〜アニメ『マリア様がみてる』第11話「白き花びら」感想

 

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■■マリア様がみてる白い薔薇■■

     
 

 

 
 
 
 
 『この世界はきっと正しいものなのだろう。ならば私は、それに適合出来ない悪い子羊なのだろう』
 

                                  〜第 十一話の聖のセリフより〜

 
 
 
 
 空が、見える。
 歩いて、いる。
 冷たい木の葉で敷き詰められていく路を見つめていて、なぜか、空が見える。
 愕然と項垂れる事が従順の標し。
 なぜ自らが従順たりうる資格がこの背にあるといえるのかと、あの空は問うている。
 ひたすらに永遠に、その問いは胸の水底にまで浸透し体を冷たく震撼させる。
 なにも、見たくない。
 だから、私を見ないで。
 
 
 
 
 微風が美しい陽光に優しく暖められて、穏やかなさざめきが地を舞っている。
 黄昏の後ろ髪すら垣間見ることの出来ない栄光と永遠に満ちきった地平の真っ直中。
 祝福の切っ先で刺し貫かれた愛らしい子羊達の笑顔が、野に幸福の在る事を示している。
 ただあるがままの幸せの世界。
 逃げること叶わぬ神の饗応の攻囲。
 私には、それがとても痛い。痛い。
 美しい緑に枯れ尽きた木立の抱擁が、空の彼方から襲いかかる。
 嗚呼・・・怖い・・・怖い・・。
 幸せの砂粒だけが広がる無限の荒野の彼方で、それでもあの空が微笑んでいるのが恐ろしい。
 私が此処に居て良い理由は、いつ私は手に入れたというのだろうか。
 つまらない、事など無い。
 すべては、私が、悪い。
 神より与えられし産物の至高たりうる事を髪の先でまで納得していながら、
 それでいてなにものも楽しむことの出来ない瞳。
 空に突き上げし自らの邪悪の拳を何度解いた事だろうか。
 反抗など、していない。
 反抗すべき、理由が無い。
 すべてが至高の輝きをきらめかせている世界に、なにを求めよと言うのだろうか。
 振り上げた拳で奪い取れるものなどあの空の中には無い。
 すべてはこの空の下に在り。
 不満などかけらも無い神の御園に存す事叶うこの身の幸せに、どれほど歓喜したことか。
 この祝福のさざめきが見えぬほど、私は偉くない。
 神の御園の敵対者とならぬ路往く我が身に空に求める事など、もう既に、無い。
 
 
 『私の中には、なにひとつ潤いが無い。渇いた広い荒野で私は独り、途方に暮れているのだ』
 
 
 美しすぎる世界のゆらめきが、止めど無い恐怖を横たわらせていく。
 私には、この世界からの祝福は勿体無い。
 こんな私に、こんな幸せがあって良い理由など。
 私がただ此処に居るだけで得られる幸せの、なんと不純な事だろうか。
 私は、なにもしていない。
 私は、なにもできない。
 決して失われる事の無い永劫の幸福の存在を受け止められなくて。
 それ以上の幸せを求める冒涜も出来ずに、私は神の祝福にただ押し潰されていっただけ。
 薄暗く立ちこめていく腐った幸福の屍の山を築く私に、いかなる真っ当な生があるのだろうか。
 居心地悪く暖められたこの御園で、私は独り歩いている。
 この路には、この先ずっと幸福しかない。
 絶対に絶対に受け入れる事の出来ない幸せが、暖かくて残酷な瞳で私を永遠に抱いている。
 
 私は、私を許せない。
 この世界を愛しているから、この世界がくれる至高の幸せを楽しめない自分を許せない。
 この世界から、自分が受け取れる幸せを奪い取ってしまおうなんて思わない。
 私は、充分過ぎるほどに幸せを与えられているのだから。
 そう、充分過ぎるその幸せは私には勿体無い代物。
 そんな大切なものを神から頂いているのに、さらに奪うなんて。
 私は、私の身に馴染めない大切な世界を纏って歩いていく。
 それでいいんだ。
 そうでなくては、駄目なんだ。
 だから私は、青空に突き上げた拳を何度でも解く。
 私には、なにもできないのだから。
 なにをする資格も無いと、私が認めたのだから。
 
 『なぜみんなと一緒に笑わなくてはいけないのか。
  なぜ興味が無い話題を聞かなければならないのか。
  だから私は黙り込む。
  なにをしたらいいのか、なにをしたいのかすらわからない』
 
 硝子細工が巧妙に謳う。
 空から幸せを奪い取れとは、誰も言わない。
 私も、言わない。
 赤茶けた絶壁の頂上で耳を澄ませても、ただただ歩けという御言葉が響くだけ。
 何度も解きながらも幾度でも突き上げる事を諦めないその拳が、私の髪の中に身を潜めているのに。
 訳もわからず出来るだけ早く路の終着点に着きたくて走れども、なにも変わらない。
 悪い子、だ。
 なにもわかっていないくせに、幸せに囲まれているなんて。
 私に、神の祝福を得られる資格など、無い。
 だから。
 『誰も私に触れるな。』
 『私の事など、忘れてしまえ!』
 
 
 
 
 
 『私が初めて栞と会ったのは、春の在る日、いつもよりだいぶ早めに学校に着いてしまったときだった。』
 
 
 
 
 誰も居なくなったあの場所に、栞が居た。
 陽光の狭間に隠されていた栞。
 神の御園にありて神の祝福を浴びながら、ただひとつ残酷に輝くことの無い人形。
 絶望の荒野の砂塵のうちに、ただ一粒混じっていた硝子の欠片。
 陽光を受けて鋭く我が身を切り刻む硝子の歌を謳いながら、私の体の中に入ってきた破片。
 つまらなさのかけらも無い、こまやかに塗り潰された笑顔が私の中に入ってくる。
 嗚呼・・・良い物を拾った・・。
 違う。奪ってはいない。奪ったのでは無いんだ。
 私は神のお与えになった幸せの残り物を押し戴いただけなんだ。
 
 凄艶なる嗤いが、聖の体にめり込んでいく。
 
 研ぎ澄ました視線を片手に栞と踊る。
 あの空は、もはやただただいやらしい。
 手繰り寄せた互いの吐息を胸の水底に染み込ませる。
 誤魔化しきった路の上で輝く神の微笑みに背を向けて、私はひたすら走り続ける。
 私は今、神の御名に従順だ。
 燃え尽きた空の狭間に我が身を滑り込ませ、私は其処にしっかりと閉じ籠もっている。
 なにもわからないなにもできない、神の祝福を受け取ることすら出来ない私が居るべき場所。
 神が私に特別に与え給うた栞の居る場所だけに、私はしおらしく逼塞している。
 違う。奪ってはいない。奪ったのでは無いんだ。
 私は神のお与えになった幸せの残り物を押し戴いただけなんだ。
 私はただ、悪い自分をいばらの森に閉じ込めているだけなんだ。
 
 誰も居ない雨天の下に、私が居る。
 美しい空は、降りしきる雨でもう見えない。
 私の姿も神からは見えない。
 嘘だ。
 神はただ我が内に。
 振り返った強引な笑顔を、見つめ返す事はできなかった。
 栞の優しさを正視できない。
 栞なんて、いない。
 いなければ良かったんだ。
 解き放たれたぬくもりの往く宛てに栞が在るとき、絶望が襲う。
 なんで、貴方は其処に居るの?
 なんで、此処に居ないの?
 引き籠もった懲罰の室に、人影はひとつしか無いはずなのに。
 どす黒い輝きでのたうつ栞の髪が私の体にまとわりつく。
 もっと。もっと私の中に入ってきて。
 そんなところに居ないで、私とひとつになって頂戴。
 空の下で浮遊するぬくもりを瞳に引き戻して、そうすれば貴方も・・・。
 嘘だ。嘘だ。大嘘だ。
 『私はいいから、自分の髪を拭いて』
 私にはやっぱりこう言うしかない。
 どんなに従順になっても、嘘の無い優しさを止める事はできない。
 嘘で固めた優しさで我が身を罰して身を退いても、この室の人影はひとつになりはしない。
 嘘の無い優しさの言葉を突き刺しても、あの空は決して消えてはくれない。
 陽光の射さないこの室に、人影など元から無いんだ。
 栞の体とひとつになれない私が、此処に居る。
 私達は、影の出来ぬ神の敵対者という蒼い影としてひとつになった。
 ついに私は・・・自分だけの世界を手に入れたんだ。
 マリア様の目から逃げ切った、二人でひとつの孤独の世界を。
 『雨・・・止むな・・。このまま時が止まればいい。
  栞と溶け合って、消えてしまいたい・・。
  この気持ちはなんなのだろう』
  
 
 
 
 
 このまま二人で死んでしまえれば、それでいい。
 蒼冷めた笑顔で真っ当な生を生きる事を遠慮した少女は言い切る。
 ふたつの蒼い影がひとつになった冒涜。
 黒く爛れた甘美の囁きを滲ませながら、身を切り裂かれる痛みに酔い痴れる。
 薄汚れた安住の地に身を委ねる安息が、二人の唇を閉じ重ねる。
 ああ・・・汚い・・醜い・・・嗚呼・・なんて悪い子なのだろう・・。
 だから私は消えていけばいい。
 消えるだけでいいんだ。
 うずたかく私の周りを取り囲む役立たずの幸福達の屍に、もう遠慮することは無い。
 私の中には、今もマリア様が居る。
 でも、もうマリア様はあの空の上には居ないのだ。
 すべてが私の内にある。
 私の外には、なにも無い。
 優しさなんて、もう必要無い。
 空に突き上げる拳も必要無い。
 『自分以外の誰かを求める、その行き着く先は何処なのだろう。
  その答えが見つかることは、おそらく無いだろう・・・。
  でも、それでいい。
  確かなものは、栞の鼓動と、体温と、吐息だけ。
  そしてそれは、私の望む、この世の全てなのだから』
 
 
 栞が消えて、陽光の下に顕われた。
 雨が上がり空が顔を見せただけで、なにもかもが動き出した。
 ひとりだけ先に路を走っていった私は、いとも簡単に獰猛な幸福達に追いつかれ追い抜かれた。
 『私は、マリア様に負けたのだ』
 マリア様に見つめられただけで、いともたやすくあの室の中に人影がふたつ現れた。
 私は、影になんてなれなかった。
 私は、どうしても陽光に照らされる中で生きなければいけなかったのだ。
 独りだけでこの路の終着に行き着く事などできないと、死ぬほどわかっていたのに。
 私はまたとぼとぼと、いやらしい空の下で項垂れながら歩くしかない。
 だって。だって。
 『マリア様が、みているから』
 私は、今ようやく自らの従順さから解き放たれた。
 囚人として自ら獄に繋がれた功績を無に帰され、再び世界に戻された屈辱。
 私には、世界に従順でいられる資格など無かった。
 私は、生き恥を晒したまま陽光の下で生きれば良いらしい。
 私の優しさは決して報われずに、ただそれを当然として晒される路。
 それはそれで良いのかもしれない。
 快楽を感じられる罰では無いこの極刑こそ、私には必要なのだ。
 すべてを自分に収束させ、外の世界を無視しようとした私には相応しい事だ。
 ならば私は、この極刑を受け続けよう。
 その極刑を受ける事自体もまた、私には快楽だ。
 死は最大の快楽。
 私から快楽を求める事を奪うことなど、出来はしないのだ。
 だから私と栞がひとつになることを、誰にも止めることは出来ない。
 私も、止めはしない。
 嗚呼・・・会いたい・・・逢いたい・・・・。
 『お祈りしていても、貴方の事が頭から離れないの』
 マリア様を冒涜して、すべての優しさをその命を賭けて振り切って栞が無限の微笑みを纏って帰ってきた。
 
 『私はその微笑みを忘れない。絶対に忘れない』
  
 
 
 
 
 ・・・・・・
 
 振り返ると、お姉様と蓉子が微笑んでいた。
 私は、今、あの空の下に帰ってもいいなと初めて思った。
 暖かいを暖かいと言えるように、お姉様は私をそっと抱きしめてくれた。
 私が全部なにもかもをわかっていることを、お姉様は全部わかっていてくださった。
 私はそれがどういうことなのか知っていたくせに、理解しようとしていなかった。
 私は、私の歩くこの路が私のために用意されていた大事な祝福であることを、
 本当のところ全然なにもわかっていなかった。
 わかったつもりになっていただけ。
 私は自分はなにもわかっていないということを知ったつもりになっていて、
 私がなにもかもをわかっているという事を無視していただけ。
 私はわかっていることを無視してなにもわかっていない事に溺れていただけ。
 そしてそれを、マリア様のせいにしていただけ。
 私は、ちゃんとわかっていた。
 私が生まれたのはクリスマスではなくて、私の誕生日である事を。
 マリア様を信じているくせに、私が生まれたことすらマリア様のせいにして、
 マリア様の祝福がなんであるかを、私は理解してはいなかったのだ。
 いいや、知っていて無視していただけ。
 なにもわからない、誰のためにもなれない自分が居る事の不快感。
 でもその自分すら、自分にとっての「他人」であるんだ。
 私という「他人」を愛せなくて、他人という名の「他人」を愛せないのは当然なのだ。
 だから、他人を愛せない私なんて愛せない、というのは間違ってる。
 自分を愛せてから他人を愛せるようになる。
 ならば、自分を愛すには最初から理由や資格なんていらないという事になるんだ。
 そして私達は、その初めにある私という「他人」をマリア様から頂いた。
 だから・・・・だから・・・。
 私には元から他人がいるんだ。
 だから、それは・・・私という他人を愛せない私に此処に居てはいけないという言葉を導くんだ。
 だから・・・・・・。
 私は栞を忘れない。忘れられない。
 唯一人、他人でありながら「私」であったあの人の事が・・。
 あの人と過ごしたあの時間の事を・・。
 私は笑う。
 私は俯く。
 それはもう、私の中では別々の事なんだ。
 私は、栞にさよならをしたのだから。
 でも別々にあるからこそ、その栞への想いは私の真っ当な生に溶けて混ざり消えていくこともない。
 私と栞、ふたりの人が別々に在ったから、私達のこの路に先がある。
 そしてでも、いつまでも私は栞とひとつになりたいと願っている。
 
 
 『メリークリスマス!』
 『もうひと声!』
 『ふぇ?』
 『明日は、私の誕生日なんだ。
  マイハッピーバースデー!』
 
 
 
 
 マリア様は、お祈りしながら心の中で舌を出すからこそ、私達を見ていてくれると思うんだ。
 色々な意味で、ね♪
 
 
 

                              ・・・以下、第二部に続く

 
 

                          ◆ 『』内文章、アニメ「マリア様がみてる」より引用 ◆

 
 
 

 

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