〜2004年7月の過去ログ〜

 

 

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                             ■■『つかの間の世俗歌』■■

     
 
 『私はね、奇麗事が好きなの。馬鹿馬鹿しくても青臭くても。そういうのが好きなのよ。
  自由とか平等とかそういうことを真面目に言える人々が好き』

                          〜 第十七話のバロネスのセリフより〜

 『いくら化物でも、謂れのない非難を受けるのは、やはり気分のいいものではないということだ。』
 かつてスィンだったあいつはそう言った。
 そうだな、よく考えればそうだ。
 俺に取っちゃ、お前らもゼフィリス達も皆同じ、俺の敵だ。
 わかってる。
 俺はだから別にお前らを悪役にして、それでお前らを憎んでる訳じゃ無い。
 俺はただ、お前らと戦い、お前らを憎むそれの理由が欲しいだけなんだ。
 それくらい、俺だってわかってる。
 俺がお前を憎んでるのは、お前らが人類の敵だからじゃねぇ。
 だが、そういう事にさせてもらってる。
 お前らを単純に悪として恨めば、それで俺のこの苛立たしい気持ちを野放しにできるから。
 そこまで俺は自覚してるし、そうだから俺はなおの事苛立たしい。
 なんでゼフィリスに俺の体の事心配されなきゃいけねぇんだ。
 なんでピースメーカーのお前に同情と理解を求められなきゃなんねぇんだ。
 お前らがわかりきった事を言えばいうほど、俺は余計むきになるだけなのがわからないのか。
 俺はお前らの言うことを聞かないことで、こうして生きていられるんだ。
 それが正論だろうがなんだろうが関係ねぇ。
 それをお前達が言う、それだけで俺がお前らを否定し憎むことの理由になるんだ。
 だから。
 パシフィカを憎んで殺そうとしてる訳じゃない、なんてお前の言葉、誰が聞くか。
 謂れのない非難だからこそ、俺には意味があるのだから。
 俺が怒って腐っていても良いのだから。
 お前らが悪だろうが正義の味方だろうが、俺には関係ない。
 いずれにせよ、お前らがパシフィカを殺そうとする事に変わりは無い。
 真実がゼフィリスとお前らのどっちの側にあるのかより、俺にはパシフィカの生死が問題だ。
 そしてな。
 俺にはお前の話を聞いて、ひとつわかった事がある。
 お前らの言い分ももっともだろう。
 考えようによっては、元々の原因を作った大昔の人間を憎むのが正当な事なのだろう。
 確かにお前らは人類を滅ぼしたりしないし、むしろ安定した環境を提供して、
 人類規模で考えりゃ、すごく恵まれた状態に人類を閉じ込めてくれている。
 俺にはな、自由とか平等とかはどうでもいいし、だからそれだけ聞けばお前らと戦う理由は無いし、
 むしろそれに戦いを仕掛けて人類を開放しようとするゼフィリス達こそ、
 平和を乱す奴らって感じで俺は恨むべきなのだろう。
 だが、お前らは人をたくさん殺す。
 平和を乱すと見なしたものを、人類のためと言って殺している。
 俺はな、自由とか平等とかはどうでもいいが、平和ってのだけは譲れ無いし、
 だからそれについての見解の相違が、お前らと決定的な溝を掘るに充分な理由になる、
 俺はそのことを理解した。
 お前と相容れないのは、確かにお互いがお互いを憎み合うがゆえの事では無い。
 少なくともお前が俺達を憎んでいる訳ではない、それはわかる。
 だが。
 お前は誰も憎まずに多くの人々を殺し、そして俺の妹を殺そうとしている。
 お前はこうも言った。
 自分達が人々を殺すのは、それはプロビデンスブレーカーたるパシフィカがいるからだ、と。
 ああ、俺は知ってるよ、そんな事。
 そして一歩間違えれば、俺もお前の仲間になってたって事もな。
 いや、俺はまだ迷ってる。
 ひとりの人間を助けるために、世界中の人々を殺せるのか、と。
 俺はだから、いつの日にかこの刃をパシフィカに向けるかもしれないと、今も強く恐れている。
 ピースメーカーがパシフィカを抹殺するためにそれを邪魔する者を殺していく、
 それは俺の中である意味で冷静に受け止められてもいる。
 だから俺にはお前らの理屈が正論であることも、よくわかっている。
 だがな、スィン、勘違い、するなよ。
 パシフィカが世界を滅ぼすという託宣、それが本当であると、もう言えないことを俺は知っている。
 世界中の人々を殺すのは、他ならぬお前達であることを忘れるんじゃねぇ。
 お前らが自分達の作った今の世界の形を壊されたくないからパシフィカを殺そうとし、
 そしてそれに抗う俺達にみせしめとして大量の人々を殺す、それは確かじゃねぇか。
 はやい話、俺がお前らを全部ぶっ倒せば、もう誰も死ななくて済む。
 ああ、そうだ、俺もお前を憎んでなんていやしねぇ。
 だがパシフィカと少なくとも王都の人間を守るため、お前らと戦うぜ。
 ゼフィリスとお前の言い分がどっちが正しいか、そんなの問題じゃねぇ。
 どっちが俺にとって好都合か、それだけが俺に問題なんだ。
 俺はな、全部守る。
 だったら、それが可能な世界観を言ってるゼフィリスの言い分を俺が肯定するのは当然。
 俺がお前らをぶっ倒して、パシフィカも世界も守る。
 そういう奇麗事を俺が言うために、俺はお前らを恨む。
 恨ませて貰う。
 俺はお前を悪役にして、お前を憎んでこれからも俺の描く平和のために戦う。
 それが俺の答えだ。
 改めて、さよならだ、スィン。
 俺はだから、しばらく寝るぞ、ゼフィリス。
 腐ってる時間はねぇ。
 ・・・・・・
 なんかわかんねぇけど。
 俺はそのときパメラの顔をずっと見つめていた、と思う。
 俺が軍を抜けた理由なんてくだらない。
 たんにあくどく汚い仕事をしたくない、そういう思いに正直に動いただけ。
 俺はこの俺の行動を擁護する気なんて無いし、やっぱり俺はいい加減な奴だとも思う。
 人を殺すのが嫌になっただけのことを、それを適当な奇麗事に乗せて抜けた理由にする気も無いのに、
 あいつらはなんか俺がそういう理由で辞めたように勘違いしてる。
 スレイ、俺はそんなんじゃねぇよ。
 俺はただ色々面倒だった、ただそれだけでなにか崇高な理由があって軍を抜けた訳じゃない。
 『血まみれのお前が普通に生きられる訳ないだろう』って言われてもな。
 俺が血まみれであることに変わりはねぇし、今更綺麗ぶるつもりは無い。
 ていうかそういうの全部ひっくるめて面倒だから、俺にはどうでも良いことなんだけどな。
 普通もなにも、俺には軍の生活も今のヌルい生活も同じくらいダルくて、そして同じくらい普通の事だ。
 だから今の生活を続けてるのは、軍にいるよりは面倒な事が少ない、ただそれだけなんじゃねぇかな。
 パメラを拾ったのも、まぁ言い切ってしまえば、後ついてくるこいつを撒くのが面倒だった、
 ただそれくらいの説明しか自分にしてなかった。
 拾った理由なんて、ほんとどうでもいい。
 そしてパメラと居続ける理由も同じで、別にこいつと居るのが楽しかった訳じゃない。
 
 けどさ。
 ま、こういうのもなんだけどな。
 俺ってな、あんま饒舌なほうじゃねぇ。
 そしてあんま考えないほうだ。
 それがどうだ、今これだけの言い訳をしてるんだぜ、俺は。
 俺がここでこうして暮らしてる事、それの理由に初めて体温が点った事がよっぽど恥ずかしかったらしい。
 俺は、結構楽しんでた。
 俺は別に馬鹿では無いが、自分で楽しいと言葉にしてみるまで、それがそういうことだと気づかなかった。
 そして軍の生活と今の生活が明らかに違うことを、俺は認めざるを得なくなった。
 隣の夫婦喧嘩が聞えるなか、こいつとふたりでお茶をすすってる、この瞬間。
 あー、そうか、俺はこういう生活がしたくて軍を抜けたのだ、
 俺は初めてそういう説明をすることに積極的になった。
 違和感ありまくりでも、その説明になにも面倒くさがらずに素直に頷いていた。
 
 これが幸せって奴か。
 奇麗事を言うつもりが全く無かったのに、ふと頭に浮かんだこの奇麗事が、
 それが俺にとって初めて馴染んだんだな、パメラの顔みてたら。
 いやもう、笑うしか、無いだろ。
 自分の中に、軍を辞めてから今まで、そしてこれからの自分がどう動くのか、
 そのために必要な理想が溢れてきて、そして俺はそれに全部笑いながらOK出してる、
 こんなの俺じゃない、って言うには俺なんてモノを俺は持ってはいなかったが、
 けどま、信じられないくらいってのはほんとのとこだろう。
 生まれて初めて、この幸せを手にしていたい、そう思ったぜ。
 だから俺はもうどこにも戻らないし、そして此処にも居続けない。
 俺はだから前に進むしか無い、って思ったのかもしれない。
 これも全部、俺が思ってる言葉なんだから怖いよな、ほんとに。
 俺ってこんなにロマンチストだったっけ? ってくらいに、今の俺は真面目にバカな事を考え、
 そしてそのバカな俺を諭すこと無く、なんにも考えずにGoサインを出しまくってる。
 面白いのな、こういうのって。
 鳥肌が立つような奇麗事を信じていいって自分に指示する、これは楽しいよな。
 そしてそれが、俺の想いとちゃんと繋がってる、それに気づけたときって、結構感動するもんだな。
 まー、俺の場合そこで笑ってしまった訳だが。
 なにはともあれ、よくわかんねぇけど、また戦う事とするか。
                          ◆ 『』内文章、アニメ「スクラップドプリンセス」より引用 ◆

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                         ■■冷たくくっついて、熱く離れる■■

     
 
 
 
 
 久しぶりに川口がキました。
 たまにGKが最高の人種なんじゃ無いかと思うことがあって、そういうときは割と絶好調。
 そうだよなーグランド上であんなに瞬間を生きてんのはキーパーだけだよなー。
 
 
 どうも、紅い瞳です。
 そろそろいい加減に暑さにも慣れ、というか散々暑さに打ち負かされてすっかり隷属しきって、
 奴隷根性を謳歌してるのじゃないかと問われれば絶対違うと言いたいとはあんまり思わない私ですが、
 みなさん如何お過ごしのことでしょうか。
 兎にも角にも、暑中お見舞い申し上げます。
 さて、いい感じに元気一杯の私は、やっぱり変わらずマリみて支持なんです。
 支持というかのめり込んでいるというか、でも別になにか特別な状態にある訳でも無く、
 私はこれが素な状態。
 といっても素とか素じゃないとか言ってもあまりピンと来ないところをみると、
 私はあんまり自分を説明することが得意じゃないのかな、と今更ながらに思って、
 そうするとじゃー頑張ってうまく説明しようとするのかしないのか、というニ択が見えてきて。
 でもそもそもそもなんでそんな二択しか見えてこないんだろ、と思うあたりで、
 すーっと前に一歩進んでいる自分の体に気づいて、慌ててそれを追いかけていく、
 もし私が私を説明するとなれば、こういう状態であると言えると思います。
 肩肘張って今居る場所に居座ろうとしても、それとは関係なくするっと動き出す自分のなにかがあって、
 でもそのなにかっていうのは自分の中にあるとはとても思えないほど冷たくて、
 でもそれは、常にはっとその存在に気づくたびに私の体温に溶かされて私と一緒になってしまい、
 そしてそうして一緒になっていくうちにいつのまにかその存在が忘れられて、
 気が付くとそれは私には触れないほど熱くなってどこかへ飛んでいってしまう。
 マリみてなんかを見てるときの私がどういう動きをしているのか、
 それ自体に興味は無いのですけれど、なんだか自分がその状態にあることっていうのは楽しいな、
 そして結構好きだな、嬉しいな、って思う訳。
 これからも、色々マリみて頑張ります。
 
 
 さて、次ー。本ー。
 このところメキメキと読書欲増進中でして、暑いのにお盛んなことで、とひとりほくそ笑んでいるところです。
 食欲増進、とかだとやっぱり美味しいモノたくさん食べれてハッピーというのもあるけれど、
 やっぱりそのハッピー度に比例して体重計の数字も上がっていって最悪じゃないですか。
 でもほら読書欲増進なら、その点なんにも心配事無いしでハッピーハッピーどこまでもハッピー。
 よーし、一杯読んじゃうぞぉ☆ (ボケもツッコミも無し)
 という訳でyukiさんご推薦の冴木忍の本を借りにいったのですけれど、
 yukiさんご推薦の作品は無かったので、同じ人の他の作品を予約してきました。
 「星空のエピタフ 上下」・冴木忍著。とりあえずこれでいいですか? >yukiさん
 で、以下は読んだ本の感想というか戯言というか書き散らしというかそのへんです。
 
 ・江戸あやかし舟 竹河聖 双葉文庫
 別に作者の下の名前に激しく反応して借りた訳じゃありませんから。
 んー、簡単なホラー?(簡単?) 気の抜けるほどぬはーっていうかほへーっていうか、そんな感じ。
 後半はなんかもう適当って感じで正統派っていうか誰でも書けるっていうか、
 そういうもうとにかくなんとか書き上げた事には満足しています、まる、という作者の気概が感じられました。
 ただ。
 前半の前半の屋根舟で下るとき海坊主と遭遇するシーン、あれだけは得も言われぬ色気がありました。
 それくらいかなぁ、あとは犯人なんかすぐわかっちゃうし話的な面白さも無いし、
 ホラーっていうにはなんにも怖く無いし。
 起きてる出来事は確かに怖いけど、でもそれを単なる出来事の列挙として年表風に書き連ねた、
 それだけじゃほんとなんにも怖くない。
 でも「闇の影」っていうこの人の本、借りて来ちゃいました、また。
 ・・・好きなんだもん、この人の文体。
 ホラーとか言わなきゃ可愛いし(違)
 
 ・十二国記 風の万里黎明の空 上下 小野不由美 white herat
 十二国記といえばこれはもう紅い瞳的には宝モノ的な存在なんですね。
 ぐっと自分で抱きしめて暖めちゃいけない、そっと飾ってそうして愛でるというか。
 というかそもそも容易にうんそうだよねそうだよねって自分と同化して受け止めちゃいけない、
 そういう荘厳さがあるんですよね。
 私はこの作品は萌えるって事は無いし、バイブルにすることも無いし、愛読書にもならないし、
 勿論枕にもしません。
 なんていうか、まぁ、そういうことです(適当)
 で、このお話なんですがもうネタバレというか読んで無い人にはなんだかさっぱりわからないというか、
 ある意味十二国記について今話てるんだって思わなければわからないでもない、そんな話をします。
 私はある意味月渓的な考え方っていうのは好きじゃないんだよなぁ。
 民のために王を殺しその王を諫めなかった公主祥瓊を迫害し、
 あまつさえ次代の王を選定する麒麟まで殺してしまう。
 そして無様ななりで月渓に対峙する事になった祥瓊に最高とも言える侮蔑を以て遇する。
 あれは、私はやっぱり月渓がしてよい侮蔑では無いと思うんですよね。
 公主でありながら王に諫言しなかった罪、それを自覚することもしないで己の不遇のみを嘆く、
 それのなんと浅ましく醜い事か。
 月渓はそう祥瓊に言うんですけど、それってさ。
 それってなに? じゃ月渓は自分がしてることは正しいと、そういうの?
 違うんですよね。ちゃんと月渓は自分の犯した罪のことをわかってる。自覚してる。
 そして自分はちゃんと自覚してるからこそ、自覚してない祥瓊を侮蔑する。
 でもさ。
 月渓ってさ、ほんとは自分の事なんも悪いとは思ってないんだよね。
 民や官に賞賛されて、その賞賛が「正しい」と実はもう受け入れちゃってる。
 そういう意味で、月渓のはそれは罪悪感じゃなくて、ただの逡巡でしかない。
 私は月渓は全然「罪の自覚」なんて持って無いと思う。
 民を法の名の下に虐殺した王を殺した、それが民に歓迎されたから良い事な訳無いじゃん。
 何人もの暗愚(暴君)を続けて選定した峯麟への民の失望、
 それが麒麟殺害を為し、そしてそれがどれだけこれから国を傾かせる事なのか。
 月渓はさ、実は知ってる、これらの事が罪なんだって。
 それを罪と言わないで平気で自分達のために祝ってる民や官に惑わされず、
 その事に気づいているのはさすがだと思うし、
 やっぱりそれは月渓がそういうんだから月渓の罪に間違いは無いと思う。
 でも、月渓は罪を知っているだけで罪を自覚はしてない。
 それが自分の罪だと意識してその罪を背負うことをしないで、民のためにといって全部投げだそうとしてる。
 月渓が簒奪者として王位につかないのは、それは罪悪感だからじゃなくて、ただ迷ってるだけ。
 月渓は祥瓊にどうこう偉そうに言える立場では無いし、それは他の人も同様だと思う。
 私は祥瓊が断罪されるなら、月渓も民も他の官も罰せられるべきだと思うし、
 そもそも王だって殺されていいはずはなかったと思う。
 自分の身を守るために誰かを殺す、それは仕方の無いことだけど、
 でもそれを仕方の無いことと肯定した時点で、その殺した相手をどうこう言う筋合いは無いと思う。
 そして。
 自分がちゃんと罪を自覚し罰を受けて、罪を自覚しないで罰を受けない者を批判する、
 そういうことがもしできるのなら、やっぱりその人は自分の罪を自覚してないんだと思う。
 それって結局、自分に罪悪感があることを誇ってるだけじゃん。
 誇れる罪悪感って、そもそもなんも意味無いじゃん。矛盾じゃん。
 祥瓊が自分の不遇を嘆くこと、それが不当だって言えるなら、
 じゃあ正当な不遇への嘆きっていうのがあるのかい? 
 嘆きや愚痴に不当も正当も無い。
 苦しみに重さなんか無い。
 清秀が鈴に言ったことの意味は、そういう風にも受け取れる、そういうお話でした。
 でまぁ。
 作品的にはいくつかの点においてアニメに軍配が上がっちゃうところかな、って感じ。
 なにより「天意を諮る」という昇紘の姿勢が描かれなかったのは、ちょっと勿体無い。
 あれが無かったおかげで、陽子の玉座に対する重量感があんまりはっきり出て来てなかったから。
 だから陽子が城下に降りて民に混じって生活しようとしたのも、なんかただ王宮から逃げてきた、
 ただそれだけの印象があることは否めないし、だからやる事なすこと全部「至らない」という陽子の謝罪、
 それの言葉通りの意味しか出てこなかったのは相当辛い。
 なんで謝るのか、それが重要だと思うんだけどネ。
 陽子は王っていうのを限りなく自分に一致させているから、
 小説版の陽子はどこか他人事みたいなんだよね。
 ラストの景麒に乗って禁軍の上空で慶国すべてに向けて叫んだアニメ版の陽子の凄みも、
 だからまったく無かったし。
 あれじゃただ対将軍じゃん。
 といっても、それだけで語り終えた気分になれるようなタマじゃ無いんだよねぇ、十二国記は(ため息)
 
 ・魔性の子 小野不由美 新潮文庫
 残りの字数ではとても感想書ききれないので割愛。
 
 ・恋愛詐欺師 岩井志麻子 文藝春秋
 この人はすごいです。ていうかもうなんにもわかりません。
 私の中にどかどかと入ってくる素振りを見せつけてくれたものだから、
 わわっと警戒して防御態勢に入ったのにいきなり姿が消えて、どこ行った?とキョロキョロしてたら、
 いつのまにか私の中に当たり前のように座ってて、当たり前のように「お茶」とか要求されたような。
 ええと、もう溶け込みすぎ。私の中にこれ以上入ってこないでぇー(壊)
 わからないといえば全然まったくこれっぽっちもわかってないとも言えるのだけれど、
 でもたぶんそのわかってない、という説明はそれはそもそもわかるわからないという判定を下すこと、
 それができる訳無いのに勝手に簡単に私がそう説明して、さっさと独りでこの作品を貪っていたい、
 そういうグルメなんていそうに無い私の全部まるかじりの空腹っぷりがかもしだす説明であって。
 例えるならば、だから岩井志麻子は私にとって食べ物です。
 私は私の食べ物を形容することはできるけどそれ自身を知ってる訳じゃない、
 でも食べれば確かに私の体の中にちゃんと居て、そのうえ私自身になっちゃってる。
 わかる、といえばもうわからないことなんて論理的に有り得ないくらいにイケイケで(死語)
 あー・・たまにお腹イタくなるのはこの人のせいか。
 とりあえず、志麻子の現代モノの食わず嫌いは直りました>報告
 
 
 *調子に乗って長く書きまくってしまいました。全部サッカーが悪い
 あ、以下の文章は読まなくてもいいですっていうかだからオマケなんだってば。
 
 
 名作必ずしもツッコミ拒否せずってやっぱり思いましたよお嬢様なマドラ感想(オマケ):
 いいえ、自然の成り行きです(挨拶)
 ヴァネッサさん、人を撃つの巻。
 さすがに素人さんのヴァネッサさんは罪悪感に包まれて、なにかこう腰が抜けてしまったようです。
 撃たれた男は死んではいないとマドラックスさんが慰めてみるも、そういう問題じゃないと言って処置無し。
 マドラックスさん的には今更なに言ってんだとばかりですが、
 でももうヴァネッサさん駄目駄目です。
 そんな様子をみてマドラックスさんは結構根気よく慰めます。
 マドラックス: 『あなたが撃ってくれなかったら、私は死んでた』
 ヴァネッサ: 『・・・・・・』
 別にあんたはどうだっていいのよ、と言わんばかりのヴァネッサさんの無言の拒否っぷり。
 しかしマドラックスさんはそれにも負けずになおも食い下がります。
 人が死ぬのは生きるのに失敗したからとか謎言語を展開します。
 おいおいそんな事したってまたいつものアレかと思われるだけですよ、って、
 あ。
 ヴァネッサさん思いっきしはっとしてる。
 思いっきり反応してますよ、この人。
 やはり人間弱ると謎言語への耐性が失われてしまうのでしょうか。
 もうこのマドラックスさんのこの言葉が気になって仕方なくて、人殺した事なんてどこかに行っちゃってます。
 マドラックさんってもしかして結構ヴァネッサさんの扱いが上手くなってきてるのかも知れません。
 そして少しは歩くようになったヴァネッサさんを連れて戦場を突っ切るマドラックスさんですが、
 上手くすれば抜けられる、と言ってる側から王国軍兵士に背後を取られます。
 このふたり、最近万歳ばっかりしてません?
 ヴァネッサさんの扱いがうまくなるために彼女と気の置けない間柄になって、
 ついでに敵兵さんにも気が置け無くなっちゃったんでしょうか。
 でもこれくらいの失敗なら平気で死なずに済んでいられるのがマドラックスさんのすごいところ。
 ヴァネッサさんを突き飛ばし横っ飛びに飛んで敵兵二人を瞬殺。
 もしかしてこのパターンのときのマドラックスさんが一番強いかもしれません。
 ドレス着たら勝率Up。
 で、奪い返されたデータが利用されて、どうやらマドラックスさんとヴァネッサさんは、
 ガザッソニカで起きた王族殺しの犯人って事にされてるそうです。
 リメルダさんはまたひとつあの子を殺す理由ができたわって言って大はしゃぎ。
 わざわざカロッスアさんにその件で電話連絡を入れるリメルダさんは、
 まさに買って貰った玩具を自慢する子供のようで微笑ましい限り。
 マドラックスさんしか頭に無いリメルダさんの連絡聞いて、
 こいつはもう駄目だとカロッスアさんは思ったことでしょう。
 そんなこんなで、場面はバートン邸。
 王族殺しのニュースで流れているのを見ているマーガレットお嬢様とエリノアさん。
 犯人のひとりは、ヴァネッサ・レネ。
 お嬢様:「なに、これ」
 お嬢様はそんなの信じないとか言ってます。
 信じないって、ヴァネッサさんの潔白をですか?
 と、エリノアさん的には普通に思って自分でもやっぱりそうですよねとか納得していそうですけれど、
 さすがにお嬢様的にはそんな事は無く、ただただヴァネッサさんの事が心配のご様子。
 家の前を明らかに挙動不審で歩いていたヴァネッサの知人(名前忘却)をめざとく見つけ、堂々と尾行。
 振り返ると女の子が立っていてびっくりする男に、お嬢様は「誰?」と声かけます。
 むしろそれはこっちのセリフだ、と言わんばかりのヴァネッサの知人(名前忘却)。
 なすがままに家に連れ込まれお茶を振る舞われる歓待の中にエリノアさんの冷たい視線、
 そういう拷問にかけられてしまいます。
 たかだかヴァネッサさんの隣人というのに、その拷問によってどんどん喋ってしまいます。
 アンファンの情報操作でヴァネッサが犯人に仕立て上げられた、
 そしてヴァネッサと一緒に居る人の助けがあればなんとかなるという男の話を聞いて、
 お嬢様はマドラックス、という名を口にします。
 それを聞いたエリノアさんはそれがマーガレットお嬢様が行方不明になって帰ってきたときに覚えていた、
 その唯一の言葉であることに思い至ります。
 そしてヴァネッサさんより強力な恋敵が現われたことに思い至ります。
 しかしそうエリノアさんがそう現状認識をする間もなく、お嬢様が立ち上がってひと言。
 
 マーガレットお嬢様: 『私ガザッソニカに行く!』
 
 エリノア: 『はぁ?』
 
 お嬢様がエリノアさんの守備範囲を軽く超えた瞬間です。
 あのときのマーガレットさんは、誰にも止められなかった・・  ←ヴァネッサの知人(名前忘却) 談
 一方最強の愛弟子を育てたヴァネッサさんは、まだマドラックスさんの言葉で頭が一杯のご様子。
 エリノアさん、敵は手強いぞ。
 場面戻って、マーガレットお嬢様 in 寝起き。
 しかしどうも様子がヘンです。
 お嬢様はどうも自主的に起きたようです。当然自主的に起きれるようになるには二度寝したでしょう。
 少なくとも誰にも起こされた気配が無い。
 エリノアさんによる恐怖の目覚ましが無い様子。
 マーガレットお嬢様が、寝起きの平安をエリノアさんから勝ち取った瞬間です。
 しかもガザッソニカに向けての準備は整えられ、あまつさえエリノアさんも一緒にいくと言います。
 エリノアさん的に恋敵に力を貸す事になるのは屈辱ですけれど、
 お嬢様は恐いお嬢様の身の安全が気になるのも事実。
 きっとスーツケースの中に各種武器を取り揃え、最強メイドの意地を見せる事を決意なさったのでしょう。
 その武器がマドラックスさんとヴァネッサさんに向けられないとは限りませんけれど。
 むしろエリノアさん的にはそっちが本命。
 意気揚々と旅立つふたりですが、空港にて警察の人にどこにいくのかと尋問されます。
 エリノアさんは即座にどうやり過ごすかと策を練ろうとするも、
 マーガレットお嬢様:「ガザッソニカに行きます。ヴァネッサに会いに行きます。」
 エリノアさん、そろそろ限界ですか?
 しかしそこにカロッスアさんが表れなにやら言うと、警察の人はおとなしく引き下がってしまいます。
 エリノアさん的には明らかに格下のカロッスアさんが来てメイド復権とばかりに、なにを言ったかを追求。
 しかしカロッスアさんはエリノアさんをスルーして、
 私は願いが叶う呪文を知っていると言ってお嬢様を籠絡。
 カロッスアさん、腕を上げてます。
 将を射んと欲すれば馬を射よと言いますが、カロッスアさんいきなり将を射てきました。
 エリノアさん的には驚愕のことですが、しかし紛れ当たりかもしれないと思い直し、
 一緒の飛行機に乗り込んできたカロッスアさんにネチネチと食い下がりますが、
 カロッスアさん、素敵な偶然だ、のひと言でこれを一蹴。
 カロッスアさんが別人に見えます。
 エリノアさんの王気(けはい)が・・・ああ、王気が絶えてしまわれた・・・(作品が違います)
 場面変わってガザッソニカ。
 車で逃走中のマドラックス・ヴァネッサ組は検問を強行突破。
 が、また捕まります。
 
 マドラックス: 『ごめん・・・・失敗しちゃった』
 ヴァネッサ: 『そんなっ!』
 
 ヴァネッサさんの魂の叫びが木霊する中、その叫びが天に届いたのか、
 突如現われたリメルダさんがマドラックスさんに銃を投げ渡し、形勢逆転。
 でもリメルダさんはあなたらしく無いわねと言ってマドラックスさんの諦め発言に反応してきただけですし、
 こうなったのはこいつのせいかとばかりにヴァネッサさんに銃口を向けてますから、あんまり関係なし。
 そして当然のようにヴァネッサさんを庇おうとするマドラックスにさらに不機嫌になるリメルダさんですが、
 しかしここでマドラックスさんの攻撃。口撃。
 『あなたも真実をみることができる。だってそういう人だもの』
 駄目駄目。このリメルダさんていう人は真実よりマドラックスという人なんですから。
 この程度で戦いが収められるはずが無・・
 
 『それとも、真実を見るのが恐い?』
 
 決まった。 
 
 10年に一度の快作です。
 最初のはあくまで前フリ。
 リメルダさんのある意味でわかりやすい性格の弱点を正確無比に突いてきたこの挑発はすごい。
 喧嘩を、しかも他ならぬマドラックスさんから売られたとあれば買わずにはいられないリメルダさんならば、
 きっとこの取引に応じるとマドラックスさんは冷静に判断。
 いつのまにこんなに交渉がうまくなったでしょうか、っていうかリメルダさんが見境が付かなくなったのか
 あきらかにリメルダさんは激昂状態。
 マドラックスさん的に最高の結末がもうすぐ訪れ・・・
 
 あ、撃った (リメルダさんが)
 
 
 ・・・・。
 一応弾は当たらず交渉は成立ということらしいですけれど、
 リメルダさんを甘く見てはいけません。
 とはいえ、リメルダさんの顔は冴えません。
 あそこでやっぱり一発当てとけば良かったかな、って感じでめっちゃ後悔してます。
 リメルダさん的には真実なんてほんとはどうでも良いのでしょうから、
 やっぱりあれはマドラックスさんに踊らされてしまったと見て良いでしょう。
 マドラックスさん、捕まってる割には勝率が下がりません。
 ていうか、勝ち方のパターンが増えてます。
 ヴァネッサさんを飼い慣らし、戦闘狂のリメルダさんと交渉成立させる・・・・。
 エリノアさんの立つ瀬がいよいよ無くなってきました。
 
 紅い瞳は、最強のメイドエリノアさんを応援しています。
 
 
 
 

-- 040726--                    

 

         

                      ■■マリア様の遺す言葉は愛せない 2 ■■

     
 
 
 
 
 『なのに、それでも同じ敷地内に居てくれるという安堵感がちょっと嬉しい・・・・だいぶ嬉しい』
 

                          〜 第四話の祐巳さんのセリフより〜

 
 
 
 
 --遺言なんて、待っていられません!--
 
 
 
 
 
 
 ごきげんよう、紅い瞳です。
 本日は前回の感想の続きという体裁でお送り致します。
 皆様、よろしければお付き合いくださいませ。
 
 さて、マリア様がみてる〜春〜第四話「Will」は如何でしたでしょうか。
 作品の評価如何はともかく、私には少なくとも非常に重要なお話でした。
 聖様と祐巳さん、このふたりの関係、そしてこのふたりがしていたことの意味、
 それがすべてどういうことだったのかを、最後にはっきりと示してくれたお話。
 その示され方に酔うよりは、私はやはりそれはどう自分の中に収まっていくのか、
 ただそれだけを考え、そしてその収納の過程のうちに涙を流していました。
 私には、聖様のお気持ちも、祐巳さんがなにをしてきたのかもよくわかりました。
 それはもう涙なしには通り過ぎることのできないほどの簡明さであって、
 私が敢えてこれはどういう事なのかな、と言葉を紡いで新しい形を導き出す、
 そういう作業の一切かからない、ただただ其処にあるものを素のまま私に合うように変換していくだけ。
 この第四話は、私の言葉と感情を使って100%消化することのできた、
 本当に珍しいお話のひとつとなりました。
 これほど私が完璧に理解し、そして一切の不良無しにすべて言葉に換えることの出来た歓びを、
 私は此処に堂々と披露させて頂きたく思います。
 第四話「Will」と出会えて、私はとても嬉しかったです。
 そして。
 前回の私の感想「マリア様の遺す言葉は愛せない」は、完璧でした。
 私は今、素直にそう言えるだけの歓びに震えています。
 完璧なものが書けた事に対する自信なんてどうでも良くて、
 ただこれだけ私と一致するお話に巡り会えた歓び、それがすべてでした。
 私はただただ、歓びを噛みしめているのです。
 
 さて、肝心のお話を続けさせて頂きましょう。
 祐巳さんを今度は見つめてみました。
 そうすると、不思議な事に、とても祐巳さんの世界が非常にあわただしく動いている事に気づけます。
 ロサギガンティア達がもう卒業してしまう。
 その事実を祐巳さんが実感する前に、ロサキネンシスを手始めに、
 周囲のほうからその事実を祐巳さんに示し始めます。
 祐巳さんはそれら周囲が示してきた事柄の意味を、実はまったく理解できていません。
 『祐巳ちゃんは勘が鋭い。そして面白い』。
 ロサキネンシスのこの言葉は言い得て妙です。
 祐巳さんは自分がどういう存在をかを理解する事ができていなく、
 ただただ当然の反応を示しているだけ。 
 でもロサキネンシスにとっては、祐巳さんの行動というのは、非常に自分の言葉に変換して理解しやすい、
 そういう特性を備えてもいるのです。
 本来なら、祐巳さんはただ愚鈍な普通の女の子にしか見えないはずです。
 だからそもそも祐巳さんをとりまく周囲がこの期に及んで懸命に祐巳さんに働きかけるなどありえない。
 でも実際皆そうして祐巳さんに働きかけているということは、
 実はそのように非常に祐巳さんに見るべきものを見つけているからなのです。
 それを祐巳さん自身が自覚していない事も、
 たとえばロサキネンシスなどにとっては非常に好都合でもある。
 ある意味で、祐巳さんというのはロサキネンシス達にとっては鏡みたいなものかもしれません。
 意味を含んだ言葉をぶつけて、それがちっとも理解されないままそっくり返されて、
 そうするとそのぶつけた言葉がほんとは自分にとってどういう意味があるのか、
 それを蓉子様は考えるのです。
 そして。
 その祐巳さんが示す反応、それが自分にはとても及ばないものを備えている、
 そういう事にも気づいてしまうのです。
 ロサキネンシス・蓉子様の場合、
 自分が投げかけた問いを祐巳さんがそっくり寸分違わず投げ返したその正確さに勘が鋭い、
 という賞賛を与え、そしてその正確な答えが自分が期待していた答えでは無いこと、
 つまりもし自分だったらこう答える、という答えからは綺麗にズレていることが、それが面白いといいます。
 そしてだからこそ、そこに蓉子様は改めて祐巳さんの凄さを感じたのでしょう。
 これだけ一生懸命になっているのに全然賢い答えを出してくれないのに、
 それなのにぷっと笑えてしまうその祐巳さんの姿は、とてもとても貴重なものです。
 蓉子様達のためにこれほど一生懸命になってくれる、その暖かさで甘えさせてくれながら、
 それでいてそのまま模倣すればいいだけという答えを与えてはくれない、そういう自立性をも与えてくれる、
 蓉子様にとって、確かに祐巳さんはそういう存在なのだと思います。
 
 だから蓉子様は自分から切り出せたのです。
 祐巳さんに祥子様のことを頼む、と。
 祐巳さんの中に、確かに「自分」で祥子様を助けられるなにかを見つけられたからこそ頼めたのです。
 祥子様の保護者、としての自分の後継者をだから祐巳さんに任せられたのです。
 でも。
 蓉子様のその「遺言」そのもの、それはさして重要な事とは思われません。
 重要なのは、蓉子様は祐巳さんの中に祥子様を任せられるに足るものを見つけられた、
 その発見を蓉子様自身が為すことが出来た、それが大変重要な事なのだと思います。
 蓉子様は、だからある意味でなにも遺してはいない。
 遺言と名のつくものは、それはある意味で蓉子様が自身を理解しようとする過程でできた、
 残り滓のようなもの。
 蓉子様は、祐巳さんになにも望んではいないのです。
 本当は、ただただ祐巳さんに感謝している蓉子様がいらっしゃるだけだったのです。
 其処にあるのは、蓉子様が大事に育てた蓉子様の「意志」、それだけだったのです。
 
 祐巳さんの前に志摩子さんが現われます。
 そして祐巳さんは、聖様のために聖様の元にいきます。
 志摩子さんの事で、なにか頼みたいことありませんか?
 志摩子さんについての心配事であれば、それを聖様が志摩子さんに直接伝えられないこと、
 祐巳さんはそれを知り、ロサギガンティアの元を訪れます。
 けれど、聖様は笑いながらその申し出を断ります。
 なぜなら、聖様の見ている祐巳さんの中には、もう完璧な聖様が居るからです。
 今さらなにも確認する必要も無いくらい、聖様は祐巳さんに自分を照らしていて、
 そしてすべて完全に理解していたからなのです。
 だから、そもそも聖様に遺言なんて遺せる訳無いんです。
 むしろ遺言を遺さない理由を、聖様は祐巳さんに語って聞かせたのです。
 どれだけ、自分が自分を理解しているのかを、そしてどれだけ祐巳さんに感謝しているかを。
 そして。
 そして聖様はさらにもう一歩を当然のように軽やかに踏み出します。
 祐巳さんの申し出を、それを「遺言」という言葉から「餞別」という言葉に変換して受け直すのです。
 聖様は、祐巳さんがなにもかも理解して自分達のために動いているのでないこと、
 むしろ祐巳さんがやってることがどれだけ他の人のためになっているか本人は全然わかっていない、
 それを知っています。
 だから、自分達がすごいと誉める祐巳さんのその姿が、それが自分達が造り上げたもの、
 それをよく知っています。
 そして、その造り上げたものはとても大切なもので、そしてそれに対して純粋に御礼をしたい、
 そう聖様は思います。
 自分は全然そんなんじゃないんです、と否定する祐巳さんの頭を撫でながらその否定を優しく否定し、
 でもその聖様の祐巳さんの言葉の否定が聖様の自分勝手であることも示して、
 だからそれに対する謝罪の意を含む御礼をする。
 私はなんにもしてないのに、勝手に喜んで私に感謝するなんてそんなのズルいです、
 そんなのロサギガンティアの勝手です、私のほうこそ御礼をしたいのに、
 そういう祐巳さんの静かな反論に、聖様ははっきりとうんと頷いたのです。
 ごめんね祐巳ちゃん、でもありがとね。
 だから、餞別をちゃんと頂くよ。
 遺言というお願いを遺すのじゃなくて、餞別を頂くという御礼をする。
 その御礼は、勿論祐巳さんの聖様に対する御礼、それに対するものです。
 ロサギガンティアのためになにかして差し上げたい、そう考える祐巳さんに言葉を遺すのは、
 それは結局のところあまり意味が無いんです。
 なぜなら、聖様が望むものはもうなにも祐巳さんの中には無いんですから。
 なぜなら、聖様が祐巳さんに与えられたもの、それを既にもう自分のものとしているから。
 そしてなによりも、自分が一番したいものが祐巳さんに感謝したい事だってことを伝えたかったから。
 だからその感謝を、祐巳さんの聖様への感謝である餞別を受け取る、という形で示して見せたのです。
 あくまで、祐巳さんの感謝を喜んで受ける、という姿勢をはっきりと示して。
 それが聖様の、祐巳さんへの最大の感謝の表れなのです。
 
 
 
 そして。
 
 『卒業するのは、ほんと。
  大学行くのも、ほんと。
  だから餞別を貰った。
  何処に問題があるっていうの。』
 
 聖様は祐巳さんと別れて、また出会います。
 そしてその出会いは別れという意味でもあって。
 だからその別れは、なによりも別れとは言えない永遠の繋がりを意味するものなのであって。
 聖様は大学に行くと言っても、高等部と同じ敷地内にあるリリアン女子に進学します。
 ですから、会おうと思えばいつでも会える、そういう安心感を祐巳さんに与えます。
 でも聖様は、大学行ったら高等部には遊びにこない、と言います。
 それは、聖様が自分は蓉子様や江利子様と同じ「普通の女の子」であることをめざし、
 そしてそうしようとするための聖様の「意志」に他ならないのです。
 自分が蓉子様達から受け取った暖かい世界、
 そしてその世界にちゃんと生きていけるようにしてくれた祐巳さんに胸を張るためにも、
 そうしなくちゃいけない。
 そういうものを、聖様は祐巳さんの中から見出してきたのですから。
 でも。
 聖様は、祐巳さんに遺言を遺しませんでした。
 聖様が受け取ったのは、あくまで「餞別」。
 聖様が祐巳さんに見出したもの、それが聖様の勝手であること、
 それを踏まえた上での聖様の意志であるからこそ、聖様は餞別だけを受け取りました。
 卒業するのも、大学いくのもほんと。でも卒業するのもこれから行く先もリリアン。
 聖様は、ほんとうはまだまだ甘える気なのです。
 そして祐巳さんにまだまだ頼って貰う気なのです。
 学校という世界、そして自分が今まで捨ててきたものとの折り合いをつけるために、
 聖様はまだ祐巳さんの前から消えてはいかないんです。 
 遺言を残して、祐巳さんにすべてやって貰うのじゃなく、
 餞別だけ貰ってちゃんと自分もまた自分に還っていく。
 そして自分に還る過程で、その背にしっかりと明日への希望をしょっているのです。
 聖様は、祐巳さんにもうロサギガンティアにはたよっちゃいけないんだと思わせても、
 でもその一方できっちりと安堵感を与えているのです。
 そういう祐巳さんの矛盾する「意志」を聖様は芽生えさせたのです。
 祐巳さんの『ロサギガンティア、卒業しちゃってもいいからね』というセリフは印象的ですよね。
 もう思い残す事は無いと言いながら言葉を遺すという心配事を一切かかえていない、
 そういう聖様へ向けて、
 これが今生のお別れじゃないただ一時のお別れで、またすぐに還ってくる、餞別なんて路銀のようなもの、
 そういう祐巳さんの聖様への甘えを含む見栄っ張りが、このセリフには心地良く表れています。
 それがたとえ本当に聖様と二度と会えないという事実があろうとも関係の無い、
 祐巳さんが自分で造り上げた祐巳さんの優しくも嬉しい希望、なのです。
 
 誰かになにかを求められる前に、こちらからなにかを求めてしまう。
 誰かがこうだと言っても、こっちが先にこうだと決めてその言葉を受け取る。
 でもそれでもお互いが、それぞれのその勝手な要求や言葉に謝罪して、そして感謝する。
 祐巳さんは、聖様に永遠に頼ります。
 頼って頼って頼り切って、そしてそれが自分の足でちゃんと歩いていることだと知ります。
 遺された言葉の意味を気遣うよりも先に、その言葉をどう自分が理解して良いか、
 それを決めるのは他ならぬ自分なんだと、そう気づくのです。
 そして自分がそうすることが、他ならぬ聖様の願いという名の「意志」であることを知ります。
 祐巳さんはこのとき初めて、誰かの中に自分を見つけたのです。
 愛すべきは自分の意志。
 そして自分の意志を持つことを望む聖様の意志。
 そしてだからなによりもその「与えられた」自分の意志を愛するのです。
 祐巳さんの微笑みが歓びに満ちているのを、私ははっきりと見ました。
 ああ・・・聖様とまた同じ場所で過ごせるんだ・・。
 それがどれだけ嬉しいことなのか、私はわかります。
 まだまだ、祐巳さんには聖様が必要です。
 まだまだまだ、祐巳さんには自分を知っていく事が必要なのですから。
 祐巳さんにとって、聖様は他ならぬマリア様なのです。
 聖様がずっとずっと祐巳さんをそう見ていたように。
 
 
 
 聖様が黄昏の中の部屋にバァイと手を振り別れを告げる姿。
 これの凄まじさを感じられる自分が、私はきっと大好きです。
 祐巳さんが階段を駆け上がっていく姿。
 これの嬉しさを感じられる自分を、私はきっと愛しています。
 自分自分と唱えているうちに他人が見えて、その他人の中に自分を見つけたかと思うと、
 もう目の前には此処に立っている二本の足が前に向かって紛れもなく進んでいるのを感じてしまいます。
 聖様と祐巳さん。
 ふたりの素晴らしさを褒め称えるには、私はあまりにも自意識過剰です。
 でもだからこそ、その自意識の中に決して溶け込まないなにかがふたりの間にあるのを感じて、
 自分がこうして感想を書いている事の歓びを甘受することができるのです。
 そして感想を書ける、ということは、聖様と祐巳さんの素晴らしさを知っている、ということに他なりません。
 私はだから言います。
 聖様と祐巳さんを、私は素晴らしいと思います、と。
 その素晴らしさの中身は、そして私の中で言葉にその姿を変えて確かに私と溶け合っています。
 溶け合っているからこそ、それを眺めているだけでは決して終わらない共存性を私にもたらしてくれます。
 私はふたりの事がよくわかります。
 わかるからこそ、ふたりがわからない事もわからないですし、
 そしてだからこそふたりのわからない事をわかろうと考えることもでき、
 そして更にわかっていたことをさらにわかるようにわからない事と繋げて考えていくこともできるのです。
 聖様と祐巳さんの関係、ただそれだけを取り出して愛でるつもりは全然ありません。
 聖祐万歳なのは確かですけれど、万歳だけで終わるつもりもありません。
 聖様と祐巳さんの関係、というひとつの単語で、マリみてをすべて語る事もしません。
 まだまだマリみては果てしない。
 まだずっとたくさんのことが、私の前には広がっています。
 でもだからこそ、その中に確かに聖様と祐巳さんの関係、というものがあるのです。
 私はそれを忘れることは決して無く、そしてそれは思い留めて置くことも無いほどにどうでも良いことなのだ、
 そうも思いつつ、来週のマリみてへ想いを馳せるのでした。
 
 この聖様と祐巳さんのお話を思い出しながら。
 
 
 
 
 * Will --名詞 
 
 意味: 1・意志 2・〜したい願望、決意 3・遺言
 
 
 
 
 

                        ◆ 『』内文章、アニメ「マリア様がみてる〜春〜」より引用 ◆

 
 
 

-- 040725--                    

 

         

                        ■■マリア様の遺す言葉は愛せない■■

     
 
 
 
 
 『私はね、祐巳ちゃんを見ていて学生をもう一度やってみようって思ったんだ。』
 

                          〜 第四話の聖様のセリフより〜

 
 
 
 
 
 
 
 
 微動だにしない朝靄の気配で一日の始まりを感じて、
 研いだ心根を開放しない、その冷たく重い眉をひそめてみる。
 それでも均された日差しの動きを感じる私が此処にいる。
 此処になにがあったのかを思い出す機会が、今、確かに訪れている。
 
 形有る輪郭を見失う事で、初めて掴んだ私の居場所。
 踏み潰した甘い夕暮れを通り過ぎて、私はなぜか今、此処に居る。
 薄暗く光り輝くこの部屋はなんなのだろう。
 なんで此処に居るのか思い出せない。
 優しく暖められた空の侵入を、この硝子細工の施されていない、透明なだけの窓は許してしまう。
 私を隠しておいてくれるものなど何も無い。
 それが恥ずかしい事なんだって気づくのに、随分時間がかかったような気もする。
 私だけに日差しのスポットライトが当たっている訳でも無いのに、
 それなのに私が思い出さない限り、この世界は進まない。
 ひんやりとぬるく染まった机に頬ずりしながら、それでも私はただひたすら眩しい空と見つめ合っていた。
 私の中に深く沈んで決して拾い上げることが出来なくなった、
 あの乾ききった幸せの中の絶望は、もうあの人が持っていってくれた。
 私にはだからもう、この一年間、なにも足場とするものが無かった。
 銀色に鈍く輝く風の息吹が、それがすべて私の体に吹き付けてくるのを止めることなどできなかった。
 私の体は、だからこそしんしんと暖まっていく。
 
 そして今の私は、それを気持ち悪く思ったり、しない。
 
 私の瞳の中に、なにかをしまい込む必要なんて無い。
 私が殺してきた無惨な幸せ達の亡骸に黙祷を捧げるためには、
 私の視線は、日の光を受けて、それで以て彼らを火葬しなくちゃいけないんだ。
 私が殺してそして私が全部弔うんだ。
 私にできるのはそれくらいの事なんだよ。
 ていうか、そうしたい、のだと思う。
 お別れを言うために。
 色んなコト、に。
 私を此処に居させてくれた者達を、私は殺してその後釜に座った。
 彼らと決して共存する事の無かった2年間。
 そして私は彼らの亡骸を抱いて過ごしてきたこの最後の1年間を、此処で終わらせる。
 笑っちゃうよね。笑っちゃう事だよね、ほんとに。
 私は独り抜け出して、こうして独り教室で想い出に耽ってる。
 
 でもね、これがこんなに気持ちいいことだなんて、知らなかったよ。
 私はさ、なんかこうちょっと嬉しかったよ。
 思い返せば、ほんとに色んなコトがあったんだなって言える自分が。
 そして可笑しかったよ、そう思い出せなければ、私はこのまま消えていたのかと思うと、ね。
 私、今、この教室にすべてを見てた。
 あの2年間をちゃんと思い出すことができる1年間を過ごせた、
 その成果が、今、この瞬間を私にもたらしてる。
 これって、やっぱり恥ずかしいことで、そしてやっぱり気持ち悪いことのはずなんだ。
 でも、やっぱり今の私は気持ちいい。
 体の底からすーっと透明になっているのに、
 それなのに私の体の真ん中にはゾクゾクとするなにかが動いてて。
 たぶん私は、此処に立っているようで立ってはいない。
 私はただふわふわと日差しの中に照らされる陽炎のようなものだったんだ。
 私にとっては、私の記憶だけが私が此処に居るという証しをたてる。
 それ以外に、私にとって意味のあることなんて、本当は無いんだと思う。
 私はあのとき、ただ教室の中で独り浮かんでいた。
 このまま消えるもこのまま居続けるも、私にとっては等価値だったと思う。
 だから・・・。
 
 
 
 だからこそ、私は色々な事を思い出し、そしてそれを日差しに当てる事ができたんだと思う。
 
 
 『明日を限りにこの場所から出ていかなきゃいけないんだなぁって考えたら、
  ちょっと感傷的になっちゃってね。』
 
 
 透けているだけだった地面が目の前に見えて。
 それが見えるように目を凝らす事の恥ずかしさを楽しめるようになって。
 その楽しさをぎこちなく受け入れる事ができ始めた1年は、もう終わってしまう。
 それは自業自得というにはあまりにもあっけなくて、そしてあまりにも納得ずくで。
 私が燃やし尽くした燃え滓達が、それが私に与えられた幸せだと今はちゃんと理解しているから。
 私はその残骸を抱きしめてこの部屋から出ていくことが、寂しかった。
 でもそれが未練かと問われてはいと答えるには、私はもうそれほどには馬鹿では無くなっていた。
 私には、この1年間があったからまだいい、という開き直りじゃない。
 私には紛れもなくちゃんと3年間があった。
 『高等部の3年間は、これまでの人生の中で最も濃厚だった思うんだ』
 私はもう、自分のその寂しいと思うことをずっと抱きしめてあげられるほど、暇じゃないんだ。
 私にはもう、悲しいことや辛いことが、そして楽しいことがたくさんたくさん待っているのだから。
 でもだから尚更、私は感傷に浸ってたんだ。
 先に控えているものが多ければ多いほど、終わっていくもの達への愛は重くなっていくから。
 リリアンが私に与えてくれたもの、それが一体どれだけのものだったか、
 今の私には全部わかってしまうのだから、それが終わってしまうことっていうのはやっぱり重い。
 私は私のために、そしてリリアンのために、今此処でこうして感傷に浸ってる、
 なーんて言ったらかっこつけ過ぎかな、やっぱり。
 
 
 --そしてね、祐巳ちゃん--
 
 『改めて言う事も無いと思ったから黙っていたけど、私、祐巳ちゃんと知り合えて良かったと心から思ってる』
 
 
 冷たい幸せが暖かい幸せへとその流れを変えていく狭間。
 足場の無い中でただその暖かい流れに身を委ねる冒険。
 踏み潰してきた小さな新緑の中に混じって踏み荒らされる我が身を、
 それをどうして幸せと想えたのかわからない自分、それすら無い浮遊。
 冷たい時間を生きてきたこの体が、さらにどんどん私を浮かび上がらせる。
 嗚呼・・・・歓びで打ち震える私の心を誰か止めて。
 
 そして、ね。
 泣きながらただ呆然と幸せに迷い溺れていく私と、祐巳ちゃんは初めて一緒に泳いでくれたんだよ。
 
 
 『私、同世代の普通の女の子とあまり馴染めなかったんだ。
  祐巳ちゃんを見ていて、生まれて初めて普通の女の子を羨ましく思えたの。
  高三の一年間でね、私は良い意味で変われた。だいぶ生きやすくなった。
  私が変われたのは色んな要素があるけれど、でも祐巳ちゃんの要素は大きいよ。
  祐巳ちゃんが私にしてくれたのは、だからチューだけじゃ無いんだ。』
 
 
 羨ましく見上げたものに到達できたのに、それなのにそこでの泳ぎ方がわからなくって。
 私には右も左もわからなくて、やっぱり笑ってるだけしかなかったんだ。
 私が自分で葬り去った冷たい2年間の、その責任を取るために与えられた、
 そういう私が泳ぎ切る事ができない膨大な幸せの海に私は突き落とされたんだ。
 私はでもそれを当然と思って、健気に静かにこのリリアンでの生活を終えようと思っていた。
 私の周りを暖かい幸せが流れていってくれるだけで、私はもうこんなに嬉しいんだから。
 だから私の高校生活はこれで終わりって、納得ずくだった。
 私が得ることのできなかった幸せに謝罪と感謝をして終わって、そして今度こそ別の世界で生きようって。
 そうしたら。
 其処に祐巳ちゃんがきてくれたんだ。
 普通の女の子の面白さを、そしてその良いお手本を私に示してくれて私を導いてくれた。
 静かに過ごすだけだったはずの一年間を、祐巳ちゃんは私に面白可笑しく楽しめるように与えてくれた。
 『祐巳ちゃんになりたいって、私は何度も思ったよ』
 こんなに・・・こんなに楽しかった一年間は無かったんだよ、祐巳ちゃん。
 私、まさかこんな生活を送れるなんて、思ってなかったんだよ、ほんとに。
 祐巳ちゃんはすごい。ほんっとにすごい。
 私をこんな風な人間にしてくれるなんて。
 祐巳ちゃんは、私を一人前にしてくれた、素晴らしい師匠なんだよ。
 あなたは私を普通の女の子にしてくれた。
 私が最後の一年間を、私が踏み潰してきた新緑達の中でちゃんと生きられるようにしてくれた。
 
 これがどれほど大変なことか、わかる? 祐巳ちゃん。
 
 あなたは、私に生きる意志を与えてくれた。
 私が立って良い居場所を与えてくれたのは蓉子とお姉様だけど、
 私がその場に立てるようにしてくれたのは、他ならぬ祐巳ちゃんなのだ。
 あなたが居なかったら、私は・・。
 私はまた居ながらにして消えていったのかもしれないんだよ。
 それはさ、祐巳ちゃん。
 やっぱり志摩子が私には決してできないことで、そして私が志摩子に求めたい事でも無かったんだ。
 私と志摩子は似たもの同士。
 ふたりとも溺れているんだっていう、そういう安堵感を共有するのが私と志摩子の関係なの。
 だから私達はお互いがそれぞれの戦場を持ってる。
 そりゃーお互い励ましあったり慰めあったりするときもあるけど、
 でもどっちかがどっちかを導くとか、そういう関係には絶対にならなかったしなりたくも無かった。
 だから例えるなら、戦友って感じだね私にとっての志摩子は。ゴロンタもそうだね♪
 
 
 
 
 私はこう考えている。
 私は祐巳ちゃんに感謝しているけど、祐巳ちゃんになにかをして貰おうと思った事は無かったって。
 祐巳ちゃんになにかをして貰うのを待ってるのじゃなくって、
 こっちからなにかを祐巳ちゃんの中に見つけようと思ってた。
 祐巳ちゃんからなにかを学び取ろうと、私は一生懸命ひとりでやってただけなんだ。
 だからさ。
 きっと志摩子は私が心配しなくても、たくさんの事を祐巳ちゃんから学び取れると思うし、
 だから祐巳ちゃんにお願いする事なんてな〜んにも無い。
 たとえ祐巳ちゃんがなんにもしなくても、志摩子はしっかりとやっていける。
 祐巳ちゃんには、見る者の中にどうしようも無く意志を沸き立たせるものがあるよ。
 実際、キミタチふたりの間にある友情を見てれば、それはよくわかる。
 志摩子を助けるためになりふり構わず突っ込んでいける祐巳ちゃんを、私は知っている。
 そういう祐巳ちゃんの姿から、
 希望に満ち満ちた自分の意志を導き出すことを志摩子が出来るのを、私は知っている。
 
 
 だから。
 私達姉妹は、あなたになによりも感謝しているのよ。
 
 
 祐巳ちゃんに私の遺言なんて、全然必要無いっしょ。
 私の意志は、もう祐巳ちゃんに受け入れられているのだから。
 だから私は餞別を頂くよ。
 あなたの想いを私の感謝の心で受け止めさせて。
 今まで、ほんとうにありがとう、祐巳ちゃん。
 そして。
 私を大学生にしてくれて、ありがとう。
 私をさ、ちゃんと普通の女の子として生きられるようにしてくれて。
 マリア様がお与えくださった祝福をこれからもずっとずっと受け止められるようにしてくれて。
 ほんとに・・・ほんとにありがとう・・祐巳ちゃん。
 私が居るこの場所を、私の意志で生きられるようにしてくれて、ありがとう。
 私はあなたから貰ったこの私の意志を、愛して愛して愛し続けるよ。
 
 
 『愛してるよ、祐巳ちゃん』
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 一瞬止まった風が息を吹き返す。
 黄昏にも似た前方の影が、この背で輝く日差しを熱く燃え上がらせる。
 もっと焼いて。もっと激しく私を焦がして。
 燃えさかる炎の中、しっとりと暖かく濡れる頬に触れて、
 決して消えない二本の足が此処にあることを確信する。
 溶けない私のこの足を燃やし尽くして。
 私の瞳の中に、その願いは届かない。
 ありがとう、燃え滓達。
 私からの餞別に、私は私の過去をあなた達に贈る。
 弔辞の言葉は遺さない。
 私はなにも遺さない。
 私自身に、私はなにも遺さない。
 煌めく髪の切っ先で、私は葬送の曲を奏でるだけ。
 この頬のぬくもりを瞳に詰め込んで、私はただひたすら謳う。
 ありがとう、栞。
 ありがとう、みんな。
 祐巳ちゃんに言えない感謝の言葉を、私は私の心に塗り込める。
 全部、持っていくわよ、マリア様。
 
 長かったレクイエムが、今、終わった。
 
 私の還るべきはいばらの森。
 そして。
 私の帰るべき場所は明日への希望。
 
 だから。
 
 だから、さようなら。
 
 
 そして・・・・またね、祐巳ちゃん。
 
 
 
 

                              ・・・以下、第 二部に続く

 
 
 
 

                        ◆ 『』内文章、アニメ「マリア様がみてる〜春〜」より引用 ◆

 
 
 

-- 040723--                    

 

         

                             ■■『川のほとりの二重唱』■■

     
 
 
 
 
 『それにこのまま、廃棄王女と知られないまま誕生日が来れば・・・』
 

                          〜 第十六話のラクウェルのセリフより〜

 
 
 
 
 パシフィカの中になにを見れば良いのか、そのとき私は一瞬わかりませんでした。
 今まで、ただの一度だってそれを見失った事など無かったのに、
 私は完全にそれを私の視界の内から無くしてしまいました。
 そしてそのとき、私は不覚にも問い直してしまったのです。
 パシフィカの中に、なにを見れば良いのか、と。
 
 
 
 
 私がパシフィカを失って、そしてすぐにパシフィカを再び見つけた。
 それはでも、私がパシフィカを完全に見失った、ということでもありました。
 パシフィカがもう其処に居るから、どこかにいるはずというパシフィカを探すことはもうできない。
 私が知っている、私が守りたいと思っていたパシフィカは、もうどこにも居ないのです。
 私の目の前には、私が決して見つけてはいけなかった人が居たのです。
 笑顔で笑うパシフィカが、こんなにも恐ろしいだなんて。
 私達が居ないのに、それなのにこんなに幸せそうにしているパシフィカ。
 私達が守りきった末に得られるはずのそのパシフィカの笑顔が、もう其処にあるんです。
 私達には、だからもうパシフィカを探す必要が無いんです。
 パシフィカは、もう居ないんです。
 なぜならば、パシフィカがもう其処に居るんですから。
 
 ずっとずっと、戦ってきました。
 それが苦しくて、でもそれでも私達は生きてきました。
 それが生き甲斐、だなんて言いませんけれど、
 でも戦わないでいられる自分達の姿を思い描くよりは、
 そうしている自分達の姿を見るほうがとても自然だった事は否めません。
 勿論、戦って、逃げ回らなければいけないということ、それ自体はとても悲しいことでした。
 悲しくて、どうしようもなくて、そのどうしようも無いことに向かって戦い進んで、そして泣いて。
 でもそれでも私達は、その悲しみを原動力として生きたりはしませんでした。
 悲しいから戦うのでも、この世界に受け入れられない事が悔しくて戦うのでもありませんでした。
 かといって、私達が悪いのだから世界のうちから消えれば良い、そういう風にも思っていませんでした。
 少なくとも私はそうでした。
 私は悲しくも悔しくも、そして自分を消してみせることで世界の方をこそ恨んだり、
 そういう事と私は無縁でした。
 私にとって生きるということは、とても独善的なことで、そしてひどく個人的なものなのです。
 戦わなければならないこと、それを受け入れるとか受け入れないとかそう言う前に、
 私にはそれはとても当然なことで、そしてその事は誰のせいでも無い。
 ただただ私は戦ってきたのです。
 そしてその戦いというのは、パシフィカを守るということでした。
 パシフィカが普通の子として生きられないこと、素直に普通に笑うことなど出来ないこと、
 そしてきっと悲しみの心を従えない幸福は訪れない、私は認めたくないけれどずっと思っていました。
 だって、私にはそういう風なパシフィカの姿を思い描く事ができなかったのですから。
 私には、私が戦うことが当然なことであると同時に、
 パシフィカがずっと悲しみに包まれた笑顔しか魅せられない、ということもまた当然の事だったから。
 
 それなのに、私ははっきりと自覚していました。
 それでもパシフィカが幸せそうに笑える日が来るのだと。
 ええ。
 当然、私にはそのパシフィカの笑顔そのものを思い描くことはできません。
 でもそういう日がいつかやってくる、そう希望を以て想定することは可能でした。
 それは、希望というには本当に都合の良い思い込みでした。
 けれど私は、その思い込みのまま動く自分を許すことができている、そういう人間なのです。
 それが叶わぬ夢と完全に理解していながら、
 それなのにてらいの無い想いで本気でそう思い込むことができる、そういう女なんです。
 時折、その理解していることを思い出して、それがどういうことだったかを改めて確認したり、
 そういう風にしているから、私の本気のその思い込みというのは、いつだって錆び付いています。
 どこかその錆び付いているものが自分の一部から離れているように思えて、
 どうしてもそれを冷静に見つめる自分に出会ってしまい、
 そうしてまたその出会いを自覚してしまうからこそ、それはさらに錆び付いてしまう。
 逆に言えば、それが錆び付いていて私と完全に一致しないでいる、
 だから私の中でうやむやになって消えてしまう事がない、だからはっきりと自覚している、ということです。
 だから、私は無茶苦茶な理屈なのに、パシフィカの素敵な笑顔がきっと見られると信じていられるのです。
 
 
 
 それなのに、今、私の目の前のパシフィカは、既に当たり前のように笑っている。
 
 
 
 どういう事なのか、それを私が理解する術、それを私は見つけられませんでした。
 いえ、それ以前になにかを理解しようとすることを、まず真っ先に放棄したのだと、そう思います。
 その放棄をした上で、あとは勝手に私の中で蠢く言葉達が理屈をどんどんと組上げていきます。
 起こり得ない事が目の前で起きている、その不合理を合理に換えるための、
 本当に私にとってはどうでもいいつまらない言葉が積み上がられていくのを、
 私はただ無感動に自分の中で流していきました。
 それは決して私がすくい上げて自分のものとする事の無い、報われない言葉達。
 いいえ、そうじゃない。
 私の中にそのときあったのは、絶対にその言葉達をすくい上げてあげないぞ、
 そういう私の頑強で頑迷な、そういう抵抗だったのだと思います。
 私は・・・。
 私は、パシフィカの笑顔を見たくなかった。
 いえ、見てはいけなかったんです。
 でも見てしまった以上、それとどう折り合いをつけていくかを考えねばならず、
 結果私は、その笑顔の存続を願い、ヒューレさんにパシフィカをしばらく預ける決定をしたのです。
 私は・・・・その自分の決定を・・・歯を食いしばりながらどこかから見つめていた・・・。
 
 パシフィカの幸せ。
 それはなにかと聞かれて、わかりませんと丁寧に答えられるほど、私は礼儀正しくはありません。
 私は勝手にパシフィカの幸福をたくさんたくさん思い描いてきました。
 ほんとうはなにも思い描くことなどできないのに、それでも何度でも描き直しながら描いてきました。
 パシフィカが、もしその悲しみを一切身につけずに済むことができたなら。
 それが最も不可能なことで、だからこそそれが私が最も懸命に描こうとしたパシフィカの幸せ。
 パシフィカが誕生日を生きて迎えれば、パシフィカはもう普通の女の子。
 でもパシフィカは、きっとそうする事を選ばないだろうということは、私は泣きたいほど知っています。
 パシフィカには、自分の命のために誰かの命を奪うなんてことできないのですから。
 だからこうしてザウエルに向かった訳ですし、私もそれを止めることはできないと知りつつ、
 最後までパシフィカを守るために戦おうとしたのです。
 私のその戦いというのは、ですから決して報われないと言うことがわかっているものでした。
 
 でも。
 もしパシフィカがそう思わなくなったら。
 
 パシフィカが、なにも考えられなくなったら。
 もし自分が廃棄王女だということを忘れてしまえば。
 私にとって、なによりもそれは甘い誘惑です。
 パシフィカがすべてを忘れて、ただ自分だけのために生きる。
 そのためにザウエルの民が死んでも、世界が滅びても、
 それが自分のせいだと思わなければ、パシフィカはもうなにも悲しまないで済む。
 すべては、それを知っている私達が預かれば、それで終わるのです。
 私には、その覚悟は最初からできています。
 私はパシフィカか世界かと問われれば、パシフィカを選びます。
 この秘密を私達が隠し通せば、パシフィカは完全に守られ、そして幸せになれるのです。
 私に、これ以上の望みはありません。
 そして。
 私はその望みを肯定すること、それだけはどうしてもできない自分を、知ってしまったのです。
 
 自分の中にある頑強な抵抗。
 世界を捨てパシフィカの笑顔を守ること、なぜ今更これに抵抗しなくてはいけないのか。
 私には、これこそが最もわからないことなのです。
 私は、このときすっかりとパシフィカを見失ってしまったのです。
 私はパシフィカにどうしてあげたいのか、ほんとうのところ、完全にわからなくなってしまったのです。
 私の中に、どうしてもパシフィカをこのままにしておいてはいけない、
 そういう想いがわだかまってあることを、どうしても感じてしまったのです。
 私には、本来有り得ない事です。
 パシフィカが死を選び世界を救おうということは、
 私にとっての願いでもなんでも無く、ただ当然なことであるだけなはず。
 当然というのは、それがそうならなくなれば、それはもう当然では無くなる、ただそれだけのもの。
 そしてまた新しいものが当然になり、またその当然もそのうち潰える。
 それなのに。
 いつのまにか私は、その当然にこだわり始めていたのです。
 パシフィカは、廃棄王女でなくちゃいけない。
 私は元々、廃棄王女の自覚を以て世界中の人達を想い苦しむ、
 そういうパシフィカを愛していた訳ではありません。
 私はたパシフィカを愛していたのです。
 世界中の人々を殺しても生きる、そう言っても私はパシフィカを愛します。
 なのに。
 私はパシフィカにパシフィカらしさを求めてしまったのです。
 パシフィカの想いを、それを尊重してしまったのかもしれません。
 なにもかも忘れて笑顔で幸せに暮らすパシフィカ、その姿を見て誰が一番苦しむのか。
 それはパシフィカ自身なんだと、私は言わなくても良いことをつい自分に言い聞かせてしまったのです。
 パシフィカをこのままにしておくのと、それとも元に戻すのか、そのどちらが残酷なことなのか、
 たぶん私はそれを考えてしまったのです。
 
 私とシャノンは違います。
 私はシャノンと違って、世界なんてどうでも良いんです。
 私にとっては私達だけが世界なのですから。
 シャノンは、そうは思っていません。
 いえ、ほんとうはパシフィカの事を考えているのだけど、
 でもどうしてもそれ以上に世界が気になってしまうんです。
 そして、パシフィカの事を想えない自分に慚愧の念を抱いているのです。
 人類の守護者を名乗るピースメーカーの理屈を、だからシャノンは懸命に否定します。
 ひとりの人間を殺して、なにが人類のためか、とシャノンは叫びます。
 でもシャノンはその自分の叫びにどうしても自信を持てない、ヒステリックさを感じてもいます。
 その情けない自分の姿を見つめる時間が、もはや圧倒的にパシフィカを見つめる時間を超えている、
 それがシャノンの今の状態なんです。
 シャノンは、パシフィカを守るうちに自身もパシフィカと同じ道を生きる事を選びました。
 自分もまたパシフィカと同じく世界を見つめなくてはいけない、と。
 だからシャノンは自分をみつけ、パシフィカを見失った。
 そして私は。
 私は、自分の姿をどこにも見つけようとはせずに、ただずっとパシフィカの姿を捉えていました。
 ですから、私が世界の事を気にしなければいけないと思い始めたのは、
 それはやっぱりパシフィカがそう願っているから、それを見つめられる場所にパシフィカを戻したい、
 そういう事にしか過ぎません。
 私はだから、世界を気にしているんじゃなくて、世界を気にしているパシフィカを気にしているんです。
 その構図は今も変わり得てはいません。
 けれど、私には今パシフィカが見えていません。
 パシフィカにとってなにが幸せか、それを考えてしまったからです。
 いえ、それは結果論に過ぎず、パシフィカを見失ったからこそそれを考えてしまったのかも知れません。
 私にはその因果関係はわかりません。
 
 ただ。
 
 私はパシフィカの幸せを願うだけで、パシフィカを守るという意識、
 それがまったくでてこなかったのは確かです。
 私は、パシフィカを幸せにするためにパシフィカを守ってきたのでしょうか。
 私・・・ここに居たいと言ったパシフィカの顔を確かに見ました。
 私にはだから、あのときどうしてもこのパシフィカの幸せを壊すことができなかった。
 でもそのとき私にとってそれは壊すことができなかっただけで、
 壊したくなかったと、そうはあまり思っていなかったのです。
 むしろ壊したい心を懸命に押さえつけているだけの自分が居ただけだったんです。
 私は、パシフィカのこの幸せを絶対に許さない、そう頑迷に思っていたのです。
 その私の頑迷さの中に、パシフィカは居ませんでした。
 私にとっての守るべきパシフィカは、どこにも・・・・。
 
 
 
 
 降り落ちた海にそよぐ川のほとりで歌う調べ。
 紅い遠火を近づけたら、夜空の星は見つからない。
 探せど探せど、明るい夜は消え去らない。
 じっと見据える燈火の中に凍える人を見つけても、それでも外に連れ出すなんて出来はしない。
 触れる事の出来ないその炎の温かみを、教えられずともその身溶ければわかる事。
 
 服を・・・あの服をね・・・・あの子着てなかったのよ・・シャノン。
 私、あの子が暖かく染まっていくのを止めることなんてできなかったわ・・。
 せっかく・・・あの子があんなに幸せなのに・・・・私は・・。
 だから・・・だから・・・・。
 ううん・・・・でも・・・・・・・。
 
 
 私はパシフィカを守りたいと、それでも強く強く思ったのよ、おとうさん、おかあさん。
 
 
 

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                                   ■■燦夏と笑顔■■

     
 
 
 
 
 暑でーす。夏いでーす。でもなぜか元気でーす。わーい、太陽が真っ黒だー☆
 
 はい、暑すぎて現状認識があんまりできてない紅い瞳です。みなさんこんばんわ。
 元気というのは実は頭の中だけで、体のほうは結構げっそりがっかりという感じなのがほんとうのところ。
 もう夏バテかよ、と突っ込むにはちょっと残りの体力では心許ないですけれど、
 ちょっとここで頑張って突っ込んでみたいと思います。
 こほん。
 
 ダルいから寝るー。
 
 あーあーあー。
 
 
 ◆◆
 
 「愛してるぜベイベ」ですね、時代は。もはや。
 先週のあれはあれでしたね、もう、最高、と。
 いつも最高っていってますけど、それだけ私が充実してると思ってください。ていうか思え。
 それでまぁゆずゆちゃんのお友達の翔太くんが母親に虐待されてるって感じでしたけど、
 でも作品冒頭でほんとはそうしたくないのにしてしまう、せざるを得ない母親の心情が吐露されていて、
 なにかこう、わ、これは結構意識して頑張ってますね作者さん、という感じがしました。
 翔太くんの魅力にメロメロになって、母親憎しの一念で見ちゃうと残念なことになる、
 そう親切にも教えてくださっているのですから。
 虐待っていうのは、当たり前ですけど親子の問題です。
 そしてそれはつまりどっちか一方を助ければそれで済むという事では無いということ。
 母親のあのどうしようも無い怒りっていうのが、それが翔太くんとは関係無いところから発生しているのに、
 それが翔太くんに向かわざるを得ない怖ろしさ。
 誰が一番助けられなければいけないか、誰が一番不幸だなんて考える必要など無くて、
 あの母親が助けられるべき存在だって事は否が応でもわかってしまいます。
 物語後半の、幼稚園で翔太くんを殴ったのをゆずゆに見つかってしまったシーンで、
 あのときあの母親は懸命に言い訳して、あまつさえその言い訳がうまくいきそうになったことにほくそえむ、
 それがどれだけあとであの母親自身を傷つける事になるのか、
 夕日に向かって逃げるように帰る母親のあとを追う翔太くんをみれば見るほど、痛いほどにわかります。
 なんでこんなにさも当然のように言い訳しちゃったんだろう、
 どうしてあのとき翔太を・・・・。
 そしてその想いがやがてまた怒りとなり、それがまた翔太くんに向かってしまい、そして・・・。
 それでも母親が大好きで堪らない翔太くんがそこにいるから、
 いえ、それでも翔太くんが居てくれるからこそ、なによりも罪悪感に追い詰められてしまう。
 それなのに、その罪悪感すらもあっさりと乗り越えられてしまう自分の虚しすぎる怒りが、
 それでも翔太くんに向かっていってしまうことの哀しみ。
 私は、翔太くんの健気さに母親の絶望をみました。
 母親が大人であること、そうでなくてはならない苦しみがひしひしと伝わってきました。
 
 そして、それは結平くんにはまだわからないことで。
 ゆずゆと楽しい関係を結べていること、それがどれだけ偶然に頼っていた事、
 そしてそれが偶然であること自体は自分じゃどうすることもできないことを、わかってしまいます。
 自分がゆずゆとこうしていられるのは、自分がたまたまこういう人間であったから。
 もし自分が変わりたくても変われない人間だったら、こうはいかなかった。
 結平はこのとき、子供を育てるということが、どれだけ危険なことだったのかを思い知ります。
 だから、結平くんは翔太くんの母親になにも言い返さなかった。
 言い返せなかった、のじゃなく言い返さなかった。
 なぜなら、自分がこうしてゆずゆと楽しくいられるのは、
 それは自分で選んで自分で築いたものじゃないのだから。
 苦しいなかで、愛している子供を叩くしかできない絶望に囚われながらも生きている、
 そんな人を非難することなど、したくは無いから。
 非難できないのは、もし自分がそうだったらその人と同じになるかもしれないかと思ったから。
 なにも知らないのに、それを非難するなんてできない。
 悪い事を悪いというのは良いけれど、偉そうに非難することは、だから結平くんにはできなかったんですね。
 あーもー、あのラスト歯を食いしばる結平クン、カッコイイナ〜。
 
 でもまぁ。
 翔太くんとゆずゆちゃんの可愛さには勝てませんけど。
 あのお遊戯は神の御業ですか。
 
 
 ◆◆
 
 冬目景の「イエスタデイをうたって」の第4巻を買いました。
 正直、これについての日記は、
 私の良心的にはしっかりきっかりと一本の感想として書き上げたいのですけれど、
 まーその、えーと、これで許してください。
 でまぁ、新キャラの柚原さんがすっごいんですけどね。
 あ、とりあえずこの人の事をちょっと話すだけで今日の感想は終わりって感じです。
 ハルたんについては、またどこかでお話致しましょうね♪(誰に言ってんだヨ)
 問題は柚原さんですよ。なんですかあの重要っぷりは。
 あの人はね、すっごい確信的ですよね。
 自分がなにしてんのかとか、もう全部ちゃんとわかってて、それで茶化して遊んでるっていうか。
 それでもやっぱりちょっとはわかんない自分とか見つけてみたいナー、とか、
 そういう系統の茶目っ気、というか幼さはでも逆に全然持って無くて、
 そういう意味でタバコくわえて居候決め込んだリクオの部屋の窓から、
 一体なにを眺めていたんだろうとか、これはもうすっごいわっかんない。
 そして、すっごい声をかけたくなる。
 「羊のうた」の千砂なんかが窓辺にもたれて月夜を眺めてる姿なんて、
 もう全然近づけもしない整然さがある感じだけれど、でそれがまたいいんだけど、
 でも柚原さんの場合は、どうしてもこっちに来てなんか一緒に話そうよ〜、って感じになっちゃう。
 たぶん今なに考えてたの、って聞いたら、あっけらかんとして嘘のような本当のような話を聞かせてくれそう。
 それは嘘なんだけど、本当の話で、でも明らかに間違ってる話をとかさ。
 手の内を見せないんじゃなくて、ぜーんぶ洗いざらい堂々とさらけだして、
 コレ理解できるもんなら理解してみなよははん、って感じでニヤニヤ笑いながらみつめてくるの。
 語れる言葉自体はひどく単純なんだけど、1ミリでも解釈を間違えるともう答えに辿り着けない、
 そういうイジワルな仕掛けをふんだん盛り込んでいて、それで楽しそうにしてる。
 自分の事を玩具にしてる、っていう訳でも無くて、たぶんそれが自分なんじゃないかな、柚原さんて。
 まわりの人に色々試してる中に、きっと自分の姿ってものが見えていて、
 逆にひとりで居るときなんて、ほんとになんにも見えてないのかもしれない。
 柚原さんって、自分の事考えるなんて馬鹿馬鹿しい、って言う人かも。
 あ、馬鹿馬鹿しいって思ってるから、なにも見えてないんじゃなくて、なにも見ようとしないのかな。
 だから柚原さんは、とてもたくさんのものが映っている窓の向うを、それを頑張って見ないようにしてるんだ。
 自分の事、言いたいけど、言いたくないんだよね。言っちゃ、駄目だから。
 言ったら、なにかをしたいと思う誰かとの間にいる自分が無くなっちゃうから。
 窓の外に広がるものを見ている、そういう自分の姿を自分にしちゃいけないから。
 「あ、私ですか。ただの居候です。」
 これ、神様かってくらいのナイスセリフですよ、もう。
 おもわず、よっ頑張ってかーってひと声かけたくなっちゃいますよほんとにもう。
 ほんとにもう、あなたは人の中で生きてるんですね、柚原さん。
 リクオは柚原さんにとっては大事なカモだと思うよ。
 自分の遊びに付き合ってくれるからねぇ。
 全然言われてること理解できてないクセに、したり顔で説教かましてくれる人なんて、
 滅多にいませんからね。
 貴重ですよね、貴重。
 そんなリクオくんはやっぱり良い人だって思って、だから尚更答えは教えてあげない。
 良い人は良い人のままでいて、そして自分自身の楽しみをみつけてくれなきゃ、
 柚原さんとしても困ってしまうんだろうなぁ。
 だからリクオくんがホンキになっちゃったら、今度は柚原さんリクオぶん殴って別れるのだろうねぇ。
 でもリクオくんには全然その気が無いことをわかっていたから近づいた訳で、
 そのあたりの配慮はやっぱり一流だよねって思うのさ。
 若かりしころの失敗はしないっていうか、よくわかっているというか。
 でもあれはあれで失敗って訳でも無いっていうか。
 「やっぱ、ごはんは誰かと食べた方がおいしいよね。」
 こんなセリフが言えるようになったのだから、あながち失敗では無いのさ。
 ジツに設問の仕方が上手いですねぇ、柚原さん。
 リクオくんが如何にもちんぷんかんぷんな答えを出してくれて、とても嬉しそう。
 そうやって無造作に与えられた回答を、大事に貰って楽しむのが柚原さん。
 でも。
 「結局あたしは人から良く思われたいだけ。昔から人の顔色ばっか窺ってるような子供だったのよ。」
 この言葉の真の意味くらいは理解して欲しかったのかもね。
 ちょっと甘えてちらっと見せたこのヒントが、でもさっぱり理解されなかったのも、それはそれでほっとしてる、
 そういう自分の事は、いったい柚原さんはどう捉えていたのかは、これはもうまったくわからない。
 いやーでも。
 やっぱり私的にはほっとしてる程度じゃ駄目だって感じてるんだと思うなぁ。
 ヤベ、やっちゃった、って感じだったかも。
 でも、それでもまーいいかぁって流した可能性が高いけど、ま、いいか。
 そして。
 
 「いい加減な私でもピアノはどうも好きみたいです。」
 
 彼女が窓辺の自分に懸命に走っていくのを、私はたぶん忘れない。
 またね、柚原さん。
 
 
 ◆◆
 
 面白すぎてお腹が痛いのにそれでも見て転げ回ってしまう罪作りっていうか懲りないマドラックス感想:
 いい感じ方だ(挨拶)
 ヴァネッサさんの分析披露で始まる物語。
 アンファンがガルザと王国軍に武器と人員を無償で提供する理由はなに?というヴァネッサさんの問いに、
 マドラックスさんは「意味なんか無い」とあんまり考えてない答えを披露。
 ヴァネッサさんはでも理由はあるはずと言いますが、マドラックスさんは理由は無いと言います。
 マドラックス: 「私がしてきたこと(の理由なんて)」
 人の話を聞いてません。
 いや今あなたの話をしてるんじゃないんですよ、マドラックスさん。
 そしてなにかマドラックスさんは自分が過去出会って来た人のことを思い出します。
 それらにひとつづつ自分のしてきたことの意味を探そうとしているようです。
 様々な人の想い出が、マドラックスさんの脳裏に去来します。
 さすがに大喜びで襲いかかってきたリメルダさんの記憶は無かったようです。
 場面変わってバートン家。
 お嬢様の居ない部屋を見つめて、本が狙われているというのに、とため息を漏らすエリノアさんですけど、
 エリノアさんは結構お嬢様を見張ってないという感じが強いです。
 もしかしてエリノアさんって、結構お嬢様とかどうでもいい感じ?
 部屋の窓も閉まっていたから、お嬢様は堂々と玄関あたりから外出したと思うんですけど、
 それに気づかないって事は、メイド的にも失策かなって。
 そんななにげに軽んじられてるマーガレットお嬢様。
 カロッスアさんを堂々と呼び出してます。
 まさか君から呼び出しがあるとはね、と仰るカロッスアさんの心中は察するにあまりありますが
 それでもカロッスアさんは健気に応対します。
 それに対しいきなりお嬢様は自分の見る夢の話を始めます。
 「絵本を枕元に置いていると、時折おかしな夢を見る」らしいですけれど、それは
 夜忍び込んで枕元の本を奪おうとしたナハルさんが聞いたら絶命しかねない危険なセリフです。
 で、肝心の夢はどうやらマドラックスさんも見る戦場のような場所の夢らしいですね。
 カロッスアさんはそれを指してそれはマーガレットお嬢様の過去じゃないか、と綺麗にまとめてみせます。
 それを聞いて、お嬢様は胸が軽くなったと言います。
 カロッスアさんも特にボロを出さずに済んで胸が軽くなってハッピーエンド。
 なにかお嬢様を女の子らしいとか和やかに言ってみたりしているところに、
 
 エリノアさんがヘリに乗って崖下から登場。
 
 メイドが。ヘリが。飛んで。
 カロッスアさん、軽く心停止。
 エリノアさん本領発揮。ていうかこれが狙いですか。
 わざとお嬢様を泳がせて、食付いたカロッスアさんに脅しを入れる。
 世の中にはこういう女の子もいることをお忘れ無く、カロッスアさん。
 
 マーガレットお嬢様: 「びっくり。」
 この人はこの人で絶対驚いてません。
 
 家に帰って、ヴァネッサさんからの連絡が無いことを憂うお嬢様。
 エリノアさん的にはむしろ水入らずで嬉しいところでしょうけれど、お嬢様的には少し寂しい。
 そんなお嬢様を慰めようと、エリノアさんが話題を本に振ろうとした瞬間。
 いきなりお嬢様が立ち上がります。
 
 左肩が異様に下がってます。
 
 ヴァネッサさんの霊に取憑かれたんですか(死んでません)お嬢様。
 心の中でヴァネッサさんを軽んじたことを後悔するエリノアさんですが、
 マーガレットお嬢様のそれは条件反射ですので、お気遣い無く。
 ちなみに本に触れてしまうと、殺すわと脅迫されます。
 一方、ナフレスの諜報部にデータを流そうとするマドラックスさんとヴァネッサさんは、
 彼らと接触する際に、アンファンに捕まってしまいます。
 用心深いとヴァネッサさんに言われたばかりのマドラックスさんにしては、
 接触場所の周囲に配置されていたスナイパー達を察知できなかったというのは少しヘンですけれど、
 それよりあれくらいの数と位置ならいつものマドラックスさんは平気で壊滅させてたと思うんですが、
 あっさりと捕まっちゃうんですよね。
 ヴァネッサさんが一緒に居たから、というのはあるのかもしれないですけれどね。
 麻酔で眠らされて、なにやら見たような場所に連行される二人。
 これはマドラックスさんが見た夢の中の戦場と同じ場所みたい。
 違うといえば、マドラックスさんの服装がドレスになっている事くらい。
 ドレスが出るときっと恐ろしい事が起こります。
 本とか紅い靴とかこまめに小道具も揃えられ、マドラックスさん的に夢と現実が凄い感じで混ざります。
 と、そんなところに怪しい男が現われます。
 不審者以外の何者でも無いフライデー・マンデー氏(年齢不詳)
 なにかこうすっごいヤらしい雰囲気をまとってるフライデーさんは、
 もうなんかマドラックスさんより完全にイっちゃってます。
 「その感じ方は、ホンモノだ」て。
 もうたぶん自分で何言ってるかもわかんなくなってるんだと思うんです。
 そんなフライデーさんを「知らない」と冷酷にフっちゃうマドラックスさんは当然です。
 フライデーさんもうブチブチにキレちゃいましたけど、当たり前です。
 ていうかなんかもうマドラックスさんをお前は違う違う、っていうフライデーさんが子供にしか見えません。
 勿論あんまり人の話聞いてないマドラックスさんもですが。
 そしてフライデーさんは舞台の裏に下がり、フライデーさんの直属部隊と戦闘開始。
 部隊長: 「どうやらお前は、あの方に見初められなかったようだな」
 見初めるもなにも。
 自分の崇拝する御方(あんなですが)のために、なにか頑張っちゃう模様。
 大丈夫? と問うヴァネッサさんに、マドラックスさんは今、とても普通だから平気だと思います。
 普通って・・・・?
 
 
 
 あ。
 
 
 
 
 
 
 ドレスが出るときっと恐ろしい事が起こります。
 
 戦場の闘姫、っていうか悪魔降臨です。
 もうなんかヴァネッサさんが居ようといまいと、マドラックスさんガンガンいきます。
 と、思ったらいきなりドレス、脱ぎます。
 ドレスを相手にかぶせて視界を奪い射殺。
 ああもう、こうなったら止まりません。
 ヴァネッサさんが居てもやっぱり止まりません。むしろ撃つね(マテ)
 で、あまりにも早過ぎるドレス再装着。
 走り回り撃ちまくり、ターザンごっこまでこなしてさらに撃ちまくり。
 ドレス効果ははかりしれません。
 でも調子に乗りすぎて銃を弾き落され絶体絶命。
 けれどその窮地をヴァネッサさんが救います。
 ヴァネッサさん、発砲!
 で、そこでマーガレットお嬢様がなぜか起きます。
 ヴァネッサさんともシンクロしているのでしょうか。 
 ヴァネッサさんが撃ち返されたのかも。
 でも次回予告では元気に転げ回ってましたし、それは無いでしょうね。
 となると、ヴァネッサさんが初めて人を撃った、そのことを悲しんで涙を流したのでしょうか。
 
 あ、本はちゃんとあるから大丈夫ですよ、お嬢様。 ←本命
 
 
 
 

-- 040718--                    

 

         

                             ■■マリア様との日々の歓び■■

     
 
 
 
 
 『でもま、実際今の私は心の底から笑いたい。』
 

                          〜 第3話の聖様のセリフより〜

 
 
 
 
 それが一番幸せなときだと思える日々がある。
 
 忙しくて、大変で、辛くて、でもそれとはなんの関わりもなく幸せは待っていてくれて。
 
 自分の努力が掴み取ったものを、それを与えて貰ったものと思える幸せ。
 
 誰かが与えてくださった物だから、それがなによりも歓びの元で暖められる。
 
 優しい瞳達が、だから其処で待っていてくれる。
 
 
 
 ごきげんよう、皆様。紅い瞳です。
 紅い瞳は今、幸せです。
 マリア様がみてるという作品に出会えて、もう何度この想いを抱けた事でしょうか。
 なにを幸せかと思うか、それは自分次第とは言いますけれど、
 でもわざわざ自分でこれが幸せなんだと思う必要の無い、
 言い換えれば言い訳に逃げる必要の無い幸せが其処にあります。
 今回のマリみて第3話をみて、感じました。
 これを見ている私が、確かに幸せを感じていることを。
 これを幸せだ、と私が言うから私が幸せなのではありません。
 これが幸せというものだ、なんて我を張る必要もありません。
 ただそこに幸せな気分に浸り切っている私を、私が見つけただけ。
 それは祥子様の笑顔を見つめる薔薇様達と私が同じ立場にあるように思えるから、なのです。
 そう。
 私はあの祥子様の笑顔自体に祥子様の幸せを見出しただけで無く、
 その幸せな祥子様を見て安心して卒業できる幸せを甘受している、薔薇様達と同じ感覚で、
 今回のお話を感じました。
 そして勿論薔薇様達も、自分達自身もまた祥子様と同じ位置にも同時に立っていることを、
 充分にわかっていらっしゃったと思います。
 なぜならば、祐巳さんが薔薇様達を薔薇様達が祥子様を見ていた視線と同じように見ているから。
 薔薇様達もまた祐巳さん達在校生に祝福されている事、それを意識なさっているからこそ、
 自分達がただ祥子様の幸せを見守っていただけではない、ということを知ります。
 
 卒業生を送る会。
 それは卒業生達に楽しんで頂く、というだけでなく、
 安心して母校を去っていって欲しい、そういう在校生の想いの結実です。
 そして改めて、今まで卒業生達が築いてきてくださったものへ感謝を捧げるのです。
 その感謝は、卒業生達にどう受け止められるのか。
 それは自分達が今までやってきたことがどういうことだったのか、その事の再認識を卒業生にさせるのです。
 自分達が誰かのために努力してやってきたこと、自分達が誰かのために尽してきたこと、
 それが実は他ならぬ自分自身が祝福される事に繋がっている、
 それを卒業生は在校生の言葉で知るのです。
 そして。
 その繋がりは、決して個別のものとして切り離すことはできないし、またはそうしてはいけない、
 そう気づかせてもくれるのです。
 自分がやってることがただひたすら誰かのためにやっているだけ、
 その人が幸せになってくれればそれでお終い、そう思ってはいけない。
 そう思ってしまうのは、
 結局そうしている自分を同じように見ていてくれる人の想いを無視することになってしまう事ですから。
 薔薇様達は、祥子様の笑顔が見れるから自分達も思いっきり笑える。
 それはそうだけれど、でもそれと同時に自分達が思いっきり笑えるから祥子様も笑顔になれるのです。
 みんなで一緒に笑いましょう。
 そのためには、誰かが最初に笑い出さなくてはいけません。
 聖様がその先陣をお切りになられたのは、言うまでもありません。
 それに続いて江利子様、そして蓉子様がなんのしがらみもなく笑い出したことで、
 祥子様もその笑顔を魅せることができたのです。
 そして今度は、祥子様が先陣を切って笑えること、それをこそ薔薇様達は願っていることでしょう。
 たんに祥子様を笑わせることができた、ただそれだけではなんの意味もありません。
 自分だけが好き勝手に笑っていいはずがない、あの人はまだ笑えないのだから私も、
 そう思っている限り、あの人もまた笑うことができないのです。
 祥子様は、次期ロサキネンシス。
 ならばなおさら、全生徒に先駆けて笑顔を示せるようにもならなければいけないことも、
 薔薇様達はよくご存じだった事。
 自分が誰かの幸せを願っているように、誰かもまた自分の幸せを願っていてくれている、
 そのことをしっかりと自覚しなくてはなりません。
 ロサキネンシスになる事、それ自体はあくまで象徴的なことです。
 ロサキネンシスだろうとそうでなかろうと、笑えるのならば笑う。
 たとえ自分の力で獲得したものでは無い幸せでも、
 それでもそのきっと誰かがくださった幸せを甘受することは、とても大事な事だと思います。
 
 聖様、江利子様、そして蓉子様。
 3人の薔薇様方が祥子様に抱く優しさは、
 翻せば自分達自身が受け入れねばならない無条件の優しさを受け入れる、
 その事と同じでもあるのです。
 自分達はただ自分達の為すべきことをしただけ、とさっぱり卒業していったのでは、
 それはある意味でとても自分勝手。
 在校生がどれだけ薔薇様方に優しさを与えられたのか、それを知りつつ謙遜していたのでは、
 それでは一体在校生は誰に感謝すれば良いというのでしょう。
 自分達が残してきた、優しい優しい空間の重みを薔薇様方はよくわかっていらっしゃいます。
 そしてそれは、倒れた祐巳さんを優しく受け入れた由乃さん、令様、志摩子さん、
 そして誰よりも祥子様の中に受け継がれている事でもあるのです。
 仲間だから、なんて言葉を使うまでもなく、もう祐巳さん達の中にははっきりとその意識はあるのです。
 助け助けられ、優しく優しくされ、そして甘え甘えられ。
 『でもま、実際今の私は心の底から笑いたい。』。
 聖様のこの言葉は、まさに至言です。
 そして薔薇様達が示し続けてきた、優しさの空間の意味でもあります。
 自らの行為が、それが他人に及ぼす影響を考慮した上でのものにしたいと本当に思うのならば、
 その影響がもたらす悪影響と共に、好影響をも考慮せねばならない。
 そしてそうしているうちに、本当に意味があるのは、その考慮するという事をしない、
 それにしかないと思えるようになるのです。
 ただ楽しいから、聖様は笑うのです。
 祥子様の事を考えたり自分の事を考えたから楽しいのじゃない。
 それはあくまでその楽しさの引き立て役にしか過ぎないのです。
 聖様は、勿論自分がただ笑うことの意味を知っていらっしゃいます。
 自分達が笑えることで祥子様が笑えることを知った上で、笑っていらっしゃいます。
 でも。
 聖様はそのことを知っているから笑った訳でも、その知った事を実践するために笑ったのでも無い。
 笑いは目的であって、手段では無いのです。
 だからこそ、その笑いに意味というものが生じるのでしょう。
 本当に面白かったからただ笑った、それは事実で、そしてその事実こそが肝要なのです。
 そして、その事実を祥子様にどう解釈させるのか、それが最も大切なことなのです。
  そしてあのとき聖様が祥子様に見せたその瞳は、もはや最高の域を超えていました。
 もはや言い訳して逃げ出す必要も無いほどに、逃げ場が用意されていて。
 いくらでも祥子様に解釈させる事のできる自由さを伴わせながら、
 でもその逃げ場がしっかりと祐巳さんと聖様が願っている想いで作られている事を見せられてしまう。
 祐巳さんも聖様も、祥子様に笑って頂きたい、幸せになって貰いたい、
 みんな笑っているんだからそうしてもいいんだよ、という意味に祥子様は実際解釈します。
 その解釈自体は、やっぱり祥子様自体に許された自由な意志であるのですよね。
 聖様も祐巳さんも、なにも祥子様に強要してはいらっしゃらないのですから。
 ただし、自らの瞳を使って、聖様は祥子様の解釈の方向を暗示してはいます。
 そして祥子様にその暗示を聖様の優しさという「重荷」として受け取らせなかった、
 そこに聖様のあのときのセリフ、瞳の凄みがあるのです。
 
 そして。
 だからこそ蓉子様の笑顔を見ても、其処に蓉子様の優しさという重荷を見出さずに済み、
 そして初めて自分だけのただそれだけの想いで祐巳さんの踊りを見、そして笑うことができたのです。
 その笑いも祥子様独特のもので、とても印象的でした。
 無様な格好で踊っている祐巳さんに一瞬不快さを見せるも、
 でもその不快を受けたという刺激だけを取り出して、快という「解釈」に変換する祥子様。
 快も不快も、ほんとうのところでは同じ。
 自分が正しい美しいと思っている事に反する事、それを見て不快と思うのならば、
 その正しい美しいという基準で照らさなければ、そこには只の「刺激」だけが残るはず。
 そしてそこに新しい基準を持ち込めば、充分快に換える事は可能なのです。
 そして重要なのは。
 その一連の作業を、祥子様が決してそう意識して自分の言葉で自分を納得させたから、
 だからできた訳では無いということです。
 その変換はなぜななら、すべて聖様達によって用意されたものだからです。
 祥子様が自分達と同じ基準で以て祐巳さんの踊りを見れるように、薔薇様達が仕向けたのです。
 『まったく・・あんなに夢中になって・・祐巳ったら・・・。』
 この祥子様のセリフはとても象徴的です。
 このセリフだけを見てみると、祥子様は怒っているのか楽しんでいるのかわかりませんよね。
 げんに祥子様は祐巳さんの事を落ち着きがないと言って何度も叱っているのですから。
 でも、祥子様はこのセリフを楽しい気持ちの表出して使えたのです。
 それは、その前にそれは楽しいことなんだという先例を薔薇様方が示してみせたからこそなんですね。
 楽しさの文脈といいますか背景といいますか、そういうものを薔薇様方が用意してくださった、
 それを祥子様はそうと知らずに受け入れただけなのです。
 
 ですから、祥子様にとっては、まだまだこれからなのです。
 まだ、自分がなぜ笑えるのか、その自分の笑いの意味に気づけてはいないのですから。
 薔薇様方が笑いながらも、祥子様の笑いを見ているその眼差しの意味を、
 まだ祥子様はご存じ無い。
 だから、ある意味でこれで心おきなく卒業できるっていうのは、薔薇様方の謙遜です。
 本当はまだまだこれからなんです、祥子様は。
 でも。
 でも薔薇様達は、それでも安心できるのはなぜでしょうか。
 それはやはり、残る山百合会のメンバー、それに寄せる信頼が大きいからなのでしょう。
 それは翻せば、それだけのメンバーを自分達で育てた自信があるという、
 自分達へ感謝してくれるメンバー達への返礼でもあります。
 そして、特に祐巳さんに寄せる期待は、まったくの別物でしょう。
 なにしろ、祐巳さんは祥子様の妹なのですから。
 祐巳さんという妹に対して、どういう笑顔を祥子様が率先して魅せていけるようになるのか。
 薔薇様方が祥子様に残せた物は、確かに祥子様を一度だけ心から笑わせただけかもしれません。
 そういう意味で、薔薇様方、特に蓉子様は祥子様の教育を完全に全うすることはできていません。
 優しさの形を完璧に近い形で理解し、それを実践するには、あまりにも祥子様は無意識的で、
 少なくともその範となってきたはずの蓉子様には遠く足下にも及んではいないでしょう。
 祥子様の突出していく優しさは、それは他の人々との繋がりで形成されていくものでは無いし、
 そういう方向に進ませていくことも蓉子様にはできませんでした。
 けれど。
 でも、その突出した冷たい祥子様の優しさというのが、
 その冷たさ自体になにか意味を持たせる事になりはしないか、そう薔薇様方は思うのです。
 ただただひたすら優しい空間に突き刺さる氷の切っ先。
 それがその優しい空間に溶かされていく事それ自体、それを祥子様が自覚できるのならば、
 それはまた別の優しい空間を生成している事になるのじゃないか。
 薔薇様方は、それに気づかれたから、安心して卒業できるのでは無いでしょうか。
 安心とともに、非常に祥子様に期待したのでしょう。
 自分達とはまったく違ったものを作ってくれるかもしれない、新しいロサキネンシスに。
 ただ祥子様の「冷たさ」を心配していた事、それだけしか自分達の中に無かったからこそ、
 安心することができなかった薔薇様方。
 でもよく考えれば、その不安要素は期待に変換することもできるのです。
 祐巳さんという強力なキープレーヤーが、その変換を薔薇様方に与えたのだと、私は思います。
 そして変換ができるということを薔薇様方は知っているけれど、
 実際に変換させたのは勿論祐巳さんの存在でしょう。
 そして。
 そしてだからこそ、聖様は、江利子様は、蓉子様は、祥子様を最後に笑わせたかったのでしょう。
 それだけは自分達の仕事だとお思いになられて。
 祥子様を笑わせようとしていた人達が居るという事を祥子様に知らせる、
 それがたとえ自分達の優しさの流儀であって、祥子様の流儀では無かったとしても、
 薔薇様方はお教えしたかったのです。
 
 祥子様に、自分以外の誰かが確かに其処に居ることを伝えるために。
 
 いつでも祥子様が逃げ込める場所が自分達の元にあることを。
 これから常に自分との戦いに向かわなければならない祥子様が甘えられる「他人」の存在のあることを。
 自分達の笑いで祥子様を抱きしめ包んであげる事で、
 薔薇様達は、最後にそう自分の心に言い聞かせたのだと、私は思いました。
 そして。
 それは同時に、祥子様への応援歌でもあるのです。
 いつでも私達のところに逃げてきてもいいよ。
 そしてだからもうちょっと頑張りなさい。
 誰かから押し付けられた優しさを、それを歓ぶ事ができるようにおなりなさい。
 あなたがもう一度、あともう一度笑えたら、あなたはその意味に気づけると思うわ。
 薔薇様方の想い、それが祥子様に届かないでいるからこそ、
 その薔薇様達の期待があええるのだと、私は思いました。
 祥子様が、最終的にすべて自分ひとりで気づかれることを願いながら。
 
 
 
 第3話は、このような感じでした。
 とても嬉しいお話でした。
 今までの優しさの結実と、新しい優しさの誕生の予感。
 この繰り返しが永遠に続いていく事の実感、それが私を涙で以て突き動かします。
 いつもマリみてを見て感じさせられる優しさ、
 それを追い求める必要の無い当たり前の空間に居られる幸せが、私を歓びで震えさせます。
 でも。
 それだからなのかもしれません。
 今回は、どうしても祥子様で書くことができませんでした。
 薔薇様方視点で感想を書いてみましたけれど、
 これをいづれ祥子様の視点で書くことができるようになるのでしょうか。
 でもたぶん祥子様を書けるときというのは、祥子様が薔薇様方のようになってから、なのかもしれません。
 つまり今現在の祥子様「的」なものは、私が感想を書く上での鬼門であるのかもしれません。
 ああ、いつになったら祥子様視点でものが書けるようになるのでしょうか。
 私には祥子様がわかるのかわからないのか、それすらわかりません。
 それがわからないから書かないのか、それもどうかよくわかりません。
 なぜだか祥子様で書かない。不思議なものです。
 祥子様、というのは非常に重要なモノなのがわかっているのに、どうしても手を出せません。
 各所で祥子様について言及されているのを見かけると、無念で仕方がありません。
 ああ、私も祥子様で書きたいのに・・・。
 『好きな人の仕事を代わるのは、苦じゃないわ』ってセリフについてお話したかったのに。
 
 ・・・それは志摩子さんのセリフです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 次回予告の祥子様の真似とかしてる場合じゃなくて。 >いーかげんにしなさい
 
 
 

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                               ■■『力と謀略の歌劇』■■

     
 
 
 
 
 『お前、なんにも思い出せない割には、楽しそうだな。』
 

                          〜 第十五話のフューレのセリフより〜

 
 
 
 
 さて、どうしましょうか。
 どうしよう? パシフィカ。
 私が、覚悟を決めて、なんて言わなくても、あなたはもう既に覚悟を決めているのだから、
 私はほんとにもう、なにもすることが無い。
 なんにも、準備なんかしなくてもいいっていうのも、なんだか寂しいものよね。
 それでもその寂しさをあなたと分かち合える喜びが、私をゆっくりと立ち上がらせる。
 座っていても、立っていても、私達はもうラインバンに向かっている事に変わりないけれど、
 でも、スキッドの中で座っているか立っているかは、やっぱり違うものよ。
 立って歩いて、私達もゆっくりでいいから、それでも進んでいきましょう。
 だから覚悟なんて、最後まで決めなくても良いって、私は思うのよ、パシフィカ。
 ゆっくりのんびり、いきましょう。
 あなたのその笑顔は、なによりも大事なものよ。
 
 私達が今まで歩いてきた道は、それは辛かったのかそうでなかったのか。
 辛くなかった、と言えば嘘になってしまうけれども、でも私は楽しかったわ。
 それはやせ我慢という感じでもなくって。
 ううん。
 それはやっぱりやせ我慢なのかもしれない。
 別に辛いことを楽しんで前に進まなきゃいけない、なんて自分に言い続けた訳では無いけれど、
 でもどこかで楽しさを見つけようとしなければ楽しめない、そういう状況があって、
 その状況から逃れるために、なんとか工夫して楽しく笑っていよう、そう思っていたのだから・・・。
 無理はしてなかったと思うわ。
 だって、それがあまりにも私達には当たり前の事だったのだから。
 私達は楽しそうに笑いながら、いつも小さく震えている。
 可哀想な、パシフィカ。
 こんなに震えちゃって・・・・。
 大丈夫? と声をかけることが筋違いなことであるのがわかっても、
 私はただパシフィカにそう言いながら優しく撫でてあげるしか無いの。
 私には、どうしたってパシフィカの震えを止められないのに、止めようと思うしかできない、
 そういうたまらなくもどかしい、そして自分勝手な筋違いの想いしか抱けない。
 それでも、私はパシフィカの隣に居たい。
 そうだから、居たいのかもしれない。
 もしそうだったら、私は・・・・。
 
 
 ・・・・・・
 
 ゼフィリスの顔見てっと、はらわたが煮えくりかえる。
 なんでこいつのせいで、俺は怒ってばかりいなくちゃいけねぇんだよ。
 なんでこいつの事で、パシフィカと喧嘩しなくちゃなんねぇんだよ。
 全部てめぇのせいで、俺はすっかり調子が狂う。
 怒りが俺を・・・・・・俺を余計わけわかんねぇところに連れてっちまう。
 俺は今、怒ってる暇なんか無いんだ。
 お前は俺に力だけ貸せってんだ。
 俺は、パシフィカを守らなきゃなんねぇんだ。
 
 全部をあいつが知った上で動かされていて。
 俺達はいったいなんなんだ。
 俺達には、それを考える時間さえ与えられないのか。
 まぁいいそれは。
 物事考えないまま突っ走るなんて、俺はいつもやってた事だからな。
 だがなゼフィリス。
 俺はお前達の言いなりになるつもりなんて無い。
 そのつもりなのに、そう思って自分達でしてきたことが、
 どうしようも無くお前らによって決められていたことだったなんて、許せると思うか?
 俺はだから、お前の顔なんてもう見たくない。
 だから顔をみせずに力だけ、貸せ。
 それで俺らへの謝罪としろ。
 そうすれば、そのうち顔くらいは見てやるさ。
 決して、赦しはしないがな。
 
 俺は、なぜ怒ってる?
 この怒りはなんなんだ。
 怒りが俺を動かしている。
 なにもわからないことへ向かうときに、すべて怒りにまかせて動いている俺が居る。
 その怒りの対象は、なんだ?
 ゼフィリスに怒ってる俺は、一体なんなんだ。
 ゼフィリスに対する怒りが、それが俺を動かす理由にならない事くらい、俺は知っている。
 俺は怒りに我を忘れている訳でも無い。
 それなのに、なぜ俺は怒っている。
 怒りは俺のすべての行動の制約、障害にしかならないはずだ。
 ゼフィリスと一体になれば、より強大な力が得られるのに、なぜゼフィリスと仲違いしようとする。
 俺にとって一番大切な事は、パシフィカを守ることじゃなかったのか。
 俺が怒って、それがパシフィカを守ることの妨げにしかならないとはっきりわかってるのに、
 なぜ俺は怒るんだ。
 俺は、別にその怒りの衝動を抑えられない訳じゃない。
 怒りにまかせて動いていても、怒りに操られてなどはいない。
 怒るなと自分に命じれば、俺の体は即冷静さを取り戻すだろう。
 だが。
 俺はそう自分に命じることを選択しない。
 なぜだか俺は怒るべきだと思っている。
 なぜそう思うのか、俺にはまったく説明できないし、
 その俺の思いを自分のパシフィカを守るってことの思いの中に、どう位置づけて良いのかもわかっていない。
 或いは俺は、その怒りの思いを、敢えて自分の中に置かないで自由にさせているのかもしれない。
 俺はきっと、それだけがゼフィリス達に操られていない俺の自由の心だと思っているのかもしれない。
 いや、それは違うな。
 自由なら、そもそも誰に怒るって言うんだよ。
 
 どうにもなんねぇ事への怒り、そんな風には思わない。
 そんなもん、とっくの昔に諦めちまった。
 ラクウェルやパシフィカの笑顔を見るたびに、俺は簡単に色々な事を諦められた。
 だからな。
 俺の怒りって奴は、たぶんどうにかなる事への怒り、なんだと思う。
 どうにかなる事を、その事に対してしっかりと視線を定めて見据えることができない俺の心、
 その覚悟の無さ、それに怒ってるんだと思う。
 俺は、もどかしい。
 うずうずして、どうにもなんねぇ。
 パシフィカが震えてるのをみて、それでいてスィンと全力で戦う覚悟を決められ無いなんて。
 俺の気持ちなんて関係無ぇ。
 スィンがピースメーカーで、パシフィカを狙う敵であることには変わり無いんだ。
 だから俺には、スィンへの想いは関係無い。
 それはもう、諦めた。
 それなのに、その諦めた事をゼフィリスに思い出させられたのが気に入らない。
 俺はな、ゼフィリス。
 お前には怒ってるが、でもほんとはその怒りが俺を動かしてる訳じゃ無いんだ。
 俺を動かしてるのは、もっと別のモノに対する怒りなんだ。
 その怒りを隠すために、俺はそれをお前への怒りにすり替えて、それこそお前に八つ当たりしてるんだ。
 俺はな、ラクウェル。
 俺はパシフィカを守るって言ってるくせに、守れない理由を山ほど沢山持ってたんだ。
 それはスィンの事もそうだが、その他にもきっと気づかないままの事が沢山あるのだろう。
 そして俺は、それにひとつづつ気づいていって、そのたびにどんどんとパシフィカを守る立場から離れていく。
 その事に俺は、だんだんと気が付いてきた。
 俺はそういったものを処理してパシフィカを守ることへ専念する、
 或るいはそれをそうするための糧とすることができない、そういう不覚悟な奴なんだ。
 俺は、俺を操作することができない。
 俺は自由だなんだと言って、結局自分の事すら自分でできない、
 そしてそういう自分を認めて自分で動き出すことすらできない、そういう男だったんだ。
 
 
 ・・・・・・
 
 ドラグーンの本来の姿を見て、私は少し驚いたわ。
 なんて、痛々しいのって。
 あれがシャノンだなんて、と疑わずにはいられない自分、それをでも私は冷静に受け止めていた。
 禍々しい体に、はっきりとわかる荒れ果てた心を垣間見せるシャノンの姿は、
 私が知っていながら、それでいて私にはどうしてあげる事もできない、そういうものだったから。
 あのシャノンの姿は、私自身なのよ。
 私とシャノンは、同じものを見つめ同じものと戦っているのだから。
 私は空に浮かぶ私の情けない姿から、目を逸らす訳にはいかなかった。
 自分ではどうする事もできない、自分の力でどうにかできると思っていた事。
 シャノンの彷徨を、私は止めることは勿論、抱きしめて慰めてあげる事もできない。
 そうしたって、結局それは私自身を慰めているだけの事になるのだから。
 私はだから、シャノンの事は見つめ続けているだけ。
 私と一緒に戦い、私と一緒にパシフィカを守ってくれる人。
 それがとても悲しい事だって、わかっていてもどうしようとも思わなかった、
 その私の選択を許さない事を意味するシャノンの怒りには、さらにどうしてあげる事もできない。
 そうするには、あまりにも私にはパシフィカの存在が強烈なのだから。
 私は、きっとシャノンが怒りを抱くように、ただパシフィカを守りたい、という想い、
 それがすべてから独立してあるのでしょう。
 私はそれだけ、多くのことを諦める事に成功したの。
 ううん、違うわ、そうじゃないのよ、シャノン。
 私にはそもそもそれは、諦めるという能動的な事じゃなかったの。
 私にとっては、そもそもパシフィカ以外の事なんてどうでも良いことだったのよ。
 あくまでパシフィカの事を中心に据えてしまえば、
 他の事を諦めるだなんて、それこそ簡単なことだったのよ。
 ほとんど当然と言ってもいいかもしれないわね。
 シャノンは、きっとそれが当然な事では済まされなかった。
 なにかを諦めようとするときに、その諦めるべきものから相当の抵抗を受けているのね。
 そして、その抵抗に足を引っ張られている自分がもどかしかったのよね。
 
 そしてね、シャノン。
 
 私にはひとつ言えることがあるわ。
 シャノン、あなたは、本当はそうやって足を引っ張られている自分にいらつかなければいけない、
 それ自体に怒っているのじゃないかしら。
 あなたは、最初からずっとずっとスィンと戦う気なんて無かったのじゃないかしら。
 パシフィカを守るためにスィンと戦わなくてはいけない、
 その自分の想いにこそ、最も怒りをぶつけていたのじゃないかしら。
 そしてその怒りに対してもさらに怒っているのよ。
 スィンと戦わなければパシフィカが死ぬって事がわかっているから。
 だから私は、シャノンを優しい、だなんて言えないし、言わないわ。
 言ったら、あなたの怒りはどこへも向かえなくなってしまうものね。
 
 私もね、シャノン。
 やっぱりあなたと同じでもどかしいのよ。
 ただパシフィカを守っている、ただそれだけの事がどういうことかって。
 私が諦め捨て去ってきた事がどうこうとか、そういうつもりは無いわ。
 ただ私には、パシフィカを守れない絶対的なものが現われる、
 そのときが訪れることを無視して笑っていることができない、そういう自分がたまらなく辛いの。
 私はパシフィカと一緒に笑っていられるけれど、でもやっぱりパシフィカと一緒に震えることはできないの。
 パシフィカが向き合う恐ろしいモノと、一緒に向き合ってあげることは絶対にできないって、
 シャノンはきっとまだわかっていないと思うわ。
 それは私がシャノンが怒らなければならないことがわからない、それと一緒ね。
 そして私もやっぱり、シャノンと同じく禍々しい叫び声を大空に響かせているの。
 パシフィカを、私は守れるの?
 これで私はほんとうに良いの?
 その疑問は絶えることなく、私の中で響いているわ。
 そしてそれが答えの無い問いだけの繰り返しだってことも、きっともうわかってしまっている。
 でも、だからそれで納得できるのかしら?
 私にはそれは、納得できないわ。
 それでも世界は、私が納得できたかできないかに関わらず、動いていってしまうの。
 私達の手から、大事な大事な妹を連れ去りながら。
 
 
 
 だから俺は、怒るしか無い。
 だから私は、守るしか無い。
 
 
 そしてその想いが、私達からパシフィカを奪っていく。
 
 私達はパシフィカを見ていない。
 私達はパシフィカを見つけられない。
 私達はパシフィカを知らない。
 私達はパシフィカを知ることができない。
 
 一瞬のときの内にパシフィカを守った魔法は、一瞬の後にパシフィカと私達を隔てていった。
 私は、パシフィカのあの瞳を忘れられない。
 なによりも長い苦痛の時間を空で過ごしたドラグーンの怒りは、なによりも長い別れを与えていった。
 俺は、パシフィカの姿が其処に無いことを忘れられない。
 
 
 全部俺達のせいなんだよな、ラクウェル。
 そうね、シャノン。
 
 俺が、俺でいたから。
 私が、私でいたから。
 
 
 私達、もうこれからなにも忘れられないわね。
 そうだな、今までのこともう思い出せないからな。
 
 パシフィカの笑顔が、それでもどこかで輝いていてくれることをなによりも強く強く願う。
 
 
 
 

                          ◆ 『』内文章、アニメ「スクラップドプリンセス」より引用 ◆

 
 

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                                   ■■梅雨終わり■■

     
 
 
 
 
 ごきげんよう、紅い瞳です。
 夏ですね。暑いですね。梅雨明けましたね。
 なんかもう雨なんてほとんど降って無いんですけど、それでいいんですか神様。
 と、私がお天気の心配などする必要も無く、今日も元気に地球は回ってます。
 かーっ! 夏だねぇ! (扇風機の前で仁王立ちしながら)
 
 という訳で、今週のマリみては如何で御座いましたでしょうか!
 もうなんかロサフェティダって感じで萌えって言うか傘張り職人って感じでしたけれど(謎)、
 あんなに楽しいと非常に嬉しくなっちゃうので、その、大好きですマリみて。
 これから3ヶ月毎週そんな感じで楽しめちゃうなんて、想像しただけで鼻血モノです。
 夏は、貧血に注意♪ ←今夏の標語
 
 それで月姫でしたけれど、正々堂々最終回を迎えました。
 いやはやもうドキドキものでした、ほんとに。
 正直最初見たとき感想どう書こうって思ったね、実際。
 あれほど作品的に強引にこきゃっと潰し捻りあげて終わらせちゃうなんてびっくりでしたから、
 その勢いにほだされて、あやうく「ごめんなさい」のひと言で最終回の感想を締めようかとも思ったくらい。
 でもね、結局あれだけは書くことができたんだ。
 量は関係無くて、その、書きたいことが見つかって、それでその見つけたモノに肉付けができて、
 それでいつのまにやら調子が出てきてフィニッシュまで持っていけたんです。
 やー、そこはやっぱり紅い瞳の事誉めてもいいんじゃない? なんて色気出したりします。
 あ、石は投げないでね? (怯えた目で)
 ま、まぁ、なかなか込み入ったコトを表現できたので、自分的には満足な出来だったのは確かさ♪
 
 話変わってこれですよ、これ。お伽草子。見ました。第二話。
 プロダクションI.Gで和風モノといったら怪童丸
 これの異様なまでの面白さに味をしめたのを背景に、っていうかそれに思いっきり後押しされて、
 散々期待して見てみたのですけれど、これがちょっとよろしくない。
 うぬぬ、絵が。セリフが。キャラが。あとなんかが。その、つまらない。
 つまらない、なんて自分でも久しぶりに作品に対して言っちゃったようで後ろめたいんですけど、
 でもしょーがない。楽しめなかったのはほんとだし。
 んー、なにが足りないんかなー、私に。
 なにをどうみれば楽しめたのかなーと少し考えてもわからないくらいに、なにかこう薄い。
 あああ、頭がマリみて月姫すてプリから切り替わって無いのかぁー。
 っていうか、いつもそんな切り替え自分でやってる訳じゃ無くて、
 勝手に作品のほうが私の首根っこ掴んで作品に向き合わせてくれるのが通常だから、
 これはやっぱりそうしてくれないお伽草子が悪いんだー。
 ・・・・もう少し、がんばります。
 
 現在再放送中のアニメ十二国記は、これからが一番可愛いところですから、絶対お見逃し無く。
 ああ・・泰麒・・・・(汕子風に
 
 
 あーそうそう、聞いてくださいよ、みなさん。
 我が心の「羊のうた」のDVD、それの全巻購入特典である応募者全員もれなく貰えるイラストシート。
 これ、応募〆切後発送されるらしいのに、〆切後2週間経ってもなんの音沙汰も無いんですけど。
 えーと、どういうコトかな?(小首を傾げながら)
 ていうかまぁ、さっきまで忘れてたんですけどね、存在を。
 気づいたらもう2週間も経ってるじゃん、て感じなんですけれど、
 こういうのってそんなに時間かかるものなのでしょうか。
 なにぶんこういうのに応募したことってあんまり無いのでわからないんですよー。
 今週中に来なかったら、連絡取ってみようかなー。
 
 
 本、借りてきました。
 ・夜啼きの森 岩井志麻子 角川書店
 ・恋愛詐欺師 岩井志麻子 文藝春秋
 ・霊感少女論 近藤雅樹 河出書房新社
 ・島津義弘の賭け 山本博文 読売新聞社
 
 夜啼きの森はyukiさんにオススメした本でしたので、もう一度読んでみようかなーって思って読んだら、
 嗚呼これは凄いわって素で驚いて、驚いてみたり、驚いたりした。
 この人の文体というか表現技法というか、その辺りにかなり影響を私は受けているので、
 そういう意味でこの驚きは私の先と上を行っているこの人の文体に対する尊敬なのだなーって思う。
 書いてある文字、表現、そこからもうなにもかもが始まってるというかそれがすべてというか、
 たったひとつの語の選択がなにもかもを変質させてしまうその異様な迫力には、いつも驚嘆してます。
 この人の作品は大きく分けて、現代モノとちょっと昔(大正〜昭和初期)モノのふたつがありますけど、
 夜啼きの森は後者で恋愛詐欺師は前者の模様。
 ちなみに私は後者のタイプは読むのだけど、前者のタイプは借りてきても読まないコトが多い。
 まずは順番で(目を泳がせながら)
 そういえば、この人って元々別名で少女小説家やってたんですってね →こんな感じ 
 ・・・この文体でマリみてみたいな話書いてたら、凶悪だなぁ・・・・(想像しながら)
 今は官能小説系のも書いてるみたいだけど、それは納得。うん、素で。
 あとの2作は・・・ま、まぁ読む気が起きたら・・(なんで借りてきたんだヨ)
 
 さてちょっと今後の予定のお知らせ。
 予定とか言って、そういうの決めるの面倒だからやる気無いやる気無いって日頃連呼してるのに、
 こうしてたまに予定立ててみたりするところが紅い瞳の魅力のひとつだと思いなさい(命令形)
 まぁ、予定は崩すために立てるものですけれど。
 で(ツッコミは無視)、一応月姫感想も終わりましたので、また週3回更新に戻りたく。
 日取りは、火曜(マドラックス感想など)、木曜(すてぷり感想)、日曜(マリみて感想)とします。
 余裕がありましたら、合間を見繕って随時追加更新はしたいと思いますけどたぶんしません。
 それで、そういえばマリみての小説版の感想は?という余計な質問をする奴思う人いらっしゃいますよね。
 うん、確かに以前月姫の放送終わったら再開する予定と言いましたけれど、予定変更です。
 マリみて小説感想は、アニメマリみての放送が終わってから、にします。
 第一期放送分の小説も含めて、です。
 理由は、アニメマリみてで一杯だから。
 以上、お知らせでした(軽やかに)
 
 
 なんかちょっと乗り遅れ気味なんだけど気にしないでゴーイングマイウェイなマドラックス感想(おまけ編):
 これは変装です(挨拶)
 謎の復活を遂げて、マドラックスさんはなにか一回り大きくなったよう。
 トラップはなんとか凌いだわ、っていうかトラップ自体には思いっきり引っ掛かったと思うのですが、
 まぁ結果オーライということでクライアントのヴァネッサさんにも納得頂けた様子。
 でもヴァネッサさんの情報もアンファンに知られちゃってる可能性もあるんですから、
 笑って済ませられる問題じゃ無いと思うのですが、笑ってます、二人で。
 なんだかすごく応援しがいのあるお二人ですよね♪
 場面変わって、スタスタと歩くナハルさん。
 敵前逃亡戦略的撤退をしてきたナハルさんを迎えるクアンジッタ様は報告を聞きます。
 クアンジッタ: 「どうやらお会いできたようですね。」
 ナハル: 「はい、セカンダリを持つ少女を見つけました。まだうら若き少女です(心の声:でも鬼です)
 クアンジッタ: 「お名前は?」
 ナハル: 「マーガレット・・マーガレット・バートンという少女です(プルプル震えながら)」
 頑張れナハルさんと全国一千万のナハルファンの応援が木霊しているところですね。
 続けてナハルさんは、資質ある者をもう一人見つけたと言います。
 私は普通にエリノアさんかと思ったんですけれど、カロッスアさんのコトでした。
 むー、資質ってなんだろうというところですけれど、取り敢えずクアンジッタ様は納得なさっているのでよし。
 ところかわって、ビルの屋上で格好付けて携帯と喋るカロッスアさん発見。
 なにかこうリメルダさんとの間がぎくしゃくしてきているようですね。
 どうみても指示する立場とされる立場の人間の会話には聞えませんでしたけれど、
 要するにリメルダさんがカロッスアさんをからかいたかったようなだけの気も。
 なんだかどんどんカロッスアさんの地位が低下してるような気がします。
 でもねカロッスアさん。
 リメルダさんは優秀すぎるっていうか、
 マドラックスさんをストーキングして捕まって見逃されて高笑いして帰って来ただけですよ?
 しかもあのときのヴァネッサさんは協力者って言っても、紅い靴〜とか言って彷徨いでた、
 頭がちょっとイっちゃった不思議少女をしょうがないなぁもうと言って連れ戻しに来た、
 そんな普通の気のいいお姉さんって感じだったような。
 で、リメルダさんとの電話を切った途端、フライデーさんから電話が。
 フライデーさん: 「久しぶりに君に会いたいと思うのだが。」
 カロッスアさん: 「◎△■+×*っっっ!!!」
 
 あ、めっちゃ動揺してる。
 
 確かに色々となんににも出来てないカロッスアさん的には今一番会ったら怖い人からの電話ですからね、
 うろたえるのも無理は無いところです。
 もうなんかめっちゃ心のにやましいところ満載のカロッスアさん。
 色んな意味でリメルダさんには恩を仇で返されるし、今一番いっぱいいっぱいなのはカロッスアさん。
 頑張れー。
 そんな殺伐とした風景から世界は変わり、マーガレットお嬢様登場。
 ていうか。
 
 「あぁあ。 エリノアだ。」 by マーガレットお嬢様
 
 うわ、制服着てる。この人。メイド服じゃないぞ。眼鏡までつけてるし。
 これは変装ですって言ってるこのメイドさん、ほんとにやる気あるのだろうかって感じのいい加減っぷりです。
 まー、エリノアさんの顔なんて知ってる人居ないから、変装なんてしなくてもいいようなものですけどね、
 ってあ、ひとり居ますね、彼女に腕を潰された男子生徒が。
 眼鏡ひとつ装備したくらいじゃ、普通わかると思いますよエリノアさん。
 でもお嬢様は普通にわからなかったみたいですね。
 エリノアさんは自分の変装がバレなかったコトでご満悦みたいでしたけれど、
 ある意味、眼鏡ひとつで見分けがつかなくなるほど、お嬢様に顔覚えられていないんじゃ・・・。
 いえ、なんでもありません。
 とりあえず、ズルっ子だ(お嬢様風に)、とだけ言い添えておきましょう。
 画面はパパっと飛んで、マドラックスさんが再び真実と向き合います。
 それでなにやら意識がマーガレットお嬢様と繋がったのかたんに電波が飛んだのか、
 お嬢様の目がなぜか紅くなってお嬢様は昏倒。エリノアさん大慌て。
 肝心要のマドラックスさんは戦場のような場所に意識が飛ばされ、
 そこで不思議少女と追いかけっこ。
 レティシアお手製の謎問答を、謎解答で理解し切ったマドラックスさんは、
 要は追い出されただけのような気もしますが、とりあえず自分は偽物らしいってコトは完璧理解。
 徹底的に罠にはまりきって罠の底に穴を開けて戻ってきたような感じですけれど、
 とにもかくにも、マドラックスさん的に謎解決。
 あんまりにもすっきり理解できちゃったみたいですから、
 私のほうでオチが思いつきませんでした。
 
 あはは。あはは。あはは。  ←偽りの笑い
 
 
 

-- 040712--                    

 

         

                         ■■月の幻、其は戯言也■■

     
 
 
 
 
 真月譚月姫、最終話。
 
 
 
 其れは志貴。
 志貴、志貴たりて、志貴ならざる者、その影さえ無し。
 なにを言うべきかと問う理由を探す欲求はなぜか、夢の彼方へ。
 埋もれる迷い香の行方を辿るうちに、行き先を無くし忘却の淵へ。
 なぜだか此処は、幻だった。
 
 ◆
 
 狭い檻に閉じ込められた男の姿は見えず、
 長き世を歩くなけなしの魂が其処にある。
 粗末な衣で傷を隠し、死に切れぬ体を舐め回し、溶けてしまえと罵り叫ぶ。
 其は快楽なりや?
 なにを求めるのかと問う前に、なにかを求めているのかと問わねばならぬ。
 意味の無い肉体になぜ居座ろうとする。
 なぜ殺すために愛し続けるのだ。
 自らの声を到着させることのできない未来の行く末を儚むには、お前はあまりにもなにも知らない。
 その体に在った埋もれた哀れな魂は何処にやった。
 その魂は、其処か。
 お前はその哀れな魂の溶けた体に閉じ込められてしまったのか。
 そうか。そうか。
 お前は死にたかったのだな、いと短きロアよ。
 
 ◆◆
 
 くぐもるはずの無い月夜に安堵した罪を贖うべし。
 知る術を持たぬはずの事を知らねばならぬと思い懸ける、その心根への陶酔。
 さらさらと踊り流れる夢が、心地良い痛みで我が身を包んでくれる。
 願いを成就させんとあがく事の美しさを知らずして、なにが贖罪か。
 知らぬから、我は罪を贖うつもりも無く、ただの無為である。
 それが人をして贖罪と言わしむることができるのならば、それで終わりだ。
 自らの終わりを看取るその者が居ること、それだけが罪への意識であらねばならぬ。
 目的など、どこにもその居場所は無い。
 死ぬために、生きているのだから。
 絶え間なく途切れていた夢を垣間見、束の間の幸せを横目で見る痛みに震え、
 だが決してそれだけは致命傷に至る傷痍と為す事を自らに禁じる。
 だから。
 だから、さらばだ、アルクェイド・ブリュンスタッド。
 
 ◆◆◆
 
 逡巡。
 それだけで勝手に動き回る視界を止める事叶わず、月を見上げる。
 双眸の内に瞬くふたつの月の輝きに、違いなど。
 どちらを選ぶか、では無く、どちらかを選べるものなのか、
 その問いを経ずしてなにを知ることができようか。
 だから、選ばない。
 答えなど、簡単なもの。
 問いに答えなければ、それで万能の答えが常在する。
 動き回る視界の中に居るものを、視線の切っ先で燃やし尽くす。
 消えぬ涙の重量を決して量れぬことを、我が身に教え込まねば。
 ただ我見るものの冷たさを、それを溶かし消し去る事のできる火焔の熱度で感じ取れ。
 自分には、なにもできない。
 燃やし尽くし壊し尽し殺し尽し愛し尽す事しか、できない。
 それを許諾してくれる者はどちらかを、それを探索する哀しさをこそ、知れ。
 誰がためにこの涙はあるのか。
 他ならぬ、我がためよ。
 いつも通りいかなる例外も無く、必ずどうすることもできない心の凍結を、
 その震えるばかりの逡巡と共に、ただ受け入れ給え。
 それで、いいんですよね、兄さん。
 そうだよ・・・・・秋葉。
 
 
 
 
 
 
 
 ◆◆◆◆
 
 遠くで木霊がきこえる。
 響く言葉の意味は知らなくて、ただその美しい音色に聞き惚れていた。
 知らなくてもいいことなんて、いっぱい、いっぱいあるんだ。
 だって知らなければそれだけ、未来が広がっていく事になるのだから。
 全部知っちゃったら、もうなにも。
 その時から時間は止まり、長く短い無音の空間を死ぬために生きていく事になってしまう。
 そんなのは嫌だというには、でも、あまりにもなにも知らなかった。
 知らないでいることを讃美することは、できなかった。
 その空間に生きることがどういうことか、知らなかったのだから。
 
 わからない奴がいる。
 わかるような気がする奴がいる。
 そのふたりを前にしたとき、その違いがなにを自分にもたらすだろうか。
 なにも、もたらしやしない。
 ただ目の前にいるそいつらのため、ただ自分にできることを合わせてやってみるだけ。
 そいつがどういう奴かだなんて、関係無い。
 そいつがそいつとして其処に居るって事、それだけ。
 ほらな、言った通りだろう。
 死んだって、それだけの事なのさ。
 死んでそしてそれを悲しんで泣いて、そして仇を討つ。
 その一連の流れは、一体いつ、そして誰によって生成されたのだろうか。
 わかるけれど、それはわからない。
 いつのまにか自分の中に居座っているなにかが、すべてを管理統括し、そして自分を導いていく。
 それはなんだ。お前は誰なんだ。
 何度問うても、それはお前自身だと自他共に受け入れるしかない確執。
 どんなに違和感を覚えて不快を示しても、その反発を受け止める相手は何処にもいはしない。
 なぜなら、それは自分なのだから。
 
 自分、と区切った段階ですんなり納得いくものがあるのはどうしてだろう。
 月光に照らされる中で、どうして自分が月だなどと思えるのだろう。
 答えは簡単にして、明快。
 自分など、ありはしない、から。
 ありはしないものを区分けすることでその姿を自在に顕現させ造り上げた、
 その成果が空に浮かぶ月だった。
 だから、あの月が自分では無いなんて、言えはしない。
 自分の中で囁き通すこの想いの氾濫が、それが紛れもなく自分自身の意志だったと気づくのは、
 それはもはや時間の問題だろう。
 どこにも、自分以外のものなどありはしない。
 それが自分など無いという答えが造り上げた、さらにそれに対する答えだ。
 一体、誰が自分の意志というものが、それが自分の意志であるとはっきりと言えるのであろうか。
 様々なの情報の蓄積を空の陽光を通して受け取っていくこの体は、
 そもそもその情報を埋め込まれて稼働しているだけに過ぎない。
 いかような想いも、それが自動的で無いなんて、どうして言えようか。
 其処に自意識を感じるたびに、それを変えようと思うたびに、
 それが絶対に自分では変えられないという事に気づく。
 自らの意志であるはずのものが、その動機となったもの自体は、決して自分で選ぶことはできない、
 そうである事に気づけたら。
 自分はただ、自分の体がこうしたいと勝手に言い出したことを、
 さも自分が決めたかのように説明してみせるだけ。
 
 俺があいつを愛した理由なんて、誰かに聞いてくれ。
 たぶん俺が答えたのと、同じことなのだから。
 
 そして。
 
 その答えを前提として空に浮かべるからこそ、その下で自分を見つけられる。
 自分だけは其処に居ないと言い切ったからこそ、其処に自分だけが居る。
 自分で無いものなど、もう。
 自動的であるということ、それ自体もう、自分の意志なんだ。
 月の影で蠢き月を語るだけの者、それ無しには月は存在しない。
 語られる言葉、それが無ければ心など存在しない。
 言葉こそ、心。
 自らの想いの動機、それを説明するだけしかできないのなら、
 その説明が動機のすべてへと変化する。
 その一瞬を経験した。そうであることを、知った。
 語る言葉が意志となり、その言葉が想いとなり、そしてその言葉が自分となる。
 
 だから。
 
 だから戦ってゐる。
 だから殺してゐる。
 だから生きてゐる。
 だから愛してゐる。
 だから動いてゐる。
 だから目を逸らさないでゐる。
 だからずっと走ってゐる。
 だからずっと後悔してゐる。
 だからずっと憧れてゐる。
 だからずっと泣いてゐる。
 だからずっと、笑っている。
 
 だから、死ぬ。
 
 
 帰って来たよ、秋葉。
 紛れも無い志貴として生きるために。
 お前にはあげられないものがたくさんある。
 許して貰えないことも、許してあげられないこともたくさんある。
 してあげられる事なんて、ほんとなにも無いんだ。
 でも、もう。
 俺は志貴で居てあげられる。
 お前から、もう兄貴を取り上げないでいてやれる。
 たぶん、俺にできるのはそれだけだ。
 でも、俺はそれをとても大切な事だと思ってる。
 俺がやっと得る事ができた、大事なものだから。
 これは、お前のために得たものじゃない。
 お前を思って、俺は俺になった訳でも無い。
 けど俺は。
 俺はこの俺をお前にあげたいと思う。
 義理とか義務とか、そんなの一切関係無い。
 俺はお前の元に帰りたい。
 ていうかもう、帰ってきたぞ、秋葉。
 すまなかった、とはもう言わないぜ。
 謝って済む事なんて、ありはしない。
 済ませられないし、そしてそれで済ませ終わらせちゃ駄目なんだ。
 秋葉。
 俺達は大切なものを失って、そして。
 そして大切なものを守ったんだ。
 守ったものを、さらに守れなんてもう言わない。
 秋葉。
 もう終わったんだ。
 俺達の意志とは関係無く勝手に終わって、そしてなによりも俺達の意志で終わらすんだ。
 だから、謝ったりなんかしなくていい。
 罪の意識なんて感じなくていい。
 もう一切だ。
 俺達は、たくさんの事を悔やめるから、もう悔やまなくていいんだ。
 そして大切なのは、悔やまないでいることこそ、悔やむべき事に対する最高の手向けになるんだ。
 だから、秋葉。
 
 一緒に、帰ろう。
 愛しい我が家へ。
 
 
 
 
 〜 真月譚月姫  了 〜
 
 

-- 040711--                    

 

         

                               ■■マリア様まっしぐら■■

     
 
 
 
 
 ごきげんよう、紅い瞳です。
 本日は、マリア様がみてる〜春〜の第二話についてお話させて頂こうと思います。
 先週、これから感想では第一話を第一期の続き、つまり第14話とする、と言ったかと思いますけれど、
 今回より普通に第一話・第二話と話数を振っていくことに致します。
 テレビ東京の公式サイトでは、先週までは第一話は第14話として紹介されていたのですけれど、
 なぜか今週には第一話は第1話、第二話は第2話、と表記が変更されていましたので、
 それに伴う変更、そのようにご理解頂ければ幸いです。
 っていうか、なんで変えたんでしょうね? 本当に。
 
 さて。
 まずは先週に引き続いてOPのお話をさせて頂きましょう。
 私はなんと申し上げましても、この歌が好きです。
 「せ〜すじのば〜して歩〜く〜」の場面など、涙なしには聴き取れない旋律の響きでした。
 そして映像自体の美しさはさることながら、微妙に歌詞とリンクしていないかのような場面の展開、
 それが逆に歌詞が持っている意味をより強調し、聴く者を想像の陶酔へと誘う感覚を呼び覚まします。
 あ〜なんで私は今此処に居るんだろう、なんて感じを一瞬本当に抱けてしまう、
 そういうなにかをはっと気づかせてくれる斬新な懐かしさがあります。
 自分の中にすっと入り込んでしみわたっていく懐かしさ、
 けれどそれでどこまでもそのまま安心してよいという甘えを許さず前に進め、という斬新さ。
 画面の中で祥子様が聖様が志摩子さんが祐巳さんが動くたびに、
 何度でもそれを見ている自分の姿というものを気づかせてくれます。
 自分もその中に居ながら、彼女達とは違う。
 そして。
 彼女達もまた誰一人として「同じ」人を持たない潔癖なる独りであることを、
 私は強く感じられます。
 みんなで暖かく笑い合ってもいい。
 でもそれでもみんなそれぞれが独りで歩いている。
 でもそれでもやっぱり甘えたくて・・。
 その連鎖が永遠に断ち切れないでいてくれる、なのにそれを内から断ち切ろうとする剣も見える。
 マリみてのOPは、それがテーマ曲に足るものを備えて、再び私の前に降り立ったのでした。
 
 次は、本編のお話といきましょう。
 本日はなんと言っても、ロサフェティダ・鳥居江利子様についてお話したいと思います。
 山百合会の面々の中に於いて第一期から今まで、最も扱われる事の無かったお人、
 それが主人公のお話とあっては、紅い瞳、居住まいを正せずには居られませんでした。
 そうして居住まいを正して、ロサフェティダの大暴走を拝見致しました。
 ステキな方ですね、江利子様は。(素)
 正直一回目見たときはなにもわからなかったのですけれど(笑)、
 でも二回目に見たときは、あーそういうことかぁ、と少しなにかがわかったような気になれましたので、
 それを少しお話させて頂きましょう。
 
 基本的に、私がロサフェティダをひと言で言い表すとしたら、「不思議」の一語が最も適しています。
 不思議、と言ってしまうと語弊があるのかもしれませんし、
 そういう意味では、聖様や蓉子様も私に言わせると不思議な方なのですけれど、
 ただ私から見ると、その私が「不思議」と呼称する部分、それを語ることが、
 私にとってロサフェティダを語る事の大部分に当たる、そう思うところがあるのですから、
 敢えてロサフェティダを指してとりわけ不思議と言い表すのは、ある意味当然なのです。
 ロサフェティダ・江利子様は、不思議。
 それは江利子様が、非常に御自分の趣味に走る方だから、というところにありますでしょう。
 これは、親友である聖様や蓉子様のご証言の通り、
 刺激を求めること、それが御自分の行動指針となられている御方、そう言い換える事も可能です。
 スールである令様を選んだときも、その周囲と変わったボーイッシュな容姿にひきこまれたのが、
 その妹選びの端緒。
 これは一聞すると、令様の容姿だけが気に入ったという風にも取れますけれど、たぶん違います。
 あくまでその変わり種の容姿に魅入られた事が妹選びの端緒であった、ということでありますでしょう。
 ただ。
 ロサフェティダの場合に於いては、その令様の変わった容姿というのはその思い入れの端緒のみならず、
 現在に於いても令様への想いの大部分を占めている、という点は特筆に値する事だと思います。
 江利子様は、たぶん令様の容姿が変化してしまえば、その想いの大半は失われる、
 そう思います。
 それは勿論幾分かの想いは残されるでしょうけれども、
 でもきっと、もしロサフェティダの本音をそのときお聞きすれば、
 きっともう「ゾクゾクしない」とお答えになられる事でしょう。
 あくまで趣味に走る、ということはそのような江利子様の本性に根ざしていることなのだと思いますし、
 また江利子様にとっては、そうであることこそに意味がおありになられるのでしょう。
 ゾクゾクできなければつまらない
 たとえそれがかつて面白く愛おしかったものでも、必ずそうでは無いときが訪れる。
 そうなったとき、江利子様は思われる事でしょう。
 「もうつまらない」、と。
 
 私が江利子様を不思議と思うのは、江利子様が趣味で行動する方だから、というのは、
 それは半分正解で半分は間違い。
 確かにそのご趣味のいちいちは、私には当然同意しかねる事多数で御座いますけれど(笑)、
 そういう点に於いて勿論不思議ではありますけれど、
 でも私は特にそうやって趣味で動く、それ自体を不思議に感じている訳ではありません。
 私が不思議、というのは、それはそもそも決して理解不能だから寄りつかない、
 と、そのような意味で使ってはいません。
 ただ単に、敬して遠ざける、そういう意味があるだけです。
 私にはロサフェティダのなかなか奇怪極まるご趣味には同意し兼ねるも(当然ですけれど 笑)、
 しかしそのようにひた走るロサフェティダのお姿には、かなりの度合いでうっとり致します。
 端的に言えば、趣味は合わないけれど、趣味に生きる人ってステキ、という感じでしょうか。
 山辺先生に自身が恐竜になぞらえられたときの事を思いだし、恍惚とする江利子様、
 私はその江利子様のお姿にうっとりでした。
 不思議な魅力、という事なのでしょうか。
 絶対にわからないのだけれど、でもそのわからないことをわかる事に置き換えたとしたら、
 それは充分わかってしまう事になります。
 わからない事をわかってしまう、のですよね。
 それを指して、私は不思議、と言ったのです。
 江利子様がゾクゾクできるなにか出会うたびに、私はそのような江利子様のお姿自体にゾクゾクし、
 そしてまた、江利子様が楽しんでいるモノを私の好きなモノに置き換えて自分も楽しむ。
 ロサフェティダを見ていると、お陰でとても楽しいです。
 
 さて、少し話の方向を変えましょう。
 そのような趣味にひた走る江利子様ですけれど、
 でも江利子様の魅力はそれだけでは無いのです。
 私は江利子様がロサフェティダである、ということは結構重要ポイントな事であると思います。
 責任ある立場であるロサフェティダに在籍することで、
 江利子様は、興味を失った対象からも目を逸らす事ができないまま見つめ続けなければいけない、
 そういう江利子様にとっての枷がはめられる、そういう境遇に至っています。
 つまらない事にも素直につまらないというのは少々憚られる、
 ロサフェティダであるということはひとえにそういう状況を江利子様に与えます。
 ですから、江利子様はつまらなくてもその意志を表示することで相手に害を与えるならば、
 決してそれを表に出さないよう、自らの仮面を洗練することになります。
 どうでも良い事にはつまらなそうな顔をして対しても、重要なことであれば、
 それが重要であればあるほど、その素振りは微塵も江利子様の内から洩れ出でる事は無い、
 そういう事でもあると思います。
 これは、江利子様にとっては一種の快楽的な事でもあったでしょう。
 当初それは、それ自体が刺激的でゾクゾクする表情の操作であったでしょう。
 けれど当然それでは済まされないほどのつまらなさもまた、鬱積していくものです。
 そしてその外からは見えそうで見えないつまらなさの鬱積は、
 やがてご自分の趣味であることを見つけると、それを絶対に逃がさない狡猾さと執念深さ、
 それを生み出す原動力となっていきます。
 その力はロサフェティダを含むすべての枷を突破して、ただひたすら突き進む力。
 逆に言えばそれは、ロサフェティダという枷がずっと溜めていたからこその爆発力なのでしょう。
 そして私は、江利子様はそれを自覚なさっているのじゃないかと、そう思っています。
 江利子様は、自分がロサフェティダでいらっしゃることで、よりゾクゾクした感覚を楽しめること、
 それを充分ご存じで、そしてそれをしっかりと利用しているのでは無いでしょうか。
 江利子様の、くっくっくという押し殺した忍び笑いが聞えてくるようです。
 それはとてもとてもお楽しそうです。
 そして、それはたった独りの独り遊び。
 山辺先生に求婚する、そのことがなにを自分にもたらすかをすべて瞬時に計算し、
 そしてその事によって周囲から独りだけ飛び抜けて突っ走っていくことを自覚していながら、
 それでもその突出を自覚しているからこそ楽しめている、
 そういう自信に満ちた江利子様がいらっしゃいます。
 祐巳さんをして、
 『心惹かれるものを見つけたら、まっすぐに走るロサフェティダって、ちょっと猫に似ていると思った』、
 とそう言わしめた通り、己の孤高さを自信たっぷりに楽しめている、
 そういうなによりも楽しい美しさがあります。
 
 山辺先生が友人としての付き合いを認めたときの、あの江利子様の満面の笑顔。
 あの笑顔を見れば、聖様が仰る通り、
 江利子様の辛さというのが贅沢なもの、というのがよくわかります。
 江利子様がご自身でお作りなられた、楽しさを得るために用意された辛さ。
 逆にいえば、苦しみなど江利子様に於かれましては、すべて幸福の糧にしかならないのです。
 すべてがそのように変換できるように、江利子様はただひたすら努力なされたのでしょう。
 自分で押さえられる程度のレベルの事なら、簡単に変換されて面白くもなんともない。
 でも。
 もし自分の能力の一定レベルを越える出来事が起きれば、それは。
 それは例えようも無いゾクゾク感を持って、江利子様のそれこそ総力を以て受け止められる。
 蓉子様は、そうしてひとりで突っ走っていかれる江利子様に対して苦笑なさっていましたけれど、
 やはりそれは聖様がそのままどこかに消えていってしまう危うさを持っているのとは違う、
 自作自演的で意識的である突出だからこそ、苦笑程度で済まされたのでしょう。
 それだけ江利子様は自覚的な人なのです。
 そして、不確定要素さえ楽しめてしまう、そういう楽しい人なのです。
 私はこういう人、尊敬します(笑)
 
 このようなロサフェティダのお姿は、ある意味で黄薔薇らしい、といえるでしょう。
 かつて黄薔薇革命の感想でも述べたように、江利子様を筆頭にして黄薔薇はあると思います。
 由乃さんにしろ令様にしろ、どこか独りだけで突き抜けて、それでも済んでしまえる、
 逆に言うならば、黄だけが他の薔薇とは違って一人だけ外を向いている、そういう感じです。
 紅薔薇のような甲斐甲斐しさも、白薔薇のような純粋(?)さも無い、
 ただ一応関わってるんだけど本命は常に自分の中にある、それをはっきりと表に打ち出している、
 自分のしてること、したいことのついでに、もしくはその糧として誰かに付き合ってあげる。
 江利子様を見ていれば、おのずとそういう姿が見えてきます。
 それはまさに猫のような独立不羈の近寄り難い美しさ、そして「不思議さという親近感」を以て、
 私には新たなマリみての因子として喜びと共に受け入れられたのでした。
 
 
 マリア様がみてる〜春〜第二話「黄薔薇まっしぐら」は、このような感じで御座いました。
 なによりも江利子様でした。
 こんなに面白い人だとは予想していなかったので、かなり嬉しい発見です。
 いやー、聖様と並び立つ素晴らしさを甘受できて、まさに幸せです。
 他の方の出番はあまり無かったのは少々残念でしたけれど、
 その少ない中でも蓉子様や令様、そして聖様などに頑張って頂き、やっぱり幸せでした
 なにかと話題に上っている例の猫、ゴロンタも登場致しましたけれど、
 あれはなぜかあんまり可愛くありませんでした(笑)
 私的に今回のベストショットはというと、
 流れ的に山辺先生が交際を受諾したときのロサフェティダの笑顔なのですけれど、
 ここは敢えて、しおらしく山百合会の面々に連行された三奈子様を推させて頂きます。
 あれはなにか、可愛かったです(笑)
 それと話は変わりますけれど、全体的に画質が落ちたような気が致しました。
 なにかこう、今回は江利子様以外の面々の姿に冴えが無かったといいますか・・。
 EDのあの絵は画風が違うと言われればそれまでですけれど、あれはなにかちょっとヘンだな、と、
 実は今頃になって感じた次第で御座います。
 なんかあの祐巳さんは気持ち悪い・・・(笑)
 
 それでは、今宵はこの辺りにて失礼させて頂きます。
 あー楽しかった♪ ←幸福そうな笑顔
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 マツケンサンバは見なかった方向で。
 あれは違う。
 見たら戻れないぞ(マリみてに)
 
 

-- 040709--                    

 

         

                              ■■『失われた五重奏』■■

     
 
 
 
 
 『困るよ・・・謝られても・・・・』
 

                          〜 第十四話のパシフィカのセリフより〜

 
 
 
 
 ベクナム様。
 私にはなにもわかりません。
 あなたがなぜ私を置いて消えてしまったのかも。
 なぜあなたがそれほどまでにして、後の人間達の事を気にかけていたのか。
 私にはベクナム様しかいなかったというのに。
 
 私は勿論、ベクナム様が守りたいと思っているものを一緒に守りたいと思い、
 そしてずっとその想いは変わることなく続いていた。
 それがベクナム様のため、それだけでは無く、私自身も人類のために戦いたいと思っていた。
 それは私に組み込まれた作られた使命としての感情では無い。
 それは、私がベクナム様を想うあまり、ベクナム様と同じ世界を生きたかったから、
 その徹底した同調がもたらした故のものなのだろう。
 私はベクナム様とひとつであり続けたかった。
 そのために私は、きっとずっと人類のために戦っていたのだと思う。
 そう。ベクナム様がベクナム様や私のために戦ったのでは無いのと同じく、
 私もベクナム様や私のためにでは無く、あくまで人類のために懸命に戦ってきたのだ。
 そうすることが、なによりもベクナム様と同じ、ということになるからなのだ。
 私とベクナム様の同調はそのお陰かどうかは知らないが強固なものとなり、
 私は他のドラグーンとは違い変調をきたし壊れることも無かった。
 だから、私が私で居られたのは、私がベクナム様と限りなくひとつであったからこそなのだ。
 私にわかっているのは、それだけだ、パシフィカ・カスール。
 
 
 我々ドラグーンは、最後の魔獣と呼ばれた。
 そしてそれだけ、人には恐怖を与えた。
 それは恐怖などという明らかなものではなかったのかもしれないが、
 けれど我々の御者であるDナイトと同調でき無かったドラグーンは多かった。
 それだけ、私達の人間が同調するのは難しく、
 故に私にはベクナム様とのこの同調は、なにものにも代え難い絶対のものとなった。
 その私がベクナム様と別れる、それがどういうことか、私にはわかるはずが無かろう。
 絶対となったこの状態以外を想定することなど、私には恐ろし過ぎてとてもできはしない。
 私には、他のドラグーンのように行動不能になるなど考えられない。
 行動不能になってしまったら、もはや人類を守る術など我にありはしない。
 そうなれば、もはや私はベクナム様と同じ役割である人類を守ることが出来ない、
 すなわち私とベクナム様との分離をもたらす。
 そうだ。
 ベクナム様と別れるということは、どの局面においても私とベクナム様を引き裂く事になるのだ。
 私がただ壊れるだけなら、それでいい。
 私は私が此処に居られること、それが嬉しかったのではない。
 私が人類を守り、そして私だけが壊れていくのなら、私にはなんの苦しみもない。
 それは最後まで、私はベクナム様とひとつでいられたことになるのだから。
 私は、ベクナム様が受け入れてくれて此処に居られる事、それを求めているのじゃない。
 私はただ、ベクナム様に受け入れられた、ただそれだけが嬉しかったのだ。
 だから私はこの人とひとつになることができたのだ。
 私は、この人とありたかったのだ。
 私が私であることなど、どうでも良い。
 私がベクナム様とひとつでありさえすれば、それで良いのだ。
 それが奇しくもドラグーンの本分であった事は否めない。
 そう思うことはプログラムされた事なのかもしれない。
 だが、私はそれになんの不満もなかったのだ。
 だから、ベクナム様・・・・。
 私を置いていかないで・・・・。
 死ぬなら、私が・・・・。
 
 だが。
 私はそのときには気づかなかったが、やがて我が涙が尽きるに従って気づいたことがある。
 ベクナム様が私に残してくれたものはなんだったのか。
 私はこのとき、ひとつ前に戻った。
 私は、一体なにが嬉しかったのだ?
 私は、ベクナム様に受け入れられた、ただその一度だけの体験、
 それが嬉しくて嬉しく仕方が無かったのだろう?
 よく考えれば、私はベクナム様に求め過ぎていたのかもしれない。
 そして感謝を込めた別れを、ベクナム様に捧げる事をしなかったのだ。
 私はベクナム様が与えてくださったただ一度のその受け入れを、
 それを大事に持っていれば、それで良かったはずなのだ。
 だから、ベクナム様がそれ以上のものを与えてくださったのを、長い間気づかなかったのだ。
 ベクナム様が私に与えてくださった物。
 それは、私とベクナム様がどちらが消えて無くなっても、決してひとつでは無くならない、
 そういうなによりも素晴らしい絆となるべきもの。
 ベクナム様は、私に人類の未来を託してくださった。
 そうだ。
 私がベクナム様と守ってきたものを、私はまだ守って居てよいのだ。
 御者を失った他のドラグーンが変調をきたし壊れていったのは、
 それは御者との不同一がもたらした事なのだ。
 だが私がベクナム様が守ってきたものをベクナム様と同じく守れば、
 それはまだ私とベクナム様がひとつである、その最大の根拠になるではないか。
 大事なのは、私の存在でも、そしてベクナム様の存在でも無い。
 私とベクナム様が同一であること、ただそれだけなのだ。
 私が死んでも、ベクナム様が死んでも、残った一方は死んだものと同じ事を為し続けることで、
 ずっと永遠にふたりでひとり、その生を生き続ける事ができる。
 たった一度、たった一度ベクナム様が私を受け入れてくださったこと、
 その始まりが私の中にある限り、私はひたすらベクナム様を信じベクナム様とひとつで居られる。
 そしてベクナム様の願いを、それを私の願いとして遂行することで、
 私はずっと、ベクナム様と共に生きられる。
 それは哀しいことだが、そういう、ことなのだ、パシフィカ。
 
 そして。
 『私は今、迷っている。』
 
 私はベクナム様のために人類を守るのでは無い。
 ベクナム様の願いのために人類を守るのだ。
 ベクナム様の願いと私の願いが同一、なのだから。 
 だから私は、私が守るべき者達が現われたのを見つけ、
 そして力を貸した。
 だが。
 いつのまにか、私はおかしな事をしている自分に気づいた。
 私は、パシフィカ、お前達を自分の使命を果たすための駒であり道具であるとして使ってきた。
 だがそれは、私のドラグーンとしての本分から離れている事ではないか。
 そしてなにより、それはベクナム様の願いを真っ向から潰す事になってはいないだろうか。
 私は、人類のために人類を守るのでは無い。
 私は、人類の願い、それを叶える存在なのだ。
 それがベクナム様の願いでもあったはずだ。
 其処に人類、そうパシフィカ達の願いが意志が介在しなければ、
 私のしている事は、すべて私の独善によるものなってしまうだろう。
 私が今までしてきたことは、そういうことだったのだ。
 私はだから、お前に訊きたいのだ。
 私はどうすればよいのか。
 お前の望みを言ってくれ。
 それが私のすべきことだ。
 少なくとも、お前はベクナム様のように私の事を信じてくれた。
 お前個人の願いを聞き届けることに、それほど抵抗は無い。
 なぜなら、私もまた私を信じてくれるものを信じることができるから、きっとそうなのだろう。
 パシフィカ。
 私はお前の意見に、半ば賛成だ。
 私自身に意志は無い。
 いや、私の意志はベクナム様と共にある。
 だから、その半ば賛成というのは、ひとえにお前に対する私の信頼に依拠しているのだ。
 私は、私を信じてくれるものを信じ、そしてその者の願いを叶える。
 だから、パシフィカの願いを聞き届けないのは、ベクナム様への裏切りのようにも思えるのだ。
 私の意志は、お前と共にある。
 お前が決めてくれ、パシフィカ。
 
 『パシフィカ・カスール。
  お前は私の正体を知っても恐れなかった。お前は、私の主と同じように接してくれた。
  だから私はお前に尋ねたい。
  私は、どうすればいい?』
 
 
 ・・・・・・
 
 私さ、わかるよ。
 私さ、ゼフィリスの事、怖くないし、嫌いじゃないよ。
 だからさ、ゼフィリスが前の主の願いを叶えたいって思うの、よくわかる。
 ゼフィリスが泣きながら別れた前の主の人って、きっとステキな人だったんだよね。
 そしてゼフィリスにとって、自分よりも大事な人だったんだよね。
 ゼフィリスが人間じゃないのはさ、それはわかってる事なんだけど、
 それはほんとはわかってるとはとても言えないんだよね。
 だって私、結局ゼフィリスってすっごい力を持ってる人間にしか見えないもん。
 だから、ゼフィリスがどんな想いでベクナム様ってのと別れたのか、私にはわからないようでわかっちゃう。
 それは私がゼフィリスの事を人間って思ってて、だからそう思えることなんだよね。
 正直、私、あんたがドラグーンだかなんだかっていうの、どうでもいいって思うんだ。
 大事なのはさ、あんたがなにを思ってる、かだよね。
 うん、きっとそれはゼフィリスもわかってるよね。
 ドラグーンの役割なんて、自分のしたいことが正しいって理由付けするときくらいしか、
 きっと意識しないだろうね。
 でも、あんたは。
 あんたはきっと、ドラグーンってものとゼフィリスってものがひとつになってるんだろうね。
 別に意識しないで良いほどに、ドラグーンてものが自分の意識とひとつなんだろうね。
 それってさ、私らにはきっとわかんないだろうね。
 私達は、なんにも背負わないで生まれてくる訳じゃない。
 私達の意志とは関係なしに、生まれたときからなんかすんなり納得できちゃうもの、
 そういうの持って生まれてくると思うよ。
 そしてたぶん、それは他の人のものはわっかんないのだと思う。
 自分のは納得できても、他人のはえーなんでーって感じでさっぱり理解出来なかったり。
 だからたぶん。
 私にはゼフィリスのそのベクナム様との一体感っていうのは、たぶんわからない。
 何百年だか何千年だか、ずっとその人の願いを叶えるために生きるって、ほんとよくわかんない。
 それはやっぱり、私が人間でゼフィリスがドラグーンで、
 そして私が私で、ゼフィリスがゼフィリスだから、なんだと思う。
 でもさ。
 だからって言って、私があんたの事全然わかんないかと言うと、そーでも無い。
 肝心要の部分は、そりゃちんぷんかんぷんかもしんないけどさ、
 でもあんたがどれだけ真剣なのかとか、そういうのはすっごくわかるし、
 あんたが私を信じてくれてるってのは、ほんと良くわかった。
 逆に言えば、それでいいじゃんさ、充分。
 
 
 だけど。
 
 
 私は、好きで人間になった訳でも無い。
 廃棄王女にだって、なりたかった訳じゃない。
 ゼフィリス達の言ってること、あんまりピンと来ないし。
 でも、私ゼフィリス達の想いの深さ、それはわかるつもりだよ。
 ゼフィリスが前の主の願いを叶えたいっていうの、すごくわかる。
 そしてね、でもね、ゼフィリス。
 『それって、私達に一体なんの意味があるの?』
 ゼフィリス達のしようとしてること、それって一体私達となんの関係があるの?
 言ってる事はわかるけど、でも。
 私とあんたが違うのは確かじゃん!
 違っていても同じ部分があって、その部分があるからわかり合えるけれど、
 でもそれは私と全部同じって事じゃないんだよ。
 違うからこそ同じ部分を見つけようって努力できるのだけれど、
 それと同時に、自分とは違う部分も違う部分としてちゃんと見てくれなきゃ、ほんと困る。
 人類のためにってゼフィリス達が戦うのはいい。
 でも、その「人類のために」っていうのがどういうのか、しっかりちゃんと考えてみたこと、ある?
 ゼフィリスは、わかってるよ。
 でも、半分しかわかってない。
 私の事信じて私の言い分聞いてくれるっていうのは、それは良いよ。
 でもさ。
 じゃ、私以外の人達は?
 あんた達が言う「人類」って、あとどれだけ居ると思ってんの?
 だから私の言い分を聞き届けるとき、私と正反対のことを考えてる人の意見は無視され、
 それもやっぱりベクナム様の意志を無視するってことにならない?
 単に私を無視するのがベクナム様を無視しているよう、って感じるのはちょっとおかしい。
 
 要するに、さ。
 
 謝られても、困るのよ。
 お兄ちゃんを救ったのはゼフィリス、やっぱりあんたよ。
 それにね、ゼフィリス。
 私達を巻き込んですまない、って言ってっけどさ。
 馬鹿ねぇ。
 あんたはあんたの好きなようにやりなさい、私はそう言いたかったのよ。
 それが私達に迷惑かけることだって、ほんとのほんとは人類に大迷惑かけたって、
 それはそれでいいんじゃん、って私は思うんだわ。
 ゼフィリスはゼフィリスの正しいと思ったことをやっただけなんでしょう?
 私達だって自分達の正しいことやって、そんだけなんだよ。
 そのことで、逆に私達だってたくさんゼフィリス達に迷惑かけてるっての、わかってる?
 誰も自分勝手だなんて、誰をも責めることなんて出来ないし、謝罪して貰う立場になんて居ないんだよ。
 私らみんな、そんなに偉い存在じゃ無いんだってば。
 私がゼフィリスに要求してることや、ゼフィリスの此処がおかしいって言ってるのはさ、
 あくまで私の都合な訳で、それだけが正しいって訳じゃない。
 だって私、ゼフィリスの事も正しいって思うもん。
 おかしいって思うことと、それが正しいって思うことは、別に矛盾しないよ。
 
 だからさ、ゼフィリス。
 
 どうすればいいか、って聞かれたら、私は。
 私の言う通りにしてって言うか、あんたの好きにしたら良いよ、って言うのかのどっちかだけだけど、
 それでも良いの?
 
 あんたはもう、答えを知ってるよ。
 
 
 

                          ◆ 『』内文章、アニメ「スクラップドプリンセス」より引用 ◆

 
 
 

-- 040707--                    

 

         

                              ■■歩け、この空の下を■■

     
 
 
 
 
 ごきげんよう。
 駅前に飾ってあった短冊に世界平和を願うと書き込む勇気が無かった紅い瞳です。
 
 もうなんか真夏で熱帯夜で暑くて死ぬーですけれど、私は元気です。
 ええもう、元気ですとも。
 新アニメの御伽草子を録画し期待に胸膨らませて再生したら、
 野球の延長で放送が30分ずれ込み、ルンゲ警部のドアップが。なんかもうおでこで一杯。
 そんな感じですけれで元気元気。
 だって、マリみてが始まってるんですから。
 もう、なにもいらない(虚ろな瞳で)
 
 ていうか聞いてくださいよ。
 マリみての感想書いたあとに色々感想系サイト見ていたら、
 なんだかもう全文是れ愛、みたいなむしろ萌え、みたいな感じでぬはーって感じで、
 もうなんかそのあのええと微妙にもどかしかった。
 なんかもう、メッチャクチャ損した気分。
 私ももっと叫べば良かったっっ。
 ああああ、マリみていいよぅーマリみて大好きぃーマリみて愛してるぅー好きぃー(魂の抜けた声で)
 ぐぅ。
 機を逸した叫びのなんと虚しいことか。
 いやもう、よそう。
 ここで具体名(聖様とか聖様とか聖様とか)言って萌えたりしても、もはや虚しい。
 萌えには新鮮さもまた重要な要素であるということが、よくわかりました。
 
 ああ〜、でもいいよな〜○○は〜(伏せ字)
 ・・・来週こそは。
 
 
 
 色々考えた結果、なにも考えつかないということにたどり着き、
 でもなんかもうどうでもいいやって諦める勇気も持てなくて、
 ただウジウジといつまでも考えてる自分が好きですなんて暇潰しに言ってみるには危険すぎて、
 だからといってはっきり明言してしまうことで変化してしまう事実に責任を持つ自信も無くて、
 それなのにどこか平然となにもかも実行していてそれが心無しかすべて成功を収めてしまっている、
 その乖離感覚に付いていけなくてそれが一番恐いんだけれど、
 けれどその恐いということは恐いはずという自分の論理による推測としての結果にしか過ぎず、
 実際のところ恐くもなんとも無いと自信たっぷりに言えてる自分こそ恐くて、
 でもだからといってその恐怖がどんな弊害をもたらしているのかを発見することができないまま、
 やはりズルズルと自分の力では無いはずの成果を甘受しているじれったさは当分解消できないし、
 またその解消しないでいるという選択自体にすべての原因があるとわかっているくせに、
 やはりそこに選択を迫っているはずの自分自身の姿を見つけられない自分、
 それが嫌と言えばなにより嫌な訳でそれを指して罪悪感と言えば罪悪感もしれないけれど、
 そんなのは別に特に利用価値も無い感覚なのでスルーするところのものであるところは明白で、
 だから特にすがれるものとて無いただただ普通な生活を見つめていたりしますけれど、
 それだって結局はいつもと変わらないという意味での普通でしか無いわけなのだから、
 その普通さに頼ることもまた無意味という結論を導き出すからこそ、
 そこに自分が見ているものが確かにあると感じている訳であるのだから、
 あんまりなにも考えないでいる状況は良いとは言えないかもしれないと考えてしまうあたりに、
 そこはかとなく誰かに答えをぽんと渡されてそれを無抵抗に受け入れて有り難がってみるこの異様さ、
 それに愛着が持て始めたりして、なんだかいつのまにか自分の中になにかが落ち着いていくのを感じた。
 うん、感じました。
 感じたのダ。
 たぶん。
 
 結論: まー、適当に?
 
 
 あとなんか色々お話したかったことがあったのですけれど、忘れたので、その、もういいです。
 もういいんです、ほんとに。あははー。
 
 
 これはもう一種の麻薬じゃないかってくらい書いてしまうおまけ的マドラックス感想:
 もし持っていったら、あなたを殺すわ(挨拶)
 アンファンの放つ真実とやらを思いっきり貰ってしまったマドラックさんは記憶喪失に。
 紅い靴がなんだとか言っちゃって、ヴァネッサさん的にやっぱり危機に。
 一方、クアンジッタ様が登場。
 なにやら少女からナハルさんがマーガレットお嬢様が持つセカンダリを見つけたとの由、報告を受けます。
 「ナハル様は一度回収に失敗した」、という報告でしたけれど、
 ナハル様のあのときの恐怖はそれだけの報告で済ませられるほど、
 生易しいものじゃありませんでした。
 ナハルさんのあの夜はしっかりトラウマになっています。
 報われないナハルさんにご同情申し上げます。
 で、マーガレットお嬢様に再び接触したカロッスアさんですけれど、
 こっちもこっちでお嬢様にあなた誰でしたっけ? という顔をされています。
 がっくりと崩れていく自分の体を支えながら、なんかもう色々ぶっちゃけてしまうカロッスアさん。
 いきなり単刀直入に本の話題に入りますが、
 いきなり横合いからエリノアさんに首を突っ込まれてしまいます。
 お嬢様をお守りするのも私の役目です、というエリノアさんですけれど、
 でも買い物袋を抱えているお姿を見たところ、お買い物途中で偶然見つけたって感じがしますけど、
 そのあたりはやっぱり公然の秘密なんでしょうか。
 それ以上なにかいうとエリノアさんの飛び膝蹴りが飛んで来そうなの黙りますけれど、
 そんな調子で視線をエリノアさんから外していると、ひょんなところにナハルさんを発見。
 木の上。なんかもう、木の上部の枝の中に隠れてこっちコソコソ見てるんです。
 ナハルさんの受けた傷は相当大きいです。
 冷静なセリフを述べつつも、あの夜を思い出して顔が青ざめてたりします。かわいそうに。
 そんなナハルさんを尻目に、カロッスアさんもうズバズバ行きます。
 マーガレットお嬢様の本は誰かに狙われている、とかもうなんかぶっちゃけます。
 途端にお嬢様はキョロキョロと辺りを見回して怯えていますけれど、
 大丈夫。あなたは既にあなた以上にその誰かを怯えさせてますから。
 本を狙ってるもう一方の当のカロッスアさんですら、もう手駒が尽きかけているのですから、
 お嬢様の防御は鉄壁です。
 で、その鉄壁の一画を担うエリノアさんにもう怪しまれるにもほどがあるくらいに怪しまれ、
 カロッスアさんがなんだかもう可哀想なくらい。
 でもねカロッスアさん、あれだけハズしておいてお嬢様送るっていうのはあまりにもハズしすぎですよ。
 第一、誰かに狙われている事、この一件は自分がなんとかしますって説得力無さ過ぎですって。
 ところかわって、マドラックスwithヴァネッサ。
 マドラックス: 「一緒に、寝ていい?」
 
 ヴァネッサ: 「なに、考えてるの?」
 
 疑心暗鬼を乗り越えて、目の前のマドラックスをほっぽりだして頭の中はマーガレットお嬢様で一杯。
 もうヤケクソなヴァネッサさんは、その子と友達になれるかなというマドラックスさんに、
 限りなく無責任に相槌を打っていたり。
 まーあくまで紅い靴にこだわり続けるマドラックスさんと同じレベルで一杯一杯な感じですので、
 その相槌も不当というほどではないかもしれませんけれど。
 場面はまた戻りまして、バートン家へ。
 カロッスアさんの話は私は半信半疑ですというエリノアさんですけれど、
 九割方エリノアさんは疑っていらっしゃいます。
 たとえどんな状況(九割方カロッスアさんがキレて襲ってくるのを想定)になってもお嬢様を守る、
 とエリノアさんは見事なおとこっぷりを発揮してお嬢様を虜にする作戦を遂行。
 人心を掌握するには、外に敵を作ってそれに立ち向かう自分の姿をカッコ良く演出するに限る。
 エリノアさんに、心なしか王気が見えます。
 そんな警戒されまくり、というよりむしろエリノアさんに利用されてる感じのカロッスアさんは、
 脈絡もの無くナハルさんと接触。
 なんだかふたりとも、マーガレットお嬢様が居ないところでは強気に見えます。
 お互いに無闇に背後を取り合い、これが俺(私)の実力だみたく随分なハリキリっぷり。
 でも。
 カロッスアさん: 「あの少女から(本は)は奪えない。わかってるんじゃないのか?
 
 ナハルさん: 「・・・・・・(心の中で激しく首肯)」
 
 もうなんかふたりともビクビクドキドキ。
 とにかくどちらかに本を恐いお嬢様から奪わせて、それを横取りしようと必死必死。
 もうとにかくあのお嬢様に直接は関わりたくない、という心の叫びがふたりの間に行き交っています。
 結局ふたりともそれに気づいて恥ずかしくなったのか、意味不明なセリフを残して別れます。
 場面またまた変わって、ガザッソニカ。
 紅い靴を求めて夜の街を徘徊するマドラックスさんを、銃で狙って何回殺せるかを数えるリメルダさん。
 ああもう、この人のつまらなそうな顔ってばステキ。
 この人が一番楽しんでるように見えるから、その楽しさが終わってしまったときの表情の哀しさはいいです。
 それはいいんですけれど、少々おいたが過ぎたリメルダさん。
 素人さん(ヴァネッサさん)相手に銃向けて弱い物イジメごっこを楽しんじゃいます。
 壊れた玩具をさらに壊すのもそれはそれで、みたいな感触でマドラックスさん共々やっちゃおうとしますが、
 間一髪で治っちゃったマドラックスさんのカウンターが思いっきりヒット。
 ていうか、リメルダさん油断しすぎ油断しすぎ。
 けど。
 復活したマドラックスさんに消えてと言われ見逃されたリメルダさん。
 ここで見逃すと後悔するわよと言うリメルダさんを、でしょうねと一蹴するマドラックスさん。
 でも、この人は嬉しそうだ →リメルダさん
 
 家の前の通りをエリノアさんと歩くマーガレットお嬢様に再接近したナハルさんですが、
 すれ違い様、思いっきり本を取らないでくださいとお嬢様に言われてしまいます。
 シカトして堂々と通り過ぎるナハルさんの瞳が恐怖の涙で潤んでいたのを私は見逃しません。
 資質があるのは貴女じゃ(ボケの)
 
 なんかもう、楽しくて楽しくて仕方がありません。
 
 
 

-- 040705--                    

 

         

                                   ■■月の終わり■■

     
 
 
 
 
 月姫第11話の感想を始めます。
 
 といっても、それほどお話する事はないものでした。
 まさに映像を見て、その通りと想い、それ以上の範疇へと進むことができないまま、
 それで今回のお話が終わってしまったような感触がありました。
 アルクも秋葉の事も、わかります。
 わかりすぎて、わからないところが無いという空白感があります。
 あれ以上の事を以て、ふたりを語る術を私は持ち得ませんでした。
 逆に言うと、映像的にふたりの中には、もはや私が導き出せることは、なにも無かった、
 ということです。
 彼らがあの世界の中で言い動くこと、そのどれをひとつとっても納得行かないものは無い。
 けれど、その上でではその納得いったものは、他のどのような言葉で描く事ができるのだろうか、
 そういう風にしてみると、もう其処にはそうすることが不可能な事実だけが横たわっています。
 この物語は、もう終わりたがっています。
 あの中に、私はアルクも秋葉ももう見つけることができませんでした。
 そしてなによりも、すべてを受け入れきってしまっている、伽藍堂のような志貴が居ました。
 なぜ、志貴は秋葉のあの姿の前を素通りできたのでしょうか。
 なぜ、志貴はアルクと体を重ねたのでしょうか。
 志貴のその「物わかりの良さ」は、あまりにも志貴過ぎて、そのせいで志貴では無くなっていました。
 志貴は志貴からの脱却を図ること、それが志貴であったのに、
 その過程を見事に省略し、「志貴」という動かない完成形へと収まってしまっているのです。
 あの志貴は、一体何者なのでしょうか。
 志貴が志貴で居る事に満足しているなんて。
 
 このお話は、今までで最大の謎を含んでいます。
 志貴とはなんなのか、それが改めて問い直されなくてはいけません。
 アルクと秋葉も、途中のお話でそれぞれ麗しいほどの生命感を以て存在していましたけれど、
 いつのまにか物語に流れる時間によって押し潰され、
 結果残ったのは、いびつに凝縮された不気味な志貴の姿だけ。
 それは、周囲の人々の影から生命を吸い取ったかの如く醜く膨張し、
 自らになにも無いという意識を持ち始めていた体に、分厚い鎧を付け足していきます。
 そしてその鎧は体と一体化し、もう既にその志貴は何者でも無くなっているように思えます。
 意志の無い志貴が、意志だけによって動いている不気味。
 かつてこれほど志貴が「意志」によって動いたことで成功した事があったでしょうか?
 秋葉の事を自分の意志で救おうとして、
 そして完膚無きまでに絶望の淵に追い落とされたのは志貴です。
 その絶望の淵から、一体志貴はいつ生還したというのでしょう。
 秋葉との事を一端カッコに括って無かったことにし、その状態でアルクと共に歩こうとした志貴は、
 其処に確かに自分の意志の無い事を感じていたはずです。
 志貴はアルクによって連れ出されただけなのですから。
 
 その志貴が今、なによりもはっきりと動いています。
 次々と明かされる「真実」を、すべて鵜呑みにできてしまう強靱さを以て捉えている志貴。
 志貴にそのような強靱さは無く、志貴にはただうつろな現実感があっただけのはず。
 すべてを飛び越え、志貴は今、確かに現実の中で生きています。
 自動的にすべてを処理しているようには、どうしても見えません。
 あまりにも鮮明に、自発的に、そして目的意識の元、すべてを捉え、そして前に進んでいます。
 それなのに。
 いえ、だからこそのなのかもしれません。
 だからこそ、志貴のその姿に言いようの無い異様さを私は見つけています。
 この志貴は、なんなのだろう、と。
 琥珀と翡翠に、なんでああも堂々と、そして簡単に秋葉の事を託せるのでしょうか。
 琥珀や翡翠に対しても、それぞれ乗り越えなければならない壁を建設していたというのに、
 志貴の前の壁は取り払われ、いつのまにかそれが当たり前の関係になっている。
 
 いえ。
 やはりここがポイントなのでしょう。
 
 志貴は、琥珀と翡翠と、そして秋葉の前を素通りしようとしているのです。
 目の前にある壁を無視して、その壁ごと受け入れてしまっているのです。
 だから、琥珀がどのような思いで秋葉を見、志貴を見ているのかに関係無く、
 志貴は琥珀に秋葉を託したのです。
 その志貴の態度は、他ならぬ琥珀の願いそのものであったのですけれど、
 勿論志貴がその事を意識してやったとは到底思えません。
 ですから、琥珀には志貴のその姿はただ都合良く、そして志貴には琥珀がどうでも良かったのです。
 翡翠についても、琥珀とそれほどの違いは無いでしょう。
 そして秋葉は。
 秋葉はもう、志貴の中では完全に消滅してしまっていると思います。
 琥珀との場合と同じく、おそらく志貴は秋葉が志貴に求めていたものを秋葉に渡す事ができるでしょう。
 けれど、志貴にはたぶんどうしてそうできるのか理解はしていないはずですし、
 そしてまた、渡すことができればそれで良い、そう思ってそれきりになると思います。
 志貴にとっての秋葉は、それだけの物でしかない。
 秋葉への想い入れ、それ自体は確かに大きいでしょう。
 でも。
 今の志貴は、答えを手に入れてはしゃいでいる子供と同じです。
 秋葉に与える事のできる解答を手にして、それで秋葉から逃げられるということをわかっていると思います。
 
 この月姫という物語における主人公、志貴はすべての脈絡をなげうって、
 今、この形に収束しようとしています。
 私には、この志貴の姿がわからないようでいて、わかります。
 わかりすぎてその影を薄くしていってしまった今回の秋葉とアルクのお陰で、
 志貴のその変容の異様さが、それ自体が実は志貴だった、ということを思い出させてくれたのです。
 志貴は徹頭徹尾、自動的だったのです。
 自動的な姿から能動的な姿へと脈絡無く変化してしまう、そういう自動性。
 私にはだから、絶対に絶対に志貴を理解する事はできません。
 言葉の端々を捉えて、部分部分を理解することはできても、
 それらの言葉の出所に位置する思想がどういうものであるのか、わかりません。
 私はその人格の見えない入れ物の志貴の輝きを見て、そしてうっとりとするしかできません。
 そう、志貴は誰よりも美しいのです。
 言葉で語り得ぬ、そして言葉で支配できないその姿は、志貴だけが其処に確かに居て、
 そしてそれは同時に志貴だけが其処に居ない、そういう事を感じさせてくれます。
 夜の中で月だけが輝いているのか、それとも月だけが暗闇で彩られる夜空の中で空白なのか。
 その月は、今確かに終わろうとしています。
 初めて、その意志を貫徹するために。
 
 
 以上、11話についてお話させて頂きました。
 正直、書くのが辛いお話でした。
 もう既になにも書く必要が無いくらいに月姫は終わりに向かってしまっていて、
 私が目論んでいた志貴と秋葉やアルクとの関係についての感想を抱くことがまったくできない、
 そういうものでした。
 それでもこれだけはなんとか書くことができたことを、喜んで良いのかがっかりすればよいのか、
 それは微妙なところですけれども(笑)
 ただ、私は志貴についてのこの私の考えにはそれなりの想いがあります。
 志貴の自動的加減というのは、実際見ていて、私は強く感じるところのものですし、
 またその「自動的」とはなにか、という事に対する疑問も常に抱いています。
 それは逆に言えば、自動的では無いこととはなにか、ということでもあり、
 意志とはなにか、というところへも繋がっていけます。
 残念ながら、今の私では志貴を使ってそこまで論を進めることはできませんけれども、
 残る最終話において、出来る限りの力を以て、その観点から志貴を語れたら良いなと思っています。
 勿論、秋葉を語れる事を望む事も忘れてはいません(笑)
 
 それでは、次週いよいよ最終回です。
 紅い瞳の月姫観の総結集となれる感想を抱けるよう願いつつ、
 今夜はこれにて幕とさせて頂きます。
 次回、またお会い致しましょう。
 
 
 

-- 040704--                    

 

         

                            ■■マリア様と過ごす長い夜■■

     
 
 
 
 
 もー、もー、もぅー! (大興奮中)
 
 
 ご、ごきげんよう、皆様。
 その、あの、ごきげんよう(落ち着きなさい)
 だって、だって、わかりますでしょう?
 なにが楽しみだったかというと、今日ほど楽しみに待っていた日は無いのですよ?
 
 祝! マリみて第二期放送開始♪ (こぼれんばかりの笑顔で)
 
 
 改めまして。
 紅い瞳です。
 いよいよなので御座います。
 ついについにアニメの続きが見れるので御座います。
 なんと嬉しい事でしょう。なんと幸せな事なのでしょう。
 あの感動を今一度。いえ、前以上に素晴らしいものと出会えるかもしれないという予感。
 その予感から逃れること叶わず、紅い瞳、全力でマリみてを受け止めることを此処に再び誓います。
 マリア様がみてる、いきます。
 
 さて、早速見ました。
 タイトルは「長き夜の」。
 どうやらこれは第一期の13話(最終話)からの連続として、第14話と位置づけられているようです。
 ですから、この日記でも以降各話に14以降の数字を割り振っていこうと思います。
 そして、OPなのですけれど、原作者・今野緒雪作詞の歌詞がついてのリニューアルバージョンに。
 これはもう合う合わないを別として、最高でした。
 最初のひと声を聞いた瞬間、私は震えました。
 すべての雑念を一瞬の間にすり抜けて、私の魂に一気に飛び込んで来たかのような、
 透き通りつつ、決して逃げる事の出来ないほどのスピードで追いすがってくる音。
 歌詞無しの第一期バージョンの、ほのかに漂いながらまとわりついていてくれる安心感とは一線を画し、
 どこまでも真摯な視線で私の中心に向かってくる感覚は、ある意味で壮絶。
 例えるのならば、薔薇様達に優しく抱かれていながらの生活が、
 やがてそれが自分だけの瞳ですべてを見つめ暖めていかなければ、という変化に満たされる、
 そういう祐巳さんや、特に祥子様の感覚が醸し出されているような、そのような感じ。
 本当にこんなにOPで心が揺さぶられるなんて思いませんでした。
 そしてこのOPの変更のうちに、マリみて第二期への私のマリみて鑑賞への覚悟が決まっていくのを、
 秘かに感じるのでした。
 
 お話の舞台は、冬休み中。
 祐巳さんの家にロサギガンティアから山百合会の新年会のお誘いの電話があるところから、
 物語は始まります。
 新年早々ノリノリの聖様にたじたじの祐巳さん。
 聖様の奸計に私はメロメロでしたけれど(笑)、
 祐巳さんはいきなり聖様車に乗せられてしまい、もう大変。
 初速からアクセル全開な聖様。
 免許取りたてだけど大丈夫、と祐巳さんを安心させる聖様。
 けれどそのこころは、エアバッグが付いてるから。
 この速度でぶつかったら、絶対死にますロサギガンティア。
 ようやく車が止まったかと思うと、そこはなんと祥子様の家。
 その大きさに驚きながらも、祥子様に久しぶりにお会いできて、祐巳さんはとても嬉しそう。
 祥子様の着物姿に私はメロメロでしたけれど(笑)。
 祥子様の家で一同会する山百合会の面々。
 ここでようやく登場キャラクターの説明的セリフが祐巳さんによって語られますけれど、
 あれだけじゃ絶対第二期から見た人にはわかりませんよ?
 ロ、ロサ・・・? (私も6ヶ月前はそうでした 笑)
 でも、あれ以上親切に説明したらテンポが崩れちゃうかもしれないのですから、仕方ないですね。
 
 さて、あらすじを述べていても仕方ありませんので、流れを変えましょう。
 祥子様の小笠原家の男性は、父も祖父も愛人を囲っている、というお話。
 そして今日は小笠原家の男達はいなくて、そして毎年祥子様はこの日は淋しく過ごしているのです。
 聖様は、ですから、自分達が卒業したら、こうしてちょくちょくと祥子様のところへ遊びに来て欲しいと、
 そう祐巳さんに言います。
 なによりも祥子様に笑顔をもたらすのは祐巳さんの存在。
 かつてはそれが祥子様の姉である蓉子様であったのですけれど、もう卒業してしまうのですから。
 そして、蓉子様と接するときと祐巳さんと接するときとでは、やはり違いがあります。
 柏木さん曰く、祐巳さんと居るときの祥子様が一番楽しそうなのだそうです。
 
 静かな顔で済ましている祥子様の状態。
 その中には、父達への怒りと共にある理不尽な寂しさがあったことでしょう。
 自らの男嫌いの一因を担っている男達の行為。
 父達の姿が無くなる度に祥子様は激怒し、そしてそれを決して表には出さない事を延々と続けてきた。
 学校での、怒りを全力で表に向けて発散する祥子様からは、想像もできない静けさ。
 それは既に諦めの元に捕えられてしまった、怒りの残骸なのかもしれません。
 それでも、長い時間をかけて壊されていった祥子様の怒りの念は、
 それでも決して無くならずに、場所と対象を変えて生き残っています。
 私には、祥子様において「怒り」というのは大事な要素だと思っています。
 正しいことを正しいといい、間違っていることを間違っていると言う。
 その正邪の付与を周囲に為す事で、それでひとつの安心を祥子様は得ています。
 それが出来なければ出来ないほど、そうしたいという欲求は高まり、
 そしてそれができない限り、祥子様は安心感を得られずに消えない寂しさを得てしまう。
 自分は正しいことをしたいだけなのに、それをしたいと願えば願うほど寂しくなってしまう。
 その寂しさはしかも祥子様が間違っていると怒りをもって見つめている父達の不在が、
 なによりももたらしているという、そういうあまりにも理不尽が祥子様を包んでいます。
 どんなに間違っていても、父が居ないことが寂しい事は事実。
 どんなに怒って憎んでも、その想いを伝える事はどうしても祥子様にはできなくて。
 そういう教育を為されてきたから、それだけでは無いと思います。
 祥子様がもし怒ったとしたら、なによりそれが最も父祖を遠ざけてしまう事になる、
 その事をなによりも祥子様は強く感じていると思います。
 自分が置かれている不幸な境遇、それに嘆いている不幸なプリンセス、
 私は祥子様はそういう人では無い、と思います。
 祥子様は、自分が周囲から辛い目に合わされ、それが間違っている事なら頑としてはねつける人です。
 祥子様が戦っているのは、自分自身。
 自分が一番大切だと思っていることをすると、それが自分が求めているものを失うということ、
 その矛盾、祥子様はそのことに耐え、その事と戦っているのです。
 
 祥子様が柏木さんに、祐巳さんと居るときのさっちゃんは楽しそうだ、
 そう言われたときに見せた、とてもとても悲しそうな顔。
 それまで聖様にからまれていた祐巳さんを叱りつけていたときの祥子様は、
 確かに柏木さんの仰る通り、とても楽しい瞬間を生きていたと思います。
 聖様に嫉妬し、祐巳さんを戒めることそれ自体、祥子様のしたいことである正しい事を両者に求める、
 その方式をあくまで「方便」として、確かに楽しめていたのです。
 これは、学校での祥子様の生活の延長上にあることです。
 怒り心頭に達した高揚感、それを指して楽しんでいる、と見た柏木さんは慧眼です。
 そしてその高揚感に、祐巳さんは不可欠な存在であることは言うまでもありません。
 そして聖様も、自覚的にその一助となる存在になっています。
 
 けれど。
 
 柏木さんにそれを指摘された瞬間、すべてが瓦解してしまいます。
 それは柏木さんのせいで無いようで、柏木さんのせいでもあります。
 祥子様は、この瞬間、祐巳さんの居ない生活を考えてしまったのです。
 怒りを素直に示すことの出来ない、愚かな男達に囲まれた自分の長い長い暗い生活を。
 自分の寂しさが、それがなにに起因するのか、その男達のひとりである柏木さんの姿に見てしまうのです。
 私は、柏木さん自身は不思議な人だと思っています。
 かなり祥子様の想いを軽やかに無視する無神経さを晒しながら、
 それでいて、どこか祥子様の後ろ姿をただ自分勝手にに見つめているだけでは無い、
 そういう感じも同時に受けています。
 でも、少なくとも柏木さんの言動は祥子様に直接的にも、そして間接的にもダメージを与え、
 そして新たなら苦痛を祥子様に喚起させてもいるのです。
 自分は一体、なにを楽しんでいるのか。
 祥子様は自分のしていることを、改めてみつめます。
 自分はただ、怒りを祐巳にぶつける楽しみに逃げているだけでは無いか、と。
 祐巳と居るのは確かに楽しい、でも、それは・・・・。
 祐巳さんの姿を見ればみるほど、もう柏木さんを含む男の姿が消えなくなっていってしまいます。
 そして、祐巳さんが傍らにいながら、とてつも無い寂しさに襲われてしまうのです。
 
 でも。
 それでも。
 祥子様の冷徹なる静けさは、その寂しさを完全に乗り越えます。
 朝の来ない夜は無い、の如く、祥子様に乗り越えられない寂しさは無いのです。
 ずっとずっと繰り返されてきた事なのですから。
 そして、今は。
 今はなによりも祐巳さんが居るのです。
 かつて祐巳さん的な存在は祥子様にあったでしょう。
 そしてその存在と接するたびに、何度も同じ寂しさを味わってきたことでしょう。
 でも、祐巳さんはただひとり祐巳さん。
 いままでとなんら変わりの無い寂しさを繰り返しながらも、それでもそこに祐巳さんが居る。
 たとえ必ず朝が来る夜とはいえ、その朝が終わり日が終わればまた夜が来る事には変わりない。
 祥子様はずっとずっとその長い夜を生きてこられたのです。
 けれど祐巳さんは、その長い夜を共に過ごし、そして必ず翌朝、祥子様を迎えてくれるのです。
 ふたりで良い夢を願いながら、明日を待つ。
 ほんとうは、まだまだ祥子様と同じ夜を過ごせるほどに祐巳さんは祥子様に近づけてはいません。
 なによりも祥子様が、それ以上祐巳さんを近づけたりはしないのです。
 なぜなら、これは祥子様の、御自分の戦いなのですから。
 祐巳さんが自分と一緒に戦ってくれる、そう思ってくれているとわかるだけで、
 どれだけ祥子様は強くなれる事でしょうか。
 それで充分なのですし、それ以上ではあってはならないのです。
 それが、祥子様のしたい「正しい」戦い方なのですから。
 でもそれでも。
 祥子様は自分がひとりぽっちで居ることの寂しさ、
 それをただ受け入れていくだけ、それを良しとはもうしたくない、そう思うのです。
 たとえ自分が間違ってでも、誰かにそばにいて貰いたい。
 長き夜をひとりで過ごさねばならないと決めている、そんな理不尽な自分が此処に居る。
 此処に、愚かな男達に混じってさらに本当に愚かな自分が居る。
 間違っている事をしろとは思わない。
 でもだからといって正しい事を同じ方法で用い、そしてそこから同じものを得ようとする、
 それこそ本当に愚かな事じゃないの?
 私には、もう祐巳がいる。
 また遊びにいらっしゃい、と仰った祥子様の心情、推して知るべしで御座います。
 
 祥子様の長き夜は決して終わりはしません。
 その事を祥子様は知っています。
 自分の想いがある限り、それは変わり得ない事なのです。
 でも、その長き夜をどう過ごしていくか、どういう明日の夢を見ながら眠りにつくのか、
 祥子様はもう考えることができるようになっているのです。
 それを可能にした祐巳さんが、今、自分の隣に居る。
 お姉様の蓉子様に感じていた安心感、それだけでは無いものを祐巳さんは与えてくれます。
 姉の私はしっかりしなくては。
 その意識が自らの正義感を「新たな形」で生成し、そして育てていくことで、
 祥子様は強く強くこの夜を生きていくことができるようになるのです。
 
 祐巳さんと、そして祥子様を見つめる聖様が居ます。
 すべて画策した聖様が居ます。
 ふたりが句を詠み合う姿を、してやったりの瞳で見つめる聖様の甘く優しい瞳、
 私は今回最も美しいものとして感じました。
 と、いいますか聖様最高です(笑)
 
 
 という感じで御座いました。
 なには置いても、やっぱりマリみては素晴らしゅう御座いました。
 とはいえ、描かれたものの分量自体が少ないのではというご不満は、
 特に原作ファンの方にはお有りでしょうし、私もそう思うところもあります。
 でも。
 なにからなにまで、そう、与えられたものをすべて確実に甘受できれば、これに尽きることはありません。
 ただ其処にあるものを、それを疑いなく受け取ってみる。
 目の前にある幸せを目一杯味わうことで、私にはその不足感を意識することはあまりありませんでした。
 噛めば噛むほど味が出る、そういうたとえもありますことですし(笑)
 その不足感だって、次回への期待感に押し潰されてもう欠片も私の中には残っていません。
 
 
 それでは、本日はこの辺りで筆を置くことと致しましょう。
 次回、またお会い致しましょう。
 
 
 
 
 
 次回はロサフェティダのおでこがなぜあんなに広いのか、の謎が解けるようです。
 
 
 
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                              ■■『遥かなる追想曲』■■

     
 
 
 
 
 『でも・・行かなきゃ・・。どうしたらいいかなんて、まるでわからないよ。
  なにが正しいことかなんて、私には全然わからない。
  でも行かなきゃあなにも変わらない。行けばなんとかなるかもしれない。だから・・・行かないと』
 

                            〜 第十三話のパシフィカのセリフより〜

 
 
 
 
 行かなくちゃ。
 行かなくちゃ、人が一杯死んじゃう。
 それなら、行くしかないじゃない。
 なんで行くしかないと思うのかと聞かれると、ちょっと困っちゃうけど。
 たぶん、行くべきだと思うからじゃないかな。
 人が死んでいくのを、ただ黙ってみていられるほど、私は強くない。
 強くないし、そしてそれが強い事なのだとしたら、私は強くなんかなりたくない。
 
 だから、私は行く。
 ラインバンへ、王都ザウエルへ行くんだ。
 私が行けば、みんな死ななくて済むらしいから。
 ピースメーカーだって、私が来たのにたくさんの人を殺したりはしないわよ。
 そう。
 あとは私が死ぬ覚悟を決めれば、それで良い事なのよ。
 といっても、私はあんまり死ぬって気はしないんだよね。
 私、私のせいで誰かが死ぬのは嫌だけれど、
 誰かのせいで私が死ぬのも嫌なの。
 ていうかね、私が死ぬ理由を他の人達に押し付けたくないの。
 私が生きてきた事って、最初からそういう事なのだから。
 だから私は、こういう事態になることは最初からわかっていたの。
 お兄ちゃんもお姉ちゃんも、いつかはこの選択を迫られる日が来ることはわかっていたと思うの。
 だから、覚悟はもうとっくの昔に出来てる。
 でも、その覚悟はたぶん、役には立たないと思う。
 
 私が死ぬか、私が死なないか、それはたぶん問題じゃ無いんだと思う。
 それよりも、王都の人達をどうやって救えばいいのかって事が大事なんだと思う。
 勿論、それには私の生死が関わってくることに違いは無いけれど。
 でも、ほんとにどっちでもいいんだ。
 だって、今はまだなにもできないんだから。
 そして、実際行ってみて何が起こるか、私にはわからないんだから。
 たぶん、これは罠なんだと思う。
 きっと私達は死地に飛び込んでいくようなものなのだと思う。
 でもね、私は死にに行くんじゃないんだよ、セイネス。
 あなたも勿論戦うんでしょ?
 私は戦ったりすることはできないから、それはお兄ちゃんやお姉ちゃんにやって貰うかも知れないけれど、
 でも私にもしかしたら出来ることがあれば、それをやってきたいと思うんだ。
 私、一応廃棄王女なんだし。
 
 
 そう。
 私が廃棄王女っていう私の知らない存在であること。
 これによってなにができるのか、私には全然わかんない。
 セイネス達の説明はほんとにわかんないよ。
 でもね、私やお兄ちゃん達はひとつ知ってる事があるの。
 私が世界を滅ぼす猛毒だって事。
 正しいことのためだろうと、人類のためだろうと、私が居ることで多くの人が死ぬって事よ。
 私はね。
 私のために一日千人もの人が死んでいくなんて耐えられないのよ。
 私が生き延びることだけを考えるのなら、ゼフィリス達の言うように、
 王都の人達を見捨てればいいの。
 そうすれば、ピースメーカー達は無意味な事をしているだけになるのよね。
 ・・そんなの、許せるわけ無いでしょう。
 私が行かなければ、どのみち多くの人が死ぬことに変わりは無いの。
 私はね、私の命がなんのためにあるのか、それを自分で決めてるの。
 私は自分の生死を他人のせいにしたくない。
 だから、私は私の意志で死にに行くの。
 私は、私のせいで人が死んでいくのを見るのは嫌だから、
 その自分の気持ちの通りに行動してるだけ。
 
 ねぇ、ゼフィリス。
 私はさ、私のしたい事をしてるだけ。
 そして私のしたい事は、シャノン兄とラクウェル姉のやりたいことでもあると思うの。
 ふたりとも、たくさんの人が死んでいくのをほっておける人じゃないもん。
 シャノン兄はともかく、ラクウェル姉なんて私を死地に行かせる事を承知でまで行くって思ってるんだから。
 だからたぶん、私はまた一杯一杯ラクウェル姉に助けて貰うんだ。
 きっとラクウェル姉は、今までの何倍もの想いを込めて私を守らなくちゃいけないと思ってると思うんだ。
 だから私は一杯一杯迷惑かけて、たくさんたくさん甘えて、
 それでラクウェル姉と一緒に王都の人を守れたら・・・。
 ね? ステキでしょう、ゼフィリス。
 私にはなんにもできることはないよ。
 ただ守って貰うだけしかできない、弱っこいただの女の子だよ。
 でもさ、それなら王都の人達を守りたいって思っちゃ駄目なのかな?
 行ったって足手まといなだけの私なんかは、行っちゃ駄目なのかな?
 私ね、もうそう思うのやめたんだ。
 私はさ、もう自分のできない事をやりたいと思い、
 そしてやらなければいけないと思わなきゃいけないんだから。
 私はそれでもずっとなにもできないままでいるのかもしれない。
 でもなにもできないからと言って、だから王都の人達を見殺しにするなんてできない。
 私は自分の事なんにもできないのに、なにもかもほっぽってザウエルに行かなくちゃ。
 行ってなにができるかは、そのときにわかるよ、きっと。
 
 
 
 私がなにかをするために、どこかに行くかとか。
 私になにかできるから、なにかをしに行くとか。
 そんなちっちゃいこと、言ってらんないのよ!
 王都の人達がどういう視線で私を見るのかなんて、そんなの関係無い。
 私は人助けをしにいくんじゃ無いんだもん。
 私は、私のしたいことをしにいくだけ。
 それで、いいじゃない。
 私は、王都の人達が死にたいって言ったって、助けにいく。
 だから私は、王都の人達のために死にに行くんじゃない。
 だって、死なないもの。
 もしさ。
 もしピースメーカーに、今すぐ死ななければ王都の人達を全部殺すって言われたら。
 私はたぶん、ピースメーカーと戦うから。
 ピースメーカーがみんなを殺そうとするのを、なんとかして止めようとすると思う。
 それなら、私達が勝てないほどに圧倒的にピースメーカーが強かったら?
 それでも、私は最後まで戦う、と思う。
 誰のためでもなく、私のために。
 お姉ちゃんも、そう思ってくれてる。
 私を絶対に死なせたりしないって。
 お兄ちゃんも、たぶんそう思ってくれると思う。
 そして、私も王都の人達を絶対に死なせたりはしない、そう強く思ってる。
 
 
 不安が無い訳じゃないのよ。
 でも不安なんて感じてる余裕なんて無いのよ。
 もしかしたら死んじゃうかも、なんて事もただぼんやりとしか頭の中に浮かんでこないよ。
 どうでも良いとか、そういう感じじゃなくて。
 それよりも大切な事があるからなんじゃないかな。
 なにが大切なのかと聞かれると、ちょっと困っちゃうけど。
 でも私は、その大切ななにかのまま、そのまま前に行こうって思ってる。
 
 だからね、ゼフィリス。
 
 どうしたらいいかなんて、全部終わったあとで考えようよ。
 
 
 
 

                          ◆ 『』内文章、アニメ「スクラップドプリンセス」より引用 ◆

 
 
 

 

 

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