〜2003年11月の過去ログ〜

 

 

 

 ■031130 『最後の顔(前編)』■
 
 
 

 

 
 
 怖い怖い怖い怖い。
 
 怖すぎます。
 
 心底ずたぼろになるまで怖いです。
 雰囲気だけでもこんなに怖いのに、いつもの如く登場人物とシンクロしたらと思うと、もう。
 すみません、現在ガタガタブルブルいってます。
 すっかりいっちゃってます。
 
 
 でも待ってましたよー、こんなお話も。
 怯えて顔を手で覆ってみても、しっかり指の間から見てしまうってゆーか、そんなトコです。
 お話の中身は後編もあることでまだまだってところですが、しかし問答無用で冷たいものが、
 ぞっくりと背筋を伝わっていくのを30分間びっしり感じつつ見たアレは、凄いなぁやっぱり。
 あの子もその無邪気さの中でも、しっかりと自分を包む周囲の異常さを自覚してて、
 色々と警戒しつつでもまだなにかを無垢に信じてたりとか。
 そしてその上であの母親の暖かく冷たい視線が飛んできて・・・・・ブルブル。
 母親がなにを感じなにが原因でああなったのかとか、もうそこらへん目一杯気になるところ。
 舞台背景ももうばっちりで、あの黒い木の影が蔵の上でびゅんびゅん唸ってるなんて、まさにお化け。
 彼らの暮らす家屋敷が完全に町の風景や人の世間話からも浮いてて、
 すっごいこの話を行うに適した舞台にもなってるなんて、もう至れり尽せり。
 それで、あの顔の皮が蔵にあって母親は・・・・・・ガタガタ。
 
 怖くて泣けてきました (涙)
 
 大人なナナオ(?)の方に会った母親が、「あんた、ナナオ?」って聞いたときのあの冷酷な声。
 ナナオとわかって、思い出の鏡を取り出して優しい口調になるも、
 大人なナナオが自分の息子である子供なナナオ(?)を返してくれと言った途端の、あの豹変ぶり。
 いえ、豹変というよりごく普通の反応と言うべきなのか、
 それとも最初から大人なナナオ殺すつもりで会ったのかすらもはや不明。
 ひどく意志的に動いているように見えて、どこまでも衝動的に動いているようにも見えるあの母親の怖さ、
 それは『人魚の森」の登和の確信的な快楽さとは全然違う一直線な怖さで。
 あの母親は周囲が見えてない、っていうか周囲など存在してないってレベルの世界からの脱却ぶり、
 そういう完全なカミングアウトっぷりの凄みがあの寂しい港町の風景に包まれてて、凄い。
 その怖い怖い母親に支配されてるあの子と、あのお婆さん。
 あの二人の位置づけもまたこれが良くて、すごい支配されっぷりです。
 ここらへんの設定とかだけならドラマとかでもいくらでもあったろうけど、
 でもやっぱりこの話の滲み出てはみ出しきった怖さは、アニメだけにしかできないだろうなー。
 もうあのお婆さんに対するときの母親のは虫類のような瞳は・・・・・。
 
 怖くて震えが止まりません (ぶるぶる)
 
 そしてもう、これは一体誰とシンクロしたらいいかわからないくらいの豪華っぷり。
 それはもう、あの恐怖の権化たるお母様が第一候補であらせられる事は間違いなくとも、
 しかしあの子供ナナオやお婆さんもなかなかに捨て難く。
 というより、あのお母様の事紅い瞳如きに理解できるのカナー、
 とすっかり怖じ気づいてるていたらくな訳でもあり。
 だってさ、私、顔の皮はがせないもん。
 
 ・・・。
 怖いよぅ、怖いよぅ ←部屋の隅でうずくまりながら
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 〜部屋の隅から愛を込めて〜 (訳:追記)
 
 既に人魚の森観てない人にはさっぱりぷーな文章になったっていうか、
 普通に日本語読める人にもぷーな日記になった感が否めないです。
 でもそんな事は別にどーでも良くて、まぁ来週はさらにいきます。
 来週はつまり登場人物誰か一人の一人称で物語を書くタイプの日記になるかな、たぶん。
 そういう方向で、私が『最後の顔(後編)』を見れればのお話ですけどネ。
 あとね、これはひと言言っときたかったんですけど、
 『心配ない。涌太はしっかりしてるから』とか真魚は言ってましたが、
 
 あの人また刺されましたよ。
 
 やっぱり、しっかりと刺され役としてわきまえてるって事ですか、真魚さん。
 
 

                            ◆『』内文章、アニメ「人魚の森」より引用◆

 
 

 

 

 ■031127 少女の視る直線■
 
 
 

 

 
 
 『ご褒美・・・実は、もう決めてるんです。』
 

                           〜第六話のヘンリエッタのセリフより〜

 
 
 目の前に、男が居る。
 それが事実であるかを確認するために、男との間に直線をひく。
 その直線の先に居る男の背が、ほんとうに其処に居ることを証明するために。
 男の視線が射る的を、共に射る事の共犯意識と的への嫉妬に悶えながら、
 少女はその直線を、男と等しく重ねていく。
 大好きなジョゼさんと、一緒にいるために。
 
 路上を往く憧れに目を奪われながら、掌の中の銃の重みを噛みしめる。
 この掌を固く握りしめて、その見知らぬ青空の下の幸福を斜め見ている少女。
 ヘンリエッタの瞳に、二重の世界が共存し始めている。
 冷たいその背を示しながら、笑顔で振り返ってくれる男に慣らされていくうちに、
 星の下で泣いていた少女は、日の下で笑う術を身につけていった。
 男と少女の距離の内に、たくさんのものを詰め込んで、
 銃を抱くその少女は、小さくてまばらな幸福を紡いでいく。
 それはヘンリエッタの幸せ錬成法。
 ジョゼさんのためになることをすれば、幸せの素材が手に入る。
 男の背に、ふたつ目の直線の行き着く先が視えてきた。
 
 なにも言わない、ジョゼの背中。
 その背中の先に自分が本当に居るのだろうか。
 私とジョゼさんは、ちゃんと繋がっているのかな?
 ジョゼさんは、ちゃんと振り向いてくれるのかな?
 そう思うたびに、心許ない直線を男の背に縫い付ける劣情。
 その感情のほとばしる先に、ジョゼの振り返った笑顔が見えないとき、
 少女はもう一本の直線を引く事を覚えた。
 ジョゼさんに振り向いて貰えなくても、ジョゼさんからの贈り物は貰えるかもしれない。
 幸せの供給線に味をしめた貪欲で慎ましいヘンリエッタは、はにかみながら報酬を期待する。
 その線でも視えれば、少なくともジョゼさんは其処に居るんだから。
 ゆっくりと、遠回しにジョゼを求める事を覚えた可愛い少女。
 おずおずと、それでもしっかりと挑戦的に線を引くヘンリエッタ。
 ご褒美が欲しい。ご褒美が欲しい。
 掌の中の銃の、その重量がまた、無くなっていく。
 
 白いベッドの片隅で、おそるおそる目を開ける演技。
 その迫真の、演技では無い演技を儀式化しながら、少女はその瞳を輝かせる。
 操りきった血潮を頬に溜めて、求めるべき幻影を実写して、
 幸せに潜り込んで次の目覚めを待つヘンリエッタ。
 見上げた天井は、とてつもなく優しかった。
 
 通り過ぎた夜の後に、すっかり軽くなった銃をジェラードに取り替えて。
 『スペイン広場でジェラードを』
 夜の果てに得た報酬に、習い覚えた幸せの魔法をかけてみる。
 その魔法の効果を男に見せびらかしながら、笑顔に溺れていく青空の下の少女。
 スペイン広場でジェラードを食べながら、ジョゼさんと歩く。
 ほら、こうすればジョゼさんと一緒に居られるでしょ?
 少女のたくらみが華々しく成功した瞬間、男の背に二本目の直線がはっきりと顕れた。
 その直線は、サングラスの道化に祝福されてその存在を確かなものとする。
 高くて遠い青空の下へ、幸福感とそして自信に押し潰された少女の笑顔が羽ばたいていく。
 
 大好きなジョゼさんと、いつまでも一緒にいるために。
 
 
 ◆◆◆◆
 
 ヘンリエッタが、少しづつ成長して行くお話。
 ジョゼと居る幸せ。
 でもジョゼはいつも其処に居て、いつも振り返ってくれる訳じゃない。
 ならばどうするか。
 ジョゼが其処に居る証だけでも貰えばいい。
 まだ自分が必要とされていることを、確認できさえすればいい。
 ジョゼの姿が見えなくても、例え少しの間ジョゼから離れていても、
 彼と繋がっているという確証が得られれば、
 それ即ちジョゼの健在、即ちジョゼと自分の関係の持続が保証されていることが知れる。
 だから、ヘンリエッタは報酬を求める。
 報酬が、その確証や保証なのだから。
 そして、その報酬を求める行為こそが、ヘンリエッタの成長。
 ただジョゼの後ろについて、ジョゼの愛情を受け身で待つだけでなく、
 自分からなにをすればなにを貰えて、そして貰いたいものをジョゼに言われる前に自分で決めて。
 初めてひとりぼっちの思考をして、
 そしてそれはヘンリエッタ固有の儀式的な想いで綴られた計画表である訳だ。
 幸せを獲得するための。
 その幸せとはつまりジョゼとの絆で、
 そしてそれはジョゼからヘンリエッタへ、という方向ではなく、
 ヘンリエッタからジョゼへと繋ぐ絆の糸なのである。
 だからその糸を引っ張れば、いつでもジョゼはヘンリエッタに振り向いてくれる。
 たとえ任務中に応援を呼ばれて、自分の存在がジョゼの中で小さくなっていくのがわかったとしても、
 そのヘンリエッタから伸びている糸に手応えがある限り、ヘンリエッタは笑っていられる。
 ジョゼから笑顔を貰っていた少女が、自分からジョゼに笑顔を貰えるよう工夫する。
 その半ば自分の意志で手に入れた笑顔を仮面に、ヘンリエッタは外の世界に楽しみを見つける。
 星の下で泣くだけの少女は、だいぶ成長したようだった。
 
 ・・・。
 なんか今回はあんまり感想書く気起きんかったよぅ・・(涙)
 
 

                          ◆ 『』内文章、アニメ「GUNSLINGER GIRL」より引用 ◆

 
 
 

 

 

 ■031124 灰羽の涙  2 ■
 
 
 

 

 
 
 譲れない想いを譲り、そして消える。
 譲った者に対して、あくまで笑顔を見せながら。
 
 極められた優しさを魂に着せて、決してその衣を脱がない少女の背には、
 消えることの無い傷がふたすじ流れている。
 その傷を見せることは、絶対にしたくない。
 けれども、本当に見せたいのはその優しさの笑顔ではなくて、
 そのどうしようもなく憎くて愛しいふたつの黒い羽だとしたら。
 レキの懊悩が、良くわかる。
 レキが見せたいのはその黒い羽、そして罪憑きたる自分の本来の姿。
 その姿を誰かに認めて貰う事だった。
 罪憑きは其処に存在することが許されない存在であって、
 だからこそ、レキはなによりも其処に存在できる事を願う。
 存在するためには、だから黒い羽を切ってしまえばいい。
 なにもまだ知らない幼いレキはそう想うが、しかしクラモリはそうはさせなかった。
 罪憑きも、そこに居ていいのだとクラモリは言うのだ。
 このクラモリという偉大で特殊な灰羽により、レキはその無償の愛(存在意義とその保証)を獲得する。
 しかし、そのクラモリは突然消えてしまう。
 クラモリという、レキの存在を保証してくれるものは無くなり、
 そして世界の中に罪憑きのレキを守る者もなくなった。
 レキの絶望が、良くわかる。
 生まれでて、即地獄を体験し、それを乗り越える術の獲得、
 言い換えれば罪憑きとしての生の覚悟を無理矢理決めさせられたのに、
 一転それとは逆転の発想をクラモリに植え付けられたのに、なのにクラモリは消えて。
 レキには、このときなにが否定されるべきものなのかわからなかった。
 忌まわしきあの部屋の罪憑きなのか、それともクラモリが認めてくれた罪憑きがそうなのだろうか。
 レキは、覚えたての「知る」というクラモリからの贈り物を使って、この世界を知っていく。
 その中で、ずっとそのなにが否定され消えなければいけないのかを探していった。
 今すぐあの冷たい部屋に還っても良かった。
 もうここに居ていい理由は無かったけれど、でも消えるなら消える理由を見つけてから消えたい。
 そういうまぎれもない生への執着心を携えながら、レキはずるずると生き続けていたのだ。
 そして、ラッカとの出逢いでそれは急変する。
 今一度、認められた罪憑きとして生きたい。
 その承認をラッカならしてくれるに違いない。
 自分と同じ罪憑きになったラッカなら、きっとクラモリのようにどこかに行ってしまう事も無いだろう。
 レキは、今まで自分が学んだ灰羽の掟やしきたりを頭上にかざしていながら、、
 平然とその冒涜たる「儀式」を自らの内で執り行っていた。
 笑いさざめきながら、その笑いがラッカへの供物となりて、レキの願いを成就させる。
 レキはだから、必死に笑いながら、ずっとずっとラッカに呼びかけていた。
 私を助けて。私を認めて、と。
 そのレキの邪悪な思惑を見抜いている連盟の話師は、レキにとっては不倶戴天の敵。
 レキのその瞳はやがて、どんどんとラッカのその姿しか映さなくなっていく。
 
 けれども、そのラッカの羽は、その黒さを失い灰色となってしまった。
 自分の前を駆け抜けて、先に行ってしまったラッカの背に絶望を見る罪憑きのレキ。
 ラッカまで・・・。
 レキの甘美なる思惑はうち砕かれ、そしてレキの中の罪憑きの少女は遂に否定された。
 もう、此処に居てはいけない。
 最後の最後まで笑い続け、そして誰にも看取られずに、
 またあの誰も居ない部屋に戻って、あっさりと消えていけばいい。
 消えなければ、いけないんだ。
 そうはっきりと、クラモリの言葉でも無く、ラッカの言葉でもなく、
 ただその消滅の道を自らの言葉で保証したレキは、その笑顔にさらに磨きをかけていく。
 なぜ、消えるのに笑いにさらに磨きをかけるのだろう?
 笑うのは、ラッカに認めて貰いたいからだったろうに。
 それはもう、諦めたのじゃなかったのか?
 そう。
 つまり、レキは、全然まったく自分が消えることを決められてないのだ。
 もう、どうしようもなく、此処に居たいのだ。
 諦められるなんて、嘘。
 生きて、そして「罪憑き」という「私」をみんなに認めて貰う事を諦めるなんて、そんなの絶対できない。
 レキは、もう敢然と消滅していく道を選びながら、まだその内に確かに生きる炎を燃やしている。
 最後の最後まで、レキは助けをかすかに求める事をやめられない。
 覚悟を決めて、その誓いの言葉を言いながら、誰か助けてと心の中で叫ぶことをやめない。
 やめられないんだ、レキという人は。
 その事に自身気づいて、必死にその叫びの炎をかき消そうとしながら、
 必死になってその炎を絶やさないようにもしている。
 だから、レキは笑い続けている。
 笑っていれば、絶対にいつか誰か助けてくれる。
 
 レキとは、そういう存在。
 あの恐ろしい祝福無き部屋で独り生まれ、クラモリに棄てられ、ラッカにも置いていかれた少女。
 罪憑きとして忌み嫌われる事を恐れ、懸命にその羽の黒さを隠してきた罪憑きのレキ。
 でも、それでも。
 どんなに辛いことがあっても、どんなに理不尽な仕打ちを受けようとも、
 レキは、絶対に自分が自分として生きていく事を諦めなかった。
 レキだけは、レキだけは絶対に絶対に罪憑きのあの哀れすぎる幼い少女を見捨てる事はしないのだ。
 レキは、レキが護る。
 そして。
 レキの流す涙は、なによりも誰よりも、その幼い罪憑きの少女のために流される。
 泣いて泣いて泣き尽くすまで、レキは救われる事を諦めない。
 どんな灰羽よりも皆に優しい笑顔をふりまく灰羽だからこそ、涙だけは罪憑きの自分に捧げたい。
 世界を知り、黒い羽を切らなくても羽を隠して笑顔でいれば生きることを許される事を学んだが、
 でもそれでずっと終わったら、罪憑きの自分が一生誰にも認められ無いと事になる。
 そんなのって、ないよ。
 レキは叫ぶ。
 声にならないその叫びを、必死に笑顔で押さえつけて生きているのが、レキ。
 灰羽のレキで、罪憑きのレキ。
 レキは、罪憑きなんだよ。
 黒い羽が悪魔の羽でも、でもまぎれもなくあの地獄の一夜を共に過ごしたレキの大事な羽なんだよ。
 その羽のせいで自分が虐められ、その羽のせいでクラモリが消えちゃっても、
 でも、自分だけはその羽を虐めないし、その羽の前から消え去ったりもしたくない。
 レキの大事な大事な罪憑きの羽。
 
 その黒い羽をどうしようもなく愛する少女を、
 壁の向うからじっと見つめている一羽の鳥が、今、飛び立とうとしている。
 
 
 
 
 

 

 

 ■031123 灰羽の涙■
 
 
 

 

 
 
 『空っぽの笑顔を貼り付けて、私達は歩く。』
 

                        〜第十一話のラッカのセリフより〜

 
 
 越えられない夢と笑顔を見続けるうちに、黒い羽を灰色の羽が追い越していった。
 無が満ちた極寒の淵。
 いかなる瞳に包まれる事もなく、ただそれだけの繭から堕ちた灰羽。
 零れきった羊水に蝕まれ、猛毒の冷気に取り囲まれる少女。
 これが誕生か。
 誕生なのか。
 祝福は無く、ただただそれはひたすら虐待だった。
 悲しみの中の灰燼より生まれし灰羽、罪憑きのレキ。
 その世界に唯二のその瞳を懸命にこじ開け、
 胸を引き裂かれながら世界と自分を感じていく恐怖。
 その重すぎる恐怖を克服する事もできずにいるうちに、
 彼女のその絶望の背もまた、無惨に引き裂かれていく。 
 生え出でた、悪魔の羽。
 酷薄で絶対の激痛に犯されながら、無表情に翻弄される灰羽の女の子。
 血が噴き出し、転げ回り泣き叫び、ひたすら助けを求めて歯を食いしばる。
 絶頂の瞬間、少女の意識は途切れていった。
 
 地獄の夜が明け、血塗れの黒い羽の少女は発見された。
 すべてが終わり、なにもかもが苦痛のうちに閉じた少女の瞳が再び開かれる。
 私は、いったい助けられたのだろうか。
 誰も其処には居ず、誰も助けには来てくれなかったのに。
 それが私の世界だと、閉じた瞳がようやく決心したと思えたのに。
 私が独りで乗り越えられたあの地獄は、いったいなんだったんだろう。
 この目の前にいる初めてのヒトの顔を見つけて、私はいったいなにを想えば良いのだろう。
 わからない。
 わからないよ・・・。
 
 なんにもわからないから、すべてをクラモリに習ってみようとした。
 でも、私には習うという事がわからなかった。
 だって、私の羽は黒いから、灰色の羽のクラモリと同じになれる訳ないじゃない。
 私は、罪憑き。
 なんでだか知らないけれど、でも、知ってることがなにもないのが私だから、
 それは別に不思議な事じゃないんだ。
 私には、其処に居ていい理由だって無いんだから。
 だから、私は羽を切ったの。
 私は・・・・・消えてしまいたくなった。
 そして・・・私はクラモリやネムみたいになりたくもあったの。
 祝福された灰羽のように、此処に居ていいって言われたいの。
 こんな黒い羽は嫌。
 黒い羽の私でいるのは、嫌。
 だから、切った。
 そして、ぶたれた。クラモリに。
 なんでだろう、私にはぶたれる理由は無いはずなのに。
 いいえ、違う。
 理由はあるのに、私が知らないだけだ。
 私はなんにも知らない灰羽なのだから。
 そんな事を刹那の間に想っていると、クラモリが抱いてくれた。
 側にいるから・・私が側にいるから・・。
 クラモリがそういった瞬間、私は初めて知った。
 知るという事を初めて知った。
 私は此処に居ていいんだ。
 黒い羽の私が、此処に居てもいいんだ!
 クラモリがそういってくれたんだよ。
 私は、自分が此処に居てもいいことを、流しているその涙と共に生まれて初めて知った。
 涙って、こういう味がするんだね・・・。
 
 クラモリは、私を私にしてくれた。
 ネムとも仲良くなれたし、一人前にもなれたし、そして色々な事を知ることが出来るようにしてくれた。
 私が此処に居てもいいと、私の羽の黒さにかけて、クラモリは保証してくれた。
 なのに、クラモリは消えてしまった。
 私には、もう、私を此処に存在させていい理由は無くなった。
 
 
 
 話師のわからずやになんか、用は無い。
 そんな事より、ラッカを助けなければ。
 気づいた瞬間、私はいつのまにか私を其処に存在させていた。
 誰も許してないのに、誰も認めても保証してもくれていないのに、
 私は確かに其処に居た。
 これは冒涜だ。
 私はだって、クラモリに与えられた生きる居場所を奪われ、
 あの冷たい地獄に還らなければいけないんだから。
 あの無惨で穏やかな部屋に居て、それで終わりだったはずなのに。
 気が付いたら、私はラッカにもう一度あの部屋から救い出して欲しいと祈っていた。
 ラッカに、私が黒い羽のレキとして居てもいいことを、またクラモリのように保証して欲しかった。
 なんという冒涜、なんという浅ましさだろう。
 私は、此処に居てはいけない。
 此処に居ていいのは、黒い羽を薬で灰色に見せかけて、笑いながらいる優しいレキだけ。
 クラモリが救ってくれた、あの黒い羽の少女は居ちゃいけない。
 ラッカにまで、もう助けてなんていっちゃいけないんだ。
 そしてネムにも・・。
 ネム、もう私の事を心配しないで。
 私はもう、ちゃんと消えるから・・・・。
 思い出せない夢を見続けるのは、もうやめるから・・・。
 
 ・・・・
 
 消えない執着を必死に押さえつけて、少女は対岸をしっくりとにらめ付けている。
 前を歩く灰色の可能性に憧れて、ぼろぼろのその手を握りしめながら、
 最大限の悔しさを無限に噛み潰す、罪憑きのレキ。
 なにも捨てられやしないけれど、なにもかもとさよならしなければいけない。
 その羽の代わりに、その髪の黒さを風に披露しながら、
 少女はいつも通りに、灰色の少女に優しい笑顔を振りまいていく。
 
 ・・・・
 
 『どんなときでも、レキは優しい。
 誰にも心配かけたくないから、誰にも頼りたくないから、レキは笑う。
 どうしてもっとはやく気づいてあげられなかったんだろう・・。
 ・・・私はずっと、レキの一番近くに居たのに。』
 私は、レキの事を知った。
 もうどうすることも出来ないほど、わかったんだよ、レキ。
 レキが永遠なんてあり得ない、って言ったのが嘘だってことも。
 なにもかもいつか終わるから、だから今この瞬間が大切だって事が嘘だって、わかるよ。
 なにもかもを、レキは諦めようとしてるんだ。
 なにもかもを終わらせなくちゃいけないって思ってて、
 そして今までの自分にさよならするために、敢えて今が大事って言ったことも。
 レキは、ほんとは笑ってなんかいない。
 なにもかもとさよならなんてしたくなくて、そして今日のこの瞬間が永遠に続いて欲しい、
 そう誰よりも願ってるって、レキはほんとにほんとは思ってる。
 私もう、わかるんだから。
 レキは、泣きながら助けを求めてるんだよ!
 レキは、人に助けを求めない人なんかじゃない。
 レキは、笑顔の下で泣いてたんだ!
 
 私は、レキを助けたい。
 私は鳥になるんだ。
 私にしかできない、私にしかなれない鳥に。
 レキの事、すっかりわかっちゃったのは、私だけ。
 壁を飛び越えて、レキの涙を全部見れる鳥。
 私は、レキがレキを消さなきゃいけないと思うくらいに、レキを助けたいと思う。
 レキが笑顔で消えていくのなら、私はレキを笑顔で救ってあげたい。
 レキ、レキ、レキ。
 私は今、レキを全部知った。
 笑うのもレキ。涙を流すのもレキ。笑いながら涙を流すのがレキ。
 もう、壁なんて無い。
 私は鳥。
 レキを助ける鳥になるんだ。
 
 
 ◆◆◆◆
 
 
 一昨日に行われた灰羽連盟鑑賞会、無事終了致しました。
 参加してくださいました方々、お疲れ様でした。そしてありがとう御座いました。
 特に、時間どおりに来てくださったときみつさんには大感謝中。
 ええもう、泣きました(感涙)
 
 次回鑑賞会は、12月中旬以降に行います。
 いよいよ最終回です、アニメの話も鑑賞会も。
 是非、次回も皆様ご参加くださいませ。
 
 
 〜P.S〜  
 今回の日記「灰羽の涙」は部構成です。
 第2部は明日公開の予定です。
 お楽しみに。
 
 

                          ◆ 『』内文章、アニメ「灰羽連盟」より引用 ◆

 
 
 
 

 

 

 ■031121 扉を引き裂く少女■
 
 
 

 

 
 
 『幸せなおチビちゃん。私が寂しいかどうかは私が決めるの。』
 

                               〜第五話のクラエスのセリフより〜

 
 
 青空が、燃えている。
 緑色に枯れ尽きた木々の肌触りを微風で洗い流して、
 てくてくと、てくてくと、少女は歩いている。
 氷のように温かい道を踏みしめ、眼鏡の少女はのびやかに立ち止まり、
 そしてまた、歩き出す。
 悠久たるクラエスの名を唱えながら。
 
 片足を前に一歩踏みだし、軽やかに眉をしかめてみせる。
 今日の一歩は重くて軽い。
 昨日の一歩は熱くて冷たい。
 遥かな空をこそばゆく見上げながら、その爽快なる足を振り上げ、
 ココロよりも大事な本を抱きしめながら、足下に広がる分厚い世界を耕していく。
 今日も晴朗。昨日も晴朗。
 そしてそのクラエスは目を閉じた。
 
 開けきれない扉を瞳に建てながら、なにもない天井を見上げる個体。
 当に適した意志を携えた男に貰われて、その個体の瞳の扉は閉じられた。
 少女クラエス、此処に誕生なり。
 その誕生はそして復活なり。
 クラエスの名を再び唱えたくて、その少女は歩き出した。
 歩き出した先にはなにもなく、その閉じられた扉の内側にただ、男が居た。
 逃げることの叶わない絶壁の世界に寄りかかる男にすがりながら、
 クラエスの名を継ぐ少女は戸惑いの無いその瞳を細めている。
 恐ろしくも愛らしい男の背中を掴まえてみることが、少女の安息。
 少女はただただその薄暗い部屋に、男と共に居た。
 うずたかくその部屋に共に放り込まれた本達に微笑みかけて、
 クラエスの名を継ぐ少女は、息もつかせぬ力弱き要求を男にからませる。
 そびえ立つ湯気に映える瞳の魂に励まされ、賢き少女はまた一歩歩みを進ませる。
 狭く暗い相部屋の中でのその一歩が、またさらにクラエスを先に進ませる。
 クラエスの名を想う男と共に。
 
 交わらないその個体同志の冷徹な馴合いが水飛沫を上げて、その少女に抱きついてくる。
 すべてが同じですべてが変化するたくさんの湖岸に男を追いかけて、少女も水飛沫を巻き上げる。
 楽しくて、楽しくて、ただそれだけではない楽しみを一生懸命勉強して。
 自分の足で、この足で歩くために。
 だがその義務の調べは与えられたもの。
 男が少女に求め課したもの。
 そして男が少女に課したものは、男があの青空から課されたもの。
 満面の冷笑を浮かべて見下すそのいやらしい空に服従しつつしかねている男に、
 その空の青に勝る悠久さを携えた少女は同感し、そしてまっさらとなる。
 ラバロさんが其処に居る。
 ただそれがわかっただけで、私は充分さ。
 消えない十字架を洗い清めて、まっすぐに道を迷いながら、クラエスとラバロは近づいていく。
 
 突き立てられたナイフの味は、ただただ苦しかった。
 クラエスの抜くことの出来ないその扉にかかった鋭利な鍵。
 閉じこめられた部屋の扉が再び開くのか閉まるのか。
 『この馬鹿が』。
 ラバロのその絶対の選択の言葉が、一滴一滴クラエスから血を奪い、
 そして少女の足跡を一歩一歩消し去っていく。
 賢き相部屋の同居人でいられるか、それとも血の無き愚劣な玩具になるのか。
 クラエスは、ただ沈黙する。
 
 通りすがる風を妨げて、冷え切った体を歩ませる少女。
 雨の代わりに涙が降る世界の中を見つめ、自らの住まう部屋を思い浮かべる。
 残酷で冷酷で無惨で恐怖に満ちているはずの世界が、とてもとても温かく感じる。
 華奢で痩せ切った横顔を扉の向うにみながら、それを羨ましいと思う劣情。
 しかしもはや劣情など、無い。
 その哀れな横顔こそ、あの部屋の中のクラエスなのだから。
 部屋の外のクラエスか、部屋の中のクラエスか。
 やせ細った賢い少女に、それを選ぶ事は叶わない。
 クラエスは、ただただ沈黙し、そして銃を撃つ。
 当然の事を、為す。
 銃を撃って人を殺し銃を駆ってフラテッロを護る。
 もう一人の少女と銃を交えて歩む、青空の下の冷たい道。
 淫靡な空に囚われ果たす無意志な行為で、その身を躍らせる。
 本の中の悲劇のヒロインの皮を剥いで身に纏い、善を為す。
 良きこと哉。良きこと哉。
 淫らな青空は笑い、クラエスは顕れて、そして消えていく。
 
 無言のうちに消えゆくクラエスを前にして、自らが消える意を固めたラバロ。
 飛び越えてしまった互いの心の狭間に扉を建設し、
 想いを賭けてその扉を引き裂く二人。
 開き切られた扉。
 しっかりと開け放たれたその部屋の中の世界が、あのおぞましい青空の元に広がっていく。
 そして少女の手には、鍵と眼鏡が渡された。
 部屋の開閉の選択権を、そして青空の元に痩せきったあの横顔を見つけるための視覚を、
 健気で悠久なる少女は、その確かなる兄より受け取った。
 クラエスの迷いながら歩き続けるその名と共に。
 
 優しい女の子。
 賢い女の子。
 演じる必要もなく、ただそれは約束という絶対によって決定されている事柄。
 崩れない頬杖に身を任せて、部屋の中でもう一人の見えない少女を送り出す。
 優しくて賢くて、そしてそれを決定された道を選んだ賢い少女。
 暖かい無音の日差しを胸に、少女は一人部屋の中を歩いている。
 てくてくと、てくてくと、歩いている。
 部屋の中の散歩道を青空の元に立派に浸食させて、
 大好きな笑顔を浮かべながら、部屋に籠もって幸福感を募らせる。
 瞳の中に愉しみを目一杯詰め込んで、なによりも暖かく体温を硬直させる。
 強くて硬い爽快さが仕込まれた二本足で、地面に「我」を刻んでいく劣情。
 劣情劣情劣情。
 『幸せなおチビちゃん。私が寂しいかどうかは私が決めるの。』。
 たなびく髪の背に幸せを負いながら、その瞳でもう一人の星の下で泣く少女の蒙を啓いていく。
 絶好の日和を本に見て、最悪の景色を青空に視る。
 どこまでも広がる扉の無い部屋の中で、クラエスはただただ生を為す。
 行ったり、来たり。
 木漏れ日の陰で、眼鏡をかけた少女はこう述べる。
 『そしてなにより、私は無為に過ごすときの悦びを知っている。』
 燃え尽きた青空の欠片を、まるごと部屋に飲み込み世界を知る。
 探求心の鍬を担いで、世界という名の菜園を耕し幸せという名の収穫を得る。
 なにものも、銃によりて切断すべき事も無し。
 クラエスの名を継ぐ必要も無し。
 ただただ、少女は既にクラエスである。
 クラエスの輪郭は無限に尽きず、少女は悠久に扉を引き裂いて歩いて回る。
 そこにはもう、クラエスは居ない。
 
 悠久なるクラエスは、笑顔の涙を流して世界に溺れていく。
 
 
 ◆◆◆◆
 
 クラエスは何者か。
 その問いに答えるよりは、その問いが成立するかどうかが肝心だ。
 何者か、と問われたとき、ではそれをなんと言えば何者かと言い表せた事になるのだろうか。
 そもそも自己同一性などあり得はしないと、私は思う。
 私は銃を持って人を殺す暗殺者です、という解答があったらば、それは嘘だ。
 それはその人の一面にしか過ぎず、また本人がそう思っていたとしても、
 逆に言えば本人がそうだと思っている、という事にしかすぎない。
 自己同一性というのはつまりは、大義名分。
 それは例え多くの言葉を尽して自分というものを説明して見せても、
 結局は自分と言う者を説明する側の要素を量産しているだけで、
 自分を表している事には決して成り得ない。
 自分がそう想っている、からそれが自分な訳ではない。
 それはただ自分の一部にしか、あくまで過ぎないのだ。
 言葉というのは元来、事象を適当に切断して、一番わかりやすい部分を適当に抜き出して、
 そしてさもそれが全てであるように見せかけるためのまやかしである。
 その抜き出してこられた部分はだからあくまで全体の一部で、
 だから絶対的な境界線が、その抜き出されなかった他の部分との間に存在する。
 クラエスが何者である、と言った瞬間にだからその境界線の外に付随する要素は無視されて、
 結果的にその自己同一性の根拠は非常に薄いものとなってしまう。
 薄いどころか、ある意味完璧な嘘になっていると言っても過言ではないのだ。
 その根拠の薄弱性を捉えるためにはだから、境界線を排除するしかない。
 排除し、すべてを丸飲みにして理解するしかない。
 といっても、私達は事象を切断するという言葉によってしか事象を把握できないのだから、それは無理だ。
 だから実際にやっていくには、丸飲みの理解、
 というよりは同化、そしてあらゆる事象の切断の方法を考えていくしかない。
 切断することによって境界線が生じ、その外にあるものが無視されるのなら、
 今度はその無視されたものが境界線の中になるように、事象を切断していけばよい。
 その繰り返しによってでしか、たぶん私達はクラエスとは何者か、という事には答えられないし、
 またそもそもその境界線の外というものに際限があるかどうかは絶対にわかりえないのだから、
 いくら多方面からの切断を悠久に繰り返したとて、その答えは得られないものかもしれない。
 そうすると、もはやそこには自己同一性なんてものは欠片もなく、
 またもっと言えば「自分」というものすら無い、とも言える。
 クラエスは、だからそもそも居ないのだ。
 自分が居ない、というのは自分が何者でもないというだけで、
 この生きている(ように思える)なにか意識みたいなものはなんだかあるような訳で、
 そしてその意識、というか魂のようなものが一体どこまでがそれなのかもわからないけれども、
 しかし逆に言えばその最初からの境界線さえ引かなければ、なにも迷う必要は無いのだ。
 そう。
 クラエスとは何者か、と問うことはつまりもう既にクラエスが「クラエス」であるという事に行き着くだけなのだ。
 そしてクラエスは、世界を切断せずに、その中にできる境界線という「扉」を引き裂く。
 引き裂くことで世界を丸飲みにし、彼女の中を外に向けてどんどんと溶け込ませていっているのだ。
 部屋の中のクラエスだけではない、部屋の外のクラエスと同化することでクラエスはクラエスを知っていく。
 部屋の中を部屋の外と同化させることで、彼女は世界を認識しそして愉しんでいるのだ。
 ヘンリエッタを菜園に連れ出したクラエスの、ココロからの余裕。
 為すがまま、あるがまま、そして為すため為す事無き風景を受け止めて日差しを感じる眼差し。
 その幸せを感じながら、彼女はその当たり前で簡単な涙を流す。
 そこに「私」が居なくて、そしてそこに「私」しかいない感覚がある。
 なにが寂しいかを、それすらも自分で決めなければいけない。
 そしてその自分が決めなければならないものは、自分では決められない。
 クラエスの幸せは、だからその笑顔の涙を流しながら存在しているのだ。
 凄い。辛い。寂しい。楽しい。嬉しい。
 愉しくて哀しい。
 でも、全部、嘘。
 
 
 
 クラエスのお話しは、私にとってなかなか試練的で、
 とっても印象に残った事であるなぁ(詠嘆)、そう紅い瞳は思いました。
 今までのガンスリ話でベストだったよ、うん。たぶん。きっと。
 
 

                          ◆ 『』内文章、アニメ「GUNSLINGER GIRL」より引用 ◆

 
 
 
 

 

 

 ■031117 『舎利姫』■
 
 
 

 

 
 
 赤い夕空に映えるすすき野で野良猫の生き肝に喰らい付く少女。
 お坊様に追いかけられ、片腕を切り落とされる少女。
 人の生き肝をも喰らおうとする少女。
 赤い着物とどす黒い髪をたなびかせる、骨から作られ人魚の生き肝を埋め込まれた不老不死の少女。
 
 今回は、そういうこってりと変わり果てた世界の情景で物語が始まりますので御座います。
 見た瞬間、これは凄いお話しになると私は確信していました。
 いやもう、凄いですよ、今回は。
 骨から作られた少女・なつめの異様さ、
 そしてその異様さが段々となにかを見る側に示さんとしていく過程、
 その様が信じられないくらいに濃密に凝縮されて、たった30分という枠組みに収められてしまった、
 そういう感じがもう、とてもとても凄くて。
 なつめの異様さはでも、この人魚の森という作品においては異質でもナンでもなく、
 つまり涌太という不老不死の人間からすれば、受け入れ難い存在ではなくて、
 実際の所、なつめは涌太の視点から見られて、ごく自然に画面の中に定着していくんです。
 私達のごく普通の感覚からすれば、彼女のあの有様は異様ですよね、やっぱり。
 涌太のお腹に噛みついて生き肝を食べようとしたときだって、てんでけろっとしてるし。
 なつめにとってはでもそれはとても当たり前の事であって、
 異質なるものと接し続けてきた涌太にとっては、だからそれは当たり前の見方にしかならない。
 でもだからといって、なつめが普通の少女という訳ではなくて、
 やっぱりその異様さは画面いっぱいに溶け込みながらも、ところせましとかけずり回ってるんですねぇ。
 そこに確かになつめという特異な存在は、確としてあるんですよね。
 僧侶に片腕を切り落とされたところを涌太に助けられたとき、
 このこの! と石を投げつけながら泣き出したなつめって存在が、どうしたってそこにはいる。
 正義の味方、或いは社会の一般的な倫理感情の権化としてのお坊様に対して、石を投げつける。
 彼女のあの反撃は、なつめがそこに居る、私はここに居るのよ、という懸命な反撃です。
 異様な姿や行動を持とうとも、確かにそこに生きてるじゃねぇか、
 しっかり前を見て生きていこうとしてるじゃねぇか、と涌太は思います。
 涌太が人魚の肉を食べて不死となったのを知り、自分と同じだと言ったなつめに、
 自分と一緒に来るかと言ったら、心の底から嬉しそうについてくるといったなつめに、生きる魂を見た。
 それが人間じゃなかろうと、人間に害を為す存在であろうと関係がない。
 彼女はなつめとしてそこにいても良いんだ、と、涌太は彼女を骨に還そうとする僧侶に反発するのです。
 僧侶の生命に関する倫理観を、いわば一個の感情として捉えて、
 その僧侶を含む社会の通念と、そのもう一方になつめの倫理を並立させてみる涌太。
 涌太にとってこそ、「普遍的な倫理」という言葉は無力なんです。
 大事なのは生に先立つ倫理では無く、生に基づいた倫理なんです。
 なつめ、という存在を無視して外側からの勝手な倫理を展開しても、涌太にとってはまったくの無意味。
 無意味なんです。
 
 で。
 なんか一気に話を先に進めすぎちゃったようですので、もうちょっとゆっくりいってみます。
 ひとつひとつのシーンをつなぎ合せて、そしてなつめのひとつひとつのセリフを噛みしめてみると、
 そこにはなつめという存在を「肯定」していこうとも、「否定」していこうともいうニュアンスは無く、
 ただただなつめという存在を示さんとして、それらは画面の中に広がっています。
 見せ物小屋の中に広がる薄明かり、その明かりの外と内で違う空気が流れていく様子。
 ひとつにまとめられた感覚というものを造り出さないようにしていながら、
 逆に明確にそのふたつの対立し並立している世界が明確に見えてきます。
 なつめとその老いた父親の往くところに光と影有り、な〜んて言うとヘンですけど、
 なつめの存在は決して幻想的なものとはなりません。
 明瞭な姿をその世界の中の社会に顕していて、その中ででもその中のひとつとしては映らない、
 そういう現実の中にもうひとつ現実を作ったような、そういうリアルな感覚があると思う。。
 平凡な中にある異質っていう感覚は、まさにそこから来るんじゃないかな。
 って、なに言ってるかわからなくなってきましたが、まぁいいや。
 
 で。
 やっぱりなつめですか。
 なつめの感覚ですか。
 なつめの哀しみといえば、それはやはり彼女の倫理観ですね。
 そう、「彼女の」倫理観。
 めったやたらに人の事を浅ましいから死ねと言って斬りかかってくる僧侶へ反撃したり、
 自分の肝を僧侶に奪われたときも、必死に闘って一太刀浴びせ、
 ざまみろと言い捨て逃げ去ったり。
 この彼女ゆえの反撃は彼女の倫理観からしてもまさに正当防衛なんですよね。
 その必死の防衛をしながらも、でも結局はそれに虐げられる形で死ぬ方向に向かわされちゃう。
 涌太と共に旅をしたいと、心から願いつつそれが挫けた想い。
 なぜ今ここで消えなければならないのか、彼女にとってはとてつもなく重い理不尽です。
 これ、すごく当然な事ですよね。
 あの僧侶がやってることは、ほんとにただの殺人行為でしかないんです、もはや。
 なつめは自分が消されて当然なんて思っていないから、
 自分がここに居てもいいのだと、お父うしか言ってくれないけどでもその言葉を信じて生きているから、
 だから逆に、さらにさらに彼女の哀しみは重く深いものとして私の目には映ります。
 
 そして。
 彼女の倫理の行き着く先が・・・・これがもう・・・・泣けました(涙)
 またどこかの姫を甦らせようとするお父うに向かって、起こしちゃいけない、となつめが言うんです。
 なつめが、そう言うんですよ。
 これ以上自分みたいなものを作っちゃいけないって。
 この言葉って、お父うにとっては涌太に言われるのとなつめに言われるのとでは、全然違う。
 それは勿論自分の娘に言われたから、とかそういうのは関係無しに。
 だってさ、なつめ自身が自分は不幸だったって、涙ながらに言ったんですよ?
 わかります?
 可哀想だから、起こしちゃいけないって、なつめが言うんです。
 それはつまり、お父が良かれと思ってやったことが自分にとっては辛いことでもあった、って事です。
 お父うの心に、トドメ一撃です。
 ほんとは、なつめ自身は自分の生は不幸だと思ってはいないでしょう。
 ただでも、辛いことには変わりないし、そしてこの生が他の誰かにとっては不幸となりうるかもしれない。
 なつめ自身は、きっと甦らせてくれた事、とってもお父うに感謝してたと思います。
 生きてる事にこそ意味がある、このお父うの言葉はまさに至言ですよ、ほんとに。
 まさに、まさにその通りと言いますか。
 お坊様のように、死者は甦ってまで生きるべきではない、なんてことは真っ向から斬り捨ててるんです。
 なつめは、そしてお父うと同じく自分が生きてる事自体になんの罪悪感を感じない。
 生きている事を後悔もせず、そしてさらにさらに生きようとほんとに涌太についていこうとしたんです。
 だってもう、なつめは生きてるんですから。
 ここがたぶん、この「舎利姫」の肝になるところのひとつだと、私は思います。
 生きることの喜び、それはやっぱりその生の由来とは関係は無いんです。
 どのようなことであれ、生まれたからには生き抜くんです。
 でも、それは逆の事も言えますよね。
 生まれてこなければ、その生きる喜びも得られない。
 そして、生きる苦しみも味わわなくて済む。
 だから・・・・自分の苦しみを強く知っているから、なつめはお父うにもうやめて、と言ってしまったのです。
 そしてその言葉は・・・・。 
 
 
 
 なつめの肝が抜かれ、彼女に未来がないことを悟ったお父うは、
 遂になつめを抱いて崖から飛び降りる。
 お父うに抱かれ地獄の淵へと落ちながら、涌太の名を叫び手を伸ばすなつめ。
 けれど・・その手は次の瞬間しっかりとお父うの背を抱いていた。
 お父うと一緒に死ぬ事を選んだんです、この世界でたった一人の少女は。
 唯一人甦ったまま生きることが可能であった、生きるのが大好きな少女は、その願いを諦めたんです。
 ・・・・。
 すみません、色々書きながら考えててまた涙が・・・(涙)
 ・・・。
 飛び降りながら、なつめの名を叫んだお父うに、お父うと言って返したあの心情、そして涙。
 もう・・・ね・・・・今その場面見ながら書いてるんですけど、あかんです。
 すごすぎて。
 自分の父親というこの本当はどうしても大好きだった人に抱きついて目をつむる。
 自分の生に真摯に向き合えば向き合うほど、それは実はお父うから離れていくことでもあって。
 涌太と一緒に行くことでお父うを置いていくことに、なんの抵抗もなかったようでいて、
 でも彼女の中ではその父に向かって「ごめんね」と言えるような心も同時にあって。
 そしていざその父が死ぬ段になって、どうしようもなくお父うが可哀想になってしまって。
 この感覚、わかる人いるんじゃないでしょうか。
 私にはわかります。
 自分がしたいと思い、そうしても良いと思っている事でありながら、
 それを閉ざす事をする他人になぜか寄り添ってしまうことって。
 その他人が、最後の最後でどうしようもなく愛おしくなるという感覚が。
 ごちゃまぜの罪悪感やら良心の呵責やら母性愛やら一種の独占欲やらまっさらの謝罪の気持ちやら。
 そういうのがいちどきに噴出して、なにもかもをその他者に渡したくなってしまう感覚が。
 なつめの『わかったよ・・』と言った、あの万感の想い、そしてこの最後の変節に涙しました。
 
 なつめは、不死。
 だから、崖から落ちたって死にはしなかった。
 けれど人魚の肝を抜かれた今の彼女の死は、すぐにやってくる。
 お父うにさよならをして、今度は涌太にさよならをしなければならないなつめ。
 この追撃、恐ろしいほどに哀しいです。
 涌太と共に生きるという夢を諦めたのに、まだ目の前には涌太が居て。
 涌太の言葉の、涌太の姿の向うに生きている世界が広がっていて。
 なつめは、最後の最後にまた、行きたい生きたいと呟きながら骨になっていったん・・・です。
 なんかもう・・・・このあたりでいいですよね、もう。
 あんまり書く気無くなってきちゃいましたよ。
 頭の中ぐるぐるしてます。
 滅茶苦茶です。
 滅茶苦茶にこんがらがって、滅茶苦茶に澄み切ってます。
 こんなの、もう言葉に換えられる訳無いじゃないか。
 うん。
 この舎利姫ってお話し、どんなんかは見た人にはわかってるよね。
 私と全然違う見方した人にも、こういう見方もあるんだなってわかってもらえたとは思う。
 というか、そう信じてます(勝手に)
 だからぁー、まあ今日はそれが出来たと信じれただけで良いかなって。
 うん。
 紅い瞳っていっつもこう。
 ほんとにすごいものは、自分だけで独り占めしちゃうっていうか。
 というか、そういう言い訳も出来るというか。
 
 ごめんなさい。
 もう、これでいいです。
 
 

                            ◆『』内文章、アニメ「人魚の森」より引用◆

 
 
 

 

 

 ■031114 見えない少女■
 
 
 

 

 
 
 『彼女は賢いから、男の下心には敏感だぞ。』
 

                          〜第四話のジョゼのセリフより〜

 
 
 途切れた夜の狭間に、瞬く一筋の少女の残像が居る。
 激しい切断の嵐の中を生き抜き、ひっそりとその影はその寂しい姿を闇の中に顕わした。
 目の前には暗い月と、その影よりはるかに色濃い夜のしじまが横たわっていた。
 影の視る世界に光無く、光の元に照らし出されるモノも無い。
 ただただなにも無い空間に操られ、無言の関係を世界と結ぶ。
 饒舌な夜に包まれ、残像たる影はその実体を覆い隠す。
 見えない、少女。
 そして賢明なるトリエラよ。
 言葉を尽せ。
 
 類い希なる透明さを有する少女は、誰にも見つからない。
 笑いさざめき、少女の愛する人形達と穏便無惨に戯れながら、
 少女は常に見えない自分を誇示して回る。
 くるくると陽気に絶望を交えながら舞うその理の資源は、
 飽くことなくその透明な笑顔の輪郭からこぼれていく。
 賢明なるトリエラは、操り人形を遣う。
 星の下で泣く少女を引きずり、幸せの渦へと叩き込む劣情。
 幸福の中で溺れる少女の笑顔を噛みしめながら、その確信に満ちた少女は綺麗な笑顔を魅せる。
 私は残像だから、私の大事な人形達に私が世界に居た証を作って貰いたい。
 私の代わりに幸せになって頂戴。
 ヘンリエッタの幸福の中に、私の幸福なんか無いことはわかってる。
 だからこそ、彼女達の幸せの微笑だけでも見ていたい。
 闇の中のトリエラは、星の下のヘンリエッタを操りながら、得意げに微笑んでいる。
 
 冷たい腕組みをしながら笑顔を駆使して、見えない時を生きる少女。
 彼女の愚図な兄にはなにも無くて、そこに少女の欲しいモノはなにも無くて。
 無いものを無いところに求めて、彼女はその理を尽し人形達の幸福を願う。
 愚図なヒルシャーにはなにも無くて、私にもなにも無くて。
 私の輪郭の縁は影に彩られ、あの人にはだから私を見つけられない。
 とどまる事を知らない無限の言葉を示してみても、私の中心を示すことは出来ない。
 それでも私の理をこぼす資源が尽きたら、その報われない言葉を尽すしかない。
 少女は、俯きながら全力で単調に絶叫する。
 私を見て。
 私を見つけて!
 
 透明な少女の座る席を決められないフラテッロを、ただ彼の死角から見つめ続ける女の子。
 残酷で貪欲なその紅い視線に耐えられず、男は独り煩悶する。
 見えない少女を、見つめながら。
 
 水色の薄い青空を無視しても、私の内に流れる血潮を感じずにはいられない。
 どんなに姿が見えなくても、私のこの血はいずれ誰かに見つけられる。
 私にだって見つけられたのだから、愚図なあの人にだって・・・。
 真摯な残像は、絶対の笑顔をきっかりすべて理に換えて、その血潮の欠片を振りまいていく。
 賢明なる少女は、血潮の欠片を言葉に込めて説明する。
 消えない世界を消すために、消えている私を顕すために、
 見えないトリエラは、ひたすらその言葉をばらまいていった。
 
 静寂のこだまする光の中で、点滅する想いの発露を操りながらその血潮を冷たく感じる熱情。
 その熱情の矛先に、愚図なヒルシャーとは違う男を見つけた。
 脆弱なる強きマリオ。
 トリエラの事をお嬢ちゃんと呼ぶその何者かの父親は、彼女の世話になる。
 片づけきった仕事の終わりに、少女は光を纏う男を自らの影の範疇に組み込んだ。
 私の血を見つけた男。
 私の秘密の男。
 哀れな子羊を演じない少女は、その男にその姿を初めて見せた。
 背にする夕日と影の間にその実体を顕した陽気な少女の姿に、
 こぼれていった操り糸たる笑顔に満ちた血潮が舞い戻っていく。
 見えない少女の夕日の元でのその姿の顕現。
 トリエラは、ただ得意げに笑っている。
 
 夕日が落ちた後、彼女の実体はその身を闇に切り刻まれることもなく、
 愚図で優しい兄の元で初めてその姿を示した。
 クリスマスの奇跡を肌に染み込ませて、少女は明朗快活に優しいフラテッロに従うを良しとする。
 無駄と化した言葉を陽気に操り、照らし出された自分のカラダを影の代わりにそれで装飾していく。
 細やかなる微笑が少女の兄に伝わった夜を迎え、
 彼女は優しく頬を暖めて闇を見つめ、自らの内から頼りなき確かなる光を放散する。
 遠慮無き小さな暴走を楽しみながら、兄妹は夜の道を還っていった。
 還り着いた先には、少女の好きな偽物の人形の笑顔と、
 そして2つの大好きな本物の人形のスガタが待っていてくれた。
 少女はその小さく確かに存在する幸せを惜しげもなく頂戴する。
 『ま、年に一度くらいこんな日があってもいいかな。』
 賢明なるトリエラは、ただただ得意げに笑っている。
 
 まだ途切れない血潮が、見えないその涙の代わりに流れ続けている事を無視して、
 でもそれでも生きていることを積もる雪の中に見ながら、
 見えない少女は、その姿を世界に映して笑っている。
 
 
 ◆◆◆◆
 
 複雑なようでいて、酷く単純で。
 賢いようで、例えようもなく愚かで。
 生きていても死んでいても、でもトリエラはまずその第一歩に自分を説明することから始めた。
 言葉という、それ自身の存在の証明が為されていないもので自らを語り示そうとするあまり、
 トリエラはどんどんと他者の存在を軽んじ、
 そしてただ隔絶した対象としてしか見る事ができなくなっていた。
 それはヘンリエッタ達に対してもそうで、彼女達と戯れるその根拠は非常に意志的でありながら薄弱。
 ただたんに彼女達の笑顔が見てみたいという気楽で無責任な欲求が、トリエラの動機だった。
 そしてそのような他者の存在の喪失があるために、他者の中の自分というものも失っていて、
 結果トリエラは自分が誰からも理解されないと云う喪失感をも同時に味わうことになる。
 その様はまさに透明で、誰からも自分を見つめて貰えず、
 そしてそれはまた自分自身すら自分を見つめることが出来ないというところにまで達していたように思う。
 フィルシャーとの確執も、フィルシャーを彼女が理解できないということを伏せて、
 ただ自分の事をわかってくれない、そういうことに集約されていたようだ。
 賢明なトリエラにとっては、自分の姿が誰からも見えないのであると同時に、
 世界もまた、自分には見えない存在であったのだ。
 だが、そんな哀れだけれども痛快極まる程の愚かさの中にあって、トリエラは少し変わっていた。
 彼女の中に渦巻く「生きている」という感覚が、非常に強くその存在を匂わせているのだ。
 生きている、ということがしっかりとあまりにも鮮明にあるために、
 むしろ逆にその彼女の透明さが、完全になにかを隠している事が明白なのである。
 引用して申し訳ないが、太宰治の「正義と微笑」や「パンドラの箱」にでてくる主人公のような、
 潔癖さを目指して他者を排斥しながら、たまにはお遊びで堕落を入れて清い幸せを掴んでいく、
 そして「それが全て」であるというどうしようもない愚かさ、これだけでは無い気がひしひしとする。
 トリエラはラストの自らのセリフ『ま、年に一度くらいこんな日があってもいいかな。』が象徴するように、
 確かにそういう面が前面に出てきてもいるけれど、けれども違う。
 彼女の中にはそれを通り越した熱すぎる生への熱望が息づいているからだ。
 太宰のこの2作の主人公は、あれ以上の変化と順応はあり得ない程夢想的だが、
 しかしトリエラこそは、絶対的にその体に纏う空気を変化させていく欲求に満ちているのだ。
 それはリコを筆頭とする義体を持つあの少女達に共通することで(といってもまだ3人だが)、
 自分が生きている、すなわち世界を見、その中に自分を見つけていくという感覚を、
 生まれながらに持っている、そんな気もしている。
 トリエラは、自らの丁寧だけどヌけている理屈で色々説明して自分を世界から隔離し、
 それが成功するたびに得意げに笑う。
 しかし、その笑いは自分だけがこの世界に存在しているわけでは無い、
 ということに気づいたときにも転用して使われるようになる。
 マリオに向けたあのにやりとした笑顔が、それだ。
 あの笑顔は、彼女が世界に他者を見つけ、そしてそれと同時に自分を見つけた時の、
 その事の成功に対する得意の笑顔なのだ。
 だからトリエラにとっては言葉や理屈はもはや道具にしか過ぎず(といっても大事な道具だが)、
 そしてそうなることで、結果的に彼女の中にある本質的なその生への願望、
 あるいは現実的視点がいとも簡単に表に出始めたことに気づかされるのである。
 彼女は、なにより現実的だ。
 徹底した夢想家(理論家)から、さりげない現実家に変化したのだ。
 とはいえ、トリエラのスタイル自体が変わる訳ではなく、彼女はまた常に理屈屋であることにも変わりない。
 トリエラはトリエラで、やっぱりその姿は見えない。
 でも、一度でも他者、特にヒルシャーにその姿を魅せた(誤字に非ず)事で、
 彼女のその見えない姿の存在は強く強く誇示され、
 そしてまた、次にいつその姿を目の前に魅せるかをヒルシャーに予測させる事はできるようになったろう。
 けど、やっぱりトリエラの面白くてカワイイとこは、そうなっても結構素でヒルシャーの裏をかきそうなとこ。
 わかりやすい奴に見られてたまるかって感じで、色々思わせぶりなフェイント混ぜてからかいそう。
 彼女の自分を素肌でしっとり楽しむ様はとっても良くわかったし、
 っていうか私には一番良くわかったねぇ。いいじゃん、ああいうの。
 うん、「トリエラ」は一番「簡単」だけど、それはつまり一番私にはわかるって事で。
 好きとかで云えば、リコやヘンリエッタよりは一段下がるけど、
 私は自分と違う存在が好きだからって感覚からすれば、やっぱりたぶんトリエラが一番近いんだなぁ。うん。
 で、簡単っていうのは逆に一番難しいことで、単純であればあるほど難解なんだよなぁ・・。
 トリエラっていうのは結局なにものなのか。
 うん、私にはまだこれがそうだって言っちゃいけないよーな気がする。
 今回の感想で「銃」とか「殺す」とかそーゆー言葉を書く事が一切無かったように、
 彼女の自分の置かれている環境に対する感覚っていうのが、いまいちよく見えてこない。
 私はとりあえずそこらへんを「片付けきった仕事」って表現をしてみたのだけど、どーだろ?
 まぁね、うん。
 要はトリエラの涙が何色なのか、それがわからないうちにはネ、ってコト♪
 
 っていうか、ここまで書いといて結局それかい(涙)
 
 
 
 P.S ええと。なんかフラテッドじゃなくてフラテッロ、らしいです。
    ううむ、テレビの音声からはフラテッドって聞えるよーな気がするんだケド。
    リスニングなんて嫌い。
    というわけで、今回より表記をフラテッロに変更致します。
    以前の日記の誤表記については関知致しません。修正もしません。
    過ぎたことは気にしません。
    ていうか、気にするな ←命令形
 
 

                          ◆ 『』内文章、アニメ「GUNSLINGER GIRL」より引用 ◆

 
 
 

 

 

 ■031112 もっけ魂・ウルマニ始末・武ヲ選ブノ事
 
 
 

 

 
 
 ■もっけ魂■
 
 以前晴嵐さんに推薦して頂いた漫画、岩倉隆敏「もっけ」の第一巻を立ち読みってきたよー。
 読んだ感触。
 餌に喰い付いた途端、釣り上げられた感触。
 青天の霹靂。
 てか、青天の下でもがくバカ魚。
 口ポカーンと開けて、もうどうしようかしらなどと早速お財布の中身と相談してしまうほど、
 その、ええと、もっけだっけか? なんかそのハマっちゃった。
 凄いや凄いやこれは凄いやー反則スレスレの伏兵プレイだよー。
 普通ならすーっと飲み込んで終わりな程度の物語なのに、
 でもその物語にまったく依存しないなにかがたくさんちりばめられていて。
 なんかその、理性の復権って感じ。
 とある姉妹のお話で、姉は霊とか妖怪とかが見えちゃって、妹はなんか憑かれちゃう。
 へっぽこにあるまじき中々レアでコアな設定もなんのそのの調和に満たされてて(何言ってる)、
 もう可愛いやら元気やら面白いやらポジティブやら、そしてほんのささやかなため息やら。
 そういうしっくりきっかり決め込まれた反応を見る側から引き出した上でうーむと唸らせるに足るなにか。
 そのなにかがなんたるかというと、うん、モノの見方というかなんつーか、その、アレだ。
 ナンだ (なんだよ)
 とにかくさー、形容しようったってあんまり意味無いんだなー。
 うん、あれはやっぱりなにが面白いかというと、極々カンタンに色んなものが変化していくことだよねー。
 姉妹の成長、っつーとなんだかおこがましくて違うなぁ、ただの変化だよ、変化。
 姉からみる妹という存在の見え方とか、もうどんどん開発されていって、
 逆もまたしかりで妹が姉を見る視点なんて、ほんとにふらふら〜っとしてたかたと思うとぴしっとキマったり。
 キマったと思ったら緩んだり、で、世界の見方もどんどん変わっていって。
 そしてそれは彼女らに関わる妖怪との付き合いを通して時々刻々と変化していくんすよねー。
 そしてその付き合い方というのは、ひたむきに突貫的でありながら理屈による解決に持っていく、
 というひじょーに爽快極まるものなんですよねー。
 彼女らのおじいちゃんがこれまた凄く理知的なヒトで、色々妖怪への接し方を知っているのだけど、
 全然それの彼女らに対する教え方が一方的なお説教じゃなくて、とっても親切な理屈なんですのよ。
 わかり難きをわかり易く、当たり前の事に問いを与えてみたり、
 あの手この手を使って彼女らにヒントを与えていく。
 そうそう面白さのひとつはここにもあって、決して彼らは閉鎖された「家族愛」みたいなもので、
 関係を結ばないんですよ。
 あくまで教えるのはヒントで、決して馴合いにならないホンキの理屈の説明をするんです、おじいちゃん。
 べったり孫娘にくっつくのじゃなくて、様々な位置取りをしながら彼女達と接していく。
 このあたりに非常に柔軟な対応(彼の話は非常にワカモノ向けでとってもすごい)を取れるご老人、
 それが彼女達の祖父であると言うところに、かなり面白味があって、
 そのせいもあってか彼女らも非常に目上の人間の話を理解できる姿勢が持てるようになってる。
 老人と若者の相互の歩み寄り、それは決して馴合いにも疎外にもならない関係で、
 見ていて、あーナルホドこういうのをカッコイイというのだねぇ、とため息をポロポロとこぼすんですねー。
 まぁーねー、面白いところはもちろんそれだけじゃなくて、姉妹それぞれの「今」の在り方とか、
 なんかその変化していない部分にも「おっ」って思えるようなところがあって、ほんと楽しい。
 「もっけ」がある生活ってこれはもう、良いね、良い。
 うん、久々に漫画で良い作品に出逢えたのぅ。
 あ、これはアニメ化いけるでしょ? (ぉ)
 
 
 
 ■ウルマニ始末■
 
 アニマックスオリジナルアニメ「ウルトラマニアック」が最終回〜。
 あ、うん、私、見てましたんです、このアニメ、地道に、ずっと。はい。
 で、全部見終わったのですが、これはまた意外に面白いお話しでした。
 といっても、別に特にこれを見て考えて事とかは無くて、
 ただただこのお話しのあったかさに酔いしれてたんですよぅ。
 ありきたりな表現でシャクだけど、やっぱハートウォーミングって奴でよねー、実際。
 近年稀にみる作品、というより紅い瞳が世間知らずなだけですけど、
 こういう感覚の作品って見たことなかったので、割と文化的衝撃を受けました。
 痛い、痛いっての!(なにやってるなにを)
 で、それが致命傷になるかと心配してくださる方が居てよさそうなのに居ないので見続けたんです。
 とはいえ別に意地になる必要も無くずっと見ていたわけで、うん、楽しかった。
 というか、こんだけ心暖まらせておいて終了って、私にどうやって冬を越せというのでしょうか、
 ってなくらいにまでほんとはハマっていたりもして、なんだか嬉しいため息が。
 やー、やっぱりあのラストは強引だけど良かったナー。
 でも強引だったぶん、あの織原マヤの笑顔にハッピィさを見つけたり。
 あれは意外に重い幸せだよなって思ったよ、実際。
 語り口は簡単で、描かれてるエピソードもありきたりで独自性はあんまりないけれど、
 でもそういうモノをあのキャラ達が演じてるという事に独自性があるんだよなー。
 でっかい幸福、ちっさい幸福。
 両方とも、ハッピィハッピィになんら変わりは無しでめでたしめでたし。
 大団円とはこういうことさ、と当たり前に言ってくれたようで、なんだかとっても安心。
 というわけで、ウルマニは私が安心感に溺れたところで終結ナリヨ。
 
 
 
 ■武ヲ選ブノ事■
 
 総司様再登場につき、それだけでもうなんにもいらないや。
 
 
 
 微妙に間を置いて書き始める今週の「PEACE MAKER の感想です。
 いっやー、もうあまりにもはっきりしてることなんですけど、敢えて言わせて頂きます。
 ピースメーカーの感想書くと、アニメが楽しめない ←致命的
 だってさぁ、なんか日記で一面的な感想書いてそれに凝り固まっちゃうと、
 あの無茶苦茶さを微妙に楽しむアニメが脳内でも固まっちゃって。
 あー・・つまんねぇ・・。
 つまんねぇけど、でも書く。
 いやだから、書くんですよ私は。私はしがない日記書きですから。
 たとえアニメがそのせいでつまらなくなろうと、本末転倒になろうとも、誰も読んでくれて無くても、
 私は感想を書く、書く。意地でも書く。
 ・・・。
 すみません、冗談はここまでにします。
 あーえーと。
 あの素晴らしき豚に名前があることに今気づきました。サイゾーですってね。
 というかまぁそんなことはどうでもよくて総司様再登場。
 あいっかわらずの陰陽さがばっちり効いてて、人物としてみたらやっぱり一番魅力的。
 色んな要素が彼に染み込み、また彼の残滓が映像の中に広がっていて、
 なんだかこれって沖田アニメ? ってくらいにもう一直線(なにがだ)。
 とにかくもう総司様が映るとそれで初めて映像が完成してる部分ってあるなぁ。
 今回の話は特にギャグ要素が弱かった部分もあり(徒競走の部分もっと面白くできたろうにネ)、
 ってまぁ彼はギャグ場面にも強いですが、なにより沖田総司が光っておりました。
 といいつつ例の鉄くんも主人公としてしっかりばっちりお仕事をこなしているようで、
 もはや神たる存在の総司様から、色々話を引き出せていました。
 鉄之助くん、頑張っているみたいで。
 色々考えて、色々悩んで、前回沙夜に言われたようにしっかり「今のままでいる」事を実践してます。
 なにかを始める前には、よく考えて。よく悩んで。
 おそらく即断即決、単純「過ぎる」目的で剣を手にしたであろう哀しい沖田に、それを諭される。
 沙夜にもまた会って、そして彼女を悲しませない事を約束しちゃったりもして(まっ)、なかなか順調。
 近藤局長もそんな鉄くんを見て、差料と隊服を与えようと提案します。
 ここまできたら、もう彼にそれを与えても大丈夫。
 悩み考えている自分の存在を認めることが出来た彼は、もう自分がなにをするのかを選択する力がある。
 自分がなにを選ぶのか。
 人を殺さない、鬼の道ではない「武」の道を鉄くんは選んだのかなぁ、やっぱり。
 武とはなにかってことでしょうかねぇ、そういうことは今後語られていくんじゃないのかな。
 いやいや、彼はまだなにも選んじゃいないのでした。
 彼はまだ、選択肢の上に座る事を覚えただけ。
 これからまだまだこの選択肢を自分のぬくもりで暖めていかなきゃーいけない。
 そしてその一つ一つの選択肢が自分と同化したとき、初めてそのどれかを選べるんですよねー。
 というか、そういうのを近藤局長や沖田さんやお兄様は望んでいらっしゃる。
 すっごい、すっごい護られてるよ、鉄くん。
 君は幸せ者や〜こんなに「不幸」経験者に色々気遣って貰って。
 うーん、いいなぁ・・・ ←物欲しそうな顔
 といってもまぁ、その周囲の優しい期待をぶっ壊す選択肢とかあったら面白いんだけどなぁ・・・。
 それはそれで・・・うひひ。
 うん、だってそういうのも含んでこその悩みや考える事の意義でしょうし価値でしょうに。
 刀を持つということは、必然的にそういう要素も含まれているわけですから。
 そしてその含まれている要素を押さえつけて自らの選んだ選択肢を貫徹する。
 例えば、抜かずの刀とか。
 ・・・・。
 なんか似合わない。
 抜き身の刀ひっさげてビクビクしながら這いずり回ってる方が似合ってるっぽい。
 むー、この矛盾が実にピースメーカーっぽくてイイ。
 さぁ、これからもどんどんと滅茶苦茶な方向に向かっていってくだされ!
 
 辰之助お兄様: 『・・それだったら、いつでも兄ちゃんの胸に・・・・』
 
 そういう方向じゃなくて。
 
 
 
 

 

 

 ■031109  『夢の終わり』■
 
 
 

 

 
 
 『・・・ううう・・あぁぁ・・頭が・・ぼーっとして、訳が、訳がわからなくなるときが・・・ある・・・うぅぅ・・』
 

                            〜 大眼のセリフより〜

 
 
 こんな「なりそこない」もいる。
 涌太と真魚が、また新たな存在を観た。
 
 人魚の肉を食べると、人は大きく3つの反応を示す。
 ひとつは、激しく血を吐きそのままのたうち回りながら死んでしまうもの。
 ひとつは、涌太や真魚のように特に見た目に変わりはないが、不老不死の体に変化するもの。
 そして残るひとつは、不死にはなるが、しかし体と心が化け物のような「なりそこない」になってしまうもの。
 そして、今回はこの3番目のなりそこないの変種が登場します。
 体は化け物でも、でも実は人間の心を残し人の言葉を話せるなりそこないが、とある山の中に居た。
 涌太と真魚は、その今まで会った事のないなりそこないと出会ったのでした。
 
 崖から落ちてその変わったなりそこない・大眼に助けられた真魚は、彼を受けいれる。
 最初彼が「なりそこない」であるという事で警戒しても、しかし彼が人と意を通わすことが出来る事を知り、
 彼女はその時点でもう、大眼に対する態度を一変させたのです。
 そう、まさに人間と同じように彼に接したのです。
 彼女が警戒したのは、彼が今まで彼女に災厄しか及ばさなかったなりそこないの姿形をしていたからで、
 そもそもその異形さに恐れを為していたわけではない、というのが今回のポイントのひとつです。
 大眼が、真魚にとって災厄だけをもたらさなくてすむ可能性を秘めている、
 つまり真魚とコミュニケイトできる余地があるという事、これが真魚の彼に対する態度を決定させた。
 逆に言えば、彼女にとっては見た目は全然まったくどうでも良い。
 非常に現実的であって、まぁそれは当たり前の事なのですけれど、
 しかしその真魚の態度を通して、今回のお話しが提示しているものを観ることができるのです。
 人の心を持ち、人の言葉が話せるのであればそれはなんらその存在を避けるに値しない。
 それはどんな存在であれ、ということでもあり、
 その存在を他者にとっての価値に染めて見ては、その存在の抹消しか見えてこない。
 絶対的敵対者、つまり自分とのコミュニケイトが一切出来ないものにしか、 
 その初動において、抹消の選択は意味がない、ということがまず第一に読みとれたことです。
 
 そして。
 視点を大眼自身にうつすと。
 これは、やっぱりとても哀しいですよね。
 不老不死になりそこね、そして純粋な「なりそこない」にもなりそこね、
 気が付いたら周囲の人間を皆殺しにしていたなんて。
 その皆殺しをしてしまった自分を見つめるその眼の悲しさ、これはもうほんと哀しいです。
 どんな残虐で空恐ろしい事をしていたとしても、その事に気づかなければ、なんともない。
 でも、ほんの少しでもふと我に返ってしまう瞬間。
 これこそが、もっとも怖ろしいことでしょう。
 うん、私もなにが怖いってそれが一番怖ろしい事だと思いますよ。
 大眼はその非常に哀しく怖ろしいまさにホラー的な時空を永久的に生きている。
 そしてそれは、大きな夢を見続けてもいる人生でもあるのですよね。
 殺戮を繰り返す夢。
 夢というのは起きている、という事があって成立しうる概念。
 だから、大眼の人生は夢を見、そしてふと目覚めるのですよね。
 それはとてつもなく恐ろしい目覚めで、そしてまた夢の中に入っていく。
 この永遠の繰り返し。
 あまりに辛い。
 そして、あまりに辛いからこそ、大眼は果てしなく現実を生きてもいるのです。
 ええ。彼にとってはそのことはもう、絶望では無いのですね。
 当初は絶望の予感は感じたかもしれないでしょうけれど、でも絶望はしていない。
 なぜなら。
 大眼は、真魚を見つけて嬉しい、と言ったのですから。
 彼はすべてを諦めようとして、そして全然まったくなにも諦められてはいないんです。
 真魚と出会い、ごく普通に楽しげに彼女の存在を愉しむ。
 ほんとうに見ているこっちが可愛さを感じてしまうほどに、彼のその喜びは無邪気で、
 そしてだからこそ、彼がなにも諦めてはいない事を感じるのです。
 自分の人生は辛い。
 でも、自分がどんな存在だとしたって、楽しいものは楽しい。
 どんなに自分が醜く残酷でも、生きてるから生きてる。
 もちろん生きる権利とかわざわざそんな事考えるまでもなく、
 綺麗な女を見れば有頂天になって、まっすぐに現実を楽しんでいく。
 この大眼の姿はやっぱりとても可愛くて、そしてこそばゆいほどになつかしさを感じてしまいます。
 そしてその大眼のかたわらに、ごく普通に立っているのが真魚なのですよね。
 本当に、それがどんな存在であれ、話が通じるならそれでいいやと言わんばかりに、
 まったくの無防備で大眼の傍らに立つ彼女。
 すごく、自然な触れあいをそこに見たような気が致しました。
 
 でも、大眼はその喜びと同時に、どうしても突き放せないものをも持っているのです。
 それは劣等感。
 自分の姿が醜いという事を実感してしまうたびに、彼はそのそれこそどうしようもない劣等感に囚われ、
 そして真魚にも自分から離れ涌太の元に戻るのは自分が醜いからか、と言ってしまう。
 真魚がそんなの気にしないという素振りを見せれば見せるほど、その自分の醜さを肌で感じてしまい、
 そして体は醜くても心だけは、とまで言ってしまう。
 どうしても逃れられない「自分の中の他者による価値観」から逃れられない苦しさ。
 絶対にその自らの体を認めることは無く、
 体は駄目でも心があるから良いんだと開き直る事しか出来ない悲しさ。
 心だけは、人間の心だけはみんなと同じでまっとうでいられる。まっとうでなくちゃいけないんだ。
 この悲壮さ、「羊のうた」の千砂に通じるものがあったりもします。
 けれども。
 大眼はしかし、その心すら守る事が出来ないのです。
 気づけば、化け物の心に。
 気づけば、人の心は跡形も無く。
 ふと眼を開けば、傍らにはおびただしい人骨が転がっている。
 これが、どうしようもない大眼なんです。
 その類い希なる哀しみ、推して知るべしで御座います。
 そして、その事実を真魚の目の前で思い知らされたという絶望を、感じてください。
 真魚は、その大眼すらを受け入れようとし、ここから連れ出そうともした。
 たぶん、それは正解です。
 そして、涌太がすっかり心を失って暴走した大眼を殺した、これもたぶん正解です。
 どっちの選択肢もありでしたでしょう。
 大眼が生きる場所は元からどこにもない、これは嘘です。
 現に今までずっと生きてきたし、これからも完全なるアウトサイダーとして生きていくこともできる。
 たとえ屍の山を築いていこうとも、それが大眼の往く道であって居ても良い道なのです。
 彼が自分の中の他者による価値観を打破して、完全なる外道となれるのならそれもありです。
 慎ましやかなるアウトサイダー。
 真魚と涌太がいれば、たぶんそうして生きていくことも可能でしょう。
 でも。
 大眼はたぶんその内なる劣等感、及び罪悪感に勝てなかった。
 むしろ真魚と出会ったことで、決定的な敗北をきしてしまったのです。
 ある意味で、真魚と出会わなければ生きて行けたのです。
 人ならぬ、「なりそこない」ならぬ存在として。
 けれど、もうそれはできなくなってしまったんですよね。
 自分を責める自分の中の他者による価値観が自分を支配してしまったから。
 そしてだから、涌太は彼を殺した。
 大眼の中の「なりそこない」を殺したのです。
 そして大眼は、最後に人間に戻って死んだ。
 人として、死んだ。
 彼の夢は永遠に訪れない目覚めと共に、ようやく終わりを告げたのです。
 
 
 
 
 私は。
 紅い瞳は、でも、こう思います。
 大眼は死にたかったのか、死にたくなかったのか、それは私にはわからない、と。
 人として死ぬ事を喜んでいたのか、それとも死ななければならないことを悲しんでいたのか。
 大眼の最後の言葉は、「真魚」。
 自分の死に対してはなにも言っていません。
 いつも通りに気づいたら、目の前には大好きな真魚が居て、なのにもうなぜだか自分は死にかけで。
 恐ろしいです、ものすごく。
 そして、今回もっとも怖いところなのじゃないでしょうか、ここが。
 人として死ねることに、一体どれだけの価値が大眼の中にあったのか。
 涌太はそれを最大と見て、だから大眼のその最大の願いを聞き入れて彼を殺したつもりでしょうけど、
 でもそれと同時にあの映像からは大眼のまだ死にたくないという感情もガンガンと伝わってもくる。
 大眼の中に居座る他者の価値観、これを大眼がどう受け止めていたのか。
 打ち倒すべき感情だったのか、
 それとも「羊のうた」の千砂的に、徹底的に自らの誇り(千砂は純粋にそうではないが)とするのか。
 そして或いはその葛藤の狭間を生きていたのか。
 私はやはり彼のあの「可愛らしさ」加減からして、葛藤の中で生きていたと思う。
 だからゆえに、見る側としてはあの死はどちらの意味にも受け取れる。
 涌太に殺されたのか、それとも殺して貰ったのか。
 どちらかではない、どちらの選択肢をも同時に観る感覚。
 私はそういうことをむしろ、今回のこの「夢の終わり」から受け取りました。
 
 
 そして涌太と真魚は・・・。
 
 涌太: 『あいつのような「なりそこない」もいるんだなぁ・・・五百年生きてきたが初めてだった。
      俺の知らないところで、まだ色んな奴が居るのかもしれないな。』
 真魚: 『うん。いろんな奴がいる。いろんななりそこないが、いろんな人魚が・・・いろんな涌太が。』
 涌太: 『ああ。いろんな真魚もな。』
 真魚: 『うん。』
 
 
 それで良いと思いますよ、おふたりサン。
 
 

                            ◆『』内文章、アニメ「人魚の森」より引用◆

 
 
 

 

 

 ■031105  ささめ月の笑顔と怒り■
 
 
 

 

 
 
 沙夜たんキタ〜〜!!(叫)
 
 
 こんばんわ、紅い瞳です。
 秋もすっかり暮れかかり、そろそろ冬の足音も聞え始めって、
 え? 足音というかなんか叫び声が聞えましたって
 なに言うてるんですか〜お客さん。
 私はなーんも言っちゃいませんよぅ。
 まったく、しっかりしてくださいよ、先はまだ長いんですから。
 長いってなにが長いのと言わはりますか?
 ・・・。
 それはひ・み・つ♪
 
 
 
 
 ええと。
 こんな感じで水曜日はいつも定期的にラリっているわけで、
 それは少なからず、というか間違いなく「PEACE MAKER の影響が色濃く出ているからなのです。
 ピースメばんざーい、とか平気で言えます今の紅い瞳ですけれど、
 皆様、どうか暖かく見守ってやってくださいませ。
 ええ。いつもの如く。
 さて。
 もう。
 なんだか (なんだよ)
 うん、まぁ、あれ? ピースメーカーまた新しくなっちゃいましたねぇ。
 紅い瞳がまったくもって軽視していた仇討ち要素にちゃっかり光り輝くものを実装しちゃって、まぁ。
 まぁ、なんて素晴らしいことでしょう。
 もうどんどん私の期待通りに着実に成長していっているよいこちゃんここに極まれり。
 いい子、いい子 ←鉄之助の頭を撫でる妄想をしながら
 で、まぁそっち方面のお話しはひとまずおいて、楽しい楽しいツッコミを今回のお話しに入れてみますと、
 なんで我らの総司様が出てないんですか!(怒)
 あ、じゃなくてなんでいきなり斉藤一が早速登場しなくなるのか皆目わかりかねますけれど、
 前回あれだけ破壊の限りを尽してしまったので、さすがに引っ込んでしまったのよ、とまずは好意解釈。
 が、その分その片割れであるところの自称ショタコンの藤堂平助くんは出てきてもうぐったり。
 永倉新八・原田左之助の組立体操的コンビ(どんなコンビだ)に割り込んで、もうメッチャクチャ。
 永倉・原田の影が多少薄れてしまい割り込んだ藤堂は既に影無しで。
 というか三人合体で巨大化したイメージが逆に芽生えました。
 ひとりひとりの個性はうすくなっちゃったけど、三人漫才が新たに誕生これもまた面白い。
 副長格の山南敬助登場で腰が低い低い〜。
 ボケから一転ツッコミ役に権化した三人組をものともしない、大物副長ここにアリ。
 山南副長、ぼ、ボケ過ぎボケ過ぎデス!(おろおろしながら)
 そして相変わらずのみんなの鉄之助くんはここをせんどと大暴れ。
 おいおいおいおい〜っ! ←三人組風ツッコミ
 そして最強の押さえ役辰之助お兄様がすっとんできてまたもや大暴れ。
 詫びろーっ!なんでもいいから詫びろ!すぐ詫びろ今詫びろ! ←お兄様風ツッコミ
 
 いっつもこんなの魅せられてたら、ラリるのもわかるような気が致します(自分で言うな)
 
 で。
 まぁ、なんかピースメーカーの感想なんて書くもんじゃあ無いな、
 と心からそう思い始めている私ですが、でもこれだけは語りたいのです。
 沙夜たん萌え沙夜と鉄之助の会話(?)シーンにおける一場面についてを。
 うん。
 沙夜って口きけないらしくて。
 そんでもって鉄之助と同じく親殺されてて。
 そして口きけない事を鉄之助に大したこと無いって言われて、とっても喜んで。
 うん。
 鉄之助の父親の回想がそのときに描かれてて、あ、あれも非常に良かったけれど、
 あのあたりとの融合が凄く綺麗にキマってて。
 平和な平和な風景に沙夜と鉄之助の二人の悲劇を取り込ませて中和している情景。
 楽しげな鉄之助を見て、可哀想な沙夜は目を見開いて笑顔をこぼしてて。
 どーしたって、そこら辺の案配というか演出というか良くて、
 ってもー良いとしか言えないよね、恥ずかしながら。
 で。
 その沙夜の笑顔を誂えられた幸せの情景から引き剥がしたのも鉄之助で。
 鉄之助が言ったこと。
 強い鬼にもなれず仇を討つ力を得る勇気すらない今の自分を嘆いた鉄之助に、
 そのままでいい、と、悲劇の淵に幸せを見つけた沙夜は砂に書いて伝えるけれど、鉄之助は一蹴。
 自分の激情を以て、父ちゃん母ちゃんの仇を討たないままで、弱いままでいられるか! と叫んでしまう。
 これはさ、酷い言葉だよね。ある意味。
 だってさ、これ、沙夜の否定でしょう。
 父親の敵を討たないで、弱いままででも一生懸命生きている沙夜の笑顔の全否定みたいなものでしょ。
 悲しいですよ、こんなこと、今さっき笑顔をくれた子に言われたりしたら。
 自分の力じゃどうすることも出来ない自分に必死に耐えているのに、
 お前は駄目だって言われたら・・・。
 沙夜の小さくて細い体に、その無力すぎる魂に、それが当然と言わんばかりの正統性を押し付けて。
 それはもちろん鉄之助くんの大事な事であるのかもしれないけれど、
 でも彼はそうしていつかは強くなれるかも知れないけれど、でも沙夜のような子にはそれは叶わない事。
 沙夜にとってはそれはとても悔しくて、そしてとてもとても哀しい事でもあったでしょう。
 そこらへんのある意味での武士道的意識のマズさが、とっても胸にすっと入り込むようにそこにありました。
 沙夜の哀しい怒りに震えたその小さなその手に、しかし逆にこのピースメーカーの方向性、
 それをある意味で(ってさっきからそればっか)見た気がしました。
 それは。
 鉄之助の苦悩の向かっている先からもなんとなく見えますよね。
 仇を討つまでの段階の壁にもがく少年。
 隊入団の志望動機から、実際の仇へ移行するまでのズレに戸惑う少年。
 新撰組で鬼になると言うことは、何段階もの厚い壁を乗り越えなくちゃあならない。
 人を殺すことも、その方法を学ぶ事もしたくないのに、仇だけは討ちたい。
 だから彼が新撰組に入って段階を経れば経るほど、仇討ちからは遠のいているんですね。
 単純に新入りならやって当然の事も、それはほんとは鉄之助にはまったく関係ないことなんですよね。
 うん。
 別に鉄之助の甘っちょろさを描くために隊内での失敗談をやってるのと違いますよ、ピースメは。
 むしろ鉄之助がやらされてることは本当に無駄な事だってことを描いてると思いますよ、逆にね。
 だって、鉄之助のやりたいことは、鬼にならないで仇を討つ事にあるのですから。
 新撰組に入る、ということは土方曰く「身につくのは鬼のなり方だけ」なのですから。
 うん、そういうことにゃのよ。
 沙夜に走り去られた後、鉄之助くんはこうも言ってます。
 自分に仇を討てる力が備わって仇が目の前に現れたとしても、自分には仇討ちができないと。
 なぜならたぶん、その力は鬼の力だから。
 沙夜はだから、鉄之助に今のままでいて貰いたいのです。
 そして鉄之助自身も、強くなれない自分に哀しみと怒りを感じつつも、
 鬼でない自分に微笑みたがってもいるのですよねぇ。
 そしてその微笑みを支援すべく、様々な人達が鉄之助くんのために心を砕く。
 土方さんにしろ辰之助お兄様にしろ山南副長にしろ、みんな鉄之助を護りたがってる。
 うっわーすっげぇ贅沢ぅなんて思わず思いましたが、まぁ、鉄之助くん可哀想にとも思ふ。
 だって、自分が否定してる事をちょっと心の迷いからしたくなり始めてて、
 それが周りのみんなも勧める事だったら・・・・素直になんかなれないでしょ、ほんとに。
 うん、そうに違いない。
 
 なんかやっぱりピースメーカー的ノリだと日記書く気がおきませんねー。
 今回のお話しはすっごい良かったんだよ?
 うーん、でもなんか感想書くのノリじゃないんだよねー。
 というかもう、どう終わらせていいかわからなくなり始めてるんだけどねー。
 
 
 
 ・・・・・。
 お休みなさい (逃)
 
 
 
 

 

 

 ■031104  『人魚の森(後編)』■
 
 
 

 

 
 
 『(登和さんが)見つめていたのは、佐和さん・・・・もう一人のじぶん・・』
 

                            〜 椎名先生のセリフより〜

 
 
 沈黙の笑顔が、私の出来る唯一の自己表現。
 目の前に突きつけられた白い壁が、私の終生の話し相手。
 私は独りじゃない。
 この壁がある限り。
 そしてだから、私は外には出られない。
 
 いつもいつも気づくのは、その事態がなにもかもを終わらせてしまった後でばかり。
 既にもう、すべてが終わってしまった廃墟の如く、おしげもなく私の前に投げ与えられる。
 みんなみんな、終わってしまったものばかり。
 佐和さんが結婚して佐和さんが子供を産んでその子が死んで。
 私はなにも変わらないのに、外の世界だけはどんどんと変わっていって。
 私にはそれをどうにかすることができるかどうか以前に、
 その事実が終わるまでそれを知ることすらできなかった。
 だから、私の世界は終わったものばかりだったのよ。
 なんにも、なんにも知らなかったから、人魚の生き血を飲むって事がどういう事かってことを。
 人魚というものがどういうものであるかを、全然知らなかったから。
 だから私は、佐和さんにしてやられた。
 妹という、人魚を知らなかったから。
 
 ・・・・
 
 彼女は、鬼だ。
 私と同じ顔をして、私と同じ人生を歩んでいくはずだったのに、
 彼女は私を平然と裏切って、私に毒を飲ませた。
 自分だけが永遠のイノチを手に入れるための実験として、彼女は私に人魚の生き血を飲ませた。
 だから、彼女は、佐和さんは鬼。
 鬼は人でなしで、だから私は彼女を憎むだけで済んだ。
 変わらない世界を押し付けられ、片腕を醜くされ、座敷牢に閉じこめられても、
 それはすべて鬼のような佐和さんの仕業で、だから私はその絶対の被害者を演じていれば良かった。
 それがもう、私のひとつの安楽でもあったのよ。
 うん。そうね。
 きっとそうよ。
 だって私は、簡単に自分の事を諦められたもの。
 狭い狭い世界の暮らし方をひとつひとつ肌に染み込ませながら覚えて、
 時折訪れる外の世界の変事に心をときめかせながら、私はその頬を緩ませた。
 だって、どうしようもなかったのだもの。当然でしょ。
 笑うしか、私には出来ない。
 笑ってもなにも変わらないし、どうにもなりはしないけれど、
 でも自分がその事実を敢然と受け止めていられるという自尊心のために、笑いたかった。
 私はね、誰かに褒めて貰っている気がしてたの。
 過酷な人生を善く独りで生きてきたね、って誰かが私に優しく囁いてくれたような、ね。
 そして私は・・・・私は誰かに慰めて欲しかったの。
 この不幸すぎる永遠の暮らしに生きている私を、きっと誰かが慰めていてくれる、と思ってもいたのよ。
 だから私は此処に居てもそれで良かったし、それで充分だった。
 誰も居ないから、私のその妄想をかき乱されることは無く、
 私はそのままずっと自分を憐れんで生きていければ、それでほんとは良かった。
 どんなに絶望を重ねても変えられない変わらない世界に適応することだって、人にはできるのよ。
 私は人だから。
 鬼である佐和さんにはできない超越を、私は此処で為す事が出来たのよ。
 だから私は、薄暗い座敷牢の中でため息をつきながら、酷く穏やかでいられた。
 流しきった涙の果てには、涅槃があったのよ。
 貴方、知っていらして?
 
 そう。
 それもこれもみんな佐和さんのおかげでもあるのよね。
 といっても、別に彼女に感謝する必要など無いのよ。
 私はあくまで被害者で、そして本当はその被害を安楽に換えているのにそれを見せずに、
 被害者として加害者を裁ける優越感に浸っていることが出来る身分なのだから。
 ええ。私はだから佐和さんより偉いのよ。
 ふふ、偉いだなんて子供っぽい言い方かしらね。
 でも、ほんとよ。彼女はもう、私のいいなりになるしか無いのよ。
 私に酷い事をした罪の償いをしなくちゃ、釣り合い取れないでしょ?
 そうでしょう・・・佐和さん・・。
 だから私には、私と同じ顔と体を持って生まれてきて、
 いっぱしに人並みの生活をしてちゃんと年老いて死んでいける佐和さんの涙が、馬鹿らしくて憎らしくて。
 なにを泣いているのよ、佐和さん。
 ・・・・・死なせるものか。
 誰が死なせてやるものか!
 殺しても壊しても絶望してもなお飽きたらぬ私と同じ想いを、骨の髄まで永遠に味あわせてやる!
 
 ・・・・
 
 嗚呼・・・嗚呼・・・また、泣ひてゐる。
 
 ・・・・
 
 お父様の死をきっかけに、私は外の世界に出ることが出来た。
 何十年ぶりのことだろうか、などと感じる感慨と謂れは無い。
 私は佐和さんに人魚の肉を食べさせて、彼女に永遠の苦しみを与えるために、今、外に居る。
 それが叶うまでは、彼女をいたぶりながら時間を潰していよう。
 外の世界に慣れる必要はもう無い。
 私の世界はもう、彼処だけだから。
 私の目の前にはあの白い壁がずっとずっとあるもの。
 私が愛した壁。
 私はその壁に抱かれながら、佐和さんをいたぶる。楽しいじゃないの。
 もうすっかり忘れてしまった時の流れを再び遠ざけながら、私は時間を喜びながら潰すのよ。
 そして私のその喜びそのものが、佐和さんの心に仇を為し復讐し続けているのよ。
 ほんと、復讐って言葉、便利よね。
 ああ、憎い憎い。
 その憎しみを、すべて佐和さんにぶつければ良いんだわ。
 それだけで、私は安楽だったもの。
 そしてその安楽が、佐和さん、いえ、私の妹を最も苦しませるのよ。
 もっと苦しめ。もっと苦しみなさいよ、鬼めが。
 私をこんな風にしたという罪悪感に、その身を焼き尽くされなさい。
 地獄に堕ちたはずの姉が笑う恐怖に、心の底から怯えなさい。
 私は・・・・・こういう事がしたかったのよ、きっとね。
 だから私は、座敷牢の外に出てからも笑うの。
 いいえ。
 外の世界に出て佐和さんの目の前に居るからこそ、むしろ絶対に笑わなければいけないのよね。
 ええ。
 私の目の前に佐和さんが居るのじゃなくて、佐和さんの目の前に私が居るの。
 貴方、その違いお判りになって?
 
 ・・・・
 
 気づけば、私の手には人魚の肉が握られていた。
 復讐の完成するとき。
 さぁ、食べてよ。佐和さん。食べてよぅ。
 佐和さんの怯えきった顔なんて、もうどうでもいい。
 食べなさい。食べなさいったら。貴方もこれを食べて永遠となりなさい!
 憎いなんて、全然思わない。
 安楽さなんて、もう全然無い。
 私はもう悔しくて悔しくて、だから今はただもう妹に人魚の肉を食べさせたかった。
 能面のような自分の顔を意識して彼女を憎む理由を口にしながら、
 私はその憎しみが嘘であることを、公然と認めない訳にはいかなくなってしまっていた。
 憎さなんて嘘。
 ほんとうは佐和さんなんて居なかった。
 ずっとずっと私は佐和さんというニセモノの人魚を造り出して、壁の中で永遠にそれと戯れていただけ。
 ただもう、悔しくて。
 どうすることも出来ない現実、そしてどうしようもない自分が悔しくて憎らしくて。
 妹という得体の知れないモノを知らないで居られる理由は、私自身にほんとうはあったの。
 私が変わらない日々を受け入れるしかなくなって、私はその事に絶望した。
 そしてその絶望という名の涅槃こそが、最大の嘘だったのよ。
 私・・・全然・・・全然諦められていないじゃないの。
 あんな姿になってまでなお生きていた人魚に、心の底から戦慄したじゃない。
 あの人魚は、私。
 私は妹の事だけじゃなくて、私の事すら知ろうとしなかった。
 人魚とは、得体の知れない人でなしである鬼のうえに、どうしようもなく人だったのよ、ほんとうは。
 私は・・・・私は外の世界で生きる私の姿を、どうしても諦めきれなかった。
 誰かに、どうしてもどうしようもなく救い出して欲しかったのよ。
 あの座敷牢から。この変わらない永遠に近き日々から。
 そしてあの白い壁の幻影から、絶対に絶対に! 私を拾い上げて欲しかったのよ!
 か細い笑顔の下に大粒の涙を隠してもいたのよ。
 誰かがそれに気づいてくれるまで、だから私は隠し通しながらもずっとその涙を流していた。
 そして佐和さんが死んで、私はようやく本当の絶望に達した。
 絶望って、良いもんじゃないわね、ほんとに。
 なにもかもが無くなってしまうって、こういうことなのね。
 私は、私と同じ顔の佐和さんにあり得たかも知れない自分の人生を託して、
 それを羨み妬み憎み、そしてこの上もなく憧れ生き甲斐にしてもいたのよ。
 佐和さんが居る事で私は彼処に居られたのだわ。
 佐和さんこそは、白い壁だったのよ、たぶんね。
 私が佐和さんの目の前に居たのじゃなくて、佐和さんが私の目の前にいたの、ほんとうは。
 私の外側に広がってる私の可能性を佐和さんに見立てていたのよ、私は。
 そして私は佐和さんという可能性を私に押し付け、そして私をニセモノの絶望に追いやっていた。
 あの白い壁もまた、やっぱり私の中にあったのね。
 白い壁は、私。
 そして佐和さんも私で、私と佐和さんは人魚。
 誰にも知られることも無く、誰をも知ろうとしない人でなしで人である存在。
 
 ・・・・
 
 嗚呼・・・また、人魚が泣ひてゐる・・・。
 
 ・・・・
 
 佐和さんが死んで、私にはもうなにも無くなった。
 生きる理由などよりも、私そのものが無くなった。
 私の居るべき白い壁に囲まれた世界も、私の可能性という名の希望も、全部無くなった。
 絶望。
 大粒の涙が、誰憚ること無く私の頬を流れていった。
 佐和さん・・・消えてしまった、愛すべきもうひとりの私。
 私は満足しているのかしら・・・。
 佐和さんと二人死の床に並べられ炎に身を焼かれて、
 それでほんとうに良かったのかしら。
 いいえ。
 もう良いの。
 もうこれで終わりなのよ。
 なにもかもが終わってしまった事態の中で生きてきて、
 そしてその人生の終止符だけは、自分で打つのよ。
 それが私の責任の取り方。
 思えば、私の人生はひとつの儀式だったのよね。
 だからそれを終わらせるだけ。
 でもね。
 最後に謝りたいのよ。
 佐和さんという、たった一人の他人(ひと)に。
 そして。
 佐和さんという、かけがえのない私に。
 
 ほんとうに、ごめんね。
 儀式になんか、貴方の人生を使ってしまって。
 
 だから。
 『燃やしてください、人魚塚を。人魚に関わるすべてのものを・・燃やしてください。なにもかも・・・・。』
 
 
 ◆◆◆◆
 
 この文章は、私が人魚の森を見て私が創り出した登和さんの物語。
 冷血で健やかなる残虐さを、呼吸をするより簡単にその魂と共に在らせながら、最後の最後までそれを
 魂とは同化させなかった、ある女性のおはなし。
 そして、心の暗がりに常に光を当て続け、闇を説明しようと努力する、どこにでもいるニンゲンの思考。
 私はそういうものをなんとか紡ぎ出せないかと、人魚の森を見ているウチに思ったのです。
 その思いの原点は、自らのあり得たかも知れない可能性を渇望する力のしぶとさ凄まじさ、それのあまり
 にも素直すぎる生への憧憬、それが登和さんの白い顔と紅い唇のうちに見たところにある。
 実際でもしかしそれは大幅において嘘。
 登和さんの精神はもっと黄昏に満ち、そしてもっともっと制御され尽した衝動によって動いている。
 牢の中で佐和さんを見据えた、あの血の気の失せた深くまどろんだ瞳の影には、もう平常なる理屈の及
 ばぬ激しい衝動が渦巻いていたと思うのです。
 乱れるほどに激しく整えられた怒り。
 いえ、日本的にはここは呪いの感情があったと思います。
 無論その感情は深化され、魂と既に同一化していた。
 それが、あの人魚の森というアニメで描かれていた登和さんの姿、私はほんとうはそのようにあの人を捉え
 ていた。
 登和さんの白い顔と紅い唇は、その衝動の強さの顕れ。
 でも、私はその閉じられた衝動の中に、確かに彼女の哀しみとなにかを求めている姿をも見たのです。
 椎名先生が牢に閉じ籠もっている登和さんを外に連れ出そうとしたとき、『ありがとう、先生・・・でも私・・
 ここに残ってせねばならない事があるんです。』と、言った登和さんのあのシーン。
 あそこが私にとっての、そしてこの物語作成のための分岐点となったのです。
 あのシーンの解釈はある意味重要。
 そして私の選択した解釈が、私自身もそれが異説と認める程極端にごく一部の要素を肥大化させたこの
 物語を書かせるに至ったのです。
 あのシーンでの登和さんの気持ちとはどんなものだったのか。
 やり残したこととは、単に佐和さんへの復讐だけを指していったのか。
 私は、それだけじゃ無いと思った。
 あの場所で登和さんは、自分自身に対しての決着をもつけたかったんだと、そう思ったのです。
 椎名先生の申し出。
 あの申し出は、登和さんにはあまりに、あまりに嬉しすぎる申し出だったから、
 だから登和さんは、断るしか無かったんです。
 助けをどんなに求めても、いざ助けが来たとなったら、絶対にそれは受けちゃ行けない。
 それを受けてしまったら、もう登和さんにはなにも自分で変えられるものが無くなってしまうのですから。
 彼女は、救われちゃいけなかったんです。
 登和さんは、どうにもならない永遠の時を受け入れていた。
 受け入れて、そうでない自分の可能性を夢見て生きてもいたのです。
 それが夢であるからこそ、彼女はそれを夢としてしか受け入れるつもりは無かった。
 そして終生を白い壁に囲まれながら生きていく事、それが彼女のやり残した事。
 白い壁という自分の中にうずまくなにものかに決着をつける。
 やり残したのはだから、復讐ではなくてそういう事だった。
 正確に言うと、当人はそのことをわかっていながら認めたがらず、あくまで復讐する事を目的とし、
 そのニセモノの目的を遂行するために彼女は理を尽す。
 そういう構図を思いついたわけです、恥ずかしながら。
 
 うん、まぁね。
 実際そういう風に意識して観ないと、そんなのは大嘘つきにも程があるほどあの映像とは隔たりがあるわ
 けで。
 上でも書いたように、彼女はもっともっと凄みがあるほど自分に対して盲目的であるし、その徹底的に自
 分というものを理詰めで考えないが故に、その凄艶すぎて怖さをまき散らしている振る舞いは、ずっとずっと
 確実に一直線を歩んでいるのだし。
 でもね。
 確かにそうみえるけれど、でもそれってある意味単なる第一印象って奴でもあるわけで。
 どんなに馬鹿面さげてたって賢い思考する人は居るわけだし、どんなに強靱な冷血さを示していたって、
 その中にはもの凄い熱血がうずまいているがゆえの冷血かもしれないわけだし。
 私達はよく外見だけで判断するなっていうけれど、どこまでが「外見」なのかの見極めは案外いい加減な
 ことが多い。
 ってゆーか、そもそも「外見」なんか存在するのかね。
 あの人が自分の事自分でこー言ったからこーなんだ、っていうのもすごくいーかげん。
 その人が「こー」と言ったことを、貴方はほんとに「こー」として受け取れてるのかね?
 わたしゃ、大いに疑問だよ。
 だからして、今回のこの物語が大嘘であるかどうかなんて、実は誰にもわからない。
 少なくとも私は、登和さんという存在を解するときにその事をよく念頭に置いた。
 人魚ってさぁ、そこらへん事よくわかるようになると思うよ。
 というかまぁ、ああいう文章になったってところが今の私の限界つーことになるのかな。
 あの見方が今の私の見方であるし、その見方の紹介を今回しただけ、っていう風にもいえるよね。
 うん、そのあたりで手ぇ打っとこうっと。
 
 って、はぁ、疲れた。
 あきらかに1ページで読む分量にしては面倒な多さの文章になってしまいましたが、
 ここまで読んでくれた人、ほんとにありがとー。
 うん、最後にそれが言いたかったんです。
 ありがとう。
 
 だから。
 燃やしてください、紅い瞳を。紅い瞳に関わるすべてのも(以下削除)
 
 

                            ◆『』内文章、アニメ「人魚の森」より引用◆

 
 
 

 

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