+
+
+
+
+

◆◆◆ -- 2008年3月のお話 -- ◆◆◆

 

-- 080328--                    

 

         

                              ■■ 向日葵のいる笑顔 ■■

     
 
 
 
 
 『おばあちゃんも、どこかでこの青空を観ているのかな。』
 

                           〜もっけ ・最終話・瑞生の言葉より〜

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 鈴を水に溶かしたような、滑らかな音。
 暗い空洞でしか無い乾いた耳の穴に、差し込むようにして広がる光。
 落ちては流れ、落ちては流れ、その中で、響いていく。
 桜色に染められた空は、どこまでも優しく覆い尽くす風情を魅せながら、次の瞬間にはその幕を取り払う
 かの如くに、深く開けた青い青い青空へと続いていく。
 まるで、さぁ始まりはこれからだと言わんばかりに、始まりに始まりを重ね、そして広げていく。
 何処へ、何処へ、何処へいくの。
 声が静かに上擦っていくのを、止められない。
 さらさらと溶けていく音の連なりが、すべて解けて瞳の中へと還ってくる。
 流れる色の重なりが、ひとつひとつ目の前に置き去りにされたまま、激しく其処で息づいていく。
 置かれては生え、置かれては生え、もくもくと猛る白い炎のように、それはその生を始めていく。
 それを、鼓動を抱き締めながら、走りながら、視ている。
 なんだ、私もこの中で、生きているじゃないか。
 先へ、先へ。
 愛でも無く、優しさでも無く、ただそれより少しだけ、ひとつだけ、前をみて。
 見つめるはいつも、天上の先に聳えるなにか。
 ずっと、ずっと、そうだった。
 ただ行きたくて、ただ追いつきたくて、ただ一緒に歩きたくて。
 だけど、それでも感じてた。
 かけがえのないものが、もう此処で、走っているということを。
 くるくると弧を描きながら廻る、そのすべての言葉と視線を超えて感じた、その爽やかな風を。
 祈り、求め、大切なものを、掛け替えの無い人を。
 幾千幾万の瞬間を走り抜け、すべては流れる車窓からの風景として心に置き残し、ただただ、
 ただただ、走り抜けよと激しく念じた、その凄まじい嘘を、みつめて。
 モノがいる。
 モノが、走っている。
 なにか得体の知れないモノが、私の中を走っている。
 駆け抜けて、走り抜けて、ただただ、ただただ。
 取り憑かれ、嗤う。嗤う。
 嗤う。
 
 冷たい
 
 背を走り抜けるそれは、ただただ小さな水溜まりと化して張り付いていた。
 どこに?
 それは、どこにでもある、冷たさだった。
 どこにでも、いつでもそれはあった。
 でもそれは、いなかった。
 嗤う。
 背筋を冷たいなにかが走り抜ける。
 だけど。
 それはよく視たら、ただの汗だった。
 
 
 熱い
 
 
 全身が、漲っているのを感じていた。
 喉の奥を豊かに満たす息切れが、リズムよく世界を止めていく。
 命溢れるなにかが、その豊かに停止したなにかを踏み締める足を感じさせてくれる春。
 梅雨空を埋める心地良い雨。 
 冬空を舞う暖かな雪。
 いつまでも、それは廻っている。
 くるくると流れる血潮よりも確かなその回転は、ただ。
 視ていた。
 嗤う。
 頬が引きつっている。
 嗤う。
 惨めに瞳が歪んでいる。
 
 怖い。
 怖くて、怖くて、堪らない。
 
 走り、走り、走り続け。
 けれど今、大地を蹴る足を、風を切る肩を、肌を、髪を、感じている。
 想いの、残骸。
 踏み締めて、噛み締めて、それで感じるすべてのモノの意味を掴み損ねていた。
 もう、戻らない。
 先へ、先へ、だから、何処へとも無く。
 なにも無い。
 なにも感じない。
 ぬくもりの失せた思い出を胸に冷たく抱き締め、ただそれを握る手の力だけを感じていく。
 じっとりと汗ばむ掌。
 視ている。
 両手を懸命に振り、ひた走っているその姿を。
 嗤う。
 どこまでも、いつまでも、嗤う。
 走れ、走れ、この世の全てを踏み潰すまで。
 走れ、走れ、この体の全てを破壊するまで!
 
 
 なんだ。
 その言葉まで、冷たいじゃんか。
 
 なによりも気持ちの良い、その広大な汗が、頬を伝うのを、感じた。
 
 
 熱く静まっている体を整えようとして、それがどこまでもしどけなく解けていくのを視ていた。
 走るままに、駆け抜けるままに、息の弾むままに、綺麗な景色のまま。
 嬉しい音に、優しい味に、暖かい感触に、導かれるままに。
 笑った。
 汗が、冷たいモノが、どっと噴き出す。
 笑いながら、走りながら、笑った。
 そっか。
 そっか。
 そっか!
 
 待って、お姉ちゃん。
 そう叫びながら、確かに笑ってた。
 
 
 この星よりも大きく笑い廻りながら駆け抜けたその道端にはいつも。
 太陽よりも強くて優しい、その向日葵が咲いていたんだ。
 
 
 
 瑞生の笑顔は、千差万別。
 沢山の笑顔を、瑞生は持っています。
 失敗を誤魔化す笑顔、泣き笑いの笑顔、悔しさを紛らわす笑顔、悲しみを慰める笑顔。
 楽しい笑顔の他に、色々な笑顔を瑞生は持っているのです。
 つい、笑ってしまう。
 笑わずにはいられない。
 笑顔とは、それを示すことで取り敢えず自分は大丈夫だから、楽しいですよ、という自らの状態の表明
 であり、また意志の表れでもあります。
 悲しくても笑うのは、それでも頑張りたいからであり、悔しくても笑うのはやっぱり頑張る自分を励ましたい
 から。
 そしてその笑顔はいつも、自分を含め誰かにみせるためのもの。
 だって私、この世界に居たいんだもん。
 瑞生にとっては、それは静流とは違って、当たり前のことそのもの。
 瑞生の得意技「ワラゴマ(笑誤魔)」は瑞生の必殺技でもあり、また瑞生が生きるために必要な
 大事な武器でもありました。
 笑わなくっちゃ、笑わなくっちゃね。
 しかしその「笑わなくてはいけない」という意識が強いあまりに、瑞生はこれまで何度も色々なモノに
 憑かれてきました。
  そして瑞生はそのたびに多くの事を学んできました。
 うん、そうだよ、「笑わなくてはいけない」って思い詰めちゃうと、笑えなくなっちゃうってことあるんだよね。
 だから、ほんとに笑いたいんだったら、むしろ笑うことなんて忘れる必要があるときもあるんだね。
 そうして頭の中から「笑わなくてはいけない」という言葉を消したときに、すっと、素晴らしく自然な動作
 として笑いが零れてくる、その自分の確かさを瑞生は得てきたのです。
 だから、困ったときはいつも、考えるのをやめる。
 それで上手くいくときもあるんだもん。
 
 瑞生も静流も、モノ、つまりいわゆる妖怪を視たりそれに憑かれたりする、特別な体質です。
 それは極論すれば、ふたりが極度に敏感な人間であるからこそのものでもあります。
 頭の中で使っている、言葉としての理屈以外にも、瑞生と静流は実に多くのことを感じ、そして無意識
 的にもそれらを解決しようとしている。
 そう、頭の中の理屈なもの以上に、その瑞生達の無意識の中のなにかは、それら感じたものを真摯に
 見つめ、そしてなによりも切実にそれを解決していこうとしているのです。
 言葉では理解出来ないモノでも理解していたり、そもそも言葉の範疇では認識すら出来ていない問題
 を認識していたりと、その瑞生達の敏感ななにかはひどく優秀なのです。
 しかし。
 瑞生と静流は、純粋にその自分の能力としての体質を全開放で受け入れ利用していく訳にはいかな
 いのです。
 
 なぜならば、ふたりには「普通」というモノの意識があるからです。
 
 だって、みんな結構鈍感なんだよ? 私達とは違って「わからないでいる」ことに慣れてるから、色んなこ
 と見過ごしやりすごし、ほんとに素通りしていっちゃう。
 だから、私やお姉ちゃんが頑張ってひとつひとつ解決してるうちに、みんなはずっと先に行っちゃうし、
 私達の努力もほとんど理解されることは無い。
 なんでみんなあんな平気なんだろう、どうしてみんなあんなにいい加減なんだろうって、随分思ったよ。
 私さ、自分じゃ結構いい加減でがさつな奴だって思ってるけど、それは私の言葉的な部分だけで、
 私の中のなにかは逆にすごく敏感で、嫌になるくらい繊細なんだ。
 だから、瑞生はワラゴマを覚え、おそらくみんながその瑞生の笑いを見て誤魔化したと思っている以上の
 ものを、瑞生は誤魔化し素通りすることをしたのです。
 だって、「普通」は大事だよ、普通は。
 別にみんなと一緒じゃなきゃ駄目ってことじゃないけどさ、なんていうか、そういう風に私ひとりが気づいた
 モノって、私自身が解決するものなんじゃないのかなぁって。
 それにかまけたり、それを解決するのをみんなにも頼むのって、それってなんか違う気がして。
 いいんだよ、みんなはみんなで。
 みんなたぶん、ひとりだけの秘密とかあるだろうし、それにね。
 やっぱりみんなも、それぞれひとりひとりしか気づけないことって、あるはずなんだ。
 だって私、前に久佐子ちゃんのこと気づけなかったし、三毛さんのこともそうだし、お姉ちゃんのことだって
 今も全然わかんないんだもん。
 
 私ね、お姉ちゃん。
 自分のことを視てたら、みんなのことを知りたくなっちゃったんだ。
 
 瑞生の「普通」というモノは突き詰めればそういうものなのでした。
 敏感過ぎる自分が気づいたモノをすべて解決してたら、結局はその気づいたモノと共に生き、それと
 心中することにしかなれない。
 私は、そんなの嫌だな。
 私は、みんなと一緒に生きたいな。
 そしてそれは、だから私は私の気づいたモノすべてをぱーっと捨てちゃう、ってこととイコールになる訳じゃ
 無い。
 たぶん捨てちゃったら、今度は私はね、「普通」っていうモノと心中することになっちゃうんだ。
 私は、「普通」とじゃなくて、みんなと生きたいんだ。
 みんなもそれぞれ、ちゃんと自分しか気づけない問題とかあるんだもん、そしてみんなそれぞれちゃんと
 頑張ってる。
 だからね、私もワラゴマして、そしてその裏でやっぱりしっかり考えるんだ。
 自分の、自分だけしか気づけない、沢山のモノ達のことを。
 結構、みんなだってワラゴマしてるもん、わかるよ、いくらがさつな方の私だって♪
 そうだからこそ、瑞生はワラゴマはワラゴマにしか過ぎず、すべての笑いがワラゴマにしか過ぎないのならば
 、その笑いはただ虚しいだけのモノになると思い、ゆえにそういうときにこそなにも考えようとせずに、
 ただ笑って誤魔化そうとすることこそに打ち込むのです。
 だからさ、こういうこと。
 自分がワラゴマしてるって批判的に思うと虚しいけど、でもさ、「また檜原の奴ワラゴマしてる〜」とか
 言われて笑われるとさ、なんだか私までえへへって感じで素直に笑えるようになる、ってことかな。
 それも虚しいのかもしれないけれど、大事なのは虚しさを感じることじゃ無いじゃん。
 
 つまり瑞生が行っていたのは、実はそうしてワラゴマしてまで隠さなければならないほどの強烈で特異な
 個人的な問題があり、しかし逆にそうして自分が抱えている問題自体を見つめることを一旦停止し、
 ただ「問題を抱えている」という、それだけなら誰もがそうであると言う文脈の中に自分を位置づけ、
 そして瑞生は敢えてワラゴマという、そういうなにか「問題」を抱えていてそれを隠そうとしているのが
 「見え見え」であるという「笑い」に変換することだったのです。
 
 つまりさ、私はみんなの間では自分の問題もロクに解決でき無い駄目な奴、だけどそれを隠そうと
 必死になってるけどそれが見え見えな奴でバッカだなぁ、ってそういうキャラになってるってこと。
 私のワラゴマを怒る人も居たけど、でも大体みんなそれをからかって笑ってくれるんだ。
 うん、私は一時ね、そうして「みんなが笑ってくれること」を求めることに憑かれちゃって、自分がそうして
 無理して笑いを取ってるだけで、このままじゃ疲れ切って潰れちゃうっていう状態になっちゃったけどさ。
 でも私は、そのみんなの笑顔をもう一回みたらさ、やっぱり面白いなぁ、可笑しいなぁって、思えて。
 私、そんなにみんなと一緒に生きたいんだなって思えて、そしたらさ、やっぱり楽しくて。
 虚しいとかそんなこと、無い。
 なんかその虚しさって、ひどく私の頭の中の言葉だけのモノだなぁって、みんなと一緒に笑ってるうちに、
 どうしようも無くわかって。
 ああ、楽しいなぁ・・・・・楽しいなぁ、みんなと一緒に笑うって
 これが私の、一番の素直な感情だったんだもん、私の中のなにかとてつもなく敏感なモノも、やっぱり
 そうみたいだったんだ。
 
 
 だから私、冬吾くんの話聞いてたら、なんだかどうしようも無く、よーし!って気分になって。
 そして、もの凄く、前向きになれたんだよ♪
 
 『会えるといいね♪』
 
 
 その瑞生の笑顔はなによりも豊かで。
 そしてそれゆえ、その豊かさの出所自体がまた、大きな影を以てすっぽりと顕れたのでした。
 
 
 
 
 ◆
 
 瑞生と静流のおばあちゃんが、病の床につきました。
 瑞生は心配でなりません。
 居ても立ってもいられないどころの話ではありません。
 敏感な瑞生には、おばあちゃんのそれが見た目異常に深刻なものであるのがわかります。
 だって、お姉ちゃんがあんなに笑ってるんだもん。
 おじいちゃんなんか、全然難しい話とかしなくなるし。
 空気が、違うんだ。
 『なるべく心配かけないようにしないとね。』
 そんなレベルの話じゃ無いんだ、きっと。
 お姉ちゃんは、問題をわざと小さくしてみせてる。
 お姉ちゃんは嘘を吐くのが下手だから、たぶん下手に隠そうとせずに、だけど正確じゃ無い本当のことを
 言ってる。
 私には、わかっちゃうよ、そんなこと、全部。
 だからおねえちゃんの必死さが、そしてその必死さがどこから来てるのかが、わかっちゃう。
 布団の上のおばあちゃん。
 私が思ってるより、言葉で理解してるより、ずっとずっと、おばあちゃんは悪いんだ。
 ううん・・・・悪いとか・・・もう・・・そういうレベルの話でも・・・・・・・
 
 檜原家の空気は変わっていない。
 しかし、変わっていないということ自体が、圧倒的な異常を示している。
 瑞生の頭の中の言葉の範疇では、おばあちゃんはなんてことは無いただの夏風邪程度にしか見えて
 はいず、無論おじいちゃんも静流もそれに相応しい振る舞いしかみせてはいない。
 何年かに一回はあるだろう、ごくごく当たり前の光景が、檜原家を包んでいます。
 ですから瑞生にとっては、おばあちゃんのそれは治るか治らないかと問うこと自体あり得ないほど、
 小さな問題でしか無い。
 そういう意味では、静流のみせる小さすぎる本当の範囲内で済んでしまっている。
 が。 
 
 おばあちゃんが激しく咳き込むと、静流は気遣いながら近づき、瑞生はぞっとして離れていく。
 
 静流はもう、おばあちゃんの死を覚悟しています。
 ですから、死に往く者への気遣いを見せることが出来ています。
 そしてそれは、夏風邪程度の軽症の者への労りの姿と同じようにみえながら、しかししっかりと違うことが
 瑞生にははっきりとわかるのです。
 違う、お姉ちゃんのこれは、もう・・・・・・
 瑞生の頭の中の言葉は、おばあちゃんを気遣えと囁いています。
 なぜならば、おばあちゃんはただの夏風邪なのだし、苦しそうにしてるなら少しでも楽になって貰いたいと
 思うのは当然なのだから。
 そしてそれは、今は安静にしてはやく良くなってねというメッセージを込めた気遣いなはず。
 同じだ。
 私の頭はお姉ちゃんと同じことしろって言ってる。
 でも私の頭は全然わかってないんだ、私にさせようとしてることと、お姉ちゃんのそれは形は同じでも
 意味が違うっていうことが。
 嘘だ、おばあちゃんは良くなんかならないんだ。
 だから私がおばあちゃんを気遣うってことは、それはお姉ちゃんと同じでおばあちゃんが死んじゃうってことを
 認めるってことになっちゃうんだ。
 こういったことを瑞生は無意識のうちに、そう、瑞生の中の敏感ななにかは感じ、それゆえにぞっとして
 その身を仰け反らせたのです。
 
 わかるな? 静流。
 瑞生に取り憑いてるもんがなにか。
 
 瑞生の奴が、ばあさんのことを気遣えば、それはお前と同じでばあさんの死を認めることに繋がっちまう。
 そしてな、じゃあ逆にそれを見抜いた自分の体の通りに、心底びびって仰け反ったりしたら、どうなる?
 なんで自分はこんなにびびったんだ、一体自分はなにから仰け反ったのかってそう考えるだろ?
 そうだ、瑞生は目の前のばあさんの死の影にびびって仰け反っちまったことになると、そう考える。
 結局自分は、気遣ってもびびっても、どっちにしろばあさんの死が近いことを認めることになっちまう、
 そういうジレンマに囚われちまった。
 
 夏休みを利用して、父親の実家に遊びに来ていた冬吾。
 冬吾は同じ年頃の瑞生達と遊びながら、川に出るお化けを知らないかとおかしなことを尋ねます。
 その話を瑞生は病床のおばあちゃんに話ます。
 『わざわざお化け見たいなんて変わってるよね。私なんか怖いから絶対視たくないよ〜。』
 『お姉ちゃんだって嫌だよね?』
 実際モノが視えたりそれに憑かれたりする瑞生と静流には洒落にならない話ですが、しかしワラゴマの使
 い手である瑞生にとっては、もはやそれは洒落としても愉しめるもの。
 しかし。
 静流は瑞生を逃がしません。
 瑞生が、その話を豊かに洒落話にすることが出来た、その所以から。
 『んー。もし親しい人だったら、会いたいって思うかも。』
 勿論静流は、現在死が差し迫ってるおばあちゃんのことを考慮してそう言っていますが、しかし頭の中の
 言葉の範疇の瑞生は鈍感なので、あっさりとそれはスルーしてしまいますし、それを受けての『瑞生は
 親しい人でも怖いかい?』というおばあちゃんの言葉も『え〜わかんないや。』と素で流してしまいます。
 おばあちゃん的には嬉しい言葉だったかもしれませんが、たとえば静流などからすると複雑な気持ちでは
 あったでしょう。
 おばあちゃんは、瑞生は瑞生らしくあればいいって感じたのかもしれないけど、でも、瑞生はこれから
 おばあちゃんの死と直面しなくちゃいけないし・・・今のまま瑞生だったらきっとそれに耐えられないかも・・
 瑞生はおばあちゃんから逃げてる・・・
 
 そうした一連のことを瑞生は敏感にすべて認識し、理解しています。
 だから今は、逃げる。
 そのために必要なことを、瑞生の無意識的な部分がすべて統御していきます。
 認識したことを言葉にして瑞生の頭もしくは意識に認識させるか否かの判断基準は、それが逃げること
 に繋がるかそうで無いか、だけ。
 そして。
 
 瑞生はそういった、自分の中の敏感ななにかという「モノ」をすら、視てしまうのです。
 
 しかし、その視ている意識は無く、またそれ自体も無意識の領域に収められていく。
 しかしそれは、逃げることを第一とするモノとはまた別のモノとして、その瑞生の中の敏感ななにかの中に
 一室を構えるのです。
 私、逃げてる。
 逃げちゃ、駄目なんだ。
 
 だけど、怖い。
 
 だけど、逃げたくない。
 逃げちゃ駄目なんだ。
 だから、怖いこと無しに、向き合える方法はないかな。
 
 あいつはな、下手に逃げようとすれば、その「逃げること」に憑かれちまうことを知ってる。
 無論、憑かれることから逃げることもまた、ひとつの憑き物だということも知ってる。
 じゃあこの場合はなんのかと、瑞生の奴は考える訳だ。
 あいつは、ばあさんが死んじまって、二度とばあさんと会えなくなることが恐ろしくて堪らない。
 だったらばあさんとまた会えるって思えりゃ、少しはマシなんじゃねぇかって考えた訳だ。
 そうすりゃばあさんの死とも向き合えるってな。
 冬吾が探しているお化けというのは、実は先日亡くなった冬吾の父親の幽霊のことでした。
 仕事で忙しくて全然遊んで貰えなかったけれど、しかし時間が出来たら絶対に川遊びしようと言ってく
 れた父親を信じていた冬吾は、父親が死んだ後に何度も同じ川で父と遊ぶ夢を見ていました。
 それゆえに、父の幽霊が川に出ないかと、そう考えずにはいられないと。
 瑞生は、実にその冬吾の語る話から色々なモノを感じたのです。
 そっか。
 そうだよね、冬吾くんだってお父さんの幽霊がいるなんて本気で信じてる訳じゃ無いんだ。
 そうだよ、大事なのは、お父さんと会いたいって気持ちなんだ。
 お父さんと川で一度も遊べなかったのに、それなのにお父さんと遊ぶ夢が何度も視られるだなんて・・・
 なにかがぐっとこみ上げてくるのを感じた瑞生。
 『会いたいんだ・・・父さんに。』
 よーし!
 その夢の中に出てきた川を探そう。
 その気持ち、やっぱりすっごく大事だもん、私・・・わかるよ・・・・わかる気がするよ・・・
 もし・・・・もし・・・・おばあちゃんが死んじゃって・・・・もしおばあちゃんの幽霊がいたら・・・
 私は・・・・絶対・・・・恐いなんて思わない・・・・・だってそれは・・・おばあちゃんなんだもん
 私が会いたくて会いたくてどうしようも無い、おばあちゃんの幽霊なんだもん!
 決めた!
 
 『会えるといいねっ♪』
 
 そして瑞生は宣言するのです。
 私が、ううん、みんなでその川を探してあげるよ、と。
 それなら瑞生にも出来ることです。
 そしてそういった父親の暖かい心が元としてはっきりとみえている、そうした明らかな人情話としてのお化け
 探し(実際探すのは川ですが)ならば、瑞生くらいの年の頃の子達、つまり瑞生にとっての「みんな」
 ならば、喜んで協力してくれると瑞生は確信することが出来ます。
 すごい、すごいことになってきたよ!
 瑞生の組み立てた「ワラゴマ」が、豊かに茂っていきます。
 恐ろしい空気の漂う家に居なくても良く、激しく咳き込むおばあちゃんの死の影を見つめていずに済み、
 またそうしておばあちゃんから逃げ出している自分を責めること無く、おばあちゃんと向き合っている気
 がすることも出来、その上「みんな」と繋がることも出来る。
 わかるか? 静流。
 あの瑞生の笑顔視てみろ。
 なんか憑いてるか?
 憑いてないか?
 じゃあ、なにが視える。
 そうだ。
 視えるのは、笑っている瑞生だけだ。
 
 
 あいつに憑いてんのは、その自然に豊かに笑っている、その「瑞生」なんだよ。
 
 『ほっとけ。』
 
 そんな顔すんな、静流。
 いいんだよ、あれでな。
 逃げられるんなら、逃げりゃいい。
 むしろ、逃げられないときこそ、少しは手伝ってやらにゃならん。
 逃げてな、そして逃げて逃げて、その先でしか視えぬモノもあんだ。
 ばあさんはな、ありゃ律儀な女さ。
 自分が化けて出て、それを怖がられちゃ誰だって傷つくし、ばあさんも瑞生に言われたことは寂しいだろ
 うよ。
 だがな、そんな事はわざわざ言わなくたってわかってることだ。
 じゃあなんで言ったんだ?
 いいか、静流。
 親しい者の死と向き合うことは、誰だって経験することだ。
 だからばあさんは、瑞生に自分の死について、そのすべてを見つめて欲しかったんだろうよ。
 化けて出たモノを怖がろうと、それでもいいのさ。
 それすら、死んじまったもんは誰であろうとただの化け物だってな、そう思えるんなら、ある意味死者との
 別れが出来てるっつーことになるだろ。
 だが。
 ありゃ、賢い女だ。
 自分の孫がどういう奴か、よーくわかってんのさ。
 瑞生の奴は、化け物視て怖がったとしても、やっぱりどうしてもそれがばあさんだとわかれば、優しい気持
 ちになれるってな。
 じゃ、訊くが。
 
 
 この場合の「バケモノ」ってな、一体なんだ?
 
 
 瑞生にとって、おばあちゃんに忍び寄る死の影は、まさに恐るべき化け物です。
 激しく咳き込むモノは、大好きなおばあちゃんでありながら、まさに死臭漂う死そのものなのです。
 ゆえに瑞生はそれから逃れようとしますし、おじいちゃんもおばあちゃんもそうして死を忌避するのも
 また死との向き合い方のひとつだとして認めます。
 けれど、それと同時におじいちゃんもおばあちゃんも理解しているのです。
 そうして死を怖れの対象としたり、或いは現代的に死ねばみな無となるという思想というのは、あくまで
 死と直面するということの一段階にしか過ぎないと。
 ああ、それでも、瑞生の奴は、残された奴は、その親しい者の「死」というものに晒され続けてるんだ。
 つまりな。
 この場合の「バケモノ」ってな、それだ。
 親しい者の「死」と直面しているということ、それ自体が「バケモノ」な訳だ。
 人はそれから逃れることは出来ん。
 逃げ続けることは出来るが、逃げ切ることは出来ん。
 たとえ遺骸は焼かれ灰という無となったとて、その灰の元の人間が死んだという事実は永遠に消えん。
 死とは、決して無ではない。
 だからな、その「バケモノ」自体は決して視えることは無いのだ。
 いいか、静流。 
 ばあさんはな、「ばあさんの死」という「非日常」、それを含んで在る、当たり前のモノとしての「日常」を
 生きることを瑞生に望んだのだ。
 ばあさんの幽霊を怖れるも怖れぬも、逃げるも逃げぬも、それらすべてを懸命に行っている瑞生が
 此処にいるということこそ、圧倒的な当たり前な、それこそ瑞生らしさなのだ。
 
 だが、それはどうでも良いのだ。
 
 『私の心は、不安で一杯だった。』
 瑞生の豊かな笑顔の出所は、ただワラゴマが成功し、逃げることが可能になったがゆえのことにある。
 もし逃げ切れないという事実から逃げ切れないと知ったとき、その笑顔は一体どうあるのか。
 冬吾が夢に見た川はなかなか見つからず、おばあちゃんは日に日に悪くなり、瑞生の不安はどんどんと
 増していきます。
 瑞生はおばあちゃんの布団に潜り込みます。
 もう逃げられない・・・いつも逃げられなくなった私をおばあちゃんは抱き締めてくれた・・・
 おばあちゃん・・暖かい・・・・・でも・・・・・なによりも・・・・・冷たくて・・・・恐い・・・・
 おばあちゃんはそれでも優しく瑞生を撫でてくれますが、しかしそれは瑞生にとっては死神の鎌で撫でら
 れるようなもの。
 そしてなにより、自分の無力さを感じさせられてしまうもの。
 私は・・・自分ひとりの感情すらコントロールできないだなんて・・
 おばあちゃんを抱き締めてあげることも出来なくて・・・おばあちゃんに甘えることも・・もう・・・
 白々しい、その布団の中での自分の憂鬱な顔を見つめる瑞生。
 そして。
 夏休みも終わり頃、瑞生達の両親がこちらにやってくるという連絡が入ったと瑞生は静流に伝えられま
 す。
 絶望的な空気を感じ取る瑞生。
 そんな、昨日までおばあちゃんは布団の中でちゃんと寝て・・・・
 瑞生はおそらく、具体的なおばあちゃんの症状をなにひとつ聞かされていないのでしょう。
 ただただ、悪くなっていくのを見て、そうするとやがてはこの悪くなるという連続は途切れず、でもそれは
 逆にそれが終わらないということは、終わりとしての死も無いのではないかという錯覚を瑞生に抱かせて
 いたことでしょう。
 しかし、その錯覚としての理解は瑞生の頭の中の理屈的なモノであり、瑞生の中の敏感ななにかは
 もう完全に死というものを視野に入れていたのでした。
 私はただ、秒読み段階の途中から目と耳を塞いでただけ。
 なにも見えなければなにも聞こえなければ、そこで全部止まっててくれるはずだって・・・・・
 
 私はね、だから、なんのてらいも無く心底豊かに笑えたんだよ。
 頑張ろうって、不安を感じないで済む方法を見つけたから、だから綺麗に笑えたんだ。
 
 そうだ。
 瑞生に憑いてる、「笑顔の瑞生」ってのはそれなんだ。
 あいつはな、笑顔の才能がある。
 天性なんだな、自分を騙してるという意識があってすら、健全に豊かに笑えるんだからな。
 自分で目と耳を塞いで誤魔化してるって虚しいことをわかっても、それでも素直に笑えんだ。
 だがな。
 
 
 だがな、瑞生はその上でなお、わかってんだ。
 その笑顔ですら、まだまだ本物じゃ無ぇってな。
 
 
 おばあちゃんの死が決定的になった時、奇しくも冬吾の探していた川がみつかったと瑞生は知らされます。
 それを嬉々として伝える冬吾に対して、瑞生は笑ってみせます。
 それは見事な、ワラゴマでした。
 冬吾はそして明日帰るのだと言い、そして今まで色々ありがとうなと、圧倒的にすっきりした笑顔で冬吾
 は瑞生に礼を言うのです。
 瑞生はそれに笑って答えるのです。
 それはなんともか細い、ワラゴマでした。
 そしてこれからその川を見に行くので一緒に来いよと誘われますが、瑞生はおばあちゃんを看取らねば
 ならない旨を伝えようとします。
 私結局、逃げ切れなかったんだな・・
 こんなに・・・辛いなんて・・・
 冬吾くん・・・帰っちゃうんだ・・・・・もう私・・・・探せないんだ・・・・・なにも・・
 なのに、ありがとうなってお礼を・・・・
 私は・・・そんなお礼して貰っても・・・・結局おばあちゃんを・・・・・おばあちゃん・・・・・・
 
 
 おばあちゃんを失い、おばあちゃんの死から逃げ切れず、「みんな」とも一緒にいけないことの、絶望。
 
 
 そして。
 おばあちゃんが現れた。
 しかしそれは、鈍感な瑞生の方の認識。
 おばあちゃんが顕れた。
 それが、敏感な瑞生の方の認識です。
 死の床についているはずのおばあちゃんが、もう大丈夫平気平気と言って、瑞生の前にいるという
 あり得ない状況。
 これは、瑞生のなによりも望んだ現実。
 おばあちゃんはにっこりと微笑んでいます。
 そっか、お母さん達が来るっていうのは、おばあちゃんの元気になった顔をみるためだったんだ。
 ほら、お姉ちゃんだっておばあちゃんと話してるし、夢じゃないんだ。
 だから。
 
 
 おばあちゃんを取り戻し、おばあちゃんと一緒にいられる。
 そしてだから、「みんな」とも一緒にいけることの、圧倒的な希望。
 
 
 おばあちゃんがいるから。
 おばあちゃんが治ったんだったら、私は今までの不安とか苦しみとかもう全然平気。
 おばあちゃんが元気になったんだったら、私はもう、一度断っちゃったみんなの誘いも、もう一度OKする
 ために頑張れるんだ。
 おばあちゃん・・・・よかった・・・・・本当に私・・・・信じてた・・・・
 再び、瑞生を圧倒的に豊かな笑顔が襲います。
 涙が止まらないや。
 嬉しくて、嬉しくて、不安なんか全部吹き飛んで、みんなと一緒に走っていけるよ!
 私のおばあちゃん♪ 私のおばあちゃん♪ 私の大好きなおばあちゃん♪
 
 そのおばあちゃんの幽霊は、このとき徹頭徹尾、瑞生に自分が幽霊であることを伝えませんでした。
 ただただ本当に治ったかの如くに振る舞い(幽霊なのだから治ったもなにも無いですが)、そして瑞生
 に生きる勇気を与えたのでした。
 そして。
 冬吾の探していた夢で見た川の特徴は、その側に顔の削れたお地蔵様があるというものでした。
 しかし実際瑞生達が辿り着いたそのお地蔵様は、かなり川から離れたところにあったのでした。
 強烈な違和感を禁じ得ない瑞生。
 私は・・・おばあちゃん・・・・・・逃げて・・・・・だけど逃げたくなくて・・・・逃げずに済んで・・・
 敏感な方の瑞生は、おばあちゃんが幽霊であることを既に理解していますし、むしろ自分の願いがそ
 の幻影を見せていることすら自覚しています。
 そしてその敏感な方の瑞生は、完全に心底笑うためにこそ、鈍感な方の瑞生の征服を目論んだので
 す。
 もしおばあちゃんが当たり前のようにして治って目の前に現れたら、もし冬吾くんが夢にみた通りの川に
 冬吾くんと一緒にいけたら。
 
 そしてそこで、冬吾くんのお父さんの幽霊に会えたら・・・・
 
 冬吾のお父さんの幽霊をみつけ、それを怖れない冬吾を視る、これが瑞生の求めていたモノです。
 そして、その計画が「成功するということ」だけを取り出し、それが出来たらきっと私のこの不安も解消
 されるはずと願を掛けたのです。
 ところが、です。
 瑞生にとっては、おばあちゃん無しの不安の解消などありえなかったのです。
 ゆえに瑞生は必然的に、自分の不安が消えるイコールおばあちゃんが元気になるとしてしまったのです。
 そして冬吾の探した川がみつかったという報を受けたとき、おばあちゃんの死が決定的になり不安がどう
 しようも無いほどにその限界を突破したゆえに、その報を利用し目の前におばあちゃんを顕現させたの
 です。
 そしてさらに。
 瑞生はその自らの欺瞞を、見つめないでいることすら、出来なかったのです。
 辿り着いた川は、夢と全く同じものでは無かったという現実を突き付けられ、そうしたことでおばあちゃん
 の姿が揺らいでしまうのを感じる瑞生。
 しかしそのときに瑞生はそうであると感じたがゆえに、なおそのおばあちゃんにそのお地蔵様は昔はちゃん
 と川の側にあったけど工事で移動したんだよと言わしめたのです。
 そうすれば川は夢の通り、そしておばあちゃんならきっとそういう豆知識を持っているはず。
 そして。
 川を視た冬吾は夢の通りだといい、それをなによりも嬉しく聞いたのは瑞生自身。
 けれど、冬吾は当然おとうさんの幽霊など其処にみつけることは出来ません。
 しかし敏感な瑞生はそんな事は当然予想済みであり、それゆえにワラゴマ的にそうだよねそんなことある
 訳無いもんねそれが普通だよね、と常識的に論理付けするのです。
 が。
 それが矛盾していることを、瑞生は、その欺瞞に満ちた敏感な自分を見つめる瑞生は見逃さなかったの
 です。
 冬吾くんがおとうさんの幽霊に会って、それでも怖がらなかったら私は・・・・あれ・・・
 そうしてそれが、瑞生の目の前からおばあちゃんの姿を奪ってしまうことになるのです。
 
 『おばあちゃん!? おばあちゃんっっ!?!?』
 
 
 
 笑いながら、絶叫する瑞生。
 そして笑いは涙へと、絶叫は号泣へと瞬時にその姿を変えていく。
 
 
 
 
 
 気絶し、家に運び込まれた瑞生。
 目を開け、そこに視たのは、紛れも無い、おばあちゃんの姿。
 いつも通りの優しいおばあちゃん。
 おそるおそる、おばあちゃんの実在を確かめる瑞生を、優しく認めてくれるおばあちゃん。
 『ごめんね。ちょっと余所行ってたんだよ。寂しいおもいさせちゃったね。』
 瑞生・・
 瑞生はなにを考え感じていたのでしょうか。
 私は、このときもう瑞生は、それでもおばあちゃんの死を認めていない自分を完全にみつめていたんじゃ
 ないのかと思いました。
 『すごく・・恐かったよ。でも・・・安心した。』
 それが嘘であることを、瑞生は確信しています。
 もうこれは夢であることを、目の前のおばあちゃんは幽霊であることを確信して。
 だから私は・・怖がらないよ・・・だっておばあちゃんだもん・・・怖くなんてないよ・・
 
 だっておばあちゃんは、此処にいるんだもん。
 
 私の此処に、私と一緒の、いつも通りの生活の中の此処に。
 おばあちゃんがいる・・・・幽霊・・? なに言ってんの・・・おばあちゃんいるじゃん・・・死んでないよ
 いるんだから、死んでない。 いなくなってなんかいない。だから、悲しくなんてない。
 そうだよ、怖いのは、おばあちゃんがいなくなっちゃうことなんだ。
 それだけ・・・それだけなんだ・・・こうしておばあちゃんが目の前にいる・・・生きてる・・・
 わかりますよね、瑞生の感覚が。
 瑞生にとっては、死とは「無」であり、ゆえにおばあちゃんが目の前に視えて「いる」、つまり幽霊として
 「いる」のなら、それは「無」では無い訳であり、ゆえに死んではいない、生きているということなのです。
 そっか、だから冬吾くんはおとうさんの幽霊に会いたいって言ったんだ。
 ほんとは冬吾くんのおとうさんは、死んでなんかいなかったんだ。
 ただどこかに行っちゃってただけで、またおばあちゃんみたいにちゃんと帰ってきてくれるんだ。
 理屈だけが先行していく瑞生。
 その理屈を叫び続けていなければ、恐怖で胸が潰れてしまうと自覚しつつ、しかしもはや叫び続けて
 いること自体が、その叫ぶことの停止の可能性を孕んだ恐怖として瑞生を覆い尽くしているのです。
 安心した、と言わなければ、もはや平常心ですらいられない瑞生。
 しかし、その「安心した」という言葉そのものとしての「おばあちゃん」がこうして目の前に「いる」からこそ、
 瑞生はやはりそれでも、心の底から豊かに笑うことが出来てしまうのです。
 
 それを、心配そうにみつめるおばあちゃん。
 
 最後の最後まで、おばあちゃんは自らの存在を否定しませんでした。
 徹頭徹尾、自分が死んだことを伝えませんでした。
 瑞生のそれは、実はよく世にいう「私の中に今も生きているおばあちゃん」を受け入れ、それで笑うこと
 が出来ているという、一般的には健全と言える状態ではあるのです。
 しかしそれは、あくまで瑞生の「此処」、つまり瑞生自身の中にある、記憶としてのおばあちゃんの
 「オモカゲ」に依拠した、実に不確かで弱々しいモノなのです。
 自分の中にある故人の思い出を頼りにするのは、強いようで、なによりも弱い。
 そりゃな、形はどうあれ、結局は死を「無」として捉えてるっつーことよ。
 それはな、広い意味で、いつかその故人は復活するんじゃないかって、そういうおもいが底流にあんの
 よ。
 なぜなら、自分の中にしか故人がいないんなら、たぶん幽霊なんてもんをそいつは視ることは無いし、
 幽霊の存在すら認めんだろ?
 目の前に幽霊がいない、つまり死の象徴が無い、つまり、生き返る「余地」があるってことだ。
 それは、死から逃げてんのと同じだ。
 死は、無くなったりなどせんのだ。
 ばあさんもな、いなくなったりはせんのだ。
 ばあさんは、いる。
 いるんだから、蘇るもなにも無ぇだろ。
 
 『会えるさ。』
 
 
 『今までみたいな訳にはいかんがな。』
 
 
 おばあちゃんは、おばあちゃんの幽霊はこういって、姿を消しました。
 『大丈夫。 ずうーっといるよ。』、と。
 おばあちゃんは、紛れも無く、瑞生の「其処」にいる。
 瑞生とおばあちゃんは、これからも変わらずずっと、「此処」と「其処」で生きていく。
 おばあちゃんは、死んだのです。
 確かに、死んだのです。
 だから、もう生き返ることは無いのです。
 そしてだから、「無」では無いのです。
 おばあちゃんは、「其処」に確かにいるのです。
 それが、死者との対話。
 それが、幽霊を視るということ。
 その死者との対話が「日常」として変わらずあり続けるからこそ、人は延々と続く、親しい者の死と向き合
 い生き続けていくことが出来る。
 「オモカゲ」がいるからこそ、その死という「バケモノ」と生きていけるのです。
 
 
 『存在の仕方が変わっただけで、ばあさんはずっと俺達と一緒にいる。』
 
 『いずれまた、ふらっと来るだろうよ。』
 
 
 
 でも!
 
 私は今まで通り、おばあちゃんと一緒にいたいよ!
 おばあちゃんと話して、撫でて貰って、おばあちゃんの肩揉んで、おばあちゃんのために頑張って。
 おばあちゃんと一緒にやりたかったこと、して欲しかったこと、してあげたいこと、まだまだ一杯あったのに。
 
 『会いたいとき会えなきゃ嫌だよっっ!!!』
 
 私達のおもいは、理屈なぞあっさりと超えます。
 いえ、それ以上に大切な、掛け替えの無いものがあるということなのです。
 失える訳が無い、失ったらなんとしても取り返してやる、だって無くなっちゃうなんて、あんなに愛して、
 あんなに想って、あんなに頑張って、あんなに懸命に、あんなに命を賭けて・・・
 人にはどうしようも無く大切な人や物や事があります。
 そしてそういったモノが失われたとき、それを受け入れるか、それともなんとしても取り戻すかという選択
 を迫られるのです。
 どうしようもないその恐怖と、どうしようも無く得体の知れないおもいが走り抜ける。
 それを受け入れることを批判したり、それを取り戻すことの愚をあげつらう理屈なんぞ、あっさりと飛び越
 えて、その心の深く深く圧倒的に深い「此処」で、全霊を以て密かに、そして圧倒的にそれらのどちら
 かを選んだ自分に没頭していくのです。
 瑞生は、おばあちゃんを求める自分の言葉以上に、おばあちゃんを圧倒的に求めています。
 それは全部。
 
 「此処」の、所業。
 すべてが「此処」にしか無い、つまり「他者」の存在を認めていないがゆえの、所業。
 
 
 だからな。
 選ぶことなんて無ぇんだ。
 両方だ。
 いつも言ってるだろう。
 両方だ。
 理屈も感情も、捨てんな。
 両方が納得いく方法を、それを探せばいい。
 簡単さ。
 
 
 お前、憑かれてんぞ。
 
 
 
 
 
 「自分」にな。
 
 
 
 
 
 
 『瑞生。』
 
 
 『生きてたって、会えんときは会えん。』
 
 そのとき、おばあちゃんを感じた
 
 『あんまり呼んだら、奴も疲れる。』
 
 そう・・かな・・・・おばあちゃん・・ねぇ・おばあちゃん・・・・呼んだら・・・迷惑・・?
 おばあちゃん・・・おばあちゃん・・・・私・・・・おばあちゃんをこれ以上・・苦しめたく・・・ないよ・・・
 
 
 『それでなくても、生きてるうちには苦労かけたからな。』
 
 ううん・・きっとおばあちゃんは笑ってくれる・・・どんなときでも・・・・
 おばあちゃんは・・・・・向日葵みたいな笑顔で・・・
 知ってる・・・私は・・・そのおばあちゃんを・・・・・知ってる・・
 
 
 
 『むこうの暮らしになれるまで、しばらくゆっくり休ませてやろうじゃないか。』
 
 
 うん・・・・・うん・・・・・・・・・・うん・・・・・・・・・・おばあちゃん・・・・・・・・・おばあちゃん
 
 
 
 
 どんなモノでも、それは決して無くなったりはしない。
 なにかが其処に、いる。
 自分の中のなにかも、勿論無くなったりはしない。
 たとえ瑞生の中のおばあちゃんの「思い出」が消えたとしても、それは消えたように見えるだけで、本当は
 形を変えて必ず瑞生の中にある。
 そしてなにより、瑞生の目の前の其処に視えるおばあちゃんの「オモカゲ」は、紛れも無くいる。
 自分の中のなにか大切だったモノは、必ずどこかの「其処」にいる、だから自分の「此処」にもそれは確
 かにあるのだと思えるのですし、その逆もまた然り。
 おばあちゃんが生きていたからこそ、確かに瑞生は笑えたのかもしれませんし、それ否定しても仕方は
 ありません。
 おばあちゃんが死んでしまえば、確かに瑞生は素直に笑えることは出来なくなってしまうのかもしれませ
 ん。
 では、瑞生は自分の笑顔を、ワラゴマを駆使しての「みんな」との「普通」の生活も、自分の中の色々
 な必死に考えてきたことや、価値観や、感覚や、感情や、そういうモノ全部全部、信じられなくなって
 しまうのでしょうか?
 
 そう。
 信じられなくなってしまうのです。
 なにもかも、おばあちゃんあってこそだった、と。
 
 でも。
 ならば。
 両方なんです。
 
 
 おばあちゃんは、いるんです。
 
 
 おばあちゃんがいなければ駄目なら、ずっとずっとおばあちゃんと暮らせるようになるためにはどうすれば
 良いかを考えればよいのです。
 たとえおばあちゃんが死んでしまっても、おばあちゃんがいなくなる訳では無い、つまりおばあちゃんの
 存在が「無」になる訳では無い。
 おばあちゃんはいる、いるから瑞生は笑える、それで、いいじゃない。
 おばあちゃんに頼るなら、徹底的に頼ればいいじゃない。
 永遠に、永遠におばあちゃんはいる、だから。
 おばあちゃんをみつめて、今まで通り、しっかりと生活していかなくちゃと思えるのです。
 今までとは違うし、変わってしまったことは沢山あります。
 けれど、だからといって、すべてを否定してしまう必要は無いのです。
 それでもおばあちゃんはいる、おばあちゃんはいるからこそ、またおばあちゃんのために、おばあちゃんと
 一緒に、楽しく、一生懸命に、笑いながら幸せに生きていける。
 そしてだからこそ、時々おばあちゃんも会いに戻ってきてくれるのです。
 そう、幽霊、つまり「モノ」として、ですね。
 わかりますでしょうか?
 
 
 
 この作品の、「モノ」というものがなんであるのかを。
 
 
 
 
 
 
 以上、最終話「オモカゲ」の感想でした。
 と言いたいところですが、このまま続けます。(笑)
 つまり、「モノ」とは、あらゆるものです。
 失われるものなどなにも無く、それゆえにいつでもどんなときでも、それと会うことは可能だと言うことです。
 ただし、それは自分の思い通りに動く訳では無いのです。
 当たり前なことですが、それは「失われる」前とて、全く同じことではないでしょうか。
 たとえば瑞生のおばあちゃんだってそうです。
 おじいちゃんの言う通りで、生きていたときだって機嫌が悪いときもあったり、調子悪かったりなんなり、
 勿論家を空けることもあったりした訳で、当然瑞生に笑顔を見せられないときや会えないときもあったの
 ですから。
 ならばなぜ、死んだからといって、それでもいつでも会いたいおばあちゃんの笑顔がみたいなどと言うの
 でしょうか。
 なにを我が儘言っているのか、ばあさんは其処にいるだろうと、おじいちゃんはこう叱ったのです。
 死人には死人の都合があんだ、それ無視してなに駄々こねてんだ、いつまでもガキでいるんじゃねぇぞ。
 そして当然、死人の都合を顧みる、つまり他者を思い遣ることをやめなきゃ、ちゃんとその他者は
 笑ってくれるし会いに来てもくれるということなのです。
 
 そう、なんだって、そうなのです。
 
 笑うためには、なにが必要?
 心の底から笑うには、どうしたいい?
 走り抜け、走り続け、そうして絶望的に疲弊していく自分が流した冷たい汗。
 でも、その汗を流すということは、それだけ自分の体が動き、そして熱くなっているということ。
 汗の冷たさと、それを流す体の熱さ。
 さぁ、そこから見渡した世界は、どうなっているのでしょうか。
 いいえ。
 もう見渡す必要など無くとも、五感すべてで、いやいや、その存在そのものが、圧倒的に美しく優しく
 広がる世界を感じているのです。
 気づけば其処には、向日葵が咲いています。
 綺麗に暖かく、真っ黄色に陽の光の中に生きる向日葵が、其処にいる。
 その向日葵が、視えないのかい? 瑞生は。
 おばあちゃんは瑞生の頭を撫でながら、そう囁いているのです。
 
 
 ううん。
 太陽より元気な向日葵が、一杯一杯其処にはいたよ、おばあちゃん!
 
 
 信じろ。
 信じているなどと感じぬほどに、当たり前のように、信じろ瑞生。
 お前の中の向日葵は、絶対に無くなったりなどせん。
 冷たい雨を浴び、冷たい雪に押し潰され、それで萎れ枯れてしまうことはあるだろう。
 だが。
 それが、向日葵なんだ。
 また次の夏には、いや、いつだってその花はまた咲くぞ。
 いや、常に太陽に向かって咲き続けているからこその、向日葵なのだ。
 だから、少し休ませてやれ。
 形は変わっても、お前のそれは、絶対にいるんだからな。
 こき使って、お前自身がそれを消すつもりか?
 今すこし姿が見えないからといって、お前はそれを無くしたことにするのか?
 それは、いる。其処にいる。
 だから、お前とまた会えるように、休ませてやれ。
 休ませるということは、しばらくお前には見えないということであり、それはお前がそれを放置しているのと
 同義なのかもしれん。
 失ったままでいる、見えないままでいるというのを肯定しているのだからな。
 だから、なのだ、瑞生。
 
 だから、失ったままでいる、見えないままでいるという極大の不安自体がな。
 それを休ませてあげているという、お前自身のどうしようもないほどの優しさの発露に繋がるんだろ。
 
 そしてその優しさを抱けるというのは。
 その優しさを向ける相手が確かにいるというからであるのです。
 そして、自らの中に優しさがあるということがなによりも他者の存在を証し。
 そして。
 その他者の存在こそが、なによりも自分の中の優しさの存在を証すのです。
 向日葵のいる笑顔。
 すべての瑞生の笑顔が、そのすべてのワラゴマが、それの向かう相手と共に、この青空の下で瑞々しく
 生きているのが、私にははっきりと、なによりもなによりも・・・・
 
 ・・・・・ごめんなさい・・・涙止まらないんですけど・・・・・・・ぅぅ (泣 笑)
 
 すみません、もうほんと、愛しくて。
 そう、なによりもなによりも愛しく、私にはその瑞生の笑顔が「観えた」んですね。
 もう「視る」必要も無いくらいにですよ。
 勿論、私の姿も、はっきりと感じました。
 最高です。
 
 
 私は、この「もっけ」という作品に、迷うことなく最高の賛辞を贈ります!!
 
 
 はい。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 もっけ最高!
 
 
 
 
 
 
 もうちょっと冷静に淡々とやりたかったんですけど、無理でした。ていうか、無理なんかできません。
 無茶苦茶です。
 もうどうにでもなれー! (涙でぐちゃぐちゃになりながら)
 それくらい、すさまじかったです。
 なにを言えばいいのかわからないくらいに、最高です。ぐちゃぐちゃです。
 完璧でした。
 一つ前のお話で、静流を使って「もっけ」のまとめを終わらせたと思っていたのですけれど、そんなの嘘。
 よく考えたら、あれは「もっけ」の根幹のひとつしか解決して無いじゃない。
 というかむしろ、静流で解決したのは、「もっけ」という作品がわかりやすく提出した「メインテーマ」で
 あって、「私」が「もっけ」に「視た」最大のテーマじゃ無いじゃない。
 あ、勿論静流で解決したテーマも私が視たテーマのひとつですけど。
 私自身が感想書きとして、いやいや「私」として視た最大のテーマは、「いる」ということ。
 「此処」とか「其処」とか、そういうモノをただの道具だったどうでも良かったわと、静流で終わらせた話で
 そう切って捨てちゃったそのときの私、一歩前へ出ろ。(笑)
 第一話の感想を読んでみてください。
 私が一番最初に視たモノは、それなのです。
 それの自然な決着を、この最終話でつけられたこと、それを感想書きとして、そして「私」としてなにより
 も嬉しく、そして愛しく思います。
 
 
 
 もうなんか、本当に、ありがとう御座いました! >もっけ
 
 
 
 名残惜しいとかそういうレベルではありません。
 ぐちゃぐちゃなんです。
 でも、お別れです。
 ありがとう御座いました。
 本当に、「もっけ」に捧げる言葉はそれしかありません。
 もうほんと、なんて言ったらいいのか、それ以上は全然・・・
 ありがとう御座いました。
 原作は、まだまだ続いていますし、テーマ的にこの作品に終わりなんかありません。
 「蟲師」のときと同じような感じです。
 ですから、続編は作られた方が良いでしょう。
 人気的にはどうかは全く知りませんし、興味もありませんが、いちもっけファンとして、続編が制作される
 ことを祈っています。
 が。
 
 「私」は、なんかもう、充分です。これで。
 なんか、完全に満たされちゃいました、圧倒的に。 (笑)
 
 ですから、お別れです。
 それこそ瑞生にとってのおばあちゃんのように、「もっけ」の存在は不動になってしまいました。
 困ったな、全然名残惜しくないや。名残惜しいとかそんなレベルじゃ無いほどにぐちゃぐちゃなのに。
 ・・・・。
 すごく、良い意味で(?)不安定な精神状態なので、この辺りにしておきますか。
 というより、今度近いうちに、「もっけ」についてひとつ文章を書くことを予定していますので、残りに関して
 はそちらで、ということにしておきましょう。
 最終話に接しての私の狂乱(ぉぃ)ぶりは、もうおわかり頂けたことでしょうし。
 
 それでは、この辺りにて。
 今までこの感想文を読んでくださった方々に、御礼申し上げます。
 
 また第二期でお会い致しましょう! (ぁ 笑)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
                                 ◆ 『』内文章、アニメ「もっけ」より引用 ◆
 
 
 
 

 

-- 080323--                    

 

         

                           ■■流れる刻のままに、お座り■■

     
 
 
 
 
 ごっきげんよう。
 
 ええと、すみません。
 割と色々書くことあったり、結構やる気出てきていたところだったのですけれど、時間無い。
 いえ、ほんとはね、昨日書こうと思ってたんですよ。
 でもね、チャットやってたらいつの間にか手が止まっちゃいましてね、じゃあ明日(つまり今日)でいいや、
 明日頑張ればいいや、といういつもながらの丸投げしましたらね、その明日である今日は急用が
 入ってしまってはい無理でした、というお話に。
 明日からは「もっけ」の感想に着手したいし、あーもう。
 頭を抱えること数分。長いんだか短いんだか微妙な時間。
 よし、今日は本当はサボるしか無いところを、それでも頑張ってなんとか更新したよ、という意気込みを
 示すためだけになんか書こう、その意気込みさえあれば多少いい加減でも大丈夫だろう、という大変
 (自分で言ってて)悲しいことを考えて、そしてまぁ、つまりですね、今日の更新はいい加減です。
 
 うん、ほんとに書きたいこと一杯あったんですよ? ほんとほんと。
 
 ということでいい加減にしろ。
 はい。
 いい加減にしました。
 ん?
 
 ということで(2回目)、本日は4月から始まるアニメの中で、現在私が興味を持っている作品について
 ちょこっと言及してみました。
 それだけで勘弁してください。
 では早速。
 
 
 
 ◆
 
 
 ギャグ漫画日和3:
 言わずもがなのギャグ超大作。大作を超えてなんかイイカンジにやる気が抜けてる感じの、そんなゆる
 さがこの作品の魅力。ってか大作とか嘘だから。聖徳太子がアホなだけですし。
 とにかくもう、やる気を無くさせてくれるという意味では、私が観てきたアニメの中では最高の、いや最低
 の作品です。うん、やる気が最低になるのね、っていうかやってられるかボケって感じになる。
 笑えるっていうかやる気無くすね。
 こんなアホな作品見てるとくよくよしてる自分がアホらしいとか、そんなセンチメンタルじゃ無くて、
 普通にアホなんですね、やる気無くなるくらいに。
 観ているのがアホらしいというか太子がアホ過ぎてやる気が無くなるというか、ツッコミの小野妹子がやる気
 無くすのもわかるというか、妹子のやる気の無さにやる気を無くすというかね、まぁそんな感じな訳よ。
 さぁ帰ろう。
 と、たぶん太子がこの作品を説明するとしたら、こんな感じ。太子以外も一杯あります。
 
 xxxHOLiC◆継:
 なに継って。
 これもギャグ漫画日和3と同じく続編作です。当然両方とも前作は観てます。
 どういう作品かというと、不思議な作品です。
 どういう風に不思議かというと、なんだか自分でこの作品を説明していると不思議になってくる、アレです。
 なんだろ、ほんとにこの説明で合ってるのかな、確かに箴言とかそれっぽいのはあるけど、でもいいのかな
 、それの解釈してるだけで、だってあの女の人まだ笑ってるし、あの男の子もまだずっと冴えない顔して
 るし、きっとまだなにもほんとは解決してないんじゃないの? もしかして解決したと一応の形はあるけど
 、そういう見せかけを作品全体でやってるんじゃないの? ああなんだろうどうしたらいいんだろう。
 そんな感じ。ますます不思議になりましたね。っていうかなに言ってんのかわかりませんが。
 ちなみにこの作品の感想は書くかどうかは、実はまだ決めてません。ちなみに過ぎた。
 いやでも、侑子さんの笑顔がまた一段と禍々しくなってるのに惹かれて、その、なんでも無いです。
 
 紅:
 うーん・・これはどうなんでしょ。
 イントロダクションを見る限りでは、面白さとつまらなさが同居してるって感じはあるけれど、え、つまりね
 書いてあることがどういうことかを私なりに想像すると、すごく面白いものがみえてはくるんだけど、でも
 こうもあっさりと構図化して最初にぽんと説明されて出されちゃうと、逆にこの構図化を消化していくだけ
 というか、むしろこういう風に言い切っちゃう辺りになんか違うなぁというのがあったりというか、まぁ落ち着け。
 ただの思春期だか青春だかのその中での立場を利用してだけの「物語」ならつまらなさそうだけど、でも
 なんかその、ええと、なんだろ、なんていうかもっと瞬間的絵画的な、語弊を恐れずに言えばアーティス
 ティックな感じで抽象的になにかをやってくれると面白そう、というか、私はほんとうになにを言いたいのか。
 つまりな、なんかこう、確信犯的なことをして欲しい。もう答えが分かり切ってるみたいな感じで。
 そこから始めようみたいな。うあー。 (なにが言いたいのかほんとわかんなくなってきた)
 
 あまつき:
 あまり興味無かったんだけど、なんだか普通に物語物語してくれるものを楽しみたいなと思い直し、
 素直にチョイスしてみた。あと女剣士がエロカッコイイ。どんな格好やねん。斬新。
 ってそれだけかよおい。
 
 ブラスレイター:
 前は取り上げなかったんだけど、そのときは公式サイトのトップを観ただけで、「ああバットマンとかスポー
 ン系か。」と思っただけでやめたという、そういう理由で無視してました。
 が、なんとなくイントロダクションみたら結構「お。」っていうものがあったので、ひとつ挑戦。
 イントロダクションの文章はすごくありきたりなものなのですけど、それを今この時代にどういう風に魅せる
 のかなっていうのが興味ありまして。
 まさか単純にデビルマンみたいな感じにはならないだろうし、もっと個人的なものがみれたら良いなと
 思いました。 孤独っていうのを普遍的なものと捉えないで、その人自身の問題として描き出したら
 どうなるかとか。 そのために色んな装置を使っていって欲しいなぁ。
 一歩退いて凄惨な戦いを俯瞰的に見つめて溜息をつくとか、そういうものにならなければ、たぶんすごく
 面白いものが出来るのじゃないかなと思います。
 
 コードギアス 反逆のルルーシュR2:
 じゃあ、一言だけ。
 思う存分、やるがよい。
 私はそれを、すべて楽しんでやろうぞ。わはは。
 よし、準備完了。
 
 我が家のお稲荷さま。:
 ケモみみバラエティーってあなた。
 しかしかなしいかな、「狼と香辛料」のホロにすっかりやられた私には、それすらも惹き付けて止まない言
 葉にみえてしまいます。
 まぁ私のことは横に捨てといてと。こほん。
 知性的な会話とかそういうカラクリとかは無さそうだけど、強大な力を持ち破壊的なイタズラ心の持ち主
 という大妖怪さんが、一体どんなドタバタをやってくれるのかとか、そういうのはまぁ、みてみたい。
 いやそれくらいみさせて貰ってもバチは当たらないでしょ、いいじゃん獣耳&尻尾だってさ。いいじゃんか!
 まぁうん、逆にこれで思う様やられて、「あー。」って感じでゆっくりと呆然として、これはなちゃうねん、と
 静かに本を閉じる感じで、この私のひとりケモみみ騒動に幕が降りるがいい。 (結局個人的問題)
 というようなアホなことをやっているうちに、なんだかんだで新しく楽しめるかもしれないし、それはまぁ
 みてからのお話。って、なんもわかんないってことじゃん。
 
 S・A〜スペシャル・エー〜:
 某ホスト部みたいな感じ? それのギャグ寄りな。
 変にお約束展開みたいな自己満で終わらせずに、そうですね、某瀬戸みたいなオーソドックスなギャグ
 で真摯に攻めてきたら、結構いけるんじゃないかなー。 って希望ばっかりな。
 突っ走り系のはシリアス面への入り方次第で良くも悪くもなるからなぁ。
 ギャグの一要素として悩んだりすると面白いけど、ギャグなんてお付き合い程度って感じだったら逆に、ね。
 突っ走るんなら、徹底的に頭の底から果てしなく突っ走ってください。ツンデレ禁止な。希望ばっかりな。
 
 ヴァンパイア騎士:
 キャラクターのところみて、これまんま某ゾンビローンじゃん、って思ったのは私だけじゃ無いはず。
 が、まぁそれはいいんです。
 重要なのはこの設定でなにをどうやってくれるのかということなのです。
 そうしてみていけば、そういう自分の見方が嘘だったことに気が付くはず。
 まんまなのはほんの一部だけじゃん、ってね。ていうかさっき気づいた。おい。
 メインテーマがしっかりしてるから、某ゾンビのような手探り感は無いだろーけど、その分既に築かれてい
 る土台から考えていくことが出来るという、ある意味非青春系(某ゾンビはある意味青春系)なところに
 期待。 華やかさとか艶やかさとか楽しく描きつつ、そこに忍び寄るなにかと向き合っていく。
 ・・・・あれ、なんかこれ普通に楽しみだぞ。 (ぉ)
 それとブログにあった、ヴァンパイア的なのは沢尻エリカでは無く堀北真希の方、っていうのは同意。
 あ、この作品のニュアンスがわかったゾ。
 普通だけど普通じゃないだとか。華やかさと艶やかさの意味が、とか。
 
 モノクロームファクター:
 ううーん、変な言い方ですけど、これが面白くなってくれたら、嬉しい。
 なんというか、一番どうなるのかが読めない感じがしたけど、悪い感じもしない。
 いくつか経験上悪い方に転ぶ要素は散見されているけれど(ショタがマスコットキャラと化すとつまらなく
 なるとか)、しかしそういうのが全部上手くいったら逆にすごく面白くなりそうな気がする。
 あとトップに描かれてる四人のキャラの紹介を読むと、どういう絡みをしていくのかともまるで読めない。
 ただ漫然とキャラ紹介的に個々を描いていくだけなら駄作だけど、たとえ群像劇的に描き出そうとも、
 このキャラ達を通して一体なにを考えていくのかとか、ひとりひとりがただ目の前の「物語」を消化していく
 という意味では無い、もっと根元的なものをどう感じていくのかとかそういうのが描かれたら、これはひょっと
 したら傑作になるかもしれません。
 その根拠は、やっぱりよくわからないから、だったり。
 だってここまでわかんなきゃ期待するでしょ?普通。 (ぉぃ)
 
 図書館戦争:
 戦争ごっこモノ?細かい設定とかそれをどう活かすかとか、まぁ、そういう風にゆっくり楽しめたらいいかな。
 特にコメント無しってことで。
 
 
 
 
 ちなみに上の文章は、量はあるようにみえますけれど、実質的に書くのに30分くらいしかかかってませ
 んから。ほとんどなんも考えてないです。はい。
 うん、そうね、来期アニメは、いい加減な見方しかしてないのにあれですけれど、やっぱり面白そうなの
 はあまりありませんね。
 ま、ここ1年くらい豊作期が続いていましたから、ひとやすみ、という感じでしょうか。
 今期は「狼と香辛料」に始まる前からぞっこんでしたし、その前は「もっけ」、その前は「怪物王女」、
 その前はなんだっけ?、という感じでひとつは最低、これは、というのがあったのにそれが途絶えるのは
 寂しい気もしますけれど、気にしません。(微笑)
 と思ってログ見たら、昨年の夏発のアニメもひとつも無かった模様。ひぐらしは別腹。
 その前の春から引き続いてる作品(怪物王女など)でやり過ごしたんでしたね、そういえば。
 日記ってすごーい。ていうか私忘れるの早すぎー。・・・・。
 で、一応ホリック2には目を付けてますけれど、それは第一期分からの期待ですし、それになぁ、うん、
 ホリックはそこまで観てみたいという感じでは今は無いので(もう少し空いて欲しかった)、出来れば来期
 発のアニメがひとつ欲しかったところでは、正直あります。
 うーん、ホリック感想書こうかどうかすら、ちょっと迷ってるのにな。どうしましょうかねぇ。
 
 とまぁ、そうこう言ってるうちに、時間です。はよ寝んと。
 うん、なんか慌ただしいシーズン末ですけど、なにかしら次回からは盛り上げていこうと思います。
 「もっけ」と「狼と香辛料」の感想の終了に合わせて、やっぱり今期の作品についてはつらつらと書きたい
 と思っていましたので。
 まーちょっと最近更新リズム狂ってて、なかなかスピードアップが出来ない状況だとか、そういうことも
 絡めて、焦って急ぐんだけど結局はスローなペースでぐちぐちとやっていきたいと思います。
 ま、来期初めくらいまで視野に入れて、少しのんびりやってみます♪
 あーそうなってくると来期アニメに面白そうなのが無いのが助かるなー。 ←確信犯
 
 ぐだぐだですけど、では、また。
 
 
 
 P.S:
 やっぱり心残りだったので、付け足し。
 狼が大好きだーっ。
 まぁその、なんかそういう雰囲気なのよ、今。
 割とひどく全開モード。
 なんていうか、今日はそういう雰囲気作りをしていこうという野望を抱いていたのですけれど、時間が。
 サントラとか勢いで買っちゃうかもしんない!とかいって勢いに任せてCD売り場のアニソン棚の前を
 うろうろしてみたりだとか、某店でなにか狼関連のグッズ買ってしまおうかだとか、なんだか知りませんけれ
 ど狼狽えまくっています。落ち着け。
 あ、「狼狽える」って狼って文字が入ってるーーー!!
 ・・・。
 なんだこの人、恥ずかしすぎる。
 だが、悔いは無い。
 
 よし。 (なんだかわからないけれど清々しい笑顔で)
 
 
 
 
 

 

-- 080321--                    

 

         

                           ■■無垢な狼と賢いお人好し■■

     
 
 
 
 
 『しかしな、ぬしよ。次からはわっちを怒らせてくりゃれ。
  ぬしが色々考えてくれるのは嬉しいが、場合によっては互いに怒って怒鳴り合った方が、
  早く問題が片づくこともある。』
 

                           〜狼と香辛料 ・第十一話・ホロの言葉より〜

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 
 
 
 ぼう
 
 わざとらしく、蝋燭に火を灯す。
 震える指先を演じつつ、蝋のか細い冷たさを頼りに、月光を閉ざす。
 閉じ切られた部屋。
 いっそ完全に密封して、窒息してしまえばよいものを。
 
 ぼう
 
 吹きかけた強靱な溜息が、炎を揺らす。
 もう、揺らさぬ。
 じりじりと焦げ付く時間だけが過ぎていく。
 椅子に押し付けた尻が痛い。
 尻尾は、どうなっとる? わからぬ。
 
 ぼう
 
 考えておる。
 いつに無く、考えておる。
 激しく、なにも考えられなくなっていく。
 
 ぼう
 
 また一から思考が始まる。
 消える。
 
 ぼう
 
 
 重く、暗い。
 呟けた言葉は、それだけ。
 怒りを込めたはずの歯軋りは空を切り、無様で無意味な言葉だけが目の前に転がった。
 なんじゃ、これは。
 その恨み言すら、空々しい。
 違う、違う違う!
 こんな言葉は不要じゃ、そんなことを考えている暇など・・・・
 いや・・なにかを考えている暇など・・あるのかや?
 なのにわっちは・・・・考えている・・・・・・考えている振りをすることに、すべてを込めておる
 寝よう。
 寝てる振りをしよう。
 その一連の流れを止める術も、その気も無い。
 そしてなにより、自分がそうしている自覚も無い。
 いや。
 今こうして毛布にくるまっているときに、さきほどの机に向かっていたときの無意味な時間が見えてきた
 だけ。
 おそらくわっちは、明日の朝になれば、今この寝る前のひとときの無為を思い出すのじゃろう。
 じゃから、わっちは寝る。
 寝る振りをする。
 
 ロレンスが、帰ってきた。
 
 すべての動作が消える。
 思考も消える。
 純粋一途に、寝た振りをする。
 見事にひっくりかえった椅子を見て、開け放しの窓を見て、あやつはなにを思うじゃろうか。
 わっちが荒れ狂うておったと思うじゃろう。
 まさか窓を閉め切りわっちが机に向かって薄暗い顔で沈思していたなぞと、思う訳は無かろう。
 さぁ、どうするよ?
 わっちは、あやつの答えなど待っておらん。
 わっちはただ、すべての力を込めて、寝た振りをする。
 ぬしにヒントなどやらん。
 ぬしがなにもしなければ、わっちはこのまま意識を失い、無価値な明日へと直行じゃ。
 ほれ、わっちはもう往くぞ。
 待ってなぞやらん。待ってなぞやらぬ。
 ぬしが、決めよ。
 
 触るなやっ。
 
 ぽろぽろと、泣くようにしてロレンスがなにかを喋っておる。
 なにがあとは賭場に走るしかない、じゃ。
 言うに事欠いて、そういうのはわっちに向いている、じゃからわっちがその金を賭けて来い、じゃと?
 全く本気に聞こえぬから、腹が立つ。
 いや本気で言うておったら、殴りつけとったじゃろう。
 いや。
 本気で言うておらんから、殴る気も起き得なんだ。
 ぬしはただ諦める理由を、わっちに押し付けとるだけじゃろう。
 ぬしが必死に駆けずり回ってやっと稼いだ僅かな金。
 ぬしはそんな無意味な額しか得られなかった事の絶望を、ただ紛らわそうとしただけじゃ。
 
 喋るだけ喋って、ロレンスは出ていきよった。
 わっちはただ必死に、耳を峙てることを禁じ、全力で寝た振りを続行した。
 
 一定時間経過。
 わっちは滑るようにして起きあがり、開け放ちの窓から身を乗り出し、そして計算したかのように丁度
 今どこかへ向けて歩き出したあやつの頭目がけて、あの金を投げつけた。
 
 
 『たわけっ。 さっさと戻りんす!』
 
 
 怒り心中に満ち、叫び全身を駆け巡る。
 ロレンスが階段を上がってくる音すら、堪忍袋の緒を刺激する。
 ドアを開けて入ってきた、その夜の風とあやつの匂いを、切り裂いてやりたくて仕方のうなった。
 赤裸々に剥かれた疎ましいほどのこの牙が、散々にわっちを打ちのめす。
 震える体。
 止まる心。
 冷静に言葉を編むが、しかし上手くそれが喉を通り口から出ていかぬ。
 『たわけが・・・・』
 
 『なにが済まぬじゃっ・・・・・・・・』
 
 すう
 わっちの言葉に、すべてが収束する。
 自分でも驚くほどに、それこそ意外なほどに、そのわっちの言葉は的確じゃった。
 いや、もはやその言葉からすべてが始まると言うても良い。
 そうじゃ、それなんじゃ・・・わっちのこの震えは・・・どうしようも無い震えはそこから・・・・
 ぬし・・・・ぬしよ
 『なにがどう済まぬっ?』
 なぜわっちに金を預けたんじゃ?
 それはぬしが手にした金じゃろう。
 そしてぬしがそれしか手に出来なかったのは、わっちのせいじゃろう。
 違うか?
 
 違うのなら、どうして違うと言えるのじゃ? 言うてみよっ、ロレンス!!
 
 なにがわっちがひとり逃げるための路銀、じゃ。
 ぬしが、この金と共に投げ捨てたは、なんじゃ?
 『わっちが、その金を持って逃げたらどうする?』
 それならそれでいい、じゃと?
 『わっちに路銀を残すじゃと?』
 
 巫山戯るなやっっっ!!!!
 
 ぬしが投げ捨てたは、わっちの名誉じゃ!!
 馬鹿にするな!
 『悪いのは、わっちではないかっっ!!!』
 わっちが、わっちがただ自分の孤独を求める心に負け、わざとここ一番の勝負で手を抜く自分を見逃し
 たんじゃ。
 いや、少なくとも、わっちはあれだけ賢狼賢狼じゃと大見得を切っておったんじゃ、それなのにこの様は
 なんじゃと、それでも賢狼かと、そうぬしは詰っても良いんじゃ。
 いや。
 
 そう言って泣き叫ぶだけなら、わっちもぬしと同じじゃ。
 
 ぬし。ぬしよ。
 ぬしは、たわけじゃ。
 ぬしは、ただ相手を信頼しておらぬだけじゃ。
 悪いのは自分だと、自分が悪い理由ばかりを並べ立て、そしてひとりだけイイ格好したつもりになって、
 それで終いにしようとしとる。
 ぬしは、お人好しじゃ。
 それも、とてもとても、取り返しも付かないほどにたわけなお人好しじゃ!!
 なぜなら、そういう自分の行動に少しの疑問も抱いてはおらぬからじゃ!!
 本当は、イイ格好してるなぞという意識すら無いんじゃろ?
 ただただ本当に、心の底からお人好しなんじゃろ?
 ただずっと、他人に対しての優しい気持ちのままに動いてるんじゃろ?
 ただそれだけで、動いてるだけなんじゃろっっ?!
 
 いいかやっっ?!
 
 
 このわっちを、無視するなっっっ!!!
 
 
 風すら、感じん。
 髪の肌触りすら、無い。
 わっちは、一等叫んでおった。
 振り上げた椅子は、それを持つ手の異様な力に振り回され、急激にその安定を失い、わっちを思い
 切り振り回しよった。
 『なぜわっちを責めぬっっ!!!』
 なぜぬしは、自らの罪に逼塞しよる。
 どうしてわっちを、助けに来てはくれんのじゃ。
 わっちは、こんなに見栄を張っているというのに。
 わっちは・・・悪い狼じゃ
 自分のことしか考えとらん、自分のためならなんでもする、狡猾な豹狼じゃ。
 わっちはそんな自分を責めとる。
 ちゃんとちゃんと、懸命に責めとる。
 恥ずかしいくらいにじゃ、そうじゃ、こんなことをぬけぬけ言うわっちは恥知らずじゃ!
 『なのにぬしは、わっちの手を払っただけで、すぐに済まないなどと謝りよって!!』
 
 
 悪いのは、わっちじゃろうがっっっっ!!!
 
 それで以て、その悪いわっちを責めぬぬしが一番悪いんじゃ!!
 
 
 逆を考えよう。
 わっちはこうして、ぬしの悪いところを責めた訳じゃ。
 ぬしはこう言ったよな?
 わっちを北の森に連れていくと言ったのにこの様だ、悪いのは俺だ、と。
 わっちの手を振り払ったのは、自分に余裕が無かったのが悪いからだ、と。
 なんじゃそれは。
 わっちはそれを笑い飛ばす。
 一発、殴ってやってもよい。
 わかったかや? わっちがなにを一番言いたいのか。
 そうじゃ。
 
 じゃからぬしにも、わっちがわっち自身を責める言葉を、すべて笑い飛ばして欲しかったということじゃ!
 
 責めるべきは、お互いがお互いを責めぬことじゃ。
 ただただ自分自身のみを責め、逼塞し、それは一体どういうことじゃ?
 それはただ、目の前の問題から逃げ出してるにしか過ぎん。
 いいかや? ぬし様よ。
 わっちはぬしのその、たわけなお人好しなぞ、認めぬ。
 その愚かな笑顔を、今すぐ仕舞いんす!
 その笑顔を真っ直ぐ裏返して、責めるべきを責めや!
 ぬしが謝るべきは、ぬしが謝ったことじゃ。
 わっちはぬしのパートナーじゃ。
 じゃがな。
 わっちの失敗をな、自分の失敗だなぞと言うなや。
 わっちもぬしの失敗を、そうさせたわっちのせいなんぞともう言わぬ。
 いいかや? ロレンスよ。
 今回の件は、どういうことじゃ?
 わっちはな、わっちは。
 本心では、ぬしの失敗を願っとった。
 語弊を恐れずにいえば、わっちがあの場にいれば、それが原因でぬしが失敗することをわかっとった。
 深くは、問うてくれるなや。それはわっちの問題じゃ。
 そしてな。
 わっちはそのことを責めておる。
 じゃが。
 わっちがぬしに責めて貰いたいのは、それでは無い。
 ぬしが失敗するとわかっとったのに、それをわざと見逃したことは、これは秘中の秘、わっち自身が冷酷に
 責めそのことと向き合っていくことじゃ。
 そしてな、ぬしが責めるべきはただ、わっちがあの場にいたこと、それが失敗の直接の原因となったこと、
 ただそれだけなんじゃ。
 『わっちは我が儘でぬしについていったんじゃ。それが裏目に出たんじゃから、もっと怒っていい。』
 わっちの秘中の秘については、ただ笑うてくりゃれ。
 わっちはそれに、笑顔で返すんじゃ。
 考えながら、必死に苦しみながらも考えて、そしてぬしに笑顔を魅せられる見栄を張りたいんじゃ。
 じゃからな、じゃから問題に落ち着いて向き合っていけるんじゃ。
 ぬしもそうじゃ。
 ぬしの優しさは、ぬしにとっての秘中の秘じゃ。
 なのにそれのせいにして、向き合うべき罪すら責めずに逃げる気かや?
 わっちを責めろ!
 なにが間違っていたのかを検証することに、集中しやしゃんせ!
 
 
 
 
 
 そうでなければ・・・・・・・わっちの心は・・・・・・折れてしまいんす・・・
 
 
 ぬしよ・・・・・ぬし様よ・・・・・
 
 はよう・・賢くなってくりゃれ・・
 
 
 
 

賢い、お人好しに。

 
 
 
 
 
 
 

-- 蝋燭の炎が 音も無く 消えた --

 
 
 
 
 
 助けて・・欲しかったんじゃ・・・・
 ああそうじゃ・・・・抱き留めて・・・・欲しかったんじゃっっ
 わっちの心は、折れる寸前じゃった・・
 頼れる存在が欲しかったんじゃ。
 なにが良いか悪いかをしっかりと見分け、それでいて心根のどうしようも無く優しい存在が。
 愛など、よういらぬ。
 少なくとも、今のわっちはぬしを愛しなどせぬ。
 ぬしを賢く誘ってやることも、もはやよう出来ぬ。
 いや、そうでは無い。
 
 わっちは、ぬしに責めて欲しかったんじゃ。
 
 もう頑張れぬと考えることしか出来ぬわっちを、ぬしを求めるばかりになってしまっておるわっちを。
 もう誇り高い賢狼として考え続けることも出来ぬわっちを、それでも凄惨に誰かのせいにしようとする
 わっちを。
 そしてなによりもな、じゅくじゅくと孤独へと邁進するわっちを、それをただ呆然と見送るわっちのな、その
 わっちを平気で採用しておる理屈をな、木っ端微塵に打ち砕いて欲しかったんじゃ!!
 わっちに、戦い続ける力を与えてくりゃれ。
 それなのにぬしは・・・わっちが誇り無き孤独の闇に閉じ籠もるを肯定することばかり・・・・
 
 ああ
 
 
 阿呆よの。
 
 
 じゃが。
 
 
 だからこそ、閃いた。
 
 
 
 
 『ぬしが・・そんなお人好しなのは・・・・な、なんでじゃ?』
 
 求めるは答えにあらず。
 答えを求め続ける我にあり。
 
 
 『性格じゃと? 性格じゃと言ったか? 嘘でも惚れとると言うのが雄の甲斐性じゃろうが!!』
 
 じゃから。
 わっちはその邁進できるわっちを求めたいと思えるからこそ。
 目の前の雄の、嘘で出来た抱擁を引き出すことが出来るのじゃ。
 わっちは、この男を弄び、貪っておるかの?
 そうかもしれぬ。
 わっちは勝手に自己完結し、それを取り繕うために、ロレンスを下手な小芝居に巻き込み、その可笑し
 さを笑い合う、いや笑って誤魔化すという虚しいことをしているだけなのかもしれぬ。
 じゃが。
 
 
 『物事にはな、ぬしよ。
  嘘でもいいから言って欲しいときと、今更言ったら顔が腫れ上がるほど殴りたいときがありんす。
  今はどっちだと思う?』
 
 
 『後者。』
 
 
 たわけっっ!!
 
 正解じゃ。
 じゃがそれはぬしがこの期に及んでたわけなお人好しに過ぎぬゆえの正解であって、たわけなお人好しに
 しか過ぎぬなら、それはこの場に於ける不正解であり、そのままわっちはぬしの顔を原型を留めぬほどに
 殴り潰してやる!
 『信じられぬ。ぬしは信じられぬお人好しじゃ!』
 『さしずめこの状況で惚れとると言うのは、ズルイとでも思ったのじゃろうが。』
 
 ぬしが大事なのは、わっちか、それともぬしがお人好しで居続けることか? 
 どっちじゃ?
 
 ぬしがただお人好しであるだけなら、わっちはぬしをよう信じられぬ。
 嘘を吐いてくりゃれ、ロレンス。
 重要なのは、なぜその嘘を吐くかということじゃと、何度も言うておろう。
 わっちらはパートナーじゃ。
 たとえ虚しかろうと、たとえ良心の呵責に苛まれようと、それに屈することで、目の前のぬしを見捨てる
 ことなど、わっちは絶対にせぬ!!
 ぬしのためなら、わっちはなにとでも戦うてやろう。
 ぬしと共に旅を続けるためになら、わっちはいつまでも戦い続けよう。
 ぬしが素直に嘘を吐いてくれれば、わっちの嘘も誇り高く美しくなろうというものじゃ♪
 
 だから、言ってくりゃれ。
 嘘でもよいのじゃ。
 いや。
 嘘だからこそ、じゃ。
 わっちは、頑張れる。
 だから、言ってくりゃれ。
 
 『じゃから、もう一度じゃ。』
 
 
 
 〜 『なんで、そんなにお人好しなんじゃ?』
 

心は疼き、しかし体はゆっくりとざわめきを潜めていく

 
 
                                   『お前が特別な存在だからだ。』 〜
 
 
 
 冷たく止まった瞳が、しかしその停止のお陰で、ゆっくりとその自重のままに垂れ下がる。
 微笑みが、止まらぬ。
 嬉しく歪んでいく目元、口元、そして潤っていく口の中が、最高に舌の滑りを良くしていく。
 言葉が、頭の中にしっとりと広がっていくのをな、このとき感じたんじゃ。
 笑いが止まらぬまま、じっくりと音を立てて体に染みこんでいく。
 いいのう。いいのう。やっぱり堪らぬのう。
 誇りある嘘、というのは♪
 
 『ぷっ。 っふふふふ、あっはははは!』
 『まったく、わっちらは、何をしとるんじゃ。』
 
 うむ。
 感じていた虚しさは、こうして可笑しさへとようやくその姿を変えたのじゃった。
 まったく、なんて手間のかかる。
 じゃが。
 
 いい感じじゃ。
 
 
 

『ま、わっちがついておる♪』

 
 
 
 
 ◆
 
 ということで、金の密輸じゃ。
 まさか?
 そのまさかじゃ。
 失敗すれば利き腕を切り落とされる重罪。
 だが、成功すれば、あり得ないくらいに、救われる。
 どうじゃ?
 それだけだったら、やる訳が無いじゃろ?
 じゃが、わっちらには後が無い。
 どうじゃ?
 それだけでも、やっぱりやる気は起きんじゃろ?
 なら、これでどうじゃ?
 
 落ち着いて考えてみぃ。
 ただ純粋に、金の密輸を成功させるための策、それだけを純粋に考えてみよ。
 
 どうじゃ?
 あっという間にひとつ、極めて成功率の高い策が浮かんだじゃろ?
 いいかや?
 まず、策を考える。
 何事も、なにかを実行するかどうかする前に、策を考えよ策を。
 そうすれば、その策が主体になってくりゃる。
 そうじゃ。あの羊飼いの小娘を巻き込むんじゃ。
 あの羊の腹に金を仕込んで運ぶ。
 そしてあの小娘は凄腕ゆえに、逆におかしな疑いをかけられ、そして危険すぎて誰もいけないような
 場所に送り続けられておる。
 皆が狼に襲われておるのに、あの娘だけが無事、まぁそれはあの小娘の実力によるものな訳じゃが、
 しかし重要なのはつまり、あの小娘が誰も通らぬ道をひとり羊連れで歩いておっても、誰も不審には
 思わぬ、というところじゃ。
 そして当然、誰も見てはおらぬ。誰も通れぬ道を往くのじゃからな。
 ちなみにわっちは正真正銘の狼神じゃから、実際狼に襲われたとて痛くもかゆくも無い。
 そして、あの小娘も相当に鬱憤は堪っておるから、裏切ることは無く、むしろ積極的に、金の専売を
 行っている雇い主たる教会に復讐したいがために行うじゃろう。
 
 さて、それは前置き。あくまでな。
 
 肝心なのは、それをどうしたらあの小娘に実行に移させるか、じゃ。
 
 ぬしもようわかっとるじゃろうが。
 あの小娘は、無垢な妖精でも聖女でも無い、ごくごく普通の金欲も持った、いち人の子の女じゃ。
 あの顔を見てみよ、高額な報酬を示されたときのあの顔を。
 じゃが、あの小娘は騙され慣れしておる。
 いやむしろ、相手の嘘に逸らされ続けておったようじゃな。
 雇い主は教会なのじゃろ?
 どうせまたあやつらは、神のためと言い募り安い賃金でこき使い、それをあくまで小娘の自発的なもの、
 いやいや、むしろあの小娘の信仰心を盾にとっていいように扱ってきたのじゃろ。
 あの小娘は、なかなかしたたかじゃな、そういった欺瞞をすべて見抜いておるゆえに、じゃからこうして
 副業を探しておったのじゃ。
 みよ、あの顔を。
 虫も殺さぬような、初な顔を魅せつつ、訊くべきことは訊いておるじゃろう。
 頭の中では、さぞ正確な数字が音を立てて刻まれ続けておるじゃろう。
 しかし。
 あの小娘は、教会に反撥心を抱いておっても、実際のところ、かなり信仰心に臆病じゃ。
 教会に質に取られていたからこそ反撥していたのだが、ぬしが信仰心に触れずにただ商談として終わらせ
 ようとするのなら、あの小娘は自分自身でその信仰へと回帰して、金の密輸は悪いことですとっても
 悪いことですだからそれだけはどうしてもできません、となるじゃろう。
 じゃが。
 
 ぬしは、上手かった。
 
 よくある手じゃが、商談の核を先に言わずに、その前に手口と報酬の話、そしてその報酬を得ればどう
 なるか、それを得ないままの生活はどういうものなのか、そしてなによりも純粋に雇い主への批判を展開
 する。
 ぬしの教会への批判の言葉に、あの小娘は必死に首を横に振る。
 じゃがぬしはこう言った。
 『真面目に仕事をして、教会から預かった大事な羊を一生懸命守り通せば通すほど、彼らは異教の
  魔術を使っているのではないかと疑ってくる。 違いますか?
  そして彼らは、あなたの化けの皮を剥がそうと、他の羊飼いならば絶対に行かないような場所に
  あなたを行かせている。 他の場所は別の羊飼いの縄張りだから、などと言って。
  きっと司祭達は、狼や傭兵などにあなたが襲われるまで、危険な地域に行かせ続けるでしょう。
  毎日毎日、異教の者であるという証拠を出すまで。』
 ふふふ。
 なかなか見事じゃった。
 あの小娘、すっかり計算を忘れて、自分の辛い日々を思い返しよったな。
 しかもおそらく、ぬしの言った理屈は、あの小娘がおもっていても上手く言葉にして説明することの出来な
 かったものであり、そしておそらくあの小娘は自分の気持ちを代弁された陶酔感もあったじゃろう。
 だが、気づいていたかや?
 あの小娘、やはりなかなか末恐ろしい女じゃ。
 ぬしの教会批判を聞いているときのあの小娘の顔は、薄暗かった。
 あれは今言ったように教会への昏い怒りの顕れでもあるが、しかし同時にな、それをのうのうと自分に
 語り聞かせる、ぬしへの眼差しでもあったんじゃ。
 あの小娘の信仰心、いやさ、良心的なものはなかなか強靱じゃ。
 そして、あの小娘は、目の前で平然と、「正しいこと」を悪用する輩を散々みつめてきた。
 あの小娘にとって、雄弁に語るぬしの姿と言葉は、全く正しい。
 そして同時に小娘にとっては、それはあらゆる意味で疑うに足る姿と言葉でもあったのじゃ。
 いつも質に取られている信仰心を、今は質に取られてはいない。
 いやむしろ、その信仰心は今、無視されとる。
 だったら今この目の前の人の話から、自分の良心を守れるのは自分しかいない、と。
 
 ふふ、わかるじゃろ? ぬしも。
 そうなったとき、その者の真偽を見分ける力だけは、飛躍的に増大するんじゃ。
 
 『はっきり言いましょう。ここの教会は、豚にも劣る!』
 ぬしのその言葉に、あの小娘はびっくりした顔をしよった。
 ぬしはしてやったり、足掛かりは得たぞという風じゃったが、甘いの。
 ぬしにはあの小娘の反応は、まさにさっきわっちが言ったような、自分の中の言語化出来ずにいたもの
 をあっさりと的確にひとことで言い切ってしまったことへの驚き、つまり初さとして映ったのじゃろ?
 阿呆。
 仮にそうだったとしても、そうであるだけであるはずが無い。
 あれは、本当の驚きでもありつつ、同時に演技の表情でもあるのよ。
 言語化は確かに出来ておらなんだろうが、しかしな、女というのはそもそも自分の情念を言語化して
 捉える必要なぞ無いほどに、ことりと音がするほどに、気持ちよいほどに自分で完璧に理解している
 ものじゃ。
 じゃからつまり、ぬしが言った言葉の通りに自分の情念が言い表されたことへの驚きはあったろうが、しか
 し同時にあの小娘は既にその自分の情念を自分なりに理解していた、じゃから演技じゃと言うたのじゃ。
 なぜ演技したかじゃと?
 愚問じゃな。
 目の前の雄を騙すために決まっとろう。
 自分はなんにもわからぬ無垢な娘だと、そう思わせるためにの。
 実際、半分は本当な訳じゃが、半分はしっかり嘘なんじゃ。
 自分の貧相な、いや雄には華奢にみえるのかの、その容姿なりを上手く利用しとる訳じゃ。
 なかなか、やる。
 ふん、阿呆め。
 男は女の前で嘘は吐かんのかや?
 あんなにあの小娘の前でカッコ付けとったぬしが、よう言うわいな♪
 
 たわけ。
 
 そしてぬしにいよいよ金の密輸をすることを切り出されたとき、あの小娘はまた猛烈な勢いで計算を
 始めた。
 まずは、ぬしが提出した密輸の実際の成功率を。
 考えたわっちが言うのもなんじゃが、もの凄い数字が弾き出されていくのを、あの小娘はあの感情と
 共に知っていったはずじゃ。
 その感情とは、悦び。
 静かに、そしてなにより深い爽快感に包まれたそれは、あの小娘をどこまでも襲ったのじゃ。
 なにせ、計算すればするほど、あの小娘が懸命に耐えながら頑張ってきたことのすべてを、それをより
 完璧にこなすこと、それ自体がそっくり教会への復讐と一致していくのじゃからな。
 自らの行為が報われるということは、何物にも代え難いものじゃ。
 今まで搾取と迫害を受け続け、しかしそれを批判する者こそ神の敵と見なされ、ただただ納得していく
 しかなかった日々。
 しかしあの小娘は賢いゆえに、そういった欺瞞にただ耐えている自分こそおかしいと考えておる。
 そしてそれは、ひとつの考えに収束していく。
 自分の働きを、正当に評価して貰うを求めるは、そんなに「悪いこと」なのか、とな。
 そして今、またと無い機会が与えられた。
 そうじゃな。
 あの小娘にとって、「教会への復讐」というのは、やはり「悪いこと」なのじゃろう。
 しかしな。
 ぬしはしっかりと、この小娘に小賢しい嘘を授けた。
 あなたはただ羊を守って、いつも通りのことをするだけです、そしてそれが正当な報酬を得ることにも、
 教会への恨みを晴らすことに繋がることにもなるのです、と。
 
 
 そのとき、教会の鐘がひとつ、なによりも恐ろしく響いた。
 
 
 わっちにはわかる。
 あの小娘の、人生最大の戦いがこの瞬間にあったことが。
 よいかや? お人好しな雄くんよ。
 あの小娘はな、確かにぬしの話が非常に的確で、かつなによりも、自分がしたいことがすべて正当化さ
 れるということを、おそらく生まれてからこの方感じたことの無い悦びに打ち震えながら、噛み締めとった。
 ぬしは、実に素晴らしい絵図を描いて示した。
 教会の支配圏では教会が金の取引を独占しているため、そこに金を持ち込めば馬鹿売れする。
 じゃから、金を教会の支配圏の外の街から仕入れ、それを教会のあるこの街で売ればいい。
 その金を仕入れる街に最適なのは、異教徒の街ラムトラ。
 そしてラムトラからこの街を結ぶ安全な道は人通りも多く、また他の羊飼いの縄張りになっていて通る
 ことは厳しい。
 しかし逆に、教会によって危険過ぎて他の羊飼いは寄りつかない近道にいつも回されている小娘なれば
 こそ、こちらの道を行っても怪しまれない。
 この利点を与えたのは、紛れも無い教会そのものな訳じゃ。
 小娘が溜め込んだ怒りは、これで真っ直ぐ利点を得られる悦びに換わる訳じゃ。
 そしてそれは同時に教会に不利益を与えることにも繋がる。完璧じゃ。
 ちなみに小娘は、教会の最大の資金源が金の独占的輸出入にあることを知らなかったようじゃ。
 ふふ、小娘の心中察するにあまりある、というものじゃな。
 なにせ、教会の神聖なる欺瞞がそこまでひどいということを知ることが出来たのじゃからな。
 その分自分が見抜いた教会の嘘への反撥が正しかったと思うたじゃろう。
 おまけにぬしに示された計画は、まさに金の密輸なのじゃからな。溜飲下げまくりじゃろ。
 そして、この作戦を実行したのちには、安全のためにこの街を離れなければならないが、それすらも、
 この街の教会と同じ空気を吸わずに済むのなら願ったりなことであり、また危険ゆえに提示された高額
 な報酬も、しかし自分の服の仕立ての店を持ちたいという夢を叶える行動とそれが結びつくのなら、
 その危険を乗り切る力がすべて夢に繋がることにもなる。
 というよりもう、小娘の頭の中では、この教会のあるこの街でなぞ夢を叶えたいとは思わなくなっとるじゃろ
 うの。
 すべての風は、ぬしの計画に荷担せよ、という向きに吹いておる。
 じゃがな、ぬしよ。
 
 ぬしのその勝利を確信した笑顔は、小娘の次の決断のみによって崩されていたのかもしれぬのじゃぞ?
 
 あの小娘が、この風に無防備に乗るとでも思うておったか?
 あの小娘は、ぬしが吹かせた風に乗ったのでは無い。
 その風を、利用したに過ぎぬ。
 動機は、この計画の素晴らし過ぎる合理性にも、ましてやぬしの爽やかな弁舌にも無い。
 戦いじゃ、自分とのな。
 いやさ、自分の良心との戦い、ひいては良心に縋る自身との戦いじゃ。
 教会の鐘が鳴ったとき、あの小娘は、一瞬でぬしの話を聞かなかったことにした。
 ? なにを呆けた顔をしとる。
 当たり前じゃろうが、そんなこと。
 わからぬか?
 あの小娘は、あの段階でこそ、最もぬしの話を否定する力を得れたはずなんじゃ。
 つまりな、さっきも言うたが、このままぬしの合理的な話に乗ってしまえば、一体自分の中の良心を潔癖
 に守るのは誰か、いやいなくなってしまうのではないか、とそう考えたはずじゃ。
 すべての合理性をあっさりと超え、あの小娘は良心を守るために自らがひた走ることに決める。
 それは、もの凄まじい確率で起き得ることだったんじゃ。
 ふふ、やはりの、ぬしはそんなことも想定せずに、ただ机上の空論の上で踊っとった訳じゃな。
 たわけ。
 ああいう種類の小娘はの、自らの汚れに潔癖、いやさ、潔癖でありたいというおもいが異様に強い。
 うーむ、言葉にしてみたら、ちょっと違うの。
 そうではなくて、そう・・・逆か・・・・自分がなんだかんだと理由を付けて、結局は「悪いこと」をしている
 ことが許せない、のじゃな。
 あの小娘にとって、自らの良心は我が子のようなもの。
 教会に質に取られいたぶられ、そしてなによりも歪められてきた、その良心としての信仰心があったれ
 ばこそ、それを教会から取り戻すことと、その信仰心を自ら汚すことは別、とこう考えるはずなのじゃ。
 
 教会の鐘を、堕落した司祭どもの象徴として捉える、そうした愚かな自らの姿がな、みえたはず。
 
 結局自分は、豚以下の司祭どものせいにして、自らが堕落することを肯定しているだけじゃないか。
 それでも教会の鐘は美しく清純に鳴り響く、それは不変なること。
 じゃから、司祭どもの元にでは無く、あの鐘の元にこそ、あの小娘は還る可能性はあった訳じゃ。
 じゃが。
 小娘は、ぬしの依頼を受けた。
 なぜじゃとおもう?
 簡単じゃ。
 簡単でかつ、最も勇気ある行為じゃが。
 
 自分が一番したいことを、ただしただけじゃ。
 
 あの鐘が鳴った一瞬の間に、あの小娘はそれを行った。
 ぬしの話を一瞬で聞かなかったことにし、そして鐘の元に還ろうとし、しかしそれと同時に、そうして鐘の
 元にすごすごと逃げ帰る自分の姿をな、みたのじゃよ。
 結局自分の良心のせいにして、自分のしたいことを懸命にやることから逃げているだけではないか、
 とあの小娘は毅然として気づき、そして得たのじゃ。
 
 良心を騙す決意、をな。
 
 
 たわけ。
 『他の方のお仕事ならお受けしませんでした。ロレンスさんだから、決めたんです。』。
 この小娘の言葉をなんと心得る。
 全く、だから勝ち誇った雄の目は節穴なんじゃ。
 あれはどう見ても、自分の決意の助けとするための、自分用の言葉ではないか。
 ぬしが思っているのと、全く逆じゃ。
 ぬしのことなんぞ、あの小娘の眼中には無いのよ。
 取り敢えず自らの良心を騙そうとは思うたものの、具体的な策がある訳では無い。
 ところが、丁度良い具合に、目の前には誠実そうな男がおるではないか。
 ふふ、つまり、毒は毒を以て制す、じゃ。
 良心を騙すには、良心を捨ててはいないことを良心に示せばいい。
 今自分が受けた仕事の依頼主は、自分のことを考えてくれる誠実な男ゆえに、この男の誠意と良心を
 「信じる」ことが出来るゆえに、自分のしていることは良心に背いてはおらぬ、ということじゃ。
 ふふふ。
 この場合のぬしを信じるというのは、ぬしのせいにする、というのと全く同じことなんじゃよ。
 教会の冷たい光の中での良心と、暖かく優しい男の胸の中での良心を戦わせ、その隙に自らは自分
 のやりたいことをし放題じゃ。
 
 あっはっはっは やりおる やりおるわ!
 
 
 『確かに、小娘の笑顔は無垢にみえたからの。』
 
 
 
 
 そう。
 
 あの小娘は、そうして自らが必ず何物かのせいにしてしまうというその輪を無邪気に見つめながら、
 そしてなによりも賢明に生きることにしたのじゃよ。
 
 
 
 
 
 じゃから、ぬしはたわけじゃと言うておろう。
 『まったく、ぬしはどうしようも無いお人好しじゃな。』
 あの小娘は、確かに純粋無垢かもしれぬし、初かもしれぬ。
 じゃがな、雌というものはすべて、その初めの初めから狡猾であり、また同時に無垢でもあるんじゃ。
 なにせ、意識してやっているだけでは無いのじゃからな。
 しぜんに無垢なるままにやっていること、それが既に狡猾な策になっとるのじゃよ。
 そしてな、妙にな、そういう自分の姿はしっかりみえとるんじゃ。
 無意識の自分すら、操れてしまうんじゃな。
 つまりは、雌はみな確信犯よ。
 そしてあの小娘は、そうした自分をみつめる力が、良くも悪くも高くしてあるんじゃ。
 わかるかや?
 あの小娘は、稀代の聖女様になる可能性も、絶世の魔女になる可能性も等しく秘めておったのよ。
 そしてな。
 
 あの小娘は、そのどちらの道も選ばなんだ。
 あの小娘は、どちらの道も同時に選びよったのよ。
 
 なんのために?
 決まっておろう。
 
 
 『あの小娘は、獲物として追いかけられ喰われるだけの羊では無い。』
 『野生の動物達の輪の中に、自ら決意して飛び込んできた果敢な羊じゃ。』
 『もしかしたら、羊の皮を被った別の動物かもしれぬぞ?』
 
 ふふ。
 あの小娘が無垢でか弱い雌なのは確かじゃがな。
 その無垢でか弱い雌が、汚れ切った凶暴極まる場所にいるということは・・・逆に恐ろしゅうはないかの?
 いるはずの無い場所にそれはいる、それを哀れと捉えれば、真っ先に哀れと思った者こそがその哀れま
 れた者にこそ喰われるのじゃよ。
 くっく、わかったかや?
 
 
 『あまり言いたくはないが、わっちが認めたほどの羊飼いじゃ。』
 
 じゃから。
 
 『ぬしはそれほど悪くはありんせん。お人好しもほどほどにしやしゃんせ。』
 
 ふふ。
 じゃから、ぬしがあの小娘に惚れとるかどうかなぞ関係無く、そもそもあの小娘にした強引な取引に
 ぬしが責め苛まれることは無い。
 むしろ、それは的はずれ。
 なにせあの小娘こそがぬしを手玉に取ったのじゃからの。
 ふふ。
 
 
 
 それが嘘か本当かなぞ、関係あるのかや?
 
 
 
 そうやってぬしがぬし自身の良心に囚われ苦悩する姿を、わっちは見とう無い。
 他の雌に自分の雄が振り回されるのを見て喜ぶ雌なぞおらぬ。
 ふふ。
 無論。
 ぬしが自らの良心のせいにして、わっちに振り回されるを良しとするのも、許さぬ。
 わっちを嘗めるなや、ということじゃ。
 ぬしの良心と旅をするなぞ、まっぴらじゃ。
 お人好しであるだけなら、わっちはぬしなぞ御免じゃ。
 『わっちはぬしと二人だけでほくそ笑むのも、魅力的じゃと思うがの。』
 ぬしが自らのお人好しに拘るたびに、わっちはちくりとひとつ刺していく。
 そしてな。
 じゃから。
 
 『確かに魅力的だが、俺はみんなで笑えた方がほっとする。』
 
 『ふぅ。どうにもお人好しじゃな。』
 
 『駄目か?』
 
 
 
 『まさか。』
 
 
 
 
  −− わっちはぬしと、旅がしたい。
 
 
 
 
 賢く自分のために立ち回れる、無垢なお人好しのぬしと、わっちは旅がしたい。
 
 
 
 ふふ
 
 
 どうしようもなく、嬉しく、楽しくなってきたでありんす♪
 
 
 
  気づけば、蝋燭の明かりが、赤々と部屋をぬるく染めとった。
 
 
 
 
 
 こんな無邪気な夜は、初めてじゃよ、まったく。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ◆ ◆
 
 ・・・・・。
 
 感動した。
 
 私は今、感動した。
 生まれてきて良かった、生きてて良かったとか、そういうことをぬけぬけと言える気分です。
 すらすらと、流れるままに、そのまま感想を書いてしまって、最初ほんとにこれでいいのかなって、自分
 で書いていながらもそう思っていました。
 なんか、今私なんにも考えてなくない? なのにいいの?このまま書いちゃって。
 でも書いているうちに、なんだか、自分のなにかを繋ぎ止めていたピンのようなものが、ピンと外れた
 気がしたんです。駄洒落ですが、構いません。
 もしかしたら私は、自分のことを気持ちよく書こうとしてるだけじゃないの? ただぐだぐだと自分の言えな
 いような事を勢いに任せて書こうとしてるんじゃないの? そう思ってた。
 でもですね。
 其処に、狼と香辛料が、いたんです。
 ああ、っておもった。
 書いている手をふと止め、画面に映し出されるこの作品を眺めて、そしてまた手を動き出しますとね、
 もうこれ、狼と香辛料なんですよ。
 どうあっても私は、自分が狼と香辛料を描いている、というのがわかってしまうんですよ。
 どんなになんにも考えなくても、どんなに赤裸々に無防備に私小説的に書いてしまおうと思い実際ブレ
 ーキを外してしまってもね、ホロとロレンスとノーラの言葉を見たらね、すべてがそれらの言葉として整って
 いくのが見えたのですね。
 
 そうか、それがこの、「狼と香辛料」という作品なんだって、そう思ったんです。
 
 だから、そのまま書きました。
 書けてしまいました。
 狼と香辛料とはなにか、と考えながら書くことなど、そんな瞬間など、ただの一度も無かったのです。
 ただただホロなるままに、書きました。
 ただただ私なるままに、書きました。
 そうしたら、なんだか読み返してみると、その私の文章は狼と香辛料だったのです。
 いえ、読み返すまでも無く、既に書いている時点で、ぞくぞくするほどに、私は狼と香辛料を感じていた
 のです。
 この私の静かな興奮こそ、狼と香辛料という、私がみたこの作品の魂。
 狼と香辛料とは静かな興奮について描かれたものである、だからそれを説明してみせた、では無い。
 狼と香辛料を観ながら書いていたそれは、どうしようも無く静かな興奮を与えてくれるものだった。
 
 そしてゆえに、狼と香辛料という作品は、この静かな興奮をこそ描いた作品だとして私は視たのです。
 
  大体ですね、ホロは自分の内面とか苦しみとか、全部ぶちまけているようで、ぶちまけていないんです。
 なんというのかな、全部吐き出して、それでまるまるそれを抱き締めて貰いたいとか、そういうおもい
 自体はあれど、実際やろうとするときには、もの凄いブレーキが掛かって、むしろそのブレーキの細かな
 切り替えで、それをハンドル替わりにしてその危機的状況を驚異的なスレスレで乗り切っているので
 すね。
 本音は晒すけれど、しかしそれは本音を晒すことが目的では無く、またそれを慰めて貰うことでも無い。
 ホロの前には、ロレンスがいるんです。
 ロレンスがいるから、頑張れる。見栄を張れる。
 頑張れるからこそ、見栄を張れるからこそ、本音を魅せることも出来る。
 つまり、見栄を張るために、ロレンスと共に歩き続けるためにこそ、本音を晒すことが出来るのですね。
 そしてそれはさらに言えば、そうするためにこそロレンスを自らの目の前に置いている、ということでもある。
 ホロがロレンスを求めるのは、ホロの自らの孤独からの脱却のためであり、そしてまた、同時にロレンス
 を求め続けるためには、自らの孤独と戦わねばならない、ということ。
 そのなにか血の通った、なによりもその場に有効な手段がなにかを瞬時に嗅ぎ分け、そして粛々と、
 その手段を講じていく。
 情熱的でありながら完全に醒め切っており、しかし醒め切っておりながらもいくらでも情熱の炎を燃やす
 ことが出来る。
 ホロにとってはその炎が、とても不思議なものにみえていたはずです。
 それは自分で灯したものであるようにも、誰かが灯したようにもみえる。
 或いはただそれは、自分が消し忘れていたもののようにも、誰かがやはり消し忘れていたものようにも。
 
 でもまぁ、暖かければ、どっちでもよいの。
 むしろ、どっちもありなのじゃないかや?
 
 誰がなにをどこまでやったかなど関係無い。
 それよりも、今そうして提出された目の前のものを、如何に使いそれとどう向き合い、そしてそれと共に
 どう自分が生きるか。
 孤独であろうとも、強靱な良心があろうとも、なにかに縛られておろうとも、なにも縛ってはくれなかろう
 と、それはそれとして、逆にそれらしか自分には本当に見えないのかと、耳を澄ますことは誰にも可能。
 ホロは、常に耳を澄ましているのです。
 わざわざ峙てなくとも、その耳はあらゆるものを聞き分け、勝手に分類を始めてしまいます。
 善い悪いをあっさりと。
 しかし。
 
 ま、それはそれじゃ。
 
 それがホロの歩むべき道の上でホロが諳んじる言葉であり、またその歩いている道を叩き壊す武器でも
 それはあるのです。
 今回のお話は、徹頭徹尾、そこに向かっていました。
 嘘を吐こうが真実を言おうが、それらはすべて物事を解決する道具にしか過ぎず、そしてならば、その
 真偽を判ずることは物事を解決する道具のひとつにしか過ぎぬ、ということを語っていることそれそのもの
 もまた、やはり大きな問題を解決する道具なのです。
 ラストのホロのあの楽しげな感じが、それらをすべて顕していました。
 ロレンスがお人好しでもそうでも無くても関係ありんせん。
 ロレンスがお人好でもそうで無くても関係無い、と宣言する事に力があるかどうかも関係ありんせん。
 なにかひとつの絶対的に頼れるものが見つからないと、虚しさを感じてしまうもの。
 ロレンスがお人好しかどうかは関係無い、それでもロレンスとは付き合っていく、というのは実はもの凄く
 虚しいものでもある。
 ノーラが自分が良心を守るか守らないかは関係無い、ただ自分のしたいことをすればいい、というのは
 実はもの凄く儚い。
 ふふ、あの小娘がそんなにヤワに見えたかや?
 違うのですね、ホロもノーラも。
 そんな虚しさを感じている間も無く、さらに新しい葛藤の輪を描き出し、それが解決せぬうちにまた次々
 と輪を作り出し、創り出し続ける。
 そう。
 必ず、誰もが理論上その葛藤の輪の連続に虚しさを覚えることは出来ても、しかし誰もが実際に次々
 に溢れ返り続ける葛藤をひとつひとつ丁寧に虚無的に処理出来ていくことは無い。
 必ず、必ず、どこかの段階で、その処理は追いつかなくなるはずなのです。
 どこかできっと、虚しいと思える暇も無いほどに、激しくその葛藤を利用して愉快にそのまま馬鹿みたいに
 生きられる。
 
 ホロは、それを知ったとき、豪快に笑ったのですね。
 なんじゃ、わっちは自分の頭の使い方を間違っとったんじゃな、と。
 
 無論、だから、馬鹿みたいになにも考えずにひとつの絶対的な葛藤を求め続けることが出来る。
 しかしそれはもう、賢狼ホロにとっては、こういうことになるのです。
 だったらもう、絶対的なものなぞ求めることに拘らんでもよいではないか、と。
 もはや葛藤の輪を繰り返すのは虚しいことだ、ということこそが絶対では無くなり、必ずどこかで虚しさを
 感じずに済む葛藤があるはずと信じられたのなら、もうたとえ虚無を感じ続けてもいくらでも葛藤の輪を
 作り続け、そしてそれが出来るうちに、それはもはや自分にとっての手玉としての葛藤の輪になっていく
 のではないかと、ホロはそう気づくのです。
 葛藤も、ひとつの武器なんじゃ。
 ですから、ホロは葛藤に対して情熱的を取り戻したのです。
 どんなに葛藤しても虚しさしか感じられず、またたとえ情熱的になれたとしても、必ずそれを冷たくみつめ
 ている自分がいることにこそ、虚しさを禁じ得なかった。
 しかし、その虚しさとは、実は静かな興奮なのではないのかや?
 もしかしたらその醒め切った視線は、葛藤を取っ替え引っ替え出来るという、冷静さの表れではないの
 か。
 その冷たい情熱をこそ、しかしそれは情熱ゆえになによりも熱いもの。
 ホロはそれを手に入れることが出来たのです。
 
 
 ああ、これはすごいわ。
 
 
 文章を書く手を止め、画面から目を離し、そして一瞬考えたのち、すごさを実感しました。
 こりゃ、今の私には無いものだったなと、ものすごくつーんとしたものを感じながらおもいました。
 そうか、そういうことだったか「狼と香辛料」!
 やられた。
 というか、この感覚きたーって感じです。
 私事で恐縮ですけれど、やっとこういう感覚でまた感想が書けたという感じです。
 私の、先へ。
 私の知らないものを、書く。
 書きながら考えていく、つまりこれ、まさに今回のお話の中身、それそのものなんですよね。
 色んな事柄を取っ替え引っ替え、ぐるぐるにして活用して新しく編み出していく、そんな感覚。
 ホロとロレンスとノーラの嘘という、三種三様のその活用術こそ、今回の肝でしたし、それらの策略を
 主体としてなにかを見つめていくことを描いたのが、この「狼と香辛料」という作品なのだと思いました。
 人生とは、嘘という総合芸術を演じる場であり、そしてそれをみつめる観客席からは冷たい視線が飛ん
 で来続けるもの、とかなんとかぬけぬけと言える気分です。
 酒杯片手にね♪
 ・・・・。
 ロレンスとノーラの商談中に、あのホロさんは一体どれくらいお酒を飲んでいたでしょうか。
 さぁ、数えてみよう♪  (正解:ジョッキ大のもので3杯 すご 笑)
 
 
 それでは、今回はこの辺りにて。
 Upするまでに時間が掛かりすぎまして、申し訳御座いません。
 その分たっぷり書けたところもありましたので、あまり反省していませんけれど。(ぉぃw)
 少しずつスピードを上げているところですけれど、残念かな、そろそろ最終回も近づいてきており、
 それまでにはもう・・・(ぉぃwww)
 
 ということでスローペースな当狼と香辛料感想で御座いますけれど、残りのお話も不自然なくらいに
 愉しもうと力み返って訳わからなくなって、そして頭が真っ白になった状態から、またすっと丁寧に自然に
 面白いことを書けるように頑張っていきたいと思いますあとサントラ買おうか悩んでますそれで結構
 集中力とか落ちてましたごめんなさい。(ぁw)
 
 では、また次回お会い致しましょう。
 それまで、良い旅を、皆様。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
                              ◆ 『』内文章、アニメ「狼と香辛料」より引用 ◆
 
 
 

 

-- 080318--                    

 

         

                                 ■■ 甘みのいる無■■

     
 
 
 
 
 『ふふ。甘さは変わんないと思うけど。
  ふふふ。ふふふ♪』
 

                           〜もっけ ・第二十三話・静流の言葉より〜

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 『私には、以前からずっと引っ掛かっていることがある。』
 
 
 背負うモノがある。
 それを、感じている。
 それは、感じられぬほどになるまでに、感じている。
 感じていない訳が無い。
 だから、感じてなどいないと、そう思う。
 そう思えば思うほどに、自分がそうして感じていないと叫ぶことに躍起になっている姿が視えてしまう。
 私はなにも感じていない、なにも感じていない、感じていない。
 必死に振り絞るその言葉が、すべてその背負うモノから逃げようとする悲鳴にしか聞こえない。
 それは、悲鳴なんだ。
 怖くて、怖くて、仕方が無い。
 耳目を塞ぐのは、なぜ?
 それは、そうしてなにも聞こえなくなれば、見えなくなれば、目の前にはなにも無いと言えるから。
 でも。
 それは、その耳目を塞ぐ手があってこその、無。
 作られた、無。
 否。
 作らされた、無。
 その自分の手があることを、その手が震えていることを、知らずにいられることは絶対に無い。
 どうして私は・・・
 逃げなくちゃ、いけないんだろう・・
 どうして私は・・こんなに怖いんだろう・・・
 
 なにが、怖いんだろう。
 
 目の前のそれがか、それとも・・・・
 
 
 
 ◆
 
 静流のクラスメイトの永澤は、長いこと学校を休んでいます。
 医者にも原因のわからない微熱が続き、体に痛みがある。
 静流は学校で配られたプリントを渡すために、信乃と共に永澤の元を訪れます。
 静流は、この家とは因縁があります。
 永澤家は旧家であり、これまでも数度静流のお祖父ちゃんの世話になり、またそのときに静流もこの
 家には来ていたのでした。
 無論、永澤個人とも静流は幼いときにも会っていました。
 そして静流は、この家の庭で謎の老人と出会った。
 他の人には視えぬモノです。
 おじいちゃんによれば、それはこの家に憑く屋敷神だということなのです。
 そして静流は、それが永澤にも憑いているのではないかと考えた。
 静流はかつて、その屋敷神にこう言われていたのです。
 この子はこの家を守り、そして此処に居続ける、と。
 静流は、知っています。
 永澤家は古い歴史を持ち、家も立派。
 だからその背景を永澤は背負い、それゆえ信乃達からは近寄りがたい存在として捉えられていた。
 しかし一緒に親密に遊んだことのある静流は、永澤は大人しい子ではあるけれど、それでも気さくで
 明るい子でもあるということを良く知っています。
 実際永澤を敬遠していた信乃も、一度ちゃんと話しただけで、あっさりと今までの近寄りがたさを払拭し
 てしまうほどでした。
 永澤は古い家に育ち、それなりの雰囲気を纏ってはいれど、『素敵な男性が現れたら、さっさと出て
 っちゃうかもしんないし。』、と軽く言える子。
 『永澤さんって意外と話せるんだね。もっとお高いイメージかと思ってたよ。』
 だから、と静流は考えるのです。
 
 そうか、あの永澤さんの肩に取り憑いている黒いモノは、あの屋敷神なんだ。
 
 永澤さんは、ああいった風な不調がもし続かないのだとしたら、きっと信乃ちゃん達みたいに活発な子
 だったのかもしれないんだ。
 永澤さんは、全然自分の体に負けてない。
 負けることを潔しともしてないし、諦めてもいないんだ。
 話してて、それはよくわかる。
 静かに浸みてくるような、けど・・・どこかぽっかりと・・・儚いような・・
 もし自分の体が良くなったら、もう大丈夫って言えるようになったらと、永澤さんはそれを考えるとき・・
 そのとき、どうしようも無く、遠いところを見ているような目になる・・
 決して諦めてはいないのだけど、でもその自分の踏ん張りが、どうしようも無く無意味で非現実なもの
 としても、永澤さんには捉えられているんだ。
 素敵な男の子が現れたら出て行っちゃうかも、っていうのは勿論冗談だけど、冗談なのはその素敵な
 男の子が現れるってとこだけで、家から出ていくっていうのはとてもとても本気。
 だけど・・ほんとはもう・・それすらも冗談にしかなり得ないって、永澤さん自身も感じてるんだ・・
 でもきっと、そのことを、自分がそういう風に、諦めていないのに諦めている、ということをなによりも理解
 してる。
 なんていうかな、私達と会ったときの永澤さんには、鬼気迫るような、そういう切実さは無かった。
 私達に助けを乞うような、或いはその反撥としての高飛車な態度とか、そんなのまるっきり無かった。
 それを指して、だから永澤さんはもう諦めてるんだ、というのは、やっぱり間違いだって、そのとき私は
 どうしようも無く思ったんだ。
 永澤さんはたぶん、覚悟を決めてるんだ。
 どんなことになろうと、絶対に健康になって、また私達と同じように普通に生きるんだって。
 それは鼻息も荒く傲然とその意志を示すものじゃ無く、ひどく静かで穏やかで、そしてそれゆえに果てしな
 く長い戦いそのものだった。
 永澤さんはたったひとりで、ずっとずっと静かに戦ってる。
 
 ああ、そっか。
 
 永澤の静流、特に信乃を前にしたときのあの振る舞いは、実は限りなく作為的なものでもありました。
 本当はもう気が狂いそうなほどの状況であるのに、それでもこうして学校の友達という「普通」を前に
 したときに、絶対に自らの醜態を晒す訳にはいかないからこそ、力の限りに明るく振る舞い、そして
 ユーモアさえも魅せて、圧倒的に「普通」であることを示していたのです。
 そして永澤にとって最重要だったことは、その自分の姿に決して「作為さ」を見られないことにあるのです。
 なんとしても、絶対に、平静であらねばならない。
 それを何度も何百度も何万度も続けてきた永澤には、もはやそれは努力でもなんでも無い、本当に
 作為の無い自然な隠蔽工作になっていたのです。
 そっか、だから切実さというか力んだ感じがみえなかったのね。
 しかも、その切実さや力みさが見えないことが不自然に見えることさえ無い、それは完璧な「普通」だった
 んだ。
 古い家の影を背負い病に伏せっているという、近寄りがたさを与える背景がありながらも、切実さや力
 みさが見えないからこそ、逆にとっつきやすい、つまり意外に話せる子という、ごくごく普通のイメージを
 相手に与えることが出来るんだ。
 家に囚われていることや病のことを嘆いたりもしない、かといって肩肘張って誰にも頼らないということも
 せず、それなりに人に頼れ、それなりに愚痴を言うことも出来る。
 極限的異常状態にありながら、決してそれには囚われない、否、全く関係無いという風な自分である
 ということを、永澤はあっさりと示すことが出来る。
 
 でも、そんな人間が居る訳が無かったんだ。
 
 もし、永澤さんがああいったことが出来る人じゃ無かったとしたら。
 もし、私が永澤さんと同じ立場だったら・・・
 静流は考えます。
 無理だ。
 きっと信乃ちゃん達からも距離を置かれちゃう。
 私はたぶん、ずっと暗い顔して、時々自分でも気づかないうちにぶつぶつとなにか言ってたり、誰かに
 当たっちゃったり、しかもそれが前向きでもなんでも無い、どうしようも無いくらいに相手を嫌な気分に
 させてしまう、ほとんど当て付け的嫌味的な愚痴しか言えないかもしれない・・
 永澤さんが・・・もし・・・ああいう風に静かに頑張ることが出来なくなってしまったとしたら・・
 ううん・・・・じゃあ・・・・永澤さんは・・・誰なんだろう・・・
 私は・・・ううん・・・・私達は・・・・・
 
 
 永澤さんの、一体なにを認めてたんだろう。
 
 
 そして同時に、静流は気が付くのです。
 自分が今まで、全く、気が付いていなかったことがあるのを。
 私・・
 
 
 
 私、私も、自分の絶対に知られてはいけない体質を、隠して・・・るんだよね?
 
 
 
 それなのに、笑ってる。
 それなのに、信乃ちゃん達と、ちゃんと付き合ってる。
 笑えてる、付き合えてるっていうおもいを、もう何度抱き締めたのかもわからないくらいに。
 あれ・・・あれ・・・・?
 私も・・・私だって・・・・
 
 静流は、自分になにも憑いていないということを。
 静流は、自分になにか憑いているはずのモノが視えないということを。
 初めて。
 そう、生まれて初めて、知ったのでした。
 
 
 そして、静流は憑かれたのでした。
 
 
 
 
 ◆
 
 その後も永澤の病は治る気配を見せず、永澤家はおじいちゃんを呼ぶことにしました。
 おじいちゃんは、永澤に憑いているモノは、「ロクサン」だと言います。
 年回りで憑くモノであり、それぞれの年にそれに見合う体の部所を痛めるモノ。
 それを祓わない限り、熱も下がらず痛みも無くならないとのこと。
 そして一週間後、嘘のように熱も下がり痛みも引いた永澤は、大喜びで礼を言いにきました。
 その際に、静流は約束するのです。
 地元の進学校である、一校に一緒に見学に行くと。
 嬉々として、将来のことを語る永澤。
 『元気になったら、なんか諦めてたことも出来る気がしてきたし。』
 今だからこそ言える、その「諦め」があったことの告白。
 もう大丈夫だから、もう治ったから、私は。
 だから、今は・・
 静流は、見定めます。
 『あんなに元気な永澤さんは、久しぶり。』
 永澤さんは、諦めを披露することが出来るくらいに、今を信じてる。
 自由に動けるようになって、なによりもそれが信じられないのは永澤さん自身で、だけど永澤さんは
 自分がしなければならないことを信じて、そして・・
 
 しかしおじいちゃんは、まだ油断はならない、と言います。
 
 静流よ。
 お前、また利用したな、他人を。
 あの永澤の娘はな、色々考え続けてる。
 しかし、同時に考えれば考えるほどに、それは思考というレベルを超えてな、いつしか自分が今考えて
 いることの裏でまでなにかを考えているようになっちまってるんだ。
 つまり、自分で今考えてることと全く違うことを、あの娘の体の方はずっとずっと考え続けてるってこと
 だ。
 だからな、あの娘が意識している表面的な部分の考えに答えてやったり解決してやったりするだけでは
 、そりゃ根本的解決には至らないってことだ。
 またぞろ、あの黒い手は重みを増してくるんだな。
 
 で、お前はあの黒い手を、ロクサンの障りを、いや、ロクサンは屋敷神であると視た訳だな?
 
 まず始めに言っておく。
 そりゃ間違いだ。
 そして、その間違いこそが、それを起こさせてるモノこそが、お前にこそ憑いてんだ。
 お前があの屋敷神をそういうモノとしてみた、だからこそお前には屋敷神が視えた。
 まずそこだな。
 つまり、お前自身にもあるはずの黒い手の原因を、その屋敷神に視たということだ。
 しかし無論、その屋敷神は屋敷神としての特性があるからこそ、そこにいる。
 じゃあ、お前が視たその屋敷神の、その屋敷神自身の存在理由とはなんだ?
 お前は屋敷神をどういうモノだと視、そしてその視たモノになにを押し付けたんだ?
 屋敷神は、家屋敷を支配するモノであり、その中にいる者を縛り付けるモノ。
 それはその土地なり家なり他の家の者なりへの思い入れや愛や、そういった諸々様々の権化として、
 お前には捉えられたモノなのだろ?
 
 で、お前はそれがあの娘をあの家に縛り付けているものだ、と捉えた訳だ。
 自分で言葉にして、それが嘘だってことは、もうわかったろ?
 
 
 永澤は、ずっと考え続けています。
 自分はどうしたらいいかと、ずっと。
 そしてどうすれば良いかを考えるために必要な、その情報素材を求めて続けています。
 求めれば求めるほどにその情報の量は増していき、どんどんと抱え込み背負うものが増えていく。
 私は、この家が好き。
 古臭いのも、なんだか形式の名残があるのも。
 あんまりそういうのはもう機能してないし、今更それを復活させようだなんて思わない。
 我が永澤家は、それは昔は名家で通っていて、それなりの格式なり風習なりあっただろうけど、今じゃ
 そういったものはまさに歴史的記録としてしか、ウチには無い。
 でもね、家の中のそこここに、その記録の元になったモノの残り香や残滓は残っているの。
 お祖母ちゃんもお祖父ちゃんも、お父さんお母さんも、ごく普通な現代人だし、また現代の名士って
 感じにもならず、というか今は別に勢威とかある訳じゃ無いから、なりたくてもなれない訳だけどね。
 でも私は、感じるんだ。
 この柱も、壁も、押入や蔵の中のものも、庭も廊下も、すごく・・・なんだか・・・あったかい
 今の私だけじゃなく、過去の私の一族のそのいちいちの生活が、誇りが、そういうすべてが犇めいてて。
 
 私ね、檜原さん。
 それが重圧だなんて、感じたことなんて無いのよ。
 
 しかし永澤は、その自らの思考を体の奥底へと封印してしまいます。
 私は、本当にこのままで良いんだろうか?
 永澤は、考えます。
 「普通」とは、なにかを。
 もしこのまま古い家の中で古さに抱かれたまま、ずっとこの家を中心とした世界の中に生きているだけ
 で良いのか、と。
 この家のことは好きだけど、しかしその気持ちだけで自分の人生を決めて良いものだろうか。
 だってクラスの他の子達や、ううん、世の中の女子中学生たるものは、もっともっと色んな世界を見て
 回らなくちゃいけないんじゃないのかな。
 永澤は、決して他者が嫌いな訳でもありませんし、むしろ自分の家の外の世界の人達のことも、家
 と同じくらいに大好きです。
 ですから、そうやって広い世界を見て回らなくちゃいけないのだろうか、というのは決して強迫的な意味で
 では無く、ましてや義務感からなどでは無い、明確な自らの意志によるものなのです。
 私は、みんなと一緒のことをしてみたいんだ!
 ううん、あるいはみんなよりももっと素敵な女性になれたらいいなって、そう思うんです。
 それは全く、「普通」から外れることを恐れるあまりの防衛行動などでは無い。
 永澤が病床にて静流や信乃に静かな「見栄」を張ってみせたのは、それは自分は化け物じゃ無いだか
 らひとりにしないでという切実な叫び、そうなによりも縋り付くようなことでは無かったのです。
 そう。
 
 永澤は、ただただ、自分の可能性をどこまでも試してみたかっただけなのです。
 
 どうしようも無い状況の中でも、それでも静かに足掻き続けていたのは、それを諦めたく無かったから
 です。
 他者との生活を目指すのも、普通の女子中学生を演じるのも、その普通の他者達へのアピールの
 ためだけにやっている訳では無いのです。
 私は頑張れる、私はまだ頑張れるの!
 永澤は、頑張れなくなった自分がみんなから見捨てられるのが怖くて、必死に頑張り続けている訳では
 無い。
 永澤は、ただただ、自分は誇りを以てどこまでも素敵な女性を目指せる人間だということを示したかった
 だけ。
 しかし、ことはそう単純では無い。
 ならばなぜ永澤はロクサンに障られたのか。
 永澤の「ロクサン」とは、一体なんなのかが、それだけではわからない。
 永澤の「ロクサン」とは、自分が体に封印したもうひとつの思考、つまりいつまでも家と共にありたいという
 モノ、それと今自分が持っている外向きの考えとの激烈な戦闘の結果、それそのものなのです。
 実際、永澤の表面的思考では、永澤は家から出ることで頭が一杯であり、そしてそれゆえに一生懸
 命に家から出るためにはどうしたらいいかを、それだけを考えています。
 しかしそれは、実はその表面的な永澤の部分にとっても、欺瞞的な短絡的思考であることは明白な
 のです。
 だって私、家のことが嫌いな訳じゃ無いのに、家のことを必死に無視しようとしてるもの。
 そして、無視しようと必死になって、目を隠し耳を覆い、目の前に広がる膨大な家の姿を消し去ろうと
 してる。
 
 その目と耳を覆う、その真っ黒な手こそが、永澤の「ロクサン」なのです。
 その黒い手が顕れたときに、確かに家の重圧もまた顕れるのです。
 そう、永澤がそれを無視しているという「罪」の意識、としてです。
 
 私は・・どうしたらいいんだろう・・
 素敵な女性になろうと、もっと広い世界を見たいと考えるのは、そんなにおかしいことなのかな。
 ううん、違うの。
 誰も、おかしいだなんて言ってないんだ。
 私だけが、家から出ることは家を否定することだから、だから家から出るのはおかしいことだって、そう
 言ってるだけ。
 あの家は、なにも言ってくれない。
 ううん。
 あの家になにも言わせないようにしてるのは、私。
 私こそが・・・
 誇りある、ひとりの女として、家にはそんなことを言わせたくないの。
 だから、私が家を出るのは私の勝手。
 でも・・・・
 
 
 やっぱり・・・心配だよ・・・・・
 
 
 そして、その自らの呟きが、真っ直ぐに論理的に、自らが家を出ない、家に縛られている情けなくも怠惰
 な自分を正当化することに繋がってしまうということを、永澤は感じずにはいられないのです。
 そして・・
 家のことをおもうのは・・・家を愛するのは・・・・そんなにおかしいことなのかな・・
 その呟きもまた。
 真っ直ぐに論理的に、自らが家を捨て外に飛び出るのは家からの逃避だという罪の意識に繋がってしま
 うのです。
 
 
 静流と対峙した屋敷神は、こう言います。
 『呪縛? なんの話だ?』
 『わかっとらんな。逆だよ。あの娘を苦しめているのは、お前ら人間だということよ!』
 その言葉を、最も聞きたくないのは、永澤自身なのです。
 駄目・・そんな・・・・違う・・・・檜原さんは悪くないの・・・・・みんなは・・それでいいの・・・
 
 お願いだから・・・みんな・・・・・・其処で・・・待ってて・・・・・・・お願い・・・
 
 屋敷神は、滾々と永澤の秘密を明かしてしまいます。
 それみろ、この娘はこんなに苦しんでおるではないか。
 この娘をここまで追い詰めたは、お前らこの家の外の人間どもよ。
 ロクサンが儂だと?
 『そうかもしれんが、違うかもしれん。』
 違うかもしれんが、そうかもしれん。
 わかっとらんな。
 ロクサンは、あの娘自身よ。
 あの娘がこの家、つまり儂のことをあまりに思い詰め苦しんだとして、それをこの家や儂のせいだという
 のなら、それはそうだろう。
 だが、それはお前達外の人間も同じだろう。
 あの娘は、お前達の世界を愛している。
 それこそ、殺したいほどに愛しているだろうな。
 そして殺してしまうなら、自分が死んだ方がマシじゃと思うておろうな。
 ならば。
 そこまで圧倒的にあの娘を苦しめるのは、あの娘にそこまでおもわれているお前ら外の人間であるとも
 言えるだろう。
 お前達のためなら、あの娘はなんでもするぞ。
 しかしあの娘にはこの家がある。
 だから結局はこの家に帰るしか無い。
 お前達のためにすることは、すべてこの家を捨てることに繋がってしまうのだからな。
 『自由は枷にもなる。』
 わかっとらんな。
 『娘がたとえ自由を願うようなことを言ったところで、それは世間の手前。』
 
 
 
 
 『それなら・・・なんで永澤さんは、ロクサンに障られたんですか?』
 
 
 
 うむ。
 
 
 
 『家を出たいっておもいが・・・そのおもいが・・・本当にあったからでしょう!?』
 
 
 
 駄目だな。
 渡せぬな。
 
 
 『たわけがぁっっ!!』
 
 
 
 
 そのとき、おじいちゃんの匂いが、した。
 
 
 
 
 
 
 そっか・・・
 あのとき・・・お見舞いに行ったとき・・・
 私は、永澤さんのお祖母さんに・・孫を宜しくって言われたんだ・・・
 本当に切実で、大袈裟というには気迫が違って・・・
 そのとき私は・・・・ちょっと・・・ひいてた・・
 気持ちはわかるけど・・でも・・・・
 
 あれが、私の「普通」だったんだ。
 いつのまにか、私は・・・・それを誰かに押し付け・・・・
 
 屋敷神が言ったことは、永澤の一側面でしかありません。
 しかしそれは同時に、静流もまた永澤の一側面しか見ていなかったということとイコールなのです。
 そういう・・ことだったんだ・・・
 『貴様にはわからん。あの娘の本心など。』
 あの屋敷神は、私を試したんだ。
 屋敷神はわざと、永澤さんの心の一側面しか言わなかった。
 そして私はそれへの反撥として、私が視た永澤さんの心の一側面しか言わなかったし、またそれだけで
 永澤さんの全部を語ったつもりになっていたんだ。
 だから、屋敷神の怒りを買った。
 私は・・ううん・・私達は・・・永澤さんに、「普通」であることしか求めなかったんだ・・・
 『貴様は自分のことしか考えとらん。』
 たぶん・・・私が屋敷神に言ったこと、永澤さんの家を出たいっておもいこそが、すべてを超えて最終的
 に導かれてくる意志だ、ってこと自体は間違ってなかったんだと思う。
 でも、それじゃ足りない、ううん、私はその永澤さんの意志に頼って、そしてその意志から逆算して、
 だからなんにも考えずに家から出ればいいのよって、そう思ってたから屋敷神の怒りに触れた・・・・
 
 
 『この地に残りたいという貴様の願いは叶えてやる。
  安心しろ。土に変わるだけだ。』
 
 これは、私への、私達「普通」の人間達への最高の皮肉。
 
 
 物事の一面だけを切り取って、他のことを無視するのならば、お前もその一面と心中しろ。
 私は、今のこの土地での生活が好き。
 だけど将来のことを考えると、お母さんの進める東京の方の高校にいくべきだとおもう。
 『私は、やっと馴染んだ此処から離れたくないの。でも将来のためには私はどうしたら・・・』
 お母さんのことも考えなくちゃ。
 でも私はそれでも此処にいたいから・・・・
 だから、屋敷神は私を燃やして、此処の土に還そうとしたんだ・・
 それが、どれだけ馬鹿なことか、私はずっと・・・ずっと・・・・
 永澤さんは、家が好き。
 永澤さんは、家の外の世界も好き。
 葛藤が生じる。
 絶望的な苦しみが続く。
 でもそれでも永澤さんは家の外へのおもいを捨てない。
 だったら答えは簡単。
 家を無視して外に出ることに、命を賭けるしか無いじゃない。
 
 
 それが、お前の黒い手だ、静流。
 
 
 お前が言ったことは、あの娘に自分の家を燃やして捨てろと言ったのに等しい。
 お前があの娘を外に連れ出すということは、あの娘に家を捨てさせるというのとは、根本的に違うことだ。
 いいか、静流。
 答えはいつだって簡単だし、その簡単なことを掴んで営々と努力し続けるのは重要なことだ。
 だが、その答えが常に二律背反のモノで出来ていることを忘れて、ただその答えの輪郭だけを振り翳す
 のなら、それはそのふたつの相反するモノで出来ているはずのモノである、その答えそのもの、そしてその
 答えを必死に胸にして生きているあの娘を否定することになるのだ。
 家か外か、では無い。
 家も外も、だ。
 そして、だからこそ、外の世界を、普通の世界を目指し続けることに価値と意味が出てくるのだ。
 それを無視して差し伸べる手は、すべて黒く重い手となってあの娘にトドメを刺しちまうことになりかねん
 のだ。
 それでもその手を伸ばすのなら、それはその手を伸ばすこと自体が、お前の目的になっているからだ。 
 
 『結局貴様は、あの娘のことなど、どうでもよかったのだ。』
 それが嘘だってことを、お前はもう知っていたはずだ。
 
 静流よ。
 お前はとかく物事の一方だけで片づけ、もう一方を視ないようにする癖がある。
 お前が飼ってるお前の中のお節介の虫を、なんのためにお前は飼っているのか。
 ただ自分の満足のためにか? そりゃそうだろう。
 虫を飼うこと自体は、全部お前のためだけだ。
 だが、その虫は、その虫に導かれてお前が為すことは、お前のためであると同時に、それだけでは無い
 とはっきり言えるだろ?
 なんのために、お前はその虫を飼ってんだ?
 なんのために、その虫を飼ってるのはあくまで自分の勝手だって言い切ってんだ?
 お前は、お前のためだけを考えてやってる訳じゃ無い。
 だが、お前自身はいつも、そうして自分は自分のためだけにやってたんだと、自分の心の一側面だけを
 視て、もう一方を無視しちまう訳だ。
 ほら、お前にも視えるだろ? そのもう一方を無視するために目隠ししようとする黒い手が。
 
 だがな。
 
 
 お前に憑いてんのは。
 最も忌むべき、恐るべきモノは、その黒い手じゃ無ぇ。
 
 
 
 
 
 
 お前は。
 
 『自分ひとりではなにも決められんのだ!』
 
 
 私は永澤さん家の庭で倒れているところを永澤さん達に助けられ、介抱された。
 目を開けたとき、そこにあったのは永澤さんの心配そうな顔だった。
 あ・・これは違う・・・永澤さんのお母さんだ・・・
 このふたりは、とっても良く似てる。
 気の毒なほどに、似てるの。
 永澤さんのお母さんが、永澤さんの顔をみて、そして心配そうな顔をする。
 そうするとね、永澤さんはいつもそのお母さんの顔をみて、そしてはっきりと笑うの。
 同じ家で長く生活して、同じようなおもいを持っているのに、同じ顔なのに・・・こんな・・
 性格もこのふたりはたぶん同じ。
 違うところなんて、ほとんど無いんだと思う。
 なのに、違う。
 母と娘。
 ふたりは、違う立場なんだ・・・お互いが・・色んな違うモノを背負って・・・・
 悲しいやら虚しいやらバツが悪いやらで、私はそっと永澤さんの顔をみた。
 永澤さんは、やっぱりどこかなにかがぽっかりと抜けたようなあの笑顔で応えてくれた。
 
 
 
 ああ・・・・・そうなんだ・・・・・・・・・そうなんだなって・・・・・
 
 
 
 おじいちゃん・・私ね
 私ね、色んなことがわからなくなっていたの。
 だけど、考え続けることはやめられなくって、でね、気づいたら、なにも考えていない自分に出会ったの。
 永澤さんとおんなじ。
 私も、やっぱり自分のことが視えなくなっていた。
 でもたぶん、それは関係無かった。
 だって永澤さんのあの笑顔は・・・・
 なによりも・・永澤さんらしかったんだもの
 営々と、営々と、あの永澤さんの苦しみに満ちた、しかし永澤さんの生活と呼べる時間は確かに続いて
 いくんだ。
 普通とか・・普通じゃ無いとか・・
 それは重要なことではあるのかもしれないし、やっぱりそれを無下にしたり無視したりするのは違うと思う。
 でも、私はそう思うことを恃みにして、結局色んなことを無視しちゃってたのだと思う。
 私は・・・
 
 
 自由でも、自由じゃ無くても、やっぱり、生きたい。
 
 
 静流は長いこと、自分が見鬼であること、つまり普通の人にはみえないモノが視えるという能力を持って、
 それのままに生きている自分に、実は自覚が持てていませんでした。
 人には知られてはいけないこの体質のことを、「なぜ知られてはいけないのか」という言葉の意味を考え
 ることで受け入れることは、これまでもしてきてはいましたが、しかしでは「どうして自分はそれでも生きて
 いるのか」ということに関しては、ほとんど無視してきたのです。
 あったのはただ、不器用で短絡的な、「答え」だけ。
 その答え自身は合っている。
 しかし、その答えを胸に抱き締め生きる、その主体としての自分の自覚と意志を持っていなかったので
 す。
 なぜ生きるのか。
 なぜ他者をおもうのか。
 なぜ、考えるのか。
 努力しても無駄なら、努力をやめる?
 違う!
 自分の体質を隠しても疲弊するだけなら、それをやめる?
 違う!
 誰かになにかを求めることなどもう出来ないから、それを求めるための努力を捨てる?
 違う!
 もう自分はどうしようも無く醜く落ちぶれ、またあとは堕ち続けるだけだから、諦める?
 そう。
 永澤さんは、ある意味では諦めてたんだ。
 事実は、事実。
 熱にうなされながら、色んなことが駄目になっていったのを、永澤さんはずっと見続けてきたんだとおもう。
 それが・・それから目を逸らさないのが・・永澤さんの凄いところで・・永澤さんらしいところ
 そしてそれこそが、あの黒く重い手、ロクサンとなって永澤さんの肩に降り注ぎ続けていたんだ。
 でも・・・
 関係、無かったんだね。
 だって、それで人生が終わる訳では、死んじゃう訳じゃ、無かったんだものね。
 永澤さんは、わかってたんだ。
 営々と、自分の中に、自分とそして愛する家の歴史が息づいていることを。
 永澤さんが失ったモノは返ってこないし、傷も治りはしない。
 でも、それでも・・・永澤さんは・・・・・・・・
 諦めても、諦めなくても、あのぽっかり穴の空いたような笑顔で・・・・笑って・・・・・・
 でもその横には・・永澤さんのお母さんと・・お祖母さんの顔が・・・
 
 
 おじいちゃん。
 もしかして、ロクサンって、憑きモノじゃ無かったの?
 「ロクサン」なんて、始めからどこにも・・・
 
 
 
 
 『たまには、蟲も晒さんとな。』
 
 
 
 
 『腹の中のおもいだよ。』
 
 全部、ひとつの側面だけをみつめてやってみるのも、たまにはいい。
 さらけ出してみろ。
 そうすりゃ、視える。
 簡単な話だ。
 そしてな、視たら、それが、そのモノが視えたお前が此処にいるってことが、すべてだろ?
 見鬼ってな良く言ったもんだよな。
 お前は、そういうモノを見抜く鬼になりゃいいんだ。
 見抜いて見抜いて、見抜き続けろ。
 そうすりゃな、そのうち、見抜き続けるにはどうしたら良いかって考え始める。
 ああそうだな、見抜き続けることが目的ってのは、確かに本末転倒だな。
 だが、いいじゃねぇか。
 そうしなきゃ、こうして視えねぇもんもあるんだからな。
 そして、だから視えただろ?
 お前は見鬼という力を持った人間だ。
 お前はその能力と共にある。
 その能力を呪い、それでも愛し、それでも呪い、それでも愛す。
 それが、見鬼。
 だがそして、お前は鬼になるを目指すことの出来る、紛れも無いひとりの人間だ。
 嘘を吐け、建前を築け、真実を語れ、本音を晒せ。
 それらが営々と続けられていくこと、それ自体を目的としてみろ。
 いいから。 それが本末転倒だと思ってもよいから。
 いいか、静流。
 そうすりゃな。
 
 それらが続いていく時間の中に、それでもちゃんと生きてる正真正銘のお前の生活が視えてくるんだ。
 
 生きてんのは、お前だ、静流。
 それを、忘れんな。
 生きてりゃ、いつまでも、お前の好きなお節介も焼けるしな。
 それに。
 お前の「普通」を目指し続けることも出来んだ。
 
 
 『お前は、後悔しない選択をすればいい。』
 
 
 
 『安心しろ。
  お前がここに留まろうが、よそに行こうが、俺はここを守っている。』
 
 
 
 
 
 真っ黒な手が、私の肩に辿り着く。
 なんだか、全部逃げ場が塞がれちゃったみたい。
 どこまでも逃げられるけど、でも、生きてるだなんて・・・
 でも・・
 
 
 
 
 『出来るかな・・・・・私に』
 
 
 不安も絶望も、今は視えない。
 だからそれらへの反撥も出来ない。
 ただただ、今ここにいる。
 バツが悪い。
 ほんとうに、永澤さんの笑顔をみていると、私はバツが悪い。
 どうしようも無く、私は。
 
 
 自分で決めることに、自信が持てなくなった。
 
 
 
 
 だから。
 
 
 
 
 
 
 なんだかとてつも無く。
 
 
 ほっとした。
 
 
 その溜息は、なによりも果てしなく、甘い香りがした。
 
 
 
 
 
 頑張ろう。
 いつまでも。
 
 
 
 
 私の目の前のモノも。
 それを覆い隠す、私の肩にかかる黒い手も。
 やっぱりずっと。
 
 其処にいる。
 
 
 
 
 
 
 以上、第二十三話「ロクサン」の感想でした。
 今までのお話の流れの、ほぼ実質的な流れの最後に行き着いた、見事なまとめ話でした。
 完璧、じゃないでしょうか。
 いくつかの方向性を示し、そしてそれらで築いた作品としての立体感の中で、後半になってシンプルに
 問題を絞ってきたいくつかの話で筋道を付け、そしてこの第二十三話にして、完全なるモノを描いて
 みせた。
 なにしろ、今回のこのお話で描かれたのは、静流の本質について、いえ、静流の抱える最も始めの
 問題を改めて考え、そしてそこにすっと身体を以て乗り入れ、そして見事この「ロクサン」という作品で
 これまでこの作品がやってきたことのすべてを体現してみせた。
 最高ですね。
 これ以上は無いという、豊かな停止でした。
 前進でも後退でも無い、ただ此処にいるということ。
 そう、私がこの「もっけ」という作品の中で考えたのも、また「此処にいる」ということ。
 そしてなにより、「其処にいる」なにかを考えるということを、常に同時に考えてきました。
 それ即ち、モノ。
 この「ロクサン」では、もはやそんな小道具(?)を使って説明する必要が無いくらいに、あっさりとすべて
 を描いてみせてくれました。
 私が今までの感想で営々と考えながらいじってきた言葉の、その魂だけが具現したかのような、この
 見事なまとめ方。
 いえ、まとめ方、というのは失礼に当たるでしょう。
 この「ロクサン」という作品存在それそのものが、実に素晴らしかったです。
 静流がこの「ロクサン」の中で展開した「問題」は、それ単品だけでみればそれだけのモノ。
 しかしその問題をこの今までのお話を積み重ねてきた果てで、再度考えることで、それはあっという間に
 すべてを繋ぐ、その答えとしての問い、として顕れてきたのです。
 そしてなにより。
 この「ロクサン」というお話こそが。
 
 その答えとしての問いを、それでも問いとして考え続ける私達視聴者に手渡してくれたのです。
 
 なんですか、これ。
 こんなアニメ、観たこと無いですよ、私は。
 最高ですね。ほんとうに。
 
 と、いう感じでした。
 もっと語りたいのですけれど、この場はこれくらいにしておきましょう。
 というのも、実は驚いたことに「もっけ」はなんと全二十四話構成だということであり、次回第二十四話
 こそ最終話なのです。
 驚いた。
 しっかり二十六話やるものだと思っていましたから、本当に。
 そして、遅れに遅れていた私のこの第二十三話感想をこうしてこの場に提出する前に、私が視聴して
 いる東京MXでは最終話の放送が終了してしまいました。
 私は、そのことだけが、残念でなりません。
 勿論それは、私の問題ですからね。
 全二十四話しか無いことを怒っている訳ではありません。
 ただ私は、自分の感想が遅れに遅れていたので、なんとか最終話までに追いつきたいと思っていました
 ので。
 私は、この「もっけ」にもの凄い思い入れを抱き続けてきました。
 そう、この作品の感想を書くことそのものについて、ね。
 その辺りのことについては、はい、最終話の感想のあとに、ひとつの文章として書いてみたいと思って
 います。
 なんかもう、私の頭の中はですね、もっけ的にとってもごちゃごちゃなんです。
 すごく、すごく濃い、いや、濃すぎる体験だったのです、このもっけ感想執筆の作業は。
 って、ずらずらと書いてしまいそうですので、今回はこの辺りにて。
 
 ということです。
 最終話の放送も終わりましたので、一刻も早く最終話に辿り着き、感想を書きたいと思っています。
 とはいえ、その前に日記でやることはやらねばなりませんので、早くても今週末か来週初め、ということに
 なります。
 もう私的に、次回予告を観ただけで既に興奮しておりますので。
 頑張ります。
 
 それでは、次回の最終話感想にて、お会い致しましょう。
 ちゃんとしたお別れは、そのときにて。 (笑)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
                                 ◆ 『』内文章、アニメ「もっけ」より引用 ◆
 
 
 

 

-- 080314--                    

 

         

                                   ■■ 助走段階 ■■

     
 
 
 
 
 ごきげんよう。
 早速ですけれど、四月から始まるアニメについて言及しようと思います。
 もうさすがに解禁ですよね。してもおかしくないですよね。
 っていうか、この感じでいくと気づいたときにはもう四月に入ってた、みたいな勢いなので、早め早めが
 良いのですよ。何事も。
 あとで泣かないためにも、今しっかりと出来ることを。
 そういうことです。
 
 
 ◆紅い瞳的四月の新番はコレだ!◆
 
 あまつき:
 隠の王:
 ヴァンパイア騎士:
 モノクロームファクター:
 クリスタルブレイズ:
 絶対可憐チルドレン:
 コードギアス R2:
 我が家のお稲荷さま:
 S・A:
 アリソンとリリア:
 ×××HOLiC◆継:
 紅:
 図書館戦争:
 狂乱家族日記:
 二十面相の娘:
 
 このリストからみえてくるのは、私のやる気の無さだと思います。
 選別する気無さ過ぎ。
 いやでもなんかさぁ、似たタイプのが多すぎるような気がするんですよね。
 バトルモノが多い。あまつきからクリスタルブレイズまでの5つはなんかほんと同じような。
 んんー、そりゃ実際観れば違うとは思いますよ? でも同ジャンルがこう一気にごちゃーっときちゃうとね、
 少しがくっとくるところはありますよね。
 んんー。
 それに、全体的にも小粒っぽい印象が。 って、便利な、この表現。
 前作も観て評価したHOLiCくらいでしょうか、まともに反応できるのは。
 んんー。
 それに、ギャグ系のが無いんですよね。
 うわ、重い。
 やっぱり最低ひとつは欲しいなぁ。
 取り敢えず、上に挙げたのは一回は観る予定のものです。
 でまぁ、バトル系の中では、一応ヴァンパイア騎士とモノクロームファイターに期待しています。
 あとはまぁ、我が家のお稲荷さま辺りかなぁ、理由は狼と香辛料。でも駄目っぽい。んんー。
 
 あ、なんか来期はお休み頂けそうですな。うしし。
 
 おい。
 ちょっと待て。それが本音だろ。
 はい。
 ・・・。
 正直、今期は結構良いアニメが揃っていたので、これまた結構私的に一杯一杯でしたからね。
 おまけに感想2つ作品やってますし、今の生活スタイルだとちょっと厳しい状況でしたし。
 ということはあなた、しぜん来期にはあまり面白い作品が来て欲しくないなと思うじゃないですか。
 本末転倒っていうか、今期が始まる前にも全く同じこと言いましたが、どんだけ一杯一杯なんだよ、
 っていう話ですが、よく考えたら今期はそう願いつつもがっちり面白い作品で埋め尽くされてしまって
 いたのですから、要は休みたいと言いながら休めなかった訳で、なら来期こそは少し休みたいと思うの
 は当然じゃないのかね、と、こう、繋がる。
 ふむ。よくできてるじゃないか、この理屈は。
 でもねー。
 たぶん、同じこと起きると思うんですよねー、これがまた。
 つまらないつまらないつまらないはず、とそういう視線で見つめて、で、それでもその死線もとい視線を
 超えてきた作品っていうのは、これはまた逆にさらに面白くなってしまう訳で。
 かえって、面白い作品を私側が創り出してしまうというか、まぁその、ほんと私はアニメのことが好きなん
 だなーっておもう。・・・あれ?
 はい。
 来週かその次辺りに、もう少し真面目に期待作について語ってみようと思います。 (そしてハマる)
 
 あ。
 そういえば、ギャグマンガ日和3があったんだ!
 忘れてた。よし、これで戦える。
 
 うわぁ、言いっぱなしー。
 
 
 
 ◆
 
 信長やってます。革新PK。
 今川義元でやってます。
 なんか普通に桶狭間を生き残り、あれよあれよという間に天下人ですよ。
 おかしいな、最初の頃は全然勝てなかったのに。
 今はコムに軍団委任して全部やって貰ってますとね、こう、余裕で勝てる。
 私が倍の兵力で勝てなかった相手に、十倍の兵力で襲いかかったりしてますよ。
 負けた。負けたねと思ったよ。
 もうあれだ、軍団長の君、あ、義元の娘だけどね、そう君、君がね大名やればいいとおもうよ。
 私なんてね、大きいこと言う割にはみみっちく兵力小出しにして負けたりとかしてね、天下人の大器さが
 無いですのに、なんとまぁこの娘ったら、全兵力投入で一気呵成にGoですよ。
 なにこの漢っぷりは。
 惚れたね。たぶん義元さんは我が娘ながら惚れちゃったね。
 これですよ、これ。
 なんかね、戦国一の不肖の息子と名高い長男氏真さんを地道に育ててたのが馬鹿らしくなってきた
 という親御さん失格な義元さんですよ。
 もう心の八割方は娘に跡目を継がさんばかりの勢いですよ。
 これが、世にいうお家騒動な訳ですよ。
 大名さんが後継者を誰にするか困る気持ちが今わかりましたよ。
 とはいえ、お家騒動なんてものは、大名さんが亡くなった後に本格的な争いが始まる訳で、ならいっそ
 のこと義元さんにご退場頂こうかなとか、わざと少数兵力で敵陣に特攻しまくって(理由:息子と娘の
 喧嘩をみていたくない)、そして哀れ討ち死にとか、うわ、なんだこのゲーム。(お前の頭がだ)
 
 とかなんとか言ってるうちに、またひとつ娘さんが他の大名家をひとつ豪快に潰してくださいました。
 
 これ、たぶんあとほっといても勝手に天下統一しちゃうと思うんですけど。
 ていうか、まだ領土的に全国の半分も取ってないんですけども。
 まーいっか。 
 ・・・・。
 でもやっぱりなんか私が必要とされてないみたいなので、自分でやります。 (なんだこの人)
 
 という感じですか、革新は。
 ぶっちゃけ初級モードは慣れてしまえば簡単過ぎてやることが無くて、もういいって感じです。
 あと序盤に、信長・秀吉・家康という戦略兵器を手に入れてしまったのも、その簡単さに拍車をかけて
 しまった模様。
 だって技術開発とかあっという間にこの三人だったら終わりますものね。
 岡崎城を技術開発専門城にして、技術開発のスピードを上げてくれるお近くのお寺さんと契約し、
 同じく技術開発スピードアップの活版印刷をイギリスからゲットした日には、瞬殺。
 なんかうちだけ違う文明圏にいるかの如くでした。最新鋭過ぎる。
 ということで、今川家でさっさと天下統一して、二週目に入るために今頑張ってます。
 ちなみに近いうちに三国同盟相手も倒します。やっちゃいます。
 主役は義元さんです。なんかもう西国は娘さんの稼ぎ場なので、居場所無いんです。
 可哀想な義元さんのためにも、倒れて頂きます、北条さん、武田さん。
 いざ、参る。 (どんな戦国だ))
 
 ちなみに、というかやってみてのプチ感想。
 面白いけど、敵に張り合いが無くなった時点で面白さが無くなる気がします。
 今までのシリーズでは、別に敵なんか関係無くてもそれなりに拘りをみつけてやることもあったんですけ
 ど、今のところこの革新は戦闘がメインな気がしています。
 官位とかも手に入れにくいし、内政も割と簡単に開発完了しちゃうし。
 最大の欠点は、しかも戦闘。
 はっきりいって、多部隊が入り乱れたら、もなにが起きてるのかわからないほどに見にくい。
 あれでは部隊を直接操作することを断念して、すべて委任にしてしまう私の気持ちもわかります。(ん?)
 まぁ、その辺りのことはもうしょうがないので、中級上級の敵の強さを楽しみにしておきます。
 次はええと、長宗我部でやる予定です。はい。
 
 
 
 
 ◆
 
 なんだろう。
 心が洗われるようだ。
 不思議と、拘りとか、そういうのが、みえない。
 なんだか、昔観たときは、もっともっと、色んなものと戦いながら観ていた気がする。
 なんだろう、これは、素直じゃないのかな。
 それとも、素直なのかな。
 よく、わからない。
 でも、そのわからない、という自分の感覚が、たぶんこの穏やかな感じと繋がっている。
 色んなものを保留する、というのじゃなく、色んなものをそのまま受け入れることが出来て、受け入れるこ
 とが出来た時点では、それらのものは全部、矛盾しないひとつの大きななにかとして、ゆっくりと、たゆみ
 無く、心の中に広がっていくよう。
 ヒルシャーの、最後の溜息が、私にはすごく、爽やかなものに感じられた。
 重く、深く、残酷過ぎるその虐待とすら呼べぬほどの状況下で、それを脱した先に待っていたのはそれ
 でもそれと同じくらい苛酷な生だけだというのに、その中で観た夢が母親の夢だなんて。
 トリエラの涙が、もはやヒルシャーにも、私にも涙にはみえなかった。
 それは、ただの水だった。
 心の無い人形が、ただ機械的に体の中の余剰の水分を排出した、そんな風に。
 体の中から、いらないものを、いらないものだけを、全部。
 私には、あの涙は汚れてみえた。
 ただの汚水にみえた。
 だから。
 あの涙を流したあとのトリエラの顔が、なによりも美しくみえた。
 泣けることが嬉しい訳が無い。泣けないことが悲しい訳が無い。
 涙なんて、ただの水。
 それが流せようと、流せまいと、ただトリエラの体は機械的に動くのみ。
 けれど、その汚い水が、体の内かその外か、そのどちらかを滑らかに這っているのを、それを感じない
 ことなど、絶対に無い。
 汚水にまみれようとも。
 トリエラは、機械の如くに夢をみる。
 それは懐かしさでも希望でも無く、ただただ当たり前のように。
 それが良い夢なのかも悪い夢なのかもわからない。
 自らの存在にどんな歴史があるのかも、トリエラはもうよくわからない。
 自らの幸福も地獄も、すべてその繋がりを断っている。
 あるのは今、ただ今この瞬間のみ。
 けれど、トリエラの体と心は機械だから。
 だから、トリエラが知らなくても、それらの歴史はすべてその細胞のひとつひとつに刻まれて残っている。
 そして、トリエラは、その機械がみせる夢のことを知らない。
 知らない女性の顔がみえる。
 でもトリエラにはなぜか、この顔が母親だということがわかる。
 トリエラは本当に母の顔を忘れてしまったのか、もうトリエラ自身にもわからない。
 でもこれは、「きっと」以上の言葉で飾るに相応しいほどに、お母さん。
 私の中の、憧れや優しさやぬくもりや、そういったもののすべてが具現したものとして、その母という光は
 みえたのかもしれない。
 トリエラは、やはり母の顔を覚えているのかもしれない。
 ただ母の顔を覚えていたくないだけなのかもしれない。
 だから目の前にみえている母の顔を、敢えて知らないものとしてみているだけなのかもしれない。
 
 それなのに・・
 トリエラは、母の夢をみる。
 
 『夢で・・お母さんに会ったんです・・』
 
 
 ヒルシャーはわかったはず。
 ああ、トリエラ自身は、やっぱり母のことなど覚えている訳が無いと。
 いやそれ以前に、トリエラに母などいたのだろうか?
 私は感じた。
 トリエラの涙が零れたタイミングをみて。
 夢はみた。
 よく覚えてないけど、夢をみた。
 悪い気分じゃなかった。
 だからきっと、それは優しい夢。
 そうしたら・・・・
 自分が守ったとある親子の姿と言葉と笑顔が、今のトリエラにはしっかりとしている。
 この記憶は絶対確かなもの。だって、つい先日みたものなのだから。
 父のことを嬉しげに話す娘。
 そっか・・・そういうもの・・なんだね・・
 トリエラが、夢に見ない訳が無い、トリエラ自身も、そう語ることにおそれはない。
 トリエラの優しい気持ちが、ひとつひとつ、ゆっくりと小さく言葉にして編まれていく。
 トリエラは、思い切って、言った。
 しぜんに、頬を伝う水を感じていた。
 それは、自分の母を語る言葉の後押しにすらならない、ただの汚水だった。
 トリエラは、続ける。
 涙を流しながら、しかし涙を流れる水以上の何物とも感じずに。
 ただ続けた。
 自分が語る夢を、助けてくれるものはなにも無い。
 それでも語る。トリエラは語る。
 『お母さんに会ったんです。』
 『お母さんは眼鏡をかけていて、香水のいい香りがしました。』
 『そして・・私をそっと抱き締めてくれたんです。』
 
 
 トリエラはきっと、涙を失っても、暖かな夢のことを語り続ける。
 
 
 ヒルシャーは泣くことができなかった。
 泣いて、泣いて、その涙に頼ってきた自分を知るがゆえに。
 現実がなんだ、理想がなんだ。
 賢い蛇のように、純真な鳩のように、ただ在るだけだ。
 賢い蛇になるためにでも無く、純真な鳩のようになるためにでも無い。
 たとえ自らが狡猾な蛇であるだけであろうとも、たとえ自らが愚かな鳩であるだけであろうとも。
 それでも、なにか大きな、深くて、暖かい、そんな夢をみてるから・・
 だから、残虐非道な毒蛇にも、すべてを忘れ去った実験に使用された後の鳩にもなれる。
 たったひとつのおもい貫く難しさの中で、僕は。
 それが善いことか悪いことかを論じているのが、もはや自分達だけであることをヒルシャーは知る。
 知っていたそのことを、さらに知る。
 それを何度でも知っていくことが絶えぬことを、ヒルシャーはさらに知る。
 
 ああ、そうか。
 だから、蛇にも鳩にもならなくてよいし、そのどちらかを選ぶことに苦悶すること、それ自体が愚かである
 ということか。
 
 現実を儚み恨みそれに逼塞し、ただやるべきことを完遂するだけ、そのことを激烈に否定してきたヒルシャ
 ー。
 しかしそのあとヒルシャーは地獄のような現実を知り、自分の甘さを知った。
 許せぬものがある、だから冷酷に行動せねばならないのだ。
 だが、あのトリエラの顔は、どうだ。
 そういった、自分の一連の行動の変遷が、それ自体が自分を捕らえていたのがわかるばかりではないか。
 残酷も慈愛も、それが目的では無い。
 そのふたつのものの狭間で揺れたりどちらか一方に振り切れること、それらそのもの自体が、既にみる
 べきものから目を逸らす、最も根元的な人間の本能だった。
 
 『物事を繊細に考えるのも悪くない。』
 『狡猾に振る舞うことを恥じることはない。』
 『簡単じゃないか。』
 
 『つまり、そう考え込むなってことだ。』
 
 繊細と狡猾を肯定する。
 だから考え込むことを否定する。
 しかしそれでは半分だ。
 繊細さと狡猾さを揃って否定してもいい。
 繊細さを甘さと捉え、狡猾さを恥じるもいい。
 そして。
 考え込んだっていい。
 本当にみつめるべきものは、それらの肯定否定の中には存在していないのだから。
 そして。
 それら肯定否定の動作の中にこそ、みつめるべきものを見据えることの出来る、自分が常に存在する
 ことができる。
 だから。
 
 『蛇のように賢く、鳩のように純真であれ。』
 
 蛇になるのでは無い。鳩になるのでは無い。
 ただ、ただ。
 賢く、純真である私であれ。
 
 オペラ上演の中、任務を遂行するヘンリエッタとリコ。
 それが終わり、寮に帰ってきて、クラエスとビアトリーチェと話すふたり。
 ヘンリエッタは仕事(殺人)中だったのでほとんど観れなかったと言い、クラエスはせっかく泣ける話なの
 に残念ねと言う。
 リコは最初の方だけ観られた言う。
 感動したことなど無いというビアトリーチェは、、感動した? と訊く。
 音が大きくてびっくりしたな、と答えるリコ。
 ヘンリエッタは、しかしジョゼにドレスを褒められたことが嬉しかったとリコに言う。
 よかったねヘンリエッタ、ジャンさんは(リコのを)似合わないなと言ったとリコは答える。
 それらの言葉の響きとぬくもりに耳を澄ませたクラエスは、こう言った。
 『歌に生き、恋に生き・・・・』
 
 
 
 やっばいな。
 涙が止まらないよ、これ。
 つーかやっぱり泣くって気持ちいいよね。  ←まだまだな。 ・・・。 うん、やっぱりまだまだな。
 
 ごめん。
 ガンスリ最高です。
 
 
 
 
 

 

-- 080312--                    

 

         

                          ■■ 魂とかけて狼の名誉ととく ■■

     
 
 
 
 
 『ぬしはわっちを北の森まで連れて行ってくれると約束した。
  こんなところでつまずかれては敵わぬ。』
 

                              〜狼と香辛料・第十話・ホロの言葉より〜

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 『どんな見返りを期待しておるか知らぬが、取り敢えず投資して貰おうかや。』
 
 +
 
 日溜まりが、清流の如くに眼前に渦巻いていた。
 風が、雲海の如くに頭上を流れていた。
 ただ此処にいるわっちが遮るそれらのものが、この爽やかな闇を築いていた。
 滾々と湧き出でる泉のように、この庇の下の影の中の時間は、心地良くわっちを癒してくれる。
 静かに溶けてゆくを、観ていた。
 ひたひたと迫り、しかしその影の手前で向きを変え、わっちの目の前を横切っていく街の喧噪。
 この盛況な豊穣の中に出来る、一服の影。
 白銀の、ただただ凍てつくばかりの、消え去ることの無い自重に悶えていた、あの漆黒の中の孤独と、
 それはおそらく魂ひとつ分ほども違っていた。
 このまま、何処までも消えていくのを、許せてしまう。
 いや、眺めてさえいられそうじゃ。
 館の中から、こう聞こえてくる。
 『さっさと自分の名前だけで相手が怯む商人になって欲しいものだ。』
 影の中に、間抜け面を晒した犬が顕れた。
 舌をだらしなく垂らし、尻尾を細やかに振って、わっちになにかをねだっておる。
 なんじゃ、こやつは、身の程を知らぬのか。
 瞬時に、闇が狭まった。
 違うな、こやつはわっちが何者なのかわからぬ、いや、わっちはこやつに理解されておらぬのだ。
 わっちの強大さが、わっちがこの犬にとって圧倒的存在である狼であることが。
 たかが人間の姿を借りているだけで、そんなこともこの馬鹿犬は見抜けぬのかという蔑みは、同時に
 わっちはこの姿である限り自らを理解などされぬのかという哀しみへと変わる。
 じゃが。
 
 なぜにこの影は、こんなに暖かいのじゃろう。
 
 しばし犬の顔を見つめ、犬もまたわっちを見つめ、そしてわっちはどんなにこの顔をみせても、この犬は
 絶対に立ち去りはせぬということを認識する。
 口惜しいのう、口惜しい。
 賢き犬ならば、そう、先ほどまで共にいたあの羊飼いの犬ほどならば、気づいてくれるものであったのに。
 あれは油断ならぬ犬ではあったが、しかし、嬉しくもあった。
 わっちのことを見抜く強敵であったがこそ、わっちはわっちを隠すことにやり甲斐を感じられたのじゃ。
 だがこの目の前の犬はどうじゃ。
 間抜けじゃ。
 その笑顔のままに、次の瞬間には噛み殺されてもおかしくは無いというのに。
 あまつさえわっちの静謐を乱しておるのじゃし、それにも気づかぬとはの。
 阿呆じゃ。
 じゃが。
 
 なぜにこの闇は、こんなに爽やかなのじゃろう。
 
 一喝してやった。狼的にな。
 わからぬのなら、わからせるまで。
 ただそれだけじゃったし、それだけで済む話じゃった。
 なにもせずにお高くとまっておきながら、その退屈さに涙するのが愚であることを感じた。
 そしてそれがわかるとな、なんじゃ、馬鹿馬鹿しゅうなった。 
 なーんじゃ、なにも自分を隠すことに拘る必要なぞなかったのじゃな、と。
 あの羊飼いの犬とのときにも、それはうっすらと感じとった。
 わっちはあの賢い犬の視線と張り合い化かし合い、しかしその愉しみに拘りそれだけでしか愉しめない、
 などとは、あのときもまたそうは思っておらなんだ。
 ああこれは、この化かし合いをしとる、わっちたる主体こそが此処にあることを、もう既に相手には伝わっ
 とったんじゃな、と。
 つまりは・・・そうじゃな・・
 わっちが嘘を吐いていることを、わっちが自分を隠すのを愉しんどるのを、それをこそ相手に伝える愉しみ
 を得れば良いんじゃな、と。
 次に日溜まりの中から顕れたのは、人の子の男どもじゃった。
 『可愛いの。わっちは可憐な雪の花じゃと。』
 白銀に染まる雪原の中で醜く震えとったわっちにとっては最高の皮肉じゃが、無論目の前のオトコノコども
 はそういうつもりで言うておる訳でも無い。
 そして、だからといって、その可愛いオトコノコどもにそれを気づいて貰えぬのは哀しい、などと、どう考えて
 も思えぬ、そう、思えぬと、わっちは素直にそう思えたんじゃ。
 なにもかもが、根底的に妬ましかった。
 なにもかもが憎いゆえに、それを隠すだけじゃった。
 結局はどれだけ取り繕うと、わっちの欺瞞はすべてそれらを元にしているものじゃった。
 だったら、素直に笑えぬというのも当然じゃ。
 
 そう思うとな、なぜか、素直に笑えたんじゃ。
 この日溜まりの中の闇が、わっちをこそばゆく、くすぐってくれたのじゃから。
 
 静かに、落ち着いていた。
 激しく、楽しくなっていた。
 いや。
 落ち着いてやろうと、愉しんでやろうと、そうなによりも思うとった。
 そんなときに、やはり、賢狼の名は有り難かった。
 ふふ、可愛いもんじゃな、男というのは。
 確かにわっちが騙し切ることは簡単じゃし、そういう意味では虚しい可愛さはある。
 じゃが、そもそもわっちがあやつらをきっちり騙せるというのは、これは凄いことなのではないか?
 わっちはそんなに賢かったのかや?
 信じられぬ。とても信じられぬ。
 じゃが、騙せる。
 わっちは、賢かった。
 頭の回転が並では無かった。
 これを、どう思うかや?
 わっちはな。
 
 嬉しくなった。
 どうしようも、無く。
 この暖かい闇の中で、その優しい自尊心に、なによりもなによりも癒されとった。
 
 ただ白銀なるままに立ち尽くしとっただけのわっちが、なぜに人を騙せる知力なんぞ持っておるのか。
 持てるはずの無いものを、わっちは持っとった。
 信じられぬ。とてもとても、信じられぬ。
 嬉しい。
 わっちは、わっちのおもいとは関係無く、賢い狼じゃった。
 おまけに、わっちのおもいとは関係無く、人はわっちを賢狼ホロと畏れ崇めた。
 わっちは、それを重荷と感じるかや? それとも、怖いとも?
 いーや、絶対違う。
 可愛いと、男どもに言われた。
 わっちは賢しらげに、そやつらを煙に巻き、その男達との一方的なゲームを楽しんだ。
 が。
 そのいやらしいわっちの企み笑顔の向かう先は、わっちの細く伸びた美しい髪じゃった。
 指を梳き入れ、指の腹で撫で、愛おしくさする。
 しかし、それ以上にわっちはこの髪を如何に美しく飾るかをな、そのとき考えとった。
 わっちは男なぞいなくとも、わっちの美しさを愛せる。
 じゃが、男どもがいるからこそ、さらにわっちは自分を美しく飾ることに自信が持てるのじゃ。
 ならば男のためにやっているのか、じゃと?
 
 
 さぁて、どうじゃろうのぅ。
 ぬしはどう思う?
 
 
 面白いのう、面白い。
 磨いたわっちを魅せる場があるということがな。
 世界は冷たく凍てつくばかり、しかしそれは我もまた世界に対して同じこと。
 しかし、その自覚こそが。
 そうじゃのぅ。
 
 
 ぬくもりを、生み出すんじゃ。
 
 
 わっちに集った小さな雄どもは、わっちの背後からのっそりと現れた雄の姿に肝を潰し逃げ出しよった。
 気分がいいのう。
 わっちにはこんな立派な雄が付いてるのじゃもの、ぬしらには釣り合いはせん。
 さて。
 今度はこっちの 胸を張ってふんぞり返っておるだけの雄をどう愉しんでやるかの。
 そう考えた瞬間に、もうわっちは無数の手練手管の絵姿を描いとる。
 誠心誠意、嘘を吐く。
 からかいと本音をまぜこぜにして、皮肉と嫌味と愛を足して3で割り、そして出た答えをぽんと捨てる。
 さて、なにも無くなった、この無心、この真っ白な境地で、すんなりと考えよう。
 すっ。
 綺麗に、清水がな、湧き出てくるんじゃ。
 わっちは、賢い。いや、馬鹿じゃ。
 賢くて馬鹿じゃからな、なんにも考えんときこそ、一番冴えるんじゃ。
 自分の賢さに頼らず、自分が今まで考えてきたことに頼らず、如何なる既存の策にも頼らず、ただその
 瞬間の無心のままに、すっと、そうして出てきた言葉がこそ、わっちのすべてを縦横無尽に含んだ最高
 傑作の手練手管となって顕れてくるんじゃ。
 策も愛も、欺瞞も真実も、一等完璧に孕んだ、その最高の言葉がな。
 信じとる。
 わっちはその素晴らしきわっちを信じとる。
 いや、違うな。
 わっちは自分を賢いと思ってるし、そしてわっちはわっちのことが大好きじゃ。
 と、そう思えるわっちが、そう、わっち自身がどうなろうとも、必ずどこかにいると、信じとるんじゃ。
 そして、その信じた通りに自分が動けたとき、動こうと思えたとき。
 そして、その策と嘘が成功したとき。
 
 
 『わっちゃぁ策が上手くいくよりも、そっちの方がドキドキしてしまいんす。』
 
 
 ぬしが、みとる。
 ドキドキしてしまいんす。
 ぬしよ、ぬしよ、わっちはぬしのことを・・・
 
 本気で愛しとるんじゃ♪  ← 買って貰った桃の蜂蜜漬けを頬張りながら
 
 
 『ぬしは可愛くねだれと言ったじゃないかや〜。』
 
 『でも、可愛かったじゃろ?』
 どうじゃ? どうじゃ? ぬしのために可愛くなってみせたんじゃ。
 この髪をみよ、どうじゃ、こんな綺麗な亜麻色の髪はそうそう無いぞ?
 いやいや、髪の色はともかく、これは尻尾の毛並みと同じで、日々のわっちの手入れがあるからこそ
 光り輝くものなんじゃ。
 より綺麗に美しく、より可愛くなってみせたんじゃ。
 どうじゃ? ぬしよ。
 わっちは。
 わっちは、嬉しかった。
 ぬしの趣味は金髪の貧相な感じの女なのかも知れぬが、まーそれはそれこれはこれじゃ。
 わっちは、楽しかった。
 ぬしの誠意と嘘が愉しめて、それと斬り合える楽しみがあった。
 
 だからわっちはぬしが好きじゃ♪  ←買って貰った桃の(以下略)
 
 『そう怒るでないぬしよ。嬉しかったのは本当じゃ。』
 
 そう拘るなや、好きか嫌いかなど。
 愛は求めても、求めた結果が愛に繋がるかどうかなどわからぬもの。
 じゃがだからといって愛を求めるのは無駄と、それを侮るのは愚かというもの。
 愛を求めるからこそ、自分が愛を求めて此処にいることが見えて来、此処にいることが見えれば、
 自分がその他の沢山のものも求めていることにも気づけてくるはずじゃ。
 愛など、その沢山の中のひとつのものにしか過ぎぬ。
 愛は特別ではありんせん。
 じゃが。
 特別、という意識を以てでしか、その沢山の中のひとつとしての愛に辿り着くことも出来ん。
 じゃから、わっちらは愛を語る。
 ごくごく平然と、平気な顔してな。
 紅く上気した顔で真に迫ろうとも、食い物を頬張りながらいい加減に言おうとも、それは同じじゃ。
 沢山の中のひとつとして特別にあるからこそ、それは特別でかつ当たり前なものとなる。
 嘘も本当も、無い。
 本当のことに頼るのも、嘘を儚むのも、愚かじゃ。
 逆に、嘘に頼るのも、本当のことを蔑むのも、愚かじゃ。
 
 『・・それでもぬしは、怒りんす?』   ←割と健気な風を装って
 
 
 そして。
 わっちはあっさりと、手を伸ばす。
 目の前の、頼もしい我が相棒に、そっと。
 
 『はぐれたら敵わぬ。
  手、繋いでもいいかや?』
 
 
 幸せというものが、こんなに近いものであるとはおもいもよらなんだ。
 踏み出した一歩が、既に日溜まりの熱でぬくまっているのを感じていた。
 ふむ。
 嘘をバラすということも、やはり上手く使えば面白いことになるの。
 もっともっと、わっちはわっちを磨きたい。
 もっともっと、綺麗に美しく可愛くなりたい。
 そのために・・
 そう、そのために。
 この嘘を吐くという重圧があるべきなのじゃったな。
 重圧と失敗を恐れていては、いや、恐れたことなど無かったか。
 じゃが、もう無理じゃと、思うたことはある。
 他者との関係にばかり囚われ、わっちはいつのまにか、自分が此処にいるということを見失いかけておっ
 た。
 
 じゃが、わっちが、そう、この自らを磨くことを望もうとする限り、そのわっちの誇りは失せたりはせぬ。
 そうじゃ。
 これは、自尊心のお話だったのじゃ。
 
 わっちが、日溜まりの中のこの影の中でそれでも足掻き続けるのは。
 頑張り続けるのは。
 すべてはただ、それだけのためのみ。
 だから。
 それが消えることは、無かった、ということなんじゃ。
 
 あー。
 すっきりした。
 
 そして、やっぱり嬉しいの。
 自分を飾ることが出来る、それそのものがな。
 
 
 
 
 ◆
 
 つまりじゃな、うむ、このパンは上手いの、やはりこの街はなかなか良いの。
 で、なんじゃったかな。
 そうそう、うむ、そうじゃ、つまりな、わっちはなんのために生きてるのか、ということじゃよ。
 まぁ、答えはなんでも良い。
 ただわっちは、そのなにかしら導き出されてきた言葉を手にして、その通りに生きていこうとする。
 わっちは、嘘吐きじゃ。
 嘘を吐くのが好きじゃし、なにより物事を重層的に捉えていきたいし、また自分のこともそう捉えて欲しい
 んじゃ。
 じゃがな、その根本にあるのはな、とっても簡単なものなんじゃよ。
 自尊心。
 そして、向上心。
 好きな自分をよりカッコ良く、そしてそれを皆に認めて貰いたい、いや、誰もが認めぬ方がおかしいほどに
 、そんな誰にも文句を言わせないほどの素晴らしい自分を育て、またそのように磨きたい。
 ロレンスがどうこうとか、村の者らがどうこうとか、クロエや羊飼いの小娘らがどうこうとか、関係無い。
 たとえ、そうたとえじゃ、そういった諸々の者達との関係の中に埋没し、そしていちいちのそれらの関係を
 こじらせ、その果てに主体性を失うようなことがあったとしても。
 そうじゃな、この自尊心的な意識は、確かに残っているし、またこの自尊心にこそ常に立ち返ることを
 すれば、何度でも他者との関係の中に、それでも向かっていくことが出来るということじゃ。
 要するに、見栄を張るんじゃな、見栄を。
 どんなに落ちぶれようと、どんな苦境に陥ろうと、さらには自分自身の心身にすら自信が持てなくなった
 としても、その無根拠な自尊心、つまり見栄を張ることを目的としたはったり的自尊心があれば、もしく
 はそれを自分の中にみつめようとするのなら、やはりどうしても、自分を頼りに出来る、それは浅はかに
 みえる浅ましさではあれど、しかしなによりも力強い意志を漲らせることも可能となる。
 錯覚か。
 まさに、そうじゃな。
 じゃがの。
 その錯覚をどう扱うかは、自分次第なんじゃ。
 ふむ。
 確かに、哀しいの。
 これほど多くの人間と出会い、また少なからず恩を売ったこともあるのに、しかし誰も助けにはならんと
 いうことはな。
 
 正直。
 わっちは自らが孤独な神であることが恨めしい。
 だがな。
 
 わっちはそれと同時に、賢く美しい、賢狼であることがなによりも、嬉しいんじゃ。
 
 
 
 なんだかようわからんが、ロレンスが負債を負った。
 なんだかようわからんが、ロレンスの危機じゃ。
 
 
 ぴりりと、戦慄が背を駆け抜けた。
 ぬしに事情を説明され、それを理解していくたびに、わっちはひとつずつ、静かになっていった。
 逃げる、かや?
 ふむ。
 わっちが狼の姿を顕し、ぬしを加えて逃げることは可能じゃ。
 だが、逃げれば少なくともぬしは商人としての生を終えることになる、か。
  
 ふむ。
 
 色々なことが、それでも饒舌に無機質に、文字となって頭に雪崩れ込んでくる。
 凄まじい速度と荒々しさでそれはわっちの体内を駆け巡り、そしてひとつひとつ実感を奪っていく。
 ふむ、いつものアレじゃな。
 なんも、感じよらん。
 感じ過ぎて、頭が真っ白じゃ。
 
 
 じゃが。
 
 冷静に、冷静に、なによりも静かに、深く、思考は続いている。
 脈々と整理されていく言葉達を無表情に見送りながら、その顔はあくまで苦渋で滲んでいく。
 どうすればよいか、などと考えてはいなかった。
 ロレンスと言葉を交わしながら、わっちは無心じゃった。
 なにも、感じぬ。
 じゃが。
 無心。
 
 喋りながらも、この無心はいつの間にか、達成されておったんじゃ。
 
 肌の上を滑る言葉をひょいと捕まえ、そろりと口に含み、そして諳んじる。
 『わっちは賢狼ホロじゃ。必ずぬしの助けとなろう。』
 お約束的な決め台詞を、とってつけたように放つ。
 すごく、虚しい。
 決め台詞を拾い口に含みそれを諳んじる、その一連の動作と、さらにはその場に転がしたその言葉に
 すら虚しさを感じる。
 じゃが。
 そのあとに流した、苦笑としての笑みがな。
 
 なによりも、自らの暖かな、ほんとうの、自信に満ちあふれた豊かな笑いと繋がっていたんじゃ。
 
 それは苦笑でありながらも、その苦笑そのものを噛み締めた笑いこそは、ごくごく普通の嬉しい笑い
 だったのじゃ。
 わっちは賢狼ホロ・・・・そうじゃ・・・そうなんじゃ・・・
 めらめらと、闘志が湧いてくるのを、涙を瞳に湛えながら、視とった。
 そうじゃ、賢狼たる、この美しくも気高い狼が、相棒を見殺しにして良い訳が無い。
 じゃからな。
 
 『相棒が苦境に立たされているというのに、宿でのんびり毛繕い出来る不義理な狼にみえるかや?』
 
 『みえるかやっ?』
 
 たわけ。
 わっちを嘗めるなや。
 自分の食い扶持くらい自分で稼ぐし、無論それだけではありんせん。
 そんなことは、当たり前じゃ。
 というか、わっちにわざわざそんな当たり前なことを言わせるということは、ぬし、わっちのことを嘗めとる
 じゃろう?
 神を侮辱するは許さぬ。じゃろう?
 頼れ、わっちを頼れ、ぬし様よ。
 わっちはどんなことをしてでも、我が名誉にかけてぬしを助けようぞ。
 ぬしのためかどうかは、どうでもよい。
 ただ少なくとも、これはわっちの名誉の問題でもありんす。
 名誉。名誉は大事じゃ。
 名誉に囚われるは愚かじゃが、名誉は上手く利用すればとてつも無い力を与えてくりゃる。
 ぬしがどう言おうと思おうと、それが全部関係無いとは言わぬし、気に入らぬことがあれば遠慮無くわっち
 はぬしにツッコミを入れる。
 そうでは無いわっちひとりの頑張りは、すべて独り善がりにしか過ぎぬ。
 じゃが逆に、だからといってぬしの言葉と交わして発生した理屈の場の中でしか生きられぬというのなら、
 それもまたはっきりとした嘘じゃ。
 わっちは、それでもわっちなんじゃ。
 わっちは、わっちを美しく賢くしたい、そのことは、それらのこととはなんの関係も無いことじゃしな。
 ふぅ。
 
 嘘も方便という言葉を知らぬのか? ぬしよ。
 なーにを恥ずかしがっておる。
 ぬしとわっちの関係など、なんでもよかろう。
 必要なら、恋仲と名乗ってもよいじゃろうが。
 たわけ。
 先ほども言うたろうが。
 愛など平然と語れ、とな。
 真実の愛はそうそう語れぬじゃと?
 たわけ。
 誰が今ここでわっちへの愛があるか無きかを完全証明せよと言うたよ。
 わかるぞ。
 それでも、ぬしの中の神様は、愛に関して虚偽を申すを許さぬのじゃな。
 ふふん。
 
 
 『案ずるでない。』
 
 
 ぬしの目の前には、嘘と真実で出来た愛を語るを許す、そんな素晴らしい神がいるのじゃぞ♪
 
 それでも拘るのであるのならば、それは。
 自尊心では無く、ただの石頭じゃ。
 女に縋る男は惨めじゃが。
 女を頼れぬ男は、無様じゃ。
 
 ちなみにわっちは、狼じゃがな。
 安心して、頼り、そして縋るが良い♪
 
 
 『得体の知れない箱を無闇に開けてはいかんと、聖典にも書いてあるしな。』
 
 うむ。
 
 『賢明じゃな。』
 
 
 わかっていればこそ、じゃな。
 さて、準備は整った。
 さぁ、いこうかや、ぬし様♪
 
 
 
 
 

+

 

『明日が無いというのとは違うな。

お前にはちゃんと明日が来る。

ただし、真っ黒で、辛く、重い明日だ。』

 
 
 
 
 ロレンスの横顔を視る気が、全く起きなんだ。
 自らがこれから行おうとしていることを、命を賭けた遊戯としてうっすらと楽しみ、かつそれが遊戯として以
 上のものに感じられぬということを、わっちはただ悲喜こもごもに感じとった。
 失敗すれば、恐ろしい毎日が待っており、そしてそれはすべてわっちでは無くロレンスにこそ降りかかる、
 ということのじわりと来る苦しみ。
 そして、わっちが生まれて初めて体感するその苦しみを感じていることの、苦しみ。
 ちらり。
 ロレンスの横顔を、つい観てしまった。
 わっちはわっちの苦しみを見据えていながら、しかしつい観てしまった。
 それは全くの、お約束的動作じゃった。
 ロレンスのことが気になった訳では無い。
 だが。
 わっちは、今、確かにこの生まれて初めての体感、つまり失敗すれば隣の男に苦しみを与えるということ
 の真っ直ぐな体感に縛られていながら、それなのに、隣の男を気遣う素振りをみせる、そう、はったりとし
 てでも素直に、そう、なによりも素直にそうしてしまったんじゃ。
 ふふ。ふふふ。
 しぜんと、底知れぬ闘志と自信が湧いてきよった。
 うむ。
 はったり噛ましたんじゃったら、ちゃんとそれを全力で全うせねばな。
 その意志しか無いことを恐ろしいとおもう。
 それでも、恐ろしいとおもうんじゃ。
 
 じゃが、わっちは微笑んでおった。
 
 微笑んだからには、やれやれ、この余裕の笑みの通りに行動せねばいかんの。
 なんじゃろうか、この圧倒的な確信は。
 わっちは、なんの現実の実感も無かった。
 恐ろしい、とは思えども、それに逼塞する気がまるでせなんだ。
 いやむしろ、その恐怖こそが、もしかしたらわっちが抜け出せなんだ、あの白銀の中の孤独と同じもの
 なのではないかと、そう感じたんじゃ。
 
 じゃからな。
 なぜかな、不安は全く無かったんじゃ。
 現実感も実感もなにも無くても、彼処にいたときよりは圧倒的にマシじゃと、わっちの人の子の体は
 確信しておったんじゃ。
 
 
 ぬしよ。
 わっちが、付いとる。
 
 わっちはいつからその言葉に、はったり以外の価値を感じられるようになったんじゃろうか。
 信じられぬ。とても、信じられぬ。
 
 
 
 
 
 
 だから。
 
 どうしようもなく。
 
 
 わかり。
 
 そして。
 
 
 辛かった。
 
 
 ロレンスの、その追い詰められていくその姿こそが、辛く、みえた。
 
 
 
 理屈では、よう解決せぬ。
 かける言葉が無いというのは、辛いの。
 かけられぬ方も、かけて貰えぬ方も、な。
 
 わっちは、今のわっちは、これに耐えられるかや?
 
 傷つくロレンスを、わっちとの掛け合いの中で成長してきたロレンスを、そしてそれをまだ使いこなせては
 おらぬがゆえにこそ失敗したロレンスを、それを視て、わっちはなにをおもう?
 あのときと、同じじゃ。
 わっちらが追い詰められ、わっちが狼の正体を顕して森に帰ろうとしてしまったときと。
 今度はあのときのように、ロレンスにこそ助けて貰うことは出来ぬ。
 しかし今のわっちに出来るのは、また狼の姿を顕し、ロレンスと共に逃げることだけじゃ。
 ロレンスは本当にどうしようも無くなったとき、そうしてくれるように望んだ。
 だが今は、どうなのじゃ?
 ロレンスはどうしようも無くなるまで、死力を尽くせたのか?
 後悔の無いほどに、すべての力を出し切り、それでも達せずに、しかしそれでも明日を信じるがゆえに
 こそ逃げるを選ぶことが出来るのかや? 
 いや、出来ぬ。
 ロレンスの力の、おそらく半分も出てはおるまい。
 本来ならば、ぬしはもっともっと冷静に出来るのじゃろう。
 なぜじゃ。どうして出来んかったんじゃ?
 わっちか? わっちがおるからかや?
 最後に金を貸すのを断った男は、ロレンスが女連れで金を借りにきたのを指して、誠意が無いと怒鳴り
 つけた。
 この石頭がと言うは簡単。
 しかしその言葉は無論、使いどころを謝れば無意味どころか損をさえ招くものじゃ。
 わっちはそんなことをわかっておって、自らの考えた策を顕すには実践を重ねた鍛練が必要と、常日頃
 思うておった。
 じゃが。
 わっちは、それが今回に限り、出来なんだ。
 なぜなら。
 そう。
 
 時間が、無さ過ぎたんじゃ。
 
 飛んだ道化者よ、わっちは。
 その程度のことも解決出来ぬとは、どんな賢狼よ。
 実践を試すには時間が足りなかったなぞ、言い訳にもならぬ。
 だから人は、なにかに頼る。
 ぬかった。
 決して、人の子の流儀を疎かにしていた訳では無い。
 いや、むしろわっち自身が金策に走っておれば、こんな些細な失敗はせんかったはずじゃ。
 じゃがわっちは、ロレンスにやらせたかったし、なによりロレンスにやらせない理由は無かった。
 当たり前じゃ、気高き雄から、実際の行動まで奪ってしまってはそれこそ腑抜けになってしまうのじゃ。
 じゃから、それ自体は誤ってはおらん。
 つまり。
 
 わっちは、ロレンスの動かし方を、今回に限り間違ってしまった、ということなんじゃ。
 
 失敗か、わっちの。
 いや。
 なぜ今、この一番大事なときに失敗してしまったのか、それが重要なんじゃ。
 
 目の前の、ロレンスの影が、ひとつ揺れた。
 
 
 わっちは、走っていた。
 ぬしのもとに。
 
 
 そうか。
 そうじゃったな・・・・・
 
 
 
 
 『お前さえ!!』
 
 
 
 ロレンスのその絶叫を、なんの動揺も無く聞いたわっち。
 そうじゃ。
 わっちは、こうなることを予測しとった。
 確かめ・・・たかったの・・じゃろうか
 わっちはまた・・あのときのように・・・ぬしに助けて貰いたかったのじゃろうか
 わっちを連れていたせいで痛い目をみて、しかしそれでもまたあのときのようにぬしはわっちを離さずに
 いてくれようか、と。
 違うな。
 それでは辻褄が合わぬ。
 わっちが予測したのは、必ずロレンスめはわっちを突き放す、というところまでもじゃ。
 わっちが望んでいたのは・・・そっちの方じゃ・・・・
 わっちはずっと・・・・・ずっと・・・・・心の一番奥底で・・・ずっと・・・・・孤独を・・・まだ・・・これからも・・
 
 
 あのとき、なぜわっちは、あのロレンスを怒鳴りつけた男の前に、ずっと立っていたのじゃ?
 怒鳴られて、すぐに自らの失策に気づいたよな?
 ではなぜ、怒鳴られるまで気づかなかったのじゃ?
 いや。
 わっちは。
 気づいとったのじゃないか?
 
 
 このまま、必死に交渉しているロレンスの背後に立っていれば、そうすれば・・・・
 
 
 
 いや。
 もっと根本的に。
 わっちは・・・あの男が・・かなり目利きな男であると一瞬で見抜いとった。
 ああいう人間は、実に物事の真偽を判ずることに長けておる。
 そしてだからこそ、偽と判断したものには徹底して容赦が無い。
 逆をいえば、偽との付き合いを最初から放棄し、その放棄した分の労力を、すべて真と見極めたもの
 へと注ぎ込むんじゃ。
 ああいう人間は、割と普通におるものじゃ。
 わっちならともかく、まだまだ甘いロレンスが下手に小細工を弄したとしても、ああいう男には全くの逆効
 果なのじゃ。
 
 わっちはそれを、冷静に、見逃した。
 
 
 
 
 止まれ。 
 止まらぬか!
 このっ、このっ、このっっ!
 ずる ずる
 引きずるようなそのわっちの足音が、凄まじい悦びの嘲笑を上げながら進んでいく。
 とまれっっっ!!
 夕陽を受けて光り輝く、禍々しくも美しいこの髪が、貪婪な風に導かれ、わっちの先へといく。
 ゆこう、ひとりで。
 この口はもう使えぬか! ならば耳よ、我が背後に佇む相棒の鼓動を我に聞き届けよ!!
 ぼう
 影の中に満ちた闇が、耳を塞ぐ。
 待て、待たぬか!!
 待ってくりゃれっっ!!
 わっちは、わっちのおもいは未だロレンスの元におる。
 わっちはそこから、長い長い影の中を、その影に沿って全力で歩き出したわっちに叫んでいた。
 ゆるさぬ・・・・ゆるさぬ・・・・・・・ゆるさぬ・・・・・っっっっ!!
 吹き上がる涙は、勝手に絶望に染まる頬によってその勢いを弱められ。
 そして。
 耳まで裂けよとばかりにつり上がった、その孤高なる狼の嘲笑に大喜びで舐め取られてしまいよった。
 
 
 
 おわりじゃ
 
 
 
 
 
 
 
 最後に、ひとつだけ、響いた。
 
 
 
 
 
 
 やく・・・・そく・・・?
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ◆ ◆
 
 敢えて。
 すべては、次回にて。
 決して、書くことが無いからでは無いと思います。たぶん。(ぉぃ)
 だがさらに敢えて言おう。
 『追い込まれたときにしか見えぬ道もあるはずだ。』と。
 
 『他になにか、訊いておきたいこと、言っておきたいことはあるか?』
 
 来週の私の素晴らしい感想を叩き付けられたときの、驚きの台詞でも考えておいてください。
 
 あと一週間か・・・  ←隣で優しく手を添えてくれる人をさりげなく探しながら
 
 
 それでは、また来週。
 狼最高。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
                              ◆ 『』内文章、アニメ「狼と香辛料」より引用 ◆
 
 
 

 

-- 080310--                    

 

         

                                ■■ ふたつのいる山 ■■

     
 
 
 
 
 『本当のところ、瑞生の言う通り、三毛さんがその鈴を気に入っていたかどうかは、今もわからない。
  でも言葉は交わさなくっても、三毛さんと私達は、どこかで通じ合ってるって思ってた。』
 

                           〜もっけ ・第二十二話・静流の言葉より〜

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 誰かのためをおもう。
 それは常に、独り善がりであることからは逃れられない。
 しかし、だからといって誰かのためをおもうのをやめるのは、本末転倒。
 独り善がりでありながらも、しかしそれだけでは無いと言えるように、さらにその誰かをよく見つめながら、
 そして実際にどうしたら本当にその誰かのためになるかを考えていく。
 そうすればもう、誰かのためをおもうのをやめるなどと言っている暇は無くなる。
 どうすればいいだろう、どうすれば。
 しかし。
 そんなことが、継続して出来る訳でも無く、それもまたどこか、なにかがおかしいという感覚を得るを禁じ
 得ない。
 私達は、誰かのためをおもうために生きてるのかな?
 私達は、生きてるからこそ誰かのためをおもうこともするのじゃないのかな。
 
 誰かのためをおもうからこそ、その誰かに要求する。
 もっとしっかりしてよと、もっとちゃんとしなきゃあなたのためにならないのよと。
 それが本当にその人のためになると考えられたからこそそう言うのに、それなのにその人は相も変わらず
 にしっかりせずに、ちゃんとしようともしない。
 私はあなたのことをこんなに思っているのに。
 それなのにどうしてあなたは、そんなにいい加減なの?
 このままだったら、どんどんと悪い方にいっちゃうんだよ?
 どうして・・どうして・・
 どうして、私のことを無視するの?
 
 
 
 ◆
 
 静流達の家にいる三毛猫の三毛さんが失踪します。
 瑞生はそれを、自分が三毛さんのためによかれと思って色々やったことが、きっと三毛さんを追い詰めて
 たんだと、そう受け取ります。
 静流はと言えば、確かに瑞生のやったことは、三毛さんのためによかれと言いつつ、しかし実際にやって
 いたことは自分が可愛いと思った鈴を三毛さんに無理矢理付けたということであり、それはやっぱり独り
 善がり以前の問題だったのではと考えます。
 瑞生はそういうところあるもんね、確かに。
 自分が良いと思ったものは他の人も全部良いに決まってる、という決めつけから入っちゃうから、だから
 今回のケースだけを捕らえて、もう鈴は付けないからと謝っても、それはあまり意味が無いんじゃないかな。
 きっと瑞生は、また同じことを繰り返すと思うな。
 しかし静流は、だからといって瑞生のことを叱ることはしませんでした。
 でも、三毛さんだから。
 三毛さんはきっとそういうの全部わかってるから、そんなことで怒ったりしないとおもう。
 これが静流の素直な考えであり、たとえ瑞生の小さな理不尽な振る舞い自体を指摘すること自体は
 出来ても、しかしそれはそれこれはこれ、三毛さんはきっと許してくれるよと、極めて現実的な判断を
 するのです。
 そう、だからそれはそれ、これはこれ、三毛さんは許してくれるだろうけど、だからって自分のやってること
 が独り善がり以前の押し付けかどうかを問い直すことは、ちゃんとやらなくちゃ駄目よ。
 
 三毛さんは三毛さん。
 だったら、瑞生も瑞生。
 
 三毛さんにとっては、瑞生は面倒な相手ではあるでしょう。
 三毛さんのためを思ってやっているのはわかるだろうし、それ自体は嬉しいことだと感じているのでもあろう
 し、しかし三毛さん的には嫌なことを延々とやられてしまっては、辛いことこの上無い。
 だからこそ言葉の話せない三毛さんは、そういうときはさっと瑞生から体を離し全力で逃げ回る。
 それが三毛さんの意志表示であり、だからこそ三毛さん的にはそれを瑞生にはわかって欲しい。
 嫌だということを示しているのだからやめて欲しい。
 しかしそれは、瑞生のことが嫌いという訳でも、瑞生の親切心自体を否定している訳でも無い。
 三毛さんは瑞生のことが好きですし、好きだからこそこれからも長く瑞生と付き合いたいがゆえにこそ、
 なにを自分が嫌がるのかをわかって欲しいだけなのです。
 たとえ三毛さんが言葉を話すことが出来たとしても、おそらく三毛さんはそういうことを話して伝えるでしょ
 う。
 
 そして瑞生はそんな三毛さんの側の理屈を理解してなどいませんから、当然嫌よ嫌よも好きのうち的
 な発想で三毛さんを追い回し続けていました。
 静流からすれば、三毛さんのその辛さはまる分かりなのです。
 そしてなによりも静流は、三毛さんがそれで瑞生のことを嫌うことにはしることはしない、ということを、その
 三毛さんの理屈を知るがこそ、なおそう思うのです。
 三毛さんはさ、とっても辛かったとおもうよ、確かに。
 そうだよね、瑞生ももうわかったよね、三毛さんだってあんなに逃げ回ってたんだもの、それは気づかなく
 ちゃいけなかったことだよね。
 だから、その辺りのことを、もっとちゃんと考えていこうね。
 相手の気持ちを考えるってことは、自分が同じことされたらどうかってことを考えるのと同じ。
 でも気を付けなくちゃいけないのが、そのとき想定した「同じこと」がほんとに同じことになってるか、って
 ことなのよ。
 たとえば今回の場合、瑞生は自分が可愛いとおもった鈴を三毛さんに付けようと思ったでしょ?
 あれはね、瑞生だってちゃんと考えたのだとおもうよ?
 もし私がこの可愛い鈴を貰ったらどうかなって、そう考えて、だから三毛さんも嬉しいって思うって、ね。
 でもそれって、ちょっと考えが足りないとおもうの。
 だってその瑞生の考えは、その鈴を三毛さんが嫌いなのかもしれない、ってことが想像されてないでしょ?
 自分が嫌いなものを押し付けられたら、それは瑞生だって嫌だとおもうでしょ?
 ましてやそれを押し付けてくる人は、自分のことをおもってしてくれてるってわかったら、やっぱりそれは
 辛いでしょ?
 それを自分がされたら・・・
 ね? わかったでしょ?
 
 でも、それだけじゃ、足りなかったんだ。
 
 静流は考えます。
 三毛さんはきっと、そう瑞生におもわせること自体も、辛いって考えてる。
 そしてだからこそ、でもそれに負けずに、自分もしっかりしなくっちゃって、そう思ってるんだ。
 三毛さんはおばあちゃん猫だから、きっと私達のことを大きく見守ってる。
 だから瑞生の他愛無い悪戯も、考え無しの思い遣りも、やっぱりそれでも、そのまま許すことも出来
 ちゃうんだと思う。
 たぶんきっと、三毛さんは私達の気持ち、ちゃんと伝わってると思う。
 静流は、とある小さな空き地で、居なくなる前の三毛さんと共にいた不思議な猫のことをおもいます。
 あの猫、尻尾がふたつに割れてた。
 たぶんおじいちゃんの言ってた化け猫だ。
 猫又っていうやつだ。
 静流はいつの間にか、自分達の気持ちが三毛さんに伝わっているはずだ、という前提に頼り切り、
 だから三毛さんはなんでも許してくれるはずと、実は静流も瑞生とは違う形で、そう思っていたという
 ことに気づくのです。
 そうだ・・私は・・・
 三毛さんはおばあちゃん猫だから、確かに瑞生の間違いをそれでも許すことは出来る、だから私達は
 ただ安心して自分のことを考えていればいいって、そう思ってた。
 でも・・
 三毛さんはもしかしたら、死んじゃうのかもしれないんだ。
 猫は死期を悟るとどこかに消えてしまう、といういう話はよくきく。
 『でも三毛さんにとって、私達はどう映ってたんだろう。』
 静流は、いつのまにか、そのことが気になって仕方が無くなります。
 三毛さんが消えてはや二週間。
 猫又の不気味な影が、静流の背後で伸び続けています。
 
 私、確かめたい。
 
 『三毛さんに会いたい。
  私と瑞生の気持ちを、三毛さんへの私達のおもいをどうしてもわかって欲しい。』
 
 
 
 ◆
 
 三毛さんは、疲れています。
 瑞生達のことが孫のように可愛くて、だからそれでも頑張ってきました。
 独り善がり未満のお節介も、その瑞生の気持ちと、そしてなによりも瑞生のことが好きゆえに、その
 瑞生の行為のせいにして、その自らの疲れからの逃避はしたくないと考えています。
 でも・・疲れた・・
 逃げることは選ばずとも、疲れていることは全くの事実。
 三毛さんだけがどんなに瑞生達のことを考え、そのためにも瑞生達との生活を諦める訳にはいかないと
 して頑張っても、瑞生達が変わらなければ、その三毛さんの頑張りだけが続き、そして疲労だけが
 堪っていくのです。
 だから三毛さんは、そこで決して自分だけの問題とせずに、嫌なものは嫌だと、はっきりとその仕草で
 瑞生達に示し、なんとか自分だけが我慢していくだけの状況を打開しなければと、そう考えていたのです。
 三毛さんはおばあちゃん猫です。
 だから、ある意味でのプライドにも似た慈愛はありますでしょう。
 だから、果てしなく、ひとりだけでも頑張れてしまいます。
 でも同時に、それだけでいようとする、そしてそれを肯定するだけのことが、真っ直ぐに死としての破滅と
 繋がっている、ということを三毛さんは悟ってもいるのです。
 三毛さんがひとりだけ潔く我慢して、ひとりだけの努力を高潔に続けていけば、いずれ疲労が自らを蝕
 み、そしてそれがやがて死に至ることとなり、そして。
 なによりも、その自らの死こそが、瑞生達との共同生活の崩壊、そしてなによりも瑞生達の心を深く
 傷付けることになると、そう三毛さんは自覚しているのです。
 だから、なんとかせねば。
 だから、なんとかして、自らのそのおもいをあの子達に伝えねば。
 
 
 それが、「猫又」なのです。
 実に強力無比な、「モノ」なのです。
 
 
 『口が耳まで裂けて、尾の先は二股に割れて、二本足で歩いたり、
  人に化けたり、取り憑いたりもするんだ。』
 
 私はあなた達のことをこんなに思っているのに。
 それなのにどうしてあなた達は、そんなにいい加減なの?
 このままだったら、どんどんと悪い方にいっちゃうんだよ?
 どうして・・どうして・・
 どうして、私のことを無視するの?
 そして激しいおもいは募りに募り、執念ともいえるその牙の向く先は、圧倒的にその愛し求めた者達
 自身へと向かっていく。
 自らのおもいを示せば示すほどに、話せば話すほどに、それが通じないことの苦しみだけが募るのを
 みるばかりとなり、やがてはそのなにかを伝えようとする口は喋れば喋るほどに裂けていく。
 そしてその残酷に裂けてしまった自分の体の中から覗けてくるのは、激しい憎悪を纏った真っ黒な牙。
 
 三毛さん・・・私達の気持ちを・・・わかって欲しい・・・だから・・
 
 静流を三毛さんのところに連れていこうとした猫又は、こう語ります。
 『まだまだあんたらが可愛いんだろうな。』
 『羨ましい。羨ましい。』
 三毛さんが、それでもなお、まだ瑞生達への愛を失っていないことを指して、こう言います。
 羨ましい、なぜあそこまで疲労していながら、まだ愛を失わずに済むのだ。
 めらめらと瘴気を吹き出し、そのおもいの分だけ体が大きくなっていく猫又。
 そうだ、そうだ、彼女はそれだけあんたらのことが好きなんだ。
 だから、迎えにいくがいい。
 彼女もきっと、それを望んでいるだろう。
 『どうした、案ずることなど無い。すぐそこさ。』
 『会ってこいよ。一緒に帰ろう。そう言ってやれよ。』
 『さぁ。』
 
 
 それが、猫又の抱いた、執念。
 その一匹の猫が描いた、理想の共生相手としての人間の像。
 そして。
 その描いた人間の中に逼塞することと。
 それを許さない人間を牙で引き裂く孤独に逼塞すること。
 その二本の淫らな尾が生えているモノこそを、猫又と呼ぶ。
 
 
 人間なんぞ、信用しとらんのよ、我らは。
 『ぬしらは、我らが死期を悟って姿を消すなどというがな、あれは違うぞ。
  本当に安全な場所へ行って養生するのさ。』
 『ぬしらなど一片も信用しとらん証よ。ぬしのおもう、あやつも例外では無い。』
 我らはただ、とことんぬしら人間を利用しとるだけよ。
 我らはただ、悲しいだけだ。
 自らの努力が報われぬことが、それでもどこまでも頑張れる自らのことが。
 なぜこれほどまでに愛しい気持ちになれるのに、その想いが満たされないことが。
 こんなに思い懸けているのに、こんなに愛しているのに。
 こんなに、頑張ったのに。
 そしてな、だからこそ、我らは悲しいのだ。
 その自らの言葉がもの凄く惨めで、そしてなによりも自らがそういうことを言ってしまうことがな。
 そうだ、俺はただ自分の愛しい優しい気持ちのために動いているだけであり、それでどんな目に遭おう
 とそれは当たり前なことだ。
 それなのに、さも偉いことをしているかの如くに、さらには自らが報いられることの無い悲劇の主人公と
 して尊大に振る舞うなぞ、愚かしさ此処に極まれりだ。
 怒りすら、感じるよ。
 
 
 だがな。
 だから。
 だから。
 悲しいのだ。
 なによりも深く。
 
 俺自身すらも、そうやって自分を責め立てるということがな。
 
 
 そう。
 だから猫又は、そんな自分を憎み、そしてそれを自分に強制しようとする者達へも恨みを向けていく
 のです。
 当たり前なことでは、無いのです。
 ただ当たり前なことだと思わねば、頑張れないだけ。
 そして逆にいえば、当たり前だとさえ言えれば、どこまでも頑張れる。
 だから、理想の人間像を愛する者の姿に上書きし、その者達と分かり合える理想の生活を創り出すこ
 とにすべてを賭け、そしてそれを邪魔する者は、たとえその愛する者であろうと切り裂いてやる。
 それが、猫又。
 ふたつに割れた尾を持つモノ。
 
 
 
 
 しかし。
 それは、当然のこと。
 それこそが、当然のこと。
 
 
 
 
 いいか、静流。
 三毛はただ疲れただけだ。
 色々想うことはあるんだろうが、つまるところ、疲れたから湯治にいった、ただそれだけのことだ。
 そしてそれこそ、猫のお務め、つまりは当たり前のことなんだ。
 猫は孤独を好む動物だ、とは良く言ったものだ。
 猫はな、孤独なんだ。
 だからそれをよーく知っとるから、それに良くも悪くも猫自身振り回されている。
 ある猫は自ら孤高を貫くことでその「孤独である」という事と戦い、ある猫は孤独であるからこそなにより
 もそこから脱するためにはどうするかを考え、そのためには自らの孤独の意味を見極めようとする。
 三毛は、どっちだと思うか?
 お前が会った、そしてなによりもお前のその背に取り憑いてる猫又は、どっちだ?
 
 両方だろ。
 
 猫はいつでも狡猾な猫又だ。
 だが、自分を猫又だと意識することも出来るがゆえに、いつでも猫又では無い豊かな存在にもなれる。
 逆もまた然り。
 自らの孤独、自らの猫又をおもうがゆえに、それの意味を問うことが出来る。
 静流。
 『馬鹿が。』
 『迷い猫探して、てめえが迷い込んでどうする。』
 お前のそれも、立派な猫又だ。
 誰かに自分のことをわかって欲しい認めて欲しいとおもうのは、当然のことだろ?
 そしてな、それと同時にその自分の願いをいやらしいとおもうのもまた、当然のことだろ?
 矛盾してるか? そうだろうな。
 だが、矛盾しているからこその、俺らじゃねぇのか?
 むしろ、それら矛盾しているものを両立させることが出来ないときにこそ、モノが憑くんじゃねぇのか?
 逆なんだよ、真面目過ぎるお前の思考はな。
 どちらか一方しか選べないことこそを、おかしいと思え。
 両方だ。
 それは潔さなんていう、愚かな理想の絵の中の言葉なんぞより、よっぽど地に足のついた言葉だ。
 
 三毛はな、そこんところ、よーくわかってんのさ。
 
 『三毛の奴がたまにいなくなんのはな、ありゃあ強くなるためなんだよ。』
 
 
 『お前らと、長く一緒にいるためにな。』
 
 
 いいか、静流。
 三毛の理屈を理解するのはいいが、しかしそれだけになるなよ?
 三毛は三毛、お前はお前だ。
 逆に言えば、三毛のために出来ることは、完璧に三毛の理屈を理解しきることでは無いってことだ。
 理屈なんざ、ある程度わかりゃいいのさ。
 そういうのは得てして基本部分は簡単なのに、全部を理解しないと駄目だと思うからこそ、難しいわから
 ないと感じてしまうもんだ。
 わからないとなると、人ってのはな、とかく盲進しちまうもんさ。
 盲目的に愛するか、無感動に切り捨てるか。
 おかしいだろ? おかしいのだな。
 大事なのは、目の前の三毛だろ? お前にとっては。
 理屈は理解せねばならぬが、理屈だけで終わってしまっては、そりゃただの「猫又」だろ。
 これも逆に言えば、理屈だけで終わってしまっては駄目だ、という理屈を理解せねばな。
 それがわかりゃ、いや、その理屈こそを理解すれば、わからなかったものもわかるようになる。
 
 三毛もな、ありゃそろそろ猫又になってもおかしくない年だし、げんに猫又ではあろうな。
 あれを視る者によっては、な。
 だが、おまえは三毛を猫又とは視なかった。
 お前は年の分瑞生よりは人の心の形式というものを知ってるだろうが、それを元にすれば、お前は
 いくらでも三毛の中に猫又をみつけることは出来ただろうし、そしてまたげんにいくつかはみつけてたん
 じゃねぇのか。
 だが、お前は三毛を猫又としては視ずに、むしろ狡猾な猫又から守ってくれた、豊かななにかの象徴と
 して三毛を捉えた。
 それで、いいのじゃないか?
 そしてな。
 
 お前が出会った猫又もまた、豊かななにかになり得る存在なんだな。
 なぜなら。
 猫又は、人前に現れるだろ?
 本当に孤高の死を願っている「だけ」なら、そんなことはしない。
 そしてなにより、その孤高の死という一本だけの「尾」しか無いなら、そりゃそもそも猫又じゃ無ぇんだ。
 だから。
 理解しろ。
 三毛の理屈を。
 そしてそれに囚われるだけではかえってその理屈を理解することは出来無いという理屈を、理解しろ。
 おまえの、そのもう一本の尾のためにな。
 
 猫の集まるという、イナバ山。
 その麓にある幻の湯治場に三毛はいる。
 猫又に導かれ、その湯治場の戸を開けようとする静流。
 
 ちりん
 
 鳴ったのは、三毛さんの、あの瑞生に無理矢理つけられた鈴の音。
 猫はみんな、化け猫です。
 ましてや、猫の世界の中にある、このイナバ山ではそのすべての姿を晒しています。
 嫌がりながらも、猫又になっても、三毛さんは。
 鈴を、付けていたのです。
 そして、その鈴こそが、静流を救ったのです。
 湯治場の向こうから、自ら三毛さんは出てきて、その鈴をしっかりと付け、それを鳴らして静流を。
 
 ああ・・・・・・三毛さん・・・三毛さん・・・・・・・・
 
 『ありがとう・・・』
 
 瑞生に押し付けられたその鈴は、三毛さんの苦しみの象徴です。
 その苦しみを癒すためにこそ、あんな餓鬼達のために誰が死ぬものかとおもうからこそ、湯治場にきた。
 にも関わらず、その最も脱ぎ捨てるべき鈴を纏って、それを静流に示し救ったのです。
 両方なんです。
 三毛さんは、そんな事とはなんの関係も無く、無造作に瑞生達のことを愛しているのです。
 自らが猫又的理屈で瑞生達を呪う言葉に気炎を上げながらも(きっと湯治場の戸の向こう側では、
 三毛さんの口は耳まで裂け尾はふたつに割れて体もでっかいのでしょう)、しかしそれでも三毛さんは
 瑞生達への愛に満ちた自分の「もう一本の尾」を示すのです。
 そして。
 静流が猫の世界から脱出したときに。
 そこにみたのは、無造作に捨てられ転がってた、あの三毛さんの鈴なのです。
 きっと、イナバ山に戻って手が使える(?)ようになったから外したのでしょうね。
 三毛さんは瑞生達を愛してはいますけれど、しかし勿論示すべきことは示すのです。
 その静流の前に、無造作に転がされたその鈴がなによりの証。
 静流を救った鈴を、あっさりと当て付け的に捨ててしまう。
 それにより、実は静流自身の「猫又」も祓われたのです。
 それはそれ。これはこれ。
 三毛さんが静流達のことを好きだということがわかって、だからそれにありがとうと言うだけなのならば、
 結局静流はその三毛さんの静流達への愛に頼って、また同じことをしてしまうのです。
 だから、まず理屈を理解しろってことだ。
 猫の作法を無視して、ただ玩具として三毛を扱いたいってんなら、話は別だがな。
 重要なのは、お前の三毛へのおもいが伝わっているかどうかじゃ無ぇんだ。
 それに頼るんなら、やっぱりお前はただのふたつに分かれている一本の尾である方の猫又だ。
 その分かれてる尾を一本と視るか二本と視るか、それこそが肝要なんだ。
 いや、二本と視るからこそ、そう視ているお前という、主体としての一本の尾が成立するのだな。
 な? ふたつがひとつにもなって、矛盾なぞ有って無いようなもんになっただろ?
 そうだ。
 だから。
 
 だからそこで初めて、相手へ自分の想いが通じたと感じることに、価値が出てくるんじゃねぇのか。
 大事にしろよ、そのおもいを。
 いや、言うべきことでは無いのかもしれんがな。
 だが、それでよいのだ。
 
 圧倒的に、人は相手の存在を、それでも豊かに感じることが出来るのだからな。
 狡猾な理屈と言葉でそれらを切り裂きながらでも、な。
 逆もまた、然り。
 むしろ、逆の方が重要なのかもな。
 考えろ、狡猾に。
 今それが必要だと、考えるのなら。
 両方だ。
 狡猾に考えれば考えるほどに、豊かな自分を感じることが出来るから、では無く、またその逆
 でも無い。
 両方だ。
 賢さと純真さのふたつを、矛盾無くひとつのモノにすることを、ゆっくりと考えていけや。
 
 そう思えれば、あっさりとわかるだろ。
 
 
 
 『きっと山は、素敵なところなんだろうなぁ。』
 
 
 私はもっと、三毛さんのことが知りたくなった。
 三毛さんの理屈とか、猫又の描いた理想の姿とか。
 あの湯治場の戸を、開けなくて済むために。
 ううん。
 違うかな。
 そんな気負いなんか無くても、ただ知りたいって思えるから。
 だから、あの戸を開けなくて済むんだ。
 
 私も。
 そして。
 三毛さんも。
 
 
 そっか。
 そういうことだったんだ。
 それが、何処かで通じ合ってる、ってことだったんだ。
 
 
 
 
 
 
 以上、第二十二話「イナバヤマ」の感想でした。
 最初観たときに、ぴーんときたものはあったのですけれど、それを言葉にして表すのに手こずって、すっか
 り遅くなってしまいました。すみません。
 一時は今回は無しにしようかと思ったくらい悩んだのですけれど、しかしなんとか食い下がっているうちに
 、あれよあれよという間に言葉が繋がり、そのまま書き終えることが出来ました。
 非常に淡々としていながら、しかしほとんど無駄無く一本の線でまとめられていたお話だったので、
 かえってすべてをひとつのことに収めて理解し、そしてそれを書かなくてはいけなかったので、それはさすが
 に今回の私の状態では無理と判断し、解釈した場所は主要的部分に留めておきました。
 しかし逆にいえば、今回のお話は特にどの箇所を取っても同じ意味に向かっている回だったので、
 すべてを解釈して提出しなくても、充分に私の着想を表現することは可能でした。
 まぁ、これまた逆にいえば、だからこそ今回のお話は、「もっけ」という素材を使って、なにか大きな問題
 を読み解いていこう、という制作側の意志をかすかに感じた気もします。
 って、それいつも私がやってることですけれどね。 (笑)
 
 ということで、今回はこの辺りにて筆を置きたいと思います。
 ちなみに、私は猫派でもあり犬派でもあります。 (唐突に)
 んー、なんというか、思想的(?)には完全猫派なのですけれど、たぶん一緒に暮らすとなると犬に
 なるのかなぁ、という感じですね。
 こういうアニメとか観ると猫を無性に飼いたくなるのですが、しかし実際はそれは猫に「孤独」を視ている
 だけであり、ゆえに飼うとなるとやはり犬のようにがっちりベタベタして欲しい、となるのでしょうか。
 よくわかりません。 (笑)
 
 それでは、また来週お会い致しましょう。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
                                 ◆ 『』内文章、アニメ「もっけ」より引用 ◆
 
 
 
 

 

-- 080307--                    

 

         

                                  ■■ 熱血冷まし ■■

     
 
 
 
 
 風邪であって欲しいです。 (挨拶)
 
 すみません。花粉です。
 こんばんわ、花粉です。
 もう駄目です。
 花粉以外の話題を振ったら、むしろ無茶振りと言われかねない惨状です。
 鼻っていうか、目が、目がぁーっ!
 私の目になにするんだ、というか、もうこんな目なんかいらない気分。取れていいよもう。
 まずいですよ、もう。
 狼とかもっけの感想では前向きなこと書いてますけど、この日記じゃ鼻かみながらですよ。
 いや別に鼻をかむのはいいと思うのですよ。
 けれどごめんなさい、汚い話ですけれど、出ないの。水が。
 なんか、鼻の中が、かゆい。
 ものっそい、なんかもう、ちくちくすんねん。
 むしろかゆいのをなんとかしたくて、おろおろして、とにかく、ちーんて鼻かんでんねん。
 ものっそい、虚しくなります。
 なにやってんの私、って鼻声で言った自分の言葉に、なんかがっかりします。
 
 目がかゆくて、鼻もかゆい。
 そして唐突にくしゃみがくる。
 
 なんだか、一番イライラくる症状の表れ方なのですけれど。
 出るなら出る、出ないなら出ない、はっきりしなさい。
 あ、出てないか、ちゃんと。 かゆみは関係無いですか。
 
 虚しい。
 
 
 ◆
 
 あ、今丁度どうしようも無く鼻がかゆくなったので、反射的に鼻をかんでました。
 花粉の話はもういいですね、もういいですよね。
 いっこうに、テンションが上がりません。
 狼ともっけの感想のときはぐぐーんと上がるんですけど、この日記になるとテンションが・・消える。
 毎回同じようなことを言っていますし、そろそろ、というかとっくに読者の方々も無視の方向で固めて
 おられる今日この頃かと思われますけれど、皆様如何お過ごしでしょうか?
 私は、花粉です。
 
 
 ◆
 
 信長の野望革新PKを買いました。
 発売日の前日に、節を曲げて予約しました。
 発売日に手に入れることを前提にして生きてきたので、それが成り立たないともう駄目だと本能的に
 悟ったので、今日の帰りになんの迷いも無く予約してしまいました。今も反省していない。
 で、やってます。ぼちぼちと。
 まだやり始めなので、なんともかんともです。
 詳しいことは、来週のこの日記辺りで。
 うわー、なんて嫌なじらし方。
 ほんとに、この日記が悪い方向に堕ちていかないかと、そんなことばかり考える毎日です。
 他にやることあるでしょ。
 
 
 ◆
 
 あとは、お酒買って、本まだ借りて無くて、あとまぁいつも通りです。やる気ありません。
 あ、でも、冬目景の「ハツカネズミの時間」が、次巻の4巻が最終巻だとかいう噂があるのですが、
 ええと、どうしましょう。
 あの作品って、まだ始まったばかり、という感じだったと思うのですけれど、どうでしょう? (どうでしょうって)
 
 うーん、これくらいの日記の量だと、やっぱ楽だわ。
 今度からこれくらいの量で、ぴりっと小ネタを効かせ・・・られたらなぁ。 (願望)
 
 
 ◆
 
 
 とか言ってたらなんか鼻のかゆみが治まってきたので、まだなんか書いちゃいます。
 本? ちょっと今無理ね、無理。
 んー、なんていうんだろ、今はこう、頭疲れたく無いっていうか、ほら、絵とか音楽とか、そういう、だだー
 っと向こうからきてくれるものがいいっていうかね、あ、本でも物語系とかもそうなのだけれど、あれな、
 ちょっと重いっていうか、逆にリアルな感じで自分がその場に居合わせて、そんで実際に色々考えたり
 感じたりするっていう、そういうなんていうのかな、動的な感じあるでしょ? 物語って。
 今そういうのなんか駄目だなー、なんか。
 もっとこう受け身的な、ぼーっと、こう、ぼーっとね、うん、ぼーっと、そういうのがいい。
 フィーリングみたいな? まぁ、この文章みたいなぼーっとした感じな?
 アニメももっけとか狼とか確かに頭使ってるけど、基本、思考的な部分よりも、なんかこう、ぼーっとね、
 こう、ぼーっとね、なんかわかる?この雰囲気、うん、なんかきたな、っていうのがあって、それでね、
 あーって静かに感動してね、そしてその感動に突き動かされて静かに感想書いてるみたいなね、
 だから絵と音楽なんですよね、表情とか間合いとか、なんかこう、ね、わかるでしょ? 察してね。
 説明するの、めんどいもの。
 というかね、なんかちょっと疲れたっぽいっていうか、広い意味での説明するということに集中し過ぎて、
 なんていうか、それが上手くできないと他のも駄目になるっていうか、そういうスパイラルでさ、だからそれ
 はなんか駄目だし違うよなーおもって、最近ちょっと、スタイルを徐々に変えていこうかな、とか、そういう
 ことを考えているんですよね。
 
 つまりさ、フィーリングですよ、フィーリング。
 
 語彙無いなぁ。
 でも、自分の中にあるものを、すっと、そう、すっと出す、それを中心に据えるとね、こうなるの。
 自分の中のものを正確に言い表そうとするとき、それってかなり論理性を欠いているし、というか、論理
 的に考えるということと、自己表現は全く別物なんだよね、って確か結構前にもそういうことを言っていた
 ことを思い出しました。
 素直に、ただ体の中から自然に浸み出てきたもののままに、書く。
 その自然さはさ、たとえばネタ的とかお約束とか、当然そういう要素もあるとおもうのだけどね。
 誰かがボケたら突っ込まなあかん、ていうのはこれまさにお約束だよね。
 突っ込まなあかんおもったから突っ込むんだよね。
 じゃさ。
 誰かがボケて、それに自然にツッコミ入れるってこと、無いとおもう?
 私は、あるね。
 なんかそのままっていうか、なんも考えて無いっていうか、むしろ空気を読んで、状況説明を言葉で綴っ
 て、それでそれを頭の中で考えた末に、じゃあツッコミ入れようって、そういう事じゃ無い。
 考えるツッコミと、考えなしのツッコミは、別物。
 私も今こういうこと書いてるのもさ、論理じゃ無い訳。
 や、書いたものを後からみれば、それは論理的な形にはなってるかもだけど、書いてるときは全然論理
 的に書いてる訳じゃ無いのですよ。
 ただすらすらと、なんの選択も無く、すっと、目の前の言葉を掬い上げてね、こう、書くの。
 うん、ちょっとの選択なら、やっぱりある。
 狼の感想とかなんて、結構考えてるよ、あ、ここをどういう表現にした方がよいかなとかね、結構瞬間的
 に推敲してるの。
 でもそれはほんと瞬間的で、で、しかもその推敲の基準は、やっぱり論理じゃなくて、フィーリングなの。
 どっちの方が、語感的に語の意味的にすっきりくるか、そう、私の場合、大概の場合、文章単位じゃ
 なくて、語とかせいぜい一行の文単位でしか、そういう推敲的なことはしない。
 
 ていうか私の場合、たぶん論理的な作業は無意識でやってるとおもう。
 
 だから基本的な枠組みとしては、論理的構造を持ってる。
 でもそれはあくまで土台だし、下手すれば土台以下の地べたそのものなの。
 その地べたを作ったのは私という意識じゃなくて、世界という無意識なんだよねーってなに言ってんの。
 まぁだから私自身は気ままにやってるだけの垂れ流しで、その私自身が強くでると、小さい範囲でみる
 と非論理的文章になってたりもする。
 あ、あとお気づきの方もおられると思いますけれど、私さ、結構普通に肯定と否定間違えて書いてる
 ときあるんですよね。
 たとえば、「である」という文末にすべきなのに、なぜか「ではない」とか普通にやっちゃってる。
 おいこれ意味全く逆になるじゃねーかヨ、って時々読み返してるときに気づいてこそこそ直したり放置した
 りしてます。
 そういうのがなんで起きる(しかも割と頻繁に)かっていうと、それは今の話と関係してて、つまり、私の
 中ではいちいち、「つまりこれは要するに肯定(否定)するってことだよね?」とか論理的にまとめて考え
 てないし、そもそもなにかを肯定否定すること自体を目的として、つまりなにかを説明することのために
 書こうとはしてない、けどちょっぴり色気出して、つまり自分の中にあるものはこうこうこういう意味である
 からして前に述べたことを肯定(否定)していることになるのである、という後付け的注釈を入れてる
 って感じなんですよね。
 だから、そういうフィーリング的な意識と説明的な意識のズレが、そういう間違いを起こさせるのかなぁ、
 ってね、ええと、ね、いつのまにかほらね、この文章もね、説明的になってきてるというかね、「書くこと」
 自体が目的になっちゃるというかね、つまり視点が自分の中じゃ無くて、画面の方にいっちゃってると
 いうかね、そういう感じになってくるともう、ほらね、
 
 ええと、なんの話してたんですっけ?
 
 ってなる訳ね。
 あ、なんかひとつ私の生態が説明出来ちゃったじゃないですか。すごいなこのこじつけ力(ヂカラ)。
 あ、あと瞬間的な語の推敲とかあるって言ってたけど、あれな、あれって私の要だとも思うね。
 自分の中にあるなにかを、もっとも的確に顕せるのはなにかなって、こう、自分の体の中に問いかける
 というか、ぬくもりを感じるというか、そうするとこう、いくつかの候補の語の中から、すっと、これだ、と
 感じられるひとつをみつけることが出来るんだよね。
 自分の知ってる語の感じや意味って、割と辞書に載ってる感じや意味とは微妙に違うときあるし、私は
 結構自分の中にある言葉に関するオリジナリティ、っていうのは変か、なんだろ、フィーリング?(結局)、
 そういうの自信あるしまた好きだし、だから辞書的な意味からするとちょっとズレている語を使うときも
 ある。
 でもそれと同じくらいに、辞書をわざわざ引いて、辞書的に的確な言葉に差し替える、ということもする。
 これって説明的な行為な訳だけど、ううーん、なんていうんだろ、辞書的な言葉からも、お、っていうか、
 あ、っていうか、なんかその、感じることってかなりあるんだよね。
 あ、これもなかなかいけんじゃね? みたいな。
 というか、同時に色んな意味や感じを、ひとつの語に含ませるから、かえってそういう方が私のやり方に
 合ってる。
  可能性はひとつだけじゃないっつーか、色んな語に触れてるうちに、あれも使ってみたい、あ、これも、
 っていう風になるし、だからそうなってくるともう、いちいち自分の中のフィーリングから出てきた言葉だけ
 に拘らなくても済むんですね。
 結構周囲から吸収出来ることはあるし、またそういう視点の移動こそが、なんていうのかな、だから説明
 っていうことの公共性、ん、それはちょっと違うか、なんていうのかな、もっともっと、色んなことを考えていっ
 て、決して今自分が直面していることだけに逼塞することにならないようにしようと、まぁ、そうなる訳です。
 勿論、だからなんていうのかな、その自分のフィーリングとか作家性を捨てて、公共的普遍的なものを
 書くことこそ意味がある、とはそれは全く思わないし、もしそうならそれは嘘ですよ、たぶん。
 それは本末転倒っていうか、たぶんそういうものを求めるっていうのは、なにか別の意識というか意図が
 あってのことで、そっちが目的になってるんじゃないかなぁ、ってそうおもう。
 うーん、全然説明的じゃないっていうか、あいまのはこっちの話ね的な、そんなわけわからなさ。
 
 で、なんの話してたんですっけ?
 
 
 
 ◆
 
 という感じでごちゃーっとある頭の中の世界が、こう、ぐわーっと、まぁ、その、ぐるぐるで、でも混乱って
 訳じゃなくて、なんていうのかな、不定形なんだけど、だからぞわぞわするというか、すごく生命的というか
 、なんだろ、この感触、すごく確かなんだよねこれ、でもなんていうのかな、確信とか覚悟とか、そういう
 大きいようでいて限りなく小さいまとまり方、とはまたちょっと違うね、もっともっと広大無辺なね、なんだろ
 これほんと、穏やかで豊かで、説明という型にはめなくても、いやいや、そういうことを考えていることが、
 全部ただのセオリーにしか見えなくて、ああ、なんかまた言葉の上で言葉を動かしてるだけだなぁ私とか、
 なんだろ、もう全部わかってる、なんて気張る必要が無いっていうか、言葉自体を必要としない、その
 なにか圧倒的な深さみたいのがね、ある。
 で。
 やっぱり気づくと、すっと、目の前に言葉は溢れてきて、あ、やっぱりこれだ、ってなる。
 目の前に提出した言葉を、その言葉のために整形したり変化させたりとか、そういう造形的なことの、
 そう生産性自体は確かに心地よいのだけれど、だけどなんか違う、いや、なんか足りないっていう、
 この、静かな渇望みたいなね、それがこう、すっと、なにかをみせてくれたのよ。
 すっと、目の前に自然に溢れてくる言葉、それをみるからこそ、あ、って満ち足りる。
 その言葉自体が目的じゃ無いんだろうなぁ、っていうか、その言葉を吐ける、この一番落ち着いて自然
 な、なんていうのかな、中立的で如何様にも変化できるね、この不定型な感触がね、それはやっぱり
 安心とか安堵とかいう、その腰を落ち着けた感とはちょっと違う、踵がちょっと地面から浮き上がってるみ
 たいな静かな、そうほんと微小な興奮みたいなね、それがやっぱりね、すっと、私の心とか体とかにみえな
 い線を入れてくれるんですよね。
 まぁ、うん、その辺はまぁどうでもいいっていうか、たんに今週のガンスリもこんな感じで、すっと出てきた
 言葉のままに、そのすっと出てきた言葉のままにみるということがどういうことかを書き表してみたいなって、
 そう思ったんですけど、こういうことを書いているうちに時間が無くなりました。
 本末転倒ですね。 (自分でもびっくりだ)
 
 まぁうん、来週に来週分と合わせて今週分のガンスリ感想は書けたらなーおもいます。
 や、ガンスリはほんと気分が乗ったときだけに、そう、すっと出てきた言葉のままに書いてみたいので、
 だからこういう予告みたいなことは書きたくないんですけど、少なくとも今週分のは書きたいって素直に
 思ったのにこうしてアホなことで時間無くして書けなかった訳で、その、弔い合戦ということで。
 弔っちゃいけない気がしますが。ていうか死んでねぇーっす。
 
 まぁはい、うん。
 
 終わり。
 
 
 ぴーえす:
 信長分が少し足りなかったので、ちょっぴり補足。
 ぶっちゃけ、難しい。
 てか、今の気分的には、これはな、ちゃうねん、といってソフトをケースにしまって封印する勢い。
 なにかこう、やっかいな問題を抱えてしまったときの感触というか、ってこれゲームに対する姿勢じゃ無い
 気がします。
 でもこの宿題は結構重いなぁ、だって難しいもの、でも買ったからにはやりたいし、なにより慣れれば絶対
 面白いって思うからこそやらなくちゃって思うんですけど、4回総攻撃して4回とも全滅しました。
 兵力は、相手の2倍。
 部隊が全滅すると相手に兵力が吸収されますから、戦後の兵力差がすごいことになってます。
 なんだこれ。
 なんだこれ。
 ・・・なんだ・・これ・・・・
 
 頑張ります。 (説明書を読みながら)
 
 
 
 
 
 

 

-- 080305--                    

 

         

                          ■■ハロー 狼ですが こんにちわ■■

     
 
 
 
 
 『 偉大な商人は、靴に塵ひとつ付けず金を稼ぐもの。汚すのは、指先を黒いインクで少しだけ。
  日がな一日、市場を駆けずり回るのは三流の証。 違いますか?』
 

                              〜狼と香辛料・第九話・ロレンスの言葉より〜

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 虫が、好かぬ。
 満天の蒼が小さな群雲を従えていようとも、好かぬものは好かぬ。
 高々とそしてなによりも広く聳える山々がこの道を従えていようとも、嫌なものは嫌じゃ。
 だだっ広い草原が静かに隆起を繰り返しながら止まり、割と小さく区切られた平野としてそれは其処に
 ある。
 まるで、大空と山脈の所有する小庭のようじゃの。
 あの高みから覗けば、この道など一筋の小さな白い罅にしか見えぬのだろうが、実際この荷馬車の上
 からぼーっと覗いたそれも、やはり同じような惨めな罅割れにしか見えなんだ。
 白銀とも呼べぬほどの、その穏やかにのっぺりと垂れ下がる雪を被った山々の麓には、それにへばり付く
 というよりは妙に尊大なほどに其処に転ぶ家々があり、しかしどうにも、そこに人の子の気配が立ち昇る
 のを感じることは出来なんだ。
 
 ああ だるい
 
 ロレンスが、わっちの好まぬ人間と、このひとときを使っておる。
 わっちはそれを見ることも聞くことも無く、眺めさせられ聞こえさせられておる。
 あほらしいと嘆くにも値せぬほどの、無為な時間じゃ。
 わっちは一体なにをやっておるのじゃろうと、そう呟くにも足りぬほどに、ロレンスの奴は当たり前のことを
 しておる。
 なんぞ、起きやせぬか。
 そう、願っている自分に、少しばかりの驚きを禁じ得ぬ。
 羊飼いは、狼とは相容れぬ仲。
 色々してやられたし、色々してやったりもした。
 無論、狼神としてあるわっちに敵う者など、もうおりはせぬが。
 おりはせぬが・・・わっちら狼にとって、奴らは笑顔で迎え入れることの出来るものではありんせん
 そもそも人の子とて、わっちらとは喰うか殺すかの間柄じゃ。
 ならば、商人とよくやっているわっちにとっちゃ、それ以上に他の種類の人間と仲良くする理由なぞありは
 せん。
 
 つまりは、嫌いなのじゃよ。理屈なんぞ、どうでもよい。
 
 嫌いであると意識することすら、疎ましい。
 無視。
 それが出来なんだは、ひとえにロレンス様々のお陰じゃ。
 こやつの前で、それはもう極限近くまでの無視をあの羊飼いにはしてやったのだが、しかしそれはロレンス
 の存在の分だけ、極限には届かない無視じゃった。
 なにせ、わっちがあれを無視する理由を、ロレンスに説明せねばならんからの。
 わっちは、あの羊飼いのせいでロレンスを無視することなど、絶対に選びはせぬのだから。
 その事こそが、腹立たしい。
 全身全霊がだるくなるほどに、腹立たしい。
 ましてや、あれは女じゃ。
 ああ、なんてことじゃ、と大仰に嘆くことすら、疎ましい。
 無表情に無表情を重ね、その不自然な力み返りを意識するたびに、わっちの顔からは表情が失せて
 いった。
 いやいや、そうか、そうか。
 羊飼いを好まぬのは狼の習性のようなものであり、しかしわっちはあれが女であることをそれよりも先に
 察知しておったがゆえにこそ、なおその「女」を嫌う大義名分としての、その「狼」にとっての嫌悪対象で
 ある「羊飼い」の存在を全面に出したのか。
 
 いや・・あぶなかったの
 ふぅ・・・すんでの所で、気づいてよかった
 ここでもし、この全身で無造作に表した「羊飼い」への嫌悪で以てロレンスに接しておれば、わっちは
 羊飼いを嫌う狼として「しか」みられなくなるところじゃった。
 
 するすると無言でたくし上げた袖の下から現れた、人の子の体の肌をぴしゃりとさする。
 さて、どうロレンスの奴をやり込めてやろうかの。
 
 どうやって、わっちとロレンスの時間を取り返してやろうかの。
 
 羊飼いなんぞ、どうでもよい。
 話が狼に及んどる。
 狼、狼と、羊飼いはともかくロレンスまでもが連呼しよる。
 わっちを、いや、わっちへの言い訳的配慮を意識しとるのが見え見えじゃ。
 ・・・・。
 この女・・・雇え、じゃと?
 しかも、狼からこの荷馬車を護るために、とな?
 ああ、ちゃーんと聞いとったわいな、ロレンスよ。
 羊飼いがそんなことをしよるようになっとったとは、知らなんだわ。
 まぁ、それはよい。
 『腕前?』
 知るかよ、そんなこと。
 この荷馬車一台護りきるには確かに充分な力があるようじゃし、年の割にはかなりの腕前じゃ。
 狼からすれば、そんなものは一目瞭然じゃ。
 気に喰わぬ。
 確かに面白いことをしてくれたが、そのまま切り込んでくるとはな。
 腹立たしい。
 皮肉未満嫌味以上の冷静な評価を舌先で弄ぶには、あまりにわっちはせっかちじゃった。
 嫌な女じゃ、と責め立てることは出来ぬが、責め立てたいと思わされたことが腹立たしい。
 いや、なんでわっちがわざわざそんなことしなくてはならんのかや?
 『人間の雄は雌が何匹いてもいいようじゃからの。』
 狼を追っ払うなぞ、わっちがいれば充分じゃ。
 そんな事わかっておろうに、こともあろうに狼たるわっちがおりながら、狼祓いを標榜する羊飼いを雇おう
 などと、それはわっちへの当て付けかなにかかや?
 いやいや、当て付けならまだしも、ぬしはたんにわっちのことを気にも留めておらん、ということが、実に
 実に気に喰わん。
 
 わっちをただの女として、そしてただの狼としてしか扱わんのが、気に喰わぬ。
 
 あの小娘、なかなか健気ではありんせんか。
 声から察するにまだ相当若いし、それになによりああいった自分を売り込むことなぞ初めてだということす
 らみえていたではないか。
 初々しいのう、いや、やはり健気か。
 わっちはうっすらと、空々しく、しかし妙に実感の籠もったその眼差しであの女を見下げとった。
 本当にそう思えてくればくるほどに、あの小娘を意識し出すわっち自身に舌打ちしたくなる。
 が。
 その割には、わっちはやはり平静じゃった。
 その自分への軽蔑が、ロレンスへの怒りと綺麗に釣り合いが取れておるからかのう。
 眼中に無い小娘の姿を舌先でころころと転がして論じつつ、どのタイミングでロレンスに切り込んでやろう
 かと、その饒舌な能面の下で考えとった。
 ふむ。
 どう、「女」を織り込むべきか・・・
 
 ロレンスが、その間抜けな背中でこっちをちらちらと窺っておる。
 窺ってはおるが、しかし、明らかにそれがフリでしか無いことが見え見えじゃ。
 こちらを気にしている素振りを見せつつ、しかし自分に絶対の自信を持っている。
 自信を持っているがゆえに、こちらへのその気遣いの眼差しは小さな憐憫の情を湛えとる。
 阿呆よのう、男という生き物は。
 そんな気遣いの心の出所を相手に見抜かれていることにも気がつかずに、あのようにふんぞり返って
 いられるのだからな。
 自信一杯に胸を張っておるときの男を騙すのは、簡単とも呼べぬ仕草のうちよ。
 しかし、このような阿呆を、まさしくこちらに振り返らせるのは、なかなかに骨の折れる仕事よ。
 ただの狼でも、ただの女でも駄目なんじゃ。
 わっちがわっちたる所以、誇り高き賢き狼たるわっちを無視したことを、思い知らせてやらねば。
 
 風が、抜けていく。
 
 ロレンスの小細工を部分的に認め、それに対する報酬を支払うてやる。
 あやつが空々しい自信満々の気遣いを与えるのなら、わっちは丁寧に、そして心底根本から抉って
 やろう。
 わっちは狼、あの小娘は羊飼い。
 その身も蓋も無い残虐非道なる実感籠もる因縁を、ひとつひとつ伝えてやることはあるまいし、それを
 すればやはりロレンスはわっちを狼としか見ぬし、それではなにも成さぬ。
 じゃから、ここは正当に羊飼いの仕事を評価し、その仕事の中身が必然的に狼との関わりの中にある
 ことを示唆して、その中でのわっちとあの小娘のそれぞれの「狼」と「羊飼い」としての腕前を引き比べる
 こと、それ自体でその辺りを語ることとしよう。
 されば、話はただの一般論としてまとめられ、しかし狼と羊飼いの関係が構図だけは理解されよう。
 『わっちなら、あの娘の羊を狩れる。じゃが、並の狼ならば軽くあしらわれる。』
 だから、あの羊飼いを雇う必要は無い、という結論に導き、またこの論法でのみ辿り着く結論のみで
 しか、わっちが求めることをロレンスにさせることは出来ぬ。
 あの小娘は、なかなかに優秀じゃ。
 『声を聞く限り若そうじゃが、末恐ろしい。』
 羊飼いとしても。
 女としても、じゃ。
 そしてそれ以上の者になるその可能性もうっすらと、胸を張る雄のその背にみえる。
 
 じゃから。
 『いっそのこと、今のうちに・・・・』
 
 けけけ、と、わざとらしく牙を剥いて魅せたわっちに、ロレンスの阿呆は当たり前のようにやれやれといった
 ていで『わかった、ありがとう』と言い、わっちのこの説明の形だけをとっくりと受け取った。
 じゃが、本番はここから。
 
 
 『ぬしよ、本当にあれを雇うのかや?』
 
 個人的に、わっちが羊飼いを嫌っているかどうかなど、関係ありんせん。
 無論、狼としてのわっちが羊飼いとしてのあの小娘を嫌っているかどうかも、関係ありはせん。
 勿論、わっちがあの女を嫌っているかどうかなど、関係ありんせん。
 『嫌という言う訳では無い。』
 『わっちがなにを辛抱するんじゃ?』
 わっちに嫌と言わせようとする、ぬしは何者じゃ?
 いーや、わっちはむしろ、ぬしにもそんなことは言わせないし、思わせもせん。
 笑わせるなや。
 わっちが、わっちの歴史に基づく嫌悪の情が羊飼いにあることを、ぬしに示してはおらぬよな?
 わっちが、狼という種の代表者として、羊飼いの代表としてのあの娘を罵ったか?
 ましてや、わっちがあの女に嫉妬しているなどと、ぬしは本当にそう思ったのかや?
 
 『あれを雇うということは、しばらく共に旅をするということ、じゃろ?』
 なーにが、『嫌か?』じゃ。
 勘違いするなと言うにも足りぬほどに、うんざりじゃ。
 なーにが、「たんに」羊飼いが護衛の役に立つか試すだけじゃ。
 自惚れるなと言う気も起きぬ。
 
 あー なんだかアホらしくなってきた
 
 正体が見え見えなのも、その化けの皮を公式に剥いでやるまで、自分で真実を告白しようとしないこと
 までわかってしまうのも、なんだか哀しいものがあるの。
 賢いというのも、考えものじゃな。
 くるくると、頭だけはよう回る。
 じゃが、やることはやらねばの。
 
 ふぅ
 
 ロレンスよ。
 はよう、この簡単過ぎる詐術に気づけるようになってくりゃれよ。
 
 
 『わっちは構わぬが、ぬしが困ろう?』
 何事も、な。
 そうでなければ、わっちがぬしを困らせるまでじゃが。
 
 
 あーあ
 
 
 
 
 『下手に他の者と旅をして、わっちのことがバレたら・・・
                                    ど う す る ? 』
 
 
 
 
 ここまで言わねばならんことは、わかってはいても、それは虚しいことよのう。
 なんで、こんな見え見えな嘘を吐かねばならんのか。
 なんで、この目の前の男は、『・・・あ。』などと呆けた顔をするばかりで、その当たり前なこと以上のこと
 に気づかなんだ。
 いや・・
 わっちは、そこまで最初からわかっとった。
 だから、虚しいのじゃ・・わかっとるに・・なぜわっちはこうすることしか出来ないんじゃ・・
 どうして、わかってくれんのじゃ・・・ロレンス・・
 わっちの我が儘だということはわかる。
 わかるがしかし・・・それは・・・・・ああ・・・もうよい・・
 わっちが悪いんじゃ。
 賢狼といいつつ、しかし考えれば考えるだけ考えるべきことが増えていくだけの、その無限地獄に嵌って
 おるだけの、惨めな獣のわっちが悪いんじゃ。
 わっちはただひたすら、どうすれば良いかを賢く考え続ければよいんじゃ・・
 
 ああ  ロレンスよ
 
 はよう はよう 賢くなってくりゃれ
 
 そして わっちを ・・・・
 
 
 風が 止まる
 
 
 仕草は、続く。
 いやらしいほどに、無惨なほどに、言葉は続く。
 紅い瞳が、ぬしを貪るように冷酷に舐め尽くすことも、絶えぬ。
 言わねば、なるまいの・・
 
 
 『ふぅん、なるほどの。 こう言って貰いたかった訳かや?
  「わっちゃぁ、ぬしとふたりだけがいい・・」。』
 
 冗談でこそ言えることは出来れども、素直にそんな事が言えると思うかや?
 ふふん。
 そもそも今のぬしに、それが嘘か本当の言葉かどうか見破ることなど出来るのかや?
 わっちがなにを言おうとも、そのわっちの言葉の真偽は、未だぬしの脳漿の回転の違いによって裁かれる
 のみ。
 わっちが本気でそう言ってもぬしはなんらかの策略を疑うし、わっちが冗談でそう言ってもぬしはわっちが
 恥ずかしさを誤魔化すために嘘っぽく言うておるだけだと、そう思うのじゃろう?
 
 
 
 『  たわけ! 』
 
 
 
 そもそも、わっちはぬしと旅がしたいと始めに言うておろう。
 いや、今までの旅すべてを通して、わっちは全霊で語りかけてきたじゃろう。
 そしてな、素直、とはなんじゃ? 素直とは。
 わっちがぬしとふたりだけで旅がしたいかどうかと、それを実際に口に出して伝えるかどうかは、全く別物
 のことじゃろうて。
 わっちには、わっち自身が解決せねばならぬ問題があり、それをすべてさらけ出して相手の反応を求め
 る、などということはせぬ。
 じゃから、言葉があるんじゃ。
 わっちは、ぬしと二人旅がしたいからこそ旅をしとるのじゃ無い。
 わっちは、ぬしと二人旅をするためにこそ、それが可能となるように言葉を組み上げとるんじゃ。
 そのわっちの言葉の道筋をすべて不躾に踏み潰して、ただ笑顔で嫉妬するなよわかってるから、なぞと、
 よくもまぁぬけぬけと言えたものじゃ。
 たわけ。
 自分のことしか考えとらん。
 
 それはわっちも、同じか
 同じと言うしか無いんか・・・
 
 『ったく。ま、二日くらいバレんじゃろ。
  勝手にすればよい。』
 
 こうしてわっちは、自らの吐いた嘘にだけこそ、わっちが歩くべき道を与えてしもうた。
 わっちはまた、この小さな箱庭の中で佇んでおる。
 
 
 
 ロレンスの奴め、わかりきったことを。
 ぬしはただ、情に絆されただけじゃろう。
 ぬしの頭の中には、先日のわっちの忠告があるじゃろうし、ましてや今もこうしてわっちの怖い目が睨ん
 どるんじゃ、女には重々気を付けんといかぬとも思うておろう。
 じゃがぬしは、そんな風にわっちの言葉に締め付けられていることに素直に反撥し、じゃからもうぬしの
 行動は結論ありきから始まっておる。
 すなわち、女を避けるべき絶対的な疑いが無ければ、他の女とも往こうと。
 よう考えればそれはわっちの見事なまでの失策ではあった訳じゃが、しかしここまであからさまだとは
 思わなんだ。
 ぬしはただただ、疑わしきは罰せずの精神を標榜し、しかしその精神は見事にわっちへの反発心を元に
 して掲げておるものじゃから、むしろ積極的に如何に目の前の他の女を罰せずに共に往くことが出来る
 かを考えようとしておる。
 羊飼いの狼祓い能力が、自分達商人にとって実用に足るものであるかを試すためにあの小娘を雇った、
 というのは確かに理屈としては間違ってはおらぬし、別に今ここでそれを実行することに不自然さは無い。
 だが、それを今実行しようとぬしが思い立ったのは、他ならぬ、目の前の小娘のためじゃ。
 確かに羊飼いが狼祓いとして使えるものであるのなら、わっちのいるこの荷馬車はともかく、他の商人
 連中のために、そして将来自分が人を使うときになったときに、その自らの組織にとって有用ではある。
 だが、そんなことは、問題では無い。
 
 問題なのは、積極的に、そう積極的にだ。
 積極的に、わっちのために女を避けようとしなかったことじゃ!!
 
 ぬしがわっちの唱えた理屈をわかっておったのなら、それはまだ許せる。
 じゃがぬしは、なんもわかっとりゃせんだろうが。
 あのノーラと言ったか?
 あの羊飼いの娘のために、ぬしは「商人」として、「羊飼い」としてのあやつのために動いたじゃろう。
 ぬしが「男」としてあの小娘と接したかどうかなど、関係あるはずがなかろう。
 そもそも、クロエのときだってそうだったのじゃろうが。
 なんも、学んどりゃせんのよ、ぬしは。 このたわけが!
 相手の女がどうこうよりも、その女の存在自体に振り回されやすいんじゃ、ぬしは。
 少しは、自覚せよ。
 自分の言葉だけ追っておると、すぐに自分がなぜその言葉を追っておるのかわからなくなるんじゃ。
 本音と建て前の見境がすぐにつかなくなる男じゃ。
 気づけばぬしは、女に裏切られるたびに、平気な顔しながら、その顔の下で深く傷つくのじゃ。
 わっちは、そんなぬしの顔など見とう無い。
 見たいはずも無いわ。
 なんで、他の女に傷付けられたぬしの顔を見なくてはならんのじゃ。
 わっちが忠告という体裁を取り繕ってまで吐いた嘘で、すべてを表現していたというのに。
 自惚れるなや。
 ぬしがぬしだけなら、どこで死のうが女に殺されようが、わっちの知ったことでは無いわ。
 じゃが。
 わっちの存在を無視しての、この誇り高き賢狼のホロを無視しての野垂れ死には、絶対に許さぬのじゃ!
 
 
 言葉が 抜けていく
 
 
 銀の 銀の 銀の 
 白く降り積もる山脈の頂きの上に、その輝きをちらりと見遣る。
 愚かよのう、わっちは。
 なぜにあの小娘に対して見栄を張らねばならんのじゃ。
 わっちは、なにかを少し、気にしとる。
 あまりに無愛想なこのわっちの様は、あの小娘から、空からみて、どう見えとるのじゃろうか、などと、
 ほんのかすかな上辺の言葉でしか無かったその言葉に、今はすっかりとしがみついておる。
 じゃが。
 しがみついておりながらも、この紅い瞳はその言葉を握り締める指では無く、すっと、わっちの中を見
 とった。
 
 わっちの向こうにはっきりと透けて観えたのは、ただの蒼い空じゃった。
 
 ただ無為に、隣の体に嫉妬をぶつける。
 ただただお約束として、相槌として、他の女に浮気していると疑いをかけるに値する、その男の行為の
 いくつかに、ただ流れるままにケチをつけていく。
 しばらく、様子を見よう。
 この男にすべてを任せていたら、一体どうなるじゃろう。
 わっちがただ馬鹿みたいに男の足を抓るを続けておれば、一体この男はどうしてゆくのじゃろう。
 少し、興味が湧いた。
 まさかわっちのことをすべて理解することなど無いであろうが、しかし・・・
 
 なんぞ、起きやせぬかの。
 
 思考も、感情も、言葉も、遠い。
 遠い遠い蒼い空の中にも、それらは無かった。
 目の前の、商人と羊飼いの話を聴いとった。
 自分の能力をひけらかす、その一歩手前で収束する、そのロレンスの自信っぷりは見事じゃった。
 ゆっくりと、目の前の少女の話を聴き、理解し、そして問題点を指摘し、かつ改善策までも提出する。
 ふむ。
 悪う無い。
 そして・・・
 
 わっちもまた、いつのまにか羊飼いの話に聴き入っておった。
 
 『よくあることなんですか? 雇い主を変えることなんて。』、か。
 商人的に考えれば当たり前のことだし、むしろ条件が気に入らなければ雇い主を変えるし、条件を満た
 すからこそ、その引き替えに雇われているだけのこと。
 ならばこの目の前の小さな羊飼いは、どうなのじゃ。
 なぜ見返りも無いのに、雇い主に忠節を尽くすのじゃ?
 少なくとも、見返りを求めていない訳では無いからこそ、こうして副業を探しておるのじゃ。
 ならばなぜ不満のある雇い主を変えぬ、のか。
 そうか。
 変える勇気が無いだけか、変えればそれだけの弊害があることを理解し、そしてそれを主体的に超える
 ことが出来ないと覚悟するがゆえに、なんとかして雇い主を変えぬことを肯定しようと必死になっておる
 のか。
 ふむ。
 
 つまり。
 それは、こういうことかや?
 
 
 それだけ、相手を変えないということ自体が、自分以外のなにかの力を得られることに繋がると。
 
 
 ロレンスは、なんと言った?
 『さっきの言葉を撤回します。
  給金こそ低いかもしれませんが、神が我々を見放さない限り、教会が無くなることもありません。
  だから、仕事も無くならず、食べるのに困ることも無い。』
 
 そして、ぬしはこう言った。
 
 
 

 『しかしまぁ。

副業してはならないとは、神様もお定めになっていませんから。』

 
 
 

 青天の霹靂とは、まさにこのことじゃ

 
 

一瞬、あの小娘の驚いた顔の内側と、繋がった気がしたほどじゃ

 
 
 
 
 
 
 『なんじゃ、あの小娘のことかや?』
 相変わらず、わっちのことは無視かや。
 ならば。
 こっちから、飛びかかるまでよ。
 冷静に獲物を観察し、距離を測り、そして一気に。
 
 狼じゃ!
 わっちは一匹の狼じゃ!
 
 ぐる ぐる ぐる 
 凄まじく黒い雲が、渦を巻く。
 笑顔で塗り潰した狡猾で獰猛な狼を魅せてみる。
 『ふん。おちおち尻尾の毛繕いも出来ぬ。』
 荷台ででも無理か、じゃと?
 
 なんでわっちが、こそこそとあの小娘に隠れてそんなことをせねばならんのじゃ。
 
 小気味良く、理屈が繋がっていく。
 あの小娘さえおらなんだら、わっちは堂々とロレンスの横で毛繕いが出来、こんなことまで考えずにも
 済む。
 ふふ
 ふふ ふふ ふ
 忍び笑いが、しぜんと満ちてくる。
 そうか、そうじゃな。
 武器を、武器として意識するから、虚しゅうなるのか。
 理屈が通るのなら、それをしぜんに使えば良いだけのことなんじゃ。
 
 どんどんと、 解放されてゆく。
 そしてなによりも。
 開放されて、ゆく。
 
 わっちはあっさりと、ロレンスへの恨み言にすらなれぬ理屈を飲み込んだ。
 アホらしい。
 アホらしいとしか思えぬわっちがアホらしい。
 やーめじゃ。
 がしゃ がしゃ がしゃ
 奇しくも先日街で仕入れた荷台の武具が姦しい。
 これは、売り物じゃ。わっち自身とは、なーんの関係も無い。
 武具に凭れて世を厭うなど、愚の骨頂じゃ。
 やめ、やめ、やーめじゃ。
 なんだか、楽しくなってきてしもうた。
 静かな星空が、わっちらだけをみつめておる。
 かと思えば、あの白い点どもは、なーんも観とりゃせん。
 よし、よし。
 拘りが、完全に消えた。
 あまりにも良すぎるほどに、消えよった。
 
 黄昏の先には、満天の星空が続いておった。 
 
 不思議なものよのう。不思議じゃ。
 なんでこんなに、世界は広いのじゃろう。
 悲しさが、無い。
 ただただ、広がっておる。
 不思議じゃな。
 このなにも無いだだっ広い世界の中で、自らで踏み締め伐り拓いた道をただ往くべし、なんぞと思うて
 おったが、しかしそれはどうやら見当違いのようじゃった。
 
 
 道なんぞ、その辺に既にごろごろと転がっておるわ。
 
 
 よくよく見れば、時は当たり前のように流れ、空もまたいつまでも浮かんでおる。
 気負い、だったのじゃろうか。
 知らず知らずのうちに、わっちはわっちというひとつの体に戸惑っておったのじゃろうか。
 目の前にあった、言葉という武器を無造作に掴み、そのことに入れ込み過ぎたのじゃろうか。
 なべて世はこともなしか。よう言うたものよ。
 何もないようであり、あるようで、ない。
 しかしあるとも思えるからこそ、ないを感じることもない。
 だがしかし、その構造を理解しているがゆえにこそ、結局はなにも無い、ということに辿り着く。
 それは、おそらく悪い意味で、じゃ。
 自らの言葉を以て、そのぬくもりある思考を使ってその構造を理解したがゆえにこそ導き出した、
 そのなによりも手堅い結論としての何も無い、じゃからな。
 本当に、なにも無いとしか感じられず、そしてまたそれが悲しゅうて仕方なくなるか、だから頑張ろうと
 無理に気負うことしか出来なくなる。
 じゃが。
 
 なべて世はこともなし。
 ただただ、何かがあるがゆえだけに、なにも問題は無い。そういうことじゃ。
 
 ロレンスの阿呆めに嫉妬しようがしまいが、ロレンスとわっちが此処にいることは変わり得ず、またその不
 変のわっちらが此処にいるがゆえにこそ、そうしたねちねちとした理屈を考えることも出来る。
 ならば、気負うことは無く、また焦ることも無いのじゃ。
 気負うことも、焦ることも、わっちらが此処にいるがゆえにこそ、出来るからじゃな。
 
 少し、生き急ぎ過ぎていたことに、気づいた
 
 ほれみろ、よくよく観れば、ロレンスも少しばかり賢くなっておるようじゃぞ。
 目を細めて凝視なんぞせずとも、圧倒的にそのロレンスの意外な逞しさはわっちの瞳に飛び込んできよ
 る。
 いや。
 わっちが、余裕とも呼べぬほどに、この夜に溶け込んでおるから、そう思えるようになったのかや?
 
 闇の始まりと共に、その広がる夜の帳に引きずられるように、わっちはいつになくそわそわとして、
 そしてゆっくりと、しかしなによりも深く、話し出す機会を窺っていた。
 
 『小娘はぬしと話すのを嫌がってたことにも、気づかなかったのかや?』
 単刀直入に、少し高めのレヴェルの嫌がらせをしてやった。
 嫌がらせというのが丸見えの、純粋論理の勝負をあの男に挑んでやった。
 ほーれ、解けるもんなら解いてみぃ。
 ほろほろと酒でも飲みながら、すっぽりと笑いながらロレンスの苦悩ぶりを残酷に見下げてやろうと、
 そう思うておった。
 じゃが。
 じゃが。
 ぬしは。
 あっさりと、こう言い抜けおった。
 『ま、それもありだろう。いきなり一目惚れされちゃ、徐々に好かれる楽しみが無くてつまらん。』
 『・・どうだ。俺もなかなかだろう?』
 
 
 瞬間、星が流れた。
 
 そして、笑いの恍惚が、しっかりと、そしてどうしようも無く舞い降りてきよった。
 
 
 『くっ・・・・・あっはっはっは! 似合わぬ! 似合なさ過ぎじゃ。』
 
 
 なんの偽りも無かった。
 論理的に考えれば、この言い様には怒りを禁じ得無いはずじゃった。
 そしてその男の阿呆ぶりを詰ることしか考えられぬ、そんな自分自身を虚しくおもうはずじゃった。
 だのに・・・・・・・・・・ぷっ あっはっはっは! 可笑しくてたまらぬ!
 ようも、ようも言ったもんじゃよ。
 いやいや、皮肉じゃありんせん。
 ぬしの小賢しさは相変わらずじゃが、しかしそれにそこまで自信を持って言えることや、またさらにはその
 自分の卑小さを微塵も疑わぬ、その圧倒的な阿呆さには、可笑しさ以外の何物も無かったんじゃ。
 おかしゅうて、おかしゅうて、素直に笑うを禁じ得んかった。
 自分が笑っていることを自覚してすらいるのに、そのことを見つめるわっちの姿すらありながら、それでも
 わっちはどうしようも無く、笑ってしまえたんじゃ。
 なんのてらいもしがらみも無く、些細なことで、しかしその面白味をしっかりと抽出して、笑い上げること
 が出来たんじゃ。
 酒無しでここまで笑う自分を許せたのは、初めてじゃなかろうかや。
 
 なんと、面白い男じゃ、我が相棒殿は!
 
 体に浸み入るこの笑い。
 これじゃよ、この夜空に相応しいものはの。
 涙すら、いらんかったよ。
 こんな男になら、賭けてみたいのう。
 『ぬしも意外な切り札を持っておるのぅ。』
 まだまだ、やり合える相手を得たことを、今更ながらに嬉しくおもうぞ。
 いやいや、それもまた、この空の下では大したことでは無い。
 が、大きく構えるまでも無く、わっちらは常に等身大よ。
 だから、このだだっ広い平原の中の、ちっぽけな道のひとつひとつにも、余裕でぬくもりを感じられるのじゃ。
 世界は、広い。
 自分がちっぽけであることを、これほど喜ばしくおもったことは無いのう。
 虚無なる理屈に染まるも超えるも、所詮はこの夜空の星の流れのひとつに過ぎぬ。
 その流星の堕ちる先で、こんな阿呆がきらりと光る冗談を本気で言えるのだとしたら・・・・・
 
 
 ああ なんと わっちらとは雄大な存在であることよ!
 
 
 此処にいることが出来る歓喜。
 それがどうしようも無く、この世界とひとつに繋がっていることを感じるよ。
 いや、世界のひとつとしてありながら「自分」という意識を持ち、しかし同時に世界のうちのひとつにしか
 過ぎぬということも実感出来る、わっちらがそういったものであることを、なによりも楽しくおもうのよ。
 ただただ。
 感じるままに。
 考えるままに。
 笑うがままに。
 
 『まぁ、お前の機嫌が直ったんならそれでいいけどな。』
 
 
 『うむ。なんだかどうでもよくなった。』
 
 
 
 『小娘がくれた贈り物じゃな♪』
 
 
 
 
 そのまんま、じゃな。 ふふふ♪
 
 
 
 星が流れ、またひとつその分だけ空は蒼くなる。
 しかしその蒼が積もれば積もるほどに、それは重く黒く闇へと溶け落ちる。
 そのじゅくじゅくと熟れた冷たい夜には、すべての命を乗せた星空がふつふつと音を立てて広がり。
 そして。
 ひとつひとつ、その星々は熟れて、ころりと空から落ちて、この地上を転げ回っていく。
 わっちらはそれを、笑いながら見つめ、そしてその白い轍を踏み分けていくのが、一番面白いのじゃ。
 沢山の沢山の問題を荷台に乗せて、今日もわっちらはこの空の下を往く。
 って、なにを青臭いことを言うておる。
 酒じゃ酒じゃ、酒を持ってこーい。
 もっと素直に普通に、そして雄大無上にこの世界を謳おうぞ♪
 この卑小無下なる矮躯のままに、酒瓶を片手に高らかに、じゃ♪
 
 さてさて、不穏な空気も見えてきておるが、なになに。
 関係ありんせん。
 笑って誤魔化し、論理をすり替え自己欺瞞で納得し、そしておおらかに無視すれば良い。
 そんなことより、わっちらはこの市場の豊穣を楽しもうぞ。
 
 『酒は上手く、その上賑やかで良い街じゃ。のう?』
 『賑やかな代わりに油断もならない。騎士や傭兵連中とだけは絶対に揉めるなよ。面倒なことになる。』
 
 
 『任せときんせ〜☆』
 
 戦う的はひとつに絞ればあとはすべて天国、なのじゃよな♪
 そして。
 その天国の高見から観ればこそ、そうしている自分の姿が、やっと視えてくるのじゃ。
 その紅い眼差しの先に伸ばす指こそ、獰猛不変の神の一手となり得るのかもしれぬな。
 ま。
 
 そんなことよりも、今は酒じゃ、酒じゃ!
 
 『まだ序の口じゃ♪』
 
 歌え! 踊れ♪
 
 
 その眼差しを、閉ざさぬように。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ◆ ◆
 
 前回の感想で、ホロは昼酒は飲まないよっという設定を書き記しましたけれど、早速今回で美味しく
 飲ってるじゃあないですか。
 あれ、このコは飲んでる。このコ飲んでるよ。
 じゃ私も飲m(以下削除)
 
 なんというか。
 ホロが吹っ切れつつありますよね。
 孤独。
 ホロを感じるときに、必ずついて回るそれ。
 しかしホロはもうそれとの格闘を経た末に、自らが選んだはずの道筋を踏み外していたことに気づいて
 いきます。
 そして、ホロは、その気づいたことに対する解答を論理的に導き出すことが出来ぬままに、そのまま
 孤独を抱え、孤独と戦う、その世界から抜け出すことが永劫無いことを自覚することに逼塞しようと
 していました。
 所詮わっちは、この自らの孤独と戦っていかねばならんのじゃ・・
 そしてそれはうっすらとした不安のままの形を、一旦解き、そして目に見えないものとして世界に染みこま
 せてしまった。
 もう何処にいっても、それは消えぬ。
 孤独は消えぬ。
 孤独があるからこそ我はいる。
 我は孤独なり。我は孤独なり。
 そして、その覚悟こそがもたらすその顔の歪みは、ただただ嘲笑の範囲から抜け出す笑いへとなることは
 出来ずに、最終的には自嘲と成り果て静かに滅ぶ道へと至るだけだったのです。
 
 そして、それが今回で、劇的に、そして圧倒的に変わったのです。
 
 清濁併せ持つ。
 つまり善というものしか持たぬ存在では無くなった。
 つまり。
 なんだかようわからんが、どうでもようなったんじゃ。
 その「どうでもよい」というのは、ある意味では諦観です。
 しかしそれは、実はそれでも自分は圧倒的に此処にいるのだなぁという、どうしようも無い嘆息でもある
 のです。
 その溜息は、悪いものか、善いものか。
 
 どーでもよい。
 
 どーでもよい、どうでも良い、どうでも、善い。
 限られた善なり正なりがあることは確かなれども、それで彩られた道を絶え間無く歩み続けることの
 安心があることも確かなれども、しかしそれだけしか無い、という言葉のみにしかいわゆる神の御加護
 が得られない、というその言葉そのものに、ホロは自分から進んで弾き出されたのです。
 アホらし。
 それら全部ひっくるめて、すべて、善し、じゃ。
 それらをすべて善しとするためにこそ言葉があり、それらをすべて善しとするためにこそこの脳漿がある。
 しかし、それよりもなによりも。
 そんな自分をも、圧倒的に救ってくれる、その神の眼差しをホロは感じたのです。
 この世界そのものに。
 この自らの存在そのものに。
 
 たとえばすべてのものは善なる存在になれるとそう約束されたとて、ならばその存在目指して頑張らねば
 ならぬ、善き者とならねばならぬと、つまり「善き者になること」そのものが目的になってしまう。
 それはおかしいと、どんどんと追い詰められていくホロ自身は感じたのです。
 すべての存在は、すべて生まれながらにして善きものじゃ。
 じゃから・・・
 じゃから・・・安心して、生きることが出来る。
 勿論、安心して善なるものを求めることも、そこから始められるのじゃ。
 「狼と香辛料」という作品は、割と虚無主義的な発想から成り立っていますが、よく言う論理ですけれど
 、虚無を超えようとすること、それ自体が既に虚無であること認めることから成り立っています。
 この世には絶対など無い、などと言うのは当たり前、そしてだからこそその絶対を求めてわっちらは頑張っ
 ていけるんじゃ、というホロの今までの論理は、つまり絶対というものは存在しないという、それこそ虚無
 主義を前提として成り立っていること、それについての思考は全く為されていないのです。
 それは逆に、その成り立ち自体を無視するということ、それそのものこそが、ホロが向き合うべき本当の
 敵、すなわち孤独の正体であったということなのです。
 
 つまりな、この世に絶対など無い、などと嘯く根拠を、初めからわっちらは持ってなどいなかったのじゃ。
 
 なによりも、嬉しいことにな。
 
 この世に絶対など無い、のでは無く。
 この世に絶対があるかないかを、わっちらはまだ知らぬ、ということじゃ。
 もしかしたらあるかもしれんし、ないかもしれん。
 そうじゃ。
 この世に絶対があるかないかを、わっちらは絶対に知ることは出来ん、と言ってしまったらそれは嘘じゃ。
 絶対に知ることは出来ない、という絶対があるではないか。
 絶対があると思い込んだ者勝ち。
 そしてどうせなら、善き思い込みをしてみたいものじゃ。
 そう。
 それが、罠、だったんですね。
 どうせなら善き思い込みをしてみたい、というのは、二重に虚無的です。
 「どうせなら」という言葉がまずそうですし、また「思い込み」というのもまたそうです。
 わっちらはそれが思い込みでどうであるかを、未だ知らぬ。
 そして。
 思い込みに善いも悪いも無い。
 たとえそれが虚無的絶対のものとしての思い込みであっても、それはそれでも実は良いし、逆に善き
 思い込みであることしか肯定的に受け入れねば、それはそれが善悪であることそれ自体を目的として
 しまうのですから。
 重要なのは思い込みの善悪で無く、思い込むことこそが重要なのじゃな。
 信じる者は救われる。
 そして、だからこそ。
 初めてそこで、その善悪を改めて論じられる。
 そういうことなのだと、私は思いました。
 途中から論理が滅茶苦茶でした。自分で自分の書いたものを説明するのってやっぱり苦手。
 いやそれ以前になに言ってるか自分でも余裕でわからなくなりました。
 だが善し。 (よくない)
 
 ちなみに。
 ノーラの可愛さにはぴくんときましたが、ホロの笑顔にはKOされたので、なんかもう、まだホロです。
 すごい、このコ(←筆者)はまだまだいくよ。
 
 それでは、本日はこの辺りにて。
 また来週、笑顔でお会い致しましょう。 (頬にビールの泡をひっつけながら)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
                              ◆ 『』内文章、アニメ「狼と香辛料」より引用 ◆
 
 
 
 
 

 

-- 080301--                    

 

         

                               ■■ 明日のいる勝負 ■■

     
 
 
 
 
 『・・・強くなるよ、あんた。』
 
 『思いっきり負けちゃったけど、不思議と気持ちいい・・。』
 

                           〜もっけ ・第二十一話・合田と瑞生の言葉より〜

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 『復讐してやる。』
 許せない。
 許せない。
 許す訳にはいかない。
 あんなに頑張ったのに。
 勝手に、利用して。
 勝手に、作り替えて。
 私の頑張りを、あんな風に・・・
 許せない。
 復讐してやる。
 絶対に勝ってやる。
 みせつけてやる。
 許せない。
 許せない。
 許す訳にはいかない。
 私の頑張りと、私のおもいと、私のために。
 私を、私のこの悔しさを、見捨てる訳にはいかない。
 わかる。わかるよ、色んなことが。
 許せない。
 だから許せないことが沢山ある。
 
 恨んでなんかいる暇は無い。
 復讐してやる。
 絶対に、うち負かしてやる。
 ぎゃふんと、言わせてやる。
 
 許せない。
 
 
 
 ◆
 
 瑞生は、柔道が大好きです。
 誰から強制されている訳でも無く、誰かのためにでも無く、ただ柔道着に袖を通したときに感じるのは、
 そのゆっくりともたげてくる興奮だけ。
 楽しくて、楽しくて、仕方がない。
 いってきまーす!
 今日も元気に、楽しく道場に瑞生は通います。
 親友の久佐子も一緒に柔道をやり始め、嬉しいことこの上無い。
 久佐子は全くの初心者だし強くも無いけれど、でも友達が一緒に入って一緒にやれるということが、
 瑞生は嬉しくて仕方が無いのです。
 一緒に頑張ろうね、久佐子ちゃん♪
 それは馴れ合いというものでは無く、かつ戦友としての友達へのかけ声でも無い、ただの瑞生の素直な
 気持ち。
 久佐子がいなくても瑞生は頑張れるし楽しめるけれど、久佐子がいるならそれはそれでその分だけ
 頑張れるし、また楽しめる。
 あ〜! なんかまたひとつ楽しくなってきたぁ!
 瑞生の流す汗が、豊かに日常を染めていくのがみえるのでした。
 
 瑞生の通う道場には、ちょっと変わった人が通っています。
 合田さん。
 しょっちゅう遅刻したりサボったり、でも噂では(といっても新入りの瑞生達が知らないだけで、事実)とて
 も強いというその合田さんのことが、瑞生は少しだけ気になっています。
 まず真っ先に、瑞生は久佐子のことをみています。
 たぶん、こうして毎日ちゃんと練習に来てる久佐子ちゃんや私みたいな人からしたら、合田さんみたいな
 人は、鼻持ちならない人にみえちゃうんだろうなぁ。
 練習にちゃんとこないのに強いなんて。
 嫉妬もあるであろうけれども、しかしそれを隠蔽するためにこそ、毎日ちゃんと練習に来ている自分を
 良く受け入れ、そしてそうでは無いサボっている合田のことを責めることもある。
 私達はちゃんとやってるのにな、合田さんもちゃんとやらなくちゃいけないにね、って久佐子ちゃんなら
 思いそうだけど・・・
 
 『でも私は、合田さんが本気で戦うところを一度も観たことが無い。』
 
 瑞生は久佐子の合田の見方に理解を示しつつも、しかしそれ以前に瑞生自身は合田がどうこうとか
 は関係無くに、自分が既に充分楽しめているので、そういう見方はしないなということを自覚しています。
 それよりも、合田さんが強いなら、それを見てみたいな。
 練習を見てもまるで気合いが入っていないその合田の姿を見ると、瑞生はますます気になります。
 この人なにを考えながら組んでるんだろう、ほんとに強いのかな、でも全然真面目に練習しているよう
 にみえないし、うーん・・
 瑞生にとっては、その合田の姿は嫉妬である以前に、興味の対象になっていたのでした。
 
 しかし。
 瑞生は、昇級試験を受けるときに、衝撃的な体験をしてしまうのです。
 試験の内容は、五人一組になっての総当たり戦で、二勝した者は無条件に合格で、二勝未満の
 者は試合の内容で判断する、というものです。
 瑞生は、もの凄く、もの凄く、この試験を楽しみにしていました。
 合田への嫉妬に駆られることも無く、久佐子への気遣いなどに疲れることも無く、如何なる障害も無く
 、またすべての障害を廃して、なによりも今まで柔道を楽しんでこれた瑞生。
 だったら、やっぱり挑戦しなくちゃだよね、上の帯の色をさ。私の場合、緑帯だね。
 瑞生にとっては、合田とは、普段ちゃんと練習しなくとも強いという、そういう天才であり、一歩の距離を
 置いて、少しの尊敬すら込めて見ることの出来る相手でした。
 ところが、なんとこの五人一組の組み合わせに、合田と共に瑞生は入ってしまうのです。
 途端に、瑞生の視野が狭まります。
 合田の存在の脅威が、実感として迫ってきます。
 ましてや瑞生は、未だ合田の本気を観たことが無い。
 不安は増大し、しかしその不安の中身は決してその向かうところを見つけられずに、とんでもないものを
 呼び込んでしまいます。
 『あんたみたいな白帯がいるから迷惑するんだよ。』
 合田は、その実力に見合わず、未だ瑞生と同じ白帯です。
 『今日に限ってちゃんと来てるね、合田さん。』
 瑞生の心に、どんどんとひび割れがはしっていきます。
 合田は実力的にいって、もっと上の級にいるべき人です。
 しかし試験のたびにサボっていたために、実力に見合わぬ帯を締めている。
 それは、必死に練習して上の帯を目指す瑞生にとっては、とてもとても切実な問題でした。
 いざ試験でそんな実力者と同じ組になってしまえば、もはや他人事では無いのです。
 合田がサボろうとなにしようと、瑞生にとってはそれはなんの関係も無く、ただ冷静に観察できる対象で
 あったものが、昇段を目の前にすると、途端に憎むべき相手へと変わってしまう。
 合田さんなんて、ロクに練習してないのに、試験だっていつもサボってるのに、よりによって私の試験のと
 きにくるなんて・・・っ
 
 果たして、合田が真面目に練習に来ている人だったら、瑞生はこのように思ったでしょうか?
 
 さらに運悪く、瑞生の組には合田以外にも実力者が揃い、瑞生はかろうじて1勝するのが精一杯。
 合田さんはと見れば、余裕の2勝。どうみても、噂通りの実力者。
 そして瑞生は最後の合田に勝たなければ、自力で昇級することは出来ない。
 瑞生は一旦、頭の中から合田を消します。
 『私が負けるって決めつけるな。』
 私は私。
 合田さんがどういう人かなんて関係無いじゃん。
 そりゃ、私は1勝1敗1分けで、次の合田さんに勝たなくちゃいけない。
 それまでの3試合、私は合田さんを意識してて、でもそれが試合内容に影響とかはしなくて、精一杯
 やれたんだけど、でも頭の中には合田さんがいて・・・合田さんがいて・・・・・・
 なんだか、ずっとみられてるような気がして・・・・
 瑞生は、なんの文句も無いほどに、精一杯戦いましたし、この成績もこのメンバーからすれば上出来の
 部類です。
 合田さんのことが気になって実力が出せなかったとか、合田さんのことがあるからそれを意識して頑張れ
 たとか、そういったことも皆無でした。
 でも・・合田さんが・・・いる・・
 
 そういう私の頑張りは、全部合田さんの掌の上でのもののように、感じちゃうんだ・・
 
 もし頑張れていなかったら、もしそれなりの成績が出せてなかったら、きっと私は合田さんのせいにしてた。
 だから、私が頑張れて、それなりの成績を出せたのは、それが出来ない理由を合田さんに求めたくなか
 ったからなんだ。
 じゃあ結局、合田さんがいたから・・私は・・・・
 合田さんを意識していない、という文脈それ自体が、合田さんの存在を前提としているのです。
 なんか・・・すっきりしない・・
 なんか・・・・・楽しくない・・・・・
 私はこんなことがしたいんじゃ・・・
 瑞生はこのとき既に、主体性を失っていたのでした。
 なんのために昇級試験を受けているのか、という根本の問いに対し、出す答えはすべて柔道が楽しいか
 ら、であったのにも関わらず、いつのまにか緑帯を絶対に取りたいから、という答えに変わってしまっていた
 のです。
 あれ・・・あれ・・・・・・あれ・・・?
 なんだかわからなくなってしまっているのに、手探りで伸ばした手が掴んだ、その「緑帯」の資格を取る
 ということのみで一杯になってしまう瑞生。
 そんな瑞生に、合田は八百長を持ちかけます。
 もう自分は昇級が決まったから、最後のあんたとの試合は負けてやろうか?と。
 一瞬、大激震が瑞生の中に奔ります。
 おかしいな、笑って断るところなのに・・私はなんで・・こんなに暗い顔して・・・
 最終的に瑞生はそれを断るのですけれど、しかし、明らかに自分がそれを後悔しているのを感じてしま
 う瑞生。
 合田に真っ向からぶつかっていって勝てないのは明白、しかし今はもうなんだかなにもかもわからなくなっ
 て、ただただ昇級しなくちゃいけない勝たなくちゃいけないってことで頭が一杯で、だから瑞生は合田の
 言葉を真剣に考えずにはいられないのです。
 ああ、ますます私、合田さんで一杯になっちゃう。
 断るのは当然だから、そうしなくちゃならない。
 でももう、断ることが、そうしなくちゃいけないからそうする、ということ以外に捕らえられなかったんだ。
 『いいです・・・』
 だから・・
 
 『これで負けたって後悔しない。 だって勝つならちゃんと勝ちたいし。』
 
 しかし瑞生の頭には、完全に合田が八百長するかもしれないということが頭に入ってしまっています。
 そしてそれを激しく意識するからこそ、瑞生は敢えて、それを踏み潰す。
 私は正々堂々とやるんだ。
 私がちゃんとやれば、私がなんにも考えずに懸命に戦えば、まっすぐ戦えば・・・
 それで勝ったんなら、それは勝ちなんだ!
 合田さんが八百長しようと、勝てば、いいんだ!
 
 
 『それに、あんたも押さえ込みを解かなかったじゃない? なんでかしら?』
 
 
 瑞生は合田がどういう姿勢であろうとも、全力で一心不乱に戦った。
 合田のやる気の無さを感じながら。
 瑞生はチャンスとみるや、合田のやる気に関わらず押さえ込み、そして正々堂々と勝った。
 合田がほとんど押さえ込まれても抵抗しなかったのを感じながら。
 正々堂々と戦ったんだからいいじゃないの!
 私はこの大事な勝負を汚したくないの。
 合田さんがどうするかまでは私にはどうしようも無いから、その分だからこそ私だけでも正々堂々と、
 そして全力を出して戦って、それで勝ったんだもん、私は・・・自分を誇りに・・・・・・誇りに・・・・・・・・
 柔道初心者に近い久佐子は当然八百長など見抜けず、ただ嬉しそうに瑞生の勝利を祝います。
 しかし当然、先輩方は見抜いているので、合田が手を抜いたからこその勝利だと言います。
 
 どうしよう
 
 合田は試合後、これまた当然そのことでコーチに叱られ、試合も無効となりますが、しかしそれまでの
 試合内容が良かったと判断され、瑞生は緑帯を貰うことが出来ました。
 『なによ、勝ちは勝ちじゃないの。』
 久佐子の言葉が、瑞生の胸を抉ります。
 瑞生自身こそがその言葉を叫びたいのに、それを叫べばどうなるかを、久佐子が変わりにやってくれた。
 どうしよう・・どうしよう・・・・
 私・・大変なことしちゃった・・・・
 それは、なにより恐ろしい言葉。
 限りなく、大きな傷。
 テオイモノ。
 瑞生が負ったその傷が、瑞生の主体となっていきます。
 昇級試験が始まってから感じてた合田の気配に囚われているのを感じていながら、しかしそれでも頑張
 って誰憚ること無く真っ当に得たそこそこの成績こそ、今回の昇級試験で瑞生が唯一得たものでした。
 合田にこてんぱんに負けて、そしてそれでも他の試合での内容を評価されての昇級ならば、自分の
 未熟さを受け入れ、しかしだからこそさらに頑張ろうと思えたはず。
 目先の勝ちに拘らなければ、きっとそうして次に繋げるための負け、そしてその負けた分の負債としての、
 その内容が良かったという「お情け」的な恥を甘んじて受けることも出来たはず。
 すべては、次のために。
 だからこそ、今が輝くはずだったんだ。
 なのに私・・・・
 
 お姉ちゃんに、秘密にしてたんだ・・・昇級試験があることを・・
 緑帯を取ってから、それをお姉ちゃんにみせてあげようと思ってたのに・・・
 それは、瑞生にとっては恐ろし過ぎるほどの、自己責任。
 だから、瑞生は。
 合田の、せいにした。
 悔しい・・・・
 悔しい・・・・・・・
 悔しい・・・・・・・・・・っっっっっっ!!!!
 
 瑞生は緑帯を締めることが出来ません。
 合田に負けて貰ったという、そしてそれをぬけぬけと奪い取った自分を認めるのが嫌で、瑞生は理由を
 つけて緑帯をすることを拒否したのです。
 こんなもの、いらない。
 ううん・・・つけるわけには・・・いかない
 『合田さんが昇級試験のあとも、相変わらず、遅れたり休んだりしている。』
 
 私は・・・・まだ・・・そんな合田さんの姿を憎むことが・・・出来ないんだ・・・
 
 合田のせいにしようとするたびに、全くそれが出来ない自分に気づくだけの瑞生。
 あんなまともに練習もしないような人に勝ちを恵んで貰うなんて、という言葉すら綴れ無い瑞生。
 どうしろって、いうのよ!
 あの試験のときは、あんなに・・・あんなに・・・・っ
 どっぷりと、日常が瑞生を染めていきます。
 もう、瑞生は勝ちを恵んで貰い、それを受け入れて頑張っていくしかないという、その日常だけが
 そのまま押し付けられ続いていくのです。
 それが、許せない。
 なんか違う・・・だって、絶対なんかおかしいもん!!!
 そう。
 
 
 『大体、なんであの人がいい事したっぽくなってる訳!?』
 
 
 それが、悔しくて堪らない。
 瑞生が憎いのは、合田では無い。
 合田を肯定する、道場の人達の空気そのものを、なによりも憎んだのです。
 そうだ・・あの人は練習サボってるのにとか、そういうチャチな理由じゃ駄目なんだ・・・
 もっとみんなの目を覚まさせるような・・ううん・・・問題は手段じゃ無いんだ・・・
 道場の人達は、瑞生がなにに憤激しているのかをわかっていません。
 あまりにも単純な精神論で合田との件を片づけてしまって、それで良しとしてしまっています。
 強引にそれに合わせることも瑞生には可能でしょうけれども、しかし、瑞生が背負っていた、その昇級
 試験に賭けていたおもいは、それでよしとするにはあまりにも重すぎたのです。
 『仕返ししてやる・・・・・強くなって・・・みんなに仕返ししてやるんだ・・・』
 瑞生にとっては、合田の行為は許せないものですし、またそれを解決せずにただ瑞生個人がそれでどう
 するかという事ばかりを論じられ、結局問題解決しないままに日常を続けさせられることが我慢ならない
 のです。
 勝ちは勝ちってね、気持ち切り替えろとかね、そういうことじゃ無いでしょう!!
 悔しくて悔しくて堪らない瑞生。
 だから、強くならなくちゃ。
 道場の空気を変えるために、奪われた私のおもいのために。
 
 既に、柔道が楽しいとか楽しくないとかいうものでは無く、ただの復讐の道具になってしまっています。
 
 なんのために勝つのか。
 なんのために強くなるのか。
 目的を持った勝利や強さには、魔が舞い降ります。
 楽しいから勝とうとするのであり、楽しいから気づいたら強くなっている。
 お祖父ちゃんは、瑞生を見抜きます。
 『手負いは、加減を知らんからな。』
 加減を知らんから、どこまでもいく。
 どこまでもいくから、自分がどこにいるのかがわからなくなる。
 どこまでもいくことが目的になり、どこまでもどこまでもぶちのめしたくなる。
 もっと、もっと、もっと。
 その先に待っているのは、少なくともお前じゃ無い。
 『生殺しの目にでもあったようだな。』
 一見、瑞生は前向きにひたむきに頑張って、とても健康的にみえますが、しかし逆にいえばそれは
 ひたむきなだけの、なにもみえてはいない、なにも見る気の無い、すべてを無視することが目的の、
 そんな暴走でもあるのです。
 瑞生は馬鹿みたいに強くなることに命を賭け、しかしそれはどんどんと柔道とは逸脱し、なにか相手を
 打ち倒す膨大な力の顕れとしての、その暴力の暴発としての暴走だけになっていきます。
 『熱心なのはいいけど、あれじゃ練習になってないよ。』
 少なくとも、楽しんでやっとらんだろ。
 相手をぶっ倒すことという結果しか考えて無く、どうやって相手を倒してやろうかという考えは無いだろ。
 『馬鹿みたいに体ぶつけて、上手くなれると思ってんの?』
 そして瑞生は、ついには練習で組んだ相手に怪我をさせてしまいます。
 しかし瑞生は相手がちゃんと受け身を取らなかったからだという理由を必死に呟きながら、その目には
 倒すべき合田の姿しか映そうとはしないのです。
 
 そして、念願の合田とのリターンマッチ。
 合田は試合開始と同時に、延々と瑞生に語りかけてきます。
 『なんで、私が恨まれるのかねぇ。』
 合田に取っては、瑞生に実力が無かったのが悪いだけ。
 しかし瑞生にとっては、合田が実力に見合った試合をしなかったことが問題なだけ。
 そして。
 
 瑞生は既にこのとき、理解していたのです。
 どっちの理屈も、本質では無いということを。
 
 だって私は・・・・私はただ・・・・
 柔道を楽しくやりたかっただけなんだもん!
 瑞生にとっては、そもそも昇級試験の結果なんて、どうでも良かったはずのものです。
 なにしろ、ただ柔道やっているだけで楽しかったのですから、別に嫌なおもいして昇級試験に囚われる
 必要性など無かったのです。
 だからいつでも瑞生には、主体性があったはずなのです。
 柔道を、昇級試験を、それを楽しむにはどうしたらいいだろう、と。
 それなのに、瑞生は色気を出して、柔道を型にはまめて、さらには自分をもその中に放り込んでしま
 ったのです。
 私にはそれすらも出来るんだよ、だから昇級試験もみんなのやり方で受けてみようかなって。
 その余裕が、瑞生の足をすくい、そして予想だにしなかった傷を瑞生に負わせたのでした。
 本質は、そこにあります。
 悔しい!
 だから、勝つ。
 勝たなくちゃ。
 勝つ、勝つ、勝つ!
 
 
 
 
 だ か ら 、 柔 道 し ろ っ て ん だ !  ←瑞生を豪快にぶん投げる合田
 
 
 
 
 良い悪いでいえば、合田は最低なことをしました。
 個人的にいくら瑞生に興味があり、だからこそ試したのだとはいえ、そんな理由のために不名誉なおもい
 をさせられ、あまつさえそれを前向きに受け取り昇華することこそ正しい、などと思わされる瑞生の無念
 さは当然です。何様だよ、って話です。
 ですから、その合田の理不尽をそのまま流して認めてしまう道場の空気に瑞生が抗議すること自体は、
 決して間違ってはいませんし、ああいった中途半端な形で無理矢理納得させようとするコーチら指導陣
 のやり方は不甲斐無いと思います。
 やはりその辺りのことは、ちゃんと理を尽くして解決すべき問題であり、そうしなければ恨みが残るのは、
 それはある意味で当然なのです。
 それは、その恨みを自ら克服すべきかどうかとは、全く別問題。
 恨みが発生した以上、それは克服しなくてはいけませんが、だからといって恨みを発生させたことを肯定
 するのは、それこそ筋違い。
 しかし。
 だからこそ。
 瑞生は、自らの本質をこそ、最も強くみつめるべきだったのでしょう。
 
 それで自分が柔道楽しめなくなってりゃ、元も子も無いだろ。
 
 
 『私は・・・・・・弱い』
 
 
 うん・・・
 私は・・・合田さんに嘗められて遊ばれるほどに・・・・弱い・・
 でも私は・・強いとか弱いとかじゃなく・・ただ柔道が好きで・・・・
 だから、本気でやって欲しかったんだ。
 私にとっては、柔道は本気で打ち込むものだもん。
 日々の楽しみとして、いつまでも続けていくものだもん。
 勝ち負けそのものに拘ってないから、だから一回一回の試合の真剣勝負に拘るんだ。
 その勝負のために練習したりすることなんて、無い。
 私のする練習は、試合のためのものじゃ無いもん。
 試合に負けないようにするための、そういったものじゃ無いもん。
 練習だって、全然楽しいし、ひとつひとつ楽しいから、私は柔道を楽しんでるだけだもん。
 だから、試合は全部、本気なんだ。
 試合になったら、すっと全部忘れて、ただ全力で、試合だけに集中して。
 今まで練習してたことなんていちいち思い出したりしない、ただ今まで楽しんだ分だけ、私の体が素直に
 動くだけ。
 だから、真剣勝負。
 それなのに、試合を練習みたいな風にして、そりゃ格上だもん、上から目線なのはいいし、負ければ
 それなりに学ぶものはあるけれど、でも学ぶことが目的で試合なんか、誰がするもんか。
 学ぶことは学ぶこと、試合は試合、本気でやって欲しいよ!
 
 
 でもなんか、合田さんに投げ飛ばされて、すっと、なにかがわかった気がした。
 
 
 関係、無かったんだ、そんなの。
 相手がどうだろうと関係無い。
 そう、あのとき私は、合田さんがわざと押さえ込まれても抵抗しなかったときに、がばっと跳ね起きて、
 コーチに合田さんが本気を出していないことを言えば良かったんだ。
 私が、合田さんの土俵で相撲を取る必要なんて、よくよく考えれば無かったんだ。
 私は、知らず知らずのうちに、ムキになっていた。
 合田さんに勝たせて貰ったことを、それを甘んじて受け取れ、お前はまだそうされるのが当然なんだ、
 という道場のみんなの声に反撥するばかりで、結局、あの試合を最後までやること自体は認めてしまっ
 ていたんだ。
 なんだかんだ言って、私は結局みんなと同じ土俵でやってたんだ。
 私がするべきは、その土俵での戦いな訳が無かった。
 私がするべきは、自分の土俵での戦いそのものだったんだ。
 
 そして。
 私がすべきは、戦いでは無く。
 柔道、だったんだ。
 
 本気でやるとかやらないとか、それすらも瑞生には関係が無いもの。
 『練習なんて、やりたいときにみっちりやればいいんだ。』
 合田のこの台詞こそが、最も瑞生に近しい言葉でもあったのです。
 自由に、やればいい。
 やりたいように、ただ柔道なるままに。
 瑞生は昇級試験の前日に、それに合わせて自分で柔道着を洗い干していました。
 静流には秘密にしておきたいからだったのですけれど、ずぼらな瑞生のやることですから、ろくに絞らずに
 水が垂れている状態で干したりと、むしろ次の日にまで乾かない状態なのでした。
 でも私がやることに意味があったんだもん・・・・・・・・
 
 今思えば。
 そうすれば、負けたときの理由に出来るから、だったのかなぁ。
 
 合田は、瑞生に膝をつかせられた事にぶちっときて、本気の投げを見舞ったのです。
 合田に一矢報いたという、その瑞生のしてやったりなおもいは、その一撃で完膚無きまでに粉砕された
 のです。
 それは、自分の報いた一矢などまだへろへろの弱い矢だった、だからもっと一矢を報いれるように、
 つまり、もっともっと強大な力を手に入れて復讐しようと、そういうものではありませんでした。
 粉砕されたのは、その一矢報いようとする、そのひたむきさそのもの。
 そしてなによりも、合田という巨大な柔道家と向き合えなかった、その自分の姿そのものこそが、がっちり
 と破壊されたのです。
 そしてその破れた自分の姿の向こうにちらりとみえた、その合田の強さに照らされて、此処に弱い自分
 の姿を確かに確認したのです。
 誰の土俵とか関係無い、そんなの関係無しに、私は合田さんより圧倒的に弱かったんだ。
 私は、それが知りたかったんだ。
 私は。
 そう。
 
 
 私は、合田さんっていう凄い柔道家に投げ飛ばされる、そんな楽しい柔道をやりたかったんだ!
 
 
 昇級試験も、たぶん関係無い。
 ずっとずっと昇級試験のときに合田が気になっていたのは、すべてそこに起因するものだったのです。
 合田に手加減されようとされなかろうと、ただ強い合田と試合が出来る。
 昇級のための勝利では無く、ただ楽しい柔道の試合に勝つ、ただそれだけだったのです。
 『私は・・・・私はまだ・・白帯です・・』
 この間のは、無しだよ、やっぱり。
 だって、私らしく無かったもん。
 自分の一番納得いく形にしたいもん。
 そうでなくちゃ、私が此処にいる意味無いもん。
 『私は・・・・弱い・・』
 清々しく投げ飛ばされた、弱っこい私が此処にいる。
 嬉しいな、やっぱり。
 柔道が、出来て。
 柔道が、したい。
 柔道を、ずっとずっと、やってたいな。
 柔道って、やっぱり難しい。
 
 
 『勝負事って、ほんとに難しい。
  それって経験すればするほど、どんなに難しいことかわかってくるみたい。』
 
 
 だって。
 柔道は、ひとりだけじゃ出来ないんだもんね♪
 
 だから。
 
 
 『よーっし!
  明日は、今日よりもーっと強くなるぞ!』
 
 
 明日があるからこそ、今日も楽しく柔道が出来るのですね。
 頑張ることも、生きることも、勝つことも。
 明日があるからこそ、勝負出来る。
 そっか、だから強い人は手加減するんだね。
 よーし、明日こそは本気出させてやるぞぉ!
 そのためには、今日も目一杯柔道やろうっと。
 今日を楽しんだ分だけ、明日もきっと楽しくなる。
 明日が、あるから。
 
 
 
 
 
 以上、第二十一話「テオイモノ」の感想でした。
 すみません。
 今回は、申し訳御座いません。
 途中で、自分の書きたいことがわからなくなってしまいました。
 別に混乱をきたして収拾がつかなくなった、という訳ではありません。
 私の場合、大概の場合ひとつふたつのインスピレーションを元にして、そこから書き始め、そして書き
 進めるごとに考え、そして考え書くことで湧いてくる様々なインスピレーションをまとめたり散らしたりする
 方式をとっています。
 しかし今回は、書き進めながら、なかなか初めに得ていたインスピレーション以上のものを得ることが
 出来なく、結果そのまま終わってしまいました。
 たぶん、集中力が足りなかったのと、なにより時間が無かったのがその大きな原因だと思います。
 私は可能な限り更新のスケジュール通りにUpしていきたいので、一から書き直すよりもそのままの
 形でUpすることを優先致しました。
 未完成なものを完成形の飾り付けをして済ませた形です。
 申し訳御座いません。
 
 と、書いた途端に、スケジュール通りにこなすことばかりに拘るのもどうかと思い直したので(笑)、
 次回はなんとしてもしっかりしたものを仕上げようと思っています。
 頑張りますよ!
 
 それでは、本日は失礼致しました。
 また、来週。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
                                 ◆ 『』内文章、アニメ「もっけ」より引用 ◆
 
 
 
 

 

Back