〜2003年9月の過去ログ〜

 

 

 

 ■030929  TEXHNOLYZE :20(テレビ版)
 
 
 

 

 
 
 テクノライズ、最終回。
 ようやく、ようやく心から、泣けた。
 
 色々な事を思いめぐらし、様々な間違いを犯しながら、こうして今日に至る。
 その間違いにうんざりすることは決してなく、むしろそれを顧みて嬉しくなる日々。
 ああ、なんてヘンな事言ってるんだろうと思いながら、おもいきって見切り発車で感想を書きまくり、
 そのたびに後悔につぐ後悔、そしてちょっとばかりの達成感をこの胸に、私はテクノライズと暮らしてきた。
 たぶん、凄く楽しかったと、そう思う。
 でも、貴重だったとは思いたくない。
 だって、これからもこれ以上の作品を求め続ける事に、恐れはまったくないから。
 むしろテクノライズは、私にそうしろと言っている。
 テクノライズは、特別じゃない。
 私に特別なんてないんだ、という事を教えてくれたという事において、特別だけれども。
 
 なにかがそこにあって。
 それがなにかを語っていて。
 そしてそれだけで充分じゃないか。
 最後の最後で、遂にテクノライズはそういう領域に到達した。
 外側からの客観的な評価をするということが逆に、
 実は非常に「世間」的な一律の主観的な見方しか、私にもたらしていなかった、
 その事を理解するのに少々時間をかけさせられた作品であった、テクノライズという作品は。
 それはテクノライズと云う作品が、自らにベールをかぶせ作品の意志を表明せずにずっとやってきたことと、
 たぶんおおいに関係があると思う。
 だから私はそのベールの内側にあるものを知りたくて、色々と手を尽して想像を逞しくしてきた。
 それが、前回まで私が延々と、そしてドキドキしながら書き連ねてきた感想の姿なのである。たぶん。
 
 そして、ようやくその姿を見せ始めたテクノライズという作品の素顔は、
 その私が全知を尽してずっとずっと想像してきたその不可思議な本質は、実はとても簡単だった。
 そう、簡単。
 難しいことなど、なにも無かったんだよ。
 ああ、そうかって、思った。
 わからない事がいっぱいあるんだって。
 わかならくても、それが一つの感じ方のひとつだって。
 伽ノの考え方とか、大西の最後の笑顔とか、もう全然わかってないじゃん、私は。
 そもそも、なに? 
 テクノライズに意味なんて、織り込まれてなんていたんかい?
 たぶん、私は素顔を見た。
 それも、たったひとつの。
 櫟士って人が、其処に居る。
 ただ、それだけなんだって。
 そして、それだけで私は充分なんだって事にも、私は気づいたんだ。たぶん。
 
 作品に意味がある訳じゃないことは、本当はわかっていた。
 意味なんてものは、見る側が作ること。
 ほんとうは、制作者の意図を理解することなど、私がテクノライズを見るという事とは関係ないという事を。
 もちろん、本当はそれは嘘だ。
 制作者がなにを言いたいのかを理解することも、
 ひとつひとつの場面に様々な論理的整合性の説明をつけてみることも、
 キャラに萌える事も、それはそれで大事な姿勢だし、それが必要だと感じるときもある。
 でも。
 たぶん、今は、テクノライズを見るときに於いては、それはまったく必要が無かった。
 無かったんだと思うよ。
 というより、そういう見方がテクノライズには必要でないと気づくのに時間がかかったゆえに、
 或いは、そういうひとつの「決心」をアニメを鑑賞しているうちに出来なかったから、
 私のテクノライズの感想の書き方は二転三転した。
 
 だからね。
 私が見た素顔っていうのも、実は嘘。
 素顔なんて、元から無かったんだよね。
 ただそれは、私が素顔がベールの下にあると断定した時点で、素顔になったんだ。
 だから、テクノライズの素顔というのは、実は私にしか見えていない。
 私にとってしか素顔でない、たったひとつのテクノライズの顔。
 私はテクノライズのかぶっているベールに萌えていた。
 そう、萌え。
 私はあのなんともいえない混沌として、創作物にモラルはいらないという事を地で言っている風景、
 それが大好きだった。
 モラルが無い事がモラルであるという、もうそんな感じ。
 不条理、なんて言葉は言っちゃいけないほどロジックに満ちていて、
 だからこそ、私はその綺麗なロジックを解読することもまた、好きだった。
 なにものかに囚われているけれど、決して自らの色以外で世界を描く事の無かったあの街、
 徹底的に、そう、徹底的にあらゆる意味で妥協をしなかった、テクノライズという作品に敬意を表す。
 そして。
 その上で。
 最後の最後で、私は主人公である櫟士を其処に見つけた。
 
 
 
 最後のオープニングが始まる。
 テクノライズの淫靡で哀しいお話はここから始まった。
 
 ドクは地上へと消え、
 大西は残骸と化し、
 蘭は人形となって終わった。
 
 テクノライズされた手足を、自分であると感じた櫟士。
 そこにはドクの幻影、そして憧憬が激しく吐き出された想いがあった。
 ああ、そうか。
 櫟士はやっぱりドクが好きだった。
 好き、と言っても良いよなぁ、なんでか知らんケド。
 それはいてもたっても居られない程嬉しくて、身悶えしたくなるほど恥ずかしい感情。
 殺してやりたいと思った母親に、今、このときに回帰する自分。
 目を閉じて、耳を澄ませ静かな呼吸に身を委ねて考えてみると、
 櫟士の感情が手に取るほど、よくわかる。
 ドクに感謝を、そして甘えたくて殺してやりたい感情。
 ドクの幻影がある限り、櫟士は前に進みたいって思ってる。
 櫟士が前に進みたいと願う限り、テクノライズは無限のエネルギーを発揮する。
 『俺の手・・・俺の足・・・』
 なんでだろう・・・凄く、爽やかな声だったなぁ、あの櫟士の声は。
 
 しばらくして、櫟士は独白する。
 顔に薄い笑みを浮かべて、櫟士は語る。
 
 『蘭。俺は変わったよな。この腕が付いてからってんじゃない。
  お前と会ってからだ。なのに俺は同じ事をやっている。
  これからやろうとしていることだって。俺がただ生きるためにしてきたこと。
  俺がやることなんて、変わりゃしないって事なのか。
  そんな事、ないよな。』
 
 最後に、薄い哀しみの視線を漂わせて、櫟士は蘭に語りかける。
 『お前は変わったか、俺と出会って。』
 
 ドクは地上へと消え、
 大西は残骸と化し、
 蘭は人形となって終わった。
 それで、良い。
 
 伽ノと対面する櫟士。
 人形と化した蘭を見て、伽ノを殴る櫟士。
 伽ノの首が転がった。
 
 もう喋らない、かつて蘭であったものを抱き上げる櫟士。
 蘭を投げ捨てる、櫟士。
 
 櫟士が櫟士と出会う。
 独り、心を込めて世界に語りかける。
 物言わぬケモノから、なにかが自分のうちにキラメク人間となったよ、と言う。
 でもたぶん、櫟士は何度でも同じ事をする。
 何も考えずに、悪いことも間違ったこともどうでもよい人殺しをすることもある。
 みんなそれは、自分のため。
 蘭のためと思うことも、自らが蘭のためになりたいと願う欲望のため。
 櫟士は櫟士で生きたまま、蘭を想う。
 それは、ずっと変わらないことだと思う。
 でも、今の櫟士なら言える。
 そんなことないよな、って。
 この世界に誰も居ない世界だなんて、
 自分の欲望以外存在しないって、そうとしか説明できない事なんて無いよな、って。
 
 そういう風に、誰も居なくなってしまったこの街で櫟士は独り想う。
 気づくのが遅かったなんて事はないと思う。
 こうなったから、櫟士は独りの世界のおぞましさを感じられたんだと思う。たぶん。
 独り、廃墟に佇む櫟士。
 永遠とも思える永い永い死までの時間を、独りで過ごす。
 そう。
 櫟士の居場所は完全に無くなった。
 帰りたいと思ったドクの傍らも、自分の傍らに佇んでくれる蘭の影も、もう無い。
 でも。
 この孤独の中で見つめる花の幻影に、私はやっぱり人の涙を想う。
 櫟士は泣いてなんていない。
 櫟士の居場所は、誰も居ないこの場所だけだ。
 櫟士の帰る場所は最初から、ここでしかありえない。
 櫟士は永い永い夢を見ていた。
 ドクという、蘭という物凄まじく素晴らしい夢を。
 夢から覚めた夜の風は、櫟士には冷たかったろうか、冷たくなかったろうか。
 私は冷たかった、という方を選択する。
 櫟士には、泣く必要はなかったけれど、泣いていたんだと思う。
 人が独りである、という呪縛から解き放たれつつあったのに、あっという間に引き戻されてしまったのだから。
 櫟士は、自分にとってドクや蘭がどういう存在であるかを噛みしめた途端に、それを失った。
 絶望? 違うね。
 櫟士は終わっただけだと思うね。
 櫟士は生きることを止めた。
 そして、死ぬまでの時間を待ち続けて生きる事を選んだのだと思う。
 だって、もう、櫟士には居場所は無いんだから。
 あの光景、見たでしょ?
 夢から醒めて、そして夢を夢であったと認識しないゆえに、死を選んだ櫟士。
 別に、櫟士はドクや蘭や大西なんかに殉じた訳じゃない。
 むしろ櫟士は櫟士として、そして櫟士自身のために、生きることをヤメにしたんだと思う。たぶん。
 そして。
 彼らの死に殉じないがゆえに、彼らの存在を夢として見ないがゆえに、
 櫟士は、他人(ヒト)の存在の貴重さに涙する。
 櫟士は、自分が一人だなんて、もう思ってなかったんです。
 それは、テクノライズが施された時からじゃない。
 蘭に出会い、そしてテクノライズの手足をドクと共に受け入れた時から、
 櫟士はもう、独りで生きてるなんて思わなくなったし、それで独りでもいいなんて思わなくなった。
 そして・・・・すべてを尽した後に、独りになってしまったんです。
 もう、言葉は不要か・・・。
 
 いいえ。
 言葉でしか、語ることは出来ない。少なくとも今の私には。だからまだ語る。
 
 崩れ落ちた煉瓦の上で、血を流し続ける櫟士。
 この街で誰よりも正気であると言った伽ノを殺した櫟士。
 哀しくて優しい、私が涙を流して聴いた子守歌が流れる。
 死を迎えるときは、やっぱり子守歌が、聴きたい。
 死ぬまでの永い時間を、様々な事を感じ思いながら過ごす時間、
 死ぬための、時間が欲しい。
 自分のために流せる涙で世界を塗り尽くして、死にたい。
 甘美? うん、そうだと思うよ。萌え、じゃない。
 甘くて美しくて、そしてなによりも哀しくて優しい時間。
 櫟士にそういう時間が訪れたこと、これを以て、私は櫟士を理解したと言いたい。
 あの櫟士の最後の時空を見つめることが出来る者のみ、
 櫟士を理解したと言えると、私は敢えて独り言ってみたい。言っちゃいたい。
 馬鹿じゃない。情けなくもない。臆病でも、卑怯者でも怠け者でも、無い。
 否。
 馬鹿でも、情けなくても、臆病でも、卑怯者でも怠け者でも良い。
 ヘンでも良い。
 ただ私は、櫟士の向かう無防備で無自覚でさりげなく受動的な死を受け入れたい。
 いや、受け入れたいとかじゃなくって、既に受け入れた。無条件で。
 だって、わかるから。
 櫟士の頭ン中がわかるから。
 そして、櫟士ってなんなのかって事も、最後にちょっぴりだけ。
 櫟士って、主人公だったんだよねって。
 あれは、世界にたったひとつしかない「私」なんですよね。
 櫟士に感情移入できないって前に嘆いたけど、当たり前の話です。
 だって、櫟士は私そのものですから。感情だけ移入できるか、ばか。
 たぶん、テクノライズを見ていた人の中にも、私と同じように感じたひとはいるかも。
 うなだれて壁によりかかって、そして自分の手をじっと見つめてみれば・・・ほらね。
 生きる事が大切で自ら死を選ぶのは間違ってるとか、
 そんな自分とは違うヒトの話聞いてると、馬鹿みたいに思えてくるでしょ?
 うん。
 私の言ってるコト、わかるかな?
 櫟士。
 櫟士なんだよ、其処にいるのは。
 他人は自分じゃなくて、そして他人が自分じゃないからこそ、他人も確かに其処にいる。
 そしてそれゆえに、他人を必要とする「私」が存在する。
 いいかい?
 他人の意志に従わない事が、他人の存在を認めないって事じゃない。
 他人の意志が自分の意志だと思わなければいけないって思う事が、他人を認めてないって事なんだ。
 櫟士は、たぶんそういう意味でやっと他人の姿を認める事が出来、そして死んでいったんだと思う。
 なぜ死ななければならなかった、かですって?
 そんなの死ぬしかないでしょ。
 他にすることも出来ることもないし他人(ひと)も居ないし。
 だから櫟士は、独りで悲しんで独りで考えて独りでなんにも考えない事を最後にしてから、
 そして死ぬんです。
 
 ・・・・・・
 
 蛇足として。
 そういう死が自分の先に待っていてくれると思えるからこそ、
 私は今、こうして生きてられるんだと思う。 
 いつか最後にほんとの独りぼっちになって、自分ですべてを愛するその日が来るからこそ、
 私は今、こうして多くの人達と生きていけるのだと、そう、単純に思う。櫟士の死に様を見て。
 それに対する批判、私は甘んじて受けましょう。
 そして私はでも、その批判を受けて流します。
 だって、その批判は、「私」の意志とはたぶんなんの関係も無いのだから。
 でも、そういう風に批判(批評、かな?)してくれる人達が居るからこそ、
 私がこうして色々なことを考えたりすることに価値が生まれてくる。
 その批判(批評)の中から、私にとってのドクや蘭の言葉になるようなものが贈られてくるようになるのを、
 私はとても楽しみにしながら待っています。
 私にとっての大西やシンジ、そして吉井さんのような桁違いなお言葉も勿論お待ちしております(笑)
 
 
 えー、こほん。
 それでは最後に、恒例行事を。
 テクノライズっていう、とてもとてもとても凄いアニメに出会えたことを誰かに適当に感謝しながら、
 この言葉を全世界の皆様に贈ります。
 
 
 テクノライズ、最高。
 
 
 
 
 
 
 

 

 

 ■030926  地揺れの上をゆくサガ■
 
 
 

 

 
 
 呑気なのは大変宜しいのですけれども、
 つい2時間ほど前まで、釧路沖で大地震があった事実をこれっぱかしも知らなかったっていうのは、
 これはちょっとヤバイと思いながら冷静にカタカタと日記をしたためております。
 地震がなんだー。
 
 さて。
 なんのはずみか悪魔の囁きかはわかりませんけれど、またゲーム買っちゃいました。
 聖剣伝説レジェンドオブマナとかいうのを。
 前からちょっと欲しいなーって思ってて、それでたまたまほどよい値段で売っているのを見つけちゃって、
 その時の財布に多少の余裕があっちゃったりもして、その上たまたま気分が上々で。
 また衝動買いですか。
 どーも私はある程度お高いものを衝動で買っちゃうということはないようなのですけれど、
 適度に安いものを買うときにはほとんど経済観念が、
 安いなら買う高いなら買わない程度にしか発揮されないようなのです。
 そー、まさに安物買いの銭失い・・と、言おうと思ったんですけど、これは意味が違う事にも気づく訳です。
 なんの関係もありませんけれど。
 
 で。
 ついでに。
 その聖剣伝説のお隣に、可愛くちょこんと置かれていた、
 「特価960円! 数量限定!」って煽り文句つきのアンリミテッドサガも買っちゃったんですヨ。
 ええと、御免なさい。色んな意味で。
 だって私、数量限定とか言われるとあっさりひっかかっちゃうんですもん。
 これはもう買わなきゃ罪だね、なんて思いで一杯で・・。
 そんなこんなで、どどんと二発ゲーム買っちゃって意気揚々と帰宅&ゲームスタート。
 聖剣伝説起動して、あー音楽凄いなぁってびっくりして、
 私の衝動はこの感動を予期してのものだったんだよなぁ、
 と、いたずらに自己正当化をこころみつつゲームを進行していましたるうちに、とんでもないことが。
 ゲームをセーブしようとしたら、「メモリーカードがありません」、と。
 ・・・・。
 PS2用のメモリーカード使えないんですか?(汗)
 聖剣伝説レジェンドオブマナ、放置決定。
 
 気を取り直してというか聖剣は無かった事にして、アンリミテッドサガを起動。
 あ、聖剣より絵綺麗だなー。
 やっぱり2Dの絵って可愛くていいよねー。
 んー、なんか説明書に書いてあること良くわかんないけど、適当に始めるのが私のプレイスタイルなので、
 さっそくキャラ選択。
 うーん。
 小動物が多少大きくなったキャラも捨てがたいですけど、やっぱり魔法使いがいるならそれっきゃない。
 と言うわけで、主人公をジュディに決定。
 他のキャラは最初から私の選択肢に入って無かったことは内緒にしてゲームの始まり。
 ・・・。
 連携が、格好良すぎ。
 なんかもう、戦闘シーンだけあればいいって感じ。
 とにかく敵と遭遇しまくっては戦い、魔法を放ち、連携でカッコ良く決めて、ジュディが死んで。
 ジュ、ジュディ弱い(涙)
 打たれ弱いにもほどがありますよー。
 といいますか、あんまりゲームシステム理解できてないんですケド。
 なんでやたら連携が敵と繋がっちゃうんでしょ?
 一生懸命魔法で攻撃してるのに、ほとんど返り討ちにあってるような気がするよ。
 うん。
 RPGなんて久しぶりにやるから、複雑なシステムとか理解するのに時間かかりそうだよ。
 というか、まだほとんどわかってないっす。
 もしかしてでも、アンリミテッドサガって結構難しい?
 イエス、難しい。
 
 アンリミテッドサガも放置
 
 
 ◆◆◆
 
 聖剣はともかく、アンリミテッドサガは結構プレイしがいがありそうな予感。
 絵とか音楽とか、PS2でRPGをやったことがない私はびっくり仰天。
 なんて絵が綺麗なの。なんて音楽に奥行きがあるの!
 やっぱりRPGっていうのはおとぎ話のように、すごくリアルなモノを持ってるモノほど凄いです。
 より幻想的な迫力に満ちるRPGは、私は大好きです。
 というわけで、アンリミテッドサガはまずそういう部分から楽しみ始めました。
 肝心のゲームシステムの方ですが・・・。
 ちょ〜っとあのゲームの進行の仕方がただ地図の上を歩いているみたいなだけで、物足りない部分も。
 それ以外はでもまだ未知ですので、まだまだ楽しめそうな予感は持ってます。
 それにしても、ゲームシステムが全然わからんのぅ・・・ (すっかり老けた目をしながら)
 
 
 
 
 

 

 

 ■030925  TEXHNOLYZE :19(テレビ版)
 
 
 

 

 
 
 遅くなりましたが、テクノライズの感想を述べさせて頂きます。
 
 なにを最初に言葉に代えて表現すべきか、イマイチ思い入れがしないのですが、しかし敢えて言わせて頂
 きますとすれば、それは少しばかりの違和感を感じた、ということです。
 なんといいますか、ネット配信版で饒舌に語り出した作品の魂が、
 すっかりその続きであるこのお話にまで受け継がれ、なんだか失敗した手品の種明かしをされているような
 、そういう感覚がしました。
 実際、櫟士の行動原理がわかりました。
 たんに櫟士は大西に対しての義理から行動し、そして蘭に弱々しき守ってあげねばならぬ少女の幻影を
 見、そして街に戻ってきた。
 どこか、どこかその幼稚な行動原理にいびつさを感じながらも、でもなんだかそれでも説明が付いてしまう
 ような感触、これがどうしても拭い去れないのです。
 
 今回のお話を見て、簡単に良かったか悪かったかと問われれば、私は良かったと答えます。
 しかし、なにかが今までと違う。
 あきらかにテクノライズはその姿の見せ方を間違えた。
 仮面の下にある顔は美しくあらねばならないと思ってしまう私の視覚には、どうにも、どうにもその仮面の下
 に秘められていた素顔に深みがなさ過ぎたような気がしたのです。
 もちろん、所々におけるシーンの凄まじさは、おそらく今回が最高のモノを含んでいたでありましょう。
 広田の死に際の蘭と大西のやりとり、そしてラストの大西と櫟士のやりとり。
 言葉に代えられぬ引力と斥力を同時に放ちながら私の魂を揺さぶってくれたこれらのシーンに、テクノライ
 ズの真髄を見せつけられてくらくらしました。
 でも。
 でも、なんか違うのです。
 こうじゃない。
 どうしても、強引さが目立つんです。
 別に誰が死のうが、街が壊れようが狂おうが、そんなことは関係ないです。
 しかし・・・なんでその死に様が、街の終わりが「言葉」によって語られなくてはならないのでしょう?
 テクノライズは、セリフの極端に少ないアニメで始まりました。
 そして、無言によって魂の火花を散らし、そして行為によってすべてを語ってきました。
 そもそも、言葉による説明など要らなかったのです、この素晴らしき物語とは言えぬ作品には。
 なんというか、陳腐な決め台詞で埋め尽くされた特攻の最後を見せられても、正直、なにやってんだ、
 という思いしか抱けませんでした。
 
 ただ。
 そういった個々の登場人物達の連関によって織りなされる演出的な部分に不満はありましたが、
 しかし、逆に「蘭」という突飛なキャラクターを頂点として、すべてのキャラクターの言動をその下に収束させ
 てみると、これには凄く新しいものを感じさせてくれます。
 そう。
 大西が、シンジが、そして櫟士が、蘭の言う「狂気」というものと「対峙」しているという単純な構図のみし
 か今回のお話で提示しなかったがために、私は違和感を感じた(大体大西があんな理由のみで滅びを
 選択するなんてありえない)のではありますけれど、でも、テクノライズをそういう作品で捉えてみる、という
 前提で見てみれば、ああ確かになるほどなという納得を与えてくれるものがちゃんとあるのです。
 
 「狂気」。
 人間の奥底に必ず潜むこのどす黒い感情に身を委ねた人間達の生きる煉獄。
 今まで大西達が築いてきた暴力に満ちた平和の情景は、ゆえに壊される運命にあった。
 生きることを諦めた者達は地上という冥府と言う名の天国へ。
 生きることを諦めない者達は、地下という煉獄へ。
 煉獄とは、地獄の入り口。
 地獄になりつつある、地獄ならぬ地獄のような現世。
 そして、滅びを定められた人間達の生きるべき場所は、もうそろそろ消える。
 狂気という究極の自傷行為で、煉獄を地獄へと進化させる。
 その大きな人間の運命という歴史を軸として、大西やシンジや櫟士が立ち回るんです。
 そして、その進化を押し留め押し進めたのが、蘭。
 伽ノはおそらく、きっかけにしか過ぎなかったのでしょう。
 蘭が見た未来は、蘭が創った未来。
 そしてだからこそ、蘭が地獄へと向かうこの街を導いてきたのです。
 だから、蘭は大西に広田を殺す事を願った、彼女の苦しみを終わらせてあげるために。
 大西に、自分を殺してくれるように願ったのです、この街を終わらせるために。
 蘭と伽ノの会話。
 彼女の苦痛が、わかります。
 滅びを狂気を止める事を願うのに、結局のところどうにも出来ないでいる状態。
 そして気づけば、彼女自身も狂わされていたのです。
 この街に、そして彼女の見た未来によって。
 彼女は、この街を導き支配し狂わせた罪によって、処刑されねばならない。
 しかし、狂った者達に、その処罰を行う術はない。
 だから、蘭は大西に自分を殺す事を願った。
 この街の人間で、この街の人間と同じ者でありながら正気で居続ける彼に。
 櫟士には頼まなかったんです。
 なぜかって?
 櫟士は蘭を守りたい、ただそれだけの人。
 でも、蘭が守って欲しいのは蘭じゃないんです。
 この街を、この狂気に満ちた世界で正気を叫べる場こそを守って欲しいんです。
 だから、櫟士にこの街の最後を託す訳にはいかないんです。
 むしろ櫟士は、滅んだあとに独り生き残る人間でしょうね。
 いえ。
 それもこれも、櫟士のこれから次第でしょう。
 櫟士が大西のあとを継ぐのか、それとも狂気の一人となるのか。
 
 結局のところ、蘭の佇む場所は櫟士の元なのか。
 それはやはり、「狂気」という言葉の意味の解釈が為されない限りわからないでしょう。
 逆に言えば、狂気とはなにかと徹底的に描いて見せてこその、蘭の存在だと思います。
 なぜ狂気であるということが、滅びへと繋がるのか。
 ただの潔癖主義でだけで終わったら、ほんとに私はテクノライズの偉大さは半減すると思います。
 借り物のアイテムとして突如登場した「狂気」という軸を、ラスト一話で語るのは容易ではないし、
 また語らずに小綺麗に、そしてたったひとつの意味に限定して終わらせてしまう事も考えられます。
 でも、それはやっぱりもう、テクノライズじゃない気がします。
 作品に意志を持たせず、無限の可能性を予感させる多様な世界観。
 そして、なにも語らない人間達。
 私は、そういうテクノライズの終焉を願っています。
 
 ・・・・。
 
 なにげに紅い瞳ってば、テクノライズに入れ込んでみたいですねい。
 入れ込んでるというか、惚れ込んでいると言いますか。
 恋は盲目、といいますか。
 もう、私のテクノライズしか見えない。
 
 ふふふ。ふはははは! (壊)
 
 
 
 
 

 

 

 ■030924  黒い青空みーつけた
 
 
 

 

 
 
 岩井志麻子「黒焦げ美人」、読了。
 
 何度でも思う。この人の作品を読むと。
 自信たっぷりに薄っぺらなバカをやろうとしている自分に、これみよがしにトドメを刺されたなぁ、って。
 「この、バカっ!」って、グーで殴られたかのようにそれは強烈で、
 殴られた痛みそのものより、殴られてしまったという事がとてもとても痛い。
 ああ、また私は平気で最悪な事やっちゃってるんだなぁ、と自分だけにしか通じない罪悪感に囚われる。
 私はいつも通りの空を見て、いつもとなにも変わらない事をして、
 そしてなんにも気づかないまま、また馬鹿なことを・・・。
 
 馬鹿で薄っぺらに見える人がいるとき、ほんとに馬鹿なのはそうにしか見えない自分だ。
 薄っぺらで中身の無い人間なんていない。
 殺人鬼だろうと極悪人だろうと放火魔だろうと、その人の思考には必ず理屈がある。
 そして、その人の見ている複雑怪奇な世界が、その人を必ず包んでいる。
 自分もまた、独自のなにかを持っている。
 でも、往々にして、そのことに気づかない。
 気づけないで馬鹿を繰り返すときがある。
 そういう馬鹿だけは、そういう馬鹿をやってしまったときだけは、私は複雑に反省する。
 ああ、今、私の空は何色に見えているのかなぁ、と。
 
 晴子、という主人公が居る。
 姉は妾で、両親は姉の旦那の援助で呉服屋を出してなんとか生きている。
 そんなへたれな空間を妹で娘である晴子は見ている。
 毎日、毎日、変わらないはずのその風景を滅茶苦茶なほどに変化させながら受け取っている。
 人の言葉の意味を寄り合わせ世界を創り、
 自分が女学生などというまだまだな世間的地位にしか居ないということを意識しつつ、
 しかしその精神は遥かにその「世間」というレベルそのものを凌駕してしまっている。
 ひとりの女に、年齢なんて関係ない。
 そして、へたれな空間なんて、世間的地位なんて、彼女は冗談で気にするけど本気では気にしない。
 でも、確かにこの世界に絶望は存在する。
 街往く人の歩く音に地獄の地響きを感じ、湿った日本の風に異国の渇いた砂漠の風を感じる。
 
 『そのたびに晴子は傷つき、目の前が赤ではなく青くなる。
  絶望の色は赤でもなく黒でもなく青だと知ったのだから。』

                           〜作品より引用〜

 
 そうしていかんともしがたい孤独の瀬にありながら、しかしその中でも確として目を凝らし続ける。
 皆と同じで違う世界に居ようとも、しかし必ずそこにはなにかがある。
 なにかがあるから、その中に意味を見出す。
 気づけば、へたれな両親が自分も見抜けなかったあの男の見る色を見抜いていたというおかしさが、
 延々と晴子の前に広がっていた。
 そのおかしさの拡大をいつまでも続けようとする光景の中で、晴子は笑う。
 たぶん、笑っている。
 泣いてもいるし、怒ってもいるし、無表情でもある。
 
 そして。
 そのおかしさを楽しんで感じられなくなるとき、私は心底馬鹿になる。
 今、目の前に広がっている色が何色か、それを見ようともしない。
 世間様が黒だといったら黒である、その事が底の底まで浸透してしまったら。
 私はもう一度、目を凝らす。
 全世界でただ独り、黒いを青いと言える自信を。
 幸せで爽快さの象徴である青空に、絶望を感じられる感受性を。
 
 私は、何度でも考え直す。
 この空の意味を。
 
 
 ◆◆◆
 
 岩井志麻子は「ぼっけぇ、きょうてぇ」→「夜啼きの森」→「岡山女」→「魔羅節」と読んできたけれど、
 順を追う事にどんどんと凄みと深みを増してきてるなぁって、思ふ。
 なんつったらいいのか、あんまりわからないんだけど、「怖い」っていうのと「凄い」っていうのと、
 そして「美しい」っていうのは同じところに集まってくるものなんだなぁ、って事も感じるヨ。うん。
 ええと、まぁ、ほんとはそういうヘンな表現をちょっと言ってみたかっただけ。しょーもない。
 
 てゆーか、誰か岩井志麻子読んだことある人いないかなぁ・・・。
 
 
 
 
 

 

 

 ■030920  TEXHNOLYZE :19・20(ネット配信版)
 
 
 

 

 
 
 〜ROGUE:19〜
 
 空は青く、不確かで
 ゆるぎなく続く道の脇から、白い家が巡礼者を独り独り見逃していく。
 命の側に影満ちて、日明の下に声が在る。
 響く雷鳴の轟きに、目を見張らんばかりの幻影を視る。
 サングラスの女の戸惑い。
 白き少女の低い声。
 リアルな幻想が、死を片手に踊っている。
 
 通り過ぎる人間の残滓すら無くした街は、自発的。
 通り過ぎる人間の残り香すら嗅げない訪問者は、退廃的。
 たった一杯の水が世界を明るくする。
 意識的に壊れたラジオ。
 人は声か肉体か。
 形式は形式であるがゆえに、形式なのです。
 終わらせたいものがあるラジオが、止まらないまま声を垂れ流す。
 垂れ流しにこそ、例外無し。
 誰が吉井くんを殺そうが、お話にはならない。
 サングラスをとった女の苦渋。
 わからない。テクノライズの思想がわからない。
 自らの足で踏みしめない大地に、なんの価値があろうや。
 ラフィアは、無用の長物。
 死に往く者にこそ、形式在り。
 ただ静かに、種の終焉を迎えるべし。
 鏡は、思考力を増大させる。
 
 黄昏の街に、休むことなく歩む人影。
 絶望と呆然を覚えることなく忘却し、ひたすらもがいた義足付きの巡礼者。
 彼らは観た。人の歴史を。
 同じ事を繰り返す愚を愚として認知しながら止めることの出来ない愚。
 ほら、また、手を繋いだ。
 その手を離さない限り、安らかに壊れたラジオになることもできないのに。
 
 
 〜ROGUE:20〜
 
 地下で自分達が必死にあがいている間に、地上の人間はとっくに生き残ることを諦めていた
 生きるなら地下へ。死ぬなら地上へ。
 いざ往かん選択の地へ。
 奏で給え、最後にして至高のレクイエムを。
 唱え給え、ラジオ無き地下の者の肉声の讃美を。
 そして呪い給え、生きて死ぬという事を。
 
 なるほどなるほど。いや、報告ありがとう御座います。
 君ぃ、名前は?
 むしろ、貴方が好きだ。
 だから、自分で殺したい。
 そうか。
 俺もだ。
 
 研ぎ澄まされた刀が削り折られる日を予測して、
 あらかじめ刃を落とす者達。
 それもまた、楽園無き希望を抱く儚い劣情。
 人が絶え存在の証しか残らなくても、この陽の下にしか生きる喜びはない。
 形式秩序と尊厳自由に倫理に正義。
 影無き陽に照らされた死は、形式に則っていなくてはならない。
 だから、あの瞳を持つ者は地下に追放された。
 来て良かったですよ。
 勝手だな。
 種としての末期。
 名前に囚われる事無き瞳の持ち主達は、生き残る事を選択した。
 すべてにおいて堕落し、すべてにおいて汚辱にまみれ、すべてにおいて没落する。
 命を賭けて殺し合い愛し合い、奪い合い与え合い、
 そして、崩れゆく体をテクノライズで支えそれにすがりながらも、泣きながら無表情に生きていく。
 ドクが惹かれた櫟士の瞳。
 美しい涙など、流したことすらない。
 純粋に汚れきった、凄まじい涙と執念に満ちた瞳。
 俺、あんたに謝らなくちゃいけない。
 生きるために。
 今まで生きてこれた感謝の気持ちのために。
 そして、この世界に生まれてこれた奇跡のために、
 今、ここで謝罪する。
 
 
 さよなら・・・流9洲。
 そして、帰ろう。流9洲へ。
 
 
 
 ◆◆◆
 
 
 テレビ局の都合だかなんだかよくわからないですけど、事情により19話と20話はテレビで放送する時間が
 無くなり、急遽ネットで動画を配信するという駄目っぷり。
 なにそれなにそれ、って50回くらい叫びながらクレームの電話をフジテレビに入れたかったのですが面倒
 だったのでやめた紅い瞳はすっかり意気消沈。
 しかし気を取り直してフタをして動画を視聴してみたところ・・・・うわ、死ぬ死ぬギブっっ!
 ・・凄い。
 テクノライズここに極まれり、ってな具合のものがポンっと投げ出されてるじゃないですか。
 なんですか、あの映像は。
 わかります? ほんとに凄かったんだから。
 抽象的なのか、それともただその世界を忠実に描いたのかそれすらもわからない不確実さがありながら、
 絶対にこうとしかありえない一本道を見事に敷かれてしまったようなこの感覚。
 はっきりいうと、今までのテクノライズとは正反対、対を為す表現技法です。
 これまでのお話では、完全に表面にベールをかぶせて作品に意志を持たせていないようにみせていたのに
 、この19・20話ではそのベールが敢然と脱ぎ捨てられ、みるものにすべてを明かすかのように饒舌に映像
 が語り出すように描いているのです。
 なんか言ってる意味が限りなく薄くなってきたようなので、この際素っ裸思考でいきましょう。
 ぶっちゃけ、これはもう今までのテクノライズを観てきた人には、オタカラモノでありましょう。
 満足しないなんてありえない。
 でも、別にこれを観なくても全体のストーリーには差し障りないんですよね。
 いや、それは違うな。
 これを観ると、今までのテクノライズ観が変わります。
 で、これを観ないでいると今まで通りのテクノライズをこれからの話でも楽しめます。
 ストーリー的にこの19話と20話は無くても後につながりますから。
 言ってみれば、19話・20話はネタバレ話ですから。
 んー。
 なにが言いたいのかわからなくなってきました。
 要は、上記の文章に全部書いたから言うことは無いんですね、もう。
 ちょっとわかりずらい文かもしれませんけど、ある程度ちゃんと考えて書いているので、比喩とかどういう意
 味か考えて読んでみてください。
 19話20話観た人には、だいたいすぐわかるでしょうけど。
 では、本日はこれにて。
 
 むむ。わけわからないノリじゃないか、今日は(いつもそうダロ)
 
 
 おまけ:
 以下のページからテクノライズのネット配信版の19・20話は観れます。
 ただ、ストリーミング配信ですので、自分のパソコンにダウンロードして保存することはできません。
 ですから、この動画がこのページにアップされている間しか観れません。
 期間限定ですので、上記の理由と合わせて早めに鑑賞してみてくださいませ(もちろん無料です)。
 
 animateTV内ページ http://www.animate.tv/pv/detail.php?id=ppg030717a
 
 
 
 
 

 

 

 ■030917  TEXHNOLYZE : 18
 
 
 

 

 
 
 テクノライズという作品が、実に難しく、実に複雑に入り組んでいるということを、
 ここに来て、改めて実感しているところです。
 なんといえば良いのでしょうか。
 凄い。
 目の前に鋭く磨き上げられた刃物を放り出されたような感じの、
 そう、身震いしてしまうほど蒼白な気迫があるんです。
 ストーリーとか、哲学的テーマとか、色々そういうものがその潔癖さを下地にして織り込まれ、
 でも逆にその下地そのものが強烈に全面に出てくるために、ひどくこの作品を難解なものにしている、
 そう私は思います。
 それはもうじれったい程なまでの難解さ。
 自分の語り口、或いは感想を書くときに使う道具を使って解体しようにも、
 まさに真っ白な暖簾を腕押ししているかのような、この空虚な悔しさ。
 前回の日記では、櫟士と遠山の会話に焦点を当て、
 私の人間観を使ってテクノライズを紐解いてみようとした訳ですが、あれなんてどうですか?
 ある意味、今回18話を観て、非常にがっかりしました。
 ああ、なんて虚しい事書いてるんだろうか、と。
 17話のあの感想などは、テクノライズのほんのほんの一点を解釈したに過ぎません。
 そしてテクノライズという作品は、全体を捉え描いて、そして初めてひとつの感想が書ける、
 そういう存在なのです。
 だからゆえに、非常に非常に、感想を書くのが難しいんです。
 私はいつもいつも、腕組みしながら全精力を傾けてテクノライズを感じています。
 
 さて、前振りはここまで。
 とにかく、今は私のベストを尽すことがベスト。
 書ける事を書いてみようと思います。
 まずは、というか映像的に最も凄まじかった、蘭について。
 とかく物語の本筋から簡単に離れ、
 かつかろうじて存在する肉感的な人物達の人間関係からも離れ、
 一枚浮いた存在となっている彼女。
 今回はもはや完全にこのテクノライズという世界の中に、「蘭」という別個の場を作り出せてさえいます。
 その様は荘厳にして美。
 いいえ。彼女はもはや一個の人間ではなく、神性を備えた抽象的な存在です。
 一時「物見」という立場に縛られ、枠の中に捉えられた彼女だけれども、
 ガベから離れ街へと独り歩を進める蘭には、凄まじいなにかを感じます。
 蘭という人間では無く、蘭という世界の意味。
 世界の意味が歩いている光景。
 これぞ、テクノライズの真髄です。
 一方で、どんどんとその神性というか、その抽象性を徐々に失い始めているのが、ドク。
 彼女は人っぽくなってきた、なんていうとヘンですが、しかし段々と肉や骨がついてきたようです。
 今までは、彼女の理想を基幹にしたベールが彼女を覆っていましたが、
 理想の潰えた今となっては、彼女は素肌をさらすのみ。
 しかし逆に言えば、この彼女の素肌自体もテクノライズにおいてはなんらかの意味を持っています。
 妙にドラマティックなドクの思考の変化、これは彼女の欲望の変更を示している、
 或いは、それが新たな彼女の理想体系の端緒を開くものかもしれません。
 彼女の、背景に溶け込んでいながらもスーっと一本飛び出ている突起物的な視線、
 そして全体に「嘘」で構成されるロジックな淫靡さ。
 そのあたりの感覚は、今までとは違った意味でますます鋭さを増しているようです。
 
 ふっと、目の前を血しぶきが横切ったあとに見える世界。
 今、ぱっと頭に浮かんだこのイメージはなんでしょう。
 すごく、手探りなんです。
 目には確かにキャラクターが映っているのに、手を伸ばして触ってみようとすると、そこにはなにも無い。
 でも、ちゃんとそこには彼らは居るんです。
 この空間のズレを生じさせてるなにかが、テクノライズにはあります。
 それは血だったり、真っ白な空だったり、意志的で無機質な三人の老婆の台詞だったり。
 キャラの断絶された肉感的で瞬間的な表情だったり、そして櫟士の瞳だったり。
 動きの中に静があり、静の中に動きがある。
 全体を包む無意志が、自然と「物語」という枠組みをはずしている。
 もちろん、物語が無い訳ではありません。
 じゃなければ、作品としては成り立たないでしょうから。
 でも、それはもはや作品の一要素にしかなくなっていると思います。
 物語が骨組みや枠組みとしてあるのじゃなくて、物語性として作品に無造作に放り込まれている、
 そういう感覚があるのではないかと。
 そして、そういった作品の一要素として登場人物達がいるため、彼らは物語に収束せず、
 結果彼らは「捉え所」が無いのだ、そう思うんですよ。
 実際観ていて、いくつかの抽象絵を同時に観ているような、そんな感じですね。
 絵っていうものは、ひとつの道の流れとしての物語はありませんからね。
 すべての要素が、独立と連関を同時にこなしながら存在している映像世界。
 今回のこの18話は、その最たるものを示してくれました。
 
 そして。
 その映像の中で繰り広げられている事とは、一体なんなのか。
 固定したテーマがあるとは、私は絶対に思えなくなってきました。
 むしろ、テーマと呼べるモノが果たして存在しているのかすら疑えます。
 彼らは、ただひたすら生きている。
 男は戦い、女子供は投げ出される。
 なんででしょう。
 なんで櫟士はオルガノの死体から、大西を捜したんでしょう。
 なんで、ドクはあのような形としてテクノライズを作ったんでしょう。
 ひたすら前に向かう者。
 ひたすら目の前のものから飛び出して、外側から見ようとする者。
 自分の生きる場所を目の前にのみ求め続けるのか、それとも生きる場所を探し続けるのか。
 そんなテーマは、もちろん描かれちゃいません。
 そう、あそこにはなにかが描かれている訳ではなく、ただ「人」がたくさんいるのみ。
 大西とシンジが三老婆に会いに行った理由なんて、ありえない。
 同様に、あの老婆達がなにをしたいのかも、一切不明。
 というより、わかる必要なんてない、そう私は想いました。
 やっぱり伽ノの思想的行動をなんとかしたい、って彼らは思ってる、
 その程度の理解でいいのではないかと。
 大西が櫟士に今まで我々は狭い世界に囚われていたからこうなった、と言った台詞も、
 このお話のテーマなんかじゃないのです。
 だって、そもそも大西がその言葉を櫟士にどういう意味で言ったのか、まったくわからないのですから。
 言葉とは、前後の文の脈絡によって意味が読みとれるものです。
 ですから、ひとつの単語それだけを受け取ると固定された意味というのは存在し得ません。
 逆に言えば、その言葉の向こうに広がるコンテクスト(背景)をいくらでも自由に想像できるんです。
 そしてそうやって観るものによって想像されたコンテクストは、無数に存在し得る。
 ゆえに、あの大西の言葉には二重三重四重にも意味が貼り付けられているんです。
 これはなにもあのシーンだけではなく、テクノライズのすべての台詞に対して言えることです。
 観る者によって、まったく違う解釈・感想が紡ぎ出される。
 
 私は簡単に言ってしまえば、その広大さに吹っ飛ばされてしまいました、今回。
 18話を気楽にみようかいのぅとノコノコドアを開けたら、ドンと突き飛ばされて追い出されてしまったような。
 ひとつの読み方をしたって駄目だ。
 それじゃあテクノライズを充分に楽しめない。
 充分楽しめない奴ぁ出直してこい、っていう感じで。
 私の今回のテクノライズを観ての感想といえば、これに尽きると実は思うのです。
 追い出されちゃった、てへ☆、みたいな。
 それと、最後に気づいたのは、この作品では感動することは邪道だ、ということ。
 邪道というと語弊があるかもしれませんが、たぶん感動したらまた追い出されると思うんです(誰に)。
 感動するってことは、「自分自身」というコンテクストを設定し、
 かつ極力無理矢理にキャラの心情とシンクロしなきゃいけない。
 でも、ほんとはそれは無理あるんです。このテクノライズって作品は。
 だって、それはあまりにも明確な嘘ですから。
 いっぱい意味があるって明らかに意識しているのに、
 敢えて他の意味を無視してひとつの意味に耽るんですから。
 少なくとも、私はそう思いました。
 とか言っても、その舌の根の乾かぬウチから感動して号泣したりする私ですが。
 ちなみに今回の泣き所は、ラストの三老婆を斬殺した遠山の表情でありました。
 ・・・。
 無問題。
 
 
 
 それはそれとして。
 
 
 男  : 『失礼だが、あんた金はあるのかい?』
 吉井: 『まーねー (MONEY)』

〜CMより〜

 
 よ、吉井さ〜ん(涙)
 
 
 
 
 
 

 

 

 ■030914  麗しくもゲームな残暑
 
 
 

 

 
 
 またまた、私の優秀な秘書にして華麗なる腹心、
 そしてどうしようもなく怠惰な下僕であるところのクレハ曰く、
 「今日は、たぶん33人くらい来たっぽい」。
 え。
 33人て。
 そんなに日記楽しみにしてくれていた方がいたって、そう解釈して良いんですね? ね?
 そういう風に受け取っておきます。
 何事も、プラス思考プラス思考。(辺りを疑わしそうに見回しながら)
 
 それで勢い込みながら周囲を警戒しているところ、
 どうやら宇都宮さんなどは信長の野望の新作などという、不届き千万な宝物を手に入れて有頂天にな
 らておられますようで、ここは私としましても対抗心を燃やして前作プレイに勤しんでみるも、いささかパンチ
 力不足。
 所詮最新作の魅力には勝てません。
 というわけで、ごく自然に紅い瞳もなにか新しいソフトを買ってやれ、みたいなノリになったってゆーか。
 そう、ほんとごくごく軽いノリで買っちゃったんです。ええ。ほんとに。
 天誅 参
 ぐわわ、またこういうゲーム買ったですかあなた。
 斬ったり、殺ったりなゲームを立て続けに買ってますな。
 紅い瞳の精神がなにを渇望しているのか、手に取るようにわかる想いデス。
 とはいえ、真・三国無双3のような、なにがなんでも目に入ったもの全部斬るという感じでは御座いま
 せぬ。
 忍者が主人公のこのゲームは隙を突いて敵を一人一人倒していくのです。
 背後に音もなく忍びより斬り倒し、敵の頭上より舞い降り突き刺し、ときには様々な忍具を持って毒・煙
 ・吹き矢などを使い不意打ちに仕留めていく・・。
 おー、これはこれで、面白いゾ。
 卑怯とかそういう言葉をねじ伏せた上でガンガン敵を倒していくのは、非常に爽快。
 ある意味、紅い瞳にぴったり。
 の割には、かなり攻略に手こずってる模様。
 何? 1ステージクリアするのに30分もかかってるの?
 だって、じっと物陰に伏せてられなくて飛び出して敵に発見され囲まれボコられ逃亡以下その繰り返しなん
 ですもの。
 そりゃー時間はかかりますよ。
 得点も低いし、私もしかして忍びに不向き? って思っちゃうときもあるんだけど、でもめげずにがんばってる
 紅い瞳はやっぱりエライと思う。
 投げ出して無双に回帰しないあたりとか、ね。
 もう、後には引けない(無双に飽きたから)。
 
 
 というかね、聞いてくださいよみなさん。
 なんかさー敵の動きいちいち観察して行動パターン読むのって凄い面倒だし単純な奴ならともかく狭い場
 所で滅多に背後見せない敵なんてどうやって倒すんじゃボケってな訳で結局飛び出して適当に斬り合って
 忍殺(←敵に悟られずに攻撃する事。一撃必殺になり高得点)出来ないで倒しちゃったりていうか一番
 死亡率が高いのが落とし穴に落ちることってどういうこと?暗がりだとほんと穴の存在に気づかないで落ち
 まくってるんですよてかそもそも中途セーブできないって何事デスカあり得ないですよなんとか生き延びてよ
 うやくクリアかと思ったらボス登場→ボコボコリンチ→呆然死(?)ってそんなのないやい!これは酷いです
 よていうかね泣いたね実際まぁゲームやるときにこれほど集中できたのは初めてだからよいかもとか言ったり
 してしまう気にもなるけど力丸モードの方が彩女モードより難易度数段高い気がするけど気のせい?彩
 女の方が扱いやすいしねぇそれはそうと敵くのいちが「黒鉄」の丹ちゃんルックなのにはびっくりしましたが
 いやむしろ嬉しかったんですがなんで力丸モードには丹ちゃん出てこないんだヨ!(我が儘)力丸に出てくる
 奴なんて般若の面かぶってちょっとイっちゃってる忍者ヨ?まぁね、殺しがいがあったから良いけど(マテ)
 あとねどうがんばっても奥義が出せないんですけど毎ステージ頑張って会得しているのに全然コマンド入
 力が上手くいかない敵がいないところで練習すると普通に撃てるんですがいざご対面という時に限ってな
 ぜか不発→タコ殴りって何ソレ?この下手くそ〜っと叫んでる暇があれば忍殺メインていうかそれのみで制
 圧すれば良いお話ぶっちゃけ忍殺キメるのは最高ですよねやっぱり特に頭脳プレイばりに鉤縄で敵の背
 後に着地して忍殺って良いよねあと一番高い屋根から急降下して頭上から串刺し忍殺ってのもオツだね
 あと吹き矢で仕留めるのもなかなかこのゲームはどうも人が殺されるシーンを描くのになにか恐ろしい
 までのエネルギーをぶつけているような気がしますもう死に様が豊富すぎてお腹一杯断末魔の叫びと
 か滅茶苦茶大きいし(夜は音量を下げてプレイしましょう)なぜか一部キャラの顔が漫画顔だしそれ
 は別に構わないんですけど町人が非常にムカつきます敵キャラでない町人などのキャラを殺すと減点され
 るのですがそうなると尚更殺っちゃいたいんですよねていうかねめっちゃ邪魔しかも酔っ払いが屋根の上に
 まで登ってきてお助け〜とか言うな!登ってくるなヨほんとにもう殺意ばかりがメラメラと燃え上がってくるゲ
 ームで御座いますそうねこう弓矢でぷしゅっと殺るのもイイし篝火に押しつけて燃やすのも味があって良いし
 犬に爆ぜ車(時限爆弾みたいなモノ)つけて敵近くで爆破もなかなかイケるもんじゃああもっと一杯殺し
 ・・・・。
 
 なんだこのゲームは。
 
 ていうか、大丈夫か紅い瞳は。
 
 
 本人は、「え〜大丈夫だぉ? ぜ〜んぜんまだまだいけるよぉ?」って感じの台詞を明らかにイキ過ぎて
 白目がちになった瞳を不気味にうるませながら言ってますが。
 
 きっと大丈夫、だと思う。
 
 うん。
 ほんとはね、私はちょっと古いけど玉繭物語2とか欲しかったの。
 あと、戯さんの言ってた聖剣伝説シリーズのうち、聖剣伝説レジェンドオブマナとかにも、なにか感ずるも
 のがあったの。
 そもそもレジェンドオブマナはPS2でも出来るのか、とか諸問題もあったけど、概ね買いたいと思ってたの。
 基本的に、紅い瞳はこっち属性の人だから。
 
 これを観るまでは、ね。
 
 
 
 
 父さん・・・紅い瞳は立派に育ったよ (お茶すすってる父の背中を見つめながら)
 
 
 
 
 
 

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吐血するほどすんごいサイト見つけました。金文体欲しいよぅ(涙) → 素材(↑)提供;ぐらん・ふくや・かふぇ

 

 

 

 ■030913  TEXHNOLYZE : 17
 
 
 

 

 
 
 遠山: 『もうすぐオルガノが無くなります。今のまま居れば、いずれあなたも・・。
       私は、あなたに生き続けて欲しいと思っている』
 櫟士 『お前は、オルガノだと思っていた。』
 遠山: 『私にとっては、生き残っていくための場所に過ぎません』
 櫟士: 『オルガノが無ければ、生きていなかった。お前も。』
 遠山: 『私はいつもそうしてきた人間です。それは変えられない』
 櫟士: 『そうしてまで、生きていたいのか?』
 遠山: 『そうしなければ、生きられないのです。』
 

〜第17話遠山と櫟士の会話より引用〜

 
 うーん。
 まぁ、その。
 ぶっちゃけ、この上の会話中心で観ました。
 観たけど、よくわかんないというか。なんというか。
 難しいんです。はい。
 櫟士と遠山の考え方の対比。これは実にいい。
 組織に囚われる囚われないの話じゃなくて、生きるってどういうことなのか、というか。
 組織とは宗教とは思想とは、なんのためにあるのか。
 はじめに人ありきの組織、宗教、思想。
 それが本末転倒になるってこともある。
 組織、宗教、思想あっての人の命。
 でも、その本末転倒することは別に悪いことじゃない。
 大西は絶対不利の中でもあくまでオルガノを護り、
 木俣はその宗教的思想に命を賭けた。
 良いも悪いもないです。
 そりゃ、その組織に真から属す者や宗教に帰依する者以外の人からみれば、それは滑稽です。
 でも、その滑稽さを軽蔑するのはおかしい。
 軽蔑できるのは、軽蔑される当人達のみ。
 だって彼らは、自分の存在がすでにその組織・宗教と一体となっているのですから。
 それを否定すると言うことは、自分の存在を否定するに等しい。
 その一体化も、おかしい事とは私は思いません。
 自らが造り上げ、最高と信じ愛し命を賭けてきたものと運命を共にするのは、全然おかしくない。
 櫟士はたぶんね、この事にもう気づいてると思います。
 もちろん、大西によって気づかされたんですけどね。
 そして、自分もそうやってなにかのために生きる人間だってことにも段々と気づき始める。
 なにかのために生きるって事は、自分が生きてるって事とまったく同じ。
 というか、もはや同じなんです。大西や櫟士にとってオルガノとして生きるということは。
 だから、自分と同じオルガノだと思っていた遠山にあんな事言われて、?って感じになるんです。
 俺はオルガノと共に死ぬのに、お前は死ななくて、その上俺の命の心配までなぜするのか? みたいな。
 
 一方の遠山。
 櫟士の斜め後ろから的確にぶすっと忠告をキメてきました。
 あなたはそう言うけれど、ほんとうにそれで良いの? って。
 遠山は自身の考え方を披露することで、暗に櫟士にそう言っているんです。
 というか、生きて欲しい言ってるから、暗にでも無いんでしょうけど。
 えと。
 生きる場所としてのオルガノ、それと自分が生きるってこととは違う。
 それが遠山の言っていることでしょうね。
 だからオルガノが無くなろうがどうなろうが、遠山はまた自分の居場所を探しに行くだけ。
 生きてればなんとかなるさ、じゃなくて、ハナからなにかをするために生きてる訳じゃないんです。
 生きてるから生きている、というか。
 生きていて、その中で楽しいことも悲しいことも色々あるんです。
 つまり、生きるって対象が自分自身以外にあり得ないんですね。
 そうですよー。
 街でふわふわしてる人達のほうが、なにかに一生懸命打ち込んでる人より自分を生きてるんですよ。
 とにかく、自分がこの世界に存在しているってことがまず一番にある。
 そして、移ろいゆく様々な出来事を自分を通してたくさん受け取っていったり、
 または自分から発信していったり。
 だからそういう人達にとっては、命がけで守るものや、そのために死ねるものなんてあり得ないんですよね。
 というより、そういうのがあったら、その人達はもう存在できないんですね。
 そういうものに憧れたりもするけれど、それはあくまで憧れとして受け入れなくてはならない。
 そうしなければ、生きていけないんです。
 評論家とか哲学やってる人とか、そういうタイプですよね。
 あと、オタクとかもある意味そうでしょう。
 特定のキャラや作品の一面的解釈のみに命捧げちゃってる場合は除きますけど。
 っていっても、そういう人って実はあんまりいないんですよね。ちゃんと色々見てる場合が多い。
 
 話が逸れました。思いっきり逸れました。
 で。
 そういう遠山の考え方は、真っ向から櫟士と反しあうものですが、
 しかし確かにこの遠山のアドバイスは櫟士にとっては必要でしょう。
 ほんとうに、櫟士にとってオルガノは櫟士の命であるのか?
 この問いを与えられて、そしてタイプは違うけれど蘭にも似たような言葉を与えられて、
 櫟士は迷っています。
 そしてこの迷いこそ、今の櫟士には一番大切なものなんですね。
 よく、目前に敵が迫ってるのに、迷ってる暇なんかない、ってセリフを聞きますが、待ってよ。
 迷いながら、闘うんです。
 迷いの無い、反駁無き闘いこそ慎むべきじゃないのかなぁ。
 大西だって毎日その事を考え続けているはずです。
 オルガノのために生きるべきなのか。彼はその問いに毎日イエスと答えてきただけです。
 一心不乱に、脇目もふらずにただひとつの事だけに生きるのも、それはそれでいい。
 でも、ほんとうはそういうのだけじゃ、つまらない。
 そういう風な行動に満足したり美を感じたりするときもあるけれど、
 必ずどこかで自分自身に立ち返って、そして自分が今なにをしているのかを見つめ直す。
 遠山は、櫟士にそう忠告してるんだと思います。
 大西もドクも木俣も、みんなそうして生きているのじゃないかなぁ。
 自分の存在というものを、もっともっともっと考えてみる。
 とりあえず行動しよう、なんてあり得ない。
 ええ。
 そうなんです。
 私はそう思ってるんです。
 
 
 とりあえず、木俣の旦那の冥福を祈ります。 ←いいのかそれで
 
 
 
 
 

 

 

 ■030910  かせいにっき
 
 
 

 

 
 
 すとりきにーね、とおおごえでさけびながらおきたあさは、なんだかゆううつです。
 しーとんどうぶつきにやたらでてくるどくぶつのなまえが、しんそうしんりにまでとけ
 こんでいるみたいです。
 それとはあんまりかんけいないおはなしですが、いつのまにかゆくえをたっていたしん
 ゆうが、いぎりすからかえってきました。
 ろんどんとか、おっくすふぉーどとか、わしんとんとか、ほぐわーつとか。
 いぎりすには、いっぱいまほうつかいがいるので、うらやましいなとおもいました。
 それはそれとして、「あかいひとみがしんゆう? けっ」っとそっこうでひていされな
 いかしんぱいです。
 されたらされたで、のぞむところですけど。かえりうちなのです。
 とおもいつつ、かめんをかぶったしんゆうづきあいをするべく、あうやくそくをしたの
 ですが、やくそくのじかんをよんじゅっぷんすぎても、まちあわせばしょにすがたをみ
 せないしんゆう。
 すわかみかくしか、それともおちていたすとりきにーねいりのえさをひろいぐいしたの
 か。
 
 ・・・(でんわでよびだしちゅう)
 
 あ:「なにやってるの? どういうこと? かみかくし? むしろすとりきにーね?」
 し:「ええと。ねてた。おはよう。」
 
 にほんにかえってこなくていいです。
 
 
 ええと、ええと、それからね。
 すてぷりは、ついにきたな、というかんしょく。
 自分がいきることで、せかいじゅうのひとがしぬことになってもいきたいか。
 どうかんがえればよいのかを、いままでのおはなしでしっかりえがいてきたこのおはな
 しだからこそ、このといにもこたえられるんだよなぁ、とおもいました。
 ぱしふぃかがいきることに、あかいひとみはさんせいです。
 ぱしふぃかをころそうとするひとびとを、あかいひとみはしじします。
 そしてせかいをほろぼすぱしふぃかをぜんりょくでまもるといったしゃのんを、あかい
 ひとみはおうえんします。
 「いきるぞ、ぜんりょくで。」
 しゃのんにぃ、がんばれ、とあかいひとみはこころやさしくおもいました。
 すてぷりは、やはりあなどりがたし。
 ふもっふは、まだまだ。
 これからゆめのようにさきみだれるだいばくしょうのうずが、きっとはじまるはずで
 す。
 ぶそうしたぼんたくんみませんでした? とへいぜんときゃくにきいてくるけいびいん
 さんのすぴりっとにはなみだしました。
 かなめのつっこみにさらなるあくまてきなみがきがかかりますよーに。
 えあますたーは、もうどうにもならないとおもいました。
 わらいがとまるまえに、じんせいがおわってしまいそうだと思いました。
 もはや、かみのりょういきです。
 わらいのかみさまが、こうりんなさったのです。
 おもにまきちゃんのぱぱに。
 やきにくはひとをつよくするんだなぁ、そうおもいました。
 うるとらまにあっくには、まいかいいやされます。
 なんでだろうね、としんけんにきいたらしんゆうにあわれむようなめでみられてしまい
 ました。
 もちろん、あかいひとみはそのしんゆうのしせんにきづかないふりをしました。
 だって、しんゆうだもの。
 じゅうにこっきは、かんわきゅうだい。
 
 そんなふうにあにめのことばかりかんがえてにっきにかくのも、なんだかなぁとまだま
 だおもえてしまうあかいひとみは、やっぱりみじゅくものです。
 それはそれとして、つきのしたあたりにかせいがさいきんよくみえますよね。
 でも、おー、とかんしんしながらそのあかくちいさなてんをみあげていても、あかいひ
 とみのおかあさんは、めにはいったごみにしかみえないといってばかり。
 
 ほんとに、こんやはよぞらがきれいです。
 いきててよかったと、こころのそこからどうでもよいけどおもいました。
 
 
 
 
 

 

 

 ■030908  TEXHNOLYZE : 16
 
 
 

 

 
 
 戦いの、歴史。
 流9洲、百年の歴史。
 一体、彼らはなにをしているのだろう。
 権力闘争なのか。それとも、生存を賭けた闘争なのだろうか。
 未来を視る無言の少女に、長老はなにを託すのか。
 暴力で欲しい物を奪ってきた老人は、無口な青年になにを視るのか。
 夢破れた者達と、夢追う者達との罵しり合い。
 その弾みに生じた分裂。
 自分以外の何者かと生きる瞬間は、もはや潰えた。
 双方向に通わす息吹は、今は必要ない。
 今はただ、戦うしかない。
 百年前から、ずっとこの街はそうしてきた。
 
 物見、という未来。
 物見がなにも「言わなければ」、未来は無い。
 物見が言葉にした事から、ガベの人間は逃げる事は出来ない。
 逃避は無駄だ。
 それが恐ろしいというのなら、物見の少女を殺すがいい。
 死という未来に面するのを恐れ少女の言葉を奪えば、今のこの現実も消える。
 物見がなにも視なければ、もはやガベは存在しない。
 物見が降ろした言葉に従うのが、ガベの者の生きる道。
 ガベの者にそのことに疑念を抱く者は居ない。
 だからゆえに、少女の是非が問われている。
 言葉を示さない少女。
 ガベのすべてを受け入れることが出来ない故に、ガベのすべての今と未来を奪う。
 ガベの長老は、蘭になにを託すのか。
 蘭はまだずっと黙っている。
 
 誰が中心にいるのか。
 そんな事を想うまでもなく、それは自分だ。
 ガベに行き損ねた車椅子の老人は、大西の犬にそう言った。
 どうしてここにいるのかわからない。
 なぜ自分が中心にいるのか、わからないと、犬は言った。
 自分の居る理由を見つけられない首輪をはめた野良犬は、なにもしないでやり過ごす。
 老人はガベに住まう者にも犬にもなりたくなかった。
 自分の居場所がわからないのなら、自分で作れ。
 奪ってでも殺してでも、欲しいものをまず作れ。
 欲しいものが無い奴には、未来は無い。
 オルガノとは、そういう奴らの居場所だ。
 老人はそう言い残し、ガベへと去っていった。
 
 白い群れ。
 流9洲に一本の線が引かれた。
 長い長い時をかけて、その白い線はひかれていった。
 この街の歴史が百年であると、囲いを設けて流9洲の姿を浮かび上がらせた。
 顕現した街を捕らえるのは、いと容易い。
 夢の中で殺し合いに興じていた弱小生物たちは、無理矢理その眠りから呼び覚まされた。
 細胞がバラバラになり、まったく違う生物である自分の姿に気づく朝。
 街の大通りを、白い幽霊の群れが行進している。
 頭の中には、容赦と慈悲無きイカレた演説がこだまする。
 夢は、終わった。
 これほどの悪魔による支配。
 自分たちが従順なる悪魔になるのも、そして正義の反抗をかざす天使になるのも絶対拒否。
 なにをしたいのか。
 ただそれだけを考えて生き残る者のみが、最後まで銃を手に拳を握り締める。
 ここで独りになれるものは、誰か。
 したいことをし欲しいものを得るために、敵と戦え。
 いつか来たる未来を受け入れろ。
 独りになるまで、徹底的に支配をはねのけろ。
 悪魔と天使。
 誰が、人間たり得るか。
 そして。
 蘭が見た未来。
 櫟士の中に延々と繰り返される言葉。
 
 『あなたは、すべてを壊してしまう。
  あなたは、人をいっぱい傷つける。
  あなたは、最後にたった独り。』
 
 櫟士の迷いが消えたとき、この街の歴史が決まる。
 
 
 
 ◆◆◆
 
 とりあえず、ドクの生存を確認。ピンピンしてら。でも、顔、別人ぽい。いいネ。
 ガベの長老をなんか応援したくなりました。じいちゃん、蹴っぱれー。
 蘭は、ゆっくり大人になりなさい。なむ〜とか言ってる場合でも無いようですけど。
 シンジ、キレちゃ駄目です。キレた不良は真っ先に消化されちゃいます。きっと。
 木俣の旦那は大物だと宜しいのですが、残り話数が。見せ場が。
 個人的に古波蔵のが気になります。遠山と櫟士の古波蔵を賭けたラストバトルにも期待。
 クラースのほどよく壊れたおにぃさまってば、なんかイイ感じ。声とか出すの無理ありそうで。
 大西・広田コンビがこれから大暴れしそうです。彼らの進路に当たる方々は充分にお気を付けください。
 櫟士、ほんとに主人公だったんですね!(ポンと膝を叩きながら)
 
 まぁ、うん、あのね。
 あの櫟士がずっと反芻してる蘭の言葉。
 あれ、大事だと思うの。
 あの櫟士の逡巡っていうのは、ある意味で主題のひとつだと思うの。
 なにもかもぶっ壊して欲しいものを得ることの是非を考え直すって、どういうことなんだろうね。
 なにもしないでやり過ごす、なんて、実はあり得ないんだよね。
 なにもしないをしてるんです、櫟士は。しっかりと。
 だから、ある意味で答えは出なくても良い、というか出ないはずなんです。
 もし徹底的に考えるとしたら、ですけど。
 徹底的に壊すのか、徹底的に考え抜くのか。
 はてさて、櫟士はどっちの道へと進むことになるのでしょうか。
 次回、お楽しみに♪ (小綺麗にまとめてみました。)
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 

 ■030906  アニメの秋となりますように
 
 
 

 

 
 
 先日の日記で、日記連続更新はまだ無理かもと言った側から三日連続更新中の紅い瞳です。
 イザーク君は、結構かっこいいと思います。(SEEDのお話)

 

 さて、今年も秋がやって参りましたのですが、別にだからどうしたという訳なのですが、
 食欲の秋読書の秋スポーツの秋と来たら、それはもうアニメの秋と言っても過言ではないはずです。
 うんうんうん。秋もたくさん新しいアニメ番組が始まります。
 紅い瞳としましては、テクノライズの後継アニメをその中から見つけることになるのですが、
 はてさてどうなるのでありましょうか。良いアニメはあるのでしょうか?
 という観点により、秋にはどんなアニメの始まりがあるのかなーと、チェキってみました。
 はいはい。落ち着いて。
 まぁ、うん、その、番組始まる前情報だけ見た時点で、これだ! っていうのはなかったですね。
 ただ、期待できそうなのはいくつかありましたので、ちょっと挙げてみます。
 
 ・10/1  テレビ東京   「Avenger」
 ・10/1  フジ       「R.O.D .-THE TV-」
 ・10/6  テレビ朝日   「GUNGRAVE」
 ・10/7  テレビ朝日   「PEACE MAKER
 ・10/8  フジ       「GUNSLINGER GIRL」
 ・10/9  BSi         「真月譚 月姫
 ・10/? CBS他     「京極夏彦 巷説百物語」
 
 他にもいくつかありましたが、とりあえず紅い瞳の瞳に止まったのはこれだけです。
 (他はこちらのサイトさんに情報があります →
 で、まぁ、各サイトに飛んでも大した情報はまだ無ってええ!9月には一本も無いの?(汗)
 なんだぁ、みんな10月からかぁ・・・1ヶ月が長いのぅ・・。
 なんて腐れてる場合でなく、なんとなーく全体的に期待が持てなさそうな雰囲気。
 この中で一番興味があるのは「PEACE MAKER ですが、コケそうな予感も最もする。
 「Avenger」「GUNGRAVE」はなんとなくの格好良さに惹かれたのだけれど、
 あんまりピリっとくる予感はしません。
 「R.O.D .-THE TV-」は各所で評価が高いコトと、本がどうのと云う内容らしいのに惹かれただけ。
 んで、一番見てみたいのは実は「真月譚 月姫だったりするんですが、BSiは観れません。
 「京極夏彦 巷説百物語」は、ほんとにアニメ化しちゃって良いんですか京極さん?って気が。
 
 ・・・・。
 なんだか訳のわからないうちに後ろ向き思考に彩られてしまいましたが、なんなんでしょうね一体。
 まぁうんいいやどうでも。
 「GUNSLINGER GIRL」
 そんなこんなで、とりあえず番組見る前の期待度としては一番高いアニメです。これが。私的に。
 別に少女+銃っていう要素に釣られた訳じゃなくて、
 なんていうのかな、その、一番シリアスになりそうだったから。
 ・・・なんだか小学生の言い訳みたいですが、
 灰羽を始まる前に大器と見込んだ理由も似たり寄ったりでしたから、この際気にしません。
 私の直感は当たるか外れるかなので、きっといいことがあるに違いありません。
 とりあえず、紅い瞳の言動にあまり意味はありません。
 
 
 
 
 
 追記:
 新田次郎「武田三代」、読了。
 武田信虎、信玄、勝頼の三代に渡って彼らの行く末を左右した事柄の謎部分を、
 大胆に想像し描いた作品。
 信虎の死の真相、武田の黒川金山の顛末、勝頼がなぜ越後侵攻を止め北条と不和になったのかなど
 なかなか目の付け所が良くて面白かったです。
 こういう隙間産業的な秘話集っていうのは、もっとたくさん読んでみたいですね。
 純粋(?)な史実を描いた作品だけではなくて。
 歴史というのは、想像するってことがまた、愉しみのひとつですからネ☆
 あと、自分なりの歴史観っていうのも作れるといいです。
 今のところ、戦国時代しかある程度のイメージは作れていませんが。まだまだですじゃ。
 
 
 
 
 
 

 

 

 ■030905  TEXHNOLYZE : 15
 
 
 

 

 
 
 「だってあなた。大西になりたいんでしょ?」
 

テクノライズ15話の広田のセリフより

 
 
 物語が動き、またもや序章がばらまかれた。
 テクノライズはいつだって、序章ばっかりだ。
 
 謎のオルガノ内における抗争に、一応の終止符が打たれる。
 園田を辻中の部下が襲い、辻中は園田らの報復を恐れて園田と小波蔵を暗殺しようとする。
 二人に同行していた櫟士の活躍によって園田と小波蔵は窮地を脱するも、
 どさくさに紛れて小波蔵が園田を銃殺。
 すべては、小波蔵と腹心の遠山の仕組んだことであった。
 これがオルガノの流儀だという小波蔵の言葉に、櫟士は自分もオルガノだと言い、
 小波蔵の指示に従い、辻中を暗殺した。
 もう、櫟士はすっかり飼われてしまった。
 あくまで、オルガノという悪魔によって。
 一方、街では不穏な噂が広がっていた。
 オルガノや連合、そしてラカンのメンバーが何人か謎の失踪を遂げ(園田を最初に襲った辻中の部下も
 実は失踪中だった)、その際に白い幽霊が目撃されているというのだ。
 そしてその幽霊は、オルガノの長大西の元に音もなく現れた。
 自らの体に施されたテクノライズを支配され、身動きできない中で、大西は一人の男の声を聞く。
 クラースからの使者。
 初めて味わう絶対的な恐怖を感じる大西。
 男は言う。大西は退屈な男であると。
 調和によって統べられる街に美はなく、ただ純一なるエゴによってのみ統べられる街こそ美しいのに、と。
 今この街に必要なのは、無自覚な合議制ではなく、洗練されたエゴイズムであると。
 男は大西にそのような街の再生に協力するように要請するが、大西は拒否。
 男は余裕の笑みを残して、その場を去っていった。
 
 街。ラカン。
 ラカンのリーダー、シンジは街中で大西の秘書の広田に出会う。
 ありうべからざる出会い。
 あるはずの無い出会い。
 そして、あってはならない出会い。
 大西を離れた広田のひとときは、とても静かだった。
 オルガノにおいて、もっとも個を消し、そしてもっとも個の強い人間。
 この強い人間が、もっとも忠実に組織に仕える凄みは深い。
 だから彼女の居場所は決まっているようで、自由自在。
 その自由自在の時間をかける彼女を、シンジは見てしまった。
 彼女の鬼のような笑顔が、シンジに喰らいつく。
 大西の偉さを薄っぺらに喧伝し、それでいてシンジを賞賛する。
 そして、シンジも大西になりたいのだと、最強のメッセージを広田はシンジにそっと渡した。
 この街に属す人間に価値をつけるとしたら、
 それは大西を目指すか目指さないか、ただそれだけ。
 大西を目指しているなら、アナタは本物よ。目指してないなら相手にはしない。
 逆に言えば、それだけ大西が偉大だということを言いたいのだ。
 この街がマシな状態を保っていられるのは、大西のような人間がいるから。
 覇権を望まず、王を求めず、闘いを望まず、勢力拡大を望まない。
 シンジに足りないものは、なにか。
 最初、私は単純に血みどろの闘いが無いことに、シンジが飽きているのかと思った。
 でも、広田のメッセージを聞いたあとに考えるとそうじゃない。
 シンジには、プランがないのだ。
 自分がなにをしたいのか、なにをするべきなのか、という衝動的な欲求が。
 大西にはそれがある。しかもそれは街の声として無限大に支給される。
 いわば、大西はシンジからすれば神だ。
 ある意味で、シンジに足りないものを完璧に完全に所有しているから。
 そして、広田にとっては、大西は一人の人間でしかない。
 広田とシンジの会話から、そんなような事が読みとれた。
 
 ◆◆◆◆
 
 で、まぁ。
 一番気になるのは、ドクは死んじゃったの? っていうことなんですケド。
 なんかあれ、死んでるよーにも見えるんですけど。
 せっかく前回の感想でドクを語ってみたのに、そりゃーないぜ姐さん。
 クラースにはドクを殺す理由はないですけど、生かしておく理由ももう無いわけで。
 うーん。まぁ、死んでる確率は低いと思いますけどね。話の流れ的に。はい。
 
 
 
 
 
 

 

 

 ■030904  変成する関わり方
 
 
 

 

 
 
 ほどよく体重が減ったと思ったら、ほどよく体脂肪率が減っていないという衝撃。
 筋肉がっ。骨がぁっ。
 

 まぁ、ええ、その、9月です。

 あったんだかなかったんだかわからないような夏でしたが、
 とりあえず月が変わりましたので、夏は終了ということで私の脳内会議は満場一致。
 この機に乗じて、日記の更新頻度をあげていけたらなぁ、なんてはかない想いを抱いております。
 だって。
 8月は色々あったんですもの。
 辛いこととか嫌な事とか、そういうのもありましたし、なにかと日記を書ける状態じゃありませんでして。 
 ああ、上記の体脂肪率の件は些細なコトなんですけどね。ほんとに・・・うん・・・・ほんとだよ?
 でも、そういう事言っていたら、いつまで経ってもなにも書けないような気がしました。
 嫌な事や辛いことはいつだってある。
 でも、敢えてそれを自分の中で意識化しないで、より普段通りの事を実行してみる精神、
 そういうのもやっぱり大事ですよねー、なんて殊勝にも思っちゃった訳なんです。
 けれど、そういうのを当たり前じゃん、なんて言葉ではかたづけたくはないなーって気持ちも一方ではあり、
 そういう自分を慰める行為に酔っちゃったりもして、なにげに日記書く動機へと繋がらなかったり。
 そんな訳で、なかなか日記連続更新とはいかないのですけれど、それでもいいかな、なんて。
 やっぱり、無理を押し通して自分を維持するって方策も良いのだけれど、
 それでもどこかでそういう固いところをバラけてしまいたいぐうたらな自分、っていうのも必要なんですよね。
 それは怠け、っていうか茶目っ気、っていうか。
 決して自分を生きる事に真摯じゃない、ということではなくて、
 自分を護ってやれるのは、ほんとのところは自分だけなのですよ、という事なんです。
 自分がどういうものかを見ないで、ただ目をつぶって走り続けていたら壊れちゃう。
 それでも良い、という人もいると思いますけれど、私はダメなんです。やっぱりそういうのは。
 だって、それは「私」じゃないから。
 
 って、なんでこんな話をしているのかと言いますと次のお話の前振りなのです。
 十二国記第二十二話『書簡』、観ました。
 毎度毎度思うのですけれど、素晴らしいですね。
 って、いつも紅い瞳はなぜに素晴らしいのかの説明が圧倒的に不足しているようですが、
 それは紅い瞳の頭も足りないからだと思ってください。
 だって、言葉が浮かばないんですもん。仕方あんめいよ ←反省無し
 でまぁ、素晴らしさなんてどうでもいいや。
 王様になっちゃった陽子。王としてのリアルな自覚がまだまだ理解できてない陽子。
 でも今はまだ勉強中。王という存在に絶望するにはまだ早い。
 そんな陽子は、今は別の道往く彼女の親友楽俊とメッセージのやりとりをする。
 陽子の様子を訪ねる楽俊に、陽子は特に問題無くやっていると言う。
 楽俊も、自分も快適に暮らしている、と陽子に言う。
 当然、お互い問題無く暮らしてるなんて大嘘。問題大あり問題まみれ。
 でも、自分の弱みや問題を伝えたってしょうがない。
 それは弱みを見せたくない訳じゃなく、心配かけたくないとか、そういうのもあるけれど、
 背伸びがしたいんです、陽子も楽俊も。
 というよりも、辛いことを誰かに言ってそれで慰めてもらったら、じゃあ一体自分はなにをやっているのかと。
 陽子は王。王とは威厳に満ち自分と国を支配する程の強さが無くてはならない。
 それはある意味で王だけのことじゃない。人はみんなそう。
 なにか今の自分からかけ離れたものを求めて、そしてそれに自分を近づけていくんです。
 ね? そうでしょう? 
 苦しみを希望に代えて、って言ったらオーバーかもしれないですけれど、
 そうして誰でも前に進んでいるんじゃないかなって。
 そして。
 陽子が背伸びしていることを、楽俊はわかっている。
 楽俊が背伸びしていることを、陽子もわかっている。
 お互いが辛さを隠して背伸びしていることを、互いが分かり合っている。
 『うん、それでいいんだ・・。』 by陽子のセリフ
 ああ・・いいなぁ・・・これが友達の醍醐味ですよね。
 自分のことを見ていて、そしてわかってくれる人。
 いいですよねぇ。
 そして(パート2)。
 そうやって、互いを気遣う事の表現としての励まし合いをする間柄の友との関係を変遷させながら、
 陽子は改めて自分だけの瞳で自分を見つめる。
 陽子は新しい元号を「赤楽(せきらく)」と定めた。
 陽子の呼び名の「赤子(せきし)」の赤と、楽俊の楽を合わせて為された改元。
 とっても個人的で感傷的な付け方だけれども、これが陽子なんです。
 やっぱり、陽子は陽子ですから。
 王であろうとなんであろうとも、辛い現実を受け止めていかなければいけないとしても、
 そういう心から安らげる本気の遊び心を表現することを、陽子は決して忘れない。
 うんうん。そうなんです。そうなんですよね、と私は思いました。
 そうやって、自分とは離れた世界との付き合い方のうちに、自分流の生き方を組み込ませる。
 そうやって変成されていく自分と世界との関わり合い方、それをびしっと見つめるのが、
 大事なんですよね〜、って思いますよ、ほんと。
 
 さて、最後にちょっと別話題。
 村上元三「千姫」を読みました。
 千姫っていうのはあれですね。
 徳川秀忠の長女で、豊臣秀頼と7歳で政略結婚した実在の姫様で御座います。
 うん。私は戦国の女の生き方とかそういうのに結構興味があるんですよねぇ。
 永井路子の書く小説などもよく読んでます。
 それで肝心の「千姫」ですが、正直言うと60点というところ。
 千姫の歴史上の扱いとか、そういう教科書的な出来事はよくわかりましたが、
 登場人物の心理の深さなどにはイマイチ感。そこがっ!そこが知りたいのにっ!
 ただ、ここは良かった、というか感じ入った、というところはありました。
 千姫の教育係の小野のお通の千姫の育て方。
 世間とは隔絶された大阪城内でずっと育ってきた千姫は、
 俗世における人の浅ましさや、人を疑ったりすることを知らずに育つ。
 ある時お通が千姫に地獄絵図を見せたところ、千姫は完全にそれを拒絶するほどの潔癖っぷり。
 一見、というか私も最初はなんだそれ、って思いました。
 でも、お通は逆にその千姫の性質を伸ばす教育法を取るんですよね。
 人を疑わず、ただひたすら純真であるならばそれも高めればひとつの素晴らしい形になる。
 清濁併せ持たせる、という教育方針でなくてもいい。
 だって、そう見なければ良いのですから。
 千姫が千姫であくまであろうとするのならばそれで良し。
 私はこの理屈はなんか、わかりました。わかっちゃいました。
 今までは、そういうのは現実を見てない奴、といってむしろ感心しませんでしたが、
 でもよく考えたら現実ってなんだろなーって。
 ただそこに無作為に広がってるのが、それだけが現実?
 そして私たちはただそれに従って生きていけば、それでよいの?
 やっぱり、それだけじゃないと思うんです。
 千姫の生き方も、それはそれで立派な現実なんですよね。
 その生き方が誰にも受け入れられないからと言ったって、そんなのは関係ないわけです。
 千姫は千姫。
 そして千姫が世の中に存在することでまた、千姫と接する世界も変わっていくんです。
 千姫自体もまた、現実なのですから、現実を変えていく力があるわけなんです。
 ・・・・。
 よく考えたら、これってなんだ、当たり前のことですね・・・。
 はふぅー、じゃー40点に下げようかなぁ(マテ)。
 
 
 
 
 
 

 

 

 ■030901  TEXHNOLYZE : 14
 
 
 

 

 
 
 『俺は・・何も知らないから、独りになるのか? 何も知らないから、みんな壊すのか?
  いつかあんたの・・知ってる事、教えてくれ。』
 

テクノライズ14話での櫟士のセリフより

 
 
 ドクが動いた。
 動いて動いて、結果ドクの先が見え、そしてドクの在り様が決まった。
 ドクの研究成果はクラースに採用されず、そしてドクの為してきたことはすべて無意味と化した。
 は虫類の如き無感動な瞳に映るのは、絶対的な「挫折」の二文字、
 そして我が元に初めて立って歩いた、見知らぬ櫟士だった。
 
 流九洲には血の隙間風が吹き荒れていた。
 オルガノ内部における原因不明の抗争が勃発・激化する。
 大西は自分の主治医であるドクも巻き込まれる可能性があるとして、
 少しは頭が回るようになり始めた大西の下僕、櫟士を彼女の元に派遣する。
 櫟士を迎い入れたドクは、櫟士で遊び始める。
 高尚で淫らな理屈っぽい憂さ晴らし。
 『様になってきたわねぇ・・。大西といいあなたといい。私が目をかけた男が出世するのは気分がいいわ。』
 『なんの真似だ。』
 『今日はそういう気分。』
 なにもないモノから自分が造り上げた櫟士に対する優越の確認
 そして自らの知の結晶体をなめ回すように鑑賞する女科学者。 
 小気味よい彼女の笑顔の前では、櫟士は最高に無力だ。
 彼にとってドクは歪んだ母親の残像。そして姿の見えない師。
 そして、その殺したいほど偉大なドクはとても快楽的だ。
 ただ己の理論のままに。ただ自らの力の絶対性を他に認めさせんがため、
 彼女はモノを見、モノを言う。
 ドクは完璧なまでにサディストだ。
 だから感情のケモノの櫟士は、彼女に逆らえない。
 彼女に命を与えられ、大西に命の居場所を与えられ、そして再びドクに命の意味を与えられる。
 『人間の本来の魅力は教養よ。そしてそれに導かれる理想。
  あなたを大西なんかに負けない男にしてあげる。
  テクノライズは暴力なんかのためにあるんじゃないって教えてあげる。』
 櫟士は彼女に逆らい、彼女と闘い、彼女を打ち壊し、そして彼女に育てられた。
 だから、櫟士はドクを殺さない。殺したいと思っても殺さない。
 
 ドクは独り戯れている。
 ドクの中には誰も居ない。
 櫟士は遊び道具。櫟士はドクの最高の遊び道具。
 だから、ドクは独り。
 理性に生きる女。感情のために理性を進化させる思想家。
 共感など必要としない、理屈によってすべてを支配する夢をみるリアリスト。
 だから、ドクは独り。けれど、まわりをぐるりと人々に取り囲まれた孤独。逃げ場は、無い。
 認められなければ、それで終わり。
 ドクの理屈を止めるものは、暴力だった。結局のところ。
 それでも、いや、だからこそなのかもしれない。
 櫟士は、そのドクに初めて自ら師事を乞うた。
 反発しぶちのめすか、無抵抗でいるしかなかった、あの博士に対して。あの櫟士が。
 暴力は、彼女を止めることはできても壊すことはできない。 
 だから彼女の理屈を担う「教養」を得て、同じ土俵で櫟士はドクを殺したかったのか?
 それもあるだろう。
 もはや自分の知を他に認められる事叶わず、ただ自らの教え子を自ら建設し、
 虚しく風化された知を伝授するしかない彼女に、櫟士が生まれて初めての「同情」をしたからか?
 それもあるだろう。
 だが、しかし。
 あのイエには『あなたたちには、到底理解出来ない人間が住んでいる』と、ドクは言った。
 櫟士にとっては、あのイエの人間だけではなく、自分以外すべての人間が不可解だ。
 或いは、自分すらもわかっていない。あまりにもだ。
 だから、櫟士は殴る。壊す。他人を傷つける。
 何も知らないから、なにかを知り考えようとする他者理解をしないから、
 櫟士は世界をぶち壊す。
 理性に裏打ちされた感情の行き着く先が、今、櫟士の前に無様に転がっている。
 でも、今の櫟士には無様に転がることすらできはしない。
 転がる「世界」すら、櫟士には無い。
 その世界の存在を知らないから。何も、知らないから。
 世界をたくさん知っているドクは、それでもセカイに打ち負けた。
 でも櫟士には、戦うべきセカイすらない。
 世界を知りたい。世界がどう動きどういう歴史を辿ったのか、知りたい。
 自分とセカイという別個の場がある限り、「教養」は存在する。
 そしてその必要性を問うならば、必然的に教養を知らなくてはなにも出来ない。
 だから、櫟士はドクに教えを乞うた。
 「教養」をいっぱい持っている、姿の見える師としてのドクに。
 櫟士は、初めてドクという他人を得た。
 世界を知る第一歩を踏み出した。
 大西は、彼の随分と先を行っている。
 
 ◆◆◆◆
 
 面白かったです。そして良かったです。今回のお話。
 随分と久しぶりに感想書くためにテクノライズ見返して(1ヶ月ぶりですヨ)、
 なんだかもう、泣いちゃいましたよ。あの櫟士のセリフで。
 基本的に櫟士って主人公だと思うのですけれど、やっぱり自分と置き換えるには最適ですよね。
 それは感情移入とかそういうんじゃなくて。なんて言ったら良いか。
 とりあえず、ラストの『まだ全部は消えてない。』『嘘よ・・いつかは消えるくせに』という櫟士とドクの会話は
 メチャクチャ凄かったです。なんだよぅ、なんであんなにすっぱりセリフ組めるんだよぅ・・(ため息)。
 もうね、ドクのまったく無表情で櫟士の姿を捕らえないまま振り向く仕草とか、凄過ぎ。
 あー・・やっぱしドクが「雰囲気」的には一番好きです。
 うっかり口を滑らせて頂きますれば、「羊のうた」の千砂に通ずるところがあるんですよねぇ、と失言。
 うん、まぁ、すっごい彼女理性的です。
 自分がしたいことやりたいことを見つけて、その事に真摯に必死に理論性を付加させていき、
 そしてその理論でもって、より自分の感情を高めていく、というかなんというかなに言ってんだ私。
 
 
 つまり、ドク最高。
 
 
 
 
 
 
 

 

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