〜2003年8月の過去ログ〜

 

 

 

 ■030827  難しきを易きへと 〜羊のうたOVA第2巻〜■
 
 
 

 

 
 
 火星が大接近しているようで御座います。
 紅い瞳は興味なぞ欠片も持っていないのに、つい夜空を見上げてしまう小物であるので御座いますが、
 当然の如く空は雲で覆われていたりするので御座います。
 火星無用。
 
 本日はお題の通り、羊のうたOVAについてのお話をさせて頂きたいと存じます。
 今夕、滞りなくめでたく購入することができました、羊のうたOVAの第2巻。
 いつのまにか近くにアニメイトが出来ていたようで、そしてその事に本日気づきまして、
 他の用事を終わらせて後お邪魔させて頂きました。
 さすがにアニメ専門店だけあって、今更私が申し上げるまでもなく品揃えは豊富。
 他のCD店などでは既に発売自体の存在が疑われる程にまったくなかったこのOVAが、
 さも売っていて当然というような顔をして、でんと売られておりました。
 ビバ、アニメイト。
 さっそく頼もしげに陳列されている灰羽連盟(初回限定版)をありがたく購入させて頂きました。
 
 さて、肝心のOVAの中身についてで御座いますが。
 なかなか、難しいお話になってきているようです。
 正直申し上げまして、私はここでなにを書いて良いのか、よくわかりません。
 作品の外側部分、つまり作画とか音楽などに関してなにかを書こうとしても、
 かなり狭められた評価の視点でしか語れないような気がするので御座います。
 私には、あまり作品をそういった風に言うようなことはしたくないので御座います。
 しかし、私が、この作品の中に見つけた、「創造的」箇所について言うこと、
 これについてはなんら臆するところは御座いません。
 
 前置きが長くなってしまいましたこと、お詫び申し上げます。
 さっそくこれより本題に入らせて頂きたく存じます。
 前回同様、このOVAでは演出がその物語の中心を担っておりました。
 ただ今回は随分と前回と趣を変えて、
 かなり物語の連続性を断つことが強調されておりましたようで御座います。
 より単発的に物語が区切られ、一見するとどういう風に話が展開していっているのかがまるでわからない。
 この「まるでわからない」というものが割と平然と作品に横たわっているため、
 鑑賞している側はどうしても違和感を感じてしまうので御座います。
 ですが、逆に言えばその単発的に区切られた場面場面だけを捉え、それを自分の中で再構成すれば、
 これは立派に一つのイメージを自分の中に創造できると、私は思うので御座います。
 かなり全体的に原作が抽象化されているのも、このOVAの特徴で御座います。
 ある意味で、パズル。
 そしてひとつひとつのピース(絵・音楽を含む)を「不細工」に組み合わせることで、
 原作が元々持っているイメージとはまったく違うものを、見るものに提示するので御座います。
 それは非常に考えられて為された組み合わせで、
 ひとつひとつの組み合わせから、実に色々なことが汲み取れるようになっております。
 ひとつひとつの言葉を積み重ねていくことで、綿密なロジックを築き情感を描いてきた原作とは違う、
 と申し上げますより、そのロジックで構成された物語をひとつひとつのピースに分割し、
 その分割されたそれ自体もひとつのロジックで成り立つピースを再構成することで、
 全く違う「ロジック」で築かれた情感がOVAには現れ出てくる、と言い換えた方が宜しゅう御座いますね。
 ですから、そのOVAの全体的な「ロジック」は「詭弁」なので御座います。
 たとえば、千砂の一砂に向ける視線。
 つまり千砂が一砂に愛する父親の影を見、その影に暗い情欲を掻き立てられる視線。
 原作に於きましては、千砂はかなり思考的(理性的)にその情欲を感じ始め、
 そしてその情欲を鎮め高ぶらせるために、より自分の中で言葉を紡いでいくので御座いますが、
 OVAだと、その理性的な部分が一切「感じられず」、
 ただ本能的に一砂を一途に求める凄艶な千砂の瞳がまっさきに画面に出てくるので御座います。
 千砂が一砂に一緒に住もうなんて言ったシーンなんて、千砂の下心見え見え。
 一砂を父親の部屋に案内したときなどは、本当に千砂が舌なめずりするのかと思えた程で御座います。
 私は恐ろしい程までに、原作とのイメージのギャップを感じてしまいました。
 では、なぜそうなるので御座いましょうか。
 それはつまり、「結果」しかOVAでは表現されていないからなので御座います。
 何事かの行為が発現するに至るまでのロジック(理屈)が、
 バラバラにされ別のカタチに組み直されることで無効化されたために、
 そこには「千砂が一砂に父親を見て愛する」という結果しか残らなくなったためなので御座います。
 原作からすれば、それはある意味で嘘で、そして詭弁。
 確かに千砂は結果的にそうしているのだけれど、でもそれは違うので御座います。
 例えるならば、2x3と、2+3+1の答えは同じく6ですけれど、でもその式自体は違うわけなのです。
 そうなると、必然的に6も同じ6ではないわけなのです。
 でも、その式を構成している因子(2.3)自体には同じものがあるので、
 場面場面で見れば、ふっと原作のイメージが出てくる箇所もある。
 だから、すごくいびつなのです。
 そしてそのいびつな感触が、このOVAにおける全体的な「ロジック」なので御座います。
 
 私はこの物語の結末を原作を読んで知っております。
 物語全体を通しての「ロジック」も、そしてその結晶が物語の結末だということも。
 ですからその結末を知った上で、私は必然的にOVAを見ているので御座います。
 原作を思い起こしながら、そして色々な物語の別の可能性を想定しながら観ています。
 千砂のあのときの考え方は、こういう発展の仕方もあるな、と。
 答えが埋まっているテキストに、いかなる式を書き込むのか。
 これは、このOVAが表していることと同じです。
 羊のうたOVAは、原作ファンが羊のうたを読み返すためのいわばひとつの模範解答なので御座います。
 2巻の封入特典であるライナーノートにも書いてありましたが、
 このOVAはあくまでOVAの監督が原作を構築し直したものなので御座います。
 ですからまったく原作とは違うわけでは御座いません。
 そして、原作を構成しているものに多少の付け加えはあったにせよ、
 基本的に原作を構成している因子を組み替えることによって、OVAを製作しています。
 ですから、私はもはやこの物語の結末が原作とは異なるものとなったとしても、まったく気になりません。
 ある意味で、その結末の差異は差異であって差異ではない。
 物語を構成している因子が同じなのですから、
 その組み合わせによって導き出される答えは、違うように見えて、実は同じなのです。
 2x3は6、(2+3)+1も6、なので御座いますよ。
 
 私はこのOVAを、ひとつの絵画を眺めているような心持ちで観ております。
 原作という対象物を自分の中で再構成し、それをキャンバスに自らの腕を持って描き出す。
 野に咲く花とキャンバスに描かれた美しい花が、一見まったく違って見えてもそれはそれで良いのです。
 それを描いた人は、ちゃんとその花をこそ描いたので御座いますから。
 そして私は、その描かれた絵画に美を見つけましたのです。
 もちろん、この絵画に美を見出せない方も大勢いらっしゃられるとは思います。
 しかしその否定された美もまた、この羊のうたOVAが創り上げたものでもあるので御座いますよね。
 そういった意味で、この作品はなかなかに「手応え」のある作品になってきている、と思いました。
 
 最後に、差し出がましいことをひとつ申し上げます。
 この作品は、原作を先に読んでから鑑賞なされますことを私はお勧め申し上げます。
 以前は、原作とOVAをどちらを先に読んでも観ても良いと思っていたのですが、
 上記のような理屈により回心致しましたゆえ。
 
 それでは、今宵はこのあたりで幕とさせて頂きたく存じます。
 皆様、ごきげんよう。
 
 
 
 

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 ■030825  閑話休題転じて活力と為す■
 
 
 

 

 
 
 そんな言葉があったらいいなぁ、と思う今日この頃。というか今、この瞬間。
 
 今日は前日に海行って死にかけたのに、懲りずにまた海行って自らの肉体の強靱さを再確認してきたり、
 古い古い友人からすごく久しぶりに電話がかかってきたのに、「あんた誰」って言っちゃったり(素で)、
 自分の上半身右側の発汗量が左側と比べて異常に多いことに、生まれて初めて気づいたり、
 結構重宝してたジャンク品売ってるPC店が閉店してたり、
 マイ自転車のペダルを力入れてこぐと、チェーンが自動的に外れるようになってたり、
 そうだ図書館に行こうと思うときはいつも月曜日で、そして月曜は休館日だったり、
 羊のうたOVA第2巻は、店に置いておくと店のステータスが下がると言わんばかりにどこにも売ってないし、
 ていうかそれ買いにいくためだけにアニメイトとか行くのヤだし。
 イロイロ、無かったようであったような気もする。
 
 と言うわけで、本でも読んでみました。
 ここぞというところでは、やはり哲学ってないいもんです。
 久しぶりに寝惚けた頭に喝が入って良かったデス。
 客観的真実の実在を肯定するも否定するも、それが到達不可能という意味において同義ダ!
 しかし返す返すもいつになったら紅い瞳はテクノライズの感想書くのだコラ、と
 ツッコミを入れ続けることにも疲れてきたような気もします。
 だからそろそろ書かなきゃいけないと思うのだけれども、
 というか今日書くつもりだったんだけど、暑かったんでやめました。
 暑いときにはやっぱりサイト巡りとかいいんじゃないすか姐さん、
 と思うも最近見て回ってるサイトの数が少ないんじゃないかと思う次第。
 同じところをぐーるぐる回ってるだけで、ものすごくネットを有効利用してない気もちらほら。
 そういえば、最近BBSとかチャットに参加してるサイトの数が五指をきったなぁ・・。
 自サイト引き籠もり万歳。
 そんなオマセなヒッキーがやることと言ったら改修奉行。
 サイトリニュとかね、今、すんごくやりたい。
 リニュどころか今までのとはちょっと違う大改変とかもやりたいお年頃。
 ノリとか、そういうところとかもっとこう・・・・おしとやかに(顔を赤らめながら)
 で、言ってることは素手でシロナガスクジラ殺るくらいの無理っぽさを主力に置いてみたり、
 そういうプレイスタイルの変更を余儀なく自分に課せば、少しは夏っぽくもなると思う。
 だってさぁ、この時期に海入ってクラゲに刺されないんですよ? 私の夏を返せ!
 って叫んでみたところであずまんが大王の続編が出る訳でもなく、
 そらーみなさんも紅いモノにこだわるわけでありますよ、閣下。
 夢でも見たんですけど、やっぱり貰えるなら洋風の豪邸より質素でも和風な家がいいなぁ、
 なんて殊勝なコト言ったら、誰にも同意されなかったんですよ。
 道理で誰も冬目景読んでくれないわけだ。
 「なんか良い漫画ない?」って聞いてきた人にすべて羊のうた(全7巻)をススメてるのにねぇ。
 和風、いぇー。
 でもそこいくと、ネットだと結構私のオススメを受け入れてくれたりしてくれる人いて、
 感激してたりも実はするんですよね、電池が切れるまでは。
 電池が切れると、そこはあれですよアナタ、サッカーがやりとうてやりとうて堪らなくなるのでござる。
 あっしはしがねぇ渡世人でごぜぇやすが、しっかしサッカーの魅力たぁわかっとるつもりでござんす。
 それを、なんでやめちゃったんですかねぇ・・・あっしは親分の気持ちがわからねぇっ(酒をかっくらいながら)
 ただ球ぁ蹴ってりゃいーのに、余計なコト考えたりすっから・・・・、
 あ、いけねぇいけねぇ。過ぎちまったコトうだうだ言うのは仁義に外れらぁ。
 あっしは親分についてくって決めたんだ。
 だからって、いつになったら貸したネオランガのビデオとメールの返事は帰ってくるんだよぅ。
 梨のつぶてってこういうコトなのかなぁ、って思ってるうちに桃が食べたくなりました。
 桃は一番好きな食用植物だったりするんですが、いくら種をまいても芽を出しません。
 って気づいたら、母君が掘り返してハーブ(なんのハーブだか存じませぬ)を植えてました。
 紅い瞳が植えた桃の種からは、ハーブが芽を出す(3へぇ)
 明日から早速使えないトリビアは置いといて、最近気になるキャラは夜鳴く蝉。
 今年は夏っぽくない日が続いたから、セミもほんとに可哀相だなぁと深い同情の意を示せど、
 五月蠅い以外のなにものでもないのは、
 どうみても山田花子が走るの嫌がっているようにしか見えないのと同じくらい周知の事。
 御免なさい、もう蝉の抜殻をセルって言いません。
 ヒグラシの鳴き声は好きなんですけど、やっぱり灰羽のほうがいいなと思うんですがどうですか。
 え?
 もうダメですか?(紅い瞳が)
 ・・・
 私も、そう思いました。
 合い言葉は、「ちんすこう」でお願い致します。
 
 
 
 
 ぐぁぁ、暑さに負けるな紅い瞳。
 
 
 
 
 

 

 

 ■030824  灰羽に捧ぐ鎮魂歌としてのマーチ■
 
 
 
 
 
 
 幸せが溢れかえる街。
 影の見えない、ゆりかごの中のようなオールドホーム。
 そしてその中で、まっさらに世界から洗礼という名の浸食を受ける少女。
 彼女に羽が生え、光る輪を頭上に掲げ、そして彼女は灰羽連盟の一員となった。
 完全に保護された、神の御園。
 配置されることがすなわち存在するということである、箱庭的世界。
 そこで、少女ははぐくまれる。
 不条理も試練も、悲しみさえも無い、幸せになることが人生の目的。
 こんなに幸せでいいのかな・・。
 幸せに疑問を抱く必要の無い世界。
 絵本のような牧歌のこだまする演技的世界。
 それはすなわち、幸福遊戯。
 羽の生えた道化師達は、自らの芸により幸福をエンシュツしていく。
 ようこそ、私たちのオールドホームへ。
 良い子も悪い子も寄ってらっしゃい見てらっしゃい。
 さぁさぁ、灰羽達の楽しくてはっぴぃなマーチが始まるよ。
 彼女たちの笑いさざめく歌声が、無限に眼前にしみ出していく。
 ひたすら幸せに。幸せに。
 忘れてしまったしがらみを、二度と思い出す事の無いように抹殺するために。
 空から落ちてきた少女は、無自覚な幸せのうちに灰羽となっていく。
 
 描きかけの小窓から外を覗くと、そこには知らなきゃいけない世界が広がっている。
 作られた世界。
 作られた、灰色の羽。
 少女は世界を纏い、羽を生やしてやっとひとつの存在となれた。
 これから、少女は知らなければならない事にたくさん出会わなければならない。
 出会って知って、立派な灰羽とならねばならない。
 自分がどこから来たのかを知る必要と術は、存在しない。
 灰羽のラッカに祝福あれ。
 
 わかるよね?
 「灰羽連盟」って作品の喜びと悲しみが。
 描きかけの小窓の内から世界を見るのは許されない。
 小窓を描き上げるのも許されない。
 灰羽は窓の外に出なければならない。
 窓の内で自分を見つめることは、許されない。
 窓の外に幸福を得られなければ、灰羽は存在することが許されない。
 良い灰羽になることを許されず、悪い灰羽の黒い烙印を押されてしまう。
 そのために、この世界は幸せに満ちている。
 そして、様式美に満ちている。
 世界が準備した様式に幸福を感じられなければ、それは罪となる。
 灰羽にあらずんば、存在者にあらず。
 ラッカその人の魂の幸福は、この街では得られないのだ。
 灰羽にあらざるラッカに呪いあれ。
 

 
 とろけるような優しさに、身を焦がして悶える劣情。
 様式にきっかり収まった陳腐な仕草に、リアルを感じる風情。
 相反する情感の狭間で、しっとりと安定を得るココロ。
 どうみたって、心地良い。
 素直に素直に、ひたすらまっすぐに私を受け止めてくれる世界観。
 ほっぽいといたって、どんなにうがった見方をしようと、ココロが穏やかになっていくのを止められやしない。
 ほんとうはね、灰羽っていうのは残酷なお話なんです。
 ラッカがあの世界を受け入れられなかったら、おしまいなんです。
 そして受け入れていったとしても、それはどうしたってあくまで「外側」にある幸せなんです。
 レキとラッカの他愛ない優しい会話。
 あれは、レキもラッカもお互いの「内面」をまったく知らないがゆえに、可能な会話なんです。
 自分自身も自身を内省することがないゆえに見せられる、余裕の優しさなんです。
 だから、灰羽は話が進むにつれ、この余裕というものが段々無くなってくる。
 そして最終回で・・・。
 私は最終回までもちろん見ました。
 だから、今回の鑑賞会で見た第1〜3話を、この最終話まで見て得た感慨を以て観ると云うことは、
 ごく自然な成り行きでした。
 ゆえに、あの世界の悲しみがわかるんです。
 
 けれど。
 私はむしろ、今回は優しさに悶えました。
 お互いの事、何も知らないから優しくできるんだ、
 確かにそうです。
 でも逆に、ならば何も知らないでいられるって、幸福だと思いませんか?
 自分の中に蠢く魂の苦痛に気づかず、考えず、なんとも思わないでいられるって。
 「人間に対する深い洞察がなければ、人間は語れない」と、私のスキな人が言っていました。
 でも、それならば、人間を語るのをやめれば良いんじゃないですか?
 語ることも大事だけれど、ときにはなにもかも投げ出して優しさに溺れることも良いんじゃないかと想う。
 目の前に引かれているレールを、幼児の純粋さで流れていくのも良いんじゃないかなぁ。
 幼児、っていうか、もはや赤ちゃんですよね。赤ちゃん。
 赤ちゃんっていうのは、なんにも知らない世界にほっぽりだされて、外の世界に興味津々。
 いっぱい外の世界を知って、そしてまわりの人達と笑顔でただ笑い合って、そして良い子になる。
 すっかり決められた社会に従って、その中で良い仕事をして幸福を見つけていく。
 ね? すごい、優しいでしょ。
 たぶん、自分を見つめ続けている人には、わかる優しさだと想う。
 この悪魔的な程の優しさが。
 ラク、なんですよ。そして誰も傷つかない。
 馴合いが認められ、良い子でいれば幸せで、そして幸せになることだけ考えていればそれで満ち足りる。
 ゆりかごに泣かないで揺られていれば、それでみんな幸せ。
 そして他人に対してもそうすることを許せるが故に、自分もまたそうすることが許される。
 「他人に甘く優しくするのは、自分が甘やかされ優しくされたいからだ」と私のスキな人は言いました。
 皮肉の意味で。
 でも、それで良いときもあって良いんじゃないかな?
 それが幻想であっても、幻想は幻想ゆえに大事なんじゃないかなぁ。
 レキとラッカの会話。
 まるでオママゴトみたいな会話が、とても心に響きます。
 それがオママゴトであるからこそ、ありきたりで、そして様式にはまった言葉であるからこそ心地よい。
 絵本とか童話ってそうですよね?
 陳腐であればあるほど、リアリティの無いお遊戯じみた言葉のやりとりであればあるほど、
 それはどんどんとリアルになっていく。
 つまり、実感されていくんです。「優しさ」として。
 普段自分達が得ることのない、この優しさ。
 現実にもはや存在し得なくなっているものは、しかし虚構としてしっかりと根付いている。
 それは願望だったり欲望だったり幻想(妄想)だったりして、そういう意味ではリアルにあるんです。
 虚構を感じているという現実が。
 だから、あのレキやラッカやネム達の言動が、例えようもない快感を与えてくれるのです。
 あの頃の自分の、世界がまだ「純真」で「優しかった」頃の幻想が、灰羽連盟にはあるんですね。
 私はこれは、皮肉とは受け取りません。
 むしろ積極的にこの優しさに溺れたいです。
 だって、灰羽達の優しさに率直に共感したんですから。
 ああ、良いなぁ、って。
 灰羽のこの第1〜3話は、実にこの優しさに溢れています。
 単純でも短絡でも良いから、いえ、むしろ積極的に「バカ」になって優しさを感じてみる。
 これは、まさに贅沢です。
 この贅沢に、感謝。
 
 
 ◆◆◆◆
 
 
 昨夜の灰羽連盟鑑賞会『輪廻』に参加してくださいました方々、お疲れ様でした。
 そして、ほとんど「レキさんさいこー!」とか徹頭徹尾叫んでたアホ管理人に付き合って頂き、
 誠にありがとう御座いました。おまけに土下座も付けときます(土下座)。
 色々話せて面白かった部分もあり、またもうちょっと語りたかったなという部分もありで、
 実に第二回鑑賞会を行うに足る動機と課題を残せましたようで、ある意味満足です。
 というわけで、9月中旬以降に第二回鑑賞会を行う予定です。
 次回はさらに灰羽力(?)を高めて参戦するつもりで御座いますので、
 各々方、ゆめゆめ油断召されるな。
 紅い瞳に洗脳されますぞ(レキさんスキーに)。
 
 それでは、本日はこれにて。
 
 
 
 
 
 
 

 

 

 ■030816  ひとり反省会■
 
 
 
 
 
 
  うぃっす。紅い瞳です。
 今日は久しぶりにトップページに生息するハーボットのクレハとお話しました。
 そして「お願い、クレハ。今日ウチに来た訪問者の数、教えて」って乙女ちっくに聞いたら、
 「5人くらい暇そうな顔して来たっぽい」とかぬかしよりまして。
 ・・・。
 当サイト始まって以来の1ケタです。
 なんなの、もう。
 いつのまにウチの過疎化はそんなにも進んでいたのでしょうか、と、
 頭の中をこねくりまわして理由を探してみたところ、
 だって日記全然書いてないぢゃん、という至極まっとうな答えが見つかりました。
 この際、そもそも日記なんて読んでる人少ないのでは? ということには目をつぶりました。
 ええもう。
 なら日記書かなくちゃ、ってことになるわけで。
 どうにもなにかが間違ってるような気もしますが、いいんです、日記書く動機なんてどうでも。
 
 さて。
 昨夜はるろうに剣心星霜編をみなさんと語り合いました。
 みなさん、と言っても私を含めて3人の小所帯ですけれど。
 けれど、ちゃんとお話会の体裁は保てたかと思います。
 結構面白かったですし。
 ただねぇ。
 やっぱり自分の思ったことをチャットで相手に伝えるのって、難しいですね。
 今更なにを、って感じですが、まぁそれはおいといて。
 私の考えたことは、ほとんど既に感想文としてコンテンツにUPしちゃった手前、
 私がチャットで話すべき事は、それに基づいていないといけない。
 別にそうと意識していた訳ではないのですが、
 自然そういう風になんとかつじつまを合わせようとしている自分がいたんです、昨夜は。
 だからねぇ、なんだか感想文に書いてあるのを読み上げてるような感じになっちゃって。
 私自身の発言内容には、特に発展性が見られなかったように思いました、自分的に。
 でも。
 他のお二人のお話が聞けた分、それなりに私の考えにも影響はありました。
 割と、自分の見落としていた部分をカバーしてくれるようなお話も聞けましたし。
 もう一回自分の書いた感想文読み返してみて、
 あーここはこういう見方をしていれば、こういう風にも書き換えられるな、
 と言う風にいろいろ創作意欲を改めて掻き立てられたりもしました。
 
 一応ね、昨日は私、割とアグレッシブに会話してました。
 聞き手ではなく、話し手に。
 そういう見方もあるけれど、それはこう見た方が良いんじゃない、という論法を基調にして話してみました。
 あんまり、安易な同調とかする気分じゃなかったですし、
 それよりなにより私の想いを知っていただきたかったので、ちょいサディスティック攻撃的にいってみました。
 つーかまぁ、基本的に興奮すると攻撃的になるみたいです、私。スーパーサイヤ人っぽくてステキ
 んで、まぁ、御陰様で言いたいことだいたい言えました。
 もちろん、舌足らずで真意はあまり伝えられなかったと思いましたが、
 でも、気分的にはすっきり。
 調子に乗らせて頂いて、ありがとう御座いました、お二方(感謝&お詫び)。
 
 で結局昨夜のお話会における、一番の個人的反省点はなにかと言うと、
 るろ剣のお話会なのに、いつのまにかあずまんがのネタで漫才やってた、
 ってことですね、やっぱりぶっちぎりで。
 
 はぁ、あずまんが大会でもやるかのぅ・・・(大会?)
 
 
 
 冗談はおいといて。
 というか、もう書くことないんですけど、ここで終わるのもなんだからなにか書いちゃおう。
 うん。
 星霜編のお話会できて、良かった。
 できればまたやりたいと思った。
 昨夜参加してくださった方々に、厚く御礼申し上げる。
 良かった。
 自分が良いモノと出会って、それに感動して、その感動を誰かに伝えられるって良い。
 そういう環境があるって、やっぱり幸せ。
 自分が感動することと、その感動を他人に伝えること、それは両立できる。
 め一杯一人で感動して涙して、その涙の意味を「言葉」に代えて誰かに伝えてみる。
 その作業には技術がいる。
 だから両立はできるけれど、同じコトしてたんじゃダメ。
 その涙を自分一人のモノとして大事に保存するのも良いけれど、
 でもそれだけじゃ相手はなにもわからないし、理解もしてくれない。
 だから、自分の中に保存したモノを取り出してそれを対人用に加工しなくちゃいけない。
 その作業は、案外に面白い。
 人に合わせるなんて言わない。人にわかってもらうように頑張ってみる。
 なにも言わなくてもわかりあえる事もあるけれど、なにかを言うことで分かり合える、
 そういう事の方に、最近は興味がある。
 だから、私はもっともっと人になにかを伝えるための技術を磨きたい。
 もっともっと、星霜編を観て私が感じたことを言葉に代えて誰かに伝えたい。
 そして、その自分の中に保存した涙の原型を磨き形を変えていくものを、
 少しでも原型に似せて磨いていきたいんです。
 もちろん、自分の中から取り出して加工する前の、原型もしっかり「コピー」を取ってしまっておく。
 やっぱり、自分にしかわからない、自分固有のイメージも大事だから。
 
 なに言ってんでしょうね。
 もう寝る(マテ)
 
 
 
 
 

 

 

 ■030809  燃え尽きた抜殻
 
 
 
 
 
 
 なんかねー、変なんです。
 だるいっつーか。無気力っつーか。
 原因はねぇ、割とわかってるつもりにはなってるんですよ。
 るろうに剣心星霜編を観て泣き過ぎたための夏バテ。
 まぁ、嘘ですけど。ほんとかもしれないですけど。
 いえね。
 まぁ、星霜編観て、それからなんもする気なくなっちゃったのはほんとだし、
 夏バテなのもほんと。
 でも、それがどう作用して今の自分の感じてる感覚と因果関係を結んでいるかは、わからんの。
 ああ、わかったつもりにもなってないでやんの。この嘘つきー。
 
 はぁ(ため息)
 
 だからねー。
 日記書く気とか、そんなのは雲の上の事で。
 テクノライズの感想とか書くなんて、そりゃあもう豚もおだてりゃ木に登るクラスに不自然に無理ですよ。
 って、まぁこうして日記書いてるわけですケド。
 こんなもん日記じゃないやい言っても日記だし。
 あー。
 やっぱりさぁ、あんなに凄いの貰っちゃうとさぁ、他のモノ貰いにくくなるじゃん?
 星霜編の感動を後生大事に持ち続けようとして、他の感動を得るのに消極的になっちゃうんだよ。
 いいさ。私は馬鹿さ。うん、そうさ。
 んなことしたってなんにも意味ないってことわかってる。わかってる。
 感動なんてもんは、思い出せばまた現れるし、思い出さなければ見えてこない。
 いつも常に感動を頭の中に浮かべて、それ観てニヤニヤしてるなんて、なんだかなー、って感じだし。
 星霜編で感動受けたんなら受けたでいいじゃない。
 それを自分のモノにして次の感動を重ねていこうよ、ってもう一人の私も言うんだよ。
 でもねー。なんかそれだけってのも、なんだか寂しい気がして。
 あーうー、なに言ってるのか考えてるのかもわからないくらいボケっとしてるや〜、今の私。
 まぁ、いいや。
 台風もどっか行っちゃったし。
 てかね。
 私、昨日今日とお留守番ですよ。
 私ひとりっきりで。
 で、私ただひとりで全部台風対策させられました。
 だって、家誰もいないし。
 私もそれを知って逃げ出そうとしたのだけど、
 「逃げたらどうなるか、わかるよね?」っていう暗黙のメッセージを込めた留守電その他が入ってたから・・。
 特にお母様のメッセージは真剣そのもの。
 ご自分の命よりもしかしたら大切なのかもしれない庭のハーブやらなにやらの管理を事細かに指示。
 その指示はメールを使わずに、なぜかファックス。
 ってメールの使い方まだ覚えてへんの?
 でもね、ファックスの文面は怖かった。
 一鉢でもダメにしたら、体で払え、みたいな。
 少なくとも私よりハーブたんのお命の方が大事らしいです。
 ほんとに、私はそんなお母様が大好きです。
 ていうかね、つまりそれは私に二日間プチ引き籠もりしろって事だと思うんだけど。
 ・・・・。
 まぁ、いいか台風だし(曇りきった夜空を見上げながら)
 
 ・・・・。
 なんかね、今度はメールが来たよ?
 そんでね、「まだ当分帰らない事にしたから、あとよろしく」、だって。
 あとよろしく・・・・かぁ・・・・。
 台風を避けるために屋内や縁側の下に取り込んだ数十個の鉢の取り出し、
 そして明日以降は晴れるだろうから、
 毎日膨大な水量と時間と血液の損失(蚊が一杯いるっす)をかけてハーブに水やり。
 あと定番の庭の草むしりやその他の細々としたことを好きでもないのに延々と続ける・・・。
 
 『親愛なるお母様へ:
 明日以降はちょっと用事があるので、家に引き籠もってるわけにはいきません。
 ですので、残念ですがハーブの事はお諦めください。』
 
 と、私がカタカタと無表情にメールを打って送りましたら。
 送りましたら。
 
 返事が不気味なくらいにぴくりとも返ってきません。
 
 ・・・・。
 紅い瞳の無気力状態は、もう少し続きそうデス。
 
 
 
 
 

 

 

 030803  るろうに剣心星霜編を頑張って紹介する
 
 
 
 
 
 
 注意書き:
 この文章は既にUPしてある「桜涙 壱〜最後ノ一枚」の続きです。
 この文章を読む前に必ず上記の文章をお読みください。
 しかし上記の文章はすべて作品のネタバレを含んでおりますので、
 誠に申し訳ありませんが、アニメ「るろうに剣心 星霜編」未視聴の方は、
 この「るろうに剣心星霜編を頑張って紹介する」のみお読みになることをお勧め致します。
 「桜涙 壱〜最後ノ一枚」はこちらに収めてあります。 →
 
 
 
 
 ここでは、るろうに剣心 星霜編の紹介をさせて頂こうと思います。
 まだこの作品を見ていない方にも読んで頂くために書きましたので、
 この文章に限りネタバレはしないことにしました。
 この紹介文を読んで、貴方がるろうに剣心星霜編を観てみたいなと思えたら良いな、そう思います。
 
 さて。
 この星霜編というのは、和月伸宏の原作コミック「るろうに剣心-明治剣客浪漫譚-」の、
 いわば続編にあたるアニメです。
 原作コミックのほうの紹介は、ここではちょっとする余裕が御座いませんので、
 ぜひなにも考えずに、コミックスを買うなり立ち読みするなどしてお読みになってみてくださいませ(笑)。
 るろうに剣心は、まずこのコミックスが大元にあり、
 それを純粋に(アニメオリジナルストーリーを含む)アニメ化したテレビ版アニメと、
 テレビ版アニメでは描かれなかった原作の人誅編の前半をアニメ化したOVA「るろうに剣心 追憶編」、
 そして人誅編後半を含む回想シーンと、原作の15年後の世界を描いた「星霜編」、
 これらの作品で構成されています。
 他に完全オリジナルストーリー(原作の設定を無視してはいないみたいです)の劇場版もあります。
 
 私としましては、まずなにより原作をお読みになっていただきたいです。
 最初から最後まで。
 テレビ版は私は数話しか、劇場版は一度も観たことがないのでなんとも申し上げられませんが、
 原作を読み終わりましたならば、是非是非「追憶編」、殊に「星霜編」は観て欲しいです。
 両作品とも、原作とはニュアンスやストーリーの細部等が割と違っているのですが、
 それゆえに、原作者和月伸宏が原作で描けなかったモノが、そこには確かに描かれています。
 原作の明るいノリは無く、
 ただひたすらるろうに剣心(以下るろ剣)という作品が持っているテーマのみを描ききった、
 とてもとても素晴らしい作品です。
 
 星霜編は、薫、神谷薫の視点、いいえ、薫の物語です。
 自分の罪と戦い苦しみながら生きる剣心を、ずっと側で見続けた薫。
 その薫は、剣心と自分との関係をどう捉え、どう自分が生きていこうとしたのか、
 そして、薫という人間がなんだったのか、それを徹底的に描いたお話がそこにはあります。
 原作では、なにかと主人公の剣心の影に隠れてしまって、
 彼女の姿が断片的結果論的にしか現れませんでしたが、星霜編ではまさにそれとは逆。
 剣心の姿は薫を通してしか、この作品では語られません。
 そういう意味では、剣心ファンの人には物足りないかもしれませんが、
 薫ファンにはたいへん貴重な作品となるでしょう(笑)
 薫の時々刻々と変化していく表情を観てみてください。
 絶望に苛まれ、虚ろな目を漂わせ、それでも心からの美しく優しい笑顔の薫を観てみてください。
 たぶん、星霜編を見終わったとき、貴方は薫という存在がどういうものだったのか、
 そしてるろ剣という作品が、実は薫なしでは語り得なかったということに気づくことが出来るかもしれません。
 そして。
 おそらく貴方は「作品理解」というもの以上のモノも、きっと手に入れられることでしょう。
 剣を捨て、でもそれからも戦い続けた15年。
 剣心と薫。
 二人とも、15年分変わりました。
 原作のラストのイメージを、作品の15年後にまで抱いていると、軽くあるいは非常に失望します。
 でも、それは15年もの月日を抜かして私たちが15年目の二人をみるからそうなだけで、
 しかし、15年間分の二人を見続ければ、納得いく変化だと、私は想いました。
 そして、その見えざる15年間を想像させるに充分足る演出はなされていると思います。
 変わってしまった部分だけをみてると、それは理解できないかもしれない。
 でも、それが理解できなければ、この作品から得られるのは原作ファンとしての失望しかないでしょう。
 
 映像的に、この作品(追憶編もそうでしたが)は非常に素晴らしいものがあると思います。
 躍動感に溢れ、肉感的なキャラ。
 そしてなによりも、どこまでも追求された感のある人物の表情。
 情感豊かな、というよりはぞっとするなにかを鬼気迫る感触で表してくるあの顔。
 ぞっとするほどの笑顔。ぞっとするほどの怒りに満ちた額。ぞっとするほど美しい涙を流す瞳。
 それは必ずしも、現実の人間の表情を正確に模写したという意味でリアルかと問われれば、
 はいそうです、とは言えないかもしれません。
 ですが、それはまさに「情」を表すと言う意味においては、もの凄くリアルであると言えます。
  表情の「意味」が全面に押し出され、それが命を得たかのように存在感を示す。
 それはやはり、アニメというものの醍醐味でしょう。
 音楽的にも、ただならぬものを感じます。
 青空や紺碧の海といったどこまでも続く「外」への広がり、
 そして陰影たっぷりの人物達を取り囲む「内」への広がり。
 そういった壮大さと奥深さを、的確に無音の合間合間に盛り込むことでその効果を劇的に出しています。
 はっきりいって、私は星霜編は音楽がかなり重要な位置を占めていると思います。
 だって、ほんと体が震えるもの。思わず泣いちゃったし(笑)。
 ラスト近辺の「感動」を表すのに、音楽無しじゃいけませんですよ。
 ほんとに、凄いです。
 ああ・・サントラ欲しい〜(笑)。
 
 そしてなにより、お話の中身です。
 このお話は、こういうのもなんですが、考えながらみるより感じながら観てください。
 そして、思いっきり泣いてください。
 貴方の感受性の凄まじさを感じて泣きながら観てください(笑)。
 私はもう、泣きっぱなしでした。
 考えるのは貴方が「わからなかった」ところだけにして、あとは感情に委ねちゃいましょう。
 物語自体は、非常に辛い物語です。
 わかりやすくいえば、とても暗い。
 でも、その暗さの中に蠢く人間の想いや信念、
 そして暗さの向こう側にある光り輝く「なにか」を感じてみてください。
 私は、見ようによってはこの星霜編は人生を変える作品になると思います(ぇ)。
 陳腐な表現を何度も繰り返して済みませんけれど、
 ほんとうにこの作品は凄い。そして泣けます。
 というより、泣く事の素晴らしさに気づけます。
 
 なんだか、紹介文というにはほど遠い抽象的な文章になってしまいましたが(笑)、
 私が星霜編をみなさんに強く勧めている、ということはわかって頂けたとは思います。
 この作品は、見所がたくさんあって、そしてそのたくさんの見所がたったひとつのところに集約していきます。
 それは、「涙」。
 薫の儚げで力強い所作、剣心の優しさの中に悲しみを秘めた笑顔、魂を揺さぶる言霊と音楽。
 そういったものが、それぞれ観る者の今まで生きてきた人生と響きあう。
 その結果として、観るものは涙を流す。
 
 貴方も、一緒に泣いてみませんか?
 ←ヘンなキャッチフレーズ作っちゃいました(笑)
 
 
 それでは、中途半端では御座いますが、これにて星霜編の紹介を終わりとさせて頂きます。
 皆様が原作を読み、追憶編・星霜編を観、
 そして私の渾身の駄作(?)「桜涙 壱〜最後ノ一枚」を読んでくださる日が来るのを、
 心よりお待ちしております。
 
 
 追記:
 星霜編は上・下2巻の全2話で構成されています。
 無論DVD・VHSも発売中です(通常版)。
 この他に上下巻を繋げて一つにして、さらに新作パートをも加えた「特別版」も販売されているようです。
 詳しくは、るろうに剣心公式サイトをご覧くださいませ。 →
 それと、ケーブルテレビのアニマックスで、8月31日に「追憶編」「星霜編」を一挙に放送するようです。
 アニマックスに加入している方は、是非この機会に観てみてくださいませ。
 加入してない方は・・・・ビデオ・DVDレンタルしてきた方が、今から加入するより早くて安いです(笑)
 
 
 
 
 

 

 

 030803  桜涙 〜最後ノ一枚〜
 
 
 
 
 
 
 注意書き:
 この「 桜涙 〜最後ノ一枚〜」は、
 前回の「桜涙 〜参枚目〜」の続きです。
 ですので、本日の文章を読む前に前回の日記を先に読んでください。
 それと今更ですが、この日記はOVA「るろうに剣心 星霜編」を見て私が想った事について
 書いた物です。ですので、当然ネタバレもありますので、できればこの日記を読むのは作品を
 見てからにすることをオススメ致します。強くお勧め致します。
 この作品は、ネタバレしてしまうと限りなく価値が下がると個人的に勝手に判断しましたので
 今回だけこのように特別に注意書きをさせて頂きました。
 では、以上の事柄を踏まえて後、本日の日記をお楽しみくださいませ。
 
 
 
 ◆◆◆◆
 
 
 まだだ。
 まだ、語り終えるわけにはいかない。
 もっともっともっと!
 涙を流してその意味を感じたい!
 薫の涙を感じたい!
 
 
 薫は絶望する。
 どんなに自分が努力しても変えられないことがある。
 剣心の過去とその生き方、それを変えることは薫には出来ない。絶対に出来ない。
 だから薫は、そのたびに苦しみのたうち回る。
 そして、薫の苦しみは永遠に消えない。
 なぜならば、薫には剣心の生き方を変えることは出来ないから。
 剣心の十字傷を薫が消すことは出来ないのだから。。
 そして。
 剣心と薫がひとつになることなど、ほんとうはできないのだから。
 薫が剣心の病を受け入れたからひとつになれた、
 そう薫が思いそれが薫の真実になろうとも、薫は剣心とはひとつになれないし、
 そして薫自身その事をもまた、死ぬほど実感している。
 自分が、剣心とひとつになったのを真実と思い込んでいるだけということがわかってしまう、という事もまた、
 薫が逃れることの出来なかった、絶対的な真実。
 薫は、二重の真実を生きていた。
 人は絶対的に孤独な存在だ。
 「私」と「他者」という存在がある限り、
 そして、自分と全く同じ存在が、絶対に存在しないということを痛いくらいに感じている故に、人は孤独だ。
 薫は最後に、剣心の本質である心太を迎え、そして薫もまた薫の本質へと回帰した。
 薫自身もまた、この世に掛け替えのない、唯一絶対の存在なのだと、そう気づいたのだ。
 そしてだからこそ、薫は幸福の絶頂のうちに悲しみをも見た。
 自分と剣心がひとつにはなれないんだ、否、やっぱりなれなかったんだ、と。
 なぜならば、剣心は最後に自分にさようなら、と、言った。
 剣心は薫に最後にそういった。
 さようなら。
 剣心は薫に別れを告げた。
 剣心は、薫と「ひとつ」のまま死んでくれなかったのだ。
 薫は自分が剣心とずっとひとつになれると「信じて」生きてきた。
 でも、やっぱりそれは違った。
 わかっていたんだ、ほんとうは。わかっていながら、でもそれでもそう信じて生きてきた。
 なのに、剣心はさようならと言った。
 剣心は薫から離れていった。
 剣心の十字傷は、剣心の命の炎と共に消えた。
 剣心が薫に別れを告げて、そしてだから十字の傷が消えた。
 薫には、剣心の十字の傷を消すことができない。
 剣心の十字の傷を消すのは、清里と巴と、そして剣心にしかできない。
 だから、剣心と「ひとつではない」薫には、絶対に消すことは出来ない。
 自分には、結局どうしてあげられる事もできなかった。
 確かに十字傷は消えた。
 でも、薫はなにもしてあげられなかった。
 剣心の苦しみを、あの人の悲しみを、薫は最後の最後まで代わってあげることはできないまま、
 剣心の地獄のような人生は終わってしまった。
 かわいそうな、心太。
 薫は、心太の幸せを桜の中で夢見ただろう。
 でも、心太は十字傷の消えた心からの笑顔を浮かべたまま、消えてしまった。
 心太の、最初で最後の笑顔。
 かわいそうな、心太。
 薫が、薫こそが剣心の十字傷を消してやりたかった。
 薫こそが、あの人の代わりに罪を背負ってあげたかったのに。
 だからこそ、薫は剣心を守り、ひとつになりたいと願った。
 でも、それはどんなにどんなにどんなに!願っても叶わぬ願いだった。
 剣心の人生を代わることも、剣心とひとつになることもできなかったのだ!
 かわいそうな、薫。
 父に、死んだ母の代わりをしてあげようと頑張ったのに、結局出来ずに父を死なせてしまった、
 あの頃の幼い薫のままに、
 薫は原初の涙を流したまま、死んでいった。
 
 だが。
 
 人は孤独で、どうすることもできないことがあり、
 どんなに大事に想い愛している人のために生きても、その人とひとつにはなれない。
 そして、帰ってこない人を待つしかない。
 それはもう人生をかけて生きてきた今までの中で、
 そして人生の最後になって、改めてそれを激痛に苛まれながら思い知らされもした。
 わかってた。
 わかってたけど・・・・・・けど!
 けど薫は、剣心の十字傷が消えたことに、ちゃんと最高の幸せをも感じていたのだ!
 あの薫の泣き顔をもう一度みて見よ。
 薫はまさに、まさに驚き混じりの、どうしようもない安堵の微笑みを浮かべて泣いているじゃないか。
 自分がずっとずっと願ってきた、「剣心の頬の十字傷が消える」という事実を目の当たりにした薫。
 そのときの薫がなにを想ったか。
 なにを「強く」実感したか。
 言うまでもない。
 薫は、自分のその平凡で月並みだけど大切な真実の願いが達成した喜びに、打ち震えていたのだ!
 原作で言えなかった、とりあえずではない「ほんとうのお疲れ様」を言えるのだ!
 誰があの十字傷を消したかなんて、「ほんとう」はどうでもいい。
 人が孤独で、そして自分が剣心とひとつになれたかどうかなんて、「ほんとう」にどうでも良いんだ!
 薫はあの人の幸せを、あの人が心から笑うことを、
 そしてあの人の十字傷が消えることを、ただそれだけを願っていたのだ。
 理屈なんてどうでもいい。哲学なんてどうでもいい。「方法」なんてどうでもいいんだ!
 
 薫の願いは、まさに幻想だ。
 ほんとうは、薫の願いというものはどうしようもなく悲惨で、そして悲劇だ。
 自らが思い描いた、絶対に達成不可能の幸せを求めて生き続けた薫。
 そして薫は、そのことをよくわかってもいた。
 自らの願いが、どうしようもないことを願い、どうしてあげることも出来ない人の傷を消そう、
 そういうまったくの幻想であること、それは薫はわかっていた。
 でも。
 薫はその幻想を、否定することは絶対にしなかった。
 薫はその幻想を、信じることだけを糧にして生きたのだ!
 幻想が真実だったわけではない。
 幻想は真実に、そして真実は幻想に酷く影響を与え続ける。
 薫は剣心のために生きる。それが真実どういうことなのか、薫はわかっている。
 だから薫は絶望するのだ。
 でも。
 でも、薫は必ず笑う。
 真実という絶望の淵から、幻想によって「創られた」最強の笑顔で必ず戻ってくる。
 あの人のために。あの人のために! 薫は笑わなければいけないんだ!
 それは、薫が自分の人生と想いのすべてを賭けて創造した微笑み。
 そして、最も固く最も強き信念によって支えられた幻想なのだ!
 
 桜が、舞い散っている。
 坂口安吾は小説「桜の森の満開の下」で、桜の下に広がる虚無の凄まじさを描いた。
 そうだ。
 人は孤独である、というどうしようもない虚無が、確実にこの世界にはある。
 しかし、その虚無があるからこそ、その空で桜は舞うこともできるのだ。
 幻想という名の桜があるからこそ、人はその虚無の中で生きていける。
 薫の幻想は、虚しくなんて無い。
 虚しいのは、桜の下で吹き荒れる、真実という名の冷たい風だけだ。
 幻想的に彩られた、桜舞い散る一本道。
 薫の創った微笑みに包まれた、心太の帰り道。
 それは、薫の世界。
 例えその桜を吹き飛ばす冷風が吹き荒れようとも、その桜はいつまでも舞い続けようとする。
 しかしそして。
 吹き散らそうとする風もまた、絶対に吹き止まない。
 だからこそ、薫は『桜・・・いつまで残ってるかしら・・』と心配する。
 薫の幻想は、幻想だけで成り立っている訳じゃない。
 真実という地面がなければ、幻想の桜は咲かない。
 そして、真実は幻想に影響を及ぼす。
 だから、桜がすべて散ってしまう事もある。
 幻想がすべて壊れ、どうしようもない虚無が広がってしまうこともあるのだ。
 薫の最後の最後の涙。
 あの涙の中に、実は虚無の浸食はあったはず。
 怒濤の勢いで、それは薫に襲いかかったろう。
 薫のあの涙は、複雑だ。混沌だ。幻想と、虚無という名の真実とのせめぎ合いだ。
 薫とは、なんだ?
 薫とは、信念に生きた女。
 いや。
 母に死なれ、父にお帰りを言えず亡くし、そして愛する剣心と出会ったその瞬間から、
 薫はまさに信念そのものに徐々に変化していったのだ。
 剣心のために生き、そして剣心とひとつになるという信念。
 剣心が救われ、十字の傷が消えて無くなって欲しいという願う女。
 
 けれど。
 
 薫は、剣心のために生きたつもりが、しかし剣心とひとつになることはできなかった。
 そして、薫はなにひとつできないまま、剣心は救われ十字傷は消え、そして剣心は死んでしまった。
 薫は、信念とそしてそれを妨げる絶対的ななにかと共に生きてきた。
 薫は、笑顔と絶望とともに生きてきた。
  自分が剣心とはひとつになれると信じていても、それは「所詮」信念であるに過ぎない。
 そして、自分は剣心の十字傷を消すのを願い待ち続けても、
 自分が待ってることは、剣心の十字傷が消えることはほんとうは関係がない。
 わかってた。わかってたけど・・・・けど。
 薫は自分のしていることが、叶うことがない儚い願いだと十分承知している。
 そしてなにもかも分かった上で、尚その上で剣心を待ち続ける。
 だから、薫は幻想を造り出したけれど、幻想だけを生きることはしなかった。
 薫は自分をちっぽけでダメな人間である『こんな私』を封じ込めて、ずっと剣心を待ち続けた。
 苦しみもがき、そして死の香りに朦朧としながらも自分の笑顔に桜を咲かせ続けることを止めなかった。
 そして、剣心は帰ってきた。
 そして剣心、心太は薫の迎えを受け入れた。
 無上の、幸せ。
 薫は剣心が帰ってきた、ただそれだけを見つめ、桜舞う一本道を駆け抜けた。
 桜となった薫。
 剣心を抱きとめた、薫。
 そうだ。
 あそこで薫が抱きとめたのは、心太を名乗る剣心。
 心太になりたいと言った、剣心。
 でも十字の傷がある限り、絶対に心太になることができない剣心。
 それが、薫が愛し守ってあげたいと思った、剣心。
 かわいそうな、剣心。
 そして、剣心の頬から十字の傷は消えていた。
 そして、そして! そして剣心は死んでしまったのだ!
 なぜ!
 なぜ剣心は死んじゃったの!?
 なぜ、剣心は死ななければ心太になれなかったの!?
 なぜ剣心は生きて心からの笑顔を見せられなかったの!?
 なぜ!? なぜっっ!!!
 
 薫の体から、桜が零れていく。
 
 ああ・・・そうか。
 それが・・・・剣心という人だったんだ・・・。
 わかってる。わかってた。
 やっと消えた剣心の十字傷。
 剣心はその生涯をかけて、罪を償い戦ってきた。
 薫もすべてをかけて、剣心に尽くし罪が消えることを願ってきた。
 『思えば、あなたも、私も、消えない傷と共に生きてきた。十字に刻まれたあの傷と・・・・。』
 でも、剣心にも薫にも、この傷を消すことは出来なかった。
 剣心が、死んで傷は消えた。
 死んで初めて、剣心は赦された。生きることは、許されなかった。
 生の中に、心からの幸福を得ることなく、あの人は消えてしまった。
 それなら、剣心は、剣心はなんで生きてきたのっ!!
 剣心の、心太の存在ってなんだったんだ!
 犯した罪の償いのためだけの存在・・・・・・?
 そんなのそんなの・・・あまりにも・・・かわいそ過ぎる・・・・。
 やっと・・・・・やっと・・消えたね・・・・・・・でも・・・。
 でも、そんなのってないよっっ!
 薫はそう呟きたかった。否、叫びたかったはずだ。
 ずっとずっとわかっていた。剣心の罪は絶対に赦されないし剣心も絶対に赦しはしないって事。
 薫には、剣心のそういう生き方を変えられなかった。
 だから、それが薫の中であまりに悲しいことだから、だから薫は剣心の幸福を願い守り続けてきたのに。
 命を賭して創造した笑顔で、あの人の帰りを待ち続けたのに!
 薫の大事な、大事な剣心。
 なのに、なのに剣心は死んだ。死んで、剣心が終わってしまったんだ!
 だから薫は涙する。
 薫は、自身の本質へと立ち戻る。
 剣心と出会った頃、この人の苦しみを背負っていきたいと思ったあの若い娘の自分に。
 あのときほんとうに、薫は純粋にこの人の幸せを願った。そして、愛した。
 あの頃の剣心へ抱いた悲しみが憐れみが、今再び姿を現した。
 剣心の罪は赦されない。薫がどんなに赦してあげたいと思っても、それはできない。
 この世界がある限り、どうしようもない虚無を受け入れ、
 そしてその上に幻想を創り上げて生きていくことしか、人にはできない。
 そしてそれが、「生きる」ということだ。そのことはよくわかっている。
 でも。
 でも!
 剣道着に身を包んだ若く幼い薫は叫ぶ。
 でも、そんなのっておかしいよ。そんなの嫌だよっ!
 かわいそ過ぎるよっっ!!!
 幻想と虚無の狭間で、否、の涙を流す薫。
 虚無という名の現実。
 それはあまりに辛く、そして、そしてそれはあまりに悲しいことなんだ。
 その現実をしなやかに生きていけるだけの信念を持てても、
 そしてそれが「正しい」ことだとしても、でも!
 私たちが今此処に存在するのって、そんなにも辛く悲しいことなの?
 どうしてそんな風にしか、生きられないの?
 薫の魂の涙は続く。
 私たちの掛け替えのない命は、そんなに冷たいもので包まれているの?
 世界は、私たちが安らかに生きてはいけないほど過酷なの?
 私と剣心はただ笑いたかった。
 そこに居て、あの国であの街であの桜の下で生きて、そしてただ笑い合いたいだけだったのに。
 なんで剣心は笑ってくれないの?
 剣心は、どこ?
 私を一人にしないで・・・・・。
 
 幼い幼い薫は泣き続ける。
 永遠に永遠に幾星霜も泣き続ける。
 世界の中心で「私」を叫びながら・・・。
 桜はすっかり薫のうちから零れ落ち、そして薫の涙に覆い被さっていった。
 ああ・・・。
 私は・・・・・・・・・・私はっっ!
 私は薫こそを抱きしめてあげたい!!
 薫は、貴女はひとりじゃない。ひとりじゃないんだ、と泣きながら抱きしめてあげたい!
 薫は我が儘な人ではない。
 いくつもの人との関係の中で生かされ、薫もまた彼らの生を受け止めてきた。
 世の中で、すべてを自分のもの(責任)として生きてきた。
 人の悲しみも憎しみも、逃げずに受け止め命をかけてそれに答えてきた。
 そして、剣心の罪の重さも・・・・・・誰よりも、誰よりもしっかりと受けとめていたんだ!
 薫ほど、現実を真摯に受け止めた人間は居ない。
 現実を受け入れ、そして自分の信念を持ってその中を生き抜いた。
 薫は我が儘な人じゃない。
 でも。
 それは、薫の最後の涙は、この世で最初で最後の、そして絶対不可侵の我が儘の涙なのだ!
 薫は、現実もその中で生きるための自分の信念も持っている。
 薫は、虚無と幻想を同時に常に、そしてしっかりと自分の胸に抱きとめている。
 だから薫は、その自分の胸に持っているものを捨て去ることは出来ない。いや、しない。
 手放しで泣くことなど、薫は絶対にしない。
 そして、持っているものを手放すことが出来ないまま、薫は泣き続けている。
 孤独の渦に飲み込まれ、ただひたすら消えていこうとする自分に怯えながら、大粒の涙を流している。
 けど。
 けど私は、絶対にこの涙を絶やしてはならない、そう思った。
 この涙があるからこそ、私は私でいられる。
 そしてだからこそ、私は他者(ひと)と共に生きたいと思える。
 例え誰かが薫を抱きしめてあげたとしても、薫は絶対に泣きやまない。
 もはや泣くと言う行為自体が、自分自身の存在を保証してくれるのだから。
 だから、薫の涙は絶対に止まらない。
 そしてその涙があるからこそ、薫は確かにこの世界に生きていたんだ!
 どんなに孤独を受け入れ、強固な桜を咲かせて生きてみても、
 私たちは絶対的な孤独から逃れることは出来ない。
 だから、その孤独の上に咲く桜は、どんなに信じようとほんとうは虚無に咲く花なんだ。
 私たちは、その狂気の桜を見上げながら、虚無の中で泣いている。
 泣くしか、最後の最後に出来ることは無いんだ。
 でも。
 でも、私たちは生きている。
 否! だからこそ生きているんだ!
 その涙を流すからこそ、私は私を感じ、
 その涙を流すからこそ、私は他者を感じ、
 その涙を流すからこそ、孤独を感じながらも誰かと寄り添いながら生き、
 そして、その涙を流すからこそ、偽物の桜を懸命に咲かすことが出来るんだ!!
 
 私達は弱い。
 そして弱いゆえに、他の人と生きたいと願う。
 私は、やっぱり弱い人間。苦しみや悲しみに耐えられない。孤独に耐えられない。
 私はだから他の人達と苦しみと悲しみを分け合い、ひとりじゃないことを確認する。
 そして自分も人からそういうことを求められるようにして生きたい。
 皆で身を寄せ合いながら、人のぬくもりを感じあいながら生きていきたい。
 そして、私も泣き続ける。
 孤独であることを受け入れて、そしてその上で自分は孤独ではないと信じて誰かと寄り添い合い、
 でもその信念は虚であることを「実感」しながら、そして泣きながら誰かと共にそれでも生きていく。
 桜は、一度地に落ちて再び空に返り咲く。
 咲かせた者の内から零れ落ち、また再びその者の上に降り積もる。
 その桜を涙に乗せて、私達は未来永劫永遠に泣き続ける。
 それは絶えることのない、そして星霜を重ね続ける涙。
 薫の涙、私は確かに受け取った。
 
 私と共に生きてくれる人達に、心からの「ありがとう」と「すまない」、
 そして・・・・・そして、いつか「さようなら」が言えるようになるために、
 私は最後に薫にこう言いたい。
 
 「私たちは一人じゃない・・・・・・・でも、薫・・・・・。本当にお疲れ様。」、と。
 
 

                                 〜『』内文章は作品よりの引用〜

 
 
 

 

 

 030803  桜涙 〜参枚目〜
 
 
 
 
 
 
 注意書き:
 この「 桜涙 〜参枚目〜」は、
 前回の「桜涙 〜弐枚目〜」の続きです。
 ですので、本日の文章を読む前に前回の日記を先に読んでください。
 それと今更ですが、この日記はOVA「るろうに剣心 星霜編」を見て私が想った事について
 書いた物です。ですので、当然ネタバレもありますので、できればこの日記を読むのは作品を
 見てからにすることをオススメ致します。強くお勧め致します。
 この作品は、ネタバレしてしまうと限りなく価値が下がると個人的に勝手に判断しましたので
 今回だけこのように特別に注意書きをさせて頂きました。
 では、以上の事柄を踏まえて後、本日の日記をお楽しみくださいませ。
 
 
 
 ◆◆◆◆
 
 
 
 なんだろうか。
 涙を流すということは、こんなにも複雑なことだったろうか。
 私はひたすら泣いていた。
 泣くことによってしか、このお話を受け止めるすべを知らなかった。
 そしてまた、最後の最後で、薫も涙を流した。
 あの涙はなぜ彼女の目からこぼれ落ちたか。
 私には、たぶんまだわからないだろう。
 あの涙は、心太に捧げたのか、抜刀斎と剣心に捧げたのか、
 それとも薫自身に捧げたのか。
 私には彼女のあのときの想いを実感することは出来ないが、
 しかしもし私が彼女の立場なら、同じく最も大粒の涙を流しただろうと思うし、
 少なくとも画面の外側の私は、狂ったほどに泣いていた。
 あんなの、凄すぎるよ。
 薫の涙、あれはおそらく、人生最大の重みを持った涙だったろう。
 そして、彼女のすべてがあの涙に含まれていたのだろう。
 抜刀斎へ、剣心へ、心太へ、そして薫自身へとあてた涙。
 もちろん、悲しみの涙とか、喜びの涙とか、そういったひとつの涙でもない。
 まさに、悲しみも喜びも安堵も幸福も不幸も、、そしておそらくは後悔をも含めた涙だったろう。
 十字傷が消える。
 そして消えることによって、今我が身と愛する人の命も共に消えていく。
 薫の人生は、本当にあっという間だった。
 それは時間的な事じゃなく、十字傷と向き合うことだけで彼女の人生が終わってしまったという事。
 そのことで彼女は自分の数奇な人生に、さぞかし驚いたことだろう。
 でも、彼女は彼女の思いを遂げられた。
 なにしろ、最後に「あの人」がこういってくれたのだから。
 今までありがとう。そしてさようなら、薫、ってね。
 
 私には、この「るろうに剣心 星霜編」という作品を評価することなど、とてもじゃないができない。
 なんだかこの作品を言葉に代えて表現してしまうと、もの凄く間違ったことをしているように想えてしまう。
 今回ほど、私の文章表現の下手さ加減を呪ったことはない。
 むしろ自分を殺してやりたいくらいだった。
 色々なことを書きたいのに、でも全然まったくダメな事しか書けない。
 自分の得た感想ですらこんなんだから、評価するだなんて、とても・・・。
 ただ、私がどれだけの物をこの作品から受け取ったのか、そういうことだけは書きたかった。
 恥も外聞も、良心もプライドさえもかなぐり捨てて、こうして無様に書いてみた。
 矛盾だらけになるだろう文章を、それを承知で書きまくった。
 以前の私だったら、こうはいかなかったろう。
 「羊のうた」を読んだときも、結局大した感想も書かずにそれ以上なにかを書くのを止めてしまった。
 でも、今回は違った。
 こういうふうにすることを、私は薫、神谷薫から受け取ったんだ。
 彼女の「生き様」に、ただ感動する、それだけじゃ今回だけは終われなかった。
 なぜって?
 それはね、私が薫の生き方を「実感」しちゃったからなんだよ。思いっきりね。
 もちろん、薫と私とじゃ生きた時代も積んできた経験も違う。
 だけど、生きるということが大前提にあって、それが自分のなかにあるからこそ苦悩できる、
 そういった感覚、それをね受け取ったんだ。
 でも、それは今までの私のわかりきった事とのシンクロ、
 つまり単純な共感っていうのとはちょっと違う。
 だって、今の私はその薫の考え方とはまったく違う考えをしているのだから。
 じゃあ、違うのにそれを実感できたのはなぜか。
 それは、今現在の自分の在り方に疑問を抱いている、もう一人の自分が居るからだ。
 そしてそのもう一人の自分が、うすうすそれがいいんじゃないかと感づいている別の生き方、
 それのまさに理想型が、薫の笑顔(桜がそれの象徴)と涙にあったのだ。
 ああ・・・なんて美しいんだろう、
 私はまさに見とれた。
 そのあまりに美しすぎて、そしてあまりに自分が欲している生き方がそこにあるという奇跡。
 泣いたね。
 泣いたよ。
 一分一秒を惜しんで、全力で涙を流したよ。
 そしてその私の涙も、実は非常に複雑だった。
 おそらく、その涙の意味を真に理解できるのは、その涙を流していた、ほんのわずかの時間だけ。
 私はそのことがよくわかっていたので(羊のうたのときがそうだったので)、
 だから、泣けるだけ泣いた。
 そして、この涙の真意を誰かに伝えようとするのはやめよう、そう思った。
 私だけが、今こうして流している涙を、大事に受け取ればいい。
 私には剣心も、そして薫も居ないのだから。
 でもたぶん、それでいいんだと思う。
 薫、そして剣心は私に大事な物を与えてくれた。
 おそらく、私はその薫から貰った物を活かせることなく生きていくだろう。
 精一杯に生きて、でも、薫と違ってそうやって生きた分だけ、私は後悔し続けるだろう。
 それは私の業で、そしてそれが私が背負った私自身に対する罪なのだろう。
 私が今まで考えてきたこと、やってきたこと、それが私の今を形作っている。
 その作られてきた自分から逃れることは、おそらく出来ないだろう。
 だから、私は逃げない。
 逃げないで、私は自分の負った罪と対峙し続ける。
 改正できる物は改正して、出来ない物は玉砕覚悟でぶつかっていく。
 でも。
 私は決して自分を捨てたりはしない。
 罪という名の今までの自分を、「私」から切り離す事はしない。
 あれも、唯一無二の私だったのだ、と私は自分で認めてあげたい。
 そうして認めた上で、では今までの自分のどこが「悪」かったのかを考える。
 今の自分が生きるためには、罪と向かい合うことが必須だ。
 だから、間違っていると思った物は、自分の責任において改善していきたい。
 改善して改善して、そして自分が正しいと思えることをしていきたい。
 「正しき」事をするという、それ以外の他の可能性を断ってしまう行為を恐れたくない。
 私は一人。そして、私の人生はひとつっきりしか生きられない。
 私にとって正しい事。私にとって大事な物。それを抱えて生きていきたい。
 そう願って生きることも悪い事じゃないと、私はたぶん薫の生き方をみて初めて分かったんだと思う。
 
 薫は、決して剣心を見捨てなかった。
 それは自分を見捨てなかったということに等しい。
 薫は剣心のために生きていると同時に、自分の人生も生きてきた。
 その人生は苦しみに満ちていただろう。
 でも、薫はその苦しみという物を、すべて自分のものとして受け止めることが出来た。
 世界を自分の物に。自分を自分のものに。
 『痛みを絆に。苦しみを希望に代えて、愛しい人を待ち続ける。』
 それが、薫。神谷薫。
 高荷恵が薫をこう評して、だから自分もがんばらなくちゃね、という想い、まさに同感だ。
 薫は、凄い。ほんとにすごい。
 私は薫に感謝なんかしない。慰めたりなんかしない。
 がんばれ。私もがんばるから。そうとしか私は言わない。
 いや、そうとしか言えないじゃないか。
 ありがとうの言葉は、剣心だけが言えばそれで充分。
 必死に生きてる人間に、休むことを勧めるなんてできやしない。
 自分の世界を、自分の愛する人のために全身全霊をかけて生きてる人に、他の生き方もあるんだよ、
 なんてそんな無慈悲なこと、言えるわけないじゃないか。
 でも、私はそういうことをずっと言ってきた。
 私の今までの信念の元、他の人に、そして他ならぬ自分自身にずっとずっとそんなことを言ってきた。
 だから私は、自分の生きるべき世界を、本当の意味で持つことが出来なかった。
 世界の狭間で、力無く浮遊していただけ。
 そしてその無情な自分を正当化して慰めようとして生きてきただけ。
 そんなのってないよ。あんまりだ。
 でも、私はそれがあんまりだ、ということに気づいた。
 それはやっぱり虚しい事なんだ、ということを改めて「実感」できたんだ。
 薫の、あの苦渋の上に浮かぶ悦びに満ちた所作を見て、そういう境地に立ち戻れたんだ。
 薫の人生は、虚しくなんてない。
 悲しみと苦しみの人生だったかもしれないけれど、絶対に虚しくなんてない。
 薫の流した、最後の涙。
 あの涙の中には、絶対に「虚無」の居場所は無かった。
 後悔は、やっぱりあったろうと想う。
 人生の最後になって、自分が剣心の十字傷のためだけに生きてきた、ということを、
 もしかしたらありえたかもしれない、他の人生の可能性と比較して絶望したのかもしれない。
 その後悔は、ほんというと今までの中でもあったのかもしれない。
 ほんとは、後悔の連続だったのかもしれない、とここまで書いてきて迂闊にも思ってしまった。
 でも。
 薫は、ただの一度たりとも、その後悔というものに負けなかった。
 そうだ。薫は後悔してもそれでも前に進むことだけは、決して諦めなかったんだ。
 そして、常に後悔の念をうち払ってきた。
 負けない女。
 そこには、剣心と出会った頃の明るくて強い薫の精神が息づいていた。
 だから、敢えて言い換えよう。
 後悔しないなんて言わない。
 後悔はする。後悔して後悔して、後悔し尽くしてやる。
 そして、私も絶対に後悔に負けない。
 後悔することから、逃げない。
 自分が生きた人生の、それ以外の人生の可能性を思いっきり思い描いて後悔して、
 そしてそれでも、その中から今自分が生きてる人生を敢えて選んだことを誇りに思えるような、
 そんな人生を生きてみたい。
 そして、もし後悔に負けて、自分の人生に自信を失ったからといっても、
 絶対に絶対に、自分を捨てたりしない。
 捨てねばならないなら、逃げてやる。
 逃げて逃げて逃げ回ってやる。
 私が私を生きるためならば、なんだってしよう。
 生きるために逃げ、生きるために怠け、生きるために大敗北もしてやろう。
 そんな私は、美しくないかもしれない。
 巴のような、清廉で峻烈な美は私にもないかもしれない。
 でも、その美しくない自分を美しいと感じようとするのは、もうやめだ。
 私は、醜い。
 そして、それでもいいじゃないかなんて言うのは、もうやめだ。
 私は醜い。でも、美しくなりたい。
 美しく生きることを諦めたりはしない。投げ出したりもしない。
 そして、美しくならなければならないのに、いつまでも醜い私はもう嫌だ、なんて絶対に言わない。
 醜い私がいるからこそ、美しい自分の可能性がありえるんだ。
 私は、醜い。
 だからこそ、私は美しさを目指して生きていける。
 私が生きたいと思った人生を生きていける。
 自信は、美しくなった分だけ得られるものじゃない。
 どれだけ美しさを求めながら生きてこられたか、そういうことにある。
 醜い人生にも、自信は得られる。
 それは醜さの中に美がある、ということとは違う。実は違ったんだ。
 醜さの中に、美を求め続けるという美がある、そういうことだったんだ。
 そういう、当たり前の事に気づいた。
 『それが私の、平凡で月並な、でも私にとってなにより大切な真実の答え』なのだ。
 
 私はその「自分が信ずる」真実を大事に大切にして生きていきたい。
 そして、自らが美しく生きることを諦めたりしない。絶対にもうしたくない。
 それは薫の選んだ、薫のほんとうの生き方。
 剣心のために。剣心のために!
 悩み苦しみのたうち回り命を削りながら、その想いを薫は決して捨てなかった。
 薫の人生は、最高に美しい。
 美しいものを求めることを絶対に諦めずに生き抜いたゆえに、薫は恐ろしく美しい。
 そして最後に、薫は涙した。
 剣心の頬の十字傷が消えた事に、涙した。
 薫がずっとずっと願ってきた、この世で一番凄いこと。
 ずっと信じて、永遠に求めて、そして幾星霜も待ち続けたその奇跡。
 その奇跡が今、どうしようもない現実となって目の前に現れたんだ。
 『やっと・・・・やっと・・消えたね・・・・・・・。』
 薫の美は、ここに完成した。遂に遂に願いが叶ったんだ!
 もう、なにも言うまい。
 薫は、涙した。
 私も、慟哭した。
 顔をぐしゃぐしゃにゆがめて泣いた。
 涙、涙、涙。
 良かった。ほんとうに、良かったね、薫。
 剣心はあなたにありがとう、って言ってた。
 あなたは、間違ってなかった。
 間違ってなかったんだよ!
 ほんとうにお疲れ様、薫。
 そして私も、迷わないなんてもう絶対に言わないから。
 私も私の信じる道を生きるよ。その道を探してくるよ。
 『だから、私も諦めない。負けられないもの。医者として・・・女としてね。』
 高荷恵は、こう言った。
 私も、そう想う。
 
 私も薫のような涙を、絶対に流してみせるからね。
 
 

                                 〜『』内文章は作品よりの引用〜

 
 
 
 
 

 

 

 030803  桜涙 〜弐枚目〜
 
 
 
 
 
 
 注意書き:
 この「 桜涙 〜弐枚目〜」は、
 前回の「桜涙 〜壱枚目〜」の続きです。
 ですので、本日の文章を読む前に前回の日記を先に読んでください。
 それと今更ですが、この日記はOVA「るろうに剣心 星霜編」を見て私が想った事について
 書いた物です。ですので、当然ネタバレもありますので、できればこの日記を読むのは作品を
 見てからにすることをオススメ致します。強くお勧め致します。
 この作品は、ネタバレしてしまうと限りなく価値が下がると個人的に勝手に判断しましたので
 今回だけこのように特別に注意書きをさせて頂きました。
 では、以上の事柄を踏まえて後、本日の日記をお楽しみくださいませ。
 
 
 
 ◆◆◆◆
 
 
 
 『父さん・・・私にできるかなぁ。
 あの剣の重さを、あの人の苦しみを一緒に背負うこと・・・・。』
 
 あの人は、気づいたら此処にいた。
 鮮明な十字の傷を頬に漂わせながら、あの人は私の前に現れた。
 薄い笑顔を滲ませて、透明な苦しみを私に見せてくれたあの人。
 私は、あの人と一緒にいたい、と思った。
 移ろいゆくこの世の中で、私はあの人と共にいつまでもありたいと思った。
 あんなにも悲しく、そして誰よりもなによりも優しいあの人・・・。
 そんなあの人が、とても恐ろしく、罪深いことをしてきたという事実。
 それは、あの人の一生を決めてしまうほどの大きな傷となって、ずっと残っている。
 あの人は、だから、その罪深い自分と死ぬまで向かい合わなければならない。
 あの人はそう想い、そして今までも、そしてこれからもずっと生きていく。
 私は、そんなあの人の心からの笑顔を見てみたい。
 だから、私はあの人と一緒に生き、あの人に尽くそう、そう本当に想えたんだ・・・。
 
 『思えば、あなたも、私も、消えない傷と共に生きてきた。
 十字に刻まれたあの傷と・・・・。』
 あの人には、妻がいた。
 あの人が愛し、あの人が斬り殺した最愛の人が。
 私は、あの人にとってのなんなんだろう。
 巴サンは、あの人の事を赦し、そして自らの存在を十字の傷に込めて永遠となった。
 あの人の中に、巴サンはずっとずっと居る。
 私は、絶対に巴サンに勝てないんだ。
 私には、あの人を赦すべき苦しみをあの人から与えられていないのだから。
 そして、彼女はあの人に一生消えない傷を、自分の命と引き替えに刻んだ。
 でも、だったら私が死んだら、あの人は私の事もずっと忘れないでいてくれるだろうか。
 私はそれを確認しなければならない。
 例え、あの人が巴サンという名の罪と向き合うことを止められなくても、私はそれでもいい。
 だって、それが巴さんが必要とした人斬り抜刀斎、そして私が必要としている剣心なんだから。
 だから私は、剣心と一緒に居たい。
 そして、あの人に彷徨える苦難の道から絶対に帰ってくると言って貰いたい。
 そして、私も彼が帰ってこれるように、しっかりしなくちゃ・・・。
 あの人が背負った罪に押し潰されないように、
 そして私と同じ人を愛した巴サンの代わりに、私があの人を生きさせてあげたい。
 死んであの人の中に残り、抜刀斎を剣心として生き永らえさせてくれた巴サンの代わりに、
 私はあの人と生き続けることで、私があの人にとってのこれからの生きる糧となってあげたい。
 あの人の笑顔に答えてあげたい。
 だからどうか、剣心を私に託してください・・・巴サン。
 
 『私はあなたに出会って、人に尽くすことの喜びを知りました。
 こんな私でもあなたの人生の支えになれたのなら、あなたがそう思ってくれるのなら、
 それに勝る喜びはありません。
 私は幸せです・・・。』
 あの人は、私の元に帰ってきてくれた。
 私と共に生きてくれると言ってくれた。
 だから、私はあの人を待っていられる。
 いつ帰ってきても、ずっと笑顔であの人をこの子と迎えることに幸せを見出せた。
 そしてあの人も、私に笑顔で答えてくれた。
 私はそれで、充分幸せだった。
 もう、帰ってこない人を送り出すことは無い。
 あの人は、絶対に帰ってきてくれた。
 どんなに、辛くても、あの人は私が居るところが帰る場所だったんだ。
 そして私は、いつも笑顔であの人を迎えてあげられた。
 父さん。
 父さんにしてあげられなかったことを、今、あの人にしてあげられるようになったよ・・・。
 
 『わかってた・・。私はこの人の生き方を変えることが出来ないのだと・・・・。
  わかってる、わかってたけど・・・・・けど・・・・。』
 私を、一人にしないで・・・。
 あの人は、剣を捨ててからもずっと自分の生き方を貫いてきた。
 家族を顧みず、ずっとずっと自分の背に罪と苦悩を背負って生き続けた。
 私は、そんなあの人の支えになって、そして帰りを待つだけの女・・・。
 そのことに不満はないけど・・・けど・・・。
 それは、私とあの人はひとつじゃない、っていうことなのかもしれない。
 私の自信が揺らいでいるのかもしれない。
 あの人は、剣を捨てた。
 ならば私も変わらなければいけない。
 いいえ、ほんとはもっとはやくに気づかなければいけなかったんだ。
 剣を捨てた剣心の方が、今までよりずっとずっと背負う苦しみが重くなってきていることに。
 だから私は、あの人の苦しみを分けて貰った。
 私はあの人の妻だから。そのことがどういうことであるか、私はようやく気づいた。
 私の体に、あの人と同じ病がある限り、私はあの人と一緒に死ねる。
 そして。
 あの人の頬の十字傷がある限り、私と剣心は生き続ける。
 これで、ようやくあの人とひとつになれた。
 もうこれで、恐れるものなんてなにもない。
 これで、私の笑顔があの人に届く。
 巴サンは自分の存在をあの人の十字傷に込めて。
 私は、あの人の病を受け入れて、あの人と存在を共有したんだ・・・。
 
 『剣心・・・。もう、あなたの戦いから目を離さない・・・。
  二度と離れない。いつか・・・あなたが本当に・・・安らげるそのときまで・・。』
 私は、もうなにも迷わない。
 私は、ずっとずっと待っている。
 剣心を信じているから。私には、剣心を信じる絶対の自信があるから。
 もうなにも疑わない。
 待って待って待ちぬいて、そして最高の笑顔で「心太」を迎えてあげたいから。
 それが私の選んだ生きる道。
 毎年変わらず咲く桜のように、私は必死に病床のうちに待ち続ける。
 あの人が、あの人の中に私の笑顔を照らし出し、それを求めながら、
 この国に、この街に、この桜の下に、そして私の元に帰ってくるのを信じながら。
 私は、心太の帰りを待ち続ける。
 抜刀斎と剣心。
 ずっと、罪とその贖罪に覆われた名と共に生きてきた、あの人。
 あの人が殺めた人より、ずっとたくさんの人を救いながら生きてきた、あの人。
 私は、あの人を赦してあげることは出来ないけれど、
 でも、あの人を受け止めてあげることはできる。
 私だけは、あの人の戦いから目を逸らさず、
 そして、私だけはあの人の本当の、心からの笑顔を受け入れてあげたい。
 あの人もまた、人の子であると言うことを、私は認めてあげたい。
 あの人があの人である本当の姿、心太を思いきり抱きとめてあげたい。
 だから私はあの人を迎えに、抱きしめにいった。
 あの人が、帰ってきたくとも帰れないのなら、私が迎えに行く。
 一生に一度の、そして、最後の奇跡。
 私には、もうあの人しか見えない。
 そして、あの人は帰ってきた。
 生まれたときのままの、心太という一人の大事な人間が、桜の下に立っていた。
 私の、心太。
 そして、お帰りなさい。
 私の膝に抱かれた、かつて抜刀斎で剣心であった心太。
 その頬の十字の傷は、無くなっていた。
 『やっと・・・・やっと・・消えたね・・・・・・・。』
 
 ただ散りゆく桜が、彼女の涙を隙間無く覆い隠していった。
 
 

                                 〜『』内文章は作品よりの引用〜

 
 
 
 

 

 

 030803  桜涙 〜壱枚目〜
 
 
 
 
 
 
 注意書き:
 今更ですが、この日記はOVAるろうに剣心 星霜編を見て私が想った事について
 書いた物です。ですので、当然ネタバレもありますので、できればこの日記を読むのは作品を
 見てからにすることをオススメ致します。強くお勧め致します。
 この作品は、ネタバレしてしまうと限りなく価値が下がると個人的に勝手に判断しましたので
 今回だけこのように特別に注意書きをさせて頂きました。
 では、以上の事柄を踏まえて後、本日の日記をお楽しみくださいませ。
 
 
 
 ◆◆◆◆
 
 
 昨晩、私はずっと泣いていた。
 
 泣くしか、なかった。
 泣く理由が確かにあったからこそ、私は泣いた。
 その理由をひとつひとつ思い返して、声に出してみて、泣きじゃくった。
 その様はもはや狂っているようにしか見えなかったけれども、狂っているのは元からだ。
 でも、自分が狂っていることをわかっているフリをして、涙を我慢するのはもうやめだ。
 私は、泣きたいから、狂おしく泣くんだ。
 
 なんで、私は此処にいるんだろう。
 なんで、こうしているんだろう。
 そういうことに悩んでいるということは、ほんとはどうでも良いことなんだ。
 今目の前に映るこの人の肩を抱いてあげられたら、それがすべての答えになる生き方。
 私が探しているのは、でも、答えじゃない。
 私が、そう自分も生きられるのかもしれない、と思えるかどうか、それこそが重要なんだ。
 複雑に哲学的にどんなに式を寄り合わせて、ぬくもり無き解を導き出したとしても、
 それは決して、私に必要なものなんかじゃないんだ。
 なんで、薫は剣心のためになろう、剣心と一緒になろうって思ったんだろう?
 そう問う事は、別に構いやしないけれど、どうしようもなく空虚なこと。
 薫は、剣心に出会い、剣心の事がわかってしまって、そして彼を受け入れていく事に決めた。
 この出会いが、そしてこの決定事項こそが、彼女の哲学の式であり、そしてまた解。
 最初に問いありきの哲学は、彼女には一切無意味。
 問いは無用。解が既に我が内にあり、ならばもはや悩む事は前進そのものに他ならない。
 原因を模索する苦悩ではなく、素晴らしき「正しい」結果を創造するための苦悩。
 神谷薫は、剣心のために苦しみ、剣心のために悩む。
 だから、なぜ剣心のために苦しまなければならないのか、という問いは愚問だ。
 それが、薫の選んだ道だから。
 選んだ道そのものに、疑問を抱かない生き方。
 そして、疑問を抱くべきは、選んだ道を自分がちゃんと正しく歩けているかどうか、ということにだけ。
 それで充分だし、そしてもしかしたらそれが「生きる」ってことなのかもしれない・・・。
 私の中で、そのことがあり得ないくらいに、無性に響いた。
 
 なにかひとつの自分の生き方を決める。
 そういったことに、私は抵抗感を覚えていた。
 そしてその抵抗感を正当化するために、生き方を決める、ということの是非を問いだした。
 結果、正しいことも悪しきことも存在しない、
 そしてなによりも、喜びも悲しみもない無情な世界観を造り出していた。
 それはよく言えば、ちょっとした「さび」であり、また「枯淡の風格」という奴である。
 だが。
 本当にそれでよいのか、という想いはどんなに問いを重ねても消える事はなかった。
 坂口安吾は堕落しろ、といった。
 エッセイ「枯淡の風格を排す」の中で、彼は私のような考え方を痛烈に批判した。
 最初、私はそこに彼との相違点を見出した。
 次に、私はこれは一見違うようでいて、実は根底のところでは私と同じじゃないか、
 導き出す思想は違うけれど、でもその思想を紡ぎ出す大本の理屈は同じだな、と思った。
 でも結局のところ、このるろうに剣心星霜編を観て、それは勘違いにしか過ぎないことに気づいた。
 安吾は、自らの思想を理屈によって築きあげてきた訳じゃない。
 彼の根底にあるのは、ひとつのスタイル、つまり、生き方という名の道だ。
 道を歩むための手段として、彼の思想ができたんだ。
 私とは、だから、やっぱり違うのだ。
 彼の素晴らしいほどまでに深い人間洞察、そのおかげで彼の生き方が決まった訳じゃないんだ。
 既に生きているがゆえに、そういった人間に対する洞察が出来、そしてまた思想が出来てきた。
 そうやって、原初においてなりふり構わず一つの道を進むこと、それが彼の言う堕落、という事。
 ・・・・私は、決定的に勘違いをしていたんだ。
 
 私は、薫の生き方そのものを真似したいと思ってる訳じゃない。
 泣くほどに共感した、ただそれだけの事。
 家に帰らず、家族のために生きることをしなかった剣心に対して、なんの疑問も抱かない彼女に、
 ただ唯々諾々と従う精神的に自立できない女、という評もあるいはあるだろう。
 だが、私はまったくそうは思わない。
 確かにそういう生き方をしている人も多いだろうし、そのことについて「善悪」を論じる向きもあろう。
 けれど、それは果たして薫のことに的確に当て嵌まることなのだろうか?
 薫は、そもそも誰のために生きてるんだ?
 薫は剣心のために生きている。
 彼に生きる道を与えられ、彼から幸せの種である剣路を授かり、そし剣心の帰りを待っている。
 これはすべて彼女が、なにものにも代え難い自らの強烈な意志によって決定した事であり、
 そしてこの事は、彼女において最重要でかつ最大の「生」をかたどっている「道」なのだ。
 だから、彼女にとってこの道を選択したこと自体は不幸でも、ましてや愚かなことでもない。
 そしてその道を歩むことは、酷く辛くそしてとても、悲しい。
 薫は剣心と共にいて、そして剣心と同化するという道を選び、そこに幸福を見出した。
 私は、それで悪いことなど、なにもないんだ、という事に気づいた。
 端から見ている人間には、ただ、彼女の生き方に悲喜こもごもを向こうに見る憧れ、
 或いは蔑みを抱く事しかできない。
 でも、その悲喜こもごもを含む道を生きる、ということの凄さを私は強く実感した。
 彼女自身が感じている悲しみ・喜びそれ自体を、実感することは叶わない。
 だから、私は彼女のような生き方をしようとは思わないし、出来るとも思わない。
 でも、彼女がではなぜそう生きられのか、そういうことへの理解は非常に非常に深くできた。
 というより、私は涙を流した。
 純粋に、嬉しかったんだと思う。。
 私がそういうことを、実感できた、ということが。
 
 薫が幸福だったか不幸だったかなんて、どうでもいい。
 物凄まじい悲劇でもあったろうし、同時に無上の快楽に包まれてもいたろう。
 そしてだからこそあのラストは、やっぱり複雑だ。
 あそこに来て、はじめて薫は自分の人生に問いを投げかけたろう。
 私の人生は、幸せであったのか、と。
 そんなことはわかりゃしない。でも、後悔はしてないんだと思う。
 というか、するはずがない。
 なぜならば、彼女は彼女の道を最後まで死ぬまで歩んでいたのだから。
 彼女は、すべての現実におきる出来事を、完璧に自分の物としていたのだから。
 なにが起きようとも、自分の選んだ道なのだから、
 そしてそれこそが自分の生きる世界なのだから、彼女は「責任」を以て苦難を甘受し乗り越えていく。
 それは世界を無条件に全肯定するという逃避を旨とする私とは、違う。
 涙が出てくるほどに、違うんだよ、紅い瞳!
 責任、ってなんだと思う?
 それはさ、「自分」の行為に対して徹底的に自信を抱く、ってことだよ。
 自分のやってることにそういった自信、或いは誇りが持てないんじゃ、それは無責任に他ならない。
 なにに対する無責任か。
 他ならぬ、「自分」に対してだよ。
 当然、じゃあ自信があればなにやっても良いのか? となる。
 答えは、そうだ。それで良いんだ。
 自分が正しいと思ってる限りにおいてそれは絶対的に正しいし、
 そしてその正当性に責任を持たなきゃだめだ。
 無論、既に自分が間違ってるのに気づいているのに、ただ保身のために自己を正当化するなんて論外。
 でも逆に言えば、その人が行った事の元にある正当性「そのもの」に対しては、
 誰もそれを批判したり、或いは評したりすることはできないということ。
 それは、剣心の維新志士時代に信じていた「狂の思想」も例外ではない。
 それを批判し評する事ができるのは、その正義を知りその正当性を「実感」している当人にのみ。
 故に剣心の贖罪には、この自らの正義の正当性を自らが打破する事が含まれている。
 ただ、その正義によって為された行為自体への批判や評価は妥当だ。
 そいつの正義のために、殺されちゃたまらないからだ。
 だから、その正義を信じて人を殺せば、当然その反動は来る。
 しかし。
 ここでじゃあ、無条件に反動が来たから「責任」とって贖罪します、っていうのはおかしい。
 少なくとも、その時点で自分の正義が正しいとまだ思ってると言うのであれば、
 「責任」などとる必要はまったくない。
 否。
 その反動に真っ正面から向き合って、
 報復に来た奴を斬り倒すことこそ、責任を取ったと言える。
 それが出来ないなら最初からしないことだし、出来ないのに殺し続けたところに剣心の罪があるし、
 そしてまた、だから、自分の言葉に自信の持てない私自身もほんとに罪深いんだと思う。
 そういう意味では、鵜堂刃衛や斉藤一には罪は無い。
 彼ら自身、「殺すこと」自体に自信を失っていない。
 そしてさらに、薫だ。
 薫もまた、なんら臆することなく自信を持って自らの道を歩んでいる。
 自らが、歩んでいる道の正当性、これはもはや自明のことであり、
 そしてこれはすでに否定するという事自体あり得ない、確固としたもの。
 
 でも、それだって実は初めからそうだった訳ではない。
 すくなくとも、剣心に出会うまでは薫はそんな生き方、思いもよらなかったに違いない。
 そして、その道を歩き出してからでさえ、彼女は自分がそう生きているだなんて実感は無かったはず。
 自信なんて、ほんとは一朝一夕に持てるもんじゃない。
 もっといえば、自信なんて物は、実態のない影みたいな物なのかもしれない。
 私たちは、ただがむしゃらに転んだり泣いたり苦しみながら、それでも生きていこうとする。
  薫も、そうだった。
 なにが正しいこと、なにが剣心のためになるかだなんて、最初からわかるわけがない。
 わかったと思ったら、また自分の知らない剣心がそこにいる。
 薫は、そうやっていつのまにか、自分に見えない剣心の姿を探しながら、
 そうしながら生きてきた。
 自分のせいで、剣心の体に新たな傷をつけてしまったりもした。
 その傷自体が、もしかしたら見えない剣心の一部分へと加わっていってしまってはいないかと、
 恐る恐る、泣きながらでも薫は剣心についていった。
 そして。
 いつかは、その自分に見えない剣心の影を、陽の当たる場所に連れてきてあげたいと願うようになる。
 剣心の心の奥底には、今も狂気の人斬りの影が住んでいる。
 そして剣心は、その影に怯えそして立ち向かいながら生きていくことを、やめられはしない。
 だったら薫は、そういう剣心を守ってあげたいと思った。
 その剣で多くの人を殺め、そしてさらに多くの人を守ってきた人間。
 その人間を守ってあげてきた人はいない。
 その人の苦しみと、そしてその人がここに居ていいんだよという証明。
 そういうのを誰かが与えてあげなければいけない。
 薫はその役を買って出てた。
 いいや、そうしたかったんだろう。心から。
 それが薫の望んだことなのだから。
 
 やがて薫は、剣心を守りたい、剣心と共にありたい、という願いを徐々に変化させていく。
 守るのではなく、守る必要もないくらいに抱きしめて、
 共にあるというよりも、より密着した関係を結びたい。
 つまり、剣心になりたい、ということ。
 剣心とひとつになりたい、ということ。
 薫は、ある限界を感じたのだと思う。
 守るものとして、共にあるという隔絶した「対象」としての剣心との接し方では、
 剣心のことなどなにひとつわからないと。
 剣心の悩みを理解するだけじゃダメなんだ。
 自分も、剣心と同じ苦しみを、そしてそれに基づく剣心の思想を味わなければ、
 剣心のことは「実感」できない。
 でも、ほんとに剣心と同じ事をするなんてできない。
 どんなに「同じ存在」になりたいと言っても、それは不可能だ。
 同じ時間同じ空間に存在し、同じ原子によって肉体を共有することは出来ない。
 『人生を代わることは出来ない』のだ。
 「私」と「あの人」という互いに唯一無二の存在がある限り、
 それはどうしようもないことで、ゆえに人は絶対的に孤独だ。
 でも、だからこそ、薫は剣心の病を受け入れた。
 ひとつになれないなら、ひとつになりたいと願う。
 これは矛盾している。
 ひとつになどなれないとわかっているのに、そうなれることを信じてひとつになることを目指す。
 ある意味で、非常に虚無に満ちた行為だ。 
 だが。
 確かに、薫と剣心はひとつになることはできない。
 でも、そのことが論理的哲学的に「わかった」としても、
 それは果たして薫の「信念」を変えることができる要因になるだろうか?
 答えはノーだ。
 私たちは、私たちの感じている世界を生きている。
 もちろん、私たちはひとつになれないということを充分感じながら生きることからは逃れられない。
 それを感じつつ、でもそれを押しのけ振り払いながら生きているのが、私たち人間だ。
 結局はダメなんだ、と頭で想像できちゃう事があっても、
 でも私たちはそれでも懸命に生きていく。
 そう。
 薫は、剣心とひとつになれると信じ、そしてそうなりたいと願っている。それで充分なのだ。
 そして、薫は剣心の病を分けて貰った。
 そうすることで、擬似的(薫にとっては真実に)に剣心と同化を果たした薫は強く生きられる。
 なにか絶対確実で「正確」な目的があるから、薫は強くなれた訳ではない。
 そういう目的が得られるに違いない、そういう確信を得られたから強くなれたのだ。
 確信するだけなら、誰にでも出来る。
 『こんな私』である薫にも、出来るのだ。
 そして、それこそが「薫が剣心の妻である」ということの定義なのだ。
 薫は、「妻」という定義を持っている。
 そして、薫は自分の「剣心の妻」という宿命を自分のものにしている。
 剣心の妻であるからこそ、だから尚更強くもなれる。
 それは、かつて剣心の妻だった巴と並ぶことが初めて叶った、ということでもあるけれど、
 しかしもはや薫にとっては巴は胸中になかったのではないか。
 たぶん、病を受け入れた時点で、薫の中には剣心だけ、
 そして薫の中の剣心の中にも薫だけしかいなかったはずだ。
 だからゆえに、薫は剣心を待ち続けた。
 剣心の中には薫だけしかいない。
 もう、薫の知らない剣心も居ない。
 なぜならば、薫は剣心とひとつになったのだから。
 だから絶対に、「帰ってこない」人の帰りを待つことは無くなり、
 そして薫は、ただ帰りを信じて待つことができるようになったのだ。
 薫の命を賭した願いは、叶ったのだ。
 
 そうして、彼女は自分の命を削りながら、絶対帰ってくるあの人を待つ、という無上の幸せを手に入れた。
 それは燕の言うとおり、とてもとても悲しくて、せつなくて、泣き叫びたいほどの姿に映るけれど、
 だがしかし、彼女は常に笑顔だった。
 それは空虚な笑いではない。
 彼女の、彼女にしか出来ない心底本当の笑顔。
 彼女は、剣心の笑顔を見たいと願いながら、自分が笑えるようになった。
 そして、自分がずっとずっと笑顔でいることが、実は剣心が心から笑うという事と同じことだ、
 そういう事に自然に気づいたのだ。
 『あなたって、どんなときでも笑えるのね』と恵がいったように、
 そしてそのあと薫が答えたように、薫の笑顔が剣心の十字傷に最も効く、
 つまり、その笑顔は剣心の影(「薫の知らない剣心」)の部分を減らし、
 そしてそれはつまり、薫と剣心がひとつに「なっていく」という証を得ることが出来るということだ。
 剣心と「同じ」存在である薫が笑えば、剣心も笑ったことになる。
 だから、薫はたとえようもないほど美しく幸せそうに笑う。
 あの笑顔を、いびつで、ちょっと狂ったような壊れた笑いだ、
 そう思う向きもあろう。
 だがしかし、私はそうも思うしそうは思わない。
 理由などない。
 ただ、私はあれは素晴らしく最高の「創られた」笑いだと思う。
 薫のすべてをかけて創られた、至上最高の笑顔。
 私は、泣いた。
 叫びたかった。
 たぶん、それは燕と同じ理由からだったろう。
 原作で『この二人、薫さんと緋村さん・・・。幸せになれるといいな』と願った三条燕の甘く穏やかな想い、
 それは私も強い強いイメージとして持っていたし、
 原作のラストの持つひとつの最高級の完結の仕方に、疑念を抱く気もないし、
 それにまた、実は大層あの原作のラストに私自身「萌え」(まさにその表現が適切だ)ていたのだから。
 でも、私の涙はそれだけじゃなかった。
 それだけじゃ済まされなかった。
 薫がこれでも、いやこうだからこそ幸せだ、ということもまた同時にわかってしまったのだから。
 幸せの形はひとつじゃない、という陳腐な表現に命が宿ってしまったのだから。
 私はあの笑顔に、燕の悲しみと、そして薫の喜びを同時にみた。
 もの悲しく峻烈な最高の幸せを観てしまった涙。
 その涙は、止まらない。
 
 薫の笑顔は、決して止むことなく病床の上で輝いていた。
 彼女は「さび」を感じているわけでもなく、「枯淡の風格」に溺れているわけでもない。
 薫の中には、なにもないのじゃなく、ひとつのことがあるだけだ。
 しかしそのひとつはとてつもなく激しく燃えに燃えて、荒れ狂っている。
 坂口安吾は、堕落しろといった。
 そして今、薫は堕落している。
 まさに、これこそ堕落ということだ。
 彼女だけの世界。彼女だけが求める道を、彼女だけが懸命に歩いている光景。
 彼女はなにも諦めてたりしない。
 薫はなにものにも「正邪(善悪)」を押しつけることを、恐れてなんかいやしない。
 彼女には、諦める必要がない。信じるものがある。
 薫は既になにが正しいのかをわかっている。なにもわからないということも全部わかっている。
 彼女は、薫は間違いなく生きている。
 そして立派に堕落している。
 堕落しろ、堕落しろ。
 想うがままに、突き進め。
 『あなたが選んだ道です。どうぞ、自信を持って歩んでください。』
 薫は、剣心に、そして自分自身に宛ててこう言えたのだから。
 
 突き進んだ先に見えたもの。
 それは自らの命の残り火。
 そして、未だ帰らざる愛しき薫の「心太」。
 薫は、ここでまたひとつ変化する。
 自分の居場所。
 薫は自分の居場所というものを考える。
 薫が居るべき場所は、それは死の淵にたたずむ病床の上だけじゃない。
 薫がいるべき場所は、剣心の帰るべき場所。
 それは、まだ何者にもなっていなかった頃の剣心の魂、
 そして薫の「分身」でもある「心太」の「帰る」場所の事。
 心太とは、薫が剣心から病とともに受け取った、剣心の本当の名。
 それは剣心の魂で、苦しみで、
 そして「薫の知らない剣心」、つまり罪を重ねた抜刀斎という名の影を持たない剣心の姿。
 それは、剣心というまぎれもない一個の、そしてなにものにも代えられない人間の本質。
 剣心が剣心たる由縁、そして剣心がただそこに存在するという孤独の証。
 それが「心太」。
 人の本質とは苦しみだ、と誰かが言っていたような気がする。
 人には自分とまったく同じ存在というものが無いという意味において、
 「他者」というものを認識し、そしてそうであるがゆえに絶対的に孤独を感じる。
 そしてそのどうしようもない孤独の苦しみというものそのものが、
 皮肉にもその人が唯一無二(同じ者が存在しない)の存在であるという証明になるのだ。
 だから、「心太」というものは苦しみながらそこに存在している、まさに「あの人」そのもの。
 そして。
 薫はその「心太」の存在を剣心に明かされ、そして薫が剣心から託された。
 それはだから薫の「心太」。薫と剣心だけの「心太」。
 剣心の両親と姉代わりだった人達、そして巴はもう居ない。
 だから、それは剣心と薫だけの大事な大事な「心太」。
 そして。
 薫は剣心とひとつ。剣心と心太はひとつ。
 ゆえに、剣心と心太の帰る場所は薫のみ。
 それはつまり、薫自身がその場所ということ。
 薫がいる場所それ自体が、既に薫が居るべき場所。心太の帰るべき場所。
 だから、薫はここでこうして待つ必要など、もうないのだということを悟る。
 だから、あの人を自分から迎えにいくのだ。
 
 自分の命がもう残り少ない、そういうことを薫が実感していたかどうかはわからない。
 しかし薫は飛び出した。
 或いは「あの人」を迎えに行く、という今まで決して出来なかったことに命を賭けたのかもしれない。
 薫は、ずっとずっと待つことだけしできない女だった。
 剣心の苦しみをただ悲しそうな目で見つめてあげるだけ。
 剣心の戦いについていくことを、剣心自身に拒まれ続けた薫。
 薫は、だから剣心を信じて待つことだけしかできなかった。
 でも。
 あの人が帰る場所は、もう自分の居る場所だけにしかない、
 そういうことがわかった薫には、もうなにも「待つ」ことはない。
 迎えにいくことが、出来るんだ。あの人と出会って、たぶん初めてのお出迎え。
 それが互いの死への迎えとなろうとも、そんなことは薫にはなんの関係もない。
 薫は、剣心を迎えにいく。
 そしてお帰りなさいの言葉にすべてを込めて、あの人を抱きしめてあげる。
 それは薫にしかできない、薫が人生をかけて創り上げ、そして愛しい人から薫が受け取ったもの。
 『剣さんがあなたを選んだわけ、よくわかるわ』。
 薫は、笑わなければならない。
 笑うことで、剣心を守り剣心とひとつになり、そして心太を抱きしめてあげられる。
 もう、剣心の中にいるのは薫だけだ。
 だから薫は、あの人を迎えにいくんだ!
 さぁ、行こう! あの人を迎えに!
 
 「剣心」が心よりの笑顔を見せてくれるのは、剣心が心太になったときだけ。
 剣心は抜刀斎という罪を背負わなくてはならない存在。
 剣心である限り「あの人」は絶対にほんとうの笑顔を見せてくれない。見せられない。
 そして、剣心が心太になるためには、罪の象徴「十字傷」が消えなくてはならない。
 薫は、剣心が心太になることを、そして十字の傷が消えることをずっとずっと待ってきた。
 そして。
 その奇跡は当たり前のように起きた。
 薫は剣心を迎えにいき、そして剣心は心太となってその迎えを心からの笑顔と共に受け入れた。
 それは、最高の最高の最高の! 最高の喜びと悲しみの絶頂の予感なんだっ!!。
 薫は剣心を、剣心は薫を。
 ただそれだけを世界に灯し、桜散る一本道を突き進んだ。
 それは今までずっとずっとずっと! 薫が歩むことを必死に願い続けた道。
 あの薫の顔を見よ!
 剣心の姿を、幻影ではない、ほんとうのほんとうの!剣心の姿を一本道の先に認めた時の顔を!
 薫は走った。命の残りのことなんてほんとどうでもいいんだ!
 薫はただ走った。ただ走っただけなんだ。剣心と心太を求めて。
 両手を広げ、桜に溶けんばかりに喜びに崩れた凄まじく美しい泣き顔で駆け寄る、薫。
 ああ・・・もう・・・涙が止まらない。
 もう・・・・声にならない叫びをあげる衝動を閉じこめきれないっっっ!!!
 『ただいま・・・薫・・』
 『お帰りなさい・・・心太・・・』
 私はもう、ただ泣くだけ。
 言葉などいらない。説明などいらない。説明はもう充分した。わかった人だけ「わかって」泣け!
 感情に溺れることの、なんと素晴らしく辛く快感なことか!
 『桜・・・いつまで残ってるかしら・・。 
 剣路と弥彦と燕ちゃん。それに恵さん、妙さんも呼んでみんなでお花見したいね。
 そして来年も・・再来年も・・・・。その頃には、弥彦もお父さんになってるかも。ふふっ・・。』
 桜舞う地で、薫が愛しひとつになった男性とのひととき。
 そして薫は巨大な幸せを獲得し、そしてすべての終わりが訪れたことを悟る。
 剣心の頬の十字の傷が消えた。
 ようやく、終わりが来たのだ。
 剣心の十字傷と共にずっと歩んできた人生の終焉が。
 そして、その終わりこそ、薫が最も望んでいたこと。
 剣心の十字の傷は消え、剣心は罪無き心太になり、そして薫と剣心の人生は終わりを迎える。
 薫が流した、最後の涙。
 それはまさに、薫の願いの成就への喜びと悲しみ、そして今まで生きてきたことすべての涙だった。
 その願いの成就の意味するところのすべてを言葉に変換することなど、今の私にはとてもできない。
 桜。
 涙。
 消えた十字傷。
 そして、ちっぽけで偉大なふたつでひとつの存在者。
 それらのものがひとつの世界として目の前に広がっている。
 そのことの意味を「実感」できればそれで良いのだと、それがすべてなのだと、私は心底そう想った。
 そして薫もまた、自らの流した涙を「実感」していただけ。
 あれこそが、薫の終わり。
 そして、薫が生きてきた人生のすべて。
 薫が生きようと決めて薫が生きた人生。
 薫だけの薫によって生きられた人生を、剣心とひとつになった薫が手にするという、最高の美。
 生きるとは、そういうことなんだと思う。
 
 
 『今まで・・・ありがとう・・・・・・さようなら・・薫』
 
 薫と私の涙は、この剣心と心太の言葉があるからこそ、だからこそ止まらない。
 
 
 
 

                                 〜『』内文章は作品よりの引用〜

 
 
 
 

 

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