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◆◆◆ -- 2009年12月のお話 -- ◆◆◆

 

-- 091231--                    

 

         

                         ■■ 賢いお人好しと諦めない女 ■■

     
 
 
 
 
 ごきげんよう。
 
 
 
 
 
 
 
 あれ? 嘘? もう今年最後?
 大晦日ですか?、あ、この日記は大晦日にUPすることになっていますので、実際これを書いている
 のが29日とか30日だとかでも、あまり関係ありませんね。
 とにかく、最後です、今年最後の意識です。
 ・・・・。
 
 
 あれ? 嘘? もう今年最後?
 
 
 ほんとに?
 人生最速です、今年。
 冗談抜きで、「今年最後」の日記をついこの間書いたばかりなはずなのに、もうかよ!、みたいな、
 そんな感じを本気でやっていたりします。
 なんだか、一年前に巻き戻ししたみたいな、不思議な感触。
 今ぶっちゃけ大掃除の合間にこういうことをちょこちょこと書いているのですけど、書き足しているので
 すけれど、おかしいな、大掃除自体はすごく久しぶりな感じがするのに、あ、そういえば去年はちゃんと
 大掃除出来なかったような出来てたような、とりあえずよく覚えていないくらいの時間は経っているよう
 な、あー、なんかほんとに年々記憶力がアレになってきているようですけれど、大丈夫か?私、
 けど大丈夫、去年の今頃どういう日記書いてたかどういうこと考えていたのかは覚えて・・・・・・・
 
 (過去ログチェック中)
 
 
 あー・・・なんか去年は結構いろいろと書いたみたいね
 なんか、「自分」のことを書いてるね。
 うーん、なんかほんとにこれ一年も前のものなの?、と首を捻りたくなるくらいに進化無いっていうか、
 今でもほとんと同じこと書きそうな気がしてハラハラというか逆に落ち着くというか、ちょ、落ち着くな、
 そこ、いきなりお茶の準備とか始めない!
 はー、美味しい。 (ずずっと)
 なんだろねぇ、去年からはあんまり変わってない気がするんだけど、サイト七年もやってきて、その中
 では確かにだいぶ変わってきたっていうのは、これは案外自覚的だったりはするんですよねぇ、なぜか。
 というよりなんというか、私って結構これでも確信犯的というか、ものすごく計画犯罪のスパンが長い
 っていうか、これ去年も言ったような気がするけど、今のこの日記の形とか中身って、私のやりたかった
 モノの方向性に、非常に合致してきてるのね。
 基本方針だけ決めて、あとはこまけぇことはいいんだよみたいな、むしろ色々夢想したであろう具体的
 なことは全部あっさり忘れて、取りあえず書いてきましょ書いてみましょうの精神で、のらくらやって、
 でも基本方針の、その中のさらにほんとめっちゃピュア(えー)な部分だけはそっと残しておいて、
 それを捨てずにというか、それさえ捨てなければあとはなに捨ててもOKみたいな、そしたら気づいたら、
 七年前には出来なかったことが、今こうして書けてる。
 あー、まー、文章の体裁自体はへたくそだし、書いてることも余裕で支離滅裂に見えるだろし、
 普通に同じことの繰り返しだったりするし、お世辞にも美文とはいえないし、まかり間違っても千年経って
 発掘されても教科書には載らないだろし(ぇ)、でも、私が書きたかったのは、このサイトでやりたかった
 のは、そういう文章を書いて、それでなにかを「創る」ことじゃあ無かったの。
 いってみれば、私はこの日記とサイトを始めて、私の自己破壊を行ってた。
 というか、いかに既存の「自分」という枠組み、或いは固まりきった「語り」から抜け出して、「私」という
 最も根本なもの、つまりまぁ私はそれを「存在」って言ってるけど、そこから改めて語り出していけるよう
 になるかっていうかね、だから文章自体の形はどうでもよくって、私が私として語り出すためには、
 それこそどれだけ時間かかっても構わないし、どれだけ回り道しようが同じところで回転しようが関係
 無く、それも含めてガンガンいこうぜみたいな、そういう感じだった。
 
 
 はー。
 結構大変っつーか、よくやったなー私みたいな。
 
 
 まぁそれ以上に、よくこんだけぶちまけたなぁ、なぁ?、みたいな。
 こんのはじしらずー。 (おまえだー)
 うん。
 これでも私は結構繊細で(は?)思慮深くて(なに?)結構賢人なので(かえれ)、おまけにプライドも
 異様に高くて、だから貪欲っつーか強欲でさ。
 だから。
 なんか、「自分」に拘って、「自分」に囚われて。
 そして、「自分」に引っかかってそこから先にいけないのが、とっても嫌で。
 悔しくて。
 私はなんだかんだでナルシーですし(ですね)、自己愛万歳ですし、だから、うん、だからこそ逆に、
 徹底的にナルシーでありたくて、まただから徹底的にナルシーであるということはどういうことかを問う、
 そうだねぇ、こればっかりは私がたぶん、誰にも負けない唯一にして、そして絶対に消えないと言える、
 そういう、決意としての追求だったのだよねぇ。
 私はね、「自分」ってものが好き。
 うん、私の言葉的にいえば、「私」という「存在」が描き出す、「自分」という「物語」が大好き。
 そしてそれは、同時に、「あなた」という「存在」が描き出す、「自分」という「物語」が大好きということ
 にも繋がっていく。
 私は「自分」が好き。
 私の「自分」が。
 あなたの「自分」が。
 みんなそれぞれひとりひとりの描き出す、その人の「物語」が大好き。
 
 
 んで。
 なんかさっぱり。
 そういう、みんなの「存在」ひとつひとつを、愛してる。
 
 
 これはたぶん、博愛とかそういうのとは違う。
 義務でも無いし、思想でも哲学でも無い。
 私の、実感。
 性善説とか性悪説とかってあるけど、んなのは意味ねーっていうか、それはあくまで「自分」という「物語
 」の筋書きが正義的か邪悪的かってだけの話で、そのいずれかの「物語」を採用する「私」自身という
 「存在」には善悪なんかないっつーか、あるならそれはもうその時点でそれは「存在」じゃ無くて「物語」
 だっていうかね。
 逆に、じゃあなんでその人は邪悪的な「物語」という「自分」を採用してしまうのか、ってことにこそ、
 私らが向き合う本当に価値と意義のある命題が潜んでると思うし、さらに逆に、その一番大切で、
 そして一番向き合うのが困難な命題から目を背けるからこそ、邪悪な「物語」を「存在」と同一視
 して、生まれながらの悪、だなんて都合の良い存在が設定されたりしちゃう。
 だから自己責任なんていう、全く愛の無い、そして、すべての「存在」とその存在が必死に描き出す
 「自分」というものへの侮辱な言葉が生まれてくる。
 自己愛の無いところに本当の責任なんか生まれねーっつーの。
 というか、そういう言葉は、そうして私達が、本質的にはそれぞれの「存在」という、唯一無二のもので
 あるという、その「孤独」と向き合うのが怖いからこそ出てくるものなんですよね、実は。
 一見逆に見えますけどね、私にゃ自己責任とか言うてる人の方が、己の存在に対して無責任という
 か、「自己責任」という「物語」だけを固く見つめて、その物語の中の「自分」に身を委ねまた他者と
 共有することで、本当に責任をとらねばならない、「私」という存在から目を逸らしてる。
 その「私」という存在の責任を全うするのは、絶対に独りでなんて出来はしない。
 なぜなら、その「私」という存在は、ひたすら他者との関係から出来る「物語」を生み出し続けるという
 ことも含んでのものだからなのですからね。
 なのに自己責任とかって全部独りで抱え込むのは、そうした他者との中にありて物語し続ける、その
 なによりも唯一絶対の「私」という「存在」の責任を放り出していることになる。
 
 だって、独りって、とっても楽だもの。
 
 自己責任論は、怠け者の自己正当化の言葉。
 ひゃー、ずっこい。 ずるっこいよ、それ。
 私は、独りは、嫌。
 そりゃ寂しいもん、つらいもん、悲しいもん。
 でも、それ以上に。
 悔しいもん。
 自分が、「独り」という欲望に負けてるのが。
 私が、その欲望よりも、もっともっと大きな欲望を投げ捨ててるのが。
 私はみんなが好き。
 好きだからこそ、たくさん物語りして、傷ついて、笑って、笑いあって、傷つけて。
 傷つけるたびに、好きな人のために身を退く論理に逃げ込んで、それでも物語りしたい自分から逃げ
 出して。
 それの繰り返し、ときには絶望して、その絶望のあまりの苦しさに、生き地獄ぶりに苦しさすらも失って、
 その苦しさを取り戻したい、生きたいと、また何度でも物語し続けていく。
 独りは、絶望は、あったかい。
 それは、希望があまりにも冷たく、厳しく、果てないものだから。
 よく現実は甘くない、いつまでも甘っちょろい理想を見てるなとかいうけれど、そんなんほんとに理想と
 向き合い続けたことが無いから言えることだし、理想を抱える自己存在の責務を果たすという「現実」
 からなにより逃げてるから出てくる言葉だし。
 現実は、確実に理想よりも甘く、暖かい。
 現実は、理想から逃げ出した者達の楽園なのだからね。
 その現実がどれだけ苦しみに満ちたものだろうと、その苦しみは己が作り出したものであることに
 変わりは無い。
 甘い。
 だから。
 
 
 だから、生きられるんじゃないかなぁ。
 
 
 
 うん。
 この一年は、ってわけじゃないけど、私はこうしてずっと生きてきて、そう思う。
 現実は理想への架け橋だし、絶望って希望に至るための踏み台だと思う。
 絶望出来るからこそ、現実を築けるからこそ、私達って何度でも希望と理想に向き合っていける。
 死なずに、生きて戦っていける。
 善人なほ以て往生を遂ぐ、いわんや悪人をや。
 私がよく考えてる言葉だけど、うん、これってほんとうに、愛、なんだよねぇ、きっと。
 こういう言葉が、この世界には、ちゃんとある。
 ネットやってると、「本音」っていうやつが野放しみたいだけど、でも「本音」っていうのは、あくまで「物語」
 であって、そうだね、建前というものを立てて、それを見つめて色々おもうのが本音、つまりそういう「自分
 」の物語であって、なら、その「自分」自体をみつめている肝心の「私」という「存在」は、じゃあどうする
 の、その「本音」を見つめている、その「自分」という「物語」もまたあるでしょうに、っておもうの。
 本音とか感情とか等身大とかさ、まるでそれが伝家の宝刀みたいな感じになってるけど、そんなん、
 私達のごくごく一部のモノでしか無いし、なのにそれが自分の本質みたいな形にして、そういう「自分」
 に凝り固まって信奉して、そこからしか物を言わない見ない、そして感じず考えないのは、これは、
 ただの、そう、ほんとうにただの怠慢なんだよね。
 つまり。
 
 それら本音や感情や等身大とかが、私達の内にあるのはそうだけど。
 でも、それらが存在するということは同時に。
 それらをそうして言葉にして発して語って己が見つめることが出来ているという時点で。
 
 それらと真逆の本音や感情や等身大さもしっかり自分にあるってことか、ってことになるじゃん、ってこと。
 
 なんだっけ?、それは「とある魔術の禁書目録」の当麻の台詞で似たようなのあったよね。
 本当の自己愛って、ナルシーって、等身大さには無いよ。
 「一面的」な本音や感情や等身大さしか見えないとき、それは確実にもう一面にあるなにかを隠して
 る。
 そう、隠してる、のよ。
 本音なのにさ。
 本音って、なにも隠して無いからこその本音、なんじゃないの?
 なのになにかを隠してるってそれ、本音じゃ無いし。
 「本音」というモノで隠している、本当の本音がある。
 希望は厳しい。
 厳しいから、ほしくても欲しくても手に取れなくて、辛くて、もう嫌なのよ、諦めたいのよ。
 これが、「本音」。
 そして。
 諦めたい?
 なにを?
 あなたが諦めたいと思うほどに、重大で、深遠で、圧倒的に、絶対的に激しいモノはなに?
 そのモノこそが、本音。
 そのモノを手に入れなくて、なにがナルシーですか、なにが自己愛ですか。
 泣きながら、泣きじゃくりながら、泥まみれになりながら、それでも欲しくて堪らないものがある。
 だから、だから、それを諦めてでも、それを密かに求め続けることが出来る、絶望と現実がある。
 諦めたってOKよ。
 だってそうして、諦めてる「自分」を見つめてる「私」はこうしているのだから。
 私はいつだって、その「私」を感じてる。
 私はいつだって、自分をみてる。
 見て、見つめて、紅い眼差しで照らし続けて。
 だから。
 その紅い血の通った、暖かい絶望の闇に濡れる、その自分が。
 やがて、現実の中で少しずつ、本当に少しずつ、理想を叶える力と知恵を身につけていける。
 私は去年の今頃と今の私の違いはあんましわからない。
 でも。
 もう何年も。
 何年も前の私とは。
 
 もうずっと、違っている、その私のことを、今こうして、感じています。
 
 
 
 
 
 
 
 
 (*珍しく紅い瞳が真面目に語っています。もうしばらくお待ちください。)
 
 
 
 
 
 
 
 
 賢いお人好しと諦めない女。
 これが、今年一年、そう、2009年の、私の結晶なのかな。
 まぁ具体的にいえば、「狼と香辛料U」のロレンスとホロのことなんだけどさ。
 うん、今年はホロとロレンスだけじゃ無いもんね、そういうキャラは。
 化物語の戦場ヶ原様と阿良々木君とか、あとほかにも色々いましたね。
 アニメって、やっぱすごい。
 なんていうか、ある意味常に先端なんだよねぇ、今生きて考えている人のままに本質的に考えていこうと
 してるというか、逆にドラマって全然そういうの無いっていうか、ある意味徹底的に商業的というか前時
 代的というか。 「現実」という甘い厳しさで癒すだけというか。
 リアルタイムに、アニメはすごいなぁ。 アニメは極めて本質的。
 なんかさ、うれしくてさ。
 だって、優しいのに賢いんですよ?、どんなになっても狡猾にして絶対諦めないんですよ?
 どうみたってこれ、理想じゃん。 めっちゃ刺激的。
 私達が現実の中で激しく追い求めていく、まさに理想じゃん。
 優しさが必要なのは誰にもわかること、だけど私もこうして色々生きてきて、その誰にもわかることを
 必死に否定することでしか生きられない人や、それが人間なんだって言って安心した気になっている
 人が非常に多くて、私が今一応所属してる社会って、実はそうしてあるんだってわかって。
 でもさ、不思議というか、考えれば当たり前の話なんだけど。
 昔、その昔、大人の人達に、「大人になればわかる」と言われた、そういうモノと改めてこうしていくつか
 出会ってきて、確かにその昔は、そのモノが「どうあるのか」を理解せずにただ批判していたけどさ、うん。
 でも、ふふ、おかしいの、今はそれがどういう構造で、どうあるのかを理解してきて、その上でだから。
 
 なお、改めて、間違ってるとおもうこと、たくさん。
 
 なぜ、「大人になればわかる」と言うのか、がわかってきたし、実際私もそう思わず言いたくなるのは
 わかるし、その気持ちが生じること自体はむしろ否定しないし。
 でも。
 その気持ちをただ正当化して、それを恃みにするかどうかを決めるのは、私自身。
 ていうか私はロースペックだから、言わずとも頭の中ではそればっかりで、むしろぐるぐるだったりすることも
 あるし、そうした言葉で自尊心が実際満たされてそれで満足しちゃうから困るんだ私は。
 けど。
 だからこそ、わかるよねぇ、というかわかる人はしっかりわかってるだろしね、うふふ、今私のこうした「語り方
 」を青臭いって感じて鼻で笑う人はいらっしゃるとは思いますけど、実際私も、うは青、って思って鼻で
 笑い出してるから、なんだこのカオス、でまぁ恥ずかしいやらなにやらではございますけれど、んでも、
 そうね、その「恥」の意識そのものが、鼻で笑う行為自体が、それがすべからく自己正当化に繋がって
 いるんじゃないの?、ということを私は言いたいがために敢えて私はこういう言い方を(以下略)。
 
 うん、つまりね、語り手が青臭いかは重要では無く、逆にそれを青臭いと思うだけの、その当人の意識
 自体が問題なわけね。
 つまりまぁ、私もやっと、かつて「大人になればわかる」と言っていた人達と同じ境地に立てて、そういう
 意味で対等に勝負出来るようになって、だから改めて現在勝負中ってことなのよ。
 で、昔とはべつの意味で、おかしいなと。
 あんたら、たかだか「この程度の厳しさ」を持ち上げて、それ盾にして今まであんな事言ってたのかよ!、
 みたいな、それを踏まえた上でやらなきゃいけないことサボる口実にしてるだけだろが!、みたいな。
 まぁ今「この程度」って言ったけど、程度は関係無いんですよね、じゃあこれ以上の厳しさがあったら
 それは盾にしていいんかいみたいな、そういう事になるし、それは違うというか、厳しさ比べしたって意味
 無いし、むしろぶっちゃけ前言撤回するようだけど、盾にすることはいいんです、しちゃっていいんです、
 ただそれを、「なんのために」盾にするのかが重要なんじゃないの、というか。
 だいたい、私と同世代と思われる人達が、「大人になればわかる」とかって若い子達に平気で言ってる
 のを見てて、なんか笑ってしまうというか、なぜそう言うのかがわかりすぎて片腹痛いというか、あんた達
 ほんとに大人になったのかしらん?(微笑)、というかおまえがいうなっていうか、はいすんません、んでも
 きっと、かつて私達に「大人になればわかる」とかって言ってた世代の人達が、私達の世代が同じことを
 言うようになってきたのを見てどう思うんだろとか、やっぱり違和感抱くのが普通だよね、でも普通に
 したり顔で同意とかしてたりするんだろか、あほやなぁ、というかそういう阿呆の伝統を続けて、いつまで
 「今」というリアリティから目を背け続けるんだろとか、あーなんか愚痴っぽくなってきたよ、なんかこの人
 溜まってるよ、溜まっちゃってるよこの人、まぁうん。
 
 
 
 まぁ、進化しようよ、って話なんですね、つまり。 (どんな言い草よ)
 
 
 
 つか。
 進化っていうかさ。
 ほっとけないのよ。
 私のナルシーな自己愛とかプライドとかって、全部そのためにあるっていうか。
 みんながさ、そうやって閉鎖的に「大人」という名の「子供」で完結しちゃう人も含めてさ。
 私は、ほっとけない。
 ほっとけないっていうか、みんなで、楽しくなりたい。
 楽しくなるためにこそ、「厳しさ」とか「怠慢」とか使っていこうよ。
 どんどん新境地伐り拓いてこうよ、そのために大人になるんじゃん?、私らってさ。
 優しさって、ただそれから始まるものだし、その楽しさを求める優しさを徹底的に追求するからこそ、
 だからこそ賢さがなによりも必要になってくるし。
 それはなんていうか、それになによりも必要なのは、諦めないってことなんだろね。
 諦めても、諦めない、っていうか。
 粘り腰、というか、思考の持続力というか。
 豊かな思考とかって、まずひとつの思考のしなやかさを図るところから始まるんだよね。
 なんか、色々と人の話を聞くことが多い私だけど、どうもそういう意味で忍耐力というか、そういうのが
 無い人が多いのよね。
 それは感情的な人にも理屈屋な人にもいるし、老若男女関係無し、というか、感情とか理屈とか
 それらだけにのめり込むというか、それらの「せい」にして、もっと柔軟にしぶとく考えたり感じたりすることを
 しないというか。
 「潔さ」、っていうのが、もしかしたら関係してるのかもしれないねぇ。
 なんか武士道的というか、すぐ死を前提にしたがるというか、それってつまり、非常に「物語」に囚われて
 いるというか、ほんとうに「孤独」なのが怖いんだなぁ、だから擬似的な「みんな」っていうのを作るけど、
 「ひとり」という絶対無二の「私」を恐れてるし憎んでるから、ほんとうの意味で、その「みんな」っていう
 のが、「ひとり」ひとりの「私」で構成されていることを無視しちゃうし、だから、自己愛とか否定的にしか
 見れないし、勿論自分を含めて誰の「私」も愛せないからこそ、自己責任論なんてのが出てきちゃう
 し、その感覚はずっと万古より続いてる。 や、正確には武士道出来てからか。
 自分がそうだっていう自覚無しな人はそして、とっても多い。
 それだけその感覚の自己正当化能力は高いし、それがひとつの「文化」として成立してる。
 いいのかなぁ、そんなんで。
 嫌いじゃないけど、でも。
 ほんとうに、いいのかなぁ、そんなんだけで。
 
 そんな情けなく弱い「私」を守るだけで、いいのかなぁ。
 
 私は、嫌だなぁ。
 
 私は
 
 嫌だった
 
 私はそうだったから だから
 
 嫌だなぁ
 
 
 「個」って結局、「私」の意識無くして成長はあり得ない。
 どんなにオリジナリティ溢れた「物語」であっても、それでは意味が無い。
 逆にいえば、「私」の意識あらば、物語のオリジナリティさ自体はさして重要じゃあ無い。
 「私」の意識から見つめれば、いろんなことを受け止めていける。
 そしてなかなか受け止めることが出来ない、その自分自身こそを背負っていける。
 自己愛って、否定的な言葉で綴る人がいらっしゃいますけれど、私はそうして、自己愛を否定して、
 そうしてみんなに尽くす奉仕だのなんだのと、そうした「物語」を描き悦に入り、その「みんな」が紛れも
 無く「個」で構成されていることを無視して、その「物語」に「萌え」ているだけの自分のことしか考えて
 いない、その人こそが、真実否定的な意味での自己愛者と言われるべきなのだと愚考致しますです。
 うん。
 なぜ、「みんな」のことを考えるのか。
 思い遣りとは、気遣いとは、常識とは、普通とはなにか。
 なぜ。
 自分はそういうものを大切にしようとするのか、そして、なにより、どうして自分はそこまでそれらのことに
 執着するのか。
 
 それは。
 みんなが、好きだからに決まってるじゃない。
 みんな、ひとりひとりのことが、大好きだからに決まってるじゃん。
 
 
 同じものなんてなにひとつ無い。
 その前提をしっかり踏まえるからこそ、「みんな」という一旦「個」を隠したモノを共有する、そういう、
 「楽しい」遊びも出来る。
 普通とか常識とかも、そういうもんでしょ?
 前にも何度か言ったけど、私は普通とか常識も好きだし、だって楽しいじゃん?、でもそれは本末転倒
 しちゃいけない代物だし、使いようによっては、ほれ、あんなに「厳しい」モノになっちゃう。
 その本末転倒な、阿呆な「厳しさ」で出来てるのが、「現実」っていうバケモノ。
 みんなが楽しめないのに、そんなものあっても意味無いっていうか、それは確実に、誰か一部の
 人達の占有物でしかない。
 思い遣りとか気遣いとかもそう、礼儀にうるさい人がもの凄く無礼だってこと、普通にあるもんね、まぁ
 それはぶっちゃけ私のことでもあるんだけど(ぇー)、結構自分のためだけに礼儀とかルールとか使っちゃ
 ってるときあるもんね、 私の課題のひとつでございます。
 うん、普通とか常識とか礼儀とかって、それってみんながひとりひとり楽しめるようになるための、
 ひとつの有効な発明だと思うし、それを悪用したら、ひとりの楽しみのためにみんなを使うようになっちゃう
 し、それは断じて、自分の楽しみを捨ててみんなに尽くすということとは違う、逆よ逆、そうして己を消して
 全体に尽くす、ということ自体が誰かひとり或いは一部の人の楽しみでしか無いのに、それを押しつけた
 らあかんという意味ね、そこらへんを見事に欺瞞的に悪用して成り立ってるのが全体主義的な自己
 責任論だと思う。
 あと話飛ぶけど、やたら具体論を求めるのって、それって「具体論」に逃げてるっていうか。
 だいたい、ちょっとやそっと考えたって、そんなベストな具体論がすぐに出るはずも無いのに、それを密かに
 見越した上で具体論を求めて、それが得られなければベターな具体論を選択する、その「自分」は
 「正しい」と、そうしてあらゆる可能性を封殺して、「わからない」ということを背負いしなやかに思考して
 それと向き合い続けねばならない「私」の責任から逃れてるというか。
 なんつー短絡というか、ほんと堪え性が無いのねというか、結局それってその目先の選択をして満足
 出来る人だけ、っていうかぶっちゃけあなたしか救われないっていうか、それでほかの人が切り捨てられた
 んじゃあ堪らないし、それで文句言ってそれが我が儘だってんなら、とんだお門違い。
 どっちが我が儘だっつーの。
 理想論だろうが抽象論だろうが、それの大切さは当たり前なことなのにね。
 というか、具体論「ばかり」を求める人って、こう言っちゃなんだけど、甘ったれてると思う。
 それこそ、現実は具体論ひとつでなんとかなるほど甘くねーよ。
 それで済むというか、でも目の前のものを具体的になにも始まらないっていうなら、それはね、
 それで始めたら、始まるんじゃ無くて、終わったんだと思うよ。
 あなたしか、救われない。
 その上、その場凌ぎ。
 その、その場凌ぎを一生続けていく覚悟があるなら、それは見上げたものだけど、私は尊敬出来ない。
 なんだかんだで私なんかその場凌ぎの塊でさ、気づけばじゃあ具体的にはどうすりゃいいんだよとか、
 その具体的な事に従事している己の苦しみばかり見て、それでなんか無性にカリカリしてたりする事も
 ある。
 でも私はそうしたときに、その自分を肯定したりなんかしない。
 文字通り、さらりと横に置いておく。
 まぁ恨み辛みに凝り固まった私はまぁ置いといて、だって勝手すぎるものねぇ(ため息)、それはそれと
 して、でもじゃあそうして具体論ばかり求めて、それでなんか解決した気になって、それであんたほんと
 に満足?、ううん、駄目だ全然駄目、一杯無視したことになるし、そしたらそれが怖いもんだから、
 私はそうして無視してきたものを一生背負う所存でございますとか、一見綺麗に見えるけどそれつまり
 一生無視して解決するつもりは御座いませんってことだろみたいな、うは駄目じゃん嫌よこれ、
 ていうかなんか私の言おうとしてたこととズレてきてるんですけど、ええとなにが言いたかったんだっけ?、
 そうそう具体論ばかり求めるのは甘ちゃんだっていうところでしたね、うん、つまりね、なぜかっていうと、
 それはなんていうか、「私」で考えてないというか、答えばかり求めてるというか、目先のことしか考えて
 ないっていうか、無責任っていうか。
 不思議ね、普通理想論ばっかり言ってる人がそういう風に言われるのにね、まぁ実際私が具体論
 ばっかりな人にこういう事を言ったら、激怒して今私が挙げたような事を言うと思うし、でも私は全く
 逆のことを思ってる。
 まぁ不思議でもなんでも無く、普通に理屈なわけなんですけど、その辺りの理論化はまだ私の中では
 不十分なようで、面目次第も御座らぬ。
 でも今回私が長々とお話しさせて頂いたことを合わせると、なんとなくはわかるんじゃないかなぁ、という
 淡い期待は持っていますけれど一応捨てておきます。 (ちょ)
 
 
 
 なんつーか、今年はそういうことを、主に考えてたんじゃないかなー、という、そういうまとめ。
 
 
 
 まぁあれです、最後のはねじ込み過ぎにもほどがある言い草でしたけれど、理想論とか具体論とか
 そういう区分け自体が問題っていう話もありますし、まぁその辺りは。 (なに)
 それとさりげに結構今回これでも推敲しました。
 や、文章の体裁とか中身とかそういうのは全開で放置してるんですけど(ぇ)、直したのは表現というか
 フォローですね。
 あー私、結構普段マゾっぽい感じ出してますけど、結構サドっ気も基本あるのでかなりキツいというか、
 それで悦に入ってるというか、アホというか、だからかなりアホっぽくというか表現的にも青臭い書き方を
 して、むしろ読者様方にこそサドっ気を起こさせるようなというか、こやつわかっとらん、まだガキじゃの、
 まぁ少し付き合ってやるかいの、みたいになるようにしてるというか、わざわざこう言い訳をしている
 のは、べ、べつに私のほんとの幼稚さを隠すためとかじゃないんだからねっ、みたいな、ほんとめんどくさい
 奴ですね私はまったく、まったく私は。
 でも、さらにもっと言えば、それも含めて慇懃無礼というか、結構挑発的というか、私の課題は礼儀
 を自分のためだけに使ってしまうことだって言いましたけど、それはたとえば、慇懃無礼さを受けて、
 それを無礼だとして受けて、ただそれだけのあなたこその無礼は考えなくていいの?、慇懃無礼という
 のは必ずなんらかの指摘の意味を持っているというか、相手の無礼さに対しての返礼こそ慇懃無礼
 という「皮肉」の本質なのよというか、まぁそういう、なによりこれを読んでくれるあなた方読者様一同に、
 色々と主体的に考えて頂けたらな、はーと、という、まぁ取りあえず一発くらいは殴ってもいいよくらいの
 、でも一発だからね一発だけだからね、あ、グーもなしね、みたいな程度の覚悟で今回の文章を
 書いてみました。
 
 
 まぁ、それ以前に誰もこの文章読んでないんじゃないの?、って話なわけですけど。
 
 だがそれがいい。 放置上等、むしろ私を踏んd(以下削除ってやっぱりあんたそれかい!)
 
 
 
 
 
 
 ◆
 
 
 というような事を、一昨日書いてました。
 大掃除の合間っていうか、これ完全に大掃除止まってるよね?、途中から完全に日記書いてたよね?
 ということなので、今年は大掃除は死にました。 いつも通りの掃除で終わりです。 終わり。
 で、今日は、というか昨日ですね、これUPしたのは31日ですけど書いてるのは30日ですからね。
 で。
 
 
 はー、しばらく日記ちゃんと書かないと、ああいうこと書くんだ、はー。 (ため息)
 
 
 たった一日しか経ってないんですけど、はやくも熱気の冷めた私は醒めた目で読み直してる訳です。
 これ一年の最後に書くことか?、や、まぁ確かに一年間で考え感じてきたことの総まとめみたいな意味
 では間違ってないけど、これ私らしくなくなく無い?(わかりにく)、ていうかまたやっちゃったかあんた、
 みたいな、あちゃーみたいな、でもしっかり指の間からみてるというか、にやにやというか、だから日記って
 面白いんだよね、にやにや、みたいな、ほんとこの人は幸せな人ですよ、まったく。
 ま、文面自体の稚拙さとか表現の青臭さは、こうして醒めた目で読んでみても実際どうでも良くて、
 冷静に考えていきたいことでもあります、っていうのは自画自賛が過ぎて泣けてくる思いではあります
 けれど、まぁでも私が考えるべきことをごっちゃりとまとめて取りあえず滑り込ませてあって、セーフ、
 一年のどんづまりに、言葉にすらしてなかったことをまとめてどちゃんと提出して、はいこれ、来年ちゃん
 と形にするんですよ、みたいな、うわーい宿題かよ先生、みたいな、あー、憂鬱。 (自分でやっといて)
 
 うんまぁ。
 今年一年の私を、「存在と物語」論で論じてみたところそうなった、というある意味結果報告でもあり、
 そして勿論、だからこそそのたったひとつの論でしか無いことをそれに認めることが出来て、んじゃあ来年
 は違う切り口に繋げていってみましょっかい、それともまだ青じょっぱい(?)この論をちゃんとわかりやすく
 丁寧に「大人っぽく」仕上げてみましょうか、いやいやそれはそれでいいけどそれだけなのは勘弁な、
 つかそんな事よりも次いこうぜ次、みたいな。
 今年はなんといっても「狼と香辛料U」だったですからねー、なんていうか、「ひとり」から「ふたり」になって
 これたというか、あー、そういえば「女×女」から「男×女」になってきたというか、マリみての感想んとき
 とかに、これから段々「ふたり」を描いていけたらいいなみたいな事書いて、んで、夏目のときだったか、
 その次の年の新年の挨拶だったかで、そろそろ「ふたり」をみたいな事書いて、それですっかりしばらく
 忘れてて、気づいたら、「ふたり」な作品を観て、感想書いてて、あー、なんか。
 ほんと、私ってしっかり変わってくなぁ、って。
 だからなんていうか、変わりたいなんて思わなくてもいい、とはちょっと違うけど、変わりたいと願うこと
 よりも、変わった先の自分を見つめ続けてればちゃんと変わってくというか、たとえ見つめられなくなっても、
 私がそれを見つめていて、さらには変わりたいと思っていたという、その一番深い想いの、そう、記憶で
 無く、記録さえあれば、それで絶対なんとかなるっていうかさ。
 
 
 自信、っていうかさ。
 まずそれがなきゃ、ほんとはなんも始まらないっていうか。
 
 
 私が・・・そうだね、色々話してきた人達の中で、その中でも色々苦しんでいる人達に一番欠けて
 ると思ったのは、根拠の無い自信の存在を否定してしまうってこと。
 根拠に頼り過ぎというか、むしろ本末転倒というか、根拠があるから自信が持てるって、それって自信
 じゃ無いじゃん。
 自信っていうのは文字通り、自分を信じるってこと。
 だから、根拠があるから自信が持てるってそれ、信じてるのは根拠の方であって自分じゃ無いじゃん?
 自分を信じてるからこそ、根拠に信じる価値が出てくる。
 それは、自分にとっての、その根拠を見定める主体的な「価値観」の獲得ってことになる。
 その主体的な、「自分の」価値観が無いのに信じられる根拠って、それって他の誰かの価値観によって
 支えられてる自信ってことじゃん。
 そんなの、脆い、モロモロよ。
 というかまぁ、そういう他者の価値観に基づく自信も、私は大切なものだとは思うのだけど。
 今ここで言った「自分」っていうのは、実は私が今回語ってきた、「物語」としての「自分」の事じゃ無く、
 「存在」としての「私」の事なのね。
 だからほんとは「自」信じゃ無くて「私」信って書きたいけど、意味が違っちゃいますしね。
 で、そうね、「私」を信じるという意味での自信は、絶対的。
 だから絶対に揺るがないというか、そもそも揺るがせることなど出来ないものだし、根拠なんていらんし、
 もし必要なら、そんなん私が此処に生きて存在してるってだけで充分。
 でも。
 私はそういう意味で、その意味での自信だけじゃ、安心するけど、満ち足りない。
 うん。
 脆い方の、他者の価値観に基づく、「誰か」を信じるという意味での自信は相対的。
 でも、絶対的な「私」の自信があるからこそ、実はそれを踏まえて、その相対的な「誰か」を信じること
 のめちゃくちゃ激しい面白さ、つまり、「物語」があるんだと思う。
 楽しいじゃん?、誰か達の築いた価値観の中で競ったり励みにしたりとか、その中で認められたりとか、
 こんな面白いことないよ、うんうん。
 だから私は、苦しむ人はもっと苦しめって言う。
 いえ、もっと苦しんでいいんだよ、安心して苦しんでみてって、無茶な注文をする。 (笑)
 あなたがあなたである事に変わりは絶対に無いし、あなたの存在を否定出来るものは存在しない。
 うん、だから、だからあなたはその上で、変わっていると思える自分の物語も楽しむことが出来て、
 そして、あなたの存在を否定してくれたりさらに高めてくれる、そういう他者とも出会えるんだよ、って。
 「私」と「自分」、「存在」と「物語」、そういう風にして私はその論を使ってる。
 そして。
 
 
 「ひとり」から、「ふたり」へ。
 
 
 
 「孤独」から、さぁ、歩き出しましょう。
 
 
 
 
 
 
 ・・・・。
 どんな啓発日記だよ、というツッコミは、ていうかどんだけ書く気だよ長いわ!、というツッコミに上書き
 されるので、まぁ気にしないように。 気にしたら負けだと思ってください。
 
 
 
 はい。
 
 以上をもちまして、2009年の魔術師の工房、の日記をおしまいとさせて頂きます。
 チャットとかはまだ大晦日稼働しますので、うん、なんか時間とれそうなので年越しチャット的なことを
 ゲリラ的にやってしまいましょうかいのっていうか、まだなんかむしろこっちがゲリラ的に襲撃を受けてどこ
 かに連行されて色々飲まされる可能性もゼロでは無いので(表現物騒だってw)、あくまでチャット会
 という体裁では無い、普通のいつものチャットがたまたま日付を跨いだら年も越しちゃってました、という
 感じを演出していけたらいいなと思います、肝心のカウントダウンのときに私が連行されて不在という
 演出以前の話になってしまうかもしれませんけれど、そのご無礼の段はどうぞお許しくださいませ。
 ・・・というか、これでむしろ私が連行されなかったら、あれ?紅い瞳ってほんとは誰からも相手にされて
 ないんじゃないの?、友達いないんじゃなくね?、みたいなそういえば去年も似たような(以下略)、
 みたいなそんな疑いを招きかねないのでむしろ誰か私を連れてって☆ ・・・・。
 ・・・でも可能性は低めな・・・ていうかぶっちゃけ大晦日は家でまったりしてるのが一番よね、
 え?、べ、べつに独りは寂しいだなんて思ってないわよっ、みたいなまぁ色々ツンデレなことを言って
 しまったので、そして我が友人一同にそもそもツンデレという言葉を知っている人はひとりしかいないの
 で、そしてそのひとりの人もツンデレなので、もう、駄目かもしれないな。 (星空を見上げながら)
 
 
 
 と、いいつつ。
 しっかりがっちり、大晦日にひとりで飲む用にお酒を買ってる人がここに約一名。
 
 奥飛騨! 無濾過! 
 極寒しぼり! 特別本醸造! 生原酒!
 どれが銘なのかよくわかんないけど、とにかく数量限定! ←ポイント
 
 
 
 
 
 ・・・。
 この人は、きっと長生きするよ、と思った今年最後の夜でした。
 今年、終了!
 ていうか、乾杯! ←今ここ
 
 
 
 
 
 
 それでは、改めまして。
 この一年間、当魔術師の工房をご愛顧頂き、そして紅い瞳にお付き合い頂き、
 誠にありがとう御座いました。
 はー、楽しかった、ていうかまったり疲れた−。 (ぉぃ)
 ほんとに、ありがとね、色々嬉しかったです、ええ、色々と。 (微笑)
 
 ってことで、来年にいってみましょうか。
 
 
 
 取りあえず、今年終わり。
 
 
 
 では、ごきげんよう。
 
 良いお年を。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

-- 091224--                    

 

         

                                  ■■ 雪の調べと ■■

     
 
 
 
 
 ごきげんよう、紅い瞳です。
 
 特にお話することも御座いません。
 今日は、話し言葉でずらずらっと書き出すことも躊躇われてしまうような、そんな日です。
 べつに特別な日という訳でも無いのですけれど、べつにしゃきっとしようとしている訳でもありません。
 勿論やる気が無いだけの話です。
 お話すること自体は沢山あるはずなのですけれど、それがお話するという行為にまで昇華されてこない。
 微妙な間です。
 なんとなく、もう来年待ちというか、来年を窺い待機しているような感じがします。
 なにも12月に師走の文字よろしくあたふたと色々と詰め込んでも仕方が無い、と考えています。
 そしてその思考が、単純な怠け心からしか出ていないのが丸見えです。
 これまたべつに、怠けたい訳では無く、むしろ書きたくて仕方が無いのですけれど、なぜだか止まって
 しまう。
 不思議な、脱力感。
 雪が降りそうで降らない、冷たく曇る夜空。
 今日はもう一週間も日記を書いていないので、いざ一念発起して書くぞと気合いを入れておきながら、
 実際パソの前に座ってやったことといえば、その気合いを逸らすことばかり。
 なぜか、書いてはいけない、書かない方が良いのではないか。
 怠けているのは事実ですし、怠け以外の理由がこのキーボードを叩く指の動きを鈍らせる指にあること
 も無いと感じているのに、それなのに、どうしても、それとはなんの関係も無く、このなにも書かない時間
 というものが、なにかしらこの指先に影響を与えているのを感じてしまっている。
 この脱力感そのものは不思議な感触なので、けれどその脱力感があること自体には、不思議さどころ
 か、必然さを感じている。
 書かないことにこそ、今価値がある。
 そう呟く瞬間に、それは怠けなのではないかとすぐに声が響く。
 けれど、その声に耳が捉えられ、大きく頷きながらも、怠けという認識とは違うなにかが、今この
 ゆっくりと動く指を支えている。
 なんだろう。
 書くことは一杯あるのに、色んなこと書きたいのに、ゆっくりと打ち込まれていく文字の速度は落ちていく。
 まるで、文字を打つ指を動かす力が尽きる、その瞬間までを測るかのように。
 
 
 はやく イブ終わらないかなぁ
 
 
 
 
 
 
 ◆
 
 はい、改めまして、紅い瞳です、こんばんわ。 めりくりです。
 しかし私のクリスマスは昨日で終わりました。 終わった。 
 何人かで集まって、飲めや唄えやのパーティでした。
 終わりました。
 というか飲み過ぎたり食べ過ぎたりして色々終わりましたので、今年のクリスマスは楽しかったというか、
 もうお腹一杯というか、これから聖夜とかクリスマス当日とかまだなにかやろうとしている人には、
 丁重にお断りしましたというかあんたら忙しいんじゃないの?、大丈夫なの? (おまえもな)
 うん、昨日はクリスマスパーティーというかワインパーティーだったのですけれどね、あ、私はお酒は好き
 だけれどワインとはあまり縁が無かったので、むしろワインに挑戦したいっていったら何人かがつけあげって
 色々持ってきてまぁ飲めさぁ飲めみたいな感じになったのですけれどね、普通にビール持ってきた人とか、
 ブランデーのまたそんなお高そうなものをとか、ていうか誰だどぶろく持ってきた奴は!、もうチャンポンって
 レベルじゃねーよ!、私確かはっきりワインパーティーって言ったよね?、てかワイン教えてくれるって
 言ったよね?、だからワイン持ってきてくれると思ったらワインひとつもねーじゃん!、てか一番ワインど素
 人の私が試しに自分で選らんでワインひとつ初買いしてきたのに、あ、キャンティのなんとかってやつなん
 ですけどね、で、誰よ?、最初にビール勝手に開けてビールで乾杯したのは!、もーワイン関係無いし!
 もー知らないっ!
 
 ウチのワインをお前達のような奴には嫁にやれん!
 
 で、ワインは今ひとりで飲んでます。 今自分でなにしてるのかわかりません。 (夜空を見上げて)
 あーでもワイン美味しいなこれ。
 酸味と苦みがいいっていうか、味わっていくと引き出しを開くようにしてその酸味と苦みに対する可能性
 が開かれていくというか、なに言ってんだ、つまりなんというか、日本酒みたいに味自体が飲むにつれ
 変わっていくということはあまり無いのだけれど、飲むにつれ酸味と苦みを許容出来、また色々な
 「愉しみ」方が出来ていくような、そういう自分自体が開発されていく感じがあるってことですね。
 別の言い方をすると、酸味と苦みに「不味い」という感じしか持てなかったのが、だんだんそれが「美味い
 」に変わっていくというか、そういう感じでしょうか。
 だから、酸味や苦み以外の味が出てくるのでは無く、酸味や苦みの種類をだんだん見つけられるよう
 になってくるというか、ああ、これは確かに感想を言いやすいお酒だなって思いました。
 色んなものに喩え甲斐のある味ですもん、これ。
 ということで、私の飲めるお酒にワインも見事に仲間入り♪ ていうか遅っ。
 前はなんか飲むと体がだるくなったんだけど、それも無かったですし。
 結構部屋を暖かくしたからかな? それともクリスマスの飾り付けとかして楽しんでたからかな?
 それとも私の日頃の行いが・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ←そっとワイングラスを置く人
 
 
 
 
 ◆
 
 さて、他にはサッカークラブW杯の話とかがあるのですけれどもう終わったのでいいです。(ひどい)
 あとはそうですねぇ、サッカー関連では、PS3のウイニングイレブン2010を買いました。
 ドイツ代表のライセンス取得とかうたっておいて、ブンデスリーガは取れなかったっていうかチーム自体
 無しって全滅って馬鹿なの?死ぬの? (微笑)
 おかしい、絶対コ○ミおかしい、ブンデス駄目ならバイエルンとか使えないじゃん、ていうかマスターリーグ
 で自分のチームにヨイツホロウズとか名前付けて、狼の舞台っぽいドイツ(一応架空の世界だけど)の
 チームにしようと思ってたらブンデス無しときたか。 はは。 あはははh(以下落ち着け)
 ということで、マスターリーグはその他のリネーム作業をしつつ放置で、新搭載のビカムアレジェンドモード
 をやり込んでたりします。
 これは自分がひとりの選手になって、クラブチームに入って活躍したり移籍したり代表チームに選ばれ
 たりして引退まで頑張るモードなのですけど、それに滅茶苦茶ハマってます。
 私はゲームのキャラに自分の名前をつけるのは嫌いなので、ロレンスと名付けました。
 女子だったら間違い無くホロと名付けてましたっていうかマスターリーグの監督に名前とか付けられるよう
 にして欲しかったな勿論男女選択可で!残念! ←自己完結
 
 で、最初にテストマッチみたいなのがあって、操作もロクにわからないっていうか、そもそも初期ポジション
 適性をDMFにしたんですけどDMFってどう動けばいいのか実際やるとわからんし、や、私は本格的に
 実際プレイしたことあるポジションはセンターバックとスイーパー、それとサイドバックしかないもの、で、
 右往左往×10くらいしてるうちに試合終わってそれなりのそれなりな評価がついて、なんかショボい
 チームからしかオファー来なかったっていうかよくあの私のプレイでオファー出す気になりましたね。(微笑)
 うん、ロレンスには取り敢えずマスターリーグの無念を晴らすべく、ドイツ国籍にしまして、で、ほんとは
 ブンデスに在籍させたかったですけど無いので、まぁたぶんオランダも舞台っぽいっていうか商人の国だし
 スタートとしてはいいかみたいな感じで、エールディビジのテストマッチを受けさせたんですね。
 で、ポジションはボランチっていうかレジスタ的なDMFをやってみたかったので、目標はピルロみたいな
 感じで育てたいなぁ思ってたら、なんかテストマッチの中身次第でプレイヤーの初期能力値が決まった
 らしく、肝心のパス能力壊滅。 ていうかディフェンス能力も没。 なにこの試練。
 しかしめげずにそれでやってみることにして、最初に契約したチームはヘラクレス。
 ・・・弱
 何試合かこなしていくうちに動きにも慣れて、さぁやっとというときにはこいつは駄目だはやくなんとかしない
 とという状況なほどにどうしようも無く弱く、だってスルーパス出して10発10中シュート外すってなによ、
 シーズン後のチーム総得点が一個順位上のチームの半分ってなによ。
 ということで、このチーム以外ならどこでもいいとばかりに、トゥエンテに移籍。
 ヘラクレスに比べたらマシで、確かに勝てるし、一年目はロレンスの活躍もあってリーグ戦2位まで
 漕ぎ着けはしたものの、決定力無さ過ぎ。
 ヘラクレス在籍時の倍くらいパス出せるようになったのに、その分だけシュート外されて、ストレスも二倍。
 あと強豪チームには全敗。  アヤックスとアイントホーフェンとフェイエノールトに全敗。 やる気ある?
 あまりに味方が不甲斐なく逆に悔しくてやる気が出て移籍せずに残留を決め、べ、べつにあんた達の
 ために残るんじゃないんだからねっとツンデレもかくやな勢いで要は私が点取ればいいのよという感じで
 ゴール前に突進したら普通に点が取れた二年目。
 ・・・・FW、やる気ある?
 そして完全に移籍を視野にいれて、パスに専念しアシスト王を目指しているのね今ここ。
 
 うん、このモード自体は結構面白いのね、たぶん強豪チームに移籍すればちゃんと点決めてくれる
 だろうし、それにレジスタ的にスルーパスを出すために色々トラップの方向を考えたり、いい一位置取り
 をするために考えて走ったりと、サッカーとしてかなり楽しくて、まぁシュート外されるとストレスは溜まり
 ますけど、それ以上にレジスタなロレンスが面白いので、私的には評価は上昇中。
 今現在アヤックスからオファー貰ってるので移籍しようか、それとも海外にいこうか、海外のチームに
 いた方が、その国の強豪チームからオファー貰える可能性高いし、アヤックスで終わるつもり無いから、
 やっぱり海外か、でも最初は下位チームからしか来ないだろうし、そしたらまたストレスがねぇ、と、
 まぁ、今現在悩んでいます。
 
 
 まぁ、それだけのお話です。
 忙しいとか言ってる人が普通にゲームやっている、というお話です。
 
 
 
 
 ◆
 
 次、ラストのお題。
 アニメです。
 はい。
 今期アニメについては、敢えてなにも語ることは御座いません、と少なくとも今年中は言っておきます。
 もういくつか最終回を終えた作品もありますけど、正直どの作品もおかしい。
 おかしい、なんで1クールしか無いのよその作品の内容で! もっとちゃんとやりなさい!
 不完全燃焼というか、やっとどれも下準備というか前フリが完了して、さぁここからというところで、俺達の
 戦いはこれからだみたいな、そんな、揃いも揃って、なんかこぅ、ぐうの音くらいしか出ないのよ、まじで。
 なので、ここは敢えて語りません。
 で、来年早々に年始の挨拶が終わったら、今期アニメの各感想をやって、そのときに色々と文句やら
 注文やらでもこれはこれでみたいな、そういうことを書いていこうと思います。
 で。
 ん?、なんか今日は「で」が多いな「で」が、まぁいいか。
 で。 (ぉぃ)
 来期のアニメですけれど。 新春開始のアニメですけれど。
 ・・・・。
 まずは四の五の言わずにリストアップしてみます、ってかおそらくこの時期からしてもうこれ以上新しい
 情報とか出なさそうなので、これが最終のリストアップになる可能性も。
 
 
 ソ・ラ・ノ・ヲ・ト:
 けいおん、野球娘的なノリでシリアスをやってくれるのかな?、みたいな期待をしています。
 っていってもただしんみりなだけなのはいやですけど。
 
 おまもりひまり:
 黒髪+日本刀ってだけです。 それだけしか無いしそれで選ぶ私もそろそろだと思います。
 てかキャラ紹介見たら猫耳と尻尾って中の人がホロとかって、なんかもう始まってると思います。 (私が)
 
 バカとテストと召喚獣:
 急に可愛い子がきたので。 あとなんか面白いって聞いたから。 いってみましょうか。
 
 ダンスインザヴァンパイアバンド:
 コンセプト的には反応しないはずは無いのに、なんだろうこの萎え感は。 ていうかキャラが微妙。
 ヴァンパイアなのに、女王様なのに、おかしいな。 ただの「勘違い女」で終わらない事を望みます。
 まぁ「勘違い」の中身によっても変わりますけどね、しんみりしっかりな勘違いだったら観ないよ。
 
 デュラララ!!:
 番宣中にホロ(のポップ)が出ていたので。 あと一応ハイテンションサスペンスアクションは興味アリ。
 
 ひだまりスケッチ×☆☆☆:
 特に言うこと無いですね。 ひだまりはひだまりだもの。 ひだまれ。
 ていうかまだやるんだ。 あんがと。(ぉ)
 
 おおかみかくし:
 来期筆頭期待株。 だがしかしその分だけ怖い。
 番宣の映像の中身的にはかなり危ないかもしれないし、逆に頑張れるかもしれない。
 出来れば感想書きたい、書いてみたい、書かせて。
 
 はなまる幼稚園:
 ギャグモノなら面白そうなのだけど、ただの子供向けやロリコンさん御用達ならつまらなさそう。
 公式サイトの情報だけだと、どういう感じなのか全く掴めぬ! 掴めんかった!
 
 刀語:
 化物語繋がりー。 絵も動きもなかなか好み。 話の筋も面白げ。 キャラもツボ。
 私が興味を持つ要素を取り揃えているのだから、これで面白くなかったら・・・・・・・・・(なにか言えよ)
 
 
 
 これ以上増えることは無いでしょうね、たぶん。
 てかかなり微妙ですね、来期は。
 感想は書きたいんですけどね、来期書かなかったら今年度感想書いたの狼だけですよ。
 ・・・・・・え、まじで? (まじです)
 出来ればおおかみかくしで感想が書けますように。
 ・・・・狼とおおかみなので、良いとおもいます。 (なに)
 
 
 という感じで、今回はここまで。
 次回更新は大晦日を予定しています。
 大晦日にはなんかいい加減なものをちょろっと書いていきますね、いや大晦日前に書いて当日は
 まったりしたり出掛けたり色々したりしてるかもしれません、まだ未定です。
 
 それでは、ごきげんよう。
 
 
 
 
 
 

 

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                              ■■ 主に萌え視点で 2 ■■

     
 
 
 
 
 ごきげんよう。
 
 寒くなってきましたけれど、早速前回の続きを始めさせて頂きますね。
 うだうだいうな、ほんと寒いんだから。
 
 
 
 
 
 ◆
 
 
 とある科学:
 御坂可愛いよ御坂。
 基本的には黒子変態に同意とか同調とか思わず頷くというかあの変態っぷりには胸ときめかさずには
 いられないっていうかあれはやりすぎだ馬鹿者。 (褒め言葉)
 まさか黒子がここまで華麗に変態だとはとある魔術のときには思ってもみなかったので、大きなサプライズ
 にしてそっちにばかり目がいって困ってしまいますわおほほとお姉様のためとみせかけてお姉様が欲しい
 だけの自分の欲望を満たすことで頭の中が舌なめずりで一杯の黒子さんが私は大好きです。 (微笑)
 で。
 まぁ黒子視点の御坂@お姉様の気っ風の良さに惚れ惚れな訳で、でも御坂個人がひとりで色々
 向き合っていくのはなんか萌えというか、なんだろ、あやうさがあるというか、常に黒子やなんかと切り離
 されてるときの微妙な死亡フラグの立ちっぷりというか、なんかあぶない、あぶないお姉様、とすぐに
 黒子視点に回帰しちゃう私があぶないっていうか、んー、なんだろ、黒子はお姉様が欲しいだけの願望
 で動くときは神懸って強いけど、お姉様のために踏ん張る黒子には鬼強さがあって、だけど御坂の
 方は、ひとりで頑張るときは誰のことを背負うとかじゃ無くて、目の前に対峙している相手に目が全部
 行ってしまってて、帰る家無き行進というか、だから私なんかはそういう女の子好きなんだけど、
 でもその危うさ自体に萌えは発生してるというか、それで死なずにやられずに乗り切るときは、誰かの
 ためにも死ねないとかじゃ無い、なんかもっとわくわくするような完全な前進っぷりに満ちたときで、
 全部見つめて解決してやんよみたいな、御坂の懐の広さと深さが感じられるっていうか、そこが黒子と
 決定的に違うところであり、黒子が惚れる由縁であり、またそのお姉様だからこそ黒子は自分の
 全力を出して頑張れるっていうか、だからあんなにお姉様にちょっとでも気遣われると狂喜するというか、
 お姉様の優しさは自分の努力の正当な見返りでは無くただのサプライズなご褒美であって、けど黒子は
 ご褒美でもましてや見返り目当てで頑張ってる訳でも無く、ただ圧倒的に目の前のものと向き合って
 解決していこうとする、その見事な漢っぷりと、それでも自分がいないとあぶなかっしいそのお姉様の
 萌えっぷりこそに萌え、というか。
 やべー初春と佐天さんがずっと圏外なんですけど大丈夫なんでしょうか私。
 あと木山せんせい。
 泣くかと思った。 ←涙ぼろぼろ
 最近めっちゃ子供に弱い、めっちゃ泣く、めっちゃ胸が締め付けられる。
 元々子供は大好きだけど、ロリとかショタとかで少々巫山戯すぎてたから、新鮮。
 たまには真面目にやろう。
 真面目に泣こう。 (ぇぇ)
 
 
 サンレッド2:
 レッド可愛いよレッド。
 よく考えなくてもレッドさんが一番可愛い気がするんですけどこれw
 どうみても川崎市の治安を乱してるのは悪の組織のフロシャイムじゃ無くて、正義の味方のレッドさん
 な気がしますよねww、怪人だけじゃ無くて普通に一般人にも絡んでるしw、けどかよ子さんには頭が
 上がらないっていうかほんとに好きなんだなというか、怪人に対してもなんだかんだで世話焼いてるし、
 てかレッドさんの怒りの半分以上は怪人達の情けなさにあるっていうかw、なんであんなに怪人達に
 突っ込むレッドさん輝いてんだろw、それにヴァンプさんも完全に主婦だしw、世界征服企んでる人
 達がなんで税金対策してんのwww、そういう意味でレッドさんの方が圧倒的に正義の味方と悪の
 怪人の戦いのことを背負ってるというか、なのにヴァンプさん達は組織って形で経費出るとかw、
 正義の味方ってたとえちゃんと戦ってもそれからは収入得られないんだみたいな、なんか色々考えさせ
 られるw、それでかよ子さんのことやかよ子さんのお母さんのこととかご近所のこととか、なにこのリアリティ
 w、ヴァンプさん達の親近感ありすぎる悪の怪人ぶりとは違う、このレッドさんの生々しい親近感も
 あるからこそ、この作品の笑いはいくらでも変化がつけられるんだなぁって。
 うん、第二期になってこれ、15分じゃ無くて30分できっちりやっても充分面白いというか、ちゃんとそう
 したストーリーに組み込んだ笑いにしても、それはかなりいけるというか、是非第三期やるとしたら
 そういうのやってみて欲しいな、無理かな。
 
 
 青い文学:
 水樹可愛いよ水樹。
 桜の森の女萌え。
 あれ確か原作では名前あった気がしてたけど忘れたけど、アニメでは一回も名前出てきてませんでし
 たね。
 ていうかまぁ萌えを語るとしたらそれくらいしか無いわけなのだけれども、というかこの作品をひとつずつ
 語ったらこんなプチ感想では無理なわけなのだけれども、まぁ普通に面白くかつ意欲的なわけなので
 すけれど。
 まぁ、いずれ、語る折もあるかもしれませんね。 (可能性はゼロじゃありません)
 ・・・・萌え視点でって言ったの誰でしたっけ?
 
 
 生徒会:
 もきゅ可愛いよもきゅ。
 ガクエンジャーシープの可愛さは異常。 知弦さんGJ。
 とまぁ、知弦さん萌えというよりは羊萌えな訳で、ただまぁ知弦さんも含めてみんな可愛いし萌えだし、
 まぁその辺りのことをひとつひとつ語るべきなんだろうけど(萌え視点で語れって言ったの私)、その前に
 杉崎萌え。
 ああいうタイプのハーレム志向男子は好きというか、前にも言ったけどあったかいよね、あれ。
 女の子の共有財産、というよりは、ていうか誰も杉崎を恋愛対象としては捉えて無いし、けど好きでも
 無い奴に好きとか愛してるとか言われても嬉しくないのはそうだけど、たんに好きとか愛してるとかって
 純粋に褒め言葉であって、綺麗とか可愛いとか、たとえそれが誰彼構わずに言ってることだろうと、
 その綺麗とか可愛いと思うその杉崎の気持ちとその評価眼によって言われてることは確かだし、
 実際杉崎は嘘は吐いて無いし軽い気持ちで言ってる訳でも無く、けど軽くは無いけどそれはあなた
 だけを愛しますという意味での重みはゼロで、ていうかハーレムエンド宣言しちゃってるし、つかだから
 逆に「安心」というか。
 言い換えれば、杉崎は「女」好きなんじゃなくて、「女の子」が好きなんだろな、っていうか。
 あれはきっと、誰にも手は出さないだろしね、そういう意味での誠実さは杉崎にはあるっていうか、
 ていうか誰も杉崎を恋愛対象としては捉えて無いし(2回目)、だからハーレム志向な事自体を指して
 不誠実と突っぱねながらも、そうした別の意味での誠実さが杉崎にはあって、生徒会の諸君らはだから
 それを感じてあんなにもゆったりと居心地良くいられるんだろねぇ、うん。
 ていうか誰も杉崎を恋愛対象としては捉えて無いし(3回目)、だから逆にそれならそもそも杉崎が
 ハーレム志向という「不誠実」だろうとどうでも良い訳で、なのについ突っかかってしまう私は何?、
 というあの子達の萌えもあるんだし、まぁ私はあんましそっちの萌えはどうでもいいんですけど(ぇ)、
 それゆえ逆に、あの生徒会の女の子達自身が、そうした複雑な想いも含めてそれぞれ杉崎の姿に
 色々求めていけるという、その女の子視点からの杉崎萌えが、あの作品の基本にはあるよね。
 うん、あの作品普通にギャグ作品なのに、時折あるあのシリアスの意味が良くわかんなかったんです
 けど、あれはつまり、ギャグとしての日常の中にある、その杉崎から得ている「あったかさ」を、まぁ良い
 意味か悪い意味かはわかりませんけど、それを暴き立てるのがあのシリアスさなんじゃないかなぁ。
 うん、あれであの「あったかさ」が際立つこともあれば、なんかそれで肝心のギャグが興醒めなことも
 あったりとか、激しく微妙ではあるのだけれど、なんかいい。
 なんかそれが、いい。 (ぼーっとして)
 あと会長さんに太ったら見捨てるとか言って泣かしてたけど(あーあ)、じゃああれ、最初から太ってる
 子にだったら絶対言わないっていうか、たとえばその子が太ってても勉強出来る子だったら、成績落ち
 たら見捨てるみたいな、そういうことなんだよねきっと。 博愛主義では無いよね、たぶん。
 で博愛主義でも無いから、やっぱりそれでも痩せて綺麗になりたいという意志も受け入れてくれそうな。
 杉崎の言う「可愛い」ってなんだろな、っていうか、あれはきっと、杉崎の人の魅力の見つけ方とそれの
 愛で方の上手さと熱さの籠もった言葉なんだろうなぁ、ていうか杉崎は恋人じゃ無くて友人というか、
 もしくはペットというか(ぇ)、素のままの自分を全部受け入れてみたいな悪く言えば恋愛の奴隷に
 なってしまう可能性もあった(それぞれ色々問題抱えてるみたいだし)女の子達が、杉崎と出会って、
 杉崎によって、逆にひとりの自分というその自分こそと本気で向き直らせてくれるというか、良いところは
 褒め悪いところは叱り、だから全否定も全肯定も無い、杉崎のその「あったかい」厳しさってさ、
 結構奮い立たせてくれるものがあるし、逆に私がいなきゃあんたなんにも出来ないんだからという
 杉崎のペット化が行われる訳で、そういう意味で「萌え」って、自立性の生まれるところに実は生まれて
 くるんじゃないかなぁって、今、閃いた。 (ぉ)
 
 
 うみねこ:
 楼座可愛いよ楼座。
 若ママは好きなので、シングルマザーの苦悩は好きなので、あれ?、これ好きとか言うことなの?、
 と改めて自分はなにを考えているのか知りたいような知りたくないような、そんなあれです。
 まりあの気持ちもわかれば楼座の気持ちもわかるというか、だからあれをどうやって解決していくのか
 というか、まぁそんな感じ。 萌えじゃ無いじゃん。
 で、作品的にいうと、おー、という感じ。 そうかこういうことがやりたかったのかこの作品は。
 推理というか、それよりも色々なものを同時に描き出そうとして、要するにその「整合性」をつけようと
 しているというか、論理の「幅」をつけようというか。
 魔法の存在がとても良い効果を出してるね、たんなるメッセージとしていきなり先鋭化させたりしながら、
 あくまでそれはブラフ、そうして視聴者にあーはいはいと溜息つかせておきながら、ファンタジックなバトル
 シーンを爆発させて爆笑か呆れの二極化を発生させながら。
 この作品は、そうしたものを「お遊び」では無く、完全な「接着剤」として使っている。
 センチメンタルにやろうがファンタジックにやろうが、本質は揺るがないということを、逆に証明するために
 こそ、いくらでもおかしなことを激しくやってみせる。
 その激しさに引っ掛かって、本質の「論理」から目を逸らしている、その私達視聴者自身の姿を、
 とても鮮烈にこの作品は示してくれている。
 面白い。
 論理というのは、それがその場に存在する事自体で様々な影響を及ぼし、そしてそれが論理自身
 に常にかえってきて、その論理を帰納的に捉え直して再構築するということが、常時求められている。
 この作品はそのひとつの存在が及ぼす影響を抱え込むことの幅がとても大きく、だから提出された
 論理自身だけのことしか考えなければ、この作品は非論理的にしか見えないけれど、逆にいえば
 それは常に論理的に「遅れている」ということ。
 この作品はリアルタイムに論理を更新してるし、だからこそ、論理というものが存在することの、
 その最も根本的本質的な「意義」を思い切り描こうとしている。
 これは・・・・大傑作、なんじゃないの?
 まぁ描き方自身は拙くてそのまんまの丸出しなので、それほど好きと言える作品では無いんだけど、
 ただやってることやろうとしていることは、これはひとつ評価に値するんじゃないかな。
 
 
 ハガレン:
 ウィンリィ可愛いよウィンリィ。
 最初の頃は前期のウィンリィの方が好きだったんだけど、これはこれで、なかなk。 (ぉ)
 あとランファンも結構あもういいですか。
 って言ってもそれくらいしか無いというか、あ、でもなんかストーリーがすごくクリアになってきたというか、
 原作読んだときはなんか良くわからないっていうか、漠然としてたものが一本のラインにまとまって
 非常にわかりやすくなった、というのはあるかな。
 逆にいえばそれくらいしか無いっていうか、あ、あとリンの漢気とグリードの強欲って好きな、ていうか
 あのふたりは似てるっていうか本質は同じだよね、あとキンブリーのダンディさが怖いっていうか、冷静
 に静かに部下に指図してる、というかできるキンブリーが怖いっていうか、いいね。
 ・・・さりげに私の趣味がよくわかりますな (うん)
 
 
 夏のあらし:
 あらしさん可愛いよあらしさん。
 先週のなんかあらしさんの過去に飛ぶらしい話が途中で切れてた。録画失敗。
 どうなっちゃうんだろはじめとあらしさん、うわ、なんかいい感じに進んでるなぁ、え、過去にいくの?、
 それは楽しみだ、でやよいさんと手を繋いでさぁいくぞってところで切れた。 私の中でもなにか切れた。
 んだよー、せっかく面白くなってきたのにさぁ、もっかいちゃんと見てみようかなぁって思ってきたところなのに
 さぁ、もういいよ、録画出来てないんならしょうがないじゃん、縁が無かったっていうことだし、もういいよ、
 と、カヤさんとかなこに罵倒されそうなことを考えて、ていうかカヤさんとかなこの説教を思い浮かべた
 あたりでなんか、やる気復活。
 せいぜいがんばってください。 (はい)
 
 
 そらおと:
 そはら可愛いよそはら。
 イカロスも可愛いですね、うんうん。
 でもまぁ、この作品は完全なるギャグ作品とは言えず、むしろ普通にほんわかコメディというか、なのに
 あれだけとんでも無いハイクオリティな馬鹿をやるというのは、これはある意味最高峰。
 やー、こういう作品出てくるようになったんだ、どんだけ智ちゃん遊ばす気なのよ、ほんと智樹のあくなき
 冒険野郎気質wでボケっぱなしの大暴走、ツッコミがいないのでいつもそのまま自然消滅の流れで
 適当に収まっちゃう、なんだこれw、おまけに先輩のボケはさらに格上なのにやっぱりツッコミ不在で
 、なんかもうツッコミ出来かねる空気が出きてて笑うに笑えないし、なんだこれw、会長はいっこうに
 先輩止める気無いしていうか止める資格無いしw、というか一応そはらが殺人チョップで智ちゃんに
 トドメ刺してはいるんだけど普通に復活するし懲りないしw、ていうかよく考えたら智ちゃんはボケ以上
 にイカロス天然純粋培養さへのツッコミで忙しくて、なのにそれ両立してるのがすげーっていうか、
 むしろイカロスやニンフ、先輩や会長、さらにはそはらの暴走に翻弄されて逃げ回る智ちゃんが一番
 面白いっていうか、だけどさらにはシリアス的にイカロスのこととかと向き合い、また色々見え始めて
 きても智ちゃんのそのスタンスは変わらないっていうか、そのスタンスからでさえちゃんと見つめていこうって
 いう、そう智樹にさせようというその作品自体の意気込みが、萌え。
 そらおとは視聴遅れ気味で、まだイカロスの嘘吐き回までしか観てないけど、ああなんかもう、イカロス
 とかニンフとかもうがんがんに胸に浸みてきて、ああもう、泣きそうで泣かない、なんかしんみりと笑う、
 ああこれは面白い、なんだろ、どうなるんだろこの作品、全く先が読めない。
 ということで、さりげに結構この作品気に入ってるんだ、私。
 あとED張り切りすぎ。 どんだけ笑わせる気ですか。
 
 
 
 
 という感じです。
 全部終わりじゃ!
 
 で、うん、年末の予定というか、そういうのを書こうと思うんですが、あ、べつに今回のプチアニメ感想
 について他にはもう書くことはありませんよ?、萌え視点意味無いとかそれくらいですよ、むしろそう
 言うために書いたようなものですよ、そういうものにしかなりませんでしたよ泣いてませんよ。
 でね。 (涙を拭って)
 結論から言うとね。
 
 クリスマスから年末にかけて、全滅。
 
 文字通り、繁忙。
 それでも出来るだけ更新したいと思いますけど、基本更新無くてもごめんなさいの方向でどうぞお許し
 頂きたく存じます。
 もうほんと今年は久々に駄目そうです。 忙しすぎだろこれ。 いや普段サボりすぎだろこれ。
 ということで。
 
 では、また。 ごきげんよう。
 
 
 
 
 
 
 
 
 へっくし。 (寒すぎですどうにかしてください)
 
 
 
 
 
 

 

-- 091212--                    

 

         

                               ■■ 主に萌え視点で ■■

     
 
 
 
 
 ごきげんよう。
 夏で稼いだ余分なものを減らすために日夜精進しつつ、食欲の秋とか言ってうまうましている駄目な
 人がきましたよ、こんばんわ。
 
 
 ということでダイエット中の私ですけど減量はほどほどに進んでおりますので、平気平気。(微笑)
 とまぁその話は置いといて、置きましょう、前回の文章のまぁ、なんとまぁ生気の無いツヤの無いことで
 御座いましょうか、もしかして私ダイエットしすぎで頭朦朧としてたりして、とまぁそんなになるまで真面目
 に取り組んではいないのであはは(・・)、きっとただやる気が無かっただけなのだと思いますけれど、
 今日は違います。
 
 今日はアニメの話します☆
 
 ほら輝いた。ほら、笑顔が☆になった。
 今日はもう四の五の言わずにアニメします、ほんとは前回もそうするつもりでしたのに結局四の五の
 してるうちに終わっちゃいましたのでね、今日もこんだけ四の五のしてるので危ないよ、いくよ!
 ということで、本日は前期以前よりの継続作も含めて、今期視聴している作品の感想をちょろっと
 ずつ書いてきますよ。
 主に萌え視点で。 (ぇー)
 
 
 
 ◆
 
 乃木坂2:
 椎菜可愛いよ椎菜。
 乃木坂は視聴遅れ気味で美夏の学校編までしか観てないんだけど、取り敢えず椎菜で。
 あの振り袖回のときは可愛かったですね、基本的に私はうじうじしてるのは嫌いだし、理屈的に考える
 と椎菜的アプローチって卑怯で嫌いなんですけど、そして同時にそれが人間っぽいっていうのはもっと
 嫌いなんですけど、んなこたぁどうでもよかった、可愛いは可愛い!
 ・・・ていうかこの作品で可愛い思ったの椎菜しかいないんですけど、萌えアニメなのに。
 べつに私がストイックな訳じゃ無いのにこれはどうしたことだ、ていうか肝心の春香が微妙なのはどうした
 ことよ、あと裕人がさらに微妙というか、なんかその微妙な二人組を見つめる椎菜がやっぱり一番
 主人公的というか、主体的というか、なのに椎菜自身は主体的になれなくて遠慮とか葛藤とかなのに
 思い切ってキスしちゃうとか、揺れる乙女心っていうよりはなんか無茶苦茶翻弄されてるのに、その
 翻弄されてる中からそのまま生きてっちゃおうみたいな、裕人と出会う前の椎菜らしさが見えそうで
 見えないんだけどやっぱり見える、あーなに言ってんだ私、まぁそういう感じで椎菜可愛いよ椎菜。
 ・・・・・わかってる、わかってるから、ちょっと語る準備が足りなかったって、わかってる
 
 
 君に届け:
 貞子可愛いよ貞子。
 もっかい。
 貞 子 可 愛 い よ 貞 子 。
 貞子の魅力を語るには、百万言を付して私のものの考え方なり感じ方なり、あるいは思想なり哲学
 なりを語る必要があるのだけど、んなこたぁどうでもいい。
 なんだろなぁ、私は断固貞子支持者なのだし貞子サポーターな訳だし、だからガンガンに矢野ちん達
 とシンクロしちゃってるのだけど、うん、貞子の頑張りの顕れ方に涙ボロボロで、その貞子の頑張りが
 どういう考え方感じ方から生まれてくるのか、そのとんでもない素晴らしさと「希望」に涙でぐちゃぐちゃに
 なっちゃうのだけれど。
 なんかそれ越えて、爽子萌え。
 なんだろなぁ、貞子が頑張ってんのって、それって「貞子」のためなんだよねぇ、「貞子」っていうのは
 これ、実は爽子の仮面でもあったりする、いやこれあんまし気付かないことかもしんないし、仮面って
 言葉は当てはめたく無い気持ちもあるんだけど。
 貞子は人が大好き、だけどなかなか上手く付き合えなくて、でも大好き、みんなってすごいなぁ、私
 の欲しいモノ一杯持ってて、カッコイイし可愛いし、ああ、私もああいう風に「なりたいなぁ」という、
 なんというか、ただ憧れ的萌え的に一線ひいて自分は暗いまんまの自分でそういうのを眺めるとか
 じゃなくて、そうして主体的に自分が目指すモノがそこにいてあるという、だから頑張れるしむしろ
 絶対に頑張りたいっていうそういうのが貞子。
 でもそれは、確かにすごいことで、私がとっても好きなことなんだけど、それにとても「有り難い」こと
 なんだけど、言ってみればそれは「普通」とか「真っ当さ」への、義務では無い本当の愛だし、わかる、
 わかるよ貞子、私それよーくわかるし矢野ちん達もそうなんだよねぇ、でもさ。
 じゃ、そうしてそういうものを貞子のために求めている「貞子」はさ、なんのためにいるのかな、というか。
 貞子は、爽子なんですよね、唯一無二の、爽子という存在。
 みんなが大好きで、可愛いものが好きで優しいものや賢いものも好きで、なかなか上手く動けない、
 おまけにかなりズレてる自分に引き籠もらないで、そういうものを求めてて、でもそれは、それだけの
 ためにある訳じゃ無い。
 うん。
 最初貞子見たときに私思ったよ、ああ、私がこの子にこんなに惹かれるのは、まるっきり悲愴感が
 無いからなんだって。
 あそこまで頑張ってるのに、絶対に立ち止まらないし、その努力が報いられなくてもいくらでも頑張るし、
 そして報いられたら報いられたらでとっても嬉しそうに笑って、だけどそれで感謝してそこで終わったりせずに
 、もっともっとそれを元手にして色々求めていって、そして、そういう自分にだけは。
 絶対的自信を、確認するまでも無く、貞子は静かに圧倒的に深く持っている。
 それはきっと、貞子には爽子がいるからなんだろうねぇ、恋に憧れるだけじゃ無い、いつかきっと恋が
 出来る自分という、その主体としての爽子がいるからなんだよねぇ。
 「貞子」自身はその事にむしろ無自覚で、うん、なんていうか、私は貞子って滅茶苦茶人間的という
 か、悲愴感がなきゃ人間的じゃ無いとか非現実的とか青臭いとか、そんなん絶対違うって、うん、
 あの貞子の圧倒的な悲愴感の無さにこそ、爽子という自分が確かに貞子にあるのを感じちゃうな。
 うん。
 紅い瞳は、貞子を精一杯応援しています。
 なんか私もそういう応援を、同じく悲愴感無しに出来る自分を感じてるよ。
 本気なんだよね、貞子は、ずっと、うん。
 風早君については、またいずれ。 (ぉ)
 そして胡桃がどこまでどうやって掻き回してくれるのかも、楽しみじゃな、むふふ。 (悪趣味)
 とか思ってたら、今週分で 大 爆 笑 www
 貞子強しwww確かに胡桃のあのやり方は逆効果ww最高www
 
 
 刀鍛冶:
 リサ可愛いよリサ。
 リサのフォローは半端無い、ていうかリサが報いられる姿を見るのが半端無く萌え。
 勿論それはリサに自分を投影することじゃ無いね、ただリサという子供が笑顔になるのが嬉しいというか、
 逆にいえば、ああ、こんなに世界って喜びの可能性に満ちてるんだなぁ、そして同時にそれが果たされ
 無いことの悲しみのなんと深いことか、ってね。
 だから。
 すっごい、セシリーに同意する。
 ルークをぶん殴ってでもリサに服買ってあげさせるよね、ルークに理不尽な言い掛かりをつけてでもリサ
 に笑顔を魅せてあげさせたいよね、おこがましくとも絶対全てを救ってみせるって言うよね、絶対。
 なにしろ、そのリサの笑顔に一番己が生きていることを感じられるのが、ルーク自身に他ならないんだか
 らさ。
 ルークってばツンデレっていうか、なんだかんだとうだうだと力強くいうけど、それはどんなに力強くて
 賢明な言葉だろうと、そりゃ全部ツンでしょが。
 セシリーはちゃんとそのルークの言葉の重みを受け止めて、そしてさらに、じゃあその言葉と向き合う
 その「自分」こそはどうするのかと、セシリー自身がはっきりと示すんだよねぇ。
 そのセシリー見て、ルークは自分こそが自分の発した強固な言葉に向き合わなければいけないと
 いうことを感じていくんだよね、それまでのルークはただ、そうして強い言葉を組み上げ吐くことだけで、
 肝心の自分がじゃあそれでどうするのか、ということから目を逸らしてたんだよね、ただ言葉の奴隷に
 なってただけというか。
 そういう意味では、激しくルーク萌え。
 ルークの悲哀とそれに基づく孤独な忍耐に共感とか冗談、どうしてそういう孤独に自分が立っている
 のかを見失いつつも、それでもリサと生き続け、またどんなにたわけで力強い言葉を吐こうと、決して
 リサからは離れないと誓うルークにこそ、どこかで希望を諦めていないルークにこそ、萌え。
 やべーほんとにツンデレ属性入ってきたぞ私。
 うーんうん、これほんとに、ルークが剣を打ってセシリーが戦うことに凄みが出てきたね。
 すごいな、この作品、正直ここまで化けるとは・・・・いや思っていたよ?(ぉぃ)
 うん、なぜルークは剣を刀を打つのか、それをセシリーの戦いがすべて魅せてくれる。
 あのセシリーの胸当て作った人もきっと・・・・・・ちょっと事務所まで来て貰いましょうか (違)
 とまぁ、そんな感じですな。
 あとアリアもいいですね、ピンのセシリー萌えとしてならアリアに私は同調してるし、あれはアリアと
 セシリーだけでも面白いけど、でもそれをも含んでのセシリーとルークの関係が面白いわけで、
 あ、そういう視点でもアリア自身が見ていくようになると、それも面白いかもね、うん。
 
 
 真恋姫:
 陳宮可愛いよ陳宮。
 いや、なにこれ、面白くなってきた、恋姫っぽくなってきたよー!
 陳宮だけじゃ無いんですよね、袁術も可愛かったし、あと李典も声が鵺の人だったのが懐かしく可愛く、
 二期からの新キャラがなかなか上手く出来てて、そして一期からのおなじみのキャラ達の融合が
 なにより半端無い。 今私が可愛いって言ったキャラ全部ロリとロリ絡みだけど大丈夫ですよね?(微笑)
 確かにキャラ数が多いので、ひとりあたりの濃度は下がってるけど、劉備ががちっと締めて、なんか
 あっさりと関羽と張飛の収まりが良くなってきてる。 こんなに綺麗な主人公の代替わりは見た事無い。
 上手い、っていうよりなんかえへへとにやけたくなってくるようなこの嬉しさ、ああこれですよこれ、
 どんどんと三国志のキャラが恋姫として作り出されていくこの広がり感、うわ、これだけでこれは成功
 ですね、むしろどんどんと新キャラを出して欲しいっていうか、あ、この楽進ってあんまり三国志の楽進
 さを感じないけど、恋姫の楽進としては萌えだな(ぉ)、ていうか一旦萌えて、そこからあの傷だらけの
 体から三国志の楽進にちゃんと繋がっていけるのがなんか面白い、ていうかそもそも正史の三国志
 には人物描写なんてほとんど無いんですから、そもそも楽進らしさなんて無いんですよね、でも
 どこかからか知りませんけど(演義?)、楽進は退くことを知らぬ武将で、んで蒼天航路なんかでは
 傷だらけの姿で描かれてて、そういう楽進らしさって全部正史からの想像では無く、完全なる創作な
 訳であって、で、そういう意味では、この恋姫の楽進なんていうのは、その創作としての「三国志」で
 共有しているイメージ要素を取り入れつつ、この恋姫としての楽進の創作をしてて、それがやっぱり
 演義なんかの楽進とも通底してるものがあって、だから、萌え。
 呂布なんかもそうね、なんかアニメでのイントネーションがおかしかったけど、武勇第一という記述が
 正史にあったのか知らないけど、少なくともその「武勇第一」ということだけを忠実に基本にして、
 呂布の新しいイメージを創り上げてて、うん、これまた萌え。ていうか陳宮と絡んでさらに萌え。
 そうしてどんどんと作り出されてくる三国志のキャラ達が、今度は第一期で成立した、「恋姫無双」
 というイメージの中に組み込まれ、完全に恋姫のキャラとして動き絡み合いしているのが、うん。
 いいね。
 三国志をキャラ萌えや関係性萌えで捉える楽しみは、うん、この作品でいよいよ深まっていくのかもね。
 ていうか、これゲームだそうよ、無双シリーズみたいな感じでさ。 たぶん買うよ私。 (ぉ)
 
 
 ささめきこと:
 村雨君可愛いよ村雨。
 正式に言うと、村雨君面白可愛いよ村雨。
 やばい、これ萌えいけない、萌える前に笑っちゃう、お腹痛い、やー、なんかツッコミ役としてひとりで
 うじうじしてた村雨純夏のそのうじうじっぷりがささめきことというかメインなのかな思ってたし、風間の
 内面が描写されずにけれどしっかり堆積していく感じとの絡みで終わるのかな思ったら、朋絵ちゃん
 とみやこの登場により素直に爆発。
 やばい、このふたりどうあっても起爆剤www
 ガチレズであることの悲哀とか苦しみとか、素で語りながらあっさりアホをやる、そしてそのアホっぷりが
 哀愁の裏返しである感もありつつ、けれどたゆまない、この朋絵さんは揺るがない。
 馬鹿だwww村雨君のツッコミを無限に受け止めるこのボケっぷりはどうですよwwww
 なんかこれで純ちゃんは吹っ切れたというか、なんかずっと限界線で止められてたのが解除されたような。
 この朋絵の引き出す笑いというのが、この作品の目指すものの中核にあるのがとても良く胸に浸みて
 くるね。
 笑いの中でしっくりと彼女達が繋がっていくのが、なんだろ、全然はっきりとは描かれていないのに、
 無性にね、村雨君がツッコミで暴れまくる姿を見てると感じちゃって、それがとっても暖かく萌える。
 朋絵ちゃんの内面とかはそれこそいくらでも語れそうだけど、あの作品はきっとそれはやらないで、
 その朋絵ちゃんが「やっていること」だけを、朋絵ちゃんが「やりたくてたまらないこと」だけを本気で描いて
 いこうとしてるんだろね。
 互いに哀しみを認め合って同情し合って、それでも笑ってくとか、そんな後ろ向きで悲愴な感じを
 やる暇は、きっともう、朋絵ちゃんの中では終わってるんだろうし。
 動き出した朋絵ちゃん、そしてそれに触発されるようにして、まだ始まってすらいない自分のことを、
 知らず知らずのうちに受け止めていく村雨君、やばい、これは面白い、そしていよいよ風間が・・・・
 これ、お勧めね。 (ぉ)
 そして今週分にて、村雨君のカッコ良さに惚れ惚れして、風間の小悪魔ぶりにも惚れ惚れとしている
 私で御座いました、ごちそうさま。
 
 
 銀魂:
 つっきー可愛いよつっきー。
 やー、面白くなってきましたね! 銀魂復活!
 あーなんか涙出てきたものねぇ、ここんところ銀魂のレベルが下がってて、とても寂しい思いをしてた
 けど、地雷亜編エピローグでの月詠@酒乱でなにかが発生し(w)、そして人気投票編で爆発。
 完全復活! ブラボー! (いぇい)
 ほんと銀魂はそうでなくっちゃ、しかしこうして人気投票編で登場キャラが一堂に会して掛け合いを
 やって、それぞれの立ち位置を上手く使うことで、改めて面白さが広がってきてましたね、キャラ被ってる
 キャラ同士って結構いるのに、それをぶつけ合わせることでそれ自体が笑いになってたり、神楽vs沖田
 の恒例S対決はもとより、そっか、ヅラと九ちゃんとつっきーはくそ真面目キャラって括りか!ていうか
 桂さんが自分でそういう意識があったというのが笑えるところ。
 それに近藤さんとマダオの組み合わせも、互いに自己正当化行為が持ちネタ同士でその掛け合いが
 醜くも面白いコスプレ合戦になったり、まぁ近藤さんは汚れキャラとして突き抜けてしまいましたけど、
 けどさりげにマダオもすんごいことになってましたけどww、お妙さんも久しぶりに水を得た魚のように活き
 活きとしてて、さっちゃんはつっきーへの突っかかり方で、ある意味くの一キャラとして被ってるのに完全に
 独立してて、ていうか超パヒュームってww、てかつっきーの相変わらずの意地の張りっぷりが最高ww
 そしてそのつっきーが段々不安になってきてしまうほどの姉御の計画犯罪さがすごすぎるwww
 つか禁句ww歴史偉人キャラとモロ被りって土方さんと桂さんに言っちゃだめーwwww
 おまけに土方さんは中の人繋がりで別の偉人と被ってるwwレッツパーリィしたくて堪らないとちゃい
 のってwww
 はぁ、面白い。(溜息) さっちゃんvsつっきーとか、最後の黒幕登場と最後のオチとか、あーなんか
 銀魂的というか、これが私の愛する銀魂というか、こういうノリとか流れが最高に好き。
 銀さんひとりが締めなくても、この作品自体がもう自己完結と自己発展能力を持ってるのがはっきりと
 伝わってきて、ああなんか、銀さん的なめんどくせぇな的視点からするとらくちんだよねぇ銀さんらくちん
 だよねぇ、いいなぁこれ。
 ほんとにいいなぁ、銀魂。
 今やってる死亡フラグ編もよさげだし、 これからもじゃんじゃん期待していきます♪
 
 
 けんぷファー:
 チッソク可愛いよチッソク。
 なんだか雫様が人気急上昇らしいですけど、まぁあれだけデレとかエロとかやればそうですかね、
 でも私は会長バージョンの策略的過ぎる雫様が好きなので、あのデレはあんましいらないっていうか、
 化物語の戦場ヶ原様的なもっと攻撃的wなデレなら面白かったんですけど、みんなああいう素直な
 だけのデレが好きなのね、わかるようなわからないようなわかるような、なんか勿体無いというかそれだ
 けだと結局みんな同じになっちゃってつまんないじゃん、みたいな。
 ていうか雫様のあの策略自体が恋の鞘当て的な充分デレな訳で、プライド高いからいいわけで、
 素直だから思わずキスしちゃったんじゃ無くて自分の欲望を満たすために非常に効果的(ライバル達の
 前でやってるし)なディープキスであることがいいわけで。うわ、雫様語ったらキリ無さそ。
 というかですね、この作品はキャラそれぞれが見事に完璧に立ってて、それに基づいての恋の戦略の
 建て方と、そのキャラの「力関係」こそが、最大の魅力だし、他の追随を許さない点だと思うのね。
 沙倉さんとナツル(男女共)の関係とか、沙倉さんのあの礼儀正しい男ナツルスルーっぷりとか、
 だから余計効くというか(男ナツルの哀れさが楽しすぎww)、というかあそこまで女ナツルしか目に入らな
 い沙倉さんって清々しくてなんか好き、空気読まないとか確かにそうだけど、それは男ナツルの沙倉
 さんしか目に入らないっていうのと同じで、それに振り回されながらもその一途さにも萌えてる紅音ちゃん
 とか水琴視点からすると了解可能なものなんだよねぇ、ていうか私も男ナツルは結構好きな、だから
 沙倉さんのあれはウザくは無いし、むしろそうして男ナツル自身には興味が無い事の表明な訳だから
 紅音ちゃん達的には良いことなんだけどでもナツルはナツルですから。
 女ナツルでもそれが好きな沙倉さんは立派なライバル。というか紅音ちゃん達劣勢。頑張れ。
 そして男ナツルラブの紅音ちゃんと水琴もかなり違ってて、ぶっちゃけ紅音ちゃんはナツルなら男でも女
 でもいける口になってきてるし、うわ紅音ちゃんいいわぁ、だけど水琴はあくまで男ナツルオンリーだから、
 女ナツルの胸の立派さに紅音ちゃんは欲情するけどww、水琴はそれが男ナツルの趣味から出てる
 事だと思ってナツル最低という見地でむしろアンチ女ナツル。 あーそりゃそうだわな。
 そして、この作品の魅力の、それがさらに昇華された形としてあるのが、それらがすべてコメディとして
 描かれている点。
 正直あの程度の恋のから騒ぎ話ならドラマなら普通だし、けどあれらが全部どうしても笑えちゃう、
 そういうあの子達の関係とかをネタ的に思い浮かべて思わずくすりと出来ちゃう、そしてそういうものを
 俯瞰的に捉えて戦略的に利用している雫様が面白いわけで。 滅茶苦茶利用されてるよ紅音ちゃんw
 これはラブコメディじゃ無くて、明らかにギャグコメディ。
 紅音ちゃんが男ナツルに女として恥をかかせられるwwたびに笑えるし、なんかこれシリアスになりようが
 無いよw、哀れだけど哀れすぎてそれが笑えるというかw、うん、だから逆に紅音ちゃんのそれも、
 雫様の策略ぶりも水琴のいらだちっぷりも、それらが笑いと成立するからこそ。
 その彼女達の内面が、萌えとして薄く滲み出てくるんだよね、やっぱり。
 絶対にシリアスに描かないからこそ(シリアス的には描くけどね、でもそれは全部ギャグの布石みたいな
 感じ)、笑いあってこその萌えであり、うん、この作品はそういう意味で、私が今観てみたい作品の、
 その最も典型的な作品になっています。
 まぁぶっちゃけ雫様に色々な意味で死亡フラグが立ってて、しかもなんか滅茶苦茶感情移入出来る
 からこその雫様人気、ということはわかりますし私もさりげに結構きてはいるんですけどね、と告白。(ぇ)
 そして、今週。
 す ん ご い こ と や っ た wwww
 なにこれwwなにこの急展開っていうか急ブレーキはwww5、6話すっ飛ばしたくらいな感じじゃんww
 なんであれで最終回になんのさwあれ絶対夢オチかと思ったらほんとだったwwあり得ないwww
 いやー、笑った、笑ったけど残念というか惜しいというか、だから逆にこの作品の陳腐さにすごく合ってる
 と言えば合ってるし、けど惜しい、雫様がもはやデレというか普通に素直キャラに、まぁ紅音ちゃんと
 水琴はそのまんまだけどw、あと沙倉さんの黒化決定早すぎというかそのまま終わりすぎwww
 次回は番外編らしいのだけど、あーこれはほんとに惜しい、これからだってときに全部の伏線を消化
 したことにして終わらせちゃって、ああ勿体無い、雫様や沙倉さんはもっともっとやれるし、ナツルだって
 それこそこれからじゃないの、これ、是非二期希望ですよ、これこそ半年空けてまたやってくださいよ。
 あー、惜しい。 ←未練たらたら
 
 
 にゃんこい:
 高坂可愛いよ高坂。
 いいやつだよーっていうか、個性が無いのに個性があるっていうか、なんだろ、可愛げは無いんだけど
 可愛いっていうか、なんだ、なんて言えばいいんだろ。
 野蛮さは無いんだけどきっちりしてるし、けどきっちりしてるけど今流行り(?)の「しっかりさ」の欺瞞ぷり
 は無くて普通に形に頼らない本気さがいいというか、なんだ、なに言ってんだ。
 楓も双子も可愛いっちゃ可愛いんだけど、それは高坂がいなきゃ始まらないなにかがあるし、女の子
 同士はてんでんばらばらなんだけど、高坂が支点になってひとりひとりがぽんぽんと浮き上がってくると
 いうか、なんだろ、フォローがいやらしくないというか、フォローしてる意識が無くてすごく普通というか、
 「してあげてる」とか「して当然」とかいうのが無くて、なんか色々ちゃんとひとつずつ考えてくれてるという
 か、夏目友人帳の夏目や狼と香辛料のロレンス、そして化物語の阿良々木君と同系統でありながら、
 なんかもっとラフというか等身大というか、無理なことは無理ときっぱり言いながらちゃんと責任を取る
 、そうだなぁ、男気とか義務とかそんなんじゃ無い、もっと自然なこう、なにかがあるような。
 ああいう人が周りにひとりいるだけで、なんか違うだろなぁ、うんうん。
 そういう意味では、上に挙げた三つの作品には、その男の子もしくは男の存在に見合いまた向き合う、
 そうした女の子もしくは女がそれぞれいたけど(夏目は先生が女房役ww)、このにゃんこいにはそういう
 キャラがいないので、ちょっと迫力が無いというか、でもその分高坂ひとり舞台というか、高坂にこそ
 視点が集まりやすくなってくるのかな。
 そういう意味では、ここからどれだけ高坂ワールドが広がっていくか、そこがポイントでしょうか。
 ていうかこれ、猫の呪いとかいらなくね? いや、そういう要素がこういうキャラの説得力を高める必要で
 あるのはわかるけどさ、夏目は妖を視る力、ロレンスはホロという人外を旅の連れにしていて、
 阿良々木君は忘れてたけど不死だし、でもそういうのがあるからこそ、「私」の秘密、特別なひとりの
 自分とも向き合ってくれるというのは、それはなんかそろそろ昇華の時期に差し掛かっているような。
 そういうのがなきゃ、みんな自分を誰かに認められることに自信が持てないのかね、というか。
 逆に考えれば、この作品に於ける猫の呪い云々の「軽さ」が、そういうものをもはや必要とせずに、
 他者の秘密、他者の「ひとり」と向き合っていこうぜ、という姿勢を表しているのかも。
 それは、楽しみじゃな。 (じゅるり)
 ・・・。
 ていうか、よく考えたら、ロレンスはロレンス自身にはなんも特殊な力無いんだよね、ホロを受け入れる
 度量の大きさってそれ、能力関係ないし、ああ、じゃこれってひとつの先駆けではあるのか、うん。
 
 
 ダーカー2:
 蘇芳可愛いよ蘇芳。
 だがアンバー萌えは譲らぬ諦めぬ。 ←必死
 おまけにジュライとかみさきちとか髭黒とか葉月とか、なにこの萌えアニメ。 ←視野狭窄発生中
 まぁ問題は髭を剃った根暗なジゴロがなにをしていくのかという辺りなのですけれど、しかしなんだろなぁ、
 あんまし面白く無いというか、分断的というか、蘇芳可愛いよ蘇芳って言ってれば終わってしまうような、
 蘇芳の内面を考えたり感じたりして終わっちゃいそうな、んでその裏で黒がなにやってもだからなにという
 かただ設定を消化していくだけの感のような・・・なんだろ、作品の作り自体は決して悪くないのに、
 なんというか味気無いというか、気付いたらフルコース終わってたりとか、え?、みたいな。
 うーん、なんというか、確かに「ロシアの夏」って感じで、清冽で儚いけどなんだか爽やかにずっとある
 みたいな、そういう雰囲気なアニメの味わいはあるっちゃあるんだけどそれに特化してる訳でも無く、
 なんていうか、全部中途半端。
 作品側からぐいぐいと引っ張ってくるものも無く、こちらにどうしようも無く考えさせてくれるようなものも
 無く、またその余地も未だ無く、推理も萌えもほどほどで、なんだろなぁ。
 煮え切らない。
 けどねぇ、黒がねぇ。
 蘇芳のいちいちを見つめる黒がねぇ。
 黒がこれからなにをやるのかにはあまりに興味が湧かないのだけれど、黒がなにを感じて、そして考え
 考えていこうとしているのか、そこから「契約者とはなにか」という問いを乗り越えて、「契約者と活きる」
 という、ただの契約者との心中的逃避行では無い、当たり前のみんなと繋がる生活を導き出そうと
 しているのか、そういうのは是非観ていきたいな。
 イザナミが銀で、そしてイザナミは契約者を消す力がある、じゃあ「銀」とはなにか。
 黒がかつて必死に「守ろう」としたのは、なにか。
 逆に「ロシアの夏」的な蘇芳のアプローチと、黒の人間的なアプローチが合わさったときにどうなるか、
 その辺りにはまだまだ期待しています。
 理屈で説明する必要は無いし、理屈で叫ぶ蘇芳を見つめる、その黒の瞳の色に視るべきものは
 あるかもですし。
 
 
 
 
 という感じで、今回は一旦終了です。
 残りの作品についての感想は、次回行わせて頂きます。
 はい。
 萌え視点の意味が無かったですね。
 でも次回もいきます。
 主に萌え視点で。 (微笑)
 
 
 
 
 

 

-- 091208--                    

 

         

                             ■■ ぐだぐだしたのでやった ■■

     
 
 
 
 
 はや12月になりましたけれど、皆様ごきげんよう、紅い瞳です。
 
 はやっ、一年はやっ。
 でもまぁ、そろそろあんましそういうの気にならなくなってきたというか、なんというのかな、あんまし最近
 時間の長短に囚われなくなってきたというか、なんというのかな、よく考えるもなにも、時間長くても
 短くてもそもそも時間なんか気にしてやってたことってほんとは無かったんじゃないの?っていうか、
 いや嘘つけ、なんだろな、べつにみんなが時間無い無いうわ今年ももう終わりかよとか、そういう風に
 騒いでるからそれに同調してたとかそんなんじゃ無いんだけど、でもそれでもなんとなく、時間の長短に
 感じているなにかを大事にしなくちゃいけないと思っていたのは確かで、けど、それが最近あんまし。
 あんまし、無い。
 最初はそれ、一瞬一瞬を大切に使ってないとか、実感の無い生活って嫌だわなんか枯れてるとか、
 そういう風に思ってなんとかしなくちゃいけないのかな、とか思ってたんだけれど、なんだろな、実感とか
 そういうのって、それを感じること自体が大事なのかなぁ?、って。
 一瞬一瞬を大切にって、大切にしたり思ったりすること自体が大事なのかなぁ?、って。
 
 うーん。
 
 先日ちょっと友人と話ししてて、考え込んじゃって。
 私は基本広く浅く物事を見たり考えたりするタイプなんだけど、だからこそ広く深く見て考えてこうって
 努力する訳なのだけど、でも私がそもそも広く浅くな指向なのは、基本がそれでも、根本は実は
 狭く浅くだからなんだよね。
 その反動から広く浅くになる感じで。
 で、結局浅いのは変わらないのねというか、うん、だから深くなろうとするのは共通の目標なのだけれど、
 んじゃーなんで浅いのは変わらないのさ、というか狭さというのはそれが深いことで悪い意味じゃ無い
 ことになるけれど、んじゃーなんで私は狭く深くだけは選択しないのさ、という。
 なんだろ、これ結構疑問。
 もしかしてこれ、実感っていうのが絡んできてたりするんじゃないの?
 や、実感っていうのは気持ちいいものだし、やっぱり必要なものなんだけどさ、それになにかを一生懸命
 頑張るのは、なにかを達成したり完成させたりするモノ自体じゃ無く、そういうことが出来たり得たりした
 ことで発生する実感こそが動機なのだけど、でもじゃその実感はなんのために得るのかな?
 それが、楽しいから、じゃないの?
 気持ちいいとかさ嬉しいとかさ、つまり実感を得ること自体がじゃ無くて、その実感の中身だけが大事
 というか。
 なんていうか、狭い広いという観点で物事を捉えるときに、結構私はこの、実感を得ること自体を目的
 としているような気がする。
 その実感が楽しいいいか気持ちいいか嬉しいかとか、全然考えてないっつーか。
 んー、上手く言えないんだけどさ、なんかやけに実感実感と呟いている自分が時々いたりして、
 それはたんに実感をあまり感じにくいからこそ出てきてるのであって、だから実感を得ようと頑張る訳
 なのだけれども、肝心のその中身を疎かにして実感だけを手に入れることに勤しむという、その私は
 一体なんだろうと、まぁ、考え込んでしまったのだけれども。
 なんだろなぁ、よくわかんないんだけど、なんかまだ問いを発したところまでなのだけど、上手くまだ
 私の中で繋がってないんだけれども。
 ただ、なんつーか、実感実感と私自身が言わなくても私の体自身が実感実感と唱え続けていて、
 うわ怖、だからいくらでも実感を得ることは可能で、それは理屈的な面でのアプローチも得ることで、
 それこそどんどんと広く繋がりを得ていって、そしてさらには深めることも出来る、のだけれども。
 だからこそ、んじゃあ実感ってなんなのさ、それってなんなのさという問いが、なんか初めて出てきた。
 手抜きすりゃ、私なんぞいくらでも実感を失える。
 根本がたぶんそうだからね。
 ある意味で、手動でも自動でも努力して実感を得られるようになってる感じだし。
 じゃもしその努力装置が壊れて、まぁ私なんかしょっちゅうだけど、そういうときに、じゃあ実感ってなに?
 、とそう問わずに、やばいやばい努力しなきゃ頑張らなくちゃええとどこをどう直せばいいのかなふむふむ、
 とただ実感を得られるか得られないかの選択に閉じた私はなんなのだろか、とか。
 実感が得られること自体を楽しむことしか、実は出来てなかったんじゃないの?
 基本私はロースペックなので、しぜん勿体無い精神というかリサイクルというかただのドケチというか、
 まぁ、ほんとちょっとしたものでも大切に大事に思うのだけどさ、実感だってそうよ、もともと私の中に
 無いものだからさ、それが得られる喜びというのは大きいのよね、だからありがたがっちゃうし、色んな
 ものにもそうして感謝の心というか抱き締めてしまうというか、なんだろなぁ、それ。
 
 それって、つまりさ。
 そういうものが、「当たり前」のものだと思えてないんだよね、私。
 
 いや、それこそ周りに影響されて空気読んでるだけなんだよね私。
 勿体無い精神は「美徳」だし、感謝の気持ちやらありがたいやらは賞賛されるし、逆にそうしないもの
 は批判され蔑まれるし。
 あほくさ。
 大事なのは。
 それら大切なものがあるということ自体で無く。
 それら大切なものがいかに楽しく気持ち良く嬉しいものであるか。
 それ自体の実感でしょうに。
 存在するのは、「当たり前」。
 当たり前っつーか、それ、絶対的不思議だし。
 感謝してる暇はねーっていうか、むしろじゃあなんのために、そのありがたいモノは存在しているのか、
 ってことを、激しく情熱的に快楽的に求め続けることに、それらが存在することの本当の大事さがある、
 と私は思うなぁ、やっぱり。
 って散々アニメの感想で書いてきてるんですけど一番わかってないのが私です。 おい。
 例えるなら、そうだなぁ、私達は神様に命を与えられ、そしてそれがあんまりにもそれが嬉しいことだから、
 思わず神様に感謝して感謝して感謝し続けて、気付いたら神様に感謝するために生きてて、これ、
 神様からしたらウザいというかめんどくさいっていうか、いやむしろ腹立つよねぇ。
 感謝してる暇があるんなら、さっさと生きて楽しめやボケが。
 そのためにお前らに命授けたんだよこのボケが。
 どんな柄の悪い神様だよって話ですけど、でも、もし私に神様がいるとしたら、たぶんそれが一番
 しっくりくる。
 私達が此処に存在していること以上の不思議、圧倒的な歓びは確かに無いし、でもそういう意味で、
 正直その事に気付く程度のことで悟り開いた顔している人はおめでたいなぁと思うけど、うん、
 孤独とかひとりとか、自分がそういう絶対的無二の存在であるという認識自体は大事だけど、それは
 すべての礎なだけで、その礎はなんのためにあるのかを分からずに礎に感謝するのは全然違うというか、
 縁の下の力持ちは、その上で華やぐスター達のためにやってんだし、そのスター達に掴み取って魅せて
 欲しいものがあるからな訳で、それをスター達に感謝され?、あなた達のためにも頑張りますといわしめ
 て?、それで自分も頑張るって、なんかおかしくね?
 
 なんつーか、欺瞞って、めちゃくちゃ沢山ある。
 
 それが欺瞞であるという事自体はどうでもいい。
 ただその欺瞞の中身自体が重要な訳で。
 私自身、私を肯定するときに、知らず知らずに「良くない欺瞞」を行っているんだなぁ、って。
 あ、私は勿論嘘には良い嘘と悪い嘘があると思っていますし、嘘に良い悪いも無い全部悪いって
 いうのは、それは嘘という事自体しか見てないからだと思いますし。
 んー、なんていおうかな、んー、なんだろ。
 日本人は、っていう切り出し方だと違う気もするし、んー、日本文化?、それも違うなぁ、なんだろ、
 なんかあるじゃん?そういうの(ぉぃ)、そういうもののなかにある欺瞞というものを、んー、なんだろ、
 大昔とは違う、そう大昔の私は結構とんがりっ子で、まぁ人類なんて死ねばいいのにとか思ってたんだ
 けど(ぇぇ)、あの頃の「批判」というのは極めて一面的で、よく考えれば見事に狭く浅くだったね、
 狭くて浅いまんま、そのこと自体に深く打ち込むことで得られる、その実感の獲得そのものに頼って
 いたというか、じゃあさ、今はどうなんだろ、今そうじゃない、もっと多面的複層的に私が批判していた
 ものを再度「批判」してみてみるというのは、これはどうだろう。
 うん。
 萌え、ってあるよね。
 私はね、萌えってすごく重要なことだとおもうの。
 ぶっちゃけ、萌えって日本的というか、なんかあるじゃん?そういうの的な(いい加減にせい)、
 そういうもののまさに権化だと思う。
 狭くて、浅い。
 けど、その狭くて浅いこと自体に深く打ち込むことで得られる、その実感の獲得そのものに頼る、
 それが萌えの本質。
 欺瞞上等、萌えられればそれでいい、実感の中身なんて関係無い、実感が得られりゃそれで萌え。
 自分がそういうことをしているという意識をさえ失えれば、完璧。
 萌えの範囲は滅茶苦茶幅広いし、文化という「モノ」自体はそれで成り立ってる。
 文化っていうのは変化し自己破壊自己批判を重ねて進化していく事自体が本質なのに、みんな
 結構、というか非常に多くの人が、全くその逆、その本質から離れるところで成立しているモノ、
 それ自体に「文化」を「実感」している。
 お寺とか神社とかそういうの、文字通り文化「遺産」であって、文化そのものじゃ無い。
 例えるなら、遺産を文化として捉えるのは、先祖代々の遺産を食い潰して遊び呆けるのと同じ。
 そもそも、文化遺産を遺すことに文化的意味は無いし、それらを越えて新しいなにかを作り続けて
 いくその「営み」こそが文化の本質、坂口安吾的に言えば、法隆寺ぶっ壊してダムを建てるのが真に
 文化的態度なわけ。まぁ今はエコ的にダムはやばいですが。
 それが、文化。
 だけど言ったように、私は萌えは重要だと思う。
 文化遺産上等じゃないの、お寺神社大事にしていいじゃないのさ。
 萌えは萌え、文化は文化、だからべつに調子に乗って萌えが文化だって言ったって、文化は文化なんだ
 から揺るがない。
 あ、よくきく話だけど、オタクが文化遺産に萌えを求めて行くと、それが文化的態度じゃ無いとかで
 批判されるけど、おっかしいの、そもそも文化「遺産」を愛でる行為が既に「萌え」な訳で、それが
 どんなに高尚かつ「伝統」的であろうと、そりゃオタクの萌え理論だって深く打ち込み代を重ねていけば
 高尚かつ「伝統」になるでしょうに。 目くそ鼻くそを笑うとはこのことじゃん。
 だから。
 うん、だから、私は萌えを認めるからこそ、文化遺産を愛でる萌えも認めるというか、だってほんとに
 萌えは萌えで文化は文化じゃん、ていうか逆にその分離がはっきりと出来てないからこそ、文化遺産
 を愛でるということをこそ文化の本質だとしか思えなくなっちゃうんじゃないのかな。
 だから萌えを否定するというか。
 文化とは生成変化し続けると見る者からすれば、見事にどっちも同じだし、だからもう否定せずに、
 それらの「楽しみ」も受け取れるのだとおもう。
 ちなみに、日本文化の主体は、決して「大和魂」とか「日本的精神」とかそんなもんじゃ無いです。
 主体は、日本人です。
 日本人が日本人で無いことなど無い、でしたっけね。
 ハイデッガーいうところの存在と存在者の違いというか、まぁ大和魂の「中身」なんて変わり続けて
 ますし、でも根幹は変わらないのよとか言いたくなるものだけれど変わってます、第一大和魂を
 わざわざ大事にしたり守ったりしている時点で、それは大事にしたり守ったりしなければ容易に変わったり
 無くなったりしてしまう、つまりただの「遺産」なんですね。
 ぶっちゃけ、某元首相が自衛隊のいるところが非戦闘地域だ、というようなことを言っていましたけど、
 それと同じで、日本人がいるところが日本だってだけで、さらにいえば、逆に日本に住んでいるから
 日本人というだけで、むしろこっちが本質、その日本にたまたま住んでいる人達の魂はすべて「大和魂」
 であって、それこそ人口の数だけあり、決して既存のたったひとつの「大和魂」がその人達の魂に
 通底しているなんてことは、無い。
 でもわかるんじゃないの? 日本人なら誰だって「大和魂」の実感って。
 そりゃそうでしょ。
 
 だってそれ、萌えだもの。
 
 大和魂萌えだもの。 その魂が自分の中にもあるって思えば、そりゃ萌えるでしょう。
 あるいは燃えですか。
 だから萌えとか燃えと踏まえれば愛国心なんて可愛いものですし、サッカーとかでやってるアレも、
 きっちり萌え的というか非常に娯楽的で健全な感じがしますし、あれを指して軍国復活かというのは
 それはあなたがエロいからそう思うだけよこのスケベというか(まてい)、まぁでも日本に関しては色々
 やってきてるのでそれ無視して言うのは駄目ですけど、まぁそれはいいや、重要なのはそれじゃなくて、
 そもそも愛国心とかそういうものの本質がサッカーのまさにアレだということであって、あんなの愛国心
 違う愛国心というのはもっと深くて崇高で高尚で(中略)そういうものであってあんなのと一緒にする
 な、というのはこれはもう、あーはいはいって感じなのが正直なところ。 駄目、全然わかってない。
 むしろ逆にサッカーのアレは勘違いして無い分だけより本質的というか弁えているというか、楽しんでる
 しそれだけのものだからこそ、愛国心には意味があるし価値があると思うの。
 大体、国を愛するって言ってんじゃん、おもっきし国萌え宣言しちゃってるよ。
 まだ尽国とかいう方がマジメさが出てるというか、いや、むしろそうして国に尽くすとかって、なんかM的で
 萌えみたいな。 そろそろ色々な意味で自制しましょうか、はい。
 まぁなんつーか話が大幅にズレてきてますけど、うん、つまり弁えっていうのが必要というか、むしろ既存
 の「弁え」っていうのがむしろ全くの弁えの無さから成り立っているというか、さらにむしろ、しっかりと弁え
 ることで、もっともっと楽しめるものはあるんじゃないか、っていうか、そうして楽しむことこそが、その楽しみ
 の中身に至るためにこそ、「批判」というのはあるのじゃないかな、とそう思うのです。
 そうそう、なにかを批判してそれを貶めて、そして相対的に自分を持ち上げてその自分を守り楽しむ、
 それはべつにいいんですけど、でもそれだと、その貶めたなにかを楽しむことは出来ない。
 それって裏を返せば。
 
 
 そうしてなにかを批判して貶めて、自分を持ち上げて必死に守らなくてはいけないほどに。
 自分に自信が無い、ってこと。
 
 
 私が私で無いことなど無いっつーの。
 私が私を楽しめることなんて、「当たり前」だっつーの。
 その意識が、実は当たり前に楽しめないそのよわっこい私自身が、色んなことを楽しもうと頑張ることの
 動機、いやいや、弁えておかねばならないことなんじゃないかな。
 当たり前じゃ無いんだからまずは当たり前にならなくちゃ、ていうか当たり前なことも出来ないのに
 偉そうなこと言うなって?
 たわけ。
 そう言いたいのがぬしの本音じゃろ?
 うん、そう。
 当たり前なことを出来るようになることだけに打ち込みたい、狭く浅くに深く打ち込む事自体の実感を
 得ることだけ。
 それを正当化したいからこそ、当たり前なことに拘る。
 その先へ、当たり前という礎をしっかりと踏みつけて、楽しく豊かな実感を得ていくこと、それが一番
 重要なことで、そして。
 それが一番、私が常に目を背けようとしていることなんじゃないかな。
 しかも割と虎視眈々と狙ってる。 このスケベ。
 弱い者が強くなろうとする姿は、確かに説得力がある。
 でもそれは。
 弱さも強さも関係無く、その者自身が真に欲しいものを求める姿には、遠く及ばない。
 可愛いは正義!
 ・・・・。
 あれ? なんの話してたんだっけ? (もうわけわかんね)
 
 
 
 
 えーまーうん、なんだろ、まぁ、色んな視点で改めて色々考えていきたいなっていうか、うん、そう、
 考え方や感じ方を固定化する気は生涯無いし(ぉ)、まぁ気付いたら私なんぞはあっさり固定化して
 たりしちゃうんだろーし、だから生涯現役宣言くらいして当然というか、それに批判とかって、まず
 どうして自分はそういう風に批判するのだろうかという、そういう「自分」を含めて思考していくことに、
 実は批判というものの最大の「利点」があったりする。
 私がこうして批判をつらつらと並べて、私は一体なにがやりたいんだろ、ああ、そうやって色々と
 自分なりに捉えた「世界」に対する自分の立ち位置を決めてるのか、で、それがあんたの目的?
 ていうか、あんたのその「世界」って、ほんとにそれだけのもんなの?
 別の知人とこれまた話してたときぴきーんと来たんだけどさ、批判っていうのはその人の世界認識と
 いうか世界観というか、まさにそれを前提として成り立ってる訳で、つまり批判対象としてあるその
 世界というのは、紛れも無いそれが私自身のその時点での世界観な訳で、んじゃーそもそも、
 その世界観そのものは合ってるわけ?、あんた自分が批判すべき対象がそんな程度のものでいいわけ?
 ほら、あれよ、主人公ひとり勝ちで敵役はみんな弱くて愚かな物語より、敵役も強くて賢い物語の
 方が断然面白いってあれよ、大体主人公ひとり勝ちのものしか書けないあんたが一番弱くて愚か
 だっつーの、というか。
 だから批判を行うときは、もうそうして「なにかを批判している私」自身も充分批判対象になってるし、
 そうしていくことでそれは批判から批評へと進化していくんじゃないかなぁというか、それで色々ほんとに
 楽しく豊かになっていくんじゃないかなぁというか、その豊かさ楽しさを楽しもうというか。
 まぁその、うん。
 
 
 今日の更新分が埋まって良かったっす。 (微笑)
 
 
 
 
 ◆
 
 
 はい。
 そんな感じでぐだぐだな今日ですけど、あとはサッカー話でもさせて頂きましょうか。
 W杯の組み合わせ決まりましたね、日本終わりましたね。
 まぁファン的に分析してみると、全敗は当然。 むしろ必然? (ですよね)
 オランダ?、カメルーン?、デンマーク? これはマゾプレイを楽しめってことですか?
 これに2勝して(オランダ分だけ冷静w)いざ決勝トーナメントへ!、というマスコミのノリはアレですけどさ、
 でもよく考えたらこれ、選手的には燃えるよね。
 うん、なんていうか、私もサッカーしてたし、優勝とか勝ち点とか、そんなもののためにサッカーやってる
 のは、それはあくまで「プロ」の部分であって、サッカー選手としては、やっぱり一番は強い相手と
 やってサッカーを深く楽しみたいってものが、ほんとは一番だろうし、そういう意味では、私はこの組み合
 わせにはなんだかんだでかなり燃えてたりします。 ガンガンいこうぜ!
 計算いらないっていうか、この組み合わせだったらもうほんとに、全力出すだけでしょう。
 盲目的に全力出してそれで勝てるのかよ?、という話ですけど、だから勝つとか優勝とかそんな「目標」
 のために試合してたら、それこそ勝てんでしょ。
 勝つことを考えないというのは負けてもいいというのとは違うしね。
 正直、私もサッカーやってたときは、勝てるか勝てないかなんて意識で試合に臨んだことないし、
 もっといえば勝てないと思ってたことなんて一度も無かったしね、それは怖い物知らずということとは、
 たぶん全然違うことだと思うな。
 まぁ。
 それは選手の話であって、監督はそれじゃいかん気がしますけど、それも私が監督を経験すれば
 変わるのかなぁ・・・・
 と、言いたいところですけどそういうのは嫌いなので(ぉ)、うん、そこでファン意識が出てきて良くて、
 サッカーは少なくともああしてファンがついている以上、ただの自己満足で終わってもいけない訳で、
 勿論迎合しろというわけでも無く、まぁ選手にはエキサイティングさを、そして監督にはインテリジェンスさ
 を求めたいところですね。
 つかまぁ、単純にファン的には勝ち点の計算とかが面白いっていうのは実際あるし、なんだかんだで
 そういう計算して、ああ駄目だ無理だと頭を抱えるプレイが楽しいんだこれ、うふふ。 ←M
 
 
 
 というところで、今回は終了。
 次回は、アニメの話します、アニメの話しかしませんたぶん二回にわたってやると思います。
 今期アニメはまだちゃんと語れてませんのでツンデレですのでべつに面白くない訳じゃないんだからねっ。
 
 それでは、ごきげんよう。 (お疲れ様)
 
 
 
 
 
 
 

 

-- 091203--                    

 

         

                                ■■ 事件は現場で ■■

     
 
 
 
 
 冷たい雨降りしきる冬の夜の中、ごきげんよう。
 
 今日はやること早く片づいたので、のんびりまったりしていたら、このまま普通にゲームを始めて、
 ゲーム脳の育成に励みそうな勢いを示してきてしまいましたので、慌ててパソをつけてみた紅い瞳です。
 ごきげんよう。
 もう脳トレっていうかゲーム脳トレになってきている感じです、ごきげんよう。
 でもそんなのもたまにはいいかなとおもっている、こんばんわ。
 
 さて、実はパソが大破しました。
 ・・・・大破したんですよう、しくしく。
 なんかね、起動したらパソが変な音出しててね、まぁ無理はせんと、と思って更新サボる口実が出来た
 わいと一日触らないでいたらね、その次の日にね、動かなくなった。
 ・・・・・・なんだろうこの無茶苦茶わき上がる罪悪感は
 あのとき私がちゃんと見てあげれば、私がちゃんと話を聞いてあげれば・・・
 とかなんとか脳内妄想を活性化させたりしていたわけなのですけれども、なんかその次の日には普通に
 動き出してなんだったのよ一体と、ちょっと泣き笑いで微笑んでみせながらファイル開いたら空だった。
 
 ファイル開いたら空だった。
 
 え。
 なにこれ。
 これなに、これ。
 日記更新しようとしていつも使ってる下書き用のファイル開こうとしたら無かった。
 ていうか、いくつかファイル無くなってる。 ファイルがいくつか無くなってる。
 壁紙とか色々集めた奴が消えとる、壁紙チェンジャーに登録したの全部逝っとる。
 ぎゃーあーあー。
 ・・・。
 日記のファイルはFTPでUpロードしたやつから落とせば済むと思うけど、壁紙が特に痛い。
 自作して配布してる二次創作系のはまた拾えばいいけど、公式サイトとかで期間限定で配布してた
 奴とか全部逝った。
 狼死んだ。
 私も死ぬ。
 死んだ。
 
 
 
 ◆
 
 ということで、大破したゆうてもファイルがいくつか消し飛んだだけの被害で、まぁ大したこと無くて
 済んで良かった良かった、じゃあ解散と、対策会議の方々が部屋を出ていくなか、無線機の向こうで
 は事件は会議室で起きてるんじゃない、現場で起こっているんだと叫んでいたりする状態です。
 あれ続編またやらないかなぁ、狼生き返らないかなぁ。 ←病気
 
 で、今日なんですけど。 肝心の今日なのですけど。 私が一日ほっといたのがいけないんですけど。
 一応パソは動きますし、まぁ少なくともファイル消失の原因がなんなのかを探っておかないと怖いです
 けど、取り敢えず動くことは動くので、バックアップを取りつつ今日は日記します。
 で、なにを書こうかな、と。
 んー、趣味話の続きをしようと思ったんですけど、あと趣味と言えるものはあるようなないような、
 最近はとある人の影響でお香とコーヒーに凝り始めてるのですけれど、んー、お香はその人に選んで
 お土産として買ってきて貰ってるというか、むしろその人がなにを買ってきてくれるのかが楽しみだわい、
 みたいな変な楽しみ方なので、なにをどう語ったら良いものやら、芳輪の二条というのが結構好きな
 香りで身につけたい感じで、月桃というのが美味しい匂いでした、くらいかな。 はぁ、面白い。
 コーヒーはKALDIが近くにあって、そこで粉(?)だけ買ってきていれて飲んでるくらい。
 豆からは買ってません、代わりに粉(?)を色々試して買って飲んで飲み比べみたいな、そんな感じ。
 んでも粉(?)とか言ってる時点で勉強はなんもしてませんし、あんまし飲み比べにも自信無い。
 コーヒーは難しいのぅ、コーヒー自体は美味しくて好きなんだけど、色々飲んだのに区別がつかん。 (ぇ)
 基本的には深煎りでコクのあるのが好きなんですけど、同じ銘柄でも淹れるたびに味が違くて。
 ていうか、それ以前に私の淹れたの不味いんですけど。とある人が淹れてくれると美味しいんですけど。
 ・・・・・ちょっと本気出してくる (ぉ)
 
 あーあと趣味?
 あとサッカーあった。
 サッカーは、いいかな?、わざわざ語るまでも無いっていうか、もうすぐクラブW杯あるし、どうせすぐに
 語ることになりますし、たぶん。
 そんで、それにご存じアニメを加えたら、はい紅い瞳の出来上がり。
 それらで割ったらあとには綺麗になにも残りません。 (微笑)
 あーあと、漫画あった。
 漫画っつーか、よつばとあった。
 よつばと!第9巻買って読んで笑いました。
 んだからちょっと感想書くよ。
 
 
 ・・・・。
 最初の方読んでるときはおもしろくなかった。
 でも気付いたらエンジンかかってなかった。
 そりゃ一年ぶりだもの、そりゃー反応遅れるよ。
 そしてエンジンかけたら、どかん、どかん。
 うはー、なんかとーちゃんが進化してるー。
 前の巻からもそうでしたけど、よつばを前面に押し出して、その新鮮な驚きとか笑いを全開にしていく
 感じはややおとなしめで、で、逆になんかよつばが人間的というか、常識的な驚き方とかをしていく
 ようになってて、うん、今回は特になんていうのかな、奇をてらっているというか、よつばの驚きとか
 笑いに不自然さがあるんだよね。
 一通り驚いて笑って、一通り常識も見て知って、その中でまだ自分の中に残る新鮮さを回して
 はっちゃけるというか、なんかよつばの発言って結構確信的になってきてるというか、ぶっちゃけよつばは
 自分の発言が周りとズレているというのを、少しずつ認識し始めてきていて、その上でそのままボケて
 きてる奇がするのね。
 そしたら、今度はとーちゃんですよ。 とーちゃんがなんか新鮮になった!!
 あとあさぎねーちゃんもきた。
 よつばが割と常識的になってきて、その上で「とんちんかん」なことをどうだってやってみせて、今までは
 とーちゃん達はよつばの素直な新鮮っぷりに戸惑っていて、とーちゃん達こそが確信的常識的に、
 敢えて「とんちんかん」によつばと付き合っている感じだったのが、なんかよつばが常識を踏まえるように
 なってきて、逆に吹っ切れてきたというか。
 なんか、よつばはじっくり成長してきてるけど、とーちゃん達こそぞっくりするほどに成長してる。
 私はよつばに次いでとーちゃんとあさぎねーちゃんが好きなのだけれど、そっか、とーちゃんとあさぎ
 ねーちゃんのコンビという発想はあんまし無かったわ、驚いた。
 よつばを見守る大人な眼差し、というのは自転車編とかでもあったけど、それはよつばを間に挟んで
 のふたりであって、あー、今回の気球編みたいな感じでお互いが全力出してやり合うと、こんなにも
 面白いのかって、ていうかあさぎねーちゃんのとーちゃん唆しっぷりが実に面白く、けどあさぎねーちゃん
 もあさぎねーちゃんでとーちゃんに遅れを取ったりして見せる本気さとか、やっべ、この強力ツートップが
 競って点を取りに行くとすごいわこれ。
 
 なんか、よつばと!の世界がまた広がってる。
 
 いいかんじ、いいかんじ。
 みんなそれぞれ自分のままに、けどどんどん変わっていく。
 そうして変わっていくことは変わらない。
 変わっていく季節、変わらない毎日。 by単行本帯
 なんか風香が落ち着いてるし、えなはしっかりお姉ちゃんしてるし、やんだは大人げないし、ジャンボは
 ジャンボだし、虎はよつばに驚かされるときが一番面白いし、かーちゃんは手振ってるし、焼き肉屋の
 人はなかなか見所あるし、やっぱりとーちゃんとあさぎねーちゃんってよく見たらすごく似た者同士だし。
 あー、おもしろい。
 そしてそして、なんだか絵柄が結構変わっていたんだけど、ひとつひとつの所作の描き方とかは変わって
 無くて、ただあまりよつばの活き活きさでは無く、そうだねぇ、いうなれば、「発見」の嬉しさの描写より
 も、発見したものを撫で回す楽しみの描写に力点が置かれている感じで、これはなかなか。
 なかなか、新鮮。
 その中で、よつばが初めてぬいぐるみとの生活を始めて、そうした一般的な成長が語られて、うーん、
 なんだろ、ほんとこの作品は色々なことをやりつつ、なんでこんなに芯がぶれないんだろって唸らされる。
 今回は諸々のギャグのレベルが久しぶりに高くて、私的には笑いが止まらなかったのだけど、けど、
 それでも決してギャグ漫画に走らない、というか完全に紐つけて首輪握られているような、ギャグ漫画
 では無い、このあまりに清々しい「日常」の楽しさは、ああほんとうに、よつばと好きだなぁという私自身
 のこの感覚を楽しませてくれる。
 
 
 
 なんか よつばと感想書くのヘタになったな、私
 
 
 
 くっそー、楽しかったのに、面白かったのに、なんか理屈ばっかりー。
 もっと書け書け、書けよー、ああああ(壊)
 まぁうん。
 よつばと!9巻は面白かったので、私の感想は面白くなくてもありだな。 (ぉぃ)
 
 
 という感じで、ええと、今日はここまで。
 うー、なんか筆が走らない伸びないよーそんな狼壁紙消えたのが悲しいのか、悲しいんだな。
 次回はちゃんとやるよ、ちゃんとやりますからね!
 たぶん。
 
 では、ごきげんよう。 (微笑)
 
 
 
 
 
 
 

 

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