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◆◆◆ -- 2010年12月のお話 -- ◆◆◆

 

-- 101231--                    

 

         

                              ■■ ア ホ の 子 属 性 ■■

     
 
 
 
 
 
 
 普通に、生きたい。
 
 
 
 
 
 
 
 私ってさ、なんだろ。
 変わってると言われる事もあるし、普通って言われることもある。
 私自身は、特に変わってると思ったことも普通だと思ったことも無い。
 けどさ。
 普通、って、あるよね?
 実体は無いんだけどさ、そういうの、あるよね?
 普通とか、常識とか。
 なんだろね、それ。
 
 結構前、うん、ほんともう、忘れるくらいその昔。
 その頃の私は、普通とか常識とか、けっ、って思ってた。
 学校の教師が言ってることも、それ本気で言ってるんなら馬鹿だよね、みたいな。
 テレビやなんかで割と当たり前のように語られる普通とか常識とかいう言語を、鼻で笑っていた。
 笑って、受け止める事が出来ていたんだ。
 そういう意味では、なんだろ、それってすごく今思えば、健全なことだったんだと思うなぁ。
 私は自分で言うのもなんだけど、というかもう何度もあっさりぬけぬけと言ってますけど、
 一応優等生の仮面を被ったヘタレで、まぁヘタレで実力自体は無いから、如何にそれを補完する
 形で優等生っぽく振る舞うか、みたいな、そういうところに全勢力を注ぎ込んでた感じ。
 まぁ、なんでかっていうと。
 最初は。
 
 それが、面白かったから。
 
 なんていうか、私はそういう「お愉しみ」を見つける前までは、あんまし他人とも接しなかったし、
 私はサッカーに一途でしたし、サッカーばっかりっていうかサッカーしかしてませんでしたし、
 ていうかサッカーしてないときは寝てたし、寝る子は育つっていうかサッカーしてるし、
 そういうサッカー馬鹿だったのね。
 でも、私にとって、サッカーというのは自分の全勢力を傾けて情熱的に取り組むもの、
 というものでは無かったのよ。
 あくまで、遊び。
 つまり、情熱的に遊びまくってただけ。
 サッカーなんて、所詮球蹴り遊び、だからスポーツマンシップとかサッカーを通じて人として大切な
 ものを学んだとか、本気で言ってる人の正気を疑ってた。
 冗談でしょ?、みたいな。
 べつに私は、プロになりたかった訳でも無いし、さらに言えば、上手くなりたかった訳でも無い。
 ただ、サッカーっていうものが、面白くて、とっても好きだった。
 勿論勝つことは好きだし、勝つつもりでプレーはしてたけど、でも勝利が第一じゃあ無かった。
 負けても、それはそれで全然、楽しかった。
 そんで、あるとき副キャプテンを任されて、で丁度キャプテンの人が全然リーダーシップ取らない人
 だったもんで、で、なんかしらんけど変な義務感に駆られて私が頑張らなみたいな感じで、
 キャプテンシーを発揮してウザがられたり頼られたりして。
 でもそれ、楽しかったから。
 なんかそういうのに、なんていうか情熱を感じてた、っていうより、やっぱりなんか、そういうキャプテン
 みたいな感じで青春プレイをしてる自分が、面白かったから。
 
 言い方換えれば、きっちり冷めてた。
 
 健全だったと思う。
 極めて、健全だったと思う。
 でもね・・
 
 
 
 ◆
 
 あるときから、まぁ明確な境は無いのだけれど。
 そういう一歩離れた、真面目さや人付き合いというものを。
 マジで、やりだした。
 たとえば・・
 そうね、普通とか常識とか、まぁ、馬鹿だと思ってたし、馬鹿だと思う。
 けど、大人になるにつけ、周りのみんながその普通とか常識とかをマジでやってる事を知り出す。
 うん、たぶんみんな、最初は馬鹿だと思ってるんだよね、ちゃんと。
 でも、みんながそれをやってて、しかもそれをマジになって本気出して取り組まないと、
 とてもじゃないけど追いつけなくなる、だから。
 どうしたら、マジにそういうことをやれるようになるか、それを懸命に頑張り出す。
 腐れ縁が爛れまくって未だになんだかわかんないけど繋がってる友人が約二名ほどいるのだけど。
 あいつら、基本的に普通じゃないどころか非常識極まり無いガキんちょだったくせに。
 
 今じゃ、ガチガチの普通教の常識信者になっておるです。
 
 この間久しぶりに会って話したら、まぁすごいのなんの。
 普通はそうじゃん、それは常識的に言えば違うし。
 このふたつの言い回し、一体何回言ってたことやら。
 相当、苦労してきたのはわかるよ、ていうかその経過を見てきた悪友のひとりとして、それは知ってる。
 それで、なんとか苦労して、自分の居場所とか立場とかもろもろのものを手に入れてきたんだよね。
 でも。
 おかしさを、感じ得ずにはいられなかった。
 不自然さ、というか、むしろ、そのふたりが異様に張り詰めてることが伝わってきた。
 やたらと、他人に厳しい。
 特に、普通では無い、非常識な人に対して。
 なんだろうなぁ、これ。
 なんでだろうなぁ、これ。
 悲しくなっちゃって。
 
 既存の社会に適応するために、普通さを身につけ、常識人としての修練を積み、
 色々と自分の経験を、そのための文法で書き換えてきたんだよね。
 うん。
 私も、気がついたら、そんな事してた。
 普通であるために、常識の側でいるために、そのためにこそ。
 普通に、常識に、心から頷けるように、なろうとしてた。
 ただ私は、楽しむために、楽しんでただけのはずなのに、いつのまにか、その普通や常識の側から
 阻害されるのを恐れて、無意識のうちにそれらに通じて矛盾の無い論理、あるいは心理状態に
 自らを書き換え続けていた。
 私はそもそも、なにかを楽しいと思うために自らの中の文法を書き換える事はお手のものでしたし、
 だからいくらでも、「普通」とか「常識」を楽しむための文法を編み出すことは出来た。
 でも。
 マジになったら、おかしい。
 というか、いつのまにか。
 それにマジになれるのが大人になるってことだって。
 とっても。
 馬鹿なことを。
 平然と考えている自分に気付いて、愕然としていた。
 いつのまにか、普通じゃ無い自分、非常識な自分を責めている自分に気がついて。
 そうして自らの牙で身を裂いて。
 
 自己嫌悪が、止まらなかった。
 
 
 
 ◆
 
 最初の問いに戻りましょう。
 私ってさ、なんだろ。
 私はただ、普通に生きたい。
 でも、その「普通」の意味が、いつのまにやら変わってしまっていたことに、自分自身長いこと、
 気付いてなかった。
 いつのまにか、私にとって普通に生きるというのは、さっき言ったような「普通」や「常識」に則って、
 その中で生きる、という意味になっていたのよ。
 気付いたら、自分を、弱い自分を、おかしな自分を、駄目な自分を、責めていた。
 普通じゃない、それ普通じゃ無いじゃん、駄目じゃん、と罵り叱咤激励しながら。
 私はただ普通に生きたいのに。
 ただ普通に生きたいだけなのよ!
 だから余計なこと考えるな、余計なこと感じるな。
 
 考えてるくせに、感じてるくせに。
 
 私の中にはね、かなり強い「力」があるのね。
 その力はね、いつのまにか普通教の常識信者になって、それとして普通に生きたいと思っている私にね、
 物凄い抵抗を示していたんよ。
 それは、すごい、抵抗。
 でもそれ、私は長いこと、私の甘えとか、怠け、って思ってたのよ。
 だから、それを潰そうとした。
 頑張らな。
 諦めたら終わりじゃん。
 私の頑張りや諦めの悪さはすべて、その私にとって甘えとか怠けと映っていた「力」にこそ、
 対抗するべく生まれてきたもの。
 うん、たぶんね、私はアニメ好きだけれども、たとえば私が一番好きだと言えるキャラのタイプは、
 頑張りっ子で諦めの悪いタイプ、なのね。
 で、如何に諦めないために自分を前向きにさせるための文法を編み出すか、というそういう思考に
 長けたキャラが好きだったのね。
 端的に言えば、諦めの悪い賢いタイプ。
 怪物王女の姫とか、狼と香辛料のホロとかね。 あと漫画だと羊のうたの千砂だね。
 でもさ。
 同時に。
 けいおんの唯ちゃんとか、イカ娘のイカちゃんのようなタイプも、好き。
 そのままの、君が好き。
 ・・。
 なんでだろ?
 このふたつのタイプ、全然違うのに、なんか妙に繋がってる気がしてたんだよね。
 でも、それがなにかわからなかった。
 
 それが、わかりました。
 
 この一年で、わかりました。
 なんだか、嘘みたいに、全部わかりました。
 それについてのお話を、今日はさせて頂こうと思い、こうして筆をとった次第です。
 これから、本題です。
 今の一言で読む気を無くした方は、お疲れ様でした。
 こんだけ書いといて今から本題かよ!、とツッコミ入れてくれた方、ありがとうございました。
 そして書いている当の本人が、自分の一言で書く気を無くして、同様に自分にツッコミ入れたことを、
 ここにご報告申し上げます。
 
 でも。
 書きます。
 だって大晦日だもん。
 
 
  (お茶の支度中)
 
 
 
 
 ◆
 
 うーん。
 たとえば、ホロとロレンス。
 狼と香辛料のキャラね。
 ぶっちゃけ私はホロもロレンスも、どっちも大好き。
 そして、両方の気持ちがすごくわかる。
 ロレンスにとってのホロっていうのは、やっぱりあれですよね、不思議の象徴っていうか。
 つまり、普通や常識外の存在。
 大体ロレンスっていうのは普通や常識が支配する世界の中でのし上がってきた腕利きの行商人
 なわけで、そんでその行商人はゆくゆくは自分の店を持って、世帯も持ってと、まぁそういう人生プラン
 を建てて、毎日こつこつと頑張ってたんしょ?
 でもさ。
 それってさ。
 ずっと、ひとつの、轍の続く道の上を、ただひたすら走ってるだけの人生で。
 その道の外にあるものは、どうなったの?、どうしたの?
 ていうか俺、なにやってんだ。
 暖炉の前で、自分の店の設計図を書きながら微笑むそのロレンスの背が、なにかに喰われてる。
 足りない。
 俺は・・・俺は・・・ただこうするしかなかった事を・・・ただそれを愉しむことで・・・
 他のことを、他の世界があることを認めてそこに飛び出していくことを、ひたすら隠していただけなんじゃ・・
 ロレンスのあの時代、ホロなんざ、気の触れた魔女とかって処刑されかねないっしょ?
 たぶん、ホロだけじゃなくて、非常に多くの、そういうロレンス達の歩いている「道」から外れている存在
 、そして人達は阻害されて、無かったことにされてくんでしょ?
 当のロレンスが、そういう感覚に支配されてずっと生きてきて、そうしてきて、そうしてこれたからこそ、
 今の若いながらやり手の行商人としての立場を手に入れることが出来ていて。
 
 ロレンスの微笑が暖かくなればなるほど、ロレンスの背に灯る影は大きくなってくよね、それ。
 
 だから、そんなロレンスが、今まさにその影の存在から逃げ切れなくなりつつある瞬間の、
 そのロレンスが、ホロに出会ったら。
 そりゃあ、惚れてまうやろ。 (うんうん)
 そりゃー、ガンガンいくさね。
 御伽噺をお話としてでは無く、実際にあるものとして興奮してきいていた子供時代。
 それがいつのまにか、ただのお話としてきいて愉しむだけのものになってしまっていた。
 あんなもの、いるわけがないんだ、馬鹿なこと言ってないで、仕事仕事。
 それが。
 いた。
 狼耳生やして、尻尾のばしてるのが、なんかいる。 (ぇー)
 しかもそいつは、今誕生したわけじゃない。
 ロレンスがそれがいると思ってた子供時代から、そしてそれよりも遙か以前から。
 なんか、普通に、いる。
 いたんだよ、最初からずっと、今の今まで。
 そして、いるんだよ。
 そんなのいるわけないと思うことでしか、人生の道を歩けなかった、情けない自分が。
 自己嫌悪。
 わかるわー、それ、激しくわかる。
 俺はただずっと、普通とか常識に囚われている以上に、それに頼ることでしか生きられなかったのか!
 そういう感じね。
 
 一方ホロはというと。
 ホロにとってのロレンスっていうのは、なんていうか、自分を受け止めてくれる存在だよね、なんといっても。
 ホロは常識外っていうか人外の存在で、ホロは無論自分に誇りを持ってるし、そうして迫害される
 世界の中でもちゃんと自分を生きようとしていて。
 でも。
 ひとりは、つらいんじゃ。
 ひとりは、さびしい。
 ひとりは、嫌なんじゃ。
 あー・・
 これ、ロレンスにも通じるんだよね、ひとりが嫌だから、だからそれを速攻悟って、ある意味自分を
 捨ててみんなの中に入っていった訳で。
 でもホロは絶対に自分を捨てずに、生きて、生き続けて。
 ロレンスにとっては、そのホロの生き様そのものが、ロレンスが自分を生き直すことをそのまま認めて
 くれるように映っただろうし、そしてホロにとっては、そうして自分を生き直すことを始めたロレンスが、
 なによりずっと自分を生きてきたホロを受け止めてくれるように映ったんだよね。
 それは・・もう・・・・
 壮絶に、暖かい。
 ひとりのホロを、ひとりを生きるホロを認めてくれるロレンス。
 だからもう、独りじゃ無い。
 だからホロは、ひとりは嫌とはもう言わなくて済み、ちゃんとまたひとりを生きられるようになっていく。
 ひときわ大きく暖かく成長した自分に誇りを持って、ね。
 これはくるよ、ほんとに。
 
 
 で、なんの話がしたかったんでしたっけ? (きくな)
 あー、つまりね。
 普通に生きる、ってことがどういうことか、てことに結びつけたかったんですよ。
 うん。
 普通に生きるって、つまり、そのホロが感じた、独りでは無い自分を生きる、ってことなのよ、本来。
 ていうか、人は誰もがそのままを認められて生きていく、それが普通、っていうか。
 なのにいつのまにか、人はこうあらねばならない、という「規格」としての「普通」が設定されて、
 その規格内で生きることを普通、っていう風になってしまっていて。
 だから、ロレンスはきっと、自分は普通に生きてるつもりでも、たぶん、全然普通を感じられて
 なかったと思うんだ。
 私は、ロレンスみたいな企業(?)戦士も好きですよ?
 ていうか、自分を前向きにするために自分の中の文法を書き換える能力はかなり高いし、
 適応力もずば抜けてる。
 だから、ロレンスのあの良く回る頭の賢さっぷりも、それはそれで好き。
 でもね。
 私がもっと好きで、そして最も好きなのは。
 
 そのロレンスの賢さの小ささっぷりを、たわけがここにおる!、と看破する、
 そのホロの本質的な賢さ、なんよ。
 
 マゾだのサドだのでもいいんだけどさw、それは言い方の問題で。
 ロレンスはある意味マゾなんだよね。
 ロレンスはなんていうか、自分が子供の頃に抱いていた、不思議な存在への好意を愛してるし、
 そういう自分にたぶん、絶対の自信を持ってる。
 だからね、逆に行商人として上手く手練手管を駆使して、自分を「隠して」化かすことが出来た。
 それはしっかりとした自分があってこそ出来る芸当。
 けど、いつのまにかロレンスは、化けたまま戻れなくなっている自分を感じ始めていたんでしょうね。
 いつのまにか、普通とか常識とかにマジに染まっちゃってる。
 普通とか常識とかの正しさを、本気で声高に叫び始めてる自分に気付いて、怖れを抱き始めている。
 それを。
 そのロレンスを覆い始めていた、ロレンスが声高に主張せずにはいられない、その「正しさ」を。
 ホロが、罵倒してくれる。
 ロレンスが自分で正しいと思う、いつのまにか正しいと思い始めてしまっているものを、豪快に、
 見事に、完膚無きまでに叩き潰してくれる。
 そして、ロレンスが最も自信を持ちつつ、けれどその自信のある自分を生かすことには自信が持てない、
 そのロレンスにこそ、誇りを与えてくれる。
 素のままのロレンスを、引き出してくれる。
 そしてホロは逆に、そうして素のままの自分に返り咲こうとする、そのロレンスの力強い意志によって、
 救われる。
 独りから、救われる。
 ひとりは嫌じゃと叫んで、ひとりを生きることから逃げようとして、でも、それでも懸命にひとりを生きてきた
 ホロを、ロレンスが、強く、深く、抱き締めてくれる。
 ホロのひとりを愛してくれる。
 
 自己実現、という言葉がありますけど、あれは長いこと私誤解してたんですけど、あれって、
 既存の社会に合う自分を作り、その歯車としての自分を肯定的に生きる覚悟を背負う、
 みたいな感じで理解してたんですけどね、よく考えればすごい理解のし方ですけどw
 でも自己実現っていうのは、そうじゃない、簡単に言えば、自分の願う、あるいは自分の空想の
 世界でもいいですけど、それと欲求ね、それをこの社会の中に世界の中に自ら作り出していく、
 という意味なんですよね。
 そういう意味で、ロレンスはその本当の意味での自己実現を果たそうとし直す訳です。
 店を持つ? 世帯を持つ? それは本当の本当に、俺が昔純粋に望んでいたことか?
 その答えを知っておるのは、ぬしだけじゃろう?
 まぁ最もわっちはぬしの描くその店も、小さくて可愛いと思うがの、くふふ♪
 
 
 と、なんか話が逸れてしまいましたけど。 (はい)
 つまりね、それと繋がるんですよ。 (なに)
 ええとね、普通に生きるっていうのは、つまりそのままの自分を認められて、独りを感じなくて済む、
 そういう生き方のことで、「普通」という規格に自分を無理矢理合わせて、その中で生きることで
 自分のひとりを感じ無くて済む、という生き方のことでは無い、ということで。
 そんでね、その前者の意味での普通の生こそが、なんていうか、もろけいおんの唯ちゃんや、
 イカ娘のイカちゃんの生き方そのものなんよね。
 そこに、繋がってくる、っていうか。
 あ、そっか、っていうか。
 アホの子、ってそういうことか、って。
 アホの子っていうか、天然っ子っていうか、とっても素直で、なにより自分の通りに生きてる子達で、
 そしてその子達が、みんなに愛されてる。
 
 これ・・・・・いいじゃない・・・・・・(うっとり)
 
 みんなが、その子達を認めることが出来、あるいは許すことが出来る、そういう優しさ、ううん、
 違うね、寛容と寛大さがあるんだよね。
 そしてその寛容さと寛大さは、なにより、アホの子を取り巻く周りの人達自身が、ロレンスのように、
 普通や常識の中で生きつつも、それでおかしな事になっている自分と、それが無くとも生きたい、
 いえ、生きられるはずの「自分」を見つめているからこそ、あり得るものなんだよね。
 そしてなにより、唯ちゃんやイカちゃんみたいに、私も俺も素直に生きてみよっかな、という、
 そういうなにより爽やかであったかい気持ちがあるから、なんだよね。
 憧れ、っていうのかな。
 それがなきゃ、なんかそれでアホの子を受け入れたって、偽善にしかなりゃしない。
 ていうか、あ、これ、私の中にいる私とおんなじだ、っていう、そういうのがなきゃね。
 ただの博愛になっちゃう。
 普通や常識に外れている、そういう人達を見たときに、その人達と同じような自分が、
 確かに自分の中にもいることを見つめたとき、そこに、新しい道が一気に噴出して現れてくる。
 
 私はそれが今までわかってなかった。
 けど。
 私の心は、っていうか無意識に、それはわかってたんだよね。
 私も、唯ちゃんやイカちゃんみたく生きたい!
 でもそうする勇気が無い。
 だって、独りになっちゃうじゃん。
 だから、独りが嫌だから、なんとかみんなの中で生きていけるように、その技術ばかり磨いてた。
 私の本質は、そこ。
 独りが、嫌。
 そして、それは、ひとりが嫌、というところに繋がってく。
 それはなにより、辛いこと。
 自分を否定して、みんなと一緒にあろうとすることなんて、つらい。
 そして、情けない。
 というか。
 そもそも。
 私は。
 私が、好き。
 その私を守れないなんて、生きられないなんて、本当に。
 嫌。
 だから私は、私を生きられる、そういう人になりたいんだよね。
 アホみたいに、あっけらかんと、なにものにも縛られず、ただそのまま。
 たとえ周りに頼っても、甘えても、怠けても、えへへと言いながらそのまま生きられるように。
 唯ちゃんもイカちゃんも、きっと、誰かに甘えるために怠けるために、誰かのために頑張るなんて、
 そんな事はしないよね。
 甘えられる、怠けられる、そういう自分が受け入れられる社会や世界があるからこそ。
 唯ちゃんやイカちゃんは、頑張れる。
 そう。
 自分の、ために。
 自分のしたいことのために、自分の好きなことをするために。
 好きなこととしたいことだけしてけば、それでいいんだよ。
 逆にいえば、それだけじゃ駄目だっていう社会は、それはその社会が社会として機能してない証拠。
 好きなことしたいことをして、それで出来ていく個人の居場所の集合体としての社会より、
 社会とは人とはこうあらねばならないという社会が先行して存在してしまっているがゆえのこと。
 その社会は、とてつもなく。
 生きづらい。
 ひとりが、無い。
 わたしゃ今まで、そんな社会の成員だったのさね。
 私の分だけ、私はその社会を支えちまってたのさ。
 やーめた。
 やーめたっと。
 
 私は、もっかい、大人になり直す。
 
 好きなことしたいことだけをして、そのことでこそ情熱的に頑張れる、
 そしてそれを互いに認め合い許し合うことで成立する、そういう社会の成員としての、大人にね。
 そして。
 私は、たとえ私を認めてくれなくても、私自身は他の人がそうあろうとする事を認める事が出来る、
 そういう人になりたい。
 
 そういうひとりの人間として生きる事の責任は、これはもう、愛しいくらい背負いたいな♪
 唯ちゃんもイカちゃんも頑張ってるもんねぇw
 
 
 
 
 
 
 
 という、アホの子な新人宣言がしたかったんですね、今日は。
 あーあとね。
 なんていうか、経験の大切さ、っていうのをね、最近ほんとの意味で理解したよ。
 なんつーか、今まではなんか、とにかくもっと色々経験、経験しなくちゃみたいなのがあって、
 それでテンパって逆切れして、ていうか経験ったって肝心なのはその経験をどう受け止めてどう考えて
 いくかって話で、経験の多寡は関係無い、量より質!、とかっつって、自分の経験の足りないとこを
 補うっていうか誤魔化してたんだけどさ。
 それって・・・
 うん、やっと理解したんだけど。 遅いよ。
 その私の様子から最も読み取れることはさ。
 私が、自分の経験に自信持って無い、ってことなんだよね、実は。
 そもそも経験の受け止め方とか考え方とか、どうでもいいっつの。
 そしてさらにそもそも、経験の多寡も勿論どうでもいいっつの。
 誤魔化すなっつーの。
 経験の多寡では無く、経験の受け止め方とか考え方でも無く。
 重要なのは、そして唯一必要なのは、自分が経験したこと、そのものじゃん。
 それから逃げてる。
 自分の経験を他人と比べたりして、多いとか少ないとか、いい加減にしとけよあんた。
 そりゃ私より沢山の経験してる人なんて山ほどいるけどさ、逆に私より全然経験少ない人だって
 腐るほどおるだろうに。
 私は、私。
 私の経験は、私の経験。
 大切で、貴重な経験。
 その私の多いか少ないか知らんけど、その経験と向き合えば。
 それだけで、いろいろわかっちゃう。
 哲学も思想も、他人の経験もいらない。
 私の、世界が出来ていく。
 それが怖かっただけなんよね、私。
 そして自分の経験が怖くて、自分で評価することが出来無かったから、他人の経験もちゃんと
 評価出来無いとこがかなりあったんだろね。
 大いに反省しとりますです、はい。 (土下座)
 
 ま、つまりそういうとこにも話は繋がっていくんですね、うん。
 
 
 
 
 ということで。
 今回はこの辺りで終わりってことで、よいかな?
 はー、疲れた。
 まったく、今日の私は筆の滑りが劇的によくて、ほんまに困ったわ。
 あ、最後に付け足しをふたつ。
 まず、今年一年を一文字で私的に表すとしたら。
 「許」です。
 んで、私がこの一年で、最も実感し、そして自分の経験からその言葉を改めて理解した言葉を、
 ひとつ。
 坂口安吾の堕落論より。
 
 『生きよ堕ちよ。
  人は正しく堕ちる道を堕ちきることが必要なのだ。
  堕ちる道を堕ちきることによって自分自身を発見し、救わなければならない。』
 
 前から好きなこの安吾の言葉は、前は、自分がたとえどんなに堕ちたと感じることがあっても、
 それでも諦めずに、見上げた空に浮かぶなにかがあればそれが自分にとって最も大切なものだ、
 だからまたそこから這い上がれ、その這い上がることが出来てこそ、その大切なものの価値は増す、
 みたいな感じに捉えてたけど。
 今思うと。
 この馬鹿。
 って思う。
 要するにそれって、わかりやすくいうと、今まで普通の道を歩いてたけど、そこからずり落ちちゃって、
 でもなんとかまたその道に戻ろうと足掻いて足掻いて、そうして諦めなければきっとその今まで歩いて
 いた道はさらに輝く、みたいなことじゃん。
 それ、堕ちてないから。
 這い上がってんじゃん。
 元に戻ってんじゃん。
 元いた道を肯定するために落ちただけじゃん。
 という感じ。
 今はもうなんか、全然駄目だわ、それw
 
 とまぁ、そういうことです。
 うん、こういう感じのこと考えてるときに、丁度ブラックラグーンの再放送が一挙放送されてて、
 なんかきたこれw
 べつに私も海賊になりたいって訳じゃ無いけど。 無いよこれ 無いって言ったからね!(はいはい)
 
 
 
 それでは、長々と失礼をば致しました。
 今度こそ、これで筆収めで御座います。
 今年一年、皆様、お疲れ様で御座いました。
 一年間頑張った自分を褒めてあげたり頭撫でてあげるとよろしいかとw
 
 そして一年間、このサイトにお付き合いくださった方々、ありがとうございました。
 
 来年もよろしくお願い申し上げます。
 
 
 では、良いお年を。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

-- 101227--                    

 

         

                                ■■アニメ、でゲソ♪■■

     
 
 
 
 
 ごきげんよう♪
 
 
 えーと、今日はですね、アニメの感想を書きます。
 今期アニメですね。
 割と今回はがっちり書いてみようと思いまして、結構気合い入れて書いたらあら不思議。
 随分と私寄りな感想になりまして。
 アニメの感想っていうか自分の事を書いた感じになりましたけれど、まぁそういうことで。
 どういうことなんでしょうね? ←首をひねりながら
 
 と、その前に一応、来期アニメの視聴予定作をもっかい記しときます。
 
 ・君に届け 2ND SEASON
 ・魔法少女まどか☆マギカ
 ・IS<インフィニット・ストラトス>
 ・夢喰いメリー
 ・GOSICK
 ・フリージング
 ・これはゾンビですか?
 ・ドラゴンクライシス!
 ・レベルE
 ・フラクタル
 ・放浪息子
 ・放課後のプレアデス
 
 です。
 特に前回からのプラスは無し。
 来期はこれでまずは初めてみますです。
 
 
 
 
 
 ◆
 
 んでは、今期アニメ感想を始めます。
 今回は、「薄桜鬼 碧血録」「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」「侵略!イカ娘」
 の三作品を書かせて頂きます。
 残りの作品については、年が明けてからになる予定です。
 
 
 
 
 
 
 薄桜鬼 碧血録:
 私はあまりこの作品が好きじゃ無かった。
 それは勿論、あくまで新撰組的な滅びの美学そのものに殉じようとする精神が、ね。
 つまり私は滅茶苦茶。
 滅茶苦茶、死にたくない。
 みっともない。
 うっとおしい。
 未練たらたら。
 死にたくない。
 なぜなら。
 まだ、生き足り無いから。
 いや。
 まだ充分生きた、という以前に、生きているという幸福感に、たぶんひとつも到達してないから、
 なのだろう。
 私は否定するけどね、たぶんそうなんだと思う。
 否定するってことは、やっぱりそうなんだと思う。
 だってさぁ。
 
 なんで私、こんなに泣いてんの? (ぼろぼろです)
 
 死にたくないのは誰もが一緒。
 土方さんだって、他の隊長や隊士達だって、それは同じ。
 なにも私だけが特別死にたくないって訳じゃ無い。
 でもね、私はなんかさ・・
 死ね、って言われてるような気が、今までしてた。
 満足して、充足して、潔く、死ね、って。
 だからね、実際満足して充足するところにまで至った人ならそれでもいいのだろけど、
 そうじゃないと無意識のうちでは思ってる私は、かなり反発してるんだと思う。
 そして、ほんとは誰も満足してる奴も充足してる奴もいないんじゃないの?、それなのに、
 死ね死ね言われてるから死ぬ覚悟決めて死を受け入れるなんて、馬っ鹿じゃないの?、みたいな。
 そういう反発っていうか、むしろ義憤的なものを感じてたよ。
 腹が立つ。
 滅びの美学とかっつって、生きることから逃げる奴は大嫌い。
 うん、だからさ、私は死ぬその間際まで、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになりながら、死にたくない死にたくない、
 とか泣き喚いて足掻きながら最後まで諦めない、そういうキャラが好きでね。
 でも・・・
 なんかこの作品観てたら・・・・
 
 死ぬのが嫌なのと、足掻くのは、イコールじゃ無いんじゃないかって。
 
 私、誤解してた。
 死ぬのが嫌で、足掻きたくて、でもそれが「みっともなくて」。
 だからそのみっともなさという価値観によって、自分の最後を締めくくるために、
 その演出としての、取り乱さない潔い死を迎えねばならないって、私はそう、ずっと、
 この手の作品に主張されてるような気がしてて。
 腹が立った。
 もっと言えば、むなくそ悪かった。
 誰が、そんなことするか。
 誰が、誰が、誰が!
 誤解、してた。
 なんだろうなぁ、これ。
 誰も、なにも、そんな主張してないんじゃないの?
 少なくとも、この薄桜鬼は、そんなことしてなかった。
 あったのは、いたのは、この作品はそういう主張をしているし、またそういう風に観る「べき」もの
 なんだろなぁ、とか思ってる私だけ。
 馬鹿だなぁ。
 土方さん、見てみ。
 死ぬ間際に足掻かないのは、そりゃああなた。
 生きてる間に、足掻きまくってたからじゃないの。
 充分、足掻いたからじゃないの。
 まだまだ足掻いてやるぜって、動かない体で示してるじゃないの。
 死にたくないと叫ぶ間も惜しんで、精一杯生き続けてるじゃないの。
 死ぬ間際に足掻かないんじゃ無い。
 死ぬ間際まで、もう動けなくなるくらいに生きて足掻いただけ。
 馬鹿だなぁ。
 
 馬鹿だなぁ、私。
 
 すっと、涙が出た。
 桜の中に溶けていく土方さんの命の潤いが、夜に映えて綺麗だった。
 はぁ、溜息。
 私は死まで理屈で語ろうとして、雁字搦めになってただけなのね。
 美しい。
 綺麗。
 これは美術とか美学とか、そんなんでもなんでも無い。
 思想も哲学もなんにも無い。
 ただ命のままに。
 生きて、死ぬ。
 綺麗
 私は、勘違いしていました。
 間違えていました。
 こんなにはっきり、自分の根本的な間違いを修正出来る機会に出会えて、少しびっくり。
 私は土方さんが一番嫌いでした。
 でも・・
 それが・・・
 私自身が否定している、私そのものの本当の姿なのだということを、なによりも顕してくれました。
 私は土方さんみたいな人が嫌いでした。
 私が、土方さんこそが本当にみっともなくてうっとうしくて未練たらたらの、足掻きまくった人なのだと、
 知っていたから。
 私こそが、ただ本当は・・
 みっともなくてうっとうしくて未練たらたらに、最後の最後まで足掻くことが出来無い、そんな人間だから。
 私は土方さんみたいに生きて死にたい。
 本当は、そうなんだよね。
 でもそうするのが怖くて、だから土方さんみたいな人を、武士道に囚われて死に逃げてるとか真反対の
 批判を加えてたんだろうね。
 ほんとは私こそ、逃げてるのに。
 ごめんなさい。
 だから今度から私は。
 ちゃんと、好きと、そして嫌いと言えるようになります。
 私の、ほんとの気持ちを。
 私はやっぱり。
 土方さんみたいな生き方、好きです。
 でも。
 私は。
 
 死にたくない。
 
 ただそのまま、生きていたかった。
 
 だから土方さんのような生き方、死に方は出来ません。
 
 土方さんの生き方死に方を愛していても。
 それでもそうして生き残った千鶴が生きる事に、私は最も共感します。
 それは好きでも嫌いでも無いこと。
 ただ好きなものを愛し、そうして生き続ける。
 それが出来るなら、私はこれからもずっと、足掻けないまま生きていきます。
 だって、生きてるから、こういう作品と出会えて。
 こういう作品と出会えた私と、また何度でも出会えるのですから。
 一期一会。
 その時々に、力を尽くす。
 想いを凝らす。
 その結果どうなるかは、誰も知らない。
 そしてそれが、ほんとは土方さん的生き方だったのだろうと思います。
 土方さんは、己の想いのままに死んだのでは無い。
 土方さんは、ただ己の想いのままに、生きただけ。
 それなら、私も・・・
 うん、面白かったです。
 だから、涙拭けっての。 (はい)
 
 
 
 俺の妹がこんなに可愛いわけがない:
 オタクって、なんだろ?
 私はたぶん、純粋に憧れてる。
 自分の欲望に忠実で、そして周りに左右されずに、思いっきり楽しめる。
 それって、惚れ惚れするくらいに、カッコイイ。
 大体私なんてさ、周りの目ばっかり気にしちゃってさ、んで、そうして周りの目をも気にした上で、
 自分の欲望も認めてあげたっていいのよおほほ、みたいな。
 
 アホだろ、あんた。
 
 アホだから、なんかね、かなり前までは、オタクの事軽蔑してたりとかしてた。
 キモいとかマジ思ってた。
 ごめんなさい、色んな意味でごめんなさい。
 つーか、要するにさ、軽蔑してたのは、まず第一に自分の欲望なのよ。
 自分の中の劣情?嗜好?変態?まぁ言い方は色々あるしさすがにそれは言い過ぎだろとも
 思うけど、でも敢えて言おう。
 私は変態です。 (あーあ)
 でもさ。
 そいつが怖い。
 みんなになんて言われっか、怖い。
 これでも私はプチ優等生の仮面を被ったりたまに面倒で脱いだりすることでフレンドリーさをアピール
 したりする堂に入った外仏人間で。 ちなみに内には弁慶じゃ無くて変態がいます。 (落ち着け)
 要するに、周りに嫌われたくなかった。
 だから、自分の中のたぶん周りの人には認められないだろう感情とか欲望とかを否定してみせる
 ために、オタクを攻撃してた訳。 まぁ攻撃ってほどのもんじゃないけどね。
 でもなんかもぞもぞする。
 なんかそれって、かっこわるい。
 べ、べつにあんたのこと好きってわけじゃないんだからねっ。
 そう言って、なんとか自分の中の欲望に接しようとした。
 オタクのことにも、一定の理解を示してる風に、やってみた。
 べ、べつに(以下略)。
 でもそれって、今度はたぶん、自分の中の欲望に、オタクにも嫌われたくないってだけだった感じで・・
 
 あんた、アホだろ。
 
 返す言葉も御座いません。
 要するに私は自信が無いのね。
 最初は自分の中にみんなには認められそうも無い感情があったから、だから自信が持てないんだ、
 だったらその感情を否定しちゃえばいいじゃん、みたいな感じだったと思うけど、思い出すとたぶん
 そんな感じだったんだよねぇ・・・(遠い目)
 でもなんか違う、違うじゃんそれ、それってつまり自分の欲望とか感情を自分で認めることが出来無い
 ってだけで、自分を信じることが出来無いっていう意味で、自信が無かったってだけじゃないの、
 みたいな感じになってきて。
 変態で、いーじゃん。 (今、なにかが失われました)
 オタクでいーじゃん。
 だって好きなんだもん。
 好きなんだからしょーがないじゃん。
 好きなものを好きって、全世界に向けてはっきり言える自分が、とっても好きになっちゃったんだもん。
 というか、そういう自分の中の異質なもの、あるいはちょっとみんなとは違うもの、あるいはあるいは、
 自分には弱いとか悪いとか見えないものを、それをそのまま認めて愛することが出来無かったら、
 やっぱり他の人のそういうものも認められないし、たぶんそれが出来てなかったのに認めた気になってた
 昔の私は、たぶんかなりきっちり偽善者をやってたと思う。
 ごめんなさい、私調子乗ってました。
 今は反省しています。
 でもついツンってなってしまうんです。
 それもそれでいいんじゃねぇの、それも私の中のあれれな成分ってことで、いいんじゃね?
 素直になれない自分も、嫌いじゃーない。
 どうみても子供にしかみえない自分も、悪くない。
 だから。
 そうやって自分を認めることが出来るようになってくから。
 
 もっと自分の好きなものが好きになって。
 もっと自分の好きなものが好きな自分のことが好きになれるんじゃないかな。
 
 やー、だってこの作品って、そういうことこそを描いてたって思うしね。
 桐乃がツンを消去してデレオンリーになったら、それ、楽しい? (趣味の問題)
 なんていうか、現在の私的人生観によれば、ツンが子供でデレが大人だとおもうのよ。
 つまりね、ツンっていうのは建前っていうか周りへの配慮とかそういうのが気になるとか、そういうもので
 それに囚われちゃってむしろそれが大人だとか思って他との比較でしかそれに自信が持てないって
 感じで、デレは自分全開自分で勝負するみたいな感じで自信満々って感じでさ。
 自分の子供っぽさとかも全部ひっくるめてそれで勝負出来るみたいで、それこそ大人な魅力。
 でもだから、そればっかりっていうのも、なんかこう。
 隙が無い。
 ・・・。
 私は隙がある人好き、っていうか私自身隙だらけの人生送ってきましたからね、全く逆に隙を作って
 たまるかみたいに意気込んだ結果思いもよらぬところに隙が生じまくってみたいな、そういう生き方
 でしたからね。
 そういう人はなんか・・・好き
 そしてだから、隙とか気にしないで全力で解放されて自分の好きなものにデレっとできる桐乃が好き。
 なんていうのかな、それでも少し前くらいは、それでもムキになってツンが出来るからこそいいとか、
 ぶっちゃけ隙は隙なんだからそれでもなんとかそれは修正していくべきなんじゃねぇの?、もしかして
 私が隙が多い人が好きなのは、自分が隙を埋めるのをサボりたいからじゃないの?、とか思ってたんだ
 けど、んー。
 
 今はなんか、全然違う。
 
 隙だらけ上等。
 隙というものをむしろ肯定的に捉えてこう。
 そういう、なんていうのかな、大元の価値観をひっくり返す、みたいな感じ?
 この作品って、というか、この作品に限らずオタクそのものを扱う作品って、その辺りをかなり意識
 してると思うんですよね。
 オタクの地位向上、っていうか、オタクがオタクの価値観をそのまま持って、新しい社会なり世界なりを
 建設していこうっていう、そういう静かなるエネルギーを感じる。
 まさにソフトパワーによる価値観の変容ね。
 それは、周囲に自分の趣味を理解して貰おう認めて貰おうという、そういう受け身な感じでは無いし、
 説得的説明的なものは無い。
 だからなんか、勝負してる気がする。
 この作品は、万人受けしないどころか、むしろオタクの中にも認めたくない人が多数いる作品だと思う。
 だって桐乃リア充じゃん? (そこか)
 でもさ、じゃあなんで桐乃がリア充なのかと言えば。
 それは桐乃が学業優秀容姿端麗人間関係良好だから、という点には、実は無いと思う。
 私は、桐乃が好き。
 すっごい充実してると思う。
 なぜなら。
 桐乃が、全力で、自分の好きなものを好きって言えるように、必死こいて頑張ってるから。
 そのための戦いに、全力で身を投じてるから。
 これこそ、私が今、アニメに求めてるもの。
 そして私自身も、やってること。
 桐乃は学業優秀容姿端麗人間関係良好だからこそ、それとは反するようにしか見えない自分の
 好きなものを好きっていうのは、ものすごく大変。
 でも。
 大変だからこそ。
 
 やりたい、って思う。
 
 大体、桐乃ほどオタクらしい人はいないっていうか、ぶっちゃけあそこまで全力でエロゲする人初めて
 見たわw
 この作品の最大の魅力は、その桐乃の凄まじく深いパワフルさなんだと私は思うなぁ。
 そのパワフルさが、桐乃のリア充ぶりの根源だとも思うしね。
 自分で自分の世界を作ってく。
 この世界の中に、自分の願う世界を作ってく。
 それは、実はオタクが最も願ってやまないこと、だよね。
 じゃ、それやってこうよ。
 怖いけど、勇気いるけど、もうそういうのガンガン、やってる人沢山いる。
 やろうよ、みんなでオタクの住み良い世界作ってこうよ。
 うん。
 ほんと、この作品を兄貴か桐乃のどちらの視点で視るかで、全然感想変わってくるなぁ。 (溜息)
 
 
 
 侵略!イカ娘:
 私はたぶん、結構色んなものが嫌い。
 というか、きっと嫌いな人が沢山いる。
 けどね、私の場合それが歪んでいてね。
 私はそうですね、うん、私が嫌いな人に嫌いって言われるのが、たぶん一番嫌いなんですよね。
 私の方があんたの事嫌いなんだからねっ!
 アホである。
 アホとしか言いようが無いのである。
 けどそのアホは業が深くて、きっとそれは私の強い差別感情から発せられてる。
 私はあんたの事嫌いだけど、でも好きになってあげてもよくってよ?
 そんで、振られる、あっさり振られる。
 そして、逆切れ。
 アホである。
 アホっていうか、アホである。
 けどそのアホはやっぱりさらに業が深くて、きっとそれは私の強い孤独感情から発せられてる。
 寂しいのである。
 アホというか、残念な人なのである。
 
 じゃあ何故私は、色んなものが嫌いなのか。
 
 たぶん、自分のことを好きになって貰うために、敢えて気を引くために嫌ってるとか、
 そういうことじゃあ無いんだと思う。
 ほんとに嫌いなんだろね。
 何故だかは、知らない。
 そういうのは心理学にお任せね。
 でもね、当の私自身は、その色んなものが嫌いな自分のことが、一番嫌い。
 だから、その自分を否定するために、色んなものを好きになろうとする。
 そしてなんとか、好きに似た感情を掘り起こしたり、嫌いでは無い面を発掘したりして、
 色々と埋め合わせたり誤魔化したりする。
 そっちの方が、楽しいじゃん♪
 でも、たぶんほんとはね、そうやって色々なものや人が嫌いな自分を、認めて欲しいのよ。
 私は大嫌いなのよ、それは理不尽なことでもいけないことでも無くて、当たり前のことなのよ!
 たぶん、自分自身では、ものすごくその自分を認めてて、極めてその自分に自信を持ってる。
 わたしゃマゾっぽいとこもあるけど、その内にかなり強いサドっ気ありますからね、自分の批判精神
 には相当な自信を持ってる。
 でも、その自分の批判や嫌いな感情が、あまり他の人に認められてこなかった気がする。
 相手にされてなかったのかもしれないし、私が本気でそう思ってるとは思われなかったのかもしれない。
 だから逆に私としては、相手にされない方が、本気でそう思ってると思われないうちなら、
 なんとか自分の批判精神や嫌悪感情が、「冗談」として受け止められるとか、そういうぬるい事を
 考えていたんだと思う。
 でもそれが嬉しかった。
 取り敢えず、冗談と受け取られようとも、批判的なことを言ってみたり嫌いとかなんとか言ってみても、
 なんとなくは受け入れられるような雰囲気の中で居場所を見つける事が出来たから。
 
 ぬるヲタならぬ、ぬるアホである。
 
 私は自分が本気で相手を嫌って、本気で相手に嫌われることを恐れてる。
 人間関係が浅いままなのである。
 言い換えれば、人と距離を取って、その距離の中にしか居場所を作れていないのかもしれない。
 もっと言えば、人が怖いのである。
 だからね・・
 イカちゃんが好きなのよね、私。
 いや、違うかな。
 私はさ、ほんとは、っていうかもうほんともなにも無く、それがすべてなんだけど。
 純粋に、本当に、素直に、好きになりたい。
 自分の中の他者を嫌っている感情を認めて欲しいのはあるのだけど、でもそれ以上に、
 自分の中にそれと同等くらいにあるはずの、他者を好きって感情が、欲しい。
 その感情のままに、生きたい。
 偽物な紛い物な無理矢理な、そういう添加物的な好きで誤魔化さない、そのままの、好き。
 
 私がこの作品を、や、イカちゃんを好きなのは、それが理由。 (たぶん)
 
 海を汚す人間共を憎んで、侵略を開始したイカちゃんが、ああして普通に人間達を好きになってく、
 その感じ。
 なんだろ、寂しさとか差別とか、そういうのあるんでしょう、あるんですよイカちゃんには、というかむしろ
 そういうものをあっさり描いてるものね、イカちゃんのナイスな子供っぷりにこそそういうのあるし、
 でもなんていうか、だからそういうなぁなぁな馴れ合いな感じで人間達と共存していくとか、
 彼らの中に自分の居場所をみつけていくとか、そういう感じは、逆に、無い気がする。
 うん、それよりも、なによりも。
 イカちゃんの、あの嬉しそうな楽しそうな、活き活きとした表情ったら。
 好きなのである。
 イカちゃんはたぶん、人間が嫌いな感情のまま、目一杯侵略活動に従事して、そしてそのまま楽しい
 その活動の中、色んな自分の中の感情と出会い。
 そして、人間が好きな自分に気付いてく。
 というかイカちゃんがすごいのは、その人間が好きという気持ちと嫌いという感情が、
 論理的にはあっさり矛盾していても、気持ち的には全く矛盾せずに繋がってるとこなのね。
 栄子とか清美とか、早苗・・はちょっと横に置いといてw、そういう人間というか個人との出会い、
 そういうなんていうか、そうだなぁ、イカちゃんの冒険が、そしてあるんだよね。
 それが好き。
 堪らなく好き。
 
 ご存じイカちゃんはアホである。
 でも、自分の感情がどうこうでは無く、感情のままに生きている。
 そしてその中で、侵略者としてこれはどうなのだろうとか、そういう事も考えちゃう。
 素直。
 だから清美に親友とか言われてほんとに嬉しそうにニヤけたり、千鶴の脅威にマジ怯えたりする。
 いいなぁ、それ。
 以前にも書いたけど、イカちゃんはそういう色んな自分が全く無理無く存在してるんだもん。
 イカちゃんのとっても自然で天然なその感じ、あるいは自分を作らない感じが、私はとっても大好き。
 もうなんかなに言ってんだかいつものように、や、いつも以上に訳わかんなくなってきたけど、
 もうなんかほんとそういう訳わかんないままにイカちゃんの事好きとか言っちゃってる、
 その私はもうだいぶ、自分の中の感情を見つけることが出来てきてる気がする。
 これは間違い無く、アニメの御陰。
 そんで、たぶん、イカちゃんみたいなアホの子キャラが、たぶんその極致。
 アホの子萌えから、アホの子属性の獲得へ。
 つまりアホの子に萌えるだけじゃ無く、自分もアホの子になりたい。
 というか、アホの子に萌えることで、つまり自分の中にもその子と同じ感覚があることの発見。
 けいおんの時にも感じたけどね、ああ私もこういう子になりたい、こういう生き方をしたいなぁ、っていう、
 そういうものがあるのね。
 誰かに認められたいとか、認めてあげたいとか、んなの関係無いところで、あっさりそのまま生きている、
 そういうアホの子が私は大好きなので御座います。
 それは、人間関係の深浅とは関係無い、もっと根本的なことなんじゃないかなぁ。
 というか、イカちゃん見てると、人間関係を深めていく事の中にしか、人間としての成長はあり得ない、
 みたいな、人間関係主義、もっと言えば人間関係依存が自分にがっちりこびりついてるのが、
 あー、ほんと、わかるんですよねぇ・・(溜息)
 嫌いなものは、嫌いなんだからしょーがない。
 好きという感情に素直に向き合えたとき、なんだか同時に、嫌いという感情にも素直に向き合えた
 気がする。
 
 あるいは、好きにならなきゃ目の前のものと付き合っちゃいけないとか、
 そんな事思ってたのかもしれませんね、割と自分でも気付かないくらい強く。
 
 もうほんと侵略者っていう意識も自覚もほとんど無いイカちゃんが、がっちり侵略者の意識を持っても
 普通に人間達とガチで生きてるあの素直な姿が、ああもう、可愛いなぁもう、コンチクショウ。
 大 好 き で し ょ う が な い じ ゃ な イ カ ー っ !
 あとちなみに私の中の変態をみつけた私が、素直に早苗さんに共感するのも、
 これもまた当然のことなのである。
 ・・当然のことなのである。 (自信が無いので二度言った)
 
 
 
 
 
 と、いう感じです。
 これ、アニメの感想なんでしょうかね? (きくな)
 まぁうん、ざっくり書けたので、私は満足でゲソ。
 ・・・・。
 もっとゲソって言っとけば良かった。 ←イカ娘が終わって未練たっぷりな人
 
 
 
 
 では、次回またお会い致しましょう。
 次回更新は、大晦日です。
 なんか、書くよ。
 書くから覚悟しろ。
 今期アニメ感想の残りは、年明けてからね。
 
 
 それでは、良い年末をお過ごしくださいませ。
 
 
 
 
 
 
 

 

-- 101223--                    

 

         

                            ■■刀落としとけいおん憑き■■

     
 
 
 
 
 ごきげんよう、紅い瞳です。
 
 と言いつつ私はごきげんようとはちょっと言えない状態で、つまりちょっと体調を崩してしまいました。
 まぁここのところの急激な気温の変化に、色々と心労が重なってのことだと思います。
 ていうか心労とか普通に自分で言うようになった私はきっと疲れてるんだと思います。 ←ぼーっとしながら
 うんまぁ、たいしたこと無いのですけれどね、しばらく休んでいれば、そのうちぼちぼちと回復していく
 と思いますし、無理しなければ普通に通常営業は出来ますので、そのご心配無く。
 
 まぁね、最近は疲れが翌日にまで残るようになってきて、その辺りの体調管理体制を改める
 必要が出てきたようで、いやはや。
 歳ですねぇ。 (腰を叩きながら)
 
 ただなんていうか、あんまりそういうのが嫌じゃ無い、っていうか、なんでしょ、以前は体調が悪くなる
 と気分も下降気味になったりしたり、私ももう歳なのかないやまだいける、みたいなハリというかノリ
 というかそういうのがあったのだけれど、最近はなんか、自分の体調が優れなかったり疲れが取れな
 かったりすると、そうして動かない自分に合わせた自分との、ちょっとした出会いを感じられて、
 なかなか楽しかったりしています。
 前は、そういうの嫌だったので、なんとかして元の自分に戻そうと踏ん張って逆に悪化させてたりとか、
 そういう残念な感じだったのだけれどね、今はこう、そうやって自己再生とか自己維持力には自信が
 あった自分を全うするよりも、どんどんと変わっていく自分に、それに対応出来ていく自分の方に
 魅力を感じ始めていてね。
 
 なんか、随分、楽しい。
 
 駄目なときは駄目だからしょうがない、っていう諦めよりも、
 あ、今日駄目なんね?私今日駄目なんね?駄目でいいのね?、みたいな感じで、
 その駄目な自分を生きる楽しさが、なんていうか。
 割と新鮮。
 うん、そういう自分を前まではめっちゃ否定してた気がするしね、頑張らなあかんいうことばっかりで、
 余計な力入りまくりっていうか。
 
 まぁぶっちゃけなにが言いたいかというと。
 体調悪いんで、ちゃんとした更新はサボらして貰います。
 よっしゃ、今日はゲームやろゲーム!
 そういうことです。
 なんか、以前となんも変わってない気がします。
 
 人生楽しんでいきまっしょい。
 
 
 
 
 ◆
 
 えー、なに?
 刀落としとけいおん憑き?
 まぁそのね、そんな大仰というか色々と深く考えた末に絞り出した言葉が普通に平凡だったみたいな、
 そういうやっぱり残念なタイトルをつけて、今日の日記を更新する気だったのですけれどね。
 うん、アニメ刀語の最終回がね、私の中のなにかに火をつけた、っていうかむしろ私の胸の中に
 ビッグバンを起こして色々吹っ飛ばしてくれたりしてね、思う存分書こう、書くぜ、とか意気込んで
 いたらですね、体調落としてやんの。
 体調落としてるくせに、まだ必死で書こうとしてパソ立ち上げて、でも動かない指先にさらに力を
 込めてうーうー言ってる自分に溜息が出たりしたので、やめ。
 あんた、やめ。
 
 うん、けいおんのCDをまた色々借りてきてね、私の中に光を灯した、っていうかむしろ私の胸の中に
 光合成を起こして色々嬉しく咲かせてくれたりしてね、思う存分書こう、書くぜ、とか意気込んで
 いたらですね、体調落としてやんの。
 体調落としてるくせに、まだ必死で書こうとしてパソ立ち上げて、でも動かない指先にさらに力を
 込めてうーうー言ってる自分に笑えたりしたので、やめ。
 
 あんた、やめ。
 
 なんか面白い。
 そういう自分を客観的に見られるっていうか、うわ、またうーうー言ってんよこいつ、
 でもそんなんまでして書きたいんやなぁ、わかるわかる、私も面白かったもん、そりゃ書きたいよ、
 書きたいさ、書からいでか。
 でもあんた同時に書かなきゃいかんみたいな、そういう義務感に追い立てられてるんやろ?
 まぁそうやって追い立てられてうーうー言ってるあんたも面白いけどさ、そういうのは書けるときに
 すかっと書けた方がいくね?、っていうかそういうすかっと書けるときがあるのを信じられない、
 っていうか、そういう自分を作る自信が無いから、今すぐ書かなきゃ、っていうそういう自分に頼って
 しまうんじゃろ?
 
 そりゃー、つまらぬよ。
 
 楽しいことしましょ。
 するべ。
 今日は日記、ちゃんと書きません。
 ていうか、大仰で滑稽なタイトルまで考えて書きたかったことがあるのは認めるけどさ、
 なにもそこまでして書きたかったものがあるのを、無理して今、小さく書く必要無いじゃん。
 またタイトルも考えて、また落ち着いたときに書けたら、そっちのがいいじゃん?
 今それを書けない焦燥感よりも、ちゃんとしたものを書けるときの喜びの方がよくね?
 そういう感じ。
 だからその焦燥感は、むしろ逆に、今日は休む、休むべき、っていうことに変換すればいいんじゃね?
 だから今日は早めに店じまいして、ゲームしたりなんなりして、おやすみなさい。
 んー、そうね。
 そういうことだよね。
 なんか私って休むの下手くそだったし、それってつまり、休んでる自分に耐えられなかったっていう
 事だったんだろうね、人間が小さいっていうか弱いっていうか。
 むしろ器がちっちゃい。
 うん、そう考えた方が、なんていうか、焦燥感っていうでっかいエネルギーから、「焦燥」を除いた
 エネルギーの部分を、前向きな力に変換することが出来る気がする。
 休むことが出来る、そんなでっかい人になりたい。
 まぁそれで、休まなきゃ休まなきゃ休まなきゃ、とかってうーうー言ってる極小な私がいるわけですけど。
 
 がんばれー。 (棒読み)
 
 
 
 
 ◆
 
 まー、しゃーない。
 人間の器が極小な私のために、ちょこっとメモ。
 
 刀語最終回 : 私がとがめさんタイプのキャラが好きな本当の理由がわかりました。
 けいおんCD: 私がけいおんのキャラ、殊に唯ちゃんが好きな理由がさらにわかりました。
 
 その辺りの事を引っかき回して混ぜ合わせて、化学反応させてみたものを、今度、大晦日更新の
 辺りに一年のまとめとして書けたらよさげっすね、という感じです。 むしろ書きたい。
 
 刀語の最終回単体の感想は、そうですねぇ、前回の更新でやっと第八話の微刀の感想が終わった
 ので、おそらく2月頃に書くことになると思います。
 大体月2の更新ペースで来ていますからね、そんな感じでやんしょ。
 ちなみに年内中の刀語感想の更新は前回で最後です。
 来週は大晦日更新と、その前に一回くらい今期アニメのまとめ感想を書きたいので。
 
 
 という感じで、今日はここまでと致しましょう。
 明日はクリスマスイブですので、奮ってワインを用意しておきました。
 
 勿論、お一人様ですが、なにか? (微笑)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

-- 101218--                    

 

         

                                     ■■ - 雨 - ■■

     
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 『 敢えて言うなら、私は見切るのでも見抜くのでも無い。
 
   そなたを信じ、ただ見守るしかない。
 
   信じているぞ、七花。 』
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

『 とがめ。
 

俺もとがめを信じてるぞ。
 

命令に従うのも俺の意志でだ。
 

たとえこの身が折れようとも、俺はとがめを守る。
 

心にそう決めたぜ。

 
 

とがめに命じられたからじゃ無い。

 

俺が人として、この心でそう決めたんだ。

 
 

俺は刀だが、同時に魂を持つ人間なんだから。 』

 

 
 
 
 
 
 
 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 俺な。
 よくわかんねぇんだよ。
 どうして俺、戦ってんだろうな。
 どうして、虚刀流を継いで、その技を磨いているんだろうな。
 それに、もっとわからないのはさ、俺はどうして、こんなに誰かに勝ちたいって思うんだろうな。
 
 いや、錆に勝ったときもよ、嬉しかったよ。
 日本最強っていう称号は、やっぱり剣士としては胸に響くものがある。
 ああ、なんだかこそばゆいっていうか、なにか手に入れた、って気がしたぜ。
 でもなとがめ。
 俺は別に、その称号が欲しくて戦ってた訳じゃあ無いんだよな。
 そうだぜ、俺はとがめと一緒に刀集めをしてるだけで、その過程でたまたま錆と戦った。
 そして、勝って、日本最強の称号を手に入れた。
 ああ、そもそも錆と戦うこと自体、その称号を手に入れるためじゃ無く、錆の持ってる薄刀・針を
 手に入れる為だったんだ。
 こう言っちゃなんだけど、日本最強の称号は、おまけだ。
 俺は別に日本最強じゃ無くっても、全然平気だ。
 とがめと一緒だからな。
 
 
 でもさ。
 なんか、戦っちまうんだよ。
 とがめのために、では無く、日本最強の称号のために。
 不思議だ。
 俺って、いつからこんな風に思うようになったんだろう。
 俺は、日本最強、という言葉を、子供の頃から知ってた。
 親父だ。
 強いってこと、勝つってこと、戦うということ。
 一本の刀であるということ。
 それは全部、親父から教わったことだ。
 もし俺が親父にそれを教わらなかったら・・・
 俺は、日本最強だなんて、どうでもよいと思えただろうか。
 
 いや、それこそどうでもいいんだろうな。
 要は、俺はたぶんそうやって、親父の価値観の下で、ずっと生きてきた、ってことだ。
 虚刀流を馬鹿にされるとムキになっちまうし、どうしたって虚刀流が最強だって言いたくなっちまう。
 だけど・・
 今思ったんだけどな、とがめ。
 俺は、たぶん虚刀流の当主として、日本最強の称号を手に入れられた事が、たぶん嬉しかった。
 なら俺自身は・・・どうだったんだろな・・
 たぶん、どうでもよかったんだろうな。
 俺はその辺りのことが、なぜだか、薄ぼんやりとわかる。
 俺は俺だ。
 けど、虚刀流の俺も俺なんだ。
 そういう、順番なんだな。
 だからなぜか、「けど」という言葉で補強して手繰り寄せた、その虚刀流の俺に妙に拘っちまう。
 俺には、どうだっていいことなはずなのにな。
 どうしても俺は、今までずっと、ただとがめのために戦っている俺自身のことに、自信が持てなかった。
 だから・・・
 
 
  俺は、
  今度はとがめの価値観の下、戦っちまってたような気がする。
 
 
 親父からとがめへ。
 俺っていう刀の持ち主が変わっただけで、俺はただずっと、刀であるだけだった。
 変だよな、俺はただとがめのために戦いたいという、俺の意志で動いてるはずなのに、
 俺はずっと、とがめの意に沿うように動くことばかり考えていた。
 そのとがめの意に沿うように動きたい、というのは、それは俺の意志なんだろうか?
 俺は、そうだ、とは言えなかった。
 言いたくても、たぶんそう言っている事自体がもう、俺の意志では無い気がして。
 俺は、やっぱりまだずっと、刀だったんだ。
 刀とは、こうあらねばならない、っていうことの塊だ。
 そういう、仕組みのことだ。
 俺はその刀という仕組みのままに、ただ動いているだけだった。
 つらいよな
 日和号を見てて、そう思った。
 俺は一体なにをやってるんだろう。
 そう思えるようになっていた。
 俺は薄ぼんやりでもわかってたんだ。
 だからねえちゃんに勝てた。
 虚刀流に拘っていたら、勝つことに拘っていたら、たぶん俺は・・・
 
 
 とがめ。
 なんのために俺は戦うんだろうな。
 俺はとがめを愛してる。
 でもその言葉は、たぶんかなりの部分、そういう言葉の仕組みによって作られていた言葉だ。
 って、お、怒るなよとがめ、それが全部って訳じゃないんだからよ。
 俺は・・・まぁやっぱり怒られるのは当然なんだけど・・・
 俺はとがめと出会ったとき、俺という刀の持ち主と出会えた、って思った。
 それは厳密に言えば、俺という俺がとがめを好きだと思ったから、俺という刀もそう思えたんだけどな、
 でも俺はきっとたぶん、俺という刀のままに、とがめとの出会いを受け入れてしまったんだ。
 こいつのために戦いたい、こいつの命令のままに生きたい、ってな。
 ほんとはただ、お前と会った瞬間に、お前に惚れちまっただけなんだけどな。
 なのに、俺は、その惚れた気持ちを、刀として持ち主に惚れたってことにしちまってた。
 つまり、刀の俺によって、俺としての俺の気持ちを隠しちまったんだ。
 不器用、というか、馬鹿なのかもしれない。
 いやまぁ、俺は馬鹿なんだけどさ。
 
 洒落になってなかったんだ。
 
 わかりやすく言えば、俺は自分がなにをしたいのか、わかってなかったって事なんじゃねぇかな。
 親父はそりゃあ虚刀流を教えるという意味では厳しかったが、虐待みたいなものをしたりとか、
 洗脳めいた事をしたって訳でもねぇ。
 まぁねえちゃんは怖かったけどな、今考えると爪を剥ぐとかいくらなんでもやりすぎだった。
 つまりな、俺には、親父の価値観とか虚刀流の考え方とかをな、無理矢理すり込まれたとか、
 他の価値観や考え方を取り上げられた、って事は特に無かった、って事なんだ。
 でもな。
 だから俺は。
 俺に気付くのが遅れた。
 俺はこれでいいって、これが普通だって思ってたんだ。
 俺はあくまで自分の意志で、自由に親父の価値観や考え方を受け継いだ、ってな。
 だけど。
 それが、まずかったんだろう。
 確かに無理強いはされてないけどな、でも、俺に選択肢は無かったんだよ。
 俺は島での暮らししか知らなかったし、そもそも俺以外の人間は親父とねえちゃんしか知らなかったんだ。
 その中で自由に選べ無理強いはしないって言っても、それはどうなんだろうな。
 事実、俺は自分で自由に選んで誰に無理強いされたものでは無いという認識の下。
 がっちり、それに縛られて抜け出せなくなっていたんだ。
 俺は、嫌だって思ってなかったんだよ。
 親父に教えられたことが、それが出来るようになっていく自分のことが、ただ嬉しかった。
 虐待もされていない、洗脳もされていない。
 強制すらもされていない。
 自分の意志で、自分で選んで、自分で決めた。
 
 
   それが嘘だって
 
   薄ぼんやりと 俺 わかってたんだな
 
 
 
 
 
 
 
 ◆
 
 
 俺は島から出てとがめと旅をして。
 正直、不安だった。
 俺は自分の事を馬鹿だと思っているけど、それ自体が自分の不安を落ち着かせるためのものだった。
 ほんとは、馬鹿だとはだから、思ってなかったんだ。
 俺は親父の下、しっかりと学んでしっかりと修行して、その俺が馬鹿な訳が無い。
 弱い、訳が無い、ってな。
 だから、よくわからないうちに、勝ちに拘っていた。
 そして、勝っちまった。
 俺はさ、とがめ。
 自分が馬鹿だってことは、それでもかなり早い段階から受け入れられてたんだぜ。
 とがめ、お前が俺の隣にいたからさ。
 とがめの頭の良さは折り紙つき、まぁ奇策ってのはかなり危なっかしいものだったけどさ。
 俺は、こいつになら、馬鹿だって、素直に自分のことを認めてもいいって思えたんだ。
 でも、弱いっていうのは・・・・
 認められなかった。
 とがめの弱さは障子紙以下のものだからな。
 そして実際、こなゆきに負けるまで、俺は勝ち続けた。
 そしてこなゆきに負けたときも、馬鹿な話だけど、こなゆきは素人だから、という理由で、
 負けというのをかっこ付きでのみ認めていたりした。
 だから。
 でも、というべきなんだろうかな。
 その俺の欺瞞に俺自身耐えられなくて、こなゆきとの再戦に拘った。
 正真正銘、勝ちたかった。
 もう馬鹿で良かった。
 だから俺は、強さだけは・・・
 
 
 
 それを
  
 あっさりと、ねえちゃんがぶっつぶしてくれた
 
 
 
 ねえちゃんは特別だから、なんていう言い訳を自分の中でし始めていた俺を。
 今度はもう、俺自身が許してはくれなかった。
 何日も、ねえちゃんに敗北した自分に打ちのめされた。
 それでな、わかったんだよ。
 いや、そのときとがめに怒鳴りつけられて、わかったんだ。
 ああ、俺、なにやってんだ、って。
 ぶっちゃけ俺は、強い。
 だから別に、勝ったって、勝ち続けたってそれはいいし、それだけの修行を積んできたのは事実。
 俺が強いのは事実。
 日本最強と呼ばれた錆に勝ったのだって、それは事実だ。
 だけど・・
 俺はなんだか、それに自信が持てなかったのも事実なんだ。
 どこかで、誰かに、責められている気がした。
 世間知らずの若造が、勝ちに傲っているとかなんとか、たぶんそういうものもあったんだろうけどな、
 たぶん一番は、ねえちゃんだ。
 俺はねえちゃんより、弱い。
 それがな、きっと物凄く悔しかったんだ。
 なんでだろうな、って、考えた。
 
 俺は、俺に自信が無かった。
 
 ねえちゃんは強い。
 周りから化け物とか破格とか言われても、なんの関係も無く強い。
 けど俺は・・・ねえちゃんみたいにはなりたくなかった
 そしてな・・・・
 俺は、親父みたいにも、実はなりたくなかったんじゃねぇかって、ねえちゃんの強さを久しぶりに
 目の当たりにして、思ったんだよ。
 ねえちゃんの強さは、なんていうのかな、つらいんだ。
 ねえちゃん自身の無い、強さなんだ。
 親父もたぶん、それが怖かったんだろうな。
 だから俺は、ねえちゃんの強さを見るときに、つらさを感じた。
 だから俺は、ねえちゃんの強さを否定する、そんな親父の強さの下修行に励んだ。
 真っ当に修行して、一歩ずつ、確実に。
 誰にも批判されないやり方で、強く。
 
 そして俺は
 
  それが 嫌だったんだ
 
  馬鹿らしかったんだ
 
 べつに、努力するのが嫌いな訳じゃ無い。
 むしろ俺は、自分で言うのもなんだが、かなりな努力家だ。
 でもな、とがめ。
 俺は、親父は可哀想だって、思ったんだよな。
 そして俺は、俺のことを馬鹿だと思った。
 なぁとがめ。
 俺は、親父は、なぜ強くなろうとしたんだ?
 それは、強くならなければならない、っていうそういう縛りがあったからなんじゃないか?
 俺は強くなりたい。
 けど、俺も、そして親父も、いつのまにか、それがわからなくなっちまってた。
 いつのまにか、強くなりたいという純粋な気持ちが、強くならなければならないという要請を
 果たしたい、というそういうものに縋りたい弱い心に囚われてしまってたんじゃないかって。
 だから親父は、そういうものとは全然関係無く、そのまま強いねえちゃんを恐れたのかもしれない。
 俺は、嫌だったんだろうよ。
 ずっと、それが。
 そういう親父が、そして・・・
 その親父を盾にして、その弱い強さを引き継いでその影でこそこそと生きようとしてた自分を。
 そして、そういう自分しか認めてはくれないだろう、なにかを・・
 悔しかった。
 それでもそのなにかに認めて貰おうとすることから抜け出せない、その俺が。
 ねえちゃんは・・・
 それを、見抜いていたんだろうな、きっと。
 
 
 ねえちゃんはさ。
 きっと、ねえちゃんの、ねえちゃん自身を手に入れようと、ずっと頑張ってきたんだと思う。
 そして、弟の俺が、いつまで経っても、自分と同じように俺自身を手に入れるための努力をしないことに、
 腹を立ててたんだと思う。
 俺自身を生きろって、ねえちゃんは・・・・
 そう・・
 俺がだから、虚刀流に拘り、勝ちに拘り、そしてなにかに認められようとしている限り、
 俺は絶対にねえちゃんに勝つことは出来無かったと思う。
 そしてなにより、ねえちゃんは俺にその勝ちを与えるためにこそ、あんな事をしたんだと思う。
 俺が勝ちに拘っているのは、なぜか。
 それを考え、そして気付けば、俺は自然に勝てるようになる。
 誰に恥じることも無く、では無く、誰に恥じようとも気にならない、俺自身の勝利。
 言ってみれば、俺が勝つことの意味自体が、変わったんだ。
 勝つために勝つんじゃあ無い。
 勝ちはいつだって、おまけだ。
 俺が本当にしたいという事を為す過程に、偶然手に入る産物だ。
 だから、俺にとって大切なものは、その本当にしたいという事であって、だから勝ちそのものはどうでも
 良いし、だから拘りが消えていく。
 勝つことでしか手に入れる事が出来ない、と思っているうちは、だから駄目だったんだ。
 
 
 
  じゃあ  俺が本当に望んでいるものって      なんだ
 
 
 
 
 
 
 ◆ ◆
 
 
 ねえちゃんは強い。
 そして俺はねえちゃんに勝った。
 ねえちゃんに勝ちたい、と、なんだか知らないけど、思ってた。
 そしてそう思っているうちは、全然勝てなかった。
 ねえちゃんと、もう一度戦ったとき。
 俺は・・・
 とがめの髪が切られて、怒った。
 ねえちゃんが死を覚悟しているのを気付いて、悲しかった。
 気付いたら、勝っていた。
 いや。
 終わっていた。
 なんだろうな。
 俺は馬鹿だからな、と、そうあっさり言える。
 ねえちゃんが俺になにを求めていたのか、あの戦いの意味はなんだったのか、とか、
 そういうことは俺にはよくわからねぇし、あんまりわかりたいとも思わない。
 けど。
 あのとき俺は、わかったんだ。
 薄ぼんやりじゃなく、はっきりと。
 
 
  俺は、自由になりたい、って。
 
 
 親父のためとか、ねえちゃんのためとか。
 とがめのためとか、そういうんじゃ無い。
 俺は・・・
 俺は、たぶん、虚刀流が好きだ。
 俺は生まれたときから虚刀流で、虚刀流だけを教わってきた。
 他の流派のことを知らないし、そもそも剣術以外の事をなにも知らねぇ。
 だから・・・
 好きだ、と言うしかなかったんだよ。
 好きと言えずに、嫌いだって言っちまったら、俺にはなにもなくなってしまうからさ。
 俺は、怖かったんだろうよ。
 虚刀流を学んで強くなれば、親父は褒めてくれる。
 ねえちゃんはよくわからなかったけどな。
 でもたぶん俺は、ねえちゃんのためにって思って、虚刀流の修行に励んでた気がする。
 馬鹿、なんだ。
 でもな、だからこそ、わかった。
 じゃあ仮に、虚刀流の修行に励むこと以外のことをねえちゃんが望んでいたとして、
 俺がそのなにかをねえちゃんのために、って頑張ってたら、どうなんだ?
 それは、俺が親父のために虚刀流を学んで強くなろうとしていた事と、同じなんじゃないか?
 薄ぼんやりと、それに気付いてた。
 俺は虚刀流が好きだと言うしか無い。
 でも・・
 俺が、それ抜きで純粋に虚刀流が好きって事も、嘘じゃあ無かった。
 
 ただ、一番好き、って訳では無かったんだろうな。
 
 俺は、自分が一番好きなものがなにか、わからなかったんだ。
 
 だから、好きは好きでも一番ってほどでは無い虚刀流を、勝手に一番に据えちまってたんだ。
 
 
 そして俺が、その紛い物の一番である虚刀流の技を使って、
 一番好きなとがめのために戦うっていうのは、どういうことなんだろうな。
 訳がわからなかった。
 だから、とがめの命令を、なにも考えずに、変体刀の持ち主達を斬った。
 親父は・・・
 刀は切れなければ意味が無い、と言った。
 それを第一に考え、ただ鋭き刀であればいい、と言った。
 そうか・・
 
 
 
 
 『今なら親父の言葉の意味がわかる。』
 
 
  『刀になるとは、気持ちを持つな、考えるな、感じるな、という意味だ。
 
 
   とがめ。
   日和号は、ちょっと前の俺だ。
 
 
  覚悟も決意も無く、なにも捨てないで、正義の心も無く、ただ、とがめに言われるまま
  刀集めをしていた俺だ。
 
  だからまにわの蝙蝠も、迷彩も錆も、刀を集めるためになんの迷いも無く斬った。
 
 
  でも、意志を持たない刀のままだったら、俺はねえちゃんに勝つことは出来無かった。
 
 
  ただ四季崎に命じられるまま、何百年も命令通りに攻撃するこいつは、
  ちょっと前の俺と同じだ。

 
    俺、こんな風に、こんな機械人形みたいに戦ってたんだな。
 
      きっとみんな、ちっとも楽しくなかったんだろうな。
 
 
 
 
 

            『ニンゲン、ニンシキ。』

 
 
 
 
 
 
  俺にはお前が刀にしか見えねぇけど、日和号。
 
   お前は俺を人間と言ってくれるんだな。』
 
 
 
 
 
 
 
 
 ああ、嫌だぜ。
 つらかったろうよ。
 日和号。
 お前に感謝するぜ。
 ねえちゃんが与えてくれた気付きを、お前は俺のものにしてくれた。
 ああ。
 どうしようもねぇ自己嫌悪だ。
 俺は弱いんだ。
 自分で自分のしたいことを出来無いばかりか、なにをしたいのかすらわからなかったんだぜ。
 ただただ強く、勝ち続けて、誰かのためにという大義名分まで持ち出してよ。
 それにどんな理屈がついたって、どんなに賢い言葉で語れたとしたってな。
 俺は嫌だぜ、もうそういうのは。
 俺は馬鹿でいい。
 馬鹿だから、わかったんだ。
 嬉しいな。
 こんなに戦いっていうのが楽しいのは初めてだ。
 勝利も敗北も関係無い、ただただ、機械人形の日和号と戦える、今の俺が。
 楽しかった。
 今まで、きっと俺は、しょうがねぇ、って思ってたんだと思う。
 戦うしかねぇから、勝つしかねぇから、虚刀流の当主だから。
 そして、生きるしかねぇから、しょうがねぇ、ってな。
 だから戦い、勝ち続け、そのために厳しい鍛錬を積み上げてきた。
 きっと、その俺が最終的に求めていたのは、やっぱり誰かからの認証なんだ。
 日本最強っていう称号も、そのひとつなんだろうな。
 おまけにとがめについてきゃ、もしかしたらちょっぴり偉い身分になれるかもしれねぇとか、
 まぁそれは半分冗談としても、少なくともとがめが傍にいてくれれば、俺もいっぱしの人間に
 なれるんじゃねぇかってな。
 思ってたんだろうよ、俺は否定するけど、たぶん俺は思ってたんだろうよ。
 俺の思っていただろう、そのいっぱしの人間ってのは、まぁたぶん、常識とか良識とかがあって、
 社会の規則が守れて、それなりに人間関係が結べて、学も多少はあって、そして勿論自分で
 額に汗して働いて食い扶持を稼げるとか。
 
 そういうのを、いや。
 
 そういうものしか、求められなかったんだろうよ。
 
 
 そういうもの以外の、なにものも見つけることが出来無かったんだからな。
 
 
 いや、見つけようとしなかったんだな。
 もう目の前にはそういうものがあったから、それ以外のものは探したくない、ってな。
 俺は怠け者じゃあ無いが、面倒くさがり屋ではあるんだ。
 馬鹿みたいだな。
 たった、それだけのことだったんだ。
 俺が面倒くさがって、くだらないいっぱしの人間っぷりなんぞうっすら盾にして求めたりせずに、
 ただ自分のしたいことやりたいこと、好きなことを求めてやり続けていれば。
 
 それで充分、俺は俺自身になれたのに。
 
 人間を、発見できたのに。
 
 
 そして、くだらないいっぱしの人間っぷりの本質みたいな日和号は、最初から。
 それを俺に求めてたんだな。
 
 一切の牽制が効かねぇこいつは、まるで、そうやってなにかに阿って認められようとしていた、
 ちょっと前までの俺のそれを、はね除ける存在なんだ。
 
 人間、認識、か。
 
 ありがとうよ。
 
 ほんとは俺。
 お前にそう認めて欲しかったんだ。
 
 俺は、俺だってな。
 
 
 だから、俺もお前を認めてやるよ。
 お疲れさん。
 お前の想いは、きっと四季崎にも、そして。
 
 お前の魂にも、伝わっているさ。
 
 
 
 
 
 
 ◆ ◆ ◆
 
 
 親父。
 親父は、いや。
 親父も、馬鹿だったんだな。
 いや、いや。
 違うな。
 親父は、馬鹿な自分のままに生きたくて、でも結局それが出来ずに。
 ただ馬鹿みたいに、戦い続けて終わってしまったんだ。
 くやしかったろうな。
 その戦いから、生まれたときから解放されているねえちゃんを娘に持って。
 そして・・
 自分と同じ馬鹿面を下げた息子には、ちゃんと馬鹿として生きていける未来があって。
 親父・・・
 あんたにだって・・あんたにだってまだ、いくらでも馬鹿として生きていける事は出来たはずなのに・・・
 あくまで虚刀流六代目当主としての矜恃に縋るしか無かったのか・・・
 とがめ、以前に俺はおまえに聞いたよな?
 ねえちゃんは親父に殺して欲しかったのかな、って。
 今思うとな、親父は逆に、ねえちゃんにだけは殺されたくなかっただろうけれど・・
 
 たぶん
 俺には、殺されたかったんじゃないか、って思うんだ。
 
 俺に殺されて、俺になりたかったんじゃないかなぁ。
 もう一度、子供の俺の歳くらいに戻って、人生やり直したい、みたいな感じか。
 そしてたぶんきっと。
 だから、親父はねえちゃん以上に、俺に殺されて堪るか、って思ってたんだろうな。
 だって、俺に殺されたら、親父の今までの人生が否定されちまうんだからな。
 親父は、馬鹿になりかったのに、馬鹿として生きられなくて、でも生きている以上は、
 しょうがない、という言葉の一念で積み上げてきた人生があって。
 それにしがみつくしか無かったと思うんだ、親父は。
 その積み上げたものを壊して捨てない限り、親父らしく馬鹿として生きていく事は出来ないって、
 そうわかっていても、だからこそ親父は・・・
 それが出来無かったんだな。
 きっと親父には・・・
 自分の本当に求めているものがなにかが・・・
 最後の最後まで、わからなかったから・・・・なんだろうな・・
 親父にとっての虚刀流は・・最後まで、親父に愛され、そして憎まれていたものだったんだ・・・・
 
 俺が親父の背に感じていたのは、その深い憎しみと、怒りと、そして悔恨だった。
 
 
  
  そして
 
    日和号は
 
     親父だった
 
 
  親父は 
            日和号 そのものだった
 
 
 なにかのために
 なにかに認められるために
 なにかであろうとし続けるために
 なんにも無い
 つらかったろうな
 自分が無い
 だから、自分が無いのに、それでも圧倒的に強い娘のことを恐れ、妬んだんだ。
 俺は・・
 どうなんだろうな。
 俺は・・
 とがめ・・・
 俺は・・
 強くなりたかった。
 たぶんそれは、俺が、俺として生きたかった、っていう事なんだ。
 だから虚刀流の技を磨いて、虚刀流としてあらゆる敵を打ち倒し、
 そして日本最強の称号を手に入れたってな。
 意味、無いんだ。
 というかむしろ、その日本最強の称号に阻まれて、俺はますます俺として生きられなくなっちまう。
 おまけに俺は、とがめに出会うまで、馬鹿のくせに、賢くなろうとさえしていたんだぜ?
 親父も・・そうだったんだろうな
 大乱の英雄だなんて呼ばれてたけど・・・親父は・・
 親父はきっと、自分を発見出来無かったと思う。
 がむしゃらに強くなろうとして、賞賛を求めて、色んなものを求めて。
 親父は結構学もあったし、俺なんかよりよっぽど色々知ってたと思う。
 なのに・・・親父は・・・親父自身には到達出来無かったんだ
 大変な苦労を重ねて、色んなものを得ていった親父と違い、
 ねえちゃんはそういう苦労を知らずに一瞬でそういうものを得続けていく異能があった上に、
 自分すらも無いのに自分に既に到達しているだなんて、馬鹿げた境地にあって。
 親父が・・・親父の苦悩が、俺にはよくわかる気がする・・・
 
 俺は、やっぱり強くなりてぇよ、親父。
 
 俺は馬鹿でいい。
 いや。
 俺は馬鹿になりたい。
 くだらないんだ、学問とか、財産とか、仕事とか、地位とか、名誉とか、あと色々あるだろ?
 どうだっていいんだ、そういうのは。
 俺は馬鹿だからな、そりゃあ島暮らしのときは誰もやってくれる人がいなかったし、
 病弱なねえちゃんもいたから、俺が日々の生活の糧を用意しなくちゃいけなかったけどな。
 たとえば今は、とがめについてくだけで、俺は喰うに困らねぇ。
 まぁ、とがめの刀という職についていると言えばそうなんだろうけどな、俺はそういう意識は全くねぇし、
 俺はただ好きなとがめにくっついて、とがめのために頑張ってるだけだ。
 それだけだ。
 拘りなんか、なんもねぇ。
 仮に俺がとがめの刀じゃ無くて、とがめの紐だなんだと蔑まれたって、全然気にならねぇ。
 どうでもいいんだ、そんなの。
 俺はとがめを愛してるからな、それで充分なんだ。
 その充分さの中で、俺のやりたいように生きてる。
 とがめが貧乏すれば、俺もその貧乏の中で生きるだけさ。
 とがめが俺の虚刀流としての力を必要としなくなれば、俺はもうべつに虚刀流に拘らねぇ。
 まぁ、虚刀流はとがめ抜きにしても好きだからな、鍛錬は続けていくつもりだけどさ。
 うん。
 つまり、そういうことだと思うんだよ、親父。
 
 俺は、そういう俺になりてぇ。
 そして、そういう俺になれるのが、強い、ってことなんだ。
 
 それは、俺が自分の意志で。
 今度こそほんとに、選んだことだ。
 
 
 親父や、そして俺が今まで求めていた強さっていうのは、それと真逆、
 いや、その強さを隠すための力にしか過ぎなかったんじゃねぇかな。
 一番好きなものを求めるために、涙を飲んで他のすべてを捨てる?
 ちょっと違うんじゃねぇかな、それは。
 それってたぶん、まだ一番好きなものにほんとに出会えたことの無い奴の台詞なんじゃないか?
 ほんとに一番好きなものに出会えたら、そもそもそれ以外のものって、どうでも良くなるんじゃねぇか?
 というか、勝手に、それこそ自然に執着が消えると思うぜ。
 逆に言えば、俺は一番好きな、たったひとつのものにこれまで出会えなかったからこそ。
 色んなものに拘って、沢山のものに縛られてたんじゃねぇか、って思うんだ。
 なにかを捨てるのは、つらい。
 でも、捨てることの出来る喜びっていうのも、またあるんじゃねぇか?
 逆に言えば、捨てる事が辛いのに、その辛さを飲んで打ち込むその一番好きな物って・・
 逃避としての執着の表れ、なんじゃねぇの?
 ほんとはきっと、それ、一番好きなものでも何でもねぇんだよ。
 つらかったら、嘘なんだ。
 好きなもののためになにかを捨てるのは、嬉しくなきゃ、嘘なんだ。
 ねえちゃんは・・・きっと・・・・
 
 たぶん、色んなものを捨ててきたと思うんだよ、親父。
 
 ねえちゃんが、一番大切にして、一番求めて。
 そして一番好きだったのは。
 生きること。
 生きてること、だったんだよ。
 だから、病魔に侵されて色んなものが奪われ、出来無くなっていく中でも、
 ただ生きたいという想いがあって、その想いのままに素直に生きることが出来たから。
 強かったんだとおもう。
 ねえちゃん自身は気付いてなかったとおもうけど、俺、ねえちゃんはちゃんとねえちゃん自身を生きてた。
 そう思う。
 
 
   親父
 
   あんたの娘は
 
   嘘をつかずに  ちゃんと、死んでいったよ
 
 
 
 
 
 
 
 ◆ ◆ ◆ ◆
 
 
 ふぅ、疲れた。
 日和号の奴、さすがに機械人形だけあって、動きが衰えねぇ。
 でも、俺のこの疲れは、結構気持ちいいもんだなって感じるぜ。
 なんていうか、そのままなんだ。
 なんか、嬉しくってさ。
 汗かいちまった。
 俺、自分が泣いてんだか汗流してんだか、わかんなくなっちまって。
 そんくらい、楽しかった。
 俺は俺を発見できたのかな。
 いや、俺は俺になれたのかな。
 違うな。
 俺は、もう俺を発見する必要が無くなった。
 俺は、日和号と出会ったことによって、そこに、俺を見たからさ。
 ちょっと前までの、俺をな。
 そして、今の俺が、そのちょっと前までの俺と全然違うことを、感じていたからだ。
 俺の頬を、ひときわ大きな雫が伝った。
 俺、泣いてんのか?
 日和号、お前の目から零れたそれは・・・
 静止したお前を抱えた俺の頬から落ちたものか、それともお前の涙なのか・・
 それとも・・・・
 
 
   お前がずっと
 
     空をみつめ
 
      待ち続けた  それだったのか・・・
 
 
 
 
 おまえは、止まりたかったのか?
 それとも、止まりたくなかったのか?
 もう動き続ける事が出来なくなったのが、悲しかったか?
 それとも、もう動かなくて済むことが、嬉しかったか?
 違うだろうな。
 違うんだよな。
 お前は きっと
 
 ねえちゃんとおなじ
 
 空っぽの自分が
 それだけが死んで
 
 そして
 
 空からひとつだけ落ちてきた
 
 暖かいそれで満たされた
 
 そのおまえの誕生が、嬉しかったんだよな
 
 
 日和号を抱いたとき、軽かった。
 もっと俺はこう、ぎっしりと重いかと思ったんだけどな。
 でも、解体して箱に詰め直したお前の姿には、なぜだか重みを感じたよ。
 親父は・・・親父の亡骸は・・・・やっぱり軽かったな
 軽く、軽く、自分の体から、逃げたくて、それで、終わっちまったんだ。
 あんなに分厚い筋肉をまとって、大乱の英雄だなんて重い肩書きも背負っていても。
 結局親父は、それを自分に詰め込むことでしか、それを自分と思うことしか出来無くなってたんだな。
 そりゃあ、逃げたいよな。
 そんなのつらすぎる。
 おまけに、つらいくせに、そういうものが無くなった途端、どうしようも無くなっちまうんだ。
 親父・・・
 あんたには、雨が降ったことがあったのかな。
 俺は・・・・
 とがめがいなくなっても
 やっぱり
 日和号と同じ風に
 
 
  すっと 空を見上げて
 
  雨を待つぜ
 
 
 もしまた俺が、陽の光を浴びて日向ぼっこしないと動けない、ちょっと前の俺に戻ることがあっても、
 俺はやっぱり、雨が降ることを信じてる。
 
 俺は馬鹿だ。
 馬鹿でいい。
 俺は馬鹿になりたい。
 俺はその俺を許そう。
 俺は弱い。
 弱くていい。
 俺は弱くなりたい。
 俺はその俺を許そう。
 たとえとがめが許してくれなくても。
 俺が、許す。
 
 だから俺は。
 賢くなっても、いい。
 俺は。
 強くなっても、いい。
 
 とがめの、ために。
 
 
 そういうことだ。
 
 だから。
 その順番は、ひっくり返すのが、正解なんだ。
 
 
 
 
 
 俺は俺だ。
 けど、虚刀流の俺も俺なんだ。
 
 
それをひっくり返す。
 
 

俺は虚刀流の俺だ。

 

けど、俺も俺なんだ。

 
 
 

そう

 

だから

 
 
 

 

 
 俺は賢くなりたい。
 賢くなりたいと思っていい。
 俺はその俺を許そう。
 俺は強くなりたい。
 強くなりたいと思っていい。
 俺はその俺を許そう。
 とがめのために。
 俺が、許す。
 
 だから俺は。
 馬鹿でも、いい。
 俺は。
 弱くても、いい。
 
 俺の、ために
 
 
 
 
  きっと
 
   それを
 
 
 
     大粒の雨が零れ落ちる中、傘を差して俺を迎えてくれた、とがめこそが、許してくれるんだろうな
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

愛してるぜ

 

とがめ

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
                        ◆ 『』内文章、アニメ「刀語 第八話 微刀・釵」より引用 ◆
 
 
 
 

 

-- 101209--                    

 

         

                                 ■■遺憾ですよー ■■

     
 
 
 
 
 うー寒い。
 
 
 今週は時間はあるけれども、やる気は無いのです。
 というより、あんまし書くことないなー。
 なんていうか、考えたこととか感じたこととか、もうだいぶまとまってきたっていうか落ち着いてきたっていうか、
 まぁええねんそのまま流しとこかね、みたいな感じで、今現在絶賛放置プレイ中。
 
 だから特に書くこと無しね。
 うー寒い。
 暖冬らしいですけれど、普通に寒いです、冬は寒いです、寒い。
 んー。
 なんか本も飽きちゃったしな。
 というか、本読んでも感想を持ちにくいなー。
 うん、なんか以前より感想欲みたいなものが無くなってる気がするのですけど、
 あんまりそれは悪い気がしないっていうか、なんていうか、今は発信よりも受信がメインなのかな、
 みたいなところなのでしょうね、たぶん。
 とかいって本飽きたとか言ってるんですけどね、この人。
 
 
 
 今回は ほんっと
 書く気が無い、っていうより
 書きたくない。
 
 
 
 ◆
 
 書くことはあるんですよ。
 よつばとの新刊とアコニーの二巻と最終巻を買って読んだので、その感想を書こうと思ってたんですよ。
 ところがなぜか、書く気が起きない。
 パソを立ち上げて、いざ書こうとすると、その前にちょっとメールをチェック、あ、なんかテレビみよう、
 あ、(以下略)、のようになぜかエンドレスに執筆を回避する私がそこに。
 なぜだ、なぜなんだ私。
 思い当たる節はふたつあって。
 よつばとが期待していたよりも、ぐっと面白くなくて、アコニーが期待していたよりもぐっと面白くて。
 そんで、今忘れていたことにやっと気付くほどに、イエスタデイをうたって七巻を忘れてて。
 うがー。 思い当たる節はみっつじゃねーか。
 なんかね、この三つを同時に書くとか、核融合すぎる、重すぎる、みんな死ねばいいのに。(落ち着け)
 という感じで、もうもうなんだか頭の中の呂律が残念な方向に展開しだして、あららな有様。
 だれかたすけてー ←残念な人
 おまけにさ、この間ケーブルテレビで狼と香辛料の第一期の再放送が始まってさ、それ観たらさ、
 心臓止まるかと思ったくらいに胸がしめつけられてさ、なんかもう、陶酔っていうか死ぬんじゃないか、
 ってくらいに思考以前に脳が停止しちゃってさ、心臓と脳の合わせ技一本で昇天、みたいな、
 はは、なにいってんだ、なにいってんだろ私・・・・ ←まだまだ残念な人
 
 つまりぶっちゃけ、今回の更新をどうやってすればいいのかわからない、ってことなのです。
 
 ・・・・一体この人何年日記書いてきて何年サイトの管理人やってんでしょうね。
 何年もやっててこういう感じな人ですよ、残念ですよ、遺憾ですよ、ある意味爽快ですらありますよ。
 はは。
 
 
 
 ◆
 
 ということで、このままぐちぐちと自分の遺憾ぶりを遺憾なく発揮して発表していても、
 あとで読み返したときに誠に遺憾では御座います(けれど私の責任ではありません)、みたいな
 事を思って平然としている私の姿が想像出来てしまいますので、や、それもいいなとか半分くらいは
 思っているのですけれども、思っているのですが。
 でもなんか、書きたい。
 特にアコニー書きたい。
 その欲望に忠実に従って。
 その、なんか書いてみます。
 もうなんか、やっつけで書いてみます。
 誰も読まないでください。
 読んだら死ぬ。
 これを後で読み返す私が死ねばいいのに。
 
 
 
 
 ◆
 
 よつばと!10巻:
 うへえ、面白くない。
 すみません、面白くないです、あずまきよひこさん。
 その面白さの無さの原因を、一言で表すなら、ずばり、マンネリ。
 マンネリしか無いよ、今回の巻は。
 今までの巻では、それこそ形の上では一見マンネリのようだけれども、
 よく見ると、よつばが同じことをやっていても、全然ちがう、よつば成長してる、
 よつばっていうかむしろとーちゃんとかやばい、みたいなところがあったんですけれど。
 ずばり、今回は、成長無し。
 うん、これ、どっかでみたよ、どっかの巻でみたよ、これくらいのよつばみたことあるよ。
 やってる事は違っても、よつば自体が前の巻からほとんど変わってないから、なんか同じにみえるよ。
 小ネタ自体はいくつかはあってもだね、あ、ダンボー復活とかね、熱い、熱いけど。
 
 なんか、それだけ。
 
 えー、よつばそんだけ? そんだけかよー。
 がっくり。
 くふうがない。
 おどろきがない。
 んー、なんか、なんていうか、よつばが新しいことに出会ってく、そしてそのよつばの新鮮な笑顔を、
 それを見て変わってく大人が、今回いない。
 よつばがホットケーキ作るのも、なんだかなー、とーちゃんの父親っぷりがよく表れてるといえば
 間違いなくそうなんだけど、それがどうしたの?、っていうか、それはそれなりにいいじゃんというのは
 あるけれど、なんかこう爆発しないというか、んんー、ああそうね、っていうか、同意とか共感以外の
 なにも無くて。
 
 唯一輝いてたのは風香なんだけど、んー、ボケ切ってないっていうか、オチがはじけてないいうか、
 こじんまりしてるなー、なー?、みたいな感じで、んー。
 しょぼい。
 あと私の好きなあさぎねーちゃん出番あれだけ?あれだけならしかたないな!!(えこひいき)
 でもうなじが素敵でした!!
 あとやんだもなー、確かにあれだけの出番じゃなー、そういえばかーちゃんは出番すらなし。
 
 それと一番駄目だったのは、いや駄目ってあなたそこまで言いますか、言いますよ。
 あの仁王さんの回ね。
 あれ駄目。あれは駄目。
 そりゃとーちゃん怖かった、しみじみ怖かった、あれは怖い、ああいうのこそ子供には一番怖い。
 でもさ。
 とーちゃんはいいとしても、よつばが駄目だ。
 ぎゃーって。
 よつばの驚きっぷりが同じじゃん、あの鳥避けの見たときのと同じって。
 泣きっぷりもいつもと同じじゃないですか、とーちゃんあんだけ怒ってるのに、実力行使なのに、
 とーちゃんのお仕置きっぷりが小粋ですらあったのに。
 よつばが、ベタだ。
 もっと奇想天外に、もっと奇天烈に、もっと意表をついてこわがって!!(無理難題)
 食べられる〜いただかれる〜、程度じゃ、駄目です、駄目駄目です。
 もっとこう。
 よつばしてください。
 よつばするは動詞です。
 なんかふつーの子になっちゃってます、あずまさん。
 あずまきよひこさん。
 がんばれ。
 
 でもえなはよかった、みうらもな。
 うん、たぶん10巻で純粋に面白いと思ったのはそこだけ。
 なんていうか、堂に入ってる。
 みうらの空気読まなさっぷりと、えなのフォローっぷりがさ。
 マンネリと言えばマンネリなんだけど、やっぱりすごく堂に入ってるっていうか、これはまだまだいくなー、
 みたいな。
 生きてるぴょーん、は、無い。
 無いけど、それが出てくるえながすごい。
 そしてロボットだから死なないよというところより、ぴょーんに突っ込むみうらとよつばもさることながら、
 ぴょーんは雰囲気を明るくするために言いました、と自己フォローするえなさんに全私が泣いた、
 そしてそのえなのフォローを受けて、みらうが展開するフォローとしての大嘘物語が、拍手を誘う。
 さそわれました!! はくしゅ!!
 そしてそれにころっと、や、素直に騙され、や、信じるよつばとのこの絶妙な連携ぶれー。
 これは鉄板な。
 というか、こういう感じがいつものよつばとなんですけどー、今回はこのラストの三人の話くらいしか、
 そういうとこなかったんでー。
 おもしろくない。
 わたしはおもしろくありませんでした。
 11巻に期待。 渇望。 早く書いてあずまさん!
 
 

 
 イエスタデイをうたって7巻:
 さっさとしな子とくっつけばいいのに。 ←適当
 とまぁ、適当というか、よく事情がわからないというか。
 すみません、前巻までのあらすじを忘れました、完全に恋模様の中身を忘れてました。
 なので、その状態で読んだら、あら不思議。
 さっさとしな子とくっつけばいいのに。 ←投げやり
 という感想が出てきてしまいました。
 すみません。
 前巻読みました、すみません復習してきました。
 で。
 
 ハルかわいいよハル。
 
 ・・・。
 おかしいな、たしか前巻ではしな子かわいいよしな子とか思ってたはずなんだけどな。
 というか気付いたんですけど、んー、なんか、今巻で決定的に変わったのがひとつあって。
 まぁあくまで私の中での話なんですけど。
 冗談抜きにして、これ、リクオがしな子とハルとどっちとくっついても、それはそれで問題無い、
 みたいな感じになってきてるなぁ、って。
 うん、前の巻までは、なんていうか、テーマってほどじゃないんですけど、なんか、リクオがどっちと
 くっつくかによって、作品としての意味が違ってくるというか、あるいはどっちとくっつくかによって、
 作品の価値が決まるというか、なんかそういう選択としてのテーマとの一致があったんだけど。
 それが、無い、ていうかあってもあまり気にならない。
 や、それは読み手としての私自身の心境の変化があるのかもしれないけれど、んー。
 なんだろ、この妙に晴れ晴れとした感触は。
 うん、作品として、今まさにリクオがどちらを選ぶかっていうところまで来てる、つまり詰めの段階に
 来てるんだけど、逆にそれなのにその選択自体の重要性が薄れた感じがして、んで、また逆に、
 今まではまだ選択の段階じゃ無かったのに、だからこそ選択の重要性が浮き出ていて。
 まぁ、そう今自分で書いてみると、割と当たり前な感じがするんだけど、こういう実感を漫画で読んで
 リアルタイムに実感したのって、たぶん初めてかもしれない。
 なんだろなぁ、それは選択する側のリクオじゃなくって、むしろ選択される側のしな子とハルの側から
 読んで、そう感じる。
 
 というかまぁ、つまりなぜかというと、これは単純な話で、選択しているのはこの作品の場合、
 リクオよりもしな子とハルの方であって、リクオのそれはあんまり大したこと無い、からなんだよね。
 ひとりのリクオを巡ってのしな子とハルのふたりの話だから、リクオの選択の話かと言うと、違くて、
 むしろ、しな子とハルが、自分がどうするか、どうしたいか、それを選び取っていく話、なのね。
 だからどんどんリクオが影薄くなってくっていうか、それと共にリクオがどっちを選ぶか、しな子とハルの
 どちらが「選ばれるか」っていう事もまた薄くなってくっていうか。
 そもそもリクオがしな子とハルのどちらを選ぶのかを、しな子とハルは決められない訳ですし、
 や、ふたりともそれぞれのやり方でリクオに迫っていた訳ですがw、まぁ逆に言えばね、
 もう「どちらを選ぶか」という事の責任はリクオに任せちゃって、しな子とハルの方はもう完全に、
 自分のことに向かっているっていうか。
 
 なんか
 リクオへの想いの中の、執着の部分が、綺麗にやわらいでいるのがみえて
 
 すごく、気持ちいい、それが。
 特にハル。 ハルちゃん。
 しな子はまだちょっとねぇ、リクオに任せてるっていうかリクオに頼ってる部分強いし、でも、
 しな子も以前に比べたら、なんていうか、リクオの気持ちがどうとか、そういう意味でのリクオのせいに
 するみたいなとこなくなってて。
 あと杏子さんもいいねぇ相変わらず、くまさんとの関係、っていうか、くまさんがあんまり出てこない
 御陰で、恋愛というひとつのスペックだけに囚われない、ひとりの女としてしっかりそれと向き合って
 どうしていくのかっていうのがあって、で、しな子とハルもどんどんそういうのに近づいていってて。
 あー、この大人な感じが、心地良い。
 基本的に男子諸君らを子供っぽく語り出してるけど、ハルちゃんにしろ杏子さんにしろ、
 その男子諸君の子供っぽさに阿って、好きな人への想いを相手に転嫁するとかしない、
 そういうなんていうのかな、自立っていうか自律があってすごくいい感じで。
 で、そこに、そういう相手に色々転嫁したり相手のせいにしたりして自分から逃げてるしな子、
 その存在がこの作品を傑作に押し上げてる最大の要因よね、ぶっちゃけ。
 ハルや杏子さん的タイプな女子諸君が、子供な男子諸君にあくまで「子供な」という幻想を押しつけて
 たんなる自己成長物語を展開していく話にもならず、また逆にそれこそリクオ万歳ハーレム万歳な
 展開に、ってまぁある意味そうだけどw、そういう話にならない、なり得ないのは、やっぱり、
 しな子と、そのしな子のしな子っぷり(?)を炙り出す浪君や同僚の先生、そして無論ハルの存在が、
 うん、かなり大きいよね。
 
 この作品は、「しな子」の成長物語、でもある。
 
 たとえば、なんていうのかなぁ。
 ハルはその、なんていうか、女子一般、っていうか。
 ハルの成長物語は、「女子」の成長物語、って感じがする。
 しな子は、しな子。
 しな子の成長物語は、しな子の成長物語。
 つまり、しな子はしな子の中に女子力が無いんよね、あるのはただしな子という「私」だけで、
 で、逆にハルは女子力満開で、満開過ぎてハルの「私」が見えにくくなってる。
 
 この作品は、ハルによる「ハル」の発見物語、でもある。
 
 女子諸君が、女子力に囚われ見えなくなっているものを、むしろその女子力を使って豪快に見つけ
 出す、或いは変な言い方だけど、女子力を以て女子力を吹っ飛ばす、みたいな感じ、
 それがたぶんこのイエスタデイをうたってという作品の、たぶんメインテーマのひとつだとおもうんですよね。
 ハルはまさにそういう子なんですよね。
 ハルちゃんが変に悟り開いて、女子力を捨てて「私」に至るってことは無い、というかそれやったら
 それはもうハルじゃないですし、だからハルはハルという「女の子」のまま、「私」をみつけてくれたらな、
 っていうのが、なんかこう、ハルちゃん見てると思うデスよ私は。
 この作品はハルちゃんがリクオと出会って、自分の「女の子」を発見したとこから始まってるんですもんね。
 まぁかくいう私は自分がここでなにを言いたかったのか見失ってるんですけどね。 (お粗末様です。)
 
 

 
 アコニー2巻・3巻:
 冬目! この冬目さん!
 くぅ、面白い、面白いよアコニー!
 これはあれだね、悔しさすら感じる面白さね。
 なにが面白いって、もうなんか自分で大笑いしながら自分の作品をぶっ壊してるところですよ。
 とにかくもう、組み上げてはぶっ壊して、ぶっ壊してはまた立てて。
 同じ組み上げ方を繰り返してるはずなのに、なぜか組み上がるたびに前のとは違ったものが
 出来てて。
 なんかアコニーは色々な意味でエンドレスな「繰り返し」が底流にあるんだけど、それがなんていうか、
 止まってるとか終わらないとかじゃなくて、ぐるぐるになって動き回ってるその躍動感をめちゃくちゃに
 発散させてて。
 シリアスとみせかけてコメディで、コメディと見せかけてほんの僅かなエスプリを嗅がせて誤魔化したり。
 たぶんこれね、シリアスとかコメディとかじゃ無い、のじゃ無い。(ややこしい)
 これねたぶん、シリアスとかコメディとか、そういう言葉でばばんと分類した上でいっしょくたにしちゃって
 良い作品なんだよね。
 シリアスでもコメディでも無い、のでは無く、シリアスでもありコメディでもある、でも無い。
 ただそのまんま。
 シリアスとコメディが、ごっちゃごちゃ。
 それぞれ見事に分離してて、分離してるのにしっかり手を繋ぎあっていて。
 融合はしてないんだけど、いつでも互いの領分を侵し合う気満々で。
 一触即発、鎧袖一触、間一髪!
 ・・自分でもなにが言いたかったのかはやくもわからなくなってきましたけど、うん、つまりね、
 冬目景的に、拘りがまったく無い作品だってことが言いたいんですよね。
 うん、シリアス一辺倒でテーマを突きつけなきゃとか、物語として完成させるために辻褄合わせを
 しなきゃとか、なんかそういうの、あほくさ、書きたいものなんも考えずにそのまんまぶちこめば、
 それが一番素材の旨味を出せるんじゃい!、という本気なんだかただ考えるのが面倒なだけの
 言い訳なのかわかんないくらい、それも含めてのそのまんまさがね。
 
 なんていうか、冬目景の底力を知らしめてくれる。
 
 いいんですよ、テーマとか辻褄とか。
 どうだって。
 ていうか、趣味のままに好き放題書いた、っていう訳でも無いんだよね、アコニーは。
 そのまんま。
 頭の中にあるものをそのままどちゃっと出してる。
 でもね、たぶん頭の中にあるものって、実は頭の中にある時点で、それはなんらかの形の
 「繋がり方」をしてて。
 それは冬目景が今まで培ってきた物語の組み立て方や、テーマの突き詰め方に依らない、
 もっと根源的なものだとおもうのね。
 敢えて言えば、それは言葉にならないモノ。
 はっきり言って、このアコニーという作品は、冬目景によるいかなる「説明」もあるいは「表現」
 すらも無い。
 これも言ってしまえば、冬目景の捉えている、漫画家としての世界観を彩るあらゆる「素材」を、
 そのまま出してきた、って感じ。
 だからこの作品に、たとえばイエスタとか羊のキャラが出てきても、なんの違和感も無い。
 シリアス一辺倒でにこりともしない羊の千砂が、アコニーのあの面々に囲まれて、コメディに巻き込まれ
 ていく話があっても、私は全然違和感を感じない。
 というかむしろ、物凄くしっくりくる。
 というか、それって冬目景の世界に於いての「現実」なんだよね。
 うん、だからあの作品の主人公というかヒロイン?、のアコニーのシリアスさが、あんなにコメディに
 囲まれて自身もツッコミ入れたりボケたりしてコメディの主体のひとつになったりするのが、
 とてもとても自然に思えるのね。
 アコニーに笑って欲しいんじゃあ無い。
 アコニーだって笑うんだよ。
 当たり前。
 アコニー以外の他のキャラがいきなりシリアスをやり出しても、やっぱりそれもコメディと同じだって、
 そいつだってシリアス面あんだよ、っていう感じで、普通に繋がっていく。
 そしてね。
 この作品のもっとすごいとこは。
 
 妖怪だって普通にいるし、アパートだってなんか知んないけど生きてんだよ。
 
 妖怪がいてアパートが生きてて、それがコメディがあることとシリアスがあることと同じレベルで存在
 してる。
 コメディであることとシリアスであることに、作品内で説明がいらないのと同じで、
 妖怪がいてアパートが生きてることにもやっぱり説明がいらない。
 いるんだから生きてるんだから、そうなんでしょ。
 なんでもあり、っていうか、あったもの起きたもの、そこからすべてがどんどん始まっていく。
 だからあの生きてるアパートに起きる数々の不思議な出来事が、なんだかとっても活き活きしてる。
 そういう出来事それ自体が、なんていうか、キャラと同格って感じがすんのよね。
 アパートが生きてるって時点で、アパートもキャラ化してるわけで。
 それがね、さっき言った冬目景の漫画家としての世界観を彩るあらゆる「素材」をそのまま出して
 きたってことなのよ。
 冬目景の頭の中では、キャラだろうがアパートだろうが出来事だろうが、そういうのはすべて、
 ひとつひとつの「ネタ」として同格なんよね。
 うん、だからなんていうか、テーマというか、あ、こういうこと書きたい、こういうことを語りたいために
 作品を作っていこう、っていうのが必要無いっていうかさ、というかぶっちゃけ冬目さん的には
 途中でどうでもよくなってきたって感も否めませんけど、否めないよなこれw
 だって1巻までは羊を思わせるテーマが確かにあって、あ、これ突き詰めてったら面白いかも、
 ハツカネズミとは違った解答を羊に突きつけてくれるかもしれない、とか私的にうきうきしてたもん。
 それが、これてw
 
 大爆笑。
 
 これがね、アコニーとしての羊への解答であるのは、確かでもある。
 どうだっていいのよ、シリアスなんて。
 ていうか、シリアスなんて、物語を彩るうちのもののひとつでしかないじゃん。
 辛いことが一杯あるなら、それと同じくらい楽しいこともあんのよ。
 辛いことしか感じられないってんだったら、そりゃあんたが辛いことしか考えようとしないからよ。
 それで出してきたのが、アコニー。
 そう、シリアスなんて、人生のステージのひとつだけ。
 イベントのひとつだっつーの。
 真面目に語ることもあれば必死になることもある。
 でもそれは、大笑いして転げ回ることと、同じっしょ。
 それらはみんな、人生という物語を構成する、ひとつひとつの「ネタ」として等価。
 はー。
 さっぱり。
 そういう「整理」をね、なんかアコニーっていう作品がぱぱっと、てきぱきとやっちゃった感じ。
 なんていうか、頭の中のものをそのままどちゃっと出したのに、なんだかそれが綺麗に勝手に
 並んで片付いちゃった、みたいな。
 なにか見えない力が、アコニーという道具を使って、なにかをあっさり捌いてしまった、みたいな。
 うああ。
 これ、あとからくる。
 読後感よりずっとあと、読み終わって一、二週間くらい経った今くらいにめっちゃくる。
 やばい。
 これ愛じゃ無い。
 愛じゃないんだけど、なんだろこれ。
 これなんだろ。
 萌え?
 違うなぁ、なんだろう、続編が読みたいっちゃ読みたいんだけど、あんまり執着無いっつーか。
 終わり方もとってつけたような終わり方で、いくらでも続けられるんだけど。
 あれで終わった、というなんか明確な終了の感慨がきた感じでも無いんだけど。
 
 よし。
 終わりっと♪
 
 って、ぽんと、なんだかひとつ、大きくのびが出来る感じ。
 ひと区切り。
 うん。
 なんかね、あのラストを読み終えたときね、私さ、冬目景が筆を置く音が聞こえた気がしたもの。
 ああ、なんかこれ、すっごい楽しかっただろうなぁ冬目さん、ほんとに筆を置く瞬間が堪らなかった
 だろなぁ。
 書き終えた、って感じじゃあないんだよね、やり遂げたとか成し遂げたとか、そういう感じでも無い。
 なんていうか。
 イタズラの仕込みが終わって、さぁどうなる、って感じでウキウキした感じで筆置いただろね。
 そしてたぶん、冬目さん自身は、そのイタズラの成果を見ること無く。
 次に、行く。
 いそいそと、もぞもぞと、行く。
 たのしいだろなぁ。
 すっきりしただろなぁ。
 たまらない。
 たまらないよ、この感じ。
 
 この、次に行く感じが、私にはたまんない☆
 
 やっべ、これアコニーやばいわ、好きだこれ。
 羊の次くらいには好きだわこれ、ハツカネズミもいいけど、アコニーの方が私は好きだこれ。
 うん。
 さよなら、アコニー。
 またね。
 って、最終巻の3巻の帯に書いてあるんだもん。
 わざわざ私がそう言う必要、無いよね。
 また会えても。
 会えなくても。
 私は楽しく、次にいく。
 
 
 
 
 
 
 
 
 よし。
 終わりっと。        ←と机に突っ伏してノビてる人
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

-- 101202--                    

 

         

                                     ■■ - ai - ■■

     
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
    『 それでも俺は、ねえちゃんを殺したくはなかったよ。 』
 
 
 
 『親父にも・・・ねえちゃんは親父にも殺して欲しいと思ってたのかな』
 
 『本人が言っていた通りだ。
  殺されてもいい、だよ。
  許容と希望は違うものだ。
 
  しかし、そなたが父を愛していたように、七実も父を愛していたのだろう。』
 
 
 
 
     『 それでも、俺は・・・・・・・』
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 桜が白く淀んで陽を暖かく包んでいる。
 木肌を照らすそのぬくもりが、遠く、潮騒を孕んでいく。
 風だけがただ、さらさらと、桜を散らす。
 一枚、二枚、優雅に、淫らに、血を吐くように。
 薄く垂れ込めた細雲が、その桜の屍体を覆い隠す。
 腐る 腐る
 桜が腐る
 散らねばいいのに
 咲いたままならば、しがみついたままならば、無残な姿にならずとも済んだのに。
 でも囁く
 風が びょうと ささやく
 桜は消える
 降り積もり、腐れども、やがてそれは土に還り、綺麗にその存在を無くす。
 それはあまりにも鮮やかで、そして麗しい死の情景だった。
 散り際の桜が、必死に、必死に枝先にしがみつくその生き様を、美しいと思う。
 けれど、そうして力尽き散り落ちた、その生の執着の成れの果てを。
 ただただ、醜いと思う。
 腐らなければ、いいのに。
 ただ散らずにしがみつけばいいのに。
 散ったら、終わり、あとはただ、腐るだけだから。
 無様に生きる姿を美しいと思いながら、そのまま無様に死ぬことは醜いと思う。
 どうしてかしら。
 無様に美しく生きて、無様に美しく死にたいと思っているのに。
 どうしても、目の前に堆く降り積もる、その醜い桜の屍体の山は、消えていかない。
 だから、無様では無く、潔く生きて、潔く死ねば、綺麗に死ねるのかもしれない。
 綺麗に死ねるのならば、無様に生きるのは、諦めてもいいのかもしれない。
 嗚呼
 どうして死ななければならないのだろう
 まだ生きてないのに
 まだ生きたいのに
 ただ生きたいのに
 この生き損ない。
 母が遺した唯一の言葉。
 
 そんなこと、わかっているわ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 夢儚く萌える花。
 望み破れ佇む海。
 
 島。
 島という境界に意味は無い。
 自由。
 いつだって、どこへだって、行こうと思えば行ける。
 けれど行かなかったのは、いいえ、行けなかったのはどうしてでしょう。
 不思議な話だわ。
 なにかがずっと、引き留めていた。
 不思議な話?
 いいえ、摩訶不思議な話なのかしら。
 それほど、わかりたくはない話だった、というには、あまりにもなにもわからなかったのよ。
 わかりたくない、というよりは、わからなくてもいい、という、そういう事だったのかもしれないわ。
 弱い。
 それとも、強いのかしらね。
 沢山のひと達が、沢山の技という刀を作り上げ、鍛錬して。
 それを取り入れることで、本来の強さにぬくもりという膜を張る。
 変な話よね、どうして弱くなりたかったのかしら。
 いいえ、死にたくなかったのよね。
 本当は、強い。
 破格に強い。
 だけど、その強さを生かすには、いいえ、その強さを生きるにはあまりに弱すぎて。
 だから、その強さを押さえ隠すための術を、それこそ必死になって叩き込んで。
 秘技、見稽古。
 どんな技でも一度見れば覚えることが出来る、二回見ればもう完璧。
 でも、それが強さの秘訣でも無ければ、それが強さそのものでも無い。
 ただただ、そうして、一度見ただけで強さの代わりになるものを手に入れなければ。
 死ぬ。
 世の中には、あらゆる強さの代わりになるものがあったわ。
 それをひとつひとつものにしていくことで、なんとか、この恐ろしい強さを、覆い隠すことが出来た。
 まるで、皮膚を内側から食い破ろうとする強大な力を押さえるために、多く重ね着するかのように。
 そして、その重ね着して溜め込んだものそのものの重さが、皮膚を外から食い破ろうとする。
 その力と重みの均衡を図るところに、この無様な生があった。
 本当に、その僅かな、細い線の上をしとしとと歩いて生きていた。
 
 しとしと
 
 雨が降るように
 
 
 あれ?
 
 
 なにか、忘れているような
 
 忘れたかったような
 
 
 ああ
 
 思い出した。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ◆
 
 私
 
 私 私
 
 
 私、私、私、私、私、私、私、私、私、私、私、私、私、私、
 私。私。私。私。私。私。私。私。私。私。私。私。私。私。私。私。私。私。私。私。私。
 
 私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私
 私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私
 私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私私 私
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ああ、私か。
 私ですか。
 そうですね、そうですよね、主語を忘れていました。
 私、なのですよね。
 これは私のこと、というより、私、なのですよ。
 忘れていました。
 いいえ。
 忘れていたかったのかしら。
 ああ、私は刀なのですよ、とがめさん。
 いいえ、私は刀なのですよ、と私が言いたいのですよ。
 どうして私が、私は刀なのだと言いたいのか、わかります?
 それは、私が私であるという事を、私が、認識したくなかったからなのです。
 私にとって、私が刀であることと、私が人間であることは、同じことです。
 ただ、私が私であることだけが、違う。
 私が虚刀流であることも、私が女であることも、私が化け物であることも、私がひとごろしであることも。
 それは、私が刀であることと、私が人間であることと同じで、私が私であることとは、違う。
 ぶっちゃけ、私にとっては、刀も人間も同じもの。
 ですから、虚刀流という刀である私が、悪刀鐚という刀を使うということは、おかしな話なのです。
 そして、おかしな事になるのです。
 私は、私でしかないのに。
 なのに、私は私であることが、恐ろしい。
 だから、私は、私は刀であると言い張り、そして、刀集めの旅に出たのです。
 もっともっと、私を刀で埋めてみたい。
 もっと、私を隠したい。
 私が、私として刀を使うのなら、なんの問題も無かったのです。
 けれど、私が、私を刀として刀を使うのなら、問題大ありなのです。
 虚刀流というのは、実に逆説的なものですが、刀を使わない流派では無く、刀を使えない流派。
 それは、なによりも虚刀流を、「私」にする、そういうものなのでしょう。
 刀を使わないのでは無く、刀を使えない。
 つまり、己自身を刀になぞらえて、だから刀が刀を使う道理は無い、つまり刀を「使わない」という
 意識で自らに檻を張りながら、やがて敢えて刀を使おうとしてみても、絶対に刀を「使えない」、
 いえ、どんなに頑張っても、その刀で私が私であるという事を隠すことは出来無い、という絶対的
 事実を認識するに至ること。
 私が私であることを、隠そうとしない、のでは無く。
 私が私であることを、隠すことが出来無い。
 それが、虚刀流。
 私が私であるという、何者にも頼ることの出来無い、酷烈な生を歩む道。
 
 私というものは、とてつもなく、強い。
 恐ろしいほどに、強い。
 酷薄なほどに、恐ろしい。
 けれどそれと向き合い、そのまま生きることが出来れば、それはなによりも最強ということ。
 けれど。
 けれどとがめさん。
 泣き言を言わせて貰いたいのですけれど。
 いいえ。
 あなたにだけは、言わなければならないのですが。
 私は、私の私は、破格に強かった。
 七花のそれより、とうさんのそれより、他の誰のそれよりも、おそらく強かったのよ。
 どうしようもなかった。
 私はその私を殺したかった。
 殺して欲しかった。
 私の体はその私の願いに全力で応えて、私を殺そうと、億ともしれぬ病魔を私の体に引き込んだ。
 でも駄目だった。
 私は死ななかった。
 私の私は、圧倒的な力で、病をねじ伏せた。
 むしろ、病魔を調伏することで、ますます強くなっていったわ。
 とうさんが・・
 
 とうさんが  そんな私を殺そうとしてくれた事があったわ
 
 
 とうさん
 大好きだったとうさん
 なのに、虚刀流は教えてくれなかった。
 残酷なひと
 虚刀流を教えてくれれば、私は、私では無く、虚刀流として生きられたのに。
 もし仮に私が女当主として認められれば、私はその自覚で以て、私を押さえ込むことが出来たのに。
 残酷なひと
 残酷なのは わたし
 わかっていたわ
 とうさんが、私を愛していてくれたって。
 とうさんは、とうさん自身の私と向き合い強くなる、その虚刀流の六代目当主として、私に嫉妬した。
 私の、私という力に、嫉妬した。
 でも同時に、とうさんは私を愛していたわ。
 とうさんが私に虚刀流を教えなかったのは。
 私が虚刀流を完全に一本の刀として使ってしまうと思ったから。
 私が私というものと向き合わずに、それを隠すために虚刀流という刀を使うのが目に見えていたから。
 げんに私は、虚刀流以外の技を、まさにそのようにして使いこなしていた。
 虚刀流としては、初めから失格だったのよ。
 そしてとうさんは・・・・
 とうさんは・・・
 私に
 私と 向き合って欲しかったのよ
 私に
 私を 生きて欲しかったのよ
 でも、とうさんには、私にそうさせる事が出来なかった。
 とうさんは言っていたわ。
 おまえを育てることは、私には出来無い、と。
 そりゃあそうよね、まず第一に、私は私を隠す稀代の天才で、その才にしがみつく力が強大で。
 そして勿論、私の私自体の力も圧倒的で。
 とうさんには、私にその私自体の力を御させることも、そして私に私と向き直らせることも出来無かった。
 いいえ。
 それは誰にも、出来無いこと。
 だから殺して
 せめて殺して
 百も千も或いは万を越えるほどの刀を、私は持っている。
 出会ったありとあらゆる流派の技のみならず、虚刀流の技もいざしらず。
 私が刀であることも、私が人間であることも。
 私が女であることも、私が化け物であることも、私がひとごろしであることも。
 私は山のように沢山背負って持っている。
 それが私の才能。
 そして私の悲しみ。
 それほどまでにして、私は私を押さえ込みたかったのよ。
 そうした色々なものを、沢山のものを、背負い、そしてそれで以て、私を隠そうとした。
 私は、私が私であることに耐えられなかった。
 私が私であることが、怖くて堪らなかった。
 だから、私の体は、私を殺してくれようとした。
 気付いたら・・・
 私が私を生きようとすると、私は私を殺そうとするようになっていたわ。
 そう自動的に。
 本当は。
 たぶん。
 そう、きっと。
 とがめさん。
 あなたならきっと。
 わかると思う。
 いいえ。
 わかりたくないはずと思うわ。
 
 
   私の 私に  力なんて 無いのよ
 
   あるのはただ 勝手に私に怯えている 私だけ
 
 
   そして  その怯えが引き込んだ  私を駆り立て殺そうとする重みがあるだけ
 
 
 
 気付けば私は、こんなにも重ね着をして、その重みで身動きが取れなくなっている。
 いいえ、それどころか、その重みそのもので、息も絶え絶えになっている。
 その重みは、私の皮膚を内側から食い破ろうとする力を押さえ込むために作ったもの。
 けれど、その皮膚の内側の力は、幻。
 そんな力は、どこにも無いのよ。
 だから、私はただ、本当はただ、死にたかっただけ。
 もしかしたら、とがめさん。
 私は、いいえ、あなたも。
 本当は、刀をこそ、恐れていたのかもしれませんね。
 私達はただ・・・・
 そう・・・
 刀として、でも無く。
 人として、でも無く。
 無論、女らしくでも、遵法者や良識人、その他あらゆるそういった要請的なものでも無く。
 
 
  ただ、私として、生きたかったのですよ
 
 
 
 考えてみれば、おかしな話です。
 私が無様に刀として人間として生きようとしがみついてきたのは。
 刀として人間として生きたかったからでは無く、私としてただ生きたかったがゆえなのです。
 刀として人間としてしっかりと生きれば、私が私として生きることが許されるんじゃないか、って。
 一体、誰にその許しを求めていたのでしょうね。
 一体、なにを恐れていたのでしょうね。
 私が見取り稽古を重ねてあらゆる技を手にして強くなったのは、それほどまでにして、
 その技の側のなにか、つまり刀の世界に殺されたくなかったからなのでしょう。
 私にとって、世界とは、生まれたときからずっと、そういうものだったのでしょう。
 ぶっちゃけ、とがめさん。
 私には、私というものが無いのです。
 だから、ことさらに強大な力としての私という幻を作り上げたのです。
 私は、私が欲しかったのですね、きっと。
 だから、それこそ子供のようにずっと、私がいる、怖い私がそこにいるよ、誰か助けて、と。
 そう言って、周囲の人達に、無いはずのその私というものに注目を集めて存在させたかったのでしょう。
 私は、私を見つけられなかったのです。
 いえ・・
 もしかしたら・・この私の言い草すらも、本当は存在している私の強大な強さを隠蔽するためのものかも
 わかりたくない。
 わからなくてもいい。
 
 ほんとうは わかって欲しいくせに
 
 誰に?
 そう・・・私には、その誰かがいなかったのかもしれませんね
 だから、自分で認めるしかなくなって・・・
 とがめさん・・あなたは私によく似ています
 だから、わかるのですよ。
 あなたが、自分で自分をことさら強調し、自分で自分を認めることに全力を尽くすのは。
 それが、誰にも自分を認めて貰えなくてもいい、という許容から発せられているものだということが。
 そうするしか、無かったのですよね。
 強がりという刀に鞭打って鍛え上げて、一本の鋭く、けれど脆い刀にすがるしか無かったのですよね。
 かわいそうに。
 ええ、泣き言ですよ、私のこれは全部泣き言。
 でも私は、泣き言を言っても始まりませんから、という台詞を棒読みでずっと、七花に言ってきました。
 泣き言を言っても始まらない。
 でももし泣き言を聞いて貰えるのなら。
 聞いて欲しい。
 言いたい。
 そして私は、その泣き言を今まで誰にも、聞いて貰えませんでした。
 なぜなら、私がただの一度も言わなかったから。
 聞いて貰えなくてもいい。
 言わなくてもいい。
 それで、済ませていたから。
 そういう刀に、身を投じたから。
 私自身の中に、泣き言が存在することは、絶対に消えないのに。
 消えろ 消えなさい
 綺麗に 桜のように、綺麗に消えなさい
 でも、消えなかった。
 醜く腐ったまま、その泣き言は、私の中に、私に否定されたまま存在し続けた。
 
 かわいそうに
 
 
 
 
 
 
 
 
 ◆ ◆
 
 悪刀、鐚。
 これは、刀。
 あらゆる刀が凝縮されたもの。
 この刀を体の中央に差し込むと、体が活性化し、病を強制的に癒すことが出来る。
 、というのは、間違い。
 全然、違うわ。
 この刀は、全く逆に、刀をすべて、あらゆる刀の値打ちを強制的に否定するもの。
 それこそ、あらゆる刀を手にするのに、鐚一文も払うつもりは無い、という食い逃げ根性の賜物。
 ふふ、この刀に出会ったのが、私の運の尽き。
 いいえ。
 運が憑いたのかもしれないわね。
 この刀はね、七花。
 体に刺すことによって、あらゆる刀なるものに囚われない、私の私を沈静化させる作用があるの。
 逆に言えば、あらゆる刀に私を囚われさせてくれるもの。
 私の皮膚を内側から食い破ろうとする私の力を沈静化させてくれるということは、つまり。
 私の皮膚を外側から食い破ろうとする刀の力を使い放題にさせてくれる。
 体が面白いように動くわ。
 こんなの生まれて初めてよ。
 初体験。
 こんなに私の目で得てきた技が使いたい放題だなんて、ちょっと興奮するわ。
 そして、私が今まで沢山の人達からかすめ取ってきた技を、それは認めてくれる。
 なにしろそれは、そもそも鐚一文払わなくても手に入れて良いものだと認めてくれたのだから。
 なんでしたっけ?
 俺のものは俺のもの、おまえのものも俺のもの、でしたっけ?
 まさに、悪刀よね。
 清々しいわ。
 でも。
 ということは。
 つまり。
 
 私はそれだけ
 今まで
 他人の技をかすめ取ってきたことに、引け目を感じていたってことなのよね。
 
 そして
 そうして 自分を刀で徹底的に埋め尽くすことが可能になり、私がそうした、ということは
 埋め尽くすべき対象が、確かにこの私の中心に存在しているということを、証すのよ。
 
 
 悪刀鐚は、強制的に己を一本の刀として完成させるのが主眼では無く。
 強制的に私に私の存在をまざまざと見せつけることにその主眼があった。
 
 
 沈静させようとすればするほど、そこに自分の体に刀を突き刺してまで隠したかったものがあることを示す。
 全くの逆効果にして、それが効果。
 そしてまさに、私が手にするべき刀だったわ。
 私はなんの躊躇いも無く、私の胸に悪刀を突き刺した。
 そう、あっさりと。
 なんの衒いもなく。
 なんの恐れもなく。
 ただそのまま。
 そこまでする価値が、確かにあったのよね。
 その刀を指して鐚とは、まったく皮肉なものよ。
 鐚とはそもそも、粗悪な貨幣の事。
 だから、その粗悪な貨幣ですら払うに値しない、という意味であると同時に。
 その粗悪な貨幣を良貨と言い張ってまでも払う価値のあるもの、という意味でもある。
 私はそう。
 ずっと偽金を握り締めて、私の上に偽物の私を作り上げ、固めてきた。
 私は刀。
 一本の刀。
 誰に恥じることも無い、一本の刀。
 それが私の誇り。
 拙く脆い誇り。
 刀である私が刀を手にしたとき、私は終わった。
 悪刀を手にしたとき、私は、私自身が真実、刀になれた気がした。
 私は刀。
 私こそ、刀。
 でも、私が刀を手にしながら、私が刀になると真実思えてしまったのなら。
 もう、私の手にする、背負うことの出来る刀は無くなってしまう。
 ほら、私の求めた刀は、私を覆い隠すべき刀は、私の胸に深々と。
 私を隠すべき刀を失った、あくまで私は刀だと泣き叫ぶ、その私の姿を顕わにする。
 その私からは逃げられない。
 その私は怖ろしいほどに強く、そして、恐ろしいほどに、私はその私に耐えられない。
 怖い、嫌、やめて。
 
 私は刀になどなりたくなかったのです。
 ただ刀であると言うしか無かったのです。
 そしてそもそも、私が刀になることなど出来はしないのです。
 刀こそ、幻想。
 幻としての刀を振り翳し、私は刀だと名乗り、その名で以て己を隠す。
 刀は幻。
 ゆえに、実物の刀を持ってしまえば、その時点で、終わりなのです。
 私は、私。
 他の誰もが、刀になどなれない。
 人間も同じ。
 人間など、幻。
 ゆえに、自分が人間らしく生きているなど人間らしく死ねるなどと、そう思った時点で、終わり。
 私は、私。
 私は私らしく生き、私らしく死んでいく。
 他の誰もが、自分自身から逃れられない。
 なのに、どうしてかしら。
 私はずっと、逃げ続けていた。
 刀になろうと、人間になろうと、ただずっと。
 静かに、穏やかに、足掻いていました。
 私の夢は、刀に、人間になること。
 そう
 
 
   私が
 
 
 
 
 
 その夢を叶える前に
 
 
 
 
    だれかわたしをころして
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ◆ ◆ ◆
 
 少し微睡む。
 目の前が、鮮やかに歪む。
 律動が木霊する。
 まだ生きている。
 闇が降りる。
 部屋の隅に灯る紅が、黒をごそりと産み出していく。
 正しいのかしら。
 それとも間違っているのかしら。
 殺すのかしら。
 それとも死ぬのかしら。
 私にはわからない。
 いいえ。
 どちらでも合っているようにしか、私には思えない。
 いくらでも、頭は回る。
 いくらでも、矛盾しようとも、実感が持てる。
 けれどそれらはすべて、紛いもの。
 すべて私が、何も無い私に成り代わって、かすめ取ってきた幻。
 私はなにが良くてなにが悪いのか以前に。
 そもそも良いということと悪いということそのものが、わからない。
 いいえ。
 どうでもよかったのかもしれないわ。
 七花。
 あなたはあなたの姉のことをどう思っているのかしら。
 私は、虚刀流では無いわ。
 虚刀流の技を盗み見て、勝手に使っているだけにしか過ぎない。
 私はそう自覚している。
 でも。
 私はそれでも、鑢家家長としてより、虚刀流当主になり損ねたという意識が深いわ。
 そう、あなたが思っている以上に、それは根が深く、そして腐っている。
 私はいつのまにか、私の自覚を越えて、虚刀流になっている。
 虚刀流に、見事になっている。
 なのに。
 なり損ない。
 こんなに虚刀の技を使えるのに、七花よりもずっと強いのに。
 どうして、と問う必要は無い。
 それこそすべて、わかっている。
 
 だって私は、七花に殺して欲しいのだから。
 
 私は死にたいの。
 だからね、七花。
 私はべつに、自分が未練たらしく虚刀流に拘っている訳でも。
 弱いくせに当主に収まっている弟に嫉妬している訳でも無い。
 いいえ、拘っているのよ、嫉妬しているのよ。
 でもね、そうして拘っている嫉妬している自分が嫌で、死にたいと思っている訳じゃ無い。
 逆。
 死にたいと思っているから。
 私は
 虚刀流に深く拘っている。
 弟に凄まじく嫉妬している。
 いいえ。
 憎んでいるのね。
 
 
 
  
       拘って   嫉妬して
 
                 憎んで
 
 
 
 
 
 

そうして

 
 
 
 
 

生きたかったのよ

 
 
 
 
 
 
 
 拘らなかったら
 嫉妬しなかったら
 憎まなかったら
 私は
 死んでいく私を止められない
 だから私を殺して頂戴
 私はまだ生きているわ
 拘る私を嫉妬する私を憎む私を殺して頂戴
 私を私を私を殺して頂戴
 殺して
 拘らなくても
 嫉妬しなくても
 憎まなくても
 
  生きられるように
 
 やっと死ねる
 刀も虚刀流も人間も女もひとごろしも
 もう必要無い
 拘りも嫉妬も憎しみも
 もう
 
 
 私の胸から悪刀をもいでくれた弟。
 私を殺してくれる弟
 それでも私は動いている。
 私が 私になった 日
 刀から解放された日。
 私が逃げ場を失った日。
 あーあ、ずっと今まで頑張ってきたのに。
 私からみんな、零れ落ちてしまったわ。
 悲しいのかしら? 悔しいのかしら。
 いいえ。
 
  嬉 し い の ね
 
 
 それは恐ろしいほどに静寂に満ちた、歓喜。
 ぞくぞくするわ。
 そしてこの厳か過ぎる快感が閉じたとき、私は死ぬ。
 刀でも無い、虚刀流でも無い、人間でも無い。
 女でも無い、ひとごろしでも無い。
 紛れもない、私という私。
 もう、全力を出すしかないのね。
 いいえ、やっと全力を出せるのね。
 ああ、嫌ね、やっと私になれたのに。
 死ななきゃいけないなんて。
 死にたくなかったから、私は私を隠してきたのに。
 少しでも長生きするために。
 でも・・・
 違ったわ・・・・・
 今際の際に・・・・やっと・・・わかった・・・・
 私は・・・ずっと・・・私を恐れて・・・・私から逃げて・・・
 だから・・・私は私を生きることをせずに・・・・ずっと・・・・
 そりゃあそうよね・・・ただの一度も私を生きなかったのなら・・・
 その私が脆いのは・・・・当然なのよ・・・・
 そう・・・・私が私を生きたら・・私は死んでしまうんじゃない・・・・
 私が・・・私を生きなかったから・・・私は死んでしまうのよ・・・
 隠して・・・逃げて・・・だから・・・
 そういう・・こと・・・・・・なのね・・・
 自業自得・・・
 でも・・・
 そうか・・・
 
 
 
 
 
 
 

『なぁんだ、とうさん。

 

私も虚刀流なんじゃない。』

 
 
 
 
 
 そう・・・だったのね・・・
 刀が刀を使おうとすれば、嫌でも己の私と向き合わざるを得なくなる。
 そして、私は私だという悟りに至る。
 それが、虚刀流。
 ほんとうに、馬鹿よね、私。
 私こそ、虚刀流らしい虚刀流の使い手だったのよ。
 少し、ほっとしたわ。
 とうさん・・ごめんね
 でも私・・・
 それでも・・・・
 
 
   生きたかったのよ
 
 
 
 
 私が本当に嫌だったのは。
 私が、最も虚刀流らしい虚刀流だということだったのよ。
 己がすべてを投じて、一本の私という刀になる。
 つまり、己の生を死するそのときまでそれに投じ、死を以て完成に至る。
 最も虚刀流らしく、そして、虚刀流でしか無い女。
 ああ・・
 嫌ね・・・
 七花・・・・
 あなたなら・・・
 私を・・・そんな私を・・・
 殺さずに、殺してくれる・・・なんて・・・・
 そんなことを、きっと私は・・・・
 でも私は
 殺して貰うしかない
 そして七花は・・・
 よくぞ・・
 よくぞ・・・
 
 
 
 
 
  『よくも私を殺してくれたわね。』
 
 
 
 ああ、本音を言っちゃった。
 いいえ、建前を言ってしまったのかしらね。
 どちらも同じ。
 ありがとう。
 許さないわ。
 嬉しい。
 怨んでやる。
 ほら。
 こんなに
 私があるじゃない
 なぁんだ
 ほんとに、なんにもいらなかったんだ
 なにもなくても
 私はずっと昔に
 そのままを
 知っていた
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ・ ・ ・
 
 
 
 
         『  七花   
 
 
                         私の    
 
 
 
                                       弟     』
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ◆ ◆ ◆ ◆
 
 
 消えた桜が育てた青葉の下。
 優しく 鮮やかに 
 暮れていく
 寝顔と 笑顔が ひとつずつ
 
 ただ
 ただ
 
   
 
 
   愛が
          揺れていた
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

◆ 『』内文章、アニメ刀語 第七話 悪刀・鐚」より引用 ◆

 

 
 
 
 
 
 
 

 

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