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◆◆◆ -- 2008年6月のお話 -- ◆◆◆

 

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                              ■■ 時間稼ぎタ〜イム ■■

     
 
 
 
 
 挨拶もそこそこに。
 ホリック最終回と外伝の感想のUpが遅れていますごめんなさい。
 けれど紅い瞳の素晴らしい頑張りの結果、最終回分の感想は既に8割がた完成していますので、
 現在急ピッチで作業を進めているところで御座います。
 その急ピッチとか言う言葉を言いたいがために、現在こんなことを書いている時間をどこかから捻出
 してきた怠け者の鑑な紅い瞳で御座います。
 皆様、ごきげんよう。
 さっさと感想を書きなさい。 (微笑)
 
 ということで、時間稼ぎです。
 今日はほんのちょっとなんか書いて誤魔化して、ホリックの感想の方は明日か明後日にはUpします。
 ので、まぁうん、そういうことです。
 
 
 最近、こう、がくーっときました。
 なにかこう、アニメのキャラへの思い入れっていうのが、こう。
 お気に入りのキャラが消えちゃったことで、こんなにずしーんと来るだなんて、灰羽連盟のレキさんが
 旅立ったとき以来じゃないかしら。
 ていうか元々私のお気にのキャラって途中退場あっても円満系だからかなぁ。
 まぁいいや、それよりもこう、2次元のキャラの死とかにそんなんなるなんて変じゃね? っていう言葉が
 馬鹿みたいに聞こえるようになるくらいには、最近色々とわかってきたような思い込みのような、
 そんな感じではあるのですけれど、ああ。
 辛い。
 どんよりくる。
 あんまり四六時中そのことを考えてるって訳じゃ無いんだけど、急に思い出してずしーんってくる。
 悲しいとかそういうんじゃ無くて、なんていうのかな、喪失感? なんだろ、よく知ってる感情なはずなの
 に、それがアニメキャラの消失ってだけで、ちゃんとその感情に名前をつける勇気が持て無いだけなん
 じゃないの? っていうか、ああ。
 重い。
 がっくりくる。
 そういう感情とか感覚とかを、ただ力任せに我慢しようとしてる幼い私がごろごろいて、そういうの全部
 掻き分けて、くぐり抜けて、でもなんかまだ、こう、どこか落ち着いていて、でも、
 
 
 
 
 ◆ 緋 桜 閑 様 追 悼 会 ◆
 
 ううん、違うよ。
 閑様死んでないよ。
 だって、怪しいじゃん、あっさり過ぎるじゃん。
 声優のクレジットがなにげに変わってたし、そもそもまり亜から魂(?)を移動させたんじゃ無くてコピー
 して戻したみたいだったじゃん?だってふたり同時に喋ってたじゃんすぐにまり亜は動かなくなったけどあれ
 がそういう振りで無い証拠は無いし大体棺様を警戒していたんだからなんの準備も無しに負傷状態
 で学園の敷地内をうろうろしてる方がおかしいしそれ以前に遭遇した時点で手を出してくるってわかって
 るはずなのに無防備ってことは逆にあそこで襲われることを想定しててつまりそれはええとええと、あれ?
 でもそれって逆にいえば殺されることを目的にしてるってことかもしれないしそれでも一応なんか閑様的
 に一応辻褄は合っちゃうしでもでも(以下略)
 
 まだまだ、修行が足りないようで御座います。
 
 
 でもこの気持ち大事にしたいなー。
 この気持ちを主体にして考えたら、きっといつもと違うなにかを感じられるんだろうなぁ。
 今夜最終回です、ヴァンパイア騎士。 ていうかもうあと放送まで15分切ってるけど。 (笑)
 そのラスト一回でなにかが変わるかどうかは関係無く、なんていうのかな、「緋桜閑」と「閑様」を分けて
 感じた上で、合わせて考えていきたいっていうか、それがなんかすごいものを私に与えてくれそうな
 気がします。ていうか、紅まり亜も考えなきゃあかんのよね。
 よし、なんか燃えてきましたよ。 ← まだ素直に萌えと言えない羞恥心
 
 
 
 ラスト。
 サカー。
 ユーロ。
 終わりましたけど、なにか。
 スペイン優勝ですね。
 ・・・・。
 なんか、ふつー。
 ていうか、ドイツが不甲斐なさ過ぎ。
 スペインのサッカーはハマると確かに面白いし私も好きなんだけど、ハマる状態を自分達で作り出す
 ことが出来るかどうかがほとんど相手次第なので、そういう意味でスペインのあの後半のパスっぷりは
 ドイツのぐだぐだ感あってのものだし、うーん。
 でも確かに前半のスペインの縦縦への執拗な攻撃がドイツを疲弊させた(というかむしろドイツはその辺
 りは結構良く防いでいた)というのはあるけど、そのれ決着点があの決勝点じゃ、ねぇ?
 あれはフェルナンドトーレスのスピードより、ドイツディフェンスの連携の悪さ、もしくはGKレーマンの
 パフォーマンスの悪さの御陰ですって。
 ほんとレーマンは相変わらず安定度低すぎで、ヘボいときの飛び出しはほんと中途半端。
 逆に言えば、あのミスが無ければ、ドイツに攻撃を防がれっぱなしのスペインの方が疲れてたかも。
 だからあの試合は、私的にはドイツの自滅、って感じ。
 
 うーん、なんか、すっきりしない。
 
 そんな感じで御座いました。
 スペインに強さ感じ無いものー。
 良いサッカーしてるけどね、くらいかなぁ、でもあれを良いサッカーっていうのも一面的な気もします
 けどね。
 私がスペイン好きなのは、むしろ試合の大勢が決まったあとの、スペインの曲芸的なパス回しのあまりの
 面白さがゆえにありますので。
 
 
 さて、今夜はこの辺りにしときましょか。
 では、また。
 
 
 
 
 

 

-- 080624--                    

 

         

                              ■■ 紫陽花太政大臣 ■■

     
 
 
 
 
 梅雨。 (挨拶)
 
 改めまして、ごきげんよう。
 じめじめむしむししますけれど、あまりそういうことは口に出さない方が良いと思います。
 口にした分だけ湿度が上がることもあると思います。
 不快指数も上がると思います。
 すみませんでした。 
 
 
 
 
 ◆
 
 では、今日も早速お話させて頂きましょう。
 いくつかお話することはあるのですけれど、まずは平和的に前回出来なかったお酒の話をさせて頂き
 ましょう。
 平和的に、とか意味深な前振りをしたからと言って、なにか出てくる訳ではありません。平和ボケ上等。
 まず、まだ感想を書いていなかったもののお話をちょろりと。
 
 
 特別純米 出羽桜:
 お店のラベルに人気商品って書いてあったので、ちょっと手を出してみました。
 出羽桜言うたら有名ですし、たまにはそういう趣で愉しんでみましょうかということに。
 味的には、なんというか、引き潮? いや引き潮て。
 つまり、味が舌に残りにくいというか、すーっとどんどんと消えていく感じで、薄い酸味が軽く残る程度で、
 不味くは無いけれど、美味しいもっと飲みたいという感じでは無かったです。
 舌触りは面白いし、香りも微香という感じで、あまりお酒を飲んでいるという感覚では無いのですけれ
 ど、ちゃんと作りとしては甘みも辛みも小さくまとめられて存在しています。
 たとえるならば、包装紙が何重にもあってさらにその中には発泡スチロールに包まれていて、そしてようや
 く中身に辿り着いたらそれはすごく小さなものだけど割としっかりしてるもの、という感じ。
 隙が大きいお酒、ってことかな。お酒に隙ってなによ隙って。
 
 大吟醸 酒塊手取川 吉田蔵:
 第一印象は上のお酒と同じで、引き潮な感覚。
 でもこちらは飲めば飲むほど美味しくなってくるというか、特に酸味が甘く広がっていく感じ。
 甘酸っぱいのでは無く、最初ぴりっと軽く酸味を感じたのちに、それが飲むたびに甘さに変わってくる。
 適度に辛みもあり、落ち着いて飲める一品でした。なかなか。
 
 大吟醸無濾過原酒 川鶴:
 これは美味しい。文句無し。
 ぬまっとしてる。
 舌触りも喉越しもそうなのだけれど、文字通り綺麗な沼に口を付けているというか、とろけるような
 湧き水のように、周りの砂利が立ちこめて一瞬視界が遮られるけれどすぐに透明になってくるというか、
 つまりどっしりとした手応えがあるのだけれどもつるっとしていて、そしてそれが飲めば飲むほどに深まり、
 そして沼底を掻き上げて新たな味が浮上してくるみたいな、その表面の重たく綺麗な層の舌にはしっか
 りとした甘さがあって、これはほんとに久しぶりに完璧に美味しいといえる一品でした。
 
 
 うーん、やっぱり日本酒美味しい。
 日本酒は水を感じられるのが良いです。
 というより、深く味を感じ取ろうとして口にして、その味わいのままにさらっと綺麗に飲めてもしまうという、
 そういった、「味わう」と「飲む」が一体化している感覚があると思います。
 あと優しい気持ちになれます。 だって水だもの、水。 あとお米。 
 言っている意味がわかりませんけれど、たぶん大丈夫です、美味しいから。
 素材と会話出来るというか、お刺身的というか、あ、お刺身と日本酒ってやっぱり絶妙の相性ですよね
 、私は日本酒もお刺身も嫌いだったのに今じゃ大好きですよゴールデンコンビですよ、そういえば、
 先日人生初ウニでした、濃厚で御座いました、お口の中が幸せで御座いました、そしてこれまた人生
 初鯨もやってしまいました、不味くは無いけれど美味しくも無いという、なんか文化でした、意味がわかり
 かねますけれど、人生何事も経験です、初めて尽くしで御座います、ああ美味しい。
 
 大吟醸無濾過 一生青春:
 小革命きたこれ。
 日本酒に期待していることの8割5分くらいを満たしてくれていました。9割とは言いません謙譲精神!
 辛みから入り、しかし飲めば飲むほどにどっしりとした甘みが深まり、むしろ水の存在を忘れていられる
 ほどに味が濃厚で存在感がある。
 そしておまけに、華やかで豊満な香りで包んでくれる。
 そして最後には、濃い味が文字通り後味の悪さを残さずにすっと消えて、ただただ美味しい水が顕れて
 喉を綺麗に洗い、そして潤してくれる。
 まさに「味わう」と「飲む」を確かに満たしてくれる、ひとつの贅沢でした。
 うーん、これは私が今まで飲んできた中で、1、2を争うお酒です。
 一緒に飲んだ人達も良いと言ってくれました。 これ選んだの私、私!
 
 
 という感じです。
 お酒のお話は今日はこのくらいにしておきましょう。
 雨とか紫陽花とかサッカーとかを肴にして、今なら無限に語れる心意気が渦巻いてはしゃぎすぎて
 ボン!だ、というところなので、しめやかに控えさせて頂きます。 なにがボン!だこの酔っ払い。
 
 
 
 
 ◆
 
 さて、なんだかんだで忘れていることにされている、来期アニメのお話。
 全然もう新しいアニメが始まるのだという意識が無いので、全く自分がこれからなにをお話するのか
 ということに実感が持てないのですけれど、取り敢えずベラベラといい加減に語ってしまおうと思える
 辺り気が楽でいいなと思えるのですから、あながちそれも悪いことでは無いのかもしれないと思いつつ、
 なんとなく激しく土下座して謝っている自分が気持ち良かったりしています。
 ごめんなさい、ほんとこんな、いい加減な奴で。 (土下座)
 
 ということで、早速無反省に適当にいってみましょう。
 
 
 夏目友人帳
  これが順当かなっと。こういうのは好きですよね、私。霊とか霊とか霊とか。
 私的には融通が利くというか、面白そうというよりは感想書けそうって気がね、こう、します。
 でもほら、そういうのってありません? 好きって訳じゃ無いけど、好きになれそうなものとかって。
 そういう感じ。
 爽やかななにかを期待しています。今はそれだけかな。
 
 
 ・・・・・。
 以上。
 
 ・・・・・・・・・・・・。
 
 いえ、ほんとです。ほんとですよ。
 ほんとにこれだけです。
 ほんとに、なんにも無い。 来期はなにも無い。 終了!
 気持ち良いくらいに無いので、むしろ気持ち良いです。気持ち良いなこれ。
 なんだかどんどんとアニメに勢いが無くなってきてしまっている気がして、ひとりで気持ち良い〜とか
 足湯にぬるま湯注いでぬくぬくしてる場合では無いのかもしれないけどこれ気持ち良い〜。
 ごめんなさい。
 
 でも、これくらいの感覚も良いかなとは本当に思っていますし、少々アニメの数が多すぎていたというの
 は、私にとってだけでは無く、世に出されるアニメの絶対数的にもそうなのじゃないかなという思いも
 あります。
 なんでもかでもアニメ化し過ぎ、というよりはアニメ化を急ぎ過ぎてて、せっかくの素材が中途半端に
 なってしまっているということもあると思いますし、そういう意味でなら、そしていちファンとしては、じっくりと
 準備をして、ゆっくりと長い期間で放送してくれたらなと、そうも思っていますから。
 それと、これはいち視聴者の愉しみ方のひとつなのですけれど、最近は個別のアニメについては勿論
 なのですけれど、それと同時に複数のアニメを同じ時期に観るひとつのシーズンとして愉しむことを
 始めたので、矢継ぎ早にどさっと大量のアニメが一時期に出されると、嬉しい反面、なかなかどうして、
 お腹一杯感覚を通り越して野暮な感じすら受けてしまったりします。
 そろそろ私が自分でもなに言ってんのかわかんなくなってるのがわかってきているのが、皆様にもわかって
 頂けたかと思いますので、戯言はこの辺りにしておいて、前期からの御縁でコレとか、新境地開拓と
 いう意味でコレなぞも観せて頂こうと現在検討しているところです。
 
 ・・・・それでも、3つて。
 ほんともう、来期は今期の遺産で食いつなぐしか無いかなぁ。 (なにそれ)
 
 
 あ、アニメで思い出しました。
 xxxHOLiC◆継は、今週で終了だそうです。
 先週の放送が実質最終回で、今週は外伝なのです。
 ・・・・ぇ・・・嘘・・
 私の中ではホリックは全26話が基本で、また第一期みたく微妙に一話少なかったりするなどして、
 そういう混乱はまだまだ先だなぁ、私は焦らずそれまでゆっくりとホリックの感覚作ってかなあかんな、
 とか暢気なことを言っている私はバンジージャンプしておいで。 (微笑)
 ちょっともう、勘弁してくださいよ、今度ばかりは洒落になっていません。
 2クールっていうのは割と確かな情報だったはずなのに、いつのまにこんなことに・・
 もうこの土壇場でどうしろと言われもどうしようも無いので、これはもう、終わりです。
 感想の方はやっと来週辺りで追いつくかなというところだったのですのに。しくしく、努力が報われない。
 
 ということで、要は私の完全に勘違いという言い訳しか出来ないほどに責任なので、感想も最終話
 と外伝を残すのみとなりましたけれど、今私の中で出来ているホリックの感覚のままに、そのまま
 落ち着いて最後までやらせて頂こうと思っています。
 いろんな意味で、すみませんでした。
 頑張ります。
 
 
 
 
 
 
 ◆
 
 これぞサッカー。
 
 オランダvsロシアを観ました。
 まさかこんな結果になるとは、誰も予想できなかったでしょう。
 結果は、延長戦までもつれ込んでの、なんとロシアの3-1での勝利。
 この結果は誰も予想できなく、そしてこの結果は必ずしも順当なものであった訳でも無いと思います。
 私はこの試合は、この一言に尽きると思います。
 これぞ、サッカー、と。
 そして、この試合を決定付けたのは、シーンごとの戦術では無く、またロシア監督のヒディングのマジック
 でも無く、これはオランダ監督ファンバステンの根本的な戦略ミスだと思いました。
 これまでの試合オランダは、これまた誰もがなかなか想像し得なかったほどの、圧倒的な強さで以て
 勝利を重ね、死のグループと呼ばれたW杯優勝・準優勝国のイタリア・フランスを含む激戦区を1位
 で通り抜けてきました。
 3試合で9得点、1試合平均でなんと3得点です。
 ルーマニアはともかく、フランスは守備のしっかりとしたチームであり、イタリアに至っては世界最高の
 守備を誇るチームであり、それに対してのこの成績です。
 
 私はvsフランス戦しか観ていませんけれど、おそらく他の試合も同じスタンスでやったものと思われます。
 オランダの今大会の戦いの特徴は、超々々攻撃型に特化しているところです。
 サッカーというのは、「流れ」のスポーツです。
 どの時間にどのタイミングでどれくらいの力でそしてなにをするか、それらひとつひとつの選択と行為の
 影響が選手の能力や残り体力に折り重なって実に様々な流れを生み出し、その流れに乗ったチーム
 こそが勝利するのです。
 現在世界には、その流れを無視して勝利出来るほどの、超人を揃えたチームは存在しませんし、
 ましてや実力の拮抗しているこのユーロ本大会では、その「流れ」を如何に見切りそれに乗るかが最大
 の勝利条件になっています。
 今回のオランダは、まさにその「流れ」に乗ったのでした。
 実力的に、イタリア・フランスとあの点差とイコールの差があるとは全く思いませんし、むしろ総合力と
 いう点ではフランスは同じくらいで、イタリアはむしろオランダよりは上な印象でした。
 けれど、自分達の力を理解し、それを万全かつ最も効率的に使えたという意味での、その「流れ」の
 掴み方が一番勝っていたのはオランダだったのです。
 
 このような重要な大会では、とかく最初は慎重にいきがちですし、またそれは選択としては悪いこと
 では無い。
 またイタリアのような守備が武器になるチームは、そのやり方が最も適しているとさえいえます。
 しかしそれは、相手が守りを捨て、1点取られたら2点取り、2点取られたら4点取るという姿勢で、
 最初から全力で攻撃に特化してくる相手にとっては、致命的選択ではあるのです。
 とにかく、先取点を。たとえ相手に先取点を取られる危険性があり、また実際に取られた後でも。
 そういう意味では、今回のオランダの躍進は、この明確な奇襲ぶりにあると思われます。
 フランスや、イタリアもそうだったと思われますけれど、守備6攻撃4くらいの割合で手堅く相手の様子見
 から入った結果、攻撃9守備1(1はGKのファンデルサール分 笑)でゴールだけをみつめて掴みかかって
 くる相手に守備ラインを破られて先取点を悉く奪われてしまった。
 守備的に行くならオランダの戦略を見切り、最初から守備10で耐えしのぎ、オランダの攻撃の流れを
 見切り適宜カウンターを返していくのがベストであり、それをしていたなら少なくともイタリアは勝てたはず。
 しかし先取点を奪われてしまったということでイタリアなどは攻撃に出ざるを得ず、しかし攻撃力を落とさな
 いオランダからすれば、イタリアが攻撃に力を割いた分だけまた点を取りやすくなり、重ねて点を奪い
 相手にとどめを刺すことは容易なことだったのです。
 仮にイタリアに点を取られて同点とされても、オランダはもう既にイケイケで攻撃の流れを試合中に確立
 しているのですから、そのまま2点目を奪いにいけばいいし、さらに仮に逆転されたとしても、それは
 同じことなんですね。
 オランダはもう、最初から最後までやることは決まっていたし、相手が完全に引き籠もらない限り、ゲーム
 プランの変更は全く必要無かったのです。
 
 サッカーに於いて一番難しいことは、「流れ」を変えることです。
 それは、自分達のリズムの「流れ」を変えることも含みます。
 
 vsロシア戦。
 オランダのファンバステン監督は、少なくとも今回のオランダというチームが絶対にしてはならないことを
 してしまいました。
 それは、様子見から試合に入ったということ。
 決勝トーナメントですから、負けたらそこで終わりというKO方式であり、だから慎重にやろうとするのは、
 セオリーといえばセオリー中のセオリーでしょう。
 ロシアは非常に良いチームでしたし、韓国・オーストラリアといった弱小チームを指導し、きっちりと実力
 を出し切らせ「流れ」に乗せるのが上手いヒディング監督の手が行き届いた、非常にスペクタクルな
 サッカーをしていました。
 だから警戒するのはわかりますし、そういう意味では実況も言ってましたけれど、まさに切れ味鋭い刃物
 で斬り合うような、そんな鬼気迫る対峙さに面白さはありましたし、点が入らなくても面白いサッカーの
 醍醐味を存分に魅せてはくれていました。
 けれど、それは果たして本当にオランダが、このオランダというチームが取るべき戦略だったのか。
 正直私は、オランダの敗戦という結果を踏まえた上で、結果論的にファンバステン監督の選択が間違
 っていたと言うつもりは無いですし、そういう意味では試合開始当初からあの試合運びにはハラハラ
 させられていました。
 心境としては、はやくはやく、はやく攻撃に特化しないと危ないよ、なにが起こるかわからないよ、という
 感じでした。
 試合前は、まさかオランダがこんな戦略を取るとは思ってませんでしたし、グループリーグ同様攻撃全開
 で来ると思うし、それが一般的なサッカーでは無くこのオランダのサッカーのセオリーとしてはそれが当然
 だと思っていました。
 だからまさかここで監督が選択ミスするとはという意味で、このオランダの敗戦は全くの想定外でした。
 逆にいえば、様子見を選択した時点で、オランダの負けは順当だとも言えます。
 なぜそう言えるか。
 
 「流れ」を変えるのは難しいからです。
 そして、「流れ」を変える必要に迫られなかった方が断然有利になるからです。
 
 オランダは、見た目ほど強いチームではありません。
 ディフェンスなど貧弱そのもので、GKのファンデルサールがいなければ存在しないに等しいレベルです。
 実際、マンツーマンの局面ではディフェンスに大事な「動かない」ということが出来ずに振り回され、
 ポジション取りにしてもいい加減で、たびたびフリーの選手を出す始末。
 ディフェンスに限れば、少なくとも強豪国のそれでは無い。
 では、そういう攻撃という一芸に秀でた、或いはそれしか無いチームが、四つにがっちりと組み鎬を削り合
 うサッカーをしたらどうなるか。
 そこまでは、互角なんです、一応。
 いやむしろ、それでもまだまだ、オランダはロシアよりは地力は上なのでしょう。
 でも、そこに「流れ」という要素を加味すると、大きく変わるのです。
 一芸たる攻撃という得意技を使えないチームと、最初から地力でぶつかり合う気で向かっていくチーム。
 どちらに「流れ」があるかといえば、断然後者。
 自分のやりたいことが「やれない」のと、「やれる」のとでは、全然違うのです。
 この試合は完全にロシアのサッカーでした。
 様子見をしてじっくりと地力で押し切るというオランダの戦略変更こそ、ロシアにとってはなによりの勝因に
 なったのでした。
 逆にいえば、オランダはいつものオランダのサッカーをしていれば、それがオランダの「流れ」であり、それを
 常に勝因にすることが出来たはずですし、また実際私はそのオランダを止められるチームはいないと
 思っていました。
 超々々攻撃という奇襲をやめてしまったオランダは、万年名ばかり強豪国のレッテルに相応しい国にし
 か過ぎない。
 ファンバステン監督が、自分達の今までの勝因がどこにあったのかを見誤ったがゆえの、この敗戦が
 あったのだと私は思いました。
 
 後半ロシアに先取点を取られる直前に、オランダはDF→DFという交代をしました。
 「流れ」的には、ここで勝負ありです。
 この交代は、監督のこの試合の戦略変更無しを示すものでした。
 ハーフタイム時に、ファンペルシーという攻撃の選手を入れたにも関わらずのこの交代は、さらにはその
 監督の戦略変更無しの決定が自信あってのものでは無いことも示していました。
 一点を取られたら、もう取りに行くしか無い、けれど今まで攻撃の「流れ」の形を作っていなかったチーム
 が、ましてやその攻撃の流れこそがすべてであったチームが、簡単にその「流れ」を変えることなど
 出来はしません。
 そしてヒディンク采配の確かなところは、セオリーならばこのまま守りに入りカウンターに徹するところを、
 彼我の戦力を的確に分析し、オランダは攻撃の形を作れなくても、個人技による一発を為す力は
 充分にあり、ゆえにオランダに点を許さないことよりも、オランダより先に次の1点を取りにいくのがベスト
 と判断したところなのです。
 仮にオランダに点を取られたとしても、既に1点を取ったことで攻撃の形が出来ているロシアなら、まだ
 戦えるし、逆に攻撃の形を解き守りに入った上で点を取られたら、それこそ立ち直れない。
 超々々攻撃型のオランダに対して、逆に攻撃を仕掛けるという驚き。
 けれどこれはこの場合に於いては、最も冷静な選択。
 これが、オランダにとっては奇襲を受けた形になり、ますます自らの攻撃の形を作るのに手間取り、
 本当に個人技一本に頼るしか無く、またそれがベストな選択になるしか無くなってしまった。
 そして、ファンバステン監督の最後のミスは、3人目のカードに個人技に長けたロッベンを選ばなかった
 こと。
 怪我などの事情があったのかもしれませんけれど、これは誰がどう見ても選択ミスです。
 とにかく、オランダにとって重要なのは難しくても「流れ」を変えることです。
 つまり、超々々攻撃に転じられる体制を作ることです。
 ですから、「流れ」を変える→結果超々々攻撃に転じられる、という構図が正しい。
 それを、超々々攻撃に転じることそのものを模索し、その結果「流れ」が「変わる」としては駄目だった
 のですし、そこがファンバステン監督の戦術眼の曇ったところでしょう。
 この場合、逆説的でありながらも、実は逆説的では無いのですけれど、「流れ」を変えるには点を
 取ることが重要だったのです。
 「流れ」を変えてから点を取る、のでは無く、点を取ったからこそ「流れ」が変わる。
 つまり、どんな形でも良いから点が入れば良い訳で、それすなわち強引でも個人技で点をむしり取り
 にいく、つまりロッベン投入こそがこの場合ベストだったということなのです。
 サッカーの面白いところは、なんてことは無いシーンで、あっさり点が入ることがある、ということですし、
 どんなに形が出来ていなくても、点が入れば圧倒的に「流れ」が変わるというところにもあるのです。
 そして。
 実際ファンタスティックなことに(笑)、絶妙なスナイデルのFKから抜群のタイミングで抜け出した
 ファンニステルローイがゴール。
 オランダ、残り5分で同点!!
 
 これだから、サッカーは、ほんとうにもう。(涙ぐみながら 笑)
 
 この時点で、「流れ」は大きくオランダに傾きます。
 けれど、これは結果論ですけれど、時既に遅し。
 オランダにはもはや、得た「流れ」を活かし攻撃の形を作る体力が残っていませんでした。
 そして、平均年齢の若いロシアは逆に体力があり、攻撃の手を緩めず、全体的にプラマイゼロで互角
 の「流れ」になりました。
 ここからが、サッカーのまたひとつの魅力、魂と魂のぶつかり合い、いえ、削り合い。
 延長戦に入り、互いが互いの個の力をぶつけ合い、そして。
 その結果、ロシアが競り勝った。
 3-1で、ロシアの勝利。
 最後の最後まで自分達のサッカーを信じ切った、いえ、監督ヒディンクのマジックにかかって全力を出し
 切ったロシアの輝きがありました。
 試合終了のホイッスルを聞いたとき、正直興奮で震えました。
 あのオランダがこんな負け方をしてしまったことの、腹立たしさを孕んだ無念さと。
 そして、実力を発揮してそれを結果に結びつきたロシアの雄大さを受けての感動で、震えた。
 
 これぞ、サッカー。
 
 オランダのあの面白すぎる超々々攻撃スタイルは、本当にまだ観たかったですし、正直申し上げれば、
 オレンジフィーバーの熱気のままにオランダのメンバーが優勝カップを掲げる姿を見たかったです。
 基本的に私は、強豪国が最高のパフォーマンスを出して優勝するのを観たいのです。
 元々は私はイタリアが好きで、芸術的な守備の面白さを堪能するのが目的だったのですけれど、あの
 オランダを観て、今度はああいった攻撃サッカーの魅力にも触れたい感じたいと思っていたところでしたの
 で、残念といえば残念以上に無念です。
 でも。
 これが、サッカーなんです。
 なんという、贅沢。
 ロシアはおそらく、次の試合は負けるでしょう。
 でも、それでいいのです。
 ロシアの次の対戦相手が、オランダと同じ轍を踏んで実力を出さずに負けるかもしれないと、
 もうこの試合を観たあとでは充分その可能性を感じられるのですから。
 ロシアを応援するつもりは無いです。
 でも。
 
 波乱は、大歓迎。 (悪趣味 笑)
 
 とはいえ、ロシアは少なくともこの試合に限っては勝つべくして勝ったと思いますから、波乱というのはあく
 まで通念上の話ですけれどね。
 けれどその勝利の内実がわかっていても、「弱小国が強豪国に勝った」という驚きそのものは、やっぱり
 愉しいですし、また楽しみにしています。
 勿論、それも、という意味で、無論他の強豪国の圧倒的ハイクオリティサッカーをこそ、私は大本命とし
 愉しみにしてそれを待っています。
 うーん、ユーロ最高! (乾杯 笑)
 
 
 
 そして、イタリアvsスペインも観ました。
 こっちはリアルタイムで観ました。
 でも感想は、一言。
 
 イタリアの美学に、乾杯。
 
 なんていうか、イタリアっていうのはもう、全然他の国のサッカーと文化というか哲学というか美学というか、
 そういうのが根本的に違うと思うし、そういう意味では、イタリアこそ「世界で最も1点の重みを知る国」
 だと思いました。
 その1点を取るためにすべてがあるというか、耐える男の色気というか、うわ、一気に話が飛びましたね、
 でもそんな感じなのよ根本的に、W杯のときも言ったけれど、イタリアのディフェンスは鉄壁というよりは
 罠って感じで、カウンターのためのディフェンスであり、だからそれが1点のための芸術的守備というのに
 繋がるのであって、それを他の国のサッカーの文化と引き比べてやっぱりスペインのサッカーの方が良い
 ですよねというのは、それは全く勿体無いというか、サッカーという巨大ななにかの豊かさを見失うもの
 だと思いますし、ていうか私はスペインも全くイタリアとは違う理屈というか美学で以て好きですし、
 だからなんというのかな、そういう風にしてひとつひとつのスタイルの根本から理解して感じていかないと、
 何事も本当の意味では愉しめないんじゃ無いかなという、まぁそういうウザいことを言っている暇がある
 のならひとつでもそれぞれのサッカーの面白いところをみつけて、一体それがどこから来ているのかを
 探りつつ愉しむのがベストですよね。
 
 とか言っているうちに、イタリアは負けましたけど。
 
 
 ちょっと、顔を洗ってきます。
 
 
 
 
 
 
 

 

-- 080622--                    

 

         

                              ■■ コドクとか人間とか ■■

     
 
 
 
 
 『やっと気づいた?』
 

                          〜xxxHOLiC◆継 ・第十一話・ひまわりの言葉より〜

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

俺は、ひとりじゃ無い

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 闇が舞い降りる。
 どす黒い血が渦巻いている。
 心の中の真っ赤に焼けた獣の牙がみえる。
 鬼のように、野獣のように。
 延々と、延々と、その言葉を吐き出していく。
 次々と口から生えていく言葉達が空を漆黒に埋め、大地を紅く爛れさせていった。
 阿鼻叫喚の地獄に惑う愚かな他人達を嘲笑し、どこかにいるであろう完全無比な賢人とまみえる
 ことを願っていた。
 俺だけは、平気なんだ。
 俺だけはきっと。
 みんなと一緒には、死ねないんだ。
 
 十字架が見える。
 無信心なのに。
 卒塔婆が見える。
 無宗教なのに。
 みんな、泣いている。
 俺は独りなのに。
 気づくとその葬列は、まん丸に固まり、ぐるりと俺を取り囲んでいた。
 それなのに、いっこうにその人達の視線もおもいも、中心にいる俺には向けられてはいないのを感じた。
 俺が、いない。
 ぐるぐると、十字架と卒塔婆が、その葬列の円の外側に無惨な林立を成していた。
 円の中心に向かった人々の視線とおもいは、中心点の俺に触れた途端、俺を擦り抜けて、
 その淫らに活き活きと靡く墓標達の中に響く読経となって、言葉となって空と大地を埋めていく。
 俺は、人々の視線とおもいを黒い言葉に換える、その変換装置だったんだ。
 目が覚めた。
 ゆっくりと布団の上に身を起こし、見上げた天井に闇が見当たらないことに恐怖する。
 きっとこの天井の向こう側には、圧倒的に黒い獣が咲いているんだ。
 
 

 言葉が、墜ちてくる。

 
 
 流星のように、流星のように。
 激しい音と陥没を導きながら、殺人的な勢いでそれは天から降り注ぐ。
 家に、街に、道に、学校に、みんなの上に、それは無限に墜ちてくる。
 俺の上にも墜ちてくる。
 けれどそれはいつも、俺を擦り抜ける。
 よく見ると、他のなにものにも、その言葉達は当たっていない。
 ほっとすることなど出来る訳が無い。
 言葉が、擦り抜けていく。
 しまいには、その言葉が大地をすら擦り抜けていくのがみえた。
 言葉が、通じない。
 こんなに無茶苦茶に降り注いでいるのに、誰にもそれが当たらないなんて。
 あらゆる存在の口元から、灰色の煙が立ち昇っているのがみえた。
 それは空に集積し、そしてそれが言葉を降らせているのが確かなのに、どの言葉ももう、誰の言葉でも
 無い、誰か達の吐いた灰色の溜息自体が生み出した孤児でしか無かった。
 
 
 

『いい月だね。』

 
 
 
 
 ◆
 
 髪色に染まる笑顔。
 目は豊かにカーブを描く髪に隠れて見えないはずなのに、そのキラキラと星を纏う瞳に照らされている
 のを感じ無いことは無かった。
 気づいてないことなんて、無いんだ。
 黄昏が暖かく時間を止めながら、ゆっくりと、森々と、抜けていく。
 数多の視線が持ち主を失ったとき、それらは純粋にその生存を証していく。
 視線が、いる。
 俺が見つめられているのでは無く、俺を見つめている誰かがいるのでも無いんだ。
 沢山の視線達と触れ合いながら、俺達は生きていた。
 誰かの願い、誰かの恨み、誰かの愛、誰かの憎しみ。
 それが、ただの願いや恨みや愛や憎しみだったら、それらが其処にいるだなんて思わなかったろう。
 誰かが必ずそれらのものを所有しているという前提意識があるからこそ、俺達はきっとそれらの実存を
 感じられるんだ。
 だから、たとえそういった願いや恨みの持ち主がいない、というのは言葉的説明にしか過ぎず、またきっと
 それらのものの本質はそれらの所有者がいないというところでは無く、ただそれらそのもの自身が其処に
 あるというところそのものなんだ。
 持ち主不在の、しかし確かに其処にいる、願いと恨みと愛と憎しみがみえた。
 
 
 

其処には誰も、いなかった。

 

いるのに、いなかったんだ。

 
 
 
 夢だった。
 今のは、夢。
 跳ね起きることも出来ずに、布団の中の微睡みの残滓にまみれ、隠れていた。
 この世にあるのは、必然だけ。
 侑子さんのその言葉が、俺はなにより怖かったんです。
 俺、いろんなことから逃げてて・・・
 一番力を込めて逃げていたのが、自分が逃げているという意識からだったんです。
 月明かりに照らし出された俺は、正直でした。
 どう思うもなにも、それが本当なんです。
 隠すまでも無く、もう、なにかを隠そうとしている俺の姿は丸見えなんです。
 起こることにはすべて意味がある。
 たぶんそれは、俺が此処にいるからなんだと思います。
 俺という主体があって、その中で触れ合った現実と世界そのものを、「意味」として切り取って自分と
 地続きなものにしているんです。
 だから、俺が気づいた時点で、その気づいたものにはすべて意味があるんです。
 無意味だとか偶然だとか、そう言ってなにかを隠そうとする自分、という姿が其処にはちゃんとある。
 俺がいなければ、この世は偶然だけ。
 でも、俺が存在することによって俺と世界に縁が結ばれ、そしてすべては俺を中心にして必然的に
 廻っていくんです。
 考えればそれは、当たり前のことだったんですよね。
 俺達は、気づいてしまったことを無視することは出来ないんですから。
 どうしたって無視しようとしている自分に気づいてしまうし、そうなれば、偶然だなんてことで物事を処理
 しようとすればするほど、そうして無視しようとする自分の姿は明らかになっていくのですから。
 すべては必然だと「言う」こと自体に、意味が、そしてなにより俺という主体があることを示しているって、
 最近少しわかってきたような気がするんです。
 遙さん、俺・・・どうしたらいいですか、って聞くのは変ですよね
 どうしたらいいかわからないなんてこと、本当は無いんですから。
 ただ・・・
 
 『でも、ひまわりちゃんは、優しくて、可愛くて・・・』
 
 
 
 『起こることすべてに意味がある。
  けれど、そのすべてに気付ける者は稀だろうし、毎日起こる数多の出来事すべて意味を
  見い出していくなんて、考えただけで大変だ。』
 
 『けれど、これには意味があるのではないかと気づいたなら、その気づきにこそ意味がある。
  なぜと考えることに意味があると、私は思うんだが、どうかな。』
 
 
 
 俺・・・
 どうも、考えすぎて、考えるってことの意味がわからなくなっているときがあるんです。
 そうなんですよね・・偶然っていうのはやっぱりあるんですよね
 というか、偶然というものがあると言ってしまう、そういう怠け者の自分も認めて上手く使っていく必要が
 あるってことですよね。
 そう、大事なのは俺が怠け者かそうで無いかじゃ無いんです。
 大事なのは、世の中がたとえ偶然で満ちていたとしても、それでも必然はあると考えて向き合っていく
 ってことなんです。
 ありがとう御座います・・遙さん・・・・俺・・、俺、ちょっと・・・・わからなかったものがわかった気がして・・
 俺、ひまわりちゃんから逃げてました。
 彼女の笑顔には意味があるとうすうす感じていながら、その気づきのままに考えて解明することを拒んで
 きました。
 俺はきっと、彼女の笑顔に救いを求めてたんだと思います。
 俺には、両親がいません。
 両親のことが恋しく無いと言ったら嘘になりますけど、でも俺、ずっと両親のためにこそ、ひとりでもちゃん
 と生きられる、しっかりと息子は生きてるってことを伝えたいがためにも生きてきました。
 俺はひとりじゃ無いんだって、きっとどこかで、ふたりは俺のこと見守ってくれていて、そして俺もきっと、
 自分では気づかないまでも、両親のことをみているのかなって。
 だから俺、彼女の、ひまわりちゃんの笑顔には、笑顔を以て答えたいって、笑って生きられる人間であり
 たいって、そう思って、それに応えてくれるひまわりちゃんにすごく助けられていたんです。
 
 変な言い方をすれば、ひまわりちゃんがいるからこそ、俺は普通の人間でいられる気がするんです。
 
 ひまわりちゃんの笑顔をみるためだったら俺、とても頑張れます。
 ひまわりちゃんを助けられるのなら俺、俺が傷ついても構わないんです。
 そういう俺を、今まで俺の周りにいた人達は暖かく見守ってくれました。 
 俺が笑顔だと喜んでくれる人がいるって思えたら、なんというか、苦しくても笑わなくちゃいけないといって
 我慢している自分が馬鹿らしくなってきて、本当に素直に嬉しくなれたりしたんです。
 俺、なんだかんだで、結構幸せだったんです。
 だから俺・・・俺・・・・
 
 
 
 
『君は、気づいた。 様々な事柄に導かれながら。』
『だから、気づかなかった頃にはもう戻れない。』
『あとは、君が選ぶこと。』
 
『ひまわりちゃんと指切りした指が痛んで、落としちゃったのね。』
『他にも、そういうことがあったのかしら。』
 
 
『あのね。』
 

『その小指、誰と指切りしたの?』

 
 
 

そうだ

 
 
 
『気を付けて帰ってね、ワタヌキくん。』
 
 
 
 
 
 

 
 
 怖い 怖い
 誰か 助けて
 どこにいったの だれもいないの
 動かないよ 痛いよ 聞いてよ
 引きずられるように闇が近づいてくる。
 その闇は暖かな光を結びつけて、ざらざらとした血まみれのガラス細工の細腕を引き寄せる。
 掌ががぼろぼろになるまで、肉が裂け、骨が砕け、ぐちゃぐちゃになるまでその腕にしがみつく。
 懐かしい 自分の居場所はそこだとおもう
 闇
 黒い臭いがする 臭う
 気づけば足の裏が燃えていた
 我慢して、我慢して、そうしたら、目の前の細腕が首を絞めてきたの。
 違う、これは、足の裏が焼けてるんじゃ無くて、足がこの闇を焼いてるんだ。
 白く煌めく細腕は、静かな殺意だけをその首を絞める力に込めているのね。
 いいよ 連れていって
 其処に 行きたいわ そっちに いたいんだ
 『いかないで! 一緒にいく!!』
 絶望も希望も無い。
 泣いていた。
 焦げ付く足の痛みにか、首を絞められる苦しみにか。
 それとも、そのどちらでも無いなにかのためにか。
 私には、わからなかった。
 俺には、わからなかった。
 誰かを愛するために死ぬことも、自分のために生きることも、無い。
 そんなんじゃ、無かったんだ。
 みんなみんな、ひとりだったんだ。
 
 ひとりだったんだ。
 
 ぐるぐると、引きずられていく。
 全身が焼け爛れ、それなのに嬉しくも悲しくも恨めしくも無かった。
 ただ俺達の世界にいたかっただけなのに。
 ただ私達の愛のままに生きたかっただけなのに。
 そのおもいが、現実のもので無いことなど、無かった。
 すべては完全に、必然だったのよ。
 私が此処にいる、あなたが其処にいる。
 私達は、みんなひとり。ひとりずつ。
 だから、ひとりじゃ無いのよ。
 私が此処にいれば、其処にいるあなたの存在に触れ縁が結ばれ、そして影響を与える。
 だから・・・
 だからずっと、此処には居たく無いって思っていた。
 だからずっと、そっちに行きたいって思っていた。
 だけど、行っちゃいけない気がしたんだ。
 誰かが止めてくれるのを知っていたから。
 その誰かがいなくなっちゃっても・・・それは・・・変わらなかったの
 此処に、いなくちゃ。
 生きなくちゃ。
 触らなくちゃ。
 どんなことになろうとも、その影響を引き受けて生きなくちゃいけないの。
 自分だけ、縁の世界から逃げる訳にはいかないの。
 私は此処にいる。
 あなたは其処にいる。
 私を引きずる闇の両腕の力は強くなる一方。
 だけど
 
 この笑顔がある限り、私は、俺は、その向こうにあるものを見つめたい。
 
 
 だって、なにかがあるって、気づいてしまったのだから。
 
 
 

なにかに気づこうと必死になっている、私が、此処にいるのだから。

 
 
 
 


 
 
 
 
 夢・・・・?
 今のは夢?
 
 
 誰の?
 
 
 『ひまわりちゃん・・? なんで・・ミセの中に・・・・』
 
 
 
 『入る、必要があったのよ。』
 
 
 
 どくん
 
 現実が目の前にある。
 みしりみしりと、空気が重く張りつめる。
 一瞬の迷いも許されない。
 一瞬の猶予も無い。
 口から出る言葉の何兆倍もの速度で思考と感覚が動揺を鎮め、圧倒的に研ぎ澄まされていく。
 ひまわりちゃんがここにいるってことで、もう、彼女は俺に完全に向き合ってる。
 笑顔は、通じない。
 『気づかなかった頃には、もう戻れない。』
 それは嘘。
 だから俺は、笑顔を孕んだ言葉で、手探りのように、生き道を残すように、話かける。
 ひまわりちゃん・・俺は・・・俺は気づいたんだ・・
 ずっとひまわりちゃんの笑顔の意味に気づいている自分を無視しようとする自分を・・・
 それを・・いつまでも許そうとすることしか出来ない自分に・・・
 わかってるんだ・・それでも俺は、そのやり方で、それでも出来る限りひまわりちゃんの笑顔の意味に
 近づけるようにって・・・・
 壊すことなんて無いんだよ・・気づいただけでいいんだ・・・
 ひまわりちゃんは悪くない・・・ひまわりちゃんはただ・・・悪いのは・・ひまわりちゃんじゃ・・・
 ひまわりちゃんの周りに、はっきりと邪気がみえたんだ。 
 悪いのはそれなんだ・・ひまわりちゃん・・・だから・・俺・・・・
 こういうのは変かもしれないけれど・・・ひまわりちゃんのために・・その邪気を祓ってあげられたらって・・・
 だから・・ひまわりちゃんが悪者になる必要なんて・・・悪いのはその邪気で・・・だから・・・・・・
 
 

 

 
 

ひまわりちゃんが、笑った。

 
 

それは今までとは、比べものにならないくらいの、圧倒的に壮絶な笑顔だった。

 
 
 
 

俺は。

 

自分の間違いを、やっと、悟った。

 
 
 

生まれて初めて。

自分の笑顔を、心底、憎んだ。

 
 
 

だけどやっと、繋がった気がした。

 
 

墜ちてくる、黒い言葉のうちのひとつにだけ、やっと、触れた。

 
 
 
 
 

『ごめんね、びっくりしちゃったよね。でも大丈夫だった。』

 
 

『 今 回 は ね 。』

 
 
 
 
 
 
 
 ひまわりちゃんにここまで言わせてしまった俺のために、俺は、出来ることをする。
 
 いえ。
 
 俺のしなければならないことを、します。
 
 
 侑子さん。
 
 
 俺もやっぱり、此処にいたいです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
                            ◆ 『』内文章、アニメxxxHOLiC◆継』より引用 ◆
 
 
 
 

 

-- 080619--                    

 

         

                            ■■世界と誰かとテンシュツ■■

     
 
 
 
 
 『小羽ちゃんは選ぶ強さを持っている。 受け入れる強さを持っている。
  それがどれだけ凄いことか、わからない?』
 

                           〜xxxHOLiC◆継 ・第十話・侑子の言葉より〜

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 愚かしい?
 
 愚かしいことなんて、無いわ。
 
 
 
 『往々にして人は、理解出来ないこと把握できないことを否定してしまう。
  自らの望む世界に合わないモノは、悪いモノだと決めつけてしまう。
  わからないのならわからない、それでいいのにね。』
 
 
 
 そう。
 論理的に理屈的に整合性を付けるだけなら、純粋に人が自らの為した議論をしっかりと批准するなら
 ば、人はわからないというものの存在を許容出来るし、またそれが許容出来るのは、自分ひとりでは
 無く、他の人達もまた同じくその「わからないもの」という枠を認めることが出来るからなのよ。
 それもまた、ひとつの空気。
 議論を共有出来る空気よね。
 
 霊?
 そんなもの、無いわ。
 でも、霊が無いなんてこともまた、無いわ。
 なぜなら、それを視ている人がいるからよ。
 霊とはなにかしら?
 霊というのは、実体の無いものだからこそ、透けているからこその霊でしょうに。
 霊に形なんてある訳無いじゃないの。当たり前でしょう。
 だから勿論、視る人によって霊はその姿を変える。
 でも、形が無いということは、イコールなんでもありということなのよ。
 それはね、この形でなければならないというのが嘘であるのと同時に、この形でなければならないという
 のが真実であることも示すのよ。
 だってそうでしょう?
 それ視ている人が、みんな同じものを視ていると言うのなら、確かにその人達が同じものを視ていると
 いう意味で、其処にいる霊は特定の形を持つじゃない。
 霊なんて、無いわ。
 だから、あるのよね。
 同じものを視たいと思っている人達がいて、その人達が実際にそれを視たのなら、その霊はほんとにいる
 し、それが霊がいるってことでしょう。
 だから言ったでしょう、あの子が本当のことを言っているとは言わないって。
 あの番組の大人達もまた、本当のことを言っていたのよ。
 まさかワタヌキ、あの大人達が口裏合わせて、視てもいないものをでっち上げて、本当に視ていたあの
 子を排除しただなんて思っていたんじゃないでしょうね。
 あの大人達はちゃんと同じものを視ていたし、そして視た通りのことを言っていたのよ。
 何度も言うけれど、霊なんて無いわ。
 でもだから、あるのよ。
 いいえ。
 
 霊なんていないわ。
 でもだから、いるのよ。
 
 視えるって、なにかしら。
 本当にあの大人達が同じものを視、それを正確に口にしているかどうかと、その霊がいるということと
 なんの関係があるのかしら。
 本当か嘘かなんて、どうでも良いのよ。
 少なくともあの大人達は同じものを視たいと思った。
 なぜなら、同じで無い者を排撃したいのだからね。
 その願いが高じて、実際に霊を視たかですって?
 馬鹿ね、だから言ってるでしょう、霊なんて無いと、でもだからあると。
 
 同じものを視て、同じで無い者を排撃するという者が、ちゃんと其処にいるじゃない。
 
 だけど、そんなものには意味は無いわ。
 それは霊では無いのだものね。
 霊はそれでも其処にいるモノ。
 霊は視る者の心の内にあるものでは無いのよ。
 『彼らが視たモノはある意味正しいわ。』
 同じ空気を幻想を共有することもまた、ひとつの真実。
 そもそも、なんで霊なんているのかしら?
 いいえ、なんで霊は人間の形をしているのかしら?
 それはね、誰かがやっぱり其処にいるからなのよ。
 あの霊能師達も、ちゃんとそれは視ているのよ。
 ただそれに対する姿勢が違うだけ。
 あの子とあの霊能師達のどちらが正しいか、はたまたどちらの視たモノが本当にいるのかなんて、
 そんなことを問うのはナンセンスそのもの。
 誰もが心に真実を写しているのよ。
 ある意味で、誰もが真実を視ているのよ。
 でも、視ている箇所が人によって違ったりするだけ。
 だから自らの視ているモノの真実を述べたところで、他の切り口から真実に至った者は、そもそもそれに
 興味を示す必要が無い。
 逆にいえば、そうしてあの霊能師達は自分達の視た真実の部分を大切に守っただけなのよ。
 それはね、自分の視た真実への至り方も守っているものなのよ。
 だからあの子がいくらあの大人達が視たモノも視てる上で、さらに他のも視ていただけとネタばらしした
 ところで、それは全く無意味なのよ。
 あの会場にいた誰にとっても重要なものは真実では無く、自分で切り取った真実を抱き締めている、
 その自分そのものなのだから。
 
 
 それは、あの子もまた、例外では無いのよ。
 
 
 
 ・・・・・・
 
 
 俺は、みんなもっと賢いんだと思ってました。
 そして、それと同じくらい、みんなもっと愚かなんだと思ってました。
 でも侑子さんの話を聞いていくうちに、俺、そういうことが全部無意味だってことがわかってきたんです。
 というより、他の人への期待や蔑みといった、そういった他人との距離を取ること自体が、俺には意味が
 あっただけで、そして俺はたぶんそのことに気づいてて、でもそれを認めたくなくて、ただ純粋に他人との
 距離を測り直すことばかり続けていて。
 真実、っていうのはやっぱり無いと思います。
 でも俺、「普通」や「常識」っていうのはあると思ってます。
 真実というのがあるのかないのかと、そう論じるのは極めて「普通」なことで、そんなものがあるかないか
 を論じること自体愚かしいと言うことも含めて、それはひとつの「常識」なのかなって。
 みんな、やっぱりそういうの、わかっててやってると思うし、わかっていないときこそおかしくなってしまうのだと
 思いました。
 それは、「普通」や「常識」に囚われるっていうか。
 俺、小羽ちゃんのことで、結構かーっとなってて。
 俺、そういう世間の人達が、自分達のしてることをわかっててもわかって無くても関係無くて、
 ただ俺の信じる小羽ちゃんのためだけに行動してて。
 実際俺は、小羽ちゃんは絶対に嘘なんか吐かないって言うところからしか始めてなくって。
 結局、みんなのしてること、つまり「普通」や「常識」ってものに俺は囚われて、ただそれに反逆するだけ
 にしかなれなかったんです。
 そう。
 
 そういう自分の姿が、しっかり自分で見えているにも関わらずに、です。
 
 小羽ちゃんがどうとか、俺が誰のなにを信じてるとか、そんなの関係無いんです。
 「普通」や「常識」を、そして他の人達を無視して、自分の立場で叫べば、それはそういう俺達自身が
 その「普通」や「常識」から外れている者として排除されてしまうのは当然だったんです。
 だってその俺の叫びは、「普通」や「常識」の存在を認めてないのですから。
 小羽ちゃんの「無実」を叫べば叫ぶほど、俺は違和感を覚えていきました。
 善とか悪とか、これはもう全然関係無いんじゃないかって。
 俺が小羽ちゃんは普通の女の子だとか、霊視を間違えたり、ましてや嘘を吐いたりするような子じゃ
 無いと言うのは、「普通」や「常識」を絶対のものとして、ただその中で俺と小羽ちゃんの地位を守ろう
 としているだけで、だったら、同じとか違うとか言う次元でその「普通」や「常識」の中で他の人達が考え
 ている限り、俺達は永遠に異物として扱われ、虐められていくだけなんです。
 だから、わかったんだと思うんです。
 大事なのは、そこじゃ無いって。
 
 「普通」や「常識」が絶対なものでは無いと、そう当たり前のように「普通」に言うことが、
 それが一番重要なことだったんだと思います。
 
 その観点で、自分だけじゃ無くて、他の人達のことも説明し、そして認めてあげれば良かったんだと
 思うし、またその観点で他の人達のおかしさと、そして俺と小羽ちゃんの間違ってるところも、平等に
 論じれば良かったんだと思ったんです。
 俺、この恐ろしい社会の中で、ただ独り小羽ちゃんを守って蹲っていたんです。
 それを侑子さんと、むかつくことに百目鬼が教えてくれたんです。
 俺はいつのまにか、「普通」や「常識」、或いは「自分」という「物語」を語り、それに溺れてしまって、
 本来俺というのはそういう物語を騙っている俺という主体にしか過ぎないってことが、それがわからなく
 なってしまっていたんです。
 そしてなにより俺は、その物語では無い他の物語でも、そして物語など無くても生きられる、いいえ、
 それでも生きなくちゃいけないということがわかっていながら、そのことと向き合う勇気が無かったんです。
 
 
 小羽ちゃんが視ていたのは、気づいていたのは、きっとそれだったんですね。
 
 
 
 ・・・・・・
 
 
 水浸しに潰れている。
 不安が無い。
 苦痛が、優しい。
 小さな頬擦りが消えていくのが、少し悲しい。
 水を吸って重くなった髪が、さらに重い。
 水が、消えない。
 このまま沈んでいれば、良いのだって思う。
 でも同時に、その思いが体と一緒に沈んでいくのがみえた。
 不安。
 とっくの昔に消えてしまった。
 自分が異質なものだっていう自覚は、言葉だけのものにしか過ぎなかった。
 同じく、自分はそれでも人間なんだっていう意識も、あまり無かった。
 ゆっくりと砕けていく時間が、ただ言葉を進めていく。
 編まれては消え、編まれては消え、あの人は一瞬も休まること無く言葉を紡いでいく。
 言葉に踊らされ、言葉を使って自分を踊らせている。
 だからきっともう、あの人は自分自身の自覚を失っている。
 あの人は、あの人の操り人形。
 その操り人形には、自分を操っているものが何者なのか、もうわからなくなっている。
 わからないから、沢山の犯人を創り出している。
 世界に、社会に、他人に、テレビに、視聴者に、スタッフに、お金に、生活に、私に。
 なにかのせいにし続けている。
 そういったものみんなは、あの人自身が操るものにしか過ぎないのに。
 あの人にとっては、本当は、そういったものとあの人の操っているあの人は同じものなはずなのに。
 もうそれが、わからなくなっている。
 あの人は、誰かに操られている感覚が欲しい。
 あの人は、誰かを操らなくてはいけない感覚が恐ろしい。
 
 あの人には、あの人が、いない。
 
 喋れば喋るほどに、私は私を失っていく。
 気づけば目の前には、桜が舞っている。
 ひらひらと、無情に、嬉しそうに、散っている。
 
 『私、行くね。』
 
 おかしなことを、言い続けなくちゃいけない。
 変わった子供だとしても、それでも生き続けなくちゃいけない。
 私を見てくれる人のために。
 そして。
 私を見てくれない人のために。
 私が見つめなければならないものは、私が戦うべきもの。
 いろんなものを、知りたい。
 いろんな世界を、知りたい。
 だって、自分の見てきた世界しか知らないし、見たことが無いのだから。
 その世界の中のものしか望まなければ、私はただおかしな子供として、一生消えたまま生きていくしか
 無くなってしまうのだから。
 どの世界にも、属す気は無い。
 常に私は、私の存在する世界にいるのだから、存在することを目的にすることなんてあり得ない。
 世界に殺されたくない、世界を殺したくない。
 そして、世界から逃げたくない、世界に逃げ込みたくない。
 私の好きな人のために生きたい。
 私を好きな人のために生きたい。
 そのために必要なことをするために、私はもっともっと、知りたい、見たい。
 
 
 私が戦うべきものを、ずっと、ずっと、深く。
 
 
 朝靄の冷たさが静寂に変わる間もなくときめいている。
 小鳥達のさざめきが朝日の向こう側から漏れ出ている。
 わからないことなんて、なかった。
 どんなに空洞でも、この世界に私とあの人と他のみんなはいる。
 真実も、普通も、常識も、物語も、自分も、全部関係無い。
 私が此処にいる。
 だから。
 もう、戻らない。
 もう、戻れない。
 気づいてしまったら、もう。
 
 
 
 

 『ごめんね。眠っていたかったんでしょう?』

 
 
 
 

そんな訳、無いよね。

 
 
 
 
 
 − 『人がどんなこと言ったって、やがて忘れていくんだと思えば、気にならなくなる。』
 − 『あの子が本当はどんな子か、俺達が知ってりゃそれで充分だろ。』
 
 
 

私は此処にいる。

 

だから、私なんて、いない。

 
 
 

『母さん。』

『母さん。』
 
『聞いて。』
 
『もうやめよう。終わりにしよう。もう充分って言ったでしょ? その通りにしよ。』
 
 
 生きよう。
 母さん。
 生きよう。
 私達のままに。
 この世界を見つめながら、この世界を見失わずに。
 ただ私達のままに、生きよう。
 
 行こう。
 
 
 この世界の中に、私達の住む場所を、創りにいこう、母さん。
 
 

 だから。

 
 
 

 

『好きな人に殺されたんだって。』

 
『好きで好きで好き過ぎて、殺されても全然辛くなかったんだって。
だから、私が此処にいるって言わなかったら、もっと長いことあそこで眠っていられたかも。』
 
私の母さんが囚われたものを、私が死ぬつもりでそれでも守るかもしれなかったものを、
私は絶対に、忘れない。
 
 
『侑子さんなら、行くべきところに行ったって言うよ。』
 
『だったらいいんだけど。』
 
 
うん。
行くよ。
 
 
 
 
 
『母さんが、辛くなくなるように。』
 
 
 
私は、生きるよ。
 
 
 
 
 





 
世界が無いことなんて、無いわ。
誰もいない世界もね。
愚かで賢い誰かを受け入れ、頑迷な世界を受け入れ。
そして。
あなたが誰かと世界に受け入れて貰う前に。
あなたはただ自分の存在を信じて選べばいい。
その、愚かで賢い誰かを受け入れ、頑迷な世界を受け入れることの出来る、偉大ななにかをね。
それが、自分。
そうすれば、あなたの姿がその誰かと世界の中に咲いているのが見えてくるのよ。
 
『そういうもんだろ、世の中って。』
 
 
世界なんて、他者なんて、無い。
 
だから、世界と他者が、其処にいるのね。
 
 
 
小羽ちゃんとあの人が、その世界と誰かと新しく繋がりに行くのが、俺にははっきりとみえました。
 
だって・・
 
 
小羽ちゃんとあのお母さんが、しっかりと繋がったのがみえたんですから。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
                            ◆ 『』内文章、アニメxxxHOLiC◆継』より引用 ◆
 
 
 

 

-- 080615--                    

 

         

                                 ■■ さくっとちょっと ■■

     
 
 
 
 
 ごきげんよう。
 
 えー、なんか今日は私的にアニメが盛り上がっちゃって、もう、ががーっとプチ感想を並べて書いてしま
 ったので、他のこと書く気力とか体力とか無くなってしまったことにしてしまいたい気分になってきましたの
 で、素直にその自分に従います。はい、従います。
 ということですので、今日はアニメ感想オンリーということで、ひとつよろしくお願いします。
 他のお話は、まぁ来週だ。来週。
 
 それでは、以下駄文をどうぞ。
 
 
 
 
 ◆
 
 
 
 ソウルイーター:
 アクションとコメディが程良い加減で調和していて、あまり気合い入れなくても楽しめる、そんな作品
 だった。(某教師風に)
 ギャグ要素は基本的なモノよりも割と一本外してくる感じで、不条理というほどまでにはいかなく程良く
 抑制が効いていて、全体的な感想としては落ち着いて観られるというものかな、良い意味で。
 あんまりぶっちぎられるのもアレだし、これくらいの感覚だからこそこの作品の持っているオリジナリティの
 低さがそれでも生き場所を得ているのかもしれない。
 魅せるべきところではしっかり演出を効かせているけれど、作品自体を演出で引っ張っていこうとか操作
 していこうとかいうのも無く、そういう意味で等身大的な良さもありますかもね。
 当たり前というか個性の無い作品であり、特別なことはなにもしてなく、目新しさもなにか奥深さを感じ
 させるものも無い。
 だけど、その当たり前なものをちゃんと当たり前のモノとして定着させ、ちゃんと存在感のある作品に仕上
 げているところに、たぶんすごく安心感を与えられている気もします。
 小難しくも無い代わりに、ただ子供っぽいとか安っぽいとかいう感覚で切り捨てるには勿体無く、言って
 みれば、素直に自分の本質と、というか人間としての普通な感覚のままに観て楽しめるという、そういう
 感じがありますね。
 決して手は抜いていない、けれど下手に背伸びして抽象的なモノにもしない。
 だから、キッドとかエクスカリバーとかいう色モノが突出も暴走もせずに生きてくるのかもしれませんね。
 そしてだからこそ、シリアス的な部分への、あのゾクっとくるような切り込みがあり得るのだろうし、うーん、
 そこにこそ、この作品の持つ意味を感じとれるような気もしますね。
 日常の中にある非日常が、異変では無くひとつの当たり前なものとして捉えられているというか。
 逆にいえば、変わらぬ日常など無いんだよという風にも見えますよね。
 色モノキャラが突出しないのも、そういうところにあるのかなぁやっぱり。
 
 
 ヴァンパイア騎士:
 まずい、ゼロくんが可愛すぎる。
 というか、この作品の雰囲気とかやろうとしてくることがガシガシと胸を締め付けてくるようで、堪りません。
 耽美的? そうかなぁ、この作品にはそういうのは無いと思うし、そういう意味でカッコ付けてても、全然
 不自然さが無いというか、むしろそのカッコ付けのポーズがじゃなくて、そういう人物達が醸し出してくる
 あの世界の雰囲気自体がもう、カッコイイとかそういう次元では無い、なにか別の感覚を呼び起こして
 くれるんですね。
 あのキャラの顔がいいとか仕草とか考え方がいいとかそういうんじゃなくて、ていうか仕草はゼロくんが
 全部持ってっちゃってもういいとか、なんていうのかな、ヴァンパイアの人(達)は人間にとっては異質な
 ものでありながらも、論理としては人間と同じものを使わせてるし、「カッコつける」という行為を道具とし
 て彼ら彼女ら自身が使ってるし、だからそういう意味では、人間とヴァンパイアが見事に同じ次元に
 いるんですよね。
 ヴァンパイアは人間では無いけれど、人間と同じようにヴァンパイアとしての問題に向き合っているし、
 その向き合う様自体は非常に人間的だったりするし、普通に理解可能了解可能なものでもある。
 主人公の優姫を通してその辺りを絶妙に描き出し、そして優姫が幼いときからヴァンパイアと接して
 きたからこそ体感的にヴァンパイアとはわかり合えるということを描き、だからこそさらに優姫にそれは人間
 である優姫に合わせようとして色々なものを隠しているヴァンパイアの君主・棺様の一面性の御陰で
 あり、すなわちそれ以外を見てしまったときの優姫を通して強烈なヴァンパイアへの恐怖と、そしてなに
 よりもそうして縮こまる自分の姿を見つめることで立ち直る、その優姫の描いている。
 物語の本筋はその優姫の戦いであり、けれどこの作品は主人公・優姫を「主役」には置いていない
 んですよね。
 この作品には主役はいない。
 それが最大の魅力であり、この作品の最大のテーマなんじゃないかなと思います。
 てか紅まり亜がいいよねー、まさかここであんなタイプの新キャラ投入とは思ってなかったし、ゼロくん・
 優姫・棺様の三角関係というものにどうそれが関わるかよりも、その両方の話をどう両立させるのか
 興味あるっていうか紅まり亜萌え。台無しじゃーん。ゼロくん萌え。だからー。
 ま、でも、そういう外観的なことはともかく、この作品はぐっちゃりと体感的に感想を書いてみたいですね。
 なんていうか、色っぽいもの。しかも結構ニュートラルな感じの。こういうの好き。
 ちなみに、緋桜閑・ゼロ・優姫の関係とかもう鼻血モノなので、どうしたらいいかわからんとです。
 まったく、緋桜閑はなんてものを持ち込んでくれたのよ、まったく、まったくけしからん。
 頭の中ぐるぐるですよ、妄想とか血とか思考とか恨みとか爆発とか、あーもう。
 ヴァンパイアを恨みながらも自身がヴァンパイア化してしまう恐怖の中で、それでも人として同じくヴァンパ
 イア化した元人間を狩ることを、ただ相手の精神性の是非によってのみ考えるだけで済むのがいつまで
 出来るのか計りかねているゼロくんが、その自らをヴァンパイアに変えた当の緋桜閑が現れたときの、
 その憎悪の瞳は何色になるか、そしてその瞳でみつめる優姫はいったいどこにいるのか、そして緋桜閑
 はどう冷酷に冷徹に自分のやりたいことを全うしていくのか、いやもう目的は達成されて、うわー。
 ・・・・・。
 『ふふふ、たのし♪』 byまり亜
 ・・・・・・・・・。
 ごめん、緋桜閑がストライク過ぎて笑うしかないよ。
 大丈夫かな。 >私
 
 
 我が家のお稲荷様。:
 感想といえば、気持ちいい。それくらいでしょうか。
 ゆるゆるで、さっぱりしてて、わかりやすくそのままで、流れる水のように。
 以前にもこの作品についての感想を少し書いたけれど、この印象はそのときから微塵も変わっていま
 せん。
 ソウルイーターほどしっかり作られている訳でも無くわりかし子供っぽく、ヴァンパイア騎士のような色っぽ
 さがある訳でも無くいたずら的にちょいHがあるくらいで、そういう意味ではセールスポイントは無いに
 等しい。
 でも早速前言撤回しますけれど、セールスポイントはあるのです。
 それは、このゆるゆるさなんです。
 ソウルイーターとヴァンパイア騎士にあるものが無い、より徹底した普通な感覚、普通なファンタジー
 感覚。
 まさに一家にひとりお稲荷様は如何?という言葉通りの、あんまりなそのまんまな日常性。
 シリアスなものが「シリアス」という記号的に描かれ、それが日常の中にある当たり前なものとして回収
 される以前に、ほとんど無接触な番外編レベルで描かれているのです。
 シリアスな展開にキャラが接し、それで成長していくとか、そんなものは全く描かれず、ただただそのまん
 ま。
 なのに、見る側には時折魅せる、クゥちゃんのぞっとするほどの純粋な優しさ(御霊送りのときとかの)と
 か、コウちゃんの狭い世界にいるからこその一途さを、その狭い世界という文脈を超えて感じられたり
 とか(透を夢の中で守ったとき)、なんていうか、うーん、上手く言えないですけれど、そういう人の感情
 とか感覚の大元にあるものを、さらっとどっきり的に展開出来るのがなにげに堪らないポイントなのです。
 御霊送りのときなんて、感動しましたもの。
 死人を一時的に蘇らせるという禁忌をクゥちゃんが犯したのは、別に母親を知らない透を不憫に思った
 挙げ句思い詰め、そしてそれと禁忌を破ることの重大性を量りにかけ、ひとつひとつ解呪的に禁忌と
 いう掟破りをしていくとい描写を為すためでは無かったんです。
 クゥちゃんは本当にさらりと、禁忌を犯した。
 禁忌? それがどうした。
 クゥちゃんはただ無造作に、そして透がそれを願っているかどうかも関係無しに、透の母親を蘇らせ、
 そしてあの舞を舞ったのですよね。
 力を使い果たしてヘロヘロになろうとも、それがどうしたという感じで、真実やせ我慢でも無く、自分の
 やりたいことをやりたいだけやったんだから疲れるのは当然だというような感じで、でも見る側は禁忌に
 まつわる関連が頭にあって、だからクゥちゃんの心中を察するにあまりあり過ぎて作ってしまう、なにか壁
 のようなフィルターを通してあのクゥちゃんの舞を眺めているというか、あーだから透達は結界から出ては
 いけなかったのか、結界の中から見てるからこそ、色眼鏡を通してからこそ綺麗に見え、そして自分が
 そうしているのが見えるからこそ、改めてクゥちゃんの無邪気な優しさの凄さの本当に意味に感動する
 のでしょうか。
 透と昇の視点に立てば立つほど、クゥちゃんとコウちゃんの言動が「健気」に見え、だからぎゅって抱きしめ
 たくなるけれど、実際は彼女達はただ彼女達自身の理のままに「無邪気」に色々やってるだけだったり
 して、それが見えるからこそ透と昇の視点がどれだけ余計なもの(道理とか)を背負っているのかが見え、
 だからそれに気づいて、透と昇を見ている私達自身はほっそりと笑えるのかもですよね。
 そして。
 透と昇的色眼鏡、つまり「ああクゥちゃんとコウちゃんも色々苦労してるんだなぁ。だから僕達ももっと考
 えなくちゃいけないんだな。」という「暑苦しさ」は、それは別に無駄なものでも無く間違いでも無い。
 それを証しているのが、六瓢(ムビョウ)ちゃんなんですよね。
 六瓢ちゃんは自分で自分と世界を物語り、そして物語のままに生きてますから、その物語を理解しよう
 とし、そこから六瓢ちゃん自身をでは無く、その物語を六瓢ちゃんと一緒に考えてくれる透がいるから
 こそ、六瓢ちゃん的視点に立つと、それはすごく嬉しいっていうか、透ちゃん萌え、ってなる。
 でも当然透くんは賢いから、すぐに物語をたどってその元にいる六瓢ちゃんに至ってしまうから、
 六瓢ちゃん的にはそれは怖いことながら、それこそが最も嬉しくも感動的なことなのでしょうね。
 あー、なんか書いてるうちに頭回ってきたよーっ!
 
 
 xxxHOLiC◆継:
 なんか、ワタヌキと百目鬼がくっついてない?
 妙に一期と比べて、このふたりの接近率が半端無い気がするんですけれど、皆様はどう思います?
 私はもっとやれって思ってます。もっとやれ。
 でもただの萌え的にそれを片づけてしまうのは私的には勿体無いので、うーんと頭を捻る訳です。
 なんだろう、この接近にはどういう意味があるのかな、いやいやむしろ、このふたりが接近することでなに
 が起きてるんだろうかって、そう考えるのです。
 そしたらですね、やっぱり私的には侑子さんの『大人になったはね、ワタヌキ。』って言葉に辿り着くの。
 いやわかりません? 一期から二期にかけて一番変わったのワタヌキなんです。
 変わったっていうか、ばしっとストレートに自分の感覚を出すようになったっていうか、その出してきたもの
 でちゃんと勝負するようになってきたというかですね。
 今までは、ただそういう自分の弱さ的なものを内面的に見つめて考えて納得的に隠すだけだったのが、
 そういうのをまずぶつけて体から出して、そしてその結果と向き合い改めてどうするかを考えるというか、
 言ってみれば、ワタヌキは目の前の百目鬼という現実と勝負出来るようになった、という感じでしょうか。
 そうしなくちゃほんとはわからないことって一杯あるっていうか、実際ワタヌキは蜘蛛の恨みの話や、
 小羽ちゃんとの交流を通して様々な自分と誰かの「ここにいるということ」ということがどういうことなのかの、
 その自らの素直な行動の影響を受けることでわかっていくのです。
 そうすればきっと、ワタヌキには出来ることが飛躍的に増えていくのだと思うし、たぶんそれを指して侑子
 さんはワタヌキには色々やって貰うことがあると言ったのかもしれませんね。
 ・・・あー、そういうことだったんですかぁ。 ←自分の言葉に理解が追いついて無い人
 
 
 紅:
 最終的には真九郎かぁ。
 改めて感想を書くとなると難しい。
 この作品も作品としては取り立てて難しいことをやっている訳でも無いし、私の中に神が舞い降りたが
 如くの閃きを与えてくれる訳でも無く、ってそれは私がニブいだけですけど、そうなのですけれど、でも
 表面的にははっきりと表されているものはこの作品には無いです。
 ただ当たり前なことを、当たり前な分だけ。
 考えることなどなにも無い。
 でも。
 真九郎を見てると、なんていうのかな、その当たり前なものが、また一段と別の次元に開けていくのが
 見えていく気がして堪らないんですねぇ。
 なんというか、私では無い、他の人の見ている、あるいは、あり得たかもしれない別の当たり前の体感
 というかなんというか、そういうのが、ほんとうにほっそりと見えるんです。
 真九郎って、すっごい色んなもの、ため込んでますよね。
 でも語られる言葉は非常に平易で、ひとつのわかりやすい物語として充分収束可能なのに、それなの
 にあの真九郎の顔見てれば、あ、これは私達が万の言葉を以てしても語り切れない、そういう「他者の
 当たり前」があるんだろうなぁって。
 みんな、私もたぶんそうですけど(たぶんて)、口に出したり喋ったりすることの、何億倍もいろんなことを
 考え感じていますよね?
 で、実際口から出てくる言葉は嘘でもあり本当でもあり、そしてほんの一部でしかなかったり実は自分
 の中にある言葉のすべてが凝縮された一言の連なりだったりもする訳なのです。
 この「紅」の最大の魅力は、そこなんだなぁ、って、ぼーっと見てたら思った。思いましたよ。
 同じ台詞でも、それを発した者の頭の中にあるものを表している割合が違うし、そしてその割合は
 台詞の長短には関係無く、そして割合はころころと変わっている。
 そして、それの最たる存在が、真九郎くんなんです。むしろ他のキャラはそれほどそういうのは無い。
 一個の男の子の、なんていうのかな、心のさざ波の音が聞こえたり、見えたりする感じなんです。
 凪いでいたり、荒れ狂っていたり、一定の間隔で打ち寄せていたり、しかし目の前にあるのは同じ海。
 リアリティとか、そういう言葉は似合いません。
 真九郎という名前の、生身の人間を活写しているとも思いません。
 でも、たぶんこれは、なによりも人間という名の真九郎そのものを描き出していると、そう思うんです。
 「真九郎」というものをリアリティなんて、リアルな「自分」を描くっていうのと同じくらい変なことですし。
 「真九郎」という「自分」、あるいは「私」が其処にいる。
 私には私の「私」があり、そしてあの画面の中には「真九郎」という「私」がある。
 だからあの作品を見ていると、私は無性に他人様の「私」を覗いている感じもして少し気恥ずかしく、
 そして同時に、私の「私」も同時にみつめている気になれるんですよね。
 あの画面を見ている私の中に、ですね。
 ・・・・なにこのしたり顔な結論は。
 
 
 あまつき:
 これいいわぁ。
 鴇がいいなぁ、あの接待され上手堪んない。
 やっば、ああいう人のためなら頑張れちゃいそうですよ、お洒落だって勉強だって仕事だって、あの人に
 すごいなぁって微笑まれて頭撫でられちゃったら、なんかもうすごい幸せ、この人に喜んでもらえるなら、
 ちょっと頑張っちゃうよ空だって飛んじゃうよって、あわわ。(落ち着け)
 ああいう優しくし甲斐のある人になりたいなぁとかこれでも昔は思ってたけど(ぇ)、最近はなんか逆に
 ああいう人に素直に優しく頑張れる人になりたいなぁって、うん、そう思うようになってきたところにあれで
 すよ、ぎゃー。
 まぁ落ち着け。
 まずい、ツンデレ鶴梅よそ行きバージョンをすっと褒めて、笑顔満載で頑張っておめかししてきた真朱
 ちゃんをニコニコとうん凄く似合ってるよって、その輪に入り損ねた自分の女を意識しはじめた朽葉が
 もごもごと五月蠅いいって踵を返すなんて、そんな、あの空気がたまらないーっ!
 ・・・・どっち向かってますか私は。
 で(仕切直し)、まぁこの作品はほんとそれなんです。
 鴇萌えー。(仕切直し失敗)
 なんていうか、男の色気全開じゃないですか?
 梵の弱さと強さの混じり合った懐の広さとかでも脆そうなとことか、勿論鴇の相方の篠ノ女のなんでも
 上手く受け入れてやんぜみたいなのらりくらりの中に感じるキレ味とか、沙門様の豪快な世話してあげ
 なくちゃ臭とかでも頼りになるとか、平八のあまりに爽快な江戸っ子っぷりとか、あと銀朱は最初微妙
 だったんですけど新入りの坊様との問答ですっかりやられちゃってとか、あーもう。
 そんな感じです、あまつき。
 好き。
 その言葉にすべてを込めてー。 (蝶を追いかけながら)
 
 
 コードギアスR2:
 ううーん、なんか微妙。 ていうか粗雑過ぎる。
 そりゃ、ひとつの遊び心的なエンタメとしてなら楽しめないこともないけど、そもそも私はそっち畑の人
 じゃ無いし、どちらかというと子供っぽさを感じて一歩距離を置いてしまう感じ。
 あまりにも、単発過ぎるというか、ネタの詰め合わせ的な様子なので、戦闘シーンを派手にやって、
 ロボットがぎゃーんとカッコ良く動いたり変形したり、男の子同士のイケチャイチャとか、そういうのを見せび
 らかし過ぎてて、本題が疎かになってる。
 最近は少しずつまとまってきてはいるけれど、うーん、なんか今度は逆に突っ走り過ぎてて、内容が
 別の意味で薄くなり、なんだか消化しているだけのような印象も。
 期待はしてます。 もっと面白く、意外なことをやってくれないかなって。
 ギアスの面白いところは、なんといっても意外性だと思うし、それをひとつひとつ筋道立てて描くところ
 だと思うのだけれど、第二期に入ってからは、全くありきたりなものばかりで、そういう意味で驚きが無い。
 それに本来魅せるべきナナリー総督就任とかそれに関してのルルの葛藤とか、それって一番大事なと
 ころなんじゃないの?って思ってるうちに、すすーっと進んでいっちゃってまぁ、いったいこの作品はなにが
 したいんだろ、っていう風についつい思ってしまう。
 私的にはまさにロロと同じ心境です。兄さんを信じていいのかな、って(笑)
 せっかくの刺激的な素材と題材を持っているのだから、もっともっとそれらの良さを活かして欲しいなぁ。
 今のところ、少なくとも私的ギアス合格ラインに、第二期は到達していません。
 もうすこしがんばりましょう。
 先生は、期待しています。
 オ レ ン ジ も き た こ と で す し 。
 あとはこの素材を活かし切ってくださいませ。
 
 
 
 
 ようやっと、今期のアニメスタイルに慣れてきた今日この頃です。
 そうですね、あんまり小粒って言葉で表現するのは避けたいので別の言葉を使うと、わかりやすくかつ
 根元的普遍的・・とはちょっと違うか、人間の一番素直な気持ちのままに見られるものが揃っている、
 という感じでしょうか。
 そういう意味では、頭捻りながらしびれながら見てるのはxxxHOLiC◆継くらいで、あとはほんとそのまま
 身を委ねています。
 その最たるものが、今はちょうどヴァンパイア騎士に当たっています、私的に。
 今期はそれこそもう一度自分の感覚とか感情とか、そういったものを発露することを一から改めてやって
 みたい気にさせてくれて、ある意味で非常に充実しています。
 つかもう、これただのヲタクですけど。ヲタクなのですね。
 紅い瞳はアニメを心から愛しています。
 萌えなんかいりません。
 愛をくれ。 (要求)
 
 
 あと他になにげに狂乱家族日記をまた見始めてたり、地道に図書館戦争見てたりとか、相も変わらず
 銀魂見てたりします。
 狂乱家族日記は時間かかったけどやっとあのパッパッパっとしたリズム感の面白さがわかって、図書館
 戦争はこれはすごいマッチポンプ的プロパガンダアニメですねで、銀魂は相変わらずアホでした。
 
 
 おまけ:
 なんかこんなのがあったので、ちょろっとやってみました。
 ご存じの方もいらっしゃるかと。
 
 女性声優140人ソート
 
 私のはこんな感じになりました。
 
 1: 広橋涼 21: 斎藤千和 41: 皆川純子
 2: 小清水亜美 22: 植田佳奈 42: 生天目仁美
 3: 豊口めぐみ 23: 池澤春菜 43: 野川さくら
 4: 田中理恵 24: 伊藤静 44: 田村ゆかり
 5: 川上とも子 25: 井上麻里奈 45: 仙台エリ
 5: 川澄綾子 26: 小林ゆう 46: 新谷良子
 7: 折笠富美子 27: 佐藤利奈 47: 清水香里
 8: 甲斐田裕子 28: 釘宮理恵 48: 桑島法子
 9: 桑谷夏子 29: 水橋かおり 49: 根谷美智子
10: 大原さやか 30: 桃井はるこ 50: 西村ちなみ
11: 水樹奈々 31: 野中藍 51: 福圓美里
12: ゆかな 32: 名塚佳織    ・
13: 堀江由衣 33: 葉月絵理乃    ・
14: 松岡由貴  34: 榎本温子  (中略)
15: 中原麻衣 35: 沢城みゆき    ・
16: 野田順子 36: 森永理科    ・
17: 能登麻美子 37: 茅原実里

108: 朴王路美

18: 千葉紗子 38: 浅川悠  
19: 藤田咲 39: 清水愛

 (以下略)

20: 後藤邑子 40: 平野綾  
     
 
 基本的に私は声優に興味は無いのですけれど、少なくとも上に表示したのは全員知っているくらいに
 は、なにげに知識吸収しているなぁという感じ。
 まぁ、声と名前が一致してなくて勘違いとか言うのもあるかもですけど、んー、あー、私の好みってこう
 いう感じになるのかぁと。全然実感無いんですけど。
 しかしもう少なくとも50人は声優名頭に入ってるんですねぇ、すごいな。
 で、1位の広橋涼は私の好きなキャラを歴任(?)しているので、まぁ1位かどうかはわからないけれど、
 上位には入るというのは納得。
 しかし小清水亜美強すぎ。
 ぶっちゃけ狼と香辛料のホロ役くらいしか頭に浮かばないのに2位って、どんだけホロ好きなのよってこと
 なのでしょうか。そうなのでしょうね。そうなのですよ、うん。
 あとの上位者は最近アニメで気に入った役をやってる人が多く入ってますね、といいつつ3位の豊口めぐ
 みはマリみての聖様で4位の田中理恵はローゼンの銀様だろねこれ確実に。
 あと7位の折笠富美子は、この声の演技上手いなぁ誰だろと思ったときにこの人だったということが多い
 人だったりするので上位入り、てかそういう人こそ1位に来ないものか。
 細かい順番は自分でもわからないので、まぁそんなものかとおおむね納得出来るレベルなのですけれ 
 ど、けれど桑島法子がなんでこんな順位低いんだろ48位て。
 チャットとかで話題にも出るし、私的にも好きな部類に入るはずだし、選択においても結構選んだはず
 なのに・・・という感じでいくつか明らかに違和感あったりする箇所も。伊藤静とか名塚佳織とか。
 しかし、一番圧倒的におかしいのは、108位の朴王路美(パクロミ)。
 たんに順位が低いとか、低すぎるとか、それは百歩譲っても良しとしましょう。
 でもね、上の表で中略にしてる辺りの順位にはね、ごそっと私の知らない声優が入ってるのよ。
 名前と声が一致してて、おまけに割と結構好きな声な朴王路美が、なんで知らない声優より下に
 なるのか全く謎。謎っていうか、なに? 私無意識の領域でなにか彼女に恨みでもあるの?
 謎です。 (フォロー無し)
 
 
 
 
 以上、本日の日記でした。
 目がしぱしぱする。
 
 
 
 
 
 

 

-- 080611--                    

 

         

                               ■■ボウトクをみつめて■■

     
 
 
 
 
 『安易に同じという言葉を使ってはいけない。 違うという言葉もね。』
 

                           〜xxxHOLiC◆継 ・第九話・百目鬼遥の言葉より〜

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 この世に、自分と同じ人間など存在しない。
 この世に、自分と違う人間など存在しない。
 背負うものや依って立つものが違えば、誰もが同じ振る舞いに至ることなどあり得ない。
 けれど、そのなにかを背負いなにかに依って立つその誰かそのものは、自分と全く同じひとりの人間。
 背負うものや依って立つものが同じならば、同じ振る舞いをすることで、みんな同じだと思うことは出来、
 そして同じ振る舞いをしない者を自分達とは違う者として切り捨てる。
 どれほど真摯に情愛に基づく行動だとしても、それが自らと同じ振る舞いを為すがゆえにこそ、その
 相手の者と分かり合えるはずだと言うのならば、それはなんの意味も持たないただの偽善と化す。
 
 同じと言うから、違うものが生まれる。
 違うと言うから、同じものが生まれる。
 誰も、新しく生まれたりはしないのに。
 その人は初めから、ずっと変わらぬ姿でそこにいるのに。
 
 そう。
 人は皆、そうやって同じとか違うとかいう幻想を抱いている。
 でもそれはいつのまにか幻想だということを忘れて、本当にいつのまにか真実としか思えなくなっている。
 同じ対象をみても、人はそれに対して実に様々な感想を持つ。
 なにひとつ同じ感想など無いし、そんなことは絶対にあり得ないはずなのに、けれど人は同じものを
 探す。
 いいえ。
 同じものを作り、生み出そうとするのね。
 少しでも同じものだと思える人に近づき、そしてお互いがお互いに同じという幻想を共有し、そして
 私とあなたは同じだと言う。
 同じ者が生まれれば、違う者も生まれる。
 どうしてもその人と同じという幻想を共有出来無いとなったとき、人はその人は自分とは違う者として
 捉え、その存在を切り捨てたり尊重したりする。
 違うことなど当たり前なはずなのに、いつしか同じでなければいられなくなり、そして同じ者同士と認識
 し合えた狭い幻想社会を構成し、違う者と判断したものを外患として淘汰していく。
 人として、人間として、霊能者として、常識として、ルールとして、男として女として、何々人として。
 それらは紛れも無く、幻想なのに。
 なにかを裁かなくてはいられない、自らの弱さと怠惰が作り出す凶器にしか過ぎないのに。
 自らがその幻想に拘り囚われれば、どこまでがその幻想なのかがわからなくなっているはずよ。
 
 KY?
 なぁに? それは。
 
 ひとつひとつの幻想を、それと知らずに利用しているだけ。
 なんのために?
 それはね、隠すためよ。
 この世には、自分と同じ人間など存在しないという恐怖を。
 それを隠すためにこそ、自分と同じと思える人間を作り生み出しそれと戯れる。
 そして。
 この世には、自分と違う人間など存在しないという恐怖をも隠そうとする。
 自分と同じ人間との世界を作り、そこから漏れたものを慈悲と残酷の精神ではじき飛ばし、けれど
 本当はそうして良いことの正当性などどこにも無いことを、人は誰しもが感じずにはいられない。
 だって、その切り捨て、慈悲を以て哀れみ、蔑んだその人は、紛れも無く人間なのだものね。
 自分と同じ、人間なのよ。
 自分がその人の立場になったらどう思うか、という考え方があるけれど、人は往々にして、ちゃんと正確
 にその人の立場に立って考えようとはしない。
 自分のおもいのままに、自分の背負ったもの依って立つものをそのままにして、それで強引にその人の
 立場に立って考えたとて、その人の気持ちなど絶対にわかるはずも無い。
 精神論を唱えてただ頑張れと言う人の大半はそれよね。
 相手の理屈をただすべて否定するために聞いても、なんの意味も無いどころか、その「聞いた」という
 事実を盾にして、それ以上相手の理屈を理解し自らの行動に影響させるということを拒絶しようとす
 ることに容易に繋がってしまう。
 それって、どんなマッチポンプよね、ほんとうに。  
 
 
 そう。
 あの子には、みえないものがみえる力がある。
 幻想の向こうにある、いいえ、幻想の中に生きる人々の姿がはっきりと、あの子には見えている。
 そして。
 多くの人が隠して見なかったことにしているものを、あの子はただひとり、ずっと見つめ続けているの。
 
 
 常識? 法律? それでもって空気?
 そういうものがあること自体は良いし、また安易でなければそれらは立派な意味を持つもの。
 でも、それらを利用して、それらに殉じる者達だけがこそ正義であり、それをせぬ者はその正義としての
 常識や法律や果ては空気に背く悪であり、それを断罪し駆逐することの罪の意識を隠すのであるの
 ならば、それらは一転、それこそこの世に存在するすべての人間の敵になるのよ。
 それらは要するに自己保身と孤高の成れの果て。
 自分と同じという存在せぬ者、それは言い換えれば、他者という名の自分にしか過ぎない。
 他者と同じものを共有し他者と交流することで、孤独から目を背け孤独感だけを取り出し癒し、
 それで辻褄合わせを行ってしまっている。
 自分と絶対的に違う存在である他者と向き合うことを恐れ、異質な者達との世界の中の孤独から
 逃げ、それでそこに本当に他者はいるのかしら。
 幻想は、確かにその孤独に対しての妙薬ではあるでしょう。
 いいえむしろ、そうした幻想は人が生きていくために必要ではあるわ。
 けれど、その幻想の中にこそ生きてしまったら、それは自分以外の他者の存在を消すことに至る。
 
 それは、必然。
 
 
 『あの人、一度も小羽ちゃんの名前呼ばなかったんです。 興奮して、怒鳴ってるときでさえ。』
 
 
 理屈は、理屈。
 道理が通れば、また別の道理も成り立つ。
 道理は、ひとつじゃあ無いわ。
 道理に囚われれば、道理がひとつでは無いということを理解できなくなってしまう。
 理屈は理屈に過ぎず、ただ理屈を使ってなにかをしている私達がここにいるだけ。
 その理屈や道理は幻想にしか過ぎないことを忘れ、絶対のものとしてしまっていたら、自分がいつのま
 にかそれを絶対的なものにしていることを、そしてまたなにを絶対的なものにしているのかがわからなく
 なってしまう。
 相手への気遣いにしてもそうよ。
 礼儀なりマナーなり、それが形式として固定したものになること自体は構わないし、その固定したツール
 としての礼儀なりマナーなりを敢えて共有することで、誰かと同じ瞬間を体験する幻想は、それはそれ
 で重要なもの。
 けれど、その形式の固定が絶対なもので、その礼儀なりマナーなりの大元にあるものを無視してのその
 同じ瞬間の共有の永遠化は、それこそ他者を排撃するものにしかなれないわ。
 大元にあるものとは、なにか、ですって?
 それはね、他者よ。
 つまり、他者が其処にいるということそのものよ。
 礼儀でもマナーでもなんでも、それら自体はひとつの理屈や道理にしか過ぎず、人はそれらを使って
 自分の中にある他人を思い遣る気持ちを発露するのみ。
 なのに、その理屈や道理としての形に拘り、その形式通りにしない者の中には他人への気遣いが無い
 などと言うのは、それこそその人とその人の存在に対するなによりな冒涜行為と言えるわよね。
 そしてね。
 同時にその排撃された人自身もね、自分の受け入れられないやり方に固執するのなら、やっぱりそれ
 は同じことになるのよね。
 なぜ自分を排撃する人は、そうして他人を蔑ろにしてまで自分達の理屈の形式を守ろうとするのか、
 それをただつまりその人達は他人の存在を無視して既成のものにしがみつく自己保身しかしていない
 からだと、ただそう思うだけではなんの解決にも至りはしない。
 実際はそうかもしれないし、その可能性が高いでしょうね。
 人は大人になればなるほど、自らの培ってきたもの守ってきたものを大事にするあまりに、すっかりと
 盲目になってしまうという、まさにある意味での子供返りに陥ってしまうものだから。
 怠惰と逃避、それをさも美しいものとして描き出すために必死になってしまうこともまた、必然。
 人は、そんなに強くは無いのよ。
 でもそこで、その弱い自分のままに生きるか、それを認めて改めて強くなりたいと願い、そして強くなると
 はどういうことなのかを徹底的に考えるかどうかは、また別のこと。
 それらはすべて、自分次第。
 
 けれど、それは、あなたには関係の無いことよ。
 
 
 相手がどういう人かを見極めることと、自分がそれを見たことでどう変わったかを見極めることは、
 それは同時にこなさなければならないことなのだから。
 
 
 気づけば自分もまた、自分の理屈を認めて貰うことばかりを考えている。
 相手が自己保身に走っていることを指摘し、だからこそ自分の存在もちゃんと認めて欲しいと、その
 他者無き世界では私達は共に生きられないと、そのひとつの理屈を唱えているだけになってしまって
 いる。
 そう。
 重要なことは、そうして自己保身に走ってしまう人、その存在そのものとどうやったら共存できるかを、
 その人達から排撃される自分自身こそが考えることなのよ。
 いつのまにか、あなたは自己保身に走ってしまうことを絶対悪として、その人達の存在を認めずに、
 ただそれを変えようとすることばかりに囚われていないかしら?
 それは、既存、そう、ただのひとつの常識なり正義なり礼儀なりにしか過ぎないものに拘りそれを絶対
 とし、それから外れる者を悪として排除することと同じでしょう?
 この社会は、恐ろしい同質の社会。
 いいえ、同じと言うこと違うと言うことに憑かれた者達の戦場ね。
 なにかひとつのことを絶対として、そこにすべてを放り込んでしまい、それからズレてしまえば多大な労苦
 を強いられる。
 まさに、ひとつのものとしての社会のための社会であり、他者の存在との繋がりがその小さなおかしな
 ひとつのものをツールとすることでしか得られないという、とても貧しい社会。
 人が他者の存在と向き合えない、向き合うことが恐ろしいゆえに、その恐怖を共有する者同士が
 幻想を通じて繋がっている気分に浸り、そしてそれに溺れている。
 
 御覧なさい、あの番組を。
 あの子の言っていることが本当だとは言わない。
 けれど、他の者とは違うということにされ、そしてそしてその違いを指すという行為でひとつにまとまった
 あの子以外の者達があの子を糾弾すること、それを幼いと言うことに躊躇いは無いわ。
 あの子は、あの番組の空気を読んではいないし、読む気も無い。
 そして他の出演者は皆空気を読み、読んだ空気のために行動し、同じく空気を求める他の者達と
 繋がり孤独感を回避することにかまけ、そしてあの子を排撃している。
 孤独を恐れるあまりに、孤独を呼び起こす絶対的な他者という存在を無視している。
 人との繋がり? それは実は、他者と向き合っているということとは同義では無いわ。
 むしろそれは、 自らの孤高を保持するための、他者の道具化にしか過ぎないのよ。
 
 
 
 他者との繋がりを求めて、他者を無視しているのよ。
 
 自分と同じと見定めた他者は、それは他者とは呼べない代物。
 無論自分と違うと見定めた他者もまた、他者とは呼べない代物に貶められている。
 自分によく似た他者の存在、いいえ、「自分と同じということ」に自分を見ている。
 自分達の同質を支えるものを守るために、それを壊す者を排除することに自己同一を感じている。
 無数の自分だけしかいない世界。
 それは、孤独ということ。
 
 
 
 孤独を恐れるあまりに、孤独に囚われてしまっているのね。
 
 
 
 
 

どうするの? ワタヌキ。

 
 
 

 

この世に、罪の無い者なんて、いないわ。

 

自らの存在の影響を、縁を無視しての正義なんて、戯言以外のなにものでも無い。

 
 
 
 
 

あなたには、見えているわよね。

 

 

あなたに、見えているものが。

 
 

あの子と同じものでも違うものでも無い、ただ今、あなたが見ているものが、其処にはあるわ。

 
 
 
 

〜 『見えないものを見えるって言うのは、霊に対する冒涜ですよ!』 〜

 
 
 
 

 

 

見ているものを以て、答えなさい、ワタヌキ。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
                            ◆ 『』内文章、アニメxxxHOLiC◆継』より引用 ◆
 
 
 
 
 

 

-- 080606--                    

 

         

                              ■■怖いスズの鳴く夜に■■

     
 
 
 
 
 『すべては、今日で終わり。』
 

                           〜xxxHOLiC◆継 ・第八話・侑子の言葉より〜

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 窓から覗いた月影には、ぶっきらぼうな電柱が垂れ下がっていた。
 見える景色の大部分は隣の家の灰色の壁で埋め尽くされ、僅かに見える夜空はまるで除け者の
 ようにして、ただ高く放り捨てられているようだった。
 けれどそれが空であることには変わりは無く、本来ならこの窓から見るものの中心であり、かつ最も
 美しいものであるはずだった。
 ううん、それが一番の美しさを持っていることは、やっぱりそれでも確かなの。
 でも、それはどうしても、この薄暗い壁と比べての、そんな相対的なものとしての一番であって、
 そうするとなぜかな、どうしてもその夜空を中心にして見ることの出来無い、そんないびつで出来損ない
 の風景しかそこにはなかった。
 夜空は、ただただ美しく光り輝くからこその、夜空なのに。
 どうみたってこれじゃ、この目の前の薄汚い壁がメインじゃないの。
 何度も何度も、遠くに漏れ広がる月光を頼りに夜の美しさに浸ろうとしても、駄目だった。
 隣の家とは、三メートルと離れていない。
 瞬間的に、椅子を振り翳し、窓枠に引っ掛かろうとも構わずに投げつけてやろうかとも思う。
 けれど、それで壁に穴が空いたとして、いいえ、仮に魔法のようにしてその壁が消し飛んだとしても、
 きっとその向こうに広がる風景は綺麗な夜空では無く、真っ白に塗り潰された空白にしかならない
 気がして、堪らない。
 なにもかも食い破らんばかりの勢いに白けたその空白の、その遙か上で僅かに生存している夜空。
 瞬時にそれは、その白にいずれ滅ぼされる黒だと予感した。
 だったら、その黒を守り、そして黒い絵の具に身を染めてその白を塗り替えして、満天の星空を描いて
 やればいいのかとは思う。
 しかしそれはどうしても、想いを込めて言えるものでは無かった。
 そうして思い描いた夜空はなぜか、生気が感じられない、それこそ無機質な闇にしか見えなかった。
 違うのよ・・夜空は私が描いたんじゃ駄目なの・・・夜は・・夜はただ美しくそれだけで・・・
 
 苦し紛れに絵筆を取る。
 けれどどうしてもそれを、黒絵の具に浸す気にはなれなかった。
 
 描け。描きなさい。
 頭の中にかすれた文字を刻んでいくその囁きは、部屋の奥から聞こえてくる。
 叱咤でも怒号でも無く、けれどそれは叱咤と怒号と呼べるもの。
 励まされもしなければ怖くも無い、それはただの音だった。
 
 りん りん
 
 読んでいた本のページが、夜風に煽られて剥けていく。
 一枚一枚また一枚と物語は進み、そして綺麗に私の手元で閉じられていく。
 簡単にそれは、私の手で再び開くことも出来る。
 どのページを選び、どちらの方向にそのページを繰るかも私が決めることが出来る。
 そして、手を離して風任せにすることも可能だった。
 こつ、こつ。
 なにかの気配がする。
 誰もいないはずなのに、その本の物語は進んでいく。
 家? ・・・・・それはどこの家の話?
 ページを千切り取り、そこにすらすらとなにかを書き付けた。
 意味不明な文字が浮かぶ。
 けれどそれは、確かなる情念を込めた言葉。
 文字をなぞり、指先で破いたページの端を撫で、破かれ壊された本の、その破かれた線に沿って舌を
 這わす。
 糊を使う? それともテープ? ホッチキス?
 ページを戻すために必要ないくつかの道具を思い浮かべながら、部屋中を見回していると、それだけ
 で満足することが出来た。
 そう・・・継ぎ接ぎは駄目なの・・・・
 千切り取り落書きを施したページは、ただ本の中のあるべき場所に破れたまま戻すしかない。
 物語を読み進める分には支障は無いけれど、それはもう本というひとつの絶対的な風景を構成出来
 無くなってしまっている。
 閉じられてしまえば、すぐには破れていることには気づかない。
 けれど読み進めれば、もう頭の中に浮かぶ物語は続いても、その破れたページの箇所を見た瞬間に
 、その物語はたちどころに生気を失い、そして夜風に捕まりどこかに連れていかれる。
 引き裂かれたページなら、あの惨めに生き残っている窓枠の中の夜空には合うかも知れない。
 
 
 りん りん
 
 
 
 ◆
 
 風を切り、歩いている。
 伸びやかに伸びた足を適度にまとめながら、一歩一歩を噛み締めている。
 靴の裏で感じる鼓動が、妙に華やいでいる。
 違和感を禁じ得無い、けれど落ち着きをもたらそうとすれば、無限に落ち着くことが出来る。
 力を込めて吐いた息が、低い空を切り裂き、体にまとわりついていく。
 甘い吐息に支え回される、私は確かな操り人形。
 澄まし顔。
 誰に魅せるでも無く空虚の顕れでも無く、心底とぼけている。
 隠し事は嫌いなんです。
 ぼそぼそと内に籠もるべきその言葉を、軽快に吐息に乗せて遊ばせている。
 私の中にはなにも見えない。
 なぜなら、私の瞳が空っぽだから。
 空洞のように真っ黒に抜けた瞳孔が、どこまでも果てしなくとぼけている。
 初対面の人に、ぬけぬけと本当のことなんて言える訳無いじゃないですか。
 指先をつつき合わせ、困った振りをするその両手は、常に私の背後で回っている。
 『こんにちわ。すみません、勝手に入ってきちゃって。』
 私に願い事があることを見抜くなんて、誰にも出来ること。
 でも、その願い事がなんのために存在しているかは、誰にもわからないこと。
 勿論私にもわからない。
 わからないからこうして、此処にいる。
 此処でこうして、自分の願い事悩み事をすらすらと述べ立てている。
 『家が、怖いんです。』
 家が怖くないようになりたいんです。
 その言葉を導き出したのは、あなた。
 問われたから、嘘では無いことを述べただけ。
 そしてその本当とも知れぬ願い事を軸にして、すらすらとその設定のままに物語を綴っていく。
 
 私の中には、願い事も悩み事も、無数にあるというのに。
 
 その溢れている願いの中で、そのひとつの願いを取り出した理由こそが、私の瞳の空洞と繋がっている。
 りん りん
 一枚とて綴じられていない、無数の紙片を掻き集め、ただ物語としての形のままにそれを並べ立てて
 いる。
 それらはすべて、ひとつひとつバラバラの、どうということの無い想いの欠片にしか過ぎない。
 無意識のようでいて、しっかりと目の前のあなたを見据えている。
 ただただ物語を読み解こうとしている愚かなあなたの姿がみえている。
 小さく、耳の奥で嗤う。
 
 りん
 
 鈴を渡された。
 馬鹿じゃないの? こんなものなんの意味も無いわ。
 どうせ私をヒステリーな年頃の女の子とでも思って、その少女が原因であるポルターガイスト的なお話
 で片づけようとしているのね。
 違和感は、拭えない。
 鈴? だとしてもなんで鈴?
 わからなかった。まるでわからなかった。
 けれど私にとっては鈴の意味など関係無く、鈴を渡したあなたの思惑こそが問題だった。
 鈴になんの効果があるのかわからないけど、どうせ薬かなんかと扱いは同じなんでしょう。
 馬鹿馬鹿しい、馬鹿馬鹿しい。
 そしてその馬鹿馬鹿しさこそが、ひとつの薬効を生み出していた。
 これはあれね、お呪いなのね。
 この鈴になんの効果があるのかはわからないけれど、逆にわからないということ自体が重要で、そして
 だから言われた通りに馬鹿みたいに信じて鈴を抱き締めていれば、きっと家が怖いということは無くなる
 んだわ。
 ふふ。
 別に、家が怖くならないようになりたい、という私の願いの価値なんて無いけれどね。
 私がなんでその願いを自分の中から選んで取り出したのか、それを知ろうとしなければ意味なんて
 無いのに。
 馬っ鹿みたい。
 大した店じゃあ無いわね。
 私の嘘も見抜けないなんて、お笑い草だわ。
 くるくると指先で貰った鈴を回しながら、高らかに笑いながら家路を辿る。
 
 重かった。
 これほど重い足取りは、初めてだった。
 
 
 
 誰も見てくれないんだ。
 誰も気づいてくれないんだ。
 私は、ただ、私はただ。
 なんで私が嘘なんか吐くのか、吐かなくちゃいけないのか。
 それをわかってくれなくちゃ、知ろうとしてくれなくちゃ、ほんとのことなんて話せない。
 ううん、本当のことを話しても、それは生気の無い真っ黒な物語にしかならないのよ。
 鈴音が、禍々しく静寂を晒している。
 きりきりと、追い詰められていく。
 独りに、独りに、独りに。
 ただただ、唯一の私が夜空に向けて搾り取られていく。
 どうして、どうしてみんなそんなに愚かなの。
 どうしてみんな、そんな本当のことばかりに拘るの。
 だったら私は嘘を吐くしか無いじゃない。
 私をみて。 私をちゃんとみてよ!
 心臓が高鳴った。
 自分の叫び声が、窓の外の純白の鉄壁に喰い殺されていくのがみえた。
 夜空は無様に浮かんでいる。
 消えていく。どんどん消えていく。
 物凄まじい力を握り締め、滅茶苦茶に本のページをめくっていく。
 無い、無い! どこにも月が無い!!!
 振り返るとそこには。
 
 
 絶望的に燃え盛る、漆黒の闇に滅ぼされた、この部屋がいた。
 
 
 小さな悲鳴が喉を引き裂く。
 恐怖では無かった。
 それはもう、ただただ震えだった。
 抱き締めた鈴さえそれを感知出来無い、極小の、そして永遠に続く絶望だった。
 聞いて、聞いてよ! 私の叫びを聞いてよ!! なにか言ってよ!!
 がむしゃらに投げつけた鈴は、無様にも閉められたガラス窓に傷をつけ、ごとりという不吉な音を撒き散ら
 して部屋に舞い戻った。
 りん、りん。
 今度こそ、叫びは無かった。
 息が、出来無い。
 
 なにか、いる。
 
 
 
 ◆
 
 胸を張る。
 柔らかい。
 髪を流す。
 暖かい。
 息切れを、収める。
 
 よし
 
 万華鏡を覗いたときに一番怖いのは、真っ暗でなにも見えなかった時じゃ無い。
 筒持つ手が微動だにしないのに、勝手にくるくると瞳の先に結ばれた像が回転してしまう時こそ恐ろしい。
 しかも微細なビーズの切れ端が、そのバラバラだったものが、もつれるようにして、まるで血流のように
 してひとつにまとまっていく、そのいちいちの過程までがすべて見えてしまうとしたら・・
 極彩色に繰り広げられる地獄がただの絵図では済まないことは、その地獄絵図を持つ手が震えていて
 も、激震していても、全くひるまずに淡々とその絵の営みが続いていくことで感じてしまう。
 居ても立ってもいられない。
 鈴の音に導かれるままに、あの店へと駆け込んでいく。
 ずるずると剥けていく、澄まし顔。
 けれど、それで顕れてきた恐怖の感情が、またひとつ新たな嘘を作り、あの人へと向かっていく。
 私は家が怖いんだ、私は家が怖いんだ、私は家が怖いんだ、私は
 鈴なんて全然効か無いじゃない。
 鈴が、鈴を寄越したあの人が悪いのよ。
 白々しくもささやかな嘘を吐く。
 でもその嘘を吐かなくちゃ、私は私のことを知って貰わないと・・・
 そうよ、私はなにかを願ってる、でもその願いそのものが重要じゃ無くて、なぜその願いを口にしてそれを
 叶えようとしているのかが重要なのよ。
 私はその願いにでは無く、そのなにか願いを叶える、誰かに叶えて貰うというそれ自体になにかを仮託
 しているのよ。
 そう、私は、そうよ、私はあの人を信じたかったのよ、誰かと繋がりたかったのよ。
 あの白い壁の向こうには綺麗な夜空が広がっていると信じたい、いいえ、きっとその夜空を取り戻してみ
 せると決意してるからこそ、私はあの人に挑んだのよ。
 私の願いを叶えることなんてどうでもいい、その願いを口にする私を見て、私と一緒に考えて、私と
 一緒に闘って欲しかったのよ。
 あの壁に椅子を投げつける力を、私は求めていたのよ。
 きっと、そう、そうなんだわ。
 願いなんて嘘よ。方便よ。
 だから、信じようと思ったのに。
 ただ鈴を渡されただけの愚かしさに耐え、それでもあなたと繋がれると信じて・・・
 
 
 なのに、鈴を貰ってから、ますますひどくなったじゃないの!!
 
 
 誰もいないのに物音がする。
 部屋の物が勝手に動く。
 鈴を求めてなんかいないのに、鈴しかくれないことに憤りさえ覚えているのに、それでも投げ出したらそれ
 で終わりだと思い信じたのに、それなのに前よりひどくなるって、これはどういうこと?
 『私もう・・怖くて』
 けれど、傲岸不遜独立不羈の圧倒的に愚かな私の澄まし顔は、懸命に耐えていく。
 怒りと不安でまぜこぜの素晴らしい不安定状態にありながらも、その空惚けた作法だけは自然に溢れ
 ていく。
 焦っているように魅せ、不安であるように魅せ、不満であるように魅せ、そしてその裏にあるそれよりも
 遙かに圧倒的に昂っている焦燥と絶望と憎悪を隠していく。
 私を全部丸出しにしたら駄目、そんなことしたらぶち壊しになっちゃう。
 でも、私のそういう状態を全く伝えないのは、それ自体が解決から遠のくことになるだろうし、だから私
 はたとえ嘘でも、別の形としてオブラートに包んで私の内面を無表情に示すのよ。
 もしかして、だからリアリティを感じ取られなかったの?
 もしかして、だから本気だとは思われなかったの?
 でもそんな対応されたら、じゃあ私が感情目一杯に叫んだとしても、同じように今度は冷静になれとか
 頭がおかしいとか思われるって、そう思うしかなくなっちゃうじゃない。
 りん りん りん
 そうしたら、また鈴を渡された。
 唖然としたわ。
 でもまだどこかではっきりとあの人のことを信じていた。
 まだなにか意味があるんだろうと思っていた。
 でもそれは、私に押し付けられた鈴がひとつなるたびに、自分が現実から目を背けているだけだという
 のを感じさせた。
 あの人はただ強引に自分のやり方を押し付けて、そしてひとりで満足しているだけなのよ。
 帰り道は、重かった。その地べたこそが重かった。
 私はその上を滑るようにして歩いていた。
 そしてもう次に気づいたときには、反対方向に向けて全力疾走で駆け込んでいった。
 『全然駄目だったじゃない!!』
 すかさず。
 『そう。では、これを。』
 
 これは、恐怖?
 
 一瞬、黒く拉げた夜空がみえた。
 どく、どく、どく。
 眩暈が視界を歪め、ぼろぼろと目の前が浸食されていく気がした。
 胸に手を当てても全く鼓動は感じられないのに、なぜだか首筋は熱く脈打っていた。
 なにが怖いのか、そんな事はどうでも良かった。
 鈴がなのか、それともそれを何度も無表情に渡してくるあの人がなのか、それとも・・・
 それとも、そうして突き放されて帰る、あの恐ろしい孤独の家での時間がなのか。
 どれでもよかった。
 だから、だから、だから。
 
 
 りん、りん、りん。
 
 りん、りん、りん。
 
 
 駆け抜ける鈴音が、私を追い回す。
 私より早く先回りして私を嘲り、私よりずっと遅れて私をひたひたと追い詰める。
 私、私、私。
 私がいる。
 恐怖は瞬時に怒りへと変換され、闇を切り裂く雷のようにそれは私を追い立てた。
 鈴を抱き締め、鈴を握り潰さんばかりに握り、バラバラに解体して体中に振りかけてしまいたい衝動。
 鈴、鈴、鈴がある。
 鈴は常にごとりと私の前に無機質に転がっている。
 文字通り、鈴生りに嘲笑の白い壁が立ちはだかっている。
 あの人、あの白い顔の女、なんなのよまったく、効果が無いって言ってるのに鈴ばかり渡して。
 『あなた私を馬鹿にしてるんですか? 私が来るたびにただ鈴を渡してるだけじゃない!』
 怖い、怖いわよ。
 でもそれ以上に怒っているのよ!
 なんでこんなに私が必死なのに、あなたはそうやって・・・
 鈴が、瞳の空洞をすり抜けていく。
 ああ・・・・・怖いなんて・・・・言いたくない・・・・・・・
 鈴なんて、ただの無意味な薬だったはずなのに・・・
 私はすっかりその薬に毒されているの・・?
 もう、鈴無しには、いいえ、もはや鈴を通してでしか誰かとは繋がれないの・・・・・
 
 
 それがもう、なによりも誰とも繋がれていないという事と、全くイコールであるという事を感じながら。
 細かすぎて見えないほどに微細な震えのままに、怯えながら、静かにその覚悟に囚われる自分をみた。
 
 
 もうずっと、あの人のことばかり考えている。
 そして、あの人のことばかり考えている自分の姿しか、みえなかった。
 どんなに足掻いても、その真っ黒な瞳の洞窟から抜け出すことは出来無かった。
 なんでだろう、願いなんて口にしたから・・願いなんて私の一部にしか過ぎなかったはずなのに・・・
 気づけば、ううん、私はほんとのところもう気づくことなんて出来ていないけれど、たぶんもう私はほんとに
 あの人との鈴のやりとりの中にしか生きられず、それ以外を感知することがすっかり出来無くなって
 しまっている。
 ずかずかと土足であの店に上がり込み、ロクに話も聞かずに機械的に鈴を渡すあの人に、拳を振り上げ
 ていた。
 勿論、その自分の姿の浅ましさも全部見えている。
 けれど、その自分のままに、あの人の理不尽を証し、なんとしてもあの人を私に向き合わせなくちゃ
 いけなかった。
 失礼は承知、でもその失礼をなぜするのかを知って貰いたく、なにより私のこの浅ましい姿を通して、
 このあまりの理不尽な状況を伝えたかったのよ。
 私をこんな有様にしたのはあなたよ。
 それしかない、それしかないのよ、もう。
 
 その最後の自分の言葉が、自分の今までの行動の正当性のすべてを否定しているということが、
 それがわからないことなどなかった。
 
 鈴が、鳴いている。
 りん りん  と鳴いている
 なんで・・・?
 なんで私・・・いつのまにか・・出来る出来無いの話をしてるの・・・・?
 あれ・・? 私はなんで・・・・なんでこんなに色んなことを考えているの・・・・?
 怖い・・・?
 嘘・・・
 家が怖いのは確かだけど・・・・それは・・・なにか・・違う・・・・
 怖いのはただ・・・あの人・・・あの人の絶対的な拒絶・・・・
 そのとき唐突に、夜空から吊されている、無様な電柱の姿がみえた。
 私にはそのとき、その電柱が夜空に見えない系を結び、それで首を吊っているようにみえた。
 電柱は、その電柱の足下は、確かに地面から浮いていた。
 ようやく、わかった・・・
 あの白い壁は、この電柱の足下を隠すためのものだったんだって。
 振る、振る、懸命に鈴を振り、鳴らす。
 鳴け、鳴け、鳴いて頂戴!!!!
 そして、ぬくもり無き高らかな静寂が鳴り響く。
 
 
 
 怖くて、怖くて、どうしようもなくなった。
 
 
 
 『鈴・・・・っっ!』
 
 だれかいる。
 なにかいる。
 そうなのよ。
 誰もいない訳じゃ無かったのよこの部屋は。
 そうよ、きっとその誰かが物音立てたり動かしたりするのよ。
 そう、そういえばこの間私になにか触れたじゃない。
 あれは間違いなく、ぬくもりある、生気に満ち満ちた女の手だった!
 消えて、お願いだから、消えて頂戴!
 悪かったわよ・・私の気のせいだなんて・・私にしか聞こえない音だったなんて言って・・・
 あんたたちがいるのはわかったわよ・・・だからどうか・・・・・・
 
 私に、その存在を伝えないで。
 
 怖い、怖い。
 血が滲み出るほどに鈴を振り回す。
 けれど辺りに飛び散るのは、ただただ真っ黒な鮮血だけ。
 『やっぱり駄目じゃないっっ!!!!』
 鈴を放り投げる。
 鈴を否定しながらも鈴に縋り付いていた私は、もう本当に逃げ場が無い。
 やってくる足音に、回るドアノブに、いきなり開かれるカーテンに、人のいる気配に、真っ直ぐ晒される。
 どこかに救いがあると思っていた。
 だからそれを取っておきたかった。
 もう本当は、その救いは私を救うものでは無いと知っていたから。
 だから、取っておきたかった。
 最後の最後まで、それに触れるつもりは無かった。
 私が願いを口にしなければ、あの鈴を受け取らなかったら、私は・・・・・・
 必死に鈴に手を伸ばす。
 なにもない、なにもない、私も他の誰かもみんななにもない!
 こんなもの知らなければ求めなければ、私は独り強く生きていけたのに。
 たとえ怖い家であっても、それでもそれと付き合いながら生きていけたのに。
 なのに・・・・・
 
 
 
 
 
 
 
 私の世界は。
 私は。
 
 鈴音ひとつで消されてしまうほどに、そんなにも薄暗いものだったのね。
 
 
 
 
 
 
 
 私が、いる。
 
 
 その私をみている私しか、いなかった。
 
 
 
 私の生活の残光が取り憑いた、この部屋がいた。
 
 
 
 
 
 
 

−    私なんて、いないじゃない   −

 
 
 
 
 
 
 
 
 鈴が鳴った。
 
 鳴きながら、鳴いたまま、その鈴はざっくりと割れて、消えた。
 
 
 解けた正体不明の音だけが窓の外へとゆっくりと引きずり出されていく感触のままに、消えた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

〜 『あの子の願いは、家が怖くなくなること。』 〜

 

〜 『家から出されれば、怖く無いでしょ。』 〜

 
 
 
 
 
 
 
 
 
                           ◆ 『』内文章、アニメxxxHOLiC◆継』より引用 ◆
 
 
 
 

 

-- 080602--                    

 

         

                               ■■ 愚痴っぱなしOK ■■

     
 
 
 
 
 ごきげんよう。
 
 着々と日々の生活が進んでいく中で、気づいたらもう6月ですよ。
 うーん、早い。
 チャットでもぐちゃぐちゃっと言ったのですけれど、時間が経つのが早い早いと笑顔で言えなくなってきた
 今日この頃です。
 人生素通り感が激しいですよ、どうしますか。
 と、ひとしきり無駄に騒いだ挙げ句に、まぁ人生そんなものでしょう、まぁそれはそれとしてまったりいきま
 しょうよ、とそういう感じで、最近の最近はほんとにもう、まったりが板についてきた。板ですね板。
 あれ、鉄板ってどういう意味でしたっけ? 最近良く聞きますけど。お好み焼き食べながら考えてた。
 あー・・(検索しながら)、間違い無いって意味ね、堅いって意味か、うーん。
 そういえば、この頃は生活が手堅いかなぁ、遊び心というか遊びというか、なんかズルズル行ってしまい
 ましたね、というのがあんまり無い気がしますよまったりとか言ってる奴がこんなこと言ってますよ。うん。
 いや抽象的な表現ですみませんけれど、本当にそんな感じですよ。
 ぶっちゃけ変化無しのレールの上をレールにしがみつきながら這ってる感じですよ。
 うーわー、なんか駄目なところがここぞとばかりに集約されてる感じじゃないですか。
 あかん、なんかこのままいっちゃいそう。
 いっちゃってもいいかもしんない。
 
 オチがまだみつからないので、もう少し引っ張らせて頂きます。
 
 ええと。
 そうそう、抽象的といえば、最近ね、愚痴が多くなった。というか、人に言うようになった。
 全然抽象関係ねー。
 で、あ、リアルの話なんですけどね、それで私はあんましそういう事言わないキャラ(キャラて)だったもん
 だから、あれこの人ちょっとおかしいなぁとか心配されるかと思っていましたらね、ここぞとばかりに愚痴で
 返された。3倍返しされた。ていうか、むしろ私のがGoサインだと思われたの? (質問)
 いつの間にやら愚痴合戦(こちら劣勢)になってしまい、私としてはむしろあっけにとられてしまった風情
 で御座いましてね、ああ人生ってこんなにも儚いものなのなぁと、あれ?今思うと意味不明な感覚だ
 なコレ、という感じの心情になってしまい、結局のところいつもの如くに聞き役に回った上に、意見とかも
 ロクにせずに相槌適当に打って話をまとめる雰囲気作りにばかり気を遣ってしまって、なんだかなぁ、
 なんだかなぁ・・・・・。
 ・・・・・。
 なにが言いたかったのかと言うとですね、なんていうか、うーん、難しいなぁ、というか、うーん、人間関係
 って難しいなぁ、というか、うーん。
 愚痴って、難しいのな。
 言わないのは簡単だし、自分で解決しようと踏ん張るのも簡単。我慢すりゃいいだけだからね。
 愚痴を聞いて貰える環境作りというのは、事前に出来ていないとマズイし、その場でやってもなかなか
 それまでのイメージとかしがらみとかで、その調整のさぐり合いだけで終わっちゃう。
 あの人もきっと、驚きを紛らわせてたのかもなぁ、悪いことした。
 
 でもなぁ、それってやっぱり魅力的ですよねぇ。
 人間関係って。
 
 ・・・いまいち日本語が不自由な感じが出てきていますけれど、お気になさらず。
 まぁうん、そういうなんていうかな、「自分の扱い方」みたいなのが、マイブームな訳なのね。
 意味がわからなくてもある程度はスルーしてやってくだしゃんせ。ウザイけど我慢してね。黙れ。はい。
 結構行き詰まってるというか、ぶっちゃけ説得しなくちゃいけない人がいるんですけど、なんていうか全然
 理屈が通じないっていうかまぁ、こっちが主なのに勝手に決めつけられて話進められてとか、まぁそこら
 辺はアバウトな表現にしときますけど、つまり、色んな先入観とかイメージで強引に持っていかれちゃって
 、その先入観とかイメージが私自身に依拠することとかだったりして、なんかもうすっごい理不尽な気も
 して正論でそういうのは間違ってますちゃんと議論してくださいって言いたいんだけど、ていうか言ってるん
 ですけど逆効果で、だからとにかく解決することを前提にして私はその私にもたれてる先入観みたいな
 ものを見つめて理解して、それをどうやって相手にも利用可能なものに出来るかとか、そういうことを
 メインに今はやってたりとか、まぁほんと愚痴以外のなにものでも無い。
 でも、 そういうこと自体は、それだけを取り出してみると、それはそれですごく楽しい。
 んー、すごく辛いし大変だし、割とすり減り具合も半端じゃ無いけれど、その自分の感情とか実感に
 囚われてるだけでは、きっとその色々なことを考えて出来無いはずの事をやっていくというそのもの自体
 は出来無いし、逆にいえばそれをやるためだったら、そういう自分的なものはひとまず置いておける。
 んんー、それでも自分のそういう感情があることは確かだし、それを押さえられない自分がいる、と
 言ってしまうのは、それが真実かどうかとは関係無い気がするし、そういう感情的な自分がいることも
 また現実なのだよ、と言うこともまた、ある意味で現実的に問題を解決していくことの妨げになっている
 気がするんですよね。
 ぶっちゃけ、今向き合ってる人がそういう人なんですよねぇ、そうやって自己正当化しちゃうっていうか、
 逆にその人こそそういう感情に囚われしまう「自分の扱い方」がわかってない(或は悪用?)という意味
 で、自分を放り出してる気がするっていうか、そうやって考えていきますとね、うん、さらに逆にそうしてその
 人の姿を説明して自分はそうじゃないなんて言うのは意味無いし、ではそういう「自分の扱い方」がわ
 かっていない人をどう扱えば上手く動かせるかという、そういう手練手管みたいなものに力を注ぐのが
 私側的には大事なことだし、たぶん私は好きだそういう事は私は好きだ。 (しつこい)
 でも同時にそういう余裕のうすら笑いを浮かべる者を目の前にした人の気持ちは察するにあまりあるし、
 少なくともひとつくらいはイラっときてもおかしくない。
 おかしくないけれど、でもそれでイラっときたまま行動するとなにが起きるのかがちゃんと伝わる状況を
 設定出来れば良いし、そもそもそういう人と人との交流の基に「誠意」なんてものを置いてしまった時点
 で、最終的にはお互いの感情を認め合うよりも感情のままに行動することを肯定してしまう気がする。
 誠意はあって当然だけど、誠意を求めることに執着すると、逆にそれ自体が相手に対する自らの誠意
 を損なうことに繋がるっていうかね、相手がなにをしようとしているか以前に、相手と自分は今なにを
 しなければならないのかを考える必要がまず第一なのかなぁやっぱり。
 だから裏を返せば、自らの誠意を示して相手がそれで納得するなら、たとえそれが理不尽でも良しと
 するなら、たぶんそんなことは長続きしないし、私はたぶんそういうのには向かない。
 まぁ、向かないで済むならいいけど向かないで済まなければ、やっぱり済むまでやるけれどね、勿論
 自分の納得のいく方法で。
 それが一番大事なんじゃないかなぁ、現実処理だけやってたら、人はたぶん保たないよ。
 そして同時に、自分の納得いくまでとことんやってばかりなのもまた、疲れちゃうだろな。
 
 だから、まったりいきまっしょい。
 予想通りに落としました。いぇい。
 
 ていうか、今度飲みにいきまっしょい。 (ここで言ってどうする)
 
 
 追記:
 でもましかし、そういう感じで片づけちゃうのはかえって非人間的というか、そうやって実は自分の感情
 に囚われてしまってなにも出来無い自分から抜け出そうとして、その反動でそう言ってるだけにしか
 まだまだ過ぎないんだよね。
 解決することだけに拘るのは、感情も含めての解決というより一番大きなモノを無視しての、ひとつの
 逃避的行動って感じ?
 逆にいえば私は自分の感情に負けるのが嫌過ぎて感情から逃げてるだろうし、そういう態度では、その
 感情に囚われてる人と向き合うことも、その人との付き合いをちゃんと入れての解決なんて出来無い
 気がする。 というか、それが解決するってことだよね、ほんとの意味で。
 結局なんだかんだで、感情に囚われてる人を馬鹿にする意味でのちっぽけな冷静しか得られないん
 じゃ、それが一番馬鹿っぽい。
 それはむしろ、あんまし私っぽくないかなぁ、やっぱり。
 まーでも。
 しばらくはこれでやってみます。 
 そーすりゃ自分のやってることの馬鹿さが実感出来るだろうし、そしてやってるうちにそれを否定したくは
 無いがために怠けたいがためにそれを肯定しようとする自分に出会えるはずだろうし、って実際もうだい
 ぶそんな感じにはなってきてるんだけどね、あーこれか、って割とそれに負け始めてるけどね。おい。
 ここからが勝負や。 
 ええと、そんな感じでいいかなぁ。
 
 
 
 
 ◆
 
 お酒の話をします。
 またですか。またですな。いぇい。
 この間人生初ブランデーを飲んだとご報告した記憶があるのですけれど、その舌の根も乾かぬうちに、
 人生初ウイスキーにトライしました。
 どんどん人生変な方向に行ってるねと、面と向かって人に言われました。ウイスキーいいじゃん!
 
 ・・・・・まっず
 
 おい。
 いやあの、最初はそう思った、思ったんです。
 キリンの「富士山麓 樽熟50°」っていうのなんですけどね、あんた、匂いが樽じゃん。
 もしくはコルク栓の裏、もしくはコルクを細切れにして水に溶かしてるみたいな、もしくはコルクみたいな。
 コルクじゃんこれーっ!
 異臭というかコルクであり、不味いというかコルクであり、ウイスキーというかコルクです。
 口当たりとか刺激のある匂いの仕方とかはブランデーと同じ手応えあって良いんですけど、匂いそのも
 のがもうきっつい。
 でもね。
 なんかね、それでも我慢して飲んでたらね、甘い。
 あれ? 甘くね? これ。 甘いっていうか、バニラっぽくなってきた。
 んー、感じてる匂いはコルクのあれに間違いなんだけど、なんというのかな、その味の感想がバニラを
 舐めてほんわか甘い幸せな気分になってくるような、なにいってんだ。
 匂いも味も変わらないはずなんだけど、それをバニラの味と匂いだとおもってそう感じ取ろうとするとそう
 なってくるというか、いやむしろ我慢して飲み続けてたら、割と冷静になってその味に気づいただけなの
 か、ってあ、ラベルにちゃんと甘い樽熟香って書いてあるじゃんあくまで樽熟香って書いてあるけどそこ
 は無視な、暗黙の了解な。
 
 いけることになりました、ウイスキー。 (拍手)
 
 さて次はなににいこうかな。
 ジンとかテキーラとかスピリタスとかネタで行きたい心意気ですけれど、まぁ多少は落ち着いているので
 そこまで慌てたりはしません。
 次はワインかな。 ワインはあれな。
 なぜか飲むとこめかみ痛くなるんだけど、ワインが一番ニーズあるものなぁ。なんのニーズだ。
 
 で次は日本酒の話をしようかと思っていたのですけれど、普通にもう酒の話はいいていうかお前がもう
 いいとか、そんな罵声と共に座布団が投げ込まれそうな勢いなので、ちょっと考えた立ち止まった。
 でもさ、今日話さないとなると、たぶんこいつは来週日本酒の話をすると思うよ?
 そしたらきっと、またかよ、みたいなノリになってきて、ああ先週まとめて読んでおけば良かったなぞと
 後悔しても遅いのですよ皆様、と呼び掛けられる人がいてくださると信じてー。
 ここまで言っておいてなんですけれど、日本酒話題は来週に回します。
 毎回お酒の話が出来る方が幸せ夢気分な感じがしてきたからです。そんな程度の人ですこいつは。
 
 
 とまぁ、そんなところでしょうか。
 アニメの話とかもしようかと思ったんですけれど、いまいちノリ切れなかったので来週だ。
 うーん、来週どう書こう。
 
 では、また来週。
 
 
 
 
 

 

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