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◆◆◆ -- 2009年11月のお話 -- ◆◆◆

 

-- 091126--                    

 

         

                               ■■ 桜の闇の紅 下 ■■

     
 
 
 
 
 桜の花びらが咲くと、なんであんなみんな浮かれるのか、知ってるか?
 それはな、桜が怖いからだ。
 怖いなら、わざわざ桜の前に来なくたっていいじゃねぇかと言うかもしれないが、それは甘いな。
 ほんとに怖いものは、見てない方が、ずっと怖いんだ。
 だから、見る、ほうっておけばどうなるかわかったんもんじゃ無い。
 けれど、怖い。
 怖いから、騒ぐ、歌う、酒を飲む。
 だがいつのまにか、騒ぐだの歌うだの酒だのにのめり込んで。
 桜から、目が逸れちまう。
 怖ぇ。
 気付いたら、真っ青に闇色に咲く桜の森の満開の下に、ひとりだけいたら・・・・
 
 こんなに、怖いものはないだろう
 
 
 
 ◆
 
 あの女、あいつはなんだろう。
 あいつは端から、あの前の主人と一緒にいたときからそうだったのだろうか。
 べつに俺は首を集めて人形遊びのようにして楽しむ趣味がどうこうとか、そんなことは思っちゃいないが、
 だがあいつは、俺と一緒になる前もああだったのだろうか?
 もしかして、俺と出会ったことで、あいつもあいつの桜の中の自分に立ち戻ったのだろうか。
 そうだったら、どんなにか楽だろうか。
 俺がそうしてあいつを変えてしまっただとか、俺もあいつに変えられてしまっただとか、
 そういう愚にもつかない苦悩ですべてを覆い隠してしまえるのだからな。
 いや・・
 もう俺には、たとえそうだとしても、そんなちんけな苦悩で隠せる桜は無いのか。
 いや・・・・
 今までだって、ただの一度たりとも隠すことなど出来ずに、桜にはそれを見抜かれっぱなしだったのだろう。
 俺はそれに気付かなかっただけだ。
 俺の隠蔽が上手かった訳じゃ無い。
 俺は、それが怖い、恥ずかしい、恐ろしい。
 そして、悔しい。
 俺は桜を隠そうとしていたのでは無く、桜から隠れようとしていただけだった。
 しかも、丸見えだった。
 女が笑う。
 男に向けて放たれるあらゆる侮蔑の眼差しをはるか一線越えた、嫣然とした視線を突き付ける。
 怖い。
 だが、これ以上に魅力的なものは無い。
 この女は我が儘だった。
 無いものを欲しがった。
 だがそれは、決してこの山の、この俺の世界の外にも無いもの、では無かった。
 女は大きく溜息をついて、俺を馬鹿にすることさえせずに、こう言った。
 美味しいものが食べたいと。
 煌びやかな服を着たいと。
 都の風をまた感じたいと。
 すべて、山には無いものだった。
 あいつは、同情を誘うような、山賊に無理矢理連れてこられた、都人としての哀愁を漂わせるような、
 そんな演技をした。
 俺はそれを、良く知っている。
 そして、俺が絶対に敵わない、それは圧倒的に己を楽しませるための、そんな言葉だった。
 桜の恐怖を紛らわす言葉を作るこの女の技術は、俺とは比べ物にならないほどに豊かで強靱だった。
 俺はまるで子供だった。
 田舎者の自我にしがみつく誇りさえ、維持出来なかった。
 ああ、こいつは、この女は桜でもあるのだな。
 俺は、桜の前に向き合って座ってやろうとした。
 この女と向き合ってやろう。
 女の演技に健気に頷く男を演じながら、俺はいっとう考えていた。
 どうすればいい、俺はどうすべきなのか・・
 桜は、その俺の考えを傲然と妨げていく。
 
 気付けば、都に来ていた。
 
 
 本質的に、都の風というのは、桜の花びらを吹き飛ばす。
 いい隠れ蓑だ。
 みんなそうしてチャラチャラとして浮き世を楽しみ、馬鹿げた遊びに興じて、桜の開く地獄の蓋を、
 そっと押さえつけて笑っている。
 そして俺は、そのチャラチャラとしている風体の都の奴らを、そのチャラチャラしているというスタイルだけを
 あげつらい、笑い吐き捨てるという、まさに都風の装いを成していた。
 都人を嗤うことで、俺は桜の嗤い声を掻き消していた。
 桜から目を背ける事、それが都人の本質さ。
 立派な、都人だよ、俺は。
 けれど、俺にはどうしてもそれが、その桜の存在がわかってしまう。
 俺は、田舎者だ。
 俺はチャラチャラと軽薄に豪勢に豊かに強靱に遊ぶ事が出来ない、だからそれらの上辺の軽さだけを
 見て嗤い、なんとか自我を維持していただけだ。
 それでいて俺は、糞真面目な面を下げて、チャラ男共を否定することで、
 桜と真摯に向き合っている気分に浸ろうとした。
 みろ、俺のこの格好を。
 格好だけは都人さ。
 俺はそうして、芯から都の風に染まることが出来ずに、しかしその都の風にしがみつく事無しでは、
 到底生きることが出来なくなっていた。
 
 『その風を奪われた私の気持ちが、あんたにわかる?』
 
 馬鹿みたいに純朴に、馬鹿みたいに静寂に焦がれ、馬鹿みたいに都を嫌う。
 そのくせこうして俺は、ここにいる。
 あいつの必死さに比べて、俺はどうだ。
 逃げてばかりいる。
 あいつの壊れ具合に比べて、俺はどうだ。
 俺は芯から壊れている俺を、ただ肯定するばかりだ。
 あいつは、あの女は、壊れ切っている。
 芯どころか、あいつの存在そのものが壊れている。
 怖いだろうに、恐ろしいだろうに、なのに初めから壊れているから、
 あいつにとっては、本当のほんとうに、この世界のすべては玩具なのだろう。
 壊れているのは、一体、あいつのなんなのだろうか。
 壊れているとは、なんなんだろう。
 あいつは、生きていた。
 ひとりを生きていた。
 すべてと向き合い、すべてを苦しみのままに楽しんで生きていた。
 俺は、出来ない、それこそ、出来ない。
 べつに人を殺すことなどどうとも無いが、しかし俺は人を殺すことを楽しむことは出来ない。
 俺はただ、必要だけで出来ていた。
 俺はただ、俺の知っている必要の世界の中に籠もり、その中から外を見ていただけだ。
 あの女の首遊びそのものにはなにも感じ無い、異常と言われる行為であるという事は知っているが、
 俺自身はべつに異常とは感じ無い。
 いや、そもそも俺にとって異常なものなど何ひとつ無い。
 すべて異常だ、みんな狂ってる。
 だからこそ・・・・
 
 俺は、正常を、求めていた。
 
 俺は・・・
 人を殺すことに楽しみは感じないが、人を殺さないことに楽しみを感じることは出来た。
 人を殺さないことに楽しみを感じることは出来たが、人を殺すことに楽しみを感じることは出来なかった。
 なぜかと問うまでも無く、人を殺さないという事が、みんなに受け入れられるものだからさ。
 俺は優しい山賊だ。
 それが俺の、拙く情けないアイデンティティーさ。
 それが俺だ。
 桜の中の俺が創った俺、そして俺はその俺しか作れなかったのさ。
 なにしろ俺は、ずっと山の中で貧しい生活を送っていただけなのだからな。
 いや・・・
 それは・・生活では・・・・無かったのかも・・・・・しれない・・・・
 
 
 
 

ひとつ

 

ひとつ

 
 

みえない桜の花びらが舞うように

 
 
 
 
 
 
 
 +  +
 
 
 女は遊ぶ。
 切り取られた首を飾り、実に楽しそうに遊ぶ。
 首は、首なのだ、やっぱり。
 恐ろしいことに。
 首はなお、女によって生かされる。
 首だけと成り果て、愛しきヒトを抱き締めるための体を失い、それでも生きている。
 その首のままに、愛し、恋し、生き、笑い合う。
 体を失った悲哀に濡れながら、それでも必死に生きている。
 『可哀想ねぇ、哀れねぇ。 ふふふ。』
 それが、楽しいのだ。
 あの女にも、体が無いのかもしれない。
 あの女の生活というのは、完全なる桜の隠蔽によって出来ていながら、どこか完全に壊れている。
 あいつは生きているのだろうか。
 あいつには恐怖が無い。 
 なのにいつだって、終わりを予感している。
 首だけの世界に火が放たれ、すべてが破壊され否定される、それが行われることを知っている。
 だから女は、時折自ら首の宴に火を放ち、破壊を楽しんだ。
 あいつの生に、その世界の炎上は織り込み済みのものだったのだ。
 狂ってはいない。
 必死なだけだ。
 そして。
 常に、その女の世界に火を放ち破壊を敢行する者の目を見据えている。
 じっと。
 殺意の無い、怒りを込めて。
 怖ぇ。
 反射的に、俺は生活というものが恋しくなる。
 俺は・・・
 あの山に帰りたい。
 けれど、この女は腕を浅く組みながら、高らかに笑い捨てる。
 おまえには、帰る場所など初めから無いだろうに。
 一体おまえはいつ、おまえの帰る場所を作ったと言うんだい?、と。
 俺はそれを女が俺を引き留める手管なのだと嗤う、そんな演技をするしか無い。
 俺はただずっと、桜から逃げ回っていただけだ。
 なのに逃げ切れず、逃げ切れぬままに、手前味噌な、温室育ちの、誰にも邪魔されない、
 ちんけでみっともない、あいつに鼻で笑われる、そんな貧相な言葉を組み上げただけだ。
 その言葉にしがみつきながら、まっさらに桜に嘲笑われているものは、生活とは言えない。
 俺は、都人にはなれなかった。
 桜を笑い、桜を楽しみ、桜と共に、而して桜のままに生きることが出来なかった。
 女が怖い。
 恐ろしく怖い。
 俺にはあいつの生活を、異常だのおかしいだの、その上辺だけをあげつらい否定することでしか、
 俺を維持することが出来ない。
 そのくせ、俺は女のそれを異常だのおかしいだのと、本当の心の底から責めて否定することに打ち込み、
 桜から完全に逃げ切る生活を得ることも出来ない。
 なぜなら、俺はべつに女の首遊びを異常ともおかしいとも感じないのだから。
 いや・・・
 それよりも、俺はそうして女のそれを異常ともおかしいとも感じないという俺を利用し肯定して、
 そのぬるい眼差しであいつを許容し、そして支配しようとしている、そんなさもしい男なのだ。
 俺は女に振り回されているのでは無く、女に俺がぶらさがっているのだ。
 
 
 ああ
 女がきらきらと泣いている
 
 作り笑顔を甘く飾り付けて、一番可愛いままに抱きついてくる
 
 
 
 どうするか
 どうすればよいのか
 気持ちはもう、半分山に逃げ帰っている。
 朴念仁の野暮っぷりを全開にしながら、俺はその女の可愛さだけを手玉に取っていた。
 俺は今から、こうまでしてきて、それで、此処から山に帰って、それで。
 それで本当に、昔の俺に帰ることが出来るのだろうか。
 いや・・・・
 その昔の俺は既にその昔に桜に出会っている。
 どんなに純朴素朴に、スローライフを圧倒的に越えた本物の生活をして魅せても、
 それでは騙せないほどに不器用な俺を、俺は完全に持て余していたのだ。
 俺は。
 俺の存在からは、決して逃れられない。
 鐘の音が夜明けを突く。
 いつまでこんなことが続くのだろうか。
 遊び、笑い、騙し、騙され、愛し、憎み。
 キリが無い。
 浮き世のすべてを斜めに見て、嘲笑い、静寂に生き延びていく。
 キリが無い。
 
 
 『空が墜ちてくる 』
 
 『無間の明暗が落ちてくる 』
 
 『この繰り返しは女を殺せば止めることが出来るのか 』
 
 『しかし、女を殺すと俺が死んでしまう 』
 
 『あの女が俺なんだろうか 』
 
 
 『なぜ空を堕とさねばならないのだろうか 』
 
 
 
 『俺はなにを考えているのだ 』
 
 
 
 
 俺 は な に を  ほ ん と う の こ と を 言 っ て い る の だ ! 
 
 
 
 
 
 

『山には私はいないよっ!』

 
 
 
 
 
 
 
 怒濤の攻勢。
 男を落としにかかる。
 全編これ演技。
 しかし演技となおわかっても、抱き締めずにいられない愛しさ。
 やはり、こいつはすごい。
 自然と、俺もつられてその女を抱き締める男の物語を口ずさんでしまう。
 怖い。
 山にあいつがいない訳が無い。
 山には桜があんなにも咲き乱れている。
 都に桜がいない訳が無い。
 都にはあいつがあんなにも咲き乱れている。
 女がついてきた。
 ついてきてくれるかと男に言わせ、それに健気に頷く女の言葉で。
 この背に負ぶうはなにものか。
 健気に女に頷かせ、ついてきてくれるかとその背で語る。
 女を負ぶうその背はなにものか。
 物語する。
 キリが無い、永劫永続、永久に不滅の物語。
 
 そうか
 
 そうだったのだな
 
 
 
 俺は
 
 何処にでも 変わらずにいるのだな
 
 何処にでもいて
 そして
 延々と、様々に変わる俺を作り出し語りながら
 
 
 
 
 俺が
 
 此処に
 
 存在しているのだ
 
 
 
 
 
 
 『じき帰ってくるから、待っておいで。』
 
 
 
 
 
 
 
 逃がれられる訳が無い
 あいつは俺で、俺はあいつだ
 俺が、存在している。
 俺というひとりが、犇めいている。
 すべてをはねつけ、圧倒的絶対的に、存在している。
 桜が吹き荒れる。
 桜の森の満開の下で、なぜだか俺は首を絞めている。
 桜の首は、いっこうに、落ちない。
 堕ちるはただ、首を絞める俺ばかり。
 桜は、魂は、俺の存在は揺るがない。
 堕ちろ 堕ちろ
 『この花びらはどこから落ちてきたのだろう?』
 『なぜなら、花びらの一ひらが落ちたとも思われぬ。
  満開の花のふさが見はるかす頭上にひろがっているからでした。』
 ああ、そうだ。
 こんなにも花びらは舞い落ちているというのに、見上げれば、桜の木に咲く花の数は、
 ひとつも減りもしなければ変わりもしないのだ。
 ならば、この桜吹雪はなんだ。
 無いはずのものがある。
 それは、なんだ。
 キリが無い。
 
 それが、ひみつなのだった
 
 ああ
 それは俺なのだな。
 俺は、俺という桜の下で、舞い堕ちる桜になっているのだ。
 どんなに堕ちようとも、桜の中の俺は変わりはしないのに。
 それが、悲しかったのか?
 いや。
 ただ、もう。
 それは。
 不思議だった。
 秘密だった。
 怖くはない。
 もう、女はいない。
 女は生ける首にならずに、ものとして死に消えてしまった。
 それで遊ぶ者が、もういないからだ。
 遊べ 遊べ
 桜がずっと 艶やかに深く笑っている
 じっとりと粘り着くような紅い闇が、爽やかに吹き抜けていく。
 舞い落ち切った桜が堆く積もり。
 
 ごうと鳴き
 孤独に
 きえた
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 
 
 
 
 
                   ◆ 『』内文章、アニメ青い文学 桜の森の満開の下編」より引用 ◆
 
 
 
 
 

 

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                               ■■ 桜の闇の紅 上 ■■

     
 
 
 
 
 惚けたように明ける闇
 段々と広がる光に水飛沫が映える中、赤々と爛れる闇が鳴く
 きぃきぃと軋みつつ、それは古ぼけた水車のように回りながら、無音の揺らめきを奏でていく
 いちまい、いちまい、解けるように、幕が降りる
 凄惨に紫に燃える涙がすらすらと絡み合い、ひとつひとつの宴を開いていく
 燦然と黒く染まる舞台
 桜の森の嵐の中に閉じ込められながら、そこに惑う命は紅く笑っていた
 微笑み緩むその顔から生気が抜け出している
 あれは死に顔だ
 死人が嗤っている
 あそこに生者はいない
 生者は俺だ
 俺の眼差しがその桜の中の紅い闇を切り開き、暴き、そして
 そこに俺がいないことを確認する
 なのに
 俺はそれが嬉しい
 安心する
 俺は生きている
 俺は生きているのだ
 なぜだかそう呟くたびに
 
 生気が 抜けて
 
 鬼になる
 
 
 
 
 
 + + + +
 
 
 
 俺は満足していた。
 満足していたと呟くことが出来ていた。
 それが出来ることに満足していた。
 満足出来無い。
 満足出来ていない俺を必ず見つけて、俺はその俺にこの山を、この森を、この川を与えた。
 あの空の中から、俺の目を覆う世界を奪い取り、与えた。
 この山は、全部俺のものなんだぜ。
 どうだ、こんな大きな蕨、早々お目にかかれないぜ。
 ほら、あんなに大きな猪だって、俺の手に掛かれば、いっそ俺のものだ。
 野山を駆け、獲物を追う足取りは、いつだって素晴らしく速く、そして、重い。
 ずしずしと、自分の体重とは違うものが、俺の踵にはみっちりと籠もっていた。
 踵を振り翳し、ずしずしと俺をこの山に刻み込むようにして、駆けずり回る。
 地響きを立てて、盛大に拍手を綴っていた。
 楽しいだろ? 楽しいはずさ。
 満足しないはずが無い。
 食い物を食いたいだけ、通りがかった女はすべて俺の女房、勿論男は身包み剥いで、
 どこへなりとも逃がしてやる。
 俺は、優しい山賊なんだ。
 殺しはしない、女房にした女には、なに不自由の無い生活を保障してやるぜ、そう、ハッピーさ。
 スローライフ?、ナチュラリスト?、冗談きついぜ、この俺の世界は本物さ。
 だが、俺はこの無骨な山刀に誓って言うが、それでお前さん方が幸せを感じるかどうかは、
 それはお前さん達次第なんだぜ。
 幸せの数は人の数だけあると言うんだろ? だったら俺はこれが幸せだなんて押し付けないのさ。
 
 俺は、強い
 俺はその強い俺を、その俺の奥底のひみつを、ずっと見つめている
 
 
 優しくあらねばならないなどと、人の道がどうだと説く説法師は、笑って蹴飛ばしてひん剥いてやった。
 説法師という仕事は難しいものなのだと、頷いたっけな。
 なにしろ、その言葉に魅力を感じられなければ、石を打たれるか山賊に襲われるかなのだからな。
 少し、同情した。
 優しさを押し付けねばならなかったそいつと、優しさを押し戴かなければならなかった奴らにな。
 優しさを売り買いして、それで金になるというのも大層な話だが、俺はそんなのは御免だった。
 俺は、優しいのだぜ。
 『俺は山賊は山賊でも、優しい山賊なんだ。』
 山賊という職業は無ぇんだ。
 俺はただ俺のやりたいようにやっていたら、そうカテゴライズされるようになっただけだ。
 だが、悪く無い。
 『ここが海なら海賊だ。』
 なかなかいいだろ?、ちょっとした諧謔なんだが、俺自身は諧謔だなどと上擦った考えのもとに、
 そんなポップなセリフを言った訳じゃ無く、まさに自然に出てきた言葉なんだ。
 それがいい。
 それがいいと俺は言える。
 俺はそれがいいと言える俺に満足した。
 優しさだって、同じだ。
 俺はただ俺のやりたいようにやっていたら、そうカテゴライズされるようになっただけだ。
 だが、悪く無い。
 俺が物は奪っても人を殺さなかったのは、元は俺のポリシーでも何でも無い、
 それはたんに必要の無さから出てきたものだ。
 俺にとって、人間は喰えない肉の塊にしか過ぎなかった。
 脅して、それで言うことを聞くなら、殺す手間が省けて楽なものだ。
 
 だが俺は、多くの人間に出会った
 
 説法師にも色々な奴がいた。
 なにひとつ説かずに、命乞いしかしない奴もいたっけな。
 だが俺は、それに腹を立てる俺を、そのときは知らなかった。
 説法師の言葉は商売道具であり商売品、それと命のどちらが大切かと問われて迷う奴など、
 俺はそんな奴がいるとは思わなかったので、命乞いしかしないそいつを当然だと思っていた。
 物は物だ。
 ひとつの命はこの星より重いなんて、そんな暇な事を言うまでも無く、命より大切なものなぞ無い。
 って、命ってなんだよおい、そもそも見たことも触ったことも無ぇんだ、そんなものをわざわざ大切だなんて
 持ち上げなくても、俺はこうして生きてる事でなにが一番なのかを当たり前に知っている。
 言葉は言葉だ。
 命という言葉に重みなんぞ無い。
 だが。
 俺は、多くの人間に出会った
 それもなかなか面白いんじゃねぇかと、思ったのさ。
 俺はなんだろうとこうして俺の一番のままに生きているし、俺の優しさは永久に不滅だし、
 四番バッターだって勤められる自信がある、なんならおかしな英語も操ってやろうか、レッツパーリィ!
 ここにはなんだってある。
 俺より強い奴はいねぇ。
 俺は優しい。
 
 
 それを。
 俺の強さで無く。
 俺の優しさで無く。
 俺の言葉で、示して。
 
 それで、俺を覆い隠し楽しませることは、出来るんじゃねぇか?
 
 
 俺はその「かんがえ」に、なにか冷たいものを感じていた。
 しかしながら同時に、それがなんだか知らない、俺の中の不安を掻き消してくれる気がしていた。
 『俺は山賊は山賊でも、優しい山賊なんだ。』
 そう俺が宣言するとき、それを誰でもいい、目の前の奴に突き付けるときに、俺は異様な征服感と、
 そして被支配感に身を委ねる安堵に抱かれていた。
 優しい山賊を、わざわざ演じた。
 それはそれは、愉快で痛快で、楽しく穏やかな生活になった。
 山賊稼業に嫌気が差して罪悪感を感じたりはしなかったのか?、だと?
 冗談きついな相変わらず、無論俺は、その罪悪感を紛らわせるために優しくあろうとしただなんて、
 そんな糞みたいなことも思って無いぜ。
 俺が怖いのは、桜だけだ。
 桜が己の悪行を照らし出すから?、だって?
 そう言ってた説法師もいたな、まぁ笑って蹴飛ばしてひん剥いてやったけどな、ま、今の俺なら逆に
 こいつにこう説いてやるだろうな。
 それは、桜が怖いんじゃ無くて、お前自身のことが怖いだけなんじゃねぇのか、ってな。
 俺は俺の嗜好やら俺がしてきたことに、なんの恐怖も痛痒も感じちゃいねぇ。
 俺は山で生まれ山で育ち、そして多くの人間と出会いながらも、
 その事になんの不安も不満も恐怖も感じ無い。
 それが、俺だからさ。
 言ったろう?、俺にとって他の人間なんざ、喰えない肉の塊に過ぎねぇ、ってな。
 悪いが、その事自体に罪悪感を感じるほど、俺はちんけな人間じゃ無い、ってことだ。
 俺が罪悪感を感じるのは、俺が俺の一番したいものをしようとして、
 それが失敗して上手く出来なかったときだけだ。
 俺は、執念深いのさ。
 
 だから、俺は今、楽しんでいるのさ。
 そういった、ちんけな罪悪感やらなにやらも、な。
 
 俺は、優しい山賊だ。
 一丁前に、哀れな旅人のことを想い遣る、そんな山賊さ。
 偽善者だよ、偽善者。
 その偽善を偽善と暴き苦しむ事が楽しいのならそうするが、
 あいにく、その偽善を楽しむことの方が随分と楽しいのでな、こうして堂々と優しい山賊をやっている。
 楽しいから。
 楽しいからだ。
 罪を悔い苦しむのは、楽しいからだ。
 そう楽しむ事の罪深さに、真摯に誠実に戦き悩むのは、それが楽しいからだ。
 その楽しさは、言葉だ。
 だから。
 
 俺のこの世界は、絶対だった。
 どうだ、この見渡す限り、本当にすべてが俺のものなんだぞ?
 蕨だっておまえ、こんなに・・・
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

『ふふふふ。』

 
 

『あなたにとっては、すごいことなんでしょうねぇ。』

 
 
 
 
 

『そう、蕨が太いの、良かったわねぇ。』

 
 
 
 
 
 
 
 あの女の顔を見た瞬間に、俺は正気に還った。
 なぜ、気付かなかったのだろう。
 『なにも怖いものなんかありゃしねぇ。』
 俺はそう俺に嘯き続けるために、俺の日常を、偽りの覆いで隠して生きてきた。
 桜は怖い。
 怖くて、怖くて、なんの韜晦も欺瞞も働かない、それ以前に俺は桜の恐怖とひとつになっていた。
 俺は桜を見つめている俺自身を感じるたびに、俺は全く逆に俺が桜の中に俺が潜んでいるのを感じた。
 俺がいない。
 いない俺が、そこにいる。
 俺はずっと、その桜の中から、俺という幻想を桜の外に映し出してみていた。
 俺は、桜だ。
 俺は、ひとりだ。
 俺以外に俺は無く、俺が俺であることを知る者は存在しない。
 俺は・・・俺は・・・・・・
 あの女の顔を見たとき、俺はその女の連れと主人を殺した。
 邪魔だから、女を奪い取りたかったからでは無い。
 気付いたら、殺していた。
 殺してから、優しさが追い付いた。
 やっちまったと、静かに頷いて、その頷きのままに了解して、また殺した。
 優しい山賊が人を殺しても、優しい山賊である事は消えない。
 なぜなら俺は俺であって、俺は優しい山賊という役を演じているだけだからだ。
 人を殺したその優しい山賊の中に、俺がいる。
 俺はそうして、俺の外に優しい山賊を映し出して、あらゆる整合性を付けて生きていこうとした。
 優しい山賊が人を殺す理由など、いくらでも作り出せる。
 どうでもよかった。
 女が、その女が俺を狂わせ、そして俺を俺に立ち戻らせた。
 桜の中に、桜の中の俺に・・
 
 『違うわよ。』
 
 『殺して頂戴♪』
 
 女が本気ですら無いのが、わかる。
 連れと主人を殺し、そして俺の住処まで優しくおぶって連れてきて。
 そうしたら、この女は俺の女房達を殺せと言った。
 いや・・・あいつらは・・昔の、女房達だ
 俺は自分でそう言った事に驚きを感じていた。
 それはつまり、俺はもうあの女達を殺すつもりだということなのだと。
 女房は、もう既に、あの女、あいつひとりにいつのまにか決まっていた。
 この女しかあり得ない、いや、この女から俺は逃げることは出来ない。
 好き?、惚れた?、冗談じゃ無い、これは、これは・・・・
 恐怖だ。
 『これは・・・同じだ・・・』
 
 『あの桜の森の満開の下と、同じだ。』
 
 この女が桜なのでは無い。
 この女が俺なのでは無い。
 そのとき俺は、この女と共に桜の中にいた。
 にんまりと紅く咲く桜の闇の下で、あいつは爽やかに笑っていた。
 刎ね飛ぶ首。
 首は物なのに、あの女はそれに命の呪をかけ遊ぶ。
 殺した、殺した、刎ねた、首を刎ねた。
 ごとりとぐちゃりと転がる首が、昔の女房の数だけ転がった。
 ああそうか。
 俺は、ほんとうの、優しさの遊び方を知らなかったのだな。
 俺の言葉の、なんと貧相なことよ。
 その俺の「かんがえ」を知ったとき。
 俺は、俺は、その本当の遊び方を手にいれる事は出来ないのだと、知った。
 俺は、俺のひみつを知った。
 
 
 
 俺は、桜の森の満開の下で下手糞に遊ぶ、その俺が嫌だったんだな。
 
 
 
 そう叫んだ俺を嘲笑う、あいつの顔の中に咲くその桜が。
 
 冷然と、俺をみつめていた。
 
 
 
 こんなの、耐えられるかぁっ!  桜、怖ぇーっ!!
 
 
 
 
 
 
 
 
 
                                     ・・・以下、第二部に続く
 
 
 
 
 
 
                   ◆ 『』内文章、アニメ青い文学 桜の森の満開の下編」より引用 ◆
 
 
 
 
 

 

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                                    ■■ 雪中楽 ■■

     
 
 
 
 
 すっかり冬の陽気となって、朝晩寒くて寒い紅い瞳です、ごきげんよう。
 さむっ、やめて!
 
 さて、まぁ。
 やる気ありません。
 あまりに寒くて、やる気がもげた。
 久しぶりに冬眠したくなってきました、いやほんと久しぶりな。
 一年ぶりですね。 去年の冬以来ですね。 毎年言ってますね。
 ということなので、本日はゲームしてます。
 手冷たくなってるのにやってます、そろそろストーブも買い換えなくちゃと思っているのにPS3買った。
 ごめん、買っちゃった。 (謝)
 
 
 
 ◆
 
 と書いて、昨日はゲームしてました。
 そこまで書いて、日記ほっぽりだしてゲームしてました。
 だって、寒いんだもん! (理由になってません)
 まぁ、うん、PS3買ったんですから、そりゃー私史上最もゲームやってる状態に陥ってもしょうがない
 ですよね。
 もうアホの子のようにゲームやってます、アニメも観ないでゲームやってます。 他にも色々やってません。
 お風呂の中でも布団の中でもゲームのこと考えてます、ゲーム廃人について想いを馳せています。
 ・・・・あかん、今日もここで筆を置いてゲームの世界に馳せ参じそうな勢いだ・・
 いつなんどき、どれが今日最後の言葉になるかわかりません、いつあちらの(ゲームの)世界に飛び立
 ってしまうかわかりません、今夜が峠っていうか今この瞬間が天王山です、やばい、他のこと考えよう、
 今なんか、ほら、この間また狼グッズ買ってきたじゃん?、アニメ○トでなんかこの間やってた電フェスに
 来れなかった人のためのなんとかフェアとかやってて、つまり電フェスで売ってたグッズをまた売りますよ
 みたいな話なのですけど、喜び勇んで買い行く訳ですけどね私、私電フェス行ってきてましたけどね、
 でもコインケースが電フェスで売り切れてたから仕方ない、仕方ないんじゃ、で、フェア初日に行って
 ゲットしてきたものね、ついでに他のも色々買ってきたものね、エコバックとかトートバックとか、クリア
 下敷きとかステンレスブックマークとかドレスステッカーとか、フェア対象商品お買いあげごとに月別カレン
 ダープレゼントというから、調子乗って買ったものね、四月の狼だけ狙いだったのに、気付いたらそれ
 含めて四枚貰ってたものね、ちなみに千円お買いあげで一枚頂けますさぁ一体いくら買ったのかな♪
 
 ・・・・。
 ほんとにあちらの世界(彼岸)に飛び立ちたくなってきましたが、どうしましょ。
 
 
 ということで、まだ死にたくは無いので、べつのあちらの世界に移住しようと思います。
 ゲームの話します。 ←割とすっきり落ち着いた顔で
 というか、今日は私の趣味のお話の、音楽&ゲーム編ということなので、ゲームの話します。
 PS3の話をします。
 音楽?
 ・・・・・・。
 
 さて、でね、PS3ですね。
 ぶっちゃけ正直、買う気はありませんでした。 ぶっちゃけたなおい。
 ちゃうねん、ほんとはね、PS3ってやたら高いし、色々ゲーム以外の余計な機能ついてて無駄だし、
 それで高いってなんやねん、お話になりませんわ、みたいな感じで、ゲーム機能のみの次世代機が
 出るのを待って、それで、それで私はPS2にしがみついて必死にPS2萌えに走ってただけなのよ、
 あてつけなのよほんとは最新ゲーム機に乗り換えたかったのよツンデレなのよ、そうするしか無かったのよ、
 PS2派の方々には心の底で土下座してお詫びさせて頂きます、んだけどPS3値下げときたよ。
 ・・・。
 ・・・・・。
 次世代機が出るという話もとんと聞かぬし、揺れた。 これは揺れました。
 平気な顔してたけど、内心揺れてました。 みんな気付かなかったでしょ?、どうでもいいですね。
 揺れる恋心、ほんの子供の頃に好きだったけど年を経るごとにそうでは無くなってきた幼馴染みが、
 そっと気付いたらそこにいてくれた魅力を感じさせてくれたみたいな。
 魅力ってお金ですけど。
 値下げがそれを気付かせてくれたんですね、うんうん。 どんな話だ。
 いつ出会えるかわからない理想のヒト(次世代機)より、身近に親しめるぬくもり(低価格)を与えて
 くれる幼馴染みに、ちょっとこう、ほろっと。
 デレ期、突入。
 そりゃゲーム三昧や、朝から晩までゲーム漬けや。 いや嘘朝から晩まで無理、うん無理。
 御飯にしますか? お風呂にしますか? それとも・・・
 そりゃゲームするさ。
 もうツッコミ入れる気も起きないです。
 というかそれ以前にボケる気も起きません。 こいつは本気です。 ←コントローラを握りしめて
 ソフトは、ええと、ベヨネッタを買いました。
 あとブレイドストームの中古をおひとつ。
 ベヨネッタはまぁ、魔 女 が 天 使 を 狩 る 、ということの一点買い。 いい趣味してます。
 色々とネットでネタ的に騒がれていたから、というのは実は建前で、ほんとはCMで観た、内容のわから
 無さに興味を惹かれたが実は原点。
 ド派手なアクションをやってみたかったところですし、なにしろテーマがコレですし、そういう意味で、
 なんだろ、制作者側が発したプロモとか売り文句から、自分でそのゲームを想像して、そしてそれを
 元手にして想像と妄想を膨らませる、それがいけるかいけないかで私は基本ゲームを選びますし、
 そういう意味ではネットの評価はあまり視野に無いというか、逆に如何にネットの評価を否定出来る
 ようにして自分の愉しみを想像を恃みにして見つけられるかとか、そういう感じですね私は。
 まぁ、そのゲームでどういうことが出来るのか、という意味ではちょくちょくネットのレビューとかは参考に
 させて貰ってますけれどね。
 
 で、実際。
 最初の頃は、なんだか思ってたより画像が綺麗で無くちょっぴりがっかり。
 が。
 ネットの評価通り、スタイリッシュというか普通に素で痛い系のネタ的な感じだったのですけど、
 逆にそれが大ウケ。 大 爆 笑 。
 本気でカッコ付けて、それが本気で痛いからこそ笑えるというか、道化的では無いその本気こそが
 私のツッコミ心を刺激してくれた上で、そこに主人公ベヨネッタの変態的カッコ良さがみえてきて。
 痛いとか笑えるとかもう飛び越えて、まさにこれこそをカッコいいと言える感じで拍手喝采。
 私はこういうの好きな、ベヨネッタはぶっ飛んでるんだけど、勘違い女と言えばそうなんだけど、
 でも逆にそれを勘違い女としてしか見れない方がなんかさもしくて、ベヨ自身には勘違いもなにも無く
 、無理してカッコ付けてる確信犯的道化でも無い、その自信たっぷりっぷりがいかしてる。
 こういう人好きな私、そしてそれに見合うド派手で、けれどハッタリ的なギャグっぽいアクションでは無い、
 かなり爽快で爆発的な楽しさがあるそのアクションが私のコントローラを握る手を熱くしてくれる。
 ゲーム的にもかなり充実してて、やー、チャットでときみつさんが仰ってたようにかなり良いゲーム。
 まだ中盤くらいにしか進んで無いヘタレプレイヤーの私ですけど、うん、値段に見合うかそれ以上の
 面白さを感じさせてくれる作品でした。
 うん、ネットの評価に囚われずに、自分自身で向き合ってみると、かなり自分なりの愉しみを引き出せ
 る、そういうゲームだと思います。
 「遊び」って、本来そういうものだよね。
 
 で、引き出しが最初からあるのでは無く、自分で引き出しを作ってそれを引き出すための、そういった
 余地がありすぎる、というか、ゲームとしては単純だからこそ面白い、それがブレイドストームでして。
 以前に友人宅でXBOX版の体験版をやらせて貰ったことがあって、これは欲しいと常々思っていた
 ソフトでして、はい。
 簡単にいえば、傭兵として様々な部隊を率いて拠点落としたり武将狩ったりして金を稼ぐ、という感じ。
 これが面白い。
 部隊育成はもとより、ゲームが進むにつれ、どの拠点をどの時点で落としていくかとか、また自部隊
 以外の味方部隊も結構強くて他の拠点落としたり落とされたりして、割とこちらも臨機応変さが
 求められたりとか、結構思っていた以上に戦略的。
 ステージクリアだけなら簡単でも、それだけだとあまり拠点とか落とさずに終わってお金にならないし、
 部隊も育成出来ないので、如何にそれを踏まえて効率的に時間内にクリアするかとか、これ、ゲーム
 的には簡単単純にクリア出来るんだけど、そうやって自分が色々求めていくと、色々出来るような、
 まさにそんな感じで、実に面白く、また私の好み。
 むしろベヨネッタよりこっちの方をやり込んでます。 おい。
 
 
 とまぁ、そんな感じ?
 ゲームはまぁ、そんな感じですよ。
 私が好きなジャンルは、うーん、シミュレーション?、なのかな?
 いや、シミュレーションを戦術戦略という意味でなら、それにアクションがあった方がより好き。
 んで、重要なのが育成かな。 自由度ということにも繋がるかも。 カスタマイズも出来れば尚良し。
 この三つが揃ったゲームが、たぶん私が最も求めてるものだし、ストーリーとかどうでもいい。 (ぉぃ)
 そういう意味では、ロープレってたぶん私が求めてるものの対極にある感じかな、ストーリーを追って
 いくだけのものは特にそう。
 とか言っといて、たまにストーリーにぐっと入り込めるものがやりたくなる病が発症することもあるんだよね。
 ノベルゲーとか、ちょっと中古でお安く気軽にプレイしてみたいかも。
 うん、まぁ、そんな感じ? (2回目)
 あー・・なんかあんまし語れてませんね、ゲームに求めてるものとか、もっとこう、さ、私のゲームに於ける
 態度とかさ、如何に私はゲーム廃人なんかじゃ無いんだからねっ、とアピール出来るかとかさ、
 如何にツンデレなのかとかさ、ごめん、今だけは廃人させて。 (土下座)
 ちなみにほんとにリアルに、私はいつもはゲーム廃人じゃありません、信じて、ビリーブ。
 
 
 だって私は、アニメ廃人ですから♪ ←清々しい笑顔で
 
 
 
 あーあと、音楽?
 あんまし興味無いなぁ・・・・ (音楽編をやると言ったのはあなたです。)
 正直、私はあんまし音楽依存度高く無いというか、私に於けるいつの時代にも音楽にハマった時代が
 無く、友人間で紅い瞳に振っても無駄なネタの第一位が音楽でしたからね、おまけに私は人前で
 歌うのが好きく無いっていうか恥ずかしいわぁ(照れ)みたいなぶりっ子気味なもうお前黙れみたいな、
 ていうか本気で音痴(だとおもう)ですし、ていうか本気で人見知りなので。 (友人は?)
 だからカラオケってなに?、な人でした。 ていうかカラオケいっても盛り上げ役しかやらん。 いいのか?
 ・・・・。
 あれ?、いつのまにかカラオケ話になってますけど、音楽はべつに自分でやるだけじゃ無いし、聞く方
 の話でいいんじゃないの?、っていうか、いや、ほんとに洒落になるくらいに歌とか知らんし。
 べつに、音楽が嫌いって訳じゃ無いっていうか、むしろ音楽は好きなんですよね、だってMDコンポは
 なかなか良いもの持ってますし、あれはあの当時の私の財力では結構お高かっ・・・今もお高いかも
 しれませんけどね(お財布の中をみつめながら)、ONKYOUの奴ですね、なかなか奥深い音が出せ
 ますぜ旦那、うん、そういう意味では音の聞き分けというか、色んな音を楽しんで味わいたいというか、
 だから最初の頃は私はクラシックばっかし聴いてた。
 ただべつにそれはポップな曲が低レベルとかそんなんじゃ無くて、むしろ私的にポップな曲を聴く「動機」
 が無かっただけなんですよね。
 なんつーか、音楽の歌詞とかに求める「なにか」を、私は当時本に求めてたし、なんかわかるかな?
 そういうの、色々感じたり考えたり、そういうものの媒体が音楽じゃ無かったし、だから友人達が騒いで
 る曲には、なんかその、音を聞き分けたり味わうのでは無く、なんかそういう「なにか」熱いモノを求め
 無くてはいけない、だから私は手を出してもしょうがない、みたいな感じでした。
 ・・・・今考えると、たんにめんどくさかっただけなのかもしれないし、あ、たぶんそうだね。 (納得)
 んーだから、私がクラシック聴くのもそういう意味で、そういう意味では「その程度」のもので、まぁ、
 お茶を愉しむのと同じくらいに気軽な感じでした。
 
 が。
 いつのまにやら、その音楽に「なにか」を求める動機が出来ていたわけで。
 うん。
 アニメね。 (あー)
 
 サントラとかOPとかEDとか、もう完全にぐっときて。
 まさに熱い「なにか」であって、そしてだからたまに異常にクオリティの高い音を含有している曲に
 出会うと、音を愉しみ聞き分け味わうという、元々の私の音楽に於ける態度が強く刺激されて。
 最近ますます、実は音楽熱が静かに高まってきてる。
 私が音楽というものを捉えるときにあった、そのふたつの項目が見事に一致されてきてて。
 興味無い? さっき音楽興味無いとか言ってなかった?
 嘘ですが、なにか? (微笑)
 ていうかさっさとゲームやりたかったので、うだうだ書いていたく無かっただけですが、なにか? (微笑)
 もうこんだけ書いてきてるので、開き直って書いてるだけですが、なにか? (涙)
 でまぁ。
 CD作ろうかなぁと。
 
 ・・・・・。
 
 か、勘違いしないでよね、自分で曲作ったり歌ったりしてCD出すって意味じゃ無いんだからねっ。
 まぁ、誰ひとりそんな寝惚けた勘違いはなさらないでしょうけどね、敢えて勘違いしてCD出すという前提
 で話を進めて私をかえって困惑の渦に突き落としてほくそ笑む方なら何人かいらっしゃいそうですけどね。
 まぁ単純に、曲をDL購入して、CDに焼いてオリジナルの音楽集にしようという、当たり前過ぎる話なの
 ですけどね。
 あ、ちなみに私はiぽっどは持ってません。 音楽持ち歩いて聴く趣味が無いので。 ゲームもそうだね。
 うん、それで、まぁ、勿論最近聴いて心に滲みたアニメの曲で作ります。
 作ったらそのリストでもUp致しましょう。
 ・・・・・ほんとに作るの? (ぉぃ)
 
 
 
 
 という辺りで、今回はこの辺りで。
 ゲームはともかく音楽はどう話したらいいのか上手くわからんのぅ。 こんだけ喋っといて。
 んじゃー、そういうことで。
 次回は・・・・・あとなんかあったかな? あると言い切れるものが見つかったら、それ書きます。 (ぇ)
 
 
 
 では、ごきげんよう。
 
 
 さてゲーm(以下自粛)
 
 
 
 
 
 

 

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                            ■■ 世知辛い日常の恋は ■■

     
 
 
 
 
 はい、こんばんわ、紅い瞳です。
 
 さて、今日はちょっとおまけというか、閑話休題というか、ネット配信された化物語第13話のプチ感想
 と、さらにおまけで今期アニメについてちょろっと語ってお茶を濁させて頂きたいと思います。
 んじゃ、まずは今期アニメ話から。
 
 今期はずばり、君に届け。 これは変わりませんね。
 一体どこまで人間を好きな私の気持ちを引っ張っていってくれるのかという、もはや勝負事になってきて
 いる感じ。 貞子がんばれ貞子。 私もあんたが可愛くてしょーがない! 涙が止まらんですたい。
 で、今までは君に届けがぶっちぎりだったのですけれど、聖剣の刀鍛冶とささめきことが、いい感じに
 追い付いてきてます。
 聖剣の刀鍛冶は観ててなんだか頼もしい感じ。 もっとやれ。
 ささめきことは、あー、これコメディになるとめちゃ面白いね、こういう手があったか。
 それと、そらのおとしものが反則です。 パンツ爆発の回は死ぬかと思った。
 あとけんぷファーも相変わらず良し。 なんだろこの説得感。 雫様万歳ですわ。
 
 ・・・・。
 あー、あんまし書くこと無かった。
 あーあと、青い文学の桜の森の満開の下がベストじゃった。
 
 
 という感じで今日は完全にぐだぐだですので、まともな事書けません、ので今度は来期アニメについて。
 というか、現時点で目をつけたものをちょろっと。
 
 ・バカとテストと召喚獣
 ・はなまる幼稚園
 ・ソ・ラ・ノ・オ・ト
 ・おおかみかくし
 ・ひだまりスケッチ×☆☆☆
 ・刀語
 
 
 うわ・・少な
 ていうか面白そうなの無さそ。
 まぁ、おおかみかくしにはぴくんときましたけどね、タイトル的に、原作原案的に、キャラ原案的に。
 原作原案はひぐらしの竜騎士07で、キャラ原案はローゼンのPEACHPITだし。 うわーいいとこ取りだー。
 まぁ。
 来期はそういうことで、これからの情報待ちですね。
 なんだこのやっつけ文。
 
 
 
 
 んで、化物語つばさキャットの三話、全体の第13話。 ネット配信。
 ええと、感想遅くなりましてごめんなさいわざとじゃ無いんですと言いたいところですけれどわざとです☆
 ・・・。
 だって、作品の方だってネット配信になった途端、放送日が延期されたりしてたるんでたじゃん?、
 私もそれを見習ってだらっとしてみただけなのよ、とテレビ放送当時の回から一週間遅れで感想を
 書いていた人の口がそんな感じで軽快に回り始めたところで。
 いざ、始めさせて頂きます。
 で。
 うーん、委員長ちゃんオンリー回っぽかったですね。
 眞宵も出て戦場ヶ原様も見事な声色でボケてくださいましたけど、これは委員長ちゃんでしょう。
 うーん。
 なんだろ、委員長ちゃんの躊躇いというか、諦めというか、諦めを受け入れていく過程の中での、
 ひとつひとつの躊躇いの、それそのものの感触の中で打ち震える、委員長ちゃんの色々なものが、
 こう、なんかあんまり丁寧じゃ無かったんだけど、すらすらと書き出されていた感じ。
 うーん、なんだろなぁ、委員長は日常志向というか、やっぱりネコミミを見られてしまうのは、恥ずかしさ
 よりもその日常性の崩壊に繋がることで、それを察知していたからこそ恥ずかしの視点で魅せようと
 したり、ラジオ話でお茶濁ししてて、そしてそれについてきてくれるっていうか、完全にその委員長ちゃん
 のちんけな罠に引っ掛かってくれる阿良々木君を利用している自分こそもう普通じゃ無いというか、
 そもそも、普通をこんなに必死に守らなくちゃいけないという非普通、普通であろうとする事自体が
 普通じゃ無い様を委員長ちゃん自体がどうしようも無く感じてて、なんかもうその感触の中に色々諦め
 始めてる自分を感じてて。
 だのに。
 阿良々木君は、退いてくれない。
 普通で無く普通を守ろうとしている自分を、どうしても逃がさない。
 不思議だよねぇ、阿良々木君は、いや、阿良々木君自体は馬鹿正直なだけなんだけど、
 委員長からしてみると、なんであんなにあっさりと罠に引っ掛かるのに、一番大事なところは罠に
 引っ掛からないというか、もうそれが罠かどうかも見破らずに、罠を仕掛けるばかりでなにもしていない
 委員長ちゃんの姿を委員長ちゃん自身に見せ付けてきてくれるというか。
 躊躇い。
 諦められないよね、これさ、諦めさせてよ、なんでそんな残酷なことするのよと、そう言いたくなれば
 なるほどに、言いたきゃ言えよ、それでも俺はお前を助けるって、間違い無く阿良々木君がそう言う
 ことを予見出来るほどに、実は圧倒的に阿良々木君の馬鹿ゆえに「読みやすい」その力強い意志
 を越えてまで、委員長ちゃんには諦める勇気も無ければ意志も無く。
 その阿良々木君の姿を予見するからこそ先手を打って次々と罠を仕掛けて逃げ回り、諦めること
 自体に逼塞していく、その自らに囚われるほどに委員長ちゃんは馬鹿でも無く、また、臆病者でも
 無い。
 
 委員長ちゃんには、もう、諦めていくことの躊躇いよりも。
 諦めたくないとこんなにも強く思い直せる自分への、その躊躇いの方が強い気がする。
 
 だから、諦めようとする。
 けど委員長ちゃんは賢くて、そうして諦められない自分から逃れるために諦めようとしている、その
 自分を投げ出すほどに、「無責任」では無くて。
 委員長ちゃんの、まさに委員長的な責任感って、実は極めて委員長ちゃんにとっては、ちゃんと
 本質的なことなんだと思う。
 誠実なんだね、委員長的に誰に対しても、そして、なにより。
 羽川翼として、自分自身に対しても、ね。
 なんだろなぁ、ぶっちゃけ、委員長ちゃんはかなり賢いし、賢いがゆえに苦悩する訳でも無く、
 賢いがゆえに、自らの苦悩が一体「どういうものであるのか」と、根本に立ち入って見極めようとしている
 感じがするの。
 これまたぶっちゃけ、委員長ちゃんは、阿良々木君の事が好き。
 けど、それはどうしようも無く欲しいとか、そうじゃないよねぇ、絶対に自分にとっては必要な存在で
 あるということであって、けど自分だけがそれを占有したいとか、むしろそれって、それこそ障り猫が含有
 している「ストレス」としての「欲」であって、委員長ちゃん自体は、その欲を越えて欲しいもののために、
 阿良々木君がどうしても必要ってだけであって、これまたぶっちゃけ、委員長ちゃんが阿良々木君を
 彼氏として独占したいという事そのものが、障り猫だったりする。
 
 障り猫って、なんだろ?
 
 委員長ちゃん自身がなにを求めているのか、それを見つめればわかる気がするのね。
 委員長ちゃんは、ただ世界と繋がりたいだけ。
 けど上手く繋がれ無くて、どうしても駄目で、だからその中でちょっと「優しく」してくれた阿良々木君に
 溺れて、それで世界と繋がっているという幻想に浸りたいという、まぁ、極めて陳腐な願望そのものが、
 これは実は障り猫的というか、普通であるために普通で無くなるというか、両親に対しても全くそうで、
 従順に大人しくなんでも言うこときいて、優等生を越える優等生になって、戦場ヶ原様をして羽川さん
 がテストで満点を取れなかったらそれはテストの方が間違っているといわしめた、その委員長ちゃんの
 普通という「日常」を求める、圧倒的な非日常的行動が、やっぱりすべての根幹。
 委員長ちゃんは確かに阿良々木君の事が好きだけど、その好きという事で行動しそれに徹する事が、
 実は自らのその彼への好意自体を破壊している事に、実は委員長ちゃんは気付いてるんじゃないかな。
 それが、委員長ちゃんの躊躇い。
 着かず離れずの、見てるこっちがやきもきするにはあと一歩なにか足りない、あの委員長ちゃんの
 阿良々木君に対する態度が、そうして、委員長ちゃん自身が、阿良々木君への好意に囚われず、
 それを越えて求めるモノこそ、ほんとうに自分が求めているもので、そしてその求めて得た「世界」の
 中でこそ伝える、その委員長ちゃんの好意にこそ価値が、そしてなにより、委員長ちゃん的な、普通の
 「日常」の本質がある。
 だってさぁ、委員長ちゃんが阿良々木君と彼氏彼女になる姿が、想像出来ないもん。
 なんか違うもん、なんか絶対それじゃ済まないもの、委員長ちゃんは。
 委員長ちゃんは委員長ちゃんだもん、障り猫じゃ無いよ。
 だから、委員長ちゃんは、その一線の手前で踏み止まってる気がする。
 
 たった、ひとりで。
 
 その孤独感こそが、障り猫を呼び覚ます。
 委員長ちゃんが踏ん張れば踏ん張るほどに、それ自体が障り猫を膨らませる。
 ならいっそ。
 自分から、障り猫になっちゃえ。
 阿良々木君の事が好きなのは事実なんだし、なんつうか、ハチャメチャやって、色ボケ猫の呼び声を
 滅茶苦茶に高めるほどに暴れて、そしてすっぱり。
 フラれればいいんじゃない?
 それで、委員長ちゃんは阿良々木君と繋がれる気がする。
 ひとりじゃ無いよね、それ。
 恋人としてとか、友達としてとか、端から阿良々木君は言ってないもの。
 恩返しをしたい、阿良々木君はそう言ってた。
 ああ・・
 なんか私が委員長ちゃんだったら、その言葉だけで自分の躊躇いと向き合えるなぁ。
 好きでも嫌いでも、それでも阿良々木君は笑顔で向き合ってくれる。
 不思議だね、阿良々木君って。
 貴重だよね。
 だってさ。
 それって滅茶苦茶。
 
 普通なんだもの。
 
 日常な普通という、その世界との繋がりがあってからこその、ある意味健全な恋。
 それこそ委員長ちゃん的というか、それを導き出すために障り猫の存在価値があるよな気がする。
 が、ぶっちゃけそれだけで終わって欲しく無いというのも本音なんですが、化物語はイマイチ突き抜け
 が無いので(例外は戦場ヶ原様)、そこんところ私の甘い読みを思い切り裏切って欲しいですな。
 ま、でも、色恋沙汰って、相当非日常的で、「普通」じゃ無いんだよねぇと改めておもいました、
 と結論。 (ぉぃ)
 まぁ非日常的だからこそ面白いんですけどね、でも非日常で普通では無いからこそべつに恋しなくても
 死なないんですよね。
 ・・・。
 今年の聖夜も、ゆっくりできそうだなぁ・・・・  ←夜空を見上げながら
 
 
 
 
 ふー、おしまい、っと。
 今回はここまでっすね。 なにやら寂しいオチがつきましたが。 障り猫よ来ーい。 (まてい)
 つばさキャットの続きがいつ放送されるのか現時点では不明ですけれど、続きが放送された際は、
 必ずプチ感想は書いていこうと思います。
 出来るだけ早く書きますね。 (棒読み)
 で、日記自体の次回更新は来週になります。
 来週は更新は一回だけの可能性が高いです。
 だってPS3買うから、明日買いにいくから、うきうきしながら、お財布握りしめて行ってくるから。
 ということで、次回更新は音楽&ゲーム編です。 むしろPS3編でもいい。
 
 
 では、そんな感じで、ごきげんよう。
 
 
 
 
 
 

 

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                                  ■■ 奇蹟を読む ■■

     
 
 
 
 
 ごきげんよう。
 
 
 うん、面白かったねぇ。
 うん、アニメ青い文学の桜の森の満開の下編がさ。
 やってくれました、うんうん。
 人間失格編は、確かにアニメでしか表現出来ないものを表現してくれたけど、この桜の森は、
 なんていうか、今の「アニメ」でしか表現出来ないものを、改めてこの桜の森の満開の下として表して
 いたものね。
 すごい、めっちゃ興奮した。
 それでこそ、だよねぇ、たとえばあの女の「さらり」と殺してという感じとかさ、ほんとにさらりとしていると
 いうか、それにツンデレツンデレとなんでもかでもツンデレ理論で読み解けてしまうキャラ像を、ひたすら
 この頃の「アニメ」が積み重ねてきたからこその、完全ツンでも無くサドでも無い、完全自己中心の、
 いえ、もはや自己すら無い女の息遣いを、妖艶残酷に、しかしどこまでも空恐ろしいまでに軽妙に描き
 出すことに、逆に滅茶苦茶説得力があって、やー、その上、まさかコミカルにあの女をデフォルメキャラ
 で描くとか、考えもしなかったわ、うんうん。
 そしてなにより、あの男の一見単純過ぎる桜の恐怖を語るその「語り口」にさえも、なんだかその男の
 言葉が、あの女の「さらり」と同じレベルの、そう既に桜に囚われているからこその安易な語りである
 ことがはっきりと出てて、「語り」そのものの重厚さで誤魔化さない、極めて本質的かつ、実に原作者
 たる坂口安吾的な「なにか」が充満してて、あー、これはすごい。
 あの女が「人間」である必要は欠片も無いし、そもそも「人間」を書くというのは物語にしか過ぎず、
 しかし「人間」という物語では無い、違う物語を書きたいときに書く人間というのは、これは「人間」で
 あってはいけない、ってこれもろ「アニメ」の「キャラ」ってことじゃん。
 そんで書きたいのは物語自身じゃ無くて、物語を使って描きたい「なにか」であって、たとえばあの女
 なんかは見事にその一端の「キャラ」として描かれてる。
 太宰にしろ坂口作品にしろ、実はこれほど、アニメ、いえ「アニメ」と相性の良い作品は無いのかも
 しれない。
 いえ、太宰と坂口の作品を表すツールとして「アニメ」が最適という訳で無く、「アニメ」そのものが、
 現代の太宰的坂口的な、そう、「文学」そのものな感じがしたのね。
 実に素晴らしい、よくやってくれました。
 太宰や坂口の書き出したモノとしての彼らの作品の、その「薫り」に拘らずに、極めて単純純粋に、
 彼らと同じ感じ方考え方をして、現代的に「アニメ」的に描き出したこの作品は、これこそダザイストや
 安吾信者を蹴散らして無視しても、あらもうお酒は無いの?、ならあなたの女房にはならない、と、
 純粋無辺に突き付けてくるような、完全なる自己主張を、主張するまでも無いほどに
 その存在そのもので行っていて。
 やっべー、これは考えずにはいられない。
 
 これは、「読まず」にはいられない。
 
 あと水樹奈々すっげー。
 
 
 今回は、そういうお話をさせて頂こうと思います。
 たぶん。
 
 
 
 ◆
 
 さてま。
 うん、本ね、本の話をしようと思ってたんだけど、一計を案じ、「読む」とはどういうことか、ということを
 考えてお話していこうと思ったのですけれど、そこはそれ、ざっくばらんにいきます、なんか水樹奈々
 すっげーとか言ってたら面倒になってきたので、適当に楽しくざっくばらんに語った方がいいよね?
 うんまぁ、私は本好きさ、というか本読まないと駄目になる部分があるというか、だから今全然駄目駄目
 なんですよね本読んでないから、だから読もうかなって思ってる、明日から。
 明日から、頑張る。
 でも、気付いたら、読んでた。
 この間、超久しぶりにブギーポップ読んだ。
 上遠野浩平の「エンブリオ浸触」と「エンブリオ炎上」。
 ・・・・。
 なんだろなぁ、なんか、浅かった、というか、ヘタ、というか・・・作者がどの程度まで考えて書いているか
 とか、どう計算されてるかとか、以前とは比べものにならないくらいに良く理解出来て、そうなると、
 ああこれは大した作品じゃ無いなと、そう評価した私の思考に太鼓判を押せちゃったのね。
 うん、アニメ観てきてさ、そういうのわかるようになってきたというか、そういう見方が出来るようになった
 というか、でもね。
 
 だから、だからこそ、改めて。
 ブギーポップ、すっげー、って思えたの。
 
 なんだろなぁ、この作品に下した低評価が、そっくりその作品の高評価に繋がるのがわかっていくという
 か、なんというか、さっきも語ったけど、「語り」の重厚さそのもの、描き出された「モノ」の肌触りの良さ、
 そういったものを評価対象にしたときに、実はそれしか見てないというか、それをただ「読み解いて」いる
 だけしか自分はやっていないという事がわかって、それってば全然本質的じゃ無いよね、うん、そういえ
 ばそうだった、「読む」ってそういうことじゃ無かった、そして実は作者が「言っている」こともその「語り」や
 「モノ」の方に入っている事だってこと、すっかり忘れてた。
 昨今の私の「アニメ」の楽しみ方は、そうやって「語り」や「モノ」主眼だったから、すっかり忘れてた。
 読むって、なんだろう?
 私はこれでも現代文が得意だったし、点もなかなか良かった。
 そして、そうやって点を取るための解き方が嫌いな訳じゃ無かったし、また「正確」に「読み解く」力
 そのものの必要性もまたあったから、結構ゲーム感覚で楽しんでた。
 でも、それはあくまで、本というテキストという、「出来合い」の問題を解くために、その本を読む、という
 より解くだけで、またそれだけのためだけで。
 つまりなんていうか、それはあくまで解くために読む、だけの話であって。
 私にとって、本はそういうものじゃ無かった、というよりそういうのはあくまでゲームであって、仕事であって、
 実際に私にとって重要なものとして本が顕れてくるとき、それは必ず、「読む」ために解くものでしか
 なかったのね。
 つまりまぁ、正確に読み解くのは、あくまで「読む」ための下準備のための「解く」ことであって、そんなの
 は当たり前のことだった。
 そうして「解いた」あとに、必ず、疑問が残る。
 
 これって、この文章って、それだけしか意味が無いの?
 
 私にとって「読む」というのは、問うということに近い。
 出来合の問題では無く、自ら問いを設けて、それに答え続けそれを解き続けていくことに、その
 「読解」の本質があった。
 私の現代文の先生に変わった先生がいて、その先生は一見普通というか、むしろ授業自体は極めて
 オーソドックスでテストの問題もそうだったのだけれど、たったひとつだけ変わったところがあって、そして
 逆にそのひとつだけ変わったところを活かすためにこそ、それ以外のオーソドックスなものがあるというのが
 感じられる先生でした。
 その変わったところというのは、テストの答えがたとえ正答としては間違っていても、理屈的にちゃんと
 筋の通る「論」を以て自分の答えを語り切れたら、それで正解としてくれたところでした。
 あれは、燃えた、めっちゃ燃えたなぁ、正直。
 正直、正答的オーソドックスな「問い」とそれの「解き方」には飽き飽きどころか、馬鹿馬鹿しさしか
 感じていなかったので、私にとって先生のそれは非常に刺激的なもので、そして。
 なにより、ためになったことでした。
 うん、正答的に正確に読むなんて、んなものそんな難しい事じゃ無いし、そんなのは小学生までで
 充分というか、逆に情報として絶対に正確に読まなきゃいけないものは、小学生でも読めるように
 するべきだというのが本来的だし。
 そう、そういう風に切り出すと、見えてくるんだよねぇ。
 
 文学って、なんだろ?
 
 
 話変わりますけど、私の本との出会いは、大きく区切るとこんな感じ。
 絵本→伝記・歴史小説→漫画→純文学→大衆文学→ライトノベル
 まぁこの分類の仕方自体にも色々語弊はあるところですけれど、そこは割愛。
 んでまぁ、歴史小説とかは、そうねぇ、これまた正直、大したモノは無いというか、私にとっては歴史小説
 などで書かれる思想的なものはほとんどくだらないものにしか見えないし、だから私にとっては全部、
 これは歴史という「物語」を「モノ」として楽しむことにしか過ぎなかったんだよね。
 で、純文学にきた訳で。 わかりやすいですね。
 んー、純文学って自分で分類しといて、じゃあどれが純文学なんだろ?、とか普通に迷い出すの
 ですけど、まぁ敢えていえば、実は私の純文学の基本は太宰治と坂口安吾だったりするんです。
 だからあんだけアニメに食い付いた、というのもあながち嘘ではありますまい。
 といっても、私は正答的に読み解きそれに浮かれるダザイストでも安吾信者でも無い(失礼の無いよう
 に言っておきますけれど、って今更かい、すべてのダザイストと安吾信者がそうだと言うのでは無く、
 逆にそういうものをダザイストだと安吾信者だと定義して言っているだけですので、あしからず)、
 むしろ私としては、太宰と坂口の書いた「モノ」自体には否定的、というより批判的態度を取っています。
 まぁ、坂口作品のいくらかには純粋に萌えていたりもしますけどね、それはあくまで萌えでしか無い訳で。
 で、批判的にというのは、同時に、じゃあそれらの作品が描いたことに対して、一体私自身はそれを
 自らどう問い直し、どう「読む」のか、それが私にとっての。
 文学。
 あるいはその中から見出されてくるものこそが、文学。
 それを如何に鮮やかに描き出し、それを多くの人に感じさせる事かに終始するのが、文学。
 だから、ダザイストなり安吾信者なり、その他多くの「純文学オタク」が重要視している、文学の持つ
 「モノ」としての「薫り」そのものは決して本質的なものでは無く、むしろそれは「萌え」と同じもの。
 だからそういう意味で、純文学と大衆文学を分けるものなど無く、そしてそれゆえに、敢えて分けて
 純文の「薫り」を「萌え」として愉しむことも出来てくる。
 私のいわゆる大衆文学の基本は、おそらく岩井志麻子なのだけれど、うん、私の抽象隠喩表現
 の大元はこの人から大きく影響を得ているのだけれど、うん、あれで限りなく私の表現が自由になれた
 ものね、で、岩井作品はテイストとしては基本ホラーで、それを「物語」として楽しんで恐怖するのが
 一番の目的だけど、じゃあ「恐怖」ってなんだろと自ら問いを立てて読み直してみると、これがまた、
 うん、すごい。
 字面だけを正答的に読み下したところで、そのもの凄い広がりと深みを持った恐怖に辿り着ける事は
 無く、またその可能性も無い。
 京極夏彦も私の好きな作家のひとりなんだけれども、この人の作品からは「妖怪」というものがどういう
 ものであるかの、その私の認識、というより私が長年抱き続けていた疑問を後押しして、そして
 改めて考える事に繋げてくれる、そういったアシスト的な作品であって。
 そして、その岩井志麻子の「恐怖」と京極夏彦の「妖怪」を読み解いたものが、しっかりと私の中で
 結びついて、なんだか色んなことを感じることが出来たりわかったり、改めてそのわかったもので両作品
 を読み直してみたり。
 
 そしたら、ブギーポップって、やっぱすごいじゃん。
 
 アニメを萌え的にオタ的に観る楽しみの、その観点からの評価基準そのものが悪いとか、そんな事は
 あり得ない。
 むしろ私にとってそれは必要なもので、必要だったからこそ、一旦「読む」という事から離れてでも、
 その評価基準を得たのだし。
 逆にいえば、その評価基準でもブギーポップを受け取ることも出来たからこそ、私の「読む」という行為
 にその大きな価値が出てきたのかなぁと思う。
 萌えやオタ的楽しみに惑わされず、正答的なモノに身を委ねる悦楽に囚われずに、その誘惑の中で
 楽しみつつ、けれど決して見失わないものが必ずある。
 読書って、自分を見つけること、なんじゃないかなぁ。
 読解って、その見つけた自分をどう発展進化させていくかってこと、なんじゃないかなぁ。
 文学って、そもそもそういう読み手の意識無しには成立し得ないものだと思うし、ライトノベルが軽んじ
 られるのは、他ならぬライトノベルの読者自体がそれを萌え的にオタク的に、正答的に読み下して
 得ただけの「モノ」を楽しんでいるだけだから、というのが本質的なところなのだと思う。
 そしてそれは同時に、純文学だろうとなんだろうと、その高尚な「薫り」自体を楽しんでその深浅だけを
 楽しむのなら、それは萌えと全く同じことだと、まぁさっきも言ったけどそういうことになるんじゃないかな。
 
 
 「読む」って、それは、とても主体的なことなんだよね、つまり。
 
 
 作者がなにを言いたかったのか、とか、作り手がどういう思いを込めて作ったのか、とか、あるいは、
 どういうギミックがあるのか、とか。
 そういうのは全部、「萌え」だよ、「萌え」。
 現代文なんかで一番多いパターンだよね、作者が言いたかったのはなにか、とか、そんなの「読む」こと
 に関しては極めてどうでもいいことで、要は自分がその文を読んでなにを思ってなにを考えたのか、
 つまり、自分がなにを言いたくなったのか、というのがこれ、最重要なことなのよ。
 ある意味文学っていうのは、リレーのようなもの。
 作者が前走者で、必死こいてバトン持って走ってきて、そして今、私達はそれを手渡されてる。
 それで?、バトンの温もりとか、バトンのありがたみとか、そのバトンに込められた前走者の想いを
 感じ取ったりして、それでどうすんの?
 走るのは、私達自身なのに、文学というのは、「読む」というのは、その前走者の想いを胸にして
 エネルギーにして走ることなんかじゃ無いよ。
 だって、走者として立場は全く同じで、バトンそのものは、これは実は前走者たる作者が持ってるもの
 なんかじゃ無い、それは連綿と太古の昔から存在する、人間が問わずにはいられない、その「問い」
 そのものなのだから。
 言ってみれば、作者の描いた作品そのものは、そのバトンに込められたぬくもりにしか過ぎず、その
 バトンそのものでは無い。
 一緒に走らなくっちゃ、前走者と同じバトンという名の「問い」を確かに握りしめて、そしてそれを私達
 自身の力で再び問うて、自分達のぬくもりをそのバトンに重ねていくことこそに、本当にそうしてリレー
 していくことの価値と意味があるのだと思う。
 前走者のぬくもりなんて、そんなもののために走っても仕方ない。
 
 作者と同じ見方をしても意味は無い。
 作者と同じものを見るために作品が存在する意味がある。
 
 だから、違う見方になって当然だし、逆にもし同じ見方になるというのなら、それは実は、作者と同じ
 ものを見ているからでは無く、作者の見方こそを見つめているからにしか過ぎない。
 見方読み方自体を習ったって、そんなのは無価値、どころかなにも見ていないなにも読んでいないに
 等しいこと。
 もっとも、わたしゃ作者の残したぬくもりを楽しむことを否定してはいませんけどね、「萌え」は必要です
 よ、だってそういうぬくもりがあるから、それに暖められて私らそうして自分の見方読み方をひとりでして
 いくことを続けられるのですから。
 うん、坂口安吾とか基本そういうぬくもりとか萌えとか否定しまくりですから、んだから私は坂口安吾と
 同じものを見ていても見方自体は割と違ったりするんですね、まったく、ひとりで全部やれる訳無いじゃ
 ない、みたいなね、そんな感じよ、まじで。
 だから、正答的に読み下すことにも、それなりに意味はあるんですけどね、正確に読むということ以外
 にもちゃんとね。
 ていうか、楽しいし。
 や、アニメ観て、それを「読む」ことだけで無しに、正答的に萌え的に作り手の導き出したモノに身を
 委ねる快感って、実は正直、私がアニメを「読む」ことよりも、ずっとずっと、大きな収穫なんだよね。
 うん、私にとっては、極論すれば「萌える」ことが出来るようになったってことは、限りなく大きな変化だし、
 そしてなんだかとても嬉しい感覚なんだ。
 「読む」こと自体は、私にとってはもう、とっくに当たり前のことになってたしさ、それを忘れていられるくらい
 に萌え狂ってらくちんに楽しく豊かに遊び、そうしてアニメの豊穣さの中に抱かれてそして繋がっている
 感覚が得られたなんてさ、とってもな僥倖だよ。
 そして今、「読む」ことの本場、読書体験の中でもそれが出来始めていて、おまけにそれが出来ても
 「読む」という事は失われなくてちゃんと私の中に残ってて、ああ。
 
 だからなんか。
 今素直に、「物語」を愉しめそうな気がする。
 
 
 っつーことで、ちょっと図書館行ってくるw
 
 
 
 
 とまぁ、今回はこの辺りで。
 前回酔っ払いながら書いた文章より、素で書いた今回の方が訳わかんないってどういう・・・w
 ということで、はい、終了です。
 まぁ、「読む」ということは私の中ではとても巨大なことで、そして最終的になにが言いたかったと言います
 と、萌え万歳と、まぁそういうことになるのかもしれませんね、よかったですね、はい♪ ←嬉しそうに
 次回は・・・・どうしようかな
 一応、ゲーム&音楽編にしようかなと思ってたんですけど、あんまり書くこと無いのですよね。
 うーん。
 あ。
 そういえば、化物語の第13話の感想書くの忘れてた。 やばい色々怒られる。
 それを付け足しましょうか、あ、でもちょっと今週は時間無いかなぁもう、でも化物語のプチ感想は
 もう充分遅いけど善は急げで早く書きたいし、でもそのふたつを合わせて書く時間はほんとに無いなぁ、
 昨日までは暇で暇で胸に穴が空きそうだったくらいなのに、今日わんさか来ましたよ予定が、なんで
 こう一気に来るかなぁ、おまけに今週末は私、PS3買うし。
 
 今週末は私、PS3買うし。 ←重要なので二度言った
 
 まぁうん、時間に困って、今期アニメにちらっと触れて化物語プチ感想で〆、というのがベストかなぁ、
 でも今期アニメは調子乗って書いて時間無いとか言い出しそうだなぁ、どうしようかなぁ。
 まぁなるようになれ。
 
 
 ということで、なるようになります。 (爽やかな笑顔で)
 ではそういう感じで、色々よろしくお願い致します、ごめんなさい。
 
 うん、ごきげんよう、また次回お会い致しましょう。
 
 
 
 
 
 
 
 

 

-- 091106--                    

 

         

                                  ■■ 夢のみる朝 ■■

     
 
 
 
 
 ごきげんよう、紅い瞳です。
 
 秋も深まり冬の足音も聞こえ始めた今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか?
 ちなみに今日はとても暖かく、今自分で言った挨拶を撤回しようと思えるほどでしたけれど、時候の
 挨拶なんて所詮社交辞令ですので、そのままでいいと思い、撤回致しませんでしたことを、どうぞ
 ご了承くださいませ。
 ていうか、あっつい。 なんだこれ。
 
 さて、今日はお酒のお話をさせて頂きます。
 今年の夏はお酒尽くしで御座いました御陰で、ほんと御陰様で、体重がこのような次第になってしまい
 まして(体重計を指しながら)、秋はこそ自重、自重の季節が秋なのですうむ、と、心機一転を
 目論み、浮いたお金をどう使おうかしらと算段も逞しくしていたところ、おお懐がこんなにも暖かくなって
 いるじゃないですか→じゃあお酒買おうそうしよう、という誰もがあっと驚く展開をみせて、こうして改めま
 して叫んでいるので御座います。
 お酒、美味しいー、と。
 まぁね、それはね、秋ですから、秋こそ日本酒うまうまですから、夏は色々な勢いとか盛り上がりとか、
 そういうもので皆さんと一緒に楽しく飲めるのですけれど、秋はぽっくりとひとり月見酒と洒落込める
 ほどに、お酒そのものの味がひときわ濃く高く、かつ秋は食べ物のまた美味しい季節で御座いますれば、
 また皆さんと美味しく膳を寄せ合いへし合いしての贅沢な宴会もまたおつなもので、そして冬は雪見酒
 が御座いまして、春は春で花よりお酒なので御座います。
 
 これがお酒飲みがお酒を飲むための基本的な口実作りのやり方で御座います。 (お辞儀)
 
 まぁでも、口実を作ってから飲むところまでが私のラインで御座いまして。
 あまりに無理矢理な口実作りは興が削がれますし、肴にして美味しい口実であってこそお酒に相応しく、
 そしてゆえに、口実無く、ただやけっぱちの自棄なり愚痴を気取って飲むのは、これは私にとっては
 御法度と申しますか、それ自体を目的として飲むことは無いので御座います。
 もっとも、月を見上げながら、しんみりと己が苦しみなりなんなりと、そういったものを噛み締め、しかし
 お酒の味に滑らかに酔い、月の冷たい暖かさにとろけていく中で、その己が苦しみを目の前に置くこと
 で、改めてそれを向き合う自分を見つける、というもののために、敢えてやけっぱちなり自棄なり愚痴
 なりのままに飛び込んでいくことは御座います。
 あくまで口実は月見酒。
 月を見ながら、お酒を飲みながら、その中で自分を吐き出しそれに溺れることで、その溺れの快感
 そのもの中からにょきりと昇り立つ、その私の本当の意志を見つけるからこそ、己が苦しみそのものを
 快感として楽しみ、そしてあくまで苦しみというモノとして、「忘れる」事が出来るので御座います。
 まぁもっとも、お酒の怖いところは、その昇り立ってきた自分の意志も綺麗に消えることが多い、という
 ところなのですけれど、しかしだからこそ、その自分の意志によって昇華されてしまった苦しみを、
 また次の日も同じようにして味わえ、そして何度でもその同じ苦しみに向き合っていく事が出来るのです
 から、一度解いた問題の解き方を何度でも忘れて、何度も向き合い、そして何度も同じ解き方を
 続けていくことで、やがて、それが少しずつ実は解き方は同じでは無くなっていることに気付く、その
 ことこそ、今私としましては、お酒を飲むことの中でひとつ、「お酒」というもの自体に求めているもので
 あったりするので御座います。
 
 
 最近は、と申しましてももう2年ほどはなりますか、私のお酒を飲むペースは基本週一回。
 金曜の夜のみで御座います。
 付き合いの飲み会、また友人知人との飲みも時折御座います。
 他に、たとえばサッカーのヨーロッパチャンピオンズリーグの放送があったときや、諸々のイベントごとに
 かこつけて飲むことも御座います。
 金曜夜は、独り飲みで御座いますね。
 ひとりで、お酒飲みながら、録り溜めたアニメや、そのときにやっている番組を観たりしております。
 無論、その季節毎にあるもの、今ですと月や星が綺麗ですので、暖かくしてから窓をちょっと開けて
 月光を望めるようにもして飲んでおります。
 そしてあまりに月が美しいときには、それこそそれを口実として金曜の夜以外にもちょっぴり飲むことも
 御座います。
 そして、まぁ、皆さんと飲むときは楽しく嬉しいままに、あ、私は酔うと途端に腰が軽くなってあれこれと
 世話を焼くタイプに変貌致しますので、色々となにがサービス出来るかとそういうことを考える愉しみに
 酔っていたりしますけれど、独り飲みのときは、基本泣き上戸で御座います。
 いえ、以前は完全に笑い上戸だったのですけれど、最近は泣いております。
 ただ、先ほど申し上げました通りの、苦しみがどうとか愚痴がどうとか、そういうものを肴にして飲むことは、
 実はほとんど無くて、アニメを観ながら、色々と考え感じていくうちに、酔うことでしか感じられないモノに
 そっと触れることで開かれていくその自分そのままに、新しく次々と自分の考えや気持ちが繋がっていく
 ことが嬉しく、そしてそれが堪らなくなって涙が零れる、という場合がほとんどなので御座います。
 考えたくて、感じたくて、それが私ひとりの力だけでは無いもので、はっきりと開かれて繋がっていく感触、
 これこそ私のみるお酒の真髄のうちのひとつ。
 泣き上戸の私がこのとき流す涙は、すべて、嬉し泣きゆえのモノなので御座います。
 哀しさや、悲しさや、寂しさや、苦しさや、辛さや、そして絶望から流す涙はひとつも無い。
 ある意味、お酒飲んでいるときの私は無敵状態。
 そして酔いが醒めれば、その状態は終わり。 あとは忘れてなにも残りませぬ。
 けれど、だからといってそれは虚しいものでは無く、またそのひとときの夢を味わいたいがためにお酒を
 求めるという事にも繋がらない。
 お酒の入っていない酔っていないときにも、酔える私になりたい。
 私は常々、思っているので御座います。
 お酒が良い夢を魅せてくださいました、それを儚いだとか虚しいだとか、そんなお酒に対して無礼千万、
 そしてそのお酒にしかと酔えた私に対して失礼なことは御座いません。
 お酒があんなに楽しく嬉しく私を酔わせてまた私もそれに応えてくれたのだから、今度は素面の私こそ
 が、それと同じことをしてみたい。
 言ってみれば、酔いは目標なので御座います。
 私はお酒を入れずにアニメを観て、感じて考えたことを、日々日常の中に取り入れ実践し、そして
 さらなる昇華を目指して静かに頑張っております。
 そしてそれは、すべて地続きのことで、理想と現実という安易な分離のあるものでは御座いません。
 ですから、私にとって素面で描いた理想を現実に変えていくという作業は、それほど難しいことでは無い。
 ゆえに、ならば、素面でなければ、どうじゃ?
 ぬしは、酔いに任せて感じて考えたそのモノを、それを次の日にはすっかり忘れてしまっても、実現する
 ことが出来るのかや?
 いや、出来ない。
 だが、出来る自信はあるぞ。
 ほう、面白い。
 忘れてしまうからこそ、地続きでは無いからこそ、それを実現するのは困難。
 でも、忘れてしまっても、心地良く酔った中でみたそれが、私にとって大切なものであることは事実。
 忘れても、忘れても、何度も何度でも酔って感じて考えて、確かに明確な形としてそれが次の日に
 残ることは無くとも。
 こうして私が次の日の此処にいるという事自体。
 変化の可能性を、大いに孕んでいるので御座います。
 地続きで、自覚的に意識してきたものでしか事を為し得ない、物を成し得ないというのなら、それは
 おそらく、本質的なものではありんせん。
 忘れようが壊れようが、わっちらという主体が此処にある限り、一度感じて考えたものは決して途切れ
 ずに、この「自分」というもののなかで、どんなに僅かなりとも形を変えようとも残っておる。
 それを、目に見える形に、素晴らしいものに時間をかけて鍛え上げることこそ、ぬしの仕事じゃろ?
 いや、それにこそぬしがなにかを為しなにかを作る事の価値があるのじゃろ?
 ぬしが生きるということの価値も、そこにこそあるんじゃな。
 ああ、そうだ。
 楽しいのう。
 楽しいな。
 
 
 
 
 
 と、いうようなことを、お酒飲みながら書いているので御座います。
 今宵は金曜が夜。
 
 ひゃっほー!
 
 
 
 
 
 ◆
 
 酔っ払いの戯言はその辺りにして、まぁその、うん、お酒は美味しいですよ。 (ええ)
 私は基本日本酒党です。 なにやら日本酒です。 ここぞというときには日本酒です。
 だって日本酒優しいもの、ほんのり身に染みるもの、色々飲んできましたけれど、一番体に合って
 リラックス出来るのは日本酒だわやっぱり、味も深みというか複雑さがあるし、なにより飲めば飲むほどに
 変化していくその度合いが一番大きくて、そういうの好きよ私、それにお刺身との相性が抜群で、
 まぁ、日本酒の場合料理に合うというより、お酒に料理が合うってなっちゃうから、料理主体のときは
 アレなのですけれど、てか私、お酒無いときお刺身はあんまし食べたいと思わないのですけれどね、
 やっぱりあれですか、日本酒やっちゃうと料理がすべてお摘みと化すって感じですか。
 友人にそれ話したらもう終わってる(溜息)みたいな反応されまして、逆に、あーなんかわかると、
 自分のことのくせに妙に納得してしまったり。 ん? なんか今変なこと言った?私。
 
 んー、なんだろ、独り飲みのときは私、むしろお摘み肴の類は要らない勢いなのよね、最近。
 むしろ、気分的に独り飲みじゃ無いのに他の人が全員今日は駄目ていうか私はあなたが嫌いです、
 な状態のときに、べ、べつにあんた達がいなくたって私は独りでも大丈夫なんだからねっ、と、勢いで
 ツンデレになってしまったときに、なんか普通に寂しくてお摘みとか並べてみんなと飲んでる気分になる
 というか、そういうノリとか興とかそういう部分で、どうも私にとってはお摘みやら酒の肴やらはあるよう
 なのね。 あ、みんなと飲んでるときはお摘みも美味しく頂いてるのですけどね、結構大事よそこ。
 ぶっちゃけ、完全独り飲み態勢のときには、お摘みいらねー。
 むしろ塩だけでいける。
 そう友人に言ったらもう終わってるていうか終われ(溜息)と言われましたけれど、当然な気がします。
 独り飲みで塩のみって、それ冬の厠で卒倒のパターンやんけ! (上杉謙信エンド ぉぃ)
 まぁぶっちゃけ、お摘みあると飲みに集中出来ないというか、特にアニメ観ながらのときは邪魔なんだ
 よね。
 それに・・・・・・・・カロリー高いし・・・ ←かなり重要な問題です
 そう、そうなんですよ、この夏体重がアレなのは調子乗ってみんなと飲みまくって、そのときにさらに
 調子乗ってお摘みをうまうましてたからで、おまけにさらに調子乗って色気出して独り飲みのときも
 豪勢にお摘みを・・・・・・・・そりゃー・・・・太るよ・・・orz  (今更)
 私としては自棄的な孤独を気取って酒と塩!、みたいなのは趣味じゃ無いので(趣旨にも反する)、
 たんに私の場合は必要不必要から出た結果だけで、するとこう、ここにヘルシーというベクトルを注入
 すると、あらふしぎ、そのために必要なものとして、少々のお摘みは浮上してくる訳でして、はい。
 あ、お摘みはあった方が肝臓にはいいんですよね、あと水ね、お酒と同等の水飲むといいらしいので、
 それは毎回実践してます、まぁ同等まではいってないですけどね私は、結構意識して水飲んでます。
 まぁ、健康意識して酒が飲めるか、ていうか酒飲み失格だコラ、と仰る御仁もいらっしゃるかとは思い
 ますけれど、それは甘いですぞ、健康も酒の肴のひとつじゃないのん?、ていうか、なんでも酒の肴に
 して愉しめるからこその酒飲みの粋っぷりの本質ではないかい?
 
 
 その辺りは、萌えと一緒ですたい。 うむうむ。 ←したり顔でなに言ってんですか
 
 
 
 ええと、なんか恥ずかしくなってきたので(ぇ)、夏から秋にかけて飲んでたお酒をずらっと書きます。
 あんまし覚えてないけど、覚えてる分だけ。

 
 ・本醸造 「月の桂 にごり酒」: 大極上中汲 。 なんすかそれ。
  前に飲んだにごり酒はこってりぽってりな感じだったので、しゅわっとさわーなこの発泡にびっくり。
  うは、爽やか。 なるほど、これなら確かに夏に合う。 けど私は敢えて夏にこそこってりなのが飲みた
  かったの! 暑いときにこそ熱いものを食べるのと同じ感覚でいきたかったの! (はいはい)
  あとこれ発泡しすぎだろ。 嘗めんな。 あんなに零れたら舐めるしかないじゃないの! (なんだそれ)
 
 ・「生酛本醸造冷やおろし」: 大七酒造。
  あー・・・あんまし覚えて無い。 確か、生酛なのにあんまし酸っぱく無くてハッピー♪、だった記憶が
  あるのですけれど・・・そんくらい?
  私は酸味自体は良いのですけど、「酸っぱさ」として出てきちゃうのはあんまし好きじゃ無いんだよね、
  アクセントのひとつとして、甘さなんかを引き立てる程度なら好きなのですけれどね。
 
 ・純米吟醸「伝心 雪」: 惚れた。 (ぇ)
  あいや、ラベルと化粧箱にね、味も良かったけどね、爽やかなまろ味がなかなかいけました。
  一瞬淡く消えていきそうなのだけれど、しっかりと舌先に残り、辛味を基盤としてじわじわと広がる
  苦みが、ああなんか、日本酒の可能性をまたひとつ広げてくれたような感じでした。
  甘さ無しでここまで美味しかったのは初めて。
  でも惚れたのはラベルと化粧箱なんですよね、白くてさ、シンプルなんだけど雅でさ、ああ。 (溜息)
 
 ・「無濾過純米生原酒」: ほまれ酒造。 銘だけで涎が。 いやこれは反則だ。 
  おまけに真っ白な化粧箱に墨字で銘の妙が味わい深く、さらには記してある口上がなんともはや。
  あー・・・喉が鳴った・・・・・これは反則でしょ、飲む前から酔ったよこいつめ。
  そして味がまた凄いこと凄いこと、すべての味のグレードが高く、かつ福島のお酒らしく濃い上に米の
  風味が上品に甘く薫り高く閉じ込められていて、さらに変化度も抜群。
  はい、この夏秋で飲んだ日本酒のMVPはこの人に決定ね、はい。
 
 ・純米吟醸 原酒 「酒呑童子 赤の大鬼」: 生詰めでひやおろし。
  酒呑童子ですしね、酒飲む鬼ですしね、赤いですしね、そりゃ飲むわ。 (どういう理屈だ)
  あと以前に某御方のブログで美味しかったと評されていたし、なんかこれを作ったハクレイ酒造の
  ハクレイっというのが東方のなんとかとネタ的に関係あって云々、みたいなので愉しんでおられたので、
  なんかそうやって他の方が愉しんでたお酒って興味あるんですよね、だから買いましたなんか文句ある?
  味は、生らしいぬまっとしたまろ味が実に鮮やかに決まっていて、実に旨い。 いくらでもいけちゃう。
  甘味や辛味などのバランスも変化しつつも良く取れていて、というか変化する妙味が面白く、うん、
  これは今まで飲んだひやおろしの中ではベストでした。 合格。
 
 
 あといくつか飲んでたんだけど、忘れちゃったので割愛します。
 忘れても、私の中に刻まれた君たちのアルコールは消えないさ! (それはただの二日酔いです)
 
 んで、もう字数的にアレっていうか、ちゃっちゃと切り上げて飲みに本格移行したいのですけれど、お酒が
 向こうで手招きしているのですけれど、申し訳御座いません、あとひとつだけ書かして。
 日本酒以外のお酒ね。
 んー。
 ジン、きたよこれ。
 蒸留酒系で、メインなのはこれで全部飲んでみたけど、これ、ジンが一番行けるでしょこれ。
 ブランデー、ウイスキー、テキーラ、ウオッカ、ときて最後にジン、この辺りが有名どころでしょうか、
 あ、あとラムがありましたね、ラムは昔まだお酒をまともに飲んでなかったころに、ちょびっと飲んだ記憶が
 あるだけで、あのときの感想は、なにこれ?セ○ダインというものだったので、あ、ラムはもう一回飲ん
 どきますか、でね。
 私の中では、ジンが一番になりました。
 爽やかで、飲みやすいけど味わいもあって、一番「飲みたい」と思えるお酒かな。
 ブランデーが・・・・もうちょっと頑張ってくれないからさぁ・・・だってブランデーちゃんとしたのは高いんだもの
 、そりゃ低価格帯のものでもある程度良い味出してるジンには勝てないもの。
 今のところ、ボンベイサファイヤと、これはブードレスって読むのかな?そのふたつを飲んでみて、
 両方ともOKで、ジンは私の定番酒になってきてます。
 ボンベイはロックにすると爽やかな旨味がすかーっと広がって大変によろしく、ブードレスの方はストレート
 でまったりうまうまと飲めてグッド。
 
 はぁ、幸せ。 (うっとり)
 
 
 
 とまぁ、そんな感じ。
 お酒の話は以上です。 いやなんのまともにお話出来て無い気がするのですけれど。
 読んでくださった方ありがとう御座いました、っていうかお疲れ様。
 んで、次回は、たぶん本編になります。
 いや、お酒の話の本番っていう意味じゃ無くて、つまりまぁ書物としての本、つまり読書編って事っすね。
 ロクな事を書かない自信は御座いますので、どうぞ乞うご期待で御座います。
 
 
 それでは、今宵はこの辺りにて。
 ごきげんよう。
 
 
 
 よっし。 いきますか。   ←きゅぽっとお酒の蓋を開けて
 
 
 
 
 

 

-- 091102--                    

 

         

                                 ■■ 時雨どきの靄 ■■

     
 
 
 
 
 お前がかの戦争でどのような苦しみを受けたのか、私にはわからない。
 それを救うなど、おこがましいに違いない。
 それでも誓おう。
 私は、この目に映るすべてを救う。
 この世に光と影があるならば、私は光に立ち続ける。
 どこまでも理想を掲げて、必ず戦い抜いてみせる! (挨拶)
 
 
 改めまして、ごきげんよう、皆様の紅い瞳です。
 はー、いいもの魅せて貰いました。
 いえ、観せて貰ったと言うべきでしょうか、聖剣の刀鍛冶。
 ですよねぇ、考えれば考えるほどに、この言葉の意味がよくわかります。
 やっぱり、そう言えなくちゃ、いいえ、そう言わなくちゃ嘘ですもん。
 私はこれでも根本的には完全ネガティブ思考なので、ほっとくと気付いたときには全身全霊で頭と言葉
 をこねくり回して、苦しさとか絶望とかに逼塞して、それを肯定するだけの自分の「なにか」に囚われて
 しまいます。
 そして、それに気付いて、即脊髄反射的にポジティブ思考に翻ったりするのですけれど、それはただ
 その苦しみや絶望そのものから逃げ出しているだけの逃避に過ぎなかったりして、本質的にそれは、
 私がその「なにか」に囚われている事と同じだったりする。
 ネガティブか、ポジティブか、そんなのは本質的には変わりません。
 私にとって重要なのは、そこ。
 私自身は全くの影であったり闇であったり、もうぐちゃぐちゃ、それでその自分を肯定しないとやっていけ
 なかったり、その自分を無視すると出来ないこともあったりする。
 でも、それでその自分が影であり闇であり、そのままの自分で生きることこそ本質だと言うのは、
 これは明らかにおかしい、私的に。
 それはもう、笑ってしまうくらいに、可笑しい。
 
 だって、私が影で闇で、苦しみや絶望に囚われてしまうことは。
 「当たり前」の事なのですから。
 
 そんな「当たり前」の事に気付いたとて、そんなのは本質でも無ければ目的ですら無いですし、
 逆にさらりと「当たり前」と言えるからこそ、あるいは知ったこっちゃ無いと軽やかに言えるからこそ、
 その「当たり前」の自分に囚われない、本当に自分のしたい、その自らの本質的な「欲望」に忠実に
 生きていけるようになるのですよね。 まぁそれこそ地獄的に辛いことですけれど。
 地獄に生きる者にとって、一番の欲望って、それは紛れも無く天国に生きることですし。
 自らが地獄に生きる者だという「当たり前」過ぎるその自覚はただ、その自分が天国に生きるために
 必要だと、なによりも自分が認識した「道具」的なものであって、決してそれは地獄に逼塞するための
 認識では無いのだと思います。
 自分をよく見つめるということは、自分の根本がどういう弱さで成り立っているのかを見抜く事では無く、
 その弱い自分こそが、一体どのような自分になりたくて堪らないのかという、その欲をこそ見極める
 事なのじゃないかなぁって、私はずっと思っています。
 だから頑張れるというか、頑張ることに意味があるというか、そしてそういうのは全部。
 私の前に、他者がいるから。
 この緊張感、この暖かさ冷たさ、それがなんていうか、私の中の欲望を、とてつもなく刺激してくれる。
 相手への気遣いとか思い遣りとか、それがどういうものか本質的にわかっていないからこそ、頑張らなく
 てもいいんだって言えるのかなぁと、私は頑張れと平気で言える奴の気がしれないと言って憤激して
 いる人を見ると、逆にそう思ってしまうのです。
 私はあなたを頑張らせ無い、傷付け無い。
 だからあなたも私を頑張らせ無いで、傷付け無いで。
 頑張りたく無い、傷付きたく無い、だから頑張らせ無い、傷付け無い。
 それって結局、自分のことしか考えていない、そしてそれゆえのまさに「孤独」なのだと思います。
 それがさも相手への気遣いなり思い遣りであるかのように見えるからこそ、それは見事に本質を見失
 っているのではないか。
 人が独り独りに逼塞して、その等身大に逼塞する事を互いに認め合うだけという意味でなら、それは、
 結局のところ、独りで等身大に生きる事だけで生きていける、その「強い」人しか生き残れない、真の
 弱肉強食の社会を作り出してしまいます。
 自己責任などと言う言葉が一時蔓延していましたしね、恐ろしいことです。
 自らの弱さを肯定し、そのままで生きていける人って、それは充分強いのです。
 自分の弱さを肯定し、そのままで生きていこうとすれば地獄しか無い弱い人だからこそ、その自らの弱さ
 と向き合い、そして打ち勝って強くなろうとする。
 強い人達が努力を否定して弱い自分だけに逼塞するのなら、その本当に弱い人達が自分ひとりで
 はなんともならないからこそ、「誰か」の助けを「期待」して頑張り続けている、その必死の、その生存
 を懸けた努力の手を叩き落とす事になってしまいます。
 
 なんのために努力するのか、頑張るのか。
 それをまず本当に本当に深く激しくもう一度考えてから。
 「頑張らない」と言う事に臨み、そしてその価値と向き合って欲しい。
 
 なんか最近私の周りってば、頑張らないとか努力なんて無駄とか言っている人ばっかりで、空恐ろしい
 気持ちになっちゃってて。
 それがすごく自己責任という言葉と結びついているのが見えて、ああこの人達って、ほんとに困ったとき
 は平気で頑張らないで、頑張らずに済む範囲に住んでいる自分だけを守っていっちゃうんだろなぁ、と、
 逆に一生懸命頑張って必死になっている人を見ると思ってしまうのでした。
 んで、今の私的には、そうやって頑張りを否定する人達の中で、それでも必死に頑張っている人達の、
 その絶望的な戦いを、それでも途切れさせずに、必ず希望へと繋ぐためにこそ、「休憩」としての「頑張
 らない」を提唱しているつもりです、まったりゆったり極楽夢気分♪ ←欠伸しながらお茶飲みながら
 私の基本属性は、頑張りっ子萌え。
 諦めない子萌え。
 私のぐだぐだっぷりは、その頑張りや諦めなさへの応援歌。
 あとツンデレとか。
 べ、べつにあんたのためにツンツンしてる訳じゃないんだからねっ!、という子に、あーはいはい、素直に
 デレる事が出来ないだけなんでしょ、はやく素直になればいいのに死ねばいいのに、とか言ってたら、
 その子報われないっていうか普通に死ぬ。 やりきれぬ。
 
 
 
 ・・・。
 久しぶりに、こじつけが綺麗に決まりましたな、ええ、ほんに会心の出来ですね。 (微笑)
 
 
 まぁうん、私のこのぐだぐさが、「頑張らない」ということであり、だからこそ頑張りを否定する人の側に
 立って、じゃあそこからこそ、「頑張らない」と言う境地からこそ、如何に頑張ることと再び向き合えるよう
 になるのかを、私は頑張らない人達と共にこそ考えて生きたいなとも思いますよ、うん。
 だって一番孤独なのは、ほんとはその人達なんだもん。
 ていうか。
 たぶんそれが、一番私らしいことなのかも。
 私があくまで、見かけだけだろうともなんだろうとも、それが「光」である以上、その光の側に立って戦う
 というのは、そういうことなのかもしれませんね。
 
 
 
 
 ということで、今回はこの辺りでさぱっと終了♪
 おー、これくらいならお手軽な。 読む方にもきっと優しいに違いない。 (いつものが長すぎなだけです)
 んじゃあ、次回のお話はお酒な。
 え、なんでとお思いの方、それはですね、私の話が長くなるときはたいていアニメ絡みなときのことで
 御座いまして、ですからアニメ抜きの話にすれば短くなるわけで、そして最近アニメの話ばっかりで
 飽きてきたっていうか私=アニメとか思われても困りますわ♪(今更)、という感じでもありまして、
 ですから、アニメ以外で私を語るに適したものはなにかと言いますと、現在はお酒になるので御座います。
 ・・・・。
 それもなんかやだな。 (うーん)
 んじゃあ、こうしましょう、私はこれから何回かに渡って私のことを書きます。
 その中の一環で、私を語るには外せないもののひとつとして、お酒のことも書きます。
 次回はお酒編で、それ以降ぞくぞくとみせかけて実はちょっぴりという感じで、他の趣味編についても
 書いていこうと思います、いつのまにか私の事を書くという話が、趣味についての話にすり替わっている
 ようですけれど気にしない、全く気にしません☆ (私が)
 
 
 では、また。
 ごきげんよう。
 
 
 
 

 

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