〜小説『マリア様がみてる』感想 |
-- 040630-- |
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■■第三回マリみて原作感想系■■ |
紅い瞳です、ごきげんよう。 |
本日は、小説第三巻「マリア様がみてる いばらの森」についてお話させて頂きましょう。 |
今日は少し、色々と乱れた書き方になると思いますけれど、ご了承くださいませ。 |
さて、初めに申し上げたいことがあります。 |
紅い瞳がマリみてを見てなにかを書くということは、これはすべて感想、という体裁になっています。 |
そして感想というものは、私にとっては大きく分けてふたつのタイプがあります。 |
小説を読んで、それから受ける印象を羅列し、その印象の素晴らしさを抜き出して讃美する、 |
というのと、小説の中に書かれている事を自分の中に取り込んで解釈し、 |
自分の言いたいことをそれに上乗せしたものを書く、というタイプ。 |
前者のタイプもたまに書きますけれど、私にとってのメインとなるのは後者のタイプです。 |
マリみてという素材を使って、書き表したいものを書く。 |
これはSSとは違いますので、紅い瞳は別にマリみての設定や世界観を重んじたりとか、 |
そういうことは一切致しませんし、そうしたいとも思っていません。 |
ですから、例えば私が感想で綴る聖様の姿というのは、私がマリみてを観察して得たものですけれど、 |
さらに其処には私自身の言葉が入り込んで、ある意味に於いて別物になっています。 |
ですからマリみてという作品が主張する聖様的なものと、 |
私の主張する聖様的なものは大幅に違っています。 |
いえ、勿論見ようによっては根本的に同じに見えるはずですけれど、 |
字面通り受け取れば、当然差異が見つかるはずです。 |
当然、その差異はあって当然のものなので、とりわけ気にする事ではありませんけれど、 |
ただ時々自分で感想を書いているときに、自分がなにを書いているのかがわからなくなるときがあって、 |
そうなったときは結構その差異が気になってしまって、もしかして私はまたヘンな事書いてはいないだろうか、 |
とそう思ってしまったりもするのです。 |
このような事をお話させて貰ったのも、そういう自分の不心得が時々紅い瞳の目を曇らせる事がある、 |
その事をお伝えしたかったからなのです。 |
正直申し上げまして、小説版の感想を書くのはかなり大変です。 |
なぜならば、上述したように自分がアニメ版から見出したマリみて観が、 |
小説版を読むことでどんどんと頼りなくなっていってしまうからです。 |
と言いましても、小説版とアニメ版はかなり違っていますので、 |
実際に私のマリみて観が崩れるということは無くて、その頼りなさは錯覚に過ぎないのですけれど、 |
けれど少なくともそのような錯覚を感じてしまっている時点で、冷静でいられていないことは確かなのです。 |
そうすると、実は小説版がアニメ版とは別物で、受ける印象もまったく違うのに、 |
それなのにアニメ版を見たときと同じ事しかかけない、そういう事態を引き起こしてしまいます。 |
実際、過去二回の小説版の感想は苦慮の末、受けた印象を説明するに終始してしまい、 |
甚だ不本意な出来となっています。 |
なぜ私はマリみての感想を書くのか。 |
それは私がマリみてを観て読んで、感ずるところがあるから書くのです。 |
私の言いたいことをマリみてが代弁してくれている、 |
そういう勘違いかもしれない主観の元、まさにマリみての威を借る狐となって、 |
私は私のお話をするために、感想を書いているのです。 |
と其処まで言ってしまいますと語弊を与える事を禁じ得ませんね。 |
そういう風に言ったからといって、私が聖様を聖様として書いていない訳では無くて、 |
まさに私は聖様自身を描いてきた訳です。 |
ただ、その聖様達の姿を見ているのは私で、そして感想を書いているのが私、なだけです。 |
そして私が聖様を書くということは、それはただ聖様の素晴らしさを讃美する、 |
それだけの事では無いし、祐巳さん達スールのラブラブッぷりに悶えるために書いている訳でもありません。 |
勿論、そういうのを書くときもあるのですけれどね(笑) |
そうなりますと、小説版というのはかなり心許ない。 |
なぜならば小説版は私が言わんとしている言葉を、別の言葉で既に提示してしまっているからなのです。 |
言い換えれば、小説版には私の解釈する余地が残されていないのです。 |
所々の隠喩を説明的に解釈しそれを繋げていくことは出来ても、 |
それは解釈の解釈にしか過ぎず、私はそういうのは苦手とするところなのです。 |
苦手というより、好きではない、というのでしょうか。 |
この「いばらの森」にしてもそうです。 |
なにかこう、誰かしらによって為された解釈的感想文を読んでいる感じで、 |
いくつも既に私が聖様の姿に見出した言葉、或いはそれとは異なる言葉が収録されていて、 |
私にはもう小説版の「いばらの森」を語る余地が残されてはいないのです。 |
そう。 |
所々の表現技法や隠喩などなど、 |
小説特有の素晴らしさを挙げて賞賛することは十二分に可能なのですけれど、 |
それ以外でどうこう言う術を私は持ち得なかったのです。 |
敢えて語ろうとすれば、それは小説版の語り手に対する批判くらいしか書くことを思いつきません。 |
このときの聖様はこういう風には思わないだろう、とか、 |
聖様のこの行動をこういう言葉で表現するのは如何なものか、とか。 |
そういう風に書いてみるのは、それはそれで楽しみがあるので別に良いのですけれど、 |
でもそれというのは、結局私の書きたい感想のタイプでは無いのですよね。 |
小説版の「いばらの森」は、実はとても面白い。 |
相変わらず読んでいてのドキドキ感は堪らない面白さですし、 |
アニメに登場しなかったシーンがちりばめられていて、ファン冥利に尽きるところ最大のものがありました。 |
由乃さんの内弁慶っぷりに目尻が下がりっぱなしで、訪問着仕様の祥子様には目のやり場に困り、 |
そして表紙絵の聖様には鼻血が止まりませんでした。 |
勿論私が最も愛しているエピソードのひとつであるところの「白き花びら」なんて、絶命モノでした。 |
全体的にさりげないコミカルさを絶対に忘れない配慮が行き届いていて、 |
そういう意味での心理的な揺さぶりによる立体感は、 |
小説版特有の末広がりの物語の成長感を感じさせるにとても効果を与えていて、実に爽快でした。 |
まぁ、構成の問題として、かなり充実して出来上がっている巻だったので、 |
アニメ版のようにもう少しいばらの森は後回しにしたほうが、 |
よりひとつの流れとしてみると美しくなったとは思いますけれど。 |
紅、黄、ときて次は白、と来たいのはわかりますけれど、 |
でも読者的にはようやくマリみての世界に馴染んできたところで、 |
いきなりこれほど突っ込んで重く深い展開の話になると、正直重荷になると思いました。 |
ラスボス(?)級の聖様や蓉子様の内面などは、 |
もう少し後になってわかった方が、効果的ですよね、やっぱり。 |
紅黄白の順番で行きたかったのなら、ここはやはり「ロサカニーナ」を配置するのが親切だと思います。 |
「いばらの森」は白薔薇スールというより、聖様オンリーという感じですし、 |
その点「ロサカニーナ」は白薔薇スールど真ん中ですしね。 |
黒薔薇様というオプションは付いてきますけれど(笑) |
と、印象的な賞賛話はできなくは無いですし、するのはそれはそれで良いのです。 |
でも、やっぱり小説版としてマリみてを受け取り、 |
そしてその中に私の言葉をアニメ版のときとは変えて織り込むことはできないのです。 |
前述したように、小説版に私の解釈として語る余地が無いからです。 |
これは別にアニメの方を先に見たから、という訳では無いと思います。 |
少なくとも、マリみての場合は小説版を先に読んだとしても同じ事だったと思います。 |
小説版において最重要な表現である、両手を繋がずに片手だけ繋ぐ、というのがありますけれど、 |
これなんか思いっきり小説版の語り手による解釈ですよね。 |
いえ、語り手だけでなく登場人物自体にも言わせてしまっていますから、 |
これはもう全て彼女達の内面を「説明」してしまっていて、こちらが解釈するゆとりは無いのです。 |
手を繋ぐという、それが隠喩であること自体で明確な解説になっているので、 |
逆に聖様と栞さんの関係というものがどういうものかが限定されてしまうのです。 |
隠喩、というよりあれはもう意義としては直喩に近いですよね。 |
そしてそれは、文字にされてしまうことで決定的なものとなってしまいます。 |
アニメ版でも、勿論聖様は自分の事を何度も説明しますし、無論比喩も多用しています。 |
でもアニメだと、それがあくまで聖様の聖様による説明、と受け取れますよね? |
ですから、聖様がそれをそう思って言っているということが、 |
果たして聖様が自分の事をすべて言い表せているのだろうか、という疑問を湧かせてくれます。 |
というより、私が抱く感想というものはその疑問から端を発しています。 |
けれど小説版では、それが文字として明記されてしまいます。 |
その明記は語り手(作者)による絶対的なもので、聖様が聖様を言い表せてはいないはず、 |
そういうフェイクは有り得ないということ、わかりますでしょうか。 |
私の書くものは、あくまで感想にしか過ぎません。 |
前提からして、これは私による私だけのマリみてですよ、というものなのですから。 |
そして、今野緒雪という人が書いているマリみてという小説も、 |
限りなく公的な小説という名の私的な感想、となっているような気がします。 |
私は、感想の感想は書けません。 |
賞賛の言葉を見つけることはいくらでも可能(それほど面白いですし、やっぱり)ですけれども、 |
それを足掛かりとして私の世界を展開させていくには少々心許ない、 |
いえ、私がその足掛かりを踏み潰してしまうほど鈍い、というだけの事なのかもしれません(笑) |
いずれにしても私は、マリみての小説版は楽しんで読むことは出来ても感想は書けない、 |
そういうところに落ち着いていく事になりそうです。 |
勿論、感想が書ける書けないかが作品の評価に結びつく事は無いですよ。 |
感想を書くという行為は、作品を「愉しむ」ためのいち手段にしか過ぎないのですから。 |
ということでした。 |
結局いばらの森について語れなかったのは残念です。 |
もし宜しければ、アニメ版のいばらの森と白き花びらの感想を読んで頂ければ、幸いです。 |
次回以降の予定ですけれど、とりあえず次巻の「ロサカニーナ」の感想はいつ書くかは未定です。 |
来週の日曜日よりアニメ版の第2期が始まってしまうので、 |
とても小説版の感想を書いている余裕がありません。 |
もし書けるとしたら、7月の中旬頃に感想を書いている月姫のアニメが終了しますので、 |
第四回を書くのは早くてもそれからになると思います。 |
また第五回はウァレンティーヌスの贈り物について書くことになりますけれど、 |
此処までで感想執筆は一時停止致します。 |
とりあえずアニメの第二期に集中したいので、 |
第二期に相当する原作の巻は、アニメ放映終了後に感想を書くことにしたいのです。 |
で。 |
これはあくまで順調にいった場合のお話でして、 |
上で散々書き綴ったように、正直小説の感想を書く意欲は限りなくゼロに近づいている私ですから、 |
ヘタをすれば途中で感想執筆を断念する事になるやもしれません。 |
そのときは |
それでは、本日はこれにて失礼致します。 |
というより、失礼致しました。 |
魔術師の工房に行く |