〜2004年2月の過去ログ〜

 

 

-- 040228 --                    

 

         
     

 

■■閑話休題 お茶濁し■■

     
 

 

 
 
 気づけばそろそろ2月も終わりというところで、
 はたとこれまた思い気づけば、2月に書いた日記が、
 ほとんどマリみてとガンスリの感想ばっかりという事実。
 別にそれでなにか差し障りがあるはずは無いのに、
 それでもなにか少し気になる私の拙い羞恥心を愛でたり小馬鹿にしたりしながら、
 適当にこんな日記を書き出してしまった紅い瞳です。
 みなさんひとつよろしく。
 
 ◆「羊のうた」DVD最終巻を買ってきました。
  いいですか、みなさん。
  これを買わずして他のなにかを買っている方々、
  絶対そのお金の使い方、間違っています。
  こんな世界の宝物を前にして素通りできるなんて、人間失格です。
  いいえ生物失格ですもはやこの星に貴方の居場所は無いと思え買わねば天罰テキメン地獄の業火に
  突き落された上無限地獄で永遠に苦しむがいいそれが貴方にはお似合いな訳はありませんので。
  ひとりで大人しく鑑賞してますです、はい。
  感想はもうちょっとしてから、ひっそりと遠慮がちにUPしますです、はい。
 
 ◆羊のうたの作者冬目景つながりで、「イエスタデイをうたって」のお話。
  上のリンク先でクイズに正解すると壁紙貰えるそうです。
  もちろん紅い瞳にとってはちょちょいのちょいな問題ばかりで、余裕で頂きました。
  単行本未収録分の話からの出題もあった(と思う)けど、なんとなくの推測でバッチリ合格。
  まぁ、わからないひとでも2択の上に正解してから次の問題に進むので、
  クリアできないということはありませんから、皆さん是非挑戦してみませう。
  漫画シーン付きのストーリープレイバックもあるみたいだから、
  この際にイエスタデイの世界に触れてみること、紅い瞳、お勧め致します。
  にしても、相変わらず冬目景の絵は凄いにゃー。
 
 ◆最近私が面白いなー思ったサイトをいくつかご紹介。
  「がんすり保育園」
  ガンスリンガーガールの漫画を掲載しているサイト様なのですが。
  もうあれですね、やられた。
  大好きです、こういうの。
  笑い転げてかかとを椅子のかどにぶつけてひぃひぃいわされたくらいに面白い。
  更新ペースはそんなに早くないけれども、更新されていたときの嬉しさは堪りません。  
  立ったフラグは全てつぶす男ひるしゃ、と、くまひげエッタ、最高デス。
  次。
  「村下日本史ゼミナール」
  メインコンテンツの本講義とか、補講義が面白い。
  なにが面白いかというとよくわからないところなのですけれど、
  自分の知らなかったことにうんうんと頷けたり、
  あるいは知っていることで、この教授の考えはちょっとおかしいなぁと素直にさりげなく思えるところ、
  そんななんともいえないサクサク感が面白くて美味しいのかもしれないなぁ。
  お手軽なんだけれど、でもそれだけで満足しちゃったら意味がないヨ、
  という余韻を静かに与えてもくれていて、ちょっと歴史が好きな人にとっては、
  なかなか楽しく読めるサイト様だと思いまーす。
  ちなみに平安の怨霊思想の欠落点、ってところはちょっと違うな思いました、教授 (物陰からぼそりと)
  次。
  以上。
  いくつかとか言っておきながら、たった2つですか。そうですか。
 
 ◆「戦国無双」も引き続きやってます。
  紅い瞳的に最弱の誉れ高いキャラ、伊達政宗の特訓を今はしてます。
  だって、政宗くんほんとに弱いんだから。
  背が子供並みに低いのはまぁ百歩くらい譲って良いとして、
  それでもリーチが異様に短い上に、スピードキャラのはずなのにスピードそんなに速くないし、
  その上チャージ攻撃する際に微妙に隙ができるため、囲まれたら手も足も出ないときたら、もう。
  もう、最弱と呼ぶしかない。
  攻撃力も圧倒的に低いから、最弱というより至弱というかなんというか。
  ということで頑張って育成中で御座います。
  でも紅い瞳的には手かずが多いのとモーションが好きなので、わいわいひとりで楽しんでますけど。
  それに、あのバカっぷりも良いですよね。
  ムービーシーンでの家臣との掛け合いでちょっと爆笑してしまいました。
  政宗くん、結局作戦は両方倒せしかないのか(笑)
  最弱の呼び声は、人様によってだいぶ違うようですよね。
  その中では、割と石川五右衛門が弱いという話を聞きますけれど、
  でも五右衛門は私は結構強いと思うんですけど。
  囲まれたらチャージ攻撃のぶんまわしでケリつきますし。
  一方最強は誰かといえば、前田慶次か蘭丸じゃないですかねぇ?
  信長も結構使えますし、パラメータ的には信玄もかなりイケますし。
  まー誰でもいいやー。
 
 ◆明日、図書館行ってきます。
  なにを借りるかはいつも大体図書館に行ってからのんびり探しているのですけれど、
  今回は何冊かは借りたいモノが内定中。
  キノの旅の6巻をまず借りよう。
  確か5巻までは読んだはずだから。
  あと、yukiさんにご推薦頂いた、大塚英志という人の本も借りよう。
  それと前回借りてきたけどなぜか読まずに返してしまった太宰治の短編集も借りよう。
  というところは決まっています。
  その他の本はやっぱり図書館でじっくり探してこよう。
  これは、それだけのお話。
 
 
 
 ネタが尽きたので、今日はこれまでということで (早過ぎ)
 
 
 追記:網野善彦さんの冥福を祈ります。
 
 
 

-- 040226 --                    

 

         
     

 

■■マリア様と一緒に■■

     
 

 

 
 
 『嬉しいこと言ってくれるじゃない。・・・・・どうにかなるよ。』
 

                 〜第八話の聖様のセリフより〜

 
 
 
 ごきげんよう、皆様。
 いつも通り紅い瞳です。
 そして、マリみての感想です。
 
 正直、なにを書けばよいのか、ということをずっと考えていて、
 書き出すのに時間がかかってしまいました。
 それはでも、書きたいことがいっぱいあって、だからどれを書こうかという迷いではなくて、
 それ以前に書きたいことがひとつもない、というものでした。
 つまらない、という訳でもなく、ただ言葉にできるものがなかなか見つからなかったのです。
 けれど、こうして書きだしたと言うことは見つかった、ということです。
 その見つけたものを、いつも通りお話させて頂きましょう。
 
 本来ならば、祥子様と祐巳さんのお話をしたほうが良いのかもしれませんけれど、
 そのお話を自分の中で言葉に換えることが出来なかったので、
 本日はそれとは違った視点からお話をさせて頂きます。
 それは、カタチとしては聖様と祐巳さんのお話になります。
 聖様と祐巳さん。
 私はもしかしたらこのお二人のお話し合いが、一番好きなのかも知れません。
 いつもそうなのですけれど、聖様の優しさの姿が祐巳さんを包んでいくときの、
 あの何度でもはっとさせられる抱擁。
 今回のお話でもまたそうでした。
 泣いている祐巳さんを、温室の中で抱きしめた聖様。
 あのとき私は、ちょっと泣いてしまいました。
 なんででしょう、と考えるまでも無く、それはちょっと嬉しかったから。
 私が、あの聖様の言葉にとても慰められたからです。
 聖様達が卒業してしまったら、もう誰も自分の助けてはくれないといった祐巳さん。
 祐巳さんにとっては、やはりそれは地獄に等しいことなのでしょう。
 自分の足で立って歩かなければならない、ということの恐ろしさ、
 その事自体にいかなる覆いもかぶせることなく、はっきりとそれを感じている祐巳さん。
 それは不安で堪らなく、そしてそれは不安という言葉の持つ意味以上の虚しさをも合わせ持って、
 祐巳さんには迫ってきています。
 涙すらも流さない虚ろな瞳で聖様にすがりついたあのときの祐巳さんの前にあるのは、
 誰もが誰もが当たり前の事として無視していた、そういう恐怖。
 それを無視する事ができない祐巳さんには、祥子様との関係を含む、
 それこそ全世界がどうしようもなく冷たいモノとして受け取ってしまいます。
 聖様に祥子様という人間を説明して貰い、
 だから祥子のこと嫌いにならないでね、と聖様に言われて、
 そう言われて祥子様の事がわかったつもりになったけれど、
 でもそれだけじゃ、祐巳さんが直面している恐怖にはなんら揺るぎも無いのです。
 恐怖の正体が説明されて、だからもうこれだけわかっているのだから、
 その恐怖はカンタンに乗り越えなくちゃいけないのよ、と言われたとしても、
 その乗り越える第一歩を踏み出すこととそれとは、まったく関係が無いんです。
 怖いモノは怖い。
 ただそれだけの事が祐巳さんを不安の渦に陥れるのです。
 
 言いたいことをはっきり言う、それが祥子様の求めているものだとわかっても、
 祐巳さんが実際そうするまでには、もの凄く深い谷間を越えなければいけません。
 それがカンタンにできる人ならば、それでいい。
 でもそれができないのなら・・・。
 祐巳さんの瞳は、虚ろに怯えています。
 逆にいえば、祐巳さんの怯えは、しなければいけないことが純然としてあって、
 そしてそれを行う方法論もすべてわかっているのに、それでも第一歩を踏み出せない恐怖、
 という風にも言えます。
 私には、その祐巳さんの怯えがよくわかるような気がします。
 そしてその怯えは、とても怖い。
 怖くてどうしようもなくて、でもどうしようもなくてもそれを当たり前の事だと思わなくちゃいけなくて、
 でもそれでもいつまでたってもそれを当たり前と思えない・・・。
 聖様の肩にすがりつきながら、祐巳さんの瞳はそう訴えているように感じました。
 理屈では全部わかっているんだけど・・・でも、どうしよう・・・。
 祐巳さんが小さく震えているのが、はっきりと私には見えました。
 
 そしてその震えは、当たり前の事ができなくて、
 そしてその出来ない事を出来ないということは甘え以外の何者でもなくて、
 だからそれは逃げ場の無い事で、どうしようもないことで、
 そのどうしようもないことを恨めしく思っている自分の虚しさに、自嘲を込めた震撼。
 流したくても流せない涙、うずくまりたくても立っていなければならない憂鬱、
 その涙や憂鬱は自分からすら弾圧されて、体の中にしまい込まれてしまう。
 でも、祐巳さんのその体は、それでも聖様の肩にすがりつくのです。
 どうしようもないことをそれでもどうにかして欲しいと願う「劣情」を、
 うわごとのように囁きながら聖様に抱きつくのです。
 
 聖様は、その祐巳さんのすべてを、優しく抱きしめたのです。
 
 祐巳さんのすべてを。
 涙も憂鬱も、そして自分の足で立っていなければならないその事さえも。
 祐巳さんの囁きが、それが祐巳さんの愚痴であることを聖様は受け止めます。
 祐巳さんが自力でなんとかしていかなければいけないこと、それを決して否定することなく、
 その事をも組み込んで、祐巳さんの愚痴を受け入れます。
 そして、どうしようもないことをどうにかしたい、という祐巳さんの最も「恥ずかしいお願い」も、
 聖様はちゃんと抱きしめてくれたのです。
 そのお願いが、ただそれだけで在る訳ではないこと。
 それが、祐巳さんが恥ずかしいと思っている劣情、本来ならば自分でも言いたくないことである事、
 それらと共にあって初めて其処に在ることを、聖様はよく知っています。
 そしてその恐怖に祐巳さんが陥っていることを、確かに聖様は見ています。
 嬉しいこと言ってくれるじゃない、と言った聖様。
 祐巳さんが、自分を頼りとしてくれていること、
 そして祐巳さんが自分のその恐怖をしっかりと見せてくれたこと、それが嬉しいのです。
 光栄なことなのです。
 それが、聖様の冷たい優しさのすがた。
 あくまで祐巳さんからは離れているのです。
 離れていて、そしていつのまに近寄ってきて、その冷たい手で祐巳さんの頬を暖めてくれる。
 自分に甘えてくれる人が居るなんて、嬉しいですよね。
 その嬉しさが聖様をより祐巳さんから離れさせ、そして祐巳さんを受け入れるのです。
 受け入れつつ離れてもいて、離れてもいるから祐巳さんは聖様に甘えることができる・・・。
 
 そして聖様は言います。
 『もう少し祥子に本音でぶつかることができたら、それさえできるようになったら、
  なにがあっても乗り越えていけるようになる。』
 私は最初、今回の日記のタイトルを、「マリア様と独り立ちと」とするつもりでした。
 でも。
 でも、この聖様の言葉はその私の考えを変えさせました。
 聖様は、いつまでたっても祐巳さんの聖様なのです。
 ずっと聖様は、祐巳さんの空から祐巳さんを見ているのです。
 自力で祥子様と付き合っていくことを祐巳さんに改めて優しく宿題として残した聖様は、
 祐巳さんに自分のその足で立つことを求めながら、
 でもそれでもいつでも祐巳さんの恐怖をもしっかりと見守ってあげる。
 祥子様と自力で付き合えるようになれば、今度は祥子様自体が祐巳さんを優しく包んでくれる。
 恐怖の対象が、自分のその恐怖さえも受け止めてくれるようになる。
 それは聖様なる冷たい優しさが永遠に続いているという、信じられないくらいに嬉しい希望なのです。
 
 嫌で嫌で堪らない事が目の前にあって、でもそれは耐えなくてはいけないことで、
 でもそれに耐えられるなんていつまでたっても思えなくて、
 でもそれは耐えたい事でもあってだから愚痴なんていうのは恥ずかしいことで、
 でもその恥ずかしさなんていうのは本当は虚しいもので、
 でも虚しくても確かにそれを感じている自分は居て、だから恐ろしくて。
 でも恐ろしいからと言って、逃げ出すこともできなくて。そして逃げたくも無くて。
 だから、逃げちゃ駄目だとだけ言って励まされてもなんにもならなくて、
 だから、逃げてもいいのよとだけ言って慰められてもなんにもならなくて。
 逃げちゃ駄目だけど、逃げてもいいよ、だから逃げちゃ駄目なんだけど、だから逃げてもいいのさ。
 そう言ってくれる聖様の瞳が見つめてくれている、と感じられたから。
 祐巳さんは、前に一歩を踏み出せたのじゃないかと、私は不束ながら思いました。
 祐巳さんからすっと離れることで、祐巳さんに独り立ちを促しながら、
 それでも、祐巳さんに自分は見守られ続けていると思わせる最高の甘えを与えてもいる。
 自分が自立していることも、自分が本当は泣きたいんだということも見ていて貰える甘え。
 甘いんです、もうどうしようもなく優しく。
 投げやりな言葉で祐巳さんから離れることで祐巳さんの自立性を尊重しながら、
 すっと甘く近づいて泣いている祐巳さんを抱きしめる聖様。
 自分の足でしっかり歩かなきゃ、と思いつつ泣きながら立ち止まっている祐巳さんの、
 そのすべてを見ているロサ=ギガンティア。
 自分の足で歩いているその空の上では、確かにマリア様が微笑んでいます。
 唯独りで歩きながら、それでも誰かと共に歩いている・・・・。
 
 
 私は、今回のおはなしからそういうことを強く感じていたみたいでしたので、
 こうして言葉に換えてみる事にしたのでした。
 
 
 
 おまけ: やっぱり、祐巳さんは祥子様のスールに最適ですね。
      蓉子様と祥子様の関係の法則性が、祥子様と祐巳さんとの関係にも適応できるのでは?、
      という前回の私の感想の予想通りとなりました。やったネ(笑)
      自分の思う「正しさ」に外れている妹を教育するという「カタチ」の優しさ、
      それが紅薔薇の構図なのですね。
      で、聖様と祐巳さんはそういう意味でもスールにはなりえなくて。
      聖様は祐巳さんのすべてを無条件で受け入れてしまいますし、
      そもそも聖様に教育精神無いですし(笑)
      そして最もスールの関係からは遠いゆえに、
      祐巳さんは聖様に甘えられるのですねぇ。
      離れていることの優しさの関係、
      というものをそういう観点からも言ってみることができる、そういうおまけでした♪
 
 
 
 
 

-- 040221 --                    

 

         
     

 

■■月の中の少女達 2 ■■

     
 

 

 
 
 *以下は、昨夜の続きです。
 
 
 
 ◆◆◆◆
 
 偽りの幸せなど。
 絶望しかない世界など。
 そんなものは無い。
 それがあると言っているいうちに、それが本当にあるように思えてくるだけ。
 しかしそれをそう思えば、それは実際に在ってしまう。
 それが不幸だと思えばそれは不幸になり、幸せだと思えば幸せになる。
 そして、幸・不幸という言葉になんの重みも無いことをその肌を以て知る。
 逃げることなど思いもよらない、ただそれが当然としての現実を生きているのなら、
 自らの生を自らが決める術などある訳がない。
 ただただ言葉を諳んじて、思い思いに自分の世界を説明し理解していくだけ。
 ほんとうは、ただそれだけなんだ。
 
 ヘンリエッタは言う。
 私達の現実を憐れまないでと。
 マルコーに、ジョゼに、ヘンリエッタはそう言う。
 自分達は不幸な少女であるかもしれないけれど、
 でもその中で確かに幸福も感じているのだと。
 その幸福をくれたのが他ならぬフラテッロなのに、
 それなのにその幸福を不幸だと言われてしまったら、なにもかもが意味を為さなくなってしまう。
 その幸福は与えられた物で、であるからそれは偽りの幸福ではないのか?
 マルコーはアンジェリカに対してその疑問を抱き、結果少女から離れていった。
 だがヘンリエッタは言う。
 それは間違いです、と。
 そもそも、とあるなにかを幸福か不幸かを決めているのはなんであるのか。
 与えられたものだから、ずっと人を殺し続けなければいけないから、
 どんなにフラテッロを想ってもすぐに死んでしまうから、体に機械を埋め込む冒涜の象徴だから、
 だから不幸であると皆、云う。
 だがそもそも、そのそれが不幸であるという断定自体が私達に対する冒涜ではないのだろうか。
 そういう浅ましい評価それ自体が、私達を不幸たらしめている由縁ではないのか。
 辛いことの連続で、哀しいことがどこまでいっても終わらない現実を生きて行かねばならない、
 それは絶対に動かせない事である少女達にとって、幸福か不幸かの議論などなんの意味も無い。
 ただただ苦しくて絶望に苛まれて、それでも生きている少女達を指差して、
 勝手に少女達の幸・不幸を論じる事の無責任さに、否を唱えたヘンリエッタ。
 私は、それでも幸せなんです。
 アンモラルだから、その生の長さが短いから不幸、という単純な論理と感情で、
 自分達を語り、そしてなによりもそのことで他の人達に悩んで欲しくない。
 そう。むしろヘンリエッタが云いたかったのはそちらの方だ。
 私達の存在について、ジョゼさん達に悩んで欲しくない。
 自分の中に確かにある他者達の価値観に自らも同意できる感覚があるからこそ、
 ジョゼの悩み、マルコーの苦しみがヘンリエッタには、そしてアンジェリカにはよくわかっている。
 義体の少女達は、自分達が世界の中で特異な存在であることを誰よりも良く知っている。
 だから、マルコー達が自分達の事を憐れむ事もそれが本当は当然の事だということもわかっている。
 自分達に中に、それでも普通の女の子でありたいと願う心を持ち続けている少女達は、
 自分達義体の存在を、マルコー達が思うよりずっとずっと深く憎んでいる。
 少女達は、自分達の存在を決して許さない。
 普通の少女とかけ離れた存在である自分達の姿、
 そして条件付けによって心さえも塗り替えていく自分の本質を、心の底から憎んでいる。
 それは少女達の外側から見ている他者達には及びも付かないくらいの憎悪である。
 なぜって、それが自分の事であるから。
 憎んで憎んで憎んでいるうちに、それは絶望へと転化していく。
 けれどその絶望はしかし、新たな出発点としての起点でもあった。
 恐ろしい自分の存在からは決して逃れられないのだ、という事実が、
 それがただ言葉だけではなく自らの体と一体化した実感となったとき、
 少女達は、その現実に生き始めた。
 どうすることもできないから、そうするしかない。
 だがそこには、自分だけが存在していた訳ではなかった。
 ただなりふり構わずに、じっと我慢して明日を迎えれば良いのではなかった。
 少女の横には、フラテッロが居た。
 この自分の外側に広がる、それこそ自分とは絶対に溶け合えない他者が、自分の横に確かに居る。
 それはつまり、義体という絶対の不幸がそこにある、という証でもある。
 世界の中で義体の自分しかいないのならば、少女達を見つめたりはしない。
 他者が明確に存在するからこそ、少女は誰かに見つめられ、
 そしてだから自分がどういう存在であるかを知らずには居られない。
 フラテッロが居るからこそ、自分がこの現実にそれでもちゃんと生きている事を感じている。
 ジョゼが居るからこそ、ヘンリエッタは普通の女の子の姿という眩しい朝日を夜の向うに確かに見ている。
 そうであるから、ヘンリエッタはジョゼに自分の事で悩むことをやめてと願う。
 ヘンリエッタはヘンリエッタであって、そしてヘンリエッタは自分の存在の恐ろしさを知っている。
 でもそのことを一緒にフラテッロに嘆いて貰っても、なににもならない。
 ましてや自分達の不幸さを、申し訳無いだなんて思って貰いたくはない。
 ヘンリエッタがジョゼに求めているのは、ジョゼが自分と一緒に生きてくれること。
 ジョゼと一緒に見れない天体観測になど意味はない。
 アンジェリカがマルコーに求めているのは、自分が死ぬまでマルコーに側にいて貰いたいという事。
 少女達は、それだけで満足なのだ。
 その満足は不可侵で、そしてその満足の責はすべからく少女達が負うべきであって、
 フラテッロ達が負うべきものではない。
 私が私を生きることの責任を負うことを、私達から奪わないで。
 義体の少女達に唯一備わっているのが、その責任の意識だ。
 どんな存在として生きていくことになろうとも、でもその自分が生きていく事そのものは自分のものだ。
 『私はそんなに強くないわ。痛いのは嫌だし、死ぬのは怖い。
  多分、毎日絵を描いたり本を読んだりしているのは、自分自身に納得したいだけなのかもしれない。
  無駄な日々を送ってないんだって、後悔なんてしないぞってね。』
 クラエスは、アンジェリカにそう述べる。
 その言葉はその裏に自らの現実と運命に対する激しい絶望が縫い込まれているものだが、
 しかしだからこそその絶望している自分の生だけは自分のものにしたい、という、
 そういう願いがどうしようもなく滲み出している。
 自分達の生をフラテッロ達が論じることは、だから少女達にとっては最も辛いこと。
 そしてそうして論じられた結果、フラテッロが悩み或いは自分達から離れていってしまうこと、
 それこそが最大の不幸なのである。
 恐らく、少女達の世界下において本当に不幸という言葉が与えられているのはそれだけだろう。
 ヘンリエッタの、リコの、トリエラの、クラエスの、アンジェリカの生が、
 それがどんなに、どんなに苦しくて恐ろしいものだとしても、それでもいい。
 だって、それが私達なんだもの。
 それが少女達がこの世に生まれてきた証でもある。
 それを変えることはできない。
 逆に言えば、変えることになんの意味があるというのか。
 ジョゼへの愛が、それが条件付けでもそれでもいい、と言ったヘンリエッタ。
 それがとてつもなく悲しいことだと、そういう外の世界の人々の想いも知っているからこそ、
 少女達はなおのこと自分達の生を、その体を抱きしめる。
 冷たい夜空に凍えて、明日の朝に楽しい夢を馳せて泣きながら、
 それでもその夜に自分の存在のぬくもりを解き放って、暖かい眠りに少女達は安らかに至るのだ。
 
 
 ああ、もう、なんということなのさ。
 それで夜空を見上げて歌っているんだ、自分達の生に捧ぐ謳歌を。
 堪らない涙の奔流を必死に解放しながら、それでいて必死に泣くことを堪え忍んでもいるんだよね。
 あのコ達の瞳になにを見たかって。
 どうしようもない絶望と、それとともにある至福をさ、私は見たよ。
 絶望とか不幸とか、それって結局みんな単純にしちゃってる場合って多いと思う。
 ただそれだけで成り立つ世界なんてある訳無いのに、ついついそういう風に決めつけて言っちゃったりする。
 でもあのコ達のあの謳を聞いたら、わかるよね。
 幸せとか、不幸とかそれだけじゃなんにも意味無いんだって。
 色んなものが混ざり合って、そして全然関係ないものができちゃってたり。
 泣いたよ。ほんとに泣きました。
 アンジェリカのあの瞳はもう・・・。
 すべてが終わってすべてが始まって、絶望が幸せに包まれて。
 目一杯の思いを瞳に詰め込んで、そして微笑む・・・。
 みんな星の下で孤独なはずなのに、気づいたら星が堕ちて孤独じゃなくなっていて。
 目を開けたら横にはマルコーさんが居て、そしてパスタの物語を思い出して・・・そして・・・・。
 これって、それが幸せか不幸かなんて言えないよぅ。
 どうしようもなくアンジェリカは堪らない想いで一杯だったんだよ。
 トリエラ達のあの謳も、みんなみんな堪らない。
 堪らないから、謳っちゃう。
 すごいじゃない。
 アルフォンソは彼女達を義体にしとくにゃ勿体無いって冗談めかして言ってたけど、
 でも別に勿体無いことなんて無いんだよね。
 だからといって、別に彼女達が義体だからこそ良い、っていう訳でも無いよ。
 ただもう、世界は美しくて。
 義体も普通の女の子も、幸せも不幸せも、モラルもアンモラルも、
 それがいろんなカタチで共存したり打ち消しあったりしながら、確かに世界の中にある美しさ。
 そしてそういうことすべてを引っくるめて自分の生に収束させて、
 そしてこの夜空全部が私の物だよって、声高らかに謳う美しさ。
 もう、美しいってしか言えないよ。
 ちゃんと全部自分のものにする。
 それは自分じゃどうにもならないものも、ただひたすら絶望するしか無いことも、
 そういうものにも自分が生きることを諦めない。
 それって、自分が自分の生に責任を持つってことなんよ。
 誰のせいにもしない。
 そしてそこに誰かが居るから、決して自分の事で迷惑をかけたくない。
 自分がこうして此処に居ることだって、それも私のものだってヘンリエッタは言ってるんだよ。
 体を改造して人を殺して自分の命を縮めても、それも全部私の生ですって。
 ジョゼさんがくれたものは、すべて嬉しく頂いてます。
 これって、ほんとうに悲しいことなのかな?
 たぶん、哀しいのだと思う。
 哀しいって、笑顔で微笑みながら涙を流すコト。
 その涙は、冷たくてでもとっても暖かいのさ。
 絶望を幸せの中に詰め込んで、幸せを絶望で包み込んで。
 ああ、もう、アンジェリカのあの星空を見上げた瞳のなんと美しいことでしょう。
 全部、そう世界の全部がその瞳の中に在るんです。
 そしてマルコーさんの瞳の中に、確かにアンジェリカは立っていて。
 月って。
 月って日の光を受けて輝いているんだよね。
 だから月を夜空に探すってコトは、明日の光を求めているってコト。
 でも自分はその夜空の下からは動けないし、夜にそれでも護られて生きていく。
 朝日を求めることはやめられないけれど、でもだから月の在処は空の上には絶対に見つからない。
 でも、見つけた。
 私達の瞳の中に。
 そして瞳の中に私達の姿を。
 瞳自体が、だから月だったんだね。
 私達の居るべき場所としての空間、それが月。
 私達は多くの瞳に見つめられてその中で生きている。
 だから、私達は月の中に居る。
 誰もがみんなその中に居て、決して何者もその大地から投げ出されることの無い・・・。
 星の下で独り泣いていたヘンリエッタは、月の中でみんなと一緒に微笑んでもいたのです。
 月の見つからない星空を見上げながら、星が全部流れてそれで空の上に月が無いことに気づいて、
 そしてアンジェリカは隣にマルコーさんが帰ってきてくれたことに気づいたんです。
 はぁ、アンジェリカのその瞳にカンパイ。
 そして少女達の深い深い歓喜の歌のさざめきって、もう抱きしめたいくらいに大好き。
 トリエラのおませな仕切りっぷりは可愛い頼もしさに満ち溢れてて、
 無邪気なリコが一層無邪気になって本当に楽しそうで、
 クラエスは相変わらずぽつぽつと冷静に言葉を開陳してくつろいでいるし、
 ヘンリエッタはただもうみんなの中で幼く笑っていて。
 なーんにも無いんです、この夜空には。
 そしてぜーんぶ有るんです、この夜空には。
 だからそれをめーいっぱい吸い込んで、おもいっきり歌っちゃうんです。
 あー・・・・もう・・・また涙が出て来ちゃいました・・・。
 そして。
 アンジェリカの、最も深い深い黒髪の奥で暖かく濡れているその瞳。
 その瞳が大きく、そしてどうしようもなく喜びで閉じられていく瞬間。
 
 ああ、もう、これでもう私にはなにもいりません。
 
 
 
 少女達の謳歌がとこしえに続かんことを。
 そして少女が兄の背中を見失う事の無き事を。
 
 ガンスリンガーガール、此処に終わりて此処より始まりしことを、吾、確かにこの涙に刻まん。
 
 
 
 

                          ◆ 『』内文章、アニメ「GUNSLINGER GIRL」より引用 ◆

 
 
 

-- 040220 --                    

 

         
     

 

■■月の中の少女達■■

     
 

 

 
 
 
 
 
 『もしマルコーさんが、私達を可哀想だとか申し訳無いとか思っているのなら、それは間違いです。』
 

                           〜最終話のヘンリエッタのセリフより〜

 
 
 
 
 
 暮れゆく黄昏のさなかに萌える一杯の紅茶。
 滑らかな時の流れが静かな波紋を靡かせ、少女の肌に風を吸い付ける。
 見えない明日の日差しが夜空を暖め、星の下で泣く少女を眠りへと誘う。
 たったひとつの紅茶の水面が少女達の行く末を指し示す。
 漏れ出るささやかな幸福の兆しをそれでも甘受するために、
 少女達は夜に向けて瞳を凝らしている。
 
 『見たかったなぁ、流星雨。・・・・ジョゼさんと一緒に。』
 『大丈夫だよ。トリエラがきっとなんとかしてくれるよ。』
 『トリエラだったらなんでも解決してくれる、そう思っているのよ。』
 『ふぅ、しょうがない。期待に答えなきゃね。』
 『安心しろ、お前には先のことだ。』
 『はい。』
 『ヘンリエッタ、来てくれたんだ。ありがとう。・・・・・綺麗なお花・・。』
 『はやくよくなるといいね。』
 『うん』
 
 私達は幸せだよ。
 朝靄の幻想が、少女達を優しく包んでいた。
 
 連なりたる嵐の中を歩く力。
 力無き者が日の中を歩く劣情。
 そしてその執念。
 淫靡な空の仕打ちに虐げられ、打ち寄せる風に心を破られその身を裂かれる苦しみ。
 限りなく続く絶望の彼方に投げ込まれて、枯れ尽きた涙をそれでも追い求める哀しみ。
 手繰り寄せたぬくもりに身を任せ、ただその瞳の中に変わらぬ月が無い事を見つめながら。
 薄い叫びを暗夜に響かせながら、解き放たれる事の無いぬくもりに感謝して、
 少女達は幸福の渦に飲み込まれる。
 涙で出来たその瞳を遂に見つけ、自分だけの足を抱きしめながら、少女達は謳う。
 いざ往かん明日へ。
 間違いなくその歌声が月の中にあることを。
 誰もが世界の外に投げ出される事のない、その想いを込めながら。
 いざ謳え、その喜びを。
 如何なる者の如何なる行為も想いもそれがどんなに宙を舞っても、
 その足が着く先は同じ月の大地であることを感じ給え。
 
 
 --少女達のうたが始まった--
 
 
 叫ぶことすら出来ない憂鬱に囁かれ、ただ終わらない路を歩く。
 ひたすら歩くことの強靱にその身のぬくもりを閉じ込められる。
 絶頂より降り注ぐ日の飛礫に晒されながら、凍り付いた体をひび割らせる。
 助けを求めることの恐怖に震え、真っ白に爛れていく世界を見上げている。
 ただそれだけの少女。
 壊死し始める夜空の断末魔に引き裂かれながら、それでも強固なその体は倒れない。
 消えることの無い鋼鉄製の風が夜を席巻し、少女はその中で銃を撃つ。
 呻き声を飲み込んで笑顔に血をまぶし歩く少女達。
 溶け合うことの無い体に想いを寄せながらも、その想いさえ銃に込め撃ち出す少女達。
 涙の行く末を辿るうちに、逆巻く風は少女達の体のぬくもりを奪い続けている。
 これ以上私達からなにも奪わないで、なんて言えないのさ。
 私達には最初からなにも無いもの。
 尖った森の先に聳えた夕日に映えるその髪の色。
 それは絶望に染め上げられた黒色か、透明に塗り込められたブロンドか。
 ひび割れきった夜の静寂が描きおろす色彩。
 細く染み出す月光を、固まりすぎた少女の体が遮断する。
 少女達の蒼い影。
 ちぎり合わせた空の想い出を手にすることさえ出来ない少女達の憂鬱。
 星の下で泣く少女の、風を燃やす少女の、見えない少女の、扉を引き裂く少女の、
 そして終わりの無い少女の涙の行方。
 光さざめく地獄の中で、幸せに微笑む少女達の涙。
 誰もがそれを、泣きながら知っている。
 
 真っ白な風が舞い降りる黒いベッドの中に居る少女。
 おくれげも無く窓の外を見つめながら、はだけた体を置き去りにする少女。
 溶け出すことの無かったぬくもりが、無造作に放り出されていく。
 黒髪に護られ宙を舞い続ける少女の終わりが見えてくる。
 わかり切った死の行く末を追うは、涙の行く末を掴むより易し。
 だからただ、なにもかもわからなくなって死ぬ。
 死は怖いんじゃないよ、クラエス。
 黒髪に護られた少女を解き放とうとするクラエスに、アンジェリカは囁く。
 どうしようもない事からただ護られているだけよ。
 穏やかな風がベッドのぬくもりを奪い去りながら散っていく。
 フラテッロの残滓を抱きながら、それでも扉を引き裂く少女は諦めない。
 決して諦めない。
 言葉を開くことで、自らの体がはだけていくことに震えながらも、
 少女はアンジェリカを抱きしめて離さない。
 離すものか。離してやるものか。
 少女に絡みつく黒髪ごと抱きしめてあげるから。
 クラエスの名を継ぐ少女は、泣きながら叫び続けている。
 
 遥か彼方から射す光が眩しくて、目を開けられない。
 暗闇の中で目を見開いてきた少女は、それでも必死にその瞳をこじ開ける。
 見知らぬ鋼鉄が填め込まれた両腕で肩を抱きながら、懸命に夜の向うに朝を見つめる少女。
 黒く熟れた夜の子守歌に護られながら、星の下で泣く少女は夜空に月を探している。
 日の在処を証す月光を求め、ヘンリエッタは歩いている。
 終わりの無い少女の終わりに向き合いながら、夜空を見上げている少女。
 俯いて、胸にその風を大きく吸い込んで少女は初めて語り出す。
 
 ・・・・・・
 
 私達は、いろんな事を考えているんです。
 ジョゼさん、私は一生懸命に生きています。
 マルコーさん、だからアンジェリカに謝らないでください。
 アンジェリカは、全部わかっているんです。
 私達は不幸です。
 でも、だから幸せじゃ無いと言ったら、それは嘘です。
 私達は、泣いています。
 泣いて泣いて、でもそれでも涙が枯れる事はありません。
 あまりに泣きすぎて、涙の行方がわからなくなってしまうことはあっても、
 でもきっとその涙は私の瞳の中に戻ってきてくれます。
 私達は、いろんな事を考えているんです。
 ジョゼさん、私は一生懸命に生きています。
 マルコーさん、だからアンジェリカに謝らないでください。
 私達が不幸だなんて思わないでください。
 私達には辛いことがたくさんあるけれど、でも辛くは無いんです。
 リコもトリエラもクラエスも、みんな悩みながらそれでもちゃんと生きています。
 ジョゼさんが私に求めてくださっているような、普通の女の子の生活はできないかもしれません。
 でもそれでも私は、いいえ私達はフラテッロがそう私達に求めてくれるだけで充分なんです。
 私達は強くはありません。
 けれど弱い私達でも、そして不幸かもしれない私達もそれでもちゃんと生きているんです。
 だからマルコーさん、アンジェリカに謝らないで。
 申し訳無いだなんて、思わないでください。
 マルコーさんがただ其処に居てくれるだけで、アンジェは幸せなんです。
 同情なんていりません。
 可哀想だからなんとかしてあげよう、なんて思わなくても良いんです。
 アンジェリカは、それでもその可哀想な世界を生きているのですから。
 その世界で残りわずかの世界を生きなければいけないんですから。
 それは私達みんながずっと考えてきたことなんです。
 『もしマルコーさんが、私達を可哀想だとか申し訳無いとか思っているのなら、それは間違いです。』
 だからアンジェの所に行ってあげてください。
 アンジェはアンジェの居る大地の上でずっとずっと戦っています。
 たくさんの事を忘れて同じ事を何度も何度も繰り返して、それでも懸命に生きているんです。
 私達義体は、そういうものなのです。
 辛いことがたくさんあってそしてそれから絶対に逃れられなくても、
 私達はその冷たい夜に抱かれながらも眠りにつきます。
 私達にとってはでもその辛いことだって、とても幸せな事なんです。
 それはジョゼさんが、フラテッロが私達に与えてくださったものだからです。
 それがとても辛くて哀しい事なのだとしても、でも私達はそれを確かに受け入れて生きているんです。
 受け入れたその夜の向うに、それでも朝の光を見ているのも確かだけれど、
 でもこの冷たい夜にだって私達はしっかりと生きていけるんです。
 懸命に夜を生きる者を、だから憐れんだりしないでください。
 冷たい夜の静寂を許せないだなんて、言わないでください。
 私達は、それでも幸せなんです。
 そんな顔、しないでください、ジョゼさん。
 だから・・・だから、マルコーさん。
 アンジェの気持ちに応えてあげてください。
 アンジェはもう全部わかってて、そしてそれでもマルコーさんに側に居て頂きたいんです。
 お願いします、マルコーさん。
 アンジェのところに、行ってあげてください。
 
 ・・・・・・
 
 空に月が輝いている訳は無かった。
 月は夜空にあることなんて無い。
 月はただ我のうちに。
 私の瞳こそが月。
 世界の光を受けて輝く、涙で出来た瞳が月。
 そして様々に照り返し合うたくさんの瞳の中に、私は立っている。
 星空を見上げ、淫靡な風を燃やして愉しみ、
 世界を広げ世界とひとつになるために、体を見えなくし部屋の扉を引き裂き終わりを無くしてきた少女達。
 少女達の立つ場所はひとつ。
 月の中に立つ少女達。
 黒く輝く美しい瞳の中に、収まらぬ物など無い。
 すべては月のうちに。
 如何なるものも、その足で立てる月の大地。
 だから、さぁ謳いましょう、みんなで。
 誰もが独りである星の下で、そして誰もが独りではない月の中で、
 精一杯楽しく歓びの歌を謳いましょう。
 すべての星が空から崩れ落ちる夜。
 すべてが月の中に往き着いた瞬間。
 少女達の瞳は、世界で一番光り輝いていく。
 冷たい黒髪に抱かれた、たった独りで走り続けた少女の横に白き風を脱ぎ捨てたフラテッロが現れた。
 もう、独りじゃないんだね。
 マルコーさん、来てくれたんですね。
 終わりの無い少女の漆黒の瞳に涙が戻っていく。
 少女の白い世界に美しい色彩が戻り始めていく。
 
 ああ・・・・・綺麗・・・・。
 
 
 
 少女達の冷たい歓喜の歌が、星の堕ちた暗夜をそのぬくもりで果てしなく満たしていく。
 世界は、たとえようもなく、美しい。
 暖かい夜に見守られ、少女達はその瞳を幸福のうちに閉じていく。
 
 最高の朝が、その瞳の内で光り輝いていることを感じながら。
 
 
 
 〜 Gunslinger Girl  fine 〜
 
 
 

                              ・・・以下、第二部に続く

 
 

                          ◆ 『』内文章、アニメ「GUNSLINGER GIRL」より引用 ◆

 
 
 

-- 040219 --                    

 

         
     

 

■■マリア様のテスト■■

     
 

 

 
 
 『キミは、ごんぎつねか。』
 

                 〜第 七話の聖様のセリフより〜

 
 
 
 ごきげんよう、みなさん。紅い瞳です。
 今週のマリみて、また一段と面白いものとなっていました。
 この作品を語る事ができる幸せに感謝感謝です。
 感謝、などと簡単な言葉で表わしても詮無いことですけれど、言葉は気持ち。
 形にこだわることもまた、大切なことです。
 形にこだわらないことと同じくらいに、です。
 
 さてでは、早速第七話のお話を始めましょう。
 今回のお話はバレンタインのお話。
 祐巳さんと祥子様のお話。
 そして、優しさとはなにか、という事についての論理的な構築の過程。
 このお話はそうです、理屈で説明することができます。
 というより、なにかを説明する、という心の動きこそを描いていた、と言えます。
 祐巳さんが祥子様に対してどういう優しさを示そうとしたのか。
 祐巳さんはたえず自分がどうすればよいのか、それを考えています。
 その考え方は、ある一定の前提を設けてそれを発展させていくというもの。
 それはつまり論理的であって、理屈の上で成り立っている考えの流れ。
 様々な情報を収集しながら、その収集したものとその前提を突き合わせて法則性を導き出し、
 そしてでは自分はどうすればよいのか、そういう思考を祐巳さんは行っているのです。
 祐巳さんの視点というのは大概の場合そうであって、
 それはいつも心の中が言葉で表わされているように、いつも論理的。
 こうだからこうだ、と一生懸命考えて自分なりの小さな理論を紡ぐのが祐巳さんなのです。
 
 そしてときはバレンタイン。
 祐巳さん・祥子様姉妹にとって初めてのバレンタイン。
 チョコを贈り合う、という命題を如何に解くか、という、
 マリア様がお示しになったテストでもあります。
 それはつまり、一方的な想いの押し付け、というものに対する問い直しということでもあります。
 バレンタインというのは、愛し合っている者同士が贈り物を贈り合う、というものであると同時に、
 一方が一方に抱く「個人的」な想いを相手に押し付けて反応を見るという儀式でもあります。
 お互いが既に双方の想いを理解しあっている状況下に於いては、
 それはただお互いの想いを確認し合うものであって、
 その確認の仕方には特に形式というものは必要ありません。
 けれど、お互いの想いが了解されていない状況下に於いては、
 それは形というなにものかによってその想いが象られていなくてはならず、
 ゆえに形式は重要視されます。
 未だお互いが理解し合えていないのならば、暗黙の了解というのはあり得ないわけですし、
 ですからなにか言葉を示さなければ、相手にはなにも伝わらない。
 言葉とチョコを以て執り行われる「わかりやすい」儀式でなければ、伝わらない。
 祐巳さんはだから考えます。
 バレンタインが自分とお姉様にとって最良の日とするために、と、
 一生懸命に考えを尽します。
 なにが祥子様のためになるのか。
 バレンタインの日、アンブゥトン達はバレンタインカードを書き、
 それを校内に隠してそれを見つけた人はアンブゥトンとデートできる、というゲームが行われます。
 バレンタインを祥子様と過ごせないという哀しみが祐巳さんにはあります。
 けれどそのイベントのために祥子様は色々と忙しい。
 それならば自分はさりげなくそしてしっかりとお姉様が快適にお仕事できるように努めよう。
 自分のその哀しみは、自分もイベントに参加して祥子様のカードを見つける事で癒そう。
 祐巳さんはそのように考えます。
 ロサ=カニーナに言われた言葉を、じぶんの理論に組み込んだ祐巳さん。
 自分が楽しむことで、きっと祥子様も楽しんでくれる。
 自分が一生懸命になっていれば、それ自体が祥子様のためになる。
 どうすればよいのか、という苦悩それ自体が面白いコトじゃないの。
 チョコは渡せないけれど、ゲームを頑張ろうと。
 祥子様になにかを求める前に、自分がなにかを示せば事足りる。
 そうすればお姉様も認めてくれる。
 けれど。
 祐巳さんの明るい笑顔に満ちたその論理の帰結が祥子様に与えられたとき、
 怒りに濡れた祥子様の瞳が祐巳さんのその笑顔に逆襲したのでした。
 
 
 祥子様は、とても美しい人だと私は思います。
 とても冷たくて、そしてとても強くて。
 だからとても美しくて。
 美しい故になにもかもが明白で、そして明白である故になにかを隠している事さえも明らかで。
 その強烈な自己主張に彩られた隠匿物が輝く美しさ。
 そしてその美を冷酷に駆る躍動美。
 なんて、ヘンな言葉を言ってしまいましたけれど、そういう感じがします。
 冷酷とは真面目ということで、それはひとつの事に没入してしまい、
 周囲のものと溶け合うことのない固さ、あるいは閉鎖性の徹底さがあるということでもあります。
 けれどそれはまさにそれを飾る言葉次第であって、
 一方ではそれには周囲の余計なものに惑わされないひたむきな正しさがある、とも言えるのです。
 そしてその瞳には、あらゆるものに対して正邪を問いかける力があります。
 そしてその問いかけの視線は、論理という存在そのものに対しても向けられます。
 祐巳さんの論理は論理として正しいのか、
 そしてそれ以前にその論理の根本にある論理の前提自体が正しいと言えるのか。
 祥子様の美しい視線は、まさにそこを突くのです。
 優しさを抱くのは大切なことだけれど、その優しさの運用と、
 そしてその優しさの根拠はとても大切。
 誰かが自分に抱いてくれた優しさに惑わされることなく、
 その優しさの根拠だけを吟味し正当に評価してくれる、それが祥子様の優しさ。
 贈られたチョコを全部突き返したという祥子様を評して、ロサ=カニーナはそのようなことを仰いました。
 一方的に押し付けられた愛は、ただ迷惑なだけ。
 祐巳さんの論理は、基本的に祥子様に対して一方的に押し付けた想いの展開であって、
 しかもその想い自体の正統性、つまりそれが祥子様に相応しいかどうかの吟味はされていないのです。
 祥子様にとっては、その優しさはまさに失格なのですよね。
 祐巳さんは、結局のところ独り善がりなのです。
 それは自分さえ良ければ、という意味ではなくて、
 これなら絶対あの人が喜んでくれる、と勝手に自分で決めつけてしまっているという意味です。
 優しさとはなにか。
 それはただ誰かのためになることをしたと勝手に自分で思い込んで、
 そのことに満足するためにあるものではない。
 祐巳ちゃんのは要するに自己満足でしょ、と聖様は仰いました。
 まさにそうなのです。
 自己の美学に酔っているだけなのです。
 もちろん、祐巳さんが祥子様を想う心、そしてその想いの展開自体に間違いはなく、
 そして非常にそれは大切な事だと思います。
 でも。でも、それはあくまで祐巳さんの中で完結すべきものであって、
 それが実際の祥子様のためになることとは、根本的に無関係なのです。
 そして、祐巳さんのその優しさの受け渡し先には、絶対的に祥子様が居ないのです。
 宙に浮いて漂うだけの祐巳さんの想い。
 自分の想いを誰かに送り届けるには、まずその先にその相手が居なければなりません。
 相手を無視しての優しさは、ですから相手にとってはただ迷惑なだけ。
 相手を第一に考えてこその、「正しい」優しさ。
 自分の勝手な想いを持ち出したら、それはただ不純なだけ。
 祥子様の視線は、そう激しく責め立てているのです。
 
 
 バレンタイン。
 それは愛する人にその想いをチョコに託して贈る日。
 そしてそれは、その想いの正邪が問われるテストの日でもあるのです。
 ただ自分の中だけで練られた言葉を、相手に押し付けてもなにも伝わらない。
 勝手に祥子様の事を想定して、そして祐巳さんだけでなにもかも決めてしまう。
 そこには祥子様の居場所の無い空間がただ広がっているだけです。
 嬉しいはずがありません。
 祥子様は真面目であるからこそ、嬉しくないからこそ怒ってもいるのです。
 聖様のように、独り善がりな贈り物達にもそれなりに正統性を与えて受け止めてあげたりという、
 そういう事を一切せずに、ただひたすら真っ直ぐに自分に向けられたものを見つめるのが祥子様。
 そしてその祥子様が求めるのは、祐巳さんの想いただそれだけ。
 祐巳の想いはいったいなんなの。
 矛盾しているようでしていない、祥子様の求めるもの。
 祥子様にとっては祐巳さんに余計な配慮をされることこそが、押し付けられたもの。
 祐巳さんが祥子様には押し付けられたチョコは似合わない、と勝手に想っていること、
 それこそまさに祐巳さんの自己満足なのです。
 つまりはすべてを祐巳さんが自分で決めようとすることを、祥子様は怒っているのですね。
 祐巳さんなりの優しさの美学は、祐巳さん自身、
 そしてその祐巳さんを離れて見る事ができる聖様にとっては意味が了解されるけれども、
 しかし祥子様には通用しないのです。
 了解されない想いの交換に、意味は無い。
 祥子様の論理を無視しては、祐巳さんの論理はその根底から意味を為さなくなるのです。
 そしてそもそも祥子様は、祐巳さんに論理など求めていないのです。
 まず、前提を示しなさい。
 その前提を私に示して合格点を貰ってから、論理でもなんでも構築なさい。
 あなたは、どうしたいの?
 祥子様は、ひたすら要求します。
 祐巳さんがなにを言いたくて、なにをしたいのかを祥子様に示すことを。
 祐巳さんの優しさの前提、大元にあるその優しい言葉を祥子様は求めています。
 
 
 祥子様の求める優しさとは。
 相手の求めるものを最も上位に置いて自分を消すという、礼儀正しい愛。
 そして最も重要なのは、その相手の求めているものはなにか、という問い。
 その問いを重ねていない優しさは邪で、そして例え重ねられていたとしても、
 その優しさが相手に対して不適合であれば、その時点でその正当性を失う。
 相手への配慮とは、本質的なところで真面目に徹底されなければ意味がないし、
 そうでない配慮は相手にとってたいへん無礼な事になる。
 祥子様はずっと祐巳さんにそう伝えているような気がします。
 非常に相手を尊重するがゆえに冷徹。
 冷徹なるがゆえのその愛の強靱さ。
 祥子様の強さは冷たさに裏打ちされ、そしてその美しさはその強さに支えられています。
 その美しさは、そしてどうしようもなく祐巳さんを求めるという愛という言葉にも変換されます。
 そしてその愛が、祐巳さんに対して要求をし続けていると思います。
 それは、お堅い祥子様をお堅いからこそやわらかくしたいと言った蓉子様と通じます。
 祐巳さんの優しさの発露に不満があるからこそ、それを直すために祐巳さんに色々要求する。
 それは祥子様の優しさの一形態でもあります。
 冷たくて強くて、そして美しい祥子様の優しさ。
 それは祐巳さんにとっては、まさにテストなのです。
 
 
 
 と、なんとなく紅薔薇のカタチが見えてきたような気がしました。
 なかなかどうして、一番紅薔薇が難しいですね、やっぱり。
 蓉子様と祥子様のお話がもっと描かれると良いのですけれど、それは仕方ないですね。
 そもそも、別に紅薔薇のカタチがどうとかだけを見ている訳ではないですから。
 それにしても、聖様はいつになくピンポイントついてきました。
 ごんぎつねのたとえは本当にぴったりでした。
 さすがによくおわかりですよね。
 一番祐巳さんを知っていて、そして二番目に祥子様に興味があられるようなロサ=ギガンティア。
 こうなってきますと、いよいよ志摩子さんが祥子様の妹にならなかったのがよくわかります。
 そしてやはり、祐巳さんが祥子様の妹で合っているような気も致します。
 マリみてというのは、とても形式が重視されています。
 少なくとも私はそう感じていつも見ています。
 そしてちゃんと理屈というものを軽視しないで、ちゃんと祐巳に語らせていますし、
 また祐巳が語る事によって他の方々の心象も言葉化して捉えることができるのです。
 そしてその理屈といいますか、論理によって語られているそのもの自体への問い、
 これがひたすらに繰り返されているお話だと思うのです。
 スールの間で交わされる優しさ、それをただ描くだけでは無くて考えていくために。
 そして考えるためには言葉があり、そして言葉があるから論理があり、
 そしてまたその論理自身への問いが繰り返されていくのです。
 恋愛を描く、それは愛する人と自分の事を「考える」という愛を描いているのだと思います。
 徹底的に考えを重ねていくんです。
 愛というものを言葉で表わしていく、というのではなく、
 愛というものそのもの自体が既に言葉なのです。
 私は、そういう感じでいつもマリみてを「感じて」います。
 
 
 と、微妙にオチがつきましたところで今宵はお終いとさせて頂きます。
 御静読、ありがとう御座いました。
 
 
 
 
 

-- 040216 --                    

 

         
     

 

■■無双で候!■■

     
 

 

 
 
 いつもでしたならばこの時期は花粉を大量受信して、へっぽこ度MAXを記録しているはずなのですが、
 今年は全然へっちゃらだったりしてなんかその、これからが怖い紅い瞳です。
 嵐の前の静けさ・・・ぶるぶる。
 
 
 それで戦国無双にすっかりハマっている私ですけれど。
 やー、これは面白いですね。 
 ずばっときましたよ〜。
 斬って斬って爽快に斬りまくるあの無双シリーズがついに戦国時代を舞台に登場。
 彩度を落とした映像で陰鬱で冷たい血の雨がさめざめと降りしきるような、
 そんな日本情緒あふれる趣が堪りません。どんな情緒だっての。
 さらに言わせて頂けますなら、キャラが三国無双のときより少しばかり風情があって良くなりました。
 なんというのか男性キャラも女性キャラもそれぞれになんか艶っぽくてイイ!
 艶っていうか色気っていうか、それぞれがそれぞれに美しくてカッコイイってゆーかー。
 まー相変わらずストーリーは駄目駄目でしたけど、まぁそれもまた味があって良し。
 駄目こそ物の上手なれとか言いますしねぇ。言いませんけど。
 それにやっぱりチャージ攻撃が多彩になったっていうのはいいですねー。
 キャラ間の差別化もしっかり図られてるから、キャラごとに全然プレイスタイルが違くて。
 それぞれに研究のしがいがあって堪りません。未だにどの技がでるのかわからないけど。
 堪らないと言えば武将の成長システム。
 くっはー、これはまた随分とやり込み甲斐のあるものを作っちゃいましたね。
 あれは良いですよ。
 戦闘で得たポイントを振り分けて技能を修得していくのは、やっぱり良い。
 どの技能から覚えようかなぁってよりどりみどりで。ヘタクソだから全然ポイント堪らないけど。
 それにそれに敵兵の種類が一気に倍増っていうのは、これはなんということでしょうか。
 多彩☆って感じで迫ってくる敵の小隊見てるだけでうっとり。倒すときはまとめて無双で一発だけど。
 無双と言えば無双奥義。
 三国無双の無双より格段にカッコイイものに仕上がった大技ここにあり!
 もう私なんか無双奥義ばっかり撃ってますよ〜♪
 さらに瀕死状態から撃てる無双秘奥義なんて、もう・・・・・・謙信最高。
 
 
 で、私は今どこまでプレイしたかと言いますと、
 くのいち以外のキャラは全部出しました、というところ。
 それと半蔵・信玄(この二人のクリアがくのいち出現条件)・信長・五右衛門は未クリア、かな。
 武将のシナリオはそれぞれ一回づつしかクリアしていないので、
 分岐点の出現条件とかはまだ掴んでないし、
 雑賀孫市や前田慶次の最終ステージもまだ出してないっす。
 あとレベル5の武器もまだ取ってないなぁ。レベル4の武器は結構取ってあるのだけど。
 松風鞍(三国無双での赤兎馬鞍)は武田のシナリオで取れるらしいし。
 アイテムはまだまだ取ってない状況。
 それと無限城モードの奈落で五輪の書が取れるらしいですね。
 5つ集めると修羅属性(三国無双での斬属性)が付加されるアイテムみたい。欲しい〜。
 と思って奈落を攻略してみたところ、地下6・12・18回で五輪の書取れました。
 どうやら6の倍数階で取れるみたいだから、あとは24・30階にあるのかぁ。
 でも奈落って1回死ぬとなぜか中途セーブデータまで消えるので最悪っすわ。ほんと、なにこれ。
 また1階からやるのやだなー。20階まで行って死んでやり直すのもう5回目だし。
 
 
 あー、そういえば新武将も作りました。
 ショートの女武将モデルで武器は刀、名前は比古清十郎。
 るろ剣のステキ師匠さんです。
 初代は戦国時代らしいので、二・三代目あたりに居てもおかしくはないかなぁって。
 性別は希望的観測。
 漫画ではバケモノの上を行く強さをお持ちの師匠。
 戦国無双では凡人の下を行く弱さになりました。
 もう駄目。すっごい駄目駄目。弱すぎです。
 修行の成績によって武将の初期設定が決まるのですけど、
 奥義と舞闘で二級がかろうじて取れるだけで、あとは軒並み三級のへたれっぷり。
 1級? 特級? なにそれ。ノーベル賞?
 へたれプレーヤーにはどうやら雑魚キャラがお似合いなようです。けっ。
 でも雑魚キャラで凡人以下で役立たずでなんか作り直そうかなって感じでえっと最低だけど、
 そこはそれ馬鹿な子ほどかわいいというような感じで、一生懸命子育て中。
 けれど、ようやく人並みになれたかなぁと思え始めたのが清十郎17のとき(階級のお話)。
 ちなみに戦国無双は階級20になると武将の成長が止まります。
 こいつはもう駄目だ (最低)
 清十郎は、次の新武将作成のための尊い犠牲となりました。
 次は島左近か立花宗茂あたりでいってみよーかな。
 
 
 さてまぁ。
 ここまではすごいすごいって連呼しっぱなしの感じのような、そうでもないような。
 でもさすがにヤバイでしょ、とか思う点も色々あったりして。
 2Pプレイのときのあの無双ゲージ共有はさすがにどーかと。
 一方がゲージ貯まっても一方が貯まってなかったら撃てないし、
 貯まって無双撃っても同時に発動するから、
 一方が敵に囲まれてる状態で撃って万歳でも、そのときもう一方のまわりには敵がいなくて無駄玉、
 というあまりに悲しい事態頻発中。むしろ味方プレイヤーが最大の敵。
 それと模擬演武でのキャラ名の表示がヘン。
 例えば上杉謙信のシナリオのステージを明智光秀でプレイしたりすると、
 明智光秀が「プレイヤー1」と画面では表示されるんです。
 例えば武将を討取ったときなんか、「プレイヤー1隊、○○を撃破」って出ます。
 これを見た日にはおもいっきしガックリきます。
 これは2Pプレイのときの2Pのキャラ名でも同じ現象になります。
 なんなんでしょうね、この手抜きは。
 それに護衛兵。
 鉄砲隊が使えるようになったことは歓喜の至りなのですけれど、
 3部隊しか作れないのはちょっと。なんで減らすのさ。
 しかも編成できる人数が最大4人て。なんで減らすのさ。
 しかも今回は護衛兵の育成システムが全面カット。
 槍兵・歩兵・弓兵・忍・砲兵・女忍からひとつを選んで、あとは勝手に成長してその兵種のまま固定。
 これじゃ自分で育てた護衛って感じがしなくって嫌。
 しかも女モデルが女忍1種類だけですかそうですかだからなんで減らすのさ(涙)
 ゲームを進めていれば編成人数やモデル数も増えるのかなと希望を繋いでいるのですけれど、
 あまり見込みは無さそうです。
 護衛兵は紅い瞳的に無双シリーズの肝ですので、どうしてくれますか? (と、空に問いかけてみる)
 
 
 見込みがない、という意味では隠しキャラ。
 これ、最悪の結果に終わりそうです。
 結論から言うと、公式サイトに出ていた15人以外がでる確率はほぼ無いです。
 いくつか攻略サイトを回ってみましたけれど、未だに新キャラ登場の報告は見ませんし、
 私もここまでほとんどのキャラを出しているのにまだ一人も出ていないことからするに、
 これは大惨事になる予感。
 わずかに家康・秀吉あたりが使用可能になる可能性がありそうだったのですが、
 これもなんとなく無理そうです。
 あとは浅井長政と今川義元、本願寺顕如あたりにもムービーがあったので可能性はあるけど。
 15人て。あんたそれ少なすぎでしょうに。
 それに相変わらずのシナリオ・マップの使い回しはあまりにヒドイ。
 武将ごとにシナリオがあるって威張ってみたところで、
 結局は数種類くらいの差異しか無いよーな。
 噂の城内戦闘もはっきりいってマップの種類もやる事もほとんど種類が無くて単調のひとこと。
 全部単独潜入っていうのもどうかな〜。
 ゲームバランスも三国無双の頃とあまり変わらない悪さだし。
 それになにより新武将作成がひどい。
 三国無双3のとき、選べる武将のパーツの種類とその組み合わせのバリエーションが少なすぎる、
 って感じで最悪で、戦国無双になったらじゃあ大幅に数増えるのかなと思いきや、
 なんとパーツの組み合わせどころか、出来合いのモデルを用意しちゃってんの。
 しかもたった8種類て。
 どの辺りが新武将「作成」なんですかなぁ。作れてないじゃん!
 その上新武将の修行は難しいし。私が極限に下手なのも悪いですけど。
 難しい上に修行中にセーブできないし。登用試験でもなんど落ちたことやら(涙)
 100歩、いえ5歩くらいかな(少なっ)、譲って難しいのと途中でセーブできないのはよしとしましょう。
 それはそれで緊張感があって良いですからね。
 でも、そうやって苦労して作った新武将の能力を初期化できないってどういうことですか〜?
 階級20までいったらそれ以上育たないですから、
 ある程度その完成した強さを楽しんだら、また階級1から楽しみたいわけですよ。
 でもそれが出来ないんですって。それをしたいなら新武将消してあの地獄をまたやり直せですって。
 
 ガシャーン ←ちゃぶ台をひっくり返して
 
 なんというかね、舐めてます?
 三国無双の頃の悪い点を全然修正しないんですか。てか余計悪化してるよな気もするんですけど。
 これ、絶対猛将伝出すためにわざと手を抜いてるんじゃないの〜?
 修行の難しさとかその辺りは新しい試みとしてアリなのはわかるけれど、
 その他の細かいところでの手抜きは、それはちょっとヒドイ。
 25周年記念大作、と名乗っているからには最低でもその辺りは修正してしかるべしだと思ったヨ。
 あと武器アイテムの初期化もなんでできないかな。
 既成武将15人の初期化はできるようになったのだから、そこはちゃんとしなきゃ。
 あ、あと新武将の武器が3種類しかないのは冗談ですか。
 新武将のシナリオが1つしかないのは冗談だと受け取っておきます(決定事項)
 
 
 
 とかなんとか言ってますけど。
 
 
 
 別にだから戦国無双はつまんないっすって訳じゃなくて。むしろ誤解。
 例えるならば、2つのテストを受けて、1つは100点でもう1つは0点を取っちゃったときの気持ち、みたいな。
 それは2つとも50点というそれこそ面白みの無いものとは違う、
 凄さとヘタレさを合わせ持った感動、といいますか。
 そう、戦国無双は感動モノで御座います。
 私は感動してるんですねー、このゲームをしながら。
 たのしゅうてたのしゅうて堪らんのです。
 むしろ右手で100点の答案を掲げ持って、左手で0点の答案を握りつぶしてるひとり恍惚状態。
 戦国無双、まだまだ私はいけますです!
 
 
 これはそういうお話、でした。たぶん。
 
 
 
 

-- 040213 --                    

 

         
     

 

■■少女達の屹立■■

     
 

 

 
 
 
 
 
 『クラエスは怒っているのか泣いているのか、その眼鏡の奥の瞳によく見えなかった』
 

                           〜第十二話のヘンリエッタのセリフより〜

 
 
 
 
 突風が少女の背を静かに押している。
 どこまでも底の見えない谷底めがけて、少女の凍り付いたその髪は流れ往く。
 悪相をたなびかせて聳え立つ連峰に見据えられ、
 終わりの無い少女はついに堪える事を諦めた。
 止まる事を知らないその体を包む風の悪寒は、少女の体をそそのかす。
 途切れない想いに終焉を。
 谷間に敷き詰められた細い髪に抱かれて、遙か彼方の一歩先を見つめる少女。
 死に詰め寄られたその少女を、冷たい連峰の頂上から見下ろす少女が居た。
 
 消えない願いの含有。
 解き放たれる事の無い不足。
 求めることをやめることなどできようか。
 かすかに研ぎ澄まされゆく瞳の先鋭に、いかなる希望をも抱けない。
 涙にまみれた瞳になにを求めるというのか。
 涙の枯れ果てた紅い瞳はなにを拒絶しているというのか。
 遙か彼方の一歩を踏み出せば、それで終われる。
 谷間に揺れる儚い髪から飛び降りれば、それでなにもかもが止まる。
 涙で引き締められたその黒髪の強度はしかし、少女を逃がしはしない。
 どんなにもがいても解けない冷たい髪の抱擁。
 貴方を終わらせはしないわ。
 死なせてなどなるものか。
 谷底から天空へと吹き抜けるその絶叫が、少女の髪を支配する。
 もはや何者にも抗う力の無いアンジェリカの体に巻き付く執念。
 フラテッロの白い風を面前に受けながら、その背面には死の突風が吹き付けている。
 なにも動かすことの出来ない、止まる事の無い少女の体が揺れる峡谷。
 力尽きるはずの無い、その力という言葉の無い少女の体。
 マルコーさんマルコーさんマルコーさん。
 暴れ尽すその体を背負って、厳しい山道を這いずって来ました。
 ずっとずっとそれでも登ってきました。
 私はでも、あの高い高い連峰の頂上に達することはできないのです。
 懸命に力を求める事に努めてきたアンジェリカの、哀しい瞳。
 それでも私はあの山から山へと架かる桟橋に至るのが精一杯でした。
 連なりたる山々の誇りを模して、自らの細髪を紡いで繋いだ桟橋。
 吹き荒れる風々のどよめきにすら蔑まれ、その桟橋を歩むことを施された少女。
 その冷たく凍り付いた髪の流れに身を任すことさえ、何者かから与えられた物。
 強烈過ぎる空の強圧の下、終わりの無い少女は泣くことすら無くその髪に囚われていく。
 
 白い風に囲まれ尽したフラテッロの横顔を見つめ続ける少女。
 決して少女の瞳に帰ってきてくれないその懐かしいフラテッロの笑顔は、死んだ。
 少女の巡らす雑音の奏でるメロディの中から、その想いを少女は抽出していく。
 もう駄目なのかもしれない。
 なにものにも如何なる根拠も持ち得ない少女は、理由無き絶望を抱く。
 あまりにも当たり前すぎて、あまりにも信じられない事ゆえに埋もれていたその恐怖。
 恐怖に身を躍らせながら、なにも見えない瞳を閉じ切るアンジェリカ。
 もう駄目もう駄目もう駄目なのよ。
 予期しないその絶叫が少女の遙か彼方で響いていた。
 
 
 
 
 冷たくも暖かい黒いゆりかごの中で俯く少女はそして、もうひとりの少女にはたかれた。
 勢いよく振り下ろされた閃光が、アンジェリカの頬を張った。
 アンジェリカの頬をはたいたクラエス。
 『死にたいのなら死になさい』
 終わりの無い少女が埋もれる髪の中に、その強引な手を無造作に滑り込ませるクラエス。
 永久の凍土となり往くその髪の橋を引き裂き、終わりの無い少女に一撃を入れる。
 許せない。許せないんだから。
 高く聳え立つ山頂に命懸けで登り詰めたもうひとりの少女は叫ぶ。
 なにを許せないと云うのだろう。
 許諾無き礎を空から奪い取ってきたクラエス。
 自分の部屋の中で歩き回り続け、その部屋を拡大するために扉を引き裂く少女。
 自らの力を自らのうちに抱き込む少女
 絶望するなど許せない。
 そして。
 許せないことも許せない。
 あの子になにかを与えることであの子から奪った力を返してあげて。
 マルコーさんは馬鹿よ。
 あの子の瞳にはやく帰ってあげて。
 哀れみの情愛無き先導の礎を与えることを求めるクラエス。
 終わりの無い少女の時間を止めた、その細い髪の色と強度を決めたのは誰か。
 その髪の存在は許せない。あってはいけない。
 でもその髪を許せない空など、絶対に許せない。
 終わりの無い少女に、黒い髪の山頂を与えよ。
 アンジェリカに誇りと、そして生きる喜びを。
 
 クラエスの瞳。
 扉を引き裂く少女の瞳に漂う閃光の行方は、終わりの無い少女の空にと向かっていく。
 淫靡な空から与えられた物語すら奪われたアンジェリカに、哀しいその瞳を向ける。
 あまりにも恐ろしいアンジェリカの絶望に、ただ抗う事しかできなかったクラエス。
 暖かいその反抗は、冷たい殴打へと姿を変える。
 冷酷な残滓を残した少女の傷を気遣い、全力で少女を殴るもうひとりの少女。
 死に至る傷跡が風に掻き消されていく前に、その髪の優しさを証さなくては。
 見え切った死への安息に少女の溜息が到達する前に、少女に涙を取り戻させなければ。
 座して死を待つなど、許せない。
 許せないのじゃなく、どうにかしたい。
 凶悪な連峰の上から少女を見下ろしている私達で、なんとかしなくては。
 私達が笑いさざめいている横で、未だに走り続けている止まることの出来ない少女を救わなくては。
 
 
 ・・・・・・
 
 
 振り返るしかない。
 泣くことしか、できない。
 怒る事など、私達にはできないのさ。
 ただ許され与えられたものしか私達にはないの。
 私達はフラテッロが居るからなにかができるの。
 フラテッロに愛されていることを生きる力に変えて生きているの。
 私達にはその変換さえも用意されている。
 
 努力? それもきっと条件づけされたものよ。
 百歩譲っても、努力は努力できるという才能よ。
 アンジェリカはマルコーさんに愛されていない。
 そして努力できるという才能も無い。
 だからアンジェリカにはなにも出来ないし、なにかができるように努める事もできないの。
 だからどんなに懸命に這い回っても山の頂には至れないのさ、アンジェは。
 私にはそれが、わかる。
 なぜと聞くのかね、幸せなおチビさん。
 それは私にはフラテッロが居ないからさ。
 私の大切な人は居なくなってしまった。
 だからわかるんだ、アンジェの苦しみが。
 でも私はアンジェがマルコーさんから貰えなかったものをラバロさんから頂いていた。
 そう。努力するという才能さ。
 私は誰がなんといおうと自分で世界を受け止めてる。
 自分で世界を自分のものにしていっている。
 たとえフラテッロが居なくても私はずっとずっと独りでなんとかしていける。
 だから私は貴方達と同じように山を築いてその上で笑っていられるの。
 でもそれは・・・。
 それはつまり、私にとってすべてがラバロさんから始まってるということだ。
 私がこの空の下に生きていられるのは、それが義体としてあの空から存在を許されているからだ。
 私は本当はなにもできてはいない。
 ただ許されるがままただ与えられたがまま、それを喜びの仮面を被って受け取るだけ。
 ラバロさんの遺志に関わらず、私はずっと自分の死を待っているだけにしか過ぎない。
 待っているほんの束の間を自由に生きることをただ許されていくだけ。
 私がなにもできずに死んでいくことは、最初から全然変えることはできないのさ。
 私達は、ただ笑い合いながら死んでいくだけ。
 私達が共に生きている連峰の頂にあるのは見え切った死だけ。
 アンジェはその頂に居ないはずなのに、そこに来ることすらできないのに死を願っている。
 山に登ることを諦めてただ死を願っているのじゃない。
 その死は山頂に居る私達の死となんら変わらないからよ。
 私達がどんなに懸命に山を築いたとしても、山の無いアンジェと同じ死が待っている。
 どういうことかわかるわよね?
 生きる希望をどんなに紡いだとてすぐに死はやってくる。
 それならばその死が来るまでのわずかな間でも懸命に生きればいいじゃないって?
 馬鹿言わないで。
 アンジェはマルコーさんに冷たくされ続けるだけで、私にはラバロさんは居ないのよ
 そんなわずかで冷たい生になんの意味があると言うのよ。
 私とアンジェの気持ちは一緒よ。
 でも私の中にはラバロさんが残してくれたものがあるから、絶対に私はその気持ちを言うことはできない。
 クラエスの名にかけて絶対にできない。
 死にたいとそれでも言ってしまったアンジェの想いを許すことはできない。
 でも・・・・それでも・・・。
 
 
 『でも耳の奥では、アンジェリカの「どうせもう死ぬんだわ」という言葉が、いつまでも響いて消えなかった・・』
 
 
 
 ◆◆◆◆
 
 死にたいなんて願うことはあり得ない。
 そしてあり得ないことが起こるから、死を選んでしまう。
 そのあり得ないことを存在させたのは誰か。
 その責任の在処を問うことで、また自らに絶望を招く絶望。
 どうして死にたいなんて思うのだろう、などと考えて死を願う人などいない。
 そう考えているのならそれはその人は死を望んでいなく、
 その死への願望は誰かに押し付けられたもの。
 そしてそれが誰かに押し付けられた物であるのならば、
 それをはね除ける事も可能であるという希望が広がっているはず、
 という当然の帰結が存在し得ないという絶望がある。
 自らのうちに、その押し付けられた死への抵抗力自体が無かったとしたら。
 変える事のできない絶対的なものがあって、
 その上自分はそれと格闘する事さえできないのだとしたら。
 アンジェリカはただひたすら絶望を重ねている。
 何度も何度もその冷え切った絶望を紡ぐうちに、
 その絶望はその体から溶け出し、やがてアンジェを包む覆いとなる。
 それはアンジェと世界を分かちアンジェから実感を奪う冷徹な壁であると同時に、
 アンジェがアンジェだけで居られる、アンジェを優しく護ってくれているゆりかごでもある。
 アンジェは絶望を重ねるたびに世界との接点を失い、
 そしてマルコーとの絆をも見失い始めていく。
 絶望という名のゆりかごに揺り動かされ続けて得た、世界の中に透明で居る安堵。
 そしてその安堵は、死の安息と紙一重のところで繋がっている。
 なにもできないまま、ただされるがままにされ続けて、マルコーさへも失っていくアンジェには、
 もう死しか残っていない。
 そして記憶を忘却し続けている少女は、すべてを完全に忘れきっていく感覚と、
 そのマルコーが奪われていく道程とをクロスさせていく。
 なにもかもわからなくなって、すぐに死んでしまうのよというアンジェ。
 アンジェのその言葉は、いかなるものにも止められない。
 それはアンジェが今までの短い生涯をかけて綴られてきた言葉ゆえにあまりにも強くて、
 そしてその言葉はアンジェを捕えて離さないのだ。
 クラエスがアンジェの頬をはたいても、それはほとんど微弱な刺激にしか過ぎない。
 アンジェの哀しみを止めることとは、本質的に関わりがない殴打だ。
 クラエスはただその言葉を自分のうちに入り込まないようにしただけ。
 というよりむしろそうすることしかできなかったのだ。
 アンジェの絶望の言葉は、それはアンジェだけでは無く自分にとっての絶望であることが明白で、
 そしてクラエスはそれを自分の中で必死になって否定していただけだから。
 その言葉を他の言葉に塗り替えることはクラエスはずっとずっとできなかった。
 ラバロと死に別れて、それでもラバロから貰った想いを胸に、
 世界を切り開いて自分の言葉に換えてきたクラエスに唯一換えられなかったその絶望。
 どうせ、すぐに死ぬ。
 クラエスはそのアンジェリカの言葉に最大限の冷酷さを以て反抗し、そして敗れた。
 アンジェのその言葉に怒りながらも、その怒りがなんの威力も無いものだと思い知らされる。
 どうせ、すぐに死ぬ。
 なにもできないまま、死ぬ。
 なにもかもわからなくなって、死ぬ。
 
 クラエスの怒りに満ちた涙が紅くなるとき、少女の扉は閉じられる。
 そして。
 アンジェリカの黒髪がアンジェを覆い尽くしたとき、少女の終わりがやってくる。
 
 

                          ◆ 『』内文章、アニメ「GUNSLINGER GIRL」より引用 ◆

 
 
 

-- 040212 --                    

 

         
     

 

■■マリア様のくれた歓び■■

     
 

 

 
 
 どうしてもわからなかった事が、どうしようもなくわかって。

 それだけは欲しくて絶対に手に入れたかった物が、当たり前のように目の前に与えられて。

 私はそれがとても嬉しくて、だから今こうして日記を書いています。
 
 
 
 
 
 
 ごきげんよう、紅い瞳です。
 マリア様がみてる、第六話みました。
 正直、などと前置きするまでもなく、私はこのお話をみて泣いてしまいました。
 ただ嬉しくて嬉しくて、私はもう自分がなにを思えばよいのかすらわからない、
 そういう気持ちです。
 その気持ちを誰かに伝えたいとか、このお話の素晴らしさを示したいとか、
 そういうことは一切なくて、ただただ、私が求めていた物が得られた歓び、
 その歓びが自然とこの日記を私に書かせています。
 私がずっとずっと多くの人達と触れあいお話をさせて頂きながら得てきた物、
 そして本を読んで考えてみたりしてみたこと、それらからは決して得ることができなかったその物。
 私に様々な世界や、その世界に対する問いの構築の仕方、
 或いはそれらすべてを引っくるめた哲学の一端を示してくれた人達の考え方・感じ方も、
 それは決して私に不必要なものでは無かったのですけれど、
 けれどそれらは私にとって、最も必要なものとはなり得ていませんでした。
 私が一番に求めていた物、
 それは私が今まで楽しみながらも一生懸命追求してきた事の中には無かった。
 その事自体は別に私はどうでもよくて、それはいつか得られることだろうとも思っていたことですし、
 またそれと同時にそれは一生得られる物では無い、という思いもあって、
 それは切実ながらもとてもゆとりのある不足感なのでした。
 でも確かなのは、たとえ今まで私がしてきたことがそれと結びつかない事だったとしても、
 それは間違いなくその物を求めての事だった、ということです。
 
 少々前置きが過ぎました。
 お話を始めさせて頂きます。
 白薔薇のお話だった訳です。
 紅薔薇のお話でもあった訳です。
 そして、今までのお話の中ではっきりとその「優しさ」の実体を顕わした初めてのお話でした。
 そして、姉妹という二人の人間の関係のお話でもありました。
 たくさんの色々な要素が含まれた中で、その優しさという名で表せるその彩りは、
 最大級の輪郭の深さと、そして一線を越えてそれはなによりも圧倒的な存在感をもって顕われました。
 優しいのです。
 これだけで言っても、もう充分なのです。
 優しくて、優しいのです。
 そしてそれが私の求めていた、そう、私が最も求めていた物なのです。
 それはなんというのでしょうか。
 優しい、ということを徹底的にその本質までを解き明かして見ること、
 そういうものであるのだけれど、そういう意味で概念なのだけれども、
 でもそれだけじゃない。
 その解明された優しさの本質という、そういうただの羅列された文字としてのコトバ、
 それを実際に口にしてみたら、それは世界を象っている「言葉」として実体を得た、というのでしょうか。
 もうそこに「優しさ」という物体があるのは揺るぎのない事で、
 だからその優しさは、どのような言葉で飾られようとも、それ自体は変わらない物になっていて。
 綺麗にメイクしても、その素顔は変わらないのと同じで、
 確かにそこにその「優しさ」は存在したんです。
 もう絶対に、カタチを変える事の無い優しさ。
 それが今回のお話にはあったんです。
 
 なぜその人と姉妹になったのか。
 志摩子さんは考える訳です。
 そしてそれは考えるまでも無く、理由など無いことで。
 理由無き理由があった、という訳なのです。
 聖様の事を愛している、からでもいいです。
 そして志摩子さんはその聖様の妹。
 志摩子さんはでも、聖様の妹であって聖様の妹では無いんですね。
 志摩子さんは志摩子さん。
 聖様の妹だから、志摩子さんがなにかをする訳でなく、
 また聖様のためになにかをする訳でもない。
 志摩子さんは志摩子さんだから、志摩子さんがすることをする。
 聖様の妹、という化粧が志摩子さんに施されても、志摩子さんの素顔は変わらない。
 それはつまり、聖様の妹だから志摩子さんは聖様を愛しているわけではない、
 志摩子さんは聖様を愛しているから聖様を愛しているということ。
 志摩子さん=聖様の妹、志摩子さん=聖様を愛している、
 よって聖様の妹=聖様を愛している、という図式は合っているようで合ってはいません。
 志摩子さんが聖様を愛している理由は、志摩子さんがただ志摩子さんだから、というだけ。
 ですから、志摩子さんはただ其処に居るだけで聖様を愛する理由になるのです。
 それはとても、重要なことです。
 たぶん、マリみての優しさという物を感じる上で、とてもとても大切なことです。
 ただ貴方が其処にいるだけで、貴方はなにをする事もできる。
 貴方はただ其処で貴方でいるだけで、貴方は誰かに見つめていて貰える。
 どんなに言葉を紡いでみて、自分が誰かのなにかでいようとしてみても、
 それはある意味で筋違い。
 たとえそれがもてはやされる事であろうとも、そんなことは関係がない。
 愛は等しく平等に、愛を受ける資格などどこにもなく。
 ただ空の上でマリア様が私達をみている。
 愛し愛される理由を理詰めで本質的に問いただして構築してみても、
 それはただ素顔の上に綴られていく仮面のコトバでしかないんです。
 誰かに優しくし優しくされるのに、理由はいらなくその大義名分もいらない。
 ただ私と貴方が此処と其処にいるだけで、それでもう充分なのです。
 
 志摩子さんは、そして聖様の妹になったのであって、ロサギガンティアの妹になった訳ではないのです。
 これは色々な意味で重要です。
 聖様の妹になって、そうしたらたまたま聖様はロサギガンティアで。
 志摩子さん=聖様の妹、聖様=ロサギガンティア、
 ゆえに志摩子さん=ロサギガンティアの妹、とはならないのです。
 だからそもそも志摩子さんはロサギガンティアを継ぐ理などないのだし、
 それを当然とする世間は、ただの無責任であって無知なのです。
 けれど。
 そこに、そこに私が涙した歓びの優しさ、というものが混じり込んでくるのです。
 志摩子さんは確かにロサギガンティアの妹では無いのだけれど、
 しかし聖様がロサギガンティアであることは確かで、
 そして志摩子さんの中にも、確かに聖様がロサギガンティアである、という意識はあります。
 その意識は、ロサギガンティアという飾り物も含めて、それ全体が聖様である、というイメージです。
 聖様とロサギガンティア、というのは確かに別物なのだけれど、
 でも聖様は確かにロサギガンティアという存在に直面しているのです。
 それは聖様を中心とするひとつの聖様の世界。
 それを見る志摩子さんには、だからどうしようもなくロサギガンティアも聖様なのです。
 素顔であろうとも仮面であろうとも、その仮面をかぶっている聖様、というのは確かに居る。
 ですから、志摩子さんが見る視線のうちから、ロサギガンティアという仮面が無くなることは無い。
 そして志摩子さんは、聖様が見ているロサギガンティアを自分も見ないわけにはいかないんです。
 むしろ、見たいんです、志摩子さんは。
 それは聖様を心配するあまり、聖様の想いに応えたいからなのです。
 その心配に、その優しさに理由などいりません。
 志摩子さんがロサギガンティアの妹であるのかどうかとは、関係の無い優しさ。
 志摩子さんは志摩子さんだから。
 志摩子さんはただただ聖様のことを気遣われているから。
 自分が此処に居て良い理由を紡がんとするコトバを投げ出して、
 一足飛びに聖様へと想いを馳せる。
 だから自分もロサギガンティアになる。
 それで、本当に充分なのです。
 志摩子さんが聖様を愛するのには、それで良いのです。
 志摩子さんは、聖様の妹なのですから。
 
 そしていよいよ聖様。
 白薔薇の真髄、確かに拝見致しました。
 志摩子さんの優しさに向けた、最高級の優しさの返礼。
 いえ、それは返礼などというリアクションではなくて、既に常に聖様を取り巻いている風。
 すっと近づき甘く囁いて、ふっと優しく離れていく抱擁。
 祐巳さんに施した慈愛の様態は、志摩子さんには示す必要も無いほどより完成されていて。
 あきらかに目に見える儀式的な祐巳さんに対する抱擁、
 そのわかりやすさとわざとらしさを遥かに越えた、その志摩子さんに対する当然の抱擁。
 聖様は、志摩子さんから常に離れている。
 離れてそれが、完全なる抱擁空間を形成しているのです。
 志摩子さんが自分に向けている優しさの意味、
 そしてその優しさにどうしたら最高の形で命を与えられるのか、
 聖様はどうしようもないほど確かに心得ていらっしゃいます。
 志摩子さんが聖様に対して抱いている配慮、
 それに対して聖様は一切のノータッチを示します。
 完全に離れきり、すべてを志摩子さんの判断に任せる。
 それは志摩子さんの配慮が、ロザギガンティアである聖様に向けた優しさで、
 そしてその優しさは聖様が志摩子さんになにかを求めた結果それに応えた優しさ、ではないから。
 志摩子さんは志摩子さんだから、聖様に対して当然の優しさを示しただけ。
 志摩子さんは本当は聖様のためを思って、聖様のためにもロサギガンティアになることにしたのだけれど、
 しかしそれを聖様がそう自分に求めていたから、という理由で決めた事にしたくなかったから。
 聖様のせいにしたくなかったから。
 自分の責任にしたかったから。
 聖様は、だから自分はなにも強制しなかったわよ、と最後の最後に志摩子さんにそっと囁いてあげた。
 なんという、聖様の愛。
 ロサギガンティアになったら、最後まで自分で責任持ちなさいよ、といった聖様。
 なんという、聖様の優しさでしょうか。
 涙が、流れました。
 誰のせいにもしたくない、そしてどんな「理由」のせいにもしたくない志摩子さんのその優しさに、
 聖様は確かに命をお与えになり、そして確かにそこに存在させたのです。
 志摩子さんがそれでも誰かのせいにしたいそのもうひとつの想いにさえも、聖様は応えます。
 志摩子さんから離れてばかりいる聖様を批判する祐巳さんを、
 自分はなにもしないけど、貴方がなにをしても止めないわ、
 と言ってこっそり志摩子さんに近づくように差し向けたり、
 すべてが終わった後、すっと志摩子さんに近づいて心から志摩子さんのその身を抱きしめてあげる聖様。
 なにかに所属することは足枷でしかない、という志摩子さんに向ける聖様の優しさ。
 志摩子さんはただ自分が自分であるというだけで、それがすべての動機に代わり得る人。
 コトバという理由の足枷から自由になりたいのです。
 志摩子さんのその優しさを、それを受け取る理由が聖様にあるから聖様はそれを受け取る権利がある、
 とは想って欲しくないのです。
 志摩子さんはただ聖様を愛しているから、それだけの事なんです。
 なにもかも、聖様の仰る通り簡単なことなのです。
 でも人の間にコトバという枷がある限り、
 それは簡単であって簡単という素顔を晒す事は出来ないんです。
 愛し愛される理由があって然るべし、というコトバの連鎖で出来ていく仮面を被ってこそのヒト。
 その仮面を被ることは、相手に知って欲しい素顔を隠すことでより素顔を強調する仮面であると同時に、
 その仮面自体にも相手に尊重されたい命があるのです。
 志摩子さんは、聖様の「ために」色々頑張ったことを聖様に知られたくは無いと思い張りながら、
 それでいてその事を聖様に知って貰いたいとも思っていて、
 でもだからこそ尚更その聖様に知られたくない思いを強く示したがっている。
 聖様は、そういう志摩子さんを空の上からちゃんと見ています。
 簡単なことを難しくしてしまう優しさに喘ぐ志摩子さんを、聖様はみてる。
 そしてその難しさに対して、その志摩子さんの知られたく無い優しさの中にある辛さを、
 すっと近づいて暖かく優しく抱きしめて差し上げる。
 お疲れ志摩子、と冷たく甘く囁きながら。
 愛する志摩子さんを抱きしめる、聖様の絶対的な優しさ。
 そこには仮面も素顔も無い、仮面と素顔で出来た二人の人の優しさで満ち溢れていました。
 そしてその優しさの存在は疑うべくもないもの。
 どんなコトバで飾られようとも、変化しない愛。
 私は此処に、その優しさの実体を見つけました。
 
 
 
 ◆◆◆◆
 
 という感じで戯言以外のなにものでも無い意味不明な文の書き殴りになりました。
 よし、もうこれでこれ以下の文章を書く恐れは無くなったゾ。
 まぁうん、一行ずつ他の行と文意の関連付けとかしないで読んで、
 というか眺めて頂ければ嬉しいです。
 自分でたぶん明日読み返してもさっぱりぷーな文でしょーけど、気にしない気にしない。
 言い訳はしません解説もしません。
 書いてあること自体はそんなめんどーな事は書いてないです、たぶん。
 めんどーじゃないけど、わかるかなー、って感じではあるけれども。
 真意が伝わるかどうか、っていう意味じゃなくて、その真意がどういう「感じ」なのかっていうか。
 コトバじゃ表せないことは世の中には一杯あるのよ、
 と、堂々と見栄っ張りな言い訳をかましたところで今日は終わり。
 
 
 白薔薇万歳 (さりげなく)
 
 
 
 

-- 040207 --                    

 

         
     

 

■■少女の紅い瞳■■

     
 

 

 
 
 『ガブリエリさんも、私を女の子にしようとするんですね。』
 

                           〜第十一話のヘンリエッタのセリフより〜

 
 
 水色の海を掻き分けて、導かれるままついた嘘。
 逃げる事の叶わない、逃れる気すら失せる牢獄。
 開放された瞳の中に、消えない涙が木霊する。
 騙され続ける幸福の日常に垣間見る、刻まれた黒い溝。
 血まみれの銃が取憑く掌で、泣きながら溝を掘り続ける矛盾。
 今は幸せ未来も幸せ。
 その幸せをその横顔で受けながら、
 満面の微笑を湛えた少女の眼前には、ただその血を塗りつけた絶壁が聳えている。
 
 空を見上げればそれは青くて。
 海を見つめればそれは水色で。
 そしてジョゼさんを見れば微笑んでくれて。
 私はそれだけで幸せです。
 いつのまにか、そういうことになっていた。
 それは淫靡な空が築き上げた狡猾な罠。
 星の下で泣いている少女を日の下に引きずり出し、破滅へと導く絶壁の罠。
 少女の前面には既に壁が出来ている。
 騙されながら噛みしめた幸せに踊らせられながら築いてきた牢獄。
 いやらしい空から流れ出た糸に絡め取られ、その体は牢獄へと繋がれる。
 ジョゼさんの背中を見つめるたびに、其処に壁が見えてしまうの。
 ジョゼさんの背中と私を繋いでいるはずの直線が、その壁と私の間に繋がっている事を見てしまうの。
 少女が日の下に求める事と、フラテッロが少女に与える物とが一致する幸福。
 その幸福が少女の視る直線を寸断し、少女を獄へと導いていく。
 
 一部始終を知っている。
 知らないでいながら、常に知っているその瞳。
 瞳の前に張り付く壁。
 少女の求めるもの。
 フラテッロは無条件に自動的に少女に幸福を着付けていく。
 かさばる事無く少女のカラダに当て嵌まるその幸福は、余計な風から少女のその身を護っている。
 少女は暖かくて残酷な幸福に、その瞳を切り裂かれる。
 ジョゼさんは、私を普通の女の子にしようとしている。
 欲しくて堪らないフラテッロと少女を繋ぐ直線を刻むことで、
 その直線の端にある少女の瞳に衝撃の切り傷が刻まれていく。
 淫靡な空から吹き付ける風を遮断しながら、少女は圧倒的にその風に晒される。
 フラテッロの温もりに包まれながら、極寒の痛みに身をよじる少女。
 フラテッロの中に居ながら、フラテッロを感じられない肌触りが迫る。
 少女の瞳に、紅い予感が立ち昇る。
 
 鋼鉄製の音色を歌いながら、銃を撃つ少女。
 なにもない鉄の塊を使って、星の下で泣いていた少女。
 冷徹な肌の上でただ涙を流していた少女に、暖かい血に包まれた銃を与えたフラテッロ。
 ただの肉の塊の先に温もりの塊を貼り付けて、ジョゼからの優しいプレゼントを貰うヘンリエッタ。
 自らの最前線に立つ銃口に幸せを詰め込んで、ただフラテッロの背中を見つめていた少女。
 その銃とその視線の先に幸福を視た瞳。
 幸せが、銃のところで止まってるね・・・。
 フラテッロから幸せのコートを貰って着込んでみても、暖まるのはその銃を埋め込んだ掌ばかり。
 少女を包む風は、あの星空の下で吹き荒ぶ風であり続けていた。
 
 その小さな幸せを見つめながら、それで幸福であった少女。
 ジョゼとの直線がある限り、それで充分なヘンリエッタ。
 直線があることを確認し続けるために、銃をひさぐ少女。
 だが、その銃は徐々に奪われている。
 ジョゼさんは、私に普通の女の子になって貰いたいの。
 銃を失えば少女の掌は凍結する。
 銃を包む暖かい温もりは、罪なる血の冷酷となっていく。
 押し着せた幸せで少女の掌を暖めてみても、少女のその身のぬくもりは劣化する。
 冷たいままの瞳で見据えたフラテッロの背に、絶壁が。
 フラテッロの背に直線を刻むその幸せが、少女の瞳を切り刻む。
 ぞくりとその瞳が零した紅い血にまみれた掌が、容赦なく少女を切り裂いていく。
 少女の瞳はフラテッロの姿を少しずつ失い始め、その代わりにどす黒い傷跡に包まれていく。
 絶対の壁にして、矛盾の溝の生成。
 少女のその紅い瞳は、ただフラテッロを見つめている。
 
 
 
 
 
 ジョゼさん。
 ジョゼさんは私に普通の女の子になって欲しいんですよね。
 私はジョゼさんがそう願うのならそうなりたいです。
 でも・・・。
 でも、それがもしジョゼさんをお守りできないということになるのなら、
 私はやっぱりどうしても嫌です。
 ジョゼさんが私のせいでお怪我をされたり、もし死んでしまったりしたら、
 私にはそんな恐ろしいこと、耐えられないと思います。
 ジョゼさんのお言いつけですから、銃はお渡しします。
 でも、私はそれはとても辛い事なんです。
 ジョゼさんが私を旅行に連れていってくださることも、
 私に素晴らしいプレゼントをくださることも、
 それはきっと私を普通の女の子として扱ってくださるからなんですよね。
 私はそれはとても嬉しくて、あ、今日来ているこの服だってジョゼさんから頂いたもので、
 一番大切にしているものですし、それでジョゼさんにはもう言葉じゃ表わせないくらい感謝しているのです。
 シチリアに着いて初めて見たあの空の暖かさ、
 そしてあの海の優しい光。
 みんなこれはジョゼさんがくださったものです。
 私はだからとても幸せです。
 でも。
 私は、本当はそういうものを頂いてはいけないんです。
 いいえ。ジョゼさんが良いというのなら良いことなのですが、
 でも、それがジョゼさんをお守りできない事になってしまうのなら、私は嫌なんです。
 私は、普通の女の子じゃないんです。
 そして普通の女の子になっちゃいけないんです。
 私はジョゼさんをお守りしなくてはいけないし、そしてそれはお仕事ではなくてもそうしたいことなんです。
 お仕事はしなければいけないことで、ジョゼさんをお守りすることはしたいことなんです。
 私がもし普通の女の子になってしまったら、私はジョゼさんをお守りすることはできません。
 『義体の私がジョゼさんの役に立つには、普通の女の子じゃ駄目なんですよっ!』
 だから・・・だから、なにかジョゼさんから頂く度に、私はジョゼさんから遠ざけられている感じもするのです。
 ジョゼさんに優しくされるたびに、私は泣きたくなります。
 ジョゼさんは私に普通の女の子になって欲しいと言います。
 それはなんだか、ヘンリエッタはいらない、と言っているように聞えます。
 ジョゼさんに褒められるたびに、ジョゼさんに無視されていくような感じになります。
 私が一生懸命になるたびに、ジョゼさんから一生懸命離れていっているように思います。
 でもそれでも、私はそれがジョゼさんのお言いつけならば従います。
 とても嫌なことなのですが、でもそれでジョゼさんが喜んでくださるなら私は喜んで従います。
 それに私もジョゼさんから色々なものを頂けるのは嬉しいですから。
 でも、ジョゼさんはきっとそのうち私の前から居なくなってしまうのでしょう。
 私が普通の女の子になってしまうせいで・・・・・。
 私はただ、ジョゼさんのお言いつけに従っているだけなのに。
 私はただ、ジョゼさんのためになりたいだけなのに。
 
 『私、エルザがなぜ死んだのか、わかります。』
 
 
 ◆◆◆◆
 
 血と涙と瞳。
 冷たくも暖かい繋がりの中で、次第に分化していくそのなにかと自分の体。
 ただひたすら求めている事に従事しているつもりが、いつのまにか求めるものを破壊していることに気づく。
 どうしようも無いはずが無い、と何度も考え直してそのたびにかすかに希望を繋ぐ。
 その考え直すという希望を無茶苦茶に繰り返すことで、その希望すら失っていく。
 壁の幻視。
 愛している人と繋がっていると信じている糸が、実はその人との絶対的な溝であると気づきながら、
 それでも糸を紡ぎ続けた少女。
 エルザ、そしてヘンリエッタもまたそういう少女であった。
 与えられた仕事を完璧にこなし続けていっても、それがラウーロを自分に振り向かせる事にはならない、
 ということに気づいているエルザ。
 ジョゼが求める「普通の女の子としての幸せ」を甘受しながらも、しかしそうしていくことが、
 逆にジョゼを窮地に陥れ義体の自分から離れていってしまう事に気づいているヘンリエッタ。
 そして二人ともそういう厳然たる事実に目をそむけることなく見つめていながら、
 それでも一方は歯を食いしばって、一方はあくまで笑顔を湛えながら、
 それぞれフラテッロに与えられた環境を生きている。
 もう頭では絶望するしかないはずなのに、しかしそれでも銃に塗られた血の温もりと、
 銃に込められた涙、そして狙いを見据え続けるその瞳の先に希望を無理矢理に押し込んで生きている。
 だが、少女達は銃を奪われる。
 エルザは、銃を奪われることで、完璧にこなしていればいつかはきっとラウーロを振り向かせられる、
 とそう信じていた幻の希望さえも奪われて、ラウーロを殺し自分も死んだ。
 ヘンリエッタは、普通の少女になっていく、すなわち銃を持っていられない少女へと変えられていく事で、
 自分がジョゼから離れていくことを実感し、ジョゼに対して脅迫をする。
 その脅迫は、ジョゼの解したようにジョゼにいつまでも尊敬できるような人、
 つまりいつまでも普通の女の子に接するようにしてくれる人、で無くなったらあなたを殺して私も死ぬという、
 そういう脅迫ではない。
 まったく逆だ。
 ヘンリエッタはむしろ、普通の女の子としては扱って欲しくはないと思っている。
 それはしかしヘンリエッタに対する興味を、ジョゼに失って欲しいという意味でもない。
 また、普通の女の子として扱ってくれる事自体は、本当はそれも求めている。
 求めてもいるし、それにとてつもなく幸福を感じているのも事実だし、
 ヘンリエッタ自身も、だからそうして良くしてくれるのだから自殺はしないしジョゼも殺さない。
 そこに矛盾がある。
 そしてだからこそ、ヘンリエッタは自殺も選ぶだろうしジョゼを殺すこともあるのだろうし、
 実際はヘンリエッタはそういう意味でも脅迫している。
 自分はこんなに幸せで、だからそれをとても有り難く思ってるからジョゼさんを殺すなんてとんでもない。
 むしろ殺す訳にはいかないし、自分も死ぬわけにはいかない。
 けれど、自分がこうして幸せを掴むたびにどんどん恐ろしい不幸が近づいてもいる。
 自分が普通の女の子になるたびに、ジョゼさんはどんどんと離れていってしまう。
 だから、殺すわけにはいかないけれど殺さないわけにはいかない。
 そういったヘンリエッタの矛盾した苦悩という名の命題自体が、
 ジョゼを殺し自分も死ぬ動機になりえるのだ。
 ヘンリエッタはだから、ジョゼに対してこの命題の解答を求めている。
 少女とフラテッロを殺したのは誰か。
 ヘンリエッタはその血まみれの瞳で、じっと笑いながらジョゼに問い続けている。
 
 と、思うんだけど、どうかなー。
 なんか違うよーな気もするけど。
 ジョゼやフェルミの解した意味での脅迫もまぁアリな訳だけれども。
 ま、ここではどっちが正解かなんてどうでも良いお話な訳なので、どうでもいいや。
 ここではそういう設定でいった場合のお話だから。
 う、なにさっきから言い訳してるんだろ。落ち着け。
 で。
 ポイントはやっぱりヘンリエッタとガブリエラの会話と、
 ラスト倒れたときのヘンリエッタの表情。
 あのときの瞳の色に、私には血まみれの予感がした訳。
 予感ていうとあれだね、違うね。
 実際もう紅い訳ですよ、ヘンリエッタの瞳は。
 ばさっと前髪で隠れてしまったときのあの瞳。
 本当に撃っちゃったんだろうかという緊迫感の中で、キラリと光るその紅さ。
 あれはやっぱり、撃ってないけど撃ってるんですよね。
 もう、ヘンリエッタは何回となく今まで撃ってたんとちゃうかなぁ。
 撃って撃って撃ちまくってたですよ、涙とか。
 きっついでしょうねぇ、やっぱり。
 哀しいでしょうねぇ、当然。
 欲しいものを手に入れることが、欲しいものを失っていくことに繋がるなんて。
 取れば取るほど減っていく。
 わ、これって未来が無い、ってことにもなるよね。
 ヘンリエッタはだからもう、その瞳をぶち抜いちゃってるんですよ。
 でもその瞳はまだある。
 まだ生きてるからねぇ。
 実際に弾丸詰めて撃っちゃうのは、まだですから。
 撃っちゃったら、瞳はもう無いですからね。
 でもホンモノの弾丸の代わりに撃ち続けてる涙が無くなっちゃったら、次はホンモノいくでしょうねやっぱり。
 エルザはそんな感じ。
 ほんとはもう涙なんて無いのに、最後までこれは涙なんだって言い聞かせて、
 で、撃ったらホンモノの弾丸でてきてジエンド。
 もちろんだから自殺なんだろーけど。
 自殺って、なんかそんな感じがするよ。
 最後まで生きる望みをそれが嘘でも繋いでるって感じ。自殺未遂の失敗って感じ。
 エルザ、かわいそーに。
 で、ヘンリエッタの瞳にもそんなような色が垣間見れた訳です。
 
 少女の紅い瞳。
 その傷跡に、癒しのもたらされんことを。
 
 

                          ◆ 『』内文章、アニメ「GUNSLINGER GIRL」より引用 ◆

 
 
 
 

-- 040205 --                    

 

         
     

 

■■マリア様と戦うと云ふ事■■

     
 

 

 
 
 マリみて強化月間ということですので、いつもより1.2倍ほどがんばってみようと思います。
 ごきげんよう、紅い瞳です。
 
 早速第五話のお話にいってみましょう。
 このお話を見てみて、もちろん私は色々なことを想ったのですけれど、
 具体的にではその想ったことはどう書き表せることなのか、とか、
 そういうことはまだわかっていないので、その、書きながら考えていきます。
 それが私の本日の作法です。
 ちょこっと長くなりそうですけど、
 例の如く推敲はしません。
 紅い瞳は見栄っ張りですから (微笑)
 
 ◆◆◆◆
 
 強い弱いと、誰かが決める。
 決めてもそれは言葉だけの事。
 しかし其処に言葉がある限り、強さ弱さも確かにある。
 多くの意味が乱舞する事柄を、言葉という区分を与えて制限してみても、
 その言葉で顕わされた事が嘘になるわけじゃない。
 言えばそれが真実となる。
 嘘も真も、すべてが其処にあるという意味で、それは確かに在る。
 幻影も、それを感じているという意味で、在る。
 思い込みという名の真実も、その人の中に確かにある。
 真実は、無数にある。
 相反することも、矛盾すること同士も、なんであろうと真実。
 言葉にされた「部分」も、言葉にされることのなかった「部分」も、真実。
 そしてだから、真実は、無い。
 これはそういうお話。
 
 誰かを心配してしまう。
 心配だから、その人の側にずっと居たいと思う。
 ずっとその人の側にいると安心できる。
 嗚呼、私は此処にずっと居たい。
 貴方を護りたいから。
 護って助けて、そして・・・・いつまでもひとつでいたい。
 でもそれは、どういうことなのか考えたことはありますか?
 いいえ、ありません。考える必要無いもの。
 それで私は完結できていますから。
 そうですか、ではさようなら。
 私には私を護ってくれる人などいらないから。
 嘘。護って欲しいのはほんと。
 でも貴方が私とひとつになりたがっているのなら、護ってなんて欲しくない。
 もっと、私から離れて頂戴。
 そんな、だって私はただ貴方の事を心配して・・。
 そういうことではない。
 二人の言葉は同じ事実を捉えていながら、
 しかし違う作法でもってそれぞれが区分けされ、それぞれが異なる真実となっている。
 心配するのはいい。
 でも、その「貴方を心配する」ってどういう事?
 私とひとつになりたいんでしょ、貴方は。
 でも私は貴方とひとつにはなりたくない。私は貴方と並んで歩きたいのよ。
 私は貴方とひとつになることで、「貴方」を失う気にはならない。
 私にとってなにより大切な貴方だからこそ、貴方にはしっかりして欲しいのよ。
 だったらいいじゃない。私はちゃんとしっかりやってるし、試合にも絶対勝ってみせるんだから!
 そういうことではないの。
 貴方が凛々しく振る舞うのと、貴方が試合に勝とうとするのはそれは誰のため?
 それは貴方のために決まっているでしょう! 貴方を愛するから、貴方のために・・・
 ありがとう。でも、私はそれだったら貴方から離れるわ。
 なんでよっ?
 貴方が私のために生きようとするからよ。
 
 誰かに心配されてしまう。
 誰かに愛されてしまう。
 そして自分もその誰かを心配して愛している。
 ならば私は貴方から離れよう。
 それが私の抱擁の流儀なのだから。
 貴方が私に寄り添い、そして私とひとつになろうとするということは、
 それはつまりあまりにも一方的だとは思いません?
 貴方には、自分とひとつになりたいという相手としての私が居るけれど、
 でも貴方によって「貴方とひとつにされてしまった」私は、では誰とひとつになろうと思えば良いの?
 私が貴方とひとつになりたいと願ったこの気持ちは、永遠に満たされることはないじゃない。
 だって、私は既に貴方とひとつに「されて」しまっているのだから。
 ひとつになったという結果は平等でも、でもひとつになるまでの過程が不平等なのよ。
 それはちょっと悔しい。
 少なくとも、私から先に貴方へ仕掛けることはできないのだから。
 私はそういう心と体を持っているから、先手必勝は叶えたい夢で叶わない夢なのよ。
 それは嘘という名の真実。
 そう想ってはいるが、そうは想ってはいない。
 そんなことよりも、なによりも貴方とひとつになりたくない。
 それは勿論貴方が嫌いだからじゃなくて、貴方を愛しているから。
 だから例え私が先に仕掛ける事ができても、私は貴方とひとつにはならない。
 ひとつになることで、貴方を失いたくない。
 誰かとひとつになってしまえば、其処に彼我の境界は無くなる。
 世界の中に他者を失い、孤独となる。
 それは私にとっての、貴方の喪失ということ。
 私のためになにかをしてくれるということは、貴方はそれを貴方のためにしないということ。
 私のために生きるということは、貴方は貴方を生きないということ。
 私とひとつになるということは、貴方はこの世界から消えるということ。
 そんなの、耐えられる訳無いじゃない。
 私から、「貴方」を奪わないで。
 
 もっと自分のために生きて。
 私の事など顧みないくらいに強く生きて。
 私のために懸命に頑張ってくれるなんて、そんなの強さじゃない。
 貴方の真実の強さじゃない。
 辛いことに耐えるときに、私のことを思い浮かべて耐えるなんてそんなの駄目よ。
 それはただ私を盾にしているだけ。
 私なんか、置いていきなさい。
 世上、その物言いはその者の強さを指し示していると云い、
 またそういうものは多い。
 でも私は私が誰かにして欲しい事をただ純粋に願っているだけなのよ。
 貴方は貴方の事をただ想いながら、ひたすら貴方の道を歩いていって欲しいの。
 そして私は、そういう貴方を見つめながら、隣の道を一緒に歩いて生きたいのよ。
 この空の下に確かに貴方が歩いていることを、どうしようもなく感じるために。
 私は貴方の事をどうしようも無く愛しているから。
 貴方から、離れたくはないから。
 この空の下で共に在りたいから。
 私は、ひとりは嫌なの。
 嫌で嫌で仕方ないから、だからただずっとひとりにならないよう必死にそれを求めていただけよ。
 その必死さは強いとも言えるのだけれど、
 私はでもとても甘えているだけなのだし、そしてそれはとても弱い事であるのよ。
 そして貴方が私に寄せてくれる想いに、それが例え私の孤独感を募らせることになろうとも、
 その一方で確かに果てしない感謝もしているの。
 私にはだから、貴方とひとつになりたい願いも確かに在るの。
 貴方にはしっかりと自分の足で歩いて貰いたいと願うのはそれは私のためなのだけれど、
 でもその裏で純粋にそれが貴方のためでもあるのよ、という一方的な想いもあるの。
 体が弱くていつも寝ている私から本当に離れていって欲しい、と想うこともだからあったりもする。
 こんな私に付き合っていたら、そっちのほうが本当は貴方を駄目にするわ、って。
 その想いが、貴方に対する冒涜だということも勿論わかっている。
 貴方が私に求めてくれたものを、私が自分の手で消し去ってしまうことなどだから本当はできない。
 でもだからこそ、それと同じくらいに自分はこのまま消えてしまいたいとも思っている。
 だって、貴方が私に求めてくれたものを私が大事にしておくって、
 それってつまり私が貴方のために生きるってことでしょう?
 それは、今度は私が私の生を冒涜していることになる訳よね。
 もし私が貴方の立場だとしたら、それは絶対に駄目って言うわよね、もちろん。
 でもだからといって、じゃあ例えば貴方が私の前から消えるって言ったとしたら、
 その宣言に素直に頷けるかしら?
 いいえ、できないわね。
 きっと私のためを想って私のために消えるって言ったのだって思って、
 そんな一方的な事は駄目よ貴方は貴方のことだけ考えて、って感じで絶対に頷かない。
 
 それはね、でも、ほんたうは。
 
 たぶん、それが貴方が貴方のことだけを考えて出した答えだと、充分私が感じることができた物だとしても、
 私は頷けないことなのだと思う。
 ほんとうのところは、私は貴方がどう考えていようと、そして私がどう考えていようと関係ない。
 どうしようもなくただ貴方と共に在りたいと、ただそれだけを願っている。
 でもその願いは、とても怖くて。
 私はその願いの持つ意味がとても恐ろしくて、だから色々な盾でその恐怖を防いでいる。
 防がずにはいられないから、だから言葉を尽すのね。
 ううん、ほんたうはそれもあるってことなのだけれど。
 「そうなの? 由乃。」
 「そうよ、令ちゃん。
 私はそういう弱い人間よ。」
 「なに言ってるの。弱いのは私のほう。ただ強がってるだけなんだから、私は。
 由乃は私と離れていても、ちゃんと私を抱きしめてくれるじゃないか。」
 「私は、それは違うとはいえないわ。それもほんたうの事だと思うから。
 でも私はそうは想っていない、ということで、だからそれは本当のことじゃないわ。」
 「そんなこと言ったって、由乃は強いコなのは事実だし。」
 「ええ、事実よ。というより、むしろ真実ね。」
 「だったらいいじゃないか。」
 「でも私が弱いというのもまた真実だわ。
 そして令ちゃんは私のためを思うことで一生懸命になれる、ということでとても強い人よ。」
 「で、でも私は由乃の考え方からすれば、由乃を盾にしてるだけじゃないか。
 その盾が無くなっちゃったらなんにも出来ないんだから。」
 「令ちゃん、私の言ってることまだあんまりわかっていないみたいね。」
 「ええ!? なんでよ?」
 「令ちゃんは、私が令ちゃんはこういう事をしてるから令ちゃんは弱い人間だ、って言ったから、
 自分のことを弱いって言ってるの?」
 「・・・・・。」
 「少なくとも、令ちゃんは私の言ってるようなことを考えて一生懸命になれた訳では無いの。
 令ちゃんは私を盾にしてるって、意識なんかして無かったのでしょう?」
 「そうだね。そんなこと考えてもみなかった。」
 「そう。それでいいのよ。私が言った令ちゃんの『弱さ』というのは、
 ある意味でそれこそが仮面なのよ。その仮面を令ちゃんにかぶせることで、
 その弱さという物を存在させたのよ。そして存在すれば、それはそれだけで真実になる。
 そしてその真実が在ることは、令ちゃんの『強さ』の存在を消すことには全然ならないの。
 仮面をかぶっても、素顔は決して無くならないということよ。」
 「私は、確かに由乃の言ったような風な考えから自分を弱いだなんて思ってはいないのかもしれないけど、
 でも、だからといって自分が強いと思ったことも無いよ。
 私はただなにも考えずにひたすら一生懸命にやってきただけで、
 それは自分が弱いからそうしなきゃ駄目だと思うからしていたことなんだ。」
 「それを、『強い』と言ってなにが悪いの?」
 「え?」
 「私は、それを令ちゃんの強さだと思っているということで、それは令ちゃんの強さに違いないの。
 そしてその『強さ』は、令ちゃんの思っているその令ちゃんの『弱さ』の存在を否定することにはならない。
 令ちゃん。いい?
 私が言いたいのは、私が令ちゃんを弱い人だと言ってることを令ちゃんは受け入れる必要はないってこと。
 私は令ちゃんじゃないのだし、そして令ちゃんとひとつになりたくもない。
 だから私はほんとは弱い人間なの、と令ちゃんに告白したからって私に甘くすることなんて無いの。
 むしろ、それだけは絶対にして欲しくないのよ。
 令ちゃんだって、そうじゃないかしら?
 強い自分を演じて弱い本当の自分を隠しているのは、
 やっぱりそれは弱い自分を示したがっているのと同時に、
 その強い自分の仮面も見て欲しいからなのじゃないかしら?」
 「・・・うん、たぶんそうだと思う。」
 「だからね、令ちゃん。
 私は令ちゃんの事を強い人だと思い、令ちゃんも私の事を強い人だと思えば、それでいいの。
 「・・・・・うん・・。わかったような気がするよ、由乃。」
 
 
 
 
 
 
 私もわかってるから。
 令ちゃんがほんたうは弱い人だって事。
 そして令ちゃんが、私がほんたうは弱い人だって事をわかってるって事も。
 
 マリア様が、きょうも私達を見ていてくださいます。
 
 令ちゃん。
 私を妹にしてください。
 
 
 
 
 

-- 040203 --                    

 

         
     

 

■■強化月間■■

     
 

 

 
 
 月が代わったというので、なにやら施政方針演説でもしようかと思ったのですけど、
 気が乗らないので5秒で断念することを決意致しました。
 そういうときだけ決断力を無類に発揮する紅い瞳です。皆様こんばんわ。
 
 昨夜は久しぶりにここのチャットでのんびりしたようなしてないような、そういう感じでした。
 なんだか行方不明寸前のしろやさんのログがダイイングメッセージもかくや
 というギリギリの感覚で残されたりもしていたり。
 釘バットなんか作ってないヨ。たぶん。
 ときみつさんところで運命と見せかけてごく普通に私との出会いを果たしたカニクさんも、
 きっと私にRODを勧めに来てくださったんだろうになぁ、というノリが、
 どういう訳か私の方がRODを推していたりする造反劇もあったりしたり。
 挙げ句の果てには黒川さんは切腹のススメを著し始めるし
 鳳さんはガンスリ洗脳受け入れ体制進路クリアオールグリーンだし。
 紅い瞳は、素でボケてるし。
 こういうところに安住さを求めてる私って一体。
 ・・深いことは考えないことにします。
 
 と、訳のわからない妄想を膨らませていても、
 ウチでは「妄想代理人」は見れないんじゃい、くそぅ。
 MEZZO、マリみてに続く第三の新アニメであると秘かに目していた作品なのに、残念。
 WOWOWなんて、猫のう○こ踏め。
 あ、そうかそこでマリみてが出てくるわけですねはいそうですお客様。
 いえ、お姉様。
 とにもかくにも、「マリア様がみてる」、通称マリみての強化、いきます。
 妄想代理人にフラレた腹癒せに、いっちょいきます。
 具体的に強化月間ってばなにするのん? という当然至極の御質問、あると思います。
 うーん考えてなかったなぁ こんな感じで如何で御座いましょう。
 1・チャットでの挨拶は「ごきげんよう」。
 2・BBSでマリみてのアイコンだけ使う。
 3・日記のマリみて感想書きを、当社比1.2倍ほどがんばる。
 4・とにかくマリみてっぽくいく。
 5・泣く。
 6・叫ぶ。
 7・白薔薇様万歳。
 
 ツッコミ却下。
 
 誰がなんと言おうと、私はこのひと月はこのコンセプトでいっていこうと思います。
 なにそれ。
 
 で。
 強化月間とかは適当に放置してなるようになれ、で。
 2/11日戦国無双とか発売来るらしいんでー。
 正直はやくもマリみてとか言ってる場合じゃなくて。うん、早速裏切ります。
 ていうか2月が戦国無双の月なのは数ヶ月前から決まっていますのでー、その、無理。
 無理ってゆーか、たぶん、うん、でも大丈夫☆ ←嘘臭さに満ち溢れた笑顔で
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 すみません。
 今日はオチとか、無理です。
 
 うがー (壊)
 
 
 
 
 

 

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