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◆◆◆ -- 2010年5月のお話 -- ◆◆◆

 

-- 100522--                    

 

         

                                ■■ 精神の機動力 ■■

     
 
 
 
 
 
 
 ・ごきげんよう。
 
 ・困ったときには箇条書きにしろって、ばっちゃが言ってた。
 
 ・あれ?なんでしたっけ?このネタ。
 
 ・まぁいいですか、いいですよね。 なら言うな。 だって頭に浮かんだんだもん!  ←子供
 
 ・まぁいいですね。
 
 ・改めまして、ごきげんよう。
 
 ・お久しぶりで御座います。 こんなに日記を放置プレイしたのは初体験です。
 
 ・ちょっとドキドキします。 ドキドキしろ。
 
 ・でね。
 
 ・まぁまだ日記は一応休止中なのです。 ちょっとだけ顔出してみただけよ。
 
 ・ていうか長期戦、確定☆
 
 ・いきなり奇襲を受けて、あたふたしていたのが、ようやく落ち着いて戦闘態勢に入った、みたいな。
 
 ・遅いな。
 
 ・ていうか向こうも向こうな。 ヒーローの変身中には攻撃しない立派な悪役な人か。
 
 ・まぁ、うん、今回の件は割とトラブル系。 違う、あれじゃない。 漫画とかアニメのあれじゃないから!
 
 ・具体的にいうと、私に色々無理難題押しつけといて、私無理っつったのに、けど助けがあれば
  出来ますからって頭下げたのに、放置プレイ、すっごい、放置、仕方なく引き受けた以上はひとりでも
  やって、でも無理だからちゃんと補助してくださいみたいな事ずっと言って、すっげ説明とかして。
 
 ・なのになんか、いきなり。
 
 ・向こうが、キレた。
 
 ・ ?
 
 ・ ? 
 
 ・なんか私の自己責任みたいな感じになって?
 
 ・なのに、今からでも遅くないから、援助を願えば手伝ってやらんことも無い、みたいな?
 
 ・自分が悪いって認めて反省しろ、みたいな?
 
 ・そうするまでは、他の事もなにひとつしないとかボイコットとか?
 
 ・それはあなたが全部自分で招いたことなんですよ自覚ありますか、みたいな?
 
 
 
 
 ・    ブ    チ    。
 
 
 
 ・結構ひとりで頑張ってた期間長かったものね。
 
 ・けどひとりで抱え込むのは絶対間違いってわかってるから、説明とかにどんだけ頭と労力費やしたことか。
 
 ・それをあなた・・よくもまぁ・・・
 
 ・静かにキレまして候。
 
 ・言い訳はしません。
 
 ・私はキレたよ。
 
 ・ちなみに私はキレると頭の回転速度が三倍になります。
 
 ・紅いだけに。
 
 ・今のは聞かなかったことにしてください。
 
 ・で。
 
 ・とにかく色々と向こうがやってきたことへの対応なり、その対応だけに閉じてしまうことで他に出る
  弊害を洗い出してそれへの対処に走ったり、これまたひとりで戦う愚を犯さぬために、これでもそこそこ
  ある人脈を駆使して援助や助言を受けたり、それを使ってまだ駄目になってないものを守ったり退避
  させたり。
 
 ・そういうのが一通り終わって、改めて自分と向き合ってたり。
 
 ・ ・・・・・。
 
 
 
 ・   相手の土俵で勝負する必要、無いよね? これ。   ← いまここ
 
 
 ・向こうとも今後縁切りするつもりは無いし、や、選択肢としてはあったけど、それは切り札というか、
  逆にそのカードを切る事が出来るなら、まぁ待てや、それはあんたらしくないやん、相手に合わせて
  自分見失ったらあかんよ、あかんて、みたいな。
 
 ・今回結構、公的私的にも、被害大きい。
 
 ・けど私は、転んでもただでは起きないのが座右の銘。 今決めました。
 
 ・周りの人からも、筋だけはきっちり通した方がいいよとアドバイスされてましたし、私もそう思う。
 
 ・だから最低限の謝罪は求めるつもりで行動してるけど、それもどちらかというと最終手段というか。
 
 ・ていうか。
 
 ・なんか、わかっちゃうのよね、向こうの気持ちも。
 
 ・なんか、ほんと何本かのほつれた糸を直せば、ちゃんと繋がり直せる気がする。
 
 ・だから、なんていうか、向こうとバトるよりも、私自身がこの対決を預かりたい、みたいな。
 
 ・私が、なんとか今回の「問題」を解決してみますよ、みたいな。
 
 ・私は、自分が好き。
 
 ・ていうか、今回私悪くない。 私悪くないよ。
 
 ・私は、自分が好き。
 
 ・私は私の自分が好きだから、向こうの、向こうの人自身の自分も好き。
 
 ・正直、今回私はキレたっていうか、むっちゃ怒ってるいうか悔しいいうか、無念いうか。
 
 ・けど、大事なのは、その怒りと悔しい気持ちのままに復讐してすっきりすることじゃなくて。
 
 ・あなたがした事はこういうことで、私はそのせいでこういう風になりました、という事をしっかり伝える事。
 
 ・だから同時に、私も私があなたにした事がなにかあるはずと、今自分に問うています。
 
 ・その両方の怒りや悔しさを持ち寄って。
 
 ・そして、今回の問題点を洗い出し、それをひとつずつ管理していくことが、最も大事で、そして。
 
 ・私がやるべき、唯一の事。
 
 ・そのために必要な事を、私が責任持って取り仕切る所存で御座います。
 
 
 ・ それが、一番いい。
 
 ・ そういう私が、私は一番好きだ。
 
 
 ・という覚悟を決めて向こうに電話したら、いつのまにか着信拒否になってた。
 
 
 ・ えっと、どうしよ。
 
 
 
 ・という話をしたら、案の定、友人一同には爆笑されました。
 
 ・爆笑しながら色々助けて貰って助かってるんですけど。
 
 ・助けて貰ってるんですけど、いい加減笑うな。 笑いすぎだろこれ。
 
 ・だから、笑うなーっ!
 
 
 
 
 ・というようなこっ恥ずかしい日々を送っておりました。
 
 ・ま、基本的なフォローは私が大体してあるんで、まぁ、ガチバトルになっても大丈夫♪
 
 ・ ・・・なんであんたそんなに血の気が多いだよ
 
 ・という感じで、私の中の色々なものが活性している状態ですので、この機に乗じて色々と生活とか
  その他の改造とかも一気にやっていたりするのです。
 
 ・更新休止とチャットお休みはその一環。 今回思い切ってお休みさせて頂いたのよ。
 
 ・転んでもただでは起きない。
 
 ・座右の銘。
 
 
 ・ということで、まぁ、私はこんな感じである意味いつも通りなので、心配いりません。
 
 ・大丈夫、信じて、ビリーブ。
 
 ・最近友人に、お前が喋ると喋った分だけ不安になる、と言われましたけど、大丈夫☆
 
 
 
 
 
 
 ・ ・・・・正直にいうと、大丈夫じゃないのが、いっこだけある。
 
 
 ・ アニメあんまり観てる余裕無い。
 
 
 ・この人は、大丈夫そうですね、ほんと。
 
 
 
 
  P.S:
 ・その友人がオリコン見てけいおんに興味持ち出したみたいなんだけど、どうする?
  どうしたらいいかな? 私どうしたらいいかな?
 
 ・たぶん今一番私の頭の中の支配率高いのそれだ。
 
 ・この人は長生きしそうです。
 
 
 
 

 

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                               ■■ 紅い炎、空の青 ■■

     
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 可愛くて
 
 可愛くて
 
 しかたがない
 
 もうなんだか、抱き締めたくて、撫でてあげたくて、暖かくみつめてあげたくて
 そうして抱き締めたまま見上げた空は、真っ青で
 その空から見上げる瞳を降ろしてくれば、そこには真っ赤な歓声が広がってる
 
 いいなぁ
 楽しいなぁ
 
 可愛くて
 
 可愛くて
 
 しかたがない
 
 この子達がかわいくて  私はそのまま世界がだいすきになっていく
 
 
 
 
 

 
 
 
 なんだろねぇ 
 こんなにアニメのキャラクターを可愛いとおもった事はないんだよねぇ。
 キャラクターって、そうあっさり言えちゃうような、自分の子供を不肖の子とか卑下しても言えるみたいに、
 とっても愛おしいような。
 なんかほんと、自分の子供達みたい。
 どうしてだろう、どうしてこんなに愛おしいんだろうと、そういう疑問をお約束のように口ずさみながら、
 私はきっと、その疑問の答えがあってもなくっても、全然変わらずに、笑顔にしてる。
 不思議。
 こんなに不思議という言葉を言いながら、ひとつも不思議に思ったことが無いアニメって、初めて。
 いいえ、アニメに関わらず、他のあらゆる事に関しても、こんな事はなかったんじゃないかなぁ。
 たとえばそういう可愛らしくて愛おしいものは、他にもいくらでもあるけれど、そういうのは全然、
 不思議ってそもそも言わないし。
 なのに、このソラヲトを観てるときは、ああ不思議、不思議だなぁって、とにかく溜息みたいに、
 うっとりとしっとりと言い続けてる。
 不思議。
 
 
  やっばいなぁ
 
   感動とか
 
     あんまりないんだよ
 
 
 不思議
 何度でも言っちゃう
 不思議。
 なんかね。
 この子達って、きっと、私、なんだろねぇ、きっと。
 うん、感情移入とか、そういうんじゃなくて、そうだなぁ、「私」というものを、いくつかの方面から解釈して、
 そして、それをひとりひとりの女の子にして描き出してる。
 や、そういう風にして、私はあの子達を観て、読んで、感じて、考えた、っていうのかな。
 あんましその、他人事とは思えないっていう、その文字通りな感じで。
 なんだろ。
 もの凄くね、すーっと。
 湖の底の、冷たい水の、それがね、私の胸の奥に流れてる感覚。
 その流れがね、山あり谷あり洞窟あり、海底トンネルとかも通り抜けてね。
 あの子達と繋がっているのを、感じるんだよね。
 カナちゃんも、クレハちゃんも、ノエルちゃんも、リオ先輩も、フィリシアさんも、とっても私に似てる。
 不思議。
 カナちゃんも、クレハちゃんも、ノエルちゃんも、リオ先輩も、フィリシアさんも、互いに全然似てないのに。
 ううん。
 その誰もが、たぶん私にはほんとは似てない。
 なのに。
 似てる。
 そう、私は言う。
 同じものを、感じる。
 私はソラヲトの感想で、私の事を書いてはいない。
 私はただ、私の感じるままに、あの子達のことを書いた。
 あんまり、難しい言葉は、いらなかったよ。
 うん、私さ、ソラヲトの感想を書いてきたけれど、最初、なんていうのかな、その前に書いていた、
 狼と香辛料Uの感想が、結構難しいっていうかわかりにくい言葉で書いてたからさ、なんか今度は
 もっと簡単で平易に書いてみようかなー、って、たんにそういう順番交互な意識で書こうと思って、
 それで、後付けで、簡単な言葉でしか描けないものを書いてみよう、そしたらなにがみえてくるかなって、
 そういう風にして書いてきたんだけどさ。
 
  気付いたら 普通に 言葉はいらなかったよ
 
 説明なんかいらなかった。
 説明しようとして、うずうずしてる「私」しか、いなかった。
 簡単な言葉で、平易な言葉で、ぐるぐると同じことばかりを必死に書いていた。
 その「私」が。
 私と、繋がってたんだ。
 不思議。
 カナちゃんで感想を書いているつもりでも、不思議と、カナちゃんこそが自分でなにかを書いている、
 そういう感じになってた。
 カナちゃんにしろクレハちゃんにしろ、同じようにぐるぐると同じことを、何度でも繰り返して、
 でもそれは全部同じようにであっても、正確には全然違くて。
 文脈、というか、やっぱり流儀というか、そういうのがみんな違うから、私がこういう事をカナちゃんと
 クレハちゃんに考えて欲しいなぁ、んや、同じように考えて欲しいなぁ思って、同じテーマと思考法を
 与えたとしても、ふたりの使う言葉のままに書いてくと。
 同じことを言ってるはずなのに、全然違くて。
 なのに全然違うのに、同じものを目指しているのがわかって。
 
 なんだろなぁ
 自分で言うのもなんだけど
 自分で書いといて言うのもなんだけど
 奥深いなぁ って
 
 今もこうして、カナちゃんとおんなじように、色々説明したくて、ぐるぐるになってる私がいて。
 ちゃんと説明しなきゃあかん思って、なのにいつのまにか、言葉だけになっていく。
 私は、説明が、したかったのかな?
 わからなくたって、わかる気がする。
 あの世界の中で、カナちゃんやクレハちゃん達が、はちゃめちゃな事言ったって、私には充分わかる。
 説明がききたいわけじゃない。
 むしろ説明なんて、あの子達を観てる私自身がすればいい。
 あの子達は、難しい言葉なんて、欠片も言ってない。
 論旨明快に、すっぱりと快刀乱麻を断つが如くな、そんな能弁家は、ひとりもいない。
 だけどフィリシアさんなんかは、明らかにあっさりとわかりやすい、「嘘じゃないけど正確でも無い説明」を
 したりする。
 不思議。
 その説明を聴いてさえ、素直に、その説明をしているフィリシアさん自身の想いが、その説明の言葉を
 越えて私の胸に広がっていく。
 私は、それを、そのフィリシアさんを書いた。
 私の胸に、湖の底に降る雨のように、しとしとと、音を立てて書いていた。
 んや・・・
 
 
 

きっと私は

 

こういうことを

 

しとしとと ぐるぐると書いている

 
 

その私自身の事を感じて欲しいのかなぁ

 
 
 
 
 
 
 
 
 最初、あれはなんていうの?
 アイキャッチ?、や、ちゃんと知らないで言ってるんだけど、あの番組が始まる前の、
 青い背景に、白い水玉が広がって、アニメノチカラとかソラノヲトとかキャラの顔とかが、その水玉の
 中にちょこんと入る、あれよあれ。
 実はあれ観たときから、なんか来るって、思ってた。
 わー、これいい、これ綺麗、これ気持ちいい。
 そしたらいきなり、ひとりぼっちの女の子が、ぼろぼろの屋根の下で泣いていて。
 そしたらいきなり、雨の中に立つひとりの女性が、ラッパを吹いて。
 そりゃー、ね。
 そりゃー、感じるよ、これは来たって、これは感想書くしかないって、びくっとくるよ。
 あーやだなぁ、感想書くのめんどいなぁ、ていうか上手く書けなかったら、これやだなぁ。
 こんなにすごいのに、感じちゃってるのに、書けなかったら、途中で諦めちゃったら、やだなぁ。
 だから。
 最初から、諦めようと、感想書くのやめようかって、ひとりでいいやって、思っちゃう。
 私は必ず、毎回、いつでもそう思う。
 でもそれと同じくらいに、私は、絶対にその、自分の感じたものを・・・
 いいえ、今そうして、諦めるだの諦めないだのしてる、その自分から目を逸らしたくないって・・・・
 だから私は、その葛藤ごと、諦めごと、全部抱えて持っていく。
 そしてそのまま、ぶっつけ本番。
 全部ぶっこんで、ぐるぐるのごちゃごちゃの、わけのわからない見切り発車した列車が手探りで五里霧中
 を行くみたいな、そんな感じで、始まっちゃう。
 
   それが
   あの第一話の
   列車の中のカナタの
   あの感覚と深く結びつく
 
 涙、ぶわっ
 やべーよ、あれは。
 OP史上、あんなに涙が止まらなかったのは、狼OP以来ですよ、割と最近な。
 うん。
 『目に映るものは すべてほんとうの世界』、でしょ?
 涙、ぶわっ
 なんだろ
 私がやってきたこと、やっていること、やろうとしていること、それの全部がきてる。
 というか、そういうの、私だけじゃなかったんだな、っていう、たとえ私ひとりでも私は私のする事に誇りと
 愛を持ってる、けどだからこそ、それが私だけじゃないってことになれたら・・・・・
 ぞくぞくっ
 甘えても、いいかな?
 不思議。
 甘え、なんて言葉とは違うはずなのに、なぜかそういう風に、不肖の子みたいに、卑下しても愛おしく
 感じられる、その言葉を言えてしまう。
 それは甘えでは無く、繋がり。
 繋がりをただ、私は求めて、その繋がりを求める己をただ、ひとりで認めていただけ。
 繋がりを求める自分を、そして繋がりというものそのものを、肯定したい。
 独りは、嫌。
 だって。
 貧しいもの。
 
 
 
 
 
 青い空が、深くて、深くて、広くて、高くって。
 その下で、紅い街が、気焔を上げていて。
 私はその中に飛び込む自分を、見捨てない。
 世界が終わるなんて、独りでいいなんて、そんなの、勿体無い。
 でも同時に、世界が終わって欲しいと、独りでもいいと、そう強く思う私もいる。
 だからその私に負けるたびに、私は・・・・
 たったひとりで、生きてしまう。
 それが強さだと、それが誇りだと、嘘を吐いて。
 でも・・・
 その孤独が、その孤独に囚われ孤独に逃げているだけの事が、孤独自体の否定にはならない、
 ということも、どうしようもなく、この作品は感じさせてくれたんだ。
 紅い炎。
 炎の乙女。
 不思議。
 青い空の下の、紅い街の中で生きるのは、紛れもない、私という唯一無二の私なのに。
 私は、ひとり。
 それを、孤独という。
 唯一無二で無いものなど存在しない、必ずすべてのものは孤独を背負う。
 私がよくアニメの感想で書いていたように、それを「ひとり」と私は呼称する。
 誰とも繋がりの無い、みんなと無関係に生きたい、というそれは、私は「独り」と呼称している。
 そのふたつは同根のものであっても、違うもの。
 私達は、ひとりだけれど、独りじゃ無い。
 ただ、独りを願わずにはいられない、たったひとりの私達。
 ソラヲトの、あの凄まじい寂寥感の根源にあるのは、その孤独感。
 私達は、ひとりが嫌。
 だから、その孤独を紛らわせるために、誰かとの繋がりを求めて、独りから抜けだそうとする。
 でも、所詮私達は、絶対的に、ひとり。
 ひとりであることを、変えることは絶対に出来無い。
 悲しくて
 悲しくて
 もう独りから抜け出して、ひとりであることを誤魔化すことで、より一層自分がひとりであることを、
 確信する羽目になるのは、嫌
 だから
 独りを選ぶ
 独りを強く感じることで、ひとりである事を誤魔化せる気がする。
 独りを感じることは、出来るから。
 ひとりは、嫌。
 
 
     不思議
 
 
 カナタは、ひとり。
 なのに、そのひとりと、しっかりと、向き合ってる。
 だから、独りに縋らない、いいえ。
 素直に、ずっしりと。
 『独りは、嫌だな』、と言う。
 ひとりである事は変えられない、絶対に変えられない。
 その事を受け入れているからこそ、その悲しみを受け止めているからこそ。
 孤独の上にしっかりと立っているからこそ。
 カナタは、空深彼方は、街に行く。
 みんなと一緒に、生きるために。
 炎の乙女。
 ひとりひとりが、己の紅い孤独の魂に身を焦がしながら、その自分が、確かに此処に存在している、
 ということを感じている。
 存在するという事が、イコール孤独。
 孤独ということが、存在するということ。
 カナタは、問う。
 私が一番嬉しいことって、なにかな。
 答えなんか、出ない。
 不思議。
 カナタは、此処に存在していることが、嬉しくって、堪らない。
 だから
 自分の 孤独と向き合える
 私が 唯一無二の私が この世界に生きてるんだ!
 すごいね! すごいよね! クレハちゃん♪♪
 それは奇跡。
 私達が此処に存在してることって、それって、奇跡じゃないかなぁ。
 孤独の悲しさをまず見つめれば、従って私達が存在している事自体も悲しくなっちゃうけど、
 でもそれってやっぱり、逆、なんじゃないかなぁ。
 青い空。
 すっごいじゃん、あんな綺麗ででっかいものがあるんだよ?
 紅い街。
 ・・・・もうあれだよね、欲しいものありすぎて、たまんないよね?
 
 それが、世界。
 
 私達の目に映るもの、それがすべて世界ってことじゃん?
 私達が自分の存在を、孤独を感じるよりも先に、世界をこんなにも、感じてる。
 ぶっちゃけ、哲学的にその世界を感じてる自分の存在が先行してある、と説くことも出来るけどさ、
 んなことよりも、そのまっさらで、真っ先に感じた、自分のその感性をまず受け止めたらさ。
 たぶん、自分の孤独とも、初めてちゃんと向き合えて、受け止めることも出来るとおもうなぁ。
 ていうか少なくとも、私達が世界と向き合えないからこそ、より受け止めにくい己の孤独に固執して、
 それこそ世界との向き合いから始めて孤独とも向き合えるようになる、というプロセス自体を拒否
 しちゃうからこそ、そういう哲学に縋る欲望が発生するのだろうし。
 世界と向き合うことから、まず始めてみる。
 そういう意味で、自分探しなんてものは無い、という言葉には頷けるかもなぁ。
 だって私は、圧倒的に、この世界の前にいるんだから。
 あ、勿論、その世界と向き合っている自分が、世界の中に飛び込んで、どういう「自分」になりたいか、
 ていうかそこで私はどういうふうになにを感じるんだろか、っていう風な自分探しは勿論ありだし、
 それが必要無いなんていうことの方が、あり得ない。
 
  うん
  だからこの作品って
 
  「私」が
  「自分」を探す物語、とも言えるかも
 
  その事を 燦然と賛美する 人間讃歌
 
 
 そしてなにより、その物語を歌っている、その自分の中の「私」を感じる作品なんだろね。
 紅い炎、空の青。
 空の青が、とっても壮大に、その青さを感じている私達という紅い炎を包んでる。
 一生懸命に、必死こいて頑張って、熱い想いひどい思い、全然駄目駄目だったり妙に調子良かったり、
 愛したり怨んだり、遊んだり学んだり、殺したり殺されたり、なんかもう、ぐるぐる。
 ぐるぐるにぶっちぎって、そして激しくも安寧に生きている私達。
 紅く、紅く、燃えさかる炎に胸を焦がしながら、情熱と冷静を謳いながら、絶望的に生きている。
 あっけなく、はかなく、けれどそれがいいと嘯きながら、慎ましくも貪欲に生きている。
 そういう、物語。
 そういう、人生。
 そして
 それを綴る紅い炎達が見上げた空は・・・
 
 ただ
    ただ
 
          青くて
 
 
 
 希望?
 違うなぁ
 あ、私達生きてるんだぁって、なんかその、私の見つけてきた「自分」のそれとは無関係な、
 なんかそういう、さ。
 生活実感? そんなのがあるんだよねぇ、うんそう、人生実感じゃなくてね。
 あとさりげに存在実感でも無くて。
 青い空じゃ無くて、その青さというか、青という色がね、なんかもう透明な生命感を、
 私にどうしようもなく与えてくれるんだよね。
 存在することと、生きてるってことは、正確に言うと、結構違うし。
 なんていうのかなぁ、社会的立場とか名誉とか居場所とか、よくそういうの失うと、生きている意味が
 無い、ていうかこんなのはもう生きてるとは言えないとか、まぁ私なんかそういう感覚こまめに感じて
 ますけどね、今までの人生で何度人生終わったことか、終わりすぎだろこれ、で、なんかそういうとき、
 空を見上げるとさ、なんかこう、すーっと、私バっカみたい、なにこんな事でくよくよしてんだ、
 なにめそめそといつまでも拘ってんだ、みたいな感じでね、なんかこう、ぽーんと、威勢良く、
 諦めたり、捨てたりしちゃうんだよね。
 でもなんか。
 違和感あって。
 ずっとあって。
 なんかそういう、拘りとか執着とか欲とか、それって捨てても意味無くない?
 それ執着しすぎなのもアレだけどさ、捨てるっていうのも・・・
 そしたらさ。
 空が、青くて。
 あれ? これ青くない?
 なんか空、青くない?
 色がね、空の色がね、あんなに深くて、複雑で、透明で。
 すごく、ああ、なんか、いいなぁ、見たいなぁ、知りたいなぁ、もっともっと青に触れたいなぁ、って。
 それはもう、見上げて済むだけのものじゃ、無くなってて。
 空の青が、私の中には、街で紅い炎みたいに生きてく事と同じで。
 だから、空見上げて、そこに青をみつけるたびに、なんかこう、そこに私をみつけるのよね。
 色んな自分を失ったり欠けたりして、人生終わったていうか世界終わった、とか、そういう風な、
 自分の物語上の生とは関係無い、そういう物語を思い描きながら、美味しくご飯を食べて、お酒を
 飲んで、些細なことをして、そこに、そこに、なんか。
 あ、私、生きてるな、って感じる。
 生活。
 
 
 アニメ「ソ・ラ・ノ・ヲ・ト」は、生活実感を映像化した、たぶんおそらく初めての作品。
 
 
 生活そのものを描く作品はいくらでもあるんだけどさ、こういうのは無かったなぁ、たぶん。
 うん、色んな人生という物語を思い描きながら、ちょっとお茶しながらそれを愉しむ生き方、って。
 軍隊入ってたって、戦争してたって、それは全然変わんない、っていうか。
 戦争止めたって、昇進したって、変わらない。
 んや、変わったとしても、その変化を愉しむ、そういう楽しい生活が続くことは変わらなくって。
 不思議。
 こうして書くと、存在実感に基づく世捨て人みたいな仙人みたいな生活?、って感じに読めちゃう
 けど、今ソラヲト本編を消音にして、サントラをかけて観てる変則プレイ中なんですけどね、プレイいうな、
 で、そうして書いてると、なんかこう、なんかこう。
 あ、違うな、って。
 やっぱりこれ、生活実感だな、って。
 要は私の文章力が下手っぴなだけで、私は紅を思い浮かべながら、紅と書こうとしてるのに、
 書き出された文字は青だったとか、これどうみても青だよねぇ、ていうか青だよねぇ、と思いながら、
 あっさりと私の頭の中に浮かぶ色をみつめながら、その青を観ると。
 あ、やっぱり紅だ、っていう。 もはや滅茶苦茶を越えたな、うん。
 でもなんか、ソラヲトの感覚って、そういう感じなんじゃないかなぁ。
 自分達の言ってる言葉と、頭の中で響いている音は、同じじゃなくて。
 でもそれは嘘というわけじゃ無くて、ただたんに言葉が下手っぴなだけで。
 カナちゃんのトランペットも、そうなんだよねぇ。
 感じたままに、トランペットが鳴りたいように吹く、けど、「技術的に」上手く吹けない。
 自分の中の音と、自分から出た音が、同じにならない。
 そうだなぁ、その音が一致すると、すごく綺麗に聞こえるけど、でも、それってある意味、その音の、
 その自分の内と外の、音の「説明」なんだよね。
 そういう意味で、このソラヲトという作品は、その説明としての音が、下手っぴ。
 それはもう、カナちゃんばりに、しゃきっと目が覚めてわたしゃ好きだがねと言われんばかりに、下手っぴ。
 だけど
 ううん
 なのに
 全然
 全然
 
 
 
     圧倒的に
 
 
           みんなの音が
 
            カナちゃん達の音が
 
 
             空の音が きこえてくる
 
 
 
 カナちゃんの吹く音が、あの空の青に繋がってる。
 カナちゃんの想いが、空の中で青く生きている。
 そしてそれが、炎の乙女だの戦争だのと、そういう紅い物語とも繋がってる。
 それでもカナちゃんは、頑張ってトランペットの練習をする。
 それもちゃんと、カナちゃんの、楽しい生活の中にあるものだから、ね。
 うん。
 だから、なんていうのかな。
 
 
   可愛くて
 
   可愛くて
 
   しかたがない
 
 
 
 
 ほんと、頑張りっ子に目が無いのぅ、わたしゃ。
 でもただ頑張るだけじゃ駄目だって、きちっと効果的な頑張り方を粘り強く模索してくリオ先輩も
 大好きだし、そのリオ先輩の薫陶(?)を受けて必死に不器用な自分を変えていくクレハちゃんとか、
 不器用なまま全力で生きてるノエルちゃんとか、そういう子達を見つめながらなかなか自分の闘いに
 染まりきれないフィリシアさんとか、やばい、好きすぎる。
 なんだろ。
 私が一番好きな作品は、狼と香辛料なのだけれど。
 なんていうのかな、狼と香辛料という作品がある生活、って感じなのよね、あれは。
 でもソラヲトは、このソ・ラ・ノ・ヲ・トという作品はさ。
 ソ・ラ・ノ・ヲ・トという生活がある、って感じなんだ。
 狼は好き、愛してる、だから狼を抱き締めて、私も世界の中で豊穣を求めて生きていける。
 でも、そうして生きていける、その私という「ひとり」を感じられるところまでで、そういう意味では、
 存在実感を得られて、改めて人生実感を求めていく、って感じ。
 ソラヲトは・・・そういう、狼という作品のある生活、それそのものすらある、生活実感、なんだよね。
 どっちがいいとかじゃなくて、どっちもあってこそだから意味がある。
 階層が違うんだろね、きっと。
 うん。
 なんか前に、狼が終了したあとに、狼オタクとして、自分の生活を豊かにしてきたい、
 そしてアニメという文化を、狼オタクとしての立場として生きていきたい、そしてみんなと繋がってきたい、
 みたいな事を書いた気がするけど。
 ソラヲトという作品の出会いが、そういう狼を得た私の生活を、改めて支えて、そして、こうして、
 そういう生活の実感を考え求めているのは私だけじゃないんだぞ、と、そういうものをちゃんと教えてくれた。
 だから、嬉しい。
 ひとりひとり、カナちゃん達のいちいちの行動や、表情の変化が、なによりリアル。
 実際、ここ近年のアニメの中では、表情の動きという意味でのアニメーション度の高さは、
 この作品がピカイチ。
 その動きは決して洗練されてはいないし、それにたとえば宮崎作品みたいな、魂丸出しな逆に
 違和感ある動きでも無い。
 己の魂のままに響きたい、けど丸出しなんてとてもじゃないけど出来無い、だからみんなにも通じる、
 「ちゃんとした」音に磨いて響かせたい、けど、下手っぴ。
 それって・・・・
 
  私達と、おんなじじゃない?
 
    すっごい、リアル
 
    っていうか、私達、そのもの。
 
 
 私の人間愛が、あのキャラ達への愛と繋がってるのが感じられる。
 可愛くて、可愛くて、しかたがない。
 時折みせる、あの子達自身が「意図的に」している大袈裟な凄味のある表情が、だから堪らなく、
 私達の生活の中にもある、演技的表情に実感を持たせてくれる。
 結構私も表情変えるときは変える派ですしね、特になにかを伝えたいときは、そう。
 だから、フィリシアさんの怒りの形相とか、ノエルちゃんの必死な怯え顔とか、ちょ、それやりすぎだろ
 おもう以上に、や、私も実際あんな場面では、これみよがしにあんな顔するかも、とか思いますし、
 そういう意味ではなにより、あの子達のその表情に、あの子達の意志を感じる。
 作品によってキャラとして記号化されてはいない、けど、自分達では、自分達をきっちり記号化して、
 そしてその記号で語りかけようとしている。
 表情って、そういうコミュニケーションの道具としても使われるんだよね、普通。
 そしてだからこそ、そうして相手に伝える意味での、そのコミュニケーションツールとしての表情が
 ちゃんと描かれているからこそ。
 フィリシアさんの、戦争が終わったあとに空の青をみつめる、あの表情が堪らない。
 笑顔で、本当の笑顔で微笑むノエルちゃんが、凄まじい。
 意志の伝達としてでは無い、魂の顕れとしての、表情の数々。
 それは、作者の魂では無く。
 紛れもなく、あの子達自身の、魂の顕れ。
 あの子達自身の、音。
 
 ああ
 
  だからこんなに
 
 
    深く   深く    あったかくなれるんだ
 
 
 
 いちがいには言えないけど、これって「テレビアニメ」独特の極致なんじゃないかな。
 まぁいい加減に言ってますけどね。
 みんなが見て、いろんなしがらみがあって、なんていうかな、そういうテレビアニメという「コンテンツ」
 そのものが、やっぱり私の根底に流れている、ひとつのなにか、爽やかなものなのかもしれないね。
 さりげに録画するときとか、CMとかも切らずに入れてたりとか、なんかそういうリアルタイムな感触も、
 結構いいんですよね、まぁ録画なのでリアルタイムじゃ無いじゃんとか、速攻で駄目出しですが。
 
 
 
 
 と、いう感じでしょうか。
 なんか最後話が逸れてしまいましたけどw
 はー、やっぱりソラヲトは何度語ってもいいね♪
 なんていうかソラヲトのこの生活実感は、ぜひこれ以降のアニメにも受け継がれていって欲しいものです。
 まぁ具体的に言うと、第二期希望。 (やっぱり)
 ということで、ソラヲトは機会があればまた是非語っていきたいです。
 
 ソラヲト万歳♪
 
 
 
 
 
 
 
 

 

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