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◆◆◆ -- 2011年1月のお話 -- ◆◆◆

 

-- 110125--                    

 

         

                              ■■ アニメ、でゲソ♪ 4 ■■

     
 
 
 
 
 冬晴れが心地良く続いている今日この頃、皆様如何お過ごしでしょうか?
 
 さて、今日は前回の続きで、前期アニメのまとめ感想を完結そして完了させて頂こうと思います。
 それと、今期アニメの視聴リストも決定しようと思いますので、どうぞよろしくお願いします。
 では、早速前期アニメ感想から。
 ラストを飾るのは、「海月姫」「屍鬼」の二作品です。
 
 
 
 
 
 
 
 海月姫:
 自分の持っている価値観がスタンダードだっていう認識は、一体いつから始まるのだろう。
 そして同時に、自分の持っている価値観がスタンダードから外れている、っていう認識もまた、
 一体いつ生まれるのだろう。
 ぶっちゃけ、どうしてオタクは自分の価値観に基づく趣味を貶めるんだろう。
 スタンダードじゃないから?
 それとも全然それとは関係無く。
 自分の想いの最も深いところにある感情や感性を、そのまま剥き出しで出すことしか知らなくて、
 それが、恥ずかしいから?
 なんだかオタクって、自分の趣味を密やかに楽しむ傾向があるけれど、じゃあこれまた全く逆に、
 オタクがスタンダードと捉えている、言い換えればリア充の趣味とか価値観とかを、一体どう捉えて
 いるのだろう。
 自分を全部出さなくても、ちょちょいっとカッコ良くオサレなものが作れるとか出来るとか、そんな風に
 捉えているのかな?
 うーん。
 本気出すのカッコ悪い、そういう認識で、スタンダードが出来てるとか思ってたりする?
 うーん。
 
 私は、ちょっとしたなぁ、それ。
 
 オタクはどうしても本気出しちゃう。
 自分の好きなものだったら全力以上に魂抜けるくらいに頑張っちゃう。
 それこそ本能欲望剥き出しでがむしゃらで、なりふりなんぞ構わない以前になりふりという概念を
 見失うレベル。
 うん、もしかしたらリア充だって全力出してるけど、それのなりふりを構ってオサレにまとめる事が出来る、
 そこに痺れる憧れるだから私はあなた達とは違うんですほっといて頂戴、ってこと?
 でもさ。
 リア充が、ってこの言葉も変な言葉だけど、それしか見当たらないのでそれを使うけどさ、
 リア充とオタクの違いって、それって自分の全力な欲望とか本能とかを、綺麗に装えるか装えないか、
 ってところには全然無くて、ただ単に、自分の全力な欲望とか本能に自信を持てるかどうか、
 ってことだけだと思う。
 その自信っていうのは、自分の全力なそれらが、スタンダードに一致してるかどうかとか、それとの
 距離の測り方から生まれるものじゃー無い。
 自信に根拠は無し、というかその溢れるばかりの自信こそが、ほんとの意味でリア充の根源。
 だから、蔵之介が、今まで自分が属していたスタンダードの中で、それに一致してるかとかその中での
 位置関係に拘っているだけの周囲の人間に嫌気がさすのは、これは当然だと思う。
 蔵之介は自分の本能や欲望に忠実で、そしてそれに自信を持ってるから、だからそういうのは
 ただアホくさ思うだけだろし、だから彼は普通に自分のやりたいままに女装キメてたりするし、
 だからなんていうのかな、その彼が天水館のオタク達を扇動するのは、これまたなんかわかる。
 
 だって、蔵之介の周囲の人間より、オタク達の方が自分の本能や欲望に忠実なんだもん。
 だからそれに自信持てって、そう言いたくなるのはすごくわかる。
 
 逆に言えば、そのオタク達の持っている本能や欲望を綺麗にまとめるくらいなんだ、
 そんなの簡単な事だろ、大事なのはおまえらが持ってる本能や欲望それ自体だろ、いうことで。
 というか、さらに言えば、そういう奴らこそスタンダードになれよ、スタンダードを塗り替えようぜ、みたいな、
 あー。
 それは、いいわ。
 まぁ、個人的には、もっとオタク的にはっちゃけたデザインとかで言ってもいいかな思いましたけど。
 あれだと、オタクの要素を摘んでるだけという感じがしたしね。
 オタクの価値観そのものを主体にして、それを活かすデザインにした方がいいというか、わかりやすく
 言えばもっとオタクよりにしたほーがいいかな。
 ノイタミナなら、それくらいいっていいと思うな。
 ノイタミナって、ドラマみたいなアニメを目指すってるけど、ドラマという媒体を上手く使って、
 アニメの文化をスタンダードに浸透させるのを狙ってるとこがあって、うん、だからもうちょっと冒険しても
 いいかなって思う。
 うん、私のリアルの非ヲタ友人の何人か、この作品観てるんよね、結構面白かったって言ってたよ。
 まぁ。
 この作品には、アニヲタが出てないのが致命的なのは否めませんがww
 
 
 
 
 屍鬼:
 私は若御院派か尾崎先生派かと言われたら。
 どちらかを絶対に選べ、と言われたら、まぁ、若御院を選ぶでしょうね。
 でもね、私はさ、静信も先生も同じことをやってた気がするし、同じものと向き合って、戦っていた、
 と思うのね。
 それがたまたま、己の「性格的」立ち位置によって屍鬼側と人間側に分かれただけで。
 ぶっちゃけ、ふたりが戦っていた相手はなにか、って言ったら。
 それは、摂理、だね。
 神の定めた摂理、道徳、それに基づく愚かで偏狭で、そしてなにより身勝手な社会。
 そのシステム。
 そしてそのシステムを利用して好き勝手やっている人々。
 それと、ふたりは戦っていたと思う。
 わかりやすいのは、静信の方だよね。
 屍鬼側に彼が付いたのは、単純に、「人は一度死んだらもう生きる資格は無い」という、
 よく考えれば極めてひどい論理に反旗を翻したからで。
 人が定めた「人の定義」から外れた者には生きる権利は無い、というその論理そのものによってでしか
 動こうとしない、そういう村人に心底嫌気が差した、或いは殺意すら覚えたんだよね。
 生きてるとか生きるって、そういうルールで規定されるはずのものでは無いし、逆に言えば、そういう
 ルールを作っているのは神では無く、その神を作った人間の為せるわざ。
 自分とは違う者は切り捨てる、見たくない、ただそれだけ。
 静信が沙子を殺そうとした大川を殺したのは、静信が屍鬼に味方しているからでも、
 小さな女の子を殺そうとしている暴漢を許せなかったからでも無い。
 
 大川が、この村に伝わり繋いできた、そのルールを守るために沙子を殺す、とほざいたから。
 だから殺した。
 怒りと、憎悪を込めて。
 
 静信が味方したのは、他ならぬ、「生きようとする」者。
 沙子は屍鬼となりながらも、神の摂理から外れたことを悲しみながらも。
 それでも必死に、生きたい、死にたくない、と足掻き、戦い続けた。
 人間の血を吸わねば生きられなくても、絶対に生きることを諦めない。
 そして神の摂理から外れながらも、神の摂理を求め、自らその摂理のうちに死のうとさえ思い詰めても、
 それでも、それでもまだ生きようとする。
 だから静信はきっと、人間の血を吸うのを拒否して再び死を選ぶ屍鬼には味方しない。
 そして逆にもし大川が、自分こそが生きるために、沙子を殺そうとしていたのなら、
 静信は怒りと憎悪のためでは無く、深く同情した沙子本人のために、大川さんと対等に戦う。
 そしてたぶん、殺すことは、しない。
 私だってそうする、きっとそうする。
 まぁ筋肉親爺な大川さん相手ならやっぱり不意打ちするしか無いとは思うけどw
 
 そして。
 尾崎先生もまた、そうなのだと思う。
 先生が、なにに怒っていたかというと、それは彼の住む村の人達から、「生きる」ことを奪っていく
 屍鬼達の行為。
 それは当然ですよね。
 でも、それ以上に怒っていたのは、その屍鬼達の影なる侵略に薄々気付きながらも、自分達が生き
 るために何もしようとしない、そのままの生活の夢の中で死んでいくのを結果的に選ぼうとする、
 そういう村人達に対して、です。
 巫山戯るな! 巫山戯るな!
 だから、尾崎先生は、傍観し座して死を待つ村人達に最も腹を立てていた。
 そして、彼も静信と同じく、その村人達が、この村を支配する摂理に囚われ、そのままの日常の
 中で死んでいくことを選んでいることに、激しく怒りを覚えていたんですね。
 静信はその村人達を見捨て、生きようとしている屍鬼側につき、尾崎先生はその村人達に怒りを
 ぶつける道を選んだ、というだけ。
 尾崎先生は、村人達に怒りをぶつけ、そして無理矢理、屍鬼達との全面戦争に引き込んだ。
 村人達は本当は、村に蔓延する静かなる摂理のまま、ただの病気かなにかとして死を受け入れて
 いきたかったのに。
 そうはさせるか、貴様ら、巫山戯るんじゃねぇ!
 尾崎先生は、村人をなんとか生きようとする者へと更正させようとしたヒーローじゃあ無い。
 尾崎先生は、ただただ、激怒していた。
 村人が生きるために戦おうとしない、ただその一点だけが許せなかっただけ。
 先生は、村の摂理に従い、そのまま座して死のうとする村人が許せなかった。
 静信は、村の摂理に従い、生きようとする者を抹殺しようとする村人が許せなかった。
 これ、同じことだよね?
 尾崎先生は、村人達を助けたかったのじゃ無いと思います。
 ただただ、村の摂理を、村をぶっ壊そうとしただけ。
 だから無論、尾崎先生は屍鬼に偏見は無い。
 尾崎先生は、摂理のためで無く、自分が生きるために、ただ屍鬼を殺すだけ。
 だからもし先生が沙子と大川さんの場面に居合わせていたら。
 
 この馬鹿野郎!
 と、憎しみを込めて大川さんを殴り飛ばし。
 そして。
 悪いな。
 と、自分が生きるために、沙子の心臓に杭を打つでしょう。
 
 最後に村が炎上したとき、そこから去るトラックの荷台で先生が俺は負けたのか、と呟いた意味。
 なにに、負けたのでしょうね?
 あの炎は・・あの村の終焉は・・・それも摂理のうち、だったのではないでしょうか?
 村人達は、本当に、自分達が生きるために、屍鬼を殺していただろうか?
 俺には・・そうは見えなかった・・・
 まるでゴミ処理をするように殺して回り、死骸の処理はまるで町内会の行事そのもの。
 この屍鬼達との戦いさえ・・・結局・・・村の摂理の範囲から抜け出せずに・・・・
 『村 は 死 に 包 囲 さ れ て い る 。』
 そして俺もまた・・・
 俺は・・・起き上がった自分の妻を・・・・・本当に、再び殺すしかなかったのだろうか
 いや・・・・俺は本当に、殺すしかない、という絶対的根拠を手に入れるまでに至っていただろうか?
 判断が、早まっていなかったか?
 俺はもしかしたら・・村の奴らと同じで・・・・
 一番目先の根拠だけを頼りに、妻を殺してしまってはいなかっただろうか・・・
 どうして俺は・・・・
 
 起き上がった妻と、逃げなかったのだろうか
 
 愛していない。
 俺は 人間を 愛していない
 妻も 母も 他の誰も
 それなのに 俺は
 静信は、愛していただろうか?
 いや・・・
 違うな
 あいつも 同じだ
 愛という死から、ただ生きようとして戦っただけだ
 という感じでした。
 私的には静信と先生のどちらが好きかと問われたら、両方です、と答えます。
 好きな理由は、セクシーだから。
 ・・・あれ?違う?なんか違っちゃった?私?ww
 あと恵ちゃんの二回目の死に涙しました。
 あの死ぬまでの痛切な叫びは、まさにこの作品のテーマを体現しておりました。
 夏野の、屍鬼に対する『自分達の都合で襲っておいて、起き上がれば勝手に仲間扱いをする。』、
 という言葉は、自分達の都合で勝手に産んでおいて、勝手にルールに組み込んで仲間扱いしたり
 阻害したりする、というこの作品の捉える人間社会への強烈なアイロニーにもなっていましたね。
 うーん。
 この辺りは、原作小説よりもはっきりと完全に言い切っていて、ある意味清々しい。
 そして沙子と静信の未来に幸あらんことを。
 
 
 
 
 以上、前期アニメの感想でした。
 前期視聴したアニメのリストは以下の通り。 最終版。
 
 ・薄桜鬼 碧血録
 ・俺の妹がこんなに可愛いわけがない
 ・侵略!イカ娘
 ・そらのおとしもの f
 ・えむえむっ!
 ・それでも町は廻っている
 ・荒川アンダーザブリッジ×2
 ・おとめ妖怪ざくろ
 ・ぬらりひょんの孫
 ・海月姫
 ・屍鬼
 
 全11作品。
 タクトととある魔術2は放送継続中。

 
 うーん、前期はなんていうか、前々期のような特別に新しい流れがあった訳じゃ無く、
 大体今までと同じような作品を踏襲している作品が多かった気がするのだけれど、
 なんていうか、それなのにこう、その今までの作品の内側から、正統的に新しく進化している、
 という感じがしました。
 イカ娘がその筆頭かな、あの素晴らしい新鮮さはこれまでの作品があってこそのもの。
 
 薄桜鬼なんかは、なんていうかもうああいう系の作品が当たり前のようにしてみんなに楽しまれてる、
 っていうかむしろこれがあっさりスタンダードの仲間入りしているのを観ると、時代は変わったなぁ、
 というか、着実に良くなっているなぁというのを感じたし、でもそれはつまり薄桜鬼みたいな作品は
 昔っからあるというか、それが真っ当に評価されるようになっただけ、というか。
 俺妹もそんな感じだよね、オタクが主人公でそのオタクの世界が全開にされていく、っていうのは、
 昔からあったけど、でも今まではそれは結構キワモノというか悪趣味的な感じな提出のされ方が
 されていたけど、これなんかはほんとごくごく当たり前のものとしてあっさりと提出されていて、これはね、
 なんかびっくりするというのに近いほっとした感があるよ。 わかります?w
 それはえむえむなんかの堂々たる変態ギャグアニメが堂々とそのまま放送されていた事にも通じますし、
 海月姫はやや弱かったものの、たとえばそらおとfなんかはギャグというオブラートに包んで、シリアスという
 フィルターで保護しつつも、要は変態讃歌だろ?これ、みたいな、そういう作品とも通底するものが
 あって。
 
 そしてなにより面白いのは、そういうあっさり堂々(?)系とギャグモノが下地としてあることで、
 これまででも普通にあった、マイノリティーを主役もしくはテーマに掲げてシリアスに語る作品が、
 今までの単なる論理というか物語的な閉塞感を打破した感じがあったのですよね。
 ざくろがその恩恵を最も受けていた作品で、あれはなんていうか耽美で小さくまとまった世界の中で、
 あの作品の作者個人とファンだけが共有する、単体としての社会的思想というものを、なんか、
 ひどく真面目な形でアニメの持つ、「萌え」というより「可愛さ」に乗せて、あのアニメを観たすべての
 人に連絡可能なものへと変容させていた気がします。
 わかりやすく言えば、改めて、もっかいあっさり堂々系やギャグモノのノリで、シリアス系を観て感じて
 考えみたら、なんか今までとは全然違うくらいに、ぐっと深く染み込んできた、みたいな。
 
 言い方を換えれば。
 オタクが、アニメファンが、オタクとしてアニメファンとして真面目に物事を考える事に自信が持てる
 ようになった。
 
 アニメだけで、文学とか哲学とかそういうのも全部カバー出来そうな、まぁそれはある意味言い過ぎ
 だけど、そういうひとつのアニメという総合的な文化としての進化をまた前期も感じることが出来たのは
 確かですね。
 むしろ、アニメという文脈を使って、これまで自分が捉えていた、或いは囚われていた文脈を
 読み直す、という作業がいよいよもって本格的に可能になってきた気がしました。
 というか、なんていうか、やっぱり始まりは萌えだと思うのよ、萌え。
 オタクの共通言語、というより、それぞれが持っている感情や気持ちを、常識とか道徳とか取っ払って
 そのまま素のまま抜き出して言い表してくれる、そういうツールとしての、「萌え」。
 萌えという単語自体は実はなんの意味も無いんだけど、ただ同時に萌えというだけで、その人は
 そうやって自分の純粋というかピュアな感情や気持ち、もっと言えば欲望にアクセスしているんだ、
 というのがわかる、すなわち記号、もしくは信号なんですよね。
 なんだろうこの気持ち、このうごうごするようなもやもやするような、なんだろこの気持ち。
 
 それが、「萌え」。
 
 そして今、その萌えというブラックボックスとしての言葉が、開かれる。
 萌えの中身を、みんなひとりひとり、自分で検証してみようぜ。
 そしたら、色んな感情がどっさり出てきて、そうして、つまりみんな萌えという判子が押されているから
 こそ、その判子を見せ合って、その出てきた感情そのものが自分にあってもいいんだという自己認証
 が生まれてくる。
 それが、自信。
 そうして、自分の気持ちを自分で理解し認めることが出来るからこそ、改めて、ざくろのような作品を、
 あらゆるフィルターを外した、自分の気持ちを通して観て、感じて考えることが出来るようになる。
 萌えの旗の下で、ね。
 だからざくろの場合は、萌えというブラックボックスを開いたら、「可愛さ」というのが出てきて、それを
 感じることが出来る、みたいな。
 そして今度はその「可愛さ」という言葉が、普通や常識などのフィルターを取っ払い、より深く作品の
 内部へのアクセスを可能にする。
 そしてその「可愛さ」を共通言語、もとい共通のツールとして、みんながこの作品を語り合うことが
 出来る。
 いいですね。
 それはとっても素晴らしいことです。
 今期がとっても楽しみじゃ♪
 
 
 
 
 
 ◆
 
 
 んで、その今期はというと。
 まずは視聴リスト。 決定版。
 
 
 月: レベルE
 火: 君届2・これゾン・ドラクラ
 水:
 木: フラクタル・放浪息子・IS
 金: まどマギ・ゴシック
 土: お兄好き・(とある魔術2)
 日: タクト・みつどもえ2
 
                              :全13作品 ()付きは前期以前よりの継続作
 
 
 夢喰いメリーとフリージングは切りました。 ごめんなさい。
 その代わりにフラクタルは踏み留まりました。 頑張ります。(ぉぃ)
 でまぁ、今期筆頭は前回も言いましたように君届2で決まりですし、自分の気持ちに基づいて
 観て感じて考えていくという事に最も適しているのもこの作品。
 そういう意味では放浪息子も同等もしくはそれ以上なのだけれど、私君届大好きなので。(盲目)
 とにもかくにも、今期はこの二作を中心にして私の魂辺りはぐるぐる廻っている、と御推察頂ければ
 幸いです。
 
 ただこの私という人は魂以外でも廻る、というか笑い転げる人で御座いますので、そうしますと、
 やはり今期はこれゾンの破壊力は圧倒的ですな。
 設定的に不条理ギャグなのだけどギャグ自体は不条理でもなんでも無く、というかなんだろこれ?(ぇ)
 なにも突飛なことはしてないはずなのに、どんどんとなにかが外れていく面白さ、このこれゾンの
 面白さは病み付きです。
 あとレベルEな。
 実は今期で一番次回が観たくて毎週そわそわしてる作品になってきました。
 第一話ではそんな事なかったのに、第二話見た途端あんたすぐそれだw
 というか、君届と放浪息子以外は、第二話からぐっと面白くなってきた作品がほとんど、
 っていうかやっぱり本当に第一話から期待してなかったというのが窺えますね。さすがイカちゃんショックw
 あとはお兄好きも順調におかしくなっていっているようでなによりですし(微笑)、そういえば前期から
 放送中のタクトももうなんか滅茶苦茶引き込まれてるんですけど私、うん、いい感じ。
 
 で、予想外なのが、まどマギ。
 第一話はまぁこれはいいメタファーアニメ、くらいしか感想無かったんですけど、
 第二話を観たら結構テーマ的に興味出てきて、んで、第三話はなにやら惨劇になるというので、
 わくわくしながら、もとい期待して観てみたら。
 ま  さ  か   も  げ  る  と  は 
 しかもそのあと肉塊って
 つーかひだまり絵でこれかい、つーか血だまりってレベルじゃねーぞ。
 アニメ観て、こういうシーンでお口あんぐりで目を見張ったのは久しぶり。
 いい、これいい! すごくいい!! これひとつ頂戴! ←悪趣味全開
 とまぁ、すっかりこの人は残念な方向に全力疾走を始めてしまったようですので、
 まぁ、せいぜい真面目にテーマ的な事でも考えて舵取り致しますか。 (溜息w)
 ちなみに現時点での私のテーマは、自分の命を賭けて叶える夢って、それは一体、
 なんのためにあるのだろうか?、というのを、努力する事自体を目的にして努力するって、
 それってなんて依存?、というツールを使ってまずは考えていこうと思っています。
 
 はい。 (お疲れ様でした。)
 
 
 
 ということで、今回はこの辺りにて。
 次回更新は、刀語第十話「誠刀・銓」の感想を予定しております。
 が、現在ちょっと書き始めているところなのですが、ちょっとこれは時間がかかりそうですので、
 更新は早くても週末もしくは週明け、遅ければ来月初めになってしまうかもしれません。
 まぁうん、なんか書きたいこと、一杯出来ちゃった☆
 
 それでは、また。
 ごきげんよう。
 
 
 
 
 
 
 



 

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                              ■■ アニメ、でゲソ♪ 3 ■■

     
 
 
 
 
 ごきげんよう♪
 
 はい、今日は前期アニメのまとめ感想の残りを書かせて頂きます。
 本当は今回で全部書き終えたかったんでしたけど、全然無理でした。 余裕で無理でした。
 すみません。 (謝)
 
 ということで、始めさせて頂きましょう。
 とその前に、今期アニメについてちょっと。
 今期はやっぱり君に届け2が別格で、放浪息子がぶっちぎりなのは変わりませんね。
 そしてこれゾンも勢いを維持していますね、これはいい。
 そしてフラクタルも悪い意味で現状維持。
 テーマ的には興味深いものが確かにあるのだけど、それがアニメとして機能してないかなぁ。
 次辺りで切るかどうか判断しますかも。
 それとまどかマギカの視聴が遅れ気味になっていまして、なんだか視聴意欲が・・
 フリージングもやっぱり微妙ですし、夢喰いメリーはほぼ切り確定ですね。
 インフィニットストラトスはセカンド幼馴染み登場のインパクトがやや弱かったので心配ですが、
 まぁこのまま行っても問題無いでしょう。
 が、ドラゴンクライシスは普通にストーリーが進んでしまって、もうちょっと子育てアニメで
 行って欲しかったので残念です。 あとはそのストーリー次第。
 そしてゴシックとレベルEが持ち直しました。
 ゴシックはやはりヴィクトリカ次第と言った通りにヴィクトリカでした。
 ミステリ部分はぞんざいでも、その中でのヴィクトリカ自体が良かったので、これは逆に
 これから期待です。
 レベルEはクラフト登場で大きく変わりましたね。あの三人の掛け合いはなかなか面白い。
 王子は雪隆とのタイマンより、雪隆とクラフトがやり合ってる横でなにかやってる方が面白い。
 ただまぁもうちょっと面白く出来る、というのはまだありますね、これは声優の演技?演出の問題?
 ちなみに、この回は原作で読んだ記憶があります、というかこの回見てはっきり思い出しました。
 原作ではもっとグロテスクな楽しさがあったんですけど、アニメはその辺りマイルドになっていますね。
 けど美歩達も含めてのあの掛け合い自体よりも、あの画面の雰囲気自体が結構楽しくて好きです。
 
 うん、いい加減にもほどがある言及でした。
 これ完全に個人的主観だよね、これ。
 
 
 
 それと。
 ひとつ大きなサプライズが個人的にあったのでご報告。
 現在キッズステーションで放送されている「狼と香辛料」。
 それで、幻の第七話が放送されていて、びっくり仰天致しました。
 ていうか吹いた。
 わたしゃ吹いたよ。
 いっつもお酒飲みながら観てるんですけど、吹いた。
 いや、確かになんかおかしい思ってたんですよ。
 あれ?こんな話あったっけ?、まぁ忘れてるだけかとかこの酔っ払いは狼ファンにあるまじき事を
 のんびり考えながら観ていたら、吹いた。
 違う
 こんなエピソード観たこと無い!
 これ七幕! 本放送時に放送されなくて、DVDのみに収録されてた幻の第七幕!
 すっかり酔いが醒めてしまいましたけど、もうその次の瞬間からはにやにやしながら観てましたw
 乾杯じゃ♪ww
 確か未放送話って、この第一期七話と、二期放送前の第0幕というのがあったはずですね。
 二期も放送となれば、その話もやるのじゃろうか・・・観たい、わっちゃあどうしてもそれ観たい!w
 と、これじゃからケーブルテレビは侮れぬとか言ってる人は本当にDVD買う気は無いようです。
 めでたしめでたし。(ぉぃ)
 
 しっかしまぁ、本当に狼と香辛料はいいわぁ。
 私はやっぱり狼大好きな☆
 ていうかまた新たな「好き」が増えた感じ?
 たぶんこれからも、この作品が不動の第一位(紅い瞳調べ)であり続けそうです。
 この第七話も、いずれ時間と余裕が出来たら突発で感想を書けたらいいな♪
 ・・・むしろまた第一話からいっとく? (まぁ落ち着け)
 
 
 
 
 
 
 ◆
 
 
 んでは、本題。
 
 今回は、「荒川アンダーザブリッジ×2」、「おとめ妖怪ざくろ」「ぬらりひょんの孫」の三本です。
 残りの「海月姫」と「屍鬼」につきましては、近日中にUpさせて頂きますので、しばしお待ちを。
 それでは。
 
 
 
 
 
 荒川アンダーザブリッジ×2:
 どうして私はこの作品を面白くない、って思うんだろう。
 どうも、面白くない、と言わなければならない理由があるような気がする。
 正直、ネタのひとつひとつは面白く無い訳では無い、けど、確かにギャグとしてはひとつふたつ、
 なにかが決定的に足り無いと感じているのも、事実。
 でもそれだけなら、私ならそれ以外に面白いと言える部分を見つけて、面白い、と言うはずだ。
 勿論、面白くないと思っているのも事実なのだから、面白くない、とも同時に言うのだけれども。
 しかし、ただ面白くない、の一言で片付けようとするのは、なにかおかしい。
 
 ひとつは、ギャグキャラとしての各キャラが飼い殺しにされているのが気に入らない、というのが
 挙げられる。
 もっと面白く出来るでしょこの作品は、みたいな、そういう感じがして堪らない。
 それはそうだろう。
 でも。
 それは、メインじゃ無い。
 メインなのは、たぶん。
 リクだ。
 
 リクはいつまで遊んでんの? (微笑)
 
 不快、という訳じゃないのだけど、なんだろなー、この作品はリクの成長がメインにあって、
 それをどうギャグと繋げて効果的に描き出していくか、というところに私がこの作品に求めるものが
 あったのね。
 それが、無い。
 笑いって、なんだろ。
 私は、笑いが独立してあることに、いたたまれないのだろう。
 自分でもよくわからないのだけれど、なんかもぞもぞする。
 なんだか、リクの停滞ぶりを見ているのが辛くて、そしてリクがその事に気付いてすらいないことが、
 なんだか虚しいような気がする。
 なんていうか、リクはべつに頑張らなくてもいいんだけど、なのに、自然にでも素直にでもなんでも
 いいけど、その成長が見られない。
 それが、とてつもない閉塞感を生み出してる。
 私は、それが気に入らない、というより、むしろ積極的に嫌悪感を感じる。
 なぜだろう。
 村長とかが裏であっさり色々解決しちゃうから?
 それにもしかして嫉妬してるとか?
 私が?
 私はもしかして、自分とリクを照らし合わせて、それで成長もしないのにぬくぬくと遊んでるリクに
 嫉妬してるとか?
 はは。
 まっさかぁ
 
 まさか
 
 もしそうだとすると、この作品はなによりその私の姿を映し出す鏡、ということになる。
 つまり、この作品を批判することで、批判せずにはいられない、なにか不安や不満を抱えている、
 その私自身を知ることが出来る。
 だからたぶん、リクへの嫉妬自体はメインでは無く、全く他の別のことで、私はなにかまだ、
 叶えることが出来無い、あるいはまだそれに着手すら出来ていない、そのもどかしさを感じている
 のかもしれいない。
 ぶっちゃけ、私はリクみたいな生き方をしたいとは思っていない。
 けど、生き方は違っても、リクが実に満ち足りた表情をしている事が。
 それが、すごく羨ましい。
 成長すらしてないくせに、リクの奴。
 つまり。
 私はまだ、自分の幸せが、自身の成長に依ってでしか手に入れることが出来無いものだ、
 と、捉えているんだよね。
 あー
 それだ
 その 違和感だ
 私にとって、まだまだ私の今感じている成長というものが、成長しなければならない、というレッテル
 無しには存在し得ていない、ということなんだ。
 というより、「成長」という言葉に、拘ってるんだね。
 まだそのままの、「変化」を、受け取ることが出来てない。
 成長なんて、変化の結果、たまたまそう見えるだけのものなのに。
 という結論に達しました。
 うん。
 ほんとにこの作品のこと、ちゃんと語りたくない、ってことはよくわかったよ。 (残念)
 
 
 
 
 おとめ妖怪ざくろ:
 
 『好きな人が増えていくのは、とても素敵なことよ。』
 
 私達はなんのために生まれてきたと思う?
 誰かを愛するために?
 誰かを守るために?
 そんな嘘を、もう言わなくてもいいのよ。
 そんな事を言わなくても、あなたはもう誰かを愛しているし、誰かを守ろうとしているんだもの、
 その上そうするために生まれてきただなんて、言わなくていいし、言うべきでも無いわ。
 だって私は。
 
 あなたが生まれてきてくれただけで
 こんなにも嬉しいのだもの
 
 ただただ、それだけでよかったのよ。
 たとえ貧しくても、たとえ愚かでも、たとえ間違っていても。
 私とあなたのふたりだけになったとしても、すべてから迫害を受けることになったとしても。
 そして、私達がすべてを殺戮しなければならなくなったとしても。
 そんなこととはなんの関係も無く、私はあなたを産んで、そしてあなたと一緒にいられる、
 ただそれだけで、ただそれだけで、私は充分だったの。
 それ以外のものなんて、本当におまけよ。
 あなたが生まれる前まで、どんなにそれらのものに入れ込んでいたとしても、
 それらのものにどんなに縛られ、それ無しではいられなかったとしても。
 もしそれらのものが私とあなたの今を邪魔するのなら、私はあらん限りの力を使ってそれを排除するわ。
 それが私の親でも、夫でも、友人でも、すべての人々であっても。
 でも。
 あなたは、そうじゃなかった。
 あなたは、大切なものを背負っていた。
 いいえ・・
 背負わされていたのね・・
 本当はあなたも、ただただ、母親の胸に抱かれて、そのまま・・・・
 でも、あなたはその背負わされたものを、背負わなければいけないと思い詰め、
 そして、背負うことこそ自分が最も求めているものだ、と思ってしまった。
 そうしなければ・・とても・・・
 そして・・
 そのあなたの悲しい決意を鈍らせるものに、あなたは容赦しなかった。
 私に、容赦しなかった。
 ああ・・なんてことなの・・・
 なんて悲しい・・・
 あなたが・・・・・哀れ過ぎて・・・・
 それは全部・・・私のせい・・・・・私があなたに・・・背負わせて・・
 
 子が親を慕うのは自然なこと。
 なのに私は・・・
 あなたのそばにいられなかった・・・
 あなたのそばにいて、あなたを慈しんであげることが出来無かった。
 あなたの、親を慕う想いに応えてあげることが出来無かった。
 母親がいない。
 当然、あなたは寂しくて、母を求めて捜し回る。
 でもあなたは、家を支えなくてはいけなくて、父の言いつけを守らなくてはいけなくて。
 その上・・・あなたは・・・私とあの人とのことを見て・・・・
 さぞ憎んだことでしょう。
 母がいなくて、母をただ求めることが許されなかった事への怒りをさえ、
 私は受け止めることが出来無いばかりか、全く逆に、あなたを絶対的に拒絶してしまうような事を・・
 自分から母を奪った父への怒りの遣り場がなくなって・・・
 あなたはきっと、あなたの父と同化して、母を憎み自分から母を遠ざけようとするしかなくなって・・・
 お前の母は汚れた女だ、と父はあなたに言い、あなたはそれを証明するような現場を目撃した。
 母がいない寂しさもどかしさは、全部、あなたの母自身が原因だったと思う事でしか、
 自分の怒りを発散させることは出来無くなって・・・・
 あなたはただ・・・母に愛されたかっただけなのに・・
 愛されないことの不足を、母への怒りにすり替えるしか無くて・・・・
 だからどんなに怒っても、あなたは・・・・絶対に・・・・
 ごめんなさい・・・
 ごめんなさい・・・・・
 私は・・・・私はなんてことを・・・・・
 
 力、とはなんだろう。
 ざくろの母は、ざくろに普通に育って欲しかった、とそう思っていた。
 でも、母様、普通、って?
 ただそのままに生きるって、どういうこと?
 私には、愛している人がいる、守りたい人がいる。
 母様、私、私も母様の思う通り、誰かを愛するために守るために生まれてきた、なんて思わないわ。
 そんな義務みたいな話じゃないもの。
 私は、生まれもって強大な力を持っているわ。
 そして、その力があるからこそ、それを利用される危険性があった。
 だから、ひっそりと、母様とふたり、「普通」に生きようとした。
 母様はただ、私に「普通」に生きて欲しかったのよね?
 私も母様とずっと一緒にいたかった、それは本当よ。
 でもね・・・
 
 好きな人が、できたのよ、私
 
 普通、ってなに? 母様。
 母様、私が誰かに利用されて、それに振り回されてしまうほどの力を持っているのは、事実よ。
 そして私自身も、その力に翻弄されてしまうかもしれない。
 でも、その力は、才能と言い換える事も出来るわ。
 それは、私にとってとても大切なもの。
 その才能をどう使おうと、それは私の勝手だし、なにより私が決めることよ。
 私は、逃げ回るだけだなんて、もう嫌よ。
 そして、もし私がこの力を使えば、逃げ回らずに済むのなら。
 使うわ、私はこの力を。
 この力を使って、私が、私こそが、私の普通の、そして幸せな生活を築き、そして。
 守ってみせるわ。
 誰にもこの力は利用させないわ。
 そして私もこの力ときっちり向き合い、自分のものにしてみせるわ。
 私は、私。
 この力を使って、この世界の中をのし上がっていこうとも思わないし、
 この力のなんらかの有効性を、みんなに知って貰おうと努力することもしないわ。
 私は私。
 それこそ、母様と同じよ。
 私は、たとえ世界中の人達にこの力を狙ってつけ回されようと、嫌われようと、憎まれようと。
 構わないわ。
 だって。
 私には。
 母様と同じで。
 ただ一緒にいるだけで
 ただそばにいるだけで
 幸せになれる
 そんな人が、出来たんだから
 私の力は、その人を愛し、そして守るためにこそ、使うわ。
 
 これが、ざくろの自立。
 母に愛され、愛というものを学んだざくろの。
 母の愛からの、独立。
 母の愛を継承した、ざくろの愛の成立。
 母様のことが大好きだったから。
 私
 またひとり、大好きな人と出会えたのよ
 ありがとう
 あいつを愛するために生まれてきただなんて、そんな恥ずかしいこと言われなくても言わないわよ。
 あいつを守るために生まれてきただなんて、って、なんで私が守ってばっかいなきゃなんないのよ!
 あんたもちょっとはしっかりしてよね!!
 そういう、ことよ、母様。
 だからね、もし誰かを愛するために守るために生まれてきたって言わなきゃならない時っていうのが
 あったら、それはきっと、ただ自分の愛する人とそのままを生きられない危機に晒されている、
 っていうことをなによりも教えてくれているのよ。
 そのときは、だからせいぜいハッタリかまして、私はあいつを愛するために守るために生まれてきたのよ、
 なんか文句ある?、って盛大に開き直ってやればいいんだわ。
 
 そして沢鷹(おもだか)は、母の愛を感じること無く育った。
 母の愛を知らず、愛というものを学ぶ機会を失った沢鷹。
 自立も独立もなにもない。
 あるのはただ、一方的な母への満たされぬ想いばかり。
 それはねじ曲がり、そのままではいられず、憎悪と怒りの形をとってでしかいられない。
 だから。
 そういう沢鷹にこそ。
 誰かを愛するために
 誰かを守るために
 生まれて来た
 そのすべての本質に立ち戻る強烈な言葉が、ただただ必要だったのだと思います。
 その言葉が必要になるほど、沢鷹のそのままの生が危機に晒され続けていたのだから。
 沢鷹に自分がそうであるという自覚が生まれたとき、沢鷹は変わる。
 母はただきっと、その言葉が息子に不要になるときがくるのを、祈りを込めて待っていた。
 死して骨となっているにも関わらず、沢鷹にだけは生前の姿を魅せた母。
 他の者にはそれはただ、骨だけの屍にしか見えない。
 どちらが現実?
 現実は、ただひとつ。
 沢鷹が、母を愛し、母の愛を求め。
 そして
 母が息子を愛していたこと。
 ただ、それだけ。
 あと私の涙が止まんなくなった、ただそれだけ。 (涙拭けよ)
 
 蛇足。
 この作品は、いわばマイノリティーが如何にすればこの世界の中で幸せに生きられるかを示した作品。
 己のマイノリティーとして持っている独特の「才能」を使って、それで世界を切り拓き支配し、
 己をスタンダードにするのか。
 それとも、己の存在の特異さから、如何に毒気を抜き、周囲の世界にも受け入れ可能なそれにと
 変化させていくかを模索すべきか。
 どちらも、否。
 幸せに生きるにはただ。
 己を知るべし。
 この作品はただそれだけをやっていましたね。
 己を知れば、己が己のことを全く知らない、ということに必ず気付く。
 そして己を知らぬことを自覚し、そして改めて己を深く知っていくことが出来たとき。
 どうしようもなく、かつ、全く自然に、己の幸せの道が開けてくる。
 己を知れば、己らしく生きる道が見えてくる。
 マイノリティーが、マイノリティーとしての自己を主張するでも無く、そももそも己がマイノリティーとして
 孤立してある存在であることを否定するでも無く。
 ただそのまま、知った自分を生きる。
 知った自分のままに、生きる。
 周囲の理解は、その自分の生き様をみせることで得ていけばいい。
 自分を深く知る人が自分を生きている様には、皆、自分に素直になったとき、興味を抱く。
 そして勿論、周囲の理解を得るために、自分の生き様を見せるのでは無い。
 周囲の理解は、結果的に得られればよい。
 もしそうではいけないと思うのなら、周囲の理解がどうしても必要だというのなら、それは。
 それは、自分が、ひとりであることを怖れているがゆえに。
 自分と他者との線引きが出来ていないがゆえに。
 孤独を怖れるままに。
 つまり、自立した一個の人間としてまだ無い、ということ。
 そして孤独を怖れつつもそれに向き合い、一個の人間として生きることで、
 今まで自分を捉えていた、自分自身でも受け入れてしまっていた他者の圧力から自分を解き放ち、
 そして改めて、自分と他者とが接続する道を自分のものとして新しく、そしてゆっくりと造っていく。
 この作品の、細やかで爽やかなスマートさは、実にそこからすべて生まれていると思うなぁ。
 だからあんたも!
 いつまでもやっぱり私ツンデレ好っきやなぁ、とか言ってないで!! (仰る通り)
 
 
 
 
 ぬらりひょんの孫:
 どういう人に、ついていきたい?
 んー。
 私はなんか、頼り甲斐があるっていうより、なんていうか、肝が据わってるというか、
 なんかもう腹くくっちゃってる人に、なにかこう、ついてきたい感に駆られるのよ。
 有能かどうかは関係無いし、気配りとか思い遣りとか、あとちゃんとこっち見てくれるとか、
 なんかほんとそういうの、どうでもいいっていうか。
 うん、勿論そういうのが必要になる局面はあるし、私の方でもそういうのを重視してついてきたいって
 思うときもある。
 けど。
 なんていうか、そういうのって、自分の中のなにかのために、そのためについてくっていうか、
 ぶっちゃけそういう自分の中にあるなんらかの欲を満たすために、いってみればそのついてきたいと
 思う人を利用してるだけ、っていうか。
 そういうの無しだったら。
 純粋に、ただその人についていくこと自体を目的にして、ついてく人を選ぶとしたら・・・
 やっぱり
 
 畏怖
 
 なんだろうなぁ
 作品では畏れって言葉が使われてたけどさ、それってカリスマとかそういう感じとはたぶん、明確に
 違うのだろうねぇ。
 カリスマっていうと、なんか魅力って感じがしてさ。
 それって、その人のなんらかの能力の高さに着目してる。
 でも畏れ、っていうのは、それとはなんか違う。
 ああ。
 駄目だ。
 この人には、たとえすべての能力で私の方が優ったとしても。
 勝てない。
 いや、勝てない、じゃない。
 この人と、勝負しては絶対にいけない。
 したら、なにかとんでもないことになる。
 そういう感じだと思う。
 そうすると、さ。
 その畏れがあるとさ、その人のそれぞれの能力、強さとか賢さとか優しさとか。
 そういうのが、なんていうかパラメータとは全然違うなにかとして見えてくるっていうか。
 つららもラストで言ってたけど、それは神々しさ、っていう感じになってくる。
 なんだろ。
 これなんだろう。
 この作品見てると、引き込まれる。
 妖怪の総大将、ぬらりひょんの孫に。
 なんとなくわかる。
 まず第一に、この人は圧倒的に確かな自分を持ってる。
 周りに左右されない、びくともしない、確固たる自分が。
 なのに。
 揺れている。
 左に
 右に
 うっすらと落ち着いた笑みを浮かべながら
 
 さながらそれは
 両袖を子供に引っ張られ
 それに応えてやる大人のような
 
 しんなりと、盃に酒を注ぐ。
 夜桜に腰掛け、月明かりに照らされた夜を視る。
 震えるほどに、その姿を見上げてしまう。
 皆が屋敷の中で大宴会を繰り広げる中、当の若はこんな感じ。
 ひとり
 うあー
 そりゃあ見惚れちゃうよ
 私も宴会抜け出して、若の姿を眺めちゃうよ。
 そうして、ひとり、またひとりと若の下に集まってくる。
 それを見遣って、まったく仕方のねぇ奴らだ、とふふと笑う。
 皆、若を慕って集まった訳では無い。
 無論若に阿るためにでも無く、若と共に楽しみたいがためでも無い。
 ただ
 畏れ
 見上げたい
 見ていたい
 夜の若のこの美しさほど、大切なものは無い
 そしてその畏れがあるからこそ。
 昼の若の、細やかな気遣いや思い遣りの能力に、魅力を感じる。
 それはその能力としてのパラメータの高低では無く、ただこの若の優しさが、すべてに腹を括って
 泰然としている、その夜の若が、敢えて私達の引く袖を振ってくれていると、そう感じられるから。
 もったいない。
 もし夜の若が優しくしたら、私はそう感じる。
 けど、昼の若がそうしたら。
 ただ。
 嬉しい。
 夜の若の優しさは、すべてに対して与えられる。
 昼の若の優しさは、ただ。
 それを向けられた者に、与えられる。
 くっはー
 お仕えしたいキャラナンバー1や! (ぁーぁ)
 続編もやるみたいだし、なんかこの作品ほんと有り難い。
 つーか、こんだけジャンプアニメでハマったのって、ナルト以来だわ。
 あ、あと銀魂もジャンプでしたっけ?wあれはジャンプっぽく無いから忘れてたw
 この作品は、妖怪をヤクザのような位置付けにして、ひとつの任侠モノとして描いたのが勝因だね。
 あと女の子も可愛いし。 三人娘はそれぞれタイプが違うけど私全員好きな。
 でも特に雪女可愛い。(ぉぃw)
 つらら可愛いよつらら。
 若とつららの組み合わせもいいけど、つらら姐さんと猩影君もいい、実にいい。(なに)
 
 
 
 
 
 という感じで、以上です。
 なんか三つとも全然違う視点で感想書いてしまいました。
 狙ったんじゃ無くて、結果的にそうなりました、なぜか。 なぜだろう?w
 
 それでは、今回はこの辺りにて。
 ごきげんよう。
 
 
 
 
 
 
 



 

-- 110118--                    

 

         

                               ■■ 今期アニメ速報 ■■

     
 
 
 
 
 ごきげんよう、紅い瞳です。
 
 全然速報じゃないじゃん、と言われるのも当然ですけれど、速報です。
 速攻で、今日は今期開始アニメの感想をちらちらっとまとめて書いてみようと思います。
 一気に全部書きますので、よろしくお願いします。
 
 
 んじゃまずは視聴リストから。 暫定版。
 
 
 月: レベルE
 火: 君に届け2NDSEASON・これはゾンビですか?・ドラゴンクライシス
 水: 
 木: フラクタル・放浪息子・インフィニットストラトス・夢喰いメリー
 金: 魔法少女まどか☆マギカ・GOSICK
 土: お兄ちゃんのことなんてぜんぜん好きじゃないんだからねっ!!・(とある魔術の禁書目録U)
 日: フリージング・(STARDRIVER輝きのタクト)・みつどもえ増量中!
 
                              :全15作品 ()付きは前期以前よりの継続作
 
 
 というところでしょうか。
 なんだかんだで、前期と大して変わらない数を視聴予定。
 といってもまだいくつかここから切っていく作品もあると思いますので、最終的にはやや少なめに
 なると思います。
 
 では早速感想の方に。
 
 
 
 
 ◆
 
 
 
 レベルE: よくも悪くも王子次第。
 なんだけど、今のとこ、なんか違うんだよなーなんか、まだ第一話だけど。
 ツッコミにしろボケにしろ、古い、という以前になにかこう・・・
 なにかこう、かゆいところに手が届かなくてムラムラするっていうか。 ムラムラっておまえ・・
 ネタ自体は悪くないので、もうちょっとボケツッコミの精度を上げるだけで、
 見違えるほどに面白くなると思いますね。
 シリアス方面は、まぁお任せ。
 ただなんか、王子の人格というか言動に違和感を覚えるのは私だけ?
 素直というより偽善者的な感じを受けてしまったのだけれども。
 悪ノリという偽悪を敢えて演じることで、自分の謙虚さを際立たせるっていうか、
 なんか気持ち悪かった、正直。 本気で謙虚なら、尚更。
 あとはまぁ、あのタクシーの中を覗き込む子供の不気味さが良い感じ。
 あれって宇宙人、なんよね?

 
 君に届け2NDSEASON: きゅん死にしてもよかですか?
 本気だけで生きると、人ってこんなにピュアになるんですね。(うっとり)
 くるみの全力策略モードからもがいて素直さ発動を狙う本気さにも感動したけど、
 爽子と風早君のそのまんま全力ぴゅあぴゅあモードったらもう。
 きゅん。
 ・・・・。
 今さぁ、あんたさぁ、自分がどんな顔してるか、鏡見てみ?
 とってもいい顔、してるよ♪ ←本気な人
 そしてOPもEDも第一期以上に本編をよく理解して愛を込めて作られてるっていうのが感じられて、
 これはもうなんともゾクゾクとさせて頂ける30分で御座います。
 ラスト以外は。
 番組のお尻にあるからシリトドっておまえ・・日○レは時々おかしいよ絶対
 あとカレンダー買いました。 卓上です。 年明けてますけど買いました。
 一年間、お世話になります。 (ぺこり)

 
 これはゾンビですか?: これからの一年が思い遣られる作品。
 『喋るな!傷は深い、がっかりしろ!』
 『BLか!』
 これかよ! この作品でこの一年始めるのかよっ!
 と咳き込みながらツッコミを入れたいくらいに、凄まじくひどい作品。
 変態アニメだとは聞いていましたが、これはもう変態アニメっていうレベルを超えています。
 これはもう・・・・・変態神アニメです!
 ・・・。
 なんだこの作品・・露悪さ一歩手前で急旋回して元の位置に戻ってきたら、きっかり着地点が
 スタートラインより一歩手前になってた、みたいな。
 見れば見るほどおかしくなっていく作品。
 な ん だ こ れ 
 とにかくなにもかもズレていて、新鮮っていうか斬新っていうかおかしいっていうか、テンプレとして
 読み解くことは可能なようでいて全然違う、なんか闇鍋的な感じというか、ていうかもうなにが具材
 なのか電気つけて良く見てももうわからんみたいな、食べてみても全然わからないっていうか。
 未知の味。
 美味しいとか不味いとかじゃなくて、これ食べてもいいのかな?、みたいな。
 主人公はゾンビなんだけど、そのゾンビであることの不条理よりも、彼に対して行われる数々のことが
 あまりにも酷すぎて悲しすぎて、なんかもうゾンビであることが可愛く見えてくるくらいな。
 明らかに、ゾンビになることよりも「堕ちる」って事はあるってことが全力で行われてて。
 酷 す ぎ る 
 お腹痛い
 主人公が徹底して被害者なのがなお凄い。
 第一話でこれだけ変態的な不幸の数々に晒された主人公も珍しい。
 頑張れ。 ←笑い転げながら

 
 ドラゴンクライシス!: りゅうじりゅうじりゅうじ!
 とらドラか!
 えーまー、釘宮声でりゅうじりゅうじと連呼されたらそりゃそうですよね。
 とまぁそれは置いといて、この作品はあの金髪碧眼ドラゴンっ子がすべて。 (断言)
 萌えというかロリというか、これはもう子供、或いは犬とか猫ににまとわりつかれる事の
 喜ばしさが断然上だね。
 これは可愛い。
 だから普通に子育てアニメになっちゃえばいいと思うのだけど(ぇー)、でもこれは絶対
 ファンタジー方向で押せ押せになるだろうなぁ。
 でもまだこれから色々と新キャラが出てくるみたいだし、話によるとみんな理由も無く主人公に
 べったり慕うタイプらしくて、それがテンプレとか萎えとかいう趣もあろうかと存じますが、
 けどそれってこの作品を子育てアニメとして観ると逆に美味しいっていうか、子供が親のこと無条件
 で慕うのは自然っていうか、まぁほんとストーリーなんてどうでもいいやこれ。 (断言)
 ていうか私の名前も呼ばせたい。 ←残念な人

 
 フラクタル: 最初に感じた感情は、不快さ。
 ごめん。
 私のお勧め作品のひとつに挙げておきながら、私駄目だこれ、現時点では。
 現時点では、というより、第一印象が最悪、という感じかな。
 なんだろ、期待はしてたけど、その期待が裏切られたという気持ちはまるで無くて、
 なんだろう、ほんとにこう、胸が絞られるような、そんな気持ち悪さだけがあって。
 演出から話の流れから台詞回しからキャラから声優の演技からなにまで。
 全部、合わない。
 肌に合わないとかじゃなく、しかも合わないっていうよりもっと剣呑な・・自分のなにかが脅かされるような
 言葉は悪いけど、これ、この作品を作った人は、なにかが決定的におかしい。
 これでゴーサインを出したっていうか、これをやりたいと思った時点で、もうなんかおかしい。
 これはやりたいと思って作るようなものじゃないでしょ、この作品の有様は。
 嫌々作らされた、というならまだしも、どうみてもこれは、かなりの意気込みを持って作ってる。
 それが、極限的に、気持ち悪い。
 全体的にラピュタっぽい、宮崎アニメっぽいというのは問題じゃ無くて、なんだろう、なんていうかその・・
 パクり、というか、なんというか・・・悪意的な悪魔的な、非常に攻撃的ななにかを感じるのね・・
 それが、いちアニメファンとして、痛い。
 心が、痛い。
 作り手の憎悪を感じる。
 もうなんか、作り手が、「アニメとはこう作らねばならない」という凶悪な観念に縛られ切ってて、
 それを徹底しつつも、そうして縛られている自分を物凄い勢いで憎んでて、そうして自分を縛っている
 「アニメ」というものにまつわる全てのものに対して、激しい怒りをぶつけてる。
 つまり。
 それを第一話でこれだけ膨大にこれみよがしに吐き付けた、ということは。
 それこそを打破していく対象として捉えているということ。
 この物凄い、そう、キャラの躍動的な動きすら無機的な有様の中から、有機的なものを生み出せたら。
 逆に、徹底した無機的なものからこそ、徹底的に有機的ななにかが生まれる可能性がある。
 それを意識して作っているとしたら・・・二話以降に期待してみますか、期待してみましょう

 
 放浪息子: あーあ、やっちゃった。
 今期最高傑作。 (君届は別格)
 元々私は性とかジェンダーとかの問題に関心があったので注目はしていましたけれど、
 まさかアニメで、そしてアニメという技法を最大限に使ってここまでのものをやってくれるとは。
 正直まったく、予想外。
 あーもう、なんて言ったらいいのか、ジェンダーとか問題を説明的に描くことなく、
 徹底して感覚として感情として圧倒的に滲み出すようにして観る者にそれを感じさせてく、
 あーもう、これよこれ、こういう作品を待っていたのよ!
 待ってたけども、あまりにもど真ん中のストレート過ぎて、見送りしてしまったじゃないの!
 そして今、二球目に備えて構え直し中。
 はふぅ。 (溜息)
 これ、極めて本質的なんですよね、男とか女とか、そういう自分の性についての事について、
 頭で常識的な通念をごちゃごちゃ考えて煩悶するとか、そういうんじゃなくて、それってその煩悶
 それ自体がテーマになっちゃって、性そのものが焦点からずれちゃうんですよね、だからこの作品が、
 まっさらにやるべきことをやっているのを観て、あーなんか、すごいなぁ、いいなぁ、でもこれが当たり前
 なんだよね、となんだか納得させられてしまう気分。
 そして、その本来ならこういうものが当たり前なはずなのに、その当たり前さの手前で、常識とか
 放送コード(違)とかを考えて、あーあやっちゃった、とか常識的に感じてる自分とのギャップ、
 そしてそれに基づくちっこい私の煩悶そのものを、どうしようも無く照らし出してくれる。
 そして、そうして照らし出された、私の余計かつ常識的なフィルターが炙り出されるからこそ、
 それを外すことが可能になり、それゆえにこの作品の本質さと向き合うことが出来るようになる。
 そのまんま、この作品に身を委ねて、自分だったらどう思いどう感じるだろう、常識とかそういうのもし、
 除外したら、どうだろう、って。
 この作品はそうして極めて、問題の本質に視聴者を浸らせてくれる。
 それは、女装男装癖があろうと無かろうと、関係無いことで、逆にもし自分にそういうのがあったら、
 どうだろう、ほんとのほんとにそうだったら、私はどうするだろう、どうしたいとおもうだろう、って真剣に
 考えられる。
 そうすると今度は、「女装男装」癖というものが、実は上辺の表層部分のことであって、本質的根源
 的な問題の顕れにしかそれは過ぎない、ということが、自分で感じて考えてみることで、おぼろげに
 見えてくる。
 『いやだ・・・こんなの嫌だっ!』
 いいなぁ、すごいなぁ、この作品。
 それって、性やジェンダーの問題に限らない、あらゆる「自分」のことに関して真剣に向き合うときに
 必要な事、もしくは方法なんだよね。
 自分を、自分の気持ちをよく感じてみる。
 そしてそれが出来るからこそ、周囲の人達の気持ちになることも出来る。
 私は友達の前で女装弟につらく当たったり、そしてその日の夕食のエビフライを弟にあげたりする、
 あのお姉ちゃんの気持ちもよくわかるなぁ。
 あ、あくまでそれは、そのお姉ちゃんの立場になって考えた私の気持ち、がわかるという意味ですよ。
 こりゃ今の私に最も必要な作品だね、まったくもう。 (溜息)

 
 インフィニットストラトス: セカンド幼馴染み。
 まず最初に、主人公の男の子の自然体っぷりに、おっ、ってなって。
 次にその男の子の姉が、おねーさま、で、聖様、なことに、ぴくっ、ってなって。
 その次に、ツンデレ幼馴染みと、ツンデレお嬢様に、拍手、して。
 そして、次回予告。
 セカンド幼馴染み。
 吹いた。
 なんだこの、全く飽きさせない展開! (展開違う)
 基本的に、私の好きな要素の詰め合わせ、っていうより、全く逆に、
 私をつまずかせる要素がひとつも無い、そんなスラスラ感があるんよね、これ。
 すっごい浸透率。
 日本酒で例えると、飲み飽きしない、けれど飲むほどに水の甘みが染みてくる感じ。
 いいよこれ、色彩も青を基調にして、白と赤が小気味よく動いてて、音楽も邪魔をしない感じの
 添え物感が良く出てて。
 これはテーマとかストーリーとかキャラの内面とか、そういうのが着眼点になることは無いでしょうね。
 これはもう流れるままにそのままに楽しめばいい。
 なんていうか、ひとつひとつの要素がこれから突き詰めて成長していく、というより、
 もうなんかすべて完成品、みたいな感じがする。
 ツンデレっ子達のデレの深まりの進度もさ、それ込みで既に計算された完成品、というか。
 前はこういう作品は、小作りであんまり好きじゃ無かったんですけど、今はなんか普通に楽しめてます。
 これはもうあれだな、この作品の作り手に楽しませて貰う、或いは接待を受ける、
 というのがいい感じかも。
 お心遣い、痛み入ります。 (微笑)

 
 夢喰いメリー: う、うーん。
 感想を持ちにくいタイプの作品だねぇ。
 一番わかりやすく、かついい加減な事を言うと、ごった煮。
 取り敢えず思いつくものを混ぜて入れたら、あとはなんとかなるだろ、的な。
 そういう感じで、どっちかっていうと、悪い意味で、作者が作品に色々投げっぱなしにして
 頼ってる感じが少ししました。
 もっとわかりやすく言うと。
 面白くないです。 (ぁーぁ)
 まだ第二話は観てないのですけど、第一話を観る限り、うーん。
 一応、作品は作品として個々の要素は融合しててちぐはぐ感はそんなにしないんだけど、
 ただ逆に、それは作品の持ってる要素要素が持ってるそれぞれの引力だけでくっつき合って、
 自然にストーリーが出来てる感じがするから、なんていうのかな、ピースはぴったりはまってるんだけど、
 これ全体的に観たらなんの絵だこれ?、まぁチンパンジーとかが描いた絵だと思えばいいか、
 というそういうとこがあって。
 うーん。
 ピースとしてぴったりはまっちゃってるから、今度は逆に、要素を要素として単品として楽しむのも
 難しくて。
 うーん。
 うーん。
 もうちっとだけ、頑張ってみる。 (ぉ)

 
 魔法少女まどか☆マギカ: 異様なスマートさ。
 まず最初に言っておくと、この作品は間違ってもスタイリッシュでは、無い。
 そして、異様「に」スマート、ということでも無い。
 異様なスマートさ、それがあるだけ。
 異様なんです。
 それは異様なのにスマートさを感じる、のでは無くて、敢えて言えば、スマートというものの、
 本来持っている異様な部分を爆発させている、という感じ。
 スマートさっていうのは、単なる設計としてのデザインから出てくるものじゃ無くて、如何に滅茶苦茶で
 溢れ出すようなどうしようも無いものを、凝縮して、そして象徴として収めるか、というところにある。
 だからなんていうのかな、この作品はその象徴としてのスマートという、その「鞘」を払って、
 ぎらりと抜き身の刀で迫ってくる、その鬼気迫る感覚があるのね。
 そして、そのもう既に抜き放たれている刃の前に、なんだかとっても薄い、「デザイン」としての、
 あの蒼樹うめのキャラ絵が被せてある。
 恐怖。
 だってさぁ、あの朝の母親とのやり取りとか、なんかカッコイイっていうか、ひだまりをスマートに仕立てた
 感じがあってさぁ、なのにさ、それがもう。
 それがもう、ただただ、ぶち破られていく、ひとつの的みたいな予感がひしひしとしてて。
 異様。
 ものっそい勢いで迫ってくる刃を、綺麗だけどぺらっぺらな一枚布で、何故か防げると思ってる。
 それこその、異様さ。
 つまり、何故かそれで防げる、と思ってる、いえ、思うしかない、というところに、強烈な切実さがあって、
 その切実さが、自らの感じている膨大で異様ななにかを必死で押さえ込んでいることを、明かす。
 そして、それを押さえ込んでいる、あるいは収めている、その「鞘」が。
 スマート。
 異様。
 ゆえにグロテスク。
 そしてなにより凄いのは、後半のあの訳のわからない世界(?)の現出が、グロテスクな鞘に収められて
 、異様にしっかりと整列して陳列されているところ。
 ああやって直接「絵」として描き出してしまうことで、それは非常に操作された感があるのね。
 それを絵として描き、形としてまとめている、すなわち象徴として鞘に収めている。
 その異様なスマートさ。
 スマートは賢いという意味でもあるけれど、その賢さが、すべて自らの内面を書き割りのように貶めて
 しまっていることの、抑圧。
 これは怖い。
 このストーリーとテーマで、この音楽、そしてこのキャラ絵の組み合わせ。
 誰だこれ仕組んだ人は、天才か!
 この作品を評する言葉はただひとつ。
 これは良いメタファー作品。
 が、それが面白いかどうかは、また別。 どうしよっかなー。 (ぉぃ)

 
 GOSICK: よくも悪くもヴィクトリカ次第。
 ヴィクトリカっていうか、中の人の悠木碧次第。
 べつにミステリーとかは全然興味無い私なので、むしろミステリー部分は積極的に読み飛ばす
 ような人なので、あまりその辺りがどうこうというのはどうでもよいのですけれど、
 その分キャラクターの重要性と比重は高まってくるので、ほんとヴィクトリカ次第。
 そしてヴィクトリカのデザインとキャラとしての造型自体はそんなに新奇なものでは無いから、
 これはもう本当に、声優の人の演技次第。
 どんだけヴィクトリカが素っ頓狂な事をやってくれるか、もうなんか初回からそればっかりに着眼点を
 絞ってる私は一体どんだけ期待裏切られた事に腹立ててんのよ!(まぁ落ち着け)
 つーかもっとゴロゴロしろ。
 もっととっぱずれた音程で謡え。
 どれだけ澄まし顔でアホをやってくれるか楽しみにしております。
 まぁまだ第一話しか観てないでこんな事言ってますけど。

 
 お兄ちゃんのことなんかぜんぜん好きじゃないんだからねっ!!: この兄妹は残念すぎる。
 完全ノーチェックの伏兵さんで御座いました。
 どーせ今流行の近親相姦モノのお色気万歳作品だろーとか思ってノーチェック。
 その私の目をばっちり醒まさせてくれた上に脇腹に右ストレートを叩き込んでくれました。お腹痛い。
 お勧めくださったガンビアさんに感謝、っていうか私のお腹の痛みをなんとかして! ←笑い転げながら
 で、まぁ。
 お腹痛い。 ←最大級の賛辞
 これはひどいギャグアニメ。
 要するにどHなお兄ちゃんが見境無く妹にまで欲情して下心満載なんだけど、妹はむしろその変態な
 お兄ちゃんこそ大好き、みたいなどうしようも無い作品。
 あれ?おかしいな?、確か始まる前にサイトチェックしたときの作品説明がこんな感じで、そのときは
 全然反応しなかったのにな私、あれ?おかしいな、なんでむしろこの説明で反応しなかったのか
 おかしいぞ私、っていうくらいに大爆笑。
 とにもかくにも妹の自分の欲望に忠実っぷり&如何にその欲望を堅実に確実に満たすかを考えれる
 ためにひたすら編み出されていく策略プレイが実にお腹痛い、ひどい、最高にひどい。 ←褒め言葉
 というか、妹の兄に対する言動のすべてに意味があって(性的な意味で)、狙ってるというか照準
 ばっちりというか(性的な意味で)、もうどうしようもなくひどくて(性的な意味で)、というかもうこの子
 お兄ちゃんが好きっていうかお兄ちゃんの一部(性的な意味で)だけが好きなだけなんじゃないか、
 っていうかずばりそうで(性的な意味で)。
 30分間笑いっぱなしの作品というのが、久しぶりにきたよこれ。 (残念な意味で)
 というかここまで来るとお兄ちゃんが哀れすぎる。
 エロ本の隠し場所もすべてチェックされてるとかどんだけ。 つーかお兄ちゃんどんだけ持ってんだよ。
 そしてハイライトは、実はふたりは血が繋がっていないことが判明したシーン。
 ショック、を感じてるんですよね、妹。
 実 の 兄 と の 背 徳 的 恋 愛 を 楽 し め な く な る じ ゃ な い !、
 って意味で。 実に酷い。 腹筋が破裂する。
 けれど、お父さんお母さんに慰められて、なんとか落ち着きを取り戻す妹。
 血 が 繋 が っ て い な い っ て 事 は 
      お 兄 ち ゃ ん の 事 好 き に な っ て も ノ ー プ ロ ブ レ ム
 って意味で。 もう酷い。 腹筋死んだ。
 そして当のお兄ちゃんは、自室で妹モノのエロゲ中。 なにをかいわんや。
 というかむしろこれも妹による洗脳の結果なのでしょうね。
 これはもう、これを私に勧めたガンビアさんに怒っていいレベル。
 わたしの腹筋かえせーっ! (ひどい)
 そして二話でアグレッシブに(性的な意味で)特化した幼馴染み襲来。
 このお兄ちゃんの精神衛生が心配です。 (むしろ性的な意味で)
 これゾンと並んで、今期ギャグコメ系でイチオシの作品で御座います。
 
 
 フリージング: 最後で集中の糸が切れました。
 エロとかグロとかはべつにいいです。
 というかエロはともかくグロは望むところなのです。
 そして予想通りというかほぼ全部エログロなところに謎の黒い影がかかって、
 なにが起きてるのかさっぱりわからない状態なのもべつにいいです。
 取り敢えず、シリアスになんかやってたからね。
 取り敢えず、観てみようか。
 そう思いました。
 思うことが出来ました。
 ラストのこの台詞までは。
 散々エロいっていうかモロ出しで斬った張ったしてた人達が、
 ちょっと年下の男の子に抱きつかれて、恥ずかしそうにしどろもどろになったら。
 『なんですの? あの処女みたいなリアクションは。』
 ですって。
 大 爆 笑 。
 なんか違うだろこれ、これなんか違うだろ ←お腹を抱えながら
 どうツッコミを入れたらいいのやら、どこにツッコミを入れたらよいのやら。
 冷然と斬った張ったしてる人が男の子に抱きつかれて狼狽えたら処女っぽいって、おまえ・・
 少なくともこの台詞を考えた人はなんか違うだろ、ということはわかりました、はい。
 ていうかそれ以前にそこにヒットする私もどうなんだ。
 ただ逆に、この作品の根本が逆に違和感で出来ていることが判明した時点で、
 むしろ興味が沸いてきたのも事実。
 でもさらに逆に、これからどういう展開になるかも充分読めちゃうので、まぁその辺りの構造が
 わかった時点で、この作品の私に対する役目は終わったのかな、とそうも思いますので、
 一応視聴断念候補作にリストアップしておきます。
 でも誰も切るとは言ってない。 (ぉぃ)

 
 みつどもえ増量中!: ガチレンジャー。
 ガチでひどい。
 第一話から、一話丸々作品内作品のガチレンジャーの話って、おい。
 しかもガチでひどいガチレンジャー。
 どうしろっちゅーねん。
 まぁ第二話をまだ観てないからこれからなのでしょうけれどね、さすがにガチでひどい。
 こんだけ狙いばっちりにひどさを練り込んで作ってくるアニメも昨今珍しい。 素晴らしい。 (拍手)
 しかしまぁ、このヒドさは作品本編にも繋がっているので(第一期はそんな感じでした)、
 たぶん第二話以降の感想も変わらないと思います。
 この作品を語るにはただ一言。
 さぁ皆さん、ご一緒に。
 あ ま り に ひ ど い 。
 勿論第二話以降も楽しみにしております。 視聴継続決定。
 
 
 
 
 
 というところでしょうか。
 お疲れ様でした。
 今期は、前期のイカちゃんショックの引きずりもあり(個人的問題)、なかなか良作の香りを嗅ぐ
 ことが出来ませんでしたけれど、落ち着いてみれば、あら不思議。
 なんだ、結構いけるじゃないの。
 前期の初めのときも、同じようなこと言ってました。
 前期の初めのときは、前々期のけいおんショックをひきずっておりました。
 この変わらない感じがなんかいい、と適当なことをいいつつ、今日もアニメを楽しんでおります。
 よし。 ←手応え
 
 
 
 それでは、今回はこの辺りにて。
 ほんとは前期アニメのまとめ感想の残りも書きたかったのですけれど、さすがに分量的にアレですので、
 それは次回に回させて頂きますね。 申し訳無い。
 予定では、今週中にUpしたいと思っておりますけれど、そのときにもしかしたら全部書き切れなくて、
 残りを来週に回す、という形になってしまうかもしれませんので、ご承知おきくださいませ。
 
 では、ごきげんよう。
 
 
 
 
 
 
 
 
 



 

-- 110115--                    

 

         

                                    ■■ - 王 - ■■

     
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 『心の鬼を心で斬ると書いて慚愧。
  私の見るところ一筋縄では行かんよ。
  十二代目、汽口慚愧は真人間過ぎる。』
 
  『真人間、か。』
 
  『あそこまで行き着いてしまうと、逆に人間らしからぬ存在だな。
   心王一鞘流の道場から門下生がいなくなった理由も、なんとなくわかろうと言うものだ。
   かといって・・・』
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
                         ☆
 
                             ☆
 
 
                           ☆
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
   −   『 ど う で す か ね
 
                           私 は ど う に も 俗 物 で す か ら 』  −
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  私は なにをしているのだろう
 
 
 不安だった。
 剣を振る。
 なんのために?
 今日も紅葉がその命の短さを誇るようにして散っている。
 その紅を輝かせて、そしてそのままに、安らかに、散っていく。
 
 ぱちり
 目が覚める。
 駒を指す。
 身が溶ける。
 なぜだろう。
 誰も私のことを、不良とは呼ばなかった。
 誰も、私に、生真面目と呼ぶ以外のことをしなかった。
 心王一鞘流の次期当主。
 そう呼ばれ、その名を背負いながら。
 こうして将棋を指してばかりいるというのに。
 剣を振らない訳では無い。
 けれど、剣以上に、将棋に打ち込んでいた。
 私は、将棋がそんなにも好きだったろうか?
 そんなにも私は、剣を振るうのが嫌だったろうか?
 ぱちり
 いっこうに、その思考のほつれは纏まらない。
 考えてしまう。
 考えてしまう。
 また、負けた。
 参りました。
 ほどけない。
 溶ける。
 私は、ただ清冽に、ひとつのものに染まりたい。
 ただただ。
 なにも考えずに。
 なにも考えずに。
 ただただ。
 
 私は不良とは呼ばれなかった。
 なぜなら、私は不良と呼ばれるには、あまりにもしっかりと将棋を指していたからだろう。
 剣の道場の跡継ぎとしての自覚を欠き、そのことで先代と喧嘩をしながらも、
 私の将棋指しの仲間達は、私を一個の将棋指しとして認めてくれた。
 私は、真面目に将棋を指した。
 極めて、正直に、全力で将棋を指した。
 実力のほどはともかく、私なりに、将棋指しとしての自覚は持っていたつもりだった。
 それは、周りに認められていた。
 私は、不良とは呼ばれなかった。
 一個の将棋指しとして認められていた。
 ではなぜ。
 なぜ、心王一鞘流の当主としての自覚だけは持たなかったのだろうか。
 剣が嫌いな訳では無い。
 将棋とどちらが好きかと言われると、それはとても比べられない。
 いや・・
 どちらが好きかと問われて、私は答えに詰まる。
 どちらも、好きというものとは違う気がしていた。
 しかし、将棋を指しているときのあの感覚、そして剣を振っているときの感覚、
 それは、好きだった。
 溶けて。
 それでいて。
 ひとつに清冽に、まとまっていく。
 わからない。
 私は、なにをしているのだろう。
 
 
 
 
 ◆
 
 先代は、私の祖父だった。
 祖父は私を厳しく育てたが、人間としては極めて優しい人間だった。
 そしてなにより、優しくあろうとした人間だった。
 それゆえ、剣の修行を私に厳しく課すことを、絶対に避けない人だった。
 祖父は、男。
 私は、女。
 祖父は、私を女として育てた。
 正確に言えば、私に女としての幸せを、楽しみを与えようと、極めて努めた。
 祖父には、私に心王一鞘流の跡目を継がせる気は、まるで無かった。
 剣の道を往くことが、女としての幸せや楽しみを妨げるということは、必ずしも無いはずなのだが、
 しかし、なぜか祖父は、固くそう信じていた。
 剣は教えても、絶対に私に跡を継がせるつもりは無い、と祖父はずっと言い続けていた。
 心王一鞘流の門下生の最後のひとりが、道場から去るその瞬間までは。
 
 そしてそのときから、私は心王一鞘流の次期当主になった。
 
 私は、女というものがよくわからなかった。
 女である私以上に、男である祖父の方が、女というものを知っていた。
 綺麗な服を着せ、可愛らしい装飾品を与え、女に必要な教養も学ばせた。
 綺麗といえば、その服は確かに綺麗。
 可愛らしいといえば、その装飾品は確かに可愛らしい。
 必要といえば、その教養は確かに必要。
 でも。
 それは全く逆に、私が祖父に教え込まれ刷り込まれた、女というものにとっての話だった。
 私の女にとっては、確かにそれらのものは、大切で、そして幸せと楽しさに繋がるものなのだろう。
 祖父はそして、あろうことか、私に恋をさせようとしていた。
 具体的に祖父がなにを画策していたのかは、その頃の私はまるで気付かなかったが、
 今思えば、思い当たる節はいくらもあった。
 祖父はまるで、娘にとっての母のような存在だった。
 私には祖父が、母に、いや、女にみえた。
 私に女を教えてくれる存在。
 
 私に、必死に、女を教えてくれようと、必死に・・
 自分を失っていった人
 
 
 私は、女にならなければいけなかった。
 そして、祖父が女という何者かになっていく事が、祖父が男という自分を失っていく事のように見えていた。
 祖父はそれゆえ、歳を重ねるにつれ、そのことから逃れようとして、むしろより自分の男を強調した。
 強調するためにこそ、より一層、剣の道にその身を投じていった。
 つまるところ。
 私には、心王一鞘流とは、男になる場所、になっていた。
 そしてその場は、祖父の専有の場になっていった。
 他の門下生達が道場を去っていったのは、諾なるかなというところだ。
 そして。
 その祖父の手には。
 王刀が握られていた。
 ひしと、縋るように、憎むように。
 
 
 なんだろうか。
 私にとって、私とは一体なんだったのだろうか。
 祖父は、私に女として生きて欲しいと願っていた。
 けれどそれ以上に、祖父は、私に女として生きさせなければならない、という思いに囚われていた。
 結局のところ、私に与えられた女というものはすべて、祖父の押しつけにしか過ぎなかった。
 そして祖父は、私に女を押しつけながら、それでいて、道場の跡目を私に継がせたい、
 という祖父自身の想いを隠し切ることも出来無かった。
 私には、はっきりと見えていた。
 祖父が、私に女として生きて欲しいと言い、それに相応しき育て方をしながら、
 とても、辛そうな目をしていたことが。
 それを振り切るために、剣の道に没頭していたことが。
 私は、その祖父自身の想いを叶えれば良かったのだろうか?
 私は・・
 祖父の、そう、その祖父のすべてから逃れるようにして、将棋に打ち込んだ。
 剣の道に絶対にすべてを注ぐような事はしない。
 そして。
 私は。
 女として生きる道からも、距離を置いた。
 祖父は私に心王一鞘流を継がせる気は無いと言いながら、私が剣と女から離れることを厭うた。
 むしろ、より一層、私に剣と女を押しつけるようになった。
 祖父にとっての剣は、いつしか男になるものになっていて、その上もはや。
 祖父にとって私に剣を学ばせることは、私に心王一鞘流を継がせる事と同義になっていたというのに。
 矛盾している。
 どうしようもないくらいに、矛盾している。
 私は、嫌だったのだ。
 どうしようもなく。
 けれど、逃げれば逃げるほど、祖父は追ってきた。
 私はそして、ますます将棋に打ち込み、そして女としての成長の機会を投げ捨てていった。
 しかし。
 逃げ切れなかった。
 そして。
 なにかおかしいことに、気付いた。
 どうして、逃げなければならないのだろう?
 私は、多くのものを失ってはいないだろうか?
 私は剣が嫌いなのか?
 私は剣の道を生きる事自体を厭うているのか?
 私は。
 女なのではなかったか?
 私はそして。
 攻めに、転じた。
 
 
 
 
 ◆ ◆
 
 
 『人を馬鹿にするのも大概にして頂きたい!!!』
 
 腹が立った。
 無性に腹が立った。
 潔癖。
 完璧。
 拘った。
 拘りに拘った。
 それが破られると、信じられないくらいに、怒りがこみ上げてきた。
 曲がったことが許せない。
 無論、自分が曲がったことをすることも許さない。
 損得や利害は関係が無い。
 そういう道を、私は選んだ。
 私の手には、王刀が握られていた。
 
 七花殿と初めて手合わせをしたとき、こんなに腹が立つことは無いと思った。
 剣を持たず防具もつけず、それで剣の勝負をせよ、などと。
 人を馬鹿にしている。
 それで勝てると思っているかどうかは関係が無い。
 私に無防備な相手に剣を振るわせようとする、それこそが許せない。
 私はその前段に、とがめ殿と将棋の勝負をした。
 勝てなかった。
 私の未熟を余すところなくみせつけられるような、そんな完敗だった。
 清々しい。
 そして私は。
 勝ちたい、と思った。
 どんなことをしてでも、と。
 その次に、七花殿と剣で勝負した。
 私は、突っぱねた。
 ちゃんと型どおり、勝負して頂きたい!
 勝てればよい、などと微塵も思わず、ただ逆に、相手がそう思っていることが無性に鼻についた。
 許せない。
 私のその手には、王刀が握られていた。
 
 
 
 王刀楽土。
 それはまっさらに、清冽に、ひとつに纏まる境地。
 そして。
 言うなればそれは、少なくとも私にとっては、私が押しつけられてきた数々のものを、
 再構成し、再び私のものとし直すための、その中でのひとつの境地だった。
 私は、剣が好きだ。
 いや。
 剣が好きだと言えるようになりたかった。
 王刀、楽土。
 剣が好きだと言えるように、なぜかなっていた。
 なにをしたのだろう。
 私はただ、王刀を握っただけ。
 そして王刀を握り、心王一鞘流を継いだその瞬間から。
 私は、なにかに囚われた。
 そしてその御陰で、別のなにかから解放された気がした。
 一心不乱に、剣を振るった。
 道場を磨き尽くし、改めて一個の剣士としての精神の錬磨に尽くした。
 まるで、一本の刀になったかの如く。
 それは、徹底して行われていくものになった。
 祖父は・・・
 よくよくみれば、甘かった。
 剣士として、実力のほどはともかく、駄目なところはいくらもあった。
 私は、そこをこそ、祖父に代わり修正し、そして、祖父を越えて極めようと思った。
 そうすれば。
 祖父を越えられる。
 祖父から、逃れられる。
 剣を捨てずに、剣を得ることで、祖父の押しつけをはね除けられる。
 王刀楽土。
 鎮かに、厳かに、魂を込めて。
 祖父は
 よくよくみれば、甘かった。
 女になろうとした者として、その知識や技術はともかく、駄目なところはいくらもあった。
 私は、そこをこそ、祖父に代わり修正し、そして、祖父を越えて極めようと思った。
 そうすれば。
 祖父を越えられる。
 祖父から、逃れられる。
 女を捨てずに、女を得ることで、祖父の押しつけをはね除けられる。
 王刀楽土。
 激しく、淫らに、怒りを込めて。
 
 私は王刀を手にして
 祖父から剣と女を勝ち取ったのだ
 
 
 私は女が好きだった。
 それゆえに、女は形だけでは無いと思っていた。
 べつに女らしい格好をしなくとも、女らしい物を求めずとも、女に必要な知識を学ばなくとも、
 女が女で無いことなど無い、と思っていた。
 私は誰がなんと言おうと、女だ。
 だから、たとえ剣の道に没頭しても、私が女であることを貶める事は誰にも出来無い。
 だから・・
 私は、私らしい女を、この道場の中に顕現させたかったのだ。
 祖父が思い描き、そして固く囚われた、女の幸せを得られない道場を、塗り替えたかった。
 そして私は。
 祖父を想った。
 それが、祖父のためになる、と。
 それが、私を想い育ててくれた、祖父の恩に報いることになる、と。
 祖父のために。
 先代のためにも。
 
 そう
 
 私は
 王刀を振るい
 
 
 +  そうして祖父に斬りつけていたのだ
 
 + 祖父を 祖父の私への侵略を 憎悪するがゆえに
 
 +   私は 祖父を敬愛した
 
 +  祖父から逃れるために
 
 + 祖父のためにという言葉を叫び続けた
 
 
 + 王刀楽土
 
 + それは
 + 祖父を愛し敬うことで得られた、祖父のいない世界。
 
 + 祖父の支配から逃れるために。
 + 祖父を、支配した。
 
 
 私は
 王刀で
 決して斬れない
 けれど
 打てば、頭を砕き内臓を破裂させ気管を潰す、その木刀で
 
 祖父を殺したのだ
 
 
 私は
 祖父にやられたことを
 きっちり、そしてそれ以上にして。
 やり返していた。
 そして。
 祖父と同じことを。
 それ以上のことを。
 ひたすら
 繰り返していた。
 その私の手には、確かに今、王刀が握られている。
 
 
 
 
 
 
 ◆ ◆ ◆
 
 真っ直ぐに、真面目に。
 歪んでいる。
 
 私は、素直に自分のことを、そうおもう。
 私は未熟者だ。
 私は・・
 祖父の孫に対する愛情を、そのまま受け止めて、そしてそのまま育つことが出来無かった。
 どうしても、考えてしまう。
 けれど、考えてしまう割には、本質を掴めない。
 私は俗物だ。
 私は・・
 祖父を厭うたことが、実は一度も無い。
 祖父と喧嘩したときも、ただ好きな将棋の事に口を出されるのが嫌だったからであり、
 それが祖父に私の色々が支配されている事への反発だなどということは、当時わかってはいなかった。
 それがわかったのは、七花殿と改めて勝負し、敗北し。
 そして王刀を手放した、そのときだった。
 そのときまで、私は真実、祖父を敬愛していた。
 そして、私の真実にまるで気付いてなどいなかった。
 私が考えていたのはただ、大好きな祖父の与えてくれたものを、如何により良く改良し、
 祖父が与えてくれたもの以上のものによって私が幸福になり、そして。
 その孫の幸せを祖父に見て貰いたい、ということだけだった。
 
 そして私は、俗物だった。
 
 私は、女とはなにかわからなかった。
 そして、祖父はわかっていると言う。
 ならば、その祖父の知っている女というものに、私はなりたいのか?
 なりたいとは、思わなかった。
 正直、祖父の与えてくれた女というものが、私に幸せを与えたことは無かった。
 幸せを与えてくれたのはただ、そうして孫に懸命に色々と教えてくれる、
 その祖父に対しての私の敬愛の心だけだった。
 私は、幸せになりたかった。
 だから。
 私は、その祖父への敬愛の心を、貪った。
 貪欲に、どうすればもっと祖父への恩に報いることが出来るかを、ただ必死に考えていた。
 結果。
 
 私は、女としての成長の機会を、多く損ねた。
 
 私はずっとこれまで、そうした祖父への想いのあれこれに終始していた。
 仏頂面を磨き上げ、綺麗事を諳んじ、純粋不変に形式を重んじた。
 確かに私は一筋だった。
 祖父への、敬愛と、そして憎悪に。
 俗物。
 俗物もそれ一筋に固めれば、そうは見えなくなるというだけの話。
 私にとって、この心王一鞘流の道場は、ただひたすら、私が女になるためのものでしか無かった。
 そしてその私の描く女というものは。
 ひどく
 歪んでいた
 それはもう
 真っ直ぐに
 一筋に
 歪んでいた
 
 ほんとうに
 
  それは もう
 
 
 
 
 
 ・
 
  ・
 
    ・
 
       ・
 
 
 
         本当は嫌だった
         馬鹿みたいだと思っていたんだ
         剣の道場の しかも名門心王一鞘流十一代当主を祖父に持つ この私が
         あんな きらきらしているだけの 軟弱なものを身につけるなんて
         男達が羨ましかった
         どうしてあの人達はなにも言われないの?
         私だって もっと自由に・・
         祖父が私に着せようとする着物の そのすべてが嫌いだった
         嫌だ 嫌だ   私はいっそ男になりたい
         でも祖父の 祖父による女の教育は 浸透していった
         私は道場を継ぎたい
         なのに祖父は私を女として育てて 道場の跡を継がせる気も無い
         嫌だ 嫌だ こんなの着たくない でも でも
         祖父の想いを裏切るのも嫌だ
         つらい
         どうして 認めてくれないの
         どうしてっ
          だから 逃げた
          真っ向から 逃げた
          祖父は 女物の着物の綺麗さを 星の数ほどの言葉を使って褒め称えた
          私もその気になってきた
          もし私が 祖父の言う通りに 女として生きれば
          祖父の言う女の幸せを楽しむことが出来れば
          そう思った途端 楽しくなった
          馬鹿みたいだけど 馬鹿だからこそ 楽しいじゃないか
          馬鹿を楽しめばいいんじゃないか
          祖父の与えてくれたものを身に纏い、その楽しみを噛み締めた
  
          祖父の 言葉の 通りに
          その楽しみは 女の幸せは
          祖父の ものだった
 
           嫌で 嫌で 嫌でしかなかった
           嫌でしかなかったのに 幸せを楽しんでいる自分がいた
           嫌なのに 笑顔で 楽しいと言っている
           私がいる
           それは誰だ?
           嫌だ 嫌だ嫌だ
            王刀楽土
            私は祖父の与えた女を否定した
            私は祖父の与えた言葉で出来た女を否定した
            そして私は 私の言葉で出来た女を創造した
            私は心王一鞘流を継ぐ
            意地でも継ぐ
            私の創造した女は 人間らしさを失っていた
            男でも無く 女でも無い
            そういう 女
            清冽な気分
            女
            女
            いっそ男になりたい
            男を多く取り入れた 女
            歪んでいる
            
 

 

 

私は

ただ
 
心王一鞘流当主の孫に生まれたのが
つらかっただけ
 
私は跡を継ぎたいと、本当におもっていたか?
 
 
 
 
 
 
 
 心王一鞘流の門下生に、跡目を継げるだけの実力を持った者は、初めからいなかった。
 祖父はそしてだから、最初から自分の代で心王一鞘流を終わらせるつもりだったのだろう。
 十二代目当主となった今、私にはそれがよくわかる。
 祖父は厳格だった。
 そして、優しかった。
 そして、甘かった。
 祖父は、人を育てるということを、根本から知らない人だった。
 だから常に門下生に、祖父の望む実力を要求し続け、またそれだけだった。
 跡目を継げるだけの実力を持った者がいない、ということは、
 つまり祖父が跡目を継げるだけの者を育てることをしなかった、ということ。
 それでいて、心王一鞘流はこれで終わりだなどと、よく考えれば身勝手な話だ。
 おそらく、門下生達もそのことを感じ取っていたがゆえに、皆離れていったのだろう。
 そして。
 その空気を、最も色濃く、そして残酷に感じていたのが、ほかならぬ私だった。
 私は祖父の孫。
 なんとかしなくちゃ。
 どうしよう。
 心王一鞘流は血縁では無く、実力で代を継ぐ。
 だから私が頑張らなくちゃ。
 矛盾している。
 祖父に認められてはいないとはいえ、私より実力が上の者は門下生の中に幾人もいた。
 私が気張って跡を継ぐ理由はなにひとつ無かった。
 なのに。
 私は、怖かった。
 門下生達の視線が。
 祖父への言葉にならぬ批判が、私に向けられている気がした。
 私は・・・
 
 私は俗物だ
 
 おそらく
 本当は門下生達は、私になにも望んではいなかったのだろう。
 それ以前に、なにも思ってはいなかっただろう。
 私が勝手に、悪く思い込んでいただけだ。
 そして、それが、私の世界だった。
 俗物。
 私が門下生の姿に悪意を感じ取ったのは、悪意がそれを映す私自身の瞳にあったからだ。
 私は、門下生達を、馬鹿にしていた。
 非常に、俗なものとして。
 私は
 祖父を、馬鹿にしていた。
 祖父が私に与えてくれるものの、そのすべてを俗物だと切り捨てた。
 それは、私自身が俗物だからだ。
 私の批判精神そのものが、俗の範疇から抜け出ていず、またそれによってでしか出来ていなかった。
 そして私は、俗なるものを嫌い、清冽に、厳格に、生きようとした。
 それに拘った。
 そして、形式に拘るだけのことも俗とおもい、けれどそれは俗であるがゆえに、
 それを理解した上で、楽しめばいいと。
 楽しむことで、乗り越えられる、と。
 そう思った。
 私は私の厳格ぶりを、楽しんでいた。
 楽しんで、馬鹿をやっていた。
 俗物だ。
 俗
 俗
 
 王刀楽土とは、その俗を憎むがゆえに、それを楽しむことを指すのだろう。
 祖父に対して、心の奥底で私は反発していた
 けれど、その反発を突き詰めても、誰もそれを認めてくれず、生殺しだった。
 私はそれから逃げた。
 反発を意識することは出来ずに、そのまま飼い殺しにしたまま。
 祖父の押しつけを、それを押しつけと理解しつつ、敢えて、楽しんだ。
 自分なりの改良を加え、そして。
 それを受け入れることを第一として。
 私は・・
 そうして祖父の押しつけをはね除けるためにこそ、
 祖父の与えたものを改良しそれに上書きを重ねようとした。
 反発がその根底にあったのだ。
 しかし、それは実は、そうして反発を続ける私への怖れこそが、その本質だった。
 私は祖父に反発したい、なのに反発するのが、怖い。
 結果、改良しようとなんだろうと。
 私は、女を受け入れていた。
 その女を創造したのは私だが、その発祥はすべて祖父だった。
 祖父に受け入れられたい。
 それだけだった。
 どこに反発があるのだろうか。
 私は、反発を仕遂げることが出来無かったのだ。
 祖父から・・・
 自立できなかったのだ。
 私は、私発祥の女を、生きられなかったのだ。
 
 心の鬼を心で斬ると書いて、慚愧。
 私は、心の鬼を斬り続けた。
 斬って、斬って、斬り続けた。
 剣で。
 王刀鋸で。
 斬って、斬って、斬り続けた。
 鬼を斬り続けた。
 気付けば。
 私が、鬼になっていた。
 鬼をひたすら斬り続けるという、鬼になっていた。
 私の心はどこにいった。
 心で斬らねば、人は鬼になる。
 王刀は斬れない。
 しかし斬れなくとも殺すことは出来る。
 ならばそれは、剣。
 私は斬ること自体を怖れ、斬らないことを選んだ。
 けれど斬らずとも、殺していたのだ。
 木刀でも、打てば殺せる。
 私はそうして、殺して、斬っていたのだ。
 殺してなどいない、斬ってはいないと信じながら。
 
 
 
   『剣をとった方が弱くなるなど、まるで呪いのようですね。』
 
 
 
 
 
 
 
 ◆ ◆ ◆
 
 
 とがめ殿と七花殿を見たとき。
 私は、私の感情を感じた。
 羨ましいと、言葉を口にしたとき。
 初めて。
 笑顔抜きで、楽しさを感じた。
 仏頂面のまま、私は自分の女を知った。
 ああ、そういうことなのかと。
 まるで、初めて言葉を覚えたときのような、それはそんな感覚だった。
 なのにその言葉は、あまりにも、私にしっくりと馴染んでいた。
 馴染みすぎて、だからそれが、私にとって初めてのことでは無かったということが知れた。
 
 とがめ殿は、不思議な人だ。
 私と同じように言葉を遣いながら、しかしそれとはきっかりと分かれたものを持っている。
 とがめ殿の筋の通った論理の向こうに、七花殿への想いをはっきりと感じた。
 ああこの人は、私が歩めなかった別の可能性の道を歩いている人なのだ、と。
 初めて、自分と同じ女性を見て、感じた。
 不思議な感じだ。
 無論私はこれまでに多くの女性を見、そして話をしたこともあるが、こんな事は初めてだった。
 私がこれまで出会ってきた女性達は、私にはただ、俗物にしか見えなかった。
 私には・・・祖父が私に押しつけ与えた女を、ただ馬鹿みたいに受け取っている人達としか見えなかった。
 けれど、とがめ殿と出会って。
 それが、消えた。
 なんて、活き活きとしているのだろう。
 こんなに厳格に張り詰めていながら、どうしてあそこまで軽やかに自分の気持ちを生きられるのだろう。
 とがめ殿が私にみせた姿は、私の姿と大差無いものだった。
 言葉で以て己を作り、言葉で以て生きる。
 それなのに。
 どうしてなのだろう。
 これが、女、というものなのだろうか。
 そして私は、はっきりと悟った。
 自分が、俗物である、と。
 私が今まで出会ってきた女性を俗物としか見なかったのは、私自身がどっぷり俗に浸かっていたからだと。
 そして。
 ただ。
 とがめ殿という、この人とのたった一度の出会いが無かったばかりに。
 私はずっと・・・
 
 七花殿は、剣を持たない虚刀流という流派の当主だという。
 しかし私と正当に勝負するために、私に弟子入りをし、剣を使う剣術を学んだ。
 とても、楽しそうだった。
 なんのてらいも無く、ただあるがままに、楽しんでいた。
 七花殿の瞳は、綺麗に澄んでいた。
 そして、その瞳に映っていたのは。
 濁りが過ぎて、その濁り一色に完全に染まったがゆえに逆に澄んでいる、そんな瞳をした私の姿だった。
 羨ましかった。
 私は・・
 きっと、王刀が無ければ、駄目になる。
 けれど逆に、王刀が無ければ駄目になる、と思うことしか出来なくなっているがゆえに、駄目なのだ。
 王刀が無ければ、私は弱い。
 私は丸裸になってしまう。
 そこにいるのは、女として未熟な弱い弱い人間だけだ。
 剣があるからこそ、私は強い。
 ということは、それはつまり、剣があるからこそ、私は弱いままだ、と言えるのではないだろうか。
 私こそ、剣を持った方が弱くなるのだ。
 心の鬼を斬る王刀があったからこそ、私はそれに頼り、ひとりの心ある女として成長出来無かった。
 ゆえに、心で、鬼を斬る修行を怠らざるを得なかったのだ。
 心の鬼は、心で斬らねば、斬った者自身が鬼になる。
 私は・・
 丸裸の、女として未熟な弱い弱い人間として、そのまま鬼を斬ることが出来無かった。
 七花殿は、ずっと、心で、そのままの自分で、鬼を斬り続けてきたのだろう。
 男、として、生き続けてきたのだろう。
 だから、剣をとって剣で斬ろうとすると、逆に弱くなる。
 とがめ殿も、おそらく・・
 
 
 
 
 
 ◆ ◆ ◆ ◆
 
 
 私がこうなったのは。
 こう、育ってきたからだ。
 いや。
 しっかりと言わねばならないだろう。
 私がこうなったのは。
 こう、育てられてきたからだ。
 そして。
 私が、このように不器用極まり無くも、なんとか足掻きつつ生きながら、
 実に様々な愚かで間違った方法をなぜ取ってきたかと言えば。
 これはもう、ごくごく簡単な話だった。
 そういう方法しか、学ばなかったからだ。
 そして、これもはっきりと言わねばならないだろう。
 私がそういう方法しか学ばなかったのは。
 私にはそれしか学ぶ環境が無かったからだ。
 
 それは。
 私のせいでは、無い。
 
 祖父のせいだ。
 
 私は・・
 それが
 それだけが、どうしても、言えなかった。
 いや、思うことすら出来無かった。
 私の誇りが許さなかった。
 だが・・
 とがめ殿と、そして七花殿と出会って。
 初めて私は、私の体の奥底にあるなにかを、押し開かれた気がした。
 自覚。
 私はずっと、私がこうなったのは私のせいだと呟き続けることで。
 現実から、目を背けていた。
 私のせいだという誇りを纏うことで、そのまま間違った自分のまま押し通す覚悟に身を委ねることに、
 ただただ逃げていた。
 祖父への敬愛と、恩に報いようとする想いに執着した。
 王刀がその助けになった。
 自覚。
 私がこうなったのは全て祖父のせい。
 たったそれだけのことが言えないばかりに、私は私という現実から目を背けていた。
 私は、女になりたい。
 女として、成熟していきたい。
 ただただ、それだけだったというのに。
 けれど。
 私を育てたのは、祖父だった。
 祖父は、女では無く、男だった。
 そして祖父は、私の親代わりだった。
 今思えば、親にしろ親代わりにしろ、それが子に与える影響は甚大だ。
 それが全ての基になる。
 私は・・
 女として成熟するために必要な、その根幹のものを与えられなかったのだ。
 与えられたのは、上辺だけのもの。
 そして上辺だけのそれは、自分の努力で本来手に入れられるもの。
 親だけで無く、周囲の人間達との関係の中で、それらは手に入れていくものであり、
 それ自体を怠ったのであれば、それは間違いなく私のせいだろう。
 けれど。
 それらのものは、女親にのみ与えることの出来る、女としての根幹のものを持たねば、
 手に入れることは出来ても。
 決して、身につくことは無い。
 私には、それこそ手に入れるべきものとしての女は沢山ある。
 けれどそれらのなにひとつも、身につくことは無かった。
 それは。
 私のせいでは無い。
 私には、どうすることも出来無いことだったのだ。
 そして、私がそれに苦しみながらも、それでも足掻いてなんとか身につけようとしてとった方法の数々、
 それこそ、親としての祖父から、私が無意識のうちに学び取り、そして我が身についたものだったのだ。
 
 
  私と祖父は、奇妙なほどに、よく似ている
 
 
 
  自覚
 
  ただそれだけを 自覚する
 
 
 
 祖父がそうなったのは。
 無論。
 祖父の親がそうだったからだろう。
 ゆえに、祖父がそうなったのは。
 祖父のせいでは、無い。
 ただそれだけの事なのだ。
 私は、祖父への反発を持っている。
 それが、怒りや憎しみとして顕れている。
 反発は、祖父からの自立として必要なものだろう。
 そして。
 私は。
 祖父を怨んではいない。
 私がこういう人間に育ったことを、怨んでいない。
 私をこう育てたのが祖父であり、それが祖父のせいであることに間違いは無いが。
 私は。
 怨んでいない。
 むしろ。
 
  私がこうして
 
  自分がどういう人間で
 
  どういう風に育ち どういう風に足掻いたのか
 
  それを自覚し
 
  そしてなにより
 
  その自覚に基づき、改めて自らの正しい道を歩んで生きたいと思えたことを
 
  嬉しくおもう
 
 
 
 
 
 
 
 
− 私は きっと  −
 
− 祖父のようには なりたくなかったんだ −
 
− けれど −
− その一点に囚われるあまりに −
 
私は
 
 
 
 
 
 
 そもそも、七花殿。
 私が色々と王刀を使ってやっていたことは、その必要があったがゆえの事だと思うのです。
 私は祖父に反発していました。
 そして同時に、祖父のようにはなりたくないと、心の奥底で思っていたのです。
 だから、私は、色々なものを学んだ。
 私はちゃんと、自分の性に基づき、しっかりと女として生きたかった。
 しかし
 私が祖父以外から学んだ女というものは、祖父の押しつけるそれと本質的に大差が無かったのです。
 私はそれにも反発する事を余儀なくされてしまった。
 このままでは、祖父と同じように、自分の性に、女の自覚を持てずに生きられなくなる。
 焦っていたのでしょう、私は。
 だから。
 必死に女になろうとした。
 そして、無理矢理自ら言葉によって創り上げた女になろうとした結果。
 私は、女になることを、女として成長する機会を減じてしまった。
 おそらく。
 祖父もまた、同じだったのでしょう。
 私と同じことをやっていたのでしょう。
 そして私は。
 
 それを徹底して行った
 おそらく
 祖父のそれを越えて
 
 ゆえに
 気付けたのです
 
 その 私の そうしている私の姿に
 
 
 
 むしろ、私がそうして王刀楽土に囚われることが無ければ、
 私のこの気付きと自覚も無かったのでは、と、そう思うのです。
 自分では、とても長い周り道をしてしまった人生のような気がするのですが、でも実際は、
 これこそが私にとっての、最短距離だったのではないか、とさえ、これもまた思うのです。
 無論。
 私の本当の幸せへの最短距離、という意味です。
 
 私は祖父によって育てられました。
 つまり、ひとつの型がそこで生まれたのです。
 私はそこで、その型に合うべき物を、沢山吸収し、
 そしてその型としての成長を遂げることが出来ればそれで良かったのでしょうが、
 しかし残念ながら、私が得ることが出来たのは、その型に合わないものばかり。
 もどかしい限りでした。
 ゆえに私は、型を変えようと躍起になったのです。
 でもそれは不可能でした。
 それだけは、変えられないことなのでしょう。
 それを無意識のうちに悟った私は、今度は、私の型に、それと合わない物を無理矢理押しつけ、
 その合わない感覚そのものを楽しむことのうちに。
 幸せを見つけようとした。
 愚かなことです。
 それではいっこうに、その私の型としての成長は望めず、ただただ空回りが続くだけ。
 そして、あろうことか、どうやら私にはその空回りの速度をひたすら上げる才能があったようで、
 その空回りの回転が、あまりに速すぎて、
 まるでそれがきっちり止まって、そして型にはまっているようにみえてしまったのです。
 
 それを、王刀楽土、というのでしょう。
 
 その御陰で、私は鎮まりながらも疲弊を重ねていました。
 人として、女として未熟なまま成長が止まる、というのはなにか美しく語られる向きもあるとの事ですが、
 それを地でいった私としては、それは大変に醜く、またとても無理のあるものだとしか言えません。
 けれど。
 七花殿。
 その醜さと、その無理さと。
 そして、そのなんとも言いようも無い、そして誰にも言えない苦しみが私を捉えたからこそ。
 私は。
 それにこそ。
 このどうしようもない不毛な構図にこそ。
 嫌だ、と。
 心底、おもうことが出来て。
 そしておそらく。
 それが、私の、初めての心の始まりだったのだと思うのです。
 もう嫌だ。
 そしてそれが、その感情から始まった、私の女の初めなのです。
 それは、まさに私の型にぴたりと一致するものでした。
 私のこの、真っ直ぐにねじ曲がった型に合う物は、そうそう無いでしょう。
 けれどだからこそ。
 それを見つける覚悟が、定まりました。
 それを見つけるために払う代償にこそ、私は今、価値を感じています。
 その価値がまた、面白いことに、ぴたりと私の型にはまるのです。
 見つける覚悟が定まった途端、ぴたりぴたりと、探す間も無くはまっていくのです。
 
 必然を、感じますね。
 
 まるで、私という存在が、そうなっていくように初めから仕組まれていたような感じすら覚えます。
 私にとって、私というものは異質物にしか感じられませんでした。
 けれど、私が異質であるということも含めて、それが自然のことである、という感じが、
 今まさに私を包んでいるのです。
 私が私として生きること自体が、なにかこう、大きな流れに即していることになるのではないか。
 私のような人間が、私の家系の、そして心王一鞘流の果てに現れたことには、ちゃんと意味がある。
 私がその流れの中から生まれた私であるという自覚を持ったとき、
 我が家系に、そして我が流派に受け継がれてきたもの、良きもの悪しきものを含めて、
 それを変えることが可能になる。
 別にこれは運命論的なことを言っているのではありません。
 私にとって、私の世界にとっての話ですよ。
 そして。
 私がそうして、私は私だと自覚し、
 それを私の世界の中にある大きな流れの中で捉えることが出来た時。
 
 
 
  −  私は 私の王になるのでしょう
 
 
 
 
 私は女として、改めて生きていきます。
 私の中の女が未だどういうものかはわかりませんが、そのままを信じて生きていきます。
 そして、私は心王一鞘流十二代目当主として、信じるままに生きていきます。
 女として、剣士として、全くの未熟者では御座いますが、精進して参ります。
 と言っても。
 私がするべきはただひとつ。
 己の感情のままに生きること。
 嬉しいときに、笑い。
 つらいときに、泣く。
 それと心王一鞘流の剣士として生きる事が矛盾するとは、思いません。
 私が勝手に思い描いた男のような仏頂面を無理して下げる理由もなければ、
 私が勝手に思い描いた女のような笑顔を無理して魅せる理由も無い。
 嬉しいときにこそ、顔を引き締めるなど・・
 つらいときにこそ、敢えて笑うなど・・
 そんなことは、もう・・二度と致しません
 
 心のままに
 あるがままに
 
 その私の有り様を
 すっと
 ひと鞘に収める
 
 そういう素直で自然な流派に、我が心王一鞘流を染めていくことが出来るように、
 私こそ、そのままの私を生きられる強さを得るためにこそ、励みたいと思っています。
 私にはそれが出来るでしょう。
 それが出来るための準備はもう、充分整い、そして。
 既に、動き始めている。
 それがゆえに、七花殿ととがめ殿と出会ったときに、私は私の感情と出会う自分を怖れなかったのです。
 私は未熟です。
 しかし、未熟でいる事自体に、意味があった。
 間違った熟し方を選ばないよう、己の正しき成長への道を敷設し続けていたのでしょう。
 それが、完了した。
 これまでの事は、すべて、そのための布石。
 そして、それは王刀と私の出会いも含めての、こと。
 
 
 
 
  『私にはまだ、この刀を持つ資格は無いようです。
 
   
     いえ、逆ですね
 
 
               
                 私は、この刀から、充分な力を得ました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 私はただ私のままであればよかった。
 私は女。
 その女の私の感情、気持ちがわからなければ、他者の気持ちがわからないのは必然。
 私は女として、女を感じながら生きていく。
 そうすれば、女の気持ちがわかってくるのでしょうね。
 私が女道場主として、女としてあるがままに振る舞えば、
 もしかしたら、女性の入門者も入りやすいかもしれません。
 私がただ女のまま活き活きとして、己を楽しんでいれば、同じ女として、それはとても接しやすい。
 それがそのまま門下生を増やすことに繋がれば、それに越したことは無い。
 私は門下生を増やすために女らしく生きるのでは無く、女らしく生きた結果、
 自然と門下生が増えるし、増えなくともそれはそれで構わない。
 いいですね、それは。
 夢があります。
 
 そしてそれは
 剣もまた、同じなのかもしれません。
 私は剣が好きです。
 好きなまま、想いのまま剣を振るい、その様に感応したものに、私はそれを教える事が出来る。
 いえ、教えることが出来るためには、私はまだ己の剣を知りません。
 逆にいえば、己の剣を知ること、すなわち己の剣に対する気持ちを知らねば、
 本当は剣を教えることなど出来無いし、また剣士を育てることも出来無いのでしょう。
 だから。
 いいですね、なんだか本当に。
 なにかが、拓けてきた感じがします。
 
 私は先ほど、素直で自然な流派に心王一鞘流を染めていきたいと申し上げましたが、
 よくよく考えてみれば、我が流派は元々そうして、何代目かの当主がそう願い、
 それを実現させるために培われてきたものだったのでは、と思います。
 言い換えれば、このような望みを持った私、十二代目汽口慚愧を生み出すために、
 営々とその代を継いできたのかもしれません。
 無論、我が家系に於いても、それは同じことでしょう。
 そうおもうと、なぜだかとても、心が安らぎますね。
 何も、誰も、間違っていることなど、無かったのだ、と。
 
 
 
 そう。
 私は私。
 私は女。
 私は剣士。
 女として、剣士として、未熟者。
 私は未熟。
 けれど。
 未熟であるからこそ、私。
 いえ、違いますね。
 未熟も、私のうち。
 私が私で無いことなど無い。
 だから、成長を感じることが出来る。
 私は私を感じることが出来る。
 感じるままに、生きていこう。
 心のままに 真っ直ぐに
 王刀が無くとも、大丈夫。
 いえ
 王刀を手にして足掻いた、私がいたからこそ。
 私は大丈夫。
 またお会いしましょう、とがめ殿、七花殿。
 
 『そのときを楽しみに、私は心王一鞘流の看板をこれからも守り続けようと思います。』
 
  『看板って、看板は王刀じゃなかったのかよ?』
 
 
 『心の鬼を心で斬る。
   これを以て慚愧と名乗る。
   
  
   こ れ か ら は 、 私 自 身 が 看 板 で す 。
 
 
 
 
 
    看 板 娘 で す っ ☆
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ・・・
 
 
 
 
 
 えっと・・その・・・
 
 とがめ殿、七花殿・・・なにか仰ってください・・さすがに私も・・恥ずかしい
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
                        ◆ 『』内文章、アニメ「刀語 第九話 王刀・鋸」より引用 ◆
 
 
 
 
 



 

-- 110108--                    

 

         

                              ■■ アニメ、でゲソ♪ 2 ■■

     
 
 
 
 
 君に届け。 (挨拶)
 
 
 
 恋愛モノが苦手だ。
 その理由は至極簡単で、そして至極残念なものだ。
 恋愛モノが大好きだ。
 好きで、好きで。
 どうしようもなくなる。
 だから、苦手だ。
 好きとか、嫌いとか。
 苦手だ。
 好きとか、嫌いとか、それしかなくなってしまうから。
 それだけだと、どうにもならなくなってしまうから。
 どうにもならなくなってしまうことが、苦手だ。
 どうにもならなくなってしまうことは、好きなのに。
 好きなのに、苦手だ。
 好きだから、苦手だ。
 
 
 自分の気持ちに鈍感な訳では無い。
 むしろ敏感過ぎるほどに敏感だ。
 敏感で、鋭敏で、容赦無い。
 だから、苦手だ。
 鈍感じゃなきゃやってけない。
 そして鈍感さを選ぶから、いつまで経っても敏感さに慣れない。
 作られた鈍感さに慣れてしまうから、敏感さを怖れてしまう。
 そして不感になる。
 自分の気持ちがわからなく、なったような気になる。
 自分がなにも感じなく、なったような気になる。
 恋愛モノが苦手だ。
 あっさり、自分の気持ちがわからなくなにも感じなくなったような自分を、突破するから。
 恋愛モノが大好きだ。
 自分の気持ちと向き合わざるを得なくなる。
 自分の気持ちと向き合う自分が好きになれる。
 どんどん、どんどん、それは進んでいく。
 自分の気持ちに鈍感になりたいときは、いつでも、いくらでも、ある。
 その必要もある。
 鈍感力は必要だ。
 鈍感になっていい。
 それは。
 恋愛モノが、存在するから。
 
 いつでも、鈍感を突破して解除してくれる、そんな敏感力が、それにはあるから。
 
 
 
 はい、ごきげんよう、紅い瞳です。
 頑張るとか努力するとか取り敢えず放っといて、まったり自分のリズムで生きてる昨今の私ですが、
 それはつまり色々とあれこれと考えて感じてうがーってなりやすい残念な私にストップをかけている、
 ということであり、つまりそれは鈍感力の発揮であり、で、まぁ、それが安心して出来るようになったのは、
 やっぱり「君に届け」みたいなアニメがあるから、なんじゃないかなぁ、って思うがです。
 つーか、恋はいいよー恋は。 ←飛躍
 やっぱしあれこれ考えて感じて、思い遣りとか気遣いとかツンデレとか、もうぐるぐるになっちゃって、
 自分の気持ちとか相手のこととか、もうほんと病的に考えてがーってなっちゃう、それよそれ、
 やっぱそういうのって、変な方向にいっちゃうと自分追い詰めちゃうけど、それ自体はとっても良いこと
 っていうか自分にすごい刺激与えてて、だからね、なんかこう、丁度いい感じに安心してまったり
 ライフを過ごすスタイルが確立し始めている今日この頃に、君に届けがきてさ。
 なんか、いいな。
 ていうか、むしろ。
 やばいやばいやばい。
 すっげ素直にぐるぐるになっちゃってるよ私。
 なにこれ、第一話からいきなり総集編だったのに、かつてこんなにぐぐっときた総集編無いよ。
 やべー、なんかすっごいハッピーな気分になってきた。
 ほっこりして、べたべたして。 べたべたってなんやねん。
 そしてなによりこう、胸がこう。
 すーって。
 穴、空いたみたいで。
 ぎゅいーん。
 一気に、吸い込まれる。
 物凄い、流れ。
 はー。
 今ならはっきり言えるね。
 私は恋愛モノが大好きです。
 君に届け2ND SEASONにがっつりハマりました。
 やばいやばいやばい。
 くるみとシンクロしまくってるぞ今の私。
 はー。
 なんか、自分の気持ちを通して、人の、相手の気持ちと繋がっていくよ。
 そして。
 相手の気持ちを詮索して、考えて、想像して、どうすれば好きな人のためになれるか、とか。
 そして、すぐに直帰で戻ってくる。
 自分は、どうしたい?
 気付けば体が、口が動いてる。
 君が好き。
 この想い、君に届け。
 陥落。
 わたくし紅い瞳は、陥落致しました。
 紅い瞳はアニメ「君に届け2ND SEASON」を絶賛応援申し上げます。
 
 
 
 
 ということで、今期の私は君に届けで決まりです。
 他の作品?
 んー、夢喰いメリーと、インフィニットストラトスと、GOSICKを観たけど・・
 観たけども・・・
 
 夢喰いメリー:
 ヘソがエロい。
 
 インフィニットストラトス:
 女子諸君によるオリムラ君の楽しみっぷりがよい。
 
 GOSICK:
 ゴスロリ少女が床ゴロゴロ。
 
 っていう感じです。
 なんだこれ。 (お前がなんだ)
 特筆すべき点は無し。
 君届だけがあればいい。 (盲目)
 
 
 
 ◆
 
 
 はい。
 あとはえーと、前期アニメ感想の残りを書かせて頂きます。
 今回は、「そらのおとしもの f」「えむえむっ!」「それでも町は廻っている」の三本です。
 長いです。
 よろしくお願いします。
 では。
 
 
 
 
 
 そらのおとしもの f:
 この役立たず。
 そう言われたら、どう思う?
 カチン。
 ふざけんな。
 そう思うに決まってんでしょ。
 どうして、そう思う?
 べつに私はあんたの役に立つために生きてる訳じゃないからよ。
 馬っ鹿じゃないの?、さようなら、って感じね。
 でも、もし君の前には、そいつしかいなくて、しかもそいつが君の命を握ってて、
 君がそいつの命令を聞かないと、すぐに殺されてしまうとしたら?
 ・・・。
 悔しいけど、私が、如何にそいつの役に立つかを説明するわね。
 その説明に納得してくれなかったら?
 そんなの、行動で示すわよ。 それで役に立ってる証拠を突きつけてやるのよ。
 それじゃ足り無い、って言われたら、どうする?
 ・・・。
 なめんじゃないわよ、って感じで、どう見ても納得せざるを得ないようなものを突きつけてやるわ。
 君にそれが出来る?
 出来なきゃ出来るようになるまでよ。
 それこそなめないで欲しいわね、私は有能なのよ、どんなことだってやってみせるんだから。
 それが君の誇り?
 そうよ、私はたとえどんな境遇であろうと、その中で力強く生き延びてみせるわ。
 それだけの力があるし、そしてそういう私に誇りを感じているわ!
 でも、君に無理難題を突きつけるそいつは、君のこと、出来損ないって言ってるけど。
 ・・・。
 それでも私はやんなきゃいけないのよ・・・
 この役立たず。
 出来損ない。
 お前なんか生きてる価値が無い。
 !?
 なんであんたがそんな事言うのよ!?
 あんたにまで言われる筋合い無いわよ!!
 この役立たず。
 出来損ない。
 お前なんか生きてる価値が無い。
 うるさいうるさい!!
 私は役立たずなんかじゃないわ!
 私だって、私だって、羽さえ・・・羽さえまた生えれば・・・・っ!
 この役立たず。
 うるさいっ! 死ね! 消えろ!!
 出来損ない。
 なんでよ・・・私・・・どれだけ必死で・・・・・・死ね・・!・・・・・みんな死ねっっっ!!
 お前なんか生きてる価値が無い。
 やめてよ・・もうやめて・・・・・いやーーーっっ!!!

 
 私 は 、 ニ ン フ が 好 き 。
 
 その前に、ひとつ。
 私は、アストレアが好き。
 アストレアは、バカ。
 私はバカが好き。
 高性能な戦闘力を持っているのに、ほぼ戦闘力無しの人間の智ちゃんと同レベル以下の戦いを
 繰り広げ、なんか普通に宿無しでいつも腹ぺこで、こっそり智ちゃん家に忍び込んで食材漁ったり、
 ちゃっかり食卓を囲んだり。
 おまけにアストレアは、マスターの命令に忠実。
 けど、アストレアはバカ。
 だから、全然命令がまともに実行出来ずに、なんかやってる。
 なんか色々智ちゃんと残念な死闘を演じたり、部長に恵んで貰ったり。
 そういう自分に気付いて、orzするも、次のターンではすっかり忘れてまたバカをやってる。
 つまり、自分のしてることに、無自覚。
 自分の行動に振り回されっぱなし。
 おそろしく、先が見えない。
 むしろ、後先を考える力がほとんど無い。
 けど。
 ニンフ先輩が身も心もぼろぼろにされたとき。
 アストレアはびっくりした。
 そしてなんとかしなくちゃと思った。
 そして、マスターの命令を受ける。
 ニンフを破壊しろ。
 はい、マスター。
 アストレアは、バカ。
 ニンフにびっくりするほど深く共感させられ、次のターンではマスターの有り難い命令を頂戴する。
 アストレアは、自分の行動に無自覚。
 ニンフを助けたい、ニンフを破壊しなければ。
 アストレアは次のターンには、前のターンにやっていたことを忘れる。
 忘れることが出来るからこそ、前のターンで行っていたことと全く矛盾することを、
 次のターンで普通に行うことが出来る。
 けど。
 忘れる、ということは、消える、ということでは無い。
 ニンフを破壊しなければならない。
 破壊「しなければならない」?
 どうして、ニンフを破壊「したい」じゃないんだ?
 
 ふ ざ け ん な ! !
 
 自分で決めろ!
 お前がなにをしたいのか!   by智ちゃん
 
 役立たず?
 それがなんだ。
 役立たずが夢見ちゃいけないのか?
 出来損ない?
 それがなんだ。
 出来損ないはリンゴ飴食べて泣いたり、お菓子が大好きだったり、
 動物園で動物見て喜んだりしちゃ駄目なのか?
 生きてる価値が無い奴が、生きてちゃいけないのか?
 俺は、いいとおもう。
 ていうか、お前ら、いい加減にしろよ。
 役立たずって、出来損ないって、生きてる価値が無いって、そりゃ一体、誰にとっての話だよ?
 お前らに色々ひどいこと命令してた大馬鹿野郎にとっての話だろ?
 ニンフ。
 お前は、お前のなんの役に立たないってんだ?
 お前は、お前のしたいことのために、なにか足り無いものがあるのか?
 お前は、なんのために生きてるんだ?
 お前以外にとって、お前が役立たずで出来損ないで生きてる価値が無いってんなら、
 そんなの全然OKじゃねぇか!
 アストレアは、バカ。
 アストレアは、なんのために、マスターの命令に従うのか、わかってない。
 ただマスターの命令だから。
 お前は、どうしたいんだ?
 お前はマスターが好きなのか?
 だからそのマスターの命令を聞くのか?
 本当にそうなら、俺はもうなにも言わない。
 アストレアは、それでもわからない。
 自分がなにをしたいのか。
 わかんないわよっ!私バカだもん!!
 ニンフを助けたい、マスターの命令を・・・・・
 そしてアストレアは、力の限りに、鎖を引き千切る。
 
 うるさーーーい!!!
 
 ニンフが出来無くて、けどどうしてもしたかったこと。
 それをアストレアは、やった。
 エンジェロイドがマスターの命令に従う理由は、ただひとつ。
 そうしなければ、廃棄されるから。
 ニンフはそれを知っていて、そしてアストレアは、そんな簡単なことすら知らなかった。
 ただマスターの命令は聞くようにと、教えて育てられただけだから。
 じゃあもし。
 アストレアが、ニンフ同様、ただ自分が命令を聞くのが、マスターに命を握られているから、
 ということを知ったら、理解したら。
 もうそのときには、アストレアは、鎖を引き千切って、マスターのくびきから逃れていた。
 アストレアの行動は、理解よりも断然早い。
 アストレアは、バカ。
 いつまで経っても、自分がしたいことを自分が自覚して行うことなんて出来やしない。
 でもアストレアは動く。
 死ぬかもしれないとわかっていても、アストレアの中に今まで蓄積されてきた経験と体験、
 そしてその時々の想いの炎熱が、断然鮮やかにアストレアを突き動かす。
 傲然と、最強の盾と矛を振り上げて、真っ直ぐに己のすべてを振り下ろす。
 
 ど っ せ ー ー ー い ! ! 
 
 前期アニメ、最高のシーン。
 わたしゃ涙止まらんかったよw
 いけ、アストレア! そこだ、いっけーっ!w
 そうして、アストレアは自分の理解よりも断然早い行動に振り回されながら、
 しかしきっちりとその自分に追いついていく。
 だからバカは好きなのよ♪(ぉぃ)
 ニンフには出来無いことをやってくれるんだもん。
 そしてなにより。
 アストレアは、突き動かされる自分に必死についていくことを、それを自分で選んで決める。
 バカだけど、その自分に誇りを持っている。
 無茶苦茶カッコイイ。
 そして、そのバカな自分が全力でぶっ飛んでいき、その自分に追いつけたとき。
 アストレアは、己の実力を最大限に発揮する。
 自分で選んだ目的を果たすためにこそ、自分の高性能な能力は真にその力を開放する。
 逆に言えば・・・
 能力というのは、そのためにこそ、ある。
 さらに言えば。
 それ以外のために使う能力は、いずれ朽ち果てる。
 ニンフの羽のように。
 そして。
 自分で選んで、自分で一番したいと思った目的を果たそうとするとき。
 本当の、絶対に枯れる事のない、真の羽はその姿を燦然と顕現させる。
 はぁ。
 なんかもう、そらおとはこれだからやめられない。
 この作品は、突き詰めれば、役立たずがどう自己回復していくかを描いた作品。
 ニンフの羽がもし再生しないままの、役立たずだったら、どう?
 アストレアが、ただの無能なバカだったら、どう?
 イカロスが、戦闘力の無いただドジっ子天然娘だったら、どう?
 言わずとも、いいよね。
 そして。
 じゃあ、だから。
 ニンフのあの高度な情報分析&ハッキング能力は、なんのためにあるんだろ?
 アストレアのあの気持ちの良いくらいの加速性能は、なんのためにあるんだろ?
 イカロスの無敵のアルテミスの能力は、なんのためにあるんだろ?
 言わずともいいから、言うよ。
 それは。
 
 能力とは関係無い、そんな自分を。
 その愛する自分を守るために、あるんだね。
 
 智ちゃんの存在は、ある意味ご褒美。
 智ちゃんに受け入れられるかどうかは、関係無い。
 智ちゃんに受け入れられなかったら、あの子達は生きてけない?
 あの子達は智ちゃんの役に立てなかったら、役立たず?
 そういうこと。
 それじゃああの非道なマスターが智ちゃんに代わっただけ。
 智ちゃんはただ、ニンフ達が、自分で自分達を認めることを、当然だって、言ってくれただけ。
 それは、智ちゃんが認め許したことなんかじゃあない。
 自分で認めて、自分でちゃんと許せよ、お前ら。
 智ちゃんが普段イカロス達にそっけないのは、そうやってちゃんとまともな距離を置いて付き合えてる、
 からなんだろね。
 イカロスなんかの場合は、特にそうすることで、イカロス自身が自分の領域を培い、
 そして自分がなにをしたいのかを、他者に依らずに自分の意志で決めることに貢献してるし。
 つまり。
 このそらのおとしものという作品は。
 自立とはなにか。
 それがメインテーマなんじゃないかな。
 ニンフがそれを体現して、アストレアがヒントを与え、そしてイカロスが別ベクトルからそれを補完する。
 ちなみに私は、ニンフとアストレアのコンビが大好物。
 特にあのスイカ回とかね、あの活き活きっぷりとイカロスへの畏怖っぷりがたまんない♪w
 あと智ちゃんはすごい。
 よく考えたら、智ちゃんの適応力とそれでも自分(の欲望)を失わない旺盛っぷりはすごすぎるよねw
 最終回とかもう絶対やるって思ったけどほんとに智ちゃんの(動物的)進化は止まんないねww
 つーか女の敵wwエンジェロイドの友は女の敵www天罰覿面wwお腹痛いww
 はぁもう笑った笑ったwこれだからやっぱりこの作品は大好きでやめられないわ私w
 そしてこのそらおと二期であるfからの登場人物、アストレアに拍手。
 『師匠! この服お腹減ります!』 byアストレア@ウェディングドレス
 どんだけだよ!wwwwその笑顔に乾杯だよwww
 
 
 
 
 えむえむっ!:
 変態って、なんだろ。
 言わずもがな、変態である。
 変態は、変態である。
 いわゆる、悪口である。
 そして変態とは、普通とは違う、ということである。
 マゾとかサドとかロリコンとか女装癖とか近親相姦とか二次専とか少女崇拝とかあとなんだっけ?
 まぁほんとほぼ登場人物のすべてが変態さんって、このアニメはどうしたの?(微笑)
 で、このアニメでは、なんていうか、お前ら全然そういう変態癖直す気無いだろ、っていうか、
 過度に奨励してるって言われてもおかしくないだろ、みたいな。
 変態アニメである。
 堂々たる変態アニメである。
 しかし、変態とは、なんであるか。
 変態とは、変態であり、同時に悪口それ自体でもある。
 ぶっちゃけ具体的に、マゾにしろサドにしろロリコンにしろ女装癖にしろ近親相姦願望にしろ
 二次専にしろ少女崇拝にしろ、実害っていうか、具体的な害はそれなりにあるだろけどね、
 サドマゾは体傷付けるしそれにしか感じないっていうのはなにかと不便だし、ロリコンは子供に手出すし、
 女装癖は特に無いか、近親相姦は奇形児が生まれる確率高いし、二次専は現実世界での恋愛
 も出来無いし子供も作れないし、少女崇拝は良くわかんないな。
 ていうか。
 つまり、そういうこと。
 実際問題、害があるっていっても、それだけだし、今挙げたものに限っても、そもそもサドマゾはあくまで
 本人の問題なんだからそれでいいならいいだろし、ロリコンは子供に手出さなきゃそれまでだし、
 女装癖は特に無いし、近親相姦に関してはそもそも子供作らなきゃいいわけでていうかそもそも
 奇形児の人権無視してる批判の気もするし、二次専に至ってはもう趣味の問題のレベルだし、
 少女崇拝は良くわかんないし。
 でも、変態、という悪口には、それ以上の意味が込められてる。
 キモい。
 そういうことでしょ?、基本は。
 自分とは違うから、みんなとは違うから、今までとは違うから、なんか違うから。
 あとサドマゾは心理的に問題ありだから、近親相姦は生物学的にマズいから、とか。
 全部それ、違うから、っていうか、なにか基本があって、それとズレているから、という理由だけ。
 それが今度は宗教とか倫理とか持ち出して、それは悪いことだから、みたいな。
 
 アホかと。
 
 要はキモいってだけのはずなのに、ご大層にまぁ色々と理由つけちゃってまぁ、それって結局は
 自分のキモいという感覚を正当化してるだけで、それを公共にまで持ち込んでるだけで。
 宗教はともかく、倫理的に変態が問題あるって、嘘つけ、どこに問題があるんだか。
 仮に問題があるとしたら、それはそもそも「倫理」というものが、既存の枠組み、つまり人とはこう
 あらねばならないという規範の型に合うか合わないか、その型に合わないことで感じられるキモさに
 ついて論じられているだけの話で、逆に言や、それはあまりに自分勝手で身勝手な「倫理」だね。
 ていうかそれ、倫理じゃなくて、道徳じゃね?
 そもそも個人個人の存在と尊厳を認め、そこからそれぞれの権益を公平に損なわずにどう関係して
 いくか、という、「公共」を徹底して考えていくのが倫理というもので、それが考えられていない。
 ただたんに、感覚や価値観を含む既得権益を守るための道具にしかなっていない。
 意味ねー。
 もっと大事なもん、あるだろー。
 この作品見てると、溜息が出る。
 べつにこの作品は、変態を過度に奨励してる訳じゃ無い。
 ただこの作品は、変態が良いとか悪いとか、んなのどうでもいい、それよりただそんな自分の性癖
 の善し悪しとは関係無い毎日をただ生きりゃいいじゃん、変態変態うるせーんだよボケ、って。
 ただそう言ってるだけな気がする。
 美緒が太郎を踏みつけるのは、太郎の自分のドM体質直したいっていう願いを聞いてるからなのと、
 美 緒 が ド S だ か ら という理由以外、なにも無い。
 普通に生きたい、変態として。
 それでいいじゃん。
 この作品はそれを徹底してる。
 だから、たとえばメインのマゾの問題もさ、問題なのはたぶん、太郎が怪我してもそれを快感に感じて
 しまうことで、大怪我や死の危険があるという点だけで。
 んで、太郎が「普通の恋愛」をしたい、っていうのも、これ、ある意味その辺りに転がってる恋愛観を
 そのまま拾い上げて憧れてる、つまり恋に恋してるだけで、で、それが自分の体質のせいで出来無い、
 っていうのは、これはもう、太郎がステレオタイプな恋愛観に縛られてて、自分の気持ちを主体にして
 の恋愛が出来てないってだけの話。
 それは、たとえば近親相姦の問題の例が一番わかりやすいけど、あれなんて、そもそも生殖の問題
 と恋愛の話を都合良く批判側がまぜこぜにしてるだけで、よくある近親相姦話の当人達が感じる
 悲哀とかって、それって全部、既存の社会の側の押しつけによる問題、社会の側の問題でしか
 無いし。
 太郎の話も、要はそれと同じ。
 自分のままに、自分の感じるままに生きれば、苦しいことなんて、ほんとはなにも無い。
 もし苦しいとしたら、それは自分を苦しめる他者がいるだけの話。
 それは、他者の問題。
 そしてその他者の問題を自分が背負ってしまうからこそ、そういう変態とかマイノリティーは、
 自己確立に問題を抱えやすくなってしまう。
 そしてこの作品は、あっさりその他者の問題を、はね除ける。
 
 あんたはなにがしたいのよ、ぶたろう!
 
 そして、美緒は、なにをしたいのか。
 それ以外のなにもやってないのよね、この作品w
 それぞれが、自分の気持ちに気付いて発見していく、ただそれだけの作品。
 だから、変態なんつー「悪口」は、もはやただのギャグにしかならない。
 だって変態なのはほんとだもんww
 嫌味な意味でそう呼ばれても、もうそれギャグにしか聞こえないものね。
 周りからキモいと言われる当人が、その周りのキモいという感覚こそを、じゃあギャグにしてみよう。
 だからまさか、マジで「変態」とか悪口で言ってないよね?
 そうだったら、ダサいよね。 つーかむしろそっちのがキモいわ。
 私が最近こういう感じの変態アニメに感じるのは、そういう変態側の自信っぷり。
 まだまだいびつで不格好だけど、なんだかスタイリッシュ。
 うん。
 なんか健全な気がしたな。
 ま、ある程度は自重しても罰は当たんないと思うけどw
 全力出しっぱなしは疲れるっしょ♪ (そういう意味かいw)
 ていうかま、変態を批判するのは結構だしそれは必要なことだけど、もっと有益で有効な批判が
 欲しいところなんですよね、そういうの最近あんまし見ないからなぁ、逆にそういう変態を外側から
 正当に批判し、そして導ける作品があるといいよね。
 それは宗教とか既存の規範に基づく倫理とかじゃ無く。
 その人がそういう性癖を持つ由来に根差した、その人個人の問題に着目しての、ね。
 そういうのがあって、初めて変態、そしてオタクなんかも、自重し自制すること自体の価値が生まれて
 くると思うね。
 訳も無くただ周りに迷惑かけちゃ駄目とかで我慢しても、毒にしかならんでしょし。
 うーん、病気の人とかに対する世間のスタンスにも通じるなぁ、病気は治さなくちゃいけないもので、
 病気になったら不幸じゃなきゃいけないし、その不幸を乗り越えていく姿に感動したいみたいな、
 あれって明確な差別な気がするんだよね。
 一生付き合ってく病気だってあるし、その人達は普通に生きちゃいけないのかみたいな、
 変態を病気とは言わないけど、でも病気として見ても同じっていうか、むしろそうだなぁ、病気として
 見ることで、その病気とは関係無い、そのままのその人を見つめることが一番大事、ということが
 クローズアップされてきて、云々。
 興味は尽きないなぁ。 ←書くのに飽きてきた人 ぉぃ
 
 
 
 
 それでも町は廻っている:
 ところで私は紺先輩が好きだ。
 紺双葉先輩が好きだ。
 特別に好きとか、格別に大好きだ、という訳でも無い。
 なんか好き、という感じでも無い。
 そもそも、好きと宣言すること自体に意味があって、それ以上の意味と価値が無い。
 私は紺先輩派です、と旗幟を鮮明にしただけの話なのかもしれない。
 かといって、じゃあ紺先輩派があるのなら、歩鳥派や眼鏡派や真田君派があるかというと、
 なぜかあっさりと、私の中では、無い。
 なぜか、紺先輩派、という派閥だけが存在する。
 歩鳥達他のキャラ達が存在しないという訳では無い。
 ただ歩鳥派という他の派閥だけが存在しない。
 そして、私の中では。
 それこそなぜだかわからないが。
 紺先輩が、存在しない。
 紺先輩派だけが、存在する。
 
 つまり、私は紺先輩が好きなのだろうけれど、なにがどう好きなのか、よくわからないのかもしれない。
 ここが好きああいうとこが好き、という部分部分を挙げることは可能だ。
 けど、それだけだ。
 ほんとに好きなのか?それ。
 そういう風に、さらりとコーヒーでも飲みながら、興味なさげに紺先輩に言われるのが、好きだ。
 マゾなのかもしれない。
 マゾなのでしょう。
 その端っこで、歩鳥がアホなことしてるのを見て爆笑してる私がいる。
 そしてその歩鳥の横で、冷静に細かく歩鳥のボケにくっついてくる紺先輩がいる。
 あまりその紺先輩のツッコミには、私はついていかない。
 なぜか私は、歩鳥のボケを含むアホっぷりにだけ集中している。
 なんなのだろう、この感じ?
 恋?
 
 と真剣にアホなるままに宣う歩鳥に、そーかー?、そうかもなー、と、
 やる気なさげにボケ返す紺先輩が好きだ。
 歩鳥はご存じアホである。
 けれど私は、歩鳥が好きとか、歩鳥のボケっぷりが好きだとか、わざわざ言う気が起きない。
 当たり前過ぎるのだ。
 歩鳥がアホでボケるのは、あまりにも当然のこと過ぎて、わざわざ反応する気になれない。
 そして、最終回で歩鳥が臨死しまくっても、その歩鳥の臨死っぷりにこそ臨んでいる紺先輩の、
 あの表情が、好きだ。
 恋じゃん! 恋だろそれ!!
 と臨死体験からの起き抜けの第一声を放つ歩鳥に、がくっときて、あーそうかもな、そうだそうだ、
 と椅子にへたり込む紺先輩が好きだ。 そんなシーンは無いけれども。
 
 つまり、私にとってのこの作品は、そういうことなのだ。
 歩鳥を中心に廻ってる。
 そしてたまたま、その歩鳥を観測するための地点に、紺先輩が最適だったのだ、私にとって。
 よくわからない。
 歩鳥と眼鏡のボケとツッコミとボケの入り乱れる展開模様に、腹を抱えて転げ回っていても、
 なんだかそのまま、すーっと。
 廻る。
 よくわからない。
 ご存じ歩鳥はアホである。
 けど、私は、私達は、歩鳥のアホの限度を知らない。
 けれど。
 紺先輩は、知っている気がする。
 たぶん眼鏡もばーちゃんも知ってる。
 あの町に住んでいる人々は、皆、歩鳥のアホの度合いを知っている。
 私達視聴者は、歩鳥に直接触れることも言葉をかけることもかけられる事も無い。
 だから歩鳥のアホぶりを正確に把握出来ずに、ただただ歩鳥のアホが鰻登っていくのを見てるしかない。
 けれど、私の場合は、紺先輩を通して、それを少しだけ、体験出来る。
 私にとって、この作品は、歩鳥のアホっぷりを鑑賞して笑い転げるだけでなく、
 まさに歩鳥のアホを体験するものであったりする。
 ご存じ歩鳥はアホである。
 そのアホに、現場でツッコミを入れたいのである。
 その場にいて、突っ込み、そのツッコミに対するさらなるアホ回答を、身を以て受けてみたいのである。
 要は歩鳥と掛け合いたいのである。
 観てるだけなんて、つまらない。
 この作品は、そう思わせる。
 いや。
 私に、そうおもわせた。
 やるな、あほとり。
 おまえこそな、ふたばか。
 なにを!?
 おまえこそ!!
 
 ご存じ私はアホである。
 
 紺先輩も痛快にアホである。
 歩鳥と絡むと普通にアホである。
 歩鳥が絡むと無限にアホである。
 そしてたぶん、歩鳥が絡む前から、紺先輩は純粋なアホ分を蓄えている。
 ひとり暮らしのあの部屋で、クールにぼけっとしながら、黙々と普通っぽく気怠く生きながら。
 歩鳥が絡むと、それが 、きっちり溜め込んでいたアホが、発動する。
 アホ。
 みんな、歩鳥を待っている。
 しっかりきっちり、素知らぬ振りして待ち構えている。
 アホである。
 いいね。
 アホ。
 たったそれだけの事を言うためだけに、訳のわからない事をこねくり回す私で御座いました。
 まだまだな。
 まだまだ、紺先輩の返しには及ばぬな。
 
 
 
 
 
 という感じです。
 お疲れ様で御座いました。
 あと1回か2回で前期アニメの感想は完了させたいと思っています。
 ちなみに来週は、刀語第九話「王刀・鋸」の感想を予定しておりますので、前期アニメ感想は、
 それ以降の予定となります。
 
 それでは、この辺りにて。
 ごきげんよう。
 
 
 
 
 
 
 



 

-- 110103--                    

 

         

                              ■■ アホの子マークU ■■

     
 
 
 
 
 
 
 新年あけましておめでとう御座います。
 今年もよろしくお願い申し上げます。
 
 
 ということで、2011年開幕です♪
 なんだか年始っていうか年末からなんですけど、私滅茶苦茶調子良くてですね、
 もうなんだか今年はガンガン行けるっていうか、今たぶん一番一年で調子いいっていうか、
 ということはもう後は落ちてくだけなんだなあはは。
 
 (仕切り直し)
 
 まぁ落ち着きなさい。
 どうどう。
 つまりまぁ、調子が良いのです。
 まぁうん、昨年は色々ありましたからね、個人的に。
 それに耐え切ったというか生き抜いたというか、そういうことで溜めに溜めて守り切ったものが
 どかんと一気に噴出しているのかもしれません。
 今なら空だって飛べます。
 はー、気持ちいい。
 ということで、今年はガンガン飛ばしていきますので、どうぞよろしくお付き合い頂ければと思います。
 大丈夫、ちゃんと帰ってきます。
 
 
 さて。
 今日はなにをお話ししましょうか。
 まぁね、今の私のこの調子の良さの要因は、私の人生仕切り直しがある意味完了したって事が
 大きいと思います。
 アホの子万歳。
 生き方を変える、という事がたぶん一番重要なことだったのだと認識し始めています。
 というか、そういう風に自分の経験とそれと素の感情を受け止めることが出来て、そして、
 その感情と経験から始めることが出来るようになった気がしますね。
 自己肯定万歳。
 今年はなんか、そういう意味では自己肯定のために必要な言葉はいらないと思います。
 それくらいに自然に、そのまま自分に自分を委ねていければいいかっていうか、
 私のために私が出来る唯一の事は、私の邪魔をしないこと、っていうか。
 私を信じるってことなんでしょうねぇ、なんかもう、私に任せられるっていうか、素直に私がやっていくことに、
 ただ私は従っていくことが出来そうっていうか。
 今まではそれ、全く逆でしたからね。
 楽ちん。
 そしてだから、今までの何倍も、今まで出来無かったことが出来そうな気がする。
 自分はこうあらねばならないとか、どうしなければならないとか、そういう先行する言葉にしがみついて
 押さえ付けられている事で出来たことなんて、たぶんほとんど無い。
 ていうかぶっちゃけ、私の努力で出来たことなんて、全然無い。
 努力で得たものより、気付いたら得ていたものの方が、断然大事。
 大切なものはいつも目の前にあるみたいな、青い鳥みたいな、そんな感じ?
 自分に任せときゃ、その自分が勝手に素直に培い得ていったものだけで、充分幸せになれるし、
 逆にそれだけが、人を幸せにする。
 
 無理しなさんな。
 
 去年はがっちり一年かけて、その境地にやっと辿り着くことが出来た気がします。
 そりゃそのために私は無数の努力をしてきたし、それは無駄になることなんてないけれど、
 でもすべての決め手になって、すべてを動かしていったのは、決してその私の努力なんかじゃあ無い。
 私は私の努力に敬意を払っているし、そうして一年頑張って踏ん張ってきた自分にご褒美をあげる
 けれど、でも。
 その努力は、努力することを許された、そういうもの。
 本当に私が誇りに思っているのは、そういう風に努力出来る自分無しでも、ちゃんとそのまま生きている、
 私自身。
 努力なんて、そんなん、ほんとはどうでもいい。
 逆に言えば、努力だけで得たものなんて、本当に、僅かしかないし、その努力で得たものの中で
 生きようとしたら、途端に行き詰まる。
 というか行き詰まった。 私去年で人生行き詰まった。
 そしてそれは、努力で得られるものの大小とは関係無い。
 むしろ、その努力で得られるものの大小を比べ合い、その努力の大小のうちに誇りを感じたりして
 いたら、あっという間にその努力の虜になってしまう。
 私は、そうだったねぇ。
 努力の大小ばっかり気にして、だからもっと頑張らなもっと頑張らなって、もうほんと、死ぬかと思う
 くらいに思い詰めて狂い詰めて。
 よく生き残ったもんだ。
 そして。
 そうして、それでも私を生き残らせたのは、決して私の努力のおかげなんかじゃあ無い。
 努力こそむしろ私を追い込んでたんだもん。
 私を生き残らせたものは、そのままの、素のままの、自分。
 ありのままの自分を生きている、それで生きられる、私。
 私を追い込み押し込もうとし続ける努力に、絶大に反抗する、力
 それを。
 才能って、言うんだね。
 
 けいおんの唯ちゃんってさ、ぽけーってしてるし、ギターの知識とか全然無いし勉強しないし、
 けど、ぱぱっと、普通に絶対音感でチューニング出来ちゃったり、普通にがっつり練習出来たり、
 本番で爆発したりする。
 でもさ、たとえばそういうのって、唯ちゃんがただ唯ちゃんのまま生きてるだけで、べつに無理した努力
 なんかなんもしないんだよね。
 がっつり練習してるのも、そりゃギターの練習すること自体がめっちゃ楽しいからで、たとえば、練習は
 つらくてつまんないけど、でも練習した分だけ上手くなれるから、とか、そういうの全然無いんだよね、
 あの子は。
 つらくてつまんないことは、あの子普通に全くしないしw ギターの知識とかまだ全然覚えてないしw
 それに絶対音感? それは唯ちゃんにとってはごくごく当たり前のことで、それを大仰に「才能」なんて
 レッテル貼りするのは、それは周囲の人達にそういう力が無いだけの話で、唯ちゃんにとっては、
 その絶対音感の力は、そもそも「絶対音感の力」なんていう特別なものじゃ無く、それこそお箸を
 使えるとか歯磨き出来るとかそういうのと全く同等の能力なんですよね。
 唯ちゃんは、そのまんま。
 そのまんまのまま、好きなことを好きなだけやってく。
 それでギターが上手くなるとかどうとか、んなの関係無い。
 そうした方が結局はギターの上達には一番いいとか、んなの関係無い。
 だって唯ちゃんは、あれでギターが下手くそのままでも、断然幸せなんだもん。
 
 幸せなのが、全部じゃね?
 
 つらくて、つまんなくて、だけど一生懸命努力して、ギター上手くなって、それが、なに?
 それ自体から得られる喜びって、実は自分で思ってるより、そんなにすごいもんじゃ無い。
 たとえば自分で努力して成し遂げた、という達成感とかも、よくよく感じてみれば、ごくごく小さいもの
 で一過性のものだっていうのが、すぐにわかると思う。
 必ず、次を、先を、上を求めるからね。
 そしてそれを除いたとしても。
 それがすごく感じられるとしたら、ギターが上手くなることが、他人に評価されたりすることに繋がるから、
 だと思う。
 他人の評価が大事?
 ほんと?
 じゃあ、なぜ?
 それはきっと、自分に自信が無いから。
 唯ちゃんは絶対音感とかあるから、そのままの自分に自信持てるんだろ?、
 そういうのが無い私らが自分に自信持てないのは当然じゃん?、って思う?
 そう思うなら、それはつまり、「絶対音感」というものに価値を置く、他者の価値観に左右されてるから。
 絶対音感を持っていない、そういうそのままの自分を認められないのは、自分の価値観を持って
 ないから。
 絶対音感持ってなくたっていいじゃん。
 勉強しなくたっていいじゃん。
 練習出来無くたっていいじゃん。
 下手だっていいじゃん。
 あなたが本当に求めているものは、なんですか?
 仮にギターが上手くなって、なにかの賞を貰うことだとしたら。
 ではなぜ、ギター「の」賞が欲しいのか、それを考えてみればいい。
 それはきっと、ギターが好きだから、だよね。
 自分がギターが好きで、こんなにも好きで、だからそのギターが好きで楽しみまくってる自分の姿に、
 拍手を贈って欲しい、褒めて欲しい、からなんだよね。
 それが本質。
 本来ならそんなもの、順位のつけようが無い。
 楽しめてるなら、それでみんなが一番に決まってる。
 そもそもギターが上手いか下手かも、それは自分にしかわからない。
 自分の音で自分が楽しめるかどうか、ただそれだけ。
 楽しんでギターを弾いている人に拍手を贈り、自分のために弾いている自分に拍手を受ける。
 それが、自信。
 それだけが、自信。
 それをはき違えて、本末転倒して、賞を取ることを目的にしてしまったら、
 あるいはまた別に、誰かのためにギターを弾こうとしてしまったら。
 もう、そういう楽しみからは離れてしまう。
 なにが自分にとって一番大切かなんて、ほんとに考えれば、そして感じれば、誰でにもわかること。
 でもそれがわからなくなるのは。
 
 それはきっと、自分を生きる勇気が持てないから。
 
 
 去年一年を先頭にして、これまでの私の人生の経験から言えることの。
 これが最新の、私の感じるままの言葉です。
 
 
 
 
 ということで、今年一年の私の目標は、幸せになることです♪
 んで、抱負は、自分を生きる勇気を得るために、色々やってくこと、です。
 ま、そのまんまの自分を、びくびくしながら楽しんで生きてけばいいだけの話ですけどねw
 大事なのは、感情だと思うです。
 私も含めてですけど、どーもほんとに自分の感情と向き合ってる人って、案外少ないのよね。
 や、これまた私も含めてですけど、自分の感情と向き合ってるって思ってる人は、逆にかなり多いと
 思ってますけどね。
 それって結局、感じてるんじゃ無くて、考えてる、んですよね。
 自分は、ちゃんと自分の感情と向き合ってる、向き合えてるはず。
 向き合えていなければならない。
 そこから逆算して始まって、その言葉に従順な感情だけを都合良く受け入れるだけなら、
 それはもう感情とは言えないじゃなイカ!
 ちゃんと自分の感情とは向き合えてるぞ、って、どんな場合でも一言でも口にすることがあった場合、
 それはたぶんきっちりと、向き合えていない感情があることを示していると思うでゲソ。
 自分のこうあるべしこうありたいと思う自分の願う自分の姿は、逆に言えばそれとは全く違う感情の
 坩堝な自分がいることを、なによりも示してる。
 そのウゴウゴな感情渦巻く自分から逃れたい、そう思ってる自分。
 大事なのは、感情。
 や。
 感情のままに、生きること。
 や、違うか。
 感情のために、生きること。
 だって感情っていうのは、漏れなく自分の欲望と結びついてるんだから。
 そして、欲望だけが、人を、自然に、素直に、そして無理なく動かしてくれる。
 自分を不自然に、頑固に、無理に動かすのが、努力。
 その努力を保障するために、善悪なんてものがある。
 その努力に縛られると、人は身動きが取れなくなる。
 欲望に囚われると、人はそれに左右されると言うけれど、それでいいじゃん。
 欲望にきっちりついていける、そういう人になればいいだけの話。
 そしてそのためにこそ、たぶん、努力というものは存在してる。
 欲望を遂げるためにこそ、努力はその本当の価値を持つ。
 欲望無き努力は、身を滅ぼす。
 そして、欲望を産み出すのは、ただ。
 感情のみ。
 年末年始、一挙放送されてたブラックラグーン観てたんだけど、
 ていうかお正月お酒飲みながらずっとブララグしてましたけど、すげー正月w、
 うーん、これすごいわ、これほんと、自らの欲望に向き合い、そして全力で生きてるもの。
 そして、自分の感情と向き合い続けてる。
 そして自分の中のなにかと向き合う機会に出会ったロックの気持ちが、ものすんごく今の私にはわかる。
 自分の感情を発見し続けなければ、人は自分が本当になにを欲しているのか、わからなくなる。
 わからなくなって、他者の欲望にそれを求めて、そのために努力してしまう。
 それは、とてもつらいこと。
 
 そして私は、相当つらかった、と思う。
 
 そうなんよねぇ、私は割と自分のこと感情人間だと思ってるけど、思ってるだけで、
 根は理屈屋っていうか、言葉先行型っていうか。
 でも理屈屋とか言葉先行なのは、なんか味気ないっていうか、つまらんていうか、だから、
 私は感情をちゃんと見つめたい、感情人間になりたい→感情をちゃんと見つめなければならない、
 感情人間になりたい→感情をちゃんと見つめられているはず、感情人間になっているはず、
 みたいな感じになってたんだろね。
 アホ。
 アホの子っていうか、アホです。
 どアホ。
 つーかむしろ、悪い意味で子供です。
 ちなみに、この悪い意味での子供っていうのは、要は自分の感情から逃げ回ってるだけじゃん?、
 そのために姑息に頭回してるだけの奴、という意味ね。
 逆に良い意味での子供っていうのは、自分の感情のままに、感情のために素直に生きることが
 出来る奴、ってことね。
 それが、アホの子。
 いわゆる、アホの子。
 私は、アホの子になりたい。
 そのために、ちゃんと、今度こそちゃんと自分の感情と向き合いたい。
 きっと私には、受け入れたくない感情とか一杯あるんだろなぁ、で、なんでそれが一杯あるかって
 いうと、それはたぶん私が他者の価値観にガチガチに囚われてたからだと思う。
 他者の価値観に照らし合わせて、その感情が受け入れられるかどうかをただ選別してただけ。
 そして受け入れられる感情だけを取り出して、それを拡大して、その感情を全部とすることで、
 感情人間を名乗ってたんだね。
 で、私はそのくせ、自分の価値観が大事だとか言ってる。
 それはうん、そう言っておけば、ちゃんと自分の価値観を持って自分の感情を見つめることが出来てる
 と、自分に思い込ませることが出来るから、なんだと思う。
 そしてそれは、同時に。
 
 自分の価値観が本当は無いからこそ、だからこそ。
 自分の価値観が本当に大事なんだとも、ほんとに叫んでいたのと同じ。
 
 めんどくさい。
 私めんどくさい。
 書けば書くほど、思い当たる節ありまくりw
 自分の価値観が無いから、ほんとに切実に自分の価値観を求めて、自分の価値観が大事だって
 叫んでるのに、その叫びは同時に、そう叫ぶことが出来てるなら、じゃああんたはちゃんと自分の価値観
 を大事に出来てて、そして大事に出来るってことはその対象である自分の価値観を持ってる、
 ってことだよね、みたいな怒濤の逆算攻撃が働いてて。
 うわ、めんどくさい。
 めんどくさいけど、私そんなんやってました。
 ぶっちゃけ言うけど、そういうのをたぶん、この日記でめっちゃやってました。
 自分の「感情」を書けば書くほど、それがほんとに自分の感情だと思っちゃう。
 けど、その「感情」が大事だと書けば書くほど、だからどんどんわからなくなっていく。
 わからないからこそ、書いている。
 そして書けば書くほど私は私の「感情」に支配され、感情を見失っていきわからなくなっていく。
 そして、感情を見失っていくことでわからなくなるがゆえに、猛然と、書き出された「感情」を問い、
 感情を求めていく。
 そんな感じだったのかもしれません。
 だから、なんていうのかな。
 何ヶ月か前辺りから、結構日記の書き方、というか日記に対するスタンス変えてたのよ、私。
 色々あって、一時期日記が書けなくなって、日記の長期休暇も頂いて、スランプになって。
 でもなんとか書き始めて、最初はぐだぐだだったけど。
 気付いたら。
 
 今までとは、全然違う、そう、素直に書けるようになってた。
 
 あんまし考え無い。
 そして、あんまし感じない。
 そのまんま。
 それでいい。
 だって、この日記の始まり、一番最初にこの日記を書き始めた頃から、それはほんとは変わって
 なかったことなんだよ。
 わからないから書く、のじゃ無い。
 わかったことを、ただ淡々と書けばいい。
 それが出来無いのは、ただ。
 自分のわかったことに、自信が無かったから。
 そのまま、書くよ。
 上手いとか下手とかは、全然関係無い、っていうかそれは前からそうだったけどw
 楽しいままに、書くよ。
 つらいときは、つらいままに書くよ。
 冗談言いたいときは、いい加減にしとけって言われるくらいに書くよ。
 つーかあんたの冗談を面白いって思ってんのあんただけだよ、って思われても、書くよ。
 そういうツッコミを期待して、書くよ。
 私が面白いまんま、なんか書くよ。
 それでそれを読んだ人が面白いと思うかどうかは、それは私の責任外。
 私はただ、私のために書いていく。
 それで周りの人が面白いって思ってくれたら、それはそれで嬉しい。
 それが、一番。
 はー。
 前からずっとそう言ってたはずなのに、なんかやっと、それが本物になってきた気持ち。
 ある意味、これは周りの人も面白いはず、っておもいで書いたのって、言葉は悪いけど、
 周りの人を尊重してない、とも言えるし。
 面白いか面白くないかは、周りの人が決めることだし、それを操作しようとして面白いと思ってくれる
 ようなものを目指して書いたら、それはもう。
 書く意味は無い。
 
 私が、この日記を、書く意味が無い。
 
 ある意味、私と他者の価値観の間に、線引きをするために、私はこの日記を書いてる気がする。
 私は私、っていうか、むしろこれからの時代、そうやって自分は自分という線引きが出来てる個人の
 世界を、これまた自分は自分と思えてる他の個人が楽しんでいく、そういう感じになってくと思うし。
 ていうかもうだいぶそうなってるし。
 誰もが楽しめる作品とか、それを評価していくとか、もう古い。
 ていうか、逆にそれじゃいつまで経っても、個人の価値観は育たないし、さらに逆に言えば、
 誰もが楽しめる作品というのは、その実、ひとつの価値観を共有しているみんなに楽しまれる、
 要はそのたったひとつの価値観によってだけ支えられている、という、そういう貧しい作品なんだと思う。
 だから。
 ただただ自分が面白いと思い、その自分の楽しむままに作り上げた作品が、ただただ自分が面白い
 と思い、その自分の楽しむままに評価しようとする、そういう沢山の個人達に楽しまれたとき、
 それはごく偶然的に、偶発的に、名作と呼ばれるのだと思う。
 普遍性とか、んなのどうでもいい。
 ただただ、ひとりひとりの感性に、感情に響けば、それでいい。
 それはあくまで、結果論。
 私達は傑作を求めてる訳じゃ無く、ただただ、自分の楽しめる作品を求めてる。
 それは決して、作り手が操作出来るものじゃあ無いし、操作して出来たものは、それはもう、
 作品じゃあ無い。
 ていうかまぁ、要するに、私の場合、日記の書き手以前に日記の読み手ですからね、
 作者がこれは読者がおもしろがってくれる、というスタンスで書かれた日記読んでも、その文章の中身
 自体はそれなりに楽しめても・・・
 それだけ、って思うかな。
 私は、あなたが私達がなにを求めていると思っているのかを知りたいのでは無く。
 あなたが、なにを求めているのかをただ、知りたい。
 
 
 
 とまぁ、新年早々なに書いてんだかって話ですけどね、ほんとなに書いてんだw
 ちょっと後半は言葉の赴くままに書いてそれに引きずられていたきらいもあるので、その辺り、
 まだまだでございます。
 むー、素直に感情のままに書くのは難しいのぅ。
 
 
 ということで、改めまして、本日はこの辺りにて。
 えーと、今後の日記更新の予定ですけれど、今週中に、前期アニメ感想の残りの一発目を
 Upする予定です。
 来週は、たぶん刀語感想の続きをすると思いますが、その前に、前期アニメ感想を少しと、
 今期アニメへの言及でまとめた日記を一本Up出来たならと思います。
 まぁちょっと時間無いので、それは難しいかもしれませんけれど。
 
 それでは。
 再び改めまして。
 今年もどうぞ、魔術師の工房と紅い瞳をよろしくお願い申し上げます。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

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