〜アニメ『マリア様がみてる』第12話「ファースト・デート・トライアングル」感想

 

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■■マリア様とデート■■

     
 

 

 
 
 こんばんわ、紅い瞳です。
 すっかり春めいてきた今日この頃、皆様如何お過ごしでしょうか?
 
 さて。
 本日は、マリア様がみてる第12話についてのお話をさせて頂きましょう。
 と言ってみて、もうこのアニメのお話をさせて頂くのも、これで12回目であることに気づきました。
 そしてアニメは残すところあと1話、なのですよね。
 なんと早いことなのでしょうか。
 最近全13話のアニメで感想を書いてきたアニメといえば、
 灰羽連盟やガンスリンガーガールなのですけれど、
 このふたつは放送延期などがかなりあって、
 並の全26話のアニメより終わりまでが長く感じられました。
 けれどマリみては一度も放送延期などが無かった優等生のため、
 実に放送期間はわずかに3ヶ月というほどの短さでした。
 祥子様よろしく真面目過ぎるのもよくないという事の典型でしょうか。
 
 と、そんな冗談はこのあたりでよして、お話を始めさせて頂きましょう。
 今回のお話は、デートのお話。
 祐巳さんと祥子様、令様とバレンタインのイベントで半日デート券を得た田沼ちさとさん、
 志摩子さんとこれまたデート券取得者にしてロサカニーナこと蟹名静様。
 そしてこの三組をつけ回す(?)写真部の蔦子さんと新聞部の三奈子様、
 そして令様のあとをやはりつけ回す由乃さん。
 全編是れコメディの軽やかで、それでいて麗しい流れをしっとりと感じさせられるお話の調べは、
 第一話を初めてみたときのとろけるようなあの感覚を彷彿とさせてくださいました。
 こういう流れが、いつもマリみて中にしとやかに流れていることを感じられるこの感慨が、
 私は大好きで堪らないのです。
 軽やかで楽しくて、それでいて美麗な上品さが刻まれていて、
 さらにその刻み込まれた品の良さの中で響く笑いのさざめき。
 そしてこれは今までのお話を観てきたことでわかってきたことですけれど、
 必ずその笑顔のさざめきの隣に、ふっと魅せる哀しみの色彩があります。
 私は毎回その哀しみの色彩を拾い上げて、
 勝手にあれこれ塗り替えて自分なりの絵を描いてきたのですけれど、
 その絵を描いている手をそっと止めて画面を眺めると、そこにはどうしようもなく美しい世界が映っていて。
 私がそこから取り出したものだけが、それだけがマリみてのすべてでは無いことを必ず私に示してくれて、
 でもそれでも私は毎回その示してくれた美しさを全部は頂かないで、
 ちょっぴりだけ自分に合った分だけを頂いて、それで感想を書いています。
 ですから、私はマリみての「評論」を書いたりとか、
 マリみてとはこういうものだ、というつもりで感想を書いてはいません。
 私の感想、マリみての見方はあくまで全体の一部、
 それも私が作品を観て抱いた感想・見方の中に於いての一部にしか過ぎないことを、
 時折皆様にお解り頂けているのかどうか心配になります。
 でも、その心配ですらどうでもよくなってしまうほど、マリみては私に数限りないものを与えてくれます。
 私はその数限りないもののうちのひとつを受け取る事で手一杯で、そしてお腹一杯なのです。
 と、こういう言い方をしますと、
 自分が向き合っているものの偉大さを訴えることで、
 それと向き合えている自分のことも自慢してるよね、と思われると思います。
 ええ、でも、その通りです(笑)
 でもその通りなのですけれど、その自己自慢は主では無く、
 今の私はマリみてのすごさをこそ、自慢したい気持ちの方がメインです。
 そして自慢しつつ、自慢している暇があるならば、もっともっとマリみてを感じたい、
 あるいはマリみてを独り占めしていたい、そういう気持ちに今は駆られています。
 
 祐巳さんの笑顔。
 そして忙しく小さく駆けめぐりながらの悩み。
 その様子を見て、可愛いなぁと外側から眺めることもできますし、
 あ、それわかるわかると言う感じで祐巳さんと一緒に小首を傾げたりも出来たりして、
 ただその自分の立場の変換がめまぐるしく行われていく感覚だけで、もう今回はふらっときましたし、
 祥子様のあくまでお上品なボケ(笑)っぷりにも、静かに微笑ませて頂きました。
 肩肘など張らなくとも、のんびりゆっくりとアニメの中に入っていることができて、
 とても幸せな気持ちになれるお話。
 随所に顔を見せる由乃さんや蔦子さん・三奈子さんの漫才には普通に笑えてしまいました。
 あのようなズバっとくる笑いがあんなにも普通に組み込まれている事の作品美に感嘆しながら、
 その感嘆を放り出して純粋に爆笑してしまえるこの感じ。
 それにしても、由乃さんが敬語を使う事が不自然に見えるようになってくるほど、
 由乃さんのはっちゃけっぷりも板についてきましたけれど(笑)、
 マリみての中での笑いというのは、とても不思議な感覚に満ちていますよね。
 その笑いがどの流れにも繋がらない単発的なものでありながら、
 なぜかそれだけが突出して錆びてしまわない自然さ。
 それは、時折現れる哀しみの表情と決して共存しない故のことなのでしょう。
 ある意味で、笑いは笑い、という感覚がどこかにあるのかもしれません。
 でも、だからといって「ギャグキャラ」というものが居る訳でもない。
 だからそれはつまり、哀しみの延長として笑いがあるという風に言えるのかもしれません。
 由乃さんという人は、いくつかの意味に於いて面白い人です。
 色々と考えて悩んで、そのたびに自分自身にツッコミを入れて、
 でもそのツッコミを入れた次の瞬間にはあっという間にまたオカシナ苦悩が始まっていて。
 ぶつぶつと令様を付け回しながら考えを重ねていく様相、それ自体が哀しみであって、
 そして笑いにもなっています。
 でもそれが、哀しみと笑いという2つの現象として分けて考えた時点で、
 やはりそのふたつは別物になり、
 よって、由乃さんの高笑いは純粋な笑いというものになっていると思います。
 笑いの向うに哀しみを予感出来て、でもそれでいてその笑い自体には普通に笑えてしまう。
 由乃さんを含むマリみての笑いには、そういう感慨が抱けてしまいます。
 
 さて、笑いの風景とは少しばかり距離を置いている志摩子さんと静様のデート。
 デート、というよりまさに戦闘なのですけれど(笑)、
 なかなか面白かったです。
 志摩子さんの論法があっさりと、そしてじっとりと静様に崩されていく様子。
 先手先手を打ちながら、それでいて一矢も報いることができずに、
 段々と隷従していく志摩子さんの瞳が、怪訝さに満ちていくその有様。
 言葉によって周囲を動かし、また自分に対してのベールを張っていく志摩子さんの戦術は、
 静様にはまったく効かないばかりか、あっさりとすべてカウンターを受けてしまいます。
 静様の言葉ひとつひとつに静様にとっての意味は無いのですけれど、
 でもその無意味な言葉は志摩子さんの論法にはとても有効で、
 見事に志摩子さんを撃破してしまいます。
 それは静様の志摩子さんの論法に対する観察が優れていたからなのでしょう。
 志摩子さんの言葉を使って、そして志摩子さんの論法にその言葉を組み込んで攻撃する。
 そしてあっという間に敗北してしまった志摩子さんを覆う、志摩子さんの言葉達の残骸。
 志摩子さんにとっての、「入れ物」という言葉。
 かつて志摩子さんが言った、なにかに縛られる、ということは、入れ物に入れられるということ。
 志摩子さんという人の中にある想い。
 それは、なにかに縛られているという事に対する無条件の反抗、
 そしてその反抗を徹底していくと、その反抗になんの意味もの無いという事に気づくということ。
 縛られる事から自由になりたい、という事それ自体に縛られている、
 それは自由という名の呪縛でもある。
 志摩子さんは薔薇の館に出入りするようになって、たぶんそういう事に気づき始めていたことでしょう。
 そしてそれは、聖様が志摩子さんに求めた気づきでもあって、
 だから聖様は志摩子さんを薔薇の館に連れ込んだのでもあります。
 入れ物よりも、中身を見つめるために。
 あるいは、入れ物を観るということは中身を見つめて初めてわかることでもある。
 自分が縛られているその「なにか」は、それだけを見つめてただ反抗しているだけじゃ、
 それがなんであるかを知ることは出来ないのです。
 志摩子さんは今、中身を見ています。人間に興味を持ち始めています。
 
 でも。
 志摩子さんは、逆に今度は中身だけを見つめているように思えます。
 というより、中身を見つめることで入れ物が見えてくる、という連関がまだ生成されていず、
 ただ入れ物だけではなくて、中身のほうもちょっと見てみたいという感じに止まっているように思えるのです。
 ですから、入れ物を見れば実は中身が見えることもある、ということが逆にわからないのです。
 志摩子さんにとっては、入れ物はあくまで入れ物それだけであり、
 中身もまたあくまで中身それだけでしかありえないのです。
 静様は、そこを突いてきます。
 志摩子さんにとって学校は「単なる」入れ物にしか過ぎない、と静様は言います。
 入れ物があるということは、同時にそれは中身があるということ。
 なのに中身に「しか」逆に興味が無くなってきた志摩子さんには、
 そこにはただの学校という入れ物しか見えてこないのです。
 入れ物に縛られ、それにただ反抗することの無意味に気づいたのに、
 それで逆に今度は入れ物を見ようとしなくなってしまった志摩子さん。
 誰も居ない学校に行って、なにが面白いのですかと問う志摩子さん。
 ロサギガンティアのスールだから私に興味がお有りなのですかと問う志摩子さん。
 静様は、静かに微笑みながら答えます。
 学校に行きましょう。そうすれば、貴方の事が見えるわ、と。
 志摩子さんには、この答えは理解不能でしょう。
 中身の無い入れ物をみて、なんでその中身の事がわかるのか、と。
 入れ物をどうでもよいと思っている志摩子さん、ロサギガンティアの妹である自分はどうでも良い、
 そう志摩子さんは思っていて、
 それなのにそのどうでも良い事に興味を持ってるはずの静様は、
 それらを見つめることで、入れ物の中身、ロサギガンティアアンブトゥンの中身が見える、と言う。
 学校の中身の人間に、そして志摩子さん自身に興味があると言い切った静様。
 志摩子さんに、この静様の穏やかな攻撃を止められる術はありません。
 志摩子さんの言葉が使われているのに、志摩子さんの会得している論法のレベルでは解けない攻撃。
 次回志摩子さんはどのようになっていくのか、
 そして静様の次なる一手はなにか、たいへんに楽しみです。
 
 
 という感じでした。
 第12話は最終回への繋ぎとしてみることも、単品としてみてみることも、
 そして今までの流れのひとつの収束としてみることもできました。
 ただ私としては、アニメの第二期の放映も決定したようですので、
 まとめ的な感想を抱くには、まだなんとなく臨場感が無くて、
 結果的に最終回一回前の感想としてのまとまりに欠ける感想となってしまいました。
 それはちょっと情けないことで、なんとか最終回には第一期としてのまとまりをみせた感想を書きたいと、
 そう切に自分に言い聞かせています。
 でも、たぶん駄目でしょうね(笑)
 祐巳さんや、特に祥子様の表情についてなどまだまだ書き足りないことばかりで、 
 でも全部を書けないことは意志的に自明な事となっていますので、
 敢えてその点については悩みませんけれども、
 でも、そうであるのならば、尚更最終回はきっちりとまとめたいと思います。
 書きたいと思っていたものの多くを打ち捨て、
 一番書きたかったものだけを取り出して書いてきたことの完結。
 それだけは絶対にしてみたいなぁ、と図らずも思ってしまう紅い瞳でした。
 
 次週、いよいよ最終回です。
 第二期がある、ということを綺麗サッパリ忘れて、
 ただただ、第一期の帰結として、
 そしてそれでもやっぱり第13話単独としての想いをも抱けたならば、と思っています。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 すべては、薔薇のために。 (祥子様風に)
 
 
 
 

 

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