〜2003年6月の過去ログ〜

 

 

 

 ■030629  TEXHNOLYZE : 10
 
 
 
 
 
 
 物語が、動いた。
 大西が瀕死の重傷を負い、吉井が死んだ。
 街を守り調停者として獅子奮迅した者と、争いという名の進化を静かに促して来た者の休息。
 彼らに休息を与えたものは、なんなのか。
 絶え間ない現実を愛し憎み、しかしそれでもその中で生きていくことに全生命をかけ、
 そして壊された世界の修復に生きる男が、なにを以て終わりとするのだろうか。
 世界の維持とはなんだろうか。
 生成変化していくモノを維持していくと云うことは、変化していく状況を丸飲みにすることだ。
 物事に単元的または二元的な差別を押しつけずに、混濁とした状況そのものを受容し運行させてみる。
 危うさの中に、確固とした重量を備え、そして生きていく。
 それは決して世を捨てている訳でも、人生を諦めている訳でもなく、現実に絶望している訳でもない。
 存在する事自体に絶望することはあれど、しかしそれは限りなく愛していることと等しい。
 現に、大西は妻の病理に絶望してはいれど、なによりも誰よりも妻を愛しているのだ。
 しかし、吉井は違う。
 奥さんはもう生きながらいて死んでいた、だから死んだ方が良かったと言う。
 世界はかく在らねばならぬ、という信条を掲げそのために、吉井は生きている。
 すべては吉井の価値のままにあるもので、またそれ以外であってはならぬ。
 滅茶苦茶の先に何があるのか、わかるか、と彼は言う。
 滅茶苦茶の先には素晴らしい世界が待っているのだ。
 そして、それは輝かしき栄光ある未来なのだ。
 その栄光ある未来と、それを甘受すべき人々の創造。
 それが吉井の使命であるのだ。
 そのために、吉井は静かに語り、音もなく殺していく。
 そして、世界をひたすら壊していく。
 ただただ、己の存在を賭けた理想を完遂せんがために。
 そんな二人の活動が、ここに来て止まった。
 しかしながら、これは終息ではない。
 事態を新たな段階へと移行させることを引き継ぐ者がいる。
 櫟士とシンジ。
 大西の側に立ち吉井を粉砕しながら、何者にも帰依することなく呆然と立ち尽くす櫟士。
 吉井に惹かれた事により吉井的破壊衝動との断絶を確信したシンジ。
 大西に席を譲り吉井の存在を貶めた賭けボクサー。
 ただ暴れるだけじゃなく目的のために暴れるという事の後ろめたさを吉井と対峙する事により、
 逆に消し去ることに成功した不良グループのボス。
 二人は共に二代目であるとともに、始祖でもある。
 櫟士はただあるがままに、シンジはただ想うところのままに。
 そして櫟士は櫟士の世界、シンジはシンジの世界を作り生きていく。
 大西と、吉井の時代は終わったのだ。
 
 
 次に蘭が佇むのは、誰の隣であろうか。
 
 
 
 
 
 

 

 

 ■030628  ブンメイ開化■
 
 
 
 
 
 
 左手の機能が低下した。
 
 どうしてかと云うと、プレイステーション2なるブンメイの利器を買ったからだ。
 それで、すっかりハマっているのです。
 もうね、十字キー押しっぱなし。
 まるで、ライターで遊ぶ原始人のように。火傷してやんの。HAHAHA! みたいな。
 いやいや、笑い事などではない。
 そしてタダゴトデハナイ。
 紅い瞳における、まさにゲーム的改革、ブンメイ開化だ。
 なにしろ、プレステ2なのだ。
 わかるかね? 時代の流れに置いてきぼり喰らわされてボケっとしてたところに、
 気づいたら上流からどんぶらこ、と流れてきたわけである。
 狂喜乱舞したあげくに、立ち眩みで倒れてもなんらおかしくはない。
 笑えるが。
 
 そしてまぁ。
 ソフトはなにを買ったかというと、これも周囲の予想を1ミリも違えることのないブンメイっぷりモノ。
 「真・三国無双3
 どうです? これしかないというほどアレでしょう?
 既に、何人斬ったことやら ←ポイント
 というより、もはやブンメイの虜。いや、捕虜ですね実際。
 斬って斬って斬りまくり。
 家にいる時間の9割9分、斬ってました。
 恐いよ、こいつは。ハマると強いよ。
 そんでね。
 楽しいか? と聞かれたら、私はきっとこう答えると思うよ。
 
 「はい、心から。斬るのが。」、と。
 
 大丈夫大丈夫。
 アレは健康にいいですよ。
 ストレス発散には好都合な上にお釣りがきますよ。
 そう、お釣りがね。
 ・・・。
 まぁね。
 実際ハマってるよ。
 速攻で関羽でクリアして(カンタン過ぎた)、現在新武将2人でプレイ中。
 新武将男は大剣がカッコよい。モーションがちょっとあれだけど。
 新武将女はなんか可愛くなっちゃった。可愛い鬼女って感じで。
 なんか楽しげに斬ってるし。斬って飛んでライトセー○ーでフォー○だし(槍・馬超型)
 ・・・わー・・・楽しそう・・・ ←とても気に入ったらしい
 
 えーと。
 とにかく、カルチャーショックのヒットどころが悪かったらしく、かなりキワドイ事になってますが、
 私は斬って元気です。
 しばらく頭の中では斬っては真・三国無双で満ち足りていると思います。
 当面特に忙しい予定はないですし。
 っていうか、それを考慮して今、この時期に大金だして購入したワケですよええ。
 もちろん、夏をおもしろ可笑しく過ごす資金の事など知ったこっちゃないですよ。
 ブンメイを開化させるには、それ相応の痛みが必要なのです。
 さようなら、今年の夏。
 海でむなしく浮いてきます。
 
 と言う感じで、せっかくお金をはたいて買ったゲームなので、
 骨の髄までしゃぶるというか、骨丸かじりにするつもりでやろうと思います。
 みなさんも、そんなアレな紅い瞳をつかまえて、無双話にでも華をさかせてやってくださいまし。
 それがせめてものたむけです。
 私が斬った者達への(違)
 
 
 
 追記: で。決定的に追記で言い訳しようがなくP.Sって感じの事柄にふさわしくなく、
      世が世なら日記の主題を張れる大物ネタをここに書きます。
      ええと。
      羊のうたのDVDを買っちゃいました。
      しかもプレステ2を買う前に。
      いえーい。
      以上、羊のうたの話題終わり(早)。
 
 
 
 
 
 
 
 話にオチがつかないのも、良いよね? ←雑兵を切り倒しながら
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 

 ■030625  状況打開レヴェル向上中■
 
 
 
 
 
 
 手持ちの駒だけで、その場をなんとか切り抜ける能力が地道に上がっているように思える紅い瞳です。
 コンバンワ。
 
 今日は、しくじればその先3ヶ月はヘコむであろうと思われる重大イベント事がありました。
 当然、それに備えた準備万端な紅い瞳などおろうはずが御座いません。
 情報無し、デフォルト装備、事態に向かっての気構え無し。
 むしろ他人事。
 これが昨夜までの紅い瞳で御座いました。
 いつものことです。
 別に余裕とかイベントあるの忘れてた、とかそんな上品な理由があってこうなった訳では御座いません。
 繰り返しますが、いつものことなのです。
 事前に準備をしておかなければ残念なコトになる、と重々承知の上で、
 前日までごく平和な生活を送っていたのです。
 もはや、悟りの境地なので御座います。
 
 ・・・。
 
 それで今日になりました。
 実に清々しい朝です。
 落ち着いてます。恐いくらいに落ち着いております。
 まるで、切腹を控えた武士のような顔つきです。
 強いです。自分でも信じられないくらい強靱な精神力です。
 やりたくないことをやらないでいる事にかけては、
 無限大の力を発揮するようです。
 もう手が付けられません。
 
 そしていよいよそのイベントが始まりました。
 ・・・。
 ・・・。
 イベント、波乱なく無難に終了。
 結果、良好。
 
 ・・・。
 神様、はやくこいつにバチを与えてやってくださいっ、極大の試練をっ! 
 ↑
 ニタニタ笑いながら
 
 
 
 
 
 
 

 

 

 ■030623  TEXHNOLYZE : 09
 
 
 
 
 
 
 形而下の事の中に、形而上の事柄が流れ込んできたのか、
 それとも形而上的な背景の内側に、極めて形而下な事が発生したのか、それはわからない。
 でも、ただ言えることは、私にとって初めて「わかる」現象が発生したようです。
 
 テクノライズの感想、いきます。
 
 今回のお話は戦後処理って感じ。
 ラカンと救民連合とオルガノがバトルってしまい、もう滅茶苦茶。
 その間隙をついてオルガノ幹部、さらには丘の上に君臨する支配者階層達の蠢動が・・・。
 舞台ではこうして延々とヤクザのやりとりが描かれていきます。
 その過程で、オルガノ頭目の大西はその席を追われ、妻まで殺されてしまう。
 そして、それらの流れの裏側ではっきりとその姿を現した、吉井。
 
 さて。
 唐突ですが、テクノライズって作品には、感情がない。
 そういってしまうと語弊があると思いますが、つまり受け手に対して訴えるものがない、ということです。
 もっといえば、主張するモノが一切ないのです。むしろ積極的に排除されてしまっています。
 ゆえに、大西の悲しみとか怒りとか、そういったものが今回の話を見ている限り、一切感じられない。
 ただ事実として、大西がすべてを失っていく過程が描かれているだけ。
 オルガノトップの居場所を失い、最愛の妻を失う、といった事実のみが淡々と描かれていく。
 もちろん、これは半分は正解で、半分は間違いです。
 感情がない、というのはセリフ的に主張された作品のイメージ(制作者側の意図)がないだけで、
 演出としてのキャラの表情や仕草には、十二分に悲しさや、
 いやむしろその無念さは、逆に凄まじいまでの迫力で描かれていました。
 特に大西と広田(秘書)のやりとりのときの、広田の仕草など、もうため息ものでした。
 あと、妻の死体を見たときの大西とか、ネ。
 とにかく、演出(と言ってしまってよいのだろうか)の巧みさ美しさ、そして見事さには、頭が下がる。
 だけれども、それはあくまで作品の一部分であり、上でも申したとおり、
 作品全体を通して制作者サイドが提示したいテーマの表現、とかは皆無なのです。
 ある意味押しつけがましさ(?)がウリなアニメが昨今がんばっている中で、これは中々特異なことです。
 そういった意味において、そもそもこの作品からなにかを読みとろうなんてこと出来なくて当然であり、
 それよりは「感じる」ほうが適切なのでしょうし、そちらのほうが私の性にもあっているし。
 
 そして、この主張無きアニメというモノは、とても美しい。
 それは我々がなにものかを理解できないという「畏敬」の念をちょっぴり含んだ、荘厳な美しさ。
 そしてなによりも、決定されたテクストがない世界を受け入れるってことは最高に自由なんですよね。
 つまり、えーと、別の言い方をすれば、限りなくテクノライズは現実なんですヨ。
 私たちが現実を現実として見ているように、テクノライズもまたそのように私たちの目に映るというか。
 現実っていうのは、人の目の数だけ真実がある。
 だから、現実は自由で、不可思議で、そして例えようもなく神秘的なんですよね。
 事実は小説より奇なり、とはよくいったものです。
 
 ところが。
 そういった、混沌として不純な美しさに象られたお話に、ちょっぴり異物が入り込んできたのです。
 奴です。
 吉井のちょび髭たんです(ぉ)。
 彼は、なんつーか、壊れているというか、「本気」なんですよね。
 どこが異物? っていうか、混沌に異物ってなんか矛盾してない? って言われると思いますが、
 無定型で不純な世界の中に、確固としたカタチを持った純粋なモノが飛び込んだら、
 それはある意味異物になるんじゃないかな、っていう・・。
 やっぱり、混沌とした多くの人たちが居て、そしてその人たち一人一人も一筋縄でいかなく不純で、
 そうするとやっぱり吉井の純粋さは異物だよねぇ、ということになるわけでして。
 そんなことはどうでもよろしくて。
 今回のお話で、吉井のオジサマがやってしまわれた事と言えば、
 大西車の狙撃及びそれに伴い広田たんの脇腹えぐった事、大西の奥様を暗殺し奉った事。
 なにやら、ずいぶんと即物的です。
 今までは、スパイっぽく情報操作とかがお好きでしたのに、いきなりアサシン、というかバーサーカーに。
 きっとクスリがきれたのでしょうがかなりご乱心のご様子。
 かと思いきや、これはもうどうやら確信犯らしく。ご乱心ではないようで、気は確かなようです。
 ちなみに、乱心と狂信は違います。明確に違います。
 で。
 問題は、ここにありまして。問題というか、論点と言いますか。
 ここでむしろ、普通に吉井がご乱心だったならば、事は単純明快万事解決。
 異物などではなく、しっかりと現実に組み込まれた不純物的美しさを備えていた存在者でしたでしょう。
 が。
 確信犯となると、話は別です。
 彼のウチに混沌の要素はなく、ただひたすら己が信条によってその行動を促進させていく。
 そしてそれには、かなりの割合或いは確率で制作者サイドの意図的なメッセージが含まれているのです。
 吉井の主義主張に満ちた行動と発言。
 その中身は確信に満ち、そして他者をもそれによって染め上げようという意図に塗り固められている。
 こういう感じのキャラは、今までではアブネー科学者ドクくらいのものでしたが、
 彼女はむしろご乱心の方で(ぇ)、自分の欲望に純粋に囚われていても、
 それを他の者にまで浸透させようなんて、思っちゃいない。
 自己満足に完結している、完全な快楽主義者なんですね、彼女。まぁ、ご乱心とはそういう意味です。
 そういった意味で、彼女はその混沌とした舞台背景にちゃんと当て嵌まってるんです。
 そういう意味では、主人公の櫟士も同じタイプですよね〜。
 
 ところが、吉井は違う。
 彼はあまりに意図的なんです。
 ドクや櫟士が手段のために目的を選ぶ(ドクは一概にそうは言えないけれど)のに対し、
 吉井は目的のために徹底的に手段を選ぶ。
 逆を言えば、目的以外の価値観ではまったく手段を選ばない。
 それはとても純粋で、そしてとても巨大なメッセージ性を持っている。
 なにより、今回のお話でそれがより顕著になってきました。
 吉井の真の目的が語られる。
 中途半端じゃあダメだ。小さくまとまっちゃダメだ。それじゃあダメだ。
 流9洲の人々の閉じこめられた暴虐の力を開放し、祭りという名の大戦争を引き起こす。
 そのために、彼は街の人々を啓蒙して廻る。
 人々が自らの力を信じ、無意味な人生に意味を持たせ、そして立ち上がる。
 慣らされた、平和という名の従属状態を破壊するために。
 自らが、それで良しとしてしまった諦めの境地から脱出するために。
 それはまた、こうも言えるでしょう。
 本能の開放。そして、理性の本能への従属化。
 吉井は、煽動者であり、また影なる先導者なのです。戦争のための。そして自由と本能のための。
 彼が表に出れば、まさに英雄です。自由の女神って感じで。男ですけど(笑)。
 そして、彼はそのために色々と暗躍するんですね。そしてボチボチと雄弁さを発揮しだすと。
 これはもう、多くの作品に登場するヒーロー級キャラの王道そのものであり、
 そしてテクノライズという作品における、完全なる異物なんですね。
 キャラがようやく「思想」を語り出したのです。
 
 今まで、この作品でなにかを語り出したキャラはいません。
 大西にしろオルガノ幹部にしろ救民連合にしろラカンのシンジにしろ櫟士にしろドクにしろ蘭にしろ、
 なにも自分たちの思いを語ることはなく、また自らがなにを目的として生きているのかわかっていない。
 むしろ、わかっている必要がないのかもしれないのです。
 なぜなら、彼らは其処に居るだけだからです。
 なにかの目的のためにそこに存在するのではなく、存在し続けるために目的がある。
 其処に居る、存在するとは生きているということです。生活しているということです。
 息をし、食事をし、睡眠し、服を着、仕事をし、遊んで、恋を楽しみ、泣いて、笑い合い、
 お酒を飲み、歌をうたい、人を殺し、人を助け、権力を弄び、弱者を虐げ、テクノライズに溺れる。
 これらはすべて目的となりうる事ですが、しかし誰一人として「本気」になんてなっちゃいない。
 未来に希望なんかあるかっていうんだ。それもまた混沌として不純で酷いものなんだ。
 未来は、あくまで現在の延長なんだ。
 でも、それでいいのです。
 「未来は、残酷で美しい -NO FUTURE NO LiFE-」 (「TEXHNOLYZE」キャッチコピーより)
 これが、私の受け取ったテクノライズの世界観なのです。
 
 そして、そういった世界に吉井は降り立った訳です。
 そういった世界観を打ち壊すために。未来を優しく醜くするために。
 吉井は英雄であると共に、侵略者であり虐殺者です。
 平和とはなにか。自由とはなにか。
 不自由な中で、それでもせいいっぱい過酷に平和を生きている人の世界を、
 そして、せこせこと小さくまとまって、勢力均衡を保ちながら懸命に生きる大西の魂を、
 「そんなんじゃあいけない」と断罪して破壊するのですから。
 
 大西の言葉を此処で出してみましょう。
 「街は、祭りを望んではいない。」
 
 そうなのです。
 私が心に刻んだテクノライズとは、こういう作品だと思うのです。
 正義なんかいらない。信念なんていらない。戦争の皮をかぶった革命なんていらないのです。
 未来なんてない。意味ある人生なんてどこにも無い。
 あるのは未来という名の現在、この場所、この瞬間。そして、意味のない人生だけ。
 世界は純粋であるが故に醜く俗物的で、混沌であるが故に美しく神秘的。
 希望無き酷い現在が永遠に続く残酷さそのものに、最高の美を見いだして生きる悦楽。
 だからこそ、未来は残酷で美しい。
 これは、至高の現実賛美であり、そして無類の人間肯定だと思うんです。
 否定すべきコトなんて、ほんとはなにもないんです。
 すべてを受け入れ、すべてを「美」に変換して生きる糧とする。
 そして、すべてを楽しむのです。
 「面白き ことも無き世を 面白く」
 コレ、脈絡なく高杉晋作の辞世の句ですが(笑)、これなんか非常にこのことをよく表せてる句だと思う。
 自分の想い・信念・正義感・ひいてはデフォルト(?)の美的感覚からして、
 この世界はあまりに醜く生きにくく、そしてどうしようもない絶望に囚われてしまうにしか値しない、
 そういったものでしかない、そういう感慨に囚われたことは、誰にでもあると思います。
 その感慨を押し進め、促進させていけば、この世界はまさに愚の一言に尽きてくるはずです。
 肯定すべきことなんて、全然ないんです。
 或いは、たったひとつの「真実」にたどり着き、他の一切を断罪する狂信の徒と化してしまうんです。
 (*狂信とは、ただ一人己だけが信奉する固有の事実のみを絶対化すること、と定義)
 絶対的な孤独に気づき、そして絶望するんです。
 そうなったとき、人はどうするか。
 絶対的孤独と絶望を受け入れずにあくまで己の真実を絶対的正義とし、それを徹底的に布教し
 そして敵対者を徹底的に断罪してまわるか、
 それとも、絶対的孤独と絶望を受け入れ己の絶対性を廃し、世界に広がる無数の真実を吸収し、
 そしてそういった人生を開き直って楽しむか。
 つまり。
 「世界」を変えるか、それとも「わたし」を変えるか、ってことです。
 別にどっちが良い悪いとか、そういうお話じゃーありませんヨ。
 これは立場の違いですからね。
 とかいって、えこひいきはありますけど。なにげに表現偏ってるし(笑)
 どっちの道行ってもそれぞれ大変でしょうし。
 「世界」を変えたい人は、変わりたくない人たちに攻撃されるだろうし、
 「わたし」を変えたい人は、敗北主義者や腑抜けって言われたりするだろうし。
 まぁ、私は敗北主義者でも腑抜けでも全然構わないんですけど(爆死)。
 
 
 んで、話をテクノライズに戻しますが(真顔に戻って)。
 えーと、街は祭り、つまり戦争を望んでいなく、その中で吉井は戦争を起こそうとしている。
 残酷なあるがままの世界の受容。そして讃歌。
 他の作品でならば、世の中を正すヒーローな吉井は、それを乱すいわば「悪役」という皮肉。
 逆に言うと、テクノライズという作品が内包しているテーマが、これなんだと思います。
 というか、ようやく私にそのことが鮮明に見えてきたと言いますか。
 が。
 果たして制作者側がそう作ってるかどうかは疑問。私にそう見えるだけで(それが感想ってもんです)
 今後のお話の展開からして、こういった構図が変わる可能性は大でしょう。
 特に櫟士とドクの動向は要チェック。
 今のところ、櫟士の行動原理がまったく不明なため、ある意味予測不能です。
 まぁ、わかってるのはあと10人くらいはぶっ飛ばす、ということくらいでしょう(笑)
 
 という感じですが、本日の感想はこれにて幕であります。
 長文乱文悪文、失礼致しました(ぺこり)。
 そして、ここまで読んでくださった貴方に、心より感謝致します。ありがとネ♪
 
 
 
 
 
 
 

 

 

 ■030620  気怠い復活の狼煙
 
 
 
 
 
 
 えーと。
 
 なんて言い訳していいかわからないわけでもないのに、
 その、なんだか落ち着かないモノですね。
 別に悪いことしたわけじゃないのに、ただの偶然の事故っていうか、あ、それはもしかしたら天罰かも、
 とかもう言い出したらキリが無いわけで、えーと、無駄な前書きはさておき。
 ここ一週間ばかり、日記ご無沙汰しておりました。
 サボってたわけじゃないですよ。ええ、決して。
 BBSにも散々愚痴っぽく書かせて頂きましたが、ハードディスクが壊れちゃったのですヨ。
 つーかね、天災だね、コレは。
 もうですね、ハードディスクは完全に沈黙。ネットどころじゃなかったのです。
 で、この一週間ほどそれの修復を行う羽目になってしまったのです。
 つか、結局直らなくて、新しいハードディスクに入れ替えたのですけどね。
 と言う感じで、ようやくそういった諸々の事が万事解決して、こうして本日更新再開。
 復活です。
 
 でね、こうして書いてて思うのですけれどね。
 なんか、文章の書き方わからなくなっちゃった。
 一週間のブランクって、結構重いんですねー。
 なんか、頭の中に書きたいこととかあんまり浮かんで来なくて、ちょっぴり思いついても、
 うまく言葉に変換できなかったりスラスラ書けなかったり蚊に刺されたり。
 
 (蚊取り線香、設置中)
 
 でね。
 まぁ、しばらくリハビリって感じになりそうです。
 しかも自己流でやっちゃったりするから、骨が変な具合にくっついちゃったりするかもしれないので、
 お前どんなリハビリしたんや、ってな感じで凄いことになるやもしれず。
 ・・・。
 なんか、調子出てきた。
 
 いやー、もーさすが私。
 自分を見失わないことにかけては、国宝級ですなー。
 そろそろノーベル賞もいけるんじゃぁないかなー。
 なははー。
 正気は失いかけてるかもしれないけど。
 
 いいじゃん。
 記憶の喪失ならぬ、正気の喪失。
 ガンガンなくしたら、ええがなー。
 だいたい、正気なんてチャンチャラ可笑しいよ。
 正しい気、だよ?
 なんだよー正しいってー。みんな一緒で楽しいかーこらーそこー!
 ・・・あー、いいじゃん、みんな一緒っていうのもー。
 みんなが正しけりゃーそれでいいじゃーん。
 もうね、みんな合格。
 お。
 いい月出てるね〜 ←月なんか欠片も見えない曇りっぱなしの夜空を見上げながら
 あー、あんた幸せもんだヨ、実際。
 生きてるってさぁ、ほんと楽しいじゃん。
 それって、生きることは苦しみだっていうのと同じ事で。
 え?
 だからさぁー、苦しみを楽しみに変えることも出来るってことよー。
 たとえば、酔い潰れてみたりとか。
 
 
 ・・・・。
 大丈夫です。飲んでません。絶対飲んでません。
 今日はね。
 
 
 
 
 
 
 

 

 

 ■030611  羊のうた 〜あにめの場合〜
 
 
 
 
 
 
 ふん、ふん、ふふん♪ ←鼻歌
 
 雨降り気味な日々が続いてるとはいえ、それでも陽気に振る舞ってみるのがイキオイってもので、
 その日も脳天気全開で風切って街歩いてました。いぇー。
 ていうか、今日のことです。
 いぇー。
 気付けば、というか予定通りに目の前には某TUTAYAが。
 さっそく入る。
 適当に店内を歩き回る。
 そよ風のようにふらっとまわるのがベター。
 いかにもひやかしってのは、よくない。
 なにかを探してるそぶりを見せずに、店内の空気を楽しむかのように、
 というか実際それを楽しみながら視界の端で探し物をするんですよねー。
 主にアニメの棚のところとかで。
 なんかね、いつまでたってもアニメの棚の前に立つのって緊張しちゃうんですよー。
 まぁ、周囲の例のアレを視るような視線に耐えられなくて
 だからね、アニメの棚の前では立ち止まれないんですよ。さりげなく通り過ぎるんですよ。
 そうしないと呼吸止まるし。緊張で。
 いやはやとんだアニメ好きを以て任ずる奴ですが、そうなんだから仕方がない。
 仕方ないからそうやって不自然にならないレベルで、棚の前を行ったり来たりしてブツを視認するワケです。
 なんだか、笑え泣けますね。
 それで、今日も鼻歌なんぞかすかに響かせながら通り過ぎたわけです。響かすか、バカ。
 
 ふん、ふん、ふふはぁぶへっ ←?
 
 今なんだかとんでもないものが視界に映りました。一瞬。思わず取り乱した、というかふきました。
 「羊のうたOVA。
 間違いありません。あの適当に探しに探したアニメです。
 やったー、ばんざーい。
 と言うわけで、大変前書きが無駄に意味なく長くなりましたが、
 以下より本題たる感想に移行致します。
 ちっ見つけちまったよ。感想書かなきゃいけないしむしろ見つからない方がよかった
 
 で、早速借りてみました。
 ・・・。
 コレ、羊、違う。
 オーケイ、わかった。
 以後認識を改めましょう。漫画は漫画。アニメはアニメと。
 で。
 なんと言いましょうか。なんという言葉で感想を言えばよいでしょうか。
 あ、今思いつきました。
 まさに「圧巻」でした、という言葉は不適切という言葉には当たらないと思います。
 ハイテンポで、同じ場面を表示させる時間が異様に短く、
 かつ短いカットを随所に喰い込ませ、いくつかの視点を作成して、見る者に焦燥感を与える映像。
 そして各シーンにおける象徴となるシーンを多用し、その配置もなかなかの景観。
 音楽は音楽で、脈動・鼓動を模したゾクゾクしたリズムを作品の底部に流させ、
 作品のホラー度を鮮明にさせている。
 一見すると、ほんと羊のうたとは思えないほどの変貌ぶりです。
 漫画版のあの異様に卓越した鈍重な「間」の取り方は一切採用せず、
 上記のような、視点の非一定化でもって物語にスピードを与えている。
 漫画版が静の中の動を描いているとすれば、アニメ版はまさに動の中の静を描いている。
 スピード感に溢れ、どんどん先に進んでしまうのに、随所に入るカットの存在がモノを言う。
 それとそれに付随してのもうひとつの特徴は、話手の表面的な存在が無いことです。
 つまりどういうことかっていいますと、なんか登場人物がセリフ喋ってるときに
 その登場人物は画面に映っておらず、まったく別のカットが入っていたりする。
 或いは映っていても、大抵顔以外のところが映っている。
 全部が全部そうではないけれど、作品の7割くらいのセリフがそうなっています。
 これは単純に言えば、どこから声が発せられているのかわからない恐怖感、
 違う言い方をすれば幻想感を与えてくれます。
 要するに、かなりホラーテイストです。ストーリーは全然ホラーじゃないんですけどネ。
 でも、これがまたよろしいのですのよ。
 ヘタに漫画のように視点を一定化させて、延々と会話シーンを続けていたら、
 きっともっとおかしかったはずです。むしろ冗長と感じてしまうはずです。
 確かに漫画版とは全然違う「間」の表しかたにはなっていますが、
 しかし完全にアニメ独自の映像を作り出せていたと思います。
 家の前で一砂が千砂に出会うシーンも、千砂の接近は瞬間的で、平面的で、
 それでいて実に映像的にインパクトがある。漫画版では千砂のカットを大きくして表現していたけれど、
 アニメ版はそういうことをせずに、別のカタチで見事に姉弟の静かなる邂逅の演出を完成している。
 あそこで純粋に漫画版を意識して千砂を大きく描いていたら、たぶんダレたでしょう。
 
 あとはやはり、全体的に抑揚のない演出が目立っていました。
 盛り上がる場面のひとつである、千砂が自分は吸血鬼みたいなものだというところがありますが、
 あそこあたりも、ほとんど他のシーンと変わらない平坦さで淡々と語られます。
 特別な演出は一切無し。
 でも、逆にそうしたほうが不気味さは増していました。
 
 ・・・・・。
 そろそろ書く気がなくなってきましたので、違う方法で書いてみます。
 まずね、なにがいいたいかというとね、OVA良かったっす、ってコトなの。
 そう、それが言いたかったの。純粋に。
 んでね、漫画とアニメはまったく別物になったけど、私はOVA化して良かった思う。
 キャラのデザインとかもね、似てるけど違う、っていうレベルだけど、だからアニメ嫌ってことにはならないよ。
 てか、アニメ版千砂もウツクシカッタ。
 一砂も目がおっきかったけど、カコヨカッタ。
 八重樫もなんか丸かったけど、カワイカッタ。
 声もね、予想以上に合ってた。
 千砂は自分のイメージと30%くらいの誤差はあったけど、その差異が逆に妙にリアルだったり、
 一砂はちょっと軽薄な感じがするけれど、聴いているうちにアニメの映像に合ってきたし、
 八重樫はストライクだったし、木下は無関係のセリフ言われても彼と断定出来る程のモノ。
 ぶっちゃけ、千砂はキャラ的にアニメと漫画版とでびみょ〜に(ほんと微妙に)違ったネ。
 ややアニメ版が不気味さを全面に出してた。だからもうちょっと感情押さえた声の方がハマりかも。
 綾○レ○みたいな。
 でね。
 ストーリーは全然変わってないんだよね。
 かなりシーンが省かれていたけれど、セリフとかの改変はあまりなかったみたい。
 ストーリー変わってないのに、演出でこれだけイメージが変えられる(しかもうまく)って凄い。
 例えるなら、リミックスって感じ。
 ただ、それでやっぱり微妙に違いは出てきたよね。
 一カ所セリフの改変、というか付け足しがあったところ気付いたんだけど、
 ラストで、千砂が自分の腕を傷つけて一砂に血を飲ませようとして「一砂・・」と呟くシーン。
 アニメ版では千砂がそういったあと、一砂が「千砂」って反応するんですよね。漫画では言わない。
 これってたったひとことの違いだけど、中身的にも違ってくるよね。
 あれって、要するに一砂も自分達と同じ宿命を受け入れて、こっちに来いっいう千砂の呼びかけ、
 そしてそれに対する一砂の反応だよね。
 漫画版だと、そこで一砂は反応しないんだよね。
 これってつまり、この時点で一砂はその宿命を受け付けてない、ってことなんだよね。
 次章のネタバレになるけど、一砂はここで宿命は受け入れずに、
 でも千砂に癒しを見出して、ある意味「快楽」のためだけに血を吸うんです。
 だから、漫画版ではまだ一砂は千砂側には行ってないんですよね。
 でも、アニメ版だと一砂は千砂の呼びかけに反応している。
 つまり、一砂はこの時点で一足飛びにアチラにイっちゃうんですよね。
 で、これは製作者が話を短くするための陰謀だと個人的に思っていますが、違いますね。はい。
 む。なんか書いてて思ったけど、この説は無理あるかも。でも直すのめんどいからこのまま。
 
 あとはですね、なにかあるかな。
 あ、最後にエンディング。
 あれ、泣けますよ。
 てか、なんだよあれは反則だよ。
 アニメのエンディング曲はかくあるべし、と思ったね、実際。
 歌詞が凄いもの。おもいっきり、羊のうたぢゃん。
 もうね、歌の上手い下手なんてどうでも良いのよ。
 苦しみですよ。悲しさですよ。冷たさですよ。孤独さですよ。激しい痛みですよ。
 そして、自分がどこで生きてるのかってことですよ。
 この曲はですね、羊のうたを読んだ方にはゼヒ一度聴いて頂きたいです。
 非常に、とてつもなく、わかっちゃうはずです。イロイロと。
 名曲とは言いません。
 だから、羊のうたを知らない人にはまったく私の音感からしてお勧め致しません(そこまでじゃないけど)
 ですが、申し上げましたように、羊のうたを知る人は必聴です。
 それだけです。
 
 
 
 ああああ。
 なんだか、語りたいことは山ほどあれど、どうにも言葉が続きません。
 漫画版読んだときもそんなかんじだったなぁ。症状が似てるなぁ。
 ・・・・。
 以後、これを羊のうた症候群と呼称する!(するな)
 
 はぁ、寝よ寝よ。
 
 
 
 
 
 
 
 追記:
 
 羊のうたOVA。何度も言いますが、私は良かったと思います。
 心情的にはDVDプレーヤ持ってないけど、DVD買っちゃおってとこまで登りつめました。
 ・・・金銭的には、残念なコトになりますけど(死)
 
 なにはともあれ、やっぱり「羊のうた」は素晴らしい。
 ぜひこの日記を視ている方、漫画読んでみてください。
 
 書名:羊のうた
 著者名:冬目 景(とうめ けい)
 出版社:幻冬舎コミックス
 巻数:全7巻
 値段:1〜6巻・540円 7巻・590円 (各税別)
 
 絶対損はさせないですよー。
 私が責任とるわけじゃないですけれど。
 
 ・・・。
 羊のうた、万歳。
 
 
 
 
 
 
 

 

 

 ■030609  対等関係のままの世界
 
 
 
 
 
 
 なんとなーく、時間が破れかぶれでゆっくり流れている気がします(挨拶)
 
 さて、本日は徒然なるままに文章を書いていこうかと思いながら、
 やっぱりやめたと思い直してフロントページ(HP作成ソフト)を閉じたかと思ったらまた開いたりと、
 キングオブ未練って感じで迷いに迷った挙げ句、書くことに決定致しました。
 ゆえに、モチベーションは0からスタートです。やる気無し。
 
 わーわーわー ←取り敢えず叫んで調子を整えてみる。
 えーと、最近はなんでしょうねぇ、あれ、あれです。
 今日は髪を切りにいってきました。
 短くパサっといっちゃいました。
 前も短かったけど。
 それでまぁ、うん、髪型のおはなしは置いといて、
 これはまぁいつものことですけれど、髪切ってくださった方と結構話し込んじゃったりしました。
 やっぱ、美容師さんたちってトークうまいですよ。
 話して、割とほぅって感じで感心しちゃうこともしばしば。
 話術を心得ていらっしゃる。
 私も自分でいうのもなんですけれど、リアルじゃ話出来る方で、お喋り大好き人間なんですけれど、
 ある意味尊敬の域に彼ら彼女らは到達してます。すごいって。
 なんていうんでしょうかね。話を持続させる能力というのでしょうか。
 決して雄弁であるとか、また話題が豊富であるとか、ガンガンイニシアチブ執ってくれるという訳じゃなく、
 なんとなくさりげなく色々な方向に話題の進む可能性の道を開いてくれているというか、
 もっと簡単にいうと、悪い意味でのこだわりを持ってないんですよね。柔軟なんです。
 自分の持ち駒をいかに上手く使い、会話を成立させるか。
 つまり、自分の言いたいことを前に出すのではなく、まず相手の言いたいことを理解する姿勢を保つ、
 そういう感じなのでしょうね。
 これはね、大変勉強になります。
 それにね、実際お話ししてて楽しいですよ。私もどんどん上手い話方の工夫をしながら話せたりして。
 やっぱり、会話っていうのは、お互いの考えを理解し合うっていう所が楽しいです。
 ネットとかだと、この点結構ハンデありますよね。
 相手に伝えられるのが文字情報だけですから、どうしたって一方的な意見の開陳、
 ひいては押しつけになってしまうことが多いように思います。
 だから、ネットって結構難しいんですよね。面白いけど。
 って、まぁそれはどうでもよし。
 
 あれ? なんの話でしたっけ?
 ああ、そうだ。会話って楽しい、ってお話しでした。
 うんうん。そうそう。私流の話術もこんな感じ。
 自分が正しいということ、自分と相手が同じである事の確認のために会話をするより、
 相手が正しいと仮定し、相手と自分との差異を見極める事に主眼を置く会話が好き。
 どっちが正しいとか、間違ってるとか、そんなのは全然まったくこれっぱかしもお呼びじゃない。
 というか、全部正しく全部が間違い。よってすべてにおいて正邪はナシ。
 自らを正とするとき、相手もまた自らを正とする。
 ならば積極的にこちらから、相手のその正しさの理屈を学んでみようじゃありませんか。
 そういう風にしてみれば、正しさなんてつまりはそれぞれの「立場」の違いでしかない、って事に気付くはず。
 そうやって、此処からお話しをはじめようじゃありませんか、っていうスタイルを私は目指してます。
 
 ・・・。
 だってさぁ、そうしなけりゃ、結局なんも収穫はないと思うんですよね〜 ←だいぶノってきた
 「正義」とか「倫理」とか、そういう酷く「偏った」事で会話を支配させちゃうと、ほんとつまらない。
 でも、逆にそれをぶち壊して自分が会話を支配してやる! っていうのもまたヘンな訳で。
 つまり、たったひとつの価値観だけで会話のルールを決めちゃうと、会話が貧しくなったり、
 またはそれを壊そうとする人との争いになっちゃうんですよね。
 私は会話してて争いになるっていう心の機微が、よくわからないんですけれどね(汗)。
 あ、もちろんそういう統一された価値観だけの会話ってのもアリだと思いますよ?
 社交辞令オンリーの会話とか、そういうのも個人的に好きですし(笑)。
 でも、それが全部ってなると、ちょっと、ネ。
 趣味の話は置いといて。
 って、あれ? いいのか。今趣味の話してるんだし(笑)。
 それでね。
 人とお話しするときはね、相手を尊重する気持ち、っていうのがあると良いの。
 そうすると、自然と相手と対等のままでいられるから。
 だってさ、ほっといたって自分の意見が正しいって思っちゃうんだからさ、ちょうど良いんだヨ。
 これはそうだね、技術的なものでもあるし、精神的なものでもあるよね。
 相手の考えを聞かせて頂くこと、それと自分の考えを聞いて頂くこと。
 もちろん、そこまでオーバーに振る舞えって事じゃないですけど、基本的にはそういう感じかな、私は。
 私の考えが正しいことは、自分がよくわかってるんだから、それ以上自己満足することない。
 否。自己満足してひとりよがりな自分に酔い痴れるのは大事なコト。
 それはだって、世界のあらゆる法則(理屈とか倫理とか)の中での、
 自分の絶対孤独の証し、そして自らの存在の独自性の確認行為でしょ?
 自分が自分の考えが正しい、或いは「好き」だと思っているなら、
 どんな自分でも、それは愛しても良いシロモノ。
 でも、その自愛行為を他者にまでするのは、なんかおかしい。
 他者は他者なんだから。
 他者は他者でちゃんとしっかり自分で自分を愛しているんだから。
 他者もまた独自で、唯一の存在なんだから。
 それをいくら多くの人が信奉しているからといって、単一の価値観で語るのも間違ってるし、
 また、自分と違うからあいつはおかしい、っていうのもまた間違ってると思うよ、私は。
 あ。
 今、私、「間違ってる」っていったけど、これもほんとはおかしいよね。
 なにかを間違ってるって断定してるってことは、やっぱりそれもまた間違いってことだし。
 だって、世界はたくさんの正しさに満ちてるんだから。
 別にさー、だからまた言うけれど、なにが正しいかって判断するのって無意味だよね。
 というか、好きじゃない、私は。
 やっぱりさ、そこらへんはノータッチ、というか野放しでよいんじゃないの?
 それは諦めとかそういうのじゃなくて、むしろ肯定的に。
 なにもしないを、しよう、って感じで。
 
 
 
 ・・・・・要は、この言葉に帰結させたかっただけのような気が(爆死)
 
 
 
 P.S 今回の日記の文章についての、感想・ご意見をお待ちしております。
    最近日記の存在が自他共に忘れられているような気が致しますので(死)
 
 
 
 
 
 

 

 

 ■030607  TEXHNOLYZE : 08
 
 
 
 
 
 
 遠雷が木霊する。
 夜。
 吹き上げる炎に、街の声は掻き消された。
 無下なく決定された闇を劈く、男達の喊声。喚声。そして、歓声。
 弾け、放散し、収束することを拒む人間達。
 見えなかった秩序が、顕現する前に崩壊していく。
 
 消えない、銃声。
 朝。
 世界は、瞬く間に大戦を迎えた。
 鬱屈した建前をこぼつ、魂達の叫び。叫び。叫び。
 笑い、涙し、壊れることを止めない餓狼達。
 ありふれ過ぎた暴力が、無惨に解放されていく。
 
 皆殺し。
 
 仕組まれた策謀は、一匹のカタマリによって肉を得た。
 彼の目に闇は無く、ただ瞬間と永遠を捉えるだけの光が漂うのみ。
 曰く、刹那的で計画的。
 ふたつでひとつのカタマリの背を、虚ろな女神が見つめている。
 
 周縁を操り糸で吊された、楕円形の世界。
 円底にたむろするは、大戦の主役達。
 みじめに死んでいく。
 円周に君臨するは、大戦を憂う者達。
 みじめに生き残る。
 世界に喰い込む糸共は、鼠で遊んで笑っている。
 
 決戦無き虐殺。
 
 今のところ、平和は悪徳だ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ・・・・。
 うわ、なんか怖い文章になっちゃった(汗)
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 

 ■030601  殺伐としたヘイオンなる日々■
 
 
 
 
 
 
 不調である。
 
 なかなか日記を書こうという気力が起きないのである。
 いや、日記を書きたいと思う心はあるのだが、それが執筆への直接の動機へと変換されないのだ。
 つまり、日記を書くのが困難な状況なのである。
 しかし、かような事態であるにも関わらず、比較的楽観的な状況が脳内に広がっている。
 そのうち書けるようになる、と過去の己の経験を鑑みて、理論的論理的にその推論が成り立つわけで、
 故にその楽観はある程度の正当性を獲得しているのだ。
 と、思いつつしばらく時を置いてみたが、一向に書こうと思う気力は起きず、
 人知れず憤慨しているわけである。
 いい気なモノだ。
 そしていい気なモノであるうちに、なにかを書かなければならない、という義務の意識が芽生えていた。
 だから、本日はこうして筆を執った次第である。
 うまい下手はまったく度外視して、なにかを書く。書く。ひたすら書く。
 日記の歓喜を永遠に味わうために。
 次の日記のために。
 次の次の日記のために。 ←某少佐風に
 
 つまり本である。
 困ったときは本を拝め、と誰かが言ったような気がするし、私もそう思う。
 だから本である。
 最後に本のことを日記に書いてから久しいが、無論その間本を読んでいなかったわけではないし、
 つまらない本ばかりだったから、感想を書かなかったわけではない。
 例の如く、書く気が起きなかっただけだ。
 この間に読み終わった十数冊の本の感想を書くことは、この際無かったことにしたい。
 過ぎたことは過ぎたこと。もう良い。
 であるからして、今読んでいる本の事を少し書いてみたいと思う。
 今読んでいる本(及び読み終わった直後の本)、これから読む本は以下の通りである。
 
 ・庄司肇 「坂口安吾」 (南北社)
 ・坂口安吾 「信長/イノチガケ」 (講談社文芸文庫)
 ・坂口安吾 「白痴/青鬼の褌を洗う女」 (講談社文芸文庫)
 ・池内紀 「小川未明」 (日本文学幻想文学集成・国書刊行会)
 ・倉橋由美子 「夢の通ひ路」 (講談社)
 ・小嵐九八郎 「真幸くあらば」 (講談社)
 ・中村整史郎 著 「尼子経久」 (PHP文庫)
 
 「信長/イノチガケ」と「夢の通ひ路」を同時進行で現在読んでおり、
 庄司肇の「坂口安吾」と中村整一郎の「尼子経久」は読了。
 私の現在のお気に入りの作家は、おそらく坂口安吾であることは自他共に認めることであろうが、
 なかなかどうして、というか予想通り面白いのである。
 「信長/イノチガケ」は「イノチガケ」「島原の乱雑記」「鉄砲」「信長」の四編を収録した文庫である。
 このうち「信長」以外は大したものではないが、その分「信長」の威力はバツグンだ。
 今まで読んだ信長の小説の中で、もっとも私と一致した作品であることは間違いない。
 私の信長が、「信長」の中に居た。
 「白痴/青鬼の褌を洗う女」。これは「白痴」が安吾の代表作だと色々な人に言われたので、
 なかばヤケになって借りてきたモノだ。さて、いかなるものかは読んでからのお楽しみ。
 庄司肇「坂口安吾」は評論である。ジツはコレ、父から借りた本である。
 父はジツは安吾ファンであったらしく全集も持っており、私などはビックリ仰天であったりする。
 あの父が、ねぇ・・・。
 というより、今更ながら私は父のこと全然知らないのだな、という思いにとらわれて満足した。
 快く全集まで貸してやろうか? などとほざいてくれた父であるが、慇懃無礼にお断りである。
 安吾は私が自分で見つけてきたモノであるのだ。父の手は借りたくないのだ。
 だから私は必死コいて、現在安吾の全作品を汗水流して懸命に探して回っているところである。
 要するに、ファザコンバカである。
 肝心の庄司肇「坂口安吾」は、たまたま父が持っていただけだと思って借りて読んでみたのだが、
 これもなかなかに凄かった。
 評論など久しぶりに読むので、読解に少々手間取ったが、最終的に8割方は理解できたから
 センターなら合格であろう。
 内容は紅い瞳的に合格ラインを余裕で突破しており、評論とはかくあるべし、
 という確信を抱かせて頂いた。庄司肇氏に感謝である。ついでに紹介してくれた父にも少し感謝。
 倉橋由美子「夢の通ひ路」はなんだか面白いお話しだ。
 主人公の主婦の異界の人々(過去歴史の登場人物など)との交流を描いた作品である。
 読んでいるうちに、アレである。つまり現実感が薄れてくる快感に酔える。
 楽しい作品である。
 「尼子経久」は、特に取り柄というモノを見出せない作品であった。
 それだけであった。残念ながら。
 
 明日から、私が利用している図書館の中で最も利用価値の高い館が、一時休館になる。
 特別の棚整理とかなのだそうで、2週間ちょっとは利用できないらしい。
 故に先手を打って前借りをしてきた次第である。
 借りてきた本は、しばらくの間山積みである。
 
 ・夢枕獏 著 「陰陽師 〜生成り姫〜」 (朝日新聞社)
 ・高橋克彦 著 「〜ドールズ〜 闇から招く声」 (角川書店)
 ・上遠野浩平 「殺竜事件」 (講談社)
 ・上遠野浩平 「紫骸城事件」 (講談社)
 
 注目は「陰陽師〜生成り姫〜」であろう事は間違いない。
 このシリーズはキチガイな程に面白く、そしてその文体の綺麗さには信用がある。
 裏切られる心配はなさそうだ、というのが現時点での想像。それ以上である憶測はしない。
 「ドールズ」は確か映画化されたような記憶があるが、定かではない。
 基本的に未知数ではあるが、高橋克彦はタマに良い作品を出すので侮れない。
 大穴って感じ。
 「殺竜事件」「紫骸城事件」は言わずとしれたブギーポップシリーズの上遠野氏の作品であるからして、
 期待度は高めに設定。
 しかし、ブギーポップシリーズとは明らかにノリが違うようなので、ドキドキするような波乱の気配。
 ナイトウォッチシリーズの時みたく、爆裂さを希望。
 ブっ飛べ。
 
 
 
 
 
 
 なんの因果か、「ほしのこえ」を観るという大願が叶いました。
 そして、
 
 シリウスまでブっ飛びました。
 
 
 以上。
 
 
 
 
 
 

 

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