+
+
+
+
+

◆◆◆ -- 2011年7月のお話 -- ◆◆◆

 

-- 110728--                    

 

         

                          ■■今、一番会いたい友の名を■■

     
 
 
 
 
 『 おまえはいいなぁ・・
 
  僕もはやく、ひとりになりたいなぁ。
 
   ひとりで、生きていきたいなぁ・・・・ 』
 
 

                          〜夏目友人帳 参 ・第四話・夏目の言葉より〜

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 日差しが青々と流れていく。
 苔生した足下から、這い上がるようにして冷気が顕れる。
 どこまでも突き抜けた青空が、多く、その下を歩く者達の歩みに力を与えている。
 夏か。
 ひんやりと佇む梢
 流れる雲
 
 ああ
 夏か
 
 
 
 
 
 ◆
 
 実感があるようでいて、無い。
 あると思い、それなりに想いを込めてそれを感じようとすれば、それはあると言える。
 あると言えるだけだけど。
 あると言い、あるはずだと想いを込め続け、そしてその実感のようなものを感じ続ける、
 その連続の中だけに、それはある。
 
 疲れる
 
 やってられるか!
 さらさらと解けていく髪に任せて、ひとり叫ぶ。
 
 『 静かだな。』
 
 『 夏がきたか 』
 
 『 夏だからといって、どうということも無い 』
 
 私がいようといまいと、世界は回っていく。
 私がなにをしようとしまいと、人間達は生きていく。
 ふむ らくちんだな
 私は今日もひとり、桜の木の太い枝に腰掛け、ずっと生きている。
 目の前の世界の映り変わりを肌で感じ、耳を澄まさずとも、荒ぶるように脳漿に溶け入る蝉の声。
 夏か
 夏なのだな
 妙に浮き立つ
 不思議なものだ
 夏を意識せずに、夏の訪いに出会えるとは
 呆然とするほどに、それは清々しい感触だった
 自分を感じること無く、それは豊かな静寂だった
 いいぞ ひとりは
 なにもせずに済む
 なにもしないでも 生きていられる
 
 ああ そうか
 
 これは 私が私を手に入れた、ということなんだろうな
 
 
 しくしくと 囁くように安堵する
 そして
 知って貰いたい
 この静寂に照らされながら、私はうずうずと高鳴る、この孤独を獲得した私の姿を、
 誰かに知って欲しくなったのだ。
 ばぁ
 桜の木の下を通る人間を、脅かす。
 誰も、気付かない。
 誰も、見えない。
 誰の目にも、私の姿が映っていない。
 腹が立つ
 なぜ誰も私の姿に気付かんのだ!
 しかし、はたと腕を組んで考える。
 ああ、そういえば、そういうものだったか。
 むしろ、私の姿が誰にも見られずに済むからこその、この静かなひとりの時間であったのだろうに。
 私としたことが、失念していた。
 
 だが
 腹が立つのも、事実だ。
 
 桜の枝を勝手に折り取っていってしまった輩がいる。
 ええい、無礼者! 鼻毛!
 だがどんなに私が叫ぼうとも、その声は聞こえない。
 私の怒りは、伝わらない。
 私の心は、わからない。
 叫ぼうが脅かそうが、それが相手に伝わらないのならば、なにもしていないのと同じだ。
 腹が立つ。 
 どうして誰も、私のことをわかってくれないんだ!
 そよそよと、静まりかえる夏。
 かちん
 静かに落ち着く怒り。
 ならば、わからせてやろう。
 私が!
 目の前で、弱い者を虐める人間に腹が立ち、木を揺すって毛虫を落としてやった。
 そいつらは、慌てて逃げ出していった。
 あはは、ざまぁみろ!
 
 でも、あれ?
 なんかおかしいな。
 
 これって、あいつらはただ毛虫に驚いて、毛虫を嫌って逃げ出しただけなのではないのか?
 
 
 
 
 ◆
 
 私の姿は、誰にもみえない。
 誰も私の姿を、捉えることは出来無い。
 私は、ひとりだ。
 私はその事が無性に腹立たしく、なんだか凄く損をさせられているような気分になり、
 なんとかして人間達に、私の存在に気付かせようとした。
 だが無駄だった。
 どうにもならなかった。
 だから、私は、自分で、誰かに見られているはず、という想定のもと、行動してみたりした。
 虚しかった。
 誰かに見られていると思い、思い込み、そうすると確かにそれをひたすら続けると、
 その実感のようなものが得られるには得られるが、それは維持するのにとても力のいるものだった。
 私はただ、自分の悔しさのままに、その非常に面倒くさいことをやっている、という事に気付き、
 それをやめた。
 私はひとりだが、しかし、ひとりではないぞ。
 確かに私の姿は誰にも見えないが、でも私からは見えているのだ。
 私は確かに、この世界にいるのだ。
 この世界にいるのはそして、人間だけでは無いんだ。
 それで、よしとした。
 私は見る。
 人間達を。
 私の姿は、人間には、見えない。
 
 なんだろう
 この やるせなさは
 
 そもそも私は、悔しいから、誰かに私の存在に気付いて欲しいと思ったのか?
 なんだか、違う気がしてきたぞ。
 憂さ晴らしをするだけなら、それこそ毛虫でもなんでも投げつけてやるだけでいい。
 私は、私の存在に、ただ気付いて欲しいだけなのだろう?
 なぜだ?
 悔しいからでは、無い。
 私は・・
 
 私は、人間と一緒に生きたい訳では無い。
 ふん、当たり前だ、誰があんな下等な生き物どもなどと!
 仲間はずれ? 不愉快だな! 最初から仲間になった覚えなど無いわ!
 じゃあ、なんなのだろう。
 私は、ひとりが寂しいとおもったことは無かった。
 群れたいと思ったことも無い。
 私は私だった。
 でも、じゃあ、どうして私は、そんなにも私の姿を見て欲しいのだろう。
 ・・・・。
 あれ?
 もしかして私は、そもそも私の姿を見て欲しいというわけじゃ、無いんじゃないのか?
 他になにか欲しいものがあって、そのために、私の姿を見て貰う必要があって・・・・
 うーん、わからない。
 なんなんだ、なんなんだ!
 
 
 あるとき、私の姿を見ることが出来る人間の子どもと出会った。
 うわ、こいつほんとに私の姿が見えるんだ!
 嬉しかった。
 正直に言うぞ、私は嬉しかった!
 だから。
 追いかけ回した。
 なんて驚かし甲斐のある奴なんだ♪
 でも、驚かすのが目的のようでいて、それは違った。
 私は、私の姿をまさに見つけてくれた、その少年の眼差しが嬉しかったんだ。
 もっと私を見ろ、もっともっと驚いて、私の姿を目に焼け付けろ!
 たーのしーなー♪
 あ
 そうか
 私が嬉しいのは、つまり、私の姿が見られることじゃ無く、私がこうしてその子供に対してしている事が、
 ちゃんと受け止めて貰えているからなんだ。
 ほーれほれ、もっと驚け! あっはは
 だから、困らせようと思って、やってるつもりは無いんだ。
 驚かして、追いかけ回して、ちゃんとそれに反応してくれる。
 それが、それだけのことが、嬉しかった。
 
 そのとき、私は知った。
 私が、どれだけ今まで悲しかったのか、ということを。
 
 あの子供は、私達の姿が見えるという、ただそれだけのことで、仲間から虐められ、無視されていた。
 そういう力があることを、誰にも受け止めて貰えず、反応もして貰えず、無視された。
 見て、貰えなかったんだ。
 あの子も、見て貰いたかったんだろうか。
 見て貰えなかったから、ひとりになってしまったんだろうか。
 わからない・・・難しいな・・
 あの子、初めて私に口をきいた。
 私の存在が、完全にその子に認識された。
 嬉しかった・・・
 けど・・・
 なんだろう・・・このおかしな感覚は・・・・
 あの子の・・・・寂しそうな・・・悲しそうな顔を見てると・・・・
 初めて話せたというのに・・・・・どうも・・・すっきりしなかった・・・・
 なにが、すっきりしないんだろうか
 私の事を見てくれて、話もしてくれたその子が、悲しむことが嫌だったんだろうか?
 私は、この子を助けてあげたいと、思ったのだろうか?
 
 違う気が する
 
 
 
 
 ◆
 
 自分ひとりで、喜んだり、楽しんだり、嬉しがったり。
 なんだろう、それはそれで良いことなのだけれど、なんだか物足りないな。
 一緒に喜んだり楽しんだり、嬉しがったりして欲しいのか?
 少し、違う気がするな。
 なんだろう・・・
 私は・・・・
 あの子の・・笑顔を見たいのだろう
 私は・・
 
  私を見て
  私と話して
 
  そして笑う
  その子の その笑顔が 見たいんだ
 
 
 どうして?
 どうしてなんだろう・・・
 私は・・・・
 きっと・・
 その子のその笑顔に、私の、私こその笑顔を見たんだ
 その子が笑う、きっとその前にいる私も、笑っている。
 ああ
 笑っている私が、目の前にいる。
 だから
 たぶん 笑っている 此処にいる私のことを、私はなによりも深く感じることが出来るのだ。
 私が いる
 あの子が、私を見て笑う、その笑顔に照らし返されて、私がこの世界に顕れる。
 あの子が、私を見て笑うと、笑顔の私が顕れる。
 そして、そうか、だから、あの子が悲しそうな顔をすると、此処に、悲しい私も顕れるんだ。
 たぶんそれには、私の姿があの子に見えているということが、必須のことなんだろう。
 私の姿を見ることが出来無い、あの子の笑顔だけを私がずっと見ているだけで微笑むその私は、
 きっと私の中にしか存在し得ない、そんなまだ世界に生まれていない私にしか過ぎない。
 
 きっと
 そんな私しかいない世界は
 
  止まっている
 
 
 
 ああ そっか
 だから
 
 ひとりは 悲しいことなんだ
 
 
 寂しいから、誰かと一緒にいて欲しいから、じゃ無いんだ。
 私だって、それはたまには寂しいと思うこともあるし、誰かに一緒にいて欲しいと思うことだってある。
 でも、だからってそのために必死になって誰かを求めるということは無いし、
 そういうときにひとりでいられない訳でも無い。
 私は、ひとりでも、ちゃんといられる。
 でも。
 ひとりでいることだけじゃ、駄目なんだろう。
 そのひとりの私を、誰かに見せたい、誰かに話したい。
 そうしてその誰かと出会い、それを受け止めて貰えたときに、そこに、新しい私が生まれるのだ。
 世界が、どんどん動いていく。
 私がひとりでどんな事を感じて、どんな事をおもい、どんな事を考え、どんな事をしたのか。
 それを、あの子に話したい。
 あの子に聞いて貰いたい。
 そのときに、きっと、そのひとりの私が、世界に顕れるんだ。
 今日は、夕陽が綺麗だった。
 なんだか凄く、嬉しかった。
 それをあの子に話して、一緒にそうだねと頷き合えたら、きっとそれは、命を得る。
 いや、きっとそれは、ただ聞いて貰えるだけでも、いいことなんだろう。
 誰かと繋がっていたい訳でも無い、寄り添い合いたい訳でも無い。
 あの子は、ひとりになりたいと言った。
 本当に誰もいない、世界に行きたいと。
 そうか・・
 きっとあの子の中では、夕陽が綺麗だとおもう心さえも、薄れかけてしまっていたんだろう。
 このままじゃなにも感じられなくなってしまうって、そう危機を感じていたからなのかもしれない。
 だから、ひとりになるのは、悪いことじゃ無い。
 ひとりになって、ひとりでちゃんと笑えるようになるのは、それはとても大切なことじゃないか。
 でも・・・
 それが、ずっとだったら・・・・それしか無くなってしまったら・・・・・・・
 
   それは
 
     とてもとても  悲しいことだよ
 
  私はその悲しみを
              知っている
 
 
 
 
 
 ◆
 
 自分のことを、知って貰いたい。
 理解して欲しいとまでは言わない。
 だけど、理解して貰いたいと思っている、私がいることを認めて欲しい。
 ひとりは、悲しい。
 たとえ私の声が誰にも届かなくても、誰にもこの姿が見えなくても、私は・・・・
 誰かに・・・会いたい
 私は・・・そうだ・・・・この世界の中に生きている、そんな私を見つけにいきたいのだ
 誰かと話すことで、そこに顕れる、その私と出会いたいんだ。
 ただもう、世界を眺めるだけの、一方的に見つめているだけの私なんて、嫌だ。
 もう、充分だ。
 私の中には、この世界の中に生まれ出たくて堪らない、そんな私が充満している。
 ひとりでいる時間は、もうその役目を終えていた。
 
 
 
  『 あの子はどうしているだろうか
 
   優しい笑顔と、悲しい望み 』
 
 
 
 あの子が私の前から姿を消して、どれくらい経ったろうか。
 もう誰も、私の姿を見ることが出来無い。
 悲しかったんだ。
 誰ももう、私の姿を見て、話を聞いてくれる人がいなくなってしまって。
 誰も
 私の前で、笑ってくれなくなって。
 ひとりでいるしか無かった。
 悲しかったんだ。
 だから
 私は人間を見つめるだけになった。
 人間の、悪いところばかり目についた。
 よし、私の存在を知らしめてやろう。
 桜の枝を折り取ろうとした輩の手に、ついと触れてやった。
 明らかに、この桜の木にはなにかあると、そう人間達に思わせてやった。
 悲しい
 悲しい
 それはとてつもない、力となった。
 私はその悲しさを隠せないままに、暴れ回った。
 木を揺らし、怪我をさせ、呪われた桜の木を演出し続けてやった。
 怒り狂う、桜の木。
 ちょっとした有名スポットになった。
 私は・・
 私の存在を主張することを、やめられなくなっていた。
 ひとりを気取るその舌の根も乾かぬうちに、私はそうして、絶大に自己主張し続けていた。
 やめられない、止まらない。
 人間どもの、醜く歪んだ顔に照らされて、醜く歪んだ桜が顕現する。
 
 『みんな消えていなくなってしまえばいい!』
 
 どんなに私の姿を叫んでも、人間に見えるのは、桜の木だけ。
 私の姿は、見えない。
 誰もいない。
 ああ
 話したい
 私の怒りを、憎しみを。
 そして
 桜では無く。
 醜く歪んだ、この私の顔こそを、見て欲しい。
 嫌だ。
 こんなのは嫌だ。
 どんなに暴れても、それが誰にも受け止められないなんて。
 そんなの、誰もいないのと同じじゃないか。
 私もいないのと同じなんだ!
 私は、泣きたい!
 泣いてる私を、見てほしい!
 そして私は
 
 笑いたい
 
  笑っている私を見て  誰か    笑っておくれよ
 
 
 
 
 
 
 
 

『 あの子は今、笑っているだろうか 』

 
 
 
 
 
 
 
 ずっと
 ずっと
 待っていた
 私の中に、話したい、見て貰いたい私を、貯め込んで。
 ずっと
 感じていた
 あの子と出会って、笑うことが出来た、その私がまだ、生きていることを。
 たとえ誰も私の姿を見ることが出来無くても、私に優しく微笑みかけてくれなくても。
 私は、私の感じているものを、もう否定せずに済んでいた。
 そして
 ずっと
 信じていた
 またいつか、誰かと出会って、世界の中にその自分を生み出すことが出来る日が来ると。
 泣きたい
 笑いたい
 大好きだ
 私は
 あの子が
 大好きだ
 
 会いたい
 
  会いたくて 堪らなかった
 
  ずっと
 
  ずっと!
 
 
 忘れたことは無かった。
 覚えていた。
 私の姿を、見ることが出来る人間の子供。
 ああ
 ひとりになりたいと願っていたあの子。
 その子が
 今
 
 私の目の前で
 
 嬉しそうに
 自分のことを話しながら
 
 
  夏の日差しのように 優しく 笑った
 
 
 
 ああ
 
 
 
    『 きっと 優しい誰かに会えたんだね。
 
      そんな顔が出来るほどに 』
 
 
 
 そこに私は
 
 その子に、新しいその子が生まれたことを、感じたんだ。
 
 
 
 
 そして
 私も
 
  その優しい笑顔と出会い
 
    優しく綻んでいくこの笑顔に 暖かく零れ落ちる 私の誕生を感じたのだった。
 
 
 
 
 ずっと
 ずっと
 
  会いたかった!
 
 話したいこと、沢山沢山、あるんだぞ!
 
 
 
 
 
 
 
    
 
   ・ ・  『僕は夏目貴志、あなたの名前を教えてくれますか?』
 
 
 
 
 
 

  『 今ならわかる 。

 

           会いたい人がいれば、きっと。

 
 

         もう、ひとりじゃないことを 』

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
                            ◆ 『』内文章、アニメ夏目友人帳 参」より引用 ◆
 
 
 
 



 

-- 110725--                    

 

         

                               ■■ アニメと遊ぼう!2 ■■

     
 
 
 
 
 ごきげんよう、紅い瞳です。
 
 さて、今回は前期アニメのまとめ感想の続きをさせて頂きます。
 
 と、その前に今期視聴リスト。 決定版。
 
 
 
 月: (銀魂’) ・(日常) ・夏目参 ・ゆるゆり
 火: 神ド
 水: いつ天
 木: (花いろ) ・うさドロ ・6 ・バカテス2 ・まよチキ
 金: ブラッド ・ダンタリアン ・ピンドラ
 土: ロウきゅ ・神メモ  ・(シュタゲ)
 日: (青の) ・ぬら孫2 ・クロワゼ  ・魔乳
 
                              :全21作品 ()付きは前期以前よりの継続作
 
 
 
 結局暫定版からひとつも削れず、全部観ることに。 むぅ、いつかアニメに殺されそうw
 まぁ無理だったら、途中で人知れず切っているかもしれませんけれど、その際はあしからず。
 
 アナログが終わってしまいましたので、ウチとこは東京MXが道連れでアウトになってしまいました。 ぐぅ。
 他の局はケーブル局でデジアナ変換というものが行われて、まだ観られるのですけれどね、MXは
 その対象から外れてしまっていたようで、無念なり。 (涙)
 が、運良くと言いますか、MXでしかこちらでは観ることが出来無かった番組は、私の場合、
 花いろとぬら孫のみで、しかも花いろは現在木曜にキッズステーションで放送中で、ぬら孫はちょっと
 遅れて八月からアニマックスで放送開始をするので、まぁ、うん、セーフ!w
 
 ただ、日常が困っちゃったんですよねぇ、一番大事なのに!
 月曜のTVK版が夏目と放送時間バッティングしてしまったからこそ、水曜のMX版に移籍してきたのに、
 移籍先のMXがアウトになってしまいまして。
 うーん、なんか夏目が第二話(だったかな?)以降放送時間が変わって、日常とバッティングしなく
 なっては実はいたのですけど、また変更して被ったりしたら完全にアウトだものなこれ。
 とか思ってたら今日の放送が見事にバッティング。 死にたい。 (ぉぃ)
 もう! なんでよりによって私的に一番大事なこの二作が被るんだYO!!
 ・・・。
 まぁうん
 なんとかします、っていうか、なんとかして観ます、命かけます!! (まぁ落ち着け)
 
 
 ということで、では、今回の分のまとめ感想を始めさせて頂きましょう。
 今回は、「Aチャンネル」「DOG DAYS」「アスタロッテのおもちゃ!」の三作品について
 書かせて頂きます。
 
 それでは。
 
 
 
 
 
 ◆
 
 
 Aチャンネル:
 日常って、なんだろう。
 日常って、面白くすることって、出来るんだろうか?
 たぶんそれは、出来る。
 なんというかなぁ、特別なことはなにをする必要も無いし、なにかこう工夫とか努力とか、なんにも
 いらないし、全く逆に、自分に素直に、あ、これやってみたい言ってみたい、と思ったことを、そのまま
 やったり言ったりしたりする、そういうものが自他共に許容されていく、そしてその連続の中に、
 日常と、面白い日常というものは生まれる気がするんだよね。
 
 ぶっちゃけこの作品はひとつひとつのネタが凝ってる訳でも無いし、ボケツッコミの間合いとかリズムとか
 が優れている訳でも無い。
 かと言って、「リアル」という名の「日常とは現実とはこういうものである」というワンパターンなそれを
 画面の中で演じさせる訳でも無く、あ、もし私がこの子達の中にいて、こういうシーンだったら、あ、
 こういうこと言ってみたいな、あ、こういうことやれそうだな、という、ほんとに小さな取っ掛かりにしか過ぎ
 ないものだけれど、そういうものを細かくしつこく拾い集めてやっていく、そういうものがこの作品には
 あったと思う。
 無理もしてないし、やってやるみたいな気概も無く、ふて腐れて現実現実と呪縛に縛られてる訳でも
 無く、なんというのかな、すごくこう、等身大のままに活き活きとしている感触があってね、私はこう、
 この作品を見ていると、ふわっとした気持ちになれる。
 
 それはいわば、人生の難易度が一段階下がったみたいな、感じ。
 
 たぶんこの作品、るんちゃんが全話通して家でごろごろしてるだけでも、充分に成り立つw
 なにをやってもいいし、なにをやらなくてもいい、そうして本当の意味でのすべてが許されているからこそ、
 自然にそのままが出てこれているというか、人間って、あれこれ縛られたり押しつけられたり、あるいは
 追い立てられたり気負ったりしなくて済むときの方が、むしろ普通に活き活きとした躍動を生み出せたり
 するんだよね、この作品はまさにそれを如実にやっていて、なんというのかな、人それぞれの「生きる力」
 を信じられる、そして互いに信じ合える、そういうものがあるんですよね。
 指導的教導的、すなわち教育的なモノがなにもないし、人はこう生きなきゃいけんとか、学生はこう
 あるべきとか勉強せなあかんとか、そういうものを親切や思い遣りごかして押しつけたりするでも無し。
 トオルんが色々とるんちゃんの世話をするのは、たんにるんちゃんの事が大好きなだけっていうのが、
 しっかりと画面に出てるし、そしてそれ以上に、トオルんの助け、というか学業とか身支度とか、そういう
 トオルんが心配しているあれこれを、たとえるんちゃんがひとつも身につけることが出来無くても、
 るんちゃんは余裕全開で、幸せに生きているし、生きていけるんだなぁ、ちょっとそれは寂しいな、
 でも、そっか、私、寂しいからるんちゃんの世話をしたりしてただけで・・ほんとにちゃんと幸せに生きる事
 が出来てなかったのは私だったんだ、という、そういうトオルんの気付きを以て、この作品を〆たのは、
 ああこれは、作為も確信もなにも無く、どうしようも無い自然で素直な必然ですよね。
 
 『るんちゃんは、変わらないね。』
 
 そうそう、これはるんちゃんはいつまでも変わらずに、トオルんの世話になりトオルんがいなきゃなにも
 出来無い、そういうるんちゃんはずっと変わらないね、だから私が必要なんだよね、という意味では
 無論無く。
 全く逆に、トオルんがいようといまいと、トオルんがなにをしようとしまいと、最初からるんちゃんは
 るんちゃんで、そしてトオルんの行動言動存在如何に関わらず、るんちゃんはるんちゃんとして変わらず
 に、いえ、トオルんによって変化させられてしまうようなやわな存在じゃ無いんだ、ということなんですね。
 これで一番本当の意味で救われ、そして「自立」したのはトオルんな訳で。
 もうるんちゃんの世話をする事でアイデンティティを得る、そういう自分にしがみつかなくても、ちゃんと
 やっていけるようになったというか、るんちゃん離れというかw
 
 んー、言い方を換えれば、トオルんがツッコミで、るんちゃんがボケで、で、ツッコミというのは、
 ある一定の価値観、まぁこの場合「常識」ですか、それに則って、それから一体どれだけ離れてこぼれ
 てしまっているか、その様をボケに指摘するもので、で、最終回でるんちゃんが実は私宇宙人でした
 という大ボケをかまして、で、トオルんはナギ辺りが突っ込むかと油断していたら、ナギも普通にその
 ボケをボケのまま活かしてるんちゃんを肯定しちゃって。
 これは、トオルんの「常識」、あるいはその常識によって固着してしまった「日常」から、るんちゃんが
 完全に逸脱して、別の着地点、つまりナギ達によって受容された場所に行ってしまった、という事なんで
 すよね。
 あくまでトオルんの支配下にあった、そしてトオルん自体も支配されていた「日常」から、ツッコミに
 よって回収可能だったるんちゃんが、別の場所に行ってしまった。
 にも関わらず、るんちゃんはちゃんと、トオルんの目の前にいる。
 
 ああ、そっか。
 日常って、ひとつじゃ無いんだ。
 
 トオルんは、自分の囚われているひとつだけの「日常」の中を生きる事だけしか出来ずに、るんちゃんを
 その「日常」の中に留めておくことでしか自己存在の認証を行えなかった。
 それが、こうしてるんちゃんが、余裕でトオルんのツッコミの魔の手wから飛び抜けて、普通にそのまま
 楽しそうに生きている、そのことで、むしろトオルん自身の日常がひとつに閉じてしまっていることを、
 なによりもトオルん自身に知らしめてくれたんですよね。
 ガチガチに閉ざされた日常、その繰り返し、その繰り返しを如何に楽しくするか、工夫して、努力して、
 果てしなく、重く、のし掛かっていく。
 そして、その重みを背負って生きていくのが、人生というものなんだ。
 
 そして、トオルんの前で、るんちゃんは大きくそれを、笑い飛ばしてくれる。
 
 ナギが突っ込み、ユウ子がおろおろして。
 そしてトオルんが真面目に頑張っている。
 たぶんこれは、あの四人が四人というひとつのグループを形成して、その中で各自の役割を持って、
 それで持ちつ持たれつの関係を維持していくということじゃ無い。
 るんちゃんはきっと、笑ってるだけで、幸せにひとりで生きていける。
 ナギはきっと、ツッコミ入れまくってるだけで、幸せにひとりで生きていける。
 ユウ子はきっと、おろおろしてるだけで、幸せにひとりで生きていける。
 そしてトオルんも、トオルんらしく、真面目に頑張ってるだけでも、幸せにひとりで生きていける。
 その四人のグループの解体が根底的に行われていて、そしてその上でその四人が距離感を以て
 ゆるく繋がっている、たぶんきっと、そこにこの作品の軽快さ、そして暖かさと、「楽さ」があるんだと
 思うのね。
 
 あーそっか、こうして自分で語ってみて初めて気付いたけど、うん、つまりこの作品の楽しさ、その
 日常の面白さは、自分を見失うほどに濃密にくっつき過ぎた人間関係を解体し、ひとりひとりに
 分離して、ひとりでも生きられるようになり、それから改めて、その自分を見失わない程度に繋がり
 直していこうという、コミュニティの再構成にあるのかもしれないね。
 この作品は、人と人との繋がりや絆が大事で、みんなで一緒にいることが大切で一番で、ひとりに
 なっちゃった子はみんなで助けてみんなの仲間に入れてこう、みんなで頑張ろう、みたいな、そういう
 頑張れニッ○ン的な、致命的間違いを犯していないんですね、それが滅茶苦茶新鮮というか、
 新しさを感じさせてくれるというか。
 この作品は、トオルんの「孤独」がしっかり描かれてるし、ナギなんかもそうよね、ちゃんとそれぞれの
 「世界」を持って、そこで生きていることが描かれてるし、どう見ても「仲間」とか「友情」が主題には
 なっていない。
 だから、すごく自由で、すごく楽で、そしてなにより、解放されている。
 なにからってあなた、んなもん、濃密過ぎる人間関係、すなわち他者の存在無しには自らの存在証明
 を行うことが出来無い、非常に恐ろしい状態から、に決まっておりますよ。
 だからこう、あの子達のボケにしろ、そしてツッコミにしろ、なんというか、すんごく活き活きとしていて、
 そしてなんというか、ひどくその子のオリジナリティを感じるのよね。
 自分の気持ちを、素直に、自分の言葉で、自分のタイミングで、そのまま。
 
 だから、芸としてでは無い、そのままの個人の楽しみの競演がとっても魅力的。
 
 関係を維持するための、発展させるためのものが一切無い、自然な関係。
 それが本当の意味での、親密な関係なんだと、すっごい私は思います、最近とみに。
 この作品の最大の魅力はそれであり、そしてそこから、固着した日常が変化していく日常へと豊かに
 変わっていくことを、なによりも示してくれた気がします。
 うん、この作品の続編自体よりも、私はこの作品に続いて、こうしたある意味での人間解放を目指す
 作品が登場することを願いたいところですね。
 だから取り敢えず、Aチャンネルに、ありがとう、そして、またね。 (やっぱりなw)
 
 
 
 
 
 DOG DAYS:
 現実とはなにか。
 それは、物語である。
 自分が、世界を、どう語るか、である。
 自らの目の前に広がる、無数の要素を繋ぎ合わせ、ひとつの文法を作り出し、そしてひとつの文脈
 を形成し、それに沿わせて、「世界とはこういうモノである」と語られた結果、それそのものが現実
 となる。
 そしてそれらの要素の受け取り方、すなわち自分の中の文脈への組み込み方は、その人が、
 世界を「どう見たいか」、もしくはどんな世界を本当に求めているのか、という事によって決まる。
 現実とは、そのひとりひとりの、世界に求めるモノの数と同じだけ、存在する。
 現実とは、すなわちファンタジーである。
 他者がどう世界を捉え、他者がなにを考えなにを感じているのか、それを本来的に私達は知ることは
 出来無い。
 だがそれをも人は語ることで「知ろうと」する。
 人の内面を忖度し、統計を取り、推測し、こうであろう、こうに違いないとして、それをひとつの他者と
 いう物語として語る。
 他者の存在をも含めて、すなわち物語、ファンタジーである。
 自分が世界になにを求めているか、それが投影されたものが世界であり、そしてまた同時に、
 他者というものも、自分が他者になにを求めているか、それが投影されたものを他者として捉えている。
 他者は、物語、ファンタジー、つまり幻想である。
 
 この世界には自分だけが存在する訳では無い、他者も存在する、だから自分が好きなように世界を
 作ることなんて出来無い、というのは、欺瞞である。
 それは、他者に自分の世界を語ることを委任していることに他ならず、強いて言えばそれは、
 そうして他者に語られた世界を生きる事を望む、そんな自分を生きたいという自分自身の願いが
 投影された語りでもある。
 無論それは、物理的に他者を世界を好きに出来るかどうかとは、無関係だ。
 
 世界を語り、現実を捉えることは、自分にしか出来無い。
 
 だから、自分が現実に振り回され、現実に「屈服」し、そしてその中で満たされることの無いなにかを
 感じているのだとしたら、それはその人の世界語りが行き詰まっていることを示す。
 むしろ、その行き詰まりを示すためにこそ、無闇に目の前の「現実」に固執し、その現実を他者にまで
 敷衍し、それこそ心中させようとする、その自分を創り出すのかもしれない。
 私も多く、そのような人達と会って話をしてきた。
 アニメを貶す人、ファンタジーを現実逃避として見下す人。
 もし本当に、自らの語る世界としての現実に充足しているのなら、そんな事をする必要は無い。
 自らの語る現実を、それを自らが語ったものでは無い、誰もが絶対遵守すべきモノとして捉えたとき、
 そしてその遵守から逃れようとする人を攻撃するとき、それはなによりもその人自身の魂の危機を
 照らし出している。
 
 私の中にもかつて、いや、今もって、そういった類のことは起き続けている。
 現実とはただ語りのうちのひとつにしか過ぎぬのに、それがそれしか無いとしか思えなくなったとき、
 それは現実を語り世界を作る、という人間にとってなによりも大切なことが失われていると、
 頭ではわかっていても、どうしても、目の前のたったひとつの語りに、しがみついてしまう。
 それが現実なのだから、仕方が無い、と。
 そのなによりも無責任な言葉で以て羅列していく、そのような単一の物語を合唱する、その人達の
 中で長く暮らしていると、どんなに自分の中でそれをおかしいと思っていても、それらの周囲の同調
 圧力によってじりじりとそれは否定され打ち消されていってしまう。
 だからこその。
 
 現実逃避。
 
 新たなる、物語への招待。
 
 戦争は嫌だ。
 じゃあ戦争を止めてみろよ。
 その方法がわからないなら、戦争を受け入れろ。
 仕方の無いことだ。
 そのようなやりとりは、様々な事柄、レベルで行われている。
 だから、私は最近、こう思うようになった。
 もし目の前で戦争が起きたら、どうやって戦争を止めるのか、では無く。
 戦争は嫌だ、止めたい、という自分の気持ちを大切にするだけで、充分だ、と。
 「どうするか」、では無く、「どう思うか」が、重要。
 しかし、それが意図的に混同される事によって、どうにも出来無ければ、どう思う意味も無い、と
 なってしまうことがこれまで多々あった。
 なにかをする事にのみ意味があることであり、なにもしないのは意味が無いと。
 つまり、物理的に戦争を止める事が出来るようにならなければ、戦争を止めたいと思うな、という事。
 だがこれはおかしい。
 戦争は、戦争を止めたい、戦争は嫌だとおもう、その自分自身を認め、その願いを世界に投影して
 現実を語ろうとする、そういう人達の存在の連なりがそれを止める。
 ゆえに、そのことをそもそも否定しまえば、戦争を止めることも無くすことも出来無いのは、それこそ
 道理。
 
 戦争は、戦争をやめたいと思う人の想いを否定するところに、発生する。
 
 平和ボケを虚仮にするところこそに、戦争は蔓延る。
 そして、戦争というモノを問題解決の手段として是とする世界を語る、そういう現実を語り、そうして
 語られた他者の物語に屈服してそれを無反省に同調して語るときに、そこに避けられない戦争、
 というファンタジーとしての現実が広がっていく。
 
 実際に戦争が止められるかどうか、なんてそんな事はなんの関係も無い。
 自分が世界になにを求めているか、それだけがただただ私達に必要なことだし、戦争を止めることと、
 戦争を止めたいという想いをしっかりと区別するということこそが、あるいはその力を養うためにこそ、
 目の前の固定化された現実としての物語から逃避する、すなわちファンタジーとしての物語への
 逃避がとても大切なことになってくる。
 だから私は、目の前の現実の論理のままに、現実肯定として描かれていくファンタジーモノには、
 まるで興味を覚えない。
 そしてゆえに。
 目の前の現実の論理をあっさり素通りして、自らがこういうものが見たいという世界を映し出し、
 豊かに語り出す、そういうファンタジーにとてもその大切さを感じるのだ。
 
 このDOGDAYSという作品は、その大切さを見事に顕現させた作品だ。
 
 戦争なんか、ただの興行だよ興行。
 みんなが楽しく競い合って、みんなが儲かる形にして、私達が他者に求めるものって、ただそういう
 ものだよね。
 それが具体的にどうやれば出来るかなんて、それこそなんの関係も無い、一体私は、世界に、そして
 他者との関係になにを望んでいるのか。
 自らの生の指針の再確認、そしてその指針を目指して生きていく、その道中としての生そのものを、
 どれだけ鮮やかに描き出し、そして幸せに語ることが出来るのか。
 ファンタジーの最大にして最高の魅力は、まさにそこに尽きるのです。
 戦争は無くならないとか、それが人の性だとか現実だとか、そういうのは全部、自分が自分の世界を
 語ることを放棄した無責任な行為にしか過ぎないんだよね。
 そして実際に戦争を無くすという目的を果たすかどうかに関わらず、私はこの作品を見て、戦争が
 ただのアスレチック大会もどきで、そしてみんなが仲良く過ごして、和気藹々とした人間関係が、
 それがどこまでも開かれている感触に、ああ、私が世界に求め、そして私が真実生きたいと思って
 いる世界はそういう世界なんだ、ということの深い自覚を得られること自体が。
 最高の、幸せ。
 自分の望みを知るという事の、その嬉しさ。
 そして、自分がその望みを見失い、他者の望みをそれに上書きしてしまっていた事に気付くことの、
 静かな興奮。
 そして、なにより。
 
 人生は、たった一回しか無いのだ、という実感。
 
 繰り返すけど、このドッグデイズの世界をそのまま実現することはあまり意味が無いし、それが出来るか
 出来無いかの議論は不毛以外のなにものでも無い。
 そんなもの、瞬殺で答えが出るものよ。
 むしろ、ドッグデイズの世界を実現出来る訳無いだろ、だからファンタジーなんか見ている暇があるなら、
 ちゃんと現実に向き合え、と思うことの方が現実とファンタジーの区別がついてないと言える。
 ぶっちゃけ、ファンタジーでもアニメでも、それの「なにを」実現するのかが重要な訳で、そもそもアニメ
 やファンタジーっていうのは抽象として捉えれば、いくらでもそれを現実に実現することは可能なのよね。
 一体なにが抽象化されているのか、それはすなわち、私自身の願い、想い、それらに他ならない。
 それをアニメやファンタジーで描かれた形のままに実現出来る事などもとより不可能、だからこその、
 一体私はそのアニメやファンタジーの中になにを求め、そしてなにを得たのか、それを知り、そして
 それを自分の力で出来る形にして実現していけばいいだけのこと。
 わたしゃ戦争が嫌いだよ。
 だから、私は、戦争には参加しない。
 戦争も支持しない。
 それで充分。
 そして、その想いを元にして、現実を再構築していく。
 自分で、自分の世界を、自分の価値観を、語り直していく。
 それが、世界を変えるということなのだとおもう。
 
 自分が、なにを望むのか。
 
 だから私は、閣下が大好きなのよねぇ♪
 国の事を考え、領主として「現実」的問題に直面し、その豪腕を振るいながらも、
 幼馴染みの隣国の姫を大切に想い、その姫への想いのままに、政治的なことも、自身の辛いことも
 引き受ける。
 私はただ国のことだの政治のことだのを宣って、姫のことを大切に想う自分を無視するだけの人なら、
 全然レオ閣下には惹かれないし、だから逆に、国だの政治だのと言いながら、それを隠れ蓑にして
 むしろ全部姫様のために行動していた、その閣下に無茶苦茶惚れる訳。 ガチです。(ぉ)
 んで、問題が全部解決して、姫様を守れたら、即デレですよ。
 年上なんだけど、基本妹キャラとか・・・・・ちょ・・鼻血が・・(ぉぃぃ)
 ミルヒ姫様にしろタレミミ隊長にしろ、みんな自分のしたいことをちゃんとやっていて、それがもう、
 すごい嬉しいというか、勇者様を中心にしてのあの楽しそうな、ほんとうに素直な落ち着き振りがさ、
 ああ、そうかぁ、やっぱり私、こういう人間関係を基にした世界を生きたいのかぁ、って。
 つーか、勇者様とフリスビーで目一杯遊んでる姫様のあったかい笑顔とか、なんかもう、我がことの
 ようにゾクゾクしたよ♪ 
 つーかあれ雌犬調教だろとか言ってた奴、一歩前へ出ろ、鉄拳制裁してやる (おまえもな)
 だから私は、これをただファンタジーとして、御伽噺としてただ愉しむためのものになんかする気は、
 さらさら起きないんですよね。
 
 私がこの作品から貰ったものは、もう滅茶苦茶、前期随一ですよ、まったくもう、毎週一番楽しみに
 放送を待っていたもん、水樹奈々のOPでぐんぐん自分の気持ちが高揚していくのを感じてさ、
 ああもう、まったくもう、楽しいなぁもう、私、こんなに今、生きてんの楽しいのな♪♪
 この生きている事の楽しさは、目の前の「現実」をあくまで物語のひとつとして捉え、それを随時書き
 直すことが出来るモノとして捉えることが出来、そしてその書き直すための言葉を与えてくれるモノとして、
 ファンタジーを捉えることが出来るようになった御陰なんだよね、まさに。
 物語は終わらない、なぜなら、現実という世界がずっと、その永遠の書き直しの可能性を私に
 魅せてくれ続けているのですから。
 その物語を綴るのは、他ならない私自身。
 生々変化し、流動性のある現実を生きるために、ファンタジーは、アニメは、そしてこのドッグデイズと
 いう作品は、とても幸せな体験を私に与えてくれました。
 ありがとう♪
 ファンタジー、というか物語に多く親しむことが、豊かな現実を描いていくことに繋がるのですよね。
 あと萌えと燃えもな。
 閣下、万歳。 (ガチです)
 
 
 
 
 
 アスタロッテのおもちゃ!:
 楽しかった。
 面白かった。
 なんかこう、ずーんとね。
 しちゃった。
 私は一体、なにが楽しかったんだろう、面白かったんだろう。
 この作品を見終わった瞬間に、なにもかもがわからなくなった。
 観たあとになにも残らない的な、そういう感じなのかなともおもうのだけれど、どうやらそうじゃない、
 私には、この作品を観てなにかを語るための、その言葉を知らないのだと思った。
 うーん。
 この作品もファンタジーなんだけど、でもなんというのかな、私は別にこの作品で描かれた世界や
 人間関係を生きたい、という訳では無いみたいなんだよね、でもなんかこう、ずーんと。
 なにかが、確かに私の胸に深く突き刺さってるんだけど、それがなんなのか、どう言ってよいのか・・
 萌え・・? まぁ、それに近いと言えば近いのかなぁ・・・
 これ、ファンタジーなんだけど、なんというか、どっちかというとこれはむしろ、御伽噺として、お話そのもの
 を楽しむことが出来ればそれでいいのかなぁ・・・なんか違う気もするけど・・・・
 うーん・・・・
 
 家族、の話なんだよね?
 
 血縁関係とか倫理的にあわわな関係なのだけどさ、うーん・・・倫理的なモノを核としない、純粋
 な人同士の関係で家族が出来ていって、要するに家族に流動性をもたらしているというか・・
 私はそこに、なんかこう、自由な開放感というか安堵感を感じたのかなぁ。
 倫理的にかつ性的にも色々とフリーな感じになっていて、そのあけっぴろげかつ秘密の少ない関係が、
 なんというか、家族の成員同士の中に穏やかな信頼関係を持てていて。
 そういう意味での互いへの尊重ある態度が、すごくいいのかなぁ、家来の人とかも非常にそういう意味
 で家族的な感じで、だからなんというのかなぁ、閉鎖性を感じないのよね、あの家族。
 あの若すぎる父親と娘だけの、小さな関係が、それがどんどんと他の人達と親密に繋がって、
 大きく開かれていくのが、こう・・・・あー・・やっぱり、すごく憧れるのかなぁ・・
 言ってみれば、「親」と「子」の関係がぴったりと愛情とその保護によって守られていながら、決して、
 「親」と「子」だけで「家族」を構成しないで、それで終わりともしないという感じが、いいんだねぇ・・
 「親」と「子」の中に他人が「家族」として入ってきて、でその他人の中には血が繋がっている者も
 いたりいなかったり、なんかこう、継父と継娘(?)が恋人関係になろうがなるまいが、なんか全然
 関係無いっていうか、そのふたりの関係が、他の面々との間に構築される「家族」の中では、
 なんの問題も無く感じられるというか、自由というか開放というか。
 
 つーかもう、あれを「恋人関係」というのもなんか違ういうか、そのまんまというか、結局殿下が直哉
 と殿下の母の陛下との関係を知ろうと知るまいと、殿下自身の気持ちを自分が認め受け止めることが
 出来れば、それでいいじゃんみたいな、つーか政治的にはどうか知らんけど、心理的にあの面々が
 それを問題視することなんて、まるでなさそーな、直哉と陛下の娘にして、殿下の異父姉に当たる
 明日葉が一番その辺りおおらかに、そして「健全」に育っているという気がするんだよね。
 明日葉は直哉との親子関係に全く閉じずに、異父妹の殿下とも普通に友達としても妹としても
 付き合えるだろうし、母である陛下への純粋な想いも、それに執着せずに存分に周りの他の人達と
 の関係を生きることも幸せに出来てるし。
 
 なんか、いいよね、そういうのって。
 
 明日葉はなにも我慢してないし、健気な良い子を演じてる訳でも無い、人生を大いに楽しめてる
 ものね、その秘訣(?)がまさにこの開放的な家族関係に由来している気がする。
 そしてそれは、本当に完璧に、父である直哉にすべてを愛されてきた事の証しでもあるんだね。
 最終的にわたしゃ明日葉が一番好きだわ、ていうかやっぱりなw
 愛されて育ってきた子が好きすぎてーとまらないー誰かとめてー (なに)
 
 うん、だからね、倫理というか道徳的な面(直哉と殿下の関係)に関しては、べつにファンタジーとして
 捉えても問題無いと思うのよね。
 要するに、既存既製の関係性に拘り、それを元にした関係しか認めないという固定観念からの
 脱却として、それは抽象として読み解けばいい話ですし。 私はそのまま受け取るけど。 (ぉ)
 げんにこの作品はそういう道徳的な面を背徳的に描いたりは、全くしていませんし。
 むしろこの作品の主題は、子供である殿下が、如何に「親の愛」を手に入れることが出来るか、
 という事に尽きますし、そういう意味で、継父である直哉に愛される事が、純粋に「親」に愛される
 という形では無く、「男」に愛されるという形で描かれたのは、面白いところです。
 あれ、やっぱり単純に女と男のラブストーリーじゃ無く、殿下自身が、直哉を含む他の家族(家来も
 含む)との関係の中から、「親の愛」、すなわち自分を絶対的に愛してくれるモノを獲得していく、
 そういう物語になったのじゃないかな。
 母たる陛下との関係も深まったし、あれはすごく素敵な感じでした。
 で、その上で、改めて殿下が直哉との恋愛のステップに移っていくみたいな、そういう感じ?
 
 話変わるけど。
 甘やかされて育ってきた子供はロクな人間に育たない、とよく言われるけど、あれってば大嘘。
 甘やかされると、それが当たり前になっていつまでも人に甘ったれる、というのは、それは実は、
 甘やかされる、つまり愛されるということを本当の意味では受けてないからなのよ。
 本当の意味ではしっかり甘やかされず愛されずに育ったがゆえに、その本当の愛をいつまでも求めて
 しまうということで、だから逆に本当の意味でしっかり甘やかされて愛された子って、もうそれ以上
 誰かに愛を求めたり甘えたりという事に拘らずに済むんですね。
 殿下と明日葉が、それを見事に対照的に体現してる。
 殿下は陛下の事を物凄く求めているもんね、なのにそれが満たせないから、いつまでもその強い
 欲求が消えることが無く、かつその欲求を殿下自身が「甘え」だとして断罪してしまうものだから、
 余計に殿下はどうしようもならなくなる。
 今は発現してないけど、きっとそのうちあのままだったら、殿下はきっと他のモノにその代わりを求める、
 たとえばなにかの依存症とかになっちゃうかもね。
 殿下に必要なのは、その自身の「甘え」とやらを断つことでは無く、むしろその「甘え」をなにかに
 すり替えずに正当的に満たしてあげることなんですよね、本当は。
 その「甘え」を満たすことは、無論母から与えられるものもそうだろうけれど、もう子供とはいえ結構
 大人に成長してしまっている殿下は、その母自体から得られる「甘え」では満たせないんですよね。
 だから、その満たせないところを、他の家族との関係、正確に言えば、その家族との関係の中で生ま
 れる、その「自分」によって満たし、癒されることで得ていくことになる。
 
 その辺りのこと、すっごい最近わかるんだよねぇ、私は。
 たぶん、それが私がこの作品を観てずーんときたものの主因なんだとおもう。
 なんか最近、変な表現だけど、自分で私という子供を愛し育ててる感じがあるし、で、それがなんか
 とてもいい感じに自分を満たしてるところがあってさ。
 あー、自分が親に求めていたのはこういう事だったのか、そして私が自分の娘なり息子なりにしてあげ
 たいことはそういうことかって、ずんと、胸の奥の魂に響いて実感する。
 それが私の親子関係に反映していくというのが感じられて、なんかこう、すごく清々しいというか。
 この作品見てて、殿下と明日葉が一緒に歌って踊って、明日葉が毎日楽しいねと本当に楽しそうに
 言い、そして殿下が、う、うむとおずおずとなんとか答えようとするところとか、もう、うん。
 
 涙出る。
 
 幸せな子と、幸せになろうとする子。
 これ最強。
 
 
 
 
 
 というところでしょうか。
 うん、なんか今回はこの三作品でまとまったテーマを書けた気がします。 余は(自己)満足じゃ!
 
 あとおまけ。
 読書リスト。 ぽちっとな。
 
 
 
 雪乃紗衣 「彩雲国物語 緑風は刃のごとく」
 同上 「彩雲国物語 青嵐にゆれる月草」
 同上 「彩雲国物語 白虹は天をめざす」
 西尾維新 「刀語 第八話 微刀・釵」
 同上 「刀語 第九話 王刀・鋸」
 同上 「刀語 第十話 誠刀・銓」
 同上 「刀語 第十一話 毒刀・鍍」
 坂東眞砂子 「梟首の島 上」
 同上 「梟首の島 下」
 池永永一 「復活、へび女」
 和田竜 「忍びの国」
 伊東潤 「虚けの舞 織田信雄と北条氏規」
 風野真知雄 「馬超 曹操を二度追い詰めた豪将」
 
 
 まだ全部読んでないですけど、読んだ中では、坂東眞砂子の「梟首の島」に非常に感銘を受け
 ました。
 んー、この人元はホラーの人だけど、それをさらに深化させて、「本当に怖いもの」を抉り出して、
 そしてそれらにどう向き合うか、と私達に容赦無く突き出してくれるのが、なんだかとてもありがたい。
 ガンガンいこうぜw
 
 
 という感じで、今回はここまで。
 ではまた。
 
 ごきげんよう。
 
 
 
 
 
 
 
 
 



 

-- 110721--                    

 

         

                              ■■その友の生まれた日■■

     
 
 
 
 
 『 小さい頃、本当は友達が欲しかった。
 
  人であろうと、妖であろうと、それはこんなにも暖かく、俺の心に灯るのだ。 』
 
 

                          〜夏目友人帳 参 ・第三話・夏目の言葉より〜

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 五月雨の落ちる葉の響きのその奥で、ひそりと幽かに佇んでいる。
 遠雷が灰色に溶けた虚空に穴を開けていく様を、こそりとただずっと眺めていた。
 白く抜けた辺り一面に小さな息を零しながら、ゆっくりと開いていく瞼をひとつ、閉じていく。
 ああ
 冷たい
 深く根付いていた足下が土砂に溶け出して、消えている。
 広くどこまでも繋がっていると思っていた腕が、ぼきりぼきりと未だそれが折れる音を響かせている。
 届かない
 なにも
 
 滑らかなるままに、解けるように、膝を抱えては、伸ばして。
 遠く
 遠く
 ただ 遠く
 ただずっと此処に生きていただけなのに
 
 不思議なものね
 どうして、人の形をとろうと思ったのかしら
 気付けば私は、歩き出していた。
 
 
 
 
 ◆
 
 柴田に、また会いたい
 どうしてだろう
 ただ私は 此処にずっと居たかっただけなのに
 ああ
 そうか
 このままだと 私 消えちゃうんだった
 でも 消えるのが嫌だから 柴田に会うのだろうか
 柴田を喰えば、私が消えることを留めることが出来るからなのだろうか
 私は
 柴田を 喰いたいのか?
 いや 喰いたくは無い
 でも 喰わねば、私が消えてしまう
 だから、喰うのか?
 だから、柴田に会うのか?
 
 柴田をひと目見たときから、私は悟っていた。
 私はなぜ、消えたくないのだろうか。
 そう問うたとき、私の中には、匂い立つ雨のようにして、想いが響いていた。
 それは、私が嘘吐きだからだ、と。
 私は・・・・生きたくて、生きていたはずなのに・・・・
 季節の移り変わりの中で、花を咲かせ葉を茂らせ種を播き。
 鳥達のささめきと、雨の羽音と、森の息吹と。
 ただ燦々と、幸せだった。
 寂しいと、思ったことは無かった。
 私はきっと、なによりも深く充足していたのだろう。
 不足などなにも無く、ただあるがままに、私が私たることを受け入れていた。
 私はこの森に生きる、山藤の精。
 不思議なものだ
 どうしてこう 生きているということが こんなにも嬉しいものなのだ
 満ち足りていた
 どこまでも いつまでも ただひたすらに 私の世界は豊かに聳えていた。
 その懐に抱かれ、私は青白く迸る陽炎のようにして、山藤の太い幹に枝に根に、花に。
 この生を、この世界を感じていた。
 
 そして
 その生が
 その世界が
 唐突に 終焉に向けて走り出した。
 
 
 
 ◆
 
 死とはなんだろう。
 それは、終焉なのだろうか?
 もしそうであるのなら、私は、生まれたその瞬間から、終焉に向けて走り出していたという事になる。
 そうなのだろうか・・・?
 この森の、この木々の世界は、ただ己が滅びの支度をするために、それをただ、美しく飾るために、
 その祈りとしての花々を、咲かせていたのだろうか。
 一体、誰に向けて、その花を咲かせていたというの?
 私に?
 生まれたその瞬間から、死に向けて歩き出している、その私自身に贈るために、この花を、
 この美しくしなだれていく体を、愛おしく磨いてきたというの?
 なんだかどうしようも無く、違う気がした。
 それとも私は、この世界にこそ、祈ったのだろうか?
 どうかこの私が生きた証しを、この世界に刻み残してくださいますように、と?
 
 嘘吐きな癖に、どんどん嘘が下手になっていくな、私は
 
 この森は、繋がっている。
 森という、ひとつの大きな生物として、この世界の中で胎動を重ねている。
 そう、胎動なのよ。
 まだ、生まれていないのよ。
 柴田に出会ったとき、私はそれを、それこそ生まれて初めて、知った。
 それまでの私は、私というひとつの個の存在を、この森というそれよりも大きな存在のひとつに連なり、
 それを構成するモノとして捉えていた。
 木々がざわめき、鳥達が囀り、この森が、林が、池が、豊かに栄えていくことこそが、私にとっての
 幸せそのものだった。
 見ているだけで、感じるだけで、幸せだった。
 限り無く広がっていくこの充実した想いが、この森に根を張る私の青白い血を通して、森中を駆け巡り
 、そしてひとつひとつの存在達の想いと実感を汲み取り、それを私に還元していた。
 この深く満ちた蒼穹の下で、それは無限に続く循環の営みだった。
 この森を育てているのは、この私の幸せなのだと、そして、その私の幸せによって育てられたこの森の
 幸せこそが、私を育んできてくれたのだと、私は・・・・
 
 そういう嘘を 吐き続けることだけで
 その循環と
 そして
 私の死までの道程を支えていたのだろう
 
 
 私の死は、私というこの終わりにしか過ぎず、それは森の終焉を意味しない。
 世界は終わらない、そう信じたかったのだろう。
 森さえ残っていれば、私はすなわち。
 終わらない。
 不死なのだと、思っていたのだ。
 だからこそ、私は悄然と、己が死を、この体が朽ちていく事を、ただ拾い上げただけなのだろう。
 まるで、大事な大事な、お守りを抱き締めるようにして。
 森のためになら、私は死を受け入れられる。
 まさに、絆だな・・・・・笑ってしまうよ・・・私は・・・・
 その森から産まれ出る事無く、まさに森という母胎の中で壊死していくだけの事を、それを母たる
 森に還ったのだと、それで私は森と一体となり、そして永遠になるのだと・・・・・
 その安寧の元に、ただ自分を・・・・
 
 森という存在の、さらにその上にこそ、私という個の存在はある。
 森に孕まれたままの、その胎から這い落ちること無く、私はただずっと、森という私の中の幻想に
 閉じ籠もっていただけだった。
 森のために、森の成員のひとつとして、そのままあるがままに死を受け入れていく?
 ほんとうに、どんどん嘘が吐けなくなっていくわね。
 もう私、柴田に出会ってから、それが嘘以外のなにものでも無いことを、知らずにはいられなくなって
 いた。
 私の思考と言葉よりも早くに、いえ、もしかしたら、本当は私が生まれたその瞬間より、私のこの体は、
 血は、ほんとうは、森から産まれ出でる幸せのために、動き続けていたのではないだろうか。
 私はただ、柴田に出会うまでそれを自覚出来ずに、森の中で終焉のために生きるという自分の
 嘘にしがみついていただけで、だから柴田に出会ったことで、その嘘はもう効力を失い、もうなにも、
 隠すことは出来無くなってしまったのではないだろうか。
 嘘が下手になっていくことの、このどうしようも無い清々しさは、一体なんだろう。
 嘘が下手になって、誤魔化すことが出来無くておろおろする、その自分にざまぁみろと言葉を振り下ろ
 せる、その私のなんと胸のすくことか。
 もう、嘘を吐く必要なんて、どうしようもなく、無くなっていたのよ。
 だって私は、もう、あの森にしがみついて、森の中で必死に、そして冷厳に幸せを感じようとすること
 以外の、それ以上の、そしてにこやかな私がある事を、自覚したのだから。
 だから、嘘を吐くという能力を向上させる必要も、維持する必要さえも、私がどう思おうとも、もう、
 問答無用で無くなっていたのね。
 疼く
 蒼く溶けた空からゆっくりと降りてくる、爽やかで密やかな風のように
 ぱしゃぱしゃとはねるようにして叫ぶ、私の胸のざわめき。
 
  ああ 私は死にたく なかったのだな
 
 
 悄然と、森の中で、森に溶けて消えようなんて、嘘だ。
 私は、ただ消えるくらいなら、人を喰って生きてみようと、そう思っていたではないか。
 そうだ・・私は、森にとり殺されるなど、真っ平だった。
 この森に尽くし生きた山藤の誇りなど、この世界に刻まれ残されようと、なんの興味も無かった。
 だから・・死にたくなかった・・・
 けれど・・・
 まだ・・生きたいとは、思えなかったのだ
 ただ死にたくないというおもいだけが、私と柴田を引き合わせた。
 人の子め、喰ってやる。
 そのために、人の形をとり人に化け、人の真似事をした。
 柴田を喰い、私が死ぬのを阻止するために。
 私が
 森の支配から抜け出すために
 私が
 森の中で消える自分にしがみつき続ける、その私を壊すために
 それはただの・・・そうね・・・復讐にしか過ぎなかった
 私を支配する森と、そしてその支配に殉じる私に対する、怨みと、憎しみと、そして怒りだった。
 不思議よね・・
 私はずっと森に殉じて、そして私の死という終焉を穏やかに迎えることこそ、私の幸せだとおもっていた
 のに・・・
 私の中の、全く別の私は、遙か昔から、その私を破壊しそこから抜け出すための計画を、ずっとずっと
 練りに練り続けていただなんて
 私のほんとうの、生命力の強さを、初めて知ったわ。
 そして・・・私が生きたかった・・・ほんとうの世界は・・・・・ほんとうの私は・・・
 その 生きる力に充ち満ちた 森を突き破って歩き出せる その私だったんだって
 私はただずっと、その私のことを、信じられなかったのだ。
 だから私は 嘘吐きになった
 ただ それだけのことだった
 
 
  そして 私は柴田と出会い
 
 
 
  生きたいと
 
 
    ほんとうのことを   叫ぶことが出来た
 
 
 
 
 
 
 
 ◆
 
 
 信じて貰えないからこそ、どうにか信じて貰おうとして、嘘を吐く。
 相手に信じて貰えるように、そのために本当を隠し、誤魔化す。
 私は・・・
 死にたくなかった
 だから、柴田を喰おうとした。
 人に化け、柴田を騙して・・・
 どうして私は、柴田を騙す必要があったのだろうか
 そのまま齧り付いてやればよかったろうに
 死にたくない
 私はきっと、その自分の気持ちを信じることが出来無かったのだろう
 後ろめたく思ったのだろう、そのまま森に溶けて消えていくことを信奉していたくせに、それを裏切る
 ような真似をしていたのだから。
 私は 死にたくない
 でも、その死にたくないという言葉自体が、嘘だった。
 私は、本当は、生きたいのだ。
 森の、支配から抜け出すことだけを、生きるというのだと、激しく主張して。
 森の中で終焉を受け入れていくだけのモノなど、それは生では無く、初めから死だ!
 そう叫ぶ自分のことを、森を、そして森を信奉する私に信じて貰えないと思っていたからこそ、
 私は嘘を吐いて、どうにかしようとしていたのだ。
 私はただ死にたくないだけなんだ、だから森の中での生を否定している訳では無いんだ、
 信じてくれ、と。
 そうやって取り繕っていただけなのだ。
 本当は、森の生を否定して、新しく産まれて生きたかったのに。
 死にたくない、だから人の子を喰って生き延びる、と。
 
 でもそれは同時に
 死ななければ、チャンスはあると、そういう事でもあったのだ。
 
 死にたくない。
 なぜなら。
 生きられるように、なりたいから。
 死ななければ、いつか、きっと。
 そしてそのいつかが、突然に、目の前に顕れたんだ。
 柴田・・・
 ああ・・
 よく口が回り、楽しげで、とにかくもうほんとうに、目一杯私の目の前で、私を意識して生きていた。
 喰い付く暇など、まるで無かったよ。
 死にたくないなんて、そんな嘘を吐いている時間が惜しいくらいに、柴田の前で胸を弾ませている
 私を私は無性に生きていた。
 あいつのくるくるとよく変わる表情に照らされて、生きるということはこんなにもめまぐるしく、忙しいもの
 なのだと、初めて知ったよ。
 柴田が笑ったり怒ったり拗ねたり、そうするたびに、その柴田の小刻みに変わっていく表情に照らされて、
 私の中にも、笑う私、怒る私、拗ねる私、そういう新しい私が次々と生まれていった。
 そして同時に、その柴田の生きる速度に感応されて、私の中で溶けるようにして伸びていた私の速度
 が、活き活きと、本来の私の生きる速度に変わっていくことを感じたよ。
 ええ・・・とっても・・・とっても、楽しかったのよ、柴田といて、柴田と話して、歩いて、嬉しくて・・
 夕陽が朱に染まっていく中に広がるあの時間、池の水面を照らす淡い光、どれひとつとて、
 それを守りたいなんて思っている暇が無いくらいに、それは私の胸を躍らせてくれたの。
 私、生きて、いいのね。
 私、こんなに楽しくて、嬉しくて、いいのね。
 そうか・・
 柴田に合わせることは、必要無いんだ。
 柴田に嘘を吐く必要も、無いんだ。
 私にとって、人の形をとることは、もはや、人を化かして喰らうためでは無く、人と生きるためのものに
 なっていた。
 そしてそれは、柴田のためにでは無く、私自身のための、その人の形だった。
 長く細くしなだれる藤の花のように髪を風に流しながら、私は渾々と湧き出る胸の中の雫を感じていた。
 柴田の前に立つと、私は私を感じられた。
 柴田と共に歩くと、私は私こそが世界の中を、胸を張って歩いていることを感じられた。
 なにより・・
 
  柴田が・・・
 
 
   柴田が    私のことを 大切に想ってくれていることが・・・・
 
 
 それが私だった
 私は私を大切にしてくれる柴田のために、人の形を維持しているのじゃ無い。
 私は私を大事におもってくれる柴田のために、柴田の友人を喰うのをやめたわけじゃ無い。
 私は、柴田をいつのまにか、信じている自分のことを知っていたのだ。
 だから、私は柴田に大切に大事に想われるために、私がなにかをしなければいけないのだとは、
 もう全く、思うことが無くなっていたのだ。
 なんだかとても・・・それは自由だったわ
 きっと柴田は、私が人の子を喰らっても、私のことを嫌ったりはしないだろう。
 きっと柴田は・・
 私が妖だと知っても、私への想いを変えることは無いだろう。
 柴田の友人が、柴田に私の正体をバラしたので彼はもう来ないと言ったことの、その嘘を私は見破り
 ながらも、私は・・私はそのとき・・
 そう、私は、確かにその嘘を見破った私にしがみつくことを、絶対に私に許さなかったのだ。
 柴田が友人の話を信じず、私に会いに来てくれる、なんて、その幻想がどれだけ正しいと喝破出来
 ようと、私はもう、それには頼らなかった。
 柴田がどうであろうと。
 私は、柴田と会いたい。
 柴田と 会いたいわ
 凜として高鳴る この私の想い
 だから
 そう だから
 
 私は 
 私のしたいことだけを、純粋にすることが出来るようになったのだ。
 
 私は、人の形をしている自分のこの姿も、大いに気に入っている。
 美しく、逞しく、生きることを求め、そしてなにより自分の足で立って歩くことが出来る。
 死という終焉のためで無く、今ここで柴田の前で嬉しく燦然と生きている、その自分を飾り彩ることが
 出来る、そのための人のこの姿は、無上に愛おしいものだった。
 私は、この私を愛することが出来たのだ。
 こんなにも、嬉しいことは無い。
 私は、ずっと・・・ずっと・・・この生を・・この私を求めていたのだ
 だから、しぜん、人の子を喰らうことも嫌になる・・
 それはそうだろう、私のこの人の姿と似たものを、喰う気になどなるだろうか。
 ましてやそれが柴田の友人ともなれば、それが柴田の大切なものなのならば、それをこの私が
 どうして喰ってしまうことが出来るだろうか。
 嬉しくて・・・・嬉しくて・・・・・・・ああ・・・・・・胸が広がっていく・・
 だから・・・
 ありがとう・・柴田・・・
 あなたは・・・私を・・・・・信じてくれた
 嬉しくて・・嬉しくて・・・涙を流す暇が無いくらいに・・・・・幸せで・・・
 あなたは・・
 私を、私の全部を受け入れてくれた
 そう・・・それは、私がどうしても嘘を吐いてしまう、そのことも含めてのことだった・・・
 だからあなたは、平然と、私の隠したいものから、目を離してくれた。
 私のすべてを受け入れてくれ、そして、なおかつ、私からきちんと距離も取ってくれて・・
 ええ・・・
 
 とても
   
     とっても 私
 
 
      あなたに 信じて貰えてるって  おもえて・・・・
 
 
 
 嘘を吐かなければならないほどのものが、私にはあった。
 だから嘘を吐くのも仕方の無いことだし、そしてそれは必要があるものなんだろうと、だから、
 柴田は私の正体に気付きながらも、決して正体を暴こうとしたり、疑ったりするような事はしなかったの。
 それが・・・それが・・・・なにより・・・・・どうしようもなく・・・・・・・嬉しくて
 私を、ひとりの、悩みも苦しみもあり、それに向き合う一個の存在として、認めてくれていたのよね。
 ああ そうだ
 柴田は、私を庇おうとも、守ろうともしなかった。
 ただただ、柴田は、私が私を必死に生きようとしている事と、付き合い、向き合ってくれた。
 それは私の世界を認め、私を尊重し、私に私の世界を生きることを任せてくれたということだった。
 幽く棚引く私の髪が凛々と透けていく
 どうしてだろう、この人に対して、私はもう、嘘もなにも無いと感じていた。
 ええ、そうよ、柴田の前で、優しく、まるで人の子のように暖かく笑う私が、これはもう、嘘なんかじゃ
 無くなっていたのよ。
 私を認めず私を消そうとする者に対して、憎悪と冷酷に染まる顔を向けることも、私を認め私を大切
 にしてくれる者に対して、愛情と嬉しさに染まる顔を向けることも、そのどちらもすべて、私の本当なのだ
 と、とてもとても、そんな当たり前なことに気付いていた。
 柴田の前で、人の子の姿を最後までとり続けるのは、嘘でも後ろめたいことでもなんでも無く、
 もう、当たり前のことになれていた。
 嬉しくて、愛しくて、楽しくて、それがすべて、私の表情と仕草に素直に表れていく、これ以上に正直
 で本当の事なんて、無いわ。
 なんだ・・・
 私にはただ・・・
 柴田に出会った数の分だけの
 沢山の 私が
 いるだけなんだ
 
 私は
 
 柴田の前で優しく、暖かく笑うことが出来た、この新しい私の誕生を、心から愛することが出来たわ
 
 
 森の中から産まれ出でた私は、生きたい。
 柴田と生きている、この時間を楽しみ、そうして楽しんでいる私自身こそを、慈しみたい。
 なんの傍観者たり得ず、守護者にも堕ちず、他ならぬ、これは私こそが生きている、私の人生だった。
 いうなれば、私が自分の人生の主人公になった、ということかしらね。
 誰から掬い取ったものでも循環したものでも無い、今現在、ここでこうしてどうしようもなく胸が高鳴り
 生きている、その私の世界は真っ白に、突き抜けるほどに壮大だった。
 そして、ぽっかりと、世界中に穴が空き、私が森中に広げた幹と根を、断っていった。
 私が、産まれた。
 世界の密度が驚くほどに低下し、恐ろしいほどに沢山のものが消えていった。
 ああ
 私は
 こんなにも今まで、沢山のものに縛られ、また自分から縛ってもいたのだな
 充満していた幻想から、解き放たれる
 沢山のものが消え、沢山のものが壊されていく
 嬉しい悲鳴が、私の体の奥底から響いていく
 そして誰も 周りにはいなくなった
 ひとり
 吹き抜ける風に抱かれた
 尊厳に満ちた
 孤独
 そして
 しゃなりと藤色に咲く髪を靡かせて、柔らかに立ち上がる私の手を
 大切に、そして敬意を払うが如くに、穏やかに掴んでくれた人がいる
 ありがとう
 柴田
 
 私は
 
  あなたと出会うまで生き延び
 
  そして
 
   あなたと出会い、生きることが出来た、私のことを
 
 
               誇らしくおもうわ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ああ
 
 
 私は
 
 
 柴田に 出会いたかったのではないのか
 
 
 
 ええ そうよ
 
  私は
 
  柴田と 出会いたかったのよ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ◆ ◆
 
 
 ただ森の中で生きて、それこそ森の中のひとりの存在として生きている限り、それは森の中の他の
 存在達となにも変わらない、むしろ同じになってしまうのよね。
 つまり、私達は、あくまで森の一部であり、森の欲するものが私の欲するもので、森の生が私の
 生と繋がっている中にしか、その絆の中でしか生きることは出来無かった、ということだろうか。
 そうね、だから、そんな森の一部でしか無い、森とすべてを共有しているという幻想に囚われて、
 その中で生きることが出来る事に幸せを感じる私が、なにを求めても、それは私という一個の生の
 主体が求めるそれにはなり得ない、ということなのよ。
 もっと端的に言えば、私は酷く、孤独を恐れていた、ということかもね。
 繋がりと絆を求めて、その中で生きている限り、孤独を感じずに済む。
 だから、繋がりと絆が断たれて孤独になってしまうと、途端に生きられなくなってしまう。
 それは・・とても恐ろしいことだったのよ・・
 柴田「に」会いたい、というのは、それはただ森の中に座り込み、森の中の繋がりの中でしか生きられ
 ない私が、ただ寂しい寂しいと言って、森の中で消えていく私を死ぬまで生きているだけ、ということだな。
 そう、だから、柴田「と」会いたい、というのは、私、という孤独なひとりの主体を獲得し、実際に
  「柴田と会う私」という自分を生み出さなければ、絶対に出来ることでは無いのよ。
 私は
 私を
 産みたかったのよ
 
 柴田と 出会える私を
 
 それは、柴田に相応しい私を作るという意味では無いだろう。
 ただ私が森も柴田も関係無く、純粋に柴田と出会いたいという、その純粋な私の欲望を元にして、
 そして生み出された私を、私自身が生きるということだ。
 そう、私は・・・柴田と会っているとき、もうほんとうに、柴田と会っている私の楽しさを感じることだけが
 出来ていたのよ
 柴田のことをおもうとか、柴田のためになにかしたいとか、そんなことはなにも感じ無かったし、
 柴田になにかをして欲しいとか、そういうこともなかったのよ。
 柴田に、そして私自身に対しても、私はなにも求めなかったの。
 だって 
 こんなにも  楽しくて  嬉しいんだもの
 
 柴田に会いたい、とただ思っていた私は、森の中の死としての生を全うするために、柴田を喰おうとした。
 柴田と会いたい、とただ思っていた私は、森から抜け出た生を生きるために、柴田との時間を楽しんだ。
 
 よかったわね
 ああ、よかった
 楽しい人生だった。
 やっと自分を生きることが出来た、それだけで充分よ。
 不思議ね
 ああ
 とても 不思議だ
 世界って、全然大したこと無かったのね
 壮大なくせに、筒抜けで。
 だが、私が世話をしなくても、心を配らなくても。
 そのまま、ちゃんとそこで生きていてくれる。
 楽だな。
 楽と楽しいって、とても深いところで繋がっている気がするわ。
 なんのために私はこれまで、森の中で山藤の精として冷厳に生きてきたのか、それが今ならわかる。
 それはただきっと、それしか無かった、という事実を、自分に突き付けるためだったのだと思う。
 そのそれしか無かったという事実に囚われ、しがみつき、そしてあろうことかそのまま生を終えてしまおう
 とする、その自分を見失っている私の姿こそを、傲然と私に示そうとしたのだ。
 ええ、よくやってくれたとおもうわ、ほんとうに。
 だって、私はその私の姿を見せられた途端に、もう、どうしようも無くそんな自分のことを許せなくなって、
 たとえそこから一歩も抜け出せないまま死に閉じてしまうかもしれなくても、絶対にそこから抜け出して
 やるって、とてつもなく深い決意にこの身を委ねることが出来たんだから。
 ありがとう、冷厳な私。
 いや、礼を言いたいのは、こちらの方だ。
 おまえが、ずっとその私の奥底で死に絶えずに、生き延びていてくれて、そして、私がなんとか示した
 私のこれまでの愚行を越えて、道を伐り拓いていってくれた、お前にこそ、私は感謝している。
 ありがとう、にこやかな私。
 
 ふふ
 気持ち悪いわね。
 ああ、まったくだ。
 だが、悪く無い。
 おまえと出会えて、私は幸せだ。
 おまえと出会えた事で、私の存在は無駄にならずに消えずにも済んだ。
 今まで森に支配されながらも、生き延びてきた、その私のことを認めることが出来た。
 そして、おまえと一緒に生きることが出来た。
 ありがとう
 そして、おまえを生み出した、柴田との出会いに、感謝しよう。
 あら、柴田と私を出会わせたのは、あなたでしょ?
 そして、柴田だって、私達にきっと、とっても感謝しているわ。
 私は柴田と出会い、そして新しい私を生み出した。
 柴田も、私と出会ったことで、きっと新しい自分をみつけたはずよ。
 そうだな・・・
 柴田も私同様、私に隠しているものは沢山あったはずだし、私にはみせていない自分もいただろうな。
 私はそして・・それも含めて、嬉しかった。
 柴田の世界と、私の世界が触れ合った。
 それは決して、嘘の吐き合いの、演技の魅せ合いなどでは無かった。
 そうそう、柴田が私の正体に気付いていたことだって私は知ってるし、柴田がそれを隠そうとしている
 こともわかったし、それで悩んでいることも私にはちゃんとわかっていたし。
 でも、それも含めて、柴田は、しっかりと、自分がしたいことを、私の前でしてくれたのよね。
 私の正体を知っていて、柴田は私を妖として認め受け入れてくれた上で、私が妖も人も関係無く、
 素直に自分の気持ちを表現するために、人の形をとったことも受け止めてくれたように、私も、
 柴田の苦悩を知っていて、私はその柴田を認め受け入れた上で、柴田が人も妖も関係無く、
 素直に自分の気持ちを表現するために、私の正体を言わないことも受け止めたのよ。
 だから、どうして私の正体を知ってるって言わないのよ、なんて怒る気はこそりともしなかったし、
 勿論逆に、私の正体についてなにも言わないでいる事に、感謝するつもりも無かった。
 だって
 そういう風に柴田をみているのは
 私 なのだから
 私の幸せな気持ちが、柴田の笑顔に顕れて、私にはみえていた。
 柴田がどうこうじゃ無いのよ。
 柴田と出会い、その笑顔に幸せを感じたのは、それは。
 私が私の中の笑顔を認め愛することが出来た、それが柴田の笑顔に、世界に顕れたものなのよ。
 私は、その私にこそ、深く感謝している。
 
 ああ・・・そうね
 そうだな
 だから・・・生は死の始まりでは無いと、ほんとうに言えるのね
 私達は、誰もが死ぬときは、たったひとり。
 いや
 この世に生まれたときから、すべてはひとりだ。
 生は
 ただひたすら
 そのひとりの私が、この世界に描き出す、物語。
 その物語を、幸せに綴り終えることが出来たわ。
 誰のせいにもせず、誰に縋ることもせず
 自分の力で、最後まで、描き切り、そして。
 その物語の主人公を、自由に、生きたわ。
 
 だから・・
 
 
  ただただ
 
  私は柴田と出会い
 
  柴田との出会いを生き
 
  そして 愛おしく   消えていく
 
 
 
   柴田
 
 
 あなたと出会えて よかったわ
 
 
 
 
 
  生まれてきて
 
  
   生きてきて     よかった
 
 
 
 こんなに嬉しくて   笑顔が 止まらないなんて
 
 
 
 
    ありがとう
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
                            ◆ 『』内文章、アニメ夏目友人帳 参」より引用 ◆
 
 



 

-- 110718--                    

 

         

                              ■■今期夏アニメの様相■■

     
 
 
 
 
 ごきげんよう、紅い瞳です。
 
 すっかり真夏の様相を呈してきた今日この頃、皆様如何お過ごしでしょうか。
 
 ウチとこは今日、海の日から急にヤバイくらいに暑く感じ始めましたね。
 気温自体はそれほど変わらないのに、これは海風?、それがさぁっと吹き始めたと思ったら、
 急にサウナなんて目じゃないほどの蒸し暑さ、うわ、空気が肌に張り付く! ベタベタ! ぎゃー!
 という感じで、まぁ、相変わらず自然の脅威に翻弄されている私で御座います。
 地元のお祭りとか行ってたら、もう汗まみれっていうか汗だるまでしたよ、誰か殺して。(ぉぃww)
 
 
 さて、今回は今期アニメ特集、というかまだ言及していなかった作品について少々、プラスアルファも
 あるよ、という感じでまとめていきたいと思っています。
 ほんとはそれプラス、前期アニメのまとめ感想の続きも書きたかったのですけれど、無理でした、これ
 以上は書いてる体力ありませんでした、ぐふ。
 
 ということで、では始めます。
 
 
 
 
 
 NO.6: 自由な親密さを求めて。
 閉塞した関係、そしてその中で歩んでいくしか無い幸せ。
 それしか無い、と思ったときにそれは確かにひとつの幸せになるのかもしれないけれど、それは同時に、
 自ら世界を切り拓いていくという選択を放棄し、自分で選んだ世界を生きるという責任を負わない、
 そういう生の自覚無き幸せしかそこには無い。
 それはいわば、ロボットの幸福のようなもので。
 主人公の男の子は天然っ子で、マイペースで、確かに自分の世界を持っていながらも、だんだんと
 道を狭められていく周囲の圧力に、ゆっくりと首を締め上げられて、その中で気道を確保していく、
 その作業の中で紡ぐ人間関係しか無くなっていくことに、おそらく、とてつも無い危機感を感じていた。
 幼馴染みの女の子にセックスを基にした、新たな閉塞という名の幸せの契約を迫られたとき、
 彼の危機回避の本能は、絶対的に反応した。
 なにか違う、違うんだ。
 その男の子の絶対的違和感が、決して言語化されること無く、しかし思考から手を離していく作業を
 通して、自らの本能とそして欲望を基にした、世界構築としての生の実感を得ていく。
 そうか、僕は人間が嫌いなんじゃ無い、ただ今の関係しか無いことが、嫌なだけなんだ。
 幼馴染みの女の子との関係も、彼にとってはもっと自由なもので、それがあの女の子の論理によって
 拘束され、そしてある意味での互いへの奴隷的依存を基にした関係に閉じさせられてしまうことを、
 回避する。
 僕達って、そういう関係の中にしか、人同士の親密さって得られないのかな?
 そうだねぇ、私にはあの男の子が、孤独を求めているようには見えなかったなぁ、ただほんとうに、
 「それだけしか無い」関係から脱出して、新しい親密な関係を築くためにこそ、途中経由としての
 「孤独」の選択だった気がする。
 今までの関係を捨てる決心をした、あの瞬間のあの子の孤独を生きる覚悟が、私にはとても豊かで、
 そして、なにより希望に満ちているように感じられました。
 ネズミと名乗る、これまでの人間関係、そして世界とは全く異質の男の子と出会い、主人公の男の子
 は、これまでの人間関係、そして世界の外に、人間関係、世界があることを知ったときの悦び。
 はーやばい、ネズミカッコよすぎw
 自分で考え、自分で感じ、自分で行動し、そしてなにより。
 自分で、選ぶ。
 そういう道に誘ってくれるネズミに、そしてそのネズミを通して世界を作り、そしてネズミと親密な関係を
 築いていく主人公の男の子(名前忘れた)に乾杯♪w
 
 バカとテストと召喚獣にっ!: 夏ですねぇ。
 くはー! これは良いバカです♪
 なにがどうこうとは言えないんですけれど、あれ?、この作品ってこんなにボケツッコミ上手かったっけ?
 という感じで、まぁその、うん、特になにも構えることも求めることも無く、そのまま愉しませ頂いて
 おります。
 あと私も翔子さんに海中で土下座させられたい。 (要求)
 
 BLOOD-C: すっからかん過ぎだろおい。
 ぶっちゃけ極度のファザコン娘のデレっぷりを眺めるだけで終わっちゃった気がするのですが。
 まぁ、あくまで自分のペースで余裕で遅刻とかかます悠々さには心地良さを感じましたけれど、
 なんかこう・・それでなんか感情無くした殺戮マシーンで化け物と斬った張ったしてることとの連続性が
 無くて、なんかこう、ぽかんとしてしまうというか、まぁまだこれからなのでしょうけれど、うーん、でも
 これからに期待したいというほどでも無いから、まぁ、二話観て面白くならなかったら、切り、という
 方向にしようかと思っております。
 
 輪るピングドラム: せいぞんせんりゃーく。
 さりげにこっそり観てみたのだけれど、うーん。
 テーマ的には面白いのは確かなのよね、色んなものに意識無意識の内に囚われて、本当に
 自分が望んでいるもののために生きることが出来ていないという、その生きることの壮大な本末転倒
 が起きていることをびしっと明示して、そしてそれをさらにひっくり返して、世界を生き直そうと、まぁ、
 うん、昨今のマイテーマにどんぴしゃなのは確かなのだけれど・・・うーん・・なんかこう、描き方が、
 こう、なんというか、私の実感というか感覚から1,5歩くらい離れちゃってて、なんというか真実のリアルに
 こそ一歩踏み出そうといいながら、なんだか今までの虚構のリアルにただ別の絵を上書きして悦に
 入って満足しちゃってるだけみたいな、地下鉄の駅の壁に塗りたくられたペンキ絵の落書きみたいな、
 なんか違うのよそれ、そういうんじゃ、駄目なのよ。
 つまり、なんというかもっと堂々と等身大的にアニメを使って自分の世界観を描き出して創り出して
 いいのに、なんか普通にこそこそして「実現するつもりは無い」諦めたような、ただお話として愉しむだけの
 ようなものを描いちゃってて、演劇的と言いますかね、なんだろう、けれん味で誤魔化しちゃってるという
 か、描き手の腰が引けてる感が感じられて、で、その引いた腰に重心移して諦めたように小さくまとめ
 ちゃってるというか・・・
 なんか、自虐的な感じがして、やだ、っていうか・・・・なんで自信持ってやんないんだよ、みたいな。
 自らがスタンダードになろうとせず、あくまでスタンダードというのを外に設定して、それに張り合っている
 というか反抗しているというか、結局それって自分が自分という世界という人生の主人公になれて
 無い的な、だからせめてファンタジーの世界の中だけでヒーローにヒロインになろう的な。
 要するに、なんかやだ。
 なんか、ネチネチしてる。
 事実をありのままに受け入れる長兄も、それを否定して感情に走る次兄も、私からすると、妹が
 死んでしまうまで本来的な生き方をしなかったという意味では同じだ馬鹿、としか思えない。
 だから逆に、ここから妹が生き返ってそれで良し的な、そういう自分こそに気付きそれを自覚する事で、
 本来的な生に挑んでいくものがしっかり描かれていったら、それは面白くなりそうなのだけれど。
 建前では無く本音で生きているあの兄弟が、その本音そのものが隠蔽している、その奥にあるもの
 に至れるかどうか、そこが着目点でしょうか。
 
 R-15: これは。
 無い。
 つーか、ポルノ小説家の少年が、自分の本能のままに表層的なモノから抜け出して、人の本質を
 描き出すことが目的とか言いつつ、ベストセラーを望んだり賞を求めたり印税生活とかおい、お前、
 全然滅茶苦茶表層的なエロスじゃないかそれw
 それを除いても、うーん、ヲタクが求める「エロ」と官能的なエロスってここまで相容れないものなんだなぁ、
 というのがよくわかった。 (ぉぃ)
 
 神様のメモ帳: 今期最大のガッカリさん。
 なにがマズいかって言えば、キャラにそよとも魅力を感じられないところですだよ。
 なんというか、これわざとやってるの?、っていうくらいにそれこそ人間の「役割」の部分だけを引き延ばし
 て造型しちゃってるというか、わかりやすくいえば内面が無い、というか。
 うん、だからね、逆にいうとね、その「役割」というのを「仕事」という語に変換すれば、この作品の
 キーワードたる「ニート」が活きてくる、ということは一応発生してはいるのだけれどね。
 「役割」「仕事」という、つまりなにかを「している」自分というものにしか自己認証を与えられない、
 そういう現代の私達が陥っている膨大な閉塞感に対してのアイロニーにはなっている訳で、しかも
 さらにニートなのに探偵、ニート探偵とか名乗ってばっちり「役割」「仕事」をしてそこにアイデンティティー
 というか居場所を持つよすがを感じているとかって、これは先のアイロニーをさらに強化する仕組みに
 なっている。
 が、果たしてこの作品がその辺りのことを意識しているのか、というと大いに疑問な訳で、むしろ逆に
 肯定しちゃってるというか、たとえ「ニート」だろうと、必ずなにか「している」し、なにかをすることで社会
 貢献出来るしだから私を俺を認めて欲しい、みたいなそれこそ中途半端なニート根性に陥っている
 というか、その辺りがあのヤクザ(?)が登場する事で、より補強されているというか。
 たとえクズでも筋は通すみたいな、逆に言えばそういう筋を通すというなにか「している」自分というモノ
 がどんな形でさえあればそれでいいんだみたいな、じゃあそれってつまり、なにかを「している」自分が
 無ければどちらにしろ駄目ってことなんでしょ?みたいな。
 その辺りを、面白いことに、あの援助交際に走ることで、「なにもしない」そのままの自分に気付いて
 貰おうとした女子高生がまざまざと、そして逃れられないほどに描き出している。
 勉強しなくちゃ、親や周囲の期待に応えなくちゃ、とにかくなにかしなくちゃ、自分を認めてくれない、
 いいえ、そうして自分を誰かに認めて貰う事でしか自分自身を認める事が出来ない、その叫び。
 ・・・あれはきましたよ・・自分に押しつけられたモノ全部ぶっ壊して、ざまぁみろとか・・・
 だからそのままのあの子を受け入れ愛してくれた彼氏の爽やかな暖かさとか愛しさとか、もうね・・
 きっと彼も、彼女のそういうの、すごく共感してわかるところが多くあったんだろねぇ・・・
 援助交際(?)で、ホテル行って、彼女がシャワー浴びてる間に、たまたま見た彼女の生徒証で
 彼女の年齢(未成年)と、そして通ってる学校(たぶん名門)を知って、それでベッドでは無くドライブに
 誘い直すとか・・なんか涙が
 んで、結局彼女は自殺しちゃう訳だけれども、それはきっと、なにか「している」自分、つまり成績優秀
 品行方正な自分に最後まで囚われていたからなんだよね。
 彼氏に受け止められて、ほっと一息ついて、そしてきっとまた、社会と再接続を果たそうとして、
 新しいなにか「している」自分を見つけようと思ったんだろねぇ、でもそのときに援助交際しまくったという
 事実を、散々壊したはずの元のなにか「している」すなわち品行方正な自分の価値観でまた捉えて
 しまって、そしてもう駄目、私もう誰とも繋がれないみたいな、そういう絶望できっと・・・
 彼女に必要だったのは、「なにもしない」自分を受け入れてくれた、そして新しいなにか「している」自分
 を受け入れてくれる、そういう居場所だったんですよねぇ・・・・それが彼女自身の中にこそ生まれる事が
 出来無かった、つまりそれだけそれまでのなにか「している」自分の呪縛は強かったって事なんですね・・
 と、そうやって要素自身はしっかりとちりばめられているのだけれども、どーも、作品自体の語りにそれが
 上手く組み込まれていないというか、結局、いわゆるひとつの「肩書き」としての「役割」「仕事」、
 すなわちなにかを「している」自分でしか語れていない、というか・・・いやむしろ、その表面しか無い
 自分を、自分達でこれから語り出していこう、という意味なのかしら? そうなのかな?(首をひねって)
 所詮なにかを「している」自分でしか他者と付き合えない、他者と向き合えない、というものが描かれて
 いくだけなら、やっぱりこれは駄作なんだよねぇ。
 でもだからこそ、あの主人公が、あのニート探偵っ子から、その束縛を解除していく風に話が進んで
 いくと、とても面白くなりそうなのだけれども。
 わたしにゃ今のとこ。
 この作品の、すべての登場人物が、とてもとても。
 怯えているように見えるのよね。
 それがなんだかとても、悲しいんだね、私は。
 そしてだから、この作品に期待してるのだね。
 そしてその期待が最初裏切られたと思ったからがっかりとか言ってる訳ですね。
 つーかこれ、ほんとは面白かったんじゃないの? ツンデレなの? 死ぬの? (微笑)
 
 魔乳秘剣帖: ・・・・。
 お っ ぱ い を な ん だ と 思 っ て や が る 。
 ・・・アニメ観て、ここまで頭痛くなったの初めてなんですけど、マジ頭痛。
 えーと、なに? なんでしたっけ? 豊乳にあらずば人にあらずみたいな?、
 あーはいはい、それくらい慣れてますよ、だいたいアニメなんて基本そんなもんじゃないですか、
 それくらいもういいですよ、そういう前提でもいいですよべつに。
 でもね、どうして、相手のおっぱいに斬り付けると、自分のおっぱいが膨らむのかな? (微笑)
 うん、豊乳だとか巨乳だとか、そういうのが大好きな人が沢山いることはいいよ?、うん、でもね、
 どうして、刀で斬り付けるとおっぱいが膨らむのかな? (微笑)
 ・・・・。
 おっぱいを斬られて貧乳(?)になった娘に悲観して、両親が気に病んで死んだり後を追ったりとか、
 えっと、これって胸を抉り取られたとかいう凄惨な事じゃ無く、おっぱいのサイズが変更になる、って
 事なのよね?、もうこれおっぱいのサイズがステータス以前に生死に関わる問題になってるよね?
 道場の掛け軸が「乳」とか、刀に刻まれてる銘が「乳斬」とか、要するに流派の奥義っておっぱい
 大きくする方法ってことな訳?、とか。
 ・・・・。
 この作者の人は、えーと、なに?、女性の胸になにか怨みでもあるの? (微笑)
 これ、乳を金とかなんとかに変換すれば、普通に普通な話になるんだけど、それが乳であるだけで、
 すべてがおっぱいという語に置き換わるだけで、ええと、なにが起きているの? (微笑)
 これ、徹底的に貧乳(という言葉自体も大いに変な訳ですけどこの際もうどうでもいいです)の人を
 否定してるというか、まぁそれは作品内での扱いがそうだっていうのはわかりますけど、それがギャグ
 だっていうのはわかりますよ、真顔でギャグをやる醍醐味なわけですよねわかります、でもこれ、ええと、
 ほんとに笑っていいのかマジ悩むんですけど、つーか、胸を抉られたのじゃ無く、貧乳になった「だけ」
 の人の胸を見て、悲壮な顔するとかって、これもうヤバいんじゃね?
 ギャグが高度過ぎる。
 面白いっちゃ最高に面白いわけですけど、こういう挑戦を越えたデンジャラスな突進は好物なわけ
 なのですけれど、頭痛い、これはやり過ぎっていうか一歩間違えばギャグじゃ無くなるぞこれww
 女性蔑視とか貧乳差別とかそれをガチで受け取るつもりは無いけど、逆にこれ、そういうのをむしろ
 挑戦的に敢えて盛り込んで受け取っていく方が面白度が上がる、というのがこの作品のタチが悪い
 ところで。
 実際この作品見て、馬鹿な方向に盛り上がってく人も出るだろうしね、でもその危険性を踏まえて、
 この作品が世に出る価値があるのかもねぇ、非常に極端で語弊のある言い方をすると、蔑視や
 差別をギャグとして切り離すので無く、しっかりと蔑視として差別として、その「蔑視する」「差別する」
 ということそのものを愉しむことも許す、それで面白さを発揮するギャグというのもあるのですからね。
 危険だけど、でもその危険なものを排除ばかりしていては、それはそれで逆におかしな方向に行く
 というか、逆に排除してしまったら「蔑視する」「差別する」という体験をする事が出来なく、かえって
 そういう事がどういうことかわからなくなる気もしますしね。
 それは同時に、「蔑視される「差別される」という体験についても同じことが言えますね。
 まぁ私、Mだし。
 もうね、自分でもなに言ってるのかわからなくなってるくらいに頭痛いんですけどね、つーかほんと
 こういう系の作品苦手な私ww
 だからそういうときにいつも私が立ち返るのが、面白いか、面白くないか、純粋にどっち?、ということで、
 まぁ、うん、面白かったです。 視聴は継続します。 (ぇぇぇwww)
 普通に主人公の子は可愛かったし、真面目な子は好きです、中の人むぎちゃんだし、ええよ、観るよ。
 むしろ今度は逆に貧乳にあらずば人にあらずみたいな感じの作品も出たら、面白いだろね。
 そして無論、その次は男性蔑視男性差別の作品もね。 当然でしょう? (微笑)
 紅い瞳は、誰もが平等に蔑視され差別し合える世界を望んでおります。 (そのM視点をやめれ)
 
 猫神やおよろず: 無い。
 ごめんなさい。
 特になにも心に触れるものが無かったので。
 ごめんなさい。
 
 いつか天魔の黒ウサギ: それは認証と挑戦の物語
 どんぴしゃ。
 ・・・。
 男の子が車にはねられて首まで取れてるのになんか生きてて、お気楽少女におーいだいじょうぶかー
 とかいって突かれてるとか、あれ?、なんかデジャブが。
 要するにあれだね、私はゾンビとか生首とかになっても普通に接して貰えるとか存在を認めて貰える
 とか、そういうのがいいわけね?、わかりました。
 あとあの生徒会長の罵倒は却下。 駄目、全然こう、憎しみとか蔑みが籠もって無い、却下。(拘り)
 でまぁその男の子はそれ以前にも色々あって、でもそんな事とは関係無く、そのままの俺を認めて
 受け入れて貰えたことの安心に抱かれて、日々平和な時間を過ごしていて、で、同時に、また
 別の少女が自分の力や能力を目当てにしない、ただ一緒にいて楽しいと言ってくれたその男の子との
 時間を大切に思って。
 ふたりのその幸せが、なにかこう、画面の奥で繋がってるのがみえて、すごく心地良い。
 そして。
 だから、というか、だからそこからすべてが始まっていくというか、そこから挑戦という名の物語が始まって
 いくというか。
 あの女の子が男の子が自分を呼び出してくれるまで、九年間ずっと、あと五分あと五分したらきっと、
 といって延々と自分の健気さを押し立てて、執念を以て生き続けていく、あの感触。
 うん、そうそう、わたしゃあの健気さなんてものには毛ほども騙されないけれど、逆にそういう健気さの
 演技を使ってでも必死に生きようとし続けるあの子こそに、めっちゃ共感するわけで。
 それが、あの子のそのままの存在認証された世界からの、「さらなる一歩」に実は繋がっていて、
 それが同時に、あの男の子の、平和な毎日に感じる、「不安」が、それがちゃんと自分をそのまま
 認めて受け止めて貰えたからこそ、踏み出すことの出来た一歩の「重み」そのものだというのも
 感じられて。
 あれはそうだよね、なにかをしたくて、そうやってなにかをして誰かのためなにかのためになることで、
 自分を認められたい、という焦りから生まれているモノじゃ無かったものね。
 が、実はそれは引っかけで。 というか私が目が眩んで勝手に引っ掛かっただけですけど。 (ぇ)
 実際は、あの女の子の男の子へ愛は「支配」で、男の子のそれは「被支配」の感覚で、なんか
 下僕がどうのみたいな感じでしたしね、むしろそういう言葉は隠喩で、あの男の子が本当にあの
 女の子のことを求めていたのは、実はなにも現在していない自分こその「不安」を満たすため、
 つまりあの女の子を「主人」として求めていたからなんですよね、たぶん。
 その辺りのことが幾重にも隠されて張り巡らされていて、なんかそのまま見てるとほんとに愛し合ってる
 者同士なのか主従関係なのかわからなくなってくるみたいな、むしろその辺りの隠蔽っぷりにこそ萌える
 んだよねみたいな、黙れおまえみたいな、はい、黙ります。(微笑)
 あとこの作品の色彩感覚は好みです、溶け合うようなグラデーションというか、あれはなんていうんで
 しょうねぇ、境界が曖昧というか、その辺りがこの作品のテーマとも色濃く繋がってる気もしますね。
 割と期待。
 
 
 
 という感じですね。
 これで一応視聴予定作の第一話はすべて観ました。
 ダンタリアンの書架はなんか第一話が本編の予習というか、なんか大学教授の話とかだったので、
 あ、結構面白かったですけど、でまだ本編は観ていないという事になりますが、まぁたぶん視聴継続
 になると思います。
 
 ということで、再び視聴リスト。 暫定版。
 
 
 月: (銀魂’)夏目参 ゆるゆり
 火: 神ド
 水: いつ天 (日常)
 木: うさドロバカテス2 まよチキ
 金: 神メモ ブラッドダンタリアン ピンドラ
 土: ロウきゅ(シュタゲ)
 日: (青の) ぬら孫2 クロワゼ (花いろ)魔乳
 
                              :全21作品 ()付きは前期以前よりの継続作
 
 は視聴継続決定、は様子見でございます。
 うわ・・これ全部観ることになったら21作品ですか・・・過去最高記録じゃない?
 今期は、びっくりするくらいの大傑作みたいなのは今のところ無いけど、アベレージは高い感じですか、
 無論あくまで私の感性準拠でですけどね、というかそれ以外の根拠で論じる気がまるで無いね最近w
 
 で、私的に今期No.1は、夏目は別格とすると、うーん・・・ゆるゆり、かな?
 基本ベースは百合コメディなのだけれど、基本程度にしか過ぎず、さりとて全く無視じゃ無く、
 ちょくちょく飛び道具として挟んできて、かなり上手い感じ。 思わず鼻にピーナツ入れたくなる上手さw
 それになによりこのゆるさ! 色んな意味で自由に軽快に動いていて、特に歳納京子がいいね歳納
 京子、ボケてんだけど誰もまともについてこないというか、適当というか、まったりというか、あー上手く
 言い表せないんだけども! なんかあの子観てると落ち着くんだよねぇ。
 主人公は確信犯的にどんどん影が薄くなっていくし、あれ上手いよねぇ、んでツンデレが実にスマート
 に盛り込まれるし、百合妄想役の眼鏡の中の人が唯ちゃんとか鼻血とか、なんか観ていてここまで
 純粋に「楽しい」のは、これはそれこそけいおん以来かもしれません。
 キャラもみんなそれぞれ絶妙に立ってるし、それでいてテンプレ的なキャラじゃ無くて、なんていうか
 変にきばってない分、あの面々の絶妙な掛け合いとか、敢えて間を抜かした(?)ゆるさというか、
 いわゆる漫才みたいなテンポの良さで攻めない、さりとてだらだらトークのネタで乗り切る訳でも無い、
 純粋にあの時間と空気がすごく心地良いんだよねぇ、これはかなり好きな私。
 
 次点は、やはりノイタミナ組のうさドロですね、うん。
 6はこのままどんどんと激しくボーイミーツボーイをやってくれたまえ、うはは。(なによww)
 うさドロに関しては、なんかこう、腫れ物に触るようなというか、観てるこっちまでそわそわしてくるような、
 そういう画面一杯に伝わってくる、あぶなげのありありっぷりが、ああもう、たまんない!(重症)
 子育てモノアニメで、こういう緊張感が伝わってきたアニメって、私は初めてね。
 ほんともう、あの30分のハラハラ感が堪らないですのぅ、取り敢えずだいきちガンバ♪
 
 あとは、そうですねぇ、ロウきゅが結構ぐっときましたね。
 私も昔スポーツ、てかサッカーやってましたけど、やっぱりさぁ、スポーツは楽しいからやる訳で、勝つため
 にやる訳じゃ無いし、そしてそれよりなにより、人によってスポーツに求めているものが違う、という大前提
 をちゃんと守ることが、指導者に最も求められていることでさ。
 だからそういう多様な「動機と目的」があり、それが認められていくことで、それぞれの人が持つ自身の
 スポーツという体験が物語化され、その人にとってとてつもなく素晴らしいものになるんだよね。
 それこそが言葉通りの意味のチームワークなんだよね。
 それを「勝利のため」というたったひとつの動機と目的で縛り上げて仕上げるモノなんて、んなものは
 勝利という目的と動機を持った誰かひとり(あるいは空気)の動機と目的が押しつけられている、
 たんなる自己中心的なワンマンなものにしかならないっていうか。
 その辺りをずばっと斬り付けたこの作品に、私はまず敬意を表したい
 勝つこと自体を「チーム」で求めること自体は悪くない、けどそれはチームの成員の無理の無い
 コンセンサスを得て初めて成り立つモノで、むしろそれはあるいは、チームとしての目的と動機では無く、
 たまたま全員が、それぞれ違う意味と違うレベルでそれぞれ勝利を求めているというのが、一致しただけ、
 というものであることこそが望ましい、とも言えるよね。
 そうじゃなきゃ、スポーツやったって、面白くも何とも無いっていうか、むしろ全くチームワークなんか育
 ちゃしないっていうか、たんなるワンマンの独裁による統一をそれと勘違いしてそのまま大人になって
 しまう、そういう非常にやばいことになる気がしますね。 私も体験的にそれよくわかるし。
 自分のそれが自己中だと自覚せずに、逆にそれに従わない少数派を自己中とか批判する体育会系
 の人って、結構いるものw
 へたくそだろうと興味本位だろうと、誰もがスポーツをする権利はあるし、それは誰にも阻害出来る
 ことでは無いし、そして誰もが勝とうと思うことを否定されるものでは無い。
 目的と動機の多様性と、そしてあの子達(主人公コーチも含む)の多彩さが、なんというかたんなる
 スポ根モノから、スポーツアニメを独立させ自立させているように感じられました。
 ロリだけどwwwどうみてもロリコン主人公が、ロリに告白してるようにしか見えませんでしたけど第二話
 のあれはww
 
 その他では、まよチキが予想以上に面白くねじ切れてきたというかw、つまり、ええと、男装執事は
 主人公には正体バレしたけども、それ以外の人に対しては逆に、女装男子として勘違いして認知
 された、という訳ですね? 主人公男子とそういう関係であると、周囲には誤解されていく、という訳
 ですね?、了解でありますっ!(敬礼)
 わはは、ねじれろねじれろ、こういうのだいすっき♪ (重態)
 
 最後にひとつ、クロワゼ
 これはやっぱりこれに尽きますね。
 日本という、「個人」の尊厳を否定し「自分」を見失わせる、そういう文脈としての文化から、
 如何にそこで育ってしまったひとりの女の子を解放し、そして「自分」で世界を感じ世界を生きること
 が出来るようになるか。
 正直というか、圧倒的にわたしゃ、湯音の主張には同意しないし、あれは頑固というか頑迷という
 もので、完全に自分を見失って他のなにかに自分が乗っ取られて、それの忠実な下僕になってるように
 しか見えない。
 郷にいれば郷に従え、というのはそれはある意味では合っているのだけど、「相手」に合わせるという
 意味でならそれは全くの間違いであって、色々挑戦することは良いことだけど、少なくともチーズ囓って
 どうしようも無く不味いと感じた自分を否定しちゃ駄目だろ湯音よ。
 嫌いなものを無理に好きになろうとする、その動機は相手のため、で、それを誤魔化すために私も
 チーズを好きになった方が楽しいからて、そういう欺瞞を平気でして本人にもその自覚が無いときた。
 湯音、この子重症。
 「嫌い」という感情の否定、つまり、「あってはならない感情」というのがあるんでしょ?、それは自己
 否定だよ湯音。
 全部好きになったらそれ、好きの価値は無いに等しいんじゃない? 嫌いなものはちゃんと嫌いと
 言うからこそ好きの価値が上がる訳で、そして嫌いという自分の感情を、それは相手のためにも好きに
 ならなきゃいけないとかいう、まさに相手のせいにするとか、そんなことをせずにちゃんと自分で引き受け
 れば、しぜんに、好きなものは好き、嫌いなものは嫌い、というその新しい世界新しい文化の中で
 「自分」を見つけ生きることが出来るようになるんじゃないのかしら?
 チーズは駄目なら駄目でいいじゃない、その代わりに他に好きなものがあるかもしれないし、その選別
 と発見そのものが異文化の体験そのものだし、それをちゃんと「自分」が体験してると言えるしさ、
 それを全部好きですチーズも食べますとか言っちゃったらさぁ・・・逆にそれ、なんにも体験してないのと
 同じなんじゃない?
 クロード達が美味しそうに食べてようがなんだろうが、湯音は湯音じゃん、なのにクロード達が美味しそう
 に食べてるから私もとか、そりゃ美味しさ泥棒じゃん、嫌いなんだからしょうがないじゃん。
 美味しく食べれた方が楽しいとか、それも同じで、楽しくても楽しくなくても、それが湯音じゃん、
 楽しくなきゃ駄目みたいなのはおかしいでしょ、楽しくなくてもそれはそれで良いことじゃん。
 ちゃんと嫌いなモノを堂々と嫌いと言える、「楽しくないという事実」も受け入れられる、それが一人前
 のレディというものじゃよ。 (誰)
 嫌いなものを我慢したりとか、そういう自己否定を目の前でされたらさ、なんか見てるこっちの方が
 辛いっていうかいたたまれないっていうか、まぁ大袈裟に言えば見てる人自身の自己が否定された
 みたいなさ、まぁそこまでいくと今度はそこまで感じちゃう人の問題なのだと思うけど。
 だから、そういう目の前の湯音の頑迷さに決して退かず、また甘えもせずにきっちりと立ち向かう、
 そのクロード様がこんなにもカッコいいんですね、わかります。 (微笑)
 蛇足。
 文化論的にいえば、湯音がチーズをそのまま我慢して食べて無理に美味しく感じられるようになる
 事よりも、美味しく食べられるような工夫をチーズ自体に施して試す事の方が文化的、という
 感じですね。 だからクロードとじーさんが湯音にも食べられるように工夫してあげるのも◎。
 それは湯音の側とクロード達側の文化のそれぞれにとって良いこと。
 相手の文化を、自分を「空」にしてそのまま受け入れても、それはその文化を生きる主体としての
 「自分」を欠いた、ただ相手の文化の「遺産」を引き継いで上書きしただけの事にしか過ぎませんし。
 文化というのは、「自分」という主体を通して、生成変化していく事に、その本質と価値があるのだと
 思います。
 
 という辺りでしょうか。
 
 まぁ、はい、今期はこんな感じで私はやっていきますので、どうぞよろしくお願いします。
 あと日常がやばい。
 前期から引き続いてやばい。 もはや神レベル。
 銀魂’も俄然本調子になってきたみたいだし、なんだか良い夏になりそうですねぇ。 ←星空を見上げて
 
 
 
 では今回はこの辺りにて。
 ごきげんよう。
 
 
 
 
 
 
 
 



 

-- 110714--                    

 

         

                                 ■■ 向こう側の友 ■■

     
 
 
 
 
 『 いい? 見つけたら私にも教えなさいよね。 故郷への入り口。
 
  だって私も見たいもの、そんなに綺麗な世界があるのなら。 』
 
 

                          〜夏目友人帳 参 ・第二話・レイコの言葉より〜

 
 
 
 
 
 
 
 肌を滑る風に囁かれて、陽の下の中を歩く。
 どうして、ずっと、歩いているのだろう。
 なにかを探し、なにかを求め、ずっと。
 なにかひとつ満ち足りた気持ちになるたびに、どうしてそこで、止まろうとする自分を、
 さらにその先へと一歩踏み出させようとするのだろう。
 歩く
 歩く
 日差しに込められた、川面の煌めきのような祈りが、胸を浅く締め付ける。
 さらさらと、溶けるように響く雨垂れが止み、吹き抜ける風に乗った森の囃子がきこえてくる。
 どんどん
 それは神楽の響き
 其処此処に鏤められた祭の産声が、燦々と照らす木漏れ陽に洗われて、愛おしげに伸びていく。
 高く、深く、沈むように広がっていく、さざめき。
 どうしたら、いいのだろう。
 その呟きを、胸の内に仕舞い込みながら、ただ薄く笑顔を刻んだ足音を響かせて、歩いていく。
 
 楽しくない、訳じゃないんだ
 
 不安
 このままでいいのだろうかと、いても立ってもいられない、そんな自分を押し留めることに工夫を凝らす、
 その日々の連続が、一体どこまで続くのだろうか。
 けれど、その不安の影に隠れている、素直に感じている、楽しさの正体を探りたい。
 ひどく行き当たりばったりのようでいて、全く逆になにかの確信によって連れ回されているような気もする。
 ああ
 なんだか
 すごく変わった気がする
 
 
 
 友人との距離の取り方が、わからない。
 なぜだろう、田沼とは、ただ知り合えたというだけで嬉しかったのに、だからその嬉しさのままに、
 田沼のために出来ることをしようと、そう思う自分を、なぜか止める自分がいる。
 なんだろうか。
 これで、いいのだろうか。
 どこまで踏み込んでいいのか、わからない。
 ひどく、嬉しいのにな。
 けど、心配なんだ。
 俺は妖をみることが出来て、そして妖がらみのことに関して、少しはそれを解決する手立てを
 持っている。
 そして田沼は、その俺の力を知りながら、それを受け入れてくれた、俺の大切な友人だ。
 脇目も振らずに、田沼になにがあったかを訊き、そして一緒に問題を分かち合い・・そして・・・
 ああ・・だめだ・・・
 どうしても・・・腰が引けてしまう・・・
 どうしても・・訊けない・・
 それは、俺が臆病だからなのだろうか。
 今まで、俺の力をさえも認め、受け入れてくれた友人はいなかったのだから、その友人との付き合いが
 わからないことの、その不安に怯えているのだろうか。
 駄目だ・・怯えてなんて、いられない・・・
 そうして、踏み出そうとする一歩が、大きく、地に沈んでいく。
 
 ああ
 違うのか
 
 
 
 
 + + + 
 
 
 ちゃんと、俺の話をきいてくれた。
 俺を恐れず、ただ俺を受け止めてくれた。
 そのとき俺は、感じたんだ。
 ああ
 俺を恐れ、俺を受け止めることが出来無かったのは、俺自身だったんだ、と。
 自分の力を恐れ、自分に自信がもてず、みんなに嫌われるのじゃないかと・・ずっと・・・
 その恐れが俺の胸から這い出し、目の前の人達に乗り移っていくことに、俺は気付いていなかった。
 その人達が俺を避ければ、ああ、やっぱりと、そう自分自身への恐れを確信していく。
 それなのに・・
 田村は、びくともしなかった。
 俺のことを、恐れては、くれなかった。
 だから・・
 俺は・・・・不安になったんだ
 田沼が、本当は俺のことを恐れているのじゃないか、嫌っているのじゃないか、という疑いが、
 その不安の正体なんかじゃ無い。
 田沼が、俺を、俺自身への恐怖に逃げ込むことをさせてくれなくなった、それが、俺の不安の正体
 なんだ。
 俺は、田沼の前にいる、ただ普通の、そのままの俺の存在を感じずにはいられない。
 
 田沼の前に、俺が立っている。
 その俺は、田沼の気持ちばかりを考えて、そしてその考えに沿って自分の行動を決めようとしていた。
 田沼はどう思うだろう、俺がこう言ったら傷つくだろうか、俺がこういう事をしたら迷惑だろうか、
 俺が・・俺が・・・・
 きっと・・・田沼もそう思ってくれていたのだろうか・・・
 俺のことを気遣って、俺の力の事を恐れてみたりしなかっただけなんだろうか・・・・
 それを、俺にただ、言わないで、黙っていてくれただけなのだろうか・・
 俺のために・・・俺を思って・・・
 俺は・・・・
 
 その田沼の気持ちは、嬉しい・・
 けれど
 
 それは・・・・嫌だな・・・
 
 
 無論、田沼がなにを考えているのかなんて、俺にはわからないし、それは全部俺の想像にしか過ぎない。
 だから、実際田村がどう思っているかは重要じゃ無いんだ、重要なのは、俺が・・・・
 俺こそが、そうして田沼のために、田沼を思って行動することしか出来ていない、ということを、
 その俺の田沼の心の想像の中身そのものが、俺に教えてくれるんだ。
 もし田沼が俺のことをやっぱり恐れているのなら、ちゃんと言って欲しい。
 我慢しないで欲しい、俺のためにという言葉で誤魔化さないで欲しい。
 それは全部、俺自身にこそ、俺こそが言いたい言葉。
 俺は、田沼の事を気遣うつもりが、ただずっと、田沼に自分の言いたいことを言えず、してやりたい事を
 する事が出来ていなかったんだ。
 田沼にどう思われるか、じゃ無い。
 ただ俺は、田沼のためを思って行動したいという、その俺自身の気持ちを受け止めることが出来て
 いなかったのだと思う。
 俺は・・
 そうだ・・・
 俺こそが、田沼と出会った俺自身のことを、まだちゃんと、受け入れることが出来ていないんだ。
 
 
 田沼のことを思う。
 田沼のことを考える。
 それはもう、永遠に終わらない思考の海。
 その海に溺れることで、俺は田沼の前に立っている俺から逃げていた。
 きっと俺は、誰かと親しくすることを避けてしまう自分と、まだ向き合えていない。
 迷惑かけちゃいいけない、心配かけちゃいけない、そういう口実を設けて、俺は、自分が周りの人達
 と親密になりたいという、その自分の奥深く純粋な気持ちを否定してしまっている。
 ただただ、いても立ってもいられない、その衝動に任せて、誰かのためにという呪文を唱えながら、
 走り回っているだけだ。
 俺はそれを・・・知った
 自分でその事に、ああ、気付いたんだ。
 
 
  随分 遠いところまで来たんだな 俺
 
 
 どこか遠くへ行きたい。
 誰も知らない、誰もいない場所へ。
 それは、きっと、俺が創り出すものなのだろう。
 今目の前に広がる、その世界の中にこそ、その場所を。
 誰も知らない、俺自身も知らなかった、そんな俺をこの世界に生み出そう。
 俺の俺自身への恐れが投影されただけの、そんな他人がひとりとていない世界を創り出そう。
 俺の望むものはなんだろう。
 彷徨い続け、歩き続け、ああ、色々わかってきたよ、先生。
 最も美しい、最も素晴らしい居場所をただ、ずっと求めていたのは、俺自身だ。
 今
 きっと俺には、その場所が、世界がみえている。
 それは、他の誰がそうみえるというものとは関わりの無い、俺だけの世界なんだ。
 
 『俺にとっては、こちらが大切な場所なんです。』
 
 田沼と出会い、藤原夫妻と出会い、他の友人達と出会い、そして妖達とも出会った。
 そして、レイコさんの記憶とも。
 それらは、守るものでは無いのだろう。
 しがみつくものでも無いだろう。
 俺は
 また一歩を踏み出した。
 ずぶずぶと深みに沈むその足の確かさを頼りに、俺はひとつ、泳ぎ出す。
 浮かび上がる
 素直な気持ち
 誰がどう思おうと、田沼がどう思おうと、関係無い。
 田沼は俺の大切な友人だ。
 だから俺は、俺のしたいことを、俺の出来ることを、田沼をおもう俺自身のためにただ、していこう。
 逆に俺が、俺のことで田沼を巻き込んでしまうことになりそうな時も、俺は。
 ただ、ただ、田沼に助けを、求めてみよう。
 田沼に、相談してみよう。
 それでどうするかは、ああ、そうなんだ・・・・田沼が、決めることなんだ
 俺が、勝手に田沼のことを気遣って、田沼がどうするかを俺が決めてはいけない。
 田沼が俺のことを気遣って、自分の悩みなりなんなりを俺に言わなかったとしたら・・・
 俺はやっぱり・・・・そうなんだ・・・・・やっぱり純粋に感じれば、それはとても・・嫌なことなんだ。
 俺にちゃんと話してくれ。
 それでどうするかは、俺が決めることなんだ。
 俺に話したら、俺が困るなんてことはあり得ない。
 俺だって、田沼に相談されても、どうにも出来無いことはあるし、したくないときもある、そのときは・・・
 そうだな・・
 俺は、ちゃんと断れないんだ・・・
 だから、田沼はそれを見越して、俺に話をしなかったんだ。
 つまりそれって先生、俺が、俺の選択の責任を自分で負うことが出来無い、それを田沼に負わせて
 しまっていた、ということなんだよな。
 それは・・・
 対等じゃないよな・・・・
 友達じゃ・・・無い
 
 
  俺は、田村と友達になりたいんだ
 
 
 それが、俺の一番の願いなんだ。
 自分で決めよう。
 自分で決めることが出来無い奴だと、田沼に思われたく無い。
 ちゃんと、断れるようにもなろう。
 そうか・・
 それが、信じるってことなのか・・
 俺は、田沼が嫌なおもいをするのじゃないかと思って、田沼になにがあったのかを訊くのを躊躇って
 しまったけれど、それはつまり、田沼のことを信じていない、ということなんだ。
 俺が訊くことで、嫌なおもいをするかどうかは、それは田沼次第のことなのにな、それを俺は、
 田沼はきっと嫌なおもいをするだろうから、と、勝手に決めつけてしまった。
 それは、田沼を侮辱している事にもなるのだろう。
 俺はそれが、わかっていなかったんだ。
 田沼が嫌なおもいをしようとすまいと、それはすべて、田沼の問題。
 俺はただ、田沼に訊きたいことがあって、それを訊くだけのこと。
 
  それが・・
 
   ずっと  ずっと  出来無かったんだ
 
 
 だから、苦しかった。
 田沼や、他の誰か自身の負うべき選択の責任を、俺が負ってしまっていたから。
 まさに、責任泥棒だな、ほんとうに。
 そうして堆く俺の背にのし掛かったモノ達にしがみついたり、それを妖モノとして目の前に顕現させて
 みたり、俺は、ずっとそういうことをしていたのだろう。
 相手のことを気遣い、思い遣り、それでどうにも立ち往かなくなるのが、俺の常だった。
 藤原夫妻のことを想い、迷惑をかけないように、心配をかけないようにと、そうすることが俺の夫妻へ
 の想いの表れになるだろうと思っていても、実際はただ、俺は苦しくなり、そこに居づらくなっていく
 だけだった。
 自分を投げ出して、代わりに夫妻の負うべきものを背負い続けて、それを俺を拾ってくれた恩に
 報いるだの感謝だのと言っていれば、それで苦しくなるのは当然だった。
 そして肝心の、俺自身が負うべき俺の選択の責任から逃げ出していたのだった。
 自分がなにをしたいのか、わからなくなるとは、たぶんそういうことなのだろう。
 そうだ・・
 俺は、俺の向こう側にいる、他の人達の世界に行こうとして、ずっと足掻き続けていたんだ。
 その人達の世界に憧れて、その人達の世界に生きることが、それが俺の世界を生きる事と、同一の
 ことだと思っていた。
 どこか遠くへ
 あの人達の、優しく、美しい世界へ
 
 俺が変わったのは、たぶん、その世界を見つめている、紛れも無い、
 こちら側の、俺の世界を生きることが出来るようになったからだろう
 
 田沼がみえる。
 いっそのこと、田沼の世界に入り込んでみたい。
 田沼の心がわかれば、こんなに辛くは無いだろうな。
 そうおもう、その自分をことを、自覚する。
 目の前の田沼が、俺と思っていたことと、同じことを言った。
 田沼もまた、俺と同じく、自分の側の世界に戻ったんだ。
 俺と田沼の世界の間に線が引かれ、そして互いに互いの世界に帰って行く。
 俺と田沼が、同じ世界を生きることなど、絶対にあり得ない。
 けれど、俺は、田沼が自分の世界へ帰っていく瞬間を見て、とても嬉しく感じた。
 よかった、ああ、ほんとうによかった。
 だから、俺は、田沼の世界を、その美しい世界を見てみたいと、そう思えるんだ。
 教えてくれ、語ってくれよ、田沼。
 おまえの世界の話を、きかせてくれ。
 だから俺も・・・
 
 
   俺の話を 
 
       してみたくなったんだ
 
 
 俺が俺を語ることで、そこに俺が生きている世界を活き活きと顕現させることが出来る。
 そうか、これが俺の世界なのか。
 自分の話をしない限り、人は自分の世界を知ることも自覚することも出来無い。
 俺を語ろう。
 俺の名を、俺に刻もう。
 そこに、俺という唯一無二の、そして固有の世界が顕れる。
 俺は俺、田沼は田沼。
 そのふたりが出会えても、出会えなくても、その別個のふたつの世界は存在しているんだろうな。
 だから俺は、きっと今、田沼のことを信じられるのだろう。
 俺がなにをしても、しなくても、田沼は田沼として生きていられる。
 藤原夫妻も、他の友人達も、みんな、そうなんだ。
 そしてなにより・・・
 俺自身も・・・・・そうなんだよな・・
 俺はなにをしてもしなくても、俺なんだ。
 生きていて、いいんだよな。
 田沼のためを想って行動しようと行動しまいと、俺は此処に生きている。
 田沼のために行動することで、俺の生存が許されている訳じゃ無い。
 そして無論、俺と田沼の・・友情も・・
 俺の不安の正体は、それだったんだな、やっぱり。
 田沼のためになにかしないと、田沼と友人でいられなくなると、そう感じていたからこそ、田沼に色々と
 訊くことが出来無かった自分に焦りを感じていたんだ。
 田沼のために、田沼のために、そうして積み上げていく田沼のためへの想いと行動だけが、
 俺と田沼の関係を贖えるのだと、そう思ってもいたのだろう。
 
 それは同時に、俺自身が、田沼にも求めていたことでもあろうのだろう。
 
 それは、友情でもなんでも無いよな。
 自分の努力だけが関係を培うというのなら、それはただ、その努力で創り上げた、固定した関係を
 演じ続けるだけのことにしか過ぎない。
 俺は、田沼の友人役を演じるのは、嫌だ。
 俺がもし、田沼のためになにかをしなければ、田沼との間の友人関係を維持することが出来無いと、
 そう考えているのなら、それはやっぱり、俺が田沼を信じていない、ということと同義なんだ。
 そして同時に、俺がその関係を維持するために田沼になにかを要求するのなら、それは俺が、
 なによりも俺自身のことを信じていない、ということの顕れでもある。
 それにより、俺は、俺自身がそういう田沼との関係のために、なにかを必要としてしまう、ということを
 知った。
 なにかにしがみつき、なにかに囚われ、その中でしか生きられない、そんな俺の小さな世界の存在を。
 この世界を・・
 俺は、豊かにしたいな。
 そのために出来ることは、おそらく、俺が俺のことを信じることだけだろう。
 自分の世界を豊かにするという目的のために、色々なモノを積み上げ努力を重ねていくことは、
 きっと、自分の世界そのものを、否定して、他の世界に差し替えようとすることにしかならないだろう。
 もし、自分の世界を豊かにするために、こうこうこういう努力をしてきた、これだけのことを為してきたと、
 自分の身を裂き血を流してきた自分の手柄を数え上げるような事をすれば、きっとそこには、ただ積み
 上げられていく手柄の建てた橋と、その向こう側にある世界への憧憬だけになるだろう。
 俺は、そんな橋を渡るのは・・・もう・・
 嫌だ
 
  俺は
 
   田沼と
 
     藤原夫妻と
 
       他の友人達と
 
 
 
 ありのまま  そのままを  暮らしてみたい
 
 
 その中で、ひとつひとつ、自分のやりたいこと、出来ることをやってみたいと、俺は思う。
 生きるって、こんなにも楽しいんだな、先生。
 
 
 ふん、青二才がちょこざいな
 だがまぁ、ようやくお前も、レイコの孫らしくなってきたな
 
 そうか
 俺の中に流れるレイコさんの物語は、きっと俺が俺に還るための力になったんだろうな
 
 おまえはおまえだ、この馬鹿夏目
 
 わかってるよ、ただ、俺は・・・・・レイコさんの孫でよかったと、最近思うんだ
 
 ありがとうな  先生
 
   ふん
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
                            ◆ 『』内文章、アニメ夏目友人帳 参」より引用 ◆
 
 
 
 



 

-- 110710--                    

 

         

                               ■■ アニメと遊ぼう! ■■

     
 
 
 
 
 ごきげんよう。
 
 
 えー、夏ですね。
 
 ・・・。
 以上、前置き終了。(ぉぃ)
 
 
 
 ◆
 
 ということで、まぁはい、今回はあれで御座いますよ、もう前期となってしまったアニメのまとめ感想を
 やらせて頂こうと思っておりますのですよ、はい。
 うえー、ついこの間前々期の感想終わって小躍りしてたとこなのにー。 (自業自得)
 あ、うん、夏目友人帳参の連続感想も始めましたしね、それも入れると一週間に二回更新ペース
 とか、はは、全盛期(ぇ)の私ならともかく、今の私にはかなりキツイペースになるでしょうこれは、
 だがしかし今のノリノリな私になら出来る、たぶんきっと、出来るかも☆ (あーはいはい)
 ということでなにか急に話が横道に逸れましたけれど。
 ええと、前期アニメのまとめ感想をやります。
 今期アニメの視聴リストは、まだ観てない作品が多数なので、また次回の雑日記のときにUpする
 予定です。
 それと、東京MXのアナログ放送終了まであと何日とかいうテロップを、あんなにでっかく入れるって
 決めた人、あとで職員室に来なさい。 (微笑)
 
 
 と、その前に、現時点で一応第一話を視聴した今期アニメのプチ感想をば。
 
 
 
 
 ロウきゅーぶ!: ロリだけど、面白い、ロリだけど。
 小学生女子を使って真面目にバスケをやろうというお話になるのだろうけれど、そのバスケの真面目
 さよりも、それをロリ女子小学生を使うことの意義を見いだせるほどの面白さが見込めそう。
 個性では無く、成長段階が違うという意味での小学生女子の持つ「多彩」さを如何に引き出せる
 かが、魅力の分かれ道になりそう。
 ちなみに普通に単純にロリの道に進んだら、即切るから私。 (OK?)
 
 ぬらりひょんの孫 千年魔京: うわー可愛いなこの若。
 『すげーじいちゃーん♪』by若
 妖怪総大将のじいちゃんに憧れて、自分も跡を継ぎたい想いで一杯で、なのにかっこいいと想って
 いたじいちゃんが実は人間にはしょぼい妖怪だと思われているのを知って意欲を失いかけるも、
 人間に対して本当に恐ろしいだけの妖怪の恐怖を目の当たりにして、本当に自分が大切に思って
 いるものに気付く、みたいな。
 自分でするべき事は、自分で決める。
 それが誰にどう思われようが関係無い、誰にどう思われるかで自分の行動を決める気なんて、
 さらさら無い。
 それが結果的に、周囲に畏れられ、そして憧れを持たせる事になっていく、その様をたった一話で
 描いたこの作品はやっぱり傑作だとおもう、ていうかこの若にはお仕えしたい。 (またよろしくです)
 
 異国迷路のクロワーゼ: なにこの土下座アニメ。
 つまりこれはだね、日本人は己の身を投げ出して、相手の足下に額づく、という、その「奴隷根性」
 を美徳として、それを奨励していて、んで、外国人はそれをひとつの異国情緒として、そしてさらには
 そういう奴隷根性を是とする人間を、その人間の意志を尊重するという建前で、好きに出来る、
 という事なのよね?
 あのじーさんが言ってる事は要するにそういう事な訳で、そりゃ雇い主のあんちゃんがへんたい呼ばわり
 するのも当然というか。
 自尊心を捨て、自分を捨ててまで相手に尽くす、という奴隷そのものの精神を、それを「文化」として
 許諾するのはおかしいことで、それは誠意の表れでは無く、自尊心の損ないを表しているだけの話で。
 誠意の表し方は他にだっていくらでもある訳でね、だから土下座するほどにその人の誠意を感じる、
 というのもまたちょとおかしい。
 礼とは形では無く心、だから奴隷のスタイルである土下座を野蛮として捉えるのは間違い、という
 風に言い掛けそうになるも、実はそれは罠で、実際にはまさにあの女の子が自分の大切な母の形見
 を差し出してまで相手に尽くす、という見事に心まで自尊心を損なっている奴隷根性に染まっている、
 というのを描き出していて、ほう、この作品はやる気じゃのう、というのが伝わってきました。
 あの女の子が、自身でも気付いていないその自尊心の低さを、どうやって変えていくことが出来るか、
 それがこの作品のメインテーマですね。
 あのじーさんばりに、いいのぅ日本人の女の子はなんでもいうこときいていいのぅいやいやこれは日本
 という国の文化なのだから問題無いのだよわしは悪く無い(超訳)、みたいな感じになったら即切りな。
 
 夏目友人帳 参: 問題無い。
 感想は日記の方で連続感想として書き出しているので、どうということも無く。
 いつもの夏目友人帳でした。
 これからもよろしくお願い致します。
 
 ゆるゆり: これはなんという、ゆるアニメ。
 ギャグというかゆりというか、ゆるい。
 全篇に渡って、全力でぐだぐだな結論を導くために、目一杯力を込めて力を抜いているような、
 おー、これはなんと芸術的なんだ!
 どれも中途半端、という訳で無く、各ネタがシームレスでひとつの流れになっているから、ひとつ
 ひとつのネタをネタとして査定するのでは無く、流れそのものにどっぷりと浸かれる。
 これはあれだな、良い酒の肴になりそなアニメだね!
 爆笑して笑い転げているような、そんな自分をやっている暇も無いくらいに時間が流れていくので、
 なんかほんとにそのままなにもせずに、あの画面の中に浸っていればいいというか、そういう意味で、
 なにかを「する」という事がぽんと横にどけてあって、ただ「いる」ということのままに生きることを楽しんで
 いくみたいな、ギャグとか百合とかそういう生産物としてのネタを作ることに全く拘らない、ただそのまま
 『好きにだらだらするだけだよー』という、感じで、うわ、こりゃいいわぁ。 (うっとり)
 こまめにネタ出し自体はしてるのだけど、そのネタありきで作品のメインが成り立っている訳じゃ無い、
 以前に、そういうネタ出しをだらだらして好きに過ごそう、というただのお茶請けのお菓子みたいな、
 この非生産的な感触が、この絶大な心安らぐ時間を広げてるのよね。
 だから一番あのやる気の無い百合娘が、一番やる気を自然に出してる感じが、ああ、素直に生きてる
 感じでいいねぇ、というのが、あ、なんかお酒飲みたくなってきた。 (ぉ)
 
 神様ドォルズ: なんかこう、ピンボケ。
 普通にお話をやってるというか、取り敢えず材料は最低限揃えたから、あとは各自でなんとかして、
 みたいな。
 つまらないという訳じゃ無いのだけれど、なにかこうシンクロしにくいところがあるというか、距離があると
 いうか、微妙に私の琴線と相性が悪いみたいで、なにかこう、うーん。
 『イカれてるのは俺じゃ無い、村だ』。
 その辺りには、お、っておもうものがあったけれど、そこに主人公のあの男の子がどう参加していくのか、
 いまいち見えないというか、むしろ村の論理を換骨奪胎して、今自分が所属している新しい「村」と
 してのコミュニティにそれを宿らせて、結局のところ、「自分が悪い」という形で自己否定及びそれを
 他人にまで敷衍していく、如何にもなヒーローものになりそうな気もするのだけれど、えーと。
 まだ、よくわかりません。 (だってまだ第一話だもの)
 うーん、逆に今彼が所属しているあの女子大生の子を含む、新しいコミュニティの中から自分を
 助け出して見出していく話になると、これは面白くなりそうなのだけれどね。
 
 うさぎドロップ: こういうのを待っておりました。
 世間体という名のひとつに閉じた価値観を堅持して、その中でしか生きることを知らず、それを脅かす
 ものを排除する事に恥を感じ無い、そういう人間達が、その小さく醜い世界からはじき出された、
 なんの罪も無い小さな子を意識無意識に関わらず、あらゆる形で排除していく、その様を見たとき。
 あなたは、なにを、感じますか?
 あなたは、どうしますか、では無く。
 あなたは、なにをおもいますか?
 ぶっちゃけ、私は主人公の男性に惚れましたww
 79歳のおじいちゃんが愛人をこっそり作っていて子供まで産ませて、そのままさっさとひとりだけ逝って
 しまった。
 79歳でそんな破廉恥なこと、恥ずかしい、と平然と本気で思ってる、そのおじいちゃんの娘にして
 主人公の母であるその女性の考えが、小さく閉じているのを感じて、そしてその世界に囚われた
 その人と同じような人達が、そのおじいちゃんのお葬式に集まってくれば、そりゃどういう事が起きるか
 なんて、恐ろしいほどに想像が付く。
 ただひとり、主人公だけが、79歳なんて大往生じゃねぇか、と、純粋に、そしてそのままおじいちゃんの
 生を称えるおもいを抱いていて、そして当然、その娘たる女の子、主人公の叔母に当たることになる
 その子を、そのまま受け入れていく様が、どうしてこう、すっと胸の奥にこんなにも届くのか。
 そして、その子を引き取ると、その男の人は言うのです。
 女の子をひとり、「ちゃんと」育てるには疑問符の付きまくる、そんな男性が、他の経済力や家事力の
 ある親族達を余所にして、その子を引き取ると言えるのが、これと当然と思えるのは、どうしてだろうか。
 それは、この男性が、世間体という名のひとつに閉じた価値観に囚われず支配もされず、ただひとりの
 人間として男として、同じくただひとりの子供としてのその子と向き合うことが出来るから。
 収入が少なくとも、家事がロクに出来無くても、そんな事とは一切関係無くに、その子とそのまま
 世間体をすっ飛ばして向き合える、そしてその世間体という名の「敵」からがっちりと子供を守ることが
 出来る、それだけが、子育てに唯一必要なこと。
 ぶっちゃけ、子供の立場からして、子供が最も、そして唯一「親」に求めるのは、まさにそれだけなの
 だから。
 どんなに経済力に優れ家事が出来る親であろうと、その子が最も唯一求めるものを与えられない、
 そんな親の元で育つ子は不幸を背負うことになる。
 つまり、親の愛の代わりに、世間体に取り入り庇護を求める事でしか生きられなくなる、ということね。
 そもそも「世間体」からその子を完全に守る事が出来れば、健康を損なわない最低限の食事の用意
 と家事をこなせるだけで、充分なのですからね。
 そんなのは、大人なら、誰でも出来る。
 経済力に関しては、それこそ公的な援助でもなんでも堂々と受けりゃいいんだし。
 なのに、そこに「世間体」という名の、「こうあらねばならない」というものを持ち込みそれを子供に
 まで敷衍して押しつけるからこそ、私には子育てなんて無理、あんたに子供の面倒なんて見れる
 訳が無い、なんていうことが生まれてきちゃう。
 親の資格なんて、その子をまるごと受け止めることが出来るかどうか、ただそれだけなのにね。
 親にまるごと愛されて、深く愛された子は、貧しかろうがなんだろうが、むしろそれを責めてくる人間と
 戦えるだけの、そういう生きる力を持つことが出来るのだから。
 今まで子育てするのに、どれだけ自分を捨ててきたことか、なんて事をまるで手柄かなにかのように
 ぬけぬけと言える、あの主人公の母親の愚かさと惨めさと、そして「間違い」を深く感じたあの主人公
 なら、きっととてもとても、良いお父さんになれる気がします。
 そうだよねぇ、こういうアニメって、やっぱり自分が子供だったら、一体なにを親に一番求めるかな、
 いや、一体私は親に本当はなにを求めていたのかな、という自己との向き合いを与えてくれることこそ
 が、最大の利益を視聴者にもたらすのかもしれませんね。
 
 まよチキ!: ・・・・。
 ・・・。
 真性サドお嬢様と、真性男装執事に、なにか胸ときめく薄暗いものを感じる人にはお勧めです。
 私?
 私はどうなのか、ですって?
 ・・・。
 迷っています。 (微笑)
 ・・・。
 お嬢様も執事も両方♂の方がいいかもしれないとか、そんな事はまだ思っておりません。 (微笑)
 ・・・・。
 どんどん、広がっていくなぁ・・ (守備範囲が)
 
 
 
 以上です。
 まだここまでしか観ておりませんので、残りは近々観るです。
 
 では、改めまして。
 
 
 
 今回は、「[C] THE MONEY OF SOUL AND POSSIBILITY」
 「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」「まりあ†ほりっく あらいぶ」
 の三作品について書かせて頂きます。
 
 
 
 
 
 ◆
 
 
 
 [C] THE MONEY OF SOUL AND POSSIBILITY:
 正直言うと、よくわからなかった。
 主人公の男の子、公麿のソフトな優しさと自信っぷりは好みなのだけれど、それが作品として全体に
 上手く関与していないというか。
 私の頭のスペックの低さではあまり理解出来ていない(ぉぃ)経済関連のお話を抜きにしても、
 未来がどうとか今がどうとか・・・・なんかあれ、基本的に議論噛み合って無くね?
 公麿と三國はそりゃやってる事が反対なんだから、戦うのはわかるのですけれど、なんかなー、
 ふたりとも、求めているものの求め方そのものになんかその、変なズレというか齟齬が生じているような。
 正直、よくわからないんだけどさ。
 なんか、あのふたりをわざとすれ違いにして、戦わせているように感じたのね。
 直感万歳。
 
 全体的に違和感というか、あー、この人達一体なにをやっているんだろう?、という、べつに明確な
 批判とか対案とかがあるわけが無い、以前にそういうことをしようと考えようとする気さえ起きさせない
 ような・・なんなんだろう、この変な感じは。
 うん。
 だから、これをひとつの、理解し読み解いていくための物語、として捉えていくのはやめたのね。
 なにを感じるか。
 直感。
 私はね、この作品を観ている中で、一番感じたのは。
 私が誰かのためにやっている事が、それが私のためになるかどうかよりも。
 その誰か自身が、私のために行動してくれていると、そう感じることが出来ることが大切。
 その感覚がね、あ、ってきた。
 未来がどうとか今がどうとかほんとよくわかんなかったんだけど(ぉーぃ)、でもさ。
 なんかそれって・・・嬉しいような・・物悲しいような・・・でも・・・
 自分がやっていたことに、なにかこう、安心が得られるような。
 それは、私がやっていたことが、誰かを通して、それが自分に返ってくるとか、その誰かが私のことを
 想ってくれていたんだ、とか、そういうことでは実は無くて・・
 あ・・
 誰かのためを想ってがんばってるのって・・・
 
 私だけじゃ、ないんだ
 
 その感覚。
 それがなんだかとても、ほっとする。
 そして同時に、自分が自分の事のために頑張る事だけで無く、ちゃんと、自分が誰かのために頑張る
 事も、自分のためになると言えるのだと思える。
 私はあなたのために、あなたは私のために、みたいな相互依存としてのそれでは無く、なんというのかな、
 んー、上手く言えないのだけれども、誰かのために頑張っている、その自分自身を楽しむことが出来る 
 ようになる、それが出来ているのが自分だけじゃ無いんだ、という感じというか。
 それは、誰かのために頑張らなくては自分の存在や価値を証明出来ない的な、いてもたってもいられ
 ないような、そういう自己犠牲的他者依存的なものとは、全然違う。
 むしろ、自分を非常に大事にしているからこそ、自分の存在と価値を自分自身で証明している
 からこその、その自身の為した証明をこそちゃんと受け止めてくれる、そのひとつの「可能性」としての
 他者のためにがんば・・・・・ああ、未来と今ってそういうことか・・・なるほど・・・(ひとりで納得すな)
 べつの言い方をすれば、「私」という主体があって、その主体の「私」が「こう生きたい」と思い、
 それを自身で認めその自己認証を他者に受け入れられて出来るもの、それが「自分」というもの
 であり、その自己認証とその他者達による受け入れを続けていくことで出来ていく、その「自分」の
 生産の連続を「私」が生きていくこと、それが「未来」というものなのね。
 で、三國は、妹という限定されたたったひとりの他者との間に築いた、唯一の「自分」に固執して、
 それ以外の自己認証も、妹以外の他者からの受け入れも拒否した、その「今」だけを「私」が生きて
 いる。
 
 つか、感じたことを書くとか言っといて普通に読み解いてますけどw、つまり、公麿のアセット、すなわち
 公麿の「未来」としての真朱が、公麿ってなんか安心すると言ったことには、すごく共感するのね。
 私が公麿君好きなのは、まったく真朱と同じ理由でさ、三國さんみたく単一の「自分」に引き籠もら
 ずに、ちゃんと自分が「こうしたい」と思う事をリアルタイムに更新して、それをちゃんと自分で認めて
 他者に向けて発することが出来る、という意味での自己責任をしっかり負っている、それが理由で。
 すごく安心するもん、彼はブレない訳じゃ無いんだけど、そのブレも含めて抱えて歩き続ける、
 という事は全くブレないからさ、すごくなんというのかな、公麿に公麿の事を任せられる、というか。
 それって、信じられる、ということなんだろうね。
 正直、三國さんみたいな人も、つい世話焼きたくなっちゃうという意味では魅力あるけどさw、
 でもそれって結局、三國さんのもろいとこ弱いとこを私がなんとかしたげる的な、それってつまり、
 彼に彼の事を安心して任せられない、彼のことを信じられない、ってことな訳で。
 それはなんか・・・・やだなぁ私は、最近特に
 それってつまり、三國さんのために頑張っても、それってただ、私と三國さんとの間に出来る、たった
 ひとつの「自分」に引きずり込まれて終わっちゃう気がするんだよね。
 気付いたら、私自身も三國さんみたくなっちゃうみたいな、私が真朱だったら、そりゃ間違い無く、
 三國さんじゃ無く公麿君のために頑張りたくなっちゃうよね。
 三國さんのためへの頑張りは、三國との関係に閉じた「自分」のためだけの頑張りにしかならないけど、
 公麿君のためへの頑張りは、公麿との関係の「自分」だけでは無い、その他多数の「自分」を
 生み出し続けていく、その主体としての「私」のための頑張りになるのだから。
 
 そうして、「私」のために頑張っているのは
 私だけじゃ無くて、公麿もそうなのよね
 
 そういう、真朱の気持ちにこそ、たぶん私は一番リンクしたのだね。
 真朱はさ、そういう風に「私」のために頑張れる、そういう「自分」を公麿との関係の中にみつけて
 みつめていたのでしょ、きっと。
 それは言い換えれば、真朱はその「私」の事が大好きで、その気持ちを公麿の中に映し出した、
 その「自分」が大好きになったとも言えるし、それが可能な相手が公麿だったのかもね。
 それは、嬉しいな、うん。
 この作品は、その真朱から見た、というか真朱こそが見た、公麿の魅力が盛り込まれていましたね。
 私も、公麿君見てると、なんか嬉しくなるよね、やっぱし、男の子の魅力はそれに尽きますよ。 (ぉw)
 まぁ、その彼の魅力を描くための作品、という訳でも無かったのですけどねw、ほんと経済の話とか
 まるっきりわからんぞこれ、だが勉強はしない。 (だろうね)
 
 
 
 
 
 あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。:
 要するに、引き籠もりとはなにか、という話でいってみよう。
 引き籠もりというのはつまり、なんというのかな、他者との関係の中に見つける「自分」というものに、
 ロクなものが生まれ無くなる、つまり、自分で「こう生きたい」という自分の生き方なり世界観を、
 自分で認めることが出来無くなったり、他者に条件付きでのみ受け入れられたりする事で、
 たったひとつの「自分」を強要されそれしか持つことが叶わなくなったりして、要するに、そんなどうしようも
 ない「自分」が限定された「私」の状態に、もうやってられるか!、みたいな自分の意識よりも深いとこ
 にある魂みたいなものがぶっ飛んで三行半を叩き付けて、それこそ戦略的撤退を始めることを言うの
 だろね。
 どこに、って、家に。
 あるいは、誰も自分を知らない、世界に。
 じんたんは家に、そしてぽっぽは世界を回る旅の中に撤退した。
 その撤退の目的は、つまり、そうしたロクな自分しか生み出せないような、そういうロクでも無い他者
 との関係しか無いのなら、むしろその他者達の場所から飛び出して、まずは自分で自分を認証する
 ところから始め直そう、というところにある。
 常識とかなんとか、そういう一通りの基準でしか自分を受け入れて許してくれない、そんな他者達の
 社会なんてこちらから願い下げだ!、という感じ?
 で、つまり、自分で自分を認証することから始めようということは、それが出来ていなかったということ
 であり、自分で自分を認証する事が出来ていない状態で他者に向き合ったとて、それこそロクな
 「自分」は出来無いのは当たり前。
 だから、自分で自分を認証する事から始め、そしてその自己認証した「自分」を認めてくれる、
 そういうそれまでいなかった、いや、そういう他者はいないんだ、というそのそもそもの世界観という名の
 「自分」を認識し、その自覚をちゃんと受け入れてくれる、そういう他者との出会いを求める。
 が。
 
 それは、安全安心に引き籠もることが出来ていた場合の話で。
 
 じんたんの場合、家にいながらにして、完全には引き籠もりが出来ていなかった。
 家にいながら、罪悪感に溺れるじんたん。
 外に出なきゃ、学校にいかなきゃ。
 うわー、そりゃつらいわ。
 家の中に引き籠もったにも関わらず、そこは安全な場所では無く、そこでさえそれまでのロクでも無い、
 外に出なきゃ学校にいかなきゃ意味と価値が無いという「自分」しかいずに、その「自分」に支配され
 続けている。
 それ、逃げ場がこの世界に存在しない、って事じゃん。
 じんたんは引き籠もり不登校生だけど、親とは会話してるし、家の外に全く出られない訳でも無く、
 それ以前に自室に完全に閉じ籠もって一切の外部との接触を断ったりもしていない。
 引き籠もり度としては、軽度。
 が、これは同時に、自分の最も深い問題を解決するための、その問題解決行動としての「引き籠もり」
 をしっかりと行う事が出来ずに苦しみが連鎖し続ける、という意味では、その深刻度は、重度。
 それが、めんまの幽霊として現出する。
 ぶっちゃけ、じんたんは、自分達平和バスターズ(ってこの名前も意味深ですね、平和ってなによ、って
 話な訳です)が子供の頃、幼馴染みのめんまが事故で死んで、それがずっと心の傷として残っている、
 という風に認識している訳で、その傷がめんまの姿に反映されている、それならめんまを「成仏」
 させる事が出来たら、自分の心の傷も治りまた今まで通りの生活が出来る、みたいな感じで。
 だから。
 じんたんは、結局、めんまの事ばかり考えちゃう。
 めんまのために、めんまの望むものを探し、めんまのためにそれを叶えよう。
 うわー・・・
 
 じんたん、かっけーんすわ。
 
 うん。
 じんたんが、どう意識してるかに関わらず、じんたんの魂こそが、生きたい、絶対に諦めずに自分の
 「なにか」を解決してみせる、っていう、そういう物凄い意志の強さを感じるから。
 正直、じんたんの理屈自体はどーでもいいんすわ(ぉぃw)、じんたんがどういう理屈で自分を救済
 しようとも、その中身自体を論じても、あまり意味が無いし、そこにじんたんのカッコ良さを私は感じ
 無い。
 じんたんがどんなにめんまの事を想って、めんまの事に必死になろうと、その自己犠牲精神には
 そよとも感動しない。
 んなのは、ほんとどうでもいい。
 それよりもなによりも、じんたんがどういう事をするしないに関わらず、あそこまで頑張り続けている、
 動き続けている、戦い続けている、そうしてなによりも、生き続けようとしている、そのじんたんが。
 どうしようもなく、かっこいい。
 マジ惚れるぞこれw
 じんたんの、揺れながらも、その奥で据わった瞳。
 あらゆる外的なもの、たとえば常識とかそういう他者の価値観上のものに自分を据えて、それで
 自己批判とか自己卑下とかして揺れまくってしまう自分の中で、決してそれとは張り合わずに、
 頑としてブレない、そのじんたん自身を持っているのを示す、あの黒い瞳。
 ぼさぼさ髪を気にしながらも、気付けばぼさぼさを振り乱して走ってる。
 他者の価値観上の世界にガチガチに囚われて、その世界でのエリートの「自分」にしがみつく事しか
 出来無くなってるゆきあつに、散々貶され罵倒されて、右に左に瞳が揺れまくるじんたんの可愛さとw、
 それでもしっかりと、自分の「こうしたい」という思いの責任を負い、一歩ずつ下手くそでも歩き続ける、
 そのじんたんのかっこ良さ。
 
 そのじんたんが、なによりも深く求めていた、「自分」は、なに?
 
 じんたんは、なんでめんまのために頑張るの?
 んなもん。
 じんたんがめんまの事好きだからに決まってるだろが!
 男の子が好きな女の子のために頑張る理由なんて、あるわけなかろうが。
 そしてじんたんは、めんまの事を好きな「自分」が好きだった。
 なのに、じんたんはその「自分」のことを自分で認めることが出来ずに、そしてその「自分」をめんまに
 も、他の誰にも発して受け止めて貰うことが出来無かった。
 もしじんたんに心の傷というのがあるとしたら、それだけでしょう。
 じんたんは、めんまが好き。
 どうしようもないくらいに。
 その自分を自分で認めて、めんまと、そして他のすべての人達に受け入れて欲しかった。
 そういう世界を、じんたんは生きたかったんだね。
 平和バスターズの面々も、色々な形で「引き籠もり」をやっていた訳で、そしてじんたんを含むあの
 面々がなにより求めたのが、自分で自分を認め、そしてそれを互いに受け止め合う、そんな世界
 だったんだよね。
 その世界の入り口、出発点にして起点であるところのものが、まさに平和バスターズという「居場所」
 だった。
 じんたんが、めんまがどうのと言いながら駆けずり回りながら、必然的に再結成した平和バスターズの
 面々との交流の中で、活き活きとした自分を取り戻していく感触。
 いいよねぇ、じんたんの親父さんが、亡くなった奥さんの仏壇でその様を報告するシーンとか、わたしゃ
 涙出てきたよw、めんまがどうのこうのは全然どうでもよく、なにはどうあれじんたんの魂自身は、
 なによりも自分が求めていたものを手にするための行動を取っていたんだよね。
 
 うん、私がこの作品を見て、ぞくぞくした感じを最も受けたのが、まさにそこ。
 あの子達が、みんなひとりひとり、彼ら自身の理屈を語りながらも、それが青臭かろうがただの論理だ
 ろうが、それとは全く関係無く、語ることで自分が本当に求めるものを求めていくことが出来、そして
 ひとつひとつ「自分」を語り、そして「自分」を作り続けていくという、その主体としての活き活きとした
 「私」を回復させていく様がね・・・・・もうね、震えたです (ふるふる)
 あれって、じんたん達が「自分」を語り、それを他のメンバーに受け入れて貰うことで、新しい「自分」
 を獲得していく事、そのもの。
 ああ、こうして自分の事を語ってもいいんだ、本音の奥にある叫びを出してもいいんだ、そして、
 それを受け止めてくれる人が、この「世界」にはいるんだ。
 彼らの、世界が変わった瞬間。
 貧しく閉ざされていた、彼らの世界が豊かに成長した瞬間。
 はん、世の中そんな甘かないんだよ、そういう奴らばっかりじゃないんだよ、みたいな、そういう論理の
 無意味さをこそ、そしてそういう事を宣う連中自身が、自己と他者の相対化が出来ていないだけという
 事をこそ、あの面々はきっと、彼らの仲間を全員失っても、きっと感じられるでしょう。
 むしろ、それがめんまの喪失の受容、ということの表れなのかもね。
 あーそっか、めんまが生きてたときは、なんでも受け入れてくれる、最強少女なwめんまに受け入れて
 貰えたからこそ、あの面々は自分の世界を信じることが出来ていたんだけど、そのめんまが死んじゃった
 瞬間に、そのめんまに「だけ」完全依存していた彼らが路頭に迷うのは、ある意味当然なのかも。
 めんまが死んだら、それで終わり?
 めんま以外には、あんた達を受け止め受け入れてくれる人は、ほんとにもうひとりもいないの?
 あんた、地球の人口何人か、知ってる?
 そして。
 もしいるかも知れない、世界中の優しい人達が、すべて死に絶えたとしたら。
 あんたの世界は、あんたの欲しかった世界は、そこで終わるのかい?
 もしそうだというのなら、じんたんがそう言うのなら、私はこの作品を当然観ない。
 じんたんが。
 じんたんこそが、誰よりもなによりも、「自分」を受け入れてくれる他者の存在を信じ続けて、
 引き籠もりという手段を使って、必死に生き延びようとする「私」を守り続けていたからこそ。
 私は、この作品を最後まで観た。
 じんたんの周りにいる、そのすべての人に自分を拒絶されていると感じてしまう、そんな絶望的な世界
 しか無くなっても。
 じんたんは、何度でも。
 引き籠もって。
 自分で、自分を認めて受け入れることから、始めることが出来るでしょう。
 引き籠もるって、本来すべての人が持っているはずの、その絶対的自信を取り戻す事が出来るように
 なる、その技術の開発行為なんですよね。
 自分で自分を認めて受け入れることが出来るような人こそ、他者をちゃんと受け止めて受け入れること
 が出来る。
 
 『めんまは、やっぱり笑った。』
 
 杓子定規という名の、単一の価値観、自己に内在化された「教義」。
 その「教義」に散々翻弄され、そしてガチガチに自分こそが縛られてきたがゆえに、それと同じことを
 他人にも敷衍して求める事によって、その他者との関係の中に生まれる「自分」もまた、その「教義」
 の申し子に当然なるという、無限の悪循環。
 それから、一切解放されているめんま。
 杓子定規という名の、単一の価値観、自己に内在化された「教義」を、他者に一切押しつけない。
 私は私、あなたはあなた。
 だから、めんまは他者との関係の中から「教義」の申し子たる「自分」を再獲得する、地獄なサイクル
 から解脱することに成功している。
 ああ
 私も、俺も、めんまみたいになりたかっただけなんだ。
 平和バスターズの面々が辿り着いた境地は、そこ。
 自分に植え付けられ、さらに繰り返し迫ってくる狂信者的な「自分」に翻弄されながらも、
 絶対にそれを乗り越えて、純然たる、「そのまま」の「自分」を求めよう。
 だからまず、自分で「自分」を認めることから始めよう。
 他人に認めて貰わなきゃ意味が無いってなったら、それは「教義」の範疇のまま。
 自分に認められた「自分」にだけ、他人に認めて貰う価値がある。
 それは同じようで、全く違うこと。
 だからよくある話ですけど、引き籠もりを「更正」させるために、無理矢理外に連れ出して、
 厳しく他人と交流させて、無理矢理社会通念に沿う「自分」を作りそれに従わせようっていうのは、
 これは最悪の展開と言わざるを得ない。
 たぶんそれやったら、廃人になるかロボット人間になるかどっちかしか無いよね。
 そして、この作品の最も評価すべきところが、その点を非常に理解しているところ。
 大人になるって、どういうことなんだ? 
 今目の前にある社会に適合して、その中で器用でも不器用でも生きていく力を付ける事なのか?
 違うんだろうな、めんま。
 そんなのは、大人じゃ無い。
 ただ素直になれないまま、自分で自分を認める事が出来ずに、他者の価値観に身も心も任せて、
 それを他人にも押しつける、そんな人間になんて、俺達なりたくなかったんだよ。
 『あの花は、きっとどこかで咲き続けている。』
 『そうだ、俺達はいつまでも、あの花の願いを叶え続けていく。』
 自分の、本当に求めるものを、たとえどんな事をしても、どんな事になろうとも求め続けていく、
 その自分の願いを叶え続けていく事が出来る、それだけを、大人というんだろうな。
 めんまの笑顔は、ただ本当に、素直な笑顔だったもんな。
 うん。
 私もそう思った。
 思い遣りとか気遣いとか、なーんも関係無い、ただただ純粋に、自分の願いを叶え続けていく、
 そんな嬉しい笑顔が、そこには豊かに咲いていました。
 めんま最高。
 そしてじんたんに、万歳。 (拍手)
 
 
 
 
 
 まりあ†ほりっく あらいぶ:
 最初の方は面白かったのだけれども。
 や、ここから加速していくのだろうという意味での、ツカミはOK的な。
 うん、この作品の入りとしては、最高に近い入り方でした。
 『美少女に足蹴にされる非正統派もこれはこれで、ごきげんようごきげんよう』は、近年のギャグアニメ
 のネタの中でも五指に入るほどのもので御座いました。
 これはいける、と思っておりました。
 
 それが、なんだよ、これ。 (ぉぃ)
 
 たぶんね、これ原因は鞠也さんなのよ。
 なんというか、ただの正論(か?)お説教キャラになってしまって・・・
 はっきり言って、正論的な見方からかな子さんの非常識ぶりをぶったぎりながらも、その返す刀の
 したたる(かな子さんの)血の乾かぬうちに、その正論すらもぶったぎる、そこに私達は鞠也さんの
 真髄、彼の「本気さ」を感じることが出来た訳です、今までは。
 それは感動すら覚えるほどに、鞠也さんの上から目線の底知れ無さを味わわせて頂いた訳です。
 第一期は、本当にありがとうございました。
 それが。
 第二期では、なに?、一体鞠也さんになにがあったの?、というくらいに、ただの正論常識キャラに
 なってしまって、で、その程度のツッコミでかな子さんを切ったところで、面白くもなんとも無いです。
 なんていうか、第二期のかな子さんの暴走っぷりが、普通に単なる犯罪方向に向かっているのも、
 なんというか、その鞠也さんの低レベルなツッコミを反映しているようにすら見える。
 ただの正論常識に則ったツッコミなんざ、それへの反発程度のボケしか生み出しゃしない。
 うーん・・だから、茉莉花さんの慇懃無礼問答無用の制裁もといツッコミにも、力が出ない、というか、
 あくまで茉莉花さんのツッコミというのは、鞠也さんと共に暴走するかな子さんを叩きのめし、
 その拳を解かぬままに、正論すらもぶったぎる鞠也さんをこそ正論的観点で、容赦無く皮肉る、
 というもの。
 その絶妙なバランス感覚が、この第二期ではまるで観られなかったんですよね、鞠也さんが高飛車
 らないものだから、茉莉花さんが彼へのツッコミを発動せずに、ガチで忠実なメイドになってしまって
 いるような、まぁ忠実の顔を被ったやる気の無さな訳ですが、うーん。
 ・・・そう考えると、茉莉花さん単品だと結構面白かったのも事実ですか、お助けキャラとかあれも
 なかなか茉莉花さんの容赦無さっぷりを魅力たっぷりにやり切ってましたし。
 ただ、だからというか、その分、かな子・鞠也・茉莉花の三人による、あの素晴らしい連動性を
 備えたボケツッコミに華が出なかったのでもあるのですよね。
 おまけに新キャラの竜胆が、余計に茉莉花さんのお仕事をぶんどるような形で食い込んできて
 しまって、結局のところ茉莉花さんが適当にモン○ンとかやり出してしまったり。
 やー、あの普通にだらけた茉莉花さんは素敵でしたね、あれはあれで。
 
 つまり、そうなんですよねぇ、単品小技の寄せ集めという感じで終わってしまって。
 骭ー様の可愛さとかゴッドの底知れ無さとか鼎神父の変わらなさとか、新キャラは今いちまだ噛み合
 っていない感じでしたけれど、うーん。
 
 これ、私が主要三人組のボケツッコミに拘ってるだけなんじゃ?(微笑)
 
 この感想を書くにあたって、ちらほらと見直してみたのですけれどね、あれ?、これ面白くね?、
 って正直思った私がいて、現在大変混乱しております。
 んー、要するに、この第二期は、主要三人に集中させず、色々と分散させて、各キャラにネタ振りを
 していく、という感じなのでしょうねぇ、キャラの掘り下げとかをやるでも無く、ただあるがままに、
 みたいな。
 一見、どのネタも基本的には第二期の鞠也さんに代表されるような、「真面目に頑張った奴が報われ
 」て、「怠けている奴にはそれなりのペナルティを」というスタンスに貫かれていて、ちょっと息苦しさを
 感じるのもあったんですけどね、つか、その辺りを第一期の鞠也さんは豪快に突破していたんですけど、
 で、実はこの第二期の本質はその説教臭さにあるのでは無く、とにかくそのスタンスを通して全キャラ
 にネタ振りをしよう、ボケさせようツッコミを入れさせよう、というひとつの平等主義にあるのですね。
 だから、第二期はかなりテーマ性が排除されているところがあって、ある意味遊びに満ちている。
 むしろSS的というか外伝的というか、純粋に第一期で培ったネタだけに特化したというか、それで
 多少キャラが崩れても問題無い的な、うーん、だから主要三キャラの連動性に拘っていた私には、
 それがイマイチわからなかったのでしょう。
 そうですねぇ、これ逆にかな子さんが暴走を高め過ぎて、鞠也さんの正論的こきおろしの範疇から
 さえも飛び出してしまったら、ある意味そういうの出来無いですものね。
 鞠也さんの正論に回収され、そこから突き出るような暴走さが無かったからこそ、この第二期の
 かな子さんにエネルギーを感じずに不満だった私ですけれど、ああそっか。
 第二期は、本気出す場所じゃ無かったのね。 (微笑)
 もしこの第二期が、まりほりという作品の本編(?)としてこれからも続いて、それで終わってしまうの
 なら、それはもうつまらない駄作に堕ちたと言い切っても良いのですけれど、うーん。
 第三期に、期待、ということですね。 (結論)
 
 
 
 
 
 という感じで、今回は終了で御座います。
 なんか、日記更新再開してから、ほとんどアニメに関することしか書いてない気がするのは、
 気のせい?
 自分に正直になったの? ヲタクなの? 死ぬの?  ←嬉しそうに微笑みながら
 とまぁ、要するに、色々書きたいことはあるのだけれど、それを別個に書くよりも、それをひとつの
 テーマに沿わせて書き合わせた方が、より良く自分の思っていることを再現出来、そのための
 ツールとしてアニメ感想は私にとって最適、というまぁ、もっともそうな理由を余裕で捻り出せてる辺り、
 今年の夏はまだ夏バテしてないようで、なによりです。 (ぉ)
 
 
 それでは、また。
 ごきげんよう。
 
 
 
 
 
 
 
 



 

-- 110707--                    

 

         

                                 ■■ 友達の作り方 ■■

     
 
 
 
 
 『 勝手にやって来て、勝手に去っていく
 
  そういうものに心を振り回されないよう、いつか強くなれるだろうか。 』
 
 

                          〜夏目友人帳 参 ・第一話・夏目貴志の言葉より〜

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 汗の中に流れる緑色の風が、首筋を伝ったまま、帰ってこない。
 木漏れ陽かと見紛うほどに、それは燦々と照らす、木々の息吹だった。
 ひとつひとつの緑が、生きているのがわかるほどに、それは私との一対一の時間だった。
 そんな時間が、木の数だけ、私の吸う緑の命の数だけ、此処にはあった。
 
 遠く
 とおくへ
 いきたいな
 しゃららと細く鳴いて、雲が空を転がっていく。
 森の中に小さく開けた斜面の天辺に据わり込み、私は鏡に映る自分の顔を覗き込む。
 あーあ、私これでも一応、女の子なのになぁ。
 薄く、そして痛いほどに、頬には傷があった。
 また、人間に殴られてしまったわ。
 不思議よね、私だって紛れも無く人間なはずなのに、みんな私には容赦無いのよね。
 たぶんどうあっても、どうやっても、私は迫害されるのよ。
 どんなに泣こうと、喚こうと、謝ろうと。
 みんなのために頑張ろうと、誰かに尽くそうと。
 私は、等しく殴られ、石を投げられる。
 ぽーん
 トンビが馬鹿みたいに、暢気に空を走っている。
 こうしてひとり、ぽつんと鏡を覗き込みながら、独りごちている私も、相当馬鹿みたいに見えるわね。
 ほぅ
 山が、私の足下で大きくひとつ、溜息を吐いた。
 ありがとう
 私もまだまだ、人間なのね。
 暢気にそのまま飛んでいられるトンビを馬鹿みたいだなんて、思ったりして。
 やっぱり私・・・なにかをしないと・・・・
 そのままでいることが・・・・辛いみたい・・
 
 私が妖に喧嘩をふっかけて回っているのは、それはたんなる私の趣味。
 私の寂しさを紛らわすため、と言い換えてもいいわ。
 でも時折、誰かのために、妖を追っ払うこともある。
 それこそ、祓い屋みたくにね。
 そのとき、私が少しの充実感を、充足感を感じていたことを、私は否めない。
 人の役に立てた。
 私に出来ることが出来た。
 誰かのために、やるべきことが出来た。
 どうして・・なのかしらね
 私はただ、守りたい人のために戦いたかっただけなのに、それこそどうでもいい、私に石なんかを
 投げつけてくる連中までも、守ろうとしてしまったりする。
 
 どうして私
 まだ 人間やってるのかしらね
 
 可愛い子供に会ったわ。
 友達になってくれそうな人に会ったこともある。
 すごく嬉しくて、私は、もう、ほっぺたが自分でもわかるくらいに紅くなりかけるのを、必死に抑えて。
 嬉しい
 こんなドキドキ感、信じられないくらいの驚き。
 私は、化け物みたいに忌み嫌われる女。
 だから、私に近づけば、その人達も周りの人達から同じように石を投げられてしまう。
 その事を口実にして、私はその優しい人達から離れようとしてしまうけれど、でも・・・
 私が
 その人達のことを好きだと思った、この私の気持ちは事実だった。
 嘘なんか、吐けるわけ無い。
 それなのに、私の中の人間が、轟々とその身さえも焼き焦がす蛍火のように、私を責め立てる。
 おまえは化け物だ。
 消えろ
 失せろ
 おまえがその人達を本当に大切に思うのなら
 ひとり 立ち去れ
 私を追い詰めるその声に追い立てられるようにして、私は何度も、何度も、私の大切な人達の元から
 離れていってしまった。
 それで、いいんだ。
 そうしてちゃんと、自分を罰して、大切な人達を守ることが出来たおまえは
 立派な
 人間だ
 それを 認めよう
 
 
 
 その声が私の胸に響くたびに
 私は妖に喧嘩をふっかけた。
 今日は、もう既に五回も喧嘩して勝っちゃったわ。
 
 『私と勝負しない?』
 『あなたが勝ったらなんでも言う事をきくわ。
  なんだったら食べてもいいのよ。』
 『私が勝ったら、あなたの名前を貰うわ。』
 
 まるで祟りよね、これって。
 本当に、どこか遠くにいきたいわ。
 人間も、妖もいない、どこか遠くへ
 
 
 
 
 
 
 
  + +
 
 
 
 私は、人間にならなければならない。
 だから、人間であるために必要なことをせずにはいられない。
 それをやってもやらなくても、誰も私を人間としては認めてくれないのに。
 そしてね、それをやらなくても、時々、ほんとうに時々、私をそのまま、認めてくれる人がいるの。
 嬉しい嬉しい、そんな出会いが、ごくたまに。
 でもね。
 私はそういう人に出会ったときに、その自分の嬉しさに身を任せて、その人と一緒に生きることが出来
 無い。
 誰も私を否定しないのなら、私が自分で私を否定しなくちゃ。
 ううん。
 これをやれば人間として認めてくれるかもしれない、というものを誰も用意してくれないのなら、
 私自身がそれを用意して、それを自分で実行しなくちゃ。
 なにをしても私を人間として認めてくれない人にも、そしてそんな事しなくてもそのまま私を認めてくれる
 人の前でも。
 私は等しく。
 その人間をやってしまう。
 やらずには、いられないのよ。
 私に石を投げつける人の前では、そうよね私は化け物なんだからしょうがないわよね、という恭順の
 意を示すことでそこに人間性を認めて貰おうと。
 私を抱き締めてくれる人の前では、そうよね私は化け物なんだからしょうがないわよね、という自覚の
 元でその人から離れていく事の出来る自分に人間性を認めて貰おうとする。
 あーあ
 ほんとうに 馬鹿みたい
 そんな私の本性をひた隠すためだけの、こんな私の孤高ぶりだなんて。
 なにをやっているのかしらね ほんとうに
 
 
 水色に溶けた、私の目線より、ほんの少しだけ上にある世界。
 さらさらと水が溶け出して、そのまま私を水底に誘って欲しい。
 ううん、沈みたいんじゃないわ、ただ、私をゆっくりと満たして、そして。
 そのまま私を、突き抜けていって欲しいの。
 そうね、深海魚とか熱帯魚とかが、ほんの真夏のひとときの、またたくその一瞬に目の前を泳ぎ去って
 くれたら、それはなんだかもう、気持ちの良いことじゃないかしら。
 ぽこぽこと、気泡を従えながら、焼け焦がすような日差しの中に、一服の涼を撒いていく。
 金色に縁取られた太陽がね、まるで、そうして泳ぐ地上の魚達を映し出したものだったりしたら、
 なんだかそれは、素敵なことだと思うの。
 空に浮かぶものが、全部、私達の姿を映す鏡だったとしたら。
 ちりん
 わかりやすい涼ね。
 風鈴は好きよ、いたずらして、ちりんちりんと指で弾いて鳴らしても、それで風鈴が二度と鳴らなくなる
 わけじゃない。
 私が去って、ひと風吹けば。
 ちりん
 そしてね、もし私が風鈴を弾く指を止めて、そのとき私の前で風がすらりと入り込んできたら。
 ちりん
 いいわよねぇ・・私はなにもしていないのに、私の目の前で鳴ってくれるだなんて
 しかもそれは、私のために鳴らしてくれたものでもないのよ?
 ただ風が吹いたから、そのまま、ちりんと、素直に鳴いただけなの。
 もう私は、嬉しくなっちゃって、またちりんちりんと散々弾き鳴らして、そのあと綺麗に拭いて、磨いて、
 そしてありがとうって言葉をあげちゃったわ。
 
 
 
 私ね。
 私に石を投げつけた奴に、屈した事なんて無いつもりだったの。
 明らかに私の顔目掛けて投げてきた、鬼みたいな石礫を、私は思いっきり打ち返してやったりした。
 そして、きっと、そうして眦を決して、毅然として立って魅せたの。
 そいつら、化け物だとか怪物だとか言って、唾を吐いて大抵立ち去っていったわ。
 清々なんて
 しないわ。
 ただひたすら胸の内側が真っ黒になっていくのを、必死に白く塗り返す作業で手一杯。
 私は、結局、あいつらの前で、投げつけられた石を打ち返す、そういう憎たらしい化け物をやっていた
 のよ。
 あいつらに対する、怒りを、怨みを、私は感じていなかった。
 ただただ、本当に化け物のように黒く染まっていく、そんな私の胸の内を真っ白に打ち据える、
 そんな真っ当な人間ぶりを、他ならない私自身に示すためにこそ・・・私は・・・
 いつのまにか、ほからならない女の子の顔目掛けて石を投げつけるような、非常識な愚か者に対する
 怒りは影を潜め、ただただ、私を化け物扱いする奴らに対する、その深い怒りにだけ、私の意識の
 すべては注がれていた。
 そう、その怒りを抑え込むためだけに、私のすべてを注いで。
 いっそのこと・・・・バカだのブスだのと言われる方が・・・まだ本当に、そのまま素直に怒ることが出来た
 のかもしれないわね
 そうね、だから私は、結構生意気な子供って好きなのよ、あの子達は、間違っても私のこと化け物
 だとか言って、自分の中の私に対する怯えを隠すための虚勢を張ったりはしなかったもの。
 バカだのブスだの言って、暢気に近寄ってくる子供の頭を、何度嬉しくこづいてやったことか。
 
 ああ
 そっか
 
 
 私は、人間になりたかったのよ。
 なのに、それは私の本当の気持ちじゃあ無かった。
 私は、寂しかった。
 だから、私は人間になりたいと思っただけ。
 その順序こそ、重要なことだったのじゃないかしら。
 私は寂しかったからこそ、その自分の気持ちを満足させるために、人間になりたい、という手段としての
 欲望を持った。
 でも、私は人間になろうとして、誰よりもなによりも人間らしく振る舞ってみせても、私の寂しさを
 癒すことは出来無かった。
 駄目じゃないの、まったく。
 人間になりたいという欲望が、私の寂しさを満たしてくれないのなら、それは欲望として失格よ。
 ええ
 だから私は、今度は妖に喧嘩をふっかけにいったのよ。
 もしかしたら私は、役に立たない人間やめて、妖になりたくなっていたのかも。
 そうしたら・・・
 今度は、妖達に嫌われちゃったわ。
 そりゃそうよね、誰が喧嘩ふっかけてくる奴と仲良くしたいもんですか。
 結局私は、人間にも妖にも嫌われる、どうしようもない奴になってしまった。
 でもね・・
 私は、思うの。
 じゃあもし、私が人間らしく必死にあろうとして、それを認められて人間に受け入れられたら・・
 どうだったのかしら。
 私は、頑張ったのよ? どうしようもないくらいに。
 親も身寄りも無い私が、一体どれほど周りの人に気に入られようとして、頑張ってきたことか。
 そりゃあ、親無し子ってだけで私をまともに見てくれない人も、確かに沢山いたけれど、でもね、
 よく考えたら、そうじゃない理由で、私から離れていく人達も、結構いたのよ。
 ・・・そう・・なのよ・・・わたし・・・
 たぶん・・・・気に入られようとして、そのために必死になっているだけなのを、見抜かれていたのかも
 しれないわ
 ただ寂しさを紛らわすためだけに、人のためを想い、人のために尽くし、私をちゃんと見てよって、
 そうずっと叫び続けていて・・・・
 そのくせ、そういう寂しさを求めるために、人の事を想おうとする自分のことを責めて・・・否定して・・・
 ああ・・・それは・・・・・たしかに・・・・・・・嫌よね・・
 
 私は、ほんとうは
 私がなにをしてもしなくても
 ただそのままの私を認めて欲しかっただけなのに
 
 それなのに、それが与えられなかったから、まるでその分を取り返すかのようにして、周りからみれば
 これみよがしに自分の人間らしさを強調して、周りの人達から色々引き出そうとしていたのかもしれない。
 たぶん、私はそれを無意識のうちに悟って、だから人から距離を取ろうとして・・・
 でも、そうすればそうするほど、私の寂しさはどんどん広がっていって・・・・
 ついには、周りから化け物そのものと呼ばれるくらいに、妖を見る力とそれを倒す力を得てしまった。
 それはつまり、妖がみえるということで、周りから注目を集めたい、私をみて、という私の寂しさを
 満たそうとする欲望の顕れなの。
 そうよね・・はは
 妖を見て倒す力は、そのまま私自身の姿に映し出されていったのね・・・
 そして、寂しかったから、私はそれこそ、妖を私の世界に本当に生み出した。
 でもそれは、結局のところ、人間達の代わりとしての存在にしか過ぎなかった。
 人間達に受け入れられない事の寂しさを、妖達を使って埋めようとしたのよ。
 しかも、喧嘩をふっかけて。
 私が負けたら、私はあなたのもの。
 私が勝ったら、あなたは私のもの。
 馬鹿じゃないかしら。
 ええ、馬鹿なのよ、私は。
 馬鹿って、言って欲しかったのよ。
 友達の作り方ひとつ、知らないなんて。
 ほんとうに
 馬鹿よ。
 
 
 ああもう
 頭がこんがらがっちゃう。
 どうして今日はこんなに、頭が冴えているのかしら。
 止まらないわ・・でも・・・・止めたくない
 私は
 親無し子。
 親に愛されたことも無いし、愛されるということがどういう事かも知らない。
 だからね、もし本当に、私のことを無条件にそのまま受け入れて、愛してくれる人達と出会っても、
 私はその人達の愛を信じることが出来無いかもしれないのよ。
 どうしてって、私は愛されたことも無ければ、愛というものがどういうものか知らない、愛され経験値
 が低いって事かしら。
 だから、私こそが、その人達の愛を、そのまま無条件に受け入れる事が出来なかったりする。
 どんなに愛されても、私はその受け取り方を知らないから、自分風にその愛を作り変えて、そして
 その愛を保証するために、私に愛をくれた人に様々なものを要求してしまう。
 貪欲どころの話じゃないわ、私はね、その人達のくれた愛を放り捨てて、愛とはこういうものだから、
 愛してくれるのならこうこうこういうものにして、それをこういう風にして与えて欲しい、なんてことを
 しているのよ。
 たぶん私は、その辺りの底無しの間違いを感知しているからこそ、罪悪感だのなんだのを口実に
 して、その人達から離れようとしているだけ。
 私は
 私を愛してくれる人達を
 傷付けてしまう
 そう
 私自身が
 私の妖を見る能力とかそれを倒す力とか、そういうのは、ただその私の本当のどうしようも無さを
 別のモノにしてすり替えて顕現させただけのものね。
 つまり・・そうね・・
 私は、私を迫害する人達の言葉を借りて、私自身を化け物呼ばわりして、それを誤魔化していた。
 
 きっとね
 私自身が変わらないと、どうにもならないことなんじゃないかなぁ。
 だから・・
 私は、誰も知らない、誰もいない場所に、行ってみたいって思うのよね。
 私は、自分と出会いたい。
 私を愛してくれる、そんな自分と出会いたいの。
 私は・・・ええ・・そうして自分を愛することが出来るようにならない限り、他の人達からどれだけ愛され
 たとしても、それを受け取ることが出来無いと思うのよ。
 寂しいわね
 そう
 寂しいのよ、私
 その寂しさは、きっと、私以外の誰か、そう、人間達や妖達と一緒にいて満たされるものでは無かった
 のじゃないかって。
 だって
 私の中にこそ
 私を絶対的に愛してくれる、そういうなにかが欠落しているのだもの。
 それはきっと、本当なら親にしか与えられないものだったのよ。
 だからそれを、いくら他の誰かに求めたとて、それは永劫満たされることの無い、ただの執着に堕ちて
 しまう。
 そんな奴に食い下がられた日には、誰だって嫌気が差すわよ。
 当然よね、だから私は友達出来無いのよ、ふふ。
 徹底的に甘えるか、徹底的に距離を取るか。
 その二者択一しか、人との付き合い方を知らない女。
 笑っちゃうわね。
 
 それって要するに。
 私が、私自身を愛することから逃げてるってだけなのよ。
 
 私の寂しさの本質は、それ。
 私の中の、親のいない可哀想な子供が、ずっとしくしくと泣いている。
 それをほっぽって、人間が好きだの嫌いだの、妖と勝負するだのしないだのしている、無駄に知恵や
 力の付いた大人の私がいる。
 その大人の私に、愛されたい、そんな子供の私が・・
 ずっと、寂しいって、泣いてるの。
 私の寂しさは、すべて、それ。
 その寂しさは、他の誰かによって癒されるものじゃあ無いのよ。
 私は
 お父さんとお母さんに、愛されたかったのね。
 その親の絶対的な愛が、親に愛されることで、それが永遠に私の中に映し出されて、その親の愛の
 顕現した私こそが、ずっと私を愛してくれるはずだった。
 私には、その私がいない。
 その私を作り、そして、その私に私を愛させることが出来るのは、私しかいない。
 そうね・・
 ふっ
 空恐ろしくなる。
 まったく別の
 寂しさが、訪れる
 
 
   どうして私だけ
 
     そんなこと  しなくちゃいけないんだろ
 
 
  どうして
        私には おとうさんとおかあさんがいないの?
 
 
   どうして 私だけ
 
     みんなと 違うの?
 
 
 
 だから、私は人間になりたかったのよね。
 みんなとおんなじになりたかったのね。
 私を愛する私を作るだなんて、そんな大それた事をしなければならない事に、足が竦んで。
 どうして、私だけ。
 私が私だという事を恐れるからこそ、私はみんなと一緒になろうとした。
 私はみんなと同じ、みんなと同じものを信じて、みんなと同じものを大切にして、ほら、みんな見てよ、
 私はちゃんとみんなと同じなんだから。
 ひとりに、しないで。
 寂しいわ。
 そして・・・・
 
 だからこそ
 私には
 みんなと 違うモノがみえるようになったのかもね
 
 私が私から逃げ出して、みんなの元へと逃げ込もうとすることを、全身全霊で止めようとする。
 そんな力が、私にはあったのよ。
 おまえの寂しさの本質は、一体なんだ。
 おまえはその本質から目を逸らすために、みんなを選ぶのか。
 おまえはおまえの本当にしなければならない事を、誤魔化し続けるのか。
 おまえがおまえに愛されない寂しさを、みんなと一緒にいることで癒せると、ほんとうにおもうか?
 そうね・・
 そうやって、私を弾劾する、私自身が、私を、それこそ私という名の現実に私を引き戻そうとしてくれた。
 ふふ、すごいわよ、ほんとうに、妖をみることで私の現実に気付かされるなんて。
 誰だって、私自身だって、私が妖がみえてその世界に逃げ込むことを現実逃避としか捉えられなかった
 というのに、むしろその認識自体こそが、私が私自身を愛さなければいけないという、私の本当の現実
 からの逃避だっただなんて。
 現実逃避しないことこそ、まさに現実から逃げていることになる、ってことにもなるのかもね。
 私は人間になりたい。
 人間に受け入れられるように頑張りたい。
 そのために人間との付き合いを覚えて、人を思い遣り、気遣い、そのために力を尽くしていこう。
 それが、私が見ていた、そして私の周りにいるほとんどの人達が見ていた、逃避としての現実。
 その現実からこそ、逃避する事こそが、本当に私達自身が向き合うべき現実への帰還。
 なんなのよ、って感じよ。
 溜息すら出ないわよ。
 よく考えたら、当たり前のことじゃないの。
 その本当の現実への帰還を果たすために、必要だったのが、妖をみるという私の力。
 私の異端性。
 そして
 私が、私だという気付き。
 妖がみえるだなんて力があれば、いやでもみんなとは一緒でいられなくなるものね、ふふふ。
 それを私は・・・下手に妖が実体あるものとしてみえるものだから、今度はその妖達に受け入れられる
 ように頑張ってみたりしちゃってさ。
 馬鹿よ。
 大馬鹿よ。
 
 
  でもなんだか・・・
 
    とっても  すっきりしたわ
 
 
 ああ
 
   トンビがまた  あんなに暢気に・・・・
 
 
 
 そして 私も  ゆっくりと大の字に 草っぱらの上で のびていた
 
 
 
 
 ◆
 
 おばあさん。
 ちょっと変わった人。
 たぶん、私のことを知らない人。
 そっと
 私の傷ついた頬に手を伸ばして 優しく撫でてくれた
 暖かいわ
 ええ とっても
 なんだろう・・
 私のためにくれた、その優しさを、そのとき私は、信じられないくらいに素直に受け取れた。
 同時に、それでもまた、その優しさに疑いと不足を感じている私もいた。
 私の寂しさは、ふたつある。
 私に愛されない私の、寂しさ。
 その寂しさを癒してあげなければならないのが、私だけなんだという、寂しさ。
 私の顔の傷。
 鏡に映る、その傷。
 なんで、私だけこんな目に。
 そう思うと、鏡を見たくなくなるの。
 鏡なんて、嫌い。
 でも。
 その傷をそっと撫で、優しく慈しみ、治してあげようと。
 私自身がそう思うと、鏡をずっと見ていたくなるの。
 鏡って、好きよ。
 私の本当に大切なものを、正直に照らし出してくれるのだもの。
 その鏡に照らし出された私が、おばあさんの優しさを、そっと、受け取れた。
 ありがとう
 それは、山を抜ける風よりも涼しく、爽やかなものだったわ。
 そしてそのまま、私はおばあさんの頼みを素直にきいてあげることが出来た。
 ああ
 そうなんだ
 特別なことでもなんでもなく
 激しくもなく ただ ほんとうに
 そのまま
 
 おばあさんは、妖だった。
 人間だと思っていたのに裏切られた、という想いが私の胸を蛇のように締め付けながらも、
 私はね、なんだか生まれて初めて、その締め上げられる胸の中にこそ、しっかりと、そしてなによりも
 清々しく、健気にそれでも咲いている、その花の息吹を感じたの。
 嬉しくもなく、悔しくもなく、悲しくもなく。
 私はちょっと、いたずらっぽく笑いながら、おばあさんに勝負をもちかけた。
 いつものように、ほんとうに、いつものように。
 きっぱりと顔を上げ、その顔を上げる僅かな速度の内に、決然とおばあさんと距離を取ろうとする
 私の惨めな矜恃をさえ感じながらも。
 私は
 やっと
 生まれて
 初めて
 やっと
 言えたのよ
 
 
 私は、あなたのことを、友達だと思っているわ。
 
 
 勿論、その私の声は、いつもの私の勝負を告げる口上によって掻き消されて聞こえなかったけれど、
 でもいいのよ、私は確かにあのとき、自分の中に、この人と友達になりたい、いいえ、この人は私の
 友達なんだって思えた、その私の気持ちを愛しく抱き締めることが出来たんだから。
 私は、私。
 寂しいわね。
 その寂しさに負けそうよ。
 でも、私は初めて、その勝負にこそ勝ったわ。
 だって
 この人のことを好きだと思ったその私のことを、抱き締めてくれた私がもう、いるのだもの。
 もう、寂しくなんか無くなっていたわ。
 自分でも惚れ惚れするくらいに、晴れ晴れとするくらいに、それは楽しいおばあさんへの勝負の申し
 込みになった。
 あれは私と妖との数ある勝負の中でも、五指に入る名勝負だったわ。
 勝負自体は、一瞬でついたのだけれども、だってあのおばあさん、びっくりするくらいにドジなのよ?
 楽しかった。
 私はそれでも、その勝負が終わった後、もうおばあさんとは一緒にはいられなかった。
 私の胸を締め上げる、寂しさという名の蛇の力は、とても強いもの。
 私の名前さえ、あの人に告げることが出来無くなっちゃうほどにね。
 でも
 そんなの もう
 関係無いわ。
 そんな私を もう 私は受け入れたもの
 だから同時に
 私が あの人のことを好きだって気持ちも
 もう 否定する必要が無くなったの
 あの人と一緒にいられなくても
 あの人に名を告げられなくても
 私はそれをもう、悔いも責めもしない。
 そのまま
 だって
 私は私、あの人はあの人なんだもの
 
 
  その私の想うままに
 
     私は 私の中の 大切な花を咲かせていくわ
 
 
 この花は、私のもの。
 誰のせいにもしないし、誰に責められるものでも無い。
 これは、私のよ。
 そしてこの花を、私の大切な友人に贈るわ。
 あなたと一緒にいられない事の寂しさのためにでは無く、あなたと過ごした時間を楽しいと感じた、
 その私とあなたのために。
 求めず、追わず。
 ああ そうね
 これが、一期一会ってことだったのね。
 色々な出会いがあって、色々な出会い方があって。
 そこで出来た関係に、決まった形は無いし、それは永続するものでもさせるものでも無いんだわ。
 それは寂しいことなのかもしれないけれど・・・なんだかとても、自由になれた気がするのよね。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 『 勝手にやってきて、勝手に去っていくものたち。
 
  でも、一度でも触れ合ってしまったら、それは誰に気付かれなくても、心を支え続ける、
 
  大事な出会いなんだ。 』
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ねぇ、ヒノエ、そういうことなのよね。
 私達も今のこの出会いを大切だ好きだって、ちゃんと自分で思えて、それを認めることが出来るからこそ、
 だからいつかはきっと私達も・・・・って、その手を離しなさいよ、鬱陶しいっての! 殴るわよ!
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
                            ◆ 『』内文章、アニメ夏目友人帳 参」より引用 ◆
 
 
 
 
 

 

Back