〜2004年3月の過去ログ〜

 

 

-- 040330 --                    

 

         

                                ■■灰色陽炎灯■■

     
 

 

 
 
 手を伸ばせば、いとも簡単にそれは空を切る。
 声を出そうとすれば、それはいとも簡単にかすれてしまう。
 それでも、誰かがきっとそんな私を見ていてくれる。
 手を伸ばしても誰にも触れないのなら、
 声を出そうとしても誰にも想いを伝えることが出来ないのなら、
 きっとそこには、いつも誰かが居てくれる。
 
 誰かが居るってことは、そんなに幸せなことじゃない。
 でもだからといって、不吉な事でもない。
 それはとても嬉しい事で。
 嬉しくて、悲しくて、恥ずかしくて、そして哀しい事で。
 私は誰かの存在を求めている訳じゃない。
 誰かに救って貰いたいのでもない。
 誰かに罰して貰いたいのでもない。
 此処に私が生きていることの証、なんてどうでもいい。
 別に誰かが其処に居なくても、私はただ呆然としているだけだ。
 だから、誰かが其処にいると云うことは、嬉しくて、悲しくて、恥ずかしくて、そして哀しい事なだけ。
 ただ、それだけなんだ。
 そう言葉で言ってしまった瞬間に、もう、誰かの存在なんてどうでも良くなってしまう。
 いつも必ず、目の前のすべてがおぼろになり、そしてなにもかもが歴然と其処にあることを知ってしまう。
 誰かが其処に居る、ただその言葉を必死に反芻しながら、
 私はいよいよ、誰かの存在が其処にあることを知っていく。
 私は、誰かの存在をひたすら創っていく。
 創って創って創りまくって、なにもかもわからなくなって、呆然としてしまう。
 一体なんなのだろう。
 誰かに、その誰かはここにいるよって言って貰えるまで、
 私は誰かの姿を勝手に生成し続けていくのだろうか。
 私が造り上げていく決して物言わぬ人形達の向う側に、
 なにかが現れるのをずっとずっと待っているのだろうか。
 そのなにかは、一体なんなのだろう。
 私はただ、待っているしか、無い。
 
 言葉を紡ぐ事で、憂さを晴らす。
 憂さを晴らそうとして、なにもかも馬鹿らしくなる。
 そして、なにもかもが馬鹿らしくなっていく自分を見つけて、とても嫌になる。
 なにも知らないくせに、なんて誰にも、私にも、言えない。
 私は、すべてを知っていて、すべてを知らない。
 ただすべてを知っていたくなくて、すべてを知っているはずだと思いたいだけ。
 目の前の貴方の事を、無視するなんてできない。
 嘘。
 目の前の貴方の事なんて、たぶんどうでもいいんだよ。
 目の前に居る貴方の事を無視するなんてできない、と思っていたいだけなんだ。
 私のほんとの想いはなに? なんて私にも、誰にも、訊けない。訊きたくも無い。
 求めているものは海よりも深くどこかにしまい込まれていっているのに、
 私が他人(ひと)の事まで気にかけられる訳無いじゃないか。
 私はただ、言葉遊びがしたいだけなんだ。
 自分の求めているものが、どうしようもなく遠いところにあるから、
 だから仕方なしに、目の前にある玩具で遊んでいるだけなんだ。
 ほんとは、遊んでさえいず、遊んでいるふりをしつつ、ずっとずっと遙か遠く先だけを見つめているんだ。
 だから目の前の貴方にかける言葉は、たぶん貴方にだけにしか意味が無いんだ。
 私にとっては、意味があるようでいて、たぶん意味など無い。
 あるのならそれは、お巫山戯が過ぎた時だけなんだ。
 
 じっと貴方の向う側を見て、指先で貴方の頬に触れている、この憎しみ。
 これは、憎悪なのだ。
 貴方を見つめながら貴方を無視して、貴方に復讐したいのだ。
 そしてその復讐の心を隠さんがため、我が身に罰のくだらんことを、と願っている。
 私が罪を背負うのは、私が生きる実感を得るため。
 私が愛する貴方の求めに応じて罰を受ける事の意味。
 それは、貴方の求めに応じられる喜びと、
 そして罰を受けることでしか貴方と共に生きることが出来ない哀しみ。
 私はその喜びが哀しみに変換される中に、私の貴方への憎悪を見た。
 なんだ、私はやっぱり貴方を見ているのじゃないか。
 貴方の遙か遠くを見つめながら、ゴミみたいに付着している貴方の影を、
 私は私の視界のうちから取り除くことなどできやしないじゃないか。
 嗚呼、嗚呼、またそんなことを言って。
 嘘ばかり言う。
 貴方の影が私の目の前から決して立ち去っていかないことなど、周知の事じゃないか。
 なにを自分が考えて導き出したかのように言っているんだ。
 私は、そんなことはとっくの昔に知っていたはずだ。
 知っている事を知らないといって、それを新しく知った事実として自らを誇りたいのだ。
 浅ましい。馬鹿みたい。
 いったい誰に誇るというのだろうか。
 私はそんなに誰かに褒められたいのだろうか。
 誰かが其処に居るって思っているのは、きっと私だけでしかないのに。
 
 私が此処に居て良い理由がどこかにあるとするのなら、
 誰かが其処に居て良い理由というのもあるだろう。
 では、その2つの理由を創るのは一体誰なのだろうか。
 そんなのわかるか、馬鹿。
 ただ、誰かがもしかしたら其処には居ない、ということは充分にあることなのだ。
 ある日突然、目の前に誰も居なくなったとしたら。
 或いは、ある日突然、目の前に居る人々がすべて幻なのだと気づいたとしたら。
 どこまでも突き抜けていく空虚感、というのはあるのだろう。
 必死に考えて、一生懸命誰かを見つめていて、そうしたら誰も居なくなっていて。
 漠然と貴方の姿を視界の縁に捉えていて、
 いざ貴方を視界の中心に持ってこようとしたら、それは貴方でもなんでも無い幻だったのであって。
 いったい、貴方はどこに行ってしまったというのだろう。
 そして。
 訳がわからなくなってしまうのと同時に、なにもかもがわかってしまう。
 私は堪らなくなって、叫んでしまう。
 ああ、なんだ、私は私じゃんか、と。
 すーっと光が体を包んでいくように、闇が私の目の前を覆っていく。
 
 
 
 
 とても親切で。
 とても優しくて。
 そう貴方に称賛されて。
 だからどうしようもなくむずかゆくて。
 私は、心の中でうるさいうるさいと、つい貴方に言ってしまう。
 私の淫らな努力が実って、せっかく貴方にそう言わせたというのに。
 私に達成感など元より無く、得るものもまた皆無だった。
 そんな称賛、私にくっつけないでください。
 私が汚れてしまいます。
 私がすっかり汚れているということを、その綺麗な称賛で照らし出してしまわないでください。
 わかってるからわかってるから。ごめんなさいごめんなさい。
 私は貴方を冒涜した。
 私はそして私を自分で汚した。
 私の中の、ただただひたすら優しいといえるはずのものまで、きれいさっぱりと汚してしまった。
 あれ? 貴方はほんとうに其処に居るのですか?
 なんだか霞んでいるように見えます。
 嗚呼・・・・ついに見えなくなってしまいました。
 嗚呼・・・・ほんとうにどうでもよくなってしまいました。
 貴方が居なくなってしまうなんて。
 
 私は嬉しかった。
 思いも寄らないその言葉が聞けて。
 それだけで充分で、だからきっと貴方の姿が見えなくなってしまったのだろう。
 嬉しかった、という想いそれ自体が、たぶん貴方の姿を私から奪ってしまったのだろう。
 私は私がよければ、それだけでいい。
 私が良くなるために、貴方にもよくなって欲しい。
 貴方の笑顔が私をもっとも楽しませるから。
 だから、貴方は私の前から消えた。
 貴方の笑顔を、私のものとしてしまったから。
 奪って奪って、根こそぎ奪って、そうして貴方はさっぱりと枯れていった。
 謙遜なんて馬鹿らしい。欲望なんて嘘ばっかりだ。
  そう思っておきたい。そう思っていたいんだ。
 そしてだから、みんな当たり前のようにして其処にある。
 謙遜こそが美徳で、欲望こそがだから一番正直なんだ。
 それらにすがって、そうしてひとつひとつ貴方の姿を消し去っていくんだ。
 
 ひとりで生きていけるなんて思わない。
 だけどひとりで生きていくべきだと思う。
 そしてたぶん、そう思った瞬間私は恐怖を感じて身を引いてしまう。
 私はそのひとりの自分の姿を遙か遠くに見つめて、
 そして目の前の貴方と一緒に生き続ける。
 貴方のために。貴方のために。貴方のために。
 私には、私のこの姿が良く見えている。
 そういう風に自分を見たがっているということも、よくわかっている。
 私は貴方の姿を幻に仕立てているんだ。
 どうしようもなく虚しい幻として、私の目の前だけに在って欲しかったんだ。
 でも。
 私は、貴方を愛している。
 私は貴方が好きだけれど、貴方を愛している。
 それだけは、信じて欲しいんだ。
 そして、それだけは絶対貴方には信じて欲しくもないんだ。
 貴方には、貴方で居て欲しいから。
 それ自体が貴方に甘えていることなのかもしれない。
 貴方が誰で居ようと貴方の勝手なはずなのだから。
 私は貴方が確かに其処に居てくれないと、不安で仕方無いのだから。
 いつまでも、堂々巡り。
 だから、私はひとりで生きなくちゃ。
 其処に貴方が居て良い理由は、私が貴方を見つめていないときに、初めて出来る。
 私の瞳が貴方を意識する限り、私は貴方を創れない。
 そして。
 創り出された貴方になんて、私にはなんの価値も無い。
 私はようやく、誰かの存在を創り出すことをやめた。
 
 目の前に美しい世界がどこまでもどこまでも広がっていくのを、私は静かに感じていくのだった。
 
 
 ◆◆◆◆
 
 不思議な事だけれども、そういう感じになった。
 なんだかよくわからないのだけれど、原因と結果が一致したような、そんな感じ。
 本末転倒がさらに180度回転して、また同じ事を言う事になっているというか。
 優しいのだか、優しくないのだか。
 嬉しいのだか、嬉しくないのだか。
 誰かは其処に居るのか、居ないのか。
 それがいつのまにかすべてその問いの状態のままでありながら、既にそれが答えと一致しているというか。
 誰かは其処に居るのか、居ないのか、だから誰かは其処に居て、其処に居ない、と。
 アニメエンジェリックレイヤーの第17話を見て、想った。
 みさきちは優しいのだろうか。
 鳩子は優しいのだろうか。
 みんなみんな優しいのだろうか。
 たぶん、とても信じられないくらいに、優しい。
 みさきちのお母さんもとてもとても優しいのだと想う。
 なにひとつ、優しさから始まって優しさで終わっていないものなど無いのだと想う。
 そうじゃなかったら、たぶんみさきちは笑顔ではいられ無いのだ。
 強さなんて、優しさの糧でしかない。
 だからこそ、優しさは強さのきっかけにもなれる。
 強さと優しさは別物。
 別だからこそ、相互に関わり合っていくことができる。
 コンプレックス・プールというWeb漫画のあるサイトに行った。
 凄かった。
 怖いくらいに、私の道の先を歩いていた。
 こんな漫画を描ける人が居たなんて。
 私が創りたくて、そしておそらく絶対に創れないものを、この人は普通に創っていた。
 私には、こんなモノは描けない。
 でも、私にはこの思考がどのような絵として顕われてきているのか、強く知っている。
 知っているから、私にとってのこの漫画の「偉大」さがよくわかる。
 私にはまだ世界から見出せていない問いの姿が記述され、その論の進め方と答えまで示されている。
 私にはわからないはずなのに、わかってしまうのだ。
 だから、凄い。
 私がわかったふりをしていると自分で気づけてしまうほど、
 私の前に広がる道をはっきりと示してくれるから。
 「鋼の錬金術師」の漫画を読んだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ヒューズ中佐、いえ、ヒューズ准将に、敬礼。
 
 
 
 

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■■後片付け、下準備■■

     
 

 

 
 
 今更ながら、祥子様@次回予告バージョンにくらくら来てる紅い瞳です。
 ファイナルバトル、いきます(真顔で)
 
 すっかりもう、マリア様がみてるが私の胸の底にまで染み渡っていて、
 私はなんだか大変によろしいのですけれど、
 いざその時間の終わりが差し迫ってくるとなると、これがまたなんとも寂しいものです。
 それこそ胸に大きな穴が空いてしまったような、どうしようも無い空虚感。
 ああ、マリみてよなぜ終わって・・・ませんけど。
 あれ?
 なんだかすっかりマリみて終了気分にうちひしがれているこの私のザマはなんなのでせう?
 一杯楽しんだ分、それが終わるときの虚しさもまた長大で、
 それが最終回前までにはみ出してきてしまったというのでしょうか。
 いやはや、とんだお調子者です(誰が)
 それにしても、マリみて。
 なにはともあれ、マリみて。
 なんとしても、マリみて。
 要するに、マリみてについて、いつまでもいつまでものらくらとお話していたいのです。
 前回の感想でもお話しましたけれど、
 マリみてっていうのは、ほんとになんだかたくさんの物を持っていて、
 私にはそれは語り尽くせなくて、それでも語る意欲が100%を軽く超えてもいて、
 なんなら毎日マリみての感想文書いてもいいよ? というノリで、
 今にも大空に羽ばたけそうな勢いなのですよ。そこまでは言ってませんでしたけど。
 そして私はいくつかの局面において断定的な物言いの元に感想を書いたりしましたけれど、
 決してマリみてはそれだけで終われるものじゃなく、
 また私自身の想いの中でさえ、断定できる部分というのはあきらかにそれはポーズでしかない。
 なにかを断定した瞬間に、実際にはその断定したことの向う側にも既にマリみては広がっていて、
 だから、こうだからこうだ! と断定した次の瞬間には、でもこうも言えるよね? という感じで、
 延々と反駁が繰り返せちゃうんです。
 私の感想というのは基本的にそういう断定と反駁の体裁を取っていますけれど、
 少なくともある程度の分量で感想をまとめようとしているから、
 必ずどこかで断定して反駁の連続を強制的に停止しなければいけない。
 だから、私の感想は、実はすべて本来は終わりなど無いんです。
 まぁ、それは半分は嘘で、実際はネタが切れれば終わりなんですけれどもね(笑)
 でも、マリみてに関しては、少なくともネタが切れるまで書いたことは無いので、
 だから半分は正解なのでしょう。
 
 それで、まだまだ語り足りないことはあるのですよ、と。
 もっともっと一杯語りたい。
 だから、マリみて放送が終わった後に、できれば何本か感想を書いてみたいものです。
 個人別の感想とか、あと薔薇別の感想とか。
 殊に聖様、そして特に祥子様についてはかなり語れなかった部分がありましたので、
 ほんとうに書けたならば良いと思います。
 そして、放送終了後に、そうですね今週末くらいにマリみてのお話会などもできたら尚良いですよね。
 第二期の放送もあるってことで、
 幾分これでマリみてともお別れだ、という気概に乏しく、
 なんとなくしゃきっとしなくてオロオロしていたところなのですけれど、
 ここはそれを逆手にとって、お別れできないのなら、ずっと一緒に居ましょうヨ、
 などと大いに開き直ってしまおうか、とか、そんな想いもちらほらと出始めています。
 なんなら、マリみて強化月間を今月も続けていいゼ? みたいな。
 別に改装するのが面倒という訳ではありません。
 けど、ほんとに感想書けるのかな、って感じもあります。
 最終回の放送終わった瞬間に、体も終了体制に勝手になってしまって、
 感想描きどころでは無くなってしまうかもしれません。むしろその可能性大。
 ですからまぁ、感想の方はあんまり考えないで気が向いたときに書けるくらい心の準備はしておこうかな。
 
 で、小説版のお話ですけれど。
 正直、ちょっと迷っています。
 読もうか、読むまいか。
 はっきりいって、第二期の放送前に読んじゃうのは、アニメのイメージを損なってしまう恐れが。
 散々目の前で原作読んだ人にはアニメ不評、アニメ見た人には原作不評、
 という地獄を見せつけられてきただけに、ちょっぴりぶるっときてます。
 アニメはアニメ、原作は原作、と頭ではわかっていても、
 どうしても頭の中にイメージが浸食して来ちゃうのはどうしようもないこと。
 だから迷ってます。
 でも、気づいたら素で小説版も語れるくらいがっちり読んでしまっているかもしれませんので、
 もう少しお待ちくださいませ(色々な意味で)。
 
 
 
 さて、話題を変えまして。
 というより関係はありますけれども。
 マリみての後継のお話です。
 アニメです。新番組のアニメ万歳です。
 4月はなんだかんだとイイながら、実はいつのまにかアニメ盛り沢山になってしまっています。
 今日、まだ見ていなかったケーブルテレビの番組表を見たら。
 なにげに見てみたら。
 
 「すてぷり」がキッズステーションで4/2より放送開始!?
 
 春です。春が来たのです。
 てか、春早々心臓が止まるかと思いました。
 もう大好き、キッズステーション。
 おいでませ、すてぷり。
 すてぷりというのは、スクラップドプリンセスというアニメのことです。
 以前WOWOWのノンスクランブル(無料枠)で放送されていたとき、
 残り1/3くらいのお話だけは見たことがあって、素で泣いたり落涙したり号泣したりしたアニメです。
 これがまた最初から観られるなんて。
 紅い瞳、また泣いちゃいます。
 このアニメは、いろんなとこが凄くて、いろんなとこがしみったれていて、
 なんだかいろんな意味で豪華なので、じっくり楽しめます。
 でもやっぱり一度みたアニメだし、だからマリみての後継として、毎回感想書くかどうかは微妙。
 内容としては合格ラインの遙か上を行っているステキアニメなのですけれどもね。
 一応、新卒採用ということで。新卒は新卒。
 
 で、その肝心の新卒やらというのはいかほどその候補に挙がっているのかといいますと。
 ええと、表を出します。
 
 4/1(木)  恋風             TV朝日
 4/3(土)  愛してるぜベイベ★★   アニマックス(ケーブル)
 4/4(日)  せんせいのお時間     TV東京
 4/5(月)  MADLAX          TV東京
 4/6(火)  MONSTER         日本テレビ
 4/17(土) 月姫             アニマックス(ケーブル)
 
 4/11・25  コゼットの肖像」      AT-XでOVAの先行放送(宣伝?)
 
 
 ・・・・・。
 
 コゼットの肖像に、決定。
 
 と叫びたいのは山々なのですが。
 うん。ほんとこれはぴったりだと思ったよ。
 現代版牡丹灯籠て。反則です。
 紅い瞳の中で色々妄想が膨らんで一杯一杯のところでなんとか良心が生き残れるくらいですよ。
 紅い瞳が少しだけ好きな声優さんである斎賀みつきと豊口めぐみも出てるみたいだし。
 音楽は梶浦由記だし。
 あと紅い瞳の第六感がこれはスゴイって囁く、っていうか悲鳴あげまくってるし。
 でもね。
 
 ウチはAT-X見れないの。
 
 OVAの方も買う余裕無いし。
 
 ・・・・。
 コゼット、離脱しました。
 
 
 うん。どうしよう。
 割と色々候補を多めに挙げてみたのですけれども。
 やっぱり、月姫がイケるのじゃないかとも思われますけれども。
 けど、月姫はかなりあぶない感じもします。
 なんつーか、なんか違う方にいっちゃったりとか(謎)
 普通ですと、恋風などは比較的感想を綴りやすいような気もしますけれど、
 確かにテーマ的にはかなりいけそうなのですけれど、そういう作品こそ実際に見てみないと、
 結構苦労することがあるんですよね、あとで。
 ま、それはどの作品にも言えることなのですけれど。
 で、一番楽しみにしているのが愛してるぜベイベなのですが、
 これはたぶんただ楽しんで泣いたりして、感想書いてる余裕ないくらいになりそうなので。
 というより、種類的に持続的な感想を書けるアニメじゃ無いと思うし。
 せんせいのお時間以下は、未知数。ほんとに見てからじゃないとなんにもわかりませぬ。
 
 ・・・・。
 候補、結局しぼれないじゃん(涙)
 
 
 
 ◆ぴーえす◆
 えっとぉ。サイトのデザインのお話ですけれど。
 正直このままでいようか、それとも改装しようか迷っています。
 マリみての放送が終わって、そのままマリみて強化月間としてのこのデザインにしておくのもなんだけれど、
 でも私としてはマリみてアイコンを陳列してあるのはなんだかとっても心地よくて、
 なんならずっとこのままでもいいんじゃん? って感じもします。
 それに改装するにしても、てんで新しいデザインを考えていなかったモノだから、
 どっちにしろこのままでいるしかないじゃん、ってこともあるし。
 ・・・・答え出てんじゃん ←膝を打ちながら
 というわけで、4月もこのデザインのまま押し通ることに致しました。
 
 ははは、マリみて万歳(渇いた笑いで)
 
 
 

-- 040326 --                    

 

         
     

 

■■マリア様とデート■■

     
 

 

 
 
 こんばんわ、紅い瞳です。
 すっかり春めいてきた今日この頃、皆様如何お過ごしでしょうか?
 
 さて。
 本日は、マリア様がみてる第12話についてのお話をさせて頂きましょう。
 と言ってみて、もうこのアニメのお話をさせて頂くのも、これで12回目であることに気づきました。
 そしてアニメは残すところあと1話、なのですよね。
 なんと早いことなのでしょうか。
 最近全13話のアニメで感想を書いてきたアニメといえば、
 灰羽連盟やガンスリンガーガールなのですけれど、
 このふたつは放送延期などがかなりあって、
 並の全26話のアニメより終わりまでが長く感じられました。
 けれどマリみては一度も放送延期などが無かった優等生のため、
 実に放送期間はわずかに3ヶ月というほどの短さでした。
 祥子様よろしく真面目過ぎるのもよくないという事の典型でしょうか。
 
 と、そんな冗談はこのあたりでよして、お話を始めさせて頂きましょう。
 今回のお話は、デートのお話。
 祐巳さんと祥子様、令様とバレンタインのイベントで半日デート券を得た田沼ちさとさん、
 志摩子さんとこれまたデート券取得者にしてロサカニーナこと蟹名静様。
 そしてこの三組をつけ回す(?)写真部の蔦子さんと新聞部の三奈子様、
 そして令様のあとをやはりつけ回す由乃さん。
 全編是れコメディの軽やかで、それでいて麗しい流れをしっとりと感じさせられるお話の調べは、
 第一話を初めてみたときのとろけるようなあの感覚を彷彿とさせてくださいました。
 こういう流れが、いつもマリみて中にしとやかに流れていることを感じられるこの感慨が、
 私は大好きで堪らないのです。
 軽やかで楽しくて、それでいて美麗な上品さが刻まれていて、
 さらにその刻み込まれた品の良さの中で響く笑いのさざめき。
 そしてこれは今までのお話を観てきたことでわかってきたことですけれど、
 必ずその笑顔のさざめきの隣に、ふっと魅せる哀しみの色彩があります。
 私は毎回その哀しみの色彩を拾い上げて、
 勝手にあれこれ塗り替えて自分なりの絵を描いてきたのですけれど、
 その絵を描いている手をそっと止めて画面を眺めると、そこにはどうしようもなく美しい世界が映っていて。
 私がそこから取り出したものだけが、それだけがマリみてのすべてでは無いことを必ず私に示してくれて、
 でもそれでも私は毎回その示してくれた美しさを全部は頂かないで、
 ちょっぴりだけ自分に合った分だけを頂いて、それで感想を書いています。
 ですから、私はマリみての「評論」を書いたりとか、
 マリみてとはこういうものだ、というつもりで感想を書いてはいません。
 私の感想、マリみての見方はあくまで全体の一部、
 それも私が作品を観て抱いた感想・見方の中に於いての一部にしか過ぎないことを、
 時折皆様にお解り頂けているのかどうか心配になります。
 でも、その心配ですらどうでもよくなってしまうほど、マリみては私に数限りないものを与えてくれます。
 私はその数限りないもののうちのひとつを受け取る事で手一杯で、そしてお腹一杯なのです。
 と、こういう言い方をしますと、
 自分が向き合っているものの偉大さを訴えることで、
 それと向き合えている自分のことも自慢してるよね、と思われると思います。
 ええ、でも、その通りです(笑)
 でもその通りなのですけれど、その自己自慢は主では無く、
 今の私はマリみてのすごさをこそ、自慢したい気持ちの方がメインです。
 そして自慢しつつ、自慢している暇があるならば、もっともっとマリみてを感じたい、
 あるいはマリみてを独り占めしていたい、そういう気持ちに今は駆られています。
 
 祐巳さんの笑顔。
 そして忙しく小さく駆けめぐりながらの悩み。
 その様子を見て、可愛いなぁと外側から眺めることもできますし、
 あ、それわかるわかると言う感じで祐巳さんと一緒に小首を傾げたりも出来たりして、
 ただその自分の立場の変換がめまぐるしく行われていく感覚だけで、もう今回はふらっときましたし、
 祥子様のあくまでお上品なボケ(笑)っぷりにも、静かに微笑ませて頂きました。
 肩肘など張らなくとも、のんびりゆっくりとアニメの中に入っていることができて、
 とても幸せな気持ちになれるお話。
 随所に顔を見せる由乃さんや蔦子さん・三奈子さんの漫才には普通に笑えてしまいました。
 あのようなズバっとくる笑いがあんなにも普通に組み込まれている事の作品美に感嘆しながら、
 その感嘆を放り出して純粋に爆笑してしまえるこの感じ。
 それにしても、由乃さんが敬語を使う事が不自然に見えるようになってくるほど、
 由乃さんのはっちゃけっぷりも板についてきましたけれど(笑)、
 マリみての中での笑いというのは、とても不思議な感覚に満ちていますよね。
 その笑いがどの流れにも繋がらない単発的なものでありながら、
 なぜかそれだけが突出して錆びてしまわない自然さ。
 それは、時折現れる哀しみの表情と決して共存しない故のことなのでしょう。
 ある意味で、笑いは笑い、という感覚がどこかにあるのかもしれません。
 でも、だからといって「ギャグキャラ」というものが居る訳でもない。
 だからそれはつまり、哀しみの延長として笑いがあるという風に言えるのかもしれません。
 由乃さんという人は、いくつかの意味に於いて面白い人です。
 色々と考えて悩んで、そのたびに自分自身にツッコミを入れて、
 でもそのツッコミを入れた次の瞬間にはあっという間にまたオカシナ苦悩が始まっていて。
 ぶつぶつと令様を付け回しながら考えを重ねていく様相、それ自体が哀しみであって、
 そして笑いにもなっています。
 でもそれが、哀しみと笑いという2つの現象として分けて考えた時点で、
 やはりそのふたつは別物になり、
 よって、由乃さんの高笑いは純粋な笑いというものになっていると思います。
 笑いの向うに哀しみを予感出来て、でもそれでいてその笑い自体には普通に笑えてしまう。
 由乃さんを含むマリみての笑いには、そういう感慨が抱けてしまいます。
 
 さて、笑いの風景とは少しばかり距離を置いている志摩子さんと静様のデート。
 デート、というよりまさに戦闘なのですけれど(笑)、
 なかなか面白かったです。
 志摩子さんの論法があっさりと、そしてじっとりと静様に崩されていく様子。
 先手先手を打ちながら、それでいて一矢も報いることができずに、
 段々と隷従していく志摩子さんの瞳が、怪訝さに満ちていくその有様。
 言葉によって周囲を動かし、また自分に対してのベールを張っていく志摩子さんの戦術は、
 静様にはまったく効かないばかりか、あっさりとすべてカウンターを受けてしまいます。
 静様の言葉ひとつひとつに静様にとっての意味は無いのですけれど、
 でもその無意味な言葉は志摩子さんの論法にはとても有効で、
 見事に志摩子さんを撃破してしまいます。
 それは静様の志摩子さんの論法に対する観察が優れていたからなのでしょう。
 志摩子さんの言葉を使って、そして志摩子さんの論法にその言葉を組み込んで攻撃する。
 そしてあっという間に敗北してしまった志摩子さんを覆う、志摩子さんの言葉達の残骸。
 志摩子さんにとっての、「入れ物」という言葉。
 かつて志摩子さんが言った、なにかに縛られる、ということは、入れ物に入れられるということ。
 志摩子さんという人の中にある想い。
 それは、なにかに縛られているという事に対する無条件の反抗、
 そしてその反抗を徹底していくと、その反抗になんの意味もの無いという事に気づくということ。
 縛られる事から自由になりたい、という事それ自体に縛られている、
 それは自由という名の呪縛でもある。
 志摩子さんは薔薇の館に出入りするようになって、たぶんそういう事に気づき始めていたことでしょう。
 そしてそれは、聖様が志摩子さんに求めた気づきでもあって、
 だから聖様は志摩子さんを薔薇の館に連れ込んだのでもあります。
 入れ物よりも、中身を見つめるために。
 あるいは、入れ物を観るということは中身を見つめて初めてわかることでもある。
 自分が縛られているその「なにか」は、それだけを見つめてただ反抗しているだけじゃ、
 それがなんであるかを知ることは出来ないのです。
 志摩子さんは今、中身を見ています。人間に興味を持ち始めています。
 
 でも。
 志摩子さんは、逆に今度は中身だけを見つめているように思えます。
 というより、中身を見つめることで入れ物が見えてくる、という連関がまだ生成されていず、
 ただ入れ物だけではなくて、中身のほうもちょっと見てみたいという感じに止まっているように思えるのです。
 ですから、入れ物を見れば実は中身が見えることもある、ということが逆にわからないのです。
 志摩子さんにとっては、入れ物はあくまで入れ物それだけであり、
 中身もまたあくまで中身それだけでしかありえないのです。
 静様は、そこを突いてきます。
 志摩子さんにとって学校は「単なる」入れ物にしか過ぎない、と静様は言います。
 入れ物があるということは、同時にそれは中身があるということ。
 なのに中身に「しか」逆に興味が無くなってきた志摩子さんには、
 そこにはただの学校という入れ物しか見えてこないのです。
 入れ物に縛られ、それにただ反抗することの無意味に気づいたのに、
 それで逆に今度は入れ物を見ようとしなくなってしまった志摩子さん。
 誰も居ない学校に行って、なにが面白いのですかと問う志摩子さん。
 ロサギガンティアのスールだから私に興味がお有りなのですかと問う志摩子さん。
 静様は、静かに微笑みながら答えます。
 学校に行きましょう。そうすれば、貴方の事が見えるわ、と。
 志摩子さんには、この答えは理解不能でしょう。
 中身の無い入れ物をみて、なんでその中身の事がわかるのか、と。
 入れ物をどうでもよいと思っている志摩子さん、ロサギガンティアの妹である自分はどうでも良い、
 そう志摩子さんは思っていて、
 それなのにそのどうでも良い事に興味を持ってるはずの静様は、
 それらを見つめることで、入れ物の中身、ロサギガンティアアンブトゥンの中身が見える、と言う。
 学校の中身の人間に、そして志摩子さん自身に興味があると言い切った静様。
 志摩子さんに、この静様の穏やかな攻撃を止められる術はありません。
 志摩子さんの言葉が使われているのに、志摩子さんの会得している論法のレベルでは解けない攻撃。
 次回志摩子さんはどのようになっていくのか、
 そして静様の次なる一手はなにか、たいへんに楽しみです。
 
 
 という感じでした。
 第12話は最終回への繋ぎとしてみることも、単品としてみてみることも、
 そして今までの流れのひとつの収束としてみることもできました。
 ただ私としては、アニメの第二期の放映も決定したようですので、
 まとめ的な感想を抱くには、まだなんとなく臨場感が無くて、
 結果的に最終回一回前の感想としてのまとまりに欠ける感想となってしまいました。
 それはちょっと情けないことで、なんとか最終回には第一期としてのまとまりをみせた感想を書きたいと、
 そう切に自分に言い聞かせています。
 でも、たぶん駄目でしょうね(笑)
 祐巳さんや、特に祥子様の表情についてなどまだまだ書き足りないことばかりで、 
 でも全部を書けないことは意志的に自明な事となっていますので、
 敢えてその点については悩みませんけれども、
 でも、そうであるのならば、尚更最終回はきっちりとまとめたいと思います。
 書きたいと思っていたものの多くを打ち捨て、
 一番書きたかったものだけを取り出して書いてきたことの完結。
 それだけは絶対にしてみたいなぁ、と図らずも思ってしまう紅い瞳でした。
 
 次週、いよいよ最終回です。
 第二期がある、ということを綺麗サッパリ忘れて、
 ただただ、第一期の帰結として、
 そしてそれでもやっぱり第13話単独としての想いをも抱けたならば、と思っています。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 すべては、薔薇のために。 (祥子様風に)
 
 
 
 

-- 040323 --                    

 

         
     

 

■■呆れ果てた時間■■

     
 

 

 
 
 とある人に呼び出しを受けて、
  相談だか愚痴だかわからない話をされて、すっかり仏頂面で適当に聞いていたら、
 「そんな無愛想だと、相手に失礼だよ」、
 とか、自分だけ喋っていてもちゃんとこっちの反応も見てるんだあんた、
 ってさりげなく感心しちゃったものだから、快く愛想振りまいて馬鹿みたいなノリで話に応じたら、
 「真面目に人の話聞いてる?」だってさ。
 
 答えが分かってることを聞くな。
 
 
 
 
 
 こんばんわ、紅い瞳で御座います。
 しばらく日記を書いていませんでした。
 ぶっちゃけあんまし書く気ありません。
 でも、先週のマリみての感想が最後だったものだから、
 このままだと一週間なにも書かない事になってしまうので、
 それはさすがにヤだなとか思ってしまいましたので、仕方なしになし崩しに書き出してしまいました。
 でまぁ。
 ネタはあれど書く意欲が無ければ、それは文章として花開くこともなく、
 腐り果てて短い一生を終える儚いモノなので御座いますれば、
 ここはむしろそのネタというものの儚さ加減を憐れんで一肌脱いであげましょう、
 というノリで書く意欲が涌かないかなぁ、って7秒くらい考えてさらにやる気が無くなりました。
 
 (鬱中)
 
 本日はピースメーカーの最終回なのです。
 ほんとっぽく鬱とか言ってる場合じゃ無いのです。
 といっても、なんだか随分話数を使っていたのに、
 あまりお話が進んでいなかったような気配。
 でも討ち入りまでいったのは良かったと思うので御座いましたから、
 あとは最終回でどのような華を魅せてくださいますのやら、楽しみで御座います。
 もちろん総司様メインでお願いします。
 あ、そういえば今週のMEZZOは見忘れてしまいました御免なさい。
 そして最近はケーブルテレビのアニメをいくつか見ているので御座います。
 例えばSEEDとか。あとはエンジェリックレイヤーなどです。
 SEEDは置いておいて、エンジェリックレイヤーですか。
 これはなんだか意外な面白さがあって、結構ハマり始めています。
 途中からだからわからない部分もあるのだけれど、今のところ問題無し。
 それにしても、なるたるが地上波でやっているといいますのに、
 あまり話題に上らないところを見ると、人気無いのでしょうか?
 なんだかわからない気がしない訳でも無いですけれど、
 なるたるはふっと気づいたときに凄さにのめり込めたりしてしまいますので、
 皆様にはなにげなく横目でちらりとでも見て頂ければ、きっと良い出会いが得られますでしょう。
 
 それで4月からのアニメについてですけれど。
 ケーブルのアニマックスで放映予定の愛してるぜベイベ★★のCMを見ていたら、
 なんだか月姫を抜いて一番興味あるアニメに昇格致しました。
 くー、4月が楽しみですじゃ。
 で、恋風への興味がなんだか微妙に下がってきました。
 他のアニメに関しては、新たにマドラックスに興味が。
 ノワールのスタッフとかその辺りの人が絡んでいるとか絡んでいないとかいうお話でしたので。
 でも、別に私はノワールは好きってほどでは無いので、とりあえず、というところなのです。
 んで、マリみての後継アニメ、つまり日記で感想を書き続けるアニメが見つからなさそうです。
 どうしましょう。
 月姫が一番可能性がありそうなのですけれど、なんだか違うような気もしますし。
 うーん。初のアニメ感想無し時代の到来と成り果てるのでしょうか。
 乞うご期待(なにを)
 
 
 ・・・・。
 やる気が無いのにここまで書いた努力を称賛してください。
 適当に頭など撫でてやってくださいませ。
 その勢いで首の角度を90度くらいにへし曲げてくだされば、さらに本望です。
 やる気、でろ〜 (某ちよちゃん風に)
 
 
 P,S  ハルウララのお守りの存在意義が気になる今日この頃でした。
 
 
 

-- 040319 --                    

 

         

■■マリア様がみてる白い薔薇 2■■

     
 

 

 
 
 
 
 『こんな私を救い給え。アーメン・・・アーメン・・・・・アーメン・・』
 

                                  〜第十一話の聖のセリフより〜

 
 
 
 
 以下は昨日の続き。
 
 ◆◆◆◆
 
 わかる事など。
 わからない事、など。
 わかる事がわからないという事に比べたら、すっかり霞んでしまう。
 ただすべてが純然としてありながら、すべてが例えようもなくおぼろげだとしたら。
 それが純然としてあるとわかっているから、その純然性を否定し反抗する事も無く、
 故に自らの身の置き場所は、あくまでその純然でおぼろげな体感の世界の中にしかない。
 だから聖は目をつぶる。
 ただ目の前にあるものが、確かに在るとわかっているのに、無いとしか思えない自分の瞳の思考に、
 心の底からうんざりし、そして戦慄しているから。
 忌避すべき事も、批判すべき事も何もなく、すべてが正しいと思え、なにも間違っているとは思えずに、
 それでもそれを自らに受け入れる事ができないとしたら。
 世界の中で悪い子羊となった聖は、ぐったりと項垂れながら神の裁きを待っている。
 聖にとって、なにが正しいのかはあまりにも明白で、純然としているし、ゆえに迷いなどそもそも無い。
 悩むことも無く、なにが正しいかを考え求める必要も無いのが聖。
 この世界の正しさをなによりも確信しているから、その世界に適合できない自分の罪深さを、
 誰よりも深く承知している。
 だから聖は、自分の事が許せない。
 罪とは、そういうことだ。
 自分の他に、確かに世界がある。
 純然として其処に世界があるから、聖は自分を正当化しようとする作業を一切しない。
 世界をなによりも誰よりも愛しているから、その世界が持つ世界の正当性も愛しているから、
 だから聖は、その正当性に合致することが出来ない自分を許さない。
 級友達の他愛の無い会話を楽しめず、なにげない戯れに彼女達と打ち興じる事もできないから。
 これほど楽しくて泣きたくなる事嬉しいはずの事であることが、純然として目の前に広がっているのに、
 どうしてもそれを楽しむことが出来ない聖。
 悪いのは、あくまで聖である事は間違いないのだ、聖にとっては。
 世界は決して悪くなく、そして決してその正しさに逆らう事も無いのだ。
 聖は罪人。
 なにも楽しむことができないから、自分は皆に忘れられて消えていけばいいと考えるのは、
 それ自体が聖の世界への愛に他ならない。
 自分が居ることで、この世界を楽しめている人達の邪魔をしてはいけない、
 聖はそう考えているから、自らこの世界の中で孤立していくことを願う。
 自分を犠牲にしての誰かへの愛。
 それ自体が持つ甘美さに酔うことで、かろうじて生きている聖は、
 無論その甘美さの追求こそが、なによりもこの世界に対する冒涜であるとも気づいている。
 だから、そんな私は誰からも忘れられてしまえ、と願う。
 しかしその願い自体もまた、自らの消滅が世界への贖罪になるという淫靡な甘美さを有しており、
 結局のところ、聖は永遠に世界を愛しながらの冒涜を続けて生きている。
 そしてその先に現れたのが、栞。
 栞は聖を抱きしめた。
 世界の中からやってきながら、ただ聖だけにしか見えない栞のその姿。
 愛しているこの世界にありながら、決して世界に抱かれる事の無い聖を初めて抱いてくれた人。
 聖にとって栞はだから、世界の一部でありながらとても特別な世界の姿であったのだ。
 自らが世界に受け入れられたと実感しながら、
 しかしそれは絶対に世界なのでは無いと聖は確信している。
 栞はあくまで、聖とひとつになることで世界からは切り離されている。
 自分とは確実に別個のものと認識している世界が、自分と一体化しているのならば、
 それはやっぱり世界じゃない。
 世界に受け入れられると言うことは、世界と一体化する事と同義では無い。
 だから、栞にすべてをさらけ出した聖には、退路は無い。
 聖は世界の幻にすべてを投げつけ、世界のすべてを放棄して栞とひとつになった。
 世界の中に居る事を諦めて、同じく世界の一部では無くなった栞とひとつになる。
 聖の、世界の喪失。
 そしてそれは、聖の他者の存在の喪失でもある。
 だがしかし。
 聖には、その世界や他者の喪失というのが、絶対にありえないということがなによりもわかっていた。
 温室の中でみせた、聖の憂鬱。
 どんなに栞とひとつになろうとしても、栞は絶対に自分とひとつにはなれない。
 自分とは別個である他者の存在を感じずにはいられない。
 栞に優しい言葉を与え、栞に優しくされ、そうされればされるほど栞は聖から離れていく。
 その離れていく速度を、聖に止めることは決して出来ない。
 それを聖は、すべてわかって理解している。
 すべてわかっていて、すべてよくわかっていない。
 他者というものが、どういうものであるのかを、聖はわかっていてわかっていない。
 栞を想い栞と一体化すれば、実は栞は消えてしまう。
 栞という他者が明確に世界の中で聖と別個の存在としてあって、初めて栞はそこに居ることができる。
 聖はそのことを痛いほど知っていたから、だからこそその事実を無視して栞とひとつになろうとした。
 ただひたすらに栞を求めることの無駄に快楽を見つけていたのだ。
 栞は、そんな聖に見つめられている事の意味を知っていた。
 聖もまた、栞が知っているその意味の意味を知っていた。
 聖はマリア様には勝てない事を、初めから知っていた。
 知っているからこそ、聖はマリア様の下に広がるこの世界を愛していたのだ。
 この世界は、絶対に聖を一人にはしてくれない。
 いや、ひとりにはさせないのだ。
 自分とは離れて立っている他者が、聖の外側には必ず広がっている。
 内側にもまた、他者は居る。
 聖が、栞が、たくさんの愛する人々が、そしてマリア様が聖の内に。
 聖の内側にありて、けれど決して聖とは一体化せずに聖の内側にも世界はあるのだ。
 だから、栞は聖とひとつにはならなかった。
 なにもかも知っていたから、そしてなにもかもわからなかったから聖と出逢い、愛し合い、
 でもそれでも決してひとつにはならなかった。
 ひとつになってはいけないのだ。
 聖から、世界を奪わないために。
 そして、聖から栞を奪わないために。
 蓉子と、そして先代のロサギガンティアが栞の向う側で待っていた。
 聖は、それすらもみんなみんなわかっていた。
 だから、聖も栞とはひとつにはならなかったのだ。
 ただ悲しいその記憶と願いを、胸の奥のいばらの森にしまい込みながら。
 そして。
 聖はマリア様が自分を見ている事を、改めて見つめ直す。
 神の祝福を受け取れない自分に、確かにマリア様は特別な祝福を与えてくれた。
 救いを求めた聖の願いは、叶っていたのだ。
 聖に栞の記憶を与え、そして改めて聖が受け止められる世界を聖に与えたのだ。
 そして・・・・・
 
 
 
 蓉子様と、聖様のお姉様の存在は、なによりも大切なものなのだと私は思います。
 聖様とは決してひとつにならない他人。
 あくまで聖様の外側から呼びかけて、決して聖様とは相容れない言葉を与え続けて。
 絶対に聖様と溶け合って聖様に妥協することの無い、
 それこそ聖様の神経を逆撫でにしていた蓉子様。
 でも、逆にそれは蓉子様が聖様の絶対の他人であったことの、まぎれの無い証しなのです。
 徹底的に蓉子様が蓉子様であり、そしてあくまで蓉子様として蓉子様が聖様に接し続けてきた事は、
 非常に非常に大切なことだと、私は思います。
 あのような聖様にアンブトゥンとしての自覚を求めることもまた、大切。
 蓉子様が、ある意味で聖様の苦しみを徹底的に無視して様々な事を要求するということはつまり、
 聖様に愛すべき他人の存在をもう一度取り戻させている事になるのです。
 優しさの対象としての他人。
 優しさとはなにか、なのです。
 蓉子様のそれは、まぎれも無く優しさです。
 聖様の想いを完全に無視して、自己満足のお節介を聖様に押し付け、
 聖様が自分の言う事を聞くまで徹底的に聖様にまとわりつく。
 それは祥子様などからすれば、不純な優しさといって駄目だと言われますけれど、
 しかし、聖様にとってはやがてそれはとても大切なものになってくるのです。
 身勝手な優しさを受容することすなわち、神の祝福の受容に他ならない。
 相手の身勝手さを訴追するということは、ただ自分が優しさを欲して待っているだけ。
 それは、相手が自分に優しさを抱いてくれた、そのことへの感謝の念に決定的に欠け、
 それはすなわち、逆に自分の相手に対しての優しさの欠如に他なりません。
 聖様は、世界が用意してくれた優しさを自分が楽しめないからといって拒否していた。
 聖様はだから、世界を愛していながら、本当のところは愛せてはいなかったのです。
 そもそも世界から、神様から用意された優しさというものはなんなのでしょう。
 それは、聖様にただ与えられた物だけではなく、なによりも聖様に優しさを要求してくるものだったのです。
 そして聖様に要求してくる優しさを聖様から引き出させるには、
 徹底的に聖様に与えたその優しさが、聖様に不釣り合いなもので無くてはいけなかったのです。
 おわかり頂けますでしょうか?
 蓉子様が聖様に不釣り合いな優しさを与え続けて、
 聖様は最終的に、その蓉子様の優しさを受容します。
 蓉子様の与えてくれた優しさそのものに対しての感謝ではなく、
 聖様に優しさを与えてくれた、蓉子様の優しい想いそれ自体への感謝。
 そこには、確かに蓉子様の姿がはっきりと見えてきます。
 もし蓉子様が聖様の思い通りの優しさを与え続けていたのなら、
 蓉子様は聖様とひとつになって、その姿を失っていたことでしょう。
 姿を失えば、それは聖様にとっての蓉子様の喪失、ということになってしまいます。
 聖様のお姉様、つまり先代のロサギガンティアもまた蓉子様と同じく、
 聖様を妹に選んだのは顔が良いから、と完全に聖様から離れた態度をとり続けていました。
 でも、離れてなお、すっと近づいて聖様を抱きしめる。
 まさに白薔薇ですよね。
 そう、白薔薇なのです。
 相手の存在が、純然と確かにあること。
 そしてその人に対して、如何に優しくしてあげられるのか。
 相手が自分に優しくしてくれたら、どうすれば良いのか。
 そこに、他人がちゃんと居ることを確かに感じることが出来ると言うことは、
 そこに決して自分の思い通りにならない人がいる、ということです。
 でも、その人が自分の思い通りになるかならないかが、
 自分がその人に抱く優しさの有無に関係してはいけないのです。
 関係あるというのなら、それは不純。
 なぜなら、それは結局相手からの見返りを求めている優しさに他ならないからです。
 相手に優しくしている、という事に快楽を得ることもまた、不純。
 優しさというものが不純で彩られてしまっていたのが、聖様。
 その不純さが嫌で、そして例えようもなく怖かったのでしょう。
 ただただ、あるがままの純然たる優しさを与えたい。
 なにもかもが、当たり前であることの優しさ。
 蓉子様と聖様のお姉様が、その優しさの作法があることを、聖様に示します。
 蓉子様は自らの存在を以て、お姉様は自らの作法を以て。
 蓉子様はパートナーとして、お姉様は自らの後継者として、聖様に世界の姿を見せたのです。
 今、こうして書いているうちにわかってきました。
 これが聖様の始まりなのですよね、白薔薇としての。
 聖様のお姉様と、今現在の聖様は実に似ています。
 蓉子様も蓉子様で、祐巳さんにそっくりですし(笑)。
 そして紅薔薇と白薔薇って、ほんとうに良いコンビなのだと思います。
 白薔薇にとっての、絶対的な他者としてあり続けられる紅薔薇。
 私にとっての「良い友達」のイメージに近いです。
 そして。
 白薔薇の優しさの姿。
 なにが純然たる優しさであるのかを問い続けるのが白薔薇。
 ただただ従順であることでも、ただただ反抗することでもない、
 ただひたすら考え求め続けるしかないその究極の優しさ。
 今現在の聖様のあの明るい笑顔の意味が、よくわかった気がします。
 すべてがわかってなお、解けない疑問を永遠に残し続けたその笑顔。
 私はただ、聖様を応援し続けています。
 がんばれ、がんばれ聖様。
 その悲しみを思い遣ることなく、ただただ聖様の笑顔を光り輝かせるために。
 私は聖様にとっての紅薔薇であれば、それで良いのかもしれません。
 聖様はたぶん、私のそんな「身勝手な優しさ」にも笑って応えてくださることでしょう。
 私は、聖様にとっての紅薔薇になって、
 そして誰かにとっての白薔薇となれれば、それに勝る喜びはありません。
 そう。
 究極の優しさを得る事の喜びを求めて行き着く先にあるのもまた、所詮不純な優しさでしかありません。
 でも、どうせ不純でしか無いなら求めるのをやめる、ということこそ、最大の不純にして、
 そして冒涜なのでは無いでしょうか。
 マリア様が、私達を見ているから、私達は真っ当に生きるのであるのと同時に、
 私達が真っ当に生きようとするからこそ、マリア様が私達を見ていてもくれるのです。
 栞さんは、きっとそのことを自分の最後の笑顔に託して聖様に贈ったのです。
 そして聖様は。
 だからこそ、その栞さんの優しい笑顔の根っこにある、栞さん自身の優しい「願い」もまた、
 大事に受け入れたのです。
 それは、聖様とひとつになりたかった栞さんのもうひとつの消えない願い。
 それを決して無くさないで、自分の中にちゃんととっておけたのが聖様。
 そして。
 そして、聖様は世界の中に「初めて」戻って来れたのでした。
 
 聖様の笑顔を、私はこれからもずっとずっと応援していきます。
 乱文長文、失礼致しました。
 
 
 
 
 

                          ◆ 『』内文章、アニメ「マリア様がみてる」より引用 ◆

 
 
 

-- 040318 --                    

 

         

■■マリア様がみてる白い薔薇■■

     
 

 

 
 
 
 
 『この世界はきっと正しいものなのだろう。ならば私は、それに適合出来ない悪い子羊なのだろう』
 

                                  〜第 十一話の聖のセリフより〜

 
 
 
 
 空が、見える。
 歩いて、いる。
 冷たい木の葉で敷き詰められていく路を見つめていて、なぜか、空が見える。
 愕然と項垂れる事が従順の標し。
 なぜ自らが従順たりうる資格がこの背にあるといえるのかと、あの空は問うている。
 ひたすらに永遠に、その問いは胸の水底にまで浸透し体を冷たく震撼させる。
 なにも、見たくない。
 だから、私を見ないで。
 
 
 
 
 微風が美しい陽光に優しく暖められて、穏やかなさざめきが地を舞っている。
 黄昏の後ろ髪すら垣間見ることの出来ない栄光と永遠に満ちきった地平の真っ直中。
 祝福の切っ先で刺し貫かれた愛らしい子羊達の笑顔が、野に幸福の在る事を示している。
 ただあるがままの幸せの世界。
 逃げること叶わぬ神の饗応の攻囲。
 私には、それがとても痛い。痛い。
 美しい緑に枯れ尽きた木立の抱擁が、空の彼方から襲いかかる。
 嗚呼・・・怖い・・・怖い・・。
 幸せの砂粒だけが広がる無限の荒野の彼方で、それでもあの空が微笑んでいるのが恐ろしい。
 私が此処に居て良い理由は、いつ私は手に入れたというのだろうか。
 つまらない、事など無い。
 すべては、私が、悪い。
 神より与えられし産物の至高たりうる事を髪の先でまで納得していながら、
 それでいてなにものも楽しむことの出来ない瞳。
 空に突き上げし自らの邪悪の拳を何度解いた事だろうか。
 反抗など、していない。
 反抗すべき、理由が無い。
 すべてが至高の輝きをきらめかせている世界に、なにを求めよと言うのだろうか。
 振り上げた拳で奪い取れるものなどあの空の中には無い。
 すべてはこの空の下に在り。
 不満などかけらも無い神の御園に存す事叶うこの身の幸せに、どれほど歓喜したことか。
 この祝福のさざめきが見えぬほど、私は偉くない。
 神の御園の敵対者とならぬ路往く我が身に空に求める事など、もう既に、無い。
 
 
 『私の中には、なにひとつ潤いが無い。渇いた広い荒野で私は独り、途方に暮れているのだ』
 
 
 美しすぎる世界のゆらめきが、止めど無い恐怖を横たわらせていく。
 私には、この世界からの祝福は勿体無い。
 こんな私に、こんな幸せがあって良い理由など。
 私がただ此処に居るだけで得られる幸せの、なんと不純な事だろうか。
 私は、なにもしていない。
 私は、なにもできない。
 決して失われる事の無い永劫の幸福の存在を受け止められなくて。
 それ以上の幸せを求める冒涜も出来ずに、私は神の祝福にただ押し潰されていっただけ。
 薄暗く立ちこめていく腐った幸福の屍の山を築く私に、いかなる真っ当な生があるのだろうか。
 居心地悪く暖められたこの御園で、私は独り歩いている。
 この路には、この先ずっと幸福しかない。
 絶対に絶対に受け入れる事の出来ない幸せが、暖かくて残酷な瞳で私を永遠に抱いている。
 
 私は、私を許せない。
 この世界を愛しているから、この世界がくれる至高の幸せを楽しめない自分を許せない。
 この世界から、自分が受け取れる幸せを奪い取ってしまおうなんて思わない。
 私は、充分過ぎるほどに幸せを与えられているのだから。
 そう、充分過ぎるその幸せは私には勿体無い代物。
 そんな大切なものを神から頂いているのに、さらに奪うなんて。
 私は、私の身に馴染めない大切な世界を纏って歩いていく。
 それでいいんだ。
 そうでなくては、駄目なんだ。
 だから私は、青空に突き上げた拳を何度でも解く。
 私には、なにもできないのだから。
 なにをする資格も無いと、私が認めたのだから。
 
 『なぜみんなと一緒に笑わなくてはいけないのか。
  なぜ興味が無い話題を聞かなければならないのか。
  だから私は黙り込む。
  なにをしたらいいのか、なにをしたいのかすらわからない』
 
 硝子細工が巧妙に謳う。
 空から幸せを奪い取れとは、誰も言わない。
 私も、言わない。
 赤茶けた絶壁の頂上で耳を澄ませても、ただただ歩けという御言葉が響くだけ。
 何度も解きながらも幾度でも突き上げる事を諦めないその拳が、私の髪の中に身を潜めているのに。
 訳もわからず出来るだけ早く路の終着点に着きたくて走れども、なにも変わらない。
 悪い子、だ。
 なにもわかっていないくせに、幸せに囲まれているなんて。
 私に、神の祝福を得られる資格など、無い。
 だから。
 『誰も私に触れるな。』
 『私の事など、忘れてしまえ!』
 
 
 
 
 
 『私が初めて栞と会ったのは、春の在る日、いつもよりだいぶ早めに学校に着いてしまったときだった。』
 
 
 
 
 誰も居なくなったあの場所に、栞が居た。
 陽光の狭間に隠されていた栞。
 神の御園にありて神の祝福を浴びながら、ただひとつ残酷に輝くことの無い人形。
 絶望の荒野の砂塵のうちに、ただ一粒混じっていた硝子の欠片。
 陽光を受けて鋭く我が身を切り刻む硝子の歌を謳いながら、私の体の中に入ってきた破片。
 つまらなさのかけらも無い、こまやかに塗り潰された笑顔が私の中に入ってくる。
 嗚呼・・・良い物を拾った・・。
 違う。奪ってはいない。奪ったのでは無いんだ。
 私は神のお与えになった幸せの残り物を押し戴いただけなんだ。
 
 凄艶なる嗤いが、聖の体にめり込んでいく。
 
 研ぎ澄ました視線を片手に栞と踊る。
 あの空は、もはやただただいやらしい。
 手繰り寄せた互いの吐息を胸の水底に染み込ませる。
 誤魔化しきった路の上で輝く神の微笑みに背を向けて、私はひたすら走り続ける。
 私は今、神の御名に従順だ。
 燃え尽きた空の狭間に我が身を滑り込ませ、私は其処にしっかりと閉じ籠もっている。
 なにもわからないなにもできない、神の祝福を受け取ることすら出来ない私が居るべき場所。
 神が私に特別に与え給うた栞の居る場所だけに、私はしおらしく逼塞している。
 違う。奪ってはいない。奪ったのでは無いんだ。
 私は神のお与えになった幸せの残り物を押し戴いただけなんだ。
 私はただ、悪い自分をいばらの森に閉じ込めているだけなんだ。
 
 誰も居ない雨天の下に、私が居る。
 美しい空は、降りしきる雨でもう見えない。
 私の姿も神からは見えない。
 嘘だ。
 神はただ我が内に。
 振り返った強引な笑顔を、見つめ返す事はできなかった。
 栞の優しさを正視できない。
 栞なんて、いない。
 いなければ良かったんだ。
 解き放たれたぬくもりの往く宛てに栞が在るとき、絶望が襲う。
 なんで、貴方は其処に居るの?
 なんで、此処に居ないの?
 引き籠もった懲罰の室に、人影はひとつしか無いはずなのに。
 どす黒い輝きでのたうつ栞の髪が私の体にまとわりつく。
 もっと。もっと私の中に入ってきて。
 そんなところに居ないで、私とひとつになって頂戴。
 空の下で浮遊するぬくもりを瞳に引き戻して、そうすれば貴方も・・・。
 嘘だ。嘘だ。大嘘だ。
 『私はいいから、自分の髪を拭いて』
 私にはやっぱりこう言うしかない。
 どんなに従順になっても、嘘の無い優しさを止める事はできない。
 嘘で固めた優しさで我が身を罰して身を退いても、この室の人影はひとつになりはしない。
 嘘の無い優しさの言葉を突き刺しても、あの空は決して消えてはくれない。
 陽光の射さないこの室に、人影など元から無いんだ。
 栞の体とひとつになれない私が、此処に居る。
 私達は、影の出来ぬ神の敵対者という蒼い影としてひとつになった。
 ついに私は・・・自分だけの世界を手に入れたんだ。
 マリア様の目から逃げ切った、二人でひとつの孤独の世界を。
 『雨・・・止むな・・。このまま時が止まればいい。
  栞と溶け合って、消えてしまいたい・・。
  この気持ちはなんなのだろう』
  
 
 
 
 
 このまま二人で死んでしまえれば、それでいい。
 蒼冷めた笑顔で真っ当な生を生きる事を遠慮した少女は言い切る。
 ふたつの蒼い影がひとつになった冒涜。
 黒く爛れた甘美の囁きを滲ませながら、身を切り裂かれる痛みに酔い痴れる。
 薄汚れた安住の地に身を委ねる安息が、二人の唇を閉じ重ねる。
 ああ・・・汚い・・醜い・・・嗚呼・・なんて悪い子なのだろう・・。
 だから私は消えていけばいい。
 消えるだけでいいんだ。
 うずたかく私の周りを取り囲む役立たずの幸福達の屍に、もう遠慮することは無い。
 私の中には、今もマリア様が居る。
 でも、もうマリア様はあの空の上には居ないのだ。
 すべてが私の内にある。
 私の外には、なにも無い。
 優しさなんて、もう必要無い。
 空に突き上げる拳も必要無い。
 『自分以外の誰かを求める、その行き着く先は何処なのだろう。
  その答えが見つかることは、おそらく無いだろう・・・。
  でも、それでいい。
  確かなものは、栞の鼓動と、体温と、吐息だけ。
  そしてそれは、私の望む、この世の全てなのだから』
 
 
 栞が消えて、陽光の下に顕われた。
 雨が上がり空が顔を見せただけで、なにもかもが動き出した。
 ひとりだけ先に路を走っていった私は、いとも簡単に獰猛な幸福達に追いつかれ追い抜かれた。
 『私は、マリア様に負けたのだ』
 マリア様に見つめられただけで、いともたやすくあの室の中に人影がふたつ現れた。
 私は、影になんてなれなかった。
 私は、どうしても陽光に照らされる中で生きなければいけなかったのだ。
 独りだけでこの路の終着に行き着く事などできないと、死ぬほどわかっていたのに。
 私はまたとぼとぼと、いやらしい空の下で項垂れながら歩くしかない。
 だって。だって。
 『マリア様が、みているから』
 私は、今ようやく自らの従順さから解き放たれた。
 囚人として自ら獄に繋がれた功績を無に帰され、再び世界に戻された屈辱。
 私には、世界に従順でいられる資格など無かった。
 私は、生き恥を晒したまま陽光の下で生きれば良いらしい。
 私の優しさは決して報われずに、ただそれを当然として晒される路。
 それはそれで良いのかもしれない。
 快楽を感じられる罰では無いこの極刑こそ、私には必要なのだ。
 すべてを自分に収束させ、外の世界を無視しようとした私には相応しい事だ。
 ならば私は、この極刑を受け続けよう。
 その極刑を受ける事自体もまた、私には快楽だ。
 死は最大の快楽。
 私から快楽を求める事を奪うことなど、出来はしないのだ。
 だから私と栞がひとつになることを、誰にも止めることは出来ない。
 私も、止めはしない。
 嗚呼・・・会いたい・・・逢いたい・・・・。
 『お祈りしていても、貴方の事が頭から離れないの』
 マリア様を冒涜して、すべての優しさをその命を賭けて振り切って栞が無限の微笑みを纏って帰ってきた。
 
 『私はその微笑みを忘れない。絶対に忘れない』
  
 
 
 
 
 ・・・・・・
 
 振り返ると、お姉様と蓉子が微笑んでいた。
 私は、今、あの空の下に帰ってもいいなと初めて思った。
 暖かいを暖かいと言えるように、お姉様は私をそっと抱きしめてくれた。
 私が全部なにもかもをわかっていることを、お姉様は全部わかっていてくださった。
 私はそれがどういうことなのか知っていたくせに、理解しようとしていなかった。
 私は、私の歩くこの路が私のために用意されていた大事な祝福であることを、
 本当のところ全然なにもわかっていなかった。
 わかったつもりになっていただけ。
 私は自分はなにもわかっていないということを知ったつもりになっていて、
 私がなにもかもをわかっているという事を無視していただけ。
 私はわかっていることを無視してなにもわかっていない事に溺れていただけ。
 そしてそれを、マリア様のせいにしていただけ。
 私は、ちゃんとわかっていた。
 私が生まれたのはクリスマスではなくて、私の誕生日である事を。
 マリア様を信じているくせに、私が生まれたことすらマリア様のせいにして、
 マリア様の祝福がなんであるかを、私は理解してはいなかったのだ。
 いいや、知っていて無視していただけ。
 なにもわからない、誰のためにもなれない自分が居る事の不快感。
 でもその自分すら、自分にとっての「他人」であるんだ。
 私という「他人」を愛せなくて、他人という名の「他人」を愛せないのは当然なのだ。
 だから、他人を愛せない私なんて愛せない、というのは間違ってる。
 自分を愛せてから他人を愛せるようになる。
 ならば、自分を愛すには最初から理由や資格なんていらないという事になるんだ。
 そして私達は、その初めにある私という「他人」をマリア様から頂いた。
 だから・・・・だから・・・。
 私には元から他人がいるんだ。
 だから、それは・・・私という他人を愛せない私に此処に居てはいけないという言葉を導くんだ。
 だから・・・・・・。
 私は栞を忘れない。忘れられない。
 唯一人、他人でありながら「私」であったあの人の事が・・。
 あの人と過ごしたあの時間の事を・・。
 私は笑う。
 私は俯く。
 それはもう、私の中では別々の事なんだ。
 私は、栞にさよならをしたのだから。
 でも別々にあるからこそ、その栞への想いは私の真っ当な生に溶けて混ざり消えていくこともない。
 私と栞、ふたりの人が別々に在ったから、私達のこの路に先がある。
 そしてでも、いつまでも私は栞とひとつになりたいと願っている。
 
 
 『メリークリスマス!』
 『もうひと声!』
 『ふぇ?』
 『明日は、私の誕生日なんだ。
  マイハッピーバースデー!』
 
 
 
 
 マリア様は、お祈りしながら心の中で舌を出すからこそ、私達を見ていてくれると思うんだ。
 色々な意味で、ね♪
 
 
 

                              ・・・以下、第二部に続く

 
 

                          ◆ 『』内文章、アニメ「マリア様がみてる」より引用 ◆

 
 
 

-- 040315 --                    

 

         

■■Web漫画を楽しんでいます■■

     
 

 

 
 
 最近はというと、すっかり日記を書くことから遠ざかっていて、まるでさっぱりなのだけれど、
 でもやっぱりそれは駄目駄目だよなぁとか思えているからまだいいや、とか、そんな感じなのは秘密。
 そんなこんなで、というかまるきり関係ないけれど、Webで読める漫画をよく読んでいたり。
 ここのところ見つけて面白かった、ていうかハマりの予感がぎっしり詰まってはじけ飛んでいるのが3つほど。
 
 かえるずきんちゃん2というサイトの、「はねむす」というオリジナル漫画をまず始めに。
 羽が生えている小さな女の子が教授から贈られてきて、なんだかパパになっちゃって、で、元々子持ちのパ
 パなんだけど奥さんとは別居中子供は実家とかそんな感じで奥様は清楚かと思いきやはっちゃけっぷりに
 満ちた素晴らしいおひとででパパはパパで可愛い人だったりでも実家に飛ばされてた子ロビンていうのだけ
 ど親思いの気遣いの塊のようなボーイはもう最強。
 つまり、基本的に可愛くて暖かくてぽーっとしちゃうような、そんなお話。もう大好き。
 
 もういっちょ。
 ドラえも
 たぶんサイト名も漫画名もドラえもだと思ふ。
 シュール。ほんのちょっとエッチ。で、めっちゃ笑える。死ぬほど笑える。よく生き延びたな、紅い瞳。
 基本的にドラえもん。あくまで基本は。
 で、99.9%ぐらい応用でなんかのび太はクールで神技使いだしドラえもんは無茶だしジャイアンは女の
 子になってるししずかちゃんは裏だし出木杉くんはミニスカの似合う不死身の男のコだしパパは頑張ってるし
 ママはヤバイしジャイ子はもっとヤバイしスネ夫はいないしほかはあとなんだっけ。
 四コマです。面白いです。たまにあずまんがネタ入ってます。私の知らないネタも入ります。
 毎日を生きるのに必須の漫画です。中毒っぽい。
 
 あと、ポキータ大好っき。
 
 とこんな感じ。
 3つとも、眠りの園様の2003年のおもしろかったもの、で紹介されていたのを見てみただけ。
 自分で探すことをしないこんな奴には、ネットできる環境なんて勿体ないと思う。
 いつもこんなだよな、私って。
 どこかに面白いWeb漫画用意されてないかなー。
 
 以上(夜空を見上げながら)
 
 

-- 040311 --                    

 

         
     

 

■■マリア様のいばら■■

     
 

 

 
 
 ごきげんよう、皆様。
 本日はマリア様がみてる、第10話についてお話させて頂きましょう。
 実は私は聖様のファンです。
 実もなにも常日頃あれだけ言っているのですから、今更言うことでもないのでしょうけれど、
 あえて今日もまた、私は聖様が好きですと言います。
 物語の中の誰々が好きなどと言いますと、とかく角が立つご時世ですけれど、
 それをも踏まえた上で、でも誰かを好きということ自体に自信を持てている私ですから、
 私は堂々と聖様が好きですと言わせて頂きます。
 だって、好きなのは本当ですから。
 アニメのキャラだからとかそういうのを好きになるのはなんだとか、
 あともう少し細かいところでは派閥がどうのとかキャラオタとか、
 たしかにいちいちごもっともな事で、私もそれ自体に異存はありませんけれど、
 でもそれは結局私とは関係がありつつも、関係が無いことなのです。
 つまり、色々と体裁もあるのですけれど、私が聖様を好きなのは変わりえぬ事実、ということです。
 このような言い訳を縷々述べている事自体浅ましいとお思いの向きもありましょうけれど、
 しかしこういった言い訳自体が、私には必要なのですから別に良いのです。
 言い訳できるからこそ面白いものもある、そういうことでも良いと思います。
 体裁を気にする事、すなわち「恥」を感じることで、
 逆にその恥である事を愛でる際に、それが恥じらいの含まれた趣深いものとなったり。
 まぁ、それは半分冗談なので、お気になさらず。
 
 それでは、お話のほうにいってみましょう。
 聖様のお話なのですけれど、しかしどうやら今回のお話は位置付けとしては次回の前ふりでした。
 いつもにこやかな笑顔でいる聖様。
 その笑顔の根本の奥深くに自らしまい込んでいる、とてもとても悲しい記憶。
 この悲しい記憶についての詳しいお話は次回、ということでした。
 聖様の笑顔の下に悲しみがある、という構図自体はごく普通のものなのでしょうね、
 と思いつつも、しかしその悲しみの裏返しとして笑顔があるのか、
 それともその笑顔はその悲しみとは別の系譜で成り立つものなのか、それはわかりません。
 それらはすべて次回で語られる事なのでしょうから、ここでは多くは語りません。 
 と、そうなると今回のお話は聖様について語ることは叶いません。
 むしろ聖様を囲む他の皆様の事について、私は語るしか無いでしょう。
 聖様については、次回こそ大いに語りたいと思います。
 今回はおあずけなのです。
 
 で、今回のお話の中心として挙げたいのは祐巳さんと、そして志摩子さんです。
 聖様が著したと思われる、そして聖様の自伝かもしれない「いばらの森」を購入したとき、
 祥子様はこれが本当に聖様が書いたものだったらどうしよう、と思い読むのをためらっていたとき、
 祐巳さんはもしそうだったら聖様にサインを貰っちゃいます、と陽気に祥子様に言います。
 これを聞いた祥子様は、そういう祐巳さんを褒めるのですけれど、
 私もおなじくさすがは祐巳さん、と思いました。
 仮にあの小説が聖様によって書かれた聖様の過去のお話だったとして、
 確かに祥子様のように聖様を慮ってそれを読むのをためらうのは、まず当然の反応ですよね。
 でも、それは聖様が書いたものであり、
 それはすなわち聖様が自分の過去を知って貰いたいという聖様の想いの発露なのでもあるし、
 となれば、それを受け取る側はその聖様の想いを受け止め、
 その想いを知ったよという意思表示を聖様に返して、
 そして本を出した→すごい→サイン欲しい、という冗談が生成されていくのは、
 とても素直な反応なのだと思います。
 私は、この素直さっていうのは結構面白いものだと思いました。
 たとえ聖様が苦渋の選択として本を書いたのだとしても、反応は同じです。
 聖様の本が出た、という客観的事実を捉えて素直に「常識」的に反応する。
 それもまた、「優しさ」のカタチ。
 或いはこれは、白薔薇的優しさに近い感じがします。
 なにげなく近づいてきたかと思うと、すっと離れていって。
 あくまでその人の側に入り浸ってその人と同化することなく、
 ただその人がその人の外に向けて発した、その対外用の想いだけを受け取って。
 或いは、仮面をかぶって素顔を隠していて、
 それは素顔を知って欲しいから仮面をかぶって素顔を引き立てているのだけど、
 でもそれは同時にその仮面自体にも純粋に仮面を見て欲しいという想いも込められていて、
 だから仮面の下に素顔があるだろうと予感しながらも、
 あくまでその人が仮面を示そうとするのなら、その仮面を受け入れようとする態度。
 これは特に聖様と志摩子さんを見ていると感じるところのものです。
 そして、今回の祐巳さんの初めにおける態度はこの二人の白薔薇の感じと似ています。
 聖様が本を出したという事は、それは本の中身という素顔を知って貰いたい、という事のための仮面。
 それで本の中身を慮って読むのをためらうのも優しさですけれど、
 けれど本を出した、という仮面をはっきりと聖様が示した以上、
 その事実は受け止めるべき事でもあって、ですから素直に反応することも優しさのカタチ。
 その事を感じた祥子様は、だから祐巳さんを褒めたのですね。
 
 一方、志摩子さんもまた祐巳さんと同じく、聖様からそっと離れて微笑んでいます。
 『志摩子は、たとえ残るなって言われても、残りたければ自分の意志で残るような子だから。』
 聖様がいばらの森を書いたという疑いについて、
 その事に首を突っ込んできた祐巳さんと由乃さんを居残らせたときの聖様のセリフです。
 聖様のスールとして志摩子さんが気にならないはずは無いと思う祐巳さんと由乃さんでしたけれど、
 勿論志摩子さんは気になっているのでしょうけれど、
 それと残って聖様の話を聞くかどうかは別問題なのです。
 聖様は志摩子さんになにも言わない。
 言わない、ということは志摩子さんに知られたくないことで、
 だから志摩子さんは聞かない。
 それこそ本当に簡単なことですけれど、志摩子さんの聖様に対する優しさはいつもこうですし、
 また聖様の志摩子さんに対する優しさも同じです。
 それはつまり、お互いの「意志」という仮面をとても尊重し、また愛しているからでもあるのでしょう。
 尊重、などという言葉を使ってしまうといらぬ語弊を与えてしまいますけれど、
 むしろこの言葉が最も適切だと思いますので致し方ありません。
 聖様の瞳には、常に他人が映っています。
 その他人というのが志摩子さんだったとして、聖様は常にその志摩子さんをその視線の先から外しません。
 それはいついかなるときも、たとえ自分が悩み苦しんでいるときでも、
 そしてそれについて救いを求めているときでさえ、志摩子さんの存在は確固として聖様には見えています。
 その姿が見えているということは、つまり志摩子さんは聖様の中には居ない、ということ。
 だから聖様にとって志摩子さんは自分の思い通りにならない存在で、
 そして思い通りにしてはいけない存在。
 自分の思い通りにしちゃいけない、
 自分の悩みを他人にまで伝えない、自分の苦しみを他人に植え付けない、
 そして他人には救って貰うのではなく、あくまで自分がちゃんとするのを手伝って貰うだけ。
 そうするためには、自分の外側に確固とした志摩子さんが居なくてはいけないのです。
 それは志摩子さんにとっての聖様も同じ事で、それがつまり尊重するということなのです。
 自分とは交わらない絶対的な他人の姿をみて、それが最良の優しさになる。
 ですから、志摩子さんが聖様に優しくしようとするのならば、
 まずこのような聖様の想いを尊重する手立てが必要なのですね。
 そういう聖様の「仮面」の意味を解して大切にしてあげることが、聖様のためになる。
 少なくとも、聖様はそう接してくれることを志摩子さんに望んでいます。
 そしてそう志摩子さんに聖様が望んだとしても、志摩子さんはそうするとは限りませんし、
 でも聖様は逆にそれでも良いのですよね。
 聖様の思い通りに志摩子さんはなってはいけないのですから。
 
 けれど、聖様の思い通りに志摩子さんはなってはいけない、というのは、
 それ自体も聖様の願いであって、その願いを志摩子さんに叶えさせようとしている点では同じ。
 ですから本質的に聖様の想いというのはすべからく矛盾するべき事なのですけれど、
 でも逆にいえばそれは矛盾であることに意味があるとも言えます。
 なぜならば、聖様の仮面というのがとても攻撃的なものだからです。
 なんと言えば良いのでしょう。
 自分の仮面の下にある素顔の事を知って欲しいがゆえに仮面をより誇示しながら、
 でもその仮面自体をもよく見て欲しい、というのはある意味で嘘。
 仮面というのは、その存在自体が素顔を隠すためにあるのですから、
 どうしたって素顔が無ければ有り得ないものです。
 仮面をかぶっている自分に陶酔していて、そしてその自分に自信を持ち始めていても、
 それがはっきりと仮面であると意識している。
 突き詰めて考えていくうちに、
 その陶酔自体が厳格な仮面として自分の素顔に張り付いていることに気づき、
 そうすると自分が志摩子さんに求めていた事はなんだったのかと思えてくる。
 聖様は、結局のところ他人の存在を尊重しながらも冒涜していることにも気づいています。
 自分が志摩子さんに求めていた願いそれ自体が仮面であることに、
 どうしようもなく後ろめたさも感じているはずです。
 志摩子さんに悩みも苦しみも打ち明けず、救いすらも求めないということは、
 それはつまり本当はそうしたいと願っている自分の素顔の仮面にしか過ぎない。
 素顔を見せずに仮面を見せ続ける事の冒涜。
 つまり、その冒涜の打破が必要で、ですから聖様のその仮面には、
 矛盾という棘が聖様自身によって打ち込まれています。
 本当は仮面こそを見せるべきでは無かったはずなのに、それを見せ続けてきたこと、
 これを決して正当としないために矛盾を打ち込む、
 あるいは志摩子さんになにかを強制してはいけない、
 というその「してはいけない」という聖様の強制的な願いを仮面に忍び込ませる事で、
 素顔を少しでも見せようという聖様の必死の努力。
 それは裏返って外の人達に対する棘となります。
 その棘がただ痛いだけなのか、それともその棘に刺される痛みからなにかを見つけることができるのか。
 志摩子さんは、しっかりとその聖様の仮面の棘から聖様の素顔を見つけています。
 聖様の隠したいけど隠したくない、そしてだからこそ隠したい素顔に気づいています。
 そしてそれが聖様にとって隠したいものである、つまりあくまで聖様が仮面を被っているから、
 志摩子さんはその志摩子さんに「与えられた」仮面だけを見つめている、
 という「志摩子さんの仮面」を聖様に示しています。
 志摩子さんは聖様の素顔を仮面越しに見ていて、でも仮面が示されている以上、
 その仮面を尊重しますという仮面を被りながら、
 じっと聖様の素顔を見つめ続けている志摩子さんの素顔。
 恐らく、聖様は自分の仮面を尊重してくれている志摩子さんのそれが、
 志摩子さんの優しさでできた仮面であることに気づいているでしょう。
 そしてそれが仮面であるからこそ、その志摩子さんの素顔はちゃんと聖様の素顔を見つめている、
 ということもご存じなのでしょう。
 だから尚更、自分が仮面を志摩子さんに示し続けている事に罪悪感を聖様は感じてもいて、
 さらに仮面に棘が打ち込まれていっているのかもしれません。
 その棘は、他の人達に様々な反応を起こさせます。
 祐巳さんや由乃さんのように、ひたすら不思議がられて探求心の的にされたりなどや、
 あるいは今回の祐巳さんのように、ごく自然に受け止められたり。
 祐巳さんの今回のあの自然の反応は、志摩子さんとは実は似て非なるものです。
 志摩子さんの離れっぷりは意図的なものですけれど、祐巳さんのは偶然なのですから。
 本質的に聖様をその視界のうちに捉えていない、祐巳さんの中だけで出された答え、
 それに従って祐巳さんはひたすら動いていただけ。
 実に祐巳さんらしいです(笑)。
 でも、聖様はそういう祐巳さんをちゃんと受け入れます。
 由乃さんとタッグを組んで、少々不躾かもしれない質問を聖様にしても、
 聖様はひたすらちゃんと答え、あまつさえ質問を促しさえします。
 自分の苦悩を気遣って、自分の事で遠慮したりして欲しくない。
 遠慮などされたら、それこそ自分の瞳の先に確固とした他人が居なくなってしまう。
 苦悩を抱えつつも笑顔でしっかりとしている、という仮面を尊重して貰いたいがゆえに、
 聖様は祐巳さん達の質問を受け入れるのです。
 
 
 そして次回では、仮面の中に打ち込まれた棘の姿が明かされ、
 そして聖様の「素顔」を垣間見ることができるのでしょうか。
 それはわかりません。
 次回のお話の注目点のひとつは、聖様の過去のお話が祐巳さんにされるのかどうか、ということです。
 聖様だけの追憶としてだと、そのいばらという名の「棘」の姿がよく見えてこないかもしれません。
 そしてそのいばらに囲まれた「素顔」こそ、聖様の本当の想いだと私は思います。
 祐巳さんの瞳に初めて聖様のその姿が映ること、私は少し期待しています。
 もちろん、志摩子さんにも語られることを願います。
 だって、白薔薇万歳だもの。
 
 
 以上で、本日のお話はお終いです。
 長文乱筆、失礼致しました。
 それでは、ごきげんよう。
 
 
 
 
 
 
 P.S : 次週のお話は今度こそ聖様のお話真っ盛りです。
      感想書くまで生きていられる自信、まったくありません。
 
 
 
 だいじょうぶかなぁ・・・私 (色々な意味で)
 
 

-- 040309 --                    

 

         
     

 

■■当世あにめ事情■■

     
 

 

 
 
 今年は植物さんのやる気が無いのか、すっかり花粉の影が薄いみたいです。
 花粉症と長い敵対関係にあった紅い瞳ですが、こうなると妙に親近感が涌いてきます。
 やる気なんてあってたまるかよなー ←嬉しそうな笑顔で
 
 さて、適当に前置きも終わったことですし。
 先日は本のお話とかしてしまいましたので、本日はアニメのお話など。
 私が今みているアニメのお話って感じですねー。
 そういえば今私が見ているアニメはなんだったかなー、と思い出してみると、
 こんな感じになりました。
 
 PEACE MAKER
 ・マリア様がみてる
 ・R.O.D -the tv-
 ・無人惑星サヴァイヴ
 ・鋼の錬金術師
 MEZZO
 
 あれ? 6つも観てたのですか。
 なんかあんまり見てなかったような気がしたのですけれど、こんなもんかぁ。
 それに加えてケーブルテレビのアニメもいくつか観ているから、結構な数じゃん。
 で、まぁみんな面白いんですけども。
 
 PEACE MAKER は面白味と迫力に欠ける時期があったけれど、
 最近一気に復活の気配で結構ドキドキ。
 総司様の出番がそれに反比例して少なくなってきているのは不思議だけれども、
 ひとりひとりの鬼気迫る言動の切れ味がもの凄い事になってきている感触で、
 古豪(?)復活とまさに言えちゃってる状態です。
 ひとつにまとまっていた感のあるだらだらした平和模様の中から、
 どんどんと突出してははじけていく彼らの表情観ているだけで、震えが来ちゃいました。
 お兄様のブチ切れっぷりは今が旬かもです(謎)
 
 マリア様がみてるはもう大好きとしか言いようがない素晴らしさに彩られていて、
 とにかくもう、ええと、OK。
 
 R.O.D -the tv-ですが。
 最近見始めたものですから、あまりストーリーにぴんと来ないところがあるのですが、
 いつのまにジョーカーさんが敵役になったんですか! ←今頃知った奴
 OVAを知ってるのであまりの変貌ぶりにちょっと魂が抜けかけましたけれど、
 読子さんが出てきたので持ち直しました。
 それにジュニアくんとアニタちゃんの掛け合いに萌えちゃったりもしちゃったので、
 その、いいんじゃない?
 でも放送がお話の途中でうち切られるらしいじゃないですか。なにそれ。
 
 無人惑星サヴァイヴ
 これも最近見始めたアニメなのですけど、面白いというかなんというか。
 前回みたときの宇宙人らしき子供があまりに可愛かったので、観る事に決定。
 あー、なんかこれからの主人公達との掛け合いがどーなってくのかとっても楽しみ。
 こういうの好きなんだよなー。
 
 鋼の錬金術師って、なにげに私の中で化け続けてるアニメだったりします。
 最初の頃全然楽しめなかったのに、いつのまにやらお粗末に出来ない存在になってました。
 哲学的なアニメとかなんとかそんな評があって、
 でもこれは哲学なんかなぁ? とか思ってるうちに自分の中に一定のハガレン観が出来はじめて。
 そうすると俄然面白くなってきて、色々考えたり浸ったり。
 でもやっぱり主人公の考え方がどんどん成長していってるところが一番面白い。
 自信満々に馬鹿なことを訴えていたのが、少しづつ馬鹿なこと言わなくなってきて、
 というより彼の何事につけてもの認識能力が上がってきていることで、
 その思考の場に出される判断材料の数が飛躍的に上昇していて、
 だから彼の思考はどんどんと色んな方向に広がっているように感じられるところとか、結構面白い。
 まぁ、そういうことにしておいてください。
 
 MEZZOとか。
 笑えるか笑えないか、それだけのような気がしてそれで充分だったりするステキアニメ。
 でも大概笑えるから、毎週ノリで見続けているんですけど。
 このノリが無くなったら見ることはないだろうなぁ、とか思いながら、
 でもそれはそれでメゾに対する讃辞になるんだなとかも思います。
 ひたすらあのノリにのりたいがために、毎週観ていられるなんて素晴らしいじゃないですか。
 とか適当に褒めておく。
 
 とかなんとかだんだんいい加減になってきましたけれど、
 最後に春の新アニメについてひとつ。ひとつじゃないけど。
 やっぱり私的に一番期待しているのは「真月譚 月姫」ですね、とか。
 結構色々なところで話題になりましたし、てかぶっちゃけ私も話題についていきたくて(本音)、
 その色々と興味が尽きないところなのですほんとですほんとなんですってば。
 ゲームの方はやらないけれど。
 春の新アニメに関しては、月姫がとりあえず第一の期待作なのですけど、
 他にはそれほど惹かれるものはあまり見あたらなかったなぁ。
 といっても、いつもそういってるような気もしますから、
 少しでもなにかぴんと来るものがあったら、まずは飛びついてみようの精神は大事。大事なの。
 そんな感じですと、「愛してるぜベイベ★★」あたりなんか結構。
 子育てとか、そういうあたりにはたまにグサっと来るものがあったりするから要注意なのじゃ。
 あとは「恋風」なども面白いコトになりそうな風情ですし、
 「せんせいのお時間」がなんとなくきそうな予感。
 とりあえずはこれくらいかなぁ、私の観る予定のアニメは。
 
 以上です。
 
 
 

-- 040307 --                    

 

         

■■トコトコとノコノコと■■

     
 

 

 
 
 今日は一日、本に囲まれていました。
 なにげなく朝起きてきたと思ったら、先週あたりに借りてきた本を無心に読んだり。
 特に頭の中が真空に近い状態であるところの朝に読むと、
 実に爽快に本の内容が頭の中に入ってきます。
 すぐに出ていってしまいますけど。
 お昼とか適当に食べて、図書館にも行って来たわけです。
 先週行ったばかりなのですけれど、予約していた本が届いたというので取りにいったのです。
 そこでもまた本を受け取りがてら2時間ほどぶらぶらと。
 ぶらぶらと本を見て回っていたのであって、このときは読んでなかったり。
 ただどんな本があるのかなー、なんて感じで色々品定めやら物色やらしていたわけです。
 でも予約していた本を借りてしまうと、借りられる冊数の上限を越えてしまうことに2時間経って気づいて、
 そこでようやく図書館を後にしたのです。
 というか、気づかなかったらずっと居た気配。
 というか、2時間も気づかないのかよ、馬鹿。
 そんな馬鹿はやるせない気持ちのままお友達の家に転がりこんだ訳です。
 そのお家はとてもステキハウスで、それは本の家というか、
 さながらR .O .Dの読子さんの埼玉の実家の如く本で一杯なお家なのです。
 むしろ本を置くための場所として家を建てた、みたいな根本的に思いっきり間違ってるところなのですが、
 でもそんな狂気のお家も私にとっては天国なので、
 えへへお邪魔しますとか言って、ぬけぬけと侵入した次第。
 適当に何冊か読ませて頂いて、適当に抜け出してきたのですけど、
 本を読んでいる間中、ほとんどお友達とお話をしなかったのは二人だけの秘密。
 いや、本を読む姿がお互いのその想いを充分に語っているのサ、とか、
 心にも無いことを呟いたか呟いていないかの瀬戸際でまたねとか挨拶して脱出。
 家に着いてからも、朝読みかけだった本をまたむさぼるように格好つけながら読む。
 で、気づいたらこんな時間になってました。
 そんだけです。
 日曜日になにやってんだ、とか言うな、そこ。お黙り。
 
 あ、あとは適当に今借りてきてある本とか。
 最近はめっきり本を読む事が少なくなってきたような気がしないはずは無いのですが、
 こうしてたまに本を読んでいるぞとアピールしたりなんかしちゃって、
 そうしてたまに虚しくなってきたりもしますけれど、
 えと、あんまり私に構わないでください ←部屋の隅でうずくまりながら
 
 ◆太宰治(太宰治 著 筑摩書房)
 私とかなりのレベルでなにかが一致するところの作家さんの短編集、みたいな。
 わくわくどきどきを通り越して、はらはらどきどきしか最終的に私にぶつけてこないそのいやらしさに、
 いつも私は泣かされっぱなし。
 いつかこっちが泣かしてやる。
 
 ◆森乱丸(八尋舜右 著 PHP)
 もちろん戦国無双つながりで。蘭丸最高。
 正式には乱丸というのだけれど、どっちでもいい。
 とりあえず、森で。
 
 ◆屍鬼 上巻(小野不由美 著 新潮社)
 十二国記つながりで。むしろどすこい(京極夏彦)つながりというのが本命。
 気がついたらまわりを甦った死体に囲まれ絶体絶命。
 襲いかかる化けものが喚きながら突進してくる。
 「ごっつぁんです」と言いながら (それはどすこいネタ)
 誰も知らないか、どすこいなんて。
 
 ◆邪悪な花鳥風月(岩井志麻子 著 集英社)
 岩井志麻子キター!! キター言うな。
 いわずもがなの最高神の一人。この人に叶う物無し。
 私も毎回やられっぱなしだけど、今回もまた負けそうな気がします。
 でもいいんですそれで。負けの美学。虐められる快感。落ち着け。
 けど、しまこは志摩子に一発変換されるんですけど、仕様ですかそうですか(違います)。
 
 ◆当世もののけ生態学(別役実 著 早川書房)
 いいじゃないかもののけ。
 いいじゃないかこのセンス。
 余はそちが気に入った。近うよれ。褒美をとらす。
 あ、お金ないや。
 
 ◆人身御供論(大塚英志 著 新曜社)
 yukiさんからのご推薦であるところの大塚氏の著作。評論。批評。本。
 目次みたらタッチとかめぞん一刻とかあったゾ。なんだこれ。やる気か。
 かめはめ波が撃てるくらいの気がたまったら読んでみます。どどん波じゃ勝てなさそうだし。
 
 ◆指を切る女(池永陽 著 講談社)
 新聞の書評欄で紹介されていたのを気に入って借りてみた。
 新聞の書評欄って意外と面白い文多いのだよ、これが。
 でも図書館で借りるときこれと人身御供論をセットで出したら、
 受付のおじさんが微妙に私と本との間に視線を行き来させてたのは此処だけの秘密。
 わからないでも無いけど。
 
 ◆中世の非人と遊女(網野善彦 著 明石書店)
 先日お亡くなりになられた歴史家の著作。けっこ有名、らしい。
 この人の史観は好きだったりする。
 かの宮崎駿のもののけ姫の評論などでも引用されてたりする。あれもよかった。
 朝廷あるいは武士などの一部の権力者達の系譜としての流れ、としての歴史を批判し、
 職能民や地人などその他多種多様に渡る人々の織りなす豊饒な歴史観を魅せてくれたヒト。
 このヒトの著作に関する評論的な文はいくつか読んだことあるけど、
 肝心の著作自体を読んだことが無いことにはたと確信的に気づいた訳で。
 だって、勉強めんどいし。
 
 
 なにやってんだかいつも通り素でわからなくなってきましたけれど、
 今日はこれだけは言わせてください。
 これが言えなければ、今日まで生きてきた意味がありません。嘘です。
 
 真月譚 月姫、アニマックスで放送決定。
 関連ページ:
 
 
 とりあえず、春の新番は決定。
 問答無用。
 
 
 
 

-- 040305 --                    

 

         

■■マリア様とみてる■■

     
 

 

 
 
 『私は見ているのが、辛くなった・・・・』
 

                     〜第九話の美冬さんのセリフより〜

 
 
 
 
 
 
 〜 『痛い? 先生の言いつけを守らないから、罰が当たったのよ』 〜
 
 
 
 
 ただ見ているだけなんて、しても意味が無いことはわかっていた。
 ずっとずっとわかっていた。
 でもそうすることしかできなかったから、ずっとそうしていた。
 そうすることの方が、もしかしたら正しい事なのじゃないかと思ったから。
 それこそが、私には相応しい事なのじゃないかと、思っていたから、
 私はその私に相応しい場所からずっと祥子さんを見ていた。
 祥子さんがそれを望んでいるとしたら。
 私は祥子さんを見つめるだけで充分で、
 そして祥子さんに私が見つめられる事は、罰あたりなことなのかもしれない。
 だから私は、祥子さんの些細で素晴らしい日常を見つめ続けにはおれなかった。
 祥子さんから見えないところで、清く正しい自分の姿を演じることを願わない訳にはいかなかった。
 そしてそれで、幸せだった。
 それが、幸せだった。
 意味など無くとも、幸せだった。
 
 
 
 『ただ祥子さんを見られなくなるのが残念で仕方なかった』
 私はまた、此処に戻ってきた。
 祥子さんから遠くて近いこの場所に。
 そして私は、此処から一歩踏み出そうとしていた。
 私は、愚かだった。
 してはいけないことを、してしまった。
 罪深い私の空で、なにかが嗤っていた。
 私は祥子さんには触れないのに、触ってしまった。
 祥子さんと自分の距離が無くなっている事を夢見て、私は触れてはいけないものに触れてしまった。
 そして、触れた瞬間、私はまた元の場所に戻されてしまった。
 いいえ。
 そこは今までの場所よりももっとずっと遠く、そして罪にまみれた最も祥子さんから遠いところだった。
 私には、もうまともな場所は無くなっていた。
 祥子さんと共に立てるその場所が。
 私と祥子さんの距離はなにも変わらなかったが、その間には飛び越えられない壁が敷かれていた。
 むしろその距離を強引に縮めようとして、その壁を建設してしまったのかもしれない。
 いつか祥子さんの側に戻りに、そしていつか祥子さんと共に歩きたいと願ってはいられなくなった。
 人はなかなか変われない。
 私も、なにも変われない。
 変われないからこそ、私は変えられてしまった。
 自分で初めて踏みだしたその一歩が、すべてを汚してしまったから。
 十年分の時の流れの使い方を間違えた私は、もはや祥子さんを遠くから見つめることしかできなくなった。
 それは十年前と変わらないことだけれど、
 十年前は見つめるだけから祥子さんの元へといける希望のきざはしもあった。
 でも、今はその希望は潰えた。
 自分で、潰した。
 罪深い私を、祥子さんは許さない。
 祥子さんが許さない私を、私も許すことはできない。
 私は、だからそれが永遠に続く私の薄暗い視線を祥子さんに送り続ける生活に入った。
 私は、そして暗い暗い幸せの生活へと、入った。
 
 ただ見ているだけなんて、しても意味が無いことはわかっていた。
 ずっとずっとわかっていた。
 でもそうすることしかできなかったから、ずっとそうしていた。
 そうすることがとても後ろめたいことだと、逃げられないくらいに強く強く胸に感じながら。
 私は、それでも良かった。
 それが、私には相応しいと思ったから。
 十年前から、なにも変わらない。
 変われないから、一番大切なものを無くしてしまった。
 私に、また罰が当たった。
 善くない事をして、罰が。
 また深く考えもせずに、その一歩をむやみに踏みだしてしまったから。
 やることなすこと罪にまみれ、あがけばあがくほど深みにはまる。
 持っていてはいけないものを大事に胸に抱いて、そしてそれが一番悪いことだなんて。
 私は取り上げられたはずのものを、勝手に取り返して胸の奥にしまい込もうとした。
 私は悪いことをして、だから罰を受けて、そのことは当然なことなはずなのに反逆して。
 よりにもよって、祥子さんに逆らうなんて・・・。
 私は、私の反逆を、罪を許さない。
 私も祥子さんの言いつけが正しいと思うから、だから懸命にそれを守ろうとして・・・
 守ろうとしてだから祥子さんから離れてその姿を見ていたはずなのに、いつのまにか手にはあのカードが・・。
 
 『愚かな私。
  欲しいと思ったものが目の前にあったからって、深く考えもせずに・・・
  今更ながら、自分のしたことの重大さを理解していた』
 
 私は、どうしようもない。
 どうしようも無いのに、いつもどうにかしてしまう。
 どうにか、なってしまう。
 『どうしてこんなことになってしまったのだろう。私はただ祥子さんに振り向いて欲しかっただけなのに』
 それは、私がたぶん悪いから。
 そしてそれは、たぶんなどという曖昧さを残したものだから、私は汚れていく。
 汚れていく自分を慰めることなんて。
 それは最も汚いことなのに、それでも私はついそうしてしまう。
 ほんとうは、私は祥子さんを見つめることすらしてはいけないはずなんだ。
 私が憧れた私の祥子さんは、こんな薄汚れた瞳で見てもいいものじゃない。
 私が自分を慰めれば慰めるほど、
 私の最も、それこそ絶対に失ってしまってはいけないものが消えてしまう。
 私が私の罪をなんとも思わなくなるということは、祥子さんの事もどうでもよくなるということだから。
 それでも、いえ、だからこそ私は祥子さんをその後ろめたい瞳で見つめ続けなければならなかった。
 だから・・・私は・・・ただただ、涙が止まらない・・。
 祥子さんを見つめることも許されず、自分を見つめることも許せずに・・。
 全部自分が悪いはずなのに、でもどうしてもそれが理不尽にしか思えなくて。
 どうしても自分が報われない哀れなお姫様になりたくて・・・・。
 私のこの涙は、世界で一番罪な涙。
 祥子さんがみたら、絶対にまた罰が当たると言うに決まっている涙。
 自分で勝手に想いを寄せて、自分で勝手にそれが叶わぬ事の理不尽さを訴えて。
 私の憧れた、そして私が愛したその祥子さんの正しい瞳。
 その瞳が、私をいつもみている。
 
 みつめて、みつめられて。
 私は、なにかがおかしいことに気づいた。
 それがなにかがわかる前に、私はなぜかすべてに納得していた。
 そうか。これでいいのだ、と。
 祐巳さんの後ろ姿を見ているうちに、私はわかるはずの無いものをわかっていた。
 『掘り続けても、そこにカードは無い。
  その結末を先延ばしにすればするほど、私自身が汚れていくようで・・・』
 一番大事な物は、本当は自分の胸の中に無かった。
 祥子さんは、私の中には居なかった。
 私はその事実にまったく気づくことなく、ずっとずっと祥子さんを見つめ続けていた。
 いったい、私はなにを見ていたというのだろう。
 祥子さんは私の中に居ない。
 居ないはずの祥子さんを追って、私は罪の世界を歩き続け汚れていった。
 でも、その祥子さんは居なかった。
 居なかったんだ。
 このことが、とてもとても嬉しいことなのだということが、わかるだろうか?
 私が踏みだしたと思っていた一歩は、実は祥子さんに届いていなかった、ということ。
 私は、汚れていなかったんだ。
 祥子さんと再会を果たした日、私は祥子さんに近づく事に失敗し、
 そして祥子さんと同じ場所に立つ資格を失い、またその場に立つ可能性すら失った。
 でも、あの日お会いした祥子さんが祥子さんでは無かったとしたら。
 事実は、そうだったのだ。
 私は、祥子さんの事をなにも知らなかった。
 少なくとも、幼い頃以外の祥子さんの事をまったく知らない。
 じゃあ、あの日あそこに立っていた祥子さんが祥子さんであると、どうして言えよう。
 私は、祥子さんを知らなかったのだ。
 だから私は、祥子さんとの再会に失敗などしていない。
 私の見知らぬ祥子さんとのあの再会に、意味など無かったんだ。
 私は、今、初めて祥子さんを知ることができる場所に立った。
 祥子さんを知らないのだ、という事に納得してだから初めて祥子さんを知ることが出来る権利を手にした。
 私は、だからなにも失っていない。
 汚れてなんていない。まだ祥子さんの瞳が求めることに応え続ける権利が私にはあるんだ。
 私には祥子さんが居ないから、だから祥子さんを探しに行ける。
 私の中に祥子さんが居たら、祥子さんを探すことなどできない、ということに気づいて。
 私は、今、改めて祥子さんを見つめよう。
 遠くからでも、近くからでもいい、私は祥子さんをずっとずっと見ていよう。
 幼い頃と同じ希望に満ち溢れた、そして今度こそまっすぐに祥子さんを見れるこの瞳で。
 
 私は、祥子さんを見つめ続けたい。
 見つめ続けることが、この空の下で私が祥子さんと共に歩く道であると理解することができたから。
 
 
 ◆◆◆◆
 
 私も髪切ってこようかな(ぇ)
 
 ごきげんよう、遅まきながら紅い瞳です。
 第九話の感想でした。
 今更こんなことを言うのはあれですけれど、
 ラストの志摩子さんと聖様の素晴らしすぎるラブラブっぷりを書くことを
 必死に我慢して、敢えて涙を飲んで書いた感想、
 であることをご承知おきください。
 あと蓉子さんの頬を紅く染めて喜んでいる表情とか見て死にそうになったりとか、
 とにかく後半部分にこれみよがしな罠が設置されていて、
 あやうく美冬さんのお話がどこかに消し飛んでしまうところでした。
 ということで、なにげにこの感想はサバイバル風味溢れた逞しいものですので、
 どうかごお読みのほど、お願いできましたならば幸いです。
 
 ちなみに、紅い瞳の中で美冬さんはニューフェイスとしてがっちり認知されました。
 美冬さん、けっぱれー。
 
 
 
 P.S : 次週のお話は聖様のお話だそうです。
      感想書くまで生きていられる自信、まったくありません。
 
 
 
 

                          ◆ 『』内文章、アニメ「マリア様がみてる」より引用 ◆

 
 
 

-- 040303 --                    

 

         

■■桜の木の下の紅い月 2  -羊のうたOVA- ■■

     
 

 

 
 
 *以下は前回の続き。
 
 
 ◆◆◆◆
 
 許せないものがあって。
 どうしても黙って見ている訳にはいかないことがあって。
 ただ唯々諾々と受け入れているだけにはいかなくて。
 絶対に、認めてはいけないものがあって。
 
 私を受け入れるって、どういうことだろう。
 私を認めるって、どういうことだろう。
 私を許すって、どういうことだろう。
 許せないものを許せないということは、それはどういうことなのだろう。
 許せないものを許せないことを許せない、ということはその事とどう関係があるのだろう。
 どんな私でもそれが私だという理由だけで、それを許すとはどういうことなのだろう。
 他の人はどうでも良くて自分だけの信じた道を歩くこととは、一体どういうことなのだろう。
 他人、ってなんだろう。
 他人のために生きるとは、どういうことだろう。
 私のために生きるということは、どういうことだろう。
 私の信じるもののその根拠とはなんだろう。
 私が信じたもののその根拠があるということは、どういうことだろう。
 私が此処に居て良い理由は、なんだろう。
 私が此処に居て良い理由を求めるって、どういうことだろう。
 私が此処に居てはいけない理由はあるのだろうか。
 私の罪って、なんだろう。
 生きてる事が罪って、どういうことなのだろう。
 罪を負って生きるとは、どういうことなのだろう。
 罪を背負って世界から目をそむけるってどういうことだろう。
 逃げるって、なんだろう。
 逃げ出す事から逃げるって、どういう事なのだろうか。
 哀れみって、なんだろう。
 哀しみって、なんだろう。
 孤独って、どういう事だと言えるのだろう。
 
 自分を許せないと言うその私が許せる「自分」とは、果たしてあるのだろうか。
 もしそれが見つからなくて、とりあえずの「自分」を抱いて微笑みながら生きることは許せるのか。
 人様に迷惑をかけて、誰の事も思いやれず、誰のためにもなれず、それでもいいのだろうか。
 自分だけが良ければ良い、と本当に私は言えるのだろうか。
 許せない自分を野放しにしていくことに、羞恥心は無いのか。
 羞恥心を感じることは、果たして自分からの逃亡と言えるのだろうか。
 恥ずかしさを誇りに換えるそれは、ほんとうにするべき事なのだろうか。
 此処に居るのは、ほんとうに私だけなのだろうか。
 私のこの体は、ほんとうに自分だけのものなのだろうか。
 私が生きているこの場所は、とてもとても高貴な存在なのじゃないだろうか。
 ただおのが想いに身を委ね、その体を進ませていくことは、それはどういうことなのだろうか。
 自分が欲したただそれだけのことを、ただただ満たせば良いのか。
 
 
 いつもどこかに誰かが居て。
 ふと気づけば隣に誰かが居て。
 その誰かを無視することなど、私にはできない。
 その誰かを傷つけてまで生きようとも思わない。
 自分が死ぬことでその人を傷つけてしまう事にも堪えられない。
 他人を無視するなど、出来ない。
 人の目を気にせずには、生きられない。
 誰かに見つめられているから、私は人でいられる。
 人でいられないのなら、死んだほうがまし。
 誰も許さないこの私の体を、私もだから許さない。
 誰かが許してくれても、私は私のこの体を許さない。
 他人を無視するなど、出来ない。
 私が愛する人々を傷つける事になるこんな体、許せない。
 私は、あの人達を愛しているから。
 愛しているこの世界を壊すことなんて、罪なんだ。
 この世界への愛しさに比べて、私のこの体への執着など。
 人で居られないなら、私は死ぬ。
 でも死ねない。
 死ねば悲しむ人がいる。
 それがその人のせいにして死ぬことからも逃げている、と言われても構わないくらいに、
 私はその人を愛している。
 私が人々を傷つけるから私は罪人でだから私は死ぬしかないんだ。
 それが自分が死にたがっている理由を人々のせいにしている、と言われても構わないくらいに、
 私はその人々を愛している。
 私が私を生きているという責任を、私独りが負うという快楽になんの意味があるというのだろうか。
 私が想うところを私の自由にしてやっていく、その代わり責任は全部私が負う?
 大嘘つきめが。
 私のすぐ隣にあの人達が居るのに、そんな事ぬけぬけと言える訳無いだろうに。
 私が扱える私の命など、ほんのちょっとしかない。
 全部自分の思い通りに動かすだけなら、それはもう孤独以外のなにものでもない。
 誰にも見つめられないその私に、人である資格などない。
 めい一杯自分の存在を無条件に肯定して、
 私が私であるというだけですべてを受け入れ、
 そして私の欲望のままに生きたとしたら。
 それは、いったい私にとってなんの意味がある生と言えるのだろうか。
 自分の生を誰のせいにも出来ない、すべてを自分の背に負うことにいかなる価値があるというのだろうか。
 だから、私を、独りにしないで。
 だから、人になれない私から、離れていって。
 
 千砂の想いを、一砂はわかっている。
 千砂が生きたがっている事を。
 生まれてすぐに諦めたその生きる事への願いを、千砂が必死にうち消そうとしている事を。
 そしてなによりも誰よりも、千砂が自分のその体を愛している事を。
 誰かのために生きることで、千砂は生きていられるのじゃない。
 千砂は、最初から誰のために生きることもできない体で生まれてきたのだから。
 千砂はだから、生まれながらにして罪を負っている。
 誰のためにも生きられないばかりか、誰かを傷つけながら生きていくしかない罪。
 その罪を無視することを、千砂はしない。
 それを罪とせずに自らの欲望の礎として他人を無視して人でなしになることもなかった。
 人でなしをこれも人である、とは絶対に言わなかった。
 千砂は、羊の皮をかぶった狼では無く、牙の生えた羊でありたいと心底願い続けた。
 そして生まれてからずっと、その牙を我が身から引き剥がそうと命を削り続けていた。
 千砂は人になりたくて、だから生きたかった。
 たとえようもなく、生きたかったのだ。
 そしてだから、自分のその呪われた体を許さなかった。
 自分が生きているということを許せなかった。
 許せないから愛して、愛してしまうことも許せなくて、だから・・・。
 一砂は、それをみんな知っている。
 そして。
 千砂が一砂を愛したのは、一砂を千砂から離して元の社会に戻したいから、それだけじゃないことも。
 千砂が、誰よりもなによりも千砂自身を愛しているから、一砂を愛したということ、一砂は知っていた。
 千砂は、一砂の向う側に、父と同じく千砂と一砂だけの孤独を求めていた。
 そして。
 それと同じく、一砂の向う側に、自分がずっとずっと受け入れて貰いたかった人々の優しい社会、
 人として生きたかった自分の姿を確かに見ながら、一砂を愛していた。
 けれど。
 それは一砂への冒涜であると千砂は気づく。
 千砂が死に、一砂は元の社会に戻ることで、千砂が人となることができても、
 でもそれはもしかしたら、一砂を無視している事になるのじゃないか。
 自分が死んで、そして一番辛い思いをするのは一砂。
 一砂のためを想って死んだ自分がしたことは、一砂を傷つけてしまう。
 それはつまり千砂の一方的な願望でしかなく、一砂の意志を無視しての人への成り上がりだった。
 そんなの、間違っている。それこそ羊の皮をかぶった狼の所業だ。
 自分だけ勝手に満足して死んでしまうなど、それのどこが一砂のためになるのか。
 一砂のためになれない自分の、どこが人か。
 一砂は、千砂をわかっている。
 そして千砂も、一砂が千砂のことを全部知っているということに最後に気づいてしまう。
 それは千砂にとって、その生の最後にして最大の難問だった。
 許さないと公言していた自分の体をしっかり愛していたことが、一砂に知られていたなんて。
 それは恥ずかしいことでありながらなによりも嬉しいことで、だから絶対に許せないことで。
 一砂は、千砂と死ぬ気だ。
 千砂が一砂と離れたいと願いつつ独りになりたくないとずっと祈っていたことを、一砂は知っているから。
 一砂は、ほんとうにほんとうに千砂のすべてを知っているから。
 千砂が自分の想いを一砂に知られた事で、絶対に自分を生かそうとすることを。
 自分が死んで、一砂を生かそうとすることを。
 千砂がなによりも誰よりも自身を愛したいという願いが、
 千砂がなによりも誰よりも千砂以外の誰かを愛するということと同じであるということを。
 千砂のその願いを叶え、そしてその愛に応えるには・・・・。
 だから、一砂は死を選んだ。
 それは、一砂が生を選んだのと同じ。
 一砂が、一砂の願いを叶えるために、千砂の願いを聞き届け愛を受け入れた。
 一砂にとって、生と死は同じ。
 ただ千砂のために。ただ一砂のために。
 自分を想う事で他人を想い、他人を愛することで自分も愛せる。
 ただただ、哀しいあなたを救いたいだけ。
 『千砂・・・俺も一緒に行くよ』
 千砂の顔に希望と、そして絶望が刻まれる。
 でも隣には一砂が居て、ずっとずっと一砂が居て・・・・。
 そして・・・・。
 
 
 
 『私は貴方に生きて欲しい。だから私は貴方を愛したの』
 
 
 
 この言葉は終わらない。
 終わらせることなどできはしない。
 紡がれるのは、ただただ問いの連続。
 わからないことの繰り返し。わかったつもりの繰り返し。
 何度でも甦るこの言葉への問いが、絶対に私を終わらせない。
 私が此処に居るということ。
 誰かも其処に居るということ。
 そして、誰かを想うということとはどういうことなのだろうか。
 問いは尽きず、答えを得ることへの執着は薄れていく。
 それで、いいんだ。 
 答えのようなものが見つかったら、すぐに捨ててしまえばいい。
 それはきっと偽物だから。
 それはきっと生きているということを嘘にしたい私のもう一方の願望の為せる業だから。
 答えなんてだから、死んでも得ちゃいけない。
 得ちゃいけない、ということもまた忌避すべき解答のひとつだと思う。
 忌避すべきことを忌避せずに、そしてさらに忌避し続ける事も決して諦めずに。
 
 羊のうたを想うということを、私はそうしながら感じ続けている。
 
 御静読、ありがとう御座いました。
 
 
 
 
 
 
 ◆「羊のうた」OVA 全4巻 
  ・原作者:冬目景(とうめ けい)
  ・原作コミック「羊のうた」 全7巻  完全版も刊行中です
  ・他に劇場版(実写)「羊のうた」もあります
 
 
 
 

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■■桜の木の下の紅い月 -羊のうたOVA- ■■

     
 

 

 
 
 どろりと刺し込む光の切っ先が崩れ去る。
 立ち尽くす瞳の彼方に白濁と化した空が広がる。
 閉じる事の無い唇の隙間に永遠に流れ込む風。
 折り重なる時間。
 押し潰される体。
 それでもその世界は、止まらない。
 
 途切れない時雨が夏の地を打ち続け、風は冷たく燃え尽きる。
 灰燼の中に帰すはずの涙が、いつまでも空の上で旋回する。
 開け放たれた障子の影でそこだけで生きてみる。
 忘れるなんてできないよ。
 みんな・・遠くなっていく・・・。
 鈍い体に塗り込められた鼓動だけが、静寂に響く夜。
 掌をかざして痛烈な電灯を遮りながら、限りない闇にその身を奪われていく。
 誰も居ない。
 無音の畳の上で、軋む柱を見つめながら独り家に居る。
 千砂、どこへ行くんだ。
 
 
 
 
 腐ることの熟成。
 熟れることの腐敗。
 ただなにも無きことの繊細。
 ただすべてが有ることの鈍重。
 華やいだ空の影が、なにもかもを消し去っていく。
 ただ独り空の下に在りて、果ての無い空に押し潰される。
 この家はなんなのだろう。
 この家は、この体を空から護ってはくれないのだろうか。
 嗚呼・・・重い・・重い・・・空が重たいわ・・・・お母さん。
 -- --       -- --
 苦しい、苦しい。なにが苦しいか。
 そんなこと言える訳無い。痛ひ。痛ひ。
 辛い、辛い。どうしてそんなに辛いのか。
 そんなこと知る訳無い。死にたい。死にたい。
 -- --       -- --
 桜の木が庭に生えている。
 ずっとずっとそれは其処で立っている。
 私が生まれる前から、ずっとずっと。
 その桜の木は、そして家の代わりに空をその花で支えていた。 
 空と私の間にあるものが、生まれたときから私にはその桜の木だった。
 青白い微笑を裂けるほどにみなぎらせたその桜の眼差しと、私はずっと生きてきた。
 -- --       -- --
 その生き方を今更変える気はありません。
 -- --       -- --
 逃げられない。逃げたくもない。だから逃げない。
 空の重圧に堪える事ができずに必死ですがりついた桜の木。
 その桜に呪われ続けていようとも、その木肌のぬくもりからは離れられない。
 離れられなくて、離れたくもなくて、だから離れない。
 嗚呼・・・お母さん・・・。
 私は逃げない。だから、お母さんから離れない。
 それでいいのよ、私は。
 
 お母さんの声が聞える。
 お母さん、お母さん。
 ごめんなさい、お母さん。
 ごめんなさい、お父さん。
 ごめんなさい、水無瀬さん。
 ごめんなさい、一砂。
 なんで、私、謝っているんだろう・・・。
 
 
 ・・・・・・
 
 私は・・・私はずっとずっと怖かった。
 此処に居ることが怖くて、此処でこうして私が生きている事が怖かった。
 なにもかもが恐ろしくて、だからお母さんに抱きしめて欲しかった。
 綺麗な桜の花が、ひらひらと舞うこの家の中で、ただお母さんに抱きしめて貰いたかった。
 ただただ重いこの世界から、私をただ護って欲しかった。
 でも、お母さんは駄目だった。
 お母さんに、私のこの体は重すぎた。
 私が重たい世界に押し潰される前に、お母さんが私を背負って倒れてしまった・・。
 あの日、あの桜の木は確かに嗤っていた・・。
 私に覆い被さるようにして、私から日のぬくもりを奪い、そして私の中に冷たい血を流し込んだ。
 私はその血が体の中を駆けめぐるうちに、気を失っていた。
 次に気が付いたときにはもう、お母さんは桜の木の下に居たわ。
 そう・・・桜の木よりも遙か下に埋もれて・・・。
 お母さんは、私と一緒。
 私と同じ呪われた血を埋め込まれた、ただただ押し潰されていくだけの人。
 私とお母さんを空の重みから護ってくれるのは、桜の木だけ。
 世界を白く爛れさせる微笑で私達の影を薄めていく、あの花の流れだけが私を見ていてくれる。
 だから私は、もう怖がる事なんてなにも無くなったのだと、そのとき思ったわ。
 私とお母さんは一緒なんだって。お母さんはいつも桜の木の下で私を見ていてくれるって。
 そう、私はあのお母さんの視線にずっと監視されている。
 私は、生まれてきてはいけない子だったから。
 私が生きることで母を苦しめ続けたその罪、お母さんはそれをずっと見ている。
 その監視は、私にはとても冷たくてそれでも暖かいものだった。
 私の罪が消えぬ事を嗤いながら、それでもその罪と共に私を見守っていてくれているから。
 私がこうして生きているのは、私が罪を背負っているからよ。
 罰することなど叶わない、許しを得る事など絶対にあり得ない罪。
 私の生自体の罪と、そして私の中に埋め込まれた血の罪は、
 どんなに罰せられても、どんなに贖っても消えはしない。
 でも、それが私なの。
 その罪を責め苛んで生きているのが私なの。
 私は、お母さんの瞳にかけて私を許しはしないわ。
 私は、此処に居ることが怖かった。
 怖くて、此処に居ることがずっとずっと怖かった。
 でも、私は罪を背負う事で此処に居ることができた。
 罪だけを見つめることで、空の重圧を感じずに生きることが出来た。
 怖いことなんて、だからなにも無い。
 そしてだから、私は謝り続けるの。
 私は、私の血を背負うことだけしかできないから。
 私には誰も護ってあげることはできないから。
 だからごめんなさい、お母さん。
 私も桜の木の下に還るわ。
 
 ・・・・・・
 
 幾度も、幾度も空を見た。
 空を見て、目眩を覚えて数え切れないくらい倒れ込んだ。
 僅か先の風さえ捕まえられなくて、叩き潰された。
 それが当たり前なことだと気づくのに、それほど時間はかからなかった。
 そしてそれが自分の体なのだと、わかった。
 
 濡れそぼった縁側の端で、項垂れながら吐血する幻。
 凝固し尽くした体から、この血を少しでも吐き出せたら。
 蒼白な桜の息吹がうなじを舐め上げ、痩せた髪に花びらをからませる。
 桜の影が体を覆い、そのたびに何度でも我に返る。
 何度桜の木の上に人影が見えようとも、私は気づかないふりをする。
 私はずっと俯いて、その人達の気配を感じながらもずっと無視する。
 無視しなければいけないと、決めたから。
 真っ正面に例えその人のぬくもりを捉えようとも、私の瞳は白いまま。
 幼い私の見上げた桜の木の下で眠るお母さんから、目を逸らすなんて出来ない。
 私は、お母さんを見捨てることなんて出来ない。
 私は、私を見放す事なんてしたくない。
 私は、自分を決して許さないと云う自分から逃げることなんてしたくない。
 血を吸うくらいなら、血を吐いた方がまし。
 お母さん、生まれてきてごめんなさい。
 生まれてきてごめんなさい、なんて言ってごめんなさい。
 
 -- --       -- --
 桜の木の上に空が在るわ。
 空の中には月があるわ。
 -- --       -- --
 
 夢を見るたびに、なにもかも全部がわかる。
 わからない事などなにも無い。
 全部、わかっていること。
 桜の木の下には、紅い月が埋まっている。
 全部、全部そうなの。
 なにからなにまで、違うの。
 私の上には空の代わりに桜の木が在って、
 夜空の中で輝くはずの月は桜の木の下で血にまみれて埋まっている。
 私は桜の木の下で、呪われた血を浴びながら紅い月を見つめている。
 私にとって、明日を照らす月はその紅い月なのよ。
 ずっとずっと私はそうだった。
 涙すら枯れ尽きて血を流しているその月の瞳を抱いて、
 私はずっとそのぬくもりに見守られて生きてきたの。
 その月の血の涙を羨ましくも思い、だから私も私の身を許さなかった。
 この身を責め苛べば、この体から呪われた血を流し出せるとさえ思った。
 私は・・・・私は・・・
 私はその月が私を見つめ、その呪われた血が私を覆い、
 そして私の罪が私から空を奪うことも、ほんとうは許せなかった。
 そして私が私の罪だけを見つめ続けることで、一砂からも空を奪っていくことなど許せなかった。
 一砂だけは・・・。
 いいえ、一砂だけじゃないわ。
 お母さんの、お父さんの、そして水無瀬さんの空を私が奪い奪ってきた事を、私は許さない。
 だから、近寄らないで。
 私から、離れていって。
 
 私は、よく泣いていた。
 優しい人影が見えるたびに、私はこの桜の木の下から逃げ出したかった。
 逃げ出して、その人影に抱きしめて貰いたかった。
 そしてそれが、本当はそうしても良いものだということも、ずっと前から知っていた。
 この世界は、この社会は、ずっとずっと優しい。
 牙の生えた羊だって、受け入れてくれる人達は居る。
 私は何度もその人達から見つめられた。
 桜の木のぬくもり以外のぬくもりがあるのかもしれないと、幾度も思い知らされた。
 でも、私にはそれはできない。
 絶対にしてはいけない。
 それだけで、充分。
 私は、それでいいの。
 でも。
 でも、一砂は。
 一砂を、お父さんと同じにしてはいけない。
 やめて、一砂。私を護ろうとするのはやめて頂戴!
 貴方は私の空になろうとしてはいけないの。
 そして、私と一緒に桜の下に還ろうとしてはいけないの!
 一砂、この家から出て生きなさい。
 この家は、呪われている。
 ほんとうに、そうよ。
 この高城の家から、この忌わしい「血」という虚無の世界から出ていきなさい。
 お願いだから。
 なんにも、なんにも本当は知らなかった私。
 私がすべてを背負う桜の木でなければいけなかったのよ。
 高城の血は私で終わりにしなければいけなかったのよ。
 私が死ぬことで、一砂は空の下で生きられる。
 だから一砂、私の側に少しだけ居て。私が死ぬまでは此処に居て。
 でもずっと居ては駄目。絶対駄目。
 貴方はしっかり生きるのよ。
 あの空は、あなたが思っているよりずっとずっと優しいのよ。
 あなたは、生きて。
 この家に居ては駄目。この空の無い家に居ては駄目。
 私は、あなたを愛しているわ。
 私は、桜の下を掘り続けてあなたのためにあの紅い月を壊すわ。
 そして私は・・・・。
 私は、どうしたらよいの。
 
 
 私が死ねば一砂はほんとうにこの家から出ていけるのかしら。
 桜の下に眠る紅い月と見つめ合うこと無く、生きていけるようになるのかしら。
 私が死ぬということは、もしかしたら私が紅い月になるということじゃないかしら。
 一砂は、私の事を悲しんで、そして私が死んだ事を一砂の罪とするのじゃないか。
 私がお母さんの死を私の罪としたように。
 そして一砂もまた自分が生きている事自体を罪と思うようになるのじゃないかしら。
 一砂は、私がほんとうは桜の木の下から抜け出したかったのを知っている。
 一砂は優しい子。
 一砂は、やっぱりお父さんと同じ。
 こんな私ですら愛して、そして私の生と死を悲しんでくれる。
 そして最後の最後まで私を想い、そしてひたすら救ってくれようとした。
 ごめんね。ごめんね一砂・・・・。
 私があんな事さえ言わなければ・・・。
 ずっと側に居て、もう私を独りにしないでなんて言わなければ、
 あなたを苦しませることも無かったのに。
 その言葉さえ無ければ、私だけが死ねば良かったのに。
 ごめんね・・・・ほんとうにごめんね、一砂。
 私はあなたを独りにしたくなくて、そしてどうしようもなく独りにさせようとしてる。
 私はずっと独りだったから、その辺りのことがよくわからなかったのね、きっと。
 私のこの体は、私だけの物じゃなかった訳ね。
 私が私を許さないというだけで、私の体をどうにかしていい権利なんて無かった。
 よく、わかったわ、お母さん。
 
 
 
 
 
 だから。
 
 ごめんなさい、一砂。
 
 私と、一緒に死んで頂戴。
 
 
 
 
 
 〜 羊のうた OVA 了 〜
 
 

                           BGM 『Destiny 〜宿命〜』 by 千砂&一砂

 
 
 

                              ・・・以下、第二部に続く

 
 
 


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