桜涙 〜弐枚目〜
 
 
 
 
 
 
 『父さん・・・私にできるかなぁ。
 あの剣の重さを、あの人の苦しみを一緒に背負うこと・・・・。』
 
 あの人は、気づいたら此処にいた。
 鮮明な十字の傷を頬に漂わせながら、あの人は私の前に現れた。
 薄い笑顔を滲ませて、透明な苦しみを私に見せてくれたあの人。
 私は、あの人と一緒にいたい、と思った。
 移ろいゆくこの世の中で、私はあの人と共にいつまでもありたいと思った。
 あんなにも悲しく、そして誰よりもなによりも優しいあの人・・・。
 そんなあの人が、とても恐ろしく、罪深いことをしてきたという事実。
 それは、あの人の一生を決めてしまうほどの大きな傷となって、ずっと残っている。
 あの人は、だから、その罪深い自分と死ぬまで向かい合わなければならない。
 あの人はそう想い、そして今までも、そしてこれからもずっと生きていく。
 私は、そんなあの人の心からの笑顔を見てみたい。
 だから、私はあの人と一緒に生き、あの人に尽くそう、そう本当に想えたんだ・・・。
 
 『思えば、あなたも、私も、消えない傷と共に生きてきた。
 十字に刻まれたあの傷と・・・・。』
 あの人には、妻がいた。
 あの人が愛し、あの人が斬り殺した最愛の人が。
 私は、あの人にとってのなんなんだろう。
 巴サンは、あの人の事を赦し、そして自らの存在を十字の傷に込めて永遠となった。
 あの人の中に、巴サンはずっとずっと居る。
 私は、絶対に巴サンに勝てないんだ。
 私には、あの人を赦すべき苦しみをあの人から与えられていないのだから。
 そして、彼女はあの人に一生消えない傷を、自分の命と引き替えに刻んだ。
 でも、だったら私が死んだら、あの人は私の事もずっと忘れないでいてくれるだろうか。
 私はそれを確認しなければならない。
 例え、あの人が巴サンという名の罪と向き合うことを止められなくても、私はそれでもいい。
 だって、それが巴さんが必要とした人斬り抜刀斎、そして私が必要としている剣心なんだから。
 だから私は、剣心と一緒に居たい。
 そして、あの人に彷徨える苦難の道から絶対に帰ってくると言って貰いたい。
 そして、私も彼が帰ってこれるように、しっかりしなくちゃ・・・。
 あの人が背負った罪に押し潰されないように、
 そして私と同じ人を愛した巴サンの代わりに、私があの人を生きさせてあげたい。
 死んであの人の中に残り、抜刀斎を剣心として生き永らえさせてくれた巴サンの代わりに、
 私はあの人と生き続けることで、私があの人にとってのこれからの生きる糧となってあげたい。
 あの人の笑顔に答えてあげたい。
 だからどうか、剣心を私に託してください・・・巴サン。
 
 『私はあなたに出会って、人に尽くすことの喜びを知りました。
 こんな私でもあなたの人生の支えになれたのなら、あなたがそう思ってくれるのなら、
 それに勝る喜びはありません。
 私は幸せです・・・。』
 あの人は、私の元に帰ってきてくれた。
 私と共に生きてくれると言ってくれた。
 だから、私はあの人を待っていられる。
 いつ帰ってきても、ずっと笑顔であの人をこの子と迎えることに幸せを見出せた。
 そしてあの人も、私に笑顔で答えてくれた。
 私はそれで、充分幸せだった。
 もう、帰ってこない人を送り出すことは無い。
 あの人は、絶対に帰ってきてくれた。
 どんなに、辛くても、あの人は私が居るところが帰る場所だったんだ。
 そして私は、いつも笑顔であの人を迎えてあげられた。
 父さん。
 父さんにしてあげられなかったことを、今、あの人にしてあげられるようになったよ・・・。
 
 『わかってた・・。私はこの人の生き方を変えることが出来ないのだと・・・・。
  わかってる、わかってたけど・・・・・けど・・・・。』
 私を、一人にしないで・・・。
 あの人は、剣を捨ててからもずっと自分の生き方を貫いてきた。
 家族を顧みず、ずっとずっと自分の背に罪と苦悩を背負って生き続けた。
 私は、そんなあの人の支えになって、そして帰りを待つだけの女・・・。
 そのことに不満はないけど・・・けど・・・。
 それは、私とあの人はひとつじゃない、っていうことなのかもしれない。
 私の自信が揺らいでいるのかもしれない。
 あの人は、剣を捨てた。
 ならば私も変わらなければいけない。
 いいえ、ほんとはもっとはやくに気づかなければいけなかったんだ。
 剣を捨てた剣心の方が、今までよりずっとずっと背負う苦しみが重くなってきていることに。
 だから私は、あの人の苦しみを分けて貰った。
 私はあの人の妻だから。そのことがどういうことであるか、私はようやく気づいた。
 私の体に、あの人と同じ病がある限り、私はあの人と一緒に死ねる。
 そして。
 あの人の頬の十字傷がある限り、私と剣心は生き続ける。
 これで、ようやくあの人とひとつになれた。
 もうこれで、恐れるものなんてなにもない。
 これで、私の笑顔があの人に届く。
 巴サンは自分の存在をあの人の十字傷に込めて。
 私は、あの人の病を受け入れて、あの人と存在を共有したんだ・・・。
 
 『剣心・・・。もう、あなたの戦いから目を離さない・・・。
  二度と離れない。いつか・・・あなたが本当に・・・安らげるそのときまで・・。』
 私は、もうなにも迷わない。
 私は、ずっとずっと待っている。
 剣心を信じているから。私には、剣心を信じる絶対の自信があるから。
 もうなにも疑わない。
 待って待って待ちぬいて、そして最高の笑顔で「心太」を迎えてあげたいから。
 それが私の選んだ生きる道。
 毎年変わらず咲く桜のように、私は必死に病床のうちに待ち続ける。
 あの人が、あの人の中に私の笑顔を照らし出し、それを求めながら、
 この国に、この街に、この桜の下に、そして私の元に帰ってくるのを信じながら。
 私は、心太の帰りを待ち続ける。
 抜刀斎と剣心。
 ずっと、罪とその贖罪に覆われた名と共に生きてきた、あの人。
 あの人が殺めた人より、ずっとたくさんの人を救いながら生きてきた、あの人。
 私は、あの人を赦してあげることは出来ないけれど、
 でも、あの人を受け止めてあげることはできる。
 私だけは、あの人の戦いから目を逸らさず、
 そして、私だけはあの人の本当の、心からの笑顔を受け入れてあげたい。
 あの人もまた、人の子であると言うことを、私は認めてあげたい。
 あの人があの人である本当の姿、心太を思いきり抱きとめてあげたい。
 だから私はあの人を迎えに、抱きしめにいった。
 あの人が、帰ってきたくとも帰れないのなら、私が迎えに行く。
 一生に一度の、そして、最後の奇跡。
 私には、もうあの人しか見えない。
 そして、あの人は帰ってきた。
 生まれたときのままの、心太という一人の大事な人間が、桜の下に立っていた。
 私の、心太。
 そして、お帰りなさい。
 私の膝に抱かれた、かつて抜刀斎で剣心であった心太。
 その頬の十字の傷は、無くなっていた。
 『やっと・・・・やっと・・消えたね・・・・・・・。』
 
 ただ散りゆく桜が、彼女の涙を隙間無く覆い隠していった。
 
 

                                 〜『』内文章は作品よりの引用〜

 
 
 
 

 

でぐち