶対であると断言できるのならば。
 いや。
 ただただ、それが絶対であると断言できるためにこそ、すべてを注ぎ込みさえすれば。
 私は穏やかにその「怒り」に身を委ねることができるのであろう。
 
 そして、その幼き夢は、長い年月をかけて、ゆっくりと滅びていった。
 
 簡単なことだ。
 その絶対的な「怒り」とやらもまた、明確にして不確定が過ぎる私にしか過ぎなかったのだからな。
 その「怒り」を吟味し検閲することは、遂に最初から最後まで叶わなかった。
 そして、私は延々と延々と、それが出来るようになることを目指し続け、そしてそうする事自体にのみ
 すべてを任せることが出来ていたのだ。
 そしてそれゆえに、自分がその「怒り」を手に入れることはおろか、それを吟味し検閲することすら未だ
 出来てはいないことを、時間が過ぎていけばいくほどに痛感し、それはやがて果てしなく深い焦りと不安
 を生み出すこととなっていたのだ。
 その焦りと不安を孕む安穏が、やがて滅ぶのは目に見えていた。
 そしてそれは、滅びを予期するがゆえに、それまでの時間を命を振り捨てるほどに激しく安穏と化すため
 にのみ貪ることを可能にした。
 私は既に、それに囚われていたのだ。
 「怒り」に、囚われる前にな。
 そしてそうだからこそ、私はその幼き焦慮の向こうに、既に手に入れることの叶わぬ「怒り」だけしか、
 この道の先には無いことを見据えていたのだ。
 なによりも其処へは辿り着けぬことを知る、此処に居る私が在るがゆえにだ。
 私は、私に辿り着くことは出来ぬ。
 怒りは、私自身なのだ。
 明確に沸き出で続けていながら、あまりにもそこへ至る道が不確定であるのだ。
 そしておそらく。
 私はそのすべてを、忽然と、最初から最後まで理解していたのだ。
 「怒り」という目眩ましを私に放ったのは、私自身。
 私は初めから、真摯に、そして圧倒的に、その絶対的な「なにか」に囚われることを求め、それを実践
 し続け、そして確実に囚われることに成功していたのだ。
 
 そして、それを行った私は、やはり、私なのだ。
 私を捕らえたのも私なら、私に捕らえられたのもまた私なのだからな。
 ゆえに、その貪欲で怠惰な私を責め滅ぼすことにこそ、その真の「怒り」の価値を見出し、それに今度
 こそ身を委ねることが出来るのは、すなわち。
 私が、私を殺すということに、一心不乱になることに他ならぬ。
 だから私には、その怒りにすべてを任せることは永劫に出来ぬのだ。
 ただただその前で、焦り続け、そして自分自身に戸惑い続ける私で居るだけなのだ。
 
 怒りは途切れること無く、しかし決してそれが主体となることも無く。
 ただただ私とは決然として分かれて居るその怒りだけが、私の目の前に傲然と立っている。
 私の目の前に、私が居る。
 それをいくら切り刻もうと、燃やし尽くそうと、そうすることはすべて私自身を殺すこと以外のものには
 なれぬ。
 その怒りを殺すことは、私が怒りになることにしかならない。
 私がその怒りに従属することは、私が私に囚われる事にしか過ぎぬ。
 怒りは私そのもので在り、私は怒りそのもので在る。
 ならば、私は初めから、怒りに絶対的に支配されることは可能だったのではないか?
 もう既に、私にはその能力があったのではないか?
 私は私で無いことなど無く、ならば安心して私はその怒りに私を任せてしまっても、私が私で居られなく
 なることなど無いのではないか?
 そして、そのときひとつの疑問が生じた。
 私とは、なんだ?
 私で居るとは、どういうことなのだ?
 怒りに染まってしまうことでなった私とは、それはそうなる前の自分とは違うものであるのは明白であり、
 しかしそれでも私が私で在るのは変わりが無いというのならば、そうして変化した「今」の自分こそが、
 常に私であり、私で居るということなのか?
 それはつまり、私が私で無いという事は絶対に無く、私が私で居ないということもまた絶対にあり得ない
 ということになるのであろうか。
 たとえ怒りに染まり変質してしまおうと、此処に私が居るのならば、それでも私は私なのだ。
 変わり果ててしまった私を嘆くことは、つまりこうして「今」此処に居ることとなった私を愚弄することになる、
 とさえそれは言えるのであろう。
 そしてその愚弄を意識することなど無く、おそらく怒りに染まり変質してしまった「今」の自分にとっては、
 もはやその「今」の自分以上に実感を得るものを無くしてしまうのだ。
 ゆえに、変化する前の自分に義理立てをする「今」の私しか存在し得ず、ならばその「今」の私が
 変化以前の私を思うことは、もはや愚弄とさえ呼べぬのだ。
 
 ならば、往くか?
 怒りに充ち満ちた、先の見えぬがゆえに見えている、その道行きを。
 
 『フランドル。案ずるな。』
 私は死にはせぬ。
 運が、良ければな。
 その運の在処は、我が怒りに訊くがよい。
 
 
 ++
 ・・・・・・ 『ふが。』
 ++
 
 
 
 
 
 ◆
 
 足下に剣が落ちている。
 拾い上げ、その重みの中に目を落とす。
 なぜこんなものが、我が手の中にあるのであろうな。
 敵を切り裂くはなんのためか、それを理解し、そのために剣を振るったことなどかつて無い。
 純真に、汚れた道筋を歩み、その道幅のみに広がる私を感じている。
 傲岸不遜に屹立し、腕を組みながら見据えるは、なにか。
 なにも見えぬ。
 なにも見えぬがこそゆえに、その凝視そのものが意味を成す。
 見つめる視線で射殺すは、なにか。
 
 問い無き答えが、在る。
 
 私は、どうすればよいのであろうか。
 それは問いでは無く、ただの呟きであり、そしてその呟きの連続が、無限の沈黙を生んでいる。
 答えなど、無い。
 そもそも私は、これが答えだというものに辿り着き、それにしがみついて進んでいくことなどできはしない。
 出来るとするのならば、それは私が私を見捨て、殺したがゆえだ。
 だが私は私を殺すことなど、できはしなかった。見捨てることもだ。
 私には、怒りに染まり、それにすべてを任せ事を為すことを選ぶ自分になる飛躍が無かった。
 そうだ、私は今もこうして、そうして変質する私に至ること無く、此処に居続けている。
 依然として、私の目の前には怒りが居続け、そして私は怒りに染まり切ることが出来ぬのだ。
 だからこそ、剣を振るうのだ。
 そのような、惰弱なる自分を切り裂くために。
 怒りに染まれ、怒りにすべてを収束せよ、そうする義務がお前にはあるのだと、ただ高らかにそうなること
 を正当化しようとする声が耳朶に広がっていく。
 そして、その声が大きくなればなるほどに、その声の力は薄れそして無音となり、そのときにこそ、最も
 私が怒りに近づいていることを知るのだ。
 怒りに染まる自分を肯定する言葉に頷くことで、怒りに染まることなどあり得ぬ。
 自らを殺す理由を述べ立てそれに首肯することで、自らを殺すことなどあり得ぬ。
 心を研ぎ澄まし、そして、それを無造作に放り投げる。
 なにかもを込めて磨いたものを、捨てる。
 そのときに、ただひとつ残ったものだけが、いや、そのときより新しく生まれてきたものだけが、
 真に私を主体的に支配していくものなのではないか。
 怒りしかり、死、しかり。
 私と分かれているように見えてその実分かれてはいない怒りや死が、私を支配することなど絶対に無く、
 ただただもう私とは完全に分かれている、私にはもはやそうとしか感じられぬほどに、私の手を離れて
 在るその怒りや死だけが、私の外側から完全に私を支配していくのだ。
 そのときに、きっと私は、私を失える。
 失いそして、それでも生き残る。
 私無き生存だけが、残るのだ。
 そしておそらく、それを見つめる私だけは、決して消えることは無いのだ。
 見続けたいのか、そんな私の姿を。
 見定めたいのか、そんな私が本当にあり得るかどうかを。
 自らの存在を失わずにして、その自らの存在に支配される。
 そして私が負うべき責や苦しみのすべてを、その私の存在が負ってくれる。
 私はただただそれを見守ればよい。
 ただただ剣を取りて、ひたすら敵を殲滅していけばよい。
 
 この安堵は、絶大だ。
 
 怒りよ、私の限界を超えて湧き出でよ。
 死よ、私を蹂躙しその快楽を糧とし我が手に敵を刻む剣を持たせよ。
 それが当然となるほどまでに、私はすべての力をそのために注ぎ込む。
 全身に満ちる血が、沸き立つよりも先に、肌の内を満たしていくのを感じている。
 動を成すために静を為す。
 静を成すために動を為す。
 ならば、始まりはどちらだ。
 わからなければ、わからないほど良い。
 どちらからともなく、気づかぬ間にそれが始まっているほどの当然こそが、我が支配者たるに相応しい。
 狂わずとも狂っている、叫ばずとも叫んでいる。
 猛然と、凄然と、静かに、静かに。
 
 そして、転じる。
 
 自らが戦っている意識など、捨ててしまうがよい。
 戦うために、敵を切り刻むために、戦い敵を切り刻む訳では無いのだからな。
 静かに激しく戦うことだけに感じる安堵を求めるからこそ、そうするのか?
 違うな。
 それもまた、放り投げるがよいのだ。
 それでも残り、そしてそこから新しく生まれ出てきたものがこそ、真実私を絶対的に支配してくれるのだ。
 もはやそこには、支配されている私を見つめる私すら存在はしない。
 ただただ、ただただ、動き止まり、戦い切り刻む、その感触だけが身を焦がし、そうしているだけの安堵に
 こそ喜び震えている私をも、そのときようやく失うことが出来るであろう。
 そうなれば、もはや私を捕らえるものは存在しない。
 私が、居なくなるのだからな。
 それでよい。
 ただただ、戦え。
 ただただ、斬れ。
 
 落ち着き毅然として居れば居るほど、私はその言葉と体感に、なによりも深く支配されていくのだ。
 
 
 ++
 ・・・・・・ 『 おい、貴様に訊きたいことがある。ロボ・ワイルドマンの名に聞き覚えはないか?』
 ++
 
 
 
 よく知っているぞ、リザよ。
 私に良く仕え、そして私が殺した、お前を愛したお前の兄の名だ。
 
 
 
 
 ◆
 
 一個の戦士としての自覚すら必要としないほどに、直線なるままに言葉を撃つ。
 あらゆる理屈を綴り上げ、それを口に含みながら息を吐く。
 語る言葉はすべて我が剣先に浸み入り、それを為す我が心根は饒舌だ。
 黙さずとも、今はもはやすべての言葉が真実なるままに、その内に虚飾を宿していく。
 戦う理由をいくらでも語ってやろう。
 敵を殺す意味をすべて重きものにして飾って魅せてやろう。
 それらはすべて真であり、嘘はなにひとつ無い。
 必要とあらば、無限に言葉を作ってやろう。
 必要なくば、必要となるように世界を構築してやろう。
 我が喉元より飛び出す言葉のすべてが、ごくごく自然に私が此処に無いことを証していく。
 もはや私は、それを愉しむことが無きほどに、私を失っているのだ。
 そして無論、私の喪失を愉しむ事無く、私無き此処で、ひとり穏やかに昂っているのだ。
 筋を通し、理を繋げ、愛をすら語ることが出来ながら、私は全くそれらの恩恵に浴する事無く、
 いやそれらと同じ瞬間に存在しながらも、そこから私だけを失い続けることが出来るのだ。
 私無きままに、言葉を為す。
 我が心根が覗けてくるぞ。
 弱い、弱い、臆病な我が本質が。
 逃げることすら出来ずに、ただ戦うことにすべてを叩きつけすべてを見失うことの中に逃げ道を見つけ、
 それが逃避であることを承知しながら、それを責める言葉を無限に有しながら、結局その言葉を潰す
 ことのためにこそ言葉を使っているのが、透けて透けて痛いほどだ。
 そう。
 敵の非を詰ることですべてを解決し、その敵とは違う自分を誇ることで戦えることに安堵する、そんな
 下劣で無様な本質が、此処には在る。
 そして、その自らに対する洞察をさえ、私を支配しているものは支配出来るのだ。
 もはや私は居ないのだ。
 卑怯な安堵を求めることも、下劣な自分を責めることも無い。
 ただただ、戦う。
 その戦いになにも求めることは無く、その事を批判する事をこそ、それがなにかを求めているがこその
 批判であろうと、冷徹に無視することが出来るのだ。
 
 そしてその無視が得るものもまた、なにも無い。
 
 なにも感じぬのに、さらなる饒舌を極めていく。
 どれほど饒舌を極めても、なにも感じぬ。
 それを理解しているがゆえに、自らがなにも求めてはいないことを知る。
 私は、生きながらにして、既に死んでいる。
 頭脳は軽快に回り、口先は巧妙に語り、如何様にも即応できる。
 立て板に水を流すが如くに、流麗なるままにこの姿を照らすことができる。
 なにも感じぬがゆえに、この即応能力は桁違いに上昇し、ただその上昇を極めることだけに力が注がれ
 ていく。
 
 私に願いを託す者、或いは私を想い私に忠節を尽くす者達。
 その者達のために報いることのみに専心することが、私には今も昔も変わらずに出来る。
 だが、今はその上限を遙かに超えようとしている。
 その者らへ応えるに相応しき力は、我が心身の輪郭を乗り越え、もはやその外から私を支配するに
 至っている。
 私が彼らのことを想えば想うほど、彼らのために力を尽くせば尽くすほど、私は私を失っていく。
 いや、それらの事のみに専心する私になっていくのだ。
 なぜ、私はこのようなことをしているのか。
 なぜ、私はそのようなことをしなければならないのか。
 なにより、私はかの者達のために、私のために、そうしたいと心から欲しているのか。
 恐らく、欲しているのであろう。
 欲しているからこそ、それ以外の問いを不要としているのだ。
 なぜこのようなことをしているのか、しなければならないのか、そんな問いは不要なのだ。
 ではなぜ、私は彼らの想いに報いようとし、そうすることを欲するのか。
 無論、そのことのみに集中することですべてを忘れたいから、などとは言わぬ。
 勿論、真摯に彼らへの想いに染まり心底彼らに報いたいと、そう願っているからだ。
 そのことに、なによりも熱く、激しく、この身と心を焦がしているのだ。
 『私の論理は完璧である。』
 当然、嘘はなにひとつ言ってはいない。
 我が命に賭けて、すべて真実を話していると誓おう。
 嘘偽りはなにひとつ無い。
 あるはずも無い。
 まさしく、それが今の私に他ならぬ。
 それでよい。
 このまま他の者達に尽くし、彼らの想いの代表者たる自覚を得続け、彼らの苦悩と悲しみを背負い、
 彼らのために戦い、彼らのために生きて、死ぬ。
 胸に手を当てれば熱く熟れた情熱が、静かに私を満たしていくのを感じている。
 これだけのものを背負い、それだけの重き剣を振るうことの出来る幸せと。
 それらを達成し続ける、無限に深いこの夢を見果てる事は、無い。
 この僥倖と夢の体感が途切れぬことを、ただただ、信じて。
 その踏み固められていく一本の道の上で、私はひとり舞い踊る。
 どこまでも思考を巡らし、口舌を極め、贅と美と智と義を巡らせ、愛をすら生み出して魅せよう。
 そのためになら、この命、すべて賭けてやってもよい。
 
 それで、よいのだな?
 令理よ。
 
 
 ++
 ・・・・・・ 『 このまま事件そのものを、有耶無耶にしてしまうつもりですわ。』
 ++
 
 
 
 ・・・そうかもしれぬな。
 
 
 
 
 
 
 

+

 

 

消えていく想いが、その消滅をこそ、みせている

 
 
 
 
 
 
 
 ◆
 
 刃を交わらせ、剣戟の飛沫が時間を切り裂いている。
 風を劈く鼓動の高鳴りが、なめらかに血を全身に行き渡らせる。
 指先に籠もる力をさえ感じられ、そのひとつひとつが切れ味となって口腔に広がっていく。
 興奮は、無い。
 ただ冷たく、ただ静かに、努めて静止を感じ、そして、動く。
 眦を決し、歯軋りさえ感じ、翻す風を背に巻き込み、剣閃を広げていく。
 どこまでも、どこまでも、この戦いの刹那が続くように。
 すべてをこの無謀なる、そして無感動なる殺戮の幸福の礎と成せ。
 
 - 眼前に灯る、 怒りの感情 -
 
 これで、よい。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 - -  だが いま一度 問いたい  - -

 
 
 
 
 +
 
 目を閉じれば、闇が在る。 
 紅く乱れ飛ぶ炎が、闇に染み渡る血の如くに広がっている。
 脈々と受け継がれし我が血脈。
 その結実としての我が存在を背負い、今此処に在る。
 なにをすべきかは明白であり続け、なにをしたいかもまた確かなものだった。
 その絶え間無い豊饒な欲望としての感情が、私をその根底から支え、そして導いてくれていた。
 我が愛する者達、我が守るべき者達、その者達への確かな想いが、どのような事になれど、地獄を
 迎えようとも絶望を見せ付けられようとも、途絶えることは無かった。
 だから私はただ、その自らの情動を信じ、それを満足させるにはどうすれば良いかを、真摯に考えて、
 実現していけば良く、またそれこそが私の最も求めた私の在り方だった。
 答えはすべてこの胸のうちにありて、我が手はそれを顕す敬虔にして欲深い表現者だった。
 
 だが、その愛すべき守るべき者と、その情動を失ったならば・・・・
 
 
 
 

どうすれば、よい

 
 
 
 
 
 白刃の煌めきが、視界を覆ったとき。
 我が目の前に、怒りのみが広がったとき。
 私が、私を失ったとき。
 
 どうしようもなく、残ったものが、あった。
 
 おまえは、誰だ。
 おまえは、なんのために生きるのだ。
 その問いが、純然と、純然と、残った。
 そこから始まる、冷徹なるままの、感情の余地の無い、ただの言葉による思考が始まっていく。
 すらすらと、答えが編まれていく。
 かつて想いを寄せた、私が愛すべき守るべき者達のために生きる悦びが、厳しく復元されていく。
 だが。
 この紅い瞳の内壁を彩るその言葉は、完全なる無だった。
 敢えて言おう。
 その言葉は、本質では無い、と。
 さらに問おう。
 おまえは、なにがしたい。
 
 私は既に、その問いに答えることの出来ない理由を無数にこの瞳の先に刻み込んでいた。
 斬りつけた空が無言でありながら、その手応えだけで満足していた。
 私は、情動を、感情を、失ったのだ。
 なにも求めるものなどあろうはずも無い。
 いや、事実、私はなにも欲してはいない。
 だからその問いには、答えられない。
 そして。
 その私の答えに、無情の、そして。
 なによりも。
 なによりも。
 強大で、深遠で、そして、いつも必ず、明白だったあの息吹が振り下ろされた。
 
 
 
 
 
 
 
 
      『 ふ  ふ  ん 。 』
 
 
 
 
 
 
 
 その問いに答えられぬのでは無く、答える訳にはいかぬのだろう?
 情動が、感情が無ければ、なにも欲することができないのだから。
 いや。
 それらが無ければ、もはやなにも望むことが出来ないと、そう思いたいがゆえなのだ。
 そこには、すべてを失いながらそれでも圧倒的になにかを求めていくことを、そう出来るようになることを、
 それを求める思考も、言葉も、そして生命の息吹すら無いではないか。
 私にとって、私が愛すべき守るべき者は大切であったし、その者らのために懸命に生き、彼らと共に
 幸福を築き夢を描き実現していくことは、なにより重要なものであった。
 だが、それらが、それらが無ければなにも出来ない、というものであったのは、そうとしか思えない私しか、
 いや、それらにすべてを託し、他の可能性を意図的に排除した私しか、居なかったがゆえになのだ。
 かの者らを愛すれば愛しているほどに、かの者らを愛することの出来る根拠を、かの者らの存在にだけ
 任せていてはいけなかったのだ。
 なぜ、彼らを愛し、彼らを守りたいのか。
 それは、私が彼らを愛し、彼らを守れるようになりたいからだ。
 不思議な言い方だが、まさにそれこそが今の私には最も必要なものだったのだ。
 かの者らへの愛を捨て、私のみ孤独に生き延びることに価値があるとしたら、それはただ、かの者らを
 愛し続けた過去の堆積としての今の自分の否定、そしてその今の積み重ねである、これからの未来の
 私すべてを否定する礎、としてにしか無い。
 ならば問う。
 私は、そのような生を望むか?
 もはやなにも望まないはずの私が、なぜ仮にもそのような道を進むを選ぶのだ?
 なぜ感情を失ったはずなのに、この身を焦がし、そこから吹き出す怒りは、我が眼前を潤し続けて
 いるのだ?
 なにも望まぬというのなら、なぜ死なぬ。
 死すら望んでいぬというのなら、今現在生きていることを選んでいる事になる、この今のおまえの状態を
 、存在を、生存を、どう説明するというのだ!
 
 
 
 答えよ! リリアーヌ!!
 
 
 
 汚辱と屈辱にまみれた名だが、名に罪は無い。
 だが、その無実である事に囚われ、その名を愛するのは罪だ。
 そして、無論その名を捨てることは、罪以前の話だ。
 わざわざ名乗らずとも、私は既にその名を有する存在だ。
 肯定も否定も必要は無い。
 いや。
 その名自身には罪が無いからこそ、厳粛に、その名の意味と対峙することができるのだ。
 私は、その名は好まぬ。
 それだけの由来を持っている名だ。
 だが、捨てはせぬ。
 否定する必要は、もはや無い。
 その名は、私だ。
 自らを無視しての肯定も否定も、もう、やめだ。
 
 セブラン。
 私が嫌悪し蔑み否定するだけのものをすべて身に纏う愚か者。
 こやつを兄だなどと思ったことは一度たりとも無い。
 だがそれと同時に、こやつには同情を越えて、こやつの愚かさがわかる私として、それを否定するだけの
 罪を感じている。
 この男は、それでも、「兄」なのだ。
 そして、ひとりの生存者だ。
 それを無視しての殺戮は、私の中にかつてあった、その嫌悪し蔑み否定するだけのものに対する殺戮
 と同じものである。
 我が胸の内に巣喰いしすべての悪なるものは、それはすべて、私だ。
 怒りも、憎しみも、嫉妬も、弱さも、なにもかも、それはすべて私そのものなのだ。
 それを斬るは、私を斬るに等しい。
 そして。
 そう、そして。
 我が醜き名と。
 我が愛すべき守るべき者達への想いに囚われるを斬るも、私自身を斬るのと同じなのだ。
 だから、やめだ。
 
 
 『いや。
      こんなもの、不要だ。』
 
 
 
 愛したければ、愛せるようになればよい。
 守りたければ、守れるようになればよい。
 醜き名を捨てたければ、捨てられるようになればよい。
 その名を心良く名乗りたければ、名乗れるようになればよい。
 愚かな兄を導きたければ、導けるようになればよい。
 自らの仇を討ちたければ、討てるようになればよい。
 そして。
 だからこそ。
 すべての問いが、この胸のうちに広がっていく。
 私は、自由になりたい。
 それゆえ、私は無限に、自らがもう既になによりも自由であることを知る。
 ゆえに、それを、その「自由」という言葉を捨てる。
 私は、私を生きるのみだ。
 たとえ他者にすべてを捧げようと、世界に命を与えようと、それが私であると言えるのなら、そうしよう。
 そして、そうするための言葉を、私はいくらでも生産できるのだ。
 
 ゆえに。
 我が存在を、私が愛し守ってきた者達へ捧げる訳にはいかぬのだ。
 
 私には守るべきものがかつてあり、そしてこれからもそれは生まれてくるであろう。
 私がせねばならぬことは無限に広がり、そしてそのために考え力を尽くすことは絶えぬであろう。
 だが、そのことに囚われてはならぬ。
 それが、大切なものであればあるほど、それのためにのみ生きてはならぬ。
 いや。
 それのためにのみ生きたとしても、そのことに囚われるのがいけぬのだ。
 私は。
 我が守るべき者のために生き、ときには命をも賭けよう。
 そのために生きているとさえ、唱えて魅せよう。
 だが。
 
 
 それが、私のすべてでは、決して無い。
 
 
 醜き名を背負い続けようとも、愚かな兄を斬り捨てようとも。
 その事には、絶対にもう、囚われはせぬ。
 背負った名をそれでも嫌悪してやろう。
 愚かな兄を斬ったその剣で愚かな他者を救ってみせよう。
 
 
 『 なにをそんなに怯えている。
   お前はいつもそうだ。
     卑劣で、そしてなにより・・・・・臆病
        シャーウッドですら、死を覚悟してこの運命に臨んでいるというのに・・・
            セブラン・・・・・・どうした! セブラン!!』
 
 
 
 

 - どうした。 答えぬか -

 
 
 ああ、わかっている。
 言われずとも、わかっている。
 
 
 
 
 + +
 
 
 夢も幸せも、それを叶えられ、そうなれると信じる必要は無い。
 夢も幸せも、その前に、常にそれを手に入れる事の出来ない状況を有しているからだ。
 その状況と現実に向き合い、突破し、その夢や幸せに到達することができるのは、他ならぬ私だけだ。
 すべきことは、夢を叶え幸せになれると信じられる、その自分こそを信じることだ。
 
 私が信仰するものはただひとつ、私が此処に生きて居ることのみだ。
 
 たとえ夢も幸せも信じることができなくなったとしても、私は生きて此処に居る。
 そして。
 此処に生きて居る限り、夢も幸せも、在る。
 それは信じることでは無く。
 それは・・
 ただただ。
 当然のことなのだ。
 生きることに執着する必要は無い。
 だが、既に此処に生きていることを、その自らの生存を信じる必要だけは、ある。
 そうすれば、やがて気づく。
 どうしようもなく。
 
 私が生きて在ることが、当然であることに。
 
 
 
 
 そして、答えよう。
 
 
 
 私は、私のためにこそ、生きると。
 私のためにこそ、愛すべき守るべき者のために生きると。
 そしてそうするためにこそ、私から私を失い、真摯にその者達にすべてを賭ける覚悟に身を委ねよう。
 如何なるものにも囚われぬ、自由な立場をひたすら模索し続け、なにが真に私のために生きているこ
 とになるかを徹底的に追究し、我が求めしものが真実私の欲望を満たすかを永遠に精査し続けると、
 この投げ捨てた剣にかけて、誓おう。
 ゆえに。
 そのような誓いなど、もういらぬ。
 誓いを立てた時点で、もはやそれは不要のもの。
 そんなものに拘るつもりも、囚われるつもりも、もはや無いぞ。
 なにが私の真の幸福になり、なにが私が描くに相応しき夢であるかを、今はただ考えよう。
 そして。
 それらを精査するに必要な問いこそを、今は豊かに作り続けていくことが出来る。
 答え無き問い。
 問えば問うただけ、その問いが得たもの自身が生み出す問いの連鎖を深めていく。
 紅い瞳から、力が抜けているのを、知る。
 「私」を失った、私の戦いが、ようやく始まった。
 
 
 私を取り戻す戦いが。
 いや。
 
 
 新しき「私」と。
 そして。
 今此処に居る私が生きるに相応しき、新しき素晴らしき世界を創る戦いが、今、始まった。
 
 
 
 
 
 ++
 ・・・・・・ 『 そうか・・・・・僕はやっぱり・・・姫のことが・・』
 ++
 
 
 
 
 
 
 
 そして。
 
 
 その戦いが、まだ一度たりとも途切れてはいないということを、ただただ、豊かに感じている。
 
 
 
 
 
 
 
 ふふん。
 
 
 
 
 
 
 『馬鹿者。』
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 『早く帰るぞ、ヒロ。    
                  紗和々が待っておる。』
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ◆ ◆ ◆ ◆
 
 本当はもう、ここであとがき的にして書くものなどなにもありません。
 正直言って、感無量です。
 これほど、完全な最終話を観ることが出来るなんて、幸せです。
 私はもう、ただただこの最後のお話を観て、私が今まで怪物王女と共に過ごして培ってきた、その集大
 成を行うことに集中することが出来るだけでした。
 言うこと、ありません。
 私のこの感想も完璧です。 (笑)
 書きたいことはすべて書けました。
 本当の本当に、全部書けました。
 本当に、集大成が出来ました。
 言うこと、ありません。
 あとがきに書くべきだったことは、すべてもう、存在しません。
 本文だけで充分です。
 少なくとも、書き手としての私にとっては、もうこれ以上書くことはありません。
 構造としては、フランドルの章、リザの章、令理の章、ヒロの章の4つを重ね、それを順々に統合していく
 形で、全体を姫としてあります。
 これは今までの感想でも、私がすべてを姫に収束させてきたことを表してもいます。
 そして、私が怪物王女を使ってやってきたことの中から、この最終話の感想にて、初めて新しい道筋を
 創り出すことが出来ました。
 それが「答え」とは言いません。
 けれど、バラバラだったものを統合したその姿自体が、既にそれ以上のものになっていることを、書いた
 本人自身の体感として、確かに感じ、そして私もまたそれを得ていることは、あまりにも確かな事でした。
 書いている最中は真っ暗闇でした。
 でも。
 その闇を越えた先には、あまりにも鮮明な光が広がっていました。
 姫の後ろ姿を語ることのできた、この私の幸せが、此処に。
 
 今の気分としては、試合を終えベンチに座り込み肩で息をしている状態です。
 ですので、細かいお話は、また後日に、ゆっくりと、そして激しく、愛を込めて。 (笑)
 まだ番外編も残っておりますので、今しばらくお付き合い頂ければ幸いです。
 
 
 それでは、興奮醒めやらぬところ恐縮ですけれども。
 次回最後のお別れまで、幸せに、そして愉しみに待ちながら、またお会い致しましょう。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
                                ◆ 『』内文章、アニメ「怪物王女」より引用 ◆
 
 
 
 
 

 

-- 070923--                    

 

         

                          ■■その日私はアニメに恋をした■■

     
 
 
 
 
 ごきげんよう、紅い瞳です。
 最近、なんだか楽しいです。
 アニメがなんだか、またまた一段階楽しさがUpしてきました。
 というより、あ、っていうか。
 なんていうか、う、っていうか。
 なにか忘れていたものを取り戻したような、そんな感覚。
 それは、愛。
 うん、ツッコミはしばらく待ってな。
 愛、なんて言葉はあまりに大切過ぎて、だからそれを口にしたり書いたりしてると、そうする事自体が
 目的になっちゃって、かえってその大切な愛そのものを見失ってしまうんじゃないかって、そう思うところに
 至り、だからあまり愛とか言う言葉をそれだけで叫ぶ事は無くなってた。
 でもさ、うん。
 たぶんそれって、その言葉を発する事自体の力、っていうのを見事に忘れちゃってるものだったんだよね。
 愛、って言葉を口にしてなにかがわかるとかわからないとか、そう言う事じゃなくて、愛という言葉を
 叫んだことでなにかが変わったり、なにかが出来てたり、或いはその叫び自体がそういうことが出来ている
 事をなによりも証明出来てるってことだったんだよ。
 だから、愛を叫びたくなったら、まっすぐに叫べば、それでもう充分ひとつのゴールだった。
 それをね、こう、すーっと、思い出した。
 最近のアニメ「オーバードライブ」が、すごい。
 このアニメが今期一番泣かせてくれたアニメだったけど、先週先々週の回ではもう、愛でした。
 おまえらみんな大好きだーっ! みたいな感じで涙がボロボロ。
 ていうかまぁ、ミコト最高。あんたカッコ良すぎ。あんたすごすぎ。
 彼は自転車ってものへの愛を、もう全方位的に感じまくって、そして最終的に、自転車にぽっと恋しちゃ
 う。
 あー・・・・・・・涙止まりません。
 好き。もうこういうの見てると大好きになる。
 
 こういうのを見て、泣ける自分が。
 
 なんで泣けるんだろう。
 勿論、泣きたいから泣く訳じゃ無い。
 私は、思いっきりミコトに共鳴した。
 私も、頑張りたい、いや、頑張れる、いやいや、もう頑張りまくってる、って。
 だから私も、もう無我夢中に、そしてなによりも主体的に愛せちゃう。
 アニメに、恋しちゃう。
 だって、アニメみて、色々感じて考えて、そしてそれを言葉にして書けて、こんな楽しいの、無い。
 正直、今まではそれ以外にもまたそれ以上に楽しいこともあったんだけど、今はアニメがそれと同じくらい
 に上がってきたよ。
 いや、もしかしたら今アニメが一番かもしれない。
 そういうときに、こういうアニメにタイミング良く出会えて、もうそれだけで、涙。
 頑張ろう、頑張りたい、もう頑張ってる。
 だからもう、楽しくて仕方ない。
 今までそこまで辿り着けなかった自分、辿り着けるとも思えなかった自分、そういう自分が今、その場所
 に辿り着いて、こうしてぐるぐるとすごいことになってる実感。
 わけわかんなくなって、なんだかわかんなくなって、それなのに。
 それなのに、楽しい。
 なんでこの楽しさだけは、こんなにも強く果てしないんだろ。
 どうして強さや果てしなさを、この楽しさに感じることが出来るんだろ。
 不思議といえば、不思議。
 でも。
 今はもう。
 愛してる。
 ただただもう、アニメで頑張りたい。
 
 
 その日、私は、アニメに恋をした。 (ミコト風に)
 
 
 はい。
 ツッコミ入れたって。
 
 
 
 
 ◆
 
 という感じで今夜は最初っからアニメでぶっ飛ばして最後までスベってみようと趣旨で、ひとつ頑張って
 みようと思います。
 では、早速ぼちぼちと始まってきた各作品の最終回について、お話させて頂きましょう。
 
 
 らき☆すた:
 いいじゃん。
 いいじゃんかこの終わり。
 なんだか中途半端とかぐだぐだとか、そういう評価がちらほらと聞かれた最終回だったので、
 あーきっとらきすたらしさ全開で中途半端でぐだぐだなことやってくれたんだろーなーって思い、
 でもそれはつまり逆にらきすた的にはオイシイしそれでこそらきすただよねー、とかそういうお気楽な気分
 で心配ナイナイ、と呟きながらこの最終回を迎えたのですが。
 迎えたのですが、え、普通じゃん。普通に最終回してるじゃん。
 ていうか、むしろ世間の評と逆じゃん。あれのどこがまとまりが無い訳? 
 すっきりしすぎて気持ち悪いくらいの、正々堂々たる最終回ぶりだったじゃないさ。
 まー、だからこそ逆にらきすたらしさは無いんじゃないの、っていう意味でなら、あんまり評判良くないのも
 わかるんですけど、たぶん違うんでしょーねー。
 
 といいつつ。
 んー、らきすたらしさとかどうとか、そういうのはまぁ置いといて。
 私はこの最終回面白かったなー思うよ?
 いつもと違って一本筋の通ったお話なんだけど、今までテンデンバラバラにやってたキャラ造形の、その
 すべてを集めて展示した、ある意味集大成みたいな感じがしたよ。
 むしろ、そういう色々ごちゃごちゃあるものが中心で、それにわざわざ筋を通しただけみたいな感じ。
 ゆるさは相変わらずだし、かといって徹底的にゆるさを貫いているかと思えば、ラストのようにあり得ない
 ようなあり得るような青春を平然とやっちゃったり、でもああいうのは今までのお話の中でも小出しで
 やってましたし、あ、そういう意味ではこの最終回みたいにすっきり筋を通して最終回っぽくやったのは、
 それ自体が作品全体の中でのぐだぐださの象徴なんじゃないのかなぁ。
 つまり、らきすたって作品はそもそも最終回一発でまとめられるようなものじゃ無いし、最終回でやると
 したら、今までと全く同じノリでこれのどこが最終回だよ全然オチて無いじゃん、みたいなのが妥当で
 あるのだけど、そこで敢えて最終回っぽいものをねじ込んでみて、だから違和感ある人が居たのかな?
 で、当然だけどそんなものでらきすたはまとめられる訳が無いから、無理矢理まとめてる感がするという
 意味で、まとまりが無いとか言うのもわかります。
 でもさ、うん。
 それ、確信犯でやってるし。
 こんなものでまとめられる訳無いってわかりきってて、それを敢えてやってるのが見え見えだし、
 例えるならば、そして王子様とお姫様は結ばれ末永く幸せにくらしましたとさめでたしめでたし(棒読み)
 、はい終わり〜お疲れ様でした〜はいはい、みたいなダレダレ感があったんじゃないかなぁ〜。
 だから、面白い。
 それ自体が、らきすたという作品の気持ちいいぐだぐだ感のまさに一番のものじゃん。
 まーオチ的に、ED後に娘(と他多数w)の晴れ姿を楽しみにしてたこなたパパが、当日風邪ひいて寝込
 んで来れなかった、みたいなベタでも結構いやむしろそれでこそみたいなシーンがあればなお良かったけ
 どね。
 ま、無ければ無いで、これで終わりかい!ってツッコミ入れられて面白かったですけどね。
 
 それと、純粋にあの高校最後の文化祭だからなにか思い出を残したいっていう雰囲気と、その文化祭
 の準備が終わり本番が始まる前の達成感と寂しさの感覚が、それ自体がもう立派な最終回してまし
 たと思ったよ。
 うん、あー、こなた達のみせてくれた、このゆるい時間ももう終わりかぁーってね、こっちまで、くる。
 私はこの作品は、結構好きでした。
 こういう作品が1シーズンにひとつでもあるといいなぁやっぱり。
 多様なアニメ作品を同時に楽しめるなんて幸せなぁ。(満面の笑み)
 無論、第2期希望♪
 
 
 スクールデイズ:
 最終回が大爆笑。
 前代未聞の平和的惨劇展開。ナイスボート♪ (あれは笑ったw)
 あー、なんの事かわからない人もいるでしょうね、ていうか私もあまりなことによくわからなかったw
 要するに、某事件の影響を考慮して、急遽事前予告無しに最終回の放送が中止になったんですね。
 なんにも知らない人、ていうか告知無かったから知ってる人は居ないんですけど、チャンネル合わせたら、
 穏やかで平和的なヨーロッパの風景みたいなのが流れてて、字幕には都合により番組内容を変更し
 ます、みたいなことが書いてあって、吹いた。
 わたしゃ録画組だったから、頭まで巻き戻して、そして30分ぶん早送りしてまで確かめて、最終的に
 得た結論は「?」でした。「?」。
 え、なんで映ってないの? 今日であってるよねスクイズ?
 そんな感じでした。あー、お腹痛い。(笑いすぎて)
 そんなこんなで、最終回が究極の棚上げ状態になってしまったこの作品ですけれど、それがこの作品の
 すべてを表しているようで面白い。
 んー、作品の感想としては・・・そうですねぇ・・如何に滅茶苦茶をやるか、ということをきっちり作って描い
 た、という点ではなかなか面白くはありましたね。
 どのキャラも無責任かつ他人無視かつetc.で、少々まともな事言ってたのが居るかと思えば、次の回
 辺りであっさりその範疇を越えてたり、そうなってくるとなんだか楽しくなってきて、うあーこれどこまで行く
 んやろこれどこまで飛んでくんやろみたいな、そういう楽しさはあったねうん。
 ただまぁ・・それだけ、という感は否めなく、もっとこうきっちりどうしようも無く狂っていく感じとか、或いは
 芯からぶっ飛んでる変態っぷりを描き切るってことが無くて、ただそこらへんに居そうな普通人が、道一本
 間違えただけで深みにハマっていく、っていうのがあまりに安っぽすぎてねぇ・・・
 ひぐらし一期のときもキャラの狂いの発端の短絡さを批判したけど、あれは狂い自体は面白かったん
 ですよねぇ・・・。
 まぁ、今回最終回が某事件を考慮して放送自粛したということを考えるに、なかなかな惨劇が用意
 されてたってネタバレではあるんですけどw、今更一話分程度でなにやられてもあんまり怖くないなー、
 って感じがします。
 
 ゾンビローン:
 これ・・・もしかして打ち切り?
 話数的にも話の設定的にも、そんな感じがしたのですけれど、気のせい?
 お話の娯楽的側面としてはかなり欠点、というかぶっちゃけ面白くもなんとも無い作品だったんですけれ
 ど、でも作者がなにを伝えなにを視聴者に感じて欲しかったかはよく伝わり、かつそれ自体はなかなか
 面白かったかな。
 生と死、死んでようがなにしようが、此処に「居る」ということがすなわち生きているってことで、それはつま
 り死んでいるのに生きているという特殊な存在であるゾンビを通して、視聴者にも同じように考えてみ
 てみるのは如何? という提案めいたやり方もなかなか新鮮な感じでした。
 「ゾンビ」がなにを望みなにをするか、それだけが生の価値を、そして本当にその「生」を自分にもたらす。
 でまぁ、逆にいえば、それ以上の事はなにも言ってなくて、だからあそこできっちり小さく線を引いて終わら
 せてしまったのは、スマートといえばスマートではありました。
 物足りなさを感じるには、あまりにきっちり終わらせてましたし。
 余裕で、あれはああいう作品なんだよ、長編を途中で投げ出したのでは無く、これは初めから短編
 なんだよ、みたいな。
 勿論私的には、この考え方を使って、どうやったら実践的に生きていくことができるのか、っていうのを
 描いて欲しかったのではあるのですけれど、そういうのは自分達でやれってことになった訳ですね。(笑)
 それほど思い入れは無い作品でしたけれど、なにかこう、爽やかな不思議さとの出会い、みたいなの
 を与えてくれた作品でした。わけわかんねー!!w
 
 
 っと、今週はこれくらいにしておきましょう。
 まだ見終わった作品はあるのですけれど、それはまた次週にて。
 ・・・・・でもこのペースで言ったら、新しい作品始まっても書いてそう・・・まぁいいか。
 
 
 
 ◆
 
 はい。
 じゃんじゃん行きますよ。
 今夜はハイだかローだかぐだぐだなのか自分でもよくわからないテンションなんですけれど、わからない
 まま突っ走るーていうかわかったら負けだと思ってる。よし。
 ということで、今週もしっかり新アニメのお話をしようと思います。
 んー。
 やっぱり、大本命は「もっけ」というのは変わりませんね。
 原作が好きな分、アニメ化されるというと心配ではありますけれど、それよりも期待したいところです。
 ただ公式サイトを読むと、なんか原作を別解釈で読んでるような気がうっすらと・・
 やたらPTA的なにおいがするのが気になりますね。
 ま、もっけに関しては別にそういう方向でも大丈夫ではある作品なので、それならそれで楽しめそうな
 気もします。
 今のところ、感想を書く候補ぶっちぎりナンバー1です。
 ていうか、書けるようなアニメにして欲しい。 (視野狭w)
 
 期待してみたい、という意味でなら、「ブルードロップ」。
 思い出したのだけれど、これ、以前原作の書評かなにかで、身体性がどうのこうのと書かれてて、
 そういうのは(って大雑把なw)結構興味あるので気にとめて置いたのを忘れていました。(笑)
 うん、たぶんこの作品だよ。
 ただメカとか百合とかそういう方向性に固まり過ぎちゃうと、それとは違う感じがしてきますので、個人的
 にはむしろ内面的心理的描写よりも、風景なり情景なりでそういうのを描き、また観るものが感じなが
 ら考えていけるようなものを期待したいところです。
 うん、もちろん、そういう「先入観」を持って突撃して、そしてきっちりそうじゃないものと出会って、その位
 置から感じ考えていくことができるといいなって、それが一番私の想うところ。
 
 あとはそうですねぇ、公式サイトが色々更新されてきてますけど、印象としてそれほど変わってこない
 状態です。
 基本的には前回(前々回だっけ?)の雑日記で挙げた作品以外で、目に付いた作品は無いですね。
 その中で、あとはギャグやまったり系なのが欲しいのですが、それはあまり望め無さそう。
 「みなみけ」と「スケッチブック」が、今期の「瀬戸の花嫁」と「らき☆すた」並になってくれるのを切に
 願うのみで御座います。
 
 あと、みんな、ガンダムは観なきゃ駄目よ? 逃げちゃ駄目だ。(ぉぃw)
 
 
 
 
 ◆
 
 はい。
 今週の怪物王女特集!第三弾のお時間で御座います。
 今週はまずは、第26話がDVDのみ収録という件についてからお話させて頂きましょう。
 まずはこの記事をお読みください。
 これによると、怪物王女は全26話編成で、最終話である26話は来年に発売されるDVDの最終巻に
 収録され、しかもTBS及びBS-iは25話まで、そしてなぜかCBCとKBSは24話までしか放送されない、
 ということだそうです。
 そしてこの記事の書き手の言葉ではあるのですけれど、多くのキャストが第2期制作を切望しており、
 DVDの反響次第では実現する可能性もある、ともあります。
 どう、思われますでしょうか?
 私は、あまりにもひどいと思いました。
 私はTBSのみで視聴していてDVDを買う気は全くありませんので、初めから25話という途中までしか
 見ることが出来ず、またCBCとKBSのみで視聴されている方はさらに一話見ることのできない話が出来
 てしまうのです。
 そういうものなのだ、と言うのはわかりますけれど、その論理が一体「誰のものか」を問うことが、おそらく
 これからの私達アニメファンには必要なのかもしれませんね。
 テレビのいちコンテンツとしてのアニメの存続と繁栄を願う私にとっては、さらにそれは重要なこととなって
 いくかもしれません。
 この件に関しての詳しいお話は、TBS版怪物王女の最終回後に、また改めてさせて頂きます。
 
 
 さて、改めまして。
 今週は一体なにをお話させて頂きましょうか。
 前々回、怪物王女という作品の魅力について語るつもりだったのが、いつのまにか原作の姫とアニメ版
 の姫との比較合戦に発展しまい、肝心のことを話しそびれてしまいましたので、今回は改めてそれに
 ついてお話させて頂きましょう。
 
 まず、この作品は、ホラーであってホラーでは無いです。
 なによりもこの作品は、怖いかと言われれば、怖く無いのです。
 確かに残酷な設定や展開はありますけれど、それがビジュアルとして眼前に広がってくるかというと、
 それはほとんど無い。
 ただ逆に、ホラーでは無いけれどやはりホラーでもあり、それはそういったものが表面には出ずに、すべて
 内側に含まれ深く沈んで在ることを、確かに感じることが出来るからです。
 よく考えたら、この作品って結構怖くない?
 と、ふと思い返せるような怖さがあり、そしてそれ以上に、この作品はそういったものをすべてその「恐怖」
 から主眼を外し、その「恐怖」自体でなにかを描き出している、その圧倒的なスピード感がなによりも
 魅力があるのです。
 言うなれば、ホラーの先をいくホラー。
 あっさりとコミカルにしてみたり、でもそれは唐突に破られて、すわショッキングなシーンがくるかと思えば
 そんなものは来なくてただ淡々と起こるべきことが起こっていく。
 つまりこの作品にとって、ホラー的なものはほとんど主眼たり得なく、僅かにエッセンス的なものに留まって
 いるのです。
 ホラーであってホラーでない、とはつまりそういうこと。
 
 逆にいうと、この怪物王女をホラー作品としていちいち読み込むよりは、ホラー要素も含めてなにかを
 感じとっていくのが、最も適した楽しみ方なのだと思います。
 事実、この作品を構成する要素はホラーに留まらず、いくつかの寓話を換骨奪胎してひとつの話として
 成立させ、それを綺麗にこの作品の登場人物と設定を使って活かしきってみせたり、また純粋にキャラ
 萌えとも知れぬ、いえそれ以上にマニアックに、そしてストイックに「魅せる」ためにキャラを演出みせたり
 し、またそれが全く媚びを感じぬほどに綺麗に慎ましくかつ的確以上にメリハリを効かせて描いていたり
 と、実にその要素要素の使い方活かし方が上手いのです。
 そしてそれらの組み合わせやまたそのタイミングや間の取り方なども、他の作品とは一歩距離を引いた
 在り方をし、そういった意味ではそれらの在り方に於いてホラー的な手法が見えたりもして、その演出面
 の、巧みさというよりは風変わりさを楽しめる、そういう作品でもあります。
 それでいて、全く実験的なものには見えず、ほぼ完成された出来具合、そして制作者の自信が感じら
 れて、そのカオスで(良い意味で)不安定な作風とのアンバランスさが、逆に面白く感じられる。
 それはきっと、おそらく今までアニメの世界が培ってきた技法なりなんなりを、しっかりと消化咀嚼し、
 制作者がきっちりとそれをモノにしているのを感じられるからです。
 特別奇抜でも無く、オマージュすらある作品でありながら、それら要素の掛け合わせ方が風変わりで、
 だから決して飽きることは無く、かつそして奇抜では無く先達から得たものもあるゆえに、どっしりとした
 不安定の中の安定さを感じることもできる。
 
 そういった作品の外的構造部分だけでも、これだけで充分面白く、かつ楽しむことが可能な作品だと
 思います。
 無論、中身についてもそれ以上のものがあると思います。
 その中身については、私が毎週感想で書いておりますので、そちらを参照してください。 (笑)
 
 と、いうあたりで今回は終わりとさせて頂きましょう。
 ちょっと短かったかもしれませんけれど、これ以上屁理屈をこねられませんでしたので。 (ぉぃw)
 まぁうん、怪物王女は面白いですよ。
 こういう作品の系譜は、絶対残した方がいいです。
 たんに新しく奇抜なものばっかり求めてたら、そのチャレンジ精神は買いますけどそれだけじゃやっぱり足り
 ませんし、かといって保守派宜しく古き良き作品を踏襲するばかりのものや、ただ萌えてりゃいいのさと
 いう捨て鉢なモノばかりでも困ります。
 だからこういう、なんだかよくわからないけど実は結構わかっちゃう作品、というのを存在させられるという
 ことはそれだけでそうする事の出来た者の精神の余裕、いやいや、幅というものが得られるのでは
 ないでしょうか。
 たぶん、こういう作品とときたま出会うことで、そういうアニメの世界の中で沢山のアニメと向き合ってい
 る、「主体的な自分」に出会えると思いますしね。
 斬新なだけだったり萌だけだったりすると、たぶんそっちが主体になってるって事、ありますもんね。
 ま、自分が主体的になれるからこそ、改めてそういう自分外の対象に主体性を置くことも出来、そうだ
 から自分にとってのアニメの世界の幅が広がっていけるんじゃないかなとも、私は思います。
 姫に踏まれることが許されない世界なんて、それだけで罪ですから。
 
 
 
 
 
 ◆
 
 エル・カザド:
 第24話。
 ゴール。
 ・・・・・。
 ゴーーーーール!! (やけっぱち気味にマラカス振ったりタンバリン鳴らしたりしながら)
 あまりにもベタ過ぎて、笑った。
 そして泣いた。
 正直、どうすればいいかわからなかった。
 私になにをせよと?
 ていうかむしろ私をどうにかして。
 あはは。
 あははははは。
 ふぅ。
 疲れた。
 
 (一休み中)
 
 取り敢えず、そういうベタな部分は、最後の見せ場でそれっぽい衣装とかぶり物をつけて登場した
 ローゼンバーグが、それをきっちりスーツの上から羽織っていた(ネクタイもがっちりあり)やる気の無さに
 ツッコミを入れてお終いとしておきましょう、キリ無いし。
 で、ローゼンバーグがエリスに誰かを愛させ、そしてその誰かをエリスから奪うことでエリスに変化を与え、
 そうしてエリスを育てる(?)ってことが、それと同時にエリスを愛するがゆえにその恋敵(?)を葬りたい
 ローゼンバーグにとって都合の良いこと、むしろそのためにこそエリスが愛した者を殺してる、っていう
 感じが面白いといえば面白いとは思った。
 まーローゼンバーグのあの口調じゃどこまでほんとなのか怪しいけど。
 で、それってよく考えると、ローゼンバーグってわざわざ恋敵を作って、そしてそれを奪おうとしてるよね?
 普通だったら、エリスを愛してるんなら、最初っから恋敵なんか作らなきゃいいのにって思う。
 でもそうじゃない。
 んー、なんていうか、たぶんローゼンバーグがそうした理由は2つある。
 ひとつは、可能性を潰すため。
 エリスの愛する者、つまりローゼンバーグにとっての「恋敵」という存在そのものを存在し得なくなるまで、
 徹底的にそのエリスが愛し得る者を殺していくってこと。
 それはつまりエリスから、誰かを愛するという感覚・概念を奪うということでもある。
 だったらローゼンバーグも愛されないんじゃないの? ってことになるけれど、たぶんそれで彼的にはOK
 なのかもね。
 だってローゼンバーグはエリスに愛されたいんじゃなくて、エリスを愛してるだけなんだから。
 そしてそれは、2つ目の理由にも繋がる。
 ローゼンバーグは、エリスが妬ましい。ていうか、自分以外の幸せに生きてる人みんなが妬ましい。
 だからたぶん滅茶苦茶にしてやりたいんだろうね。
 誰をって。
 そりゃ自分をさ。
 誰にも愛されない自分をこれ以上に示して、そしてそれをみんなの面前でぶっ壊したいんじゃないの?
 それが報復っていうか、復讐ていうか、なんかそういう感じ?
 で。
 たぶん、そうやってぶっ壊れたローゼンバーグの目の前に残った、その純然たる「エリス」が、この作品の
 「答え」なんじゃないかなぁ。
 無論ローゼンバーグ的なものに哀しみを捧げることは出来るし、それは見つめるべきものだけど、
 でも本質じゃあ無い。
 んー、みんな私達ひとりひとりの中にある、ローゼンバーグ的なものをぶっ壊すことによって、きっとエリス
 的な部分は残って見えてくる。
 でも、それが半分は嘘であることは、もう視聴者は知っている。
 なぜなら。
 エリスは、最初っから存在してるじゃん? 第1話から。
 ある意味、エリスは幸せの青い鳥の話みたく、当たり前の出発点に帰ってきたに過ぎない。
 でも、その背を抱いてくれる、その銃を握る手に一緒に手を添えてくれる人が今は居る。
 その人は、誰?
 それは、勿論、ナディさん。
 「エリス」が「愛した」、大事な大事な「ナディ」さん。
 エリスとナディがそれぞれ居ることは当たり前なこと。
 でも、エリスとナディが出会ったこと、そしてエリスの隣にナディが居ることは当然じゃあ無い。
 エリスにナディが居ることで、初めて、当たり前のことが当たり前になることができたんじゃないかなぁ。
 幸せの青い鳥は、初めからスタート地点に居たけれど、でもそれがそこに居ることに気づくには旅に出て
 他にはそれが居ないことを確認するしかなかったってこと。
 ・・・・。
 そう考えると、これってある意味ローゼンバーグがやってたことと同じことなんだよね。
 でも違うのは。
 エリスは、自分の「愛」とか「幸せ」とかが、もううっすらと当然のようにあることだけは、知っていたこと。
 或いは、それだけは無垢なままに在り続けると、そう思うことだけは揺るがなかったから。
 きっとローゼンバーグにとっては、彼の「愛」とか「幸せ」とかは、創り出すことでしか、求めることでしか
 得られないと信じ、そしてそのためにのみ頭脳と労力をかけたんじゃないかな。
 だから、ローゼンバーグは、「愛すること」しか知らず、「愛されること」というものを知らなかった。
 もう既に自分は何者かに愛されていること、少なくとも、この世界自身には無条件に愛されていることを、
 自分が既に此処に存在しているという、その無限の愛の証明を受け入れることが出来なかった。
 なーんてことを考えたり考えなかったり。
 
 
 ゴーーール!!  ←サッカーの試合の実況と同じノリで
 
 
 
 

 

-- 070919--                    

 

         

                           ■■姫の往く道はあるがままに■■

     
 
 
 
 
 『王の座になど興味は無いが、あやつは倒さねばならぬ相手だ。』
 

                           〜怪物王女 ・第二十三話・姫の言葉より〜

 
 
 
 
 
 
 
 
 わからない事と、わかる事と、わからないのかわかるのかわからない事がある。
 
 
 
 
 ◆
 
 まず初めに、街から脱出したときにみせた、あの令裡の憂いを帯びた表情の意味がなんだったのか、
 私にはまるでわからなかった。
 令裡が、絶対的禁止事項と言える死霊をも使った王族間の醜い争いを嫌悪し、そしてその個人的
 感情とそしてその汚らわしきものから自らの誇り高き「吸血鬼」を遠ざけ、その「吸血鬼」としての矜持を
 守る責務を果たそうとしたがゆえに、あの場所を離れたのは、わかる。
 本来なら、付き合いもありかつ何者にも奪われたくない姫様を死地に残して自分だけが飛び立つなど、
 令裡ならばいかなる理由があろうとも、それを崩すための理由を建設し、あくまで姫様の元に残る
 道を選択するだろう。
 ヒロを助けに行き、そのために汚らわしきかつ天敵の人狼族の血を吸わねばならなくなったときでさえ、
 姫様のためにと思いそれを実行した令裡からすれば、この逃避はおかしいと言える。
 だが、これはそれほど難しい話では無く、単に令裡及びそれが背負う「吸血鬼」にとって、死霊というの
 が問答無用で回避すべき存在だった、というだけのこと。
 だから令裡が親愛なる姫様を置いてひとりだけ離脱したのは、別におかしくは無い。
 そして、そうであるゆえに、令裡にとってはひどく苦しいことではあったのだ。
 令裡として絶対忌避すべきものでありかつ「吸血鬼」としても避けねばならぬものが目の前にある、
 そしてそれを避けずに踏みとどまることは、令裡の存在の根幹を否定する事に繋がるものであり、
 だから令裡としては、この選択は「やむをえない」ものだったということだ。
 つまり、令裡としては残りたい、だが残れない、ということ。
 そしてその苦衷こそが、あの別れ際の令裡の表情だった、ということなのだろうか?
 いまいち、腑に落ちない。
 令裡が、あの令裡が、そんなことをするのだろうか?
 令裡ならば、余裕たっぷりに笑顔すら浮かべて去り、そしてそのまま華麗にシャーウッド邸に赴き、
 誇らしげに援軍を要請するのではないだろうか?
 令裡は徹底的に野暮を嫌う女だ。
 あのような、そのまま自分の心情を顔に表すとは思えない。
 
 だが、ひとつピースが欠けていることに、気づいた。
 
 今回の件は、非常に重大な局面であったと、令裡は認識したのかもしれない。
 ここで姫を置き去りにすれば、死霊の忌まわしさを知り、そして知るがゆえにこそそれを絶対的に忌避
 する自分がこうして逃げているのを感じていればいるほど、その死地に残る姫の身の危険はまさに最高
 度に迫っている事を示すを禁じ得ないはずだ。
 姫との今生の別れを予期しての、あの表情だったのではないか?
 姫はきっと吸血鬼が汚れを忌避する生き物だということを了解し、令裡のこの行動を受け入れてくれる
 と、令裡は深く確信していたに違いない。
 そしてそうであるからこそ、その姫様に対して、自分の存在の特質に振り回され、そしてそのままの通り
 に行動するしか無い自分を憎み、そして悔やんだのだろう。
 その観点からみていくと、死霊という言葉を聞いてから逃げるまでの令裡の行動は、すべてその自らの
 不甲斐なさを押し隠すようにしているように見えてならない。
 そしてその隠蔽行為は、すべて「見栄張り」の形で行われている。
 令裡は「令裡」として「吸血鬼」として当然のことをしているだけで、別にそれについてはなにも思っていな
 く、それが当然のように振る舞うその令裡の言動は、すべてその後に姫が語った、「吸血鬼とはそういう
 ものだ。」という言葉の素地、或いはその姫の言葉で姫を始め他の面々がこの令裡の行動を解釈して
 くれる事を願ったものであったのだ。
 つまり、令裡は自らの苦衷を隠し、敢えて自然な風を装う粋っぷりをみせたのだ。
 そして、だからこそ、また再びあの令裡の表情がわからなくなる。
 ならばなぜ、あのときだけは苦衷を隠せなかったのか。
  それとも、隠せなかった或いは隠さなかった、のでは無く。
 そう意志して、あの表情を魅せたのか?
 令裡のその後のシャーウッド邸に於ける、毅然とした、確実に自らの目的を達成することに力を尽くす
 その振る舞いからは、あの表情を魅せることに秘めた決意が見えてはくる。
 ここは一旦退きますわ、ですが姫様を残して退く以上、絶対に姫様は死なせませんわ。
 だから、令裡は自らの代わりに足る充分な戦力としてシャーウッド達を送ることに力を尽くした。
 
 だが。
 本当に、それだけだったのだろうか?
 最後にツェペリに魅せた、あの恥ずかしがる表情が、私にもの凄まじい違和感を与えている。
 けれど私は、これ以上の言葉で令裡のあの表情を理解することは、ついに出来なかった。
 
 
 
 ◆
 
 姫は、なぜあの兄たる王子を討ちに来たのでしょうか?
 当初、私はこのお話の冒頭から違和感を得るを禁じ得ませんでした。
 なぜならば、姫が自ら戦いを引き起こすことで得られるものはなにも無いと、そう感じられたのですし、
 また討とうとしている王子が、かつて姫の城を焼き払い部下達を奪った張本人であり、姫はその王子に
 対する憎しみはもとより、そのときに自分を守るために死んでいった戦士達への想いのために、ただ純粋
 にそのような報復行為を行うとは思えなかったからです。
 そしてなによりも、前回のお話にて感想で綴ったように、姫はそうした報復行為の無惨さをその身で感じ
 ていて、けれど自分の「立場」上、その兄は討たなければいけないというのはあり、そしてそう意識して
 いるからこそ、姫はその「立場」を支配しそれへの拘りから脱しようとすると思えたからです。
 私には、姫が令裡のように自らの存在の本質なり立場なりに囚われる事など無いと、そう思っていまし
 たし、それは囚われている事を知れば知るほどに、その囚われを否定しようとするという事だとも。
 
 けれど、それは少々私の理屈の付け方が甘かったということを認識するに至ることで、瓦解することに
 なりました。
 というより、私こそがその理屈に囚われ、適切な観察を姫様に施すことを怠っていたのでした。
 姫は、なにも拘ってはいない。
 いえ、拘っていることに拘っていない。
 王子に近づき、過去のことを想起するたびに激しい想いに駆られる姫。
 おそらく、それ自体は事実だと思いますし、否定しようの無いことだと思います。
 姫は、感情に囚われた、それは事実。
 けれど。
 姫はその「感情に囚われた」ということには、まるで囚われてはいなかったのです。
 改めて最初から今回の「死霊王女」を観ていて、それがわかったのです。
 過去の事を思い出し、あらゆる憎悪と怒りが身を焦がし、しかしどうやら姫はその感情のはけ口として
 兄を討ちに来た訳では無いようでした。
 むしろ姫は、姫の「立場」上、兄を討つという名目があり、そして今回はそれを使ってこの夜の時間を
 過ごしただけ、つまり今夜の「愉しみ」としてその名目の通りに行動するを選んだのではないでしょうか。
 姫の目的は感情に任せた虚しい報復では無く、ただその「報復」という行動形式に則り行動していた
 だけであり、兄への激しい感情はその夜の中に咲く一輪の花にしか過ぎなかったのではないか、と
 私はあの冷静過ぎる姫様の表情を観て感じ取ったのです。
 そういう意味では、姫は今回の件をいつもとなにも変わらぬものとして、その最初から受け取っていたに
 過ぎないと私は思うのです。
 
 そして、だからこそ、姫は兄を討つということの本質に、近づけるのではないでしょうか。
 
 ただたんに自分の感情をすっきりさせるために、ただ過去の思い出を払拭するために、ただ戦士達の
 無念と自らの悔恨を晴らすために、そのために兄を討つことが一体姫になにをもたらすのか。
 おそらく、姫にとって真に重要なことは、その兄を「討つ」ということにどれだけの価値を見出すことができ
 るか、ということなのです。
 逆説的にいえば、姫はそれらの理由以上のものがあると考えているからこそ、この兄の前にやってきたの
 です。
 つまりそれらの理由しか無ければ、姫は兄を討ちになどこなかったはずです。
 そして、それらの理由以上のものというのは、他ならぬ今夜を過ごすための時間を得ること。
 せっかく感情的になれたのだ、ならばその感情に舵取りさせ、ひとつ兄の元へ赴いてみようではないかと。
 それが、私が今回観ていて、一番わかったことです。
 
 
 
 ◆
 
 でもさぁ、うん。
 私はさ、あの姫のお兄さん、名前わかんないけど、あの人ってどういう人なんだろね、っていうそういう
 描写が作品の中に無いから、そのまま姫が兄を討つとは思えないんだよね。
 ただ残酷非道な兄だからこそ、姫はその兄の残酷非道さがどこからきてどこへいくかをなによりも知って
 て、だからこそそれをも解決することを含めて、その兄を「討つ」ということがあるんじゃないかなぁって。
 あー、姫的には「討つ」じゃなくて「倒す」って表現だったね、そっちの方が意味的にも合ってるね。
 で、私的にはさ、あのお兄さんはツンデレなんだと思う。しかもヤンデレ入ってる。
 んー、なんていうかさ、この街はもう地獄なのさとかさ、なんていうかすっごい自分的には色々考えて
 頑張ってきて、それなのに報われなくて誰も向き合ってもくれず、だからそれに絶望してああいう風に
 致命的なほどに斜に構えてるんじゃないかなぁ。ほんとは愛されたいんですよ。
 で、だからこそ彼のその「愛」は理想的になりすぎてて敷居が高くなり、その「愛」に見合う者を探し続け
 て、でそのやり方がひどい事されてもそれに囚われずにそのひどいことしてくる当人たる彼を真っ直ぐみて
 くれるかどうか、っていうそういう怖くて危険なやり方を取っちゃうというか。
 んで、そんな悪魔的な試験に合格出来るものは全然見つからなくて、だからこの世は地獄なのさあは
 ははみんな○ね○ね、みたいな感じになるしかない。
 で、だからその「愛」の採用試験はどんどん過激になってて、いつしかその「愛」を見極めることと、その
 相手にひどくあたることのどっちが目的だったかもわからなくなっちゃってるみたいな、そういう既に狂いが
 入って来ちゃってるんじゃないかなぁ。
 だからあの忠実なる命の炎の戦士のミカサの気持ちも、もう冷静には見つめることはできなくなってるだ
 ろうし。
 んー・・・それだとちょっと弱いか。
 あの自分で火付けさせた街が炎上してるのをみて、この街はもう地獄なのだよ地獄、と嗤ったときの
 様子からして、この人はもう自分がどういう状態に居るのかはわかってるんだと思うな。
 もう自分で自分がコントロール出来なくなっていて、そしてかつそうなった自分がなにを求めそれをどうやっ
 て手に入れて良いのかがわからなくなってるのじゃないかなって。
 そしてだから、その自分の地獄さがわかってる。
 もうきっと、「愛」が与えられてもそれを受け取れなくなっている自分の地獄さがね。
 だからもし自分がなにかを求めるとしたら、そういった自分の地獄ぶりをも治して、その上で受け取れる
 「愛」を与えてくれる者しか無いと考え、それは同時に、それこそそんな者は絶対にこの世には存在し
 ないと、そこだけは至極自然で常識的観念が働いて明確に諦めを引き出してしまっている。
 だからどこまでも、残酷になれる。
 そしてたぶん、その存在し得ない「愛」を与えてくれる者が現れてさえ、そいつを殺せると思う。
 だってそんな奴のこと信じられないじゃん。ていうかむしろ許せない?
 あり得ないことを、ううん、「自然で常識的観念的」に考えたらむしろ在ってはならない事をする者なん
 だから。
 『まったくお前は恥知らずだよミカサ。そこまで・・ふふ。』
 そして。
 『我が愛しき妹よ。』
 それがどんなものであろうと、「兄」としての意識を失ってはいない。
 だからきっと、この人はまだ完全に壊れてはいない。
 
 うん、その辺りのことはなんとなくわかるし、そして姫様はきっとその辺りも認識してると思う。
 というかぶっちゃけ、この世に存在する者はすべてそうなのだ、だからただ感情に任せ報復を行うだけで
 満ち足りる心など私は持ち合わせぬのだ、って感じなんだろーね。
 だからきっと、姫があのお兄様を「倒す」ってことは、単純に殺すっていうだけじゃ無いんだと思う。
 だから勿論、私は充分姫はお兄様を殺す可能性もあると思うのだけど、でもたぶんその殺すことのみに
 満足を姫が得るとは絶対思われない。
 たとえば、次回の「決闘王女」ではタイトル通り姫とお兄様の決闘が行われるのだろうけど、
 そのときにもし姫が大上段に構えて、部下の無念を晴らすだの自分の過去を払拭するだの言って、
 華麗に戦いお兄様を豪快に斬り捨てたとする。
 そうしたら私は、それが姫様による、そのお兄様の「救い」の形式だったんだと思う。
 第一話を思い出してみて。
 妹たるリザを王族によって人質に取られ、やむなく主の姫に刃を向けたときに、姫はそれを知りつつも
 「主に刃を向けた戦士の風上にも置けぬ反逆者」として、あくまで忠実だったそのロボ・ワイルドマンを
 討ったでしょ? それと同じ。
 
 でね。
 わからないようでわかる、わかるようでわからないのはそこなの。
 姫は、どうするつもりなんだろ?
 それがね、やっぱりわかるようでわからないんだよね。
 お兄さんを、殺すのかな?
 どういう理屈を付けようとも、殺すということでは必ず同じ、そのことをもうこれまでのお話の中で姫は充分
 知ってきただろうし、だから悲壮感に溢れて哀愁漂わせて兄をそれでも殺すこと、それ自体の姿の
 最大の「愚」を、この怪物王女という作品は姫を使ってどう退治していくんだろうね。
 私は現段階では、姫が兄を殺すか殺さないかは五分五分だと思ってる。
 や、姫というか怪物王女という作品がどこまで行くのか、それがまだわからないっていうか。
 どっちにも行く可能性があるんだもんねぇ・・・
 うん、ちょっと卑怯な手口を使うと、第2期があるとしたら兄は殺され、第2期が無いとしたら兄は殺され
 ないって思うんだ。
 姫が兄を殺せば姫は第1話からそれほど成長していない、つまりまだ成長という名の「答え」に辿り着い
 て無い、姫が兄を殺さなければ姫は第1話から成長し、つまり成長という名の「答え」に辿り着いた、
 ってことが言えると思うからね。
 結局、「殺す」って事自体は、それで得られる事に囚われるって事になるし。
 少なくとも、「殺すことの苦しみ」に囚われ、そしてそういうものだと納得して終わらせる事が出来るだけ
 なんだから。
 姫はそんなこととっくにわかってるし、そしてだからこそ、今姫がどの地点に居るのかが、私にはまだよく
 わかってないんですよねぇ。
 「答え」に辿りつつあるのか、それとも「答え」までの道筋は見えているけれどまだ辿り着けてはいないの
 か、それがまだね。
 
 で、さらに厄介なのは、その卑怯な手口から入ると逆の見え方もできちゃう。
 つまり、姫が兄を殺すことで、それで辿り着ける「答え」っていうのも、もしかしたらあるのかもしれない、
 ってこと。
 ていうかね、どっちかっていうと、今回の姫のあの冷静さ、いつもと変わらぬ姿を理解できるからこそ、
 より兄殺しもその当たり前な姫の生活に収納されてしまう可能性を否定できなくなっちゃうんですね。
 「殺す」、ということの価値付けをどうするか、その根本議論を展開すると、全く様相は変わってくる。
 姫にとって、誰かを殺すということが、どのような理屈があれど、そのことを否定する理屈を傲然と
 取り付けてねじ伏せる、或いはそれを利用してなにかをすることが合理的と判断している、と私は
 理解していただゆえに、姫は誰かを殺すということを「道徳的に」自分の中で否定していると思う。
 でもその「道徳」として、そして利用価値のあるものとしてその不殺が、一体姫にとってどこまで有効で
 あり得るか、ということが、たぶん次の話で問われるのかもしれないんだよね。
 目の前に広がる現実に囚われぬためにも、敢えてそれとは離れてある絶対的な「道徳」を利用する。
 でも姫はもう現実に囚われても、その「囚われているということ」には囚われず、むしろそれを支配するこ
 とさえ出来ている今となっては、果たしてそうしたものが必要になってくるのかどうか。
 むしろ今度は逆に、その誰かを殺すことを否定するという不殺の精神自体が、姫を捕らえその中に
 閉じ込めてしまうかもしれなんだよね。
 
 ・・・・。
 あ、そうか。
 
 「囚われているということ」には囚われない姫にとっては、その不殺に囚われるということもまた、別に
 囚われても平気なことなのか。「不殺に囚われている」ということには絶対に囚われないからね。
 ということは、やっぱり姫が兄を殺すか殺さないかは五分五分ですねぇ。
 私なんぞは、未だ不殺に拘ることで目先の現実に囚われないようにするのに精一杯だから、つい姫にも
 不殺を望んでしまいますけれど・・・それだけだとやっぱり姫の可能性を狭めちゃいますね。
 そして無論、私の可能性もね。まだ成長途中成長途中! 自分の無限の可能性を信じて! (ぉ)
 うん、つまり姫に不殺を望むとしても、そうした私みたいな観点からそれを望むと目が曇るって事。
 姫はその私の先、つまり私がこれから辿り着くべき「答え」に居る、って事かもね。
 殺すか殺さないか、それを決めることが目的では無い。
 もしそれが目的になっているのなら、その選択肢に囚われているということ。
 目的はあくまで、その殺す殺さないの先に広がるなにか。
 うん、だからそこに至るためにも、今はせいぜい色々拘ったり囚われたりして、そうした自分と向き合い
 戦っていけばいいってことさ。
 そうすればきっと、なぜ私が不殺を選んだのかがわかってくるはず。
 ただ目先の現実に囚われないようにするためだけにでは無く、そしてその「不殺を選んだこと」では無く、
 その不殺自身の真の価値を私に与えてくれる気がね。
 そしてそれを得るためにこそ、姫に不殺の姿を見込んでいくのは有意義なことかもしれないね。
 
 
 
 
 
 + + + +
 
 という感じになりました。どうでしょう。
 うーん、ますますもって、この怪物王女という作品に奥行きが出てきた気がします。
 ていうかこれ、第2期やらなかったら犯罪モノでしょ、ほんんと。
 それにしても、あのラストのフェニックスみたいなのは一体・・・
 王族の登場以外で、初めて本筋にからみそうなものが出てきましたよね。
 って、この作品って徹底的に本筋に関わりませんでしたよねぇ。
 だからこれで適当でいい加減なシメ方を取って付けたようにして、それで終了第2期はありません、
 とか言ったら犯罪ですって。
 逆に第1期(第2期あるという前提でもはやこう呼びますw)は、あくまで本筋にノータッチだったからこそ、
 これだけ姫の姿で素晴らしいものを描き出したのですから、ラストに本筋的に関わって終わらせるなんて
 いうのは、それこそその姫の姿が培い描いてきたものを否定しかねません。
 本筋に繋げたんだったら、第2期でこそそのケリをつけて頂きたいもの。
 といっても、それはあくまで作品の形式上についての言葉であり、主観的にこの怪物王女を捉える限り
 に於いては、どう終わろうと第2期が無かろうと関係無いんですけどね。
 だってわたしゃ、ただただ姫様のお姿を描いて考えてただけなのですから。 (微笑)
 
 それと、今回は謎がひとつ。
 あのお兄さまは、あの街でなにをしようとなさっていたの?
 姫をおびき寄せて討ち取ろうとしていた、のでは無いんですよね。
 少なくとも姫は、自分たちの攻撃が相手側には予想外の出来事であり、そのため時間稼ぎのために
 ミカサを防波堤にしたのだろうって言ってましたからね。
 じゃ、なんの時間稼ぎ?
 文脈からいくと、死霊を街に展開することのための時間稼ぎだと思われますけど、その死霊を街に放っ
 たのはなぜか、が問題。
 王子様はただたまたまあの街に居て、それを嗅ぎつけ襲ってきた姫に対抗するために死霊を放ったのか、
 それとも初めからなにかをするために死霊を放つという計画があって、そこに予定外の姫様乱入が
 あったことで、その計画の実行までの時間稼ぎとしてミカサが当てられたのか。
 うーん、これまた一応姫様は、襲ってきた我らの退路を断つために死霊を街に放ったと言っているので、
 一応前者にはなるのかなぁ・・・うーん。
 や、それ以前によく考えたら、死霊が姫達の退路を断つためのものであったのなら、そもそもそれが目的
 であり、つまり初めから姫を誘い込むための罠だったって可能性も出てくるんじゃないの?
 ミカサは時間稼ぎっていうか、より姫様を街に引きつけるための囮というか。
 姫の言葉に頼らなければ、それが一番すっきり来るんだけど・・・・
 謎です。 (たいしたことじゃないけどw)
 
 それとオマケ的にひとつ。
 お兄様の連れてる人造人間の名前はフランツ。
 ということは、フランドル・フランシスカ・フランダースに続き、すべて「フラン」から始まる名前ってことに
 なってますね。
 姫は以前、自分にはお兄様お姉様が居るということを示唆していたので、少なくとも最低あとひとり
 お姉様が居るはずで、人造人間もあと1体以上は居るはず。
 となると・・ほかに「フラン」から始まる名前といえば・・・・・・・・フランケンくらいしか無いんですけど。(笑)
 あーあとフランカとかもありか。
 ちなみに人造人間の性別(?)は、主たる王族の性別と同じ(フランダースはでかすぎてわからんけどw、
 たぶん男)です。
 
 
 というあたりで、今夜はこのあたりで失礼させて頂きましょう。
 いよいよラストも近づいて参りましたけれど、いっこうに作品の方もそして感想の方もラストスパートな
 感触にはなってきておりませんけれども、あまりそうと意識せず今夜もまた次回を楽しみにして過ごして
 いくことと致しましょう。
 それでは、また次回にてお会い致しましょう。
 
 
 
 
 
 
 
 
                                ◆ 『』内文章、アニメ「怪物王女」より引用 ◆
 
 
 
 

 

-- 070915--                    

 

         

                               ■■残暑通過注意報 ■■

     
 
 
 
 
 夏も完全に終わりを遂げ、台風が来るの来ないのと言いつつ「あ、残暑忘れた。」というノリもかくやの
 今日この頃のこの涼しさは、まだまだ地球大丈夫じゃない?まだいけるっしょ、と希望というよりは
 言い訳的なことを吐けるに充分な気分を醸し出してくれていると思います。
 思いますって、ただ普通にごきげんようと挨拶するつもりだっただけなのになにを言っているのでしょうか
 この人は、な紅い瞳ですごきげんよう。
 
 うー、とか言いつつ夏にはしゃぎすぎて、この急な温度変化にモロやられちゃってたりするモヤシっ子です。
 なんか、だるい。
 最初寝不足かなー思ってがっちり寝たら、だるくて、寝過ぎかなー思って夜更かししたら、だるくて、
 ていうか極端過ぎてるだけなのかもしれませんけれど、たぶんそういう風に睡眠を含めての生活リズム
 が乱れまくってる影響が大なのだと思われます、という結論。
 そんなのは今に始まったことでは無いのですけれど、それに温度変化が重なってこう・・・年か。(ため息)
 なにがしたいのか、自分でもわからない書き出しですみません。 (いつものことですけれど)
 
 
 さて、今日はどうしましょうか。
 お話することと言ったら、最近はほとんどまったり同じペースで特別なことは何も無く、本とかも読んで無い
 し、アニメみてきゃーきゃー騒ぐ程度だったりします。
 んー、アニメね、アニメ。
 放送中のアニメが終わって、新しいアニメがやってくる季節が近づいてきてます。
 んんー、いい加減放送中のアニメの感想とかも書かなくちゃなのですけど、あまりモチベーションが無い
 というか、んー短評くらいなら書けるけど、やっぱり書いててあんまり面白くないし(散々書いたけど)、
 まぁその辺りはいよいよ最終回が始まるだの終わるだのした頃に、どーしても書かずに終わらせるのが
 嫌な感触になってきたものだけ書くことにしておきましょーか、そう言うと絶対嫌じゃなくなる気配高し。
 
 んで、アニメ関連のニュース的話はというと。
 特に今週は無いっぽい。
 んー、以前私が大注目してるって言った「狼と香辛料」が今冬放送開始ってのがあったけど。
 って、今冬ってことは1月開始かな? って早っ! アニメ化情報入ってから来るの早っ!
 むー、これでホリックも今冬だったら私的に大忙し過ぎて、ついていけるかしら? まぁ無理だね。(早)
 あと、10月から始まるアニメですと、「もっけ」の放送局が私が観れるとこが東京MXだけってのが痛い。
 うちとこは前までは観れなかったんだけど観れるようになって、でもなんか時々映らなくなるときがあったり
 するからなー録画も失敗したことあるし、心配です。
 あとは、ドラゴノーツかな。久しぶりに完全オリジナルアニメらしーね。
 んー、オリジナルだから注目っていうのもなんか不健全な気もするけれど、ただ制作側の自由度は違う
 だろーし、そっちのがスタッフの主体性が感じられるみたいなとこあるってこともあるかもだし、そういう意味
 でちょっとは期待してみてもいいとは思うね。
 ・・・あー・・それくらいかな、ほんと。
 うーん、なんかやる気出ませんね。
 なにかこう、もっとこう、ね、なにか、ざっくばらんに、ほら、もっと広く浅くみたいな、ね、なんだろ?
 おしまい。
 
 
 ◆
 
 先週より始めました、怪物王女特集!第二弾!! いっちゃいますよ。
 はい。
 ということですので、前回拍手で募集しました、怪物王女人気投票みたいなのの募集を締め切らせて
 頂きます。
 はい、投票数は、0。完全なるゼロで御座います。やったね!
 ・・・・まぁうん募集期間が短かったからね、仕方ないんよ、うん。
 と、予定通りの言い訳をさせて頂きまして、この件はこれで終了で御座います。はい撤収!
 はい。・・・・・・・・・・はい。 (哀愁漂う背中をみせながら)
 
 で、とかいっても先週も申し上げました通り、今週は紅い瞳的怪物王女キャラ別考察とか、考察という
 かだらだら語るというか、ただの萌えを叫ぶだけだったりとかそういうアレですね、それは行わせて頂きます。
 ということで、まずはどのキャラについてお話するかと言いますと、もうなんか書きたいと思ったキャラ全部
 に言及させて頂きます、というかまぁ、そんな数はいないと思いますけど、こればっかりは書いてみないと
 わかりませんしね。(違)
 ではそういうことで、ぞろぞろと書き出させて頂きます。
 たぶん滅茶苦茶長くなります。
 こういうダーっと思いついた端から書くのはラクだし割と早いけど、読むのは・・・・ねぇ?(ぉぃ)
 さてと、トップバッターは意外にもこの人から。
 
 
 日和見ヒロ:
 怪物王女の主人公、なんだけどそのあまりの弱小ぶりは脱帽。
 正直もうちょっと骨のある子かと思ったら、普通にヘタレな子で、びしっと男の子らしくキメても、確かに
 一見するとおって思うけどでもよく考えるとそれって普通に状況に流されてるだけとか踊らされてる結果、
 たんに成り行き的にキメポーズ(セリフ)取ってるだけで、おまけに本人はそれを全く自覚してない辺りが
 、もうヘタレを脱出した先も立派にヘタレでしたみたいな、そういうヘタレ度が立体的(?)に成長して
 いくような感じで、なんかもうヘタレです。
 で、他のキャラはそれを年下の男の子みたいな感じで割と優しくかつ残酷に愉しむ事が出来てて、
 そういう面から描かれていくそのヒロの懸命っぷり自体は結構魅力があって、また無自覚でヘタレな
 力強さは、いくらでもそのまわりのキャラ自身次第で色付け可能なものだから、そういう意味では、
 姫なりリザなり令裡なりのそれぞれのヒロ調教物語(ぉぃw)としての色気もあったりする。
 妙に学校に於いても社交性、とは違うか、その学校のスケールの小ささにマッチできる卑小さがヒロには
 あって、典型的な俗っぽい中学生の役柄に適合していて、だから本来は非日常さとかミステリアスさ
 なんかはヒロにはあり得ないのだけれど、でもこの調教されやすさ(笑)というか、そのあまりの被影響力
 の深さとそれによる変容の度合いが大きすぎるあまりに、そういった在り方をあっさりとすり抜けて、
 ヒロはいくらでも非日常的ミステリアスな姫達怪物達に見合う「オトコノコ」になっちゃうんですね。
 
 この作品はボーイミーツガールの物語というキャッチフレーズのようなものが当初あったようですけれど、
 私はむしろこの作品はガールミーツボーイな作品だと思うのね。
 ヒロはどんどん成長していってるんだけど、実はこの成長の仕方というのは、姫達の影響というか、彼女
 達が向き合っている「ヒロ」としての変化の堆積なんだよね。
 だから本筋で描かれるヒロの成長物語は、もろにこの姫達自身が得ていったなにかの反映したもので
 あり、つまり言い方を変えれば、主人公であるヒロはすなわち姫達の鏡にしか過ぎないってことなんだ。
 ヒロがお話の終わりごとになにかひとこと呟いていく、その成長の証の言葉はすべて、姫達に言わされて
 いる、或いはその姫達にとって可愛い年下の「オトコノコ」としての偶像的なそのヒロの姿があるんですね。
 もっとも、姫達はそのヒロの姿にある意味「萌え」ている訳ですけれど、それはそういう愚かなヒロの偶像
 を目の前に置くことで、それに囚われないで前に前に行くための道具として使っている側面もあるという
 事なのですけれどね。萌えられるからこそ、萌えているだけにはいかないみたいな。
 私的にはだから、ヒロ自身がどうこうよりは、やはり最終的にはヒロを通して見えてくる、姫、リザ、令裡の
 姿に興味を覚えてしまう、というのが正直なところです。
 んー、ヒロ自身がそういう自分の姿を捉え始めてくれると、興味は出てくるのですけれどね・・
 
 シャーウッド:
 主な出番は初登場時のみなので、それほど語ることは無し。
 まぁ一部の人は足で命の炎をパンダに授けたシーンが話題沸騰なのでしょうけれどもね。(笑)
 ただまぁ、ヒロはともかく、姫にとってはこのシャーウッドは、というかシャーウッドの「妹」としての立場は
 結構重要じゃないかなって。
 姫の唯一の身内、ですもんね。敵対していない。
 あの姫とシャーウッドとの同盟が成立したときのシーンで、姫がシャーウッドを抱き締めた、あれは一体
 どういうことなんだろう、んや、一体どれほどのものが姫の中にはシャーウッドっていうのはあるんだろ、
 って結構考えさせられる。
 やっぱり王族ということで、身内に対しては格別厳しく、情愛を語るにしてもより形式的な言葉通りの
 ものしか無いのかとか、つまりそういう一番近しい者に対する姫の「愛」を量ることで、それ以外の者達
 への愛がどうなっているのかが見えてくるかもしれないなってね。
 
 シャーウッドはお話的に色々と姫の外的な部分の解説、もしくはアシスト役を担っているけれど、
 少なくともそのシャーウッドからは姫に対する「姉」への愛慕は感じられない。
 でもあの姫に抱き締められたときは、確かにその「姉」のぬくもりを姫に感じていたと思うんよ。
 じゃあ姫は?
 姫はあの抱き締めたときに、「妹」を感じた?
 わからないのですよねぇ、それ以降のお話でシャーウッドから(見えないところでw)解説を受け、或いは
 アシストされたりするときも、その「妹」としてのシャーウッドに送る眼差しが無いような気がするし・・
 もし姫が抱えるすべての問題が解消されたとき、その姫の内側に残るのはなんだろう、シャーウッドへの
 素直で深い愛はあるのだろうか、そしてそれを基準にしてある他者への愛というのはあるんだろうか、って、
 今現在深い苦しみの中にある姫の中に、そういった愛の姿が見えないゆえに、その辺り考えちゃうね。
 や、むしろその愛があるという前提で見定めていった方が良いのかもしれません。
 
 フランシスカ:
 肉弾戦では最強の人造メイド。でも物理攻撃が効かないって割には活躍してない気が。(笑)
 個人的にはもうちょっとこう主人たるシャーウッドに対する想いみたいなのが、その「ふが。」のひとことに
 込められたりするのかなぁ、せめてもうちょっと戦力皆無で守ってあげられるのは自分しかいないっていう、
 そういう悲槍的奮戦ぷりっていうのをもうちょっとこう・・ね、とつい希望。
 でも逆にシャーウッド自体が姫のアシスト役にほぼ徹しているから、そのアシスト役をフォローする感じだ
 とかえって作品としての焦点がぶれちゃうっていうのはあるだろし、実際あのアニメの中でだったらフランシ
 スカはあそこまででちょうど良いなって思うね。勿論趣味的にはもっとこう情感的にさ(以下略w)。
 でも物足りなさを表明したけど、あのシャーウッドと共に飾った初登場時に於いては、シャーウッドを
 守って戦うなんか孤独な姿自体は、結構いい感じではあったんですけどね。
 
 リザ・ワイルドマン:
 姐さんきたーww
 ということで姫の次に大好きなリザ姐さんで御座います。
 もうなんていうかいいですよこの人色っぽい。
 なんていうか熱いっていうか、んーでも熱血馬鹿では全然無くて、すごく知性的なんだけど、その知性
 的であることに囚われずに、しっかり自分を見つめ感じて、そしてその自分に囚われてる自分と戦いまく
 ってるっていうか。
 なんていうかこう、全身全霊で悩み苦しんでるっていう感じがね、もう最高なんです。大好き。
 勿論その悩み苦しみそのものがどうこうよりも、それを自覚してそれに立ち向かいながらも、その立ち向
 かっている相手もまた自分なんだっていう、思いっきりぶん殴った拳でそのまま撫でて愛おしむみたいな、
 なんていうかすっごい静かな情熱があるんですよねー、わかりませんかわかりませんよね。
 変に道化ぶってその自分の苦しみから目をそらしたり、その苦しみがあるからこそ強く生きられるのだよ
 ワ○ソンくんみたいなのがもう全然無くて、そんなん関係ねーただ私は自分の最高を求め続けてるだけ
 だ、とそうすっぱりと言い切るそのなんていうかな、こっちは熱く激しい情熱さがあって最高。
 
 すっごく苛酷な人なんだけど、すっごく慈しむことも出来て、たぶん自分と戦うっていうことが自分を鍛え、
 自分を責めるということが自分を愛するということに繋がっているっていうのを、もうデフォで体得してる
 人って感じかなーってのがあとはあるね。
 だってリザさん絶対自分の体の事一番愛してる人だもんね、あ、ナルシーとは違いますよ。
 自分の美しさ強さへの愛じゃなくて、そういうものを求めるための武器として酷使した体への愛というか、
 なんかもう足の爪の先から髪の先までじっくりと慈しんで全身で自分を感じてるっていうか。
 で、そういう立派な戦士としての原型は出来てるんだけど、時々素になってきょとんとした寂しさとか悲し
 さとかも魅せたりして、あーこの人ほんと素直になれる人なんだなーって、そういう点ではすごく尊敬して
 たりします。
 そうやって色々な意味での戦いに没頭すると、いつしか周りが見えなくなったり、周りの中に居る自分が
 見えなくなったりするもので、だからそういういつでも元に戻れる素な感じはすごく貴重かなってね。
 令裡なんかはたぶん、そういう素な部分をリザが持ってるからこそ、それを道化的に揶揄的にイジるのみ
 ならず、ほっとした感覚も求めてイジることが出来てるんじゃないかなーって思うよ。
 ま、リザ姐さんはこのままの調子で2期まで突っ走って欲しいと思います。
 ひたすら最良の戦士になるを求めて、ね♪
 
 日和見紗和々:
 結構作品構造上重要なキャラだと思う。
 この作品の魅力のひとつ、(あくまで私達視聴者としての)日常的なものと非日常的ものが絶妙に
 共存している、その点を作り繋ぎ止めている最大の功労者はこの紗和々。
 たんにシリアス展開を和らげるための天然キャラ、というだけでは無いでしょうね。
 完全に紗和々自身は姫達怪物間の戦いにおける「非日常的」なものから離れてはいて、にも関わらず
 姫達はその離れている紗和々を見つめることで、自分達のそれが紗和々の日常と繋がっていることを
 を果てしなく感じてもいる。
 そもそも主戦場は姫の屋敷な訳で、そこに住み込みで働いている紗和々は普通だったら戦いに巻き
 込まれ、その日常性を失います。
 ところが姫達はその戦略の中に、必ず「紗和々を巻き込まない」という項目を入れそれを実行し、そして
 どんなギリギリのラインになっても決してその非日常性を紗和々に触れさせない。
 屋敷が滅茶苦茶に壊れても、リザが大怪我をしても、それらはすべて日常的にありえることと、充分に
 紗和々に解釈させることが可能であり、そしてそのことに於いて紗和々の天然ボケは大いに役立っても
 いるんですね。
 単純に明らかに異常事態が目の前に出てるのに、どこまでも徹底的にボケ切るキャラだったら、たぶん
 この日常性はあり得なかったと思います。
 姫達が最大限努力し、そしてまた紗和々側の天然ボケがあり、初めてこの日常性と非日常性がひとつ
 つながりに共存出来ているのだなぁって。
 ある程度日常的なものであると解釈、或いはフォロー出来る余地がありそれに完全に対応する紗和々
 が居るからこそ、この絶妙な怪物王女の世界観、というか雰囲気はあるのです。
 
 そしてそこまでいけば、もう。
 ほんとは、日常で無い非日常など無い、というところまでいっていることに視聴者は気づくことが出来る。
 紗和々のおおらかにもほどがあるボケ的受容能力は、その強力な日常性を以て姫達自身ですら感じ
 ているだろう、その戦いという非日常的「異常空間」を溶かして、姫達自身に明確に姫達がおかれて
 いる日常が本来的には非日常であるということ、つまり姫達だって紗和々のように天真爛漫に笑える
 そういう平和的日常が「日常」であるんだということを見せ付ける。
 姫が紗和々の大ボケを微笑ましく見ることが出来るのは、その紗和々の笑顔こそが、自分達が立ち返
 るべき本当の「日常」だと深く理解しまた求めているからなのですよね。
 そして殺伐とした「非日常」を含みながら、既にその平和な「日常」はあの屋敷の中には、そして姫達を
 巡る怪物王女の世界にも広がっていることを、なによりもその紗和々の笑顔が証している、
 とそんな風に思いながら、果てしない彼女の天然ぶりに笑い転げてます。マスター哀れすぎ(笑)
 
 フランドル:
 姫様付きおチビメイド型人造人間。パワーあり質量あり。
 で、んー、この子はなかなか難しい。
 可愛いっちゃ可愛いですけど、別に萌えるほどでも無いし。
 むしろシャーウッドと同様、姫様の忠実なるアシスト役という点において良い味を出してると思う。
 感情があるとかないとかそんなのはどうでもよくて、ひとつひとつの動作が色々と思考されてて、その姿
 が実に的確に姫を表していて、だからもしフランドルに内面的なものがあったとしても、それはすべて姫を
 描き出すためのもので充分だと思う。
 っていうか私的には、姫様と並んで立っているシーン(特に階段の踊り場から階下を見下ろすシーン)と
 か、あの姫様にちょこんと付いててまるで姫様の体の一部として在るその姿が、すごく良いって感じ。
 だから私はフランドル自身がどうこうとかはあんまり考えてないし、それを考えるよりはフランドルと姫との
 空間を読み解いてそれを姫理解に繋げていきたいって欲求のが強いのですね。
 フランドルを従えて傲然と立っている姫様、でもどこかその人造人間との距離があるゆえに、ひっそりと
 佇んでもいるように見える、そういう視覚的な角度を愉しむためには、フランドルは大いに役立っていま
 すし、またフランドルが居るのと居ないのとでは大きな違いがあると思います。
 
 ツェペリ:
 快楽犯吸血鬼。
 一番扱いが難しいキャラ。
 ただ変態的に掻き回す訳でも無く、ただ紳士的(?)かつ悪趣味な愉しみを得るために、意志的に行
 動していくだけなので、お話の本筋には絡みようも無く、形としては色々と成長(?)したヒロや姫を
 運用するための実験場を提供してくれるキャラ、みたいな非常に特殊な位置に居ると思う。
 ていうかぶっちゃけ、あんまり魅力無い。っていうか内面にしろ立ち位置にしろ、あんまり使えない。
 同じ吸血鬼の令裡との対象役としても使えることは使えるけれど、どっちかというとツェペリを出すと
 令裡も彼と同じレベルに落として同列に扱う、つまり共犯者として描かなくてはならないし、だからそうす
 ると令裡と絡めると逆に今度は令裡自身が使いにくくなってしまうというきらいが発生しちゃう。
 ただし。
 ツェペリは紗和々と同じような位置にもある。
 殺伐とした日常を、あくまで殺伐としたままの日常としてそのまま愉しむ、ということをしているキャラなの
 で、姫達が平和的日常を志向しながらも、そこに辿り着くまでの長い道程の中で、そうして殺伐とした
 日常の苦しみに負ける形でそれを全肯定することなしに、ただつまみ食い的にその例えば戦いの愉し
 みだけを取り出して生きることの足しにしていく(糧には決してしない)事のために利用できる、点に於い
 ては、姫様達にとってツェペリとの危険な遊びはそれなりに有意義なものではあると思います。
 うん、姫もその辺りは理解して遊んでいると思いますしね。
 
 令裡:
 初登場時は、あんまり好きじゃなかった。
 というか、見え見え過ぎて逆に浅く見えるというか。
 姫様をからかって遊ぶつもりだったのに、姫様をちゃんとからかっているという自覚にしがみついて、それだ
 けでしかない小さい女、みたいな感じで。
 つまり、見栄っ張りなだけというか。
 私は賢いのよー、姫様で遊べるくらいなんですものー、みたいな感じで、で確かにそこそこ知性はあるも
 のだから敏感にそうやってるだけの自分の姿を姫様に見破られてることに気づいて、だから必死になって
 それを取り繕うことに必死で、まさに顔は笑っていても胸の内は汗だくモード、みたいな感じで。
 まぁ登場前に、姫と対等とは言わないけれど、同じレベルくらいの知的なお遊びの応酬みたいなのを
 やってくれる大人で怪しい女を期待してたからの反動なので、私情入りまくりだったのですけど。(笑)
 でも回を重ねるごとに、というか姫様に鍛えられて(笑)、段々とこう彼女の本来的な素質が開花して
 きて、ただの見栄張りとしてのお遊びだけでは無い、力強く知的な遊びが出来るようになってきて、
 お、なかなかやるじゃんという感じで今では同じく姫様を愛でる者として好感情を抱いています。 (笑)
 
 それと、令裡みたいな「やり方」は結構好きです。
 道化的に巫山戯て苦しみを笑い上げようという感じで、皮肉なり風刺なりして遊ぶその姿はなかなか
 逞しいですし、リザとは対極にあるものですけれどそれはそれで必要な行為だとは思います。
 また登場時の令裡ならば、それらに拘りそれに囚われただ笑っているしか出来なくなっていたかもしれま
 せんけれど、現在の令裡はその道化的笑いを翳しながら、その下で姫と対面し色々なことを感得し
 ていこうという、その道化精神の道具化を行っているのですよね。
 己の知力を発揮して本質を見抜き風穴をあけて、色々な方面に世界と己の立ち位置を広げていく
 作法を重視し、しかしただそうして無限に世界を広げる事自体が本質な訳では無く、そうして可能性
 に満ちていく世界の中をどうやって改めて、その広げ深めたものの集積として再構成し、そしてその中
 で如何に豊かにそして「愉しく」生きていけるのかという、その自らが創り出した豊かな世界を生きる、
 その肝心の「主体性」を模索していく。
 だから、令裡のお巫山戯から、リザやヒロ達は得るものはあるでしょうし、またリザやヒロもまたそれぞれの
 主体からその令裡のお巫山戯を批判することも肯定することも出来るのでしょうね。
 令裡はそうやって皮肉ったりイジったりしたことの理論だけで終わる事無く、それが理論でしか無いことを
 見据えた上で、さてと、この理論を使ってどう遊びましょうか、とそう楽しそうに考えている、それが令裡の
 魅力なのだと私は感じています。
 別に、そうして遊ぶことが姫とも出来るからこそ、姫の内面を見通すことで得た自分にも通じる苦しみを
 噛み締めるとか、そういうのは令裡にとっては、しごくどうでも良いことなはずで、その点は、そういった
 苦しみを背負う自分をそんなの関係ねーと言って、ただ真っ直ぐに自分の目指すものを目指すリザと
 令裡は似ているかもしれません。(「連結王女」でのふたりの行動っぷりがそれを良く示してる)
 令裡もまた、苦しみなど関係無く、ただこの夜を愉しく過ごしていくだけなのですからね。
 夜の散歩者としての純粋な令裡には、かなり魅力を感じています。
 
 姫:
 姫  様  万  歳 。 と、叫んで終わりにしたい気持ちで一杯なのですけれど駄目ですか? (笑)
 と言いますか・・・正直、どう語ったらいいのかわからなくて・・
 毎週書いている怪物王女の感想は、基本的に姫を見据えて書いているものばかりですので、今更
 姫ひとりをキャラとして語れと言われましても・・その・・・・的が小さいっていうか・・・うーん・・・
 ただまぁ・・歯切れ悪いですけれど・・非常に強い人なんだねって思いま・・って歯切れ良すぎかこれ(笑) 
 初めの頃は、あまりにもわからなさすぎて、漫画的偶像的キャラとして距離を置いて扱っていたのです
 けれど、回を重ねるにつれ、私も令裡同様姫様に鍛えられ(笑)、段々その姫のその「姿」の意味が
 わかってきたというか、つまりその姫の「姿」、在り方を理解することでなにかが見えてくるっていうのが
 わかってきたのですね。
 なんていうか、姫はこの怪物王女という作品そのものなんです。
 姫を理解することで怪物王女を理解できる、のでは無く、怪物王女を理解するということがすなわち
 姫の姿を浮き上がらせてくるって感じで。
 私は何度か書いていますけれど、姫の内面とか心理とか、そういう人間的感情なり情感なり、そういう
 ものにはあまり興味無いのです。
 なぜならば、私が怪物王女という作品の理解から浮き上がらせた姫自身が、そういうものを重視して
 いないからです。
 姫の内面を考え感じるのは別に無意味とは思いませんけれど、しかしそれを考え感じることが目的に
 なることもまた無いと思うのです。
 仮にその内面を理解し描写しそれに感じ入ることが出来て、それならば、そうして出来たことを使って
 姫様を見ていく? 
 たぶんそうして見た姫は姫であって姫で無い。
 むしろ姫の内面なぞ初めから無視して、姫と同じ立場で同じものを見、同じことを考えていくことの中で
 初めてその姫の内面としてでは無い、姫の在り方としての「姿」が見えてくるのじゃないかなぁって。
 私は、姫に名前が無いのは、いえ、「姫」という名前が付いていることにはそうした価値があるのじゃない
 かなって思うんです。
 あなたも、姫になってみてください。
 姫を見つめる主人公のヒロでは無く、あらゆる苦難を抱えながらも目の前と戦っていく姫に。
 その眼前の問題を、ただただ見据えて。
 そうしていくことで、初めて、誰かに見つめられる、名前を以て呼ばれる姫は出てくるのじゃないかな。
 最終話までに名前が明かされるのかどうか知りませんけれど、っていうかそれ以前に本名あるの?(笑)
 まぁ私は、本名なんか無い方が良いと思いますけれどね。あっても知りたくない聞きたくない。(笑)
 でも踏んでくださる御方の名前くらい知りたいと思うのは贅沢でしょうか? いやそうでは無い(反語)
 
 
 
 という感じになりました、割とへとへとです。
 で、ほんとは怪物王女最終話のみDVD収録問題などについてもひとり論議したかったのですけれど、
 今回はこれくらいにさせて頂きます疲れましたよあーだるい。
 ということで、その辺りの話題は次回かその次、そして放送がすべて終了した暁に本格的に語らせて
 頂きます。
 今夜はここまで読んで頂き、誠にありがとう御座いました。
 そして、来週も も ち ろ ん やりますので、暇でしょうがない人を中心にまた観にきてやってくださいな。
 でも来週なに話すか全然考えつかないので、最悪最終話のみDVD収録問題だけ書いて逃げる可能
 性もありますこと、ご承知おきくださいませ。
 
 
 
 
 ◆
 
 エル・カザド:
 第23話。
 あんたは、なにがしたいの?
 はい。
 L.Aおつ。お疲れさまでした。
 そして彼の歴史的変態行為に悩まされたり踊らされたりしてた人、おつ。
 私も、おつ。
 んー。
 なんか
 変態少年の末路としてはあまりにも破壊的というか、あっさり過ぎというか、ほんとにただの当て馬以上
 のなにものにもならなかったねというか、もし可哀想という言葉を彼に贈って良いのなら、花束添えて
 盛大に送ってあげたいです。あちらの世界でも頑張ってエリスを(変態的に)追い詰めてくださいね♪
 と、あくまで変態としての葬送を勝手に私の中では終わらせてしまったので、割と脱力中。
 で、ストーリーの方はラストスパート。
 うーん、なんだかこのまま言ったらなんにも解決しないよね?とかふつうに思ってたのに、なんだかあっさり
 と全部すっきり終わっちゃいそうですね。
 ローゼンバーグを中心に置いて、ローゼンバーグの風呂敷で全部包めちゃう。
 ナディなりエリスなりブルーアイズなり、無論変態少年もまた、ローゼンバーグの語る物語の登場人物
 的な終わり方で〆られそう。
 そうきましたか。
 大風呂敷を広げておいて、その中に包んだものを見てみようと最後に開いたら空っぽで、この中にある
 のはこの風呂敷自体だったのですよ、みたいな、そういうすっぽ抜けな納得感。そりゃそうだ。
 この拍子抜け感が、それでも割としっくりくるものだから、かえって感想的には特になし。
 文句を言うもなにも、この作品は最初からそうだったのだから、逆にこうじゃなかったらおかしいしって。
 
 で、たぶんそこで重要なのが、この後こうした単純トリックの予感のままにいくかと思いきや、
 また最後でずばっとなにかやったりするかもしれないのだけれど、でもそれって結局どっちでも同じというか
 、そういう物語の「構造」自体に囚われているという事を認識している立場から見る必要がある、
 ってことなのじゃないかなぁ?
 L.Aのよくわからない簡単な死にっぷりも、リカルドの渋さも、ブルーアイズのなにか得心した風な様も、
 そういうのがどういう風にして活かされようと活かされまいと、たぶん関係無くて、でもそこにそいつらは
 居るでしょ? 居るってことが本質でそれがどういう脈絡で語られるかは関係無いって、そういうことが
 言いたいのかもね、この作品は。
 てか、最初の頃はそういうことを私も感想で言っていた気がするのですけれど、ふつうに忘れた。(笑)
 で。
 たぶんきっと、そうして初めて、というかそこまできっちりいって、改めて、この作品をなにかの文脈で語り
 そして受け取っていくことにこそ価値がある、みたいな気がします。
 ナディとエリスの二人旅。
 その本質は、そういう事とは関係無しに、変わらないのですから。
 
 
 ・・・・L.A居ないとボケづらいなぁやっぱり。
 ローゼンバーグじゃもはや物足りないや。
 カムバック、変態。 (嫌すぎ)
 
 
 
 
 
 
 

 

-- 070913--                    

 

         

                            ■■夢見る姫の生存証明 ■■

     
 
 
 
 
 『 僕は・・姫に従うよ。たとえ姫がどんな人でも。だから姫・・僕は・・・・・』
 

                           〜怪物王女 ・第二十二話・ヒロの言葉より〜

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 炎を、闇が包囲している。
 周囲を這いずり回りながら隙があろうとなかろうと構わずに紅に浸み込む黒の轟音。
 褐色に沸き立つ大地がまるで鳥肌を波打たせるようにして歪んでいる。
 その地響きと闇の軋む轟音はやがてひとつとなりそのとき初めてその身に紅を宿していることに気付く。
 炎を孕んだ闇がその侵攻の先にあるものが自らの胎内であると感じていくその感触が静寂に溶けてくる。
 行くも退くもならずにその夜の中で紅く血を滲ませながら自らを噛み砕いていく闇。
 炎を貪る闇の轟音の歓喜は等しく闇の断末魔の絶叫を孕んでいく。
 そして、やがて夢見る間もなく。
 黒い炎が、紅い闇を産み出して往く。
 微動だにせぬ我が眼差しを、私は決して放そうとはしなかった。
 
 『わかっている。  もう終わりだ。』
 
 
 そして。
 刃を大地に突き立てた剣の柄を握り締め、
 どこまでも無くならぬ風を吸い込み座り続ける夢は、
 終わった。
 
 消せぬはずの炎が眼前で絶える様を果てしなく見つめ往く。
 噛みしめた歯軋りの律動のみが、途切れ始めた鼓動と絶え間なく繋がっていく。
 終わりだ。
 終わりなのだ。
 そう、最後に噛み締めた瞬間。
 その夢もまた、終わった。
 
 
 
 ++ ゆめとうつつの境界線にて
 
 
 
 ◆
 
 血に彩られた夜を置き去りにして、それでも進まぬ足に込めた力だけが、
 鮮明に我が存在をこの地に結びつけている。
 靴先から這い上がる冷気が無機的に足を染め上げていく。
 喉元まで冷え固まり、あとは顔と頭を残すのみかと呟いた言葉が、
 やがて緩やかに我が目を開かせていった。
 ぬるいな。
 背を嘗める漆黒の炎が我が身を遙か前方にまで引きずり往くばかりの力を示しながら、
 それでいて一向にその手を我が肩にかけぬ空虚さが、あまりにも軽すぎる。
 ひと思いに、あの闇にとって返し、バラバラに切り刻んでしまえばよかろうに。
 じっくりと手をかけながら解けゆく体に満ちる力を握り締めながら、
 そうでありながらも、その力のままに抜刀しようとはしない我が掌を、じっくりと観ていた。
 臆したか。
 殺られる前に殺るがよかろう。
 誰もなにも答えない。
 紅い水面が、目に映る。
 まるで猫のように、それを持つ手にも私にも関心を示さずに、
 ただそのティーカップの中の闇だけを視ていた。
 今私が抜け出てきたは、この眼前の小さな闇からであるのか。
 ぞわりと濡れた肌を逆立てるようにして、私は深々と熱くなっていった。
 一向に、燃えぬな。
 既に消し炭と化しているのか・・・・それとも・・・
 
 この手を、この目の前の紅い闇から離せぬのか。
 
 迫り来る業火に怖れを為す心が死んだはいつからか。
 なにも、感じぬ。
 冷気に満たされていく指先が、やがて克明にその紅く小さな闇を私に魅せ付けていく。
 背に負いし闇に囚われぬために生み出したが、この一杯の紅茶だ。
 背後の闇を怖れる事が無くなったがゆえに、今こうして平和で冷たい時間の中に生き残った訳では無い。
 逆なのだ。
 私が、夢から覚めてもまだ、生きていたがゆえに、なのだ。
 連綿と我が血肉と繋がる背に広がる闇を過ぎ、それでもまだなぜか私は此処にこうして生きている。
 不思議だ。
 なぜまだ、私は生きているのだ。
 自らを問い詰める無数の言葉もまた、私が過ごした闇の因子を無限に取り込み、
 どこまでも私を愛しく追い詰めてくれるだろう。
 そして・・・そうだな・・・・
 この手にした一服のティータイムは、私が勝ち取ったものでは無く、
 ただ私が生き延びていることの証として、ただ存在しているのであろう。
 その紅く私の手に馴染む存在を以て、我が罪を無情に責め続けるために。
 私は、この目覚めの時間に逃げ込んだのか・・・
 それとも、まだ生きているからこそ必然的に今この時間があるのか・・・
 あのとき死んでおれば、この時間は無かった・・・
 いや・・・あのとき生きることを選んだがゆえに・・この時間を手にしたのか・・・
 不思議だ。
 
 - 『夢をみていた。』
 
 
 - 『昔の夢だ。』 -
 
 
 涼やかな風が口先をかすめ、それを吸い蓄えた力が満ちている。
 その満ち足りた体がそのまま不満で満ちるまでに時間はかかりはしない。
 途切れかける罪を注ぎ足し、それで喉を潤すたびに感じる焦燥は、
 さらにその杯を空ける速度をこの従順な手に添えていく。
 喉を下る血飛沫が体の内側にへばり付き、無意味な汚辱を重ねていくというのにか?
 この残酷なまでに忠実な我が手は一体何者の指図で動き、そして何者のために存在するのか。
 無造作に、手を斬り落としたくなった。
 その先にも、後にも、なにも残らぬことを感じたい。
 またひとくち、紅を宿す。
 手を斬り落とし、残る片手でティーセットを叩き潰し、そして背後の窓を突き破り、
 そのまま広大な闇に向けての死に沈んでいけば、すべて事足りる。
 
 -- 無音
 
 なにも、聞こえぬな
 
 吐息よりも安らかに撫でた胸が温かい。
 じんわりと汗ばむ背がやがて冷え込む体の予感を与えていく。
 体中のあらゆるものが、四散も辞さぬ勢いを以て各個激しく生きている。
 淫らな手が掴んだ罪深き一服の紅い時間の支配の下で、
 その直属の者として真に隷属していたは、その手のみであった。
 胸も、背も、瞳も、そして大地を伝う冷気の伝道師たる足でさえも、
 ただ酷薄に、そしてなによりも気高くその手の愚かなる覇権を嘲笑っていたのだ。
 やがて、満ちていた冷気は我が身のぬくもりによって染められ、
 もはやその炎上する私の糧としての存在へと変化していった。
 手に満ち往くぬくもり。
 指先まで到達したそれは、なによりも青白い冷気を湛えた一輪の炎を闇に咲かせていった。
 私はひとり。
 私は無数。
 そしてだから、私は私。
 私以外のなにものでもない、この呆然とする熱気と化す体のままに、私は頷いた。
 闇の淵に座す私を、感じながら。
 
 
 『馬鹿な。』
 一切れの罪悪感をどのように扱うかを決めるは、須く私ぞ。
 いや、そもそもそれは私の扱い方次第によってでしか、「罪悪感」とは呼べぬものなのであろうな。
 過ごした闇がどのようなものであったのか、それを語り綴る言葉は無数にある。
 我が背を焦がし、絶え間なく我が身に染みこむそのなにかを罪悪感と名付け、
 それにひれ伏し泣き濡れ、或いはそれを背に負いて我が存在の証を立てる。
 そのような事のためにこのなにかを使うとあらば、
 それは確かに罪悪感の名を名乗るに相応しいものであろう。
 だが・・・
 私の身を立てるために、或いはただただ生きるための糧としてそれを使うことで、
 そのなにかが本当は、そう名付けるまでも無く既に「罪悪感」の名を有し、
 そして私がどうであろうとその圧倒的な存在を以て私の存在に食い込んでいるという膨大な事実、
 それを隠すことが出来、そしてそれこそが、こうして飼い慣らした罪悪感を弄ぶ目的だとしたら・・・
 いや、そうであるのだろう。それはいちいち疑念を抱くほどのものではない。
 我が眼前にある小さな闇と、背後に残しし深い闇。
 それは、同じもの。
 いや、私のそれの使い方次第で見える姿が変わるだけなのだ。
 だが。
 だが。
 
 ならば、なぜこの手には、私の知らぬ間にティーカップが握られているのだ?
 ならば、なぜこの背には、私の力の及ばぬところで失われた過去の残滓が取り憑いているのだ?
 
 それはすべて結果的に私が決めた事なのだ、と言い切るのは容易だ。
 では、この状況はすべて私が望んだことなのか?
 ではそうであるのならば、私はなぜそれを望んだのだ?
 そこまで考えれば容易に知れよう。
 それらはすべて、私が決めたことでも望んだものでも無い。
 それらはただ、私が決めたことで望んだことであると、そう断定すること自体のために存在しているのだ。
 つまり、私はこの状況そのものを、自分がなにを決めなにを望むかを曖昧にし、
 そして曖昧だからこそ、その中から自分に都合の良いものを「自分が望んだもの」とすることで、
 その存在意義とその存在に正当性を与えているのだ。
 私は、生きたいのだ。
 このまま、なにも決めずになにも望まずに、死んだようにして。
 我がために散っていった戦士達から受け取ったは、そのようなものだったのだと、
 薄く霞み始めた視界の奥に捉えた、その波紋無き緩やかに死滅した紅い罪を抱きながら想うのだ。
 殺さねば、ならぬか。
 命を振り捨てるほどに、この私を。
 
 
 終わりに支配されている私を支配すべき、その始まりの私は一体、どこに在るのであろうな?
 
 
 私は今、この四分五裂した小さき紅い闇の時間の中に、居る。
 
 
 
 
 ◆◆
 
 静寂と共に静止するひととき。
 しかしその時間の胎動そのものは止まらずに、それを息を潜めて見つめる者の鼓動もまた、止まらない。
 同じく、喧噪と共に運動するひとときもまた、それ自体は動かずにそのまま在り続け、
 それを見つめる者の魂もまた動じない。
 状況に動かされているようで動かされてはいず、
 動かされてはいないと確信していながら、動かされていることを知らずにはいられない。
 炎獄を斬り抜けようが、そこから逃げ出そうが、結果今、此処にこうして居る事に変わりは無い。
 私の戦いが私を守る者を殺し、私を守る者の戦いが私を生かしながらにして殺す。
 そのいずれの言葉を採用するかは私次第であるが、しかしどの言葉を私が選ぶべきなのかを、
 私は未だ決めかね、いや、決める術を得られぬままに、こうしてじっくりと溶けるようにして生存している。
 いずれも我が堕ちる元は今の此処、眼前と背後を黒と紅に囲まれたこの時間だけ。
 そして私に出来得るのは、初めから此処を「監獄」と名付けるか「城」と名付けるか、
 それを選ぶことの出来るはずの、さらにその境地を夢見ることだけ。
 いや。
 そう、嘯くことが出来るだけだったのかもしれぬな。
 だが、そんなことはどうでもよい。
 それでも、生きて在るこの私にとっては、それらはすべて常に昔の夢にしか過ぎぬ。
 たとえその夢を繰り返す合間にしか目覚めることができぬとしても、
 その目覚めの時間の中で夢を想うは馬鹿げている。
 ・・・いや
 そうして目覚めの時間の中に没入することもまた、その時間に囚われ立て籠もるということなのだな。
 
 だが、なんだ。
 この夜風の、暖かさは。
 
 狂うことなど知らぬ。
 叫ぶことなどあり得ぬ。
 仏頂面など下げずとも冷徹なままの素肌が、それと同じき当然さを孕みながら笑顔を芽吹かせている。
 口元の綻びが波紋を広げていくようにして、清々しいほどに笑みが零れていく。
 他者の幸せを見るのが、心地よい。
 無邪気な他者の想いを、素直に感じられるぞ。
 仮に、この緩やかな感情の発露が私の一部が為したものでしか無くとも、
 私自身それを破壊する気は微塵も無く、またもしあったとしても、
 それをこそ微塵に砕くことに注ぐ力にだけは、なんの疑いも制約も課す気にはなれぬのだ。
 いや、してはならぬと、そうとさえ思うのだ。
 これが幸せとは思わぬが、しかしこの訪れた穏やかな時間を自ら壊すことだけはしてはならぬと、
 その思いに囚われることで他のことから逃れる愚を思った上で、
 なおそうしてでもこの時間は守らねばならぬと、そう考えるのだ。
 なぜならば、この時間を守り育てること自体は、決して否定されるべきものでは無く、
 この目の前に居る他者どもの笑顔もまた、どのようなものとも関係無くそこに在るべきものだからだ。
 目が冴えてくるのを、静まる体内の血流を可視化し思い描きながら、これを体感する。
 囚われてしまうのならば、拘らずにはいられないのならば、囚われ拘ってみるがよい。
 そしてその虜囚の私をこそ支配し、その境地から再びすべてを見据えてゆけばよい。
 囚われること拘ることを怖れ忌避するだけでは、
 結局のところそれらから逃げ回り辿り着いた場所にしか生き場所は無くなるのだからな。
 眼前に広がる穏やかな罪に、逃げ込んでいるだけなのかもしれぬ。
 囚われつつ拘りつつもそれだけで終わらぬと言いながらにして、
 どうしようもなく囚われ拘ることから逃れる事が叶わなくなるのかもしれぬ。
 おまけにそうなることを企図しての、この一服の紅い幸福の時間があるのかもしれぬ。
 私は常にそうして、自らを疑っている。
 そして必ず、その疑惑の何割かはまさに正解であるのだ。
 紅黒く濡色に染まる夜風が視界に兆す。
 静止し動き出す時間。
 それでも動き静止する鼓動。
 不思議なものだ、生きているということは。
 自らを疑いその疑い通りの罪のままに動いていながら、それに屈せずに凄絶に踏み留まっている。
 それと同時に、絶え間無く着々と変化を受け入れ動かされてもいる。
 私はただ、私の生存に踊らされているだけなのであろうか。
 忘れ得ぬものがありながら忘れ、忘れねばならぬのに忘れられぬものがある。
 それなのに、なぜ私は笑っていられるのだ?
 なぜ私は、此処に居るのだ?
 ふふん。
 
 そのすべてが、関係無いのだ。
 なにも、あてにはできぬ、ということなのだな。
 罪も、幸福も、私でさえも。
 
 
 
 
 ◆◆◆
 
 指先よりも細く磨いた剣の刃を月に翳す。
 肩で感じるその月の重さが剣をすり抜け胸の水底を静かに揺らす。
 滾々と吹き溜まる息吹が水面に映る月の影へと還っていく。
 振り翳す刃の堕ち先にあるは、どこまでも切り裂ける紅き闇のみ。
 構え直し、必殺の突きを刹那に繰り出せば、その勢いを感じる腕ごとその闇に毟り取られていく。
 その腕の手引きにて沈み込んだ闇の中で振り回す剣が引き裂くは、闇の胎内。
 千切れ飛ぶは闇の肉片、乱れ飛ぶは闇の血潮。
 肉塊を踏み締め血泥に濡れそぼり、見上げた空に嫋々と吹き上がらせる熱気は月を曇らせていく。
 ぐずぐずと零れ落ちる額の汗が紅くなったはいつからか。
 斬られてはおらぬ、ただ斬っていたのみ。
 剣を握り締めた掌に感覚を走らせれば、
 もはやそこに生えているのが指であるのか剣であるのかがわからなくなっている。
 斬って、斬って。斬って、斬って。
 斬っている感触など、とうに消えている。
 既に斬ることに囚われ拘っていることすら認識できぬ。
 斬ってさえいれば、逃げられるのではなかったのか?
 戦いの愉悦に染まりそのことだけに囚われれば、すべてを忘れられるのではなかったのか?
 ふん。
 愚か者め。
 初めから、そんなものは無い。
 逃げるためにあらゆることを正当化する「怠惰な自分」など、存在せぬ。
 ただその存在せぬものと戦うことこそが、私の最大最高、そして醜悪な逃げ場になっているのみなのだ。
 私のこの生存は、それ自体がもはや逃避であることを存分に含んでいる。
 そしておそらく、それから逃げることは不可能なのだ。
 生きるために死ぬほどに、命を振り捨てるほどに生きることを意志しても、
 それ自体はなにも私にはもたらさぬ。
 いや、得るものがあったとて、それだけですべてを賄える訳では無いのだ。
 純粋に、そして根強く私の中には狂気と絶叫が潜んでいる。
 すべてをなぎ倒し、たったひとつの力の発現に賭けることで、すべてを解決へと導ける事を望み続け、
 それは私が理知的にひとつひとつ手堅く積み上げていくものを、無感動に見下げ果てている。
 こんな事をしても無駄だ、無駄だとわかっているのにそれを為すは逃避ではないか、
 逃避を望むためにそうして細かく思考を巡らすのかと、それは容赦なくかつ無責任に嘲りを浴びせている。
 その狂いと叫びが、いつも私の水底に横たわっているのだ。
 決して私には触れ得ぬその私に仇為すものはそして、須く私の掲げる剣の速度に感応する。
 剣を抜けばそのものらの思惑通りに、そして抜かねば抜かぬで、今此処にこうして在るを全う出来ぬ。
 そうか・・・
 剣無しではもはや、我が生存は成り立た無くなっていたか。
 音も無く抜いた剣を一閃の揺らぎも無く我が喉元に突き付ける。
 突けるものなら突いてみよ。
 無限の言葉を弄し、無数の涙を流せども、この首を貫くことは出来ぬぞ。
 ふん。
 百回死んでも、私は死なぬ。
 自らを殺すことも出来ぬほどに、自らの狂気と絶叫に身を委ねることが出来ぬのだからな。
 いや。
 そうか。
 
 だから、生きているのではないか。
 自らの臆病に狂い咲き、怖れに満ちた絶叫を纏うことを忌避するがために。
 
 なぜそれを忌避するのか。
 狂っていては、叫んでいては、為し得ぬことがあるはずだからだ。
 ・・・そう・・・・・「はず」、なのだ・・
 だから私の胸の内から、狂気と絶叫が消えることは、無い。
 そのある「はず」のものなど無いと、激しく確信する自分を、殺せぬのだからな。
 
 ではなぜ、殺せぬのだ。
 いや。
 
 なぜ私は、生きているのだ。
 
 
 
 + + 紅黒の夢はただ狂い叫び
 
 
 夢は未だ覚めてのちその姿を現さず。
 夢は未だ覚めてのちその熱を失わず。
 無慈悲に稼働する我が思念と無思慮に駆動する我が情念と。
 そのすべては、無い。
 在るは私のみ。
 ゆえに私は、語る。
 
 
 
 
 ◆+◆+◆+◆
 
 引き金を引く。
 銀の銃弾がその人狼の胸にめり込む瞬間を凝視した。
 天井の見えぬほどに薄暗いその地下室に木霊する、その一発の硝煙。
 それが血煙を巡らせながら立ち上る命の飛沫となって、眼前から消えていく。
 『これからお前達は死に続ける。何度も、何度も。』
 王族の差し向けた王族直属の不死の戦士。
 それを殺し切るためには、王族と引き離すのみ。
 主たる王族より命の炎を授けられなければ、その戦士は死ぬ。
 いや、生き返ることが不可能となる。
 今まで動いていたものが動かなくなる。
 元々死んでいたものが、その通りに死ぬだけ。
 だがなぜこやつらは、動いていたのだ。
 不死の戦士は、なぜ死にながらにして動き出すことができるのだ。
 動くな、死んだ者は動いてはならぬ、ならぬのだ。
 そのような世迷い言を呟きながら、純粋に引き金を引き続ける。
 こやつらは強靱な体力と強大な力を有する人狼族。
 どれほどきつく縛ってもそれを断ち切るであろうし、
 この屋敷の設備ではこやつらを閉じ込めておくのは不可能だ。
 ならば、動かなくなるまで殺し続けるしかあるまい?
 こやつらに致命傷をあっさりと与える銀の弾丸を、何発も何発も何発も。
 ひとつの命につき一発が相応しきその銀色の涙は、いとも簡単に銃口から飛び出し、
 そしてまるで貪るようにしてそやつらの胸に食い込んでいく。
 もう何度殺したか。
 何度、死んだか。
 
 死を、怖れている私が此処に居る。
 
 殺しても死なぬ者を殺し。
 死を、死というものを、消したい。
 死を消すには、死を殺せばよい。
 不死なものなど存在せぬ。
 だが、死にながら動いているものは存在する。
 ならばその存在を、それが有している「死」そのものごと葬ればよい。
 
 理屈は、済んだか?
 
 そのようだ。
 ならば、撃つ。
 殺している意識を失うほどに、引き金を引く。
 気づけば此処に居る、それでよい。
 だが。
 決して逃げられはしない。
 いや、だからなのか。
 此処からは、逃げられはせん。
 撃つ、撃つ。撃つ、撃つ。
 弾切れまでを目で数えながら、それでも指先で感じる殺した回数は途絶えない。
 撃つ、撃つ。撃つ、撃つ。
 残弾を数える瞳から、やがて銀に轟く涙が補充されていく。
 強靱な、剛健な、なにより強く、なによりも深い意志が、果てしなく胸の水底を呼び覚ます。
 水面下に集まり始めた狂気が絶叫を上げながら、共喰いを始めている。
 今少しすれば、その絶叫と狂気を共に孕んだ、無自覚な時間の放流が始まるであろう。
 果たして私は、それまでの時間を数えることができるのであろうか。
 
 愚問だな。
 私に不可能は、無い。
 
 かつて私に従い私のために殉じた命の炎の戦士達への鎮魂歌を編みながら、
 残る片手で銃弾を抜き放つ。
 ふん。
 鎮めてどうするのだ、愚か者。
 我が命のために失われた命を、我が命に含めずしてどうするというのだ。
 私を殺すために派遣された、その初めから主に捨て駒とされた王族の戦士の人狼達。
 こやつらを私が殺すのと、我が命のために散った我が命の炎の戦士を殺すのは、同じこと。
 使い捨てにしようが、忠義心を満たしてやろうが、それでそやつらの命を失わせたのなら同じ事。
 死は、好まぬ。
 どのような死でもだ。
 私は、我がために散った戦士達を許さぬ。
 あやつらを殺した私を決して許さぬ。
 その復讐のために、兄上姉上のどなたかが差し向けた、この哀れで愚かな刺客どもを真っ直ぐに殺す。
 復讐・・・違うな。これは制裁だ。
 なんのため・・・
 知らぬ。
 だが、撃つ。
 いや、だからこそ、撃つのだ。
 理由など無い。
 この私の行為に、いかなる理由も付けるつもりは無い。
 
 だから、問う。
 この行為で、一体なにが変わる?
 
 時間は止まり、しかし時間は死なず。
 時間は動き、しかし時間は生きてはいない。
 なにも変わりはしない。
 変えるために、この引き金を引くのでも無い。
 だが私は、そのことを深く、そしてどうしようも無いほどに自覚した気がする。
 なぜ私は戦っているのか、なぜ私は生きているのか、その問いを吐き続ける意義が私の体に染み渡る。
 撃つ、撃つ。
 撃ちながら撃たれている。
 いや、私をこそ撃っている。
 殺し切るまで撃って、撃って。
 撃っても撃っても死なぬ、その目の前の動く骸の存在が面白いか?
 それとも、逞しいか? これだけ撃っても死なぬ私が其処に見えるのが嬉しくてたまらないか?
 言え。純粋に答えよ。
 死なないのが目的では無く、死ぬのが目的であると。
 目の前の私に銃弾を撃ち込むは、己の体を喰い破ろうとしているからなのだと。
 憎いか? この私が。
 恨むがよい、哀れで愚かな戦士よ。
 ならばその憎悪、受け取っておこう。
 その憎悪もまた、私の魂の内に、胸の水底にひっそりと沈めさせて貰おう。
 その恨みは、もはや私のものだ。
 お前達の死は、無駄にはせん。
 その死は、私の死のために使ってやるぞ。
 
 ならばなぜ、この銃口を、我が胸に当てぬのだ。
 
 
 
 
 『ふふん。』
 
 
 『ヒロか。どうしたのだ。』
 
 
 
 瞬く間に覚める夢だとしても。
 この絶え間ない、生なる熱気だけは醒め無いゆえに。
 紅を孕んだ闇の銃口。
 それを握る手はただただ。
 その激しくも穏やかな私の生にのみ、厳粛に従うものだった。
 ふん。
 その手も私のはずだが、どうしてもそうは感じられんな。
 だが。
 
 だからこそ、生きることができるのかもしれぬ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 『 来 い 、 ヒ ロ 。 』
 
 
 
 『 命 の 炎 を 与 え て や ろ う 。 』
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 厳かで温かく緩やかな、その冷気を湛えた一服の夢がそして、その我が手を私ごと包んでいった。
 ヒロよ。
 お前に与えるこの我が指先の炎が、我が命魂と繋がっているのを確かに感じるぞ。
 お前を生かすということは、つまり・・
 
 
 我が思想の眼前と背後に、紅く黒く染まった我が生が息づいているのを、止めどなく感じている。
 ならばゆくぞ、ヒロ。
 
 お前の、思想を、夢を、作りに。
 
 
 
 
 
 
 ふふん。
 
 
 冗談だ。
 
 
 
 
 
 
 
 ◆ ◆ ◆ ◆
 
 「殺戮王女」。
 このお話は特殊で、そして怪物王女的に重要なお話。
 なぜならば、姫視点での解釈が充分可能でかつ、それを主体にしてもおかしくないお話だったから。
 基本的には、このお話も今までのお話に漏れずヒロ視点のものであり、ラストもしっかりとヒロの言葉で
 綴られてまとめられてはいる。
 しかし、逆にそうであるからこそ、あのラストのヒロの言葉と、地下室から出てきたときの姫の姿との、
 そのあまりの乖離が際立って見えている。
 つまりね、いつもは全然内面の見えない、それこそ「ふふん。」って嗤ってるその顔が全部な姫様しか
 いなくて、それこそ「人間的」な解釈をその姫様の内側に当てることは難しく、にも関わらず、今回は
 もろダイレクトにそういう姫様の過去の記憶から見えてくるものがあって、それなのにヒロはそれとは全然
 関係無しにいつも通りの独り善がりな決心をしてるってこと。
 で、だから逆に今回のこの構図があることで、はっきりと今までのお話もまた、改めてそのヒロの思い込み
 とそれとは関係無い姫の内面があるってことが証明されたってことになるのですよね。
 
 うん、まさかこういうお話があるとは思ってなかったのでかなりびっくりしたのですけれど、でもこうなってくれ
 ばかえって面白くなったとは思いますよ。
 だって、いい加減、姫様を超越的立場から感想書くのも疲れちゃったんだもん。(笑)
 で、このお話は最後のあのヒロの言葉があるからこそ、姫様を「人間的」に解釈したとしても、ただその
 姫様の感情的というか情感的な嘆きのようなものの羅列にならなくて済むし。
 つまり、いつも「ふふん。」とか嗤ってる姫様は、今回の話を観たことで実はいつもその笑顔の下でそん
 な「人間的」な苦しみを持ってたんだ、じゃあ今度からそれを探しながらあの姫様の「ふふん。」を
 愉しませて頂きますかってことになるのを、いやそれは違うでしょって否定できるのよ。
 いやまぁ駄目じゃ無いんだけど、姫様のその内面が主眼になっちゃうと、なんかこの怪物王女って作品
 の奥行きと可能性が狭められちゃう気がするのね。
 ていうかね、姫様の内面がどうこうっていうのが、一番どうでもいいって思ってるのって、姫だよね?
 なんていうか、ヒロ視点でそうやって姫の内面に同情的にへばり付いちゃうのって、結局それはヒロ自身
 が持つ内面の苦しみと、そしてなによりもその苦しみを糧にしてなにかをやっていくという事から目を逸らし
 ちゃう事になるっていうかね。
 で、それは同情的なだけじゃ無くて、姫の内面を分析的に見てみたりすることも、やっぱりその姫の
 内面を「主眼」にしているという意味では同じで、それだとこれも結局のところ、その内面を背負っている
 当の姫様自身に対する理解と思考が進まないって思う。
 姫にとって重要なのは、その内面を有している自分が、一体なにをするのか、ということに尽きる。
 たぶんそれは、かえって姫の内面を観れば観るほどわかってくることでもあると思う。
 令裡がヒロに対して色々と姫の残酷さについてでからかっていたけれど、あれもヒロと別れてから一度
 映った令裡が佇むシーンを観てもわかるとおり、令裡もまた既にそうして姫の内面を愉しむだけでは
 姫様を真に愉しむことは出来ないということを、どうしようも無く感じているのです。
 でも逆を言えば、令裡はそうして姫様の内面についても純粋に愉しむ事の出来る知性を持っている
 からこそ、その境地にも足を踏み入れることができたってことでもありますよね。
 そういう意味では、私は姫様に「萌える」っていうのは、かなり大事なことだと思います。 (すごい結論)
 ていうかまぁ、ぶっちゃけ今回の私の感想は、姫様萌えって全力で叫んでるようなものですけれど。(笑)
 あの紗和々が天然ボケ全開なのを微笑ましく見守っているときのあの笑顔と、ラストの地下室から出て
 きたときのもうなんとも言えないあの姫の表情が見事に私的にひとつになってますぜ。
 
 んー、なんていうか、あのヒロの言葉もそういう方向で理解していくと、それはそれで意味があります。
 姫がどういう人でも構わない、つまり内面がどうこうでは無く、純粋に表に出てくる姫と付き合うよ、
 っていう在り方は、それ自体がまた、姫自身にとって有益でもあるでしょうし。
 だって、自分の内面に一番拘っていないのが姫様なのですからね。
 ですから、あのヒロの最後の言葉は色々と解釈のしようがある、ということですね。
 
 
 と、いう感じになりました。
 今回は感想の方も久しぶりに満足のいくものが書けて感無量です。時間かかっちゃったけど。
 そして勿論お話の方も、過去のお話なども出てきて設定的な広がりも出来て良しでしたし、いつも
 通り演出などもメリハリの効いた、魅せどころを弁えてるナイスな仕上がりになっていました。
 うーん、やっぱり怪物王女の魅力は、シンプルなとこ。
 戦闘も派手さも無いしリアルっぽくも無く、そもそもそれで魅せようという感じが全くなく、音楽もいつもと
 同じものばかり。
 でも、それがいい。
 なんていうか、その戦闘に拘って無いがゆえに囚われていないというか、そういう「意味のある」シーンで
 敢えて余計なことをしないっていうのが、すごく落ち着いてる感じ、ってわかんないかなこれきっと。(笑)
 無意味なお約束なキメポーズなんかは、勿論無駄な装飾は無いけどきっちりスマートにキメるし、
 でもそれは無意味ゆえにそこが中心点にはならないで済んでて、怪物王女全体をひとつ繋がりで「意
 味のある」ものになってるというか、つまり変に戦闘シーンに拘っちゃうとそれが中心点になっちゃうみたい
 なことが無いってことですね。
 まぁだからきっと、怪物王女って幅広い支持を得られる作品にはならないのでしょうけれど、でもハマる
 人はほんとハマるのでしょうね、うん、私みたいに。(すっかり虜状態)
 ということで、今夜はこの辺りで幕とさせて頂きましょう。
 今夜は良い怪物王女を愉しむことができました。
 
 それでは、また次回お会い致しましょう。
 私の抑えている情報筋によりますと、怪物王女は全25話で、26話をDVDの最終巻に所収する模様。
 それゆえ、見込みより1回早く最終回に近づいてしまいましたけれど、それまで頑張ることに変わりは
 ありませんので、お付き合い頂ければ幸いです。
 
 
 
 
 
 
 
                                ◆ 『』内文章、アニメ「怪物王女」より引用 ◆
 
 
 
 

 

-- 070908--                    

 

         

                                ■■ なかつぎモード ■■

     
 
 
 
 
 今週の面白かったこと:
 ・歩いていて、ふと目の前を歩いているおじさんの背を観たら、そこに「脱走。」ってプリントしてあったこと。
  おじさん、色々間違ってるけど、なんかちょっとカッコ良かったです。
 ・信号待ちしているときに、日記のネタを当たり前のように考えているのに気づいたこと。
  どうやら他に考えることは無いようですこの人には。
 
 ええと、ごきげんよう。 紅い瞳です。 (挨拶)
 
 
 そろそろ、来期のアニメの物色を始めても良い頃合いだと思いますので、その、します。
 えーまー、深く考えないで、まずはとにかく引っかかったものからじゃんじゃんと挙げてみます。
 
 
 ・バンブーブレード
 ・スケッチブック
 ・魔人探偵脳噛ネウロ
 ・BLUE DROP
 ・DRAGONAUT
 ・もっけ
 ・ef - a tale of memories
 ・みなみけ
 ・げんしけん2
 ・もやしもん
 ・しおんの王
 
 
 またこんなに・・・・
 とまぁ考えなしにいけばこうなりますわな。 また二ケタいきましたよあはは、あはは。あーあ。
 ・・・・アニメ観ながら死ねるかもしれない。
 でもこうやって始まる前にどのアニメみようかなって色々物色したり選別したりやっぱりやめたとかやっぱり
 もったいないので観ますとか、そういう優柔不断を放送開始ギリギリまで、っていうか普通にそれ以降
 までもやってますけど、そういう3ヶ月に1度の楽しみはやめられませんのでね、うん。
 数の多さとはなんの関係も無い気がしますけれど、それしか言うことが思いつかなかったので仕方があり
 ませんよね。 (微笑)
 んじゃま、各作品にちょいっと触れてみますか。主に選んだ理由とかそのあたりで。
 
 
 バンブーブレード
 元気そうだから。
 
 スケッチブック:
 ひだまりっぽいから。スケッチだし。
 
 魔人探偵脳噛ネウロ:
 いいかんじに壊れてそうだから。脳噛ってあなた。
 
 BLUE DROP:
 なんか情感っぽい。色々書けそう。なんだ情感っぽいって。
 
 DRAGONAUT:
 なんとなく。
 
 もっけ:
 絶対大本命。これは崩せない。
 
 ef - a tale of memories:
 おとボクとかストパニの完成形だったらいいのにな。
 
 みなみけ:
 ギャグ分補給用。さて、どこまでまったり笑わせてくれるか。
 
 げんしけん2:
 あまりにも物を知らないので。
 
 もやしもん:
 菌。
 
 しおんの王:
 本格将棋サスペンスってなんですか。なんなんですか。辞書にも載っていなかったです。
 
 
 まぁうん、こんなものですよ、この時期じゃまだまだ。
 公式サイトもまだ充分な内容で無いとこも多いし、なにより私のやる気が無い。こりゃ駄目だ。(最低)
 今のところ、もっけを除いては横並び一線状態ですので、始まるまでにどれが私の興味的に抜けてく
 るかが楽しみです。
 んー、全体的に来期は小粒? っていう第一印象ですけど、まぁまだこれからですよこれから。
 ・・・♪ (割と楽観的)
 
 
 
 
 ◆ ◆
 
 えー、現在毎週感想書いてる、アニメ「怪物王女」が残すところあと5話ということで、
 今週から怪物王女特集をやってしまいます。
 誰もついてこれないような、マニアック以前に意味不明なことで盛り上がってやります!
 名付けて、怪物王女特集! いぇー!
 
 でー、まぁーはい。
 具体的になにをやるかとか書くかとか、そんなん決めてる訳が無いのが紅い瞳さんですので、そういうの
 はなにかをやりながら書きながら考えて、おぼろげながらできあがってきたものを、「なんだこれ・・」とまる
 で親の仇を見るような目つきで眺めたりしていければいいなと思っています。わけわかんねー!!
 最近「よつばと!」最新刊の発売日が近づいてきてて、そのネタで満遍なく盛り上がらせて頂いてます。
 
 さてまぁ、うん、怪物王女いいよ、いい。
 まずはそこから始めましょう。あれはいいものだ。
 なにがっていうと、たぶん異色なトコ。
 よく考えたら、落ち着いて感じたら、なんだこれ、今まで観てきたアニメと随分違うゾってね、気づいた。
 んーその気づきの萌芽みたいなものは前からあったけど、それを完全な違いとして明確に意識、っていう
 かそうと気づいた者としての自覚をしながら観てはいなかったのね。
 うん、なんていうかね、その上手く言えないんだけど、怪物王女って、色気あんのよ。
 その、萌えとかエロとか、全然そういうんじゃなくて、艶っていうの? 艶っぽいを「いろっぽい」と読ませる
 みたいなさ、んー、なんていうか、性的な感覚もあるんだろーけど、それだけに収まらないというか、
 そのカッコ良さ?みたいな、例えば男が男に惚れ女が女に憧れるときみたいの、あのなんていうかなぁ、
 その、スタイリッシュであって、それががつんと突き抜け方をしてて、もうなんかカッコ付けてるって意識が
 どこにも見えないくらいに、だからこっちももうそれをほんとはカッコ良さとして捉えてるんじゃなくて、なんか
 こう、ああいいなぁ、すごいなぁ、みたいなじーんと来ちゃう感じ? でもそれは感動とはちょっと違くて、
 なんかやっぱりこうなにかが欲しくなるみたいな、うんだから色っぽさっていうのかな、こっちもなんか破滅的
 になにかを求めたくなっちゃうような、或いは求められたくなっちゃうような、そういう感じ?
 全然わかりませんね、私も途中から辻褄合わせるの放棄したよ。
 
 で、それはさ、原作である漫画と比べるとね、すごくわかる。
 チャットにて、いつも(色々な意味で)お世話になったりお世話したりそれを華麗にスルーしてくださったり
 する、我が怪物王女ファンの先輩たる鳳さんが、アニメはぶっちゃけ観なくても良し、
 あんなの観てたら人格疑われる(そこまで言ってない)、ていうか令裡のパン○ラ無い時点でありえなく
 ない?(名誉毀損)とかもう、散々言ってくださったので、そこで眠れる森のオタク魂に火がついて
 カチンときて、それほど言うなら面白い、漫画とアニメのガチンコバトル上等じゃぁ!! とかなんとかまぁ、
 そういうことがあったと思ってください。3割5分くらいは事実が含まれています。
 それで、以前に駆け足で1巻だけを流し読みしたことはあって、そのときはよくわからなかったので、今回
 は腰を据えて2巻を読もうと思ったらまた時間が無くて流し読みに。まぁうんそういうときもあるよ。(2回目)
 でその結果(あくまで流し読みにつき)、んー、なんていうか、随分アニメと印象違うなぁって。 
 鳳さんは、アニメ版の姫には怪しさが無い、と仰ってたんですけど、確かにその通りで、漫画の方の姫は
 なんか滅茶苦茶怪しくて、なにこいつ怖っ、何考えてんのかわかんないよっ、ていうそういう感じがあって、
 それが殺伐な(アニメには無い血関連の描画やアニメでは殺さないものを殺したりなど)姫の在り方と
 相まっていい感じに異物感、或いは人外な感じがしたのね。
 でもね、うん、それはなんていうかな、その怪しさと怖さというのは、そのヒロ視点(及び読者)から見た、
 姫の内面の不透明さ、つまり「見えなさ」に起因しているものであって、それ以上のものでは無い気が
 したんですね。
 つまり逆に言えば、その見えにくいものが見えた瞬間に、それはもう「それだけ」でヒロ(及び読者)に
 受け入れ可能なものに一瞬で変容し、そしてその変転の結果を受容できる事こそに萌えるという、
 まさにツンデレな姫のその姿だと思ったってこと。
 一見怖くてなに考えてるかわかんないけど、でも意外に素直でわかりやすくて可愛いとこもある(でもや
 っぱり怖い)し、だからヒロ(及び読者)からすれば、なんだ、姫だってやっぱり普通の女の子なんじゃない
 か、っていう、なんていうかな、悪い言い方するとヒロによる姫の隷属化が行われちゃってると思うし、
 姫も随所でその「ツンデレ」ぶりを魅せてるんだよね。
 で、その後どんなに姫がそしらぬ顔でがつんとヒロ(及び読者)にかましても、逆効果っていうか、それは
 デレの前フリとしてのツンとしてしか扱われずに、そうやって姫はヒロ(及び読者)に籠絡可能な存在に限
 定されちゃってる気がね、うん、2巻までを流し読みした限りでは、印象としてそう感じたの。
 だから、その原作の姫の「怪しさ」というのは、初めからただヒロ(及び読者)に「都合の良い」攻略対象
 のキャラの属性にしか過ぎないって感じたの。
 
 で、アニメはさ、なんていうか、そういう意味では完全にヒロ(及び視聴者)を無視してる、っていうか、
 馴れ馴れしく近づいてきたヒロ(及び視聴者)を普通にあっさりと殺しそうな、そういうツンデレ以前にサド
 っていうか、いや、違うな、既にそのヒロ(及び視聴者)に対する当たりの強さそのものが、その姫の姿の
 本質では無くなってるんだよね。
 んー、さっきのたとえを使えば、アニメ版の姫は、別に「怪しく」は無いし、不透明でも無いし「見えにくい」
 って訳でも無いし、わりとしゃっきりと理屈を言ってる。しかも受け入れやすく肉付けもされてる。
 だからたぶん漫画と比較してアニメを物足りなく感じる人は、そこがまずもう受け付けないんだと思う。
 でもさ、よくみると、姫って普通に不透明なんだよね。
 ていうか、ヒロ達が、というか誰もが受け入れやすいわかりやすい理屈を述べてそれで取り仕切ることも
 できる、そう、人外なのに、ね、で、そういう懐の大きさがあるし、だから逆にそうやって姫の方から近づい
 て来てもくれてる(ツンデレ理論からすればツンの無い状態)からこそ、逆に姫が自分がそうやっている
 ことをどう思っているのか、はたまたそうやってわかりやすい理屈を受け入れて嬉々としているヒロ(及び視
 聴者)がどう姫に見られているのか、っていうのがもう、まるきり見えないんですね。
 でも。
 うん、でもさ。
 じゃーだったらその不透明に萌えられるって意味で、漫画とは形は違うけど結局は同じじゃん、って
 事になる訳だけど、ちょっと待った。
 
 「わからない」からこそ萌えていられる。
 「わからない」ものが「わかった」からこそ萌えられる。
 そして。
 「わかる」からこそ萌える暇は無い。
 
 だから言ったっしょ? アニメ版の姫は、もう完全にそれ(萌え)が本質じゃ無くなってるって。
 なんていうかな、漫画版の姫は、あくまでヒロ(及び読者)のモノだったんですよ。
 ヒロ(及び読者)視点で描かれ、そしてヒロ(及び読者)に妄想され、ヒロ(及び読者)視点で受け入れ
 られ、そしてヒロ(及び読者)がそれを抱きしめて成長(?)していく物語、みたいな。
 実際、アニメの方でもそういうところはあるんだけど、でもね、実はアニメは、そのアニメの世界の中にその
 成長物語の登場人物としてのヒロ(及び読者)を入れちゃってるんだよね。
 つまり、その世界の中で萌え(或いは成長し)まくってるヒロ(及び読者)を、それをこそ、冷徹に眺めて
 る姫が在る、ってことなんよ。
 なんていうか、ヒロ(及び読者)がどう妄想しようが、それとは関係無く姫が其処に居るっていうか。
 だから正確に言うと、アニメの姫はヒロ(及び読者)を無視しているというか、それを見つめながらも、
 それは姫が眺め感じ、そしてなによりも考えている対象である「世界」の一部にしか過ぎない、つまり
 言い換えれば、アニメ版怪物王女は、ヒロ(及び読者)という「オタク」を見つめる立場としての姫の
 成長物語なんだと思う。
 ていうか、ヒロ(及び読者)は今度は逆に、その「オタク」としてのヒロ(及び読者)を見つめている姫を
 見つめてびくっとなって、そしてそこから自分はどうするのか、ほんとにこのまんまの自分でいいのか、
 姫が今考えてること、対峙してることに、姫と同じように立ち向かって行かなくてはいけないんじゃないのか
 、っていう、そういうヒロ(及び読者)の自省的成長物語、って側面も持ち合わせてるし。
 
 そして、姫は理屈にも拘らない。
 っていうかよくあるでしょ? 「大人」としての自覚とか、よくわかんないけどそういうなにかこう、社会人
 だか軍人だか戦士だか、色々そういう社会で生きる者の自覚みたいの。
 姫はさ、そういうものを馬鹿みたいに理屈化正当化して、ヒロの前で、そうだろう? その通りだろう?
 って言う。
 で、ヒロがうんうんその通りだよね、今は戦わなくちゃ、それが姫を守る僕のオシゴトなんだから、とか
 言ってるのを見て、 ふ  ふ  ん 、 馬  鹿  め 、とか言うわけよこの姫様は。
 そういう風に、その自覚だか理屈だかに「萌えてる」ヒロ(及び視聴者)を、みてる。
 その自覚だか理屈だかに頷くことと、それだけでしか無いことは違う。
 姫はそうやってあくどく敢えてヒロが寄り添い可能な、わかりやすくてかつそれなりに燃えられる理屈を
 示したりして、そして本質的にその理屈はこの世界で生きていくことのうちのただの道具のうちのひとつに
 しか過ぎないことを、そのヒロのオタクな理屈へのはまりっぷりを通してみせつけてもいる。
 それは無論、姫が姫自身を語るときにも用いられている手法で、そうしてそれなりに身のありそうな理屈
 を付けて自分を語り魅せてみて、そしてヒロが上気しながら「姫は、僕が守るから!」とか一生懸命に
 言うのを、本気で無視したりする。
 漫画の姫だったらきっと、そう言われたら、ヒロにくるっと背中をみせると思うんだよね。
 で、たぶんそれを見たヒロ(及び読者)は、それが姫の恥じらいとかなんとか、そういう籠絡可能な仕草
 として受け取れる、そういう作品側と読者側の結託が見られると思う。
 でもアニメ版だったら・・・・そうだね・・・たぶん真っ正面からヒロの瞳を見つめっぱなしとか、或いはそして
 「ふふん。」と鼻で笑ってお終い、って感じになると思うな。
 
 姫は理屈を使うし、そして理屈に熱くのめり込む快感も知ってるし、その価値も理解し、そして有効に
 使ってると思う。
 でも決して、それだけに留まることはしないし、それだけで終わっている訳にはいかないという、使命感?
 ちょっと違うな、チャレンジ精神? それも違うな、なんていうのかな、既にその外にあるものが見えてい
 のになぜいつまでも内側にいられるのだ? みたいな当たり前な感覚で姫は動いてる。
 ん、違うね。ちょっと。
 姫は、そういう説教的というか、あるいは黙って自分の背中で語るとか、そういうことをしているように見え
 て、それが本質では無かったりする、ていうか、姫を使って描き出されてるこのアニメ「怪物王女」という
 ものは、そんな啓発とかそんなんじゃなくて、ただただもう、姫でやれることを限界越えてまでもやってこう
 、っていう、なんていうかな、姫を描いている側自体がもう姫的にどこまでも行ってやる、って感じになって
 、そしてそれを観てる側は勝手に色々妄想して褒めたり貶めたりして、でもそうして初めて、そういう観る
 側のつまらない思惑を無視して敢然と其処に在る「怪物王女」ってものを、ただただ創り出せてるって、
 そう思うんだ、私は。
 だから姫に限界なんて無いし、姫に拘りはあっても自分がなにかに拘っている事自体に拘ってはいないし、
 そしてそれは必然的にアニメ「怪物王女」という作品自体をも既にその領域に導いている。
 その意味では、漫画「怪物王女」はそれとは全く逆に、対極にあるものだって感じました。
 でも逆にそうだからこそ、限定された拘りに満ちた「萌え」があるからこそ、あの趣味に満ちた世界の真価
 が発揮されてもいるのでしょうし、また漫画とアニメの大きな違いである、「血」の描写の有無に於いても、
 漫画版では「血」の存在意義はありましたけれど、アニメ版はおそらく「血」があるとかえってそれに拘りが
 出てしまって(おそらくそれに拘ること自体に拘ざるを得なくもなる)今の良さではなくなってしまうでしょうし
 ね。
 そして私的には、漫画版から観てアニメ版を否定するのは勿体無いって思いますけど、それと同時に
 アニメ版を肯定出来るのなら漫画版を否定する理由も無い気がします。
 っていうかアニメの姫のように、漫画版的「萌え」感覚を、それに拘りつつもそれに拘ってること自体に
 拘らずに、ちゃんと有効活用して受け入れていけば、充分魅力あるものになれるですよ、漫画の姫も。
 
 
 とまぁ、こんな感じでつらつらつらと書いてみましたごめんなさい色々な意味で。
 でも正直なところを書かせて頂きました。なにごとも、全力です。 (微笑)
 まぁそういう訳ですから、鳳さん及び異論のある方は冷徹に「っていうか、ちげぇーよ。」と言って白い目を
 向けてくださりますと、私としても書いた甲斐があるというものですわ。 (えー)
 そして「なにをーっ」とトサカにきて飛びかかってきた私を、冷酷に「ふふん。」と嗤って冷たい目をしながら
 踏みつけてくださりますと、私としても生きてきた甲斐があるというものですわ。 (ええー)
 ま、まぁ穏便に、かつ激しく(ぇ)、意見反論など御座いましたならば気軽にお願いします。
 
 はい。
 んじゃ、今回はこの辺りにて。
 次回の怪物王女特集は、ってそこまだやるんかいやれやれ、みたいな顔しない!
 私だって好きでこんなのやってる訳じゃないんだからねっ!!(本音)
 ええと、次回の怪物王女特集では、一応各キャラについてそれぞれお話してみたいと思います。
 もし良かったら、次回更新時までに、拍手にでも、私は令裡お姉様の信者ですとか、リザちゃんの肉球
 の臭いを嗅ぎたいですとか、姫さんに踏まれたいとか、そういう感じで適当に各キャラへの愛を叫んで
 おいてくださりますと、ああ病んでるのは私だけじゃないんだなぁうっとり、とか思いながらついでにキャラ人
 気の分布を知ることで出来(情報母体が少なすぎ)ますので、もしよろしかったら。
 次回更新は、来週の木or金曜(13・14日)を予定していますので、それまでにあった怪物王女関連
 のコメントは一応この怪物王女特集に載せさせて頂き、そこにてレスをかねたコメントをさせて頂きます。
 来週までと期間が短いのは、頂けるコメント量の少なさ(下手しなくてもゼロ)を予想して、それによる
 私の精神的ダメージを軽減するための措置です。
 募集期間が少なかったからっ! だからしょーがないんですコメント少ないのは、と、
 そのような微笑ましい言い訳をする余地を設けるためですわ、皆様方。 (微笑)
 逆にいうと、こんな辺鄙でヘタレな日記に、しかも募集期間が短いにも関わらずコメントしてくださった方
 は、相当なウチの読者さん、いえむしろ紅い瞳を愛しちゃってると判断しますので、気を付けてくださいね。
 と、冗談は置いといて、ウチの拍手ボタンはtopページの上の方にあるコレですからね。
 
 ↓

  ←コレは押せません。見本です。
 
 何度か、どこにあるのと訊かれたことがありますので、一応ご案内。
 むぅ、わかりにくいといえばわかりにくかったかもですね、うん。
 そうだ、今まで拍手の数が少ないのは、きっとそのせいだったんだ、そうにちがいない! (言い訳万歳)
 
 では、そのように。
 
 
 
 
 ◆
 
 最近、なのはが熱い。
 今やってるやつ、ストライカーズ? 今観てるのは22か23話。
 なのはママがやっとあの子(名前忘れた ぉぃ)の元に辿り着くとこ。
 正直、なのはは最初の2話だけ観て飽きて、そのあとなのはがママになって(ぇ)からのお話がええなー
 みたいなノリでうにゅうにゅとまどろむ感じで楽しんでただけなんですけど。
 んー、やっぱ、熱いわ、このアニメ。
 なんていうか、私も戦いたくなってきた。 (落ち着け)
 そういう熱さね、この場合私が言ってる熱さは。なんか今、無性にファイトしたい! (危険度上昇中)
 んー紅い瞳は平和主義的まったり派ですけど、根は普通に熱いし冷酷だしグロいし悪だし(ぉぃぃ)、
 ていうか身体的な感覚自体は非常に好むし、そこからしか辿り着けない境地っていうのも、知ってると
 言えば知ってるし。
 まぁだから、ファイト自体よりもこう、どこまでも突き抜けてくくらいに体を張りたいなぁみたいな、そういう
 アレですね。
 で、そういうときってやっぱりあのなのはアニメの説教臭い世界観っていうか、そういうのってもの凄く使い
 甲斐があるし、そういうの背負って身に染みこませて暴れ、もとい躍動できたら、たぶん滅茶苦茶気持
 ちいいしね。
 そういう感じで、今はなのはアニメとお付き合いさせて頂いてます。
 
 あーー、サッカーやりたい・・・ (別に犯罪的に暴れたりはしません当たり前ですけど 笑)
 
 
 あと。
 最近、ひぐらしが熱い。
 梨花ちゃま頑張れ頑張れーって、まぁ、結構本気で子供っぽく応援してます。
 結構熱い。拳握り締めちゃってさ。
 そのまま自分の頭殴ればいいと思う。(少し頭冷やしなさい)
 でもやっとあれで、ひぐらしの本来(?)的な楽しみ方がわかってきた気分。
 1期のときは、詩音さんの天晴れな壊れっぷりを拍手喝采な悪趣味全開で楽しんで終わっちゃったので、
 これはまぁ良いことではあるようなないような、でも部屋の中でひとりで画面に見入りながら拳握り締めて
 梨花ちゃま頑張れとかぶつぶつ言ってる姿は、もうだいぶ手遅れな気もします。
 ・・・・でもひとりじゃなきゃそんなこともできないと思いますよ? (苦しい言い訳)
 
 
 終わり。 (色々な意味で)
 
 
 
 
 
 ◆
 
 エル・カザド:
 第22話。
 なんていいますか・・・・当たり前というか。
 んー、当たり前って言葉ばっかり使ってたから、イマイチその当たり前さの実感の染み出てこない感じです
 けど、なにかこう頭をぽりぽりかきながらも、当然の帰結だよねコレ、とばかりにひとり当たり前な顔して
 ますです。
 んんー、だってさ、ナディ的に、なんも特別なことしてないっていうか、如何に自分がしてることが当たり前
 なことなんですよーって事をエリスに伝えるかってことだけで一生懸命になれてる。
 なんも難しいことも複雑なこともやってないです。
 エリスはエリス、私の事傷付けちゃうのも含めてエリスだから、ね? パートナーでしょ私ら、ってね。
 ただ逆に、だからこそこのあったりまえなナディさんの姿を徹底的に保存してこの場面で提出出来た、
 っていうのが、このエル・カザドって作品の最大の功労だって思うよ。
 どんだけエリスに強大な力があろうと、たとえナディがそれ全部理解してその凄まじさを実感してさえで
 でも、んなこと、ナディの前のエリスの姿を変えるには全然たりないよ、エリスはエリスじゃん!って、
 そう当たり前に叫べる、そのどんどん離れてくエリスを追ってのナディの悲痛な叫びがある。
 私があんたと一緒に行きたいって思ったその気持ち、今も変わんないよ。
 んで、ナディさんはそこからさらに、自分から離れていこうとしてるエリスの側にもダイブする。
 そこがブルーアイズさんとは違うとこ。
 自由っていうのは、不自由よりも辛いんだよ。
 支えてくれる誰かに出会えたら、とっても幸せだよ。
 ナディはそう言う。
 エリスが離れていこうとするのは、ぶっちゃけわかりやすく言えば、訳わかんなくなっちゃってるから。
 ナディをこのままじゃ傷付けちゃうだけ、っていう事柄がエリス的に大きすぎて、自分で処理できなくて、
 それで、今の自分に出来ることはナディが離れていくことだけっていう、その「今の自分の存在」に囚われ
 そしてそこから抜け出せることなく朽ちようとしている。
 そんなの、絶対エリスが気持ちよく決めたことなんかじゃないよ、と、ナディはさらりと言う。
 ブルーアイズはそれがエリスの決めたことなんだからほうっておけと言うけれど、それはたんにエリスの側に
 立つことをしないからこそ言える言葉。
 ナディ: 『あの子・・泣いてた。』
 ブルーアイズ:『エリスは今、自分自身で答えを出そうとしているわ。』
 ナディ:『違う・・あんた・・・なんにもわかってない。』
 ブルーアイズ:『ほうっておいてあげなさい。それが自由というものでしょ。』
 ナディ:『そんなの自由じゃ無い。』
 
 この作品は、ナディを使って、ブルーアイズ的なものへの痛烈な批判を下してる。
 あの子を、放っておけるわけ無いよ! ナディさんの結論は、必ずここ。
 そういうナディさんが、私はすごく好き。すごく、すごくね。
 そして、結構そういうナディさんに対して、新鮮に真摯に向き合っていこうとし始めてる、そのブルーアイズ
 さんもやっぱり好きです。
 ていうかあの人はもともとナディさん側の人で、だのにそれだけじゃ生きられないって諦めて、組織に合う
 理屈を手に入れようとしているうちに主客が転倒しちゃってああなった訳で、だから本質的にはブルーアイ
 ズさんは自分が唱える「厳しい物言い」の滑稽さを理解しながらも、もうそれしか言えない自らの情けな
 さを感じてて、そして。
 だからこそ今、本来の自分である、ナディさん的な在り方に回帰するために、ブルーアイズさんもまた、
 彼女なりに必死に頑張ってるような気がします。
 どっちかっていうと、今回のお話はナディさんエリスさんの復縁、もといコンビ再結成よりも、そのブルーア
 イズさんの浄化されっぷりwが良かったと思います。
 それでもまだ、ブルーアイズさん的なまとめ方が微妙に方向性間違ってるところ辺りが、彼女らしくて
 いいのですけれど。
 支え合う心は鋼のように強い、って、うーん、それはそれでいいんだけど、うーん、なんでそう教訓的に
 するかなこの似非インテリ肌め、その肌で感じなさいこのふたりの愛、もとい愛を! (ぁ)
 
 ってな感じで、ラストでノコノコ出張ってきたローゼンバーグさんは邪魔なので、帰ってください。 (横暴)
 
 
 
 
 
 
 

 

-- 070906--                    

 

         

                          ■■姫と無頼のたゆまぬ関係 2 ■■

     
 
 
 
 
 『ふふん。 私は慈悲深いのだ。』
 

                           〜怪物王女 ・第二十一話・姫の言葉より〜

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ◆・・・・・・
 
 決まり切った時間が過ぎていく。
 すべきことがすべて決まっているのだという、その自覚ある時間が流れている。
 
 ティーカップに添えた指先に映える温度が、すべての中心点を担っている。
 この指先ひとつで、あらゆるものはその方向を変え、その意味をすら変えてしまうだろう。
 すべては私次第、などと決心するまでも無く、それは極めて自然な決定事項なのだ。
 ふふん、フランドルよ、黙っておれ。
 今回はお前の出番は無いぞ。 
 ただ黙して見ているがよい。
 
 令裡? ヒロ?
 奴らがどうなろうと、私はどうとも思わない。
 だが、奴らと私の関係上に於いては、常に懸案を発生させる余地がある。
 私という立場から見た場合、たとえばヒロが囚われの身になったことを知ったとしたら、どう動くべきか。
 ヒロは軟弱なりとは言え、仮にも私が命の炎を与えた王族の戦士だ。
 それゆえ、私の身を守る盾として有効に使えるというのなら、この場合見捨ても構わぬだろうが、
 その盾として意味を為さぬ、この場合全くの無駄死にをヒロにさせることは、私によるただの炎の戦士の
 命の無駄遣いにしか過ぎぬ。
 あやつの命は、私がしかるべきときに使う必要があるのだ。
 ならばヒロの主人として、その立場から私がすべきことは既に決まっている。
 だが、そこで疑問が当然生じるであろう。
 ならば最初から、ヒロをひとりで行かせるべきでは無かったのではないか、とな。
 ふふん。
 私はただ、私の立場からものを見た場合どうするか、ということについて述べたに過ぎん。
 誰も、私がその立場からのみでものを言うとは言っておらぬぞ。
 いや、そもそも私は、その「私の立場」とやらになんの拘りも持っておらぬし、無論依存してもおらぬ。
 『ヒロ、助けられたのはお前だろう? 令裡が心配ならお前が調べてみたらどうだ。』
 ヒロにはヒロの「立場」があるのであるし、ならばヒロはその「立場」に依って行動することが可能だ。
 だから私はヒロが令裡を探し助け出すことを許したのであるし、それは同時に、ならば私の「立場」から
 すれば、令裡を私が助ける道理などなにも無い、という言葉が導き出されてくるであろう。
 つまり、ヒロが令裡を助けに行くことができるのならば、必然的に私は令裡を助けにはいかなくて済む、
 ということになるのだ。
 そして私が令裡を助けにいかない道理があるのならば、ヒロが令裡を助けに行く道理は成り立つ、と
 いうことなのだ。
 わかっておろうな?
 そもそもその道理は、家来たるヒロの道理を敢えて無条件に認めてやっているからこそ、その真の成り立
 ちが在るのだということを。
 私が主人として有無を言わさず家来を縛り付けることは、それもまた主従の道理という大きな論理上
 に於いては可能なことなのだ。
 だが私はそれをしなかった。
 なぜか?
 
 『ふふん。 私は慈悲深いのだ。』
 
 
 
 +
 
 『ヒロがそう言ったのか?』
 『確かにヒロが、自分が残ると言ったのだな?』
 
 赤黒く突き抜けていく、その炭火のような時間。
 煮え滾る炎に濡れて、歩むことが可能な筋道は無限に拓かれていく。
 私がするべきことなど、初めから決まっている。
 私はただ、そのために必要な論理を繋ぎ合わせ、不足分を補うために他の者を動かし新たな論理を
 紡がせていくのみだ。
 理屈を唱えてみせよ。
 説得力? 実のある言葉? なんだそれは。
 そんなものはどうでもよい。
 あらゆる既成概念、いかなる人目も気にするな、己の最大の力を出し切って、その論理で整えた舞
 台を演じて魅せよ。
 感情に訴えるな。経験に阿るな。
 なに? 人の気持ちになって考える、だと?
 そ ん な も の は 本 質 で は 無 い 。
 他者の感情でも経験でも気持ちでも、それらはいくらでも利用するがよい。
 令裡よ。
 お前がお前のすべてを使い、あらゆるものを利用して貪欲に己の至高を示し、新たなる境地を目指し
 続けるというのなら、私はそれがどんなものであろうと受け入れてやろうぞ。
 お前が依拠する純血の吸血鬼としての誇りとやらが、お前の言うように本当にお前が支配可能なもの
 であるのなら、その手並みを是非観てみたいものだ。
 お前はリザとは違う。
 リザのように一族の掟を背負い戦う快楽に真摯になれる、そのような「一族想い」の存在では無かろう?
 いや、リザもまたその自分の在り方を意識している時点で、それを愉しもうとしている時点で、やはり
 その「一族」に合一化する事自体が本質では無く、その合一がもたらす快楽をこそ真摯に求めるために
 、そのなによりも真摯な人狼族の戦士としての名を背負う自覚があるのだろう。
 令裡よ。
 お前のその孤高さが、あらゆるものに頼ることが出来てさえも、なお保てるものであるのなら、そのときは
 賞賛を贈ろう。
 お前がヒロに視たなにかは、きっとその核にあるものだ。
 それがある限り、お前はどこまでも吸血鬼の敵となり、そしてそれゆえに吸血鬼たり得るであろう。
 
 
 ならば、死んではならぬ。
 
 
 舞い散る星の欠片を愛でながら、それに押し潰されて死ぬは愚か。
 地獄の業火よりも激しい炎に薪をくべながら、それに自らが飛び込み死ぬは罪。
 令裡よ。
 お前の知性あるアイロニーと、勇気あるその体現と、そしてそれを愉しむことの出来る器の大きさは、
 まさにその美しい星の欠片と地獄の業火よりも激しい炎の如くに、見事であった。
 だが、それで終いか?
 お前は、それを求めるために生きてきたのか?
 いや、お前はそんな事のために、今この瞬間に此処に居るのか?
 令裡よ。
 お前の生存を感じてみよ。
 命を魂を、そんなものをなにひとつ感じる事無く、お前はただお前が生きていることを知る。
 我ら既に此処に存在する者にとって、最も原初的で、そして最も当然なその認識が、今お前の中では
 途切れているのか?
 生きるために生きよ、とは言わぬ。
 だが、お前はまだ死んではおらぬ。
 誇り高き純血の、そして汚らわしき忌まわしき吸血鬼よ。
 お前は真にそのお前の「立場」としての存在を、その支配下に置いているのか? 
 お前は、なぜに「令裡」という名を持っているのか?
 奇しくも、リザが言っているぞ。
 「吸血鬼」と「令裡」は、別物だとな。
 感じぬか? 令裡よ。
 この夜の至高と、静寂と、そして永遠を。
 お前はこの漆黒の夜の至福を感じ取り、それを深く認識していながら、それでいて、なぜそれに自らを
 近づける努力をせぬのだ。
 
 
 『ヒロを助けて貰った借りは返したぞ。
  そうだな? 令裡。』
 
 
 さぁ、余計な手助け、いや手出しをしてやったぞ。
 お前なら、もう既にわかっておろうな。
 月下の茶会を共に愉しんだは、ただ私の首筋を眺めるのを味わうためだったか?
 さぁ、理屈を唱えよ、令裡。
 論理を紡ぐがよい、吸血鬼よ。
 吸血鬼という「立場」に頼らぬお前を魅せよ。
 そして。
 令裡というお前に頼らぬ吸血鬼としての矜持を魅せてみよ。
 お前がただ観客として月夜の美しさを讃え、自らの汚さ弱さを悔い責め滅ぼすというのなら、
 既にその夜の美はその価値のすべてを失っている。
 それを見上げる者の瞳が無く、それを感じる者の肌が無く、そしてその美しさに相応しき己を得ずして、
 その月夜はどうしてその存在価値を得られようか。
 令裡よ。
 お前のおらぬ月夜など、価値は無い。
 そしてそれでもお前がその月夜の熱度に焦がされ溶け往くというのなら、それは死そのものがお前の
 目的になっていると言わざるを得んな。
 お前は、そうではあるまい。
 ふふん。
 死んでは、つまらんだろう? それとももう疲れたか?
 お前が、いやお前達のような者が生きていくためになら、私はいくらでも戦い、そして。
 いくらでも巫山戯た理屈と論理を吐いてやろうぞ。
 そしてお前も、それに応えてみせるがよい。
 さぁ、魅せよ、令裡。
 誰にも壊せぬひとりの吸血鬼としてのお前の、その生存の論理を。
 
 ふふん。
 それが、今回私が持参した理屈だ。
 
 
 
 
 そうだ。
 この夜を焦がす炎は、なによりも我が胸の内をこそ、熱く静かに、そして永劫に燃え上がらせるのだ。
 慈愛など、いらぬ。
 そして。
 いらぬがゆえに、それは既に、この世界に熱く深く、広がっているのだ。
 
 
 
 
 ならば、あとは愉しむだけだ。
 そうだろう?
 
 
 
 
 
 
 ◆ ◆ ◆ ◆
 
 人のためを想って考えたり行動したり、愛を以て事に当たりそれを指針にして堅く慎ましく生きていくのは
 、それは大変に素晴らしいことだと思う。
 人への思い遣り自身に価値があるというよりは、そういう風に人を愛していけることが、最も深い快楽を
 自分自身に与えるからこそ、それはなによりも血肉に満ちた事柄になるのだと思う。
 人の笑顔を見るのが好きだから、人の悲しむ顔を見るのが嫌だから、そういった個々人が自らを掘り下
 げて辿り着いた、その深い欲望の顕れとしてのその「人への思い遣り」というのは、もの凄く私達にとって
 大事なものでもあると思う。
 無論、そういった個々人の内面から自発的に辿り着いたものでは無い、その押しつけとしての「人への
 思い遣り」など論外であり、逆にその論外のものを指して「人への思い遣り」というものを否定するのは
 ナンセンスであるし、或いはそれは悪意のある否定にしかなれない否定である。
 もっとも、その押し付けとしてのものを押し付けられることと、それに対する反発を経て、ただそのアンチ
 としての自らの状態に気づき、そしてその境地から改めて自己の欲望としてのその「人への思い遣り」の
 追求に辿り着くことが出来るのなら、それらは充分存在価値のあるものではあるが。
 
 その自らの欲望を徹底的に突き詰めた結果辿り着いた、他人を想う心と行動はそして、さらにそれを
 貪欲に極めていこうとするのなら、いつしか自然にそれは自分の欲望のためにやっているのでは無く、
 ただただ純粋にその人のためにやっているのだ、というある意味無我の境地に心底達せられたときに、
 その当初の自らの深い欲望は、限りなくその目的に忠実で最高の快楽で満たされることになるだろう。
 ストイックなまでに無我夢中で人のことを想い、人のためになるにはどうしたら良いかを徹底的に考え、
 そして熱く熱くそのための行動を突き詰めていけるのなら、もはやそこに「自分のためにやっている」という
 「汚れた」意識を感じることは無く、ただその事に一生懸命になれている自分に満足できるだろう。
 その奥行きは深く、どれが本当にその人のためになっているのかと哲学することで、それは重層的複層
 的なものへ変化していき、それ自体がもはや自分と他者との関係の在り方を創り上げていく。
 ひとりはみんなのために、みんなはひとりのために、などという無責任なものでは無く、ただ自分個人の
 在り方として、そしてそれと同時に自分はそうやって他者達との繋がりの中に在るのだと感じ、それゆえに
 ただ自分だけがみんなのために生きて犠牲になることで、それがその他者との共存としてあるその繋がり
 を自ら断ってしまう事に気づく。
 その人の事を想うがゆえに、その人と自分の幸せな未来のためにも、その人にも協力を要請する。
 自分だけが努力するだけなのならば、それで得られるのは自分ひとりの幸せでしかなく、それは結局の
 ところ自分の欲望のためだけにやっているという事そのものにしかならなくなってしまう。
 だから。
 人は、社会を創る。
 人は、ルールを創る。
 みんなが、それぞれ自分のために。
 少しずつの譲歩をみんなから集め、それで創った社会の先に幸せな世界を描き出していく。
 
 でも、その社会と、そのルールに同意しない者や。
 そして、そもそもその一個の「思想」としての社会とルールの存在自体を認めない者はどうなるのか。
 
 いや、そんなものを必要とせずに生きられる者は、どうなるのか。
 
 
 そんな者は問答無用で排除してしまえ、という安易な意志を持つ者が多ければ、それは実行される。
 そしてそれが繰り返されれば、それが当然だという思考停止を引き起こし、それをすら当然のものだと、
 それこそ正義だと愛だと考えて恥じない、そのような傲慢な社会を制作してしまう。
 なぜそれを恥というか、なぜそれを傲慢というか。
 ・・・。
 だってさ、それ、おもっきし自分達だけの欲望じゃん?
 自分達だけが納得して同意して創った、小っさな社会っていう檻を作って、その小さなルールを突きつけ
 てこれを守れないならこの檻には入れてやらない、そして檻の中に居ないものはそれ自体が排除の対象
 だ、なんて、なにそれ? 良く考えりゃバカみたい。
 そんな小さな許容量しか持たないちっさい社会の中に居ることにしか、生存権を与えないってことは、
 すなわち社会=世界っていう、これも良く考えたらとんでもない傲慢さと、あと愚かさがあると思うよ。
 なんのために社会があるのか、なんのためにルールがあるのか。
 それは敵を作り排除する対象を作り出すことで、その中に所属するものの安楽を生み出すための
 ものなのかな?
 そんなんでいいの?
 
 その社会と、そのルールを、自らの欲望を真摯に掘り下げ突き詰める人はさ。
 
 最初っから安楽を求めてるんなら、しょうがない。
 でもそうじゃなく、その自らの欲望の掘り下げの結果として、上記したようなストイックな他者との関係を
 築きその中で真摯に自らの欲望を発展的に満たしていこうとするんなら、これって本末転倒だよね。
 今現在自分が創り出した、その「幸せの形」に合うか合わないか、それで人との付き合い方を決めちゃ
 ってるじゃん?
 ほんとはその幸せの形っていうのは、流々変転を重ねていくことで、どんどんと自分と他者との繋がりを
 深め、そしてなによりも広めていくこと、その途上で得たあくまで一時的な「道具」にしか過ぎないとは
 思わない?
 それなのにそれにストイックに拘っちゃうということは、結局のところそれはやっぱり、逆にそのストイックな
 「人への思い遣り」の大元にあるものを踏み消しちゃってることにならない?
 なんで、あなたは人のためになりたいと、「人への思い遣り」を抱きたいと思ったの?
 その、あなたの見てる「人」って誰?
 
 姫はさ、すごいと思う。
 まさに王様ですよ、あ、女王様か。でも女王って言い方気に入らないから(男王って言葉無いですし)、
 王様ですよやっぱり。
 姫はさ、やっぱり「みんな」の王様だよ。
 「みんな」っていうのは、社会っていう奴に所属してる人だけじゃない、ほんとのほんとのみんなだよ。
 姫はそういう「みんな」のために、その「みんなひとりひとりへの思い遣り」を持っている。
 んー、姫の場合は思い遣りっていうか、もっとこう、愉悦的な言葉が似合うものだけど、大元にあるのは
 同じ、個人の欲望であることは間違いないよね。
 愛? そんなものいらないよ。それこそ幻想でしょ、欲望を突き詰めたく無い者のための。
 で、姫はさ、そうやって差別無く、ほんとすべての人の存在を無条件に認めて、そしてそこからそのそれ
 ぞれの存在の場所からも思考できるように、そういう風に深く広く「人」のことを考えてる。
 姫にとっては、わかりやすくまとまっている、既に幸せそうな顔をしている「人への思い遣り」に満ちた
 「善人」はもとより、そういった規格から外され外れる「悪人」もまた、思考の対象にがっちりと、
 そして当然のように含められてるもの。
 ていうか、そういう人達を救い(っていうのもおこがましいけど)、そして共に生きることが出来るように
 してこその王様、っていうか、自らの欲望を突き詰めその果てにストイックに「人への思い遣り」に染まる
 者が、次に辿り着くべき境地なんじゃないの?
 その同じストイックな「人への思い遣り」に染まれたり、その思い遣りの対象に出来そうな「善人」を得て
 満足するとかじゃなく。
 うん、そういう意味で、「社会」っていうのは、その存在の括り自体が既にそれを成り立たせた動機に
 、或いは欲望に対して根本的に冒涜的なんじゃないかなぁ。
 だって、あなたは、「みんな」と生きたかったんでしょ?
 それなのに、「みんな」が生きられない「社会」に生きるってあなた、それじゃ滅茶苦茶じゃん。
 あなたが生きるのは、生きるべきは、そう・・・・
 世界、でしょ、たぶん。
 
 その世界を生きそれを守るための理屈を前にしたら、それがどんなに優れた論理でもその「社会」を
 維持しまた自分とそれに同調できる人のみが安心して暮らすことだけを目指すものであるのならば、
 やっぱりどうしても笑っちゃう。
 無論、欲望に忠実なるを目指す者から見てのお話ですけどね。
 そして、屁理屈でもなんでも、無理矢理でもなんでも、「私は慈悲深いのだ。」と滅茶苦茶怪しく嗤い
 ながらでも、そうしてひとりの人間の生存それ自体の集合からなる世界をそのまま認めようと努力する
 事は、とても貪欲で欲望的で、そして色っぽいって感じます。
 だって令裡なんてもう姫にメロメロじゃん?
 私もっすよ、少なくともリーダーとして最高の魅力あるよ姫様は。
 あと今回の姫はここまでしてますしね。
 姫(ドラクルに対して):
 『一度ならず二度までも王族の私の手を煩わせるとは、もはや許し難い。成敗してくれる。』
 ってそれ、 言  い  が  か  り 。  まさに因縁王女。(笑)
 あーそういう意味では、なんか最近令裡のこともわかってきたなー。
 「姫様の愉しみ方」が、段々私に近づいてきてるし。
 っていっても、リザも良いんですけどね。
 ああいう真面目なヒトは好きですし、だから令裡的にからかう事も出来て面白いし、そしてからかう事が
 出来るからこそその本質にある熱さに学ぶものが多々あることがわかってきますし、そしてそうなれば
 しめたもの、そのリザを見ればもう自分の中にもリザに通じるなにかがあるのに、そっと激しく気づくことが
 出来るのですから。
 うーん、令裡とリザの組み合わせって、やっぱ結構いけるなぁ、うんうん。
 
 
 ということです。
 長いこと付き合わせてしまってすみませんでした、今日はここまでで御座います。
 そして第21話の感想もこれで完結です。
 第20話も二部構成でしたし、なんかもう書きたいこというより書かなくちゃいけないことが一杯ありすぎて
 、最近微妙に収拾付かなくなってる気がしていますけれど、なにも書くものが無いよりは万倍もマシで
 御座いますので、忙しくくるくると回りながらも尻尾を逞しく振り回しているところでも御座います。
 はい、今回はそんな感じです。
 もうなんか、リザ・令裡・姫の魅力が、もう全開で描き出されていた回でした。
 っても、一見しただけじゃわからない感じのシンプルな演出ですけれど、でもこの滲み出てくるような味わ
 いに色々と想いと思いを馳せながら感じていければ、きっと辿り着けるのではないでしょうか、
 などと生意気なことを嘯きつつ、今宵はこれにて幕とさせて頂きましょう。
 
 来週また、お会い致しましょう。 (またしても放送は今夜ですけれど気にしません)
 
 
 
 
 
 
 
 
                                ◆ 『』内文章、アニメ「怪物王女」より引用 ◆
 
 
 

 

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                           ■■姫と無頼のたゆまぬ関係■■

     
 
 
 
 
 『ふふん。 好きにしろ。』
 

                           〜怪物王女 ・第二十一話・姫の言葉より〜

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 うるさい
 
 廊下を這う風が、生意気にもこちらを見上げてくる。
 勝ち誇ったような嘲るような、腹が立つ以前に呆れるほどに距離のあるその騒々しさ。
 時間が止まっているのだと、こつこつと喧噪の中から静かに聞こえてくる秒針の足音が知らせてくれる。
 うるさい。
 ぼそりと動いた口先にまとわりつく小賢しい風どもを冷たくあやしながら、それを牙の手元に誘い込み、
 そして、噛み殺す。
 零れる吐息の濁流に飲み込まれ、その死骸達は群れを為して消えていく。
 
 - 『吸血鬼がどうなろうと、私の知ったことか。』  -
 
 しんと、嗤いが響く。
 瞬く間に沸き立つ血潮に導かれ、やがて刻は途絶えていく。
 広がる死骸達の再生と、それがあくまでただの復元にしか過ぎないことを、無限に繰り返す時間の遡行
 であることを、ただゆっくりと高鳴る鼓動の向こうに感じていた。
 残響が照らす私の言葉を、ただなぞり潰すことに必死になっている私が居る。
 うるさい、黙れ。
 その私の言葉をなぞる大合唱が今、この廊下の時間の支配者だった。
 ようやく、黙することの意味に、気づいた。
 
 
 理屈?
 ああ、そうだな。
 私にとっては確かに吸血鬼なんぞどうでもいい。
 だが、ヒロがそれを助けようとしてるのなら、それはまた話は別だ。
 無心に考える。
 「無心」という言葉を使って、沈黙の瞬間を奪い取る。
 凄まじい轟音が、その裏側に静寂の一室を築いていく。
 創られた、静寂なる無心。
 物音しない胸の中で、そして私は言葉に囚われる。
 「無心」という名の、言葉に。
 なにも考えるななにも考えるななにも考えるな。
 ぞろぞろと騒ぎ出すそのままの騒音が、私の中に永遠に無音を産み出していく。
 なにも考えずに済むために、なにかを考える。
 拳を振り回し、なにかを破壊したい衝動に駆られるたびに、私は無心に還り、そして。
 なんのために拳を振り回していたのかを、忘れる。
 訪れた安楽が、どろどろに拉げているのが、遠くに見えた。
 
 いや、別にヒロに手を貸す気持ちは無いが、少なくともヒロがまた危険に巻き込まれる可能性があるな
 ら、あいつひとりをノコノコ行かせる訳にはいかない、という意味だ。
 だが。
 その結果が、吸血鬼の利益になるって事が、許せねぇ。
 しかもそれを与えてやるのが、他ならぬ私なんだぞ?
 奴らは同胞を何人も殺してきた、それなら奴らに不利益を与える事はあっても利益を与えるなんて・・
 それは、同胞に対する裏切りにもなるし、またそれとは関係無しに私も無論あいつらを赦す気なんざ
 さらさら無ぇ。
 吸血鬼が危機に陥っているのなら、ただ放置すればそれで済む。
 ・・・・。
 顕わになった肌の内側に舌を這わせながら、その舌を掴みぶち抜く刹那の快感を見つめている。
 なんだこれは。
 瞳から零れた線上に繋がるその無意味な騒擾達の舌根を振り回し、その回転のままに私も空に浮か
 ぶ事はできないかと、なぜかそんな事を考えていた。
 手持ち無沙汰の時間を持て余しながら、その背で凭れた言葉に囲われる真空にこそ聞き耳を立てて
 いた。
 そうだ、それでいい、無心で考えてりゃいい。
 私はそうさせるために、外から入ろうとする余計な奴らを排除する門番となってやる。
 きりきりと込めた拳の力が、その門の内側のものと切断されていく快楽に身を任せ、すべての力を抜いて
 いくことの中に感じる、その果てしない自らの存在の喪失を感じていた。
 
 
 それで済む?
 なにを考えてるんだ私は。
 まるで・・・この自分の理屈に納得していないような・・積極性を欠く言葉じゃないか。
 放置すれば済むとかじゃねぇ、むしろ私が行ってドドメ刺してやりゃいいんだ!
 私には吸血鬼を助ける義務が無いどころか、奴らを討って同胞の無念を晴らす義務があるんだ。
 だから私は・・・だから・・・
 そうだ、ヒロはどうする。
 私が行かなきゃヒロはまたマズイ目に遭うに決まってる。
 令裡の奴が危機に陥れば陥るほど、ヒロはあいつを助けようとして、さらに自分の身を危険に晒すだろう。
 私には吸血鬼を助ける義理なんぞ無い、と言うのは簡単だ。
 だが、その言葉でヒロを切り捨てる事が私に出来るのか?
 違う・・・
 そうじゃない・・・
 ・・・・。
 ・・・・・・。
 克明に過ぎていく時間。
 無心と静寂を守る戦士としての戦いの時間が過ぎていく。
 襲いかかってくる煩わしいもの達の戦力の減り具合から、その外に広がる時間の経過すら知ってしまう。
 真っ直ぐに伸ばすことに力を注ぎ始めた両足が、いつしか前へ向けてその歩を進めようと足掻いていた。
 いや、もう、私は全身で動きたがっている。
 
 
 
 逃げるな
 
 『なんで私が吸血鬼を助けに行かなきゃならない。』
 
 
 
 論点はそこだ、そこが始まりで、そして目的の場所なんだ。
 ヒロは、関係無い。いや、ヒロは自分に対する目眩ましだ。
 令裡の奴・・・
 さっさとひとりでくたばっちまえ・・・
 令裡・・・令裡か・・・
 そのときの月と言ったら、満月でも三日月でも無い、ただ半月を少し過ぎた程度の、満月や三日月の
 ときに力を発揮する私ら人狼族や吸血鬼には無縁の、ただ無機的で無意味な格好を晒していた。
 綺麗だな・・・・月ってな、こんなもんだったか・・
 門を、ぶち壊せ!
 ああ・・そうか・・
 吸血鬼と・・・令裡・・・・・ふたつに分けて考えりゃいいのか・・
 裂ける時間の断末魔が、果てしなく私の動きを止めていく。
 あいつとは色々あったが・・・一緒に共通の敵を倒した仲だ・・・・・胸糞悪いが・・・それは真実・・・
 それはあの日から、私の胸を黒く燃やす、なによりも不快な実感を与えていたものだ・・・
 静止した私はその動かぬ牙を胸に突き立て、そして吹き出す真空を大口開けて飲み込んだ。
 仲間・・・? けっ巫山戯んな、そんな訳あるか。
 守りきった真空を飲み下し、そして私は守り守られる者としての意識に目覚めたと法螺を吹く。
 ならば敵か? ああそうだ、敵に決まってる。
 敵を倒すために、真の敵を真に打ち倒すために、私は鮮やかに全身に広がる真空を体に射止めていく。
 昨日の敵は今日の友、ならば昨日の友は今日の敵。あの日限りの共闘関係にあっただけだ。
 支配するために支配され、完璧に支配するために完璧に支配されるを求め、そしてなんのために支配
 するのかを忘れていく。
 だが。
 だが。
 
 「「今あいつと、令裡の奴と、私が戦う理由があるか?」」
 
 今こうして私の頭ん中をぐしゃぐしゃにしてくれた罪で、ぶっ殺してやってもいいが、それを実行する気は、
 やっぱり全然起きないな。
 じゃーどうする、どうするんだよ。
 いや、手応えは掴んだ。
 吸血鬼と、令裡は別だ。
 この感触は、利用できる。
 私は、滅茶苦茶気が立ってる。
 とにかく思いっきり戦いてぇ。
 これは、運の良いことに、私の純粋な闘志の現れなんだ。
 だからまず、これに乗る。
 そして、この戦いの愉悦で、すべて解決してやればいいんだ。
 じゃあ誰と戦う?
 そうだ、私が考えるべきは、誰と戦うことで面倒な事が全部済むかってことなんだ。
 令裡なんぞ知ったこっちゃねぇ。
 そうだ、令裡がくたばろうと、ヒロがまた間抜けにも捕まろうと、そんな事は元から私には関係無ぇ!
 姫のくそったれの嫌味も関係無ぇ!
 戦え! 戦え! 戦いだ!
 で、誰と戦う?
 そうだな・・・・・
 
 
 『勘違いするな令裡。お前を助けに来た訳じゃない。
   吸血鬼は同胞を何人も殺した。人狼族の敵だ!
     それだけだ。』
 
 
 そうすりゃすべてが一気に片づく。
 ふん、愉しく無ぇな。
 だが、これでいい。
 私は人狼族の戦士リザ。偉大なる戦士ボルグ・ワイルドマンの娘。
 その名前は、私の戦いのための利用価値になる。
 私は人狼族の戦士として吸血鬼を倒しにきた。
 そして目の前に居る吸血鬼とは、ドラクル。あのむかつく野郎だ。
 私はそいつを倒すだけだ。あとはどうでもいい。
 私は決して一族を裏切らない。
 一族の理屈にしっかりと則り、それを壊したり否定したりすることも無い。
 だが、一族のために戦う事は無い。
 私は私のためだけに戦う。
 そのために一族の理屈を利用し、一族の理屈にも従う。
 そして、だから。
 その戦いの結果がなにをもたらすのかを、私はいつも見ないことにする。
 好きにしな。
 その戦いで守られるものと助けられるものがあるなら、勝手にそれを手にすりゃいい。
 そういうことだ。
 
 唱えた言葉を胸に、私は静かに熱くなっていた。
 
 
 
 
 
 ◆・・・・・・
 
 雨の無い中空を眺めて、なぜか雨が降るのを渇望している。
 雨になど用は無いはずなのに、それでも今、求めてしまう。
 別に、雨なんか降ってなくたって良いじゃない。
 むしろ雨が降って困ることの方が多いくらい。
 それなのに今は、この瞬間の連続のうちには、確かに雨が降らないことに不満を募らせている。
 うふふ、なぜかしらね、ほんとうに。
 純粋に、今の目の前の状況を否定したいだけなのかしら?
 雨が降っていたら、きっとその雨の不快さだけにしか囚われる事ができないのを、知っているからかしら?
 なんで雨が降らないのよ、なんていう理不尽で、そしてどうしようも無い不満の方が、圧倒的にその
 許容量が多いものね。
 さて、それならば、その雨が降らない事に対する不満の中に、私は一体なにを入れようとしているのか
 しらね?
 うふふ、面白いわ、本当に。
 その不満の中には確かになにかが入っているし、実際私もさらに入れようとしているものはあるのに、
 それなのにこうすると、ただの言葉遊びにしかならないのよね。
 きっと、その言葉遊びで辿り着いたゴールに用意されているものは、私には全く必要の無いもの。
 あの頭に血が上りやすい雌犬ならともかく、私はそんな単純ではありませんもの。
 ふふ、わかるかしら?
 こうしたことを縷々と言い立てている事自体、なんの意味も無いのよ。
 そしてね、つまりこの無意味さこそが、たぶん私には意味があるものなのよ。
 でもその意味自体を私が求めている訳じゃないの。
 私自身はなにも求めていない。
 じゃあ誰が、なにがそれを求めているのか、ですって?
 
 あなたと、そして私がそれを知る必要が、御座いまして?
 
 無意味であることに意味があるのは、きっと私の今の立場、そうその立場自身になのですわ。
 私は吸血鬼。それも純血の高貴なる吸血鬼ですわ。
 そのことの誇り高さと言ったら、傲慢よりも遙か高みにある、そのような絶対的なものですわ。
 どう難癖付けようと、どう韜晦しようと、それは防ぐことのできない圧倒的かつ不変の輝きを放つもの。
 それは私という存在とは全く関係無く、ただ純血の吸血鬼に生まれついたという事実だけがその存在
 を保証してくれるもの。
 時間を遡ってでも私のその誕生を阻害しない限り、その輝きを絶つことは不可能。
 私は生まれながらにして絶対的に誇り高い吸血鬼。
 その矜持が私を支え抑える事はあっても、それを私がどうにかする事はできないものなのです。
 まぁ、私にはそんな事はどうでもいいことなのですけれど。
 だってそれは、ただ当然で当たり前なことにしか、過ぎないのですから。
 そして、その当たり前なものとしての私の誇り高い立場こそだけが、続々と訪れる無意味な時間を過ご
 しているのですのよ。
 おわかりになって?
 私自身はだから、どうでも良いのですわ、そんなことは。
 なぜなら、その純血の吸血鬼という立場は。
 私には決して支配され得ない、しかし私が支配していくことだけに、その存在意義があるものなのです
 から。
 もう、嫌になってしまいますわ、扱いづらくって。
 
 
 吸血鬼の世界から追放されてしまいましたの。
 いえ、正確には私をその世界とやらから追放しようとする、愚かで独り善がりの老害が居るだけ
 なのですわ。
 確かに私は同胞に刃を向け、天敵たる人狼族の手引きをしましたけれど、そもそも吸血鬼はそれぞれ
 の独立性が高く、お互い干渉し合わないもの。
 いえ、それ以前に吸血鬼に「世界」などあったかしら?
 私たちは同種族ということ以外に、なにも共通点はありませんし、また自らが吸血鬼であるという、その
 どうすることも出来ない存在感覚を共有できる以外のもので、共有できる感覚も意見も倫理も無い
 と思っていたのですけれど。
 もっと言えば、吸血鬼にとっては、吸血鬼とその他の種族の者を攻撃するのはまるで同じこと、すべては
 自分と自分以外のものしか無い、ということが、おそらく吸血鬼が吸血鬼たる所以だったはず。
 ですから今回の件も、ただ私とドラクルというふたりの吸血鬼間の争いにしか過ぎないのですわ。
 ふふ・・・もっとも、それは嘘ですけれどね。
 取り敢えず、独立性が高いとはいえ、社会のようなもの、そして掟はありますし、取り敢えずはそれを
 守ろうという意識は皆、吸血鬼ならば持っていましたもの。
 でも・・・あのドラクルときたら・・・
 まったく、野暮にもほどがあろうというものですわ・・おこがましくも、他者である他の吸血鬼をその世界
 から追放しようなどと。
 この世界は私以外の何物でもありませんし、そういった私物化された世界がそれぞれ重なっているだけの
 事ですのに、吸血鬼ごとにある世界を全部まとめた気分になって私物化し、やれ追放だのなんなのと、
 勘違いも甚だしきことですわ。
 ドラクルにそんな資格はありませんし、いえ、それ以前にいち吸血鬼に一個の吸血鬼の世界を奪う
 事などできはしないのですわ。
 ドラクルは確かにドラクル公というだけあって権勢はありますし、それなりに衆望はありますわ。
 それにドラクルの意志は、おそらく大半の吸血鬼の意志を代表するかのような、ごくごく平凡で、かつ
 ごくごく当たり前のこと。
 誰だって、自分を攻撃されたら嫌ですもの。追放したくなるのもわかりますわ。
 でも、それがなんだっていうのかしら?
 そう思うのであれば、そう思った吸血鬼がそれぞれ個人で私の存在を消しにかかってくれば良いだけの
 話ですのに、それが「吸血鬼世界」の「総意」だなどと、二重に巫山戯たことを言って、ドラクルがその
 制裁の代行者を名乗り現れるなど、笑止千万。
 「吸血鬼世界」などそもそも個別にあるだけのもの、「総意」に至っては、たとえ全吸血鬼がひとりも
 余さず同じ意志を持っていても、それをひとまとめの意志とする事などできない代物。
 それを平然と、そして当たり前のような顔をしてやっているドラクルの顔が愚物以外のなにものにも
 見えませんわね。
 確かに、そのドラクルを支持する吸血鬼は沢山いるでしょうし、それらが集合してある「吸血鬼社会」と
 いうものはありますでしょう。
 でもそんな社会は、世界のほんの一部にしか過ぎないのですわ。
 そしてそんな事も理解できないほどに、吸血鬼の知性と品性は堕ちたのでしょうか。
 ならば、私ひとりだけでも孤高に純血の吸血鬼らしく、生きて戦って差し上げますわ。
 
 
 粛々と登り詰める空気。
 夜の静寂は月より高く、闇の温度は月より低い。
  ほとんど肌に触れる夜を感じずに、ただただ空の上に月を抱いて微笑みを。
 ゆっくりと、落ち着いている自分を感じます。
 襲撃の的となるのは面倒だけれど、この愚かな背徳感を踏み締めるのは心地良いですわ。
 
 『私は吸血鬼の世界を追放されたのよ。』
 『そうよ。天敵の人狼族に手を貸し、吸血鬼の世界を裏切ったのですもの。』
 
 裏切るもなにも、そんな世界は初めから無いのだけれども、うふふ。
 その無いものを有るとして踏み躙るのは、なかなか面白いわ、ヒロ。
 陳腐な同族意識に囚われる気はさらさら無いけれど、敢えてその裏切り者としての自覚を以て戦うの
 は、かえってその惨めな世界に逼塞する愚か者どもを懲らしめるのに、最もいやらしい方法になると
 思うわ。
 ふふ、そうね、返り討ちにしてあげるのも悪くはないわ。
 声高にドラクルの非と愚を叫んで反抗するのでは無く、罪の意識を抱いてそれでも不敵に嗤いながら
 その吸血鬼世界からの裁定者達を皆殺しにしてあげるのよ。・・・・・ゾクゾクしますわ・・
 
 『心配してくてくれたの・・? うふふ・・・良い子ね・・ヒロ。』
 助けに来てくれたの?・・・ふふふ
 助けなんていらないし嬉しくも無いけれど、でもあなたのその必死な顔には魅力を感じましたわ。
 わざわざ非力な坊やが助けられた恩を返すために懸命にやってきた、なんて物語にしなくとも、
 ヒロのその可愛らしさを見たら、ちょっぴり愉しさが増してきた気分ですわ。
 
 『裏切り者め。貴様を吸血鬼の世界から追放する!』
 『うふふ、出来るかしら?』
 
 あら? ヒロ、震えているの?
 大丈夫よ、私があのような愚かな老人に遅れを取ると思う?
 おまけに今の私には、懸命に助けられた恩に報いようとする、健気で可愛らしい少年がついているの
 ですもの、うふふ・・・
 張り切りつもりは全然無いけれど、それなりの舞台にはして差し上げましょう、ドラクル公。
 
 さて。
 そろそろ頃合いかしら。
 刀折れ矢尽きる、というところまでいった演出までには至りませんでしたわね。
 まったく、あの老人ったら、もうちょっと付き合ってくださってもよいのに、ほんと野暮なひと。
 そうね・・ヒロが居なかったら・・・もっと早く決着がついたかしら。
 もっと華麗に、もっと激しく、もっと芸術的に、そしてもっと刹那的に、劇的に私は散っていたはずだわ。
 でも、私は足手まといにすらする気が無かったヒロに、それでも戦いのさなかに目をやっていた。
 ヒロが私のために戦って、そして私のためにピンチになって頑張っている。
 私には勿論それで私が満たされる小さな欲望など無く、ただその可愛らしいヒロの様を微笑ましく見つ
 めていただけですわ。
 それなのに・・・ですわ・・
 ヒロが追い詰められたときに、私はその観客としての位置を離れて、ついヒロの方に向かってしまった。
 なぜかしらね、あそこでヒロが死ねば、私はその血で身を清め、美しい死の愉悦に浸ることが出来たは
 ずですのに。
 無様にヒロに向かって駆け出して、無様に下層吸血鬼どもに捕まって、無様に斬られ突かれ殴られて。
 ほんとに、これが誇り高い純血の吸血鬼の舞台とは言えないですわ。
 ボロボロにされて、そしてそれを創り出したヒロを消し去りもせず、むしろその姿を胸に抱き入れて、ドラク
 ル公に真っ直ぐと対峙して。
 ヒロ、もういいわ、ありがとう、充分愉しませて貰ったわ。
 思わぬ惨めな最期を飾る事になってはしまいましたけれど、それでも満足ですわ。
 ふふ、今までの私には想像もできないような、惨めで無様で、そして未知の面白さ。
 ヒロに守られることも無く、ヒロを守ることも無く、孤高に戦い孤高に死に。
 それでいて・・・うふふ・・
 来てくれたヒロを愉しみ、私を守ろうとしたヒロを愉しみ、ヒロを守ろうとした私を愉しむことができましたわ。
 ふふ、もっともヒロを守ろうとしたっていうのは嘘で、結果的にヒロを守った形になっただけですけれど。
 
 今、私の中では、気高く孤高な私と、真摯に罪の意識に懺悔する私の重みが等しいですわ。
 
 ドラクル公。
 私の最期の対峙者としては、なかなか面白い方でしたわ。
 感謝しますわ、色々と。
 孤高なる私として、「吸血鬼世界」の一員たる私としての、そのどちらの死への回帰も今は可能。
 いえ。
 そのどちらの私としても、生きる可能性を捨てること無しに、生きることが出来ましたわ。
 『まだまだですわ。』
 生きたい、なんて暑苦しいことは申しませんわ。
 死にたい、なんて見苦しいことも申しませんわ。
 だけど、ヒロ。
 
 ありがとう。
 
 
 まだ私と一緒に、戦ってくれるのね。
 
 
 
 
 
 
 
 『姫様・・・・・どうして!』
 
 
 
 
 ありがたくも見慣れていたその姫様の姿が、今、ようやく、有り難く、勇ましく見えました。
 
 
 
 そして。
 
 
 
 
 『リザ・・・!?』
 
 
 
 
 
 その見るはずも無かったその背中に、今、改めて、腹が立つのを感じましたわ。
 
 この借りを返すことを、いちいち考えなくてはいけないなんて!
 
 
 ・・・。
 ・・・・・。
 
 ・・・・・!
 
 
 『吸血鬼の歴史は隠蔽の歴史、ってね。 うふふ♪』
 
 
 この借りを逆手に取って、またどうやったらあの犬で遊べるかを考える方が先決ですわね♪
 
 
 
 
 
 
 
                                     ・・・以下、第二部に続く
 
 
 
 
                                ◆ 『』内文章、アニメ「怪物王女」より引用 ◆
 
 
 

 

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                                ■■ 切子でいっぱい ■■

     
 
 
 
 
 夏の日差しも終わりに向かい始め、涼しい日々が続きながらも、また少しすれば厳しい残暑が
 待ち構えているかと思うと、今の内に思いきりこの涼しさを満喫しちゃおう☆という心掛けの今日この頃、
 皆様如何お過ごしでしょうか。
 ポジティブポジティブ♪ (青ざめた顔をしながら)
 あと切子(藍)のぐい飲みを買いました。夏はこれで一杯というのが(以下略)
 
 さて、当工房も五周年を迎え、色々々と転機を(自主的に)迎えてみたいお年頃でありますれば、
 なにかせなあかんなと、無理矢理頭をひねりたいところなのですけれど、そもそも転機ってなにさ、
 ていうか毎回転機みたいなもんじゃないかお前は、まったり度が日々上昇してるみたいな、という感じ
 で、ならばそのまったり中心な構成をこの際ばっさりやってみたらどうですか?、と真面目な顔で意見を
 述べたところ、残りのメンバー全会一致で、それは無い、と即答されました。メンバーって誰でしょう。
 ということで、まだまだまったり中心からは抜け出せそうもありません。
 だって多数決ですから、民主主義ですから。(微笑)
 
 さて、さて、意味不明な挨拶はこの辺りにして。
 一応私も五周年ということでなにかしたいとは思っています。
 といっても五周年記念とかそういうものでは無く、これを機に色々とサイト的にぐだぐだになり過ぎてて、
 手の付けられなくなっているものを、改めて整理したりやり直したり実行したりと、そういうことをしてみたい
 と、まぁそういう訳なのですよ、はい。
 ではまず、どんなものがごちゃごちゃとあるのか、リストアップ。
 
 
 ・BBSの復活、というか正式稼働、及び過去ログのUp。
 ・メアドの復活。
 ・サイトリニューアルといきたいところだけど、せめてtopページの整理と改善だけは。
 ・拍手御礼ページの数を増やす。
 ・マリみての文章を書く。(現在聖×令のものがプロット4割方出来ていて、聖×志もしくはそれぞれのピ
  ンのものが妄想段階)
 ・蒼さんときみつさんにリクエストされた、シュールな(シュールなってなによ・・)羊の文章を書く。
 
 
 上3つは管理人として当然するべきだと思う、というか一体いつまで放置しておくのかーってところのもの
 なので、なんだかもうここに書くこと自体おこがましい事ではあるのですけれど、一応。
 BBSは新しいものを探す気が無く(面倒に)なってきたので、現在使っている弐式を正式に本家として
 使い回しにする予定。
 本家で使ってた残りのアイコンを登録して、デザインを少々いじれば、あれも使い勝手は良い方なので
 充分使っていける(他のを探すのよりはマシ)と判断しましたので。
 過去ログに関しては、その昔、過去ログページのデザインが思いつかなく、思いつき次第Upしますという
 事実上の無期限宣言をしたのですけど、やめやめ、もうやめ。
 デザインはこの際諦めた(えー)ので、とにかく純粋に文字のデータとして記録としてUpすることにしました、
 だっていつまで経ってもできないもんね! 大事なのは見た目じゃなくて中身だもんね! (言い訳) 
 メアドに関しては、これこそものの五分とかからない作業なのに、かえっていつでも出来るさふふん、という
 態度だったがためにいつまでもうこうずるずると・・・・なんかそんなんばっかやね自分。
 ただこれもメアドがなぁ・・bloodyeysまではいいんだけど、それだけのアカウントは前調べたときに取られて
 たのでその後になにかつけねばいけなく、前のは21世紀という意味で21を付けたんだけど・・・
 んーどうしよ。 そんな悩む事じゃないはずだから、今日絶対決める!っていうスタンスでいけばすぐに
 決まることなんですけどねそうしない、そう、そうしないんですこの人は、全部わかってるから。 (ため息)
 
 topの整理と改善、うん、これは個人的に一番やりたいですね。
 あ、イコールやる気がある、という意味では無いですよ? やりたい、という願望ですから。(願望)
 とにかくもうごちゃごちゃしてて最悪なので、なんとかしたい。
 デザイン自体を変えなくても、整理とかそういうのなら出来る気がしたり出来ない気がしたりわからなか
 ったり・・・なんか自信無くなってきちゃった・・・(最低)
 あ、あと拍手の御礼ページ。
 ずっと今まで、羊とあずまんがの2種類しか無かったので、いつかは新しく他の作品のキャラを使って
 やろうとか思ってて、一時期はカレイドのそらとレイラさんorそらとケンで漫才やろうかなって思ったんです
 けど、ネタがあまり思いつかなく凍結という状態でそれは今も変わりませんし、解凍も出来そうに無い
 ですけれど、五周年ですから! 奇跡が起きるといいな! (ツッコミどころ多数)
 
 で、文章の方ですけれど。
 私はさ、最低1年に1回はマリみての文章を書きたい思ってて、一昨年から始めたんだけどさ、あっさり
 去年からかかなくなってさ、散々でさ、そして今年こそはと意気込んでいるうちにもう半年経っちゃってさ、
 一年って早いなぁとしみじみとなにか感慨深げにして話を逸らしたりしているうちに9月ですよ。どんだけだ。
 という事で一念発起、時間があれば妄想、時間が無ければ妄想と、妄想につぐ妄想を重ねた結果、
 なんというかベタベタなお話が頭の中に出来て来ちゃって、自分で妄想しておいて、なんだこれ・・・っと
 息を飲んでしまうほどに甘苦しいものが出来ちゃって、無い無いこれは無いな!、ということで一から
 考えたんですけど、どうもその最初に考えたお話が食い込んできてどうにも・・・・・・こいつはもう駄目だ。
 ということで、実はよく考えたらそれではありえない組み合わせである聖×令がそんな感じで、真面目に
 なんか考えたり隠喩とかそういうほら私がいつもやってる訳わかんない奴?ああいうのもうやめやめ、って
 事で、なんか素直にストーリーになっちゃってるんで、4割出来てても無理っす、聖×令は。
 ちなみに、以前の日記で設定というか基本理念を妄想してたんですけどね、聖×令は。
 タイトルは確か「流星の行き先」とかつけて、愛がどうとか議論するみたいな話をね・・・うん。(遠い目)
 そして、なぜかチャットでときみつさんと蒼さんにリクエストされてしまった羊の文章ですが。
 残 念 で す が 、 あ り 得 ま せ ん 。
 や、正直無理だわ、シュールがどうとかそのへんもわかりませんけど、少なくとも今は羊まで手が回らない
 っていうかこの有様見ればわかるっしょ! (まったり過ぎて)余裕無いのよ今!!
 うんでもリクエストされて嬉しかったですよ、まだ必要とされてるって、僕はここに居ていいんだ、みたいな。
 さて、この段落だけで一体いくつアニメネタがあるでしょうか、数えてみましょう。 (夏休みの宿題風に)
 
 あー・・でもさ・・・正直、この季節に羊って、アリだよねぇって思ったよ。
 なんていうか、もう死にそうなくらい暑いときに、なんかほっそり千砂とかあの白いワンピで立ってたりとか、
 和服着て縁側で団扇をゆっくりとこう・・・・うん・・・・うっとり・・・
 冬目景の作品は、なんか夏こそ一番ひんやり来るって感じがしていいね。
 あの人の絵、主に女の子なんだけど、ずっと見つめてても飽きないし、むしろそれが本体?みたいな気
 分がして何時間でも魅入ってることできちゃいそうだけどね、たぶんその夏の冬目景の絵はこう、ちょっと
 それとは違くて、一瞬の間に目の前に現れた風みたいな、そういう爽やかというか、居るのか居ないのか
 わかんないような儚さ、いやいや儚さっていうと違うか、なんていうの? 嘘臭さみたいのがあるっていうか。
 目ごしごしこすって、今さ目の前に女の人居たよね? んーんいないよ? そう、そうだね、みたいな会
 話が出来ちゃうようなって、あの、いいですか、今私すごくマニアックなお話をしているような気がしてね、
 うん、怖くなってきたのでやめます。冬目景終わり! 千砂萌え!  ←弱虫
 
 
 すみません。
 暑いときは暑いときでぐだぐだ言うけれど、気温が下がってくるとぐだぐだになる紅い瞳です。
 あれな、気温の変化とかに弱いねん。 すっごいだる。
 ごめんなさい。 (オチ無し)
 
 
 あーあとあれな。
 さっき上に挙げた項目のうち、 ひ  と  つ  で  も  出  来  た  ら  合  格  な 。
 やる気度と志の低い紅い瞳でお送り致しました。
 
 
 
 
 ◆
 
 紅い瞳のアニメニュース!
 ということで本日もアニメの続編制作が決定したものがありますので、それをお伝え申し上げますです!
 
 
 GUNSLINGER GIRL アニメ2ndシリーズ 制作決定!:
 
 ・・・・えっと、何年前でしたっけ? 1期があったのって。
 と、そんな感じでちょっと自分の中に隙間的距離がこのニュースとの間にありまして、ええ。
 うん、なんかすごく喜ぶべき事のはずなのに、だって1期のときは感想で萌え燃えまくりの乱れまくりだった
 ですし、過去ログを読み返す限り第2期を渇望しているようですし、だのに・・・ねぇ? (と言われても)
 実感が無い、というところですか、うん、これからもうちょっと自分を突いたり叩いたりぶちのめしたりしてる
 うちに、あーこれや、これやんかガンスリ、てな具合でガンスリモードに復帰するかもしれず、ということは
 私はこの報を受けてすべきことは、自分をどつくことっていう、なにやら恐ろしい結論に。
 ぇ、なんでそんなことに。 (おろおろして)
 ま、今はこんな調子でのぺーってしてますけど、いったん復帰したらそりゃもうきっと・・・目も当てられない
 事になること請け合いですので、その、頑張ります。 ←あかまるほっぺ
 あーあと感想書く、ほぼ100パー。
 断言してもいいですよ、もし書かなかったらそのときは今日言った事を全部忘れるって。 (そっちか)
 
 次です。
 
 “癒し系”アニメ『ARIA』第3期シリーズ放送決定!:
 
 あらあら、うふふ。
 言いたいことはそれだけだ。 (おい)
 いや冗談抜きで、そんな感じ。
 骨の髄まで癒されろ、そんな感じ。
 たぶん身構えなくても癒されますし、とんがっても癒されます。
 癒されます、なにがなんでも癒されます。
 だから、あらあらうふふ、なのです。
 意味がわかりません。
 だから、癒されます。 (意味不明)
 
 
 終わります。
 
 
 追記というかメモメモ。
 すっごいね、続編ラッシュ? なんかウチで続編ニュースコーナーみたいのやる? やっちゃう?
 んー、どれだけあるんだろ、少なくとも私が興味ある奴は。
 ちょと書いてみた。
 
 ・涼宮ハルヒの憂鬱第2期
 ・コードギアス第二期シリーズ
 ・げんしけん2
 ・GUNSLINGER GIRL 2ndシリーズ
 ・xxxHOLiC新シリーズ
 ・ARIA The ORIGINATION
 ・マリア様がみてる第4期
 
 あるようなないようなあるような。
 一番楽しみにしてるのはxxxHOLiC。
 あと不安要素ありまくりだけど、期待したい度(?)ナンバー1は、やっぱりマリア様がみてる。
 だからなに? と言われてもなにもありませんけれど、続編万歳でいいじゃない。
 それと、今やってる放送中のアニメも、これ絶対続編いくでしょ、いうのが結構ある。
 クレイモアはほぼ確実にいきますし、怪物王女もまだまだ全然いけますし、OverDriveもいかない訳には
 いかないでしょうし、ダーカーザンは微妙ですけどやらないとかなり設定的な所が残りますし。
 さすがに、 ス   ク   イ   ズ   は   無   い   な  。
 ていうか次の話あたりから普通に年齢制限入るってウワサがあるのですけれど、あれ。
 あ、そういえば忘れてたけど、NANAとかもう第2期がっちり匂わせて終わってましたけど、あれは一体
 どうなってんでしょ・・・是非見たいんですけど、あれ観るとすっごい元気出るし。
 
 
 
 いじょ。
 
 
 
 
 
 ◆
 
 エル・カザド:
 第21話。
 荒くれならナディの方が上だから。
 ということで、ナディさん可愛い。
 いやなんか私はナディさん派。ナディ萌えで良し。
 今回はあの偏屈と見なされてるおじいちゃんとのシーンがこう、いいなって。
 なに言ってるんでしょうね、でも言います遠慮会釈為しに躊躇いも無く。
 なんていうか、ツッコミ入れるところは入れてるんだけど、まるっと許容しちゃってるし(対エリスモードで鍛え
 られてもいるしw)、それでするっとじいちゃん側に入ってきて、なんていうか、いいなって。(語彙無し)
 街の人達との接し方もこうなんかするっと、こうするっと・・・・・絶望した!(語彙の無さに)
 ちゃんと情報得るものは得てるし、そういう意味では手練手管で近づいてぽい、みたいなとこはあるけど
 、でもそれだけじゃなくて、ちゃんと一期一会を愉しんでいるというか、話を聞くのが目的ではあるのだけ
 れど、それだけでは全然終わらなくて、普通にじいちゃんじいちゃんって懐いて、うーん偉いなぁ、いやさ、
 凄いなぁ愉しいだろうなぁって思うものね。
 
 で、実はダグことローゼンバーグも、このナディと同じ事してるのね。
 特にメリッサとのやりとりをみればわかるけど、ローゼンバーグはメリッサのことなんか逃避場所とか憩いの
 場とかあと金蔓とか、そういうもの以外の目的で近づいてる訳が無いのはまる見えで、勿論そんな自分
 の在り方になんも感じてなくて、だから普通にメリッサに対していくらでも大嘘を付けるし、でもさ、だから
 こそその大嘘がすごくサービス精神に満ちてるというかさ、絶対にバレないように、かつ騙されてる限りに
 於いてはすごく愉しませてあげる、というローゼンバーグ的には片手間的愛の言葉に過ぎないものでも、
 ちゃんとその片手で出来る事のMAXを魅せてる。
 だからメリッサなんかは、完全にローゼンバーグの心の内を見切っているのだけど、絶対にローゼンバーグ
 はこの幸せに見える時間を壊すことはしないほどの完璧な「嘘」を綴ってくれる、そう思えることからくる
 その時間の創られたものとしてのクオリティの高さと、そしてそれでもそれを見切り、かつそれに甘んじて、
 自分もそれを一緒に愉しんでいこうと思える。
 だからやってることは、ナディと同じだし、言うなれば、ナディが陽でローゼンバーグが陰。単純。
 
 でも。
 メリッサは、「本気」。
 そうやってローゼンバーグと嘘の時間を愉しむ粋さを持っていても、でもそれでも野暮とわかっていても、
 その事に哀しみを感じずにはいられないし、またその哀しみに囚われているだけの愚を想ってる。
 そしてローゼンバーグもまた「本気」。
 彼の本気とは、メリッサに対する無関心。
 そして。
 ナディもまた「本気」であり、彼女の本気とは、他の人達に対する好奇心。
 ナディは温かく、ローゼンバーグは冷たく、でもやってる事は同じことだし、それはふたりが別々のものを求
 めているからにしか過ぎない。
 そしてたぶん、ナディが好奇心を温かく持っているのは、それがナディの努力の結果からでは無く、初め
 からずっとずっとそうだったというだけ。
 ローゼンバーグが生まれながらにして冷血漢ならば、ナディは生まれながらにして熱血漢。漢ですとも。
 だからなにが言いたいかというとですね、つまりナディ的なことが偉い訳でも無くローゼンバーグ的なことが
 悪い訳でも無く、ただお互いがそこからどうやっていくかって事が大事で、また逆にだからこそ、いつでも
 自分達が努力してきたものは、実は元々当たり前のものだったんだって思えば、いつまでだってまた
 へんに偉ぶらずに努力する事を続けていけるし、そしてね。
 そうすればきっと、ローゼンバーグ的なものへの理解というか寄り添い方が見えてくるのじゃないかなって。
 それは逆に、ローゼンバーグ的なもの側からも同じことが言えるってことでもありますネ。
 
 あと今回初めて、本音として、LAを応援してあげたくなりました。
 いや変態としてとかじゃなくて、そこ、巫山戯ないの、ええと、普通に同情っていうか可哀想っていうか、
 んーそれもちょっと違うな、あ、そだ、つまりね。
 幸せになりなさいね、って思った。
 
 
 ・・・?  ←言ってから、自分の意図がわからなくなった人
 
 
 
 
 

 

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