+
+
+
+
+

◆◆◆ -- 2008年2月のお話 -- ◆◆◆

 

-- 080228--                    

 

         

                              ■■根本の誘えるままに■■

     
 
 
 
 
 花粉? 花粉って今言ったか? (挨拶)
 
 ごきげんよう、ガラの悪い紅い瞳です。
 これでサングラスにマスクしていた日には、ちょっと怖いです。
 でもですね、花粉? なんのことかしら? などとすっとぼける必要が無いほどに、先日は大荒れで
 御座いました。
 風、雨、寒さ、の三拍子揃ったまさに冬の、いや春の、あれどっちだろ? まぁその、嵐でした。
 ここのところ小雨まじりな天気ですので、そろそろ花粉の悲惨飛散が確認される頃ですと、心なしか
 憎らしい笑顔で宣うキャスターさんも、まぁよいと、余裕で許せてしまう今日この頃、皆様如何お過ごし
 でしょうか?
 
 まぁあれです、挨拶代わりに花粉話題を振るのが許されるのは、今くらいまでです。
 
 この小嵐が終われば、なんかもう気温なんて上がる一方ですし、花粉が飛ばない訳が無いのでありま
 すので、もう洒落になんかなりませんよ。
 今年の花粉は、 大 量 に か つ 長 期 間 に渡って飛散するという、なんだかもう世界が色あ
 せてみえてきてしまうくらいに絶望的な感じらしいですし。人間嘗めんな。
 すみません、ガラ悪くて。
 でもちょっと、根性みせたくなってきた。
 これ乗り切ったら、ちょっとしたものだと思う。
 人間捨てたもんじゃないっていうか、花粉症ってあれ、結局自分の免疫系統が過剰に反応して起きる
 ものですから、結局それって自作自演じゃんみたいな、これ、全然駄目じゃん。・・・駄目じゃん。
 
 なんでこう、この時期は思考が真っ直ぐに下降するのかな。
 
 そろそろ、花粉が人類の天敵になってきた気配がします。
 気のせいです。
 もうなんか、花粉なんかどうでも良くなってきました。
 花粉なんて、ただの花粉です。
 一体人間と比べてどれほど小さい存在だと思ってるんですか。
 あんなちっこいものにおたおたとして、恥ずかしくないんですか。
 
 
 今年から、節を曲げて、マスク装備することにした私ですけれど、今年もどうぞよろしくお願いします。
 
 
 
 ◆
 
 最近、マリみて熱が、きました。
 お嬢様とかお上品とか、そういう方向じゃなくて、なんていうかこう・・・・・・・
 
 愛
 
 みたいなのが、こうね、こう、うん、愛ですよ、愛。
 いえ、なんだかですね、狼と香辛料ってアニメあるじゃないですか、私感想書いてるんですけれども。
 あれの主人公とヒロインをですね、意地でも く っ つ け さ せ た く な い ん で す ね 。
 そう、なんかつかず離れず、でもどうせ最後にはくっつくんだろこのツンデレめ、っていうのが無性にいらっと
 きましてね、だからこう、どう考えてもそういう方向では話まとめられんだろ、って感じの感想ばかりです私。
 なんですかね、この妄執のカタマリの人は。大丈夫でしょうか。まだまだ。
 こうやってこの人は、ヘンな方向にハッスルして飛んでいってしまうんですけど、まぁ歪な形のガス抜きだと
 でも思って生暖かい半笑い程度くらいで見守っておいてくださると、火傷はしないと思います。
 なんの話でしたっけ。
 そうそう、だからですね、反動といいますか、キャラ同士のイチャイチャラブラブを強制的に取り上げてる
 もんだから、むしろそのイチャイチャラブラブが欲し・・・いやマリみてにイチャイチャラブラブって表現はちょっと
 合わない、っていうかイチャイチャラブラブってなによ、イチャイチャにラブラブは普通付けんだろ。うん。
 まぁその、愛、なんですね、愛。
 ふたりの関係っていうか、愛っていうか、関係っていうか、愛っていうか、(以下略)。
 語彙無。
 うーん、男と女は駄目で、女と女の愛はOKって、どんだけ僻んでんの、っていう見方も出来ますけれど、
 たぶんそういうんじゃないやい、と妙に力説しておきます。一応。たぶん違う。たぶん。まだ大丈夫。
 で、まぁ、その、うーん。
 自分の書いていたかつてのマリみて文を読み返していたんですけどね、うっわ、これ無理だ、無理ですよ、
 っていうか、よくこんなの私書けてたなーって、まるで別人を観るような眼差しでしたね。
 なんだろ、今と決定的に視点が違うというか、なんか違うんですよね、なんか。
 で、凄く悔しくなってきたので(自分に負けてる)、よそ様のマリみて成分を吸収して回ったりしてました。
 ・・・・みんな、上手いんだなぁ
 あ、美麗とか美文とかお上品とか、やっぱりそういうこととかじゃなくて、その、なんていうかな、こう、
 心の中の一番すーっと透明な部分のままに書いたり描いたりしているっていうか、なにかこう、魂と直結
 してるというか、はっと我にかえって読み直すと、普通の文章にみえるのだけれど、こっちもかなり集中し
 て読むと、こう、必ずぼーっと取り込まれちゃう、あの感覚。あのってどれよ。
 
 ふぅぅ  ←一呼吸
 
 でね、 まぁその、そういう風にね、観れるアニメにを観たいなーってね、おもうの、最近。
 ほら、もっけとかって頭堅いじゃないですか。頭ってあんた。
 狼と香辛料は私の妄執が入ってるから駄目じゃないですか。なんかもう全部駄目な気がしてきた。
 そこで、こう、マリみてのお出ましを希う訳なので御座います。
 あの感動を、あの情熱を、今一度、みたいな。
 あー、なんか今、年とった。紅い瞳は年とったよー。
 受け身に回ったもの。
 過去の栄光というか感動とか情熱を求めたら、そりゃー守りに入った言われてもおかしゅうない。
 それでまぁ、うん、なんでしょうね、なんで私はこんな話してるんでしょうね、ほんと嫌だこいつ、あ、こっち
 のお話、うん、その、うん。
 
 なにを、言おう。
 
 
 ◆
 
 マリみてはいつから始まるのかわかりませんけれども、ホリックはやっぱり4月放送開始で決定のようです。
 公式サイトも出来たみたいですし、まぁ、これはたぶん感想書かなくちゃいけないでしょう。
 でもこれでマリみても4月から始まったら、事ですよ。事。
 もっけ・狼編成でバデバテなのに、4月からも二作品の感想書きますよなんてことになったら、そうですね、
 紅い瞳の未来は無いですね、ジ、エンド。
 いや終わるなよ。終わっちゃ駄目だからこれ。
 すみません。
 どうもこう、なにを話していても、頭の片隅には花粉の影がちらついていて、気づくとなんかもう駄目だ
 みたいな、どうせこの春は生き残れんよ、殺せよ殺せよーみたいな、そんなマダオのようなことを言って
 しまうのです。
 ちなみにマダオとは、銀魂に出てくるまるで駄目な男、略してマダオのことです。
 あんまり好きなキャラじゃ無いんですけど、この季節だけはちょっとお友達になりたい。
 酒場で意気投合して盛り上がりたい。そんな、感じ。
 そんな感じの、今日この頃の紅い瞳で御座います。
 お粗末様でした。
 
 
 ◆
 
 すみません。
 なんだか今年は、ほんとに戦う前から負けてます。負けまくってます。花粉強いっていうかお前弱いな。
 今年の花粉は異常です。
 さて。
 ここまで駆け足で話を進めてきましたけれど、文章量の割には中身が全然無いというお約束な展開
 で恐縮です。
 あー、あとなんかお話することありましったっけ?
 無いですね。
 はい。
 
 
 
 ◆
 
 久しぶりに、友人2人と飲みました。
 なんか、滅茶苦茶まったりでした。まったりで、ぐだぐだ。
 時々、しーん。 ・・・なんだこれ・・
 なんか、気づいたら最後まで飲んでたのは私だけでした。
 ていうか、いつまで飲んでんだって、自分でツッコミ入れながら飲んでました。
 他のふたりはなにをしていたかというと、DSです。
 なんだこの飲み会。
 でも楽しかったです。
 たぶん。 
 
 またしましょうね。
 DSを。
 
 
 飲んだお酒:
 ■鶴正宗 京都五山の四季 純米酒
 ・まったり。薄いという意味でまったり。今日の雰囲気にぴったりでした。いつまでもだらだらと飲める。
  たぶん明日にはもう味を覚えてない。でも今日の思い出は忘れない。そんな感じ。うわ。
 
 ■大関 しろささ 蔵出しにごり酒
 ・季節限定。 にごり酒初心者向けな感じで飲みやすい。が、物足りなさは無く、溶けて吸い付くような
  甘さが舌先を気持ち良く潤してくれる感じ。食後のデザート代わりに一杯といきたいですね。
  あー、でも食前の舌慣らしにも使えるかも。とにかく、食中以外での使い勝手は抜群。
  なんの説明だこれ。
 
 あとなんかビールのプレミアムとか梅酒とか、そんな感じ。
 なんかビールが一番美味しかった。
 ガンバレ日本酒! (お前もな)
 
 そういえば、最近ウイスキーとかブランデーに手を出したいお年頃。 (日本酒・・・)
 この間ラム酒をちょいっと飲んだんですけど、美味しかった。
 初めて飲んだんだけど、美味しかった。ちょっともう、美味しかった。
 日本酒と全然違うのね、全然。
 日本酒みたいな、そのまんまな複雑豊満さは無いんだけど、例えるならば、氷山を背後にひかえた
 雪原の中で凍り付きながらもその世界の雄大さを感じながら飲むみたいな、なんだ、狼と香辛料の
 イメージじゃないかこれ、まぁその、つまり冷たい美味しさというかなんというか、ええと、修行が足りません
 でした、出直してきます。
 要するにこう、アルコール度高めの洋酒をストレートで少しずつ舐めながらゆっくりと喉を通していきたい
 感覚。
 わかりますか?
 私は、わかりません。
 まだまだな。
 
 
 
 
 
 ◆
 
 あんな顔されてはね。
 あんな顔されては・・・・
 
 
 ・・・。
 考えたんですけど、よくよく考えたんですけど、言葉が出なかった。
 どうやって表現したらよいのかわからなくて、でもふと立ち止まって考えると、どばっと頭の中には映像が
 広がっているのがわかって、だからそれを書こうとして手を伸ばすのだけれど、その伸ばした手の力は、
 どこか他人事で、それを感じるたびに、なんだかどんどんと力が抜け、映像は遠ざかり、私は・・
 他の人のことをどう観てるんだろうとか、もしかしたら冷たく観てるのじゃないかと思い、なぜか私まで
 ゾクゾクするのだけれど、そんな感覚は朝靄のように朝日を受けて消えていくばかり。
 気づくと、画面をずっと、観ていた。
 どんなに馬鹿なことを考えて巫山戯ていても、その視線だけは、いっこうに外れることは無かった。
 手触り、手探り、伸ばした手で触れる、音。味。色。全部。
 
 時間が、止まりながら動いているのが、それでも見えた。
 
 書こう、という気は、どこかにいっていた。
 理解しようという思考も、あまり無かった。
 見ていた。
 でもどこか、見ているよりも、ただ、感じていた。
 目を開けながらにして、目を閉じて耳をすますが如くに。
 なんでだろう、目の前にいる人の言葉をすり抜けて、私はその人の中をみていた。
 ひとつ、ひとつ、言葉を選び考えながら、しかしそれを発しようと口をすぼめた瞬間に、なにかが口先から
 抜け出て、そして全く違うことを話している。
 でも、それに、ひとつひとつ、どうしようもなく、納得していく人が、目の前にいるのが、わかった。
 間違っているとかいないとか、そういうことでなにかを話そうとしていたのじゃ無い。
 ただ、自分の発した言葉についていき、その言葉のおもいをそっと胸に抱き締める。
 なんでだろう、伝えたいことがあったはずなのに。
 でも、それが伝わるかどうかに関係なく、そっと、その言葉の魂だけを抱き留め、胸にしまってしまう。
 
 空気が、冷たい。
 風は、無い。
 
 相手がなにを考えているのか、わかる。
 わかるから、それに沿った答えを相手に与えることが出来る。
 その、繰り返し。
 しかし、その繰り返しを、繰り返しであることのなにかを、感じない。
 隠蔽。それは優しきも儚い、永遠の薄布に守られた、聖なるなにか。
 燦々と雲間から漏れる日差しが冷たかろうと、その神々しさだけは止められない。
 打つたびに指をはねつける鍵盤に、それでも指を沿わせ続け奏でる歌が消えていく。
 鳴っては消え、鳴っては消え、その音楽は形を成す直前で消え、決して残らない。
 残るもの、残らないもの、残るもの、残らないもの、残らないもの、残らないもの、残らない、残らない。
 『じゃあ、私は修道士の拓いた土地に、ハーブを植えているんですね。』
 その人は、信じていた。
 今も、という言葉を添えるには、あまりにも刹那的な、それは信仰よりもひどい、学問だった。
 書いた覚えの無い自分の日記の中身を暗唱し続けるように、その信じているなにかは冷たかった。
 絶対に、その人とぬくもりを共にしない、冷たい言葉の羅列。
 絶対に、残るものは、なに?
 この冷たい文字をなぞる、この指先がかじかむ、このことは永劫、変わらない。
 変わらないんだ。
 自信を持ってそう言える、それがそのひとつしか無いという不確かさを超えて。
 その人は、震えていた。
 
 
 変わらぬものを、その聖なる美しさを観て、その人は、どこまでも圧倒されていった。
 
 
 なんだあの顔は。
 クラエス、あの顔は・・・
 ジャンが見せた、大自然の映像が収録されたソフトを観ながら、いえ、見始めたその瞬間から、クラエス
 はどうしようも無く、その自然の圧倒的な神々しさに、不変さに、唯一さに、惹き付けられた。
 あんなにも、遠いのに・・
 あんなにも、冷たいのに・・・
 それなのにクラエスの肌に最も吸い付くものは、それだった。
 世界は広い。広すぎるという感覚得るにはあまりにも自分はその広さを知らない。
 それなのに、その神々しさには、圧倒的に目を捕らえられてしまう。
 これから目を背けることなど出来ず、また背ける背けないの話では無くなっていく。
 如何なる欲求の芽生えも無く、ただただ呆然と、しかしどこかはっきりと傲然として。
 自然の確かさを感じれば感じるほどに、クラエスもまたクラエスの確かさを感じる。
 どうしてだろう・・・
 
 『ジャンさん・・・・・・悲しくても、涙が出ない。
  そんなことあります?』
 
 なにもかも忘れて、その中でもどうしても忘れぬものもあり。
 そしてどうしても忘れ得ぬものと自身との乖離からくる、その忘れ得ぬものの実感の薄れがある。
 けれど、それは目の前から消え去ることは、決して無い。
 少なくとも、頭の中には、この冷たい空気に触れる肌は、忘れ得ぬものがある、という事実自体を見失
 うことはあり得なかった。
 だからクラエスは、今日も生きる。
 新しく、忘れてしまったものへと足を踏み出し続けながら。
 新しき世界としての、古き体験の世界を歩くクラエス。
 だからそれは、過去への巡礼では無く、ただただ・・・・ただただ・・・
 今日も、クラエスの絶え間無い一日が終わる。
 同じ言葉を、何遍も何遍も、新しく唱え直しながら。
 語る言葉の輪郭は同じだとしても、その言葉の魂はきっと・・・
 クラエスは、信じてる。
 たとえ、信じるものが無いという、どうしようも無い前提があったとしても。
 それでも、いや、だからこそクラエスは、なにかを信じながら生きていく。
 そう。
 
 それ自体が既に、なにも信じてなどいないという結論を証しているということを知りながら。
 
 だから・・
 祈ろう・・・
 ただただ無心に・・祈ろう・・・
 同じことを、たったひとつだけのことを、永遠に、永遠に、永遠に。
 そうすればきっと、忘れられる。
 信じるものなど、この世には無いなどという、巫山戯た前提を。
 誰かがいるはず。
 きっと、あの人はいる。
 いないから、いると信じるんじゃないの。
 だって・・・
 こんなに、世界は美しいのだもの。
 永遠は、ある。
 変わらぬものは、ある。
 
 『どうしてクラエスは、愉しそうにしているの?』
 
 
 それはね。
 
 
 『 きっと、
        遠い昔、
               誰かに教えて貰ったのよ。 』
 
 
 
 
 私、号泣。
 私、アウト。アウト。アウトーーっす!
 涙が、止まりませんでした。
 あと5分続いていたら死んでたかもしんない。死因は極度の脱水症状でお願いします。
 はい。
 これからは、先生と呼ばせてください。
 
 クラエス先生! (泣きながら)
 
 
 
 
 
 
 さーて、どうしようかな!
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ◆
 
 ここまでで終わらせると、誰もが考えなくとも私だけは考えた、そんな私の期待を裏切って、あと少し。
 ガンスリ万歳。
 それだけのことですけれど、この作品に帰ってきた私を祝して、乾杯。 (空杯で)
 もっと、もっと、この作品を感じられるように。
 もっと、もっと、この作品の中を見つめられるように。
 
 
 私も、本を読もう。 (今年に入ってからまだ本を一冊もちゃんと読んでいないという驚愕の事実)
 
 
 
 
 
 私は、いつも通りよ。 byクラエス
 
 
 
 
 私のいつも通りって、なんだろ。
 んや。
 私が私のいつも通りを見つめるって、どういうことなんだろ。
 
 
 
 
 
 
 

 

-- 080226--                    

 

         

                              ■■狼の深い深い休息■■

     
 
 
 
 
 『たわけっ!
  落ち込むのはなお悪い。
  ただ懲りればよいのじゃ。』
 

                               〜狼と香辛料・第八話・ホロの言葉より〜

 
 
 

                                              *順当に行くと、今回の話は七回目である第七話、となるはずなのですけれど、
                                                         第七話はなぜかDVDにのみ収録という形なので放送されず、ゆえに七回目の
                                                         今回はひとつ飛ばして第八話となります。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 澄まし顔。
 作意が、透けてみえる。
 酒場に満ちる人いきれが途切れる前に、大急ぎで冷たい化粧で頬を染める。
 ちっとも楽しく無いような気がするが、それとても気のせいじゃと片づければ、なんのことは無い、
 ただただ、酔うておるだけの話よ。
 ふむ、自らが酔うておると言うとき、一体どれだけ酔うておるのかや?
 わっちの場合、酔うた酔うた言うときほど、よーく酔っておる。
 酔うてなどおらぬと力説すれば、相手はより一層目を細めて、わっちのあら探しを始めよる。
 だからわっちは、嘘を吐きたいときは、本当のことを言う。
 酔うた酔うたと言っておれば、そういうわっちの余裕ぶりから判断して、相手はわっちに対して別の警戒
 心を持って応じるじゃろ。
 ふふ、本当に酔うておるのにの、ご苦労なことじゃ。
 じゃが、同時に確かに本当のことを言って平気でいられるほどに、わっちの頭はどこか醒めておる。
 人前で素っ裸になりかねないわっちの無防備さにかえって怯える者達の姿を見渡して、わっちはひとり
 けけけと小さく笑いながら、すらすらと軽快に踊るのじゃ。
 楽しいか、楽しくないか。
 それは、問題では無いのじゃ。
 楽しくもあろうし、楽しくも無い。
 じゃがわっちは、ただ淡々と酒場の空気に溶け込み、旅人達の噂話に耳を傾け、相棒をからかい、
 しっかりと杯を重ね、何杯飲んだかもしれぬほどに杯を重ね、しかし決して酒でなにかを紛らわせようと
 いう意識は欠片も無く、実際自らが酔うているだのいないだのという範疇から、わっちはきっかりと抜け
 出ておる。
 当たり前のように酒を注ぎ、当たり前のように飯を喰い、当たり前のように会話を諳んじる。
 そのわっちを空の高見から観ておるわっちもまた、ぐっすりとあぐらをかきながら杯を重ねておる。
 
 わっちはな、今、わっちの持てるものを、すべて吐き出しておるのじゃよ。
 ほとんど、無作為にな。
 
 飲めば飲み、食べれば食べ、喋れば喋る。
 考えれば考え、感じれば感じ。
 虚しくなれば・・・・・そうじゃな・・嘘を吐くための本当の世界の中に生きて、それを紛らわしておる
 わっちは今、本当のことを正直に言うておる。
 正直である、という意識など欠片も無く、ただ端からみれば全部を喋っているのだから正直なのだと
 思えるだけの、そんな他愛も無い嘘吐きの告白じゃ。
 嘘吐きはどこまでいっても嘘吐きじゃ。
 じゃが、わっちにはその嘘を吐いているという自覚も無いんじゃ。
 面白いじゃろう。
 わっちは、面白くは無い。
 つまらなくも無い。
 なんにも、感じん。
 しかしな、なんにも感じん、ということだけは、たぶん嘘なのだと思うのじゃ。
 そして面白いかな、わっちが澄まし顔でなんにも感じんと言っても、誰もそれを信じんのじゃ。
 本当のことを言えば、簡単に騙せる。
 だからきっと、嘘なんじゃ。
 わっちはなにも感じていない訳が無いんじゃ。
 だのに、なんにも感じん、という言葉にきっちり支配されておるから、やはりわっちの本当はなにも感じん
 ということであるし、で、わっちはそれを正直に言う訳だが、わっちが本当のことを言えば相手は警戒して
 絶対にそれを信じんのじゃ。
 いや・・・それは論理的に少しおかしいな。
 皆は、わっちが本当のことを言っているかどうかなぞ、わかる訳が無いのじゃ。
 それがわかるのはわっちだけであり、つまり、本当のことを言っても誰も信じない、というのはわっちだけに
 有効な真実じゃ。
 そう考えると、皆は、相手は、わっちの言葉が本当かどうかでは無く、わっちの言葉の中身が自分に、
 そしてそれを発したわっち自身にどういった影響があるのかで、自身の対応を考えておる、ということじゃ。
 
 少し、白けるな。
 
 わっちの酒瓶を傾ける腕の角度が、ひとつ上がる。
 ふむ、あと一杯ちょっとくらいかの。
 この一杯で、なにを話すかの。
 いやいや、酒の力を借りて本当のことを話せるようになる、という訳では無い。
 本当のことなど、いくらでも言える。
 むしろ、酒の肴に並べる嘘を、どうこの酒席に飾り付けて進ぜようかと、そう考えているのじゃ。
 ほれ、寄越しゃんせ。
 ぬしの酒はわっちの酒、わっちの本当はぬしの嘘、じゃ。
 からからとすっかり安っぽくなった、一体わっちはなにを言っているのじゃ、という理屈を指で転がしながら、
 横目で隣に座る男の背にびしびしと視線を焼き付けていく。
 赤く染めた頬が、酒場に満ちておる。
 そしてそれ以上に、呼吸にも似た言葉の数々が、ゆっくりと豊かな時間を拓いていく。
 完全に出来上がっておる奴、ほろ酔い気分を愉しんでおる奴、素面な奴、悪巧みしておる奴。
 冷たい騒音がわっちの脳髄から言葉を抜き取り、色とりどりの酒肴を縁取っていく。
 次はなにを話そうかと考えるうちに、ふと隣を窺い、正面を見据え、次々と飛び込んでくる種々の情報
 を読み解き、そして滑らかにそれを再構成して陳列していく。
 酔うほどに、醒め、しかし醒めれば醒めるほどに、冴えてきおる。
 
 ぞくり
 
 寒気と共に、今この瞬間まで、自分が完全に暖かく酔っていたことを知る。
 それを知ったら、果たして酔いは冷めるであろうかや、いや冷めはせん。
 冷ましも、せん。
 ぐらぐらと器用に回る天井が、その遠心力を持ってわっちの智恵すらも回してくりゃる。
 でれでれと本当のことを垂れ流す嘘吐きが、なんのてらいも無く正直に笑うことが出来る。
 それは果たして、形式だけの、笑いの輪郭を顔に当て嵌めた笑顔だけでいられようか。
 するすると、するすると、わっちはわっちのすべてを引きずり出されていく。
 場の雰囲気に流されて、なんの感慨も無くすべてをさらけ出す。
 虚しいこと・・・かや? ロレンス。
 わっちは、ようわからなくなった。
 わっちを場に流しておるのは、他ならぬわっちじゃった。
 わっちは確かに酔いつつもどこか醒めていて、しかしにも関わらずどうしようも無く酔うことに身を委ねて
 おる。
 酔うことが目的では、決してありんせん。
 わっちはな・・・
 酒の味をな、聞くことが多少なりとも出来る。
 上手い不味いも、ようわかる。
 じゃからまず、わっちはなんにも考えずに、口に含んだ酒の味と戯れる。
 味を探し、さらなる味を求め、気に入った味と寝、気に入らぬ味を手なずける。
 
 ぽっ ぽっ ぽっ 
 
 そうするとな、目の前に、小さな酔っぱらい共の顔が灯ってきおる。
 気づくと横には、まだまだ素面がかった糞真面目な相棒の顔がある。
 酔うともなく、わっちは酔うておる。
 みるともなく、皆の顔をみながら、しっかりとからかいどころを見つけておる。
 どうしたら、この場の盛り上がりに一輪の花を添えられるか。
 どうしたら、一枚の風穴あけた常識の、その新たな常識としての再生を行えるか。
 わっちはくるくると脳漿を揺さぶり、ひとつひとつこまめに結果を出していく。
 皆が笑ってくれるのが、嬉しい。
 嬉しさなんぞ感じん、というわっちの言葉を真剣に笑い飛ばしてくれる、その皆の笑顔が次になにを
 言うのかが愉しみで堪らん。
 笑えていない寂しい奴のことが、こう、ぞっくりと気にのうて仕方なくなる。
 ゆっくりとそいつの肩に手を置いて、こう囁いてやりとうなる。
 愉しめんか? すまなかったな、と。
 もしそやつが酒飲みであるのならば、やはりそやつの満ちたままの杯を見つめながら、わっちの昔語りなぞ
 してみたい。
 なんなら、そやつと共に外に出て夜風を浴びにいっても良い。
 もしそやつが酒飲みでないのならば、さて、どうしようかのう。
 智恵は、尽きぬ。
 そう、決してな。
 
 
 
 ◆
 
 怒りも尽きぬ。
 なんじゃあの店は。
 閉まるのが早過ぎやせんか?
 全く、ハシゴしようにも、他には店が無いなんて、こんな街、存在価値が無いわ!
 夜風が、冷たく心地良い。
 澄んだ怒りがそのまま熱を帯びたまま、夜空へと昇っていくのがみえた。
 綺麗なような、綺麗では無いような。
 酔いがひどいせいか、それともわっちの心が死んでおるせいか、世界はただ真っ暗じゃった。
 じゃが、悪い気はせん。
 いっこうに、ならば酒浸りになって、すべて酒のせいにしたいなぞ、この漆黒に塗れた闇夜に指を這わせ
 ていれば、思えるはずも無かった。
 この素晴らしき闇の中には、一体なにがあるのかの。
 なにがあっても、わっちはたぶんなんにも感じん。
 しかし、なんのてらいも無くそれに向き合い、正直にそれにすべてをぶつけるわっちがいるはずじゃ。
 わっちはそのわっちについていかなくてはならん。
 もの凄く恐ろしいことのような気もするが、しかしな。
 それに追いついたあとに飲む酒は、きっとどうしようもなく美味かろうと、なぜか、思えてしまうんじゃ。
 実際に美味く感じられるかどうかは知らぬ。
 が、今間違い無く、わっちはきっと美味いと信じ切ることに吝かでは無いのでありんす。
 
 
 『では行こう。』
 
 
 やるべきことが、てきぱきと決まっていく。
 欲望がわっちの目先をちらちらと動いとる。
 わっちはいても立ってもいられのうて、そしてしっかりと冴えていく脳髄からぞっくりと抜き出したわっちの
 すべてを使うままに、走り出しておる。
 お子様じゃあるまいし、こんな早い時間にお家に帰って、慎ましくお寝むの時間と洒落込むことなど出来 
 ようかや?
 いや出来ぬ!!
 『リンゴあるかやっ?』
 酒だけでは無い。
 世には幸せが満ちておる。
 蜂蜜も、桃も、無花果も、アーモンドも、世界の恵みは溢れんばかりじゃ。
 ・・・。
 な    に    ?
 それら全部が入っとる食い物があるじゃと!?
 
 
 
 『ぬし、早く行こう!』
 
 
 『桃と蜂蜜じゃぞ。信じられぬ。・・とても信じられぬ!』
 
 嬉しさも歓びもなにも無い。
 あるのはただ、無限の興奮。
 信じられるか? そんな奇跡のような代物がこの世に・・・・・・
 
 あ
 
 
 
 『けど。
      梨も捨てがたいの。』
 
 
 
 
 
 
 

− ふぅん −

 
 
 
 
 
 
 幸せがあるなど、誰も保証しよらん。
 わっちがこの闇の中に幸せがあると思うのは、勿論ただの思い込みじゃ。
 じゃが・・・その思い込みのことが、わっちは大好きじゃ
 信じる、という言葉があるが、これはなかなか難しい言葉じゃぞ。
 ロレンスの奴め、自らの経験に頼り切って、相手の仕草言動だけで相手を信頼してしまいよった。
 『私は、神を信じております。』
 阿呆よな、商人にとって神など方便でしかなかろうに。
 相手の信仰心を質に取ったところで、騙すことを覚悟している者にとっては、それは逆に質を取った者
 への罠にしかなりんせん。
 無論、だから、という理由で信じるという言葉を否定するのは愚かじゃな。
 裏切られても良い、つまりその信頼に身を委ねる心地よさそのものが目的のときなれば、そもそもどう
 転ぼうと変わりは無い訳であるし。
 要は、使いようじゃ。
 つまり、主体的であればよいのじゃ。
 相手が本当のことを言っているのかいまいか、それは重要では無い。
 前にも言ったが、相手がなぜ嘘を吐くのかということが、重要なのじゃ。
 それは、自分にも言えることじゃ。
 自分はなぜ本当のことを、嘘を吐くのかと考えてみよ。
 そうすればおのずと、信じるという言葉の使い方もみえてくる。
 相手が嘘を吐けば困る状況を、こちらから作ってやればよい。
 そうなれば、そのときに相手を信じるという言葉を与えれば、それはなにより有効な脅迫となるんじゃ。
 そうじゃ。
 嘘を吐くも吐かぬも貴方の自由、しかしその責は貴方が取ることになりますよ、とな。
 
 
 それはわっちも、全く同じじゃ。
 
 
 わっちがなにも感じんというのが、実際本当のことであるかどうかなど、関係ありんせん。
 しかし、その言葉を実際に誰かに向けて言うことや、自分に言い聞かせることが、それが自分にとって
 得であるのかどうかは、これは全く考えるべきことであり、また別のことじゃ。
 ぺろり
 わざとらしく、酒で滲んだ舌で尾を舐める。
 目の前に綺麗なフサフサした尾があったんじゃ、それを舐めるのは自然な行為じゃろ?
 だが勿論、それはわっちが尾を舐めたい、と感じたからではありんせん。
 わっちの行為はすべて作意に基づく。
 しかし、今言ったように、少なくともこのときの流れ上尾を舐めるのは、いたって自然な行為でもある。
 そういう意味でわっちには、確かにその自然な流れに身を任せる、いや、任せたいという感情はあったと
 言えるんじゃ。
 ここでもし、わっちはなんにも感じとりゃせんが、しかし綺麗な尾が前にあったなら、空気を読んでそれを
 ぺろりと舐める演出を施すは、いたって自然な行為じゃ、なんぞと言えば興醒めじゃ。
 本当にそうであるかは全く関係無しに、そういうことを馬鹿みたいに言う奴と仲良くなれるかの?
 いやさ、そういう事をぬけぬけと言う自分を、わっちは楽しめるかの?
 楽しめんな、絶対に。楽しみたくも無い。
 仮にじゃ、わっちがなにも感じんという自分の姿から逃れ得ぬとしても、わっちはやはり、自分のやること
 為すことをすべて自分の感情に基づいたものとして、その文脈に収めて描き出そうとするな。
 
 ほれ、ロレンスがもうこっちをじろじろとみとる。
 
 一番わかりやすい、自分語りの言葉はの。
 自分はなんにも感じんが、しかしなんとか頑張って感情豊かな自分を「演じる」という言葉じゃ。
 じゃが、そんな言葉に縋り付いて生き抜けば、その先に待っているのは、すり切れた死のみじゃ。
 楽しく無い演技なんぞ、そんなもの、なにかに対する当て付けにしか過ぎぬのじゃよ。
 わっちはな、なんだか充分楽しんでいる自分をな、ゆっくりと感じ始めているんじゃ。
 周りの目が気になるからだの、それでいて周りの目を気にさせる周りこそへの抗議だの、そんなものに
 命を賭けることなぞ出来んことが、わからん奴なぞおらんじゃろ?
 わっちは、余裕で自分のことがわからん。
 じゃが、分かり切ってることからさえも逃げるために、そのためにわかる自分なぞ、わっちはいらんのじゃ。
 ふふ、媚びとる、媚びとる。
 ロレンスへのおねだりのために、わざとらしく本音だか建前だか知れぬ媚態を演じとる。
 わっちには、その自分の姿が手に取るようにわかる。
 そしてそれを悪し様に非難するわっちが、直立不動で怒り狂っているのもみえる。
 じゃがの。
 わっちの頭の上には、それをゆっくりとあぐらをかきながら、酒瓶に頬ずりしながら眺めとるわっちがおるん
 じゃ。
 なんじゃ、そのニタニタ笑いは、やめよ、と媚態を演じるわっちとそれを非難するわっちのふたりが、揃って
 その酔っぱらいのわっちに指を突き付けるんじゃが・・・・
 
 ふふ
 一番、一番虚しさを感じとるのが、そのふたりのわっちなんじゃ。
 綺麗に頬を紅く染めたわっちは、そのふたりを豪快に笑い抱き留めとるんじゃよ。
 
 なにが本当で嘘かなど、わかっているが、しかしそれはわかっとることにはなりんせん。
 尾を撫で、舐め、そして酒杯を片手にそっくりと小首を傾げる、それがロレンスへのおねだりとしての
 媚態であると同時に、落ち着いて感じれば、確かにそれはその撫で・舐め・小首を傾げるというひとつ
 ひとつの行為がすべて別々にわっちの体感から成立しているのがわかるんじゃ。
 気分が良いときには尾を撫でるという「お約束」に、ただ無感動に従っているわっちがいるのは確かじゃ
 し、現在そのわっちしか見あたらぬのもまた事実じゃ。
 じゃが、それしか見あたらぬという説明自体が、わっちに目隠しをしているということは充分あり得るし、
 また目隠しをしているだけという説明自体が、あっさりと新たなわっちを其処に顕すことも出来る。
 まず始めに、「お約束」を楽しく演じている自分を見つけることが出来る。
 そして次にはもう、自分の動作を「お約束」という型にはまるかはまらないかで観ている自分に気づける
 自分が顕れてくる。
 そうなれば、簡単じゃ。
 
 なんじゃ、やっぱりわっちは、全部感じとるじゃないか。
 
 わっちの仕草はわざとらしくもあり、そうでもない。
 無論、気づいたらなんにも感じずにだらだらと無感動に流れに身を任せているだけのときもあり。
 しかし・・・・それは、当たり前のことじゃ
 この酔っ払いめと、自分を優しく罵るこの唇が、既に楽しげに歪んでおる。
 『な〜んての♪』
 酔うておっても、その中でさらにわざとらしく酔った振りをすることさえも、わっちは出来るのじゃぞ♪
 さーて、次は本音モードでいくでありんす♪
 そのわっちの宣言に、ロレンスがぴりぴりと気持ちの良い非難の眼差しをぶつけてくりゃる。
 
 
 ぞ く ぞ く す る
 
 
 ふむ、となるとわっちは、なんにも感じとりゃせんわっち、をも演じることが出来るのかもしれん。
 いやさ、既に演じとろうに。
 ふーむふむ、となると、わっちはその役としての不感なわっちのことを理解することが出来そうじゃの。
 なぜ、なにも感じんなどとほざきおるのか。
 さっぱり、わからんの♪
 うむ、わからんということが、かように愉しいことだとは思わなんだ。
 ロレンスと酒を飲んどると、あ、ロレンスめは飲んどりゃせんか、まぁよい、とにかくロレンスの前で飲んどる
 と、わっちはどんどんと開かれていくんじゃ。
 ロレンスが気になって仕方のうなる。
 滅茶苦茶に騙して、そして騙した分だけ元に戻してやりたくなるの。
 意外に、簡単じゃ。
 わっちがわっちを騙すのも騙されるのも。
 そしてなにより。
 騙し騙されることの繰り返しの虚しさを、どうしようも無くちっぽけなものに感じられるのも、な。
 ロレンスのことが気になると言うても、ロレンスに執着するとかいう後ろ向きなものでは無い。
 ただロレンスと、いやこの際誰でも良い、とにかくそうして誰かの前でいやらしく踊れるということが、なに
 より愉しゅうて仕方無いんじゃ。
 ひとりで飲んでちゃ、こうはいくまいの。
 なにせ、話が出来んものな。
 壁に話しかける趣味は、わっちにはありんせん。
 話して、考えて、騙し騙され、嘘と本当を掛け合わせ、上質の時間を愉しみたい。
 それは刹那ではのうて、実際永遠なものとして、わっちは感じるの。
 なにせ・・・
 
 夜と酒は、明日も、明後日も、ずっとあるのじゃものな。
 
 無論・・・・・ロレンスも、な
 
 
 あ、ちなみにわっちはあまり昼酒は好きじゃありんせん。
 それは昼間っから酒を飲むものじゃない、という教条的な理由を遵守しているから・・・でも良いが、
 しかしどうせなら、一日目一杯稼いで、そのお金でゆっくりと夜に乱れながら飲みたいからと、そう、心を
 込めて言いたいのぅ。
 
 じゃから、別に昼にゆっくりと酒を飲むこともあるだろうし、やっぱりかたくなに飲まぬかもしれぬ。
 さて、なにが本当なのじゃろうな? ふふふ。
 
 
 『ありがと♪』
 
 
 
 
 ◆
 
 と言いつつ、真っ昼間から昨夜の酒の残り香を欠伸で吐き出しながら、寝そべっておる。
 うーん、この荷台の揺れの心地良さよ。
 見上げた空は蒼く澄み渡り、道は地の果てまでも続いておる。
 ありきたりな表現で恐縮じゃが、しかし今の気分は自作や高尚難解なものよりも、卑俗でしかしなに
 よりも広く親しまれとるありきたりな詩を諳んじたい感じじゃ。
 心安らかに、流れるままに謳おうぞ。
 
 はー、眠い。
 寝る。
 
 ちくちく。
 それでも、悪い夢のように、このお休み時間に入り込む邪魔者は絶えぬ。
 傭兵団が、商人と同じ損得でしか動かぬじゃと?
 ・・・あまり、それについては言及したくは無いの。あんな話の通じん奴ら・・
 ん、この臭いは・・・
 『わっちの嫌いな人間の臭いじゃ。』
 羊飼い。
 しかも、女。
 これこそ、なにも語りとうは無い。
 黙せばやがて・・・
 闇が降りる。
 真昼を浸食する無言の闇が、わっちを言葉で埋め尽くす。
 語りとう無い、語りとう無い。
 ふふ
 語りとう無い理由を、 わっちは延々と語りおるわ。
 
 
 目の前に佇む、無言の悪魔から目を、逸らした。
 
 のか。
 それとも。
 
 横に座る、ひとりの阿呆な雄に欲望の眼差しを向けたのか。
 
 わっち自身、わかりんせん。
 じゃが。
 もう。
 少なくとも。
 わっちは、この嫌な臭いのする言葉に目を奪われることは、無くなっていた。
 
 
 
 
 
 
 
 ロレンスの、阿呆!
 
 
 
 そして確かに、こう強く叫んだわっちを見つめる頭の上のわっちは、高鼾で寝ておったのじゃ。
 今が、チャンスじゃ!
 
 
 
 
 
 
 
 
 ロ  レ  ン  ス  の 、 阿  呆  ! !
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 不安までの距離が、視えのうなってしもうたの・・・・
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ◆ ◆
 
 マズイ。
 
 ホロが、可愛いです。
 
 それは、もう、マズイです。
 なんだかもう、ホロです。
 なんか書こうとか思うと、ホロです。
 嘘がどうとか本当がどうとか、正直どうでもいいです。ごめんなさい言い過ぎました。でも(以下略)
 とにかく、ホロでした。
 ああもう、ホロです。
 ああいえばこういう、ホロです。
 ホロといえば、ホロです。
 ホロかと思えば、ホロです。
 ホロ可愛いです。
 騙されてもいいです。
 優しそうな顔の小悪党なおじさんが、嘘を見破られたときの顔と言ったらもう、ホロです。
 あんな風に見破ってくれるのなら、私だって嘘を吐きたい。騙したい。見破られたい。
 あ。
 ホロだ。
 ホロです。
 残念ですけれど、ホロでした。
 ロレンスに媚びるホロが、やっぱり可愛かったです。
 ごめんなさい、もうしませんなんて言えません。
 だって、ホロだもの。
 ホロはホロだもの。可愛いもの。
 
 ふぅ
 
 気が済みましたか。
 ええ、たぶん。
 ということで、なんだかすっかり素直にホロの可愛さに絆されて、自分が口走るのを止めることが出来ま
 せんでした。
 っていうか、にこやかな笑顔で送り出していましたけれど。こいつ・・
 あと、あれです、お酒いいな。
 お酒。
 このアニメの好きなとこはホロです。ああ、ぶっちゃけてまとめすぎだ。
 あとお酒出てくるのが好きです。
 なら、ホロがお酒飲んでたら、最強じゃないか。
 ・・・。
 ええ、大丈夫、私は飲んでません。ちゃんと素面です。真面目に書いています。
 書いていますけれど・・・なんか、素で酔ってきた気分を禁じ得ない。得ないんです。
 まぁその、もうぐだぐだですけど、一応真面目っぽくいうと、お酒というアイテムを非常に良く使っている
 点が面白いです。・・・たいしたこと言ってないな、私。真面目でこれか。・・・・。・・・・・・・。
 いや、お酒というか「酔い」かな? 
 会話の端々から、仕草のひとつひとつまでをすべて繋げて魅せようというスタンスは、その充実の一途を
 辿っているのですけれど、それがこの「酔い」のシーンで一気に幅を広げてもいます。
 酔っててもホロは賢いですし、むしろ酔っているからこそ出来ることもあり、またそれは同時に素面のとき
 だってそういうことってあるでしょ? というか色んな嘘とか本当とかそういったものの関係も、結構この
 素面と酔いのときの関係に通底するものがあるし、そこから考えていくことも出来るよね、という手応え
 を得ることも出来るのですよね。
 そしてそれは、いわゆるただの酒飲みの論理という形として、その「酔い」のシーンとして切り取っておいて
 しまう訳では無く、すべて繋げてしまうがゆえに、例えば酔ったときのホロの告白なりなんなりを、ただの
 酔いの勢いの一言で片づけて、ひとつの乗り越えるべき「弱音」として処理はしないという、そういった
 構造の複層化に繋げてもいるのです。
 その辺りが、この作品が一本道化することを明確に防いでいますし、ゆえに物語自体は単線的であり
 ながらのこの豊穣感を与えてもくれるのでしょう。
 
 まぁ、すべてはホロが可愛いからなんですけれど。
 
 ロレンスが可愛いオトコノコなのも、支店長がカッコ優しいのも、クロエ燃えなのも、って燃えかい、あと、
 まぁあの羊飼いのコがどうなるのかも、全部ホロのお陰なのです。
 
 ・・。
 意味、わかんないですよね。
 というか、結論ありきな文章でお送りいたしました。
 ホロ万歳。
 ホロが良ければすべてよし、あとは野となれ山となれ。
 その野山を雄大華麗にひっそりと奔るホロを愛でつつ、今宵は終わりと致しましょう。
 駆け巡る酔いの尽きるまで、の。 (飲んでんじゃん)
 
 それでは、また。
 皆様の来週までの道中の安全を祈りつつ、お別れです。
 ホロ万歳。 (しつこい)
 
 
 
 
 
 
 
 
                              ◆ 『』内文章、アニメ「狼と香辛料」より引用 ◆
 
 
 

 

-- 080224--                    

 

         

                               ■■濡れ衣のいる虚無■■

     
 
 
 
 
 『視えない瑞生の不安はわかる。私だって、視えるものなんてたかが知れてるもの。
  そう、私が知ってることなんて、ほんの僅か。』
 

                            〜もっけ ・第二十話・静流の言葉より〜

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 わからないと、不安になる。
 明らかに、なにかがあると感じているのに、それが見えないと怖くなる。
 落ち着けない。
 だから、なにかをしようとなにかを考えようと懸命になる。
 そして、その中で少しずつわかってきたものがあり、それが自分の手で理解することが出来たものである
 からこそ、それは無条件に愛しいなにかとなる。
 そのなにかは、やがて、自分が未だわかっていないものを、さらに理解していこうとするための、その気概
 のなによりも頼もしい拠り所となる。
 
 自分の中で、なにかがざわついている。
 なにかを感じている自分、そしてそれを感じるのは、なにかしなければならないと認識しているから。
 しかし、それがなんなのか、わからない。
 わかろうとすればするほど、わからないということだけがわかり、自分が最もしなければならないことに
 未だ着手出来ないでいる焦りだけが果てしなく積もっていく。
 他の人は、もうわかっているのじゃないのか。
 実際、わかっている人の話を聞けば、自分だけが取り残されている恐怖も上乗せされる。
 気にしすぎだ、と言われれば、それはひとつでもわかっているものがあるからそう言えるのだと、無為な
 反論だけを重ねてしまう。
 そこにあるのは、わからないということへの恐怖だけ。
 いや。
 わからないでいるということ、それ自体の自らの認識の範囲が狭いということだけ。
 
 
 『ここじゃ、みーんな仏さんになってんだ。滅多にちょっかいなぞ出してきやせん。』
 
 
 
 
 瑞生達は墓参りにきます。
 しかし墓場といえば、お化け。
 瑞生はその先入観で頭が一杯になっていますし、勿論静流も沢山のモノを視てしまいます。
 そもそも仏教はそういうモノを否定しているものであり、ゆえにむしろそういうモノがあるはずは無い。
 しかし、少なくとも墓場にそういったモノがいるというイメージを多くの人が抱いている事実という、それ
 そのものが墓場にて人の心を揺らがせ、そして瑞生達にもそれを感じさせるのです。
 いくら仏教の理屈があろうとも、そんな事は関係無いのです。
 無知蒙昧と蔑もうと、いつの世も人はそういったモノを感じるのですし、それを頭から否定しているだけの
 方こそが愚かというもの。
 むしろ、その無邪気な否定の方こそ、なにかが「いる」ということを理解していない言い様なのです。
 瑞生が不安を感じれば、それを説明する材料としての墓場に「なにかいる」という情報は、まさしく血肉
 を持ってその姿を顕しモノとなります。
 瑞生が感じている不安そのものに触れない、ただそれだけである理屈自体は、決して瑞生から不安を
 除くことは出来ません。
 物事の背景になるモノを広く捉えなければ、表面上みえるものだけにしか触れなければ、結局はなにも
 解決は出来ない。
 
 しかし。
 それは同時に瑞生自身が、墓場になにかいるという、その理屈の意味をも同時に明かしています。
 
 つまり、お祖父ちゃんが瑞生に言ったことも、また真なのです。
 気にし過ぎだ、ビクビクしてっから不安になる、云々。
 仏教の持つ理屈がどうあれ、人は墓場に不吉さを感じます。
 それは、全くの理屈抜きで、です。
 しかし、その仏教の理屈をみないでいるための、そのための理屈を知らず知らずのうちに採用してはいる
 のです。
 つまり、自分が感じている不安感の肯定です。
 仏教がどういうものであろうと、誰がなんと言おうと、それとは関係無しに私が不安を感じているのは
 事実なんだ、それを無視していいはずが無い、だからそれを無視して不安がるなとか落ち着けとか
 言われたって無理だし、それこそそれらの理屈は私の不安を無視してのものだから、私だけは不安を無
 視せずにしっかりとそれと向き合っていくんだ、それを邪魔する理屈こそ無視してやる、と。
 
 
 どうしようも無い不安に囚われるというのは、実は自身がその不安を肯定する理屈をみつけたからです。
 
 ならば、理屈によって瑞生が支配されているという点では、否定も肯定もまるで同じ。
 
 
 仏教の理屈がどうあれ、自分が墓場にてどうしようも無い不安を感じるのは事実であり、それを仏教的
 に霊魂なぞモノなぞある訳が無いだとか、それこそ非科学的なことを言うもんじゃ無い馬鹿じゃないのか
 だとか言われて、その不安自体が消えるはずも無い。
 むしろ、そうして無視された不安を認めみつめることが出来るのは自分だけだ、というより大きな孤立と
 しての不安をも生じさせ、それは結果として最初に感じた不安を肯定・増幅してしまうことになるのです。
 霊魂やモノの存在を否定することは、全くの愚かな行為。
 ならば、どうすればよいのか。
 それは、簡単なこと。
 まず、霊魂やモノの存在を「無条件に」認めること。
 そして認めるからこそ、実はそれらモノへの対処法があり、そしてその対処法を遵守すれば、いとも簡単
 にそれらのモノを「祓う」ことは出来るのです。
 霊魂の存在を否定する仏教は、実は方便として霊魂の存在を認めてもいます。
 逆にいえば、霊魂など存在しないのは明白でありそれが前提であり、しかし人は自らの不安をそれら
 霊魂やモノという形あるものとして顕しそれを仮託しようとするのですから、そういった意味での「霊魂」
 や「モノ」は確かに存在するのです。
 ならば、霊魂やモノを否定したところで、「霊魂」や「モノ」が消えるはずも無いのは、これは明らかなこと
 です。
 しかし逆にいえば、そこで「霊魂」や「モノ」の存在を認めれば、実ははっきりと見えてくるものがあると
 いうことです。
 つまり、自分はそれらの存在を認めることが目的では無いのに、いつのまにかそれを目的としてしまって、
 さらにはそれらの存在を認めていくことの中で、他の多くのことも同時に肯定してしまおうとしていることも。
 そして、決定的なことに気づくのです。
 そうだよ、私はこれらのモノを祓って、不安を取り除くことこそが目的だったんじゃないか、と。
 霊魂やモノを否定する諸々の理屈を肯えば、そもそも問題解決は出来ない。
 しかし、霊魂やモノの存在を否定する理屈を否定することが目的になってしまえば、ある部分において
 自分自身の「節度」ある自身の姿が怠惰に乱れてしまうこともある。
 あれもこれも、よく考えれば周囲の押し付けだった、よく考えればあれもこれもおかしい、あれもこれも
 全部私が選んだものじゃなかったのに、みんなみんな私を無視して、私は我慢して、云々。
 ここぞとばかりに、その孤立なる不安の中でそれらを無条件に解放してしまい、結果、自らが抱いていた
 不安以上の、それを上回るもっと恐ろしい総体的な「なにか」に取り憑かれてしまうのです。
 もうそのときには、自分がただその最初の不安を取り除きたかっただけということが、わからなくなってしま
 うのです。
 けれど。
 
 だから、それらもみんな、「モノ」だろ。
 
 たとえ当初の不安解消という目的がわからなくなり、解決すべき問題がさらに大きくなって手に負えなく
 なってしまったとしても、それら増幅された問題すら、一個の「不安」、つまり一個の祓うべき「モノ」で
 あることには変わりは無いのです。
 怪しい「モノ」の存在を真から信じられるんなら、それと同じく怪しい「御祓い」の儀式も信じられんだろ。
 そしてそれが信じられるのなら、そのときその御祓いはあっさりと有効になるのです。
 そしてそれを信じられるかどうかは、これまたとても簡単。
 自分が解決すべきだったのは、たったひとつの他愛の無い「不安」にしか過ぎなかったということを、
 少なくとも理屈上理解することが出来ないことは、あり得ないからです。
 御祓いの儀式が非科学的だろうとなんだろうと、関係無い。
 自分がただ自分の「不安」を解消したいという、そのなによりも圧倒的な意志があったからこそ、
 自分は其処に「モノ」を視て、そしてそれを祓いたいと思うのですから。
 自分が其処に「モノ」を視た、という事自体が、なによりも自らの問題意識が生存していることを証して
 もいて、だからこそ同時に、たとえ他の誰もが「モノ」を否定しようとも、それを確かに「視て」いる自分
 ならば、それを圧倒的に解決していくことも出来るのです。
 それなら、御祓いの儀式はなんだっていい。
 しかし、それがただの自分の思い込みで作ったものであるという、その認識では駄目なのです。
 だからその御祓いは、外的に用意された、他者によって確立され、そこで既に成り立っているものである
 ことが重要なのです。
 なぜなら、自らの不安の存在を否定する理屈を否定するという自らの行動が、果てしなく自らの孤立
 を招き、それが不安の増幅に繋がってもいるからです。
 独り善がりのやり方じゃ駄目なんだ、私が考えたお呪いじゃ、それ自体が他者の理屈への否定で成り
 立つ肯定、すなわち自身の不安の肯定こそが目的になるものにしかならないんだ。
 だから、その御祓いやお呪いは、其処に「いる」のです。
 無論だから、モノも其処に「いる」のです。
 モノは方便でありつつ、しかし確かに其処に他なる存在として生存しているものなのです。
 まことしやかに生きている姿が描き続けられる、妖怪。
 理屈として方便としての前提を持ちながら、限りなくその生存のリアリティがあるモノ。
 だから、それを求める。
 他者に救いを求めることが出来るからこそ、他者は其処にいて。
 他者が其処にいるからこそ、他者に救われる。
 その他者との連関の中にこそ、御祓いの有効範囲が発生し、そして常にその「救い」を意識しているか
 らこそ、「モノ」あるいは妖怪という、著しくオリジナリティを欠いた、他者の描いた普遍的偶像を其処に
 視るのでしょう。
 自分だけが認識出来、自分だけがそれを愛するものであればよいのなら、其処に視たモノは他者の
 言葉で綴られた物語の中に、その姿を見つけること叶わぬ姿になっているはず。
 
 いんや、そりゃあ正確じゃ無ぇな。
 
 たぶん、「視る」というところから、それは始まっているのです。
 まず自分の中に、なにか得体の知れない不安、のようなものがあります。
 この時点でそれは、なんの形も無く説明しようの無い、それこそ全くオリジナリティなものなのです。
 しかし、それを目の前に視るということ、理屈にしてその「なにか」を説明しようとすること、そうすることで
 、いえ、そうしようとする意志こそが、実は既に限り無く他者の存在を想定していることからきていること
 なのです。
 だから、普遍的なモノを視るということ、がでは無く、既にその「視る」という行為そのものが、普遍的な
 ものを求める行為であるのです。
 自らの不安を認識し、それを説明しようと理屈として形にして顕すのは、つまり誰かにそれを聞いて欲し
 いからであり、またその理屈としての「モノ」を通して、共に自らの抱える問題を解決していきたいと願っ
 ているからなのです。
 ゆえに。
 
 
 それらの「モノ」という自らの不安を視るということは、それ自体が自らの不安を肯定することだけを目的
 としてしまう落とし穴を抱えると同時に、それ自体が同時に絶対的な解決の意志があることを保証して
 いることでもあると言えるのです。
 
 
 墓場にて不安を感じた瑞生。
 気にし過ぎだ、と言われれば、それに反論する自らの姿しか思い描けない。
 しかし、お祖父ちゃんに、墓場の奴らはみんな仏になってんだ大丈夫だと言われ、さらには静流には、
 視えない訳じゃ無いけれど、悪い気はしないと言われたら・・・
 それでも瑞生は、不安を感じずにはいられない。
 けれど。
 
 『奴らは居んのが当たり前。』
 
 そうだよね、私は視えないけど、お姉ちゃんは視えるし、なのに怖く無いっていう。
 それはお祖父ちゃんが言うように、みんな仏様になってるからなんだ。
 たとえ怖い顔したモノがいても、それは不動様と同じで、ほんとは善い奴なんだよ、きっと。
 うーん、それでもやっぱり私は視えないから不安だし、どうしても疑っちゃうからビクビクドキドキは収まらな
 いけど・・・
 でも・・・なんかこの緊張感・・・
 
 ちょっぴり、気持ちいいかも。
 
 同じドキドキでありながら、それを支える「理屈」が違うだけで、こうも違う。
 自らが感じているのは、突き詰めれば純粋な緊張を孕む不安なだけで、それがどういうモノであるかを
 説明している自分だけがいるのみ。
 そしてここで、だから理屈なんかいらないんだ、感じるままにわからないままにやってりゃいいんだ、となれば
 おそらく人はなにも出来ません。
 それは虚無主義に近しいこと。
 しかし、そこでそれでもなんらかの「理屈」を採用して、あくまでその自らの不安を読み解き形にして
 顕そうとするのなら、きっと沢山の人が多くのことを為していくことが出来るのです。
 要は、気持ち次第ってことだ。ここまでくりゃな。
 不安なんてもんは、上手く解釈してやれば、むしろもの凄い活力を与えてくれるもんなんだ。
 そっか、そうなんだ。
 
 だから、墓場ではモノはみんな仏になる、っていう御祓い的理屈が有効になるんだね。
 
 そう、だからこその「モノ」であり、妖怪なのです。
 御祓いも理屈も、だからその存在意義があるのですね。
 
 
 
 
 
 ◆
 
 中原は、東京の大学に獣医になるために通っていましたが、色々と悩みを抱えて帰省します。
 獣医を、やめようかなって、思ってる。
 小さいときから動物好きであり、そして自他共に認めるという最良の形で、獣医を目指していました。
 亡くなった父の夢が獣医になることであり、それが託されたという重圧に確かに苦しさを感じてはいれど、
 しかしそれは決して悪い気分のするものでは無く、むしろなによりも嬉しい「期待されている」歓びとして、
 中原の背を愛おしく包んでいてくれた事でした。
 自分が動物好きなだけであったという、ただ個人的なおもいでしか無かった獣医の志望動機に、堂々と
 両親の願いのためにと愛しく書き足すことが出来る。
 こんなに嬉しいことはないなって、ずっとずっと、思ってたんだ。
  重荷だろうとなんだろうと、俺はずっとそれを背負えることに生き甲斐を感じてたんだ。
 俺から、それを無責任に取り上げないでくれ。
 母に、獣医の夢を重荷として感じているだけと、そう思われることこそ苦痛だ。
 俺は一体今までなんのために、誰のために頑張って・・・
 
 中原が獣医をやめようと考えた発端は、描かれませんでした。
 もしかしたらそれは、ほんの些細なことだったのかもしれません。
 帰省してきてからの中原の言動をみるに、むしろそういった些細な諸問題を解決するに必要な、
 その最も深い動機の再確認をしたいがために、実家に帰ってきたのかもしれません。
 けれど、そこで母には、とてもとても残酷な心配のされ方をしてしまうのです。
 直接的な描写はなかったのでしょうけれども、お祖父ちゃんとの会話からみるに、おそらく母は息子に
 夢を託したことを後悔し、そのために息子が苦しむのなら獣医を諦めても良いのだよ、と言ったニュアンス
 で以て接したのでしょう。
 そう言われてしまえば、中原こそ立場がありません。
 ああ重荷だよ、苦しみだよ。
 だから、それがなんだってんだ。
 俺はそれでも、そうやって自分の夢と親の夢が合致したのが嬉しくてここまで頑張れて、これからも
 頑張るためにこそ確認しにきたってのに・・
 余計、わからなくなってしまう中原。
 俺は、こんな泥舟のような動機でしか、獣医を目指してなかったのか・・
 俺は・・
 文字にしてしまえば、説明してしまえば、中原の獣医への思いなどまさに砂上の楼閣のようなものと、
 そうとしか感じられなくなる中原。
 考えれば考えるほどに、自分のあやふやさにしか目がいかなくなる中原。
 俺は父さんと母さんがいなかったら・・・俺のおもいしかなかったら・・・なんにもできないのか
 
 そうなるともう、止まりません。
 なにもかも、否定したくなる。
 
 へっ、動物好き?
 そんなことだけで獣医になれるほど甘い世界じゃ無いんだ。
 成績だってそんなに良い訳じゃ無いし、そもそも獣医になれる保証なんて無いんだ。
 母さんに仕送りして貰ってるのだって、いつまでもという訳にはいかない。
 それに、仮にすべて上手くいって順当に獣医になれたとして・・・・
 俺は本当に、獣医の仕事を続けていけるのか?
 俺は、よく考えたら、自分が獣医である、ということを考えたことが無いんじゃないか?
 ただがむしゃらに獣医になることばっかり考えてて、獣医になったらどうするのかどうなるのか、全く考えて
 なんていなかったんだ。
 獣医になるまではあと長くても十年はかからない。
 でも、獣医になったら、それこそそこから何十年もその仕事をやることになる。
 俺は・・嫌になったら・・・それをやめることなんて出来るか?
 獣医になってしまったら・・・責任が出来て・・・責任感からも逃げられずに・・どうしようもなく・・・・
 
 だったら、やめるんだったら、今、なんじゃないのか?
 
 死んだ父さんはともかく、母さんは俺に期待してない。
 いや、期待するくらいなら心配していた方が良いんだ。
 いや、いや、心配かけてる俺が悪いんだ。
 俺がしっかりしないから、だから母さんは俺に期待するのを諦めて・・
 悪いのは俺だ・・俺なんだ・・・・
 『もういいんだ!!』
 母さんに、これ以上心配かけたくない。
 母さんの期待を、これ以上裏切りたくない。
 俺はだから母さんの言うとおりに・・無理せずに・・・獣医になるのをやめて・・もっと等身大の・・・・・・
 
 
 そうやって、いやらしい理屈が、どんどんと増幅していく。
 
 
 母親に心配かけたくないとか期待を裏切りたくないとか、そんなことが自分の行動を左右するものに
 ならないことなど百も承知の上で、中原は言っているのです。
 そして、そう言葉にして敢えて言い募れば、それがやがて本当のこととなって自らを逃避の世界へと導い
 てくれることを、このとき中原はうっすらと感じてもいたのです。
 俺・・・獣医を目指すのをやめるための大義名分を求めてるだけだ・・・
 ほんとはただ・・・・目の前の小さな問題から逃げたいだけなんだ・・・
 俺はなにしてる・・・なにをしてるんだろう・・
 俺は、そんなに母さんが嫌だったんだろうか。
 俺は、そんなに父さんに託された夢が重かったんだろうか。
 そうだな・・確かにそうだ・・・俺は母さんのああいうところが昔から嫌いで・・父さんの夢も・・・
 ひとつひとつ、そうして中原は自分がそれでも愛しく背負っていたものの中から、それを背負わなくても
 良い理由を肯定するためにこそ、それらの嫌悪や重圧だけを取り出し文字にして顕したのです。
 
 
 そして、それをこそ敏感に、無意識に感じた中原は、すべてを投げ出すのです。
 一時的に。
 
 俺は・・母さんや父さん以外の・・・・俺独自の動機が・・・獣医との繋がりが・・・欲しい・・・
 中原は、少年時代親に隠して飼っていた、正体不明の生物のことを思い出します。
 クロ、と名付けたその生物は、その当時も、そして学問的知識を身に付けた今ですら正体のわからない
 ものです。
 どんなに記憶の中に鮮明に残るその動物の姿を思い浮かべても、その姿に一致する動物はどんな
 図鑑にも載っていない。
 勿論、多くの動物と接して見てきた獣医の卵である今の自分にも、わからない。
 謎の生物、クロ。
 際立った特徴は、ただひとつ。
 雷が鳴る前に、異様なほどに暴れたことのみ。
 そんな性質を備えた生物は、この世に存在しない。
 
 しかし。
 まさにそれに合致する存在を、中原はついにみつけたのです。
 雷獣。
 それは、物語の中だけの、存在。
 
 
 
 そうか。
 
 
 
 『でも実際に畑を荒らしているのと、言い伝えの雷獣って、どう考えたって別物じゃない?
  だったら、雷獣は濡れ衣っていうか。』
 
 
 
 『カミナリガリ』。
 それが、今回のお話のタイトルです。
 雷獣は、目の前に浮き出た雷雲に飛び乗り、そこから地上に降りてくる伝説上の生物です。
 しかし、その正体とされる生物は実は沢山います。
 狸にイタチ、ハクビシンなどなど、野山をかける動物ならその多くが候補に挙げられています。
 雷が落ちた場所近くに「正体不明」の死体を見つければ、それは雷獣であるということになります。
 それは黒こげになったイタチであるかもしれませんし、ハクビシンであったのかもしれません。
 しかし、雷の落ちたところにいた、ということ自体が既に雷獣であるということになるのです。
 ですからその正体がどうこうというのは、実はどうでもよいことであるのです。
 『雷獣って、本当にいるの?』
 最近中原の帰省した町、つまり瑞生達の住む町では、頻繁に畑荒らしが発生しています。
 犯人はおそらくなんらかの野生動物であるということ。
 そして、この辺りではかつて雷獣がよく捕まえられていたということです。
 畑荒らしとして。
 そして、雷獣を狩ると、その年は雷が少なくなったのだそうです。
 じゃ、畑荒らししてるのは、雷獣かもしれないね。
 そうです。
 
 畑荒らしの犯人として捕まえられた生物は、必ずすべて雷獣なのです。
 
 農作物が被害を受けている、という事実があります。
 そしておそらく、農作物を食べているのはなんらかの野生動物。
 しかし、その動物は「畑荒らし」をしているのでは無く、ただ見つけた餌を食べているだけにしか過ぎ無い。
 「畑荒らし」が存在するのは、人間側の理屈上でしか無く、そしてそれゆえに、「畑荒らし」という不名誉
 な汚名の権化としての雷獣が顕れるのです。
 伝説上の、物語の中の存在として、そして確かに実体を持った存在として其処にいる。
 そいつを狩れば、雷が減り、農作物が荒らされるという被害も起き得なくなる、という信仰の下に。
 雷獣の実体は、ハクビシンなどの実際の動物です。
 そしてイコール、ハクビシンは「畑荒らし」の雷獣なのだから、退治出来る。
 殺されていくのは、実体を持った、ごくごく当たり前の摂食行動を取る無辜な野生動物。
 農作物が被害を受けているという、その「問題」を解決するために、その最も簡単な解決法のために、
 ハクビシンなどの野生動物は雷獣、つまりそいつを狩ればすべて丸く収まる存在、として殺されていった
 のです。
 
 どうしようも無く、気づく中原。
 そうか。
 そうだったな。
 
 実際に畑を荒らしたハクビシンを殺しても、農作物が食害を受けるという事象自体は解決しない。
 次なる雷獣が顕れ、また食い荒らされるのみ。
 そのたびに、動物が殺されていくのか。
 そのたびに、雷は減っていくのか。
 雷を、直接の被害を恐れるあまりに、なにか大切なものを人は・・・・・・・・俺は・・・・・
 実は、雷獣を狩ると雷が減るというのは、その御利益があるという意味での雷獣の存在を明かすこと
 以上に、そうして目先の利益に囚われすべてを撃滅していこうとしてしまう、そういった人間の愚かさを
 気づかせるための要素でもあるのです。
 雷を減らすためにこそ雷獣を狩る、というのは、実は論理的にはあり得ないこと。
 なぜなら、当たり前のことですが、雷獣など実在しないからです。
 もしそういうことが出来るというのなら、それは無辜の野生動物を雷獣として狩ろうとしているからです。
 その構造こそが、それを気づかせることこそが、この雷獣という理屈の本質なのです。
 誰だって、畑を荒らした一匹のハクビシンを殺したところで、すべてが解決することなどあり得ないと理解
 している。
 けれど、そう理解していながらも、たった一匹のハクビシンを「畑荒らし」として処刑し、それですべてを
 解決したようにしてしまう。
 
 
 檻の中で傷ついて蹲るハクビシンを、俺は絶対にこのまま殺させる訳にはいかないんだ。
 
 
 人間の都合で、人間の理屈で傷付けられていく動物たちを、守り治してやりたい。
 『なんか、吹っ切れました。』
 いや、ただ守り治してやるだけじゃ駄目なんだ。
 人がそうして動物を雷獣に見立てて殺さずにはいられない、その状況こそを直さなくては、今度はそう
 した人間社会の最前線に立って働く農家の人達の苦しみこそが、雷獣として抹殺され無かったことに
 されてしまうんだ。
 ただの動物愛護の精神だけで動物を守るだけなら、それは動物を憎しみだけで殺すのと同じなんだ。
 農家の人達だけが苦しみを負わずに済むような、動物愛護を叫ぶ私達社会の者達も一緒にその
 苦しみを共有することで一人当たりの負担を減らす、そういうシステムを作っていかなくちゃいけないんだ。
 それが、動物との共生ってことなんだ。
 動物だけが、農家の人達だけが、誰かだけが苦しみ狩られるという状況そのものが、その共生の敵
 なんだ。
 俺は・・そのシステムの中で、傷つく動物達を治し守る獣医に・・・なりたい
 そうだ・・俺が欲しかったのは・・この感覚だったんだ・・・
 農家の人達を敵に回して、ただ俺だけがお前を守ってやる治してやるっていう感覚が、なんとなくの
 閉鎖感と孤独感を俺に与えてたんだ。
 俺は・・・それが・・・不安だった
 俺が、思っていた以上に、それは俺に大きな影響を持ってたんだ。
 今はまだ、必死にお願いして、頭を下げて、それくらいでしか農家の人達に報いることは出来ない。
 一匹の雷獣を請け出すには、その雷獣に込められた農家の人達の思いに応えるには、まだまだ
 足りないかもしれない。
 だけど俺は・・・・
 
 
 
 そういう俺の未熟さという雷を、狩る気にはもうなれなくなっていた。
 
 
 
 目の前で震えるハクビシンが、俺にはとてつもなく巨大に視えた。
 でも、悪い気は、しなかった。
 頑張ろう。
 いや。
 頑張りたい。
 俺はこんなに、誠実に農家の人に対応出来たじゃないか。
 子供達に、ちゃんとハクビシンのことを説明できたじゃないか。
 そういったことを、当たり前のこととして捉える以前に。
 俺は今、そういった些細なことを、自信に換えていきたいと、そう思えた。
 クロ・・
 俺は・・・今も、正体不明のお前の姿を追い続けている
 雷の落ちる前に暴れたお前が怖くなって逃げ出した、子供の頃の俺のままに。
 
 でも、もう、あんまり関係無いな。
 そんなこと、初めから俺の獣医を目指す動機とは関係無かった。
 
 中原の前にいた、傷ついたハクビシンは、クロではありませんでした。
 『雷獣だったのかもしれんな、クロは。』
 お祖父ちゃんはそう言います。
 そうじゃないのか?
 君の目の前にいる、その一匹のハクビシンが雷獣に視えるかね? 今の君に。
 そのハクビシンは、紛れも無い、ごく普通の野生動物だろ?
 君が求めていたのは、初めから、このハクビシンじゃないのか?
 君が治したかったのは、ただ野生動物だ。
 雷獣は治すもんじゃ無い。
 雷獣は狩って、そしてそれを狩ることで全部解決した気分になる人間の姿を描き出すもんだ。
 そうだ。
 君にとってのクロは、雷獣だ。
 この世にはおりゃせん。
 しかし。
 
 『だが、実際にいたとされたこともあった。』
 
 なにより、雷獣の正体とされる動物は、いつも君の目の前にいるんだろ?
 クロもまたやはり、確かにいたのさ。実体を持ってな。
 
 君の獣医になる動機は、クロには、雷獣には無い。
 だが、その雷獣という理屈を通すからこそ、その実体としてある「なにか」が確かに顕れてもくるのだろ。
 母親のことも父親のことも、みんなそうだろ。
 
 
 『雷と共に消えた獣を追い続ける。
  君なら、ずっと追える気がするがな。』
 
 
 
 頷くまでも、なかったな。
 そんなの、当たり前ですよ。
 いやでも。
 もしあのとき、ハクビシンの入っていた檻の中にクロが入っていたら、俺はどうなっただろう。
 
 うん。
 愚問だな。
 
 クロは、雷獣だ。
 雷獣が、いる訳が無い。
 クロのせいには、雷獣のせいには、もう、しないよ。
 
 
 
 『わからないことばかりだ。
  だから私達は・・・追うんだろうな。』
 
 だからそれでも、俺はまた雷光の中にクロを視る。
 でももう、それを狩ったりはしないさ。
 追い続ける、だけさ。
 クロの雷獣の、正体を、本質を知るために。
 知り続ける、ために。
 
 
 すべてが、またひとつに繋がっていくのを、暖かい雨に打たれながら感じていた。
 
 
 
 
 
 
 以上、第二十話「カミナリガリ」の感想でした。
 かなり妖怪というものの構造を活かした展開をメインに持ってきていたので、読解自体は非常にしやす
 いお話でした。
 こういうお話を観ると、またぞろ妖怪関連の本が読みたくなってきてしまいます。
 今回は思わず感動してしまうようなことでは無く、ただ淡々と描かれていくお話で、こういうときこそこの
 作品の真価を見つけることが出来るのだ、とつい歯の浮くようなことを言ってしまいたくなります。 (笑)
 基本の理屈部分において決して手を抜かないし、むしろ圧倒的に論理的であるからこそ、逆に理屈に
 囚われているなにかの姿を、その一枚外側の輪郭から論じることが出来るのでしょう。
 と、なんだか当たり前な安っぽいことを言ってしまいましたけれど(笑)、正直こうしたあとがき的なことで
 書くことなんてもう無いのですよ、もう充分なんですよ、というか本文で燃え尽きました。 (笑)
 
 ということで、今回はこの辺りにて。
 来週からはこうしたあとがきは省略するかもしれませんし、簡略化するに留めるかもしれませんけれど、
 だからといって私の「もっけ」に対するおもいが薄れたということはあり得ませんので。
 むしろ、余計なことを書いている余裕が無いほどに本文に集中しているのです。
 またハマり過ぎるといきなり一人称の文章に変わってしまう私ですが(笑)、この「もっけ」では出来るだけ
 それを抑えてやっていきたいので、今回のように後半ほぼ全部一人称になってしまっても、次からも
 この路線でいく、ということにはなりません。
 一人称と三人称では書きたいこと違うんですよねー。
 
 それでは、また来週お会い致しましょう。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
                                 ◆ 『』内文章、アニメ「もっけ」より引用 ◆
 
 
 

 

-- 080220--                    

 

         

                           ■■かえすがえすも阿呆にて候■■

     
 
 
 
 
 はい、ごきげんよう、紅い瞳です。
 
 さーて、今日はなにを書きましょうか、とそう考えながら、なにかパクれるものはないかと自分で書いた
 今までの日記のログを漁っていたりして、なにげに読み耽ってしまったり、思った以上にいい加減なこと
 しか書いていなかった自分に絶望したり、まいっかと余裕で流そうとしたり、まぁその、紅い瞳さんも
 色々と大変なのですね、と、そういう風にみんなが思ってくれたらそれだけでもう私は幸せなのにな、
 とか、そういうことを書こうか書くまいか迷った末に気づいたら書いていました。
 
 我が物顔だな
 
 この文章を読んだ明日以降の私は一体なにを思うのでしょうかとおもうだけで、なんだかゾクゾクします。
 たぶん、ゾクゾクします。
 でもきっと、明日も同じことを思うとおもう。
 というか、昨日も思った。
 あれ? 今も同じこと思ってますよね。
 ん? あれ?
 なんだか知らないけれど、綺麗にまとまってしまいましたよ?
 これ、もう終わっても良いですよね? (駄目です)
 
 ・・・・。
 
 今、私の中で、なにか面白いこと言った、今面白いこと言った、なーんてことは全然ありません。
 別に、面白く無い。
 というか、ここ笑うところじゃないから。無視するところですから。
 しかし、ここをなんとか笑えるところに、ここを面白いネタに変えることは出来ないかと、そういうことを考え
 てはいるのです。
 リサイクル!
 さぁ。
 この辺りでたぶん、ここまで読んでくれていた数少ない読者の数はゼロになったかもしれません。
 リサイクル!、とか一体この人はどんな顔しながら言ってるのかなぁとか、そんな嬉しいことを想像しなが
 ら顔を上気させている人なんていないと思います。いたら惚れちゃいます。むしろ愛して。 (私を)
 
 ・・・・。
 
 あっれ。
 なにげにこういう逸脱の仕方はしたこと無いんじゃないのかな? 今まで。
 いえ、微妙な違いなのですけれど、なにかこう、今までと違う。
 ような気がする。
 今、確信した。
 確信しました。
 同じことなんか、書いたことなど無いのです。
 毎回、似てるだけで必ず違うものを書いているのです。
 この世に全く同じものなんて、なにひとつ無いのよ。
 
 
 いや、そういうのはいい。 (心の底から)
 
 
 
 ◆
 
 ネタが無いのを誤魔化す作業だのに、それすら面倒になってきました。
 ていうか、普通に上で自分がなにをやりたかったのかわかりません。この人、どうかしてる。
 うーん。
 話変わりますけど、変えますけど。
 最近、人とマジ話する機会が非常に多い。
 んで、なんか私なんかは、それでもさりげなく冗談交えて自分の知的さを無駄に演出和まそうとしたり
 するのだけれど、この頃スベりまくり。
 真顔で、スルーされた。
 普通に、怒られた。
 ・・・・。
 さして深刻な話でも無いんだけど、私の茶化しが入ると、それがなにかに火を付けるらしく、どかんてな
 ったことさえある。
 
 あれ? 私もしかして空気読めて無い?
 そこは笑わせるところじゃ無かった? まぁ私の場合大概の場合は笑われてるだけですけど。あーあ。
 いや、私の冗談が普通に寒かっただけなのかもしれないけれど、それは考えたくない。 (えー)
 うーん。
 どうも、私の付き合いのある人達の中でも、余裕が無い人は最近結構増えてきたけど、それ以上に私
 自身、そういう人様の余裕の無さに気づけないってところがモロに出てきてるのかな。
 ほら、私って、一度喋り出すと、ガーっていっちゃうタイプだから。
 それで結構イライラさせてるところあるだろし。
 ていうか、あるね。 (数え上げ中)
 うん、それで、だからといって私が冗談を言わなくなるかというと、んなことは無い訳で。
 ていうかあれだね、気づいたら冗談言ってるし、私にとって笑いは空気みたいな?
 まーその空気の温度がしょっちゅうガクンと下がったりするのが、玉にキズ。 (致命傷)
 でも、どうなのでしょうね。
 普通にマジ話展開にも出来るし、別に深刻な雰囲気になるのが怖くて茶化してる訳じゃ無いから、
 出来れば笑いを入れていきたいのですけれどねぇ。
 というか大体マジ話に熱中して喋りまくるのが私ですし。
 うーん、どうしたらいいとおもいますか?
 
 
 
 あれ・・この日記ってこういうの書くとこだっけ? (知らんよ)
 
 
 
 
 ◆
 
 唐突に、今期アニメのOP・EDの私的ランキングー。
 ・・・。
 なんか無性に話題を変えたくなったんです。
 変えたいんです。
 途中からアニメ話への移行をどうしようかと考えれば考えるほどに、そこに辿り着けなくなる感が強くなっ
 てきましたので。
 よくわかりませんけれど。
 
 
 OP編/
 
 1位: 狼と香辛料の
 だって、凄いもの。
 
 2位: ガンスリ2の
 だって、泣けるもの。
 
 3位以下: 大体みんな同じ
 だって、同じだもの。
 
 
 やる気、あります? ていうか、ED編は?
 無いよ。
 
 
 
 
 ◆
 
 OP・EDについては書きたいことがあるのですけれど、書いている途中で時間が時間になってしまった
 ので(過去ログ無駄に読んでたからね)、それと、その途中でひとつ書くこと忘れていたことがあったのを
 思い出したので、その、強引なダイブを試みた訳です。ダイビングヘッドってカッコイイよね。いいえ。
 
 ええと。
 決戦3、結構面白くなってきました。
 やっと1周目クリアして、次は中級編です。
 やり方も覚えたし、今度は最初からがっつり育成とかキャラ集めとか出来そうです。
 ちなみに私は、弓隊がお気に入り。
 基本的に私は飛び道具好き(自分だけ安全圏にいて敵を倒すのがイイ)なので、初めは威力のある
 鉄砲隊をよく使ってたんですけど、鉄砲は誤爆がひどすぎて、敵を撃ってるのか味方を撃ってるのか
 わからないのが愉しすぎて、もといイライラするので、曲線を描き味方を飛び越える形で矢を飛ばす
 弓隊に落ち着いた、という訳です。
 まぁ、ほうろく玉(手投げ爆弾)投げる黒鍬隊もあるんですけど、連射出来ないのがねぇ。
 1周目のときはそこに落ち着くまでに時間がかかったので、弓隊は中途半端にしか育成できなかったので
 、2周目からはガンガンと後方に回って、ネチネチと自分だけ安全に立ち回って後方支援と洒落込みた
 いと思う次第で御座います。
 ・・・。
 そのうち敵部隊に圧倒的に囲まれて討ち取られたりすると、良い感じかもしれない。 (お仕置き的に)
 
 ・・・・・。
 でもそういえば、自分が操作する弓隊以外、よく壊滅してたから点数低かった。
 このゲームは、全部隊の操作をこまめに入れ替えるゲームなのに。
 ・・・。
 一度に沢山のことは出来ないんです、しっかり安全地帯を探して、移動して、狙い撃つことに集中させて
 くださいよ!
 私の狙い撃つ愉しみのために、みなさん散ってくださいよ!
 
 性格出るなぁ、このゲーム。 (煎餅をバリバリしながら)
 
 
 
 ◆
 
 自分の内面と向き合っていたら、もうひとつ思い出しました。
 他にも色々と思い当たるフシとか有りましたけれど、そっちは蓋をしておきました。 (爽やかに)
 信長です。
 信長の野望革新PKです。3月6日に出ます。買います。もうめっちゃ買います。
 さーて、初プレイはどの大名家を使おうかな♪、というのが今私の中で一番ホットな話題です。
 暇ですね、死ぬほど。まぁね、今丁度合間だし。
 
 
 武田信玄説:
 ・御屋形様熱血プレイ。燃えです燃え。武田は鬼のように強いそうですから、敢えて引き籠もって武装
 中立みたいな、そういうプレイもいいかもしれない。
 
 上杉謙信説:
 ・エディットで宝塚にします。上杉は鬼のように強いそうですから、敢えて色々な国に義戦と称して戦争
 を吹っかけてまわり、そして城を落とす寸前に「我の目的は城にあらず。」と言って颯爽と退却してみたい。
 うわ、すっごいウザそう♪ (楽しそうに)
 
 長宗我部元親説:
 ・兵器&水軍王国にして、瀬戸内海に商業圏を築きたい。引き籠もりプレイ万歳。
 
 浅井長政説:
 ・期待を裏切り義兄信長と組んで、忠実に信長に天下を取らせてあげたいという。狙うはアシスト王。
 
 今川義元説:
 ・なんか弓隊が強いらしいし麻呂なので、内政をがっちり固めたのちに圧倒的な大軍で天下取りに乗り
 出すみたいな、そういう雅な感じを演出することに心血を注ぐプレイを希望。技術とか大盤振る舞いで
 周辺諸国にばらまいてあげてもいい。
 
 
 涎出てきた。じゅるり。 (拭け)
 いまのとこ、今川プレイが有力です。
 
 まぁ、そんな感じで御座いますよ。
 イイ感じに歴史感覚がBASARA準拠ですよ。
 
 
 よし。 ←なんの手応えだ
 
 
 
 
 ええと、終わりです。
 うん、おやすみ。
 
 
 
 
 
 

 

-- 080218--                    

 

         

                              ■■狼の言霊は香辛料■■

     
 
 
 
 
 『神様なんて・・・・いつもそう・・
  いつも・・・いつも、理不尽な事ばかり・・・っ』
 

                               〜狼と香辛料・第六話・クロエの言葉より〜

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

-- 誰かが傷つくのを見るのは 辛い --

 
 
 
 
 
 
 
 
 彷徨い続けていた。
 ひとりで。
 それが、長いこと、どういう事であるのかを、わっちは知らなんだ。
 寂しい? 悲しい? なんであろうかな。
 そのいずれにも近しくは無い、この気持ち。
 これは、恐れであろうかや?
 胸が、引き裂かされそう、という訳でも無い。
 苦しさも、なにも感じてなどいなかった。
 石畳の上を滑るが如くに、わっちはただ、闇の中を歩いていた。
 なにも感じぬ、じゃと?
 こんなに、色んなものを見聞きしているというのにか?
 涙が、流れた。
 それを、音も無く拭う指筋が、一本の光の軌跡を描いて闇に舞う。
 走る、走っている。
 動悸が、激しい。
 飾る言葉を、わっちはこのとき、持ち得なんだ。
 とく とく とく
 心臓の脈打つ音が聞こえる。
 なにも、感じぬ。
 そして。
 
 
 
 
 なにも感じぬと、我が脳漿の中に走ったその一筋の言霊の煌めきを・・・
 
 
 わっちは、ついに捕らえたのじゃ。
 
 
 
 
 靴と触れ合う足裏が、しくしくと音を立てて泣いている。
 こんなに、凍えて・・
 急に、寒くなってきた。
 背筋を舐める寒気が、如何なる情愛も持たずに、しかし激しくわっちを叱咤する。
 いや。
 それは叱咤などでは無かった。
 叱咤しているのは、わっち自身じゃ。
 わっちに体など、無い。
 わっちの足は泣きなどせぬ。
 わっちの背は励まされたりなどせぬ。
 わっちが、すべてじゃ。
 足は、背は、すべて、わっちじゃ。
 ロレンスと結ぶ指先が、ロレンスの体温のままにぬくまっているのを感じた。
 不思議じゃ。
 如何なる言葉も、このぬくもりを創り出すことなど、出来るはずも無かったのに。
 追い込まれて、追われて、しかしその恐怖を欠片も感じぬ代わりに、逃げる歓喜にも浸れなかった。
 わっちの紡ぎし言葉は、最後までわっちの胸に希望の光を灯し続け、この暗闇の先を照らし続けて
 おった。
 それはささやかな幸福であり、そして永劫の奇跡じゃった。
 この光は、きっと絶ゆることを知らぬ。
 そして恐らく、長命を誇るわっちは、その光の下から逃れることは出来ぬ。
 だから、言葉を、嘘を紡ぐ。
 その光輝なる闇に続く道の豊穣を、理を携えながら進み続けるために。
 
 だが、わっちは、わっちじゃった。
 
 わっちの耳がの。
 色んなものを、聴き取って、わっちの脳に届けるんじゃ。
 だがな、それはすべてわっちが耳に命じたことであると同時に、命じられた耳も、他ならぬわっちにしか過
 ぎなかったのじゃ。
 とく とく とく
 動悸の激しさが増し、そうなるとな、わっちはな・・・わっちはな、わっちになっていったんじゃ。
 ことりとも、わっちの体達が答えんようになってしもうた。
 どんなに愛おしく撫でさすっても、もうなにも感じてはくれなんだ。
 いや・・・もうわっちは・・・愛おしさすら・・・感じんかった・・
 わっちは、追い詰められていた。
 手を変え品を変え、口車を燃やすほどに言葉を重ね、知らぬうちにわっちはわっちの限界を超えとった。
 耳がわっちに届ける音に、わっちはなんの言霊も感じることは出来なくなっていた。
 わっちのこの瞳は、目の前に広がる光景の意味を、我が脳内に感じさせることが出来なくなっていた。
 ぞくり
 自覚の無い悪寒だけが、広がっていく。
 それは悪寒であるはずなのに、気持ち悪くもなんとも無い。
 ただの寒気との区別がつかぬ。
 わっちには・・・・・わっちしか・・いなくなってしまったんじゃ・・
 みんな・・みんなが・・沢山のことを教えてくれていたのにな・・・
 口の中が乾き、からりと舌が喉に張り付いていく。
 それなのに、わっちはリンゴが食べたいなどと嘯く。
 そうじゃな・・わっちは必死で・・・見栄を張っているだけじゃ・・・
 もうとっくに崩壊しているのに・・わっちは・・わっちの体を失いたくなくて、懸命に我が身を叩き叱咤し続
 けることを止めないだけなのじゃ。
 止めることが、できなんだ。
 
 ロレンスを、これ以上連れ回して良いものか。
 
 わっちはの、優秀じゃ。
 なにせ、神じゃからの。
 だからわっちの能力を以てすれば、ギリギリ以上にロレンスについていく事は出来る。
 どんな孤独に苛まれようと、どんな苦しみがわっちと、そしてロレンスにさえ降りかかろうと、わっちは我が
 賢狼の名にかけて、圧倒的に取り繕うことに全霊をかけることが出来るのじゃ。
 それはもう逞しさを超えた、わっちの勇姿よ。
 じゃが・・
 その勇姿を纏うべき我が背が・・・・なにも囁いてはくれんのじゃ
 わっちはな・・・・それが・・・どうしようも無く、悔しかったんじゃ
 わっちはまだ終わっておらん、わっちはまだ出来ると、わっちはまだ人として・・・・・・・・・
 負け犬になれぬ孤高の狼の遠吠えよ。
 結局わっちは、死に絶えたわっちの体を引きずって、ロレンスに必死についていくために、言葉を紡ぎ、
 そこになんとしても言霊を宿してそれに縋り付こうとすることしか出来なくなっていた。
 敵が襲ってくる。
 よける。
 噛み付く。倒す。
 よけそこね、ロレンスに凶刃が突き立つ。
 わっちの瞳にこそあった真紅が、ロレンスの傷口から漏れ出ていく。
 ミローネ商会がわっちを売ったという言葉が、論理的に嘘だとわかっているのに、動揺を隠せ無い我が瞳。
 リンゴなぞ、絶対に喰えるはずも無いほどに震える喉を必死にさする我が指。
 わっちは・・・わっちはまだ走れる!!
 どんどんと、わっちはわっちになっていく。
 見栄で縫い上げた余裕さえ、消えていた。
 一皮剥くまでも無く、わっちはただあるがままになっていた。
 言霊を、完全に失っていた。
 
 ずる ずる
 言葉の輪郭だけが、わっちを引きずっていく。
 
 みるみるうちに、自分が青冷めていくのを感じていた。
 尊厳もなにも無い、ただ必死に小さくまとまった、悪魔憑きの平凡な女しかここにはいなかった。
 追い詰められ、冷静さを失い、ただ思いつく目先の論理に誘導されるがまま。
 気づけば、行き止まりじゃ。
 笑えもせん。
 嗤いたくもない。
 なにが賢狼じゃ、もうこんなに、なにも見えなくなっておるのに。
 もはやロレンスの方が、当たり前のように賢いではないか。
 いやもう、わっちはそこいらのなまくら犬よりも、まともな判断が出来なくなっておろうな。
 ロレンスから滴り落ちる血を見て、心底震えあがっておるわっちがいる。
 それを不思議とも思わぬ。勿論、当然とも思えぬ。
 どうしようも無く、恐ろしゅうなった。
 その血が、では無い。
 ロレンスを傷付けさせてしまったこと、では無い。
 わっちがこうして、どうしようも無く、なんの変哲も無いことに震えていることが、恐ろしゅうなった。
 わっちがかつて宿した言霊なれば、早速に膨大な口車を回転させ、圧倒的にロレンスを導くわっちを
 此処に呼び出したであろうに。
 わっちは、その言霊の論理を、今もすべて知っておる。
 どうすれば良いのかも、なにを喋れば良いのかも、忘れてはおらぬ。
 なのに・・・なのに・・・・どうして・・・・こんなに震えておるんじゃ・・・
 わっちの力が及ばないなど、露とも思わぬ。
 わっちの智恵がこの状況を乗り切れぬなど、絶対にあり得ぬ。
 その確信があるにも関わらず、わっちは・・
 その確信のままにわっちの全能力を稼働させることが・・・・・もう・・・出来なくなっていたんじゃ・・・
 過去の栄光を、いや、それは過去だけでは無く、今もって出来ることであるとそう理解しているのに。
 なぜ、そう理解した私だけは、此処にはいないのじゃ・・・
 
 
 行き止まりから見上げた青空が、わっちを早う殺してはくれんかと、思い浮かべては、消した。
 
 
 ロレンスのことを頼っている。
 ロレンスのことを導こうとしている。
 なのに、わっちはロレンスの傷口ばかりをな、見つめているのじゃ。
 これがわっちの罪、これがわっちの業、これがわっちの・・・・
 ここぞとばかりに広がっていく怠惰な言霊達が、次々と事態の確認作業を行っていく。
 ロレンスに頼るにしても導くにしても、ロレンスの傷の深さがどれほどかと、血眼になって探っておる。
 愚かじゃ。
 絶え間なく、愚かじゃ。
 逃げることを、公然と考えておるんじゃ。
 傷が・・血が・・・ロレンスが・・
 わっちの脳漿は、無様に裾をからげて踊り出す。
 わっちの卑小を肯定しようと、言霊達がぞわぞわと動き出す。
 もうやめじゃ、ロレンスに怪我までさせて、お前ももう限界じゃろう、もうやめじゃやめじゃ、やめじゃ。
 わっちはその戯言達を、袋小路の上に咲く青空に照らされながら、ぼーっと眺めとった。
 もう・・終わりじゃ・・わっちはこいつらを止められん・・
 ぞわ ぞわ
 いつも通り、言霊達は絶え間なく進化していく。
 ロレンスのために、ロレンスのために、ロレンスのために。ロレンスのためにこそ、身を退け。
 身を、差し出せ。
 
 
 ロレンスがな・・・ロレンスが・・・
 
 クロエの誘いを断り、命を賭けて、わっちを北の森まで連れていってくれると言ったんじゃ。
 
 
 クロエの論理は、完璧じゃった。
 商人としての損得を考えれば、ロレンスはクロエにつくのが当然じゃった。
 そしてなにより、その論理を、その商魂を謳歌し気勢を上げていたのは、他ならぬわっちじゃ。
 クロエの言葉は恐ろしく、また嬉しかった。
 わっちに引導を渡すには、最良の論理だったのじゃから。
 命を賭けてまで、わっちを守る論理はロレンスには無いのじゃ。
 自らの言霊のままに動け、それが正しいのだし、だからこそ・・・
 そう・・言霊があったからこそ、わっちこそがあの孤独の森から抜け出すことが出来たのじゃから
 間違ってはいない、クロエの論理も、それにひとつひとつ頷いていくロレンスも・・全く、正しい
 そして、ロレンスが頷くたびに、なんの飾りも無く血の気が引いていくわっちだけが間違って・・・・・・・・
 
 
 
 
 
 
 なんで・・・こんなに・・・・・・・・・・・・
 
 
 わっちは・・・・・・頷きながら・・・・・涙を・・・・堪えて・・・・
 
 
 
 
 
 
 わっちが、ロレンスの頷きに引きずられながら、この愛した牙で噛み殺したものはなんだったのか。
 駄目じゃ、そんなことを考えては。
 駄目じゃ、駄目じゃ駄目じゃ!!!
 わっちは、クロエとロレンスの論理に従う。
 この行き止まりの袋小路の翳す、死に至る蒼穹のままに、わっちを葬っておくれ。
 わっちは、わっちを・・・わっちを・・・・
 わっちは・・・わっち・・・
 今のわっちがこのわっちなら、わっちはもう紛れも無くこの罪深な言霊にこそ身を委ねよう。
 まさに、裁定じゃ。
 誰が誰を裁くのかも、もはやはわかってはいないのに。
 ひとりだけ、震えて蹲っているだけなのに。
 賢狼ならば、ほんとうに賢狼ならば、わかるはずなのに。
 この、姿に。
 今、これから、私がやりやろうとしていることがどういうことかを・・・・
 
 だが、そのとき賢狼は、確かに、いなかった。
 
 
 
 だから、震えは圧倒的に収まった。
 
 あくまでロレンスが、自らの意志を具現するための言霊に身を委ねるのなら。
 わっちは、そのロレンスの言霊にこそ、身を委ねよう。
 商人としての損得を考えるならば、商人として交わした契約を果たしてこそ、それはより有益になると、
 ゆえにわっちを北の森に連れていく契約を果たすというロレンスの論理。
 わっちはその、ロレンスの言霊に導かれよう。
 嬉しくはなかった。
 悲しくも悔しくも無かった。
 戯けた顔でこのバカモノとツッコミを入れることもできなんだ。
 ただ、一瞬、驚愕した。
 わっちが描いていた言霊と違う言霊が示されたから。
 わっちのこの驚きを説明するに、それ以外の言葉を持ち得なかった。
 そう、持ち得なかったほどに、わっちは冷静になっていた。
 静かに、冷たく、どうしようも無く。
 すべてを、失って。
 失っていることもなにも感じずに次に自分が行うことを思い描きなぞり続けることだけにすべてを賭けて。
 次は、わっちの言霊を示す番。
 なんの感慨も、意志すらも無かった。
 あるのは言葉だけだった。
 論理だけだった。
 いや、確かにそれは意志を持った言霊であるはずだった。
 だがわっちはそれを一切感じ取れなかったし、感じ取ろうともしなかった。
 だから、それはただの言葉であり論理。
 わっちは・・・逃げとりゃせん!!
 わっちは・・・・・・
 わっちは・・・・賢く、醜く、弱く、どうしようもない・・・・残忍で・・・どうしようもなく・・・・罪な狼じゃ!!
 だから最後に・・・もはやなにも取り繕えぬ、無様な見栄を張らせてくりゃれ・・・
 
 すべては、ロレンスの言霊のために
 
 
 
 『我慢してくりゃれ・・・・』
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 −− 目にみえぬ涙が 確かに一瞬 みえた −−
 
 
 
 
 
 
 
 










 
 
 
 
 
 
 

 『 も う ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ み な い で く り ゃ れ 』

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 この浅ましき姿を、みないで・・・
 荒ぶるままに逃げおおせ、敢然と立ち竦みながら勝ち鬨を上げる。
 雄大なる体躯を翻し、本性を剥き出し正義を叫ぶ。
 ああ・・・ああ・・・・・・なにもかも終わりじゃ・・・・
 これだけの自信と自負と自愛に充ち満ちた、完璧なるままに愚かなる巨大な狼の姿。
 ただ暴れたいだけじゃ。
 そのためにのみ、言葉を覚えたのじゃ。
 そのためにのみ、生きながらえたのじゃ。
 人の子を喰ろうてやる。
 人の正義を喰ろうてやる。
 我が血肉とするために、我が脳漿のひとひらと成すために。
 浅ましや・・
 ロレンスの論理の皮を被り、その言葉を纏った膨大な愚の化身。
 ロレンスに恩を返したいか。
 ロレンスをただ守りたいか。
 ロレンスに魅せたいか。
 もう逃げられぬ、もう逃げられはせぬ。
 『もうよい!』
 その高らかなる負け犬の勝ち鬨が、淫らにわっちの耳をぶち破っていく。
 聴きとう・・・・なかった・・・
 ロレンスの血を啜ったわっちは、ただ無防備な神となった。
 ただの、ただの、狼神に。
 麦か、血か。
 わっちは、麦を選んだはずなのに・・・
 わっちは、その選択を迫られることこそ、愛おしかったはずなのに・・・・
 麦を・・・選び続けたかった・・・ただ・・ただ・・・・・・・・・ただ・・・そう・・願い続けて・・・・
 
 
 なのに、その願いを支え続けた言霊こそが、この願いを喰い破ってしまうだなんて。
 
 
 どうして・・どうしてじゃ・・・どうしてわっちはこんな言葉なんぞ・・
 これが、わっちの本性。
 そう自虐的に囁く嘴すら生えてきそうじゃ。
 わっちは・・・・
 わっちの求めたものを・・・求めることを全うできなんだ
 そして最後に、今までわっちが求めたものをなによりも侮辱する形で踏み躙ってしもうた。
 なによりも嬉しそうに躍動する、我が貪婪なる巨体。
 浅ましい、浅ましい、浅ましい、そう唱えながらも凶暴なるままに蹂躙する。
 なにを?
 わっちの求めたものを。
 わっちの歩むべき道を。
 わっちの・・・・言葉を
 
 
 唐突に。
 
 
 荒ぶる狼の前で、その理不尽を詰る涙が、はっきりとみえた。
 
 
 
 わっちが理不尽・・・・?
 違う・・わっちは理を尽くし過ぎて、理に喰われて・・・・・・・
 
 
 だから、気づいたのじゃ。
 
 わっちは、自らが愛し求めてやまぬものを自ら蹂躙し続けている理不尽に。
 理で以て、わっちはわっちを壊していたんじゃ。
 
 
 走れば走るほど、言葉を重ねれば重ねるほどに、重く、気づいていった。
 牙を剥き、その迸る言霊のままに、すべてを喰い尽くさんとしていた。
 真っ先に喰い尽くされたのは・・・わっち自身じゃ・・
 言葉しか、無うなってしまった。
 それでも、求めてやまないことがあった。
 言葉でしか勝ち得るものであるのならば、言霊でしか顕現し得ぬものであるのならば、私はただ言葉を
 尽くし言霊に身を委ねるばかりじゃった。
 だから、言霊に喰われよった。
 わっちの身に顕れたのは、論理としての構造それだけじゃった。
 わっちの体を言葉で象り、それぞれの部位の名に込めた言霊で以て、無数のわっちをこの身に感じて
 いた。
 
 わっちは、わっちでしかないのに。
 
 
 
 
 わっちは、わっちであって良いのに。
 
 
 
 
 寒い。
 寒くてかなわん。
 腹が空いた。
 リンゴが喰いたいのう。
 なぜじゃろう。
 全く、素直にそうは思えんのじゃ。
 不思議じゃ。
 もの凄く、不思議じゃ。
 しかし・・・・
 なんだか・・・
 
 薄い艶やかな気分が、今、我が背をすっと舐めていったのじゃ。
 
 不思議じゃが・・・・その不思議さは今はなぜか・・・・悪い意味では無いような気がする・・
 なぜじゃろう、気分が無性に悪い。
 体中、あちこちが痛む。
 痛くて、痛くて、ひとつひとつの痛みと会話する余裕など欠片もありゃせん。
 ふふ、そうじゃ。
 わっちは、わっちが感じるただひとつの巨大な痛みによって、わっちというたったひとつの巨大でちっぽけな、
 そんなわっちをみつけたんじゃ。
 わっちは今、わっちを感じぬほどに、ただわっちじゃった。
 痛い。
 痛くてかなわんが、しかし・・・
 
 
 その痛みの、さらにその上に、蒼く澄み切ったわっちがいるのを、爽やかに感じているんじゃ。
 
 
 なにも感じん。
 清々しいほどに。
 なにもわからぬ。
 愉快なほどに。
 わっちは、言葉を失った。
 沈黙なるままに、ただ生を、わっちのままにわっちを貪った。
 腹が、満ちた。
 喋り尽くして、くたくたになった体を、この世界の豊穣が癒していく。
 リンゴはわっちを食欲地獄に堕とす悪魔であるが、しかしわっちに再生の力を与える天使でもありんす。
 なぜじゃろうな。
 境目が、わからぬ。
 わっちはただケダモノなるままに走り抜けただけじゃのに、一体いつからこの逞しき悪寒がわっちをこの世
 界の豊穣に戻したのかのう。
 気づいたら、わっちは倒れておった。
 豪快に、高鼾をかきながら。
 阿呆が。
 この・・・・・・・・・・阿呆が・・・
 嬉しくて、その勢いで溢れていた涙がすべて瞳に戻ってしまったぞ。
 あんなに失い得ぬはずの血をみたその瞳には、いつしか紅が戻っとった。
 まるで、紅く豊かに熟れたリンゴのような、その鮮やかな瞳が鏡に映っとった。
 なんじゃ・・この腹が立つほどに艶のある毛並みは
 耳もこんなにピンと立って、気が狂いたくなるほどに、この体は元気じゃった。
 
 
 そして、当たり前のように、この牙を隠し持った口は、言霊を嫋々と垂れ流しておった。
 
 
 まわる、まわる。
 わっちの脳漿が、朝日を浴びるままに回転する。
 自らの描いた言葉を実現せんと画策する。
 言霊と戯れる狼が、御者台をぎしぎしと揺らしとる。
 今日も、良い天気じゃ。
 旅立ちの装いをひとつひとつ抱き締めながら整えて、すらすらと残りの銀貨を指で数えて。
 
 さて、足りぬは、あとなにかや?
 
 決まっておる。
 なんだか知らぬが、決まっておる。
 わっちは無性に知っておるはずじゃが、わっちは知らぬ、存ぜぬ。
 ここぞとばかりに、なにもわからぬ無知で純な乙女のままに。
 まぁ、実体は手ぐすね引いて獲物を待つ魔性の雌じゃがな。
 しかし、それは全部、お預けじゃ。
 そのまえに。
 そのまえに。
 
 
 
 この、わっちの前に立っている、大衆の面前で阿呆の如くに突っ立つ半裸の男をどうにかせねば。
 
 
 
 そして、どうするかも、もう決まっておる。
 だが、わっちは知らぬ、存ぜぬ。
 なにもわからぬ。
 なにも感じぬ。
 そよそよと、風が白々しく、豊かに流れているのを感じた。
 あっさりと仕込んだ策略に、これまたあっさりと引っかかったこの男をどうしてくれよう。
 逆に、困るの。
 ぞく、ぞく。
 背筋が震えるままに、落ち着いていく。
 困った眼差しで、差し伸べられた手を見つめていく。
 もう、するべきことは全部決まっている。
 だがわっちは。
 もうそれを、そのままに演じられた劇中の人物になんぞ、決してならぬ。
 わっちは、その役を演じてみせる。
 わざとらしくさりげなく、意外な風を装いつつ、自ら書いた台本を、その場で書き換えながら演じていく。
 そう、書き変えた内容は、書き換える前と全く同じじゃ。
 だがそれは、ただなぞっただけではありんせん。
 それはすべて、わっちが受け入れ抱き締めた、わっちのおもいそのものとして還元されるのじゃ。
 
 仕方ないのう。
 
 
 
 『北の森まで取り立てに来られてはかなわんからの。』
 
 
 
 わざとらしく、しかしなにより真摯に困った顔をしつつ。
 
 わっちはほんとに困っておるんじゃぞ。
 
 そして。
 
 
 『帰るのは、借りを返してからじゃ。』
 
 
 
 
 わっちの物語は、まだ終わっとりゃせん。
 
 だから、それを綴るわっちはまだ、これからも旅を続けていく。
 
 いやさ。
 
 
 
 これが、新しき旅立ちなのかや?
 のう、ロレンス?
 
 
 
 我が名はホロ。
 賢狼じゃ。
 そして。
 
 その神を演じる、ひとりの狼じゃ。
 金を香辛料に換えて高値で売り飛ばす男と共に、この道を、わっちは語りそして生きていく。
 
 
 
 さぁ、次の儲け話はなにかや? ロレンス。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ◆ ◆
 
 最高ですね。
 最高。
 
 ホロは揺れ動いていますよね、滅茶苦茶。
 というより、揺れ動くというモノそれ自体がホロだと言ってもいいかもしれません。
 前向きになったかと思えば圧倒的に後ろ向きになったり、否定したものを肯定したりまた否定したり。
 でも、それらはホロという主体を通すと、全く矛盾無くひとつのモノとして敢然とその姿を顕します。
 矛盾するのは、論理だけ。
 ホロは、それに気づく。
 そして、その論理を矛盾させないためにも、ホロという主体をその論理に沿って動かしてしまえば、確かに
 論理上の矛盾はきたさずには済むかもしれませんが、しかしホロが感じている自らの総合としての存在
 については、どうしようも無い矛盾をきたしてしまうのです。
 わっちはいつのまに、自分で自分の求めるモノを壊すようになったんじゃろか・・
 自分が求めるモノを圧倒的に求めることのためにこそ論理があり、論理の整合性を整えるために目的
 を果たそうとするのでは無い。
 ホロはいつのまにか自分が理屈の辻褄を合わせることだけに奔走する自分、そして自分がそうなって
 いることに全く気づけていない自分にこそ、気づくのです。
 おかしい。
 これは、自分がなにかわかるとかわからないとかよりも、遙かにおかしいことじゃ・・
 どうしようも無く求めるものがあるからこそ、それを手にするためにこそ論理はいくらでも矛盾を抱える。
 しかし、その矛盾を抱えることを恐れる心が、どうしようも無く求めることをやめようとする逃避と結びつい
 たとき、それは恐ろしいケダモノとなってその姿を顕すのです。
 自分が逃げるために、怠けるためにこそ、論理に身を委ねる豹狼。
 いえ、それはむしろ逆に、論理に身を委ねるばかりになるということが、イコール逃避であり怠慢であると
 も言えましょう。
 
 ホロは、自らの求めるモノへと至る旅に、疲れを果てしなく感じていました。
 どうしようもなく。
 孤独に耐えるは容易いが、孤独を脱すは至難の業よ。
 いつしか、孤独に耐えるばかりになってしまっていたホロ。
 歯を食いしばりながら唱える論理だけで、美しくそしてなによりも醜くなってしまったホロ。
 ただただ、あの白銀の大地から抜け出して、豊穣の世界の中に生きたかっただけなのに。
 そのホロのおもいが、今回のお話で、ズバ抜けて伝わってきました。
 なんでじゃ、なんでなんじゃ。
 そのことを言葉で描くこと無く、ひとつひとつのロレンスを見つめるそのホロの瞳で語って魅せた。
 目は口よりモノを言う、そして、そのホロの浅ましき姿こそ、なにより今回のお話の主題を見事に描き切
 ってみせた。
 何かと長台詞が多いこの作品ですけれど、その言葉自体でなにかを描き出そうということはあまり無く、
 むしろその表情なり仕草なり、そして言葉を挟むタイミングなりでそれらを描いています。
 そして、最終的にはいつも、笑顔。
 お約束、であり、ハッピーエンドありきの物語。
 そのご都合主義的展開に論理の矛盾の姿を見込むことは出来れども、しかしホロが求めるものはなに
 かと考えて見つめていけば、自ずと「狼と香辛料」という作品が描くべきはなにかなのかがわかってくると
 思います。
 そう。
 この豊かな世界で、稼いで、稼いで、ハッピーじゃ♪ と笑うホロを、ですよね。 (笑)
 そして。
 そのためにこそ、そういうホロがいるからこそ。
 やっぱり、言葉は、論理は、そのホロの口先に舞い戻ってくるのですよね。
 また語って騙り尽くして、そしてまたそれに喰われてしまっても。
 それでも、明日はやってくる。
 ・・・。
 前にも同じまとめ方をした気がしますけれど、気にしません。笑顔。 (笑)
 
 それでは、今週も良き狼の笑顔を胸にしつつ、この辺りにて。
 また来週、お会い致しましょう。
 
 
 P.S:
 マールハイト支店長がスベった。 もうなにもいらない気がした。(ぉぃ 笑)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
                              ◆ 『』内文章、アニメ「狼と香辛料」より引用 ◆
 
 
 
 
 

 

-- 080215--                    

 

         

                                 ■■ 蹴りのいる瞳 ■■

     
 
 
 
 
 『とにかく、憑かれてもそれに負けない精神力を持て。それが胆力に繋がる。』
 

                            〜もっけ ・第十九話・髑髏に宿りしモノの言葉より〜

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 瑞生は、強くなりたい。
 心身共に鍛えて、モノに憑かれても負けない自分になりたい。
 無論、ひとりの人間としても強くなりたい。
 では、なぜそう瑞生は願うのか。
 それは。
 お姉ちゃんに、喜んで貰いたいから。
 
 瑞生は、柔道を習い始めます。
 前回での「バタバタ」の薫の影響から柔道に興味を持ち始め、そして薫よりも強くなれたら、お姉ちゃんに
 喜んで貰えるかもしれないとそう考えます。
 しかし、速攻で怪我をしてしまいます。
 しかも、静流が予備校の合宿で留守にしている間にです。
 静流がいないときは、瑞生としてはとても不安です。
 モノに対する不安もあり、またその不安を共有してくれる同志としての姉の不在もあり、それが瑞生の
 心を捕らえて放さない。
 けれど、だからこそ瑞生は自分がそうであることをなによりも自覚し、よし、だったら気合いだ、とばかりに
 むしろ静流がいないからこそ、自分ひとりでも頑張れることを証明してやると意気込むのです。
 
 これはピンチじゃなくて、チャンスなんだ!
 
 朝起きて隣に姉がいないことに一瞬激しい不安を覚えつつも、しかしその不安に対する圧倒的反撥心
 のままにはね起きて、そうして実際ひとりで起きて立っている自分の感触に満足し、そのままの勢いに
 乗って飛び出せた。
 瑞生のその充実感は、果てしない。
 しかし、怪我をしてしまったのです。
 その充実感、その勢いこそが、その瑞生の背伸びこそが、瑞生の鎖骨にヒビを入らせたのです。
 その瞬間の瑞生のおもいは、実にこのひとつに集約されるのです。
 やっちゃった・・・
 よくよく考えたら、お姉ちゃんに余計な心配をかけさせないために、そして自分ひとりでもちゃんと出来る
 ということを示したかったのに、怪我をしてお姉ちゃんに心配させる事になっては元も子も無い。
 自分が懸命に振り絞った勇気こそが、この怪我を招いてしまったなんて。
 
 電話にて、静流に『もう、瑞生は負けず嫌いなんだから。』と言われて、深く傷つく瑞生。
 
 なんのために、私頑張ったんだろう・・
 頑張らなければ・・良かったのかな・・
 負けるのを嫌って踏ん張ったのは、お姉ちゃんに喜んで貰うためだったのに・・
 でも同時に、それはただの瑞生の勝手であることも認識してもいる。
 そうだよね・・負けず嫌いなのが悪いんじゃないんだよね。
 『負けちゃった上に骨折られちゃ世話無いわよね。』
 そう道場の先輩に言われてむかっとする瑞生ですが、しかしその事を瑞生自身も深く認識しています。
 お姉ちゃんだって、私が怪我をしてまで強くなって欲しいだなんて思ってはいないはず。
 お姉ちゃんは、私が強くなれば喜んでくれるけれど、それよりも私の身を心配してる。
 だからって、私がそれを不満に思うのは、筋違いな気もするんだ。
 私はただ、怪我をしなくても負けないように、そうして頑張れば良いだけなんだもん。
 私はそれが上手く出来ないから、その出来ないのをお姉ちゃんのせいにしようとしてるだけ。
 次に繋げるための「負け」も必要だと道場の先生(師範?)に言われて、素直に頷ける瑞生。
 そうだよね、そうだよ。
 私は刹那的過ぎたんだよね。
 なんのために強くなるのかを、忘れちゃってたんだ。
 強くなるために強くなるのい、勝つことを目的にしちゃってたんだ。
 負けたくない、って気持ちは大事だけど、それが全部になっちゃったら・・・
 そう・・こうなっちゃうんだ。
 
 
 そして、この絶対的闘争心の否定こそが、瑞生にモノを憑かせることになるのです。
 
 
 
 ◆
 
 瑞生は、うっすらとそれでも感じています。
 負けたくないって気持ち自体が悪いなんてこと、ある訳無いじゃん、と。
 そして、それはひとつの魔を呼び寄せます。
 私は・・・お姉ちゃんに縛られてるのかな・・・
 それは絶対に言葉に出来ないことであり、無論瑞生は絶対にそんなことを意識にのぼらせたりはしない。
 しかし、その分、「モノ」は動く。
 瑞生は、髑髏の模型に宿ったモノと出会います。
 ああ、私、なんか感じてる・・
 瑞生は、そう感じています。
 自分がこういうモノと出会うときは、私自身になにかあるんだということを、もう瑞生は学んでいます。
 しかし、なにを感じているのかまではわからない。
 髑髏は言います。
 お嬢ちゃん、憑かれやすい体質だろ?と。
 お嬢ちゃんは、心に隙があるな、と。
 瑞生には強い一面がありますが、しかし同時にその一面に振り回されている面もあります。
 自分の強さが信じられず、いえ、「強さ」という存在そのものに対して、否定を以て接してしまったり。
 自信が無い訳では無いのです。
 ただ、自分が自信を持って生きている事自体に、自信を持てないのです。
 自分の強さを否定するべきでは無いのであるにも関わらず否定してしまったりと、それは同時にその強さ
 がもたらす弊害とは向き合えていない、ということの証でもあるのです。
 強いだけじゃ駄目なんだよね・・・強いだけじゃ・・・
 そのおもいは常にじわじわと瑞生を強迫し、そしてそれに頷くことが出来れば出来るほどに、瑞生はそん
 な自分を突き飛ばしたくなってしまうのです。
 強くならなくちゃいけないって、そう無理矢理考えてる私しか・・いないや・・・
 
 そう。
 瑞生は、自分が強さを求めることに、強い動機と実感を持つことが出来ていないのです。
 
 なんで私・・強くなりたいんだろ・・
 お姉ちゃんに心配かけたくないから?
 お姉ちゃんの手を煩わせたくないから?
 お姉ちゃんお姉ちゃんって・・・結局お姉ちゃんなんじゃん・・・
 なんだかんだいっても、自分の責任だって勝手だっていっても、そこに行き着いちゃう。
 好きで強くなりたいんだって言っても思っても、それを支えているのはお姉ちゃんの存在。
 私は・・・お姉ちゃんがいなければ・・お姉ちゃんへのおもいが無ければ・・・強くなれないのかな
 
 『真の強さは、眼力にある。』
 
 髑髏はそう言い、しっかりと俺と向き合えと瑞生に言います。
 お嬢ちゃんはな、自分に負けてる。
 そうさ、姉がどうこうという、そういった自分の中にある姉のせいにする心を批判するのは良いが、しかし
 肝心のその批判そのものへの思い入れを欠いているんじゃ。
 なぜ、静流のせいにしてしまうことを批判するのか。
 それが論理的に倫理的に正しい批判だから?
 そう批判するべきだから?
 瑞生を捕らえているものは、「理屈」なのです。
 極論すれば、戦うことに理由を求め過ぎているのです。
 なぜ、強くなろうとするのか。
 知らないよ、ただ今強くなりたいっておもってるからだよ。
 本当にそう願っているのかどうかとか、そう願うことがどういう意味を持つのであるのかとか、そんなことは
 実はその強くなりたいというおもい自体の価値そのものとは結びつかないのです。
 強くなりたいんだから、強くなりたいんです。
 それ以外の理由は、あくまで「理屈」にしか過ぎないのです。
 そのただ純粋無垢な主体的「動機」を、瑞生はなかなか持ち続けることが出来なかったのです。
 あまりにも、その「動機」だけではいられない、という不安が大きすぎたためにです。
 瑞生は、自分にだって度胸くらい、胆力くらいあるよ、と言いますが、しかしその度胸のまま胆力のまま
 に行動すること自体に自信を持ててはいないのです。
 無論、そうした「理屈」を以て色々な角度で自分を見つめていくことは重要ですし、その「動機」しか
 無くなってしまえば、今度はそれに憑かれるだけとなってしまいます。
 憑かれること自体を肯定することは無い。
 しかし、憑かれることから目を背けていれば、元も子も無い。
 
 瑞生は髑髏に、胆力をつける訓練をして貰い、そしてそれなりの成果を得ていきます。
 それは例えば、髑髏に憑かれ操られ、そして自分で自分を殴ったときに、反射的に『なんだこの!』と
 髑髏を蹴り飛ばす蛮勇を瑞生は示すようになります。
 以前ならば、瑞生は髑髏を蹴り飛ばす事は私にだって出来るんだぞ、とおもいつつも、でもそれが出来る
 からこそ私はこの髑髏と向き合い対話していきたいんだ、とそう言い、ひとつひとつ自分が髑髏に憑かれ
 ているということがどういうことであるか、そしてそれでも髑髏を蹴り飛ばすということはどういう事かを考え、
 そして結局それらをすべて解決する能力が無いゆえに行き詰まり、そして最後には自分と髑髏を呪って
 しまう。
 が、瑞生は特訓の結果、なにも考えずに「こんちくしょう!」の一念で髑髏を蹴り飛ばせたのです。
 勿論、実際に蹴り飛ばすということそのものが正しい訳では無いです。
 ただ、主体はどこにあるのかという意味でなら、少なくとも自分が「憑かれている」ということそのものが
 問題であるという認識に立ち返り、ていうか私にくっつくな鬱陶しい! という一番主体的な感覚を
 しっかりと自覚し、またそれを実際に行動に移す覚悟を持つこと、というのがなによりも重要なことなの
 です。
 わかりやすくいえば、私はやれば出来るんだと言っているだけでは駄目、ということなのです。
 気づいたら、もう出来なくなっていたとしたら、元も子も無い。
 逆にいえば、出来るものがあると思えるのなら、それらはすべて実行に移して、その結果を身を以て
 体感する必要があるということです。
 それで出来ればよし、そして出来なければ、そのときこそ自分のそのおもいの意味がわかるのです。
 そっか、私、私から逃げてただけなんだ、と。
 本当は私、なんにも考えずに蹴り飛ばすことなんて出来なかったんだ。
 でもその事が怖くって、それを隠すために、私は出来るけど実際にそれをやっちゃったら色々困るはず
 だから、だからやらないでも済む方法を考えていこう、いかなくちゃいけないんだってそう思ってたんだ。
  そして、瑞生はその方法論にこそ喰われてしまっていたのです。
 自分が囚われている「理屈」を、理屈抜きに蹴り飛ばす、それは実は瑞生の主体性を示し、そして
 なによりも瑞生にとっての「普通」の在処を明かしてもいるのです。
 そうだよ、私はただ強くなりたいから強くなるんであって、他の理由なんかは全部後付けだったんだ。
 
 そして、髑髏は瑞生に最後の試練を与えるのです。
 
 瑞生は、今度はその自らの蛮勇とこそ向き合わなくてはならないのです。
 自分の思うままに行動して、感じたままに蹴り飛ばすということ、それ自体に憑かれるだけになっては
 しまわないかどうか。
 髑髏は、瑞生の向き合っているモノそのものです。
 そして、瑞生は理屈抜きで、主体的にそれに蹴りを入れた。
 しかし、今度はそうして自分の向き合っているモノを、ただ蹴り飛ばすだけという、その主体だけでしか
 無くなってしまうのは、今度はそうした自分の姿との対面から逃げていることになる。
 髑髏は今度は、そうした形で瑞生の前に顕れるのです。
 お嬢ちゃん、蹴り飛ばすのもいいが、俺が本気だせばお嬢ちゃんのキックなど痛くもなんとも無い。
 馬鹿だな、お嬢ちゃん。
 これは俺の作戦だよ、見事に引っかかった訳だな。
 理屈もなにも抜きにして、ただ主体のままになんでもスカっと蹴り上げることで、確かに胆力はついたし
 自分のブレは消えたかもしれんが、そうなってしまえば、お嬢ちゃんは今度はそうすることしか出来なく
 なっちまってるんだな。
 さぁて、お嬢ちゃんに、今の俺を蹴り上げることが出来るかな?
 もうお嬢ちゃんは、誰に対しても蹴ることしか出来ないだろう?
 でもそれが通じるのは、お嬢ちゃんより弱い相手だけ。
 自分より強い相手には、もうお嬢ちゃんはなーんにも出来なくなっちまってんのさ。
 ふふふ、以前は理屈とか言葉とか色々武器はあったのになぁ、ふっふっふ。
 ほぉら、お前から理屈や言葉を取ったら、その姉を絞め殺そうとする汚い手しか無いのだぞ。
 さぁ、どうする?
 
 
 そして、瑞生はその髑髏の仕掛けたすべての罠にこそ、豪快に蹴りを入れるのです。
 
 『お姉ちゃんに、触るなぁっっ!!』
 
 
 突き詰めれば、瑞生の心の底にあるのは逃避です。
 なんにも考えたくなくて、ただ自分の欲望のままに行動したいという、そのおもい。
 しかし、目の前に誰かがいるからこそ、静流がいるからこそ、色々とそれと触れ合いを通して自らに
 制約を課していく、
 だったら、静流を、お姉ちゃんを殺せばいい。
 瑞生がどんなに「理屈」でその姉を殺そうとすること、自分が目の前のモノから逃避しようとすることを
 叱りつけても、それはただのポーズにしかなりえない。
 静流が其処にいるから、お姉ちゃんがいるから、仕方なく姉を殺してはいけない、逃げてはいけない、
 という理屈を唱えるだけなのならば、それは肝心のその殺意と逃避のおもいそのものと向き合っている
 ことにはならず、かえってそれを隠蔽し結果的にそれを推進していることにも繋がってしまうのです。
 姉を殺すことを、自分が逃げることを否定すればするほど、静流の首に巻き付く瑞生の手の力は強く
 なっていく。
 髑髏に向かって放せ!放せ!と言っているとき、瑞生の瞳は確かに憑かれた色を湛えていた。
 なぜなら、その瑞生の叫びは、姉を殺してはいけない理由を、そうしてはいけない論理や倫理に委ねて
 いたからなのです。
 静流に対して瑞生が抱いているモノは、本当はそんな程度のモノでは無かったはずなのです。
 打算やなにかで、静流のためにあんなに頑張ろうだなんて、本当は思ってなどいなかったのです。
 だから、最初の瑞生の蹴り的叫びは髑髏に全く通じなかったのです。
 お嬢ちゃん、今の蹴りは頂けないなぁ、まだまだ、わかってねぇな。
 蹴るもんが、違ってんじゃなぁ、どんなにキック力があってもな。
 そう。
 
 瑞生は、静流のために、静流を安心させるために強くなろうとしたのじゃ無い。
 瑞生はただ、大好きな静流の笑顔がみたくて、ただただ頑張ったのです。
 なによりも、お姉ちゃんの笑顔をみて嬉しくおもえる自分を知っていたからこそ、なのです。
 
 だったら、この手を離せっっ!!
 
 瑞生は、髑髏の取り憑いた自分自身こそを、豪快に蹴り上げたのです。
 お姉ちゃんの首を絞めてるのは私、お姉ちゃんを苦しませてるのは心配させてるの私。
 そして、お姉ちゃんを笑顔にするのは、そしてなによりも、お姉ちゃんの笑顔をみるのはこの私!
 誰が、お姉ちゃんを殺すもんか!!
 瑞生が強くなろうと頑張ったのは、ただただそれだけのこと。
 だったら、蹴り上げるべきは、姉への殺意でも自分からの逃避でも無い。
 それらにしか辿り着けない論理や倫理こそを、蹴り上げるべきだったのです。
 ほうっておいても、論理や倫理は次々に瑞生には湧いてくるのです。
 だから瑞生に一番必要だったのは、それらに対する明確なチェック機構だったのです。
 私はお姉ちゃんが大好きだから、だから頑張ってるんだ。
 なのに、理屈としてはあってても、その一番の根本から外れてるモノなら、それは全部蹴っ飛ばさなくちゃ
 いけないんだ。
 そして、勿論、お姉ちゃんは蹴っ飛ばしていいモノじゃないんだ。
 だって、お姉ちゃんの存在は、論理でも倫理でも無いんだもん。
 
 
 『奴らは居んのが当たり前。』
 
 
 だったら、私が此処にいるのも当たり前。
 私の目の前にあるモノから逃げようとするのが当たり前なら、それを否定しようと必死に理屈をこねるの
 も当たり前。
 そして、きっと。
 そういうの全部関係無しに、私はもう此処にいるんだ。
 だって、そうしなくちゃ、私はいずれお姉ちゃんを、世界を壊しちゃうもん。
 私は、理屈で出来てる訳じゃ無いんだからね。
 理屈通り完璧に動ける訳無いし、それにだから完璧に動けなくちゃ、逃げるしか無くなるとか、逃げなく
 て済むためにお姉ちゃんを消しちゃうとか、そんなの全部ほんとは嘘っぱち。
 理屈は理屈にしか過ぎないって、本当にわかってる? 私。
 わかってなかったんだよね、きっと。
 わかっているといいつつ、いつのまにか私はお姉ちゃんを・・・
 
 それを、あの髑髏が教えてくれたんだ。
 
 だから私は、目一杯蹴ってやったんだ。
 
 どんなに心血を注いで築き上げてきた理屈であっても、それで自分をすべて切り盛りしているのなら、
 その理屈は既にその存在価値を失ってしまっている。
 その理屈に合うか合わないかで取捨選択を始めれば、きっとなにもかもわからなくなる。
 いいえ。
 なにもかもわからなくなるという、そのどん底こそが、圧倒的にその「理屈」の現在の姿を瑞生に示して
 魅せたのでしょう。
 静流の首を絞めているときの瑞生は、今まですべて自分がやってきたことの喪失に囚われていました。
 自分の築いてきた理屈や言葉が確かに在り続けていたからこそ、これまで瑞生はどんなに追い込まれて
 も立ち直ることが出来ていた。
 それは、それら理屈や言葉という「自分」が揺るぎ無くあったからです。
 しかし、今回髑髏によって、そのその揺るぎないはずの「自分」の存在がどうしようも無く嘘であることを、
 完全に暴き立てられてしまったのです。
 お嬢ちゃんは自分のことを肝が据わってると思ってるだろうが、どうだかね。
 無論、その髑髏は瑞生自身なのですよ。
 瑞生自身、自分の強さが本質的には揺らぎまくっているのを知っていたのでした。
 私はただ、自分で創り上げた「自分」にしがみついてるだけなんだよ・・・
 私自身は・・・全然強くないんだ・・・・それを・・・私はばっちりわかってしまっている・・・
 そうであるからこそ、「自分」のままに強くあることは出来ても、同時にそれにしがみついているだけの
 「私」を感じずにはいられないからこそ、どうしようも無く揺らいでいる。
 髑髏は、いえ瑞生は今回の「メクラベ」というお話で一気に突いてきたのです。
 
 今回のお話は、瑞生の「私」との対面を描き切ったお話なのです。
 
 もし、私から「自分」が無くなってしまったら・・私は・・・
 それこそが、瑞生の抱える本質的なモノだったのですね。
 ケラケラと、周囲にひしめく髑髏達の嘲笑が、瑞生を責め立てる。
 その中で、絶対に放そうとしない静流の首を絞める自分の手。
 どうしようもない。
 どうしようもない。
 この髑髏全部を蹴り飛ばしたってどうにも・・・
 ううん、私の体はもうそんなこと出来なくて、足を振り上げたらきっとそれはお姉ちゃんに向かっちゃう・・
 駄目・・・駄目・・・・っ
 そうして、圧倒的に蹲って、目も耳も塞いですべてから逃げたい気持ち。
 それらすべて、髑髏達の嘲笑の眼差しとなって瑞生を追い詰める。
 駄目、駄目。
 そしてさらに、髑髏はこう言うのです。
 
 『姉は俺を視てしまった。
  口を封じた後、お前を完全に乗っ取るとしよう。』
 
 なんという、絶望。
 やっているのは、私。
 耐えるために込めた力は、ぐっと考えようとした知恵は、全霊で流そうとした涙は、すべて静流の首を
 締める自分の手の力へと換わっていってしまう。
 過去も未来も現在も、すべてが、すべてがそれに変換されていく。
 「自分」があれば、それさえあれば、私はどんな絶望でも戦っていけた。
 お姉ちゃんのために、お姉ちゃんのために、お姉ちゃんのために。
 でも、その「私」が壊れちゃったら・・・・「私」の手が・・・・お姉ちゃんを・・・
 その「私」を止めるのは・・・・・・誰・・・・・・っ
 すべて、髑髏の嘲笑となって、瑞生を包む。
 
 
 そして。
 瑞生は、其処にみつけるのです。
 もう駄目だ、という理屈としての「私」という名の「自分」がいるのを。
 そして。
 それでも。
 それでも、なによりもなによりも絶対的に歯を食いしばって絶叫している私を其処に視たのです。
 
 紅く燃えたぎらせた瞳で、髑髏達を睨み据える瑞生。
 私は、此処に、いる!!!
 
 主体たる「私」もまた、理屈たる「自分」にしか過ぎなかったのです。
 どんなにリアルで、どんなにそれしか無いと思えなくなっていたとしても、それらすべてをなんの考えも無し
 に蹴り飛ばせる動機を、瑞生ははっきりと持っているのです。
 なにがやりたいかなんて、本当に、いつだって分かり切っていたことだったのです。
 瑞生は今までもそう思っていたはずなのに、実際のところはそれが本当にそうであるということを確認した
 ことが無く、そのせいでいつの間にか、「なにがやりたいのかがわからなくなる」という特別な「私」という
 「自分」を作って、それに逃げ込んでしまっていたのです。
 「自分」があればどこまでも頑張れる。
 「自分」が無くなってしまっても、「私」がいればなんとかまた新しい「自分」を作って頑張れる。
 しかしそれは裏を返せば、ならばその大元にある「私」さえ消せば、もうなにもしなくてよい、逃げ切ること
 が可能になる、という瑞生の本能的欲望を満たすことに直結してしまうのです。
 そして、敏感なる瑞生は、既にそのことを理解しているがゆえに、自分が頑張ることの本当の目的を
 それらのことに直結させていたのですね。
 そう、私の頑張りは、本質的にお姉ちゃんを殺すための壮大な計画の一端だったんだ。
 私ってモノを理屈でしか捉えなかったからこそ、私の行動はすべて論理的にお姉ちゃんの首を絞めること
 に直結してしまったんだ。
 
 わかってるよね? 私。
 私のほんとうのほんとうの、ほんとうのおもいは、勿論お姉ちゃんを殺すことなんかじゃないって。
 だから私は、その論理的に直結したモノをこそ、蹴っ飛ばしたんだ!
 巫山戯るな! ってね。
 
 私はお姉ちゃんが大好き。
 何度もいうけど、ほんとうに、それだけが私の一番の本当のおもいなんだ。
 
 
 この瑞生の叫びをこそ指して、髑髏は別れ際に『なかなか太い芯持ってるじゃないか。』と言ったのです。
 おそらく、瑞生が完全にモノに取り憑かれていながら、そこから自力で脱出したのは、今回が初めて
 のことでしょう。
 いいえ。
 「完全にモノに取り憑かれている私」という名の「自分」を其処に視たことで、いつもの通りに歯を食いし
 ばって目の前のそのモノと戦うことが出来、それに勝つことが出来たのでしょう。
 目の前の其処にいるモノなら、瑞生はいくらでも撃破してきたのですから。
 そして、なによりこの変換こそが、今回の瑞生の、そしておそらくこの作品に於ける瑞生の最も大きな
 成長点になるのではないでようか。
 そう。
 瑞生は静流を殺すためにこそ、静流を愛したのかもしれません。
 愛してそれが裏切られれば、自分が静流を愛するに足りないとどうしようも無く思えれば、それなら
 静流を殺してしまった方がマシと素直に思えるのだから。
 しかし。
 ならば、そうして完璧に静流を殺すしか道は無いとしか思えなくした状態から、もし立ち直ることが出来た
 なら・・・・・・・
 そのときの静流への愛情は、完璧よりもさらに上のモノとなるはず。
 ということは・・これはもしかしたら・・・・・
 静流をどうしようも無くなるほどに愛せる自分にするためにこそ、静流を殺そうとしたのじゃないか。
 この自らの課した最悪の中の最悪の「試練」を乗り越えたら・・・・そんなことができちゃったら・・・
 
 そう。
 瑞生は、そこで悟ったのですね。
 そっか、人生ってその繰り返しなんだ、とね。
 
 現実に寄り添わない、「理想論」であっても、それが現実という名の死に至る理屈に蹴りを入れるモノ
 であるのなら、それは最も大切なモノであるのかもしれません。
 答えはいつだって、単純明快。
 答えだけなら、必ずその自分の理想論のノートに載っています。
 たとえその無味乾燥な答えにぬくもりを感じられなくとも、その答えを否定する「現実論」に身を委ねて 
 それなりのぬくもりを求めていくことの、その圧倒的な愚と罪を罰することが出来るなら、それでOK。
 そのぬくもり無き答えにぬくもりを与えることが出来るのは、その現実をしっかりと潰して頑張る自分だけ。
 むしろ、現実なんて、理想を圧倒的に達成するための踏み台にしか過ぎない。
 辛い辛い現実を経験し、それに絶望し、それに従属しようとするのは、それはつまり・・・・
 それらをそれでも突破することが出来たときに至れる、その理想郷がどうしようも無くリアルなモノとして
 顕れてくることを確信しているからなのです。
 現実は、理想に至るための試練です。
 
 私が、誰に恥じるとも無く、圧倒的に求められるモノはなんだろう。
 
 瑞生にはいつも必ず、その問いに対する答えをチェックする、神たる瑞生がいるのです。
 豪快に、蹴りを入れる瑞生様が、ね。 (笑)
 
 
 
 
 
 
 以上、第十九話「メクラベ」の感想でした。
 非常にシンプルな話でしたけれど、非常に重要なお話でした。
 この頃のもっけのエピソードは、こういった的を絞った話が多くなってきましたが、しかしこれはたぶん
 そういう構成を意識してやっているのでしょうね。
 思い返してみると、このもっけという作品は、ひとつひとつのお話の中で描いたものをそれで完結させず
 に、すべてのお話を使って壮大に語り上げるという作業を意識して行っていますよね。
 順番に観て、考えて、感じていくと、かなり落ち着いた思考を得られます。
 今まで観たエピソードをしっかり理解して消化していけば、必ず次のエピソードで大きく得られるものが
 ある。
 というより、今まで学んできたことの価値が逆に新しいエピソードを「解く」ことで高まっていくのでしょう。
 ひとつひとつしっかり観て考えて感じて、そしてそこで得られた自分なりの思考を以て、新しく描かれた
 ものと向き合って、またさらに成長していく。
 静流と瑞生とは全く違う成長スピードですけれど、私は確かに、自分の中のなにかが動いているのを
 感じていますよ。
 そしてなによりも、成長とはひとつの概念にしか過ぎない、ということを強く意識している静流と瑞生を
 視ることが出来るからこそ、私はそうしてただ此処に在る私とも向き合っていけるのです。
 うん、今回もがつんと勉強になった、なった♪
 そうして自己満足に浸っている私をがっつりと感じながら、私はさらにもっけと向き合いどんどんと考えて
 いこうって、改めて思いましたとさ。 (笑)
 
 それでは、本日はこのあたりにて。
 また来週、お会い致しましょう。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
                                 ◆ 『』内文章、アニメ「もっけ」より引用 ◆
 
 
 

 

-- 080213--                    

 

         

                             ■■やっぱり僕は君がいい■■

     
 
 
 
 
 今まで信じていたものや、積み重ねてきたものがそれなりにあって、それへの愛着を意識することも無く
 それは当たり前の日常そのものであって。
 それが掛け替えの無いものであるという事に気づくまでの距離を数えることなど、あり得なかった。
 そうなんだよね、気づいたからといって、それでそれがどうしようも無く特別なものに変わる訳じゃ無いん
 だ。
 だけど・・
 今まで信じていたものが無くなり、積み重ねていたものが崩れ、ならばそれを立て直そうと思う力強い
 自分の意志にこそ愛を感じ、しかしその愛のままに燃え尽きていく自分だけを感じるだけとなっていった
 ら・・
 記憶力が薄れ、周囲が見えなくなり、自分がそうであることすら認識できず、しかし周りからはそう言われ
 るのだからそうなのだと自覚し、それゆえに自分がそうして、それまでの自分とは全く違う人間になってい
 るということを、今、その周りの人達の声で知らされていく。
 それを、悲しいとさえ思えない、変わり果てた自分がここにいる。
 変わり果てた自分しかここにいないのを感じている。
 そして、それもまた、悲しくは無い。
 悲しく無いはずはないのに。
 こんなに周りの人を傷付けて、無視して、利用して、その悪意の無い悪行だけが自分の行動を彩る
 ものになっていて、それは、かつて豊かに築いてきた自分とは似ても似つかない、いや、それよりも、それ
 はまさにその豊かに築いていたはずの自分が否定していた、その悪なるものとしての自分の姿そのまま
 だった。
 望んで・・こうなった訳じゃ無いのに・・
 もう誰も、かつての自分を知る人はいない。
 正確にいえば、もう、周りの人がかつての自分の事を知っているかどうかを、それを知り得る術を失って
 しまった自分だけがここにいる。
 
 私は、こうなったことを、望んでいるの?
 
 きっと、その問いだけが、自分を救う。
 その問いの答えがなにも与えないという事を、今はもう受け入れるしか無いから。
 だから、ただただ、今望むものを、それでも望んでいく。
 もう、なにも望みが無いということさえ、わかっていても。
 それでも、なにかを望むことの出来る自分を信じて、その信じる自分のままに生きていく。
 その姿に、なにも感じない。
 自分がなにをしているのかもわからない。
 ただただ、生き残った僅かな記憶に照らし合わせ、言葉のピースを当て嵌めていくだけ。
 なぜそのパズルをしているのか、わからない。
 だけど・・
 たったひとつだけの思いを貫く。
 それを愚かしく思えることと、たったひとつのものだけに囚われ得ない、そんな豊かな自分がかつてあった
 ことを、今もこうしてはっきりとそれでも信じているからこそ。
 その信仰の先にあるものだけを、ただただ、求めていく。
 その姿を残酷に見下ろす神を、それでも見上げながら。
 たったひとつだけの、この胸を抱き締めながら。
 アンジェリカは、小首をかしげながら、それでも毎日を生きている。
 
 生きて、いるんだよね。
 いつかこのおもいを、きいて貰うために。
 誰に・・だろう・・わかんないや
 
 
 +
 
 
 トリエラは、なにも忘れることが出来ない。
 自分を取り巻く状況だけが変転を重ね、それに必死に付いていこうとしている自分を忘れることが出来
 無い。
 放ってなんて、捨てるなんて出来ない。 
 そして自分では絶対にそうする事を選ばないと確信するがゆえに、ならばいっその事自分の記憶を消し
 て欲しいと、なにもかも強制的に終わらせて欲しいと、そう思う。
 捨てたい訳じゃ無いのに。
 捨てられるはずも無いほどに、それを求めているのに。
 それでも、すべて消えて無くなれと願わずにはいられない。
 思い詰めれば思い詰めるほどに、思考の冴えは高まり、これ以上はわかることが出来ないという上限
 を知ることが出来ない。
 どうして、なんでもわかってしまうんだろう。
 どうして、わかることをやめられないんだろう。
 わかればわかっただけしなければならないことが増え、しかしそれをひとつひとつ確実にこなしていくことの
 中にこそ、自分の求めているものがこの胸の中に収められていくのを感じている。
 それは、愛なんだ、どうしようも無いほどの。
 けれど、その逞しく綴られ続けていくその愛の営みは、それが繰り返されるほどに自らに疲労を蓄積
 させていくという事を、感じさせずにはいられない。
 そのうち、愛するものを憎んでしまうかもしれない・・
 だったらなぜ、この営みをやめようとはしないのだろうか。
 わかりたくない、もうなにも感じたくない。
 どこまでも頑張れる自分に、恐怖する。
 その恐怖さえ踏みつけて、完璧にしなければならないことをこなしていく自分が、恐ろしい。
 ひとつでも失敗すれば、それはダイレクトにこの胸を抉っていく。
 自らの行為に誇りと自信と愛を持っているからこそ、なによりも自分が自らの必死な行為にのみにしか
 それら誇りや自信や愛を感じられないのを知ってしまう。
 私はほんとうに、なにもできない。
 たったひとつの失敗が、自分がたったひとつの人形にしか過ぎないことを思い知らせていく。
 どうして私は、たったひとつの成功で、すべてを得られると感じてしまうのだろう。
 私のしていることは、そんなことにしかなれないの・・?
 もっと、もっと、色んなことが出来るのに。
 ひとつ、ひとつ、全部ひとつずつ、バラバラに、沢山沢山、愛せるのに。
 それなのに・・どうして・・・全部ひとつに繋がっちゃうんだろ・・・
 どうして・・全力を尽くしたものしか・・ひとりでやり遂げたものしか・・信じられないんだろ
 
 どうして私は、他人に頼れないんだろ?
 
 ヒルシャーさんが馬鹿だから?
 アンジェが可哀想だから?
 ヒルシャーさんが女心を理解しようとしないから?
 ヘンリエッタ達を守ってあげなくちゃいけないから?
 ヒルシャーさんが私の一番求めているものをくれないから?
 ヒルシャーさんが・・
 ヒルシャーさんが・・・・
 信じられない。
 私のことを、ヒルシャーさんは信じていないから。
 いいえ。
 私の事を信じて貰えるほどに、私は・・・
 自分のことを言葉にしてヒルシャーさんに伝えていない。
 でも・・・言葉にしないのは・・・できないのは・・・それは・・・・・・・
 
 言葉にしなくても、どんなことがあってもなくても、もう、理解して認めて欲しいからなんだよね。
 無条件で理解してくれる人がいるからこそ、言葉を持ってどこまでも頑張っていけるのだから。
 
 
 + +
 
 なんで私は、ガンスリの感想書いて無いんだろ。
 
 正直、OPで泣き始めて、EDが始まると号泣になってます、最近。
 今まで一期の幻影(ぉぃ)に惑わされていた自分が情けないし、むしろ感想書くのはいいやとか言った
 そのときの私、一歩前に出ろ! ビンタしてやる!  (既に赤く腫らした頬をさすりながら)
 とにかく、第二期は、たったひとつの表情にすべてを込めるというところが、最大のポイント。
 表情で語ろうとするのでは無く、もう、どうしようも無いほどのメッセージをその顔で示そうとしている。
 ヘンリエッタがジョゼばっかり観てリコに辛く当たるのも、その辺りの機微にある苦みを表現するよりも、
 むしろジョゼがあるはずのヘンリエッタの「理屈」を無視し、それに対して小さな怒りを純粋に示すヘンリ
 エッタの姿を描くという、そういったまさに人と人との関係そのものを描いている。
 そしてだからこそ、その関係性そのものが持っているもの、それそのものこそを純然と描き出しているのが
 この第二期なのです。
 マルコーの苦渋も、その苦渋の深さでは無く、必ずその苦渋の因がかつての恋人やアンジェとの関係
 にこそあり、それを絶対に無視できないからこそこの苦渋はあるのだと示していたりするのです。
 ピノッキオもそうですし、リコなんかもそうです。
 他者が、確かに其処にいるんですね。
 第一期は、そうやって他者の存在から得た苦しみを自分の中に入れ、そしてその自分の中でぐるぐると
 回っていく苦渋をなぞる、そういう作品だったのだと思います。
 まただから私も一期のときは、独白を中心にした心情の吐露としての感想を書けたのです。
 逆にいえばそれは、実はアンジェ達義体の言葉では無く、彼女達を見つめるマルコーや私達の言葉に
 しか過ぎなかったのです。
 そして第二期は、そういった外側からの言葉をほぼすべて廃しています。
 どれだけアンジェやヘンリエッタ達の、その大きな銃から得られる小さな幸せが悲しいのかと、そういう
 ことを描きはしない。
 第二期は、実際にその大きな銃と小さな幸せを背負った彼女達自身の物語なのです。
 そしてなによりも、彼女達をみつめるマルコーやジョゼ達自身の物語でもあるのです。
  それぞれが、それぞれの今の現実の中に逼塞して生きていること、それがどういう事であるかを煎じ詰め
 ていくのでは無く、ただただ、生きて「いる」ということから始めていく。
 うん、これはもう、堪らないね。
 私自身色々と感じてる自分の現実の中で、それでも生きようと思うときは、特にね。
 その生の意味を考えるという事は、その生を生きることからしか見えてはこないのかもしれないのかなって。
 
 よし、ガンスリでいこう。
 *毎週のこの雑日記のときに、気が向いたらさらっとなんか書いていこうと思います。
 
 
 
 ◆
 
 ■もっけ
 ・どうしようも無く、勉強になります。
 これを見てなにかを考えずにいることなどできようか、いや出来ない。
 自分が感じてることとか背負ってることとか直面してることとか、そういったいわゆる「自分」のことに逼塞
 して、ただそれを慰めるためになにか得られるものは無いかなぁと、そういうことを望んで見つめるたびに、
 もうね、ぴしゃりと殴られてしまうんですよね。
 甘ったれんじゃねぇ、考えないなら置いてくぞ、ってお祖父ちゃんがすごい冷たい背中で強迫してくる
 ようで、本当に怖い。
 私はそのとき、どうしようも無く「ああ、私はひとりぼっちなのかなぁ、それなのにまだ考えなくちゃいけない
 のかなぁ」とか、そういうことをめそめそ考えて、お祖父ちゃんの背中をそのまま見送りそうに、必ずなって
 しまいます。
 もういいよ、もういいよ、って感じでね。
 で、実際、お祖父ちゃんはさっさと先に行ってしまって、そして取り残された不安というのも、実はもうあん
 まり無いので、本当にそのままめそめそしてるだけで済んでしまいそうなのです。
 そうだ、自分で決めろ。
 今までは、置いて行かれるのが怖くて、一生懸命についていこうとしていたんだと思います。
 でも、この作品と出会ったときに、そうした色々な意味での後押しとか引きずっていってくれる感っていう
 のがすっぱりと断ち切られているのを感じて。
 仮に懸命にこの作品についていったとしても、もしかしたら、感想を最後まで書き終えた達成感しか得ら
 れ無いのじゃないかなぁって、ふっと思ってしまって。
 今までの作品の感想でなら、そのがむしゃら感こそが大事な気がしていたんだけど・・
 
 この作品は、なんかもう、考えて、考えてみたくて、堪らないんだ。
 
 アニメを癒しとして使うのって、少なくともそれを目的にするってことは、私はまず無い。
 でもね、結果的には癒されてるってことは、滅茶苦茶あると思う。
 考えて感じて、なりふり構わずに感想書き切って、その熱中自体が自分を前に進ませてくれる。
 そしていつのまにか、その熱中が、癒しが目的になっていたのかもしれないんだ。
 よーし、このアニメに体当たりして、もう目一杯書いちゃうぞ! って。
 なんで私はそのアニメの感想を書くのかと問われれば、きっとその前進感覚を得たいからだと答えるしか
 無いはずだったのだと思うのです。
 でも、それはそれで良いけれど、でも、本当はそれだけでは無いはずの自分もまた、此処にいた。
 うん。
 この作品のテーマは、「此処に居る」ってことがどういうことか、ってことなんです。
 此処に居る自分のままに、すっきりしたり癒されたり、でもそれって一体・・・
 きっと、次元が違うのです。
 この作品を観たときに感じた、私がどうしようも無くやらなければならないと感じたモノは。
 それがなんなのか、よくわかっていません。
  でも、単純に感情移入して自分からなにかを祓うという事を実際にしている自分に直面する瞬間に、
 私はあっさりとその自分を横に置いておけてしまう。
 この作品は、「自分」だけじゃ無いんだ。
 この作品には、「他者」が、「其処に居る」んだ。
 
 つまり、モノがいる。
 
 自分がみつめた自分の問題を、自分の此処から見つめるだけでは、此処にいる自分からそれを祓うこ
 としか出来なく、その問題そのものがどういうことであるのか、またそのものの普遍的本質的意味につい
 て思考することは出来ないんだと、そうどうしようもなく感じることをやめることは出来ないんです。
 以前の怪物王女の感想作業のときにそういったことを感じて、しかしそのときはただ自分が自分に囚われ
 ているということをどうやったら認識出来るか、いや認識することが大事なのだとそう言うことしか出来なか
 った。
 でも、このもっけではもう、いつまでそんな事言ってんだ、もう事は始まってんぞ、さっさと思考を始めろ、
 という圧倒的な問題性を以て私に迫ってきているので、私はその問題そのものについての思考を圧倒
 的に始めることが出来たのですね。
 どうしようも無く、今、其処に、誰かがいる。
 それならもう、自分に囚われる囚われないの話をしている場合じゃない。
 そんな議論は一瞬で解決して、さぁ圧倒的に解決していくぞ。
 その言葉の下に、静流や瑞生が視て感じているモノはなにかと、ずっと考えていく。
 勿論、私自身をその静流や瑞生に当て嵌めていく余裕なんてありません。
 ただ、ただ、考えていく。
 解釈に解釈を重ね、その解釈が無意味なことを知ったり知れなかったり、そしてたとえ私自身が癒され
 る事がなかろうとも、静流や瑞生の導き出した解決そのものを、それこそを私は見つめていくのです。
 私のことなんて、むしろその私が得た見解に後付けして癒されればいい。
 いいえ。
 むしろ、今の自分では到底受け付けられない、その導き出した思考的「理想」に追いつこうと足掻く、
 その主体の存在することそのものこそが、なによりも得難い「自分」という「癒し」を与えてくれるのかも
 しれませんね。
 というより、そうなればもう、癒しなんて初めから必要では無かったという事がわかってくるし。
 そして。
 だから、今此処に、癒しを求めているだけの私がいるということがわかるんですね。
 「もっけ」という作品に癒しを求めて手ぐすね引いている、阿呆な私が、ね。
 癒しってのはな、癒しを求めるって事そのものなんだよ。
 そう認識した時点で、癒しを求めるということを、今、全く求めてはいない自分に辿り着けんだろ。
 考えたい、なによりも深く、前へ。
 そしてどうしようも無く、この作品は思考すべきことを広げて私を待ち受けているのです。
 いいえ。
 待っていて、くれるのです。
 私の目の前の、すぐ其処で。
 
 私は、アニメ「もっけ」を応援するとか、そんなことは言いません。 (言ってるけど)
 私は、アニメ「もっけ」を観ながらああたこうだと色々なモノを考えていく私をこそ、応援しています。
 そして。
 すべての頑張る人達へ、この作品を捧げたいと思います。 (勝手に)
 
 
 
 
 
 
 と、いうことなんです。
 アニメです。
 アニメでした。
 アニメですが、なにか? (微笑)
 
 *次週は他の話題も書きます、はい。アニメも書くけど。はい。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

-- 080211--                    

 

         

                              ■■ 賢き狼の名の下で ■■

     
 
 
 
 
 『ただし、タダじゃ出ていかないぞ。俺、いや俺達は商人だ。儲かればなんでもいい。
  笑うのは金が入ってから。泣くのは、破産してからだ。』
 

                                〜狼と香辛料・第五話・ホロの言葉より〜

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 瞳の奥が、カラカラと音を立てて乾いている。
 ふさふさと響く尻尾の毛を数えながら、年を経ていく。
 幾度も高く空を舞う太陽になにも思えず、しかし気づけばそれに手を伸ばしていた。
 祈りを捧げるべきが我が身しか無いという言葉は、どこまでも当て所無く彷徨っている。
 麦の穂が、首筋を差していく。
 雀達の羽ばたきが耳底に堰を築いていく。
 あと一歩、あと一歩この音が降り積もれば、なにも聴こえなくなるはず。
 緩やかに吐いた息が目の前を黄色く染めていくのを眺めながら、ただ無音を求め耳を峙てていた。
 黄金色に芽吹く幸福達の礎が、大地に太く根付いているのが見えた。
 帆柱を立てて風を受けながら、熟れる実の笑顔を引き出すためにこそ、皆汗を散らしていく。
 ずる、ずる。
 雲が、舞う。
 雨を呼び風を吹かせ、ときには麦穂を枯らしていく。
 幸せが潰れていくのを、ただ楽しげに見つめていた。
 くる、くる、くる。
 こめかみを熱く血潮が駆け抜けていく。
 この幸せの残骸こそが、闇を、世界の終わりを打破し、伐り拓いていく。
 我は、ひとりでは無い。
 信じて、いた。
 
 
 刈り取られた麦の山が、遠くかすかに見えた。
 周囲を見渡すと、そこには足だけを残して奪い取られた幸せ達の墓標だけが立っていた。
 お前達、それでもまだ立っているのか。
 それを眺めている、我がいる。
 なぜ我はそれをみることができる?
 それは、我がここにいて、こうして足以上のものを備えているからだ。
 この、紅い瞳があるからだ。
 見つめれば、我が体には鎌が当てられていた。
 そうか。
 それが振り下ろされれば、我は死ぬ。
 しかし、我の死こそが、我を解き放つ。
 最後の一束に宿りし我。
 その最後の拠り所を奪われて、初めて我は皆にその存在を認められる。
 いや。
 最後の一束たる我を殺したものこそ、神として私を名乗る。
 我は、もう無数にその新しい私をみてきた。
 多くの私が踊り狂い、そしてまた閉じ込められるのを観てきた。
 我はまた闇の中へ。
 我の闇を生み出す幸福を育むために、何度でも我は麦畑に生を受ける。
 我は、なにがしたい?
 わからない。
 ほんとうに、わからない。
 こんなに、幸せなのに。
 こんなに、寂しいのに。
 
 我の名を聞くだけで、我は此処にいる我を無限に感じてしまう。
 
 逃げたいのか。
 逃げたくないのか。
 その葛藤がな。
 
 
 『わっちはな、わっちはな・・・・・情けないが・・それが嬉しかった・・・・・・・っ』
 
 
 名を呼ばれるたびに、震えた。
 名が刻まれた体をなぞるたびに、涙が零れた。
 我が名が語られていくたびに、耳、耳が・・・・・痺れた
 我が苦しみなぞ、我が孤独なぞ、その圧倒的な緊張の前では塵のようなものだった。
 どれほど苦しかろうと、どれほど寂しかろうと、我が誇らしき名がこの身を包む限り、生きることが出来た。
 名が奪われれば、我はそれを死ぬほど求めたろう。
 名が汚されれば、我は汚した者を殺しただろう。
 我は、小賢しいほどに、賢い。
 くるくると良く回る脳漿は、まるで世界の回転よりも早く偉大であった。
 だが、すべての言葉と嘘は、ただの欺瞞であった。
 それは、愛しくも愚かな、ささやかで偉大な欺瞞だった。
 我は、我でしか無かった。
 我はただ、名を愛し求めた。
 我は、我が名が無ければ、生きることさえままならなかった。
 我が名があれば、しかしどんな事をしても生きることが出来た。
 誰ぞ、我が名を愛しく呼んではくれまいか?
 誰ぞ、我が名乗りを拍手で以て受け入れてはくれまいか?
 そのためになら、なんでもしよう。
 そのためになら、なんでも受け入れよう。
 我が生きるためにこそ我が名があり、我が名のためにこそ我は此処に生きている。
 
 
 月の下で呟いた我が名が、見事我が月の下の孤独を照らし出していた。
 
 
 皆の口の端に我が名がのぼることを楽しみに、苦しみに耐えた。
 ひたすら連呼される我が愛しき名を我も唱えながら、耐えた。
 張り詰める肌が、静かに上気していくのを、いつも感じていた。
 信じていた。
 勝手に、信じていた。
 我が名に冠せられた称号ごと、我は皆を信じていた。
 我は、愚かだった。
 我が名の与える歓びが、大き過ぎたのかもしれん。
 我は、皆に頼り過ぎ甘えていただけなのかもしれん。
 誰も、我が名に愛を込めて呼んでなどはいないことを、知っていながら、も。
 我は、皆を疑ってなどいなかった。
 皆が我にもはやなにも求めてはいないということを。
 そして我はもはや、今までの我の苦しみと努力の精算など求めぬということも。
 なぜだろうか。
 我は未だに、皆を愛している。
 もはや皆の口は、我が名を氷に触れた嘴の如くに囀るだけであるのに。
 我は、我が名に希望など託してはいない。
 我はもう、皆が我の名に愛を込めることなど無いということを、確信している。
 我の苦しみなど、なんの意味も無かった。
 我の与える幸福など、皆にはもはや小さなものにしか過ぎ無くなっていた。
 だが、我は皆を求めていた。
 我は、我が胸に刻められしこの名を、愛していた。
 我は皆のために苦しんだのでは無い。
 我は、この名のために苦しみ、それでも耐えたのだ。
 皆に、この名を呼ばれるために。
 
 
 
 
 
 
 
 
 『わっちの名を、言ってみろ!!!!』
 
 
 
 
 
 
 『 賢  狼  ホ  ロ  じ ゃ ! ! ! 』
 
 
 
 
 
 『これまで生きてきた中で、わっちに恥をかかせた者の名をわっちはすべて言うことが出来る。
  そこに新しい名前を付け加えんといかん!!!』
 
 
 『ぬしの名じゃ!!』
 
 
 
 『わっちはぬしに言ったよな!? ぬしが迎えに来てくりゃれと!』
 
 
 
 
 私は怒りに怒り、そして怒るのを大人しくやめた。
 怒ることを諦めようとした自分に、どうしようも無く腹が立ったからじゃ。
 知っておるか? 本当に怒ると、それはもはや感情とは呼べぬ代物になると。
 それはな、もはや意志というのじゃよ。
 執念とも呼べるかもしれん。
 私は、私の受ける屈辱には耐えよう。
 それに対し、ごく普通に怒りもしよう。
 だが、我が名を、我が求めしものを奪おうとするものには、沈黙なる意志を以て徹底に抗しよう。
 絶対に許さぬ。
 絶対に、負けぬ。
 私の名は、生きながらにして殺された。
 私は、負けぬ。
 『わっちはな・・・・・わっちはな・・・わっちは悔しくてっっ!!』
 我が名の背負った汚辱を、雪ぐ。
 一度背負った名の責とぬくもりを、私は絶対に手放したりはしない。
 私は、この名が大好きじゃ。
 皆から貰ったこの名を、なによりも私は愛している。
 もう誰も、その名を悪名としてしか囀らなくなったとしても、私は意地でも守り通してみせる。
 そして・・
 その意地のあまりの冷たさに、この瞳のすべてが凍り付いてしまったとしても。
 すべての涙が枯れ尽きてしまう悲しみの、そのあまりの凄まじさに身を焦がしたとしても。
 
 
 もう、ひとりは、嫌じゃ。
 
 
 そして、だからこそ、我と皆を繋ぐ私が必要じゃ。
 手練手管を駆使して、何度でもまた欺瞞を築いてみせようぞ。
 再び、この名を輝かせるために。
 またこの名を愛しく、そしてなによりも尊敬を込めて呼ぶ声を、この耳に触れさせるために。
 
 我は、我が名に閉じ込められている。
 その名は愛しくも悪し様にも呼ばれよう。
 それはまるで、優しい日差しに照らされ冷たい風雨に嬲られる麦穂のようだ。
 なにもかもすべて奪い取られても、その奪取と搾取の果てにこそ、最後の一束が残り得る。
 そして。
 すべてを奪われた、そして、最後に残ったその一束こそ、神なのだ。
 神々しき名を纏う、我が此処にいる。
 その我なれば、どんな私にもなれようもの。
 最後の一束を刈った者には神が宿り、そして独占と隔絶の日差しに嬲られる。
 そしてそれはひとつの名の下に、何度でも我を蘇生させる。
 いや。
 ただの一度とさえ、死んだことなど無いのだ。
 我は、生きたまま、数々の私になっていっただけなのだ。
 我はいる、そして私もまた、永遠にいる。
 我が名を食んでその身に宿した人の子達は、ずっとずっと居続ける。
 その名に憎悪しようとも、ただ捨てるだけのものとしようとも、その名を聞いただけで、我は歓喜する。
 だから、旅に出るのだろう。
 だから、誰かを求め続けるのだろう。
 我が名を、永遠に残すために。
 
 
 だから、私はお前と、対等でいたい。
 
 
 そのためには嘘も吐こう、欺瞞さえも為そう。
 なんのために嘘を吐くのか、それだけが、私にとって重要なのじゃ。
 私はお前を信じよう。
 裏切られるたびに、猛然と怒ってみせよう。
 お前を信じられなくなるたびに。
 お前に対して怒りを覚えなくなるたびに。
 私は静かに、私の名の下に私に鉄槌を下そう。
 しっかり、せんか!
 能面なる挙措、ふしだらで不真面目な笑顔、みんなみんな、私の得意とするものじゃ♪
 涙を拭った指先のままに、お前の胸板を突いてもみせようぞ。
 勘違いするな。
 ふふ、どうせお前は単純に私の魅せた可愛げのある小さな背の代わりにに、その大きな勝利感を抱いた
 のかもしれぬが、そんな男は阿呆も阿呆。
 女の涙にはご用心、ご用心。
 女はそんな阿呆な男でお手玉遊びを楽しむ、とんでもない阿呆じゃ♪
 そのお前の大きな勝利とやらは、私が与えたほんの小さな餌に食い付いた魚の安堵に過ぎぬ。
 私はお前のそれを釣り上げて、高く売って儲けるだけじゃ♪
 ふふ。
 だが。
 阿呆なら阿呆同士、楽しくやろうぞ。
 そしてなによりも・・
 
 
 嘘を吐く背景を、感じ合おうぞ。
 
 
 弱みも魅せられぬ騙し合いなぞ、程度が低い低い。
 お互い、欲しいものを得ていこうぞ。
 いつでも、本音を晒し、そしてその掌を返す間もなく嘘を吐いてその元を取るが良い。
 いやさ、本音もまたひとつの撒き餌として、さらに大きな罠を張れば良い。
 恥をかいたことになにも感じぬのなら、それはすべて嘘じゃ。
 もはや恥をかく意味など無い。
 だが。
 だからといって、恥をかいたことに本気で怒るだけでは、なにも得られはせん。
 恥は雪がねばさらに多くのものを失うが、しかしそこからなにかを得るためには・・・
 そう。
 それから、なにかを学べばよい。
 それを罠として、なにかを捕まえていけばよい。
 なぜ、そう言うのか? じゃと。
 ふふ。
 探ってみるがよい。
 その私の言葉の背景にあるものを突き止めてみせよ。
 そうすれば・・・
 
 
 わっちは安心して、嘘を吐ける。
 賢狼の名に恥じぬ、見事な欺瞞でわっちの心中を隠してみせようぞ。
 
 そのわっちの逞しい隠蔽こそがなにを示しているのかを、あっさりと魅せながら、な。
 
 
 
 ・・いや、なんかそう言うと恥ずかしいこと言っている気もするのじゃが・・・さて、なにが本当なのやら
 わっちにも、わかりんせん。
 
 
 
 
 『嬉しい・・・』
 
 
 一瞬、本気の眼差しを向けるお前に。
 
 
 
 『・・ぬしも本当に可愛い男の子じゃの♪』
 
 
 
 舌打ちと共にわっちの手を振り払うお前のその背に、我は心底幸せを視る。
 
 
 この暖かき孤独に流す涙が、どんな私もが思っている以上に暖かく感じられるのを、我は知った。
 
 
 涙・・・
 
 
 我はようやく、瞳の底に潤いが戻ったのを、感じていた。
 
 また泣けるのだな。
 
 たとえそれが孤独に苛まれる悲しみの涙でも。
 
 
 また、泣けるのだな。
 
 
 
 我が名は、賢狼ホロ。
 
 その名に見合う神話を、我は再び紡いでいきたいと、そうこの名に静かに誓っていた。
 
 
 
 
 
 
 『そして、俺達は笑うんだ。』
 
 
 
 
 そうじゃ。
 ほんとうに、そうじゃ。
 どんな私になっても、それは、変わらないのじゃ。
 わっちはまだ、終わっておらん。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ◆ ◆
 
 書きたいことはまだあれど、敢えて今回はこれにて筆を置かせて頂きます。
 
 ていうかなんであんなにあっさりホロが狼神だって事が信じられてんのとか、でもちょっと考えればマールハ
 イトとしてはそう仮定した場合に起き得る事の損得をしっかり計算した上でなのかなぁ、でもそれだってそ
 の仮定が本当でなければかえってマイナスになるのだろうになとか、でもまぁそれは全部置いといても、
 「我々はミローネ商会です。」っとカッコ良く決めるマールハイト支店長萌え、そしてクロエの凛々しさ萌え
 (あのホロに指を突き付けて神との決別を宣言したのはカッコイイ!)そしてホロの対等志向萌え(あれで
 完全にツンデレの線からは外れたよね)、そして討ち入り寸前で足の震えが止まらなくなるヘタレロレンス
 萌え、そしてなによりも今回は『なぁに、荷馬車の御者台はひとりじゃ広いです。願ったり叶ったりですよ。』
 な御者お爺さん萌え、あと今更だけどホロの顔の側面、つまり普通の人間の耳がある場所には一体な
 にが付いてるんだろという疑問が全然消えなくて困っ
 
 充分です。
 
 
 また来週、お会い致しましょう。
 
 
 
 
 
 
 
                              ◆ 『』内文章、アニメ「狼と香辛料」より引用 ◆
 
 
 
 

 

-- 080209--                    

 

         

                                  ■■ 夢のいる愛 ■■

     
 
 
 
 
 『悟れ。
  貴様がどう思おうと、こやつらは貴様など好いてはおらん!』
 

                            〜もっけ ・第十八話・石に宿りしモノの言葉より〜

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 今回のお話は、至極シンプル。
 第16話「ソラバヤシ」で描かれたことの一部分をクローズアップさせている感じです。
 薫という静流達の幼馴染みが、柔道が好きであるのに部活の厳しさについていけずに、大好きな
 柔道をやめようかどうかと迷っている、そのときに彼女に取り憑いたモノのお話。
 今回はこの感想でも、シンプルにその事について語っていこうと思います。
 
 
 
 ◆
 
 連休を利用して、静流と瑞生はお祖父ちゃんと一緒に、お祖父ちゃんの友人の大垣さん家に遊びに
 きます。
 そしてそこの孫娘の高校二年生の薫は、静流達とは幼馴染みの関係です。
 そして静流はその薫の首に、羽交い締めにするかのように腕が巻き付いているのを視てしまいます。
 静流は早速、そのモノの存在から、薫がなにか問題を抱えているということを感じ取るのでした。
 
 丁度その頃、隣接する神社の宮司でもある大垣家には、氏子さんから預かったという、奇妙な形をし
 た石がありました。
 その気味悪さから預けられることになったのですけれど、しかし大垣家に来てからというもの、夜な夜な
 怪異を為すことになっていたのです。
 毎夜、バタバタと畳を叩くような音が木霊する。
 宮司ということで、何度もお祓いをしてみても、いっこうに効き目は無く、そしてこの度お祖父ちゃんにお
 呼びが掛かったのでした。
 しばらく観察して、お祖父ちゃんは、確かにこの石にはなにか宿っているが、しかし怪異の原因がこれで
 あるかどうかはわかりかねる、もう少し様子を見せて貰ってもよいか、と言います。
 これは、御祓いの際のセオリーであるということであると同時に、描かれてはいませんでしたが、お祖父
 ちゃんもおそらく薫にモノが憑いているのを視た上で、そう言ったものであるとも言えるでしょう。
 例えばこういったモノは、それ自体が悪さをするのでは無く、それを視てなにかを感得した者がなにかを
 起こしている場合もあるのです。
 なにか問題を抱えている者がいて、そしてそのときに異様な形をした石などを目にしたときに、其処に
 なにかを視てそれに憑かれる事は充分あり得る。
 こういった場合、たんに石に憑いているモノ自体に御祓い行為をしたところで、それを視る者の問題を
 解決しなければ、意味は無いのです。
 仮に、その問題を抱えた者の前で、その禍々しい形をした石をその者の抱えた問題として見立て、
 それを祓うという儀式をしてみせることで、その石を視たことで感得したモノは消えるでしょうけれど、
 しかしその者が抱えている問題自体を解決しない限り、この場合逆にどんな物でもモノを宿している
 ように視るようになってしまうだけなのです。
 
 つまり薫は、その石に憑かれたのでは無く、彼女自身の問題に憑かれていたのです。
 
 目の前にあった異様な物に怯え、しかしその怯えを利用して薫はその自分の奥底にある問題を具現化
 させた。
 夜中にバタバタと奇妙な音を立てていたのは、この薫が自らの中から直接呼び出したモノだったのです。
 
 具体的な話の内容を当て嵌めると、こうです。
 薫は父親が柔道の教室を開いていた事もあり、幼い頃から柔道に親しんできました。
 生活と共にあり、その柔道との会話を通して健やかに、そしてなによりも楽しく生活してきたのでしょう。
 柔道は薫にとっての生活の中の一服の清涼剤であり、また嗜好対象だったのです。
 長いことやっていたとはいえ、薫は特別柔道が強い訳ではありません。
 おそらく、強くなりたいと思ったことも無いのでしょう。
 勿論、相手のあるものですから、ひとつひとつの立ち会いでは、こうしようああしようという工夫なり意気
 込みなりはあるのでしょうけれど、そのために柔道をやっていた訳では無いのです。
 勝つためにでは無く、勿論優勝するためにでも無く、ただ日々の楽しみとして、その生活の中のひとつ
 のものとして、柔道はあったのです。
 朝起きれば、歯を磨くのと同じようにして柔道をやり、また学校から帰ってきたら練習し、夜になり風呂に
 入る前にまた一汗流す。
 そして休みの日になれば、目一杯畳を叩く。
 そんな薫は高校の柔道部に入って、挫折を味わいます。
 勝ちに拘る姿勢、勝つのが絶対であり、勝つ気が無いのなら柔道をやる資格は無いと顧問に言われた
 薫。
 この間の大会では、ついに下級生にまで負けてしまいます。
 薫にとっては、勝ちも負けも等しく柔道であり、勝つことからも負けることからも学べることは同じくあり、
 そしてまたどちらであっても、柔道をやっているということの楽しさを教えてくれるモノ。
 薫がやっているのは、勝負に拘る「賭け事」では無いのです。
 やるからには勝つ方が絶対に楽しい、というのはある意味で薫にとっては全くの無効な言葉であり、
 実際おそらく薫は相手にぶん投げられてしたたかに畳みに打ち付けられても、それでも充分楽しさを
 感じるのですから。
 投げたり、投げられたり、投げるためにはどうしたらいいかと考えたり、投げられないためにはどうしたら
 いいかと考えたりすること、それ自体がもう破格に面白いのでしょう。
 
 『瑞生ちゃん。
  強くなろうとか、試合に勝とうとか、あんまりそんな風に考えないで。
  とにかく柔道は、楽しくやればいいんだよ。』
 『じゃあ大丈夫だ! だって私、充分楽しくやってるもん。』
 
 楽しいと思えるからこそ、そこから初めて勝つことに意味が出てくる。
 ただ勝つことに一途になる事だけしか「強い」とは言えないような、そんな自らの弱さにしがみついている
 ことを自己肯定するだけのスポーツなんて。
 勝つ事は強さのうちの僅かひとつにしか過ぎないというのに、その勝つことしか出来ないのに、それが強さ
 のすべてだというのは、その自らの弱さと愚かさを露呈しているにしか過ぎない。
 色んなおもいを持って入部してくる人達を、全部ひとつの「勝つこと」という事に無理矢理縛り付け、それ
 でしか勝つことが出来ないのなら、それは充分「負け」ていると言えるはず。
 精神の修練の意味も持つ武道たる柔道ならば、なおさらのこと。
 その意識が欠如した現状の高校スポーツの在り方には大いに問題があると、そう私も考えてはいますけ
 れど、しかしそれはここでは割愛します。
 というか、「武道」というモノそれ自体がそういうなにかひとつのことで無理矢理縛って、他のことは切り捨て
 て誤魔化すという意味合いを含んでいたりすることもあったりするので(無論それだけでは無いですが)、
 その話に行ってしまうとどんどんズレて行ってしまいますので、この辺りで。
 
 薫にとっては、もはや高校の柔道部に所属していることは苦痛以外の何者でもありません。
 まるで自分の人格を否定されたような、そして大好きな「私の柔道」を侮辱されたような、そういった
 屈辱感と、そしてなによりもその否定を既に受け入れてしまっていることによる、自己否定のおもいが
 薫を日々責め苛んでいるのです。
 あんな侮辱を受け屈辱を味わうだけなら、柔道なんてやめてやる。
 でも、それじゃただなんだか情けないような気もして・・・
 それ以上に・・なんか・・違う
 薫は悩みながらも、しかし部をやめる事は出来ずに部の練習をサボり続けてしまいます。
 やめたい、でもやめたくない。
 だから決断の保留として、サボりを続けている状態。
 よくあることですよね。
 そしてこの場合、この判断の底にあるものこそ、薫の本質に繋がっているものであったのです。
 薫は、自分の考えている問題をごっちゃにしています。
 結論からいえば、薫は部活はやめるべきで、柔道はやめるべきでは無い。
 薫にとって、柔道をやる場所が高校の部活にしか無かったがゆえに、部活をやめるということが柔道を
 やめるということに繋がっていた。
 だから部活をやめて、他の場所で柔道をやればいい。
 しかし、問題はそれだけでは無いのです。
 
 確かにするべき事はそうなのですけれど、しかし薫がそれでも部活に拘った理由はそれだけでは無いの
 です。
 むしろ、ただ部活をやめて他の場所で柔道をやるだけなら、それこそ誰もいないところで御祓いをする
 ようなもの。
 ではなぜそうするのか、ということの根本を、背景を考えなければ意味が無い。
 薫の場合、柔道をやるということは日常の中にあるものでした。
 そして、高校の部活に入るということも、それもまたその日常生活を進めていくことの中にある、当然の
 通過点にしか過ぎないものだったのです。 
 薫にとって日常とは当たり前のモノであり、その流れていく日常のままに素直に乗って生きていくことが、
 彼女にとっての最もリズムの良い在り方だったのです。
 ですから、高校の部活をやめるということは、その日常からの逸脱、ひいては日常の正しいリズムを
 守らない、不規則で怠惰な行為であると薫は捉えてもいる。
 なんで私が部活やめなくちゃいけないのよ、私はいつも通りの生活をしたいだけなのに!
 そして、だからこそこう思う訳です。
 もしかして、私って、ここで変わらなくちゃいけないのかな?
 日常を全うするためにこそ、大好きな「私の柔道」を捨てなくちゃいけないのかな。
 薫はここで、脊髄反射的に「私の柔道」を選んで日常を捨てることなどしないのです。
 「ソラバヤシ」のお話のときにおける、小関とはそこが違います。
 小関については、「ソラバヤシ」についての私の感想「日常のいる非日常」に詳しく書いてあります。
 薫にとっては、日常を捨てるということは、自らの規則正しい生活という名の内的規範に背く行為で
 あり、ひとつの逃げでもあるのです。
 この場合の日常を言い換えると、それはいわゆる普通です。
 普通に学校行って部活行って、毎日を楽しく生きる。
 薫にとっては、その毎日を楽しく生きるという事が重要であって、その生き方の形に拘りがあるものでは
 無く、また拘ることで楽しく生きられないのなら、それは間違っているということ。
 そして同時に、薫にとっては、普通に生きるという事が重要であって、またそれも形に拘るべきもので
 は無い。
 つまり、薫にとっての現在の普通」とはなにか、なのです。
 そして、それはどう考えても部活を続けていく、という事なのです。
 そして、どう考えても頑張っても今の部活を楽しく感じることは出来ないのです。
 だから、頑張るしか無い。
  歯を食いしばって、今の部活をそれでも楽しめるように頑張るしか無い。
 そして、薫はもう気づいているのです。
 
 なんで私、「私の柔道」を続けることこそを、普通にしようって考えないんだろ、と。
 
 私にとって、「私の柔道」ってそんなに軽いものだったのかな。
 私は、もしかして「私の柔道」を信じて無いんじゃないのかな。
 薫は、日常という普通というただの内的規範であったそれを、特別なそれで無ければ駄目であるという、
 特別な「日常」という「普通」という形式あるモノに拘ってしまっていたのです。
 日常は日常であって「日常」では無い。
 「日常」は日常のうちのひとつにしか過ぎない。
 自らの内的規範を意識しそれを守れるのなら、それこそどんな「日常」だって良いのです。
 内的規範が息づく「日常」、それが日常のいる非日常。
 それが、日常。
 つまり、重要なのは薫が部活以外の場所で柔道を続けること、それが逃避でもなんでも無いもので
 あるという自覚を得る必要があるということです。
 そのためには、無論ただの無批判な自己肯定などでは無く、徹底した現在向き合っているモノとの対話
 が必要なのです。
 私は、一体部活になにを視ているのかな。
 部活に、なにを求めているのかな。
 私は・・・
 負けたくないんだ・・・部活に・・自分に
 今のままじゃ、ただ練習が厳しいから、精神的にキツイから辞めるってだけになってしまうし、だからそれで
 他の場所を求めるっていうのはただの逃避にしかならないんだ。
 そして、そう考えるからこそ、自分が今部活に所属しながらも練習をサボり続けているという、その日常
 の規範を破り怠けているだけの自分に目がいくようになるのです。
 サボることで人様に迷惑をかけている、という事に関する罪悪感も、こういう順路を経てこそ意味のある
 ものになってくる。 
 そうよね、私なにやってるんだろね、私の問題とそれは別のことなんだよね。
 無論、その自分の問題を無視して集団としての部や他人の事を考えろ、ていうかそれだけが大事なこと
 だろというのは逆に罪なことですし、それは充分批判対象に値する全体主義的発想です。
 内的規範として自ら他者をおもうからこそ、初めて他者は視えてくる。
 勿論、内的規範の数は、モデルケースはあれど、人の数だけあるのです。
 そう。
 これが、この「バタバタ」というお話の本質にあるモノです。
 
 
 
 『あんたに・・・何がわかるのよぉぉぉぉっっっっ!!!!』
 
 
 
 薫の葛藤の本質は、内なる「無責任に「普通」を押し付ける他者」との対面にありました。
 薫自身が持っている内的規範の中に、その内なる他者はいたのです。
 バタ、バタ、バタ。
 夜中に畳みを打って、それは薫を誘います。
 ほら、お前部活やめていいのか? 柔道やめていいのか?
 それはお前のためにならんぞ。
 お前はお前の「日常」にこそ還れ。
 そして、薫は既にもう、それが間違いであることを理解しているのです。
 部活をやめるのと柔道をやめるのは別のことであると。
 でも私、あの音が聞こえてるから、こんなに苦しんでいるの?
 なんで私は、こんなにあの音のせいにしたがるの?
 その問いは、実に簡単な答えを薫に与えたのです。
 なんだ、私、怠けたいだけなんだ。
 私はあのバタバタという音に消えて貰いたいんじゃ無い。
 あの音にいて欲しいんだ、私が倒すための悪者として。
 
 そう。
 敢えて部活と柔道を同じモノとして捉え、そして部活を辞めれば柔道も消えてくれる。
 もう、私はとにかく考えたくないんだ、悩みたく無いんだ。
 『もう辞めよう。柔道のことは「きっぱり」と忘れよう。』
 『そうすれば、こんな辛いおもいをすることもなくなる。』
 
 「きっぱり」というのが、この場合薫を支えてくれる罪な矜持。
 柔道家らしく潔く敵に打ち「勝とう」とすることに専念するという、まさに部の顧問が求めたモノで以て
 応じることで、感情の辻褄合わせも行っている薫。
 そしてなんとも言えない充実感に囚われた薫は、そうしてただ自分が辛いおもいをすることから逃げるだ
 けという、ただそのためだけに戦うという、限り無い「怠慢」に身を染めていくのです。
 薫は、部の顧問の言葉に視た愚かさと同じことを自らもやっていることに気づいていなかったのです。
 そして、そのことに、薫は気づいたのです。
 その自分の怠けの根源にあるモノと、対面したがゆえに。
 
 瑞生に取り憑いた、あの大垣家に預けられていた奇妙な石に憑いていたモノ。
 それが、猛然と瑞生の体を使って薫に襲いかかります。
 『けしからんな貴様。己で雑魚共を寄依せておいて儂のせいにするなど、実にけしからん。』
 と、石(?)はこう怒ります。
 『いいか! 儂は貴様に雑魚などけしかけておらんぞ!』
 どいつもこいつも、儂を目の敵にしおって、けしからん。
 畳をバタバタと叩く音は、今まで薫が叩いてきた音そのものです。
 石は、関係ありません。
 しかし。
 
 真の敵は、薫が投げ飛ばすべき敵は、その石なのです。
 
 石はこう言います。
 儂を、祀れと。
 そうすれば、この不快な音からお前を解き放ってやると。
 悪いのはあの音だ。
 お前は悪く無い。
 この音とはきっぱり縁を切れ。
 儂を崇めよ。
 儂こそお前だ。
 我が名は・・・
 
 
 「ただ自分を無条件に認めたくて、怠けたくて、逃げるための口実を探すどうしようも無い石頭」でしょ!
 
 
 ああもう、むかついた。
 ああもう、ああもう、ああもう! 
 あんた言ったよね? 『貴様はこいつらを好いてるだろ?』って。
 そうよ、その通りじゃないの。
 それをあんた自身、しっかりすっぱりわかってんじゃないの!
 部活と柔道は別。
 私は柔道が好きだ。大好きだ。
 あの音達は私に苦しみを与えるし、私の嫌いなモノも含んでる。
 でも、私が大好きな音も、やっぱりどうしようも無く混じってる。
 私は・・・
 いや、あんたは。
 
 大好きな「私の柔道」まで捨てようって言うの!?
 
 部活もやめて、柔道もやめて、それでなにが残るっていうのよ。
 あんたは、ただの虚無よ。
 あんたなんか、誰が祀るもんか!
 誰があんたと一体になんかなるもんか!
 あんたに、なにがわかる!!
 無責任に勝手に押し付けて、勝手に諦めて、勝手にいつのまにか自分のためだけのことにして。
 巫山戯んじゃないわよ。
 結局なにもやりたく無いだけじゃないか。
 あんたは、ただ怠けたいだけだ。
 そう。
 たったひとつの「日常」を押し付け、それですべてを切り盛りするだけの愚かさと怠慢に身を委ねさせよう
 とする、すべてのモノが等しく根源に持つ虚無そのものが、この石に宿ったモノなのです。
 そしてその虚無を、薫は自分の目の前に広がる「バタバタ」に視ようとしたのです。
 日常と「日常」を同じモノにし、そしてすべてから逸脱し怠けようと。
 
 そして、そのバタバタ足掻いている自分にこそ、薫は圧倒的に気づいたのです。 
 誰が、負けるもんか!
 柔道を絶対にやめるもんか!
 
 たとえ柔道に取り憑かれそれだけになってしまうという恐怖の誘惑に駆られようとも、その恐怖という名の
 怠惰な欲望こそ自分が投げ飛ばすモノであると、薫は気づくのです。
 薫は、柔道を愛しています。
 愛したモノに殺されるなら、本望。
 殺されたくないから殺すなんてあり得ない。
 だから、殺されないように、頑張るだけ。
 愛するモノを殺したいという衝動こそを、薫は豪快にぶん投げるのです。
 自分がただただ、自分の愛する柔道と向き合うことを恐れ、それから逃げているだけだったのだから。
 頑張ろう、私は自分の大好きな柔道を私がやるためにこそ頑張ろう。
 それが、それだけが、薫の日常であるのです。
 私の柔道を汚す奴は誰だって、私が許さないんだから!
 勿論、それが私だって投げ飛ばしてやるんだから。
 
 そして薫は見事瑞生をぶん投げて(笑)、自ら祓いを完遂するのです。
 そして。
 『私もさぁ、柔道やめない方向でもうちょっと考えてみる。』
 『そしたら、いつか瑞生ちゃんと一緒に柔道できるかもね!』
 これが、希望というやつですよね、まったくもう。 (笑)
 いつか瑞生と笑顔で柔道やる日、それが今の薫の「日常」の行く末にあると設定できたのですよね。
 薫が思いついたその「日常」が、瑞生という目標を得たことで、立派に内的規範を兼ね備えた日常
 へと根付いていくのが、このときはっきりとみえました。
 
 そして、しばらくして。
 薫は高校の部活をやめて、町の柔道クラブで楽しみながら柔道を続けていくことにしたのです。
 
 薫の日常にぬくもりある花が咲いた瞬間ですね。
 ただバタバタと勝利を強制される事が嫌だから、脊髄反射的に部をやめるのでも無く、なにもかも
 すっぱりと忘れて石頭で怠惰な虚無に身を委ねて全部放り出すのでも無い。
 ただただ、自らの「好き」というおもいのままに、楽しみながら主体的に新しく至った日常を生きていく。
 部活をそれでも続けることには、やはりそれなりに意味はあるでしょう。
 そして、やりたくないことでもそれをやりたいものへと変えていくという、そういった努力を養うという意味で
 は、改めて部活に身を投じていくことも悪くは無いでしょう。
 しかし、この「バタバタ」というお話と、そして「もっけ」というこの作品は、概ねそれを志向しませんし、
 また部活を続けることどういうことかを考えるがゆえにこそ、それだけになってしまっていることを私達に常に
 考えさせてくれるのです。
 部活を続けることで得られること、それ自体が失わせているものはなにか。
 本当に目を向けるべきはなにか。
 それをせずにいることで、なにが起きるのか。
 古き継続を見渡し、そして、新しく、考えていこう。
 言うなれば、温故知新。
 古いモノを視たりそれに憑かれたりするのは、それを肯定するためだけでは無い。
 では、なんのためにか。なぜこの作品は部活を続けさせないのか。
 それは。
 夢、があるから。
 夢がある、希望があるモノをこそ、描きたいから。
 現実を認識しそれを生きる気概があるからこそ、現実を目的になどしないのです。
 現実が目的ならば、しぜんにその現実に生きる気概の根源にあるモノの姿が知れてきますからね。
 そのことに特化したのが、今回のこの「バタバタ」というお話だったと思います。
 
 以上、第十八話「バタバタ」の感想でした。
 もう、あの薫と瑞生(に取り憑いたモノ)との対面シーン、そして薫が瑞生(以下略w)を投げ飛ばした
 シーンがすべてでした。
 そしてちょっと、涙出た私でした、まる。 (笑)
 頑張ろう、なんか本当に、頑張ろう。
 否。
 本当に、頑張りたいなぁって、久しぶりに素直に思えました。
 ちょっと、嬉しかった。
 
 それでは、内容的に手短ではありましたけれど、今回はこの辺りにて。
 大変美味しゅう御座いました。
 御馳走様。
 
 また来週、お会い致しましょう。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
                                 ◆ 『』内文章、アニメ「もっけ」より引用 ◆
 
 
 

 

-- 080207--                    

 

         

                          ■■螺子は緩めでお願いします■■

     
 
 
 
 
 私あの子嫌い。 (挨拶)
 
 雪降れとか言っていたら、ほんとに降ったけど、あんまり感動しなかった紅い瞳です。
 ていうか、コケた。 
 あり得ないからこれ。あり得ないくらいずるっといったからこれ。
 しかも体勢を直そうとしたら、足つったから。
 はい。
 
 もう雪はいいです。さりげにもういいです。コケれば百年の恋も醒めます。
 ということで、特に出だしの挨拶が思いつきませんけれど、まぁそんなところです。
 今テレビ観ながら書いているので、集中できません。
 テレビ、っていうかアニメ観ているのですけれどね、アニメ。
 ええ、今日は感想を書こうと思っていまして。
 はい、今期アニメについてのプチ感想をちょこっと。プチっとちょこっとね。
 というか、今日はそれで勘弁してください。
 狼と香辛料の感想で燃え尽きた。燃え尽きちゃったよーっ。
 はい。
 
 ほんとは狼と香辛料についてもっと語りたいのですけれど、もう頭の中は来週分の感想に備えて一杯
 一杯だったりしますし、とか言ってるうちに、あ、もっけの感想その前に書くんだった、無理無理、無理だ
 から、とか言いつつやっぱり書いていたりする、そういった稼働振りで御座います。なんで御座いますだ。
 そう、もっけについてもプチちょこって書いてあげたいのですけど、無理でした。
 来週だ、来週。そういうのはもう全部来週だ。
 来週もまた来週って言うよ、言ってやるよ、かかってこいよ!
 結構、疲れてるね、この人。
 あるいは、憑かれてる?
 あは、座布団一枚(持っていってください)。
 
 
 この勢いの良さが気持ちよすぎているので、しばらくこんな感じで。
 熱く、燃えてますよ、今。
 さて、燃え尽きるまであと何歩かな。
 
 はい。
 
 
 
 と、ふとテレビ画面から目を離して見てみたら、なんだこりゃ。
 またやる気の無いこと書いて、ほんとこの子は駄目な子ですね。
 では画面から目を離してこっちに集中すればやる気出るのかというと、それはもう全然あり得ません!
 ・・・まぁ、さりげに胸を張ってそう言うことを言っている自分が好きな訳ですが。
 
 えーまぁ、うん。
 今回は実はもっけの感想を書き出してたんですよね、この日記よりも先に。
 なぜかっていうと、書くネタが思いつかなかったらから、取り敢えずもっけ先やろうっていう話になり、
 案の定気が付いたらこっちの日記を忘れていたみたいな、そんな感じです。
 とか言っといて、ほんとはネタはあったんですよ、ていうかあるのですよ。
 うん、今期アニメのプチ感想を書こうかなって思っていて、それでまぁ、うん、でもめんどいなーでも書かな
 あかんやろでもなー、といういつもらしい葛藤をしてて手間取ってうわー、みたいな、ほんと、最近
 口語が凄すぎて自分でもたまになにを言いたかったのかわからなくなってくるときがあるのですが、というか
 もう少し立ち止まって考えながら書くこと考えて、そしてこれを書くと決まったことだけ書けばよいのに、
 とかほらね、もう既に今頭で考えてることでほぼ全部ずらーって書いちゃったよこれ、まさにチャットじゃ
 ないですか、いやいやいやチャットだって発言する前に一息自分がこれから打ち込む文章について
 考えなくちゃいけませんのだ、でさーやっぱりアニメに萌えはあってもいいよねーとか、なんだ、いきなり
 なに言ってんの、まぁ萌えはいいや、そうそう、アニメのプチ感想がどうのこうのとか言って、それで訳
 わかんなくなったんだ、いや訳わかんなくなってませんからね、ちゃんとわかってるからねこれ、あ、この
 語尾に「〜これ」ってつけるのは銀魂の銀さんの真似ですからね、よい子と非ヲタは真似しちゃいけませ
 んからねこれ、なんかそろそろ虚しくなってきたような気もするし、まだまだ行けるような気もしますし、
 そもそもどうだっていいような気もしますし、でもね、その辺りの拘りというのがですね、えっと、たぶんなに
 も生まないと思うけどね、あれ、なにを肯定してなにを否定しようとしてたんだっけ、ええと、なんだろ。
 
 (フォローもツッコミも無しで)
 この頃、Web拍手を沢山頂いております。
 勿論、いつもに比べてのことですけれど、しかし私には数字は少なくともでっかいのです。
 ありがとう御座います。
 とてもとても励みになるというか、なんかもう、嬉しいです。
 ひとつひとつの拍手の刻む数字を撫でて抱き締めたいくらいです。
 でも実際に拍手画面を指でさすっていたりすると、普通に自分でも怖いので自制しておりますけれど、
 本心ではもうみんな大好きだーみたいな、そんなハッピー万歳です。大好きです。ありがとうおめでとう。
 しかし、いえ、しかしだなんて言ってはいけないのですけれど、なんで急にこの頃増えてきたのでしょうか。
 いや、嬉しいんですよほんと、ええ、だから水を差すつもりも差されるつもりも全く無いのですけれど、
 こう、気になる。
 一度気になるとあと百回くらいは疑問に思わないとすっきりしないような。
 ということで、今その百回を目指して疑問に思いまくりなのです。
 百回超えたらたぶん普通ににやけ状態に戻ります。
 で、全然わからない訳なのですけれど、うーん、時期的には狼と香辛料の感想を書き始めて少し
 後くらいからですから、それなのかな。
 そうだったら嬉しいのですけれどねぇ。
 まーチャットとかサボり気味ですし、雑日記も投げやりですし、その辺りに気合いいれてくださっているの
 かもしれませんし、普通に私のことが好きなのかもしれない。
 ・・・・。
 なんか意識してきましたよ、この人。
 
 改めまして、いつも拍手ありがとう御座います。
 頑張ります♪
 
 
 えーあーうん。
 あとは、そうそう、決戦3買った。
 今更かよというツッコミすら無いだろうほど昔のゲーム。
 といっても2004年だから、ジルオールと対して変わらないのかぁ。
 というか、ゲームディスクに収録されてるCMムービにジルあったし。
 あ、だからジルを引き合いに出したのか私。 (頭の中身が)わっかりやすーい。
 一応、信長の野望革新PKが出るまでゲームはお預けでモチベーション高めていこうという試みだったの
 に、あっさりと挫けてとりあえず信長までの繋ぎですからねと言い訳になっていないことを自分に囁きなが
 ら思う様に買ってしまったゲームです、これ。
 うっわ、ほんと私ってばコーエーさんにお世話になってますねぇ。
 ジルもコーエーだし。
 で、肝心の決戦3は、まー・・・・普通?
 というか、結構単調なんで、最初は面白いけど、飽きるのは早そうという感触。
 一回クリアすると、ゲームレベルが上がって一段階難しくなるシステムなんだけど、たぶん二回目やる気
 を起こすには多少の努力がいるかも。
 だってステージ変わらないし、おまけにまた一から順番にひとつひとつステージクリアしなくちゃいけない
 んだもんねぇ、せめて無双みたく好きなステージ選んで遊べるモードが欲しかったです。
 ちなみに決戦3は、無双の部隊版。
 無双はひとりの武将が一騎当千の爽快感を味わう感じで、決戦3は部隊を率いて撃破してくみたいな
 感じで、私的にはこっちのが好きなタイプ。
 要するに、猿山の大将気分を味わいたいんですねこの人は。
 無双は護衛兵システムが無くなってから段々興味無くなってきていたので、割と期待してはいたのです
 けれど、うーん、なんか率いているって感じがしないっていうか、うーん。
 正直どう表現していいのかわからないんですけど、微妙に爽快感が無いんですよね。
 同じくコーエーのゲームで、昨年発売したブレイドストームっていうのがありまして、やった事あるのです
 けれどあっちのが面白かったかなぁ。
 ガンダム無双じゃなくて、ブレイドストームこそPS2に移植してくださいなコーエーさん。たぶん買うよ私。
 ま、決戦3は今あんまりやっている時間が無くてそんなに進んでいないゆえに、もう少しやってみたほうが
 よいでしょうね。
 
 さて、そんなこんなで前置き(ぇ)が長くなってしまいました。
 では、以下より今期アニメのプチ感想をちらっとな。
 もっけについては、来週だ、来週。
 
 ちなみに今期のアニメの視聴スピードは、私史上稀にみる遅さですので、ほとんどの作品が一周遅れ
 くらいになってます。おゆるしを。
 
 
 
 
 ◆
 
 ガンスリ2:
 ぐっと良くなってきた。
 一期との比較で、ついつい表情で色々なモノを語って欲しいという思いが強すぎていたので、それを
 抑える方向で観ていくと、結構気づける。
 あ、人形がいる、って。
 感情の無い、人間的では無い、しかし人の真似をして、色々な感情の輪郭を心に持ち考える。
 OPとED聴いてて、よーく聴いてて、そしてそれから本編観ると、ぐわっとくる。
 もう人間らしさを持っていないのに、それでも私は人間らしくありたいと、その能面のような顔で、感情
 の籠もらない顔で、言うんです。
 しかも、目だけは豪快に笑って。
 あの表情の描写からは、その人間らしくありたいという願いの深さなどまるで感じられません。
 だからこそ私は、その願いの深さを圧倒的筆致で描き切った第一期と比べていたのです。
 でも、だからこそ、のこの第二期だったのです。
 逆に考えるのですね。
 人間らしくありたい、普通の女の子らしくありたいという言葉にぬくもりさえ無いのに、それなのに、それな
 のに、どうしてあの子達はそれでもそう言うのだろうか。
 否。
 どうして、それでもそう言えるのだろうか、と。
 不思議ですよね。
 でも。
 きっと誰もが、わかってしまうことなんですよね。
 もうね、アンジェリカ観てたら涙止まらなくなりました。
 良かったね、アンジェ。マルコーさんに褒めて貰って、本当に良かったね。
 彼女達が背負っている地獄を思えばこそ、あのアンジェの笑顔は複雑にみえる、それが第一期。
 しかし、その彼女たちの笑顔の本質にあるのは、ただ純粋な願い。
 彼女達が人を殺さなくてはならないという地獄を憂うことと、それでも誰かから褒められたい、認められた
 いという願いがあることは、それぞれ別のことなのですね。
 アンジェから銃を取り上げるということは、イコールアンジェが誰からも認められないということ。
 しかしそれは、イコールアンジェが人殺しをすることだけが幸せであるということでは無い。
 アンジェにとっては、ただただ、自分が認められ愛されるという事だけが、重要なのです。
 それをただもう、アンジェは求めている。
 義体化の影響を最も受け、それの進行速度が最も早いアンジェにこそ、その事を私は視ました。
 アンジェ万歳。 (要はそれが言いたかったw)
 
 アリア3:
 三期に入ってから、妙に説教臭いだけみたいになってきたというか、ぶっちゃけ「働く」ということに関して
 の自意識の醸成ということに収束し過ぎていて、息苦しさを禁じ得なかった。
 なんだか灯里の世界が狭くなっていくような気がして、この作品の良さの半分くらいが無くなっていく
 感じ。
 言いたい事は良くわかるけれど、だからなに?、という展開が多く、だからそこからふっと周りを見回して
 色々考えたり感じたりするっていう、そういうアリア的「癒し」作業が全然無くて、ただよし頑張ろうっていう
 ことのためにだけお話が組まれていて、なんか強制的に自分を納得させるための不健康な癒しっぽさが
 漂っている。
 と、思っていたのだけれども。
 んんー、でもやっぱりアリアはアリアなんですよねぇ。
 そういう風に仕事一筋になってきてる灯里、及びそれを受け入れ囲い込もうとするルール的「社会」と
 しての周囲の圧力が息苦しさを感じさせるのはそうなんだけども。
 じゃあ、当の灯里はどうなのかしら? というと、やっぱりどうみてもえへへってしてる。
 なんていうか、嫌味さとか当て付けさとかも無く、なんていうか疲れて息切れしてるって感じの息苦しさ
 は無くて、ジョギングしていい感じに息が上がってきたみたいな、そういうなんとも言えない熱い感じが
 するのね。
 灯里が一日働いてきて、アリシアさんのところに帰ってきて、今日はとっても楽しかったです、というのを
 聞いた瞬間、ああもう、これアリアだわ、どうあってもアリアだわこれ、って感じになりましたのですよ。
 これ、灯里の観てる場所が、「世界」から「社会」に変わっただけじゃないの?
 で、「社会」っていうのは「世界」の一部でしか無いのに、それなのに「社会」=「世界」みたいになって
 るのが息苦しいって感じたんだけど、よく観るとこれ、やっぱり灯里的に「社会」は「世界」の一部でしか
 無く、でも今一番熱中しているのが「社会」における労働だから、だからそこで色々頑張って楽しんで
 るだけで、やっぱりふと見上げると、それでもアクアは廻っている訳で。
 アリアの優しい雄大さの手前の、そのささやかな情熱に身を委ねる灯里。
 うーん、これ、やっぱりいいわ、第三期。 (路線変更w)
 
 破天荒遊戯:
 非常にわかりやすいというか、無駄なものを徹底的に省いたというか、もの凄くしっかりとした意志を
 感じられます。
 とにかく楽しく生きること考えなきゃ駄目でしょう、サイケデリックでしたっけ? そんな感じで主義主張
 よりもまずは自分が楽しくなるにはどうしたらいいかを考えよう、というお話。
 各回で色々な「不幸」や「絶望」のケースが描かれるのだけれど、必ずそれに対して主人公達のやる
 ことは決まっていて、とにかく楽しくいこう、楽しくいくにはどうすればいいのかなと、そういう風にして毎回
 そういったケースのものを調理していく。
 そして、「自分」というものも、この作品はしっかり調理していくんですよね。
 徹底した道化主義というか、まずなによりも「今此処にいる」ということがどういう事かを考えよう、というか
 「自分」って本来そういうものでしょう?、そう考えればそうでは無い自分の姿を視たとき、それは自分
 では無いとして、それと戦い打ち勝っていくことが出来る、そういうことを示してもいるのでしょうね。
 第一話から今まで、その方針は徹底的に守られていて、たとえ解決できない問題があったとしても、
 それでもそれを解決しようとしている自分は今此処にいると、その宣言で締めくくることは、おそらく
 これからどれだけ話数が進んでも変わらないのでしょうね。
 非常に好感が持てる作品ですし、こういうのは大好きです私。もっとやれ。
 
 シゴフミ:
 迫力はあるけれど、そろそろそれだけであることがキツくなってきたかもしれない。
 設定自体が陳腐で、しかもその上辺の取り繕いは良く出来てるけれど、しかしその設定をしっかりと
 自己内省的に捉え直して、自らよりよいものに広げ深めていく、という感じがあまりしない。
 だから次々とネタを出していって、その繋ぎ方は上手いし面白いけれど、結局その技巧感だけで終わっ
 てしまって、その設定を通じて考え感じたことを徹底的に描き切っているという、そういった溜息の出る
 ような凄さが無い。
 が、でもやっぱり面白い。おい早くも前言撤回かよ。
 だって迫力が違うもの。というか、意気込みが違う?
 絵とか演出のクオリティーはともかく、必死に駆けずり回る人間の描写そのものが凄い。
 問題を考えるとか解決するとか、そういう言語的な事がおそらくこの作品のやりたいことでは無いのかも
 しれないなぁ、とか考えているうちに、普通に画面の中に魅入ってるんだもんねこれがまた。
 
 みなみけ2:
 全く無意味なサービスシーンは全面カットでお願いします。そんなもん観たい訳じゃ無いので。
 別にギャグとの絡み上意味があったりとか、そういうことでなら別に構わないんだけど、それだけが目的な
 のを羅列されると普通に気持ち悪い。
 まぁでも、それはどうでもいいです。楽しめる人だけ楽しんだらいいさ。 (投げやり)
 全体的な演出のギクシャク感はまだ薄まらないけれど、ある程度こっちがそれに慣れてきたので見られ
 るようにはなってきた。
 それと、ギャグ的なノリはやっぱり第二期はイマイチなんだけど、でもちょこっとそれ以外のシリアスがかった
 シーンなどの見せ方には、おっ、てくるものがあったね。
 あの隣に越してきた男の子が、人に頼まれると嫌とは言えないのを、偉いわねぇと心底感心して妹達に
 無理矢理見習わせようと足掻く長女に、まっすぐにそれに反旗を翻したり逃げたりびびったりしてる次女
 に、そして目先がその男の子の方に向いてる三女とか、あの辺りの感覚の温度差とか方向性が絶妙
 に絡み合っていて、見終わったあとにずーっと浸みてくるものがありましたギャグアニメなのに。
 ・・・ほさか先輩がせっかく出てきたのに飼い殺し状態だったので、やっぱり萎える。あー違うんだよ。
 
 
 
 以上。
 また来週。
 
 
 
 
 

 

-- 080204--                    

 

         

                                 ■■ 狼と月と麦 ■■

     
 
 
 
 
 『孤独は死に至る病じゃ。充分釣り合う。』
 

                                〜狼と香辛料・第四話・ホロの言葉より〜

 
 
 
 
 
 
 
・・
 
・ ・
 
・   ・
 
・     ・
 
・       ・
 
・         ・
 
・         ・
 
・         ・
 

 

・         ・

 
 

 

 
なだらかな夜道が月の浮かぶ夜空に続いている。
雨に濡れた花弁を愛でる眼差しを溶いてまぶし、敷き詰められた涙を吸ってその花は闇を吹く。
ランタンの輪郭をなぞる薄光が酒場の微睡みの生みし宵闇の子種と知りつつ、ゆっくりと触りたくなる。
頬ずりを兼ねた談笑が、月を照らす。
漆黒と呼ぶにはあまりに薄く暖かいその夜の闇に、愛しい嫉妬を捧げたい。
伸ばした指先が月の尾に触れる感触を楽しみながら、踏み締める砂利道の一粒一粒を感じたい。
 踏み出す一歩が統べる服と肌の間への夜気の侵入と手に手を取り、踊りたい。
思い浮かべるは、雄壮で卑猥な男達の喧噪。
耳を澄まして諳んじるは、猥雑な食卓に広げられた艶ある粗食の美しさ。
手を叩けば夜に映え、言の葉を連ねれば夜は燃える。
策略と欺瞞。
罪悪と謀略。
それぞれたった二文字ずつに区切られて夜に飛ぶ、哀れで賢い白い蝶のひとひらにしか過ぎない。
言葉達の燐光が、こそばゆい。
血塗られた灯火が、夜こそが世界の胎内であることを明かしていく。
ぽつぽつと道と道を繋ぐ家々に血が廻る。
どくどくと音を立てて、鼓動が浸みていく。
嘘と抱擁を交わし、騙りと口付けを交わし、詐術に身を委ねていく。
自らもまた嘘を騙り詐術を以て夜を感じていく。
触れ合う肌の向こう側にこそ、暖かい夜が満ちている。
豊穣で静寂に満ちた、夜の中の帰り道。
 
この先に在る灯りは、なんぞや?
 
・ ・
 
燃える薪代を数えながら、飾り付けの暖炉の炎に目をそばめている。
煌々とぬるく燃え散る明かりに炙られて、頬はしっとりと紅く染まっている。
喉を撫で腹を燃やす酒杯の中の夜気が心地良い。
稼いだ物を遣うという事は、底抜けに愉しい。
間抜けに燃え広がる微笑が暖かい。
にんまりと金を摘み、そのままベッドへと無下に放り投げる。
酔っては投げ、投げては酔い、その様はまるで炎に責め立てられる無邪気な影のよう。
踊れ、歌え、密やかに。
噛み殺した笑いが次々と蘇生を始め、こんもりと開けっ広げに瞳は弾けていく。
麗しきかな人生、嗚呼、涙、涙なり。
切り取った文字を暖炉にくべ、爆ぜていく微笑の行方に指を滑らせていく。
伝う涙に頬ずりし、汗ばむ歓びが胸を締め付ける様を語りたい。
額に吹き出る汗を涙に見立て、獲物を仕留めるが如くに稼いで、稼いだ。
そのゆるやかな戦果は服となりて肌を包み、粗食となりて腹を満たし、酒となりて喉に指を這わせていく。
ちゃりんちゃりんと響くその鼓動に、暖かい炎が廻っている。
神はいて、しかし既にそれはただひとつの文字となりて、ベッドの上に捨ててある。
暖炉にくべれば、またひとつこの部屋の灯りとなっていくのだ。
偉大なる唯一神様に、いと高きまで昇る感謝を添えて、燃やそうぞ。
神はただ薪代を数える指先の下僕となりて、従順にこの幸福の礎となっていく。
金のために生きるのか、神への感謝のために生きるのか。
そんな事は問うまでも無く、既にベッドの上に転がって在るものがすべてを証している。
組んだ足が豊かに解けていくのを、じっと感じている。
次になにをするのか、なにを話すのか、わからぬ、わからぬ。
何を思い出しても、全ては嘘の神様の御加護の元に、ちゃりんと音を立てて幸せへと底抜けに溶けていく。
 
 
幸せを、感じるまでも無い。
 
 
まだまだ、これからじゃ。
 
 
 
 
 
 
 ◆
 
 酒は良い。
 ゆっくりと天井を見上げていると、ぐるぐると世界が回っているのが見えた。
 そのままばったりとベットにひっくり返り、その反動を利用してそっくりと起きあがり、そのまま足を組んで
 豊かにあぐらを組む。
 ぺらぺらぺら。
 わっちがなにかを喋っておる。
 しかし私は葡萄酒が零れ落ちて満ちたコップの水面を見つめながら、それを持つ手に込めた力の 
 反動を、もう片方の髪をいじくり回す手先に生える、異様な生物に感じていた。
 指、これは私の指。
 あれ? こんなもの私に生えていたか?
 ぴくぴくと饒舌にあらゆる音を嗅ぎ回る我が耳が、そう問いかける。
 おいおい、お前も周りのことは片手間かや? 我が耳よ。
 そうこうするうちに、手先に生える得体の知れないものは、我が指という言葉を当て嵌めた瞬間、
 その言葉をびりびりと破いて、愛しく我が美しき髪を梳く指となっていた。
 はやいのう、はやい。
 くるくると体中を嘗め回す指の優しさに絆されて、嬉しさのあまりに思わず笑いが漏れてしまう。
 くっくっく。
 私がこんなところにもおる。
 ぽつぽつと噴き出す酔いを愛して止まないな、まったく。
 いやいや、愛するは我自身か。
 いや、我自身が、私を愛しているのか。
 この人間の形を楽しむこと出来る幸せに、ぬくもりに、私はすっかりと酔わされていた。
 酔った、酔った、私は酔ってるぞ。
 その半笑いな宥めの言葉は、さらに指先に張りつめる細胞のひとつひとつまでをしっとりと燃やしていく。
 足の裏で撫でる脛、くるくると風を切って振る尻尾。かたかたと笑いを背負う肩。
 果ては舌先で愛しく磨いた声音にまで、私の愛は及んでいく。
 つるりと一枚高く滑らかに夜に溶けた我が声音が、さらに言葉としての意味を持っていることが嬉しくて
 堪らない。
 私の考えたことが、伝わっていく。
 私の言った冗談で、相手は苦笑いしていく。
 私の魅せた小さな酔乱は、ゆっくりと逞しくこの部屋を暖めていく。
 
 なんと、面白いことか。
 
 流暢に真摯に固めた詐術を駆使するとき、そのとき頭の中にあるのはただ詐術そのもののみ。
 自らの躍動する脳漿の律動に誘われ、私は遙か闇の果てに向けて邁進する。
 そう。
 その渦中にあるときに感じるは、その邁進そのもの。
 その邁進を自分が今体感している、ということそのものによる幸福を感じている訳では無い。
 私が巧妙に仕掛けさらに磨きをもかけた罠を眺めるとき、私はその罠にかかる相手のことしか考えては
 いない。
 その罠にかかった相手への憐憫とそれを引き起こした我が罪悪、そしてすれすれで進行していく詐術
 と交渉の主体として、永劫に知恵と力を漲らせていくことのうちに、その知恵と力の体感をこそを求めて
 動いている。
 ふむ。
 酒を飲むと、すっと、抜けるな。
 その神々しいばかりの、流れから。
 神、という存在の意味が、ことりと音を立てて胸に落ちてくる。
 この穏やかな灯火に照らされた夜の中では、すべてが神への感謝へと収束していく。
 我が求めた白銀の孤独からの脱出、そしてそれより始まる永劫の旅路。
 それをなによりも楽しく歩んでいくことが出来る、それを私こそが行えているという、そのことへのどうしよう
 も無い感謝。
 ありがとう、ありがとう、有り難い。
 我が持ちし神体へ感謝を贈りたい。
 私にありがとうと言いたい。
 詐術とも呼べぬほどの言葉遊びで褒めた讃えた、我が流麗なる髪を抱き締めて、その流れるばかり
 の髪の豊かにこそ抱かれたいのだ。
 稼げば稼ぐほど、考えれば考えるほどに、燃え盛っていく私がここにいる。
 昼の楽しみがあれば、夜の愉しみもある。
 掻き抱いた、貪るようにしてぬくもりで暖めた我が尻尾が、私のおもうままに私を撫でてくれていく。
 長く長く、ふさふさと輝く尻尾を唇で暖めて、暖められて。
 
 
 そのわっちの様を、ロレンスがじっと観ておる。
 
 
 すべては酔夢のままに。
 すべてはこの暖炉の炎の如くに。
 同じ部屋にて、昼間の旅について、酒を飲みながらだらしなく、かつ知的に語り合う。
 あやつはまだまだ堅いが、しかし蝋燭に照らし出されるあやつの背の影は、なかなかに暖かい。
 つるつるとあやつを誘うが如くに冗談を重ね、しかしまるで色を含めぬ御伽噺で丸く落とし込む。
 『本当に間抜けでのぅ、ほんに呆れたわ。』
 自らのささやかな幸せの遍歴を披露し、自分語りの恥を恥とも思わぬ道化を愉快に演じ、そして時折
 ぐさぐさと暗喩を込めた楔を打ち込んでゆく。
 言いたい放題やりたい放題じゃな、私は。
 しかし酒のぬくもりの元にある私の脳漿は、圧倒的にその統制を飛躍させておる。
 酔えば酔うほどに、どんどんと抜けていく。
 自らの歩んでいる旅路から抜け、いくつでもその路を歩んでいる自分を愛でるやり方を開発していく。
 世界がまた一段と、深まる。
 そして朝になれば、忘れる。
 二日酔いを残してな。
 『うう・・』
 
 そして・・・
 
 
 
 
 

・・ 夜の闇の甘い罠を仕掛けたのは、はて、誰じゃろう? ・・

 
 
 
 

『わっちはちょっと困りんす・・・』

 
 
 
 
 
 
 この旅が重なり、そして深まれば深まるほどに、それから抜け出せ無くなる。
 夜と酒の魔力がそれを緩めても、しかし昼の稼ぎの時間を楽しむ事自体が、この檻を堅牢にしていく。
 自らの知恵を磨けば、さらにそれを深めようとし、いずれはその深遠に囚われるであろう。
 白銀の凍土の上で独り佇んでいた私だからこそ、この旅路をなによりも求めていたのだが、しかしそれは
 そういう孤独であっただけの私であったからこそ、その求めたものの先にあるものがどういう事であるのか
 を現在知らぬのだ。
 やがて知ってはいくことだろうし、既に理屈ではわかり切っておる。
 この旅は、やがて終わる。
 旅路という、それ自体に収束することでな。
 それはまた、白銀の孤独の、その冷たさのみ還元するということでもあるのじゃ。
 私が目指したのは、始まりの地、ヨイツの森。
 ただただ孤独であるを恐れ、そこから抜け出し、そうでは無い楽しみの中に生きることを渇望する、
 ただただそれだけを目指すことの中に、その我が生まれし凍てつく森はあった。
 ふふ
 言っていることが矛盾しているな。
 なにを求め続けていようと、それが孤独ならやはりそれは孤独だ。
 私は・・・勘違いをしていた・・・
 私は、始まりの地の、あの凍てつく白銀の世界の、その中で絶対にそこから抜け出し生きてやるという
 その気概の中に還りたいと言った。
 その永遠なる気概がある限り、私は生きていけると思ったから・・・
 でも、それが孤独であることに変わりは無い。
 いや、私はその孤独があるからこそ、なにかを求め続けるからこそ頑張れると言った。
 でも、その私が求めているのは、あくまでその求め続けた先にある、孤独の夜の果てなのだ。
 私は。
 私は、どんな孤独と絶望の織り成す白い夜の中でも、それでもなにかを求め続ける私を愛している。
 でも。
 私は・・・その私を求めている訳では無かったのだ。
 私は・・・その愛する私は・・・・ただ・・・・ただ・・・・・その白銀の孤独から抜け出したいだけなのだ。
 夜のぬくもりと酒に夢を求めて生きているのでは無い。
 昼の喧噪と金に幸福を求めているからこそ、その夜と酒のぬくもりと夢は燃え盛っているだけなのだ。
 
 この商いに成功したら、ロレンスはそれで稼いだ金を元手にして店を開き、旅から降りてしまう。
 
 あやつがいない道の中に、一体なにがあろうか。
 
 
 『ひとりは・・・・・・・・飽いた・・・』
 
 
 求めて、求めて、喉が張り裂けるばかりに求めて。
 叫んで、叫んで、血が枯れるほどに叫んで。
 それでも残った私の体を愛おしく撫でさすり、そして降り積もる雪の下に埋まっていく。
 もう・・嫌じゃ・・・
 何度、そう思ったことだろうか。
 そして、何度、その言葉を噛み殺して、それでも求め続け叫び続けてきたのだろうか。
 雪と肌の境界線を失い、魂の在処がわからなくなるほどに、凍え続けて・・・
 私に残ったのは、それでもなにかを求めるという言葉と、その言葉を囀る唇だけだったのだ。
 ぼう
 白い夜に浮かぶ、その巫山戯た言葉を指でなぞりながら、雪になっていっていた。
 もう誰にも・・話せない・・・・・触れない・・・・・誰も愛せない
 ホロの喪失。
 もう嫌じゃ。
 もう嫌じゃという能面が囀る言葉しかもう残っていなくとも、私は嫌じゃ。
 ひとりは、嫌じゃ!
 
 
 『・・お前が北に帰るまでくらいなら、付き合ってもいいぞ。』
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 その北とやらは、何処にあるのかや?
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ◆
 
 影が重く張り付いてくる。
 それを強靱にはね除けようとする心に振り回されて、無情にも取り乱していく。
 衣擦れの音すら嗅ぎ取り、あやつの心音すら手に取るようにわかる。
 それなのに、なぜ私は私を感じぬのだ。
 どうして、言葉だけになってしまうのだ。
 音の描く幻影が、等しく脳漿と心を裂いて分けていく。
 本当はもう、音など聴こえてはおらぬのかもしれぬ。
 私には、ロレンスの心音の気持ちがもうわからぬ。
 とくとくとく。
 リズム良く猛る男の優しさに、つい手を伸ばす決心に身を委ねてしまう。
 なぜじゃ・・・なぜわっちは酔うておる
 どうして・・そこで・・・・・そんな決心をすることを真剣に考えているのじゃ
 私は・・私はひとりで・・・・ずっとずっと誰かを求めるだけ・・
 これではまるで、誘っているだけではないか。
 あやつの心がわからぬという口実を以て、ただ怠惰にも慰めを求めているだけではないか。
 わからぬ、わからぬ。
 わからぬからこそ、我が脳漿は一瞬で欺瞞を組み上げ、それを実行する詐術を展開する。
 男に触れさせる術など、簡単じゃ。
 男は阿呆。
 女も、阿呆じゃ。
 
 わっちはただ、男という人形を抱き締めて、凍えるままにひとりで震えを収めようと躍起になっているだけ。
 
 ロレンスは、無論我の語った言葉しかわからぬ。
 だから私がその物語を綺麗に操っている限り、あやつは素直にそれに騙されて操られるだろう。
 私が哀しみで歪めた顔を魅せ、憂いよりも深い求めの眼差しをあやつの目から外してやれば、
 あやつはやれやれと言った態で、それで私の頭を撫でて抱き締めてくれる。
 私が物語りしし孤独を噛み締め、そして慣れた手つきで髪を梳いてくれる。
 泣き声で滲んだ指先で我が喉元に触れれば、それは熱く熟れるほどに燃えている。
 
 ならば、ロレンスに慰めて貰うのか?
 孤独なるままに孤独を哀しみ、孤独を憂い、孤独なままのわっちを慰めてくりゃれ、と?
 
 慰めて貰うために、私は孤独でいるのか?
 否。
 孤独にしがみついているからこそ、それを堅持するための休息的癒しとして、私の目の前の人の子に
 慰めを求めそれを利用しているだけなのだ。
 ならば私は、ずっと孤独なるままだ。
 ロレンスがどういう者であろうと関係無く、ただひとときの愚痴を聞いて貰うためだけに、あやつを我が
 目の前に置いた。
 ロレンスに迷惑をかけられない、これはわっちの問題だから、借りを作りとうはない、云々。
 そして。
 私は自らの孤独とそれでも向き合い、そしてひとりの狼として逞しくなにかを求めるを生きる、と。
 ならばそれは・・・・
 孤独への旅路じゃ。
 その旅の先に待っているのは・・・・・・・どうしようも無く白く凍てついた、始まりしか無き夜だけだ。
 
 
 我は、初めて気が付いた。
 計算と優しさの混じったロレンスの胸板のぬくもりに、冷たい雪の匂いしか聴き取れぬ我が魂に。
 
 
 
 

 わっちは、もう、終わり無き旅は嫌じゃ!!

 
 
 
 
 『わっちらはな、何百年でも生きられる。
 
    だからな・・だから旅に出たんじゃ
 
      絶対に・・・・・絶対にまた会えると信じてな・・
 
 

なのに・・・・・・・

 

・・・・・・

 
 

誰もおらん!! 』

 
 
 
 

毎夜、毎夜。

私は暖かい夢の中で、激しく泣いている。

 
 
 
 
 
 
 

 『もう目を覚ましても誰もおらんのは嫌じゃ。

ひとりは飽いた。
 
ひとりは寒い・・・ひとりは・・寂しい』
 
 
 
 
 
 孤独から抜けようと命を賭け、それゆえに歩き出せた膨大豊穣な世界に涙した。
 頑張って、頑張って、誰よりも深く世界の歓びを知りたいと想った。
 世界の果てを視に行きたいとそう思った。
 だが・・
 その絶え間の無い無上の喜びは、ただ私に与えられた別の形の孤独のぬくもりにしか過ぎなかった。
 もう私は・・・どんな形の孤独も嫌じゃ
 もう・・・頑張れば頑張るだけ自分だけになっていくのを知るだけなのは嫌じゃ・・・
 私は・・ただもう・・・世界の中で得られていく幸せを・・ひとりだけで楽しむのは嫌じゃ・・・・・・・
 我は、あの冷たい森から抜け出せてなどいなかった。
 すべては形を変えただけの、孤独の連続、いやさ、孤独の最終段階に入っただけなんじゃ。
 孤独であるのはあの森にいるからでは無い、この世界のどこにいてもお前は孤独なのだと、そう私に
 認識させるためにこそ旅をさせたのだ。
 そうさせたのは、紛れも無い、我よ。
 世界の何処にも孤独以外の無い、誰もいない、たったひとり自分しかいない、その圧倒的な怠惰な
 安堵に、私は初めからそのすべてを支配されていたのだ。
 私が誰かを求めたのは、誰もいないのを確認するためだったか。
 私が誰のことも顧みずに、ひとりの幸福のみをひたすら残酷に追求し、その果てに自らをボロボロに
 破り捨てるためにこそ稼ぐことの楽しみを見つけたのか。
 
 

そうじゃ

 
 

だからわっちは

 
 

 

絶対にそんなわっちを、許してはおかないでありんす

 
 
 
 

 わっちは、神じゃ

交易を、人の子の幸せを司る神じゃ

 

孤独を生むだけの幸福など、許さぬ

 
 

だから・・

 
 
 
 

 ◆

 
 背筋を這うのは涙のみ。
 私がやるぞという気負いと緊張は、見事我の鼓動に踏み潰されていた。
 素晴らしく紅く漲る瞳が、闇夜に昼を見出していく。
 ぞく、ぞく、ぞく
 鼓動は揺れる。
 視界を遮る髪の流れを掻き分けて、次々に熱に染まっていく首筋を糧にして、狼は静かに狙いを定め
 ていく。
 一点、集中突破。
 策略が策略としての造形を獲得する前に、すべては流れる血潮の如くに我が脳漿に溶けていく。
 否。
 我が脳漿を満たす優しい体液が、慈雨の如くに燦々と我が体内を駆け巡り始めたのだ。
 魂の、咆吼。
 涙で濡れた頬を拭い、その雫をうっそりと舐めた瞳に灯る炎は、それ自体の燃焼の愛しさを捨て、
 焼き尽くす業火としての自覚にこそ燃え盛っていく。
 轟音。
 膨れきった風船の中に満ちていた水が弾け飛ぶが如くに、私は静かに息づきを始めていった。
 聴こえる・・・・
 パートナーの心音が。
 部屋の内にも外にも、音がぎっしりと匂っている。
 
 それじゃ、始めるとするか。
 
 『野暮なこと言うもんじゃありんせん♪』
 
 息を、ひとつ。
 
 
 

 

『わっちのこの体、月明かりの下でとくと観やしゃんせ!』

 

 
 
 

 わっちの戦場はいつも、此処にありんす。

 
 
 
 旅は既に始まっている。
 やるべきことを冷静に、かつ大胆に。
 やるべきことに囚われれば、それ以上のことは出来ぬことを瞬時に認識して。
 私がやるなどという言葉を紡ぐ暇があれば、一足飛びで前に進むことの利を考える。
 いこう、いこう、今此処へ。
 私の生きる場所を決めたのは、私自身。
 私が欲しいものが、そこにあると見定めたから。
 それ自体は事実であり、それは私が全霊を込めて突き止めた場所。
 その他に求めているものがあれ、それに負けるて欲しいものを捨てる訳にはいかぬ。
 私には耳がある、鼻がある、力がある、知恵がある。
 そしてなにより何百年も生きてきた、賢狼ホロじゃ。
 出来ぬことなどありんせん。
 ならば、孤独は酔夢と心得る。
 私は必ず、日々の稼ぎの中にこそ、誰かを見つけてみせる。
 私は私が怠け者であろうと孤独を愛するだけの者であろうと、絶対に絶対に誰かを見つけてみせる。
 いや、違うな。
 
 その稼ぎの日々と、孤独を、どうしたら誰かを見つけることの糧に出来ないかと、考えるのみだ。
 
 私は・・・
 私は・・・・・・・・・・・・・
 
 
 
 
 
 

『 ぬ し を 、 信 じ と る 。 』

 
 
 
 
 
 
 
 私の目の前には、人の子、ロレンスがいる。
 その存在を虚しいものにするのかどうかは、私次第。
 すべてを決めるのは、私次第。
 だから、決める。
 ロレンス。
 私はお前を信じる。
 信じさせてくれ。
 私はもう、誰も失いたくない。
 私はもう、誰もいないのを確認するのは嫌じゃ。
 だから、信じる。
 お前のことは、お前が決めろ。
 私は、信じてる。
 ロレンスは、人の子らは、絶対に私をひとりにはしないと。
 騙しても構わん。
 騙されても構わん。
 私はそれについても後学のためとおもい、そこから学ぶこともするだろう。
 だが。
 私は、信じたのだ。
 それを裏切った分は、絶対に返して貰おう。
 私は、そうしよう。
 ふふ
 そんなこと、初めからずっとそうであったのにのぅ。
 
 誰もいないことを確認するときに、悲しさを感じなかった訳が無いのじゃ。
 
 私はその悲しみを信じて、お前を待つ。
 そしてお前を探しにいく、絶対に。
 どんな手を使っても、な。
 
 
 わっちが生きるというは、そういうことじゃ。
 
 
 
 ほれ、世界はそれでも廻っているぞ。
 たとえ今の今まで、視えなかったとしても、な。
 
 この牢獄の上にも、月はきっと明るく輝いているのじゃ。
 
 
 私はそれを、今も信じている。
 
 
 
 
 『わっちが宿る麦じゃもの。』
 
 
 
 
 熱くて、当然じゃ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ◆ ◆
 
 『待ってください。
  よほどお連れの方が大事とみえます。
  ですがそのせいで思考を鈍らせては、本末転倒です。』 
 
 
 ・・・・はい。 ←落ち着いて椅子にかけ直す私 笑
 
 
 まずは座り直して、一服。(吸わないけど 笑)
 そうですね。
 今回のお話で、もうすっかり私の「狼と香辛料」的平熱は定まりました。
 もう滅茶苦茶熱いです。もうデフォで沸騰です。
 完璧じゃないですか。
 
 稼ぐとはなにか、豊かさとはなにか、孤独とはなにか。
 私とはなにか、生きるとはなにか、他者とはなにか。
 そういうものが全部ひっくるめてひとつになったお話、それが今回のお話でした。
 嘘と本音の意味もなにもかも、ホロとロレンスを観ていると真っ直ぐにわかってしまう。
 見方読み方は人それぞれでしょうけれど、実に様々な隠喩を呼び込んでいるこの作品の素晴らしさの
 、その結晶の一端がはっきり出ていたのは確かだと思います。
 もう、あんまりこれ以上私に言えることは無いような気もします。
 というか、ホロの「ぬしを、信じてる。」で陥ちたね、この人は。 (笑)
 
 正直、自分がこのお話を観て感じて考えたことなら、これだけスラスラと書いた訳なのですけれど、
 それ以外のことですと、とんとどう書いて良いのかわかりません。
 良いんです、すごくすごく良いんです。
 ひとつひとつの仕草や表情、間合いの取り方、台詞の繋ぎ方、音楽も、全部。
 このお話が持っている魂を最大限以上に表現していて、私はそれにうっとりしていただけ。
 ほんと、そんな感じです。
 まさに恋しちゃった感じです。
 これが落ち着いていられるかぁっ! (まぁ落ち着け)
 
 今回の話は、正直驚きました。
 もう少しまったりと交易や嘘のやりとりを展開して、そこからゆっくりとホロの抱える問題について光が
 当てられていくのだとばかり思っていましたのですから。
 しかし、実際は今回のように、いきなりホロがぶっちゃけます。
 もうひとりは嫌じゃ、と。
 下手をすれば、このホロの告白は今までの話で積み上げてきたものをあっさりと反古にして、さらに下手
 をすればホロをただのツンデレキャラとして認識していく物語に逼塞していたかもしれません。
 私もかなり心配しましたし、もしこのまま行ってしまったらそれでこの作品は終わりだとも。
 でも、あのホロの「ぬしを、信じてる。」で、大どんでん返し。
 あれで、ホロが目指しているものが明白になった訳ですね。
 孤独を憂い慰めとしてロレンスを求めていく、だなんて事とはかけ離れた、あの圧倒的なホロのダッシュ。
 一日くらいなら正体バレずに済むと大きなこと言っておきながら、僅か数十分(でしょうね)も保たずに
 速攻正体バレしているご愛敬もありましたが(笑)、しかしあのロレンスとのやりとりからは、そういった
 「ホロ」とはなにかを私達に考えさせてくるものを発見することが出来る感じになっていました。
 そして、元々あるホロとロレンスの温度差が、そのふたりの嘘の重ね合いすれ違いの妙を描いていて、
 それをゆっくりと認識していくことでお互いを理解していく、というこれでまでの話のあり方から推測して
 いた流れと完全に決別し、それこそ孤独への逼塞ではないかと高らかに宣言し、そしてあっという間に
 そのもう少し先で描かれるべき事柄をズバっと描いたのです。
 正体バレだろうが、孤独に涙してようが、それが主題では無いのでありんす。
 
 そこで、私も、ああと、閃いた訳です。
 そうか、そういうことか、と。
 
 私が意識していたものより、そして多くの視聴者が意識していた問題より、さらに一歩先にこの作品は
 その問題意識を置いていた。
 ホロがツンデレならツンデレでいいさ、というかぶっちゃけもう隠してる訳じゃ無いんでツンデレにします、
 はい、私普段企み笑顔で余裕で強がってますけど、ほんとは孤独に涙する弱い女の子でロレンスとか
 求めてます、みたいな。
 で、じゃあ、どうする?
 本来最後に描くべきその「素直になった」ホロの姿を、こんなに早い段階で描いてきたということは、
 それすなわちそんなモノはこの作品の描きたいことでは無いのだよ、という当たり前な意志表示でも
 ある。
 ならば、どうする?
 それが、あのホロの言葉であり、ダッシュなのです。
 今回の話から類推するに、十中八九、あの捕らえられたホロの前に現れたのはクロエでしょう。
 次回のタイトルが「狼と痴話喧嘩」という事からも、ホロのツンデレっぷりが描かれるのかもしれません。
 では、そのホロに対して、ロレンスこそはどうするのか。
 「なんてことだ・・」とホロ救出の手だてが失われたと感じたときに思い浮かべた、ホロの姿。
 「ロレンス」とは、なにか。
 「ホロ」を考えれば、当然「ロレンス」についての思考も、やがて求められていくでしょう。
 この連鎖が、どうしても「私」についての思考をも喚起させていく。
 
 
 今回は、途中からずっと泣きながら書いていました。
 もうあのホロが起きたときに誰もいないのはもう嫌じゃ、の辺りで、決壊してた気が。
 
 
 震えが止まらないままに、そのままずっと書いていました。
 そっか、「ホロ」ってこういう事だったかぁ・・とか考えているうちに、涙どばー。あ、涙。
 ホロに萌え狂う前に、涙どばー。涙。
 自らの孤独を顧みるとき、あまりにそれに対する思考が中途半端だったことに気づきまくり。
 そっか、そっかぁ、そっかぁぁ・・・・・泣。
 私はあまりに私の事を知らなく、知らないということさえ知らないでいる。
 でもそれなのに、「自分を知らないでいる自分」のことは、どうしようも無くわかっちゃう。
 なんで・・なんで涙が止まんないんだろ・・
 どんなに冷静に理屈を並べ立てても、体はしっかり泣いてまう。
 なにを一番本当に求めているのか、そんなものわかる訳無いと言うときなにを目的としてそう言っているの
 か。
 頑張るってことがどういうことになっているのか、それを私は涙無しに考えられずにはいられない。
 もう・・私の体はわかっちゃってるんだよなぁ・・・ほんと、私は頭悪い・・
 『わっちがな、わっちが目を覚ますとな、誰もおらん。ユエもミンティも、マロやミューリも、どこを探しても
  どこにもおらん!』
 ユエとかミンティって誰よ、とか言ってるうちに、涙どばー。どんだけ。
 なんで、泣くんだろう私、なんで泣いてる自分を止めないんだろう私、とそういうことを事後的につらつら
 と考えたり鼻をかんだりしているうちに、ホロがああして月の下で跳んでくれたんですよ。
 これが、興奮せずにいられようかぁっ!! (まぁ慌てるな)
 
 ああ、これが私の求めているモノだったんだねぇ・・・ ←落ち着いてコーヒーを飲みながら
 
 探して、探して、探し切る。
 その前では孤独もお金もその糧にしかなり得ない。
 ううん、探し続けているからこそ、孤独もお金も生きてくる。
 私は、独りじゃ無い。
 なぜなら、孤独とお金が与えてくれる幸福が、私には必ずあるのだから。
 だから、探せる。
 だから、求められる。
 だから。
 信じてる。
 この作品と一緒に踊れる私と。
 この作品を、ね。
 うん、愛だよね、愛。うんうん。
 
 と、いう感じです。よくわからないまとめ方ですみません。(笑)
 しかしまぁ、ここまで感情的な魂のままに向き合えて、それがこそ私にこの文章を書かせたのだと思い
 ます。
 とにかく、今回のこのお話は最高の一言に尽きます。
 そして、ホロ最高。
 感無量です、この狼と出会えて。
 そして早速、マールハイト支店長に惚れました。 (早っ)
 ああいう人とビジネス(に限らず)パートナーになりたいものでありんす♪
 あの人OPにも映ってましたよね? 
 もうちょっと若い印象ありましたけど、本編では結構年季入ってる感じ。
 一応あのOPでの、若くて知的なやり手風(貴族かと思ってたけど)でありながら、最後にふっと優しく笑う
 あの感じにぴくんときてたんですけど(笑)、本編のあのロジカルな強さと優しさも良い感じでした。
 ロレンスの可愛さもそうだけど(あと今回のあの門番の親方wも良い)、なんかこの作品、男性陣の方が
 圧倒的に色っぽい気がするのは気のせいですか?
 女性陣はクロエの頑張ってる誘惑とかホロのツンデレ演技とか、まぁ別に、って感じだし。 
 まぁこれでもっとお姉さま的な人が出てくれば違うのかなやっぱり。 (笑)
 クロエとホロは素で小娘だしっていうかホロは少しは年季の入った色気魅せんかいいやでもそのギャップg
 ちなみに萌えとかエロはいりませんので、ええ、全く。無いだろうけども。
 まぁでも、今回のベッドでのシーンは、色んな意味で面白かったですけどね。 ふふふ。
 
 それでは、名残惜しくはありますけれど、今回はこの辺りに筆を置きたく思います。
 やっぱり、書きたいことがつんと書いて、それを受け止めてくれる作品があるっていうのは幸せですね。
 また来週、お会い致しましょう。
 皆様、それまで良い旅を。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
                              ◆ 『』内文章、アニメ「狼と香辛料」より引用 ◆
 
 
 
 

 

Back