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◆◆◆ -- 2009年9月のお話 -- ◆◆◆

 

-- 090930--                    

 

         

                                    ■■ 狼のうた ■■

     
 
 
 
 
 風が吹き抜けていく。
 しとしとと、まるで雨が降るように、それはあらゆるものと繋がりながら、吹き抜けていく。
 仰向けに寝転がりながら雲を眺めていても、いっこうに、その風が止む気配は無い。
 ちょっとだけ、止まってくれないかな。
 そう思うと、その思いを諦めて、また空を見上げた瞬間に、風は止まる。
 はっとして辺りを見回すと、本当に風は止まっていて、そしてそれはゆっくりと動き出し、そしてまた止まるを
 繰り返し始める。
 
 はー
 終わんないなぁ
 
 
 そのまま私達の世界の中に移るというか、もうその風のままに私達の時間は途切れない。
 なんだろう、終わらない。
 終わらなくて、そのままなにかが始まっていく感触。
 ひとりなんだなぁ、私。
 ぽつぽつと、涙のように降り注ぐ雨が、やっぱり私を暖かく濡らしてくれる。
 孤独ってさ。
 楽しいんだよね、ほんとはさ。
 ひとりでも楽しめなきゃ、ほんとは色々、嘘なのさ。
 事実、私なんかひとりでもどこまでも生きられて、平気で笑っていられるし。
 ホロだって、そうなんだよねぇ、ホロだって、ひとりが嫌な訳じゃ無い。
 全然平気っていうか、それは強がりどころか、もはや強さでもなんでも無い。
 孤独って、ひとりの時間って、とっても大切なもの。
 自分にしか無いものと向き合える時間。
 そして。
 私以外の、無数の人達が作ったものと、触れ合う時間。
 ひとりだけで、いつだって、ひとりじゃ無いことはわかる。
 ひとりじゃ無いことを、ひとりで楽しむ。
 なんだろうなぁ。
 孤独ってさ、当たり前なのに、すごく楽しいことなのにさ。
 その楽しさを、なぜか、守ろうとしてしまうときがある。
 それはさ、自分がひとりじゃ無いってことが、なによりわかってしまうからだよね。
 
 なんていうか、上手く言えないんだけど。
 狼の香辛料っていう作品は、そういうことを全部引き受けてやっている作品だと思う。
 私はさ、ひとりは好きだけど、堪らなくひとりは嫌。
 それは矛盾することでもなんでも無い、ほんとのこと。
 うん。
 物語、ってあるよね。
 私達は、ほんとはただのひとりなんだけど、ひとりじゃ無いってこともわからずにはいられないから、
 他者が其処に存在するから、その他者との物語というものを描いて、そこにしか自分の生き場所を
 見つけられなくなってしまうことがある。
 その物語が破綻したら、死を選ぶ、とかさ。
 うん。
 わかるんだよねぇ、その感覚、すごく、すごくね。
 冬目景の「羊のうた」という作品が私は好きなのだけれど、あれなんか、まさにそう。
 私は、ただ、牙を生やした羊なんです、だから私は羊です、みんなと同じなんです。
 それはさ、物語だよね。
 私らはさ。
 
 ほんとは、狼なのに。
 
 でも狼って、ひとり。
 ひとりはほんとは楽しいんだけど、でも、みんなが、目の前にいる。
 それはたぶんきっと、みんなと一緒じゃなきゃ嫌という意味での、仲間はずれが嫌なんじゃ無い。
 みんなが目の前にいるのに、それを無視してのひとりしか無いとき、無視してひとりで生きるしか無いと
 きの、その自分だけ生きればいいという、その孤独自体が、どうしようも無く嫌なんだ。
 狼だって、羊の皮くらい被れるさ。
 狼だって、牙を収めて、羊のように仲良く大人しく出来るさ。
 羊なんて、ただの羊なんて、存在しない。
 みんな、みんな、羊の皮を被って、なんとかそうして目の前にいる、圧倒的な他者という狼と向き合い、
 その中で生じる楽しみを、ちゃんとひとりで感じられるようになりたいだけなんだよ。
 私達は狼だから、ひとりだから、だから、ときとして、それが寂しくて、自分が孤独の狼であることが嫌で
 、ほんとうに羊になってしまおうと、羊でいられなければ羊として死にたいと、そう思ってしまったりする。
 私達は、狼なのに。
 狼が、羊の愉しみを、狼の楽しみのままに笑って踊るからこその、羊のうたなのに。
 
 羊のうたしか無い世界なんて。
 おそろしい。
 
 
 狼と香辛料は、この第二期で、なんというか、こう、私達の中に入り込んできた感触。
 街に、私達の街に、ホロとロレンスがやってきた。
 実際に羊のうたを謳いながら、ホロは狼として、如何に上手く羊の皮を被り、牙を隠して沢山のものを
 手に入れていくかを、この第二期では圧倒的にやってくれました。
 すごく、嬉しかった。
 ホロは、なによりも誰よりも狼でした。
 人の間で生きながら、羊のうたを謳いながら、羊にほんとになってしまいたい迷いに囚われながらも、
 それが迷いだとわかりつつ抜け出せない自分の弱さに晒されながらも。
 絶対に、諦めずに。
 ホロは最後まで頑張った。
 頑張りゃいいってもんじゃ無い、頑張りは義務では無いし、それは結果が伴わなくては意味が無いし、
 逆に義務としての頑張りは、これだけ頑張ったのだからもう充分だろう、誰も文句は言わないだろうと
 いう、そういう己の諦めを正当化するものをもたらすだけ。
 羊のうたの主人公・千砂は、そんなものが自らの望むものでは無いと充分にわかっていながら、
 その正当化された諦めを胸に、最後に向かっていきました。
 それが、私だから。
 その私を越えられなくて、最後まで越えられなくて、だから最後はその私と共に・・・・
 私が無視してきた、無視せざるを得なかった、目の前の其処にいる、無数の他者達を道連れにして。
 それはさ。
 物語、なんだよね、うん。
 哀しい人の。
 悲しい、物語。
 でも。
 
 
 ホロは、諦めなかったよ。
 だってホロは、物語をいくらでも綴ることが出来るのだから。
 
 
 物語はひとつじゃ無い。
 ひとつだと言うのなら、それはそういう自分が、自分こそがその物語の書き手であるという事を知らない
 から。
 私は、羊なんかじゃ無い。
 私は、羊の皮を被った狼なんだ。
 それは、うん、ほんとは羊になれない狼の哀しみ、なんかじゃ無かったんだよ。
 狼と香辛料と出会って、たぶん私は、そのことを初めて知った。
 浅かったよ、まだまだ。
 どうしてその哀しみがあるのか。
 哀しみって、なんだろ。
 羊になりたくて必死に牙で自らの体を裂きながら、泣きながら死んでいく狼の哀しみって、なんだろ?
 その狼はただ、狼のままに、羊の皮を被って生きることが出来なかっただけなのじゃないか。
 羊の皮を被って生きることは、そもそも悲愴的なものでもなんでも無い。
 それはとっても、楽しいことでしょ?
 ホロが笑う、あんなに楽しそうに、あのひとりの狼は、自らの孤独をあんなにも楽しんでいるじゃない。
 手練手管を駆使して、嘘を吐きまくり、所狭しと演技を重ねて、そうしている自分こそを対象化して、
 ちゃんと楽しめている。
 なぜ?
 
 それはさ。
 狼が、狼のことが好きだからだよ。
 羊の皮を被って生きることは、嘘を吐き続け演技を重ねることが哀しいのは、なぜ?
 それは、その狼が自分のことが嫌いだから。
 そう。
 物語抜きの、「私」という圧倒的、絶対的、ひとりという存在が恐ろしいから。
 ひとりって、孤独って、楽しめないものなの?
 ホロの笑顔は、ホロがホロという、ただのホロ以外の何者でも無いからこそ、輝く笑顔。
 そして、その笑顔の輝きがあるからこそ、それを接着剤にして、沢山の羊の皮を被っていける。
 なんかさ、今やっと狼と香辛料Uのサントラを開けて聴いてるんだけど。
 ああ、なんだろ、皮肉だなぁ。
 なんだか今回のサントラの曲を聴いてると、第一期のそれとは全く逆に、画一的な物語性を感じ
 ちゃったよ。
 ひとつしか物語が無い、なのにホロはそれに囚われながらも。
 その囚われた自分を、楽しんでた。
 強く美しい自分を堅持したいがために、その強く美しい自分の物語を壊したくないがために、
 その強く美しい自分に囚われ、その強く美しい自分の物語を壊せないということを、隠蔽する。
 ホロは、その自分を、見破っていたんですね。
 だからこそ、あんなにもどこまでも、見苦しいとさえ言えるほどに、あらゆる手立てを講じて、あらゆる
 自分の物語を描き、そうして圧倒的に「変わって」いく自分をも受け入れて、絶対にそれでも、「幸せ」
 に生きることを諦めない、という自分を変えることは無かったのです。
 だから、サントラの曲を聴いてると、ホロが敢えてひとつの物語に、ひとつの自分に囚われ、健気で儚い
 可憐な少女に執着している、その物語こそが見えてくる。
 そしてなにより、その物語を笑いながら、そしてなにより壮大に虚仮にして、圧倒的にその中で、
 「狼」として貪欲に生きていくホロの姿を、感じられずにはいられませんでした。
 第一期のときの、豊穣無辺な、無数の世界を感じさせるようなものでは無い、全く逆の一辺倒の、
 単一的に収まる物語の支配する、私達の街の音楽の中でこそ、そこでこそ真にひとりの狼として
 踊ることが出来たら・・・・
 第二期は、まさに、まさにそうでした。
 第一期のホロからは想像出来ない、人間的なホロが第二期にはいました。
 なのに、どうしようもなく、この第二期のホロこそ、人間的である事に囚われずに、しっかりと羊の皮を
 被って謳っているのが感じられたのです。
 
 
 
 

 それはまさに

 

狼のうた

 
 
 
 
 なんか涙止まらないもの、いやマジで。
 羊のうたで越えられなかったものを、この狼と香辛料という作品こそが突破してくれたよ。
 ああ、ひとりって、こんなにも豊かで、楽しいものなんだなぁ。
 だって、私というひとりが此処にいるから、こんなにも私が私のことが好きだから。
 みんなが其処にいるという事をなによりも感じられて、そしてみんなのことが好きになるのだから。
 その中に、物語が生まれる。
 沢山の、沢山の物語が生まれていく。
 それをひとつだけ取り出して、それだけを抱き締めて心中するだなんて、とんでもない。
 物語は、いくつでもどうぞ。
 物語自体は、あなた自身じゃ無い。
 私が此処にいて、あなたが其処にいるから。
 そのふたりの狼が出会うからこそ、そこに、ふたりが楽しく演じることの出来る、物語が生まれてくる。
 大事なのはその物語では無く、その物語を生きるそのふたり。
 だから。
 そのふたりのために、物語はいくつでも、新しく作っていける。
 それが出来ないというのなら、それはすべて。
 物語に、囚われているから。
 物語をすべて捨てるのもまた、物語に囚われていると同じ事。
 普通とか常識とか、そういうのも全部物語よ。
 自分の描く私像も、他者像も、世界観も、歴史も、宗教も、学問も、なにもかも。
 私と、あなたの存在以外、すべて、物語。
 いえ。
 私達が、此処と其処に存在していると、私達が認識していると思う事自体、それも物語。
 ほら。
 物語はこんなにも、沢山あるでしょう。
 ひとつの物語に囚われるにも、物語をすべて捨てるにも、この世界はあまりにも、豊か。
 
 んまぁ、だからという訳じゃ無いんだけどさ、そういうの無視したくないよねぇ。
 というか、豊かさを無視したくないというか、希望から目を逸らしたくないというかさ。
 だって、私ら生きてるんだもん、諦めたくなんてないもん。
 そう言う意味でさ、ホロってなによりも、私達に、どうしたら諦めなくて済むかを、まさに私達のレベルで
 真摯に考えて感じて、そして教えてくれてるんだよね。
 ロレンスなんか、もうあの人そういう意味では、ずっと興奮しっぱなしじゃない? (笑)
 私もそうよ、泣きっぱなし以上に興奮しっぱなし、もうこの狼と一緒に考えて感じていくのをやめられない
 ですもん。
 なんか、愛とか萌えでもいいよ。
 それでもいいし、そういうのもあるよ実際、そういう風にしてみんなも盛り上がってくれると嬉しいし、
 私もほんとにホロが好きだから堪らないし、けど、それ以上に。
 
 私にとって、ホロは最高のパートナー。
 
 言い換えれば。
 同志。
 ロレンスも同志だよ勿論。
 狼と人と、そしてまた人と狼と。
 みんな、こんなにも本当に、真摯に希望を諦めずに、生きたいんだよねぇ・・・
 もう・・・たまらなくって・・・・・・嬉しくて・・・・・・
 ホロの事は大好きだけど、その大好きさに囚われて、ホロと孤独の森に帰るのは、嫌。
 好きだけど、好きで元々、うん、それは横に置いといて、横から邪魔されつつ、うん、やっぱしなによりも
 ホロと一緒に、狼のうたを大らかに盛大に謳い続けていきたいよ。
 そのために、智恵と勇気が、いる。
 ホロはホロであると同時に、神様でもある。
 エーブが言ってたように、智恵と勇気を持つものこそに祝福はある。
 そしてホロは神様であると同時に、ただのホロでもある。
 だから、好き。
 だから、そのただのホロに萌えることに、いえ、好き対象萌え対象としてのホロが、狼神賢狼のホロに
 あることが、とっても大切なことだと思う。
 うん。
 ホロってだから、最高のキャラクターだと思う。
 神様だけど、ひとりの少女でもある。
 好きとか萌えとかだけじゃなくて、だから人間的に寄り添うことも可能。
 そして、だからこそ。
 だからこそ、それが神様の持つ像のひとつであるという事から、その人間性というものそのものを照らし
 出して、改めて私達自身がそれを見つめてみることが出来る。
 私達だって、神様でしょ?
 人の数だけ、神様はいる。
 存在という、神が、いる。
 
 
 
 まぁ、その辺りはどうでもいいや、自分でも語るのダルくなってきたし。 (ぉぃ)
 うん、大事なのはさ、というか私が一番お話したかったのはさ。
 愛だろ、愛、ってこと。 (いつものパターン)
 というかさ、神様でも物語でも理屈でもさ、それが「正しい」からというだけじゃ、それとは生きられない、
 というか、むしろその「正しさ」のせいにしてそれに縋っているだけだろそれはというかさ、だから、
 大事なのは大切なのは、それが「好き」ってことなんだと思う、自分自身が。
 ロレンスが、お前が好きなんだ、ってホロに言ったのは、もう、めちゃくちゃ重要だよ。
 というか、第二期の一番のメインどころだよね。
 ロレンスがホロを好きだからこそ、どうしようもなく好きだと言えたからこそ、ホロの頑張りが、そして
 ロレンスのぶちかました哲学が、初めて、ロレンスにとって主体的に背負っていくものだという、その価値
 が生まれたんだよね。
 私はホロが好き。
 だから、絶対に、ホロと生きることを、ひとりの狼を生きることを諦めない。
 私は私が好き。
 だからいくらでも、私は諦めずに、変わっていける。
 そういうこと。
 理想論とか正論とか馬鹿にしたりそれに自信が持てないときは、それはその者がそれを愛してない
 からだよね。
 愛していれば。
 好きなら。
 それはもう夢物語では無く、ほんとうに、どこまでもいつまでも、叶えるための、現実的な目的だよね。
 そのために、変えることが出来ないはずの、その現実という物語を、変えていくための智恵と、そして
 勇気こそが必要なんだよね。
 そして、その智恵と勇気を、どうしようもなく引き出してくれる、そんな希望が。
 そんな、他者が。
 そんな、狼が。
 この世界には、いるのです。
 ええ。
 とっても、沢山。
 
 
 うん、狼と香辛料はどうも大人気みたいだし、ホロ萌えも数限りなく輩出したみたいだし、なんだか
 とっても私は嬉しい。
 嬉しくてさ、もう、語彙無いけど、嬉しいよ。
 萌えでいいのよ、ほんとにさ、萌えを恥ずかしがらないで、いや恥ずかしがるのはいいんだけどさ、
 うん、その恥ずかしさをさ、まさにホロばりに手練手管のうちの一手として使ってさ、なんかもっと力強く
 進んでいって欲しいって思える。
 私も、もう随分狼グッズ買っちゃった、買っちゃいましたよもう、穴があったら入りたいっていうか私を
 埋めたいですよ、でもグッズはべつな、グッズだけ埋めずにその埋められた穴の上に置くのな、そのグッズ
 があるから、私はその穴からだって這い出せる、いやぬし、まさかぬし、そうしてぬしがグッズを手にする
 ためにこそわざと穴に埋まったのかや!、ああそうだ、とか。 そして狼にたわけと罵られ足蹴にされるとか。
 まぁなに言ってんのかわかりませんけど、うん、なんか、グッズがすっごくあったかい。
 お守りというかなんというか、うーん、違うな、なんか自分の信仰の証とかそういう冷たいものじゃ無いし、
 もしくはそれに縋るみたいな感じでも無いし、なんだろ、狼のある暮らし、みたいな、なんかほら、
 ちょっと嬉しいじゃない?、今狼のマグカップにコーヒー飲んでたらさ、なんだか嬉しくって。
 アニメのキャラグッズ買ったのなんて、トトロのぬいぐるみ以来だし(たぶん10年くらい前)、というか、
 今回の狼のこれは、ぬいぐるみとかそういう飾り物じゃ無くて、実用出来る道具というか、そういう視点
 で選んで買って使ってる。

 
 ■携帯ストラップ ×3
 ・・・麦袋とデフォホロのと、リンゴと通常ホロのと、リンゴとデフォホロの三種
 ・・・現在はリンゴと通常ホロバージョンを装着中
 ■ストラップ
 ・・・ホロの尻尾。ふさふさです。次に携帯に装着予定
 ■ファスナーアクセサリ
 ・・・ホロがにかっと笑っとる。可愛い
 ■キーホルダー
 ・・・ホロの顔とたぶんリュミオーネ金貨柄のふたつで構成。綺麗
 ■ホロのお守り風ミニポーチ
 ・・・ホロが首から提げてるあの麦袋そのまんま。実用性無いじゃん!
 ・・・けど悔しいので、コート羽織る冬頃にこっそりバレないようにしてみたい (夢)
 ■巾着袋
 ・・・家での携帯の下敷きに使うという変則プレイ実行中。なにか入れようよ
 ■てぬぐい
 ・・・リンゴ柄の中でホロがにかっといい笑顔。なんか・・使うの気がひける (小心者)
 ■ブックカバー
 ・・・紺色の一番地味な奴。お店行ったときこの柄しか無かったから仕方なく
 ・・・なのに次に行ったら沢山あって頭来たので、ロレンスも描かれてる白バージョンも買うかもしれぬ
 ■クリアブックマーク
 ・・・つまりしおり。ホロ二種で二枚セット。なんか折れそうで怖い
 ・・・なのでステンレス製の丈夫な方も買うかもしれぬし買わぬかもしれぬ
 ■ペンケース
 ・・・現在筆記具使うことがほとんど無いのだけれど、これを期に使うことにしたゾ! (家限定)
 ■カラフル6色ペン
 ・・・シャーペンも入ってる。使い勝手や良し。ていうかこれは気に入りました
 ・・・ペンケースに入れるのがこれだけなのも寂しいので、他の狼ペンを現在捜索中
 ■下敷き
 ・・・選択条件:アニメ絵で、あまり萌えっぽく無いやつ
 ・・・結果、一番当たり障りの無い面白みの無いのを選択。ロレンスとホロがふたりで馬車乗ってるの。
 ・・・もう一回、チャレンジするかも知れぬし落ち着くかもしれぬ
 ■パスケース
 ・・・居眠りデフォホロのミニキーホルダー付き。しかし全体的にちょっとダサい (ならなぜ買った)
 ■モバイルクリーナー
 ・・・振り返りホロバージョン。黄色。携帯画面拭くしか用途無いっていうか、必要無い (ならなぜry)
 ■光学式対応シールマウスパッド ×2
 ・・・えっとこれって、そのまま敷いて使うの?それとも剥がして貼るの? (まだ未開封)
 ■湯飲み
 ・・・「気高き狼神には高級茶しか似合わぬじゃろう?」
 ・・・ということで美味しいお茶飲むときと、お酒飲むときの差し水用に使ってます。もはや愛用品レベル
 ■マグカップ
 ・・・このホロがグッズ中一番可愛い。デザインもすごく好み
 ・・・最近コーヒーにハマってるので、がっつりコーヒー頂いてます♪

 
 それに某アニ○イトでやっていた狼フェアでもれなく貰った、円形のしおりがあるのだけど、普通にただの
 紙なので、ていうか丸いので実用度低し。 あとカラーじゃ無いとか実に笑えました。(微笑)
 これ全部に、予約してある来年のカレンダーと、サントラ二枚を合わせたら余裕で諭吉がひとり逝く。
 というかたぶんサントラ除いても、逝ってる。
 諭吉が! 諭吉が狼に喰われた!! (やめい)
 
 とまぁ、もはやすっかりなにを書きたかったのかわからなくなってきてしまいました。
 てかグッズの事書いてたら別次元に楽しくなってきちゃって、大混乱。
 でもその別次元の楽しさがさ、狼というものでひとつに繋がっているのが、こう、うん。
 嬉しい。
 ・・あんた今日ほんと、嬉しいしか言ってないよね? はい。
 まぁうん、もうこんだけさぱっと白状しちゃったわけですからね、これ以上無い狼オタクぶりを発揮して
 発表してみせたわけですからね、というか皆様、思っていた以上の惨状を目の当たりにされたと思うの
 ですけれど落ち着いてくださいまだ紅い瞳は大丈夫ですだいぶ大丈夫の方向です、いやこれはもう
 駄目かもしらんね、というかもう後には退けないっていうか前に行く気満々ですけれどね、というか、
 まだまだ買う気ですからねこの人は、あれよあれミニクロック、出てるはずなのにまだ一個も見たこと無い
 ミニクロック欲しくてまだ探してますよこの人は、今度電フェス行くかも知らんよ、ていうかさ。
 え・・・
 なにげにそれって・・・私のアニメ系イベント初参加、じゃないの?
 正確に言えば、電撃キャラクターフェスティバルなので、アニメっていうかコミックとか小説とかもだけど、
 そういうことじゃ無いでしょ、重要なのは今までそういうイベントに欠片も足を伸ばす気が無かったこの
 たわけが・・・・・・・いや・・・たわけだから調子に乗って足を伸ばして・・・・・・どっち? (どっちでもええ)
 まぁほんと、行くかも知れぬし行かぬかも知れぬしほんとに逝ってくるかも知れぬ。
 うん。
 いい感じ。
 うん、冗談抜きでね、うん、まぁ、ただ行って観て買って帰ってくるだけだけど、なんかこう、そういうアニメ
 との実際上の触れ合いというか付き合いというか、生活の中にちゃんとそういうものがある、その文化
 としてのアニメと接する、その第一歩、はもうこんだけグッズ買って使ってりゃとっくに踏み出してますか、
 踏み出してますね、じゃあ第二歩をさ、第一歩に続けみたいな感じで、こう、やんわりとまったりと、
 踏み出していこうか、いやちょっとボケて踏み外してみようか、いやはよいけ、はい、というか、そういう
 感じで、うん、以前からの目標だったこういう生きてるアニメ文化の創出の、その中のひとりとして、
 私は生きてみたいなって、思ってます。
 
 
 そのパートナーとして、私は狼を選びました。
 とかまぁ、そんな大袈裟なもんじゃないけど普通に浮気いやなんでも御座いません。 (微笑)
 
 
 狼の面白さ素晴らしさを他に繋げていけたらいいな。
 他っていうのは、他の人にっていう意味と、私の他のものにっていう意味のふたつがあるよ。
 なんていうか、アニメってもう、消化したり評価するだけじゃ、済まないんじゃないの?
 物語。
 アニメって、物語なんだよね。
 それがこんだけ世の中に出てきてるってさ、それって私達のなにかを相対化するためには、とても有効
 なものだと思う。
 なにかは人それぞれだと思うけどね、私はうん、狼を使って、狼と共にうたいながら、他のアニメとも
 ひとつひとつ繋げていって、私というこの存在にとっての物語を、沢山作っていきたいなって思う。
 まぁうん、その辺りはほんとに。
 まったりゆったり、って感じでやっていこうかな、って。
 でも。
 こんなすごいもの、ほっとけない。
 私の前に、もう。
 狼は、いる。
 
 
 まぁ、うん。
 くれぐれも、お金の使いすぎには気を付けましょう。 (注意点はそれだけです)
 
 
 
 ということで、これから狼始めます。
 どういう意味かは、私もわからぬ。 (ぁ)
 
 
 
 
 
 
 

 

-- 090928--                    

 

         

                              ■■ 狼と白銀の幸せ 2 ■■

     
 
 
 
 
 
 

 
 『だいたい、なんでそんなに悲観的なんだ?』

 
 『こうやってめそめそしとる方が、ぬしの好みなんじゃろ?』

 
 

〜狼と香辛料U・最終話・ロレンスとホロの会話より〜

 
 
 
 
 
 
 
 
 深く凍り付く水底が、ゆっくりとその目覚めを始めていくかの如く。
 その一歩は鮮やかじゃった。
 轟々と盛大に火焔の狼煙を上げる、その雄大なざわめきは圧巻じゃった。
 終わりある祭りでは無く、終わり無き世界の、その息づきのままに、それは静かに荒れ狂っておった。
 わっちが消えても、ロレンスが消えても、この世界は消えぬ。
 その寂しさを湛えながら、けれどそれは鮮烈な愛しさを覚えるままに、幸せなことじゃった。
 静かで、ただ教会の鐘の轟音だけが鳴り響く、まさに荘厳な野蛮さの支配する朝じゃと言うのに。
 ただ、わっちは愉快じゃった。
 不謹慎、という誹りを手玉に取って美味しく頂戴出来るほどに、その抑制の利いた争乱の雄叫びは
 心地良かった。
 それは破壊でありながら、新生でも再生でも無く、壊し続けていくことで剥けていくだけの、この世界の
 本質の開陳じゃった。
 おーおー、やっとるやっとる。
 張り詰めた空気と、身を切る冷気が、鐘の音の荘厳さを激烈に引き立てているというのに、わっちは
 ただその荘厳さこそを肴にして、確かにこの白い粉雪の降りしきる朝に降り立っておった。
 一歩一歩、贅沢に消費していった。
 あまりに。
 当たり前過ぎた。
 一歩を刻み砕ける雪の命が磨かれ、搾り取られ、この上無い美酒となる。
 踏み締めれば踏み締めるほどに、それは上質な爽やかさを纏いながら、喉を潤していった。
 雪じゃ。
 雪の中で炎が猛っておる。
 雪の命を吸って、皆それに溶けるままに豊かに生きておった。
 白銀の街が、わっちらの前には広がっておったんじゃ。
 
 
 どうすれば良かったのか、俺にはそれだけがわかっていた。
 それはただ、けじめをつける、ということだった。
 だがそのけじめを付けるという事の意味を、俺はずっと知らずにいた。
 知らずにただ、無数に線を引き、固め、そしてけじめを付けていった。
 なぜ俺は、こんなにも頑ななのだろうか。
 自らの物語を解けば、どこにも不自然な偏りは無いはずなのに、その物語を生きている俺という当人は、
 紛れも無く息苦しさを感じていた。
 俺はただずっと、その息苦しさを紛らわすために、物語を、俺を、作ってきた。
 その物語こそ、その俺こそ、俺を苦しめ閉じ込めているというのに。
 俺は一方でだから、俺をその物語の中に、その俺の中に閉じ込めたかった。
 いや、とにかく、なにかに閉じ込められそれを苦しんでいたかったんだ。
 いいや。
 俺は、その俺を苦しめ閉じ込められる、その物語や俺無くしては生きられないような、そんなもので
 いたかったんだ。
 そうすれば、その物語や俺を作ることに必死になれるだろう?
 必死になればなるほどに、それによって作られ綴られる物語と俺の質と精度は、愕然とするほどに
 上がっていくんだ。
 そう・・
 その質と精度とは・・・
 俺を、その物語と俺に閉じ込め苦しめる、その事自体の質と精度なんだ。
 俺が俺の築いた物語と俺を誇らしく思えるほどにそれを磨けば、俺はもうそれしか見えなくなる。
 そう、したかったんだ、俺はずっと。
 けれど、それは、俺がそうしたかったんだと、そう思えてしまってはいけないものだった。
 それは、ただずっと、おぼろげで、いつも心の中にありながら、いっこうに像を結ぶ事の無い、
 儚い想いだった。
 俺はただ自分を閉じ込め苦しめ、ただひとりだけの世界に入るために、他の者や物をそのために用立て
 ていただけだったのではないだろうかと、そんな言葉としてそれは俺に降りかかることは無かった。
 ただ不安だった。
 そしてそれはただずっと、それを打ち消して前に一歩強く踏み出すための、そうした俺の孤独の前進
 のための、そのための糧としての不安だった。
 そして俺は。
 ホロに、出会った。
 
 
 そうじゃのう。
 正直言えば、忘れた。 くふふ♪
 ぬしと最初に出会ったときのことはよう覚えておるが、そのときわっち自身がなにを想っていたのかは、
 あまり思い出せなんだ。
 ただのう。
 わっちゃあ、静かに興奮しとった。
 人間の体を取り、風に毛皮無き裸身を晒し、その深くざわめく冷気が、どこまでも広がっていくのを、
 全身全霊で感じとった。
 嬉しかった。
 ロレンスどうこうというより、そのひとりの男の前で、大きく息を吸って、その夜の中で白銀に輝ける、
 そのわっちの姿こそが嬉しかった。
 あのときから・・そうじゃ・・
 わっちの、ロレンスとの物語は始まった。
 不思議じゃのう。
 わっちはずっとただ、その興奮のままに、ぬしとこうして旅をしてきた。
 なのに、不思議なことに、ぬしと同じく、不安をずっと感じておった。
 わっちはの、ロレンス。
 ひとりが、嫌じゃった。
 ぬしの話だと、ぬしはまるでひとりを望んでいるようじゃったが、それは違う。
 ひとりしか、無かったんじゃろ?
 なのに無理をして、物語を築いて、けれどそれはいつしか必ず破綻する事を見越した上で、いや、
 破綻させ自らを追い込むためにこそ、その閉鎖された物語は綴られてきたのじゃろ?
 ぬしは、ひとりが嫌じゃった。
 じゃが、ひとりしか所詮は無いと諦めることで、そのひとりである事を受け入れたかったんじゃろ?
 本当に嫌じゃから、耐えられぬから、受け入れてしまえば、もう怖くは無い、と。
 そのための物語しか、ぬしには無かった。
 ぬしの物語は、そのぬしの孤独を受け入れるための、まさに生け贄にしか過ぎんかった。
 所詮物語は物語、だから俺はひとりでしか無い。
 いや、ひとりで良いのだと。
 そう、諦めるために。
 そのためになら、ぬしはぬしの築いてきた物語のすべてを、財産も、友も、世界も、なにもかも、捨てる
 事に躊躇いは無く、いや、躊躇いを無くすことこそ肝要と踏んで、まさに諦めるために修行をするのじゃ
 ろ?
 執着を捨てろと、なにが執念かと見極めて、如何に潔く捨てるかを、ぬしは最終的に自らに説くつもり
 じゃった。
 ぬしは物語を捨てるためにこそ、最後にそれを徹底的に破壊するためにこそ、いや、破壊するに値する
 ほどの、高価な物語を築きたかったんじゃろ?
 その高額の喜捨を行えるための財産を築くためにこそ、ぬしは無心に頑張り、そしてその盲目な頑張り
 をぬしに続けさせるためにこそ、ぬしはぬしの強固で苦渋に満ちた物語と、ぬしという自分に閉じ込めて
 きたのじゃろ?
 わっちゃあ、ひとりは嫌じゃ。
 ぬしも、そうまでして、そこまでするほどに、ひとりが、嫌だったんじゃ。
 
 
 ホロに魅せられていた。
 正直に言うよ、俺はお前が好きだ。
 だが、お前に魅せられているということと、俺がお前のことが好きだということは、厳密に言えばイコール
 では無い。
 俺はずっと、お前に出会ったときからお前に魅せられ、そして俺は俺の逃れられぬ孤独と向き合う羽目
 になっていき、そして俺はやっと俺の不安の本質を見つめることが出来た。
 だが、いつしか、それだけになっていた。
 俺はなんのために、不安を見つめるのだったか?
 ただ己の欺瞞、つまり孤独からの逃避としての孤独の受容を行わぬように、決して消えぬ孤独の存在
 をこそ見つめ噛み締め、そしてひとりで戦っていくことを続ける覚悟に身を染めていった。
 ああ、そうだ。
 俺がお前に、なにより魅せられたからだ。
 白銀に輝く、その唯一無二の姿を見たときから、俺の孤独の世界は、俺に向けて全霊で飛び込み
 続けていた。
 俺はお前に魅せられた。
 孤独と向き会い続け、自分自身の存在のままに凄まじく生きているお前の姿に、ああ、俺は千年の
 夢を覚まされたような感触だった。
 俺は俺を少しずつ開いていった。
 だが、俺は。
 ひとりで戦うだけだった。
 ホロ、お前はただ。
 ひとりと、戦っていたんだな。
 ひとりである事を恐れるあまりに孤独を受け入れるのは、ただの誤魔化しだ。
 俺はそうしてきて、またそうしようとしていた己の姿に気付き、そして俺はひとりであることのままに、
 その恐怖に負けずにそれと向き合った。
 だが。
 ホロは、違ったんだ。
 ホロは、本当に。
 ひとりが、嫌だったんだ。
 ひとりを誤魔化すのも、ひとりで戦い続けるのも。
 ホロが望んでいたのはただ・・・・
 そして俺が本当に望んでいたのは・・・・・
 そこに。
 俺がホロを好きという、その答えがあったんだ。
 俺はお前が好きだ、ホロ。
 俺と一緒に、ふたりでいこう。
 俺も、ひとりは嫌だ。
 悟り切ってすべてを捨ててひとりを受け入れるのも。
 そして。
 俺は・・・
 ひとりで、稼ぎ続け、戦い生き続けるのも、嫌だ。
 ふたりで、いきる。
 それが俺が本当に求めていたものだった。
 俺の物語は、ただそのためだけに、あったんだな。
 俺が求めているのは、それだったんだ。
 
 
 
 
 
 
 

さざめく黄金の輝きが街を染め

白銀に輝く街が笑いさざめいている

 
 
 
 
 
 
 涙が頬を濡らし 暖炉の影は豊穣に栄えている
 夜の帳を濡らす雪は無音を晒し 氷牢と化した床は泣いている
 しかし それを照らす灯りの影は消えない
 轟々とうなりを上げて 夜が啼いている
 爪先が解けるまえに ただ此処にあるがままに 生きている
 こんなに この街には希望が開けておる
 こんなに この街には絶望が広がっておる
 必死なんじゃなぁ
 ああ だが 豊かだな
 そうでも無いところが味噌じゃがの
 ああそうだ そういうところへ豊かな物を運ぶことで
 利が 生じる
 わっちゃあ その利を産む商人共の神になりたいんじゃ
 それは心強いな 正直 祈る神がいなくて難儀していたところだったんでな
 くふ その神に 祈るだけでいいのかや?
 いや
 
 
 わっちゃあの、ロレンス。
 正直、もうちょっと饒舌に、その、色んな歓びを語りたかったんじゃよ?
 紅く、青く、深くどこまでも、わっちの肌にはその色鮮やかな嬉しさが広がっておったんじゃ。
 じゃがなぜか、口がよう回らぬ。
 これまた正直・・・
 わっちは、ぬしがどう考え、どうやってわっちの元へ帰ってきたかを問い質したい。
 じゃがの、わっちにはわかってしもうた。
 ぬしがあの狐となにを話し、なにをされ、そしてなにをしたのかも知らぬ。
 じゃが、ぬしの目を見れば、ぬしがどんな時間を過ごして、そこでなにを得てなにを失ったのかは、
 わかってしもうた。
 なぜか、わかるかや?
 
 
 『なにか待っていると思うほど、お前は少年なのか?』
 エーブにそう言われて、俺は圧倒的に、そしてどうしようも無くわかってしまった。
 俺のことを・・・そして・・・なにより、お前が死ぬほど求めているものが・・・
 エーブは、期待していると言った。
 不毛で、虚しくて、それでも金の亡者の如く稼ぎ続けるのは、いや、そうして物語を重ね続けそれに
 己を閉じ込め、そしてその果てにその物語の破綻を迎えることで、孤独の受容か、もしくは潔く美しい
 死に至るを求めてのことだと、それがわかっていながらも、それを必死に続けているのは・・・
 期待しているからだ。
 変わると。
 そうして必死に生き続けた果てに、孤独では無い、死では無いものが待っているということを・・
 信じて、祈って、そして。
 なによりもそれを期待して、圧倒的に絶対的にその自らの行為を見つめる眼差しの力を失わない
 からだ。
 俺は・・・
 ホロに出会った。
 俺は・・・・俺は・・・・・・・・・・・・・・
 ずっと・・・ずっと・・・・・・・それを期待していたんだ!
 それは無意識のことだった。
 俺は・・・どんなに俺の物語に囚われ翻弄されていようと・・・・心の奥底で・・・ずっとそれを・・・
 諦めていなかったんだ・・・
 このままなにも無く生き続ければ、俺は孤独か死を得るだけ。
 俺の目的は孤独でも死でも無い。
 俺は・・・・最初からきっと・・・わかっていたんだろう
 俺を変えるのは、俺では無いと。
 俺は、俺の中だけに世界があるなどと、思いたく無い。
 俺は、俺を変えることはいくらでも出来る。
 だが・・・その極限まで俺が俺を変えることをしても・・・
 それは、俺という範疇から、俺というひとりから抜け出すことは出来ないんだ。
 俺が死んでも、俺が消えても、世界は消えない。
 いや、俺がこうして生きている間にも、俺の知らない世界が、其処此処に息づいている。
 俺は・・・・・そういうものと、出会いたかった
 俺では無いものと、出会い、そして。
 俺を超えて、遙かに超えて、変わり生きて生きたかったんだ。
 そのためにこそ・・・俺はきっとどこかで・・・・・・その出会いまで、しっかりと生きる覚悟をしてたんだ
 物語に囚われながら、孤独と死への道筋を辿りながら、俺は・・・・
 俺の知らない、不思議な、けれど確かに生きているその当たり前な世界を・・・・
 生きて、みたかった。
 希望と可能性が、たとえ俺を閉ざしても殺しても、それでも俺は閉ざされ殺されながら、その閉鎖と
 殺害を称える事までしながらも。
 俺はずっと・・・・
 俺の中の不安・・・
 そう・・
 その希望に晒されている、この俺の絶望を感じながら、生きていた。
 待っているだけな訳が無い。
 だからこそ、虚しいとも不毛とも誹られようとも、それ自体がなにかをもたらす事など無いと完全に知り
 ながらも、それをこそ踏み台にして生きることが出来る境地を、俺はずっと求めていたんだ。
 ホロも。
 同じだったんだ。
 そしてホロは、俺に教えてくれたんだ。
 はっきりと、輝くほどに鮮明な、その饒舌な涙で。
 俺は俺の不毛な物語を、それを最終的に破綻させる事で、孤独を受け入れるためにこそ、その踏み
 台として利用していたのだということを。
 それを踏んで、高く飛び着地するその場所を間違えてはおらなんだか?、とホロは無言の圧力を
 俺にずっとかけ続けていた。
 俺は、それに、やっと気付いた。
 俺は・・・俺は・・
 
 『エーブは命懸けで利益を追い掛けるだろう。
  それが手に入れた瞬間、色褪せるだろうとわかっていても。
  
  その姿勢は、商人として見習うべきだ。
  だから俺も、真似してみることにした。』
 
 
 ああ、ホロ
 
 お前もそうだったんだよな
 
 
 
 たわけ
 
 わっちは、わっちこそ、わかっておらなんだのよ。
 ぬしが、ぬしこそが、ぬしの言うそのことこそを、なによりわっちに教えてくれた。
 だから
 涙が止まらんかった
 信じて 信じて 絶対に諦めずに
 なのに
 いつのまにか それがわからなくなって
 本当に もう 駄目かと 駄目だと・・・
 そうしたら、ぬしが、たわけなぬしこそが・・・・
 期待に応え過ぎじゃ、たわけ!
 わっちの期待を遙かに超えて、ぬしは逞しくやって来すぎじゃ!
 まったく、もうこれでは逃げられぬではないか。
 ぬしと物語を綴り続けていくしかないではないかや。
 『じゃがな。』
 
 

『わっちの連れが、ヘタレの商人では困りんす。

よもや本当に儲けを奪われたまま、尻尾を巻いて逃げ出さぬよな?』

 
 
 
 よよよと、潔く儚く、そして可憐に、これみよがしにぬしに優しくして魅せよう。
 ぬしがそのわっちの姿をどう使うかは、ぬし次第。
 じゃが、わっちはそのわっちの姿を利用するぬしを、またさらに利用するからの、覚悟しておけ。
 そしてぬしがわっちになにかを求め続ける限り。
 ひとりは嫌だとふたりで生きるために足掻き続けるのなら、わっちはいつでもぬしを罵倒しよう。
 わっちの優しさは大層怖いそうじゃからの、ゆめゆめ油断ならぬぞ♪
 ああ、そうだな。
 お前とふたり生きるために、それに相応しい俺じゃ無くちゃだな。
 そしてまた。
 俺もまた、姫様を孤独の部屋から連れ出す、勇敢な商人にならなければな。
 お前が神なら、俺は商人だ。
 お前が狼なら、俺は人だ。
 お前がお前なら、俺も俺だ。
 そうじゃな
 言葉はもう不要かや?
 いや、まだだ。
 商人に言葉は不要だという事は無い。
 ホロ、俺は語り続けるぞ。
 ふん、わっちとて騙り続けることに変わりはありんせん。
 悲観はただ、それを続けることで、いつか必ず楽観に至ると期待しておるからじゃ。
 わっちが健気に演じるのは、ぬしがそれに騙されても、必ず最後には気付いて帰ってくると。
 わっちこそが、信じておるからじゃ。
 ああ
 そのための 俺達の物語 なんだな。
 そうじゃ
 言わずともわかろう
 
 
 
 
 
 
吹き抜ける朝が天を焦がし
闇はその街へと吸い込まれていく
色褪せていく涙達が慟哭をそれでも続け
胸を打つ麦の熱さが解けていく
街が
広がっている
どこまでも どこまでも
人と人を
人と狼を
繋ぐ街が
この世界には広がっている
 
楽しみじゃ
 
 
わっちはただ本当に 
 
 
そう 思っとった
 
 
 
 
 もうなにも言えることなど、語れることなど無いとも思うのですけれど。
 しかしどうしても、語らずにはいられない。
 凄すぎて、凄すぎて、結局なんだか説明しようとして、説明するだけで終わった上に、その説明だけで
 良いのだろうかという思いが強く残り、結局それに引きずられてなにも説明出来ずに終わってしまう。
 正直、ホロが泣き出した時点で、私のこれまでの人生は終止符を打っても、惜しくは無いと思いました。
 ただそれは、なんというか、ごくごく当たり前にある、それこそ何度でもある終止符のうちのひとつを、
 たぶんおそらく、初めて私の胸の中に打ったのではないかと、そう思うのです。
 わっちはようわからぬ。
 わからぬままに、生きとった。
 言葉に出来ずに、言葉にせずに、じゃが、言葉を無くしてはいけぬと思いながら。
 私にはとてもホロのことがわかるのに、どうしてかな、そのわかることを言葉にして表せない。
 どうしても、わかったことの、その言葉の表面を説明することしか出来ない。
 そしてそれは、一斉に、私の流す涙によって流されてしまうのです。
 狼万歳。
 この言葉に無力さを今日ほど感じた日はありませんでした。
 この最終回は、それそのものだけ観たら、なにもやっていません。
 この最終回は、ただただ。
 ただただ、なるべくしてなったものを、そのまま描き出しただけのもの。
 でも。
 それが、私には堪らなかった。
 堪らないほどに、どうしようもないほどに、私は狼とひとつになれた。
 ロレンスのことを、なによりも大切に感じました。
 なによりもホロのことを、好きだと感じました。
 ロレンス的にとか、ホロ的にとか、今まで私が説明してきた、私の立場からの見地には、もう、
 あまり意味がありませんでした。
 最終回の感想を二部に渡って書いてきて、想いました。
 
 ああ、私。
 すごく。
 すごく、感情を書いてるな、と。
 
 理屈などいりませんでした。
 ただただ、理屈を吐きながら黒く微笑むホロしか、其処にはいませんでした。
 エーブの話を聞いて、自分の中にあったものに感応していったロレンスしか、其処にはいませんでした。
 最後にして、私は正直になれました。
 説明する意味が無い。
 いえ。
 私の説明、私の理屈を聞いて、見て、それに感応してもされても、それは私の望むところでは無い。
 この最終回は、そうでした。
 私はただただ、この最終回を見て聞いて、それに感応した私こそだけを、描きたかった。
 ホロの吐く理屈をホロに吐かせながら、しかし決して私がホロの理屈を説明する風としては描かない
 ように。
 難しいものですね、まったく。
 なんだかもうほんとうに、この最終回を観たことで、私のすべてが全停止した思いです。
 ホロに初めて出会ったとき、俺は其処に、俺の知らない世界があることを実感した。
 それは驚きでも恐怖でも無く、ただそれは、興奮だった。
 そして、なによりも深い・・・・・・・安堵だった
 ああ俺は・・・ずっとこれを求めてたんだな・・
 わっちゃあ、ロレンスの胸の中で初めて泣いたとき、それがわっちの演技で無いことを、わっち自身、
 初めて知ったのよ。
 じゃがそれは、本気に自分の感情のままに振る舞ったときは、嘘など吐けぬ、という意味では無かった。
 わっちはの、そのとき嘘も本当も、無かったんじゃよ。
 ロレンスに、なにかを伝えようなどと。
 ホロになにかを伝えようなどと。
 俺は、わっちは、全く全然思ってはいなかった。
 私も、それこそは、語る気になれませんでした。
 いえ、語る語らないなど、関係無かった。
 
 
 私はこの最終回のあまりの輝きぶりに目を奪われ、そしてこの最終回のあまりの暖かさにこの身を
 委ねて感じる、その私自身の気持ちにこそ、触れていたのです。
 
 
 圧倒的に、どうしようも無く。
 この作品は、「わかる」ということを突き放した作品でした。
 だからこその、「嘘」。
 嘘とは、最も正確に本当に導くためのもの。
 その本当のものに辿り着いたら、もう嘘も本当もいりはしない。
 突き放されて、突き飛ばされて。
 けれど、それでもわかろうとして、わかる事自体の呪縛からは解き放たれて。
 ただただ、求めるもののためにこそ、わかろうとしていく、そのロレンスが、ホロが。
 そして私が、此処にはいました。
 何度も言うておるじゃろ?
 なぜ嘘を吐くか、それを考えることこそ肝要じゃと。
 嘘で包むことでしか、その求めるものを真に得ることが出来ぬと思うからこそ、そこに嘘を吐く動機が
 生まれてくるんじゃ。
 この狼と香辛料Uの最終回に於いて。
 私は、ホロが求めていたものが、やっとホロの手に入った瞬間を目撃しました。
 たわけと呟きながら、泣きじゃくるホロ。
 嘘を沢山吐いて、嘘を吐かなくてはそれは得られぬもので、そしてそれがやっと・・・
 
 そのホロがなにかを得た瞬間を見たロレンスは。
 それが、ロレンス自身がホロにもたらしたものであるという事を知り、そして。
 それがまた、ロレンスもまたホロにもたらされていたものであるということも、知ったのです。
 
 ロレンスはホロの期待に応えるだけの男ではありません。
 ロレンスは。
 だからこそ。
 ホロを優しいと、言ったのです。
 ホロが、ホロがなぜあそこまで必死に見苦しくも、ロレンスに期待して求め続けたのか。
 それはホロが、ロレンスに求めたものをどうしようも無く手に入れるためであると同時に。
 ロレンスこそがホロにもまた、同じく激しく求めても良いと、ホロこそが叫ぶためになのです。
 ホロがあそこまで求め続けるからこそ。
 ロレンスは、自分が求めることに自信を持つことが出来たのです。
 狼神たるホロが、あそこまで貪欲に豊穣を求め続けるを諦めぬからこそ。
 行商人たるロレンスは、商人としてどこまでも利益を求め続けることが出来るのです。
 こんなに凄いことは無い。
 ええ。
 それは、私も同じこと。
 なので。
 改めまして。
 ああもう。
 ほんとうに。
 
 
 
 
 
 
 狼万歳!!
 
 
 
 
 
 
 ヨイツの森の狼神賢狼ホロは、孤独と戦うすべての人達の祈るべき神。
 そしてホロこそは、その私達のアイドルです。
 こんな気持ちになったのは、初めてです。
 ホロが、街で生きている。
 白銀の森を出て、白銀の世界を抜けて、そして今こうして。
 私達と共に、白銀の街の中で戦い、生きている。
 そう。
 幸せであり続ける物語を、幸せに綴りながら。
 ホロがその自らの有様を求め続けるとき、それは同時にそれと同じことが私達に許される。
 ホロは健気さや儚さを、誰にも求めない。
 諦めさえも、求めない。
 豊穣の神、ホロ。
 そのホロが泣いたとき。
 その、我慢しても止められない、嬉しくて嬉しくて堪らない、その大粒の涙を零したとき。
 私達もまた、その涙と繋がっていく。
 ホロの期待に応えながら、しかしなにより、そのホロの涙と同じ涙が自分にもあることを感じながら。
 私達も、ロレンスと共に、強く、諦めずに、どこまでも食い下がっていける。
 嘘を軽やかに吐き、大袈裟に演じ、けれどそれはやせ我慢のためでは無く。
 それをやせ我慢として見てくるすべてのものを、狡猾に釣り上げるための餌。
 ふふ。
 ホロはどうしようも無く、ツンデレとは最も遠いキャラでしたね、やっぱり。
 あれは本当に、怖い優しさですもんね♪ (笑)
 
 
 ということで、言うまでも無く最終回の最萌えポイントは、たわけと呟きながら泣きじゃくるホロでした。
 もはや萌えなんてレベルじゃねーぞって感じではあるのですけれど、しかしあれは同時に萌えとしても
 捉えることこそに、意味がある気はしました。
 あの泣きじゃくるホロが、可愛く無いなんてこと、無いですしね。
 可愛いと思うからこそ、ロレンスの言動の価値がロレンスにも生まれますし、それは私達も同じこと。
 まぁでもそこまで言っちゃうと、私なんかは張り手・右ストレート後に胸倉掴み・蹴り倒しと、見事に
 バイオレンスぶりを発揮したホロさんにこそ自分の価値を感じてしまうのですけど。
 そして、言うまでも無く。
 今回の最萌えポイントを除く、他のすべての萌えは、ロレンスの言葉と抱擁ですね。
 ええ、これで男性キャラの中で、ロレンスさんが最萌えキャラの称号を獲得致しました。
 ほんとに私も惚れたら困りんす。 あれは嬉しすぎる。(爆)
 
 
 
 それでは。
 なんだか随分とシンプルな感想の終幕ではございますけれど、最後にこのアニメの製作に携わった
 方々に御礼を申し上げ、そして私の感想を読んでくださったすべての方に感謝して、そして。
 すべての狼ファンに、すべての狼オタクに、すべての狼馬鹿に。
 幸せの、あらんことを。
 そして。
 
 なによりにも、誰よりにも。
 ホロに、ありがとう。
 
 なんだかもう、私的にはつかれちゃいました。
 散々憑かれて疲れてしまったような、満身創痍の峠も越えて、魂が天に一歩近づいた感じです(ぉぃw)
 でもホロがあそこまで頑張ってくれたからこそ、私もまた頑張れるようになれました。
 そしてまだまだ、ロレンスと同じく、私達には希望と可能性があるのを感じました。
 それからこそ、逃げてはいけなかったのですね。
 ホロの頑張りに比べたら、ロレンスと私達の頑張りなど、まだまだ私達の範囲内のものですしね。
 ええ、そうです。
 だから、ホロと同じ孤独の私達もまた。
 孤独の狼にとっての、ロレンスという、なによりも幸せな希望があることが。
 なによりも、なによりも嬉しく、そして愛しいのですよね。
 ホロの頑張りを受け入れて輝ける、その白銀の幸せの息づきこそを、私はなにより。
 この狼と香辛料Uには求めていたのでした。
 なにせ、ホロが街に、人の中にやってきたのですから。
 
 
 
 では、改めまして。
 狼万歳!
 ほんとうに、ありがとう御座いました!
 ついでに、もうかける言葉も無いほどに力を出し尽くして狼馬鹿を徹した、この私に。
 お疲れ様でした、そして、ありがとう。
 第三期もおそらくあるでしょうから。
 
 
 そのときまで、皆様、良い旅を。
 
 
 また、お会い出来る日を、楽しみに、そして期待して待っております♪
 
 
 
 
 さてと、洗面所行ってこようっと。 ←顔を涙でぐしゃぐしゃにしながら (笑)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
                              ◆ 『』内文章、アニメ狼と香辛料U」より引用 ◆
 
 

 

-- 090926--                    

 

         

                               ■■ 狼と白銀の幸せ ■■

     
 
 
 
 
 
 
 

 
 『それでのこのこ帰ってきたたわけのぬしが、
 
  このヨイツの賢狼ホロの前に現れて何を言う!
 
  なにを望むっ! なにを願うっっ!!』
 

 

                              〜狼と香辛料U・最終話・ホロの言葉より〜

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ・
 
 ・
 
 
 
 
 
 
 血の浸みた白い粉雪が泣いている。
 切り裂くように真っ直ぐに落ちてくるその純白が、淡く固まり広がっている。
 暖炉の火を消すために、松明の灯りを落とすために、その白い世界は始まっていく。
 堂々としたものじゃ。
 炎上する街並みの中で、それは轟々と光り輝いとった。
 まるで肌の下を滑る血筋のような細い紫影が、すべての被造物の源に犇めいている。
 その細い筋を断てばそれは息絶える。
 降りしきる風が無限に止まり、明けて間も無い夜が綺麗に吹き飛び。
 鳴り響く轟音が、鐘の音だと知れる。
 なにものも導かぬ、その爛れた白い絶叫が、ただただ、街を刻む黒煙に支えられているのがみえる。
 まるで、天井の無いお化け屋敷じゃ。
 魑魅魍魎蠢く世界の中に、入り込んだ。
 有象無象、海千山千の化け物共が、夢の後先を考えずに、凄艶に猛っておる。
 ひとつひとつ、白く黒くその影を根付かせて、ひっそりと、しかし紛れも無く堂々と動いておる。
 立った。
 立っておる。
 眩しくて、先が見えぬ。
 けれど、その光り輝く朝焼けの中に、滾々と白銀の世界が降り込めているのを感じていた。
 がたん
 研ぎ澄まされた音を立てて、今出た世界の扉は閉まる。
 はっとして、後ろを振り返ると、そこには始まりの扉があった。
 しっかりと閉め、鍵も丁寧にかけ、そして。
 さぁ、出掛けよう、ぬしよ。
 この白銀の世界へ。
 
 
 
 ++++   ああ  嗚呼  そうかや
 
 
 
 
 
 なにもかもわからなくなった。
 すべて失い、すべてを賭けて、わっちはロレンスと向き合った。
 なんじゃろうの、わっちは悉く、失敗した。
 言葉がもう出ぬ。
 そうして、抜けていく。
 ただ、冷たい壁があった。
 豪奢を散りばめた広い部屋で、わっちは惨めな覚悟を決めて、ひとり爽やかに笑っとった。
 阿呆じゃのう・・・阿呆じゃ・・
 いまだにわっちは、物語を築こうとしよる。
 青く引き裂かれた部屋の中の温度が、冷徹に指先を凍えさせていくというのに、それでももはや物語
 を語るしか無いのだと、囚われの身という筋書きのままに、この身を委ねとった。
 最後の最後まで、わっちは足掻いた。
 じゃが、ロレンスには通じんかった。
 十のうち、九までは確かに通じておるのに、最後の一だけは、見事に十のすべてをひっくり返すほどに、
 通じんかった。
 いや、わっちにはわかってしまう。
 そのぬしの一は、最初から十であったんじゃ。
 わっちに通じた九はすべて、そのぬしの十たる一を発動するための、ただの言葉じゃった。
 ぬしは、わっちとなにひとつ通じてはおらなんだ。
 そのことを隠すためだけの、九じゃった。
 なんでじゃ・・・・今までのわっちとぬしの、その九に渡るやり取りは一体・・・なんだったんじゃ・・・
 空が抜けていきよる。
 青く果てなく、ただ抜けていきよる。
 
 『きっとこの世に神などおらんのじゃ。
  ぬしらの言う全知全能の神がおるのなら、どうしてわっちらが苦しむのをじっと眺めておるのじゃろう。』
 
 歩けば歩くほどに、涙を堪えられんようになった。
 ぬしは初めから、ぬしという十に完結しとった。
 じゃのに、わっちがぎゃあぎゃあと隣で騒ぐのが、それこそ色々な意味で気になって、ただそれを紛らわす
 ためだけに、九だけ通じてみた。
 九も通じたのだから、それで充分だろう、と。
 完全に十通じ合えるのを望むのは執着で、その果てぬ欲望は身を滅ぼすと、ぬしは賢く、そして冷徹
 に考えておった。
 わっちはただずっと・・・十通じ合えるのを求めて・・・ひたすら頑張っておったというのにの・・・
 ぬしよ、十通じ合えることなど無いとわかっておるのなら、なぜ九までは通じる努力をしたのかや?
 ぬしは確かに、九までは通じることが出来ることを、知っとった。
 わっちらが共有出来るのは、九という物語だけであって、一という、物語を綴るその者自身の存在を
 共有することなど出来ぬと、最初から諦めておった。
 ぬしよ、それが真実じゃろう。
 ぬしは、ぬしこそが、その孤独が怖かったんじゃろ?
 その事実を、真実を見つめたくは無かったのじゃろ?
 じゃからこそ、ぬしは敢えて、物語を十とした。
 そしてただ、その物語のやりくりを通して、わっちと渡り合おうとした。
 九も通じる努力をしたのだから、それをお前への俺の最高の想いの顕れだと思ってくれと、そうして
 たわけに、冷徹にわっちから離れて己が身を守ったのじゃ。
 ならばなぜ、十通じる努力をせぬのじゃ?
 それは、十通じるということが、完璧で無ければいけないからじゃ。
 少しでも通じていない感触、欺瞞を感じられる状態、それを十通じたと言えないからこそ、ぬしは
 ひたすらわっちと未だ共有出来ていない物語を探そうとする。
 それは永遠に十にならぬ九じゃ。
 物語を得ても増やしても、それはずっと九のまま。
 なぜなら、わっちらは、物語だけでは無く、その物語を綴る者として、どうしようも無く存在しておる
 からじゃ。
 完璧に通じていると思うためには、十通じたと言うためには、その物語を綴る者としての存在をも通じ
 合わせねばならぬからじゃ。
 ぬしはただ、それが怖かった。
 物語に縋っておったのは、ロレンス、ぬしじゃった。
 ぬしはそして、わっちとその物語を綴る者としての存在も通じ合わせねばならぬという事を、わっちが言外
 にそう言っている事に気付いておった。
 じゃが、ぬしは、そのぬしというひとりの存在があることを見つめることこそ、怖かった。
 だからぬしは、物語に頼った。
 わっちと九も物語を共有していることで、ぬしはぬしひとりでは無いと必死に思い込み続けとった。
 そして、絶対に埋まらない一という距離を、九の側からひとつずつ物語を積んでいくことで埋めようと
 しとった。
 それは・・・絶対に・・・・届かぬよ・・・・届かないんじゃ・・・・ロレンス・・
 
 
 ぬしは、金儲けという物語に、ただ囚われておっただけなんじゃよ・・・・
 
 
 わっちはの、ロレンス。
 物語なぞ、大してぬしと共有出来ぬとも構わぬのよ。
 わっちはただ、ぬしと、幸せであり続ける物語を綴り続ける者、そういうひとりであることをこそ共有した
 かっただけじゃ。
 その一さえ共有出来れば、他の九の物語なぞ零に等しい。
 一は十、十は一じゃ。
 どれだけ九という物語を重ねても、それは一という、ひとりという十に到達することはありんせん。
 大いなる、勘違いじゃよ、ロレンス。
 わっちは待っとった。
 いや、期待して、信じられぬくらいに語りかけて、口車を回して、狡猾に智恵を絞って、力の限りに
 ぬしを罵り続けた。
 一体ぬしは、いつまでもそのわっちとの物語を重ねていくだけのつもりなのかや!
 ぬしはそれをたわけにも、いや。
 情けなくも、わっちの執着とみた。
 九以上を求めても、それは九の幸せが色褪せる事に繋がり、結局は無に帰してしまう、だから、
 それ以上を求めてはならない、九で満足するべきだ、と。
 情けなや。
 全く、意味がわかっておらぬ。
 わっちは、ぬしのその孤独な暴走を、止めることが出来なんだ。
 わっちは・・・わっちは・・・・
 独り、佇んでおる。
 質草として、部屋の中でひとり座っておる。
 結局わっちは・・・
 最後まで、ロレンスの誤解を・・・・
 いや・・・ロレンスに・・・・自らの孤独と向き合わせることが・・・出来なんだ
 
 
 
 

いや

 
 

わっちは

 
 

最後までわっちひとりでも戦い続けることが・・・出来なんだ

最後の最後で、諦めてしもうた

 

ひとりででも

わっちひとりででも

 

ぬしとふたり

この道を歩くために頑張り続けることを

 
 
 
 諦めていないことには、なっとる。
 ロレンスと別れるとき、わっちはロレンスに振り返らなかった。
 ロレンスがそれを、悲しみに打ち沈んでいる姿として見るだろうと、見越してはいた。
 が、わっち自体はただ、振り返ることすら出来なくなっておっただけじゃ。
 ロレンスは・・もう・・・
 言葉として、ロレンスは、わっちがロレンスと別れる口実を得たということにして、ひとつけじめをつけた
 気になっとった。
 じゃが、わっちが振り返らぬその姿に悲しみをみて、ロレンスはまた、それが気になって・・・・
 またひとつ、物語を積み重ねる。
 もう・・・駄目じゃ・・・
 諦めとった。
 独り静かに、笑うだけじゃった。
 悲しみは、こんなにも消えずに残っているというのに。
 わっちは・・・・・
 わっちは・・・
 
 
 なにを 諦めたというのじゃろうか
 
 
 
 黒く閉ざされている。
 言葉が続かぬ。
 なにも感じぬ、なにも響かぬ。
 涙もでぬ。
 今なにを言われても、すべて上の空じゃ。
 なにもわからぬ。
 どうしようもない。
 なにも書けない。
 物語を書けない。
 なにも感じない、なにもわからない、涙も出ない。
 わからない。
 わからない。
 わからないんじゃよ・・
 だから。
 わかってしまう。
 わからないと確かに言っている、このわっちが此処にいるということが。
 わからないことなぞ、当然じゃ。
 この世は、虚しい。
 当たり前じゃ、そんなこと。
 当たり前じゃからこそ、それはただの始まりにしか過ぎぬ。
 ヨイツの森に、わっちは帰りたい。
 その当たり前から、再び始めるためにこそ。
 物語は、終わりあってのもの。
 じゃがそれは、ハッピーエンドと最後に記すためにこそ、綴るものではありんせん。
 物語は、終わるべくして終わるんじゃ。
 なんじゃ・・・なんじゃなんじゃ!
 物語を終わらせようとしているのは、わっち自身ではないかや!!!
 物語に囚われておるのは、わっちではないかや!
 わっちは貪欲な狼じゃ。
 誰よりもなによりも賢明な神じゃ。
 拳に力が入る。
 わっちはその狼に、なにを望む?
 求めても求めても、満ち足りぬからこそそれを恐怖とこそ見て、潔く慎ましく九の物語の幸せに逼塞し
 続ける、その物語を綴り続けることをかや?
 わっちはその神の、なにを信じとる?
 九の物語の幸せに逼塞し続けることで、その物語を綴り続けている、そのわっちというひとりを感じる
 こと無く済ませてくれるということをかや?
 わっちゃあ・・・・
 わっちゃあ・・・・・・・・
 
 
 
 悔しくて、堪らぬ!!!!
 
 
 
 わっちは!
 期待しとる!
 ぬしに!
 ロレンスに、ロレンスが自らの孤独と向き合うことを!
 それは虚しいことでも不毛なことでもありんせん!!
 虚しいのは、不毛なのは、ぬしが、ロレンスが、自らの孤独と向き合わぬからじゃ!!
 向き合わぬままに、無為に物語を重ね続けるからじゃ!
 なにも感じん。
 なにもわからぬ。
 ぞくりとする。
 じゃから、ぞくりとする。
 主体は、わっちじゃ!
 虚しさなぞ不毛なぞ、知ったことでは無いわ!
 ああもう、ロレンスの阿呆が!
 もうなにも考えられぬ。
 懸命に、必死に、わっちはわっちの描いた別れの物語を叫んだ。
 ぬしがそこにおる。
 ぬしが、たわけにも阿呆面下げて、帰ってきおった。
 わっちは全身全霊をかけて、ぬしに物語の終わりを叫んだ。
 幸せであり続けた物語が、堂々の完結を迎える、その瞬間を見届けよ、と。
 
 
 
 わっちは たわけじゃ  ほんとうに ほんとうに
 
 
 星の光を鋳潰して、飲み込みたい。
 見えぬ月光に照らされて、凍えてみたい。
 怒りで震えるのはなぜじゃ、悲しみと戦っておるからじゃ。
 瞳は嘘を吐かぬと言わぬばかりに、紅く爛々と研ぎ澄まされていく。
 試して、殴って、慌てず騒がず、けれど。
 けれど。
 わっちゃあ、わっちゃあ・・・・・
 諦めんかった!
 物語の終わりを叫ぶのは、ぬしに期待しとるからじゃ!!
 ああ、何度でも言ってやる!
 ぬしはなにを望む!
 わっちゃあ狼神賢狼のホロじゃ!
 ぬしが望むなら、不毛の大地に実りをもたらそうぞ!
 人だけでは成せぬ豊穣も、神に願いを懸ければ叶うこともあろうぞ!
 いや!
 叶う叶わぬの問題ではありんせん。
 わっちはただずっと、ずっと、ずっと、期待しているんじゃ!
 今は出来ぬものわからぬものが、それがきっと変わることを。
 そのための努力じゃ! 虚しくとも不毛だろうとも頑張り続けるのはそのためじゃ!
 そこに!
 諦めというものは絶対に存在しないんじゃ!
 諦めがあるというのなら!
 それは、わっちが、わっちを生きておらぬというだけじゃ!!!
 わっちを信じておらぬ、わっちに求めておらぬ、わっちを愛しておらぬ、それだけじゃ!
 わっちらは変わる。
 変えるのは、わっちら自身じゃ!!
 ぬしが変われぬというのなら!
 わっちがぬしを変えてやる!
 わっちは!
 ぬしにこんなにも、変えられたんじゃ!!!
 確かに変わった、わっち自身とわっちは向き合っとる!
 わっちはもう!
 ぬしを、ぬしの物語に延々と埋もれさせていくことなど、したくない!
 変わらぬと、どうしようないと、もうそう言い続けるのは嫌なんじゃ!!!!
 じゃから。
 
 わっちはぬしの、胸に顔を埋めた。
 
 冷たいのう、冷たい。
 わっちはぬしの孤独を知らぬ。
 わっちはそれを知りたい。
 知りとうて、知りとうて、たまらぬ。
 わっちは、ひとりは嫌じゃ。
 もう、麦か血かと、たったふたつの選択でしか分かれない、その不毛な幸せの物語を生きとう無い。
 ぬしは・・・ぬしは・・・・
 いや・・わっちは・・・わっちを責めぬ
 わっちはあくまで、ぬしを責める!
 責めて、攻めて、せめ切ってくりゃる!
 
 そして
 
 
 

『俺はお前が好きだ』

 
 
 

そうじゃ

 
 
 
 

『なにもわからないさ。』

『だが、ひとつだけ言えることがある。』

 
 

『望んでも手に入らないかもしれない。

だが、望まなければ、絶対手に入らない。』

 
 
 
 
 
 心臓が止まりそう、止まった。
 わっちの歴史がすべて連なっていく。
 足が震える。
 指先が凍える。
 鎮まり、暖まり。
 また震え、凍え。
 ロレンス・・・・ロレンス・・・・
 言葉に出来ぬ・・・
 もう耐えられぬ・・・・・・・
 もう止められぬ・・・・
 涙が・・・・
 たわけが・・・・・・・たわけが・・・・
 拭っても・・拭っても・・・・・・とめどなく・・・涙が・・・
 なんという・・・奴じゃ・・・
 なんで・・・・わかっているんじゃ・・・・
 わっちのなにも知らぬのに・・・・わっちとぬしは・・・狼と人じゃというのに・・・
 涙がとまらぬ
 どんなに止めたくても止まらぬ
 零れて、大粒に、零れて、滝のように
 たわけが たわけが この たわけが
 なんでぬしは・・・そんなに強いんじゃ・・
 そのぬしの優しさから身を退こうとする、この涙を拭う手では、もう全然、この涙を止められぬ。
 言い直そう。
 ぬしは、なんでそんなに、わっちを泣かせてくれるんじゃ。
 わっちゃあ・・・・わっちゃあ・・・・・・ほんとうに・・涙が止まらぬ・・・・っ
 わっちは逃げとうない、わっちから逃げとうない。
 そしてもう、逃げられぬ。
 ぬしが、わっちを抱き留め、そしてこの涙で見事にわっちをわっちに繋ぎ止めてくれた。
 ひとりは、嫌じゃ。
 ぬしも・・・嫌なんじゃなぁ・・
 わっちの涙を拭うてくりゃる、その暖かいぬしの指先が、そう言うておる。
 わっちは、ぬしを求めておる。
 わっちがぬしに、求めておるものがあるからじゃ。
 ぬしにそれが無いというのなら、それはわっちがそれを求める事を主体的に行っておらぬからじゃ。
 ぬしになにがあろうとなかろうと、わっちはぬしの中にそれがあると見て、絶対にそれを求めて諦めぬ。
 ぬしが、其処におるからじゃ。
 求めずに、おられようか!
 わっちらの描く物語というものは、本来そういうものじゃ。
 わっちらの物語は、わっちらが此処にこうして互いの存在を見つめ合っているから存在するんじゃ。
 ぬしの積み上げる物語も、本当はそうなのじゃろう?
 わっちがぬしの目の前にこうしておるから・・・・ぬしは気になって、物語を描かずにはおられぬ
 ぬしはそうして・・・わっちになにかを求めるためにこそ、幸せな物語を描いたんじゃ
 わっちも、同じじゃ。
 
 
 幸せであり続ける物語というのは、なによりもわっちらが此処にこうして存在しているからこそあるもの。
 じゃから。
 より良い物語を、十を超えてまで求めることに、その価値があるんじゃ。
 
 
 ぬしの前におるわっちを、わっちはぬしのためにこそ輝かせたい。
 わっちの前におるぬしを、ぬしはわっちのためにこそ輝かせて欲しい。
 そのための、物語じゃ。
 それが、ヘタレな物語では困りんす。
 物語は、わっちらが、わっちら自身の孤独から逃げ出すためのものではありんせん。
 慎ましやかで、ささやかで、ただ全てを捨てて敬虔に生きる物語なぞ、まさになにも求めぬ、
 それこそわっちらの孤独の糧となる物語よ。
 わっちは期待してきた。
 ずっと、ずっと、ぬしらがわっちに世界の豊穣をみせてくれることを。
 そのために、わっちは旅に出た。
 そして、だから。
 ああ・・・・そうじゃ・・・
 そうなんじゃよ・・・
 
 
 

幸せであり続ける物語などありんせんと、わっちは言った。

幸せであり続ける物語を綴り続ける者の物語があるだけじゃ、と。

 

そうじゃ

 

なぜ気付かなかったのじゃろう

 
 

その物語を綴り続ける者の物語は、確かに存在する。

そう それは

 

わっちという、物語を綴り続けるひとりの存在自体が。

既にひとつの物語、ということなんじゃ。

 
 

そうなんじゃよ

 
 

わっちは幸せの物語を綴り続ける者であると共に。

そうして物語を綴る者という、その物語の主人公であるんじゃ!

 
 
 

じゃったら!

 
 

その物語の中で、幸せになるのは、一体誰なのかや!

 

 
 
 ハッピーエンドと書き綴ることで幸せになるのは、その物語自体だけじゃ。
 ハッピーエンドと綴った者自身が幸せになる訳では無い。
 わっちらは、物語の綴り手であり主人公でもある。
 綴り手たる神が幸せの世界を描いたとて、その中で生きる者が幸せになる訳でもありんせん。
 綴り手もまた、生きておる。
 生きていることすなわち、物語を綴ること。
 わっちが存在していることを、こうして認識している事自体、立派な物語じゃ。
 ぬし・・・ぬし様よ・・・・
 わっちゃあ・・・・
 
 幸せであり続ける物語を綴り続けるだけなのは、嫌じゃ。
 わっちは!
 幸せであり続ける物語を! 幸せに綴り続けていきたいんじゃ!!
 幸せに! なにより幸せに!
 綴り続けていきたいんじゃ!!!
 
 ぬしと、ふたりでじゃ!
 
 そういう、物語の主人公になりたいんじゃっ!
 
 
 
 『わっちの案を足蹴にしたんじゃ、これからの事はぬしがすべての責任を負うんじゃな。』
 
 ぬしの言葉は、本物じゃ。
 ぬしは、わかったのじゃ。
 わっちより先に、物語の本質に、存在の意義に気付いたんじゃな。
 わっちを・・・それで・・・迎えに・・・来てくれた
 物語に囚われていただけのぬしが、物語を従えて帰ってきた。
 そうじゃ・・・
 存在に・・・物語を綴る者という、ひとりの存在の孤独に囚われていただけのわっちの元に・・・
 わっちゃあ・・・待っとった・・・
 ぬしが・・・きっと・・・・わっちを迎えに・・・・・
 わっちを・・・
 助け出して・・・くりゃると・・・・・・信じて・・・・・期待して・・ずっと懸命に足掻いとった・・・
 ぬしの物語は、本物じゃ。
 わっちはそのぬしの提示する、ぬしが主体的に描き出し、その中で生きるぬしの逞しさに誘われて・・
 生きたい。
 涙が・・止まらぬよ・・・
 ああ・・・・ああ・・・・・ぬしよ・・・・
 ぬしは・・・わっちの知らぬ間に・・・・・孤独と向き合い・・・倒してきたんじゃなあ・・・
 そのぬしの描き出す物語を・・・幸せにぬしと生きられぬほど・・・・わっちは弱くはありんせん!
 その物語をぬしと二人で描き出すことに、不安なぞ、孤独なぞ、ありはせぬ!
 わっちゃあ・・・ぬしのために・・・・強く賢くあろうぞ
 いつでも、ぬしの隣でぎゃんぎゃんと煩くしつこく、世の真理を説くが如くに盛大に語り尽くしてやろうぞ。
 わっちはヨイツの賢狼ホロじゃ!
 全知全能の神を嘲笑い、この世界の中で豊かに遊び幸せに生きる、狼神のホロじゃ!
 ぬしがわっちを求めるのなら。
 ぬしがわっちに求めるものがあるのなら!
 わっちはぬしを拳で射抜いてでも、幸せに生き続けてやりんす!
 そして
 
 わっちは、ホロ。
 
 たったひとりの 白銀の世界に佇む ただのホロじゃ
 
 『わっちゃあ、ホロ以外のなにものでも無い。』
 
 
 じゃから・・・
 
 
 
 
 
 

 
 

−  『 お 前 の 優 し さ も  怖 い ん だ が な 』 −

 
 

 
 
 
 
 わっちゃあ・・・・・わっちゃあの、ぬし様よ
 優しくされるより、優しいと言われることに弱いんじゃよ
 わっちゃあぬしにそれを見つめて貰えたことが、虫酸が走るほどに・・・嬉しかったんじゃ
 健気さでは無く、潔さでは無く、可憐さでも無く、ただ。
 狡猾に、貪欲に、圧倒的に智恵と強さを振り回して、ぬしを足蹴にするそのわっちこそを。
 優しいと、言うなんて。
 
 ああ
 もう
 
 
     たわけが・・・・
                   ロレンスのたわけが・・・・・・
 
 
 
 わっちの強靱な澄まし顔に咲く唇に、その口付けが触れる。
 ぬしの想いと、ぬしこその強い優しさと、そして。
 わっちの良く回る、そして賢明に鍛えたその愛しい口車に対する、そのぬしの礼こそが。
 わっちの狡猾で貪欲な優しさに、その命を込めていく。
 嬉しくて・・・・愛しくて・・・・・・堪らぬっ
 くふふ
 このたわけ。
 
 『俺は儲けを取り返すより、主導権をお前から取り戻したいよ。』
 
 『たわけ。』
 
 
 『わっちがそんなことを許すと思うかや?』
 
 
 ぬしに優しいと言われた、この賢狼のホロ様が、そのぬしの言葉を汚す真似などするはずがなかろう?
 『ぬしに惚れたら困りんす♪』
 ぬしが主人公の物語の中で、ぬしをわっちに惚れさせるのは・・・・
 わっちしかおらぬじゃろ。
 もっとも、ぬしはもう、わっちにぞっこんのようじゃがの。
 こういうものは、先に惚れたが負けというものじゃろう? くふふ♪
 
 悔しかったら、ぬしに惚れたと、わっちに言わせてみよ、ロレンス。
 
 ほれ、さっさと行かぬか。
 わっちの手を引くのは、ぬししかおらぬじゃろ。
 
 さて、どんな物語を魅せてくれるのか、楽しみじゃな♪
 
 
 
 
 
 
 
 
 
                                     ・・・以下、第二部に続く
 
 
 
 
 
 
                              ◆ 『』内文章、アニメ狼と香辛料U」より引用 ◆
 
 

 

-- 090923--                    

 

         

                                 ■■ そんな五連敗 ■■

     
 
 
 
 
 ずっと あいしてる (挨拶)
 
 
 ごきげんよう、うみものがたり最終回を観て号泣している紅い瞳です。
 そりゃ私だって狼だけと違うわ。
 むしろ他のアニメも一杯観て、沢山観て、その中に狼があるからこそ、狼の意味があるのですさ。
 うみものがたり観て感じたものは、狼と深く繋がってるとこあるし、逆に狼視点で観てもわからないもの
 が、うみものがたりを観るとわかっちゃうというか、ああ、このふたつの作品って、同じものを見つめてる
 んだなぁって、ああこのふたつの作品を観てる私もまた、このふたつの作品を通して同じなにかを見つめ
 ようとしているんだなぁって感じられて、そうするとこう、他のアニメの中にも同じものが一杯見つかったり、
 いやでもそれは最初からそうだったんだよね、私はずっと同じものをちゃんと観てたじゃん、と、そういう
 事にも気付けたりする。
 違うんだけど、同じ。
 同じだけど、違う。
 その「なにか」へのアプローチというか作法というか、それとしての狼が私は好き。
 勿論それだけじゃ無いけどさ、でもだから、それでもあるからこそ、同じようにその「なにか」へとアプローチ
 していく別の作法の作品にさ、愛というかなんというか、ああ、いいなぁ、方法はひとつじゃ無いんだなぁ、
 言葉も、想いも、数も重さも全部違っても、みんなそういうことは考えているんだなぁって。
 嬉しいよね、だからいくらでも、私の遣う狼の言葉の中に、うみものがたりの言葉も入ってくるし、
 あと最終回観て感動したのは青い花か、あれなんかのこう、此処にいるっていう実感ていうか、連続
 性というか、そういうのもの全部言葉になって繋がってきて。
 うわーってなる。
 書きたくなるさ、そりゃ。
 じわーって、なんか胸に浸みてくる。
 頭で考えるより胸で感じてて、指先で綴るより涙で綴っていける。
 そりゃ、私も飛び込むさ。
 一緒に私も頑張りたくなる。
 だからアニメはやめられないんですよね。
 ひとつだけじゃ無くて、沢山のアニメと共に、その中で、「なにか」を感じていけたら・・
 なんか、楽しいな。
 
 まぁ、アニメだけで無くてね。
 最近あんたアニメばっかりですもうすこしがんばりましょう。 (はい)
 
 
 といいつつ。
 今日は久しぶりに旧友と会ってきて、長々と食べたり飲みながら話して来たのですけれど、
 大事な用があるので今日はこの辺で、また今度ね連絡するよ、と言って早めに帰途についた私です。
 ええ、勿論。
 今日は、狼と香辛料Uオリジナルサウンドトラックの発売日です。 (微笑)
 ええ、当然帰りにお店が閉まる前に買うための、早退です。
 おまけに友人との約束の場所に行く前に途中下車して、そのお店にたっぷりとサントラが仕入れられて
 いたのを確認しての犯行です。 ぬかりは無い。
 そして、買いました、サントラ。
 ・・・・。
 表面の、ホロの表情でがくんときて。
 でもそれは前からわかってた表情なので、まだ大丈夫でした。
 でも、裏面みて。
 ロレンス・・・なんて顔してんのさ・・・・
 悲しい顔。
 これは、聴けない。
 これは、今日帰っても聴けない。
 今日は狼最終回の日。
 なにが起きようとも起きまいとも、私はそれと向き合って感想を書くことは出来る。
 でも駄目。
 それを書くまで、この悲しい顔から滲み出てくる音楽を、私は聴けない。
 聴くわけにはいかない、などと嘯いてみたくとも、全く正直に言って、聴けない。
 先に音楽で「悲しみ」を知りたくない、という感じじゃあ無い。
 なんというかこう・・・・こわい
 なにが起きようとも感想を書けてしまう、強靱で、そしてどこか狼から線を引いて離れている、
 その私が怖くて、だから私はその強靱な私の覚悟のままに、そのままこの音楽を聴いてしまうのが・・・
 なんだか・・・どうしようもなく、嫌
 最終回がハッピーエンドで終わるのなら、感想ではそれにネチネチと反駁をかけて、嫌になるまで
 幸せに抵抗して、そしてさっぱりとにんまりと、お酒を飲みながら、がっちり号泣しながら、その幸せで
 あり続ける物語の音楽を聴きたい。
 最終回が「悲しみ」で終わるのなら、感想ではそれを見つめつつも圧倒的に想いと言葉を込めて、
 そこから立ち上がる魂を嫌になるまで書き上げて、そして気勢を上げ涙を零しながら、でもなによりも
 その「悲しみ」にこそ深く身を委ねどこまでも音楽を肴にしながら酔ってみたい。
 だから、ごめんなさい。
 今日はサントラ、聴くことはおろか、開けることも出来ませんでした。
 なんかもう。
 全身全霊で、狼と向き合っている私でした。
 改めまして、今日は狼最終回。
 そして私はそれを明日観て、そして。
 ひとつずつ、ゆっくりと激しく、その感想を書き出していきます。
 どんなにかかっても、私は最後まで書き切ります。
 音楽は、そのあとじゃ。
 それが全部終わってから、愉しもう。
 美味しいお酒も、買ったことじゃしの♪
 ちなみに当たり前のように買ってきてしまったお酒は、第一期の狼終了のときにも飲んだ、
 純米大吟醸「麒麟山」です。 深く透き通るような青いボトルが、狼ちっくで感じたので。
 よっし、頑張るぞう。
 
 
 ・・べ、べつに狼が終わってしまうことが残念すぎて、明日からどう生きていけばいいのかわからないとか、
 そ、そんなんじゃないんだからねっ! (はい)
 
 
 
 ちなみに、今日行った某店では、狼と香辛料がプッシュされた狼コーナーがあって、死にました。
 マジで店内で泣くかと思いました。 お勤めご苦労様でした。
 勢いでブルーレイとかDVDとかにまで手を出してしまいそうな私を必死に押さえつけながら、あやうく
 サントラをもう一枚買ってしまおうとしていた私はもう本当にお疲れ様でした。
 そしておまけに、狼だけじゃ無く、化物語のコーナーも別にあったりして、うわーうわー。
 なんだろ、なんで私泣くの我慢してんだろ・・・(俯きながら)
 私が注目して、面白いって言って、そして感想まで書いてるそのふたつの作品が、そうやってプッシュされ
 ているのが、もうなんか、いてもたってもいられない嬉しさでした。
 なんか、自分の子供達がワンツーフィニッシュしたような感じです。 よし。(手応え?)
 それにこうしてプッシュされるからには人気も出てるのでしょうし、嬉しい限り。
 これら素晴らしい作品が広まることは、うん、いちアニメファンとしても楽しみなことですね。
 ええ。
 つっこみは不要です。
 せめて狼終わるまでは狼させて。 (懇願)
 
 
 って言っても、今日書くことは他にはそんなに無いんですけど。 最終回前になんか書いときたいけどさ。
 あー狼な、狼あるよ。
 最終回ですものねぇ、今日番組表みて確定ですよ、むしろ今日こそがっつり語りたいというか語らな
 ければいけないというか、そんな感じで悶えとる。
 この紅い瞳、悶えとる。
 もしかして悶え疲れてるだけと違うんかとツッコミを人知れず無限に入れておきたいところなのですけれど
 、しかし本当に、なんだろう、こう、狼について語ろうとすると、花も恥じらう乙女のように押し黙って
 しまうというか、いや黙れお前って感じですけれど、なんというか、あーもう、やっぱり語り出せない。
 もうね、なんだか逆に腹が括れてきてしまいましたよ、こうなったら狼終わってからこそ、ちゃんと話すと
 いうか、五十年経ったから機密公開するというか、そういうノリでいけるよう頑張っちゃうよ、と、そういう
 感じでやっぱり今は語る気が起きません。
 まさにシーズン中には多くを語らないプロスポーツ選手並のストイックさです、狼萌え中には多くを
 語らない狼オタクのストイックさってなんなんでしょうか、わかりません。
 
 ということなのですね、もう何度こんな感じのことを言ったかわかりませんけれど、言わないとそれだけ
 落ち着かない小心者の私はここにいますよー。 (誰に言っとる)
 うーん。
 もうなんだか、狼終わるまでは完全に狼に集中してる感じです、むしろ早く終わって欲しいくらいの
 気概に満ちていて、最近自分でも自分のことがよくわかりません。
 なんだろ、これどういう心理なんでしょ?
 ちょおま、まだ狼やってるっつーの、今こそ語りどきはしゃぎどきだっつーの。
 ・・・・・。
 そう自分に言い聞かせながら、こほんと一つ咳払いして、正座してちょこんと狼みてる。
 はしゃがない、いやはしゃげないこの狼オタク。
 ていうか、狼馬鹿。
 もうなんかオチすらつけられないほどに、狼馬鹿。
 ほんともう、狼終わったらどうなるというか、あ、そうか、狼終わったあとのことが怖いから、こいつ先に
 考えとこうって事ですか。
 
 いいえ、違います。
 ただこの紅い瞳は、萌え慣れていないのです。
 ここまで狼と香辛料に色々な意味とレベルで萌えている、この狼馬鹿は、萌える今こそが怖いんです。
 ・・・・。
 まぁ、うん、頑張って。 (逃)
 
 
 
 ということで、もう今度こそ自分でもなにを書きたかったのか訳わからないていたらくになってしまいました
 けれど、皆様、ごきげんよう。 (微笑)
 まぁ、狼感想本体そのものは至って真面目ですので、まぁ、うんその、深くぶっちぎっていけたらばと
 思っています。
 来期アニメ?
 他の今期アニメのこと?
 後、後!
 全部狼終わったら話す!
 うみものがたりも青い花も、あとでちゃんと話す!
 ということで、うん、狼最終回の感想は、おそらく二部構成の感想になると思いますので、第一部の
 Upを26日土曜、そして27日日曜は予定があるので、第二部は28日月曜Upを目標にしてやっていこう
 と思います。
 もしかしたら、25日金曜に第一部Upしたりとかして全体的に早まるかもしれませんし、そもそも二部構
 成にならないかもしれませんけれど、まぁあくまで現時点での予想ですので。 (予定未満)
 それ終了後に一回狼まとめの日記を一本Upしたのちに、他の今期アニメの感想はそうですね、一日
 置きくらいの間隔でUpしていけたらと思います。
 目安としては、10月に入ってから、ということになってしまいそう。 もう9月は狼で手一杯。
 もう今日の段階で放送が終了し私も既に視聴したアニメ(青い花・シャングリラ・うみ物語)があって
 恐縮ですけれど、それについてはほんとごめん、随分お待たせする事になってしまいそうです。
 その代わりに、今期アニメの感想は、たっぷりきっちりと語らせて頂く所存で御座います。
 
 あ、あと、一応言っときますけど。
 私の来期注目作は、DTB第二期と、真恋姫無双と、ささめきことだから。
 それにコメディ分として生徒会の一存をつけて、最後に青い文学で〆るから。
 もひとつおまけで君に届けに期待しとくから。
 私言ったから、私言いましたからね、ちゃんと。
 もし来期これらのアニメがあなた達的に面白かったら、あーそういえば紅いのが注目してたな、くらいは
 思い出してやってくれると嬉しい。
 私も鼻が高いから。
 選んだだけだけど、鼻が高いから。
 それらを選んだ私の慧眼ぶりを褒め称えるがいい!
 
 まぁそんな感じで、現在紅い瞳は色々丸出し中の五連休を過ごし終えているところで御座います。
 もう落ち着けとは言わないから。
 
 
 
 
 ◆
 
 ということで、実はひっそり紅い瞳に愛されていたらしい化物語、語ります。
 化物語プチ感想、つばさキャット第一話、全体で第11話。
 にゃははは。
 ブラック羽川萌え。
 どうやら私は本格的に獣耳属性らしいです。お疲れ様でした。
 それは置いといて。
 『いいじゃない、ちょっとくらい。』
 ・・・効くなぁ・・・胸にしみじみと、突き刺すように、効くなぁ・・・
 わかるっていうか、わかり過ぎるというか、頑張るというか諦められないんだよねぇ。
 ちょっとでも頑張れる、どんな状況でも「真面目に」「正しく」考えられる「強い」自分がいる事に縋り
 ついちゃうから、なんとしても守りたいというか諦めちゃいけないというか、逆に守ってもいいんだ諦めなく
 てもいいんだという言葉とそれは深く結びついて、絶対に折れないそれは自分で。
 だからその折れない自分には、無数にヒビが入っちゃう。
 それは怖いよねぇ、だけど折れないからまだ頑張っちゃって、頑張るための理由を紡ぎ続けて、
 それがちょっと正しいものだから委員長なもんだから、また頑張っちゃって。
 そう、いつのまにか自分の意識でも、「頑張っちゃって」という、また頑張ってしまったという失敗の意識
 が少しあるのだけれど、でも頑張るほかに道は無いし、また頑張れる自分への信頼が深いものだから。
 その恐怖と失敗の意識を、それこそ手つかずのまま、そのままダイレクトに受けっぱなし。
 そりゃ、ストレス溜まって、爆発。
 典型的端的な自滅コース。
 だから。
 ちょっとくらい、いいじゃない、正しくないことしたって。
 おまけにその良くないことをするために、頭すら下げなくてはいけないなんて。
 でも委員長的には、正しくない事自体はやっぱりそれとは関係無くしたく無いし、それを諦めてる訳で
 は無いし、だから阿良々木君にあっさりどうでも良く受け入れられてしまうのもアレな訳で。
 でも・・そうですねぇ・・この委員長のタイプは、たぶん逆に、あっさりと受け入れられてしまう事で、自分
 がその誘惑に負けてしまう事も含めて、それも引き受けていける人なのかもしれないな。
 阿良々木君に甘やかされても、そのまま甘え切ってしまうのでは無く、そのいっときの癒しを得て、
 また頑張れる気がする。
 委員長は、うん、「休める」タイプなのかなぁやっぱり。
 でも・・・そうかな?、とも思う。
 
 それだと、「休み」ながら、ずっと戦い続ける事には変わりないじゃ無い?
 
 「休む」事が出来てしまうから、休み休み、最終的には長期的に戦えてしまう。
 委員長ちゃんは、もう頑張って戦うこと自体が辛かったんじゃ無いのかな?
 だから、猫に障られた。
 おもっきし暴れまくった。
 終了、破局。
 THE END。
 むしろ委員長ちゃんは、ひび割れ切れるまで頑張ることで、この破局こそを望んでいたのかも。
 だって、そうしなきゃ、終わらないもの。
 誰も、気付いてくれないもの、このままの形で頑張り続けていてもしょうがないって。
 たとえ折れなくても、折れないだけ、だと。
 そしてひたすら、終わりの無い消耗を繰り返していく。
 猫のあれはストレス解消だけど、エナジードレインって言ってたから、それこそ自らの体力精力回復が
 目的。
 壊さなきゃ、否定しなきゃ。
 休んで戦い続けるなんて・・・
 誰か・・・誰か・・・
 あー、だから、恋人な訳ね。
 委員長ちゃんが求めているのは、友人としての優しさでは無く、恋人としての優しさ。
 友達と恋人とでは、その人の隣で得る「休み」の意味は全然違う。
 休みというかそれはもう、動機になる。
 あー・・・そうかぁ、そうきましたか化物語!
 つまり、羽川翼が頭を下げてまで、ちょっとくらい正しくない事をさせてと頼まなければならないのは、
 それは阿良々木君のせいって事な訳ね。
 阿良々木君は戦場ヶ原さんの彼氏、阿良々木君は戦場ヶ原さんの彼氏、阿良々木君は(以下略)
 絶対正論主義者の委員長が、人様の彼氏に手を出すなど言語同断、そしてそれが彼女のヒビだら
 けのアイデンティティー。
 うーん、これ、前回の阿良々木君のせせこましいちっぽけな優しさの「覚悟」の全否定、というかその
 覚悟に浸って自分を守ろうとする阿良々木君否定を、今回の話自体がやってることになりますね。
 だって、阿良々木君のアイデンティてーは優しさなんだもの、「誰かだけを守る」では無く「みんなを守る」
 事こそが阿良々木君の優しさのそれなのに、「誰かだけを守る」という事に閉じたら・・・・
 まぁ阿良々木君もブラック化すればいいだけなのですけれどね。(ぉぃw)
 でも逆に、そうか、だから逆に委員長ちゃんの「解決」を通して、阿良々木君のその「覚悟」の意味が
 作られていくようになるのかな。
 「誰かだけを守る」という事の「正しさ」だけに縋り付くなら、阿良々木君はそれに憑かれる。
 「誰かだけを守る」という事はただの「正しさ」の「休み」。
 それ自体は、だから立派に「正しくないこと」。
 それを、ひとつやふたつの矛盾的状況を経験しただけで、強引に「正しいこと」に変換してそれに縋り付
 けば、結局のところそれは阿良々木君を、阿良々木君が守りたいと本当に思っていたものから永遠に
 消し去ってしまう事になるだけだと思う。
 委員長ちゃんはさ。
 お父さんとお母さんの事。
 好きなんだよね、どうしようも無く。
 なのに、今、好きと思おうとする事しか出来無い、そう思うことしか出来ないからこそ、嫌いになって
 捨ててしまえばいいと思う自分と、必死に戦うことしか出来無い。
 前回の話で、今回の話(時系列的には前回よりも過去の話)の事を委員長ちゃんは無かったことにし
 て忘れているとあったけれど・・・
 それって、ある意味、なによりまだ、委員長ちゃんが諦めていないって事だと思うな。
 諦めてたら、きっと色々韜晦して前向きに頑張り続けるだけだろうから。
 うん、頑張るって、実は諦めに通じていたりすることもあるのよね、阿良々木君。 (委員長風に)
 そしてだから。
 阿良々木君は忘れずにそのブラック羽川の事を覚えているからこそ、委員長は頑張る事が出来るし、
 そして委員長は忘れていることで、またいつかそのときが来るまでそれを残しておけるのかな。
 保留というか、保存。
 阿良々木君がなにをやってくれるのか、注目して観ときます、次回最終回を。
 あと撫子可愛いよ撫子。
 あと阿良々木君は男としての器を量られてる気がするっていうか、量られるためにあっさりと中学女子
 のスカートに手をかけてる時点でその器は割られる運命にあると思います。
 勿論戦場ヶ原様の蔑むような凍てつくような、完全に無視したようなその視線で、割られます。 (微笑)
 ・・・・次が最終回ってさ、戦場ヶ原様はどうなるの? ←たぶん私的に最重要問題
 ってな感じ。
 うわ、全然上手く語れてないよ!もっとちゃんと委員長ちゃんの事は言語化して観てればよかった!
 ・・・まぁ最終回にその辺りは丸投げしようそうしよう。 (微笑)
 
 
 
 それでは、本日はここまで。
 またでーす。
 あ、化物語最終回感想は、たぶん10月初めになってしまうと思います。
 今期アニメ感想の初回に付ける予定です、遅くなるけど、ごめんなさい。
 
 
 
 
 

 

-- 090919--                    

 

         

                             ■■ その日狼は覚悟した ■■

     
 
 
 
 
 『・・ここで旅を終えよう・・・・・』
 

                              〜狼と香辛料U・第十一話・ホロの言葉より〜

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 こわい
 こわい
 永続的に続く震えが固まり どす黒く白身にまみれた恐怖が体を突き破る
 
 こわい
         こわい
 
 恐怖が体を鎮め 震えで抑え どこまでもにたりと笑えてしまう
 嘲笑でも自嘲でも無い すべての命の瞬きが口元のその歪みへと向かっていく
 心まで歪んでいそうじゃ
 そのまま冷気に誘われて 裸身のままに震えている
 さむい
 こわい
 さむい
 勝手に体が動く
 自在に口が回る
 深山幽谷を跳ね回り 大海原を飛び回り
 ほんに溶けてしまいそうじゃ
 涙は出ぬ
 笑いだけが零れていきよる
 笑い
 笑い
 無数の笑顔が広がっていく
 書き続けた
 幸せであり続ける物語を
 書き続けた
 震える手で
 勝手に零れる笑いを噛み殺しながら
 なぜ笑うのじゃろう
 戯けてみせる
 誰もおらぬのに 物語りする
 わっちは
 物語になれぬ
 わっちは書き続けるしか無い
 ひとりで
 ずっとひとりじゃった
 狼の群を抜け 世界中を飛び回った
 ひとりで
 時折 独りでは無いときもあった
 その時々に幸せな物語を書いた
 それだけしか無いのじゃろうか
 わっちは そう思うことしか出来んかった
 どんなに考えても足掻いても、別れを口にしても
 わっちは その物語を書くしか無かった
 わっちは 物語を書き続けるしか無かった
 いっそのこと 物語になってしまいたい
 書き続け 描き続け 幸せであり続け
 それは尽きせぬ 欲望の階段
 怖かったんじゃよ それが
 際限の無い欲望が それが怖い訳ではありんせん
 わっちがそうして 欲望を求め続けるだけしか無いことが 怖かったんじゃ
 ならばいっそのこと 書きかけの物語に未完の蓋をして そのまま抱き締めていたいんじゃ
 いやじゃ いやじゃ 次の物語になぞ行きとうない
 その先へ その先へ もう ひとりで歩き続けるのは 嫌じゃ
 わっちはもう
 物語を 書きとう無い
 書くしか無いのなら
 書きとう
 無い
 
 
 
 − 黒い風が吹いている
 
 
 
 
 なぜじゃろうの。
 どうして、わっちはひとりなんじゃろうか。
 ロレンスのたわけが賢く優しさをかけてくりゃるたびに、わっちはひとしお怖くなる。
 これは、絵じゃ。
 立派で、甲斐甲斐しく、黄金に縁取られた、綺麗な絵じゃ。
 それを描いたのは、わっちじゃ。
 ロレンスをそういう男に育て、そうしてわっちに優しさを向けるように仕向けたのは、他ならぬわっちじゃ。
 ロレンスを、食べてしまいとうなる。
 独占欲? たわけ、それはそんな程度のものではありんせん。
 それは。
 わっちが本当にぬしを喰い殺してしまいたくなるほどの、絶望的な恐怖じゃ。
 ロレンスの微笑みが、そのまま絵になっていく。
 わっちは・・・その絵を描き続け、作り続けていくだけなのじゃろうか・・・
 わっちはそうして、絵として作られた完成品を愛でて、またひとり世界の中で笑うのじゃろうか。
 わっちもその絵の中に入りとうて、堪らぬ。
 実に、良く描けとる。
 自分でも感心してしまうほどに、見事なその、ロレンスの賢いお人好しっぷりじゃった。
 そのロレンスと笑い合う、その絵の中のわっちの姿もまた、良く描けておった。
 わっちは、そのわっちになりとうなる。
 いやじゃ もういやじゃ
 おお 夕陽が赤々と焼けておる
 酒が、いっこうに進まぬ。
 酔うのが怖いと思うことすら無く、もはや酒瓶を傾ける力も無い。
 わっちが・・
 そのロレンスの絵を魅せつけとるのは・・・・
 ロレンスに、じゃ。
 わっちがその絵を、物語を描き書き続けるのをやめれば、わっちはロレンスと別れられる。
 もう・・・よさぬか・・・?
 最後の最後まで、わっちは物語に挿絵を描き込むことをやめられんかった。
 いや・・
 これを最後と決めて、最後まで描き切ろうとした。
 未完という、筋書きのままに。
 わっちゃあ・・・
 
 ぬしとの旅を・・・
 ただの思い出に・・・しとうなかった・・・
 
 ぬしとの旅は、わっちが描く最後の、そしてなにより最大最愛の未完の物語じゃ。
 わっちゃあ・・・
 生まれて初めて、わっちが物語を描き続ける者だということを、忘れていられた。
 我を忘れて、子供のように、ぬしとのやりとりに明け暮れとった。
 わっちゃあ・・・・けれど・・・・それが続けば続くほどに・・・
 それが 物語として 風化して保存されていくのを 感じとった
 幸せであり続ける物語など、ありんせん。
 いつしかそれは、幸せであり続ける物語を書き続ける、その孤独な者の物語へと変じてしまう。
 ひとり、なんじゃ。
 わっちゃあ・・
 わっちゃあ・・・・
 じゃから・・幸せであり続ける物語なぞありんせんと、言うた
 じゃから・・・神父紛いに、欲望を求め続ける愚を説いてみせた
 独占欲に自己嫌悪する、その健気で、潔い娘になった。
 求めれば、求めるほどに。
 わっちの幸せは、絵になってしまう。
 描いても、描いても、それを描いているという事自体が。
 幸せになっているわっちを描く、そのわっち自身の存在を浮かび上がらせていく。
 ひとりは いやじゃ
 ぬしとの楽しいこの旅が、色褪せ風化するだけの、その思い出としての物語になるのを見るのが、嫌じゃ。
 
 

 『じゃからな、怖かった。

  この楽しさを加速させる、ぬしの優しさが。』

 
 

 

 こわい
 
 こわい
 
 
 絵になるまえに
 ひとりはいやじゃ
 返してしまおう ぬしにぬしを
 そうすれば わっちとぬしとの旅は わっちに描かれること無く ぬしの胸の中で生き続ける
 わっちはそれを そのぬしのことを想いながら 毎晩酒瓶を傾けよう
 汚したく 無いんじゃ
 綺麗な絵にして 黄金色に縁取って そうして片付けることなどしたく無いんじゃ
 旅は、終わりじゃ。
 旅は、ぬしの中で生き続ける。
 わっちに その旅を殺させる訳にはいかぬ
 こわい
 こわくて堪らぬ
 いやじゃ嫌じゃ嫌じゃ
 ぬしよ、ぬし様よ
 この旅を 守ってくりゃれ
 残忍で 狡猾で 老獪で
 そして
 強大な、この孤独の狼から、わっちらの旅を守ってくりゃれ
 空がみえる。
 星がみえよる。
 宿屋の、部屋の中じゃというのにの。
 ぬしの暖かく・・・力強い・・・・その手の・・・・手の・・・・・・・なかに・・・・・・・・
 わっちゃあ・・・
 わっちゃあ・・・・・・・嘘を・・・・・・・
 
 こんなにまで・・して・・・・見栄を・・・・・・・・・・・
 
 
 こ  わ
 
         い
 
 
 
 
 
 
 わっちがの
 
 
 
 ロレンス 
 
 
 
 
 
 わっちが本当に怖いのは
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 そうして
 自分の孤独に、泣きながら逃げ込む事しか出来ぬ、そのわっちのどうしようもない弱さなんじゃよ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 助けて・・・・・・・・・・くりゃれ・・
 
 
 
 
 
 
 
 
 わっちは笑う
 嫣然と 虚しく 微笑みながら
 すべてを受け入れたと言わんばかりに
 わらう
 潔く 健気に すべてそれらしく 理と想いを描き出して
 物語を、書くしか無いのなら、書きとう無い・・・か・・・
 それは、そうじゃろうの。
 物語を書くしか無くしているのが、他ならぬわっち自身じゃという事から、目を背けるしか無ければの。
 書きとう無いと堂々と呟けるのは、書くしか無いという事に翻弄される、わっちの哀れさを想うからじゃ。
 ・・・・たわけ・・なんじゃよ・・・・・わっちは・・・
 ぬしよりも・・・・・ぬし様よりも・・・・・ずっと・・ずっと・・・・・弱いんじゃ
 ひとりは・・・いやじゃ・・・・
 けれどわっちはひとりじゃから・・・ひとりであることを受け入れるために、そのためにこそだけ力を尽くして
 しまうんじゃ・・
 ひとりはいやじゃ、じゃからひとりを受け入れてしまえば、苦しまずに済む。
 
 
 たわけじゃ!
 たわけじゃたわけじゃたわけじゃ!!!!
 
 
 わっちはほんとうに!
 
 
 
 
 ひとりが!
 
 
 嫌なんじゃ!!!
 
 
 
 わっちは・・・・ぬし様に・・・希望を・・・・見たんじゃ・・
 いや・・・見つけて・・・しまったのじゃ・・・
 ぬしを見れば、そうしてわっちがわっち自身へ逼塞しようとしている事が、わっちの認識を圧倒的に超え
 るほどに根深く、いやそれ以上にそれがわっちの本質と結びついていることがわかってしまうんじゃ。
 わっちは、ひとりのままでいいのかや?
 ひとりであることを受け入れるだけで、本当にわっちは・・・わっちは・・・わっちを許せるのじゃろうか
 ロレンスに別れを切り出した後、何度も、何度も・・・・わっちは・・・わっちは・・・
 勝手に、無意識に、わっちを弾劾しておった。
 何度痛い目に合おうとも、何度吐きながらもう二度と酒を飲まぬと決心しようとも・・・
 わっちは、溜息と、そして。
 涙に濡れるままに、何度でも、痛い目に合いながら、酒で酔い潰れようとするわっちを、止められぬ。
 それは、あまりに豊かな、わっちの暴走じゃった。
 何度でも、それを確認してしまう。
 わっちゃあ・・・ほれ・・・こうして、わっちがぬしに吐いた、大嘘の見栄を、自分で嘘だと見栄だと見破り
 弾劾する、その自分自身があることを知っておる。
 わっちは今からでも、ぬしへの別れの宣言を撤回出来る。
 わっちは、わっち自身へかけた孤独への誘惑を、自ら解く事が出来る。
 けど。
 
 けれど、ぬし様よ。
 わっちはもう。
 そうして、ひとりで自らへの孤独の呪縛を解呪し続けることが、嫌になったんじゃ。
 ひとりは、嫌じゃ。
 
 じゃから。
 
 ・・・・・じゃから
 
 
 
 ぬしにこそ
 
 解いて貰いたい
 
 
 
 わっちはわっちの嘘を、見栄を、訂正せぬ。
 ぬしに言い出した、大見得切った別れ話を、撤回せぬ。
 わっちは、本気じゃ。
 本気で、わっちはこの孤独の狼に喰われそうじゃ。
 助けて、くりゃれ。
 わっちひとりでは、自らの孤独から受ける苦しみを減らすことしか出来ぬ。
 孤独を、前向きに捉え続けていくことしか出来ぬ。
 雌はの、雄と違って自分だけの世界で幸せになることが、本当に出来てしまうのじゃ。
 強いんじゃよ・・・自分でも驚くほどに呆れるほどに、孤独を楽しめそして、延命出来てしまうんじゃよ。
 そう・・わっちはそうして、幸せであり続ける物語を、強靱に描き続けることしか出来ぬ。
 ひとりは、嫌じゃ。
 孤独と向き合うだけなぞ、もう嫌じゃ。
 孤独なぞ、いらぬ!
 孤独こそ、わっちの敵じゃ!
 孤独である事を強く自覚し続ける事しかせぬ、その弱いわっち自身こそ真の敵じゃ!
 わっちらは、
 
 
 もう、ひとりでは、無いのではなかったのかや?
 
 
 ぬしの優しさをふりかけられるたびに。
 わっちは、それに見合う健気さに身を委ねて、退いてしまいたくなる。
 それは、ぞっとするほどの、孤独の誘惑じゃ。
 わっちは、ぬしとの物語を描き続けている、わっち自身を感じたときを引き際と想い。
 潔く、喉をナイフで突いてしまいよりたくなる。
 それはあまりに気持ちのよい、哀しい心持ちじゃ。
 わっちは・・・その哀しみを・・・知っとる・・
 孤独から逃れられぬ自分が、それでもこうして存在している事の哀しみ。
 そして・・・わっちはその哀しみをなにより知り・・・なによりわっちこそその哀しみに囚われているからこそ・・
 それが、悲しいんじゃ。
 なんとか、なんとかしたいんじゃ。
 諦めたく、ないんじゃ。
 諦めれば孤独の苦しみから解放される、そうして解放するしか無いんじゃという哀しみに囚われる、
 そのわっちがあまりにも、不憫でならぬ。
 わっちは、そのわっちを見捨てられぬ。
 わっちがたとえ大見得切ってロレンスと別れて、健気で潔い哀しみに打ち沈んでいようとも。
 そのわっちの胸倉をひっつかみ、縦へ横へと深く揺さぶり起こす、そのわっちはおった。
 救わねばならぬ。
 苦しみから解放するために、殺してどうするんじゃ!
 死してしか至れぬ涅槃など、よういらぬ。
 描くことでしか味わえぬ極楽なぞ、よういらぬ。
 いや、なんとも情けないことを言うた。
 不憫だなぞと、そんなこと以前に、わっちはそんなみみっちいわっちに満足する狼ではありんせん。
 わっちは誇り高き賢狼じゃ。
 わっちは。
 わっちは!
 
 
 
 ぬしと、健気に潔く、乳繰り合うだけなぞ、絶対に嫌じゃ!!!!!
 
 
 
 わっちらは、今此処に、こうして生きているんす!
 
 
 ひとりだけなら出来ぬことでも、ふたりなら出来ることは沢山ありんす!
 ひとりとひとりとして、ただ毅然として乳繰り合うだけなら、それこそふたりで心中するしか無くなるんじゃ!
 わっちらは、ふたりじゃ!
 ひとりでは、諦めるしか無かったことも!
 ふたりなら!
 わっちらふたりなら、そうでは無くなるのではないかやっ!
 そして。
 この世界には、ふたりだけがおるのではありんせん。
 当たり前じゃ、このたわけ。
 可能性は、初めから無限に開けとる。
 その可能性を自ら閉ざしておるのは誰か。
 その誰かにそうさせておるのはなにか。
 それがわからぬ者なぞ、この世にはおらぬ。
 その事を韜晦し、ひたすら閉ざされた小さな孤独の世界を生きる者がおるだけよ。
 嗚呼
 嗚呼
 わっちゃあ 悲しい
 わっちは弱い
 強くて、だから弱い
 わっちは・・
 そのわっちのことが・・・嫌いではありんせん・・・
 なぜなら・・
 
 
 

 『長いことひとりでおったわっちの身には・・とても眩しい』

 
 
 
 ただ眺めるだけじゃった
 眺めながら、その瞳に紅を灯していった
 わっちは神として、人々の繰り広げる短い幸せの連続を、見つめるだけで幸せじゃった
 わっちは・・・
 わっちは・・・・・
 それが幸せじゃったのに・・・確かに・・・確かに・・・・幸せじゃったのに・・・・・・
 悲し、かったんじゃ。
 どうしようもなく。
 悲しいと、あやつらと生きたいと、絶望的に叫びながらも孤独の神として眺め続けるだけのわっちに
 逼塞し続ける、そのわっちを泣きながら弾劾し続けるわっちがおった。
 わっちはそのわっちを、虐げ弾圧し続けた。
 じゃが・・・ゆっくりと・・・・ゆっくりと・・・幾重もの年を重ねながら・・・・
 そのわっちを打擲する・・そのわっちの手には・・・・・・
 ロレンスの、あの大きくて優しい手の中の、あの希望と同じものが犇めいていったんじゃ・・・
 空が・・
 星が・・・
 海が・・・
 森が・・・丘が・・・
 ずっと見つめてきた世界の輝きの中に、まだ見ぬ無限の世界の豊穣が、犇めいとった
 堪らんかった
 うれしくて
 愛しくて
 わっちゃあ
 ぬしの孤独を、拓きたい
 この愛しく、賢く、貪欲な、幸せであり続ける物語を綴る事の出来る、この手で。
 そして。
 ぬしにも、わっちを、拓いて欲しい。
 その手で。
 そのぬし様の、本当に優しい手でこそ。
 
 
 力強く、わっちと生きて欲しい。
 
 
 目を開けると。
 そこには、ぬしの笑顔が広がっておった。
 いくつも、いくつも、わっちは幸せの物語を綴ってきた。
 本当に、辛かったんじゃよ。
 本当に、本当の本当に、長かったんじゃよ。
 黄金にさざめく陽光が、頬を濡らす。
 わっちは知った。
 孤独は、希望から目を背けるからこそ、あるのだということを。
 
 
 世界と繋がる、何百年も年を重ねてきた、ひとりの賢狼の物語を。
 わっちこそが。
 今、深く、感じていた。
 色褪せることなぞ、無かったんじゃな。
 蒼く、蒼く、深く透き通るように、それは見事に鮮烈な、わっちの歴史じゃったよ。
 
 
 
 わっちは、これから、なんじゃな。
 
 ロレンス。
 
 
 
 
 
 わっちは。
 
 
 
 生きたい
 
 
 
 
 
 
 遠くで
 ひどく遠くで、戦いの狼煙が、鳴り響いていた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ◆ ◆
 
 ・・・・。
 ここでまた、感動で涙が止まりませんでしたとか、正直ずっと泣きながら観てましたとか、そう言うと、
 私の感動の涙の価値が下がった上に、今回のお話の価値さえ下げられてしまいそうなのですけれど。
 
 
 ・・・・・・っっっっ ←号泣
 
 
 価値なぞ知ったことじゃ無い。
 もう今回は始まる前から、ホロがどういう方向に進んでいくのかはかっていたので、最初からもう、
 涙を堪えるところからスタート。
 けれど、私の場合は、ホロはロレンスになにも告げずに、そのまま消えていく可能性が高いと思って
 いましたので、ホロがロレンスに別れを告げるという行動に出た時点で、きゅっと。
 きゅっと、どうしようもなく、涙腺がしぼられて。
 いえ、堰き止められた、というべきでしょうか。
 それは、決壊するべく作られた堰。
 そして。
 次回予告の、あのホロの・・・
 涙を拭いて、拭いて、そして。
 とめどない、涙。
 私の堰も、決壊。
 
 私の涙が、私の知っているものの、そのすべてを知っている。
 私の言葉は、その涙からおこぼれを頂戴するのみ。
 ええ。
 ホロのことがわかりすぎます。
 ホロの涙と私の涙が繋がりすぎ。
 ホロがベッドにロレンスと寝転がり、今までの手練手管の総復習にして、最後の試験をロレンスに
 施し、そして見事そのロレンスがその試験に合格するのを見届けて・・
 ホロは、踏み切りました。
 そのロレンスに安心したのでは無く。
 そのロレンスになら、間違い無く愛しく信頼を寄せることが出来たからこそ。
 ホロは、決行した。
 その手練手管のままに、ロレンスに、別れを告げることを。
 ホロは、潔く身を退く悲劇のヒロインこそを本気で演じながら、その先でロレンスを待つことにその身を
 投じたのです。
 絶対に、ロレンスが追い付いてきてくれると、信じて。
 だから。
 だからこそ。
 本気で、ホロは自分の絶望と孤独に身を委ねたのです。
 怖いでしょう。
 ホロはずっと、その自らの絶望と孤独と、ひとりで戦い続けていたのですから。
 そして今、その最後のひとりの戦いをしようとしているのです。
 もう二度と、その絶望と孤独との戦いを諦め忘れて、幸せであり続ける物語を綴る楽しみに帰る事
 は出来ない。
 これは、背水の陣です。
 もはやホロは、そのひとりの戦いの先にある、ロレンスとふたりで戦える世界に辿りつくしか無いのです。
 こわい
 だからこそ、なにより今こうして身を投じた、最後のひとりの戦いこそが、最も恐ろしい。
 恐ろしくて、恐ろしくて、堪らない。
 元にも戻れず、先へも辿り着けず。
 今までのひとりの戦いは、いつでもロレンスとの物語を綴り続ける者、という帰る場所がありましたけれど、
 今この戦いの中には、それが無い。
 しかも、自らロレンスに対して、わっちはそのぬしとの物語を綴り続ける者として、潔く身を退きたいのじゃ
 と、本気の大嘘を示したのですから。
 もうホロには、そうして潔く身を退く場所は、無いのに。
 ヨイツの森は、消えたのに。
 ロレンスの胸からついと離れ、ふっと立ち上がり、そして。
 ゆっくりとロレンスに背を向け歩き、そして振り返り。
 『じゃからな、怖かった。この楽しさを加速させる、ぬしの優しさが。』
 この大嘘吐き・・・・ほんとうのこと言っちゃって・・・(涙)
 それを言ってしまえば、もう元には戻れない、その事は知られたら困りんすと思っていたことを、ホロは、
 堂々と、きっちりとけれん味を含めて、ロレンスに言って示したのです。
 
 なにこの・・狼・・・・・涙止まらない・・・・・(滝涙)
 
 怖い。
 ロレンスを信じる自分が怖い。
 信じていいのじゃろうか、わっちはロレンスを信じて良い資格があるのじゃろうか。
 そんなものは、無い。
 全部自分で、信じて、信じて良い許可を与えなければならない。
 こわい
 いつだって、ほんとうに、ホロの背には、健気に潔く孤独の森に引きずり込む、その「孤独の狼」の闇が
 迫っているのです。
 健気ぶりを手管として使用しても、決して本気になってはならぬ。
 ホロは極限状態です。
 今まさに、ホロ史上最大最高の試練のときなのです。
 自らに、それでも強靱に、ロレンスを信じて良い自分を与えることが出来てしまう、その己が怖い。
 本当に、これで良かったのじゃろうか?、と殊勝に問うことなど欠片も無い、貪欲にひた走る、その
 己の狡猾な脳髄と軽快な口車に引きずられる、己が怖い。
 けれどそれは、自分が望んだこと。
 ひとりは、嫌じゃ。
 もう絶対に、嫌じゃ。
 ホロは、なんというかもう。
 あらゆるものに反旗を翻したようなものです。
 いやなんじゃよ、もう。
 ひとりで、健気に潔く儚く散るのも嫌なら、ただずっと物語を描き続けるだけのわっちに閉じる覚悟なん
 ぞに浸るのも、もう嫌じゃ。
 
 わっちはもう。
 わっちの孤独と向き合うだけなのは、いやじゃ!
 
 わっちは、希望から、目を背けとう無い!!
 
 今回のお話は、まさにそれが主題なのです。
 悲劇? 悲劇と言えば、なによりな悲劇です。
 でも、ホロのあれは、健気に潔く身を退こうとしているのは、それは紛れも無いホロの演技です。
 健気に潔く身を退こうとする哀しみはあれど、その哀しみを元にした悲劇などではありません。
 その哀しみしか無いことを悲しみ、悲しくて悲しくて堪らなくて、なんとしてもそれが嫌だからこそ足掻いて
 足掻いて、その先にあるものを必死に見つめようとする、そういう悲劇です。
 ひとりは、もう嫌じゃ。
 哀しみを胸に抱き締めて死を選ぶのは、紛れも無く孤独の選択です。
 ホロが、それを選ぶはずが無いことは、これはホロの「言葉」に惑わされず、ホロの「孤独」そのものを
 見つめれば、必ず気付くことが出来るものです。
 ひとりは、いやじゃ
 ホロは孤独だからこそ、なにより孤独の森で数百年生きて、さらに世界を見つめるだけの時間を
 延々と過ごしてきたからこそ、ホロの行動はすべてそこからの脱却へと繋がる。
 そうして、孤独からの脱却をし続ける事に疲れて、孤独の森に帰るしか無いというその哀しみこそ。
 孤独の、真の恐怖。
 ホロはそれを、それこそなによりも、知ったのですね。
 ロレンスと、旅をし続けてきたことで。
 なぜ、孤独に陥るのか、なぜ、孤独の狼に喰われるのか。
 それは、諦めるからです。
 そして、一番誰もが諦めるものが。
 希望。
 だからこそ、絶望がある。
 絶望とは、希望から己を隠すための、暖かいベール。
 孤独から逃げようとする事と、孤独へ逃げ込む事とは実は繋がっている。
 孤独そのものの存在がなんであるかを知らねば、それは絶対に途切れぬ絶望の環。
 孤独とは、希望から目を背けるがゆえに、存在する。
 真に怖いのは。
 実は、希望なんじゃ。
 わっちは恐れとる。
 わっち自身の、可能性を。
 その可能性をものにせず、ひとつの可能性にしがみつく己を肯定する言葉ばかりを、延々と紡ぎ続け、
 その上でそれが哀しいだなどと自己欺瞞も甚だしい事を平然とぬかしよる、わっち自身のままでいる
 ことが。
 こわい
 そしてなにより。
 
 その恐怖を、消そうとすることで、苦しみから逃れようとする、そのわっちが、一番、怖いんじゃよ。
 
 実際ホロは、何百年もそれを経験してきたのですよね。
 自らの孤独が、自らこそが築き、その中でしか生きられないと断じて生きてきたからこそ、その中でしか
 本当に生きられなくなっている、自分のことをホロはなによりも知ってきたのです。
 そう、だからホロは今、孤独と絶望そのものとでは無く。
 まさに、孤独と絶望を生み出すもの、それ自体と戦い始めたのです。
 孤独と絶望が為す哀しみを胸に、けれどなにより深く、その孤独と絶望を生み出す者に支配されて
 いた己を悲しみ、圧倒的に絶対的に、必死に戦っていく狼が、此処に生きている。
 孤独と絶望を生み出す者は、なにか。
 それは、希望から目を背け諦めようとする、わっち自身じゃ!
 わっちが見つめるべきは、絶望では無く、希望じゃ!
 わっちがすべきは、孤独からの脱却では無く、孤独の打倒じゃ!
 絶望では無く希望を見つめるというのは、悲観から楽観へという阿呆な転換ではありんせん。
 希望を見つめるということは、恐怖じゃ。
 その恐怖に耐え得る己を培わねば、そう出来る環境を自ら整えねば、その楽観は容易に悲観の温床
 へと成り果てる。
 じゃからの、ぬしよ。
 重要なのは、如何に自らが希望というものに対して免疫が無く、どれだけ希望から逃れようとする、
 その己の「怠惰さ」が深いのかを、よくよく見つめることじゃ。
 わっちらは、弱い。
 そして、弱い自分を肯定する事にかけては、無類に強い。
 だから哀しみに浸り希望から逃げ続ける体力だけは、無限大じゃ。
 哀しみこそ、孤独の糧じゃ。
 わっちも、そうじゃった。 何百年も、逃げ切った。
 もしわっちが人なれば、それだけでさぞかし聖人扱いされたじゃろうの。
 わっちは、嫌になった。
 心底それが、嫌になった。
 弱いまま強いわっちが・・・・・嫌になった・・
 わっちは・・・弱いままのわっちが・・・・今は好きじゃ
 弱いからこそ、強くなりたいと、どうしようもなく思えるんじゃ。
 弱さは、弱さじゃ。
 それを強さとして都合良く受け入れれば長生きは出来るのじゃがの、それだけじゃ。
 百年も千年も、孤独の森でひとり微笑むしか無うなってしまうぞ。
 わっちはもっともっと、わっちの弱さを知りたい、わっちの弱さに触れたい。
 わっちの弱さに、深く、向き合いたい。
 じゃから・・じゃから・・・・
 
 ああもう、今丁度もう一回本編再生していて、また次回予告になったので、観たら。
 涙が溢れてきて止まらないよ・・・(泣)
 
 どんなに思考の途中だろうと、涙の存在は隠せない。
 どんなに言葉を紡ごうとも、口をつぐんでひたすら泣きたい衝動を消すことは出来ない。
 ホロは・・・・そうなんですよねぇ・・・・私も・・
 涙こそ、ホロが此処に生きている証。
 次回、それこそが明かされるのでしょう。
 ホロが泣きたい衝動をその胸の中に確かに秘めているからこそ、ホロが幸せになる希望が見えてくる。
 今回、これこそが明かされたのです。
 ホロは今まさに、その幸せにならねばならないという希望とこそ、戦っているのです。
 ええ。
 そう。
 そうです。
 この狼と香辛料という作品は、高らかに、はっきりと、こう、言ってくれたのです。
 
 そのホロの希望との戦いは。
 希望を捨て諦め、絶望を孤独に生きるために、では無く。
 ホロが、希望を自分のものにする、その幸せのためにするものなのだ、と。
 
 
 そして。
 
 ホロにとっての、希望そのものが。
 
 ホロの目の前に、いる。
 
 
 ロレンス。
 この男ほど、諦めの悪い男はおらぬよ。 (泣きながら笑)
 
 
 
 と、いう感じです。
 正直今回のロレンスは、異常です。
 ホロに別れを告げられたあとの、あのロレンスの落ち着きっぷりは、どうですか。
 顔を覆って考えることも無く、足掻いたりもせず。
 ただ、ホロとの手練手管を続けていく。
 不思議。 今まで我らがロレンスを見つめてきた私達には、とっても不思議なこのロレンス。
 なんじゃろう、このロレンスは。
 確かに狼狽えて取り乱してはおったが、もうなにか・・どうすべきかを最初からわかっているような・・
 わっちが別れを切り出した事自体は、全く想定していなかったことなのじゃろうが・・・
 なぜかこの男は・・・どうすればよいのか・・・もう・・確信しておる・・
 ロレンスは衝撃に沈んでいます。
 けれど、私にはどうしてもこのロレンスの軽快な対応が、どうすればよいのかわからないからこその時間
 稼ぎにも、またホロの申し出を従順に受けたようにも、見えませんでした。
 むしろ逆に、そのホロが吐いた別れへのを想いを噛み締め、だからこそ。
 だからこそ、その想いの「裏」にあるものを、完全に見抜いているような節があります。
 ・・・・。
 今回こそ、これは完膚無きまでに、ホロはツンデレです。 (笑)
 そしてロレンスは見事に、そのホロのツンの向こうにあるものを見据え・・・ってこれいつも通りですね、
 よく考えたらロレンスは。 (爆)
 でも。
 逆にいえば、ホロはこのツンデレ愛好家(笑)としてのロレンスを利用して、そしてそのロレンスがツンデレ
 をツンデレと見破ったときに発揮する、そのホロの想像を超える言葉を、期待したのかもしれません。
 そしてそのさっぱりした顔のロレンスに、たわけと怒鳴りつける事が出来るホロがあることを、私は切に
 望んでいます。 
 ロレンスはせいぜい合格点まで出せばよろしい、それを満点にするのは、あくまでホロでこそ、じゃなくて
 はですよね。
 あーこれ。
 次回は本当にまた、ロレンスで書こうかホロで書こうか、大いに迷うところです。 ( 笑)
 
 
 そして、萌えポイントはずばりロレンスに頭を撫でられて頬を染めるホロ。
 手管を見抜かれて、「ぬしのくせに!」とその手を突っ返すそのホロが、なんだろ。
 無性に、愛しかったです。 (溜息)
 あれだけが、今回の事態にひとつも関わらない、ホロの本質の表情でしたから。
 正確にいうと、尻尾を触られたときの取り乱しもそうだったのですけれどね。
 ただあれはあれで、また例の尻尾のトリックを実行中にふいに尻尾に触られて、すわそれが見破られた
 か、いやもしかしたら今回のわっちの企み自体に到達されたか、というのがホロにとっては想定外の
 狼狽をホロに与えた結果なので、ひとつも関わっていない、という訳では無いですね。
 で、今回は逆に、凄艶というか、とにかくロレンスに接するたびに、哀愁に満ちた微笑みでロレンスの
 手に頬を付けるそのホロの想いが、ほぼ全編に渡っていましたからね、私はもうそれが胸に浸みて
 浸みて、どうしようもなくて、最初の商会でのやりとりのときのホロの表情変化、エーブの話を聞いて
 いるときのホロのあの表情での語り、そしてロレンスに魅せたいつも通りの手練手管の表情の騙り、
 そして本音の哀しみの表情での演技、その後の言葉は嘘でも表情は正直の仕草、それらを飛び石
 のように繋ぐだけで、どうしようも無くホロが描けてしまう感触がメインでしたからね。
 どうしても、あの頭撫でられホロが、こう、ね。
 愛しくて。 (語彙無いなw)
 それと、萌えポイントでは無いですけれど、今回はある意味全力でホロの嘘を実は暴いていたりする
 ような、そんな台詞がホロとロレンスとの会話だけで無く、他のキャラとの会話の中にも散りばめられて
 いたり、またホロが踏み込もうとしている道がどういうものかを、しみじみと感じさせてくれるような、
 そんな言葉としての芸術が、とても静かに横たわっていました。
 表情で描き出したものと、言葉で紡ぎ出したものが、見事に。
 ホロと生きているのが、私にははっきりと、暖かく、観えました。
 やっぱし、狼と香辛料って、最高傑作やわぁ。 (うっとりw)
 
 
 という辺りで、終わりに致しましょう。
 エーブの正体は狐説はどうやらほぼハズレ確定のようで残念ですけれどw、あのエーブはエーブで
 ますます好きになれたので、個人的には問題ありませんww
 そして、この作品の最終回がいつなのか謎なのが、実はもの凄くこの作品に深みを与えていたり。
 まだ発表されてないとかそうでないとか、次回第12話で終了の感じもありますし、もうひとつあるかも
 しれませんし、実質的には次回で終わって、その次に番外編的におまけの最終話をやる、という
 形もあり得ます。
 うーん、次回で終わりとなると、これはロレンスとホロを別れさせたまま終わりにしないと、ややテーマ的
 に掘り下げが甘い気がしますので、次回終わりならちゃんと別れさせて欲しいです。(ぉぃw)
 まぁでも、それはそれで、それこそどういう風に作ってくるか次第なのですけれどね、私のこういう読み
 自体がたわけとホロに怒鳴りつけられる甘さで終わるかもしれないですし、それもまた望むところですww
 
 
 
 それでは、また次回。
 いきなり次回最終回で、この感想も終わりという形になってしまうかもしれませんけれど、
 そのときは、それでも後悔しないほどにすべてを込めて、感想を書かせて頂きます。
 燃え尽き宣言!
 では、それまで皆様、皆様の狼と良き旅を。
 狼万歳!
 
 
 
 
 
 
 
 
 
                              ◆ 『』内文章、アニメ狼と香辛料U」より引用 ◆
 
 
 

 

-- 090916--                    

 

         

                                    ■■ 熱暴走 ■■

     
 
 
 
 
 すっかり気温も下がり、過ごしやすい陽気に落ち着いてきた今日この頃、皆様如何お過ごしですか?
 ごきげんよう、紅い瞳です。
 
 
 さてまぁ、今日はなにをお話しましょうか、という前に、というかもう既に今日は喋りたい事満載で、
 とにかくまず喋りたいというか、喋らずにはいられないというか。
 ざっくばらんというか、いつもの通りによくわからないことを喋ります。
 といっても、そんなに難しいことじゃ無い、というよりもむしろ単純過ぎてアレな話なのですけれど、
 つまり狼と香辛料が好きすぎて困るんです。
 ええ、今、大変困っています。
 好きすぎて、全然全く、上手く感想が書けない。
 な・・・なんてこったい・・ですか・・・
 ちょ、待っ、待って、ともうなんだかどんどん書いてるうちに置いていかれてしまうというか、自分では
 じっくり考えているつもりなのにあんまり考えてないで、気もそぞろに書き出してちゃってたりとか、
 かといって映像に集中しているかと言えば、ちゃんと書かなくちゃと書くことに気が行っちゃって、気もそぞ
 ろ。
 キャッチボール! 私がキャッチボールされてる!
 こっちへいったりあっちへいったり、もう落ち着かない、もう落ち着かないのは嫌なんです!、と半べそを
 かきながらも感想を書いていたりするのですけれど、気付いたら作品の内容に引きずられて感動で
 泣いていたりとか、なのに上手く書けなくて泣いてたりとか。
 ああ、もう、ああもう、ああもう!
 もう! もう! もう!
 
 焦りすぎ。
 
 紅い瞳の持病、思い入れの強い作品ほどまともに感想が書けなくなる病が、過去最大級のレベルで
 発症しています。
 自分でも考えてるのか考えてないのか、なにを書いているのか書いていないのか、わかるような
 わからないような、あれ?こんなの私書いてったけ?、という感じじゃ無くて、ただ実感が無いというか、
 いやいや、もう書いてる最中からアレというか、あー・・・・ ←椅子の背もたれに寄りかかりながら
 なんぞ、ふわふわする。
 全何話なのかな狼は、全十二話ならあと2回、え、あと2回しかないの?
 焦る、焦りまくり、だけどなんだか焦っているはずなのに妙に落ち着いているというか、いやこれ、
 落ち着いてるっていうか呆けてるんじゃないかってくらいにぼーっとしちゃってて、もうなんかこれ、
 画面見てるだけでいいよ、考えるだけでいいよ、感動するだけでいいよ、萌えるだけでいいよこれ、
 そうなっちゃう。
 なっちゃうんだけど。
 書きたい。
 なんかこう、支配欲。
 なんかこう、私の狼と香辛料を書かずにはいられない。
 私として、この作品から目を背けられないっていうか、もうこの作品を使ってこそ考えたいというか、
 でもそれだけじゃないんですよねぇ、萌えとかこのなんともいえない感慨というか、なんだろ、この作品って
 もう私の中でぶっちぎりに特別な位置に来てる・・というか位置というかもう上というか私の頭の天辺
 にあるものというか、ああなんでしょねぇ、魅せられてる、というのでしょうか、むしろ私こそが私の狼と
 香辛料を書かないと、この作品に見合う私は用意出来ないというか、恋かなぁ、これ恋でしょうこれ。
 尊敬とか敬愛とか、してるというかしたくて堪らないというか、してるんだけど今してる尊敬と敬愛だけ
 じゃ全然足りないというか、もう私こそがもっともっとこの作品を豊かにして魅せたいというか。
 
 この作品の受取り手として、この作品に深く大きく関わっていきたいというか。
 
 受け取って、それでそれを自分だけで消費していくことなんて、わたしにゃ出来ない。
 受け取って、発信したい。
 んや、発進、なのかな、これは。
 それこそキャッチボールというか、前にも言ったけど小石を投げて出来る波紋というか、なんかもう、
 イライラするほどに書きたくて堪らなくなるんす。
 この作品の魅力とか、いやそれ以上に、この作品をより深く豊かに、いやいや、どうやったら色々な見方
 が出来るかという、そういうものを私として築いていきたいのですよね。
 それ自体は、このアニメの作者には出来ないことですし、逆に作者の「公式見解」だけを見て、
 ただ「読解」するだけなど、私はあまりにも勿体なさすぎてそんな事は出来ない。
 ていうかアニメの制作者も、もとより原作者の方も、当然視聴者と読者には自由に観て読んで欲しい
 と思っているでしょうし、またこの作品はそれが充分以上に可能な出来となってる。
 もっともっと、沢山の読みを。
 もっともっと、複雑豊満な感動を感激を感謝を。
 この作品を受けた人達が、その人達自身の「私」に向き合い、そしてこの作品に向き合っていけば、
 この作品はまさにその見た人達の数と同じだけ豊かになっていきます。
 みんながみんな、ちゃんとこの作品を自分のものにして、そしてそこから大らかに深く豊かに語り出して
 欲しいなぁって、もうそういう事を夢想しながら、私は「私」と向き合い、オリジナルな「狼と香辛料」を
 「感想」として描き出して、まぁ私のあれは厳密にいうとSSじゃ無いんですけど、そうして、私の「ホロ」と
 「ロレンス」を作り出して、そうして書いてる。
 あー書きたい。
 書きたくて書きたくて、だからその想いが強すぎてちゃんと書けない、いやそれはきっとたぶん、書いても
 書いても「それでよし」と満足して止まることが出来ないほどに、私が狼と共に走り続けてるからじゃ
 ないからかなぁ。
 上手くかくもなにも、まずは落ち着け。
 なんかもうなにを喋りたかったのかわからなくなってるですけど、なんか喋ったら楽になった。
 ふぅ。
 
 なんかもう、まともに喋ることすら出来やしない。 (溜息)
 
 
 と、いうことで、ご迷惑をおかけしましたもうすっきりしましたw
 なんか全然上手いこと言えないっていうかオチついてないっていうかほんと喋ってただけなw
 
 まぁ・・ほんと・・・狼が好きです・・・・  ←ほんと駄目な人
 
 
 
 
 
 ◆
 
 さて、と。
 狼話は積もり過ぎて私が潰れていればそれで良いので(ぉぃ)、あーでも、今度こそ、狼が終わってか
 ら狼のSS書いてみようかなぁ、第一期終了後のときは結局出来んかったし、なんというか永続的な
 ものとして、「私」の狼を描くなら、放送が終わってからこそですよねぇ、でも私「物語」を作るのって
 苦手なんですよねぇ、まぁいつものようなSS的感想でもいいんですけどさぁ、あ、23日にはサントラが
 出るのですよねぇ、アニメが全12話だとしたら最終回放放送日に発売ですねぇ、なんたる記念日
 ですことよ、それに10月に狼カレンダーも出るしもう予約しちゃったし(ぉ)、あーなんかまた狼グッズ
 欲しくなってきちゃった、というか、なんかさ、使えるグッズがいいんですよね、ストラップとか湯飲みとか、
 あ、狼グッズはもう結構買って使ってるですよ、もうどこに出しても恥ずかしく無い狼オタクですよ、
 マグカップとミニクロックを探してるですけどどこにも無いですよ、とか、もうね。
 ちょっとあれね、10月からはむしろ狼頑張りたいですね。
 もっと狼したい。
 もっと狼になりたい。
 もうなにがなにやら狼です。
 
 そういう私を、一歩離れたところから見つめてる中の人がいますけど、その人がそのままいけと
 無責任にゴーサインを出しっぱなしにしているので、その。
 紅い瞳、いきます♪ (満面の笑みで)
 
 
 で。
 そんな事をやっているから、もう10月が迫っていることすら素通りな訳です。
 あんたちょっと、狼もいいけどちゃんとやることはやりなさいよ?、うっさい黙れ、なんじゃとー!、と
 脳内大戦争が勝手にひとりでに始まったりする私なのですけれど。
 いやあの、ほんと10月からどうしよ。 (おろおろ)
 10月からむしろ狼頑張りますとか言うのは先制攻撃ですね牽制ですね、もう狼でいくから、10月
 新番なんて知らんから、とかもう、そういう勢いです。
 ・・・。
 いやほんと、確かに10月はノー感想というか、また感想無しシーズンになりそうなのですけれど、
 やっぱりなにも書かないでいるのは辛いというかなんというか。
 書くと決めて観ていかないと、そもそも感想対象の作品なんて見つからないですよね。
 どうしよ・・・ ←優柔不断
 
 ということなので、今回はちょっと本気で色々と新番組チェックを本格的にやってみたいと思います。
 各公式サイトも本格稼働し始めているようですし、私も頑張らなくては。
 ではどうぞ。
 
 
 
 にゃんこい
 猫。猫でなにをしてくれるかです。猫、猫!
 猫を恋愛の小道具にするのじゃ無く、ラブコメの一員としてなにかやらせてくれそうなので、期待。
 
 戦う司書 The Book of Bantorra
 私は似非読書家(そういえば最近全然読んでないっす)なので、本とか司書とか聞いただけでぴぴん
 と来るのだけど、それって本の文章とかじゃ無くてやっぱり本というモノ自体への愛があるからなんだなぁ、
 って最近気付いたよ。 (遅) 「人は死んだら本になる」世界という設定で一体なにをやってくれるのか、
 割と結構期待している注目作です。
 
 とある科学の超電磁砲
 女の子達がいちゃいちゃらぶらぶするだけでもうゴールです(微笑)
 まぁでも普段はいちゃいちゃ、でもやるときゃやる、みたいなただ緩急付けるだけの話にはして欲しく
 ないかも。重くする必要は無いけど、この作品ならではのなにかオリジナルな「思考」はやって欲しいな。
 注目は佐天涙子。・・・楽しみにしてます。(なにを)
 
 生徒会の一存 碧陽学園生徒会議事録
 舞台を生徒会室にほぼ限定して、ひたすら会話と妄想だけで話を進めていくというのが気に入った!
 余計な物語を使わないで、個別にでは無くあくまでハーレム志向な主人公を中心にどういったコメディ
 が為されていくのか、うん、これは来期のコメディ分として期待大ですね。
 
 聖剣の刀鍛冶
 女の子が細っこくて可愛いくて、男の子がなんかカッコ良くて、あれが動くとどうなるのかなぁ、という、
 全くの萌え興味本位でセレクト。あと刀鍛冶メイン(かどうかは知らないけど)て結構珍しいし、
 刀剣を作るということがファンタジー的にどういう意味で考えられていくのかも次点で興味ある。
 って、次点かい!(はい)
 
 天体戦士サンレッド第二期
 いわずもがな。 もう言うことありませんね、サンレッドらしく徹底して普段着で頑張ってください。
 たまにお洒落してみても、襟に張ってあるクリーニング店のタグを外すの忘れてたりしてください。
 
 夏のあらし! 春夏冬中
 だって観ないと某御方が不機嫌になってツンデレ化するんだもん。
 正直、まだなにかやることあるのかと疑問に思うのですけれど、やるって言ってるんだからやるものは
 あるんでしょうと、完全に丸投げモードで待機しております。 なんでも来い♪
 
 真・恋姫†無双
 あれ? 真になって改めて原作に忠実にアニメ化するのかと思って覚悟決めてたのに、いくつか調べて
 回ってたら、普通にアニメ版の続きっぽい感じ? あの第一期のラストから、続いて本当の劉備に
 会っていく感じ? まだわからないですけれど、第一話から馬超なんかも出るみたいですし、まぁ、
 私としてはどっちでもいいっていうか、いずれにしても三国志キャラが見事に萌えキャラ化してやってくれ
 ればなんでも良いです♪ 
 
 乃木坂春香の秘密 ぴゅあれっつぁ♪
 メインのふたりの恋がそのまま純愛的に進んでも面白くもなんとも無いので、もうちょっとこう、ちゃんと
 オタクを描く覚悟というか(べつに生々しさはいらないけど)、その辺りをただ業として否定的に捉えた
 上で赦すみたいな、そんなのでは無い、もっと肯定的で開けた可能性のある感じを考えてみて
 欲しいかな。第一期はなんか最後普通にまとめちゃったし。 あれじゃつまらない!
 
 君に届け
 これは面白そうな。見た目陰気で貞子があだ名、だけど性格は明るくてピュアで、その子が友情や恋
 と接して、そういう「初めて」を知っていくってそれは面白いでしょ。 新鮮で怖くて、だけど怖くても新鮮で。
 世界が開けていくことと閉じていくことの関係とかを、出来れば鮮烈に内面的にも描いてくれたりすると、
 これは感動とか共感だけでは終わらない作品になりそう。ちょっとこれには頑張ってみて欲しい期待感が。
 
 ささめきこと
 けいおんとか野球娘的な感じがするけど、絵的には宙まに、ちょっぴり青い花テイストも感じられる・・
 逆かな、青い花な感じで、絵的には宙まにで、けいおん野球娘テイストというか・・・
 女の子ふたりの恋がメインなのだけれど(というか片思い?)、他の女の子達とわいわいやってくのも
 メインのような、ていうか女の子ふたりは元々親友同士ですか、これはまた・・・(妄想中)
 今期楽しく見れそうながらも真面目に観ちゃいそうな、なんとも言えない注目作ですね。
 
 DARKER THAN BLACK 流星の双子
 大本命。なんですけど、なんかみんな急にこれが大本命とか言い出したので、興醒めしてきたアレな
 私は一歩引いている状態。しかしそれは天の邪鬼とかそういうのじゃ無く、ふん、おまえらのその大本命
 って感じたのはただ人気に踊らされただけでしょ?、私のは違うからそういうの違うから、とかいうかこの
 作品の本当の価値は私じゃなきゃわかんないから、というアレな私のアレからきてるアレだったりします。
 とまぁ本気は置いといて(ぇ)、この作品は硬派な「大人アニメ」ですけれど、嫌味なひねくりっぷりは
 無く割りと真摯な感じで全力で、だけどあまり個性的という訳でも無い、なのになぜか愛着が持てる
 というか、まぁまずはキャラ萌えから始めてみましょう。 (どうしようもない結論ですね)
 
 青い文学
 地獄変×久保帯人、走れメロス×許斐剛、人間失格×小畑健、こころ×小畑健をアニメ化する
 模様。 非常に楽しみ。楽しくて非常。落ち着け。私は地獄変は読んだことないですけど、純文学を
 現代の漫画家に漫画で描き直してみるという作業には、非常に重要性を感じていますし、その漫画家
 自身の思想性を使ってどう描き出すかということで、それを原作と漫画版というレベルのものでは無い、
 現代版のそれとしてやることが出来れば、つまりリメイクね、それは漫画自体の成熟に繋がるとも
 思う。そして今度はそれをアニメでやるんですって?、最高じゃないですか、是非今度はアニメで新たに
 その漫画にリメイクされたものこそを、さらにリメイクして欲しいですね。忠実に再現とかもういい加減に
 よしなさいね。
 
 
 という感じでしょうか。
 うーん。
 うーん。
 やっぱり感想は書けそうにないなぁ。 琴線にぴんと触れるものが無い。(溜息)
 「観たい」のはあっても「書きたい」のは無いっすね。
 まぁ実際観てからじゃ無いとわからないですけど、現時点では感想は来期は無しです。
  ってこの間と全然結論が変わってないこの人は、もう少し頑張りましょう。
 
 
 
 さて。
 化物語感想始めます。
 なでこスネイク最終話、全体でたぶん第10話。
 まずOPが好き。
 ふわふわりん、ふわふわりん♪
 あー、これ好きだわどうしようもなく。
 撫子好きだなぁ私。
 そして・・
 ・・・・・・・。
 どう書こうかな。
 うん、決まり。
 でね。
 この話は要するに、人を呪わば穴ふたつという言葉そのままで。
 結局撫子のアレは、撫子に告ってフラれた男子に惚れてた女子が逆恨みでした呪いを、撫子が
 下手に解呪しようとして失敗して、傷を深くしただけで。
 そんで、実は蛇はその一匹じゃ無くて、それを解呪し直してほっとしかけるも、もう一匹、つまりフラれた
 男子自身も撫子に蛇を送っていて、それが撫子を締め付け、その蛇の呪いを阿良々木君が引き
 受けようとするも神原に阻止され、その蛇は撫子から離れてその男子の元へ向かい(たぶんその
 男子は死ぬ)、阿良々木君は誰を助けるかという事を神原に教えられ、そして撫子を呪った男子
 まで守ろうとしていた自分を責めて、終了、と。
 ・・・・・。
 
 撫子の表情と仕草を、一切見なければ、それで納得して見終われます。
 
 これ、私達的にも、蛇は二匹いますよね?
 
 端的に言って、阿良々木君の優しさを主体とする者の覚悟の物語、としてこの話は構成されている
 のは確かですけれど、まずそれだと、撫子自体の存在価値が、少なくとも「ヒロイン」としての価値が
 全然無い。
 ていうかこれ、主役は阿良々木君じゃ無くて、撫子っしょ?
 撫子は全力で、意識的にも無意識的にも、阿良々木君を誘ってます。
 撫子に恋した男子も振り切って、というかその男子の「呪いにかかった」という口実を使って、
 阿良々木君と接触するた事が出来てます。
 なんていうか・・・撫子の必死さが伝わってきて、私的にはもうなんか・・・
 痛々しいとも思うし、浅ましいとも思うし、卑怯とも思う。
 けれど撫子自身が意識的にでもありながら無意識的でもあり、あらゆる方向で、つまり内向きで
 人見知りな自分も含めて、阿良々木君に近づきながらも積極的にはなれない、
 けれど絶対に離れたくないという強い感じも滲み出ていて・・
 撫子はぶっちゃけ、蛇を利用した。
 これは最大のピンチなのだけれど地獄なのだけれど、これ以上の阿良々木君との結びつきを得られる
 チャンスは無い。
 裏を返せば。
 撫子にとって、この蛇の事が無ければ、阿良々木君と一緒に歩くことが出来ないし、出来るために
 必要な事をする勇気も無い。
 諦められないからこそ、諦めたくないからこそ、蛇にすがりつく。
 蛇は二匹。
 撫子を締め付ける蛇と、撫子を締め付けてくれる蛇。
 そして、そうして蛇を恋の道具として安易に使い手を出したがために、撫子は苦しみ、そしてまた撫子
 にフラれた男子の元へ戻り、そして。
 なにより、撫子の求める阿良々木君にこそ、とんでも無い傷跡を残していく事になるのです。
 撫子は、それを知らないはずが無い。
 阿良々木君がどれだけ隠しても、撫子自身はその傷を確認しなくても、傷付けた歯応えを確かに
 感じているのでしょうから。
 
 そもそも。
 撫子にかけられた呪いの傷を深くしたのは、撫子自身。
 
 確かに人を呪わば穴ふたつですし、人を呪うということは、そうして呪われた者自身にその呪いを利用
 される事も含めての事。
 でもさ。
 今回の話は、まさにその事こそが、「二匹目の蛇」として仕込まれているのじゃないかなぁ。
 阿良々木君は優しさというものを考え直させられる事になったのだけれど、それはただ方向転回する
 という、「一匹目の蛇」の事だけを考えてはいけない気がする。
 むしろ、「一匹目の蛇」は、「二匹目の蛇」の存在を見据えた上で為されなければ意味が無い。
 撫子にフラれた男子を見て、その男子が好きだった女子が送ったのが、一匹目の蛇。
 蛇は蛇自体が感じた怨みもあれど、けれど誰かの怨みを感じての怨みもまたある。
 阿良々木君と忍野のやり取りも、あれは阿良々木君が、阿良々木君こそが一体君の優しさを
 どうしたいというのが重要なのじゃないかい?、という事だった気がします。
 撫子の一面しか、阿良々木君は観てないし、その撫子の一面を観た上での範囲内で、阿良々木
 君は小さな覚悟をしただけな気がする。
 それってさ。
 優しさの矮小化だよね。
 一面的に捉えた撫子のために頑張ったって、それは全く逆に、その範囲内でだけ通用する、「未熟」な
 優しさだけを守りたい、だからその範囲を超える優しさは「切り捨てる」、それが正しいと、そう自分を
 正当化したいだけの、まさに阿良々木君の欲望の顕れだと思う。
 
 でも、そんな事してたら。
 いつまでも経っても。
 撫子は、「蛇」無くしては生きられなくなっちゃう。
 阿良々木君こそが、自分と一緒に歩きたければ、蛇を用意しろと撫子に言っているようなもの。
 
 撫子は、最初に言ったのに。
 こんな体、嫌だよぅ、と。
 撫子は、加害者です。
 撫子自身に対する、立派な加害者です。
 そして、だから。
 撫子は紛れも無く、泣きながら自分に傷付けられ続ける、被害者なのです。
 
 それを見つめなくって、どうするよ、阿良々木君。
 
 人を呪わば穴ふたつ。
 その穴に落ちる事を覚悟して、優しさを切り捨てたって、なんの意味も無い。
 なぜその穴をふたつ掘らねばならなくなったのかを見極め、そしてその穴に落ちた者を穴から引きずり
 出してこそ。
 阿良々木君の優しさに、あの戦場ヶ原ひたぎが認めた、透き通るような優しさの本質がある。
 あれじゃあ、撫子は救われない。
 でも。
 『撫子のこと、ちゃんと見ててね。』と言った撫子は、蛇を使ってまでも阿良々木君に見て欲しかった
 自分の想いと、蛇無くても私のこと見てくれますかという願いと、そして。
 それでも。
 「蛇」自体とひとりで戦う、撫子自身の意志に満ちてもいました。
 あー、そっか。
 だから、忍野が言うように、誰かが救うのじゃなく自分で勝手に救われる、のかな。
 そういう意味で、これで撫子は大きく変わったと思う。
 けど。
 蛇は、怖いのね。
 そのために、ひとひとりが死に(たぶん)、そして。
 阿良々木君の優しさに、いえ、優しい阿良々木君に、ひとつ大きな試練を与えたのですね。
 しかもその試練は、その試練の意味がひとつだと思っていると。
 もうひとつの意味に、殺されてしまうような、そんな恐ろしい試練。
 阿良々木君が、ひとつの意味にだけ囚われる、つまり、これから変な覚悟を決めて小さくまとまるような
 優しさに陥るようだと・・・・
 
 戦場ヶ原蕩れ。
 
 今から楽しみで楽しみで、仕方がありません。 (阿良々木君が戦場ヶ原様に粉砕される様が 笑)
 
 まぁうん、つまりさ。
 ラストに感じた阿良々木君のアレはさ。
 優しさを向けられる者の、その矜持を無視したものってこと。
 誰を助けるかが重要だ、なんて、そんなの「みんな助ける」に決まってるじゃない。
 そう、阿良々木君が言ってくれるから、そう阿良々木君が絶対に本気で言って頑張ってくれるから。
 その透き通るような阿良々木君の優しさがあるから。
 私も、頑張れる。
 頑張りたい、ううん。
 もう、頑張ることを諦めるのは、嫌。
 阿良々木君の優しさを向けられる撫子やひたぎの、その頑張りを無視して撫子やひたぎだけを守る
 優しさに阿良々木君が囚われた時点で。
 それが、阿良々木君が優しさという「怪異」に囚われたってことだと思う。
 優しさ、ってなに?
 阿良々木君には是非、それを踏まえた優しさを磨いていって欲しいなぁ。
 だってさ、撫子にとっても、ひたぎにとっても、私にとっても、阿良々木君の優しさは嬉しすぎますもん。
 撫子OPが大好き。
 そんなんじゃやだ、そんなんじゃまだ、ふわふわりん♪
 頑張って、頑張り続けて、でもその間のひとりだけでも楽しめる時間がふわふわで、でもそれが楽しくて
 もそれはそれ、そんなんじゃやだと前向きに向き合ってひとつひとつ頑張ってく。
 ふわふわで楽しい時間と、辛いけど嬉しくて優しい時間、どっちも一直線に繋がってる。
 だから、そんなの嫌って、まだまだって言えるたびに、心は進化してるもっともっと進化するって信じられる。
 そう、祈ることが出来るよね、あなたのその優しさに。
 まぁだから逆に同時に、それが嬉しいからこそ、「誰かだけを助ける」事に逃げ込んでしまうという、紛れ
 も無い阿良々木君の弱さを、雲の高みから許して認めてあげる事も、この私の矜持からすれば出来
 たりもするのだけれど、阿良々木君的には、それでもいいのかしら? (戦場ヶ原様風に 笑)
 
 やっぱ化物語、面白いね。 (うん)
 
 
 
 ということで、今回はこの辺りにて。
 またね〜♪
 
 
 
 
 

 

-- 090912--                    

 

         

                              ■■ 狼と黄金色のパン ■■

     
 
 
 
 
 『わっちゃあ一度ぬしの身代わりになったがな、あれはぬしが優しくしてくれた礼じゃ。
  だが、今度は礼では無い。』
 

                              〜狼と香辛料U・第十話・ホロの言葉より〜

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

ただひとつ

 
 
 

星がみえるんじゃ

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 不思議じゃな。
 胸を張り、背を逸らし、暖かな朝日に照らされて。
 なにをやるべきなのかも、なにをやりたいのかも、そして、それに対する不安さえこうして感じられると
 いうのに。
 わっちはこうして、立っておる。
 くるくると自然に回る口の手並みの鮮やかさに感嘆さえしつつ、それの裏にしっかりと太い釘で打ち付
 けられた悲しみが奮えているというのに。
 わっちはこうして、なんとも無い。
 壊れてしまったのじゃろうかと、なぜか軽快に自分の頭を突きながら、こつこつ指で鎖骨を叩き、
 そのリズムのままに思考を重ねている。
 これからわっちがどうするのかの、その長い計画の算段を、体中に犇めく言葉を駆り、延々と、
 隣でうなされておる可愛げの無い男の隣で、こうしてずっと、立っておる。
 その計画を突き詰めれば突き詰めるほど、その計画のことだけを考えようとしておる、そのわっちと
 出会う。
 じゃのにわっちは、ついと、目を逸らして、そのまますれ違ってしまう。
 馬鹿馬鹿しいとも、悲しいとも、やらねばならぬとも、虚しいとも、死にたいとも、そうも思っておるのに。
 わっちはただ。
 此処にいた。
 なんじゃろうの。
 べつにこの計画に愛着が無い訳ではありんせん。
 我ながら、必死じゃ。
 じゃがの、その必死なわっちが、もはやそうして描かれた、綺麗なひとつの絵にしか感じんのじゃ。
 もう、始まっておる。
 こうして頭の中でぶつぶつと計算を重ねていく事も含めて。
 もうわっちがこの朝に目覚めたときから、始まっておる。
 
 
 小さくて、小さくて、小さすぎて、全く見えない、そのどうしようもない嘘が。
 
 
 
 ◆
 
 紅く目を光らせる。
 隠す必要も無い。
 わっちの瞳は、元から紅いのじゃからの、それが光っているのか光っていないのかなぞ、この紅に
 囚われておる者には、始めからわかりんせん。
 わっちの瞳は、紅いまんまじゃ。
 柔らかく尻尾を振っている。
 わっちの尾は、元から嬉しいときに振るものじゃからの、それが嬉しいときだけに振るのかどうかなぞ、
 この尻尾の揺れに囚われておる者には、始めからわかりんせん。
 わっちの尻尾は、振れるままじゃ。
 わっちは、悲しいんじゃ、ずっと、ずっと。
 わっちは、嬉しいんじゃ、ずっと、ずっと。
 じゃが、悲しいだけでは、嬉しいだけでは済まんのじゃ。
 ロレンスを騙すのは、簡単じゃ。
 こうしてこの朝、ロレンスが目覚めてからこの方、わっちは嘘以外のなにも吐かない、その正直な
 一日を、初めて過ごした。
 想いを込めて、嘘を吐く。
 
 『これでもわっちは、ぬしにあれこれ言うのが辛いんじゃ。』
 
 辛いんじゃよ、本当に。
 辛くて、辛くて、思わず身を退いてしまいそうじゃ。
 じゃが。
 それをわっちがぬしに言うということ自体が、嘘じゃ。
 ふん、ぬしはその嘘に気付かぬどころか、わっちがあれこれ言うのが辛いという事実を意外そうに
 聞いておった。
 悲しいの。
 じゃが、これで絶対にこの嘘は暴かれぬ。
 悲しいの。
 じゃが、悲しい悲しいと無言で呟いておるうちに、悲しさなぞ消えとった。
 なんじゃろうの、奮えが止まっておる。
 どんどん、どんどん、力が抜けていきよる。
 わっちの嘘を、見抜いてくりゃれ♪
 これみよがしに向けたこの背で、せせら笑うようにして、語りかける。
 じゃが無論、それは健気に自分の悲しみを吐露する、可憐な小娘の背にしか見えんのじゃろう。
 いや、違うか。
 今のロレンスとしては、わっちの真意が見抜けず、それを見抜こうと狼狽えており、そしてその結果、
 わっちが吐露を終え、わっちがそれらしいまとめをして魅せた事で、ひとまず安心して、この場を切り上げ
 るのじゃろう。
 相変わらず、たわけな奴じゃのう、ここが最後の勝負所であったのにの。
 わっちが無力さを晒して、ぬしに身を委ねたところなのじゃのにの。
 わっちゃあ狡猾よ、わっちゃあ貪欲よ。
 ぬしに告白した程度の、生易しい欲張り具合では無いんじゃよ。
 おまけに、その狡猾で貪欲な自分を嫌悪するほどに、健気で間抜けな狼でもありんせん。
 わっちの悲しみが、自己嫌悪に基づくとでも? 
 たわけ、ならばそうしてくりゃる。
 わっちが、自らの行為に苦しみ、しかしそれでもめげずにぬしにやいのやいのと言い続けるのは、
 ただぬしとごろごろしたいがためじゃと、そうしたい自分のためじゃと、じゃからぬしも自分の求めることを
 せよと、ぬしがそうしてぬしの求めるものに我が儘になってくれなければ、わっちもぬしにぎゃんぎゃん
 言うことに辛さしか感じられんようになってしまう、と切々と、しかしわっちらしく説いてやる。
 いや、これぞ商人のロレンスには、最もしっくりくるわっちの言葉じゃろ?
 悲しいの。
 わっちゃあ、その自分の言葉に、ずっと騙されておった。
 いや、そういう言い方はおかしいの。
 わっちはそうして、自分を騙すことを自分で肯定して、まさにわっちがロレンスに言ったような言葉で、
 わっちをずっとずっと、生かし続けていた。
 そうしてひとつずつ、傷付き、変わり、けれどそれが、ロレンスと出会ってからの、わっちという唯一無二
 の存在を作り出してきたんじゃ。
 わっちゃあ、そのわっちが嬉しかったんじゃ。
 そのわっちを手に入れることが出来たのが、幸せだったんじゃ。
 じゃが。
 
 わっちには、その幸せを手に入れ続けることしか、無いんじゃろか。
 
 その想いに身を溶け込ませながら、こうして今日一日、わっちを騙くらかしてきた言葉を吐いとった。
 そう。
 ロレンスだけに向けて、の。
 確かに、その言葉をロレンスと共にわっちも被れば、わっちは幸せじゃった。
 じゃが、それだけだったんじゃ。
 正直、ロレンスに語った言葉で彩られるわっちは、格好良かった。
 正直、そのわっちの姿は、愛しかった。
 そのわっちの姿のまま生きてこられた、そのわっちの幸せこそ、愛しかった。
 じゃが。
 その愛しさに震えるわっちの姿を、こうして今、わっちは見ておる。
 ロレンスと戯れる、その愛しいわっちの姿を、わっちは今日一日、じっくりと観察した。
 そのわっちの幸せの有り難さ、そして奇跡のようなその幸福を感謝したくなるたびに。
 怖気が立った。
 誰に、なにを、感謝すると言うのじゃろう。
 神にかや?
 笑わせる、わっちこそ神ではないかや。
 今の世には唯一神などというものが崇められとるが、神はひとつではありんせん。
 わっちは、そうじゃ、他の、わっち以外の神に祈っとったんじゃ。
 その愛しい幸せなわっちという、神に祝福された物語に感謝したんじゃ。
 そして・・・
 いつしか、わっちには・・・・
 その物語しか、無うなってしまっていたんじゃ。
 それこそ唯一無二の物語、それこそ、唯一神じゃった。
 阿呆じゃ。
 なんという、たわけじゃ。
 神は、ひとつではありんせん。
 わっちの物語はどうした。
 いや、わっちが今取り憑かれておる物語も、わっちが作ったものじゃ。
 そして、わっちもまた、ひとつではありんせん。
 わっちの中には、多くの物語、多くの神、そして多くのわっちがおる。
 たわけじゃ。
 いつのまにか、そんな当たり前のことがわからなくなっておったんじゃ。
 いや、その当たり前のことがわからなくなっておるだけ、ということがずっとわからなかったんじゃ。
 
 こうして今、抜け殻のわっちの物語を、ロレンスに魅せつけている。
 ロレンスはただ、その物語に綴られた言葉の正否でしか、それがわっちかどうかの判断をしよらぬ。
 わっちは、そのロレンスに提出した物語、神、そしてそのわっちの中におりはせん。
 騙して、騙して、ロレンスに嘘を吐き続けて。
 それを虚しいと思い、潔くロレンスの胸に抱かれようとする、そんなわっちの姿を描くことさえ、今は
 充分可能じゃ。
 それらしく、なんの不自然も無く、ぎゃんぎゃんと喚きつつ、健気にそっと、ぬしの胸の中で泣く。
 らくちんじゃな。
 わっちがぬしにあれこれ言うことの辛さを、それで軽減出来るしの。
 そしてわっちは、健気で潔いわっちの物語を語れば騙るほどに、その気になる。 
 いつのまにか、遊びでは済まんようになっておる。
 守りに入っておるのは、わっちこそじゃ。
 じゃがの、ロレンス。
 わっちはその守りに入っておる自分に浸る、そのわっちと向き合うつもりじゃ。
 遊びでは無く、本気で切実に、わっちが描いた黄金色の挿絵付きの、その保身にまみれた物語
 に逼塞しようとしているそのわっちを、受け入れよう。
 じゃが、それは難しい。
 どうしても、半分だけにしかならぬ。
 どうしても、その物語を、ぬしだけにしか向けられぬ。
 怖い
 わっちは、その物語に囚われるわっちをぬしに差し出して、恐怖に震えてそれを見つめている、
 そのわっちにしかなりんせん。
 いやさ、わっちはそれでいいとさえ思っておる。
 これでいいのだと、こうしてぬしとの物語に囚われる、その自分を見つめ直し、そうして新しい物語を
 築いていけばよい、そうして無数の物語のひとつとして、今のぬしとの物語の中に、再び帰ってくれば
 良い、と。
 じゃが。
 
 
 『餌をやるどころか、乗り賃を払って欲しいくらいだ。』
 
 
 
 まさに青天の霹靂じゃな。
 じゃがそれは、わっちの中では落ちるべくして落ちた雷じゃ。
 上手いことを言うと、ロレンスの発言に驚きながらも、そうして自分の中のなにかを言葉にして
 表して貰った感心にこそ、わっちの主体はあった。
 ぬしとわっちの物語に乗るためには、乗り賃がいる。
 いや、乗り賃という正当な対価を払うことで、わっちがその物語に乗ることは、それだけで正しいのじゃ。
 すべての物語に、乗り賃を払いたいのは山々じゃが、まずはどれかひとつの物語に乗って、そこで
 稼ぐに稼がなくてはならぬ。
 他の物語に乗るために、いや、無数の物語に乗る権利を得るためにこそ、わっちはひとつの物語で
 懸命に生きるのじゃ。
 わっちは、ひとつでは無い。
 ひとつでは無いと、ひとりでは無いと感じることが出来るようになるからこその。
 豊穣じゃ。
 そのための、豊穣を得るための切符が、必要じゃ。
 いや。
 まずは、今乗っている、今、乗り賃を払わずに身代わりを置いて降りようとしている、この物語への
 乗り賃を払わねばならぬ。
 そのために。
 
 わっちゃあ、このロレンスとの物語に、激しく囚われて乗るんじゃ。
 
 
 ほれ、矛盾しないじゃろ?
 答えは出とる。
 わっちゃあ、ひとりは嫌じゃ。
 なにより、ひとりで生きられてしまうからじゃ。
 嫌じゃ。
 ひとりで生きられるままに生きるのは、嫌じゃ。
 わっちは嫌じゃ、わっちの強さに頼って生きるは、嫌じゃ。
 そんな風にして生きるくらいなら、ぬしの逞しい胸で絞め殺される方がましじゃ。
 じゃが、ぬしに殺されるためには、そのための金がいる。
 ふふ。
 くふふ。
 たわけじゃのう。
 わっちこそ、たわけじゃ。
 当たり前ではないか。
 
 
 
 

わっちは、わっちのしたいことをする

 
 

そのために、金を稼ぎに来たのではないのかや!

 
 
 
 
 ロレンスにこそ殺して欲しいと、なによりも深く甘く思えるなら、それは至高の贅沢ではないかや。
 それは悲しみでは無く、欲情じゃ!
 たわけじゃ、わっちは本当にたわけじゃ!
 少しずつ、見えてきよる。
 わっちがこれから吐き続けていく嘘の、そのなによりわっち自身にとっての形が、みえてきよる。
 なにが辛いものか、それこそわっちの本当の嘘じゃ!
 そうじゃそうじゃ、ロレンスへあれこれ言わねばならぬ辛さに対して、餌を貰ってもいいだのと、じゃがその
 権利をわっちは放棄するじゃのと、そううっすら胸に秘めているのはわっちじゃ!
 ロレンスは本当に良いことを言うた。
 わっちがすべきは、餌を求めることでは無く、むしろ乗り賃を払うことじゃ。
 
 
 
 
 いや。
 たわけじゃ。
 くふふ。
 また騙しとる。
 また騙されとる。
 
 くふふ。
 
 
 ロレンスに餌を求めて、てんとして恥じぬ、そのなにより贅沢な物語にこそ。
 それに乗るための切符を買うためにこそ。
 
 わっちは優雅に乗り賃を払うのではないかや♪
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

さびしいの

 
 
 
 
 
 
 嫌じゃなぁ、ほんとうに
 怒りがさざめき張り付き、冷たく透けてそのままじゃ
 健気だの潔いだの、そういうものに囚われるだの囚われないだの、そういうことを考えていること自体が
 もういやじゃ
 そしてなにより、嫌じゃ嫌じゃと叫ぶわっちが、そのままその叫びから抜けていってしまうことが嫌じゃ
 嫌じゃ 嫌じゃ
 嫌じゃ嫌じゃと転げ回る事が出来るか出来ないかに関わらず、わっちは嫌じゃ
 嫌じゃから、行動する
 わっちは初めに戻りたい
 ヨイツの森に還りたい
 生きて、変わって、唯一無二の自分になっていくだけでは、嫌じゃ
 その唯一無二の自分を築く、その土台のわっちは不変じゃ
 始まりは変わらぬ
 じゃが・・・
 生きて、変わって、触れ合って、じゃからこそ気安く手を絡めることも、この男と出来るようになった
 変わらねば、始まりから始まらねば、それは出来ぬ
 金を稼ぐはなんのためぞ
 金を稼ぐために金を稼ぐのではありんせん
 ぬしに乗り賃を払うのは、ぬしに乗り賃を払うためではありんせん
 わっちは・・・
 わっちはただ・・・ぬしと生きたくて・・・
 
 『わっちは、ぬしを信じとるから協力する。』
 
 信じるしか、無いんじゃろか
 ぬしを信じることが出来る幸せと、ぬしを信じようとするわっちの意志があってもこそ、そう思う
 ぬしは乗り賃を払えば応じてくりゃる
 それは信じるに値する
 じゃが、裏を返せば乗り賃を払わねばなにもせぬ、ということじゃ
 少なくとも、わっちがなにもせねば・・・・・
 ぬしは・・・
 ぬしは・・・・どうなんじゃ・・・・
 わっちには、ぬしに払う金の支度がある
 もう随分と、支払ってきた実績もあるつもりじゃ
 わっちは・・・ただ餌を求めておっただけではありんせん・・・
 わっちは・・もう既に・・・・その餌代を超える乗り賃をぬしには払っているんじゃ・・・
 釣り合わぬ・・・
 わっちの孤独を満たすに、ぬしはそれに見合うものをわっちに与えて返してはおりはせぬ
 ぬしは・・・どうなんじゃ・・・・
 わっちは・・・ぬしにとってなんじゃ・・・?
 わっちは、わっちは・・・・
 
 ぬしの孤独を満たすに、それに見合うものを支払えてはおらなんだか?
 
 それ以前に・・・
 
 
 ぬしは、ほんとうに、ぬし自身の孤独の価値を知っておるのかや?
 
 
 わっちは、ひとりに還りたい
 ひとりから、始めから、孤独から、改めて、始めたい
 じゃが・・このままでは・・・
 『いつまでも出会った頃のままでいたいと、詩人も詩っておるじゃろ?』
 わっちは・・
 ひとりに、なってしまいんす
 孤独に、閉じ籠もってしまうだけになってしまいそうじゃ
 もう待てぬ
 もう待たぬ
 ロレンスとふたり歩く道が、愛しすぎる
 捨てられぬ
 諦められぬ
 絶対に、諦めぬ
 この嘘を完遂する
 わっちは狼で、ぬしは人
 じゃからこそ、そのふたりの間には、様々な物語が生じる
 楽しいじゃろ? 楽しかったじゃろ?
 じゃが
 もう
 よさぬか?
 
 わっちらは、もう、人の間に生きる、此処にこうして存在しておる、紛れも無い人間ではないかや?
 
 狼である以前に、人である以前に
 わっちらは、わっちらというそれぞれひとりじゃ
 わっちはそれを、取り戻しにいく
 そのひとりとひとりが出会った、わっちらふたりが、此処におる
 わっちに、信じさせてくりゃれ、ロレンス。
 
 
 
 

− この世界が −

− 人智を超えるほどに −

− 圧倒的に −
− どうしようもなく −
− 豊かであるのだと −

 
わっちにこそ
教えてくりゃれ
 
 
 
 

 滔々と

 零れるようにして 昼空に星が瞬いておる
 いい風じゃ
 深く足にまとわりつくこの街の熱気が、地獄の業火と繋がっているのを感じる
 ああ・・そうじゃな・・
 頑張らねばの
 歩かねばの
 いや
 頑張るまでも無く
 歩くまでも無く
 
 わっちは、わっちじゃ
 
 『わっちはぬしの相棒じゃないのかや? それともただの愛玩用の小娘とも?』
 
 
 ああ そうじゃ
 
 
 
 

『わっちゃあ賢狼ホロじゃ。

 

わっちの相方がつまらぬ商人では困りんす。』

 
 
 
 
 
 
 
 ロレンス。
 わっちは、嘘のはるか向こうで。
 ぬしを、待っとる。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ◆ ◆
 
 『怒ると思ったことには、怒る。』
 
 
 うん
 
 
 『相手がなにかを企んでおるなら、裏を掻けばよい。
  その企みが大きければ大きいほど、
  ひっくり返したときの利益は大きい。』
 
 
 うん うん
 
 
 これでホロに惚れ直さない私ではありません。
 というか、今回は私は泣きっぱなしでした。
 前回では、まだ躊躇いがあったというか、いくつもロレンスに嘘を見破らせる仕掛けをしていましたけれ
 ど、今回はもう、もし私が今回からこの作品を見始めていたとしたら、たぶん騙されていたと思えるほど
 に、その嘘が嘘にみえませんでした。
 完璧なる隠蔽。
 というよりもう、ホロは本当のことしか完全に言っていませんでした。
 すべて辻褄が合い、すべてちゃんと、「それらしく」聞こえる。
 いえ。
 もしかしたら、第一期までは見ていた場合でも、見事に騙されるほどの、実にホロらしい感じで、
 全く不自然さがありませんでした。
 あれで一本、お話がちゃんと成立します、狼と香辛料的に。
 これは、騙されます。
 騙すことを目的にした、完全なる嘘です。
 もう、ホロの決心は固まっていましたね。
 覚悟が決まった、その純心な狼が、其処にはいました。
 逆にいえば、今回のお話は、そのホロの決心と覚悟を示す、その動機となるものこそが、なによりも
 鮮烈に描かれていました。
 もうね、読み解きというか、絵解きをしたくて堪らなくなるほどに、今回のこの映像には、いえ、どの角度
 でどのタイミングでなにを映すのか、という、そこにもう、どこまでも開けていくような、その熱い感情を
 魅せ付けられてしまいました。
 
 ホロの後ろ姿とか、尻尾の振りとか、目の開き方とか、沈黙の長さとか、もう、もう・・
 
 すべてが、この世界への愛と、ロレンスと歩くこの旅への想いが滲み出て。
 そして、それを独りで噛み締めているその悲しみが深く照らし出されていて。
 
 やらねばならぬ。
 ロレンスを騙さねばならぬ。
 独りで歩かねばならぬ。
 ホロは、そうするでしょう。
 けれど。
 なんというか、もう。
 ホロはロレンスに嘘を見破るための仕掛けこそ示しはしませんでしたけれど。
 もうなんというか、もう涙が出てきてしまっているのですけど(笑)。
 
 ホロは、自分にとってのロレンスの大切さを、切々と、そして堂々と示していたのですよね、今回。
 
 ホロはこのままロレンスを騙していくでしょう。
 次回タイトルの如くに、本当に別れるのかもしれません。
 でも、ホロは何度も何度も、縋るようにして、でもはっきりと決然として、ロレンスにはもう、そのホロに
 騙されていた事に気付いたあと、最もそのときロレンスにとって大切なものはなにかを伝えていたのです
 ね。
 まるで、本当に困ったときにこそ開けてみよという小袋を授けるかのようにして。
 その最たるものが。
 いえ、おそらくこれだけで足りるはずのものである台詞が、上に挙げたふたつのホロの台詞なのです。
 ホロには、矜持があります。
 狼として、「人間」として当然の矜持があります。
 色々と辛いことはあります、それに耐えるだけの保身に走りたいこともあります、実際にそうしたいとも
 思います、色んな負のものが、悩み苦しみがあります、でも。
 それをロレンスが受け止め切れない事こそを怒るなどと、ホロがそここそに怠惰さを発揮することは、
 絶対に絶対に無いのです。
 ホロは、自分を認めてさえくれれば、ちゃんと自分と向き合って共に生きてくれるのなら、それこそ
 本当に「どんなものでも」背負う覚悟と、そしてなによりその力と知恵があるのです。
 だって、賢狼なのですから。
 だのにロレンスは、私が前回予想した通りに、今回「守り」に入り、ホロの「怒り」を勝手に想像し、
 そしてそれのせいにして商機を逃そうとします。
 ホロとしては憤懣やる方無いのは当然です。
 わっちのせいにするなや! ぬしがどうしたいかが重要じゃろうが!!
 ロレンスの頼みとあらばそれに応えられぬホロではありません。
 ロレンスのホロへの想いというのはみな、そこに集約されているのです。
 パートナーとして、相棒として、まだ全然ホロをみることが出来ていないのです。
 そしてなにより。
 
 ホロに見込まれた、そのロレンス自身の「魅力」について、全く理解していないのです。
 
 ひいては、そのロレンスの「魅力」に惹かれる、そのホロにとってのその「魅力」の価値を理解していない。
 一方的なのですね。
 ホロはなにより、自分の魅力を理解して、それがどれだけロレンスにとって価値があるのかを量ることが
 出来ていますし、むしろホロはそれに通じることによって、よりロレンスとの旅を豊かに深めていこうと
 しているのです。
 重要なのは、食べ物なり酒なり、それ自体が贅沢かそうでないかではありんせん。
 重要なのは、それを「誰」と食ったり飲んだりするか、じゃ。
 「価値の無い」相手と美味いものを飲み食いして、それがどうして贅沢と言えようか。
 独りで喰うだけならば、それが贅沢なものじゃろうと、贅沢さを感じられるものじゃろうと、同じじゃ。
 あの乞食の男(って表現して良かったんですっけ?)の言っていたような、「清貧の贅沢」は、あんな

 ものは貪欲な狼からすれば、貧しさ以外のなにものでもありません。

 高価なパンだろうと黒焦げのパンだろうと、その経済上の価値が大事なのでは無く、そのパンが自分に
 とってどれだけの価値があるかが重要。
 だから、黒焦げのパン、つまり経済上価値の無いものに「拘っている」時点で、それは高価なパンを
 有り難がっているのと同じ。
 たわけじゃ、まったく。
 じゃったら別に、高価なパンも同じく美味しく味わえなければ嘘じゃ、そのためにあくせくと愉快に稼いで
 いく事を否定するのは、ただの怠け者の論理じゃ。
 このたわけ。
 ホロはずっと、ロレンスに叫んでいるのです。
 守りに入るな。
 守りと攻めは、等価値なんじゃ、と。
 そうじゃろう?
 守りだけが尊いのかや? 攻めだけが卑しいのかや?
 ぬしよ、守りの価値を高めるのは、攻めだけじゃ。
 攻めの価値を高めるのは、守りだけじゃ。
 どっちかだけでは、あの男のようになるだけじゃ。
 あの男は、黒焦げパンの亡者じゃよ。
 ホロはずっと、そう叫んでいるのです。
 わっちは嫌じゃ。
 今あるものに感謝するだけの世界なぞ、絶対に嫌じゃ!
 今あるものに本当に感謝するならば、今あるもの以上のものを求めてこそなんじゃ!
 黒焦げの残飯を本当に有り難く感じているのなら、貴族でもそうそう手の出せぬ高価なパンを手に入れ
 てみよ!
 本当に無欲ならば、残飯を有り難がることもやめよ。
 ぬしはそうして、今あるだけの、黒焦げの幸せを有り難がって、それに立派に執着しておるではないか!
 高価なパンを求めるをやめることで無欲さを示したとて、その代わりに黒焦げのパンを求めておっては
 同じではないかや!
 なぁ、ぬし様よ。
 ぬしは、商人じゃろ?
 ぬしは、無欲かや?
 ぬしには、夢があるじゃろうが!
 無欲で無い以上、執着を捨てぬ以上。
 
 ちゃんとしっかりと、稼ぎんす!
 高価で膨大で死ぬほど持ちきれぬほどの、その夢を求めるために生きんす!!
 そんな、黒光りに輝いた、無欲という名のみすぼらしい欲を手に入れて喜んでいる場合では無い!
 
 ホロは泣きながら、そう叫んでいます。
 だって。
 それ、ホロ自身のことですもん。
 わっちゃあ、そうして自分と向き合って、自分の求めるものに真摯な者とこそ、旅をしたいんじゃ!
 わっちもまた、それに見合う者になりたいからじゃ!
 それが、ホロの求めるものです。
 それこそが、ホロの贅沢、ホロの求める豊穣なのです。
 そのロレンスとの旅ならば、どんなに焦げたパンだろうと、そして高価なパンだろうと等しく美味しい。
 
 そして。
 それを基点にして。
 それにさらに上乗せして、頑張り駆けずり回り、貪欲に狡猾に頭を巡らせ稼いだ分だけ。
 
 その黄金色のパンは、美味しくなるのではないでしょうか。
 
 高価であるということはつまり、それだけ手間暇のかけられた、人の間をより多く行き来したもの。
 そしてそれを手の入れるために稼ぐという行為もまた、そのパンの「高価」さには含まれているのです。
 高価なパンを食すということは、それこそ紛れも無く、人の間で豊かに生きているということ。
 孤独では、無いのです。
 私も、そうですよねぇ、お高いお酒を飲むときの愉しみは、そのお酒の味だけではありませんものねぇ。
 なんともいえぬ、贅沢じゃ。 (溜息)
 そして。
 ホロは・・・
 ロレンスにとってのホロを。
 「高価」なものに、なによりして欲しいのです。
 もっと稼ぎんす。
 もっと感じんす。
 もっともっと、考えんす。
 もっともっともっと、豊かになりんす。
 その先で、ホロは待っています。
 そして。
 その距離を追い付いたとき、ホロの大嘘に気付き、その裏を掻き、そしてひっくり返したとき。
 
 ロレンスは。
 自らの孤独を、真に知ることになるでしょう。
 ロレンスは、自分の求めているものに真摯である以前に。
 自分が、なにを本当に求めているのか、未だ知らないのですから。
 
 ホロの頑張りの価値が低いのは、ホロの頑張りが浅いからではありません。
 ロレンスこそが、自らの中のホロの価値に気付かず、それを認めていないからこそです。
 ロレンスがいつまでも、黒焦げのパンばかり求めて、守りに入っているからです。
 慎ましく、穏やかに、もうこれで充分だと言わんばかりに。
 たわけ、と罵る気も起きぬわ・・
 そして。
 ホロは、諦めないのです。
 ロレンスが、ホロの範疇を超えても、その超えた新しい巨大な範疇の中でこそ、ホロと新たなに向き合
 ってくれるようになるために。
 ロレンスを思い切り、突き放すのです。 
 離れて分かる狼の有り難さ、じゃと?
 たわけっ!
 離れなければ分からぬのなら、それは分かっていないということじゃ!
 わっちの嘘をひっくり返してからも、そんなみみっちい事が言えるかどうか、試してみんす!
 わっちは。
 待っとる。
 
 
 
 と、いう感じです。
 なんかもう思考が完全にホロになってしまって、全然一人称から抜けられなくて困ってしまいましたけれ
 ど(笑)、理屈としては、こんな感じのところでしょうか。
 けれど、私が涙を流したのはこうしたホロの理屈では無く、あの画面の中で、ロレンス主体の物語の
 中で、無言でホロだけの物語が別に、あの世界の中にどうしようもなく流れている感覚こそにです。
 うん、あれはもう、あれを観た人の数だけ、全く違うホロの一人称で同時に語ることが出来るという、
 もう、なんというか、私が今まで観てきたアニメのどのエピソードにもかつてなかったものでした。
 全然違うのですよね、あの画面の中のロレンスと。
 そしてその違いを一切映像的に示唆する事無く、従順に映像に従っていくホロが、もう。
 怖いやら、悲しいやら。
 どうしようもない。
 ホロの考えている事を書き出すだけで、ぞっとする。
 うん、最後の最後で、ロレンスは少しだけ不穏さを感じ取っていましたけど、あれはもう、出航した
 船の後ろ姿を見ているような感じで、手遅れです。
 乗り遅れです。
 だからもう、あとは自力で追い付くしか無い。
 おまけに、これはまだ不確かですけれど、エーブがかなり危険な怪しさを持っていますよね。
 それは、商戦的な布石以外のところです。
 ぶっちゃけ、エーブってほんとに狐だったりするのかもしれません。
 ホロとのやり取りのあの表情加減と、話の前後を繋げて鑑みるに、どうもこれ、もしかしてエーブは狐
 として、天敵の狼に個人的に復讐しようとしているとか、そんな雰囲気が感じられました。
 ホロが最初エーブを観たときに、人であらざるものでは無い、と断言していましたけれど、逆にこれまで
 のホロっぷりを見ている限り嘘な可能性もあります。
 嘘を吐く動機が無い、と言えそうですけれど、実はこのエピソードに入る前に、狼の毛皮が並べられて
 いても機嫌を悪くするなというロレンスとの話があって、そのときに狐の毛皮をホロが使っていましたしね、
 エーブが狐だと気付いても、面倒を避けるために嘘を吐くのは充分あり得ます。
 そう考えると、頭の上に耳が生えていなかったからやっぱり人間だ、という視聴者の認識も、いやそもそも
 人外には耳が生えているだなんて条件誰も言ってませんから、という事にもなり得ますし。
 とまぁ、これは完全に単なる証拠無き想像なのですけれどね。 (笑)
 ただまぁ、エーブは実は没落貴族だったというエーブの言葉も含めて、この作品に於ける「嘘」という
 ものを考えるには、我ながら面白い想像ではあると思います。
 ちゃんと断言したからこれは本当なんだ、という前提で動く者を騙すのは、いとたやすい。
 逆にいえば、人を信じるということと、人の言葉を信じるということは、全然イコールでは無い。
 無論、言葉を無視して勝手に思い込むというのは論外。
 言葉はあくまで、文脈の中にあってこそ。
 嘘を見破るには、その動機と背景を知るのが肝心じゃ。
 なんのために、その嘘を、その言葉を言うのか、ということじゃ。
 そう考えれば、言葉自体の正否に囚われている暇は無いじゃろ。
 そんな事を、ホロは第一期のときに、はっきり言ってるんですよね、ちゃんと。
 じゃったら、わっちを信じるということは・・・・・・さて、どういうことなんじゃろうな (孤独な微笑)
 
 
 という辺りで、さすがにこの辺りで終わりにしたいのですけれど、萌えポイントを書かなくては。 (笑)
 そうですね。
 ぶっちゃけ、ホロが吐いた嘘が、全部本当でもあること、かな?
 そういう意味で、冒頭の、『わっちは心配しておる。』というあのホロが一番ですね。
 あの表情加減は嘘ですし、ロレンスがなにやら怪しげな商談をしてそれでうなされているという事に心配
 しているというのも嘘、だけど、全く別の意味では本当になによりも深く心配しているところ、というか。
 「心配」という言葉は、それこそ私は青天の霹靂でしたねぇ、そうか、心配かぁ・・・(頷きながらw)
 他にもそういう箇所はいくつかありますし、あと乗り賃を貰ってもいいくらいだとロレンスが言ったときの、
 あのホロの表情とか。
 あれはなんかもう、色々なものが詰まりすぎていて、読み解き甲斐があります。
 その後のロレンスと手を繋いだり離したりする、そのタイミングと合わせて、是非考えてみてください。
 それと、もうひとつ。
 『とても優しそうな人ですからね。ひとりでうろうろしている間は、誰も相手にしてくれなかったでしょうけど
  、そばに女がいるとわかると、女の目には突然気になるものですよ』と、酒場の娘に言われたロレンス
 さんに一票ww
 あーわかるわかるw確かに優しさの価値ってそういうものですしねぇ、発見されてそれに価値を感じて
 いる他者が側にいないとねぇ、それはそもそも価値にならないというか。
 その女に発見され「磨かれた」男の優しさは、それはまぁ美味しいのは確実で御座いましょうww
 まぁ、未発見のぽつねんと佇む羊の優しさを自ら発掘して育成する愉しみも、またある訳ですけれどw
 
 
 
 ということで、改めまして、今回はこれで終わりとさせて頂きましょう。
 次回また、お会い致しましょう。
 それまで、良い旅を。
 狼万歳!
 
 
 
 
 
 P.S:
 もうちょっと考えてみたら、あれ?、これ確かにエーブが復讐目的でやってきたら、ロレンスは見誤って
 大損するかもしれないし、ホロと離ればなれになってと、話的にはそれもありですけど・・・
 それと同じくらいの確率で、ホロがぽろっと「わざと」エーブの正体を明かして、復讐云々を匂わすよう
 な事を言えば、ロレンスは勝手にまた駆けずり回りそうですし、そうしたら本当はエーブは確かに狐だけ
 ど狼と手を組むのも別にやぶさかでは無かったのだが、とか普通に狼×狐同盟結んでたりして、またロレ
 ンスの独り相撲とか、あ、そっちの方がいいかも、私結構エーブ好きですし(笑)、とまぁ、それこそ
 いずれにせよ次回以降のお楽しみということで、とても楽しみにして待っておりますw
 
 
 
 
 
 
 
 
 
                              ◆ 『』内文章、アニメ狼と香辛料U」より引用 ◆
 
 
 

 

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                              ■■ アニメの夏 その二 ■■

     
 
 
 
 
 ごきげんよう、紅い瞳です。
 
 今回は前回の続きで、今期アニメの感想の残りを語らせて頂きます。
 前回よりもさらに長いのですので、興味のある作品の感想だけでも読んで頂ければと存じます。
 でもまぁ前回からも含めて通してすべて読んで頂けると、そこから見えるなにかもまたあるかもしれません
 けれどね、たぶん。 (希望的観測)
 
 では、早速。
 
 あ・・ほんとに手短に本題に入れた・・・・(感慨深げにw)
 
 
 
 
 ◆
 

 
 青い花: なぜかパワフルという言葉が似合う儚さ。
 
 すーっと頭を下げて項垂れてみる。
 力を抜くと、結構頭って重いってことがわかる。
 けど、そのままどこまでも沈んでいけそうなほどに、他のなにかまで頭の上に乗っているような
 感じがする。
 これはもう頭が重いんじゃ無い。
 項垂れるという、このポーズ、この仕草そのものが引き込む、無限のものが、もう、重くて。
 あれ・・・どうして・・・項垂れようと思ったんだろう・・・・
 気付いたら、涙が零れている。
 あまりにも不自然で、唐突で、なのに。
 このポーズに、涙は似合い過ぎる。
 私は、こうして涙に見合うために項垂れたのだろか。
 なんだか、嫌な気がした。
 必死に項垂れるのをやめて、背筋を伸ばして、胸を張り、涙を拭おうとする。
 でも、駄目。
 どうしても、頭を持ち上げようとする首だけにしか、力が入らない。
 首筋にだけ力が込められていく悪寒。
 どんどんとその力が、重い頭を通じて、その上に咲く薄暗いなにかに吸われていく。
 体から、力が抜けていく。
 首の先についた頭が重い。
 いつのまにか、私はその頭の重みばかりみていた気がする。
 頑張ろう。
 首だけに力を込めていたのは私だった。
 見る間に力が解け、体に返っていく。
 ゆっくりと、伸びる背。
 あっさりと、前を向く胸。
 ああ、そうだったんだ。
 この作品は、こうして深く、自分というものと結びついていく感触に満ち満ちた作品。
 この体は私というかね、体と私という分離を感じなくなるというか、色々なものが自分というものとして
 ひとつになっていく感覚というか。
 私という力、あなたという力。
 なんかね、OPを見たときからそれは私の中にさーっと広がっていったんですよね。
 あとはもうなんか、それを確認していくだけといえば、まさにそうだったような気がします。
 物語も、やり取りも、ひとつひとつの煌めきさは勿論素晴らしいものがあったこの作品ですけれど、
 そうやってひとつひとつのものを分離して捉えている私は、でもひとつの私なんだなぁと、どうしようも
 無くこの作品を見ていて思うことが出来てしまう。
 私は、私なんだなぁ。
 それは溜息混じりの自嘲でも諦めでも、そして自分が自分でしか無いということの安堵でも無い。
 それはまさに、青い花が咲くような、さっと吹き抜けるような感触。
 吹き抜けて、儚く感じたその風が、消えたと思ったら、あら?まだいる。
 何度吹き抜けても、まだ、いる。
 吹き抜けて、吹き消えても。
 さっと、まとまる瞬間すらも見せずに、あっさりとひとつに集まって咲いている。
 青い花。
 うーん、このネーミングは、近年で最高のセンスだわ、ばっちりすぎ。
 

 
 大正野球娘: コメディでは無い楽しいなにか。
 
 なんだか知らないけれど、ずっと小刻みにステップを踏めるような、どこまでもスキップしながら歌えて
 しまうような、訳のわからない、けれど確かな楽しさがあります。
 なんだろ、ぶっちゃけこの子達、野球自体への入れ込みはそんなに無いですよね?
 でも、情熱自体はとてもとてもある。
 けどじゃあ、なにに対する情熱?
 それは、自分らしく生きたい、ってことなのじゃないかなぁ。
 で、そのためにこそ、野球という枠組みを乗りこなしているし、そしておまけに、大正時代に於ける
 「女の子らしさ」として求められているものも、きっちり利用して楽しんでいる、そんな感じがあるのよね。
 そういう意味では、対戦相手の男子校の校長が、お嬢さんのお遊びには付き合ってはいられない、
 というのは間違っていない。
 でも、それは、自分達のやっている事も、真剣な「遊び」だって事を忘れた言葉なのですよね。
 校長の言うお嬢さん達の遊びだって、滅茶苦茶情熱的で真剣じゃないの。
 その辺りの「男」の本末転倒で欺瞞的な感触が、逆にこの作品では色濃く暴き立てられてきてる。
 遊びは遊びだっつーの、それを真剣にやろうと情熱的にやろうと、男がやろうと女がやろうと、それは
 全部同じ。
 それを野球で端的に示しながら、同時に「女の子らしさ」として押し付けられているものが、絶対的な
 ものでは無いと、そういうものを実はこの女の子達の野球自体への「切実さ」の無さを描くことで、
 しっかりと描いているような気がします。
 野球にしろ女の子らしさにしろ、それらは決して「強制」されるものでは無く、自分でそうしたいと思う
 からこそ意味があり、逆にいえばだから、あの女の子達は強制に対してはきっちりと毅然とした態度で
 はねつけ、私達には私達の「野球」と「女の子らしさ」があるの、それは結構あなた達が押し付けてくる
 ものと一致している部分が「たまたま」多いだけですのよ、なのに私達がその強制に従っているだなんて
 、思い上がりも甚だしいですわ、という感じ。
 なんだろ、観てると、なんだかこっちまでいい感じにすっきりして、とっても楽しい。
 あの子達にとっては、野球自体がアイデンティティーになるのでは無く、それはただ豊かな生活の
 一環なのですよね。
 男=野球、けれど女=野球では無い。
 けれど、野球=男のもの、では無い。
 野球は、それに全てを捧げる者のものだけでは無い、ということなんですけどわかりにくかったですねw
 だからなんというか、この作品で女の子がやっている野球には、なんともいえない広がりがあって、
 色々なものとしっかり結びついているその感触が、それこそがこの作品の最大の「萌え」なのですね。
 男と女のやる野球は違う。
 けれど、真剣にやっている事は同じですし、だからこそ、「野球」というものを通じて対等に戦うことも
 出来るのですね。
 そんなの、「男」の中でだって当然なんですけどね、勿論「女」の中にだって野球に全てを捧げる人は
 当然いますし、人によって野球の種類は実は全然違いますし、そういう意味では、その個別のものを
 認めるところにこそ、スポーツで精神を養うことに意味があるはずなんですけどね、そういうのは全部
 「チームワーク」の名の下にひとつに締め上げられてしまうものだし、それこそが精神修養だとかいうね、
 って、ああ、話が逸れましたw
 まぁうん、まとめると、女が男になるために必死になるその息詰まり感は無く、ただ女が女として、男と
 女として、男と対等に戦うために必死に頑張る、その可能性の広がりこそが、うん、この作品の一番
 の肝なのです、ということでしょうか、たぶん。 (ぉぃw)
 

 
 ファントム: 返品したくなってもどこか憎めない、微妙な良品。
 
 取り立てて駄目なところは無い。
 というよりも、批判することを目的にして観れば逆にいくらでも批判出来てしまうのだけれど、これまた
 逆に特に批判する意識を持たなければ、ふむふむと頷きながらそのまま観れてしまう。
 一見して駄目なところが無いから、目立たない駄目なところをきっちり隠してくれるのならまぁいいか、
 そしておまけにちょっぴりそれを弁えた茶目っ気な「おまけ」とかがついていて、だからちょっと可愛くなって
 くるというか、このまま隠されて騙されてあげようという気になるから、不思議です。 (ぉぃw)
 でもま、この作品を個別のものとして語ることはあまり無い。
 むしろこの作品を、真下監督の作品として捉えた場合、どう語ることが出来るのか。
 監督で作品を観るということをしない私にとって、真下監督は唯一の例外かもしれません。
 で。
 そういう意味で、この作品はよくわかりません、というよりも、明らかに「精彩を欠いている」こと、それ自
 体を前面に押し出しているような気がするのです。
 原作はあるけれど、原作を消化するためにへいこらしている感じは無い、だけど、原作以外のなにか
 に、そう、わざとへいこらしている、そんな素振りがあるように感じられるのです。
 なんというか・・・・・わざとテンプレやってません?、これ。
 テンプレをその型どおりにやらないで、換骨奪胎して真下流にテンプレしたというか、だから一見リアルな
 感じに見えるのだけれど、それは明らかに「見た目」がだけで、中身はまさにテンプレそのもの。
 なんというか、そのテンプレを真下流のテンプレに書き換える作業をすることに手一杯、そしてそれに
 へいこらして自棄になっている、そういう風に見えるのですね。
 が。
 でも。
 それが、人間なんじゃ、ないの?
 ノワール、マドラックスの両作品では、リアル志向というか脱テンプレというか、そこにこそ人間性を
 描き出そうとしていた真下監督は、エルカザドでその「コメディ」という笑いというテンプレを持ち出すこと
 によって、実はそれこそ最も人間らしいということを描いて示した。
 人間って、テンプレ的なものを沢山利用して使っていますじゃん、よく考えたら。
 テンプレと知らずに囚われていたり、逆にテンプレという他者と共有出来るものがあると知るからこそ、
 それを利用して笑い合ったり出来る。
 それが人間じゃん。
 そういう意味で、このファントムという作品は、徹底してそのテンプレの中で生きる、そのトータルな
 ものとしての人間を描き出しているのですね。
 「人間の本質」とか、そういうひとつのものを抜き出し拡大して、ひとつの「キャラ」として描き出す、
 そういうことを、この作品は全くやっていない。
 ノワールとマドラックスで、それはもう充分にやり切ってきましたものね。
 事実は小説より奇なり。
 それは、事実が小説を読んでいる紛れも無い人によって成されるものだから。
 そのことを圧倒的に指摘すること、たぶんそれだけが、この作品の存在理由にして、存在価値。
 ・・・・・だからつまんないんですけど。 (ぉぃ)
 

 
 化物語: 優しさを社会化するための、物語? 装置?
 
 私の今期の作品の「核」をパンドラだとするならば、この作品は「動機」になるのかもしれない。
 ちなみに、私の今期に限らないアニメ全般に於ける「核」と「動機」は狼と香辛料です。 (微笑)
 で。
 最初は引いてたんですよね。
 阿良々木君のオタっぷりに。
 でもね、阿良々木君ってどうしようもなく、優しい。
 正直、この作品に於ける私の一人称(?)は、戦場ヶ原ひたぎ。
 正直、オタっぷりというか、テンプレ的思考というか、それに基づくアホっぷりとか、どうでもいい。
 また、さらにそれらに基づく自己中的な優しさがあるかないかも、どうでもいい。
 それらを超えて、或いはそれらにもみくちゃにされながらも。
 凛とした、どこまでも透き通るようにして折れない、その絶対的な優しさが。
 阿良々木君には、ある。
 それだけが、問題。
 世界がひっくり返るほどの、大問題。
 阿良々木君自身は、ある意味ヒロインというか(ぇ)、彼自身はその自分の優しさに無頓着っていうか、
 無責任っていうか、無邪気というか。
 これ、戦場ヶ原ひたぎとしては、ハラハラ。
 ていうか、絶対この優しさを守ろう、育てようって、戦場ヶ原ひたぎこそが思うでしょ?
 戦場ヶ原ひたぎが戦場ヶ原として成長しようとする事は、そんなの戦場ヶ原的には造作も無い。
 阿良々木君をどうするか、阿良々木君の優しさをどうするのか。
 ・・・・・そりゃ、全力で虐めたくなるよね。(ぇぇ)
 試しというか試練というか、それはその優しさが自分に向け続けられるかという事以上に、もっと深く
 その阿良々木君の優しさを発展させようという、そういう方向のためのものになるよねぇ。
 第一、今現在の阿良々木君の優しさは確かに宝物だけれど、でもその宝物を抱き締めて、ひたぎ
 が独りで頑張るしか無いじゃない?、そのままだとさ。
 それだけじゃー、戦場ヶ原ひたぎは救われない。
 せいぜいがところ、その宝物を守って、ひたぎ「だけ」がこの世界から消えていくだけ。
 逆にいえば。
 阿良々木君の優しさこそが、戦場ヶ原と世界を繋いでいって。
 そして、その世界との繋がりをより確かに深めていくためにこそ、より圧倒的な優しい「場」を作り出す
 必要がある。
 それが、社会。
 阿良々木君を中心とする社会。
 八九寺にしろ神原にしろ千石にしろ委員長にしろ、みんなその阿良々木君と、そしてなにより阿良々
 木君の優しさからなにかを引き出し、そしてそれをより有効なものにしようとして、そのためにこそ、
 自分自身と向き合っているような気がする。
 忍野なんて、その阿良々木君の加速装置にしか過ぎない。
 優しさが戦場ヶ原を世界と繋ぎ、そして社会という名の場には他者がいるし、その他者同士を繋ぐ
 ためにこそ優しさがあり、優しさで繋がる他者同士の犇めく社会こそが。
 世界を、豊かにする。
 とまぁ、そんな戯言を言う間も無く、ひたすら歩き続けている、そのたわけな阿良々木君は、もう。
 私達の目の前に、いる。
 プチ感想の方では、目の前にはツンドラ女王の戦場ヶ原様がいるのですけれどw
 でもま。
 エピソードが終わるごとに、前エピソードのキャラがちゃんと次も登場して関わっていくのが、その優しさ
 に変わった小さな社会が出来ているのを示していて、なんか。
 嬉しいですよね。
 

 
 うみものがたり: 優しいあなたに必要なのは、邪悪な私。
 
 あなたは優しいままでいて、だから私はあなたの分まで汚れ役を引き受けるわ。
 ・・・・馬っ鹿じゃないの? 虫酸が走るわ。 (大島風にww)
 うん、なんか私もね、昔からそういうのに違和感を感じてたの。
 んー、確かに、優しく煌めく人が目の前にいたら、その人を守って、その人の優しさこそを宝として、
 保存したいというか、むしろそうして純粋に優しい人が生きられない世界なんておかしいと考えて、
 それで色々引き受けて頑張るというか、まぁ自分で言うのは気色悪いですけど、私はそういう感じで
 頑張ってた事ある。
 でもさ。
 それって、私による、その人の優しさの飼い殺しじゃ無いのん?
 ぶっちゃけ、優しいからこそ、邪悪さがなによりその人に必要なのじゃないの?
 優しさは守るだけじゃ無くて、育てなくちゃ。
 優しさは優しさという道具で無くて、優しさという紛れも無い「主体」として存在してこそ、それは真に
 私達にとって有り難いものになるのじゃないかな。
 ある意味、優しいあなたには、邪悪な私が必要。
 優しい「私」というものと同時に、邪悪な「私」というものもあなたは持つべきじゃない?
 正直、この作品には拍手でした。
 邪悪というものの力を、これだけ素晴らしく描いた作品を、私は知らない。
 邪悪って、力なのよね、生存本能なのよね、苦しくても辛くても、苦しい辛いと必死に足掻いて呪って
 怨んで怒って、その激しい想いに浸りながら、圧倒的に力強く生きている。
 それは、優しさを守り続け生き続けるためには、なによりも必要な力。
 優しさは、優しさを持てなくなったときこそ、邪悪に染まったときこそ、その優しさ自身が生きる力が
 試される。
 邪悪に落ちようとも、それを理由にして優しさを捨てるのなら、それは優しさでは無い。
 世の中、絶対不変に「折れない」優しさなんてそうそう無い。
 でも、その折れない優しさだけが優しさだって言ったら、それは大嘘よ。
 邪悪な心を合わせ持つからこそ、どんなに辛いときにも、その邪悪な心に浸ることで、実は自らの
 生存を図っている。
 優しさがその自分なら、邪悪に染まるということこそ、その優しさの生存能力。
 夏音の邪悪さってさ、紛れも無く、辛い現実を生き抜くための力なんだよね。
 だから邪悪じゃ無い夏音ほど脆いものは無く、そしてだから、邪悪さの無かったマリンは邪悪さの呼び込
 む辛さそのものに負けてしまうんですね。
 そういう意味では・・・・・マリンは自分の優しさに無自覚だったのかもしれませんね。
 優しさって、しょっぱいのよね、独善的なものでもあるし、卑怯なものだったり保身的なものだったり、
 とにかく色んなもので出来てる。
 でも、だからこそ、その色んなもので出来ていると感じているからこそ、その中に自分でも信じられない
 素晴らしいものも確かにあるって、そこで初めて自覚出来る気がする。
 それは、その独善とか卑怯とか保身とか、そういう邪悪なものの存在と感覚を確かに認め受け入れた
 からこそのもの。
 まさに純粋優しさマシーン(笑)だったマリンが、その自覚されない優しさに頼っていたからこそ、あっさり
 と折れてしまった事を堂々と描き、そしてなにより、切々とそこから夏音と共に歩みながら、優しさという
 「自分」を深く自覚していく様を描いていこうとするその心意気は。
 うん。
 もうね、拍手よ、涙ながらよ、ブラボー!(ぉw)
 大好きよ、こういうアニメがちゃんと出てくるんだもんね。
 みーんな、愛してるっ♪ byマリン
 そのマリンの言葉が、ただの博愛主義では無い、自覚された主体的な優しさから出てこれるように、
 心から応援しています♪
 

 
 涼宮ハルヒの憂鬱: これを作ってどうだという顔をしている人の顔を見たくない。
 
 一体これは、誰の何に向けて作られているのかなぁ。
 エンドレスエイトはまぁいいとして、それ以降の新エピの数々のあれは、一体なに?
 なにこの、展覧会。
 ばらっばらの、各アニメ製作の「技術」を展示して、それを見て見て評価してっていうかさ、なんだろ、
 このどうしようもない嫌悪感は。 すみませんちょっと辛口いきます。
 正直、これを面白と言うのは、これの作り手と、作り手の立場で観る人だけな気がする。
 全っ然面白く無い。
 「素人」には、全然面白く無い。
 新エピで少しでも面白かったのは、笹の葉くらいよ、ほんとうに。
 アニメファンが作り手の意識で「見てくれる」玄人ばかりだと思っているのなら、作り手の側に立って
 語ることで落ち着きを得るオタクだけだと思っているのなら、或いはそうでは無い「素人」はなっちゃ
 いないねと溜息を吐いているのなら。
 私はこの作品に、駄作という判を押すことに躊躇いはありません。
 というかこれ、誰かちゃんと指揮を取って客観視して作品作ったんかしら?
 特に文化祭準備の今やってるエピ、あれがリアルで?、そんでもってそのリアルこそが見所て?
 それ、アニメでやる意味無くね?
 というかそもそも全然リアルじゃ無いというか、実際あんな感じにシンプルにやりとり続く訳無いし、
 それこそ「リアルさ」というのを抜き出して拡大して、ぽんと映像にハメ込んだだけというか。
 リアルほどリアルさの無いものは無いってーの。 リアルの中でこれリアルだよねなんて思うかい?
 これじゃ、リアルという名の「ファンタジー」じゃないの、しかもあくまでリアルという意識でやってるから、
 全然はっちゃけた面白さが無いし。
 正直、ハルヒがただのアホの子というか痛い子になってます。 そしてこんな子実際にはいません。
 前作のハルヒの、リアルなんぞ知ったこっちゃないあのエキセントリックさが欠片も無い。
 そして、今作のハルヒからエキセントリックさを奪い、ただのアホで痛い子にしてるのは、他ならない、
 キョンだと思う。
 アホで痛い子など存在しない、アホで痛い子という目で見て語る、そういう者がいるからこそ、
 アホで痛い「キャラ」が存在するだけ。
 だからこそ、前作のキョンはそれを理解した上で、思いっ切り正論的に敢えて強く「ツッコミ」を入れて
 いたのにさ、今作のこれはさ、ある意味キョンによるハルヒ虐めじゃん。
 笑えないよ、これ、というか、全然ギャグになっていないその野暮っぷり本気っぷりが、なんとも情けない
 感じにキョンという一人称自体を貶めている気がします。
 ハルヒに強制してどうすんのさ、あれじゃハルヒはツンデレにもなれないっしょ。
 本気で、「常識」をやってどうすんのよ、バカキョン。
 このキョンと谷口を見下すキョンが、思い切り作り手の意識とリンクしていて、なんだか気持ち悪くなる。
 こんな気持ちの悪いハルヒ否定とハルヒ悪用は見たこと無い。
 なにこの無理解で頭の悪い怠惰なキョンは。
 少なくとも、作り手がその辺り、なーんも意識せずに、ただ話の整合性をつけ説明して消化して、
 そうした「技術」の高さを見せ付けるのを続けるつもりなら・・・・・
 それが、この涼宮ハルヒの憂鬱というアニメ作品に、トドメを刺すことになると思います。
 

 
 カナン: あの、質問していいですか? 希望って、なんですか?
 
 というか、期待しているのですけれど、でもこれ全13話ですよね?
 どう観ても、まだ序盤な感じにしかなっていないような気がするのですけれど。
 むしろ、扉を開けるだけ開け放って、あとはよろしくっていう感じで終わってしまいますのか?
 どうせなら、いやいや、お願いします、どうか最後まで徹底してやってくださいませ。 (深々とお辞儀)
 希望って、なに?
 昔は蒼く輝いていて、そしていつしか薄茶色に閉じていくもの。
 なんだろ。
 その色が見えなくなった途端。
 もの凄く、それが切実な、大切という言葉では図れない、どうしようもないものになっていたと気付く。
 蒼だろうと薄茶色だろうと、それは希望そのものじゃ無い。
 そもそも私達って、その色ばかり観ていて、肝心の希望そのものがどういうものか、全然全く、知らな
 かったんじゃないかなぁ。
 そう考えたら、青臭い理想論だろうと、薄汚れながらも堅実に生きていようとも、なんかもう、全然
 関係無く、全く知らなかったものとして、その希望という圧倒的に未知のものと向き合えるのじゃない
 かなぁと、私は思う。
 ぶっちゃけ、アルファルド姉様がなに考えてるのかさっぱりわからない。
 ぶっちゃけ、カナンが考えていること以外にカナンになにかあるとも思えない。
 でも。
 希望だけは、確かにある。
 それはもう、怖いほどに、厳然として、私達の目の前に突き付けられている。
 絶望なんて、そういう意味では一過性のものにしか過ぎない。
 希望が無くなったからこその絶望では無く、希望から目を逸らすことに成功した喜びと、そしてその
 背徳感がこそ絶望なのじゃないかな。
 背徳というか、やっぱり恐怖ですね、希望から目を逸らして背けて逃げ回っていることの、その恐ろしさ。
 そういう意味で、希望が人を殺す。
 でもそれは正確に言えば、希望に追い立てられ、その希望への恐怖という名の絶望こそが、人を
 死へと導いていくのじゃないかなぁ。
 希望こそ、真に恐ろしい。
 だから。
 その希望に向き合うこと、逃げずに必死に生きること、それが、この作品が描き出す、この圧倒的な
 情熱なのよね。
 希望と向き合えず、希望が自らが背負うものだと理解出来ず、いつまでも背負えず狼狽えて潔く死
 のうとしたり、でも段々と、段々と。
 希望というものが、目の前にだけあるのでは無く。
 ちゃんと、自分の中にも、この空よりも広く、そして暖かく広がっていることを感じていく。
 それまでの戦いを描いて、それで全13話が終わっちゃうのは、ねぇ?
 続編、お願いします! (早いなぁ)
 

 
 うみねこのなく頃に: 惨劇フェチと推理マニアには試練な論理。
 
 ああもっと惨劇してください。 (いきなり落ち着け)
 前作のひぐらしの惨劇っぷりで、すっかり浮かれ切ったこの私めには、この作品は禁欲的、もとい、
 静か過ぎます。
 というか、惨劇が本当に推理小説的に場面的というか、推理している当人が巻き込まれているという
 その臨場感としての恐怖が無くて、がっくり。
 お腹裂かれてお菓子詰め込まれてるとか、書くだけでうずく、もとい18禁すれすれな表現で描かれる
 その現場が、お腹にモザイクて、あれギャグにしか見えなかったんですけど、ごめんなさい。
 惨「劇」じゃないんですよねぇ、ほんとうに。
 まぁ推理モノな訳ですから、惨劇を求めることは理不尽なのですけれど、でもちょっと待って。
 推理モノって、なに?
 大体これ、魔女とか普通に出てますけど、推理ってレベルじゃねーですよこれ。
 第一、ひぐらしだって惨劇してても、あれだって推理モノじゃん。
 あれ?
 惨劇と推理って矛盾しないよね?
 で、よく考えたら、魔女がいたら推理モノして駄目とかっていうのも、なんかおかしくない?
 魔女は魔女じゃん、その魔女が実はほんとに魔女でした、えー!、って感じになったとしても、それこそ
 人間じゃなきゃ駄目とか、既存の「論理」が通用しなくちゃ駄目とか、それってなんか変だよね?
 この作品は、非推理モノに見えるけど、これってなにより純粋推理モノなのじゃないの?
 魔女だろうとなんだろうと、それが既存の論理で語れるかどうかは一切関係無く、「わからない」ものを
 「わかる」ものへと落とし込んでいくという作業はこれ、全然可能じゃん。
 それが、推理。
 理を推測して知る。
 そのための、新しい論理を知り構築していくこと、それこそが面白いんじゃないかな、この作品は。
 そういう意味では、今の既存の論理のやりくりは序の口というか、まだまだこれからって感じがしますし、
 その過程で惨劇に巻き込まれ、けれどその中で己を見失ったり血沸き肉躍った挙げ句に血飛沫を
 撒き散らして肉弾けたり(自重ww)、そして魔女の挑む既存の論理的推理の勝負を受けながら、
 それが魔女の掌の上と見据えた上で足掻く、そんな人間を私は是非観てみたいです。
 

 
 鋼の錬金術師: 言葉にひれ伏す人々の映像。
 
 統一感がまず無い。
 それはある意味、原作を消化して綺麗に繋げるために物語するということを選ばなかった、
 ということでは評価出来る。
 けれど、今度はそれで、連続感というか、なにより人と人との繋がりとしての、そういう「人の中」に
 生きている「人間」としてのエドとアルが見えてこなくなっちゃっていて・・・
 なんていうか、ワンフレーズというかピンポイントというか、そういう言葉が先行してあって、ただそれに
 ひれ伏し引きずられている人々が、ただ並列にしているだけというか。
 なんか、怖い。
 この作品の見続けていて感じたのは、たぶんそのうっすらとした恐怖。
 自らの行動を俯瞰的に内面的に、そしてなによりその他者達と繋がって生きている自分、というもの
 への眼差しが無いのが、空恐ろしい。
 繋がっている自分では無く、孤立している自分をそのまま受け入れるために、みんなとの繋がりという
 「免罪符」を手に入れて、個別に孤独に生きている感じ。
 なんか、脱落レースを観てるような、なにこの底なし沼の上で穴の空いた浮き輪に必死に息吹き込ん
 で浮かび続けてるような感触は。
 みんながちゃんと繋がっているのでは無く、「みんなとの繋がり」という得体の知れない札をみんな
 持って引き籠もってる。
 怖い、嫌だ。
 そういう意味では、前作のときはそれをあまり感じさせないように、物語という装置でみんなを繋げて
 いた感じがするけれど、逆にいえばそれはただ「語り」の問題であって、この鋼の錬金術師という
 作品の本質そのものは、今作の方にむしろもろに出ているのかもしれません。
 でも不思議なことに、原作はあんまし閉塞感とか孤独感を感じないのよね。
 ・・・・わかった、それは原作のあの軽妙な「笑い」のせいだ。
 そういう意味では、アニメ版の今作は、「笑い」がただのネタにしかなってないからこそ、「マジ」さしか
 無いのかも。
 ・・・・まぁうん、この作品に関しては、あまりしっかり語れないのが現状です、はいすまんです。 (謝)
 

 
 咲: 勝負しましょう!
 
 まぁこう見えても私は平和主義者なくせにバトルは嫌いじゃない、むしろ勝負となるとこう、体の奥が
 ぞくぞくとしてくるような、それでちょっと変な回転がかかると惨劇フェチに特化するアレな人なのですが。
 割と真っ直ぐに進むと、その熱さが好きゆえの勝負師に萌える人になったりする人です。
 うん、平和主義っていうか、その場を和ませるというか盛り上げるというかみんなを楽しませるというか、
 そういうことで、まぁ言い方は良くないですけど、調整としての「手抜き」をするのって、私は結構好き。
 だから初期の咲のプラマイゼロ志向は非常に理解出来るし、逆に咲的に場を「乱したくない」という
 方向だとアレですけど、場を綺麗に見事に「整えたい」という、そういう魅力的な「引き分け」狙い
 という方向なら、私のその趣味は結構肯定的に私自身に受け入れられている。
 結構難しいですしね、というか難しいと言えばなにより難しいことだとは思うのですけれどね、その分
 やり甲斐も半端無いというかね。
 みんな幸せ、っていうのはこれはもう、私が一番大好きな状態ですしね。
 対戦することの楽しみを、勝者も敗者も共有出来たら、それは実に楽しい。
 でもさ。
 それは、それ。
 改めて、もう一度言います。
 対戦することの楽しみを、勝者も敗者も共有出来たら、それは実に楽しい。
 私は勝者が勝って驕らずに敗者への配慮を考えて慎ましくする、というのが大嫌い。
 それこそ、それこそ本当に、「勝負」というものを侮辱している。 悪いけど、最低だと思う。
 なんのために勝負するのん?
 それは、勝って大喜びして、敗者に対しての優越感に浸り、全世界を統一した気分にってそれはアレ
 ですかw、とにかくその勝ったという勝者としての絶頂を味わうためにこそ、でしょ?
 そして、勝負は、勝者のためだけにあるものじゃー無い。
 敗者も、負けてがっくりときて、勝者に対しての悔しさと恨み辛みに悶え(ぉぃw)、この世のすべてが
 滅んだかのようなってそれはアレですかやっぱりww、とにかくその負けたという敗者としての絶頂wを
 味わうためにこそ、でしょ?
 それなのに勝者が思い遣りという名の下に慎ましくしてたら、それは敗者から敗者の絶頂wを取り上げ
 る事になるし、また勝者自身からも勝者の絶頂を無くす事になる。
 そしたらその勝負って、もう勝ち負けの無いものな気がする。
 或いは、勝者こそが勝負を独占してる。
 勝っちゃってごめんなさい、って言ってるようなもんだものそれ、馬鹿にしないでよねっ!(敗者の声)
 だからね、私の勝負の調整って、勝ち負け無しにするという意味じゃ無くて、勝ち負け逆によりはっきり
 と付けるためにこそ、勝負自体の種類を増やすってことなのよね。
 それぞれの価値の条件を変える、たとえばハンデつけたりとかね。 (それだけじゃないけど)
 そして、だからこそ。
 その沢山ある勝負の中で、「真剣勝負」というハンデ無しの勝負の価値も、より上がってくると思う
 んですよね。
 ハンデを無くして真剣勝負に近づいていく感触は、堪らなく面白い。
 ・・・・あ、そうか。
 勝者が勝って慎ましくするのは、逆に敗者の悔しさを増すためなのか。
 あいつら澄ました顔しやがって、と敗者はその勝者の慎ましさっぷりそのものに、その屈辱という名の
 これまた敗者の絶頂wを感じられるのか。
 ですよねぇ、その澄ました顔を必死に大喜びさせるように、今度こそ接戦で負けてやる!って感じに
 なりますものね。 (負けるんかいw)
 つまり、その勝者の慎ましい顔を見せ付けられるのも、埋めていきたいハンデとして、実は勝負に
 大きな恩恵を与えてもいた、ってことですね
 と、そんなことを思いっきり考えさせてくれるほどに、この作品は勝負してました。(やっつけすぎだw)
 まぁ、そうやって勝負することにのめり込んでいくことで、場を「乱したくない」からこそ勝負の種類を
 増やしたり勝って驕らずの自分の姿に逼塞していたのは、ただ後ろ向きで、他者と深く関わりたくない、
 その己自身の弱さからだったと無意識に感じていく、その主人公咲の有様は、まさに私の感じている
 こと思っていることに通じていて、なんかこう、ほろっとね、きちゃうんだ。 (笑)
 まぁ、麻雀全くわかりませんがwww
 

 
 かなめも: ロリコンの人は開店休業してからゆっくり観るのが吉。
 
 残念ながら私はそういう趣味は無いですけど。
 でも、この作品に出てくる真性ロリコン(女)の人が、実に楽しそうで、その楽しさを観ているのは実に
 楽しいのですよね、まぁあの人は犯罪まであと一秒の距離まで来てるから止めた方がいいですがw
 可愛く幼い少女が三度の飯よりも好きというその趣味の中身では無く、趣味自体に走ってる人の楽し
 さというか、だからその、ロリコンな人も、まずはこのはるかという人の楽しみ自体を見つめるところから
 始めれば、なんというか、ロリコン視点に囚われずに済むんじゃないかなぁ。
 あの健気な女の子、主人公の中町かなの、その優しい可愛さは、きっとそれからよりはっきりと見えて
 くると思う。
 べつにロリコン視点で観てもいいし、逆にそれを無理に封印して見てもなんか良くないし、けど、
 一応ロリコン視点は開店してるけど、まったりとそのかなの優しさこそに触れていくというか、そういう
 方が、「趣味」としてのロリコンを自分にとっての健全なものとして楽しめるのじゃないかなぁ。
 それは、私の感じる「萌え」と同じだしね。
 萌えだけじゃないっしょ?、アニメはさ、この作品だってそうよ、かなの優しさってものを感じて考え、
 そうすりゃ色んなものが見えてきますし、それは決して「萌え」と矛盾するものなんかじゃないってわかり
 ますしね。
 ていうか、キャラ萌えはひとまず置いといて、この家族的感じが萌えじゃなくね?
 なんかああやってかながひとつひとつ他の人と繋がっていく様が、私はね、なんかもう堪らないっす。(ぇw)
 そういえば、レズの人もいるんですよねさりげに、ゆめとゆうきのカップルね、だけど全然普通に溶け込ん
 で生活しているというか、なんかすごく自然で、観てるこっちまで嬉し恥ずかしな気分になってきちゃった
 りw、そういう意味では・・・そうですねぇ、好きな言い方では無いですけど、誰にも迷惑かけていない
 という感じがするのですよねぇ・・・・ロリコンのはるかはかけまくりですけど・・・ツッコミが容赦無く入って
 圧倒的に止められてるしそれがいいのかな・・・w
 なんだろ・・・
 すごくこの作品見てると、おだやか〜な気持ちになる。
 ギャグのノリとかテンポの良さとか、そういう作りの方にも手を伸ばしてゆったりと語られるし、そっとその
 語る手を下ろして、しんみりとこの暖かさを抱き締めてみたり、そして自分にしか無いもの(ロリとかレズ
 とかそういう性癖的なものだけでは無い)をその中で抱き締めつつ、そっとそれから手を離しても大丈夫
 なような気にさせてくれる・・・・
 それってさ。
 まさに、天涯孤独の身になって放り出された、なにも出来ない子供が、ゆっくりと優しく、理屈でも
 なんでも無く受け入れ接続されていく、そのかなめもの描き出す、「社会」の感触そのものから
 発せられてるような気がします。
 非常に社会的(?)なアニメなんですよね、この作品って。
 しかも出発はロリコンなりレズなり萌えなり、そういう感じのもの。 ・・・・・・いいね。(ぉw)
 
 
 
 と、いうことで。
 全感想完了です♪
 そして、余勢を駆って、このまま今週分の化物語のプチ感想にいかせて頂きますね。
 
 
 で。
 化物語感想、なでこスネーク第一話、全体でたぶん第9話。
 ・・・・。
 そりゃあ助けたいって思うだろう、阿良々木先輩。
 そうだな、神原後輩。
 ということで、新ヒロイン千石撫子の助けてあげたい臭は異常。
 ・・・・いやこれほんと、ぴぴんときたね、私も。
 というかこれ、明らかに前回の神原よろしく、「加害者」臭が千石からはするのだけれど、だからこそ
 逆に、「加害者」だろうとなんだろうと、「加害」してでもなにかを手に入れたいその想いと、それで受け
 る罰をそれを受け入れずにそれでもこんな体嫌だよぅと言える、それこそなんか、最も助けたくなる。
 善人尚もて往生を遂ぐ、いわんや悪人をや。
 まぁまだ千石が加害者とは決まった訳じゃないですけど。
 ただ仮に加害者だとしても、加害者こそ、加害者の受ける苦しみこそ、なんというのかな、罪と罰の
 関係に囚われない、本当の苦しさがあるしね。
 勝手すぎる、という批判は散々するべきだろし、して当然だけど、それとこれとは全く別。
 まぁまだ千石が加害者とは決まった訳じゃないですけど。 (2回目)
 だって、ねぇ?
 友達いなくて、内向的で、でもそれは友達が欲しくないって訳じゃなくて、むしろ欲しくて堪らなくて、
 でも自分の性格とかもろもろのものでどうしても友達作れなくて、そしたら、同級生の子(阿良々木の
 下の妹)が一緒に遊んでくれて、たぶんその子は人気者なんだろーな、で、その子に対する羨望とか
 妬みとか怨みとかそれだけであるだろーに、でもそれを理不尽と責める自分の想いを突き抜けるほど
 に確かに存在しているその負の感情が、紛れも無くそうして遊んでくれる事のどうしようも無い嬉しさ
 とちゃんと繋がっていることのその愛しさを抱き締めさせてくれて、で、きっとその子は優しくてほんとに
 良い子で、だからこそ怨み辛み妬みも多くなってきて、でもそれを恐れて身を退くのは絶対嫌で、
 だってららちゃんが遊んでくれたんだもん、もう諦めたくないよ、私だって友達と遊べるんだもん、
 でもそう考えるほどに自分とららちゃんの違いは鮮明になってて、ららちゃんには他にもちゃんと友達が
 いて、でも私にはいない、ららちゃんしかいない、ららちゃんがいなくなったら、ううんららちゃんがいても
 私は。 
 そうしたら、そのららちゃんにはお兄ちゃんがいて。
 そりゃー、ね、そっちにいきますよ、うん。
 ららちゃんを元手にして足場にして、自分だけが手に入れることが出来るかもしれない、その友達の
 お兄ちゃんの存在は、そりゃあったかいでしょう、希望でしょう。
 で、千石撫子は六年もの間、しっかりその阿良々木君のことを覚えていた、と。
 六年ぶりに会ったってことは、六年前には撫子の前から阿良々木君は去ってた訳で。
 でも撫子がそれで阿良々木自体を諦めたとして。
 それで、撫子がみんなと一緒に遊べるような、普通の女の子になりたいという切実な願いを、諦める
 と思うかな?
 ずっと、独りで頑張ってたんでしょうね。
 ひどいことに、なってたんでしょうね、その過程で加害者もやってたのかもしれない。
 そして、阿良々木君と出会った、六年ぶりに。
 ・・・・・。
 まぁほんと、次回千石撫子がなにをやっているのかなにをやってきたのか、そしてなにをやろうとしている
 のか、ほんとそこからですね。 (結局それかい)
 神原や委員長が不調を訴えていたのもなんかその辺りと関係ありそうですし。
 確か蛇の呪いって、それを怖いと感じた人が受けるんじゃなかったですっけ?
 蛇を殺した当人じゃなくても、ね。
 神原は蛇を見る前に不調を訴え、そもそも蛇を見ていない委員長まで不調を訴えたとなると、
 逆にじゃあ、「蛇」ってなによという問いが発生してくるのね。
 あ、でも委員長は蛇の話は聞いてその後に不調、だったっけな。
 その辺りと絡めて「なでこスネーク」を考えていくと、うわ、これやっぱりとんでもなく面白そう。 (ぉぃ)
 まぁ、それでいくと、戦場ヶ原様がどうなるのか気になるところですが。
 
 『阿良々木君から粗相を受けたら逐一報告なさい。
  山に埋めるか海に沈めるか、嫌いな方を選ばせてあげる。』
 
 ・・・。
 どうですか、この見事な戦場ヶ原様っぷりはwwwほんと容赦無いっていうか二段構えww
 神原を差し向けて、阿良々木君にべったりひっつかせて、これなんて試練ですかww
 というか委員長に言われるまでも無く、これは紛れもなく戦場ヶ原様が仕掛けた試練な訳ですがw
 女の子に恥をかかせず、なおかつ手を出してもいけない。
 ・・・・・阿良々木君は本当にいつも、知らずに死地に追いやられてますね。(送るのは彼の彼女ww)
 ま、それだけ戦場ヶ原様を不安にさせてるのもあるでしょうけど、それ以上に戦場ヶ原様は本当に
 期待してると思いますけどね。
 手を出さずに女の子に恥もかかせない、それでも感じられる優しさを持って欲しい、みたいな。
 それは、今回は、大事な後輩神原のために、ね。
 ・・・・。
 まぁ、その神原後輩は、阿良々木君の部屋でエロ本捜索したり、女子中学生にはかせるために
 いつもブルマを持ち歩いている変態も同然の企みに走っていたりする訳ですけど。
 ・・・・。
 戦場ヶ原様の気持ちをわかっている上でそういうことが出来る、神原後輩に拍手ww半端無いwww
 あと委員長へ。
 阿良々木君は確かに弱くて薄いけど、それは完膚無きまでに叩き潰して心ゆくまでボコボコにして
 生まれてきた事を後悔させるほどに追い詰める、つまり戦場ヶ原様ですがww、そうしない限り、
 強くて厚くはならないと思います。
 阿良々木君はそれで「優しさ」の罪に気付いて、そして賢い「優しさ」に至ることが出来るだけの、
 その確かな優しさがあると思いますしね。
 その優しさに頼るだけのこととその優しさを育てない事は同じ。
 優しさに頼りたくないといって、優しさを育てないのでは、それは自分に囚われてる。
 阿良々木君の優しさを育てるほどに阿良々木君に関わる「勇気」があるからこそ、その優しさに頼らな
 い、その優しさとこそ向き合って立てる、その自分に至れる気がします。
 戦場ヶ原さんの手前そんな事できないですって?
 じゃあ神原はどうなるの?
 神原だって、それはそれとしてちゃんと阿良々木君の「後輩」として頑張ってるじゃないですか。
 ・・・・・なにを頑張っているのかは・・・もうね・・・・拍手。 (ぉぃw)
 
 
 
 
 という感じです。
 これで今回は完全に終わりです。
 
 
 終わりです。 (ばたり)
 
 
 
 

 

-- 090907--                    

 

         

                                   ■■ アニメの夏 ■■

     
 
 
 
 
 少しずつ蒸し暑さが抜けてきて、気持ちの良い暑さになりつつある今日この頃、
 皆様如何お過ごしでしょうか。
 ごきげんよう、紅い瞳です。
 
 
 さて、本日は今期アニメの感想をずらっとさせて頂きます。
 全然していませんでしたからね。 すみません。
 今期は豊作なのかどうかなのかイマイチわからない、というより、ひとつひとつのアニメに小さく取り憑かれ
 てしまって、冷静に客観的俯瞰的に全体を見渡すことが出来ないという、まさに個人的問題に
 よって豊作でも不作でも無い、なんともいえない感じに仕上がっております、私の頭の中が。 (笑)
 けれど、そういう意味では、これだけ沢山のアニメを観つつも、ひとつひとつのアニメにちゃんとした
 手触りを個別に確実に感じられるようにようやくなってきた、とも言えましょう。
 たぶん。
 
 そんな感じで、全力で彷徨っているこの夏の紅い瞳で御座います、ごきげんよう。
 
 
 ということで、本日は今期アニメの個別の感想と、それと先週分の化物語のプチ感想を書いていき
 ます。
 おそらく、というか確実に今回一回ではすべて書き切れませんので、今週分の化物語プチ感想と
 合わせて、残りのアニメ感想は明後日辺りにUpさせて頂きますので、どうぞよろしくお願いします。
 と、その前に・・・
 
 
 
 ◆
 
 ええまぁ、狼と香辛料の感想についてなのですけれど、はい、第9話の感想ですね。
 なんというかまぁ(頭を掻きながら)・・・・・わかる、わかるのですけれど・・・上手く書けないというか・・・
 逆にあまりにわかりすぎて息を飲んでしまったというか、だからかえって反射的に仰け反ってしまった
 というか・・・
 なんというか、私のあの感想の書き方(特に下のあとがきの方)だと、ホロは幸せ自体を受け入れられ
 ない可哀想な子、って感じに見えちゃうし、なぜか書いていくとそういう風になっちゃったのですよね。
 明らかに自分の筆先に圧力がかかっているというかなんというか・・・まぁそれはいいか。
 ホロはさ、なんというか、とにもかくにも、「諦める」のが嫌というか。
 ううん、違うな、ロレンスと出会ったからこそ、ロレンスと出会ったホロがいるからこそ。
 今まで諦めるしか無かったものと、もう一度しっかり、最後まで諦めずに向き合おうと、そういうどうし
 ようもないものに足を踏み出したのだと思うのです。
 ロレンスってば優しいんだもん、おまけにそれをさらにより良いものに変えようというホロの要求にも
 必死に食い下がってきてくれるのですもん、こんなに可愛い子はいないでしょ?(笑)
 でも。
 だからこそ、ホロとしては、そのロレンスのためにもそのロレンスの優しさで満足して、それ以上のものを
 潔く「諦める」ための口実に、そのロレンスを利用する、そのある意味「保身」とこそ、懸命に戦って
 いるような気がするのですよね、圧倒的に。
 その「保身」の魅力は、絶大。
 ホロはそこかしこで、自らが潔く健気に身を退こうとする誘惑に駆られ、そしてそれに全力で立ち向か
 っている自分を激しく感じている。
 潔い健気な「自分」を求め受け入れてくれる、いえ、受け入れてしまうその人ロレンスが、紛れも無く
 目の前にいる。
 でもホロは・・・それが孤独だということを、知っているのですね。
 私はいつも自分の感想を書き終えたあとに、余所様の感想をちょろちょろと読ませて頂いているので
 すけれど、第9話についての感想では、あのエーブのホロを売らないか発言に関するものが多かった
 ですけれど。
 
 うーん、問題なのは、ロレンスがどうするか、とかじゃなくて、あくまでホロの悲しみというか。
 
 今のロレンスなら、ホロを売り飛ばすなんて冗談でもあり得ません。
 けど、ホロは、それこそが怖いのじゃないかなぁ。
 なんというか、それってある意味、ロレンスがホロを売り飛ばしてでもホロを守ってやると、そこまで出来
 ないからこそロレンスはホロを売り飛ばすことが「できない」だけ、というか。
 ホロ的に私的には、今のロレンスって、守りに入ってるようにみえるのですよね。
 そして、その自分の守備範囲の中にホロを閉じ込めて、そしてその狼を陰に陽に飼い殺しにしている
 ような感じがするのです。
 逆に、ロレンスが仮にエーブの商談に乗ってホロを売るとしても、それはただ商売上の方便であって、
 あくまでホロに了解を取った上での、利益を得る上での「戦略」にしか過ぎない。
 どっちにしろ、なんというかロレンスが、ホロの側にいないんですね、これ。
 そういう意味では・・・・ホロの可能性を狭めているというか、取り上げているというか・・・
 私もね、なんかすっごく怖かった、あのロレンスの優しさがさ。
 なんかもう、ホロはそのロレンスの優しさに感謝して、満足して、それをよしとして潔く生きていかなくちゃ
 いけないような、もうそれしかないような、そしてなにより、ロレンスこそがそれをなによりおかしいと思わず
 に当然のように思っていることが・・・・・それが怖くて・・・そして・・・
 
 そしてホロは、その恐怖を受け入れるしか無い、その孤独の夜に寝息を立てるこの狼が嫌いなのです。
 
 しかしその嫌いなことを我慢するのが、「人間」としては当然というか、そうするべきなのではないじゃ
 ろうかと、無思考のままに呟いている、その自分の呟きが保身でしか無いことを感じるホロ。
 けれどそれは、抗しがたいほどの魅力で、健気で潔い、つまりロレンスのいう「独占欲に自己嫌悪する
 娘」という、魅力的な「絵」としての自分になってしまいたい、その欲求は絶大。
 人の間で生きていこうとすればするほど、その欲求は増大してくる。
 けれど、それはきっと、ホロの目指すものでは無い。
 それよりも、ホロはきっと、その欲求の増大がどうして起きてくるのかを、見抜いている。
 孤独。
 その孤独の寂しさを欺瞞的に癒そうとして、健気で潔い少女像に身を委ねようとすることで、孤独
 そのものから抜け出す事を永久に見失ってしまう、その悲しみ。
 その悲しみしか、無いのじゃろうか。
 ホロは戦っています。
 でも、このままじゃ・・・・
 もしかしたら、ホロの方こそがエーブの商談を受けて、自らの身を売るかもしれません。
 どうしてホロがそうするのか、それをロレンスは考えるはずと、ホロがいつまでそう思えるか。
 うーん、そういう意味では。
 
 私は、うーん、この第二期って、ホロとロレンスを別れさせて、そのまま終わらせたりしたら・・・
 とてつもなくすごい事になるんじゃないかな、って思います。
 
 ホロとして、そしてロレンスとして、この狼と香辛料という作品から、私達が考えて感じていくことが出来る
 ものを、さらに圧倒的に深めるためには、ね。
 以上、終わり。 お邪魔致しましたw
 
 
 
 ◆
 
 と、ちょっと寄り道させて頂きましたけれど、では改めまして、今期アニメ感想を始めさせて頂きましょう。
 順番は、私のところでの放送順です。 
 が、青い花だけはまだ今の時点で見ていないので、順番を遅らせて明後日更新分に回させて
 頂きます。
 それでは。
 大変に長いので、興味のある作品の感想だけでも読んで頂けると、それもまた幸いです。
 

 
 シャングリラ: ちょっとした異色物語、としての需要。
 
 悪く言えばすべて中途半端、そして良く言えばよりどりみどり。
 よりどりみどりなものにちょっと回転をかけて独特風味を感じさせ、そしてそれをコトコトと煮込んで、
 はい、出来上がり。
 最近私の友人(たぶん親友、でもそう言ったら鼻で笑われる間柄w)がアニメに興味持ち始めている
 のですけれど、それはドラマにいい加減飽き始めていて、でも小説読むのは面倒臭い、なんか無い?
 、そういえばアニメ好きだったよね?、と聞かれたので、出来るだけオタク臭く無いものを探して勧め
 ようとする紛れも無いオタク的行動を取る私でしたけどw、ちなみに友人は完全非ヲタなので、
 アニメやヲタへの偏見そのものすらほとんどありませんw、なんかなにも知らない純真無垢な子供に
 いけない事教えてるような背徳感がアレでしたけどww、で、この作品をお薦めしたらウケた。
 ・・・・狼と香辛料勧めたときは「絵が嫌い。」とか一蹴したのに・・・(涙)
 で、どうもやっぱり友人の求めているのは、「物語」なのですよね。
 ちょっと変わった「世界」を感じられて、ちょっと独特の「要素」があってと、うーんそうか、そうだよねアニメ
 って「物語」なんだよねぇテーマとか哲学とか恋愛とか萌えとかそれ以前にさ。
 そういう意味では、この作品は物語の「精度」としてはイマイチなのだけれど、とにかく色んなものを
 詰め込んでひとつに繋げてみる、そういうものとしてやっぱりこの作品は評価されていいのかもしれ
 ませんね。
 よく考えたら、こういう作品ってここ最近あまり無かったですし。
 ・・・でもそういう見方だけだと、この作品自体が提出しているもの自体とは向き合っていないのです
 けれどね、んでも、うーん、その提出されたものとそこからさらに深く探っていけるものが、この作品の
 場合あまり無いというか、無いからこそのシャングリラというものの価値というか、結局同じところに
 行き着いてしまうのですけれど。
 でも、ひとこと。
 世界が滅びる滅びない言ってるけど、あれって炭素経済っていうシステムが崩壊するだけの気が
 するのだけど。
 アトラスだけ無事なら世界は滅びていいのかという論法は、炭素経済のシステムが無事ならそれで
 いいのかというのと同じ気がしたのですけれど。 世界はそのシステム下にあるだけじゃないっつーの。
 言い換えれば、美邦やら一部の人達にとっては、紛れも無くアトラスそのものが世界というのも、
 それも正しいと思うのだけれども。
 世界ってなに? その問いが無い、というか、無いからこそのやっぱりシャングリラのこの勢いなのですね。
 だって、世界で無い世界など無い、のですからね。 炭素経済というシステムだって立派な世界だし。
 セカイ系という言葉最近聞かなくなったけど、その揶揄としての言葉の馬鹿馬鹿しさを、この作品は
 胸を張って笑って示している、とも言えますね。
 

 
 蒼天航路: 誰に仕えたいかという、贅沢な苦悩っていうか萌え。
 
 大きく分けると、曹操と劉備。
 劉備は、誰かに自分の力を求めて欲しいという自らの欲望に端を発し、その中から自分に出来ること
 を超えて、自分以上のことをやっていくことの、その動機を「主君」に求めるタイプにウケるのじゃないか
 な。
 曹操は、単純にいえば、曹操と同じものを求める事が出来るかどうか。
 それは曹操がそれを求めているから、では無く、自分自身を徹底して突き詰めていくことで、その先に
 見えてきたものが、偶然曹操と同じだった、その「同志」としての曹操を求めるタイプにウケるのかな。
 私はどっちかな。
 と、考えると、これがもう、訳がわからなくなる。
 正直にいえばどっちとも言えない。
 曹操に対して「忠義」を以て使えることは、滅茶苦茶恐ろしいことなのだけれど、「忠義」というもの
 そのものを究極的に突き詰めて考えていくタイプには、逆に曹操というのはそれを先鋭化させてくれる
 、紛れも無い「スポンサー」として最高の機能を持っている。
 典韋なんて、曹操自身に対する忠義では無く、忠義そのものを探求した最たる者ですよね。
 あと張遼の「武」を求める心も、最高の武神に仕える事では無く、自らが武神になるためにこそある
 感じですし。
 その自分を磨くという事に関しては、曹操というのは最高に魅力的なモノを与えてくれるのですから、
 そういう意味では私はぞっとするほどに曹操に仕えたくなる。
 その点、劉備は仲良しクラブ(笑)になってしまいますからね、どうしたって難しい。
 でも。
 そうして曹操がより良い環境を与えてくれるっていうことは、その環境を作り出す事自体は自分では
 してないのよね?
 そうなるとこう、俄然仲良しクラブの中からそれに囚われずに、それどころか動機として仲良しな劉備
 に対する忠義を動機にしながら、それに頼らない実力主義で自らを磨いていくこと、それが出来る
 可能性があるのが間違い無く劉備一家だったりする。
 どっちが自らを磨くことが高度かと言ったら、間違い無く劉備の方。
 そういう意味では、「同志」としての感覚はむしろ劉備にでは無く同僚の武将に感じたいものですし、
 そしてだから互いに仲良しでは無い実力の競い合いにもなりますし、その上で、「主君」としてなんとも
 言えない魅力、なんとも「ほっとけない」と思える劉備に対する忠義心を共有することも出来る。
 これは萌えですね、はいw
 そしてそれは逆に、そういうものが無い、無いけれど無いからこそその裏にある膨大な悲哀を感じられる
 という意味で、曹操こそなにより萌え対象な訳ですけどw、でも曹操陣営にはその曹操に萌えてる人
 いないものねぇ、せいぜい許褚くらいかな。
 うん、このアニメの最大のテーマというか描き出しているものは、まさにそれ、自らを磨き続けるという
 ことは一体どういうことなのか、それを実に良く考えているしまた考えさせてくれるような映像になって
 いると思います。
 そもそもなんであんた、天下国家をそんなに必死になって論じるのよ? (根源的問い)
 国のため? 民のため? 答えになってねーよ。
 なかなかにこれは、アニメ版独特の雰囲気ですね。 つか呂布と陳宮に涙三唱。
 

 
 狼と香辛料U: ただただ、豊かさを突き詰めていくための、孤独。
 
 そういう意味で、この作品には、ある種の悲しみはあっても、哀しみはそんなに重要なものでは無い
 のかもしれません。
 というより、耐えるための哀しみというものを、如何に活用して悲しみと対して、目の前に広がる、
 そして未だ見ぬ圧倒的な豊穣に至ることが出来るかと、その問いのためにこそあるようなものというか。
 ぶっちゃけ、この作品の登場人物にとっては、その哀しみというのは、ひとつ「萌え」として必要なもの
 だと思うのですよね。
 哀しみを感じられるからこそ、頑張れる。
 それは、哀しいからこそそれに逼塞し、等身大の小さな世界に納得して、その哀しさを噛み締めて、
 潔く放り出すためにこそ踏ん張る事とは、全くもう、全然違う。
 というより、なにより、そうして哀しみに囚われ孤独に逼塞する事こそが、悲しい。
 悲しいからこそ、なんとしてもそれを打破するためにこそ。
 哀しみを利用する。
 そのためにこそ。
 他者が、みんながいる。
 うん、そうね、その哀しみに「健気」に逼塞して「潔く」身を退くその「美しい絵」に囚われている、
 そのすべての人達にこそ、この作品は切実に訴えかけている気がします。
 悲しみこそを、なんとかしようよ。
 そのためにこそ、耐えるだけの哀しみはそれでもいいから、それをひとつの「萌え」として、活用して
 いこうよ。
 世界を、広げるために。
 豊かさの、そのさらに奥にある豊穣を求めるために。
 哀しみに囚われるのは、可能性が無さ過ぎる。
 逆に言えば、哀しみに囚われている健気な自分というものを「対象」化すれば、実はそれも充分
 利用可能なものなのです。
 だからこその、「嘘」なのです。
 この作品はまさに、嘘吐きの物語。
 でも決して、その嘘吐きの悲哀を描くことを目的になどしていません。
 この作品は、その嘘吐きとしての自分の悲哀そのものさえも、嘘の手管として利用して、そしてより
 深い豊かさに至るために、そのためにこそ圧倒的に戦い続けている、そういうものなのです。
 自らの哀しみが閉ざしてしまったものはなにか、それを徹底して洗い出し、そしてまたそれと向き合い、
 必ずそれを超えてみせると必死に戦っている狼がいるのです。
 数百年を生きた巨大な狼神が、可憐な少女の姿を取り、狡猾に貪欲に手練手管で自らの哀しみ
 を絡め取り、どうしようもないほどに深く生きていく。
 ロレンスが、このホロの姿と出会って、どうしようもないほどにはっとさせられるのは、当たり前です。(笑)
 なぜなら。
 そのとき必ず、ロレンスはそのホロの姿の意味を貶めようとしたはずだからです。
 そしてそれによりロレンスは、なによりも自らが囚われていたものがなんであるかこそを、感じるのです。
 それとこそ、本当に俺は戦いたい。
 一流の行商人として、一人前の力強く賢い魅力的な男として、なによりもそれにこそ挑戦したい。
 その圧倒的な閃きこそ、ホロの姿の真髄。
 まぁ、うん。
 ロレンスがそうして、「挑戦」というレベルでホロと向き合っているうちは、そのホロの切実な悲しみとは
 寄り添えないのですけれどね。 その辺りのことは、まぁ、是非観て感じてみてくだされ。 (ぉぃw)
 まぁ、うん、この作品はそういう作品です。 (これじゃなにも伝わらないw)
 

 
 銀魂: ギャグアニメとしての再生が今、問われています。
 
 ある意味、ギャグアニメの立て直しって一番難しい気がする。
 なにしろ伏線なりなんなりを物語に組み込んで流れを変えることが出来ませんから。
 ギャグ自体の切れ味が無ければ、はいそれまでよ。
 そしてギャグアニメの立て直しが必要なときというのは、文字通りギャグの切れ味が落ちたときこそ
 なのですから。
 ギャグ以外の部分を直したって、それは全然ギャグアニメとして立ちませんて。
 そういう意味で、銀魂はギャグ自体の劣化が激しい、割と致命的さがあります。
 銀魂はしょっちゅうシリアス展開や、そもそもシリアス一本の話を絡めてきていて、それとのギャグの
 バランスが至宝級に絶妙だったからこその、この銀魂「ブランド」。
 でもですね、だからといって、シリアスとしての物語の欠乏を、この不振の原因として見ても、それは
 意味が無いことなのですね。
 銀魂の核はあくまでギャグですよ、ギャグ。
 ストーリーがどんなにぐだぐだだろうと、それ自体をイジったりツッコミ入れたり悪ノリするからこその、
 銀魂の面白さ。
 そしてそれにプラスして、イジり対象だけの物語かと思っていたら、そのままシリアスに素でなっていき、
 だからこそのあの深い感動がこそ、銀魂「ブランド」を確立したのです。
 ギャグがあるからこそのシリアス、なのにシリアスの土台としての物語の欠乏に目を向けていては、
 これはもう自滅コースです。
 オリジナルでもなんでもいいから、物語の構成なんてもう、全部ぐだぐだで笑いの対象にしてくだされ。
 あの銀魂の「くだらなさ」という切れ味そのものをこそ基点にして、まずはそこからですよね。
 今はほんとうにくだらないだけで、それへのツッコミがほんとうにくだらない。
 今一番私がなんとかして欲しいのは、この銀魂という作品の立て直しだったりします。
 この作品好きすぎますから。 (真顔)
 

 
 パンドラハーツ: 個人同士が繋がるために必要なのはなに?
 
 ある意味で、私の今期の「核」はこの作品かも。
 ストーリーとその行く末にはあまり興味が無いというか、むしろどうなってもいいというか(ぉぃ)、
 その物語とそれを進んでいくために、うろうろと狼狽えている、そのすべての登場人物が、なんだかこう、
 はっきりと其処にいるような。
 でもなんというか、「ひとり」の存在がどうこうといういうより、内面を深く掘り下げていくというより、
 なんというのかな、個人という「自分」、或いはひとつひとつの「世界」が出会うことで、それがどうやって
 その個別の世界を維持しながら、全く別の次元では確かに繋がっていくことが出来るのか、という、
 それこそがメインのような気がするのです。
 大団円的にひとつの世界に集まってくるのでも無く、ただ「ひとり」ひとりそれなりに落ち着いていくので
 も無く、ただただひとりひとりが描き出していく、全く違う世界の数々が溶け合っていく、その感触の
 ぬくもりっぷりが、なんだかもう、堪らないというか。
 ある意味ゲーム的というか、オズにしろアリスにしろレイブンにしろブレイクにしろ、みんなでロープレという
 か、あー違うな、オンラインの協力プレイって感じ?
 ある一定の共通している世界が基本にはあるのだけれど、その中で互いに「通じる」自分を出し合って、
 その触れ合いの中から生まれるぬくもりが、どうしようもない、とあるものを生み出してくれる。
 それは、そうしてその他のみんながいる可能性のある、その世界に接続するための、その大切な言葉。
 そしてなによりその言葉を発するのは、そのゲーム内の自分では無い、「ひとり」の存在としての、
 紛れも無い「私」なのです。
 その「ひとり」としての「私」が、他の誰か達の「ひとり」たる「私」と繋がるつもりは無く、逆にそれこそは
 ひとりできっちりと背負うからこそそこに矜持が生まれ、けれどその矜持こそはただ「ひとり」に逼塞する
 ためにでは無く。
 この作品の中に広がる、誰もが接続可能な、そのひとつの世界に繋がるために必要な、その個人と
 しての「自分」を愛しく飾るためにこそあるのです。
 ああ、心地いい・・・この作品を見てると、堪らないほどに落ち着きます。
 言ってみれば・・・そうですね、仮面を被ったままに本当に抱き合える、そういう感じですかね?
 仮面を脱がなくてもいい、仮面を被らなくてもいい、本当に自由だからこそ。
 仮面というものの意味と、そして価値が、本当によく、噛み締めるように分かってくるのだと思います。
 なにより、全力で仮面を被っているオズこそが、もうね、今回のブレイクを認めていく感じがね、もうね。
 ・・・・。
 ああ、雪が降ってきたな。 (頬に涙を伝わらせながらw)
 
 
 
 と、今回はここまで。 半分もいかなかった。 (汗)
 狼と香辛料の邪魔を入れた分だけ、まぁしょうがないですか。
 ということで、残りは次回、おそらく明後日に更新させて頂きますね。
 明後日はもう今期アニメ感想しか書かないんだからねっ!
 ・・・・。
 あ・・今週分の化物語のプチ感想も・・・(ぁ)
 
 ということで(ぉぃ)、先週分の化物語のプチ感想を書いて、本日は終わりとさせて頂きましょう。
 
 
 んで、化物語感想、するがモンキーの最終話にして、全体の第・・8話?(おぼろげ)
 忍野による神原駿河読解はすっきりする手並みでしたけれど、それ自体は別にさしたる事も無く。
 や、忍野自身の読解内容自体はということであって、神原駿河自体はもうね、色々と想うところは
 私としてもあった訳なのですけれどね。
 つかまぁ、明後日更新予定の、今期アニメ感想の化物語の項目で語ろうと思ってたんですけど、
 この作品って、忍野の憑き物落とし的行為って、決してメインじゃないのね。
 あくまでメインは、阿良々木君。
 忍野という「道具」を使って、阿良々木君こそが出会う人達を助けていく感じ。
 だからあくまで、阿良々木君に助けられる子は、忍野の方に目はいかない。
 感謝も、そして怨みつらみも全部、阿良々木君にいく。
 そういう意味で。
 一番問われているのは、阿良々木君の「意志」。
 ぶっちゃけ。
 戦場ヶ原様万歳。(なにを)
 神原は悪魔に憑かれたんじゃ無くて悪魔を「使った」のだから、被害者じゃ無くて加害者であることは
 厳然としているし、そういう意味では忍野の的確な指摘は神原としては心地良い。
 そして、あくまで神原を「被害者」として捉え、なんとかしてやろうとする阿良々木君は愚かだし、
 罪作りだと思う。
 けど、じゃあ。
 阿良々木君が、神原を「加害者」として確かに捉えて、その上でも、さらになんとかしようと奮闘する
 のなら・・・・・
 
 『随分と、はしゃいでいるわね。 私抜きで楽しそうね、阿良々木君、不愉快だわ。』 by戦場ヶ原様
 
 そりゃあね。
 そうだよね。
 戦場ヶ原ひたぎが、「本当に大切なもの」を諦める訳無いものね。
 神原のこと、放っておく訳無いじゃないの、冗談じゃないわ、阿良々木君。
 ましてや、自分だけ死んでなんとかしようだなんて、そんな私への侮辱は許さないわ。
 だよねぇ・・・・・(溜息)
 なんかもう、戦場ヶ原様が名言過ぎて、いちいち引用しませんけど、あれはもう、最高でした。
 加害者だろうと被害者だろうと、それで神原を見捨てるひたぎが何処にいるのかっての。
 そういう意味で、戦場ヶ原様が叱り付けたのは、阿良々木君がひとりだけではしゃいでいたことだった
 という、まさにそこだけなんですよね。
 大体、戦場ヶ原ひたぎが出張れば、阿良々木君とふたりなら、絶対に阿良々木君だけ死ぬということ
 はあり得ない訳ですしね、その辺りのことを忍野の読解は完全に示していましたし。
 もうやっばい。
 戦場ヶ原様が完璧過ぎて、わたしゃ涙ぼろぼろでしたもの。
 情が深い女っていうか、これは欲が深いってことですよね。
 阿良々木君のそれが「お節介」に、いえ、大きなお世話になる訳だもんねぇ、そりゃ阿良々木君的に
 は戦場ヶ原様が偉大に感じられますよね。
 しかも、そのお節介も阿良々木君にならされてもいいとか、すげーこの人やっぱり最高だね。
 まぁ阿良々木君の「お節介」の魅力は明後日書くとして、ここでは逆に阿良々木君自身に、自らの
 そのお節介が、一体なんのために自分によって為されているのか、ちゃんともう一度深く考え直し
 なさい、ということを、戦場ヶ原様が体を張って示してくれたのですよねぇ。
 「諦めない女」。
 やーもう、やっぱりこれが最高の萌えポイントだわ、私w
 ていうか、自分の彼氏が内臓ブチまけられてるのに、はしゃいで楽しそうねとか眉ひとつ動かさないとか、
 というかほんとになんとも思って無い辺りとか、むしろそうしてひとりではしゃいでボロボロになってる阿良
 々木君こそ万死に値するとか、そここそに一番感情を込めてるその圧倒的「意志」の恐怖とか、
 阿良々木君を殺したら神原を殺すわというのがほんとに宣言であって感情が無かったりというかむしろ
 完全にその宣言が阿良々木君にこそ向けて言われてたりとか、全く、なんて女なんだ本当に(阿良々
 木君風に)。
 ということで、改めまして。
 戦場ヶ原蕩れ。
 化物語が今一番語りたい作品だったりするかもしれない今日この頃、実に面白くなって参りました。
 
 
 
 さて、では今回はこの辺りで。
 さぁて、明後日のUpに向けて、明日からがっつり書くぞー。 
 
 では、ごきげんよう。
 
 
 
 

 

-- 090905--                    

 

         

                                ■■ 狼の嫌いなもの ■■

     
 
 
 
 
 『ぬしは今、わっちの立場になってなにが一番良いかを考えたつもりじゃろうが、
  それはつまり、ぬしがわっちにどうあって欲しいか、ということじゃ。』
 

                              〜狼と香辛料U・第九話・ホロの言葉より〜

 
 
 
 
 
 
 
 空が細い。
 今にも通り雨が吹き抜けそうな、凍てつく吹雪が舞い降りてきそうな、そんな静寂じゃった。
 曇天さの欠片も無いくせに、どこまでもひび割れたまま固まっていくようにして、その暖かい青空は
 筒抜けじゃった。
 なにもかも、この狭い路地にあるものが、その蒼穹の中に絞り込まれていく感触。
 手を触れれば、指先から飲み込まれていきそうな、感覚。
 それなのに、歩く場所は限られている。
 壁に手をやれども、その外には抜けられぬ。
 壁に爪を立て、傷を付け、わっちの通った跡を残しても、ただそうしてその町並みは、わっちの後方へ
 と取り残されたまま、ただわっちの視界からのみ消えていく。
 振り返り、振り返り、立ち止まり、懸命に前を向く。
 どうしても、足は来た道を辿らぬ。
 なにかをしようとするその力は、すべて前へと一歩を踏み出すその礎となり、なにかを言おうとすれば、
 それは過ぎ去っていく暖かい壁に、そっとわっちの残り香を塗り込むだけの絵の具となってしまう。
 それはまるで、わっちの描いた見事な絵画じゃ。
 なのに、わっちはそうして絵を描くたびに、その絵の中の世界から弾き出され、そしてひとり歩き出して
 しまう。
 なにしろ、わっちの目の前にその絵があるのじゃからの。
 わっちはその絵の中の世界に、想いを馳せるしか無いんじゃ。
 とろとろと燃える陽射しが、地獄の窯の温度を上げていく。
 道の脇に並ぶ壁に突き立てる爪の力に想いを込める。
 けれどその力は、そのままその壁を愛おしく抱き締める指先によって支配されている。
 傷付けようとも、わっちの跡を残そうとも、それはただ、それだけのこと。
 消えていく。
 わっちだけが、この絵の中から消えていく。
 
 吸い込まれるような絵に出会った。
 光り輝くよりも甘く優しく、それはなによりも柘榴のように紅く熟れながら、犇めいていた。
 黄金色に閉じたその庭は、庭として完結していながら、なぜかその前に立つものを引き込んでいった。
 その庭の中の住人にはなれなくとも、わっちはそのとき、その絵の中にわっちが描き込まれていくのを
 感じた。
 ミルクのように淡く溶けながら、チーズのように筆先に絡め取られ、そしてゆっくりと黄金に咲いていく、
 そのわっちのすべてを感じとった。
 足が震えるままに、靴先がきつく閉じていく。
 かさかさと揺れる衣擦れの音が、まるで他人事のように耳奥で囁いている。
 誰も黙ってはおらぬのに、ただ此処には静寂があった。
 長く、永く途切れぬ、金色に透かした鐘の音が、どこか遠く、この胸の奥底に響いていた。
 立ち止まる。
 振り返るのが、恐ろしい。
 指折り数える夢に浸りながら、ただ漫然と歩いている。
 焦りが、薄く引き伸ばされて、胸に張り付いておる。
 不安が、細切れにされて、指先に取り憑いておる。
 喋れば喋るほどに、なんのために喋っているのかが、わかるだけになってしまう。
 目の前の黄金の世界が、遠ざかっていくのを感じていく。
 とぼとぼと、隣の男と歩いとる。
 こやつは本当にロレンスなのかと、わっちはようわからなくなる。
 ロレンスという個の人格を持っていたものが、ただロレンスという名札をつけた、ただ壁に描き込まれた、
 わっちと共に歩く男の絵にしか見えのうなってくる。
 じゃのに。
 わっちは、ロレンスを求めてはおらなんだ。
 くるくると回るこの口が、回れば回るほどに、その男の絵に鮮やかさを加え、そして。
 わっちが前へと進むこの足の速度を上げているような気にしかならぬ。
 このままの勢いで歩き続ければ、もう、長くは持たないと、感じながら。
 わっちが死ねば、わっちもこの男と同じように、この壁の中に、この町並みの中に描かれていくことが
 出来るようになるのじゃろうか。
 
 ふつふつと。
 やがて収まっていくのが約束されたような、わっちの生の実感は、途切れがちになっとった。
 
 絵なぞに、描き込まれとう無い。
 じゃのに、わっちはいつのまにやら、力尽きとった。
 日々、その日暮らしよりも短い間隔で、今生きているための理由を作り、そして生きるための道具を
 磨くことに打ち込んどった。
 その理由と道具を背負って、隣の男にしがみつくばかりのわっちを、見とった。
 なぜじゃろう、どうして、力尽きとるのじゃろう。
 生きる理由と生きる道具に埋もれて、そして愛しく抱かれるままに、眠るだけじゃった。
 怠けている訳では無い。
 巫山戯ている訳でも、甘えている訳でも無い。
 誘っている、訳でも・・・・ないのかもしれぬ・・
 自らに問えばいくらでも噴き出てくる、その様々な言霊に耳を澄ませても、それが正しいのか正しく
 ないのかを見極め、それをわっちが身に纏うべきか否かを思考するだけになっとった。
 自己嫌悪など、もはや用を為さぬ。
 自らを厭い責めるのは、その苛む言葉の中身が正しいか正しくないのか、その事自体はどうでも
 良いのじゃ。
 ただ自らを責めることで、自らの嫌うものを真に明らかにすること、それそのものが重要なだけじゃ。
 じゃが、それとて・・・その明らかにしたものとわっちがひとつにならねば、意味を為さぬ。
 その言霊の真偽によって動かされる事は否定はせぬしむしろ肯定するが、しかし、動かされねばそもそ
 もその真偽を問うことに意味は無いのじゃ。
 今わっちは、こうして立ち止まりながら、あらゆるものの正邪を見抜き、そして、見抜くばかりじゃ。
 あのリゴロとかいう男と、大して変わらぬ。
 わっちが・・・・わっちが最近感じ取る、この気持ちはなんじゃろう。
 わっちは最近、ロレンスに追いつかれているように感じる。
 そしてわっちに追い付き追い越せと、必死に走るロレンスを、沿道にて手を叩きながら応援している、
 そのわっちが確かにおる。
 わっちは・・・・・ロレンスを、待っておったんじゃ
 ずっと立ち止まって、ずっと自らの歩んできた道の彼方からやってくる、そのロレンスを待っとった。
 そうしてわっちは・・・・・わっちを振り返ってばかりだったのじゃと・・・おもう・・・
 ロレンスが走ってきて、ロレンスがわっちに追い付いて、そしてロレンスがわっちを追い越す勢いで・・・
 頼もしさを感じる。
 それが嬉しいのは、なんでじゃろうか。
 走っているのはわっちだけでは無いと、その事を確認したからこその嬉しさというのは、嘘じゃ。
 わっちは、ロレンスに引っ張っていって欲しい。
 そうじゃ、それはわっちがわっちひとりでこの道を歩くことが嫌だったからでは無く、ただもう、わっちがこの
 道の中を、壁という絵の中の世界から弾き出されて歩くこと、それ自体がもう嫌になったからじゃ。
 忘れさせて欲しかった。
 わっちはひとりでは無いんじゃという呟きを満たす行為で、この道を歩くことそのものの苦しみを隠して
 欲しかったんじゃ。
 じゃから・・・・・わっちは・・・・・ロレンスを・・・・感じられのうなった・・・
 ただわっちの苦しみを忘れさせてくれる男、であるというわっちの愚かな認識を打ち消す自己嫌悪と
 いう行為に勤しむことでこそ、わっちはロレンスからロレンスというものを奪っていった。
 ロレンスが、走っていく。
 わっちを、置いて、いくばかりのその勢いで。
 不安になる。
 けれどその不安は、見事にその自己嫌悪に浸る、そのわっちへの罰だということになっている。
 わっちはわっちのその不安で、わっちをひたすら罰しておる。
 らくちんじゃ。
 自己嫌悪じゃろうと罰じゃろうと、それを指先で操りその上でぐっすりと眠ることなぞ、朝飯前じゃ。
 そして・・・
 
 
 そのわっちの手並みを、目の前のたわけな男の前で丁寧に説明し開陳するからこそ。
 
 わっちは、深く、安堵する。
 
 黄金色の絵画に吸い込まれたような、その感触に組み込まれていく。
 
 
 わっちはそれを止められぬ。
 それを止める力こそ、尽きとった。
 罰を得るのは、赦しを貰いたいからじゃというのに。
 わっちは・・・
 わっちは・・・・もう・・・・
 この絵の中に吸い込まれることを、許して貰いとうなっとった。
 そのためにこそ、罪を感じそれを罰するだけ。
 自己嫌悪など、底が知れておる。
 わっちはその、狡猾な狼を・・・・・止められぬ
 それはもはや怠惰では無く逃避では無く、貪欲なる孤独な狼の狩りじゃった。
 わっちを・・・止めてくりゃれ・・・
 その声を届かせるべき、その男の背は、もうずっと、先へと向けて走り出していた
 
 
 
 
 
 
 
 知恵を働かせ、それが実を結び、そして頭を撫でられる。
 そして、その一連の頑張りを伝えることで、抱き締められる。
 相手の裏の裏を見抜き、そしてそこに付け込み、自らの要求を突き付ける。
 わっちは、得意じゃ、そういうのが。
 甘え上手、誘惑上手、その他にも色々と上手なものはありんす。
 うむ、そしてなにより得手なのはな、それを相手にもさせる事が出来るということでありんす。
 わっちはの、わっちと相対したものにもの、わっちを見抜き、そして付け込み、要求を突き付けてそれを
 獲得して欲しいのじゃよ。
 むしろ。
 そのためにこそ、わっちはぬしらを見抜き、ぬしらにものを求めるのよ。
 わっちゃあ、ひとりは嫌じゃ。
 じゃから、ひとりを厭うておる、もしくはそれに気付いておらぬだけの者に、それを気付かせ、そして
 ひとりから抜け出す方法を与えたいと思うておる。
 それが、わっちの孤独からの脱出にも見事に繋がるからの。
 博愛じゃと? たわけ、指折り数えるほどに愛しいものが多いだけじゃ。
 わっちは、目の前の大切なものを、捨てたくないんじゃ。
 捨てないためにこそ、あらゆる方策を巡らし、そして執念深い忍耐を発揮する。
 捨てることの哀しみに耐える健気さなぞ、わっちから最も遠いものじゃ。
 くふふ、勿論ぬしがそれを求めておるのは見抜いておるからこそ、わっちはそれをたびたび悪意を以て
 演じてはおるがの♪
 わっちは、本当に大切なものを捨てることなぞ、絶対にどんな事があってもせぬ。
 いや、そうせぬためにこそ、わっちはずっと強く賢く生きてきたんじゃ。
 わっちには、大切なものが多すぎるからこそ、なかなかそうは見えんようじゃがの。
 じゃが・・・・・
 
 
 のう・・ぬし様よ・・・
 
 わっちゃあ・・・・そうして・・・・求めることの嬉しさを、続けていくしかないのじゃろうか・・・・
 
 
 嬉しいのじゃよ・・・嬉しい・・・それは本当じゃよ・・・
 ぬしとたわけに戯れ、洒落の利いた会話を愉しむのは、実に楽しい限りよ。
 それこそ綺麗に描いて、黄金の額縁に填め込んでしまいたいほどの、楽しい時間じゃよ。
 わっちはその楽しさを、どこまでも築き続けることが出来る。
 いや、量産できる、と言えようか。
 そしてわっちは、その量産品にひとつひとつ愛情を込めて、ひしと抱き締めることが出来んす。
 独占欲じゃの自己嫌悪じゃの、小作りに賢しらなことを述べよるぬしのその言い様にも、わっちは
 しっかりと、その中にあるぬしの誠実さと、そして。
 わっちへの思い遣りを深く感じることが出来んす。
 わっちゃあ、嘘は吐いておらぬよ。
 ぬしが見抜いた、わっちの裏の裏は、確かに表じゃ。
 じゃが、簡単なことじゃ。
 その表は、あっさりと裏に返る。
 わっちは確かにぬしに見抜かれた。
 じゃがの。
 わっちは、ぬしに見抜かれたかっただけじゃ。
 そしてぬしは、ではなぜわっちがぬしに見抜かれたかったのかは、まるで見抜けなんだ。
 わっちゃあ、それをこそ、見抜いて欲しかった。
 わっちゃあ、もう嫌じゃ。
 じゃからこそ、ぬしとの見抜き見抜かれの関係を続けるという事、その瞬間の連続を描き取り、
 ほんとうに、それを永遠で縁取り、そのまま永久に閉じ込めてしまいたくなっていたんじゃ。
 わっちゃあ・・・・・・
 
 
 
 

 わっちゃあ・・・・・それが・・・・・怖かったんじゃ・・・・っ

 
 
 
 
 ぬしとのやり取りを、嬉しいと感じる瞬間が、怖くて堪らないのでありんす。
 ぬしに褒められ頭を撫でられるその歓びが、この身を裂くほどに恐ろしいんじゃ。
 その嬉しさと歓びが、本物であるということを、誰よりもなによりも、わっちが知っているからこそ・・・・
 怖い
 一日、ロレンスと楽しく歩き回り話し尽くし、これ以上無い幸せに身を焦がしながら。
 その身を焦がす幸せが、地獄の業火に薪をくべていく、恐怖。
 一日が終わるのが、恐ろしゅうて、堪らぬ。
 ベッドの中に伏す、この胸の冷たさに焼かれてしまいそうじゃ。
 部屋を出て行くぬしを見送る、その健気なわっちの指先が、この喉を裂いてしまいそうじゃ。
 わっちは勝てぬ。
 いや、それよりなにより、よう戦えぬ。
 わっちは、ロレンスを独占したいが、独占するだけで満ち足りる狼ではありんせん。
 わっちは、自己嫌悪出来ぬほどに愚かではないが、自己嫌悪に陥るほど間抜けではありんせん。
 じゃが・・・
 わっちは・・・その貪欲で狡猾な狼としてのわっちこそを美しく磨き、そして黄金の額縁に埋め込んで
 しまうんじゃ・・・
 その絵の中にしか、ロレンスはおらぬ。
 そしてその反動でこそ、わっちは健気に固まりベッドの中で蹲る、そのわっちだけの絵の中に潜んで
 しまう。
 どちらも、絵じゃ。
 孤独じゃ。
 美しく、暖かく、清く、永遠で、なんとも優しく、嬉しく、また楽しく。
 そして。
 甘い。
 
 
 
 

『良い夜じゃ。』

 
 

笑顔が解けて、必死にその上にさらに笑顔を塗り込んでいく。

そのための嬉しさという名の絵の具は売るほどにある。

本当に楽しいんじゃよ・・
幸せじゃ
嘘などどこにも無く
萎れる笑顔もどこにも無く
けれど
確かに
 
その甘い夜は
 
辛い塩水に どっぷりと浸かっておった
 
 
 
 
 
 
−  幸せであり続ける物語しか  −
 
− 此処には無いのじゃろうか −
 
 
 
 
 
 
 幸せを持て余して受け取れぬほどに不器用では無いのにの・・・
 幸せをどこまでもいつまでも求め続けられるほどにわっちは強く賢いのにの・・・
 なにより・・・本当に・・・・幸せを感じているんじゃよ・・・
 ロレンス・・・ロレンス・・・・
 ひしひしと、小刻みに、叫びを埋め込んでいく。
 戯れの連続を続けながら、本音という名の嬉しさを与えながら。
 わっちは・・・・消えていきそうじゃ・・・・・
 わっちは・・・もう・・・・・そこから・・・抜け出せぬ・・・・・・
 助けて・・・・くりゃれ・・・・
 笑顔のままに幸せのままに死ぬのは・・・・・・・・・・・嫌じゃ・・・・・
 
 
 手を伸ばす
 無造作に、たった一度も疑われぬように、無造作に
 たとえいつもと同じと思われようとも、たとえいつもと同じと思われようともとしか思えぬ自分の弱さに
 勝てぬままにも。
 手を伸ばす。
 そっと、手を伸ばす
 気付いて・・・くりゃれ・・・
 見抜くだけなら・・・・ぬしも・・・わっちも・・・・消えていくだけじゃ・・・
 なにも・・・・・よう言えぬ・・・
 どんどんと、力が抜けていきよる
 言わねば・・・・言わねば・・・・・叫ばねば・・・・
 そしてそのわっちを・・・・・・わっちの幸福が・・・・・・・・犯していく・・
 
 
 
 こわい
 
 
 『今のところ、なにもかも順調だろ?』
 
 ロレンスは、そっと頭を撫でてくりゃる。
 
 
 
 
 

『わっちがこわいのは・・・』

 
 

『わっちが怖いのは、こういうこと。』

 

『わからぬか?』

 
 
 
 わかって貰っては困りんす。
 『わからなければよい。いや、ぬしまでそれに気が付いたら、ちょっと困るかもしれぬ。』
 わっちがわっちの描いた絵に入ることが出来なくなってしまうのじゃから。
 ぬしは大事な、絵筆。
 わっちをわっちの絵の中に描き込むためのじゃ。
 そう思うわっちを、わっちはもう止められぬ。
 わっちはただ、ロレンスを独占することで、ロレンスに頼り切る孤独に逼塞したくなかったがために、
 ロレンスと肩を並べて街の中の道を歩くがために、自己嫌悪を保ち続けようとしていただけじゃのに。
 そのわっちの意志は・・・もう・・・・・
 ロレンスに魅せるためだけの、ロレンスにわっちを甘い絵の中に描き込ませるためだけの、そんな淫らで、
 そしてなにより塩辛い、孤独な絵の具にしかならぬのじゃろうか・・・・
 
 
 『俺は、独占欲に自己嫌悪している娘が好きらしい。』
 
 
 目の前の男に、そう言わせて、そしてゆっくりと背を向けさせることしか・・・・わっちには・・もう・・・
 
 
 
 
 
 その夜。
 わっちは、ひとりで滾々と眠った。
 誰もいない、ロレンスのいない部屋の中で。
 初めて、耳を閉じて、眠った。
 男を送り出した健気な女のぬくもりのままに。
 
 誰も おらぬのに
 
 
 煌々と 狼の安らかな寝息だけが ただ 聴こえとった
 
 
 
 
 
 
 
 こんな世界は
 
 
 
 
 嫌いじゃ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ◆ ◆
 
 全編。
 是狼の嘘なり。
 
 ホロは今回、ロレンスに対して嘘を吐くことと、冗談としてしか聞かれない事を計算に入れた本当の
 ことしか語りませんでしたし、文字通り今回のお話は全編是ホロの嘘で成り立っていました。
 涙など、出ませんでした。
 ただ。
 ただ。
 ホロの嘘の凄みに、打ち負かされていきました。
 そして・・・
 
 なんでしょうね。
 なんだかもう、私がホロのことがわからないということほど、あり得ないものはないというのがわかっていく
 ばかりでした。
 逆にいえば、なんというか、やっと気付いたというか。
 ホロにしろロレンスにしろ、それを見つめて感じて考える際に一番必要なものは、「自分」でした。
 なんでしょうか、この感覚。
 わからないものなんてなにひとつない、答えはすべてこの胸の中に犇めいているという、この感触。
 ホロを「読み解く」ことには、あまり意味が無い。
 というよりも、ホロの嘘というのは、まさにそこをこそ突いてくるのです。
 ホロは、自らの語った言葉を、ホロという姿を相手に読み解かせることで、自らそのものを隠すという、
 そういう手並みを持っています。
 そして、読解の「正解」を相手に教えることで、相手を信頼させ、そしてその結果として、その読み解か
 れた物語を提出した、張本人のホロそのものは、永遠に隠蔽される。
 前回のエーブの手並みの比では無いほどの、その圧倒的なそのホロの嘘。
 そして。
 私は。
 そうして、懸命に嘘を吐きながら、その嘘を吐き続けることに縛られている、
 その嘘の手前で、ひとり寂しく立つ、その狼を、見ていました。
 そのホロの顔が、もう・・・・
 今回の感想の中で、「幸せであり続ける物語」というフレーズを使いましたけれど、これはこれから
 発売される狼と香辛料Uのサントラのタイトルからの引用です。
 その言葉を見たときに、私はもう、どうしようもなくなってしまい。
 そして。
 このサントラ紹介のページの、このホロの表情を見たときに。
 
 まるで雨のように体の中に降り立つ涙を、感じてしまいました。
 
 笑っていないのですね。
 哀しみに耐えるかのように、そっと笑うこともないのですね。
 悲しい。
 ホロのこの顔は・・・・・・・どうみたって、悲しい顔です
 寂しさでも無い、はっきりとした、悲しみの表情。
 悲しみに囚われているよりも激しく、悲しいとその瞳で叫んでいる。
 ロレンスが、独占欲と自己嫌悪というワードを使って読み解いたものは、ただホロが提出した、ただ
 ホロの姿というそれそのものにしか過ぎない。
 『雄というのは本当に阿呆な生き物じゃのう。
  雌が嫉妬して苦悩して、自己嫌悪で可愛らしくめそめそしているのにそそられるのじゃろ?
  そしてそこへ優しく差し伸べた救いの手に縋って欲しいと。』
 これ、大変見事なツンデレ否定な訳ですけれど(笑)、しかしこれは同時に、そして雌もまたそれを
 見抜きながらも差し伸べられた手に、よよよと健気に縋る自分を楽しむ阿呆なものよ、という、
 これはロレンスのためのホロの言葉が無言で用意されてもいるのですよね。
 そのとき手を差し伸べて『ほれいくぞ。』と前を向いて歩いていったのは、ホロでしたしね。
 ホロはこのロレンスとのやり取りこそが、楽しい。
 それは事実。
 けど・・・
 
 それだけしか、本当に無いんじゃろうか・・・
 
 そうやって、見抜き見抜かれして続ける戯れは、確かに楽しい。
 自らを弁え、自らを戒め、そしてその上で知恵を働かせ、手練手管を繰り広げるのは、無類に楽しい。
 そういうことが出来ることが堪らなく嬉しいですし、そしてそうすることが許されているということに、その
 絶え間無い連続の中に、幸せを感じている。
 でも。
 それらは全部、ホロ自身が造ったものです。
 ロレンスに独占欲と自己嫌悪というワードで読み解かせたのは、他ならないホロです。
 なにしろ、あからさまに嫉妬している自らの姿を、ロレンスに魅せていたのですからね。
 そうすれば、ロレンスがホロが抱えている「苦悩」がそれから端を発していると「見抜き」、それに基づいた
 賢い解決法を示そうとする事は、簡単に想像がつきます。
 嫉妬しているのは、事実。
 けれど、ホロの苦悩は、その嫉妬から発する「苦悩」で出来ている訳では無い。
 しかしホロはそうであるからこそ、その嫉妬から発した「苦悩」をロレンスに見抜かせ、そして男の欲望
 のままに(笑)、それにそっと優しく手を差し伸べさせる愉しみを与え、そして自身もその手に縋ってやる
 愉しみに浸るのです。
 ホロには、その愉しみを続けていくことし無い。
 そしてそれこそがホロの苦悩、いえ、ホロの悲しみなのです。
 けれどロレンスは、ホロの提出した嫉妬の物語の読解のそこそこの「難しさ」にこそ、そこにホロの本質
 があるとそれこそ身勝手に見抜き、そしてそれに対してホロがすらすらと正解を述べたことで、ロレンス
 はその自分の見抜いたものが正しかったと感じ、そのホロとのやりとりに満足してしまうだけ。
 そして。
 そのたわけなロレンスの愉しみをホロはいつものように一喝する訳ですね。
 このたわけ、ツンデレ萌えも大概にせぬか、と。(笑)
 そこで赤面しながらも、だからこそロレンスはそうして自らの導き出した答えが、ホロによって見抜かれて
 いたことから修正を図り、そうして修正を図れる自分を与えてくれる、そのいつものホロの姿にこそ、
 完璧に安心してしまうのですね。
 
 それが、凄腕の嘘吐きたるホロの、最強の嘘だとも気付かずに。
 
 ホロがなにも喋らない陰鬱な顔を心配していれば、ロレンスがそれに気付かない訳は無いです。
 ホロが文句ひとつ言わず笑顔で明るく本気で健気に振る舞っていれば、ロレンスも怪しいとすぐに気付
 きます。
 けれど。
 軽快に楽しげに、そしてたっぷりといやらしくロレンスを虐めるいつものホロなれば、それに疑問を抱く
 ロレンスは、いないのです。
 だからホロがロレンスを騙すのは、簡単です。
 いつも通りであればいいだけなのですから。
 そして。
 
 いつも通りのこの生活のまま、そのまま時間が止まり、額縁にでも埋め込まれてしまいたくなるホロ。
 
 悲しいですよね。
 幸せであり続ける物語を、自らが描き続けていかなければならないだけだなんて。
 前々回のお話で、ロレンスはホロに、自分が狼狽えるのはホロがなにもしなくなったらだ、と言いました
 けれど、それは確かに幸せを描き続けるためには大変嬉しい言葉ではあるのですけれど、それは
 逆に、幸せであり続けること自体を変える事には、なんら寄与しない。
 そうですね・・・なんて言ったらいいのか・・・
 ホロは、そういう意味で、今、徹底しているのかもしれません。
 私には今、ホロが心底悲しんでいるのを感じています。
 そして。
 それは、ホロが本当に、いえ、今までの本当と言っていたそれよりも、さらにもっと深く本当に、
 幸せに生きたくなったからなのではないでしょうか。
 だから、だからこそ、今ある幸せのすべてが、ただ幸せという名の絵にしか過ぎないことを、ホロは
 感じたのではないでしょうか。
 幸せというのを対象化したのでしょう。
 そうじゃ、幸せを求めるだけなぞ、もう嫌じゃ!
 それでは足りぬ、全くもってよう足りぬ!
 私は、ホロの悲しみが深ければ深いほどに、ホロはもう、今までとは比べ物にならないほどの、そして。
 より本当にホロが欲しかったものを手に入れられるようになるのかもしれないと、感じています。
 今ホロは、こうして幸せを求め続けることしか無い、そのために強く賢くある自分がいる、この「世界」
 を嫌って、いっそのこと最高に輝く幸福の瞬間を切り取り描いて、黄金の額縁に埋め込んで、その
 絵の中にこそ生きたいと、そう願ってしまう自分に、全力で負けているのです。
 幸せという絵の中に、引き籠もりたくなってしまっているのですね。
 でも、それは本来ホロが望んでいたものでは無く、そして現在今この瞬間にも、ホロが真に望んで
 いるものでも無いのです。
 ホロは、歩きたいのです。
 けれど、歩くしかない、歩くべきだ、歩くことこそ正しいのだと、そうとしか思えなくなっている自分に
 よって、その歩く力そのものを奪われてしまっているのです。
 怠惰で狡猾な孤独の狼が、それを行っているのです。
 しかし。
 
 
 私には、よくわかるのです。
 
 ホロが、あくまで賢狼である、ということが。
 
 たとえ賢狼がみえなくなっても、その姿を失ってしまっても。
 ホロが賢狼であるということは、絶対だと、どうしようもなくわかってしまうのです。
 
 
 ホロが悲しみの深みに臨むのは、なんの目的があっての事でも無い。
 ただ無性に悲しい。
 そしてその悲しみの狼のままに、順々に生きていってしまいそうな怖さがあります。
 ロレンスが世は事も無しとばかりに笑顔でいる限り、ロレンスと上辺の喧嘩しか出来ぬその自分に
 恐怖し、全くその恐怖による支配の中で生き延びてしまう、飼い慣らされた狼の姿さえ見えます。
 でも。
 どうしてかな。
 確かに悲しくて、どうしようもないほどで、それが本質であることは疑いようが無いのに。
 
 ああ。
 私。
 ホロのことばかり見て、自分を、私を見てないな、と、そう、「気付いて」しまうのです。
 
 「私」抜きでホロを見ているからこそ、それこそロレンスばりにホロを、このホロをこそツンデレとしてしか
 見れないのです。
 ホロが、悲しみだけの狼であると、本当に思うの?
 ぬし、ぬしならどうじゃ?
 ぬしなら本当に、悲しみに囚われるだけで済むほどに、無欲で怠惰な己で生きられると思うのかや?
 
 

絶対、絶対にあり得ぬ!

 
 
 ホロの悲しみを理解する事と、ホロを理解する事は、全く別のことです。
 ホロの悲しみだけを理解し、それを取り出し悲しい絵を描き、その絵の登場人物として健気なホロを
 見るならば、それはまさにツンデレ萌えです。
 ホロは、その健気なツンデレとしての少女を見つめている、賢く強く、そして美しい狼なのです。
 その健気で可憐な少女を演じる愉しみを、それを演じていると見抜かれようと見抜かれまいとに
 関わらず、それを楽しみ続けるだけのことは、悲しい。
 そして悲しいからこそ、いっそのこと本当に、そのツンデレ少女になってしまおうかと、ホロは感じてしまう。
 頑張るしか無いから。
 そうするしか、無いから。
 仕方が、無いから。
 それで満足すべき、だから。
 それが。
 人間だから。
 
 その人間の哀しみに、ホロは今染まっているのです。
 そして。
 孤独の森から人の間の世界に出てきたのに、こうして幸せな孤独に染まってしまうことが。
 悲しいのです。
 
 そして。
 だから。
 
 
 ホロは、それこそを、まさにそれこそを打破するのではないでしょうか。
 
 
 ホロは今、確かに、そう、確かに人の間の世界を生きる「人間」になっています。
 ちゃんと、人間として哀しんでいるのですから。
 そしてそれは、ホロがなにより望んでいたことではないですか。
 そして、その人間の哀しみのあまりの威力の大きさにこそ恐怖し、そしてそれでもまだ生きている
 自分に、その現実という名の「物語」にこそ悲しみを感じているのです。
 このたわけ。
 その悲しみこそ。
 わっちが最も乗り越えるべき、いや、わっちが乗り越えてこそのものじゃろうが!
 現実は、変えられる。
 いえ、変えるからこその、現実という名の物語の価値です。
 ホロは賢狼であり、そして。
 神でもあるのですよね。
 豊穣を司る神、狼神の賢狼ホロ。
 そして、麦束尻尾のホロウと呼ばれ、所狭しと自由自在に、圧倒的に豊かに遊び回った、
 そんな「物語」の主人公なのです。
 ええ。
 
 ロレンスにとって、いえ、なにより私達にとって。
 その物語が、そのホロが、希望と目標に見えないなんてこと、あるでしょうか?
 
 そしてまた。
 ひとりのホロもまた、その賢狼としての神たる自分を、感じずにはいられないのです。
 
 ホロの悲しみが深ければ深いほど、長引けば長引くほどに、私にはそれが「溜め」に感じられます。
 ホロの悲しみはつまり、その深さと長さによって、まさにそれで捉えた現実という名の「物語」を標的と
 して確かに変えるためにこそ、その価値がある。
 ホロの悲しみがあるからこそ、変えるべき、変えられる世界が顕れてくる。
 こんな世界は、嫌いじゃ
 そう呟いたのが神様ならば。
 それで変えられない世界が、ある訳も無し。
 少しでも、ほんの僅かでもなにかを「変えた」ことがある人なら。
 ホロのこの悲しみの意味が、わからないということは無いでしょう。
 私には、「私」がいる。
 「私」という名の神が、確かに、この胸の中で息づいています。
 好きこそものの上手なれ。
 幸せが好きだからこそ、幸せを深めそれを続けていくことが出来る。
 そして。
 嫌いこそものを変える力たれ。
 幸せが好きなのだから幸せであり続ければよいと、それが嫌いだからこそそれだけの世界を変えていける。
 ホロが悲しんだ分だけ、変われる世界の規模は大きくなる。
 ホロが嫌った分だけ、変わる世界のその豊かさは増していく。
 貪欲な狼が、それを見逃すはずも無い。
 その狼を身勝手に信じてひとり先に走っていくその男の背をみつめる、その悲しい瞳をしたホロが。
 その男に追い付きその手に噛み付く事が、出来ないはずも無い。
 
 なにせ、ホロは賢狼なのですから。
 
 少なくとも私は、私の中の「神」を、いえ。
 私の中の、孤独の狼を、信じることが出来ています。
 傷だらけになりながら少しずつ形を変えていく、その唯一無二の自分として、ね。
 
 そして。
 それがホロもまたそうだと思い、またそれでこそホロだと見ている私はつまり。
 そうホロにあって欲しいと思う、その逞しいホロを健気に演じているホロの姿を求めているという、
 そういうツンデレ萌え狂いなのでしょうね。 (笑)
 でもま。
 ホロはたぶん、そうして求められることに幸せを感じていることは、紛れも無く、本当なのですよね。
 その幸せを求めること自体は、勿論嫌いでは無いのだと、私は思います。
 なにせ、ホロもまた、ロレンスとそして私達人間に、沢山のものを求めているのですから。
 そして。
 そのホロが求めているものがなんであるか、私達にわからないということは無い。
 ホロは、私達が諦めてしまいがちなものを、きっとただ、諦めないでくれるのですね。
 そしてだから、ホロの悲しみをただの「甘え」としてだけ捉えて、自己責任で頑張っていくだけだと息巻く
 事は出来ても、いえ、出来る「私」だからこそ、その甘さが塩水で出来ていることが、なによりもまた、
 わかるのですね。
 
 
 
 と、いう辺りで今回は終わりと致しましょう。
 ひとつひとつの会話というホロの嘘も、逐一解説してみたかったのですけれど、時間切れです。 (笑)
 ほんとこの作品に於ける、知恵と洒落の利いた会話というものの重要性をまざまざと示してくれた回
 でしたしね。
 確かにこの作品は、各会話を読み解くだけでも、一本感想書けちゃいそうですよ、まったく。 (溜息)
 萌えポイントは、そうですね、随所で魅せるホロの「本気」の表情のひとつひとつですし、それがひとつ
 ずつ堆積していくことで、あのベッドから手を伸ばして「怖い」と呟いた、あの表情の重さ深さそして
 凄まじさを感じられるところですね。
 今回はまさにホロの表情で語られていたお話でした。
 それと、珍しく色っぽく服を捲れあがらせ甘い吐息で寝転んで、ロレンスをときめかせておきながら、
 そのままばったりと俯せに間抜けに転がって幻滅させてみたりする、その嫌な狼っぷりに拍手。
 ほんにようやる。 (笑)
 そして、それも含めてすべてホロの嘘だというのが、今回のお話の、そのホロの最大の悲しみでも
 ありました。
 
 
 それでは、この辺りにて。
 ロレンスが完全に圏外に行きかけていますけれど(笑)、ラストのエーブのあのホロを売らないかという
 衝撃発言を受けて一体どうするのか、そこから一体どうやってまた、ロレンスがホロと繋がっていくのか、
 その辺りからこそ、是非まず期待して観ていきたいと思います。
 ホロの真に迫る悲しい頑張りはなんのためにあるのか。
 それにいつまでも気付けない、我らがロレンスではありますまい。 (微笑)
 
 ではまた次週、お会い致しましょう。
 今回はもう、なんかもう、今からごっそり泣いてきます。 (涙)
 狼万歳! そしてホロの願いの成就せんことを。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
                              ◆ 『』内文章、アニメ狼と香辛料U」より引用 ◆
 
 
 

 

-- 090901--                    

 

         

                               ■■七年、一週と一日■■

     
 
 
 
 
 ごきげんよう、皆様に愛されてはや七年と一週と一日の魔術師の工房管理人、紅い瞳で御座います。
 
 
 ごめん。
 前回の七周年のときは上擦りすぎた。
 ごめん、ほんとごめん。
 一週間と一日過ぎて、ほどよく熱も冷めたというか、冷静になってみたらなにも書けてなかったって
 いうか、拍手の催促しかしてないよね?これ、べ、べつにあんた達なんていてくれるだけでいいんだから
 ねっとかツンデレなだけじゃないかこれ、みたいな。
 あ、拍手ありがとねん、あれから明らかに私の催促に応じた感じの微増で御座いますよ、でもなんと
 なく、べ、べつにあんたに言われたから拍手した訳じゃないんだからねっ、みたいな慎ましいツンデレ感
 触もあったりなかったり妄想していたりして、割と素敵なあれからの一週間と一日を過ごさせて頂きま
 した。
 この微増っぷりに、萌えた。 (ぶっちゃけた)
 これは、べ、べつにもっと目一杯拍手して欲しかったって訳じゃないんだからねっ、という意味では無くて、
 このちょっぴり恥ずかしさ混じりの控えめな、けれどこっそり自己主張も忘れない感じがいいのです。
 もうなんかツンデレを持ち出すと訳がわからなくなるレベルに到達してきている、今日この頃の私です。
 七年間、本当にありがとう御座いました。 (微笑)
 
 
 まぁ落ち着け。
 
 
 うむ、落ち着け。
 今日はちゃんと話す、ちゃんと話すから落ち着いておくれ。
 まだなにを話すのか決めていないけれど、落ち着いとくれ。
 ・・・。
 んー、なんというか、魔術師の工房の歴史とか、話す?
 歴史とかっつったって、ただ適当にやってきただけの気がするのですけれど、誰も気のせいだとは言って
 くださらない正直者揃いですので、ええ、適当でしたねと、笑顔で言い切ってしまいます。
 魔術師の工房は、適当の歴史で成り立っています。
 適当で、いい加減で、だらだらまったり。
 んー。
 ある意味では、私がやりたかったことを見事に達成している感じではあります。
 そうね、志?、そういうのが無いとは言わない。
 うん、魔術師の工房ってネーミングは、まぁ、とにかくなにものにも囚われない、新しくかつ不思議で、
 そして自由な発想でなにかをやっていく、そういうものを作り出していく場、という意味で、魔術師の
 工房という名を背負ってる。
 と、いう後付けで名前に理由付けをしているだけで、最初は大昔にノートに走り書きした、嬉し恥ずかし
 のオリジナル小説の設定段階でつけた、そのタイトルから取っただけなんだけどね、まぁよくある香ばしい
 ファンタジーなお話なので、完全に黒歴史というかもう焦土と化しましたけどね、燃やした。 (ぉぃ)
 うん、それで、まぁ一応恥ずかしい自作小説のタイトルから取ったとはいえ、そうして付けた名前を
 名乗る以上、それを名乗る主体として、やっぱりその意味を込めたいんだよね。
 だからまぁ、魔術師的というか工房的というか、そういう訳わかんないけどとにかく複雑多様な、色んな
 ものを自由に無限に作り出していく場として、この魔術師の工房というサイトは此処に在る。
 それは、たんに私の書く文章だけで出来ることじゃ無くて、他の訪問者の方々や、そしてこのサイトが
 存在することで生じる様々なものを、それをトータルに含めたものの中で生まれてくるものから出来て
 くるものだったりする。
 
 だからなんというか、すーっと、肩の力が抜けてくるというか。
 
 あんま拘ってないというか、なるようになれというか、あとは野となれ山というか。
 基本的に、たとえこのサイト上で私がこのサイトはこういうものだと定義して頑張ったところで、それも
 またひとつの、この魔術師の工房という場の中で作り出されてきたものにしか過ぎない。
 「紅い瞳」っていうのも、なんかそういう感じなんだよね。
 最初は、まぁ某御方が強靱に主張しておられますけど、紅い瞳は某包帯少女の瞳の色から付けた
 名だということですけど、ええと、それは違います。 違うって言ってるでしょ! (力説w)
 というか、正解といえば正解。
 「紅い瞳」の名の由来は、その某包帯少女だけでは無い、他の紅い瞳をしたキャラ全体から取った
 ものです、というか紅い色の瞳をしたキャラに好きなキャラが多かった、というだけですけど。
 だから、今でもほいほい出てくる紅い瞳のキャラには、俄然萌えて頑張る、この紅い瞳がいる訳。
 んで。
 だからその「紅い瞳」という名前にも後付けに由来というか、いやこれもう由来というより、現在その名
 になにを託して感じて考えているのか、ということになると思うのですけれど。
 うーん、なんというか、紅い血の通った思考、みたいなものかな?
 怨みとか憎しみとか、愛とか哀しみとか優しさとか、そういうものを論理で書き出しながら、その論理
 を使うものの瞳には、紅い光が灯っている。
 論理で書き出したものを、それを生きている者の瞳は確かに紅くて。
 私のアニメの見方って、基本的にそうですしね。
 理屈か感情かという二元論じゃ無くて、理屈を唱えている者の感情はどうなっているのか、その感情
 を持つ者が唱える理屈自体の価値はどういうものになるのか。
 別の言い方をすれば、瞳の紅さというのは、たんに感情そのものを表すのでは無く、そうした感情と
 理屈によって生きている、その自分こそを見つめる荘厳で残酷な、「孤独」の眼差しの顕れ、という
 見方も出来る。 逆にその眼差しに見つめられているという自らの哀しみという主体そのものとも。
 紅い瞳って、例外も沢山いますけど、人外つまり人にあらざる者に多い感じですしね、キャラ的に。
 とまぁ、色々と考えられるし感じられるし、そういう私の発想の出発点として、この「紅い瞳」という名は
 常にあったりしてる。
 
 そしてその「紅い瞳」も、この魔術師の工房の中では、その中で作り出されていくもののうちの、
 そのひとつでしか無い。
 
 うん、私は「紅い瞳」以上にも以外にもなれないけれど。
 この魔術師の工房には、私以外の存在と可能性が沢山いる。
 ある意味ね。
 「魔術師の工房」っていうのも、「私」なのよ。
 「私」の中には、私以外の沢山のものが犇めいている。
 だから、私は私に囚われる必要なんか無いし、でも逆にだからこそ、他の物達が豊かにいるからこそ、
 私もまたその中のひとりとして、その私に拘ることが出来るのかもしれないんだよね。
 そうしたときに、「魔術師の工房」は、わざわざそれも「私」だなんて気持ち悪い事を言わずに、
 ただ誰にも開放されてある、Web上に浮かぶなんかだらだらしたヘンなところ、という位置を得られる
 のじゃないかな。
 だから皆様が適当にまったりしに来てくださって、気兼ね無くだらだらしていってくださるからこそ、私に
 とってこの魔術師の工房というのは、主体という「私」では無く、サイトという「場」になる。
 その「場」としての魔術師の工房の上で、「私」というこの紅い瞳めが、皆様と同位置で適当に遊んで
 いるので御座います。
 たぶん。
 
 
 
 さて、たぶんとか言い出した辺りで、割と綺麗にまとまったので、取り敢えず終わらせてみた、という感じ
 が満々としているのですけれど。
 終わらせてみた、という辺りに自己満足さが窺えますね♪
 はい。
 すみません、調子乗ってオチをつけてしまいました。
 ゴールが見えたらシュートを打てみたいな感じで、取り敢えずミドルシュートを打ってみた感じです。
 がっちりとキーパーにキャッチされて、やるなおぬし、ふふおぬしこそ、と言う感じで視線で語り合ってる
 感じです。
 そういうアホの頭を、チャンスを無駄にするんじゃない!と、ぽかりと殴ってくれるキャプテンが今必要
 です。
 つくづく、ツッコミのありがたさを感じている、今日この頃のボケで御座います。
 で、まぁ、なんか今回もあんまり語れてないなぁというか、前回は拍手の催促で今回はツッコミの催促
 かいみたいな、あー。
 アニメの話でもする? (ぇー)
 うん、する。 (ぇぇー)
 
 で。
 まぁ、ウチとこのこのサイトとアニメは、そもそも切っても切れない間柄で御座いまして。
 チャットにて遊びに来てくださっている方々も、元はアニメのファンサイトとで知り合った方ばかりですもの
 ね。
 と言ってしまうと、ROM専の方々もそうだと決めつけてしまうことになりますし、たんに私目当てで来て
 くださっているのかもしれないですし、虎視眈々と告白の機会を狙っいやもういいですか、とにかくまぁ、
 アニメ限定と言ってしまうとまずいし私も嫌なのでそうは言いませんけれど。
 少なくとも、私はアニメで頭が一杯です。 もう少し頑張りましょう。
 やー、確かに。
 アニメで一杯かどうかはともかく、この日記でもずっとアニメの感想を書き続けてきましたものね。
 最初は灰羽でしたか。 灰羽連盟。
 私の初アニメ体験自体は、それこそ大昔過ぎて覚えてませんし、今とは全然違うスタンスで見ていた
 のだから比較する意味は無いのですが、少なくとも今と同じスタンスで初めて観たのは、そして何年か
 ぶりにアニメに復帰した作品は、「もののけ姫」でした。
 ・・・。
 まぁ厳密にいうと、今とは少しスタンスが違うというか、最初はあまりの映像の美しさに取り込まれて、
 ああでも、そのあと歴史とか民俗とかそういう「読み解き」作業でも観て、そういえば評論系の雑誌
 とかも買って読んでましたねぇ、宮崎駿繋がりで他の作品にも手を出したり、トトロのぬいぐるみとか
 まだ部屋にあるよw、で、そういう意味では、それは劇場アニメとしては初であり、けれどテレビアニメ
 としては、エヴァが最初でした。
 エヴァ、新世紀エヴァンゲリオン。
 そして、それは再放送でして、んで、再放送で無いアニメで、最初から最後まで観たアニメの一番
 初めは、NOIRでした。
 今チャットに遊びに来てくださっている方々は(ROM専の方を除いて)、このアニメの某ファンサイトで
 知り合った方々ですね。
 
 で。
 そのあといくつかアニメを観て、そして。
 一番最初に、連続して感想を書いたのが、灰羽でした。
 
 それに、私にとって灰羽は、私自身が自ら選び出し、そして私自身が価値付けを私の中で行って
 いった、その最も初めの作品でした。
 だから、思い入れも半端無かったw
 感想も泣きながら書いたしw、鑑賞会も泣きながらやってましたしww、泣きながら泣いてましたwww
 ぶっちゃけ、初めて授かった子供のようなものでした。 (ぉ)
 そうですよねぇ、ウチとこの日記のアニメ感想の始まりは、この作品の感想なのですものねぇ。
 最初はあらすじだったんですよね、そう、どこを大事と見て抜き出すか、そしてそれをどう「見る」か、
 基本構造はこれは今も変わっていませんね、だいぶ形は変わりましたっていうか原型留めてないけどw
 チャットでもBBSでもメールでも色々ご意見ご感想を頂いて、そういう意味ではアニメ感想書きとして
 は祝福されすぎな幸せすぎる船出でした。 (しみじみと)
 そしてその次に余勢を駆って書いた魔法遣いに大切なことで大コケにこけてw、けれどその次のテクノ
 ライズで復帰w
 復帰というかなんというか、あの難解な作品の御陰で、食い下がって諦めずに書くということを覚えた
 んですよねぇ、その結果かどうかは知りませんけれど、いくつかのサイトで取り上げて貰った(報告はされ
 ませんでしたけどw)事もあり、まぁ私はがむしゃらだっただけなのであまり実感は無かったけれど、
 取り敢えず感想を「読まれる」嬉しさを覚えたものです。
 灰羽のときは、ずっと泣いてたので正直わからんかった、すまんwww
 そのあとにもちょこちょこと単発的に書いていって、灰羽の感想も終わったあとにたびたび書きましたし、
 あ、今一応過去ログ見ながら確認してますw
 私がそんな昔の事素で覚えているはずないので。(ぉぃw)
 で。
 そっか、人魚の森とガンスリの、二作品同時感想の執筆を初めてやったのか。
 人魚の森は結構ひねくりまわしていたというか、まぁあまり覚えていないのですけど、結構無理矢理感
 があった気がw
 ガンスリは逆に、たぶん初めて感想を書くということの「愉しみ」を感じた作品だった気がします。
 比喩表現を多用してそれをメインで書いたのは、この作品からだったと思う。
 そして次が、マリみてですか。マリア様がみてる第一期。
 これはもう・・・・なんか色々と下地を作った作品ですね。(なに)
 その後の日記やチャットでの挨拶に「ごきげんよう」を取り入れるようになったりと、まぁその、色々と
 広がりました。
 ある意味、この作品がそれまでの作品の中で、一番世間的に人気のある作品(のアニメ化作品)
 だったですし、ですから他のサイト様やらを読み漁ったり浸ったり精神的に繋がったり実際同盟したりとか、
 まぁまさにひとつの大きな流れに関係して乗った感じでしたね。 ウチとこも感想少々頂けましたし。
 
 ちょと一段落。
 なんかこのまま最後まで書きそうな・・・ま、いいか(ぉぃ)
 
 で。
 次は、すてプリことスクラップドプリンセスと、マドラックス。
 すてプリはケーブルでの再放送だったので、それこそ誰も観ていない中で、ふんだ、誰も話し出来なくて
 も感想読んでくれなくてもいいんだもん、と、今思えばこの頃に私のツンデレは芽生いやもういいですか、
 とまぁそんな感じで独りで抱き締めるようにして感想を書いていたのですけれどw、嬉し幸せなことに、
 メールで継続してご意見ご感想をくださった方が、しかも複数いらっしゃいまして、あのときは嬉し幸せ
 というより嬉し恥ずかしでしたけど、とても心強かったのを覚えています。
 あの方達はまだウチとこを見守っていてくださるのでしょうか、みんな見てる?(手を振ってw)
 マドラックスは、初もなにも唯一のツッコミ感想。あれは面白かったw
 私が書いてきた感想の中で、一、二を争う苦行な執筆でしたけどw書いても書いても終わる気が
 しなかったものねwwそんな状態で変態とかもうねwww
 チャットなどでも一緒に遊んでくださる方々もいて、大いに勇気づけられ、というかむしろあんた達そんな
 に弾けて大丈夫?と逆に心配してしまいましたけどw、とにもかくにも、面白くかつ楽しい感想体験で
 はありましたね。
 で、そうか、そのふたつにさらに月姫の感想も同時に書いてたのね。 我ながら呆れもといすごいなぁw
 月姫は初の評論形式、に近い形で書いてw、そういえばマドラックスは初のツッコミ形式で、すてぷり
 は初の完全一人称ですべて書き切った形式でしたね。
 それまでのは、基本あらすじ形式でそれを応用した型でしたけれど、そっか、この辺りで色々イジり
 出してたのね、私。
 で、そのあと月姫と入れ替わりでマリみて第二期を書き始めて、マリみて熱を再燃させて、そうだなぁ、
 このときに書いてた志摩子さん聖様感想辺りがひとつの頂点になってもいたのかもなぁ。
 
 そして。
 そのあと月詠で久しぶりにコケてw
 ひとつの転換点の、ローゼンメイデン。
 
 普通にすらすらと書き出せなかったのは、このローゼンが初めてでした。
 難解過ぎて書き出せなかったテクノライズとは違い、簡単過ぎて書くことが無いという意味でのそれ。
 なのに書きたくて、いえ、書かなくてはいけないという感じで。
 作品自体が見せ付けてくれる、その圧倒的魅力に頼らない、受動的で無く、主体的に向き合って
 感想を書き始めたのは、この作品がまさに最初でした。
 ある意味、この作品が無ければ、私は全然違うタイプの感想書きになっていたかも。
 それに、「萌え」と僅かながらにも向き合うことになった契機が、この作品だったかもね。
 いや、特段に萌えるキャラがいた訳じゃ無いけれど、逆に主体的に書くためには、「萌え」というものが
 実はとても大切なものなのじゃないかというね、あと銀様復活がご都合とか商業主義とか言われてた
 けど、それも制作側が主体的に行えばなにも問題無いし、そもそも私達自身が主体的に「銀様復活
 」という事の「萌え」を抱えながらも、だからこそその意味づけを為していけばいいのとか、云々。
 そしてしばらく充電期間もといサボりを挟んで、コゼットの肖像でぶっ飛んでから(ぇ)、LOVELESS。
 身体的なものを強く意識し出して書いたよねぇ、LOVELESSは。
 同時に神無月の巫女の感想も変則的に書き出して、そっちは情念的にどろどろとやってみたりして、
 なんというかあのふたつの作品は実によく絡まって書き合わせてたなぁ。
 ていうか、LOVELESSのときに掌をじっとみつめて、そして神無月の巫女のときにその掌を胸に当てて
 すっと感じていくような、そんな感じでした。
 なのに感想を頂けるのは神無月ばっかりで、LOVELESSは百合な回のときしか貰えんかった。
 そんなに皆さん百合がお好きですか? (微笑 ぉぃw)
 そしてそのあとで、あ、苺ましまろだ。
 これ一応、ツッコミ感想?
 というよりどっちかというと、笑いの解説というか、ツッコミも入れつつどこがどう面白いのかというのを
 解説しようとして無理だと気付いたみたいな、ええとそんな記憶しかありませんww
 そしてそれが終わってからローゼンの二期が始まって。
 
 そしてまたひとつの転換点。
 というより、ひとつの追加点。
 地獄少女。
 
 怨みというか憎しみというか、そういうのってあんまりそれまで私の中に無かったというか。
 そういうのから目を背けていた訳じゃ無く、そういうものは克服してこそのものだと思っていたからね。
 で、この作品を見始めてから、人を怨むようになった。(ちょwww)
 そうだなぁ、ある意味この辺りから「紅い瞳」が変わってきたのかもしれないねぇ、よりざっくばらんにと
 いうか、肩肘張らなく、思い遣り気遣いにばかり注意を払わずに、普通にサボったりアンニュイったり、
 そういう自分の脱力的な弱さを生きるようになったというか。
 その頃からそういうものにならないと見えないものがある、ということも肌でわかってきてたしね。
 そういう意味で、昔ほどサイトの外部内部に関わらず、その繋がり自体を生きようとする事に努力する
 割合が下がってきたのは、わかんないけど、たぶんこの頃辺りなのかな。
 繋がり自体は存在そのものとは関係無いというかなんというか。
 その事の、圧倒的ななにか。
 それを絶妙のタイミングで教えてくれたのが。
 蟲師。
 私が最高のアニメと評してやまない、作品がこの次、というか同時に来た訳です。
 怨みや憎しみなどちっぽけなものと思えるほどに、膨大な世界を描き出しながら、それに匹敵する
 ほどに、その膨大な世界へと向ける怨みや憎しみに染まる、その人間の存在という刹那そのものに、
 これはもう、感動と感激を覚えずにはいられない作品でした。
 ぶっちぎりでしたものね、この作品は。
 見るたびに別次元の世界を魅せつけられるような、それこそ見る者のそのときの状態で全く違う映像が
 目の前の広がってしまう、そんな・・・・・ああもう、最近また蟲師を一話ずつゆっくり観てるですが、
 まさにそんな感じよ。
 なんかもう、世界の中の私、世界の中の私の感想とそして、魔術師の工房と紅い瞳を感じたよ。
 
 さて、ちょっとスピードアップ。
 なんかもう明らかに趣旨が違ってきてるけどw、とにかく最後まで書くことを目標に、スピードアップ!
 
 そっか、そのあとにホリック、xxxHOLiCが来る訳ね。
 「存在」とかいう言葉を使い出したのは、この作品と出会ってからだよね。
 そういう意味では、ホリックは蟲師を日常レベルにひょいっと連れてきたような、けれどきっかりと怪しく
 その根本原理は凄まじい、そういう作品でした。 これは隠れた大傑作よ。
 つか、なんかこの作品で癒されたし。 丁度この頃だったかな? リアルで辛いことがあったしね。
 で、その後に癒されたあとにそれを根こそぎ掘り起こすかのようにしてw、ブラックラグーンを書いて。
 同時に地獄少女二籠も始まったからさぁ大変、ブラック紅い瞳の出来上がり。
 黒いのか紅いのか、そこがわからないから紅黒く血沸き肉弾ける凄惨な感じで感想書いてたしww
 そういえば、地獄少女とホリックでは全然感想頂けなかったけれど、ブララグでは特に双子話で
 感想を頂けたものでしたね、結構奮ってお返事させて頂いたものですw
 んで、そのあとにプチ感想としてまなびストレートと、京四郎と永遠の空を書いて。
 なんていうか、一言で言えば、ハッピーと愛でしたw一言過ぎてごめんww
 まぁ、怨みや憎しみがあるからこそ、それを踏まえての前向きさが、それらの克服とは違う形で出て
 きたというか。
 そしてその後エルカザドでまたまた忘れた頃に大コケしてw、けれど転んでもタダでは起きぬとばかりに
 プチ感想に移籍したりして。
 そして、怪物王女。
 マドラックスのツッコミ感想と並び、感想を書くのにもの凄く苦しんだ作品。
 この作品は一言では言い表せないというか、むしろ私が生きるために必要な戦いだったというか、
 そういう感じの感想体験でした。
 ていうかこの作品は、さりげにEDが人気で変にウチとこでも小規模に盛り上がってたのが不思議w
 
 そして、いよいよ。
 もっけと。
 そう。
 我らが、狼と香辛料!
 太字でいくぜ、このやろー!(落ち着け)
 
 もっけは、蟲師、ホリックと続く系譜のもので、そしてそういう意味では、最も私達にとって身近で、
 そしてなによりも純粋に思考化しやすい作品でした。
 ホリックは大傑作ですけれど、もっけは評価なんかよりもまずお勧めしたい作品。
 これを観てなにを感じて考えたのかを、よく見つめて欲しい作品というか、なんというか、とにかくお勧め
 したくて堪らなくなってしまうような、そんな作品でした。
 誰もお勧めに従って観てくれませんでしたけど、てか放送局少なすぎましたしね。
 手軽に入って、深い感動と充実を覚えて終わる、まさにそういう感じですので、是非。 (宣伝)
 感想は、解説風に時折一人称を混ぜて書いた、少し実験的手法でも書いた作品でした。
 で。
 狼と香辛料はさ。
 まぁ、うん。
 この作品以降の話もまとめてする必要があるね。 (ぉ)
 この作品と、今やってる第二期との間に観て感想書いた作品は以下の通り。
 ・xxxHOLiC◆継
 ・夏目友人帳
 ・恋姫無双(プチ感想)
 ・マリア様がみてる4thシーズン
 ・続夏目友人帳
 ・みなみけおかえり(プチ感想)
 ・まりあ†ほりっく(プチ感想)
 極論すれば。
 上に挙げた作品は、「萌え」でした。(ぇぇー)
 狼と香辛料の第一期は、怪物王女の後継のような感じで、自分との戦い、いや違うな、私の根本
 テーマのひとつ灰羽以来の「孤独」について最大限に向き合って感じて書いていこうって感じでした。
 が。
 それって、私ひとりでやることに、なにか意味ある?
 そこに、ホロがいたのですね。
 逆にいえば、私が今までアニメの感想を書いてきたことって、一体どういうことだったのと、ホロこそが
 教えてくれたのですよね。
 なんだ私、ひとりが嫌なだけだったんじゃん。
 ホリック第二期は、主人公の四月一日が、ひとりの自分の隣に、他者がいて、そして共に生きていく
 事を感じる、その朝靄が晴れていくような、劇的な作品でした。
 書いてて、怨みの論理とか書いてて、振り回されるままにそうして晴れていく感触こそが、萌えでした。
 夏目と続夏目は、孤独に震えながらも、清冽なその優しさを問い続け、そしてそれを継続実現していく
 ことの、そのどうしようも無く暖かさこそが、萌えでした。
 マリみて4は、あの私が狂ったw数々のキャラ達ともう一度出会い、それを萌えと認識する前に、
 瞳子という、なによりもマリみてという作品自体が求めていた、その最高のものを手に入れることが
 出来た、その凄まじい安堵感が萌えでした。
 みなみけおかえりとまりあほりっくは、その笑いに暖かみと、そしてそれを抱き締めたくなるようなほどに
 軽快に笑いを生み出し続けてくれる、その他者性がなにより萌えでした。
 そして。
 狼と香辛料に於ける、そのすべての耐え難い感触が。
 萌えでした。
 私が感じていた、すべてのどうしようもないなにかが、そのすべての萌えが。
 この狼と香辛料という作品の姿となって、私の前には顕れてきていました。
 ある意味、集大成。
 いえ、違いますね、これは。
 なんだ、当たり前のことじゃんか。
 
 私が、此処にいて。
 
 貴方が、其処にいる。
 
 私が紅い瞳として魔術師の工房をやっていることの、そのすべてが形を以て顕れている。
 萌えですね、これは。
 この作品と出会うために、私はこうして色々書いてきました。
 私は、狼と香辛料が、大好きです。
 なんかやっと、恥ずかしながら。
 そうね、こういうことを言うのは恥ずかしいけど。
 やっと。
 自分の居場所を得られた感じ。 居場所っていうとなんか違うかな、なんだろ・・・まぁいいや(ぉぃ)
 なんか、狼グッズ買ってきてるし私。
 ストラップとかキーホルダーとか色々また買ってきちゃったし。
 カレンダーも予約してきちゃったし。
 9月下旬に発売されるらしーサントラも買う予定だし。
 それでも。
 うん、そうして狼に萌え狂う私がいても。
 それだけしか私はいない、とは、もう思えないのですよね。
 魔術師の工房の中で、そうして萌え狂ってるたわけな紅い瞳一匹など、取るに足らぬ存在。
 冷たい眼差しで、そんな紅い瞳をじっとりと放置プレイしてくださる皆様がたがいらっしゃる限り、
 当魔術師の工房は安泰で、そして。
 その中で、紅い瞳は目一杯だらしなく遊び続けることが出来ると、あっさりとこうして私は思えます。
 
 
 ご静読、ありがとう御座いました。
 というか、お疲れ様でした。
 
 
 
 えーっと、化物語のプチ感想は、来週に延期しますというかさせてください疲れました。 (疲)
 来週は来週分と合わせてやりますので、申し訳ありませんが、今週分はしばしお待ちくださいませ。
 まぁ。
 うん。
 一言だけするがモンキー最終話に言わせて頂けるのなら。
 戦場ヶ原蕩れ。
 
 
 
 それでは、ごきげんよう。 ←ばたりと俯せに倒れ込んで
 
 
 
 
 
 

 

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