〜アニメ『マリア様がみてる』第8話「びっくりチョコレート・後編」感想

 

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■■マリア様と一緒に■■

     
 

 

 
 
 『嬉しいこと言ってくれるじゃない。・・・・・どうにかなるよ。』
 

                 〜第八話の聖様のセリフより〜

 
 
 
 ごきげんよう、皆様。
 いつも通り紅い瞳です。
 そして、マリみての感想です。
 
 正直、なにを書けばよいのか、ということをずっと考えていて、
 書き出すのに時間がかかってしまいました。
 それはでも、書きたいことがいっぱいあって、だからどれを書こうかという迷いではなくて、
 それ以前に書きたいことがひとつもない、というものでした。
 つまらない、という訳でもなく、ただ言葉にできるものがなかなか見つからなかったのです。
 けれど、こうして書きだしたと言うことは見つかった、ということです。
 その見つけたものを、いつも通りお話させて頂きましょう。
 
 本来ならば、祥子様と祐巳さんのお話をしたほうが良いのかもしれませんけれど、
 そのお話を自分の中で言葉に換えることが出来なかったので、
 本日はそれとは違った視点からお話をさせて頂きます。
 それは、カタチとしては聖様と祐巳さんのお話になります。
 聖様と祐巳さん。
 私はもしかしたらこのお二人のお話し合いが、一番好きなのかも知れません。
 いつもそうなのですけれど、聖様の優しさの姿が祐巳さんを包んでいくときの、
 あの何度でもはっとさせられる抱擁。
 今回のお話でもまたそうでした。
 泣いている祐巳さんを、温室の中で抱きしめた聖様。
 あのとき私は、ちょっと泣いてしまいました。
 なんででしょう、と考えるまでも無く、それはちょっと嬉しかったから。
 私が、あの聖様の言葉にとても慰められたからです。
 聖様達が卒業してしまったら、もう誰も自分の助けてはくれないといった祐巳さん。
 祐巳さんにとっては、やはりそれは地獄に等しいことなのでしょう。
 自分の足で立って歩かなければならない、ということの恐ろしさ、
 その事自体にいかなる覆いもかぶせることなく、はっきりとそれを感じている祐巳さん。
 それは不安で堪らなく、そしてそれは不安という言葉の持つ意味以上の虚しさをも合わせ持って、
 祐巳さんには迫ってきています。
 涙すらも流さない虚ろな瞳で聖様にすがりついたあのときの祐巳さんの前にあるのは、
 誰もが誰もが当たり前の事として無視していた、そういう恐怖。
 それを無視する事ができない祐巳さんには、祥子様との関係を含む、
 それこそ全世界がどうしようもなく冷たいモノとして受け取ってしまいます。
 聖様に祥子様という人間を説明して貰い、
 だから祥子のこと嫌いにならないでね、と聖様に言われて、
 そう言われて祥子様の事がわかったつもりになったけれど、
 でもそれだけじゃ、祐巳さんが直面している恐怖にはなんら揺るぎも無いのです。
 恐怖の正体が説明されて、だからもうこれだけわかっているのだから、
 その恐怖はカンタンに乗り越えなくちゃいけないのよ、と言われたとしても、
 その乗り越える第一歩を踏み出すこととそれとは、まったく関係が無いんです。
 怖いモノは怖い。
 ただそれだけの事が祐巳さんを不安の渦に陥れるのです。
 
 言いたいことをはっきり言う、それが祥子様の求めているものだとわかっても、
 祐巳さんが実際そうするまでには、もの凄く深い谷間を越えなければいけません。
 それがカンタンにできる人ならば、それでいい。
 でもそれができないのなら・・・。
 祐巳さんの瞳は、虚ろに怯えています。
 逆にいえば、祐巳さんの怯えは、しなければいけないことが純然としてあって、
 そしてそれを行う方法論もすべてわかっているのに、それでも第一歩を踏み出せない恐怖、
 という風にも言えます。
 私には、その祐巳さんの怯えがよくわかるような気がします。
 そしてその怯えは、とても怖い。
 怖くてどうしようもなくて、でもどうしようもなくてもそれを当たり前の事だと思わなくちゃいけなくて、
 でもそれでもいつまでたってもそれを当たり前と思えない・・・。
 聖様の肩にすがりつきながら、祐巳さんの瞳はそう訴えているように感じました。
 理屈では全部わかっているんだけど・・・でも、どうしよう・・・。
 祐巳さんが小さく震えているのが、はっきりと私には見えました。
 
 そしてその震えは、当たり前の事ができなくて、
 そしてその出来ない事を出来ないということは甘え以外の何者でもなくて、
 だからそれは逃げ場の無い事で、どうしようもないことで、
 そのどうしようもないことを恨めしく思っている自分の虚しさに、自嘲を込めた震撼。
 流したくても流せない涙、うずくまりたくても立っていなければならない憂鬱、
 その涙や憂鬱は自分からすら弾圧されて、体の中にしまい込まれてしまう。
 でも、祐巳さんのその体は、それでも聖様の肩にすがりつくのです。
 どうしようもないことをそれでもどうにかして欲しいと願う「劣情」を、
 うわごとのように囁きながら聖様に抱きつくのです。
 
 聖様は、その祐巳さんのすべてを、優しく抱きしめたのです。
 
 祐巳さんのすべてを。
 涙も憂鬱も、そして自分の足で立っていなければならないその事さえも。
 祐巳さんの囁きが、それが祐巳さんの愚痴であることを聖様は受け止めます。
 祐巳さんが自力でなんとかしていかなければいけないこと、それを決して否定することなく、
 その事をも組み込んで、祐巳さんの愚痴を受け入れます。
 そして、どうしようもないことをどうにかしたい、という祐巳さんの最も「恥ずかしいお願い」も、
 聖様はちゃんと抱きしめてくれたのです。
 そのお願いが、ただそれだけで在る訳ではないこと。
 それが、祐巳さんが恥ずかしいと思っている劣情、本来ならば自分でも言いたくないことである事、
 それらと共にあって初めて其処に在ることを、聖様はよく知っています。
 そしてその恐怖に祐巳さんが陥っていることを、確かに聖様は見ています。
 嬉しいこと言ってくれるじゃない、と言った聖様。
 祐巳さんが、自分を頼りとしてくれていること、
 そして祐巳さんが自分のその恐怖をしっかりと見せてくれたこと、それが嬉しいのです。
 光栄なことなのです。
 それが、聖様の冷たい優しさのすがた。
 あくまで祐巳さんからは離れているのです。
 離れていて、そしていつのまに近寄ってきて、その冷たい手で祐巳さんの頬を暖めてくれる。
 自分に甘えてくれる人が居るなんて、嬉しいですよね。
 その嬉しさが聖様をより祐巳さんから離れさせ、そして祐巳さんを受け入れるのです。
 受け入れつつ離れてもいて、離れてもいるから祐巳さんは聖様に甘えることができる・・・。
 
 そして聖様は言います。
 『もう少し祥子に本音でぶつかることができたら、それさえできるようになったら、
  なにがあっても乗り越えていけるようになる。』
 私は最初、今回の日記のタイトルを、「マリア様と独り立ちと」とするつもりでした。
 でも。
 でも、この聖様の言葉はその私の考えを変えさせました。
 聖様は、いつまでたっても祐巳さんの聖様なのです。
 ずっと聖様は、祐巳さんの空から祐巳さんを見ているのです。
 自力で祥子様と付き合っていくことを祐巳さんに改めて優しく宿題として残した聖様は、
 祐巳さんに自分のその足で立つことを求めながら、
 でもそれでもいつでも祐巳さんの恐怖をもしっかりと見守ってあげる。
 祥子様と自力で付き合えるようになれば、今度は祥子様自体が祐巳さんを優しく包んでくれる。
 恐怖の対象が、自分のその恐怖さえも受け止めてくれるようになる。
 それは聖様なる冷たい優しさが永遠に続いているという、信じられないくらいに嬉しい希望なのです。
 
 嫌で嫌で堪らない事が目の前にあって、でもそれは耐えなくてはいけないことで、
 でもそれに耐えられるなんていつまでたっても思えなくて、
 でもそれは耐えたい事でもあってだから愚痴なんていうのは恥ずかしいことで、
 でもその恥ずかしさなんていうのは本当は虚しいもので、
 でも虚しくても確かにそれを感じている自分は居て、だから恐ろしくて。
 でも恐ろしいからと言って、逃げ出すこともできなくて。そして逃げたくも無くて。
 だから、逃げちゃ駄目だとだけ言って励まされてもなんにもならなくて、
 だから、逃げてもいいのよとだけ言って慰められてもなんにもならなくて。
 逃げちゃ駄目だけど、逃げてもいいよ、だから逃げちゃ駄目なんだけど、だから逃げてもいいのさ。
 そう言ってくれる聖様の瞳が見つめてくれている、と感じられたから。
 祐巳さんは、前に一歩を踏み出せたのじゃないかと、私は不束ながら思いました。
 祐巳さんからすっと離れることで、祐巳さんに独り立ちを促しながら、
 それでも、祐巳さんに自分は見守られ続けていると思わせる最高の甘えを与えてもいる。
 自分が自立していることも、自分が本当は泣きたいんだということも見ていて貰える甘え。
 甘いんです、もうどうしようもなく優しく。
 投げやりな言葉で祐巳さんから離れることで祐巳さんの自立性を尊重しながら、
 すっと甘く近づいて泣いている祐巳さんを抱きしめる聖様。
 自分の足でしっかり歩かなきゃ、と思いつつ泣きながら立ち止まっている祐巳さんの、
 そのすべてを見ているロサ=ギガンティア。
 自分の足で歩いているその空の上では、確かにマリア様が微笑んでいます。
 唯独りで歩きながら、それでも誰かと共に歩いている・・・・。
 
 
 私は、今回のおはなしからそういうことを強く感じていたみたいでしたので、
 こうして言葉に換えてみる事にしたのでした。
 
 
 
 おまけ: やっぱり、祐巳さんは祥子様のスールに最適ですね。
      蓉子様と祥子様の関係の法則性が、祥子様と祐巳さんとの関係にも適応できるのでは?、
      という前回の私の感想の予想通りとなりました。やったネ(笑)
      自分の思う「正しさ」に外れている妹を教育するという「カタチ」の優しさ、
      それが紅薔薇の構図なのですね。
      で、聖様と祐巳さんはそういう意味でもスールにはなりえなくて。
      聖様は祐巳さんのすべてを無条件で受け入れてしまいますし、
      そもそも聖様に教育精神無いですし(笑)
      そして最もスールの関係からは遠いゆえに、
      祐巳さんは聖様に甘えられるのですねぇ。
      離れていることの優しさの関係、
      というものをそういう観点からも言ってみることができる、そういうおまけでした♪
 
 
 
 
 

 

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