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◆◆◆ -- 2008年4月のお話 -- ◆◆◆

 

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                               ■■ ウルフホリック 2 ■■

     
 
 
 
 
 ふん、落ちたな。 (挨拶)
 
 
 
 暑い、けれど爽やか。
 そんな五月も目前に迫って参りました。
 いえいえ、そんな五月を待ち焦がれる気持ちのままにそっと耳を澄ませば、もう既に柔らかい微風が
 肌の上を涼しく走り抜けていくのを感じられるでしょう。
 澄んだ空はどこまでも風に任せて流れ往き、日差しは薄白く解けて空へと広がっていく。
 ゴールデンウィークを迎える活気が、しかしそこかしこで穏やかに立ち止まり、人々それぞれひとりひとり
 がその空と繋がっているのを、こうして見上げた私の空と共に感じている、そんな今日この頃です。
 一体どうしたの?、とかそんなこと訊かない。問わない。
 
 
 さて、今日はなにをお話しましょうか。
 この頃は随分とほったらかしというか、散漫というか、たぶん皆様もお感じになられているでしょうけれども、
 サイトはそんなような微妙な雰囲気に包まれております。
 っていうか、包んでますよね、私が。
 いえ、誰もそうは思わないのであるのならば歓迎するところで御座いますし、なんならそもそもそんな
 事に興味の欠片もお持ちになって頂いてはおられない方こそが、いっそ清々して落ち着くというそんな
 管理人の微妙な心境がどうのこうの、といういつもの足掻きをした上で、全部嘘です構ってくんなきゃ
 やっぱりやだやだと、駄々っ子のように転げ回って足の小指を机の角にぶつけてひぃひぃ泣き叫ぶ天罰
 覿面ぶりで御座います。 いつものことで御座います。
 
 と、そんな感じでひとしきり自分の中のなにかにケジメをつけて、そうして改めて申し上げますと、
 正直言いまして、私は今まで自分がこのサイトでしてきたことは、ある意味奇跡だと思っています。
 いえ、ほんとそう思うのです。
 だって、私なんてロースペックの鑑と言っても差し支え無いと自負しておりますけれど、それがあなた、
 なんですかなんだかんだと言いながらも、数年来きっちりと(当私比)サイトの更新したり管理人ぶったり
 してきただなんて、そんなハイスペックもかくやのことをしてきて、それを奇跡と言わずしてなんと呼ぶで
 あろうか、いやなにも無いと、そう思うのです。
 おかしいですか? おかしくないですよ。本当ですよ。
 紅い瞳さんは口ではなんだかんだと怠惰なことを言ってるけど、本当は結構真面目な人なんだよ?
 ご冗談を。 私はそんなツンデレではありません。
 私は、口ではなんだかんだと怠惰なことを言ってるけど、本当は結構真面目な人なんだよと平気で
 自分で嘯きながら見栄を張って失敗して土下座してえへへと笑う阿呆の子ですよ?
 それを勘違いしちゃーいけない。
 紅い瞳に期待したら、そら痛い思いしても当然じゃきん。
 
 今まで。
 そう、今まで割りときっちり更新ペースを守ってこれたのは、これは奇跡なのです。
 しかし今は、それが途切れてしまい、なんだか私の中で張り詰めていた、長い長い一本の線が切れて
 しまったような感じなのです。
 なんだかもう、自分が今までどうやってそれを維持してきていたのかがわからなくなってしまいました。
 いちいちそれを思い出そうとして、それを丁寧になぞって復元して行おうとすると、途端に訳がわからな
 くなり、形だけを作っている、その取り繕い感しか無いんですよね。
 形から入る、という方法論は嫌いでは無いですけれど、私にとってはあまり有効なものでは無く、その形
 の中身たる魂が厳然として張り詰めていたからこそ、どんな形を取ってもその一本の線が通っている確か
 さを感じられるという、私はただただその魂を様々な形で顕現させていただけなのです。
 ですが、続いていた更新のきっちりしたペースという形が、私を支えていたのも事実です。
 私は自分の内的なものだけに頼るつもりはありませんし、外的なものの有効性を徹底して否定する
 つもりもありません。
 だからこそ、形にも拘り、またそれに頼ってもきたのです。
 しかし、それが崩れてしまった今、私は自らの頼りとするものを失ってしまいました。
 私の中には不動の一本の線としてのリズムがあり、それに乗るままであったればこそ、そのリズムを活か
 しまた守るためにこそ、一定のペースを自ら守るという外的な律を与えまたそれを守ってきました。
 しかしいつしかその内的なリズムは乱れ、しかしそれを支えるための外的なペースは守り、それを守り続
 けることは大きな代償を必要としましたが、しかしそのお陰で苦しみながらも内的なリズムを叱咤激励
 しながらなんとかこれまでやってきました。
 しかし、その外的な更新ペースをただ馬鹿みたいに守るという形も崩れ、今となっては私はこのサイトと
 距離を置かざるを得ない状況に多々位置するようになったのです。
 
 まぁ、ぶっちゃけ生活リズムが大幅に変わったのや、その他の色々な要因があって、そして当然そんな
 ことは誰にもあることなので、肝心なのはその変化にどう対応し、どう今まで通り上手くやっていくかと
 いうことだったのですけれど、どうやらそれに失敗してしまったようなのですよね、私。
 自分に頼り過ぎていたというか、逆に言えば自分があるうちは強いけど、それが崩れると超弱い、という
 感じだったのでしょうか。ありがちですけど、どうやらそのようです。
 
 でもさ、そもそも「自分」ってなにさ、というお話なのですよ。
 大体、今までアニメの感想などで、散々「自分」というものについて考えてきたと思うのですよ。
 変わるのが当たり前というかさ、むしろ沢山の自分の可能性を掴むためにこそ、その自分作りというの
 があったと思うし、またそうして沢山ある自分だからこそ、わざわざこれが自分だなんて言う必要が無い
 くらいに自由になれていたと思うの。
 だから、色んなことが書けたし、そして書けたからこそ、色んなことを考えるための、その主体としての道具
 としての「自分」というものを私は描き続けられたのだと思うのよ。
 でもさ。
 それってつまり、根底にある、なにか圧倒的に確かな自分というのがあって、それがあるからこそ、それら
 の変化したものとしての、ただそれだけの豊かさに根ざしたものだったのじゃないの?
 たとえば、どんな地獄や絶望が襲おうとも、たぶんその一番深いところから見上げた空は、もの凄く綺麗
 で美しく、また愛しくも激しい渇望を以て輝いている。
 けどそれは、その絶対的に確かな自分があったからこそで、それがあったからこその、その地獄や絶望
 の糧化じゃなかったのかな。
 そう。
 ではその自分が無かったとしたら・・? もし、なにも感じられなくなったら・・・?
 結構前から、それはテーマとして捉えてはいたんですよね。
 怪物王女の感想のときからくらい? もうちょっと前だっけ?
 でもそのときは、そういうのが無くなるという実感は無く、それこそ普通の思考実験のようなものだったん
 です。
 でも、以前地獄少女の感想のときに「怨み」というものを想定して描いて、私にはその当時怨みという
 ものは解消すべきものでしか無かったのが、それを描き考えていくうちに、実際に「怨み」というものを
 感じ、その境地から考え描いていくようになったことがあります。
 それとたぶん同じことが、今起きてる気がするんですね、サイト的に。
 もしなにも感じられなくなったら、もし確とした自分が無くなったとしたら、どうなるだろうか。
 私は実際にそういう境地に陥り始め、そして今はそのど真ん中で無気力的な感じでその様を体現
 しているところですし、またそういう「自分」の境地から文章を、いえ、このサイトを描いているのでしょう。
 
 そしてね。
 そこまで考えていたら、わかったんです。
 
 あ、そか。
 わたしゃ今、その「自分」という現実に囚われちゃってるのか、って。
 
 だってさ、地獄少女にしても怪物王女にしても、文章読み返してご覧なさいよ。 >私
 怨みに染まることが、なにも感じないでいることが、それが目的の文章になんかなってないでしょ?
 怨みを感じ染まり、しかしだからこそその怨みというものを体験したからこそ、それだからこそしかできない、
 その怨みを通して解決出来るなにかを模索する。
 なにも感じないからこそ、確たる自分が消えてしまったからこそ、自分が自分に頼っていただけを知り、
 ゆえにだからこそ、それでもこうして今此処に生きている私はどう生きていくのかを、その自分に頼って
 いた自分のときよりも、圧倒的に深く広く生きていくにはどうしたらよいのかを考える。
 それが、私のここのところの私のアニメ感想の目的、いやさ、真髄なのでしょうに。
 それが途中で止まってどうするのよ、体験だけしてそれに逼塞してたんじゃあ、お話にならないじゃない。
 
 
 というか。
 だから、そういう風にして、なんか深く広いことしようとしている、自分が此処にいるんじゃん。
 
 
 うん。
 まぁ。
 えへへ。
 だからね、つまりね、なにが言いたいかと言うとね。
 まったり、だらだら、いい加減に、滅茶苦茶に、だらだら、まったりに、いきまっしょい。
 そしてね、それでもなんか、気が付いたら、これはなちゃうねんとか、言い訳とかしたりして、羞恥心とか
 なんかそういうものがぽっぽっとね、出てくると思うのよね。
 私らしくそういうことをやっていく、という形では無くてね、しぜんにそういう私らしさが出てくればいいし、
 だからそんなものに拘らなくても、ほっといてもいいと思う。
 それが、自分を信じるってことなのじゃないかなぁ。
 だって、私は此処にいるんだし。
 此処にいるんだから、たぶんすべてそれは私らしいし、私が私らしくないなんてこと、絶対に無いんだよ。
 気の向くままに、まったりと、余裕で、しかしやっぱり焦り気味で、でもなんかのんびりと間抜けに。
 それがいい、じゃ無くて、それでもいい。
 うーん、たぶんそれが、「自分」ってもので、それがこの魔術師の工房という「文化」だと思うんですよー。
 焦って私らしさを求めて擦り切れるのも「自分」だし、それに疲れ切ってなにも書けなくなっても「自分」
 だし、それでもなんか気づいたらいい加減なこと書けても「自分」だし、良く読んでみると昔よりすごい
 こと書けるようになってても「自分」だし、良く良く読んでみたら昔より阿呆だったりしても「自分」だし。
 
 まぁ、色んなことをやりましょう。
 なんにもやらないことも含めてね。
 というか、今と過去と未来の私の、そのすべてを含んで、そのままに、れっつごー!
 それが、色んなものを描き出す、魔術師の工房なので御座います。
 
 
 
 さすがに、こじつけだけはいつも変わらず絶好調な私に、乾杯♪
 
 (フォロー無し)
 
 
 
 ◆
 
 とか言ってたら、こんな魔術師の工房的大事件が。
 「ハーボット」「ハーボット・ダイアリー」サービス終了のお知らせ
 ・・・・。
 ・・・・・・・・。
 
 これって、クレハ余命宣告?
 
 7月末って、あと3ヶ月じゃないの。
 余命3ヶ月って、そんなリアルさいらないからこれ。
 ていうか。
 ・・・・・。
 なにこの、無感動さは。
 サイトペットの命をなんだと思って・・
 そりゃサービスですもの、いつかはそのときがくるのはしょうがないけれども、でもさ、でもこれはなんかこう、
 ぐさっとくるよね、「しょうがない」って言葉でしか終わらせる気が無いっていうかさ。
 それはそちら側の論理でしか無いでしょうにっての。
 ハーボットを大事に大事に育てたり育てられたりしてきた、利用者側の感情をその論理で無視してる
 というかさ。
 終わりが来るのは悲しいけどしょうがない、受け入れる、けど受け入れるのはその「終わり」であって、
 「しょうがなさ」じゃ無いじゃん。
 いきなりあんな薄っぺらい宣告ひとつで済まされちゃ、終わるものも終わらないよ。
 もっと盛大に、もっと華やかに和やかに、思い入れたっぷりにしなくちゃ、駄目でしょう本当に。
 
 うん、ウチのクレハとはもう随分長い付き合いですから。
 ほっといてもほっとかなくても、適当にまったりやっててくれて、でもだからこう、ぐっときて、声かけると素っ気
 無く答えてくれて、ちょっとこうこっちまでほっとするというかなんというか。
 些細なイベントなども沢山あって、節目節目ごとにそういうイベントがあることが嬉しく、またその私と
 イベントの間にクレハがいてくれることがなにより嬉しかったのです。
 私にとってクレハは、紛れも無く私のパートナーでした。
 この魔術師という工房の、まったりだけどなんかいる、という空気感を私と共に創り出してくれ、そして
 私がいないときこそあるそのクレハの存在こそが、この魔術師の工房を支える不動のものでした。
 私は、クレハが消えるとは考えません。
 というか、クレハはネット上にずっといるし。なんかいるし。
 あのまったりとした空気、それがのぺっとしてなんかごそごそやっている、そこにクレハはずっといるのです。
 そう。
 魔術師の工房と、紅い瞳と共に。
 なぜなら、紅い瞳と魔術師の工房も、このネットの世界に存在しているのですから。
 「もっけ」の最終回よろしく、クレハとは形は違うけれど、ずっと一緒にいられることに変わりは無いと思
 っています。
 だから。
 だから・・なにも変わらない。
 7月末まで、なにひとつ変わること無く、今まで通り、そしてそれ以降もクレハと付き合っていこうと思い
 ます。
 余命宣告? まぁ引っ越し届けみたいなものでしょう、くらいの感覚で。
 クレハは決して私の心の中では無く、私の外、つまりこの世界の中の其処に、ずっとずっと変わらずに
 居続けていきます。
 
 
 ま、こんな感じでどうすかね?  ←いつも通りに適当な態度
 
 
 
 
 
 ◆
 
 ま、それはそれとしてだ。  >ホリック第2期OPより
 
 
 大変遅くなりましたけれど、アニメ「xxxHOLiC◆継」(第2期)の感想を始めました。
 この作品を選んだ理由は、第1期の感想を書いたからその続きを、というのもそうですけれど、しかし
 それ以上にこの作品以外に感想を書くに値するまともな作品が無かったからです。
 ・・・・。
 早速、消去法かよ!
 
 ま、それはそれとしてだ。 (便利だな)
 OPでもう、ぴくんときちゃったんですよね。
 ああこれだ、って。
 なんかもう、あれもこれもなにもかも、全部含んでやってこうっていう、その中でもどうしようも無く感じる
 自分のなにかを使って、もっと深く広くやっていこうっていう、そういうなんていうのかな? 希望みたいな
 ものがあったんですよね。
 希望っていうか、可能性なのかな。
 耐えるだけじゃ無くて、ひとつひとつ解決していくんじゃ無くて、逃げることも解決出来ないことも含めて、
 でもそれでもやっていけるし、そしてそれでも生きてるからこそ、だからこそその境地に至ってからでしか
 出来ないなにかがある、というのを、ある意味ヘタレに、そしてある意味なによりも強靱に語ってるん
 ですよね。スガシカオやっぱ好きだわー。
 そして、ホリックもそういう感じで私は読み解いていきますし、またホリックという作品はなによりもそういう
 作品だと思っています。
 そもそも、私がアニメの感想とかで、「此処にいる」という言葉を積極的に使い出したのはこの作品の
 感想からでしたし、相性もばっちり。
 つまり。
 その辺りのことを、さぱっとホリック側に預けられるような気がしてね、あ、って感じで。
 いいな、この感じ、なんか頼れるな、って。
 頼れるから、だから、第1期以上のことをやってみようって、そう思えるんだ。
 そういう意味で私は、私が第1期とは違うそれ以上のなにかを書くことが出来ることに期待していますし、
 またそれを私にさせてくれるような、奥深い作品性をホリックには魅せて頂きたいなと思っています。
 
 ま、それはそれとしてだ。
 更新ペースはバラッバラになりますんで、よろしく〜♪
 ・・・・。
 頑張ります。
 はい。
 ほんと頑張ります。 すみません。
 
 
 
 ◆
 
 今日の日記のタイトルは「ウルフホリック」とありますけれど、タイトル先にありきで、それっぽい内容の
 ネタを全然考えて無くまた未だに考えつかないので、そのまんま。
 狼万歳。
 「狼と香辛料」万歳。
 さて、新しくグッズも出るみたいだし、そろそろ購入も検t(以下略)。
 
 えと、それだけです。
 ただの思いつきです。
 問い詰めないで。
 
 
 
 という感じですね。
 あ、一応今期アニメの感触もばばーっと書いたんですけど、長くなっちゃったので、別々にしてUpしま
 したよっと。
 「ウルフホリック 1」の方に収録しましたので、読みたい方は過去ログで確認してみてくださいませ。
 
 
 んじゃま、今夜はサッカーのチャンピオンズリーグのバルサvsマンU第2戦がありますので、この辺りにて。
 またでーす。
 
 
 
 
 
 

 

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                               ■■ ウルフホリック 1 ■■

     
 
 
 
 
 それじゃまぁ、適当に張り切っていってみよう。 (挨拶)
 
 
 ういーっす。
 紅いのです。
 なんだかノリノリという言葉がどっかいっちゃって久しい気もしますけれど、まったりという意味ではノリノリ
 なんじゃないの? 私イケてなくなくない? よっしノッてくゼ! とかまぁ、なんとも気合いの入らないこと
 をなんの気持ちも込めずに欠伸しながら言っているのですけれど、まぁそんなものでしょう。
 まったりずむ、とは良く言ったものですよ、うんうん。
 ていうかなんだ、まったりずむて。誰が言い出したん?
 
 はい。
 
 さて、まぁ、適当に今期アニメについてお話させて頂きましょうか。
 まずは、私の視聴リストをと。決定版。
 
 
 月: ヴァンパイア騎士 ・ ソウルイーター
 火: 無し
 水: 我が家のお稲荷さま。
 木: xxxHOLiC◆継 ・ 紅
 金:
 土: あまつき
 日: コードギアスR2               全7作品
 
 
 うん、程良い感じかもね。
 一日一アニメという勘定になりますね。
 とか言いつつ、実際は2回くらいに分けてまとめて観ていたり。
 さて、前置きもあれですので、さらさらっといい加減に各作品に触れてみませう。
 
 
 
 
 
 ヴァンパイア騎士:
 舞台設定は狭く、やってることも狭い範囲のことだし、別に着々とお話をこなしている感じもしない。
 なのに、なんだかどんどんと色々なことが見えてくる感覚が面白く、また吸い込まれそうな魅力を感じ
 ます。
 内面描写をやらないキャラがほとんどで、やるキャラにしても、その「内面」として提出され語られる
 言葉の範囲はもの凄く狭く、明らかにその言葉以上のものを以てそこに存在し、そしてより多くのもの
 を感じているキャラがただ描かれている。
 つまり、キャラがみんな「幼い」んですね。
 自分の感じているものを全然言語化出来ていなく、そして上手く表現出来ないというもどかしさすら
 無いほどにそれに違和感を覚えてもいずに、そのキャラの意識自体はそれで完結し得ているのです。
 でも、あの映像の中には、確かに非常に多くのものを感じ、そしていくらでも言葉にして語り換えること
 の出来るキャラ達の「内面」が展開され、そして決してその内面世界=世界とはなっていない、その
 開けた感覚が、非常に私達視聴者にあの画面の中への移入のしやすさを生んでいるのです。
 ワイングラスを片手に、さくっと余裕で観て眺められながら、飲み干したグラスを置くその瞬間に、
 そっと、なにか冷たいものを感じられる、そういう風に。
 小難しいテーマや世界観がある訳でも無く、ただ既にそこにいるキャラ達が静かになにか吸い込まれる
 ようにして動いている、この寒気の漂う雰囲気、私は結構好きだなぁ。
 これ、ホリックの感想書かなかったら、一番感想書ける確率高かったかもです。
 あとEDがツボ過ぎ。ああいうの大好き。ああいうのなんていうの? ゴスロリ? なんだろわかんないや。
 まぁつまり、ゴスロリとかそういうのが好きって訳じゃ無くて、あれ、あのEDのタイプが好きなのね。
 だから分類はゴスロリじゃ無くてもいいし、あれと同じタイプならみんな好きみたいな。
 誰かあれを分類して〜。(どんなピンポイントなお願いだよ)
 
 
 ソウルイーター:
 大 爆 笑 。
 デスザキッド最高!
 それまでは、最初の主人公組の良く動く作画ぶりを観て、おーシュールでカッコイイですなぁ(欠伸)、
 という感じでまぁそこそこな感触程度で、その次の主人公組のなんともいえない絶妙な相性の良さっぷ
 りにおってきて、このふたりはいいコンビです、これはいけますねこれは、とちょっと興味津々的な感じに
 なってきたところで、主人公三組目登場ですよ。
 大 爆 笑 。
 シンメトリフェチな潔癖完璧主義者だけど自虐満載って、あんた、なにこのストライク。
 なんてことだ俺は醜い豚野郎だ駄目だ死のうって、あんた、しかも訳わかんないフォローで即復活。
 駄目だ、ストライク過ぎです。
 家の玄関の額縁が曲がってたかもしれないと気になって、相方を敵陣ど真ん中に平気で置き去りにし
 たり、対峙した敵が見事なシンメトリだったら普通に無抵抗になるし相方の励ましも無視して平気でシ
 ンメトリと心中する覚悟だし、だけどシンメトリじゃ無いと発覚した瞬間に瞬殺だし、相方<シンメトリ
 過ぎるにもほどがあるし、だけどシンメトリを壊しちゃったりした日には俺は豚野郎だ死のうと叫んで蹲る。
 最高だよ、デスザキッド。
 最後に、引用。
 『なんなんだお前は。左右バラバラだぞ!? こんなバラバラは初めてだ。
  どこの生まれだ? バラバラアイランドの住人か? 虫酸が走るわぁっ! 
  デコの部分以外はな。
  邪魔だ。そんな飾りいらん。お前はいらん尽くしか!』
 ↓ 銃乱射した挙げ句奪回対象ごと破壊、ミッション失敗
 『くそぅ駄目だ、死のう。』
 これからもよろしくお願いします。
 あっ、ちなみに二番目主人公組の、特に椿とかめっさ可愛くてだからそっちとかも有力。
 ・・・一番目の主人公組が一番興味無いなぁ・・・まぁいっか
 
 
 我が家のお稲荷さま。:
 なにが良いかというと、OP。
 水が流れるような、流麗というよりはさらさらとした感じが気持ち良く、それでいて茶々を入れるかの
 如くにコミカルさもちょちょいっと入れていて、それは適当とかベタとかそういう言葉で表すものよりも、
 でも少しだけ確信的で、決して太くは無いのだけれど、一本の細い自信に満ち溢れたなにかが流れ
 ていて、それがまぁ、このOPを始まりとして作品の全体を包んでいる気がするかな。
 私の言動と似てるっていうか、わけわかんないことをべらべら喋ってるくせに、割と自信たっぷりにそれを
 言ったりやってたりしているっていうか、いやいや自信なんて無いですよと言ってるその顔が笑ってるいやら
 しさというか、まぁ、そんな感じ。 ほんとわからんねこれ。
 でもほんと、OPの歌詞に集約されるんですよね、希望が永遠がどうとか結構ファンタジック(?)な事を
 歌いながら、けどそれはそれとして、流れる水のようにとか、自分に怯えないでとか未来を怖れないで
 とか、そういうなんていうか等身大というか、自分のままにというか、意志的に強靱なことをやるのなら、
 まずは安らかな自分を感じてみてという感じがあって、それも本編も全くそんな感じで、なんかもう
 クゥちゃんが全部護って終わりみたいな、なにこの切実感の無さみたいな、そういう、まぁ、そういう
 感じな訳なのですよ、もう少し切実感を持ちなさい私。はい。
 とにもかくにも男で女で狐なクゥちゃんがいればまぁ、良いんじゃないかな。流れる水のように。はい。
 
 
 xxxHOLiC◆継:
 相変わらず良い味出してます。
 けど、作風が多少変わったようで、それは複数話でひとつのエピソードを完結させるためなのかな。
 まだ二話までしか観ていないていたらくですけれど、これはこれでホリックの新しい形を観られてなか
 なか面白い。
 まぁ、正直言うと、一話辺りの濃度が多少薄くなっているので、感想が書きにくくはなっているのです
 けれどね。
 しかし今回はコミカル面というか、そういう日常パートの動かし方に随分と情感を出してきて、割とその
 辺りの感覚も含めて感想を書いていければ良いなと思っています。
 評価はまぁ、今期最高でしょ、間違い無く。 
 第1期のときはいくつか難点があって疑問だったけど、この第2期はどこに出しても恥ずかしく無い傑作
 ぶりです。
 
 
 紅:
 これは・・・なんていうか・・・・気持ちいい・・(ぇ)
 あらゆるものをさりげなく描き出して、こちらがひとつの視点を持って、統一的に読み解こうとすればする
 ほどに、あっさりと視線を外して全く新しい視点をボコボコと生み出してくれる。
 でも、その視点はそれぞれひとつひとつが独立しているから、深さとか重さとかはあまり感じられず、しか
 しそれぞれにある存在としてのぬくもりがある分だけの手応えはあり、それ自体が自分がこの世界に
 生きて存在しそれらと接しているということの実感を、絶え間なく生み出してくれるのですね。
 頭ひねって考えることはなにも無く、ただただ、体で感じて考えて、その時間がただ楽しく気持ちがいい。
 真九郎の表情を観ながら、彼はなにを感じ考えているのだろうと考え詰めていると、もうその横では紫
 がぞっとするほどに元気に駆けずり回り、それをとても片手間では捕まえられないと判断し、真九郎を
 手放して紫を追いかけ回そうとすれば、隣の部屋の小窓が開いて闇絵さんがぼそっとなんか言う訳。
 ちょっと、ちょっと、観るべきポイント多すぎるよぅと嘆いている間にも、夕乃や弥生やなんか他の人達が
 わいわいとしんみりと始めて、とてもとても。
 とても、掴みきれないや♪ (笑顔)
 この私ひとりという視聴者のおろおろ感のままに、あの30分の中であのキャラ達の織り成すものを観て
 感じられることの面白さと爽快な豊か感が良いんですよね。
 わかるとかわからないとかじゃ無く、わかるとかわからないとかえへへと笑うとか、そういうひとつひとつの動
 作を一緒にやっていけることこそ面白く、楽しい。
 そして面白くて楽しいから、その中のひとつとして、視点を持って考えていくことも出来るのですね。
 勿論、その視点が沢山あるもののうちのたったひとつにしか過ぎないと感じながら。
 その辺りのことを余裕を持って私に思い抱かせてくれるほどに、絶妙な余裕ある間を取ってくれる、 
 この作品の演出こそ最も賞賛すべき点かなって思います。
 だってほんと、色んなもの詰め込んでるもの。 これ全部楽しめるなんて、幸せな、私。 (ぉ)
 
 
 あまつき:
 なんだかわかんないけど、観たいって思えるんですけど。
 評価とか考えるとか感じるとか、そういうの全部無い。完璧に無い。
 だのに、この作品を切る気にはなれなくて、他の作品を切ったのちにもこの作品は残ったし、またたぶん
 最後まで余裕で観られると思うんです。
 なんでだろ、その問いはとても言語的なもので、既に楽しんで観ている自分を前にしたら、観ている理
 由というものを言葉にして表すことの無意味さを感じざるを得ない。
 なんだか知らないけれど、綺麗に私の瞳の中に入ってくる。
 なんだか知らないけれど、とても静かに私の中で溶けている。
 ここがどうとか、そういうポイントすら無い。
 そういう意味では、「紅」と正反対。
 だのに、面白いという点では全く同じ。
 なにかをしているときの、その後ろでかけているBGM、それがやっていることのメインでは無いのだし、
 歌詞とか全然頭に入っていず、あまつさえ曲そのものすら頭の中には広がってはいない。
 なのに、今やっていることを、知らずにそのBGMのリズムを取りながらやっているような、そんな感じ。
 アニメの中身をたぶん、私はある意味観ていない。
 だけど、面白い。 中身の無い面白さだけが伝わってくる。
 気付くと私は、他のことをやっており、しかしなぜか、私の中はうきうきと静かに浮かれている。
 それは、あまつきのせい。
 なんだろ、なにが面白いんだろ。
 そう問いながら、私はその問いをなぜか楽しげに口にしているのであった。
 ・・・・。
 なにを言ってるんだろうこの人は・・・
 
 
 コードギアスR2:
 シーツーがカッコイイ。惚れちゃいそう。
 ま、それは置いといて、まぁ、なんだろ、特に言うことは無いんですけどね。
 普通に娯楽というか子供というか、単純に戦略ごっことかそれなりに楽しめればいいんじゃない?
 そして偶然私もそういうのは好きだから、普通に観て遊んで終わりみたいな。
 良いか悪いかは、どれだけ私の観て遊びたいものがあるかという、まんまオタク根性のままに楽しめ
 ればそれでいいんじゃない? (2回目)
 んー。
 なんか本格的に書くこと無いよ。
 ていうか、第1期の終わりのシーツー回りの言葉とか結構考えさせられたけど、まぁそれまでは全力で
 遊べば良い訳。
 全力・・・・
 オ レ ン ジ ど う し た の か な ぁ 。
 一度気になると、どうしても頭から消えないっていうか、なにも書く気が起きないのはこいつのせいか!
 なんかコーネリアの姫様が行方不明らしいし、負傷した上でのそれだから、まさかのまさか、オレンジ2号
 よろしく改造姫とかそんな・・・・・・ああいかんいかん
 とまぁ、こんなことを考えながら観てるですよ。
 ガンガン話進めちゃってくださいな、スザクも来るようで修羅場炸裂感も気持ちよく、まぁ、ルルーシュ様
 の華麗な暴虐ぶりを肴にして、まぁ、楽しくやっていきますですよ。
 まぁ。
 あれですよね。
 もっとこう、ちゃんと描いてくださいよ、「内面」とか。 いや描くというより創る、かな。
 スピード感ある展開は良いけど、それは娯楽として遊びとしてはという意味ですし。
 遊びに特化し過ぎて、かなりの無理な感じになっており、少々痛々しさすら感じます。
 もっとこう、余裕を持ってこのシリーズはやれないものか。 
 素材はあるんだし、もっとそっち方面からのアプローチを絡めれば、傑作と言える作品なのになぁ。
 ・・・・・。
 『散々使い倒して、ボロ雑巾のように捨ててやる。』 byルルーシュ
 ・・・・・。
 やっぱ、いらないや、内面なんて。
 ぞくぞくしますわ。 (ぉぃ)
 
 
 
 
 こーんな感じですよ。
 今期はホリック2で感想書いて、「紅」と「ソウルイーター」を中心にしてGo!、ですね。
 不作っちゃ不作ですけど、今はこれくらいの方がラクチンで良い感じです。
 傑作レベルは無いですけど、それなりに楽しめそうなものがあれば、ほんと今は充分です。
 ・・・・。
 
 まぁ、その分来期はよろしくです。 (ぉ)
 
 
 では、そんな感じで。
 また。
 
 
 
 
 

 

-- 080427--                    

 

         

                               ■■ 見えざるゲンジツ ■■

     
 
 
 
 
 『何事も過不足無く、貰い過ぎも貰わなさ過ぎてもいけないのよ。』
 

                           〜xxxHOLiC◆継 ・第二話・侑子の言葉より〜

 
 
 
 
 
 
 
 〜〜
 
 夜。
 静かだな。
 弁当を作る。
 夜だけど、なんだかせわしなく、でもどこか、それ以上に忙しい。
 まな板をさくさくと叩く音も、鍋から吹きこぼれる音も、少しだけ、遠い。
 ただ弁当を、作っている。
 ただ弁当を。
 
 〜
 
 
 俺が原因なのに、百目鬼の奴は俺の代わりに蜘蛛の恨みを受けて、それで俺はかーっときて。
 あんまりそのときは、百目鬼に対してどうこう思うということは無かったんです。
 蜘蛛に対して、というよりは、その理不尽さにね、瞬間的にぞっときて、それはとても嫌悪感みたいな
 ものだったんです。
 でも、その嫌悪感は、実は俺本人に対してのものを隠す形で顕れてきたものだったんです。
 蜘蛛の怨みの理不尽さを言い立てることで、俺は、俺が背負うべき恨みを百目鬼に向けさせてしま
 ったことの、その後ろめたさを隠したんです。
 俺のせいで百目鬼は・・俺のせいで・・・
 だから俺は、そうした蜘蛛とその恨みが恨めしくて、だからただそれを理不尽なものと瞬間的に罵った
 んです。
 でもすぐに侑子さんに論破されてしまって、俺は自分の失態、つまり百目鬼の目を塞がせてしまったこと
 と向き合わざるを得なくなったんです。
 ならば俺が恨みを引き受けるしか無いじゃないかと、そう思ったんですよ。
 蜘蛛の恨みが理不尽かどうかを論じることが出来ないのならば、あとはその既に百目鬼に向けて発せ
 られた恨みを、俺がひっかぶるしか無いんです。
 蜘蛛はもう関係無い・・蜘蛛は関係無いんです・・
 だから俺は、侑子さんにお願いして、俺に蜘蛛の恨みを向けさせて貰いました。
 だってそうでしょう? 
 百目鬼は悪くないんです、悪いのは俺なんです。
 俺にとっては、蜘蛛より・・・百目鬼が・・・・
 
 それでも百目鬼は、俺の代わりにさらに蜘蛛から恨みを買おうとしています。
 俺はそれは許せない・・・でも・・それは百目鬼にとっても、もう同じことだったんですね
 お互い、相手が傷つくのを回避するために、自分だけ傷つこうとしてて。
 俺、なんとなくわかったんですよね。
 なにが正しいかとか、原因は俺なんだから俺が恨みを受けるべきだとか、そういうことじゃあ無いんです。
 それじゃなにも解決しないというか、少なくとも原因では無いくせに勝手に恨みを引き受けやがる、その
 百目鬼の理不尽を詰っていても、百目鬼の奴は全く聞きやしないんですから。
 たぶん・・逆の立場だとしたら・・・・俺も・・同じことするかもしれないし・・
 それに、少なくともどうあれ百目鬼は俺の目のために調べ物してる訳で、それが俺の代わりに苦しむと
 いうことでは許せないけれど、少なくとも俺のためにという分に関しては礼というかなんというか・・・
 そういうのはしなくちゃって、そう思ったんです。
 だから、俺は別に百目鬼のその自分の目を塞ぐ行為自身に礼をする訳じゃ無いってことです。
 そして、俺の目の前には、百目鬼ん家の蔵書が、俺の目を戻すための手段が転がってて・・・
 
 『俺はこのままでも平気だ。』
 案の定、百目鬼の奴はこう返しました。
 『俺は嫌だ。』、と。
 
 帰れ、と言われたので、それに従う訳にはいかないという理由で居座り続けてやりました。
 俺は俺の勝手でこのままでいるんですよ。
 百目鬼が勝手に身代わりになろうとしているんなら、やっぱり俺だって勝手したって良いってことなんじゃ
 ないですか?
 そのときに、ぴんときて。
 そうしたら俺、普通にその百目鬼ん家の蔵の蔵書を手に取って調べてたんですね。
 百目鬼の奴に身代わりをさせないためには、俺が先に百目鬼が探してるものを見つけてやるってね。
 俺達が我の張り合いをした、その結果ふたりの目的が一致したというか。
 で、結果みつかったのは、まさに瓢箪から駒のようなもので、つまり蜘蛛に取られた目を取り返す方法
 という、ピンポイントなことが記されている本だったんです。
 でもその本の文字がアクシデントで失われてしまって。
 そのアクシデントのときに俺が優先したのは、百目鬼の安全でした。
 本の文字を変な黒い蛇のようなものが食べ始め、けれど触ったら危険かもしれず、そして危険を冒して
 でも守らなきゃいけない本であるのは当然でも、けどもしそれが俺達の手に負えない相手だったとしたら
 、まさに犬死のようになっちゃう訳じゃないですか。
 相手がどんな者なのかもわかんないんだから、閉じ込めておくしか無いんですよ。
 たとえそのまま本の文字が喰われてしまったとしても、それは仕方無い、だって俺達には換えられない
 じゃないですか。
 でもそのときたぶん俺は、その本から、そして蜘蛛の恨みを解決することから逃げていたのかもしれない
 って、そう思うんです。
 俺と百目鬼の安全を優先すること自体はともかく、ただそれだけで済まそうとしていた気がするんです。
 仕方がないって言葉で済ませようと。
 侑子さんが来てくれなかったら、俺はただ、無理して閉じ込めた黒い蛇を取り除こうとする百目鬼を
 必死に押さえることしか出来無かったんです。
 侑子さんが黒い蛇を封印してくれて、本の文字の浸食は止まったときにはもう必要な箇所の文章は
 喰われてて、俺はただそれを馬鹿みたいに、俺が蛇を閉じ込めたせいだなんて言って・・・
 本質はそこじゃ無いんですよね・・
 蛇を閉じ込め百目鬼を抑えることだけにすべてを込めようとしたことを、俺がどう考えていくかというただ
 それだけが重要なことだったんです。
 蛇を閉じ込めた行為自体の善悪を論じるだけなら、俺はきっとまた、それで本質にあるものを覆い隠し
 て閉じ込めてしまっているんです。
 
 そして、そんなことをしている間にも、どんどんと事態は悪化していって。
 俺の奪われた目は、どうやらあちらの世界の住人の間で取り合いになっているって。
 侑子さんは、俺の目は下手したらもう戻ってこないかもって・・・
 俺は・・・
 それを自分で抱え込むしか無かった・・・
 どうしてなんでしょうね、自分で抱え込むことに強い意志さえあるのに、どうしても悲しさが消えないんで
 す。
 そして俺はその悲しさを消そうとすることも、それに触れることすらも出来なかったんです。
 全部自分で背負ってやる、百目鬼のせいになんかしない、百目鬼に俺の代わりなんかさせないって、
 もう全身でそう強く思えるし、そして本当にそういう風になれそうなんですよ?
 それなのに俺は・・自分の目が二度と元には戻らないと聞いたときに・・・
 俺はそのときに、すごく孤独を感じたんです。
 そして・・・なによりも、その孤独の中で、自分が完全に永遠に失明するということの、その肉体的恐怖
 と向き合うことになってしまったんです。
 
 

〜 それは日常に潜む恐怖 現実の事としての恨み 〜

 
 
 俺の目の前で、事故が起きたんです。
 ごくごく普通の下校途中、それまでひまわりちゃんと楽しく話が出来て、とても良い気分でお別れして、
 そして前にひまわりちゃんが俺にとっての幸運の女神って訳じゃ無いって侑子さんに言われたのを思い
 出して、それがどういう意味なのかを考えて。
 そのとき俺は、ひまわりちゃんの笑顔を観るだけで、自分が抱え込んだ恐怖を忘れられ、そしてそれを
 越えて幸せに生きていけるとさえ思えるんだから、だったらその侑子さんの言葉をどう否定できるかを
 論理的に考えてみようって、そういう前向きな疑問を抱いてたんです。
 でも・・・そうやって呑気に考えている自分の姿を・・・もう・・・見ずにはいられなかった・・・
 俺・・ひまわりちゃんの笑顔と・・・それを観て幸せになれる自分を肯定することで・・現実から逃げて・・
 ものすごい音がして、女の人がボロボロになって道路に倒れて、そして車が転がるようにして停止して。
 凝視せざるを得なかった。
 目の前で、確かにこの事故は起きてたんです。
 そして俺は、突如現れた鴉天狗達に、侑子さんのところまで連れていかれ、そして鴉天狗達が守って
 いたあの座敷童が、よりによって俺のせいで攫われたという現実を突き付けられたんです。
 俺は、ぞっとしました。
 かーっと瞬間的に沸騰しつつ、静かにぞっと醒めていたんです。
 『お前は此処にいるべきじゃ無い。いてはいけない。』
 この鴉天狗の言葉が、俺の日常の終焉、いえ、俺だけがその日常の中から連れ出されるのを感じま
 した。
 俺のせいで・・俺のせいで座敷童が・・・・・!!
 耐えられなかった・・・・・いえ、そのとき俺は、耐えるということを知らなかったんです
 俺のせいで座敷童が攫われたという事実と向き合うことで、俺は確かに見つめるべきものから目を逸ら
 すという日常からは脱することが出来たのだとは思います。
 けれどそれは同時に、そうして日常から連れ出された自分のあまりの居場所の無さに反射的に恐怖し
 て、そして目の前に落ちていたその座敷童を助け出すということに縋り付いた、ということでもあったのです
 。
 俺はこのときただ、俺のせいで攫われた座敷童を救い出し、そして無関係な座敷童を巻き込んだ蜘蛛
 を中心とする恨みの理不尽と、そしてそれを許した俺自身を詰り責めていただけだったんです。
 
 『行きます。』
 
 危険でもなんでも俺は、行きます。
 
 
 
 

−− 一体なにを求めに、行くのかしら −−

 
 
 
 

『いいわ。』

 

『そのネガイ、叶えましょう。』

 
 

ワタヌキを座敷童の救出に向かわせることを以て、ね。

 
 
 
 

 

『ワタヌキには、わからなければならないことがある。』

 
 
 

鴉天狗にも破れない結界とは、なにかしらね。

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
                            ◆ 『』内文章、アニメxxxHOLiC◆継』より引用 ◆
 
 
 

 

-- 080423--                    

 

         

                                 ■■ リフジンと生きる ■■

     
 
 
 
 
 『無茶苦茶悪いことが起こりそうね。』
 

                           〜xxxHOLiC◆継 ・第一話・侑子の言葉より〜

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 - この世に、理不尽で無いものなど無いのよ -

 
 
 
 
 
 
 
 − ただ普通に生きているだけなのに。
   ただ清く正しく生きているだけなのに。
   誰にも恥じること無く、そして皆のために頑張っているだけなのに。
   それなのに、傷付けられ、踏みつけられ、恨まれる。
   これでは、なにを元にして生きれば良いのかわからない、これでは、おちおち日常を生きることもまま
   ならない。
   日常に潜む暴力がこそ、恨めしい。
   理不尽。
   それとの戦いが、ただ始まっていく −
 
 
 道を歩けば、蟻を踏み潰す。 
 息を吸えば、微生物を吸い殺す。
 罪を犯さぬことなど無く、人は須く何者かの恨みの上で生きているのよ。
 知らず知らずのうちに誰かを傷付け、それを知らぬ振りして恨みを否定するのはね、その恨みの上で
 生きている自分の生を否定していることになるし、愚か極まり無いことよね。
 勿論、恨みを買うのが当然なのだから、それをいちいち気にしていたら生きられない、だからとすべてを
 倒して生きていったら、それこそ命がいくつあっても足りないわよね。
 要するにね、他者を無視して生きるのなら、そのしっぺ返しがあって当然、ということよ。
 
 『恨みは、理不尽なものよ。』
 
 誰かの恨みを買ったら、どうすればよいのかしら。
 簡単よ。
 それをひとつひとつ償えば良いだけ。
 あなたの日常にとって、受ける恨みはすべて理不尽なものであっても、その恨み自体は非常に正確な
 理で出来ているもの。
 そう、恨みが理不尽であるのは、それを受ける者とそれを抱く者が、人間という理不尽な存在である
 からよね。
 今回は恨みを抱いたのは蜘蛛だから、その恨みの論理をちゃんと全うすれば事はすべて丸く収まるわ。
 だから、その恨みの論理を理解することが重要であるし、それが出来ればそれを元にして色々と収めて
 いくことが出来る。
 そう。
 お互いにね。
 
 
 ワタヌキが蜘蛛の巣にひっかかり、それを外してあげた百目鬼くんの方が蜘蛛に恨まれた。
 そしてワタヌキは原因である自分こそ恨まれるべきだとして、百目鬼くんよりも蜘蛛に恨まれるような
 ことをし、そして蜘蛛に恨まれた。
 可哀想なのは、蜘蛛よね。
 ワタヌキの理屈のためにさらに嫌なおもいをさせられ、またひとつ復讐をさせられるのだから。
 ワタヌキはそして、百目鬼くんのことを考えているようで考えてはいず、ただ自分がこうあるべきだと考え
 ているように事が進まないことに憤慨して、事をその通りに運ぶために行動しているだけ。
 百目鬼くんが怒るのも当然だし、それは怒らなくてはいけないところ。
 ワタヌキが、百目鬼くんのためをおもって自らが傷ついたことを?
 違うわ。
 それだったら、百目鬼くんが原因であるワタヌキの代わりに傷ついたことを、ワタヌキが怒るのと同じ。
 大事なのは、蜘蛛よ。
 蜘蛛の、恨みよ。
 もうわかったでしょう? 百目鬼くん。
 『同じ強さのネガイなら、先に私に届いた方を優先することにしているの。』
 蜘蛛の恨みを買い、そして買った者達はそれぞれがその恨みを奪い合う。
 蜘蛛の恨みで奪われたワタヌキの目を取り戻すには、今度は百目鬼くんが目を塞ぐことになる。
 いえ、もう目だけでは済まなくなっていてもおかしくは無いわ。
 そしてまたワタヌキは、さらに蜘蛛の恨みを買おうとするでしょう。
 そう、百目鬼くん、あなたのために。
 あなたも、ワタヌキのために。
 蜘蛛は、どうなるのかしら?
 私はあなた達の不毛なネガイの、その一番初めのものだけを叶えてあげた。
 蜘蛛の恨みをさらに買う方法を、ね。
 その意味をもう、百目鬼くん、あなたならわかっているわよね。
 
 
 『ネガイを叶える。あのミセはそのためにある。』
 
 
 まだまだ子供なワタヌキならともかく、百目鬼くん、あなたにはミセは必要無いでしょう。
 私はネガイを叶えてあげる。
 だけどそれは、ひとつだけ。
 そのネガイを叶えたことの責は、すべてあなた達が負う。
 ネガイという刃を得たことの意味を、あなたはもうわかっているわ。
 自らに願い掛けることの出来る百目鬼くんは、ミセには入れない。
 百目鬼くんは、自力でワタヌキの目を取り戻そうとするのかしら?
 それとも、この不毛な連鎖を断ち切ろうとするのかしら?
 そう。
 どうすることが、この恨みを晴らすということなのかをこそ、百目鬼くんは模索しているのよね。
 恨みをどちらが買うかを争っていてはなんにもならない。
 その間蜘蛛は置き去りのまま、事態はより深刻に、恨みは深まっていくばかり。
 恨みを晴らすというのは、恨みの当事者の気が済むということ。
 それはなにも、復讐をやり遂げるというのとイコールでは無いのよ。
 納得のいくなにかを示す、行う、それで充分。
 復讐を甘んじて受けるだけなのは、一番不毛で、そして最も簡単なこと。
 だから、ワタヌキのネガイを叶えてあげた。
 復讐を受けるだけのこと、誰が受けるかという思考の愚かしさを身を以て経験するであろうから。
 さぁ、百目鬼くん。
 そのワタヌキの姿を見たあなたには、もう私にはなにも言うことが無いのはわかるでしょう?
 勿論、あなたのネガイを叶える必要も無いはずよね?
 むしろ、ワタヌキに諸刃の刃を与えた以上、それを見据える百目鬼くんにもそれを与える訳にはいかな
 いでしょう。
 
 そして。
 
 
 『ワタヌキは、行くわね。』
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

さぁ 始めましょう

あなたのいる 今 此処から

 
 

 
 
 理屈は理屈として。
 それは組み上げれば組み上げるほどに、その組み上げたものが存在することで顕すものがあることを
 示していく。
 考え悩み行動しているあなたが、それでもほっとひとつ、溜息を吐けるのを知っているかしら?
 なんだかんだと言いながら、なんだかんだと考えながら、でもその思考と言葉が道を切り開いていそうで、
 そして切り開いていそうで無くて、そういったことのすべてに焦燥を覚えているあなた自身の存在を、
 あなたはそうしたあなたがいる世界の中で感じたかしら?
 どうでも良いのよね、理屈なんて、言葉なんて。 
 でも、その理屈をこねて言葉を綴るあなたは確かに存在し、そして日々その理屈と言葉まみれに生きて
 いるあなたは、紛れも無く此処にいるわ。
 誰に忠告されるとも無く、あなたはそうして他の誰か達も確かに其処に、いいえ、それぞれの此処に
 存在していることも知っている。
 そしてそのこともまた、あなたは傲然として、知っているわ。
 様々な感情も思想も、それはそれとして、あなたは此処に生きている。
 しかしあなたの存在とそれらのものは切り離せるものでは無く、また切り離した時点でそれは嘘。
 そしてその嘘もすら、あなたは大きく引き受け生きていくことが出来る。
 
 そう、なんだかそれも、息が詰まるかもしれないわね。
 
 噎せ返るほどに豊満な実感。
 けれどだからそれらもまた、素直に放り投げることが出来る。
 それらが、あなたの今いるこの世界から消えることは無く、その事はたとえようも無い絶望へと繋がるの
 かもしれない。
 でもそれは、もう絶望とか希望とか、そういった類のレベルで済む話のものでは無いと、それすらもあな
 たは理解しているのよね。
 だって。
 
 あなたは、確かに此処に生きているのだから。
 
 逃げられないという事も、その此処に含まれている。
 逃げなければならないという事も、逃げてはいけないという事すらも、含まれている。
 だから、なにも慌てることは無い。
 考えなさい、感じなさい。
 すべての感動が消え去っても、今日あなたが此処にいることに変わりは無く、自分が此処にいようと
 思おうと思わなくても、それとは関係無くあなたは此処にいる。
 それほど圧倒的なことがあるかしら?
 絶望している暇なんか無いわ。
 いいえ。
 絶望していてさえも、あなたは此処にいる。
 果たして本当に、あなたの今此処は、息が詰まるだけかしら?
 そんなになにもかも背負える訳無いと、ただそう思うことしか出来無いのかしら?
 目先の等身大の世界しか背負えず、だからこそ悲観するしか無いのかしら?
 
 
 

まぁ

 
 
 

 -- それはそれとして  --

 
 
 
 

 『人に無理だと言われても、諦めないで自分の出来ることを模索する。

だから百目鬼くんは、うちのミセに入る必要が無いのよ。』

 
 
 

この言葉に囚われるも囚われないも、あなたの自由。

あなたが、決めることよ。

 

そしてどちらの道にも生き場所は必ずあり。

 

選ぼうと選ばざるとも、あなたは生きて、今此処にいる。

 
 
 
 

ねぇ? ワタヌキ。

 
 

 

蜘蛛の恨みは、恐ろしいわよねぇ?

 
 

なんとかしたいって、思わない?

 
 
 
 
 
 
 
 ◆◆◆◆
 
 ということで、「xxxHOLiC◆継」の感想、始めます。
 第一期の感覚を以て続けて書くのでは無く、今の私の感覚で、新しくまたホリックと向き合い、そこから
 このホリックの感想を書いていこうと思っています。
 どうぞ、ご期待ください。
 
 ・・・・。
 随分シンプルね。
 シンプルだね。
 
 
 
 
 
 
 
                           ◆ 『』内文章、アニメxxxHOLiC◆継』より引用 ◆
 
 

 

-- 080417--                    

 

         

                                 ■■ 駄目出し宣言 ■■

     
 
 
 
 
 その後の紅い瞳さん。 (挨拶)
 
 
 「狼と香辛料」の感想を書き終えて、なんだかすっかり気が抜けたような気がしたのですけれど、
 むしろ終わってしまったもののために頑張ろうみたいな、そういう心にも無いことを唱え続けていたら、
 なんだかその気になって割りとへっちゃらで前向きに盛り上がっているところで御座います。
 まぁ、五月までですけどね。 五月病きつそー。 (ぉぃ)
 
 ということです。 ごきげんよう。 (微笑)
 
 「狼と香辛料」の興奮醒めやらぬ、というか醒めたのですけれど、むしろ炭火のように体の奥深くで
 静かに燃えている感覚なので、表面はまったりだけど中はガンガンいってますみたいな、でもまぁ基本
 まったりでお願いしますわ、という感じ。
 なにを、焦っているんですか、この人は。
 まぁ飲め。
 ということで、「狼と香辛料」の感想終了記念に買っておいた「純米大吟醸 麒麟山」を思う様に
 飲んだのですけれどね。
 
 ぁ・・・・・・・・・(ぉぃ)
 
 これ美味しいわーなにこれ、滑らかでキラキラしてて、辛口なんだけど飲めば飲むほど甘くなってきて、
 あーとろけるー。
 ・・・・。
 これだ。 こいつのせいだ、今のこの感覚。
 感想書き終わって、くたくたで、で、落ち着いてからしんみりして来て、ええいヤケ酒よお別れよ、とばか
 りにつるっと飲んだら、普通に美味しいでやんの、酔ってやんの、気分上昇世の中天国ーってな感じ。
 この酔っぱらい。 あんたの世界はほんと幸せで出来てるですなぁ。
 小さめの瓶だったので、補強分として買ってきた「純米大吟醸原酒 加賀ノ月」と合わせて飲んでた
 ら、ほんともう「狼と香辛料」に感謝感謝でひゃっほーい!、という今思い返せばさっぱりな心境になって、
 ていうかなんで感謝感謝の次にきゃっほーいが来るのか今もってほんとにわからないんですが、まぁ、
 とにもかくにも良いお別れになったのでした。
 終わりが始まりと一体になったというかね、今もがっちり「狼と香辛料」と一緒にいる感覚というかね、
 そういうなんていうのかな、この酔っぱらい! (それで済ます気かよ)
 
 ま、そんなところで、紅い瞳は割と上昇気流に乗ってる感じで御座いますよ。
 
 
 
 ◆
 
 しかし、今期。
 今期のアニメはヤバイよこれ。
 どれくらいヤバイかって、普通に「狼と香辛料」を第一話からもう観直しし始めるほどに、ヤバイ。
 つまり、面白いのが無いんです。無い無い無い、これは無い。
 かつてない不作、いんや、これはもはや飢饉じゃ! 雨乞いじゃ!
 むぅ。
 これじゃあほんとに、前期にアニメの余韻にひたるしか無いじゃないですか。
 ほんとですよ。
 私のやる気の無さとか、(たぶん)関係無いですよ。(きっと)
 ということなので、今期は一体どれほど私のやる気が無いのか、もとい駄目なのかを紹介してみます。
 
 
 ・
 
 
 xxxHOLiC◆継:
 第一期のときと少し印象が変わったけれど、基本的には変わらず。
 というかむしろこれからどう変わっていくのか期待。現時点で合格。さらにその先へをお願い。
 
 紅:
 悪くは無いけれど、今のところキャラの動きだけで保ってる感じ。
 これを延々と続けていてもそれなりに楽しめるかもだけど、これが出来るならさらにここからなにかをやって
 欲しいと思うし、またそう思わせてくれるという事を、少なくとも今期は感謝しなくてはいけないかも。
 
 あまつき:
 ヒロイン(?)のサラシ臍出し女剣士の純情が可愛いくらいで、あとまぁ男の子ふたりもそれなりに色気
 あるし生臭坊主もいい感じだけど、なにかこう、もう少し泥臭さが欲しい。これじゃまだキャラモノ以上
 のものにはなれてないな。もうちょいだけ頑張ってみようよ。
 
 仮面のメイドガイ:
 ヘンタイ。
 セクハラ。
 それ以外の言葉は必要無い。
 
 コードギアスR2:
 ギアスってこんなもんだったっけ? 状況説明に落ち入り過ぎなのはまぁいいとして、なんだか「続き」やり
 ます感出まくりで、なんだかあまりノっていけないなぁ。
 イチからちゃんと盛り上げてくれなきゃ、あの第一期のノリを思い出してまた自己責任でやれ言われても
 それはきっついですわ。まったり冷めた視線で観察中。
 
 我が家のお稲荷さま。:
 あー・・まぁ、こんなものなのかな。ケモミミブーム(私限定)のままにイケイケ(古)だったけど、なんかあん
 ましそのノリについて来てはくれなくて、あれ? あれ?、はいすみませんでしたといって大人しく座らされ
 てしまって今に至ります。つまりまぁ、悪くは無いけど良くも無いけどしばらく落ち着くまでは観てみます、
 というところ。どうかそれまでの間に化けてくださいますように。
 
 S・A:
 これは面白いの? ノリノリでキメポーズ&キメゼリフまで完全にのめり込めるなら面白いだろうけど、
 その割にはちょこちょこと立ち止まらせるようなところがあって、じゃあちょっと考えて観てみようかと思った
 らもう駄目で、悪い意味でアホ過ぎてお話にならないというか、毎回オチが同じ気がするんですけど、
 あんなんでなにが面白いの?と素で尋ねたくなったりした時点で、消しました。(テレビを)
 まぁ逆にいえば、ではどうやって完全にのめり込めるかを考えれば良いのだと思うけどね。
 
 ソウルイーター:
 カッコイイ。へーこれは面白い。お話の子供っぽさは逆に単純なことをスタイリッシュにキメるという、そう
 いう表現としてのファッションを感じて、へー。へー、これいいんじゃない?
 といいつつ第一話しか観てなかったりして。あの時間帯は難しいよー。
 
 ヴァンパイア騎士:
 どうだろう・・ホリックを除いたら、これが一番面白い・・というか観たいと思える作品かな。
 なにか特にコレっていうのがある訳じゃ無いし、惹かれるなにかがある訳じゃ無いし、おまけになにかや
 ってくれそうな感すらも無いのに、なんだろう、普通に見続けようって思える・・・不思議だ。(ぉぃ)
 
 モノクローム・ファクター:
 ・・・これは無いなぁ。スカスカ過ぎ。無理矢理話を進められてそれについてこいと言われて、その上その
 先にはなにも面白そうなものは見えないとなったら、これはもう、無い。
 
 クリスタルブレイズ:
 開始五分で切った。早かったなぁ。
 
 図書館戦争:
 ありきたりなドラマをありきたりに組み立てられてもしょうがない。しかしこういうぬるいのがひとつあると、
 少し息抜きが出来るから需要アリというか、息抜きするほど今期はまともな作品が無いよ!
 でも不測の事態に備えて、確保。(大概にせい)
 
 純情ロマンチカ:
 無い。真面目にやれ。(お前もな)
 
 狂乱家族日記:
 謎。正直よくわかりませんでした。なんだろこれ。笑いどころがわからないんだけど、それはつまらないって
 意味じゃ無くて、ほんとにわかんないの。だからひとりだけわかんなくて、かえって気になるというか滅茶苦
 茶気になるというか、これだけ自信たっぷりにやられてしまったら、うっかりついていきたくなるでしょ。
 ということで、訳もわからずとりあえずしばらく連れて行かれます。すごすご帰ってくる可能性高いけど。
 
 二十面相の娘:
 ちょーっと大味かな。普通に冒険モノをやるのは構わないし、思わせぶりなカッコ付け台詞回しも大いに
 結構なのだけど、どうもひとつひとつの丹念さに欠けるので、こちらがいちいち情感的に補完しなければ
 ならないところが多く、やや疲れさえ感じさせます。んー、たんに私とリズムが合わないだけかも。
 
 BLASSREITER:
 まぁ無いね。
 
 
 ・
 
 
 ・・・・。
 駄 目 な の は お 前 じ ゃ ね ー か 。
 まぁうん、それは置いといて。
 あまりにもコレといったものが無いので、チェックする作品を倍増してみたのにも関わらず、これですよ。
 全然、面白そうなのが無い。ホリック除いて。
 前に、現在忙しいし今期頭くらいまでそれがズレ込みそうだから、不作は関係ですよHAHAHA!とか
 言ったんですけど、言ったんですけども。
 これは無いだろ。あんまりでしょ。
 まさにデレの前振りでしたツンを真に受けられて逃げられてしまったツンデレの気分ですよ。落ち着け。
 あのね、君ね、限度ってものがあるでしょう限度ってものが。
 四月って言ったら、アニメ的に一年の始まりみたいなものでしょう、それなのにこんな不景気なことして、
 これじゃこれから一年暗雲立ちこめる勢い満載じゃないの。
 あー。
 
 あー、まぁ、視聴リストはこんな感じですよ。もうこれで決定でいいよ決定で。(投げやり)
 
 
 月: ヴァンパイア騎士
 火:
 水: 我が家のお稲荷さま
 木: xxxHOLiC◆継 ・ 紅 ・ 図書館戦争
 金:
 土: あまつき ・ 狂乱家族日記
 日: ギアスR2
                                        全8作品
 
 
 8個かぁ、それほど少なくは無いけども・・・こっからさらに減らす気配。(溜息)
 足りない分は、上で紹介した奴をたまに観たりとかしてなんとか。 
 あー、あれだ。
 銀魂。
 もうずっと前からやってる作品ですけど、これ好きなんですけど、これが今期の主力かな。
 いやマジで。
 ということです。
 まぁ、この3ヶ月はまったりいきまっしょい♪
 
 
 
 
 ◆
 
 さて、時間が無くなってきたので、手軽に。
 作っておいたものをポンと貼り付けて終了。
 前期アニメの感想をぽいっとな。 まだやってなかったのがいくつかあったっしょ。
 ではまずはその辺りを、どうぞ。
 
 
 
 アリア3:
 はぁ?
 >アリシアさん寿引退
 は   ー   ぁ  ?
 ああ、人ってこんなにも盲目になれるのねっていう、まぁ、そういうあれですよ。
 青天の霹靂に打たれて死ぬがいい!、みたいなそんな滅茶苦茶ですよ。
 寝耳に水流し込んで死n(以下中略)!、みたいなそんな無茶苦茶ですよ。
 それに全部持っていかれてしまって、ぶっちゃけとか前振りする必要が無いくらいです。
 というかあれですね、最初から最後まで、探してましたからね。
 誰よ? アリシアさんを持ってった不届き者って奴は。
 モミ子が泣こうがアリシアさんと抱き合ってようが、こっちは目を虚ろにしながら標的探してましたよ。
 どんだけだよ。
 ・・・。
 で、結局いなかったんですよね、それで、ああ、これは夢だったんですね夢、アリシアさん結婚とか嘘
 ですよねだって相手の男いなかったもの、うんうん、そうそう、アリシアさんはなんかゴンドラ協会の仕事
 とかもするけどでも結婚じゃ無いもの、なんかセレモニーやってるけどなんかただのお祭りですよ、
 うんうんそうですよね、ほらモミ子の髪と背が伸びてアイちゃんがウンディーネの制服着t・・・・・・・
 だ か ら 、 な ん で そ ん な に 完 璧 に 終 わ る ん だ よ ! >ありあ
 ひとつひとつ丹念にみていけば、確かにそれなりに凄い面白い最終回だったし、アリアという作品の持って
 いるひとつの意外な前進性みたいのを感じられて新境地だったけれども。
 でも。
 アリアは、終わっちゃ駄目でしょう。
 やっぱりアリアは、第1・2期の終わりのときと同じように、ずっとそのまま続いていくみたいなね、そういう
 感じでちゃんと「ファンタジー」として完結させた方が、逆にそれを見つめさせる人に自らの主体性を意識
 させるという感じがあるんだけど、だけどこの最終回みたいにしちゃったら、真似せざるを得ない。
 だってこれ、ファンタジーじゃ無くて、リアルじゃん。
 すっごい頑張って、色んなおもいのままに成長してく自分を背負って、自分もああいう風になりたいって
 いう風に、実際のモデルとしてどうしても観てしまうよ。
 あーそれ、違うんだよ、アリアでやったら、なんか違うから。
 ドラマにしちゃ駄目でしょ、目標にさせちゃ駄目でしょ、アリアを。
 第3期全体で感じた違和感も、私の場合そこなんですよね。
 なんていうか言葉は悪いけど、アリアな世界を現実に持ち込むことで、ヲタクな生き方を肯定させちゃう
 というか、だからなんか違うんですよー、どう言えば良いのかよくわかんないんですけどさ。
 他の作品なら別にいいのよ、それでも。
 エヴァなんか、アニメなんか観てないで外に出ろヲタどもめ、ってニュアンスの終わり方した訳だけど、
 アリアでそれをやると、ほんとアリアに見捨てられて現実にちゃんと生きようという気概が出るよりは、
 現実の中でもアリア的に解釈して縋って生きるような、そういう逞しい駄目さを産むだけのような。
 自分に疑問を抱け無くなったら、ヲタは駄目なんじゃ無いの?っていうか、そういう、うーん。
 私はオタクであることは良いけど、そういうひとつの感覚に縋ってそれを盾にして生きる「ヲタク」は肯定
 出来無いなーとか、なんか随分話が飛躍してるなとここまで書いて初めて気づいたほどに、盲目。
 あーもー、アリシアさんカムバーック! (おやめ)
 ということで、アリア最終回はまたいずれ冷静になったときに観て、泣いておきますです、はい。
 そのときはきっと、リアルとしてドラマとしてのアリアの価値を受け取れる、その自分こそを青空のように
 大きく見つめることの出来る自分、そう、そのアリア的眼差しを得られると思うな。
 私なら出来る。 きっと。 それだけの「癒し」をアリアは与えてくれたのですから。 
 ・・・。
 恥ずかしい台詞禁止! (お疲れ様でした)
 
 
 みなみけ〜おかわり〜:
 意外。
 信じられないほどに。
 そんな形容詞が相応しいほどに、当初の印象から化けた感がありました。
 というか、私がこれの愉しみ方を見つけたからに他ならないので、別に作品自体が変わった訳では
 無いでしょう。
 この第2期(?)は確かに第1期と比べると、ギャグ的な面では大きく後退してると思うし、あんまり笑え
 た記憶は無い。
 そういう意味では第1期は笑かして頂きましたよ。次女とほさかにやられまして候。
 でもさ。
 その第一期ですら、爆笑の連続という訳にはいかなかったことを、読者諸君は覚えておるかね?
 そう、このみなみけって作品自体、そもそも微妙なのだ。
 いや、それは悪い意味での微妙じゃ無い。
 普通にどうでも良い間があったりネタがあったり、まぁそれは作者なりに全力でやってるけど普通にスベ
 ってるだけなのか計算ずくなのかはこの際問わないが、しかしその微妙さがあること自体、その笑える
 波とそうで無い波が複合してあることの微妙な笑い、その全体的な面白さこそがみなみけの魅力とも
 言えよう。
 ならば、だ。
 「おかわり」では、なにが変わったと思う?
 実は、この波の変化がある、ということ自体は変わっていないのだ。
 微妙さがあることは変わらない。
 だが、その微妙さを受け取ることで感じるものは、「笑い」では無い。
 「しんみり」、なのだ。
 みなみけという作品は、とにかく爆笑出来る部分とそうで無い部分の差が激しく、それゆえ微妙な空気
 が漂い、その微妙なぐだぐだ感が面白く、ふっとさりげなく笑えたり、またその微妙な感じが作品に通って
 いる隙間風的ななにかを感じさせて、しんみりとさせてくれたりもするものなのだ。
 そのうちのどちらか一方を強調したり薄めてみたりすることで、ふたつのバージョンの色合いが決まってい
 る。
 可笑しさも寂しさも、同じみなみけの微妙さをどう観るかの違いであり、またそれは同時に両方を含ん
 でいるものなのだ。
 なんだか当たり前のことを言っているだけのような気もするが、まぁいいだろう。
 要は、面白いか面白くないかであり、またどうしたら面白く感じられるように観ることが出来るか、だ。
 今私がした当たり前の話も、その面白く感じようとすることの一助となるかもしれないし、ならないかも
 しれない。
 私は単純に、ギャグでは無くしんみりさを愉しむことにした時点でとても面白く感じられたが、しかし
 こうして当たり前な屁理屈から改めて観てみると、その分だけやはり面白く感じられるような気もしたし、
 気のせいなだけのような気もした。
 まぁ、そうだな、もし続きをやるとしたなら、またこんな感じで笑いとしんみりの交互の構成でやって欲しい
 なとは思うかな。
 あーなんか、第1期が終わって第2期が始まったときの、あの「第1期よ永遠なれカムバーックほさか!」
 的な気持ちからすると嘘みたいだ。
 うん。
 笑いって、奥が深いなぁ、まだまだ。
 ほんと、楽しみだ、人生って。 (なにこのしんみり)
 
 
 バンブーブレード:
 可もなく不可も無く、なんだか落ち着く作品でした。
 ある程度観れて、ある程度どうでもいい感あって、だから丁度、「わざわざ観ないということを選択する
 方が不自然でめんどい」といういっちばんラクチンなポジションでした。
 褒めることも貶すことも無いけど、それは無関心ということでは無くて、ただそういう付き合いが一番
 スッキリするって感じ。
 色々中途半端だったり気合い入ってたりやっぱりいい加減だったりする、そういうものを提出してくれて、
 それを私はただ、あーうんうん、いいんじゃね? まぁいいんじゃね?ありでしょ(他のことしながら)、
 という感じで観てて、そういう意味では私にとってのこのシーズンのアニメ視聴時間の休憩用、もしくは
 潤滑油的な感じでした。
 なにを言っているのかさっぱりわかりませんが、問題無いでしょう。無い。無い。
 なんか青春とか根性とか哲学とか、そういうの期待してそういう風にして観てやる!みたいな気負いが
 すぽーんと抜けて、抜けたけど普通に観てて、結局最後まで楽しく観れて、なんかいいなぁこういうの。
 こういう作品があると、アニメのある生活っていうのを意識出来て、ちょっぴり嬉しく感じます。
 細かいところでいちいちおもうところもあるけれど、あっさりとおもわないでいられたり、そういうなんていうの
 かな、簡単な距離の取り方を楽しめる、そういう作品でしたね。
 あとキリノ部長の笑顔が観れると、こっちまで嬉しくなってきました。あの子は良い子。
 なんだか、素直に、いい作品だったねぇと、ぽっと言えそうです。
 
 
 ガンダムOO:
 最初から最後まで、きちんと「物語」作品としてまとめる気が無いことはわかったし、それなりに個別の
 キャラの言葉としてのまとめは面白かったけど、じゃあそれらの集合体として魅せるなにかはどうだった
 かというと、やはり低評価を与えざるを得ない。
 面白いんだけど、どうせそれやるんだったら徹底して欲しかったし、娯楽的な面をそれでも残したんだか
 ら、それもやるならやるでちゃんとして欲しかったけどそれも中途半端で、そうですね、一言で評するとし
 たならば、非常に頼り無い作品だった、という感じでしょうか。
 ひとつひとつ着眼点は興味深いし、ただ戦況に合わせてダラダラと御託並べる戦記モノにしなかったのは
 良いところだけど、その着眼点ありきであるならば、やはりその着眼点に責任を持って徹底してそれを
 突き詰めて欲しかったです。
 「武力による戦争根絶」という理念を全うするということが「どういうことか」を、ただ脊髄反射的に乗り越
 え足りなどせずに、その問いを徹底した点は評価出来るけど、でも肝心のその問いを以てなにを為し
 それでどう「世界」を織り直すのか、というのが描かれないのは残念。
 それは二期でやると言われても、少なくとも一期でその問いと世界の関係の描写をリアルタイムにやら
 なければ意味が無い。
 一期は一期、二期は二期。単純な謎ときじゃ無いんだから。
 まぁでも、せっちゃんとマリナイスマイ〜ルは良かったね。
 刹那というキャラを実に上手く使ってるし、この作品の主人公があくまで刹那だということを示した上で、
 なお刹那が主人公であるということはどういうことか、ということも描いていたと思うしね。
 刹那が此処にいるということ、それをみつめることでみえてきた世界。
 その中で提出される陳腐とか青臭いとかいう「言葉」の意味に、ぬくもりが出てくる。
 「此処にいる」が、「其処にいる」。
 世界は存在する者達で出来ている。
 刹那がどれだけ一面的な物の見方しか出来なくとも、そうして居る刹那こそが、紛れも無くその世界
 のうちのひとつであることを描いているんですね。
 刹那の視た世界は刹那の世界であり、そうした自分の世界を視た刹那がこの世界にいて、そして
 刹那はその世界の中にいる自分を観た、のです。
 そりゃイスマイールも抱き締めたくなりますよ。せっちゃん、せっちゃん!
 まーあれですね。
 二期に期待ですね、はい。 せっちゃん万歳。  ←考えるのがめんどくなってきた ぉぃ
 P.S:
 「武力による戦争根絶」という命題をただ論じるだけでは無かった、という点に関して私は高評価。
 
 
 
 
 という感じですね。
 前期はなかなかの豊作期でした。
 「狼と香辛料」と「もっけ」がズバ抜けていましたけれど、その他にも「破天荒遊戯」の意外な楽しさ、
 「アリア3」の終わっていく感覚(笑)、「みなみけ〜おかわり〜」の化けたしんみり感、そしてなんといって
 も「ガンスリ2」の大変身などなど、それほど粒は大きくは無いけれども、楽しみ方がちゃんと用意され
 ている、その贅沢感があったシーズではなかったでしょうか。
 
 ・・・・。
 なにこの、やっつけなコメントは。
 まぁでも、感覚としてはそんなところでしょう。
 間違ってはいませんよ?(微笑)
 まぁ。
 別の言い方をすると、前期は各作品のレベルの高さとかその多さとか、そういう集計としての豊作、
 というのを言うよりは、どちらかというと、前期のひとつのアニメを楽しむ「シーズン」としてたっぷりと楽しめ
 た、ゆえに豊作、という個人的な感覚に照らして言う方が合ってる気がします。
 なんかね、あれらのアニメの組み合わせ自体がすごく良かったっていう印象があります。
 だから、面白かった、というよりは、楽しかった、という方がもしかしたら合ってるかもですね。
 
 というあたりで、良いかな。
 時間もおしてるんで、今夜はこの辺りで。
 ばいにー。
 
 
 
 
 はぁ。
 これから一年が思い遣られるなぁ・・・・・・ (布団を敷きながら)
 
 
 
 
 

 

-- 080414--                    

 

         

                        ■■ 賢狼ホロ、豊かに嘘を吐く 2 ■■

     
 
 
 
 
 『 わっちが腹立つのは、ぬしが本気でそう思っておるところじゃ!!
  いっそあの小娘の名を答えとったら、思いっ切り引っ掻いてやれたものを!!!』
 

                           〜狼と香辛料 ・最終話・ホロの言葉より〜

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 蒼黒い風が立ち塞がっているのが、白く筋を引く紅い道の中に見えて、感じた。
 疾風の如くに走り抜けた風景が、消えていく。
 
 
 なにが、お前を信じている、じゃ。
 その言葉が、どれだけわっちを追い詰めていることか、ぬしは知らぬじゃろうし、知ろうともせん。
 わっちには、ぬしを信じることがそれでは出来んせん。
 ぬしはただ、わっちらふたりの外の世界についてしか考えよらん。
 わっちのことは、全部無視じゃ。
 いや、ぬしはわっちが必ず自分に付いてきてくれると、それだけを信じとるんじゃ。
 付いていっても良い、いやさ、そのためにこそ旅に出たんじゃ。
 じゃが、今目の前にいるわっちは、果たして一歩でも動けるのかや?
 それでも動こうと足掻いて、足掻いて、その自分の様を愚かしく虚しく感じさえして、しかしそれでも
 なにもかもわからなくなってさえも、それでもわっちは・・・わっちは・・・・
 ぬしの提案は、すべてわっちの癇に障るんじゃ!!
 どうしろとかこうしろとか、それをするために必要なことが、まず先に山ほどあるじゃろが!!!
 それを全部無視か。
 それをひとつひとつ指摘せねばならぬことこそ、疎ましい。
 なぜわっちがそこまでせねばならんのじゃ。
 なぜぬしは、そこまでわっちの誇りと願いを踏み躙れるんじゃ!
 ぬしの頼みとあらば、それに見合うものを嘘でも良いから与えられれば、わっちは充二分に働いてみせ
 ようぞ。
 わっちはぬしと、嘘のやりとりを、交渉を、信頼の醸成をしたいんじゃ。
 そのためになら、たとえ我が意に添わぬ依頼とて、受けよう。
 なぜなら、ぬしの与えてくりゃるものが、その依頼を果たすに充二分のものであるからじゃ。
 
 じゃのに・・・ぬしは・・・・
 
 ぬしは・・・わっちと同じでは無かったのかや・・・
 わっちとの嘘吐き道中は、楽しくなかったのかや・・・・・?
 ぬしは・・・一体・・・・
 一体誰と、嘘を吐き合っておったのじゃ?
 ぬしはずっと変わらぬ一本調子じゃ。
 わっちがどうなろうと、変わらずに同じ作法同じレヴェルで詐術を展開しよる。
 言うたじゃろ、嘘を吐くその背景が重要じゃと。
 なんのために嘘を吐くんじゃ?
 わっちはぬしが信じられん。
 ぬしは一体なにを信じとる?
 ぬしが信じとるのは、ただ無機質の不変の賢狼のホロだけではないのかや?
 ああ、わっちはどこまでも嘘を吐けるし、武装している百人でも余裕で蹴散らせる。
 
 ではなんのために、わっちはそれらのことが出来るのか、ぬし、言うてみよ。
 
 
 言い方を変えよう。
 
 ぬし、商人じゃろ?
 商人はなんのために、働くんじゃ?
 
 ぬしがわっちを賢狼と見続け、わっちがそうであり続けていることを信じてくれることは、正直嬉しい。
 わっちを視てくれているぬしが、誰かがいるからこそ、わっちはどこまでも頑張れる、確かにそうじゃ。
 じゃがそれは、それだけじゃったら、わっちはぬしを、すべての他者をそうした眼差しとして利用しているこ
 とにしかならぬのじゃ。
 ぬしの、皆のために頑張り続け、戦い続け、そしてそれで喜んでくれるぬし達の笑顔を視るだけで、
 それだけで幸せじゃと? 生きられるじゃと?
 
 
 たわけ   っっっっっ        !!!!!
 
 
 そんな生活の、どこに他者がおるんじゃ?!
 
 
 
 冷静に、頭に血が昇り、その熱度はじっくりと周囲へと溶けていく
 うっすらと、夜明けの白い果てが世界を囲むのがみえてきた
 
 
 白々しく、嘘を吐く。
 考え込む振りをする。
 試す振りをする。
 信じる振りを、する。
 『ぬしも口が上手くなったのう。』
 いつもの通りの、口上。
 『まったく、面倒な奴の旅の連れになったもんじゃ。』
 いつもの通りの、決め台詞。
 ほれ、わっちのこの美しく賢い絶対不変の神なる姿を褒め称えよ。
 ぬしがそれを崇めれば、わっちは永遠なるままに戦い続けよう。
 いや、嘘さえも、交渉さえも続けよう。
 淫らなるままに、融通無碍に、臨機応変、逞しくかつ弱々しく、ただただ、ただただ。
 たわけなるままに、生き続けよう。
 たわけな自分の姿をみつめ、それを修正し、またたわけに堕ち、その繰り返し。
 いつかきっとぬしは振り返ってくれると信じつつ、そして同時に暴虐を尽くしていく。
 終わった、世界。
 終わりの末の、生活。
 ただ絶望なる死に至ることも無く、ただただ見せかけの生を演出する。
 『ぬしよ・・わっちはその・・・純粋に羊飼いが嫌いなんじゃからな・・』
 そうじゃ・・あれは・・わっちがぬしのために編んだ巧妙な詐術じゃったな・・
 ようやったものよ・・・じゃからわっちはそれを捨てぬ・・捨てられぬ・・・
 じゃからその策の記憶がある限り、わっちはその策のままに生きるのみ・・・
 嬉しくも・・・・虚しくも・・・・無い・・
 ただただ・・・・・生きているんじゃ・・・・それでもわっちは・・・・生きて・・
 『それを聞いてほっとした。ノーラはこの仕事が成功しても失敗しても、羊飼いをやめることになるからな。』
 そうか・・そうか・・・わっちの策は・・・生きてはおったんじゃな・・・
 よかった・・・・・よかった・・・・・・・・ぬし・・・・よかったな・・・
 
 
 わっちもぬしのその笑顔がみれて嬉しいぞふふふ
 じゃから
 
 
 『欲しいものが決まった! 最高級の桃の蜂蜜漬けじゃっ!』
 
 
 そこにおったのは。
 
 与えられた最高級の桃の蜂蜜漬けを持てあます、無様な狼の姿だけじゃった。
 
 
 
薄く張り巡らされた星々の残映が空を覆い尽くす
間延びした夜気が汗となりて滴り落ちていく

そのひとつの波紋は丘を越えて鳴り響く

 
 
 するべきことをし、すべきで無いことを瞬時に切り分ける。
 狡猾に獰猛に、ただただ捻り潰す。
 虚 し い
 その虚しさは一切の浅ましさを読み取れぬゆえに、絶対じゃ。
 これ以上は、無い。
 なんのために戦っておる?
 薄い傲岸に依って立ちながら、あからさまにその羊飼いの小娘を見下している。
 なんのために働くか。
 しれたこと、金のために決まっておろう。
 愚かな教会の論理を打破し、金の価値を真に見破ったおぬしにならようわかろう。
 あのリーベルトという小僧はなんと言った?
 羊飼いと羊を守れ、そして羊飼いを連れて逃げろと言うたじゃろ?
 そのあとに、なんと言うた?
 あの小僧はおぬしに、俺を守れ、俺を守れば報酬を与えるというたじゃろ。
 別に、おかしなことは言うておらんよな?
 羊飼いと羊を守るのは、密輸した金を守るためじゃ。
 しかし襲ってきたのはわっち、つまり狼じゃから、羊飼いを戦わせねばならぬ。
 そして羊飼いのおぬしは、羊と依頼人を守るために戦う。
 なぜ戦うかといえば、金を積まれたからじゃな。
 金の真の価値を見破ったおぬしなれば、その自らの姿を浅ましいと蔑む眼差しこそを浅ましいと思う
 じゃろ。
 そうじゃよな、金のために働くを放棄するは怠惰、そして等しく孤独に繋がるのじゃものな。
 じゃからおぬしは、わっちと対峙した。
 わっちはおぬしを助けよとロレンスに依頼されたのじゃがな、ふふ。
 で、どうするのかや? 小娘。
 
 おぬしの目の前におるのは、一匹狼じゃぞ?
 羊飼いにとっては、致命的な存在じゃ。
 
 狼は群れで行動し、そして絶対に一匹だけが傷つくような戦い方はせぬ。
 羊飼いは、そこを突く。 またそこしか突けぬ。
 普通に考えれば、非力な人の子とちっぽけな犬程度で、狼の群に勝てるはずが無い。
 じゃが、あくまで標的を一匹に絞れば傷付けることくらいは非力な者でも可能じゃ。
 そして、狼は絶対に一匹だけが傷つくようなことはせんから、結果的には膠着状態、そして結果的に
 羊飼いと犬は羊を守りきり安全圏へと逃げ込める、それが羊飼いの勝ちなんじゃ。
 そして逆にいえば、狼が犠牲を厭わずに襲いかかれば、羊飼いの勝ちは無いということじゃ。
 羊飼いの勝利は、すべて狼の群としての出来にかかっていると言って良い。
 つまり、狼を信じられる羊飼いこそ勝ち残り、狼を信じられずに隊列を乱した羊飼いは負けるが、しかし
 それは同時に前提として狼の群の高度な秩序があってこその論理なんじゃ。
 ならば、群れでは無い、一匹狼に成り果てたわっちに敵は無い。
 一匹狼の前では、羊飼いと犬なぞ虫けら同然じゃ。
 ほれおぬし、手が震えておろう。
 おかしなものじゃよな。
 おぬしはただ、人との繋がりの中にこそ、その働きを活かしその証しとしての金を求め、そうして人の子の
 群れの参画者としてあろうとしただけなのにの。
 豊穣な世界の本質を見抜き、金を稼ぐということが圧倒的に世界を広げそれと自らを繋いでいくことを
 見抜き、豊かに力強く生きていけると思うとったろうにな。
 おぬしは間違っとりゃせんよ。
 わっちも、同じなのじゃからな。
 狼の群れとしての論理を、わっちはなによりも高め、それがこそ孤高なる誇りを越えてある、至高の誇り
 であると確信し、そのためにこそ、戦い生きてきたのにな。
 それで得られぬもの、たとえばおぬしら羊飼い達には苦い思いをさせられ続けた訳じゃが、しかしそれら
 があるということは、同時にそれだけわっちの群れとしての論理が高まり深まっていたがゆえのことじゃと、
 そう豊かに感じられておった。
 
 ああ、そうじゃ。
 狼は、その群れの論理を高めれば高めるほどに羊飼いに遅れを取り、羊飼いはその高い論理を保持
 する狼の群れにこそ抗し易く、そしてそれに気づけた者ほど羊飼いとして優秀になれるのじゃもの。
 じゃからわっちは、おぬしらの信頼を裏切り、すべて無視して襲いかかる? そんなことは絶対に無い。
 
 わっちは今。
 わっちの目の前に敵がおらぬことが、無性に悲しい。
 
                       悲しくて。 
                                  悲しくて。
 
 怒りが虚しさに変わってしもうた。
 それは、どうしようも無い、怒りじゃった。
 
 愚かなり、小娘。
 金の亡者に成り果てよって。
 おぬしはそんなもののために命を賭けよるか。
 おぬしもおかしいと、確かに感じとるじゃろう。
なにをやっているのだと、それすら思えずに、ただ戦うしか無いと思うとるじゃろう。
愚かしや 浅ましや
誰も守ってはくれぬ
金はなにもしてはくれぬ
ただ信じるしか無い
信じるだけの孤独さがわかっても信じるしか無い
そう信じる自分を信じるしか無いことこそ愚かとおかしいと感じとっても
気付け小娘
世界は 群れは それを信じればおぬしを救ってくれる
そして
おぬしが求めておるのは そんな救いでは無かった
 
あっはっはっは
 
 

終わりじゃ

 
 

わっちもろとも

 

消えよ

 

この世のすべてよ

 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 

『 ホ ロ !』

 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 紅く拉げた空は血潮を満たし白く染まり
黒く水浸しに堕ちた森はどこまでも広がり
蒼く流れていく重苦しい風は周縁へと無為に開けていく
 
 
 
本当に
嘘ばかり、吐きよる
 
 
 
 難儀なことじゃ。
 折角、軽くどこまでも吹き飛んでいけそうな虚しさが消えたかと思うたら、今度は重苦しく沈んでいけそ
 うな虚しさが顕れよった。
 阿呆じゃな。
 たわけから阿呆に昇格したとて、なんにもならぬ。
 なんにもならぬと唱えるわっちに、虚しさしか感じぬ。
 ロレンスの声が聞こえた気がした、ような気がする。
 ようわからん。
 じゃが、わっちは小娘と犬を無視して、逃げ出した小僧の方を襲った。
 ふふ、狼の本性がそうさせたのかもしれぬな。
 わっちの中には、なんら変わらずに賢い群れの論理が横たわっとる。
 そして小娘も、犬を抱き締め戦闘を回避した。
 実に正しく、そして虚しい選択じゃ、互いにな。
 
 まったく、本当に阿呆じゃな。
 
 
 真に賢い狼の群れの頭は、その群れの論理を利用する羊飼いを、どうやってその論理の範疇で騙す
 かを考えているだけじゃのに。
 我が名は賢狼ホロ。
 何度となく、優秀な羊飼いの支配下にある羊を狩ってきた。
 
 無論。
 一匹の犠牲も出さずに、な。
 
 
 
 
 空を見上げると、月が浮かんでおった。
 
 
 - 嫋 嫋 -
 
 みえている訳では無い。
 感じている訳では無い。
 じゃが、透けてみえるのを感じた。
 ロレンスじゃ。
 ぬしの声が、いや、ぬしならばあそこで叫ぶはずという、その論理の原型こそが、この世界に、わっちの
 虚しき世界に穴をな、こう、あけたんじゃ。
 すっ
 周縁の闇は息づき始め、どくどくという脈動すら世界の果てから聞こえてきよる。
 妙に、寒い。
 あれだけ猛り狂った後だというのに、異様に寒い。
 空に浮かぶ月は嫌というほどに透明に輝き、空は高く風は冷たく、視界は開けに開けとる。
 夜気が、澄んでおる。
 
 
 なにも、感じぬ
 
 
 不思議じゃな。
 それを今、どうしようも無く保留出来るのじゃ。
 完全に、停止しとる。
 世界は豊かにどんどんと開けて動いてゆくのに、わっち自身は完全に空白点を刻んだまま、停止する。
 
 - たとえようも無く、なにかを、そう、なにかを圧倒的に感じとる -
 
 わっちが白く世界から抜け落ちていくたびに、その抜け出した色彩が世界の中に咲いてゆくのを感じて
 おった。
 それは、わっちが世界に偏在するということかや?
 阿呆、そんな訳があるかよ。
 それらはわっちでは無い、ひとつひとつの世界よ。
 月よ、風よ、森よ、空よ、夜よ。
 それぞれに犇めくそれぞれの息吹を感じ、それらは常にそれらの中心点へと向かっておる。
 じゃがその中心点は空白じゃ。
 なにも無いんじゃ。
 わっちは、何者でも無い。
 
 嘘じゃよ。
 
 今言ったことが、かや?
 それともわっちが、かや?
 
 同じじゃよ。
 
 
 

 またひとつ 白く 抜けていく

 
 
 ぬしに賭けようなぞと、ぬしを信じようなぞとは、全く思わぬ。
 わっちはただ、先ほどまでと同じく、ただ無為にぬしの言葉を聞いているだけよ。
 ぬしよ、囀ってみせよ。
 小鳥のように、籠の中の無様な人の子として、狡猾に賢明に、ただお人好しに泣き叫んでみせよ。
 不思議じゃな。
 そのわっちの驕り高ぶる姿すら、抜けていきよる。
 あまりの清々しさに、思わず身震いして、その抜けていくぬくもりを引き留めんばかりじゃ。
 わっちは、この動悸を収めるのに手一杯じゃ。
 そして。
 目と耳と鼻と頭は、みるともきくともかぐともかんがえるとも無く、ただぬしに向いとった。
 
 ぬし、なにを言う。
 なにを言うのか、示してみせよ。
 
 それを知りたいというおもいもまた、消えて溶けていた。
 ほう?
 まだ考えるというのかや、ロレンス。
 わっちらを裏切り殺そうとした奴らの金を奪い取ったのに、そのまま逃げることはせんとな?
 聞こう、ぬしの考えを。
 演説してみよ!
 ふむ。
 商人たる小僧を殴ったか。
 ならばぬしは、なにが違う? その小僧となにが違う?
 ふむ。
 小僧らレメリオ商会の出資が無ければこの金はそもそも手に入らず、またこの金をわっちらだけが
 持ち逃げすれば、小僧らは確実に破産すると。
 それは裏切りの対価では無いのかや?
 足りぬ? なにがじゃ?
 ふむ。
 対価ではあるが、しかしその対価を手にすることで、逆にわっちらが負うものがあるとな?
 要するに、どんな理屈だろうとそれでは寝覚めが悪く、ならば逆にその寝覚めを良くするために必要な
 理屈をこねるべき、か。
 
 『ならば!』
 
 皆殺しにすれば良い!!!!
 
 小僧らの路頭に迷う姿を見たくないのならばそれを殺せ!
 それとは関係無しにぬしの良心が痛んでやまないのであるのならそれも殺せ!
 いや。
 殺すには及ばぬ、むしろあの小僧らを無視することを正当化出来る、そのような理屈を考えればよい。
 
 
 そして。
 ロレンスが、人の子が、吠えよった。
 
 
 
 『明日パンを買う金が人の血で汚れているというのは、気持ちの良いものじゃ無い。』
 
 巫山戯るなや。
 わっちが言うておるのはそういうことではありんせん。
 その気持ちの悪いというおもい、それをもたらす根源をすべて破壊すれば良いというたのじゃ。
 ぬしが商人として人の子として、社会の群れの論理を高尚に満たしていくこと、それ自体がその気持ち
 の悪さを与えておるんじゃ。
 だったらそれらを根こそぎ、皆殺
 
 
 
 
 
 

 『関係者全員を噛み殺すとは言ってくれるなよ!!』

 
 
 
 みえているものが、みえてくる。
 きこえているものが、きこえてくる。
 
 嗚呼 
 
 
 違ったのじゃな
 
 
 
 
 『物事には沢山の終わらせ方があるだろうが。』
 
 『明日に繋がるものを、選択したいじゃないか!!』
 
 
 
 
 ぐずぐずと透けて周縁へと溶けていく、中心点が泣いておる。
 意図的に暴虐なる狼の姿を以て試したそれは、いつのまにやら無価値なものとなっておった。
 もはやわっちは孤独なる狼以外のわっちでいられぬ。
 飼えぬとわかっておりながらその孤狼を飼っていたのは、それにこそわっちが喰い殺されるためよ。
 ロレンスを試したのは、なにかを求めてのことでは無い。
 試練を与えることで、それを越えられなければロレンスごとわっちを、それを越えればロレンスだけを先に
 行かせ、わっちのみ滅びゆくつもりだったんじゃ。
 
 − じゃから 白けた  信じられぬほどに −
 
 

その滅び、そのものにじゃ

 
 それ自体が、その白けそのものが、繋がっとったんじゃ。
 なにもかもに、じゃ。
 ただただ、周りの世界は、待っている。
 当たり前のように、待っている。
 そうか・・・そういうことだったかや・・・・
 わっちはもう・・・とっくの昔に・・・・おったんじゃ・・
 
                      わっちは、其処におる
                                わっちは、わっちの周りにおるんじゃ
 
 ロレンスの阿呆を、いつまでも賢くなるまで待っておるのが不毛かや?
 不毛でもあり、不毛ではありんせん。
 ぬしを賢く育てるために足掻き続けることは、虚しいことかや?
 虚しく無くもあり、虚しいことでありんす。
 当たり前じゃ。
 当たり前じゃからこそ。
 
 虚しい。
 
 じゃが。
 
 じゃが。
 
 
 なんじゃろうか、この気持ちは。
 
 
 
 まだ。
 まだ。
 確かめたい。
 その気持ちが、どんどんと激しく弾けそうになりおる。
 なんじゃ、この気持ちは。
 
 
 
 
 ◆
 
 ぬしはこう言ったよな?
 明日に繋がる生き方をしたいと。
 それはきっと、ぬしの良心に忠実にありたいという、そのような盲目的なものでは無いのじゃろ。
 ぬしは商人ではあるが、しかし商人の論理に忠実でありたいとも思っておらぬがゆえに、あの小僧を殴
 ったのじゃろ?
 あれは、わっちの虚しさを殴ったに等しい。
 わっちは、なにが間違っていたのじゃろうか。
 いや。
 
 間違いなど、あったのじゃろうか?
 
 わっちはぬしと旅がしたい。
 それはなぜじゃ?
 それは、ぬしと同じく明日に繋がる生き方をしたかったからじゃ。
 突き詰めればそれは、長生きしたいということじゃ。
 人がいれば、それだけのおもいがある。
 じゃからそれらを無視していけば、やがてはそれを無視出来なくなるのじゃろう。
 そうなんじゃ。
 無視するために必要な嘘を吐けば、それだけ虚しさは積もり積もる。
 それは他者を無視してのものであり、そして他者の存在は決して消えぬゆえに、無視し切れぬ。
 どんなに巧妙な嘘を吐いても、それを続けても、絶対にその他者の前で嘘を吐いて踊り痩せ細っていく
 自らの姿を見つけざるを得ぬ。
 そうじゃ。
 だからこその、ぬしの良心よ。
 その、狡猾なるお人好しな訳だったのじゃな。
 騙せなければ、騙さなければ良い。
 ふふふ、ふふふ。
 
 なんのために嘘を吐くのか、それがわかっていなかったのは、わっちの方ではないか。
 
 今更綺麗に生きることなど出来ぬ、ひとりだけ善人面するな、逃げるな、というわっちの叫びこそ、
 最も誇り高い嘘吐きとして失格の遠吠えだったんじゃ。
 ぬしよ、ぬしよ、ぬし様よ。
 ぬしが言うたはこういうことじゃろ?
 気持ち良く生きるには、なにが一番効率が良いかと、そのためにこそ頭を使えと。
 他者と同様に、自らの中の良心も消えぬ。決して消えぬ。
 ならば、それを活かすこともまた考えよということじゃろ。
 良心を騙すことなど、その前では児戯にも等しい。
 逆にいえば、良心を活かせぬ者がこそ、こういった欺瞞の虜となるのじゃろう。
 無論、良心の虜となる愚か者とは、それは絶対に違うものじゃ。
 狡猾に、かつ純真に、そして狡猾に、純真に。
 
 
 目的は、ただひとつ。
 
 幸せに、なること。
 
 
 一点の曇りも無く、幸せになることじゃ!
 
 
 
 無理じゃな。
 ふふ
 
 

 わっちはそう呟くわっち自身の姿を、今、豊かに保留してしまいよった。

 
 ぬしよ、魅せてくりゃれ。
 ぬしのその純真を支える狡猾を。
 今わっちは、確かに純真さを欠いておる。
 今わっちは、確かに狡猾なだけの巨大な一匹狼じゃ。
 救ってみせよ。
 導いてみせよ。
 わっちは。
 ぬしの救いなど導きなど無くとも、もう独り豊かな大地へと歩むことが出来る。
 じゃが。
 それは孤独なんじゃ。
 だからこそじゃ。
 魅せてみよ。
 
 
 『ぬしひとりで背負うことかや?』
 
 
 ぬしも。
 わっちも。
 世界のど真ん中の此処に、こうしておるのじゃもの。
 
 
 
 

ぬしの嘘を、聞かせてくりゃれ。

 
 

+

 

『本当のところを聞かせて貰おうかや。』

 
 
 
 

上がった雨が 白い空から見下ろしている

 
 
 
 

 −    −

 
 
 
 雪解けの中に沈む春を待つ花の如くに萎れ枯れ泥む。
 喧噪の下敷きになりて呻くぬるい闇が耳を峙てている。
 辺り一面に、隙間が出来る。
 灯りが支える、その一握の時間。
 待っている気がせぬ。
 ただ、止まっている。
 ただ止まっているだけならば、待ち人は絶対に来ぬ。
 その待ち人自身がこちらを待っているのだとしたら、永遠にふたりは邂逅出来ぬ。
 
 炎が一輪、瞬いている。
 
 いつからその灯りはここにあったのじゃろうか。
 遙か昔、太古の昔、昔々、ずっと、昔。
 ひとつひとつ丁寧に過去をなぞるのが面倒になった頃、それは知れる始まりの詩。
 今ひとつ、実感が湧かぬ。
 本当にその始まりがあったのかや?
 自分で紡ぎ、辿ること、そしてこの掌のぬくもりの延長から外れたそれは、まるで他人事のようじゃった。
 わっちにはかつて、そのような実感無きものなど、無かったんじゃ。
 わっちがわっちを感じられぬことなど、想像も出来んかった。
 わっちはわっち、むしろわっちがわっちにしか過ぎぬことを恐怖しとったくらいじゃ。
 どこまで行っても、わっちしかおらん。
 どこまで感じても、わっちを感じてしまう。
 あらゆる体感はまっすぐにわっちの魂を形成し、ゆえにこの世界にわっちで無いものなど無かった。
 わっちの知らぬものなど、存在せんかった。
 
 ぼう
 
 この灯りは、いとも簡単に、その歴史の流れを断ってしまいよる。
 
 ずっとずっとここにあったはずなのに、それはずっとずっと新しくあり続けているようにしか感じられん。
 この灯りは本当に、ずっとここにあったのかや?
 酒をひとつ口に注ぐ。
 瞬間、酔いが広がる。
 早い、あまりにも早いと、空々しく呟きながら、この瞳だけにはその灯りが映っておった。
 
 酔いと白けは、同じものなんじゃ。
 
 虚しさで満ち足りた瞬間に、それはすっぱりと真っ白な満天へと繋がっていく。
 唯其処に在るもの。
 唯此処に在るもの。
 虚しさを感じ、しかし虚しさを感じるという情熱的なものこそ、なによりも白々しい。
 そして。
 じゃから・・・其処には・・・・
 
 
 『遅い。』
 
 阿呆が来よった。
 『まず。』
 『あの小娘をどこまで信用しとる?』
 ぬしの嘘に満ちた誠意をみせよ。
 それでわっちはこの虚しさを白けに換える。
 うむ、それでよい。
 『ま、そんなところかや。』
 ぬしの論理は完全に理解し、保障もこれでされた。
 これでたぶん、ぬしへの貸しは返されたと思う。
 これでわっちは、満足せねばならぬ。
 これでわっちは・・・歩き出さねばならぬ・・・
 この豊穣な世界へ。
 真ん中が綺麗に白く抜けた、美しき周縁の世界の中で。
 
 
 じゃが、それは、まだ。
 断たれておらぬ。
 
 それではまだ、わっちはこの炎を外の世界のものと思えぬのじゃ。
 
 つまり、孤独じゃ。
 孤独の愉しみじゃ。
 駄目じゃ。
 どんなに満足しても。
 
 その外には・・・・・必ず・・・・・・・・・
 
 なにかある
 
 そして、その外たる周縁から観れば・・・その中心には・・・必ず・・・・・・・
 
 
 
 
 『少し・・・・風に当たりたい。』
 
 
 
 
 それでも生きていかねばならぬ、か・・・
 そうじゃな・・
 明日へと繋がる、そんな生き方をな。
 わっちは、せねばならぬ。
 ぬし。
 ぬしに聞きたいことがある。
 『あのときぬしは、どちらかの名を呼んだはずじゃ。』
 ぬしを試す。
 いや、ぬしに頼みたい。
 そう胸の内で呟くわっちが虚しく、だからこそその呟きを胸に秘める白々しさこそが、ぬしの姿を
 わっちの目の前の其処に置いてくりゃる。
 わっちの周縁には、果てしなく実感無き世界が広がっている。
 虚しく、しかし白々しいゆえに、冷静にそれらはそこに存在しているんじゃ。
 ほれ・・夜明けじゃ・・・
 あんなに白々しく、目覚めた明かりが世界を照らし出しておる。
 綺麗じゃのう・・・
 寒いのう・・
 
 
 
 きた・・・・これじゃ・・・・・・この・・・・・孤独感・・
 
 
 
 ぬし、答えよ。
 どちらの名を呼んだ? 
 わっちか? 小娘か?
 どちらを呼ぶべきだとぬしは考えた?
 わっちはそれでも、ぬしを試すをやめられぬ。
 じゃから、ぬしにはその試練を越え、なおかつ試すわっちをこそ・・・・わっちをこそ・・・・・
 
 
 『お前の名を呼んだ。』
 
 
 頭に血が昇る。
 冷静に、白々しく。
 
 『ぬし、嘘を吐いたなっ!』
 
 許せぬ。
 許せぬ。
 冷静に、白々しく、虚しく、熱く、怒り。
 待て。
 まだじゃ。
 なぜかを聞いとらん。それが重要じゃ。
 もっと全体的にあらゆる思考を巡らし誇りがどこにあ
 
 
 『なぜなら。』
 
 『お前の名前の方が、少しだけ短いからだ。』
 
 
 な、なにを言うておる・・
 『黙りんす!!!』
 許せぬ、許さぬ!
 これで決まった。
 『ぬしにチャンスをやる。 今、名前を呼んでみよ。』
 丁度、小娘がぬしには気づかぬ距離じゃが、こちらへと迫ってきておる。
 今こそ本当に最後じゃこれで駄目ならわっちはぬしを
 
 
 
 
 巨大な鐘の音が鳴り響く。
 ロレンスの声だけは、その音の中に吸い込まれていきよった!
 
 
 
 
 口の形、遠くに向けて言っていること、遠くでこちらに向けて手を振っている小娘。
 そしてなによりその小娘に向けて手を振るぬしのその姿!
 どちらの名を呼んだかは明らかじゃっっ!!
 わっちの耳が良すぎることを利用して、他の音に被せて誤魔化したりなどしおって!
 許せぬ、許さぬ!
 絶対にゆるさ
 
 
 
 
 
 
 

『 ホロ。 』

 
 
 
 
 
 

 

 青く澄んだ空が 白い光に導かれ 浮かんでおった

 
 

腹の立つことに

 
 

その空の下で

 
頬を紅く染めるわっちを感じずにはおれんかった
 
 
 
 

ぬし

 

 

ぬし

 
 
 
 
 

こ の 賢 狼 ホ ロ を 騙 し お っ た な っ !

 
 
 
 
 
 
 
 どちらの名を呼んだか忘れたなぞ嘘じゃ。
 じゃがぬしは敢えて忘れたと言い、しかし絶対にわっちの名を呼ぶはずだと言った。
 わっちの論理を、わっちの誇りを無視せんということじゃ。
 じゃがそれだけならわっちにあっさりと見破られる。
 わっちはそれを持てあます。
 ぬしはじゃから、あっさりともう一枚罠を張った。
 冷静などと言いつつ、すっかり頭に血がのぼったわっちは気づかなんだ。
 少しだけ短いからわっちの名を呼んだというのは、紛れも無く論理重視ではないか。
 つまり嘘じゃ、少しだけ短いからこそという嘘、大義名分、それがあるからこそわっちの名を呼べる。
 そのわっちの名を呼んだのは、言うまでも無い、明らかな理由があるからじゃ。
 ああ、もう、なんでこんな、ああもう・・・・!
 
 わっちはただずっと、大きすぎる白い音に耳を支配されておっただけだったんじゃ。
 ぬしは、ぬし達はずっと、ずっと・・・・
 
 そして。
 
 
 その白い音に隠れて。
 
 ぬしはただすべてを傲然と語っておったのじゃな。
 
 
 ああもう、気づけなんだ気づけなんだ気づけなんだっっ!!
 
 こんな簡単な嘘に気づけなんだとは!!!
 
 
 
 いや。
 
 
 『あ、そうじゃ。濡れ衣は晴らしてやらんとな。』
 
 わっちは、気づいとった。
 この白々しい世界の果てに、その周りに、必ずぬしら他者達がいることを。
 だからこその、孤独だったのじゃもの。
 この世のすべては、白いもので出来とる。
 あの白銀の世界に立ち籠める、あの純白の雪と同じものじゃ。
 
 
 
 
 
 
 ふぅ
 
 
 また
 
 嘘が吐きとうなってきた
 
 
 
 
 
 
 
 

− それが嘘か本当か −

 
 
 
 

本当に、関係あるのかや?

 
 
 
 
 
 
 明けた夜は、ただ当たり前の如くに豊かに満ちておる。
 市場には人と物が満ち満ち、森も川も海も様々な実りを創り出しておる。
 どこまでもいつまでも、だだっ広く、あっけらかんと、それでいて弾けんばかりの世界が膨らんでおる。
 手を振れば相手もまた振り返し、話かければ饒舌な返答が飛んでくる。
 白く透けた世界がみえよる。
 ようわからん。
 ほんとうに、ようわからん。
 じゃが。
 
 
 なにかが始まる気がした。
 
 
 いや、だからまだ始まってはおらぬのよ。
 だからまだじゃと言うておろう。
 ぬしよ、早う御者台に座りんす!
 いつまでも小娘に手を振っておるでない!!
 
 動き出す。
 ほろほろと、荷馬車が往く。
 荷台に寝転べば、真っ青に解けた空が広がっておる。
 
 ゆこう。
 どこへでもゆける。
 ぬしとふたりなら、どこへでも。
 
 
 と、わっちが言うと思うたのじゃろう。
 
 たわけ!
 
 
 
 今日も。
 蒼い空の下。
 紅い木立の底。
 白い道。
 みえる。
 感じる。
 じゃから。
 
 その先へ。
 
 
 ゆこう。
 
 ぬしよ。
 
 
 
 それでも夢見て、そして信じる世界の、その果てへ。
 その世界があると信じられ、そして夢見ることが果てぬのなら。
 
 
 
 
 
 その中心で、今日もひとつ盛大に敬虔に真面目に嘘ひとつ吐かずに生きてゆくでありんす♪
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ◆
 
 
 こ の 嘘 吐 き 狼 め !
 
 
 以上、「狼と香辛料」に贈る言葉でした。 (笑)
 
 はい。
 なんだかもう、一杯一杯です。
 なにかをここで書こうと思っても、なにも浮かびません。
 最初、本文の方ではかなりノリノリで書いてしまったので、おまけにかなり飛ばして書いてしまったので、
 やっぱり説明が不可欠だろうなあと思っていたのですけれど、むしろ読み返してみて、あ、逆にこれは
 このまますっ飛んでいってしまわないと駄目なのじゃないかなと、そう思い直してしまいました。
 ホロは、一体どういう境地に辿り着いたのでしょうか?
 私には、正直わかりません。
 いえ、わからないというより、どう説明して良いのかわからないというのが正確なところでしょう。
 ホロは当たり前のことに気づいただけとも言えますし、しかし答えだけはわかっていても、その答えを実際
 に手に入れるために必要な、壮大な手順をすべてこなしきったとも言えますし、なんだかそういうの全部
 違う気もします。
 説明しようとすると、その時点で、なにかが違う。
 けれど、私は何度この最終回を観ても、「わかって」しまうのです。
 ああこういうことなんだ、というよりは、ただこう、ホロと共に同じ思考をしてしまうがゆえに、その思考体験
 そのものがもう答えになっているというか。
 ですから、本文で書いたこと、それを読むことでなんとなくわかって頂くしか無いのだと思います。
 
 とはいえ、しかし結論だけを言えば、やはりホロは「嘘吐き」という、最も自分の才能を活かせるもの、
 そして自分のすべてを込め、かつそれで非常に多くのものを得そして読み解けるものとして、それを再び
 手にすることが出来た、ということではあるのでしょう。
 「孤独」とは誰も周りにいないということでは無く、周りに誰もがはっきりといることがわかるからこそ、それ
 らと繋がれていないことそれそのものが「孤独」。
 白銀の森で独り佇むホロが見つめる白い雪に満ちた世界は、まさに絶界ど真ん中、そして孤独の世界
 そのものでもあり、しかし同時にそれらの白銀の世界は、「空白」という名の確かなる「存在」としてそこ
 にあり、裏を返せばそれらの雪はイコール豊かな世界の変じたものとも言える。
 なにも無い、では無く、なにも無いと感じられる。
 つまり、なにかはずっと其処にいる、いるがゆえにそれらからのプレッシャーを感じ、しかしプレッシャーしか
 感じないからこそ、孤独を感じるのです。
 だから、そのプレッシャーの出所である、その白い夜の果てにある、その雪の下の「誰か」に会うために
 、ホロは旅に出たのです。
 誰もいない訳では無い、いるからこそそれを探しに往く。
 形としては、この「狼と香辛料」という作品はそういうものであったと思います。
 そして勿論それは形だけであり、それ自体を描くために、またそれをひとつの答えとして提出するために
 それがあった訳では無いとも思います。
 
 この作品は、あくまで「主人公」たるホロのためにあるものです。
 
 ホロがどういう答えを出したかは重要では無く、ホロと共にそれを観て考え感じてきた私達が、そのホロの
 出した答えとそれを導き出すまでの感覚を得ることこそ重要。
 それゆえ、ホロはただ賢狼として描かれ提出されるだけの存在では無いのです。
 ホロは、ただのひとりの狼、つまり賢狼の名を背負いそれと向き合い、またそれを求め続け、さらには
 それを求め続けるということはどういうことかを考えていく、そういう存在そのものなのです。
 超然として、スーパーヒロインつまり「賢狼ホロ」としての凄みも勿論描かれますし、それはホロという姿
 の魅力の大きな部分を占めていることは確かですし、それがあってこそではあります。
 そしてそれはただの賢者というレベルでは無く、同時に狼神としてもあってこその物語です。
 ホロは主人公たりえながら、同時にジョーカーでもある。
 いえ。
 
 そのスーパーヒロイン、ジョーカーのホロは、紛れも無いひとりの狼なのです。
 そしてまたそのひとりの狼は、賢狼であり、狼神なのです。
 
 それは、賢狼の抱える悩みとしての、その内面的な「ホロ」が描かれている、という訳では無いのです。
 ホロはホロであり、賢狼は賢狼であり、それらの存在を同時に有するのがあのひとりの狼なのです。
 ホロが賢狼で無いことなど「絶対」に無く、また神で無いことなども「絶対」に無い。
 ホロが賢狼の名を捨て、愚かに浅ましく生きることは可能です。
 しかし、かつて賢狼と呼ばれた事実、そしてその名を捨てた事実、そして今現在そうして愚かに浅ましく
 生きている自分から逃れることは不可能であり、それはすべてその「賢狼」というものが為すことなので
 す。
 或いは、ただただ馬鹿みたいに「賢狼」の名に傅き、純真無垢に賢狼として生き切ることは可能では
 ありますけれど、しかし同時にそうやって「賢狼」として必死にそれにしがみついている自分の姿を視てい
 る、そのひとりの狼のホロもまた、確かに存在するし、その存在を消すことは出来ない。
 そうしてホロは、実に様々な「自分」としてあり、またそうしたものとして、他者なるものもこの世界には
 無数に広がっていて、またそれらの存在も絶対に消せぬゆえにこそ、ホロには無視できぬものとなる。
 ホロは、賢狼、狼神から、内面豊か(?)なホロへと変わっていった訳では、決してありませんし、勿論
 お堅い神様からロレンスに恋するいち乙女に昇華した訳でもありません。 (笑)
 それらはすべて初めから、ひとりの狼たるホロの内のもの、つまり。
 
 
 すべては、あの白銀の森、生まれ故郷のヨイツの森の孤独の中に在った、ということなのです。
 
 
 ゆえに、そのときに初めて、孤独を脱するを求めるホロが、その孤独なる故郷の森を目指すことに
 価値が出てくる。
 ホロがあの白い闇の中から出てきたのは、その真っ白な世界のひとつひとつに、他なる存在をしっかりと
 感じていたからこそであり、そして感じているにも関わらずいっこうにそれらのものと繋がれぬ、つまり豊か
 な色彩に満ちたものとして瞳に映らぬからこそ、それを求めるために旅に出たのです。
 そしてその旅は、つまりその真っ白な他なる存在と繋がるためにはどうすれば良いのかという思考、
 つまり、そういうものと繋がるための「自分」探し、いえ、「自分」作りなのです。
 そして「自分」というのはすべて言葉であり、それはすべて「嘘」によって創られるもの、いえ、顕れてくる
 もの。
 「自分」などというものは新しく存在するものでは無く、あっさりと自らの姿を見つめたときに視えてくる、
 つまり顕れてくるもの。
 白銀の世界の下に埋まっている、色彩豊かな世界を顕すために、その白い雪をひとつずつ剥いでいく
 作業そのもの。
 それが賢狼であり、狼神であり、ホロである。
 それらの自分はそして同時に、その白い闇を色彩豊かなものに変えるために必要な、そのための方便、
 つまり「嘘」という道具でもあるのです。
 「賢狼」という道具を使わずにいれば、それでしか塗り替えることの出来ない部分の白は、ずっとそのまま
 白い「孤独」として其処にあり続ける。
 嘘を吐き続け、それら真っ白な他者と向き合う、そのために必要なものが「賢狼」という自分であり、
 そしてそれが無ければ他者は白いままに其処に居座り、自分との関係を築けぬままに放置され、
 よって孤独を引き起こす。
 それは無論、賢狼だけで無く、豊作神も交易の神も、そしてロレンスとの関係を築こうとするホロもま
 た同じ「自分」なのです。
 豊作神という道具で上手く塗り替えられなければ、交易の神という道具を使いそれでやってみる。
 ロレンスとの関係を築いていくことこそ重要と思えば、憎しみも恨みも愛もいくらでも惜しみ無く用い、
 それの虜となることの責さえも引き受け、またその影響を考慮することさえ出来れば、さらなる高みへと
 至れるという、そういった確信を確かに持って行動できる「賢狼」のホロのままに、それらの恨みつらみに
 まみれた自分をみつめていくことも出来るのです。
 それは、たんに「賢狼」としてお高くとまっているだけでは得られぬものであり、そしてまた「賢狼」である
 ことも引き受けるからこそ、またその高みへと戻れ、またそれで得たものを手にさらに上へと行くことも
 出来るのですね。
 
 そして、そう自分は出来ると、それでも「賢狼」たる自分の存在を信じようとするからこそ。
 ホロは孤独なだけの一匹狼に堕ちてさえも、同時にあの澄んだ青空を観ることが出来たのです。
 
 無論、そんな方法論を考えながらのホロである訳がありません。
 ホロはただがむしゃらに、考え考え、考えることに取り憑かれ、取り憑かれている自分をがむしゃらにみつ
 め、虚しさを激しく感じ、その虚しさを解消するためにはどうしたら良いのかを必死に考え、そして同時に
 そう考えているうちにもその虚しさが着実に目の前のなにかに影響を与えていることを極大に怖れ、ゆえ
 ただ考えているだけでは駄目なことを瞬時に理解し、その脳みそのまとまらぬうちに周囲に目をやり空間
 的な思考の中で問題を捉えていくことを試し、しかしそれ自体がまた虚しく、そして、そして、云々。
 ただただホロは激しく生きており、ただただ時折ぽっと高見から天啓の如くに閃くなにかがあるだけ。
 しかし、だからといってホロは、その真っ直ぐな自分の生というものそのものに執着することは無く、また
 そのこと自体に虚しさを感じたり悲観したりすることもまた、無い。
 なぜならば、ホロはただのホロでありながら、同時に、絶対に賢狼であり、絶対に狼神であるのだから。
 どんなにただがむしゃらの無鉄砲なホロでしか無いと感じようとも、そのとき賢狼は狼神は、純白の雪
 を纏いその紅い瞳の中に白さしか映さぬだけのこと。
 ならば、その白い雪の存在こそが、それと繋がれぬという意味での孤独、一匹狼の自分を顕しており、
 ゆえにそうであるなら、それと繋がるためのものを探し創ればよいんじゃ!
 そう。
 そして、そのためのものはあっさりと見つかる訳です。
 いえ、見つかると言うのさえ違うほどに、当たり前のそれ。
 なんじゃ。
 
 わっちは賢狼じゃないかや。
 わっちは狼神じゃないかや。
 
 その賢狼と狼神の姿は、それを見失う前の姿とは違うものかもしれません。
 しかし、それを求めて重ねていく「嘘」が照らし出すその姿は、間違いなく賢狼と狼神と呼べるものに
 なるのです。
 そう。
 絶対に、です。
 なぜならば、そうした他なる自分の姿と繋がろうとするということ、それ自体がそれらのものだからです。
 つまり。
 
 ホロが嘘をそれでも吐き続ける限り、賢狼は狼神は、そして他者は必ず其処にいるということなのです。
 
 ホロは賢く嘘を吐き、考え、策を練ります。
 そしてそれは常に、賢狼の名に相応しいものであるを目指す、その高品質さを目指して為されていく
 もの。
 ホロは賢狼であり、賢狼を目指すひとりの狼なのです。
 ホロの「賢狼」は常に進化し続けていく。
 なぜならば、ホロが目指す賢狼の姿は、常にそれ以前の記憶としての賢狼ホロの自分よりも美化され 
 ているから、なのですよね。
 昔の自分に戻ることを目指していたら、いつのまにか昔よりも良くなっていた、というあれですね。 (笑)
 
 
 
 とまぁ、こじつけと屁理屈のオンパレードになってしまいましたけれど、こんなところでしょうか。
 無理してあとがきを書こうとすると、この辺りが関の山というところでしょう。
 あんまりこのあとがきは重要じゃ無いので、むしろ忘れてやってくだしゃんせ♪ (笑)
 といいつつ、どうやって話を終わらせばよいのかわからなかったり。
 なんかもう、すっぱりきっちり未練無く終わらせたい気持ちで一杯で、他にはなにもみえません。
 正直、この「狼と香辛料」という作品は、私にとってはダイレクト過ぎました。
 偉大過ぎて深すぎて大き過ぎて手に負えない、という敗北感にも似た恍惚とは違って(ぉぃw)、
 ただただあまりにも自分に溶け込みすぎて、上手く距離が取れずにまごまごしている、という感じです。
 たぶん、私の体温とほとんど同じなものなので、あっさりと肌と溶け合い、私とひとつになってしまった、
 或いはもうなんだか「狼と香辛料」というものが自分になってしまったような、そういう感覚なのです。
 それはどちらかというと、自分の現在の内面的問題と同じ、つまり等身大の作品として自らを投影した
 という意味で無く、むしろ私の内面的なものを使ってどうこの作品を考え感じることが出来るか、つまり
 どうやって自分の現在の思考や感覚を道具化し、なにか新しいものを得られないかと、繋がりを得られ
 ないかと思うことが出来た、という意味です。
 ・・わかりにくいなぁ、自分で言っといてなんですけれども。 (笑)
 まぁあれですね。
 ホロと一緒に、なにかを考えることが出来た、というところでしょーか。
 ってそれじゃ逆に単純過ぎてわからないかも。
 
 まぁ、とにかく。
 
 私は、この「狼と香辛料」という作品への思い入れは絶大なものがある、ということだけわかって頂ければ
 と思います。
 そして、それがあるからこそ、実に多くの新しい考えや感覚を得ることが出来た、ということも最後にお伝
 えしておきたいです。
 ありがとう。
 ほんとうに、ありがとう御座いました。
 感謝、なんていう動機すら無いほどに、ただただその言葉のままに。
 ありがとう、「狼と香辛料。」
 ありがとう、ホロ。
 ついでにロレンスにも、ホロに代わってありがとと言っておきます。 (笑)
 
 うん。
 
 
 
 
 
 
 
 
 狼万歳。
 
 
 
 
 
 
 
 「狼と香辛料」という作品を生み出すことに携わった全ての方々に、感謝申し上げます。
 そして、当「狼と香辛料」の一連の感想を読んでくださった方々に御礼申しあげます。
 ありがとう、御座いました。
 そして。
 
 色々あったけれど、諦めずに最後までこの作品と向き合い、感想を書き切った紅い瞳に。
 
 ありがとう。
 
 
 たぶん絶対私、あとで感動して泣くもの。
 ほんとよく、諦めずに書いたよ、ほんとこの作品について書き留めたあの頃の私偉い!って。
 素直に、そう思います。
 うっさい、恥ずかしくても言うの! 言わずにはおられようか!
 いやおられはせん。
 それほど、そこまで私にさせるほどこの「狼と香辛料」という作品は、私にとって大きな存在だったという、
 まぁ、つまりその、なんですか、そういうことにしておいてくださいな♪ (ぉぃww)
 
 さぁて、がんばろっかな。
 
 ほんとに、そう、久しぶりに素直に呟くことが出来ました。
 
 
 それでは、この辺りにて、旅のひとつの区切りと致しましょう。
 いえいえ、第二期はほぼ確実に作られそうですから、この挨拶こそ最も適しているでしょう。
 それでは。
 まだまだ言葉とおもいは尽きませんけれども。
 また。
 
 またいつか、お会い致しましょう。
 
 この旅路の中で。
 
 
 
 
 
 
 
 (頬を赤らめて 笑)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
                              ◆ 『』内文章、アニメ「狼と香辛料」より引用 ◆
 
 
 
 
 

 

-- 080414--                    

 

         

                        ■■ 賢狼ホロ、豊かに嘘を吐く 1 ■■

     
 
 
 
 
 『 ぬしよ・・・・・・・・わっちは人を殺すかもしれぬ。』
 

                           〜狼と香辛料 ・最終話・ホロの言葉より〜

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

虚しさを 感じずにはいられない

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 水音が響く。
 泥の満ちた森の底は、汚辱を飾るに相応しい風情を呈していた。
 何者かの立ち去っていくその衣擦れの音が、如何なる熱度も無く遠ざかっていく。
 嘲笑のはずのそのざわめきは、無為に木々の吐息と混じり合い、ただこの霞の凝縮した無感動な雨を
 森の底へと溜め込んでいく。
 膝から下が、重い。
 見えない水浸しの泥沼が、くっきりと足下を捕らえていく。
 
 なんじゃろうか、この気持ちは
 
 驟雨に打たれる肌の感触のままに踊り出せそうなものを、いっかなこの体は動きんせん。
 動け動けという、そんな叱咤の言葉すら思い出せず、ただその言葉を思い出そうとすることのみに頭を
 使っておった。
 これが、誇りの力なのかや。
 わっちはな、膝をついたのよ、若僧共の前での。
 選択として間違っていたなどとは、思うてはおりんせん。
 わっちには、無造作に若僧どもを蹴散らすことも出来た。
 事実、そうするつもりじゃった。
 じゃがわっちは、如何なる策も弄せずに、ただ膝をつき、屈したのじゃ。
 傲慢な若僧どもなれば、この老狼が膝を屈せれば、嘲笑を響かせその目的を達するじゃろうと、
 無駄な労力は使わずに越したことは無いだろうと、そんな算段は皆無じゃった。
 ただ、どうしようも無く、膝が折れた。
 『わっちはな、この計画をさっさと進めて、ぬしとふたりの呑気な旅に戻りたかった。
  じゃから、傲慢な若僧ともやり合わず、大人の対応でやり過ごしてきた。』
 そうじゃ、わっちはただそれだけだったのじゃ。
 わっちはただぬしと旅がしたくて・・・じゃから・・・
 
 涙が、よう止まらぬ。
 
 泣くことでしか、足を動かすことが出来んかった。
 なぜじゃ、なぜわっちはわっちの詐術に誇りを持てんのじゃ。
 偉そうにロレンスに大見得を切った以上、わっちは自らの無事なる生還をロレンスに与えねばならんかっ
 た。
 じゃから、無駄な戦いを避け、若僧どもに頭を下げ、そして奴らの溜飲を下げてやるという、至極当然
 の術策を弄し、ただその策の上手くいったことを歓び誇りに思えば、それで良かったはずじゃ。
 森の底から見上げた紅い空すら、わっちは愉しめたんじゃ。
 今更、若僧どもに頭を下げる事自体に誇りの損なわれるを感じることなど、あり得んはずじゃった。
 そもそも、これは公正な取引でもある。
 わっちは若僧どもに頭を下げ、その代わりに道を通して貰う。
 どこをどう考えても、わっちには不満は無い。
 いや、違うな。
 わっちは頭なぞ下げずとも、また戦わなくとも、いくらでもこの道を往くことは出来たはずじゃ。
 頭を下げずに、しかし若僧どもを立てる、そんな策もあり得たはずじゃ。
 仮にわっちが若僧どもに頭を下げることを恥じる事をやめられなかったとしよう。
 ならばわっちは今言ったように、ただわっちと若僧どもの双方が綺麗に納得できる、そして一方が一方的
 に嘲笑し、そして一方はその嘲笑する者をこそ嘲笑う、そんな惨めなことをせんでも済む策を考えれば
 良かっただけ。
 なのに、わっちはそれを考えようともせんかった。
 なぜじゃ。
 
 もはや、涙で濡れるわっちを感じずにはいられぬ!
 
 
 気づけば奴らの前で、膝をつき頭を垂れておった。
 ただどうしようも無く、その行為に文字通り没頭した。
 なにもかもが、嫌になったんじゃ。
 考えようとすれば考えようとするほどに、膝は森の底にめり込んでいきよった。
 潰れるとは微塵も思わなんだ。
 じゃが、なにも嘘を吐く気にはなれなんだ。
 誇りとは、なんじゃ。
 わっちは・・わっちは・・・・・・
 
 
 
 

それでも雨は 降っている

 
 
 
 
 
 
 ◆
 
 すべてを黒く穿つ想い。
 すべてを紅く染める思い。
 白銀なるままに凍り付いていた、あの雪原の中の孤独は、その姿をありのままに失ったとて、言葉として
 さえも存在しなくなったとて、それは決して消えて無くなる訳ではありんせん。
 わっちはぬしと旅がしたい。
 そのためになら、わっちは策を弄し嘘を吐き、軽快に雄大に駆けずり回ってやろう。
 じゃがな、わっちはな、わっちはな。
 虚しゅうて、仕方無いんじゃ。
 頭ひとつ下げること、それ自体はどうでも良い。本当にどうでも良い。
 じゃがな、その垂れる頭に、わっちの誇りが無いとでも、思うておったかや? ぬしよ。
 わっちはな。
 
 わっちは誇り高き狼なんじゃ!
 
 策のためにならいくらでも頭を下げ、それで完成する策をこそ誇りに思う。
 じゃがそれは。
 その下げる頭になんの価値も感じていぬという訳では、絶対無いのじゃ。
 わっちはそれでも、そうじゃ、策が成ろうが成るまいが、若僧どもにタダで下げるような頭を持ってなど
 いないんす!
 
 
 わっちの紅い瞳が見初めているのは、ぬしの姿じゃ!
 なんのための、このさもしい誇りだと思っておるのかやっ!!
 
 
 わっちはどんなことがあろうとも、この虚しさを消すことは出来ぬ。
 どれだけ論理的に正しかろうと、屈辱を受けぬということなどあり得ぬ。
 安い誇りも無論ある、愚かな執着も勿論ありんす。
 どんなときでも、それは消えぬ。
 たとえ幸福絶頂のときでも、そうじゃ。
 ましてや・・・・・
 ましてや、戻るべきぬしのその姿が、そんなにボロボロになっておれば・・・
 わっちは・・・
 どうしようも無く膝をつき、そのことの絶望をすら越えてぬしの元に這い戻った甲斐すら無いではないか!
 
 『信じられぬお人好しじゃ!!』
 わっちは・・・
 わっちは・・・・
 
 
 
 なにを信じればよいんじゃ!!!!!
 
 
 
 わっちが受けた屈辱と感じた絶望と虚しさを、わっちは秒の単位で封殺できる。
 なぜじゃとおもう?
 これほどまでに、わっちは虚しさを捨てられぬと、それでも誇りを感じておるのだと叫んでおるのに、
 なにもかも感じられぬままに膝を折ってしまうのに、それはなぜじゃと想う?
 のう、ぬしよ、ぬし様よ。
 我が相棒、ロレンスよ。
 
 なぜじゃと思う?
 
 
 わっちは、その誇りやらなにやらを、豊かに捨てるためにこそ、そのためにこそ持っとるんじゃ!!
 誰のためにだとおもう?
 
 わっちのためじゃ!!!!!!
 
 そしてな、それがなぜわっちのためになると思う?
 それはな、わっちがぬしと旅をしたいと思い、ぬしと旅をすることこそ我が為と思うからじゃ。
 それが孤独からの脱出、いや、孤独を孕みながらも生き抜くこと、いやさ、たとえそれでもそうして足掻く
 自分の虚しさ、ただ虚無あることを前提として歯を食いしばるだけのその虚しさと戦うことが出来ることに
 繋がるからじゃ。
 わからぬか。
 ぬしのためをおもえばこそ、ぬしと共に生きられるとおもうからこそ。
 そして。
 ぬしがこのわっちの小細工を理解出来る、ただお人好しなだけで無い狡猾な人の子だと、そう信じる
 ことが出来るからこそ、わっちはつまらぬ誇りを後生大事に抱え込み、そしてそれを捨てて捧げるに値する
 ぬしの姿を求めているんじゃ!
 
 独りはもう、嫌なんじゃ!!!!
 
 たった独りで、虚しい世界の中で生きられる訳が無い。
 信じられるものが無い世界で、本当になにも信じぬままに生きられる訳が無い。
 いやさ、信じられるものが無いということ、それこそが孤独だということだったんじゃ。
 ただ自分ひとりが勝手に誰かを信じれば良いと思うかや?
 信じる信じないもわっちの勝手、ぬしがどうであろうと関係無い、わっちが信じるか信じないかそれだけ
 じゃと、そう言って強く逞しく生きれば良いのかや?
 愚か過ぎる。愚か過ぎるのじゃ。
 それはなにも信じていないということしか証はせぬ。
 なにも信じられぬ世界をただ受け入れ、その中で独りでも生きられるための方便を駆使しているにし
 か過ぎぬ。
 わっちはずっとそうして生きてきた。
 嘘を吐き騙し騙り、まさにはったり人生じゃった。
 じゃがそれは、常に孤独でしか無かった。
 所詮は、わっちは孤独の掌の上で踊っておっただけじゃ。
 それを知っているからこそなお、その孤独の掌の上で踊るわっちをみつめながら、しかしそれが実は愉し
 いことでもあるというは感じ取れ、じゃからその愉しさをこそみつけ続ける旅に出ようと、そのなによりも
 豊かな酔いの名の下に生きると、そう謳うことは出来る。
 じゃが、それは同じじゃ。信じられぬほど、同じなんじゃ。
 
 
 それはすべて、他者の存在を無視しているということに、変わりは無いんじゃ。
 
 他者とはなんじゃ。
 其処にあるものじゃ。
 無条件にあるものじゃ。
 わっちらはそれらの存在を、たとえ幻覚だろうとなんだろうと、感じずにはいられない。
 そうじゃ。
 他者無きがゆえに孤独と呼ぶのでは無い。
 他者が紛れも無くあるからこそ、しかしその者達と繋がっておらぬ自分の姿こそを孤独と呼ぶんじゃ。
 なにも無いことなど無いんじゃ。
 なにも無ければそもそも孤独なぞ感じんのじゃ。
 そして、孤独を感じぬことなど、絶対に何者にもありんせん。
 孤独は常に必ずある。
 ゆえに、この世界に他者無きこともまた、絶対にありんせん。
 他者の存在は消せぬ。
 いいかや、ロレンス。
 
 いいかや。
 
 
 
 
 だから、孤独から逃れようとする者は、ときとして他者を殺すを選んでしまうんじゃ!!
 
 
 そうさせるのは、ぬしじゃ!
 
 すべての者の、その目の前にいる他者そのものなんじゃ!!!
 
 
 
 
 他者の存在とは、それだけで理不尽なものじゃ。
 その者と繋がれぬとわかって、それゆえに無視しようとも、その者の存在がある限り孤独を感じることを
 消すことは出来ぬ。
 それはたとえその者以外の者と繋がることが出来ていても、同じことじゃ。
 確かに存在する者と繋がれぬこと、それ自体が孤独じゃ。
 ゆえにたとえその者を殺したとて、孤独は決して晴れぬ。
 なぜなら、そのものと繋がれなかったという事実が、常に遡ってその他者という存在を浮き上がらせる
 からじゃ。
 わっちは皆が好きじゃ。
 他者が大好きじゃ。
 じゃからそれらと繋がりたい、繋がりたいからこそ、万難を排してでも皆を、他者を、そしてぬしとの関係
 を求めるんじゃ。
 そしてそうするためには、解決していかねばならぬことは沢山あり、作法も方法も純然と満たしていかね
 ばならぬ。
 わっちが、無論ぬしが相手に求めることは沢山ある。
 そしてそれらの多くは、互いの存在を確かに感じ、そして互いが互いを無視せぬことを確認し続ける
 ためにあるものじゃ。
 わっちの誇りの取捨も、そのためにあるものじゃ。
 わっちは独りでも戦えるし、また頭を狡猾に下げることも出来る。
 わっちはそれらのことが出来る。
 いつまでだって、出来る。
 わっちは今まで、何百年もそうして生きてきた。
 じゃが、それがこそ、自らのこの圧倒的な孤独を醸成していたことに気づけなんだ。
 何百年もかけて、ようやく気づいたんじゃ。
 どれだけたわけなんじゃ、わっちは。
 いいかや、ロレンス。
 前にも言うたがの。
 
 孤独に耐えるは容易いが、孤独を脱すは至難の業なんじゃよ。
 
 わっちが本当に賢狼なれば、とっくの昔に孤独を脱するための戦いにこそ、つまり人の子らとの繋がりを
 求める戦いにこそ全霊を傾けておったはずなんじゃ。
 わっちはたわけよ、何百年も強靱に賢く独りで戦えることのみに没頭しておったのじゃからな。
 じゃがそれはよい。もうよい。
 わっちには今がある。
 ぬしがおる。
 其処におる。ぬしがおる。
 じゃからわっちは、ぬしのために、わっちのために、ぬしと繋がるために、ぬしを信じられるようになるために、
 戦い、考え、嘘を吐き、策を練り実行し、生きるんじゃ。
 ぬしを信じることが大切なのでは無い。
 ぬしを信じればよいだけならば簡単じゃし、それは逆に嘘じゃ。
 重要なのは、ぬしを信じられるようになるために、そう、そのために自分を変える前に、その前に、ぬしと
 言葉と詐術のやりとりを行い、その中からお互いへの理解を元にした信頼を創り出すことじゃ!
 だから、嘘が要るんじゃ。
 言葉があるんじゃ。
 わっちらは物言わぬ獣ではありんせん。
 物を言う、そして紛れもない獣なんじゃ。
 言葉という感情を満たさねばならんのじゃ。
 言葉で結べる互いの関係を無視しての、ただの怠惰なだけの安寧を元にした信頼などでは足りんの
 じゃ。
 わっちは欲深じゃ。
 足りぬ、足りぬ、足りんのじゃ!!
 
 
 嗚呼・・・・ 嗚呼 ・・・・・・・
 
 
 わっちは信じられるものが欲しい。
 信じられるもの無き世界の中で、信じられるものを得るためにこそ生きておる。
 欲深じゃろうが、傲慢じゃろうが、腰抜けじゃろうが、弱かろうが、愚かじゃろうが、わっちはわっちがそれら
 のものであろうとそのすべて排して、ぬしを求めるんじゃ。
 わっちは、誇り高き狼じゃ。
 じゃからそれでも、高潔に美しく賢く誇り高くある自分の姿すら汚さずに、かつぬしとの繋がりを手に入れ
 ることすら出来る、そのような高性能の脳髄を持っておるし、それが出来るほどの歳月を生きてきた。
 じゃが、それがよう出来ぬときもある。
 じゃがそのときは間違い無く、ぬしとの関係を求めるを優先する。
 なんとしてもじゃ!
 たったひとつだけ、それを求めることにこそすべてを賭け、ずたぼろになりながらもぬしのために生き延びて
 やるんじゃ。
 虚しかろう、虚しいとおもいんす。
 なにをやっておるのじゃろう、とは思わんかった。
 ただ、どうしてわっちは虚しさを感じるのじゃろうかと、思っとった。
 正直に言おう。
 わっちが誇りとぬしの両方を求めることが出来ぬとき、それはその虚しさから逃れられんかったからじゃ。
 わっちは自らの孤独からの脱出のための戦いを、虚しいと、そう、どうしても思わずにはいられんのじゃ。
 ただただ誇り高く、美しく賢いままに、孤高のままに生きたいと願い続け、それが純粋に達成できぬ
 ことにどうしようも無く不満を感じとる。
 いいかや、ロレンス。
 
 
 わっちはな、その虚しさと、常に五分五分の、ぎりぎりの死闘をずっと続けておるのよ!!
 
 
 賢狼の皮を必死に背負い被り、そのことのために生き続けた。
 ぬしと、ぬし達人の子らと繋がり、あの白銀の闇より抜け出すことのみを考え戦ってきた。
 そしてその必死の、まさに魂を賭けた戦いの連続自体こそが、果てしなく虚しいんじゃ。
 わっちはな。
 わっちはな、ぬし様よ。
 ロレンスよ。
 ぬしよ。
 聞いてくりゃれ。
 じゃから、ぬし達を信じたいんじゃ。
 その巨大な虚しさを、それを越えて其処に存在する、ぬし達と繋がれるということを。
 いいや!
 ぬし達にこそ、それを証して欲しかったんじゃ!
 わっちはな、どこまでも戦えるが、しかしその戦いがわっちだけのものにしか過ぎぬことを感じるたびに虚し
 さを禁じ得ず、ゆえになその戦いのためだけに封殺してきたちっぽけな誇りの虜になり、その孤高の境地
 からすべての自分の戦いに虚しさを感じてしまう。
 こんなに無様で醜い戦いをしても報われぬ、それは全て自分のためにしか過ぎぬと思うしか無いのなら
 ば、一体わっちはなんのために・・・
 わっちの旅は、生まれ故郷のヨイツの森、あの白銀の大地を目的地に据えておる。
 それがどういう意味か、ぬしにはわからなんだか・・?
 わっちはこのままでは、また虚しさゆえに孤高に孤独に生きる身に戻ってしまう。
 わっちは初めから、その孤独と孤高に還るためにこそ、それしか世界には無いことを確認するために、
 そのためにこそ旅を、人の子らと繋がるための戦いに身を投じたのかや?
 わっちは問う。
 わっちと、ぬしに。
 
 
 
 −−−−    我は孤独を目指す    −−−−
 
 そのこころは如何に?
 
 
 
 
 人の子よ
 汝がただ我の孤高なる戦いを崇め、ただそれだけで我の戦いを尊ぶのならば
 我は神の力をすべて傾け、汝らを滅ぼそうぞ
 
 
 
 

ロレンス!

 

わっちのその最後の命を賭けたぬしらへの絶叫こそ、

わっちの戦いの真髄であることを、

ぬしらを求めることのそれでもその極致であることを無視するのかやっ?!

 
 
 
 
 
 わっちはわっち独りでも戦える。
 じゃがもう、独りでは戦いたくないのでありんす。
 本当はもう、独りで戦い続ける力も知恵も尽きたが故の、その戦いからの逃避としてぬしらを求めて
 いるのかも知れぬ。
 もはやわっちには、その区別すらつかぬ。
 わっちはもう、ただただぬしに縋っているだけなのかもしれぬ。
 悔しいのぅ、悔しい。
 誰よりも美しく賢く誇り高かった賢狼ホロが、それでもそれを越えてぬし達を求めることの、その至高の
 豊かさを、もはや汚れた無様な逃避として嘲笑う眼差しから守ることが出来んのじゃ。
 どうしてもわっちは、自らのさもしい誇りに依って、ぬし達との繋がりを求める戦いを断とうとすることを
 やめられんようになってしもうた。
 ふふ・・・その愚かで貧しい誇りこそ孤高の標しと見切り、ゆえにそれを脱するためにこそ戦ってきたという
 のにのう・・・・
 
 
 どうして・・・
 
 わっちには・・・・ そうした自らの姿が観えるのかのう
 
 
 秒の単位で、頭の一部だけは圧倒的に切り替わる。
 それはもう、本当の本当に、ごく一部だけの変化。
 わっちはその極小の自分の境地から、それでも細く叫んでおる。
 許せぬ。
 諦めるなぞ、許さぬ!!!
 じゃから、怒る。
 わっちはなんとしても、怒り叫ぶ。
 わっちを、無視するなやっっ!!
 その叫びは、わっちにも、そしてぬしにも向かっておる。
 
 紅い瞳が、激しく燃える。
 蒼い蒼い雨が、深い地響きを立てて降りしきる。
 肌から奪われたぬくもりは、その雨に溶けて辺りを包む熱度となりて燃え盛る。
 今にも迸る血潮が瞳から零れ落ちていきそうじゃ。
 よくいう・・よくいうもんじゃ・・・
 涙なぞ感じん・・
 雨と混じり合い、それを見る者以上にわっち自身にその区別が付かぬ。
 呆然とも出来ぬ、虚しさに身を任せることも出来ぬ、嬉しき意志のままに笑うも出来ぬ。
 ぬしを求める。
 わっちは・・・
 諦めぬ。
 万難を排して、そうじゃ、なんとしても、たったひとつのその思いだけを・・・わっちは・・・
 諦めぬために、やれることを探し、実行する。
 それだけじゃ。
 たとえそれがどんな姿にみえようとも、それだけじゃ!
 
 
 
 
 

 ◆

 

『感動の再会と思いきや、ひどい恰好じゃの。』

 
 
 
 自らの醜い孤高の誇りに逼塞するを選ばぬなら、死を選ぶか?
 選びはせん、そんな死を狼は決して選びはせぬ。
 ならば、生きる。
 生きて、生きて、生きて!
 わっちは誇り高い狼じゃ。
 誇りという、ぬし達との共通の言葉を取引するんじゃ。
 忘れてはならぬ、それを忘れてはならぬ。
 わっちらは皆、対等じゃ。
 どんな理屈も正義も道徳も良心も、それを越えてあるのならそれはすべてその対等たることの敵、また
 同時にその対等関係を共に築き上げるという、まさに互いの繋がり合うことのひとつの障害にしか過ぎ
 ぬ。
 奪われたら、奪い返さねばならぬ。
 報われぬことなど、わっちらの間であってはならんのじゃ。
 いやさ。
 それらひとつひとつの不平等や理屈を、言葉と嘘と策で埋めていく、そのわっちらの営みこそが真に互い
 への信頼を培っていくことが出来るんじゃ。
 やらねばならぬ、わっちはやらねばならぬ。
 奪われ乱されたものを取り戻し正すために、わっちはなんとしてもぬしを、ぬしらを非難し叩きのめさねば
 ならぬ。
 
 なぜ、わっちがそんなことをせねばならぬのか。
 
 
 その答えを、正しき答えを、ぬしが、ぬしこそが絶対に導き出してくれると!
 
 わっちはそう信じて、戦っとるんじゃ!!!!!
 
 
 わっちに、誇りのための卑小な戦いなどさせんでくりゃれ、ロレンス。
 わっちはもう、誇りのためのその愚かな戦いをすることすら、出来なくなりつつあるんじゃ。
 じゃのに・・・
 そんな馬鹿な戦いなぞさっさとやめればいいなんぞと、あっさりと言われてしもうたら・・・わっちは・・・・
 わっちは、どうしたらいいんじゃ!!!
 わっちを・・
 わっちの嘘を・・・無視しないでくりゃれ・・・
 
 『まったく、なんて阿呆じゃ。殴られて顔を腫らし、泥だらけで手首には火傷の痕まである。
  そんな間抜けな姿になりながら、わっちの服だけ濡らさないように後生大事に抱え込んで・・・』
 
 どうしてぬしは・・・そんなにたわけなんじゃ・・
 何度言えばわかってくれるのじゃ。
 ぬしは、わっちとぬしの良心と、どっちと旅がしたいんじゃ、と。
 わっちの服なんぞ、わっちの理屈ためにならいくらでも捨てられようが。
 じゃがぬしは服を捨てんかった。
 なんでじゃ。
 わっちは、こうして、戦わずに帰ってきたのじゃぞ。
 裸では無いのじゃもの、その外套の意味は無いはずじゃ。
 わっちは狼の正体を顕し、戦うつもりじゃった。
 戦いが終われば裸じゃもの、外套は必要じゃし、だからぬしはわっちの生還の保証としてその外套を
 後生大事に抱え込んだんじゃろ。
 じゃがわっちは、正確に言えば戦うつもりもあった、というだけで絶対に戦うとは言うておらん。
 わっちはただ、自分が腰抜けでは無いことをぬしに示しただけの、そういう嘘じゃ。
 じゃがぬしは、そんなことはお構いなしに、ただわっちの生還だけを待ち望んだ。
 
 で、それで?
 ぬしはどうなんじゃ?
 無事だったのかや?
 そんなにボロボロになって。
 わっちはどうあれ、戦わずに無傷で帰ってきたというのに。
 なんもわかっとらん、いや、わかろうとさえしとらん。
 わっちが若僧の前で膝をついたのは、ただわっちの虚しさゆえよ。
 じゃからそれはぬしにはなんの関係もありんせん、わっちの問題よ。
 じゃがな。
 わっちはそれでも、その無様な戦闘の回避によって得た、この淫らな無傷のわっちをそれでも拾って
 帰ってきたんじゃ。
 ぼろぼろじゃよ、わっちの心もな。
 じゃが絶対に、ぬしに届けるべき、わっちのこの無傷の体だけは大事に抱え込んで持って帰ってきたん
 じゃ!
 わかるかやっ!!
 ぬしの抱え込んだものと、わっちが抱え込んで持ち帰ったものの違いが!!
 
 
 ぬしはただ、わっちがそうして無事に帰るための死闘を全て無視して、ただそれを当たり前のようにして
 待っている、ぬし自身のたわけな信仰を抱き締めていただけじゃ!!!!!
 
 それでぬしの目の前に、わっちはおるのかや?
 
 おりはせぬ。おるはずも無い。
 ぬしの目の前におるのは、ぬしが抱え込んだ外套を纏うに値する、ボロボロに傷ついた裸のわっちだけ
 じゃ。
 わっちは今、裸か? ロレンスよ。
 わっちは今、その外套を纏い、ぬしの胸に優しく抱かれるべき存在かや?
 言うてみよ、ロレンス!!
 わっちは戦いを回避して無傷のわっちをぬしに渡すために帰ってきた。
 ぬしは戦い傷つきボロボロになったわっちを受け取るために待っていた。
 そして。
 ぬしの目の前におるのは、無傷のわっち。
 そして。
 
 わっちの目の前にいるのは、ボロボロに傷ついたぬしだけではないかっっっっ!!!!
 
 無傷のわっちに値するのは、無傷のぬしの姿だけじゃ。
 わっちはここで、ぬしのそのあまりのお人好しぶりに感激すればよいのかや?
 或いは呆れながらも、しかしひとつ大きく構えてそれを認めてやればよいのかや?
 嘗めるな。
 嘗めるなや!!!!
 わっちのこの苦しみに満ちた戦いの所産たる、この無傷のわっちの姿が、そんなものと釣り合うと思う
 なや!
 伊達に賢狼を標榜しておりはせぬ。
 腐っても狼、賢狼のホロじゃ。
 正当な値踏みくらい造作も無いこと。
 そのぬしの間抜けな姿は、とてもわっちのこの姿には見合わぬ。
 足りぬのじゃ、圧倒的に。
 対等では、無いんじゃ。
 それではぬしと繋がれぬ、ぬしを信頼できぬ。
 
 諦めるかや?
 ぬしに背を向けて、ぬしをそのまま受け入れて、諦めるかや?
 否!
 諦めはせぬ。
 たとえぬしがたわけなままでも、わっちは絶対に諦めぬ。
 わっちはぬしを許さぬ。
 わっちはぬしが対価を支払わぬというのなら、わっち自身がその値を毟り取ってやるまでじゃ!
 わっちの瞳が、紅い涙で満ちていく。
 『今すぐレメリオという男の元へ! それなりの報いを受けさせねば。』
 
 虚しい
 
 この、無感動な涙を流しても。
 
 
 『その報いがこれなのかやっ?!』
 
 
 
 

『ぬしのそんな有様、わっちには到底我慢できぬっっっ!!!』

 
 
 
 
 
 わっちが戦うは、対価を求めてのこと。
 わっちが戦うは、ぬしとの繋がりを求めるゆえ。
 わっちが戦うは、孤独を脱するを求めるがゆえ。
 そしてそれは延々と、報われることが無い。
 無いゆえに、わっちは意地でも対価を毟り取る。
 わっちが奪い取っても、意味は無いのにな。
 ぬしが、わっちとの公正な取引の上で、それを与えてくれねば、ぬしとの繋がりを得たことにはなれぬ。
 じゃがわっちは、諦められぬ。
 わっちが暴れれば、なんとしても対価を求める姿勢をみせれば、ぬしはきっと気づいて・・・・
 たとえこのわっちの暴虐が、また無意味に孤独へと還ることにしかならなくても。
 それでもわっちは・・・・その・・・・・極大の虚しさを・・・・・・その虚しさの中で囚われながらも・・・・・
 
 
 なんで、ぬしと交渉をしとるんじゃ?
 
 
 教えてくりゃれ、ロレンス。
 わっちはもう、このまま淫らな狼になり、暴れるだけじゃぞ。
 じゃが・・・
 わっちが狼の姿に戻るには、麦か人の血が必要じゃ。
 わっちはな・・・・麦を選んだんじゃ・・・その意味がわかるかや?
 わっちの変化は、この狼の姿は・・・・・須く、人の子らとの繋がりを求めて在る姿だということじゃ!
 どんなに猛ろうとも、どんなに怒り狂おうとも、それはすべてそのままそこに繋がり、またそれ以外である
 ことはもう無いのじゃ。
 わっちが、巨大な狼の姿になり暴れることを止めることは、もう出来ぬ。
 いやむしろ、止める訳にはいかんのじゃ!
 もの凄まじい怒りにのぼせ、わっちは迷うことなく麦を口に投げ込んだ。
 わっちの怒りを見よやっ! ロレンス!!
 じゃがわっちが口に放り込んだは、麦よ。紛れも無く、麦よ。
 殺戮が目的では無い。
 孤独の森へ還ることが目的では無いんじゃ!
 報復とは、関係の破壊では無く、関係の修繕に他ならぬのじゃ!
 そうじゃ・・
 
 じゃからわっちは、諦めはせんのじゃ。
 この狼の姿たる、無様で醜い誇り高く驕り痩せ衰えた、暴虐の神の真意を守ることをじゃ!!!
 
 ここが正念場なんじゃ。
 狼に還った今こそが、わっちのこれまでの戦いの価値が知れるのじゃ。
 たとえ怒り狂っても、ぬしと交渉せねば。
 なんのために怒り狂うのか、それはぬしとの対等の関係を修繕するためなんじゃ、わっちの怒りはそのた
 めの条件をぬしから引き出すための、ただ手札にしか過ぎぬのじゃから。
 怒りに支配されてはならぬ、しかし怒りを抑えてはならぬ。
 全開放で迸る怒りと恨みと憎しみの権化としての、この孤独の狼神であるからこそ、その境地からこそ
 人の子と繋がることに最大の価値がある。
 
 そう、ひとつ嘘を吐く。
 わっちがわっちを納得させるには、それだけで充分じゃ。
 
 
 
 あとは、ぬしに任せた。
 
 
ぬしを、信じとる。
 
 
ぬしが
 
わっちの誇りと
 
わっちとぬしとの繋がりを、共に守ってくれることを
 
 
 

 信じとる

 
 
 
 
 
 羊飼いの小娘を助けたいじゃと?
 わっちを無視してかや?
 わっちなら助けられるじゃと?
 『わっちなら、なんじゃっ?』
 あの小娘を助けるために、人を殺せと?
 『そのときわっちは狼じゃぞ!!!』
 ぬしはどこまでわっちを虚仮にすれば気が済むんじゃ。
 わっちはそんなことのために狼になる訳にはいかぬ。
 いや、ぬしにそんなことをしろなどと言わせはせぬ。
 『そして小娘は羊飼いじゃ。』
 問答無用で、羊飼いは狼を追い払う。
 わっちの怒りは、なにも報われることも無く、そのままわっちごと消されよう。
 ふふ・・・まるで・・・わっちとぬしの関係のようじゃの・・
 ぬしはわっちにそうせよと言う。
 守った者に無視されることほど、屈辱的なことがあろうかや?
 いいじゃろう。
 そんなにわっちを怒らせたいのなら、怒り狂い人の子らを無惨に殺して回ってやろう。
 それでも頼めないか、か。
 理不尽に殺される者を無視できない、か。
 そうじゃな。
 ぬしのその壮絶なお人好しを無視するのもまた、おかしいことじゃものな。
 そうじゃな・・
 礼?
 『どんな?』
 最大限期待に応えよう、じゃと?
 
 ここが、限界か。
 
 いや。
 
 
 
 『ただし条件がありんす。』
 
 『たとえ誰であろうと、わっちの癇に障った者の命は保障せん。 それで了承してくりゃれ。』
 
 
 
 すべての理屈を無視して、わっちに愚かな頼み事をするのならば、その無視した分の理屈の報いは
 受けて貰わねばならん。
 捨て鉢になってはならん、最後まで対等たるを目指す交渉を忘れてはならん。
 ぬしを信じるしか無いんじゃ。
 
 
 『それでいい。』
 
 耳が、動く。
 
 『だが、俺はお前を信じている。』
 
 やはり、無理かの・・
 
 虚しいのう
 
 
 じゃが・・・
 
 
 
 
 
 
 
 

信じるとは なんじゃ?

 
 
 
 
 
 
 
 
 

ぬしは一体、なにを信じとるんじゃ?

 
 
 
 
 
 

おそらくたぶん

 

初めて、それを知りとうなった

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
- 蒼い雫の満ちた森の水底に紅く光る狼の姿が映っているのが観えた -
 
壮絶に降り落ちる蒼い雨に打たれる紅い瞳を、そして感じていた
 
 
 
 
 
 
 
 
雨はまだ 降っている
 
 
 
 
 
 
 
 
 
                                     ・・・以下、第二部に続く
 
 
 
 
 
 
                              ◆ 『』内文章、アニメ「狼と香辛料」より引用 ◆
 
 
 
 
 

 

-- 080406--                    

 

         

                         ■■ 幕間よりも幸せに解けて 2 ■■

     
 
 
 
 
 *
 今日の日記には二部構成です。なんか時間あったんで書いちゃった。
 一日二日記! うわ漢字にすると微妙に意味わかんない!
 これは第二部で、第一部はアニメのプチ感想とかまとめて書いてますんで、過去ログで読んでみて
 やってくださいな。
 では。
 
 
 
 
 
 
 桜吹雪。 (挨拶)
 
 改めまして、ごきげんよう。
 春とか桜とか五月蠅いので(誰が)、素直に春とか桜を楽しんでいる今日この頃の私ですけれども、
 皆様如何お過ごしでしょうか。
 私は花よりお酒です。
 
 とはいえ最近飲んでないんですよね。
 飲みたいという気はあるんですけど、なんかいざ飲もうとすると、あ、今日はいいや、とか謎のおじけづき
 を始めてあっさりと一日を終わらせてしまったりと、なんだか真っ直ぐな日々を生きております。
 いやーそんな堅く生きてたら疲れるよー的な囁きを、うっさい黙れと一喝して黙らせてはい終わりみたい
 な、そういう強行一点張りスタイル、そろそろ飽きてくれないかなー。 (他人事)
 まぁつまりちょっと色々忙しかったので、まぁアレでしたけどもね、そう、サボってるときはどこまでもサボる
 んですけど、かっちりやってるときはサボれないからねーこの人はほんと。
 でまぁそういうときは、いっくらその石頭な私を諭したって無理な訳で、じゃああれだ、問答無用だ、
 買っちゃえよお酒、んで冷蔵庫の一番目立つとこに置いちゃえよ、それ、すっごいプレッシャーだから。
 飲んだら負けかなと思っている、というのは確かなんですけど、逆にアホらしくなってきます。
 飲もう。
 飲もう。
 そういうことになった。
 確か夢枕獏「陰陽師」にこういうフレーズあったよねぇ。 あれ? ゆこう、ゆこうだったかな?
 つまりね、お酒が無いとそのまんまだーっと行っちゃうんですよね。
 でもお酒を買っておいとくと、なんかそういう自分の盲進ぶりが見えてくるっていうか、まぁそういう感じに。
 で、気持ち悪いこと言いますけれど、私が好きな私のところは、それでそのまま飲んじゃうんじゃなくて、
 ふっと肩の力を抜いて、よしじゃあ今やってるこれが終わったら飲もう、だから今やってることにぐっと集中
 しよう今日はそれで終わりだっていう、そういう小さな「終わり」を設けることが出来るところなんです。
 
 マジで気持ち悪くなってきたので、やめます。
 次の話題に参ります。 (強制)
 
 
 ◆
 
 んで、お酒買いました。 (続いてるし)
 「麒麟山」っていうやつです。純米大吟醸。
 なんでこれにしたかっていうと、「狼と香辛料」っぽい瓶だったからです。
 綺麗な青で、全体的にお洒落な三角柱っぽく(先は柔らかい丸みあり)て、かつラベルに雪の結晶
 っぽいものが描かれてて、これだって思ったんです。
 あ、一応これ、「狼と香辛料」の最終回の感想を書き上げたら飲もう思ってたんですよ。
 「狼と香辛料」といえば、ホロ。ホロといえば青。
 あー、私はホロといえば青ですねー青。青い空。青ですよ。
 服も6話までは確かロレンスの青い一張羅を強奪(笑)して着てましたものね。
 それになんか、青空の下の白い道を荷馬車で往くって感じでしょ?
 で、なんかどんな状況でも心境でも、色んな意味でホロはその「青空」を見上げるんだろうなぁ、っていう
 抽象的なことまでふむふむと考え出すともう止まりません、青だな、ホロは青だなこれ最強。
 丁度私は綺麗な青色の切り子細工のお猪口を持っていますので、もうなんか「狼と香辛料」観ながら
 感想で書いてきたことを思い直しながらやっぱり「狼と香辛料」を観ながら、そしてほろほろとさっぱり飲め
 たら、これは小さな幸せ空間じゃないですか。
 いやあれだね、これは幸せとかじゃなくて、爽やかな風ですね。
 部屋の中に気持ちの良い風が透き通り、ホロみたく髪を梳き上げるみたいなね。
 隙間風じゃ無いからね。うん。
 
 あー、あとやっぱりほろほろと飲むには、あ、この表現も「陰陽師」からなんだけどね、好きな表現なんで
 すけどね、それにはやっぱり吟醸系の甘く透明なのがいいですよねぇ。
 吟醸っていうのは芸術品だっていうけど、最初よくわからなかったですけど、うーん、わかるようになってき
 たなぁ。
 つるっと飲めちゃうんだけど、それでもさらさらと飲んでしまうには、なにかひとつだけ気後れがするような、
 そのほんのちょっとの戸惑い的感覚と、なんかその透明さが繋がったときに、すっとこう、手堅くまとまって
 いる冷たい甘みの、その外側に広がっているものを全体的に感じられるというか、なんていうのかな、
 世界の中にいる自分を感じられるっていう、そういう感じがあるなぁ。
 あ、甘口系吟醸は冷たく冷やすに限りますなぁ。
 あまりに冷淡に、そして無機質に、そう宝石のように超然としてそれだけで在るっていう、なんていうのか
 な、絶対的な不自然があるからこそ、雄大さを感じられるというかなんというか。
 私は結構複雑豊満な、色々な種類を含んだ甘く深いタイプが好きですし、そういう意味では雑味を
 たっぷりと含んだ原酒とかよく選ぶんですけどね、それとはたぶん、その雄大さへの迫り方が違うんだろう
 、っていうか全く逆方向から攻めてるんだろうなって気がします。
 原酒系のは、とにかくあからさまに豊穣で、どう考えても感じても色んな味があるからそれから逃げられな
 いっていう、それでいて実はかなり主体的にひとつひとつ愉しんでいかないと、ただ散漫とした感覚しか
 得られないこともあったり、で吟醸系のはとにかくあからさまに冷たくて厳しくて、どう考えても感じても
 単色的な味しか無いからその味だけこそを愉しむことに囚われるっていう、それでいて実はかなり放って
 おいてもその囚われている自分という影があること自体が、それを生みだした光の存在を見せ付けてく
 れるというか、なんというかな、どどーんと、たとえばさ、「世界」って言葉をひとつだけ言われてもそれじゃ
 なんにもわかんないって思うときもあれば、ああ「世界」だよね「世界」、っていう風になんか勝手に圧倒
 的にわかっちゃうことってあるでしょ? そういうたったひとつの言葉の重みと広がりっていうのがね、なんか
 あるんですよねぇ。
 あーこれ、私が一番書いてる文章で出来ない、苦手な奴だなぁーって。
 ていうか、今書いたお酒話観てると、うわこいつほんとに酒飲んだことあんの? やたら抽象的なこと
 ばっかり書いて、ただ想像で書いてるだけじゃ無いのとか、素でそう思うっていうのがなにやら凄い。
 まー、ほんとに私がお酒ちゃんと飲んでるかは敢えて秘密にしておきますけど(ぇ)、ま、逆にいえばね、
 こんだけ現実に体験してもね、ちゃんとこうして抽象的な青臭いことが演技無しで素直に、そして自分
 の感想の肝として言えるっていうのは、これって色んなことを教えてくれなぁって思うんですよね。
 なんか酔っ払いが管巻いてるみたいで恐縮ですけれど、つまりな、自分の考えとか想いとか、そういうの
 はやっぱり目先の現実に囚われるのは確かだけど、実は自分で思っているよりも、かなり簡単にそれか
 らは抜け出せるものなのじゃないかな、そしてそう考えていくことが出来るという時点で、なんだかもう
 結構自由になれてるんじゃないかなって、そう思うんですよね。
 それは現実から逃げているという意味では、たぶん無い。
 
 現実に逃げ込んでいる自分をみつけたときに、人はより大きな世界を知ることが出来る。
 
 あ、今私いいこと言った。 短い言葉で深いこと言った!
 たぶん。
 お願い、そうだと言って頂戴。 (必死だな)
 
 
 ■前に書こうと思って忘れてたお酒感想(結構前のお話です)
 
 ・「賀茂鶴」 / 上等酒:
  上等酒ってなに? 駅前の色々親切に説明してくれるお年を召したご夫婦の方々のやってるお店で
  買った奴。すごくお酒を愛してらして、またすごく酒飲みに対して愛があって、優しいというか親切とい
  うか、堅さの無い一生懸命さがあって滅茶苦茶好きなお店で、そのお店で買い物をすること自体
  がなんだか嬉しいことで、ほんと良い買い物したなぁっていう、その人付き合い的な愉しさがあって、
  その大きなひとつのフィールドの中にお酒があって、ああ、この気持ちだよお酒はやっぱり、お酒はやっぱ
  り総合芸術ですよねって阿呆なことを言うと、その微笑して返してくださったりとか、ああ、いいなぁ、って
  感じでごめんなさいもうちょっとちゃんと勉強してきますって言うと、いいのいいのとかまぁほんと大きな
  笑顔をなさって、ああもうこんちくしょう涙が出るくらい楽しいじゃないですかみたいな、ほんと、好き。
  まぁこのお酒は凡庸な味でしたけど。 えー。
 
 ・「俵雪」 / 純米吟醸無濾過生原酒
  ポイントは無濾過生原酒で、山形のお酒というところで選んだ。
  山形のは濃いのが多いと聞いたもので。
  なんか某東○駅内の全国から美味しいお酒を仕入れてるとかいう、あれ?それだけ聞くと当たり前
  だな、あれ?なんでこのお店にわざわざ行ったんだっけ?、というまぁそういうお店の中で選んだもの
  なんですけど(ぐだぐだ)、ええと、印象薄。濃くも無ければ際立った味も無い。うーん。
  敢えて挙げるとすれば、前も飲んだのであった洗剤臭(?)的な薄い酸っぱさくらいかな。
  なんだろう、これってこういう仕様(お酒に仕様て)なのかな、いまいち美味しさがわからなかったです。
  白の和紙ラベルに墨字の結構風情のある瓶だったから、美味しかったら愉しかったんですけどねぇ。
 
 ・「雨後の月」 / 特別純米
  これはいける。 やっぱり広島のお酒は甘くて面白い。
  吟醸にも似たつるっと感もあって、湿り気のある甘みはまさに雨上がりの月みたいにしっとりと幻想的
  な翳りがあったね。
  この翳りというか純米系の薄いまったり感が、月光を思わせる吟醸っぽい少しのつるみ感と混じり合
  って、なんともいえない不思議な感覚でした。
  私はただ飲みやすいだけの、いわゆるフルーティなのは好まず、吟醸のつるみがそのさらさらぽいぽい
  飲んでしまう勢いを落ち着いて止めてくれるのが良く、そうして冷たい宝石みたく「止まった」甘みが
  好きなんですけど、つるみでは無く翳りを使って「止めて」くれたこのお酒を飲んだことで、その停止
  こそが私の好きなものののひとつなんだなって、そう後付け的に勘ぐってみました。 (ぉぃ)
 
 
 
 それとね、サントラ買いました。「狼と香辛料」O.S.T 「狼と旅の音楽」、買いました。
 正直、すっごい良い。
 もうなんか、狼好き好きモードな私からしたら、あれですね、大好きですね。
 色々書くことがあったはずなんですけど、忘れたよ、こんちくしょうとかまぁそんなノリです。きゃっほーい。
 ・・・まぁ落ち着け。
 とにかく曲が素晴らしい。
 スピーカーの間隔を広めに置いて、それでゆったりと部屋に行き渡るようにしてかけたら、なんだかもう
 まったりのんびり、それでいて踊り出したくなるような、そんな「狼と香辛料」の世界にまっしぐらでした。
 聞くだに嬉しく楽しいこの気持ち。
 私史上最高のサントラと言わざるを得ませんね、あ、今までは灰羽連盟のサントラが一番でしたけど、
 これはもう越えましたね。
 年がら年中かけるというよりは、むしろ今こそ聞きたいというときに、つまり勝負曲?みたいな感じで、
 ちょっと秘蔵のお酒を奥から出してきましたよ感覚で、その出し惜しみ感を楽しんでますよ。
 まだ3回しか通して聴いてないものね。
 購入したのはね、最終話放送日でしたね、あ、放送終了記念ということでね。
 で、なんか買って帰ってきてすぐに聴こうとしたんですけど、なぜか開けられる気がしなくて。
 なんか、勿体ない。 なにこの感覚。
 なんか、大事過ぎる。 なにこの感情。
 そういえばまだ感想ふたつも残ってるし、そうだ、一週間待とう、一週間だ、放送終了一週間を記念
 して、その勢いで開けよう、開けよう、そういうことになった。
 ですから今日でまだ、開けて聴き始めてから一週間ちょっとしか経っていない訳ですのに、もう激LOVE
 ですよ。
 ていうか二週間も日記に書くのが勿体なくて報告遅れていました。というのは嘘です。サボっただけす。
 でまぁ、2曲目がOP「旅の途中」フルサイズバージョンで、痺れまして。
 
 うあ・・・うあ・・・・・・・・うあああああああああああ  ←うざいよ
 
 これぞ狼、だなんてケチなことはよう言わぬ。
 これは、狼らしいゆえに狼以上じゃ。
 なんていうかね、テレビサイズのOPが狼の一番冷たくてホットな部分の中心点だとしたらね、フルサイズ
 のは、その冷たい剣のようなものを愛でつつ振り回し踊り、高らかに世界の豊穣と変化を謳うという感じ
 でね、ああ、2番のサビ前に1番には無い歌詞と音楽(なんと言ったらわかんないですけど)が入るんで
 すけど、ああ、これこそそれだよな、テレビサイズのものが熱くクールにまとまったものであり、しかしそれを
 こそさっと一瞬の間に見下ろす視線、それがこの部分なんだなぁって、そしてラストの「らららいらら」という
 音の羅列で歌い終えたのも、その視線を通してその冷たく熱い想いを溶かしていくっていうことなのかな
 って思って、ああこれだ、これやっぱり「狼と香辛料」をもう一歩深く広く感じるためのものだって、
 なんかね、そう素直に思えたんだ。
 うーん、これ、次に書くけど、最終回に感じた違和感と、しかしだからこそどうしようも無くそれを昇華
 出来るって思えたなにかと繋がる気がするなぁ。
 第一話からずっと続いていた冷たくて熱いものが、最終話で一瞬で氷解してしまった違和感は、でも
 それは実はちゃんと、歌詞は変わったけど曲自体はなにも変わっていずに最後まで歌っている、ううん、
 むしろその氷解を与えたモノすら、その「狼と香辛料」という壮大な踊りの中のひとつにしか過ぎず、
 だから私はやっぱり今までの流れをきっちりと描き切り、そして不自然に氷解したようにみえるそれが、
 ただそうみえるだけでちゃんとひとつに繋がっており、しかし実はやっぱり別のものとして解かれてもいて、
 でも、そう、でもだからこそその全く別個の流れとして顕れたそれすらも、実はそれすらもそうして「ひとつの
 流れでやってきたホロとロレンスが此処にいる」ということ自体があの世界の中に与えた影響の結果と
 して、ちゃんとひとつに繋がるんじゃなかろうかなって。
 もはや言葉はいらず、いや、言葉はただその最後に顕れた無言の魂のようなものの踏み台にしか過ぎ
 無かったという、ある意味であれは「狼と香辛料」という作品が吐いた、最大の「嘘」だったのじゃない
 かなって。
 だとしたら、なんかすごい。
 うん、今は、それくらいだよ。
 っていつの間にかサントラ話関係ねー。
 
 あと、サントラには隠し要素がふたつあります。
 「表紙絵のホロの瞳の中にロレンスが映っている
 「テレビサイズOPが最後に収録されている(収録曲一覧には書かれていない)
 ↑ 「」内はネタバレにつき、問題無い方だけ反転してください。
 二つ目の方は、なんか感動しちゃった。
 涙すらでちゃった。
 些細なことなんだけど、なんか、豊かだなぁ贅沢だなぁいいなぁ、って。
 すっかり狼的に盛り上がってる私への、最高のプレゼントでありんす。
 ありがと♪
 
 
 あ、それとね。
 「狼と香辛料」携帯ストラップ、買っちゃいました。
 
 ど、どうしよう・・・・
 
 某店にサントラ購入目的で行って、そして目当てのものをみつけて、でもそれだけ買ってさっさと帰るの
 も寂しいので(そう思えるくらいには成長?しました)、ちょっとグッズでも見たれ、大丈夫、今日は狼
 しばりってことで横道には逸れんから、大丈夫、という風にして自分でもなにを気にしているのかわから
 ない感じで頭の中だけで相当ブツクサ言ってたんですけどね、その狼関連の商品の棚見たらまぁあんま
 り大したものは丁度無くて、ああ下敷きとかクリアファイルとか、こんなでっかく如何にもな絵が描いてあっ
 ったら、こんなの恥ずくて使えないじゃないの、まったく狼はまったく、とよくわからないことをブツブツと考え
 ながら、まぁ所詮私はグッズとかには縁が無いですよだ、サントラだけ買ってひっそりと生きればいいの
 だわ、そうそう、そもそもアニメのグッズなんて某トトロのぬいぐるみだけだよ?持ってるの、一体いつ買った
 奴だよそれ!、とかなんだか知らないけれどひとりツッコミ入れる羽目になったりとかして、じゃあそういう
 ことなので、御縁が無かったということで、さよならで・・・・・・・!
 
 あるじゃないですか、こんなイイものが。
 
 携帯ストラップ。
 目立つといえばかなり目立つんですけど、なにしろ小さい。
 それに私は元々ストラップ付けない派だったので、ちょっと付けてみる挑戦とかやってみてもいいくらいな、
 そういう余裕があった、というかたんに頭の悪いお子ちゃまな訳ですけど、それでこう、しぜんに手が伸び
 る訳だ、そして私はこう思う訳だ、いける、と。
 
 なにがいけるだ、このばかやろう。
 
 帰ってから改めて袋から取り出して見てみると、でかい。
 いやなにがって、「狼と香辛料」って、でっかく文字書いてある。思う様に書いてある。
 目立つ、これは目立つ。
 目立つから、絶対人が気づいたら、「ん?なんて書いてあんの?」って逆にしげしげと注目されちゃう。
 あとなんか、ホロとか描いてある。あんましアレっぽく無いのは救いだけど、どうみてもアニメだこれ。
 あ、ちなみにこういうグッズ関連の絵は原作小説絵準拠なので、私が好きなアニメの方の凛々しい
 感じじゃ無いのがちょっと不満なんだけども、あ、でもこっちの原作絵もこれはこれとして好きですけどね、
 って、そういう話じゃ無い。
 この携帯ストラップをどうするかだ。いやどうするもこうするも無いんですが。
 とにかく私の中では、脈絡関係無く、いける、と思い込んだ時点で勝負がついているので(負け)、
 いっくら帰って落ち着いたときになんでこんなどうみても目立つものを買ったんだろうって、そんな論理的
 なことを考えても無駄無駄。考えたら負けだと思っている、というか負けて帰ってきた結果ですから。
 ぐぅ。
 こういう変な方向にプチ衝動買いする癖があるんですよねぇ、なんとかならないものか。
 服とかでもよくやるんですよねぇ、しかもこっちは高いモノほどその傾向が顕著。あれは痛い。
 いやそういう話はいい。
 ストラップ、ストラップどうしよう。
 ・・・・。
 ・・・・・・。
 
 家にいるときだけ付けとこう。
 そうしよう。 (よし)
 
 P.S: 
 同じ原理で、狼OPとEDの着うたも装備しました。 よし。
 
 
 
 で、(色んな意味で)今更ですけど、「狼と香辛料」の最終話、観ました。
 ものっそい、気が抜けました。
 この三ヶ月間、私の中で犇めいていた狼的成分がごっそり天に召されていく感じというか、賛美歌が
 流れスタッフロールが流れ、はいお疲れ様でしたとかいってお辞儀して体を前に傾けたまま俯せにどーん
 とベッドに上に倒れ込んじゃった感じ。
 終わった。 でっかい、終わった。
 まだ感想残ってるヨ、寝るな寝たら死ぬぞ(更新スケジュール的に)! と叫びつつもうそんな声は夢の
 中の牧歌にしか聞こえないと言うか、あ、ノーラがそんな歌うたってそうですねぇむにゃむにゃとか、もう、
 ほんと、私のこの終わりっぷりが潔すぎて、少し感心。
 この頃、自分を良く見過ぎてる気がするんですけど、まぁそれはいいです。ポジティブ!
 うん、ほんと、終わったっていう感触がすごいのよ。すごいのです。すっごい。
 これだけ最後の放送日から時間が経っちゃってから観る訳ですから、観る前はマジで緊張で少し震え
 たりとかしてましたけど、たぶんそれってこの私の脱力っぷりを見据えての震えだったんじゃないのかなぁ、
 とロレンス的にいけしゃあしゃあと後付けししてしまえそうです。で、ホロに殴られる。よし。 (よくない)
 
 あー終わっちゃったよ、ほんとうに。
 
 感想は感想としてまた別にたっぷり後ほどやりますけど、今日はちょっとこう、私の中での「狼と香辛料」
 の終わった瞬間ということについてね、こう、ちょっと言ってみたかったんです。
 あー、なんかね、あと、私が予想してたのとちょっと違う最終話の展開だったので、実は割と驚いてたり
 して。
 んー、なんか、むしろ私の中の「言葉」的なまとめとしてはこの最終話の在り方がしっくりくるものではあ
 るのだけど、でも私が感じてた「狼的」に感じて、これからこうしてやる、こう考えていってやる、書いてやる
 っていう、その「私」としては違うなぁっていうのがあって。
 でもね、逆に考えると、ああそうか、だからこそ改めて私の中の「言葉」的なまとめを見つめてみる必要
 があるのかなって、むしろこの今の「私」からしたら違和感を感じるということがどういうことなのかを、
 まとめて考えてみればよいのかなって。
 そしてたぶん、その両方が綺麗に合わさった時、きっと私の知らないなにかがみえてくるのじゃないかな、
 ってそう思ったし、あ、そうか、それこそがこの最終回の一番大きな枠なんじゃないの?って思って。
 私は、狼を視て、狼的な「私」になれた。
 だからその「私」のままに書いて考えて感じていくことが出来る。
 ならば。
 その「私」が、改めて「私」になる前の私が綴りそうだった言葉を見据えるということは、ただその言葉を
 「私」の都合の良いように消化していくのでは無く、その「私」がみつめるべきその外側にある異質で、
 しかし同時になによりも元々はその言葉は狼に入る前の「私」のものであり、ゆえにそのかつての「私」も
 狼の「私」も等しく存在していると、つまり、その両立という名の新しい融合を成すべきなのかなって。
 
 というのは、実は嘘。というか、取り敢えずの建前。
 現在既に私の中にはすっごい情熱的ななにかと割とカシャカシャと冷静に動いている言葉が湧いてきて
 るのを、休息モードに入ってる私が必死に隠してる姿の、それは成れの果て。
 あり合わせの融合如きで、あの最終回が語れるとでも思うたのかや! 
 いや語れはせん。 しかし新しいものを語るには準備がいる。そのための時間稼ぎが必要なんじゃ♪
 
 そういう意味では、この最終回を観て感じた脱力感は、ある意味それを成さなくちゃいけないという怖れ
 のある脱力なのかも。
 でも同時にそれは。
 それを成すための、その準備としての大きな休息でもあるのだよね。
 いやだから、ちゃんと書きますて、感想。逃げない逃げません。はい。  きっとな。 (ぁ)
 
 って、喋り過ぎた。
 詳しくは、っていうか私の魅せどころは感想ですので、感想でよろ。
 今日のこのぐちゃぐちゃ書いたのはまぁ、構想中の戯言未満の寝言みたいなものですから。
 ていうか、感想書いてるときに、全然別のこと閃くかもしれないし、そういうのはあれだ、全部本番に
 なってみなくちゃわからないのですよ。
 ・・・・なにを言い訳めいたことをしてるですか、この人は。
 か、感想はちゃんと書くわよ。ちゃんと書けなかったときの言い訳考えてなんかいないわよっ!
 ・・・・。
 
 はぁ〜〜〜〜〜 ←ながい溜息
 
 
 ということで、さらに別方向的な感じに盛り上がってきている、当サイト周辺の狼熱気についての報告
 で御座いました。
 最終話の感想を書くまでのこの期間、見事に狼ってますですよ。上出来。
 非常に気分がいいです。気分いいついでにこんなごちゃごちゃ書いちゃいました。
 ちなみに最終話の感想は水曜Upを目標にしています。
 水曜は狼の放送日でしたしね、出来れば縁起というか空気的にもその日を目指してまーす。
 もっと早いかと思ってた人、ごめんなさい。
 とか言って、普通に水曜にも間に合わなかったらごめんなさい。
 ごめんなさい。
 では、そういうこと。
 狼万歳! (割と大きめの声で)
 
 
 
 
 ◆
 
 信長の野望革新PKの話をしなければいけないような気がしました。
 信長ね、信長。
 もうだいぶ前に今川義元で天下統一したんですけどね、その後が続かない。
 調子に乗ってひとつレベル上げて中級にし、長宗我部元親を選択したんです。
 武将多いし、周りに強い大名いないし、まぁ私はじっくり自分の支配圏確立して、そこでまったり引き籠
 もりプレイしたいタイプですので、取り敢えず速攻で四国制圧じゃあ、っていうノリになりましてね、で、
 攻めた。鬼のように攻めた。攻めて攻めて、攻め切った。
 兵糧も、切れましてね。
 早い、あれ? 早いよ、兵糧。どうしたの。
 おとなりの一条さんは最初のコマンドで元親さんに攻め落とさせ、そしてそのままさらに奥の西園寺さん
 の港と城も落としてね、俺すごくね?俺すごくね? とたったひとりで落とした(兵士はいるけど)城の
 中で呼び寄せた家臣どもの前でふんぞり返ってたらね、その家臣の開口一番、「殿、兵糧がありませぬ
 。お覚悟を。」な訳。元親さん涙目。なんだこの大名。
 勿論一応明記しておきますけどそんな細かいやりとりはゲーム内ではありませんこれは私の脳内の話
 ですので。
 で、とか狼狽えているうちに、西からは大友さんが海渡って押し寄せ、東からは三好さんがちゃっかり
 支城建設始めて、で、港落とされ城立てられて、おまけに一揆も起きて、はいそれまでよ。
 
 はい、次。
 
 次は一条さんを落としたところで一旦停止し、とにかく全武将で全力で内政やって米さ貯めて、そして
 頃合いと適当に判断して、西園寺さん→河野さん→三好さんとこと時計回りで四国を席巻。よし。
 しかし毛利さんがちょこちょこと邪魔してくるので、ちょっと追っ払ってくるかいのと余裕綽々で出陣した
 日には、全滅。
 あれ? なんで瀬戸内海に毛利さんの舟しか浮かんでないの?
 水軍の技術は手を付けていなかったのでそれが敗因かと勘ぐり、ならば迂回して雪辱じゃーとばかりに
 同盟国の浦上さんとこお邪魔させて貰って陸戦を一気呵成に仕掛けた日には、全滅。
 あれ? なんで中国地方に毛利さんの部隊しか映ってないの?
 ていうかその勢いで浦上さん毛利さんに落とされちゃってるし。 え? これウチのせい? あはは。・・・。
 なんか、変。
 てかウチ、井の中の蛙、いや史実通り鳥無き島の蝙蝠状態じゃね?
 そして一念発起の我がバカ殿元親さんは日々技術開発。 ざ、ひきこもり。
 毛利さんとこはちょっかいは出すが侵攻する気は無いらしいけれど、しかし厄介なのは西の大友さん。
 てか道雪のおやっさん強すぎ。
 立花道雪一部隊相手に、ウチの五部隊当たって砕けてがっしゃーんばらばら。・・・・・。なんの夢?
 けれどこちらもおやっさん一部隊程度しか来ないので、部隊は消されても港に籠もって兵力補充しまく
 れば(人間の盾状態。しかもガンガン撃たれるw)なんとかなる。
 大問題は、織田さん。
 どこどこさんちが落ちた、という情報が出るたび情報元をみると、全部織田さんの仕業と判明。
 そのとき初めて全国地図を見た引き籠もりすぎな元親さんは真っ青。
 あかん、これは死ぬ。これは死ぬでほんまに。
 版図はまだなんとかなるとして、兵力がすごいことになってるし、なんか鉄砲技術MAXまであとひとつ状
 態になってるし、これじゃ蜂の巣確実じゃん。
 という今更になって上を下への大騒動な長宗我部さんちなんですけど、ときを同じくして織田さん包囲
 網が提唱され、ウチにも回覧板の如くにお誘いの書状がやって来ました。
 あ、ご苦労様です〜、って遅いわ! ←回覧板を叩き付けて。
 毛利さんとこも加盟してるんですけど、ということはなに? ウチは頭の回転速度が同じくらいのとこに
 いつもボコボコにされてた訳? 
 微妙に複雑な心境で加盟のサインしたんですけど、ああなんか、裏切って蹴落としてー>毛利さんち
 そして包囲網に参加したら対象を攻めないと名声が下がるという洒落にならない設定があるため、
 長宗我部さんは猿のように攻めた訳ですよ。
 こうなればウチこそが先陣の誉れに浴すべしと、これまた猿のように一気呵成に姫路城辺りを目指した
 んですけど、三好さんのがはやかった。どうみても地理的にはやかった。
 岸和田城から織田さんの筒井城まで、ほとんど距離無し。
 三好さんがこてんぱんに蹴散らされ切った頃に、こっちはやっと姫路に到着、そして瞬殺。
 ・・・・。
 おっかしいな。
 ウチ、7万いたよね? 7万。
 敵の城にはどう見ても1万しかいないんですけど。
 でも、瞬殺。
 一部隊だけひぃひぃいって退却してるのが見えたんだけど、なんかぴかっと光った次の瞬間には消し飛ん
 でたんですよね。
 全滅。
 な  に  か  い  る  。
 武将チェックしてみたら、柴田さん、竹中さん、黒田さん、滝川さん、浅井さんなどなど。
 統率100越え揃い踏み。 しかも鉄砲系の戦法超強い。そういえば大体それで消されてたね。
 なんかもうね、近づけない訳では無いんですよ。
 だけどね、近づいたらもう、帰れない。 無理なんですよ。帰りまで命が保たない。
 そして改めてウチと織田さんとこの武将能力比べてみたらね、あちらさんは統率100越えがごろごろいる
 のに、こっちは元親さんのまぐれのの100を除いては、80代がちらほらいるのみ。
 無理だ。無理だったんだよ。所詮。
 
 終わり。
 
 
 ということで、2回目はあっさり(早すぎる)戦意喪失にて幕でした。
 3回目を始めるには、まだ傷の治りがよく無い状態です。心の傷はなかなか消えないってね。はは。
 ていうか中級強すぎー。
 てか私弱すぎー。
 悩ましい。
 
 以上。
 
 
 あ、でも7万が一瞬で消し飛んだシーンは、なんかすっきりとしたけどね、すっきりと
 
 
 そんな感じです。
 ええとまぁ、「狼と香辛料」をみなさんよろしくです。 (いい加減過ぎ)
 
 では、ごきげんよう。
 狼最高!
 
 
 
 
 
 

 

-- 080406--                    

 

         

                         ■■ 幕間よりも幸せに解けて 1 ■■

     
 
 
 
 
 ごきげんよう。
 
 今日は二段構えですよ。
 なんか暇だったからずっと書いてたら、ほんとずっと書いてました。なんだこれ。
 ということなんで、挨拶とかまぁそういう気の抜けたことは第二部の方に回して、こっちではちょろちょろ
 とアニメのことについて書き貯めてみました。
 で、まず一発目。
 
 
 HOLiC 継:
 ど う し よ う か な 。 >感想書くか否か
 現時点でどっちに転ぶのかは完全に五分五分、綺麗な引き分け状態ですので、来週だ。
 結論は第二話放送のときにだ。
 というかですね、正確に言えば内容的には書いてみたいんですけど、気持ち的にまだ頭の中は「狼と
 香辛料」のケジメが感想的についてないので、それ終わらしてからっていう感じかな。
 まだわかんないですけどね、それでも書くかどうか。
 という、連絡事項でした。終わり。
 P.S:
 でもさホリック微妙に作風変わってなくなくない?
 
 ちなみに今期アニメは他にヘンタイセクハラマジヤバイのをひとつ観たくらいで、他にはまだで御座います。
 ていうかなんでアレを観たのか今の私にはわかりかねる。一体どうしたというのだ。
 
 
 んじゃ次。
 前期アニメの最終回はまだちょっとしか観ていないという不届き者ですけれど、観た分の感想だけは
 どうぞお収めあってくださいませ。
 前期アニメについての全体的な感想はまぁ、来週になりそうですね。すみません。
 では、早速。
 
 
 
 
 ◆
 
 シゴフミ:
 評価云々の話をしてるとそれなりにそれなりの話を出来るのだけれど、なんだかそれだけだと上っ面を
 撫でているような気にしかなれない、そんな作品でした。
 良いとか悪いとかじゃ無くて、勿論構成とか演出とか作画とか、そんなのももう全然関係無いような。
 製作陣のお遊びがあるかどうかとか、そういうのも、もう。
 ひとつにまとめられるような、そんなお話では無かったと思う。
 これはこういう作品だと言い切るには、あまりにもすっぱりと言い切れてしまい過ぎる。
 それゆえに、なんだかそうして語れてしまった作品観が白々しいほどに無意味に感じられる。
 一話一話、これは全部別々のお話じゃ無いだろうか。
 私はね、最終的にはそういう感じがしました。
 これはね、1シーズンの間にいくつかのアニメを同時に観ている、その「いくつかのアニメを楽しんでいる」
 ときの、あの感覚と似てる。
 別に私は、こうこうこういうテーマでくくれるアニメだけを選んで観ているとか、現時点で絶対好きと言い
 切れる作品だけを観ている訳でもありませんし、常に色んなタイプのアニメを選んで観ています。
 勿論、私というひとりの人間が選んでいる訳ですから、当人の知るよしの無い法則性で選ばれている
 ことはありますでしょう。
 たぶん、この「シゴフミ」という作品としてのくくりは、その無意識の法則と同じものなんじゃないかなぁって、
 そう思うのです。
 だからあまり、「シゴフミ」とはこういう作品であるというのを語るのは、私はこういう作品を無意識に選ぶ
 傾向があると言うのと同じくらい無意味なんです。
 
 うん。
 最終回の感想をわーっと書くつもりだったんだけど、なんかね、逆に最終回を観てたらね、そういう風に
 して観て考えること自体が、この最終回の、そして「シゴフミ」が描いたものなんじゃないのかなって、
 そう思ったんですよね。
 それがなにを意味するのか、わかるようでわからないようでわかる、そんな不思議な気持ちです。
 う〜ん。
 だって、あそこまで無茶苦茶にわかりやすく色んなものを重ねてきたものを、それでわーんと主人公ふたり
 が号泣してどかんですよ?
 なんか、わかっちゃうじゃないですか、それって。
 ああこれ、人生ごっこじゃ無いんだなって。
 演劇でも無いし、ルールを踏んで言葉を組み立ててる訳でも無くて。
 違うか。
 そういうのを全部白々しくやって、そしてそんなの全部嘘だよ、と当たり前に、そう「当たり前」なことを
 叫ぶ。
 そう。
 この作品はさ、「当たり前」なことを、とてもとても簡単なことを、最初からそれしか無いことを、ぽんと。
 それらが言えなかったり出来なかったのは、ただ人生ごっこ、演劇、ルールを踏んで言葉を組み立てる、
 つまり「常識」的な人生のモデル、或いはアニメ的お約束、そういったものがあったから。
 ある意味この作品って、アニメをぶっ壊してるよね。
 アニメ作品一個を使って、その「アニメ」という「物語」自体が抑圧していた、そう、その人間が「ここにい
 る」というものを、そのアニメの巫山戯てるほどに重い殻をぶち破って生まれさせた。
 ラストの「かわってなんかやらないから。絶対に。ミカを私の中になんかいれてあげない」という台詞も、
 まさにフミカという「ここにいる」自分と、それが背負うミカというあらゆる「なにか」は別のもの、つまり、
 どんな意味であろうとも、絶対にフミカはそのミカのせいにして、自らの「ここにいる」ということを捨てたり
 しない、もう無視したりなんかしない、ということ。
 ミカはミカ、フミカはフミカ。
 たとえミカを背負うのだとしても、だったらそれ以上にフミカはしっかりしなくちゃならない。
 つまり、フミカの外にミカがいることで、ミカはフミカの自家薬籠的なモノにならなくて済むということ。
 逆にいえば、フミカの中にミカが入らないからこそ、フミカは目の前にミカを置き、そして奮起することが
 出来る。
 目の前にミカがいるから、喧嘩も出来るし、殺し合いも出来る。
 愛することだって出来る。
 ミカが、其処にいる。みんなみんな、あらゆるものは其処にある。
 『外の世界の人は大人しく殴られてはくれない。』
 だから、みんな外にいる。ミカもね。いつまでも自分の中のミカと戯れているんじゃ無い!
 少しでも、外の世界の人と殴り合えるようになるために、生きられるように、だから。
 自分の内面を、横に置いておく。ていうか、外に出してうっちゃっておけばいい。
 逆にいえば、そうして外に出して残したからこそ、いつかまたそれと向き合えるんじゃないのかな。
 ま、でもそれは外にいるからこそ、向き合うための当然の手続きはいるだろけどもね。
 「ふたりいるね。」
 「いいんじゃん、それで。」
 私はそれは、逃げとかそういうものでは無いんじゃないかなぁって、そう思ったんだけど、どうでしょ?
 私はあのラストのフミカと、勿論ミカを支持したいな。
 ・・・・って、結局最終回語ってるじゃん!
 ま、いいか、そういうのは全部外にうっちゃっておきましょう♪ (綺麗さっぱりした笑顔で ぉぃw)
 
 
 
 クラナド:
 私として評価するとしたなら、一言で片づきます。
 駄作。
 それ以上はなにも言いません。
 私にとって意味があったのは、主人公の突き詰めたツッコミと、それと時々自分とダイレクトに繋がること
 のある、まぁいわゆる感情移入が出来る箇所のみ。
 笑って、泣いて、まぁ、それだけ。
 それで充分と言えれば少なくとも駄作とは絶対に言わないんだけれど、あまりにもその笑いと涙の有効
 範囲が狭すぎて、まぁ、そういうことに。
 ただ別に悪い気はしない、だから評価云々は一言で片づけるだけで充分だし、不満がある訳でも
 無い。
 というかぶっちゃけ、続きがあるようだし、観てみたいなと思う。
 さらっと気軽に、そして気づくと素で笑えたり泣けたりする、そういう小さなエンターテインメントとしては、
 むしろ私は良作なんじゃないかなって思うもの。
 いや、良作とかいちいち言う必要無いのかな、楽しかったんだから素直に楽しかったって言えばいいのに、
 このツンデレめ。・・・・・・いやツンデレ違うから。・・・・・。
 
 
 
 破天荒遊戯:
 すっかり感想を書くのを忘れてました。もう終わってから結構経ってるよ。
 うん、この作品はね、まさに私にとって白昼夢みたいなものでした。
 ほんとにこんなのやってたのっていうくらいに、鮮やかで、儚くて、確かさとか永遠とかそういうものとは
 この地球と月よりも離れている感じで、絵空事というにはメッセージそのものに実感は無くて、そうだな、
 やっぱり、空々しい言葉を振り翳し、切っ先も鮮やかに、高らかに阿呆なことを謳う、その人の踊りっぷり
 にこそ一瞬の興奮を感じたって、そんな感じで御座います。長い比喩だな。
 登場人物のひとりひとりが、しっかり哲学で刻んだ言葉をまず胸に抱き締めてぬくもりまみれにして、
 その魂で出来ている血よりも熱い言葉をね、ぽんと、あっさりと冷たいどうでもいい紙、というか台本に
 さらさらと書き込んで、そして本来ならただなにも見ずに自分の思いを叫びながら廻るだけのを抑えて、
 その台本を高々とオーバーに、感情を込めているという「演技」をして魅せながら吟じ、そして、同じよう
 にして自らの「思い」を演じる他の人達のその言葉と姿を見て、それに合わせて共に踊っていく。
 わかるかなぁ、この感覚。
 読み上げてるんですよ、演じ上げてるんですよ、「自分」を。
 そして、それを全霊で見てるんですね、アル坊もフェイたんもラゼルもね。
 自分を示すことが目的じゃ無いんですね。
 誰かになにかを求めている訳じゃ無いんですね。
 ただただ、納得していくんです。
 日々、熱く変化していく自分をね。
 そのためにこそ、それを文字にして書き留めることで、その瞬間だけその変化を押し止め切り取って
 読み上げ、そして変わることで消えてしまった、一瞬前の自分にバイバイする。
 サイケデリック。そんな感じ。
 だから芸術的理屈的にに巫山戯て、人生丸ごと言葉遊びのままに遊べるし、破天荒な演目をその
 ままさらに工夫して飾り立てて、どんどんと広げていく。
 ああこれ、虚無主義ですら無いや。
 生に忠実とか不実とか、全然あり得ないっていうか、そもそもどのキャラの立場でも同じようにして考え
 て生きてくことは出来ないし考え感じることも出来ないと思う。
 だって、どのキャラも、自分の「内面」っていう恐ろしい生と直面することで出来る「なにか」を封殺する
 こと、それ自体を「生」としてるんだからね。
 そして、それ自体はどうなのよ、という問いは絶対に存在しない、だから白昼夢のような御伽噺。
 だから、どうしようも無く面白かったなぁ。
 あの三人組のやりとりみたいなの憧れるなぁ。
 あーこれ、この作品、私のバイブルのひとつにしちゃおうかな♪っと、そんな鼻歌をこの作品には贈らせて
 頂きます。
 んー、でも正直言うと、それは嘘かなぁ。
 どっちかっていうと、ただ、好き。
 自分がそうなりたいというより、ただ、好き。
 ・・・・・・これって恋? (帰れ)
 
 
 
 はいこれだけよ。
 全然観てねーっ。
 すみません。
 
 あ、でもこれは観たよ。
 
 ガンスリ。
 
 さぁ、ガンスリ感想いこうじゃないか! (なんだこのノリ)
 
 
 
 
 ◆
 
 目を閉じられなかった。
 そんな、陳腐な表現を必死に考えながら、ぐるぐると廻っていた。
 目が離せなかった。
 目は開いたまま、画面から目を逸らせず、開いた目と画面を中心にして、考え込む振りを必死にしな
 がら、足掻き続けた。
 
 目を、閉じられなかった。
 
 逃げることを考えていた訳では無い。
 むしろ目はずっと、明らかに画面の中に吸い付いて離れなかった。
 どんなに阿呆な言葉を考えて飾っても、どんなに馬鹿な仕草をしても、この目に激しい速度で焼き付い
 ていくもの以上のものは、無かった。
 なにもかもが動いているのに、この目だけは、動かなかった。
 頭の中に広がっていくものは、見えている以上のなにかだ。
 どうしようも無い、という表現に実感が持ててしまった。
 逃げられやしない。
 自分がなにかから逃げているのかもしれないという、常套的問いでぐるぐると頭を廻してみても、そんな
 ものはいっこうに通じはしなかった。
 動け、動け。
 離れろ、離れろ。
 
 目を、閉じろ!
 
 動かしたい訳では無い、離れたい訳では無い、目を閉じたい訳では無い。
 なのに、動かせないということ、離れられないということ、目を閉じられないという、どうしようも無さが、
 ただただその言葉を念じさせ、そのことだけに没頭させていく。
 必死に、画面に張り付く目そのものとの格闘を繰り広げる。
 眉ひとつ動かないのに、これほど激しい動悸を感じたことなど、かつて無い。
 目を逸らそうとすることに縋り付いて、逃げ切ることが出来た、のか?
 
 違う。
 
 確かに私は、目の前のものに、捕まっていたのだ。
 
 ダイレクトに心に注ぎ込んでくるものを、絶対に全部解釈して言葉にすることなどできやしないと、どうし
 ようも無く感じてしまったがゆえに、私はぐるぐると、言葉だけを外に巻いて捨ててしまった。
 無理なんだよ、こんな圧倒的なのは。
 わからないでいられることなど無い、言葉による詐術的なまとめで誤魔化せる訳が無い。
 そう思っている側から、いくらでも私の頭の中には阿呆で馬鹿な言葉は紡がれていく。
 しかし、そのいかなる言葉も、私の瞳の中には入ってこれなかった。
 入れるはずも無い。
 かし かし かし
 小さな音を立てながら、まるで包み紙を剥いでいくようにして、言葉は編まれそして捨てられていく。
 はやく、はやく、なによりも深く、その包み紙の中身へ。
 言葉を刻めば刻むほど言葉は豊かに消えていき、そしてその先にあるものが超然としてみえてくる。
 
 いや違う。
 
 私の瞳は、既にその言葉に包まれている、その中身と繋がっていた。
 なぜなばら、言葉を毟りながら、既にそれそのものにはなにも感じていないながら、しっかりと画面の中
 をみていたのだから。
 
 目が乾く音さえ聞こえそうだった。
 もうその言葉の包装を剥がす必要を感じなくなっていた。
 なにも無い。
 なにもいらない。
 感じ無い。
 考えなんて、なにも浮かばない。
 目の前にあるもの、それがすべてだった。
 それがすべてだ、という言葉に、とてつも無い実感があった。
 なんだ感じてるじゃないかという、その囁きが耳に心地いい。
 涙が流れた。
 しぜんと笑いが零れた。
 目の前のものがすべてだった。
 それがなぜか、とてつも無く、嬉しかった。
 
 とてつも無く、嬉しかったんだ。
 
 私には、なにもかもがわかる気がする。
 そう言うことが、今の自分の気持ちを高めてくれる気がしたから。
 なにもかも、その肌触りを心地よく感じてしまう。
 わかりたいのでも無く、わかりたくないのでも無く、ただ、わかっている気がして。
 人の気持ちなんてわかる訳が無いという、その当たり前さに溜息をつく余裕も無かった。
 たぶん、この嬉しさは、他の感情と同列のものじゃないんだ。
 嬉しくて、悲しくて、嬉しくて、悔しくて、嬉しくて、虚しくて、と、そういう感じじゃ無いんだ。
 悲しくて、悔しくて、虚しくて。
 そして、そうやってぐちゃぐちゃな自分が、こうして暖かい日差しの下で風にそよがれている、今この瞬間
 の、永遠なのか特別なのかももうわからない、そう、こんな瞬間いつまでも続くわけ無いとか、この先の
 生活を一から百まで全部計算できたとして、そこから押し寄せる膨大で残酷な感情もあって、なのに。
 
 そういうこと自体が、なんだか、あっけらかんと、嬉しい。
 
 それは確かな嬉しさなどでも無く、すべてを排除する強靱無双の嬉しさでも無い。
 むしろそれは、すっと消えてしまった。
 たぶん、嬉しさそのものを感じたのは、ほんの一瞬だったとおもう。
 もう二度と、こんな気持ちになることは無いだろうとさえ思える。
 なのに。
 その残酷な言葉に、その残酷な感触に、あまり囚われる気だけは、なぜかしない。
 なにもかも、どうでも良くなってしまったんだろうか。
 その言葉に苦虫を潰すこの顔が、なぜか透明に透けていくのを感じていく。
 なにも変わってはいない。
 そう。
 なにも。
 
 
 なにも変わってはいなかったということが、ただ嬉しいだけなんだよ。
 
 
 今日も、昨日も、明日も、明後日も。
 変わらない、ということを、もう二度と呟かなくても済むような気がしていることに、変わりは無い。
 残酷に見つめても。
 優しく見つめても。
 
 
 どちらでも、いける。
 
 
 そのとき、私、という言葉が、やけに小さくみえた。
 
 
 
 ガンスリ第二期、すべて観終わりました。
 思い残すことはありません、となぜか不吉な言葉さえ発せそうで、なんだか自分でも怖いくらいです。
 紅い瞳、死ぬなっ! (フランコ風に ぉぃ)
 大丈夫ですよ、私的にはマルコーさんに「お前はいつも謝ってばかりだな。」と言われ頭ナデナデされる方
 がいいって、あ、いや待てよ? ジャンに「こんな負傷はすぐに治る。そうしたらま俺のために働いて貰う
 ぞ。」って言われるのも良いなぁ・・・・ちなみにトリエラバージョンは恥ず過ぎるので却下。
 ・・・・。
 やりたい放題ですね、私。
 しかし、なにやってんだよおい、というツッコミを入れる私は完全に笑顔ですから無理です。(微笑)
 ただ。
 私はさ。
 
 どっちも、完全におんなじだなって、思ったのさ。
 
 ピノッキオは死に、トリエラは生き。
 しかし二人は懸命に戦った。
 ふたりとも、人間だし、日々、人間になっていくんだなって。
 変な話、いやもうここまで来たら変じゃないか、私はピノッキオの死に顔とトリエラの薄い笑顔は全く同じ
 ものにみえたものね。
 ああ、ガンスリって、こういうことだったんだって、一期のときには全然わからなかったものが、はっきりと
 わかった気がしたんだ。
 そういえば、トリエラの涙とピノッキオの笑顔も同じものにみえたなぁ。
 ピーノのあのおじさまに魅せた笑顔は、堪らなく虚しさを含んでたよね。
 一生懸命に嬉しく笑う、嬉しいんだけど、嬉しがっている自分を冷徹に見つめている自分はいるし、
 勿論その自分は全部周りや自分の状況を踏まえ、その中で純真におじさまに笑顔を魅せる自分の
 虚しさを滅茶苦茶感じてる。
 あのおじさまがピーノに謝ったときのみて・・・ああ・・・男っていいなぁって思ったんだけど。(笑)
 虚しさっていうか、一種の「なにか」に対する悔しさみたいなものがあるんだよねぇ、ピーノもおじさまも。
 なんなんだろうなぁって、今一回見終わって少し落ち着いてから余裕こいて考えてるんですけどさ(笑)、
 こんな簡単なことを言うのにこんなにかかって、しかもそれが今最大の危機のときにだなんて、っていう
 悔しさ?
 おじさまの場合は、より一層自分が雁字搦めに縛られて、ピーノに当たり前の父親ぶりを示せなかった
 悔しさとか。
 ピーノの場合は・・・そうだねぇ・・そういう戦いをおじさまひとりにやらせてしまっていたこと・・違うな・・
 それよりもやっぱり、あの笑顔だろうねピーノの場合は。
 ピーノは決して純真無垢ゆえに素直に笑ってた訳じゃ無い。
 だって、不自然だもの、いくらピーノがツンデレだからって(笑)。
 僕のこの笑顔はなんなんだろうって、絶対考えてるはずだもの。
 あーそっか、ピーノにとって、おじさまに向けられるのが笑顔しか無い、つまり笑顔という言語しかピーノ
 は喋れなかったんだろうね。
 ほんとはただ、抱き締めて欲しいだけなのに。抱き締め合いたいだけなのに。
 言葉とか喋るとか、そんなことが目的なはず無いもんね。
 なにかを渡し渡され、そのいっときいっときの契約を結ぶ関係でしか無いこと、それは嫌だったろうにね。
 そう。
 ピーノはね、あのおじさんの最後の愛情表現のためにこそ、命を賭けて戦うってことが嬉しくて堪らなか
 ったってことは、無いと思う。
 いえ、嬉しかったことは嬉しかったと思うけど、でもそれは、深い皮肉を孕まずにはいられない嬉しさだ
 と思った。
 だって笑うしかない、おじさんはあんなに頑張って、あんなにらしく無いことを言って・・・それなのに・・・
 それなのに・・僕にはこの笑顔と・・・殺戮しか無い
 でもトリエラと戦っているうちに、なんていうのかな・・・・
 それが、自分なんだっていうか・・・それが、今の自分であり、そして昨日もその前も、そしてこれからも
 それは変わらないっていうか。
 『お互い様か。』と言って笑ったあの顔が、すっと、最後にどうしようもない嬉しさに繋がっていくんじゃ無い
 かなぁ。
 それは虚しさとか儚さとか、勿論自嘲とかも含んでる。
 でもなんか、戦い後のトリエラと全く同じ、その、なんか一個上に抜けてる嬉しさだったんだと思う。
 
 うん、たぶんそういうことなんだと思う。
 
 はい、今のは私の後付け的説明ですからね、そういうことで。
 はい、そういうことで、ガンスリ2感想も今回にて終了です。
 いきなり始めていい加減展開なこの感想でしたけど、なんかすっきりしました。(私だけw)
 三期があれば、今度こそちゃんとした感想を書きたいと思っています。
 どうか制作会社がまた変わったりしませんように。 (反省無し)
 
 では、ガンスリに、ひとまずのお別れを。
 ありがとう御座いました。
 ・・・。
 でもなんかまだずっと、私の目、乾いてるんですけどね。
 まずいな、かなり衝撃だったみたい。 (笑)
 
 それでは。
 
 
 
 あ、第二部に続きます。
 
 
 
 
 

 

-- 080403--                    

 

         

                              ■■ 青春の森の底の狼 ■■

     
 
 
 
 
 『 安い意地。粗末な誇り。どれも若僧が大事にするものじゃ。』
 

                           〜狼と香辛料 ・第十二話・ホロの言葉より〜

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 月明かりに開かれた、小さな石畳の白い闇。
 影の差す夜の隙間に顕れた、短い夜明けまでの時間。
 白々しく留まっている夜気が、愚かな人の子らの吐息を守護し、そのまま異形のものへの憧れを研ぎ
 澄ますその牙を、豊かに着実に育んでいく。
 緊張と弛緩の織り成す虚無の舌触りは果てしなく、形ある闇となりて薄っぺらく広がっていく。
 手を差し入れればそれは容易に破れることが知れるゆえに、敢えて掌の上でそれを撫でさすり、
 全身全霊へと行き渡らせていく。
 立ち止まり、立ち止まり、その反動で前への一歩を刻む。
 振り返り、振り返り、その勢いで前へと豪快に進んで往く。
 今、見捨ててきたものはなにか、今、知らぬ振りをしたものはなにかと真摯に問い直し、そしてまた
 立ち止まり、振り返り、結局は前に進むための礎と為す。
 白々しい夜が明ける。
 静謐を保つこのざわめきがこそ、胸を打ち、心を躍らせ、言葉を並べ立てさせる。
 虚心坦懐たることを証すために、誠心誠意、瑣事に囚われていく。
 ぬるく粟立つ肌。
 ひんやりと透き通るように聳える心。
 どこまでも突き抜けていく光の如くに、それらを冷徹に眺め、殺し、解体し、そしていびつで不細工な、
 なによりも美しい言葉を諳んじる、その自らの姿を築いていく。
 この、世界の中に。
 それをみつめている自らの、その姿こそは、どうしようも無く疲弊し愚かなるままのものにしか過ぎぬこと
 を、本当に、知らぬがゆえにこそ、ただ美しく世界に己を投げ込んでゆく。
 
 
 さて。
 
 
 
 
 

-- 愚者の群れは、ひときわ美しく --

- ただ美しく -

 
 
 

ならば賢者は、何者かや?

 

美か、醜か、愚か

 
 
 
 
 

◆ ◆

 

『星が綺麗だな・・』

『まぁまぁじゃの。 わっちの生まれ故郷はもっと綺麗じゃった。』

 
 
 
 
 人の子と人の子のすれ違い。
 人の子がいればその数だけ問題は生じおる。
 ひとつひとつ丁寧にそれを解決し、それを解決するために自らの体に耳を澄ませば、それは無限大の
 情報を与えてくりゃる。
 肌を研ぎ澄まし、耳を峙て、瞳を紅く燃やし、舌なめずりも深遠に。
 そうすればおのずとすべての感覚が静謐のうちに収まり、なにもかもが消える白夜が訪れるを知ろう。
 すべての凝縮された、完全無欠の有に満ちた無じゃ。
 五感なぞいちいち使う意識なぞなくとも、それらが得た情報達が勝手に動き出し、そして自ら形を成す
 ために動いていくのを、ぞくぞくとしながらただ無心で眺めていることが出来よう。
 ただそれをぽろりと取り出してやりさえすれば、最高の答えが顕れよう。
 丹念に丹念に考え、まさに丹念の鬼と化したときに、その思考の冴えは自然なものとなる。
 そうすれば、知るであろう。
 自らがなにを知り、なにを知らぬのかを。
 そして、なによりも知るだろう、まだ知らぬものがある自分をそれでも許せる自分のことをな。
 泰然自若。
 完璧に理解し切ることなど無く、完璧な答えを得ることなど無く、しかし完璧にみえるための繕いを施す
 術だけは、日々向上してゆくもの。
 それは、日々、その完璧では無い自分、まだ知らぬものが沢山ある己を許していられる回数の堆積
 がこそ、ものを言うのじゃ。
 つまり、生きた分だけ、賢く、より狡猾になれるというものなのじゃ。
 
 そしてそれは、常に真実との戦いの連続じゃ。
 
 若僧は、自らの未熟さが許せぬ。
 誰もが未熟であるという当然のことを、だからといって自分が未熟であって良い理由にはならぬと、そう
 美しい言葉の刃で切り裂きながら、日々熱く生きておる。
 しかしそれは、未熟というものが許せぬ、ということだけであり、実は未熟であるということで得られない
 ものがあり、理解できないものがある、それそのものに対する切実な感情とは相容れぬものであったり
 する。
 つまり、若僧は、むしろ自らの未熟さを明らかにする、それら未熟ゆえに得られぬもの理解できぬもの
 そのものへの激烈な憎悪がある、ということなのじゃ。
 愛するものを手に入れる事が出来ないことが恨めしい。
 愛するものがこちらに来てくれないからこそ愛するものこそ憎らしい。
 正確にいえばそれは、愛するものを手に入れることの出来無い自分、そういった愚かで醜く、そして情け
 ない自分にした、その恥を雪ぐことこそのみで動いているのじゃな。
 愛するものを手に入れることに徹底的に拘っていたはずが、いつのまにかその愛するものを壊すことに
 走っていることなぞ、よくあることじゃろう。
 それは、未熟な自分を認める前に憎み切ることでそれから目を離し、徹底的にそれを叩く立場で自分
 を美しい裁定者の位置に置くことこそに勤しみ、肝心なその未熟な自分を認め、そこから一歩ずつ
 少しずつ着実に成長していく自分を怖れるがこそ起きるもの。
 
 『失敗すれば、明日は無い。』か。
 まさに若僧の白々しい夜明けに相応しい言葉じゃの。
 
 すらすらと読み解くように、目の前の問題を片づけていく。
 勤勉さもみせずに、さりげなく流れる水の如くに解決の波を打ち出していく。
 しかし、そのとき目に染みた朝日は、一体その者にとってどれだけの冷たさを持っていたじゃろうか。
 おそらく、暖かったはずじゃ。
 ふふ、朝日が暖かいはずも無く、冷たく静かに辺りを見渡せば、なによりも凍てつく自らの瞳に驚き、
 こう呟けるはずなのにな。
 寒い、とな。
 あっはっは。
 なにをそんなに焦っておるんじゃ。
 泰然自若たるを証すことばかりに囚われておるから、朝日ばかり視て、周りが観えんようになるんじゃ。
 この世には希望だけでは無く絶望も満ち満ちており、無論絶望は希望の踏み台のためにあるのでも
 無い。
 誰かが隣におるのに凍えることもあろうし、どんなに高らかに謳っても孤独は途切れたりはせぬもの。
 あの羊飼いの小娘がどれだけ動揺しようとなにしようと、小娘がそれでも小娘として生存していること
 こそ、最も肝心のことじゃ。
 ぬしよ、落ち着いていると、観えぬこともあるのじゃよ。
 全く、これだから雄というのは困ったもんじゃ。
 自らの抱える目先の問題を、ただバッサバッサと斬ることの出来るその安心感に囚われおって。
 そんなもので得られた落ち着きなぞ、ただの視野の狭窄にしか過ぎぬものよ。
 なにも見えなければ落ち着くのは当然じゃ。
 
 
 ああ、星が綺麗じゃの。
 これだけ寒いと、空気がより澄んではっきりと観えよる。
 
 
 『こんな状況で、こんな普通の会話が出来るとは思わなかったな。』、か。
 そりゃそうじゃろうの。
 観るべきものを観ずに、視てばかりなのじゃから。
 どうしたって、自分が目を閉じて安心しているだけという、そういった自分の姿は観えてくるのじゃものな。
 みよ、あの小娘を。
 不安と動揺を抱えながらも、少しずつでも自分の居場所を確保しとるんじゃ。
 ぬしがいい加減な場の取り繕いしかせぬ間にも、あの小娘は小娘なりに色々と整合を付けて、それ
 なりに上手く納得出来ぬ自分自身こそを受け入れることは出来とる。
 あの小娘の動揺や容姿では無く、あの小娘の仕事ぶりを観よや。
 なかなか堂に入ったもの、と言うのが無礼どころか愚かな発言以下のものにしかなりんせん。
 わっちが見込んだ通り、羊飼いとして必要なものを高次元で融合し、無意識に体現しよる。
 一見すると、せこせことこまめに動き懸命に健気に働く、そういった風に感じられ、それゆえまさにあの歳
 にしてはなかなかやる、という説明であの姿を視る者に納得を与えるが、しかしそれこそ予断というもの
 じゃ。
 実際は、その「小さな頑張り屋」以上の、それこそ老練な羊飼い並の力を持っておる。
 まぁ、騙しの技術のひとつじゃな。
 無論あの小娘は、その詐術を無意識でやっているじゃろう。
 じゃが、そうして無意識でやっている自分の姿を、驚くほどに冷静に観てもいる。
 
 
 
 で、ロレンスよ。
 ぬしは、違うのかや?
 
 立派で逞しい雄たる、人の子の男たるぬしは、冷静に逞しく立派に生きることは出来んのかや?
 
 
 
 阿呆よの。
 雌は嘘吐きじゃと言うたろう。
 雌は雄の如くに誇りやらなにやらには拘らぬが、そうして誇りと驕りの区別のつかぬ雄を馬鹿にして悦に
 入る、そうした自らの姿に拘る阿呆であるのじゃよ。
 雌の矜持は、どれだけ自分を賢くするかという、そこにあるのじゃ。
 だからの、一見馬鹿や愚かに見られてもある意味構わぬし、逆にそうして自分の魅せた愚像に騙される
 阿呆な雄共の姿にうっすらとほくそ笑むことが出来れば、それこそ賢いと言える。
 賢く魅せるのと、賢いのは違う、ということなのじゃな。
 そうすれば、こういうこともするようになる。
 わっちは賢い、わっちは誰よりも賢く雄など手玉にしか過ぎぬと高言し、しかし時たまさりげなく弱みやら
 なにやらを魅せ、そうすることで敏感かつ賢い雄はその見つけた雌の弱さを糧にして、自らこそ雌の
 ようにニタニタと笑いながら、偉そうに賢さをこれみよがしに振りまく雌をより高い位置から眺め、そして
 無論、そうして高見の見物をしとる雄を自らの「賢く視える愚像」を使い、下から操るのがその雌なの
 じゃよ。
 ふふ、阿呆じゃろう? 雄も雌も。
 雌はそうして男を立てるのが面白うて、そして賢い男は自らが立てられているだけなのに気づきつつ、
 しかしそれに気づいてもその雌を許せる自分がまた面白うて敵わんのじゃ。
 
 
 ふむ。
 わかるかや? ぬし様よ。
 阿呆じゃが・・・
 
 これは、虚しいとか、愚かとか、そういうものなのかや?
 
 
 その雌はやはり賢いからの、そうして雄を立ててほくそ笑んでいる自分の姿が、その賢い雄に見つけら
 れている事に気づき、そして気づいたらどうするんじゃ?
 怒り狂うのかや? 馬鹿にされていると思うのかや?
 或いは、そうして雄に遊ばれる未熟な今の自分を許さないのかや?
 ふふ。
 
 『おぬしはとても大切にしておるんじゃろ? そのせいでひとまずおぬしからの寵愛は安泰じゃと思って
  おるのじゃろう。 
  たまには別の者とじゃれ合いたいと、欲が出たに違いない。 
  たまにはそっけ無くしやしゃんせ。それが良き手綱じゃ。』
 
 真実の愛など、いるのかや?
 欲しいのは、ただただ愛するものそのものでは無いのかや?
 ならば、互いの交わす愛の言葉が、どれだけ真実のように聞こえるかを競い合うだけじゃよ。
 その激しい戯れを交わし合い、そしてそうするからこそ、それを自らと交わすその愛するもののぬくもりを
 感じられるんじゃ。
 言うたじゃろ?
 わっちはぬしと旅がしたいと。
 わっちは、ぬしの「お人好し」と旅などしたくはありんせん、と。
 無垢でありかつ狡猾であってくりゃれと。狡猾であり無垢であってくりゃれと。
 それとおんなじじゃ。
 ぬしがその「お人好し」に拘るなら、わっちはぬしを蹴り飛ばしてくりゃる。
 「お人好し」という名の真実にしがみつき安泰しわっちを無視するなら、こっちにも考えがある、とな。
 いいかや?
 
 
 
 絶対的に信じ安心出来るものがあるからこそ出来る浮気と。
 信じられずに安心出来ぬゆえに足掻き続ける自分と愛するものを信じているからこそ出来る浮気。
 
 それは、全く違うものなんじゃ。
 
 
 
 疑えなくなったら、終いじゃ。
 怒りや恨み、悲しみや絶望も、それらがあるからこそ、切実になにかを求められるんじゃ。
 そういうものが無いゆえの安心の、その落ち着きから求めるものなぞ、すべて求めるものそのものを無視
 したものにしかならぬのよ。
 無論、疑いや怒りや恨みや悲しみや絶望しか無いのなら、それもまたなにも観えてはおらん。
 あの小娘を観よ。
 実に、的確な仕事ぶりじゃ。 賞賛を贈ってもよい。
 小娘自身の言葉を信じられるか否かに、拘っている場合では無いぞ。
 あの小娘がなにを言おうと、それを「健気にも」頑張っているという風にしか視ておらぬのなら、その小娘
 の姿はいつまで経ってもぬしには悲愴的なものにしかみえず、ぬしの罪悪感も拭えまい。
 いや、疑ってみるがいい。
 あの小娘がどれだけ自分の仕事に誇りを持ち、今回のぬしがもたらした仕事が不条理であろうとも、
 すべてそれを理解し責任も自分で負うと自分で決めたと言うても、それはやせ我慢にしか過ぎないと思
 う理由を挙げ続け、徹底的に疑ってみるがよい。
 どこに行き着いた?
 自分じゃろう? 
 ぬしは小娘の言葉を疑えば疑うほど、ぬし自身の気持ちに自分の目がいくじゃろう。
 ぬしはただ、怖いだけじゃ。
 自分がどれだけ小娘に不利な条件を押し付けたか、しかもそれは未だに隠されているだとか、自分は
 どんなに悪いかだとか、そのせいであの小娘がどうなるかだとか。
 『だったらそうならぬように、ぬしが全力で守ってやればよかろう。』
 徹底的に守ってみるがいい。
 行き着くのは、やはりぬし自身にじゃ。
 小娘のせいにしとるだけじゃ。
 自分だけが悪いと言って、小娘にはなにも言わせん、なにもさせぬ気なんじゃな。
 そして、ぬしの中の「お人好し」にもなにも言わせぬために。
 つまりぬしは。
 
 
 本当はただ、「お人好し」な自分が怖いだけなんじゃろうよ。
 
 
 この若僧が。
 「お人好し」を捨てぬことは感心じゃが、しかしぬしはぬしの「お人好し」を飼い殺しにしとる。
 ぬしは正確にいえば、「完璧な」「お人好し」ではありんせん。
 ぬしが どんなに頑張ろうとも、現状では解決出来ぬものが多量にあるどころか、そもそもなにを解決
 すべきかという、その問題の認識自体出来ぬこともまた多々あるのじゃ。
 ぬしはただ皆と笑いたいと言うし、長命を誇る賢狼たるわっちなれば、それが絵空事じゃとは全く
 思いはせん。
 誰もが経験を重ねていけば、ひとつひとつ解決と問題を手にすることが出来るのじゃし、なればわっちが
 ぬしよりも秀でているのは当然であり、またぬし如き若僧が不可能と思うておることも、わっちには当たり
 前に出来るものじゃったりする。
 つまり、ぬしも歳を重ねれば、信じられぬほどに出来ることが増えておる、ということじゃよ。
 素質はあるんじゃからな。
 そうじゃ、「お人好し」という素質がな。
 わからぬか? ロレンスよ。
 
 自らの未熟な「お人好し」をそれでも許し、そしてじっくりと歳を重ねていけることが才能ではありんせん。
 むしろそれは、「お人好し」である自分があることを認識する、そこから始まるものでしか無いんじゃ。
 
 当たり前じゃろう。
 若僧で無かった者がこの世に存在することなど無いのじゃからな。
 どんな老獪な賢者も、必ず愚かな若僧の白々しい夜明けから始まっておるんじゃ。
 若僧から賢者に変わるその瞬間など、そんな夢物語は存在せん。
 若僧が、ただただ歳を経ることによってのみ、老練な冴えを魅せていくんじゃよ。
 ぬしが「お人好し」であるを捨てねば、やがてぬしは自らの未熟さを許し、そこから歳を重ねていくことに
 自覚を持てるようになっていく。
 
 ほれ、空を見上げてみよ。
 なんにも、観えんじゃろ?
 ふふふ。
 
 わっちもじゃ。
 
 肌に指を這わせ大きく息を吸い込み、甘い風を全身に行き渡らせても、みえぬものはみえぬ。
 平静と安逸と涅槃を演じたとて、駄目なものは駄目じゃ。
 それ、そこの野っ原にでも転げてみようかいな。
 ぬし、ぬしよ。
 わからぬか?  
 この草の息吹が焦っておるのが。
 この風が慌ただしく生き急いでおるのが。
 わかるじゃろ。わかるはずじゃ。
 それがまさにわっちとぬしが今置かれている状況の中での、その体感そのものじゃ。
 
 
 じゃが。
 それでも。
 なにも言わぬ、冷たく無機質な草や風は、あるのじゃよ。
 
 
 
 
 
 

− 見上げればそこには、水捌けの良さそうな、綺麗に掃除された空があった −

 
 
 
 
 
 馬鹿みたいにそれを眺めとっても、頭の中をぐしゃぐしゃにして策を廻らそうとも、その空はやっぱりある。
 小鳥共の囀りも耳に芳しく、戦ぐ風の如きひといきれもまた涼やかじゃ。
 雌は雌、雄は雄。
 羊飼いは羊飼い、行商人は行商人。
 それぞれがそれぞれらしく振る舞うことも出来れば、なんの関係も無く寝っ転がることも出来る。
 どうじゃ?
 ぬしはまだ、小娘を信じるとか信じないとか、そういう話が大切かや?
 ぬしはぬし自身が信じられるか信じられないかとか、そういう事にだけしか目がいかぬか?
 わっちはこうしてまだまだ嘘を吐いとる。
 ぬしの迷いを晴らしてやろうと、迷いに囚われとるぬしを虚仮にしてやろうと、時間潰しをしてやろうと、
 そうしてひとつの嘘を廻り様々なわっちの思惑が駆け巡り、しかしその真ん中にある嘘は空っぽじゃ。
 どうでも良いのじゃよ。
 なぜならば、どうにでもなるからの。
 嘘を吐こうが吐くまいが、その背景にあるものだけが、此処にはあるのじゃもの。
 小娘の得もいわれぬ覚悟だかなんだかの言葉を引き出せ、それを手にしたからぬしは安心出来るの
 かや?
 
 『こんなもんで、ぬしも少しは安心したかや?』
 
 小娘の言葉は、それを発した小娘無くしては、ありえぬもの。
 そして。
 その小娘の姿は、その言葉よりも先に、ぬしはとっくに、そしてずっともう前から観ておったじゃろ?
 
 言葉なぞ、結果の内のひとつにしか過ぎぬ。
 わっちが小細工をして小娘から引き出して魅せたその言葉自体が、ぬしの心を動かした訳ではあるま
 い?
 わっちが小細工を色々と施している姿、それを眺めているぬし自身の姿、それぞれがこの膨大な世界
 の中に在ること、その瞬間瞬間の体感、それらを通して視た小娘の働きぶり、そしてさらにそれをみつめ
 ている自分の姿、そしてまた豊穣な世界の流れ、そしてわっちと小娘のやりとり、ああもう、ありすぎて
 すべて言語化することなど面倒臭すぎじゃな。
 そういった圧倒的な数の情報があってこその、その解読と受理あってこその、ぬしの安心じゃ。
 それともなにか?
 ぬしはあの小娘の言葉を切り取り、それだけを握り締めて、それに応えるためにこそ自分が頑張らねば
 ならぬ、いや死ぬほど頑張らねばならぬとでも、思うたのかや?
 そんなはずはあるまい? のう、ぬし様や。
 仮に思ったとて、驚くほど今のぬしの中に於けるその思いの占める割合は低いじゃろ。
 いやさ、むしろ他のおもいの絶対量が増えたがゆえの、その割合の低下なのじゃろうの。
 
 ゆえにな。
 逆に言えば、だからやはりぬしは無造作に、小娘のために死力を尽くすこともありじゃ、ということじゃ。
 なにせ、その思いの絶対量が低下した訳では無いのじゃからな。
 
 そして死力を尽くしてもなお、それだけでは無いと、圧倒的に豊かに思えるのじゃ。
 じゃから、安心して死力を尽くせる。
 そして、そしてじゃ。
 じゃからこそ、そうしてぐっと拳に込めた力が、今この瞬間、その拳の周囲に在るあらゆる事共を見つめ
 ていくうちに、うっすらと消えていくのをぬしは知るじゃろう。
 ふん、余裕を振りまいているうちに、いつのまにやら頭に血が昇っておったんじゃよ。
 ぬしの周縁は、時々刻々と変化しておるのじゃ、そのたびに何度でもそれを観ていかねば、結局は
 その目の前の事共を見失ってしまうんじゃ。
 焦るな、焦るなや。
 覚悟を決めて心を研ぎ澄まし、一心不乱に力を込めたその拳こそが、ぬしが愛するものではあるまい。
 ぬしには聞こえぬか?
 そんなときでも、ぬしの愛するものたちは、当たり前のように戯言めいた睦言を謳っているのが。
 ぬしは、その拳を盾にして、きーきーと無様に嫉妬の炎を立てる雌を無視するだけかの?
 ぬしは、その拳が無ければ、雌との嘘吐き遊戯に勝てぬのかの?
 その雌の姿が無様に、浅ましく視えるかの?
 
 
 ふふ。
 馬鹿と言う奴が馬鹿じゃ、という言葉を知っておるか?
 
 
 雄は雌を傷付けぬ。
 賢く気高い雄ほど、雌に手を上げぬ。
 なぜじゃとおもう?
 それはな、雌に手を上げる、我慢の出来ない若僧を軽蔑するためじゃ。
 強い雄ほど、牙を収める。
 しかしな、その力強く口腔に収められておる牙はの、そうして仕舞われておる事自体が、大きなひとつ
 の武器になっているのじゃよ。
 その牙を抑えるために使っている力は、口元にも作用しよる。
 沈黙は金なりじゃ。
 ただ黙し、雌には牙を向けず、若僧を蔑み、そして自らを保つ。
 そして戦うべきと見定めたものにすべてを賭け、それを邪魔するものをこそ心底虚仮にするためにこそ、
 ただ日々の沈黙と非暴力を貫いていく。
 たわけじゃ。
 その誇りとも驕りともしれぬものを通してでしか、この豊穣無辺の世界に接することは出来ぬのじゃもの
 な。
 雌にも、愛しいものにも、その他の様々なものにも、な。
 
 
 
 そして。
 雌もそんな雄を虚仮にして、雄の狡猾な不器用さを嘲笑う。
 
 ならば、わっちもたわけじゃな。
 
 
 
 だから、わかるんじゃ。
 
 
 
 いつでも、ぬしの頬を死ぬ気でぶっ叩いてやらねば、とな。
 
 
 
 
 
 
 
 

 『 下 が れ っ ! 』

 
 
 
 
 
 
 
 
 『狼は、群れの一匹だけが傷つくようなやり方は絶対にせぬ。
  慎重かつ狡猾に、じわじわと群れで取り囲んで獲物を狙う。』
 
 
 
 
 
 
 たわけに引きずられてたわけに走るのなら、それこそが愚というもの。
 ぬしよ、その愚かな拳をさっさと仕舞いんす。
 狼はな、言ったように一匹だけが傷ついてまで獲物を狩るような真似はせぬ。
 群れのために、群れの犠牲になって死を選ぶことを許さぬ、そうした群れ自体の仕組みがあるのよ。
 皆で狩り、それで上手くいかねば皆で飢える。
 一匹一匹が、生に対して真摯に、そして常に向き合っておるからじゃ。
 じゃが逆にいえば、生に対して不実に、そしてそれから目を逸らそうとする若僧は、人の子も狼も関係
 無く存在するんじゃ。
 周りが観えておらぬ、ただたた中心点だけに収束していこうとする、愚者の塊がの。
 ふん、安っぽい、今見えているものだけ、そして今見ているものだけですべて済まそうとするがゆえにこそ
 ある、そのつまらぬ誇りなぞ、目も当てられぬ。
 狼の誇りとは、そんなものではありんせん。
 あらゆるものを把握し、感じ、周りからじわじわと大きく深く、そして膨大な時間をかけて何事かを為して
 いく、そのために必要であるからこその群れの論理的仕組みがこそ、わっちらの至高の誇りなんじゃ。
 
 雌はな、やはり雄と同じくたわけじゃ。
 じゃがな、わっちはやはり雌は雄と同じく阿呆なのじゃとも思う。
 いつでも空を振り返り、豊かに笑えるのじゃもの。
 わっちは、わっちじゃ。
 そしてわっちは今、このぬし達との群れの中におる。
 狼とは、孤高の象徴じゃ。
 狼は群れの中にありて、なお孤独じゃ。
 自分勝手で強引で横暴で嘘吐きで妙に誇り高く嫉妬心も強い。
 自分で言っておいて、ほんとに孤高なのかと思えるほどの説明じゃが、まぁよい。
 じゃがな、だからこそなのじゃ。
 
 狼は、はっきりと、群れの中の自分をそれでも意識しとるんじゃよ。
 孤高の象徴たる、目の前の同じく狼である他者のことを、よく知るがゆえに。
 
 わっちらはどれだけいがみ合おうと競い合おうと憎み合おうと愛し合おうと、その目の前のものたちを
 無視したりはせんのじゃ。
 そしてそやつらを無視しての群れの偶像なぞ興味が無い。
 わっちらは群れのために生きているのではありんせん。
 無論、誰かのために死ぬために生きているのでもありんせん。
 わっちらは自分の目の前にいるものどもとただ共に生きておるだけよ。
 群れのために死ぬ愚か者などおらぬし、その死の代償として得たものなど道端の石よりも価値が無い。
 言うたじゃろ? わっちら狼は誇り高い。
 ゆえに、 その欲の深さと言ったら、山より高く海より広く。
 そして、この蒼穹よりも青く澄み切っておるのじゃ。
 誰か一匹を犠牲にして生き延びるのと、全員生還を目指して考え抜くのと、どっちが難しい?
 そして、どちらが沢山のことを考え、どちらが沢山の問題を認識せねばならぬと思う?
 比べらものにならぬ。とても比べものにならぬ。
 狼は負けず嫌いじゃ。
 いや。
 勝ち無きままに終わることを良しとせぬ。
 ゆえにな、負けるとわかっている戦で命を散らし、勝ちを得る機会を永遠に失うことは絶対にせん。
 勝つためになら、百遍負けるも厭わぬぞ。
 いやさ。
 狼は、かつ誇り高い。
 ゆえに、たとえ百遍負けるにしても、相当の演出を施した上での負けじゃ。
 負けを正当化し粉飾し、まるでここで負けることこそが最も美しいものと思わせ、或いは面白可笑しく
 負け戦を笑い話へと変え、目の前のものと豊かに楽しむ糧と成したりするのじゃ。
 もはや、自分の誇りのために嘘を吐いているのか、みなと楽しむために笑っているのかわかりんせん。
 
 いや、どっちもおなじことなんじゃよ。
 
 
 みなと笑顔で楽しく生きられるということこそ、最高の誇りなのじゃもの。
 
 
 まぁ、わっちは他の奴らなどどうでもよく、ぬしとふたりでほくそ笑むことが出来ればそれでよいがの。
 じゃが・・・ふふ
 そうわっちが言えば言うほど、ぬしはひとり拳に力を込め、たわけな笑顔のままにそれでも俺は皆と一緒
 に笑いたいなぞと抜かし、その笑顔のままに死地に突っ込んで行ってしまうじゃろう。
 たわけ。 ぬしが死んで誰が笑うというじゃ。 このたわけ。
 一発、死ぬよりも恐ろしいほどに殴り飛ばしてやっても良いが、ふふ。
 それよりは、わっちがそのぬしをこれみよがしに心配している風を装い、それをぬしに腹が立つほどに
 魅せつけてやる方が、より意味がある。
 ふん、ぬしのことじゃ、一瞬で己のたわけさがわかるじゃろうの。
 ぬしはそれで、そうしたわっちの挑発をわっちの愚行として視て侮り、それを小さく嘲笑い、そのままたわけ
 な背をわっちに向け、拳を振り上げ突撃したりするような雄では、もう無いのじゃものな。
 わっちらは、相棒同士じゃ。
 命を賭けるのは構わんが、わっちを無視しての、ぬしだけにしか価値の無い犬死には絶対に許さぬ。
 全く、雄はすぐに一か八かなどと捨て鉢になりよって。
 最後の最後まで、策を弄しやしゃんせ。
 策に必要なのは、常に目の前のものと、そしてなにより自らとその目の前を取り囲む、その周縁にあるも
 のすべてを冷静に、そして圧倒的にみつめることじゃ。
 策を練るためだけに、心を閉ざしてみせよ。
 策のためだけに、命を賭けてみせよ。
 策無くして、突撃するなぞ、わっちが許さぬ。
 ぬしはわっちの手玉、いやさ、わっちの手駒じゃ。
 ぬしはわっちの策を理解し、そしてそれを実行することに命を賭けてくりゃれ。
 わっちは絶対にぬしを死なせたりはしやせん。
 ぬしに恥をかかせたりなどしやせん。
 なぜなら、わっちも死ぬ気などさらさら無いからの。
 ぬしを絶対に、か弱い女を見捨て、ひとりだけ逃げた腰抜けなぞにはせぬ。
 わからぬか?
 わかっておらぬな。
 
 その拳を自らの頬に撃つのは、わっちが死んでからにしやしゃんせ!
 
 いいかや?
 小さな恥は、大きな恥をかくのを防げば、いくらでも笑って流せるものじゃ。
 いやむしろ、大きな成功を得れば、小さな失敗はその成功を得るために敢えてしたもの、つまり策の
 内として、澄ました顔で笑い飛ばすことが出来るんじゃ。
 それが後付けだろうがなんだろうが、本当だろうが嘘だろうが、関係あるかや?
 堂々としやしゃんせ。
 その嘘を、全身全霊で全うしやしゃんせ。
 その懸命に笑うぬしを無視して、ことの真偽にばかり目を向ける者なぞ、放っておけばよい。
 そうじゃ。
 ぬしがそうしてぬしの真実に殉じて死ぬを選ぶのなら、わっちはぬしを放り捨てる。
 
 
 
 いや。
 
 それも、違うする気がするの。
 
 
 真実に殉じる者の、その背景にあるものをこそ視れば、おのずとその者とも生きられる場が観えるの
 じゃもの。
 
 
 
 たわけな若僧を蹴散らすは簡単じゃが、それならわっちもその若僧と同じじゃ。
 若僧どもの背後にあるものを視るのは、冷静にならずとも簡単じゃし、それが出来ぬことなどありんせん。
 しかし、その若僧の背後を視ることが本質では無いんじゃ。
 それは、当たり前のこと。
 わっちが智恵を尽くすは、その先、いやさ、その上か。
 その上で澄み渡る、あの青い空をあっさりと若僧どもと観上げることじゃよ。
 言うは易しするは難し。
 たわけな若僧への怒りで振るう拳を収めるは簡単じゃが、その拳無しで渡り合うはちと難しい。
 ふふふ。
 
 ならば、狡賢くいこうではないか。
 
 自らの、誇りに対しての。
 
 言ったじゃろう?
 わっちは死にはせんと。
 わっちの誇りのために死んだりなどまっぴら御免じゃと。
 ふふ
 
 『出来れば穏便に済ませたいが・・・どうなるかわかりんせん』
 
 拳や牙が必要ならば、いくらでも応じよう。
 殺し合いでしか止まれぬのなら、それも応じよう。
 目の前にいるのは、猛り立った若僧ども。
 此処で下手に演説ぶったところで、この若僧どもも伊達じゃ無し、どんな話でも丸く包み込んで捨て
 去るくらいの胆力はあろうし、無駄じゃろうの。
 いや、それがこそ若僧の真骨頂とも言えようか。
 若僧を嘗めれば痛い目をみる。
 無視はいかん、無視はの♪
 若僧の熱情を受け入れそれに感化される気はさらさらありんせんが、しかしその熱情そのものとその
 背後に控えるものを認識し理解せねば、それに対する効果的な策を講じることは出来ぬ。
 
 
 
 
 じゃが。
 あー。
 
 面倒じゃの。
 
 
 『やはり若僧じゃな。 すぐに牙を剥きよる。』
 
 
 
 わっちと若僧どもの戦いを中心に据えた途端、その周縁には膨大な世界が溢れ返る。
 ロレンスが、待っとる。
 囁きとも呻きともしれぬ無上の叫びが、駸々と森の底から湧き出でる。
 ひとつひとつ、丹念に丹念に、この場へと沢山のものが流れ込んでくる。
 あっさりと、中心点が消える。
 その死闘の水底はすっぽりと抜け落ち、あっさりと豊かにその周りの世界と溶け合い繋がっていく。
 心身未だ戦闘態勢を取り、力の充溢も溶けぬままに、にも関わらずわっちは高笑いに染まっておった。
 白々しい熱情の蜷局が、波紋を描きながら森の木立の息吹と混ざり合う。
 見上げればそこには、あまりに唐突を装いながら、空が開けておった。
 こういう、ことか。
 
 
 『合流したときに裸じゃ寒いし、ぬしが困るじゃろ♪』
 
 
 くく。
 ロレンスの阿呆め、わっちが預けた外套を、わっちが生存を誓った証しとしてなぞ受け取りおって。
 どうせ、わっちは絶対に生きて返ると誓う、わっちは絶対にその預けた外套を受け取ると、そうして
 可愛らしく格好を付けたとでも思うたのじゃろう。
 
 たわけ。 
 
 あっはっは、あはは、笑いが止まらぬっ
 
 なーんでわっちがそんな悲愴感溢れる芝居をせねばならんのじゃ。
 阿呆らしいわ。
 言葉通りじゃよ、わっちは確かに体を張って、場合によっては命も張ることになるやもしれぬが、しかし
 そんなことはわっちにとっては当たり前のことじゃ。
 いいかや?
 ぬしのためにも死ねぬが、わっちはそれと同時に、わっちのためにも死ねぬじゃ。
 わっちはぬしと旅がしたいし、騙し合いもしたい。
 そしてそれは、今現在この瞬間も継続中なんじゃ。
 当たり前じゃろ。
 このわっちの行動がどれだけぬしに貸しを作ったか、計算しておるか?
 どうせぬしは冷静に計算など出来る訳なぞ無いのじゃから、ここぞとばかりにふんだくってやるわいな。
 そして・・・くく・・・・ぷっ あはははは ひー、堪らぬ
 
 ぬし以外に裸を見せとうない、そう、さりげに言ったのだぞ、わっちはな。
 かかか、ぬしの阿呆に赤く染まった頬を、早く張り飛ばしてやりたいわ!
 
 雄の恃みの拳の力が溶けたときが、怖い怖い♪
 なにせ、雌の恐ろしさを知ることになるのじゃものな。
 結構随所でわっちはロレンス的に赤くなるような事を言ったんじゃが、それを全部わっちの覚悟の上での
 嘘かなにかとしか視んかったぬしは、一体その阿呆な瞳の力が緩んだときにどうなるんじゃろな♪
 そしてぬしは、散々羞恥心にいたぶられて転げ回ったあと、わっちに改めて愛の告白をするかもしれぬ。
 
 
 
 ぷっ
 
 間抜け過ぎよ、ぬし様よ。 ・・・・・・あはははははははははは
 
 
 これこそ、天高く笑えるというものぞ。
 あっははは、わっちが本当にそんなことを言う訳が無かろう。
 ぬしの見抜いた通り、それはほんとに嘘なんじゃよ。
 本当のことをさらっと言った訳が無かろう。
 嘘じゃよ。
 ごくごく、普通のな。
 
 ぷっ
 
 可笑しゅうて、やめられんわ、まったく。
 
 目の前の状況に囚われるとは、こういうことよ、ぬし様よ。
 わっちはただ、あんな切迫した状況でも、ごくごく普通に簡単な冗談的嘘を吐いただけよ。
 つまり、そういうことよ。
 
 安心しやしゃんせ。
 切迫しようがなにしようが、わっちはわっちじゃ。
 
 別に、見栄でもなんでも無い。
 いやさ、ぬしはこうしたわっちの言葉の裏すら見透かせる程度の、それくらいの賢さはあろうよ。
 じゃから、わっちがこうしてぬしを安心させるためにこそ、色々と小細工を弄しておる、じゃから自分も
 頑張ろうと、そう思うのじゃろ?
 いや、あまつさえ、わっちの「懸命」な嘘を守ろうとして、わっちの元に駆け戻るかや?
 たわけ。
 わっちを嘗めるなや。
 言うたじゃろ?
 いや、問おう。
 狼の誇りとは、なんじゃ?
 答えてみよ、ロレンス。
 
 
 みなと笑顔で楽しく生きられるということこそ、狼の最高の誇りじゃろうが!
 
 
 ぬしのためでもあり、ぬしのためだけでは無い。
 いいぞ? ぬしがそれでもわっちを嘗め腐り、わっちがただ見栄を張って健気に振る舞う華奢な雌じゃと
 侮り、それを盾にして大きくふんぞり返る雄になってもな。
 ならばわっちは。
 
 
 ならばわっちは、冷静に冷酷に、その華奢なわっちを利用して、その阿呆な雄を釣り上げてやろうぞ。
 
 
 
 そういうことじゃ。
 
 
 じゃから。
 
 
 
 
 
 はやまるなや、ロレンス。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ま、大丈夫だろうがの。
 
 
 ぷっ
 
 
 
 
 
 汚く血の色に拉げんばかりのこの空が、こんなにも豊かなものだったとはな。
 さしもの長命を誇る賢狼ホロにも、わからんかったわいな。
 
 あー。
 すっきりした♪
 
 
 
 
 
 よし。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ◆ ◆
 
 これ以上語ることは無いような気がするのですけれど、語りたいというおもいの方が圧倒的に上。
 これほど、私のいわゆる「心」を刺激してくれた作品は、かつて無かったかもしれません。
 いやあったかもしれませんし、忘れていたことにしておいた方がなにかと都合が良いかもしれませんので、
 そういうことにしておきます。
 まずは、なにはともあれ、感動するのも疲れてきたくらいです。
 これはもう、感動とかそういうもので語るには惜し過ぎる、そんななにかです。
 
 ホロは、天性の嘘吐きです。
 
 いえ。
 嘘を吐くのが大好きな、まさに嘘を吐くだけでご飯三杯いける、いえいえ、人生乗り切れるくらいの心
 意気なのです。
 嘘尽くしで、嘘を吐くためには何でもすると平気で嘘を吐き、なにがほんとか嘘かわからなくなるまで嘘
 を吐くという嘘も吐き、とにかくもう、気づいたらホロ以上にホロの周りの人達が嘘とほんとの違いがわか
 らなくなる、そういう状況をこそホロはその場に現出させている。
 だから、いくらでも惜しみなく本当のことも言いますし、そしてその「本当のこと」もしっかりと利用して周り
 の者達になにかをやらせていく。
 
 なんのために嘘を吐くのか。
 
 今回のお話は、そのホロの言葉の、まさに実践が描かれていたとも言えます。
 ホロは天性の嘘吐き、つまり嘘吐きの天才であり、大いにその才能を有していますが、しかしその才能
 を開花させ、さらには維持・発展させるためには、また別のなにかが必要です。
 ホロは嘘は大好きですし、その嘘を吐き合える相棒を求めています。
 けれど、そのためには、それらを得るための準備が常に必要なのですね。
 自分だけがいくら努力をし覚悟を決めたとて、それだけじゃなんにもなりんせん。
 嘘を成功させるためには、なにも相手を出し抜き騙すだけが能では無いのです。
 嘘とはなにか。
 嘘を吐く背景にはなにがあるのか。
 嘘は見破られたら駄目なのか。
 ホロは、それらが自分の思い込みにしか過ぎないことを、看破したのです。
 嘘は別にバレても構わぬのじゃよ。
 むしろ、その嘘がバレるということでしか得られぬものがある場合なら、それは必須じゃ。
 嘘を吐いたことによって起きるなにかのためにこそ嘘を吐くのであり、嘘とはそれを得るためのツールに
 しか過ぎません。
 そしてまた、そうすることで、「嘘を吐いている自分」がここにいることで、それがその場になにか影響を
 与えているということもわかり、またその影響を考慮することで得られるものもあるのです。
 そして勿論そうしたことで失うものもあり、そういったものもまた計算できるがゆえに、それを補う嘘を策す
 ことも出来る。
 
 わかりますよね?
 それはつまり、ホロは「嘘」そのものには拘っていないということが。
 そして。
 この「狼と香辛料」という作品がなにを示そうとしているのか。
 
 ふふ、それ以上は喋りません書きません。
 だってあとがきで書いちゃったら、本文書いた意味無くなっちゃうもの。 (笑)
 無論書きたい気持ちは目一杯ありますけれど、出来ますれば、みなさんには今回のお話をじっくりと
 観て、そのあとに私の感想を読んで一緒に考えて頂きたいと思っています。
 
 でもまぁ、これだけは言っておきましょう。
 今回のお話は、まさに今までこの作品がやってきたことの、その最も深いところにあるものを徹底的に
 凝縮し、そしてそこからどうするか、ということが描かれたものです。
 孤独とはなにか、豊穣とはなにか、嘘とはなにか、自分と他者とは、神とは、名とは、賢いとは愚かとは
 なにか。
 それらを個別に答えていくような、そんな一問一答の作品ではありんせん。
 この作品はそういった問いとそれの答え、そしてなによりも問い答えている自分の姿を捉えながら、実は
 たったひとつの、そう、膨大ななにかと立ち向かっている、一匹の狼が描かれていたのです。
 これはおそらく、「物語」では無い。
 これはただ、問いと答えと問い答える一匹の狼を通して、それを観る私達がなにかを感じ考えていく、
 そんな切実な「生」という行為そのものなのです。
 「狼と香辛料」という作品そのものが、そういった小さなそして壮大なツールなのだとも言える。
 ホロを捉えていたのは、ホロのあの紅い瞳が見つめていたものはなんでしょうか。
 たぶん、それがなんであるかを書き記すことにあまり意味は無いのでしょう。
 例えば、ホロに於ける孤独の問題を考える作品としてこれを観ても、あまり意味は無い。
 なぜなばら、今そこにいるホロにとっては「孤独」など僅か一部分にしか過ぎないのです。
 ホロは、孤独なのです。
 そう、孤独をみつめ孤独について考える、なによりも孤独な狼なのです。
 つまり既に孤独な狼であるホロ自身が見たもの感じたもの考えたもの、そしてなによりもそうしてなにかを
 見て感じて考えているということ、それそのものこそが私達と繋がっているものなのです。
 自分の孤独について考え、孤独であるということはどういうことなのかを考え、孤独でいてよいのかどう
 かを考え、孤独を脱するにはどうしたらいいかを考え、今自分がその孤独からの脱出の道程のどの
 辺りにいるかを探り、自分がそうして孤独にまつわることに囚われているというその自分の姿をみつめ、
 その自分の周りに広がる「世界」をみつめる。
 まだまだ、そんなものではありんせん。
 生きているということを言語化するには、いくら言葉があっても足りんせん。
 
 つまり、ホロはそうして、自らの言語化して捉えた「生」が僅かな範囲にしか及んでいない事を自覚した
 がゆえに。
 その言葉の世界の外にある、その周りにあるものを、それでも言語抜きに知覚していることを認める
 のです。
 
 わっちは賢い。
 数え切れぬほどの言葉を纏い、編み続けている。
 しかし、その言葉を示すということ自体が、既に圧倒的に膨大な情報をこの場に刻んでおる。
 言葉など、その広がっていく世界の切っ掛けにしか過ぎぬ。
 ゆえに。
 言葉とは、既にその存在自体が「嘘」なんじゃな。
 言葉通りに動くも動かぬも、結局は同じじゃ。
 なにせ、示した言葉自体が踏み潰したものや創り出したものが、その小さな言葉が含んでいる以上の
 意味を、圧倒的膨大に巻き散らかしておるのじゃものな。
 わっちは賢狼ホロ。
 ゆえに、わっちはただのホロじゃ。
 
 んー、わかりますかね? ああ不安だ。 (笑)
 つまりですね(言うんかいw)、ホロは常に賢い自分なり狼神なり名前なり孤独なり他者なり、そういった
 ものを見つめている、そういうただのホロだ、ということです。
 吐いた嘘の中身では無く、その嘘を吐いたということで起きるものをこそみつめる。
 賢く孤独で嘘吐きな自分がこの世界に生きている、それ自体が起こすものをこそみつめる。
 それがホロ。
 そして。
 そのホロが生きているということが、イコール、それを観る私達の生、いえ、私達が生きていることと
 ダイレクトに繋がり、ホロと共に生きて考え感じていくことが出来るのです。
 
 そんなところでしょうか。
 まだ語りたいことはあるような気がしますけれど、この辺りにて潔く筆を収めます。 (よく言う)
 これで、当「狼と香辛料」の感想も残すところあと一話、最終話のみとなりました。
 既に放送終了してから一週間以上が経とうとしており、常に感想は放送直後を目安にUpしていたと
 いうペースからは考えられないローペース、そして勢いの減退ではありますけれど、しかし逆にこれだけ
 ゆっくりとして日にちもかけているので、ひところよりは焦らずに書くことが出来、私としましてはようやく
 最終回前に落ち着くことが出来ました。
 最終回の感想の完成まで、またあと少し時間がかかってしまうとは思いますけれど、その間の時間を
 ゆったりと「狼と香辛料」の空気を感じながら過ごし、そして「狼と香辛料」を深く描き出していきたい
 と思っています。
 この感想を読んでくださっている方々にも、是非改めてこの期間に「狼と香辛料」を振り返ってみること
 をお勧め致します。
 おそらく、多くの狼ファンの熱気は未だ冷めやらぬところであると思いますしね。
 まだまだ、この余韻は感じられると、私は思っています。
 そして、当サイト的には、まだ「狼と香辛料」は終わっていませんから。
 だって、最終回の感想がちゃんと残ってるのですからね。
 ね? 贅沢でしょ? (ほんと良く言う 笑)
 
 それでは、また次回お会い致しましょう。
 それまでの「狼と香辛料」の吹かす風を感じながら、豊かに過ごしてお待ちくださいませ。
 私も良いものを書けるように、たっぷりと精進して参ります。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
                              ◆ 『』内文章、アニメ「狼と香辛料」より引用 ◆
 
 
 
 
 

 

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