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◆◆◆ -- 2009年5月のお話 -- ◆◆◆

 

-- 090527--                    

 

         

                                 ■■ うじうじします ■■

     
 
 
 
 
 あーもう、やる気出ない。
 
 
 
 
 大の字に寝転がる気にすらならないどころか、やる気無いと言うことすら躊躇っちゃう。
 なにを躊躇うのかねこいつはと、つらつらと考えて、そのまままぁいいやと投げだそうとする展開だもの。
 今日はね、なに書こうか、本当に迷った。いつも迷ってますけど、本当に迷ってますけど。
 いつものことなのですけれどね、いつにも増してやる気無いというか、書く気が起きなかった。
 大体ね、やりたいこと書きたいこと、あるようで無いのよ、だけど無い無い言っててもしょうがないから、
 色々やることはあるという前提で動いてたら、やる気自体が無くなっちゃったよ。
 いや最初からやる気はありませんけど。
 もうなに書いてんのかわかりませんけど。
 もー、もー、もー!
 わかりません。
 
 
 わからない、わからない、わからない。
 あー、すっきりした、んな訳が無い。
 わからない。
 もうね、今日はですね、書かないよ、書けないですからね、なぜ書けないのかを、脳みそを1パーセント
 も使わないで書いていきますからね、よろしくお願いします。
 あ、なんか少しすっきりした。
 こうやってちょっと書いただけで、なんか人心地ついた。
 さっきまでボケてたもの、真性ボケてたもの、新世紀レベルにボケてたもの、ノストラダムスは今世紀末
 こそ頑張るもの、私は来世も頑張りません。
 書いたら書いたで、だっるい。
 書く気起きない、やる気起きない、なにか書こうとしても、やっぱやめとこうって、悉く自己規制を閃かせ
 てストップだもの、なによこのストップ率は、面倒とか恥ずいとか、面倒はともかく恥ずかしいなんて
 今更感しか漂って無い雰囲気なのに、なにが恥ずかしいかって恥ずかしいとかいってるあんた一番恥ず
 かしい、っていうか普通にこういうこと書いてる私はやっぱり普通に穴があったら埋めて欲しいんですけど。
 まぁ落ち着け。どうどう。
 
 困ったときはね、基本です、基本。
 基本に立ち返れば、なんとかなります。
 私の場合基本やる気無いですからね、基本に立ち返ればやる気もきっと・・・出ないってことかぁーっ!
 私の基本は、やる気無い、ですから。やる気無いとこからすべては始まってますから。
 じゃー、これでいいのか、やる気無くて。
 やる気無い無い言えれば、それが基本ってことなのか。
 まぁね、そういうことだよね。 今の気分としては煙草をすぱーっとふかして開き直りたい気分。
 ちなみに私は煙草は吸わない人ですけど。お酒と煙草どっちかにしなさいって中の人が言うので。
 つまりまぁ、やる気無い無いと言いまくってるうちに、やる気が出てきて乗ってきて、なんだかあられもない
 ことをずらずらと書き出して、てんとして恥じない厚顔無恥なことを連打するのがこの人なのです。きっと。
 いやちょっと違うか。
 やる気無い無いって言わなくちゃ駄目なのか。
 やる気の無さを自覚するところから、やる気無いって書くことから始まるのか。
 だから、やる気無いだけの状態そのものには、あまり意味無い気がするね。
 やる気無い言って、思う様言って、そのやる気無い言う行為自体が、ひとつの刺激というか切っ掛けに
 なって呼び水になって、なにやらこう、私的ななにかが引きずり出されてくるのかもしらん。
 とにかく、なんか書かなくっちゃ。
 やる気無いって書いてもいい、むしろやる気無い様を滅茶苦茶書いてやれ。
 なんも考えずに、基本に忠実に、そしたらきっと、うごうご湧いてくる。
 
 んー。
 なんだろこれ。
 
 最近思うのね、基本ってなんだろて。
 ぶっちゃけ結論からいうと、基本ってさ、オリジナルな自分と向き合うための伝手っていうか、いやむしろ
 その自分らしいなにかと向き合うことが出来ないから、それへの盾として基本っていうものはあるのじゃ
 ないかなぁって。
 あ、書いちゃった、この話は前々からしようと思ってたんだけど、色々とアレだから書くの怖じ気づいてた
 のに書いちゃった、調子乗って引きずり出されちゃった、まぁいいか。 ←頭の中で煙草一服
 うん、色々ごちゃごちゃになってるときって、結構自分らしさというか、オリジナル的な「私にしかないもの」
 との連絡が上手く取れてないときなんだと思うのよ。
 で、そういうときこそ、実はほんとはそういう「私にしかないもの」から目を背けようとして、基本に忠実とか
 言い出しちゃうんじゃないかな。
 自分の既に整理済みでわかり切ってるもの、あるいはほっといても自然にあるものに頼るというか、
 でもそれは、その基本自体は決して本質じゃ無いんじゃないか、というか。
 まったく、基本基本五月蠅い人がいてちょっと耳たこではあるっていうのもあるのだけど、基本自体は
 否定しないけど、本来なら、私らはさ、「私にしかないもの」と真っ向勝負しなくちゃあかんのじゃないの?
 それが出来ないから基本を持ち出す訳で、逆に言えば、その基本を利用して、何度でも「私にしかな
 いもの」に向かっていく、そのためにこそ基本っていうものがあるんじゃないの?
 それなのに基本が一番大事、基本に忠実であることが本質って、なんか完全に本末転倒な気がする。
 そもそも、「私にしかないもの」って、それが無い人ってこの世には存在しないし。
 基本で出来たものしか必要としない、そこにしかニーズを発生させないっていうのは、ある意味私達の
 人という存在としての可能性を大いに狭めてるし、だからまぁ、あんまり好きな言葉じゃ無いけど、
 いわゆる巨匠とかいう人達は、たぶん色々突き抜けた先で、その可能性の境地の存在に気づくのじゃ
 ないかなぁ。 ていうか基本なんかいらんとか言ってる人たまにいるし。
 んで、始めからその「私にしかないもの」と角突き合って勝負してる人のことを天才というか、まぁそういう
 巨匠とか天才とかいう言葉不要だと思うけどね、むしろあっても害ばかりだし、私はどうせ巨匠じゃない
 し天才じゃ無いからとかいう凡人の存在を肯定するだけだし。
 つまり、そうして「私にしかないもの」とちゃんと向き合って、向き会い続けるために努力し続けることこそに、
 才能っていうのは生まれてくるのじゃないかなぁ。
 
 それはいびつかもしれないし、弱々しいものかもしれないけれど、それをいびつで弱々しい、
 「価値の無い」ものと断定している、その誰かがいるだけで。
 その誰かの価値判断と、その自分が向き合うべき「私にしかないもの」の価値は、なんの関係も無い
 と思うしね。
 
 逆にいえば、その誰かの価値判断っていうのは、時代や社会が変われば全然違うものになっていく
 訳だし、普遍的な価値観なんてものも、そういうものがあると言っている人がいるだけだし。
 というかその幻想を共有する人達の間に於いてのみ、その普遍的なものは存在するだけというか。
 まぁね、私が言いたいのはね、可能性を狭めちゃ駄目よ、ということだけなのよ。
 だから基本自体を否定するつもりは無いし、むしろそれはどんどん利用しちゃってもいいと思うの。
 だけど、本末転倒はあかんよ、なんのために私達はものを作ったり書いたり、話したり歌ったりするのか。
 誰かに認められて、誰かに喜んで貰うため。
 イエス、その通り。
 だけど。
 それがイエスと言えるのは、イエスということに本当に価値があるのは。
 
 自分のためにやっているということに、イエスと言えたときだけよ。
 
 基本なんていらんのよ、誰かに教えて貰わなくたって、自分の力だけで必死こいてやるがいいよ。
 それは、誰かの真似をしてはいけない、誰かに助けて貰ってはいかん、ということとイコールじゃ無い。
 そもそも、私のことが真にわかるのは、私だけ。
 それを誰かにもわかるような形に伝えていくことも良いけど、それがすべてと言ったら嘘になる。
 自分にしかわからない、圧倒的に深く苦しく重い、絶望的なその自分と向き合えるのは、自分だけ。
 それはそもそも、誰かに教えて貰えることでも無く、誰かに助けて貰えることでも無く、ましてやそれと
 向き合うための基本なんか無いですって。
 わかるものとわからないもの、それぞれは別のものとしてちゃんと存在している。
 誰かに教えて貰えるのは、誰かに助けて貰えるのは、そうして私が私だけにしか向き合えないものと
 向き合い続けること、それ自体についてのみよ。
 基本って、そもそもサポーターなのよ。
 だから、いくら上手くサポートされる方法を極めたって、それはそれだけのことで、本質じゃー無い。
 サポートされて、じゃあどうすんの?、色んな技法を学んで、困ったときに使える技術も得て、それその
 ものをただ回してものを作ったり書いたりしてくことが目的なの?
 それとも、全く違うなにかと向き合うためにこそ、それらのものはあったの?
 
 話飛ぶけど、礼儀とかもそうなんじゃないのかなぁ、最近すっごく気になるんだけどさ。
 「礼」という心があって、「儀」という作法があって、それはしっかり別々に分かれているはずだったものが、
 いつのまにやらひとつになってしまってるというか。
 色んな意味で、「儀」が「礼」を浸食しているというか、むしろ「礼」という心そのものが、それがいつの
 まにか作法的なものになっているのに気が付かずに、それを心と呼んでしまっているというかさ。
 大体、心なんてもの、無いって思うのよ私は。ぶっちゃけた。
 「心」って言葉はもう、それ自体が固定化されたなにかの存在を表しちゃってるでしょ?
 道徳にしてもあるいは心理学にしても、それはある意味で特定の面を切り出してそれを鋳固めたモノ
 としての「心」、それを前提に於いて論じているだけのものにしか過ぎないのに、その前提で論じられた
 モノで否定されたモノは、心扱いされないというか、人間のそれ扱いされないというか。
 人間じゃ無い人なんていないのにさ、まったく。
 
 
 重要なのは、というかたぶん。
 そういうことで、価値判断上利益を得る人のためにしか、そういった「基本」とか「礼儀」とかが使われて
 無いってところがやばいんじゃないかと、最近ちょっとわかり始めてきたのよ。
 
 
 まぁ当たり前っちゃ当たり前なことなんだけど、それが、しょうがないとかそれが現実なんだから仕方が無
 いって言葉と結びつくのが、最大の問題というか。
 んだからさ、「私にしかないもの」との戦いをほっぽりだして、みんなその価値判断上利益を得る人のため
 に、もしくは「そっち」側の人になるための戦いにばかり勤しんでしまってる人が非常に多くてさ、おまけに
 そういう人は「私にしかないもの」と向き合う人の可能性を認められないから(むしろほぼ全否定)、
 しぜんその前提としてある既存の価値観の、その価値自体が大幅に低下しちゃう。
 それが、最大の最大の問題。
 「普通」が。
 「常識」が。
 貧しくなっちゃう。
 それが私は悲しい。
 私は普通とか常識とか、好きだもん。
 みんなそれぞれが「私にしかないもの」と向き合いつつ、けどそれはちょっと横に置いといて、みんなにも
 わかるようなものをさらりと展示して見せ合って、ちょっと寄り添ってみる、その社会的なぬくもりが好き
 だもん。
 それは、みんながそれぞれ「私にしかないもの」と向き合い、そしてそれぞれがそれぞれのそうした自分
 との対面のままに生きていることを見つめられるからこその、ぬくもりなんじゃないかなぁ、やっぱり。
 色んな人と話したり意見を聞いたり読んだりして、わかってる人はわかってるんだけど、やっぱりなんかこう
 、自分の中の素の欲望のままに、それを肯定する口実として、「普通」や「常識」を使うことに躊躇い
 どころか疑問を持たない人もまた多くて、心配っていうとなんか無責任だけど、ほんと心配。
 「普通」や「常識」って、とっても怖いものなのに、その自覚が無いと、その出来合の「普通」や「常識」
 を堅持する人にとっての「普通」や「常識」しか存在しない、またそれに所属しない人の存在を否定す
 る、大変恐ろしい社会が出来てしまう気がする。
 
 なんか昔っからこうでしたっけ?
 それらの固められた「普通」や「常識」の範囲内で生きることが「現実」的で、それに異議を唱える人間
 は軽んじられるって、うーん、それって全然、生産的で無いというか、なんというか。
 もの凄く、非効率的な気がする。 なんか選ばれた一部の人しか稼働してないっていうか。
 保身に執着し過ぎ。あと癒しとか気遣いとか、それが当然と思い過ぎ。
 癒しはともかく、気遣いの問題ってあるよねー。
 気遣いするのは大切なことだけど、気遣いはしなければならないって言った時点で、アウトじゃない?
 他人を愛するのもその人のことが好きだからする訳で、愛さなければいけないって言ったらそれ、普通に
 ストーカーじゃん。え?それは言い過ぎ?
 まー私なんかは博愛精神なので(嘘くさい)、とにかく人様への気遣いが出来ること自体が嬉しく楽しく
 て、色々考えたりするけど、それはそうしなければいけないって言われたら、私は真っ向から反対する。
 私は好きでやってんの、勘違いしないでよねっ ←注:ツンデレでは無い、繰り返す、これはツンデレ違う
 色々感じて、色々考えて、思い詰めて、悩んで苦しんで、そうして一生懸命その人達との繋がりの
 中で愛とか気遣いとかを抱き締めてきたのに、それが人としてやって当然のことだって言われたら、何様
 だよ思う。
 ていうかだから、私は気遣いとかしない人も、普通に認めてるし。
 つーか、「気遣い」っていう「儀」を発露しなくたって、人は誰しも人を想う「心」を持ってんだし、それぞれ
 の顕れ方が本来的には違うんだから、そもそもほんとに全く気遣いしない人なんていないし。
 
 ま、つまりえらそーに言うと。
 自分が向き合うべきはなにか、そして目を逸らせているのはなにか、ってこと。
 
 保身大いに結構。守るべきものがある人にとってはさらに大事よ。
 だけどさ、保身そのものを目的にしてしまうと・・・・
 最終的には、いえ。
 実は最初から最後まで、自分を生きることは出来ないんじゃないかな。
 保身っていうのは、自分が自分を生きるためにこそ、使っていきたいよね。
 そういう理由で、保身否定は、否定するよ私は。 自己犠牲なんてあり得ん。
 うん、なんつーか、可能性の発掘と育成っていうのは、根本的に考えて変えてなくちゃあかん。
 考え方感じ方どころか、時間の流れさえも違う沢山の人達をどう活かしたら一番本当に「得」なのか、
 その損得を考える主体が本当に自分自身になっているのかを、まず考えていけたらいいよね。
 なんだったかな、狼と香辛料のロレンスのセリフでさ、こういうのあったよ。最終回だったかな?
 
 『物事には沢山の終わらせ方があるだろうが。明日に繋がるものを、選択したいじゃないか!』
 
 その前にロレンスは、『明日パンを買う金が人の血で汚れているというのは、気持ちの良いものじゃ無い
 。』って言ってるんですけどね、こういうものの「損得」もまた、あるんですよね。
 そしてまた、こういう「良心の損得」の勘定ということを行うこと自体が、人に影響を与えることもまた
 あったりする訳で。
 お前の良心で損とされたら俺たちゃ切り捨てかよおい、みたいな。
 んだから。
 それをも含めた、超「良心の損得」勘定っていうのもまた、考えていけるよね、きっと。
 んや、むしろ。
 そこまで考えて、やっと。
 スタート地点に戻れるんじゃないかな。
 「良心の損得」という「普通」や「常識」から外れた人をも、どう活かしていくのか、ってところに。
 極論すれば、既存の価値観から外れた人が多いからこそ不況になるし、逆にそういう人達の漏れを
 無くしていけば、それこそ「経済」の幅は広がっていくと思うなぁ。
 勿論その時々の損得はありますけどね、人生長い目で観れば、まぁもっとゆったり広く考えていけ
 るかもしれませんよね。
 まぁ私は経済は門外漢ですけど。
 狼と香辛料で勉強しときます。無理か、無理ですよね。
 
 
 
 
 
 
 で。
 
 なにをどうエキサイトしたら、やる気無し状態からここまでずらずらと書けるのか、誰か教えて。
 
 
 
 
 
 
 あとはなんやろ。
 アニメとかタユタマとかタユタマのキャラは可愛いのうとか可愛いのうとかアニメとかある訳ですけれども、
 今夜はサッカーヨーロッパチャンピオンズリーグ決勝なのですね、これがまた。タユタマの感想は来週ね。
 どっち応援するかと言われたら、どっちも応援しませんね、これ。どっちも素晴らしいから。
 バルサvsマンU。 ベストカードだものこれ、これ以上無い組み合わせだもの。
 この両チームに上がって来て欲しかったからこそ、今まで一応バルサとマンUを応援気味(気味て)でした
 けど、もう決勝でこの2チーム来たですから関係ないっす。
 せいぜいがんばってください。
 私も頑張ります。
 今日は朝まで観戦じゃ!無礼講じゃーっ!
 独りで。
 
 <脳卒中> 「孤独な酒」危険性2倍 gooニュース
 
 またみんなで飲みましょう、お願い。 (私信)
 
 
 次の日は、まぁ、うん。
 
 
 
 
 
 
 それでは、今日はこの辺りで、ばいばい。
 
 うわ、なんかやる気出てきた。
 
 
 
 
 
 
 
 

 

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                                  ■■ 狼先遣隊。 ■■

     
 
 
 
 
 はい、ごきげんよう、紅い瞳です。
 
 さて、今日は特にやる事無いですからね。
 ゼロからのスタートですからね。
 期待しないでくださいね。
 でも期待してくださいね。
 そんな揺れるツンデレ心は無視してくださいね。
 
 今日もどうぞ、よろしくお願い致します。 (笑顔)
 
 
 ということで、今日は来期アニメについてお話させて頂きます。
 なにげにもう五月も後半ですし、七月発のアニメについて言及しても早すぎるということは無いでしょう。
 また七月近くになったらしつこいくらいにお話もしますし、まずはその先遣ということで、今日はひとつ
 お付き合い頂ければ幸いです。
 ええ。
 まぁ。
 
 来期アニメについては、今日も、そして七月までに於いても。
 
 
 
 狼と香辛料第二期の話しか致しませんけれど。
 
 
 
 来期のアニメにはなにがあるのかと問われたら、狼ですと答えます。
 来期のアニメのお勧めはなんですかと問われたら、狼ですと答えます。
 七月からのあなたの存在理由はなにかと問われたら、狼ですと答えます。
 幸せですかと問われたら、狼ですと答えます。
 
 大丈夫ですか?と問われたら、狼ですと答えます。
 
 狼です。
 
 
 
 ・・・。
 大丈夫です、本当に大丈夫です、だいぶ大丈夫の方向です。 大丈夫!(親指を立てて)
 なにしろ今の私と来たら、私の懸命なはしゃぎっぷりで私の狼への愛が試されているという感覚ですので
 、なにやらもう懸命を通り越して必死の様子なのです。 様子というより形相です。怖いです。
 なにを問われても狼と答えるなど、まだ序の口。ご挨拶程度のものです。
 とにもかくにも狼、私のすべてを捧げて狼、あれもこれも狼、いえいえ、数を誇るだけなど愚の骨頂、
 質を高めてこその真実の愛、如何にこの私こそがアニメ「狼と香辛料」の第一のファンとなれるか、
 それを探ることこそ私の生き甲斐、私の本懐なのです。
 
 と、そういう感じにすっかり狼に振り回されています。
 というより、勝手に狼の周りを犬の如くに尻尾を振って回っています。
 私が、私こそが狼に相応しいと、あらゆる局面に於いてその狼ファンとしての自分を造成することに
 かまけているところなのです。
 不安、ですから。
 一生懸命に狼のために、狼に捧げる愛が無いと、落ち着かないから。
 ただ狼を想うことの虚しさに耐えられないから。
 それが本質なのに、狼への愛は本物なのに、本物の愛はその存在自体が虚しい世界を覆う虚構の
 ベールにしか過ぎないのに、そのベールとしての面ばかりを見つめてしまうからこそ、なにもせずには
 いられなくなってしまう。
 愛の虚しさに、負けてしまう。
 本物なのに、本当なのに、その本質から狼と向き合うことを知らず知らずのうちに忌避して、愛が虚しく
 など無いことを証明しようとして、様々な贈り物を狼に送りつけて、その見返りを得ようとする。
 その愛は偽物。
 でも偽物でもいい、偽物でもそれに愛を感じられるのなら。
 その愛は偽物。
 でも。
 愛は、愛以上の「偽物」はこの世に存在しない。
 偽物の愛を似せて創ったものは、それはその偽物の愛の範疇からは決して抜け出せない。
 ぬし様は、その偽物の愛から抜け出そうと足掻くこと、それ自体の愛に染まりたいのかや?
 なにかを覆い隠し、なにかから目を逸らすために、必死にその虚しい愛から新しい偽物の愛を創って、
 一体ぬしはなんとする?
 
 愛は初めから、偽物じゃ。 
 偽物が、本物なのじゃからの。
 その本物の偽物の偽物を作ることこそ、虚しいことよ。
 
 狼的に考えると、私の今の有様は実に狼的なのです。
 このような思考の流れこそ、実に狼的。
 そしてだから私はこう答えるのです。
 愛は虚しいからこそ、その虚しさを紛らわす最大の力を発揮できる、と。
 だから虚しく無いものとして存在させた愛は、逆に虚しさ自体の存在を際立たせてしまう、と。
 虚しさは、決して本質などでは無いんじゃ。
 じゃから、虚しさをわざわざ隠す必要など無い。
 堂々としておれ、ぬし様よ。
 虚しいぬしが其処におる、ぬしがその自覚を持てば持つほど。
 ぬしの目の前の其処におる、わっちのこの尻尾の毛並みも美しく輝こうというものじゃ♪
 その上で、色々と手練手管を駆使すればよかろ?
 手練手管は、決して本質では無いんじゃ。
 ぬしの愛なりなんなり、それが本物か偽物かなど関係無いのでありんす。
 
 それらの真贋と関係無く、ぬしが此処にいることは、絶対じゃ。
 そのぬしの存在の確信のままに、愛なりなんなりと手練手管嘘八百でやっていけばよかろう。
 その愛だけが、本物なんじゃよ。
 
 
 
 つまり、落ち着けってことですね、ええ。 (掌をじっとみつめながら)
 
 
 狼は逃げませんから。
 逃げたら追い掛ければ良いだけですから。
 
 全力で。 (だから逃げられるのではないですか)
 
 
 
 
 ◆
 
 ということで、狼のために自分を落ち着かせるために、他の来期アニメの話をします。
 ひどいとか言ってはいけません。
 私はただ、他のアニメの話もしたくなってきたので、口実を得ようとしただけなのですから。 (もっとひどい)
 
 それでは、ちょっと探してみましょう。
 なにがありますでしょうか。 (いそいそと)
 
 
 ■狼と香辛料U      ・・狼です
 ■狼と香辛料U      ・・狼です
 ■狼と香辛料U      ・・狼です
 ■狼と香辛料U      ・・狼です
 ■狼と香辛料U      ・・狼です
 ■狼と香辛料U      ・・狼です
 ■狼と香辛料U      ・・狼です
 ■狼と香辛料U      ・・狼です
 
 
 というところでしょうか。8個とは随分と丁度いい塩梅になりました。
 ちなみに狼しか目に入っていない人には、上に挙げた作品は全部狼にしか見えませんので、あしからず。
 私は狼しか目に入っていないほど落ち着きを無くしてはいませんので、大丈夫ですよ、ちゃんと見えて
 いますから、色んなものが視えていますよ。
 
 じゃあ、その幻覚に変換してみましょうか。
 幻覚いった今この人幻覚っていった。
 
 
 ■かなめも             ・・一升瓶
 ■よくわかる現代魔法       ・・魔法とか魔術とか言われたら
 ■青い花             ・・選ばないわけがあろうか以下略
 ■うみねこのなく頃に        ・・ひぐらし効果
 ■化物語             ・・タイトルですよ
 ■CANAAN            ・・来る予感
 ■プリンセスラバー         ・・女の子綺麗
 ■うみものがたり          ・・水色いいよ水色
 
 
 
 そうですね。
 今言えることはひとつですね。
 
 
 狼です。
 
 
 
 本日はありがとうございました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

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                                 ■■ ブンタイゲーム ■■

     
 
 
 
 
 ■
 ・ごきげんよう、紅い瞳です。
 
 ・今日はこんな感じでやっていきます。よろ。
 
 ■
 ・以前に借りてきた本は、確か五冊あったんですけど、一冊しか完読しませんでした。1/5の純情。
  というか途中まで読んだのも二冊だけで、残り二冊はちょっと開いてやめました。ならなぜ借りてきた。
 
 ・完読したのは池端亮「あるゾンビ少女の災難」という本。タイトルからして色々思い遣られます。
  んでも面白かった。おっとりゾンビお嬢様と慇懃無礼侍女のコンビがしっくりすぎた。ありがとう。
  メイドよりは侍女でしょう私は。しかも割と傅かない方が。容赦無いアルマ・V萌え。
  それにへこたれないお嬢様良し。というか主従関係が逆転すぎる。ほぼ道具状態。(お嬢様が)
  それと手足がもげても化け物でもボロボロでも、お嬢様な美的感覚はちゃんとあって、だけどその様を
  儚く感じても、へこたれも諦めもせずに、よっしと気合い入れて現実の中で自分らしくあろうともする、
  だけどきっちりゾンビの自分のままにも生きてく、そのユーフロジーヌの永遠性に拍手、喝采。
  なんか、とっても安心しちゃった。
 
 ・そして懲りずにまた借りてきた。勿論前回借りた本は全部返しました。未練はないぞ!
  岩井三四二「踊る陰陽師-山科卿醒笑譚-」と、乙一の本を少々。またそんなホラーな。
 
 ・「夏と花火と私の死体」。面白いタイトルですね怖さが滲み出してますね。
  「ZOO」。怖っ。乙一で動物園って。滅茶苦茶怖ーっ、なんかやばいのくる!
  「暗黒童話」。そのまんまやんけ!
 
 ■
 ・ 最近他の人達による、第三者についての話が微妙にくる。
 
 ・先日も知人達が話をしているのを隣の席でぼーっと観てたのだけど、その知人達が私の知らない
  人のことについて、褒めても貶してもいない純粋なその人評話で盛り上がっていて、なんかきた。
 
 ・なんでなのかはわからないけれど、なんだか楽しいのでいい。変態なのかもしれない。
 
 ■
 ・十年ぶりにヘッドフォン買い換えた。十年すごい。おまけにソニー製。ソニータ○マーいった人おいで。
 
 ・そしてまたしてもソニー製買った。前のは青で今度は赤に。そんなに高く無いっていうか安いよ。
 
 ・んでも、あの大きい奴じゃ無くてもっと小さい、あの耳穴に入れるイヤフォンじゃ無い方の奴。わからん。
 
 ・ヘッドバンドの無い耳にかけるタイプのアレよアレ。あれで3000円だから安くは無いのかもしれない。
 
 ・低音は良く出るのだけど、中音特に高音が全然駄目。抜けてく。むしろ低音で聞こえない。おい。
 
 ・最近やっと高音に目覚めてきたところなのに。なんたる、なんたるちーや。
 
 ・だが諦めない。
 
 ■
 ・お酒飲んだお酒。最近回数減らして量増やしてる。それはそれでまずいのかもしれない。
 
 ・純米吟醸原酒「宮之雪」。箱が好みなデザインと造形だったので買った。味は関係無かった。残念。
 
 ・純米大吟醸「松の翠」。すっとした香りと吸い付くような柔らかさはグッド。だが味的にひとつ足りない。
 
 ・7月の狼二期に合わせて、ヘネシーのコニャックとカルヴァドスの購入を検討中。お財布が。
 
 ・ブランデーには甘さと重厚さを求めているのに、最近すっきり辛口にばかり当たる私は下調べ不足。
 
 ・この間買ったウオッカが切れそうなので、次はジンを探します。なにかいいのないかな。
 
 ・ウイスキーはストレートとロックとでは全然味が違うことに昨日気づいた。遅っ。
 
 ・そしてこの頃やっとワインとビールがまともに飲めるようになってきたこの人です。あとは焼酎。難しい。
 
 ■
 ・先日友人に、面と向かって好きと言われた。友情的な意味で。
 
 ・たとえばどういうところが好きかと尋ねたら、特に無いと答えられた。
 
 ・じゃあ全体的に好きなのかと訊いたら、そうでもないと答えられた。
 
 ・ならなんなのよと言ったら、暇だったのでと平気でお答えになられた。お前帰れ。
 
 ・でもお前のそういうところ嫌いじゃない。
 
 ・最近好きなお笑い芸人は、オードリーです。
 
 ■
 ・忘れたことにしていましたけれど、冬目景祭はがっつり堪能してました。ちゃんと読んでたよ。
 
 ・しかしどうしてこう、冬目景の描く女の子は可愛いのか。何年見つめていても飽きないよ。飽きろよ。
 
 ・なにかをすっと話して、そして黙る女、その女の横顔を見つめる男。くぅ、いいのう。どんな趣味だ。
 
 ・それを踏まえて。踏まえるのか。
 
 ・「幻影博覧会」第3巻。相変わらずよくわからない。けれど何度か読んでみてわかった。真夜萌え。
  陶子さん素敵基本的にどの人物も影を持っていて、それぞれがそれぞれの見せる影の中を見つめ、
  そしてその視線に影の持ち主達はそれぞれ縫い止められて、そして人物同士のその影響自体が、
  物語をゆるゆるとゆっくり廻している、ということ。
  本来ならこうと示されるテーマなりメッセージなりが、全部一度鋳潰され溶かされて、全体に薄く
  伸ばして散りばめられているような感触で、だから登場人物自体に「決定的」な力強い言葉を言わせ
  ずに、そのまますっと黙って、互いの横顔に射す陰を見ていくような。
  これはきっと、物語を考えるのでは無く、語り手の紬出した物語の響きそのものを感じるような、
  そんな作品なのかもしれません。わからない、けど嫌いじゃない、むしろ、好き。
  そして男性陣の素の男の子らし さが可愛かったり。老若ともども。
 
 ・中途半端に踏まえるのはよくない。恥ずかしがらないで、しっかり踏んでください。(私を)
 
 ・ちなみに「礼」が浸みる。思い遣りというかさりげない気遣いを元にした奥ゆかしさというか。
  でもそれはそれをされる方の気持ち良さというか、むしろそれをする方の気持ち良さに染まってる。
  当たり前すぎる礼。さすが冬目景よくわかってます。特に陶子さん。
  特に陶子さん。重要なので二回言った。
 
 ・「アコニー」第1巻。まさか冬目景で妖怪が出てくるとは思わなかった。びっくりどっきり。
  確か冬目景って井上円了的なオーソドックスな科学的知見で妖怪の存在を否定すること、
  そのこと自体のレトロな感覚が好きな人じゃなかったっけ?幻影博覧会はそんな感じだし。
 
 ・新作ということで期待していたのだけれど、なんとなく今までの冬目景の持てる要素をすべて詰め合わ
  せて化学反応を起こしたような感じで、おおと思わず唸ってしまう新しさは無し。
  んでもだからこそ逆に、大きく分けて羊タイプとイエスタタイプの、そのどちらをも合わせ持つ第三の
  タイプに進んでいける可能性もあって、今一番冬目景の作品の中では注目作。
 
 ・アコニー可愛いよアコニー。エキセントリックかつノーマル、という素晴らしき融合。なんじゃそら by基海
  アコニーと基海の掛け合いが、コメディとシリアスの言ったりきたりを絶妙に捌き、そしてなにより深めて
  いるのが良い。良すぎる。日常と非日常を分けずに、非日常を日常に回収しかつ非日常性を殺さな
  いとかなんとかかんとか。まぁ落ち着け。
 
 ・それと「幻影」での「礼」とはまた違う、アメリカ人としてのアコニーの気さくな「礼」が気持ちいい。
  あまり基海的な日本人的「礼」にアコニーのそれを回収させるのは、なんかアコニーをただのツンデレ
  として見せちゃうだけなので、その辺りは基海をもっと上手く使えば面白いかもしれない。
 
 ・ていうかぶっちゃけ、アコニーは冬目史上最大のギャグキャラになれるんじゃない?
  笑いの中にある悲しみ、では無く、笑い=悲しみ、悲しみ=笑いという、そういうある種のストイック
  なもののをほがらかかつしんみり、かつほがらかにとやっていけると、この「アコニー」という作品は冬目景
  の代表作にもなれると思うな、私。
  ストイックなものはシリアスにやらなきゃいけない訳じゃないよ。アコニーにはその素質があるね、うん。
 
 ・「ももんち」第1巻。ももんち。語感が好きなので言ってみた。もういっかい。ももんち。
  ってまた新作ですか冬目さん冬目さん新作ですか。あなた一体いくつ掛け持ちですか。
  黒鉄いつ再開するんですかそもそも再開するんですか?不安なのでももんちは美味しく頂きました。
 
 ・で。
 
 ・最愛の妹きたー。最愛て。でもそうでしょこれは。これはもものお姉ちゃんお兄ちゃん視点からでこそよ。
  幸せになって欲しい妹NO.1、守ってあげたい世話してあげたい応援してあげたい妹NO.1。
  萌えは不要。むしろ邪魔。あっちいけぽい。
  友達とか家族とか、全部「もも」を通すとコミックスの帯の言葉の通りに、愛しさがじんわりと深いところ
  まで響いてくるよ。
  お姉ちゃんにしろお兄ちゃんにしろ、友達の夏樹ちゃんにしろ由芽ちゃんにしろ、目の前のもものため
  に頑張れるっていうか、もう一度自分がなにと向き合っているのかを考えられるというか、色々な意味
  で自分が頑張ることの「理由」もしくは「口実」がももを見つめることで得られるのだよね。
  もものためにならお姉ちゃんお兄ちゃん同士も力を合わせるためにも頑張れるし、夏樹ちゃんも
  由芽ちゃんもそれぞれの自分の恋の悩みを自分の中だけで完結させずに済むし、あ、ももがいる、
  なにしてる?あ、寝た、もう風邪ひくぞまったく、と、その自分の行為に虚しさを感じるひとつ手前で、
  そっと、そのももの存在自体が、そしてももの丸いほっぺに触れた自分の手が温かいことに、うん、
  なんていうのかな、深く、深く、ほっとする。
  たぶんそれは、自分がどんな風になっても、目の前にももがいて、お間抜けでドジで愛くるしいももが
  いて、ほっとけないももがいて、それが、そのももが、自分の中に優しい気持ちを、誰かを守ってあげ
  たい応援してあげたいという気持ちをいつでも取り戻させてくれるから、なのじゃないかな。
  ももを見つめるたびに、誰もがきっと、「自分」を見失わずに取り戻すことが出来るのかもしれないね。
  そして、お姉ちゃんお兄ちゃんもそのももとともに、おとうさんおかあさんと向き合って色々とわかっていく
  ことも出来る。
 
 ・そうするとこう、そのもものみつめる松本くんのカッコ良さもみえてくる。いい男じゃないか。
  どうぞウチの妹をよろしくお願い致します。
 
 ・そして、「もも」がこれで終了ということで、私も終了する訳だ。明日からもう生きてけない。
 
 ・「アコニー」の続きより「ももんち」続編やってください神様仏様冬目様ていうかやれ。だから落ち着け。
 
 ・まぁうん、「アコニー」は平気だけど、「ももんち」は賞味期限があるよな気がするので。今じゃなきゃ。
 
 ■
 ・サッカーヨーロッパチャンピオンズリーグの決勝が、今週だと思って張り切っていた私は哀れすぎる。
 
 ・今週生きてけない。
 
 ・来週27日深夜というか早朝に生中継です。生で観ます。これ決定事項。サバイバル。次の日が。
 
 ■
 ・タユタマ。6話まで観たよ。
 
 ・アメリはもしましろが人間だったらどうするのだろ?才色兼備で一切責めることの出来ないただ完璧超
  人のましろにだったら、アメリはほんとにどうするのだろ?ましろが人間では無い化け物であるから、と
  いうのが口実でしか無いことをアメリ自身が一番わかっているのだし。逆にいえば、仮にましろが人間
  だとして、それが自分にはとても敵わない相手だったら、アメリは裕理を諦めるのだろか?
  アメリはただ自分よりもスペックが上の存在であるましろとまともにぶつかっても勝ち目は無い、だから
  「諦めるしか無い」、だけど諦めたく無い、、そしてその諦めたく無いという気持ちを保証するのが、
  だってまろまろは化け物なんだから、裕が化け物と一緒になっていいはずなんて無いんだから、という
  ことになってる。
 
 ・アメリの馬鹿。おたんこなす。スペックで勝負しようとするから、そうなるのでしょ。アメリの馬鹿!
 
 ・それを踏まえて。しっかり踏まえて。踏め。
 
 ・ましろが人間だろうと化け物だろうと、関係無い。化け物というのはましろのスペックのうちのひとつに
  しか過ぎない。
  スペックが高かろうが低かろうが、そんなの関係無い。勝負よ!まろまろ!
  アメリがましろのスペックの高さ、化け物という「能力」に囚われているうちには、絶対にましろには勝て
  無い。裕理から見ればアメリはウザいだけ。はっきり言わせて貰うからねアメリさん。
  つまり、愛だろ愛。裕理を愛する者はすべて対等。その対等の立場で勝負するからこそ、アメリにも
  勝ち目が出てくるでしょ。だって、ましろを化け物視しなければ、ましろのスペックの高さも除外出来る
  のだから。逆にいえばましろを化け物扱いすれば、当然ましろのスペックの高さとも勝負しなければ
  ならなくなるし、そうすると裕理的にはそういう風に能力の高い低いを競って自分に見せつけてくるアメ
  リ自体に、溜息しかつけないだろし。おまけにましろを化け物とか、自分のことしか考えないなんて、ね。
 
 ・アメリが裕理を初めから自分だけのものとする、つまり自分達「人間」社会の一員としてしか裕理を捉
  えなければ、人間「社会」の中には人間以外の存在もいて当然で、それでこそその社会の存在に
  意味があると考える、自分は人間だけと繋がって他を無視する事を選ばない裕理に、アメリが選ばれ
  る事は無い。
  ましろは裕理を通してアメリとは対等の存在だし、同じく人間「社会」の成員だし、その「フェア」な
  感覚があってこそ、むしろアメリは自分の裕理への素直な気持ちをもっとちゃんと認めることが出来る
  んじゃないかな。裕理を化け物から守るだなんて「卑怯」な事を言ってるうちは、アメリは絶対に自分
  の気持ちを満たすことは出来ない。アメリは裕理を守りたいんじゃなくて、愛してるんでしょ。
  その愛のままに、そしてその愛が主体で勝負するからこそ、そこにアメリがアメリとしての「誇り」を手に
  入れられると思う。いつまでも「人間」社会に守られてその立場に頼ってしか裕理と繋がれないアメリ
  さんには、裕理を愛して良い資格は無い。そこまで考えた方がアメリにとってはプラスだよ、たぶん。
 
 ・無論、「人間」社会にとってもな。むしろそう言うためのアメリさんの存在かと。アメリさんの肩には色々
  なものが背負われてるよ。頑張れ。ほんと、頑張れ、愛せよ少女。
 
 ・愛ってほんとは、愛を越えたところにあるものなんじゃないの? と言ってみるテスト。懐かしい言い回し。
  それは、愛を捨てろとかそういう意味じゃ無いから。むしろそれとは対極。徹底的に恋せよ乙女。
 
 ・アメリにこそ、頑張って欲しい。頑張るって、言って欲しい。
  だって、アメリの事わからないなんてこと、無いから。なによりも。
 
 ・そしてゆみながそのアメリの進むべき道の可能性を開いてる。んで頑張ってる裕理さんへの救済措置。
 
 ・お兄ちゃんの力になりたいでもそんな力無いお兄ちゃんの力になりたいでもそんな力無いお兄ちゃry
 
 ・ゆみなは裕理への自分の想いを愛するのじゃ無く、ただ裕理のためになりたいと考えるのみ。
  そっちの方が、いっぱい沢山気持ちよくなれるということを体得しているから。
  じゃあその裕理のためになることが全然出来ないとしたら・・・・
 
 ・閑話休題ですが、鵺たんが実に楽しそうで観てて嬉しいです。この子はほんと、人間「社会」でやりた
  いこと一杯あったのな。とてもとても、良いことです。そのための「社会」だものね。
 
 ・で。ゆみなはそれでどうしたかっていうと、ただ裕理のためになりたいと考えるだけじゃ駄目、どうして
  そう考えてそうするだけの事が一番気持ち良かったのか、それを考え直した。
  それはお兄ちゃんが好きだから。単純にして簡潔。実にシンプルな答え。
  そして、シンプルこそハッピー。複雑なもの、敢えて、置いておく。
  だって、わかってるから、わかってるからこそ、シンプルに、力強く、たったひとつの言葉に言霊をのせて。
  お兄ちゃんを、助けて! それはゆみなが助ける、では無くても良かった。
  そしてだからこそ、今現在ゆみな自身が裕理を助けることが出来ない無能ぶりに苦しんでいたとしても、
  冷静に、もっと深く冷静に、そのお兄ちゃんを「助けたい」では無く、「助けなければいけない」という、
  その切実でシンプルな想いが、ゆみなの思考を柔軟にさせていく。
  三強の一角鳳凰の鳳をどう使うかどう「育てる」か、それは裕理を助けたいけれどなかなか助けられ
  ないもどかしい自分を、じゃあどうするのかということに繋がっています。
  お兄ちゃんを助けるためにだったら、このもどかしさにだって立ち向かえる。
  自分がそれでも頑張る理由、そして頑張れる「口実」を、その自分を必死に守ってくれるお兄ちゃん
  を見て、ゆみなは力一杯叫ぶのですね、お兄ちゃんを助けて、と鳳に、そしてゆみな自身に。
  それがやがて必ず、裕理を助けることに繋がっていくことの歓びを、きっとゆみなは感じたよ。
 
 ・それは、アメリが頑張る「理由」と頑張れる「口実」を得るためのヒントになるのじゃないかな。
  アメリが好きなのは、裕理が好きだと感じる自分なの? それとも、裕理そのものなの?
  アメリはまだ、裕理を知らない。見てもいない。なにより裕理が見ているものを見ていない。
  そして裕理を知るために、見つめるために、そのために裕理が好きだと感じる自分への愛が、きっと
  大きく役立つのかもしれない。
 
 ・裕理のことを知ったら、アメリはもっともっと深く裕理の事が好きになれると思う。
  勿論、その裕理の事が好きな自分のことも、ね。
 
 ・愛せよ乙女、恋せよ少女、徹底的に。
 
 ・クサいって言え。むしろウザいって言え。言ってよ! まぁ落ち着け、どうどう。
 
 ・そして目出度くましろがチビ復帰。鵺との相性が抜群。EDコント共々もっとやれ。大好き。
 
 ・だが履くものは履け。話はそれからだ。親父は黙ってろ。
 
 ■
 ・箇条書きにした意味が無いことだけはわかった。
 
 ・お疲れ様でした。
 
 ・ごきげんよう。
 
 
 
 
 
 
 

 

-- 090513--                    

 

         

                             ■■いい加減なものですが■■

     
 
 
 
 
 はい、ごきげんよう。
 
 やー、すっかり夏になってきましたね、あっついあつい。
 地球温暖化って奴ですよねそうですよね、こんなに熱いのはもうきっとセーフなんですよね、一度これ
 がセーフって言っちゃったら、次からはそれを基準にしてセーフかアウトか決めなくちゃいけませんものね、
 そうするとこの判定は実質試合を決めたといえ、これは歴史に残る名判定になるかもしれませんね。
 
 あちー。 ←団扇で扇ぎながら
 
 夏日ってなによ夏日って。
 ところにより真夏日ってなによ真夏日って。
 おかしいよ地球、地球おかしいよ。
 あちー。
 どうせなら快適な方向におかしくなって欲しいですよー、ていうか私の頭の中を最適化してよー。
 
 
 ・・・・・こほん。 ←襟を正しながら
 
 
 
 
 ◆
 
 さてと。
 今日は(も)まずはアニメのお話をさせて頂きましょう。
 
 まぁ、うん、今期はなんだかんだで豊作なのではないでしょうか。
 けれどまぁ、これまたなんだかんだで、大作や名作レベルの、これだけは絶対見とけ、という作品は
 無いようではあります。 まぁそれは私の趣味によるところに多い感じもしますけれど。
 しかしそれは逆に、趣味の多様化に今期は対応していると言えるのかもしれません。
 多くの種類のアニメが、それなりのレベルを持って楽しませてくれるようになったということで、今期はひとつ
 そのアニメファンの間口を広げることに、大きく貢献してくれるようなラインナップになっていると、私は
 思っています。
 では、早速私が視聴しているアニメを少しご紹介していきましょう。
 
 
 基本的に、今期はパンドラハーツが一番面白く、また評価したい作品になってきています。
 かなり多くの要素を潜在的に秘めて持っているので、あとはそれをすべて上手く消化し、そして誰もが
 はっとさせられるようなものを見せてくれたら、最終的には名作になるかもしれません。
 現段階では、原石としては一番素晴らしい作品です。
 キャラの魅力の懐の深さもあり、ストーリー的にも広がりがあり、それをまだはっきりと見えてこないその
 テーマと結びつけて、ひとつのメタファー的作品として展開して頂けると、私としては俄然この作品に
 対する興味が増してくると思いますし、そしてなにより、主人公オズの煌めくような心の安息がどのよう
 に得られていくのかに、大変期待しています。
 そして、私的に一番感想対象として優れていると思うのが、タユタマ
 テーマに沿ってのキャラの配置が絶妙であり、それぞれのキャラの立ち位置とそこからのキャラを使って
 出来る思考が、色々なものと絡めて一段先のことを考えられる、そういう作品になっていると思います。
 そういう風にして感想を書くタイプの私にとっては、今期最高の作品はこのタユタマなのです。
 そして逆に、作品全体としての力強さにはイマイチ欠けるところはあるので、評価的には私はパンドラに
 軍配を上げますが、しかしキャラというより「キャラクター」としての魅力がタユタマにはすごくありますので、
 愛着という点ではこの作品には是非一票を差し上げたいです。
 まーしろまーしろ♪ あと鵺たんも良し。(笑)
 
 今期は残念なことに、これといったギャグ作品がありません。
 なので、アニメのシーズンとしての評価は今期はひとつ落ちると思います。
 けれど、その中で、この作品が「コメディ」作品として、ひとつ新しい面白さを提出してくれています。
 けいおんです。
 かなりオーソドックス、というより捻りの無いそのまんまのネタを、そのまま提出しているだけのレベルの
 コメディ劇なのですけれど、それがなんとも言えない、実に正直な力強さを感じさせてくれるのですよね。
 言い換えれば、基本に忠実な超正統派。
 簡単といえば簡単、頭を使わなくても全然楽しめる、だけどそれでちょっとがっかりしてしまいそうなところ
 を、そのシンプルに込められた力強さ、或いは全力さが拾って、見事に立て直してくれる。
 女の子はハムスターみたいな可愛さで楽しくそれこそコミカルに動き回り、青春的なプチ感動的なところ
 のものも、なんだかそのハムスターが一生懸命にそういう劇をやっているような、そんな熱さよりもその
 可愛げのある全力っぷりが、やはりこの作品の最大の魅力。
 面白くて、可愛い、可愛くて、面白い。
 だから、楽しい、コメディアニメとしてひとつ群を抜いて面白い。
 だから実はこれ、萌えアニメとしてある意味完結してしまう必要性はどこにも無く、また同時に萌えを
 無視せずにそのまま萌えごと笑えてしまう、そんなコメディとしての新しい境地を拓いてると思うのですよ。
 恋愛要素ゼロなのでラブコメディでも無いし、いわゆる萌え四コマ的な露骨さやあざとさもあまり無く
 (序盤こそフェティッシュな感じはあったけどいつのまにか消えてるw)、非常に真摯なそのコメディ自身の
 進化を探っている感じがして、見ているこっちがとても嬉しくなってしまいます。
 そしてそれらが映像としてのクオリティが支えてもいるのですから、今期一番の贅沢作品であると、この
 けいおんは言えるでしょう。
 
 上記三作品が今期の柱ですね。
 最初の頃はこれに戦国バサラを加えていたのですけれど、どうも回を重ねるごとに冗長のきらいが出て
 きて、やや失速気味。
 もう少し作品的に抑揚を付けてみた方が、キャラそれぞれと関係性がより引き立てられて良いと思う
 のですが。
 もっともっとこの作品には「馬鹿」をやって欲しいですし、その全力な馬鹿っぷりが、物事にある本質的な
 なにかを私達に直接伝えてくれることに大きく寄与してくれると思いますし。
 馬鹿にならなければみえないもの、というものを今こそアニメがこそ描き出す必要があると思います。
 ですから、言葉は悪いですけれど、馬鹿が自分の馬鹿さを反省して、賢く生き直そうとして反面教師
 的に平坦に生きたって、そんなものに価値は無いですし、それをこのバサラという作品でやることはある
 意味大きな罪だと思います。 バサラ=婆娑羅、それを忘れずに。 期待しています。
 バサラ同様、期待しているという意味で外せないのが、シャングリラリストランテ
 個々の要素のレベルは低いけれど全体のバランスが一番良いのが、シャングリラ。
 そしてどの要素にも安定した魅力があるゆえに、それらの響き合いが絶妙に合わさって、なんだかわか
 らない「可能性」臭さに期待感が得られます。
 一番気になるのはストーリーそのもので、一体これからどうなっていくのか、早く続きが観たいと思わせ
 てくれる感じで、そしてキャラ達がその中でどういうことをやっていくのかも興味深く、また炭素がどうの
 経済なり軍事バランスがどうのというそういう要素がそこでどう活きていくのかが、ある意味でそのストーリ
 ーとキャラの行く末にベールを被せていて、とても良い感じの作品になりつつあります。
 リストランテは逆に、どんなストーリーになっても良い、というよりはもはや「ストーリーライン」という全体的
 なものを必要としない、完全にキャラ自身のワールドで観る者を包んでくれる、その絶対の安定感が
 あります。
 世界が外にでは無く内に向かって次々と広がっていく感覚、だからあのお店がどうなっていくのかとか、
 そういう事はまるで気にならずに、けれど逆にあの登場人物達の内側に広がる物語はとても気になって、
 ああ早く観たいもっと知りたいという、その内面的「物語」自身への欲求を、その物語を有するあの
 キャラ達がそのまま受け入れてくれる、いわば物語=登場人物、というその感覚が観る者を捉えて
 放さないのです。
 登場人物の数だけ物語があり、そしてあのお店の扉を開けば、そこにその物語達が待っている。
 登場人物の表面的な所作やそのもてなしに萌える事以上に、それを含めたその人物のすべてを
 抱き締め抱き締められること、そして、なによりも実は、その盲目な欲求(笑)に染まることが許可され
 ながらも、それはあまりお勧めできませんがこちらなど如何でしょうか?、とさらりと外的な「憧れ」を
 提供して、一歩そこで踏み止まらせてくれる、その紳士ぶりにこそこの作品の最大の魅力があると
 思います。
 「さらりと二十年って言ってしまえるなんて、かっこいいなぁ。」byニコレッタ
 ・・・・・うん。 (同意 笑)
 
 そして、いわゆる「考えさせられる」アニメとしては、ファントムの名が挙げられます。
 色々な見方があるとは思いますけれど、私はこの作品は「自分」というものをどう扱うか、いやそれ
 以前に「私」とはなんなのかという、その自分と私の存在論を論じているとして見ています。
 罪とは自分にとってなにか、それは自分に必要なのか、いやそれ以前になぜそういうことを問わなければ
 いけないのか、いやいや、それよりもなによりも。
 私は、何処にいるの?
 ただ、その私を探す遍歴の旅を重ねることは無く、ただ黙々と今此処で廻り続けている。
 そして気づくとふと、その自分の隣で同じように、けれど少し、いえ、確実に違う廻り方をしている者の
 姿を見つけた。
 それでも私は廻り続けている。
 私はこれでいいの私はこれで、そうして自分のなにかを守ろうとしている、その「自分」をひとつずつ感じ
 ながら。
 そのなにかと向き合えない、その自分の姿を、その目の前の自分が良くも悪くも、激しく、映し出して
 くれる。
 主人公のひとりが今の自分の在り方を「考え」て、そしてもうひとりの主人公が答えるとき。
 その答えたもうひとりの主人公は、なによりもその考えている一方の主人公の姿から逃れることが出来
 無い。
 考えずには、いられないの。
 考えたく、ないから。
 
 最後にご紹介するのは、夏のあらし蒼天航路
 どちらの作品にも共通してるのは、そのリズム感の独特さ。
 夏のあらしは同じことを繰り返すを多様したり、蒼天航路は逆に一切の停止も巻き戻しも無いひらすら
 前へ前への前進っぷりがあったり。
 そのリズムや間の取り方、或いはそのスピード感自体が、作品に大きな影響を与えています。
 周りの世界がすべて停止した中で、登場人物達だけが動き回る夏のあらし。
 蒼い空に浮かぶ流れる雲のように、後戻りしないその覚悟の良さに牽引される蒼天航路。
 それぞれの演出技法云々よりも、その様自体が面白い作品になっていると思います。
 
 
 とまぁ、こんなところでしょうか。
 他にまだ私が視聴している作品には、東のエデンハルヒポリフォニカハガレンとありますが、
 これらもそれぞれの面白さがあって良いです。 って当たり前過ぎなこのコメント。 (笑)
 あ、あと銀魂もありましたね。
 銀魂はちょっと最近レベルが落ちてるのが心配ですね。
 なにやらここにきて原作のストックが尽きてきた、という感じらしいですけど、関係あるのかな?
 でも銀魂はオリジナルエピソードでも別にそれだけではレベルが落ちない作品だったので、うん、
 なんとかして欲しいと思っています。
 銀魂は総集編とかでもかなり工夫して笑わせてくれるので、全然それでも構わないです。
 
 
 
 さて、本日はこの辺りにて。
 あ、言うの忘れてましたけど、今期(ってアニメ基準の区切り方やねw)は日記の更新は基本週二回
 で、ちょっとサボりたいときは週一回にします、という実にフリーダムな態度でふんぞり返りたいと思って
 いますので、よろしくお願いします、むしろサボりが基本です♪(微笑)
 タユタマのプチ感想は、大体二話まとめてくらいでやる予定です。
 あとは適当です。 よろしくお願いします。 ツッコミっていうか放置プレイよろしく。 (ぉぃ)
 
 
 それでは、ごきげんよう。
 
 
 
 
 
 
 
 

 

-- 090508--                    

 

         

                              ■■オトコノコ復権、と私■■

     
 
 
 
 
 わしをみくびるな。 きこなしてみせる。 (挨拶)
 
 
 改めまして、ごきげんよう。
 
 GW終わっちゃった。
 ゴールデンウィーク終わっちゃった。
 
 終わっちゃった。
 はぁ。 (溜息)
 
 終わりついでにでも、気を引き締めたいと思います。
 願望です。 引き締めたい。 (でも無理)
 あれな、気を引き締めたいっていうのは、ほっとけばだらだらしちゃう自分が可哀想だからだったりとか、
 しません? いやしませんて誰に訊いてんの。 いや私にだよ。 そっか。
 GWが終わっちゃって、すっかり気が抜けて、GWが懐かしくて、だからやる気出なくて、だけどそういう
 自分がそのまま生きていけるはずが無いと思って、だから気を引き締めなくちゃとか言って、なんとか
 そのやる気無くてだらだらの私の存在を忘れようとするのじゃないですか?
 あー、要するに、私はだらだらの自分を認められないんだ、それで生きる自信が無いんだ、それが私
 なのに、その私を見捨てて、自分だけ気を引き締めなくちゃとか、なに良い子ぶっちゃってんのさ、
 しっかりしなきゃしっかりしなくちゃと言わないと、あんた生きてけ無いんだ、あんたそういう奴だよ。
 
 ・・・・。
 
 でも逆に考えると、それも私な訳で、というか、むしろそうやってやる気無くてだらだらな自分を守って
 あげるために、小さく見栄を張るカッコ付けな自分があるとも言える訳で。
 うん、それは同時にやっぱり、じゃあ素の私のまんまじゃ、だらだらな私のままじゃこの世界では生きてけ
 無いってことは認めちゃうんだ、やっぱりあなた私のこと信じて受け入れてくれて無いんだ、私と一緒に
 戦ってくれないんですね、みたいな感じでもある訳で、どんどん話逸れてくね、もっとやれ。
 うん、弱い自分をこの世界に存在させるために、或いは存在可能な形として強い自分がそれを弁護
 するということは、本質的にはその弱い自分自身がそれだけで存在しているということを軽んじている、
 んや、ただそれだけで存在しているという事が怖いってだけなのかもしれないし。
 だから、他者がいるのかもしらん。
 だから、他の人のことも考えて、だから他の人にも受け入れられるような形にして、自分を表現して
 伝えていかなくちゃあかん思うのかもしらん、自分のそのままの存在が怖くて、自信が無いから。
 だからその私の自信の無さ、恐怖心そのものが、それから逃げるために縋るための対象として、他者を
 存在させているのかもしれない。
 わかって貰おうと、「努力」することの根底には、それがある。
 だから逆に、私のことをそのまま理解してよと、おもいっきし世界の中心で叫ぶだけのことは、そうでは
 無い、ただそのままの自分がそのまま存在していることを認めて欲しい、っていう勇気があるんだね。
 
 
 うーん。
 そのふたつは、私がいつも考えたり書いたりしてることの、根幹にあるものなんだよねぇ。
 
 
 んだから、その他者の存在理由が、同時にそれだけでは無いことも考えられたりもして。
 自分のことをそのまま受け入れて欲しい、だけどそれは怖いからどうしても他の人にもわかりやすい形
 に歪めて、嘘では無いけれど正確でも無い自分、として伝えようとする。
 っていうのは、ある意味その論法自体が、実は他者の存在そのものが私に与える絶大な影響から
 逃れたいがために使用されているということを示してもいる。
 誰かを愛して誰かに愛されて、そのふたりだけの世界で充分満足出来るのは事実だけど、充分満足
 した自分が此処に存在するという、それ自体無条件に私がそれ以外の他者達とも接しているということ
 を感じさせない訳にはいかないし、それでどうするかは、ふたりの愛とは関係無い。
 つか、私はあの人だけを愛すればあの人だけに愛されれば良い、という事自体は良くても、でもそれを
 それ以外の他者の存在を無視する口実として使うことは出来ない気がするし、使うってことはそこに
 他者を無視したいという自分の欲望が覗けてくるんじゃないかな。
 怖いんだろ他者が、だからその他者から逃げるために誰かひとりを愛したんだろ、少なくともそう言われて
 もおかしくないだろ自分。
 んだから。
 
 両方じゃろ。
 
 そのままのわかりにくい自分。
 そのままでは無いわかりやすい自分。
 わたしゃ、誰かひとりも大好きだし、圧倒的多数の「みんな」も大好きだし。
 そしてなにより。
 そのふたつと向き合って、なんとかしようと考え続けられる、そんな私が大好きだーこのナルシストめ。
 そのままの自分をそのままぶつけて、それと真剣に向き合って真剣に理解しようと努力してくれる人
 だけと向き合い愛することも、自分を「みんな」に受け入れ可能なように弁護説明して加工していく
 ことも、やってるのは同じひとりの私。
 どっちが良いじゃなくて、どちらも必要で、そしてどちらも合わせて考えていくからこそ、どんどんと次々と
 新しく考えて深めていくことが出来る。
 そういうものの根源にあるのは、そういう思考思索の対象にあるのは、やっぱり、「自分」。
 自分を知らずして他者を知ることは出来ないというのは、たぶんもっともっと深い意味がある。
 哲学でも文学でもあるいはすべての学問も、なぜ私がそう考えるのか、なぜその理屈を採用するのか
 という問いが無ければ、その理屈の中身には本当はあまり意味が発生しないのかもって思うのよね。
 んや、その問い無きそれは、本来的にその理屈を盾とする自己保身が成るだけっていうか。
 勿論学問限定じゃ無くて、なんでもそうよ。
 自分のことがわかるのは私だけだし、哲学はもとより、心理学などでも、それはとある理屈に則って
 自分を「論じ」たり、「分析」したりしてるだけだし、その論と分析の自分自身にとっての「意味」と「価値」
 は、本当に「私」にしかわからない。
 
 思考思索の対象にあるのは、「自分」。
 だけど思考思索する主体は、「私」。
 
 たとえ真実や真理が存在していたとしても。
 それと向き合っているのは、紛れも無い、私。
 たとえ神様が存在していたとしても。
 その神様自身も、「私」として、間違いなく其処に存在して神様たる「自分」をみつめているのです。
 
 
 とかなんとか色々素で正直に、そのまんま理解不能に自分を語る私は、それと同時に、こうして私が
 自分を素で正直にちゃんとぶっちゃけて語ってるんだぜい!、というアピールを以て、私以外の多くの
 他者たる「みんな」に了解可能なものとして受け入れられようともしてるんですよね。
 ほら、私の言ってることはなんだかさっぱりわからなくても(ですね)、私自身がぶっちゃけて自分を語ろう
 とすること自体には共感が持てるでしょ? ていうか持てるはずと計算して姑息にも私はこうやって
 ぶっちゃけ芸をやってる訳ですけど。 ぇ、芸なの? ていうかそれ以前に私計算間違えてる? あわわ。
 が。
 正確に言えば、そういうぶっちゃけ芸「としても」、自分語りをやっているということであって、あわよくば
 私の意味不明な自分語りの中身自体にも理解と共感が与えられたら嬉しいな、いやいや積極的
 にそれ狙ってこうよ、だからここちょっといじっちゃいなよ、ぶっちゃけと見せかけてこっそりわかりやすい事
 とか書いちゃおうよ、なーに萌えとか言っとけばバレないって!、みたいな事をばっちりやっていたりする
 のかもしれません。・・・・・やってるって断言するのはやめとこう、やめとこう。
 まぁこれまたぶっちゃけ、芸とかなんとか言っちゃってるけど、それは後付け的にちょっと見栄張っていって
 るだけの可能性も考慮して頂けると、私の可憐さは損なわれないと思います。 もう黙れお前。 はい。
 
 
 
 
 これらの言葉を弄し自分を保つ、これが、私の保身術です。
 そして私は、その術を採用する魔術師の工房管理人として、様々なモノを血肉の籠もる眼差しで
 見つめようとする者。
 名を、紅い瞳と申します。  (丁寧にお辞儀)
 
 さあて、今日も頑張るぜー、おー。 (やる気ゼロ)
 
 
 
 
 
 
 ◆
 
 でまぁ、アニメなのですけれど。 そこはあっさり繋げてやってください。
 見つめて、感じて、考えて、書いて。
 やってみましょう。
 
 
 うん、今期の注目作っていうか、目玉商品は、やっぱりこれになってきましたね。
 「PandoraHearts」。
 パンドラハーツと読みます。略してパンドラ。いや読めますか読めますよね大丈夫ですよね。
 回を追うごとにどんどん面白く、かつ充実してきてます。
 キャラのひとりひとりの深まりもそうですし、テーマ的にも色々って、ちゃうねん。
 そんなことはどうでも良いのじゃ、いやでも、最近の私の問題点は語彙が無いってこと自体じゃ無くて、
 自分の中に耳を澄ませて、それで響き出てくる私自身のリアルな言葉じゃ無いってとこなのよね、
 もう、面白いとかGJとか萌えとか、そんな結果なことしか言わないからですよ、反省なさい!
 
 で、なんの話でしたっけ?
 そうそう、パンドラの話ね、うんだからね、この作品はさ、そうやってこう、ぐぐっと私を自分の世界に引き
 込んでくれるような、そういう力強い「吸引力」があるとこなのよ。
 ヒロインのアリスの暴虐さはあまりキャラとして確立してなくて、結構変則的で、かつなにより活き活きと
 してて、次どういうリアクションをするのかとかすごく見てて面白いし、レイブンもそれと同レベルのガチンコ
 な張り合いをやっていて、かつその裏もありな陰影もあって、ブレイクのピエロぶりは実に堂に入っていて
 素晴らしく、私の好きなタイプなんだけど、その「タイプ」っていうのを突き抜けていくくらいになにかさらに
 やってくれそうで。
 
 そしてなにより。
 オズ。主人公のオズ・ベザリウス。
 
 やばいね、これは面白いよ、順応性があって、頭の回転も早くて、だけど子供で、だけど真摯で。
 この子の存在感が半端ないし、そしてそれ以上に、主人公として必要な「透明感」がある。
 ぶっちゃけ、この子で感想を書きたいって思ったもの。
 すぐに他のアクの強いキャラの陰に隠れちゃうんだけど、必ずその他のキャラ達を見つめている、この子
 自身の「視線」の存在感が圧倒的。
 さて、どう考えるんだろう、どう感じるんだろうこの子は、それをどのタイミングでどういう風に表現する
 んだろうか、という、どうしようも無いほどに、私自身にこの子を見つめさせてくる。
 ブレイクにも堂々と渡り合えて、アリスの熱意にも応えられて、なのにどうしてかな、それを器用さとか
 演技とかそういう言葉で片づけることが出来ない、彼のあまりにも普通な真剣さが感じられる。
 巫山戯てるんだけど、明るいんだけど、そのまま当たり前に考えてる。
 そして、自分の中にそれを閉じこめないで、必ずさらっと、言葉にして皆の前にそれを示す。
 そのオズを見つめる、アリスとレイブン、その三人の姿が、なによりも鮮やかで、そして。
 リアルな感じがするんですね。
 保身とか保心とか言う「言葉」ばかりを示すことでしか、自分を語れない今の私には、その力強いリアル
 さが燦然と輝いてみえる。
 
 ああ、いいなぁ。
 オトコノコって。
 
 うん。
 アニメってさ、ここ長いとこずっと、「オンナノコ」が主役の作品が圧倒的に多くて、少し寂しかったのよ。
 あ、別に女性的男性的であるかどうかとは、この「オトコノコ」「オンナノコ」っていうのは、直接は関係
 無いんだけど。
 「オトコノコ」というキャラ、「オンナノコ」というキャラというかなんというか、だからべつに女性の萌える男性
 像でも、男性が萌える女性像でも、逆に女性自身が憧れる女性像でも、男性自身が憧れる男性像
 でも、それは構わない。
 というよりむしろ、関係が無いっていうか。
 もっとわかりやすく言えば、社会的性差のようなものを抜きにした、ただひとりの人間として、それを
 「オトコノコ」と名付けるか、「オンナノコ」と名付けるかが違うだけで、だからたとえば、オズが社会的に
 見て男性的か女性的かは、全然関係無いっていうか。
 むしろそれが男性から見ても女性から見ても、様々な意味でリアルな理想さがあれば、それで意味が
 あるというか。 
 
 でも、だからこその、オトコノコの復権というか。
 
 私が今まで観てきたアニメの中で、オトコノコで感想を書けた作品って、かなり少ない。
 古くはスクラップドプリンセスのシャノン兄や地獄少女のゲストキャラ達で、あとはLOVELESSの立夏と
 ホリックのワタヌキくらいしか、そのキャラで感想を書いた事が無いのです。
 あとは全部、オンナノコでよろしく。 すごい偏ってるーっ。
 それが、最近では夏目友人帳が大きく出てきて、そして今期に至っては、一気にこのパンドラと、他に
 もファントムにバサラ、リストランテはちょっと違うけど一応入るし、そして黒神もそうですし、よく考えたら
 ハガレンもそのまんま。
 そしておまけに蒼天航路のような作品まで素晴らしく出てきてる。
 これはひとえに、私は女性の願望としてのオトコノコの価値が大きく扱われてくるようになってきたからだと
 思いますし、それに便乗というと違いますけど、蒼天航路のような男性願望ど真ん中のオトコノコも
 クローズUpさてれきたのじゃないかなと。
 そしてね。
 私はですね、男性の願望としてのオトコノコも、女性は真摯に観ることが出来ると思いますし、また
 同時に女性願望として大きく出てきた昨今のオトコノコもまた、男性は真摯に観ることが出来ると思う
 のですよね。
 そして出来ると思うからこそ、それぞれの社会的性差に根差した男性像女性像だけで無い、「違う」
 男性像女性像を、そうですね、「オトコノコ」「オンナノコ」というそれぞれの「主体」を使って、新しく
 作り出していくこともまた、可能になるのじゃないかなと思うんです。
 だからそういう意味で、オンナノコだけで無く、オトコノコも描き出されてくるようになってきた、昨今の
 アニメ情勢を、非常に楽しみにして私は受け取っています。
 
 そして。
 基本にあるのは、願望。
 そう、萌えですね。 (すごいこといった)
 
 女性の願望が生み出したオトコノコ、そしてなによりそのオトコノコを使って色々考えた女性の言葉に、
 男性は新たな自分の可能性をみつけることは出来ますし、男性の願望が生み出したオンナノコを
 使って吐き出した男性の言葉に、女性もまた自分の目指すものを新しく見つけられます。
 そして勿論、だからこそ、男性も女性もそれらの新しい可能性が出てきたことで、それらを踏まえることで、
 改めて自分達の願望をそのまま満たすことにも、本当の価値が出てくる気がします。
 だから、萌えよ、萌え。
 女性は女性の願望のままに作り出したオトコノコ像に萌えても良いし、男性は男性の願望のままに
 作り出したオンナノコ像に萌えるのもまた良しなのよ。
 だから、この頃のオトコノコ復権は男性にとって有意義であると同時に、だからその男性の真摯で熱い
 視線に応えるためにも、女性は女性のオトコノコ萌えには自信持って良いというか、逆にそれを男性に
 こそ向けて発信していくのは大事なことかなぁ思うんよ、双方にとって。
 それは全く、今までオンナノコ全盛のアニメ界でぐうたらやってた男性諸兄にも言えることだけどね。うん。
 うん、オタクはね、というかオタクの最大の欠点は、萌えの可能性を理解して無いってとこなのよね。
 自分が誰かに見つめられているっていう意識が、足りないってことかな。
 男は女の、女は男の眼差しを気にして、色々考えたり色々求めたり、高めたり深めたりしていけるんじゃ
 ないかなー、それは萌えも同じことじゃないかなー、ただオトコノコオンナノコを欲望の捌け口として「道具
 」のように扱ってるだけじゃ、駄目なんじゃないかなぁ。
 だから、主体的に、男性でも女性でも、オトコノコオンナノコを考え感じて語っていく必要があると思う。
 
 そういう意味では、男性が描く女性願望的なオトコノコと、女性が描く男性願望的なオンナノコ、
 というものは是非観てみたい。
 
 まぁ女性が描く男性願望的なオンナノコは、オンナノコ全盛時代だったからこそ結構普通にありました
 けど、でもまだまだ主体的に考えているというレベルまでは行ってないって感じかな。
 だから逆にそういうレベルに達した作品を観てみたいですし、是非テレビで流して欲しい。
 それは女性にとって男性のことを理解するということ以上に、女性自身の中にある男性性と向き合うと
 いうことに繋がると思いますしね。
 オトコノコ復権というのは、ある意味女性のそのままの願望の地位向上という意味で、女性の権威が
 上がったということですけれど、それが出来た以上、そこから女性自身が主体的に考え行動して、
 自分のみつめるオトコノコをどうやったら新しく「男」に出来るか、それをやっていく必要がありますし、なに
 よりそうすることが出来るほどに、少なくともアニメに於ける女性の世界が広がってきた、それはその証拠
 だと思います。
 で、その広い世界を先に持ってた男性は、いつまでも萌え萌えやってない、立って歩け! 意味わからん。
 ま。
 そして忘れちゃならんのが、やっぱり萌え。
 というか、男性は男性の、女性は女性の、それぞれが既に持っている社会的性差自身がもたらす、
 その安心感を否定しちゃ駄目よ。
 男は強くカッコ良く、女は美しく優しく。
 その偶像自体の正否はどうでも良く、それに浸ることで得られものもちゃんと計算に入れた方が、
 色々とお得だし、道も広がると思いますしね。
 勿論、その偶像に拘れだなんて、死んでも言いませんけど。
 言葉と偶像は使いよう、ですよん♪
 だから普通に、一般的社会的性別のイメージに囚われない、素の自分の「男らしさ」「女らしさ」を
 大らかに認めることも出来るのかもね。
 まぁ、今の時代は既に余裕でそれは出来てるとは思うけどね。 内実はまだまだだけども。
 男性的とか女性的とか言う言葉自体が死語になるのも、そう遠くは無いかもしらん。
 此処にいるのはただ、男性と女性だけなんよね、うむうむ。
 そしてあるのは、どんどん増えてく色んな「オトコノコ」と「オンナノコ」なんだよ。
 それらのどれを採用しどう発展させるのかが、私達男と女の人間としての腕の見せ所って感じ♪
 
 
 
 
 ◆
 
 だから、アニメ「タユタマ」にお話が繋がるわけ。 いや繋がるはずなんですけど、繋がれよ! (無茶)
 あ、今日の最初のお話のラストの口上は、タユタマからのパクリですので、あしからず。
 で。
 うん。
 タユタマはさ、まぁ、神様が人間と一緒に生きたくて堪らなくて、どうしようかって必死に頑張るお話、
 という感じなのよ。
 神様が神様として人間に崇められていようと、神様としてすごい力を持っていたとしても、うん、
 キクラミ様?だったっけ?漢字わかんないけど、でもそのキクラミ様という偶像があっても、その偶像を
 背負って生きているひとりの女の子はちゃんといる訳で。
 それが、ましろ。 まーしろまーしろ♪ 
 んだけど、その女の子は「神様」という、いわば「人外」な訳で、だからそのまま神様として人の世界に
 入ったとしても、それは排除の対象になるだけ。
 んだから、裕理はそれがわかってるから、なんとか「人間」としてましろを人間社会に溶け込ませるため
 に努力するんですよね、耳隠せとか尻尾隠せとか色々フォローしたりとか。
 んでも。
 あっさり。
 いや、私さ、青天の霹靂っていうか、むしろ目から鱗とゆーか。
 ましろ自体はさ、「神様」であるましろを、そのまま人間「社会」に入れさせたいって思ってるんだよね。
 ましろはね、孤独なのよ。
 独りで独りで寂しくて悲しくて、だからその悲しさから抜け出すために、人と一緒に生きたいって思って、
 だから色々隠そうとはしてたけど、でもそれで歓迎された嬉しさのまま、本当の「人外」「神様」の自分
 を見せて、それをこそ人と共に生きる自分にさせたかったんだよね。
 私だったら、そこは焦らずゆっくりじっくりと、誰もが了解可能なように、人間→神様という穏やかな変化
 が必要って思うんだよね、だって他の人には他の人の「常識」があるんだから、それを揺るがす権利は
 誰にも無いというか。
 でもさ。
 目から、鱗。
 
 それって、私の「常識」を揺るがす権利もまた、誰にも無いってことなんじゃないですか? (ましろ風に)
 
 人間「社会」は、「人間」だけのものでは無い。
 ひとつの偶像に染まるか染まらないかで、その社会の成員であることが許されるかどうかが決まるという
 のは、そのひとつの偶像を堅持する者の驕りであり、またエゴでしか無い。
 「神様」という偶像を持っている、ただのひとりの女の子ましろが其処にいる。
 なのにその女の子が、その既存の社会の共有される(というか強要された)偶像と異なるものを持って
 いたら排除されるというのは、それ自体がその「偶像」というもののすべての価値を貶めてしまうことに
 なるのではないか。
 私達が堅持する「常識」は、なんのために存在するのか。
 それを真摯に真面目に、「常識」の側から考えたのが、ましろが通うことになった学園の総代、美冬。
 心からみんなに受け入れて貰いたいというましろの言は、本当にそのままでした。
 ましろはひとりの女の子、それがこの社会で生きられないという事自体、おかしいのじゃないか。
 ましろはあっさりキクラミ様としての自分の事を話し、そして精神病扱いされ、カウンセリングを受けさせ
 られ、レッテル貼りをされ、監禁(というほどじゃないけど)されてしまう。
 他の生徒に悪影響を与える、から。
 たったひとつの偶像を堅持し、それに縋りそれ以外の偶像を持つ者を排除して生きる、それのどこが
 淑女なのか、それを育もうとする学園のどこに、豊かな人間性を育むものがあるのか。
 美冬の思考は深く、そして粘り強く続いています。
 私にだって、「常識」とは違う、私だけの「偶像」はあったはずなのに・・・・
 私は・・・ずっと・・・誤解と偏見と決めつけと・・・・そしてひとつの「偶像」の押し付けを私自身に・・・・
 そして・・・・他の生徒達に対しても・・・・・・泉戸ましろにも・・・・そして・・・
 現実とは、なにか。
 
 私はもしかして・・・ずっと・・・ずっと・・・おそろしく狭い「見識」しか持っていなかったのではないか・・・
 
 ましろはたったひとりの女の子。
 美冬もまた、たったひとりの女の子。
 同じなのに。
 なのに、背負った「偶像」の違いで、いいえ、背負った「偶像」の共有されている数の多寡で、
 それで正常か異常かと決めつけてしまうなんて・・・
 なんて私は、弱いんだろう。
 なんて、情けないんだろう。
 美冬と私はシンクロしていきます。
 ましろと私が繋がれば繋がるほどに、美冬と繋がった私こそが尚考えたい。
 一体私達は、なにに囚われているのだろうか、と。
 ましろだって、「三強」という倒すべき悪の「偶像」としての鵺を捉えていたのですから。
 鵺は人間はおろか、神様のましろにすら排斥されていたのですから。
 ただ鵺は人間の面白い下着を履きたかっただけなのにね。 (笑)
 うん。
 ましろがさ、諦めるんだよ。
 これ以上、裕理さんに迷惑はかけられないって。
 誰にも迷惑をかけたく無い、だから私は独りで生きてきますって。
 そんなこと言われちゃったら、裕理は、そして美冬は・・・・・
 考えない訳にはいかないでしょ。
 
 なんのために、この社会があるのかを。
 なんのために、常識があるのかを。
 
 それは、自分の身を守るため。
 ひとつの偶像を共有することで、本当の自分だけの「偶像」を背負って、そのままみんなと上手く
 やっていく勇気が無いから。
 ましろの存在は、怖いのです、私達にとって。
 そして、裕理や美冬にとっては、悔しいのです、そのましろの存在を見ているだけの自分が。
 ましろがキクラミ様として、太転衣達を召還して正体を晒す口上を述べるシーン。
 滅茶苦茶。
 
 感動したよ、わたしゃ。
 
 ああ、青天の霹靂、目から鱗。
 んや、目から、大粒の涙。
 ああ、私達は、この子の「偶像」を受け入れられなかっただけなんだ。
 弱かったんだ、悔しかったんだ、この子の、この圧倒的な意志と勇気を前にして。
 「偶像」の中身自体に良し悪しなんて、無いんだ。
 うん。
 だからね。
 私達はさ、そのましろのすごさを褒め称えているだけじゃ、駄目なのよ。
 それだけだときっと、ただただそのましろのすごさに照らされて、自分達の弱さ情けなさが際立って、
 そしてかえってその自分の際立ってしまう弱さに負けてしまうから。
 だから。
 たぶん、最初から、その私達の際立つ前の、その弱い弱さこそを見つめなくてはいけないんじゃないか
 な。
 それだったらきっと。
 長く、向き合える。
 ずっと深く、戦える。
 本質を根本を、この社会や常識の中にまず、みつけなくちゃ。
 そして。
 
 私は一体、どうしたいの?
 
 そのために、萌えがいる。
 だってましろ、可愛いもの。 鵺たん可愛いもの。
 裕理しゃんも眩しいもの。
 つか美冬さんカッコいいっす!
 萌えや憧れはひとつの情報製作、あるいは大きな空気作りになっていけると思う。
 自分とは違うもの、埋もれていたもの、わかっていたのにみつめたくないもの。
 そして・・・
 好きなのに、どうしても上手くいかなくて、諦めて嫌うしかなくなってしまったもの。
 それらと改めて向き合い受容していくその空気作りを行い、そして。
 なによりその空気に守られ、なにより励まされるのは。
 私達。
 その象徴として、アメリがいる。
 私だってまろまろのこと嫌いたくは無いわよ・・・でも・・まろまろさえいなければ・・・裕は・・
 好きなのに・・・・私は・・・・裕が・・・・・・・憎い・・・・・・・・・・まろまろさえ・・・まろまろさえ・・・
 男と女の話も、同じよね、きっと。
 ましろを受容することは。
 イコール、アメリの中の私の中の、自分にしか無い特別な「偶像」と向き合うこと、なのよ。
 そして。
 だからこそ。
 
 
 ましろ自身が、ましろにしか無い「神様」という「偶像」を皆に認めさせようとすることで生じる影響を、
 改めて見つめていく必要があるのよ。
 勿論。
 諦めとか、身を退くとか、そんな事は無しで、よ。
 逃げるの禁止。
 
 アメリだってきっと、自分の中に生じる怨みと、そうして向き合ってくでしょうしね。
 
 
 『少しだけ、頑なな皆さんを驚かせて差し上げたい』、と言ったましろに、美冬的私は感謝する。
 有り難い、有り難さ過ぎて、ありがとうの一言に全てを込めてしまいたい。
 そして。
 ましろ的、ひとりぽっちの私は。
 ああ。
 間違ってた。
 私は、私が見つめるべきものを、間違ってたって。
 涙がひとつ、大きく、零れました。
 こんな「神様」がいることに、私は私が此処に生きている甲斐を感じました。
 
 『こちらこそすまなかった。 君達は本当のことを話してくれていたのに。』 by美冬
 
 
 
 そして、鵺をパンツで懐柔する美冬さんが最高にいい仕事してました。(爆)
 ましろもパンツ談義で鵺と盛り上がってるし、なにこのパンツアニメはww
 鵺の叫びも実に至極ごもっともで、苛められるからこそ化け物になって暴れ回ったということの当然性は、
 美冬の、私達に負けたのだから人間の法に従えというその言葉自体が、なにより証してたりとか、
 んでもそれは下着の供与だけで解決出来たりとかw、その取引というか交渉の新作の必要性が、
 やっぱりあるんですよねぇ、なに言ってるか自分でもわかりませんけど。 (ぉぃ)
 んでも。
 
 『なにごともやってみなければわからぬのじゃ、にゃはははは♪』 by鵺たん
 
 
 なにごとも、語らないことには始まりませんしね♪  ←そして美冬さんに倒される
 
 
 
 それでは、大変長くなってしまいましたけれど、今回はこれで。
 ここまで読んでくれた人、ありがとうね♪
 
 んじゃ、また次回。
 
 
 
 
 
 

 

-- 090504--                    

 

         

                               ■■ ふぉろー&するー ■■

     
 
 
 
 
 ごきげんよう、紅い瞳です。
 
 さて。
 ま。
 一気に更新頻度が下がってさすがな私ぶりの今日この頃ですけれど、皆様如何お過ごしでしょうか。
 ええと、まぁ、うん、前回でやっと私の中では前年度が終わった感じになって、さて今年度も始めましょう
 かって、えと、もう何回も言ってる気がしますけどね、うん、で、気づいたらも五月ですかゴールデンウィー
 クですか。
 五月病ですか。
 あー・・・・。
 なんていうか、乗る予定だった電車に乗り遅れて、次のが来るまでぼーっとひとりで駅のホームのベンチ
 に座ってるみたいな、あー・・・。
 ってこれ、五月病とは明かに違う気がしますけど、そもそも一年中やる気無いと言ってる人が五月病
 言っても、それはあまり特別なことでは無い気がします。 これ毎年言ってる気がします。
 先月もやる気無いって言ってましたし、来月もやる気無いって言いますよね、きっと。
 よし五月病無くなった、五月だけ特別って訳じゃ無いもん、私に五月病という概念は無くなった!
 あー・・・・。
 
 さて。
 ま。
 やる気無い無い言ってても、実はそれはオンの方で、オフの方はやる気に満ち溢れてたりします。
 だから新型インフルエンザが発生したのだと思います。 やる気出してごめんなさい。 色々ごめんなさい。
 で、ゴールデンウィークということで、今まで忙しい忙しいと言ってた私周辺の輩が、一気に暇人になって
 やっと私のレベルに追いついてきたというか、それを見込んでGW前から色々な人に唾付けといた私の
 ひとり勝ちというか、つまりまぁ、友人達やらと遊びまくってます。 普段どんだけ暇だ私。
 ま、地元でだらだらと手軽に安上がりになによりラクに遊んだり飲んだりしてるだけっていうか、遊んでる
 最中に普通に寝る人とか、どんだけ今まで忙しかったのよ、お疲れ様、という感じで毛布の一枚でも
 そっとかけてあげようかという気持ちにさせられたのですけど、前日に久しぶりにゲームで徹夜してたとか
 あっさり起きてからぬかしよりましたので、私の気持ちを返して欲しいです。私だってな、ゲームで徹夜と
 かは無いんだゾ! ゲームではな!
 ちなみに今日は何人かで地元の海沿いをサイクリングがてら、美味しい網元料理とか食べてきました。 
 そんで帰ってきてウチに集合してお酒でいぇーい。
 久しぶりの運動のあとのお酒は死ぬ。 死にました。
 
 
 まぁそんな感じで、しばらくサイト更新のことは忘れとこかな、アニメ感想も今期はお休みするって言いま
 したし、ラクチンらくちん、という感じな訳で、基本的には前回の更新を忘れ切るために必死だなお前、
 という状態です。
 恥ずかしい。
 あれは失敗した。
 というか、新しく更新しないと、いつまでもあれがTopページを飾っていることになるじゃん、と今更今日
 気づいて、慌ててこうして筆を取ったとか、色々手遅れ過ぎだろとか、そういえばアニメ感想書かない
 言ったけど、タユタマのプチ感想は書くかもとかいうことも付属で思い出してしまったりとか、こう、なんて
 いうか私ってばやっぱり真面目だよね、とかふふんと自慢げに鳴らすその鼻を誰かへし折った方がいいと
 思う。
 というか放置プレイでいいと思う。 無視という優しさが今必要です。
 しかしあれですね、自分がサボってたということに気づけてそれを認められることが真面目って、アホです
 ね、つか気づいて認めてそれでお終いですか、このやろう。
 ・・・・・。
 まぁ、そこまで言ったら、更新しなければいけないっていうか、これでまたアニメ話を書ける口実が得られ
 たゾ、わーい、って、ほんとこの人はこういうひとり遊びに飽きないもんですね。
  飽きない自分には飽きてきましたけど、あー・・・・。
 
 
 ということで、字数的に前置きはこれで完成という感じですので、これより本文に入ります。
 本日も盛大にぐだぐだに回しております。
 よろしくお願いします。
 
 
 
 
 ◆
 
 ええと、まずは前回のふぉろー&するー。 ぇ、スルーて。
 うん、スルーなのはツンデレなとこね。
 反省点があり過ぎて、紅い瞳の人は「さがさないでください。」と書き置きしてどこかに行きました。
 んでも、賞的なとこはフォローしとく。
 色々アレでしたけど、一応次回以降も素でやっていきますので、お願いします。 覚悟しろ。(お前がな)
 まぁ回を重ねていくことで、賞の内実(?)を高めて深めていけたらいいじゃんって思いますので、
 取り敢えず毎年やってくことを目標にしてきます。
 基準とかも手を加えてこうかと。
 あ、そういえば今回の選考基準では、ある意味意図的に外した基準があったんですよね。
 気づきました? あ、興味無いですかごめんなさい、ちょっと洗面所行ってきます。
 
 (しばらくお待ちください。)
 
 あ、ただいま、でね、ええ、外した基準があるんですが、それはええと、まぁ言うなれば「思索」ですね。
 哲学的とか文学的とか、まぁ要するに色々考えることが出来るかってことですね。
 それをね、敢えて外してみたんです。
 だから、その基準からだったら選ばれたであろう作品が選に漏れてたりしてましたけど、それはね、ある
 意味私の姿勢というか、そういういわゆる「思索」的な作品じゃ無ければ、なにかを「考える」ことが出来
 無いのか、というかそういうことを考えることでしか、私がアニメに求める「なにか」をみつけることは出来
 無いのか、いや違う、というそういうスタンスが最近の私のそれですので、外したんです。
 だからダイレクトに、「なにか」があるかないかっていう選考基準にしたんですね。
 ま、次回は普通に入れるかもしれませんけどね、だって「思索」のある作品には「なにか」が無いって
 言ったら、それはあきらかに嘘なのですしね。
 フォローするのは、それくらいでしょうか。
 以上、終わり。
 あの企画の存在自体のフォローはしませんっ!
 見切り発車でまっすぐGo! 
 レールは走りながら自分で敷いてきます! 脱線なんて怖くない!
 
 (フォロー無し)
 
 
 
 
 ◆
 
 あ、あと前回の更新内容少し修正しましたから。
 タイトルとか脱字とか、まぁ少々。
 
 
 
 
 ◆
 
 はい、次。
 全然テンションが安定しませんけど、次。
 アニメ。
 今期アニメの話。
 いい加減視聴リストを完成させたいです。
 させたいですとか、でも現実的には出来ないので仕方が無いとかいうな。
 完成させます。
 やります。
 紅い瞳はやりますよ。 (今更)
 
 では、今期の私の視聴リストをどうぞ。 決定版。
 
 
 月: シャングリラ
 火: 蒼天航路・タユタマ
 水: リストランテ
 木: (銀魂)・パンドラ・けいおん・ファントム・東のエデン・(黒神)
 金: バサラ・ハルヒ
 土: ポリフォニカ
 日: ハガレン・夏のあらし・咲
                              :全16作品 ()付きは前期以前よりの継続作
 
 
 
 
 ・・・・・・。
 
 前回の経過報告では、全19作品で、そこからちゃんと削るって言った、私言った。
 そして、いくつ削った? 
 えと、3つ。
 ・・・。
 うん、削った、確かに3つでも削った、削ったんだけど・・・・・・
 ・・・・・・。
 わかった。
 私覚悟した。
 全16作品ね、わかった、引き受けた!!
 よく考えたら、今期はアニメ感想書かないから、その時間の分アニメの視聴に充てれば全部観ること
 は可能なんですよね。
 そしてさらに考えたら、来期は狼2期感想書くこと決まってるから、これ今期のアニメが2クール編成
 ばっかりだったら、その時点で詰むんですよね。
 ・・・・。
 見切り発車万歳! (細かいことは考えないことにしました)
 
 
 
 
 
 ◆ 
 
 という感じで、GWになってにわかに活気づき始めた(平日比)駄目なこの人は、遊ぶことに忙しくて
 おまけに疲れて寝ちゃいました☆、そして明日も遊ぶんだぁふふふ、となにかに憑かれたようなアホなこ
 の人は、もう色々とアレですので、本日はこの辺りが限界です。
 今日は終わり。
 タユタマのプチ感想とか次に回させて頂きます今週中にはなんとかUpしますごめんなさい。
 あと、今期のアニメもちゃんとお話したいので、それも今週中にはなんとかUpしますごめんなさい。
 GW万歳! ほんとごめんなさい! GJ! (脈絡がありません)
 
 ということで、万歳言ってはいるけれど、それは愉しんでいるというより別のなにかな状態になっている
 この人が譫言まみれで何言い出すかわかったもんじゃないので、大人しく今日はこれで筆を置かせて
 頂きます、 はやくおとなになりたい・・・(譫言)
 
 
 では、また次回。 ぐぅ。 ←停止
 
 
 
 
 
 
 

 

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