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◆◆◆ -- 2008年5月のお話 -- ◆◆◆

 

-- 080530--                    

 

         

                             ■■ ミズに流すのはやめて ■■

     
 
 
 
 
 『ワタヌキ。そもそもどうして館の中に入ろうなんて思ったの?』
 

                           〜xxxHOLiC◆継 ・第七話・侑子の言葉より〜

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 〜 ホリック感想ノート 或いはメモ的ななにか 〜
 
 
 
 正直言って、よくわからない。
 メインのポイントがどこにあるのかをいつもは探るし、またそこから他のポイントを次々と導き出して、
 それを紡ぎ上げることでひとつの形を作るのだけれど、今回はその肝心のメインのポイントが見つから
 なかった。
 雑然としている訳では無く、ひとつの物語としては、確かにちゃんとまとまっているのに、どれほど考え
 ながら観ても、だからなに?、という言葉しか言えず難儀している。
 ひまわりの正体が第二期になってきてから、少しずつ明らかになってきてはいるけれど、しかしそれもポイ
 ントのひとつにしか過ぎず、メインにはなり得ない。
 水を汲む、という行為自体に意味があり水自体にはそれは無い、という辺りもまた同じ。
 井戸の底に落ちた子猫の遺骸を回収するために、水嫌いな猫娘は侑子に依頼しワタヌキが実行役
 を担ったのだけれど、それが話のメインであることはわかっても、それ自体になんらかの意味を見つける
 ことは出来なかった。
 単純に、猫娘は当初とある屋敷の井戸の水を汲んできて欲しいという依頼の、それがなぜかということ
 の謎解きが静かになされて、その先に子猫の遺骸の回収というシーンがあるだけ。
 
 しかし、作品としては、その「メインの話」自体がメインな訳では無く、あくまでその単純明快な依頼の
 遂行に、他のものが外的に絡んでくること、ただそれ自体を含めたその「メインの話」こそがメインだった。
 人様の敷地に不法侵入し、勝手に井戸の水を汲み上げることに不安を感じるワタヌキを、その家の
 住人であろう女性が部屋から見つめている。
 いや、正確に言えば、その女性はただ窓辺にて座っているだけで、ワタヌキ的には自分達のことは気付
 かれていないと思っていた。
 
 しかし、その意味がよくわからない。
 
 あの位置あの角度からして、気付かれていないことなど絶対にあり得ないことであるのは、ワタヌキに
 だってわからないはずは無い。
 なのにその女性がぴくりとも反応しないのを見て、気付かれていない大丈夫だ、として水汲みを強行
 し、そして描写的にそれに不自然さが無いということに、なにかポイントがあるのだろうか。
 ワタヌキは、その女性に気付いたときに寒気を感じた。
 そしてそのときに、ワタヌキはもしかしたらその女性はアヤカシなのでは無いかと疑う。
 そのアヤカシと思ったこと自体が、既に「アヤカシ」なのかもしれない。
 明らかに見られているはずなのに、仕事を優先し、見られていないこととして進める違和感。
 女性の姿は、きっと嫌々不法侵入してまで水汲みをやっているという、その俺の意識が見せているのか
 もしれないと、ワタヌキは考えたのかもしれない。
 そして、なにより、そこまでして、そんな下手な思い込みをしてまでこの仕事をやるべきなのだろうか、
 いや無い、とワタヌキは思っている。
 不法侵入はいけないことだ、しかし仕事はしなくちゃいけない。
 結局はなんだかんだで仕事を実行し続けるためにこそ、色々なことをする。(百目鬼に手伝わせる等)
 気のせいだな。
 結局は、それ。
 そしてなんと、最後にネタばらし的に、その女性は死体だったということが判明する。
 それが、ワタヌキが感じた寒気の正体だったのか? 
 その疑問を誰もが抱くはずであろうに、この作品はまさにそれこそが正体だったのだとあっさりと片づけて
 しまう。
 そう、重要なのは、それでも圧倒的に、誰もがそれに違和感を持つこと。
 どう見ても、あのワタヌキの寒気の真の正体は別にあり、それは明確にあっさりと隠蔽されている。
 
 しかし、その正体がどうしてもわからない。
 何度見返しても考え直しても、わからない。
 
 水汲みの話と、死体の話は明らかになんの関係も無く描かれていながら、しかしそれがきっちりと同じ
 場に提出されていることで、明らかにそのふたつの存在が接し影響を及ぼし合い、なんらかの縁が結ば
 れているのがわかるのに、だ。
 そのふたつを繋ぐのは、あのひまわりの件だけなのだろうか。
 無理はしないでねと、笑顔でワタヌキが結んだひまわりとの指切りが禍々しいものとして描かれたが、
 あれは一体どういうことなのだろうか。
 「無理はしない」、というワードはとかく「隠蔽」と結びつく。
 住人の視線を感じながら、敢えて気付かれていないとして仕事を強行したのはそっちの方がラクであり、
 逆に気付かれていたとしたら厄介であり、それをも背負うことは「無理をする」ということになる。
 その辺りはやはり、その女性の「正体」の変遷によく表れていると思う。
 普通の住人からアヤカシへ、そして百目鬼にもちゃんと見える普通の住人に、そして、死体。
 言い換えれば、自分を見つめる者から見つめていない者、そして見つめる者に、そして、見つめない者。
 そうか。
 
 無理をしているときとしていないときの、それぞれのワタヌキが接しているモノを描いているのか。
 
 ひまわりはおそらく、不幸を呼ぶ少女なのだろう。
 性格的に考えて、超ネガティブでそれが徹底しているゆえに良く笑う、つまり逃避と隠蔽のスペシャリスト
 なのだろう。
 そしてワタヌキはアヤカシに憑かれやすい敏感青年であり、もう既にひまわりの正体にも無意識のうち
 に勘づいているからこそ、そのひまわりとの「無理をしない」という約束が絶大な威力を発揮してしまうの
 だろう。
 雨童達あちらの世界の住人がひまわりを怖れるのは、おそらくその不幸の振りまきにあり、そして
 ワタヌキは逆にそういうものの影響を非常に受けるタイプであり、ゆえに侑子はひまわりがワタヌキの幸運
 の星であるとは限らないと言ったのだろう。
 そして、だ。
 そのひまわりと交わらせた小指のせいで、ワタヌキは水瓶を包んでいた風呂敷を風に飛ばされ、あろう
 ことか、それは女性のいる部屋に着地してしまう。
 その風呂敷は侑子のもので、侑子が持たせたのだから意味があるのだろうという言葉を恃みに、これ
 またあろうことか、ワタヌキは盗人猛々しいにもほどがあるほどに、風呂敷を回収するために館に勝手
 に入ってしまう。
 勿論、窓辺にははっきりと女性の姿が映っているのにだ。
 風呂敷が今目下にいる侵入者達の元から離れ自分のいる此処に舞い込んできたのだ、気づかない
 はずは無いのはワタヌキにも明白なはずであり、にも関わらずワタヌキは風呂敷を回収する理由を
 そこには一切求めずに、ただただその風呂敷自体が大事なものかどうかを論じるだけだったのだ。
 明らかに、色々とおかしい。おかし過ぎる。
 この作品が隠しているもの、つまり見抜いて貰うべきものとして設定したのは、一体なんなのか。
 もしかしたら、この作品お得意の、そうして明らかになにかを隠しそれを見抜くことに観る者を専念させ
 ておいて、あっさりとなにも隠してはいないところに一番大事なものを晒す、という技法なのだろうか。
 そう言われれば全くその通りで、げんにこの作品をぱーっと観るだけで、なにかがなんとなくわかるのは
 確かなのだ。
 だがそれを言語化することは出来ず、またそれ以前にそれは言語化した瞬間に、そのわかったことの
 価値を無効化してしまう気がする。
 感覚、と言う言葉だけだろうか、言って意味があるのは。
 体感的にワタヌキと同じ立場に立って、一人称的にずらずらと書き出すことは可能。
 なんとなく、わかるからだ。
 しかし、それでは明らかになにかが足りないということがわかり、またワタヌキとしてなにか書くことにした
 場合、「わからない」という言葉が一番強いものにしかなれない。
 その「わからない」という言葉は、「わかる」ということとイコールなのだから。
 
 考えても、いっこうに見えてこない。
 わからない、いっこうにわからない。
 けれど、わからないと呟くたびに、わかっていることがわかってくる。
 わからないなにをやってるのかわからないとぐちぐちと言いながら水を汲むワタヌキだけれども、その水
 自体になんの価値があるのかわからない、という疑問だった当初と比べて、いつのまにかそうして明らか
 に自分の水汲み行為自体の意味を考えていることにワタヌキは気付いてはおらず、けれどこれまた
 明らかに、ワタヌキの意識は井戸の底に向かっている。
 井戸の底になにかを感じているということは、水自体では無く水を汲み出して井戸の底を明らかにする
 ことに意味があるということを認識しているがゆえのことだ。
 しかし、自分の不安感的な罪悪感の根源に迫っていき、その果てに顕れたのが死体であり、その死体
 を見てしまったという寝覚めの悪さにその不安感的な罪悪感の正体を視ることに、最大級の違和感を
 感じるを禁じ得ないワタヌキがいる。
 確かに死体を視たこと自体が莫大な影響は与えているし、だから死体を視てその死体の存在を感じて
 いたからこそ寒気を感じていたのだというのは、文法的言葉的には間違っていない。
 けれど、その内実は多いに違っている。まさに同音異義なのだ。
 水を汲み続けたのは、井戸の底になにがいるかを見極めるためにやっていたことになるのだが、ワタヌキ
 自身はそういうつもりでやっていた訳では無い。
 ワタヌキにとっては、その水自体に意味や価値があると仮定しての水汲みであり、ゆえに最後に子猫の
 死骸を井戸の底から回収して、その水汲みの意味を解したところで、その水自体の意味や価値が
 不明であることは明白であり、また子猫回収が目的だったのであるからそもそも水自体には価値が無い
 と言われてしまえば、もはやその水の意味や価値を問うことは出来なくなってしまうのだ。
 それが、今回の隠蔽のやり方なのだろうか。
 その水こそが、隠された今回のお話の本質なのだろうか。
 そう、侑子もこう言っていた。
 
 『あの子猫がちゃんと成仏するまで、
 そのおもいが溶け出した水をこの世に流してしまう訳にはいかないの。』
 
 水こそ本質。
 言い換えれば、答えに辿り着き、辿り着いた答えだけが重要な訳では無く、その答えに辿り着くまで
 の手順そのもの、そこで感じたすべての実感や思考そのものもまた、とても大切なものであり、それを
 文字通りに水に流してしまってはいけないということか。
 そして、答えだけを取り出し、その答えにすべてを仮託することで、それ以外のものを見つめずに盲進
 するということで隠蔽されたそれらのものの、それの実在そのものをその隠蔽している自分を見つめる
 ことで感じよということか。
 体感ポイントは沢山ある。
 今回は雑然としている感じは無く、沢山あるポイントをひとつひとつ繋げばなんとなくのラインを見つける
 ことは出来る。
 けれどそれはまがい物であり、或いはまがい物では無くとも、ひとつのラインにしか過ぎ無いという意味で
 まがい物。
 死体の話にて、『今の人は死んで腐って土に還ることさえ容易では無いのよ。』ということに深く感じる
 ワタヌキにせよ、それは無数にある体感ポイントのうちにしか過ぎず、それをメインに据えて構成した
 「物語」的ななにかは、明らかにワタヌキが自身を捕捉するには足りないということをかえって月の下に
 照らし出していく。
 無常観なるものの果てには実は恐ろしい不変の永遠があるという絶対の恐怖に染まることは、確かに
 重大なことであり、それまた確かにひとつの「物語」たり得る。
 しかし、逆にいえばそれは「物語」にしか過ぎず、そしてワタヌキとはその「物語」を使いなにかをやっている
 実存する存在であるということをはっきりと顕すことになるのだ。
 ワタヌキは自らがその小さな「物語」或いは「自分」こそが、そうしてその「物語」或いは「自分」に自ら
 が強引に収束しようとすることで、それもまたその「物語」或いは「自分」に執着しなにかを隠蔽しよう
 としている、その「水(本質)」としての自らの姿を見落としているし、またそれがひとつの大きな枠を
 持った隠蔽になっているのだろう。
 水に還る必要は無いが、水に流すことも無い。
 水にどれだけの影響を受け、またその影響が自分にとってどういうものかを見つめなければ、その水の
 存在が隠された分だけ世界とズレていくのだろう。
 無論、そのズレを計算することが出来れば、隠し隠されることを怖れることも無く、それも利用出来る
 ものへとなる。
 そして今回の場合、ひまわりの邪気(?)というものに姿を変えた、「ワタヌキが感じているひまわりの本
 質を隠している」ということそのものが、ワタヌキの行動に介入し影響を与え、無意識のうちにワタヌキを
 答えだけに釘付けにしてそれまでの道程を無視させるというラインに引き込んだのだろう。
 
 そしてワタヌキは、ひまわりと指切りする、その前からそうだった。
 
 ワタヌキとひまわりは、根本的に非常に似ている。
 しかしワタヌキの場合は、ズレが生じるとそのたびにアヤカシというものをそのズレが生じるということを認識
 しているという、その意識そのものの顕れとして捉えることによって、自らの姿をみつめようとする。
 けれど無論、ワタヌキがそのアヤカシを毎回視る訳では無いのは当然であり、そしてそれでも世界は
 回り時間は進んではいるし、縁は結ばれ必然の出来事は繋がる訳で、ゆえにワタヌキがそれでも
 アヤカシを視ていないというは問題が無いということでは無く、アヤカシをワタヌキが視ていないという事
 そのものが重大な問題であるということを証すのだろう。
 げんに今回ワタヌキはアヤカシを視ることは無く、また窓辺の女性をアヤカシかと疑うも百目鬼にもみえ
 ることからそれはアヤカシでは無く、しまいには結局はそれはやはり元人間の死体であるという、どうし
 ようも無くワタヌキが自身をみつめる作業を奪った。
 ワタヌキは自分が感じた違和感の正体が、なにかを確実に感じているのに、それを認識しない、つまり
 アヤカシが顕れないということそのものにあることに気付かず、またそれこそが、ワタヌキという人間が抱え
 る最も大きな問題であり、それはアヤカシを視てしまうことの比では無い、つまりアヤカシを視ないという
 事の方が遙かに重大問題だということ。
 そう、ひまわりはおそらく絶対にアヤカシなど視ないのだろうな。
 ひまわりの隠蔽は完璧であり、そして今回、ワタヌキはひまわりに感化され、アヤカシを視ないときがある
 というワタヌキ的に最大の欠点を、増幅された。
 そうか。
 それはつまり、ワタヌキがひまわりがどういう存在として捉え、そしてひまわりの存在から自分がどういう
 影響を受けるのかを考え、そして、そうすることで自分の最大の欠点を見出しそしてその欠点の意味を
 考えることこそに価値が出てくるのか。
 
 と、いうことなのだろうか?
 
 
 『どうしたの? ワタヌキ。 まだなにか気になる?』
 
 
 うーん。
 気になることしか無いです。
 難しい。
 見続けるしか、ないか、やっぱり。
 考え続けるしか、ないか、やっぱり。
 でもたぶん。
 だからわかり続けている自らの姿が見えてくるのだろうね。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
                           ◆ 『』内文章、アニメxxxHOLiC◆継』より引用 ◆
 
 
 
 

 

-- 080527--                    

 

         

                              ■■ サケは世界を繋ぎ ■■

     
 
 
 
 
 『どう? 初めての麻雀は。 なかなか面白いもんでしょう?』
 

                           〜xxxHOLiC◆継 ・第六話・侑子の言葉より〜

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 見えているものなど、ほんの僅か。
 けれど、なにかを見ている者の外側には、限り無く続きがある。
 見えるもののあまりの少なさに落胆するのは、本当はそれ以上のものがあると自分でわかっているから。
 一杯の酒杯の水面に映るのは、ごくごく小さな光景。
 しかし、その酒を眺め、その杯を取るものの心象には、無限の世界が広がっている。
 その酒杯は、そこかしこに落ちている。
 あちらこちらのその杯に手を伸ばすたびに、心にはひとつ滴を垂らすが如くに波紋が広がり、続々と
 沢山のものたちが当たり前のように芽吹くのを感じていく。
 
 『この世に偶然なんて無い。あるのは必然だけ。』
 
 牌をじゃらじゃらと混ぜる音が響く。
 それぞれの存在と存在がぶつかり合い、そこには必然が生まれてくる。
 それらの牌は、今此処で、麻雀という縁によりひとつの場で繋がっている。
 牌を持つ相手の手の内も、牌の中身もわからずとも、ゲームは続き、繋がり、進んでいく。
 どの牌がくるかは運次第、けれどなにかひとつ引けば牌は動き、そしてその動いた分だけ必然的に
 縁の結ばれ方は変わり、様々な事象が展開されていく。
 なにを考えても考えなくとも、その麻雀はもう始まっている。
 読めても読めなくても、見えても見えなくても、世界は動き自らと他者はその影響のままに動いていく。
 それが必然。
 自分が誰にも影響を与えないなんてことは無い。
 自分が誰からも影響を受けないなんてことは無い。
 自らと他者を識れば、多少なりとも行く末を読むことも出来る。
 けれど、その識るという行為もまた、自らに影響を与えまた他者にも影響を与え、その時点でもう
 一度読んだ未来の姿は変わっている。
 だから、それをも考慮する。
 そしてその考慮もまた、なにがしかの影響を与え、変化を誘ってしまう。
 未来を予測するなんて、無理。
 
 けれど。
 予測した未来を口にして、相手を動かすこと、自分を動かすことは可能。
 
 『難しいっすよ。来て欲しいのが全然来なくて、いらないのばっか来て。』
 『それを上手くかわして、高い手を狙ってくってゲームじゃない。』
 
 目指すものはある。
 ずっとずっと、それを目指してきた。
 けれど、それはなかなか叶わない。
 いびつな、それを目指しているだけというものだけしか、組み上げることは出来ない。
 よく見ればそれは、もはや意味のわからないものにしかなってはいない。
 けれどそれは、知らず知らずのうちに、別のなにかを創り上げていることにもなっている。
 そのなにかを見つけることで、一旦今まで目指すものから目を離すことで、そのなにかを使うことで、
 やっと目指すものに辿り着けることもある。
 ただ一心に目指すべきものに邁進していても、実際此処に存在する自分という影響を与え与えられる
 ものがいる限り、必ずその邁進自体がなんらかの変化をもたらしてしまう。
 しかし逆にそのことを理解していれば、それを利用することで思わぬ近道を得ることも出来、あるいは、
 そもそも目指していたものが自分にとってどういうものであるのかという、その根本的議論に辿り着く事
 も出来る。
 なにも、その目指すべきものを完璧に手に入れることが、自分の目指していることでは無いのかもしれ
 ない。
 目指すべきものは、このゲームのうちで組み上げる役のうちのひとつにしか過ぎ無い。
 ならば先に、今の手持ちの牌で近づける安い役を積み上げていくのも悪く無い。
 そして、その安上がりな手を重ねていくこと自体も順調にいく訳では無く、いつのまにか他の役が揃って
 いることもまたあり、それが最強の一手であることもまた、ある。
 そして、役を揃えても揃えなくても。
 
 その牌を交ぜる音そのものが、誰にもきっと、心地良い。
 
 
 
 人生とは、麻雀のようなものよ。
 つまりは、ゲームね、ゲーム。
 一手一手を打つことで、それは無限の波紋を広げ、その波紋は麻雀卓の外にも当然広がっている。
 ゲームにどんなに熱中しても、それがこの世界の中でのひとつの行為、ゲームはゲームでしか無いこと
 は絶対よ。
 どれほどひとつの役を揃えることに命を賭けていても、それでも牌は動き回ってくる。
 その牌を持つ手が、この穏やかな桜風を感じないことなど無いわ。
 熱中することも、醒めていることも、否定すべきことには当たらない。
 
 『安らかにと願う人がいれば、それは死者へのはなむけともなる。』
 
 
 『いくべきところに、いくことにしたんでしょう。』
 
 
 祈りを捧げれば、それを基にしたゲームならば、それだけで充分意味がある。
 祈っているだけじゃなにも出来ない、なんてことは無いのよ。
 祈っている自分は、必ず世界と接し、それに影響を与え、また与えられ続けているのだから。
 それを識れば、なんてことは無い、祈っているだけと言っている自分が、沢山のものを為しているのが
 見えてくるはず。
 だから、安心して、人は真摯に祈ることが出来るのよね。
 そしてその祈りの先には、無限に満ちる桜色の空が、ずっとずっと広がっている。
 幽玄でありながら雄大。
 そして不確かでありながら、あまりにも落ち着いている。
 ひとつひとつ、認識なさい。
 そうすれば、その認識の外にあるものと繋がれる。
 その繋がっているあなたがいないということなんて、無いわ。
 だから。
 ひとつひとつ、綺麗に落ち着いて識っていくことの出来るあなたが、此処にいる。
 識ることは重要なことでは無く、ただただ生の営みのうちのひとつにしか過ぎない。
 けれど。
 けれど人は、そういうゲームを、豊かに出来るのよね。
 
 
 瞳を開き紡いだ事象を並べては閉じ。
 宵闇に吸い込まれて夜空に咲く星々の香りが芳しい。
 降り落ちてくる夜露を孕んだ桜の一枚一枚が、綺麗に卓の上に散らばっていく。
 良い麻雀だったわ。
 解けては整い、整っては解けて。
 そしてその卓上の小さな世界は、それを瞳に映す者の心象に、より大きな世界を映し出す。
 ほら、夜風がこんなにも冷たくて、暖かい。
 
 
 
 
 『これで依頼は終了、でいいわね?』
 『はい。 俺の読む経だけじゃ不足でしょうから。』
 
 『いいえ。 それも彼女にとっては、嬉しいことだったようよ。』
 
 
 『対価の御祖父様の古酒、よろしくね♪』
 
 
 
 
 
 『いい出会いと。』
 『季節と共に去りゆく美しい人に。』
 
『乾杯。』
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
                           ◆ 『』内文章、アニメxxxHOLiC◆継』より引用 ◆
 
 
 
 
 
 

 

-- 080521--                    

 

         

                               ■■ カロリーオン ■■

     
 
 
 
 
 あー、まぁ、うん。 (挨拶)
 
 暑かったかと思えば急に寒くなり、かと思えば何事も無かったかのようにして暑くなったりと、この気温の
 変化のせいで体調を崩したりしないかなぁと心配していたところ、普通にぴんぴんしていて、我ながら
 新鮮なおもいをしている今日この頃、皆様如何お過ごしでしょうか。
 私は丈夫です。たぶん。
 
 さて、今日はなにを書きましょうか。
 んー。
 悩むこと5分。 (実際は5秒くらい。)
 わかった。
 まず、やる気が無いことがわかった。
 ほんとは昨日書こうと思ってPCの前に座ったことなどを思い返しながら、けれどまた明日があるさと
 考えている今日の私がいました。
 なんだこいつ。
 
 (掌を見つめ中)
 
 
 
 ◆
 
 すみません。
 つい、人生を振り返ってしまいました。
 あまりにネタが無かったもので、はい。
 冗談です、はい。
 
 あ、ホリック。ホリックがありましたよ。
 アニメの感想書いてます。
 二回分ずつ書いてます。
 もう少しで放送に追いつきます。
 やっと書きたいものが見えてきました。
 だからそれを大事にして、上手く書けるように心掛けて書いています。
 今はそれで精一杯です。
 上手く書けるように、なんて心掛けているうちはまだまだなのですけれど、たまにはそこから始めます。
 じゃないと、なにも書けないからです。
 一歩ずつです、何事も。
 たぶん。
 でも読み返してみたら、手応えはあったりしていたりします。
 この調子でやっていけば、やった分だけ変われるかもしれないと思います。
 変われると、いいな。
 いいなって、あんた、なにを言ってんの。
 
 次。
 
 信長の野望革新PKのお話。
 ヤバイ。
 ていうか、マズイ。
 上手く行き過ぎて、つまらなくなってきました。
 長宗我部元親でやっていて、最大の強敵織田さん家をやってしまいました。
 戦争で一回勝利→大量の有力武将捕獲→織田さん家斜陽→雪崩れ方式
 つまらないな。
 むしろ、順風満帆で乗り切った長宗我部の元親がさんがつまらない。駄目出しします。駄目。
 おまけに、気付いたらそれなりにゲーム内時間が過ぎてて、未知の強敵たる武田さん家の信玄さん
 や上杉さん家の謙信さんが戦うことなくお亡くなりになられていて、全く張り合い無し。
 日本全土から鳥がいなくなりまして、元親さんは鳥無き日本の蝙蝠になってしまわれた。
 虚しい。
 マゾプレイを楽しむ余地が失われてしまった。
 虚しい。
 軍団を3つほど創って、残りの征服活動は全部お任せして、元親さんは京都でひとりぐったりモード。
 虚しい。
 ・・・・。
 さらなる強敵(にぶちのめされること)を求めて、朝鮮半島に押し入る妄想に浸る天下人これにあり。
 終わりじゃ、これで儂の夢は終わりじゃ。すべては夢幻の如くなり。
 長宗我部家残酷物語、これにて終了。
 P.S: けど鉄甲船ガンガン作って大砲乗っけて、残りの港を荒らしまくる遊びはしてます。
 てか鉄甲船強ぇー!惚れちゃいそう!
 
 次。
 
 先日、人生初ブランデーを飲みました。
 ヤベーまじヤベー。
 美味しいとかそうじゃないとかじゃない、これがブランデーだ。
 とかいいつつ、飲んだのはV.S.O.Pのフロスティという、お手頃値段のものですけれどね。
 でもね、これはハマる。 凝りだしたら絶対高いのに手を出すよこいつは。
 しかし日本酒一辺倒な私には、やはり他の種類のものも飲めるというのは外せないこと。
 だって、ビールとかワインは飲めなくは無いけど、飲むと頭痛くなったりだるくなったりして駄目だし、
 焼酎はもう味的に匂い的に全く駄目だし、カクテルは好きだけどカクテルだし(ぇ)、実質的に素直に飲
 みたいって思えるのは、なんだかんだで私、日本酒だけなんですからね。
 日本酒だけって珍しいよねとかよく言われるし、日本酒飲めてなんで他の飲めないんだとか変な驚かれ
 方しますけど、そんなの私が聞きたい問いたい。
 好きなんだもん、好きになっちゃったんだもん! (なんの話ですか)
 でもさ、日本酒って結構偏見持たれてるし、実際私も昔はそうだったしそれで遠ざけてたけど、普通に
 日本酒って飲みやすいし、美味しいよね?
 てか、種類が滅茶苦茶あるしタイプも180度違うし、すごく懐広いというか、ジャンルとして日本酒って
 幅が広いから、割と万人向けだと思うんだけどねぇ、偏見さえ無くせば。
 まーオヤジくさいとかそういうイメージがあるし、まぁそれはそれだけどさ、吟醸系とかのは味的には完全
 にワインよりも飲みやすいってかオシャレだし(味的にね)、最近はラベルとかも軽く綺麗に魅せる風に
 なってきてるからねぇ、お酒は雰囲気大事だし、頑固一徹あぐらかいてひとりで飲むみたいなイメージが
 先行しちゃってるのはアレだけど(てかそれもひとつの雰囲気で楽しめるなら別だけどてか私はそれも好き
 だけどはい)、逆にいえば、まず飲んで味に感動することが出来れば、よっし、このお酒をもっと明るく美
 味しく、雰囲気の良いお洒落な感覚で飲めるにはどうしたらいいか、よし、やってみよう、って感じで、
 自分なりに雰囲気つけて飲めるっていうか、そういう飲みの場を自分で創り上げるっていうのは、今の世
 間的なニーズにも合ってるような、そんな感じがするよね、って、どんだけ話横道に逸れてるんだよ。
 あーそっか、日本酒は種類豊富で同じ価格帯にいつまでも留まって楽しめるけど、ブランデーは特に
 そこらへんのお店ではそもそも置かれている種類が少なく、だから必然的に階級の上へ上へといかざる
 を得ないからヤバイんだよね、とそういう話をするつもりだったのになんだこれ、どうしてこうなった。
 わかりません。
 ただわかるのは、お酒の話のときだけヒートアップして文章量も倍増している、ということだけです。
 そろそろ、飲み頃ですね。 (ゆえあって、しばらく飲んでませんでした)
 
 ちなみに今夜は、サッカーチャンピオンズリーグ決勝、マンUvsチェルシーです。
 観ます。リアルで。
 深夜っていうか早朝に近い時間帯ですけれど、ヤバイですけれど、一日だ。
 一日だけなんだ、我慢すればいいのは、やりすごせばいいのは。
 全力で集中すれば、たとえ早朝にお酒飲みながらサッカー観戦して寝不足MAXでも、次の日の一日
 くらい乗り切れる。
 出来る。絶対に。 いえす、ういきゃん!
 あ、ちなみにサッカー観戦時は私はビールでいきますよ、盛り上がってると頭痛も無いし、なにより
 サッカーはビールですから。おつまみはポテトとかウインナーとかそういうカロr(以下略)
 
 
 来月の目標: 自重。 とにかく自重。  いや重いとか書くなよほんとにもう。
 
 
 
 終わり。 (いいのかな)
 
 
 
 
 
 
 
 

 

-- 080518--                    

 

         

                               ■■ ワライ男世に憚る ■■

     
 
 
 
 
 『なにもわからない訳じゃ、無いよね?』
 

                           〜xxxHOLiC◆継 ・第五話・小羽の言葉より〜

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 桜の美しさを知っている。
 轟音にも似た静かな花の舞う様が、なんだか俺を通り過ぎて消えていくような気がして。
 桜吹雪って言うけれど、なんとなく、そんな感じだ。
 寒くて死にそうなほどなのに、冷たくてその孤独に絶望してしまいそうなのに、それなのに・・・
 辺りを覆う、なにか得体の知れない軽いものが、ぼうっと、その中の俺を浮き上がらせる。
 手に取れば溶けて消えてしまいそうな、その一枚の雪。
 ざわめきが耳を取り巻きながらも、その音の向こうにある無音と直接繋がっている気がする。
 朦朧としていながら、その感覚だけが鮮明にある。
 俺は本当に此処にいるのだろうか、いや、俺はいつもそのとき、そんな問いすら思いつかずに、
 ただただ舞い散る桜雪の中に埋もれ、そしてそれらが深々と溶けていくのを見ているだけだった。
 なぜそれが溶けるのか、溶かしているのはなんなのか、それを感じることなく、ただ、ぼうっと・・・
 
 
 なぜ、笑ってしまうんだろうか。
 俺は俺が笑う理由を良く知っているはずなのに、多くの場合、それを知らないでいる。
 どんなに辛いことがあっても苦しいことがあっても、それを越えなければ生きられず、だから生きるため
 にこそ笑うんだ、なんて、そんな次元では無いことくらいはわかっている。
 ただ笑う。
 笑っているという意識すら無いほどに、その俺は完全に笑っている。
 辛さを苦しさを隠すためにという、そんな意識で笑っていることなど、そんなに多くは無い。
 ただ笑う。
 俺にとっては、なにかを隠すための笑いも、笑う対象のひとつにしか過ぎない。
 だから俺は、あまり多いとは言えないとはいえ、そう言う理由で笑っていることもある。
 そしてそれとはなんの関係も無く、いつもニコニコと軽快に笑っている。
 笑いに、不自然さが無いんだ。
 
 ああそうか、だから、笑うことが出来るんだ。
 
 桜吹雪に巻かれると、なぜだかそれがわかってしまう。
 不自然さを感じていたら、なにかを隠しているという意識があったら、笑い続けることなんて出来ない。
 そして笑い続けることが出来なければ、隠したいものを隠せ無い。
 ただただ、隠し切ることを徹底するからこそ、隠すという意識を忘れるんだ。
 俺は桜色の空から、その俺を見つめている。
 あの冷たい吹雪に照らし出された俺を、俺は見ているんだ。
 あのざわめきの、轟音の向こう側にいる無音とは、その俺だった。
 俺を見ている俺と目が合った瞬間に、俺は俺を失い自ら溶ける雪自身となっていく。
 この雪を溶かしているのは俺では無く、俺はただなにかに溶かされゆく雪なのだと。
 これはすべて、俺の思い込みなのだろうか。
 俺は、無意識なんてものは信じない。信じたくもない。
 けれど、そうならば逆に、俺が俺の意識しているものだけしかその存在を認めないのだとしたら、
 俺はなにかを隠している意識を持っていずに、ただ素直に笑っているのだから、俺にはなにも隠すべき
 苦しみや絶望は無いと、そういうことになるはずだ。
 ・・・・それが、この俺の笑いの正体、なんだろうか?
 この理屈を徹底すれば、隠すべきものなど存在しないのだから、俺はただ普通に笑っているだけだよと、
 そうして正真正銘に笑顔を見せるだけで済むということになるのか。
 それは、完璧な、隠蔽工作の達成。
 
 ひとつ、桜が吹く。
 
 
 俺は一体、なにを隠しているのだろうか。
 
 
 本当に、苦しさや絶望や恨みや悲しみを俺は感じているのだろうか。
 感じているとして、それは笑いで隠す以外のもっと全うなやり方でそれを解消出来るとは考えないのか?
 俺は、隠すべきものがあるだの無いだのなどと論じながら、それら一連のものを使って、一番重要な
 ことを隠し、それから逃げているのじゃないのか?
  俺は、俺の中のなにかばかりを敢えて見つめることで、今現在俺が直面している現実から逃げている
 んじゃないだろうか。
 おそらく、その現実を向き合ったときにこそ、その俺の内なるなにかを見つめることに意味が出てくるんだ。
 俺は・・・ただ笑っているだけだった・・・ほんとうにそれは、ただの笑いにしかなれなかったんだ・・・
 本当は、その笑いで隠せているものなんて無く、それはバレバレだった。
 そしてやっぱり、俺の中の素直の喜びの発露としての笑いにもなれないままだった。
 ただ笑う。
 本当の本当に、俺自身が笑いそのものになってしまっていた。
 悲しみも苦しみも、幸せも、全部置き去りにして。
 桜吹雪に凍らされるたびに、その中で俺はそれを真っ直ぐに感じていたんだ。
 隠蔽しようとすることも、隠蔽を暴こうとすることも、それでは全く同じ。
 それらは全部、笑いなんだ。
 
 
 だから俺、あの娘の笑顔の意味が、少しずつわかってきた気がするんです。
 
 
−− 『ひまわりちゃんの、どこが好きなの?』 −−
 −− 『どこって、可愛いし、優しいし、全部です!』 −−
 −− 『本当に? ほんとにそうなの?』 −−
 
 
 笑いが、完璧なんだ。
 完璧過ぎるということも無く、本当に普通の女の子のように。
 だから基本的に俺の持った疑いは、俺の思い込みにしか過ぎないという疑いこそを越えられない。
 でもじゃあ、普通の女の子って、なんなんだろう。
 誰もが、勿論男だって、普通というのは演じる以外のなにものでも無いんじゃないだろうか。
 普通の女の子なんて存在しない、けれど普通を演じる普通の女の子は普通にいる。
 だったら、この世のすべての人の心は、どうしようも無く計り知れないもの、ということになる。
 そうなんだよな・・・
 俺が目を逸らしているのは、わかっているのにわからないままでいるのは、そのことなんだ。
 俺はただずっと、あの娘が示す笑いしか見ていなかった。
 きっともう、あの娘の笑いは、なにかのメッセージでもシグナルでも無い、ただもう笑いそのものである
 あの娘自身になってしまっているんだ。
 
 俺と、同じだ。
 
 その笑いに魅了されている。
 あの娘自身も、そして俺も。
 このまま笑い切れればそれでいいのじゃないかと、その笑顔を見続けることが出来るならばそれで
 全部良しじゃないかと、そうしっかりと考えながら。
 もしかして・・・
 あの娘にも、俺の笑いの意味が見えているんじゃ・・・・
 
 
 

怖くなって。

 

だから少し嬉しさを感じている自分が、なによりも恐ろしかった。

 
 

それでも笑い続けている、笑わずにはいられない俺の姿は、恐怖以外のなにものでも無かった。

 
 
 

−− 『ひまわりちゃん、そういう心霊モノとか怖いものとか平気な人?』 −−

−− 『うん、好き♪』 −−

 

−− 『でも、本当に見たり感じたりする人は大変だろうね。』 −−

 
 

どうしようも無く、その言葉が怖かったんです。

 
 
 
 
 ◆
 
 桜の木には悪魔が棲んでいる、というなんだか間の抜けた話を聞いたことがある。
 桜なんていう日本的なものに、西洋的かつ即物的な悪魔なんて言葉は似合わないなと、その話を
 聞いたときは思っていた。
 桜の木の下には死体が眠っているとか、せいぜい鬼とか、そういう抽象的なものの方が良いのかなと
 思いもした。
 なんというか、悪魔と聞くと、本当に目の前にその悪魔がいなくちゃ嘘になるような気もするし、鬼とか
 死体というのは、実際はその桜を見る自分自身が鬼になったり死体を見て変わってしまったりとか、
 そっちの方がなんだか合っている気がする。
 悪魔なんて、そんな都合の良い敵がいるはずも無い。
 桜にはなにも宿っていず、ただ桜には狂う自分を肯定するなにかがあるだけで、だから桜を切り倒したとこ
 ろで、別の引き金が自分を鬼に変えるだけだろう。
 
 あの日俺は、その桜を見上げる小さな女の子と出会った。
 あの子はただただずっと、桜を見上げていた。
 どう見ても、桜の中には着物を纏った女性が佇んでいた。
 けれどあの子はただずっと、桜を見ていた。
 なのに俺には、あの子にはあの女性が見えていないとは、とても思えなかった。
 いや、あの子はきっと、あの女性と一緒にあの桜を見つめているのだろうと、そう思ったのだった。
 邪気は感じられない。 禍々しさの欠片も無い。
 怖さも、無かった。
 俺が一番見つめる事の出来ないものを見つめることが出来ながら、けれどその見つめるべきものと一緒
 になって、なにか本当にその向こうにあるなにかへと歩み出そうとしているその小さな薄明かりに、俺は
 目をつむることなど考えもしなかった。
 なぜだろう、あのとき俺は、なにかを納得した。
 桜の中には本当に悪魔が棲んでいるのだろうか。
 俺は、なぜ鬼では無く悪魔なのかが、わかった気がした。
 問題は、鬼では、自分では無かったんだ。
 勿論、悪魔を倒すことでも無い。
 自らが桜に鬼を見込み、そしてその桜吹雪に映る自らの鬼の姿に恐怖したり、或いはその自分から
 鬼を祓うことに必死になることは、重要でも無ければ目的でも無かったんだ。
 
 悪魔は、其処にいる。
 
 目の前の悪魔を差し置いて、日本的に鬼としての自分と向き合うという自己完結をしていては駄目
 だし、それで得られる悟りのようなものは、全部桜嵐の中の夢のようなもの。
 ひとりだけ自らの鬼を祓い、そして自らの悪心を祓わぬ悪魔としての目の前の何者かと向き合っていく
 だけならば、それはすべて自らの優越性と、そしてそれ以下の事である、他者の存在を無視した手前
 勝手の遁世行為にしかなり得ないんだ。
 
 あの子の背後では、鬼のような笑顔を湛えたあの子の母親が呻いていた。
 あの子には、それを蔑むことも儚むことも眼中には無いようで、しかしどうしても自分の母親が鬼である
 という認識からは逃げることは出来ず、またそれを確認するためにこそ、母親にそれでも手を伸ばして
 いた。
 それは、母親を始末するための、討伐するべき悪魔と成すための材料を得るための行為には、
 それでも俺には見えなかった。
 いや、あの子のそれはどうしようも無く諦めの確認行為でしか無いものでありながら、しかしその一番
 中心にあるのは、それでも母親と繋がるべきだという意志だったと言えるのかもしれない。
 その意志ある行動が無駄になっていくのを見つめ続けることで受ける感慨に対して、あの子がどう向き
 合っているのかは、わからなかった。
 
 でも、なにもわからない訳じゃ、無かった。
 
 

−− 『俺に近い感じがしました。』 −−

 
 

その俺自身の言葉の意味が、わからないことなど、俺にはあり得なかった。

 
 

−− 『近い、ねぇ・・』 −−

 
 

わかってます。

俺は・・・

 
 
 

−− 『その子の力は、本物よ。』  −−

 

はい。

 
 
 

−− 『その女の子とあなたの縁は繋がったわ。

これからどうなるかは、ワタヌキ、あなた次第。』 −−

 
 
 俺だけが見えている訳じゃ無い。
 けれど、俺がそれを見ているという事実は確か。
 あの桜の闇の向こうに見える光はなんなのだろうか。
 俺は・・俺は・・・・
 
 あの子はただ、独りで戦っていた。
 どんなに虚しくても、それが無駄でも、それでも戦っていた。
 母親のことを愛しているとか求めているとか、そんなことすらもうわからなくなっているだろうに、
 それでも母親を求める戦いをやめることは無かった。
 きっと、以前はそうだったのじゃ無かったのかもしれない。
 ただただ母親のことが愛しく、まともに自分と向き合ってくれない母親に、目も眩むほどの怒りと恨みと
 悲しみを感じながら、狂わんばかりに求め続けていたんだと思う。
 だって、あの子の目の前には、はっきりと母親がいたんだから。
 きっと、色んなことを考え、色んなことをしてきたんだろうな。
 色んなものを使い、それで色んなものを失い、そして得てきたんだろうな。
 母親を愛し求める、その圧倒的な情熱という名の心があったからこそ、あの子はきっと・・・・
 きっと、それがあったからこそ、生きてこれ、そして戦い続けていられたんだと思っていたはず・・
 何度も何度も、そんな自分の存在が、当の母親にとっては苦痛で、頑張れば頑張るほどに母親は
 遠ざかっていくという事を感じながら、もうなにもかも諦めてしまえば、もしかしたら母親は受け入れて
 くれるのじゃないかと、そんなことを思っても、それでもあの子はきっと・・・・
 その自分の存在を受け入れ、そして生きていくと決めたんだと思う。
 ただ母親を愛し、ただ母親と共に生きていきたいと思っているだけなのに。
 それなのに、今はあまりにも残酷な時間が過ぎて、もうその情熱的な魂さえ消えて・・・
 ただただ無感動に母親に手を伸ばす自分の姿しか無かった。
 あんなに強く母親を求めたからなのかなと、考えずにはいられなかったのじゃないか。
 けれど同時にどれほど避けられても、求め続ける心を持っていたからこそ生きられたとも考えたはず。
 
 

 −− 『でも、誰かを脅したりした訳じゃ無い。ただこの桜が好きで、ここに居たいだけだって。』 −−

−− 『でももし邪魔なら居なくなるって。

テレビに映って人が一杯来て、桜の木が可哀想だからって。』 −−

 

−− 『でも、あの女の人がいなくなったら、この桜枯れちゃうね。

この桜はもう寿命で、あの人が居たからまだ咲いていられたのに。』 −−
 
−− 『私が来なかったら、あの女の人はずっとここに居られて、桜はずっと咲いてた。』 −−
 
 
 
 なんであの子は、情熱を失ってしまったのだろうか。
 情熱を失ってまでも、まだ母親を求めているというのに、なぜ情熱だけを失ってしまったのか。
 俺の笑顔の根源が、そこにある。
 俺は。
 俺の笑いが隠したものは、苦しみや悲しみから逃げる、或いはそれらに逃げ込む自分の姿だけじゃ無い。
 俺は。
 俺が笑うのは、ただただ。
 それらのものに逃げ込んでいるとかいないとか、そういう議論自体に逃げ込む俺から抜け出したかった
 からだけ。
 どうしようも無く、あの子は解決したくなったんだ。
 情熱だけではどうにもならないことを悟るがゆえに、それでも強靱にある情熱が、いずれ強烈な恨みと
 なって求めるものを壊してしまうかもしれないと知ったがゆえに、その情熱を体の奥深くに隠して消して
 しまった。
 情熱無き、寄る辺なき自らに虚しさを感じてしまうのは、その隠蔽の真の意味を自らに気づかせず、
 ゆえに気づかずに済むからこそその隠蔽行為自体に逃げ込むことを回避出来ていたんだ。
 
 あの子の感じる虚しさは。
 たぶん、あの子の最高の希望なんだ。
 
 俺の瞳には、鮮明にあの子の姿が桜の中から浮き出して映っている。
 ああ、そうなんだ。
 わかってる。

 俺にはそれが、見えている。

 
 
 
−− 『俺も、ずっとそう思ってた。』 −−
 
−− 『それだけでは終わらないように、俺になにか出来ないか考えるようになったかな。』 −−
 
 
 

 桜色の空を踏み破り、雨はしとしとと永劫に音を立てて降っている。

 俺達には、出来ることが沢山ある。
 たとえ不可能だと思っても、その不可能という言葉で計れる世界なんて、ちっぽけなもので、必ず俺達
 はその外の世界にある、圧倒的な光から目を逸らすことなんて出来やしないんだ。
 たとえその広大な世界に、愛しい音を感じることが出来なくとも、俺は、あの子は生きていく。
 

−− 『桜の木は枯れるかもしれないけど、あの人は新しい居場所が出来た。』 −−

 
 それは悲しくて切なくて、どうしようも無いおもいに包まれてしまうことだけれど、でも俺は。
 俺は、それでもその新しい居場所で生きて。
 そしてまた、新しく桜の木と向き合っていきたい。
 忘れることなんて、無い。
 無くなってしまうものなんて、なにも無い。
 俺達は、生きてるんだ。
 この降りしきる雨の中で、他の人達との生活の中で。
 だから教えて、君の名前。
 君の目の前の桜の木の、その向こうに広がる光を見つめる君なら、教えてくれるよね。
 
 

『つゆり、こはね。』

 
『こはねちゃん? どんな字?』
 
『五月七日で、つゆり。』
 
『俺、四月一日君尋っていうんだ。 四月一日で、ワタヌキ。』
 
『名前も近いね。』
 
『こはねちゃんは、どんな字?』
 
『小さい羽。』
 
『綺麗な名前だ。』
 
 
 
 俺は、笑う。
 あの子は、笑わない。
 そして。
 俺は泣いている自分を魅せたくて、あの子は笑顔の自分を魅せたいって、一番深いところで思ってる。
 俺には、両親がいない。
 でもあの子には、母親がいる。
 母親がいるのに、名前を呼ばれないなんて。
 いるのにいない。ただいるだけの母親。
 いるためにいる、母親という名の鬼。
 そんなの嫌だって言えない、そのあの子の戦いが、見えた。
 雨がまだ降っている。
 もう濡れているから傘なんていらない、と言っていたら、たぶんずっと傘を差すことなんて出来ない。
 なぜなら、傘を差さないために、雨に濡れようとしてしまうのだから。
 もう濡れてしまっているからこそ、傘を差す必要が俺達にはあるんだ。
 明日の、ために。
 明日、笑顔で出会える誰かとの時間のために。
 そしてなにより。
 もう濡れそぼり消えてしまった、決して報われることのなかった自分のために。
 遅くなんて無い。
 だってあの子は、俺は。
 
 今、生きて此処にいるんだから。
 
 
 

−− 『四月一日・・君尋・・』 −−

 
 
 
 

 名前を呼んでくれる人のために、俺は今日も雨の中、音を立てずに笑っている。

 
 
 
 

この笑顔が、誰かの名前と繋がれると、信じて。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
                           ◆ 『』内文章、アニメxxxHOLiC◆継』より引用 ◆
 
 
 
 

 

-- 080514--                    

 

         

                                ■■ それはマボロシ ■■

     
 
 
 
 
 『人にはそうとわかっても、認めたくねぇ時があるんだよ!』
 

                           〜xxxHOLiC◆継 ・第四話・四月一日の言葉より〜

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 夢とは、それを観た当人の願望を表すもの。
 良い願望も、悪い願望も、人はそれぞれ思い抱く。
 悪い願望を抱くこと自体も、人の願望として存在する。
 破滅願望も、自殺願望も、自傷願望も、等しく存在する。
 逃避と怠惰を求め、人は夢を観る。
 なぜその夢を観るのか、人はそれを自ら知らずにいることなど出来ない。
 なぜならば、人はその夢を観ているのだから。
 夢が如何なる夢であろうとも、それがすべて自らの願望の表れだとするのならば、人は自らその夢を
 見つめ直し、そして自らその意味を解釈しようとする。
 自分がなにを望んでいるのか。
 それを、客観的に、否、主体的にすべての夢を悪い願望の表れとして見つめ直す。
 それは、自省ということ。
 
 つまり、夢とは幻のようなもの。
 
 
 夢自体に意味がある訳では無い。
 その夢を観たから、自分にはこういう願望があると言えるのだとしたら、ではその夢を観なかったならば、
 そのあなたの見据えるはずの願望は存在しないことになるのか。
 或いはもの凄く悪く解釈出来る夢があったとしたら、あなたはその自らの解釈に囚われるだけなのか。
 夢判断など、無意味。
 むしろ、夢判断と称してその夢を解釈しようとする、そのあなたの姿こそがあなたがみつめるべき夢。
 夢は、あなたを表したりはしない。
 夢はただただ、あなたが抱くもののうちのひとつであるだけ。
 寝ているうちに観る夢と、真昼に見続ける夢は同じもの。
 あなたがその夢をどう解釈し主体的にみつめていくか、そのことだけに意味がある。
 あなたは、嫌な夢を観る。
 何者かに追われる夢を。
 それは自分が実際なにかに追い立てられ、強迫されているという意識の表れでもあり、それを嫌な感じ
 を以て受け止めてもいる。
 しかし、あなたはそうして夢を解釈している自分もまた、この現実の中で見つめている。
 その夢になにかを見込み、それでこの現実の中にいる自分を認めようとしている、そのあなたの姿。
 夢など、ごくごく一部でしか無いのに。
 それなのに、夢にすべてを仮託して、その夢を読み解いた成果と受けた感覚を絶対として自らの存在
 を保証しようとするのは、それ自体が悪夢のようなもの。
 夢は、いくらでも悪く解釈することが出来、そのことからいくらでも悪感情を抱き、それに囚われ続ける
 ことも可能。
 自らが何者かに追われ続けているということは、自らがそれから延々と逃げ続けている、という文脈で
 その夢を読み解き続け、その連続自体を止めることも無く、むしろ積極的にその読み解きを続けよう
 とするからこそ、何度も同じような夢を実際に見続け、その夢の存在によって自らのその逃避を保証
 しようとする。
 
 夢はある意味で、それを観る者の意志でもある。
 夢はその者の観たいものを見せるが、それはその者の隠れた願望や潜在意識などでは無く、それらを
 すべて見つめている冷静な自らこその観たいものを見せているもの。
 
 
 「本当の自分」を表す夢という道具を使っている、只今此処にいるあなたが、ただいるだけ。
 
 
  その道具を、「本当の自分」という夢をどう使うのか、それは全く、あなた次第。
 
 
 
 ◆
 
 夢を逃避に使う者。
 夢を前進に使う者。
 夢を無視して使う者。
 
 あなたは、どのタイプ?
 
 自分がどのタイプかと認識しているのか、していないのか。
 していたとしたら、あなたはどうするかしら?
 あなたが自分は夢を逃避に使うためにそれを見続けているタイプだとわかったら、あなたはどうする?
 きっとあなたは、そう認識した自分を、それ自体をも逃避のために「夢」として観るのでしょうね。
 つまり、そうだ私はそういう駄目な奴なんだそうなんだどうせ私は、ってね。
 だから、あなたは夢を逃避に使うタイプだと、だからこそそう言える。
 じゃあもし、あなたが夢を逃避に使うタイプだとして、そういう自分を認識したときに、ついついそうして逃げ
 てしまう自分を認識するからこそ、そうしないためにはどうしたら良いかを模索し、また同時にその模索を
 延々と続けることに終始しそれに囚われるという「逃避」があることも認識し、さらにどうしたら良いかを
 考えていくとしたら、どう言えるのかしら?
 そうね、それでもあなたは夢を逃避に使うタイプの人間であると、きっと自らそう名乗るわよね。
 でも、あなたは、そういう自分を見つめるあなたこそは、逃げていないのよね。
 そういった逃げてしまう自分のその姿から、ね。
 そう。
 自分は夢を前進に使う者という認識があったとて、その自分の姿に埋没し、それ以上の眼差しを以て、
 つまり自分を否定的に見つめていく作業をしなければ、夢を前進に使う自分の姿自体は見つめること
 が出来ず、それはイコールその自分の姿が存在しているということから逃げていると言えるのよね。
 夢を前進に使えるという、それ自体が及ぼす影響が自分には延々と降りかかり続けているという事実を
 見つめなければ、やがてその自分という幻に囚われてしまうわ。
 
 自分なんて、だから幻。
 
 だから、その幻は、夢は、売り買い出来るもの。
 
 
 自分を見つめれば、夢を観れば、それは使える道具になる。
 それは自分でありながら自分では無く、それゆえに売り買いすることでこの世に顕現させる事が出来る。
 それは自分では無いものとして、ね。
 自分の悩みなり苦しみなり願望なりなんなり、それを自分以外のものとして向き合えば、自然にそうして
 それらのものと向き合っている、今此処にいる自分の姿が見えてくる。
 自分の見た夢を、それが吉なるものか悪なるものかと見定めてくれるものがこの世にはあるわ。
 吉なるものも、そして悪なる夢も、それを受け取る人にとっては善悪定まらず解釈次第で如何様にも
 取れるもの。
 けれど、そんなのは意味無いわ。
 だって、独り善がりだもの。
 吉夢は吉夢、悪夢は悪夢としてこそ、よ。
 その夢自体に吉悪がある訳じゃ無いわ。
 重要なのはただただ、その夢をどう捉えようとしているのかという、その自分の姿の有り様だけよ。
 すべての夢を吉夢として捉えるのなら、それはその夢に囚われているということ、或いはすべてを吉と捉え
 、そうすることで影響を受けている自分の姿を見つめずにいる自分の姿が見えてくる。
 すべてを吉夢として観る、そういう悪夢に囚われているのね。
 悪夢は悪夢として観て、ならばその夢とどう向き合って、それをどう始末をつけていくかという、そういう
 作業の工程の中に、夢買いはいるのよ。
 繰り返して言うけれど、夢自体に吉悪も善悪も無いわ。
 だから、夢買いにとっては夢はただすべてそのまま育み大きく輝かせるだけのものだし、また他人の悪夢
 を買うとそれは買った本人には吉夢にもなる。
 そして売り手にとっても、自らの抱いた悪なるものとしての夢を、勿論吉夢もね、それを他人に売るという
 ひとつの「ケジメ」をつけることで、すっぱりと自らから切り離したものとして捉え直すことが出来るのよ。
 それは独り善がりでは無く、他者との繋がりの中に生まれてくる、公的な癒しなようなものであり、また
 その夢の売り買いを通すことで、その自らの抱いた「自分」という幻をみつめ対峙する、その自分こそを
 他者との繋がりの中の今此処で、豊かに確かに感じることが出来るのよ。
 
 そしてね、ワタヌキ。
 誰かから買った夢、そして「自分」もね、自分のうちのひとつになるのよ。
 
 『夢の内容を聞いてそれに対価を払い、その夢を自分のものにする。
  そしてその夢は、本当になる。』
 
 それが、正夢。
 
 
 人は他者の存在から、知らず知らずのうちに多大な影響を受けているもの。
 そしてね、だからこそ、本当に自分が「ケジメ」をつける事が出来ているのかを問う必要が出てくるの。
 凶兆を表す悪夢を買うのは、なぜだか知らないけれど、それを買った本人にとっては大吉になるという
 言い伝えがあるからに他ならない。
 つまりそれは、悪夢を悪夢として観るために買う訳では無いし、またそのつもりで買えばその悪夢は
 吉夢になることはあり得ないということ。
 『夢買いは吉兆の夢を買うのがほとんどなんだけどねぇ。
  わざわざ悪夢を買う人は稀よ。』
 悪夢を悪夢として買う人など、滅多にいない。
 夢買いの話を知っていれば、買う訳が無かった?
 
 
 『・・・・そう?』
 
 
 人には、色々な願望がある。
 自分を傷付けるような、追い詰めるような、そんな願望さえも。
 そして本人は勿論、そんな意識さえしないもの。
 悪夢を買うなんて、悪夢を買えば大吉に変わるという話を知らなければ、絶対にしないと思う?
 そうね。
 ふふ。
 悪夢を悪夢として買えない状況を創り出してしまうそのお話を知ってしまったら、自分を追い詰めたい
 願望に取り付かれた人は、かえってその悪夢には手を出さないわよね。
 逆に、吉夢を買えば悪夢になるという話があれば、たとえその話を知っていても知らぬ振りをして、ただ
 吉夢を買ったのだから幸せになれると嘯いてその夢を買うのかもしれないわね。
 で、あなたはどうなのかしら?
 あなたは自分の目の前にある、その自分の夢だろうと他者の夢だろうと、それと向き合っている自分を
 ちゃんと見つめているのかしら?
 夢自体に吉悪は無いのよ。
 あなたが、夢買いという概念を知っていて、悪夢を悪夢と知っていたならば絶対に買わないと言うのなら
 ば、それは既にその夢の吉悪に囚われ、その夢と向き合っている自分からは逃げていることにしかならな
 いわ。
 それは、悪夢を悪夢と知ってそのまま買っているのと、全く同じ。
 他人から夢を買うという、公的な空間の中で居場所を得ることの中で、その自らの逃避の居場所を
 求めてしまうのは、人の常。
 自分のやっている怠惰や逃避が大義名分を得て、正当化されることほど逞しいものは無いのだから。
 夢買いの中にこそ、人との繋がりの中にこそ、その強靱不変の、最強の孤独があり得るのよ。
 人は常に孤独と隣り合う。
 だから。
 
 
 そのあなたこそを、見つめなさい。
 
 
 『この世に偶然なんて無いわ。』
 
 『あるのは、』
 
 
 『・・・必然だけ。』
 
 
 そうよ、ワタヌキ。
 自分でそう言いなさい。
 あなたがやること為すことに無意識なことなんて、無いわ。
 あなたのしてることは、すべてあなたの罪。
 そしてだからこそ、その罪を、その悪夢を買いなさい。
 その悪夢を吉夢に変えるのは、それを買ったあなた自身。
 あなたが見定めた罪は、あなたであってあなたでは無く、ゆえにあなたはそれを買うことが出来るけれど、
 しかし買って手に入れることでそれは真にあなたのものになり、そしてだからこそ落ち着いてそれと向き合
 い吉兆へと変えていく責任が、あなたには初めてそこで生じるのよ。
 夢なんて、幻のようなもの。
 自分なんて、夢幻にしか過ぎないもの。
 だから、その幻を売らずにそれに取り憑かれれば、いつまで経ってもあなたに見えるのはその幻という名の
 自分だけ。
 だからそんなものは、自分が背負うものでも無ければ、後生大事に持っているものでも無いのよね。
 そんな夢は、自分は、この世の中に投げ売りなさい。
 そうしなければ、ただただそれに取り憑かれているだけ。
 そして、それは同時に、そうした夢の売り買い自体に執着すれば、同じくそれに取り憑かれるという事も
 導き出す。
 夢は夢にしか過ぎず、自分もまた自分にしか過ぎない。
 だから。
 夢を、自分を買いなさい。
 なによりも、その夢を自分を買っている自分を見つめながら。
 自分がなにを買おうとしているのか。
 自分が買ったのが悪夢なら、それをただ吉夢としてみようとしているだけなのか、それを悪夢として解し
 たのちに、そこから改めてそれを観た自分がその夢を使いどう幸せになれるかを考えていく。
 その自分が観た夢こそが吉夢であり、また絶対にその夢を観ることが出来ると信じているからこそ、
 やはり幸せになれるのよ。
 
 『稀な吉夢の持ち主は、稀な心立ての持ち主か。』
 
 それを知らずにはいられない。
 あなたもその例外では無い。
 
 あなたがなにも見えないということは、無いのよ。
 あなたが見ているものを無視しようとしている、あなたの姿を探せば、ね。
 
 だから。
 
 
 
 
 

 〜 この世に、悪夢なんて、無いわ 〜

 
 
あるのはただ、幻と。
それを見つめるあなただけ。
悪夢はすべてあなたの中だけにあり。
ゆえに、悪夢は確かに存在する。
この世に、悪夢が無いことなんて、無いわ。
 
だから、その悪夢を吉夢に変えられるあなたが、此処にいる。
 
すべては夢幻。
 
けれど。
 
 
そのすべては確かに、其処にいる。
 
 
目の前の其処にいるもの達から逃げているあなたの中に、マボロシはいる。
 
夢は幻。
自分は幻。
 
だから。
 
 
夢も、自分も。
 
 
 
其処にいる。
 
 
 
あなたを追い詰める悪夢も、それを祓う吉夢も、あなたは同時に観ることに変わりは無いのよ。
 
 
 
 
『それは夢よ。』
 
 
 
 
他人が観た夢も、他人の中のあなたも、あなたが買った時点であなたの夢であり、またあなたなのね。
 
 
 
 
 
さぁ、夢を売り買いしに行きましょう。
 
 
 
 
異世という名の現実の中へ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
                           ◆ 『』内文章、アニメxxxHOLiC◆継』より引用 ◆
 
 

 

-- 080509--                    

 

         

                                ■■ まぁそんな訳で ■■

     
 
 
 
 
 えー、なになに?
 
 ・・・・・。
 
 第3期はOVA「ひぐらしのなく頃に 礼」に決定!!
 
 泣いた。
 
 
 ・・・・・・・・。
 
 らき☆すたOVA化決定!!
 
 泣いたと言っている。
 
 
 
 
 
 
 終了。 (挨拶)
 
 
 終わった連休(と他)なんて燃え尽きた蚊取り線香ほどに無意味なものなので、無かったことにします。
 蚊取り線香といえば、以前マットタイプのものがヤバイくらいに全然効かないという話をしたと思うの
 ですけれど、今年からは私、殺虫剤使うことにしましたから。
 ・・・。
 いや、蚊がぷーんて目の前横切ったら、ぷしゅーってやるんです。思いっ切りやってやるんです。
 あれは蚊よりも大きな生物だって殺っちゃうんですから、蚊の一匹や二匹大丈夫でしょう。
 ていうかわざわざ殺虫剤吹き付けるんだったら、手で潰した方が早くない? とか、そんなね。
 そんなことはね、負けてる。
 蚊に負けてますよ。 だって人間だもの、なんか道具使いたいじゃない。
 勝った気になりたいじゃない、文明的に。
 ・・・。
 殺虫剤片手に蚊を追い回してる姿のどこら辺に文明があるのかわかりませんけど。
 文明とかどうとか関係無い、要は蚊を排除出来ればそれで良いのだよ。
 なんでこんな話をしているかさっぱりわかりませんけれど、出だしのネタが思いつかなかったからだと
 思います。てかなんで蚊取り線香?
 
 
 はい。
 そんな感じで、暇です。
 GW中の方がよっぽど忙しかったという感じで、GW明けてさぁいくぞって思ったらね。
 いきなり予定が潰れちゃいましたね。
 GW中には 全 く 予 定 な ん か 無 か っ た ん で す け ど ね 、でも細々とした
 ことをやっていたらあっという間に終わってしまって。
 その代わり、GW明けには予定がぎっちりあってさぁ大変状態だったのですけれど、いい感じに潰れた。
 なんていうか、狙ったように、連チャンものの途中が空いて、スカスカになったというか。 今年のGWか!
 ひとつのものを余裕を持ってやることが出来、ていうか余裕過ぎて時間空きすぎて暇というか、まぁ、
 そういう状態なのですよ。
 なので。
 なので、じゃあちょっとサイトの更新頑張っちゃおうかなって腕まくりしたらですね、PS2がおかしい。
 あ、私は録画したのをPS2で再生してるのですけれど、どーも読み込んでくれないんですよ。
 ゲームは普通に読み込むのですけどね、RWが全然駄目。ありえないくらいに駄目。
 あーこれもう駄目かもしんない。
 ていうかこれ、ホリックの感想また溜まっちゃうよ、ヤバイよこれ。
 ということで、現在再生機能付いてりゃなんでもいいというスタンスで、再生機購入を検討中で、
 そして残念なことに、ホリック感想はしばらくお預けなのです。
 どうぞお赦しを。
 
 
 
 ◆
 
 で、まぁ、そういうことなので、しばらくアニメはお休みという、あれ? こんなの何年振り? みたいな、
 落ち着いて考えたら結構私的に緊急事態なのに、私はあんまし動揺してない。
 あれ? この人こんなに肝が太い人だっけ? 
 なんかちょっと見直し・・・・・・・こいつ、ゲームやってら。
 アニメが観れなきゃゲームをやればいいじゃない。
 そういった王侯貴族もかくやの気分を楽しむには、これ。
 信長の野望革新WithPK。 王侯貴族って言うか大名小名気分ですけれどね。
 もう結構前に買って、最初のはうちは結構やってたんですけど、普通に難しくて、こてんぱんにやられ
 っぱなしで泣かされ続け、そして一時逃げもとい中断していたのですけれど、また性懲りも無く復活し
 て、またやられ、逃げて、復活してと、そういう繰り返しでした。 ほんとしょうも無い。
 
 で、なんだかんだでやってたんですよね、長宗我部元親で。
 でもね、連戦連敗。
 気付いたら、何十万とも知れぬ屍の山(味方)を築いてたり、まさに死屍累々(繰り返しますが味方)
 といったていで、四国は阿鼻叫喚の地獄になっているのですが、当のお殿様であらせられる元親さん
 は元気いっぱいに征服活動(ほぼすべて返り討ち)に勤しんで、いつしか四国は死国になっていたという、
 そんな上手いことを言って独りで笑ってる元親さんはさっさと逆さ吊りにされるといいと思う。
 
 つまりその、長宗我部家残酷物語。
 
 ぶっちゃけ、織田家が強すぎるのよ。 なにあの信長さん家の鉄砲は。鬼か。鉄砲だよ。
 大体ね、長宗我部さん家の主力決戦兵器っていうか兵種は、足軽ですよ。
 わーって槍抱えて突撃して、勢いよく押し出して、バタバタと死体の山を築くんですよ。
 ・・・そういえば、足軽山ってあったよねー。 (足柄山です)
 おかしいんですよ、どうみてもミスマッチなんですよ、鉄砲に足軽? それって鴨ってこと? ねぇ?
 いや、一領具足(特殊スキル扱い)を習得したって意味無いですから。
 足軽隊が動揺しなくなる? 大丈夫、動揺しなくても死にますから。蜂の巣ですから。
 むしろ動揺して訳わかんないときに撃たれてるときの方が安楽死ですよ。
 だから長宗我部は兵に優しく無いって言われるんです、わかってますかその辺りのこと。(違)
 ちゃうねん。
 根本的に戦略が間違ってるんです。
 四国はどうにか制圧出来るんですよね、さすがの元親さんでも。伊達に髭生やしてません。
 地元では強いタイプなんです。鳥無き島の蝙蝠なんです。だから信長さんに勝てんのです。
 
 そうだ、九州行こう。
 
 ・・・この髭・・。
 中国は駄目です。 序盤で毛利さん家とやったら、速攻計略鬼の元就さんにやられます。
 九州は、大友・龍造寺・島津の三国志状態なのですけれど、見てると大概の場合毛利さん家が
 北九州に来て、大友・龍造寺とどんぱちやり始めるんです。
 ・・・・・・・良い空き家があるじゃあないか。 (大友さん家の港を凝視しながら)
 火事場泥棒というか、普通に空き巣的完全ヘタレ発想で、大友さん家の主力軍、特に雷神と怖れ
 られた立花道雪のおやっさんが毛利さん家の次男三男と死闘を演じてる間に、あっさり漁夫の利で
 佐伯港を頂いてしまいまいした。
 港にはほとんど兵がおらず、まさに速攻劇。
 有頂天になって小躍りする元親さんの遙か北の地では、雷神道雪が漢らしく奮戦中です。
 ・・・・・・・大丈夫、まだやれる 。by火事場泥棒元親
 そして、毛利さん家との死闘で大幅に兵力を減らした大友さん家は、自らの本拠地たる府内城に
 押し寄せた、全四国を挙げての総兵力(当時)4万の火事場泥棒軍団に落とされ、そしてそれを機と
 見た毛利さん家がすかさず大友さん家の立花山城を奪取、あわれ大友さん家は博多港ひとつとな
 って九州の勢力図から消えてしまったのでした。
 ちなみに長宗我部さん家は、ほとんど兵力を損すること無く、九州に足場を築いたのでした。
 なんだ、こうやれば良かったんじゃ無いかと、初めて見る屍の山無き自らの後背を眺めながら呟く
 元親氏。 まぁそうやって人は成長していくものですよね。たぶん。
 
 九州南部は、島津が中心となりつつも、その他の小大名との小競り合いから抜け出せず、北部を
 収めるには今が好機。
 勢力図的には、北が毛利、東が長宗我部、南が島津と他小大名という感じです。
 毛利さん家の目が九州に来てるのは怖いのですけれど、そのとき丁度良く第三勢力の龍造寺さん家
 が西九州を抑え、毛利さん家と激突。
 おー、ガシガシ削りあっとるのぅ・・・昔の儂を思い出す・・・by髭を撫でながらの元親さん
 そして今の元親さんが考えることといったら、イエス、火事場泥棒ナリ♪ ・・・。
 龍造寺さんが毛利さん家の立花山城に取り付いて、いい感じに削って、そして龍造寺さんが後詰めを
 出せば、毛利さん家も本土から続々と援軍を送ってきて、まさに九州決戦の様相をていし、すっかり
 蚊帳の外の長宗我部さんは、龍造寺さん家からの同盟要請を、なんかむかつくからという理由で
 速攻蹴り返し、九州の国人衆をけしかけて水を差す有様。だってのけ者は嫌なんだもん。・・・。
 そしてそのせいで、割と早い段階で毛利優勢が決まってしまいヤバイ状態ではあったのですけれど、
 それなりに毛利さん家の消耗も激しかったので、頃合いを見計らって、立花山城に向けて進撃。
 立花山に援軍を出して、すっかり空になっていた毛利さんの城井谷城を無視して、決戦場の立花山に
 向かった理由は察して頂戴な。
 はい、一気呵成とはこのことよ。
 府内城で貯めに溜め込んだ兵力を全開放。喰らえ!
 そしてまたまた目の覚めるような火事場泥棒ぶりを発揮し、ほとんど兵を損じること無く立花山城を
 接収。
 そしてその返す刀で敗走中の龍造寺を追いかけ、その勢いのままに西九州を制覇。
 ついでにお近くの博多港で余生を送っていた大友さん家もゲット。
 恐ろしい子・・・・・・ to 元親さん
 恐ろしいくらいに上手くいくよ。
 ほとんど兵を失っていないし、懲りずに兵舎を建てまくって募兵しまくっているので、この時点で兵力は
 10万まであと1万を切ってる状態。 兵力はダントツで全国一位。織田さん家でさえまだ7万よ。
 
 怖いな。
 これからが。
 
 一応合間合間に技術の研究も良い感じに進んでて、今回はさらに織田さん家が思ったほど勢力を
 広げて無く、この時点でウチがナンバー1。
 でも、怖いのは織田さん家なんですね、やっぱり。
 いつかは叩かなくちゃいけないので、というか、既に元親さんは調子に乗りまくっているので、九州攻略
 は軍団を新設して弟に任せ、自分は四国部隊を率いて織田さん家に猫だましをかまそうという腹づも
 りでいらっしゃる。
 ええ、兵力的にも武将的には、今度はいけると思うんです。
 九州では、立花さんや大友さん高橋さん、甲斐さんや龍造寺さんなどのお歴々の方々を味方に
 加えたので、貧弱な四国だけの武将でこれまで返り討ち記録を重ねてきた歴史をストップ出来るかも
 しれないです。
 ええ、ほんとうに戦力的にはいけるはずなんです。
 現在織田さんは、山陰地方に駒を進め、主力武将もそっちに集まり、赤松さん家を蹴散らした後に、
 毛利さんと当たる事でしょう。
 だからウチは、その隙をついて本州上陸し、まず岸和田城の三好さん家を落として、そして城を要塞化
 して橋頭堡にし、そこから延々と嫌がらせしてやるんです。弾(兵力)ならいくらでもあるんや! ・・・。
 
 でもね。
 元親さんですから。
 
 連戦連敗の王、不勝神話、ヘタレの中のヘタレ、キングオブ死国の、あの元親さんですから。
 どうなるかっていったら、そりゃあもう・・・・・・・・・
 長宗我部さん家の(残酷)物語が、今、始まる。
 
 
 
 
 
 ◆
 
 冬目景「ハツカネズミの時間」、最終巻、読了。
 
 
 『俺たちは空白の時間を過ごしたことになる。』 〜  最終巻より引用
 
 誰だって、誰かに求められたい。
 というよりも、誰かに求められることを求めている。
 ただただ、自分だけがその人を求めているだけで良いということに、人はいずれ満足出来なくなる。
 自分だけがその人を求めているだけということは、結局は独り善がりで、自分だけしかいない世界
 なのでは無いかという恐れが広がり、それゆえに、その誰かの存在があることを証すためにこそ、その
 誰かにも自分のことを求めて欲しい。
 それはイコール、自分の存在証明。
 その人のことを求め愛している自分の証明であり、しかしそのことのためにその人を自分が愛し求め続
 ける事だけしか無いとなると、人は途端に不安に陥ってしまう。
 なぜならば、その自分を証明しているのは、その自分しかいないから。
 だから、自分を愛して求めて欲しい。
 自分が求めて愛している、その愛しい人にこそ、その自分を認めて欲しい。
 ただただ、その人を愛し求めるだけだったものが、いずれそれはその人の愛を求めるように変わっていく。
 だから、私を見て。
 そして、あなたこそ、私に見つめられているあなた自身の姿を見て頂戴。
 
 あなたは、あなただけのものじゃ無いんだから。
 
 自らが他者へと与える影響と、他者が自分に与える影響を細かくほどき、組み上げ、その中にこそ
 広がっていく、ひとつの小さな世界がそこにはずっとあった。
 梛が、桐子が、槙が、会長が、檀が、木綿子が、茗が、椋が、棗が。
 求め、求められ、求めるを求め、求めるを求められ、求められるを求められ、求められるを求める。
 ほんとうに、小さな世界。
 でもそれが、ずっと続いていた。
 この世界が終わることなど無いと思っていた。
 あの人が、私が、此処に、其処にいるから。
 変われると思った。
 あの人のために。
 あの人がずっと目の前の其処にいるから。
 あの人が、変わらぬ小さな世界の外からやってきてくれたから。
 熱くて静かな闘いと、冷たくて激しい闘いの連続。
 狭い世界の中であなたから受けてきた仕打ちは、しかしこれからのあなたとの生活のためになら、
 それが良くなれるのなら、いくらでもそれらを忘れる自分を肯定し、また忘れたい。
 希望が無いのは絶望では無く、ただ変わらぬ平穏という安全が保証され、それになんの不満も無かった
 ときに出会ったあなたはしかし、私を刺激溢れる恐ろしい外へと連れ出してくれ、もしあなたがずっと側に
 いてくれるのなら、その外の世界の中で懸命に生きられるし、また今までのあの小さな世界で過ごした
 時間がすべて無意味であることにも耐えられる。
 あなたが、いるから。
 
 
 それが、ハツカネズミの時間。
 くるくると、小さな繋がりの中を回転し続け、それを認識出来ない時間。
 
 でも、その時間を生きるそのネズミは、確かに生きて今、此処にこうして存在している。
 そして目の前には、自分と同じネズミが、確かに生きて今、其処にこうして存在している。
 
 
 人は繋がりを生きるのでは無い。
 人は繋がりの中で生きている。
 繋がりを求めることも出来れば、繋がりを断ち切ろうとすることも出来る。
 しかし、その繋がりの中にあるということだけは、絶対に変わらない。
 それは、絶対のこと。
 どんな風に思おうと考えようと感じようと、他者は其処に存在し、自分は此処にいて、絶えず影響を
 与え合っている。
 繋がりが無いということはだから、絶対に無い。
 だから。
 最終的にそのハツカネズミは、絶対の安心を、得る。
 それは、その安心とは。
 生活。
 誰がいようといまいと、誰が来ようと来まいと、誰が愛そうと愛さなくとも、関係無く生きている。
 くるくると回さなくても、他者との繋がりの輪が無くなることは無く、いつでもまた、それを回すことは出来
 る。
 それを回しても回さなくても、そのネズミは生きている。
 否。
 もうそう思ったとき、そのネズミは くるくると回っている。
 あの人との繋がりを求め続けた長い年月。
 あの人を求め、あの人に自分を求めるを求め続けた、掛け替えの無い愛。
 でも、時間は回る。
 その小さな世界の外には、世界があった。
 あの人との関係が壊れても、あの人と私の存在が消える訳では無い。
 だから・・・
 
 『今思うとどちらがいいのかわからないけれど、 これが現実なんだ。』 〜最終巻より引用
 
 あの愛しき怨めしい年月が無駄になることのどうしようも無い苦しみを癒すのは、ただただその外の
 世界での生活と、そして今までの世界の中でのその今までの生活の意味を見据える生活だけ。
 私は今、生きて此処にいる。
 だったら、もう、生きるしか、無い。
 どういう風に?
 それを教えてくれるのが、その長い長いハツカネズミの時間なんだ。
 外の世界に出ても中に残っても、あの人との繋がりが消える訳でも、それを考えずに済む訳でも無い。
 
 『この学園で過ごした時間が、高野くんにどう影響するのかな。』 〜最終巻より引用
 
 行こう、日常へ。
 新しい、日々の生活へ。
 
 『窮屈で不安で、だけど、なぜか懐かしくて・・・・・
 そして、悲しい気持ちになる。
 本当の日常はそんな場所にあったような気がする。』 〜最終巻の背表紙より引用
 
 誰もがみんな、ひとりではいられない。
 なぜならば。
 ひとりにしないでという切なる願いがあること以上に。
 誰もがみんな、圧倒的に自らの此処に存在しているから。
 だから。
 ひとりだけ消えていくなんて、全然もう、考えられないんだ。
 
 
 そういう意味で、私はこの「ハツカネズミの時間」というものは、私が尊崇し絶対の敬慕を与えている
 冬目景の「羊のうた」を、越えたと思う。
 というより、「羊のうた」で越えられなかったものを、今、越えたのだと思う。
 「羊のうた」では、その「越えるべきもの」というものの存在ははっきり認識されていたけれど、しかしそれ
 を敢えて乗り越えない自分という、その選択者としての自分を愛する作品。
 自らの背負っていた小さな世界の重みが愛しく、しかしその愛を口実として、その愛を選び、その外に
 ある世界と対峙する「だけ」の自分を生きる「覚悟」の重要さこそを論じた作品。
 「羊のうた」の真髄は、巨大な現実の世界の手前で、それまで自分が描き積み上げてきた他者との
 繋がりで出来た小さな世界と心中すること。
 たとえどのような絶望が押し寄せようとも、愛するものを全うする、その覚悟。
 それさえあれば生きられる。たとえ病に冒されようとも、生きようと思える。
 愛するあなたのために。
 あなたを求める私のために。
 そして、私を求めるあなたのために。
 
 そして、「ハツカネズミの時間」は、傲然と、その「羊のうた」を睨み付けている。
 
 たとえ、あなたがいなくとも、私がいなくとも、私もあなたも生きている。
 生きるって、ただもうそれだけのこと。
 「羊のうた」で命を賭けて編み続けた、他者との繋がりの中の世界の、その紡ぎの先には、
 この「ハツカネズミの時間」の絶対の安定がある。
 「羊のうた」は、圧倒的に巨大な世界を、その中で生きる自分をこそ知らなかったからこそのもの。
 その圧倒的巨大な、あの家の外の世界の「現実」に飛び込むくらいなら、この家と心中した方がマシ、
 けれどこの家を肯定してその中で安寧に着実に生きていくくらいなら、舌を噛みきって死んだ方がマシ。
 
 「羊のうた」は、死を題材として生の意味を語ることで、死を生きる物語。
 
 それは、生きているとは、言えない。
 
 生きようともがいているうちに、「生きようともがくこと」を生きてしまう。
 「羊のうた」は、決然としてなによりも凄艶ではあるが、しかし同時にもの凄く、生きて此処にあるという
 ことの現実感に怯えている。
 「羊のうた」とは、決然と凄艶に思考の世界を生きる自らの存在が、その外にある巨大な世界とそれで
 も接していることからは逃げられない、そのどうしようも無い「怯え」をその背景として持っている。
 そういう意味では、私は「羊のうた」の「続き」を求めていた。
 「羊のうた」は、冬目景という「なにか」にとっては、第一段階にしか過ぎない。
 それは、「羊のうた」という作品が完結し、その後も冬目景は生きて此処に居続けていたからこその
 ものであり、同じくあの作品を読んだ後も生き続けている私が此処にいるからこそのものである。
 「羊のうた」が、千砂が怯えていたのは一体なにか。
 あり得たかもしれない未来というのが、実は空想では無く紛れも無い現実だということを誤魔化し続け
 ていたのではなかったのか。
 ただ不幸な「現実」という名の「空想」に耽り、その巨大で圧倒的な自らの存在に接している世界という
 名の現実を無視していたのではなかったのか。
 「羊のうた」は、美しくも悲しくも強靱なラストを飾っておきながら、その一抹の、そしてなによりも深い
 疑問を残して終わった作品でもあったのだと、私は思っている。
 そして、その疑問に正面から立ち向かった、今現在の此処、つまり今まで過ごしてきた長大な時間の
 果てにいる冬目景こそが、この「ハツカネズミの時間」を描き切ったのだと思う。
 私には、この「ハツカネズミの時間」は、完璧に終わり、そして完結したと思う。
 しかし。
 それは、「羊のうた」が終わったときにも、全くそう思ったのだ。
 明日以降も、延々と続く生活の中で、私はこの作品の中にいた時間を噛み締めながら、そうした長い
 時間の中で、またそのときの今此処にいながら新たな「なにか」をみつけていくのだろう。
 
 
 まー、こんな感じ?
 ぶっちゃけ、「ハツカネズミの時間」が私の中で最高レベルに達してるので、上手く書けない病発症
 しまくりなんですけれど。
 うがー。
 上手く書けないー。
 ま、羊と比べると、作品としての凄みは羊のがやっぱり圧倒的に上だし、やっぱりまだまだ漫画最高作
 が羊っていうのは変わらないのよ。
 でも、テーマ的にというか、哲学的にというか、一個の人間の生き方的には、やっぱり、うん、
 ハツカネズミの方が、っていうか、ようやくネズミが羊を追い越して導く位置に来たな、って感じ。
 脱「羊」じゃー無く、「羊」バージョン2としてのネズミって感じなのかな。
 羊があったからこそというか、羊を主体にして、じゃあこれからどうするよと考えた結果、ネズミに辿りつい
 たというかね。
 或いは、こうとも言えるね。
 ネズミという主体が、羊という最高の武器を手にした、と。
 逆にいうと、羊という主体だったものをすら、武器として客観的に使えるネズミという主体が出来た、と。
 まぁ、よくわからないです。 (ぉぃ)
 
 
 ということなので、お疲れ様でした。
 本日はこの辺りで、バイバイで御座います。
 またね。
 
 
 
 
 
 

 

-- 080505--                    

 

         

                              ■■ イタミワケを求めて ■■

     
 
 
 
 
 『あなたはあなただけのものじゃ無いのよ。この世に自分だけのものなんてひとつも無いの。
  みんな誰かと関わって、なにかを共用してる。
  だから、自由にならない。
  だからこそ・・面白くて・・・・・・・・哀しくて・・・
 
  ・・・愛おしいの。』
 

                           〜xxxHOLiC◆継 ・第三話・侑子の言葉より〜

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 煉獄の手前の、炎の畔。
 水飛沫に溶けた地鳴りが耳朶を染め、鼓動だけが闇を満たしていく。
 自分の音が、聞こえる。
 広角に開けた部屋に蔓延る氷炎の相克が、胸を打つ。
 静かに息を潜める闇。
 闇が、広がっている。
 暗い。
 寒い。
 指先に灯した一輪の炎は、私の瞳に紅を映したまま、小さな吹雪によって掻き消される。
 凍り付いた指先の、その雪の結晶に映るは、紅い瞳。
 靴擦れが、痛む。
 足首をさするために傾けた体はしかし、部屋の隅をこそ注視している。
 靴擦れが、痛い。
 痛くて、堪らない。
 けれど、私はずっと、その部屋の奥に潜むなにかを見つめている。
 凝視。
 痛みは、消えない。
 激痛が、全身に広がっていくのを、片手間で押さえ付けている。
 痛みを逸らすために凝視を続けているのか、痛みを抑えてでも視なければならないものがあるのか。
 それとも、凝視すべきなにかを得るためにこそ、この痛みがあるのか。
 そう、呟きながら、溶けていく想いが、凍り付き、燃え盛り、縷々と部屋を満たしていくのが観えた。
 憎悪。
 
 それは果てしない、憎悪。
 
 膝を抱え、待っている。
 絶えず張り巡らされる戦略を、説得を、教唆を、すべて抱え込んで。
 邪気が溢れ出す館の中の真央にて、思考を巡らすは私。
 恨みは、埒外。
 いいえ。
 私こそ、事の外。
 我が臓腑たる部屋に満ちし怨恨は、それを見つめ滾らせるほどに肌から滲み出ていき、それを見る者
 に憎悪の化身と思わせるほどの恐怖を与える。
 怨みの館、此処に在り、というところかしらね。
 そして私は滾々とその邪気を張り巡らし、しかしその分だけ透明になっていく。
 ずっと聞こえるは、さらさらと流れる衣擦れの音。
 いつの間にか靴は脱げ、部屋にごとりと転がされていた。
 紅く炎上するその靴は、その形を保ったまま、その恨みを背負い館の彩りの一助となっていく。
 それはそんなに簡単に脱げるものなのかと、考える。
 靴無き足首は痛みを失い、見つめるべきを失った私の体はどうなるのかとおもう。
 絶え間無く燃え広がる怨嗟の炎を見つめる私の瞳には、ただ冷たく静かな氷が宿っている。
 炎は外に、氷は内に。
 真紅の炎を映す我が瞳は、圧倒的に冷たいわ。
 漆黒の、瞳。
 なにをも包括する、闇の眼差し。
 その黒は、映ったものの色か、それともそれを映した自身の色なのか。
 
 それら全部を含んでの、この漆黒の闇よね。
 
 
 恨みそのものを解消したところで、なんの意味も無い。
 恨みなんて、ただこの館を彩る炎にしか過ぎないのよ。
 私はその館の中で、ただあなたを待っているわ。
 ちくちくと、刺すように張り巡らした蜘蛛の糸。
 そのひとつひとつの恨みの論理を辿ってくれなくちゃ、困るわね。
 でもね、あなたがその糸を切り裂こうとも、その糸もまた恨みにしか過ぎないゆえに、やっぱり私とは
 関係が無いの。
 あなたがあなたの論理で動くことなど当たり前、だったら、私はあなたの論理のままに、あなたの大事な
 ものを奪う理不尽な悪役を演じましょう。
 その悪役の皮も、私の足首の幻痛から練り出した炎を纏っているから、本気も本気よ。
 でも私は、その皮の、その炎の内にいる。
 その悪役の仕草も怨恨も、私の外にある。
 そして、その外と内も、私の漆黒の闇の中。
 
 『ふぅん、噂通りね。 可愛い男の子♪』
 
 あなたは、私の眷属たるとある蜘蛛の恨みを買ったわ。
 『私は蜘蛛を統べる者。 昔は女郎蜘蛛なんて呼んだ人間もいたわ。』
 黒光りするまでに磨いたこの笑顔の中の微笑は、なによりも透明なのよね
 禍々しきオーラを放ちながら、しかしその中に咲く笑顔には一点の邪気も見られない。
 けれどそれを見る者は、その黒の中の白をこそ逆になによりも禍々しく感じるもの。
 それはそうよね、これだけ怨嗟渦巻く悪魔の館の中で笑っているのだもの、それより怖いものは無い
 はずよね。
 でも、私のこの笑顔は本物。
 恨みを綺麗に外に吐き出して、たんにその恨みで造った館を攻略してさえくれたなら、私は誰とでも
 仲良く出来るのよ。
 館の中の、恨みの中の私は、いたって優しく、そして友好的。
 でも、怖いわよね?
 怖さを感じるわよね?
 なーぜ?
 なぜならば、あなたの瞳に映っているのは、私の笑顔だけじゃ無く、この恐ろしい館もだからよね。
 この蜘蛛の糸の張り巡らされた恨みそのものは、掛け値無しに恐ろしいもの。
 そしてそれを感じるからこそ、あなたは私の笑顔を直視することが出来ずに、そしてこの館ごと私を
 葬り去ろうとしてしまう。
 
 『誰だ!』
 
 『それはあなたの一部が知っているわ。』
 
 あなたの瞳に映るその化け物の姿は、映った者の本質か、それともそれを映した自身の本質なのか。
 あなたが怖がっているのは、あなたの中の私。
 それは、此処にいる私じゃあ無いわ。
 あなたがそうやって、あなたの中の他人とばかり遊んでいたら、私は困っちゃう。
 『私、そういうの嫌い。』
 自分の存在が、他者にどういう影響を与えているのかを、考えて頂戴な。
 あなたが勝手に復讐者の姿を怖れ、その復讐者を殺すだけならば、それは復讐者の立つ瀬が無い。
 いいえ、復讐心に駆られながらも、それはそれとして新たな関係をあなたと結び直そうとするための、
 そのために必要な道具として恨みを使う者にとっては、もはやその恨みを無為に復讐のために実行
 するしか無くなってしまうわ。
 あまりにも、無念でしょう? それは。
 恨みを外に冷静を内に捉え、悪役を演じるのは、それでもその関係の修復を続けようとするからなの
 だし、与えるべき罰は与えねばならないし、またこの交渉の間に起きる様々な事柄の理非についても
 裁いていかなくてはならないのよね。
 それが、この闇を統べる者のお仕事なの。
 
 だから、お願いね。
 冷静に、お話しましょ。
 
 『管狐を、止めて。』
 
 
 
 

〜 さぁて、体を動かしましょうか 〜

 
 
 
 
 座敷童がね、言ったのよ。
 どうかあの人の右目を返してください、ってね。
 かたかた震えちゃって、私の邪気に当てられてるだけでも大変だったでしょうに。
 よっぽどあなたの力になりたかったのね。
 でもね。
 私は勿論返さなかった。
 なぜ?
 『意地悪だから♪』
 そうよ。
 だって、あなたとの交渉に必要なものなのだものね。
 この右目は、あなたが蜘蛛から買った恨みの対価なのだし、そして勿論私は返品には応じるつもりだか
 ら、ちゃんと買った恨みを解決するために必要ななにか、そうね、取り敢えず「誠意」とでも名付けてお
 きましょうか、それをね持ってきてくれさえすればいいのよ。
 なのに、それを無視して右目だけ返してくれというのは、虫が良すぎてかえって笑えると思わない?
 私がただ黙って大人しく返すのが当然で、そうしない私は鬼? 悪魔?
 ふーん、じゃあ、そのあなたの取った態度の対価は払って貰わなくてはいけないわよね?
 私はお望み通り、鬼と悪魔になって、そして交渉ごとに必要なものだから右目は「返せない」ものだった
 のを、その鬼の私の「悪意」で以て「返さない」ことにするわ。
 ええ。
 
 私を鬼や悪魔にしたのは勿論、あ・な・た♪
 
 だから私は、その悪魔となった私の姿をあなたに投げ与えるのよ。
 そしてね、それはそれとして、私はその悪役の皮を被った、普通に冷静な裁定者なの。
 あなたはあなたの不誠実で理不尽な態度の責任を負って、その責務たる悪魔の私の「姿」をきっちり
 と受け入れ、そして解消なさいな。
 そしてあなたは、当然その私の姿を怖れ、そのまま葬ってしまうでしょうから、私はそれにも大きな罰を
 与えることになるわ。
 
 さて、あなたはいつ気付くかしらね、この構図に。
 
 あら? 不毛なんかじゃ無いわよ?
 だって、あなたの右目って、これってこっちの世界じゃもの凄く価値があるものなのよ?
 あなたがたとえ蜘蛛の論理を無視し続けようとしても、私はある程度の段階でこの交渉ごとを打ち切
 って、あなたの負けとするための仕組みを整えるだけ。
 あなたには敗北感を与え、そして私は、お宝の右目を手に入れる。
 そもそも、私は恨みと一体化なんてしてないから、右目を手に入れられればそれで充分元は取れるし、
 そう計算されてあるのよ。
 この館は、すべて、私が損をしないために造られた、淫らで優雅で強靱な仕組みなの。
 そう。
 最初から、私は右目を得ることを目的としていたのかもね。
 しっかりと理を通し、自他共に文句無く、完全無欠にそれを手に入れるために、わざわざこのような
 恨みのシステムを作動させていたのかも。
 ほら、あなたのために私のところにやってきた座敷童は、私の邪気に当てられて伸びちゃってるわ。
 別に私はこの子を捕らえてるつもりは無いのだけれど、でもこの子の存在は使えると思ったから、私は
 この子を人質として利用することにしたの。
 ふふ、この子は気絶しちゃってるから、人質の意識なんてないでしょうけれどね。
 さぁ。
 どうするの?
 この子は、あなたの右目を、あなたのために取り返しにきたのよ?
 なのにあなたは、その右目はおろか、残った左目を差し出して、この子を救おうとするのかしら?
 ならば、私はこの子を盾にして、色々と要求させて貰いましょうか。
 座敷童の心の臓もまた価値あるものだから、これを頂いちゃおうかしら?
 もはや目だけじゃ、足りないかも。
 どうする?
 私はどう転んでも損をせず、淫らに豪快に、悪辣に笑うだけ。
 あなたの中の、私の恐ろしい姿のままに。
 
 
 決めるのは、あなた。
 
 
 座敷童は、無礼に蜘蛛の論理を無視してやって来たのだから、囚われて当然。
 私に捕まったんだから、この子の心臓はもはや私のもの。
 あなたも、そう。
 もういくつも、無礼を働いているわ。
 でも、いいわ、そのうちのいくつかは私が背負ってあげましょう。
 私の悪魔の仮面は、そのためにもあるのよ。
 意地悪をするのは、そうして強く振る舞い、あなたの無礼の責を背負うための活力を得るため。
 理不尽であることを、私は意地悪というものを通してあなたに示せるからこそ、いくつかのあなたの無礼
 を背負ってあげることが出来る。
 引き受けましょう、この館の主は、この闇を統べる者は私なのだから。
 そのために私がどれだけの労力を支払っているのかは、言わないわ。
 だって、大事なのは、ただこの件をどう上手く手打ちにするかということだけなのだからね。
 
 『いいわ。座敷童は返してあげる。』
 
 座敷童の想いを裏切らずに、自らの身を投げ出さずに私に牙を剥いたのだから。
 『こういうの、好き。』
 
 『でも、これは貰うわ。』
 
 私の蜘蛛の論理は無視したのだからね、その責任は取って貰うわ。
 
 
 でも。
 
 『またね。』
 
 
 半分だけでもわかったのだもの、あなたは少し、見込みがあるわ。
 
 残りは私が、飲み込んでおきましょう。
 
 あなたから奪った、そのあなたの痛みと共に。
 
 
 
 
 ◆
 
 『出掛けた方と待つ方と、忙しいのはどちらかしらね?』
 
 
 恨みがあっても、それでも人は生きている。
 殺したいほどに憎んでいても、それでもその人と生きたいと思っている。
 それをわかって欲しいと、その憎い人に思っている。
 憎しみのままに殺してしまうのは簡単だし、そしてそれはなによりも恐ろしい破滅をも予感させる。
 だから、怖い。
 恨みを抱いてしまうのが、怖い。
 一番苦しいときだからこそ、一番簡単なものを選んでしまう自分が恐ろしい。
 そしてその恐ろしく単純で怠惰なものを選択すれば、必ずそれは絶望だけを残していく。
 憎ければ憎いほど、人はその自らの憎しみと戦っていく。
 破滅を求めている訳では無いのだから。
 それでも、他者と生きたいと思っているのだから。
 深い情熱も、思想もそこには無い。
 ただただそれは、孤独を本能的に回避しようとする、絶対無比の魂が成せる技。
 その魂が無い者などこの世に存在せず、だから人と繋がれぬことなど無いのよ。
 
 だから、わかって欲しいのね。
 その憎い人に、自分の犯した罪の重さを。
 
 だから、待っている。
 黙って、待っている。
 その人が、やって来てくれるのを。
 指弾したり、弾劾したり、泣き叫んだり、白刃を煌めかせて襲いかかったりなどせずに。
 ただ、大人しく、必死に待っている。
 憎い、憎いと胸の内に木霊する絶叫と、死闘を繰り広げながら待っている。
 きっと、あの人も、私との繋がりを求めてくれるはずと信じているから。
 けれど、それは無視されてしまう。
 ただただ、恨みの論理を無視して、目先に自らの所属する論理でしか動かない、その人しかそこには
 いなかった。
 憎悪の炎は燃え盛り、それはどこまでも吹き飛んでしまうわ。
 でも、それでお終いにはならないのよね。
 だってそれでも、あなたは生きて此処にいるのだから。
 あなたが生きている限り、あの人も生きて其処にいるのだから。
 だからこそ、鬼になるのね。
 復讐の鬼では無く、裁定者としての鬼にと。
 待っているだけでは駄目だった、けれど本当は、ただ相手が詫びを入れるのを待っていれば良いだけ
 なはずであり、こちらから出向くのは理不尽でもある。
 そして、その理不尽さを耐えて出向いた先で、さらなる理不尽を受けたりする。
 そう、だから、それをあなたは全て予見しているのね。
 あなたの憎むあの人の言動を全て予測出来るからこそ、もうなにをやっても無駄だという絶望が広がる
 のだけれど、しかし、ということはつまり、予測出来るということはつまり、それに対して自分がどう振る舞え
 ばそれを良い方に持っていくことが出来るという、そういう力強い思考を導いてもくれる。
 強くなりたい、賢くなりたい、もっと、もっと。
 そのとき、あなたは感じるわ。
 ああ、私はこんなにも強かったんだ、こんなにも賢かったんだって。
 だってもう、これだけ無理だと無駄だとわかっているのに、ここまで戦え、考え続けることが出来た自分を
 感じずにはいられないのだから。
 
 
 強く無い者など、賢く無い者など、この世にはいないのよね。
 人は、すべての存在する者は、初めから必ず、ずっとずっと強靱で、賢明なる完璧な存在なのよ。
 
 
 それが、自分の思い込みだというおもいを拭うことは出来ない。
 所詮そんなものは、自己欺瞞にしか過ぎ無いと。
 そう、それは、あなたがあなた自身を完璧な者だと、自分で言うことしか出来ないから。
 だから、言ったでしょう?
 あなたが強靱で賢明で完璧な存在であるのは、初めから、そして必ずそうであると。
 あなたがどう思おうと、あなたは完璧な存在であり、あなたがどう思おうと、それは不変のこと。
 それをあなた自身が保証する必要など、無いのよ。
 その必要が無いほどに、それはこの世界そのものが既に保証しているのよ。
 なぜなら。
 
 それが、あなたが此処に存在しているということ、そのものだから。
 
 全ての存在する者には、完璧な魂が宿っているの。
 それを保証する責を、あなたひとりが負う必要は無い。
 何事も、半分。
 その責は、この世に背負って貰いなさい。
 あなたの存在に、頼りなさい。
 それで得られたあなたを生きるのは、あなたの仕事。
 だからあなたは、愛しくこの世界の中で、他者との繋がりを求めて、強く賢くなろうとすることが出来る。
 何事も半分。
 
 
 『そうね、すべては半分。
  片方がすべてを引き受けることなんて無理。
  でなきゃ世界は傾き過ぎて壊れてしまう。』
 
 
 憎しみは、外へ。
 そして、その論理となった恨みを使って、憎いあの人との繋がりを求めていく。
 全部をあなたが背負う事なんて、無いわ。
 だけど、全部をあの人に背負わせることも、無いわ。
 あなたがこの世界の中であの人と繋がりたいと思った分は、あなたが引き受けなさい。
 いいえ、あなたはそのあの人を求める自分のおもいが、そのあなたが引き受けたものから受ける実感に
 よって保証されていくのを感じられるからこそ、それを引き受けられるのよね。
 あの人と繋がるためになら、頑張れる。
 あなたはどこまでも、強く賢くなれる。
 そして、あなたが手に持つべきは、恨み。
 あなたが受けた、そしてこれから受けるであろう仕打ちを忘れる必要なんて、無い。
 もう二度と、ふたりの間で同じ事が起きないようにするためには、相手にそれを知って貰わなくては
 いけないのだから。
 あの人に、罰を与えなさい。
 そしてなにより、その罰を向こうから求めてくるような、そういう状態にしなさい。
 そのための恨みの説明をしなければならず、しかしその恨みの説明をしなければならない義務はあなた
 には無く、それはそもそも恨みを買った当人がせねばならないもの、ということも考慮した、そういう説明
 をあなたは体現しなければならない。
 如何に相手に自主的に贖罪させるかを、考えなさい。
 そんな思考を自らがせねばならない恨みは、あなたの求めるもののために、あなたの外に放り出して、
 あなた自身が背負えばいい。
 
 あなたのその恨みは、背負った痛みは。
 
 すべて、今此処に生きているあなたのためのもの。
 
 そして。
 
 
 今此処に生きているあなたは、あなただけのものじゃ無い。
 
 
 
 あなただけが、あなたの存在を背負う必要など、どこにも無いのよ。
 
 
 そう思えれば、みえなかったものがみえてくる。
 あなたの周りには、あなたを求めている人がいて、繋がりがある。
 いいえ。
 あなたがこの世界に存在しているという、それ自体が、他者に影響を与えているの。
 だから、考えなさい。
 だから、悩みなさい。
 知らず知らずのうちに恨みを買い、誠意無き憎らしい者と出会う日々の中で。
 ひとつひとつ解決しようと考えることのうちに、他者との繋がりに歓びを感じることが出来るのだから。
 誰かのために、誰かとの繋がりのために、だからこそ、ひとつひとつ考え悩むことが出来るのだから。
 絶対的な答えなんて、誰も知らないわ。
 でも、ただの答えなら、その人と繋がる瞬間なら、無数に、そして無限にある。
 これが答えだと思える瞬間が無いことなど無く、必ず人はその答えを一度は得たことがあるはず。
 その快感を無かったことにするには、あまりにもこの世界は、あの人は愛おしすぎる。
 
 『そう・・』
 『ほんとうに、わからないとね、ワタヌキは。』
 
 
 自分が此処にいるということを。
 
 
 
 煌々と広がる月光が、縁台だけを照らすために集まってくる。
 切り取られた虫の音が醸す薄闇が、一握の時間を築いていく。
 痛みを、分けなさい、ワタヌキ。
 受けた痛みも、与えるべき痛みも、半分に。
 痛みを分ける大事な人達が、この世界にはいる。
 痛みを分けるは、この世界に在る自らの存在を認める行為。
 そして無論、その自らの存在と繋がっている他者の存在の認証。
 
 
 それが、過不足無しの、恨みの対価なのよ。
 
 
 『右目は戻らないわ。もう女郎蜘蛛の中に溶けて消えてしまったから。』
 
 『いいの?』
 
 
 『良くは無いですけど・・右目は無くなったけど・・・・・わかったことがありますから』
 
 
 
 

そう。

じゃあ、これを渡しましょう。
 
『百目鬼くんの、右目の半分。』
 
『どうする?』
 
 
 
 
あなたの中に溶けた、その恨みを得た痛みこそが。
 
 
それが、人の生きる悦び、なのよ。
 
 
 
 

 

 
 
 
 
 
 
                           ◆ 『』内文章、アニメxxxHOLiC◆継』より引用 ◆
 
 
 
 

 

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