~小説『マリア様がみてる』感想 

 

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                         ■■第二回マリみて原作感想系■■

     
 
 
 
 
 ごきげんよう、皆様。紅い瞳です。
 
 今夜は第二回マリみて原作感想系、として、
 「マリア様がみてる 黄薔薇革命」についてお話させて頂きたく思います。
 
 まずは第一声。
 とても楽しかった。
 そうです。読んでいてとてもとても楽しかったんです。
 マリみてというものの面白さというのを、それを解析するまでもなく心がウキウキとしてしまう、
 その事実をまずなによりも言葉にしてしまいたい、そういう衝動で一杯になりました。
 由乃さんって、私はやっぱり好きです。
 好き、というより、やっぱり由乃さんの姿を見ているとそれだけで楽しいというのでしょうか。
 快哉を叫んでみたり、やっぱり爽快なんですね。
 それはやっぱり小説だからとかアニメだからとかは関係無いと思います。
 由乃さんの姿を説明する祐巳さんが小説には居る訳ですけれど、
 どうしようもなく私は祐巳さんを経由しない由乃さんの姿を見ることができましたし、
 勿論それはアニメ版のイメージを想起させているから、という訳でもありません。
 小説だとついつい説明的な文章に目がいってしまって、
 どうしてもその説明に沿って人物のイメージを膨らませていっていましたけれど、
 でも考えてみたら、それって私がそういう風に読んでしまっていただけのお話。
 そもそも祐巳さんは語り手の一人でしか無いわけですし、
 由乃さんの姿をそこに見たとして、それは由乃さんのひととなりを示しているだけに過ぎません。
 
 つまり、大事な事を私は忘れていたのです。
 由乃さんは、無数に居るんですよね。
 祐巳さんの言葉を額面通りに解しただけではひとりかもしれないですけれど、
 でもそもそもそれは由乃さんのうちのひとりを理解したにしか過ぎないのです。
 読んでいて、感じました。
 どんどん、由乃さんという可能性が広がっていくのを。
 由乃さんが令様に求めている事、そして自身が目指そうと思っている事、
 そして由乃さんの考えている理屈、それを私達は大いに想像することができます。
 もちろん由乃さんから逸脱した由乃さん像というのも出来上がってくるかも知れませんけれど、
 そもそもそれが逸脱していると証明することなど不可能。
 それは祐巳さんはおろか、由乃さん自身にも不可能な事でしょう。
 人が人の姿をみるって、そういうことなのだと思います。
 
 アニメと比べて、だいぶ由乃さんと令様についての理屈の説明がありました。
 それがすごく丁寧にすっきりと組み立てられた言葉だったので、とても爽快でした。
 反面、その構築されたふたりの言葉、そしてその交換が、
 実際にはもっと堪らないほどの情熱を持って行われていたはずだ、という想いを抱けました。
 由乃さんの令様とのスール関係を解消するという決意は、
 たったあれだけの言葉ですべて表わせている訳では無いのです。
 当事者であるふたりは、自分のセリフの上で踊っていられるほど、単純では無い。
 ふたりの中では、そしてふたりの間では誰にも説明できない情熱が渦巻いているはずです。
 アニメでは、その熱く濃い情熱、情感を素晴らしい映像美で示していました。
 では、小説では?
 小説では、そのような情感は一切排除されていました。
 でも、その排除さは逆になんとも心地良い爽快さをもたらしているのです。
 あくまで小説は、第三者の立場で見ているのだよ、という安心感があるから、なのです。
 アニメ版は神の立場で見ていると思います。
 全部がわかる、いえ、わからなくてはいけない息苦しさがアニメにはあるのです。
 そして小説版ではその息苦しさは、無い。
 さらっと示してみせる写実的なセリフの展示が続けられ、
 読む者に祐巳さんの視点を与えます。
 令様の一人称的箇所でさえ、あれも祐巳さんの視点であるとも言えるほどに徹底しています。
 黄薔薇革命をちょっと離れたところから見ている祐巳さんと一緒になって、
 私達は由乃さんの想いを理解し、
 そしてさらにそこから由乃さん自身に成り代わって、由乃さんの理屈を考えていく、
 そういう事も可能なのだけれど、むしろ祐巳さんと同じくどこか野次馬根性で、
 のんびりと見ることが出来る、そういう気安さが小説版にはあるのです。
 由乃さんの言葉を額面通り受け取って由乃さんを想像せず、
 ただそこでなにかをしている由乃さんだけを見つめていられる幸福。
 見ていて、幸せになれますよね、ほんとに。
 
 令様もまた良かった。
 剣道の試合のときに無の境地に至っているあたりの描写は、
 なにげに異彩を放っていました。
 あそこだけなぜか飛び抜けてそれだけで固まってしまったというのでしょうか。
 あのシーンの令様の姿だけが硝子細工に埋め込まれて保存されたかのような、
 そんな凄みがありました。
 由乃さんと比べて、令様は言葉通りに動いている人に見えます。
 由乃さんは言葉を操るのだけれど、外に出している言葉の何百倍もの量の言葉を、
 自分の中に巡らしている人だと思います。
 令様は、たぶん自分の言っていることが、ほとんどすべてだと思います。
 その外に出した言葉に膨大な想いを込めて、そしてそれによって動かされていく人だと思います。
 ある意味で裏表無く、ある意味で感情的。
 そしてその少ない言葉に込められた想いに支配されて、そのままどこへなりとも流されていってしまう、
 そういう人なのだと思います。
 そのような令様があの瞬間。
 あの瞬間において、その溢れ出る想いを自分の中に収束させ、
 そしてそれを言葉の中に自ら再び込め直し完全に支配したのです。
 あれは、とても美しかったです。
 
 
 
 なにやら、マリみてへの愛情がまたまた深まってきてしまいました。
 黄薔薇万歳です。
 由乃さんがかなり好きです。
 好き、というかなんというか。
 面白いんですね、きっと。
 それが自分に似ているからなのか、それとも自分には無いものを持っているからか、それは知りません。
 でも由乃さんの姿に接して、色々と考えが進められる事は確かです。
 考えられれば、それが面白いということ。
 小説がマリみてに対する私の考えを進ませることになっていけているようで、嬉しい限りです。
 なんとなく、小説全巻買い揃えたくなってきてしまいました(笑)
 
 
 それでは、本日はこれでお終いとさせて頂きます。
 ごきげんよう、みなさま。第三回でお会い致しましょう。
 
 
 

 

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