〜2003年12月の過去ログ〜

 

 

 

 ■031231 大晦日としての後書き■
 
 
 

 

 
 
 2003年も終わりという今日この頃。
 なんで大晦日に格闘番組ばっかりやっているのかよくわからないところで御座いますが、
 ボブサップvs曙はみたいな、って思いました。
 曙、死ぬな (死にません)
 
 話変わって。
 羊のうたの感想を書いて皆様にその採点を乞うていたところ、
 なかなか良い評価を頂きました。
 っていうか後書きが良かったそうです。
 つまりは紅い瞳は後書き書きに才能があるような気配ですので、
 やはりここは、今年一年間というどうでもいい本編
 その終わりである大晦日に書くこの日記を後書きとしていこうかな、と思います。
 風雅さん、ナイスアドバイス、ありがとう御座いました。
 いえ、だから、ありがとう御座いました。ほんとに。
 他意はありません ←目を伏せながら
 
 
 ◆◆◆◆
 
 今年はもうサイトを始めて少し経ち、
 なかなかその道の手合いもわかるようになってきた頃合いで、
 ぬるま湯の中にひそむ熱湯的な部分にそう簡単に火傷しなくなった感覚も芽生えて、
 つまりは要するに初心者サイト管理人という訳では無くなったんですね。
 気分的にも色々な意味での技術的な面でも、階級が上がりました。
 日記サイト、なんて生意気にカテゴライズして日記書きを気取って見て、
 とりあえずその事に違和感を覚えずにいられるくらいには、スレたっていう感じ。
 自分のやってる事の意味とか、また自分がなにをしたいのか、とか、
 そういうのはネット上以外では当たり前にできていたけど、
 ネットでは今まではあまりうまくできていなかった。
 ネットって、結構難しいって今も思うんですけどね。
 でもそれにもある程度慣れてきて、自分がしていることにより自覚的な意識が持てるようになって。
 まだまだ対外的には至らない点もありますけれど、
 でも少なくとも自分のしていることには、責任が持てるようになりました。
 だからもう、「初心」者じゃ無いって感じですね。
 そしてその意識は、当然、私が書いてる日記の文章の変革から発生してるのです。
 日記で、自分の書きたいことが書けるようになったから、
 なんとなくネット上における自分の在り方に、一定の位置を与えられるようになったんです。
 それは勿論不安定な位置づけで、そしてさらに色々変化していくけど、
 困ったときに帰ってこられる「居場所」みたいなものが、なんとなくできたんです。
 以前は、その居場所があるって事の感覚が良くわからなくて、
 色々挑戦して冒険もしてみました。
 それは、逆に居場所があるって事が挑戦することや冒険することを疎外する、
 と思っていて、それが嫌でもあったのです。
 でも、今はちょっと違います。
 戻れる場所があるってことで、また造れるものもある、
 そうしなければ出来ないものもある、そう気づいたんですね。
 ま、ごくごく当たり前の事なのですけどね。
 そして、私がやりたいことは、今一番やりたいことはなにかを見つめてみたとき、
 そういう一定の場所に留まって何かを積み上げて作る、って事にあったんです。
 気づくの遅。
 
 そういうのろのろした歩みで、のんびり色々考えてたら、色々書けるようになってきました。
 というよりは、その始めに於いては、まだまだ暗中模索でしたけどね。
 で、そういうときに出会ったのが、あれなのです。
 あれです。冬目景の漫画「羊のうた」です。
 あれは3月の頃でしたね。
 相当の衝撃を受けたのを覚えています、それはもう。
 それはもう、現役そのままの衝撃感で、今も引き続き残っているんですけどね、私の中に。
 その衝撃感っていうのがどういうものか、羊のうたを読んだ瞬間にすべて理解して、
 そしてその次の瞬間にすべて忘れてしまった。
 そういうのって多いですよね。
 読んで受けた感動を、いざ言葉に代えて書いてみようとするとうまく表せない事って。
 羊のうたは、その感動という衝撃を言葉に代えていくという試練を貸してくれました。
 それはとても魅力的で、とてもやりがいのある試練でした。
 あんなに凄いと思った作品を、自分の言葉で表現できるようになれば、
 どんなにいいか、と。
 そして、私は一旦羊のうたの記憶を、私の中の中心から外しました。
 それは、羊のうたを、より多くの物事を通して表現したかったから、
 そしてその様々なの表現の中から選りすぐった表現をもって表わしたいから、
 だから羊のうた以外の様々の事を中心に据えて見てみた訳です。
 もちろん、それは結果論ですけどね。
 羊のうたのためにそうしたっていうと、嘘になるんですけどね。
 他の冬目景の作品だとか、テクノライズだとか、灰羽連盟だとか、その他のアニメだとか、
 坂口安吾だとか、太宰治だとか、岩井志麻子だとか、その他の作家の小説だとか、
 そういうのをそれとして愉しみ、そしてそれについて考えていただけです。
 いろんな事を書いて、色んな考えをしてみました。
 
 で、そういった中でひとつの「視点」を与えて物事を捉えていく一定のやり方が発生してきた訳です。
 あれです。あのいわゆる「他者」論ですね。
 確か、明確にその論を持ち出したのは、10月に書いた灰羽他者内在論、
 という日記だったかと思います。
 他者という言葉を使って表わした私のいくつかの日記は、
 それまで私が見てきたアニメや漫画、小説の中から私が受け取った見方、
 それに法則性を付与して組上げて書いてきた、連続性を持った文章です。
 ですから、10月以降の感想的日記は大体一貫した感覚で書かれています。
 で、実はその連続した感覚の端緒は、
 8月に書いたるろうに剣心星霜編の感想にあったりします。
 あそこで、はじめてひとつの「概念」というか感覚でモノを書くことを始めたんです。
 思想内容自体も、あの文章では「孤独」というものについて書きましたが、
 私の他者論はこの孤独という概念と密接不可分なんですね。
 孤独を感じて、初めて他者を感じる、というかなんというか。
 ま、そんなしゃちほこばったものじゃないですけどね。
 ただ叫んでいただだけのような気もします。
 で、まぁそれからはあれよあれよと言う間に論が構築されていって、
 でもその割には同じ事ばっかり言っていたりするへたれっぷりだったりもして、
 はしゃいだりがっかりしながら、基本的にまったりしながら日記を書き続けた。
 
 そうしたら、あら不思議。
 今まで自分が書いた、この他者という「言葉」で綴られた日記は、
 なんということか、羊のうたを読んで得た衝撃感にぴったりと当てはまったのです。
 正確に言うと、衝撃の一部、ということですけどね。
 ああ、これだ。この「言葉」を使って羊のうたの感想を書けばいいんだって、
 嬉しくも恥ずかしくも思ったのです。
 そうして、書いた訳です。題して、「恐れ 高城一砂・千砂編」を。
 たぶんこれは、こういった論の積み重ねが無かったらば書けなかった文章です。
 いえ、たぶんそう思います。
 そして、この文章はまだまだこれからも発展できる余地を残しています。
 積み重ねでなかったらば、たぶんそれっきりでしたでしょう。
 現に、羊のうたを読んだ直後に書いた感想は、あれ以上は無いです。
 もちろん、それはそれで大変によろしいのですよ?
 うん、あのときもかなり気合い入ってましたからね。
 でも、あれでは次が続かないのです。
 私は、羊のうたは終わらせたく無いんです、まだまだ。
 まだまだ、行かせるんです、言葉で飾り立ててね。
 今年、というものをなにかひとつの流れとして言い表わすとしたらだから、
 羊のうたから始まって、羊のうたで終わった、という感じです。
 そして、また、その終わりは同時に始まりでもある訳ですね。
 来年はまた、他者論を礎としつつ新しい「感覚」が自分の中から造り出される事、
 それを願いたいと思っています。
 
 よーするに、来年もまた紅い瞳と魔術師の工房をよろしくっつーことです。
 
 皆さん、良いお年を。
 
 
 
 
 
 
 
 
 と、強引にまとめきった2003年でした。
 
 
 
 
 
 

 

 

 ■031227 恐れ 〜高城千砂編〜■
 
 
 

 

 
 
 高城千砂は、醒めている。
 醒めて冷たい肌を晒しながら、ふつふつと途切れた熱情を内に横たわらせている。
 ただ遠くを見つめて、その冷たい手で、一砂を撫でている。
 ああ・・・・お父さん・・・。
 一砂が子供にしか見えない。
 お父さんの子供。
 そして私の弟。
 ああ・・・・お父さん・・。
 千砂は最初からすべてわかっていて、だから充分過ぎる程大人だ。
 一砂の存在を厳しく優しく受け止めても、
 一砂の肌のぬくもりに愛する父の幻影を巧みにかぶせ、独り愉しんでいる。
 その愉しみには同時に、一砂への冒涜が加味され、さらに旨みをましていく。
 指先で一砂を操りながら、艶然と独りの夜を一砂でもって遊んでいく。
 千砂の「他人」は、父親だけ。
 一砂は、他人味のする美味しい小料理。
 千砂が「他人」に向けるは、絶対の憎悪と愛。
 離れる事ができない父親に、離れられない愛をからませる。
 千砂は、誰よりも道徳的。
 道徳的であることができない状態を心から憎み、そして絶対に道徳的であることを目指した。
 だが、高城の血がそうはさせない。
 だから、人の血を吸ってしか生きられないなら、死んだ方がまし。
 吸血鬼の私なんて、殺してやるわ。
 千砂の父親が、その千砂の命を救った。
 だがその救いは、その命とともに千砂の忌わしい吸血鬼をも救ってしまった。
 自分に死ぬ事を課した千砂は、父親に生きて良い証を与えられたゆえに父を愛する。
 そして、父が吸血鬼をも許したことで、父を殺したいほど憎んでもいる。
 自分を愛してくれる父の肌のぬくもりを懸命に抱きしめながら、
 同時に、忌わしい吸血鬼に餌を与え生き永らえさせる父を、醒めた視線で見ていた千砂。
 父の血を吸いながら感じる、屈辱まみれの愛。
 父無しでは生きていけない千砂。
 とてつもなく寂しい魂を背負う父を哀れみ、そのような父と自分との同化を願い、
 その愛が彼女の心を父に惹きつけ、父の血無くしては生かすことができないこの体。
 そしてその父は、死んだ。
 どうして、あのとき一緒に死んでくれなかったの・・・。
 お父さんが居なかったら、私、誰を愛して誰を憎めばいいの・・?
 千砂を抱きしめてくれる父は死んだが、吸血鬼を生きさせる父も死んだ。
 悲しいはずなのに嬉しくもあり、だから独りでも生きていこうと思っていた。
 残り少ない命だけれど、でも、人として生きていける。
 なのに・・・・。
 其処に、一砂が居た。
 父によく似た、「他人」が其処に居た。
 
 一砂を軽くあしらいながら、懸命に一砂にすがりつく千砂。
 一砂に見る父へのありったけの想いを無言の視線に代えて、一砂にからませる劣情。
 父から離れる事ができない、すなわち不道徳・非人間的な自分からも逃げることができない。
 そして、また其処に「他人」が居る。
 愛し憎んだ唯一の存在、そして世界をも完全に失った代わりにいびつな人間性を手に入れたのに、
 そんないやらしい千砂を地獄の底から罰しにきたかのような、父の再来。 
 千砂の顔に怯えが、そして悦びの光が満ちていく。
 そして、父を失って得た、道徳美に満ちた千砂の意志は攻撃を開始する。
 自らの肉体へ、忌わしき高城の血への掃討を残虐に開始する。
 父への愛の復活をなんとしても食い止めて、
 その間に我が身に巣くう吸血鬼を完全に殺さなくては。
 「わたし達は、羊の群に潜む狼なんかじゃない。
  牙を持って生まれてきた羊なのよ。」    〜コミックス羊のうた第七巻87ページより引用〜
 体を蝕み吸血鬼を殺す薬を飲み続け、尊厳ある死へと向かう千砂。
 そしてまた、その道徳的な死への道順が父への欲望を不可避的に呼び覚ます。
 父を憎む心が父を愛する心を増長させたように、それは敢然と千砂に向かってきていた。
 だからさらに、父を憎み父から離れたいと願い、そして父をこの上なくも愛し父から離れられない。
 
 千砂の世界に、「他人」は、実は居ない。
 千砂から決して離れていかない父は、例えようもなく千砂と同体だった。
 変わることのない果てしない父への愛情が、世界の中で千砂と父の同化を成し、
 世界の中にそれ以外の無いという意味に於いて、千砂は孤独だった。
 父は千砂で、千砂からいつまでも離れていかない故に、父は千砂にとっての他人にはなれなかった。
 千砂を孤独にしてしまった罪悪感により死を選んだのが、父。
 病に冒された哀れな千砂のすべてになってやろうとした父は、千砂にもなってしまっていた。
 千砂からすべてを奪い、そして千砂自身をも奪っていってしまった父の絶望の影が、あの家に舞い降りる。
 千砂は、そのことに気づいてはいない。
 気づくはずもない。
 父が、千砂のすべてだったのだから。
 それが、千砂にとっての世界だったのだから。
 他人無き世界の絶対の孤独が、彼女の居場所だった。
 それが、千砂のはじまりだった。
 
 父は死に、代わりに一砂がそこに居た。
 一砂もまた、父となり、千砂となりて、千砂に世界を与え千砂から世界を奪ってゆくのか。
 父を失い、共に見るべき世界の無くなった千砂は、だが、変わった。
 憎むべき高城の血を巡って、一砂と新しい関係を結ぶ。
 それは父としての一砂ではない、一砂としての一砂との関係。
 そしてそこに、千砂は初めての「他人」を実は見始めていた。
 一砂と、ひとつになっちゃいけないんだ・・。
 一砂の頭上で嗤う父の幻影を、懸命にはねのけようとする千砂。
 愛し憎んだ父は千砂を置いて死んで、だから千砂は父の内包されていない自分で世界を見た。
 そこに父の居ない世界が、改めて千砂に向けて迫ってきていた。
 憎むべきは、高城の血。
 愛すべきは、「弟」である一砂。
 そして忘れるべきは、他者無き世界という名の父。
 しっくりときめ細やかに構築したこの構図を維持するために、千砂は一砂を弄ぶ。
 それはもう恐ろしいほどまでに、まっしろな瞳を極限まで細めて、一砂にすがりつく。
 
 だが。
 千砂は恐れている。
 父の死が、自分に他人を与えたことを。
 そして、自分の中にとてつもない他人との同化願望が息づいている事を。
 私を、独りにしないで・・・。
 その恐怖に怯えながらも、千砂は必死に叫ぶ。
 もう、私とひとつにならないで・・・。
 一砂に抱かれるたびに孤独を感じ、一砂が離れていくたびに孤独を忘れ安堵を覚える。
 一砂が「弟」という、千砂の「父」とは違う絶対の他人であり続ければ、
 自分以外の人が其処に居るという意味で、孤独感を回避できる。
 自分とひとつにならなければ、自分と自分の世界をもう奪われる事もない。
 千砂は、父が死んでようやくその事に気づいたのだ。
 そして、そうやって再会した唯一の血縁者であるこの弟と距離を取ることで、
 初めて千砂はこの世界に居ることを実感できる。
 改めて、自分に流れるその忌わしき、そして自らの体ごと滅ぼすべき高城の血と向き合える。
 もう誰も、私のこの血を甘やかす人なんていないんだから・・・。
 見え隠れする父との同化願望が孤独を招くことを強く認識し、
 千砂は懸命に、手に入れた「弟」という他人を護っていく。
 その瞳に、己の血に対する憎悪の炎を立ち昇らせながら。
 
 だがしかし。
 
 あまりにも、あまりにも一砂は可愛かった。
 どうしようもなく、自分から「離して」おくことはできなかった。
 どうしても一砂を弟として見なければいけないのに、どうしても愛してしまう。
 幼いときは弟と言う実感は無くて、今ははっきりと「弟」として意識している。
 そして、充分に意識し実感しながら、そしてさらにそれを越えて愛してしまった。
 一砂の頭上で嗤う父を、また愛してしまった。
 一砂は、お父さんの代わりに俺を見ろというけれど、それは違うの。
 それも結局一砂というお父さんの分身を見てるのと同じ事なのよ、一砂。
 一砂から離れないで同化してしまえば、そこに他人である一砂は居なくなり、
 また千砂の外には誰も居ない孤独の夜が広がっていってしまう。
 私が夜空の月に見ていたのは、誰かとひとつになることで感じる孤独だったのよ。
 そして、千砂はその嫌悪すべき孤独を求める事をやめられない。
 誰かを抱きしめ誰かに抱きしめられる事で感じる孤独があっても、
 絶対に誰かを抱きしめて、誰かに抱きしめられてひとつになりたい。
 その想いは、千砂に流れる高城の血のひとすじとして厳然とそのうちに流れている。
 高城の、忌わしき血。
 他人の血を求めて他人と同化し、そして他人と自らの世界を失っていく、死に至る病。
 だから、人の血を吸って生きる吸血鬼の自分なんて許さない。
 だから、一砂を求めて一砂とひとつになって自分と世界を失う孤独なんて許さない。
 千砂は、誰よりも、道徳的だ。
 そして。
 だから、だからこそその道徳に浸る毅然とした仕草の内に、
 その最も冷たい肌のうちに、決して消えない一砂を求める激しい熱情が渦巻いている。
 
 『一砂・・・私が・・・怖い?』
 
 強靱に否定し、決して許すことの無いその自らの欲望を、
 必死に隠しながらも、それでいてその欲望を達成しようと冷静に画策している千砂が居る。
 その自らの画策を恐れる千砂がいる。
 私は独りになりたくて、独りになりたくない。
 一砂から離れたくて、一砂から離れたくない。
 『もう・・・私を、ひとりにしないで。』
 あなたの発作を鎮める名目で私の血を吸わせて、あなたとひとつになりたい。
 あなたに流れる高城の血を呼び覚まして、そして私の血を求めて頂戴。
 『私の事、少しでも好きなら・・・飲んで。』
 一砂に血を与えて一砂と同化して一砂を失ってまた独りになっても、
 それでも、私は、もう、誰かとひとつでないと嫌なのよ。
 私は一砂を他人と認めながら、血を吸わせようとしている。
 私の血を、吸いなさい。
 私は独りだけど、私をひとりにしないで頂戴。
 『一砂・・・ずっと私の側に居て・・・。』
 ああ・・・
 私・・お父さんと同じ事してる・・。
 私とお父さんはやっぱりひとつなのね・・・。
 あの頃の生活に戻りたくて仕方が無いのだわ。
 断ち切れない父と娘の関係。
 姉と弟にそれは再び刻まれた。
 千砂は父。父もまた千砂。
 千砂の世界は激しく燃え上がり、そしてその姿を徐々に失っていく。
 そして一砂は・・・・。
 
 一砂・・・・・私とひとつとなって、また私から世界を奪っていって頂戴。
 私も、あなたの世界を奪ってあげるから。
 でも、それでも・・・・。
 
 
 
 ◆◆◆◆
 
 はい、と言うわけで書いてみましたけれど、如何で御座いましたでしょうか。
 と、いいつつもここでは特に詳しい解説は致しません。
 なんかね、書いてるうちに訳わかんなくなっちゃってきたから。
 なんかこう・・・的確な言葉が見つからないまま、
 あり合わせの言葉紡いでいたら、なんだか押しが弱いような、そんな感じに。
 まぁでも言いたいことの本筋は書き表せていたので、及第点はあげるとしよう。
 なーんて小細工な自己採点はつまらないのでほったらかしにしておきましょう。
 採点は皆様におまかせ。
 で、私はやっぱりアニメ版の千砂の表情が凄いって言い張りたい訳でして。
 あ、うん、内容の話は上で終わりってことで。
 で、やっぱりあの顔はいいなぁって。
 あれはアニメならではだよなぁって。
 冷たくて白い人形のような、言ってみれば幻想感に満ちた肌の質感。
 それがあるがゆえに、その内側に葛藤の凄まじさがあるという予感がひしひしと迫ってくるんですよねー。
 笑顔すらも冷血的で、体温をまったく感じさせないあの表情は恐ろしいですよ。
 そして、哀しみが、溢れてました。
 やっぱり、千砂の表情はそれですよ。
 そして、アニメ版はそこをとても良く表現できてると思います。
 
 合格。
 
 うん。
 私は、アニメ版羊のうたが、大好き、です。
 ていうか、千砂ふぉーえばー。
 勿論、漫画版もそれはそれで。
 といってもオンリーワンじゃなくて漫画ナンバーワン。
 漫画版もね、いずれきっちりと語りたいものですけれどね。
 あの例の羊のうた最高のセリフであると私が目する、
 「わたし達は、羊の群に潜む狼なんかじゃない。 牙を持って生まれてきた羊なのよ。」
 ってのはやっぱりまだまだ難しいから。
 難しくて、そしてこの言葉の解釈如何で全然違う感想書けちゃうから。
 漫画版、すんごいんだから。
 ていうか、あんっまり今回の感想、アニメ・漫画の違い無く書いたような・・・。
 
 ならばそれで良し。
 
 
 
 もうすこし、がんばりましょう。
 
 

                            ◆『』内文章、OVA「羊のうた」 第三巻より引用◆

 
 
 
 
 

 

 

 ■031225 恐れ 〜高城一砂編〜■
 
 
 

 

 
 
 少し、色々と書いてみようと思う。
 
 
 
 高城一砂は、優しい。
 優しい、ということはとてもとても周囲の存在を気遣う存在。
 そして、その気遣いのうちに自分の存在を噛みしめることができる要素を持ち得ている。
 他人に優しくできないなら、生きている意味がない。
 他人を苦しめてしまうのなら、死んでしまいたい。
 それはとても強い想いで、そしてまたとてつもない恐怖として、
 一砂にひしひしと迫ってくるもの。
 逃げることは叶わず、無防備のままそれを受けてしまうのが一砂。
 大概の場合、ヒトは自らがなにかに圧迫されていると感じると、防御しようとする。
 優しい人でも、他人を想うことが自分がしたいことなんだ、と言って自己正当化を図ったりするもの。
 人様に優しくしてあげるという優越感に酔いしれて、
 目の前に迫る恐怖から逃れ、またはうまく見ないでいることができる。
 しかし、一砂は逃げない。逃げられないまま、迫ってくるものを凝視してしまう。
 身を引き裂かれんばかりの痛みが、一砂を襲う。
 しかし一砂にとってはそれはごく当たり前の痛みである。
 というより、凄まじい痛みを受け続けるのが、彼にとって当然の事。
 恐れに満ちた痛みから逃げることは、それは一砂がここに居る存在理由を逃すことと同義。
 そんな事は絶対に出来ないゆえに、だから一砂に限界も無い。
 痛みの限界が無いのだ。
 一砂はすべて受け入れ、そしてその痛みが一砂を形成する。
 壊れそうで弱々しくて、でもそれでいて絶対に壊れない柔軟な強靱さを一砂は持っている。
 おばさん達にこれ以上迷惑をかけるのは、許せない。
 血の繋がりが無いから、だからもうこれ以上は・・・。
 これは、俺たち姉弟の問題なんだ。
 この先どうなるかわからないけれど、でも、どうしようもないんだ。
 
 他人に迷惑をかける事を選ばない一砂。
 その選択自体が、逆に他人を傷つける事になるとしても。
 自らが育ての親から離れていく理由を、血の繋がりの無さに見つける。
 血が繋がっていないから、高城の忌まわしい血が繋がっていないから、
 だからおじさんとおばさんには、迷惑かけないでいい理由があるんだ。
 育ての親が一砂に迷惑をかけられる事を一砂に求めているとわかっていても、
 その理由がある限り、一砂は住み慣れた「家」から出る一歩を強く踏み出せる。
 さようなら、おじさん、おばさん。
 そして、大嘘つきがここに一人居る訳だ。
 血の繋がりってなんなのだろう、か。
 一砂が育ての親から離れていく理由は、血の繋がりが無いからじゃない。
 一砂は、他人から離れたくて離れたくてしかた無かった、それが一砂が隠した最大の「逃亡」の理由だ。
 一砂は、本当は逃げ出していた。
 あの家から、あの二人から逃げ出していた。
 誰かに迷惑をかけなければいけない状況から、逃亡したのだ。
 ずっと「他人」に迷惑をかけたくないと願っていきながら、迷惑をかけ続けた今までの人生から、逃げた。
 他人を思い遣るあまりに、他人から逃げた。
 育ての親だろうが、実の親だろうが、それは関係がない。
 一砂が逃げ出した相手は、自分の外に広がるすべての「他人」。
 一砂の逃亡は、瞬間的な衝動によるものではない。
 長い間を経て培われた、世界に対する罪悪感がそれを為さしめた。
 自分が此処に居て、此処に居ない感覚。
 一砂は、他人をずっと傷つけてきたゆえに、自らの存在を希薄に感じていた。
 その存在の希薄さを明確に感じて生きているほど、一砂は大人ではなかった。
 ただそれは漠然としていた。だが、必ず其処にあった希薄感の堆積。
 その薄い人生の頂点に降り立ったのが、千砂。
 千砂が、妖しく微笑んでいる。
 だから逃げた。
 そして。
 逃げ延びた先で、一砂のもっとも恐れているものが明らかとなる。
 一砂にとって最大の脅威は、千砂だった。
 一砂には、もうわかっている。
 血の繋がりがあるから、姉だから、千砂には甘えていいのだ、と自分が図らずも思い始めていたことを。
 血の繋がりが無い育ての親から逃げ出していいという理屈は、
 血の繋がりのある千砂からは逃げなくてもいい、という理屈を導き出す。
 もう逃げなくてもいい快楽に溺れ、迷惑をかけてもいい「他人」を得て明確に踊り出す自我。
 かつてない悦びが忍びより、そして、深々とその胸に刃が突き立てられた。
 千砂は千砂で、千砂は俺じゃない。
 血の繋がりがあろうとも、千砂は一砂の外側に広がる「他者」。
 姉だから傷つける事を許される、なんて、なんて馬鹿な事を!
 一砂は愕然とする。
 自らがもっとも戒めるところの事を、悦び勇んでしてしまったのだ。
 一砂に再び去来する他人への恐れ。
 千砂に抱かれたって、俺は・・・俺は・・。
 千砂の血を受け入れるだなんて絶対に・・・できない。
 
 気丈な千砂に、脆さを見つける。
 一砂の目の前に現れた、千砂のもうひとつの姿が、一砂を揺さぶり起こす。
 この人を、ひとりになんてできない・・・。
 千砂を拒絶する憎悪に、千砂を受け入れ千砂に受け入れられたいと願う愛が流れ込む。
 千砂を見つめる一砂の瞳に、今まで見えなかったものが見える。
 此処に、「他人」がいる。
 怖い怖い、俺が傷つけてしまうかもしれない他人が居る。
 でも、俺はこの人を傷つけるより、この人から離れていく方が怖い。
 何層倍も怖い恐れが、一砂を襲う。
 千砂、千砂、俺はここに居るよ!
 一砂の内に、千砂が宿る。
 千砂を激しく愛する一砂。
 俺を必要としてくれる人じゃない、俺が必要としている人。
 俺は此処にいるから、俺を千砂が必要としてくれる人にしてくれよ。
 俺を必要としてくれる千砂が、俺には必要だったんだ。
 俺はそういう千砂が欲しい。
 だから、夜空の月を見上げて生き続けるのはやめてくれ。
 父さんは・・もう・・。
 お願いだ、千砂。
 俺が父さんの代わりじゃ駄目か?
 
 千砂は、それでも一砂の向う側で笑っている。
 
 
 
 ◆◆◆◆
 
 羊のうたDVD第三巻を見ました。
 だからこうして書いた訳です、嫌々。
 いやだって奥さん。
 紅い瞳いうたら、羊のうた凄い言う割には全然感想書いてないバカですよ?
 今回はなんだか知らないうちに一気にこんな感想描き上げちゃったアホですよ?
 羊のうたの凄さが自分の中で凄まじすぎて整理がついてないから、
 だからついてからじっくり書こうとか思ってたのにこんなんやらかしちゃったへたれですよ?
 
 遅くなった、私からのクリスマスプレゼントだと思ってください (血涙)
 
 うん、まぁ、そういうことです。
 私にとって羊のうたのこのDVDは神様からの贈り物みたく面白かったんでお裾分けていうか厄介払い
 って感じですね。
 よくわかりませんけれども。
 ま、まだちょっと一度に書けなかったので残りは明日にもまた書きます。
 一応今回のは一砂メインでしたので、明日は千砂メインの千砂編ということで。
 たぶん今日より量は多くなるかなー。
 あ、それと。
 言い訳がましくはっきり言い訳しておきますけど(ぇ)、
 今回のこの感想は、あくまでひとつの視点を設定して物語を語った文章です。
 当然、これ以外の見方もありますし、勿論まだまだ私の中にもこれ以外の視点はたくさんあります。
 と、なんだか喧嘩に負けた小学生の捨て台詞みたいになりましたけれど、
 たぶんまだ明日も同じよな言い訳すると思うので、今夜はこの辺にて。
 
 だってさー、見栄張っとかないと損だしー
 
 
 
 
 

 

 

 ■031223 『約束の明日(後編)』■
 
 
 

 

 
 
 今夜はしこたま飲んできてしまいましたので、滅茶苦茶です。
 前後不覚、とまではいきませんけれども(紅い瞳は酔い潰れたりはしない性質ですと言ってみる)、
 少なくとも後顧の憂いは綺麗に見えなくなっている状態ですので、
 ひたすら前進してみようかと思っている次第で御座います。
 
 あははは(笑い上戸)
 
 で。
 人魚の森ですか。そうですか。
 最終話ですか。
 
 真魚さん可愛いですね。
 
 うん、なんだかそう思いましただって可愛いじゃんかなり色んな意味で。
 で、結構自分勝手だけど結局はなんか目の前のひとの元に帰って来ちゃう涌太さんもカッコイイ。
 てかだから自分勝手なのだろうけれども、その自分勝手さの被害を被るであろう真魚さんは、
 そもそも焼き餅を焼く、という概念を持っていないゆえにその被害者たらず、
 結果涌太さんの格好良さが引き立ち、真魚さんの「純粋さ」が引き立つわけで。
 くはー、だから真魚さん可愛いなーなんて言ったりしてみたりもするわけだけれども、
 実際確かに真魚さんて面白いと思うのですよね。
 純粋、なんて言葉で括っちゃうと違うのかもしれないのですけれど、
 なんていうかな、よくわからないんですけど、可愛いんです。
 可愛いったら、可愛いの!
 
 あははは(笑上戸)
 
 うんだからね。
 笑ったり怒ったりしながらも、するべき事をその場面において的確にしているというか。
 どこか感情に無駄が無い、と言ったらへんかもしれないですけれど、全部ぴったりきてるんですよ。
 それはもう、矛盾とかそういうのも全部含めて、ああわかるわかる、と言う感じですね。
 わかりやすいって言っちゃわかりやすいですけれど、
 でも見てる側が簡単に真魚を類型化できるかっていうとそれは逆にそうでなくて、
 全然わけわからないマトモさを持っているような気がするんですよね。
 だってさ、そもそも人間を類型化したりカテゴライズしたりするのっておかしいもんね。
 そういうのをして平気でいられるのって冗談言ってるときだけだし、
 それでそういう意味で真魚さんはいつもマジメで、だから訳わからない素直さがあるのだし。
 あの青空から射してくる日の光を背に受けてる真魚さんは、綺麗だったなぁ。
 苗さんのあとにしっとりと付き従いながらも、
 追っ手がかかったのを見てすぐ追い越し反撃・撃退し、
 人混みに紛れて効果的に追っ手をまいて、
 涌太に会いたいって苗が言ってるから会わせてやるさ、とぶつぶつ考えながら、
 大の大人の男と一戦交える苛烈さ(ユーモアかも ぇ)を披露しつつ、
 でも涌太がいざ来ると「涌太っ」と言って抱きつける強靱さ。
 ね? これ、可愛いでしょう。
 ぼけらったとしてる顔から一転、凛々しい真魚さんにバージョンアップしつつも、
 でも結局は独りが嫌で涌太の元に帰って来ちゃう。
 そういう意味で、それでものほほんとして、しかも真魚に焼き餅焼いてるのか、
 なんていう涌太さんは自分勝手傲岸不遜も甚だしい男ですが、
 でも真魚さんからすればそんなの関係無く涌太さんは涌太さんなんですよねぇ。
 真魚さん、すっごい正直なんです。
 涌太さんが傲岸不遜な男とカテゴライズされようとも、
 真魚さんにとっては大好きな涌太さんにはなんらかわりの無い事で、
 逆に言えばそういう要素も愛すべき事柄として、
 真魚さんの涌太さん趣味(?)に組み込まれていくのです。
 なんだ、涌太もこんな可愛いところあったんだな、って感じで。
 もっとも、あの場面で可愛がられてたのは真魚さんの方でしたが。
 まぁ、いずれ真魚さんもそういう風になっていくに違いない。そうに違いない。
 
 で。
 そういう感じで、それは以前「なりそこない」になりそこねた大眼(第六話『夢の終わり』)、
 それに接したときの真魚さんと同じなんです。
 相手の見た目がどうであろうと、自分と意志の疎通ができるならそれでいいや、って感じで。
 今回のお話でも、涌太に会いたい会いたい言ってふらふらしてるヘンな女(注:苗さん)に、
 なんだか妙に親切待遇を施したりしてたり。
 自分の大好きな涌太に会いたいなんて言うこの女に、最初むかっ腹を立ててもいたけど、
 でもそんなことはちょいと脇に置いておいて、ただ素直にこの困ってる女を助けてあげる。
 そして助けてあげているうちに、この女の哀れさにもそして直面してるその不条理さにも気づいて、
 涌太の事などどこ吹く風でしっかりと自分の声で世界を弾劾していく真魚さん。
 思わずカッコええ! と快哉を叫んでしまいましたよ、もう。
 真魚さんにしてみれば、あそこではもう純粋にあの女の味方で、
 間違ってることにどんな肩入れもせずに純粋にNOと言える感覚、あれは凄いです。
 あの女を援護することすなわち涌太があの女とどこかに消えていってしまう手助けをしている、
 勿論その事もわかっていたのでしょうけれど、そんな事は知ったことか!と叫んだかのようにポイ捨てして、
 ひたすら目の前の事に対して叫んでいくって、これはもう真魚さんイズム爆発です。
 で、たまたま運良く涌太が売れ残りで余ったもんだから抱きつくと。
 真魚さん、あなた格好いいです。
 あなた正直者です。ビバ、衝動派!
 一番大事なことすら忘れて、目先の事に全力投球できちゃうマジメさ。
 でも、逆に言えば真魚さんにとってはそうすると目先の事が一番大事なコト、とも言えるのですよね。
 ああ、そうか、そういう風にも言えますよね。
 なんだ、涌太とどっちもどっちか。
 真魚さんそっちのけで苗さんと抱き合ってた涌太さん、繰り上がり当選で面目躍如。
 
 でもそれは違うねと。
 違いますよねと。
 ふたりとも、お互いを完璧に信じ合ってるからこそ浮気できるんですよ。
 お互いがどうなろうと、絶対に互いの関係が断ち切られることは無いって、
 そう互いに確信してるから、だから好き勝手できてるんですよね。
 そこに一切の猜疑心の無い関係ですよ。
 どちらかが嘘つこうとも嘘になりえない関係ですね。
 ああ、それも涌太、真魚なんだって感じですべてが許容されてしまうんです。
 人魚の森って、たぶんそういう物語なのじゃないかな、って思うんです。
 あ、いきなり話飛躍しますけど、話を早く終わりにしたいので我慢してください。
 色んな人間が居て、その人達と色々な付き合い方をしていって、
 そしてそれが許される。
 主人公の涌太と真魚が自由自在に、そして永遠に生きながら世界を回り続けることで、
 多くの者達がその存在を許されていく。
 それは同時に、その存在が許されて良いのか、という論議を改めて再燃させた上での許容であって、
 だからこそ涌太と真魚はいつも許されざる者に鉄槌を下し、そして許される者の死を見守っているんです。
 ですから、基本的に誰も二人には救われなく、そしてだからこそ二人が「神」では無く「人間」である、
 ということがまざまざと浮き彫りにされていくんですね。
 永遠に生きていようとも人間だから、だから自分達が関わるコトでそれがひとつの現実になっていく。
 自分達の存在が現実に影響を与え、傍観していることなどできない、ということも示しているんです。
 で、そしてその傍観無き世界は美しくも恐ろしい世界であって、
 だからそれを見ている私達は、色々なことをそこから学べるんです。
 私達は人魚の森を見ていることで、この現実の世界を傍観できるのです。
 そして、傍観っていうのは絶対的に遅れているんです。
 目の前に今そこにあるものをこの瞬間に感じるコトができないんです。
 なにしろ、私達はそれを見ているだけで、今まさにそれを経験している訳では無いのですから。
 だからこそ、色んなコトを考えられるのですけれどもね、その現実との「距離」があるから。
 涌太と真魚はですから、自分達がどういう存在であるかを本質的に考えることはできないんです。
 自分達が永遠である、ということがどういうことであるかを、理解できないんです。
 なぜなら、彼らが既に彼らであり、彼らが永遠であるから。
 わかりますかーね? なに言ってるか。
 わからなかったら、お酒一杯ひっかけてきてください。
 
 で。
 最終話のあのなんだかヘタレな終わりっぷりというのが、そこに繋がってくるのじゃないかなー、
 なんてこじつけてみたり。
 結局自分達の存在についても、永遠の命のコトについてもなにも語ることなく終わってしまったアレは、
 要するにそんなことは今までの俺達の物語を見てお前らで考えやがれ俺らはそんな事知らん! と、
 突っぱねられたのが最終話だったのだと愚考致します。
 ふうむ、そう来ますか、涌太さんに真魚さん。
 でも確かにそんな感じでしたしね。
 わざわざ今更自分達の人生はこういう意味だった、って説明口調でふたりに言われても、
 逆に違和感ありありだったでしょうしね。
 ふたりとも首落とされて死人に口無しなんてエンドは更にあり得ないですし。
 やっぱりあのくらいが妥当だったんじゃないかなー、って、私思います。
 
 え? 
 じゃあ肝心のお前が考えた人魚の森の意味はなんだったんだ、ですって?
 今までの日記を読めばわかります。
 私の感想もまた、私には語れないのダ!
 
 
 
 以上、酔いのせいにして人魚の森の感想を無理にまとめました。
 人魚の森万歳、って言わなくともあの二人は絶対万年も達者ですので、いちいち言いません。
 私の方は、この最後の人魚の感想を書いた事を万年後悔することでしょうが、
 それもまた良しと高を括って怯えるのもまた楽しからずや、という感じ。
 もう、どうにでもなれ。
 
 はぁ。
 まだ涌太さん・真魚さんコンビと別れたくなかったのぅ (本音)
 
 

                            ◆『』内文章、アニメ「人魚の森」より引用◆

 
 
 
 

 

 

 ■031221 或る灰羽の物語■
 
 
 

 

 
 
 冷たい部屋に温もりを求めて、其処にうずくまる。
 石畳に伏し、抜け出していく冷たい体温を抱きしめて、饒舌に独り言をその部屋に響かせる。
 然れども、其の身を震わせずにはいられない寒さに怯え、その言葉さえも抱きしめる。
 もう、なにも無くならないで。
 もう、私から離れていかないで。
 せめて私のこのカラダだけは、私に頂戴。
 少女の部屋はその望みを叶え、牢獄と化した。
 少女を護り、そして少女を逃さない淫靡な鉄壁。
 壁に吐き付けられた夢の慟哭が踊り狂い、少女は其処で独りうずくまる。
 なにものからも目を逸らすことは出来ないはずなのに、少女は壁だけを見つめている。
 見つめるために、この部屋に還ってくる。
 黒い羽の心性に賭けて、少女は必ず還ってくる。
 なにもかもを見失っても、この壁だけは無くならない。
 少女はその牢獄の中で夢を見る。
 壁の外に鉄槌を。
 そして、壁の内に消滅を。
 少女はただ、優しく破滅を唱えている。
 
 優しい少女が居る。
 冷酷で蠱惑に満ちた部屋の扉を閉じて、良き存在でいれば救われる、
 そう信じている優しい少女が居る。
 長い時をその信仰に浸して、おそるおそる生まれてきたこの街を覗いていた。
 薄暗い瞳を傾けて、一生懸命覗いたその街は、少女が信じていたより冷たかった。
 ずっと、ずっと、冷たかった。
 見守ってくれるたったひと組の瞳さえも無い世界に突き落とされ、大事なカラダに消えない傷を刻まれて、
 それでもただただなにかを信じて生きていこうとした少女は、簡単に裏切られ否定されかけた。
 絶対的で、そして誰もが疑いもしない世界の洗礼をその身に撃ち込まれ、
 少女はようやくそれが絶望であることを悟った。
 ああ、そうか、私はここに居てはいけないんだ。
 ああ、そうか、私は誰からも祝福されていないんだ。
 美しい黒を刻んだ羽を、誰もが勝手にむしりとっていく。
 驚き悲鳴を上げても、少女のカラダは虐待された。
 それでも黒い羽の少女は生き抜いた。
 笑って、微笑みながら、誰よりも自らが優しい存在であることを糧に、生きた。
 自分がどんなに憎まれようとも、蔑まれようとも、
 私はこうして生きている限り、絶対に救われる。
 少女のその意志は何者にも負けず、そしてそのカラダは牢獄に護られる。
 見つけたその小さな喜びを嗤いながらもしっかりと抱きしめて、延々とひとつのため息をついていく。
 
 石ころみたいになればいいのだと、賢くも考える。
 固くて脆い石のように、拒絶の中に求愛があることを示したい、と少女は願った。
 残酷な街の風に笑顔を向けていれば、私は許されるのじゃないかな。
 私があなた達に優しくするのは、私があなた達を利用して救われたいからなのよ。
 私があなた達に優しくするのは、あなた達を信じていないからなのよ。
 信じて、それが裏切られて救いなど無い事がわかってしまうなんて、絶対に嫌。
 私はただ、救われたかっただけなんだ。
 
 だから、私は絶対に許されない。
 
 少女の消えない罪悪感。
 閉じ籠もった部屋に吐き散らかした色彩が、常に少女を睨みつけている。
 うずくまった牢獄に体温を削り取られ、少女はどうすることも出来ないまま安堵感を覚える。
 ああ、この感覚・・・この感覚が懐かしい。
 世界のすべてが彼女に敵対する感覚が、少女をゆっくりと暖める。
 少女は牢獄に護られ、牢獄を愛し、牢獄に捕らえられ、そして牢獄に殺される。
 信じ切った世界に抱かれたまま殺される快感に悶えながら、少女は次々と壁に夢を吐き出していく。
 残酷なぬくもりを筆先にほとばしらせて、恐ろしい快楽を描き込んでいく劣情。
 劣情の二文字を目の前に描いたとき、少女はつき続けていたそのため息を吸い込んだ。
 ああ・・・・殺したい。
 世界と、そして自分を、その構成するものすべてをもっとも酷く滅茶苦茶に殺してしまいたい。
 こんな・・・・こんな醜い自分を許すかもしれない世界と、それに甘える自分を殺したい。
 少女が優しく接した者達は、少女にもまた優しくして返した。
 少女が眩しい憧れの視線で覗いたこの街は、少女にたとえようも無い美しさを魅せて返した。
 世界はこんなにも美しく優しいのに・・・・だから許さない。
 私は私と私の世界を許さない。
 そしてなにものかも、私を許しはしない。
 クラモリ・・・・ごめんなさい。
 
 牢獄の部屋に籠もって、自分を睨み付けてくる色彩を塗り潰しても、消えない罪悪感がある。
 救い難きを救うべし、とその仕草に込めて周囲に示し続けた少女。
 ひたすら、あらゆる手を使って真摯に零れない涙を流しながら救いを求めた少女。
 けれども、少女は誰も信じていない。
 裏切られ、救いなど無いと言われるのが恐ろしくて信じることが出来ずに、
 そしてそういう自分を心底軽蔑していた。
 だから、そんな私は最初から許されるはずはないんだ。
 優しくしながらも他人を憎み羨んでいる少女は、そこに最悪の罪悪感を感じている。
 本当に、良い存在にならなければ、いけなかったんだ。
 石ころじゃ、いけなかったんだ。
 他者を固く拒絶しながらも、どうしようもなく脆く求めている「礫」は、
 絶対的に世界との繋がりを切断され、それから引き裂かれている「轢」でもある。
 少女を護る街の壁も部屋の壁も、すべてを少女から奪っていく。
 凍り付くほど圧倒的な死のバラードを奏でる風が吹き荒ぶ、誕生の境界線。
 少女はまだ、生まれてさえも居なかった。
 そこに他者の居ない世界。
 堕ちた先が、いかなる他者の瞳も無い牢獄であった少女。
 誰も居ない、独りっきりの繭の中。
 そう・・・私はまだずっと繭の中に居たんだ。
 繭の中から外を眺めて、そしてありもしない救いを求めていただけなんだ。
 だって、そうじゃないか。
 生まれてさえ、いないのだから。
 繭の中であなた達の幻想と戯れて、勝手に優しくして、勝手に充分すぎる見返りを夢見ていただけ。
 みんな嘘っぱちだったんだよ。
 それが私の罪だった。
 壁の絵は間違っていた訳よ。
 そして。
 あのとき繭の中に居たあなたに声をかけた私も、まだ自分の繭の中に居たのよ。
 
 私は、どうしようも無く怖かった。
 繭の部屋から生まれ出て、本当に良い存在とならないでいる事で、
 いつかきっとなにものかから罰せられるのじゃないかって。
 私が覗いていたあの美しい、そしていつからか私が愛していたあの街に殺されるんじゃないかって。
 私もあの街が好きだったから、だからそれに相応しく無い自分が嫌いだった。
 だから私は、私が許せなく、そしてだから私を消し去りたかった。
 怖くて、怖くて、その罪悪感が大事すぎて捨てられなくて、だからもの凄く辛かったのよ。
 捨てる気は、今も、無い。
 繭の外に出られない私を消し去りたい。
 私は、私の黒い羽を許さない。
 だから死ぬ覚悟をしたんだ。
 
 
 
 
 そして少女は、吸い尽くしたそのため息の気持ち悪さに戦慄した。
 そしてだからこそそれ以上に恐ろしいものが、少女の罪悪感の向う側から厳かに訪れた。
 私、死にたくない。
 私は、どうしようも無く生きたかった。
 生きたくて生きたくて、堪らなかったの。
 どんなに醜くてどんな罪な夢を持っている私でも、
 そして本当に世界を馬鹿にしている大馬鹿野郎の私でも、救われたかったんだ。
 私を、こんな私をこの街に受け入れて欲しかった。
 なのに・・・。
 私のような存在は、そこに居てはいけないの?
 私が生きてるのって、そんなに悪い事なの?
 『私は、助けてって言うことも出来ないの?』
 繭の中で誰にも届かない救いを求める叫びをあげていた少女は、
 救いを求めても誰も返事をしてくれない事で、そこに誰も居ないということがわかってしまう事、
 自分だけが繭の中に居るという絶対孤独を、それだけは絶対に感じたく無かった。
 だから、繭の外に出て、誰かに伝わる「助けて」を少女自身に言わせなかった。
 そう・・・私は自分に怯えて、自分を自分で殺すように仕向けていただけ。
 その事も、重大な罪だけれどもでも・・・・でも、死にたくない。
 本当に一番怖いのは死ぬことなんだ。
 私は、生きたい。
 私が大好きなこの世界から、消えるなんて絶対に嫌なんだ。
 世界がどんなに私に冷たくても、どんなに私のカラダからぬくもりを奪っていくだけなのだとしても、
 私はもう、本当にただ救われたいだけなんだ。
 私を殺さないで。
 
 
 だから、だから・・・・・・。
 
 『ラッカ・・・・・・・・・・・・・助けて』
 
 
 一羽の灰色の鳥が飛翔する。
 繭の中の少女は、初めてその繭の中に他人(ヒト)を見た。
 そして鳥もまた、その少女を初めて繭の外に見た。
 いつのまにか、あの忌まわしくも懐かしい繭は溶けて流れ、牢獄もまた砕け散っていた。
 ああ・・・私、今、繭の中に居るのじゃなかったのね。
 鳥の名を呼ぶことで鳥を獲得した少女は、その中に初めて他者を内在させ、
 そしてその内在する他者である鳥を通して、初めて切断されていた外の世界と繋がった。
 もう、引き裂かれたる者「轢」では無い。
 誰からもそのカラダのぬくもりを奪わない、本当に優しい優しい踏み石の「礫」に、少女は成った。
 少女の背には、世界から祝福されし証、ふたすじの「灰羽」が流れていた。
 やっと、救われたんだね・・・やっと・・・やっと・・。
 私の羽の黒さは、私が愛すべきものでは無くて、ただ過ちの記号でしかなかったんだ。
 私の本質など、初めから無かったんだ。
 でも、それが有ると信じてる自分は確かに居るんだよ。
 嫌なものは直せば良かったんだよ。
 本当に、私がしたかったことをすれば良かったんだ。
 私が好きで好きで堪らなかったあの街、そして愛するあなた達と本当に生きたいんだ。
 私にはそれが出来なかったのだし、それが出来なかった幼い自分は今も私は愛しているけれど、
 でも、さようなら。
 繭の中のワタシにさようなら。
 そして、この世界にさようなら。
 私は、壁を越えるよ。
 
 
 
 ◆◆◆◆
 
 灰羽連盟鑑賞会、これですべて終わりました。
 今まで参加してくださった方々、ありがとう。
 灰羽の鑑賞会はでもまた、いずれやると思います。
 来年か、再来年か、それはわかりませんけれど、また是非やりたいです。
 灰羽連盟は、やっぱり凄い作品です。
 そしてやっぱり最終話は、何度見ても私の頭の中を掻き回して滅茶苦茶にしていってくれます。
 その滅茶苦茶さ加減を、なにも日記上で発揮しなくても良いじゃん、
 ってくらいに崩れた感想日記になってしまいましたが、まぁ、良し。
 なんといってもレキのあの表情の数々は堪らなくて、それ観てもう何度泣いた事やら、
 という感じでむしろ文章に涙が滲み出してる感じのいい加減さが気に入ってるのですがどうでしょうか?
 うん、どうもこうも無い気がしますね。
 いつものことじゃん。
 この言葉ってすっかり口癖になってしまっているみたいですが、
 むしろいつもと違うのまで同じとか言ってるよーな気もなきにしもあらず(婉曲)。
 ええと、結構頑張って理詰めでも書いたので是非読んでくださいませ(直接)。
 
 それでは(逃亡)。
 
 

                          ◆ 『』内文章、アニメ「灰羽連盟」より引用 ◆

 
 
 
 

 

 

 ■031219 終わりの無い少女■
 
 
 

 

 
 
 『先生。どれだけ忘れてますか? 大切な人、抜けてませんか?』
 

                           〜第八話のアンジェリカのセリフより〜

 
 
 筒抜けの天井の先に、その空はどこまで行っても見あたらなかった。
 いつまでも目新しい物語のページをめくって、小さな驚きに包まれる。
 少女の瞳は見開かれ、そしてその灰色の瞳孔は、止まることなく光を集めていく。
 また知らない天井が、そこにある。
 停止した世界が、終わりの無い少女と共に目の前を走り去って往く。
 
 白い病室と、白い廊下と、白い世界と、白い人々と。
 そして白い風を纏ったフラテッロと。
 打ち捨てられた少女の笑顔だけを映す鏡を背に、分厚い雲が涼やかに流れていく。
 問い質された魂の在処を答えられない少女は、悲しくその首を横に振る。
 閉ざされ切った無限の空気を纏い、ひたすらその大気の中の巡礼を繰り返す地獄。
 一度通った月の下を、今日もまたそれと知らずに通り抜けられれば良かったのに。
 あの輝く月が、カタチの違う同じ月である事さえわからなければ、幸せだったのに。
 白い人々に突きつけられた月の魂の在処が、また、わからない。わからない。
 アンジェリカはただ、小さな絶望を繰り返しながら首を横に振り、そして微笑んでいる。
 終わりの無い少女の頭上で、今日もまた同じ月が永遠に嗤っている。
 
 たくさんの幸福の笑顔達の中で、絶望の笑顔を魅せるしかない少女。
 忘却に愛された少女の絶望。
 絶望絶望絶望。
 そしてその絶望をまた忘れ、そしてまた同じ絶望を繰り返す。
 忘れた絶望を糧に、大切な仕事を道標にして白い世界に無垢なるはにかみを見せる。
 『マルコーさん。今日ようやく退院できました。これでまたご一緒できます。』
 少女に白さを見せつけるフラテッロは、少女の無限の巡礼を遮断せずに加速させる。
 マルコーと居るときだけ止まることができるアンジェリカは、マルコーによって走らされる。
 ダイスキナ、マルコーサン。ドウシテ、ワタシヲ、ツレテイッテクレナイノ。
 
 
 
 『ここはどこ? おじさんたちは誰?』
 『だっておかしいわ。ペロとお使いしていたら・・・車が走ってきて・・体が動かなくなって・・』
 『パパはどこ? ペロは?』
 
 『注射・・・するの・・?』
 
 溶けない想いを体に引き戻して、体の動くことを確認する少女。
 こじ開けた瞳の先には、優しい笑顔の男がいた。
 見知らぬ光の漂う天井を見つめながら、男の示す御伽噺に耳を貸す。
 その肌に物語を交わらせずに、ただただ恐ろしい世界の痛みと幼く対峙する当然。
 ただ為されるがままに、自分のすることを元から知っている幼獣は、
 その男の笑顔と冷たい天井とを切断する快感に酔いしれながら、改めて瞳を開く。
 意志無き忍耐の灰が降り注ぐその瞳は、もう閉じることを知らない小窓となっていた。
 その小窓を開きながら、男の御伽噺を待望する。
 世界の痛みを肌に重ねながら、触れない雲の上の優しい物語にココロを委ねる少女。
 真摯に騙されていない事を信じきりながら。
 
 『アンジェリカは、会うたびに話の続きをせがんだ。』
 対峙するものに笑顔を見せて、清楚な要求を繰り出す瞳。
 色づき始めた世界にしがみつきながら、あまりにはっきりとした青を誇る空を見上げている。
 御伽噺がその青空にある限り、マルコーさんが居る限り、怖い事なんてなんにもない。
 為すべき事を為す事に慣れきり、出来ない事をあわただしく求めていく熱情。
 瞬間的な判断と途切れた風に後押しされて、少女は人を殺していく。
 御伽噺より授けられた光に満ちたその笑顔に、際限が無くなっていく。
 おっとりとした楽しみではにかみながら、なんにも知らない少女は知っていく。
 簡単なことなんだね、生きるって。
 いっぱいしなくちゃいけないことはあるけど、でも、簡単なんだね。
 ね? マルコーさん。
 悪い人達をやっつけたらみんな褒めてくれるし、お花は綺麗だし。
 綺麗だね、マルコーさん。
 マルコーの風がその色を失っていく。
 
 少女の中の色がはげ落ち、そして世界の色も色褪せ始めた日。
 花畑の傍らで微笑む少女に、フラテッロの白い風が吹き付ける。
 忘却を埋め込まれたアンジェリカの体は、その終わりを失っていく。
 無限に繰り返す記憶の巡礼の幕開け。
 動き出したアンジェリカを待ち受けていた、動く事の無い世界の嗤いが残酷に始まっていく。
 人々はその色を失い始め、世界は白くなり始め、そしてその青空は健やかなる青を失い無となった。
 空無き世界の始まり。
 『彼女はもう、あの物語を覚えてはいない。』
 御伽噺は、もう、終わらない。
 
 
 ・・・・・・
 
 ちょっと怖かったけど、でも頑張って病室のドアを開けて、そうしたら中に人が居ました。
 優しそうな人だったので、少し安心しました。
 首から下げているカードには、ドットーレ=ビアンキって書いてありました。
 ビアンキ先生と言うらしいです。
 最近元気らしいねって言われたときは、嬉しかったです。
 あんまり知らない人にそう言われたこと無かったからです。
 でも、色んな人の映った写真のアルバムを見せてくれたときは、辛かったです。
 そこには、知っている人も知らない人も居ました。
 知らない人の中に、きっと私の大切な人が居たのです。
 また、私は大事な事を忘れてしまったに違いありません。
 私は怖くなりました。
 先生は、私が誰かを忘れている事を確かめるためにアルバムを見せてくれたのです。
 『先生。どれだけ忘れてますか? 大切な人、抜けてませんか?』
 先生は、ちょっとしたテストだから気にしないでと言ったので、少し安心しました。
 次に先生は絵本を取り出して、この話を覚えていないかって言いました。
 毎日パスタばかり食べている王子様のお話みたいです。
 でも、私はこんなお話知りません。
 本当に知らないのです
 一生懸命思い出そうとしてみても、覚えていない事がわかるだけでした。
 そして、きっとこれも私にとって凄く大事なお話だったのに違いありません。
 私はとても悲しくなりました。
 また、私はなんにも覚えていないの・・。
 私、またお仕事できるのかなぁ。
 またマルコーさんと一緒にお仕事がしたいなぁ。
 いつ退院、できるのかなぁ。
 先生はそういうことはマルコーさんに聞きなさい、と言っていました。
 それなら、マルコーさんに聞いてみようと思いました。
 あ、マルコーさん。
 あのぅ、お仕事はいつから・・・
 
 ・・・・・・
 
 
 零れ落ちない涙の存在さえ忘れて、終わりの無い少女は絶望の微笑みを浮かべ、悲しく生きている。
 
 
 ◆◆◆◆
 
 途切れてしまった思い出に悲しみを寄せて、
 その悲しみを全力で耐えきって、首を横に振る。
 悲しい思いに気づかずにはいられずに、それだけは連続している状態。
 どこにも居場所は無く、また誰の心の中からも自分の存在が消えかけていく。
 そして自分もまた、周りの人々、周りの世界に居場所を与えることが出来ない。
 記憶という歴史を自分にも世界にも持たせ得ることが出来ない少女、アンジェリカ。
 条件付けのせいで、フラテッロ以外の記憶を無くしてしまい、
 そして自分が多くの事を忘れていっている事に気づくたびに深い絶望を示すのが、アンジェリカ。
 事象に関する記憶が無い、ということはそのことに対する理解が常に瞬間的で、
 またいつまでたっても同じものを違ったものとしてしか見ることが出来ないということ。
 出会った人の記憶を忘れてしまう事で、その人とはまた初対面の関係に戻り、
 またその人と新しい関係を深めてもまた忘れ、そしてまた初対面へと戻ってしまう。
 だからなにものと関係を結んでも、それを発展させることが出来ずに、
 ゆえにアンジェリカにはなにも終わらせる事が出来ない。
 なにかが始まったと思ったら、また始まりにすぐ戻ってしまう。
 マルコー達がアンジェリカのために作ってくれた御伽噺の記憶も、アンジェリカは完全に失い、
 彼女の中ではだから絶対にあの御伽噺は完結し得ないのだ。
 そしてその完結しない物語、つまりアンジェリカにとっての連続した物語の喪失は、
 自分の外に広がる世界、「他者」の喪失であるとも言える。
 大好きだった両親に保険金殺人を仕掛けられ重傷を負い、
 義体に改造されて、それから初めて見たあの部屋の天井。
 そして体に打たれた注射。
 それら公社によって押し付けられた世界を、無抵抗のまま、
 そしてなにも疑う事無くそれを受け入れたコドモの瞳には、寒々しくも優しい空があった。
 迫ってくる世界を実感しながらも、
 本質的なところで今までの生活とはあきらかに違う空気も同時に感じ取ったアンジェリカは、
 秘かに怯えてもいた。
 その怯えを鎮めてくれたのが、マルコーのパスタの御伽噺だった。
 マルコーの御伽噺だけが、彼女に押し付けられたものではなく、
 それは空の高見から与えられた他者の恩恵であって、
 そして押し付けられたモノでは無いからそれは彼女と同化はせずに、
 少し離れたところからしっかりといつも彼女を見守ってくれる他者。
 それがマルコーの御伽噺であるのだ。
 その自分とは離れた御伽噺をマルコーに会うたびに聞き、
 そしてその物語を聞けるから、アンジェリカは恐ろしい現実をリアルに感じる事ができるようになっていく。
 しかし彼女の条件付けが進むにつれ、彼女の記憶に混乱が生じ、そして記憶喪失が始まった。
 御伽噺の彼女にとっての意味も存在も忘れて、彼女は他者を失った。
 他者を失ったことで、多くのものから受ける実感を失い、彼女の世界は完全に停滞し、
 その中で彼女だけが同じ場所をぐるぐると回り始めてしまう。
 アンジェリカにその外側の世界は無くなり、他者との関係というものも限りなく少なくなっていった。
 冒頭におけるヘンリエッタの悩みは、アンジェリカにはあり得ない。
 淫靡なものしか送りつけてこない世界に絶望しながらも、
 少しづつその空との付き合い方を学んでいっている中での悩みが、ヘンリエッタの悩みであるが、
 アンジェリカには、その世界が、空が、もう既に無い。
 だから彼女にはそもそも悩みなど無く、ただただ厳然たる絶望と、そして悲しみがあるだけなのだ。
 そしてその絶望もまたすぐに忘れてしまい、また同じ事で絶望を無限に繰り返す。
 マルコーの苦悩が、よくわかる。
 そしてアンジェリカの悲しみは恐ろしすぎる。
 アンジェリカの笑顔と、ヘンリエッタ・リコ・トリエラ・クラエスの笑顔とはあきらかに意味が違う。
 そしてまた、だからアンジェリカは彼女達の中で明確に孤立している。
 笑顔で歩く彼女達の向う側で、一人走っているアンジェリカ。
 他者を喪失し、マルコーにも見捨てられた彼女の憂鬱に、私は最も涙した。
 比べられないでしょ、実際。
 凄かったもの、今回のお話は。
 いっちばん、色んな意味でアンジェリカがコドモだったし、だからゆえにいっちばん可愛かったし。
 泣きながら抱きしめてあげたい哀れすぎる可愛さというか。
 ベストシーンだよね、あのビアンキにパスタのお話聞かされたときの彼女の絶望の表情は。
 そして公社にきたばかりの頃の、現実をただ受け入れるしかないまさにコドモの彼女の仕草なんて、もう。
 泣きました。ごく普通に涙が出た。
 そして、画面の中で撃ちまくってトドメさしてカメラ目線で笑顔見せたアンジェ見て悩むマルコー。
 わかります、わかりますよ。すごくよくわかりましたよ。
 もうね、マルコーはともかく、やっぱりアンジェって私にとっての最高の他者のひとつだと思う。
 一番自分に近くて遠い、そして常にちゃんと側にある精神というか。
 そしてまたそれは私の中にもあって、だから私はアンジェを理解も出来るし、抱きしめたいと思えるのだし。
 私の中に居るアンジェ的他者性が、私の魂を思いっきり揺さぶった、なんてちょっとクサいかな。
 ああもう。なんだかなんでこんなこと書いてんのかわかんなくなってきちゃったなぁ。
 アンジェって可愛いよね? ってひと言で終わってもいいよな気もするけど、それだけじゃやっぱね。
 実は、うまく言葉で書き表せないんです。
 アンジェの一挙手一投足すべてに及ぶ、あらゆる領域に於いてのその凄さが、どーもうまく書けない。
 つーかあれだね。
 良いと思ったモノほど、うまく文章に書けないね、私は。
 あーそんなことはどうでもよくて、アンジェですアンジェリカです。
 好きと言えば、私はたぶんアンジェリカが彼女達の中で一番好きです。
 そしてたぶん、私にとって一番難しいお話でした、第八話は。
 もうね、いずれ絶対ガンスリ鑑賞会やりたいと思った。
 また絶対ガンスリ語ってみたいと思ったね、今。
 でも、今はこれが精一杯です。
 ありがとうそしてごめんなさい (空を仰ぎ見ながら)
 最後にひと言。
 
 ひと言では、アンジェリカの存在は言い表せません ←結論
 
 
 
 
 P.S  えっと、私はガンスリに登場する少女達を、感想文中でこう言い表したりします。
     ヘンリエッタは「星の下で泣く少女」、リコは「風を燃やす少女」、
     トリエラは「見えない少女」、クラエスは「扉を引き裂く少女」、
     そしてアンジェリカは「終わりの無い少女」というように。
     それぞれちゃんと意味があるので、割と厳密につけていたつもりでしたが。
     が、いつのまにかヘンリエッタを「星の下で泣く少女」と書かないで、
     「月の下で泣く少女」とか「月の下の少女」とか書いてました。結構たくさん。
     すみません御免なさい。これは流石に訂正しておきました。
     意味が違っちゃうからなぁ、月だと・・・。
 
 

                          ◆ 『』内文章、アニメ「GUNSLINGER GIRL」より引用 ◆

 
 
 
 
 

 

 

 ■031217 凄い企てが飛んでいる■
 
 
 

 

 
 
 あの楽しくて綺麗で凄いピースメーカーが帰ってきた。
 
 特に総司様大幅増量化されて。
 
 
 総司 『しかし妙なところでお会いしましたねぇ、龍馬さん。』
 龍馬 (隠れてた草むらから馬鹿ヅラさげて飛び出して)
     『OH! オッキー! ひっさしぶりぢゃあ! 相変わらずキューツじゃのぅ♪』
 総司 (赤丸ほっぺに笑顔を浮かべまくりながら)
     『あははは。相変わらず、なに言ってるかわからないでーす☆』
 
 『はぁぁぁぁっっ!!!』 ←いきなり鬼の形相で斬りかかる総司様
 
 ・・・・・ ←居合わせた辰之助お兄様絶句
 
 
 
 
 ・・・・。
 もう、最高です(感涙)
 
 ああもうああもうああもう!
 総司様の豹変ぶりが格好良すぎて笑えすぎて、もうなにがなんだかという、
 そういう感じで滅茶苦茶でした。面白すぎ。
 龍馬さんとの掛け合いがああいうカタチの面白さになるとは、いやはや恐れ入りました。
 すっかり総司様が引っ張っていってくれて、なにも言うこと無し。
 冒頭の隊服姿でお店に並んでるお菓子みて、わぁーってとても嬉しそうにして買い漁ってる様子とか、
 もう可愛すぎ。格好良すぎですよ〜もう。
 そしてそしてその周りの風景もかなり綺麗にまとまっていて、
 1・2話のあたりの頃の爽やかな美しさが復活されていましたし、
 それプラス、ギャグもあり、かつ辰之助お兄様の心情もガンガン露呈されはじめて、
 龍馬と新撰組の決定的な意識の違いというものも瞬時に描かれていましたし。
 それでいて龍馬さんと総司様の共通項も表せていましたし。
 色々な要素がからまって、そして複数の次元に華を咲かせていたように見えました。
 笑える格好良さ。これですよね〜ピースメーカーの醍醐味は、やっぱり。
 今回土方さんが出てなかった分、総司様一色でそれはもう美しくて楽しくて。
 なんだか今回はずっと総司様が出てたみたいな感じで、すっかりお腹一杯になりました。
 
 と、思っていたらほたるさんが投入されました。
 
 ・・・・・。
 わはははー(爆笑中)
 総司様に惚れまくっちゃってるちょっと抜けてる女の子が、新撰組の炊事係に雇われて、
 でも実は長州のくのいちなんだけど、これがまた。
 これがまた、まったくやる気無いくのいちっていうか総司様命。
 色々探るために局長の部屋に忍び込むも、あっさりバレかかって言い訳をするんですが、
 その言い訳が大好きな隣の部屋の総司様の様子を窺ってたんですごめんなさいって感じで、
 お、なかなかうまく切り抜けましたねと思ったけれど、でも、あれ、言い訳じゃなくてほんとだと思う。
 だって、局長のゴミ箱からパクってきたものがただの落書きだったですからね。
 このコ、ロクに探すもの探さないで、隣の総司様の様子窺ってたに違いありません。
 しかも長州の溜り場に戻ってくるなり、『あのぅ、私・・・忍びやめてもいいですか?』とか言うし。
 ほんっとやる気無いですね、このコ。
 うん、大変によろしいです。
 半分やめることを許可された時の、あのコの嬉しそうな顔といったら。
 絶対あのコまた屯所に来るね、絶対(確信)
 
 
 
 
 
 
 
 龍馬  『ドラゴンボーイ。男と生まれたからにはちっと冒険せんと。』
 辰之助 『俺はまだ鉄を嫁にやる気はありません。
 
 
 最近お兄様が少し心配です。
 
 
 
 

 

 

 ■031216 『約束の明日(前編)』■
 
 
 

 

 
 
 少しばかり日記の更新が滞っていまして、ええ、すみませんでした。
 あ、いや、今回は別に気分が乗らなかったとかそういうのでなくて、
 純粋に忙しくて日記にまで手が回らなかっただけなのですけどね。
 ええ。一生懸命自分の蒔いた種から出た芽を刈っていた一週間でした。
 あー、いつまでたってもこんなんばっかりですねぇ (ため息)
 
 さて、人魚の森の感想にいきましょう。
 感想というかなんというか。
 
 この人、迂闊過ぎです。
 
 ふらっと散歩行ってくるとかいってあの世に行っちゃったのこれで2回目だと思うんですが、真魚さん。
 今回なんて殺害シーンすら省かれるくらい簡単に死んじゃいましたよ。
 他の作品ならあそこでヒロインは捕まるだけで、あとでヒーローが助けに来てくれますが、
 この作品ではヒロインがまず死んで、ヒーローが来る前に自力で甦ります。
 とにかくですね、あきらかにアブナイ人に掴みかかってさっくりと刺されまくってる涌太さんもそうですけど、
 あなた達迂闊過ぎです。落ち着きなさい。
 いくら死んでもすぐに生き返るからっていっても、危険に飛び込みすぎ。
 赤信号はGOサインじゃないんです。止まりなさいって。
 そのうち人魚の肉を食べて不死になったものは首を落とせば殺せるってのがバレ・・・
 
 あ、バレてますね、今回は。
 
 ま、まぁ頑張ってね。
 
 
 さて。
 人魚の森における前後編のお話をみるたびに思うのですが、
 とても構成が良いなぁって。
 前編でいきなり事件が発生して、なにがなんだかわからないけれど、
 後編に繋ぐための要素はしっかり埋め込まれていて、
 そして後編でちゃんとすべてが明かされていく。
 この構図は全部同じで、とても良いリズムで見れたりします。
 ぞくぞく感を沸き上がらせてもくれますしね。
 でもそれによる最も良い効果を得ているのが、登場人物の異様な行動についての説明でしょうか。
 なんのことかと言いますと、前編で一見ただの変人さんの奇妙な行動が滅茶苦茶に映し出され、
 それだけだとなんだこれを排除すればいいのか、という簡単な構図になってしまうものが、
 後編においてその行動の理屈が整合性を持って描かれる事によって、
 しっかりと整理がついていくんですね。
 だからいわゆる勧善懲悪モノには絶対的なところでなり得ないのですよ。
 前編と後編で物語が語られる視点が変わる事で、
 奇妙で滅茶苦茶な行動や言動に正統性が加えられる、とも言えます。
 
 今回のお話では、60年前に涌太が出会った女性・苗の物語が描かれます。
 60年経って、苗と居た街に戻ってきた涌太は苗が今も生きている事を知ります。
 しかしその苗は、一度死んで甦っていて、
 しかもその甦った苗の魂は虚ろで、時折悪鬼のような所行を為すなど、すっかり変わっていたのです。
 かつて涌太を慕って、かつ許嫁と過ごしている現実から逃げ出したいと思っていた苗。
 涌太とまた出会ってどうなるのか、というところで今回のお話は終わりだったんです。
 この前編ではとにかく、涌太の苗との過去の回想と、現在の苗の有様とのギャップが素晴らしかったです。
 そして現在の苗の、なにもないようでいながら時折去来するなにかによって行動している様子は、
 とても不思議でかつ面白い。
 それとやっぱり苗と真魚が一緒に画面に映っている光景が美しかったですねぇ。
 軽快に無邪気さを示す真魚と、かつてはそうであり今はその影も無い苗。
 ラストの街灯に照らされた道を二人で歩いているシーンなんて昇天モノですよ(ぇ)
 そのシーンは真魚とあの苗だからこそ美しく、余人には代え難いモノがありました。
 無邪気さを気配を消すようにすっかり消した、
 あの真魚の涌太を見つける、という一途で純粋な目的を持った視線を、
 ただ一度発せられた、涌太に会うという大昔にプログラムされた動機だけで動く苗の背に縫い付ける絵。
 なんだかとっても美しいじゃないですか。
 うん、私は美しいと思いましたよ?
 
 でもね、次週で最終話っていうのはどうにも美しくないと思うんですけど。
 
 もうね、全っ然気づかなかったんですよ。
 まだまだ続くと思っていたのに、いきなし次週最終話だなんて、まぁ、なにそれ。
 公式サイトにもありましたから、まぁ間違いないのでしょーけど。
 でもおいおい、と。
 それは無いでしょうに、と。
 はっきりいって、永遠に生きる事の意義を見出すとか、
 或いは涌太と真魚がその永遠に終止符を打つかでしか終わらないと思うんですよね。
 そういう方向に持っていく流れには、いずれにせよその準備段階にすら入ってないと思いますし。
 話の流れ的に、一体なにが終わったの? って感じしか残らないんですけどねぇ、まだ。
 
 あ。
 だから首落とされて終わりって事なんですね、やっぱり。
 
 
 強引ですねぇ (日記のオチの付け方が)
 
 

                            ◆『』内文章、アニメ「人魚の森」より引用◆

 
 
 
 

 

 

 ■031208 『最後の顔(後編)』■
 
 
 

 

 
 
 七生。
 七生・・・・・・・。
 
 
 『だって、お母さん怖いよ。』
 
 あの子の言葉が私を驚きで切り裂いて、
 その言葉が、私を其処に立ち尽くさせた。
 七生・・・待ちなさい・・七生!
 この子が居なくなったら・・私は・・・。
 目の前から掻き消えたあの子が見えなくなっても、私はまだ立ち尽くしていた。
 七生・・・あなたを失いはしない。
 七生。
 
 ・・・・・・
 
 揺るがない空気を裏返して、引き裂かれた顔を持ち得ながら生き延びる。
 この傷がある限り、七生が目の前にいつか現れる。
 七生と一緒・・・永遠に・・ずっと一緒・・・。
 
 ・・・・・・
 
 恐ろしいその傷は、私に変わらない世界を与えてくれた。
 そのままでは居られないのに、その場に立ち尽くしていなければならない地獄と共に、
 人魚の肉の衝撃は、なにもかもを裏返していった。
 もう私の周りは、私を見てはくれなくなった。
 ただただ、冷たい飛礫を投げつけてくるだけ。
 不意討ちのように、私のすべてを打ち潰していく。
 七生の消滅の苦しみを抱えたまま、起きあがった私の顔にできた恐ろしいその傷が、すべてを変えた。
 そして、その傷は絶対に消えなかった。
 『醜い顔のまま、私は生き続けるしか無かった。』
 決して消えないその傷は一体なんなのだろう。
 けれど、どうして私がこんな目に合わなくてはいけないのだろうとは思わなかった。
 世界がそういうものだっただけ。
 その世界の圧力に負けたから、その敗北の証としてこの傷が出来た。
 だから七生を奪われた。
 負けるものか。
 生き続けることで、その場に立ち尽くす事しかできなくても、負けるものか。
 この傷がある限り、私は七生を探し続けるのよ。
 七生・・七生・・・・何処へ行ったの?
 
 嗚呼、悲しい悲しい・・・・嗚呼死にたい。
 こんな醜い顔になって。
 顔が顔が顔が・・・顔が・・・顔が・・・・。
 恨めしい。
 許さない。絶対に許すものか。
 私の顔と、七生を返せぇぇ。
 
 ・・・・・・
 
 静かな途切れない闘いが始まる。
 ただただじっと耐え、人の目の無い隙を窺い七生を探す。
 とりとめのない怒りを消化し、ただすべてを七生に託して生きる。
 七生、七生、七生。
 
 ・・・・・・
 
 七生が居た。
 変わっていく七生が居た。
 年を取り、七生が育っていく。
 ああ・・七生・・あの子がそこに居るわ・・。
 変わり果てていく七生の姿に見惚れながら、
 私は同時に、この顔の傷だけと生きて行かねばならない事を強く感じた。
 七生・・・やっと見つけたけれど、私はただあなたを見続けるだけ。
 何年も何年もかけてあなたを探して、そして何年もあなたを見守り続ける。
 七生・・・ほんとうに、大きくなっていくねぇ。
 そして。七生、さようなら。
 
 七生は大きく大きくなって、そして小さくなった。
 あの子が生まれたの。
 あの子が、私の元に帰ってきたのよ。
 やっぱり、七生は私の子。
 私の子なのよ、七生。
 私の元に連れ帰り、私はあの子と生きる事がまた出来た。
 なんの因果か、あの傷も無くなった。
 新しい顔を手に入れたからだ。
 私は狂喜した。ただただ、震えながら喜んだ。
 私の勝利。
 だって、七生が帰ってきてくれたんですもの。
 あの子が、また私の事をお母さんと呼んでくれるのですもの。
 七生・・・七生・・・お母さんと永遠に生きましょうね。
 
 人魚の肉の粉を食べさせて、七生を人魚の毒に慣れさせようとした。
 今度はきっとうまくいく。
 うまくいけば、私と七生はずっと一緒に生きていられる。
 七生、七生、あなたは私とずっと一緒。
 お母さんがあなたの事を護ってあげるから、
 私を潰そうとする奴らから、私を護って頂戴。
 七生は、私の願い通りに育ってくれた。
 七生は本当にいい子。
 私の事を慕ってくれて、そしてそれだけじゃなくて私の事も気遣ってくれる。
 どんな事があっても私から逃げずに、離れてもいつも私を護りに戻ってきてくれる。
 ニセモノの玩具みたいで、私はだからなんにも罪悪感は無かった。
 七生は私の玩具じゃなくて、私の子。
 私の思い通りにならないところが、私の思い通りなのよ。
 なんて可愛い子なんでしょう。
 いつもいつも、お母さんの事を見ていてくれる。
 七生七生七生。
 世界にはもう、あなただけしか居ないわ。
 
 七生は本当にいい子。
 愛され慈しまれながら、それに甘んじる事も無く、
 しっかりと自分を持っている男の子に育った。
 その上で、私を見ていてくれる。
 世界の中で、唯一人私を見ていてくれる子。
 もう離さない。絶対に離すものか。
 邪魔する者は、殺す。
 七生、あなたを離しはしないし、逃がしもしないわよ。
 
 この子の寝顔に何度頬ずりしたことだろう。
 何度でも、何度でも、私は永遠に七生の顔を眺める。
 傷の無い新しい人間の顔の私に、相応しい子。
 いつまでも、七生を抱きしめていたい。
 
 ・・・・・・
 
 自分を蔑み、七生を奪う者達が現れたゆえに、戦闘態勢を整えに蔵に入る。
 恐ろしい傷を纏い、殺意しか乗せない体を歩ませ、孤独な母親は七生を護るため出陣する。
 
 ・・・・・・
 
 かつて七生だったあの子の思い出に耽りながら、帰って来なかったあの子を殺す。
 堪らない快感が、私の体を貫いていく。
 私はどきどきしながらも、冷静に事を運んでいく。
 あの子と、怪しげな男は葬った。
 なんだ簡単じゃない。
 私にだって出来るのね。
 もっとはやくに殺しておけば良かったわ。
 さぁ、さっさと帰って七生の夕御飯を作ってあげなくちゃ。
 
 殺す。
 殺す。この怪しげな女を殺す。
 七生、どいてなさい。
 
 もしかしたら、追い詰められているのかもしれない。
 所詮、素人が戦ったってたかがしれたもの。
 そろそろ頃合いかしらね。
 七生に人魚の肉を食べさせてみよう。
 七生、私と一緒に永遠になるのよ。
 いつまでもいつまでも、私と生き続けましょう。
 
 七生。
 あなたは私を信頼してくれている。
 だから、私を、お母さんをまた信じて頂戴。
 嗚呼・・・・私の本当の顔を見てしまったの・・。
 でも、もうあれは私の顔じゃ無いのよ。
 あれは悪い女の人の顔で、お母さんじゃないのよ。
 あの傷はもう・・・七生と引き替えに消えてくれたのだから。
 だから、さぁ、人魚の肉を食べて頂戴。
 はっ・・・ああ! あああっっぁっっぁぁぁ・・・・。
 ど・・どうして・・・どうしてぇ。
 この傷が、この傷がまた私の顔に出来るの?
 嗚呼・・・この傷は一生消えないの・・・?
 七生はやっぱり、帰ってきてくれていないの?
 ああ・・・またこの傷と一緒に独りで永遠に生きなければいけないの・・・?
 おおぉぉお・・・・。
 な、七生? 今、なんて言ったの?
 『お母さん、俺がついてるよ。』
 ああ・・・七生・・・七生・・。
 七生が人魚の肉を、今度は自分から食べてくれる・・。
 もう大丈夫。
 七生・・・嗚呼・・七生・・。
 『また、駄目かもしれない』
 七生がその口に人魚の肉を入れた瞬間、私はどうしようもなく混乱した。
 そしてなにかが自分の前に一気に広がっていくのを感じた。
 その広がっているものを歯を食いしばって押しとどめていた。
 もしかしたら、七生が死んでしまうかもしれない。
 でも! 死んだっていいのよ。
 私も一緒に死んであげるから。
 だから・・・・。
 あ。
 なにを私は言っているのだろう。
 私はずっと、なにを自分に言ってきたのだろう・・。
 七生が死んでどうするのよ。
 七生が私の玩具になってどうするのよ。
 七生は、七生は・・・・七生なのよ。
 私の子じゃないのよ。
 あの子は、私とは離れてなくちゃいけないのよ。
 離れなさい、七生。
 私の我が儘はもうここで終わり。
 今まで甘えさせて貰ってただけなのよ、私は。
 私は強くないから、あの傷と一緒に永遠に独りぼっちで生きる事などできなかった。
 怪しげな女が、人魚の肉を七生から離してくれた。
 この500年生きてるという男が、私を七生から離してくれた。
 全部もう、押しとどめることなんて出来なくなってしまった。
 お母さん、ちょっと死んでくるわね。
 七生、さようなら。
 
 
 ◆◆◆◆
 
 涙の中で、想ったことを書き綴る事の甘美さに酔いしれて。
 七生の母親のすべての言葉と行為に涙して、その結末にも涙する。
 何倍にも何層倍にも濃くなっていくその孤独の哀しみは絶大で、
 そして七生を求める心に涙した。
 だが最後において、母親は七生を突き放す。
 母親が七生に求めていたのは「他者」。
 世界にただ自分だけしかいない、という事を絶対に受け入れたくないゆえに、
 母親は七生を抱きしめる。
 母親が息子を想う愛。
 激しく燃え上がって、なにもかもを巻き込みながらも、
 しかし七生が自分にとっての他者になっていないことに母親は気づいてしまう。
 七生がちゃんと他者として育ってくれていると想っていながら、実はそうではないことに気づく。
 なにより、母親は七生と同化しても良いと思っていたのだから。
 一緒に死んでも良い、という同化願望はつまりそれだけで七生の他者性を奪ってしまう。
 自分の意志で人魚の肉を食べると言ったまさに他者である七生の言葉に狂喜しながらも、
 しかしそれを聞き入れる自分が、七生の死という同化をも願っていると気づいたのだ。
 ゆえに、母親の前にはもう、ホンモノの玩具である七生しか映らなくなってしまった。
 玩具という他者性をまったく備えていない存在しかないということは、
 つまり、もう自分しかこの世界に居ないということ。
 母親の顔の傷が、またうずき出す。
 この傷とまた生きるなんて絶対嫌。
 七生を自分から離して、立派な他者として育てなければ、そうなってしまう。
 だから、自分だけが死んで七生から離れる。
 母親には、もうそれしか手が残されていなかったのである。
 
 『最後の顔』という話は、母子愛というものを実に深くえぐったお話であると思いました。
 ああ・・・七生可愛いなぁ・・・(ぇ)
 
 

                            ◆『』内文章、アニメ「人魚の森」より引用◆

 
 
 
 

 

 

 ■031205 少女と居る街■
 
 
 

 

 
 
 『そんなに死にたいのなら止めませんけど、勿体無いと思いますよ。』
 

                           〜第七話のリコのセリフより〜

 
 
 誰も居ない世界の無い街。
 逆巻く風の源に、白いため息を放つ男が居た。
 爽やかに密やかに、透き通り往く朝の風の宴を見送りながら、
 空の住人の羽ばたきと共に、その体の位置を絶えず移動させる。
 どこへ行き、どこへ消えていくのか。
 なにも問うべき事も無し。
 ただ純然たる決意を持て余して、男はどこまでもどこまでもため息を風に加えていく。
 フィレンツェに堕ちた男、フィリッポ。
 そんな男が、風を燃やす少女の前に現れた。
 
 豪華なる歴史の所産、美の安置所の懐に涙を委ねる男。
 堪らなく脆弱で、限りなく奥深いイタリアの宝の息吹を身に染み込ませ、
 最後の晩餐を夢見て、己を顧みる。
 画家になれなかったフィリッポ。
 はっきりと見える終わりの有様にうんざりしながら、
 持ち腐れのポリシーを振りかざして、のうのうと生き延びる。
 もう、いいんだ。
 そんな男の前に、少女が現れた。
 
 少女は、男にこういった。
 なぜ、画家にならないのかと。
 なぜ、画家になる夢を諦めるのかと。
 用意された答えを口にしながら、男はゆるゆると考え始める。
 まだなにも知らないという事の、なんと素晴らしいことか。
 なにも知らなければ、私だって画家になれたのに。
 羨ましげな視線を少女に向ける男の瞳。
 その視線の先には、風を燃やす少女の静かな炎が在った。
 
 この大嘘つき、とその少女のひさぐ炎は笑っていた。
 知らない事実におびえる事無く目前の事実を味わえる感受性こそ、画家には必要。
 その感受性を失ったからこそ、あなたは画家になれないのよ。
 知らないでいられる事が無くなったから、なれないんじゃなくてさ。
 炎はけたたましく穏やかにさざめきながら、フィリッポの瞳に影をさしていく。
 くだらないポリシーなんて、さっさと燃やしちゃえば良いのに。
 自分がなにもかもを知ってしまった大人だからなにもできない、なんてつまらない。
 その炎はやがて少女の体に収束され、男はそこに取り残された。
 余裕ある呆然。
 フィリッポの瞳には、まだリコの姿は映っていない。
 
 断ち切れない関係の糸に支えられた青空から発する微風は、
 その男の頭上に未だ衰えず降り注いでいた。
 罪作りな空の守護をはたき落とす事の出来ないフィリッポは、
 遂に天空よりの刺客に寝込みを襲われた。
 ぐっすりと昼空の子守歌に眠らされた男は、画家になれないまま死へと引きずり出されようとしている。
 だが、ここは少女の居る街。
 男の傍らには、風を燃やす少女が居る。
 瞬殺。
 変わり果てたコドモをいやらしい青空の甘い毒牙から護った少女は、
 無造作に周囲の風を燃やし始めていく。
 死ぬ覚悟を固めた男、生きるのに疲れたという男の風に、火を放つ。
 死ぬなんて、勿体無いと思いますよ。
 
 フィリッポの隣にリコが居る。
 少女と居る街。
 真っ白なその手で、男を画家の卵の内部に引き戻す少女。
 永遠の始まりへの回帰。
 死なない限り、永遠は終わりませんよ。
 少女の掌の中で渦巻く風が嘯いている。
  汝、求めよ生活を。
 迫り来る風のどよめきに心奪われ、それでもなおまっすぐと生きられるように。
 自嘲に満ちた微笑みを抱きかかえて、男は最後に永遠をその瞳の中に宿すことが出来た。
 
 優しい少女が、銃をこちらに向けてこの街に居る限り、
 騙されても欺かれても、その時々の印象を大事に出来る感受性を持つ少女が居る限り、
 誰もがこの街で退屈せずに生きていける。
 
 
 ◆◆◆◆
 
 生きられない理由を、つい見つけてしまう。
 逃れられなく、いかなる可能性の余地も残されていない朝に、死を想う。
 なんたる、あっけない死だろうか。
 
 呆然と辺りを窺うことなく瞳を開け放しにして立ち尽くす。
 走り出すこともなく、ただ覚悟を決めるためだけにゆらゆらと揺れる。
 思考の行き着いた先にある死の選択。
 それでいいのだろうかと問うには、あまりにも自分が哀しすぎてそれが出来ないまま消えてしまう。
 なんという、恐ろしい死だろうか。
 そして、なんと美しくて醜くて、恣意的で儚い事であろうか。
 死など、結果でしかないリコにとっては、フィリッポはただの道化にしか過ぎない。
 死は選択するものでなく、ただ向うから向かってくるもの。
 だからその生はその死が勝手にやってくるまでは、絶対に終わらない。
 まさに永遠なる生が、リコの前には延々と広がっている。
 なにもかもが新鮮で、ただそれだけで自分に向かってくるような感覚。
 いかなる関係の糸にも繋がっていない、ただそれだけの事象を楽しんでいく。
 フィリッポは画家になれない、のじゃなくて、ならないからなれない。
 画家になれない理由を世界から見つけ出して、それに耽って絶望しているだけに過ぎない。
 そしてその理由はいつしか自分が造り出したものだと思い込み、
 だから自分は画家になれないんだ、とそういう変換が容易に行われていく。
 それは画家になる云々だけの話ではなく、すべてに対してフィリッポはそうだった。
 死ぬ理由を見つけて掘り出して、だから死ななきゃいけないと思う男。
 自分のポリシーに適合しない世界ならば、自分が消えてしまおう。
 掘り出されたものが如何なるものかを吟味する前に、それを掘り出してしまった事に恐怖する。
 恐怖が、フィリッポの意志に浸透する。
 その恐怖が、実はフィリッポの可能性を見えなくしていることに、彼は気づかない。
 すべてが自分の意志(ポリシー)の範囲内で受け止められ、
 そしてすべてをその意志で操っていこうとしている。
 ゆえに、フィリッポの見える世界は非常に狭くなり、当然の如く残された可能性もわずかに感じる。
 純然たる覚悟に基づく意志でもって生きるということは、そういうことだ。
 やりたいこともできなくなり、したいこともすべきではない事になっていく恐ろしい憂鬱。
 そのような生に洗練された美を垣間見るも、
 そこにはその美に自分の生のすべてを委ね、責任を転嫁している醜さが広がっている。
 すべてが、自分からとは本来繋がっていないはずの美のためという言い訳に染まっている生。
 この社会が、この世界が自分を認めてくれないから、画家になれない。
 自分でも認められないと思うから、だから画家にはならなかった。
 なにが認められ、なにが認められないのかを知っていく事が大人になるということ。
 なにも知らないでいられたら、画家になれたはず。
 フィリッポのそのような思考を、リコはあっさりと焼却する。
 なりたいなら、それだけでなれる理由になるじゃないか、と彼女は思う。
 将来なにになりたいかというフィリッポの問いは、
 つまり将来世界からどういう存在として認められたいか、という事に過ぎなく、
 リコはそれには答えられない。
 当然の事だ。
 リコにとっては、なにかになるという前に、既にもうなにものなのだから。
 将来自分が世界からどういう風に呼ばれるのかは知らない。
 でもそれとは関係なく、自分は将来なにものかに既になっているんだろうな。
 画家と呼ばれたから画家なのではなく、なれる資格があると言われたから、その資格がある訳では無い。
 自分が自分は画家だ、と思ってもそれが自分が画家である証拠でもない。
 リコは自分がなにものであるかなんて知らない。
 リコは既にリコであるのだ。
 同様に、フィリッポも既に画家だったのだ。
 しかし、それがそうではない、という理由をどこかから見つけてしまったのだ。
 その理由にすっかり飲み込まれてしまったのが、フィリッポが画家でいられなかった本当の理由。
 その純然たる意志の世界から、どうしても逃れられないのが、フィリッポ。
 そんな理由なんて、そんな意志なんてさらりとかわせばいいのに、とリコは思う。
 様々な事象と出逢いながらも、決してそれに飲み込まれないリコ。
 どんなに世界が非情で、どんなに自分が醜いと知っても、充分楽しめる。
 なにも知らなかったから生きていられたのじゃなく、生きてるから生きてるのだ。
 どんな事を知っても生きられる。
 なにがあっても、生きていられる。
 永遠なる生が、そこには確かにある。
 そういう精神を披露してくれる少女が、あの街には居たのだ。
 フィリッポという、泣きたくなるほど同情してしまう精神の持ち主の存在と共に。
 
 リコの精神に讃歌を、そしてフィリッポの精神に鎮魂歌を捧ぐ。
 
 

                          ◆ 『』内文章、アニメ「GUNSLINGER GIRL」より引用 ◆

 
 
 
 

 

 

 ■031203 志麻子説・子竜達の追いかけっこ■
 
 
 

 

 
 
 ■志麻子説■
 
 ここのところ図書館に行く機を余裕で逃していたもんだから、
 すっかり紅い瞳の手元には本的物資が尽きてしまわれておりました。
 仕方ないのでだいぶ前に借りていた、
 岩井志麻子「女學校」と太宰治「人間失格」をしばらくの間読みまくってました。
 通しで4回づつくらい。
 流石に飽きましたっていうか、頭の中が色々と大変な事になってしまったのですが、
 まぁたまにはこういうのもいいかな、とか言いながら本の返却期間を徹底的に無視していたところ、
 「さっさと返しやがれ、ボケ」という趣旨のお手紙を図書館様から頂いちゃったので、
 そろそろ潮時かと思い直して図書館行ってきました。
 ちなみに岩井殿はともかく、太宰治氏のこの人間失格ば云う作品凄かね。
 かなーりのレベルで勉強になったとよ。
 文学オタクの方々には今更なに言うとね、とお叱りば受けるかもしれんがの。
 で。
 志麻子中毒となってることを今ここで白状してしまったりする私ですが、
 もちろんお目当ては岩井志麻子様のお吐きになった言葉が綴られている本とか云うゲイジュツ品、
 それ獲得オンリーで図書館に侵入。
 速攻で3つも作品を発っけ・・・・・・・うわ、3冊もあるよ。
 かの御方の著作はまぁなんといいますか、なかなかキケンなタイトルや装丁のモノが多くてですね。
 ていうか、「痴情小説」なんて無理です。
 まだカウンターに澄まし顔で出せるシロモノじゃありません。
 で。
 「ごういしんぢゅう」とか云うのを選んだんですね。
 漢字で書くと合意心中なんだけど、なんか合意情死って当て字になってましたけどね。
 んで、カウンターに出して「これ貸してくらさい。」「あい、わかりました」っておばちゃんと会話したら、
 カウンターのおばちゃん、この本のタイトル見て、
 「あらあら。ほどほどにね」だって。
 
 なにをだ。
 
 一瞬の間に頭の中が焦土と化しました。
 非常に多くの意味で、滅びました。
 もうなにもわかりません。
 
 
 〜他に借りたごほんたち〜
 ・高橋克彦「天を衝く 上・下」
 ・阿部一重「公爵夫人邸の午後のパーティー」
 ・小野不由美「十二国記 月の影・影の海」
 
 
 
 ■子竜達の追いかけっこ■
 
 てぇぇぇぇーーーーーつぅぅぅぅーーーーーっっ!!! by辰之助お兄様
 
 
 ええと、すみません。
 ピースメーカーってすごいですよね、ってまた言っちゃいますけど、いいですか? いいですよね?
 ええとね、とにかくもう無茶苦茶。
 みんな滅茶苦茶。
 大船に乗ってゆるりとしてられるような安定ぶりなんてすっかり放り投げて、
 きっちり乗船客に手漕ぎを要求してくるようなほどに寸止めが効いてて、
 もう悔しくなるほどに勿体なさを露呈しつつも見る者を逃しはせんぞという気骨に満ち溢れてて。
 その怪しいカッコよさにボコボコに魅了されて逃げ出す事も出来ないって感じ。
 要するに、
 鉄之助が辰之助お兄様からは逃げられないのと同じで。
 
 ん? それはちょっと違いますか。そうですね。
 じゃーそれはおいといて。
 うん、まぁ。ぶっちゃけほっとしました。
 なんていうのかな、平和で ←いきなり言い切る奴
 斬った張ったで色々殺伐な話になっていってないからなのは勿論だけれども、
 なんだかこの作品に「ピースメーカー」って名前がなぜ付けられてるのかがよくわかっちゃうというか。
 そこがどんな地獄でも、そこに平和を造り出しちゃう奴が居るっていうか。
 鉄之助クンの細っこい首筋とか憂いを含んだ鈴クンの瞳とか、
 なんかあのそわそわした優しい空気は、それ自体が周りを変えていく力があるなぁって。
 それで、うーと唸りながら色々思い煩ってみると、あら不思議。
 この作品にゃ、大人がいない。
 というかそれより、「大人」なんてこの世にはいなくて、
 自分は大人という、子供とは違うと言ってる子供がたくさん居るだけだ、って言ってるよーな気が。
 誰も彼もが無邪気に憂鬱に生きながら、なにかの後ろ姿にみとれて走り回っていて。
 鉄之助にしても辰之助にしても、沖田にしても土方にしても、吉田にしろ鈴にしろ、
 みんななんか同じ道の上でそれぞれの背中を追っかけまわしてるっていうか。
 そこには「コドモ」というものが居ないという意味で、大人が居ないんですよね。
 誰も特権意識も、過剰な自意識も持ってないっていうか。
 みんながみんなそれぞれに足りないものを誰かの中に見つけて、そして生きている。
 どんな人間だって必ず誰かに必要とされてる世界がみっしりと敷き詰められている。
 鉄之助と土方もしっかり同格。
 そりゃー、いわゆる「上下関係」はあるでしょーけれども、
 でも、それはあくまで形だけのものなんですよね。
 土方に無いものを、土方は鉄之助から頂いてるし、その逆もあって。
 ある意味でのブシドー的感覚が無くて、ただただ耽美な関係がそこにはあって。
 土方と沖田なんて、あれなんて一番わかりやすいですよね〜。
 もうね、甘甘。
 みんなしっかりうっとり甘やかされた関係で優しく馴れ合っているというか。
 自分がしっかりして、ちゃんと自分で自己責任を果たして、切腹する覚悟で。
 まぁこれが簡単な「大人の条件」だとしたら、そんなもんはからっきしなくて。
 いえ、あることはあるんですけど、それはあくまで生き方のスパイスでしかなくて、
 基本的にはみんな誰かの向うに優しい幻想を抱いて生きてる。
 それがピースメーカーなんだなぁ、ってつくづく思った。かえすがえすも思った。
 みんな子供で、子供の竜。
 子竜が世界の平和の担い手。
 なんちて。
 要するになにが言いたいかというと、
 
 とりあえず、坂本龍馬にも手が伸び始めました ということ。
 
 つりめばけねこー ←シメの合い言葉
 
 
 
 

 

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