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◆◆◆ -- 2014年4月のお話 -- ◆◆◆

 

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                                ■■ 豊作ゆめきぶん ■■

     
 
 
 
 
 ごきげんよう、皆様。
 
 さて、本日は今期開始のアニメについてたっぷり書かせて頂きます。
 
 いやー今期はかなりな豊作なので、私はもうほくほくでございます。
 私の趣味に合うのがこんなにたくさん、やめて、もうアニメのことしか考えられなくなっちゃう!
 
 はい。
 ということですのでね、すっかり有頂天になって頭の中のお花畑が満開になってしまっている私の勢いの
 ままにですね、書きたい放題乱れ打ちに書いていきますのでね、絶好調なんでね、覚悟しろよ皆様。
 読まないでいいものがこの世にあるということを、思い知るがいい!
 
 良い子はこんなの読んでないで、せいいっぱい生きてね、私からの忠告だよ。
 忠告はしたからね、したよ。
 
 ということで、以下、今期開始アニメの各第一話を観ての私の感想です。
 あ、今回は私的評価としてABC的なものも蛇足してみました、だいぶ相対評価になってます。
 
 
 
 
 ◆
 
 
 ブレイドアンドソウル:   C
 だいぶなにも考えずに楽しめるアニメに仕上がっていて、余は満足じゃ。
 観るのに一切のストレスを要せずに、それなりにストーリーやのアクションの「進行」を楽しめる。
 簡単に言えば、お酒飲みながらぼーと観てればいいアニメ。 以上。
 
 蟲師 続章:   SS
 絶  句 。
 第二話があまりに圧倒的で、私は胸がいっぱいになったよ。
 なんでこの作者の人はこんな物語が書けるのだろうと、溜息というか、なにかこう、祈りに似た気持ちを
 持ってしまった。 神様ーみたいな。 マジか。
 蟲という特異で不思議な生き物がそこに存在しているという事自体の不思議さと、人の心の機微と
 その動きを非常に深いレベルで繋げていく様は、もうなんと形容していいかわからない。
 どっちかっていうとこの原作者の人は、女性より男性の心の有り様の描き方の方が、随分と深みが
 あるような気がするね。 すんごかったよ、あのふたりの男の心のたてる音がきこえたよ。
 ただただ呆然と、くしゃくしゃになって私は泣きました。
 
 ジョジョの奇妙な冒険 スターダストクルセイダース:   C
 一番感じたのは、おかしいな、無数にツッコミどころはあるはずなのに、マジでなにひとつ突っ込めねぇ!
 ってことだよ、いやなにこれ、どこに突っ込んだらいいかわからないくらいにツッコミどころが多すぎる、
 という意味じゃ無く、ツッコミどころが、そうでなくなるくらいにものすごく説得力のある描き方をされて
 しまっているという意味で。
 簡単に言えば、ふつーにかっこいい。 あれ? ジョジョってこんなんだったっけ?
 というか、既にジョジョとその母親自体が親子漫才をキメまくってるので、そこに全部が吸い取られてるの
 かもしれない。
 たぶん、そういうことなのかもしれない。 どうでもいいのかもしれない。
 
 selector infected WIXOSS:   B
 暗い雰囲気がグッド。
 あとあれですか、双子姉の秘められた愛とかを混ぜ込んで、不穏かつバッドな雰囲気を出そうと
 いうわけですか。
 うん、結構上手くいってると思うよ、主人公のばーちゃんに心配かけないように、がんばって友達作ろう
 という感じとか、さりげなく描いているけどかなり不穏当というか歪んでる感間違っちゃってる感が滲んで
 て、この感触はいいわぁ、ひりひりする一歩手前で、ううんなんでもないと隠しちゃったような、さぁて、
 その隠したものを次に開けたときにはどうなってるのかな、どうなっちゃってるのかな、みたいな。
 不穏だ、不穏すぎるこの作品! 誰もがごくごく「当たり前」の感情のまま「ふつう」に生きてるのに、
 気付けば、一体わたしはどこで間違っちゃったんだろう、みたいな、うわぁ、 お も し ろ い 。
 この作品観てると私自身の悪趣味さをじっくり味わいつつ、同時に、この不穏な感触の中で生きる
 キャラ達に、なにか逆にぬくもりというか共感のようなものを感じるのよね、グロテスクなものへの愛、
 みたいな。 ん? ちょっと違うか。
 
 悪魔のリドル:   S
 予 想 以 上 の 出 来 。
 うあー、マジか、こんなんきちゃったか。
 キャラの魅力というか、キャラ紹介だけでここまで個性を出し切るのはすごすぎる!
 ほんとに第一話は各キャラの顔見せ程度だったのに、たぶんこれ、キャラの設定自体がぶっとぶレベルで
 練り込まれてるんだろうなぁ、如何に人間の「嫌な」ところを凝縮しつつ、それを「エロ」く仕上げていくか、
 ここまで来ると、嫌悪感という名の快感を感じちゃうよ、私は。いや私がMだからじゃなくて。Mだけど。
 この私のいう「嫌な」というのは、そうだなぁ、「心の闇」みたいなものじゃ無くて、自分の中にある、
 自分が一番「嫌っている自分」ごと、相手を徹底的に切り刻む、という感じね。
 強烈な自己嫌悪の発露であり、強固な自罰であり、そしてその嫌っている自分を切り捨てることで、
 残りの「素敵な」自分だけは生き延びようとする、そんな切実であり、自滅的破壊的な感触。
 うーあー、こいつらほんっっと自分のこと大嫌いなんだろうなぁっていうのが伝わってきて、すっごい嫌な感じ
 がするし、空恐ろしいし、けど、そこにガチでのめり込む様が最高にエロい。 
 というか、その「エロさ」がそれぞれのキャラ造型の根幹を成してる気がするわけよ、わたしは。
 んで、そんな連中のなかに、あれでしょ、イカちゃん健全そうな女子がひとり投げ込まれるわけでしょ?
 おそろしすぎて見てられんわ! ←指の間からばっちり観ながら
 もっとも、現時点ではその女子こそが素人で標的なのは正解なんだけど、実は最も凶悪で、暗殺者
 連中の方がばっさりいかれちゃうような気がするのだけれども。
 あとこの杉田はむかつく。 死ねばいいのに。(ぉぃ)
 
 FAIRY TAIL新シリーズ:   D
 駄目だこりゃ。 ←頭を抱えながら
 うーんうーん、絵柄が変わるとこうも違うのかー、演出も微妙に変だし、んー、んー、んんー。
 なんというか、この作品って、色々なレベルでの「お約束」が支えてたんだなぁと今更ながらに思う。
 いまのとこ、この新しい絵柄と演出で面白いところを魅せてることに失敗してる気がするし・・・
 つか、 な ん か 暗 い 。
 この作品は、どんなに暗くて絶望的な展開になっても、それこそ「お約束」のようにキャラ達がそこから
 這い上がり、ぶっ飛ばし、うわーって叫ぶ、そこにこそ良さがあると私は思うのね。
 だけど、こう全体の雰囲気を暗い感じにしてしまったら、なんか違うじゃないですかー。
 もうちょい、なんとかして欲しいでござる。
 
 魔法科高校の劣等生:   D
 ス ー パ ー コ ン ト タ イ ム 、 開始。
 大 爆 笑 。
 まずい、笑いが止まらない、死ぬ死ぬ。
 なにこの徹頭徹尾完全に開き直った俺様最高兄様は、やめてよね、真顔でそんなボケられても!
 実はすんごい能力持ってる超優等生なんだけど、ゆえあってそれを隠して劣等生として入学、
 でも能ある鷹は爪を隠すもんなんだぜ、チラっ、と爪をこれみよがしにチラ見せして、ふっ、と笑うとか、
 やめて、死ぬ死ぬ、お腹痛い、ひぃひぃ、もうやめてー!
 おまけに妹だけは兄様の才能を知ってて、兄様が差別されるたびに兄様のすごさを以下略、そして
 その妹を優しく労ってる俺かっこいい、みたいな、そして妹は兄様にうっとりとか、ああ、おまえら
 馬鹿なんだろ、すっごい馬鹿なんだろ、お腹痛い、兄様も馬鹿だけど妹もだいぶ馬鹿だこれ。
 そんな耽美(笑)コントを展開して、周囲は突っ込むかと思えば、おまえらも乗っかるんかい!
 ああだめ、こういう系のボケは久しぶりすぎて、笑うのに容赦がなくなっちゃう。
 『最も差別意識があるのは、差別を受けている者である、か。』って、そりゃおまえの事だろがーっ!
 ああもう、この作品のツッコミ待ちスキルがあまりに高すぎて、お腹痛い。
 兄様も妹も「罪悪感」を元手にして互いを利用してるだけの関係で、愛もくそも無いんだけど、
 というかこの兄妹の関係って、ほぼアル中の夫(依存症者)とそれを支える妻(共依存者)と一緒
 の構造を持ってるように見えるんだけどその辺りを一切無視して、愛情の問題に仕立て上げるやり口は、
 あまりに乱暴すぎて、逆にまぁこの世界ではそういうもんなんだろ、という受け入れを私に引き起こさせて
 くれる、つーか、もうコントにしか見えない、お腹痛い、死ぬ死ぬ。
 
 それでも世界は美しい:    D
 これはまた・・難しいとこきたな・・・
 ぶっちゃけ、第一話の時点だと全くの駄作だと私は感じたんだけど、一話のラストを観る限り、第二話
 以降なにやら面白くなっていきそうな気配はあるのよねー、さて、どうしたもんか。
 ほぼ庶民なお姫さんが、結婚相手のショタ(おそらく陰険)王様とどうバトっていくのか、すごい楽しみでは
 あるんだよね、この手の話は私はどうやら好きらしいので。
 ポイントは、どれだけお姫さんが女子の「理屈」を唱えられるか、かな。
 このお姫さんをヒーローにしたり、逆に王様側の論理に隷従するだけにしたりではない、それこそガチで
 王様とやり合う中でお互いを高め合っていく、そういう女子男子対等なお話にしていって欲しいナ。
 そしてそれに応えられる、素敵で魅力あるショタ王の成長に期待! がんばれ男の子!
 以上、妄想でした。
 
 極黒のブリュンヒルデ:    C
 ま さ か の 腋 フ ェ チ 宣 言 。 (違)
 笑った笑った、あーあんなに力一杯な宣言は爽快すぎる!
 そして、既に方々でネタになっている、まさかの九九に対する珍回答!
 あのセンスはいままでなかった、最高です、これはもう伝説です!
 あー全然ギャグ作品じゃないはずなのに、この一発ギャグは今期で一番笑ったよ。あはははははh
 ただ、逆に他の部分への取っ掛かりの無さが際立ってしまったかなぁ、いやこの作品はかなり物語の
 語り口自体に色々かかっているのはわかるから、まさにこれからなんだけど、それにしても、第一話で
 ここまでなにも盛り込まないのも、ちょっと不安。
 というか誰かあの天然セクハラ主人公を止めろ。 ←ニヤニヤしながら ぉぃ
 余談だけど、私はスク水属性は無いはずなんだけどあれはちょっと反応した、うむ、悪くない。
 まぁとにかく、二話以降も続けて見てみるです。 腋とか。
 
 ラブライブ!第二期:   B
 いやあの、私、てっきり夢オチだと思ったのよ、そしたらなに?、え、ほんとなの?
 ほんとにあの子が生徒会長なわけ? え、あれでいいの?
 みたいな感じで、割と冒頭からぽかーんとして観てたんですけど、えっと、このアニメってこういうんだっけ?
 とか思ってたら、基本全然一期と同じだった、あー、うん、もうどうでもええわ!
 という感じで、はい、ラブライブ再び始まりましたというノリのまま、全開ですっ飛ばしていくのかと思いきや、
 早速プチシリアス、かとおもいきややっぱり元鞘でした、みたいな。
 あ、うん、ごめんね、正直、疲れたよ、こういうジェットコースターみたいなの、年寄りには色々こたえる
 んじゃよ、ふふ、ふふ、あー、たのしかった、また乗ろうっと ←魂遊離中
 
 一週間フレンズ。:   A
 正直、 こ の 作 品 を 認 め る の が な ん か 悔 し い 。
 いやーなんだ、この私の心理は、なんかこの作品が良いのはわかるんだけど、すげーっておもうんだけど、
 それを私の中で、じゃあこれを好きって私が言うのか?、高い評価を与えるのかっていうと、なんか違う、
 なにかが引っ掛かってる、なんだろう、よくわかんにゃい。
 なんかこう、にゅるっと・・・・そう、なんかこう、私の手からにゅるっと抜け出してしまうような、
 ひとつひとつ丹念に描き出していってるんだけど、それはこう、この作品自体という作り手がそれを全部
 担っちゃってて、視聴者としての私が担える部分があんまないんだよねー、というか。わかるかしらん?
 悪くない、むしろすごい作品なんだけど・・こう、「私の作品」になんないっつーか、ちょっと距離があると
 いうか・・・・なんか、私のものじゃなくて、人のものみたいな・・・あー・・・なんか、せつないかんじ。
 私のものにならないんじゃ、いいよもう、みたいな、誰がいいなんて言ってやるもんか、ばーか、みたいな。
 でもこう、もじもじと柱の影から覗いてる、みたいな、あー・・・・・ちょっとこの頭割れないかな(落ち着け)
 もっと簡単にいうと、オタク的に俺の嫁みたいな感じで萌えたり共感したり感情移入するのが、なんか
 出来にくいってことだね。 なのにキャラの感情だけが一方的にこっちに流れ込んでくる。 
 うあーもどかしい、うあーうあー。 ←なにやってんでしょうね、この人は
 
 星刻の竜騎士:   D
 現時点では、ぶっちゃけキャラの問題だと思う。 魅力的なキャラがおらん。
 それはそれで逆にすごいけど、だからまぁうん、キャラ自体はこれからまだどんどん新しく登場するっぽい
 ので、それを観てから再判断してみるのがベストな気がする。
 というか、第一話の時点では、なんともかんとも。
 
 魔法少女大戦   D
 女 の 子 は か わ い い の に な ぁ 。
 それを損なうに余りある他の意味不明なキャラの威力が高すぎる。(自爆的な意味で)
 えーと、べつに私は世界観が謎とか、不条理とか、説明不足とか、そういうのは全然へーきなのよ、
 けどさ、あれはないでしょう、キャラ自体の存在理由が意味不明すぎる、マスコットのようなゆるキャラの
 ような、たんに雑に取ってつけただけのようなアレ、なんだろう、もしかしてこの企画考えた人、このアニメの
 こと嫌いなのん? 潰したいのかしらん?
 というか・・・これ以上なにも思いつかないなぁ・・・二話以降も変わらなければ、視聴打ち切りですな
 
 ブラック・ブレット:   B
 うなじがいいね。(きいてない)
 ロリとおねーさまのうなじがよかった、それが最大の感想。 
 黒髪ヒロインの人はなんか隙があるエロさを湛えていて良かったね。
 残念ながら蹴ったり蹴られたりな私の趣味を満たす方向性では無かったけど、この三人の女子のそれ
 ぞれの有り様が結構それぞれに存在感と、たのしみ方があったので、合格点をあげよう。
 ただもう少し、その分主人公男子に頑張って欲しいところだけれどもね。
 そして私はおねーさま@甲斐田裕子にアビスに招待されたいです! 甲斐田裕子さんは私の好きな
 声優さんです! 久しぶりにおねーさま役ありがとうございますっ! 大変素敵でございました!
 あとロリの人は、ロリというよりはありゃ、子どもだね子ども、子どもががんばっておしゃまなことをいったり
 やってるかわいらしさ、というか健気さを含む「可愛げ」が、結構この作品の肝になってる気がしたな。
 「子ども」っていうのがテーマというか、割と残酷な設定なんだけど、その中で「悲壮」に頑張るという
 意味での健気さでは無く、単純に自分は自分であり、周りがどう言おうと、ひとりの子どもとして、
 隣にいる年上の男(主人公)に追いつこうと背伸びする、その「子ども」らしさとしての健気さ、
 それは大人視点から観た「子ども」では無く、子ども視点から観た等身大としての、「子ども」という
 適応力のある存在の可愛げをこそ、こう、観ている私達が私達自身の中にもあることを感じるたのしみ、
 というのがあるよなー、なんて、思ったりしました、あと世界観も良いよね、割と次回以降がたのしみな
 作品っす。 あと小山さんはさすがでした。
 
 ソウルイーターノット!:   A
 まさかの百合三角関係、勃発。
 まぁ、それは今後のおたのしみとしてですね。
 なんというか、主人公の独特なノリがよかったのですよ、なんかこう、ポジティブとかネガティブみたいに
 すっぱり割り切れる性格じゃ無いんだけど、こう、すーっと、現実に馴染んでいける、でもそれは適応力
 が高いんじゃなくて、彼女自身がすごく「現実感」を持って生きている、すなわち、生々しい感情を
 持って生きている、言い換えれば、「今」を生きているから、というように、私には見えたのね。
 こういう子と、じっくり話が出来たら、きっとたのしいだろうなー、って感じがするし、今なにを感じて、なにを
 どう思ったのかとか、こっちがしっかり聞く気持ちで受け入れたら、どこまでも彼女自身の話をしてくれる
 だろうなぁ、そこには常識とかみんながそうだからというのが無い世界、はー、私はこういう子好きなんよ。
 自分で考え、自分で感じて、それを表現出来る、なんだか、あれだけ見ただけで、そういうものを
 予感されるものを、あの主人公の子を使って、見事に描き出すことに成功していたように思う。
 その主人公を軸にして、残りふたりの女子(ツンデレ娘と天然ボケ子)とそういった素の関係が築かれ、
 それが描かれていくことを、私は切に願っている。 真面目か! (いいえ、ひとつの萌えです)
 
 棺姫のチャイカ:   S
 こういうのを、素直に、素晴らしいと言いたい。
 取り立ててここが凄いというのは実は無いんだけど、全体的に妙にすーっとすっきりするというか、
 ものすごく喉越しが良い感じがして、しっとりと全部が私の中に浸透してくる。
 構成要素として、ヒロインのカタコト饒舌ぶりとか、主人公妹の微妙にアホなところとか、山中で行き遭っ
 た人喰い(?)ユニコーンの不気味さなどなど、レベルの高いところはあるのだけれど、むしろそれらを
 非常に素直に作品の中に流れとして添わせているところにこそ、この作品の真の味わいがあると、
 私は感じている。
 ひとつひとつの芸が細かく、乱れが無い、ボケとツッコミも非常にジャストフィットしているし、萌えやかわい
 さというよりは、なんだろう、お!、っと思わせるようなキャラの所作言動そのものにこそ魅力がある。
 派手なアクションや演出があるわけじゃ無いんだけど、キャラ自体のあらゆる「動き」そのものを見ている
 だけで面白い。
 そして今更気付いたけど、原作者は「すてぷり」や「アウブレ」の人なのよね、だからなのか、世界観、
 というより、世界の描き出し方が非常に上手い、つまり、一部を見ただけで、世界全体の雰囲気を
 感じられるような、説明なんてほとんど無いのに、すっと引き込まれる、これは語り口そのものの妙な
 気がするね、しかもその語りは説明的言語では無くキャラの存在そのものを通して為されてるんよね。
 とにもかくにも、今期で一番、作品世界にひきこまれる楽しさを堪能出来た作品です。
 それと実はこの作品のキャラの瞳って、妙に存在感あるのも特徴。いやデカいとか星とかじゃなくて。
 なんだろ?キラキラしてるわけじゃないんだけど、なんだかとても美しいのよね、描き込みが多いのかしら?
 あと、銀髪黒眉は、あり。 うん、あれは、ありだ。 大いに励み給え。
 
 エスカ&ロジーのアトリエ 〜黄昏の空の錬金術士〜:   D
 まず最初に言っておく。
 ヒ ロ イ ン の 声 が 高 す ぎ る 。 
 うあー、なんか合わないよー、語尾がきぃきぃしすぎよー、これのんのんのほたるんの人よね?中の人は、
 でも合わない、これは合わないよー、悪い意味で、作品からとっぱずれちゃってるよー。
 内容的には、可もなく不可もないけど色々足りないなぁ、というところ。
 もっとこうなにか無いと、これじゃ見続けるのは苦痛かもねぇ、一応、もうちょい様子見が妥当かしらん。
 
 ご注文はうさぎですか?:    B
 ヒロインの子が、のんのんのなっつんが巫山戯てぶりっ子してるように見えて仕方無い!
 とまぁ身も蓋も無い第一印象でだいぶげっそりいったんですが(ぉぃ)、やはり内容的に色々期待して
 いたほどの威力は無くて、正直いうとちょっと残念。
 もっとこうこまめにボケていいから!、遠慮しないで突っ込んでいいから!
 んで、かわいいとか萌えかと言われると、んー、なんだろう、それもちょっと違うかなぁ、ただこう、なんだろ、
 ハムスターがくりくりと一生懸命に動き回ってるのを眺めてるときのような感覚というか、見てて飽きない
 というか。
 色々とちぐはぐ感もあるんだけど、なんだろ、まとまってないんだけど、その雑多感はそれはそれでいいと
 いうか・・・上手く言えないなぁ。
 ぐっとひきこまれてがっと笑ったりたのしんだりすることが出来ないくらいに、微妙にぶったぎれ感があるんだ
 けど、なんだろ、一場面一場面だけを取り出して楽しむことは可能というか、これ、原作は四コマなの?
 ただ後半ヒロインふたりがお泊まり会するときの感触はよかったなー、ちゃんとお話したり出来るかなぁとか、
 そこら辺はちょっと共感したかなぁ、あとさびしくないさびしくないとか、わかるわかる、わかりすぎて死ねる。
 評価としては、全体的にもっとまとまりがあればかなりな傑作と言えるけど、まとまりが無い分、傑作化
 に失敗した、でも傑作と言えるかどうかとは関係無く、たのしみ方次第では色々と引き出しのある作品、
 という感じでしょうか。
 もっと正直にいえば、私は結構好きな、この作品。
 主人公ヒロインの瑞々しさ、妹(?)ヒロインのゆっくり打ち解けていく感触なんかは、時折こう、
 胸をせつなく、はっと、暖かく染めてくれるのが素敵で、そっとやさしく抱き締めてあげたくなっちゃうね。
 
 龍ヶ嬢七々々の埋蔵金:    A
 これは近年見ない異色作、と言ってもいいのではないかな。
 設定とかアクションとかなにかそういう派手なものがあるわけじゃ無いんだけど、キャラの言動の間合い
 というか、ある種の「法則性」が独特なのよね、この作品って。
 それは奇っ怪な言葉遣いをするとかいうものじゃなく・・・なんだろ、お約束的な掛け合いじゃ無いという
 か、このタイミングでこれを言ってこれを言い返す、というのから外れたタイミングでこう当人の本音を
 さらっと出したりとか、こうしようああしようと言ったりとか、ええと、わかるかな?わかりませんよね、うん。
 声優さんの喋り方自身も、なんか微妙に意識してなにかのタイミングを外してるようにきこえるのよね、
 なんか演劇的というか、でも私達の知らない種の演技というか・・・
 人間同士(ひとりは幽霊だけど)が会話しているようで、なんだか互いの気持ちや感覚を含めた「謎解き
 」をしているような、色んなピースをこれでもないあれでもないと、はめたりはずしたりしてるような。
 観てるこっちの受ける感触としては、すっごい、ドキドキする。
 他人と接触するって、こんなに興奮するものなんだっけ、というなんだかものすごい根本的なところが
 揺さぶられるような気がするのよね。
 演劇的といっても、決して大仰でも奇をてらったものでは無いし、普通に観たらなにも変なところは無い。
 でもなんだろ、主人公男子とヒロイン幽霊の掛け合いのどちらの立場に私を移入しても、すごい興奮
 するというか、浅く入ったり深く潜ったり、駆け引きでは無い互いの「体の中のぶつけ合い」みたいな
 ものがぱーっと広がってて、うん、物凄い濃密な感触を私は感じた。
 あるいは、一目惚れも恋すらも無しで一瞬で互いの色々なもの、それはおそらくお互いの「間合い」を
 分かり合ったような関係性を築いてしまったような。 観てて、圧巻以外のなにものでもなかったのん。
 たんにノリがいいというだけでは無い、ある意味の行間を独特の手法で埋めきった作品かもしれない。
 勿論、キャラ同士の掛け合いだけじゃ足りないので、補助的に作品の演出や語りなどもあってこその
 この出来だと思うけど、こういうのって、次に続くかどうかが勝負の分かれ目ね、二話以降このレベルが
 保たれれば、これは今期一の奇作になると私は予言するよー、うん、おもしろかった。
 あと現時点で、今期の男子陣の中でこの主人公男子が一番魅力的。 いったれ、いったれ!
 
 犬神さんと猫山さん:   判定不能
 今期一の問題作。
 というか、 変  態  だ 、 変  態  が  い  る 。
 百合ギャグ変態アニメ、ここに降臨。
 あわわ、なんか私だけ取り残されて、ど、どうしようって周りを見渡しておろおろしてるよー、なんだー、
 これはなんなんだー、なんでこの犬のお嬢さんはこんなに健全そうに変態できるんだー、なんだこれー。
 観てるこっちが恥ずかしいを通り越して、ほんとどうしたらいいのかわからなくなるぞこれ、なんだこれ。
 これこそ真のツッコミ不能作品なのかもしれないけど、全方位に気張ってツッコミ入れてるキャラ(中の
 人はゆるゆりの京子ちゃん)に申し訳無くて、こっちも頑張って突っ込もうとするんだけど、おろおろ、
 これ、突っ込んでいいのかな、これ、どうしよう、おろおろ。
 なに言ってんのかさっぱり自分でもわからないのだけど、つまりは百合のお嬢さんが一方的にもう片方の
 お嬢さんに迫る(というかセクハラ)んだけど、片方は突っぱねる、と見せかけて割りとまんざらでも無い
 かもしれないいや違うもん!という、ちくしょう、おまえら結婚しろよこら!、と言ってる間にも変態の
 お嬢さんは加速度的に以下略。
 一度、皆様もご覧あれ。 (爆弾を投げ渡した気分)
 
 
 
 
 以上、今期アニメ感想でした。
 まだ視聴予定として、デート・ア・ライブUシドニアの騎士 メカクシティアクターズの三作が
 未視聴で残っているのですけど、余裕がありましたら、追記という形でのちほど本稿に記載させて
 頂く予定です。
 
 追記:
 
 デート・ア・ライブU:   B
 甘ったれ女子共が真面目な男の子にひたすら甘えまくるお話。
 私も堂に入った甘ったれなので、これはもうごろにゃんさせて頂きました、ふいー、極楽、極楽。
 甘えというのはすごく大事なことだと私は思うのよね、甘えられれるという事自体がまず、自分が甘える
 ことを自分に「許す」ことが出来るという意味で、非常に自己肯定感があると言えるし、健全な自尊心が
 あるということだと思うのよ、言い換えれば自分には甘える価値がある人間だと思えているという事だと
 思う。そうした自分を許し認めることが出来るということが、自分を信じることが出来、そして他人を信じ
 ることが出来それが豊かな人間関係を築いていく礎になる。
 そしてそうした事が出来るようになるためにこそ、最初に甘えられる相手がいる、すなわち甘えることを
 許してくれる人との「出会い」そのものが、すべての健全な人間関係の第一歩になる。
 そういう意味で、人間不信世界不信のど真ん中にいた、異次元から舞い降りてきた孤独な少女を、
 デートしてデレさせる、というこの作品のコンセプトそのものが、ひとりの人間の成長物語になってるように
 私には思える。
 少女達が、自分を受け止めてくれる人の存在を実感し、それを試すなどしつつ安全であることを確信
 していくにつれ、やがては相手にもまた、自分に甘えて貰いたいという対等な意識が芽生えていくの
 だろうし、そうして自立していくのだろうなぁ、あー、自立ってほんと、人とどうやって信頼関係を豊かに
 築いて支え合っていけるかってことだよなぁ、ひとりで全部やるとか人に頼らないとか、それはただの孤立
 だよね。
 甘えられない、自分には人に甘える価値が無い、甘えてたら自立出来ない、なんていうのは、それ自体
 がもう既に、自己肯定感の欠如、自尊心の低下を示しているし、病的だと私はおもう。
 不健全な人ほど人に甘えられなくなるし、健全な人ほど人に甘えることが出来るのかもしれないなぁ。
 孤独な己が人や世界に抱き留められて生きていく感触に暖められて、私は涙を流す、私にとってこの
 作品は最泣きアニメのひとつなのよん、そして私は十香萌えなのである。 十香かわいいよ十香。
 
 シドニアの騎士:   D
 う、うーん。
 面白いか面白くない以前に、これは私の趣味じゃないのかなぁ、という感じかしらん?
 映像技術的に、ほー、と思えるところは散見されてはいるので、そこを考えればもうちょっと評価だけでも
 上げてもいいのかとは思うのだけど、私の趣味かどうか、ぶっちゃけ私が面白いか、という私をメイン基軸
 に据えて考えた場合、うーん、ううーん、という感じなんだよね。
 基本的に私はキャラ重視なので、そのキャラに私が「魅力」を感じられないと、うーん、って感じ、まぁ
 もっと簡単にいえば好き嫌いの問題なのかな。
 この作品の世界観とか思想的なところは正直に言えばあまり好きじゃないし。。
 ただ逆にいえば、こいつおもしろいなと思えるキャラが出てくれば、掌とかその他とか全部ひっくり返して
 GJとか言い出す可能性もあるので、もうちょい視聴継続してみるです。
 あと実は微妙にこの先どういう展開になるのかという意味で、ストーリーそのものには興味あったりする。
 
 メカクシティアクターズ:    A
 ひきこもり男子が画面の中の女の子におちょくられるお話。
 おちょくり女子@ニャル子さんのクオリティがもはや芸術レベルで、拍手すら出来ないよこれ、すごすぎる!
 もうこのおちょくりだけ延々とやって頂きたい!暴言とか毒舌とかそういうのでは無く、真実「おちょくる」
 という言葉だけで構成されていて、これはほんとにこれだけでもたのしいなこれ、おちょくりCD出たら
 買うよこれ!(ぇー)
 ていうかおちょくり女子さんや、あんたご主人のことヒキニートネタで散々おちょくってるけど、あんたも
 某作品で某ひきこもり女子の某ささみさんやってたんだからね! なんだこれ。
 そしてこのおちょくり女子っぷりは、ご主人にまとわりつくような、要するにこの子ご主人に構って欲しい
 んだなみたいな可愛さがあるし、同時にご主人のひきこもり男子もまた、基本おちょくりにこてんぱんに
 されっぷりなのが可愛げがあってよし。全くしないわけじゃないけど、基本ツッコミでやり返すタイプじゃない
 のよね、この子。
 そしてライフラインであるPCのキーボが壊れてしまったので(原因はおちょくり女子)、しかたなしに一年
 ぶりの外出の決行っぷりがまた面白いというか、チャーミングというか、ただでさえ他の人の目が気になる
 中でおちょくり女子におちょくられながら目的地に向かうとか、ハードル高すぎんだろ!つかイヤホン外せ
 イヤホンを!あんたマゾか!あ、そうかそうなんだな!よし!(ぉぃ)
 お話は途中で急に雰囲気が変わってなんだかなぁな展開になってくのが、少々残念だし、今後が不安
 だけど、前半のおちょくり的なネタだけで高評価すぎるし、それをこれから上手く使えていけば、結構面
 白い作品になっていく気がする。
 基本演出はまどマギタイプで、随所にしつこいほど化物語的な演出をちりばめてる感じなので、
 シャフト的にはけっこう斬新な味わいもあるので、そういう点でも注目していきたいね。
 
 追記は以上。
 
 
 ここまで読んでくださった方は、きっともうどんなヲタクの妄想にだって付き合えます、私が保証します。
 
 
 はい。
 今期は私の感じでは、蟲師がやはり断然ですね。
 そして悪魔のリドルと、棺姫のチャイカもこのペースでいってくれればかなりな傑作かと。
 他にも感想で述べたように、たのしめる作品が今期は揃っているので、ほんとに私はテンション高い。
 どんとこい、どんと。
 
 
 
 ということで、今回はここまで。
 ごきげんよう。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

-- 140407--                    

 

         

                                 ■■ 〜ごめんね〜 ■■

     
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
      〜  劇場版 魔法少女まどか☆マギカ「新編」叛逆の物語BDの視聴体験として
                                                    *ネタバレ有り
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 真っ暗だった
 生きている
 ただほっそりと、でも息を飲むほど静かにでは無く、ただ、呆然と。
 
 
 生きている。
 生きている。
 いきている
 叫びたくて、泣きたくて、どうしようもなくて。
 なにもかも投げ出したくて、そのまま、ほんとうに、止まってしまう。
 静寂。
 静かになったね。
 よかった
 これで、苦しくない。
 もうおそろしくない。
 不安で、真っ暗で、闇の中で、それでも一番こわいのは、光だった。
 あたたかくて、やわらかくて、抱きしめられたいほどに、それは罪深くて。
 わたしが悪いんだ、わたしが、わたしがただ、わたしが・・・
 
 罪が私を責め苛みながら、心地良さを感じている。
 気持ち良さを感じるたびに、罪悪感が私を締め付ける。
 見えていた光を閉ざすことにばかり囚われている私を、一刻も早く叩きのめしてしまわなくては。
 だれかに知られる前に、あの子に見られてしまう前に、私が、わたしが・・・
 
 
 
 
 
 
 
 どれくらいの時が経ったのだろう
 静かに揺れている、木陰に差し込む木漏れ日のように、私自身が光となったように。
 抱き締めて、慈しんで、いったい、なにを・・・だれを・・・
 燃え上がるような理不尽な高まりが、胸の奥を突き上げる。
 その激した鼓動を力に変えて、手を伸ばして、あらん限りの力を尽くして、あなたを・・・
 
 いったい、なにを見失ってしまったんだろう
 どうして、思い出せないんだろう
 記憶が凍りつくまえに、溶けて流れてどこかへ消えていく。
 私はそれを呆然とみている。
 手を伸ばすことも出来ず、足掻くことも出来ず、ただすべてが終わってしまったかのように、呆然と。
 真っ黒に塗り込められた光が、ただ行く末を阻む壁のようにして立っていた。
 まるでその先には行ってはいけないかのように、その先には行きたくない私を止めてくれるかのように。
 消えていく、きえていく、なにかがどんどん失われていく。
 なんだろう・・
 なんだろう・・・・
 わたしは・・・・・
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 夢を見ているのよ。
 夢をね、ちょっとだけ。
 ううん、そうよ、私は今、夢の世界の中にいるのじゃないわ。
 
 わたしは今、夢を見ているという私の現実のなかを生きているのよ。
 
 しあわせな夢だった。
 わたしのしたいこと、したかったこと、笑顔、優しさ、愛情、友情、平和な日常、ぬくもり。
 みんな、みんな、わたしの願い、それがみんなしあわせに手を繋いで踊っていた。
 でもちょっぴり恥ずかしくて、だって踊ったり歌ったり、今までの私からしたら、とてもじゃないけどできない。
 そんなこともでも、できた、できちゃった、うれしくて、えいっとひとつの掛け声だけで、できてしまった。
 うれしい
 しあわせな夢だった。
 欲しくて、欲しくて、死ぬほど欲しくて、どうしても、どうしても、命を懸けてでも欲しかった。
 でも、私は現実を生きたかったのよ。
 夢じゃない、幻じゃない、ほんとうの、わたしの現実を。
 だから、その現実のなかで、しあわせな夢を見るのは、いいのじゃないかって。
 毎日たいへんだけど、辛いこともあるけれど、がんばって生きて、しっかり生きて。
 そうして一日のおわりに、暖かく布団にくるまれて、おやすみなさいの優しいひとことを枕元に添えて。
 しあわせな夢を見る。
 私の求めているものが、この辛い現実を生きている中で求めている、それはいつも見失いがちになって
 しまうものだけれど、こうして一日の終わりに、絶望の淵の中で、私に教えてくれる夢の時間がある。
 
 それはなんの問題も無いことだった。
 それで、よかったとおもう。
 わたしはね・・・わたしはね・・・きっと・・・
 この世に生まれてきた瞬間にみた、あの美しくも優しくて暖かい世界を、もう一度手に入れたかったのよ。
 人はだれしもきっと、生まれた瞬間が、一番幸福で、そしてまさに現実と夢が一致しているのよ。
 時が経つにつれ、私達はその瞬間のしあわせを、忘れていく。
 それはもしかしたら、周りの世界の影響の問題かもしれないけれど・・・
 
 でもきっとそれは、私達自身の問題なのかもしれない。
 
 私の中のなにかを、この世界の中に映し出していく。
 それを、世界と呼ぶ。
 だから、たとえ他者がどうであっても、私の中のなにかさえ守り、あるいは変えることが出来れば、
 いつだって、いつでも、私の目の前に広がるこの世界を暖かく塗り替えることはできる。
 絶望と希望は、いつだって、わたしのなかからやってくる。
 かつて生まれたての赤ちゃんだった私こそ、希望に溢れた世界を自分自身の中に持っている。
 それを守り、慈しみ、そしてそれをさらに洗練し高めるためにこそ、私自身を変えていくこと、それが、
 私たちが成長し、大人になっていくということだった。
 
 だから、思い出す。
 希望に満ち溢れていた、私がこの世に現れた瞬間の、そのときの愛しい記憶を。
 夢。
 私の願い、わたしの望むもの、わたしの求めるもの、それを教えてくれるもの。
 時を経て、傷つき、汚れて、積み重なっていく絶望で見えなくなっていくものを、必死に掘り出して。
 それは、至福の作業だった。
 とめどなく、涙がこぼれ落ち、微笑むことを止められない。
 どれだけ・・・どれだけ、わたしが傷ついてきたのか・・・
 それはまさに、私が喪ったものたちと向き合う体験だった
 傷つき、傷付け、傷付けられ、消えていった、喪っていった、たくさんの私の願いたち。
 自らを取り巻く歪んだ世界観に阻まれ、私はわたし自身の欲望を満たすという、私自身の生の機会を、
 ひたすら失い続けていた。
 そういう人生だった。
 その私の人生という名の、ほんとうの現実を、私は受け止め受け入れなければならなかった。
 
 
 つらかった
 
 
 こわくて、こわくて、すべてを忘れてしまいたくなった。
 だって、だって、私は、わたしはあの子のために、がんばらなくっちゃって・・
 私は駄目な子、悪いのは私、だから、だから必死に今まで・・・すべてを犠牲にしてでもって・・・
 その私のおもいこそが、私の厳しくも、甘い世界観を生み出していた。
 それこそが、幻想だったなんて。
 私がわたしのために、私の求めるもののために、私自身の欲望を受け止め受け入れ、それを満たす
 ためにこそ我が身我が生を守り、愛し慈しみ、そして・・・
 その私の人生の責任を取らなければいけなかった、それこそがまぎれもない私自身の現実だったなんて。
 
 私はただ、罪悪感という現実逃避に塗れていただけだった。
 
 こわい
 夢がこわい
 しあわせで、あたたかくて、だきしめられて、みんな優しくて、たのしくて、うれしくて。
 それを感じて流す涙と微笑みの正体に、気づかないではいられなかった。
 しあわせを感じて流す、私の嬉し涙は・・・・
 私がそのしあわせを今まで全く得ることの出来なかったという、わたしのかなしみの涙だった
 あたたかさを感じでこぼす、私の微笑みは・・・・
 私がそのあたたかさを今まで全く感じることの出来なかったという、わたしのさびしさの微笑みだった。
 
 その悲しみと寂しさが、胸を引き裂く。
 希望の光を求めれば求めるほどに、絶望の闇が色濃くなっていく。
 わたしはわたしの現実を受け止められない。
 おそろしくて、この身が砕け散ってしまうほどに、それは私に重くのし掛かってきた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 忘れてしまえ
 夢なんか壊れてしまえ
 
 私がなにも求めなければ、私がなにも願わなければ・・・・
 心を閉ざす、静寂が訪れる。
 けれど、私の中のなにかは、その蠢動を、猛らせる。
 気付けば私は、あの子のためにこそ、動いている。
 動く事を、戦うことを、求めることをやめられない。
 止めることができない、諦めることができない、ああ・・・
 だれか私を罰して
 だれか私をころして
 
 
 ああ・・そうか・・・
 わたしは・・・・わたしを止めるためにこそ・・・こんなにがんばってるんだ・・・
 わたしは、死にたいんだ
 わたしを殺したいんだ
 ボロボロになるまで傷付けて、なにもかもわからなくなるまで、戦い続けて・・・
 こんな馬鹿なわたしを、愚かで罪深い、大切なわたしの体と心を痛めつける、そんなわたしを・・
 
 だれか ころして頂戴
 
 
 
 
 
 さびしいなんておもうものか
 かなしいなんていうものか
 認めない、私はわたしを認めない。
 許さない。
 その私の思考自体が、私の罪だというのに。
 構わないわ、それでもいい。
 罪ならなんでもいい、どんなことをしてでも、私は・・・・・・
 
 それでも私は なにかを求め続けることをやめられない・・・
 
 私が求めているものは、きっと私がずっとずっとそう思ってきたものとは、違うものなのかもしれない。
 私は、ほんとうにわたしが求めているものを知らないのかもしれない。
 私がこんな風に自分を傷付け、自分の現実から逃げ回ることしか出来ないのは、もしかしたら
 私のせいじゃ無いのかもしれない。
 もしかしたら、私は、そんな私でさえ、許さなくちゃいけないのかもしれない。
 ひとりで、抱え込んではいけないのかもしれない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 でも
 
 
 
 
 じゃあ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 どうして
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 わたしの目には
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 だれの姿も映らないの?
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 どんなに自分を責めても、どんなに許しても、わたしはひとりぼっち。
 ひとりじゃ駄目だよって言われても、どうしたらいいっていうの。
 どんなに足掻いても、だれも私の目に映る、私の目の前の世界にはいなかった。
 だれも、私のそばにはいてくれなかった、いいえ、たとえ誰かがそばにいてくれたとしても・・・
 私は、その人の存在を、ぬくもりを、受け取ることができなかった。
 そうよ・・・きっといるのよ、ちゃんと初めから、最初の最初から、私の世界には他の人達はいるのよ。
 そうして、ちゃんと、私を愛し、私を慈しみ、抱き締めて、一緒にいてくれていたのよ。
 
 私は、それを受け取れない。
 
 ああ
 そっか
 
 
 
 だから
 悪いのは    わたしなんだ
 
   うれしいな
  
 
 
 
 
 
 
 どうして受け取れないかなんて、どうでもいい。
 どうすることもできないのよ、もう。
 私にできるのは、わたしにできることしかないのよ。
 何度も、何度も、何度でも、立ち上がって、起き上がって、這い上がって。
 諦めることなんて出来なかった、死にたくなんかなかった、誰かに殺されてたまるもんか。
 だから、ここまで生きて、戦ってきた。
 死んでも、諦めるものか。
 あの子のために。
 私の大切なあなたのために。
 そうやって、私が本当に求めていたものを、あの子に映し出して・・・・
 あの子のためにボロボロになるまで戦って、戦って、どうしようもなくなっても、絶対に諦めずに・・・
 
 そうまでして・・・わたしは・・・
 わたしは・・・向き合おうとしていたのよ・・・わたしの現実に・・・わたしの欲望に・・・
 端から見たら、歪んだやり方なのでしょう、あるいは病気なのかもしれない。
 でも・・・
 でも・・・・わたしにはそのやり方しかなかった・・・・
 そして・・そのやり方しか無いから諦める・・それもできなかった・・・・・
 そのやり方に愛と名を付けて、わたしはそれに必死にしがみついて・・・振り回して・・・
 それがほんとうの愛なんかじゃ無いことは、誰よりもなによりも私自身がもう気付いてた。
 私にはこのやり方しか無いということを自覚した時点で、それに愛というほんとうに私が求めていたものの
 名を与えることに躊躇いは無かった。
 だって・・・・・
 愛を・・・諦めたくなかったから・・・
 愛という名前だけは・・・失いたくなかったから・・・・・
 
 
 愛してる
 
    わたしが どうしても   言えない言葉
 
 
 
 
 嘘なんて つけなかったから
 
 
  それだけは  それだけは・・・ぜったいに・・
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 愛の名のもとに、私は最後の境界を踏み破った。
 愛してる。
 その言葉の暴力は、私を内側から蝕み、それは致命傷を刻んでいく。
 ぜったいに、ぜったいに、ふるってはいけなかった、血に錆びた刃。
 
 私は、最後の拠り所を失ってしまった。
 誰も愛することが出来ない、誰にも愛されていると感じていることが出来ない、そのわたし、ほんとうの
 私を許し、救い出す道が絶たれてしまった。
 愛することができないのに、愛されることが出来ないのに、愛の言葉を振り翳してしまった。
 私を、殺す、嘘。
 愛することができない、愛されることができない、その私こそを、なんとしても・・・・
 そのままで、愛して、愛されるようにしてあげたかったのに。
 終わりよ。
 もう、終わりよ。
 完全に一線を越えてしまった。
 
 
 
 
 私の愛するあなたへ。
 私は、あなたに、あなたを大切にして欲しかった。
 あなたのままでいて欲しかった。
 なにかを望み、なにかを願い、しあわせに、ぬくもりに、そして沢山の人達に囲まれて・・・
 そうして、愛し、愛される、そんな人生を生きてほしくて・・・・
 
 ああ・・だからおねがいよ・・・
 それを否定して・・・
 愛を否定して・・
 おまえは悪い奴だって言って頂戴
 なにも望んじゃいけないって、なにも願っちゃいけないって。
 ただ呆然と、流されるままに消えていく、そんな摂理を壊しちゃいけないって。
 この厳しい現実の世界を、ルールを、乱しちゃいけないって。
 欲望よりも秩序を大切にしなくちゃって。
 ああ 神様
 どうか私を悪魔と呼んでください
 私は愛するあなたのために、よろこんで悪魔の役目を仰せつかりましょう。
 そう、私は我欲に目が眩み、己に執着し、あくどく自らに溺れる卑小なる存在です。
 そんな悪魔である、愚かな私をどうか、ころしてください
 
 
 
 
 私の命の願いを、リボンに乗せてあなたに映し込んで。
 
 
   やっぱり・・・きれいね・・・なによりも・・・・・・・なによりも・・・・・
 
 
 あなたの肩を掴む、私の手が震えるのを、渾身の力を込めて押さえ込む。
 これが、最後の私の戦い。
 それでも・・・
 それでも・・・
 
 なにも映らない、
 
 わたしの目のこの震えだけは・・・・・・とめることが・・・・・・
 
 
 
 
 
 
 ほんとうに その紅いリボンを身につけるべきなのは・・・
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 それでも
 
 
       わたしのせかいには
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ああ
 
 
 
 
 
 
 
 
    やっと      
 
 
 
 
 
 
 
 
 
                らくになれる
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  ◆   ◆
 
 
 
 −暁美ほむらに捧ぐ  あとがきにかえて−
 
 
 
 
 
 
 
 
 胸がどんと巨大な金鎚で殴られたような感覚だった。
 声が出ない。
 動けない。
 衝撃だった。
 一喜一憂した。
 前半の、まさにひとりの人間としての、少女としてのよろこびと願いの入り交じった、命の姿が描かれて
 いる様に、私は心震え、そして喜び勇んで涙を流した。
 うれしくて、うれしくて、ああ、私が観たかったものは、これだったんだと、そうおもった。
 そして、同時に、私の傷を味わった。
 深く、深く、無数につけられたその傷を、心ゆくまで味わった。
 よろこびとかなしみと、うれしさとさびしさの入り交じった、それは生きる喜びの叫びだった。
 
 どんでん返し。
 その連続。
 ひとりの少女の於かれる、周りの世界の変化に、私は魂のそこから揺さぶられた。
 たまらなくつらかった、まるで体中が揺れているような感触だった。
 でも、私にはそれを受け止めるだけの、力があった。
 その力の存在に気づき、その力の使い方を学んできた。
 だから、よりはっきりと見えるようになった。
 画面の中の少女の変化が、止まっていることが。
 
 
 
 自己肯定感、という言葉が昨今ようやく巷でも聞こえてくるようになってきた。
 それは、多くは子どもの頃、母親を初めとする周囲の大人達によって、無条件に与えられ、育まれる
 ことによって得られるものである。
 そして、それが人間がこの世に生きるにあたって、最も必要かつ不可欠のものであることを、どれだけの
 人が自覚しているだろうか。
 同時に、それを得ることの出来なかった人間が、一体どれだけ壮絶で絶望的な世界を生きることに
 なるかを知っている人は、あまり多くは無いだろう。
 
 自分がここにいていいと思えない。
 自分には愛される資格も、愛する資格もない。
 死にたい。
 消えてしまいたい、死ねば楽になれるだろうか。
 これらのことが、考え方の問題をはるかに飛び越えて、魂のレベルにまで定着している。
 つまり、どうしようもない絶望と、ひとつになってしまっている。
 その絶望に完全に取り込まれたときと、その人の死ぬときが同一なのである。
 
 なんとか、生き続ける。
 考え方の問題だと捉え、ひたすらポジティブ思考を身につけ、笑顔を絶やさずに、前向きに、ひたすら
 前向きに生きようとする人達もいる。
 そして、前を向いたまま、笑顔を貼り付けたまま、自ら命を絶つ。
 仮に命を絶つことを免れることを継続出来ていたとしても、その人生は真のよろこびが少なく、また
 虚無に満ちている。
 それでも、あがく。
 生きているからこそ、足掻く。
 足掻くのをやめれば、即、死が待っている。
 その足掻きには、色々な種類がある。
 ポジティブなものもあれば、ネガティブなものもある。
 動き回るものもあれば、逆に静止するものもある。
 全くすべてを停止して、無気力のままにひきこもったりしていても、それもまたひとつの足掻きである。
 足掻きであり、自己防衛であり、生きようとする欲望である。
 たとえ自分自身の脳を頂点とする「意志」が死を選んでも、他の体の部位たちが死を選ばない限り、
 その死を望む意志への抵抗、そして叛逆は続く。
 その叛逆が続く限り、その人は生きている。
 最後まで、最後の最後まで、絶望的な世界観の中で死を選ぼうとする自らの意志に逆らい、
 あらゆる手段を使って生き延びようとする、命たち。
 
 私はそれを知っている。
 よく、知っている。
 
 
 
 ひとりの少女がいた。
 その少女は、共依存という手段、「やり方」を選択した。
 自己肯定感の圧倒的に欠如した、絶望的な世界観の中で、死を選ぼうとする自らの意志に対して、
 叛逆を起こした物語。
 それは少女の中の、生きたいという欲望を核とした、まさに生存闘争だった。
 わたしは生きたい、生きていていいって思われたいし思いたい。
 だれかに愛されて、だれかを愛して、あたたかくてやさしてく、笑顔に溢れたしあわせな生活を生きて
 いきたい。
 それを得るために必要な、自己肯定感というものを、少女は持っていなかった。
 しかし、諦めなかった。
 諦めるということすら、少女には出来なかった。
 少女は自らの欲望に戦きつつ、それと同時に、その欲望をもしかしたら手に入れられるかもしれないと
 思える、そんな手段を手に入れることができた。
 それがすなわち、共依存である。
 
 
 共依存とは、人間関係依存、あるいは愛の病である。
 共依存とは、他者の支配とコントロールである。
 共依存とは、「わたしが愛されたい」とおもう欲望を満たすために、他者を利用する。
 すなわち、愛されない私を、その他者に愛させようとし、そのためにその他者を支配しコントロールする。
 コントロールの手段は、相手への奉仕であり、束縛である。
 相手を自分なくしてはいられないようにする、そうすれば自分は常にその相手に必要とされるし、
 愛されるようになる。
 
 しかし、共依存とは、依存症である。
 すなわち、少女が他者に求めている愛や認証は、すべて本来少女が求めている欲望とはべつの、
 すり替えのもの、偽物である。
 ゆえに、偽物をいくら得ても、決して満たされることは無く、際限無くそれを求め貪り続けていく。
 少女が求めていた「愛」は、奉仕や保護の代償として「取引」されるものでは無く、全くの無条件で
 無償で「取引無し」で与えられるものであった。
 少女が自らの戦闘の対価として愛を求めている限り、少女は決して己の望むものを手に入れることが
 出来ない。
 逆に、己の望むものに気づき、それを「正しいやり方」で求め、そして満たせば、少女の戦闘は
 その必要を無くし終結へと至る。
 
 
 
 だが、駄目だった。
 少女の自己肯定感の無さは、その共依存理論という「救済」をはね除けてしまった。
 あまりにも、少女の観ている世界は絶望的に過ぎ、またその中で生きる少女の力を、少女自身こそが
 信じることができなかった。
 この残酷な世界を生き延びてきたこと自体が、少女にすさまじい「力」があることを示してはいるが、
 けれど、少女はそれを半分自覚しながらも、その「事実」と「力」を受け入れることができなかった。
 
 だって
 かなしかったから
 
 
 私は観ていて、とても悲しかった。
 自分がほんとうに求めているものを、求めることが出来ず、それでも諦められずに、必死に足掻いて、
 共依存という足掻きさえして、必死に、必死に・・・
 だって・・・
 ほんとうに・・
 ほんとうに・・・・ほしかったから
 しあわせに生きたい、愛され愛したい、人間らしい感情のままに生きたい。
 それらを求めることが許されないなんて、絶対に絶対に、それこそ許せない。
 少女の、その自分の手では触れることの出来ない、けれどまぎれもない自分自身のその欲望への愛
 こそが、どうしようもなく、本物であることが。
 私には、わかってしまった。
 わからない、わけがなかった。
 
 
 どうして私はひとりぽっちなんだろう。
 色々がんばって、必死にやって、自分と向き合おうとして、がんばって、諦めずに・・・
 なのに・・・
 どうしてやっぱり、ひとりなの?
 どうしてそばに、だれもいてくれないの?
 その孤独が、少女を押し潰した。
 私には、それを責めることなど、もう出来ない。
 少女が、的外れで自滅的な努力を繰り返すために、かつての私はまるで私自身が失敗を重ねている
 ように感じて、少女の種々の選択に怒りを感じていた。
 そうじゃない、それは間違ってる、そっちへいったらだめだ!、と。
 でも、今は、違う。
 ただただ
 ただただ。
 
 暁美ほむらという、ひとりの人間の戦いに、共感と敬意を覚える。
 
 最大限、生きた。
 絶望の中で、どうしようもない中で、すべての力を振り絞った上に、さらにしてはいけないことまでして。
 それでも、それでも、絶対に諦めずに戦い続けた、そのひとりの少女の、最後の選択に。
 私はただ、涙を流すだけだ。
 
 そして。
 少女の行き着いた最期に、ただただ。
 
 声をあげて、泣くだけだった。
 
 
 
 
 ほむらがまどかに渡した紅いリボン。
 紅ってさ、私は愛の色だとおもうの。
 愛であり、情熱であり、欲望であり、そして、生きる力そのものだと思うの。
 どんなに・・どんなに、その私の中の大切ななにかを貶め、そしてそれを消そうとするものがこの世に
 満ちていたとしても・・・
 
 それ以上に、愛おしく、それ以上に、美しいものなんて、この世には無いよ。
 
 その自分の大切なものを、まどかに渡してしまった時点で、ほむらの命は尽きてしまったと私はおもう。
 でも・・・
 でも・・・・・ほむらがまどかにその大切なものを渡したのは・・・
 そうやって、自分の欲しいものを相手に映し出すことでしか、触れることが出来ないから、という以上に。
 
 そうやって、最後に、自分の欲しいもののすがたを、見たかったからなんだとおもう。
 
 
 涙止まらないよ。
 声を押し殺すことができないよ。
 共依存者は、自分を滅して他者に尽くす。
 共依存者は、尽くした他者の「相手を必要とする欲望」を利用して自分を満たそうとする。
 そしてね。
 
 共依存者は
 自らでは触れることの出来ない、自らの欲望を、そのままでは自ら消してしまうその欲望を。
 他者に映して、それを観、それを守ろうとする。
 
 ほむらが守ったまどかの笑顔の中に、ほむらは自分自身こその笑顔を発見する。
 ほむらが真実守りたかったのは、ほむら自身。
 でもそれがどうしても出来なくて、自分の代わりにまどかを守った。
 そうまでして・・・
 
 じぶんを、生きたかったのよね。
 
 
 共依存は治療出来る病。
 自己肯定感を育てる訓練も、たくさんある。
 そして、そういったものを共にやり遂げる、仲間達もいる。
 そういう環境は、用意されている。
 少女が助かる道は、あった。
 でも。
 
 その少女は、その道に辿り着けなかった。
 
 ただ、それだけのことだったんだ。
 
 
 
 それは少女の怠慢でも甘えでも能力不足だったのでも無い。
 間違いですら無い。
 その少女のすべてを懸けて辿り着いた場所が、その救いの道には届かなかったというだけ。
 それだけ、少女の、暁美ほむらの絶望が深かった、ただそれだけ。
 
 すこし
 うれしい
 
 正直に、そうおもう。
 私のなかの、私を激しく責める私に対して、胸を張れる。
 わたしもなにも、まちがえてなどいなかった、と。
 私も、これでいいんだ、と。
 いまこうしてここに生きて生き延びてきた、この私の生を感じることができた。
 いつかくる、その終焉のときまで、私は生きていていいんだ。
 苦しくて、辛くて、死にたいとすら思っても、生きていていいんだ。
 
 
 暁美ほむらの死は、私に、私の生に、死を与えてくれたんだ。
 
 
 
 いいんだよ・・・ほむらちゃん
 
 ごめんね、なんて、おもわなくて。
 
 おもったよね、きっと、あなたの中の、生きようとする欲望たちに、ごめんねって。
 でも、いいんだ、そんなこと、だってきみは、がんばったじゃないか。
 あれ以上のことなんて、誰にも出来ないよ。
 でも、いいかな。
 ごめんね、って言いたいよね。
 ごめんね、ってあったかいよね。
 だから
 わたしは、あなたにこう言ってあげる
 
  ありがとう
 
 
 ごめんね、私はまだもうちょっと、生きてみるよ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 以下
 ものすごい蛇足 ++
 
 
 
 
 
 取り敢えず、まず叫んどく。
 
 
 
 
 
 
  杏 × さ や キ タ ーーっっ!!
 
 
 
 ああもう、なにあれ、なによあれは! 死ねってか?わたしに鼻血噴いて血の海に溺れろってか?(違)
 あああ、あーあー、あー!
 まさか公式にあんなものがあんな風にあんなことしてるとこを見られるなんてっ!(脚色)
 もうね、前半の脳内お花畑が具現化したような夢物語な世界が、私のボルテージをマックスに染め上げ
 た挙げ句に頭のてっぺんからなんか抜けてっちゃった仕様に変えてくれやがりましたよ!
 
 なんかもう、あんまりにも悶えすぎて、なにがあったか忘れる勢いだよ!!たいへんだね!
 
 とにかくだ、まず杏子ちゃんが制服着てるって時点でワンアウトなのさ、わたしがさ。
 杏子ちゃんがスカート穿いてるってのにこれがまたワイルドな足さばきでさ、かー!かっこいー!(病気)
 
 そしてさやかちゃんと手とか繋いじゃって、あー、しかもまどか達の周りをぐるぐる回って追いかけっことか、
 はは、はは、目が回るっていうか世界が回るわ!おまえらもう地球の自転速度越えてるよ!(意味不明)
 
 あーなにをどう表現していいのかわからないけどさ、うれしかったよ、杏×さやを筆頭にしてさ、あの子
 達が仲良く仲むつまじくはしゃいだり微笑んだりしてる姿がさ、あーこりゃもう、宝だよ、これだけでも
 BD買った甲斐があったよ、どーしよ、あの子達の笑顔があるだけで、わたしこれから生きてけるよ!
 
 だってわたしが欲しいもんって、ああいうことだもん、夢だろうが現実だろうが、ああやって親しく付き合える、
 共に生きていける人達を得て、そうして自分を生きていく、それを叶えるのは紛れもなく私自身で。
 あの子達の笑顔を素敵と私が思えること自体、私にはあの笑顔を私の世界に実現する才能がある
 ってことをなによりも示してる。
 「好き」はなによりの才能だとおもうのよ、好きって思えるのは、自分の中にそれと同じものがあるからだし、
 その自分の中にあるものが、外に映し出されて、それを好きと言ってるのだともおもうのよ。
 
 だから私が杏さやが好きだとか真顔で鼻血垂らしながら言えるってことは、きっと私にもああいう関係を
 築ける人を見つけ、そしてああいう生き方が出来る才能があるってことじゃないかなーって、わたしはね、
 信じてる。
 だから私は、アニメを絵空事だなんて思わないし、私がアニメを観てなにを「好き」と感じるのかってこと
 を注視してる。
 
 アニメを観るってことは、じぶんの発見なんじゃないかなー。
 
 ベベも可愛かった、ナイス阿澄佳奈、ああもう、全財産チーズに換えてずっと一緒に引き籠もりたい!
 あわわ、可愛いが止まらないよ、あーもうなんで可愛いかなぁ、なんで可愛いっておもうかなぁ、
 なんで止まらないんかなぁわたし、あーもう、あーもう!
 なんだかんだで悪魔ほむほむも目の隈が色っぽかったし!、あー、あー、あー!!(静かになさい)
 
 あー
 なんだろ
 
 ほむらちゃんの絶望っぷりや結末が、私の胸を刺し貫きながらも、その傷を塞ぐための、一種の逃避
 として、あの子達のしあわせ笑顔っぷりを消費しないでいられるのよね。
 なんかこう、ほむらちゃんの姿は、あまりに等身大過ぎて、こう、ひとつの絶望という「萌え」になってた
 気がする。
 うまく言えないんだけど、こう、絶望を希望に変換するという形で投げ捨てずに、そのまま、まるのまま、
 絶望のまま、愛おしく味わうことが出来るというか、なんかこう絶望こそかわいらしいというか。
 
 それは絶望がくだらないとかそういうことじゃ無く、絶望してもいいんだ、絶望も私の一部なんだ、
 もうこの子を突き放さなくてもいいんだという、なんというか、自己同一感があるというか・・・・
 私には、ほむほむの夢も絶望も、ひとしく同じにみえる。
 両方ともに、ほむほむにとって、私にとって大切なもので、どっちかを犠牲にしたり、見捨てたりするもの
 にしないでいい。
 絶望を、あったかく感じた。
 その絶望はもう、希望の光を、しあわせな笑顔を引き立てるための、そんな叛逆者じゃ無くなってた。
 あったかい。
 絶望してもいいんだ、だから希望も持っていい。
 希望を持ってもいいんだ、だから安心して絶望していい。
 いままでほんとに、希望と絶望の戦いと、隷属と叛逆の繰り返しだった気がする。
 でもこの作品を観て、あー、なんかほんとうに・・・・
 
 
  こんなに絶望してるのに
 
                    ほんとの笑顔がこぼれてくるんだなぁ
 
 
 
 逆かな。
 絶望を受け入れることが出来たから、ほんとの希望を持てるようになったのだし、絶望こそを拒絶して
 いたからこそ、前のめりに倒れて消えていくだけの笑顔しか無かったのかも。
 絶望して、絶望して、心の底からあらん限りに絶望を尽くしても、絶対に消えない「なにか」を感じたとき、
 しぜんに、微笑みが零れてくる。
 ほむほむは、きっとそういう「なにか」をずっと探し続けていたんじゃないかなぁ。
 絶望を受け止め切って、抱き締めきってくれるものを求める、そうだよねぇ、絶望ってほんとは、
 赤ちゃんの泣き叫ぶ声と同じものなのかもしれない。
 それはきっと、とてもとても、大切で、いとおしくて、かわいらしいものなのよ。
 その声を、涙を、絶対に私は、見捨てずに大切にしなくちゃいけない気がする。
 そうやって抱き留められた絶望という名の赤ちゃんこそが、ほんとうの命の始まり。
 それをこそ、守り、愛し、慈しみ、育てていくことで、私達は真の統合した大人になる。
 
 
 まただれぞに二重人格とか節操ないとか言われそうだけど、でもなー、こうやってどっちがじゃなくて、
 両方を受け入れられるのが、ほんとのものなんじゃないかなぁ、って私はおもったよ、今回さらに。
 
 自己肯定感の欠如って、もしかしたら自己の不統合、すなわちふたつに分かれて争ってる状態の
 影響を強く受けてもいるのかもしれん。
 
 
 
  それにしても 杏×さやである    要は、そういうことである。  ←それが言いたかっただけです
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

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