〜2004年6月の過去ログ〜

 

 

-- 040630--                    

 

         

                         ■■第三回マリみて原作感想系■■

     
 
 
 
 
 紅い瞳です、ごきげんよう。
 本日は、小説第三巻「マリア様がみてる いばらの森」についてお話させて頂きましょう。
 今日は少し、色々と乱れた書き方になると思いますけれど、ご了承くださいませ。
 
 さて、初めに申し上げたいことがあります。
 紅い瞳がマリみてを見てなにかを書くということは、これはすべて感想、という体裁になっています。
 そして感想というものは、私にとっては大きく分けてふたつのタイプがあります。
 小説を読んで、それから受ける印象を羅列し、その印象の素晴らしさを抜き出して讃美する、
 というのと、小説の中に書かれている事を自分の中に取り込んで解釈し、
 自分の言いたいことをそれに上乗せしたものを書く、というタイプ。
 前者のタイプもたまに書きますけれど、私にとってのメインとなるのは後者のタイプです。
 マリみてという素材を使って、書き表したいものを書く。
 これはSSとは違いますので、紅い瞳は別にマリみての設定や世界観を重んじたりとか、
 そういうことは一切致しませんし、そうしたいとも思っていません。
 ですから、例えば私が感想で綴る聖様の姿というのは、私がマリみてを観察して得たものですけれど、
 さらに其処には私自身の言葉が入り込んで、ある意味に於いて別物になっています。
 ですからマリみてという作品が主張する聖様的なものと、
 私の主張する聖様的なものは大幅に違っています。
 いえ、勿論見ようによっては根本的に同じに見えるはずですけれど、
 字面通り受け取れば、当然差異が見つかるはずです。
 当然、その差異はあって当然のものなので、とりわけ気にする事ではありませんけれど、
 ただ時々自分で感想を書いているときに、自分がなにを書いているのかがわからなくなるときがあって、
 そうなったときは結構その差異が気になってしまって、もしかして私はまたヘンな事書いてはいないだろうか、
 とそう思ってしまったりもするのです。
 このような事をお話させて貰ったのも、そういう自分の不心得が時々紅い瞳の目を曇らせる事がある、
 その事をお伝えしたかったからなのです。
 
 正直申し上げまして、小説版の感想を書くのはかなり大変です。
 なぜならば、上述したように自分がアニメ版から見出したマリみて観が、
 小説版を読むことでどんどんと頼りなくなっていってしまうからです。
 と言いましても、小説版とアニメ版はかなり違っていますので、
 実際に私のマリみて観が崩れるということは無くて、その頼りなさは錯覚に過ぎないのですけれど、
 けれど少なくともそのような錯覚を感じてしまっている時点で、冷静でいられていないことは確かなのです。
 そうすると、実は小説版がアニメ版とは別物で、受ける印象もまったく違うのに、
 それなのにアニメ版を見たときと同じ事しかかけない、そういう事態を引き起こしてしまいます。
 実際、過去二回の小説版の感想は苦慮の末、受けた印象を説明するに終始してしまい、
 甚だ不本意な出来となっています。
 
 なぜ私はマリみての感想を書くのか。
 それは私がマリみてを観て読んで、感ずるところがあるから書くのです。
 私の言いたいことをマリみてが代弁してくれている、
 そういう勘違いかもしれない主観の元、まさにマリみての威を借る狐となって、
 私は私のお話をするために、感想を書いているのです。
 と其処まで言ってしまいますと語弊を与える事を禁じ得ませんね。
 そういう風に言ったからといって、私が聖様を聖様として書いていない訳では無くて、
 まさに私は聖様自身を描いてきた訳です。
 ただ、その聖様達の姿を見ているのは私で、そして感想を書いているのが私、なだけです。
 そして私が聖様を書くということは、それはただ聖様の素晴らしさを讃美する、
 それだけの事では無いし、祐巳さん達スールのラブラブッぷりに悶えるために書いている訳でもありません。
 勿論、そういうのを書くときもあるのですけれどね(笑)
 
 そうなりますと、小説版というのはかなり心許ない。
 なぜならば小説版は私が言わんとしている言葉を、別の言葉で既に提示してしまっているからなのです。
 言い換えれば、小説版には私の解釈する余地が残されていないのです。
 所々の隠喩を説明的に解釈しそれを繋げていくことは出来ても、
 それは解釈の解釈にしか過ぎず、私はそういうのは苦手とするところなのです。
 苦手というより、好きではない、というのでしょうか。
 この「いばらの森」にしてもそうです。
 なにかこう、誰かしらによって為された解釈的感想文を読んでいる感じで、
 いくつも既に私が聖様の姿に見出した言葉、或いはそれとは異なる言葉が収録されていて、
 私にはもう小説版の「いばらの森」を語る余地が残されてはいないのです。
 そう。
 所々の表現技法や隠喩などなど、
 小説特有の素晴らしさを挙げて賞賛することは十二分に可能なのですけれど、
 それ以外でどうこう言う術を私は持ち得なかったのです。
 敢えて語ろうとすれば、それは小説版の語り手に対する批判くらいしか書くことを思いつきません。
 このときの聖様はこういう風には思わないだろう、とか、
 聖様のこの行動をこういう言葉で表現するのは如何なものか、とか。
 そういう風に書いてみるのは、それはそれで楽しみがあるので別に良いのですけれど、
 でもそれというのは、結局私の書きたい感想のタイプでは無いのですよね。
 
 
 
 
 小説版の「いばらの森」は、実はとても面白い。
 相変わらず読んでいてのドキドキ感は堪らない面白さですし、
 アニメに登場しなかったシーンがちりばめられていて、ファン冥利に尽きるところ最大のものがありました。
 由乃さんの内弁慶っぷりに目尻が下がりっぱなしで、訪問着仕様の祥子様には目のやり場に困り、
 そして表紙絵の聖様には鼻血が止まりませんでした。
 勿論私が最も愛しているエピソードのひとつであるところの「白き花びら」なんて、絶命モノでした。
 全体的にさりげないコミカルさを絶対に忘れない配慮が行き届いていて、
 そういう意味での心理的な揺さぶりによる立体感は、
 小説版特有の末広がりの物語の成長感を感じさせるにとても効果を与えていて、実に爽快でした。
 まぁ、構成の問題として、かなり充実して出来上がっている巻だったので、
 アニメ版のようにもう少しいばらの森は後回しにしたほうが、
 よりひとつの流れとしてみると美しくなったとは思いますけれど。
 紅、黄、ときて次は白、と来たいのはわかりますけれど、
 でも読者的にはようやくマリみての世界に馴染んできたところで、
 いきなりこれほど突っ込んで重く深い展開の話になると、正直重荷になると思いました。
 ラスボス(?)級の聖様や蓉子様の内面などは、
 もう少し後になってわかった方が、効果的ですよね、やっぱり。
 紅黄白の順番で行きたかったのなら、ここはやはり「ロサカニーナ」を配置するのが親切だと思います。
 「いばらの森」は白薔薇スールというより、聖様オンリーという感じですし、
 その点「ロサカニーナ」は白薔薇スールど真ん中ですしね。
 黒薔薇様というオプションは付いてきますけれど(笑)
 
 と、印象的な賞賛話はできなくは無いですし、するのはそれはそれで良いのです。
 でも、やっぱり小説版としてマリみてを受け取り、
 そしてその中に私の言葉をアニメ版のときとは変えて織り込むことはできないのです。
 前述したように、小説版に私の解釈として語る余地が無いからです。
 これは別にアニメの方を先に見たから、という訳では無いと思います。
 少なくとも、マリみての場合は小説版を先に読んだとしても同じ事だったと思います。
 小説版において最重要な表現である、両手を繋がずに片手だけ繋ぐ、というのがありますけれど、
 これなんか思いっきり小説版の語り手による解釈ですよね。
 いえ、語り手だけでなく登場人物自体にも言わせてしまっていますから、
 これはもう全て彼女達の内面を「説明」してしまっていて、こちらが解釈するゆとりは無いのです。
 手を繋ぐという、それが隠喩であること自体で明確な解説になっているので、
 逆に聖様と栞さんの関係というものがどういうものかが限定されてしまうのです。
 隠喩、というよりあれはもう意義としては直喩に近いですよね。
 そしてそれは、文字にされてしまうことで決定的なものとなってしまいます。
 アニメ版でも、勿論聖様は自分の事を何度も説明しますし、無論比喩も多用しています。
 でもアニメだと、それがあくまで聖様の聖様による説明、と受け取れますよね?
 ですから、聖様がそれをそう思って言っているということが、
 果たして聖様が自分の事をすべて言い表せているのだろうか、という疑問を湧かせてくれます。
 というより、私が抱く感想というものはその疑問から端を発しています。
 けれど小説版では、それが文字として明記されてしまいます。
 その明記は語り手(作者)による絶対的なもので、聖様が聖様を言い表せてはいないはず、
 そういうフェイクは有り得ないということ、わかりますでしょうか。
 私の書くものは、あくまで感想にしか過ぎません。
 前提からして、これは私による私だけのマリみてですよ、というものなのですから。
 そして、今野緒雪という人が書いているマリみてという小説も、
 限りなく公的な小説という名の私的な感想、となっているような気がします。
 私は、感想の感想は書けません。
 賞賛の言葉を見つけることはいくらでも可能(それほど面白いですし、やっぱり)ですけれども、
 それを足掛かりとして私の世界を展開させていくには少々心許ない、
 いえ、私がその足掛かりを踏み潰してしまうほど鈍い、というだけの事なのかもしれません(笑)
 いずれにしても私は、マリみての小説版は楽しんで読むことは出来ても感想は書けない、
 そういうところに落ち着いていく事になりそうです。
 勿論、感想が書ける書けないかが作品の評価に結びつく事は無いですよ。
 感想を書くという行為は、作品を「愉しむ」ためのいち手段にしか過ぎないのですから。
 
 
 ということでした。
 結局いばらの森について語れなかったのは残念です。
 もし宜しければ、アニメ版のいばらの森白き花びらの感想を読んで頂ければ、幸いです。
 次回以降の予定ですけれど、とりあえず次巻の「ロサカニーナ」の感想はいつ書くかは未定です。
 来週の日曜日よりアニメ版の第2期が始まってしまうので、
 とても小説版の感想を書いている余裕がありません。
 もし書けるとしたら、7月の中旬頃に感想を書いている月姫のアニメが終了しますので、
 第四回を書くのは早くてもそれからになると思います。
 また第五回はウァレンティーヌスの贈り物について書くことになりますけれど、
 此処までで感想執筆は一時停止致します。
 とりあえずアニメの第二期に集中したいので、
 第二期に相当する原作の巻は、アニメ放映終了後に感想を書くことにしたいのです。
 
 で。
 これはあくまで順調にいった場合のお話でして、
 上で散々書き綴ったように、正直小説の感想を書く意欲は限りなくゼロに近づいている私ですから、
 ヘタをすれば途中で感想執筆を断念する事になるやもしれません。
 そのときはみなさんもアニメに集中致しましょうごめんなさいね。
 
 
 それでは、本日はこれにて失礼致します。
 というより、失礼致しました。
 
 
 

-- 040629--                    

 

         

                             ■■あずまんが主義、他。■■

     
 
 
 
 
 紅い瞳です皆様こんばんわ。
 
 季節は夏、というひと言で決めて宜しいですね。
 夏と言えば暑い訳ですので、ダイエットとかそのあたりをするには絶好機。
 なぜなら、夏バテで食欲湧かないから。
 紅い瞳が合理的なダイエットなどしない精神論派というのは広く知られた事実ですけれど、
 昨年などはそれでそこそこ減量に成功しましたので、まずまずなところ。
 といっても自分がなぜダイエットなんかするんだろうとか、夏バテで食べ物を食べないので、
 頭の中身が真っ白になっている状態で、ふと筋トレなどをしているときに思ってしまったりもしますけれど、
 まーいいじゃないですか、そういう人生も(目を逸らしながら)
 
 ううん、私ってそもそも夏場に運動するのって昔から好きなんですよ。
 だから別に減量云々は除いても、筋トレなんかが楽しくできる唯一の季節なんですよね。
 できればまた熱い日差しの中で半分死にながらサッカーとかしてきたいものです。
 えー? 夏ってスポーツ的に最高の季節じゃないですか? (同意を求める目)
 
 
 さて、あずまんがです。
 私の中で笑い叫ぶあずまんががあります。
 ていうか、ぶっちゃけあずまんが分が不足してきました。
 なにか適当に時間が経過すると減ってくるのがあずまんが分です。
 あずまんが読むとあずまんが分は補給されます。
 あずまんが分が足りなくなると、疲労や集中力、思考力低下等の症状が現われます。
 紅い瞳の半分はきっとあずまんがで出来ているので、結構頻繁に低下してたりします。
 複数の領域で能力の低下が認められる事もあります。
 最悪の場合、まったり状態に至り尽す事もあります。
 あずまんがを! あずまんがを! あずまんがを!
 せんせいのお時間程度では全然代用が効かないことも、今ではわかっています。
 あずまんが読みたいなあ。
 というわけで、あずまんが大王のなぜか4巻を読みました。
 
 補給、完了。
 
 よし、もう大丈夫。
 ぴかにゃー。
 
 
 ゲーム、やってます。
 いつものことですけれど、ウイイレの6のFEです。
 つまりサッカーゲームです。愛して止まないゲームです。
 自分のチーム作ってます。
 東欧系のメンバーでいく、というマニアなコンセプトの元、日夜サッカーしてます。
 今日、やっとシェフチェンコを手に入れました。
 ものすっごく移籍金が高かったのだから(しかも3回くらい所属チームのACミランに移籍断られたし)
 もし活躍しなかったら、来季から低賃金で生かさず殺さずで飼ってやる。
 選手は所詮労働者。わはは。
 ・・・・・。
 しまった、5季契約だった。
 5年間あんな高額支払うのかー(苦悶)
 
 ゲーム、買いました。買っちゃいました。
 ドラッグオンドラグーンとかいうゲームです。
 敵兵を斬ったり斬ったり斬ったり、一休みしてから敵兵を斬ったりするゲームです。
 それとドラゴンに乗って空中戦とかできたりしてしまうので、三国無双系には無い面白さがあります。
 護衛兵が居ないのはマイナスでしたけれど、プラスマイナスしてドラゴン分だけプラスに転じたのでOK。
 いつも楽しく斬らせて頂いています。
 でも噂に違わずこわいゲームですね。
 深夜に誰も居ない部屋で小さい音でガシャガシャ斬ってる自分の姿はちょっと恐いです。
 ていうか、ストーリー暗っ。
 救いようの無い感じだし、ミッションが逃げる敵兵を追撃して殲滅せよとか。
 黒 過 ぎ 。
 ちなみにカオスレギオンとどっちを買おうかと悩んだのですけれど、
 カオスレギオンはお勧めできないという多岐に渡る分野からの脅迫アプローチがありましたので、こっちに。
 ・・・その割にはドラッグオンを勧める人も居なかったのだけれど、それは秘密ということでひとつ。
 相変わらず最新作とは縁の無い紅い瞳のゲームライフでした。
 
 
 本を読みました。
 先週借りてきた小野不由美の十二国記シリーズ「黄昏の岸 暁の天」です。
 ええと、もう十二国記大好き。離れたくない。もう返さない(図書館に 返しなさい)
 紅い瞳の半分は十二国記でできるかもしれないという未来予想図をにこやかに描いても良いですか?
 ちょっとこう、プチっとふっきれました。キレたのじゃなくて。
 もしかしたら今が告白のチャンス? という感触を掴んでしまったかのような、そんな感じ。
 特に今作において、見るべきテーマのようなものが無かったからこそ、そう言えるかもしれない。
 ただただひたすらに純粋に、ごく当たり前の事を十二国記風に描いたお話。
 泰麒や李斎の凄みを語る言葉自体に凄みは無いのだけれど、
 けれどもうそれが十二国記という物語において完全に溶け込んでいる凄さがありました。
 とても十二国記らしいお話。
 それは初めての「らしい」お話。
 なにも意識することも無く、なにか言いたい事を言うために十二国記の舞台を使おうというのでも無い、
 ただ其処に十二国記の世界を描くためだけに書いたお話。
 作品の体裁は、勿論ガチガチに戴国のお話で、
 泰麒と李斎の意志の変遷と決断の重みを中心に据えた、とても重厚なもので、
 それは今までの作品となんら変わりの無いもの。
 でもその中心にある物を取り去ってしまっても、それだけで成り立ち得るお話は、この作品だけです。
 そして延王や陽子の姿が、今までのそれぞれの姿の集約として現われていて、
 ある意味で十二国記において、その「初」の集大成となった作品だと思います。
 うん、かなり、大好き。
 でも、一番好きという訳じゃないところが肝心なのをお忘れ無く。
 結婚相手は二番目に好きな相手とするって言うでしょう?
 
 
 最近結構楽しく見てるのに感想はあくまでオマケにしかならないマドラックス感想:
 エルダタルータって言うのもう禁止(挨拶)
 セカンダリを持ったマーガレットお嬢様にカロッスアさんが接触。
 爽やかな笑顔であからさまに怪しいアプローチを仕掛けるカロッスアさん。
 もう嫌というほどストレートに探りを入れるも、マーガレットお嬢様にはまったく効きません。
 ていうか一部言葉が通じてません。
 終始劣勢のカロッスアさんを尻目にお嬢様飛ばす飛ばす。
 すっかり調子が狂っているカロッスアさんは素が所々に出てきてしまい、ちょっとピンチ。
 本に付いた血を見て、自分の忌わしい過去の記憶を呼び起こしてしまったり。
 一体この人はなにしに来たのでしょうか。
 絶対人選間違ってますよ、フライデーさん。
 一方のヴァネッサさんとマドラックスさんはマドラックスさんの隠れ家でまったり。
 なぜこんなにヴァネッサさんが頑張るのか、マドラックスさんは尋ねます。
 ここまでマドラックスを巻き込んでしまったのだから言わないのは失礼よね、というヴァネッサさん。
 マドラックスさんはエージェントなんですけど。
 その御礼とばかりにマドラックスさんも自分の事を話ます。
 すっかり和やかなムードの中、マドラックスさんの作ったパスタを食べるヴァネッサさんは、
 このパスタがエリノアさんの作ったのと似ていると言います。
 また別の女性のお話ですか。
 マドラックスさんの殺意の籠もる雨の下、車内でお話するマーガレットお嬢様とカロッスアさん。
 散々翻弄されて、自分も記憶が無いということでお嬢様にお仲間呼ばわりされてしまい、もう散々。
 おまけに家まで送れば、玄関先で雨よりも冷たいエリノアさんの視線に晒されてもしまいます。
 それにしても、赤の他人に随分とペラペラとマーガレットお嬢様の事を話すエリノアさん。
 なにもそこまで親切に言わなくても良いような気がしますけれど、
 これも一応お嬢様を送ってくれたカロッスアさんへの御礼なのでしょうか。
 マドラックス、の言葉をエリノアさんから得た事で、ヴァネッサさん達の繋がりに気づくカロッスアさん。
 アンファンからパクったデータの仕掛けにより、パソコンの画面上にエルダタルータの文字が浮き出、
 それを見たマドラックスさんは我を失ってしまいます。
 マドラックスと行動を共にしているヴァネッサさんには不利な状況です。
 これが狙いですか、エリノアさん(違)
 
 寝惚けてナハルと本取り合ってる場合じゃないですよ、マーガレットお嬢様。
 
 
 
 

-- 040627--                    

 

         

                                 ■■月と幻想の姫君■■

     
 
 
 
 
 月姫の第10話について、少しだけお話させて頂きます。
 
 自分の過去を思い出した志貴。
 部屋に閉じ籠もり、何人との接触をも避けています。
 けれど、部屋に訪れたアルクェイドと共に、志貴は遠野の家から抜け出し、
 そしてアルクェイドの申し出たデートに付き合います。
 
 志貴の事がまたひとつわかりました。
 志貴には、アルクが居るのだということ。
 アルクという存在が志貴にとってどういう存在であるのか。
 志貴は秋葉を見つめていながら、それでいて同じ瞳を以てアルクを見ています。
 秋葉との事で深い絶望に包まれていても、
 アルクの姿が目に映ると、その瞳はアルクから決して目を逸らさない。
 そうできる理由は、私は志貴のキャパシティの大きさにあるわけでは無いと思います。
 ある意味で志貴のアルクを見ている瞳の中には、秋葉の姿は無いのです。
 と同時に、秋葉をみているときの志貴の瞳の中には、アルクの姿は無いのです。
 同じ瞳を使っているのだから、その中に一時に宿す事のできる姿はひとつだけ。
 アルクの中に、志貴は秋葉の姿を重ねることは決してしません。
 それは、アルクに秋葉を重ねるのが、アルクに対して失礼だから。
 秋葉に関わっていたためアルクとの約束を破った事、
 その償いをするために、志貴は自らの絶望の淵からいとも簡単に飛び出します。
 それは志貴の精神力が異様に強いから、とは私は思いません。
 志貴には、それはひどく簡単で、そして非常に自然な事だったのでしょう。
 おそらく、また秋葉の元に戻れば、志貴はまた再び同じ絶望の淵に誘われるはずです。
 志貴が軽やかに自分の部屋からでて来れたのは、志貴の力では無いのだから。
 なぜそういえるのか。
 それは、志貴は秋葉の事を少しも軽んじる事などできないから、なのです。
 
 志貴がアルクと共に部屋から出れたのは、それは志貴の力などではありません。
 志貴が絶望を払拭し、少しなりとも笑顔でアルクに付き合えたのも、
 それは志貴の意志などではありません。
 アルクが居たから、志貴は動けた、ただそれだけ。
 志貴を動かしたのはアルクで、志貴はただアルクを見て反応しただけ。
 アルクへの償いというその想い自体が、ひとつの言葉という力となって動いていった。
 償いをしたいと思ったのは志貴自身だけれど、
 そのために動きだせたのは志貴の意志によるものではない。
 そういう乖離が志貴の中にはあります。
 その乖離を引き起こしたのは、他ならぬ志貴の秋葉への想いが志貴にあるからです。
 志貴の意志というものは、既に秋葉に向けられ、
 そしてその意志によって動き出した自分の体は、絶望の淵に叩き込まれてしまいました。
 アルクに本気で付き合わなければならない、と考えること、
 本当はだからそんなこと志貴にはあるはずは無いし、ましてやそうできる志貴の意志など無いのです。
 すべては秋葉への想いを支えるために、使われているのですから。
 でも、アルクへの想いをも軽んずることなどできない。
 だから。
 志貴は自分を動かすことを、自分の意志を介在させないまま自動的に進むことに委ねたのです。
 志貴はだから、全力でアルクの元へ流されていっているのです。
 全力なのだけれど、流されているだけ。
 ただ自動的に反応していること、それが自分の意志であるかのように強く念じている。
 
 
 志貴の瞳に、アルクが映っています。
 そのアルクは、一体何者なのでしょうか。
 志貴はそのアルクの姿になにをみているのでしょうか。
 なにか別の世界を仮定することを楽しむアルク。
 無駄な事をする意味がわからないアルク。
 志貴の知らない生物が、其処に居ます。
 知らない生き物が、その生き物が知らない世界を想像しています。
 その知らないとアルクが言う世界を、志貴は知っています。
 志貴にとっては、アルクの存在は、既に幻想の中にあります。
 志貴が自動的に付き従ってきた真祖の姫君が、志貴の知っていることを言うたびに、
 志貴はその自分が知っているという世界に、ただ自動的に反応しているだけの事を実感します。
 志貴には、もう自分が自分の事を良く知っているというのが有り得ない事を知っています。
 アルクの言う仮定の世界が、それが仮定であろうと現実であろうと、
 志貴にとってはその差は意味が無いということを、志貴はもう知っています。
 想像の世界を楽しんでいる、吸血鬼という嘘のようなアルク、
 ごく普通の現実的な事ばかり考えてそれでいてちっとも現実を生きられない志貴。
 アルクと自分を見つめるたびに、志貴は自分というものを考える意味の無さに気づきます。
 私の知らない志貴を知りたい、と言ったアルクの姿をみて、
 そのアルクと志貴は同じに立場に居る事がわかるのです。
 志貴は、他人であるアルクと同じくらいに志貴の事を知らないのですから。
 そして。
 それは、志貴が志貴を知るということと、志貴がアルクを知るということは同義、という事です。
 志貴はアルクを知っていくことで、志貴を知っていくのです。
 幻想の中の姫君を追いかけて捕まえられる物は、自分勝手に空で浮いている月。
 アルクの語る仮定の世界は、志貴にとっては紛れのない現実。
 アルクが無駄という事は、志貴にとっては無駄では無い重要な事。
 そして幻想の中の真祖の姫君は、志貴の目の前に確かにいるのです。
 
 それならば。
 もうアルクと志貴に境目は無いのじゃないでしょうか。
 アルクに無駄な事をしよう、また今度デートをしようと言った志貴は印象的でした。
 無駄な事を精一杯やろう。
 精一杯になれる時点で、無駄な事など無くなってしまう。
 志貴とアルクのそれぞれに流れる時間の流れが違うことで世界が違っても、
 でもその世界の見方が同じになれば、それはもう同じ世界を生きている事になるのです。
 志貴には、アルクの幻想の中の世界を生きる事だって可能なのです。
 志貴には、現実も幻想として受け取る事ができるのですから。
 志貴はアルクで、アルクは志貴。
 ある意味でそう言えると思います。
 だからアルクは志貴の事を知りたがり、そして志貴もアルクの話を聞こうとします。
 お互いがお互いの事を知るだけでなく、自分の事を知っていくために。
 志貴が幻想の姫君を見つめるたびに、志貴の世界にぬくもりが込められていくのです。
 志貴にとってアルクとは。
 まぎれもない、もうひとりの志貴なのです。
 自分と決して一致する事の無かった、幻想という名の現実としての世界の一端として・・。
 
 
 
 第10話は、私は特に見るべき場所は無かったと思います。
 残りの話数では明らかに収束できない広がりを発現させてしまっていて、
 作品としてのまとまりにヒビを入れかねない、そういうお話でもありました。
 それはどうでも良いのですけれど。
 残りのお話で、アルクのほうに行くのか秋葉の方に行くのかわかりませんけれど、
 どちらにせよどちらかが無視される形で終わるのは残念です。
 アルクをこのまま放っておくのは勿体無いですよ、ほんとに。
 秋葉の方が放っておかれたら、ある意味で凄いのですけれど(笑)
 
 それでは、これで失礼致します。
 次週、お会い致しましょう。
 
 
 
 

-- 040625--                    

 

         

                         ■■『二人の姫の戦闘歌』■■

     
 
 
 
 
 『この世界のどこが間違ってるのかな・・・・ごめんねお兄ちゃん、お姉ちゃん・・・』
 

                            〜 第十二話のパシフィカのセリフより〜

 
 
 
 
 なにもしないでいることが、それが自由っていうのなら。
 それが幸せだというのなら、それでいい。
 戦わなければ得られない平和なんて、そんなの嫌じゃん。
 私はただ私の知る私だけでいれば、それでいい。
 それが、一番いい。
 一番いいって思って、それが私のささやかな嘘でし無いことを知ってもいて。
 私が私だけでいたら、みんな死んじゃうんだって。
 
 
 
 目の前で助けを求めながら死んでいく人々。
 その人々を助けようと歯を食いしばって戦う人。
 私は、そのどちらにも属せない。
 属せなくて、そしてその人々を助け、そして共に戦う事ができない。
 なぜって。
 なぜって、私は私だから。
 私にその人達を助けられる力があって、その人と共に戦う力が備わっていて、
 そしてそれは私が生まれる前から決まっていることで。
 でも私は、そんな私の姿を知らない。
 私は私の知らない私を知らない。
 私には、そんな力を持っている私を思い通りに動かすことも出来ないし、
 だから私にはそんな自分の責任なんてとれやしないんだから。
 私は、私だけでいなければいけないのだから。
 ちょっと待ってよ。
 私に手助けを求めたりしないでよ。
 どうにかしたくたって、どうにもできないのよ。
 私の力でどうにかしてみせろって言ったって、私は私を知らないんだから。
 知らない私をあなた達に教えて貰って、そしてそのまま私はその通りに私の力を使えばいいの?
 そんなの嫌。
 たとえできたって、嫌よ、絶対。
 
 私、みんなを助けたい。
 みんな死なせたくないよ。
 でも、その想いだけで、私は私を動かす事なんてできないよ。
 私の前にへんなボタンがあって、それを押せば世界は救われるって言われて、素直に押せると思う?
 私は、私の知っている方法でしか、なにかをすることができないのだと思う。
 私の与り知らない技術や知識、考え方、価値観、それを鵜呑みにしてその通りに行動するなんて、
 そんなの滅茶苦茶いい加減じゃない。
 とりあえずボタン押せばいいのね、なんて言って、人の人生に関わるなんておかしいじゃない。
 私は、私が助けたいと思っている人々を、いい加減に扱うことだけはしたくない。
 一生懸命考えて、しっかり理解して、自分の責任を以てできる事、
 そうしてようやく得た私の能力というもの、それで人の苦しみを除きたい。
 シャノン兄の剣やラクウェル姉の魔法だって、ふたりはいい加減な思いでそれを得た訳でも無いし、
 そしていい加減に使っている訳でもない。
 ふたりがそれぞれ自分に合ったもの選びそしてその道を極めようと努力して、
 そしてふたりの意志で私を守ってくれている。
 私には、私に合った能力を選ぶことも修得することもできなかった。
 それなのに、みんなを守りたいと思ってるの。
 自分では、どうしようもないの。
 だから私は、お兄ちゃんとお姉ちゃんに助けて貰っている。
 そうするしか、できないのよ。
 
 だから。
 
 みんな、逃げて。
 
 
 
 
 
 でもね。
 本当はね、全部最初から決まっていたんだって。
 神様の定めた律法に支配された作られた世界に私達は生きてるんだって。
 私にはそういった世界を打破して、人間による自由な世界を築くための礎を築ける力があるんだって。
 そういう私を守るために、多くの人に私を守らせる動機を勝手に因子として埋め込んであるんだって。
 みんな、自分が生まれるずっとずっと以前に。
 あのね。
 私達が私達で出来る事ってなんなのだろうね。
 私は一体、どの私なら知っていると言えるんだろうね。
 お兄ちゃん、怒ってた。
 ゼフィリスに、思いっきり怒ってた。
 自分の想いは誰かに仕組まれたものだった、なんてね。
 ふふ、恐いよね・・・笑えるよね・・・。
 誰一人、自分の意志なんて持ってなかったんだよ。
 自分の意志を持っている、そう言う風に誰かに決められただけ。
 お兄ちゃんやお姉ちゃんが私を守ってくれるのは、そう決められたから。
 そうなんだって。
 
 と言ってみたところで、なにが変わる訳でも無いんだ。
 だって、どっちみち私になにもできない事には変わり無いのだから。
 ゼフィリス達に仕組まれた私の能力は、私がどう思おうと私にはどうすることもできない。
 そして、どうしたいとも思わない。
 それはね。
 私は別にお兄ちゃんやお姉ちゃんが私を守ってくれる理由、
 それがどういうものでどこにあるかなんて関係無い、そう思っていることと同じなんだ。
 シャノン兄とラクウェル姉が私を守ってくれる。
 それで、充分。
 私はふたりに甘えたくないから、甘えるの。
 それを忘れて貰っては困る、と言うのも甘えだから言わないけれど、
 私はだから、誰かがどう思って私になにかをしてくれているのか、それはどうでもいいって思ってる。
 
 そうすると、ね。
 
 私って、馬鹿みたいだね、って何度でも思うんだ。
 私の知らない私は、どこにも居ないんだって事、私は知らなかったんだから。
 私はさ、私の全部をもう知っちゃってるんだよね。
 私はもう既に私なんだから。
 だから。
 ゼフィリス達が言う私の姿というものは、それはこれから私の物になっていくのかどうか、
 それを私が選ぶために与えられたものじゃないかな。
 正直、プロビデンスブレーカーって、なんの事だかよくわかんない。
 私、だってそもそもこの世界の事、嫌じゃないもの。
 この世界が誰かに支配されているのだとしても、それは別にいいじゃん。
 みんなの想いが仕組まれたものだって、それで全然いいじゃない。
 世界をぶっ壊して新しく作り直そう、そのために戦おうだなんて、
 よく聞いてみれば、私、ちっともうなずけないよ、セイネス。
 第一、戦わなければいけないって事、それ自体その想いに支配されてんじゃん。
 支配されない自分なんて、居ないと思う。
 だから、私が私を支配できないのって、当たり前の事。
 セイネスはたぶん、私の力なんて借りなくてもひとりでやるんだろうなって思ったから。
 私に、私の責任なんて心底取れる訳無いって思ったから・・・・。
 
 だからごめんね、お兄ちゃん、お姉ちゃん。
 
 お兄ちゃんは。
 『俺達はただの人間なんだ。自分に出来ることをやるしかないさ。』、って言った。
 そう、その通り。
 私は私が廃棄王女でいられるなんて思ってたけど、ほんとは違う。
 私は、私以外のなにものにもなれない。
 廃棄王女っていうのは、私のこれから先に広がっている、
 私の一部でしか無いんだ。
 私がそれを受け入れなければ、もう廃棄王女というのはその名前ごと掻き消えてしまおうの。
 うん。
 勿論私が世界を破壊し再構築するプロビデンスブレーカーとしての能力を持っている、
 その事は変えられないよ。
 でも、その能力を使うかどうかを決めることはできる。
 そしてその選択をすることが、私にできることなんだ。
 私達には、選択肢が突きつけられる、という束縛からは逃げられない。
 選ばずにいられることも、選択肢を自分で作る事もできない。
 私が私で居るって、それ自体それ以外の道が無い当然の事だったんだよね。
 だからね、シャノン兄、ラクウェル姉。
 やるべき事ってなんだと思う?
 すっごく、簡単な事だよね。
 私、この世界の事嫌いじゃない。
 私、不自由だけど美しいこの世界が大好き。
 私を消そうとする冷たい世界だけど、
 そんな事、私にとってはとても小さな事。
 私のせいで人が一杯死ぬのを見るのが、嫌。
 この美しい世界が消えて無くなってしまうのが、嫌。
 だったら。
 
 
 『戻ろう。ラインバンへ』
 
 
 私にできるのはそれだけよ、シャノン兄、ラクウェル姉。
 それからどうなるかは、戻ってから考える事よ。
 どうなるのか想像はつかないけれど、本当ははっきりとわかってる。
 
 だから、やっぱりごめんね、お兄ちゃん、お姉ちゃん。
 
 
 
 

                          ◆ 『』内文章、アニメ「スクラップドプリンセス」より引用 ◆

 
 

-- 040623--                    

 

         

                         ■■第二回マリみて原作感想系■■

     
 
 
 
 
 ごきげんよう、皆様。紅い瞳です。
 
 今夜は第二回マリみて原作感想系、として、
 「マリア様がみてる 黄薔薇革命」についてお話させて頂きたく思います。
 
 まずは第一声。
 とても楽しかった。
 そうです。読んでいてとてもとても楽しかったんです。
 マリみてというものの面白さというのを、それを解析するまでもなく心がウキウキとしてしまう、
 その事実をまずなによりも言葉にしてしまいたい、そういう衝動で一杯になりました。
 由乃さんって、私はやっぱり好きです。
 好き、というより、やっぱり由乃さんの姿を見ているとそれだけで楽しいというのでしょうか。
 快哉を叫んでみたり、やっぱり爽快なんですね。
 それはやっぱり小説だからとかアニメだからとかは関係無いと思います。
 由乃さんの姿を説明する祐巳さんが小説には居る訳ですけれど、
 どうしようもなく私は祐巳さんを経由しない由乃さんの姿を見ることができましたし、
 勿論それはアニメ版のイメージを想起させているから、という訳でもありません。
 小説だとついつい説明的な文章に目がいってしまって、
 どうしてもその説明に沿って人物のイメージを膨らませていっていましたけれど、
 でも考えてみたら、それって私がそういう風に読んでしまっていただけのお話。
 そもそも祐巳さんは語り手の一人でしか無いわけですし、
 由乃さんの姿をそこに見たとして、それは由乃さんのひととなりを示しているだけに過ぎません。
 
 つまり、大事な事を私は忘れていたのです。
 由乃さんは、無数に居るんですよね。
 祐巳さんの言葉を額面通りに解しただけではひとりかもしれないですけれど、
 でもそもそもそれは由乃さんのうちのひとりを理解したにしか過ぎないのです。
 読んでいて、感じました。
 どんどん、由乃さんという可能性が広がっていくのを。
 由乃さんが令様に求めている事、そして自身が目指そうと思っている事、
 そして由乃さんの考えている理屈、それを私達は大いに想像することができます。
 もちろん由乃さんから逸脱した由乃さん像というのも出来上がってくるかも知れませんけれど、
 そもそもそれが逸脱していると証明することなど不可能。
 それは祐巳さんはおろか、由乃さん自身にも不可能な事でしょう。
 人が人の姿をみるって、そういうことなのだと思います。
 
 アニメと比べて、だいぶ由乃さんと令様についての理屈の説明がありました。
 それがすごく丁寧にすっきりと組み立てられた言葉だったので、とても爽快でした。
 反面、その構築されたふたりの言葉、そしてその交換が、
 実際にはもっと堪らないほどの情熱を持って行われていたはずだ、という想いを抱けました。
 由乃さんの令様とのスール関係を解消するという決意は、
 たったあれだけの言葉ですべて表わせている訳では無いのです。
 当事者であるふたりは、自分のセリフの上で踊っていられるほど、単純では無い。
 ふたりの中では、そしてふたりの間では誰にも説明できない情熱が渦巻いているはずです。
 アニメでは、その熱く濃い情熱、情感を素晴らしい映像美で示していました。
 では、小説では?
 小説では、そのような情感は一切排除されていました。
 でも、その排除さは逆になんとも心地良い爽快さをもたらしているのです。
 あくまで小説は、第三者の立場で見ているのだよ、という安心感があるから、なのです。
 アニメ版は神の立場で見ていると思います。
 全部がわかる、いえ、わからなくてはいけない息苦しさがアニメにはあるのです。
 そして小説版ではその息苦しさは、無い。
 さらっと示してみせる写実的なセリフの展示が続けられ、
 読む者に祐巳さんの視点を与えます。
 令様の一人称的箇所でさえ、あれも祐巳さんの視点であるとも言えるほどに徹底しています。
 黄薔薇革命をちょっと離れたところから見ている祐巳さんと一緒になって、
 私達は由乃さんの想いを理解し、
 そしてさらにそこから由乃さん自身に成り代わって、由乃さんの理屈を考えていく、
 そういう事も可能なのだけれど、むしろ祐巳さんと同じくどこか野次馬根性で、
 のんびりと見ることが出来る、そういう気安さが小説版にはあるのです。
 由乃さんの言葉を額面通り受け取って由乃さんを想像せず、
 ただそこでなにかをしている由乃さんだけを見つめていられる幸福。
 見ていて、幸せになれますよね、ほんとに。
 
 令様もまた良かった。
 剣道の試合のときに無の境地に至っているあたりの描写は、
 なにげに異彩を放っていました。
 あそこだけなぜか飛び抜けてそれだけで固まってしまったというのでしょうか。
 あのシーンの令様の姿だけが硝子細工に埋め込まれて保存されたかのような、
 そんな凄みがありました。
 由乃さんと比べて、令様は言葉通りに動いている人に見えます。
 由乃さんは言葉を操るのだけれど、外に出している言葉の何百倍もの量の言葉を、
 自分の中に巡らしている人だと思います。
 令様は、たぶん自分の言っていることが、ほとんどすべてだと思います。
 その外に出した言葉に膨大な想いを込めて、そしてそれによって動かされていく人だと思います。
 ある意味で裏表無く、ある意味で感情的。
 そしてその少ない言葉に込められた想いに支配されて、そのままどこへなりとも流されていってしまう、
 そういう人なのだと思います。
 そのような令様があの瞬間。
 あの瞬間において、その溢れ出る想いを自分の中に収束させ、
 そしてそれを言葉の中に自ら再び込め直し完全に支配したのです。
 あれは、とても美しかったです。
 
 
 
 なにやら、マリみてへの愛情がまたまた深まってきてしまいました。
 黄薔薇万歳です。
 由乃さんがかなり好きです。
 好き、というかなんというか。
 面白いんですね、きっと。
 それが自分に似ているからなのか、それとも自分には無いものを持っているからか、それは知りません。
 でも由乃さんの姿に接して、色々と考えが進められる事は確かです。
 考えられれば、それが面白いということ。
 小説がマリみてに対する私の考えを進ませることになっていけているようで、嬉しい限りです。
 なんとなく、小説全巻買い揃えたくなってきてしまいました(笑)
 
 
 それでは、本日はこれでお終いとさせて頂きます。
 ごきげんよう、みなさま。第三回でお会い致しましょう。
 
 
 

-- 040622--                    

 

         

                              ■■熱い梅雨、雲の前■■

     
 
 
 
 
 こんばんわー、紅い瞳っすー。
 やー、ここのところ心なしか天候の話題で火曜日の日記の冒頭を綴っているようなので、
 たまには特に触れないでみようかと思って、タイトルだけにお天気話題は封じ込めておきました。
 いえ、特に意味ある訳では無いですけれど。
 前置き終わり。
 
 最近どうも日記力が落ちてきて、書きたいモノがうまく書けなくてせつない更新が続いています。
 どうにかならないものかー、と願ってはいても、
 どうにかしなくちゃ、という自主的な思いにまで発展しない時点で、
 まーなるようになりますか、といういつも通りのなりゆき任せに終始しそうです。
 そのうち忘れた頃に気持ちよく日記書いている自分に気づけたりもするのでしょうから、
 私はただ毎回無抵抗のまま日記をコソコソと書き綴るので御座いますっす。
 いやあの、書きたいモノうまく書けない、ということは、
 それはある意味で書きたいモノの幅が今までよりグンと広がったから、
 とそういう好意的な眼差しで今は自分を見つめてしまいたい思いで必死ですので、
 その、決して行き詰まってきたとかそんな風には思いたくないの。
 うん、まだまだいける。たぶん。
 言い訳終わり。
 
 でー。
 そろそろ頃合いですのでお話しようかなーっと。
 7月からの新アニメについて。
 といっても、どうやら紅い瞳が独自に調べてみたところ、
 既にみるべきものは限られているご様子。
 というか、マリア様がみてる 〜春〜だけで充分。
 充分てか、これがすべて。
 あくまでこれを主軸として7月以降の日記を展開していこうと思っています。
 現在日記で書いているすてプリ感想は全26話ですので、これも引き続き日記書き続けますし、
 また月姫もまだ7月18日まで放送していますので、
 実は未曾有のアニメ感想日記3本立ての時期が始まるんですよね〜。
 もうなんか、泡吹きそう・・・・(汗)
 なんだかもう紅い瞳の中に節制という文字は掻き消えてしまったのかの如くいっぱいいっぱいな感じで、
 自分で自分の首締めて喜んでるようで少し怖いです。
 ということで、7月の新アニメで感想を新たに書き始めるのはマリみてだけにします。
 いやもう、どんなにすっごいアニメを途中で見つけても絶対に感想書いてやらない。書くもんか。
 
 お、なんかイイカンジで自制してるヨ、と思いつつも、
 御伽草子」とか、KURAU Phantom Memory(これは今週開始だけど)とか、危なそう。
 ・・・・・・。
 どうやったらつまらなく観られるだろう・・・(本末転倒)
 
 
 
 なんにせよ、7月はマリア様がみてる 〜春〜」で。
 
 
 
 
 本を借りてきました。
 どんどん借りてくる冊数が減ってきているようですけれど、気にしません。
 ていうか、気のせいです。
 これ以上私に情報を運んでこないで(魂の叫び)
 借りてきたもの:
 ・十二国記 黄昏の岸 暁の天 (小野不由美 講談社)
 
 発行順でいうと、図南の翼の次の作品。
 ゆえにまだアニメ化されていないお話。
 一応泰麒のお話みたいで、泰麒失踪のくだりが描かれている模様。
 勿論まだ私は読んでません。でも読んだら感想書くかもしれない。
 あーそれにしても「東の海神西の滄海」と「風の万里黎明の空」はいつになったら借りられるんだろう。
 予約者リストにはあと一人(私の事でしょうね)しか残ってないのにー。
 はやく返却してー(涙)
 
 
 最近おまけ以下の名を欲しいままにしていながらまだ書いてるマドラックス感想:
 やんまーに(挨拶)
 正義超人となりつつあるヴァネッサさん、そして彼女を守るマドラックスさん。
 アンファンの怖さをわかっていないとヴァネッサさんの事を嘲笑っておきながら、
 そんな彼女をほっぽって余裕でシャワー浴びちゃってるマドラックスさん。
 またヴァネッサさん7回死なせますよ?
 そんなヴァネッサさんの危機を遠くにいて感じた感じて無いか微妙なところのマーガレットお嬢様。
 エリノアさんに心配ですかと聞かれると「ヴァネッサは大丈夫」と自信ありげに答えるのですけれど、
 そう言ってる側から熱い紅茶を飲んで慌ててしまうお嬢様。
 ひょっとして、動揺してます?
 ヴァネッサさんの安全性が非常に心許ないところです。
 そんな状態で悪の狂戦士へとクラスチェンジしたリメルダさんがマドラックス追跡に向かいます。
 悪の狂戦士っていうかストーカーに近いものがありますけれど、
 じわじわとリメルダさんはマドラックスさんに近づいていきます。
 一方のマドラックスさんはというと、ヴァネッサさんの作ったマズいサンドイッチを食べて、
 精神的ダメージを受けてます。
 ていうか料理下手だからといって、どうやったらマズいサンドイッチが作れるのか謎ですけれど、
 そのお詫びも兼ねてなのか、ソファで寝るマドラックスさんを自分のベッドに誘います。
 
 
 なんですって? by マドラックス17歳の夜
 
 
 マドラックスさんはもうドキドキです。
 それなのにベッドの中ではヴァネッサさんはマドさんと同い年のマーガレットお嬢様のお話ばかり。
 そりゃーこっそり抜け出してリメルダさんとドンパチやり合いたくもなります。
 で、探してた相手が向うから堂々と現われてくれて、なんかもう喜び一杯のリメルダさん。
 得意なのは狙撃だけじゃないのよ、という言葉の意味が気になるところですけれど
 取り敢えず真っ向勝負開始。
 うわー久しぶりのヤンマーニだぁー。
 お二人も脳内に蓄積されていたヤンマーニ分が刺激され、もうノリノリ。
 町中だというのに、ふたりだけの大戦争状態。
 けれどマドラックスさんはそろそろリメルダさんの恐さを思い出したのか、
 目を閉じて気配を消す、というよくわからないスーパープレイを逃亡用に発動。
 ご丁寧ににリメルダさんの足たる車も吹っ飛ばして退散するマドさんたらステキ、と思いましたら、
 どうやらリメルダさんも同意見の模様。
 ・・・・彼女はその喜びを殺意でしか表わせないようでしたけれども。
 
 こわい人・・・・・(こそこそ逃げながら)
 
 
 

-- 040620--                    

 

         

                                   ■■月の意志■■

     
 
 
 
 
 月姫第九話、いきます。
  
 
 
 
 
 わからない事がありすぎて、わかっていたことすらわからなくなってしまう。
 けれどそれは一度はわかっていたものなのだから、それは知らなかった事とは言えない。
 ただただ忘れていったものを思い出すかのように、
 わからなくなっていったものが、すべてわかり始めていく。
 まるで、わからなかった事など最初から無かったかのように。
 
 自分は此処に居るという確証を求めずに居る事が、
 それがどれだけの事を見ないでいることだったのかに気づきます。
 敢えて見ようとしない事実を、それが消え去っていかない事に焦燥し、
 だたがむしゃらに瞳を閉じようとしています。
 なにも見えなければ良いのに、とそんな願いを抱いて居るわけでも無いに、
 周囲のそうすれば良いという勧めに従って、なにも見ないで居る状態を生きてきた。
 なにも見たくなかった訳じゃない。
 ただ、そうすることが当然のように思えたから・・・。
 誰からもそれを望まれそれに従う事で、なぜそれを望まれているかを考える術を学べず、
 周りの人々に生かされてきたのです。
 多くの人々の優しさに、支配されていく。
 優しさを受け入れる事だけが、自分が優しくいられる事だと信じて・・・。
 
 
 
 残酷な志貴が居ます。
 琥珀の見上げている志貴の、なんと冷たい事でしょう。
 神々しいまでの光に包まれる事だけを求めて、裸で月夜に飛び出す琥珀。
 ただどこにも属さない真っ白な志貴を見ていたいがために我が身を省みず、
 そして琥珀は敢えて志貴に自らのぬくもりを染み込ませる事をしません。
 志貴を空に掲げあげたまま、その冷たい光を身に浴びる。
 自分から離れていてくれる志貴を見ていられるなら、
 それだけでそれが琥珀にとってのひとつの希望となる。
 別に琥珀は自己犠牲をしている訳ではありません。
 琥珀は、志貴に助けを求めている訳ではありません。
 琥珀はただ、志貴に其処に居て欲しいのです。
 それぞれがそれぞれにしか出来ない役割を忠実にこなして欲しい、
 琥珀の瞳に宿るその想いを、志貴は受け取ってしまいます。
 そして、それが琥珀の本心であるか否か、志貴にはわかりません。
 琥珀が、秋葉のためだけに生きている事を、それをどういう意味で受け止めているのか。
 琥珀が自分達は秋葉の事が大好きだからそれでいい、そう言う事がどういうことであるのか。
 志貴にはただ、その言葉を無防備で、そして無抵抗のまま受け取るしかありません。
 そして。
 志貴は自分がそうして今まで秋葉や琥珀達から受けたその説明が、
 すべて彼女達の優しさから出来ている事に気づきます。
 自分の好きでやっている、というその言葉自体が持つ嘘臭さ、
 それをまず志貴は受け取ります。
 そして志貴は琥珀に詰め寄ります。
 そんな人生が良い訳が無いと。
 もうそんな自分を顧みない優しさを俺に押し付けないでくれ、と。
 
 そんな志貴を、琥珀は笑って見つめています。
 
 琥珀の眼差し。
 志貴を空の上に掲げていながら、それでいて志貴を見上げてはいないような、透き通った空白感。
 志貴に希望を抱いて、志貴に本当は心の内に志貴に助けを求めているように見えながら、
 それ自体もまたひとつの嘘ではないかという印象を打ち消す事ができないその微笑。
 琥珀は、助けを求めているのか、いないのか。
 志貴は、感じます。
 その事を問う手段を、それを考える術を自分が持ち得ていないということを。
 遠野の当主に流れる恐ろしい血の流れに苦しむ秋葉を抱えて、
 そしてそうするためだけに生きている琥珀の使う言葉が、それをどう理解して良いのかわからないのです。
 琥珀が秋葉を好きだと言うこと、それは嘘では無いだろうし、
 そうやって秋葉に尽していくこと自体は、
 それは辛くてもやはり琥珀にとってはそれなりに意味があることだろう、
 でもそれが琥珀のすべてだと言うのなら、それは果たして琥珀にとって幸せと言えるのだろうか。
 秋葉を全面的に庇う琥珀を見れば見るほど、志貴は不安になってきます。
 そんな人生許される訳ないだろうと言ってみたところで、
 けれどその琥珀の秋葉を想う言葉自体に嘘が感じられないゆえに、
 その志貴の叫びは限りなく根拠を失っているように感じられてしまいます。
 志貴もまた、そう思い大人しく琥珀の前から引き下がったのでしょう。
 引き下がらずを得なかったのです。
 
 遠野家の秘密から志貴を遠ざけようとする琥珀が居ます。
 志貴には、なぜ琥珀がそうしようとするのか、それはわからないようでいて、わかることです。
 それは秋葉のためで、そして志貴のためであるから。
 私達は志貴さんの事も大好きですよ、と言った琥珀。
 好きだから志貴を遠ざけるのじゃなくて、遠ざけるために志貴を好きだと言ったのです。
 琥珀のあからさまな物言いは、志貴にはそう受け取れたはずです。
 自分の事を優しいと言われ、それで自分の事が好きだと言われれば、
 誰だって額面通りには受け取りません。
 そして、志貴には。
 その物言いが琥珀のフェイクであることにも気づいています。
 琥珀の見えない心の内を、志貴は逃れられないくらい強く受けてしまいます。
 わざとらしい笑顔、志貴を好きだと言って煙に巻こうとする琥珀の言動、
 それが示す「だから近づくな」という二重の意志が、それ自体が仮面であることを。
 そして、だから琥珀がほんとうに志貴を好きであるということを。
 志貴に助けて貰いたいと想っているということを。
 志貴は知ってしまいます。
 でも。
 でも、琥珀の本心を知ったところで、琥珀がなぜその仮面を示さねばならなかったかがわからなければ、
 それだけでは志貴にはなにもできません。
 琥珀の仮面、それ自体が既に琥珀の本心なのです。
 なにもかも打ち明けてしまったら、結局は秋葉も志貴も辛いを想いをしてしまう、
 そうなることがわかっているから、琥珀は遠野家の秘密を隠し、
 そして自分の人生をそれに捧げねばならないのです。
 なぜそうするのか。
 それは、琥珀が秋葉を愛しているから。志貴を愛しているから。
 もはや、どちらが本心も仮面も無いのです。
 秋葉や志貴に優しさを捧げる事、そういう愛が琥珀を動かしているのですから、
 志貴がそれに強引に関われば、それを取りあげてしまう事になるのです。
 志貴は、その事を知っています。
 そして、知っていて、ずっとずっとその優しさを取り上げないで居る優しさを周囲に示し続けていたのです。
 ただただひたすらに、空の上で浮かぶ月のように。
 
 けれど、志貴はやがてそういう自分自身の姿を見る事になります。
 自分がどこにも属していない身の軽さが、それがどれほど自分の感覚を薄れさせていたかを。
 志貴は自動的な人です。
 周りの人達の優しさを無条件で受け入れて、その優しさの根拠を問わなかった事で、
 ずっとそのままで居られた志貴。
 相手の意志を受け取って、それにより自らを突き動かさせてきたのです。
 其処に自らの意志の介在しない浮遊を、志貴はただ為されるがままに受け取ってきたのです。
 ですから、志貴には他人がわからない。
 与えられたものだけを受け取って、その与えられたものの意義も由来も知る術を得ない。
 青子に物を破壊する線を消す眼鏡を渡されてから、ずっとそれは変わらなかったのです。
 なぜ、青子がその眼鏡を志貴に渡したのか、志貴にはずっとわかりませんでした。
 青子が志貴に示した、なぜ青子がそれを渡したのかという説明を、志貴はずっと理解できませんでした。
 そう。
 志貴は、説明はされているんです。
 眼鏡も渡されているんです。 
 そして、優しさもずっと渡され続けて、
 そしてそれを通してずっとずっと多くの人々の想いも見せられてきたのです。
 だけれど、志貴にはそれらの「意味」がわからないのです。
 全部既に知っていたのに、でも知っていたことをなにひとつ理解できては居なかったのです。
 琥珀は、志貴に隠し事などしていません。
 琥珀は、ありのままをすべて最初から志貴に示しています。
 志貴がただ、その琥珀の示しているものを理解できていない、ただそれだけだったのです。
 志貴は、それに、そしてそれをこそ最も大きな衝撃を以て理解してしまうのです。
 琥珀の優しさを、ただそれを受け取るだけしか出来なかった自分が居る。
 ずっと今まで、なにもできていなかった自分が居る。
 
 志貴は、自動的ではいけなかったのだと、生まれて初めて思います。
 自分がそう思わなかったからこそ、ずっと自動的でいるしかなかった事を知ります。
 なにもできない自分が居る事は、そう自分が在る事を許していたからこそ有り得た事を知ります。
 志貴には、そういう許諾という意志が最初からあったのだと、志貴ははっきりと思い出すのです。
 みんな嘘つきだということに気づくのです。
 みんなが嘘を付かねばならなかったという事も理解するのです。
 それに気づいても、みて見ぬフリをしていた自分に気づくのです。
 青子に言われた、やらなければならぬ事をせずに居た自分、それをに気づくのです。
 
 俺は自動的なんかじゃない。
 
 秋葉を救えるのは志貴だけ。
 琥珀の想いを解し、翡翠の援助を受けて、秋葉を救う。
 志貴のその意志が、志貴を初めて自らの力で突き動かします。
 突き動かさなければいけないのです。
 琥珀の肩を揺さぶってでも、琥珀の想いを全部聞き出さなければいけないのです。
 聞き出すまで、ずっとずっと。
 遠野の家の事も知り尽くすまで知らなければならないのです。
 翡翠に徹底的に手伝わせて、調べ尽さなければいけないのです。
 琥珀の優しさに返礼したいだけなら、受動的で、そして自動的で居ればいい。
 でも琥珀を救いたいのなら、琥珀の優しさを全部無視してでも突き進まなければいけないのです。
 琥珀は、自らの優しさという呪縛で身動きできなくなっているのですから。
 自らも与えられた優しさに優しさを返さなければならないという鎖に繋がれていた志貴には、
 本当は誰よりも琥珀の事がわかるはずなのです。
 翡翠も、それを知っています。
 知っているからこそ、志貴を手伝ったのです。
 
 そして、秋葉が居ます。
 志貴のずっとずっと先に、遙か彼方に秋葉は居ます。
 志貴を求める想いの、その何百倍もの力を込めて志貴から離れていようとする秋葉が居ます。
 私には、秋葉の姿を捕まえる事すら出来ませんでした。
 それほど遠くに、秋葉は行ってしまったと思います。
 志貴もまた、秋葉との間にある絶対的な距離を感じていたはずです。
 秋葉という人間をずっと知っていながら、ずっとずっとずっと理解してこなかった自分の姿を、
 志貴はなにものにも代え難い激痛として受け取っています。
 開いた傷から流れ落ちる血の温かみすら秋葉に届きはしないことを、
 自分の意志で懸命に手を伸ばすことが出来ても、それだけでは秋葉に届かない事を知ります。
 秋葉に迫った絶望が、ようやく志貴にも迫ります。
 けれど秋葉の背負う絶望の重みが、自分のそれとは桁違いに重い事を感じてしまうゆえに、
 志貴の絶望は計り知れない、そして終わりを知らぬ永遠の絶望の端緒を開いてしまうのです。
 志貴の虚ろな瞳が、志貴を押し潰します。
 押し潰された志貴に宿る意志は、そのまま志貴を破滅へと誘い始めているのでした。
 
 
 
 恐ろしいまでの充実感がありました。
 充実しているからこそ、その充実したものが外へと弾き出したものの影が漂い過ぎていて、
 今回のお話の中身にある核の部分が不透明になっていました。
 そしてその不透明さが、琥珀と秋葉の言葉に立体感を完全に顕わす事になりました。
 あきらかになにかを隠しているのだけれど、なぜかなにかを隠しているようには見えない、
 そういう不思議な拒絶感は完全に消え、
 もう隠している物の向う側までが見えてしまうほどの透明性を与えてもいました。
 不透明なベールを被せることで、なにかを隠していることがわかり、
 それがわかれば様々な情報を様々な角度から立体的に照らし合わせる事で、
 その隠されているものを浮かび上がらせる事ができるのです。
 そして。
 その浮かび上がった立体物の先は透明であるからこそ、
 それがなにも被せられていないからこそ、最も見えない闇の世界なのです。
 私にとって秋葉は今、その闇の中に居ます。
 琥珀と翡翠と志貴を通して見た秋葉の姿を等身大に見ることはできても、
 それはあくまで琥珀と翡翠と志貴があってこその秋葉であることがわかってしまいます。
 秋葉を秋葉だけとしてみたら・・・。
 志貴を通して見る秋葉だけでは、もはや秋葉をみることはできないということが、
 今回のお話をみていて感じてしまいました。
 それと、今回のお話のベストショットは琥珀が笑顔で志貴さんの事も大好きですよ、というシーン。
 あれの美しさは印象深いです。色々な意味で。
 そして志貴と翡翠の関係というのが、結構重要だということに今更ながら気づいた私です。
 まだまだ勉強が足りませんね、私(涙)
 
 それでは、今宵はこれにてお終いとさせて頂きます。
 また、来週。
 
 
 
 

-- 040618--                    

 

         

                             ■■『獣姫の狂詩曲』■■

     
 
 
 
 
 『なんで世界を壊さなきゃいけないの? 私、この世界好きだもん。大事な人も一杯居るし。
  世界を滅ぼすくらいなら、死んだ方がマシよ・・・・・・・たぶん。』
 

                            〜 第十一話のパシフィカのセリフより〜

 
 
 
 
 『イライラするんだよ。ああいう甘ったれたガキを見てるとね。
  守られて当然だと思っているのさ』
 
 へっ、ほんと嫌な奴だなあいつは。
 こんなガキの力に頼ろうとした私が馬鹿だったさ。
 ああ、くそ、むかつく。
 なんなんだあれは、一体。
 自分の事をなんともできないくせに、生意気にいきがりやがって。
 ああいう軟弱な奴を見てると虫酸が走る。
 ただ守られているだけでなにもしようとせず、
 ただ逃げ回っているだけなんだぞ、あいつは。
 全部姉と兄に任せて、自分じゃなんにもしない。
 甘ったれるのも大概にしろ。
 
 自分が悪いとは思っていないくせに、迫害されても反抗しない。
 自分を理不尽にも殺しに向かって来る奴らと戦いもしない。
 なぜ戦わないと問うと、戦いたいけれど戦い方を知らないし、強くも無いからときた。
 巫山戯るな。
 だったらなぜ戦い方を学ばない。
 なぜ強くなろうとしない。
 あんたは結局逃げてるだけさ。
 自分が戦わないで震えてるだけでいて良い理由を見つけて、
 そして悲劇のヒロインぶりたいだけなんだろう。
 とんだお姫様だな、まったく。
 あんた結局、戦い方知っていてもなんやかやと理由を付けて戦わないクチだろう。
 もしあんたが強くても、あんたは絶対人任せにするに決まってる。
 命懸けであんたを守ってる姉や兄に申し訳無いとは思わないのか。
 もし姉や兄が居なかったら、あんたはなんにもできない腑抜けなんだろう。
 ひとりじゃなにもできないくせに。
 あー、くそ、イライラする。
 
 
 
 私は許さない。この世界を。
 そして、世界に虐げられるだけの自分は許さない。
 権力に執着し私を排除しようとするあいつらに、絶対殺されてなるものか。
 私を殺しにきてみろ、今まで生きてきたことを後悔するくらいに残酷に殺してやるさ。
 誰がお前達の都合のために殺されてやるか。
 兄上達のくだらない欲望のために、私が死ぬなど真っ平だ。
 ああ、私は無力だった。
 兄上達の仕打ちに対して、最初はあまりに無力だったさ。
 誰も助けてくれず、誰も私を見てくれず、誰もが私を蔑み私を忌み嫌っていた。
 その中で私が出来ることと言ったら、ただ歯を食いしばって相手を睨み付ける事だけだったさ。
 そうであったから、私はもう自分がまともに生けていくことなどできないということを知った。
 世界は私を消しにかかってきている。
 だから私は堂々と自分の姿を陽の元に晒す事などできない。
 兄上達のようにきらびやかな王族として生きていくための場所は用意されていない。
 私には、もうそれが当たり前の事になっていた。
 私はもう、他の者達のような安楽な人生が自分に無いことを受け入れていた。
 受け入れて、そして。
 そしてだからこそ、自分でそのような当たり前をぶちこわしてやろうと思ったのさ。
 ああ、いいさ。
 お前達は私を迫害して、私を殺そうとすれば良い。
 私はもう、お前達になにも期待していない。
 お前達から慈しみを、優しさを、愛を、そして私の生きる場所を与えて貰おうなどと思わない。
 だから私は。
 お前達を殺して、お前達が勝手に創った世界を破壊して、私が生きられる場所を創ってみせる。
 邪魔をするなら、殺す。
 お前が私を見ないのなら、私もお前を見ない。
 お前が私を殺そうとするのなら、私もお前を容赦なく殺す。
 敵なのだ。
 敵に辱められ、虐げられ、支配されている理由などどこにも無い。
 
 世界の言いなりになってる奴を見てると腹が立つ。
 あんたは甘えているだけだ。
 殺されそうになっても、部屋の隅でブルブル震えているだけ。
 許せないね、そんなのは。
 あんたは世界を創り替える力があるくせに、そうしない。
 廃棄王女、プロビデンスブレーカーでありながら、なんにもしないで逃げ回りやがって。
 私にもしその力があったなら・・・・・くそっ。
 あんたなんかに世界を創り替える力が備わっているのは許せない。
 あんたにドラグーンは勿体無い。私が代りに使ってやる。
 あんたはどこかで独りで泣きながら野垂れ死んでりゃいいさ。
 
 『私は、あんたが嫌いだ』
 
 
 エイローテ、後はお前に任せた。
 
 
 
 
 ・・・・・・
 
 『人にはそれぞれ、その者なりの戦い方があります。
  世界を滅ぼすよりも死を選ぶというのが、彼女なりの戦いなのでは・・・』
 
 生まれてきてから、ずっと戦ってきたセイネス様。
 私は、初めてセイネス様とお会いしたときのことを忘れません。
 庭園の茂みの中から、自分を虐待した者では無い私にまで向けた憎悪の瞳。
 誰も味方してくれるものの無い、すべてが敵であるかのような・・・。
 無力な自分を守ってくれるものが無い事を受け入れ、
 そして唯一人で生き抜くことを平然と見ている瞳。
 私は正直、恐ろしかった。
 私の身近に、こんな瞳を持つ人が居るなんて。
 私はそのとき、初めて自分では想像も付かない世界を生きる人が居る人を知りました。
 すべてが敵で、戦わなければ死ぬ。
 セイネス様の瞳を目一杯埋め尽くす敵意の光は、強い衝撃を以て私を動かしたのです。
 ああ・・私はこの方を守りたい・・と。
 
 けれど。
 私はきっと、そういう世界を生きる、そのセイネス様自身のお姿を最も許せなかったのだと思います。
 私がセイネス様をお守りすることは、
 それは私がセイネス様と一緒になって世界を破壊するという事じゃない。
 自分独りでしか生きられなくて、常に強く生きて敵を打ち倒していかなければいけない、
 そういう風にしか思えなくなっているセイネス様の想い、それをこそ破壊したいのです。
 それが私よりずっと強いセイネス様をお守りする、私の動機なのです。
 私はいつかきっと、セイネス様が安心して暮らせる世界を、この世界の中に見つけたいのです。
 そして、セイネス様はお独りでは無いんだということをお伝えしたいんです。
 だから私は。
 『世界中が敵に回ったって、たったひとりの味方が居るだけで、生きていこうって思えるもん』
 と、そういったパシフィカの事がよくわかります。
 そしてだからこそ、セイネス様の味方が私だけで終わって欲しくはない、そうも思うのです。
 パシフィカのように、虐げられた世界の中に、それでも希望を見出せるようになっても欲しいのです。
 
 でも。
 私のその願いは私個人のもので、
 私がその思いをセイネス様に言ったところで、セイネス様には拒絶されるだけ。
 だから私は、あまり強くは言いません。
 そうすることで、セイネス様から私を奪う事はしたくないから。
 なによりもまず、セイネス様の隣に私がずっと居ることを、それを信じ続けて頂く、
 それが一番大事な事。
 けれど、だからといって、私はセイネス様の言いなりになるつもりはありません。
 言うべきことは、はっきりと言います。
 パシフィカの事も、セイネス様は本当はちゃんとわかっていらっしゃるでしょう。
 セイネス様とパシフィカは似ていても、でも違うのです。
 世界が敵となって自分に襲いかかってきても、
 それでも世界に刃向かわないということ、それが臆病どころかとてつもなく強いということを。
 ただ殺し合う事だけがすべてじゃないということを、セイネス様はちゃんと知っているはずです。
 セイネス様がパシフィカをみてイライラするのは、
 パシフィカのように生きられなかった自分への悔恨。
 そしてその悔恨を乗り越えて胸を張っている生きていられる自分の姿が、
 少し哀しかったからなのかもしれません。
 そんなことを言うとセイネス様には怒られてしまうかもしれませんけれど、
 セイネス様にパシフィカの生き方の強さがわからないはずは無いと思います。
 ご自分がなぜ戦わなければならなかったのか、それを考えれば、
 パシフィカが戦わなかった事が理解できるはずです。
 ええ、勿論セイネス様は間違ってなどいません。
 セイネス様はセイネス様。パシフィカはパシフィカ。
 だから、そういうことなのです、セイネス様。
 あまり、パシフィカの事でお怒りになられませんように。
 貴方にはもう、私が居るのですから。 
 
 私では、ご不満ですか?
 もしご不満なのでしたら、もしそうならば、セイネス様のお怒りは理不尽です。
 セイネス様は、パシフィカに彼女を守ってくれる姉と兄があることが羨ましいのでしょう?
 自分にはそういう肉親が居なかったから、だから悔しいのでしょう?
 私は肉親じゃないから、パシフィカにとっての姉や兄と同じ存在には決してなれないのでしょう?
 セイネス様、貴方は自分を守ってくれる人を確かに求めています。
 だったらなぜ、パシフィカを責めるのですか?
 ご自分もまた、自分を守ってくれる肉親を求めていたのに。
 セイネス様・・・・わかっています。
 私はそんな貴方だからこそ、お守りしたいと思ったのです。
 貴方が得られなかった守護者、その代役を務めさせて頂きたかったのです。
 あくまで、代役です。
 いつかきっと、セイネス様を心から守ってあげられる人が現われるまでの。
 そしてそれは、セイネス様が誰かに守られるを良しとすることが出来ない限り、現われません。
 私もまた、このままではずっと代役のままでしかいられません。
 
 セイネス様。
 
 私は、貴方のためにいつでも死ねますよ。
 
 
 
 

                          ◆ 『』内文章、アニメ「スクラップドプリンセス」より引用 ◆

 
 
 

-- 040616--                    

 

         

                         ■■第一回マリみて原作感想系■■

     
 
 
 
 
 皆様、ごきげんよう、紅い瞳です。
 
 はい、本日はアニメ「マリア様がみてる」の原作である小説版についてお話をさせて頂こうと思っています。
 ほんとこの小説を読むまでにだいぶ時間がかかってしまいましたけれど、
 いよいよ本日より感想を書けるようになりました。
 今回は小説第一巻「マリア様がみてる」についてお話させて頂きます。
 アニメ版との比較なども交えて、色々と書けたならば、と思っています。
 
 さて、まずはどうお話すれば良いでしょうか。
 そうですね、小説を読んでの第一印象をまずは述べさせて頂きましょうか。
 小説ということで文字が主体な訳ですが、正直最初読んだときには意表を突かれました。
 あ、これはアニメ版とは全然違うな、と。
 読む前は、流麗で奥行きがあって、そしてひたすら行間の彼方へ読む者を誘うかのような、
 そんな分厚い形容的文章の洗礼を受けると思っていたのです。
 けれど、読んでみると、非常にコミカルなんですね。
 淡泊、というか、ひたすら淡々とした説明的な文章が続き、
 そして時折作者の選んだお遊び要素の詰まった軽いノリの語句が挿入される。
 非常に軽快で、それでいてきっちりとリリアンの生活が活写されていて、
 そういう意味では読んでいるものの前に、はっきりとひとつの世界を示してくれます。
 とにかく、すべて言葉で説明されていて、そしてそれ以外の情報を読者が得る必要のない、
 そういう親切な、悪く言えばおせっかいなまでの文章が続いています。
 これは、私としては意外だったのです。
 ある意味、アニメ版とは決定的にかけ離れています。
 作品の真ん中にあるものが、根本的に違うのです。
 小説版は、あくまで「物語」です。
 そしてその物語が次にどういう展開をみせるかとか、
 次にこの人物はどう行動するのだろうか、そういうところに見るべきところがあるように思います。
 ですから、アニメ版に比べて圧倒的に語られている情報は多い。
 アニメ版には無いセリフやシーン、エピソードが豊富にあって、
 矢継ぎ早にそれらを繋いでいくことに、小説版は重きを置いているような気がしました。
 
 小説版の描写にはあまり情感が滲み出てきません。
 祐巳さんの不安とか、祥子様の哀しみとか、その辺りがなにかあまり見えてこないと思ったのは、
 気のせいだけでは無いと思います。
 それは、小説版がそれを重視していないからなのでしょう。
 祐巳さんの一人称と作者的視点の三人称が入り交じった独特の文体は、
 確かに祐巳さんが不安がっている事や、祥子様が哀しみを抱いている事を描いてはいるのですけれど、
 しかしその内面的なものをほとんど言葉にして示してはいません。
 祐巳さんの例がわかりやすいと思うのですけれど、
 具体的に祐巳さんの不安を象徴する表現、そしてそれを示唆するようなものは一切かかれていません。
 あるのは、「不安」という言葉を直接的に使っているものだけです。
 祐巳さんは不安だ、ということはわかっても、でも祐巳さんの不安がどのような姿なのか、
 それを想像する余地は残されていない場合が多いのです。
 祥子様に追い詰められている祐巳さんの不安感も全然伝わってこないですし、
 また柏木との事で苦しんでいる祥子様の瞳の中に、見えない涙を見つけることもできません。
 
 
 
 さて。
 まずは第一印象はこんなところでしたでしょうか。
 全体的に淡泊さがあって、すっと吸い込まれていくことが出来ないアンバランスさがあって、
 それでいて字面を追っているうちに、それなりの世界を見せられてしまう。
 ですから、読んだとき多少の不快感を受けました。
 んんー? こんな簡単でいいのかな? という感じで、
 さくさくと軽やかに先に進んでいってしまう軽快さに心地良さを感じていても、
 どこか不安を感じてしまう、そういうところがあります。
 読んでいるうちに、ふと立ち止まって考えてみよう、という気が起きないのです。
 アニメ版ではもうひたすら立ち止まって頭を抱え込んでしまうほど、
 様々な見えない情感が迫ってきていたので、つい比べてしまいます。
 ところが。
 ええ、ところがです。
 今まで述べてきたところは、お解りの通り、アニメ版が一番と仮定してみたときの感想です。
 あくまでそうであることは確かです。
 けれど、小説版はアニメ版と比べる事ができない様々な要素を持っているのもまた確かです。
 今度は、そのことについてお話させて頂きましょう。
 
 小説版の語り口。語り方。
 それはかなり情感の乏しい、かなり説明的なだけの文章になりがちで、
 悪く言えば対象年齢が下がったかのような、かなり軽薄な箇所が散見されるもの。
 けれど、それらの事は逆に物語りに不鮮明さをもたらしています。
 すべて「簡単」に説明しちゃおうという意図のもと語られていく事で、
 すべてがはっきりと読む者の前に現われてくる。
 そういう意味では鮮明なのだけれど、けれど。
 けれどその鮮明さは、それが「簡単」に表されたものだからこそ、
 それだけがすべてでは無い、ということを読む者に実は強く印象付けているのです。
 目の前にあまりにはっきりしたものがあると、その向う側になにかがあると気づいてしまうのです。
 だからその向う側にあるなにかは、その目の前に出された説明によって隠されている、
 その故に不鮮明であるのです。
 小説版の語り手、これ自体が私はもう既に登場人物の視点のひとつではないか、
 そう思っています。
 ですからその視点に祐巳の視点が混じっても違和感が無く読むことができるのです。
 おかしな言い方をすれば、作者自身登場人物達の事を理解できてはいない、
 或いは最初から理解する必要が無いのかもしれないのでしょう。
 そしてそうなることで、計り知れない程の読み手が想像できる余地が加えられているのです。
 一見なにもかも作者によって説明されているから、
 どこにも想像できる余地が残されていないように思えるのだけれど、
 けれどその作者の説明自体がすべてを説明できていないのだとしたら。
 蔦子さんがとても不可解で不思議な存在に感じられて、
 三薔薇様の姿が見えないゆえの恐怖が感じられたりしてしまいました。
 そして祐巳さんも。
 祐巳さんの一人称のような三人称が語られれば語られるほど、
 この小説版の語り手が祐巳さんと同じ立場であることがわかり、
 そしてそれが同じ立場なだけで同じ存在では無いことで、
 祐巳さんもまた誰かによって語られている存在であるということがわかります。
 そうすることで、祐巳さんもまた不鮮明な存在となり、
 そしてそれゆえ祐巳さんの語る言葉、そしてそれによって表される祥子様の姿というのが、
 それがとてつもなく私達からは遠いところにあるということを感じてしまいます。
 そして、その遠さが作者から与えられていく情報を蓄積していくことで、
 次第に近いものへと変化していけるような錯覚を覚えさせてくれます。
 そしてそれが錯覚であるゆえに、そうと知っているゆえに、
 読む者はいつでもそれぞれの登場人物像を更新することが可能になるのです。
 あー、祥子様ってこういう人なのかもしれない、
 あ、でもこの話を読むとそうとは一概に言えないなぁ、という風に。
 
 第一巻を読んでみて、私が一番気になったのはやはりアニメ版のときと同様、祥子様でした。
 祐巳さんに色々簡単に説明されてしまって、柏木の事など無かったかのように見える祥子様。
 でも当然祥子様にとっては、そもそも自分が話した以外の事も自分の中に秘めている事でしょうし、
 また祐巳さんに見せている態度だって、それがそう見えるのもまた祐巳さんの解釈にしか過ぎない。
 ある意味で、第一巻においては、祥子様という方がどういう方なのかまったく想像できません。
 予想はできても。
 あくまで作者の視点が登場人物と同格、或いは祐巳さんと同じ場所に立っている限り、
 そうなるのではないでしょうか。
 なぜならば、小説において祥子様を表すものは、祐巳さんの「簡単な言葉」しか無いのですから。
 そしてそういう言葉しか使えていない祐巳さんがどれだけ成長するのか、
 そしてそれによってどれだけの情感を文字に乗せて盛り込む事ができるのか、
 それを期待できる楽しみというのが、ひとつ大きな小説版の特徴ではないかと思います。
 
 そして。
 
 私はアニメ版よりもより祐巳さんに近い立場となって、
 リリアンの生活を生きることができるようになるのです。
 これ、重要(笑)
 
 
 それでは、これをもちまして、第一回マリみて原作感想系を終了とさせて頂きます。
 
 それでは、ごきげんよう。
 第二回でお会い致しましょう。
 
 

-- 040615--                    

 

         

                         ■■なははー。なははー。・・・。■■

     
 
 
 
 
 なんだか溢れてきました(挨拶)。
 
 梅雨の中日とか言う奴らしくてすっかり晴れちゃってなんですかこれは一体、
 とか思って普通にちょっと楽しくステップを踏んでいたら知人にその姿を目撃されて、
 しかも目を逸らされたまま立ち去られてしまいました。
 ごめん、頼むからメール反応して(涙)
 
 で、なにかしらいっぱいいっぱいが過ぎてなにかが溢れ出てしまっている感に堪えなく、
 あーこれが生きてるって事なんだなぁと強引に自己洗脳を試みてみるも、
 それでもやっぱりいっぱいいっぱいな訳で。
 最近あんまり自分がなにやってるのか把握できてません。
 ていうかなにしてんだろ私(他人事)
 あっれー、色々適当にやってるけどあんまりボロが出ないぞ?
 やけに失敗も無く順調に進んでいる自分が恐くて部屋の隅でガタガタ震えている、
 そんな訳は無くて、普通に昨日とかユーロ見てたりするからよくわかりません。
 ハレグゥみて笑い死ぬ一歩手前とか行ってたりもするし。
 もう少し自分の生き方考えたらどうなのん? と思ったり思わなかったりしているうちに、
 ふと気づくとこうして日記を書いている訳です。
 えー? 人生なんて考えるもんじゃないっしょ?(もう駄目)
 
 本、図書館で借りてきた。
 借りてきたもの:
 ・マリア様がみてる いばらの森 (今野緒雪 コバルト文庫)
 ・マリア様がみてる ロサ・カニーナ (今野緒雪 コバルト文庫)
 ・マリア様がみてる ウォレンティーヌスの贈り物 前編 (今野緒雪 コバルト文庫)
 ・十二国記 図南の翼 (小野不由美 ホワイトハート)
 ・十二国記 華 胥の幽夢 (小野不由美 ホワイトハート)
 
 マリア様三冊は来週までオアズケ。
 っていうかウォレンティーヌスの後編見つからないんですけどどうしますか。
 ちなみに先週借りてきた「マリア様がみてる」は現在読み中。
 おそらく明日あたりには感想書けるでせう。
 で。
 図南の翼なんだけど。
 ええと、予想外。というかマズイ。非常にマズイ。
 マズイくらいに面白い。ああもう、頭痛い。またなんか溢れてきちゃう。
 この話は恭国王珠晶のお話。
 このお話から以降はまだアニメ化されていないので、見るのも読むのもこれが初めて。
 で、珠晶といえば、「風の万里黎明の空」でちょこっと出てきた少女王(っていうのかな)。
 非常に論理的で、それは王としての冷たい論理でありながら、
 それでいて誰をも納得させてしまえるなにかを備えている少女。
 うん、正直あれにはしっくりきてたのだから、別にこの面白さは予想外じゃ無くって?
 なにかを知っていたり知っていなかったりというのは、それはどういうことなのか。
 私の気持ちはあなたにはわからない、私にしかわからない、そうは言えないんじゃないのか。
 別に私とあなたは同じという訳では無いけれど、
 けれどそう言えてしまうのなら、私達にはそもそも会話が成り立つはずないじゃない。
 良家のお嬢様だった自分を馬鹿にする貧しい人達の蔑みを受けて、
 珠晶はこの本質的な想いから出発していて。
 そしてその想いが彼女の論理と合致していく過程で、
 その言葉には次々に様々な事が収斂していって、
 実に多くの人と語れるようになっていきます。
 なにも経験しないなんて有り得ない。
 ただこうして生きて、呼吸してるだけでも色々な事がわかるものよ。
 ただ自分だけにしかわかり得ない経験の存在を認めつつも、
 しかしその経験に埋没することで排他的になる愚を承知しない珠晶。
 その排他の意味を理解し、そして人々がそうしたがる理由も理解しているからの不承知。
 そしてそうであるからこそ、珠晶の論理は冷たいようでいて、
 しっかりとその論理で否定されるものへの眼差しも失われる事はありません。
 そしてそんな珠晶は王を目指す。
 王たるものは自分が王に相応しいなどとは決して言わない。
 珠晶は王になるのではなく、王をするのです。
 王という仕事を為すために王を目指すのです。
 そして王とは。
 非常な論理を越えた向う側をも見つめることができなくてはいけません。
 王を頼る者、そして王を否定するものさえ見つめて。
 読んでいくうちに、珠晶の考え方というのがとても深いことがわかります。
 そしてそれが、まだあくまで出発点でしか無いことを。
 自分だけが経験していること、ただそれだけを見つめていれば良い、
 そういう風には言えないんだと力強く言えた珠晶には、
 恭国民すべての経験を理解し、そしてその経験を国民に分配されるように、
 そのような「道」を創らねばならないのですから。
 珠晶にとって、もはやそれは理想論では無く、
 まぎれもなく現実の仕事となっていくのです。
 それが王という存在を求める世界のお話である限り。
 うあー、十二国記キてるよー。
 「華 胥の幽夢」は未読。短編集らしいっす。
 
 
 
 えーとマドラックス感想:
 
 ヴァネッサさんは7回は死んだそうです。
 
 いやもう、いっぱいいっぱいですから。
 
 
 
 
 P・S :
 6月19日土曜日午後11時30分より、チャット会を行いたいと思います。
 いつも通りのいつものチャットの延長で、みんなで集まって楽しくやるだけでけですので、
 適当にお暇な方集まってくださると嬉しいです。
 もちろんお初の方も歓迎です。
 というか、そろそろ新しい顔がみたいものです。
 そして一緒に溢れましょう(なにをだ)
 
 
 

 

-- 040613--                    

 

         

                         ■■黒き月満ちて紅き黄昏在り ■■

     
 
 
 
 
 月姫第八話について、少々。
 
 薄暗い夕日の彷徨う黄昏刻。
 青空色の夜と当たり前の昼の狭間で揺れるだけの夕暮れが、その姿を顕示し始むる。
 誰も言葉を発しない、ただそれだけである暗い空気が重きを為し、
 そしてすべての人間の足下にまとわりつく。
 誰もその事に気づかないでいながら、どうしようも無い予感に身を焦がす。
 ああ、そうか、今、それがそのときなんだ・・・。
 志貴の目の前に居ただけの秋葉は、やがて志貴の下から離れ、
 そして秋葉もまた空に瞬く薄明るくおぼろげな夕日と成る。
 もはや、月だけが世界の中で独り輝く存在に非ず。
 そしてまた、志貴だけが誰の元にも堕ち着かないものでは無くなっています。
 志貴と秋葉の間に流れていた冷たくも荘厳な風は、
 いつのまにか秋葉の支配する黄昏色へとその支配権を委ねていきます。
 志貴を支えていた昼の陽光を前にして、それを完璧に遮断している秋葉が居ます。
 琥珀と共に夕日に足下を包ませている秋葉は、遠野の家もろとも生きています。
 琥珀の血を吸う秋葉。
 あの場に、志貴は絶対に着地することが叶いません。
 いつも志貴を引き落とそうとしていた秋葉は、其処には居ません。
 秋葉を包む黄昏は志貴と完全に隔絶し、また志貴を拒絶している代物でもあります。
 昼でも夜でもない、志貴の知らない時空。
 そして、志貴の知らない秋葉の姿が其処に。
 志貴の触れ得ない秋葉が其処に居るのです。
 病床に臥す秋葉の手を握っても、感じる事の無い秋葉の温もり。
 秋葉の寝顔は、志貴に様々な事を初めて知らせます。
 秋葉が何処で生きているかを、秋葉がどういう存在であるかを、
 そして、自分がただ秋葉の元に居てあげる事の、それの耐え難いほどの矛盾を。
 
 志貴の夢を見る秋葉。
 志貴を探し求め、そしてそれに応じる志貴の姿を得て安堵する秋葉。
 何物にも代え難く、なによりもすべてに勝る欲求が満たされる夢。
 そして・・・それがとてつもなく哀しい事であることに流せぬ涙を流しながら・・。
 志貴を求め、ただひたすら求め、そしてそれで安堵している自分が居る。
 その安堵が心を安らがせるのはなぜなのか。
 それほどまでに求めるものを得られなければ、耐えられないなにかが秋葉にはあるからなのです。
 志貴を求めれば求めるほど、
 それは、それだけ自分を包む恐ろしいなにかの影が濃くなっているということの証しなのです。
 ただ夢の中で志貴を求め志貴を得られる喜びに身を震わせながら、
 目を覚ました瞬間、その瞳には薄暗い黄昏が広がっているのを見つけてしまうのです。
 それは悲しい驚きに包まれた目覚めで、そしてそれは秋葉の日常。
 そしてそれは耐え難き日常をひたすら耐え抜く秋葉の意志ある自然。
 逃げ場など探したことすらないほどに当たり前の黄昏を目にして、
 秋葉は自分が目を覚ましたことに気づくのです。
 そして。
 秋葉は、その夢の事を、夢の中で得られるぬくもりを抱きしめたまま、
 黄昏の中に独り佇んでいるのです。
 夢を見ていました、と志貴に告げているときの秋葉の顔は印象的でした。
 今さっきの事なのに、ふっと想い出に耽るかの如く彩度を欠いた瞳を遊ばせながら、
 その視線の先には鮮明に夢のぬくもりを捉えています。
 そこに、志貴の堕ち着く場所はありません。
 ベッドの傍らで優しい言葉を投げかける志貴の存在を横顔で感じながら、
 秋葉はただひたすら自分の夢の中の志貴を抱きしめているのです。
 でもそれは隣に居る志貴を無視している訳ではありません。
 ただ、夢の中の志貴と隣に居る志貴は似て非なるものです。
 秋葉の傍らで囁く志貴は、決して秋葉の元にはやってこれません。
 秋葉を包む黄昏があるとき、志貴はその元に堕ち着く先を持ち得ないのです。
 その排他的な黄昏は、秋葉の意志を含むものでもあるからです。
 秋葉を包む恐ろしい黄昏色のなにかを、それを理不尽として排除できない、
 それを当然と感じている秋葉なればこそ、その黄昏の存在は秋葉に認められているのだから。
 受け入れられない恐怖を受け入れ、
 そして受け入れたい志貴を受け入れない。
 それは秋葉の絶対的な矛盾する意志であり、
 そしてその矛盾は秋葉にとっては、他ならぬ当然なのです。
 だから秋葉の受け入れたくてどうしようも無く求めたかった志貴を受け入れるには、
 それは夢の中でしか可能では無かったのですね。
 夢の中の志貴だけは、自他共に認める秋葉が求めて良いものなのです。
 ですから、志貴の言葉にどれほど感激して頬を染めても、
 それは秋葉にとっては肌の表面を薄くなぞっていく微風の如きものでしかありません。
 どんなに秋葉がそれを引き込みたくても、志貴の優しい言葉を、
 自分の中にまで引き込むことが決してできないのです。
 
 そして。
 夢から目覚めた秋葉の目に志貴が映ったときの、秋葉の哀しみ。
 志貴の姿を認めて、一瞬まだそれが夢の中の志貴では無いかと思った秋葉。
 哀しいです。もの凄く、辛い。
 今目の前に居る志貴は、絶対に私の元に来てくれない。
 だから秋葉には、その志貴を自分の元に引き寄せるための最善の方法を妄想するしかできない。
 その妄想と化した志貴を手に入れる手段だけしか、それしか愛することの出来ない哀しみが其処に。
 秋葉は、目の前の志貴を求めます。
 シエルやアルクと言い争って自分の志貴への想いの正しさを証明しようとします。
 そして、そうしても決して自分の元に堕ち着かない志貴の姿を感じて、心より安堵しています。
 ただ空の上で輝いているだけの、決して自分の元に来れない志貴が居るの感じることで、
 自分がまだその志貴を求める妄想をしていて良い、そういう安堵を得ます。
 その安堵は、そして秋葉の流れない涙を作り出します。
 自分にはそれしか幸せがない、それなのにそのわずかな幸せにしがみついて安堵している自分が居る。
 求めたくても求めることすらできない。
 そして求めては駄目だと、自分でわかってしまっている。
 秋葉は、貪欲です。
 私は、秋葉はとてもとても自分が求めているものに執着を示していると思います。
 自分が志貴を求めることで志貴や世間に迷惑が及ぶからそうしない、
 そういう風には正直なところ全然考えません。
 そういう意味で、秋葉は非常に正直です。
 なによりも自分が幸せになりたい。
 ストイックなほどまでに自分を愛しています。
 秋葉は、そういう自分の姿を否定する事など考えも及びません。
 いえ、秋葉にとってはそうすることは、
 既に自分が生きている事からの逃避にしかすぎないことを知っているからなのです。
 どうしても欲しいものがある、それを否定してしまったら、秋葉は生きている意味が無いに等しい。
 でもそれでも、それでも秋葉は決して欲しいものを得ることが出来ないでいます。
 自分のしていることが、徹底的に志貴を拒絶する方向にしか向き得ない事を知っています。
 どうしても、志貴を求める事ができないのです。
 
 
 月の下で紅く染まる秋葉。
 
 
 紅い黄昏に決して月は堕ちない。
 月堕ちるは、煌めく朝陽の元のみ。
 人外の元に、人は決して帰らない。
 人帰るは、ただ人の中のみ。
 秋葉の、静かな絶望を感じます。
 逃げられないくらいに、目を背けられないくらいに、秋葉の哀しみが広がっていきます。
 今までの中で、最高の場面です。
 とてつもなく、恐ろしい。
 自分がどんなに言葉を綴っても、どんなに想いを紡いでも、
 決して変えられないこの紅い髪。
 どんなに欲しいと思っても、空で輝く志貴へと伸ばす手を、その髪は押さえつけてしまいます。
 ああ・・・そうか・・そうなんだ・・・。
 人では無い自分の姿、すべてをそのせいに出来たら。
 志貴を愛してはいけないことが、それが自分が妹であるからという事のせいに出来たなら。
 そうじゃないんです。
 秋葉は人であっても、妹じゃなくっても、おそらく志貴を求められない。
 人では無くて志貴の妹である事、それがすべての原因だ、と、今、この瞬間考えているのだから。
 きっと、それ以外の事のせいにして、また志貴に近づけない自分を作ってしまうのだろうから。
 そして。
 そして秋葉は其処まで考えて、そして。
 そして、自分が人ではなくて、そして志貴の妹である事実からは決して逃れられない事を、
 改めて実感してしまうのです。
 なにかのせいにしようとしまいと自分でどんなに想像したとて、
 自分が今、紅い髪をした志貴の妹であることに変わりは無いのだから。
 月に照らされて、志貴に見つめられて、秋葉は何度も何度もその事実を思い知らされた事でしょう。
 志貴と再会して、自分が人では無くて志貴の妹であっても、それでも愛していられる、
 そう思い、そう思えた自分が嬉しくて堪らなかったのに、
 段々とそれがどうしようも無く自分だけの言葉にしか過ぎない事がわかってきてしまう。
 ある意味、秋葉が倒れたのは志貴のせいなんです。
 今度こそ、秋葉は自身の事を思い知ってしまったことでしょう。
 志貴の妹ですら居られなくなったのかもしれないんです。
 そうなれば、自分の隣で笑ってくれる志貴も居なくなってしまうかもしれないのです。
 
 私は、こう考えます。
 秋葉にとっては、夢の中の志貴が居ることが重要であると。
 そして、それだけがあることは秋葉にとっては最も辛いことであると。
 志貴と幼い頃に別れて、秋葉はずっとその夢の中の志貴と共にありました。
 その夢があることを確かに感じて安堵しながらも、
 それが夢でしかない、その事実が秋葉の瞳から光を奪ってきたのです。
 けれど志貴が帰ってきてからは、秋葉のその瞳に光が灯ったのです。
 秋葉には夢の中の志貴しか抱きしめる事はできないけれど、
 志貴が其処に居てくれれば、夢の中の志貴を現実に顕現させるための依代として使えるのです。
 そしていつか夢の中の志貴と現実の志貴がひとつになって、自分の元に来てくれるかもしれない、
 そういう淡いかすかな想いを秋葉は抱けたのです。
 それが絶対に不可能な事であるからこそ流れない涙を流しても、
 それでもその想いを抱けること、それが秋葉にとっての最高の幸せだったのかもしれません。
 兄さんは、きっと帰ってきてくれる。
 秋葉の想いは、ずっとそうなのです。
 そしてそれが、秋葉のただひとつの希望、なのです。
 そして、その希望は秋葉の隣で志貴が笑っていてくれて、始めて輝く事のできる希望なのです。
 絶対に自分の元には来てくれないけれど、でもいつかきっと。
 そう信じることだけは、絶対に秋葉は手放したくなかったのです。
 なのに・・・。
 それなのに、秋葉は月を消し去る紅い黄昏を引き剥がす事ができないのです。
 
 
 
 今回のお話は秋葉でした。
 なによりも秋葉でした。
 本当は秋葉の一人称でしっとりと書き上げるべきでしたけれども、
 でも、そうもいかなかったのです。
 実は、このお話は秋葉だけでは成り立ちません。
 志貴が秋葉を見ていて、初めて顕われるお話でした。
 私は、月の下で紅い髪を晒す秋葉、
 そしてそれを見つけた志貴のシーン、それこそがこの月姫という存在を創っていると思っています。
 だから、どうしても秋葉の独り語りだけではまとめる事ができなかったのです。
 ええ、秋葉の一人称的文章にしたくて堪らなかったのですけれどもね(笑)
 それはいずれ機を見て実現すれば良いとも思っています。
 そして。
 次回以降、秋葉のあの姿を見た志貴がどう秋葉に対するのか、それが最大の注目点です。
 私は正直、この秋葉と志貴の事が大変に気になっています。
 簡単に類型化することはできませんけれど、このような関係にこそ興味を抱いています。
 秋葉が人では無いから、秋葉が志貴の妹であるから、
 それは当人達にとっては重要ですけれど、私にとってはそれは本質的なことではありません。
 むしろそれがどういうことであるのか、それを考えることこそが最大の関心事です。
 向き合っているものと向き合うことで、自分が見てこなかったものに気づく。
 そうして気づいた事を拾い集めていくと、改めて今向き合っているものに意味に気づく。
 私は、秋葉が好きです。
 とてもこれから秋葉がどういう風に考えどういう風に感じていくかに、興味が永久に尽きません。
 それは、私が秋葉の考え方を知っているからこその無尽だと思います。
 私の知っている考え方は、私が接してきた多くの作品から導き出してきたもの。
 だからいくつかの作品の登場人物と秋葉を比較することもできますけれど、
 今日は致しません。面倒だし(笑)
 そして。
 その秋葉をさらに知るためには、志貴をさらに知らなくてはいけないという事に、
 否が応でも気づかされます。
 志貴無くして秋葉は在り得ません。
 どちらかだけが空の上で輝いているのではありません。
 もう既に、志貴にとっても秋葉は手の届き得ぬ孤高の紅月となっているのだから。
 そして、秋葉にとっての志貴も、地にたむろする黒い黄昏となっているのかもしれません。
 秋葉と志貴、ふたりは今、空を見上げ、地を見下ろしています。
 決して、その視線が交差すること無く・・・・
 
 薄い風の流れを感じながら、今宵のお話はこれでお終いです。
 
 
 
 

-- 040611--                    

 

         

                             ■■ 『偽王女の小夜曲』 ■■

     
 
 
 
 
 『こういうとき祈れる神様がいないのって、不便よね・・』
 

                            〜 第十話のラクウェルのセリフより〜

 
 
 
 
 わからない事がたくさんある。
 たくさん、あったんです。
 でもそれでもなぜか生きてこられた。
 どうして私が生きて良いのか、そんな事はわかりませんでした。
 私はただ迫害されている中で、私を迫害しない人に出会い、
 そして迫害されない自分を知った、ただそれだけ。
 それが嬉しかったのかどうかより、私にはそのように生きていく事だけしかなかったのです。
 私は、普通の人間ではありませんでした。
 魔の落とし子と言われ、異能の力を持つことを蔑まれ、そして追いやられてきました。
 私はただ、悲しかった。
 きっと、そう扱われる事がおかしいだとか、間違ってるだとか、そんな事は一切考えずに、
 ただただ泣いてうずくまっていただけなのです。
 別に、その悲しい自分の姿に酔っていた訳ではありません。
 たぶん私には、そんな余裕すら無かっただろうから。
 
 未来が、見える。
 その能力があることは嘘じゃないけれど、でも私にとってはあまり関心の無いことでした。
 私のこの能力は確かに他の人々には無い特別な力かもしれないけれど、
 私にとっては、それは寝ているときに夢を見るのと同じくらいにごく普通の事なのです。
 私は・・・私は、他の人々からそれが特別であるといわれるまで、そうと気づかなかった。
 私は、それが忌わしい魔の落とし子の証しであると、誰にも言われなければ知ることも無かったのです。
 だから私は、他の人々によって忌わしい存在にさせられたと、そう心のどこかで思っています。
 それでも、私はそれを憎むことができませんでした。
 ただ・・・悲しくて・・・。
 
 悲しい、というこの気持ちがあることが、私にとって大事な事でした。
 こんな私でも抱きしめられる自分の体があると、そう感じられるのが悲しい気分のときだけでしたから。
 この気持ちは、嘘じゃない。
 私、悲しいんです。
 悲しいから、誰かを憎んだり、誰かに助けて貰おうなんて思わなかった。
 憎む事で得られるものも、助けて貰うことで見える未来も無い。
 私はひとりで生きています。
 そして、誰とも生きることができませんでした。
 だから・・・・・。
 
 私は、レナード様と出会って、そしてなにも変わりませんでした。
 そう、なにも。
 私を迫害しないこの人に出会っても、私はなにも変わらない。
 不幸な想いを抱きながら集まってくる人々に囲まれて、それでも私の中のものはなにも変わらない。
 だから、私は。
 だから私は、嫌になったのかもしれません。
 悲しい自分の姿をずっと見ていることが変わらない事、そのことを見るのが嫌に。
 迫害されてきた人々の中で認められて生きる自分の姿、それをこそを見たいと思いました。
 それは、単なる気晴らしにしか過ぎないものかもしれません。
 けれども、そうしているほうがなにか自分で自分を生きているような気がしたのです。
 私には、なにもわかりません。
 だから、わかる人の言うことを聞いて、その通りに行動しようとしたのです。
 私は、レナード様を信じています。
 レナード様が仰る事がどんな事であるかは関係無い。
 ただレナード様に私の思考を預けて、そして・・・・。
 
 嗚呼、悲しい・・・・・
 
 未来が見えるのがなんだと言うんだろう。
 レナード様がなんなのだと言うのだろう。
 パシフィカさんが私と話してくれる、それだけでなんでこんなに幸せなんだろう。
 わからないんです、なにもかも。
 マウゼルの神に迫害された者同士でありながら、
 それでいてあまりにも私とは違うパシフィカさん。
 なにが違うの・・・どうして・・・。
 レナード様・・・どうしたら・・・どうしたらいいのです。
 ・・・そうして答えてくださったレナード様の御言葉に、一度として納得したがことないくせに。
 ブラウニンなんて、どうでもいい。
 私には、レナード様がどういう方だろうと関係ないのです。
 私を迫害しない、私が生きていて良い理由を与えてくださる、ただそれだけ。
 レナード様が居たから私は生きられる。
 ・・・・・私は・・私は・・・。
 レナード様を信じて・・・・そして・・。
 私は私のことがどうでも良かったのです。
 
 
 
 
 ・・・・・・
 
 あのねぇ。
 私もさぁ、わっかんないこと一杯あるよ。
 というか、ほんとそうだよねぇ。
 なーんで世の中こうも一杯わかんない事だらけなのかって、時々思うよ。
 うんうんうん、エルフィティーネってそれでもなんとかやってこれたんだから、すごいじゃん。
 私はさ、私がわからない分は全部シャノン兄やラクウェル姉にやって貰っちゃってるからねぇ。
 エルフィティーネは、未来が見えるなんて大変な能力持っちゃってて、
 その分一杯一杯その力のせいで辛い目に会ってきたんだよね。
 私なんてさ、大した能力持ってないから全然大丈夫だったけどさ。
 エルフィティーネの辛さってのはわかるつもりだよ。
 でも、私なんかよりエルフィティーネの方が何倍も辛い想いしてきただろうね。
 だからさ、私はエルフィティーネは偉いって思うよ。
 それでもちゃんと生きてるんだからさ。
 うん、私、エルフィティーネみたいな人、好き。
 だって、とっても優しいじゃん。
 エルフィティーネは、わかんないこと一杯あるって思ってるだろうけど、
 でもわかってる事の方が、きっとその何倍もあると思うよ。
 だって、自分がなんもわかんないってことを知るには、色んなコトわかってないとできないはずだもん。
 エルフィティーネ。
 ほんとは、自分の事不幸って思ってないでしょ。
 全然悲しいなんて、思ってないんでしょ?
 そしてだから、そうとしか思えないから不幸で、そして悲しいんでしょ?
 すごく辛い事があるのに、それに対してなにも感じられないで済む自分の強さが嫌なんでしょ?
 なにもわかっていないはずなのに、なにもかもわかってる事が怖いんでしょ?
 レナードの事を信じたいのに、レナードを信じられない自分が恥ずかしいんでしょ?
 私はね、だからエルフィティーネは凄くて、優しい人だと思うの。
 
 
 でも、それは本当はどうでも良いはずなんだよね、エルフィティーネにとっては。
 
 
 なんかさぁ、おかしくない? レナードって奴。
 エルフィティーネもさ、わかってんでしょ?
 でも・・・。
 私さ、なんかエルフィティーネの事、わかるよ。
 それでも、レナードの事信じたいんでしょ?
 レナードがそう言ったから、それに意味があるんでしょ。
 きっとそれって、レナード自身には意味が無いってことなんだよね。
 レナードを信じるって、それはエルフィティーネにはどういう意味があるのかな?
 
 私ね・・。
 私も言うよ。
 
 
 『私はね、私、生まれてすぐに捨てられたの。
  だけどシャノン兄とラクウェル姉の両親が、私を育ててくれた。
  シャノン兄やラクウェル姉の居たウチだったから、私は今の私だけど、
  もし違う人に拾われていたら、私もその人を信じて頼ることしか出来なかったと思う。
  私もね、お兄ちゃんとお姉ちゃんを信じてる。
  この世の中で私を信じてくれるのは、お兄ちゃんとお姉ちゃんだけだから。
  だから・・・。
  もし私が生きてちゃいけないんだとしたら、ふたりに殺して欲しいと思ってる』
 
 
 
 『エルフィティーネは、ほんとに廃棄王女なの・・・?』
 
 
 
 ◆ ◆
 
 パシフィカさんに怒られたような気がしました。
 私はそのとき、確かにそう感じました。
 なんの力も無いのに、みんな私の事怖がるなんておかしいよね、って言って、
 そして私の方を向いて笑ったパシフィカさん。
 私・・・・自分がもの凄く恥ずかしかった。
 私は、自分の能力にすべて依存していたのです。
 私が不幸なのも全部この能力のせいだって、そう思っていたんです。
 なによりもそれが「嘘」だとわかっているから、そのせいに出来たんです。
 きっともし私にその能力が無かったとしたら、私は自分の事を不幸だなんて思え無かったはずです。
 いえ。
 不幸だと思おうとさえしなかったはずです。
 だから私は、不幸でもなんでも無いんです。
 そしてそのことは最初から知っていました。
 そしてだから、自分が不幸では無いことが悲しかったんです。
 パシフィカさんは・・・・。
 パシフィカさんは、なんの能力も持っていない。
 だからパシフィカさんは、いかなる不幸の理由となるものも持つことが出来ない、
 真の不幸を前にしていたのです。
 パシフィカさんの笑顔、それは笑うしかないから笑ったのです。
 自嘲、だったのかもしれません。
 誰のせいにも出来ないのに、それでも笑わずには居られない自分に呆れて・・・。
 
 私もパシフィカさんのことが、よくわかります。
 パシフィカさんは、きっと誰も信じていないし、なにかを誰かのせいにしたりしないんですよね。
 そして、だから誰かを信じ、誰かのせいにしたりできるようになれたんですよね。
 祈るべき神様が居ないから、だから神様を創れるんですね。
 私は、パシフィカさんの中に、確かに神が居ない事を感じました。
 なにもできない自分を許すことが出来ない自分を絶対に許さないから、
 お兄さんやお姉さんを信じ切って、そして甘えていられるのですよね。
 信じるって、そういう事。
 誰かを信じる事無く生きるなんて、それ自体がすごくおかしい事なんです。
 誰かに甘えられない事、それはひどく間違ってる事なんです。
 祈るべき神を創れないのなら、それは自分ひとりでは何もできない事と等しいんです。
 パシフィカさんは、確かに神を創っていました。
 お兄さんとお姉さんに頼り切って、そして信じ切って自分が生きる事の責任をふたりに押し付けていました。
 私には・・・私には到底同じ事はできません。
 私はレナード様を・・・・・信じているのに信じてなどはいなかったのですから。
 私はレナード様を信じています、という時の例えようもない背徳感。
 そしてなによりも、そんな背徳感自体にはなにも感じていない自分が居るのです、私には。
 パシフィカさんの仰る通り、どうだって良かったんです。
 そう、レナード様や他の人達がどうなったって構わなかったのです。
 私は、私の事を考え他人を軽んじ、そして私の事を考えることが出来なくなりました。
 だから、他人を重んじた。
 いえ、他人のせいにした。能力のせいにした。
 私とパシフィカさんは、ですから根本的に全然違うのです。
 同じ道を歩きながら、違う方向を歩いているのです。
 
 だから私は・・・・。
 私は、レナード様を信じます、とこれだけははっきり言います。
 レナード様に面と向かって本当に言います。
 私は、レナード様に殺されたっていい。
 いいえ。
 レナード様に殺して欲しい。
 そしてだから、私達を信じてくれた人々を裏切るのはやめにしましょう。
 私は、ちゃんと最初から知っていることをはっきりと言います。
 私は、あの人々を愛しています。
 そして、誰よりもレナード様を愛しています。
 これは、私の意志です。
 そして、私の意志はレナード様の意志です。
 そして、私を信じてくれた人々の想いもまた、私の想いと同じものなのです。
 だから、レナード様。
 もう、やめて。
 私は不幸でもなんでもありません。
 私は悲しくなんかありません。
 私はもう、信じることを恥じたりはしません。
 でも私は、私の能力に甘えます。
 私は、私の能力を幸福の扉を開く鍵と致します。
 私は、パシフィカさんでは無いのだから。
 
 
 
 
 みなさん。
 
 
 『私は・・・・私は廃棄王女ではありません!』
 
 
 
 
 
 ・・・・・・
 
 ほらやっぱり、エルフィティーネは凄いよ。
 やればできるんだから。
 エルフィティーネは、色んなコトを知ってて、いろんな事を知らないから・・・。
 私には、絶対にエルフィティーネの事はわからない。
 うん、レナードの仮面を拾い上げたときのエルフィティーネの顔は、
 私にはやっぱり絶対に出来ないし、だからやっぱりエルフィティーネは優しくて凄い人だと思う。
 私、エルフィティーネは人を信じて人のせいにすることも出来てると思う。
 だからね、エルフィティーネみたいに私はなれないけど、エルフィティーネの凄さはわかるよ。
 そうそう、エルフィティーネの未来を見る能力は、色々使い方あるんだからさ、
 全部それのせいにして生きてみたって良いと、私も思うよ。
 なにもかも能力のせいにしちゃいなよ。
 困ったときには、全部神様に祈って、それでもうまくいかなかったら神様のせいにしちゃいなよ。
 うん。
 もう、エルフィティーネにはそれが出来る資格があると思うんだ、私。
 あ、もーう、エルフィティーネ、そんな顔しないでよ。
 エルフィティーネはエルフィティーネ、私は私なんだから。
 そこまでエルフィティーネが考えてくれなくってもいいんだから。
 
 
 廃棄王女は、私なのだから。
 
 
 
 
 (色々な意味での)参考文献: すてプリ公式サイト第10話ストーリーコラム → 
 
 
 
 
 

                          ◆ 『』内文章、アニメ「スクラップドプリンセス」より引用 ◆

 
 

-- 040608 --                    

 

         

                                 ■■あたふたふた■■

     
 
 
 
 
 ごきげんよう、紅い瞳です。
 
 梅雨入りなのだそうで、すっかりと雨降って蒸し暑い日々、が続いています。
 やっぱりどうしても梅雨は好きになれないけれども、
 そんな事も言っていられないほどにてんてこ舞いな状態です。
 もうなんか、雨降ってようが晴れてようが関係無いって感じです。
 そのうち傘も差さずに雨の中彷徨っている人を見つけたら、それは紅い瞳だと思ってください。
 
 ◆ ◆
 結構前のお話ですけれど、母が庭に薔薇を植えるだの植えないだのと仰っていました。
 薔薇と聞くと心躍る体になってしまった私は興味津々。
 
 私: 「薔薇ってどの薔薇植えるの?」
 母: 「あんた薔薇の名前なんて知らないでしょ。聞いてどうするのよ。」
 私: 「まぁいいじゃん。言うだけ言ってみれば。」
 母: 「そう? 一応今考えてるのは、ロサ・・」
 私: 「え!? ロサギガンティア!?」
 母: 「違う。ロサムンディ。って、なんであんたロサギガンティアなんて知ってんの?」
 私: 「ああうん、ちょっとね。」
 母: 「あとそれだけだと淋しいから、それとは別に赤薔薇系か黄薔薇系のをひとつ植え・・」
 私: 「白薔薇で。」
 母: 「は?」
 私: 「いやだから白薔薇で お願いします。」
 母: 「・・・・」
 私: 「・・・・」
 
 と、こういうやりとりがありました。
 勇者と褒めてください。
 
 でも、気づいたらロサムンディ(コレのこと)しか植えられてませんでした。
 白薔薇は?白薔薇は?白薔薇は?
 次こそは白薔薇も。
 
 ◆ ◆
 本をまた借りたり予約してきたりしてしまいました。
 
 借りてきたもの 1 :
 ・十二国記 月の影 影の海 下 (小野不由美 講談社)
 ・十二国記 風の海 迷宮の岸 上 (小野不由美 講談社)
 ・十二国記 風の海 迷宮の岸 下 (小野不由美 講談社)
 
 陽子さん万歳、とか。泰麒萌え、とか適当に。
 月の影影の海での陽子さんてばステキ。
 というかああいう考え方は感心するというより、
 オプションとして常に自分の傍らに置いておけるとすごく役に立つ。
 自分の考えに対する反駁材料としても使えるし、シンクロさせて考えの裾を広げる事もできたりするから、 
 いつ読んでみても新鮮であると同時に古臭い感じもするんだよね。
 古臭いっていうか自分にとってお馴染みというか。
 これからもよろしく陽子さん、というか。ん、違うか?
 泰麒は泰麒で可愛いのだけれど、可愛さという観点では圧倒的にアニメ版の方が可愛い。
 というか小説版の第三者的書き方の影響が大きいからなのだと思うけれど。
 でも、逆にこの第三者的書き方、つまり独白形式じゃない一般的な書き方って、
 改めて見てみると結構面白いネ。
 泰麒の想いの向う側が透けてみえます。
 
 借りてきたもの 2 :
 ・マリア様がみてる (今野緒雪 コバルト文庫 集英社)
 ・マリア様がみてる 黄薔薇革命 (今野緒雪 コバルト文庫 集英社)
 
 ついに来たかと思いっきり身構えている私を尻目に、しばらく放置。
 いやだって、今はちょっと無理だから。
 少なくとも今週は無理。っていうか無理。無理。
 来週には少し時間できるので、そのときに一気に読んで一気に感想書く予定。
 ちなみに、いばらの森とロサカニーナとウォレンティーヌス前編までは予約済み。
 でもウォレンティーヌスの後編はなぜか所蔵記録はあるのに、所在不明とのこと。
 ・・・・。
 誰だパクった奴は。
 
 
 
 いい感じでやる気が抜けてきたあくまでおまけと言い張るマドラックス感想:
 セカンダリ。(挨拶)
 ぼーっと見ていたらぼーっとしたまま終わってしまって、慌てて巻き戻してもう一回見てしまったりして、
 一応2回見たから理解も深まったかと思いきや、2回目もぼーっとしていてお手上げ、
 そんなマーガレットお嬢様ちっくに見てはいけませんか。
 だって、エリノアが起こしてくれないんだもの。
 なにげに影が薄まりつつあるエリノアさんを尻目に、ヴァネッサさんの大攻勢。
 自分の勤めている会社がガザッソニカの内戦に介入しているかもしれないと疑っているヴァネッサさん。
 かつての悪友もとい旧友を煽てて、会社の内部プログラムにハッキングを仕掛けて証拠を掴もうとします。
 人が死ぬのをみて見ぬフリはできない、と正義心に燃えていますが、
 こういう役回りは死亡率が高まりますのでお気を付けて、ヴァネッサさん。
 真実とかなんとか。
 むしろヴァネッサさんの動機はその真実とかいうものの追求にあるように思われますので、
 熱い正義漢ぶりはやっぱりある意味方便と見た方が良いかもしれないので、生存率は少しUp。
 物事に中途半端に首を突っ込むだけだと大怪我をしかねませんけれど、
 真実なんていうど真ん中にまで一気に飛び込んで行く気概があれば、結構生き残れるものです。
 ヴァネッサとのデートのために
 アンファン相手にギリギリのところまでに食い込んだ旧友さんが生き残れているのがいい証拠。
 名前は忘れたけど。
 パクったデータをかろうじてガザッソニカのある場所に転送できたので、
 ヴァネッサさんはガザッソニカにご出張。
 ヴァネッサさんがここまで根性見せるのは、やはり内戦で人が死ぬとかどうとか以外の目的がある模様。
 なぜか憂い顔のまま相当気合い入っていて、少し危なげな様子。
 と、思ったら、ガザッソニカ到着早々マドラックスさんとニアミス。
 マドラックスに近づいて、そしてそのまま振り向きもせずに離れていくヴァネッサさん。
 ヴァネッサさん、くれぐれもお気を付けて。
 
 マンネリ万歳。
 
 
 
 

-- 040606 --                    

 

         

                           ■■堕ちない月の影の下で■■

     
 
 
 
 
 月姫第七話についてお話させて頂きます。
 
 志貴と秋葉。
 志貴とアルク。
 志貴と弓塚。
 というよりは、志貴を見ている秋葉、
 志貴を見ているアルク、そして志貴を見ている弓塚が其処にはいました。
 三人の志貴の取り合いのように見えて、
 それでいて誰もが志貴を引き込む事ができていない空疎感があります。
 彼女達は、それぞれの想いと理屈を以て志貴を引き寄せようとしていますけれど、
 しかしそれは一向に志貴には作用しないのです。
 志貴は志貴で、ただそこに所在無げに浮遊しているだけ。
 それは、秋葉に傾くかアルクに傾くか、それとも弓塚に傾くか、そういう逡巡がある浮遊では無く、
 いかなるところにも赴かない、ただ其処に居ることだけを目的とした浮遊なのです。
 志貴は、彼女達の想いと理屈をそれぞれ調整するでも無く、
 ただ其処に独り美しく立っているのです。
 彼女達の引力に靡く様子をそよとも見せずに、
 それでいて、その引力自体に確かに反発している様子が窺えます。
 或いはそれは、三人それぞれの想いを知っていながら(弓塚の事に気づいているかは不明)、
 それでいて敢えて無視して自分の場所に立っている事に依存している、とも言えます。
 有彦をして自己防衛と言わしめた、その志貴の様子。
 彼女達は、それでもそんな志貴にお構いなく、自分の欲求を満たすことに勤しみ、
 そして志貴を想う三人が同じ場所に居合わせた事で、
 結果、志貴が自分に靡くかどうかよりも、
 自分の論理がどれだけ間違っていないかの証明をしようと、三人はそれぞれ躍起になっています。
 自分の考えは間違っていない、自分の想いはそれでいいんだ、
 そう自分で言えるようになるために、三人が互いに自分の姿をそれぞれの姿に照らし合わせ、
 批判し合いながら自問しているのです。
 
 その自問の繰り返しを、ただどこにも属さずに見守っていてくれる志貴が居る。
 秋葉もアルクも弓塚も、その志貴の姿を自分の問いの向うに見ているからこそ、ずっと問える。
 自問自答し、その論理と志貴が離れていてくれる事に安堵している。
 何処にも属さない志貴を想う、それはとても悲しい事でありながら、それでいてどこか嬉しい。
 私は、秋葉もアルクも弓塚も、きっとまだ自分の理屈に自信が持てていないと、そう思っています。
 今もし、自分のこの気持ちの通りに志貴が動いてくれたとして、自分の元に来てくれたとして、
 ではそれで自分は本当に満足できるのか、
 彼女達は、それぞれに否、と思っているように見受けられます。
 まだ自分のこの想いで、志貴を受け入れたら駄目になる。
 彼女達は、とても貪欲です。
 そしてその貪欲であるということが、とても繊細で精密であらねばならない、ということを知っています。
 自分がなによりも求めているものを得るには、なによりも完璧なモノとして受け入れなくてはならない。
 秋葉もアルクも弓塚も、志貴を想う、その想いが強ければ強いほど、
 それに比例して慎重にならねばならないことを知っているでしょう。
 
 秋葉は。
 秋葉は、志貴のことをとても心配している、という言葉を使用しています。
 そしてその言葉を中心に据えて、志貴を我が元に引き寄せようとしています。
 自分はこれだけ心配しているのだから、志貴のためを思っていっているのだから、
 だから志貴にはそれを受け入れる義務がある。
 自分が勝手に想っている事を、「心配」という大義名分を以て装飾し、それを志貴に示し、
 そして志貴の反応を窺うという方法をとっています。
 また、その大義名分の重さをより強調するために色々と画策し、
 そして出来る限りその大義名分の出所を不確かなものにしようとしています。
 志貴に、志貴を心配するとはどういうことか、と問わせないようにしているのです。
 あくまで自分は志貴を心配してあげているのだから、
 自分は常に志貴より優位に立っている、そう思っていると思います。
 その優位さの証明は、別の方法でも為されています。
 自分は志貴の事を「勝手」に心配している、それだけじゃ駄目ですか、と秋葉は言います。
 それはつまり、秋葉のへりくだった謙虚さの提示でもあります。
 そしてその謙虚さに志貴が同情してくれる、そういう狙いがあって、
 そしてそれは同情を与えられる、のではなくて同情を与えさせる、ということでもあるのです。
 高圧的な態度を見せていながら、それでいてふっとしおらしい姿を見せる哀れさ。
 その哀れさを駆使して、秋葉は志貴に迫ります。
 迫って、そして。
 そして秋葉は、その方法で志貴を引き寄せる事をやめるのです。
 そこに、秋葉は自分の愚かさと汚さを見て取ったから。
 決してこちらを見ない、志貴の背中を見つめていたいから、です。
 
 アルクは。
 アルクは志貴に最も近づき、そして最も志貴から離れている、
 三人の中で、最も移動距離が長い人です。
 今、志貴が正面に捉えているのは、アルクです。
 アルクもまたそうして自分を見てくれるのが嬉しくて、そしてそれが当然と思っていました。
 志貴の夜を知るのは自分だけで、そして志貴には自分から目を逸らせられない理由がある、と。
 夜がある限り、志貴は自分から離れはしない、と。
 志貴が自分の元に居るのは当然で、そして自分が志貴の元にいて良いのもまた自然。
 アルクは、志貴を引き寄せる、というよりも自分から志貴の元に常に赴いています。
 自分の範疇に志貴を取り込む必要が無いほど、志貴とは接点が多いからなのです。
 志貴に一番近いのは、私。
 アルクはそれが当たり前の事であるからこそ、
 それが当たり前でない秋葉と比べて貪欲さには欠けています。
 アルクは、志貴を得るための画策を弄さずに、既に志貴を手に入れている、そう思っているからなのです。
 自分が志貴の元に居て良い理由を、なんの努力も無しに有しているので、
 自由に志貴の元に出入りしています。
 そして。
 そして、アルクは知っています。
 自分が、最も志貴から遠いところに居るということを。
 自分が人間では無いということがどういうことか、それは志貴の見ている秋葉や弓塚を見ればわかる。
 絶対に越えられない壁が、アルクと志貴の間にはある。
 志貴が人間であり、そして人間として生きていく以上、
 志貴は人間として生きる志貴を尊重し、そしてアルクにもまた人間であることを求めます。
 秋葉達と遊園地で一日共に遊んで、そのことを強くアルクは感じたはずです。
 志貴はあくまで人間だ、と。
 たとえ人間で無い自分を志貴が見ていてくれても、
 絶対に志貴からアルクの方には来てくれないのです。
 アルクが志貴の元に行くしかないのですね。
 アルクは志貴の元に寄ることが出来て最も志貴に近い人になることはできても、
 志貴から自分の元に来てくれるための道のりは、最も遠いのです。
 そして。
 アルクはその自分の志貴との近さと遠さを、それを当然として受け入れるしかできません。
 アルクにはそもそも、いかなる策略も持ち得ないのです。
 なぜなら、どのような策略も無駄だ、と知っているから。
 ですから、アルクは元々志貴をどうにかしようとは思っていず、
 どうすれば、この志貴から近くて遠い自分の存在に納得できる理屈ができるか、それを考えています。
 温泉で弓塚と話をしていたアルクは印象的でした。
 自分の心がどう落ち着こうと、それは全然志貴とは関係無い。
 アルクは、確かに志貴の恋人ではありません。
 そしてまた、恋人になることもできないのです。
 どんなに容姿が良くても、どんなに志貴に好かれようと、
 そして自分がどんなに志貴が好きであろうと、志貴の恋人にはなれない。
 志貴が人間である限り。
 いいえ。
 志貴が、人間でいようとし続ける限り。
 
 弓塚は。
 弓塚は、なによりも自問自答しています。
 というより、どうすれば志貴を引き寄せられるかを考えるのでは無く、
 どうすれば志貴を受け入れられる自分を作れるか、そう考えて居るように思えます。
 そういう意味で、弓塚は最も自分に自信が無い人です。
 そして、だからこそ最も貪欲で、そして最も繊細な人です。
 今、この状態で志貴を受け入れても、きっと自分は幸せになれない、そう考えています。
 だから弓塚は、自分から志貴へとアプローチをしないのでしょう。
 だからアルクの方が志貴の恋人に相応しいなんて言うのでしょう。
 でも、自分が志貴には不釣り合いであるからといって、
 だから志貴への想いが弱いか、というのとはそもそも関係がありません。
 志貴への想いは、秋葉にもアルクにも負けていません。
 そして、負けていないからこそ、自分だけが志貴に不釣り合いである状態に囚われて、
 その状態をなんとかしたいと、なによりもまず考えています。
 けれど、なんとかしたいと思っている事自体が、既に志貴を想う者として失格なのでは無いか。
 不釣り合いなのに、無理矢理志貴を振り向かせようとする強引さは、恥ずかしい事では無いのか。
 弓塚はそう考え自分を戒め、そしてそれと同時にそれが逃避であることにも気づいています。
 自分の自信の無さを理由に、志貴に近づく事から逃げている自分を見つめながら、
 だからただひたすら志貴とは無関係な状態を保ちながら、
 ただひたすら志貴を受け入れて幸せになれる自分を作ろうと頑張っているのです。
 弓塚にとって、志貴が自分のほうを見てくれないのは、だからそれは悲しいけれど嬉しいこと。
 志貴の背中を遠くから見つめながら、それで志貴に相応しい自分の姿を建設する。
 できるだけ志貴とは関わらないで、志貴の迷惑になることは絶対避けて、
 そしていつか志貴が迎えに来てくれるのを待っている。
 そして。
 弓塚は、そうやって志貴に触れないで待っている自分の姿を、なによりも激しく憎んでいます。
 唇を噛みしめただ志貴から離れていなくてはいけない自分の姿にこそ、唇を噛む。
 そしてそれを誰のせいにもできないこと、それだけは絶対に忘れないようにしながらも、
 それなのに、今自分が考えていることが逃避にしか過ぎないことに気づかない。
 気づいているはずの事に気づいていない。
 弓塚が必死になってため込んでいる自分への自信は、
 ごく簡単に弓塚の体から漏れ出ていっています。
 
 三人が三人とも、志貴を引き合おうとしながら、その手を固く自分の身から離さない。
 けれど、彼女達が伸ばしたくても伸ばせないその手の意味には、それぞれの違いがあります。
 なぜ、手を伸ばして志貴を自分の元に引き寄せないのか。
 アルクはそれがしたくてもできずに、そして秋葉と弓塚はそれをして良いのかと悩んでいます。
 そして秋葉はさらに志貴を引き寄せる自分の方法論の是非を問い、
 弓塚は志貴を引き寄せて良いのかという問いが自分に発生すること自体良いのか、と問うています。
 私は、秋葉が好きです。
 アルクも弓塚も好きですけれど、今の私は秋葉が好きです。
 そして私の目を通してみた秋葉は、弓塚の悩みも内包しているように見えます。
 というより、秋葉は弓塚の上位に位置していると考えています。
 上位、というと語弊があるかもしれませんけれど、
 もし弓塚がこの秋葉の姿を知っていると仮定すれば、
 きっと弓塚は秋葉の状態を目指すと思うからです。
 逆に、秋葉は弓塚の状態になろうとは考えないでしょう。
 弓塚は自分の状態が次なる段階のステップでしかないと考えている故に自信が無いのです。
 逆に上位、というのはその程度の意味でしかないです。
 そしてまた、それは私が弓塚の状態を想定できても、秋葉の状態を確実に想定できる自信が無い、
 そういうところに発生する差異であるのかもしれません。
 正直、秋葉は難しいです。
 そして難しいからこそ、憧れることが出来、そして憧れるからこそ、
 自分もまた秋葉により一層近づいて考える事ができるのです。
 今一番考えたいのは秋葉です。
 秋葉は自分以外のなにものかになりたいとは考えていない。
 そしてそれは同時に、そう思えない自分に苦しんでいる証しでもあります。
 誰かのせいにしたくないのに誰かのせいにすることをやめられなく、
 だから故にその誰かのせいにすることを絶対に認めない、
 そしてさらにまたそのその自分の気持ちを認められない自分に腹立たしさを感じ、
 そして誇りをも感じている。
 そしてその誇りは不純で・・・。
 
 秋葉にはどうしても突破出来ない壁があります。
 自分の遠慮の無さで、自分の真剣さを見せていることが、
 それ自体が非常に愚かしいという事。
 秋葉のしようとしていることは、志貴を強引に自分の元に引き寄せようとしていることに変わりなく、
 それは結局秋葉の欲しかったものを自ら破壊している事になります。
 自分がどうすれば志貴を引き寄せる事ができるかと、
 ひたすらに考えを巡らし、その考えの反駁すら出来ているのに、
 それなのにいつも実践した自分の言動は、志貴との距離を離れさせるばかり・・・。
 ある意味、秋葉に間違っているところなどありません。
 秋葉はとても賢くて、そして強い人です。
 自らの持てる能力を最大限まで引き出し、そしてそれをフル活用できているように見えます。
 でも、それでも秋葉は、自分がそうして必死に伸ばした手が決して志貴に触れてはいけない、
 ということを知っています。
 逆に言えば、触れてはいけないとわかっているのに、
 それなのにどうやって手を伸ばせばいいのかばかり考えてしまうのです。
 志貴が自分から離れていれくれれば、
 どんなに自分が策略を巡らしても手が届かないで済む事に安堵していながら、
 それでもどうしても手を伸ばそうとすることを諦めきれない。
 そして秋葉は。
 この自分の状態に、はっきりと絶望しているのです。
 
 誰も知らない絶望の下に広がる秋葉の自身への想いが、月姫には確かにみえるのです。
 
 
 
 話の内容として、かなりの動きがあったお話でした。
 次回以降、秋葉の姿がどのように動くのか気になるところです。
 シエル先輩を嫌悪する理由も語られる事でしょう。
 語られなくても想像はつきますけれど。
 おそらくしばらく志貴と秋葉のお話になりそうですけれど、
 今回のお話に於いてのアルクの志貴と距離を置いたぶらさがりっぷりには興味が尽きないので、
 むしろ、アルクと秋葉との間に発生するだろう風の流れを中心にして見ていけたら面白いかも知れません。
 といっても、それは難しいと思いますけれど。
 やはりここは、秋葉中心で。
 弓塚は、どうやら入り込む余地が無さそうなので、
 それに甘えさせて貰ってしばらく言及しないで済みそうです。
 弓塚の事まで書くと、正直感想書き終われません(笑)
 
 それでは、かなり個人的に楽しんで長文を書き終えましたところで、お終いとさせて頂きます。
 長文乱文、失礼致しました。
 
 
 

-- 040603 --                    

 

         

                       ■■『異端者達に捧ぐ鎮魂歌』■■

     
 
 
 
 
 『もし託宣が正しければ、この世界はあと数ヶ月で滅びることになる。
  ですが、託宣が間違っていれば、僕たちは無実の少女をひとり殺すことになる』
 

                            〜 第九話のクリスのセリフより〜

 
 
 
 へぇー、こういう人も居るんだねぇー、ラクウェル姉。
 ほんとにお父さんに似てるかもしれないよね、あのおっちゃん。
 ひっさしぶりにおんぶなんかして貰っちゃったよー、えへへ。
 お姉ちゃんもなんか嬉しそうだったしねー。
 ま、なんかほっとしちゃったよね、実際。
 お父さんか〜。
 
 で、なんなの此処は? ラクウェル姉。
 マウゼルの神様を信じてない人達が集まってるんだよね?
 ふーん、こんなところに隠れて、それでも随分活気があるねぇ。
 でも、やっぱりどこか寂しいね。
 あの廃棄王女を名乗ってる人は、なんなんだろうね。
 そりゃー私の代りをやってくれるっつーならラクだけどさー。
 なんなんだろうね、やっぱり。
 わっかんないや。
 世界を正すって・・・ふーん。
 この人達によると、魔王ブラウニンこそ神なんだってねー。
 マウゼルこそが、人類を抑圧する悪魔、かぁ。
 ふーん。
 そういう考え方もあるんだねぇ。
 
 やー、私、マウゼルの事もよくわかんないから、こっちの話もいまいちねぇ。
 でも、もしその、マウゼルが神様じゃなくて悪魔だったなら、それはどういう事なんだろうね。
 聖グレンデルの託宣は悪魔の囁きって事になって、
 私が世界を滅ぼす猛毒っていうのも嘘になるのかな?
 そうしたら、私はみんなから憎まれなくてもすむのかな?
 それだったら、ちょっぴりいいかも。
 
 ・・・・うん、ちょっぴり、ね。
 
 私、こんな話聞いてるとますます訳わかんなくなっちゃう。
 私って、マウゼルが悪魔ではなくて神様だから死ななきゃいけないんだよね。
 でも、マウゼルが神っていうのは、それはマウゼル教の人達がそういってるだけで、
 此処の人達みたいにマウゼル教に迫害されてきた異端の人達にとっては、
 私っていうのは廃棄王女でもなんでも無いんだよね。
 ううん、むしろ。
 私は廃棄王女という名前は付いているけれど、
 それは世界を滅ぼす猛毒じゃなくて、世界を正す救世主って事を指す事になるんだよね?
 世界って、なんなのだろうね。
 すっごく簡単な事かもしれないね。
 うん、簡単。
 私が猛毒か救世主かは、マウゼルが神か悪魔かで変わっちゃうけど、
 私が廃棄王女でいることは、マウゼルが神でも悪魔でも変わらないんだよね。
 
 私は、どっちにしたって、人の命を一杯奪うことになるのだろうから。
 
 救世主って言ったって、どっちにしろ世界を正すとか言って間違っているものを壊したりするんだろうから。
 正しい世界って、なんなのだろうね。
 結局救世主になっていいことって、私を認めてちやほやしてくれる人がちょっとだけ増えるだけじゃん。
 そんだけじゃん。
 あーそー、はいはい、あー私は廃棄王女じゃないですよー。
 シャノン兄の言うとおり、あの人の方が気品ありますからねー。
 私は救世主になんてなりたくないですよーだ。
 
 私には、シャノン兄とラクウェル姉だけで充分なのよ。
 世界なんて私にはわからなくていーのよー。
 私は世界に甘えないから、ね。
 
 
 
 
 って、あーー!
 おっちゃん忘れてたーっ!
 
 
 ・・・・・・
 
 
 やっぱり似てるわよ。
 お父さんに。
 あー、懐かしいわぁ。
 なんだかあったかくって、安心するわ。
 ベルケンスさんて、いい人みたいだし、もっと甘えても罰は当たらないと思うわ、パシフィカ。
 って、パシフィカより問題はシャノンよね。
 ちょっと周りが見えなくなっているみたいだから、心配だわ。
 
 
 ・・・・・・
 
 あー、うぜぇ。
 なんで俺が異教検察官なんぞとつるまなきゃなんねぇんだよ。
 わかってんのかラクウェル、あいつはマウゼル教なんだぞ、しかも異教検察官。
 まー、最低限のラインは越えないとは思うが・・。
 で・・。
 ドラゴン、か。
 Dナイト・・・。
 誰が神で誰が悪魔だって?
 どっちにしろ、俺は戦わなきゃならん事には変わりないらしいな。
 魔王の配下として、そして神と共に立ち上がったドラゴンとして。
 へっ、馬鹿馬鹿しい。
 俺がブラウニンと共に神を打ち倒して、そして託宣をぶち破るのか。
 そりゃーいいや。それで俺の目的もついでに果たせるじゃねーか。
 ・・・ふん、阿呆らしい。
 
 俺達のしてることって、そんなのかよ?
 
 世界を正すだと?
 神を名乗る悪魔に立ち向かった神たる魔王に付き従うドラゴンが俺だと?
 それで世界を覆す、だと?
 そんな事を大まじめに言ってるあんたのそのツラ、是非拝んでみたいものだ。
 悪いが、俺にはそんなくだらん事をしている暇は無いんでな。
 まー、あんたらのやってる事が結果的に俺に都合が良いことではあるけれどな。
 だが、俺は気にいらねぇな。
 俺に、そんな世界押し付けんなよ。
 俺はただパシフィカを守ってるだけだ。
 神も魔王も関係ねぇ。
 つーか、俺がドラゴンってだけで笑えるのに、
 パシフィカが救世主かよ。
 神も魔王も勝手に争っていやがれよ。
 俺らには関係ねぇ。
 正しさなんて知ったことかよ。
 邪魔はしねぇさ。
 だが、笑わせて貰うぜ。
 
 パシフィカは廃棄王女で、俺はガーディアン。
 神も悪魔も関係なく、俺達がそうであることに変わりは無い。
 そして、変わりたくとも変われない。
 俺はDナイトって奴らしい。
 だが俺がゼフィリスと一体化して戦う理由は、正しい世界のためにっつー訳じゃねぇ。
 当たり前だろ、そんなこと。
 だから笑っちまうんだ。
 そして、笑わないと、俺も訳がわからなくなっちまうからだ。
 いや。
 俺はもう既に、笑うしかできないんだ。
 
 ラクウェルに心配されるまでも無く、俺はわかってる。
 俺は周りが見えてない。
 わからないものを、笑って誤魔化すしかない。
 わかっていることがあまりにも強すぎて、わからないことへの理解に割く余裕が無いのかもしれない。
 俺はな、ラクウェル。
 パシフィカを守れれば、それで良いらしいんだ。
 俺には、世界って奴がわからないから、だからどうでもいいらしんだ。
 それなら、もし俺が世界って奴を知ることができたら、俺は・・・。
 俺は、パシフィカを殺すかもしれないのか?
 世界の大切さを俺が理解できて、そうしたらいずれは世界とパシフィカを秤にかける事になるのか?
 おい、世界ってなんだよ。なんなんだよ。
 世界っていうのと、正しい世界っていうのは違うのか?
 
 俺はなにか最も根本的なところで躓いているらしい。
 託宣の正しさそれよりも、その正しさを決める基準たる世界の正否を知らないのか、俺は。
 どう考えたらいい。どうすればいい。
 神や魔王ってなんなんだ。
 それと世界とどう関係ある?
 正しいって、なんなんだ。
 
 
 このままじゃ俺は、なにもできない。
 
 
 
 

                          ◆ 『』内文章、アニメ「スクラップドプリンセス」より引用 ◆

 
 
 

-- 040601 --                    

 

         

                               ■■年年歳歳■■

     
 
 
 
 
 久しぶりに煌々と照る月が出ていて、なんだかため息もので、
 ちょっぴり得した気分の紅い瞳です、こんばんわ。
 
 さて、日記ですか。日記ですね。
 なにやら書きたいことが色々とあるのですけれど、
 そういうときに限ってあまり書いている余裕が無かったりするものですけれど、
 むしろそういうときにだけなにかを書きたいと思っているような私です。
 みんなそんなものですよね?(周囲を見回しながら)
 
 最近は日曜日に月姫、木曜日と金曜日にすてプリの感想、
 そして火曜日にどーでも良い日記を書く、という週4本仕立て。
 気づいたら、5月は過去一番更新したんじゃないか、ってくらいにログが出来てましたね。
 おいおい、やっぱり忙しければ忙しいほど更新頻度上がってね?(汗)
 それでも誤魔化し(?)が効いていたうちはまだ良いのですけれど、
 しかしもうさすがに限界のようで、その、正直もうちょっと更新回数を落してしまいたいお年頃。
 うん、勿論ホントはそれ以上に更新したくてたまらないんだけど、その、体力が(腰を叩きながら)
 むしろ更新頻度より、その無駄に長い文章をどうにかすりゃいーじゃん、
 と呆れられてしまいましょうけれども、やー、それは。
 それはね、ちょっと無理なのさ、やっぱり。
 短い文章にコンパクトにまとめることが、私のやりたいことじゃないので。
 書きたいものを書くために更新しているので、
 それができないなら、そもそも更新している意味が無いのですねー。
 って、なに言い訳してんのさ、ってお話ですけれども、
 というか、そういう訳でなんとかしようと思ってるのですよー。
 
 で、すてプリなんですねー。
 今週から一応すてプリの感想の更新は週1回にします。
 今週で一応放送分のお話に感想が追いつきましたのでー。
 それで一回分減りますね。
 で、もうひとつ申し訳無いですけれど、せっかく追いついたのに、
 これからは1週分遅れの感想更新にしたいと思います。
 すてプリの放送は金曜日の深夜で、日記を書けるのは土曜日になるのですけれど、
 そうすると日曜日の月姫の感想と続いて書くことになるのですよねー。
 正直、なにが一番大変かって2日連続更新ほど疲れるものは無いのですよぅ。
 ですから、一週遅れで木曜か金曜あたりにすてプリの感想は更新することに致します。
 でまぁ、その分余裕のあるときに、なんだか適当な日記を書こうとも思っています。
 とにかく、6月一杯まではちょっと厳しそうなので。
 サイト改装の方も、結局5月中に終わらせることは出来ませんでした。
 もうなんか改装のモチベーションが限りなくゼロに近づいてきている状態です。
 ええと、次はマリみて第2期放送開始までに完成、が目標ということで(惰性)
 
 さて、そんな厳しい紅い瞳さんですけれど、久しぶりに本を借りてきました。
 本を借りるのは何ヶ月ぶりかというところです。
 そのおかげでほどよく読書欲が充満してきて、なんか。
 なんか、楽しい。
 本を読む楽しみが装いもあらたに私の中に広がっていて、なかなかよろしい風情。
 良き哉、良き哉 (扇子で扇ぎながら)
 
 借りてきた物:
 ■ 続巷説百物語 (京極夏彦 角川書店)
 ■ 私小説 (岩井志麻子 講談社)
 ■ 太宰治全集3 (太宰治 ちくま文庫)
 ■ 殉死の構造 (山本博文 弘文堂)
 
 読み終わったのはまだ続巷説百物語だけー。
 やーもーまったく、相変わらず京極作品は凄い。凄い。
 でももうちょっとその凄さをぎっちりと詰めて欲しかったです。
 あれだけの量があったのに物足りなさを感じてしまうのは不思議だけれども。
 むしろもっともっと一杯書けるでしょう、と期待を抱けてしまうのもまた、この人の凄さ。
 内容の感想はめんどうなので、無かったことに。
 ちなみに今回のラインナップのメインディッシュは太宰治全集なのは間違いない。
 岩井志麻子はまぁいつもの通りの必須アイテムということで。
 殉死の構造は・・・・なんか必要かと思ったから。
 なんでだろ? (微笑)
 で、やっと、といいますかまだしてなかったのかヨ、と言ったとおろなのですけれど、
 マリみての原作小説を予約してきました。
 「マリア様がみてる」と「マリア様がみてる 黄薔薇革命」を取り敢えず。
 第一巻と第二巻ってこれですよね?
 
 
 ここで一発「愛してるぜベイベ」に捧ぐ叫びを
 もう、大好きです。
 なんて可愛いのかしら。
 うあー抱きしめてあげたい。
 都ママとゆずゆちゃんの親子関係って、これ、完全体と違う?
 つか、都ママ凄すぎ。
 ゆずゆに買ってあげたお高いクマさん人形にゆずゆがニンジン食べさせちゃおうとして、
 ママはクマさんは食べないよと言い張りゆずゆは食べると言い張り、
 結果クマさんのお口のまわりはソースまみれ。
 ママはそこで泣いちゃうの。
 ふぇーんって。
 うん、泣くよね、やっぱり。
 や、そんなママ見てた私は泣いちゃったよ。
 パパが帰ってきたら、ふたりテーブルで泣いてるんだよ?
 泣いてる理由がクマさんがニンジン食べるか食べないか。
 なにそれとか言って笑った人、ちょっと心を洗ってきた方がいいよ?(微笑みながら)
 パパもパパですんごく良い人で、ゆずゆはパパが慰めてあげたんだから、
 今度はゆずゆがママを慰めてあげて、ですってよ?
 なんだろう、このパパは。凄すぎる。
 ゆずゆちゃんそれ聞いて、ゆずゆ、ママの事好きだよ、だって。
 うん、ママ良かったね。ほんとに良かったね、うんうん(貰い泣き)
 こういう人達、大好きです! (目に涙を浮かべながら)
 ママの泣き虫っぷりがジツにイイですよね。
 お父さんの物わかりっぷりが最高ですよね。
 ゆずゆちゃんの思い遣りっぷりは奇蹟ですよね。
 こんな一生懸命な家族見てると、とても涙が出ちゃいますよ。
 こうやってそれぞれがそれぞれを補い慰め合えて、それでとてつもない完全を作っちゃってる。
 誰一人が欠けても駄目な、完全体。
 パパが死んじゃって、そしてバラバラになっちゃった都ママとゆずゆちゃん。
 ママから来た手紙をひとりで読み上げるゆずゆちゃんてば、凄い。
 ママの真っ正直な言葉が綴られた手紙、最高です。
 子供みたいなママを、だからこそ思い遣れるゆずゆちゃん、
 そしてそれでもママに会いたくて会いたくてたまらないゆずゆちゃん。
 うっわ、涙止まらないデス。
 で、結平クンは心ちんを追っかけてる訳ですが。
 ええと、その。
 世界で一番頑張れ、結平クン!
 
 ゆずゆちゃんと心ちん泣かすなよ? (←オチ)
 
 
 
 無茶というかやるせないオチをつけたところでいつものおまけをば:
 ルチアーノって、誰?(挨拶)
 いきなりさも当然のように現われた罰を受けて速攻でお亡くなりになられたルチアーノさん。
 マド姉に近づく者も死ぬけれど、マド姉から離れていく者もまた死ぬという仮説が浮上中。
 とりあえず、リメルダさんの1勝を祝福。
 でマーガレットお嬢様はエリノアとバネッサさんを従えてご旅行中。
 フカフカのベッドに驚いたりデザートで釣られたりとほんとにお嬢様なのかと疑問一杯ですけれど、
 旅行先でいきなり昼寝したいなんていうあたりに無駄に大物っぷりをお示しなられます。
 で、エリノアさんは当然のように旅行先でもメイド服なのですけど。
 おまけにメイド服の下に水着着込むなんて一体どんな人ですかこの人。
 お嬢様がひとりでほっつき歩いている間も、きっと泳いでいたに違いありません。、
 むしろわざわざメイド服着てきたのは、仕事(護衛?)サボるためのカモフラージュですか。
 エリノアさんの策士ぶりここに極まれり、というところですネ。
 
 うん、なんか、そんな感じだったよ。 (オチ無し)
 
 

 

 

Home