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◆◆◆ -- 2007年10月のお話 -- ◆◆◆

 

-- 071029--                    

 

         

                                  ■■ ヤルキゼロ ■■

     
 
 
 
 
 ごきげんよう、紅い瞳です。
 
 えー、今日はなにも書くものがありません。
 というか、なにも書くものが無い、という前提で始めたいなって思います。
 なんでかと言うと、書くのが面倒臭いからです。
 こういう人が、このサイトをやっています。
 よろしくお願いします。
 
 さて、そういうことなので、特に書くものはありません。
 一応は、アニメ「もっけ」があまりにも素晴らしいので、頑張って宣伝してみようかと思っていたら、なんだ
 か「もっけ」見てるうちに、あー、観てるだけで充分だこれ、いちいち宣伝とか面倒だ、と、そういう流れに
 なりまして、なにを書こうかと思い浮かべる端から棒読み口調のどうでも良い賛辞しか頭の中に並ばな
 かったので、そういうの、やめにします。
 大体ですね、「もっけ」は観ることの出来る人少ないんだよ。
 東京MXとか結構マイナーなところがいくつかちらほらやってるだけなのですよ。
 私ん家だって、最近観られるようになったところですよ、MX。
 それで、宣伝?
 それは、DVD買えってこと?
 この私が、DVDの販売促進のようなことをやらなくちゃいけないの?
 
 たんに書くのが面倒なだけなのに、そういうことだけはネチネチと考える人がここにいます。
 今日も、良い天気ですね。 (台風一過の青空を仰いで)
 
 
 ◆
 
 冗談です、とは残念ながら言えないほどにやる気が無いです。
 やー、はい、「もっけ」の宣伝はそのうちやる気があるときに書くかもしれませんし、書かないかもしれない。
 「もっけ」は「もっけ」でいいやん。
 いや、よくない。
 そういう、葛藤中心で忙しいので面倒なのです。本末転倒というのもばからしい。
 うん、そうね、「もっけ」はいいよ。
 今期はこの「もっけ」と「みなみけ」と「ブルードロップ」に注目とか言ってましたけど、はやくも「みなみけ」と
 「ブルードロップ」は停滞し始めてる中で、「もっけ」はガンガンいってますよ。
 うん、「みなみけ」はそれでも随所でまだ面白いのではあるのだけれど、第一話ほどの力強さが消えて
 るし、「ブルードロップ」はなんだか通っていた一本の芯がいつの間にか抜けちゃってる感じで、いまいち
 焦点が掴めなくなってのかな。
 だから、今期はまずは「もっけ」。
 アニメの話しかしていないと思われるでしょうけれど、アニメの話もちゃんとしていますよ。
 アニメです。
 ごきげんよう。
 
 
 ◆
 
 意味がわかりません。
 なんだか強引にまとめて終わらせてしまいました、上の文章。
 一体十数秒前の自分がなにをしたかったのか、もう今の私にはわかりません。
 まぁでも、書いているうちにやる気が無くなったんだと思います。
 よくあることです。気にしない。
 勿論今もやる気の無さは続行中です。
 
 ごきげんよう。
 
 
 
 P.S
 ガンダム00が面白いんですけど。
 誰だ、始まる前から終わってるみたいな事言ってた奴は!
 ・・・私も似たような事を考えながら、でもちゃんと観なきゃ駄目だよとか、半笑いで言ってたのですけど。
 うーん、こうもくっきり構図化してくるとは思わなんだ。
 あれって、戦争する奴は全員ぶっ飛ばすっていう人と、問題をひとつひとつ細やかに解決してこそ初めて
 平和になるしぶっ飛ばすとか言ってる奴自体戦争してんじゃんこのテロリストめって人という、豪快にふたつ
 の種類に人間を置いてるよね。
 んで、まぁ両方を支持する人同士で争う(視聴者も含めて)訳ですけど、つまりそれが意図で、それって
 つまり結局どっちも同じじゃん、って事が見えてくるってことだよね。
 わたしゃどっちの意見もわかるけど、どっちの意見のマズイとこもわかるしね。
 戦争する奴を片っ端から潰して、そうすればそれに反抗する者が連鎖反応で沸いてきて、でもそれも
 全部ぶっ潰すと言うことは、つまりそれはひとつの理念を示してる訳で。
 つまり、人間がそれぞれそこに居る以上様々な問題が発生して、だから戦いも起きる訳で、それを無視
 して戦いだけを消去したって、その問題が発生するって事自体は変わらないしそれじゃ変えられない、
 だから愚かだ、と嘲笑っている者こそ、実はそれを口実にしてすぐに問題解決の手口を戦いに結びつけ
 ようとしている、っていう、そのなによりも問題意識を喚起してるのかな。
 ほんとにそれは、戦争でしか解決出来ない問題なの?
 ほんとは、「絶対に戦争は駄目!」という強い共通の意識のためになら、もっと我慢出来、かつその我
 慢強い粘りの中からこそ、戦争無き問題解決の糸口が見えてくるのじゃないのかな?
 だから、あれみたいに単純に戦争する奴は全部ぶっ潰して戦争無くしてやる、というのは確かに方法論
 としては滅茶苦茶に間違ってるけれど、でもそれを口実にして、つまりその方法論とそれを実行する者
 への非難を隠れ蓑にして、自分達がやっている「戦争」を問題解決の正当なものに格上げしてる姿が
 見えてくるんだよね。
 
 で、勿論その無茶苦茶な方法論を取ってる人達も、それだけじゃある意味上辺だけの世界しか残せな
 い事に気づいて、その後に控える具体的な当事者が向き合う問題解決の過程こそが、みんなが「平
 等」に暮らしていける世界を作っていくって気づけるのだろね。
 たんに戦いだけを無くすだけなら、「今」の状態で満足してる人だけにとって意味のある「平和」にしかな
 らないもんね。
 ま、だからって戦いを無くす事自体を否定するのは論外だし、それこそ平和への悪意があるって事。
 まず戦争は絶対禁止、そしてその前提でみんなが怒りをぶちまける直前で踏みとどまって、はい。
 そこからが、いよいよ本番。
 如何にその平和が「平等」なものになれるかこそを、考えていきましょう。
 戦争を問答無用で消去するのはあくまでスタート。
 でも、結構、そのスタートを無視して好き勝手やってる人、いるもんね。
 
 なにはともあれ、あの他のキャラにまで名前を覚えられていない主人公くんと、秘書だか付き人だかの
 人に思う様に小馬鹿にされてるあの王女様あたりを中心にして、まずは見続けていこうと思ってます。
 うん。
 
 
 おしまい。
 
 
 
 
 
 

 

-- 071026--                    

 

         

                                  ■■ 命のいる罪 ■■

     
 
 
 
 
 『もし、見えなかったら・・・私、ここまで亜季ちゃんのことに関わったかな・・・』
 

                           〜もっけ ・第三話・静流の言葉より〜

 
 
 
 
 
 
 どうしよう。
 どうしたらいい。
 どうしたらいいかわからない。
 どうしよう。
 どうしよう。
 そのうち、言葉も出なくなる。
 でもそのときに、そっと、その黙っている自分の姿が見えてしまう。
 後ろから、まるでひたひたと追い詰めるようにして、どこまでもついてくる、化け物のようなその視線。
 それが自分の視線だということを百も承知でいながら、しかしそれは同時に、それが自分の視線である
 からこそ、本当にどうしようも無いことと知る。
 なぜなら、それが誰か他の者の視線であるのならば、その者を打ち倒せば済むし、それが出来なくて
 も、どうすればそれを倒せるかを考え続けていれば済む。
 でも、その視線を深く感じ取れば取るほどに、それが他ならぬ自分の眼差しであると気づけてしまう。
 すべては自分の意志次第、自分が変われば世界は変わる、それらの言葉は救いであったはずなのに、
 それにこそ救いの可能性を感じていた分だけ、今はそれがすべて重い十字架となって負ぶさってくる。
 どうすることも出来ない、どうしたらいいのかわからない、その手詰まりな自分を、それは果てしなく見つ
 め、そしてその視線はいよいよ重さを持ち始めてくる。
 見るな、とは、絶対に言えない。
 見たい、見なくちゃいけないと、思っている自分こそが、自分を見つめているのだから。
 目をそらすのが、怖い。
 なんでだろう。
 わからない。
 わからない。
 すべて、わからない。
 だから目を閉じることが出来ない。
 そして目を開けている時間そのものが、やがてそっくり自分を押し潰していく。
 
 
 
 
 ◆
 
 静流には、他の人達には見えないものが見えます。
 それはいわゆる妖怪と言われるモノたちです。
 ただ静流にとっては、それは「妖怪」などという名前を付けて受け取っているものではありません。
 それとかあれとか、あくまで個別のものとして、それぞれ向き合っているのです。
 そして静流は、それは他の人には見えないものであり、それが見えるということを公言することは、他の
 人達との距離を空けてしまうことを知っています。
 だから、静流はごく一部の信頼できる人だけにしかその能力があることを言わないし、今見てしまったモ
 ノの事も言いません。
 厳密に言うと、静流はゆえに自分に見えていることのすべてを、自分で背負っている訳では無く、お祖父
 ちゃんや瑞生にはちゃんと話すことが出来、ある程度心安らぐことは出来ています。
 しかし、静流自身こそがそれらを「見ている」という事自体を、誰かに分けて持って貰うことは出来ないし、
 そしてまた、それゆえに自分こそが一番その「見えている」モノに対して責任を負っているという自覚を、
 静流は手放すことが出来ないのです。
 
 友人の亜季の兄が、なにか得体の知れないモノに取り憑かれ、それを静流が呆然と凝視するところ
 から、今回のお話は始まります。
 そしてそれと共に、幼き頃に、道ですれ違った恐ろしい顔をしたモノを見て、ぞくっとするほど怖れに満ちた
 顔で泣いていたことを思い浮かべる静流。
 アレは、私にしか見えてない。私にしか、私にしか。
 幼い頃は、ただ必死にその恐ろしいモノの姿と、そしてそれを見ているのが自分だけという怖さという、
 そのふたつからなる「妖怪」に怯えていれば良かった。
 でも今はもう、色んなことを学んできて、少しは対処法も知ってて、そしてお祖父ちゃんがいて、それに、
 それに、今は大事な人達を守りたいって、守らなくちゃって思うの。
 だから・・・・・
 静流は今も昔も、その得体の知れない「妖怪」に取り憑かれ続けています。
 私が、見えてる私が、亜季ちゃんのお兄さんを助けなくちゃ。
 それは、もはや恐怖などというものでは無くなって、それこそ訳のわからない衝動となって、激しく静流の
 背を衝いている。
 亜季に兄の話を聞かされながら、うっすらとその衝動を噛み締めながら歩く静流。
 なにも見えない亜季との距離感を感じ、その寂しさと悲しさを感じながらも、静流はそれを越えて、その
 亜季の兄をなんとかしてあげなければ、といういわば使命感にこそ揉まれていくのです。
 
 なぜ、そんなに必死になれるの?
 
 開口一番、お祖父ちゃんは、『ほっとけ。』と言います。
 最も頼りにしているお祖父ちゃんにそう言われる事は、今までのお祖父ちゃんのそれらのモノとの接し方
 から充分理解していたがゆえに、それほど驚きはしなく、しかし静流はそれ以上に、そうだよねお祖父ち
 ゃんに頼る事考えちゃ駄目だよね私がやるんだもんね、とそういう意識で以て、そのお祖父ちゃんの無下
 な態度を受け止めるのです。
 とはいえ、静流は別にそのお祖父ちゃんが主張する、その放っておく精神を無視している訳では無いの
 です。
 『奴らは居んのが当たり前。』
 だからいちいち手を出していたらきりがないし、そしてそれは逆にあれら妖怪達の世界に不必要に干渉
 し、彼らの敵となってしまう可能性さえ導き出す、だからそんくらい放っておけ、と。
 それは静流も理解しているのです。
 でも。
 でも、友達の、亜季ちゃんのお兄さんだから。
 そして、私はこうして見えてるんだもん、あれが。
 なんとしても、助けてあげたいのです。
 それは、実はお祖父ちゃんが言うような、そうした能力ある自分が、友達である自分がなにもしないで
 見ぬふりをしている罪悪感に耐えられないからの想い、では無いのです。
 それは、純粋な静流の気持ち。
 静流はただ純粋に亜季のお兄さんを助けてあげたいと、ただその一心だっただけ。
  損得もなにも無い、すなわち静流の性分としてのその想いの発露。
 しかし。
 
 勿論、静流は、自分がしていることがお祖父ちゃんのいうような罪悪感を元にしているとも言えることを、
 しっかりと理解してもいる。
 
 いえ、静流はお祖父ちゃんにその罪悪感を払拭するためにこそ、そんなに必死になっていると指摘される
 ことで、そのことに頷いてしまうのです。
 確かに、私がやってることは、そういうことなんだ、と。
 静流は素直に、そして静かにそのお祖父ちゃんの言うとおりに自分を捉え直してしまう。
 私はただ、自分が見えているのに見てみぬ振りをするのが嫌なだけなんだ、と。
 はい。
 私は、これこそが、お祖父ちゃんが見抜いた、静流に取り憑いていた「妖怪」なのだと思います。
 静流。
 お前は自分のことをわかってるくせに、そのわかってる自分を守ろうとしてねぇ。
 その覚悟が、お前には足りねぇんだ。
 お前のそのお節介な性分は悪いモンじゃねぇし、それで行動すること自体を否定する必要も無い。
 だがな静流。
 お前がその行動を取ることでなにが起きるか、それをよぅく考えろ。
 それがどんな事を周りに与えるか、そしてなにより、お前自身がそれでどうなるのか、それを考えろ。
 お祖父ちゃんは、それを伝えるために、わざとああ言ったのだと思います。
 わざと静流の中にある罪悪感を払拭したいと願う意識だけを取り出して、それがお前のすべてだと言い
 切ったお祖父ちゃん。
 そして、静流はそれに素直に頷いてしまった。
 その罪悪感を払拭したいだけで、お前はほんとに必死になれんのか?
 『人は、罪悪感だけで動けるもんじゃねぇ。』
 だから、お祖父ちゃんは亜季の兄に取り憑いているモノを祓う事を、請け負ったのです。
 静流よ。
 お前が一番信じて、一番力を入れて、そして一番それのままに生きなくちゃなんねぇのはなんだ?
 罪悪感に囚われることか?
 自分は自分が見てみぬふりをするしかできないことを、ただ憂うだけのことにか?
 違うだろ。
 それがわかんねぇなら、ほうっておけ。
 それすらわかんねぇのに、お前があいつらの世界に手を出す資格は無いんだ。
 もう一度訊くぞ。
 お前が、今一番、絶対にしたいことはなんだ?
 
 友達の兄さんを、助けたいのだろ?
 
 『奴らは居んのが当たり前。』
 『拝んで、頼んで、離れて頂く。 わかるな?』
 静流の「我が儘」を通すには、それなりの仁義を切る必要があるとお祖父ちゃんは説くのです。
 周りを動かすほどの熱意と、少なくともその事の静流にとっての重要性を示してこそ、初めてその覚悟
 が周囲に伝わり、そして初めてそれらを変えることができる。
 それが自分の我が儘だとか道理に合わないから、或いは結局はそれは自分のためにやってる事なのだ
 と、そう言い聞かせて周りを動かすことをやめるという、その事自体をよく見つめてみよと、お祖父ちゃん
 はその「呪式」を以て静流に示してみせたのです。
 お前が取り憑かれてんのは、ソレだ。
 自分のためにやってようが、自分の気持ちを軽くしたいためだろうが、それだけでは無いことをなによりも
 知っているのはお前じゃないか、むしろそれを無視してそれらマイナスの要因に囚われてなにかをするの
 をやめてしまったとして、それで一番困るのは、お前自身と、そしてお前が助けようとした目の前にいた
 人達だろう。
 だったら、そういう罪悪感だからなんだか知らないが、そういうもん全部背負って抱え込んで、そのまま
 全部まっすぐに助けにいけばいいじゃないか。
 そんくらいの覚悟がなけりゃ、アイツらは離れちゃくれんのさ。
 無論、お前のその背に取り憑いてる奴もな。
 
 
 そして、ようく覚えておけ。
 そうだからこそ、それでも離れちゃくれんモノもいるっつう事をな。
 だが、その事に囚われるなよ。
 囚われた時点で、お前の目の前には、なにもいなくなるぞ。
 
 
 お祖父ちゃんは、亜季の兄の除祓を行います。
 今まで勉強一筋でやってきた兄が、今までロクに勉強をせずに怠けていた同級生達に対して優位性
 を感じ、そこから自らの存在意義を感じていたのが、急にその同級生の成績が上がった事により、
 自分の立場を失いかけ、心身に支障をきたし始めている状態。
 お祖父ちゃんは兄の様子をつぶさに観察し、投げかけた言葉に対する反応も含めて、そういったもの
 から核となるものをぶつけ鎌をかけ、そして続けざまにその反応を紡いでいくことで、兄の苦悩の大元に
 あるその自分の立場の喪失を兄自身に強く示すのです。
 君が、君自身が、一番なにが大元にあるのかを、知っているな。
 そして、知っているからこそ、どうしようも無くなっているな。
 だからそのまま前にずるずると進むことしか出来なくなっているなと。
 お祖父ちゃんはそう言います。
 そして、お祖父ちゃんは次に、こう示すのです。
 だが本当に、君はその君が見ているモノを見ているのかね?
 君が見ているモノは、本当に其処に「いる」のかね?
 君が君を見つめている限り、そんなモノは見えはせんよ。
 君が君を見つめるためには、周りが見えなくてはならん。
 君はもう既に、君が見つめるべき君はもう既に、その君の周りに「いる」ぞ。
 さぁ、君の見るべきものを、其処に、目の前に見てみるのだ。
 『顧みるがよい。口ばかり大きな、いやらしき姿形。』
 
 亜季の兄の苦しみの大元にあるのは、見下していた同級生の追い上げによる、それまでの自分の立
 場と自信の喪失です。
 しかし、それはお祖父ちゃんによれば切っ掛けにしか過ぎないものなのです。
 その大元にある苦しみを肥大化させ、そして「それだけしかない」状態に広げた、その張本人は別に「い
 る」。
 その大元にあった苦しみなど、それこそ誰にもある苦しみ。
 それがどれほど強いものだろうと、それはそれだけでしか無い。
 そう感じていることが出来る限り、人はいくらでもそれを封じる事が出来、またそれをわざわざ消し去る事
 に躍起になる必要も無い。
 苦しみは誰にでもある、しかしそれは常にあるという意味で在るのです。
 苦しみというマイナス要因を背負いつつ、それでも歩けるのが人というモノ。
 それなのに、もはや歩けぬほどに疲れ切ってしまうということは。
 それが、「それしかない」ものとして、つまりその苦しみがあることに囚われて、それをうち消そうとしたりそれ
 とばかり向き合ってしまう自分すらも見つめることが出来ながら、そうしてそればかり見つめている自分を
 こそを見つめることが出来ない状態を生み出していることを示している。
 自分を見つめている自分こそを、見つめなさい。
 そうすれば、自分が今いる「此処」が、「其処」でもあることが見えてくる。
 君は、まだ歩き続けたいのだろう?
 それでも、歩けない理由があるのだろう?
 『たまには、休まんとな。』
 
 
 
 『 ま  た 、  歩  け  ば  い  い  。』
 
 
 
 危険が目前に迫っているのに、ただ目を閉じるなんて、恐ろしい。
 ましてやその迫っているモノの正体が見えぬなら、尚更だ。
 見えぬのなら目を開けても閉じても同じだと開き直るには、あまりにも守るべきものが愛しすぎた。
 無意味とわかっていても、それでも目を閉じる訳にはいかない。
 口ばかり大きく廻して、それが無意味な理由を並べ立てているそのモノ。
 それに囚われる恐怖を無意識にも感じているがゆえに、決して目を閉じる事が出来ない。
 そしてそれこそが、やがてなによりもその者を捕らえる「妖怪」となっていく。
 どうしたらいい。
 どうしたらいいのか、わからない。
 
 君は、なにがしたい?
 
 見えぬものを見るために、いつまでも目を開け続けている事の不合理さを認め、そのままゆっくりと目を
 閉じるのか?
 そこで目を開けていてもなにも見えないが、しかし目を閉じればなにかが見えるのか?
 なにも、見えはせん。
 そして、見るべきものすら、目を閉じれば失ってしまうだろう。
 目をそれでも開けていた君は、全く正しい。
 なぜならば、それほどまでにして、どうしてもそれを「見つめたい」という気迫と、そしてそれに対するどうし
 ようも無い欲求と意志を、そこに感じ取ることが出来るからだ。
 永遠の愛など存在しないなどと当たり前の事を嘯きそれを誓わぬ者を、君は真実信じて愛することが
 出来るのか?
 出来るのならば、こう問おう。
 もし自分がそれを誓わなくても、目の前のその人がお前を信じて愛してくれると思えるか?
 目を開けても見えぬものがある、だからこそ、見えるものがあるとは思わんかね。
 永遠に続く愛など無いからこそ、その愛を創ろうと願える最高の愛があるとは思わんかね。
 君にとって大事なものはなにかね。
 目を閉じることかね?
 目を開けてなにかを見つめることかね?
 答えだけは、鮮明だな。
 そして、その答えは、君が思っているよりずっと長く、君を待っていてくれるぞ。
 君の可能性は、いつだって、君のその一歩先に広がっている。
 ならば。
 
 目を閉じることの出来ない苦しみを感じつつ、目を開けることの出来る君を誇ればいいさ。
 
 では、ここで一度目を閉じてみよう。
 そう、今一度、さらに大きく目を見開くために。
 そうすることが出来る自分が君の胸の中には確かにいることが、その目の前にいる口ばかり大きな君の
 姿と対峙することで、わかってくるだろ。
 そして。
 君は、一体、どちらに居る。
 
 其処か。
 それとも。
 此処か。
 
 
 あまりその問いには意味が無いことだけは、よぅく、今の君にはわかるだろ?
 
 
 『転んでしまっても、落ち着いて周りが見えておれば、対処のしようがある。』
 
 
 
 そして静流は、感得するのです。
 糞真面目な自分を否定する事無く、ゆったりと過ごすことが出来る事を。
 なんにも、否定することなど無かったのです。
 罪悪感を感じてしまう自分も、罪悪感を薄めることだけを考えてしまう自分も、そして妖怪が見える力が
 あるからこそそういう事を考えることができる自分も。
 決して、それだけでは無い自分が、此処に居て。
 そして、目の前の其処にはいつもそれを見つめる自分も居ることを、静流ははっきりと感じるのです。
 もし罪悪感すら感じられなくなっても、もし罪悪感を深めることだけを考えてそれに没頭してしまっても、
 もし妖怪が見えなくなっても。
 静流は、いる。
 そして静流がいるということはすなわち、それ自体が他のモノ達が其処にいることを感じているという事を
 内包しているのです。
 たとえ、それを感じ取ることが出来なくなっても、それは感じ取ることが出来るはず、という意志とそして
 欲求を無限に生みだしていくことが出来ると、静流は信じることが出来たのです。
 
 そして、そうだからこそ、私はこう思ったのです。
 だから、改めて、今現在「此処」に既にいる静流がどんな事を感じているのか、どういう力を持っている
 のかを素直に感じ、そしてそれのすべてと真っ直ぐに向き合っていけるのじゃないかな、と。
 静流の力も、そして罪も命を持って存在しているのです。
 だから静流は、それら目の前の「其処」にいるモノ達と向き合うことが出来ていくのですね。
 静流は此処にいて、でも、此処にいるだけでは無いのです。
 
 
 
 『モノが見える私が、どのように人と関わっていけばいいのか、まだまだわからない。
  けれど、いつの日か、自分で答えが出せたらいいな。』
 
 
 
 きっと静流は、そう言えた今の自分を信じることは、出来たのです。
 
 
 
 
 以上で、今回の私の感想の幕とさせて頂きます。
 もう、これ以上書くことは御座いません。
 
 幸せです。 (ゆっくりと息を吐きながら)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
                                 ◆ 『』内文章、アニメ「もっけ」より引用 ◆
 
 

 

-- 071024--                    

 

         

                               ■■ チカラのいる強さ ■■

     
 
 
 
 
 『お姉ちゃんみたいに、みんなに褒められたり、役に立ったりしたいなぁ。
  今思うとそんな気持ちがイズナと引き合わせたのかも。』
 

                           〜もっけ ・第二話・瑞生の言葉より〜

 
 
 
 
 
 
 
 私達には、色々な力がある。
 言葉が話せたり考えることが出来たり、なにかを創れたり壊せたり。
 人を愛せたり憎めたり、高く跳べたり早く走れたり。
 実に様々な事が出来ます。
 おそらく、誰ひとりとして、自分と全く同じ度合いの力を持っている人は存在しないだろうし、そして勿論
 持っている力はひとつでは無いゆえに、その組み合わせの違いも含めれば、それら力を総合して持って
 いる自分と同じ位置に立つ事が出来る人は、この世に存在し得ないのです。
 その数々の力と向き合っているのは、自分だけ。
 他の人達もみんなそれぞれがそれぞれの独自な力を有した存在として、その自分と向き合っているの
 だと言われても、そこから他の人達もそうなんだ自分だけが孤独なんじゃないんだという連帯感を持つこと
 は出来ても、それはそれだけであり、実際自分だけが「その」自分の目の前にある固有の力と向き合って
 いる事実を変えるまでには至らない。
 突き詰めれば、自分のその孤独さ自身を変える事は出来ない。
 そしてだから、本当にその自分が向き合うべき力との付き合い方を生み出せるのは、自分だけなのです。
 
 
 
 ◆
 
 瑞生は、イズナという妖怪と出会います。
 イズナは不思議な力を持ち、それを惜しみなく瑞生に与えます。
 けれど瑞生には、その力に対する抵抗感があります。
 イズナには色んな事が見え、色んなことが出来る。
 だからそれを利用すれば、本当に瑞生にも色んな事が出来てしまう。
 でも、それが出来てしまうからこそ、出来なくなってしまうものがあることを、瑞生はうっすらと感じているの
 です。
 漢字テストの問題が解けなく頭を抱えているときに、イズナは答えを教えてくれると言いますが、瑞生は
 それを拒否します。
 理由は簡単で、答えだけを教えて貰っても、自分の漢字に関する能力は育たないからです。
 しかし実はこのとき瑞生は、その漢字力の育成が出来ないことを、それでも得られる何かと比較をして
 選んだのではありません。
 たとえば、テストの点が悪ければお祖父ちゃんに大目玉を食らう事が想定出来、それなら今回だけは
 イズナの力を利用して点数だけでも取ればそれは回避出来る事、そういったものと比べた上で、それで
 もイズナの力を使わないと宣言したのでは無いのです。
 私は、このイズナの力と向き合うということは、その力を使うことで何が出来なにが出来なくなるのか、とい
 う自らの観察力と推理力の向上を既に内包するものなのだと感じました。
 逆にいえば、この時点では瑞生はまだイズナとは完全に向き合えてはいない。
 もし仮にイズナの力を利用して今回だけ良い点を取ってお祖父ちゃんの大目玉から逃げる、ということを
 真剣に見つめてみて、その上ででもいつかは自分だけでやらなくちゃいけないんだからイズナの力は借りな
 いと踏ん張る事を選んだとすれば、おそらく次の言葉が見えて来るはず。
 でも今回はイズナの力を借りてみて、だからこそ反省して次回こそは頑張ろうって踏ん張れるんじゃない
 の? と。
 このとき焦点になっているのは、「自分ひとりでやること」のみなんだと思うのです。
 漢字力がつくか付かないかは、純粋に考えれば今回だけを取り出してイズナの力を借りるか借りないか
 で決まるものでは無いはずの事柄だとわかるはずです。
 それこそ、今回だけなら平気平気、という楽観的感覚自体が、瑞生から漢字力の向上という可能性を
 奪う訳では無いのです。
 ただその楽観的感覚に頼り切り、次回もまたその次回もイズナに頼ってしまうこと自体がそれを奪うので
 あり、つまり今回限りと覚悟することで、充分そのイズナの力は有効に使えるものなのです。
 お祖父ちゃんの大目玉を食らいたくない、それ自体の想いとその想いを実行することに善悪は無い。
 怒られたくなければ、逃げればいい。
 けれど、瑞生には必ずそれに対する抵抗感があるのです。
 それは、そんな事言ったって、きっと私はイズナに頼っちゃってまた次もズルするに決まってるよ、そして結局
 お祖父ちゃんから逃げ回る事しか出来無くなっちゃうよ。
 だから、イズナの力は使わない、と。
 私は、その瑞生の在り方を観て、ぴんときました。
 
 そうか、それがつまり、この「ナガレイズナ」というお話の示したテーマのひとつなのだな、と。
 
 お話の最後の方で、静流はイズナ自体に善悪は無く、それはすべて使う方の人間にあると言います。
 それを、よく考えてみました。
 この言葉を使って、上の瑞生の思考を考えてみました。
 それってつまり、瑞生がイズナの力から、逃げてるって事なんじゃん?
 瑞生がイズナの力を使わなかった理由に、私は引っかかったのです。
 自分がイズナに頼ってしまうから、イズナがいると自分だけじゃなにも出来なくなるから、そしてイズナの力
 をお祖父ちゃんから逃げる事に使うことをやめられないから。
 だから、イズナを捨てるの?
 だから、イズナが悪いの?
 なにかが、はっきりと見えた気がしました。
 
 さらに、瑞生は新しい場所へといきます。
 そういうズルをするためにイズナの力を使うのは良く無いけれど、人のためにだったら使ってもいいよ、と。
 友達が家の鍵を無くして困っていたとき、イズナの力を借りてそれを見つけてあげることに、瑞生はなんの
 抵抗も感じません。
 それも突き詰めれば、さきほどの漢字テストと同じ話で、自分でちゃんと保管すべきものを保管せずに
 おろそかにしていたのだから、その責任をちゃんと取って自分で探す、いえ、探せるという能力の向上を
 その友達から奪ってしまう事になるはずなのに、です。
 論理的に、矛盾しています。
 けれど瑞生の中ではそれには明確な線引きがされており(イズナは線引きがわからないと言っている)、
 それならばと、私はなぜそう瑞生の中でそれが矛盾しないかを考えてみると、これもすんなりと答えが出て
 くる。
 それは、他人のため、だから。
 ちょっと飛躍して、それはこう言い換えてみましょう。
 私がして与えた事を、それをどう受け取るかはその人次第だ。
 それに甘えるのもはねつけるのも、その人が決めることであって、私はただ自分がしたいようにすればいい
 、と。
 ・・・・。
 私にはもう、これで漢字テストのときの瑞生に言える言葉を獲得出来てしまいます。
 そう言えるのであれば、それは瑞生も同じだろうと。
 
 
 「イズナ」という「他者」が与えたものを、どう受け取るかは与えられた瑞生自身が決めることだ、と。
 
 
 イズナ、というものを瑞生の「力」として見立ててみましょう。
 元々瑞生はそういったモノ達に憑かれやすい体質、つまり能力を持っています。
 そしてその能力を使い得たもの、或いはその能力の一端としてイズナの存在があると考えてみます。
 そう考えると、その自分の能力を使ってなにかをするのは、果たして間違った事なのでしょうか?
 まず私は、瑞生には、いえ、私達にはひとつの前提となるある絶対的なものがあると思っています。
 イズナが瑞生の一部であるのなら、それを使ってやる際に考慮すべきは、それを使うことによって発生す
 る事の「損得」を考えることだけであるはずです。
 例えば、イズナの力を使えばラクして良い点数が取れるけれど、その分漢字力が身に付かないという
 問題があって、これを解くには一体どちらが自分にとって「得」か、つまりどっちがより自分が一番したい
 事に適っているかを考えれば良いだけなのです。
 そうなれば、イズナの力を今回だけ使うと決め、そしてその分次回からは自分の力だけで絶対やると、
 そういう風にしてイズナの力と「誓約」すれば、その両方を採用することが出来る事に気づくはず。
 でも実際には、その損得勘定を越えたモノが、瑞生には私達には、「憑いて」いるのです。
 それはたとえば道徳感覚的なものだったり、そういうものです。
 なぜそれをしてはいけないのか、を考えてそれをしないのでは無く、とにかく「ならぬものはならぬ」の精神
 でそういった損得勘定をすっぱりと放り捨て、とにもかくにもカンニングは「悪」だからやらない、でも人助け
 は「善」だからやって良い、とそういう行動指針がきっちりとひとそれぞれな形と度合いではありますけれど
 、存在しているのです。
 私は、別にそれは悪いことだとは思いません。
 それらの行動指針を指して思考停止と言うのも的を得ているけれど、しかしその思考停止自体がもたら
 す絶大なものを、私は知っていますし。
 逆にいえば、そこで思考停止しては「ならぬ」と、思考し続けることに拘るのもまた立派な思考停止であ
 るということでもあります。
 瑞生が「ならぬものはならぬ」といって、初めからイズナを無視して一切の力を使わなければ、瑞生は
 しっかりと自分の力で生きることが出来ます。
 無論勉強もすべて自分だけでやり、全部自分で片づければ、それはすべて自分の身に付く。
 何者にも頼らずに、「何者にも頼らない自分」に頼って強く生きていく。
 そう。
 もう、私がなにを言いたいのか、ここまで読んでくださった方の中にはわかった人がいるかもしれません。
 
 
 でも、目の前には、イズナが「いる」から。
 
 
 イズナを切り捨てるのは、瑞生が弱いということを顕します。
 つまり。
 イズナの力に頼り切ってしまう自分に負ける自分、その自分と戦おうとしないのです。
  そして、そのイズナという「力」と戦わずにいる自分にこそ、すっかり頼り切ってしまっているのです。
 はい。
 それは逆に言えば、私はその戦わずにいる自分に頼ることもまた、イズナの力に頼ることと同じことだと
 思っている、ということです。
 つまり、なにが言いたいかと言いますと。
 その「イズナ」は、「自分」なのです。
 イズナの力と、それと戦わない自分は同じ、そうそれらはすべて自分の目の前にある向き合うべき「力」
 なのです。
 ですから、イズナの力を切り捨てることをやめ、逆にそのイズナを切り捨てようとした自分を切り捨てるのも
 また、それはイズナの力を切り捨てるのと同じことなのです。
 「ならぬものはならぬ」の精神を、だから私は全く否定しません。
 でもだからこそ、その精神「だけ」であることは否定します。
 いえ、ときにはそれだけになっても構わないのかもしれません。
 イズナと向き合って、それを無視するも付き合うも、そうしている自分が此処に居ることに変わりは無い。
 イズナと付き合っているうちに、その力に頼り過ぎていることに気づけたり、イズナの力を拒否することに
 意固地になっている自分を見つめることが出来たり、そうした様々な角度からあらゆる生な体感を通し
 ていく過程の中で、ときには「ならぬものはならぬ」という意固地さが良い結果をもたらす事を知り、そし
 てそれを貫徹していくことこそ肝要と悟れば、それを延々と続けていくこともあるのでしょう。
 でも、それがいつまで続くかは、たとえ今現在自分の命に賭けてそれを全うする覚悟を決めていようと
 もわかるものでは無いし、勿論そのときはそんな理屈を理解していようともその覚悟自体を意識する
 ことで現状を打破出来るのならそれはそれで有効なものです。
 でも、常にその覚悟した状態が現実と触れている限り、必ずそれでは上手くいかないことは出てきます。
 そのとき、どうするのか。
 自らの覚悟と心中する意志を貫徹することを命として、それら様々な現実との軋轢が生む苦悩に涙し
 しかし歯を食いしばって耐えて生きていくことをこそ、その生の目的とするのか。
 それとも、その現実と直に触れている常に「今」の自分から、すべてを見直し続けていくのを目的とする
 のか。
 前者を、思考停止でむしろそっちの方がその覚悟に頼って生きてるだけじゃんと批判することも可能です
 し、後者を節操無しと誹謗するのも可能です。
 そして両者ともに、そのそれぞれの批判と誹謗する事自体が、自分達が今そうして生きていることを逞し
 く支えていることを感じてもいる。
 私は、その逞しさに安んじるのも良いし、それを唾棄することも良いと思います。
 重要なのは、そのどちらかを選ぶことでは無く、そのどちらをも選ぶことに出来る自分を感じること。
 そして。
 その選択を有している自分の目の前に、その選択した結果の影響を受ける「誰か」が居るということ。
 その誰かは、イズナだったり友達だったり私だったりもするのです。
 その誰かと向き合い付き合い、それを受け入れ守り愛すことが出来るのはそして、自分だけ。
 
 瑞生は、班で行うグループ発表を、イズナの力を借りて一生懸命にやります。
 イズナにどこに有用な資料があるかを調べさせ、その資料をどうまとめれば良く書けるかを教えて貰い、
 瑞生はあっという間に班のメンバーに頼られるまでになってしまいます。
 嬉しくて堪らない瑞生。
 本来の瑞生なら、そういう調べ物は自分でやらなくちゃ身につかないと理屈をつけて、そして自分の力で
 みんなの信頼を勝ち取らなくちゃ、あとで虚しくなるのは自分だもんと言うはずなのに、です。
 瑞生は、でもこれは人助けだからいいんだ、みんなのためになってるからと言います。
 それは、少々無理がある。
 でも、事実ではあるのです。
 確かに、瑞生がイズナの力を借りていると公言して、それに目を輝かせた他のメンバーがそれに頼り切れ
 ば、それがみんなのためになるとは瑞生も言えなかったはず。
 しかし、瑞生はあくまでイズナの事は言わず(たんに自分の体質が知られたくないだけだが)、すべて自
 分が頑張ってやっているということにしているのです。
 班員のひとりに優秀な能力があること自体に、問題があろうはずも無い。
 そして、瑞生は見事、でもそれって結局他の班員が瑞生に頼っちゃって学習能力が育たないって事で
 良くないんじゃないの?、という理屈を乗り越えることが出来てしまうのです。
 瑞生は、自分のやるべきことを一生懸命やっている、ちゃんと自分の学習能力を育てている、ただそれ
 だけのことをちゃんとやっているだけ。
 それで他の班員が瑞生を頼ってしまうことは、また別の問題。
 そして、そのときの瑞生の中ではもう、イズナは立派な「瑞生の力」になっていたのです。
 にひひ、と本当に楽しそうに笑う瑞生。
 私は、あの笑顔こそ、人が魅せるべき本当の笑顔なのじゃないかと、唐突に思われたのです。
 そっか、そうだよね、理屈じゃないよね。
 要は、どうやって上手く付き合っていくか、ってことなんだよね。
 班員が瑞生に頼って怠けてしまおうと、それで自分が頑張れることを悩む必要は無い。
 それはそれでまた別の事として、怠けさせないためにはどうしたらいいかを考えていけばいい。
 勿論、瑞生がつい失敗してしまったように、自分が頑張れていることに驕り過ぎてそれを他の人に押し付
 けてしまったら、それは逆に自分の頑張りの価値を貶めてしまいます。
 イズナの力に頼りすぎると危ないけれど、でもそれはそれとして、こうしてイズナと向き合ってると、なんだか
 とっても楽しいや! 、瑞生にとって一番一番大切なことはたぶんその楽しさなんだと思います。
 だからこそ、そのイズナの力に頼り過ぎてしまう事が及ぼす影響を、その笑顔で直に感じ取れるのだろう
 し、そしてさらにそうして楽しくイズナといることが出来るからこそ、よりいっそうイズナの力との付き合い方を
 深めていこうと思えるのじゃないかな。
 ただイズナの力に溺れるだけじゃなく、怖れるだけじゃなく、まずはその、「イズナの力」という、その目の前
 にいる「誰か」と楽しく付き合ってみようよ!
 
 班員につい「みんなのためにやってあげてるんじゃない!」と言ってしまった瑞生。
 そう言われりゃ、誰だって怒ります。
 そして確かに瑞生はそう思っていたのですから、それは怒られても仕方の無いことですし、そこでそれでも
 自分が今までやってきたことを頼みにしてそれに囚われて、逆ギレしても仕方がありません。
 でも。
 それと同時に、その怒られた中身、つまり自分がみんなのためにやってあげたという「驕り」と確かに呼べ
 るものに囚われ、自分はそれだけでああして頑張ってきたんだと刹那的に責めてもなんの意味も無い
 どころか、それこそなにもかも潰してしまいます。
 瑞生は確かに調子に乗っていたし、でもその「驕り」だってほんとはそういうつもりなものでは無く言い方が
 悪かっただけのものに過ぎず、でもさらに、その言い方が悪かったことはもとより、本当にみんなのために
 「だけ」やっていた訳じゃないよね、しっかり自分だって楽しんでたよね、大事なのはその事を隠しちゃった
 事だよね。
 そしてだから、自分のためだけにやっていたのでも無いって、胸を張って言えるんだよね。
 たぶん、その事が最も重要なことだと思いましたし。
 そして。
 それこそが、今回のこのお話が示したテーマに対する、最も力強い答えなのではないでしょうか。
 瑞生は、お姉ちゃんみたいに、みんなに頼られて、みんなの役に立ちたかったんだよね。
 だから、イズナが、いた。
 いいえ。
 むしろ、それはこう言えるでしょう。
 「みんなのためになる」という素晴らしい概念が既に其処にあるからこそ、イズナもまた其処に初めから
 いて、そして瑞生はそれと友達になれたのじゃないかな。
 班の子達と喧嘩別れしてしまって、それは全部イズナのせいだ、あんたなんか友達じゃないと言ってしま
 い、イズナを失ってしまった瑞生。
 静流の膝の上で泣きじゃくる瑞生。
 色んなものを、感じます。色んなものが、見えてきます。
 悲しいよね。悔しいよね。涙が止まらないよね。
 『私が悪いのに・・・・みんなと喧嘩したこと・・イズナのせいだって・・・』
 イズナは色んなことを教えてくれたのに、イズナは悪くないのに・・・
 それを全部壊しちゃったのは、瑞生。
 助けてくれたのに・・一緒にいて楽しかったのに・・・
 『友達なんかじゃないって・・・・・言っちゃった・・・・・っ!!』
 
 なにも言うことはありません。こんなのって・・こんなのって・・・
 
 
 (涙をぬぐって)
 嬉しい、ですよね。
 それでも、まだ、友達でいられるって思えるのって。
 またいつか会いたいなって思えるなんて、どうしようも無いくらいに、嬉しいじゃないですか。
 もう此処には、「力」も「自分」も無い。
 イズナがいて、瑞生がいて、そのどちらもがだからこそ、いない。
 すべてはただ、力強いままに生きて、いる。
 
 ええ。
 たぶん、というよりほぼ確実に、ここまで読んでくださった方には、この文章の論理構造のあまりの貧弱さ
 に頭痛を感じられたかもしれません。
 私だってそうです。 (ぉぃぉぃ)
 私はただ思いついたままに、そう、ひとつの論理も思いついた端から並べ立てているために、その論理間
 の繋がりなんぞ欠片も無く、勿論一つ目の論理の次の展開としての論理、そのまた次の論理という
 連続体としての論理、なぞここには微塵も存在しません。
 でも。
 これでよいのです。
 私自身ほんとにこんなんで良いのかなと首をひねりまくりですけれど(再びぉぃぉぃ)、ただ、私が此処で
 言いたかった事伝えたかった事は、この文章の形自体そのものにあるのですから、致し方ありません。
 論理に囚われるな、論理をひとつの道具としてみよ。
 転じて、その道具を使っている自分に立ち返ってみよ、ということなのです。
 なにを偉そうに。 (笑)
 一応、そういうことが出来るようなものとして、つまりこの文章自体がその私の中のその流れをそのまま
 表しているのですけれど、果たしてこれを読んだ人がその境地に至れるかどうかは甚だ疑問ではあるの
 ですけれど。
 ただ逆に、その甚だしき疑問があるゆえに、私は今度はこの文章の方向性をそうしてこれを読んでいる
 人達をその境地へ誘えるようなものへと深めていく、ということに定めることが出来るのです。
 
 
 という辺りで、今回は幕とさせて頂きましょう。
 今回のお話も、第一話から全く息切れすることなく、その素晴らしさが本物であることを証してくれました。
 この作品を選んだ私の目も、ようやく一息つける思いです。 (笑)
 それと、もっけの感想の各タイトルは「○○のいる××」という形式でつけますので、他の文章と区別
 する際に意識しておくと良いでしょう。
 あ、それでは、また。
 
 (静かに、涙しながら)
 
 
 
 
 
 
                                 ◆ 『』内文章、アニメ「もっけ」より引用 ◆
 
 
 
 

 

-- 071021--                    

 

         

                              ■■秋って感じがしません■■

     
 
 
 
 
 無闇に疲れる。 (挨拶)
 
 改めまして、人生に疲れた紅い瞳ですごきげんよう。
 いきなり本気なんだか冗談なんだか微妙なうんざりした雰囲気で失礼します。
 ていうかだる。
 丁度今忙しいときで、短期的長期的に取り組んでいたものの両方が山場を迎えていて、結構精神的
 にきてるといえばきている気もするね、という約一歩分くらい余裕のある心持ちなのですが、
 むしろかえってそういう方がだるくって、妙に醒めてるというか、リズムがズレてるというか、あれこれもしかし
 たらよくわかんないうちに失敗しちゃうんじゃない? しかも失敗してる事にしばらく気づかないでそのま
 まいっちゃったりとか? わがものがおで済ましてたりとか? それであとでやっと気づいてあああ、ってなる
 とか? そういう感じです。どういう感じでしょうか。
 そですね、空回り状態っていうところでしょうか、だから無駄な労力ばっかりかさみます。
 かけてるコストの割には成果が得られないというか、それよりむしろ成果が得られているのかどうかがよく
 わからないっていうか、んー、じゃあそう出来るようなシステムから作らなくちゃいけないのかとか、そう素
 直に考えてそっちに手を出したら終わりです時間無いっちゅーの、だからこのまま行くしかないんよOK?、
 とか、まぁそんな感じ。
 でも、基本的に私がやることなす事って、こんなんばっかりな気がするのだけれども。
 なにかやってみてそれぶつけてみて、そこから得られた結果で色々やってってるけれど、別にそうすること
 が目的な訳でも無いので、だから結構はっきり目に見える成果を求めている訳なのだけれど、でもなん
 か作業としては、そういうなにか明確なものを求めてそれを手にすることよりも、そのなんだか自分がなに
 やっててなんのためにやってるのかよくわからない、無茶と言えばしっかり無茶な中から、なんかそれっぽい
 ものを自分で得ていく方がしっくりくるなぁ。
 んんー、それって自己中って意味なのかもなぁ、全部自分の解釈次第でどうとでもなるものばっかり求め
 てるっていうかさ、全部自分で好きなように出来ないと我慢できないっていうかさぁ、そうそう、私は昔から
 紙細工とか裁縫とかより、粘土細工とかそういう何度もやり直しのきくのが好きやったもんなぁとか、って、
 それちょっと例の範囲が狭いんとちゃう? ていうかなぜに関西弁なのよ、というお話。なにがお話か。
 
 とまぁ、なにが言いたいかというと、こういうことをぐちゅぐちゅと考えて誤魔化せるところは誤魔化していき
 まっしょい、という非常に有意義で前向きで知的で優雅な戯言を全力で言いたかったんです。
 まったれ。 (←まったりの命令形)
 
 
 
 ◆
 
 基本的に上でなにか言ってた人の事は無視してください私も無視します。
 ということでツッコミもフォローも無しで次に行きます。
 はい。
 ではまず、これからのお話を。
 んんー、結構余裕ありません。
 日記ひとつこさえるのに滅茶苦茶時間かかっています。
 というより、日記だけに集中できる時間が現在少ないので、他の事をやりながらの併用ゆえに効率も
 内容も悪くてむしろ悪な感じです。
 でも書きます。
 なにがなんでも最低一週間に一回は書くというのが、私に残された数少ないプライドのうちのひとつです
 から、それを捨てるときをむしろ楽しみにして、盛大にするためにも、そのプライドを守り続けていきたいと
 思います。
 つまり守って守って守り続けたものほど、壊し甲斐があるというものです、ふふふ。
 まだ、(頭の中は)大丈夫です。 
 
 あっさりと話が横道に逸れてしまいましたごめんなさい。
 で、一応これからしばらくはこの愚にもつかない駄日記と、それとアニメ「もっけ」の感想を週に各一回
 ずつ、合計で週二回の更新スタイルを採ります。
 これだけ更新すれば文句あるまいて、となぜか自信を得ていける気がしていますので、高らかにこの
 更新ペースを維持することに邁進していきたいと思います。
 ほかの事はなにも考えません誰が考えるかへへーんだ。
 ・・・。
 無理ですね。
 この人は責任感が強いっていうか、たんにサボる勇気が無くてコツコツ地道になにかしらやってたりする
 ヘタレなので、そんな見栄張ったところで色々と気になって仕方が無いに違いありません。
 ひとつの事しかできないロースペックなくせに、それでいてひとつの事だけしかやっていない事が怖くて、
 いつもついついよそ見して、結局なにひとつ出来ずに終わるけれど、それはそれでなんだか清々しくも
 あるよねー、なんてぬけぬけと言えもしますので、まぁ好きでやってるんだから自分でなんとかなさい。
 はーい。 (良いお返事です)
 ・・・・・・。
 まー、大概の場合、なにかしらを捨てて一個の事に集中して、それを勝ち取るってことは私的理屈から
 すると好きじゃないのだけれど、実際そうしてみてみても、割といけるというか、それはそれでまた面白い
 し得られるものもあるし、それで失ったものがあったとしても、むふふと笑いながら既にその失ったものへ
 の回想シーンを楽しめちゃったりとか、ま、現実的には人間というのは無茶苦茶融通が効く生き物な
 訳で、要はそのことにどれだけ自分が気づけて、また逆にその変化しまくりな自分こそから始めていきた
 いという意志さえあれば、住めば都全開モードなんだと思うし。なに言ってんだ。
 ただだからこそ、そうした融通無碍が自分としてあると感じていて、そしてだから安心して色々我を張って
 なんにも捨てないように頑張ってくって思うことに価値が出てくるのかもね。
 でもなんで自分がこんな事書いてるのかわかってないよね。
 や、ネタが無いから文字数稼いでるだけなんじゃ・・・・・・・・・・・・・・・・・(ノーコメント)
 
 はい。
 
 
 ◆
 
 仕切直したつもりが開き直ってしまったようで、もう上の人は駄目なようです。無視します。
 ということで、改めて。
 えー、つまりこれからしばらくはアニメはもっけ中心という感じになります。
 結構書くのに労力いるので、更新はかなり不定期になります。
 というか、もう放送は第三話までいってるのに、第一話の感想しか書いてません。
 これからスピードアップして書けたらいいな。(願望)
 それと、一応言っておきますと。いえ、言わせて頂きたいのですけれど。
 ブルードロップの感想も書きたかった。書きたかったんです。
 なんかもう情感まみれで誰がどう読んでも理解できないようなものを、どろどろになるまで書きたい衝
 動真っ盛りなお年頃ゆえ、色々とむらむらときていたのですけれど、この勢いでそれを暴走させた日には
 、間違いなく打ち上げ花火状態。
 勢いよく空に上がるんだけど、爆散。 あとにはほねものこるまい。
 や、ブルードロップだけならよいのですけれど、もっけと並行して書くとなるとこれはちょっと負担重すぎで
 すのですよ。
 ええ、私の価値観的にはやっぱりふたつ書きたい思ったら書くのがベストなのですし、ここでひとふんばり
 して書けたらそりゃあ一回り大きく成長した気になれるきん、みたいな感じな気がしますし、ていうか気の
 せいばっかりやな自分、でもええねん、所詮自分なんて方便みたいなもんやしなんでもかでも気のせい
 でOKやそれでなにをするかが重要なだけなんや、みたいな感じ。
 つまり、ふたつ書くのはしんどい。つか、めんどい。(さらっと)
 たまには敢えて一方を捨て一方だけに全力を尽くしてみたりするのもよいのじゃなくて? 
 そういうことを今まで逆にしてこなかったという意味でそれを捨ててきたのではなくて?
 Ok。
 
 もっけの感想を頑張る理由、完成。
 サボっても、ええねん。 (目をそらしながら)
 
 はい。
 ということで、もう見るも無惨な有様な私ですので、もうなんかアニメの話をします。
 そういえばまだ視聴したアニメの第一話の感想を書いていなかったのがあります。
 しおんの王。
 なんか絵柄がむっちりしてて微妙ですけれど、なんていうか、中身の方はオーバードライブに通じる熱さが
 あって、そういう面からまずは食いついていこうと思いましたし、しばらくそれでやっていこうと思います。
 まずは合格。 (偉そうに)
 あとは、ほかのアニメについて少々。
 んー、みなみけ。
 んんー、第二話ではやくも普通レベルに。あれー?
 作画的な部分に入っていた気合いがきっちりそげてて、ギャグの切れ味もイマイチというか、あの馬鹿な
 子供のボケが第一話の真ん中の子の超ボケに食われちゃってて、いまさらその程度やられてもな、と
 いう感じで、逆にハラハラ。も、もっと本気だしていいんよ。 (試合の残り時間を気にする感覚 ぇ)
 まるで第一話で本性全開でやったのが周りに引かれたと思って、第二話ではオブラートに包んでしまった
 みたいな感覚。
 もうちょっとみなみけには踏ん張って頂きたい。才能は溢れまくってるんだから。
 
 んで、削除組。
 そんなあんまりな。
 つまり、視聴打ち切りアニメ、出ましたはやくも。うわーい珍しく即断したなぁ。
 えー、ネウロとefとドラゴノーツを、切るね。
 ネウロはあのレベルで固定な感じしかしないしそれなら無理だし、efはデザイン的にはカッコイイけどそれだ
 け感を越えられなかったので残念賞(古)で、ドラゴノーツは第二話を録画したはずなのにネギま(実写
 版)がうつっていたのでバイバイ(ひどい)。
 ということで、今期は以下のアニメでいくことに決定致しました。
 
 
 月曜: バンブーブレード・スケッチブック
 火曜: なし
 水曜: げんしけん2
 木曜: もやしもん
 金曜: ブルードロップ
 土曜: しおんの王
 日曜: もっけ・みなみけ

      計 8作品

 
 
 祝! 二ケタ脱出!!
 あ、これくらいのペースいいかもしんない。
 いや、この際もっと削ってみる? 今がチャンスだと思わない?
 ・・・・や、なんであなた削る方向に向かってんのよ。アニメ嫌いになったん?
 いいえ。
 ノリです。
 
 なにも言うことはありません。
 
 
 
 
 ◆
 
 簡単ジルオールレビュー!
 ゲームのお話です。ネタバレは極力しません。
 というかやっとクリアしました。
 結構面白かったです。
 基本的には、ロードが遅いとか街の中の移動が面倒とか(入り口に飛べるスキルとかほしかった)、
 そういうシステム的な事柄もありますけれど、ひとつ気になったのは、シナリオのくっつき方。
 フリーシナリオということで、とにかくプレイヤーの数だけ物語が出来て当然なので、自分がヘボいプレイ
 をして中途半端なシナリオにしかならなかったのはともかくとして(笑)、一度も会ったことの無いはずの
 キャラがさも知人のようにして話しかけてきたりとか、敵対していて和解どころか次会ったらどうなるかわか
 ってるよねみたいな感じで分かれてそのままだったはずなのに、次に合ったときにはまるでそんなことなかっ
 たかのように親しげな会話になった上に頼られたりとか、そういう明らかに興醒めなミスが目立ったのが
 惜しい。
 シナリオ個別は結構しっかりしてるしそれなりに面白く、またその数がかなり多いので、すごい可能性が
 感じられて楽しいのだけれど、そういうズレがあるのはちょっと頂けないかな。
 
 ちなみに私は、ヒメと名付けた女主人公でプレイ。
 基本的に万能型のキャラに育てようとしていたら器用貧乏になり、しかしパーティを組んでみたところ、
 そのヒメが一番強くてほかのキャラのあまりの貧弱ぶりに涙したりとか。
 基本的に女性メンバーオンリーでチーム百合をコンセプトにしたんだけど、弱い弱いw
 最終的にはそれなりに育成したから強くなったんですけれど、最初は弱くてお話になりませんでした。
 まぁ、仲間に出来るキャラは何十人と居るはずなのに、仲間にしたのたった6人ですしねぇ。
 で、常時連れて行けるのは自分のキャラ入れて4人ですから、しゃーない、もうメンバー固定にして
 この子ら強くするしかないな、という感じで頑張りました。
 突出した能力が無いという点で万能型でなぜかオーバーアクションな主人公、苦しみを背負いながらも
 笑顔を周りの人達に与えるのが自分の仕事と心得るけなげなんだけど戦闘では使えなかったチビっ娘
 リルピー、当初前衛で壁役になって貰おうと思ってたら防御力が低すぎて毎回戦闘のたびに死んでた
 高飛車高慢ツンデレエルフ、実験と称して自爆を繰り返す暴走娘なくせにすぐにMPが切れて役立たず
 になる魔法少女、というデコボコが過ぎてむしろ逆に横一列(低め)だったこのパーティ。
 なんていうか、性格的に全員ボケでツッコミ無しだったのがなかなか面白く、このパーティを組んで歩く
 こと自体が火種を振りまいているような感覚で楽しんでいました勝手に。(笑)
 もう少しパーティのメンバー同士の掛け合いとかがほしかったとこですね。
 
 あとエンディングですが。
 このゲームは、登場人物の中で一番プレイヤーのキャラと仲良くなったキャラとのエンディングを迎える
 形式ですので、取り敢えずその人のエンディングを見たければパーティに加えたり頻繁に話しかけたり
 すれば良いのですけれど、私は案の定そういう事に興味が無かったので、まぁ逆に普通にやってて誰と
 のエンディングを迎えたかで後になってどのキャラと仲が良かったのかわかって面白いよね、みたいな
 感じでした。
 が、某王女様に忠誠を誓ったり、某ツンデレ商人の娘が放っておけなかったりして、ゲーム終盤はその
 ふたりのエンディングが見たいとかどうとかでは無く、たんにそのキャラと自分のキャラとの関係を培う、
 それこそ普通に人間関係の維持に奔走してたりしてました。
 気分的には、本妻とお妾さんとの間を行き来してる感じでした。ゲームでなにやってますか私。
 まぁゲーム進めてるうちに、このゲームのイベント発生の条件が結構シビアで、わずかゲーム内時間で
 一日街に入り遅れただけで私のキャラ抜きで戦争が始まって、勝手にほかのキャラが死んでしまったり
 とかすることに気付いたので、とにかくイベントが起こりそうな雰囲気のときはあっちこっち飛び回ってご機
 嫌伺いにはせ参じたりとかしていた訳で、ほんとゲームの中でまでなにやってますか私。
 まぁでも、今までなんも感じなかったツンデレにかなり今回反応する経験が出来たので、良かったかなぁ
 なんて、そんな、ツンデレな。クリュセイス可愛過ぎてかあなたは私が守ったげます! (もう駄目)
 と、いいつつ、私が迎えたエンディングは姫エンドでした。・・・あれ?
 
 それと、全体的なストーリー、つまり私のキャラが歩んだストーリーですが。
 ・・・・・・・なにげに結構笑えたんですけど。
 ていうか、張りまくってあった伏線全部無視して終わっちゃったんですけど。(笑)
 ゲーム最初に生き別れた兄のこととか、最初に仲間になった男の因縁話とか、ていうか破壊神とかどう
 なってんの? というかそういう本筋的な話に結局ノータッチでジエンド。豪快に、笑った。
 ま、私がほとんどそういう関連でこなさなきゃいけないイベント無視して、ほかのイベントばっかりやってた
 からなんですけどね・・・・ていうか私のキャラ的にはあれで終わっていいのかと人として・・・(笑)
 でもこれで逆にこのゲームの自由度の高さを身を以て体感したことになりましたので、不満という訳では
 ありませんね。
 
 
 とまぁ、そんな感じです。
 ジルオールは現在二週目のプレイに入っております。
 次は大魔法使いを育成して、とにかく世界中のダンジョンや謎を攻略し尽くしてやるつもりです。
 本筋ほったらかしで。
 ゴー。
 
 
 
 では、今夜はこの辺で。
 
 
 
 
 

 

-- 071018--                    

 

         

                                  ■■ 誰かのいる私 ■■

     
 
 
 
 
 『 だからこそ、よく考えていかなきゃならん。見えるってのがどういうことなのか。』
 

                           〜もっけ ・第一話・お祖父ちゃんの言葉より〜

 
 
 
 
 
 
 
 
 ゆっくりと浮かぶ空に、さらさらと音を立てて流れる川。
 そしてそれは次第に備える色を変えて移ろい往き、そこには広がる世界と時間が顕れた。
 その中に生きる一個の生物としての人間が歩き回り飛び回り、色付く世界の変化のひとつとなっていく。
 それでいてその人間の躍動は、その変化の中心を担うほどの特別な存在としても廻り始め、そうして
 見渡し直したその世界のすべてが、そのあらゆる特別達自身の変化から成っているのが見えてくる。
 そして、さらに。
 そうした自然に広がっていく世界の中に生きる沢山のひとつの存在達が、その当たり前の世界の内の
 中心としてそれぞれ生きていながら、必ず自分達の隣には、自分と同じく世界の中心として在る他の
 モノ達が存在し、それと無限に触れ合っている事を感じずにはいられないことが見えてくる。
 「私」と「世界」しか無いはずの此処に、「誰」かがいる。
 
 

 〜 テレビアニメーション「もっけ」の感想を、此処に始めます 〜

 
 
 
 
 このアニメと触れ合ったときに、まず始めにそのオープニングの素晴らしさに、私は心奪われました。
 綺麗に広がっている自然と、その刻々と移ろい往く様を雄大に描き、そしてその中のひとつとして静流と
 瑞生の姿を描き込み、それがひとつの世界として成り立っているその完成した感じに、なによりもぐっと
 きたのです。
 まずは、そこから始めました。
 そして、その次に、初めはそのふたりがそれぞれひとりひとりとして、それぞれ自分の観ている世界の中で
 歩いていたのが、やがてその中でふたりが出会い共に走り出す姿、というものをそう意味づけてその映像
 の中に見つけました。
 ふたりともがそれぞれ違う見方で世界を観ているはずなのに、どうしてこのふたりはいつも出会えてしまう
 のだろう。
 それぞれがそれぞれの世界の主人公であるのならば、その世界が交差したところで出会った場合、どち
 らかがどちらかをその自らの世界の一部として相手を捉えてしまうはずなのに、どうして必ず、そうとは
 見えずに、共に同じ位置から走り出すことができるのだろう。
 それは、当たり前といえば当たり前のことなのですけれど、ふたりが生きている世界は、全く同じものだか
 らなのだと、このOPを観ていて私はあっさりと胸に感じたのです。
 ふたりはそれぞれ違う見方感じ方をして、それぞれがそれぞれの物語の主人公として生きる場所、として
 の世界を見て感じてそしてそこで生きているにも関わらず、それは実は同じものを見て感じて生きている
 だけで、そして本当は、ふたりは常に必ず隣り合って生きているのです。
 自分がその世界の中の主人公という意識を持って生きている事に囚われていても、たぶんその事には
 無限に気づけてしまう。
 ですから逆に私はこうも思ったのです。
 それなら、このふたりがどれだけ自分だけに囚われて生きていても、其処に、その自分の隣にもうひとり
 の誰かは居てくれるのではないか、と。
 
 そして、このOPでは、このアニメのもうひとつの主役である、妖怪が全く描かれていません。
 ただただ雄大で豊かな自然の中を走り回るふたりだけしか、そこには描かれていないのです。
 でも私は、上記した言葉を私の中に思い浮かべてもう一度映像を見たときに、こう感じたのです。
 ああ、確かに妖怪がいるね、と。
 いえむしろそれは、なにも居ないからこそ居ると言える、ということなのかもしれません。
 ただあるがままに広がる自然と共に生を営みながら、刻々と変化を繰り返す時間の中にあるふたり。
 おそらく、人間というものを、その世界の外から見れば、ただただその当然の姿があるだけなのでしょう。
 そこにあるのは、ただそれだけなのです。
 妖怪、というのを何を見立てたものとして捉えるかにもよりますけれど、たとえばそれを私達がその当たり
 前の世界の中に生きていく上で、主観的に感じていくあらゆる問題や苦しみを抽象化したものと捉え
 れば、逆にその問題や苦しみとしての妖怪に囚われて、当たり前な世界の中に生きているその当たり前
 な自分の姿を見失ってしまっている状態、それそのものを捉えて「妖怪」と見立てる事も可能になります。
 そして、自分の状態をそうしたものとしての「妖怪」として見立てる事が出来た時点で、きっとその「妖怪」
 を祓い、その当たり前だった自分に近づくことが出来る。
 それはつまり、自分が世界の中心としか思えない自分を客観的に捉えることが出来、改めて、世界の
 中心でありながら、その隣にも他の世界の中心人物達が居て、逆にその矛盾する存在がいるのを感じ
 ることで、それらの外枠に広がる、もっともっと当たり前な世界の中に生きている自分とその他の者達の
 存在を感じることが出来る、ということなのだと思いました。
 
 そして、きっと、その目の前の「妖怪」を祓い越えることで、それを外から見つめる自分と出会い、そして
 その外からの視線に乗って、改めて当たり前な自分達の世界に戻ってくることが出来る。
 「妖怪」がその目の前に居ることを重要視して、それを祓い清める事を第一義としてそれを描けば、
 おそらくその認識には至れないのだと、私はこの清々しいOPを見て感じました。
 なぜなら、「妖怪」がいようといまいと、その当たり前な世界は、もう既に始めから当たり前に存在して
 いるのですから。
 「妖怪」を祓うのが目的では無く、ただその当たり前の世界に生きるのが目的。
 いえ、それは当たり前の事なのですから、もはや目的ですら無いのかもしれません。
 そして、その当たり前な事が出来ないことが、それでもその世界の中心としても確かに在る私達には
 あり得るからこそ、そこで初めてその出来ないことを可能にするためにこそ「妖怪」が顕れてくるのだと
 思います。
 世界は、ただそこにあるがままに広がっている。
 私は、この「もっけ」という作品の主題が、すべてこの素晴らしいオープニングに凝縮されていると考えて
 います。
 
 
 
 ◆
 
 さて、いよいよ本編についてのことを書き出してみます。
 まず基本的なことから説明しましょう。
 姉の静流は不思議なモノ、いわゆる妖怪や霊が見えるという体質を持っていて、そして妹の瑞生はそう
 いう類のモノに憑かれやすい体質を持っています。
 また静流は特に憑かれやすい体質では無く、また瑞生は自分に取り憑いているモノがほとんど見える
 ことがありません(存在を感じてはいる)。
 そしてふたりは、そういうことに詳しいお祖父ちゃんとお祖母ちゃんの元で、それらとの付き合い方を学び
 ながら毎日生きている、そういうお話が刻々と描かれていくのがこの「もっけ」という作品の概要です。
 この第一話「ミコシ」では、瑞生が見越し入道という妖怪に取り憑かれてしまいます。
 熱を出して倒れてしまった妹を守ることの出来なかった自責の念に囚われ、静流は苦悩します。
 そして、その静流に対してお祖父ちゃんはこう言うのです。
 『奴らは居んのがあたりまえ。』、と。
 
 生きている上で直面する様々な問題なり苦悩なり、そして災害なり病気なり、そういうものは当人が
 どう心掛けようと、向こうからやってきます。
 しかし、まずはそれらがそういうものであるということを認めることから始めれば、それはただ怖れ怯える
 だけのものにならなくて済みます。
 お祖父ちゃんはこうも言います。
 『なにに怯えてんのか、なにが不安にさせんのか、ようく考えてみろ。』
 そういう風にして、既に自分の目の前に客観的にそれらの問題なりなんなりが在るのだと認識する事で、
 実はそれを見つめている自分という主体を強く意識することが出来る。
 自分がなにを見て、そしてなにがどう問題になっているのか。
 そしてなによりも、どれが根本的な問題であり、なにを一番自分が解決したいと思っているのか、という
 事を深く胸の内に問いかけることで、その問いかけ自体が自分をなぞっていくようにして、その答えが
 自分の内にあることを教えてくれる。
 静流にとって重要なのは、妹を守れなかった自分を責めることか。
 それは確かに重要。
 自分を責めることしか出来ないその無力な自分に涙することが、大事なことか。
 それも確かに大事。
 きっとそれらは、どれひとつ欠けてもいけないし、またそれらを捨てる事に力を尽くすのなら、それらをすべ
 て深く感じてみて、そうすることで自分がどういう風になったかをその身で以て感じる苦しみを得ることに
 こそ意味がある。
 そしてそうすれば、自然に答えを見つけた自分に出会えてくる。
 瑞生を守るためにどうしたらいい?
 その方法を学び、そしてそれを実行する事に真摯になることが、静流が最終的に至るべき境地。
 『大事なのは厄災に対する備えをしておくことだ。ミコシを見越すのだ。』
 そうしてミコシのことばかりを考える、その自分をさらに見つめ直すことで。
 
 静流は自分もまた目前の苦悩に囚われるという、「見越し入道」に取り憑かれている事を知るのです。
 
 それならば、もう簡単です。
 静流は、再び見越し入道と出会いそれを見つめ続けて魂を奪われかけた瑞生を抱き締め、
 そして今自分の胸の中で震えている妹のぬくもりを守る者が自分しか居ないことを怖れ、そして自分も
 また見越し入道に取り殺されてしまうのではないかという怯えに囚われます。
 静流もまた、その怖れと怯えと相対し、それだけしか認識できなくなるという、それ自体が「見越し入道」
 であるモノに囚われてしまいます。
 でも。
 大丈夫。
 囚われても、取り憑かれても。出会っても。
 
 『落ち着いて。怖くない。』
 『だってあれは、ミコシだもん!』
 
 そして静流は、それこそ馬鹿みたいになにも考えずに、見越し入道と出会ったときの対処法を実行し
 ます。
 『下から見上げるのでは無く、頭から足下へ、見下ろす!』
 『見越した!』
 この対処法の中身自体を解読すれば、それは自分が向き合っているあらゆる問題という客体と、それ
 を見つめている自分という主体が「在り」、そしてその構図を見つめて認識しそれを解決しようとする自
 分が「居る」ということを示し、またそのような意識を持つ自分に至れたときに、ふっとそれは当たり前の
 ようにして解決していく、というものなのだと思います。
 見越し入道という妖怪は、最初足下を見て、一体これはどれくらいの大きさがあるんだろうとどんどんと
 視点を上に移していっても、一向にその頭が見えてこず、ついにはこちらがひっくり返ってしまうほど上を
 見つめても見越すことが出来ないというモノです。
 それはつまり、客体、あるいは対象物として目の前にあるものを、それがそれとして其処にあることを
 認めずに、ただ自分の中にあるものの投影として捉え、だからそのまま対象物の側に潜り込んでしまう
 ことで、その客体と主体の線引きを失ってしまうということなのです。
 だから、まずそのモノは初めから其処にそれとして存在している、そう当たり前にして居るということから
 まず始め、あくまで主体の中に映る客体の解釈として演繹的に対象を捉えるのでは無く、ただただ、
 既に存在として完結しているモノをまるごと受け入れそれを帰納的に捉えることで、自分もまたそれに
 よって存在を認められるモノのうちのひとつにしか過ぎないことが見えてくるのです。
 見越し入道を、既に見越したものとして捉える、つまりその大きさを測りつつ全体像を推測・把握して
 いくのでは無く、初めからもうなんだかわからない漠然とした全体像を受け入れてしまえ、ということなの
 です。
 そうすれば、目の前に「居る」モノは、当たり前なモノだけが残る。
 自分の目前にある諸問題、或いは他者を、それとして初めに受け入れるところから始めれば、至極当
 然のようにそれらがそこで息づいているのがわかり、そしてそれらが其処に生きて居るのがわかれば、
 もう単純にそれへの対処法を学び実行していけば済む。
 私は、こう思います。
 見越し入道という妖怪は、目前のモノに対する不理解と無関心の闇より生まれてくるものだと。
  そして、その妖怪を祓えるのは、それを見ている「私」だけなのです。
 
 
 これら一連の解釈的なことを、しかしこの「もっけ」というのは魂として持っている訳ではありません。
 上で書いてきたようなものを、ただ説明するだけのアニメならば、私は敢えて観ようとは思わなかったで
 しょう。
 ただ流れていく、自然と世界と時間がある。
 静流と瑞生が悩もうが苦しもうが、それとはなんの関係も無く雲は浮かび川は流れ、時々刻々とその
 色合いと営みを変化していく。
 突然の雷雨、どんよりと重苦しく閉ざされた曇り空、それらは一見それだけを見れば、静流達の苦悩と
 リンクしその内面を反映したものとして受け取れもしますけれど、しかしそのどれを見ても、いわゆる静流
 達の心情を反映したものとしての情景とはなっていず、ただ曇り雨が降り雷が鳴るということが大元に
 あり、あくまでその中で右往左往している静流達がいるだけなのが伝わってきます。
 それでも世界は、其処に在り続ける。
 そしてそれは逆に、それでも静流達は、此処に居続けるということを強く描き出しているのでした。
 世界が在るのなら私も居る。
 その当たり前さが、静流達の流す涙を吸っても、その涙がやがて空に昇り雨を降らし、そしてそれがまた
 静流達を濡らしていく様が、ゆっくりと伝わってきます。
 そして、そうだからこそ、静流達の語る言葉、そして彼女達が魅せる表情や想いが、熱く熱く画面の
 中心に広がっているのが見えてきます。
 静流の姉としての瑞生への想いは、おそらくただ自分だけが自覚すればよいものとしてだけでは無く、
 瑞生への直接的非難をやがて孕んでいくような、そのようなあやふやさと、そしてだからこそ妹との肌を
 接したその触れ合う感覚がぞくぞくするほどに描かれています。
 瑞生のそうした姉妹の自覚の無さは、姉と共に生きているという実感を欠き、しかしそれでいて確かに
 「自分もお姉ちゃんみたいになりたいな。」という、憧れよりは遙かに自覚的な前向きさが、やがてひとつ
 ひとつ丹念に静流という人間への理解を瑞生にもたらしていく雰囲気もまた、その予兆として充分に
 描かれていました。
 無邪気で子供でありながら、瑞生はそのお姉ちゃんの保護を十二分に受けている、その自分の姿を
 やがて見ていくことになるでしょう。
 この姉妹の成長物語として、いえ、そのお話を語るのはきっと私達視聴者だけであって、彼女達自身
 はただ、がむしゃらに日々を生きていくのでしょう。
 勿論、成長している、という実感を得ることを目標にしながら。
 
 静流は、元気いっぱいにはしゃぐ瑞喜の背中を、ゆっくりと眺めています。
 お祖父ちゃんとの約束を破って、ミコシに憑かれる可能性の高い峠に七草を摘みに来て、そしてあやうく
 命を落としそうになったその妹の背中を。
 でも。
 『七草を集めるっていうお祖母ちゃんとの約束きちんと守って、瑞生、偉いね。』
 瑞生を責める理由は沢山あるけれど、でもこのはしゃいでいる瑞生はちゃんと瑞生としての理屈で動い
 て、それをちゃんと全うしたのです。
 お祖母ちゃんとの約束守って、偉いね。
 瑞生のあの嬉しそうな笑顔が、それだけを見れば、確かにそれは当たり前な笑顔であって、それを否定
 する事自体は、どのような論理にも不可能。
 良かったね、瑞生。
 静流はそうして、妹をそっと認めて褒めてあげるのです。
 
 でも。
 
 『でもお祖父ちゃんの言いつけを破って四辻峠に来ちゃうのは・・・・』
 
 お祖母ちゃんとの約束を守れた事よりも、ただ単に自分が七草を集めたいという想いのために動いてい
 て、そしてその目的を果たしてはしゃいでいた瑞生。
 でも、そこで静流はその最後に見つけた七草である女郎花の花言葉「約束」を持ち出して、瑞生は
 お祖母ちゃんとの約束守って偉いね、と瑞生がその約束を守る事のために頑張ったという風に文脈を
 書き換えていた。
 瑞生はそれに素直に頷き、しかしそれは確かにそのお祖母ちゃんとの約束を守るためにという要素も
 あったがゆえにそれは嘘にはならなく、そしてそれを静流に褒められ有頂天になる。
 そして、すべては丸くひとつの論理へと繋がっていく。
 約束は大事だよね。
 だったら、お祖父ちゃんとの約束も守らなくちゃいけなかったよね。
 静流はそうして、瑞生を認めてあげつつ、それを認めてあげたということはつまり、その論理からすれば
 当然謝らなくっちゃいけないこと、あるよね?と、瑞生が使いやすい論理を使って、瑞生と世界を繋げ
 そしてまた静流自身の論理が導き出した答えのみを取り出し、それとも繋げることが出来たのです。
 瑞生は悪いことをした。
 それだけの理由と根拠があるんだもん。
 ここはばしっと厳しく叱らなくちゃ、姉として、しっかり叱らなくちゃ。
 その静流の「姉として」の意識というものには、色んなものが詰まっているのだと思います。
 私は、見越し入道を上から見下ろし、そして自分と同じ高さまで見越し入道を見越したあの瞬間の、
 瑞生を抱いてきっと正面を見据えていたシーンに、涙しました。
 そして私はさらに、気が付いて目の前の女郎花に飛びついて喜ぶ妹の背を見つめる静流の表情にも
 涙しました。
 この子はどれだけのモノを背負っているのだろうと一瞬考え、それでも、それをあまりにも当たり前として
 妹を思い遣り受け止め、そして。
 それでも、叱ることの出来る静流に、感動を覚えました。
 だから。
 それはきっと、静流はそうした色々なモノを背負っている自分のこともまた、確かに見捨ててはいないの
 だということが、とても良くわかったのでした。
 あの瑞生への叱り方は、一方的に自分が背負っているモノと向き合っているだけの結果から発せられ
 る、泣き言にも似た罵倒では無く、またそれでいて、自分をひた隠しにし、ただ妹を認めるだけ認めて
 すべてそうして全部私が守ってあげると、ひしと抱き締めて世界から妹と自分を遮断してしまう、その
 絶望的な愛でも無く。
 それはあくまで、そう、あまりにも当たり前な、この世界の中での幸せな生き方の創造だったのでした。
 瑞生の幸せのため、そして静流自身の幸せのための、それは立派な世界とのお付き合いの作法を
 ひとつ生み出していたのです。
 この世界には、瑞生だけが居るのじゃ無いのよ。
 私も居るし、お祖父ちゃんもお祖母ちゃんも居るし、それにミコシみたいなのも沢山いる。
 だからみんなひとつひとつ丁寧に、その人達やモノ達との付き合い方を覚えていかなくちゃね。
 そうしたらきっと、みんなと楽しくやっていけるかもしれないよね。
 うん、大変だよね。
 私だって、不安だよ。
 うん・・まぁね・・
 
 
 『でも、次ミコシに会ったら、自分で見越せるように頑張ってみるよ。』
 この瑞生の言葉が続いてくることの出来るこの世界の中で、色々なものを見つめることのできる、
 その幸せにこそ、静流は生き甲斐を見出していると、あの月光を見上げる彼女の瞳に揺らめく光に
 感じました。
 
 
 『月明かりの下で見る七草は、とっても綺麗だった。』
 
 
 
 
 その静流の姿を眺めながら感じた世界は、とてもとても、温かく、そして広かったです。
 
 
 
 これからしばらくの間、宜しくお付き合いお願い申し上げます。
 そしてこの最高の作品と向き合える幸福に、感謝致します。
 
 
 
 
 
 
 
                                 ◆ 『』内文章、アニメ「もっけ」より引用 ◆
 
 
 
 
 

 

-- 071012--                    

 

         

                                     ■■ 空低し ■■

     
 
 
 
 
 I am Boss . (挨拶)
 
 
 秋も深まりをみせるかと思えばまだ半袖で行きたい思いばかりに惹かれてしまう未練たらたらな今日
 この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。
 私は心頭滅却してねばっております。頑張れば、きっと涼しい。
 
 さて、そういう案配で季節が変わろうと巡ろうと私の頭の血の巡りが良くなる訳でも無し、めまぐるしく変
 る気温を完全に受け入れて、受動MAX状態で日々を過ごしております。
 やる気が出ないのは気温の変化が激しいから、という言い訳を日々楽しくさせて頂いております。
 はい。
 
 さてさて、はやくも10月を迎えることとなり、今年もあと三ヶ月かぁとほとんど真っさらだった一年間を見な
 かった事に熱中するあまりに、あと三ヶ月あるさと、敢えてポジティブに構えてみせることでそれまでの九ヶ
 月間の空白を無かった事にしようとやっきになっている紅い瞳です、ごきげんよう。
 ということで御座いますので、やる気が無いことを正当化するためにちょっぴりやる気を出しているところ
 ですので、本日もなにも期待せずにお付き合いしてやってください。
 
 
 さて、ネタが無い。 (早速だな)
 最近リアルでもネットでも特に変わったことも無く、まぁなにはともあれ平和でなによりですよ、となにか
 ひとしきり納得したところでなんにもやっていないだけという事に、はたと思い至り、いけないいけない、そ
 の事を無かったことにするために前を向いてこれからを生きるんでしょう? 生きなあかんでほんまに、
 とそういうことをあくびをしながら言っている訳です。
 なかなかお話が先に進まないのは誰の陰謀でもありません。
 ネタが無いだけです。
 しかし、なーいなーいネタ無ーいとゴロゴロと転がりながらも、その回転の刺激が斜め45度くらいの角度
 で延髄を刺激したときに、全身を駆けめぐる電流が頭上でぴんぽんと電球の形で瞬いたりするかもし
 れないよね、といつの間にか転がるのをやめて真剣に考えていたりもするのです。
 なにをやっているのでしょうか。私にもわかりません。
 けれど私はくじけない。くじけろ。
 なんとしもこの間を取り繕うことこそ、今私がやるべき事、そう、それ、いいこと思いついた私、とネタなん
 ぞどこ吹く風と代わりに口笛を吹いていたりする訳ですけれどなにもできず思い浮かばず、あれ?なんで
 口笛吹いてたんだっけ?まぁいいや今日は新曲作っちゃうよ(オリジナルかよ)とばかりに、いつのまにか
 口笛に没頭してそれが目的になっていたり、やっぱり自分を騙したり誤魔化すスキルだけは年々上がっ
 ていっているような気がします。
 その分、どんどんバカになってる気もしますけれど、そんなの今更じゃないじゃーん問題無し無し、と、
 からっと気持ちよく胸をばしんと叩けるので、その。
 まだ、大丈夫。
 
 よし、しのいだ。 (なにも解決してません)
 
 
 
 ◆
 
 正直に、アニメにいきます。
 もうなんか色々面倒になってきてダイレクトに空を飛びたくなってきましたので、その、書きます。
 あ、まだ見てなかった今期アニメの第一話の話をね、ちょっと。
 
 
 魔人探偵脳噛ネウロ:
 まともな推理モノにする気がゼロな事はよくわかりました。大変爆笑でした。
 あ、ちなみに第一話は見逃したのでこれは第二話の話。
 全体的に寸止めというか、まだ私は20パーセントの力しから出していないのですよ、みたいな感じが
 ぼわっとしてて、つまりその感覚は同時にまだ残り80%があることを伝えていました。
 あれはたぶん、もっとこれからはっちゃけていくんだろうなぁ。
 逆にあの程度で最後まで乗り切ったら、ちょっとそれは情けないって思う。うん、情けない。
 ・・・なにを言うかなこの人は。
 
 げんしけん2:
 私はまだギア1なのに、もうあっちは3とか4になってて、じゃそろそろ5にしようかっていう勢いで、おいおい。
 初回から随分飛ばしていらしゃったので、ちょっと追いつくのに時間がかかっちゃいましたよ私。
 追いつけたのかどうか謎ですけれど。
 キャラ全員がそれぞれまた違う段階に行っているみたいで、まぁ着実に進んでいるなぁという感じでは
 ありました。
 でもあれがスタートで、あそこからどうやってさらにその先に進めていくのか、ちょっと謎。
 ということで、むしろ楽しみ。
 
 もやしもん:
 可もなく不可も無く、ただ面白いです。面白い。
 次いったいなにをやってくれるのかとか、どんな人が出てくるのかと、普通にストーリー展開が面白いの
 で、このまま淡々とお話を進めていってくれるだけでも余は満足じゃ、うむ。
 
 
 ・・・。
 内容が無いね。
 いつもひどいけれど、今日もひどいね。今日もですか。ええ今日もですよ。そうですか。そうですよ。うん。
 もうちょっとこう、真面目にしっかり文章書かないといけないよ?君。
 はい、すみません。
 ということで、今日はこれ以上内容を薄めないためにもここで筆を置きます。
 じゃそういうことで。 (言葉も無い。)
 
 
 
 
 といいたいところなのですけれど、取り敢えず今期アニメの出来振りを評したり。
 んー、今期は結構思ってたより良いのはありましたね。
 現在、しおんの王以外視聴予定だったものはすべて見終えましたけれど、私的には「みなみけ」が
 群を抜いているというところ。
 これは結構造作的にも力入ってるし、それに中心にあるギャグも間の取り方や表情の魅せ方が絶妙
 なので、かなり面白い感じになっていますので、かなりお勧めです。
 それとあとは「もっけ」と「ブルードロップ」は、ひとつのアニメ作品としてのスケールは大したことは無いで
 すけれど、その中で描かれていくものに関しては、注目できるものを既にその中で始めています。
 「バンブーブレード」もいまいちリズム感が無いので乗り切れ無いのですけれど、要素としてはなかなか
 面白いものがあるので、それが綺麗に繋がったときにブレイクwすると睨んでいます。
 ってな感じで、評価云々は私的はどうでも良く、現在「みなみけ」がぶっちぎりで楽しみで堪りません。
 あーはやく次回にならないかなーと第一話が終わった瞬間からずっと考えていたりします。
 アニメ脳万歳。 (フォロー無し)
 
 あ、それと。
 なんかですね、「みなみけ」が面白いコトをやるようです。
 なにをかというと、アニメをふたつやるみたいです。
 なに言うとん? って思った人は私もそうなので平気です。なにが。
 まぁ、これを見てください。 → 「みなみけ」公式サイト
 つまりね、「みなみけ」は原作漫画をアニメ化したものなのですけれど、そのアニメ化を別の角度から
 行ったものを「みなみけ 〜おかわり〜」としてもう一度行うということなんです。
 時期は来年の1月から、ということです。
 続編をやる前に、最初から違う視点で同じ作品をもう一度、ということなのでしょうね。
 うーん、新しい試みとしては興味ありますけれどね、今現在「みなみけ」で頭一杯な私にそう言われて
 も、ぴんとこないっていうか・・・・。
 やりたければやれば? っていうところ?
 そしてたぶん、来年しょっぱなから「〜おかわり〜」で頭一杯にしてる私が居る。
 すべては予定調和なのです。 (後ろを向きながら)
 
 
 終わり。
 
 
 
 

 

-- 071010--                    

 

         

                                ■■ 怪物王女の私 ■■

     
 
 
 
 
 
 
 「怪物王女」との出会いは、それは他のアニメとの出会いと全く同じものでした。
 なんとなく雰囲気的に惹かれるものがあり、けれどそれだけで突っ走ることができるとは言い切れない、
 そんな微妙な感触のままに、そのお付き合いを始めたものでした。
 
 私はいつもアニメの感想を書くときは、必ずそこで自分がこういうことを書いてやろう、というようなものを
 自分の中に有し、そしてそれを使って作品を読み解き、またそれだけでは無く、作品が持っている感覚
 に自分自身が乗り移り、つまり、その作品のキャラのひとつとなって、その私が読み解いた思考をそれに
 させていくというのを基本姿勢として持っています。
 そしてその手法の良いところ、あるいは私が気に入っているところは、その作品の中から自分がその外で
 考えていることを使って考えていくことにより、過分にその作品の中での状態なり環境なり、そしてなによ
 りもそれらの中で生きているキャラとしての情感を主体として、それらの思考を乗りこなすことができ、
 かつそれが出来るからこそ、その立ち位置から全く新しい思索を始めることが出来る、というところです。
 そしてその一番の肝にあるのが、その新しい思索を始めていくことの出来る、その主体たる「私」の存在
 にあったのです。
 つまり、例えばとあるキャラの一人称でなにかを語っているとき、それは実はそのキャラでは無く、また
 たんにそれを書いている私のままでも無く、それらをすべて混ぜ合わせて生まれた「私」だ、ということです。
 またその混ぜ合わせというのも、両方のことをそのまま描き込むということでは無く、一旦書く前に私の
 中でそれを混ぜ咀嚼し、そしてそれらふたつの原料から創り出した完成したもの、として改めてひとつの
 ものとして提出したものなのです。
 ですから、私がいつも書いている文章はSSでは無く「感想」であって、また私小説でも無い。
 むしろ、今現在の私がそのキャラを使いなにかを語ることで、新しい私を見つけるための、そのような「私」
 が創られていく場として、それらの文章はあったのです。
 いうなればそれは、「私」という新しいキャラを主人公に据えた物語なのです。
 まぁ、物語性はかなり低いのですけれどね。 (笑)
 
 しかし、この怪物王女という作品は、その作法が通用しなかったのです。
 まずなにより、主人公たる姫が、あまりにも完成されている存在だったからです。
 一旦そのキャラになりきることでその世界に入り込むためには、それなりにそのキャラの苦悩なりなんなり、
 そういった余地が無くてはいけないのですけれど、そういったものがまるで見えてこなく、むしろそれが
 無いゆえのその完璧さの発露として、その姫というキャラが在るという感じだったのです。
 ですから私は、その姫に関しては、当初ただただその姫の言っていることをひとつの思想として受け入れ、
 そしてそれを単に論理的に高め深めて、それを素直に作品に返して描き込むことしか出来無かったの
 です。
 これは、きつかった。
 そしてお茶濁しのように、姫よりは内面的に余地がある(?)リザや他のゲストキャラに成り代わって、
 決して本命では無い「私」を描いていました。
 これも、苦しかった。
 そしてさらに苦し紛れに、どうでもよい説明文的に作品を書き下したりしていました。
 これはもう、きつくて苦しかった。
 私が書く姫はますます硬直化の一途を辿り、ただ理屈を重ねていくだけの姫になり、そしてリザを描いて
 も全くその姫の姿とは繋がりをみせることが出来なくなっていったのでした。
 私は一体、この作品の感想でなにをしたいのだろう?
 バラバラに個別に紡がれていく無味乾燥な言葉達に見下ろされて、私こそが苦悩の余地を開いていく
 ばかりとなり、おそらく今まで数々の感想を作ってきた中で、一番悩んだのでした。
 そして・・
 
 具体的な転機があったのかどうか、それは自分にも定かではありません。
 また、これはすべて今だから言えるという、ただの後付的なこじつけなのかもしれません。
 なにかが、変わったのです。
 それはきっと、そのような個別でバラバラだったものを、果てしなくそのバラバラのままに積み重ねていった
 がゆえに、その集合体としてのひとつのものであるそれ自体がなにかを私に魅せたからなのです。
 これはもしかしたら、姫自体が「私」にそのまま発展するのでは無く、リザや令裡やその他のキャラを
 集めた、その集合体としての「姫」がそのまま「私」になるのではないか?
 今までの作品でも、似たようなことはありました。
 けれど、それらの場合は、まず主人公のキャラはしっかりと苦悩の余地を持っていて、その主体として
 あるキャラを通して、他のキャラ達を見ていくことで、その主人公のキャラが成長しそれがやがて「私」に
 なる、というものでした。
 LOVELESSの感想などではそのような形を取りました。
 しかし、この怪物王女という作品の主人公である姫には、その肝心の苦悩の余地が無いゆえに主体
 たりえず、つまりそれは、リザや令裡達他のキャラそのものの苦悩の余地から考えた、その集積自体が
 「私」を顕すということになるのでした。
 そして、そうであるのならば、もしかしたら、姫というものをさらにその他のキャラ達の集積体としてある「私」
 、イコール「姫」とし、そこから逆算的に姫というキャラを作品内に捏造し、そしてさらに改めてその苦悩の
 余地を含む姫をその「姫」の中に他のキャラ達と同じく投入していけば、さらにその「姫」としての「私」は
 深まっていくということになり得る。
 そしてさらに、そうであるのならば、もはやこの私自身さえまさに私小説的に作品の中にそのまま放り込ん
 で、それをさらに「私」たる「姫」の中に投げ込んでしまうこともできるのではないか? という可能性を
 生み出すに至ったのです。
 それは、超越的な姫を描き続けている中で、段々と確信していくに至り、そして姫の過去が初めて描か
 れた「殺戮王女」の感想「夢見る姫の生存証明」で、ついにその形を為して表すことになったのです。
 あそこで描いた姫は完全に私の捏造であり、またそれは「姫」ではありませんでした。
 私はただ姫の「立場」に入り込んで、まさに私として振る舞い言動を重ねたのです。
 つまり、あの一人称は姫の姿を借りた私の告白のようなものなのです。
 私小説的であり、ほとんどひねりも発展も無いままに、ただ姫の立場に置き換えて書いただけ。
 
 そして、私はそこで重要なものを得たのです。
 
 
 それは、安堵。
 私は「夢見る姫の生存証明」を通して、私自身のことを告白し、そしてそれになんらかの解答を導き出
 す過程で私を癒していました。
 これは、今までただの一度も意図してやったことの無い事でした。
 そして、その得られた安堵というものが、一体なんであるかを考えたときに、その最も重要なものを得た
 のです。
 「囚われる」とは、こういうことだったのか、という認識。
 それまで、超越的な姫を使って繰り返して説いてきた、「拘るという事に拘る」ということの実感を、
 このとき初めて得、そして自分がなにに拘り囚われ、そしてそれから抜け出そうとしてどういうことを自分
 がしているのかを厳密に見つめることが出来たのです。
 それもひとつの安堵を私自身にもたらしはしましたけれど、私は今度はその私をこそ、その怪物王女の
 中にひとつのキャラとして投げ込み、それが持つ苦悩の余地にその外から入り込み、その安堵して
 姫の隣にいる私を「私」へと昇華する、他のキャラ達の集合体の中にこそ投げ込み返したのです。
 そして、そこで初めて、怪物王女という作品に、「私」という主人公を登場させるに至ったのです。
 その「私」はすなわち、「姫」。
 私小説的に癒された私という姫と、リザ達他のキャラをすべて積み重ねて顕れた「姫」を使い、ようやく
 私は怪物王女で感想を書き始めることが出来たのでした。
 
 
 
 ◆
 
 なぜ戦うのか、そんな事はわかりません。
 いっくらだって理由は考えられますし、またそのすべてに頷くことだって可能ですよ。
 そしてそれは、なぜ戦うのか、という問いだけ無く、すべての「なぜ〜」という問いに対してすべて可能な
 ことなのですよ。
 頷こうとさえ思えば、そのために出来ることは無限にある。
 でもさ。
 ほんとにそれでいいの? っていう問いだけは、ちょっと違う。
 それはさ、それら無限にある問いと同じ次元では無く、ひとつその外側から、それらの問いが無限に
 続くというフィールド自体に対する問いなんだと思うんだよね。
 だからそのほんとにそれでいいの?という問いに無限にイエスと答えることが出来る理由を作れるというの
 は、論理的に外さなくちゃいけない。
 だってその問いは、その問いの連鎖そのものの是非を問うているんだからさ、その是非を問うこと自体の
 是非を問う、というのはあり得ないことなんだよね。
 じゃ、なんでそんなものが必要かというとさ、たぶん、生きて此処に居るってことが一番必要としているの
 が、たぶんそれだからだと思うんだ。
 たとえばさ、戦うしか無いとそう思うことが出来ない状況があって、そこで生き残るためには、やっぱり
 無限にその戦う理由を構築して、それに心の底から頷ける答えを無限に紡ぎ続けていくことが求められ
 ていると思うのね。
 だからそのために賢くなって、口が廻るようになり、体も動くようになり、そうして強くなっていくのは、それは
 そうして居る自分にとってはもの凄く有効なことだと思う。
 たぶんそれはだから、純粋に生きていたいという欲望を達成し続けるための、その最も重要な道具とし
 てある理由の構築であり、また「なぜ戦うか」という問いの価値なんだと思うよ。
 じゃあさ。
 
 あんたは、「生きたい」という欲望にこそ、あんたのその既に「生きている」ということのすべてを賭けるの?
 
 たぶん、誰もが「違う」っていう答えを胸の奥に響かせると思う。
 でも今はそうしなくちゃ生きられない状況なんだから、そうするしか無いって、しょうがないって答えると思う。
 でもさ。
 そこで「しょうがない」って言葉を使っている時点で、ほんとはもう、そうすることが一番の目的になってし
 まっているのが見えてこない?
 しょうがないしょうがない言いながら、でもその「生きたい」という欲望だけにすべてを注ぐをよしとしてない?
 逆にいえば、そういう自分の状態こそが、それに囚われていると言える気がする。
 「生きたい」という欲望が、いつのまにか、一番のものになってない?
 それってさ、おかしいわけで。
 ほんとは、おかしいわけで。
 だってさ。
 「生きたい」と思えるのって、当たり前なことなはずじゃん?
 当たり前でなくちゃいけないっていうかさ、や、だからこそ、「生きたい」という欲望は、もうその生まれたと
 きから当たり前に達成出来ているべきものなんじゃないの?
 勿論、ほとんどすべての人が達成できていない。
 でも、それが当然。
 そして当然だからこそ、それに囚われてるんだよね。
 当然なことが出来てないからこそ、それをなんとしても出来るようにする、それは間違ってはいないけれど
 、それを生涯の目的にしてそれだけを求めるというのはおかしい。
 だって、矛盾するじゃん。
 だってさ、あなたが求めてるのは、それが「出来て当然」なものなのだから、それを求めそれを獲得する
 行為そのものが当然でなくちゃ、その得られたものは決して「出来て当然」なものにはならないんじゃ
 ないかな?
 勿論、出来て無いんだから当然で無いのは明白だよ? 当たり前じゃん。
 だからそれを獲得するためには盲目的にそれを求めるのも、やっぱりアリだと思うのよ。
 逆に偉ぶって無理して当然だ当然だって言ってるだけじゃ、んなもん手に入る訳も無い。
 ましてやだからそんなもの求めても無駄といって求めることすらやめてしまうのは論外。
 
 だから、両方。
 当然じゃないほど死に物狂いでそれを求めているかと思ったら、当然のような顔してそれを求めたりする。
 
 拘る事に拘らない、拘らない事に拘らない、ってそういうこと。
 ただがむしゃらにそれしか見ないで求めてたらやっぱりそれに拘って他が見えなくなるし、でも逆にそのこと
 を怖れ前ばっかり見てたらなんにも出来ないよね、やっぱり。
 だから、いつだってそれは出来て当然という顔しながらその裏で必死にそれが当然になるように努力し、
 でもその当然じゃない自分の姿に開き直ってその必死の努力にすべてを注ぐのは間違ってると思う。
 だって、それじゃ、当然にならないじゃん。
 ていうかさ、そもそも当然ってなによ。
 出来て当たり前、ってことっしょ?
 だったらさ、それはこういうことでしょ?
 出来て当たり前っていうのは、ただのスタートにしか過ぎないって。
 そのスタートを得ることをゴールだと言い換えることは可能だし、そのゴールテープを切る悦びはそれはそ
 れで充分大事なことだって思う。
 でもそれは、当然のことですから。
 それは、やっぱりスタートですから。
 もう一度、問います。
 
 ほんとうに、それでいいの?
 
 そのゴールテープを切ったときになにを感じた?
 それが、ただスタートラインを踏み切っただけだと、そう考えることだけが、それが本当に「当然」なものを
 獲得したって、感じない?
 そのゴールテープをゴールテープとしてしっかりと感じることが出来るからこそ、その悦びがあり、そして、
 それでもまだ自分は生きて今此処に居るのですよ? まだ。
 なんのために、そのゴールテープを切ったんですか?
 それが当然なことになるために、つまりスタートラインに立つために、じゃないんですか?
 だから私はこう思ったよ。
 そのスタートラインから踏み出す一歩こそに、本当に自分のすべてを賭ける価値があるのじゃないの?
 そして。
 そうすればまたわかるはず。
 その一歩を重ね、やがて辿り着くゴールラインもまた、新たなスタートラインとなることが。
 だから、ゴールは無いんです。
 だからもう、スタートなんてものも、無いんです。
 わかりますよね、もう。
 つまり。
 
 あなたはもう、既に当たり前のようにして、今、此処に生きて居る。
 
 だからもういくらでも拘っても拘らなくてもよいんじゃないかな。
 そしてだからこそ、いくらでもゴールラインとスタートラインはひけると思う。
 だってさ、当たり前のように「生きたい」という欲望が満たされているのだから、あれがしたいこれがしたい
 っていう欲望を抱きそれを満たそうとするのも、当然だよね。
 自分のすべてを賭けたっていいし、賭けなくたって、いい。
 
 
 怪物王女という世界の中に、私は居ました。
 私はきっとこのとき、怪物王女という作品を使って書き出した感想の主人公になっていました。
 怪物王女の私、と呼べる私が、そこに。
 怪物王女とはなんだったのか、という問いに答える気はありません。
 しかし、私とはなにかと問われたら、それは怪物王女そのものだったと答えます。
 私は「姫」のようになりたく、そして姫もまた「私」を目指しています。
 現在私は、購入した怪物王女のサウンドトラックを聴きながらこれを書いています。
 とても、穏やかな気分です。
 なぜなのか、という問いを片手に、そして私は今のこの時間を愉しんでいます。
 色々なものを感じながら、色々なものを見ながら、そして得ながら、失いながら。
 それでもこうして、愉しく生きているこの今を感じています。
 怪物王女という世界の内に居て、そしてその外に在る私が、今、此処に。
 そして、目の前に、怪物王女という存在が広がっている。
 私はこの、ひどく強い他者性をこの作品には感じ、そしてそうだからこそ、すべてを「姫」という「私」に
 収束して書くことが出来たように感じています。
 もうなんだか、上手く説明できません。
 ごめんなさい。
 でも。
 なんだか底知れないなにかを、私は深く深く、感じることが出来ました。
 もはや覚えている必要も無いほどに、それはどこまでも深く、私とひとつになった気がします。
 この世界に、怪物王女と私という存在があるからこそ、私と怪物王女はそれでもひとつになれると
 思っています。
 
 ありがとう。
 
 
 
 
 
 

 

-- 071008--                    

 

         

                               ■■ 大忙しぶるには ■■

     
 
 
 
 
 球蹴り番長。(挨拶)
 
 改めまして、挨拶もそこそこに次行ってみよう。
 はい、急いでますので、手短に。
 まず、今期から始まったアニメの第一話を観た分の感想を書きました。
 ということで、早速以下に。
 
 
 
 
 魔人探偵脳噛ネウロ:
 豪快に忘れました。脳噛んだー。
 なにげにもの凄く悔しいので、次回はこそはと今から気合いを入れます!
 (そして当日までに忘れると予想)
 
 
 バンブーブレード:
 お、ってきた。これはちょっといけるんじゃないの?
 どうみても熱血展開にはなりそうでならなさそうで、基本的にはあの駄目駄目なリアル人間(?)な先
 生が、ひたむきに頑張る生徒達を観てはっとなって、俺どうかしてた・・とか言って熱くなりかけた途端、
 なーにやってんのセンセイっ、と心の臓が止まる勢いで背中をぶっ叩かれて(叩くのはあのスチャラカ部長
 に決まってます)、でもま、それで豪快に笑って終わりってところまではいかなかくて、なんだかみんな照れ
 笑いでしみじみ、みたいな見方によってはちょっと恥ずかしい感じではあるけれど、お、って思った。
 なんか、誰も力みかえっていないんだけど、でもほっそりと真面目になれる瞬間を持つことが許されてる
 みたいな、基本ゆるゆるなんだけど、そのゆるさが見所ってワケじゃないとこが気に入った。
 特にわたしゃあの部長さんとタマちゃんが気に入りました。
 という具合で、なんだかわからないけれど、たぶん最後まで観ちゃう方向です。
 
 
 スケッチブック:
 アリア社長が友情出演で、吹いた。なぜここにーーーっ!!
 まぁそれはええねん。
 うん、そですね、非常にローペースで脳までとろけそうで、イライラするより前にこっちの気が抜けて、なん
 か色々どうでもよくなれそうな感じ。そしてそれがなんだか気持ちよい。
 いっきにリズムを変えられてしまうので、同じペースと調子でアニメを全部まとめ観しちゃいそうなときに、
 こういうのがあると結構重宝するね。
 ギャグ・・では無いんでしょうね。
 あの主人公の女の子のほわほわあわあわ感を、とっくりと納得いくまで見守ってあげるみたいな、それで
 時々あのヘンな二人組の掛け合いが入ってなんでやねんとちょっとツッコミ入れて笑えたりとか、なにげ
 に結構色々詰まってるなぁコレ。
 次回も観ます。
 
 
 ドラゴノーツ:
 私もあの女の子に助けられたい病。(なに)
 散発的に始まった物語ゆえに、小さくひとつの筋にまとまっていきそうな気配を感じられなく、割と期待が
 持てそうな第一話でした。
 これがどういう風にまとまっていくのか、ということにでは無く、これからさらにどれだけお話を広げていくの
 かが興味あり。
 でもそれと同時に、最初が不確かだったからこそ、残りの話のすべてを賭けて、それをなんとかまとめよう
 と四苦八苦しちゃうという、そういう可哀想なことになりそうな予感もビシバシ。
 あんたはこのまま行ったらええ。へんにまとまっちゃ駄目よ。
 ただ現時点ではやはりそれほど魅力的とはいえず、ゆえに次回以降これを観るとしたら様子見、という
 感じになりそうです。
 
 
 ef - a tale of memories:
 可、とは言えないかなぁ、これは。
 特別悪いワケでは無いのだけれどね、ご都合主義的展開がどうこうとか、それ自体はどうでもよいのだ
 けれど、ストーリーとして感動できる、というもの以上に発展しそうには無かったので、あまり観たいと
 いう気は起きずです。あの記憶喪失?な子関連は感動でいけそうですけれどね。
 それと、演出は結構カッコイイですねねデザイン的に。
 でもそれだけを観るために視聴を続けられるかというと、やっぱり厳しいかなという結論。
 取り敢えず次回観て、視聴継続するかを決めます。
 
 
 ブルードロップ:
 あー、こりゃ駄目だな。
 面 白 い に 決 ま っ て る 。
 あーあ、さっそくきちゃったよ、せっかく怪物王女の感想書き終わって、やっと日記の更新少なくなれる
 ぞー、さぁ最後に書き残したことさっさと書いちゃってゆっくりするぞー、っと大きく伸びをする途中で凍り付
 いた感じ。
 これはな、ちゃうねん。 (テレビを消しながら)
 これは、観ちゃいけなかった。
 うん、ツッコミどころというかけなしどころはあるの。
 ていうかCGはよせと言うとろうに、それにな、あの乱闘シーンもなんであんなコミカルにしちゃうんよ、とか、
 ていうかこれロボとか戦艦とかいらないやろとか、あとあの学園長キモいとかね。
 ・・・。
 そしてそうやって必死に、な? な? だからこんな作品やめておきな? 観たってロクなこと無いんだか
 らさ、ねぇやめようよ、ねぇ、ねぇお願い! とすがりつくようにして頼んで、なのにさ、私の目はもう血走っ
 てやんの。
 あー、駄目だわ、こいつもう陥ちてるわ。
 面白く無いワケが無い。
 絶対感想書くって言うもの、コイツ。
 ていうか、誰かコイツにこの作品つまらないって言わせてください。
 そうしないと、このままじゃまた感想にのめり込・・・・・・・・あああ (本末転倒)
 ということで、少しでもこの作品の魅力をここで語ってしまったら、一気に感想を書く方向に向かってしま
 うので(そしてたぶん今の私の状態だと途中でコケる ぇ)、今日のところはこれくらいで許しといたる!
 はい。
 次の話を観ても私が態勢を立て直せずに押し切られてしまったら、しゃーない、感想書きます。
 ・・・・あー・・いいなぁこれ・・いいなぁ・・・・・(再び電源入れたテレビ画面に魅入りながら 壊)
 
 
 みなみけ:
 ・・・・・・・・・・っっ・・・っっ・・・・ (うずくまって床をダンダンと叩きながら)
 あっさり来たよ。
 瀬戸の花嫁の後継者。
 もう、なんかいきなり死ぬかと思いましたよ、こっち全然準備できてないのに、ま、第一話ですし、ゆっくり
 いきましょうとかなんとの馴れ合い主義でいこうとしましたら。

 大        爆        笑     。

 オーケイ、オーケイ、落ち着こう。
 まずな、これは瀬戸の花嫁とはタイプ違うな? そうだよな?
 はい、どちらかというと苺ましまろ、いえ、がっちり苺ましまろタイプですよね。
 そうだ、それで正解だ。 そもそも笑いの観点が違うのだ。・・・だが。
 ええ・・。
 いけるな? これで。
 はい、いけます!
 よし、いくぞ、「みなみけ」の世界へ。
 はい! いきましょう!
 そんな感じ。
 まず三姉妹がいます。
 上はしっかりもので、真ん中はバカで、下はSな子供です。
 真ん中はもう完璧なバカでもうなに話そうがバカで、下は完全にそれを手玉に取って、というか悪意すら
 感じさせないままにバカを掌の上で転がしてそのまま窓の外にぽいっと捨てるタイプ。
 真ん中は気持ちいいくらいに乗せられて、下は乗せて転がしてぽいした後に無表情なSっぷりで、
 でも普通に子供なので時々力づくで来た真ん中には敵わなくて、そういう結構な姉妹のガチバトル
 があって、で、上はどうしてるかというと、心配そうな顔してるけど、普通に止めない。
 真ん中と下やりたい放題。
 真ん中の馬鹿がいい感じに突き抜けてて、あのダイブとローキックはお見事でした、で、下の策略ぶり
 がなめらかに決まりすぎてて爽快ですらあり、これはほんと、はやくも今期の主力商品ですよ。
 んー、苺ましまろでいくと、真ん中が美羽で下が千佳で、上は美羽の暴走を止めきれなくなって他人の
 振りをしてる伸恵ねーちゃんって感じで。
 でも真ん中は美羽と違って真性のバカで、バカバカ書いてご不快な方ごめんなさいでもバカなんです、
 そう、美羽はバカというよりボケだしかなり緻密に計算してるバカだし、というか自分が好き放題やるため
 にはなにが一番かを全部計算してる子だし、で、この真ん中は真性でもうひたすらバカで計算という
 概念がゼロでだから下に乗せられまくりで、で、下は千佳と違ってかなり真ん中を制してるしというかほぼ
 互角? だからたぶん真ん中ひとり舞台は永遠に無いでしょねこの下が居る限り、独走も無理。
 苺はあの美羽の独走的暴走が魅力でしたけど、じゃだからといってこの「みなみけ」が駄目かというと
 全然そういうことは無くて、真ん中が独走したいんだけど下ががっちり存在してるからできずに、その
 抑えられ感でぎちぎちになってるのが面白く、そしてたぶん真ん中はこうして抑えられてるからこそ面白い
 んじゃないかな、たぶん。
 と、いうことでした。
 あー、なんか、今期を生き延びられるだろか私。笑い過ぎて体が保たないよ・・・(嬉し溜息)
 
 
 もっけ:
 ・・・・・・・・・あ〜〜〜〜〜(頭を抱え込んで)
 ・・・・・。
 なんで・・・
 今 期 は 期 待 外 れ が 無 い ん で す か ? (泣)
 ほんと、どうしましょ。
 OPでもう、あ、コレ駄目だ、って思っちゃった。
 もうあんな音楽にあの映像を乗せてきた時点で、どういうものが出来てるのかが圧倒的にわかっちゃった
 。
 あれができてしまっているのなら、中身がそれ以下であるハズがないって。
 うん、実際、ヤバイ。
 これ、素晴らしいです。
 絵柄が近年のアニメアニメした(正直に言えば萌え萌えした)のでは無くて、もっさり感がするのは確かだけ
 ど、逆にそういう今までの絵柄になれちゃってそれに囚われてるに気づけちゃう。
 だって、この作品、もう絵柄とか関係ないじゃん。
 なにが、語られていたか。
 緻密でそれでいて広がりのある背景の中で、人が動いて、で、その人の表情は全然リアルでも無く、
 でも、そのもっさりした人が、そのもっさりなものとしての生命を持ってちゃんと泣いたり笑ったりしてる。
 そして、その感情とか人物が置かれている状況とか、そういうものが初めからきっちり描かれている、という
 訳でも無く、人物達が語り、その言葉そのものが発せられてくることから、初めてふと気が付いて見つめ
 たその画面のなかには、なにかとてつも無くすごいものが広がってる。
 臨場感とかリアルとか感情とか状況とか、そしてこれからの未来も今までの過去も、今の人間関係も
 、そういうのすら、決してそれら自体を語ることででは無く、とある命題を言葉で紡ぎ出し、その言葉に
 魂震わせ、そして必死に考えていくその人物が編み出していく言葉そのものが、そういったそういった
 すごいものが、既に目の前の其処に広がっているのを「照らし出す」んですね。
 「奴らは居んのが当たり前。」 by爺ちゃん
 そして爺ちゃんは、それが見える静流にこう言うんです。
 見えてるってことがどういうことか、よく考えてみろ、と。
 ・・・・。
 連続感想、書くことを真剣に考えていこうと思います。 (命取り)
 はい、ということで、こりゃもう原作とかアニメ版とか関係ないですね。
 原作ファンとして云々する気はまごうことなく完全にゼロになりました。どうでもええ。
 合格。そして、さらなる高みへ。
 
 
 
 そんな感じで、見終えたアニメ第一話の印象は終了。
 あとは、げんしけん2ともやしもんとしおんの王を待つのみですか。
 あ、あと、ガンダムを綺麗に忘れました。
 あんだけ色々人様にガンダムもちゃんと観なきゃ駄目よとか言っておきながらのコレです。
 ・・・。
 ごめんなさい。 (土下座)
 はは、今期はそれだけ気合いが入ってて、作品ごとへの対応に差が出てきちゃってるのですね。(最低)
 
 
 
 
 ◆
 
 ひぐらし解が、きてる。
 面白いです。
 たかのさんがみてる。
 展開はなんか凄いことになってるんだけど、うん、なんか普通にひぐらしが言いたいことやりたいことの
 一番真ん中にあるものがはっきりして、なんだか、あー、って感じ。
 鉈少女と、詩音さんにスタンガン、の登場があってかなりビクっときたけどw、でもこれみて放送休止
 とかそういう事されたら、作り手としては堪りませんよねぇやっぱり。
 公式サイトだったかな? 放送休止に関する制作側の話読んでてちょっとしんみりきちゃったよ。
 私としては、この作品がこういうものだったとわかった時点で、ただ惨劇ショーを悪趣味に愉しむだけのを
 停止して(むしろお前が休止しろw)、まそれはそれとして、ひぐらしの作り手がなにを示そうとしてるのか
 をきっちり見届けようじゃないか、ていうか梨花ちゃま頑張れ、はにゅうも頑張れ、とか言いながらまぁ、
 これがこういう隠喩であれはこう繋がってとかごちゃごちゃ解釈しながら普通に梨花ちゃま頑張れとか、
 きゃーたかのさんバカっぽいけど素敵ーとか、まぁそんなね、そろそろ落ち着いてみようか私。
 たぶん、最後まで、いけます。 (正気で ぉぃ)
 
 
 
 
 ◆
 
 「Zill O'll  infiniite」というゲームを買いました。PS2のです。
 ちなみに、じるおーる いんふぃにっと、と読みます。
 で。
 アニメ廃人からゲーム廃人へのクラスチェンジが可能な経験値が貯まりましたので、どうしようかと
 迷っています。
 やり始めてから2日で総プレイ時間9時間いきました。
 ゲームは2時間もやれば疲れてやる気無くなるこの私が2日で9時間て。正気?
 やり始めの頃はゲーム操作になれるので手一杯で、それで疲れてなんか思ってたより面白く無いな、
 なんて思ってた脳みその乾かぬうちに、色々出来るようになってきたらあら不思議、がっつりハマってしま
 いましたとさ、という感じ。
 かなり、楽しいですね。
 これはたぶん、飽きることは無いでしょうねぇ。
 まぁ私はヘボですので、実力的にクリアできないイベントとかで引っかかると、飽きる前に投げ出す可能
 性もありますけどw、でもこのゲームの場合、イベント起きてもそれを解決しないまま放置しても、
 それはそれで進む道が出来たりするので、まぁそのあたりはゆったりできますね。
 という感じで、ゲームの感想って全然書いてないから書くこと無いですけど、かなり面白い、ということは
 確かでした。
 ていうか、こんなんやってるから、アニメの感想書く余裕が無いとか言う訳。頑張れ。(両方)
 
 あと、主人公の名前決められるのですけれど、かなり迷いました。
 「姫」か「アンバー」か、それが問題だ。 ガラテア様も捨てがたい。 注:いずれもアニメのキャラです
 この名前はいずれも女性主人公用ですね。
 男性主人公も選べるので、一応「李」か「黒」を考えてはいたのですけれど・・・
 漢字が、選べない。 orz
 それに「李」と「黒」の場合は使用武器はワイヤー以外に考えられなく、そしてこのゲームにそんなものは
 無いので、アウト。男、アウト。
 ということで、必然的に女性にしようということになり、漢字無いなら「姫」駄目じゃん、アンバーかガラテア
 でいいじゃん、ということになったのですが、ならば、逆転ホームラン。
 うん、わかった、本命はアンバーかガラテアな。
 じゃ、その前に露払いが必要じゃろう?
 つまりな、思い入れの深いキャラの名前を入れるということは、おぬし、そのキャラを思った通りに育て
 たいのであろ?
 それならば、まずはそうできるような情報を入手し実際それを試す、そういうものが必要だろ?
 ならば、敢えて最初のキャラは「姫」にするのじゃよ。
 漢字が無い・・・?    「 ヒ  メ 」 で い い 。 (いい加減) 
 
 という流れ(?)から、めでたく実験体としての「ヒメ」がここに誕生したのでした。
 ものすごく「姫」に対して無礼を働いた気がしますけれど、ゲーム中で限りなく「姫」をイメージした育成
 を心掛けますのでお赦しくださいませ。(土下座)
 ・・・で、さっそくプレイして姫様気分を味わおうとしたら、最初に様付けで呼んでくれたのが、本物の王女
 様だったので、大変身の程を知った想いで御座いました。そんな、もったいない・・(恭しくこうべをたれて)
 ということで、ヒメは現在順調に迷走しております。
 ・・・「姫」を意識して武器ならなんでも使いこなせるという意味で、万能的にパラを全部育てようとした
 ら、見事に器用貧乏になりました。うわ、微妙。
 で、一応パーティにするメンバーもゲーム進行中にどんどん入れ替えられるので、これまた「姫」を意識
 して、男排除の方向でメンバー組む方向に。チーム・百合!(ぉぃ)
 そしてなんとか人数分女性陣を揃えて、一同会してみると・・・あれ、ヒメが一番強い・・・
 おまけにMP一番多くて攻撃力防御力も一番。器用貧乏だったはずなのにどんだけ他のキャラ弱い
 のよ。レベルほぼ同じなのに。(汗)
 そんな感じで、現在レベルの割には戦闘で全滅する回数が増してきている昨今、皆様如何お過ごし
 のことでしょうか? (爽やかに微笑みながら)
 
 P.S:
 ちなみにこのヒメではさっさとクリアすることを目的にしているのですけれど、これだけやってまだ序盤な
 気配が消えなくて焦ってます。
 そして、一応クリアしたら次は「アンバー」でいきます。ガラテアはその次で。
 ガラテアは勿論大剣(両手持ち剣)装備で行く予定。
 で、アンバーはどうするかというと。
 アンバーといえばなんでしょう? (このキャラを知ってる人限定の質問w)
 そりゃもう、魔女でしょう。魔性の女、略して魔女。(ぉ)
 あとスパイ要素もあるから器用さと敏捷も上げよう。
 でだから当然魔法使い系の能力ガンガン上げて、禁呪探索とかとにかくそういう方面で大暴れしてきたい
 と思っているのですよ。
 ひたすらパーティの後衛で強力呪文唱えるだけに専念して、このゲームはMP消費量の割にはMP成長
 率が低いので、ほんと他のメンバーが居なければ生きていけないくらいの魔法バカにしちゃおう。
 なにせ、
 「まじかるアンバー」ですから。
 
 ツッコミは、不可。
 
 
 
 
 ってな感じで、バイバイ!  (PS2の電源ON)
 
 
 
 

 

-- 071006--                    

 

         

                               ■■歴史的アニメ期間■■

     
 
 
 
 
 はい、ごきげんよう、紅い瞳です。
 挨拶も着の身着のままそこそこにして、今日は早速本題に入ります。
 というより今日の更新はスペシャル扱い? そういう感じ。
 だって今日はアニメしか書かないもん! いつもそうだって言われても構わないもん!
 今日はね、前期で終了したアニメの感想で、まだ書いていなかったものをどどんと書くよ書きますよ。
 えーとですね・・・(ごそごそと漁りながら)
 クレイモア・モノノ怪・ロミオ×ジュリエット・Over Drive・瀬戸の花嫁・DARKER THAN BLACK。
 これらが残っていますので、この順番で語っていこうと思います。
 長いような長くないような、微妙な文章ですけれど、お付き合い頂ければ幸いです。
 
 と、その前に。
 前期アニメの総括みたいな総感想みたいなことをちらほらと。
 前期アニメというか、前期で終わったアニメですか。
 えーつまり、4月から9月一杯までやってた作品。
 あ、勿論7月から始まったのもあるけれどね。終わりが同じなら良し。
 うん、大豊作だったんじゃないかな、久方ぶりの。
 怪物王女、DARKER THAN BLACK、エル・カザド、Over Driveを四天王に据えて(ダサ)、その横に
 らき☆すた、瀬戸の花嫁のギャグの傑作が座し、その前にはバトル一徹のクレイモア、青春バンザイの
 ロミオ×ジュリエットが仁王立ちで立ち塞がるその完璧ぶり。
 あーなんか型にはめて取っておきたいくらいのラインナップで御座いました。
 例えがアレ過ぎてイマイチ凄さが伝わらなかったかもしれませんけれど、お許しを。
 で、一番評価出来る作品は、やはりぶっちぎりでDARKER THAN BLACK。
 このレベルの作品に出会うまで、またしばらく時間がかかると予測。
 そして、一番私が好きだったのは、怪物王女。
 この作品とエル・カザドは、たぶん世間的にはそれほど評価高く無いはずだから、私としては、私以上に
 世間様が評価するであろうDARKER THAN BLACKを応援しかつ評価するよりも、怪物王女と
 エル・カザドを応援し評価しそして守ってあげたいって思います。 判官贔屓ってやつ? (ちょと違う)
 また評価といえば、らき☆すたの盛り上がりはともかく、瀬戸の花嫁のギャグモノとしての充実ぶりは、
 やっぱり特筆に値すると思います。結構盛り上がりもあったみたいなのでなおよし。
 この作品級の笑いに出会えるのもまた、しばらく無いだろなって予感。
 
 という感じで半分寝ぼけながら書いているようで済みませんけれど(実際この前置き文は最後に書いて
 くっつけたので書いてたのは深夜まっさかり)、まぁそのなんだ、前期最高!(どんだけ)
 では、そういうことなんで、ぼちぼち各感想いってみましょう。
 
 
 
 
 ◆
 
 クレイモア:
 ナイス切断!
 とにかく斬った張ったの大活劇がすべてで、やっぱりそのまま終わりました。
 一度この作品の感想はちろっと書いたことがありましたけれど、そのときと変わらず、内面的なことやその
 他に感じたり考えたりしたいと思えるようなものは無く、ある意味淡々とそのアトラクション的なキャラ達
 の言動を追っていました。
 私的にはカッコイイと思えたキャラはガラテア様くらいで、それとダフ&リフル萌えというところであり、その他
 はすべてテレサ以上の魅力なりなんなりをどのような形でも示したものは無く、どのように叫ぼうが悲劇
 ぶろうが血の涙を流そうが、ふーん、という感じでした。
 主人公のクレアからして、最愛のテレサを殺された、ただその恨みを晴らすためだけに行動し、その
 頭の中も仇であるプリシラを殺すことしか無く、その途上で出会った少年と心を通わすと見せかけて、
 ただお互いがお互いを利用し合っているだけのような風情で停止しており、そのクレアと少年ラキの
 物語というのは面白いほどに疎外されている。
 ですから、どうしたって注目を浴びるのはそのバトルシーンであって、どんな凄惨な運命なり過去なりが
 ありそれを切々と唱えても、目の前に広がる阿鼻叫喚かつ血潮飛び散り肉弾け飛ぶ(笑)激烈な
 殺し合いが鳴らす剣戟に掻き消され、すべて踏み台にされてしまっていました。
 別に、それだからこの作品が駄目だという訳では無く、むしろそれほど、小気味よいほどにバトルシーン
 を中心に持ってきてしまうその潔さと狂いっぷりが際立ち、ゆえにそれがこそこのクレイモアという作品の
 本質そのものだったんじゃないかなぁって思います。
 そういう意味で、このクレイモアの作品が持つこの即断的行動そのものが、この作品が表したかった思想
 であるとも言えるのでしょう。
 ぐだぐだ言うな、ほら、もう戦いだ。
 
 私は実際愉しかったです。
 色々なキャラクターが訥々と語る運命なり過去の記憶が、それが語り終えられる前に、いえ、むしろ
 もう終わりの頃は語りながら駆け出し、そして気合い一閃振りかざした一刀でその語りを全部無かった
 ことにしてしまう、そういうハラハラドキドキで刹那的な感じは、近年の作品では得ることの出来ないも
 のでした。
 第二期はあのラストからすると、ほぼ100%ありますので、そのときもまた、中途半端な人間ドラマをやる
 のなら、いえ、中途半端であるからこそ、それがあくまで強烈なバトルの前振りであることを示して、
 そして大いにそれを踏み破って、また斬った張ったの大惨劇を繰り広げて欲しいです。 (笑)
 しっかしほんと、よくこのアニメ放送できたよねぇ、今更ながらにちょっと驚いてます。
 これで第二期でさらに加速したら、ちょっと尊敬。 (笑) //
 
 
 
 モノノ怪:
 残念ながら、期待はずれでした。
 以前やっていた、この作品の元となった作品「化け猫編」(「怪」という作品のいちエピソード)と比べて、
 まずどうしようも無く感じてしまうものがありました。
 それは、情感の絶対的不足。
 演出は色々とくるくる回しているけれど、落ち着いて観てみるとほとんど無意味にただ色々とやっている
 だけで、それ自体が描き出す情感というものが皆無。
 そしてそれ以前に、お話の中の登場人物そのものが、そもそもそういうものを軸として持っていない。
 理屈としていくつかの事象が繋がっていくのは見事でしたけれど、それこそただの謎解き以上のものは
 無く、その謎解きのピースを当て嵌めていくこと自体の上で、ただ登場人物達がくるくると踊らされてい
 るのです。
 納得は出来るけれど、感動は出来ない。
 結局のところ、斬新といえばそう言える演出方法に主導権を奪われ、肝心のその中で生きている登場
 人物達が一体なにを観てなにを感じているのか、それの表面的な部分しか決して顕れてくることは
 無かったのです。
 つまり、表面はキラキラと綺麗だけれど、底が浅い。
 実験作としてのその意欲は評価出来ますし、こういう方向がさらに深まりを得ていくことが出来れば、
 その可能性は感じられますけれど、現在この場に提出されたモノとしては、まだまだというところでしょう。
 出来うるならば、大元の「化け猫編」に立ち返って、第二期をやって欲しいものです。
 そして。
 本当にやらなくてはいけないことは、この作品が提出したその演出の「意味」を、私がしっかりと私なりに
 解釈することでした。
 そういう意味では、今回私は負けてしまいました、自らの頑迷さに。
 この作品の愉しみ方を得られるよう、一層精進して参ります。 //
 
 
 
 ロミオ×ジュリエット:
 『見えてないのはお前の方だ。』
 これしか無いでしょう。
 世界は一体なんのためにある?
 そんなの簡単ですよ。
 恋するふたりのためにあるのです。
 それを笑ったとき、なにを考えているのか、ふと考えてみる。
 そのふたりのためにしか世界が無いっていうんなら、それってただのふたりの我が儘じゃん、笑わせる、
 そう考えていることがわかる。
 じゃあ、そのふたりが生きることで世界が滅びるというのなら、そのふたりは死ななくちゃいけない?
 それにそうその通りもし自分と恋人がそうだったらそうすると答えたとき、なにを考えているのか、
 ふと私は考えます。
 他の人を犠牲にしてまで、生きたくは無い、と。
 いや、或いはもっともっと単純に、自分達だけ助かれば良いっていう精神が気に入らないって、そう
 考えている。
 そういう自分に気が付く。
 そしてそのとき私は、その私の考えを真っ向から、そして全面的に否定します。
 自分のことしか考えて無いのは、お前だ!!
 私ひとりがみんなのために死ぬのが目的で死ぬなら、もし他の人が同じ立場になったとき、それをその
 人にも強制する根拠になるし、またその人にそう強制すると思うからこそ、自分もまたちゃんとそのため
 に死ななくちゃいけないという。
 筋は確かに通っているし、論理として間違ってはいない。
 でもそれは、今、此処に確かに生きている「自分」の意識がまるで無い。
 目の前に誰が居て、そしてその人の前に誰が居るのかをわかっていない。
 私は絶対に世界のためになんか死なないし、そしてそれを誰にもさせはしない。
 もしそれで世界が滅ぶとするのならそれでも構わない。
 いや、そもそもそれで世界が滅ぶことが、私が死なないことにある、或いは他の誰かが死ななかった事
 にあると言う事自体がおかしい。
 世界が滅ぶ責任は、絶対に誰かひとりにある訳で無い。
 その責任は、すべての人が等しく背負っているものだし、逆にそれを背負い背負わせるのは、それこそ
 が自分のことしか考えていない我が儘な行為。
 
 ジュリエットがロミオを愛して、ロミオと生きたいと思うのならそのことは誰にも否定出来はしないし、
 また他の誰かジュリエットの立場に立って生き延びるを選んだとしても、ジュリエットは決してその人を
 責めることはしないし、また出来ない。
 だから、私はこう思うんです。
 自分が生きていることと、世界があり続けることは別々のこととして弁えなくちゃいけない事なんだって。
 だから、最後にロミオが死に、その結果、その前に愛を叫び生きることをジュリエットの求めたロミオの
 言葉を抱き締めたジュリエットが、改めて、そう、改めて、世界のためにみんなのために死ぬことを選ん
 だことは、全く以て、ロミオへの背信である訳でも、また自らの生きる欲望を否定した訳でも無い。
 ジュリエットはロミオの最後までロミオを愛し、そしてロミオを愛する自分を愛し切って、そして、ロミオの
 死によりそれらすべてを失い全うしたゆえにこそ、世界を守るためのその自らの「二番手」の欲望を
 その最大の幸せが失われた場所にそっと導いてきただけ。
 ということはつまり、ロミオが死ななければ、ジュリエットは100%死ぬことを選ばなかった、ということ。
 もしそれを責める人がいるとしたら、ジュリエットにこう訊いてみるといいのです。
 もし私が死ななければこの世界が滅びるとして、それでも私が死ななくてもあなたはそれを許すというの
 ですか? と。
 答えは勿論、イエス。
 そして、おそらく。
 だからこそ、ジュリエットはロミオと共に、世界のための死を選ぶこともあったかもしれません。
 なぜなら、自分達のその愛と生存が「許されない」からこそそれを自ら認める必要があったがゆえに、
 その存在があったその「愛」と「生存」を手にした今、それを越えて一番自分達が「今」やりたいことが
 見えてくるはずなのですから。
 ロミオと一緒なら・・・みんなのために・・・死ねるわ・・
 ロミオだけが死に、それゆえに自らが世界のために死ねるようになり、そしてジュリエットは、そのまま死ぬ
 のを選んだのか、それとも、そういった事をすべて越えて、ほんとうになにものにも囚われぬ自らの欲望の
 発露としてみんなのために死を選んだのか。
 私には、前者のように見えました。
 ジュリエットは、ロミオを愛する者として、生きるときも死ぬときも一緒にという言葉を忠実に守っただけ。
 その愛のままに死を選び、その死が結果的にみんなのためになればよいとその翼で語って。
 その死は儚く、美しい。
 そしてこれが、この作品の限界。
 でも。
 それを批判することは無数に出来て、そしてこれから私が残す一言が誤解されむしろ曲解の上に逆
 の意味として捉えられ歓迎されることになろうとも、私はこの最終回のためにひとつだけ言いたいことが
 あります。
 それは。
 
 愛を、愛さずにはいられません。
 
 私はそれでもジュリエットの行動と思考と感情を肯定します。
 愛が無ければ、とっくに人間なんて、世界が滅ぶ前に消えてると思う。
 愛自体が生存能力の源ですし、そしてストイックで盲目的な愛があるからこそ、本当に一番好きな
 ことが出来るのかもしれません。
 私はなかなかジュリエットのようにはなれないのですけれど、その自分を見つめつつ、しかし必ず、この
 仰いだ青い空を吹き抜ける穏やかな風のままに、どこまでもそれでも飛べることを信じています。
 あまりのクサさにどこまでも飛んでいけばいい! (赤面しながら) //
 
 
 
 Over Drive:
 なんだろうね。
 アニメって、こんなに凄いものだったんだね。
 こんなに興奮したのは、もしかしたら初めてかもしれないよ。
 や、これは興奮とかそういうのじゃないかもしれない。
 なんなんだろうね。
 ミコト最高。
 頑張れるって、素敵だよね。
 頑張れるって思えるのって、なんだか愛しいよね。
 頑張りたいって思えたら、涙が止まらないよね。
 そういうものが無くて、ただ無くて、だから色々と上手く受け流したり笑って誤魔化したり頭使ったり、
 そうやってずるずるとずるずると取り残されている自分をひた隠しにして、それでも自分がなによりも
 なにかに耐えている事に気づかない。
 ほんとに、それでいいの?
 うん。
 きっとミコトは、その残酷な問いに実感を感じるよりも前に、自転車と出会った。
 『その日僕は、自転車に恋をした。』
 出会って、そして頑張れると思えて、どこまでも行けると思えて、みんなの中に入って一生懸命に、
 それなのに駄目で、挫折寸前までいって、そしてそのことを笑ってやり過ごそうと、ここまであの僕が出来
 たんだ、それでもう充分だよ幸せだよと、そうした安堵の溜息で諦めを隠そうとして、そしたら、目の前に
 はユキが立ってて、そしたらミコトはもう負ける訳にはいかなくなって、ううん、そうじゃない、もうそういう
 んじゃなくて、ただ、ただただ、自転車に乗りたくなって。
 頑張りたいって、もうなんにも関係無く、強く強く思えて来ちゃって。
 そのときに、すべては反転する。
 今ここで諦めようとしていた自分を、はははっと爽快に笑って、うん、そうだよね、色々辛いこと楽しいこと
 あったよね、それで結局全然駄目で、僕はもう全然駄目駄目で、悔しくて、悲しくて、辛くて・・・
 でも僕は・・・それでも・・・・・それでも僕は・・・・・そういうことを与えてくれた・・・この・・・ 
 
 『僕に生きる事の意味を教えてくれた、この乗り物が好きです。』
 
 涙が止まりません。
 そしてその恋する少年のまま突っ走って、それで結局レースは失格になって、それでくる落胆というのは
 その恋した分だけ重くて切実で、なにかを諦めなかったからこそ、その結果がもたらしたものが重くて。
 ごめんなさい・・ごめんなさい・・・ごめんなさい・・・
 ミコトはしっかり、周りを感じてる。
 ミコトが生きたいのは、みんなの居る世界。
 だから、自分が一生懸命になっていることが、みんなのためになれたらいいって思ってる。
 いやむしろ、ミコトにとっては、みんなの中で一生懸命やって結果を出して、だからそれが嬉しいから全力
 で頑張りたいって思えるんだ。
 だから、誰かに観ていて欲しい、誰かに認めて欲しい。
 自分だけが満足してオンリーワンの幸せの中に沈むことなんて、全然無い。
 ミコトは人との繋がり、いいえ、この悦びと幸福が、すべてこの世界に居る人達が与えてくれると感じて
 いる。
 だから、ミコトが目指すのは、あくまで、ナンバーワン。
 僕は頑張った、誰よりもなによりも、そして僕の最高の力を出し切って頑張った。
 僕はだからそれが嬉しくて溜まらなくて、その僕の体感が幸せだった。
 でも、僕は、失格しちゃったんだ。
 どんなに頑張ったって、僕はまだまだ全然駄目なんだ。
 だから僕は・・・・もっともっと・・・・・僕の最高以上の力を出したかったんだ。
 だから、悔しい。
 そして、そう思えるから。
 そう思わせてくれる、そう、そう思う僕を認めてくれる人がいるから、僕は・・・・・・自転車に乗る!
 だからきっと、ミコトは今までやってこれたその駄目駄目な自分を、やっぱり愛せるんだよね。
 まだまだ頑張れる、まだまだ頑張りたいって思えるから。
 
 私は、この作品の主人公はユキなんだと思うな。
 ミコトはさ、ある意味で幸運児なんだよね。
 さっきも言ったけど、駄目な自分をただ肯定しているだけのことを、それでもいいの?と問わずにはいられ
 ないことに実感を感じる前に、自転車と出会えたんだから。
 ごちゃごちゃ考える前にもう、自転車に乗って、自転車と格闘して、そして頑張れたんだから。
 でもユキは、そういうミコトの姿をダイレクトに見て、そしてミコトを観ている自分が、その問いによって金縛
 りにされてることを知る。
 どうして貴方は自転車に乗るのですか?
 ユキはその独白的質問を繰り返す。
 なんでそんな簡単に熱くなれんの? どうしてそこまで必死になれるのよ?
 もうやめなよ・・みっともない・・・そんなことしたってなんにも変わらないよ。
 そうしてユキは自分がなにを求めているのかを強く知るがゆえに、それを怖れる呪縛と戦うことからしか
 始めることが出来なかった。
 ユキちゃんは頭良い人だって、私は思う。
 だからミコトなんかとは比べものにならないほどに、目の前の現実との付き合い馴れ合い方が上手くて、
 いくらでも受け流せるしどこまでも誤魔化せるし、そしていつまでも嘲笑ってしまうこともできるし。
 皮肉屋だし辛辣だし強いし、でもさ。
 だからそうやって批判対象や受け入れ対象を持ってるからこそ、そういうものを持っているだけの「自分」
 のことが、なによりも一番わかってたんじゃないのかな?
 理屈こねて色々やってるけれど、その胸の奥底で最も求めているのは、きっと熱情なんだよね。
 ストイックになにもかも注ぎ込んで、そのまままっすぐにどこまでもいけるような、なにかを。
 そしてむしろ見えない形で「それを求めなくても本当に良いのか?」という問いとなって、ユキを揺り動か
 しているんです。
 その自分の中の熱情へと向かうべきかそうでないかの選択でつまづき、そしてさらにその先には、もし
 そこへ向かうとしてもどうやったらその熱情のままに生きられるの?という問いが待っている。
 うん、そこが、実はユキちゃんのすごいところで。
 ていうか、その二つ目の問いをユキは真っ先に考えちゃうんだよね。
 そしてそうだからこそ、いつのまにかその前の熱情へ向かうべきかどうかっていう問いが棚上げされちゃう。
 だからユキはミコトのことを暑苦しい奴と思うことはやっぱり残ったままで、しかしそれと同時に、既に熱情
 のままに突っ走っている先駆者として、その手本としてなによりも熱くミコトを見始める事が出来てしま
 ったんですよね。
 私は、ミコトだけでも充分でした。だって泣けて泣けて仕方無かったもの。
 そしてミコトを見つめることで、私も頑張れる、頑張りたいって思えた。
 でも。
 それって、結構辛い。
 ミコトはどんどん先に言っちゃうし、それをひとりで追いかけるのは、自分もミコトと同じ幸運児で居続け
 なくちゃいけない。
 でも私は、本質的にはミコトとは違う。だから限り無く、疲れる。
 でも、そのミコトを追いかけてるのは、私だけじゃなかった。
 ユキもまた、この作品の中でミコトを追いかけてるんです、私と同じように。
 それは凄く贅沢な気もしますし、またひとりで追いかけることの出来ない弱音を認めてしまうようで、
 そのユキの存在を素直に喜べないというところもある。
 でも、それって、まさにユキちゃんじゃん。
 私は、ミコトよりも、ユキに近いんです。立場的にも本質的にも。
 様々なジレンマを抱えて、色々なしがらみがあって、それでも頑張りたい、ミコトのようになるべきだって、
 そう考える、ごくごく当たり前なひとりの人間が、私の横には居たのですね。
 そして、だからこそ、私はミコトにもなれる訳です。
 あのゴールの前で、もうやめなよと辛辣な眼差しを向けてきたユキに対して、だからこそ負ける訳には
 いかないと、見ている人がいる限り頑張りたいと、そう思えるのです。
 ミコトだって、ひとりじゃないんですよね。
 子供達にサインをねだられて号泣したミコト。
 
 『走ろう、明日から毎日ボロボロになるまで走ろう。
  頑張って、頑張って、強くなろう。いつの日か、大きく胸を張れるように。』
 
 号泣。
 私も頑張りたいです。どこまでも。
 はい。
 もう第二期はいらないですね、完璧です。
 でも。
 第二期があったら、もっと頑張れちゃう気がするのですけれどねぇ・・・(上目遣いに 笑) //
 
 
 
 瀬戸の花嫁:
 爆笑王。
 まさにそれ。
 こんなに爆笑の連続だったのは無いや。
 感想書けって言われてもなにを書いたらいいのか、ああほんと、私はギャグアニメの感想書くの下手
 だなぁってことで、ほんとどうしよう。
 今期の悩まし番長はこの作品でした。もう滅茶苦茶。
 滅茶苦茶なんだけど、別に不条理とかそういう系でも無くあくまで基本形で、でもそれをどこまでも
 滅茶苦茶にやりきっていて、ここまでやる?と観てるこっちが心配してしまうほどの手抜きの無さで、
 ほんと、ただの一話とても満足出来なかった回は無かったとですよ。
 おまけに最終回はまさにこの作品に相応しく、基本的なお話の本筋のまとめを行った上で、ギャグ満載
 状態のまま打ち上げ花火で大団円、これほど完全体なギャグアニメは未だ未体験ですよ。
 あー・・なんかあんまりにも完璧に終わっちゃったので、続編を求めるのに気が引けるよ。
 こんだけ笑わせて貰って楽しませて貰って、これ以上なにを望むの言われたら逆に困るし・・(笑)
 うん、私は不条理っていうか狂いまくりな狂気紙一重も真っ青で突き破る(滅茶苦茶)なタイプも
 好きなのですけれど、こうも基本的なギャグを律儀に昇華したものというのも、なんだか味わいすらも
 感じられてきて、なんだかちょっと感動でした。
 あれだけ色んなものをぶっこめば爆笑となりますよ、ほんと。破壊力抜群。
 そしてなにより安定度が最高。
 笑いにひねりは全然無いし、そもそもたとえそういうのがあったとしても、ツッコミがもの凄く適切で丁寧で
 おまけに親切だから取りこぼしようが無く、もうね、あー・・・なんて言ったらいいんでしょう・・
 なんかもう、この作品を如何に良く言おうか、如何に褒めてこの楽しませてくれた御礼をしようかって、
 そういうことしか考えられないよ、今。
 それほどまででしたよ、この作品は。もう毎週毎週楽しみ過ぎましたよ。
 この楽しみは、面白さは、観なくちゃわからない。
 紅い瞳史上、最大の笑いをありがとでした♪
 そしてなんか、まだ普通に最終回観ながら爆笑し続けてる私がこんなこと書いてます。
 もうなんかコレ、シリアスなんだかギャグなんだか普通にわかんないくらい笑えるよね! (涙目で)
 まさにこの最終回には、一番オーソドックスな言葉を贈りたいと思います。
 素晴らしい笑いを、ありがとう御座いました。
 あーもう! 楽しいなぁもう! //
 
 
 
 DARKER THAN BLACK:
 合理的、ってなんだろう。
 たとえば、危険な道と安全な道があって、そのどちらを選んだら合理的って言えるのかな?
 たぶん普通に考えたら、安全な道を選ぶのが合理的で、危険なのを選ぶのが非合理的ってことにな
 る。
 でもさ、そしたらその危険な道を選ぶ人は、みんな非合理的ってことになるのかな?
 では逆に、安全な道を選ぶとなぜ合理的と言えるのかな?
 とあるひとつの欲望があって、それを達成するために、その道が最も適切かつ最短、つまりそれが一番
 効率的である、ということが合理的、と言うのだと思う。
 だからこの場合、自分の身を危険に晒したくない、死にたくない、生きたいという欲望を達成しようと
 考えているときに、初めてその安全な道を選ぶことが合理的で、危険な道を行くのが不合理になるの
 だと思う。
 でもそれだってちょっと考えたらそうじゃない場合だってある。
 目の前のちょっとした危険さえ上手く乗り越えれば、かなりの近道だったりする場合だってあるし、その
 場合は一概にどちらが合理的かを言うことは出来ない。
 んで、勿論そんなことは当然だからわざわざ言うことでは無い。
 それよりも、それはつまり、自分の生存よりも優先する欲望があれば、それを達成するために我が身を
 危険ど真ん中にぶち込んでしまうことは、それが必要であるのなら、全く不合理とは言えないという事。
 むしろそこで縮こまって危険から逃げれば、それを不合理とも呼ぶ。 
 でも当然、そのときに抱いていた欲望が、「それでも生きたい死にたくない。」というものであるのなら、
 その危険からの逃避はさらに一転合理的なものと化す。
 だからそう考えると、合理的で無いことなど、無いのじゃないか?
 なんだってこれが私の欲望なんだ、望んだことなんだって言えてしまえば、すべてがその合理的の名の
 元に正当化できるのじゃないか?
 そうなれば、もう、逆にすべてが自分の思い通りに望むもののままにやっていることなんだ、すべては私が
 選んだことなのだ、とそう言えるようになりはしないか?
 
 その言葉に、猛烈な違和を感じているのが、その「合理的」という言葉を唱えている当の本人なのに?
 
 自分がなにもかも望んだ通りの事が出来る訳が無い。
 ただそう言うことが出来るだけだと思う。
 でも、そこでもしそう言って、それですべてを片づけてしまったとしたら、どうなってしまうんだろ?
 たぶん、悩まなくなると思う。
 だって、自分のやってることは必ず合理的で正しいこと、つまり、すべては自分が望んでやっていることで
 それをしっかり叶えようとして100%の力を出し切っていると思えるのだから。
 そしてきっと、誰よりもなによりも、それをまるで信じることが出来ないのが自分だって事を知らずには
 られないんだ。
 自分に、罪を感じるはずだよ。
 嘘吐くな嘘吐くな、そんなことで全部割り切れるはず無いじゃんか、一見難しいその実単純過ぎてヘド
 が出るほどの理論ですべてを語って、それで自分を騙せない事わかりきってるのに、それなのにそれを
 踏みにじることが、お前の本当に一番やりたいことなのか? って。
 でもその罪の意識があること自体が、なによりも落ち着きを与えてしまってもいる。
 こうして自分を責めることができるからこそ、今の自分のやっていることは正しいことなんだ、間違っていな
 いんだ、まだいける、大丈夫、大丈夫だから・・と、必死にひたすらこの世界の中で自分のなにかを守
 ろうとしている。
 だからそれらの自責の言葉は、まるでワクチンのように接種すればするほど、その体をそのワクチンを構
 成するものに対して剛健にしていくことができる。
 その構成するものって、なにで出てきてたんだっけ?
 罪の意識だよね? でもワクチンに使用されているのは、最も弱い罪なんだよ。
 そしてそれを接種し続けていれば、きっと自分が向き合うことの出来なかった、本当の強大な罪の意識
 からも身を守る事ができると、そう無意識に防衛本能を発揮してるんだよね。
 もし。
 もし、そうしている自分の姿がわかってしまったとしたら・・
 ただ自分は縮こまり、身を守り逃げ回ることしかしていなく、そしてそれを自分が望んでいると、
 そう「言えて」しまったとしたら・・・・
 
 たぶん、その自分の姿を、死んでも殺そうとする。
 
 そして。
 
 きっと、その自分の姿も含めて、全力で生きていこうとするよ。
 
 両方です。
 絶対。
 どっちかひとつを捨てて生きたら、それは両方捨てたのと同じこと。
 結局、捨てた方のことを諦めるために力を使い、そしてそのことで得られた弱っちい安寧にたむろするだ
 けなんだもん。
 や、そうしている自分が居ることがわかってしまうからこそ、そういうことを望んでいるもうひとりの自分が
 居るからこそ、また同じようにその自分との戦いを始めるだけ。
 全部割り切って、ただひたすら自分に言われた通りに事を為し生きても、必ずそうしている自分の姿を
 見ている自分は消えないと思う。
 そしてきっと、どちらの自分も、ほんとは消したくない、いいえ、消してはいけないんじゃないかって、
 必ず自分はわかってるんだよ。
 だって、それらはみんな、自分なんだもん。
 捨てたら捨てた分だけ、その捨てたという行為の分だけ、それを償うためだけに生きなくちゃならなくなる。
 どっちかを捨てて、そういう生を望む?
 それとも、両方とも胸に抱き締めて一体化し、その苦しみ全部背負って、それを愛するために生きて
 いく?
 答えはいつだって、単純明快。
 そう、答えだけは、ね。
 その答えを胸に秘めている私は、どんな私でも、私なのですよ。
 『だからもう、無理しないで。』 by 白
 『だが、それが黒の面白いところでもある。』 by 猫
 どっちか一方の自分に拘る必要は無いし、どちらが本当の自分かなんて決める必要も無い。
 
 『どっちか一方が無理なら、両方取れ。』 by 黄
 
 どちらかを捨てる苦しみよりも、どちらをも求める苦しみにこそ染まりたい。
 なぜなら。
 一番求めているものだけは、誰もが必ずわかっていて。
 そして。
 その最高の「欲望」を達成するためになら、どこまでも激しく求めることが出来るのだから。
 『そこは合理的にね。』 by アンバー
 
 ということで、はい、ダーカーザン、最高でした。
 色んな見方が出来ますし、一本筋が通っているように見えつつ実は結構まとまってなかったりもして、
 でもこの作品っていうのは、私が上で最後に言ったような、なにかひとつの最高のものに突っ走れる、
 というのを描きつつ、その描写自体を踏み台にして、でもそれって結構難しいよねわかってても、だから
 もっと色々悩んだり苦しんだり間違ったり、そういうことをもっと人間くさいままにやってみようよ、っていう
 メッセージと、そしてだからこそその底辺にあるものは必ず今回描いたような最高のものがあると信じられ
 る事なのだよ、ということをなによりも描き置いていってくれたんだと思うなぁ。
 そういうことを、この作品とのお付き合いの最後に考え、そして感じてみました。
 この作品の評価はもう言うまでも無く最高クラスですし、一度観た程度では満足できないほどの余地
 を残しまくっていますので、もう最高です。
 底辺にはぎっちり情感的なものが広がっているのに、一向にそれが私とリンクしてこなかったりして、
 むしろ私的に未解明な部分の方が圧倒的に多いので、これはもう少し大人になったら(笑)、また
 改めてわかるようになってくる気もします。
 さてと。
 全然語り足りませんけれども、この作品は長く語り継がれるに相応しい作品ですので、むしろこんな
 いい加減な文章ひとつで語り終えられる訳ないっしょ、と開き直りつつ、でも結構一生懸命書いたんよ
 ね?えへへ、っとばかりに照れながら、この作品にお別れを申し上げます。
 さようなら、アンバー。 (アンバー限定w) //
 
 
 
 ということで、お粗末様でした。
 こういうアニメがあったことを忘れずにいてくれたらなと、これを読んでくださった方々に、
 そして私自身に願っています。
 最高でした。
 
 
 
 

 

-- 071004--                    

 

         

                           ■■姫の愉しむ日々のなかに■■

     
 
 
 
 
 『ふが・・・・・ふぅ〜がぁ!』
 

                           〜怪物王女 ・番外編・フランドルの言葉より〜

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 どんな番外編だよっ!  ←ダンっと机を叩いて
 
 
 実質的最終話も終わり、残すところあとこの番外編ということで、どれだけ有終の美を飾って魅せて
 くれるのかと思いきや、予想以上にやってくれました。
 くだらなさ過ぎ。 (笑)
 一応、話の根幹にはフランドルの姫への忠誠心と、それとの姫の距離感の中にヒロを置いて叫ばせる、
 というほっそりとした情感がありますし、それは確かにきっちりと描かれていましたけれど、その状況自体
 はともかく、そのあまりの全体的なお間抜けさが笑いを誘わずにはいられない、どうしようも無い作品
 でした。
 フランドルの自爆装置が勝手に起動し、姫を巻き添えにしないためにもひとり海の中で果てようとして、
 そのための暴走(なのかたんにいくつかの異常行動のうちの一環として自爆装置起動があったのかは
 定かでは無い)が魅せるその背中の哀愁はあれど、その原因が頭のネジがちょっと緩んでいて、むしろ
 そんな事は取説(取扱説明書)を読めばすぐにわかることなのに、活字離れの激しい王族姉妹(笑)
 は読んでもいずにいることが原因であったりして、そこからして間抜け過ぎ。
 そして暴走しても、なぜかそれが結果的に人助けになっていたりして、さらにそれらのメイド姿の怪力少女
 の破壊行為が咎められるどころか賞賛を浴び(ほんとこの街の人達は良い根性してる 笑)たり、
 今度は逆に原子力発電所に近づいてきた、外見からはただのいちメイドにしか見えない少女に対して
 、フル装備の警備員(?)及び装甲車で以て退去を警告したり(あっさり突破されますけど 笑)と、
 そしてトドメはあのラストのエミール王子とフランダースの登場ですよ。
 あなたなにしに来たん、っていうかあまりにも今度会うときは戦いだみたいなセリフが、この状況下では
 笑えてしまって仕方無いのですけれど。
 大体なんであの人が海に居たのか、わざわざ妹達の危機を知って助けに来たのか。どっちでも可笑しい。
 もうなにもかもすべてズレていて、このくだらなさが最後に来たかと思うともう・・・・
 
 ああ、怪物王女らしいなって、ちょっと、感動してしまいました。 (ぉ)
 
 
 もうこんな番外編の感想なんて書けるかボケ! ってしっかり思えてしまうほどでしたけれど、でも、
 怪物王女のこれまでのお話はそんなのばっかりでしたし(笑)、それでも色々と屁理屈付けてこねくり
 回して、愉しむために努力し、そして実際結構それが楽しかったりして、そういう不毛に見えてもおかしく
 無いことの積み重ねがあって、そうした中でぽつぽつとこれは、と思えるようなエピソードがあり、それに
 ついても激しく深い想いで感想を書けたりしてきました。
 そして、最後に出てきたエピソードは、これは、と思える作品であるどころか、屁理屈付けるのも馬鹿馬
 鹿しいお話で、そのあまりの思い切りの良さに、なにかこう、心の底からこれが怪物王女の一番の
 魅力だったんだなぁとしみじみと感じていました。
 たぶん、ぐるぐる回っているのです。
 面白い回と面白く無い回が色々混ざって回転してて、それを個別に評価する愉しみだけで無く、
 そういったものを全部取っ払ってしまったあとに、実は私がそういう愉しみ方をしているだけでは無い、
 ということを、今回のそのどちらにも属さない(というか属せない)お話が持ってこられたところで、
 すっと理解したのかもしれません。
 面白いのと面白く無いのが混合であることが愉しく、かつそれがあるからこそ、それらの分類されるもの
 としての愉しみでは無い愉しみが、静かに当たり前のようにして此処にあることを教えてくれた。
 だから、たぶん、怪物王女は、なにをやっても面白い。
 あの登場人物達を使って、真面目なことをお馬鹿なことをツッコミすらできないようなことを描くことは
 出来てしまい、またそれをたんに面白い面白く無いという受動的な愉しみ方で捉えるだけでは勿体無い
 、そういう余韻と余地を残しまくってくれている。
 そもそも怪物王女という作品は、他作品へのオマージュの形式を取っているものを多く含んでいるので
 すから、これは当然といえば当然のことなのです。
 姫ならばこんなことは言わない、リザならばこんなことはしない、令裡ならこんな表情はしない、そして
 フランドルならそんな最期は選ばない、などなど、そういったキャラ主体でありその範囲で終わる、
 いえ、それだけにしか対応できない素材では、そもそもこの作品は無いのです。
 状況に合わせ、ストーリーに合わせ、なんなら視聴者の欲望にも応え、また私がやってきたように勝手に
 拡大解釈されて無理矢理一人称で喋らされたりするのにも耐え(笑)ることが可能な余地を余韻を、
 そしてなによりも深みと幅を持った、希有な作品だと思うからです。
 姫ならばこんなことは言わない? いやいや、まず姫がそう言った事を受け止め、じゃあどうして姫が
 そう言いそしてそう言えたのか、それを考えてみましょうよ。
 そうすれば、それで得られた答えを改めて姫様に献上すれば、またひとつ姫様の姿に幅と深みが出て
 来るように感じられませんか。
 
 そういう意味では、この番外編のあまりのどうしようも無さ、ぐだぐださ、そしてなによりも基本的な設定
 はそれでもあまりハズしてはいなくかつ普段の怪物王女らしさをしっかり纏っていながら、これはもしかし
 てもっと崩れちゃっても平気じゃないのかな? もっともっと違う形にして観ても、それはそれで愉しめる
 のじゃないかな、という潜在的なチャンスがあることを感じさせてくれることは、それ自体が「怪物王女」
 的であると思えたのでした。
 逆に、今キャラ達が築いている現状の関係性、そこからの意外なそして創造的な発展を、その無限の
 チャンスを背景にして、作品側が安心して創り出せていけるという可能性をそれは内包しているのだと
 も言えます。
 私自身もまた、姫がこれからどのような選択をしようとついていける自信はありますし、またもし二期があ
 れば、全く一期とは違う観点から姫様をなぞっていくことも出来る気がしています。
 そしてまた姫も、縦横無尽に理不尽に(笑)、姫自身という「キャラ」に頼らない「主体」を自由自在に
 動かし広げていくことが出来るのだと考えています。
 そして常に必ず、ふっと、その「キャラ」としての姫に対する欲求にも応えてみせたり出来る、そういう
 圧倒的な拘ら無さが、この最後に付与された番外編を活かしてもいる。
 いえ、むしろこのエピソードを最後に持ってくることの出来る、そういうこの怪物王女という作品の流れが
 あったからこそ、その拘ら無さが圧倒的に顕れてきたのかもしれませんね。
 
 
 でも、それだと実は、私がもうこれ以上怪物王女という作品を観る理由は無くなってしまう訳で。
 
 
 やっぱりそこまで来れたなら、制作側の意識で綴った、その設定を活かしたお話の続きを観たい。
 私はSSを後日談的に作るつもりも、ましてや続編を自ら書くつもりは毛頭ありません。
 基本のものとなるものを作るのは、当然怪物王女という作品の制作側ですし、私は是非、この作品
 の基本設定を理解し尽くし、そして純粋に解釈無しで(厳密にはそれは不可能)、一個の物語として
 この作品に一本筋を与えても欲しいです。
 なによりも超然と在り、そしてあくまで私の内では無く外に広がっているものとしての、その姫の姿を、
 ただただ傲然と作っていって欲しい。
 形式は問いませんし、それがどのようなものでも構いません。
 製作陣の陣容が変わっても構いません。
 原作から逸脱しても、第一期との脈絡さえ欠いていても構いません。
 ただ「怪物王女」を。
 ただただ、「姫」を。
 その物語を、その瞬間瞬間を、その戦いを、その時間を。
 もっと作って欲しいと、そう願っています。
 この番外編を観れば観るほどに、そう、思えて溜まらなくなり、そしてそれこそが、最も私にとって一番
 嬉しい気持ちになったのでした。
 もっと、怪物王女を。
 もっともっと、姫を。
 深めて、そして広げていって欲しいです。
 拘る事に拘らないように、拘りながら。
 
 
 はい。
 今回の感想はすっかり番外編の感想では無く、全体の終わりについての感想のようになってしまいま
 したけれど、まぁこんなもんでしょ番外編は、と。 (笑)
 これで怪物王女は終わりなのかと思うとやはり寂しく、いっそがっちりと最終回最終回っぽい番外編を
 求めて諦めさせて頂きたいとさえ思うのですけれど、こうしていざ、拍子抜けするほどに怪物王女らしい
 、どこまでも広がっていくどうしようも無さを魅せられてしまっては、もう安心して終わりの体感に
 など染まっていることは出来なくなりました。
 あまりの拍子抜けぶりに、私も終わりをすっかり見失ってしまいましたとさ。 (笑)
 ということで。
 第二期はあるという前提で、これからもそれを待つ日々に突入することに致します。
 怪物王女的に色々考え感じ、そして時々姫達の姿を思い浮かべながら。
 改めまして。
 
 今まで、ありがとう御座いました。
 ヒロに、リザに、令裡に、紗和々に、フランドルに、シャーウッド一味に、その他の人達に。
 そして、姫に。
  
 
 ・・・・・・・。
 
 
 
 
 
 
 姫、万歳。
 
 
 
 
 
 怪物王女、万歳!
 
 
 
 
 
 そして、そのバンザイした手の力を抜かぬままに降ろし、そのままこれからも出会うだろう沢山の素晴らし
 いアニメと出会いながらも、決してそのアニメとの出会いに怪物王女との出会いで培った経験を活かす、
 なんてことは言わずに、むしろそれら新しいアニメとの出会いで培っていく経験を胸に、ひたすら第二期
 放送を待ち焦がれていましょう。
 この作品が私に与えた影響はあまりにも大きく、そしてあまりにも深い。
 けれど。
 いえ、そうだからこそ。
 それに囚われることはまた、しません。
 そして。
 怪物王女に囚われる事自体に囚われる事は無いと意志するがゆえに、これからもがっちり怪物王女
 に拘っていこうと思います。
 姫・リザ・令裡の三人の女性を使って思考したことの続きは、まだまだ私の中ではあり続けているので
 すから。
 そして勿論。
 彼女たちを目の前にして、色々囚われておろおろしているだけのヒロもまた、私の中にまだまだずっと
 居続けているのですから。
 
 全然、全然、終わってないや、怪物王女。 (笑)
 
 
 再び改めまして。
 私が綴ってきた怪物王女のマズ過ぎる感想を堪えて読み続けてくださった方々に、篤く御礼申し上げ
 ます。
 私が最後まで感想を書き続けたもののなかで、1、2を争うほどのヘタクソ文章の集合体であり、そのこ
 とをいつも心苦しく思っていたのですけれど、ただの一度も感想を書くのをやめようとは思いませんでした。
 自分で満足のいくものが書けなく、また自分では最高のものをおみせする気力で臨んでいるにも関わ
 らずのこれらの出来で、皆様にもお恥ずかしいものをお見せしているという意識を感じ続けていました。
 割と、結構苦しかったというのが本音です。
 でも、自分でいうのもなんですけれど、私はそれに屈しませんでした。
 絶対に、ちゃんとした最高のものを書いてみせると、いくら書いても向上しないヘタレな文章と睨み合い
 ながら、ただそれだけを考え、そしてそれだけの動機が確かに私の中にあるのを感じていました。
 怪物王女のことを、たとえ上手く書けなくても、それが好きだと思っている私が居て。
 そして、そうである限り私はそれをなんとしても上手く書けるようにしなければならないという自覚があり
 、そして。
 その成果を、どうしても皆々様のお目に掛けたかったのです。
 怪物王女の面白さを、怪物王女を使えばこういうことも出来るということを、少しでもお伝えできればと
 いうことを、たぶん私は最も深いところで願い、そしてそれだけは途絶えることが無いということをわかって
 いたのです。
 残念ながら、感想としては、実質的最終話の前回の感想にて、無理矢理集大成を行い(あれ単品
 としての感想ならばそこそこ自信あり)ましたけれど、逆にいえばそれが無ければ全体としてしっかりと
 語れたとはとても言えない出来でした。
 残念、無念。
 でも。
 最後までそれでも書き続け、そしてなによりも、第二期を切望できかつまた第二期でも絶対に良いも
 のが書けるようになってみせるとそう思える、その闘争心が私の中に確かに息づいているゆえに、
 私はまた、この無念に囚われることを今この瞬間にまるで感じていません。
 そしてそれは、ネットというきっと誰かが読んでくれているという希望と自信を得られる場所があるからこ
 そ、なによりも続けていける営みだとも思っています。
 改めまして。
 紅い瞳の愚行にお付き合い頂いた方々に、篤く、そしてなによりも熱く御礼申し上げます。
 ありがとうございました。
 
 そして私は。
 このありがとうの言葉が言える限り、決して私の行いは愚かでは無いと感じることが出来ています。
 
 
 
 ということで。
 すっかり名残惜しいままにお別れが長引いてしまいましたけれど、最後はきっぱりと、そしてなによりも
 相応しき挨拶で、これを締めさせて頂きたいと思います。
 
 それでは。
 
 
 
 
 

 〜 第二期まで愉しく過ごしつつ、またお会い致しましょう 〜

 
 
 
 
 
 
 
 
 

  怪物王女     -- Fin

 
 
 
 
 
 
 
                                ◆ 『』内文章、アニメ「怪物王女」より引用 ◆
 
 
 

 

-- 071001--                    

 

         

                           ■■有終の美を越えて咲く空■■

     
 
 
 
 
 「よつばと!」第7巻、読了。
 
 ・・・・。
 ・・・・・・・・。
 お・・おー!
 始めまったり後ぽっぽ。
 ついに、きたか。
 とーちゃん、ジャンボのじだいきた!!
 やんだくうきよめ!
 よつばががんばると、おとなもがんばるようになってきた!
 
 『こどもが走れば、おとなも走る。』 byコミックス7巻背帯より
 
 しょーじき、最初の糸電話の話は、あーなるほどね、みたいな感じ。
 べつに悪くないけど、あー、って感じ。ただ納得。
 そんで風香の仲間が来てなかなかノリノリで、でもとーちゃんにダンスするところみられて恥ずかしーで
 撃沈で、それでも出来たケーキはあさぎねーちゃん的にゲラゲラゲラされるのを見越して、風香の脳みそ
 が冴え渡る。
 そうだ、デコレーションはよつばちゃんに任せよう。
 あ。
 そんな感じ。
 どうなった?
 そんな感じ。
 そしてヘンなおばちゃんが頑張ってくれて、そしたらよつばが牧場行って、大爆発。
 そしたらとーちゃんジャンボもなんか、連鎖爆発。これは。
 むしろやんだ遅れてる。ついてくのにやや必死気味のやんだを見下すよつば。
 ミサイル! ミサイルしらんのか!
 パティシエなめんなって感じです。
 とーちゃんは自分の子供の歌聴かないし、ジャンボはあくまでもでかくて可愛いを目指すし、
 よつばは英語使うし、隣のとーちゃんなにげにDSやってるし(たぶん脳トレな)、あさぎねーちゃんは相変
 わらずだし、そんな感じ。かーちゃんもナイスタイミング。
 
 7巻読んでない人はもとより、読んだ人でさえももはや私がなに言ってるのかわからない、それくらいの
 速度で現在私のよつばと!化が進行中。きたきたきた。
 うん、だってさ、とーちゃんジャンボコンビニのヘンなおばちゃん共々、おとなが頑張って走ってるじゃん?
 そりゃ私だって走りながら笑わなくちゃいけないでしょう?
 なにかあったらその、走りながら考えましょう、答えましょう、はい、ダッシュ!
 ぐるぐる脳みそ回転させながら、あれ?回ってんのって私だっけ?とかいったら、よつばががーって口から
 ミサイル出して、そして美味しさのあまり名言「口から火がでそう」を残し忽然と去っていくその後ろ姿
 を私は追いかけていくみたいな、わけわかんねー!!
 ・・・。
 ・・・なんだこれ。
 そろそろ自分でもなに言ってるのかわからなくなってきました。スピード違反記録更新中。
 
 つまり、それくらい面白かった、ということです。くうきよめ。
 いちからか? いちからせつめいしないとだめか?
 残念ながら私もよつばよろしく、今回ばかりはまともに語れそうもありません。
 なんか豪快に笑ったら、笑った分だけ全部どこかに飛んでっちゃって、あ、みたいな。
 どんどんぐんぐんこのよつばの世界は成長してて、そう思ったら、あれ? そうでもなくない?とか、
 そういう行ったり来たり、走ったりコケたり、コケつまろびつコケたり、こけたり、でも結局すぐ立ち上がって、
 あ、馬だ! とか言ってまたすぐ次に向けて走り出すこのスピード感! たまらない!
 感想的にはすっかりアレですけれど、なに書いてんのかさっぱりですけれど、ただ今は私的にはこの
 スピードに酔って吐きそうになりながらも歌い出しそうな勢いの無様な私の姿をみて頂けたなら本望
 ですとか、そういうノリだったりしますので、もう無理です、始末に終えない。
 詳しいことは、よつばと!第7巻を読んでみてください。
 面白いです。
 ていうか、面白くなかったら、私の存在価値が無くなります。
 私意味無い。
 でも大丈夫。きっとおもしろい。
 よーし、いっくぞー! (次に)
 
 一時はどうなることかと。
 どうなった?
 
 ↑ (7巻のベストかけあい&現在の私の心境)
 
 
 
 ◆
 
 現在時間が無いです。
 挨拶もそこそこというか、そんなんまったくなしで、いきなりよつばと!を語り出した上に勝手に放り投げて
 駆け抜けていくほどの忙しさです。あ、コケた。
 リアルも忙しいですし、サイト的にも日記的にも書かなくちゃいけないこと山の如くに降り積もって目白押
 しですので、普通に目の回りを黒く塗ってコレは目白では無くてメグロです、とかやり出しそうな夢を
 何度寝ているとき以外に見たかを数えていたりしました。3回は見たね。
 と、こうやってアクロバティックに豪快に話が横道に逸れていくばかりゆえの忙しさなので、さっさと書くこと
 やって今日はちゃっちゃと寝ることを第一目標にさせて頂きます。
 
 (ツッコミ無しで) さて。
 まずは今後の予定を。
 取り敢えず今日の分は置いといて、次回更新はまず怪物王女番外編の感想をやります。
 これでアニメを観ての感想は終わり。実質的最終回は前回が最後でしたけど、一応これが最後の
 エピソードなので。
 そしてそれが終わったら、今度はもはや前期となりましたアニメのまとめというか、まだ最終回の感想を
 書いていなかった作品についてのみで構成する日記を一本やります。
 一応、絶望先生とぽてまよについては全然書くことが無いので除きます。
 これは怪物王女の感想がいつUp出来るかによりますけれど、出来れば今週中にUpできるように
 なるのを目指します。
 その次にはまた今日のような雑日記を主に始まった新アニメのちょい感想でまとめたものをアップします。
 で、その次には、最後、「怪物王女の私」と題して一本、怪物王女と渡り合ってきたことについての
 思い出話というか、ぶっちゃけ「怪物王女」ってどういうことだったん? ていうことでまとめたものをUpしま
 す。
 断然見にくいので、わかりやすく表示。
 
 雑日記(今回分) → 怪物王女ラスト感想 → 前期アニメまとめ → 雑日記(新アニメ中心) →
 → 「怪物王女の私」
 
 わかりにくい。
 が、私に出来るのはここまでだ。(マテ)
 一応目安としては、それぞれ1〜2日置きペースで更新できたらと思っているのですけれど、それは
 普段も全く同じことを考えているのに全然成功していないので、信用しないでください。
 あ、あと今期から始まるアニメの中から、怪物王女の後継者探して連続感想も書き出さなくちゃですし
 、ええと、そろそろパンクします、、ご注意ください♪
 、ってな感じ。
 
 はい、次。 (思い出したように走り出して)
 
 
 
 ◆
 
 大変遅くなりましたけど、今期アニメの紅い瞳視聴予定リストの決定版を作成致しました。
 遅くなりましてごめんなさい。ていうかもう神無月ですよ神無月っ!
 まぁ急ぐにもほどがある状態で作ったので、情報的なところでミスがあるかもですので、正確なところは
 必ず各公式サイトにてご確認くだされ。
 ちなみに今回ずらずらと書いたことは、すべて私の独断と偏見以下のただの印象オンリー万歳で綴られ
 たものですので、こちらもあまり鵜呑みになさらないことをお勧めします。お腹壊しても知らないぞ☆
 ・・・・・ふぅ。
 
 
 ■ バンブーブレード テレビ東京 10月1日(月) 深夜25:30〜26:00
 ■ スケッチブック テレビ東京 10月1日(月) 深夜26:00〜26:30
 ■ 魔人探偵脳噛ネウロ 日本テレビ 10月2日(火) 深夜25:29〜26:01
 ■ ドラゴノーツ テレビ東京 10月3日(水) 深夜25:50〜26:20
 ■ ブルードロップ TVK 10月5日(金) 深夜27:15〜27:45
 ■ ef - a tale of memories TVK 10月6日(土) 深夜26:30〜27:00
 ■ もっけ 東京MX 10月7日(日) 深夜23:30〜24:00
 ■ みなみけ テレビ東京 10月7日(日) 深夜25:30〜26:00
 ■ げんしけん2 TVK 10月10日(水) 深夜25:15〜25:45
 ■ もやしもん フジテレビ 10月11日(木) 深夜24:35〜25:05
 ■ しおんの王 フジテレビ 10月13日(土) 深夜放送
 
 
 バンブーブレード:
 第一印象は元気良さそう。第二印象は萌えとかに走らなければいけそう。
 そして第三印象は、聖様キター。
 エル・カザドの後番に付き、エル・カザド最終回後に初回の次回予告があってそれ見たら、結構良くて
 、ノリも良さそうテンポも良さそう、そしてその根元は軽快な聖様声(豊口めぐみ)にあるとわかったとき、
 これはもういけるでしょうということと相成りました。
 剣道モノということですけれど、熱血というよりは、軽いノリで剣道に関わる人達が、それぞれの場所か
 らそれぞれ剣道を通してそれぞれ熱くなっていくという感じがしたので、それじゃいっちょ楽しませて頂き
 ましょうというノリで、私も熱くなれたらいいなと、そういうピクニック気分で楽しみにしています。
 割と期待。コメディ分もあればなお良し。あって欲しい。無くても可。熱血オンリー上等。 どんとこい!
 公式サイトにプロモがありますので、参考に。
 
 スケッチブック:
 ぼんやり田圃の中のあぜ道を青空見上げて歩いて、その隣で騒々しい友達の笑顔があって、それを
 感じながら、あ、きた、って感じでささっと肌を滑る風を描く、みたいな?
 のんびりのんびりしてて、その中にある一瞬をさっと取り出して楽しむ、そしてまた寝転ぶ。
 これって幸せじゃね? という感じの印象がほげーっと爽快に広がってる感じ。
 コメディというよりはまったり、まったりというよりは、のんびり。よし、それでいこう。
 期待する必要は無いほどでしょう。のんびりがデフォですし私。
 公式サイトにプロモあり。
 
 魔人探偵脳噛ネウロ:
 公式サイトに於ける情報が少なすぎる上に、そこ以外から情報を摂取する気がまるで無い私とのコラボ
 が見事炸裂しての完全未知数。まぁうんあれだ、ハジけて欲しい。
 滅茶苦茶やって、しっかり狂って、たっぷり巫山戯て、大真面目に馬鹿をやる、そういうのを私は観たい。
 期待しているかといえば、そういう意味ではたぶん一番期待してるのじゃないかな。
 今期の台風の目を目指せ!  
 
 ドラゴノーツ:
 まずは、完全オリジナル作品(漫画をアニメ化したとかじゃない作品)ということで、一票。
 そしてそのくしゃくしゃにして握り込んだ一票の紙を開いて伸ばして、そこになにを書くかが問題。
 さぁて、どう観てやろうか。
 キャラの絵は結構カッコいいし、なんかスリル的なスピード感もありそうだし(印象)、反面じっくりとっくり
 思考していくタイプじゃ無さそうだけど、だからこそ体感的に、そう、体で考えてみようよみたいな感じでい
 けそうかな?
 キャラデザの人が意外に面白かった「ウィッチブレイド」の作画をやってた人なので、ああいう激しい世界
 観の中でそれでも日常的に交わされ培われていく愛、みたいなのがあったらいいなぁとつい注文。
 公式サイトにプロモあり。
 
 ブルードロップ:
 あんまり百合ってものを商品化して描いたりしないで、緻密にそして奥深く、そしてなによりも情熱のある
 姿を描いてくれると、傑作になりそうな気配も。
 というか百合なのかどうか知らないで言ってるんですけれど、雰囲気的にそんな感じじゃない?
 変に設定的に世界の描写とかそういうのにしないで、きっちり一人称的もしくは二人称的に描いて
 欲しいな。
 最近そういう、熱く深く考え感じられる作品を渇望し始めていますので。よろしく。
 
 ef - a tale of memories:
 今のところ、ブルードロップの予備。・・失礼な!(自分で言っといて)
 ただのギャルゲ原作モノにありがちな、原作の設定を消化しつつどれだけ萌えを描けるか、みたいな展開
 だと私の降伏の日も近い。ちょ、最近粘り無さ過ぎじゃなくって?
 公式サイトのイントロダクションにはなんだか随分仰々しいことが書いてあるので、それのせいにしてきっと
 面白いに違いないそうに決まってる、と早くも逃げ支度済みで向き合う覚悟万端です。いい加減にしな。
 ということで、内容云々で色々な試みがされるのを期待するよりは、たとえばひたすら耽美的とか、そう
 いう一個突き抜けたモノがこういう作品であったりしたら面白いな、って辺りで期待しておきます。
 勿論、冗談ですよ。
 観るときは全部忘れてまっさらになって観てみますです。頑張ります。
 
 もっけ:
 何度も言ってますけど、今期最大の期待作にしてこれで感想書けたらいいなと思う最大作。
 原作に関してはもう言うこと無いんですけど、アニメはちょっと雰囲気違いそうなので心配中。
 というか、どうも絵が違うっていうか、なんか水気が抜けてるっていうか・・これが動くのは怖い。
 原作は、自分達が背負っている存在っていうものとどう向き合い、それとどう折り合いを付けていくか、
 っていう話でもあり、かつそういう作業の過程を抽象化したものとしての「妖怪」、では無く、そうでもあり
 しかしそういうものとは離れてちゃんと実体を持って在る「妖怪」を描くことで、自分の運命を受け入れる
 事が出来るのならば、それを自分の目の前にちゃんと他者として存在しているものとして見つめていく
 事も出来る、ということをそれで表していたりと、まぁ色々と考えながら、そう考えている自分を感じて、
 あ、なんか今私考えることに必死になってるな、っていうそういう意識というか感覚を得られるって感じ。
 そういう重層的ことを、あの淡泊な造形の世界観できっちりやった原作を、如何にアニメ流にして、
 つまりアニメをその原作の目の前に立つものとしてきっちり創れるかどうか、まずはその原作ファンとしての
 視点から入り、やがてそのアニメの中にいよいよ入っていきたいと思っています、まる。
 
 みなみけ:
 ゆるい。ゆるゆる。ゆる?ゆるゆる。(何語?)
 ひたすら脱力志向で、ボケとかツッコミとかめんどいんで適当にやりましたみたいな、ほんとは結構きっち
 りボケてツッコミ入れてるのにあんま相手にされないとか、ていうかだるいし、で、そうやってだるだるな奴ら
 ばっかりなのに憤慨して、おまえらなってねー!私が根性叩き直してやる!とか言ってる奴が普通に一
 番ボケてたり真っ先にコタツにもぐりこんで極楽極楽と言ってそうとか、そういう先入観を抱くには事欠か
 無いさ(?)がなかなか魅力な先入観。ヘンな日本語。
 基本的には第二の苺ましまろ狙い。基本、ああいう方向性でよろしく。
 あと、公式サイトに誤字が多いのがウケた。ゆるさ極まれり。
 
 げんしけん2:
 一期を観たときはあんまピンと来なかった。
 わかるといえばわかる気もするけど、一番わかるのが非オタの咲ちゃんだった時点でちょっと安心。
 いや安心してどうする。ていうかオタとかそうじゃないとか関係ねー。
 で、第二期でどれだけ自分が同類になれたかをチェッ〜ク! (言ってることと違う)
 そしてまたまた一番共感できたのが非オタの咲ちゃんでしたおめでとう御座います〜、とかいってはしゃぐ。
 そして最終的にはその不毛さに涙する。
 よし、行ってきます! (色々間違ってます)
 
 もやしもん:
 公式サイトの情報からは、菌、だけしか読みとれませんので、そのまま、行きます。 (ノーコメント)
 
 しおんの王:
 正直に言います。
 売り文句の、本格将棋サスペンスって言葉が謎過ぎて、そのままの勢いだけで視聴する勢いです。
 先生! ほんとにそれで乗りこなせるんですか? もっと色々考えなくちゃいけない事は無いんですか?
 うーん、先生、よくわかんないや、てへ☆
 てへじゃねーよ!金返せ!!(色々投げつけながら)
 って、いう感じ? (どんなだ)
 
 
 次!  (解き終えた問題集を閉じて、次の問題集を要求する感じで)
 
 
 
 ◆
 
 怪物王女特集! 第四弾。
 
 怪物王女万歳。
 
 終了。
 
 
 ・・・・・。
 えーうん、感動しました。
 ていうか、感動してました。
 そして時間空いたら冷めました。
 感動の持続時間はそりゃ短い。
 だから、それに見合う大きさで万歳と、こういう訳なのです。
 まぁうん、最終話の感想でちゃんと叫んでおけば良かったと今は後悔しているのですけれど、
 むしろ怪物王女という作品は感動が主体になったことは一度も無く、むしろこうして怪物王女について
 つらつら語る分にはさして問題はありますまい。
 どっちかっていうとこう、
 私は、怪物王女って作品を守ったげたい。
 ほら、ダーカーザンとかそういうきっちりした作品はさ、私なんかいなくたってがっちり守られてくでしょ?
 でもさ、怪物王女はさ、不安よ、不安。半分は不安で出来てるようなものです。
 私にはこの子の素晴らしさはわかるけれど、世間様的にみたらどうだろう、と言われたら途端に不安に
 なってしまう訳で、そこでこう、よっし、私が守ったげる!みたいなそういう勢いがあるのさ。
 それは世間様に受け入れられなくても、私だけは受け入れてあげるって意味であり、また同時に私が
 なんとかして世間様に受け入れてもらえるようにしてあげるって意味でもあります。
 怪物王女はね、面白い。面白いよ、ほんと。
 ただ、一発でそれがわからないと、やっぱりちょっと工夫が必要だし、客観的、というかまぁ、現在のアニメ
 を観る人達の感覚の趨勢を鑑みると、一発で怪物王女に高い評価を下す人は居ないだろうなぁって。
 うん、割とね、「好き」って人は結構いると思うんよ。
 うん、評価とかに囚われないで、ちゃんと自分の趣味志向でモノを言える人は、この作品の場合結構
 多そうな気がする。
 でも反面、そもそもこの作品を高く評価する人自体、少ないと思う。
 だから、この作品が好きな人は、この作品が評価されないことを気にせずに、ただその自分のこの作品
 に対する「好き」の気持ちだけで、この作品と向き合えちゃうような気がするの。
 うーん、私もこの作品の面白さは私だけがわかってりゃいいさうん、ってなりがちだからよくわかる。
 でもそうなっちゃうと、結局この作品はアニメの中の「異端」として、その位置を得ちゃうし、またこういう
 事自体が、そういったアニメの各作品の位置づけを勝手に行っちゃう気もするのですよね。
 だからむしろ、怪物王女をちゃんと主流に持ってこうよ。
 や、主流とか異端とか、そういう発想自体おかしいんだけど、でもそのことに目を瞑っている間に、
 そういう空気が固まって、アニメの序列化みたいなのが起きる、っていうのは充分あり得る。
 それはやっぱり困るわけで・・。
 だからたぶん、私達怪物王女ファンは、勿論そういう作品への好きって気持ちで一杯になるのも良い
 のだけれど、その好きな相手が一体どういう状況にあるのかという、そういう客観的な視点でも同時に
 観ていけると良いのじゃないかな。
 別に政治的に働きかけて、怪物王女の地位向上を図るとかしなくても、重要なのはその見方そのもの
 だと思います。
 「好き」なのはいいけれど、その「好き」がもたらしていることはどういうことなのか、それを私は、この
 怪物王女と出会うことで、その「外面的」なところによる影響を受けました。
 
 ということで、今までこの怪物王女特集!では、この作品の外面的な部分について主に語らせて
 頂きました。
 そして、次回第五弾はこの特集の最終回として、特別に1個の独立した日記として更新させて頂きます。
 名付けて、「怪物王女の私」。
 そこでは、今度は怪物王女という作品の内面的な部分について、及びそれと接しそれと向き合い色々
 と感じ考えてきた私の想いを綴っていこうと思っています。
 今までこの欄を読んでくださった方々に御礼申し上げます。
 そして最後までお付き合い頂ければと願っております。
 それでは、最終回にて。
 
 あ、あとサントラ買う決心が、やっとこさついたであります! (いつのまに)
 
 
 
 
 ◆
 
 エル・カザド:
 最終話。
 おとこおんな。
 ・・・・。
 ・・・・・・・・。
 
 
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
 
 
 
 感動。
 泣いた。
 涙が、つーって。つーってなった。
 ナディさんのあの涙でぶわってなって。
 そんで、エリスが「でも、いく。」って言った瞬間に、決壊。
 
 ごめんなさい。
 いや、うん、やっぱりごめんなさい。
 私、エル・カザドを最後まで信じてやれなかった。
 ところどころのお話ひとつひとつにかまけて、めんどくさいなぁとか、そういう風に思っちゃって。
 面白いとか面白くないとか、ひとつのシーンを取り出して、それを解釈してお茶濁すだけだったり、
 挙げ句の果てには、一般的というか世間的というか、月並みで楽チンな見方と感じ方だけでまとめちゃ
 ったりして。
 エル・カザドのこと、ちゃんと、観てこなかった。
 
 ごめんなさい。
 
 初めて出会ったときに感じた、あの、私にしか見えない、そのエル・カザドだけしか持っていない魅力と、
 その可能性を、それとしっかり向き合って育てることができなかったの。
 ちゃんとした感想も途中でやめちゃったし、一番簡単な見方で、エル・カザドをエル・カザドのそれとして
 観ることを諦めちゃった。
 あの魅力と可能性を育て受け止めることが出来たのは、私しかいなかったのに。
 でもそれなのに・・・この子は・・・・・・ちゃんとそれでも育ってくれて・・・・・(この子って)
 
 はい。
 ということで泣き言はそれくらいにして。
 ヘッポコ過ぎて呆れるくらいのいい加減なエル・カザド日記を続けてきましたけれど、今日この日、
 きっちり終わらせてやろうと思います。
 今までやってきたことの中に、それにすら愛を見つけながら。
 いきます。
 
 
 やっぱり、行くよね、旅にさ。
 すべてが終わって、自分達を受け入れてくれる人達を得て、それが紛れも無く本当なんだっていうのを
 、言葉では理解してても、現実自分がそれを受け入れてるとは言い難くて。
 自分が背負ってきたすべての苦しみが消える訳でも、ましてやそれと向き合うことが自分ひとりだけで
 あることが変わる訳でも無い。
 きっとこのまま平穏な生活を、幸せと「呼べる」生活を営むことが出来続けるのだとしても、それはどうして
 も、その与えられた幸せを、なんとか享受していけるようにならなければならない、という、ひとつの長い
 試練と、そしてそれこそ幸福という名の苦しみを味わっていくことになる。
 誰にも文句を言えず、勿論自分にも言えず、そしてなにより、自分でこれ以上のものは無いと思えて
 しまっているからこそ、この状態を変えることは不可能になってしまってる。
 だって、こんなにみんな良くしてくれて、明日のことを考えずに済んで、安全が保証されてて、幸せで、
 平和で、だから・・・・。
 だから、この想いは、消さなくちゃいけないものなんだ。
 これ以上求めたら、いけないんだ。
 
 そしてナディは、自分達を受け入れてくれた人達が、心底自分達を愛してくれていることを、知る。
 
 こんなことばっかり考えてる自分なのに、それなのに・・・・
 ううん・・・・違う・・・そうじゃないよ・・・
 私・・・・・ほんとはただ・・・・幸せを知らなかっただけ・・・
 あの自分達を受け入れてくれた夫妻が、あらゆる苦しみを背負った自分を、本当に本当に受け入れて
 くれたことを、もうまるまる全部受け止めてくれたことを、このときほんとに感じることができたんですね。
 つまりナディにとっては、このときに、ようやく、これ以上の幸せが無いという「言葉」が言葉だけでは無くな
 り、真実幸福の虜となることが出来たってことなんですよね。
 今まで、あの夫妻と同じようなことを言ってくれた人達は居た。
 でも。
 その言葉を、すべて自分に受け入れ、それをすべて幸福として体感することが出来たのは、初めて。
 これは、現実なんだ。
 苦行としての旅、苦しみに満ちた人生を、それに耐えるために無理に笑うことに囚われることを否定し、
 ただただ人生はそんな事とはなんの関係も無く、あったりまえのようにして楽しいもんなんだよって、
 ほんとの心の底から笑えるようになるために、ナディはずっと笑ってきた。
 私は、あのナディの笑顔が大好きでした。
 そしてなによりも、あの笑顔を魅せることに頑張れるナディさんが好きでした。
 頑張れ、ナディさん。
 そしてそう応援できるだけの私が、その姿を見つめることで実際に頑張れる事ができる自分を感じてた。
 ナディさん万歳。
 そして、そういう私の暑苦しい眼差しにされされてきたナディさんは、そうやって頑張って笑ってきて、そして
 ずっとずっと苦しみを背負った人生を歩いてきた。
 そして。
 その苦しみを、ダイレクトに受け入れてくれる人達が目の前に現れて。
 そして、その人達の手元で、まさに幸せ修行をしていたナディさんは。
 初めて、そう、生まれて初めて、他者という名の「世界」に受け入れられた、もう、至福としか呼べない
 極限の高みに降り立つことができたんです。
 あの涙は、あのナディさんの泣き顔は、ほんとにほんとに、ひとつの大切な大切な、ゴール。
 幸せを与えられたのにそれを受け取れない自分に四苦八苦し、懸命にそれを受け取ろうとしている、
 新たな苦行に満ちた時間を送っていたナディさんが、ようやく、それを完全に、そしてその懸命の努力と
 はなんの関係も無しに、無条件に受け取れた瞬間。
 私の言葉を使って、あのナディさんの涙を顕すとしたら・・・・・それは・・・・
 
 今まで・・・・生きてきて・・・・良かった・・・・・本当に・・・・本当に・・    だと思う。
 
 良かったね・・ナディさん・・・良かった・・
 うん、うん、私もほろっときたよ。
 嘘です。号泣です。普通に涙でお池が出来ちゃいました。
 しかも全身ふるふるきました。感動ですね。感動。感じて動いた。そのまんまですね。うん。泣。
 
 
 でね。
 うん。
 エル・カザドってさ。
 旅、のお話なんだよね。
 なんだかんだあったけど、そういう細々としたことはどうでもいいっていうか、そういうどうでもいいことの
 積み重ねとして、こう、ぱーっと、こうぱーっと、なにかが一本の道を示してるんじゃないかな。
 だから、始めから、きっかりとした一本道があるわけじゃ無くて、ブルーアイズさんの最後のナレーション
 よろしく、道無き道、つまり、道では無いものが寄り集まって、その「堆積物」としての記号そのものが、
 すべて一本道を顕してるんじゃないかなぁ。
 だからね、それはつまり、そういう堆積物っていうのは、生きてるってこと自体が既にそれなんだから、
 その顕されるべき道っていうは、必ずいつも在るってことなんだよね。
 変態少年とか、居ました。
 ローゼンバーグとか、居ました。
 だから、なに?
 一個一個を吟味していくことは全部出来て、それを愉しんだり否定したり評価したりすることは出来て、
 でもそれは一個だけを個別に評価してるだけにしか過ぎず、だからそれらの個別の評価の統計を
 取って、全体を評価したりしたって仕方ない。
 ん? っていうかさ。
 個別のものを個別のものだけ取ったってしょうがなくて、そういうものを全部きっかり溶け込ませて、ううん
 、溶け込まさなくても、そういうひとつひとつの経験をしっかり身につけた自分こそが、もう既にそれらの
 堆積物の集合体が顕す「道」になってるってことね。
 そうすると、見えてくる。
 あ、なんだ・・・・エル・カザドは、最初っから最後まで、エル・カザドだったじゃんて。
 ナディさんは、もうナディさんで居ることが最高なんじゃん。
 私さ。
 ナディさんがエリスと一緒に旅をしている、それ以外のことをして終わる姿って想像できなかったんだ。
 あのナディさんの涙を観てさえ、もだよ。
 だから私は、絶対にエリスが、ああいうって、実はずっと思ってた。
 ナディさんは、やっぱり言わない可能性はあるって思ってた。
 だって、ほんとにほんとに、幸せじゃん? あの涙は、ほんとに私もひとつのゴールだって思うもん。
 ナディさんが、もしナディさんだけだったら、絶対に、あの涙で世界を覆ってしまえる事さえ出来たもん。
 私だって、そうすることに、もうあの涙を流せたら躊躇うことは無いもん。
 
 
  でも、目の前には、エリスが居る。
 
 
 ナディさんの前には、まだまだまだ、無限の可能性が広がっている。
 また言うけど、これ以上は無いという幸せが言葉だけじゃ無いものになって、ほんとにそれに心底染まれ
 て、それに囚われることさえ、もう全身全霊で愛することができちゃう。
 だから、それはもう最高のゴール。
 でも。
 もう。
 ナディさんは、この世界で最愛のゴールラインを踏むことが出来た。
 だから、出発。
 今までで、一番欲しくて、そして一番得られるはずの無いものを得られて、そしてゴールした。
 だから、出発。
 ゴールラインの向こうには、もう、新しいゴールラインが見えているんだもん。
 ナディさんの横では、もうスタートの準備を始めてるエリスが居るんだもん。
 泣いた。
 その踏み越えたゴールラインのために、泣いた。
 ナディさんが求めてやまなかったもの。
 それは、あの夫妻がくれた、ゴールライン。
 自分達をまるまる受け入れてくれて、心底幸せに安心させてくれる場所。
 そして。
 ナディさんは。
 ナディさん自身は、何処に居るの?
 ナディさんは、誰?
 
 
 ナディとは、求めてやまぬゴールラインを目指して笑顔で歩く、無限の旅人。
 
 『エル・カザド』とは、すべての旅人に贈る、人生讃歌。
 
 
 ナディさんの目の前には、エリスが居る。
 そして。
 そして。
 なによりも、此処に、ナディさんが居る。
 そりゃ、行くでしょ。
 行こうよ!
 絶対得られないと思ってた幸せを、手に入れることが出来ちゃったんだもん。
 もう、頑張るしかないっしょ。
 どこまでも、どこまでも、全力で。
 全力で素直になって、深く深く自分を追及して、問い詰めて、それで、思わなきゃ。
 一番、一番、やりたいことを、絶対に、絶対にしなくちゃって。
 だって、幸せを貰ったんだもん、この世界から。
 そしたらもう、我慢という名の怠慢を、できないという言葉の呪縛に負けてる訳にはいかないっしょ。
 貰った幸せのためにも、ううん、もうきっちり幸せだからこそ、なによりも、挑戦していけるんじゃないかな。
 もう、誰かになにかを与えられるのを待ってるのは終わり。だって、もう貰ったんだもん。
 こんなに、こんなにいいものを。
 だから、行く。
 本気で。超本気で、まるっと全部求めに、行く。
 
 あー、アホらし。
 
 そうして、ナディさんは堅く思い詰め始める自分を放り投げる。
 やめやめ、そんなんやめ。
 もっと軽くいこうよ、気楽にさ。
 そんでもやりたいことがあれば、それをやってこうよ、是非♪
 愉しくやろうよ♪♪
 きっとその思いと気分に染まれることが、今一番、ナディさんの求めていること。
 私はエリスと同じく。
 そして。
 
 
 
 『目 が 輝 い て い る ナ デ ィ が、好 き。』
 
 
 
 そして、『よし、行こう。』と言えたナディが、大好き。
 うん。
 うん。
 そしてね。
 ナディさんはきっと、そのときこう思ったんじゃないかな。
 あ、そうか、私って、もう生まれたときから、そうだったんじゃん? って。
 私の命っていうか存在っていうか、その最高のものが与えられた瞬間から、私はもう最高に幸せだった
 んじゃないの? って。
 生まれて来たってことがもう立派なゴールラインで、だから、それがあまりにも嬉しくて、この世界の中を
 無限に歩いていくことが出来るんじゃないの?
 それって・・・つまり・・・・・
 やっぱり、私は最初の最初っから、無条件で、心底笑顔になれるってことなんじゃないの?
 私は、こう思います。
 ナディさんが、苦しみに立ち向かうためのアンチとしての笑顔をよしとせずに、ただそれとは関係無しに
 からっと太陽のように笑おうと頑張ったのは、その当たり前の笑顔の素質があるという「知識」を、ちゃんと
 持ってて、そしてそれをしっかり信じ続けていたからなんじゃないのかなって。
 
 うん。
 私が、日記でやってる怪物王女の感想で書きたかったことと、これは同じことなんだ。
 むしろこのエル・カザドの方が、それを鮮明に、そして力強く描いてるんだよね。
 すごいよ、ナディさん。すごい、すごい。
 うん。
 ウチのtopページに書き込んである、「〜「エル・カザド」&「怪物王女」〜全力で応援中」、
 っていうのを外さなくてほんと良かった。
 怪物王女は良いんだけど、何度エル・カザドをダーカーザンと取り替えようと思ったことか。
 今はもう、これが正しかったって思います。
 私が応援するのはこの二つで、全く正しい。
 よかった・・・・・見捨てなくて・・・・よかった・・・ほんとうに・・・・・
 今改めて、私が見失ったエル・カザドの良さを感じています。
 私がそれを見失うことになった原因を、それでも愛しながら。
 ううん、その両方を愛せてこそ、両方を求めてこそ、もっともっと凄いことが出来そうって思えるから。
 ああもう! OPとEDが心と体に浸みる浸みるぅ〜♪
 なんていうか、カッコ良さとか渋さとかスタイリッシュさとか味わい深さとか、そゆのはノワが断然上。
 なんていうか、けれん味とかお巫山戯度とか笑える不思議さとか抽象度とか、そゆのはマドが断然上。
 深夜ワイングラスを片手に、大画面でしっとり鑑賞したいのはノワールに尽きる。
 真面目にじっと見つめて、それでいてどうしてもツッコミ入れて笑い転げたくなるのはマドラックスに尽きる。
 でも。
 好きなのは。
 断然私が好きなのは。
 エル・カザド。
 好き度の流れをグラフにすると、最初高めで回をおうごとに低くなってきて、そして最終回で、ドン。
 突き抜けました。最高。
 なんで、エル・カザドが好きかですって。
 そりゃー、愉快だからですよ。
 文字通り、愉しくて、そしてなによりも爽快だからですよ。
 苦しいのにヒネてなくて、笑って誤魔化しもしないし、ただ苦しくて、笑顔で。
 苦しいことに立ち向かって、それでそれに勝ったら、一杯笑って。
 そして、生きてるってこと自体が苦しみであることを知っていて、そして生きているってこと自体が楽しい
 ってことも知っていて。
 ていうか、それが人生? 勝ったり負けたり、そんなの当たり前じゃん。
 両方なんだよね。どっちか一方で全部無理くりに語ろうとするんじゃなくてさ。
 だから、すっきり爽快。
 ナディとエリスの歩む空の上は、青く晴れ渡った空がいっぱい。
 そしてたぶん、明日は曇り空で、そのうち雷雨で凄いことになったり。
 そしてキャーキャーいいながら避難した山小屋で、またイチャイチャしt(以下削除)
 
 大好き。
 これはもう、愛ですね。愛。
 愛してる。
 
 それが私達視聴者側の妄想だけで無く、きっちり作品内で描けてるんだから、よく考えたら、この作品
 って稀にみる傑作なんじゃないのって、今更思ってます。
 ノワだって、主役ふたりのイチャイチャモードは妄想内でしかあり得なく(ぉぃw)、マドに至っては、妄想
 してるうちにいつの間にかお腹抱えて笑い転げちゃって始末に負えないだろうしww。
 それでいて、エル・カザドはノワみたいな闇もきっちり底流にあるし、マドとは違う形ですけど逆にわかり
 やすくかつより笑いやすいコメディを的確に活かしきってて、そうだよなぁ、以前の感想でも、あのコミカル
 崩れた笑顔は逆に新鮮で予想外の効果を生んでるみたいなこと書いたもんねぇ、マドなんかだとああい
 うのは敢えて真顔にしてだから笑えるって感じだったですけどね、無論あれはあれで爆笑でしたけどw。
 
 
 はい。
 そしえ最後、覚悟してやることがあります。
 一般的、世間的な見方で、エル・カザドを評価してみます。
 はい。
 まずこの作品は、全体として、最初から最後まできっちり観てから評価するのがベターだと思います。
 ひとつひとつのお話を、それ単体で評価すると、たぶんさして面白いエピソードは無かったと思います。
 仮にも一話完結に近い形式を作品として取っておきながらのこの出来は、ある意味でそういう楽しみ方
 を目論んでいた視聴者を惹き付けないものであったはずです。
 事実私もまた、そういう視点で捉えていたがために、低評価を与えざるを得ないと思うまでに至ってい
 ました。
 そして、さらに最悪なことに、お話の本筋であると目された、エリスの「魔女」という特性についての事と、
 それを巡るローゼンバーグらを中心としたリヴァイアサン計画についての描写、及びそれとのナディとエリス
 の対峙が、ほとんどロクに為されぬままに終わってしまいました。
 これは、一話完結モノとして評価することを保留し、一個のストーリーのある物語としてこの作品を捉え
 評価しようとしていた人達をも突き放してしまうことになったと思います。
 その観点でいえば、確かにひどい。
 これまた事実私も、前回の感想では完全にお手上げ状態を示して、バンザイしたまま終わらせてしま
 ったほどです。
 
 でも。
 この作品を評価するには、そういうところを観ていては駄目なのです。
 
 むしろ、上に挙げたような評価の仕方を取りたい、そうして作品を評価することで作品を楽しみたい、
 とそういう目的意識を持っている人には、この作品は全くの駄作ですし、また私もお勧めしません。
 そしてきっと。
 無論推測ですけれど。
 この作品の監督である、真下監督は、それを見越して、敢えてこういう作品を作ったのではないでしょう
 か。
 既存の評価方法に当てはめその中での位置を獲得するために、なにかを作るのか。
 そういうことを求めている人達には失礼ですけれど、そんな事のためにアニメを作るのか。
 逆なのじゃないでしょうか。
 あったりまえのことですけど、様々な形のある沢山のアニメがあって、それにひとつの視点を与え、その
 境地からアニメ全体を語り観ていきたい、という欲求があるのはわかります。
 でも、だからといって、そうして培われてきたひとつの視点に沿うようにして、多様で豊かなものであった
 不定形のアニメの群れがそれ自身まとまりを志向してていくのは、なんだか本末転倒な気がします。
 んなもん、知らね。
 俺は創りたいもん創って、新しいもの魅せてやる。
 そういう意気込みの作品を、今までの通りの評価方法で評価して、それで取捨するのは、なんだかもう
 、その作品に対して失礼で、そしてなにより、勿体ない気がします。
 その作品のための、そしてなにより、その作品を自分が愉しむことが出来る評価方法の開発、それ自
 体を視聴者、いや、一歩譲ってアニメファンとして主体的に行っていくこともまた、必要なことなのでは
 ないでしょうか。
 そういう意味で、この作品を、私は高く高く評価していますし、そして上に挙げた既存の評価方法で
 この作品を語り終えることに反対します。
 ということはつまり、既存の評価方法で語ること自体は否定しないことであり、そうして語ることが出来る
 からこそ、きっとそれだけでは足りないということには気づけるのじゃないかな、とそういう意味では、私は
 今まで私がエル・カザドにしてきた仕打ちをも肯定したいと思います。
 あのいい加減な見方もまた確かに成立してますし、それを否定するのもまた、なんか違うと思いますし、
 そしてきっと、ナディさんも「それでいいんじゃない?」とからっと笑顔で言うと思いますしね♪
 だから私も。
 そうした一般的な見方をさらに身につけることを怖れません。
 ガンガン俗っぽく(?)なってやる! そりゃもう萌えまくってやるさ! (笑)
 そして、そして、それと同時に。
 その作品に見合った、そしてなによりも私オリジナルの見方を大切にし、さらにそれに磨きをかけていく
 ことも進めていきます。
 で、それを両方やってればきっと、いい感じにそのふたつが私という主体を通して混ざってくると思います。
 そう。
 私という、キャンバスの上で。
 なんか以前にも同じことを言った気がしますけど、気にしません。
 
 
 あい。
 散々調子いいこと書いてきましたけど、この間ずっと鼻すすりっぱなし。
 うあーこんな泣きながら書いたの超久しぶりー。
 なんかナディのために泣いてんだか書いてんだか、自分のために書いてんだか泣いてんだかわかんなく
 なってきたよー。
 でも、それが当たり前なんじゃん?
 人のために泣くのも書くのも、自分のために書くのも泣くのも。
 ほんとはさ、他人のために泣けるのは書けるのは自分のために書いてるから泣いてるからとか、その逆と
 か、そういう順序というか、主従は無いんじゃないかな。
 なんか、泣いてたら、書いてたら、わかってきた。
 それ、同じことなんだよ。
 全く、全く、同じ、同一のことなんだよ。
 「他人」って、なに?
 「自分」って、なに?
 きっと、たぶん、そういうこと。
 言葉で語ればきっと区分けは出来る。
 でも言葉にしなければ・・・・
 ううん・・・
 そもそも、言葉を必要としなければ・・・きっと・・・・
 
 うん、だから、私は言葉を遣うよ。
 言葉を遣っても遣わなくても、幸せに、泣けるために、書けるために。
 
 だって、人のためだろーと、自分のためだろーと。
 私が泣きながら書いて此処に居るってことは、同じで、そして、一番大切なことだって思うから。
 
 
 最後に。
 改めまして。
 
 
 
 エル・カザド、最高!
 
 
 
 ナディさん万歳。
 
 
 
 
 そして、駄文にもほどがあるっていうかいい加減にせいよ紅い瞳、と自分でも言いたくなってきた、っていう
 か既にぶつぶつ言ってましたけど、そんな感じのこのエル・カザドの感想を読んでくれた方々に、
 篤く御礼御礼申し上げます。
 みなさんは、ナディさんにとってのエリスみたいな存在です。
 読んでくれてると思えば、よっしゃ頑張ろうって思えますもん。
 既に、こうしてただ書くことが出来るだけの幸せがあるゆえに。
 うん、その前に、今回以前の文章のやる気の無さを謝っておきます。
 ごめんなさいでした。 あれはさすがにひどい上にひどかった。(笑)
 
 ということで。
 エル・カザドを作った製作陣に拍手と御礼を申し述べつつ。
 この辺りで、お別れを。
 ばいばい。
 
 
 んじゃ、行きまっか。
 
 『『 いえっさ。 』』
 
 
 
 
 
 ブルーアイズ支部長にちょっと惚れちゃったの事実は、墓場まで持っていくヒミツと致しましょう。
 
 
 
 
 

 

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