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◆◆◆ -- 2008年12月のお話 -- ◆◆◆

 

-- 081231--                    

 

         

                           ■■カッコつける? つけない?■■

     
 
 
 
 
 いっつも書き出しに困るこの日記。
 今日も今日とて、散々頭を捻り倒して、どうやって素でやろうか、どうしたらまったり気兼ねない文章を
 さりげなく綴れるだろかと捻り倒し、また捻って、倒して、抱腹絶倒。 いや笑えないですけど、けど、
 なんか笑える。
 くつくつ、という変わった笑いの擬音がありますけれど、私はその擬音が結構好きで、その上品なんだか
 自意識過剰なんだか知れない笑い方が好きで、なんというか、そういう笑いが出来る、当たり前な
 自分のままにものを書けたらどんなに楽しいだろうか、だなんて悠長で惚けたことを考えたこともありま
 した。
 でも当の私はそんなことは露知らず、というかあきらかにどうにもならないほどに不器用で、ストレートで、
 どうにも豪快にあははわははと笑うだけで、当人もそれが一番落ち着いてしまう有様。
 どうあっても、静かにあり得ないような擬音で笑うことなどできやしない。
 どちらにしろ、そんな文語(?)的な笑い方など実際出来る訳も無いのだからいいじゃん、というおもい
 は欠片も無いのだし、どうせなら思い切って無理してそう笑えば良いものを、どうしてかな、そういうささい
 なところでは、どうしても嘘を吐いたり演じたりすることが出来無いのです。
 今もね、ほんとはCDでも聞いて、ゆったりとブランデーでも飲みながら書きましょうか、と頭の中ではそう
 してのたまう自分の日記の言葉が浮かんでいたのに、どうしてもそうせずに、CDをかけた段階で、
 それで終わってしまう。
 だって酔っちゃったらちゃんと書けないじゃん、それで書けないとまた時間が無くなってぐだぐだになるよ、
 と、そういう言い訳を考えているうちから、それが言い訳にすらなっていないことがわかるのに、なのに、
 そのまま変わらずにこうしてキーボードを打っている。
 
 なにが、面白いことなんだろう。
 それを考えて文章を、日記を書いたことが、一度も無い。
 誰かに読んで貰いたいとか、評価や感想が欲しいとか、そういことを目的としたことも、かつて無い。
 笑わせようとか笑って貰おうとか、自分の文章でなにか得て貰いたいとか、そんなことは自分の文章の
 巧拙に関わらず、考えたことも無い。
 でも、そうして自己分析的自己紹介的に、自分とは紅い瞳とはなにかと、延々だらだらと思考して書き
 綴ることはあっても、その思考と書き綴ったものと私が同化することは、ただの一度も無かった。
 なんのために、書いているんだろう。
 そう問い続けることが途切れたことは一度も無く、そしてその問いの答えが身にしみた事も無く。
 早速前言を撤回しますけれど、なにが面白いのかと考えて日記を書いたことなど無い、というのは
 正確では無いでしょう。
 そういうことは考えているけれど、考えていることのうちにしか過ぎない。
 そういうことを考えながら、その考えたことのままに書いたことが無い。
 ただ思考内容をただそのままずらずらと模写して、肝心の私自身は欠伸しながらそれをみている。
 要するに、そうして口先だけ動かしてだらだらしている私自身を、ただ日記の文章に込めていただけ。
 文章の重みとか深みとか中身とか、って、なんでしょう?
 誰か他の人の文章を読むとき、私もまた、これは中身があるとか無いとか、普通に考えています。
 そういう意味では、私の文章の中身の無さには定評があると思いますし、実際無いです。 無い無い。
 でも、そういったとき、その「中身」の無い文章を読むとき、私はいつもこう感じるのです。
 ああ、読み方が足りないな、と。
 いえ、それはちょっと違うかな。
 文章を「読む」ことばかり考えているな、と、そう思うのです。
 第一、書き手自身自分の文章に中身が無いことくらい、良くわかっているはずでしょうし、そもそも
 その最たる者である私こそ、中身が無い文章を量産しているのです。
 だから中身を詰めた文章を提出することが、それ自体が書き手の目的で無いことは、これはもう自明
 のことなのであって、そういったとき、じゃあ私が中身が無いと思った他の人の文章を読むときに真っ先に
 感じるのが、ああ、中身ばっかり着目して、その文章の存在自体を見てないな私、ということなのです。
 
 
 
 と、なんか理屈ばっかり書き始めた私に、さっそく肩がこり始めてくる訳でして。
 
 
 
 ・ ・ ・ ・
 
 んんー。
 背伸び。
 肩を回して、深呼吸。
 と書いている時点で今そんな体操的なことをやっている私はいない訳でして。
 えへへ。
 まるで変態じゃんか、と思うくらいに言葉遊びをしていると思われるだろな、とそう思いつつ、こうして
 ここまで書いた段階で、ふと文字打つ手を止めてみる。
 
 (しばらくお待ちください。)
 
 今書いた通りにプチ体操してきたよ。
 で、思ったけど、ありえねー。
 普通肩を回して深呼吸なんて出来ねーYO! 実際やってみてわかる衝撃の事実。 当たり前すぎ。
 あとついでに首も回してきたよ、っていうか首も回してきたよと書きながら首を回していたりして、お、これ
 いいねこれみたいな感じで、いま体のあっちこちを無駄に回しながら文字書いてます。
 で、頭の中では今日の夕飯なに食べよーみたいなことを考えようとしたら、ふつうにさっきまで読んでた
 小説のことが浮かんできたり、カオス、っていうかアホっていうか、絶対夕飯云々のことは言葉のノリ的に
 言ってみただけ臭がするよね、ていうかほんとに小説のこととか思い浮かべてたのかすら怪しい、ぶっちゃけ
 ほんとはアニメとか萌えとか萌えとかそんなんばっかりなんじゃないのんか、ええのんか、みたいな、どこの
 セクハラだよみたいなことを考えているのかもしれませんし、こういうことを書いてる辺りでそろそろやる気
 無くなって頭の中のテレビスイッチを切って寝ているのかもしれませんし、その辺りは書き手の私にも
 わかるところではないのですよ、わかりたくもないし、どっちでもいい。 
 
 じゃ、どの「瞬間」の私を書けばいいのよ? 
 
 というのがまぁ、私の日記の根幹にはあることなのだろね、やっぱり。
 わたしゃね、これでも生まれてからこのかた、ただの一度たりとも嘘を吐いたことがないのさね。
 このおおうそつきー。
 でもま、それがほんとかどうかはどちらもさておき、私はさ、「自分」を保証しないのよ。
 私とはこうこうこういう人間で、だからそういう人間である「自分」として、きっちり言動に責任持って統制
 して、その「自分」に違うことなく誠心誠意生きていく所存で御座います、まる、なーんてことは、猫の額
 についた鰹節の滓ほどにも思わないのよ、ていうかその比喩は考えすぎで全然面白くないね、うん。
 わかりやすくいえば、「キャラ」立てをちゃんとしない、ということになるのかもね。
 というかね、嫌なのよ、誰かに私とはこういう人間なんだと納得され、そして「安堵」されるのが。
 私はみんな他の人のことを知りたいけど、同時にみんなにも私のことを知って欲しい。
 それは私が創り出した「キャラ」として「言葉」としての自分じゃ無く、そういうキャラなり言葉なりも自分の
 いち選択肢として持っている「私」のこと。
 勿論だから、私が他の人のことを知りたいというとき、それはその人のキャラだけのことでは無いんです。
 そしてそれはね、だからといって、互いが自分のキャラを磨き合って、それを丁々発止ぶつけ合って凌ぎ
 合って、充実した社交辞令を演じるという、そういう「人付き合い」を否定しているってこととは、全く
 イコールじゃないの。
 だってさ、だいたいわたしゃチャットじゃそういうのばっかりだし、リアルでだって、私なんざほとんど本音なん
 か言わないでいい加減な「それっぽい」ことしか言わないもの。
 でも、そういったことがくだらないことだとは思わない。
 だって、それは私達が使えるツールのひとつであって、そのツールを使って遊ぶことは別につまらないこと
 じゃないし、ぶっちゃけ面白いし。
 それにね、さらにはそういうあからさまな「社交辞令」のぶつけ合いの中で、それを武器としつつ、その裏
 で相手の腹の内を探り合う、実はそれもまた大変有意義なことなんだと思うのよ。
 それはいきなり本音でぶつかっていくだけでは得られない、それこそ「本音」という「言葉」では補えない、
 肌と肌のぶつかり合いがあると思うのよ。
 むしろ、社交辞令と社交辞令の煮え切らない「不器用」な擦り合いの連続の中からこそ、なんていうの
 かな、その当事者間に一番有効な「本音」が共有されてくるってことも、やっぱりあると思う。
 
 そういう意味では、私は嘘ばっかり吐いてるような気がするし、それが逆に一番正直に真っ直ぐに他の
 人と向き合っているような気もするし。
 だからわたしゃねこれでも生まれてからこのかたただの一度たりとも嘘を吐(以下削除)。
 なんだろね。
 どうしてそんなに本音に中身に拘るのかな、ほんとに目の前の人のこと知りたくないのかな、って、よく
 思うときがあるの。
 もしかして、本音とか中身に拘る人って、ほんとは目の前の人のこと知りたくないんじゃないのか、って、
 そう、思う。
 私はさ、知りたいのよ。
 沢山、沢山、いっぱい、いっぱい、知りたいのよ。
 私がこうして日記書いてるとこにはさ、それがあるのよ。
 なにかこう、今日は本音書いてやんぞ、ぎっちり一分の隙も無く中身埋めてやんぞ、って、「文章」を創る
 気満々になるとき、あるいはなろうとしているとき、ふと、そう思う。
 なにをそんなに、慌てている。
 なにをそんなに、狼狽えておる。
 たぶん、私は自信無い。
 割と不安で、結構焦ってる。
 あるいは、弱くて、臆病。
 まったりとかゆったりとか、そんな余裕を持てない。
 ただ知りたいだけなのにさ、知って欲しいだけなのにさ、なのに、なんでよ。
 
 でもたぶん、そこが、違うんじゃーないかなって、思った。
 
 ていうか書きながら思った、ていうかなんか寒いなおい。 ストーブつけよ。
 しかし、また長々と書いちゃったよ、こう、なんか今日はすごい集中力ですな、ていうかまた周り見えて
 ないなこんちくしょう、と呟きながら必死で辺りをキョロキョロ見回して、脈絡無く寒いとかストーブとか
 言ってるから、だからあんた駄目なんだ。
 まぁでも、そういう足掻きがあること自体は別に良いことで、自分がどう足掻こうと自分が視野狭窄に
 陥っていることが事実と認識するのと、それは同じくらい必要なことっしょ。
 でもこんなこと書き出すから、また話が横に逸れる訳じゃね? ていうかぶっちゃけはやくも自分が数分
 前までなにを書いてたのか忘れてなくね?、やばくね?、とかもうそういう案配だったりして、どうしよう、
 どうもならんよね、となった時点で投げ出すときもあったりすれば、すっと書いた文章を再読して、よし、
 いける、とか言い出すこともあったりします。
 今回は、後者です。 よし、いける。
 
 つまりね。 (仕切直し)
 
 まぁ、うん、なんていうのかなぁ、(考え中)、つまりその、あれ、あれよ、(思い出し中)、結局ね、
 私が言いたかったのさは、あ、違う、(なんだっけ?)、うん、まぁ、なんていうのかなぁ。
 ・・・・・。
 あ! (ぉ)
 
 
 つまりね、
 でもたぶん、そこが、違うんじゃーないかなって、思った。 (そこってどこよ)
 
 
 うんうん、思い出した。
 つまりさ、ええと、ただ知りたいだけなのにさ、知って欲しいだけなのにさ、なのに、なんでよ、なんて言って
 たんだけどさ、ええ言ってましたよさっき、あなたそう言ってましたよええ、うん、それがさ、そもそも大元から
 して違うのよ。
 私の大元の感情に問い合わせたら「ちげーよ。」って即答でした。 はやっ。
 知りたいだけ? 知って欲しいだけ?
 嘘吐けっての。
 知りたいってのはともかく、知って欲しいだけってのは、どうよ?
 私自身のことを知って欲しい、誰か私を知ってよ、見てよ、私をひとりにしないでよ!、なーんて、
 実は私は、これこそほんとにただの一度も思ったことが無い。
 趣旨が違うっていうか、宗旨が違うってレベルなのよ、それ。
 私ね、孤独についてあーだこーだ散々今まで日記で書いてきたけど、私自身は、孤独に対しては強い
 のよ。
 無茶苦茶強いのよ、鬼のように強いのよ。
 だって、寂しいって感じないもの。
 お一人様術? いらんわそんなもの。
 私は元々自己完結型人間なんです、いえ、見栄っ張りとかツンデレとかじゃなく、まぁ、一応ほんとです。
 寂しくない、寂しくないから大丈夫でちゅよ〜☆ (いい加減になさい)
 ま、それはいいんですよ、それが事実かツンデレかなのかは置いといて、要するにね、私の知って欲しい
 って欲求はね、逆に私が誰かのことを知りたいっていう方の欲望とリンクしてるの。
 結論から言うとね、他のみんなにもね、自己完結して欲しくないから、もっとみんなですごいとこ行きま
 しょうよってね、そういう意味でね、わたしぁ他の人に私のこと、つまり他の人にとっての「他者」を知って
 欲しい、ってことなんですね。
 あ、だからね、私自身もね、言ってみれば自己完結出来てしまう自分のことをね、勿体ない、あんた
 もっとちゃんと目の前の人と向き合って、もっともっとすごいこと面白いこと見つけたんならさ、あんた今の
 自分にもう充分満足してんでしょ? 生まれてきて良かったって素で思ってんでしょ?
 
 じゃー、先いけよ。
 そんで、今まで出来なかったことも、出来るようになってこいよ、この甘ったれが。
 
 ・・・・・。
 なんか腹立つわ、この言い草。
 自分で書いててむかついた。
 私こんなこと思ってんのかって、書いてて思った。
 言葉にすると、むかつくこと書いてんなー。
 でも。
 うん。
 
 
 だから、なんか、あー、って思う。
 そのむかつきに囚われてるんだな私、不安とか焦りとか、そこにあんのかって、わかる。
 
 
 だから、書くんじゃないかなぁ、やっぱり私は。
 自分のおもいを言葉にするとなんか馬鹿っぽい、だけど馬鹿っぽいからこそ、正鵠を射ている。
 それを馬鹿っぽいと思っているだけで、馬鹿ではないことをおもおうとすることに汲々としているだけで、
 いっこうに、馬鹿としかおもえない、腹の立つような自分と向き合えない、その自分の姿を、もう、
 圧倒的に顕してる。
 だから、書く。
 自分の描いた「自分」に腹を立てるために。
 昔はね、結構Upする前に、これはあまりに馬鹿過ぎなんでやめました、みたいなこともあった。
 だけど、今は、無い、全然無い。
 馬鹿っていう奴が、馬鹿なんだ。
 うーん、なんかほんとその通りだなぁ、うん。
 馬鹿としか思えない自分にこそ、腹が立つ。
 そうして腹が立つだけの自分にも、腹が立つ。
 そして、腹が立てば立つほどに、なんか、すーっとしてくる。
 不思議ですね、やっぱりこうして言葉で書くと馬鹿っぽいんだけど、でもじゃあ自分がやってることを、
 こうして書いた言葉無しに捉え直してみたら、よく考えてみたら、全然馬鹿なんかじゃー無い。
 言葉の上で考えると馬鹿、つまりそれは、言葉の上でしか馬鹿で無い自分になれない、あるいは、
 そこでしかその自分を導き出せないってこと。
 それってものすごく、頭の悪いような、もっと言えば、幼稚なような気がする。
 逆にいえば・・・
 
 その頭の悪い、幼稚なものこそ、ほんとに見つめなければならない「馬鹿」なことなんだ。
 
 
 
 
 
 ・ ・ ・ ・
 
 うえー、腰痛い。
 久しぶりに、2時間ほぼノンストップで書いてました、っていうか腰痛い。
 運動不足が板に張り付いてきて、いっこうに取れる気配が無いっていうか取る気あんのか、ってレベルの
 私が言うのもなんですけど、運動しろよ☆このやろう♪ (はいはい)
 にしても、これUpするのは31日大晦日なんですけど、書いてるのは30日からですからねこれ。
 というか今この時点までのは30日分ですからねこれ、まだ大晦日なってませんからねこれ。
 ・・・・、おい、あと一体どれくらい書くつもりなんだよおい。
 書いてるのは30日からとかっておい、明日も書く気満々かよおい。
 31日の一日だけじゃ書き終わらないだろな、という個人的配慮(自分向け)に基づいて、しゃーない
 30日から書き始めますか、どうせ今日はたいして書けなんだろそうなんじゃろ、とか余裕こいてたらこれ
 ですよ、もう結構書いてますよ、明日の分まで書いてるよこれ、どうすんのよこれ。
 だのに、気分的に大晦日じゃないので、全然今年一年のまとめな感じのモノになってないよこれ。
 ああああ。
 
 (しばらくお待ちください)
 
 
 しばらくお待たせしたりお待ちしていたら、31日になってました。
 こんにちわ、大晦日の紅い瞳です、ごきげんよう。
 今? 今ね、16時ちょい前です。
 なんか大晦日は全開で空けてゆっくりまったり年の瀬を愉しむつもりだったので、このようにして真っ昼間
 から日記なんぞ書いている訳ですけど、逆にいえばせっかくまったりゆっくりするはずだったのに、こんな
 しょーもないことを書いて、ていうか今から書き始めたので、おいおい結局夜までいっちゃうんじゃないの
 ?、これやばいんじゃないの?、といいつつ、しかし途中でちょこちょこと抜けて、ゲームやったりテレビ
 みたりお菓子食べたりお酒飲んだり電話したりごろごろしたり書いたり欠伸したり、まぁ、そんな生活を
 この一年のどん詰まりにしたいと思・・・・・いや思わないよ、なんかそうなっちゃっただけなのよ、もっと
 ほんとはこうしゃきっと大晦日を迎えたかったのに、こんな・・・こんな・・・・・・・・・
 
 ま、いっか。 さっさと書いてお酒のも。
 飲もう、飲もう。
 そういうことになった。 (某陰陽師風に)
 
 で、なんでしたっけ?
 うん、お酒はあとでな。
 このあと23時からチャット会あるし、その前にアニメの最終回観ときたいのがいくつか残ってるし、てか
 一応雰囲気的くらいには大晦日番組もかじっときたいし、その辺りに合わせてお酒はお預けな。
 ちなみに用意してあるのは、純米吟醸「南部美人」です。 生です。
 ・・・・。
 ごくり。 (まだですよまだですからね)
 うん、これはご褒美な、ご褒美。
 日記書いたご褒美な、こんな書き散らかしの駄文にご褒美って自他共に納得いかないとは思いましょう
 けれど、ご褒美な。 (意地)
 
 という訳で、なにやら始めてみましょうか。
 うん、で、昨日書いてたとこまでを再読してみたんですけど、あいたたた、頭痛いなぁ、またこの人は
 なに書いてんのさまったく、いたた、とまぁ早速赤くなったり青くなったりしてるんですけど、乗り切った。
 うんまぁ別にこれはこれでいいんじゃないかな。 (棒読み)
 あっさりとスルーした訳です、このフットワークの良さが紅い瞳選手の持ち味なんです、まぁゴール前に
 上がってきたボールまでスルーしちゃうのが玉に瑕なんですけどねあはは、とかいって実況にスルーされ
 る解説者みたいな心境なので、これはこれでいいのです。 ほっといて。
 うーん、どうしよ、なにから、なんて書こ。
 
 うーん。 ←続きは明日(来年)とか言い出しかねない雰囲気
 
 まぁ、ね、あれ、ね、うん。
 昨日書いてたことは、私がなにが言いたかったのか、というようなことでは無くてね、逆にいえば、ああいう
 ことをぐるぐると考えている私が此処にいる、というのをただ見ていて、というか読んでいて欲しい、という
 ことなのでしょうね? (疑問形)
 つか、私の喋ってる理屈とかお話とかに、それ自体にうんうんと頷いてくれるのは、それはそれで嬉しい
 のですけどね、私的には、ある意味、さりげに無視してくださってもいっこうに差し支えないどころか、
 そうして日記自体は無視しても私と付き合ってくださる、そこにこそなにかこう、私が求めているなにか
 があるんですね。
 いえ、その出会いそのものを求めている訳では無く、出会いの中から、なにかこう紡ぎ上げられるなにか
 があるのだろし、たぶんその過程のひとつとして、この日記もツールとして利用とか援用とかして貰えたら、
 というのが、正直なところ、欲をいえばあると思うのですよね。
 ぶっちゃけ、私、モノで勝負する気とか、全然無いんだわ。
 だって、日記の中身なんて、どうだっていいもの、自分で書いといてなんだけどというより、そもそも私の
 書くものは全部、私が此処にいることで出てくる産物、つまり付属物にしか過ぎないもの。
 日記の書き手として、魔術師の工房というサイトの作り手としての、それらの意識はあるっちゃあるけど、
 でも、そういう立場でその日記やらサイトやらを武器にしてやり合うつもりは毛頭無いの。
 わたしゃ営利目的でも無いし慈善事業する気も無いのよ、少なくともこのネット上ではさ。
 勿論、自分の制作物や芸術(?)品を発表する場として利用している訳でもなければ、そういうことを
 するためにこのサイバーで電子な世界に身を置いている訳でも無いのさ。
 ただ誤解無きように言っときますけど、てかこの書き方だと絶対誤解させてるだろから絶対補足しとき
 ますけど、別にわたしゃいい加減な気持ちで日記書いてる訳じゃないのよ。
 作品自体はいい加減なものだし、読者の皆様のお気持ちを満たすようなそんな安心設計のものなんぞ
 、全然書く気は無いです。
 でもね、気持ちは本気だし、大真面目なのよ。
 だから、感想を頂けることや喜んだり怒ったりされるのは、それらはおまけなことなどでは全然無く、それら
 はとっても嬉しいし、滅茶苦茶本気でお返事させて頂きたいですし、もし私の書いたものをネタにして
 盛り上がれたりしたら、それこそわたしゃ昇天するおもいです。 (まて)
 でもね。
 私はさ、あくまで読者と同じ位置にいるのよ。
 
 つまり、「作者」としての立場でみなさんと接することだけが無い、ということなんよ。
 
 私の書くものはみんな、いい加減なものです。 チラ裏といってもいい。
 それはね、私がどんなに精魂込めて書いてもね、それらを「作る」という意識でやっていないからです。
 そしてそれは、意図的にやっていることです。
 「わからない」。
 それを、「わかろうとする」こと。
 私は、私の書いたモノのいち読者にしか過ぎません。
 第一、私が書くモノを「日記」と呼称するのは、自らが再読するモノとして書いているからです。
 どんなにくっだらない文章でも、私は読みますよ。
 ネット上には、ほんとに色んな文章が転がってます。
 でもね、私はそれらを玉石混淆とみて、その中での取捨選択を大事にする、ということに、すごく、
 そう、すごく違和感を感じるのね。
 それって結局、自分に「合う」、つまり自分の評価法の範囲内で他の人の考えなり言葉を転がしてる
 だけなんじゃね?、って思うのですね。
 だから、チラ裏上等なんじゃないですか?、自分の評価法をいったん横に置いておいて、安心とか安堵
 とか欲求とかおいといて、なんか無心に読んでみる、うん、ほんと腹が立つほどにいい加減で中身の
 無い文章、ありますでしょう、うん、てか、私の文章もおもっきしそうでしょう、じゃ、それで、読むのやめ
 る?、それってさ、人の書くモノを、「情報」としてしか見てないってことなんじゃなくて?
 つまり裏をかえせば、色んな情報に接して、それをやりくりする「自分」しかいないってことっしょ?
 いい加減なら、中身が無いなら、それを笑えばいい馬鹿にすればいい無視すればいい。
 でも、それでそのサイトの、その文章の書き手の「価値」を決めてるだけなら、そしてその価値付けを行
 う自分自身を評価者としてただ存在させるだけなら・・・・
 
 ネットの「害」って、たぶんそこに大きなものがあると思うのよね、最近。
 
 
 
 ・ ・ ・ ・
 
 ふー。
 なんかドキドキするんよね。
 ふふふ、ネットの「害」とか、うわ、怖いこと書いてんねこの子、落ち着け、みたいなさ。
 怒る人にはそりゃ怒られるだろし、人によってはあー紅い瞳がまた上辺な無責任なこと言ってるよ、
 あーはいはい、みたいな感じにもなるだろし。
 なにげにわたくし、びっくびくのどっきどき。
 これで結構、臆病者なんです。 なにがこれで結構なのか全然わかりませんけどねいつも逃げてるし。
 で、怖くなってすぐアニメの話に逃げるという訳なのです、ああそれは嘘だ、おまえ全然そんなこと関係
 無くアニメの話したいだけじゃんてか正当化したいだけじゃん、うわちょ黙れちょ、みたいな。 (なに)
 でもさ、議論、したいのよね、ただたんにね。
 したい、っていうか、してみたい。
 勿論、そのネットのこととかだけの話じゃーないよ。
 なんだってそう。
 大体ね、アニメの感想とか書いてるでしょ?私。
 別に問題提起って訳じゃないけど、アニメみて、感じて、考えて、そうしてくることで見えてきた問題と
 向き合って、感じて、考えて、その過程がさ、まるまるひとつのアニメ感想として私の日記に書き込まれる
 のよ。
 なにげにすごい怖いこと書いてんですよ? アニメの感想の中でさ。
 
 うん。
 今さ、CD聞いてるんだけどさ、うん、狼と香辛料のサントラなんだけどさ。
 うん。
 私さ、今年はね、この狼と香辛料という作品から始まったのね、ぶっちゃけ。
 そしてどうやら来年春あたりから第二期が始まるみたいでさ、私はもう嬉し恥ずかし状態なんだ。
 つか、またグッズ買った。買ってやった買っちゃった。
 正直、ここまでハマったアニメ作品はかつて無い。 
 つかほとんどオタク状態。 まじ半端ない。
 実は、こっそり湯飲みとか買ってた、携帯ストラップは前に書いたけどさ、湯飲みはねぇ、よく買ったよ、
 つかマグカップとかミニ時計とか欲しくて探したものね、無かったけど、半端ないわまじで、ふふん、皆様の
 知らないところでこうして紅い瞳は狼と香辛料との(一方的)愛を育んでいたのだよ、普通にアホやら
 キモいやらな訳ですけど、そして今度はキーホルダーだのしおりだの携帯ストラップですよ、ってまたスト
 ラップ買ったのかよ、ちゃうねん、新しいバージョンが出てたんねん、だからちゃうねん、いやそういう問題
 じゃない、云々。
 ・・・・こいつはもう駄目だ・・  ←いまだ未開封の今回の戦利品てか敗利(?)品をみつめながら
 で、まぁ、こんな具合なんですけどね、それほどね、「愛」、なんですね、「愛」。
 
 ・・・・・・。
 
 今、何時かな? うん、17時ですね。
 うん、1時間でこんだけ書いたんだから、もういっか、これで、いいですよね、いいんですよねもうこれ。
 いや。
 愛  だ  ろ 、 愛 。   (お知らせ:紅い瞳の退路が断たれたようです)
 ・・・・。
 うん、そう。
 それなのよ、結局はっていうか、ほんとはそれから外れるもんなんて、ないのよ。
 評価とか萌えとか言ってるからわかんなくなるだけで、てかわかんないような気がしてしまうことから逃れ
 られなくなるだけで、基本愛だろこれ、愛故に、だろこれみんな。
 マジ、狼のサントラ聴いてると、泣けてくる。
 自分のサイト眺めてても、欠伸しか出てこないのに、アニメ観ると、魂が濡れてくる。
 自分の日記再読して、再読して、再読することで、その文章と共に、再びその文章で考え感じて向き
 あった、そのアニメと向き合って、深く、愛しい涙が溢れてくる。
 サイトや日記自身はどうでもいいのさ、その向こうにみえるものが、どうにもならないのよ。
 なんかね、今年はね、たぶんずっと、というか、たぶんようやく、そのことで満たされ始めたんだとおもう。
 見たい、聞きたい、考えたい、感じたい、知りたい、わかりたい。
 なんだろ、すごく、不純な気持ち。
 なに? すごく純粋な気持ちになったとか、そんな殊勝な言葉を期待してた? え、してない? ・・・・・。
 うん、ま、ね、もうなんか、別に盛りがついたとかそういうアレじゃなくてね、もっと静かに深くて、そして
 なによりも広くね、私の胸の中にそういう欲望が犇めいているんよ。
 ごちゃごちゃのべたべたに、雑然と豊穣に、でもそれが一本道になっているようで、なのにその一本道
 に横たわる安堵が気持ち悪くて、また獣道に逆戻り、草ぼうぼう、あとは野となれ山となれ、そしたら
 またひとり旅人が現れて、土を踏みしめそれがやがてうっすらと道に、そんな白い筋がいくつも雑然と
 広がってる、そしてまたそれが気持ち悪くて、のリサイクル! (違)
 はぁ、なんか喋ってないのに気持ち的に喉が枯れた感じがしてきたので、なんか飲んできます。
 お茶とかおせんべとか、いける。
 
 (しばらくお待ちください)
 
 はい、17時半をお伝え致しますって、一休みしすぎじゃー! つかテレビ観てんな!
 で、なんでしたっけ? アニメの話? まぁその辺りで、再開。
 うん、で、はい、ええ、そのね、なんというかね、うん、まぁ。
 なんでもそうなのよ、とかいうと安っぽく聞こえるのはなんでだろ、でもそれはそれが安っぽい言葉だという
 先入観がまずあるからで、そもそも安っぽい言葉なんて無いというか、それに安い値をつける自分が
 いるだけ、というかね。
 別に安い値をつけること自体は問題じゃないし、安い値段つけたって、私はそれで言葉の向こうにある
 ものと向き合えば、それはそれで全然いいじゃない、と思うよ。
 今年もさ、すごいアニメ、一杯あったよ。
 そしてね、たぶん、というかきっと、私の知らないところで、それらのアニメに対しての無数の感想を記した
 サイトなりブログなりがあったんだよね。
 私は今年は、狼と香辛料から始まって、あ、前年からやってたもっけもあったね、あれは歴史に残る
 作品さね、で、4月からはホリック継で、7月からは夏目で、あとはお休み。
 よく考えたら、今年はもっけ除けば、たった3つしか感想書いてないんだよね。
 だのに・・・・・なんだろ・・・・・全然寂しくないんです
 うん、だって、みんながアニメ観てるんだもん、感想書いてるんだもん、なんだかそれだけで、全然孤独
 な感じがしないんだもん。
 別に、感想の「質」なんか関係ないよ。
 そもそも感想に質なんかないよ。
 愛だろ、愛。
 感想書かなくても、書けなくても、書きたくてうずうずしてても、悔しくても、それでも変わらずに、とっても、
 とっても、愛しくて、穏やかで、静かなのに、熱くて。
 今年初めの狼と香辛料が、一年間、私の中にどっかりと座ってたよ。
 つか、ほとんどそんなの忘れてたけどね。
 だけどね、なんかこう、すっと、急にね、なんだかどんなに曲がってても、その曲がったまんま、なにかが
 真っ直ぐに伸びてくのを、私は今年、ずっと感じてた。
 ほんとはそれは、狼と香辛料への愛故に、では無いのかもしれない。
 錯覚というか思い込みというか、そういうものになにかを託したかっただけなのかもしれない。
 でも私はその問いに、そんな問いに答えは出さないし、答えを押し付けられても、平然と、傲然と、
 その答えを抱いたまま、そんなの知らねと嘯いて憚らない。
 
 だって、アニメが面白いことに、アニメで涙が流せることに、変わりはないじゃーないっすか。
 
 狼と香辛料に感謝するくらいなら、私は狼と香辛料を見つめてなにかを感じ考えていく。
 愛する暇も無いくらいに愛しているのだから、愛なんて当たり前のものだから、だから、さっさと新しい
 作品との出会いにうつつを抜かしていく。
 浮気? 不倫? 上等だコラァ! 浮気は文k(以下検閲)
 沢山の出会いがありました。
 いっぱいいっぱい感じて考えて、感じて考えてとかお前語彙無いなほんととかぶつぶつ言いながら感動
 して泣いたりしてきました。
 感想書いてないのに、滅茶苦茶救われたような地獄に落とされたような、そんな作品との出会いも
 ありました。
 そういうのみんな、綺麗に「消化」しました。
 でもね、消化した場所はこれ、テレビ画面の中じゃないのよ。
 私の中にねこれ、全部消化吸収されてこれ、もう未来永劫消えないのよこれ。
 血肉に、なっちゃったんだよね、もう全部さ、呆れるほどに、見て評価して終わりとか、無いんだよね。
 一期の夢どころか、一生苛まれる悪夢ですよ、これ。
 狼と香辛料だけの話じゃないのよ。
 つかむしろ、そういう無数の「愛」を代表して、狼と香辛料に入れ込んでるのよ。
 べ、べつに照れ隠しに誤魔化しでそんなこと言ってるんじゃないわよっ! (あーはいはい)
 
 だからま、なんつーのかな、今年はさ、そういう感じで、なんだか踏ん切りがついたような気がするです。
 踏ん切りっていうとなんか違うか、なんというか、んー、よくわかんないですけど、すごく、自由になった
 気がする、というところでしょうか。
 自分の中に色々と考えたい「テーマ」とかあって、でも、なんというか、良い意味で落ち着いてそれらの
 ものを考えられないというか、今までは逆に悪い意味で落ち着けなかったんですけどね。
 つまり、なんというか、上手くいえないんですけど、その、色々あったりしたときにそれに囚われちゃって、
 まともに思考したりとか出来ない「焦り」が、なんていうか、逆にそれを受け入れ、違うな、受け止めて
 「愉しむ」というか、ひどい言い方するとその焦りをまるまる自分にぶつけて、それで自分を破壊して愉し
 むみたいな、って普通に変態なんですけどそれ、うん、つまりね、極論すれば要するに、たとえ焦りで
 自分が苦しんだとしても傷ついたとしても、それで全部が、自分が終わる訳では無い、ということを、
 なんていうか、完全に自覚した、って感じなんですね。
 ただそれは、それだけだったら虚無主義もいいとこで、そうやって壊れる部分の自分への愛着が無い訳
 で、それってただの絶望じゃん、全部壊れなきゃそれでいいのかよ、最初からそれでいいのかよ、いいん
 です、みたいな、それは違うだろ、と。
 そうなんですよね、それってただ、苦しみに負けて、負けた自分を肯定してるだけなんですよね、いって
 みればその敗北者の境地で開き直ってるだけなんですよね。
 その境地を愉しむことと、その境地に居座ることは、違う。
 苦しみを敗北を愉しむのは、なぜか。
 そんなの、決まってます。
 
 
 勝つために、ですよ。
 当たり前じゃーないですか。
 
 
 なにに勝つのかは知りませんけどね、ま、なんでもそう、なんじゃないですかぁ? ←安っぽい言葉
 あ、克つ、と表現すればいいや、わ、私だって語彙くらいあるんだからねっ。
 ・・・・・・。
 ま、勝つと克つは違うようで同じようで違いますけどね。
 って、もう18時、午後6時ですよ。
 なんか書くこと無くなってきましたよ、っていうか、頭の中がそろそろお酒のことで一杯になってきましたよ。
 つかそうやって早速お酒の誘惑に負け始めてるですから、勝つも克つも無いよな気もしますが。
 うん。
 まぁ。
 ね。
 うん。
 そういうことじゃ、ないですか? (どういうことよ)
 うん。
 自分に還れ、っつーことですよ。
 自分の体を大切に、っつーことですよ。
 自分を大切に、っつーことですよ。
 勝つとか負けるとか、逃げるとか逃げないとか、せいぜいそれに必死になるがいいよ。
 執着せんと、愛着を抱かんと。
 私は今年、そういう意味で、必死になれなかったんよ。
 だからね、わかったというか、思い知らされたのよ。
 ああ、大事にせんとな、って。
 自分の体に耳を澄まさなくちゃ、やっぱりほんとはなんにもわかりませんて。
 愛しく体を温めて、暖められて、慈しみ合い、そうするのは、そうできるのは、やっぱり自分ですよ。
 必死に懸命に前を向き続けるためにこそ、前を向こうとしない体の呪縛から逃れ出て、拘りを捨てて、
 体だけがすべてじゃ無いと、そういう言説に魂を預ける、だからこそ。
 だからこそ、その魂の、大事な大事な入れ物の、この体があるんじゃないの。
 魂はひとつとは限らんでしょ。
 そもそも私の中には、無数の魂が、血肉となって広がってるんだから。
 魂と体を分離して考えることは勿論出来るけど、その魂と体を実際に引き剥がすことが可能かどうかは、
 これは全然別問題。
 仮に出来たとして、そうすることになんの意味があるのかしら?
 体を捨てていく世界に、なんのおもしろみがあるのかなん?
 だから、一緒にいきまっしょい。
 分離する必要が無いくらいに、私は私と共に、いきますよ。
 
 
 うん。
 みんなそうやって、大事なモノを持って、生きてるんだからさ。
 それらを失っても生きられるっていうのと、それを捨てて生きるっていうのは、違うっしょ。
 だってみんな、こうして生きてんだからさ。
 だから、大事なモノを、護り、守り合いましょう。
 
 いったいなにが、その大事なモノを奪うことになっているのか、考えましょう。
 
 
 
 今年、2008年は、たぶん、私が覚えている限りで一番たくさんのコトがあったと思う。
 ええ。
 この社会で、この世界で、ね。
 今年を表す一字は、「変」、なのでしょうね、やっぱり。
 この言葉をどう解釈するか。
 私はその自らの解釈したモノに沿って、来年一年、まず生きていこうと思っています。
 
 
 
 
 ・ ・ ・ ・
 
 って、なーに社会派ぶったこと書いてんじゃーっ!
 とかいって具体的なこと全然書いてない辺りに、逃げ道が用意されてるのですから、さすがです。 (ぉぃ)
 ほんとうに、中身が無いことを書くことと逃げ足に関しては定評のある紅い瞳です、ごきげんよう。
 で、どうすんのさ。
 尻切れトンボもかくやな、ぐだぐだ感が漂ってるじゃないかさ。
 え、なんかさ、このノリだとアニメの馬鹿話とかしづらくね?
 ・・・・・・・・・・たんに早くお酒のみたいだけだろ
 ・・・。
 えー、まぁ、はい。
 こほん。
 今はええと、19時ですか、早いですね、もう夜になってしまいましたよ、で、結構書きましたねこれ、
 こんだけ書いて全然話まとまってないってこれどういうことよ?、って感じですよね、まじで、いやまじで。
 でも、そんな感じですか。
 なんか、まとめようと思った瞬間に放り投げて、それでばらばらと落ちてきたものを適当に線で繋いで、
 なんか絵になるようなならないような構図をみつけて、これが私が描きたかったものです、と素知らぬ顔
 で言っていればよいのです、よいでしょうよ。
 ぐだぐだです。
 まったりです。
 うちとこのサイトの今年一年を言い表すとしたら、これはもう、「まったりでぐだぐだ」です。
 漢字一字なら、「怠」、で上等だコラァ、ですよ。
 けどね、なんか今年はさ、全く説得力無いですけどさ、サイト的に、充実してたと私は感じるの。
 日記の更新頻度は下がってるわ、チャットでは管理人がオタ丸出しだわ、改装はしないわ、なんか
 ぐだぐだだわ、なのに、なんか、こう、安定してる。
 やっぱりね、それはね、サイトに来てくださる人がいるから、なんですね。
 あー最初に言っておきますけどね、引っぱたかれてもいいんですけどね、その人達のためにも私頑張り
 ますとか、それは毛ほども思わないの。
 だけどね、なんていうか、そうやって誰かのために頑張りますとか、そうやって気負い兼ねない自分は
 いて、でもそれじゃ長くは続かんだろって思うし、だからそういう気負いでやることは意志として選ばない。
 けど、でも、でもさ、こうしてサイトをやってる限り、文章書いてチャットではっちゃけてる限り、なんかさ、
 そうやって、これはもう見栄以外のなにものでも無いんだけどさ、こう、あっさりと、皆様のためにも頑張り
 ます!、とか涙ながらに宣誓したいのよ。
 
 
 
 つか。
 
 今年一年、ほんと、こんな私に付き合ってくださって、ありがとうございました!!!
 
 
 
 ・・・・。
 馬鹿ね・・・・馬鹿だね・・
 これはさ、ほんと「自分用」の挨拶だよね。
 「こんな私に」って、そういうのなんか変だよね、やっぱり。
 その自己卑下は、その私と付き合ってる人の価値も下げてるし。
 気持ち的に、ノリ的に、自己卑下な挨拶を叫びたい。
 でもね。
 理屈的に。
 そして。
 私の。
 本当の、感情的には。
 
 そんな「殊勝」な言葉は、どう逆さに振っても出てこないのよ。
 出したくもないよ。 出すべきでもないよ。
 
 だから私の挨拶は至ってシンプル。
 今年一年、当魔術師の工房にお越し頂き、誠にありがとう御座いました♪
 これ一択。
 だってさ、自己卑下って、結局それ、「評価」じゃん?
 その「評価」で自分を示すってそれ、他の人に対してもその人の自分を「評価」で示させることに繋がる
 じゃん?
 日記の話でもしたけど、チラ裏上等じゃないのさ、堂々とチラ裏の文章をUpしたらいいじゃない。
 卑屈になることなんかない。
 自分の評価と、自分が此処にいることは別のお話。
 他人への評価と、その人が其処にいることは別のお話。
 だから。
 そう、だから。
 
 
 評価としての自己卑下的挨拶も、それはそれとして有効になるんじゃないの?
 その有効範囲でだけ、自分の浅ましい「殊勝」な方の「本音」もぽろっと晒していいんじゃないの?
 
 
 つーことで。
 ・・・・・。
 
 
 
 今年一年、皆様、(色んな意味で)お疲れ様でした☆
 
 
 
 
 ・・・・・なにその逃げ口上な挨拶は、おいwwwww
 
 
 
 
 よっし、19時半、午後の7時半ですか。
 ちょうどいい感じだわ、これ。
 これから夕飯支度して、まったりして、一息ついたらお風呂入って、まったりして。
 それからテレビや録画してたアニメ観て、23時になったらチャット会に参戦ですね。
 そんな感じで、よろしいでしょうか? (微笑)
 って、テレビロクなのやってないね、駄目だこりゃ。
 モンハンでもやってようかな、どうしよかな。
 
 ま、うん、じゃ、お時間おありのかたは、このあとチャット会でお会い致しましょう。
 
 
 それでは。
 改めまして、今年一年、ありがとう御座いました。
 また来年も、よろしくお願い致します。
 来年もなんか、当サイトと紅い瞳はほどよく頑張っていきます♪
 
 では。
 
 
 良いお年を。
 
 
 
 
 
 
 
 さて・・・・・  ←いそいそと冷蔵庫からお酒を取り出しながら (笑)
 
 
 
 
 
 
 
 追記:
 ちょっと、なによ。
 なんか一斉にみんな2008年のアニメベスト5とかやり出したじゃないの!
 べ、べつにウチが書かなかったのを後悔とか悔しいとか思ってないわよ。
 なによその目は。
 私は別にどうだっていいんだからね。
 大体ね、そんなの選んだり感謝する暇があるんなら、さっさと感想のひとつでも書きなさいよ!
 だけどほら、まぁ、その、色々あるじゃない?
 色々って・・・・それは色々なのよ! 
 うっさいわねぇ、どうだっていいでしょそんなことは!
 ただたんに選ばないでいる方が面倒だって言ってんのよ!
 
 ■ もっけ
 ■ 狼と香辛料
 ■ 我が家のお稲荷さま。
 ■ 夏目友人帳
 ■ 屍姫 赫
 
 基本的には評価がどうこうより、私が感動したり感銘を受けたりとか、そういう主観的なことで
 選んだものよ。
 「もっけ」は前年よりの継続作だからほんとは違うんだけど、結構なお気に入りだったから明記しとき
 たかったのよ。
 ま、これと入れ替えるとしたら、「xxxHOLiC◆継」ね。 感想も書いたし。
 次点は、「恋姫無双」、「セキレイ」といったところかしら。
 あとは、これも前年よりの継続作だった「みなみけ」「みなみけ おかわり」も入れたいところなんだけど、
 これは昨年分ってことにしといていいわ。
 
 って、なに言わせてんのよ!
 か、勘違いしないでよね、たんに私の気持ちをすっきりさせたかっただけなんだからねっ。
 
 
 感謝賞: 狼と香辛料
 
 
 か・・・感謝しないなんて・・・言ってないんだからね・・・・・・・・・・
 
 
 
 
 
 
 
 
 お疲れ様でした。 (ほんとうに)
 
 
 
 
 
 

 

-- 081227--                    

 

         

                              ■■ 滅亡と復興と続き ■■

     
 
 
 
 
 ごきげんよう、紅い瞳です。
 
 さて、なんか全般的に暖冬っぽい今年の冬ですけれど、皆様如何お過ごしでしょうか?
 こちらは雪なんか降る気配も無く、朝晩が冷える程度で、日中はコートが無くてもいけるんじゃないの
 これ、というような、ポカポカ一歩手前の陽気が続いております。
 この頃はそれに合わせて、心なしか陽気な頭の中のお天気模様ですけれど、この年末は例年に
 比べて忙しさは落ちたものの、なんだか落ち着きの無い時間を過ごしてしまっています。
 あれもこれも。
 なんだか、色んなものが見えてきている状態、というところで御座いましょうか。
 そして、それと体のリズムが少しずつ合ってきているのに、逆にその妙に合ってしまっているリズム、という
 それそのもの自体に気後れしてしまっているのかもしれません。
 私、こんなに幸せでいいのかしら? ←みたいな馬鹿なことを考えていると思ってください
 皆様色々と殺気だったり消沈甚だしかったりと、なにかと騒がしいこの年末のご様子でしたけれど、
 私はかえって落ち着いてしまっているのです。
 案外私、大物なのかもしれない? ←みたいなことを言ってるだけで誰も相手にはしてくれません
 
 ということで、つまり、なんだか割とゆったりしている今日この頃の紅い瞳です。
 まぁ、久しぶりに自分のリズムを取り戻してきたということなのでしょうから、今はまずそれを自分のもの
 にして、そこからまた始めていければと思っています、みたいなことはわざわざ言ったりしませんけどね。
 まぁこうして言っている訳ですけれど。
 ただまぁ、なんかみんなが激するとかえって冷めちゃったりするんですよね、アホか、みたいなさ、あ、
 ネットだと逆で、私ひとり盛り上がって巫山戯上がって、他の方々は冷めてアホかって感じで放置プレイ
 してくださって、私的にはそれが気持ち良ってなに話してんの落ち着け、でね、ええと、なんだっけ、うん、
 忙しい忙しいとか言ってる分にはいいけど、それを絶対化されても馬鹿らしいというか、私なんかは、
 そういうときこそゆったり構えなきゃいかんのじゃないのか、って思うんだけど、でも忙しい顔つきとか苦しい
 仕草もしないと世の中通らないっていうか、世の中を通らせたくない人達は結構いるんだなぁと、そういう
 事実と結構接してきてるので、最近ようやく、ほんとの意味で、深く冷めて、なんか違う意味で覚悟が
 出来た気がします。
 
 じゃー、それで通る世の中に少しずつ変えていってみようか、って。
 
 忙しかろうが忙しくなかろうが、それそのものとは関係無く、やらなくちゃいけんことと向き合おうよ、って。
 今まではなんか自信無くて、色々と合わせることの名分を探ってそれにシンクロすることも出来ていたけ
 ど、逆にそれをし続けていたからこそ、或いはそれが出来ないときもあったからこそ、それらのものは
 決して必要だけど本質じゃ無いってことが、それがわかるだけじゃなくて、ほんとにそれと向き合わなくちゃ
 いけないってところまで来たかもしれないなぁ、最近。
 どうも最近、本気でしかめっ面して、それが出来るか出来ないかで人を判断しようとしたりする人が
 周りに増えてきて、すごく考えさせられる。
 たとえば、人のこと考えなくちゃいかんよ、礼儀は大切だよ、人付き合いは云々とか、そういうことを
 今までは全然しなかった人が、急にそういうことが「必要」だから仕方なく取り入れ、そして今度はそれに
 しがみついて思い入れと思い込みを逞しくして、今度はそういったことが出来ない人達を罵ったり馬鹿に
 し始めたりする人を見ると、私なんかは怒りたくなっちゃうのよ。
 なんのために人のことを考えるのか、礼儀があるのか、人付き合いの色々な理屈があるのか、それを
 延々考えて考えて、そして自分の血肉にしてきた私からすると(自称)、なにを言ってんのさって、ほんと、
 正直な話プチっとくる瞬間もなきにしもあらず。 ていうか、喧嘩した。 あちゃー。
 必死に色々なものと向き合おうとして、それが出来なくて、でも向き合い続けて、負け続けで、でも
 それでも形に出来なくても必死に向き合い続けようと頑張っている人達に、そのしかめっ面とか礼儀と
 か形とかが出来てないという現状態だけを指して差別しようとするのは、これは逆にそっちの方こそが
 私は本質的におかしいと思うし、「悪い」ことなんじゃないかって、思う。
 勿論、だからイコールそのしかめっ面とか礼儀とか形なんかいらないのさ、オンリーワンでいこうさ、って
 いうのもまた違うし、それも同じく「悪い」ことだと思う。
 
 なんのためにそういうものがあるのか、それを求めるのか。
 
 その問いが無ければ、どちらの方向も私は同じなんじゃないのかなぁ、この頃は思うので御座います。
 当たり前っていえば当たり前なんですけど、でもそれがわからなくなっていることって、やっぱりあると
 思います。
 ・・・・・。
 ま、つまり、こうやって力説して、だからまったりゆったりしてても本質を見失わなきゃいいのよ、とか言いつ
 つ涎垂らして居眠りしそうな勢いのこの人が言ってりゃ世話無いですよね、って話です。
 紅い瞳はもっとしゃんとせなあかん。 (はい)
 
 
 年末になると(といってもこの頃は年中ですけどw)、こういった差別的な愚痴を良く聞かされるので、
 なまじ聞き役に回ることの多い私は頭が痛い。
 いい加減にしか反応しないからこそ当たり障りが無いってんで愚痴る相手に選ばれてんでしょうけどw、
 もう少し冷静に考えて欲しいなっていうか、感情を正当化するだけの理屈をこっちが論破しても、
 その大元の感情をどうにかしないと、どうにもならんよね、この手の話は。
 そういう感情を消せとかいうんじゃなくて、そういう自分の感情との付き合い方を、もっと知って欲しいなぁ、
 てか、そういうのをどうやったら教える、っていうとおこがましいけど、伝えていけるのかな、というのを少し
 ずつ考えていっている、今日この頃の紅い瞳でした、まる。
 ま、取り敢えずはまずは私が、そういった差別的な愚痴の「必要さ」も取り入れた上で物事を考えて
 いかなくちゃ、ですね。
 それが、すべてのスタートなのよん。 大体私だって、多かれ少なかれ、似たよなことはやってるのだし。
 ていうか、そういうのが必要でそれにしがみつかなくてはやってられないときもあるし、実際。
 それしか無くなっちゃうときも、ぶっちゃけあったし。
 そして。
 だからこそ、その向こうにあるものを見つめることの大切さと、その見つめる力が必要なんです。
 人間っていうのは、弱いものなのだよ。 
 そして、生きていかなくてはいけないのだよ。
 此処にこうして生きている以上、ね。 (偉そうに)
 
 
 あんたも!
 クリスマスツリー飾り付けたのを倒して遊んだりしてるとかじゃなくて!! (某体育教師風に)
 
 
 
 
 ◆
 
 と、いうようなことをクリスマスイブに書いてました。 切ない。
 クリスマス前日に呼び出された挙げ句嫌な愚痴ばかり聞かされたのでやった。今は反省している。
 メリークリスマス!
 
 という感じで、さぁ、今日の本題に入ります。
 来期アニメについて。
 うーん。
 以前語ったときと、情勢は全然変わっていませんね。
 まず数が少ないです。
 取り敢えず、私が手を出せそうなものを、かなりそのラインを下げてリストアップしてみましたので、どうぞ。
 
 ・屍姫 玄
 ・マリア様がみてる 4thシーズン
 ・みなみけ おかえり
 ・続 夏目友人帳
 ・まりあ†ほりっく
 ・黒神 TheAnimation
 ・鋼殻のレギオス
 ・源氏物語千年紀 Genji
 
 全部で8作品。
 この時期まで待っても、この8作品が限界でした。 申し訳無い。
 そして、屍姫玄から続夏目友人帳までの4作品はすべて、続編モノだったりしますので、真正来期発の
 アニメはたった4作品。少な。
 おまけに、その4作品の中で、正直期待しているのは、まりあ†ほりっくのみ。 うああ。
 あとこれに、獣の奏者エリンを付け加えるかもしれない。 予備扱い。
 たぶんこれ以上減ることはあっても増えることは無いと思います。
 あ、一応作品ごとにコメントしてみましょうか。
 
 
 屍姫2:
 とにかく眞姫那一択。
 思う存分に暴れ回って、滅茶苦茶に苦しんで足掻いて、どうしようも無く生きて、その中から迸る、
 なんだかもの凄いものを期待しています。
 むしろ第一期は準備段階。
 本番は、これからです。
 下手に思考なんてしなくていい、それはこっちでやります、やりますから、どうぞ、どうか、過激に、一切の
 手抜き無く遠慮無く、存分にやってみてくださいませ。
 それが出来る器を持っているところが、この作品の最大の魅力です。
 お願いします。 (ぉ)
 
 マリみて4:
 だいぶあの感覚は忘れちゃってるけど、それを思い出そうだなんて、金輪際思わないんだからねっ。
 ここまできたら、わたしゃ覚悟を決めるわさ。
 観る、そして、書く。
 ただそれだけ。
 なにも期待していませんし、なにも望んではいません。
 ただ私あるのみ。
 目の前に提出されたマリみてと、私は向き合うことを、此処に宣言します。
 作品的見所は、お嬢様なとこです。
 メインテーマは、思い遣り、だと思います。 (私見)
 
 みなみけ3:
 またまた制作会社が変わっているので、これはもうあれですね、また新しく一から「みなみけ」を始め
 られるということで、私は感謝の念に耐えません。
 全く違うみなみけをまた愉しませて頂けるなんて、ほんと、みなみけファン冥利に尽きます。
 「あの」みなみけでは無く、「みなみけ」そのものを愉しみたい。
 「みなみけ」というモノのさらなる可能性を紡ぎ出してくださって、本当にありがとう御座いました。
 さて、また前期までのイメージに囚われたりしながら、また前々期を踏まえた前期のときと同じく、今回も
 また今回らしさを愉しみながらいってみますね。
 一期は爆笑、二期はしみじみ、さて、三期は如何なりますでしょうか。
 
 夏目2:
 一休みしただけで、私的には夏目はまだ終わっていなかったアニメなので、全然問題ありません。
 だけど、その休みで得たなにかを、感想に託して書いてみたい。
 アニメ自体はある意味描くべきものは全部描き切ったけれど、全部描き尽くしてしまったという訳でも
 無い。
 でも、その残りのお話をただ描く、というのじゃなく、また新しい「描くべきもの」を創出して、またそれを
 全13話を使って描き切って欲しいと思います。
 そういう意味では、私もまた、一旦私の夏目友人帳を終わらせて、新しいこの第二期と向き合いたいと
 思っています。
 あの鮮烈なおもいを、もう一度。 (なにをキザなことを)
 
 
 まりあ†ほりっく:
 新作の中では一番の期待作。
 煽りの、「百合趣味少女とドS少年の超絶ハンテンションラブコメディ」が反則過ぎる。
 全然想像でけへん・・・なに・・・?・・これから一体なにが始まるというの・・・・・?
 掴みはOKっていうか、掴まれ過ぎました、心臓辺りを、こう、わしっと。
 キャラの奇抜さで売らなければ、これはとても面白いことになりそうな予感。
 ボケとツッコミの妙味を、是非、よろしくお願いします。
 
 黒神 TheAnimation:
 まず名前で、きた。 そういうものです。
 次に、物語が斬新で、なんかアクションモノっぽそうだったから。
 次に、キャラが可愛いような可愛くないような、微妙なライン上だったので、戦えると思ったから。
 次に、なんだか知らないけど、きたので。
 次に、その割には全然期待感が無かったので。
 次に、つか、設定的にはベタよねこれ。
 以上、視聴後の報告を待つ。
 
 鋼殻のレギオス:
 急に可愛いキャラがきたので。
 
 源氏物語千年紀 Genji:
 実は源氏物語は読んだことが無かったりして。
 でも興味はあるのに、やっぱり読む気は起きなかったりして。
 なら、アニメを観るしかないじゃないか。
 そういうことに、なります。 (微笑)
 あとこのタイトルはもうちょっとなんとかならなかったのかな。 やっつけすぎだー。
 
 
 という感じで、まぁ、基本ぐだぐだですね、ぐだぐだ。 やっつけられたー。
 ですけども、まぁ、この間っから言ってますけど、マリみてとか夏目とかみなみけとか屍姫とかに、まぁ、
 色々全部背負わせちゃおう、という魂胆な来期ですので、なんだ、やっぱりぐだぐだやん。
 これら続編モノもだから、期待してぞくぞくしてやまないとか夜も眠れないとかじゃなくって、むしろあんた
 のことなんてどうでもいいんだからねっ、みたいなツンデレ的に敢えて放置プレイみたいな、そういう感じ
 がします意味わからない。
 割と淡々と始まって、淡々と終わる。
 これ理想。
 というかぶっちゃけ、ほんとにマリみてと夏目の感想2つも書けるのか不安。
 不安で、しょうがない。 ←本音
 
 
 で、ですね。
 よく考えたらですね、というか気づいたのですけれどね、実は今期の作品って、1クールで終わっている
 ようで、終わっていない作品もやっぱりある訳で御座いまして。
 正直、2クール作品、つまり来期も継続して放送する作品を勘定に入れてませんでした。
 うん。
 現時点ではまだ全部観てないから来期まで続いているのかどうかわからない作品もありますけど、
 一応やりそうな作品は、こんな感じ。
 
 ・とらドラ!
 ・黒執事
 ・サンレッド
 ・地獄少女三鼎
 ・ダブルオー2
 ・とある魔術
 
 これに前期以前からやっているソウルイーターと銀魂もプラス。
 そして、今期の積みアニメだったクラナド・のだめもプラス。
 ・・・・・。
 結構な、数に、なるじゃあ、ないです、か。
 って、まさかとらドラがやるとは! 物語が少ない言ってすまん!ありゃ間違いだった!
 って、黒執事もかい! 一体あとなにやるのさ! どうせあと1クールやったくらいじゃ終わらないっしょ!
 ・・・。
 はやくも来期発のアニメの切り候補はみえてきました。 (ぉぃ)
 
 まぁ、それはおいといて。
 今期は逆に、予想外に1クールで終了の作品もまた、多かった。
 魍魎の匣を筆頭に、まさかケメコとかんなぎが1クールとは思わなんだ。
 てか、勿体無さ過ぎでしょ、せっかくキャラの味も深まってきたところで終了っていうのは、これはもう、
 勿体無いのひとことです。
 確信犯な魍魎はともかく、ケメコとかんなぎの両ギャグ作品は是非とも第二期をやって欲しいです。
 というか、なんで1クールで終わらせたのか意味がわからないというのが、正直なところ。
 あと ケメコもそうだけど(かんなぎはまだ最終回観てない)、ヒャッコのあの思わせぶりな終わり方はなに?
 あれは普通に第二期があることを期待していいのでしょうか? いいんです。
 
 
 と、なんかぐだぐだなことを書いてしまいましたけれど。
 今期アニメはまだ最終話まで観ていない作品もありますので、その辺り全部視聴し終わった頃、
 つまり遅くても、というかむしろ早くとも新しい年を迎えたのちに、終了した作品ごとのまとめ感想を書いて
 いきたいと思います。
 さすがに年内はちょっと無理っぽいので、来年じっくりとやらせて頂きまする。
 
 
 では、今日はこの辺りにて。
 次回更新は大晦日を予定しております。
 
 
 
 
 追記:
 とらドラ編〜
 予想通りの展開でしたけど、竜児があそこまで吹っ切れるとは正直思わなかったので、思わず惚れそう
 になりました。 (ぉ)
 でもあれ、実はまだ大河終わってないよね?
 むしろ竜児が「こっち」側にきたってことは、あの大河の父親もそうならなくちゃ、大河的には半分だよね。
 独りとか言ってたし、父親に囚われてるってことを大河自身が全部わかってて、竜児はわかってなくて、
 だから大河は全部ひとりで脱父親劇をやって、竜児はやっとその大河の姿に気づいて、全力で側にきた、
 はい、この文化祭編はそこまでよ。
 この竜児の反転劇(?)は、それこそあの父親自身の反転劇を創り出すための足掛かりにしかすぎな
 いし、大河はやっと独りで立つことに覚悟決めたけど、今度は父親を否定することだけでその独り立ちが
 得ることが出来ないんなら、やっぱり大河のそれは、ただの孤独にしかすぎないだろし、だからあんなに
 大河は虚しそうなのかな、ってのはあるよね。
 父親無しでもみんなの前でハッスルして、みんなに拍手して貰って、竜児もみのりんも来てくれて、
 挙げ句の果てには北村くんまで・・・
 ああ・・そりゃー虚しいよね・・
 父親がいないから、じゃなく。
 父親を否定することでしか強くなれない、自分がさ、そのみんなの暖かい笑顔が自分に向けられるた
 びにさ、なんか虚しいだろし、悔しいだろし、なんだろね、うん、なんだろね。
 そういう意味で、大河のお話は、ここからが本当の始まりな気がする。
 竜児がいてくれて、みのりんが抱き締めてくれて、北村くんが踊ってくれて。
 そしたらやっぱり、本当に私がやらなくちゃいけないのは・・・・
 あの馬鹿親父をぶん殴って蹴り飛ばして、いちから「父親」にしてやることよ。
 独りで立ち上がれるようになったのなら、もう、そんな奇跡みたいなことも出来るような気がする。
 大河が独りで生きる覚悟を決めようとしてるあたり、やっぱりその辺りがこれからのお話の元になっていく
 のかなぁ。
 それとも、結局竜児のお話として終わってしまったこれまでのお話と、大河が融合していくのかも。
 あるいは、大河が自分の問題を見つけ出し、それと向き合うのかも。
 うん、楽しみです。
 
 屍姫 赫編〜
 ラス前の話、観ました。
 「解説」や「説明」しか、出来ません。
 なぜなら。
 私が、星村眞姫那になってしまったから。
 なにかを書こうという意識すら発生しませんや、これ。
 感情移入とかならまだしも、そういうのですらなかったもの。
 ああ。
 そうか。
 ここからなんだ。
 30分間戦って、叫んで、泣いて、沈黙して、沈黙して。
 その自分の姿がみえないことにすら気づかずに、ただ。
 これからのことを、無心に、考えていました。
 眞姫那の悲しみも、私の悲しみも、そこには無かった。
 語ることは私にも、眞姫那にも、無かった。
 なんか、全部忘れてしまったような、静かな気分。
 当たり前の世界の中で、当たり前に激しく生きていく。
 ああ。
 感動も、納得も、無い時間。
 眞姫那って、馬鹿なんだね。
 改めて、なにも考えていないのに、これだけ生きている私の姿が、みえた。
 よかった。
 この作品の感想を書かなくって。
 ほんとうに。
 眞姫那がカッコ良くもカッコ悪くも見えなかったのだから。
 いいえ。
 眞姫那が、私が、私には見えなかったのだから。
 よかった。
 なんだかとても、嬉しくなってしまったよ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

-- 081222--                    

 

         

                               ■■ 作業に没頭! 2 ■■

     
 
 
 
 
 さて、早速ですけど、前回の続きです。
 色々押してるんで、さくさくとてきぱきとやらせて頂きます。
 
 くーっ、師走っぽくなってきたぁーっ! ←色々な意味でツッコミは受け付けておりません
 
 
 では、色々と失礼させて頂きつつ、始めます。
 
 
 
 
 
 ◆
 
 
 
 ヴァンパイア騎士ギルティ:
 ・・・・。
 もしかして、この方向性で終わり?
 ・・・・。
 正直(ってなんか口癖になりかけてますけど)、予想外に期待はずれの方向に行っている。
 ある意味これ、「逃げ」じゃないのん? 作品的に。
 だって、ヴァンパイア化してしまったゼロと優姫がどう向き合うかという話だったのに、いきなり優姫は実は
 ヴァンパイアでした♪とかいって、今度はゼロがその優姫と逆の立場で向き合うって、おい。
 しかもお話的には終盤目指して戦闘態勢入っちゃってるし、このまま一気にいっちゃいそう。
 ・・・・。
 納得いかないとか、なんか変とか、そういうレベルの話をする気は無いけど、ほんとにこれでいいのかなー
 、というなんだか心配な感じはします。
 確かに優姫とゼロが同じステージに上がることでしか見えてこない、その新しいものはあるけど、今度は
 逆にそれが今まであったものを覆い隠して潰して終わってしまうような。
 お話として物語としてコンパクトにまとめることに頭がいっていて、肝心のテーマの突き詰めが放棄されて
 しまっているというか、それこそ物語の体裁を整えることで、なんとなくの誤魔化しで済ませちゃおうという
 、そういう「ストイックの無さ」が目に付きます。
 せっかく今までテーマと物語が上手く手を取り合っていたのに、これはなんともかんとも。
 が。
 そう言っているだけなら、そう視ている私も同じ訳で。
 うん。
 逆に考えればいいのかも。
 ある意味これは、テーマを物語的に捉えることをやめて、全員フラットな立場から考えようという、そう
 いう立場に変わったのかもしれません。
 立場に囚われ、それぞれの位置からのおもいを切々とストイックに紡ぎ上げてきた、その限定的社会
 的な哲学的なものを、敢えてそのそれぞれの立場を強制的に変換させ、にも関わらず、またそれぞれ
 がその新しい立場でまた同じことを繰り返す、ということのその意味と、ある意味の矛盾を描いている、
 もしくは登場人物自身にそれを気づかせるためなのかもしれない。
 結局優姫は人間という立場にいる「優姫」でしかいず、それが急にヴァンパイアという立場にいる「優姫」
 になることになっても、その新たな立場に従属してしか物を考えない、その地に足を囚われ、優姫そのも
 のの姿を見失っている、ということです。
 理事長が理念を捨ててかつて血で濡らした剣を取った背中に、蹴りをいれる夜刈。
 「現状」での役割を見失ってはいないと嘯く理事長に、夜刈はこう言い放ちます。
 
 『見失ってんじゃねぇか!』 ←蹴りを入れる現役ヴァンパイアハンター夜刈十牙
 
 『いざ自分が本職に復帰してみたら精神的にきつかったか』、という夜刈の皮肉が胸に浸みます。
 伝説とまでいわれたお前のその力、それ自身にてめえが喰われてちゃ、その伝説も無意味だな。
 どの立場に立っても自分を見失うな、逆に言えば、立場に依ってでしか自分でいられないなら、そりゃ
 そもそも意味ないだろ、ということでしょう。
 たとえ剣を振るって血に染めようと、それを悔いているだけならその剣を振るう自らを貶めるだけのこと、
 そして同様に、平和主義者として剣を捨てることを非現実として否定するだけなら、それもまた自分を
 見失いその自分の立場のせいにしているだけのこと。
 優姫は未だその域に至らず、新たな立場に戸惑い傷つき、その反動でそれに囚われ必死にヴァンパイ
 アとして生きるために、今までの世界に別れを告げようとしますけど、しかし、親友のよりちゃんに『私達、
 なにがあっても親友よ。』と言われたことで、これからどうなるのか。
 これはある意味、俄然興味深くなってきたのじゃないかなぁと、私は思うのです。
 以前の優姫はヴァンパイアの優姫が食べちゃったからと自嘲した優姫。
 その以前の優姫自身や或いはそれを取り戻そうとすることが自分で自分の復活なのか。
 それとも。
 以前の自分、それを喰ってしまった今の自分の、それらに変わる第三の自分を生み出すのか。
 それとも。
 その三つの自分を同じモノとして捉え、そうでは無い全く別のなにかに「気づく」のか。
 みんなを愛そうと憎もうと、変わらぬ優姫はずっと此処に・・・。
 ・・・・・。
 さぁ、次はそういう展開を期待してみましょうか! (残り話数が心配ですが)
 あと壱縷頑張れ壱縷。 (閑様を頼みます)
 ・・・・。
 というかこれ、普通に第3期やるんじゃないの? これ。
 
 
 
 夜桜四重奏:
 不思議な感覚。
 OPが始まると、すっとこう、なんか引き締まる。
 なんだろ、この感覚、前に他のアニメでもあったんだけど、どれだったか覚えてない・・。
 全体に流れる、のぺっとした広がりのある空気が、全然優しさも暖かみも無いままきちっと仕切られて
 いて、なんだか粘土で周りをぎっちり敷き詰められているような、そんな圧迫感と充足感があるって、
 これじゃ魍魎じゃんか。(笑)
 なにも詰まってないのに、詰まってる。
 空間が、なにも無いその空間が重く重力を働かせている。
 だから、キャラもそれぞれの肌にその空間が押し付けられて、ぎちぎちに体の中にキャラが閉じ込められ
 ているような感じ。
 アクションとか演出とか性格とかセリフとかじゃ無い、キャラそのものの「絵」が、ぴちっとはまっている。
 そしてだからこそ、キャラのひとつひとつが、なんか、ブラックホールみたい。
 一体どんだけのものがあの体に詰まってるんだろ、どんだけ無限なんだろ深いんだろと、キャラ達の言動
 そのものに頼らずに感じるのです。
 すかした言い方やブチギレ寸前の素な振る舞いや、そういったものがあるたびに、キャラの「絵」は黒く
 深くあの空間の狭間に埋まっていく。
 言葉が表層的なものだということを、言葉に魂が籠もり魂の顕れだということを噛みしめるたびに、そう
 強く強く感じることが出来る。
 キャラの表情の「意味」をシーンごとに読み取ろうとしているのが、無意味に感じる。
 表情に意味があったとて、その意味を言語化して物語に加えたところで、それはほんとはキャラの存在
 自体を描き出したことにはなっていない、というか物を語るための言葉としてのキャラにしかならない、
 というか。
 この作品は、徹底して日常です。
 キャラが全部、素なんですね。
 小難しいことも思わせぶりなことも言わないし、全部が全部日常の言葉を使って、ただその言葉を置い
 て、置き捨てて、なんかごそごそと仕事のように家事のように勉強のように遊びのようにこなしてる。
 というか、すっごいリアル。
 実際ファンタジーなことやお約束的感動的なことがあったり儀式したり奥義とか最終(笑)武器を手に
 入れたりする、それぞれの瞬間を、私達が実際に体験したとして、それらを恭しく敬虔に緊張を以て
 受けたとしても、たぶんそうやって自己演出している自分を見ることからは逃れられない。
 この作品のキャラも、重々しく言葉を吐いてそういったものを受け入れるけど、決してその言葉自体が
 世界を物語を創ってはいないんですね。
 なにしろその世界を物語を創っているのは、みっしりと詰まっている、あの空間なのですから。
 全然、全然、どのキャラも「主人公」にはならないし、なれない世界。
 よし、合格。 (ぽんと判子を押しながら)
 
 
 
 かんなぎ:
 大爆笑。
 今期最高のギャグアニメ。
 や、ギャグアニメと限定するのは変かもしれないのだけど、逆に、じゃあギャグアニメというジャンルの幅
 をこの作品の御陰で広げてみたくなった、ということもできるかなー。
 なんつーか、当たり前なことが笑えるんですよね、別にこれがギャグだって感じで笑わせるタイプじゃ
 無いので、わからない人は全然わからないみたいですけど、単純にいえば、会話の機微や間の取り方
 やタイミング自体、そしてシチュエーションで笑わせるという感じなんですよね。
 特にナギがすごい。
 ナギ自身は天然ですけど、その天然を完全に計算し尽くしてギャグに使ってるのがすごい。
 本来はこの作品はギャグよりコメディという感じなのですけど、このナギの存在があるからこそ、私は
 どうしてもギャグと言わざるを得ない。
 ナギがミステリアスなキャラなのは、ただたんに神様だからなだけで、ほんと身も蓋も無いけど、なんか
 神様的なファクターが無かったら、ナギはただのアホの子です。 ていうかアホ。
 仁とのふたり漫才はもとより、猫被り状態での他のキャラ達との間でもそれは十全に発揮。
 そして仁はどんどんそれに順応して、他のキャラまで順応してきて、あれ?、なんか前にもこんなこと
 書いたような気が・・・あれ・・・なんかなんにも印象が変わってないっていうか・・・あれ・・・?
 ・・・・・。
 と思ったら、11話で急展開。 一応まだ11話までしか観てないんけどね。
 ・・・。
 これほんとに展開変わったの?
 というか、ナギが不思議なのは神様だから、という唯一にしてそれだけしかない情けなさが、いきなり、
 というか、今更疑われて、そしてナギ様は自分はわかっていないということすらもわかってなかったのじゃ、
 て、あれ?、ごめん、ギャグにしか聞こえないwwww
 うん、いいたいこともやりたいこともわかるし、だけど、大爆笑。
 というか、いかにもナギらしいというか、ナギスタイルというか、ほわっとやんわり=天然=アホ=ようはなに
 も考えなかっただけ=ほわっとやんわり=天然=以下略、という感じで、結局あれは全部輪になって
 ひとつに循環してるように見えるよ。
 天然は気持ちよく天然をやってるけど、それに振り回されている奴のことを考えたら、いろいろ説明した
 りフォローしたりしなくちゃいけない、そうじゃ、天然というのはようするに馬鹿ってことだったのじゃな、云々。
 自分のことがわからないということさえわからない、そして、だからそれは実は天然さ自体の否定には
 全然なっていない、ということも同時に見えてくる。
 説明不能フォロー不能深く詮索されるべきでは無い存在、それが神でありナギであり、天然であり、
 だからそれがギャグになるのだし、いきなり真顔でそれを作品自体が否定したって、それは巨大な
 「ツッコミ」にしかみえないし、だからこそ、天然という「ボケ」が成立してる気がする。
 でも。
 たぶん、かんなぎがこれだけ面白いのは笑えるのは、実はそうやってツッコミでは無いつもりの否定を、
 本当に真顔で、そしてなによりも人間らしく弱みを滲ませたり自分の正体に悩んだりする、そういう天然
 であり、その天然な自分自身を見つめている人間らしいナギがいるところ、それなんだと思います。
 感情と直感で行動、感情と直感で行動、ならその結果向き合うことになったものにも、ちゃんとしっかり
 と考えたりすればよい。
 なんで?
 そう、したいから。
 それもまた、感情と直感。
 わかったのならわかるままに、わからないならわかろうとするままに。
 そして、わかろうとするならわかるままにわからないままに。
 だからかんなぎはどんな形になっても、人間ナギの内として顕れてくるのじゃないかなと思いました、まる。
 
 
 
 屍姫 赫:
 泣くがいい、夜明けはまだずっと先だ。by猫
 ・・・・。
 結局、そうやって第二期までの繋ぎを優先した訳だ、やっぱり。
 どうも、水薙生の話からそのまま真っ直ぐに眞姫那に繋いだ方が、勢いと熱があって良かったように
 思われる。
 私はまだ、景世のお腹にぷすっと死亡フラグが刺さったところまでしか見てないのでアレですけれど、
 この感じだと、眞姫那は一期に於いては不発、そして最後の最後で火を付けて終了、次、という
 感じで終わってしまいそうな。
 うーん、眞姫那を七星との絡みだけに限定し過ぎている気がして、まさかただの復讐物語にする気は
 無いだろけど、テーマ的に「復讐」ということに塗り替えられてしまって、本来のテーマが脇になってしまって
 いるような気がする。
 無論、七星への憎悪が眞姫那のすべてでは無く、自分がそれをすべてにしようとしているという、その
 眞姫那の実感自体はあるだろし、それはきっちりと隠されているという意味で、vs七星に邁進する
 眞姫那の姿に、それ自体に違和感も不満も無い。
 けれど、なんというか、それだと逆に、眞姫那だけの話になってしまうような気がするのよ。
 旺里との関係があってこそ、眞姫那のそれは深く描き出される対象になるのに、眞姫那だけで自己完
 結してしまうと、最悪の場合、眞姫那は旺里を置き去りにして消える、ただの悲劇物語のヒロインに
 貶められてしまうかもしれない。
 その役は水薙生が全部背負っていったんだから、まさか同じことにするようなことは無いと思うけど・・・・
 不安・・・・です・・。
 この「屍姫」の最大のポイントは、眞姫那がペラペラと心理描写的に心情を吐露などしないところに
 あると思います。
 だから、眞姫那が別に憎悪を名分にして復讐を謀ろうと、それイコール作品のメインテーマということに
 ならずに、あくまで眞姫那というキャラを視る、私達視聴者の瞳に映る、私達の眞姫那の解釈だけ
 があの中には顕れてくる。
 復讐にすべてを投げ打っているように視ている私達がいるだけ、そして同様に、眞姫那自身も、自分
 のことをそういう風に視ているだけ。
 そこに、旺里が介在する余地がある。
 眞姫那が向き合うべきは、死そのもの。
 なのに七星への復讐という動機だけに向けて目を逸らし、その中の文脈に旺里を捉え直そうとしている。
 旺里はその外にいて、眞姫那が死と向き合うことという文脈の中にいてこそ、大きな意味があるのに。
 
 でも、ならば、やってみるがいい。
 
 私はむしろ期待している。
 旺里を復讐劇に巻き込み、その舞台の上でその劇の終演と共に消えるだけの眞姫那が、その自分
 の行為の中で一体、どう「生きる」のか、それを見てみたい。
 どう生きるのか、どう戦うのか。
 改めて、期待しているところです。
 てか、まだあと二話くらい残ってるですけどね、第一期。
 取り敢えず、それを看取らせて頂きます。
 
 
 
 とらドラ!:
 なんていうか・・・・勿体ない。
 すごくさりげに普通に充実してるんだけど、派手さは無いし工夫も無いしストレートに分厚くて良いん
 だけど、基本的にこれは、物語の「数」が足りない。
 うん、この作品はね、別に深く無くても重くなくてもいいの。
 文学的? 哲学的? はぁ? なにそれ?
 おまけに、途中から、あれ? なんか手乗りタイガーの勢い無くなってね?、この子のもっとはっちゃけた
 理不尽な暴力とかあって良くね?、なんか間違ってね?、とか趣味的な面での不満を抱えてたんだけ
 ど、ぶっちゃけそういうのもほんとはどうでもよいの。
 そのまんま、やればいいさ。
 あのまんまどんどん、語ってくれちゃって、物語してくれれば、それで充分面白い。
 だけど、というか、だからこそ、もっと語って良いのじゃないの?
 どうにもこうにも、竜児と大河の親子的(笑)関係視点からの物語だけに、絞りすぎ。
 逆にいえば、竜児の視点に拘りすぎちゃってるよね、これ。
 それこそアニメの尺の問題でしょうがないっていえば、これ以外にしょうがないといえる作品は無いとは
 思うのですけれど、でも、とっても、とっても、勿体無い気がする。
 竜児がカバー出来てる範囲って滅茶苦茶狭いし、むしろその守備範囲の狭さ自体が物語を生んでる
 けど、でもこの作品は、そのやり方自体がなにかを生み出してる訳でも無いから、かえってたんに語り不
 足の印象を与えてる。
 心情隠したりとか想像させたりとか、いらなくね?、この作品。
 みのりんの場合は多少謎とき的なニュアンスがあって有効かもしれないけど、じゃあ北村とかあみとか
 はどうかっていうと、これはもう完全に「なにも無い」ことになっちゃってる。
 かわしまあみなんて、ほんと、竜児の都合の良い部分しか顕れてきてないし、あれじゃ竜児とシンクロ
 するときの面白さしか、あの子の姿から得るものは無い気がするなぁ。
 つか、少なくとも大河の物語が少な過ぎ。
 一番面白いのにさ、手乗りタイガーはさ。
 なのに今はそれこそ、竜児視点からの都合良くまとまった隣に住む女の子の話、しか無いじゃない。
 うーん、勿体無い。
 もっと語らなくちゃ、恥も外聞も伏線も無く、全部説明しちゃえば良いのさ。
 あ、別に大河に叫ばせろって意味じゃないよ? 青年の主張させても、それは竜児に都合良く飲み
 こまれちゃうし。
 叫びじゃ無く説明、それこそ大河にはこういう悩みがあって問題があって、それにこう対処してるんだけど
 こういう風にしかならなくて、それでどうなっているか云々と、もっと説明していい。
 わからないことが問題なんじゃ無く、ほんとうにわかろうとするための言葉の建設が無いことが、問題。
 どーせ人の心のなんかわかりゃしないのよ、だったらべらべら説明したって嘘にしかならないじゃない、
 だったら適当に自分の都合の良いように解釈して、ツンデレでもなんでも愉しんでりゃいいじゃない。
 なんか、私には大河の背中がそう言ってるようにみえて、仕方無い。
 一番それに腹を立ててなのに諦めているのが手乗りタイガーで、一番それを悲しんでいるのが大河なん
 じゃないのかなぁ。
 ああもう、ああもう。
 
 だからあんなに、みのりん怒ってんじゃね?
 
 わたくし紅い瞳は、暴虐の嵐ですべてを破壊して猛る、逢坂大河こと手乗りタイガーを応援しています。
 ・・・・・。
 あれ?
 もしかして、そのために、わざと物語の数を少なく・・・し・・・・て・・・・
 ・・・・恐ろしい子。 ←なんだか興奮して参りました。 (ぉぃ)
 
 
 
 
 
 
 
 
 と、いう感じで全部語り終わりです。 ふぅ。
 本日の更新予定はこれで全部終了です。 お疲れ様でした。
 
 で、えーと、これからの予定ですけど、年末のお話ですけど。
 たぶんあと、2回更新します。
 ・・・。
 それが、あと2回も更新できますなのか、あと2回しか更新できませんなのか、は、知りませんけど、
 とにかくあと2回は書きますので、よろしくお願いします。
 まぁ、なにを書くかは未定ですけど、たぶん書き始めてからも未定なので、今はなにも考えません。
 あ、でも1回は大晦日に一年のまとめだかまとめようと必死になってるんだけどアレなだけのものとか、
 そういうものを書く予定です、これは、間違いない。
 あと1回についてはこれはもう全然わからんかもしれんね。
 これはもう全然わからんかもしれんね。 (2回言った)
 困った挙げ句に、なにも書くことが無かったので書くのを断念しました誠に心苦しいことではありますけれ
 ど遺憾で御座いますけれどもやる気が無いので御座いますそもそも私は以下略、という年末だろうと
 なんだろうとノンストップで色々止まったりするかもしれません。
 ごめんなさい。 ←先に謝っておきます。
 あとクリスマス更新とか無いから。
 
 
 ということで、今夜はこのあたりにて。
 ばいばい。
 
 
 
 
 
 
 
 

 

-- 081217--                    

 

         

                                ■■ 作業に没頭! ■■

     
 
 
 
 
 ごきげんよう、紅い瞳です。
 
 さて、今日は今期アニメについて、ひとつずつ感想を書いていくことにします。
 ほとんど手作業なので、前置きとかしている余裕も御座いません。
 一応今日全部なんて、そんなのは無理なので、来週にもかけて、だらだらとやらせて頂きます。
 今日は半分ね、半分。
 ということで、早速。
 お願いします。
 
 
 
 
 ◆
 
 
 魍魎の匣:
 面白い。
 こんなに「評価」と「感想」が一致しないのは初めて。
 私は原作読者なので、どうしても原作の評価でアニメを観てしまうし、実際原作を基準にして、それを
 良く再現出来ているかというと、これはもう0点を与えても良いくらい。
 かといって、じゃあ、一個の独立したアニメとして評価した場合も、どうにも中途半端に原作に依拠
 しているところが鼻について、どうにも高得点を与えられそうにも無い。
 なのに。
 面白さは、ひとつも変わらない。
 いや、むしろどんどんと面白くなっている。
 理屈的推理的部分は手抜きにも程がある出来で、まったく推理モノとしては面白く無いし、おまけに
 原作の持っている、「妖怪」というモノを使っての、膨大な蘊蓄まみれのその憑き物落としの作法も
 いい加減で、ほとんど説得力も無い。
 これは原作との決定的違いにして、その差異の根本的なところだと思う。
 論理で説得を試み、うんうんと読者は全方位的に圧倒的に納得するという、あの京極堂シリーズ(一
 応公式には便宜的に百鬼夜行シリーズというのだが、意味がわからないので個人的に便宜的に私は
 こう呼称している)の最大最高の醍醐味”絶対的な安心感”が、これはもう欠片も無い。
 むしろアニメは、全く逆方向に振り切れて、圧倒的な不安と不思議さという”わからなさ”に満ち満ちて
 いる。
 理屈は通っていると言えば確かに通ってはいるし、原作準拠の論の展開の、最も基本的なところは
 抑えている(いくつか根本的に矛盾しているところもあるが)。
 でも、それは同時に、ただ理屈を述べている「だけ」で、説得力及びそれ以上になにか心が洗われるよ
 うな、そういうものがまるで無い。
 キーである「魍魎」というモノが、そもそも誰にも憑いていないのだ。
 だから、憑いていないものを祓うことも落とすことも出来ずに、ただ野放しにされてその辺りに満ちている
 だけの、ただおそろしく掴み所の無いモノとして、それは徹底放置されている。
 これは、ホラーじゃないか。
 いわゆる人の心の闇を魍魎として見立てその人の中に妖怪を現出させ、そしてそれを膨大な論理とし
 ての妖怪祓い、つまり憑き物落としとして、その魍魎を祓うことで心の闇と結びつけ癒し、また「解決」
 するのが、これが原作の作法。
 この世に不思議なものなどなにも無いのだよ、関口君。 by京極堂
 しかし、それは同時に。
 
 この世に不思議で無いものなどなにも無いのだよ、関口君。 by京極堂
 
 そもそも、憑き物落としというのは、原作の「作法」であって、それが原作の「すべて」では無いし、
 むしろそれは圧倒的に原作自身が示している。
 論理は論理であって、それでどんなに心が洗われようと「解決」しようと、ただそれだけのもの。
 魍魎の匣という作品は、別に癒し小説では無い。
 不思議で訳のわからないものに、便宜的に「妖怪」という道具を使って不思議で無いものに変換し、
 そして訳のわかるものとして自分に収め、それを抱いて少しの安心を得る。
 しかし、少なくとも、魍魎の匣を含む京極堂シリーズのメインは、そういう風にして必死にわかるものを
 抱き締めて生きている、その自分自身を見つめるところにこそある。
 関口の孤独を、京極堂の孤独を、なによりも原作は力強く描いている。
 そしてアニメは、さらに逆に、おそらく完全にあの稚拙な論理で、心が洗われ安心し「解決」する物語
 を提出していくだろう。
 だから、きっとわかるのだ。
 そのアニメの憑き物落としの稚拙さに、馬鹿馬鹿しさ加減がわかるからこそ、稚拙で無い、馬鹿馬鹿
 しく無い憑き物落としなら、心が洗われ安心し「解決」出来る自分のことが。
 アニメの登場人物は、すべて孤独さを絶対的に広がらせている。
 みんなそれぞれに、稚拙な論理で納得し完結してしまえそうな、そんなおそろしいまとまりぶりを持って
 いる。
 だからこそ、なによりも、なによりも、このアニメ「魍魎の匣」は、原作が純粋に示したかったそのものを、
 圧倒的に単純に、いとも簡単にさらっと創り出していると言える。
 この作品を観る視聴者が、なによりも孤独を感じるのだから。
 頼子なんか、圧倒的じゃなかったですか。
 原作の、すべて「語られてしまった」少女像に納得するより、もう、この恐ろしいばかりの絶望的なアニメ
 の頼子の孤独と向き合う方が、私は面白いと心得ます。
 逆に、確実に膨大に綿密に克明に描かれた、あの原作の関口の孤独さに深く納得することも良い
 けれど、ならばほとんど狂言回し見習いレベルなだけの、そのアニメの関口こその孤独を想像して考え
 てみるのも、これは全く同じことじゃないでしょうか。
 アニメ版には、心理描写がほとんど無い。
 これが、おそろくこの魍魎の匣という小説をアニメ化する際に、最も必須なことだったのだと、私は今、
 そう思っています。
 複雑に説明もされなければ、むしろたんに俗っぽく見えるだけの、言葉少なのアニメ版を、その説明を
 自分で補足して考えて観るのでは無く(それは原作を読めばいいだけのこと)。
 
 その説明の、論理の存在自体の意味を考えること、それがこのアニメ「魍魎の匣」の意義。
 そして無論、小説「魍魎の匣」の本質も、そこにある。
 
 それらとはなんの関係も無く、スリリングに展開していくこの作品は、本当に「物語」抜きにしても、
 その中でゾクゾクしながら孤独と向き合えて、とても面白く愉しめると思います。
 
 
 
 黒執事:
 セバスチャン萌え。
 実に、実に的確に慇懃無礼にぼっちゃんに棘を刺してます。
 そして全く主人の内面を顧みずに、冷徹に本質だけを突き刺してくる執事の姿から、その本質から逃げ
 て自分の内面の問題だけに逃げ込もうとしているだけの事に気づき、はっとして、しかしふんと鼻を鳴らし
 て、いくぞセバスチャン、なにをしていると叫ぶシエル萌え。
 まずい、これ私の黄金パターンです。 なにそれ。
 セバスチャンはシエルの内面がわかるからこそ、ぼっちゃんの甘えっぷりを嘲笑い挑発し、シエルはシエル
 で、セバスチャンが自分の内面を見透かしている事に気づき、けれどだからといって甘えさせはしない
 などとわざわざ執事如きに言わせる自分自身に腹が立ち、けれどそして、なによりもそうしたことさえも
 見透かしているだろうセバスチャンに舌打ちし、腹を立てる。
 執事vs主人。
 そして。
 主人vs執事。
 ・・・・。
 この辺りで、やめときましょか。 (自主規制)
 
 
 
 ケメコデラックス:
 うーん、なんかデラックスの意味がわかってきましたってくらい、笑いまくり。
 凝ってるって訳じゃ無いんだけど、なんでも取り扱ってますよ、ていうか店頭に無くてもなんでも取り寄せ
 可能ですよってくらいに、次から次に出てくるものすべてがきっちりとピースにハマってく。
 ケメコだけでも馬鹿みたいに笑えるのに、出てくるキャラ全部がそれだけで主役張れるような、だから
 デラックスなんです。
 ツンデレとか幼馴染みとか記号化出来そうで出来ない、勿論役割分担も無い、とにもかくにもそれ
 ぞれのキャラの関係性があるんだか無いんだか、少なくともストーリーが全然気にならないっていうか、
 むしろストーリー進めないでいつまでも馬鹿をやっていて欲しいくらいなんです。
 ギャグ的には比較的正統派なんだけど、普通に変態揃いなので、妙に生々しいっていうか気持ち悪い
 っていうか、だから逆にその中でいくら清純とか純情とかやられてもギャグにしかならないっていうか、
 ボケツッコミ+性癖の徹底の一環にしか見えないっていうか、なので全然幼馴染みっ子とケメコの中の人
 なんかの淡い(のかなぁ?)も全然浮かずに、また同時にひとつのドラマとして際立つことも無い。
 や、際立ってるといえば際立ってるんだけど、確かにドラマとして、すっとなんか真面目な空気が流れた
 りはするんですけど、どうでもいいことを無理矢理盛り上げてるというか、それこそ純愛ごっこをあの
 ギャグの中でやってるというか、作中作というか、たとえば、ケメコとその中の人(エムエム)の関係を、
 ケメコがギャグというツンで、中の人がマジというデレとして捉えることは出来るんだけど、なんかもう、
 そう構図化出来ちゃうってこと自体がもう笑えるっていうか、普通にそうやってツンデレごっこしてる周り
 では、他のキャラ達は変わらず馬鹿やってるんですもん、それこそ作品に緩急を付けるためにこそ、
 主人公周りのシリアス(じみた)パートがあるんでしょうねぇ、と言ってる側からそのシリアスパートも普通
 にボケに浸食されてたりとかする。
 というかツンデレいったけど、マジ=デレとも言えるし、マジになってるツンの中にデレがさらにある訳でも
 あり(ていうかそう見るのが普通)、そしてそのツンデレ自体を隠すためにギャグとしてのケメコがあったり。
 なに言っているんだかわからなくなってきました。
 だけど、面白い。
 結局は、そこに落ち着く訳です。 (語彙無し)
 
 
 ガンダム00セカンドシーズン:
 正直、微妙かも。
 なにがやりたいのかわからない、というのが、まぁ色々ありますけれど、一番正直なところ。
 あるいは、なにがやりたいのかわからないとかわかるとかいう、そういったレベルでしか論じられそうに
 無いような、なんというか、こう、ずばっとくるエネルギーみたいなものが無いんです。
 だからほんと、なにがやりたいのかわからない、という自分の言説に与しても、それで済んでしまう。
 でもたぶん、正直にというか、正確にいえば。
 私は、この作品がなにをやっているのか、そもそもわかっていないだけなのかもしれません。
 いえ。
 いつのまにか、作り手のこと、つまりどういった意味やメッセージを込めてこの作品が作られているのだ
 ろうという、そういうことばかり考えいるからなのかもしれません。
 なぜそうしてしまうのかというと、やはり、自分なりに定型的テーマを持って、それに沿って見ることが出来
 ていないからなのかもしれません。
 さらに正直にいうと、私にはこの作品は、成り行きで進んでいる、つまり目の前に起きている事件その
 ものがメインで、物語やキャラは、それを基準にしてその場で次々と生まれ、それに沿って創られて
 いっているのだと思うのです。
 こういうものが描きたい、こういうテーマについて考えてみたい、あるいはそのテーマに答えを出してみたい
 、そういうものでは、この作品は全然無い。
 ぶっちゃけ、戦争根絶のために武力を使う、ただその理念を持った人間達を、そのまま放り出したら
 一体どういう風に生き出すのか、ただそれを作者は写し取っているだけなのかもしれません。
 つまり、この作品を作っているのは、紛れも無く登場人物自体なのでは、ということです。
 だからきっと、制作者自体、この作品がどうなるのか本当はわかっていないのかもしれないし、同時に
 見る側の私達も、ある意味想像不能。
 そういう意味では、メッセージ性は完全皆無。
 キャラが馬鹿なことを言ってもやっても、それらは全部作品のメッセージでは無く、キャラ自身の言葉。
 そういう意味では、前作のSEEDとはだいぶ違うし、むしろそれ以前のガンダムシリーズのそれに近い
 気がします。 (といっても私はいくつかの作品をちょろっとかじっただけですけど)
 逆にいえば、だからこそ作品のメッセージとしてキャラの言葉を受け付けないからこそ、メッセージのせい
 にせず、自分で改めてその作品そのものと向き合える。
 当然、「私」自身があの「事件」の中にいれば、またひとりのキャラとして発する彼らと違う言葉もあるの
 でしょうしね。
 
 
 
 ヒャッコ:
 友達作り大作戦。
 というのとは、ちょっと違うのかな。
 誰でもみんな友達になれるのよー、というのも違うね。
 ぶっちゃけ、主人公の虎子の話じゃないもん。
 逆に、友達出来ない子いない子が、虎子に気さくに声をかけられて、友達だって言って貰えて喜ぶ
 お話だもの。
 そうやって虎子を介してみんなが繋がっていく、っていう話でも無く、みんなやっぱりバラバラ。
 虎子組(?)初期メンバーだけの話だったらあまり面白くなかったけど、でもこうなってくると、やっぱり
 なんだか、面白い、というか私も嬉しい。
 少なくとも、自分には虎子がいる。
 でも、じゃあ虎子だけがいればいいかといえば、そうでも無い。
 そもそも虎子は友達多いし(一方的も含む)、自分だけ観てみたいなことにはならないから、虎子に
 頼ることは出来ないがゆえに、虎子を足掛かりにして、自分以外の人とも向き合っていける。
 そう、虎子がそのままみんなを繋いでくれる訳じゃー無いし、この作品もやっぱり基本的にはみんな
 バラバラ。
 そもそも、「みんな」と繋がりとか「みんな」とひとつになりたい空気読みたい、とかいう形にはなりそうも
 無い。
 みんなそれぞれひとりはひとりでいいじゃん。
 でもそれは、自分だけでいいじゃんってことと、イコールじゃあ無いですよね。
 いってみれば、利己主義から個人主義への移行みたいなもので、全体主義にはいかない、みたいな。
 そのために虎子がいる気がするなー、神様的な感じで。神様の下の平等みたいな感じでさ。
 みんな神様をみつめることで、自分ひとりの世界から抜け出して、そしてちゃんと虎子もいるからこそ、
 みんなが同じひとつにならずに、それぞれ虎子ひとりと向き合っていくことも出来るし、そうやって同じく
 虎子と向き合っている人同士、そういう個人として他の人もみえてくる気がするなー。
 人との「繋がり」っていうものが、たんに依存的ななにかとしてでは無い、そういうものとして描かれていて、
 わたしゃこういうの好きだなー。
 
 
 
 とある魔術の禁書目録:
 謎。
 そう、謎、の一言で済ませられたら、どんなに良いことでしょう。
 わかんないのにわかる、わかるのにわからない。
 腹が立つのになにに腹が立つのかわからない。
 もしかしたら、腹が立ってしまう自分に腹が立つほどに、この作品と向き合いたいのかも。
 ただこれも、やっぱり私は、「わかろうとしている」。
 なのに、わからない、いえ、どうやったらわかったということになるのかわからない。
 いいえ、どうやったらわかった気になれるのか、わからない。
 主人公の当麻はほとんどリアルな人間性が無く、ヒロインのインデックスも、なんかお約束事が二本足
 で歩いているだけの感じで、脈絡もなにも無く、というより、なんだか二人をゲーム的に「プレイ」している
 感じがするのよ。
 恋愛ゲームとかじゃ無く、もっとこう、アクションとかRPGとかそういう感じの。
 そしてなんか、ワラワラと変なのが一杯出てくる。
 なに喋ってるのか口調的にわかんない奴とか、ノリだけの奴とか、頭に浮かんだ文字をそのまま述べ立て
 ているだけのような奴とか、ああもう、ああもう。
 いらいらする。
 
 こういう「キャラ」を、「キャラ」として愉しもうとするためだけにわかろうとしている自分自身にも。
 
 極端な話、こういう人達が実際に目の前いたら、あんたどうすんの?
 これは、そういう作品。
 当たり前のように変な人達を受け入れ(というかそのまんま)て、そもそもそんな人達との差異が問題に
 もならない。
 それは決して、リアルで無い、キャラとして受け入れているからでは無く、それ以前にそれが当たり前に
 なっている。
 わかるわからないの次元で、当麻にしろ誰にしろ、他の人と付き合っている訳じゃ無いんですね。
 ましてや、自分と違うかどうかなんて、論外。
 変な人達が落ち延びてきて集まってきて、当麻に「保護」されている訳でも無く、ただただ、当麻は
 常に「新しい」人として、他人と、他者と新しく出会っていく。
 あー、だから記憶喪失って装置をわざわざ持ってきた訳なのね。
 覚えてない知らないのに、かつての自分として生活する上で、それは覚えてなくちゃ知ってなくちゃいけな
 いこと、だから全部「当たり前」のこととして受け入れていく。
 無論、色々忘れてしまっている当麻にすれば、どんな普通な人間もおかしな人間も、等しく自分とは
 違う「変な」人にしか見えないのですから。
 どんなに意味わからない奴でも、俺、どうやらこいつと親しかったらしいんだよなぁ・・・じゃ、なんとか
 しなくちゃな。
 あ・・・・・そういうことだったんだ・・・・  ←なにか納得
 
 
 
 地獄少女三鼎:
 圧巻。
 迫力が違います。
 今期で一番、まともに感想が書けない作品になっているようです。
 怨みって、なんだろう。
 第1期第2期とこの作品の感想を書いてきて、この第3期は書かなくて、そして改めてこの問いを自分の
 中に響かせていくと、はっきりと見えてくることがあります。
 ああ、これはもう、怨みって言葉に意味が無くなっているよ、と。
 怨みを晴らすとか消すとかそういう話でも無論無く、自分が怨みとどう向き合うかという、自分の物語
 ではもうきっと、どの視聴者にとっても同じことのように思えます。
 だって、地獄少女・閻魔あいが、いるのにいないのですよ?
 ただお仕置きシーンにのみ登場して、普段は新キャラヒロインの中に入って(というか全然描写が無い
 のでほんとにいつも入ってるのかわからない)いるだけで、全然画面に出てこない。
 なら、かわりに私達自身が地獄少女になって怨みに染まったり、あるいは地獄少女の存在と行為も
 含んだ登場人物達の言動を裁けばいいの?
 たぶん、というか、確実に、違うと私は思います。
 もう、物語は、世界は、待ってくれない。
 そう、閻魔あいが囁いているように、聞こえます。
 怨みを晴らしたり消したり、裁いたり裁かれたり、そういうただの当事者として振る舞っているだけで、
 本当にそれで「済む」の?
 或いはシニシズムよろしく、呆然と描写され続ける人間の業という物語を、ぼうっと眺めていれば、
 それで良いの?
 新キャラヒロイン・御影ゆずきは、ごくごく普通の中学生。
 なのに、自分の中に入り込んだ地獄少女の目を通して、身近な人達のそういう様を視てしまう。
 私達視聴者ももはや、彼女と同じ立場に置かれてしまった。
 ゆずきは今のところ、なにもしていない。
 なにも出来ない自分に苦しみ、そう苦しむことしか出来ない自分から目を背けて、安易な言説で
 それら身近な人達の姿を遠くから見つめたり、気にしないようにしています。
 だけど、常にゆずきは地獄少女を感じない訳にはいかないのです。
 
 
 
 
 
 と、いう感じです。
 今回はここまでです。
 残りの作品については、次回語らせて頂きます。
 それでは、今日はこれにて。
 はぁ、疲れた。 (溜息)
 
 
 
 
 
 P.S:
 アニメ「狼と香辛料」話ー。
 日記Upした後に気づいたので、大慌てで追記。
 まず、ええと、公式サイトがリニューアル。
 というか最初のページ前にフラッシュが入っただけだけど、正直ビビりましたよ。
 「二人の旅は終わらない」とかあってさ、これはいよいよ二期の新情報が出たの!?、と戦々恐々の
 ていで見てったら、なんかそういうの無くて、普通になんか出版してる。
 「狼と香辛料ノ全テ」、だってさ。・・・・・・・・6対4の割合で、いらない。(結論)
 まぁ、小説とか漫画の情報もあるので、ネタバレ回避とかそういう目論見がありますので。
 で、実は第二期の情報、というかいつ開始なのかを予想出来る情報を発見。
 ブルーレイディスクのページで、イベント開催の告知があったんですけど、それへの参加権を得るため
 の応募方法などの概要が09年2月上旬に発表されるとあったんです。
 そしてどうやらそのイベントでは、アニメ第2期第1話が先行上映されるということなんですね。
 ということは、少なくとも新年早々に第2期開始という線は完全に消えて、おそらく来年春4月放送開始
 の可能性が高い、という感じになるでしょう。 或いは夏7月ですか。
 ああ、ほっとした。 ほろっとした。 ←新年からは感想2つ書く予定があるのでこれ以上は無理だった人
 とまぁ、こんな追記で御座いましたよ、と。
 では。
 
 
 
 
 
 

 

-- 081210--                    

 

         

                                   ■■ 雪は無い ■■

     
 
 
 
 
 恒例の、箇条書きに毛が生えたようなもので、本日はお送り致します。
 
 
 
 
 ・12月ですが、なにか。
 ・年末年始の予定がまだ決まりません。
 ・だけどクリスマスは潰れて欲しい方の予定が潰れて暇になった。
 ・でも他の人は潰れなくて暇じゃ無いので、私は独りだ。
 ・なんか去年もこんな感じだったような気がする。
 ・聖夜万歳。
 
 ・誠に申し訳御座いませんが、ゲーム日記「恋姫の野望」は中止とさせて頂きます。
 ・色々と手詰まりになったというか、またフられて嫌になった。天下統一とかほんとどうでもよくなった。
 ・申し訳御座いません。
 ・代わりに、年末年始にだらだら遊ぶ用に、「モンスターハンター2」ベスト版を買って遊んでいます。
 ・難しいとかクソゲーとか言われているらしいのに、なんだかすごく適応出来ている私がいる。
 ・あれ? 私ゲーム上手くなってきてない?
 ・基本弓使いです。 かなり使い込めています。 あとは攻撃力さえあれば、攻撃力さえ。
 ・むしゃくしゃして双剣使った。今は反省している。
 ・武器に頼っている段階で既に駄目だとおもう。
 ・レッツ・採集生活。
 ・頑張ります。
 
 ・ブリーチのゲームは友人に貸してしまっています。
 ・一応ブリーチは原作読んでます。 アニメも時々観てます。
 ・昨日やっていたマユリ様の外道はウケた。 さすがです。
 ・ブリーチで好きなキャラは以下の通りです。
 ・男: 更木隊長、マユリ様
 ・女: 夜一様、砕蜂
 ・歪んでるとかいうな。
 ・銀魂のゲームは友人に借りてでもやってみたいです。 (でも買うほどでは無い)
 ・一応銀魂は原作読んでません。 アニメは毎回必ず観てます。
 ・先週やっていたハズしにウケた。 さすがです。
 ・銀魂で好きなキャラは以下の通りです。
 ・男: 銀さん
 ・女: さっちゃん
 ・爛れてるとかいうな。
 ・知らない人は置いてけぼりだというのは言ってもいい。
 
 ・なんだか今時の小学生でももっとマシなこと書くような気がして、ちょっとやる気出てきた。
 
 ・本: 京極夏彦「魍魎の匣」、同じく「陰摩羅鬼の瑕」
 ・本: 中山市朗「なまなりさん」、岩井志麻子「永遠とか純愛とか絶対とか」
 ・ホラーの季節になって参りました。 夏より冬の方が怖いって。
 ・ということで、ホラー系の需要度がUpしてきています。
 ・というか、ホラーは一年中需要ありますけど。
 ・ちなみに「なまなりさん」は全然面白くも怖くもなかった。
 ・どっきり系とかスプラッタ系を否定するだけで怖さが出せると思ってるだけなのが、つらい。
 ・なんか最近のそういう系のホラーって、ただ「不安感」に根ざした薄っぺらなものばかりな気が。
 ・ホラーとか恐怖って、身体的なものからは切り離せないと思うんだけど。 こうぐちゃっと。(違)
 ・日本酒: なんかいくつか飲んだんだけど、忘れちゃった。 つまり当たりは無しって程度。
 ・ウイスキー: サントリーの角瓶(黄)、ジョンハミルトン
 ・ブランデー: ニッカのアランビック
 ・なんも書けねぇ。
 
 ・という感じで、師走の夜は更けていくのでした。
 
 
 
 
 
 一年って、早いなぁ。
 
 
 
 
 
 
 
 

 

-- 081205--                    

 

         

                                   ■■ 空白問題 ■■

     
 
 
 
 
 ごきげんよう、紅い瞳です。
 
 
 早速ですけれど。
 書くことがありません。
 
 ・・・。
 
 取り敢えずなにか書かないといけない、というか、更新しとかないと気が済まないので、こうして仕方
 無く書いているのですけれど、仕方が無いのはお前の頭の中身だというくらいにしか思い浮かばない
 私がどうしようも無いんですよ、ねぇ? 、という感じです。
 基本、私はそれだから。
 通常、そういう状態で始まるから。
 特にこういう風なことを言わないときは、散々書く前にぶつぶつ独りで愚痴って、愚痴疲れた拍子に
 なんか出てきた、ということですから。
 基本、なんにも無い。
 無からの創造!
 
 ぐうの音もでやしませんや、今日は。
 
 
 
 
 ◆
 
 タイミング、っていうのがあるんです。
 時間的に空いてるときと、また更新期間的にいい感じのときとの組み合わせ、それがやる気とブレンド
 したときにゴーサインが出るほどのものを煎れられるかどうかが問題なのです。
 時間があっても、やる気が無ければそれまで。
 やる気があっても、前日に更新したばっかりだったら、なんか勿体ない気がしてそれまでよ。
 時間もやる気もタイミングも悪ければ、はい、それまでよ。
 でも、こうして書いている訳です。
 人間、駄目なときでもやらなければいけないときがあるんです。
 駄目なら駄目なりにやりようがあるということなのです。
 ここまで書いてもまだなんのネタも浮かんでこないから、まだ書きますよ。 
 あとから今日の日記を読み直したときに、普通にここまでの文章は読み飛ばしますよ。
 誰が読むのさ、こんなだらだらと気分の悪い文章なんて。
 や、これは文章なんかじゃない、チラ裏です。
 チラシの裏に、インクが出そうで出ないボールペンを試し書きでぐるぐる書き殴っているだけです。
 もうほんと、嫌ですこんなの。
 書くのも、読み直すのも、誰かに読まれるのも嫌。
 だったら書くなっての。
 自分の努力をひけらかすなっての、や、ていうか努力してないしそれ以前に。
 努力しない自分をそのままずるずる剥き出しで持ち出して、それをみせてるだけだもの。
 うっわ、なにその羞恥プレイ。
 でもそれを全然愉しんでないし、そもそも嫌だとか言ってるし。
 自分でやってるくせに、馬鹿じゃないの。
 そういうのは当て付けっていうんでしょ。
 特定の誰かに向けてる訳じゃ無いからこそ、誰でも無い誰かに向けて、自分が苦しんでる様だけを
 見せつけてるだけでしょ。
 そんなものなにも生みやしないし、それ以前に誰も相手になんかしてくれないよ。
 ていうか、そもそも自分自身がそういう自分を認めないし。
 馬鹿じゃないの。 ていうか馬鹿。
 誰も認めてくれなくても、自分だけは認めてるいうならまだわかるけど、その自分だって認めてないんじゃ、
 それこそお話にならないし、笑い話にすらならない。
 じゃ、なんでやるの? 
 やらないではいられないんだよね。
 誰からも自分からも認められないのに、滅茶苦茶馬鹿で不器用以前の話なのに。
 それでも、自分が此処にいるから、いてしまうから、書かずにはいられない。
 それがどんなぐずぐずなものだろうと、それが書いた自分自身が嫌悪を感じ、即座にそれが周りの人も
 不快にするだけの全く無意味な、マイナス方向にしか意味の無いものだろうと、そういうこと全部わかって
 て、じゃあその自虐の心に酔えるかと言ったら、そうやって酔おうとしている自分の愚かさを、それこそ
 本当に憎んでそのまま脇目も振らずに、勿論周囲のことにも目を向けずに、まっしぐらに否定するだけ
 になろうと。
 
 なのに、書いている。
 
 まったく、この野暮天が。
 
 前回書いた屍姫の感想「屍の血」は、まぁ、そんな感じ。
 それが自分なのだろうと、その自分を生きるかその自分を見つめる自分になるかは、また別のこと。
 でも、大元を正せば、そのふたつは同じこと。
 というか私の場合、ぐるぐるとめまぐるしく、その両方を同時にやっている。
 なにを言っているのかわからないかもしれないけど、私もわかっていないので大丈夫。
 わかっていない、ということは、それは武器になる。
 馬鹿で駄目な自分、それを否定し更正しようという気概を持っているくせに、それの出来無さ、どうした
 らいいのかのわからなさにちょくちょく負けて、その自分が負けているという事実だけを放り出して、
 ただどうしようも無いわからないからしょうがないんだ、と「なにか」に責任転嫁してしまう、それで済ませて
 しまう野暮天な自分。
 その野暮まっしぐらな自分、それへの眼差しという武器を駆り、私は強くなる。
 むしろ、難しさわからなさを体感出来るからこそ、人は強くなれる気がするなぁ。
 や、目の前に難しいわからないものがあるから、なんとかして強く「ならなくちゃいけない」気がする、
 っていう意識は、イコールそれじゃ無いよ。
 その何々しなくちゃいけないっていうのは、結局それで出来ないとなると、「なにか」への責任転嫁が
 始まるだけだしね。
 なにかしなくちゃいけない、そう思っているだけだったら、人間って簡単に折れて、どこかに逃げ散って
 しまうと思うの。
 自分でも気づかないうちになにかのせいにしていたり、や、なにかのせいにすること自体は悪いことでは
 無いけど、なにかのせいにする「だけ」ってのは、結構マズイし、それこそ野暮だし、視野が狭いってこと。
 勿論、野暮なことを否定する「だけ」というのも、また同じこと。
 というかそもそも、野暮なこと、敢えて言おう理想的なことと、それは否定することなんかじゃ全然無い。
 辛い現実に直面し、抱えていた理想論をその現実のせいにして捨て、それでぐずぐずに生きていくという
 その野暮っぷり=そうやって生きている自分への眼差しが無い理想論、それもまた、それ自体は悪い
 ことでは無い。
 たんに、苦しく難しい現実に負けてるだけなんだもん、そもそも、理想論や現実に負ける弱い自分自体
 が悪い訳が無いでしょう。
 
 だから、負けてるだけって認識すればいい。
 だから、現実は辛くわからないことだらけだと認識して震え上がっている、その自分と向き合えばいい。
 
 その自分と向き合わないなら、理想論者を否定する現実論者は、その否定している理想論者と
 大して変わりはしない。
 自分は馬鹿で愚かで、その自分がそのまんま生きてくには世界はあまりに大きく厳しく不可解で、
 で、だからなに?
 その自分の嘆きに自分を仮託していることで得られるのは、そうしてただ嘆いている自分の姿だけ。
 でも、その自分の姿を得られるからこそ、その嘆きにもやっぱり価値がある。
 嘆け嘆け、ただ野暮なるままに、いっこうにその自分の姿を見つけられないままに。
 その自分という「わからなさ」こそ、一番価値があり、また最大最高の生きる希望にして、なによりも
 生きたいという欲望を抱かせてくれるんじゃあないかな。
 
 最近、そう思うのよ。
 「わからない」ってことを否定し過ぎなのはよく無いと思う。
 自分なりにわかることが大切で、小さくゆっくりとわかった世界を生きていけばいいとか、わからなくて難し
 くて苦しんでいる人達に対して言い過ぎだと思う。
 わかることよりも、わからないことの方がずっと大切なのに。
 共感や同意や評価を求めることは悪くない、でもそれが目的になるのは、なんか違う。
 だって、現実は、この世界は、わからないもので出来ているんだから。
 そのわからないものと向き合うことと、「わかったもの」に逃げ込むことは、やっぱり違うと思いますし。
 
 
 
 で、なんの話してたんでしたっけ?
 
 
 
 
 ◆
 
 遅ればせながら、超遅ればせながら、超とか言うなと言いながら、冬目景「イエスタデイをうたって」の
 最新第6巻を購読致しました。
 読んでみての、第一印象。
 
 軽・・・・
 
 なんか抜けたね。
 なんかこう、言葉から重みがすっぽりと抜け落ちたような。
 前巻の鬼気迫る、もうなんかぐるぐるにして言葉に全部つぎ込んで、そのまま大回転!、みたいな
 勢いというか重みが、綺麗に抜けとる。
 というか、抜けてるんだけど、なんかそれが逆にリアルな感じがする。
 なんていうか、等身大に戻ってきたっていうか、さっきまでぐるぐるになって訳わかんなくなって、哲学やら
 文学やら絶叫やら、なんかそういうもの自身になって暴れ回っていたものが、急にすっと。
 そう、すっと、自分に戻ってきたような。
 全然魂の籠もってない、それこそどこかの辞書から引いてきたような、知ったかぶりな理屈で、しかも
 妙にレベルの低い理屈をこねて、こねて、そうしている自分は、どこか完全に上の空。
 上の空、っていうか、そうやって理屈をこねている自分が、見えている感じ。
 だから、理屈をこねながら、他のことをやっている。
 前巻にはそういう感じは無かった、と思う。
 少なくともこの第6巻の登場人物の言葉に、私はひとつも感銘を受けなかったし。
 ぐっと、こう、魂込めて、魂のまんまに言葉で全力勝負してた、それじゃどーにもならない、てか、
 それだけじゃ駄目だってことが、ようやくまともな理屈を撃ち尽くしたあとに、わかったような。
 或いは、また一から理屈を始めようとしているのかな。
 どうみてもこの第6巻の「恋愛の理屈」は、低レベルだもん。
 低レベルというか初々しいというか、でも、前巻までの彼らを知ってる私らからすれば、なんか白々しく
 もみえる。
 
 そう、確かに理屈は軽くなってる。
 でも。
 だからこそ、より一歩違う段階に行っているのが、容易にわかる。
 
 素にかえっとるよ、奴らは。
 だって、感情面でも、かなり一次的感情でモノを考えてるじゃん?
 「本当に好きな人は誰ですか?」 by第6巻単行本帯より
 これですね、たぶん。
 一番大元の問いを、改めて、この段階に於いてこそ、やろうとしているのがみえた。
 なんだ、これ、哲学じゃんか。
 愛とはなにか、好きとはなにか、恋人になるとはどういうことか。
 その哲学のフィールドは、自分自身。
 そう、理屈とか論理とかを使うのでは無く、哲学する道具として使うのは、感情。
 自分はこういうのは好きで、これは嫌い、この場合は良くて、あ、この場合は駄目なんだ。
 そうやってひとつずつ自分を再認識して、ほんとに一から全部を始めようとしている。
 そうしなくちゃ、勝てないんだ。
 誰に?
 
 恋敵に。
 
 じゃ、恋敵って、誰?
 
 なんていうか、今まで机上の空論だった恋事が、やっと実戦的戦略的になってきたような。
 或いは、榀子にしろハルにしろ、ずっとリクオへの想いが自分にあることを、それ自体を自身が受け入れ
 る戦いが終わって、やっとリクオを手に入れるために動き出した、とか。
 恋敵はそれぞれ榀子でありハルであり、また自分自身でもある。
 あ・・私こんなところで理屈でごねてただけなんだ・・・その間にリクオはこんなに離れ・・・・
 そうやって、ひとつひとつ距離を測りだしたというか。
 そして榀子もハルも、お互いがお互いのそれぞれリクオとの距離を測りだした。
 ハルは榀子とリクオの、榀子はハルとリクオの距離、ね。
 うん。
 
 これで終わったら、イエスタデイは、面白くない。
 
 正直、第6巻は滅茶苦茶つまらなかった。
 こんなちゃちなゲーム未満なものをわたしゃみたい訳じゃ無いんだ!、とかなんとかもう。
 でもね。
 逆、なんだろうね。
 たぶん、今のこのつまらなさに「つまらない」という言葉に魂込めて全力で撃ち尽くしたあとに、ひっそりと
 ハル達が今なにを本当にやっているのかが、みえてくるんだよね。
 今、ハル達は、準備しているの、着々と、着々と。
 というより、また始めからやり直してるんだけど、ただそれは理屈を一から編み直してるって訳でも無い。
 つまり、理屈の価値自体が低下したから、理屈そのものが最早見所では無く、そうして陳腐な理屈を
 こねている彼らの姿自体を、その理屈を使って一体なにをやっているのか、そこが見所になったんじゃ
 ないかな。
 理屈面を見ると、面白くもなんとも無い。
 だけどじゃあ、その面で見ることをやめれば・・・・・
 
 イエスタデイをうたってという作品は、いよいよ「あの」冬目景の作品なのだというのがわかってくるように
 なるのかもしれません。
 
 今までずーっと、「イエスタ」だけ異質に感じてたんだけど、なんかやっと一本だけ、ほんの一本だけだけ
 ど、他の作品と繋がった気がしましたよ。
 うん、全然そんなの期待してないけどね。
 大体、面白く無いとか嘘ですからね、なんか見栄張っちゃってるだけですからね、色恋沙汰好きですか
 らねこの人は、ただちょっと泥沼から足が一歩浮いちゃったので、「あ・・。」、とか勿体なさげなだけです
 からねこの人は、この人は好きですからねこういうの。
 てかまぁ、理屈とか非理屈とか全部含んだ「新しい」理屈みたいなのを、こうビシっと決めて頂くと、こう、
 冬目景という作家のレベルが、こう、ぐいーんと、アップしたりしなかったり、ああもう、語彙無いな語彙。
 
 
 我ながら、完璧に意味不明なこと書いてますよね。 なんかすごい。
 
 おしまいです。
 
 
 
 
 
 
 

 

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